ユーゴスラビア紛争編の続きで、住民や派兵された兵士に対する疫学調査の論文です。全文手に入ったものが少ないので、数でカバーしたいと思います。
まずは、住民に対する影響を見たいと思います。「The number of malignant neoplasm
in Sarajevo region during the period 1998-2002」という題の論文で、Med Arh.誌の2004年発行58(5)号、275-278ページに載ったものです。著者はClinical
Center University SarajevoのObralic N氏ら。Abstractのみです。
「サラエボの悪性腫瘍を統計的に解析した。1998年1月1日から2002年12月31日までの5年間で、7733人の新規悪性腫瘍患者が診断され、3940人が男性、3809人が女性だった。1998年のみ全ガン発症率が高くなっていたが、これは紛争中・紛争直後に低下していた医療レベル(診断・治療技術)が復帰したためと思われる。頻度の高い腫瘍は、肺ガン、非メラニン性皮膚ガン、乳ガン、大腸・直腸ガン、子宮ガン、膀胱ガン、前立腺ガン、喉頭ガンであった。2000年の南ヨーロッパの平均ガン発症率と比較したところ、喉頭ガン、膀胱ガン、骨ガン、軟骨肉腫、脳腫瘍、悪性リンパ腫が男女とも多かった。ボスニア・ヘルツェゴビナでは喫煙率が非常に高い(ほぼ100%)ため、肺ガンや喉頭ガン、膀胱ガンの発症率に影響を与えた可能性がある。その他のガンについても、戦争によるストレスや戦時の包囲下における飢餓などの影響が考えられるが、特定することは難しい。」
ガンの危険因子は多岐にわたるので、特定するのはなかなか難しいです。劣化ウランという言葉が一言も出てこないので、このabstractだけ読むと、タバコが害が大きいように感じます。
ついで、「Heamatological malignancies in childhood in Croatia: investigating
the theories of depleted uranium, chemical plant damage and 'population
mixing'」という題の論文で、European Journal of Epidemiology誌の2004年発行通巻19号、55-60ページに掲載された論文です。著者は、クロアチアのザグレブ大学医学部のLabar
B氏ら。Abstractのみです。
「クロアチアの小児血液ガンが紛争後に増加した原因として、劣化ウラン弾、化学物質による汚染、人口混入が挙げられている。本研究ではクロアチアの0-14歳児を対象に、これらのリスクのどれが原因であるかを調査した。クロアチアがんセンターに登録された患者を1986-90年の紛争前、1991-95年の紛争中、1996-99年の紛争後に分けて調べたところ、劣化ウラン弾が使用された10州、化学物質による汚染を生じた2州では紛争前と紛争中・紛争後の発症率に有意な差はなかった。紛争中に人口混入がみられた4州では、リンパ性白血病の発症率が有意に上昇していた。これらの州では、紛争後にホジキン病の発症率が低下していた。クロアチア全体では、紛争中に骨髄性白血病が増加、紛争後に非ホジキンリンパ腫の発症が増えていた。」
ホジキン病・非ホジキンリンパ腫は、どちらも悪性リンパ腫の分類です。「化学物質による汚染」は、おそらくNATOの爆撃で破壊された化学工場(石油精製施設、肥料工場など)からの環境汚染を指すと思われます。人口混入というのは、他の地域から住民が引っ越してくることを指します。ユーゴ・コソボ紛争は民族紛争だったので、虐殺などを恐れた住民の移動がかなりあったでしょう。この影響で小児の血液ガンの発症率が変わってしまったのではないか、という内容です。
3つめは、「Incidence of major congenital malformations in a region of
Bosnia and Herzegovina allegedly polluted with depleted uranium」という題の論文で、Croatia
