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呂1>:日本海軍呂1型潜水艦1番艦、呂号第1潜水艦。大正9年、第18潜水艦として就役した。大正13111日、呂1と改称された。昭和741日に除籍された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、月刊モデルアート9,15増刊

呂1型>:日本海軍二等潜水艦で、F1型ともいう。フィアット社製700トン型ローレンチ式潜水艦を輸入したものである。内殻と外殻のフレーム及びブラケットによるガーター構造が耐圧部分となっている。全長65.6m、垂線間長60.54m、幅6.07m、平均吃水4.19m、基準排水量689トン、常備排水量717トン、水中排水量1047トン。主機はフィアット式ディーゼル2基(2600馬力)及び半閉型電動モーター2基(1200馬力)、2軸推進、水上速力17.8ノット、水中速力8.2ノット、軽油58トンとペースト式電池120個を搭載し、航続距離は水上10ノットで3500海里/水中4ノットで75海里。安全潜航深度30.5m。兵装は45cm魚雷発射管5門(艦首3門、艦尾2門。魚雷8本)、短7.5cm単装砲(格納式)1門(後甲板)。大正9年に呂1、呂2の2隻が竣工したが、テストでは独特の構造が水圧に耐えられず20m以上の潜航が不可能で、実戦に使えないと酷評された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、日本潜水艦物語、月刊モデルアート9,15増刊

呂2>:日本海軍呂1型潜水艦2番艦、呂号第2潜水艦。大正9年、第21潜水艦として就役した。大正13111日、呂2と改称された。昭和741日に除籍された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、月刊モデルアート9,15増刊

呂3>:日本海軍呂3型潜水艦1番艦、呂号第3潜水艦。大正13年、第31潜水艦として就役した。大正13111日、呂3と改称された。昭和741日に除籍された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、月刊モデルアート9,15増刊

呂3型>:日本海軍二等潜水艦で、F2型ともいう。呂1型の改良型として建造が開始されたが、呂1型のテスト結果が不良だったため、大幅に設計を変更している。船体を大型化(なぜか水中排水量は減っている)して構造を強化、横舵の位置を下に移して水上航行時も水中に潜るようにし、艦橋に防波板を追加した。それでも性能は低く、就役した3隻は鎮守府の警備艦としてのみ使用された。全長65.58m、垂線間長60.54m、幅6.07m、平均吃水4.04m(全長79.55m、幅6.09m、平均吃水3.96mという説あり)、基準排水量689トン、常備排水量756トン、水中排水量919トン(1047トン?)。主機はフィアット式ディーゼル2基(2200馬力)、閉鎖通風型モーター2基(1200馬力)で、2軸推進、水上速力14.3ノット、水中速力8ノット、軽油58トンとペースト式電池240個を搭載し、航続距離は水上10ノットで3500海里/水中4ノットで75海里。安全潜航深度30.5m。兵装は45cm魚雷発射管5門(艦首3門、艦尾2門。魚雷8本)、短8cm単装高角砲1門。乗員43名。大正13年に呂3、呂4、呂5が就役した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、日本潜水艦物語、月刊モデルアート9,15増刊

ロ三弾>:日本陸軍の空対空ロケット。全備重量8kg、増速毎秒200m。弾頭威力は八八式高射砲と同じくらいらしい。参考:日本海軍の爆弾

呂4>:日本海軍呂3型潜水艦2番艦、呂号第4潜水艦。大正13年、第32潜水艦として就役した。大正13111日、呂4と改称された。昭和741日に除籍された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、月刊モデルアート9,15増刊

呂5>:日本海軍呂3型潜水艦3番艦、呂号第5潜水艦。大正13年、第33潜水艦として就役した。大正13111日、呂5と改称された。昭和741日に除籍された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、月刊モデルアート9,15増刊

ロ五弾>:日本陸軍の空対空ロケットで、ロ三弾の大型化バージョンである。全備重量30kg。参考:日本海軍の爆弾

ロ七弾>:日本陸軍の空対艦ロケット。全備重量300kg、炸薬50kg。全備重量350kg・炸薬100kgバージョンも研究されていた。参考:日本海軍の爆弾

呂11>:日本海軍海中1型潜水艦、呂号第11潜水艦。大正6年、第19潜水艦として起工、同年進水、大正8731日竣工。大正811月、第1艦隊第1潜水戦隊に編入された。大正13111日、呂11に改称された。昭和741日に除籍された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、日本海軍艦隊総覧

呂12>:日本海軍海中1型潜水艦、呂号第12潜水艦。第20潜水艦として起工。大正6年進水、大正8年竣工。大正811月、第1艦隊第1潜水戦隊に編入された。大正13111日、呂12に改称された。昭和741日に除籍された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂13>:日本海軍海中2型潜水艦、呂号第13潜水艦。第23潜水艦として建造された。大正13111日、呂13に改称された。昭和6年に予備役に編入され、その後除籍され、その後も昭和15年まで訓練用繋留艦として使用された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂14>:日本海軍海中2型潜水艦、呂号第14潜水艦。第22潜水艦として建造された。大正13111日、呂14に改称された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂15>:日本海軍海中2型潜水艦、呂号第15潜水艦。第24潜水艦として建造された。大正13111日、呂15に改称された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂16>:日本海軍海中3型潜水艦、呂号第16潜水艦。大正91118日起工、大正10422日進水、大正11429日竣工、第37潜水艦として就役した。大正13111日、呂16に改称された。昭和891日に除籍された。参考:日本潜水艦物語、日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂17>:日本海軍海中3型潜水艦、呂号第17潜水艦。大正9924日起工、大正10224日進水、1020日竣工、第34潜水艦として就役した。大正13111日、呂17に改称された。昭和1141日に除籍された。参考:日本潜水艦物語、日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂18>:日本海軍海中3型潜水艦、呂号第18潜水艦。大正91020日起工、大正10325日進水、1215日竣工、第35潜水艦として就役した。大正13111日、呂18に改称された。昭和1141日に除籍された。除籍後は徳山で訓練用繋留艦として太平洋戦争終結まで使用された。参考:日本潜水艦物語、日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂19>:日本海軍海中3型潜水艦、呂号第19潜水艦。大正999日起工、1228日進水、大正11315日竣工、第36潜水艦として就役した。大正13111日、呂19に名称変更された。昭和1141日に除籍された。除籍後は徳山で訓練用繋留艦として太平洋戦争終結まで使用された。参考:日本潜水艦物語、日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂20>:日本海軍海中3型潜水艦、呂号第20潜水艦。大正8728日起工、大正91026日進水、大正1121日竣工、第38潜水艦として就役した。大正13111日、呂20に改称された。昭和941日に除籍された。除籍後は神奈川県に5000円で払い下げられ、魚礁として使用された。参考:日本潜水艦物語、日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂21>:日本海軍海中3型潜水艦、呂号第21潜水艦。大正8728日起工、大正91026日進水、大正1121日竣工、第39潜水艦として就役した。大正13111日、呂21に改称された。昭和941日に除籍された。除籍後は神奈川県に払い下げられ、魚礁として使用された。参考:日本潜水艦物語、日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂22>:日本海軍海中3型潜水艦、呂号第22潜水艦。大正10120日起工、1015日進水、大正111010日竣工、第40潜水艦として就役した。大正13111日、呂22に改称された。昭和941日に除籍された。参考:日本潜水艦物語、日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂23>:日本海軍海中3型潜水艦、呂号第23潜水艦。大正10120日起工、1015日進水、大正12428日竣工、第41潜水艦として就役した。大正13111日、呂23に改称された。昭和1041日に除籍された。参考:日本潜水艦物語、日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂24>:日本海軍海中3型潜水艦、呂号第24潜水艦。大正8421日起工、128日進水、大正91130日竣工、第42潜水艦として就役した。大正13111日、呂24に改称された。昭和1041日に除籍された。参考:日本潜水艦物語、日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂25>:日本海軍海中3型潜水艦、呂号第25潜水艦。大正9219日起工、717日進水、大正101025日竣工、第43潜水艦として就役した。大正13319日、佐世保港外で潜航訓練中に軽巡洋艦龍田と衝突して沈没し、乗員46名(37名?)全員が死亡した。船体は425日に引き揚げられ、佐世保工廠で修理のうえ復帰した。111日、呂25に改称された。昭和1141日に除籍された。船体は大村湾に回航され、航空隊の爆撃標的として使用されている。太平洋戦争末期に解体された。参考:日本潜水艦物語、日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂26>:日本海軍海中4型潜水艦、呂号第26潜水艦。大正12125日、第45潜水艦として竣工した。大正13111日、呂26に改称された。昭和1541日に除籍された。その後は太平洋戦争終結まで潜水学校の繋留練習艦として使用された。参考:日本海軍艦隊総覧、日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂27>:日本海軍海中4型潜水艦、呂号第27潜水艦。大正13731日、第58潜水艦として竣工した。大正13111日、呂27に改称された。昭和1541日に除籍された。その後は潜水学校の繋留練習艦として使用され、終戦時には訓練用廃潜となっていて江田島沖に沈んでいた。参考:日本海軍艦隊総覧、日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂28>:日本海軍海中4型潜水艦、呂号第28潜水艦。大正121130日、第62潜水艦として竣工した。大正13111日、呂28に改称された。昭和1541日に除籍された。その後は太平洋戦争終結まで潜水学校の繋留練習艦として使用された。参考:日本海軍艦隊総覧、日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂29>:日本海軍特中型潜水艦、呂号第29潜水艦。大正12915日、第68潜水艦として竣工した。大正13111日、呂29に改称された。昭和1141日に除籍された。参考:日本海軍艦隊総覧、日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂30>:日本海軍特中型潜水艦、呂号第30潜水艦。大正13429日、第69潜水艦として竣工した。大正13111日、呂30に改称された。昭和1741日に除籍された。太平洋戦争終戦後に解体された。参考:日本海軍艦隊総覧、日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂31>:日本海軍特中型潜水艦、呂号第31潜水艦。第70潜水艦として建造された。大正12821日、公試中に淡路島刈屋沖で事故を起こして沈没、乗っていた海軍側艤装員と川崎造船所技師・工員全員が死亡した。1018日に引き揚げられ、一旦解体された。大正131220日、呂31として建造を再開。昭和2510日に竣工し、横須賀鎮守府の警備艦となった。昭和1729日、呉鎮守府部隊に編入された。714日、横須賀鎮守府部隊に転属となった。813日、横須賀を出港、警戒任務に就いた。昭和1841日、呉鎮守府部隊に転属され、訓練艦や実験艦として使用された。昭和20525日に除籍された。終戦時には佐世保で保管状態に置かれており、昭和2145日にアメリカ海軍により佐世保向後岬沖で海没処分となった。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂32>:日本海軍特中型潜水艦、呂号第32潜水艦。大正13531日、第71潜水艦として竣工した。大正13111日、呂32に改称された。昭和1741日に除籍された。太平洋戦争終戦後に解体された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂33>:日本海軍海中5型潜水艦、呂号第33潜水艦。昭和10107日竣工。昭和16128日、太平洋戦争開戦時には建制も兵力部署も第4潜水戦隊第21潜水隊に所属しており、南方侵攻作戦に就いた。昭和177月、第8艦隊に転属。829日、ポートモレスビー沖でニュージーランド艦アルンタの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は91日、ポートモレスビー方面で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧

