劣化ウラン弾の話 その16-2
「(d)臭化ピリドスチグミン
ピリドスチグミン(PB)、その臭化物またはイオン塩は、コリンエステラーゼ阻害薬に拮抗するため、1991年の湾岸戦争で連合軍の一部が使用した。IOM委員会は、この薬剤に関する多くの臨床的およびわずかの疫学的研究、実験動物を対象とした幅広い毒性学的文献を調査した。PBは40年以上にわたり重症筋無力症の治療薬として軍での使用量より多い量が使用されてきた。
多くの文献の調査に基づき、委員会は2つの結論に達した。(i)この薬剤と一時的な急性コリン性作用との間には、治療もしくは診断目的で使用される通常量において、『関連に十分な証拠がある』。(ii)PBと長期的な健康への悪影響との間に関連性が存在するかどうか決定するには『不十分な証拠しかない』。
委員会はPBの急性影響に関していくつかの結論に達した。『PBは下垂体・視床下部機能の試験や、重症筋無力症の治療で使用されており、多数の臨床研究が、健常ボランティアおよび患者での急性および一時性のコリン性効果を報告している…』。PBは重症筋無力症患者に1日あたり120-600mgの量で生涯にわたり投与されている。委員会は、PBを処方されている患者の約34%に1つもしくはそれ以上の、大部分は軽度な副作用、多くは消化管系のものを認めたとしたが、唾液分泌過多、発汗過多、尿切迫感、気道分泌増加、かすみ目などの他のコリン性徴候は少ないとした。腹部症状で薬剤の服用をやめる患者は稀であった。それに比べ、1991年の湾岸戦争では、PBの急性中毒を起こしたのは390-900mgを服用した兵士で、軽度から中等度のコリン性症状を投与後数分で発症し、24時間程度症状が続いた。
委員会は、『PBと長期の健康への影響との間に関連が存在するかどうか決定するには証拠が不十分である』と結論付けた。『疫学的なデータは、PBと湾岸戦争兵士の慢性症状との関連についての証拠を提示していない。湾岸戦争参加兵の疫学研究の大部分は、独特の湾岸戦争症候群が存在するかどうかや、その性格の決定に焦点を当てている。PBの使用と湾岸戦争参加兵の慢性症候群との間に関連があるかどうかを調査した疫学的研究は、2つしかない。』
IOM委員会はこう記している。『有機リン系物質による遅発性多発神経炎が、PB単独もしくは他の物質との複合的曝露により、有機リン系物質の急性症状無しに発症したという独特な説が呈示されており、さらなる調査が必要である』『ハーレイらは、慢性神経学的変化が何人かの湾岸戦争参加兵で認められたと報告しているが、これらの関連の正当性および原因の真実味は、研究対象における選択バイアスおよび情報バイアスが大きいこと、対照グループが存在しないことから、不確実である』。この反響は、他の専門家により検討された文献で説明されたものや、イギリス医学研究委員会のレビューなど、ヨーロッパでの専門家による報告に影響した。
それに加え、PBの投与に対する急性反応と、慢性神経性神学的変化の一部とが関連しているという証拠がハーレイとクルトにより提案されたが、毒性学的および臨床的研究の結果による一貫性を欠いていた。これは神経精神学的試験の選択、管理、解釈に欠けるもので、湾岸戦争参加兵の少数を高度に選択してあり、対照グループとの比較も為されていなかった。
一般的な研究で注記されていることは、特別な関連性というよりは、健康状態と危険物質の曝露の記憶との間の関連について報告されたものであり、IOMは以下のように結論付けた。『他の疫学的研究、イギリス軍兵士を対象としたものや、PB、ディーゼル排ガス、油田火災の煤煙などの曝露物質を対象としたものは、症状に対してどれも似たような関連性を示している。想起および報告バイアスが、これらの原因となっている可能性がある。ゆえに、これらの研究は、PBと慢性的な健康への影響の間に特異的な相関関係があることを示す基礎となるようなものではない。』
同様に、2003年のMRC報告では、大部分の湾岸戦争参加イギリス軍兵士にPB錠剤が提供されたことを注記した。また、PBの急性的な影響についてはヒトや動物の研究でよく分かっており、AChEを抑制する他の薬にも典型的に見られるものであった。さらに、PBは神経筋接合部疾患である重症筋無力症の治療に使用されており、その量は神経ガスに対抗するために使用される量よりもはるかに多く、はるかに長い期間投与されることも記された。殺虫剤やワクチン、ストレスのような他の因子との複合によるPBの影響をはかり知ることが困難であることも記述されている。」
