劣化ウラン弾の話 その6

予定ではヨーロッパ編になる予定でしたが、湾岸戦争と先天異常の話を続けます。PubMedでGulf War Anomalyと入力したら論文が20くらい出てきましたので。

まずはクウェートの話から。タイトルはImpact of the Gulf war on congenital heart diseases in Kuwait. で、International Journal of Cardiologyの2004年発行通巻93巻157-162ぺージに掲載されたものです。著者はクウェート市のChest Hospital心臓科に所属するL. Abushaban氏ら。全文が手に入ったので、訳していきます。

まずはIntroductionから。
「クウェートは、1990年8月2日にイラクの侵攻を受け、1991年2月26日に解放されるまで6ヶ月にわたり占領された。この間、クウェート人は莫大な精神的苦痛や物理的な暴行を受けた。また、イラクによる油田放火により、大規模な環境汚染にさらされた。我々はクウェート解放後に出生した新生児に、早産や先天異常が多いことに気が付いた。本論文では、湾岸戦争前後における先天性心疾患患者の数について研究したものである。」

先天性障害のなかでも、心疾患に的を絞った研究です。著者らはその原因を大規模な油田火災による環境汚染に求めているようです。
それでは方法に移ります。

「Chest Hospitalには、先天性心疾患の疑いのある幼児や新生児がクウェート中から紹介されてくる。紹介された患者には超音波検査を行い、必要ならば心臓カテーテル検査も施行して診断を行った。出生前の心臓検査はクウェートではルーチン検査とはなっていないが、出生後2日以内に、小児科医が一般的な検査を行うことはルーチンで行われている。ここで先天性心疾患を疑われた場合、さらなる検査のためChest Hospitalに紹介されてくる。」
「1986年から1989年(湾岸戦争前)と、1992年から2000年(戦争後)に分け、1歳までに先天性心疾患と診断された患者を対象とした。1990-91年は、戦時中で正確な戸籍がないため、除いた。戦争後は、パレスチナ人やイラク人が大量にクウェートを去り、エジプト人やシリア人などの割合が増加したため、対象をクウェート人に絞ることにした。」
「先天性心疾患は、心臓及び胸部大血管の構造的異常で、機能的に重大な障害を及ぼすもの(潜在的なものも含む)と定義した。肺動脈弁もしくは大動脈弁での血流速度が毎秒2m以下のもの、大動脈弁狭窄の所見のない大動脈2尖弁、卵円孔開存、無害性心雑音は除いた。早産児における動脈管開存は、出生週数のデータが不十分なため、機能的障害を起こすかどうかわからず、除かれていない。」
「具体的な疾患名としては、心室中隔欠損、心房中隔欠損、動脈管開存、心房心室中隔欠損、肺動脈弁狭窄、ファロー四徴症、大動脈縮窄、大血管転位症、両大血管右室起始症、単心室症、肺動脈閉鎖症、三尖弁閉鎖症、総動脈管症、左心低形成症候群、肺静脈還流異常症が挙げられる。アプシュタイン奇形や、肺動脈弁欠損などの稀な疾患は、その他に分類した。複数の疾患を合併している場合、それぞれの疾患にカウントした。出生10000人あたりの発症率で比較している。」
「イラク軍が侵攻した際、クウェート人の約半分は夏期休暇の外国旅行から帰ろうとしているところだった。クウェートが占領された際、多くのクウェート人は隣国に脱出し、化学・生物兵器や奇形原性物質の暴露からは避けられる場所にいた。1991年2月、イラク軍はクウェートの770カ所の油田に放火した。疎開したクウェート人は、1991年6月頃までに帰国したが、その後も数ヶ月にわたり黒煙がクウェート上空を覆っていた。完全に油田が消火されたのは1991年11月のことである。」
「統計学的に解析を行い、95%信頼区間の外にある場合、有意差ありとした。」

まとめると、クウェート人の新生児もしくは乳児で、1歳までに先天性心疾患と診断された人が出生10000人あたり何人いるか、というのを戦前・戦後で比較したということです。
では、結果に移ります。

「湾岸戦争前には326、戦後には2378の先天性心疾患がみられた。人数では前者が280人、後者が1976人であり、複数の疾患を合併していることが少なからずあることを示している。男女比は、戦前が1.1:1、戦後が1.15:1で、とくに変化していなかった。出生10000人あたりの先天性心疾患発症数は、戦前が39.5、戦後は103.4で、戦後に有意に上昇していた。」

結果として、このほかにグラフが1つと表が4つ示されています。グラフでは、戦争を境に10000出生あたりの先天性心疾患発症数が跳ね上がっているのがわかります。これは、機能的な障害を起こすかどうか不明な動脈管開存を除いたグラフでも同じです。表では、疾患別の変化が掲載されています。これらは考察を交えて述べてありますので、そちらに入ります。