呂34>:日本海軍海中5型潜水艦、呂号第34潜水艦。昭和12531日竣工。昭和16128日、太平洋戦争開戦時には建制も兵力部署も第4潜水戦隊第21潜水隊に所属しており、南方侵攻作戦に就いた。昭和177月、第8艦隊に転属。昭和1845日、ソロモン諸島付近でDD-450オバノンとDD-351マクドノーの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は昭和1852日、ソロモン方面で行方不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧

呂35>:日本海軍中型潜水艦1番艦、呂号第35潜水艦。昭和18325日就役。昭和18825日、エスピリサント方面でDD-392パタースンの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は102日、エスピリサント方面で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂36>:日本海軍中型潜水艦、呂号第36潜水艦。昭和18527日就役。昭和19613日、サイパン付近でDD-680メルヴィンの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は712日、サイパン付近で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂37>:日本海軍中型潜水艦、呂号第37潜水艦。昭和18630日就役。昭和19122日、ニューヘブライズ諸島方面でアメリカ海軍給油艦キャシュを雷撃により大破させたが、DD-484ブキャナンの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は昭和19217日にエスピリサント方面で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂38>:日本海軍中型潜水艦、呂号第38潜水艦。昭和18724日就役。昭和181119日、トラック環礁を出撃したが連絡が途絶えたため、昭和1912日に日本海軍がギルバート方面で行方不明となったとして沈没認定した。参考:日本海軍艦隊総覧、日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08

呂39>:日本海軍中型潜水艦、呂号第39潜水艦。昭和18912日就役。昭和1924日、ウォッゼ東方でアメリカ駆逐艦シャーレッドと護衛駆逐艦フェーアの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は35日にウォッゼ西方で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08

呂40>:日本海軍中型潜水艦、呂号第40潜水艦。昭和18928日就役。昭和18106日、室積灯台から3海里の地点で岡喜丸と衝突した。昭和19216日、クェゼリン付近でDD-360フェルプスと掃海艇セージの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は328日にギルバート方面で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08

呂41>:日本海軍中型潜水艦、呂号第41潜水艦。昭和181126日就役。昭和1993日、モロタイ島付近でDE-407シェルトンを雷撃して撃沈した。昭和203232333、沖縄南東320海里でDD-555ハッガードの爆雷攻撃を受け、浮上砲戦の末に沈没した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、月刊丸6,01

呂42>:日本海軍中型潜水艦、呂号第42潜水艦。昭和18831日(27日?)就役。昭和19217日、トラック空襲で損傷した。617日(11日?)、マーシャル方面でDE-739バンガストの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は712日、サイパン方面で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂43>:日本海軍中型潜水艦、呂号第43潜水艦。昭和181216日就役。昭和20221日、硫黄島付近でDD-499レンショウを雷撃して損傷させた。227日、ACV-57アンツィオの艦上機による攻撃を受けて沈没した。日本海軍は314日、硫黄島方面で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂44>:日本海軍中型潜水艦、呂号第44潜水艦。昭和18913日就役。昭和19616日、エニウェトク島付近でDE-19バードン・R・ヘイスティングスの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は712日、サイパン島付近で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂45>:日本海軍中型潜水艦、呂号第45潜水艦。昭和19111日就役。昭和1951日、トラック南方20海里でCVL-26モントレイ、DD-351マクドノー、DD-538ステフェン・ポッターの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は520日、トラック方面で消息不明になったとして沈没認定された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂46>:日本海軍中型潜水艦、呂号第46潜水艦。昭和19219日就役。昭和1942日、水無瀬燈台付近の水中で伊46潜水艦と接触事故を起こした。昭和20129日、フィリピン付近でアメリカ海軍APA-37キャバリエを雷撃して損傷させた(撃沈した?)。49日、沖縄南東でDD-691メルツとDD-798モンセンの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は415日、沖縄付近で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂47>:日本海軍中型潜水艦、呂号第47潜水艦。昭和19131日就役。昭和19926日、パラオの北東でDE-440マッコイ・レイノルズの攻撃を受けて沈没した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂48>:日本海軍中型潜水艦、呂号第48潜水艦。昭和19331日就役。昭和19714日、サイパン島北西30海里でDE-259ウィリアム・C・ミラーの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は715日、サイパン東方で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂49>:日本海軍中型潜水艦、呂号第49潜水艦。昭和19519日就役。昭和20318日、佐伯を出撃して沖縄方面に向かった。325日、南西諸島東南で敵状報告後に行方不明となり、日本海軍は415日に沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、月刊丸6,01、日本海軍艦隊総覧

呂50>:日本海軍中型潜水艦、呂号第50潜水艦。昭和19731日就役。昭和20211日、フィリピン東方でLST-577を雷撃して撃沈したが、この際爆雷攻撃を受けて損傷した。昭和2141日、長崎県五島列島沖でアメリカ軍により爆破海没処分(ローズ・エンド作戦)された。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、日本の潜水艦パーフェクトガイド、歴史群像6,084,18、月刊丸11,72、日本海軍艦隊総覧

呂51>:日本海軍L1型潜水艦、呂号第51潜水艦。大正7年起工、大正9年に第25潜水艦として竣工した。大正13111日、呂51に改称された。昭和15年に除籍された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂52>:日本海軍L1型潜水艦、呂号第52潜水艦。大正7年起工、大正9年に第26潜水艦として竣工した。大正121029日、呉軍港で魚雷が発射管に引っかかり、除去作業中に浸水して沈没した。1117日に浮揚され、以後は試験用として使用された。大正13111日、呂52に改称された。昭和7年に除籍された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂53>:日本海軍L2型潜水艦、呂号第53潜水艦。第27潜水艦として竣工した。大正13111日、呂53に改称された。昭和15年に除籍された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂54>:日本海軍L2型潜水艦、呂号第54潜水艦。第28潜水艦として竣工した。大正13111日、呂54に改称された。昭和15年に除籍された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂55(初代)>:日本海軍L2型潜水艦、呂号第55潜水艦。第29潜水艦として竣工した。大正13111日、呂55に改称された。昭和15年に除籍された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂55(2代目)>:日本海軍中型潜水艦、呂号第55潜水艦。昭和19930日就役。昭和2027日、ルソン島の西でDE-203トマソンの攻撃を受けて沈没した。日本海軍はフィリピン西方で消息不明になったとして31日に沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂56(初代)>:日本海軍L2型潜水艦、呂号第56潜水艦。第30潜水艦として竣工した。大正13111日、呂56に改称された。昭和15年に除籍された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

呂56(2代目)>:日本海軍中型潜水艦、呂号第56潜水艦。昭和191115日就役。昭和20490546、沖大東島南西50海里でアメリカ駆逐艦2隻の爆雷攻撃を受けて沈没した。日本海軍は415日に沈没認定した。参考:歴史群像6,08、月刊丸6,01、日本の潜水艦パーフェクトガイド、日本海軍艦隊総覧

呂57>:日本海軍L3型潜水艦、呂号第57潜水艦。大正11730日、第46潜水艦として竣工した。大正13111日、呂57に改称された。太平洋戦争開戦時には呉防備隊第6潜水隊に所属し、局地防衛任務にあたっていた。昭和18115日、横須賀鎮守府所属艦となった。昭和2051日、予備艦に編入された。終戦時には小豆島で保管状態とされており、戦後に呉でアメリカ海軍が海没処分した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、日本海軍艦隊総覧、歴史群像6,08