この項では、神経剤の予防薬として使用される臭化ピリドスチグミン(PB)に関して述べていますが、結論は、急性副作用に関しては投与との相関関係が認められるものの、慢性副作用に関しては証拠不十分というものでした。慢性副作用に関する研究は数が少なく、バイアスが多いなど不確実なもので、PB投与と慢性症候群との間に関連があるという根拠は十分でないとのこと。
「(e)自然経験
湾岸戦争に参加したカナダの実験は、この戦争に参加した兵士の健康に関し、独特の「自然経験」を提供した。1990年8月、3隻のカナダ軍艦が湾岸戦争に参加した。そのうちの1隻、プロテクターは、クリスマスから新年の間、配置に付いた。この時期はすべての戦闘が起こる前の段階であり、乗員達はPB、ワクチン、油田火災、化学生物兵器などの危険物質には曝露しなかった。また、劣化ウラン弾も搭載しておらず、それが使われるような地域にもいなかった。
この乗員達と、その後に戦闘が開始されてから派遣された乗員達との間で、各種症状の調査が行われた。言い換えれば、これら早期に派遣された乗員は、「湾岸戦争参加」効果を明白にしたと言える。
同様に、他の連合軍においても、湾岸戦争に関連する環境汚染物質にわずかもしくはまったく曝露していないであろう兵士達を対象として、健康への影響の調査が行われた。オランダ軍は、1991年の湾岸戦争の間、平和維持もしくは人道支援にのみ参加した。オランダの湾岸戦争参加兵は、帰還してから6年以内に、自己報告による神経精神症状を著明に高い率で報告している。報告された症状は、集中力や記憶の問題、繰り返される頭痛、平衡感覚障害やめまい、精神活動時の異常な疲労感、睡眠障害である。自己報告した『曝露物質』の幅広さと、精神神経症状には、強い相関関係があった。17の自己報告された症状のそれぞれが、対象と比べて参加兵で著明に優勢であり、症状の多くが互いに相関していた。また、オランダ軍兵士は、頭痛、疲労感、記憶及び集中力障害、不眠、不安、呼吸困難、皮膚疾患、間欠性発熱などの非特異的な症状を多く訴えていた。研究者は、オランダ軍兵士が戦後の平和維持活動に主に参加したにもかかわらず、これらの症状パターンがアメリカの湾岸戦争参加兵と同様の構成をしていると述べている。
PBの健康への影響に関する明白な関心事は、この薬剤が神経筋疾患(重症筋無力症)の治療に使用されているということであり、筋力低下や疲労といった湾岸戦争参加兵の症状と関連があるか、ということである。IOM委員会は疲労や神経筋組織への影響を調べたPBの臨床研究を見直し、17名のポリオ後髄鞘炎症候群患者および10名の対象患者にPBおよび類似の薬剤を投与した報告を見つけた。この報告では、1ヶ月にわたりPBを1日180mg投与した結果、17名の患者のうち9名で疲労感の改善が見られ、軽度の消化器系副作用があったものの、1.2年の間服薬を続けることができたと記載されていた。ゆえに、『PBは処方された量では重大な神経筋副作用を起こすことはない』。」
ここではカナダとオランダでの調査を記しています。湾岸戦争終結後に派遣されたオランダ軍兵士に関する調査では、戦闘に参加したアメリカ軍兵士と同様の症状を訴えたとのこと。ただこれらから得られる結論は何も書かれていません。
また、PB投与と慢性症状に関して、重症筋無力症における投与後副作用を調査した文献を追加で紹介しており、とくに重大な副作用を起こしたとの報告はなかったとのこと。
「(f)湾岸戦争で発生した汚染物質の曝露との関係
