劣化ウラン弾の話 その16
今回は、湾岸戦争で兵士が曝露したと思われる劣化ウランを初めとする毒性物質によって、兵士に健康被害が生じているかどうかを疫学的に分析したレビューについてです。
「Toxicological assessments of Gulf War veterans
湾岸戦争参加兵の毒性学的分析
Mark Brown
US Department of Veterans Affairs, Office of Public Health
and Environmental Hazards
Phil. Trans. R. Soc. B (2006) 361, 649–679
1991年の湾岸戦争に参加した兵士における説明の付かない症状についての関心は、戦争終結後すぐに発生した。劣化ウラン弾やワクチンを初めとする薬剤、化学兵器の偶然の曝露や油井火災の煤煙などを含む様々な環境的原因が指摘された。この問題を解決すべく、アメリカ及びイギリス政府はアメリカ国際学会やイギリス王立学会などを含む独立した科学・医学専門家からなる専門会議を立ち上げた。彼らは湾岸戦争における環境問題の広範な領域に光を当てて分析を行った。しかし、認識された健康への影響は以前に職業上の健康問題として分析されたもので、湾岸戦争参加兵の病状について我々にさらなる理解をもたらすものとはならなかった。この努力は、環境の影響で生じる新たな健康への影響や、独自の症候群について認識したものではない。また、彼らの発見は1991年の湾岸戦争参加兵にみられる症状の説明を行うものでもない。とはいえ、これらの独立した高度な科学的レビューは、紛争に関連した環境問題からくる潜在的な健康への影響を評価する上で重大な意味を持つことになろう。」
要旨は以上の通りで、兵士が訴える症状と湾岸戦争における疑わしい環境要因に関するアメリカとイギリスの専門家会議における分析を紹介したものです。
では本文。
「1.はじめに
1991年の湾岸戦争で、連合国は非常に少ない戦死者で勝利を収めたが、この戦争に参加した兵士の中に、後に説明の付かない症状に悩まされる者が出現した。アメリカ及びイギリス政府は、アメリカ国際科学学会(NAS)やイギリス社会・医学調査協会(MRC)を含む、一流で独立した科学・公衆衛生専門家からの専門的な助言を求めることにより対応した。全体的に、この科学的・医学的見解および助言は、それらの展開に伴う環境的危険因子の幅広さに光をあてていた。
アメリカ兵士業務協会(VA)は、260万人近いアメリカ軍兵士に対して広範囲に給付金を提供するための責任を独自に負っている。これは1990年8月から1991年6月まで湾岸戦争に従事した697000人のアメリカ男女を含む。主なVAの給付金は、ヘルスケアや、従軍に関連する疾病や創傷による身体障害に対する補償を含む。身体障害への補償は、月ごとの金銭的な給付金を、連邦議会により確立された量において、そして不能さの程度に基づいて、従軍に関連した創傷や疾病(治療不可能か、従軍継続が不可能なもの)を罹患した兵士に対して支給する。効果的なヘルスケアの提供や、VAによる給付金の支給は、従軍期間中の健康リスクの認識に依存する。軍の健康リスクの立証は、しばしば継続的なプロセスであり、科学的であるとともに政治的でもあり、湾岸戦争健康討論会により十分に論証されてきた。
1991年の湾岸戦争に参加した兵士に関連する環境的・職業的健康リスクを認識するため、アメリカVAは独立した国際医学科学学会(IOM)に、同分野の専門家による科学的文献の公式の評価を依頼した。1998年に開始されたアメリカの連邦議会により命令されたプロセスの元、IOMは湾岸戦争での危険因子として認識された大部分の厳格かつ包括的な科学的文献のレビューを作った。それら職業的、環境的な健康に関する発見は、権威のあるものであったが、湾岸戦争の環境汚染に関する我々の理解を助ける部分はわずかであった。彼らの認識した健康への影響のすべてが以前からよくいわれているものであり、本質的には職業的健康文献において性格づけられているものだった。イギリスを含む他国からの類似のレビューとも突き合わされ、IOMによる包括的な調査は、仮定され、評価された危険因子に伴う新たな健康への影響や独自の症候群を認識することができなかった。
この文献で、私はこのプロセスの結果をとくに1991年の湾岸戦争で発生したと推定される環境汚染に焦点を当ててレビューしてみたいと思う。独立した文献として続く、とくに主題となる領域のより詳細な報告:このチャプターは、概観および要旨として意図したものである。」
ということで、このレビューはVAによる湾岸戦争健康リスク分析のうち、環境汚染を原因とするものに焦点を当てています。
「(a)早期の健康に対する関心事
1991年の湾岸戦争は比較的短期間であり、成功したかに見えた。イラク軍は4日間の地上戦でクウェートから退却し、連合軍の犠牲者も少なかった。しかし、1992-93年の報告で健康問題が持ち上がってきており、症状を訴える湾岸戦争参加兵や後方支援要員が紛争の際に1つ以上の有害物質に曝露したことを原因として挙げた。劣化ウラン徹甲弾、ワクチンなどの薬剤、化学兵器への偶然の曝露、イラク軍による油井火災などが原因に含まれている。
1993年、VAは湾岸戦争参加兵を対象とした臨床調査プログラムを開始し、2005年6月までに96000名を調査した。主な発見は、これらの兵士が様々な症状に悩まされているが、全く新しい、もしくは独特の症状は見つからなかったというものである。湾岸戦争関連研究の主要政府代理機関として、VAはアメリカにおける政府出資の疫学的そして他の関連する科学的研究を組み合わせることにも責任を持っている。今日までにこの共同アプローチにより、200以上の湾岸戦争関連健康調査プロジェクトに2億5000万ドル以上が費やされた。しかし、2003年のMRCの報告で書かれている通り、『すべての地域で行われている研究は、基準となる曝露データを欠いた状態で妨げられており、バイアスを受けやすく、年月が経過するにつれ信頼性が乏しくなる自己申告式曝露データを遡って実証することが困難である。』