呂58>:日本海軍L3型潜水艦、呂号第58潜水艦。大正111125日、第47潜水艦として竣工した。大正13111日、呂58に改称された。太平洋戦争開戦時には呉防備隊第6潜水隊に所属し、局地防衛任務にあたっていた。昭和18115日、横須賀鎮守府所属艦となった。昭和2051日、予備艦に編入された。終戦時には横須賀で保管状態とされていた。昭和201030日、清水付近でアメリカ軍に処分された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08

呂59>:日本海軍L3型潜水艦、呂号第59潜水艦。大正12320日、第57潜水艦として竣工し、第6潜水隊に配備された。大正13111日、呂59に改称された。太平洋戦争開戦時には呉防備隊第6潜水隊に所属し、局地防衛任務にあたっていた。昭和18115日、横須賀鎮守府所属艦となった。昭和2051日、予備艦に編入された。終戦時には瀬戸内海西部の大竹で保管状態とされていた。昭和215月、伊予灘でアメリカ軍が海没処分した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、日本海軍艦隊総覧、歴史群像6,08、月刊世界の艦船7,17

呂60>:日本海軍L4型潜水艦、呂号第60潜水艦。大正12917日、第59潜水艦として就役した。大正13111日、呂60に改称された。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は建制でも兵力部署でも第26潜水隊に所属していた。1211日からウェーク島攻略戦に参加。1229日、クェゼリンで座礁して船体が切断されたため、1231日に海没処分とされた。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、月刊世界の艦船6,83、帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧

呂61>:日本海軍L4型潜水艦、呂号第61潜水艦。大正1329日、第72潜水艦として就役した。大正13111日、呂61に改称された。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は建制でも兵力部署でも第26潜水隊に所属していた。1211日からウェーク島攻略戦に参加。昭和177月、第5艦隊に転属。昭和17830日、アリューシャン列島アトカ島泊地で水上機母艦AVP-12カスコを雷撃して擱座させた。831日、アリューシャン列島ナザン湾でアメリカ海軍基地哨戒機に発見され、DD-369レイドの爆雷攻撃を受けて浮上砲撃戦となり、被弾して沈没した。生存者5名。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、月刊世界の艦船6,83、帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧

呂62>:日本海軍L4型潜水艦、呂号第62潜水艦。大正13724日、第73潜水艦として就役した。大正13111日、呂62に改称された。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は建制でも兵力部署でも第26潜水隊に所属していた。1211日からウェーク島攻略戦に参加。12172034、ウェーク島の南西25海里で夜間に呂66潜水艦と衝突した。昭和177月、第5艦隊に転属。昭和215月、伊予灘でアメリカ軍が海没処分した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、日本海軍艦隊総覧、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、月刊世界の艦船6,83、帝国海軍太平洋作戦史T

呂63>:日本海軍L4型潜水艦、呂号第63潜水艦。大正131220日、第84潜水艦として就役した。大正13111日、呂63に改称された。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は建制でも兵力部署でも第33潜水隊に配属されていた。昭和177月、第5艦隊に転属。昭和215月、伊予灘でアメリカ軍が海没処分した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、日本海軍艦隊総覧、歴史群像6,08、帝国海軍太平洋作戦史T

呂64>:日本海軍L4型潜水艦、呂号第64潜水艦。大正14430日、第79潜水艦として就役した。大正13111日、呂64に改称された。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は建制でも兵力部署でも第33潜水隊に配属されていた。昭和177月、第5艦隊に転属。昭和20412日、広島県可部島の西1kmで訓練潜航中にアメリカ軍の磁気機雷に触雷して海没、一度は引き揚げたもののワイヤーが切れて沈没した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、帝国海軍太平洋作戦史T

呂65>:日本海軍L4型潜水艦、呂号第65潜水艦。大正15630日竣工。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は建制でも兵力部署でも第27潜水隊に所属していた。1211日からウェーク島攻略戦に参加。昭和177月、第5艦隊に転属。929日、アリューシャン列島付近で爆撃を受けて小破した。114日、キスカ湾内で空襲を受け、沈座の際に艦橋ハッチを閉めきらないままベントを開いてしまい、艦尾に浸水して沈没、19名が戦死した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、月刊世界の艦船6,83、帝国海軍太平洋作戦史T

呂66>:日本海軍L4型潜水艦、呂号第66潜水艦。昭和2728日竣工。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は建制でも兵力部署でも第27潜水隊に所属していた。昭和161211日からウェーク島第1次攻略戦に参加したが、作戦に失敗したためクェゼリンに帰投することになった。しかし通信機が故障しており命令を受信できず、その場に止まっていたところ、昭和1612172034に、ウェーク島の南西25海里で任務交替のため配置に就こうとしていた呂62潜水艦と衝突して沈没、潜水隊司令含め乗員63名が戦死した。生存者3名は呂62に救助された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド。第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、月刊世界の艦船6,83、帝国海軍太平洋作戦史T

呂67>:日本海軍L4型潜水艦、呂号第67潜水艦。大正151215日竣工。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は建制でも兵力部署でも第27潜水隊に所属していた。1211日からウェーク島攻略戦に参加。昭和177月、第5艦隊に転属。926日、キスカ島付近で爆撃を受けて小破した。昭和20319日、呉で空襲を受けて小破した。622日、呉港で艦上機の攻撃により損傷した。720日に除籍され、解体されて桟橋になった。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、月刊世界の艦船6,83、帝国海軍太平洋作戦史T

呂68>:日本海軍L4型潜水艦、呂号第68潜水艦。大正141029日竣工。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は建制でも兵力部署でも第33潜水隊に配属されていた。昭和177月、第5艦隊に転属。昭和21430日、若狭湾でアメリカ軍により処分された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、帝国海軍太平洋作戦史T

呂100>:日本海軍小型潜水艦、呂号第100潜水艦。昭和17923日就役。昭和18217日、モレスビー沖で爆雷攻撃を受けて損傷した。1125日、ブイン北口で触雷して沈没した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂101>:日本海軍小型潜水艦、呂号第101潜水艦。昭和171031日竣工。昭和18116日、第7潜水戦隊に編入された。125日、トラックに到着。28日、ラバウルに進出。ニューギニア東方及びソロモン方面で作戦に就いた。3月末からツラギ港周辺、ガダルカナル島北方、ラッセル島付近に展開。430日から521日まで、ニューギニア南東ミルン湾付近の輸送路遮断作戦を実施。68日からガダルカナル島東方及びガッカイ島方面でアメリカの増援部隊攻撃任務に就いた。78日、ラバウルを出港し、クラ湾に向かった。711日、クラ湾に進出したが、敵艦は発見できなかった。7120302、シボリ岬沖でスコールの中からレーダー射撃を受け、急速潜航後に爆雷攻撃も浴びて艦体と潜望鏡を損傷したが、何とか離脱した。先任将校が戦死し、3名が重傷を負い、ラバウルに引き返した。915日、サンクリストバル南東でDD-465ソーフレイ及び哨戒機の攻撃を受けて沈没した。日本海軍は1011日、ソロモン方面で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、月刊丸3,90、日本海軍艦隊総覧

呂102>:日本海軍小型潜水艦、呂号第102潜水艦。昭和171117日就役。昭和18514日、ニューギニアのラビ付近でアメリカ魚雷艇150号と152号の攻撃を受けて沈没した。日本海軍は62日、ラビ南方で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂103>:日本海軍小型潜水艦、呂号第103潜水艦。昭和171021日就役。昭和18315日、南太平洋で座礁した。613日、ソロモン諸島サンクリストバル島東岸で貨物輸送艦2隻を撃沈した。711日、ラブルを出撃してニュージョージア島北西に向かった。728日から消息不明となり、日本海軍は810日にソロモン群島で沈没したと認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

<呂104>:日本海軍小型潜水艦、呂号第104潜水艦。昭和18225日就役。昭和19523日、アドミラルティ北方でDE-635イングランドの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は昭和19625日、アドミラルティ方面で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、アメリカ護衛艦史、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂105>:日本海軍小型潜水艦、呂号第105潜水艦。昭和1835日就役。昭和181012日、ラバウルで爆撃を受けて小破した。昭和19531日、アドミラルティ北方で、DD-534マッコード、DD-531ヘイゼルウッド、DE-635イングランド、DE-697ジョージ、DE-698レイビーの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は625日、アドミラルティ方面で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、アメリカ護衛艦史、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂106>:日本海軍小型潜水艦、呂号第106潜水艦。昭和171226日就役。昭和19522日、アドミラルディ北方でDE-635イングランドの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は625日、アドミラルティ方面で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、アメリカ護衛艦史、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂107>:日本海軍小型潜水艦、呂号第107潜水艦。昭和171226日就役。昭和18712日、レンドバ島付近でDD-468テイラーの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は81日、ソロモン方面で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂108>:日本海軍小型潜水艦、呂号第108潜水艦。昭和18420日就役。昭和1810月、ニューギニア島ワードフント岬付近で駆逐艦ヘンリーを撃沈した。昭和19526日、アドミラルティ北方でDE-635イングランドの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は625日、アドミラルティ方面で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂109>:日本海軍小型潜水艦、呂号第109潜水艦。昭和18429日就役。昭和20425日、沖大東島南南東165海里でAPD-124ホレース・A・バスの爆雷攻撃を受けて沈没した。日本海軍は57日、沖縄方面で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊丸6,01、歴史群像6,08