「本研究で、湾岸戦争後に先天性心疾患発症率が増加したことが示された。なかでも中隔欠損や動脈管開存、大動脈縮窄症など、シャント形成を伴う異常が増加していた。また、三尖弁閉鎖、総動脈管症、肺静脈還流異常症も増加した。肺動脈弁狭窄は有意な増加がなく、また単心室、両大血管右室起始症、肺動脈弁閉鎖のようなチアノーゼを生じる心疾患のいくつかも有意な増加が見られなかった。1995年以降、主に左−右シャントを生じる心疾患において、患者が減少する傾向がみられた。1988-89年と、1992-93年とを比較すると、心室中隔欠損、心房中隔欠損、動脈管開存、肺動脈弁狭窄、両大血管右室起始症では1992-93年で有意に上昇していた。三尖弁閉鎖、総動脈管症、肺静脈還流異常症では有意差がみられなかった。この比較でもいろいろなタイプの心疾患で有意差の上昇がみられていることは、診断の進歩により発見率が上がったというわけではないこと示している。」

シャントというのは、短絡路のことで、ふつうならつながっていない場所がつながってしまうことを言います。左−右シャントというのは、体循環系(左心系)から肺循環系(右心系)への短絡路が生じることです。たとえば、心室中隔欠損では、左右心室の間の壁に穴が開いているので、左心室から大動脈に出るはずの血液の一部が右心室に短絡してしまいます。

「戸籍に入っていなかったり、小児科医が見逃したりしてこの研究に入っていない症例も数例はあると考えられる。侵攻前の発症率は10000出生に8人で、やや診断数が少ないように思える。しかし解放後の発症数は、世界平均と比べると相当に多く、やはり実際に増加していると見ていいだろう。また、調査対象家族が占領時に国内にいたか国外にいたかについてははっきりしないが、戦争発生時にはクウェート人の約半数が国外におり、25%は占領後に国外に脱出したとされている。」
「早産児の動脈管開存については、とくに戦前の統計が不十分である。しかし動脈管開存を除いたデータでも戦後3年間(1995年まで)は発症数の増加が見られており、その後はやや減少してきているが、戦前のレベルには達していない。」
「戦後の先天性心疾患の増加の原因として、以下が考えられる。」
「ひとつは、環境要因である。油田への放火により、一酸化炭素、二酸化硫黄、メタン、鉛・ニッケルのヒュームなどを含む黒煙がクウェートを覆った。これは1991年11月の完全消火まで続き、土壌や海水も汚染された。食料はほとんどを輸入に頼っているため、こちらは汚染されていないと考えられる。クウェート市の北30kmにはブルガン油田があり、南50kmにも油田地帯がある。ただし、今のところこれらの汚染により先天性心疾患が増加するという報告はなされていない。」
「また、化学・生物兵器の可能性が考えられる。しかし、クウェート人の大部分は、占領期間中には国外におり、戦後にクウェート北部を調査した結果ではそういった兵器による汚染はみられなかった。湾岸戦争症候群は、兵士に投与された殺虫剤やピリドスチグミン、抗神経ガス剤などが一因といわれており、そういったものを投与されなかったサウジアラビア軍兵士には症状が見られなかったという報告がある。Cowanらの調査では、湾岸戦争参加兵の出生児に先天性心疾患の増加は見られなかったという。これらから、化学・生物兵器によりクウェートの新生児・乳児が影響をうけたという証拠はないと考えられる。」
「クウェートのある地方病院で、湾岸戦争後に早産が増加したという報告がなされ、原因として、母国の占領による精神的なストレスが挙げられた。この早産の増加が動脈管開存症の増加に反映したかもしれない。ただし、先天性心疾患が精神的ストレスで増えるかどうかは不明である。」
「先天性心疾患増加の原因として、単一の原因を挙げるのは難しいが、環境汚染が重要な要素を占めることが考えられる。妊娠中の有毒ガス暴露による胎児への影響はよく分かっていない。アリゾナ州のある地域で、他の地形的によく似た地域よりも先天性心疾患の発症率が高く、その原因を環境によるものに求めた論文は出されている。」

筆者らが冒頭に述べたように、先天性疾患の原因を油田火災による煤煙に求めています。ただし客観的な証拠や間接的な証拠がないので、いまいち説得力に欠けます。
劣化ウランはレの字も出てきません。「劣化ウラン弾の話その5」で記述した通り、先天性障害との関連を調べた研究が少ないのと、増加したのが筋骨格系の異常だったので気にしなかったのかもしれません。

次に、イラクに関する論文ですが、残念ながら先天性障害に関するものは見つけられませんでした。かわりに乳幼児死亡の統計に関する論文がありましたので、読んでみます。

タイトルはAnnual mortality rates and excess death of children under five in Iraq, 1991-98.で、Population Studiesという雑誌の2003年発行通巻57巻2号、217-226ページに載ったものです。著者はWHOのMohamed M. Ali氏ら。全文が手に入ったので、読んでみます。