2000年のIOM委員会報告では、湾岸戦争時に発生した、病気と関連がありそうなさまざまな汚染物質についても検討された。委員会は、PBと他の危険因子、例えばOP殺虫剤のクロルピリホス、防虫剤のN-ジエチルm-トルアミド(DEET)といったもの、の間に薬理学的な相関関係があるかどうかを調べた研究は限られていると記載した。この3つの物質を、致死量以下で雌鶏に2ヶ月以上投与した研究では、毒性が増すことが報告されている。IOM委員会は、この研究で報告された病理学的・神経学的改善がOPIDNの『特徴』であるとしたが、それでもやはり、『この神経毒性疾患の症候群は、湾岸戦争兵士においては報告されていない。同様に、これらの物質の中に、ヒトに症状を引き起こすような水準にまで神経毒性エステラーゼ(OPIDNの効果を示す標的マーカーである)を抑制するようなものは存在しない。また、PB、DEET、ペルメトリンの雌鶏への投与でも、同様の毒性上昇がみられており、これらの物質のうち2つがエステラーゼ抑制剤として作用し、3つめの物質はエステルであることが考えられる。最後に、ラットにこれらの物質を大量に投与したところ、致死率が上昇したが、このような大量投与をヒトに対して適応することが妥当であるかどうかは不明である』とした。そしてまた、IOM委員会は、『PBがOPIDNの原因と疑われる演繹的な理由は存在しない』『PB投与前後に他の化学物質に曝露することで、遅延性の神経毒性を生み出す可能性が大きくなるかどうか決定するには不十分な証拠しかない』と結論付けた。ヒトの健康への影響に関して、委員会は同様に、『とくにPBが他の物質と同時に曝露したときに』、PBの曝露と長期健康被害との間の関連を支持するデータが欠けていると結論付けた。」
さらにPBと他の物質との相互作用による症状出現の可能性を検討していますが、やはり不十分な証拠しかないとのこと。
「(g)ワクチン
全ての軍従事者は、一般的な感染症に対する幅広いワクチン接種を日常的に受けており、軍事特異的な疾患に関するワクチン接種も行われている。兵士達の一部は、これらのワクチン接種や、2種類以上のワクチンの複合接種により、長期的な健康被害が生じていると考えている。IOM委員会は、ワクチン接種に関するデータが不十分なため、湾岸戦争兵士におけるこの問題を研究するのは困難であると注記した。DoDは、湾岸戦域に311000人分の炭疽菌ワクチンが送られ、アメリカ軍兵士のうち150000名が少なくとも1回のワクチン接種をうけたと記録している。しかし、実際どの兵士が接種したかに関する情報は限られている。同様に、DoDによれば、138000名分のボツリヌス菌トキソイドが湾岸地域に送られ、8000名のアメリカ軍兵士に接種されたということだが、具体的に誰が接種されたかということに関しては情報が限られている。
炭疽菌およびボツリヌストキソイドワクチンの副作用を研究した、専門家により再評価された科学的な文献が委員会に提出されており、それにはヒトのボランティアを対象としたもの、アメリカで販売後に報告されたもの、臨床研究調査などを含んでいた。委員会は、これら2つのワクチンに関する研究が、湾岸戦争兵士に関するものに適用するには期間が短いと注記している。同様に、これらの研究は、対象人数が少数で、副作用を起こす可能性のある多数の他のワクチンと一緒に接種されており、ワクチン接種に特異的な症状に欠けているとも指摘した。
委員会が見つけたただ1つの無作為試験は、炭疽菌ワクチンに関してアメリカで実施されたもので、副作用に関する長期的なモニタリングは行っていなかった。委員会は、炭疽菌ワクチン接種を含む、動物実験に関するデータも収集した。
当然ながら、委員会は『炭疽菌ワクチンの安全性に関する専門家に再評価された文献は不足している』と結論付けた。それでもやはり、委員会は、これまで発表された研究において、重大な副作用は報告されていないとも結論付けた。同様に、委員会は、ボツリヌス菌トキソイドワクチンの副作用に関する研究も少数しか発見できなかった。これら限られた研究から、委員会は、長期的な健康への影響に関し、『関連性を認めるには不十分な証拠しかない』と結論付けた。
炭疽菌ワクチン
IOM委員会は、以下のことを発見した:(i)炭疽菌ワクチン接種と、一時的な急性局所・全身症状(例えば発赤、熱、膨疹など)との間の関連性には十分な証拠がある。(ii)炭疽菌ワクチン接種と、長期的な健康に対する影響との間に関連性があるかどうか決定するには不十分な証拠しかない。
ボツリヌス菌トキソイド
委員会は以下のことを発見した。(i)ボツリヌストキソイドワクチンと、ワクチン接種の際に一般的にみられる一時的で急性な局所的および全身の症状(例えば発赤、熱、膨疹など)の間には関連性があるというに十分な証拠がある。(ii)ボツリヌストキソイドワクチンと、長期副作用に関しては、関連性があるかどうか判断するのに不十分な証拠しかない。