呂110>:日本海軍小型潜水艦、呂号第110潜水艦。昭和1876日就役、第8潜水戦隊第30潜水隊に編入された。昭和1810月、ペナンに進出してベンガル湾の通商破壊作戦に従事。昭和18212日、ベンガル湾でインド砲艦ジャムナ、オーストラリア掃海艇ラーンス、イプスウィッチの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は315日にベンガル湾で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂111>:日本海軍小型潜水艦、呂号第111潜水艦。昭和18719日就役。昭和19610日、アドミラルティ北方でDD-468テイラーの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は712日、サイパン方面で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂112>:日本海軍小型潜水艦、呂号第112潜水艦。昭和18914日就役、第8潜水戦隊第30潜水隊に編入された。昭和1811月、ペナンに進出してベンガル湾の通商破壊作戦に従事。昭和20211日、ルソン海峡でSS-310バットフィッシュの雷撃を受けて沈没した。日本海軍は220日、ルソン海峡で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08

呂113>:日本海軍小型潜水艦、呂号第113潜水艦。昭和181012日就役、第8潜水戦隊第30潜水隊に編入された。昭和18129日、平根崎灯台付近で戦艦山城と衝突した。昭和1910月、ペナンに進出してベンガル湾の通商破壊作戦に従事。昭和20212日、ルソン海峡でSS-310バットフィッシュの雷撃により沈没した。日本海軍は220日、ルソン海峡で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂114>:日本海軍小型潜水艦、呂号第114潜水艦。昭和181120日就役。昭和19617日、サイパン島東方でDD-680メルヴィンとDD-689ワドレイの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は712日、サイパン島付近で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂115>:日本海軍小型潜水艦、呂号第115潜水艦。昭和181130日就役。昭和2021日、フィリピン西方でDD-447ジェンキンズ、DD-450オバノン、DE-442アルバート・M・ムーア、DD-587ベルの攻撃を受けて沈没した。日本海軍はフィリピン西方で消息不明になったとして221日に沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂116>:日本海軍小型潜水艦、呂号第116潜水艦。昭和19121日就役。昭和19524日、アドミラルティ北方でDE-635イングランドの攻撃を受けて沈没した。日本海軍は625日、アドミラルティ方面で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、アメリカ護衛艦史、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像6,08、日本海軍艦隊総覧

呂117>:日本海軍小型潜水艦、呂号第117潜水艦。昭和19131日就役。昭和19612日、あ号作戦の哨戒配備点に到着したと報告した。617日、サイパン島南東で哨戒機の爆撃を受けて沈没し、乗員全員が戦死した。日本海軍は712日、サイパン島付近で消息不明になったとして沈没認定した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像4,166,08、日本海軍艦隊総覧

呂500>:日本海軍二等潜水艦、呂号第500潜水艦。元はドイツ海軍UボートU511である。昭和187月に日本に移管され、さつき1号という仮称を付けられて724日にペナン基地から日本に向かい、916日に日本に到着して艦籍に入った。呉鎮守府または呉防備戦隊に編入されて主に技術調査に使用され、実戦投入はされなかった。特に大量生産のためのブロック構造建造法について研究された。また、Uボート\C型の図面も搭載しており、これを日本で潜戌型として量産する計画も出されたが、戦況と建造技術の問題から実行には移されなかった。全長76.76m、常備吃水線長75.76m、垂線間長75.56m、最大幅6.75m、全幅6.7m、内殻直径4.4m、平均吃水4.35m、公試時吃水4.7m、基準排水量871トン、常備排水量1007トン(1137トン?)、満載排水量1120.84トン。予備浮力常備時252.9トン(25.1%)、満載時115.7トン(10.2%)。主機はMAN型ディーゼル2基・電動モーター2基で、水上出力4400軸馬力(3887馬力?)、水中出力1000軸馬力、2軸推進、最大速力水上17.88ノット/水中7.25ノット、燃料搭載量常備64.35トン/満載207.51トン、主蓄電池2群124基、航続距離は水上12ノットで11000海里/18ノットで4400海里、水中4ノット(2ノット?)で130海里/5ノット(4ノット?)で59海里。安全潜航深度123m。行動日数84日。兵装は533mm魚雷発射管6門(艦首4門、艦尾2門。魚雷22本、機雷なら42発)、45口径10.5cm単装砲1門(セイル前方。202発)、20mm単装機関砲2門(セイル上面後部に1門?1500発)。U.T型探信儀1基、ペリホン探信儀1基、水中聴音機、7.545m潜望鏡1本、7.85m潜望鏡1本、電波探知機、電波探信儀を装備する。乗員47名。昭和205月、第51潜水隊に編入された。昭和208月に連合軍に引き渡され、昭和21430日、若狭湾でアメリカ軍により処分された。参考:月刊世界の艦船11,15、Uボート入門、日本潜水艦物語、第2次大戦日本海軍作戦年誌、日本の潜水艦パーフェクトガイド、ナチスUボート、歴史群像6,08、月刊モデルアート9,15増刊、日本海軍艦隊総覧

呂501>:日本海軍二等潜水艦、呂号第501潜水艦。元はドイツ海軍UボートU-1224である。全長76.76m、常備吃水線長75.76m、最大幅/全幅6.86m、内殻直径4.44m、常備平均吃水4.299m、公試時吃水4.67m、基準排水量879トン、常備排水量1024.17トン、満載排水量1144.22トン、水中排水量1257トン。予備浮力常備時263.1トン(25.7%)/満載時116.4トン(9.9トン)。主機はMAN型ディーゼル2基・電動モーター2基で、水上出力4400軸馬力、水中出力1000軸馬力、2軸推進、最大速力は水上18.3ノット/水中7.3ノット、燃料搭載量常備63.62トン/満載214.24トン、主蓄電池2群124基、航続距離は水上10ノットで13850海里/12ノットで11000海里/18ノットで4400海里/水中4ノットで120海里(53海里?)/5ノットで59海里。安全潜航深度122m。行動日数84日。兵装は533mm魚雷発射管6門(艦首4門、艦尾2門。魚雷22本、機雷42発)、45口径10.5cm単装砲1門(セイル前方。202発)、20mm連装機関砲1基(1500発)+37mm単装機関砲1門(セイル後部上面に背負い式で20mm連装機関砲2基?)。U.T型探信儀1組、7.545m潜望鏡1本、7.85m潜望鏡1本、電波探知機、電波探信儀、水中聴音機を装備する。乗員47名。昭和181020日からドイツで日本の回航員が訓練を行い(さつき2号という仮称が付けられた)、昭和19215日に日本に譲渡され艦籍に編入されて呂501となり、Me163BMe262の資料を積んで416日(330日?)にキールを出港して日本に向かった。511日、位置報告の無線電信を発したが、アメリカの対潜部隊に位置を掴まれてしまった。513日、カーポ・ヴェルデ諸島北西(西800km?)でDE-220フランシス・M・ロビンソンのヘッジホッグにより沈没した。ヘッジホッグによる日本潜水艦の損失はこれが最初とされる。日本海軍は826日、インド洋方面で消息不明になったとして沈没認定した。参考:月刊世界の艦船11,15、Uボート入門、日本潜水艦物語、第2次大戦日本海軍作戦年誌、ナチスUボート、Uボート入門、歴史群像6,08、月刊丸6,0137mm単装機関砲1門、日本海軍艦隊総覧

ロ601>:日本海軍の航空機用防弾鋼板規格で、厚さ3mm4mm5mm6mm7mmの均質圧延鋼板である。ただし昭和19年以降は7mmのみ製造された。炭素0.35-0.40%、マンガン0.8-1.0%、珪素0.35%未満、リン0.030%未満、硫黄0.030%未満、ニッケル2.5-3.5%、クロム1.5-2.0%、モリブデン0.4-0.6%を含む。鋼は容量5-15トンのエルー式塩基性電炉で製造し、防弾鋼板屑30%、旋盤屑10%、雑屑60%を炉内で熔解し、0.3-1トンの鋼塊に鋳込み、頭部20%と底部10%を切除した。歩留まりは30%8トン鋼塊から2.4トン仕上げ鋼板)である。これをクロス圧延して目標の厚さに仕上げ、台車式炉で850-900度に加熱して1時間保持することでプレス焼き入れを行い、180度2時間で焼き戻しを行い、ブリネル硬度500-560にした。引っ張り強さが1平方ミリメートルあたり190kg以上などの機械的規格が設定されていた。また、5mm以上の装甲板には7.7mm弾(2.85gの鉛製弾頭キャップと2.8gの銅製ジャケットを持つ5.75g徹甲弾)による射撃試験が行われており、射角0度で距離50mから射撃(厚さ5mmが撃速毎秒720m6mm780m7mm800m)した。昭和18年から搭乗員座席後部用装甲などとして使用された。参考:続・海軍製鋼技術物語