VAの給付金のうち最も多くを占めるのは、従軍との関係の上に構築されたものに一部頼っているため、健康への関心事が、VAに湾岸戦争の汚染が兵士達に特異的な症状や疾患をもたらしたかどうか決定する圧力をかけることとなった。従軍との関係を構築するのは、弾丸や弾片による負傷といった、従軍と明らかに関係する負傷を受けた場合が普通である。疾患や負傷が過去の環境もしくは職業的な曝露で起こりうるものを原因とした慢性疾患である場合、従軍との関係を構築することは、より論争の対象になる。例えば、従軍中にベンゼンに曝露して白血病になったと訴える場合、それまで曝露してきたすべての量と比較しなければならず、確実に証明するのは困難である。」
ここでは調査の問題点として、基準となるデータが存在しないこと、症状などが自己申告なので正確性に欠けること、弾丸による負傷などと違って従軍との関連を明確に示すのが難しいこと、日常生活でも曝露するような化学物質の場合には戦争中の曝露が原因なのか日常生活での曝露が原因なのか特定するのが困難なことなどが挙げられています。
「2.医学科学国際学会の役割
VAはさまざまな戦闘間における環境問題と特異な健康への影響との間の潜在的な関連性を評価する補助として、医学科学国際学会(IOM)の独立した科学的な助言に長い間頼ってきた。例えば、IOMの文献レビューによってエージェント・オレンジやダイオキシンの曝露といくつもの疾患との間に関連を認めたりした。
(a)公式の兵士の健康に対する助言的な役割
NASは1863年にリンカーン大統領の署名により誕生したもので、科学や芸術における調査、研究、試験、報告を行う政府機関である。1970年、NASは独立機関としてIOMを設立し、健康関連問題に関する独立した客観的な権威のある信頼性の高いかつ時宜を得た意見を供給することとした。連邦議会は政府を介してIOMから健康問題の幅広い独自の科学的助言を得る。IOMは提案のための国家的な要求に反応して資金を提供するために参加しない。
IOMは国際的に重要でかつ困難な大衆の健康に関する質問に、権威があって客観的な、科学的にバランスの取れた答えを高度に承認されたプロセスで供給する。それらの研究は、IOMが独自の専門的知識や良好な審判、対象事項の論争から自由であることに基づいて選出された、国内外で認識されている専門家達により構成された独立科学者委員会で行われる。委員会のメンバーは、個人として就任し、グループや組織として参加することはない。いくつかの委員会会合が公衆に開かれることはあるが、委員会の発見や結論は信頼できる科学的・医学的文献のレビューに基づいており、本質的には同分野の専門家に評価された素材に焦点を当てたものである。IOMの承認は、同分野の専門家による評価が高い質の標準を確実にするものであるが、それは研究の有効性またはその結果の一般化の可能性が保証されるものではない。ゆえに、委員会のメンバーは、結論に到達する前に、それぞれの出版物の信頼性や質が決定的であることを期待する。
科学的な主題のエキスパートが必然的に彼ら独自のバイアスや経験を持ち込むことを認識することで、IOMは適切な委員会メンバーのバランスを保証し、現実または気付かされた興味への論争を避けることが手順である。例えば、委員会メンバーは独自の調査-他の「専門」委員会の仕事を欠く保護手段を再調査の立場として事実上要求することは決してないだろう。委員会メンバーは適切な理知的態度や全ての的を射た公式声明と同様に、記載された全ての専門的、助言的、金銭的な関係において明細を示すことを得る。バイアスを潜在的に有する委員会メンバーは、手にしている主題の先入観または重要な予断が注意深く排除されるので、IOM委員会の発見はふつう独立的かつ高い信頼性を有すると考えられている。
IOMは、委員会の公式発見や勧告がどんなときでも可能な限り証拠に基づいていて、それが可能でない場合には専門家の意見のみとして記載され、軍や兵士の健康問題に特に焦点をあてた標準的な証拠と前もって決定された方法論による「コックレイン・レビュー」と同様に製作されていることを得る。それぞれのIOM報告は、委員会に対して匿名で、彼らの名前は出版された研究で一度しか明らかにされない外部の同分野専門家グループによる広大な公式内部レビューを経験する。
(b)IOMによる兵士の健康評価
IOMの高度に発展された公式評価の過程は、兵士のための公平で科学的な就役不能政策の構築のためにVAに対して計り知れないほど貴重であることが証明されている。それら客観的かつ科学的に完全で、独立した卓越した定評は、それらの報告がすべての利害関係者を喜ばせることに失敗したとしても、それらの報告が信頼できるものとして位置していることを意味する。法律と歴史的な先例により、VAは公式のIOM評価を1975年から化学剤が投入されたベトナム戦争で使用されたエージェント・オレンジや他の農薬、ダイオキシンに曝露した兵士や、1991年の湾岸戦争における多種多様な環境汚染に曝露した兵士のための補償金政策を構築する助けとして使用した。IOMは1991年からの一般的な臨床問題の幅広い実験もしばしば要請し、湾岸戦争における健康問題に関して17の独立した評価(表1、略)を完了した。