2003年のMRCの報告では、湾岸戦争に参加したイギリス軍兵士の大部分が炭疽菌を含むさまざまなワクチン接種を受けていたことが判明した。アメリカ軍兵士と違い、イギリス軍兵士は、免疫反応を促進するために百日咳ワクチンを一緒に受けていた。一般的に、他のワクチンは、通常の医学的方法に一致する複合用量で投与される。MRCは、何人かのイギリス疫学者が症状の数及び深刻さと、湾岸戦争で接種されたワクチンの数との間に相関関係があると報告している、と注記した。しかし、湾岸戦争におけるワクチン接種の記録が不完全で、曝露してから時間が経った後の自己報告をもとに健康状態を記載しているため、関連があるという重要な証拠にはならないとした。
MRCの報告では、『ワクチン接種が湾岸戦争兵士の症状の原因であるというにはわずかな証拠しかない』『1つの報告はワクチンと自己報告された症状とに不確かではあるが関連があるとし、もうひとつの報告では症状を訴えた湾岸戦争参加兵に免疫系の異常がみられたとしている。しかし、これらの発見の重要性に関しては不明である』と結論付けられた。そしてまた、『ワクチン接種から10年以上継続する免疫関連症状に関し、一般的に受け入れられたメカニズムというのは存在しない。』」
ワクチン接種と長期経過後の症状との関連については、炭疽菌に関しては証拠不十分、ボツリヌス菌に関してはわずかな証拠のみとしており、関連性には疑問を投げかけています。
「(h)ワクチン複合接種
委員会はワクチン同時複合接種による潜在的な影響を記した論文も再評価し、記載した。委員会は3つの適切な研究に焦点を当てた。1つめはたくさんのワクチン接種を従軍第1週に受けたフィンランド軍に関するもの、2つめはDoDのFort
Detrickで働いていて、労働上の安全のためにワクチン接種を受けている労働者に関するもの、3つめは1991年の湾岸戦争に参加したアメリカ軍・イギリス軍兵士に関するものである。委員会は、これらの研究では長期副作用(ワクチン接種で一般的に見られる一時的な局所・全身症状以上のもの)に関してわずかな証拠しか得られないと報告した。しかし、これらによる証拠からは、多種のワクチンの同時接種と健康への悪影響との間に関連があるかどうか決定するのに不十分な根拠しか得られないことは明確である、とも記載した。
複合ワクチン接種
驚くほどのことではないが、委員会は、複合ワクチン接種と長期的な副作用との間に関連性があるかどうか決定するには不十分な証拠しかない、と結論付けた。
IOM委員会は、以下のように記載した。『ある種の多剤ワクチン接種は、免疫反応を促進させるが、通常のワクチン接種における副作用以上の結果をもたらすという証拠はわずかしかない』『フォート・デトリックのコホートでは、極度の長期免疫化をもたらすことに寄与する長期臨床的結果は認識されなかった。慢性的な免疫反応に関する証拠はいくつか明らかとなったものの、これらの変化はワクチンの効果に寄与するには必須のものでなく、なぜなら研究対象の労働者達は職業的にたくさんの病原性微生物に曝露していたからである。この一連の長期的臨床研究は、いくつもの欠点も持っていた。しかし、この研究は、注意深いモニタリングが何年もの間続けられたワクチン接種プロトコルに基づくコホート研究における一連の説明の付かない症状の根拠を暴かないという理由で、価値がある』『イギリスの湾岸戦争参加兵を対象とした研究は、多剤ワクチン接種、とくに従軍中の接種と長期の症状との間に関連があるといういくつかの限られた証拠を提供した。これらの研究にはいくつかの限定的な面と、混乱させる要素があり、さらなる研究が求められる』。また、これらの問題は、Peakmanらにより、もっと詳細に考察されている。」
ワクチンの複合接種に関しても、不十分な証拠しかないと述べています。いずれにせよ、更なる研究が必要なようです。
「(i)殺虫剤および溶剤