ロ631>:日本海軍の航空機用防弾鋼板規格で、厚さ8mmまたは12mmの浸炭表面硬化鋼である。炭素0.18-0.25%、マンガン0.8-1.2%、珪素0.6-1.0%、リン0.030%未満、硫黄0.030%未満、クロム1.0-1.5%を含む。鋼の熔解はロ601と同じで、クロス圧延、焼き入れ、焼き戻しも同様であり、最終寸法にカットしてから浸炭作業を行った。浸炭材は木炭70%と炭酸バリウム30%の混合で、鋼板2枚を表同士で向き合わせてその間に浸炭材を入れ、鋼製の箱の中に入れて砂を詰め、車台型炉内に置いて950度で加熱(厚さ8mm18時間)すると、厚さの20%に浸炭される。その後800-850度で焼準し、700度1時間で焼鈍空冷し、800-850度で1時間加熱し、油の中で焼き入れを行い、180度で焼き戻しを行った。これにより表面ブリネル硬度550以上、裏面ブリネル硬度440以上となった。大同製鋼のみは浸炭作業をクロス圧延前に実施している。機械的規格として引っ張り強さが1平方ミリメートルあたり140kg以上などと制定されていた。ロ601と同様の射撃試験も行われており、使用弾は8mm厚が13mm弾(2.9gの鉛製弾頭キャップと17.2gの銅製ジャケットを持つ重量31.8g徹甲弾、撃速毎秒500m)、12mm厚が13mm弾(撃速650m)及び20mm弾(不活性物充填の131.3g徹甲弾、撃速450m)である。13mm徹甲弾用には浸炭厚さ30%が最適という実験結果が出ていたが、製造上困難であるとして採用はされなかった。参考:続・海軍製鋼技術物語

ロ632>:日本海軍の航空機用防弾鋼板規格で、厚さ16mmの浸炭表面硬化鋼である。炭素0.23-0.30%、マンガン0.8-1.2%、珪素0.6-1.0%、リン0.030%未満、硫黄0.030%未満、クロム1.0-1.5%を含む。製造法はロ631と同様で、浸炭は24時間行った。機械的規格として、引っ張り強さが1平方ミリメートルあたり150kg以上などと決められていた。ロ631と同様の射撃試験も行われており、使用弾は13mm弾(撃速毎秒725m)及び20mm弾(撃速毎秒575m)であった。参考:続・海軍製鋼技術物語

<ロアーク>:FF-1053(フリゲート)を参照。

ロアール70>:フランス海軍の哨戒飛行艇で、ロアール社が開発し、19331228日に初飛行、19366月までに7機が引き渡された。主翼はパラソル翼、エンジンは3発で、中央だけ推進式である。コクピットは胴体と主翼を繋ぐ支柱の中にあり、本来コクピットが付く位置には銃座が付いている。このため、パイロットの視界が悪いという欠点があった。全長19.5m、全幅30.02m、全備重量11.34トン。エンジンはノームローン9Kfr740馬力)3基で、最大速度235km、実用上昇限度4100m、航続距離3000km。自衛武装は7.5mm機銃6丁。爆弾0.6トンを搭載できる。乗員8名。19408月までに退役した。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

ロアール130シリーズ>:フランス軍の汎用飛行艇で、1933年からロアール社で開発され、19341119日に初飛行した。各型合わせて1940年までに150機が製作され、1949年まで使用された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

 <ロアール130M>:フランス海軍用。全長11.27m、全幅16m、全備重量3490kg。エンジンはイスパノスイザ12Xirsl720馬力)単発で、最大速度220km、実用上昇限度6000m、航続時間7.5時間。自衛武装は7.5mm機銃2丁。爆弾150kgを搭載できる。乗員3名で、輸送任務時は他に7名を輸送する。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

 <ロアール130C>:植民地用に構造を強化したタイプ。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

<ロアール・アムンゼン>:F311(フリゲート)を参照。

<ロアノーク>:CL-115(クリーブランド級軽巡洋艦)またはCL-145(ウースター級軽巡洋艦)またはPF-93(タコマ級パトロールフリゲート)を参照。

ロアラ・シリーズ>:ポーランド陸軍の自走地対空システムで、CNPEPラドワル社(TADWAR社?)が開発した。自走高射機関砲型と自走地対空ミサイル型がある。参考:月刊軍事研究3,05、月刊PANZER7,09

PZAロアラ>:自走高射機関砲型。PT-91の車体にゲパルト類似の砲塔を載せている。主武装はエリコンKDA35mm機関砲2門で、威力向上型弾薬を使用する。砲塔前部にはエリクソン・イーグルMk.T追尾レーダー、後部にはCNPERラドワル社製3次元捜索レーダーを装備し、最新型IFFとフランスSAGEM製第3世代赤外線カメラ、ポーランド・PCO製昼間用TVカメラとレーザー測遠機を備える。64目標を同時追跡でき、目標を探知してから4秒で追尾に移ることができる。高度3km、距離4kmを毎秒500mで飛行する目標を迎撃可能。エンジンを切っても車載発電機で6時間は行動でき、バッテリーのみでも迎撃が行える。テストにおいて、マッハ1.2で飛翔する122mmロケット弾の迎撃に成功した。60-80両を配備予定で、2004129日に最初の引き渡しが行われた。参考:月刊PANZER5,055,017,09、月刊軍事研究3,05

PZRロアラ>:自走対空ミサイル型で、PZAロアラとは60%の部品共通性がある。使用ミサイルはサーブ社のBAMZEとケントロン社のSAHV3のどちらかで選定中。参考:月刊軍事研究3,05

ロアルド・ダール>:イギリスの作家で、元イギリス空軍パイロットである。その経験から「飛行士の話」という短編小説を執筆。また、映画「チャーリーとチョコレート工場」の原作者(原作の題名は「チョコレート工場の秘密」)でもあり、映画「007は2度死ぬ」、「チキチキバンバン」では脚本家も務めた。参考:飛行機のしくみ

<ロイ>:APD-55(高速輸送艦)またはCVE-103(護衛空母)またはDE-160(バックレイ級護衛駆逐艦)を参照。

<ロイ・M・ウィート>:T-AK-3016(輸送船)を参照。

<ロイ・O・ヘイル>:DE-336(護衛駆逐艦)を参照。

ロイシン>:アイルランド海軍ロイシン級哨戒艦1番艦Roisin199912月就役。参考:月刊世界の艦船9,12

ロイシン級>:アイルランド海軍外洋哨戒艦Roisin級。フィンカンティエーリ社傘下のヴァルド社が設計し、イギリスで建造した。主任務は漁業監視である。満載排水量1727トン。兵装は76mm砲1門。1番艦ロイシンなど2隻が1999-2001年に就役した。参考:月刊世界の艦船6,199,12THE MILITARY BALANCE 2016

<ロイスターラー>:A361(曳船)を参照。

ロイスターラー級>:イギリス海軍航洋曳船Roysterer級。曳航だけでなく、洋上救難にも投入できる大型曳船である。全長55m、幅11.7m、吃水5.5m、満載排水量1630トン。主機はディーゼルで、出力4500馬力、速力15ノット。1972-74年にA361ロイスターラー、A502ローリッカー、A366ロバストの3隻が竣工した。参考:月刊世界の艦船5,83

ロイスディック>:アメリカ海軍給油艦。194514日、ルソン島付近で特攻機1機に突入され、沈没した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

<ロイド>:APD-63(高速輸送艦)またはDE-209(護衛駆逐艦)を参照。

<ロイド・E・アクリー>:DE-356(護衛駆逐艦)を参照。

ロイド・キャリアー>:イギリス陸軍装軌式小型兵員輸送車Loyd Carrier1940年にヴィヴィアン・ロイド社が開発した軽装軌車両で、兵員輸送、火砲運搬、物資輸送など多目的に使える。車体は前面に傾斜が付いた箱形オープントップ構造である。下部転輪は片側4枚で、上部転輪2枚を持つ。全長4.14m、全幅2.07m、全高1.429m、重量4トン。エンジン出力85馬力、最大速度48km。当初は8名を載せられる兵員輸送車として少数が採用されたが、第2次大戦が激化してくると2ポンド砲や6ポンド砲の牽引に使えるということでカナダのフォード・モーター社で量産され、同様の任務にも投入されたユニバーサル・キャリアーより操縦が楽ということで前線部隊からの評判は良好だった。参考:月刊PANZER11,86

<ロイド・トーマス>:DD-764(駆逐艦)またはDE-312(エヴァーツ級護衛駆逐艦)またはDE-374(ジョン・C・バトラー級護衛駆逐艦)を参照。

<ロイノット・メカニカル・システムズ社>:ロイメック社を参照。

ロイメック社>:南アフリカの装甲車両開発会社で、ロイノット・メカニカル・システムズ社の略。重工業企業グループであるロイノック社の子会社で、傘下にロイメック・アマテック(開発担当)、ロイメック・オストラル(中−大型車輌製造)、ロイメック・ギアレシオ(駆動系製造)、ロイメック・サンダック(軽車両製造)、ロイメックOMCOMCOlifant Manufactuer Companyの略で、オリファント戦車製造部門として誕生。開発、改良、生産担当)の各事業部を置く。参考:月刊軍事研究7,95

<ロイヤリスト>:89(軽巡洋艦)を参照。

ロイヤリスト>:イギリス海軍アリシューザ級(初代)軽巡洋艦Royalist1915年竣工。1922年に売却された。参考:近代巡洋艦史

<ロイヤル>:F15(駆逐艦)を参照。

<ロイヤル・インターナショナル・エア・タトゥー>:エア・タトゥーを参照。

<ロイヤル・ウイングマン>:MQ-28A(無人機)を参照。

ロイヤル・ウイングマン計画>:アメリカ空軍の有人無人チームMUM-T計画、Loyal Wingman(忠実な僚機)。F-22A/F-35Aと無人機編隊にチームを組ませるもので、空対空戦闘、敵防空網制圧、近接航空支援といった危険な任務で無人機編隊を先行させ、人的被害を最小にしつつ最大限の破壊効果を得る。無人機としてはMF-16XQ-58を開発中。無人機編隊の高度な自律制御のため、スカイボーグという人工知能ソフトも開発する。ボーイング社もオーストラリア軍と組んでボーイング空中戦闘チーミングシステムBATSEA-18GMQ-28A無人機編隊との組み合わせでテストしている。参考:月刊軍事研究10,18、月刊JWings4,208,20