IOMの湾岸戦争における健康関連研究は、兵士の就役不能に対する補償政策を通知するために立案され、また軍の環境汚染に伴うであろう特異な疾患を同定するために設計されているので、それらの研究は第一にヒトを対象とする研究に焦点を当てており、動物実験の徹底的な評価により捕捉されている。それらは長期慢性的かつ遅延性で、潜在的な就役不能に対してもっとも適切な健康影響を記述した科学的な文献を濃縮する。それらの結論は、兵士達の間に起こるであろう特異的な曝露および疾患に適用できる。たとえば、ダイオキシンの曝露が発ガンだけでなくホジキン病とも関連しているというIOMの発見は、VAに、ダイオキシンに曝露してホジキン病に罹患した兵士のための特別な補償政策を取らせることとなった。
1991年の湾岸戦争終結後から、少なくとも14の異なる委員会が米英で設立され、湾岸戦争参加兵の健康問題についての評価を開始した。しかし、科学的な厳格さからくるIOMの信憑性、政治プロセスからの独立性、バイアスからの自由性が、IOMによる評価を、それらのうちで最も影響を与える情報源の1つにした。
イギリスMRCおよび王立学会も、このような国際的立場および信頼性があるとして評価されており、これらの情報源は1991年の湾岸戦争参加兵における健康問題を理解する上で最も大きなインパクトを与える。たとえば、2003年にMRCが発表した、湾岸戦争に参加したイギリス軍兵士の研究比較を含む報告では、「湾岸戦争参加兵がどこから来たか、または従軍期間中に何を経験したかを無視しても症状が著明に類似している。湾岸戦争に参加した多国籍軍兵士は、参加していない兵士よりも多くの症状に悩まされており、それらの症状はワクチン、神経ガス予防剤、油井火災、他の汚染への曝露状況にかかわらずほとんど同じである」と記述された。IOMの発見により構成される結論は、「医学的発見の詳細が判明するにつれ、実際の異常は非常に稀であり、密接な関連は無いことがわかった。要約すれば、湾岸戦争の従軍に特異的に関連する症状はイギリス及び他の国際研究において証明されていない。」
その他の委員会および報告としては、以下のようなものがある。
(i)軍疫学会議
(ii)ゴス・ジルロイ法人の湾岸戦争参加兵カナダ疫学研究
(iii)湾岸戦争症状の独立公式研究
(iv)湾岸戦争参加兵の症状を理解する科学的な進歩:報告と勧告
(v)湾岸戦争の化学・生物学的事故研究のアメリカ国防省特別監督会議
(vi)ペルシャ湾岸戦争における健康への影響を調査するアメリカ国防省科学会議タスクフォースの報告
(vii)アメリカ厚生省国際健康技術ワークシップによるペルシャ湾岸戦争での経験および健康レポート
(viii)米国政府会計責任庁(GAO)による湾岸戦争関連疾患:アメリカ軍兵士の曝露に関するDODの結論は、十分に支持されていない
(ix)湾岸戦争兵士の症状に関するアメリカ大統領助言委員会:中間報告
(x)湾岸戦争兵士の症状に関するアメリカ大統領助言委員会:最終報告
(xi)湾岸戦争兵士の症状に関するアメリカ大統領助言委員会:特別報告
(xii)イギリス科学技術庁。湾岸戦争症状:不確定要素に満たされている
(xiii)アメリカ議会VA委員会による湾岸戦争症状特別調査ユニットからの報告
(c)湾岸戦争参加兵の健康に対するアメリカ連邦議会委任研究
1998年、IOMの潜在的寄与を認識することで、連邦議会はVAが1991年の湾岸戦争に関与する広大な環境汚染の曝露による長期健康被害の科学的かつ医学的文献のレビューを実施することをIOMに対して要求することを2つの法令で命令した。連邦議会は以前に記述され、エージェント・オレンジや他の農薬とその不純物に曝露したベトナム戦争参加兵に起こりうる健康への影響の評価に対する同様のレビュープロセスを持つ1991年のエージェント・オレンジ文書をモデルとし、これらの法令を作成した。この2つの法令は、約3ダースの異なる特異的環境曝露物質または関係する曝露物質のカテゴリーも挙げている(表2、略)。連邦議会はNAS-IOMに「ペルシャ湾岸戦争の間に南西アジア戦域作戦に従軍したために曝露したであろう生物・化学またはその他の毒性物質、環境的または戦時中の汚染、または予防医学またはワクチンを同定すること」を命令した。
これらの法令に基づき、IOMはVAに対して1991年の湾岸戦争に伴う危険な曝露による健康への影響に関する3つの主要報告と1つの最新情報を作成した。」
ここではVAが評価の参考とした文献を編集した各種組織を紹介しています。中心はIOM(医学科学国際学会)で、以前にはエージェント・オレンジおよびダイオキシンによる健康被害を指摘したことがあるとのこと。おそらくベトナム戦争時の話と思われます。
「(d)証拠のカテゴリー
IOMは兵士の間の特異な疾患もしくは症状と、特異な環境汚染とを関連づける科学的・医学的証拠に関する出版物の質をレーティングする標準的な方法を構築した。これらは、エージェント・オレンジの健康への影響を評価するために使用されたものと本質的には同一である。
関連の不履行カテゴリーは、「不十分/関連性が存在するか決定するのに不十分な論拠である」。IOM委員会は「特異的な物質と人間への特異的な健康状態との間に関連が存在すると結論づけるには論拠が量、質、一貫性の面で不十分である」という中立な了解事項から開始する。もちろん、IOMレビューの目的は、この不履行が変化しうるという証拠を探すことである。IOMは環境汚染と健康への影響に正の相関があるとして、3つのカテゴリーを設けている(1)「関連に十分な証拠がある」(2)「因果関係の関連の十分な証拠がある」、弱い正の相関カテゴリー(3)「関連に限定的または示唆的な証拠がある」。また、「限定的/非相関の示唆的な証拠」という負の相関のカテゴリーもある。
特異的な汚染と健康への影響の間の正の相関は、(i)評価するには証拠が小さすぎる、または(ii)証拠の本質的な主要部がそれ以上の決定的な結論を許さないならば、「不足/関連の不十分な証拠」という不履行カテゴリーの中に残されるだろう。」