Medical Journalの2003年10月号、通巻44(5)の579-584ページに載ったものです。著者は、ボスニア・ヘルツェゴビナにあるモスター大学病院小児科のSumanovic-Glamuzina
D氏ら。Abstractのみです。
「西ヘルツェゴビナにおける先天性障害の発症率を、1991-95年の紛争(劣化ウラン弾が使用されたとされる)終結直後とその後5年目で統計学的に調査した。対象は、1995年と2000年に出生・死産・流産したモスター大学病院の新生児。結果、1995年には新生児1853人のうち40人に先天性障害があり、2000年には1463人中33人に先天性障害があった。最も多いのは筋骨格系の異常で、次が消化管(1995年)・心血管系(2000年)だった。発症率や内訳は、紛争に巻き込まれていない地域と比較して有意な差はなかった。」
世界平均で見ると、新生児の先天性障害発症率は2-3%なので、とくに多いということはなさそうです。この論文でも、劣化ウランによる影響は確認できませんでした。
4つめは、旧ユーゴスラビアの隣国、ギリシャ住民に関する論文です。タイトルは「Effect
of depleted uranium weapons used in the Balkan war on the incidence of
cervical intraepithelial neoplasia (CIN) and invasive cancer of the cervix
in Greece」で、Clin. Exp. Obwtet. Gynecol.誌の2005年通巻32号、58-60ページに掲載されました。著者はギリシャのアリストテレス大学ヒポクラチオ病院第2産婦人科所属のPapathanasiou
K氏ら。
「一般女性の子宮頚部上皮内ガン・浸潤ガンの発症率を、旧ユーゴ国境沿いの2病院と国境から離れた都市部の1病院で、ユーゴ爆撃前後3年間の統計を取り比較した。1997-99年、上皮内ガンの発症率は国境沿いで0.68%および0.9%、都市部で1.06%だったが、2000-2002年は国境沿いで1.11%および1.13%、都市部で0.88%であり、戦後の発症率は国境沿いの方が有意に高かった。浸潤ガンは、症例が少なすぎて比較に値しなかった。国境沿いの病院における子宮頚部上皮内ガン発症率の有意な上昇は、1999年の爆撃で使用された劣化ウランなど、環境的な影響が考えられる。」
地図を見ると、ギリシャに接しているのはマケドニア・アルバニアで、コソボ紛争でNATO軍はセルビアを爆撃しているので、劣化ウラン使用域とは地理的に離れています。確かに環境的な要因はあると思いますが、いきなり劣化ウランと結びつけるのは苦しい気がします。何で子宮頚部なのか、ということもありますし。全文を読んだわけではないので、他にも根拠があるのかもしれませんが。また、調査人数が少ないという欠点もあり、著者も「より大規模な研究が必要である」と締めくくっています。
最後は、バルカン半島に派遣されたスウェーデン軍兵士におけるガン発症率をみた論文です。タイトルは、「Incidence
of cancer among Swedish military and civil personnel involved in UN missions
in the Balkans 1989-99」で、Occupational and Envioronmental Medicine誌の2004年発行通巻61号、171-173ページに掲載されました。著者は、ストックホルム公衆衛生センターのP
Gustavsson氏ら。全文が手に入ったので、読んでみます。
まずは背景から。
「湾岸戦争、バルカン紛争において、劣化ウラン弾が使用された。バルカン半島で任務に就いたNATO従軍兵士の17人に白血病が発症したことは、劣化ウランが原因ではないかとして大衆の大きな関心を呼んだ。劣化ウランの推定被曝量から化学・放射線毒性を計算すると、健康に影響を与えるような量でないことが示されており、また被曝から発症までの期間が短すぎることも劣化ウランによる影響が否定的であることを示している。しかし、国連軍としてバルカン半島に派遣された兵士におけるガン発症率の疫学的な研究は、いままで行われていない。バルカン紛争に於いては、有機溶媒、潤滑油、排気ガスなど、他の発ガン性物質も環境中に放出された。そこで我々は、1989-1999年にバルカン半島に派遣された軍人・文民のガン発症率を調査した。」