ロイヤル・ウォッチャー>:イギリス海軍ロイヤル級通船Loyal Watcher1978年竣工。参考:月刊世界の艦船5,83

ロイヤル・ヴォランティア>:イギリス海軍ロイヤル級通船Loyal Volunteer1978年竣工。参考:月刊世界の艦船5,83

<ロイヤル・オーク>:08(戦艦)を参照。

<ロイヤル・オーク撃沈>:スカパフロー泊地攻撃を参照。

ロイヤル級>:イギリス海軍通船Loyal級。艦橋直前の左舷側にデリック・ブームを持つ。貨物36トンを搭載可能。1978年にロイヤル・ヘルパー、サポーター、ロイヤル・ウォッチャー、ロイヤル・ヴォランティア、ロイヤル・メディエイター、ロイヤル・モデレイター、アラート、ヴィジラント、ロイヤル・チャンセラー、ロイヤル・プロクターの10隻が竣工した。参考:月刊世界の艦船5,83

<ロイヤル・サブリン>:05(戦艦)を参照。

ロイヤル・サブリン>:イギリス海軍ロイヤル・サブリン級前弩級戦艦1番艦Royal Sovereign1892531日竣工。参考:月刊世界の艦船9,17

ロイヤル・サブリン級(初代)>:イギリス海軍前弩級戦艦Royal Sovereign級。世界初の近代的戦艦で、打撃力と装甲防御力に加え、乾舷を高くすることで航洋力も備えており、ド級戦艦登場までは戦艦の雛形であった。船型は平甲板型で、艦首水線下に衝角を持つ。前後甲板に主砲1基ずつ、中央に上構があり、上構前後にマストが1本ずつ、上構中央に煙突2本が並列で立っている。トップヘビーを防ぐ関係で装甲砲塔を積めず、主砲砲身が甲板上に露出しているが、砲要員は甲板下の装甲化バーベット内に位置し、装甲天蓋で守られる。艦内は第2−第4甲板の3層構造で、第4甲板は前方から前部主砲弾薬庫、前部缶室、後部缶室、機械室、後部主砲弾薬庫と並び、舷側には石炭庫を配して水中防御とした。全長125m、全幅23m、常備排水量14150トン。速力16.5ノット。兵装は13.5インチ(343mm)連装砲2基、152mm単装砲10門。最大装甲厚457mm(水線部)。1番艦ロイヤル・サブリンなど7隻が1892-94年に就役した。参考:月刊世界の艦船9,174,18、歴史群像8,02

ロイヤル・サブリン級(2代目)>:イギリス海軍超弩級戦艦Royal Sovereign級。艦名の頭文字がRなので、R級と呼ばれることもある。アイアン・デューク級の船体にクイーン・エリザベス級の兵装を搭載したもので、当初は石油の供給不安から石炭缶を使用することにしていたが、高速性能が必要ということで建造中に重油専焼缶のみの搭載となった。イギリス初の一本煙突戦艦である。船型は長船首楼型で、波しぶきの影響を受けないように副砲を後ろにずらしている。水線部装甲は上下同じ厚さにし、防御甲板は主甲板にした。舵は中心線上にタンデムに並んでおり、前方が吊下式の副舵、後方が半平衡式の主舵である。全長189.3m190.3m?)、幅27m(ラミリーズは31.2m)、吃水8.7m、常備排水量28000トン、基準排水量29150トン。主機はパーソンズ高低圧並列直結蒸気タービン4基、主缶はパブコック&ウィルコックス式(レゾリューションとロイヤル・オークはヤーロー式)重油専焼水管缶(16.5気圧、飽和蒸気)18基、4軸推進、出力40000馬力、速力23ノット(計画値)/22ノット(実際)、航続距離は10ノットで4200海里。兵装は42口径38.1cm連装砲MkT4基、45口径15.2cm単装砲14門、20口径7.6cm単装高角砲2基、4.7cm単装砲4基、533mm水中発射管4門。装甲厚は水線部330mm、甲板51mm、バーベット254mm、砲塔前楯330mm、司令塔279mm。乗員997名。1913年度計画で5隻が発注され、艦番号05ロイヤル・サブリン、06リヴェンジ、07ラミリーズ、08ロイヤル・オーク、09レゾリューションが1916-17年に就役した。1914年度計画で3隻が追加発注され、1914年に6番艦レナウン、7番艦レパルス、8番艦レジスタンスを起工したが、第1次大戦が勃発して1914128日のフォークランド沖海戦で巡洋戦艦の価値が認められると、第1海軍卿フィッシャー提督の進言により6-7番艦が巡洋戦艦に振り替えられてレパルス級巡洋戦艦として竣工、8番艦レジスタンスは1915年に建造中止となった。竣工後(ラミリーズは建造中)に水雷防御用のバルジを装着し、最大幅が30m超になった。1920年代後半から1930年代前半に改装工事を受けており、水平・水中・火薬庫の防御力を強化し、バルジを第2甲板まで大型化、その分速力が低下した。1934-35年にリヴェンジ以外の3番砲塔上にカタパルトが搭載された。低速で対空火力も低く、第2次大戦では船団護衛に回されている。参考:近代戦艦史、月刊世界の艦船1,126,164,'1711,'21、第2次大戦のイギリス軍艦、月刊丸2,07

ロイヤル・サルート21>:ウイスキーの銘柄。皇族に対する21発の礼砲が名前の由来である。参考:海軍こぼれ話

ロイヤル・チャンセラー>:イギリス海軍ロイヤル級通船Loyal Chancellor1978年竣工。参考:月刊世界の艦船5,83

ロイヤル・プロクター>:イギリス海軍ロイヤル級通船Loyal Proctor1978年竣工。参考:月刊世界の艦船5,83

ロイヤル・ヘルパー>:イギリス海軍ロイヤル級通船Loyal Helper1978年竣工。参考:月刊世界の艦船5,83

<ロイヤル・メイセズ>:VFA-27(飛行隊)を参照。

ロイヤル・メディエイター>:イギリス海軍ロイヤル級通船Loyal Mediator1978年竣工。参考:月刊世界の艦船5,83

ロイヤル・モデレイター>:イギリス海軍ロイヤル級通船Loyal Moderator1978年竣工。参考:月刊世界の艦船5,83

<ロイヤル・ランパンツ>:VAH-2(飛行隊)を参照。

<ロウ>:DD-564(駆逐艦)を参照。

老河口作戦>:太平洋戦争時、中国大陸奥地から出撃するアメリカ第14航空軍対策のため、日本軍は出撃基地を占領することにし、昭和203月から洛陽の南西にある老河口飛行場と老河口市街への攻勢を開始した。327日、騎兵第4旅団が騎馬突撃で老河口飛行場を占領(世界最後の騎兵戦闘)。47日、老河口市街を占領し、作戦を終了した。参考:日本戦車隊戦史

老斤里事件>:ノグンリ事件と読む。19507月、韓国の忠清北道老斤里の住民の中に北朝鮮兵士が紛れているとアメリカ軍が誤認し、住民数百名を砲爆撃で殺害した事件のこと。金大中政権下で公表され、アメリカに対する大規模な抗議運動に発展した。参考:月刊軍事研究12,06

<狼群攻撃戦術>:ウルフ・パックまたはルーデル・タクティクを参照。

老虎丸>:大連汽船中型貨物船Roko maru。元は明治455月に竣工したコンスタンチン&ピッカリング汽船ウェアウッドで、大正1311月に購入した。垂線間長101.98m、幅14.51m、深さ7.56m、満載吃水6.12m、総トン数3328トン、重量トン数5503トン。主機は三連成レシプロ蒸気機関1基1軸1600馬力、航海速力8.5ノット、最大速力9ノット。太平洋戦争時は船舶運営会が運航して輸送任務に就いた。昭和19811日、大豆粕などを載せて大阪から名古屋に向かっていたところ、和歌山県尾鷲市三木崎沖の熊野灘でSS-306タングの雷撃を受け沈没した。参考:月刊世界の艦船7,18

労山>:日本海軍労山型運送船Rozan。元は明治39年に進水したドイツ貨物船エレン・リックマースで、青島港閉塞用に沈んでいたのを大正3117日に捕獲して引き揚げ、83日に労山と改称した。823日、運送船に類別された。大正86月、ウラジオストクに派遣された第3艦隊への補給任務を実施。年末から佐世保工廠で特定修理に入り、上甲板前後に8サンチ砲を1門ずつ搭載した。大正1165日、横須賀から函館に向かう途中で濃霧に遭遇し、青森県尻屋崎東岸に座礁して船体が破壊された。81日に除籍された。参考:日本海軍特務艦船史