ある疾患と、原因と目される物質との間に関連があるかどうかは、以下のように分類したとのこと。
・関連に十分な証拠がある(強い正の相関)
・因果関係の関連に十分な証拠がある(弱い正の相関)
・関連に限定的または示唆的な証拠がある(限定的な正の相関)
・限定的または非相関を示唆する証拠がある(負の相関)
・不十分。関連性が存在するか決定するには論拠が少ない(不明)
「3.湾岸戦争での健康リスク因子に関するIOM委員会の結論
4つのIOM委員会が湾岸戦争の環境的健康問題に関する全ての信頼できる科学的・医学的文献の徹底的ななレビューを製作した(表4、略)。7年以上にわたる熱心なプロセスは、何千もの科学的文献のレビューを含んでおり、その結果も要約された。
全体として、この熱心で全体的な文献レビュープロセスは、湾岸戦争のリスクファクターに関する我々の理解を集大成するものであったが、これらの危険因子の大部分はそれまでによく特徴づけられたものであり、大半の研究報告が非軍事人口を含むものであったため、湾岸戦争参加兵の健康問題を理解する上では少ししか役に立たなかった。この研究で、IOM委員会は結論を形作るため、専門家による評論を受けた文献に焦点を当てた。
2000年に製作された600ページのIOM報告は、劣化ウラン、臭化ピリドスチグミン、サリン、ワクチンによる健康への影響を調査した論文をレビューしたもので、以下のような結論に至った。」
さて、具体的な化学物質と健康被害との相関関係に入ります。まずは劣化ウランから。
「(a)劣化ウラン
ウラン精製の過程で副産物として発生する劣化ウランは、低レベル放射性重金属である。約340トンのウランが1991年の湾岸戦争で使用された。劣化ウランは装甲および徹甲弾として使用されているが、ごく短距離飛翔して貫徹力の弱い放射線であるアルファ線を放出し、経口摂取や吸入の際には近接した組織にのみ影響を与える。ウランは重金属としての毒性も併せ持っており、腎臓などの蓄積しやすい器官を傷害する。劣化ウラン弾は標的に命中すると大量の劣化ウラン粉末を放出するため、これを吸入する危険性がある。劣化ウラン弾は破片も精製するので、これが傷口から体内に入ることもある。1991年の湾岸戦争における劣化ウラン弾の曝露は、友軍からの誤射や浄化作戦、事故によって、粉末を吸入したり、経口摂取したり、破片を被弾したりして生じた。このような曝露による長期での健康に対する影響は、イギリス及びアメリカにおいて大きな公衆の論争を導いた。劣化ウランの曝露および健康に関するトピックは、スクイブとマックダイアミドが2006年に記述した論文に詳しく書かれている。
IOM委員会はまず、ウラン関連労働者(核兵器や核反応炉で使用されるウランの工作や加工を行う)を対象とした12の疫学研究(表5、略)を調査した。大部分はウラン工作従事者や濃縮ウラン工場・核燃料工場・リン酸肥料工場(リン酸鉱石の加工は劣化ウラン曝露を生じさせうる)労働者の死亡率を調査した研究である。ウラン工作従事者の曝露は、粉塵吸入によるものが大部分であり、湾岸戦争参加兵の曝露ルートとしても最も有力なものであった。これらの研究の対象となった労働者の大部分は、労働時間中の大部分でウラン粉塵に曝露されており、また、喫煙者と非喫煙者との補正が一般的な問題であった。鉱山労働者の研究に対する検討も行われたが、ウランよりもラドンの曝露に焦点を当てた研究であり、信頼性が低いと考えられた。
これらの研究を分析した結果、IOM委員会は、劣化ウランと疾病との関連について、3つの主要な結論に達した。
(i)肺ガン。委員会は、積算200mSvもしくは25cGy以下のウランからの内部被曝との間に関連性はないという限定されたもしくは示唆的な証拠があると結論づけた。しかし、それ以上の被曝に関しては、肺ガンとの関連性が存在するか存在しないかについて、言及するに不十分な証拠しか得ていない。
(ii)腎機能。委員会は、ウランの曝露と臨床的な腎機能異常との間に相関関係がないという限定されたもしくは示唆的な証拠があると結論づけた。ウランに曝露した場合、人間に於いては、腎臓は主要な標的とならない。
(iii)他の健康関連事項。委員会は、以下の疾患に関し、ウラン曝露との関連性があるかどうか判断するのに不十分な証拠しか得られなかったと結論づけた。悪性リンパ腫、骨癌、神経疾患、非悪性呼吸器疾患、腸管疾患、免疫疾患、造血系疾患、生殖発達障害、遺伝子障害、新血管障害、肝臓疾患、皮膚疾患、眼球疾患、筋骨格疾患。」
劣化ウランに関して明確に出されたのは200mSvもしくは25cGy以下の内部被曝で肺ガンが起きないということのみ。また、「ウラン曝露と腎機能障害には相関関係がないという限定的な証拠がある」という一文は目を引きます。他の論文では腎障害が起こるものとして記載されていることが殆どなので。理由が書いていないのが残念ですが。他の疾患に関しては、証拠不十分で保留とのこと。
「時を同じくして、イギリスでは王立学会が独立専門家ワーキンググループの召集に応じ、ブリアン・ヒープ議長の下で劣化ウラン曝露と健康への長期にわたる影響を調べた科学的文献をレビューした。この専門家委員会は、劣化ウランへの曝露がイギリス兵士の症状の原因になるかどうかについても考えることを求められた。
2つの王立学会『ワーキンググループ』報告と1つのサマリーで、劣化ウランに関する疫学および動物実験の報告をレビューした。IOM委員会と同様、それらは他の専門家が検討した素材に集中していた。それらの報告は、王立学会議長により再検討され、承認された。ワーキンググループは、劣化ウランとその潜在的な健康への結果に興味を持つ幅広い利害関係者からも意見を聞いた。