次にIOM委員会が『湾岸戦争と健康』についてレビューしたのは、1991年の湾岸戦争で使用された殺虫剤および溶剤であった。2003年の報告では、これらの危険因子と正の相関があったとされる21の症状すべてが、一般的な職業的、環境的危険物質とさまざまな癌、神経学的症状やその他の症状との関連性を認めたとして以前に良く報告されていたものであるとした。これらは、第一に様々なガンおよび血液疾患(例えば白血病、非ホジキンリンパ腫、多発性骨髄腫、再生不良性貧血など)、神経行動学的試験における微妙な一般的神経学的影響、他の健康への影響(反応性気道機能不全症候群、アレルギー性接触性皮膚炎など)であった。
IOMがレビューしたほぼ全てのデータが、工場労働者の長期または持続的な曝露に関する職業上の研究であった。結果として、大部分の陽性とされる発見は、『慢性』『高水準』または『毒性を発揮するに十分』とされる量(1つの例外は、プロピレングリコールおよび殺虫剤の曝露とアレルギー性接触性皮膚炎との間の相関を示したもの)として委員会が特徴づけた職業上の曝露に基づいていた。
職業上の研究は、明らかに信頼性があるが、市民労働者の研究における結果は、軍人に適応することが難しく、なぜなら、市民の労働場所における典型的な曝露は、湾岸戦争はじめ軍人が典型的に曝露する期間と比較して遥かに広く、そして長期にわたるものだからである。委員会は、1991年の湾岸戦争における曝露データが欠落していると述べ、湾岸戦争参加兵が、他の紛争における従軍兵士やアメリカ一般市民に比べて遥かに大量の殺虫剤および溶剤に曝されたかどうかは不明であるとした。委員会の発見は、いずれも、湾岸戦争参加兵の研究によるものではなかった。
2003年のIOM報告で正の相関があるとされたいくつかは、OP殺虫剤や軍用神経ガスのようなコリン性毒物に高レベルで曝露した際に受ける公衆および職業的健康被害についてのものであった。しかし、それらはおそらく1991年の湾岸戦争参加兵における長期の神経学的影響に関してはより信頼性が低いものである。例えば、委員会は、OP殺虫剤や溶剤の急性曝露と、神経行動学的試験の異常や症状を含む神経行動学的長期影響との間には「限られた証拠」しかないと述べている。事実、存在する科学的文献の大部分は、コリン性急性中毒とくに一般的には重度のものにおける長期的な影響しか調べていない。結果として、これらの文献は、職業的な安全水準が労働者を守るためには役立った。しかし、1991年の湾岸戦争参加兵における臨床的重要性は、急性コリン性毒物への曝露報告がないため、はっきりとしていない。湾岸戦争参加兵は、殺虫剤や神経ガスのような有機リン系コリン性毒物には、臨床症状が出ないレベルでしか曝露していない。例えば、アメリカ国防省が製作したカミシヤでのサリン曝露モデルにおいて、使用された曝露レベルは、急性毒性を発揮するような量よりも少ないもので、一般市民の防護レベルを完全に下回っていた。
興味深いことに、IOM委員会は、殺虫剤および溶剤と、末梢神経炎、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)、アルツハイマー病(AD)との間には『関連があるかどうか決定するのに不十分な証拠しかない』としている。委員会は、環境的な曝露と神経学的疾患の間に関係があるかどうかを研究するのは、診断の不確定さ、長い潜伏期間、データの自己報告の問題などから、困難であるとした。例えば、農薬とパーキンソン病の間に関連があるかどうか評価する疫学的研究が多数行われているが、被験者はしばしば彼らが曝されたであろう農薬の名前を思い出すことが出来ない。委員会は、農業関係者または他の殺虫剤業者におけるパーキンソン病を対象とした6つの症例対照試験を見つけ出した。委員会は、これらの研究における結果は論争の余地があるとし、殺虫剤への曝露とパーキンソン病との間の関連には『不十分な』証拠しかない、と結論付けた。
同様に、ALSと殺虫剤曝露に関して、IOM委員会は1つの研究のみしか見つけられなかった。委員会は、この研究が『関連の証拠』を提供しているが、選択バイアスがかかっている可能性があり、関連ありとするには『不十分な』証拠しかないと結論付けた。
最後に、委員会はADと殺虫剤との関連を記した論文を再評価した。委員会は殺虫剤とADとの関連を調査したいくつもの論文を発見したが、それは湾岸戦争参加兵における曝露に対しては関連性がないか、信頼できないものであった。ゆえに、委員会は、ADと殺虫剤との曝露の間に関連性があるとするには『不十分な』証拠しかないと結論付けた。」