労山型>:日本海軍運送船Rozan型。元は第1次大戦時に青島港閉塞に使用されたドイツ貨物船で、サルベージして重量物運搬・給炭油設備を設置したものである。垂線間長112.27m、最大幅14.5m、吃水6.1m、常備排水量7600トン。主機は直立式3気筒3段膨張レシプロ蒸気機械1基、主缶は宮原式石炭専焼水管缶1基、出力1719馬力、1軸推進、速力11.7ノット、石炭搭載量572トン。兵装は安式40口径8サンチ単装砲2門(大正8年末に搭載)。乗員114名。労山が就役した。参考:日本海軍特務艦船史

<ロウズ>:DD-558(駆逐艦)を参照。

<ロウストフト>:L59(スループ)を参照。

<ロウセン級>:イポプロイアルコス・ルーセン級(ミサイル艇)を参照。

<ロウダーデイル>:APA-179(攻撃輸送艦)を参照。

<老鉄山>:996(揚陸艦)を参照。

<労働1号>:ノドン1号(弾道ミサイル)を参照。

<労働2号>:ノドン2号(弾道ミサイル)を参照。

<ロウヒ>:999(油防除船)を参照。

<ロウリンス>:APA-226(攻撃輸送艦)を参照。

<ロウワン>:DD-405(駆逐艦)を参照。

<ロウンデス>:APA-154(攻撃輸送艦)を参照。

露営(日本陸軍)>:宿営の1つ。戦闘準備が迅速に行えるので、敵と接触して迅速な戦闘準備を必要とする部隊の宿営は露営とする。住民地に乏しいか伝染病などのため住民地を利用できない部隊も露営を行う。戦術上露営地に必要な条件は、敵に遮蔽し、ガス滞留の恐れが無く、迅速かつ容易に集合または出発でき、あるいは予定陣地を占領しうることである。給養上露営地に必要な条件は、良水をが簡単に得られ、土地が乾燥し、風雨の遮蔽が容易で、可能なら近傍で各種需要品を調達できることである。極寒時でも村落近傍は水を得やすく、高地南側は暖かい。ただし谷底は吹雪の際に雪が積もりまくることがあるので注意。熱地では疾病、害虫、毒蛇などの被害を顧慮する必要がある。戦術上の考慮により露営する場合の配宿は、爾後の軍隊使用の便を主として適宜の部隊ごとに露営させる。状況上大部隊を一露営地に集められない場合、土地の許す限り各部隊間に十分な間隔を開けて静粛と暗夜の識別を容易にし、敵飛行機や化学兵器などによる損害を局限する。住民地が乏しいか、衛生上の問題で、やむを得ず露営する場合、人馬の休養と保健に便利な場所を選定し、統御しやすいよう建制部隊ごとに分置すると良い。露営においても状況が許せば司令部や本部などは執務の便を考慮して家屋内に置くようにする。露営司令官は通常軍隊に先行して露営地を選定する。この際、各部隊の設営将校など必要な人員を同行させる。露営司令官が露営地を決めたら、各部隊に露営地区を配当し、外部の警戒が必要なら施設すべき工事や露営のため特に必要な規定(水の配当や需要品調達に関する地域指定など)を定める。露営司令官は速やかに人馬を休憩させ、各部隊に風雨をしのぐ方法を講じさせる。露営地区内での露営の隊形、設備、炊事、給水などに関する事項は状況に応じて各部隊長が、特に必要な事項は露営司令官が規定する。露営地を上空に対して秘匿するには、地形を利用して偽装や遮蔽を施し、露営の配置、特に砲廠、車廠、馬繋場などを不規則に分散し、必要なら露営地に通じる道路の迷彩、轍痕の抹殺、各種偽工事の利用などを行う。露営地の衛生上の施設、特に炊事場、厠、馬繋場などの清潔保持には注意を要する。一地に長く露営する際は、人馬の衛生上、時々その位置を変更する。極寒・酷暑の季節には特に人馬保健上の施設を良好にすることが必要で、天幕内において炭火を使う時には特に換気に注意する。警急集合場は通常設けず、警急大集合場は必要なら高級指揮官が集合規定と共に定める。非常警報が出た場合、各部隊は直ちに叉銃線、馬繋場、銃廠、砲廠、車廠などに集合して命令を待つ。敵の奇襲を喰らって所属部隊に合流できない者は、現在人員が協力して敵に対応する。飛行機警報や瓦斯警報が出た場合の対応は宿営を参照。参考:作戦要務令

露営衛兵(日本陸軍)>:露営区に1または数個置かれる衛兵。数や兵力は危険度、地形、舎営区の大小などに応じて定められ、諸兵種混合の露営区では通常歩兵部隊から要員を派出し、喇叭手1名と必要に応じて機関銃などが付属する。露営日直将校の指揮を受けて舎営区内外を警戒するのが主任務で、担任区域の外囲と内部の要点に単哨・複哨・分哨などを配置し、主力は交通容易な位置に集結、隣接衛兵との連絡を保ちつつ舎営区を直接警戒すると共に、住民の行動を監視し、露営区内の安寧秩序を維持する。勤務は小哨の要領に準じる。時に露営司令官が対空監視任務の兼務を命じることがあり、その場合は所要の哨兵に対空監視を兼務させるか、特に対空監視哨を配置する。参考:作戦要務令

露営区(日本陸軍)>:露営の際に宿営地が大きい時は、いくつかの露営区に分ける。また、小さい露営地が近接している時は、露営区として一纏めにする。トップとして露営司令官を置き、高級司令官から特に指示があった時以外は各露営区における高級先任将校を露営司令官とする。ただし将官は必要なら他の将校を露営司令官に充てる事も可能。露営司令官は露営区の配宿、内務、警戒に関する事項を統括するのが主任務で、露営命令を発して各部隊の露営地区、露営日直将校と巡察将校・巡察下士官、露営衛兵、必要なら直轄対空監視哨、対空射撃部隊等の兵力・差し出し区分・配置、戦備の度、各種警報に際し取るべき特別処置、高級指揮官及び露営司令官の位置、必要なら警急集合場と之に至る道路を示す。必要なら更に連絡、衛生、防火、ガス防護、日課時限、防諜その他住民に関する事項なども規定する。各露営区に露営日直将校(大尉。大部隊では佐官)1名と、必要に応じ巡察将校/下士官若干名を置く。露営日直将校は露営司令官の命を受け、露営衛兵、露営司令官直轄対空監視哨、同対空射撃部隊などを指揮すると共に、内務や警戒に関する露営司令官の指示を部隊日直将校/下士官に伝え、露営司令官の業務を補佐する。巡察将校/下士官は露営司令官の命を受け内務や警戒に関して露営区内の警視に任ずる。また、各露営区に1または数個の露営衛兵を設ける。露営司令官は時宜により各部隊に警戒区域を分担させ、それぞれ露営衛兵を配置させることがあり、また露営衛兵に対空監視を兼務させることがある。大隊やこれに準ずる部隊(輜重兵では中隊)は小隊長またはこれに準じる者1名を、独立中隊またはこれに準ずる部隊(輜重兵では小隊)が将校または下士官1名を部隊日直とし、通常部隊衛兵1個を置く。部隊日直を置かない部隊がある場合は、適宜最寄りの部隊日直将校/下士官がその業務を兼務する。部隊日直将校/下士官は所属部隊長の命を受け同部隊の部隊衛兵を指揮すると共に速やかに舎営日直将校に報告し、内務及び警戒に関する指示を受け、これを所属部隊長に報告し、これに基づく部隊長の命令が実行されたかどうかを警視する。時宜により部隊長は対空班を設けず、その任務を部隊衛兵に兼任させたり、部隊衛兵を設けずに舎営衛兵に所要の哨兵を配置させたりすることも可能。各部隊はその内務の実行を容易にするため、必要に応じて衛戌地における要領に準じて日直下士官や日直上等兵を置く。一露営区の部隊が寡少な場合、舎営日直将校を置かずに露営司令官や部隊日直将校が兼務する。参考:作戦要務令

<ロー>:DD-418(駆逐艦)を参照。

ローGヨーヨー>:空中戦機動の1つ。敵機の後ろについたものの、速度差が微妙で攻撃可能範囲まで追いつけない場合に、緩降下で加速して再び後方に位置するものである。参考:戦闘機のしくみ

<ローア・フレーム>:トリガー・ハウジングを参照。

<ローア・レシーバー>:トリガー・ハウジングを参照。

ローアングル・キューバン>:ブルーインパルス曲技飛行の1つ、Low Angle Cuban。単機で離陸し、脚を収容して超低空で加速した後に急上昇、ハーフロールをうって会場を横切る。参考:月刊JWings7,126,096,10別冊付録

ローイカット・シリーズ>:南アフリカ陸軍の装輪戦闘車Rooikat(カラカル)。ロイメックOMC社(現ヴィッカーズOMC社)で1976年から設計され、1985年から本格的に開発、1989年に量産車が完成して1990年から運用された。参考:世界の軍用車両(4)、月刊グランドパワー6,04