広く同様の方法を用いて、王立学会ワーキンググループは、この問題に関してIOM委員会と同様の結論に到達した。しかし、王立学会は、兵士達が経験した劣化ウランの実際の曝露および関係する放射線・毒性学的健康リスク見積もりを試みるさらなる段階をとった。1991年の湾岸戦争と関連するすべての危険因子に関し、劣化ウラン曝露について使用可能な測定法がわずかまたはまったく存在せず、それゆえに曝露量を見積もる必要があった。王立学会は、これ以上はあり得ないという最悪の曝露量を含む幅広い戦域での曝露シナリオを想定し、曝露レベルを計算した。委員会は、不確定要素にかかわらず、戦域での劣化ウラン曝露量の上限および加減の見積もりを行い、それによる健康への影響も見積もることが出来たとした。
この方法に基づき、専門家ワーキンググループは、戦域で吸入した劣化ウランからの放射線による最大リスクは、肺ガンの危険性を増加させると結論づけた。その他のがん(白血病を含む)の積算平均リスクは、肺ガンよりも小さいとした。劣化ウランの最悪の曝露ケースの場合、肺ガンリスクは『約1/15』上昇するとした。劣化ウラン弾に被弾した戦車内での生存兵のような、大きな曝露を受けた場合、肺ガンリスクの上昇は約1/1000とした。より少ない曝露の場合はリスク上昇は1/40000か、それ以下とした。ちなみに、一般人は生涯に肺ガンにかかるリスクは1/250、喫煙者の肺ガンリスクは1/6である。
毒性学的な健康への影響に関し、ワーキンググループは、ウランに大量曝露した人間の研究が少ないため、ウランの標的となる腎臓への悪影響に関する情報量が限られているとした。『腎機能障害や腎不全に至るほどのウラン大量急性曝露を受けた人間はとても少ない。これらの人を対象とした報告によると、腎臓重量1gあたりウラン50マイクログラムを超えると、腎不全を起こしうるようだ。』
これらの結果や、戦場での劣化ウラン曝露の見積もりに基づき、ワーキンググループは、『腎臓への悪影響は起こらないと予想される。劣化ウラン弾に被弾した戦車内の兵士や、劣化ウランに汚染された地域で活動していた兵士は、一時的な腎機能障害を起こすことはあるかもしれないが、長期的な影響に関しては不明である。最悪の曝露ケースに関しては、何人かの兵士の腎臓におけるウラン濃度はとても高く、曝露数日後に腎不全を起こす可能性はあるが、そのような症例は報告されていない。』
戦場での劣化ウラン曝露の見積もりと、信頼できる科学的・医学的文献の再評価により、ワーキンググループは、1991年の湾岸戦争における兵士のリスクについて次のような主要な結論に到達した。
(i)特殊な環境を除き、戦場での劣化ウラン内部被曝によるガンの発生リスクは、正常の生活におけるガンの一般的な死亡リスクを超えるものではない。これは、実際の被曝が見積もりの100倍だったと仮定しても、同じ結果である。
(ii)特殊な環境とは、戦域にいた兵士のごく一部、たとえば、劣化ウラン弾を被弾した車両内にいたり、それら車両の清掃に関わったりした場合に適応される。このような環境下では、もっとも好ましからざる状況下で、生涯における肺ガンリスクは一般人口の2倍に達する。
(iii)劣化ウランの曝露の結果として、白血病や他のガンによる死亡リスクは増加しない。いかなる曝露シナリオでも、生涯の白血病増加リスクは無視できるほど小さい。
(iv)戦域にいた多くの兵士における劣化ウランの曝露は少量で、ガンの罹患リスクは小さいと考えられる。もし実際の曝露が見積もりの100倍だったとして、10000名の兵士を50年間にわたり観察しても、ガンの発生数の増加は観察されないであろう。
(v)劣化ウラン弾による放射線学的リスクは、大部分は低いものであるが、好ましからざる状況を生じうる曝露量がどれくらいなのか確定しておらず、少数の兵士には肺ガンリスクの増加がみられる可能性がある。ゆえに、さらなる調査の継続が必要である。
(vi)戦域における大部分の兵士が摂取した積算劣化ウラン量は、一時的にも、腎臓1gあたり0.1マイクログラムを超えないものと推定される。結果として、これらの兵士では、腎臓や他の器官において悪影響は出ないであろう。
(vii)劣化ウラン弾に被弾した車両内にいたり、汚染車両での作業にあたったりした兵士における腎臓のウラン濃度は、短期間の腎障害を引き起こすレベルに達しうるが、長期における腎障害が起こるかどうかは、十分な資料がないため、判断不能である。最悪の汚染レベルに関して言えば、少数の兵士の腎臓におけるウラン濃度は非常に高く、曝露数日後で腎不全を引き起こしうるものであった可能性がある。しかし、湾岸戦争において最悪の劣化ウラン汚染を受けたアメリカ兵士でも腎不全の症例は報告されていない。ただし、このような兵士には腎臓に障害を受けた可能性を否定すべきではない。
(viii)劣化ウラン弾使用区域に入って劣化ウランを吸入により摂取した者に、肺ガンなどのガンが増加するリスクはみられないと考えられる。肺ガンの生涯増加リスクは最悪でも100万分の1である。他のガンのリスクはさらに100分の1以下である。しかし、戦後数年にわたる積算吸入量に関しては、大部分が不明である。
(ix)紛争後、劣化ウランが使用された地域に戻ってきた住民の大部分に、劣化ウランによる腎機能障害の恐れはない。最悪の汚染状況ではいくらかの影響があるかも知れないが、それはごくわずかの住民に限定される。
(x)ヒトの生殖機能にウラン曝露がどのような影響を与えるか、はっきりと結果を示した文献はまだ出ていないが、ウランを高濃度で摂取したマウスでは生殖機能に影響が出ている。イラク住民および湾岸戦争参加兵士で生殖機能を調査した研究が進行中である。もしも影響があるならば、劣化ウランの寄与度や、他の原因について、さらなる研究が必要となる。
これと類似して、2003年のMRC報告では、『動物実験においてウランの短期間大量曝露が腎障害を引き起こすことが証明されているが、ヒトではウラン鉱山労働者や事故による曝露など、限られた情報しか存在せず、それから判断すると、ヒトに関する急性毒性リスクは高くないと推定される。』と結論づけられた。」