まずIntroduction。

「この論文では、UNICEFが1999年に行った、Iraq Child and Maternal Mortality Survey(ICMMS)をもとに、1990年代のイラクにおける小児死亡率を提示する。1991年の湾岸戦争を受け、イラクに対して国連の経済制裁が始まり、クルド人の住むイラク北部は国連管理下におかれた。1995年の国連によるOil-for-Food Programmeがイラクの栄養・健康レベルに影響を与えることとなった。」
(以下、調査方法と論文の中身を概説しているだけなので省略)

著者らは、死亡率の変化の原因を経済制裁に求めているらしいことが分かります。
ついで、方法。かいつまんで訳します。

「死亡率は、UNICEFのICMMSの結果を使用した。小児死亡は、新生児死亡、新生児期を過ぎてからの死亡、1歳までの死亡、1-4歳児の死亡、5歳未満の死亡にわけた。新生児を過ぎてからの死亡は、1歳までの死亡から新生児死亡を引いて計算した。計算は、イラク南部・中部とイラク北部に分けて行った。人口比率は、前者が80%、後者が20%であった。」
「死亡率を死亡数に換算するには、出生数が必要になる。これは国連の調査結果を使用して計算した。」

では結果。

「1974-98年における1000出生あたりの死亡を調べた。イラク中南部において、1970年代から1980年代まで死亡率は緩やかに減少していた。しかし1991年を境に死亡率は急増し、その後も徐々に上昇している。」
「1970年代から1980年代初めにかけて、イラク北部の死亡率は中南部よりも高かったが、1980年代後半から同じくらいになった。湾岸戦争をうけてイラク北部の死亡率は1970年代後半のレベルまで急上昇したが、翌年には急降下して戦前レベルになり、以降緩やかに低下している。」
「1974年、1987年、1989年、1990年、1999年に行われた調査をもとに、イラク全土での1歳までの死亡と5歳未満の死亡をグラフにしたところ、1990年までは死亡率が下降していたが、1991年に1960年代レベルまで急上昇し、以降はそのままのレベルに留まっている。」
「1991-98年までのイラクの幼児死亡数は794216人である。もしも1986-90年と同じ死亡率だったと仮定すると、死亡数は412270人だったはずである。また、1990年以降もそれまでと同じく死亡率が減少していったとすると、312323人になったはずである。よって、この差の382000人から482000人が、戦争の影響で死亡したもの考えられる。」

1974-98年の単年度ごとの1000出生あたりの死亡率が表になっていますので、簡単に示してみます。

新生児
(生後1ヶ月まで)
生後1ヶ月から
1歳まで
1歳未満 1歳以上5歳未満 5歳未満
中南部 北部 中南部 北部 中南部 北部 中南部 北部 中南部 北部
1974 38.0 63.8 27.9 75.6 64.8 134.6 23.1 114.9 86.4 234.0
1985 29.9 35.8 15.6 37.1 45.1 71.6 8.1 26.2 52.8 95.9
1990 26.2 42.5 21.2 31.3 46.8 72.4 13.2 21.1 59.4 91.9
1991 59.1 48.4 42.2 57.5 98.7 103.1 19.2 27.9 116 128.2
1992 59.5 39.5 42.2 29.7 99.2 68 18.8 21.2 116.1 87.7
1993 63.4 31.7 40.5 21.5 101.3 52.5 20.3 16.1 119.5 67.8
1995 66.9 47.3 40.8 19.7 105 66.1 26.5 15.4 128.7 80.4
1998 67.6 41.7 48.6 11 113 52.2 33.3 7.9 142.5 59.6
(Table1より改編)

ごらんの通り、1990年までは低下していますが、1991年に跳ね上がっているのが分かります。北部では1992年以降もとに戻っていますが、中南部では死亡率が高いままになっています。

最後に、考察。

「この論文では、1999年までの25年間のイラクにおける小児死亡率について報告した。戦争の影響と思われる小児死亡数は、1998年までで40-50万人弱にのぼると考えられた。本論文は、死亡率について報告したもので、原因について考察したものではない。原因については国連など、他の機関において考察がなされている。」

ということで、湾岸戦争を境に、とくにイラク中南部において5歳未満の小児死亡率が上昇していることが分かりました。原因について考察した報告としては、Food and Agricultural Organization of the United Nations. 2000. Iraq: assessment of the food and nutrition situation. Technical Report prepared for the Government of Iraq (ES: TCP/IRQ/8924), FAO, RomeとUnited Nations. 1999. Report on the Second Panel Established Pursuant to the Note by the President of the Security Council of 30/12/99, Concerning the Current Humanitarian Situation in Iraq, S/1999/356. New York: United Nations. の名が挙げられていますが、本論文では具体的な言及がありません。ただし、Introductionを読む限りは、経済制裁の影響を重要視しているようです。

以上、クウェートとイラクの状況を見ましたが、出ている論文も少なく、劣化ウランについては言及がなく、はっきりしません。やはり中東での調査というのは、言語の問題や治安の問題(とくにイラク)があって進まないようです。ということで、次回は湾岸戦争に参加したアメリカ・イギリス兵の出生児における状況についての論文を読みたいと思います。

 (2005年8月8日)

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