殺虫剤および溶剤と神経学的疾患(末梢神経炎、パーキンソン病、AS、アルツハイマー病)との間にも不十分な証拠しかないとのこと。
「(j)燃料および燃焼生成物
3つめの「湾岸戦争と健康」に関するIOM委員会は、油井火災による燃焼生成物、ディーゼル排煙、硫化水素(油井火災生成物のひとつ)、ヒドラジンと赤煙硝酸(ロケット推進薬)、ガソリン、ジェット燃料と慢性的な健康への影響の間の関連性について調査した。2004年の報告は、長期健康被害と燃焼生成物およびロケット推進薬曝露との間に関連性があるという9つの論文を含んでいた。委員会の見解を支持する研究の多くは、日常的に自動車やストーブ、ヒーターなどから発生する煙や、周囲の一般的な汚染源、室内のよどんだ空気に日常的に曝されている都会の地域に住んでいる人々を対象とするものであった。他の研究は、エンジン排気など、自動車運転を生業とする人々の職業的な曝露を対象としたものであった。1991年の湾岸戦争に参加した兵士を対象とした研究も2-3見受けられ、それらは湾岸戦域での油井火災の曝露に基づいたものであった。
IOMで以前報告されたように、正の相関があるとされたすべての研究結果は、一般的にありふれた場所での環境的な曝露と様々な特異的疾患との間の相関性を記載したもので、再評価のために豊富な科学的文献を利用することが出来た。これらは、燃焼生成物(エンジン排気、油井火災の煤煙、テントヒーターの煙)と、肺ガン、鼻腔および咽頭癌、膀胱癌、低出生体重および子宮内発育遅延、早産、喘息との間の相関関係を含んでいた。また、ロケット推進薬であるヒドララジンと、肺ガンとの関連も報告されていたが、アメリカ国防省の報告によれば、この推進薬は1991年の湾岸戦争では使用されていないということであった。
興味深いことに、IOM委員会はこれらの燃料の曝露から長期的な健康被害が生じるとは報告していない。これは、IOMがこのような燃料に曝露することで急性または亜急性の健康被害を生じることも否定している、ということではない。しかし、IOMのレビューでは、燃料に曝露して急性中毒を発症した後数ヶ月もしくは数年経過しての長期的影響に関しては明らかにされなかった。」
燃料および燃焼生成物と長期的な健康被害の関連性に関しては、IOMの報告では触れていないとのこと。理由は不明です。
「(k)従軍した兵士の推定の問題
一般市民と都市部の住民において観察される健康への影響を従軍兵士に見られるであろう健康への影響にあてはめることは、常に不確実である。燃焼生成物や燃料による長期健康被害に関する最も良い疫学的研究は、数十年にわたりこれらに曝露してきた都市部の住民と労働者を対象としている。しかし、1991年の湾岸戦争で比較的短期間従軍した兵士達の健康に関して適応するには、曝露期間(兵士は短い)や曝露量(兵士は少量である)の差の問題から、信頼性に問題がある。同様に、長期間大量に曝露してきた都市部の住民や労働者は、より少量で短い期間曝露してきた人達よりも、特異的な疾患をより発症しやすい。
ゆえに、IOM委員会は、再調査した研究が第1に『生涯曝露し続けている人々や、長年にわたり工場で働いている労働者を含むものである』『対照的に、ペルシャ湾で曝露した人達は、曝露が短期間で、曝露の程度も様々である』『故に、湾岸地域で曝露を経験した人達は、この報告で使用された職業的曝露に関する文献で記述されたおおよその量のみを浴びたと思われる』と報告した。」
ここでは湾岸戦争の舞台となった地域に生活している人のデータを兵士にそのまま当てはめることができないと述べられています。理由は、曝露量および曝露期間の違い。よって、日常的に曝露したデータではなく、職業的に曝露したデータを当てはめるべきだとしています。
「(l)湾岸戦争における燃焼生成物への曝露