こちらはイギリスの機関による結論で、より具体的になっています。劣化ウラン弾に被弾した車両内にいるなど、劣化ウランに濃密に曝露した場合を除き、劣化ウランの内部被曝でガンにかかるリスクはきわめて小さいとのことで、濃密に曝露した場合に肺ガンのリスクは2倍程度増加するとしていますが、どれくらいの曝露を「濃密」とするかは、今後の調査が必要とのことです。ヒトの腎機能障害に関しては、これまで障害を起こすほど大量のウランに曝露した報告が少ないため、結論を出すに至らないとのこと。生殖機能への影響に関しては、今後の報告待ちです。
続いて、サリンの曝露に関する結論。
「(b)サリン
1991年3月、化学剤であるサリンを含む砲弾をイラクのカミシヤでアメリカ軍が破壊したため、この際に生じた可能性のある低濃度サリン曝露の健康に対する影響が、湾岸戦争参加兵にとって重要な関心事となった。軍および殺虫用に使用されている神経剤である有機リン剤の長期及び短期影響を評価するため、IOM委員会とMRCを含む評価メンバーが大量の科学文献を検討した。この文献は、50年以上にわたり発表されているもので、人体実験や、職業上および偶然の曝露、動物実験、1994-95年の日本におけるテロリストによるサリン攻撃などを含む。
4つの健康に対する影響が記述されており、それは、(i)急性コリン毒性、(ii)有機リン誘発遅延神経炎(OPIDN)、(iii)長期神経精神学的・神経病理学的影響、(iv)「介在症候群」として知られる可逆性筋衰弱、である。これら文献に記述されたいくつかの影響は潜在性であり、しばしば他の疾患や職業上の曝露により生じる健康被害との区別が難しい。
一般的な毒性学の法則によれば、それぞれ記載された健康への影響には、それを下回ると臨床的には探知されにくい、曝露レベルの閾値が存在する。ゆえに、ヒトおよび動物実験の示唆に富む解釈が、曝露の厳密な性格付けを要求する。
正確な曝露レベルはしばしば再構築しにくいので、全身曝露量は最初に観察された急性徴候および症候に基づいており、高レベル(明らかなコリン毒性を示す)、中レベル(縮瞳、鼻漏、コリンエステラーゼ抑制などのコリン毒性がギリギリ観察される)、低レベル(明らかな臨床徴候・症候を認めない)に分類された。
IOMなどによるレビューの基本的な結論は、「有機リン系神経剤の知られている全ての長期影響には閾値もしくは最低曝露量が存在しており、その閾値は中レベル曝露を超えるものである。中レベル曝露もしくは高レベル曝露者にみられる健康に対する長期の影響は、潜在的であり、曝露された人々において探知できるが、個々人ではそうではなく、低レベル曝露者でも報告されていない。実地上の角度から見ると、このことは、有機リン系神経剤による長期の健康への影響は、急性臨床的毒性の後遺症としてのみ観察されるもので、毒性の急性徴候および症候の証拠が欠落している症例では、長期の影響はみられないと思われることを示している。」
2つのIOM委員会(2000年および2004年)は、最初の急性毒性徴候および症候の程度により分類した異なるサリン曝露レベルにおける長期健康被害について、いくつかの結論に達した。IOM委員会が指摘したのは、アメリカ陸軍医療軍が提出したカミシヤの出来事の際の医学的報告に急性サリン毒性を示した兵士がいなかったことで、「アメリカ軍兵士はこの時点では急性コリン症状を示していないが、症状が出ないような低レベルでの曝露を受けた可能性は否定できない」というものである。ゆえに、1991年の湾岸戦争に参加した兵士の健康問題のカギとなるのは、臨床症状が出ないレベルでのサリン曝露により、長期の健康に対する影響が出る可能性があるかどうか、ということになった。
2003年のイギリスMRCの報告でも、急性有機リン中毒による潜在性の影響が報告されているが、それは低レベル・非急性曝露では長期の影響が起こるという証拠はないというものであった。報告は、「神経ガスもしくは有機リン系殺虫剤の実際の曝露に関し、イギリスの湾岸戦争兵士にそれがあったという証拠は極めて乏しい。神経ガスが1991年の湾岸戦争で使用されたという確たる証拠は存在しない。有機リン系殺虫剤が湾岸戦争参加兵に被害をもたらす唯一の可能性であるが、殺虫剤を戦域にいた人々がどれくらい所持していて、どのように使用したかについての資料はほとんど存在しない。当時、急性有機リン中毒の症例は報告されておらず、後に症状を引き起こすような量の有機リン剤に曝露した可能性は低い。」と結論付けた。
MRCの報告は、有機リン系殺虫剤を分解するパラキソナーゼという酵素が弱いタイプのため、有機リン中毒になりやすい兵士がいたという可能性についても言及している。しかし、MRCは、これが慢性症状の発生に関して重要なのかどうか不明な点も多く、さらなる研究を待たねばならないと結論付けている。
2003年のMRCの報告では、1991年の湾岸戦争参加兵が神経学的症状を異常に高い水準で訴えているが、臨床研究では末梢神経系や神経筋接合部に異常があるという重要な証拠は発見されていないと結論付けた。
IOM委員会は、ヒトおよび実験動物を対象とした幅広いサリンの健康に対する影響を調べた研究を再調査した。委員会は、サリンがヒトに対して使用された4つの研究、つまりアメリカ及びイギリスにおけるサリンおよび他の化学物質の戦場での曝露、サリン製造工場での労働者の曝露、1994年の松本市、1995年の東京におけるサリンテロ事件に焦点を置いた。
2000年、IOM委員会は、臨床症状を起こさないレベルでのサリン曝露が「湾岸戦争症候群」を引き起こすという仮説も検証した。この仮説の支持者は、1999年9月16-17日の委員会によるミーティングで証拠を提示した。とはいえ、委員会はこの仮説は支持せず、実際、委員会の最も重要な結論は、臨床症状を起こさないレベルでのサリン曝露と長期健康被害の間の「関連には不十分な証拠しかない」というものだった。