方法。
「対象は、1989-1999年にボスニア・コソボにおける国連の任務に関与した軍人、救援隊人員。任務期間は、どちらも通常6ヶ月だった。任務は、主に室内で行うもの(3412人)、徒歩で移動して外部で行うもの(5204人)、コンボイで移動して外部の広範囲で行うもの(648人)、地雷・不発弾撤去(357人)、に分けた。文民は、主として運転や建設に従事した。調査した人員は、男性軍人が8347人、女性軍人が433人、文民男性が403人、文民女性が5名。平均年齢は、それぞれ27.1歳、33.4歳、40歳、37.7歳。調査終了(1999年12月31日)までに30人が死亡し、172人が引っ越していった。ガン発症率は、スウェーデンの一般人口におけるものを、性別、年齢(5歳ごと)、などで補正した。信頼区間は95%で計算した。」
複数の任務に就いた人もいるので、任務別の合計人数と総調査人数は一致していません。
結果です。
「対象全体でガンを発症したのは34人で、一般人口における予想発症数28.1人と有意差はなかった。最も調査人数の多い男性軍人で、ガンの種類別に発症率を比較したところ、有意に発症が多いものはなかった。ただし精巣ガンは予想発症数4.3人に対し発症8人と多め(有意差はない)で、内訳は4人が悪性奇形種、3人がセミノーマ、1人が混合性胚細胞腫瘍だった。急性白血病の発症はなく、血液系悪性腫瘍全体の発症率も有意差はなかった。」
「女性兵士では4名がガンを発症したが、これも一般人口と有意差はなかった。文民男性の発症率も一般人口と変わらず、文民女性の発症はなかった。」
「職種別に発症率をみたところ、一般人口と比べて有意差はなかった。」
考察。
「対象全体でのガン発症率は、一般人口における予想内におさまっていた。精巣ガンの数は、有意差はないものの高めであったが、劣化ウランに接触する機会がもっとも多いと考えられる地雷・不発弾撤去従事者での発症は1人だけだった。精巣ガンは若い男性に多く、発症の環境的要因は不明な点が多い。14200人のスウェーデン男性兵士を調査した別の研究では、非セミノーマおよびセミノーマどちらの発症率も一般人口と差がなかったという結果が出ており、湾岸戦争に参加した53000人のイギリス軍兵士を調査した研究でも同様の結果が出ている。金属と接触する機会が多い職業に従事している人の精巣ガン発症リスク増加を調査した論文もいくつかあるが、相関関係についてははっきりしない。本研究で精巣ガンが多めだった原因ははっきりと確定できないが、偶然、というのが最も考えやすい。」
「本研究では、血液系の悪性腫瘍の増加はみられなかった。もしも劣化ウランがガンの原因とすると、ウランの蓄積しやすい肺や骨にガンを引き起こすと考えられるが、肺ガンは一般人口における予想範囲内で、骨ガンは1人も発症しなかった。」
「本研究ではがん発症率が増加したことを示すデータは得られなかったが、劣化ウランに暴露されたと思われる期間から調査期間までの間が短いので、長期のリスクについてさらに検討する必要がある。また、ウランやその他の発ガン性が疑われる物質の被曝量を個人個人で測定したわけではない。」
ということで、派遣されたスウェーデン兵士・文民のガン発症率はとくに上昇していない、との結論でした。しかし発ガンには潜伏期(ときに数十年)があるので、これで危険性がまったくないと言い切れるわけではありません。より長期にわたる研究が必要でしょう。
以上5つの中では、劣化ウランによる発ガンを示唆するのはギリシャ住民を対象としたものだけで、根拠もあまりはっきりしません。実際住んだり派遣されたりしている人にガンが出ず、隣の国にガンが出るというのも変な話です。しかし劣化ウランの発ガンといえば肺、骨、血液に注目が集まっているので、子宮頸ガンに関してはいままで見逃されてきただけかも知れず、今後の研究が待たれるところです。
(2006年2月20日)
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