2004年のIOM委員会は、湾岸戦争兵士における貧弱な曝露データが、燃焼生成物の曝露による健康被害の予見を困難にしていると注記した。しかし、燃焼生成物の曝露に関するいくつかの信頼できるデータが、1991年の湾岸戦争における油井火災の煤煙および燃焼生成物に関連する調査報告としてアメリカ国防省から提出された。1991年の1月から2月末にかけて、イラク軍は600以上の油井に火を放ち、大量の煤煙が大気を覆い、完全な消火までには9ヶ月を要した。国防省の報告では、油井火災は大量の煙を生み出したが、現場にいたアメリカ軍兵士が実際に曝露した燃焼生成物の量は、概してそう多くはないとされた。また、湾岸戦争により懸念された多くの環境破壊とは異なり、1991年の湾岸油井火災により精製された大気汚染物質および燃焼生成物は、様々な団体によりモニターが実施されており、曝露に関して確固たる結論を得る助力となった。国防省の報告はまた、油井火災の近くにいた何名かの兵士は、大粒子の汚染物質に高濃度で曝露した可能性があり、こういった汚染物質は吸入されるよりも皮膚や衣服に沈着してしまうであろうと記載していた。
国防省の報告は、『破壊の段階では、医学・環境学的団体は、火災への曝露が健康に急性および慢性の破壊的な被害をもたらすと懸念していた。しかし、火災の高い燃焼効果、煙による汚染の量、太陽光線による効果、風及び天候の影響などの複合により、兵士及び市民の火災による影響は軽減された』『大気モニタリング研究の結果、特殊な物質を除き、大気汚染は一般人口に健康的な影響を起こすとされるレベルを下回ったことが判明した。しかし、炎上する油井の近くにいた兵士達の中には、急性の症状を訴える者もいた』と結論付けた。
この報告は、曝露したアメリカ軍兵士が、アメリカの都市においてスモッグや室内のよどんだ空気の中で生活している市民や、エンジン排気に曝されている労働者に比べ、曝露期間が非常に短いことも指摘した。『幸運なことに、兵士や市民が火災に直面した期間は比較的短くて済んだ』が、『煤煙生成物の一部は地表に落ちたため、付近にいる何人かはより長期にわたり影響を受けた』。
展開地域関連の燃焼生成物による曝露の比較で興味深い研究がある。1991年の湾岸戦争でクウェートに派遣されたアメリカ軍兵士の血液および尿サンプルを、戦争前、中、後で比較したもので、火災を起こした油井の近くにいて芳香族炭化水素(PAHs)などの汚染物質に高いレベルで曝露した場合の影響を調べたものである。サンプルは、揮発性有機炭素(VOCs)、PAHとDNAの複合物、金属、リンパ球における娘クロマチン変化頻度などの測定に使用した。驚くべき事に、この研究ではクウェートにおけるPAH濃度はむしろ低いことが判明した。DNAとPAHの複合物をモニタリングした結果、クウェートにいた兵士が最も濃度が低く、ドイツの駐留地に帰った後で著明に増加していた。クウェートに駐留している兵士の金属、VOCs、PAHとDNAの複合物濃度は、ドイツの駐屯地に残った兵士と同じかむしろ低かった。とくに、血中鉛濃度は、湾岸戦域に派遣されている間も変化が見られなかった。『まとめると、このデータは、兵士達がクウェートに派遣されている間、PAHの濃度が上昇するような水準の汚染には遭遇しなかったことを示している』。」
湾岸戦争では油井に放火されて大量の煤煙が生じましたが、これに関しては、一部の兵士を除いて曝露した時間が短く、血液や尿の検査でも芳香族炭化水素の量はむしろ少ないくらいで、健康への影響が出るような汚染には遭遇しなかったであろうとしています。
「(m)湾岸戦争におけるロケット推進薬ヒドララジンへの曝露
他の国防省調査によれば、イラク軍のスカッドミサイルや、他の小さなミサイルなどにはケロシンおよび赤煙硝酸(IRFNAとして知られる)が使用されていたとされる。イラクはUDMHを含むヒドララジン系ロケット燃料も保有していたが、湾岸戦争ではこれらの燃料は使用されなかったと結論付けた。『IRFNAに加え、ミサイル燃料は戦域の環境汚染を引き起こす可能性があった。イラクの使用した旧ソ連系ミサイルの燃料は、ケロシン系の新しい燃料であった。いくつかの改良型ミサイルでは、UDMHとIRFNAが使用されていた。旧ソ連はUDMHをスカッドミサイル燃料として使用していたが、イラクがUDMHを使用していたという証拠はない』。ゆえに、多国籍軍兵士が湾岸戦争中にヒドララジン系ロケット燃料に曝露したということは考えにくい。」
(j)のところでロケット燃料として使用されるヒドララジン系推進薬と肺ガンとの関連性を示した論文について触れられていましたが、イラクはケロシン系の燃料を使用していて、ヒドララジン系推進薬を使用した痕跡はないとのことです。