驚くほどのことでもないが、これらの化学物質が殺害または不能状態を作り出すために製造されているという事実を考慮に入れたうえで、委員会は、サリン曝露と、その後数秒から数時間で起こり、数日から数ヶ月で回復する急性コリン性症候群との間には「因果関係の十分な証拠」があるとした。
IOM委員会は、(i)1950-60年代のサリンへの職業的な曝露、(ii)1994年の松本サリン事件、(iii)1995年の地下鉄サリン事件の研究結果に基づき、急性コリン徴候・症候を引き起こす量のサリン曝露と、長期健康被害との間には「相関性に関して限定された証拠がある」と報告した。前に述べたとおり、湾岸戦争参加兵で症状を引き起こすような曝露を受けた兵士は知られていない。
委員会は、サリンテロを受けた日本人被害者が、サリンの曝露と同様に、その事件自体からストレスを受けていると指摘した。テロ被害者の一部は、入院もしくは死に至るほどの重大なコリン毒性を示しており、ある者は中程度であり、あるものは急性徴候がみられなかった。PTSDの危険性の上昇や、「地下鉄への恐怖」として報告されているものを含む、一般的に言われている長期にわたる健康への影響は、コリン毒性というよりはテロ攻撃の精神的ストレスに由来するものである。
おそらく、被害者の耐性の違いが個々の感受性の違いを説明すると思われる。Haleyは、有機リン系合成物質解毒酵素の多型性が症状の違いに関与すると述べており、これは理論的にももっともらしいものであるが、イギリスの2つの研究でも確たる証拠は出ていない。最後に、動物実験では、低濃度ピリドスチグミン単独投与、それプラス低濃度サリン投与において、遅延性の神経行動学的影響やその他の重大な影響は観察されていない。
IOM委員会は、ヒトにおける遺伝子学的な感受性の可能性の問題についても言及しており、そのデータはあいまいであると報告している。パラオキソナーゼ(PON1)という酵素がヒトの脳と血液中にあり、サリンの解毒に関与しているとされる。IOM委員会は、ヒトPON1遺伝子の192(Arg/Gln)および55(Leu/Met)多型が血中PON1活性に影響すると指摘した。
ヒト血中PON1は有機リン系殺虫剤やサリンのような神経ガスの加水分解をcatalyseするため、この多型性が結果としてこれら化学物質の毒性に対して個々人の感受性を変化させる可能性がある。192番目の多型性には3つの遺伝子型(QQ、RR、QR)があり、これによりPON1酵素のタイプRとタイプQという多型性が生じ、有機リン剤の加水分解を異なった率で行うことになる。
タイプR(Arg192)は、有機リン系殺虫剤を高速で分解できるが、サリンやソマンといった神経ガスの代謝は低速である。そしてそれは、サリンが抗コリンエステラーゼ作用を長く発揮するということにつながる。タイプQは、有機リン系神経ガスを高速で分解し、有機リン系殺虫剤の分解は低速である。ゆえに、タイプQ(遺伝子型QQもしくはQR)を持っているヒトは、タイプR(遺伝子型RR)を持っているヒトよりもサリンの加水分解が早いと考えられる。動物実験では、PON1酵素がいくつかの有機リン系合成物質の毒性に対して防御作用を持つことが示されている。タイプRを持つヒトは、コーカサス系の30%にみられ、日本人では66%である。このタイプはサリンの低分解と関連するため、日本人はサリンの毒性により感受性があり、日本のサリン事件での死亡率や症状発生率に影響したのではという仮説が立てられている。しかし山田らは、地下鉄サリン事件での10名の死者を調査したところ、7名はタイプQ(6名が遺伝子型QR、1名がQQ)であったと報告している。それゆえに、サリンに対して高い加水分解活性を与える遺伝子型は、サリンの毒性に対してさほど重要な役割を示さないと思われる。
湾岸戦争参加兵の症状と、PON1遺伝子型、血中アセチルコリンエステラーゼ(AChE)活性との間の関係は、Haleyらにより調査された。酵素活性もしくはアセチルコリンの代謝活性は、兵士の血清サンプルを使用して測定した。その活性は、部分的に、兵士の遺伝子型を反映している。症状を持つ兵士(25名)は、対象(20名)よりもタイプR蛋白(遺伝子型RRもしくはQR、)を保有しており、タイプQ蛋白よりも低いエステラーゼ活性を示した。本研究で、タイプRを持つことは、湾岸戦争兵士における症状発症の危険因子となりうることが示されたが、症例対照研究では、HotopfらがPON1活性と湾岸戦争参加兵の症状との間には関連がないことを示している。これらの研究では、症状を持つ湾岸戦争参加兵、症状のない参加兵、症状を持つボスニア紛争参加兵、症状のない非参加兵が対象となった。主な測定対象は、PON1活性とPON1遺伝子型(55番目、192番目のアミノ酸)である。著者らは、4つのグループ間で統計学的に有意な差を認めたが、2つの湾岸戦争参加兵グループでは差が認められなかった。しかし、湾岸戦争参加兵は、非湾岸戦争参加兵に比べ、PON1活性が低く(中央値70.9)、その違いは、PON1の多型では説明がつかなかった。PON1活性は湾岸戦争参加兵の方が対照群よりも低かった。これは、湾岸戦争参加兵が症状を持っているか持っていないかによらない。
これらの研究で、湾岸戦争参加兵におけるPON1の役割を完全に明確にすることはできなかった。Macknessらの研究では、症状を持つ湾岸戦争参加兵はPON1活性が低かったが、Hotopfらが発見した遺伝子型の違いではこれを説明できなかった。にもかかわらず、PON1活性の低下は、有機リン系殺虫剤や、サリンのようなガスに対する感受性を増加させる結果になったであろう。
(c)2004年のサリンに関する更新
2000年のレビューに続き、動物実験で、サリンのさらなる影響についていくつか報告された。とくに、VA湾岸戦争研究諮問委員会(ジェームス・ビンス委員長)は、新しい動物実験が、サリンを含む化学兵器の微量曝露によるヒトの健康に対する影響を支持する証拠に欠けた早期のIOM委員会の結論を見直すものであると結論付けた。この公式見解の過程が構築された2つの法律は、新しい科学的研究が利用できるようになるにつれ、定期的な更新の必要性を予想した。ゆえに、2003年2月、VAはIOMに、サリンの健康に対する長期影響の可能性に関する2000年の研究を更新するよう要求し、2004年8月にそれが終了した。
そのアップデートでは、IOM委員会は2000年の報告後に出された約250の文献に焦点を置いており、その中にはサリンの健康への影響に関する19の疫学研究や、幅広い動物実験が含まれていた。それらには非湾岸戦争参加兵の3つの研究、カミシヤで曝露した可能性のある湾岸戦争参加兵に関する4つの研究、アメリカ及びイギリスの湾岸戦争参加兵の自己報告に基づく6つの研究、同様の自己報告に基づく湾岸戦争参加兵の軍職種の6つの研究が含まれていた。最初のIOM調査で再評価されたすべての研究も、このアップデートで考慮された。
最初のレビューでは、非湾岸戦争参加兵の研究は、以下のものに基づいていた。(i)数十年前に非致死量のサリンや他の化学兵器に曝露したアメリカ軍兵士、(ii)サリンに急性曝露した工場労働者、(iii)1994年の松本サリン事件、1995年の地下鉄サリン事件被害者。委員会は、同時に多種の化学兵器に曝露した報告や、遺伝子感受性を含む、他の関連する出来事についても考慮した。前回のIOM委員会と同様、新しい委員会は毒性学者や疫学研究者、他の公衆衛生学者を含んでおり、動物及びヒトでの研究データを検討した。
委員会は、すべてのヒトにおけるサリン研究が、良好な曝露データを欠いていると注記した。たとえば、2000年の報告に続き、カミシヤのサリン事故におけるDoD曝露モデルがアメリカ連邦議会GAOによる的確でないモデルとして非難された。IOM委員会はまた、DoDカシミヤ曝露アセスメントを取り巻く重要な不確定性も注記した。それは「曝露情報を使用した研究で、カミシヤで曝露した兵士と曝露していない兵士の永続的神経学的影響に関して調査したものは1つもない。カミシヤ曝露アセスメントモデルの不確定性のため…これらの研究は神経学的影響の存在に対して強い証拠を提供しない」というものである。これは、DoDカミシヤサリン曝露モデルが、サリンによる長期の健康被害に対する我々のさらなる理解に少ししか役立たないことを示している。ローズ氏とブリクス氏は、湾岸戦争参加兵の末梢神経系への長期的影響に関するデータを考察し、そのような影響のいかなる証拠も把握できないと結論付け、もしもサリンの曝露があったとしても、末梢神経の障害は起こらないだろうと提起している。
2004年のIOMのアップデートは、以前のIOMによる分析をさらに確証するものであった。それは、(i)サリンの曝露と、曝露後数秒から数時間で起こり、数日から数ヶ月で消失する急性コリン性症候群との間には因果関係があるとするに十分な証拠がある、(ii)急性コリン性症候群を引き起こす量のサリンに曝露したことと、長期的な神経学的影響との間には限られた証拠しかない、(iii)サリンの曝露と長期的な心血管系影響との間に相関性が存在するかどうか決定するには不十分な証拠しかない、というものである(最後は2000年の報告には含まれていない)。
委員会はまた、前回のIOMレビュー以降に出された実験動物のデータについても報告した。それは、「生物学的にもっともらしいと思われる機構が神経ガスの微量曝露による長期影響の基礎にあるかどうかを決定する上で」重要なステップであるが、「より多くの研究が潜在的な機構を解明したり、細胞学的影響と臨床的影響との関係を明確にしたりする上で必要である」というものだった。
結論として、サリンの曝露は、連合軍の経験した症状の信じがたい原因として残された。軍または情報部の権威は、神経ガスが検知されず、急性中毒症状も出ていなかったことから、地上戦開始時点でイラク軍による神経ガスの意図的な使用があるといういくつかの場所における提出された提案を誰1人受け入れなかった。戦争の最後におけるカミシヤでのサリンを含む砲弾の破壊事故に目を転ずると、そこでも急性症状を示した人がいなかったことが、深刻な汚染が起きなかったことを示している。同様に、イギリス、カナダ、オーストラリア、オランダ軍兵士のうち、アメリカ軍兵士と同様の健康に関する主訴を持つ者は、戦場から遠く離れていたり、戦場にいなかったりして、健康に影響を与えるような曝露を受けることは考えにくかった。
一方で、サリンの曝露に対する確信は、湾岸戦争参加兵の研究において見られる単一の最も強い危険因子である。」
カミシヤにあったサリン砲弾を破壊したため、漏れたサリンに曝露して症状が出たのでは、と考える兵士達も多いようで、長々と解説してあります。結論としてはサリンの曝露と急性毒性症状に関しては間違いなく相関関係がありますが、急性症状を起こす量のサリンに曝露したことと慢性神経学的症状との間には限定的な証拠しかなく、サリンの曝露と心血管系症状との間に相関関係があるかは証拠不十分で保留とのこと。慢性的な影響に関しては、まだまだ研究が必要なようです。ただウランの場合にはウラン採掘鉱労働者など曝露する危険性の高い人達が数多く存在しますが、サリンの場合には戦争やテロで使用されない限りは殆ど存在しないわけで、研究が進むかどうかは微妙。
その2に続く
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