「(n)湾岸戦争兵士における生殖関連事項への影響
以前のIOM委員会と比べ、2004年の委員会決定では、生殖への影響に関して大きな注意を払っているのが特徴である。委員会は、以前の湾岸戦争兵士に関するIOMの報告が、成人の健康を第1に重視していたと記載した。なぜなら、1991年の湾岸戦争間に妊娠するケースは稀であり、女性兵士は湾岸戦域からすみやかに離れたと考えられていたからである。しかし、委員会は、予想していたよりも妊娠のケースが多いことが判明したと報告した。そのうえ、妊娠が判明するのは受精してから2-6週後で、妊娠の判明した女性兵士が湾岸戦域を離れたのは妊娠6-12週までずれこむ場合が最も多かった。ゆえに、委員会は疫学的文献の調査範囲を、妊娠初期の3ヶ月における影響を調べたものにまで拡大した。委員会は、ヒドララジン系ロケット燃料の曝露と、低出生体重、子宮内発育遅延、早産との間に関連があるとするには『限られた』証拠しかない、と報告した。しかし、多国籍軍は1991年の湾岸戦争期間中にこれらの物質に曝露した可能性がなさそうであり、この発見の臨床的重要性は不明である。IOM委員会は、再調査した限り、他のいかなる湾岸戦争における危険因子も、生殖に関して悪影響はないと報告した。この事項に関しては、ドイル博士らによって詳細に報告されている。」
生殖関係に関しては、湾岸戦争との間に悪影響の関連性は認められないとのこと。IOM委員会ではヒドララジン系推進薬との関連について特記していますが、そもそもこの種の推進薬は前述の通り使用されていないようで、あまり意味のない報告になってしまいました。
「4.結論、IOM研究の衝撃と将来への教訓
IOMや、類似のイギリスの科学・医学グループによる信頼の置けるレビューにより、1991年の湾岸戦争に関連する環境汚染による潜在的な健康への影響に関する評価は、重要な意味を持つことになった。それは、VAに、公平で科学的見地に基づいた治療と、兵士に対する賠償政策をもたらすことになった。また、IOMの科学的信頼性および独立性は、その結論における高い信憑性を証明した。
今回のIOM報告に基づき、VAは湾岸戦争での環境危険因子と関連したいかなる健康への影響に対しても特別な任務関連性の推定を作らなかったが、ALSは疫学研究において湾岸戦争参加との間に関連が認められた。2003年の論文で、1991年の湾岸戦争に参加した兵士ではALSの危険性が有意に増加しているとの報告が出たため、VAの長官は、ALSと診断された湾岸戦争参加兵は任務との関連性を認められるだろうと述べた。続いて、第2次大戦におけるアメリカ兵でALSの危険性が同様に上昇しているという論文が出され、VAはIOMに対し、ALSと従軍との間に関連性があるかどうか、科学的かつ医学的に信頼の置ける証拠を再評価するように求めた。
IOMの再評価プロセスは、新しい危険因子の出現に対応し、また以前の再評価を更新するためにこれからも続けられるであろう。例えば、最近の論文で、1991年の湾岸戦争に参加したアメリカ陸軍兵士で、イラクのカミシヤにおいて低濃度の神経ガスに曝露した可能性のある者は、脳腫瘍のリスクが増加しているということが発表された。しかし、本研究では、曝露モデルに疑問があり、生物学的妥当性(サリンや関連化合物に発ガン性はないとされる)を欠いているなどの問題がある。湾岸戦争参加兵における脳腫瘍と任務との関連性をこの研究に基づいて認めることもできただろうが、VAはIOM委員会により再評価された報告を選ぶこととし、この新発見に関し、サリン曝露と脳腫瘍との間に関連性があるかどうか評価するよう命じた。このメカニズムは、科学的見地に基づき、信頼できる政策決定を行う上で重要なものである。」
ということで、様々な湾岸戦争における健康リスク物質と健康被害との関連について検証が行われてきたわけですが、証拠不十分なものが多く、今後の研究に期待するところが大きいようです。また、2003年の論文では湾岸戦争とALSとの間に関連があるという新たな報告が行われており、さらにサリン曝露と脳腫瘍との間にも関連性を疑う論文も発表され、今後もIOM委員会によるリスク評価は続きます。
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