 <ローイカット76mm砲搭載型>:Rooikat-76。8×8輪装甲車体に76mm砲を搭載した砲塔を載せている。操縦手の操作で4輪駆動にすることも可能。車体前部やや後ろに操縦席があり、ペリスコープ3基を持つが、中央の1基はパッシブ式夜間用ペリスコープに換装できる。中央が戦闘室、後部にパワーパックを搭載する。車体前面装甲はZU-23-2機関砲の23mmAP弾に抗堪できるとされ、その他の部分は7.62mm弾に耐えられる。車体下部はTM46地雷の炸裂に抗堪できる。車体中央左右には脱出用ハッチを持つ。排気に燃料を噴射して発煙させる排気発煙装置を装備する。サスペンションはスイングアームをコイルスプリングと油圧式ショックアブソーバーで支えるシンプルな構造になっている。タイヤはミシュラン製ランフラットタイヤ、操向は前2軸で、同一サイドの2輪を喪失しても走行可能。砲塔には右に砲手、その後ろに車長、左に装填手が位置し、上面右には車長用キューポラがあり、周囲に8個のペリスコープを持ち、ハッチカバー手前には機銃用ピントルマウントがある。主砲は62口径76mmGT4(オットー・メララ社製艦砲がベース)で、俯仰角はマイナス10度からプラス20度、初速毎秒1610mAPFSDS弾を使用すればT-62の正面装甲を射距離2000-3000mで撃ち抜け、HE-T(最大射程12000m3000m超では間接照準)と合わせて48発を搭載する。主砲左に7.62mm同軸機銃(3600発)、砲塔上に7.62mm機銃1丁を装備する。砲塔後部にはVHF2基とHF1基の無線機セットを収容する。砲塔両側面後部には81mm発煙弾発射機4発ずつを装備しており、その内側には太さの違う円柱状の筒が2-3本装着されている。砲手用メインサイトは倍率8倍の昼間及びパッシブ夜間チャンネルを持つレーザーレンジファインダー組込型で、車長用には12倍の光学サイトを装備する。砲安定化装置、デジタル式弾道コンピューターや環境センサーも搭載しており、照準から初弾発射までにかかる時間は2秒。全長8.2m、車体長7m、全幅2.9m、全高2.5m(砲塔上面機銃含まず)、戦闘重量28トン。エンジンはV-10水冷ターボディーゼル(563馬力)で、前進6速・後進1速のオートマチック・トランスミッションと組み合わせたパワーパックを搭載し、最大速度は路上120km/不整地60km、燃料搭載量540リットル、航続距離850km。乗員4名。参考:月刊グランドパワー6,04、世界の軍用車両(4)、月刊軍事研究3,07

 <ローイカット105mm砲搭載型>:輸出専用型。1990年から開発されているが、採用した国は無い。砲塔重量が0.5トン増加したが、車体を軽量化し、総重量を0.8トン軽量化した。タイヤは太くされ、空気圧調整装置も搭載、最大速度は120kmを誇る。FCSなどはカスタマーに合わせて変更可能で、映像増幅式照準器を搭載するMk1、熱線映像装置を追加したMk2、更に車長用独立照準器CS30を追加して車長と砲手によるハンター・キラー能力を持つMk3などが用意されている。デジタルFCSの追加も可能。砲塔はLIWが開発したもので、名称はLMT105、装甲鋼板の全溶接製であり、正面は23mm弾に、側後面は7.62mm機銃弾に耐えられる。主武装は52口径105mm低反動砲GT7で、サーマルスリーブが付いており、俯仰角はマイナス8度からプラス17度、NATO標準弾が使用でき、装弾数は32発(即応弾9発、バスル弾倉に7発)、発射速度毎分10発。APFSDS弾の有効射程は4000m。同軸には7.62mm機銃を装備しており、弾数は2800発(即用弾1600発)。81mm発煙弾4連装発射機を砲塔両側に装備する。全長8.2m、全幅2.9m、全高2.8m、重量28.8トン。エンジンはV型10気筒液冷ディーゼル(563馬力)、航続距離900km。乗員4名。参考:世界の軍用車両(4)、月刊グランドパワー6,04、月刊軍事研究3,073,974,977,95

<ローイカット・ファミリー>

 <ローイカットICV>:歩兵戦闘車型。車体を再設計して車体上部に兵員用ハッチ兼防楯を設けるなどし、ラテル20のものを流用した砲塔を搭載している。参考:月刊軍事研究8,99

 <ローイカット自走高射機関砲>:自走高射機関砲型。砲塔両側面に35mm機関砲を1門ずつ、前部と後部にレーダーを搭載した対空砲塔を装備する。参考:世界の軍用車両(4)

 <ローイカット戦車駆逐車>:自走対戦車ミサイル型で、ヨルダンのキング・アブドラU設計開発局と、南アフリカのメカノロジー設計局の合弁企業、メカノロジー・ヨルダン社が開発した。オリジナルの砲塔を撤去、操縦席後方の車体を1段高くし、そこに遠隔操作式式砲塔プリデーターを搭載する。武装はケントロン・ダイナミクス社のイングエ対戦車ミサイル4連装ランチャー(砲塔右)、20mmGI2両用砲1門、7.62mm同軸機銃1丁。発煙弾発射機も装備しており、砲塔左にはミサイル用カラー昼夜間電子パッケージを持つ。20mm砲の俯仰角はマイナス8度からプラス40度、発射速度は毎分2000発、有効射程2000m。同軸機銃の発射速度は毎分650発、有効射程650m。参考:月刊軍事研究8,04

 <ローイカット対戦車型>:自走対戦車ミサイル型。35mm機関砲1門を正面に、ZT3対戦車ミサイル3連装ランチャーを上面に搭載した砲塔を装着する。参考:世界の軍用車両(4)

<ローイファルク>:AH-2シリーズ(ヘリ)を参照。

<ローイファルクU>:AH-2シリーズ(ヘリ)を参照。

ローヴァー級>:イギリス海軍給油艦Rover級。補給ステーションは前甲板両舷に1基ずつで、艦尾のヘリ甲板を使用してVERTREPも可能。ヘリ格納庫は無い。艦船・航空用燃料6600トンに加え、食糧や真水も搭載する。全長140.6m、幅19,2m、吃水7.3m、満載排水量11522トン。主機はディーゼルで、出力15360馬力、速力19ノット。A268グリーン・ローヴァー、A269グレイ・ローヴァー、A270ブルー・ローヴァー、A271ゴールド・ローヴァー、A273ブラック・ローヴァーの5隻が1969-74年に竣工した。参考:月刊世界の艦船5,838,82増刊

ローヴィング・バット>:フランスのECA社が発表したUUVコンセプト、Roving bat。水中を移動するのみならず、垂直移動用プロペラを利用して船体にへばりつき、履帯で進むことができるので、損傷部分の発見といった任務も行える。管制所からの有線誘導で航行する。全長1m、全幅1m、全高0.5m、重量120kg。推進は水平移動用プロペラ(推力48kg)2基、垂直移動用プロペラ(推力80kg)4基、履帯で、最大水中速度2ノット、履帯推進時毎秒0.3m、最大運用深度50m。参考:月刊軍事研究1,112,17

<ローウェ>:DE-325(護衛駆逐艦)を参照。

<ローヴェ>:VK70.01(試作重戦車)を参照。

<ローカスト>:T9海外シリーズ(空挺戦車)を参照。

<ローカライザ計測装置>:自衛隊の機器。日本電気製。参考:月刊軍事研究2,13

<ローカル>:N74(潜水艦)を参照。

<ローガン>:APA-196(攻撃輸送艦)を参照。

ローガンビクトリア>:アメリカ海軍給弾艦。194546日、菊水一号作戦特攻機の攻撃を受けて沈没した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

<ローグ>:ROGUE(無人砲塔)を参照。

ローコン>:ローコン・ヨーロッパが開発したオフロードバイクで、民生用のものだが、アメリカの特殊部隊が採用してデザート・ストーム作戦で使用した。最大速度は64kmだが、低圧タイヤと両輪駆動により高い不整地踏破能力を持つ。ホイールは中空式で内部に飲料水または燃料を4.5ガロン(17リットル)収容でき、何も入れなければバイクは水に浮く。エンジン排気量172cc。参考:月刊軍事研究10,07

ローシー>:ブライアン・L・ローシー(Brian L. Losey)。母親が日本人の日系人で、ワシントン州タコマ生まれ。1983年、コロラド・スプリングズ空軍士官学校を卒業してアメリカ海軍SEALに入り、中佐時代には第1SEAL輸送潜水艇隊隊長となった。2007年、国家安全保障会議対テロ戦部長(階級は大佐)となった。2008年、下級少将に昇任し、海軍特殊戦開発群SEALチーム6を指揮。2010年、統合任務部隊−アフリカの角司令となった。2011年、上級少将に昇任し、アフリカ派遣特殊戦部隊(SOCAFRICA)司令となった。20136月、アジア系として初めて海軍特殊戦部隊(NAVSPECWARCOM)司令官となった。参考:月刊軍事研究4,15

<ロージー>:CV-42(空母)を参照。

ロージーL>:ラインメタル社が開発した車載自己防御システム。レーザー警戒装置、赤外線警戒装置、発煙弾発射機を組み合わせており、可視光・赤外線に有効な煙幕弾や、催涙弾を発射できる。参考:月刊軍事研究9,10

<ローズ>:DE-384(護衛駆逐艦)またはK102(フラワー級コルベット)を参照。

ローズ・エンド作戦>:アメリカ軍による日本海軍潜水艦海没処分作戦Operation Roads end。太平洋戦争終戦で日本にあった潜水艦は、占領軍の命で昭和2010月上旬から佐世保に回航され、うち28隻の海没処分が決定、処分作業にローズ・エンド作戦の名称が付けられた。処分場所は長崎西60kmの五島列島福江島東方沖で、艦内にアメリカ海軍兵が爆薬を仕掛け、日本海軍潜水艦乗員が操艦を担当している。一部の艦は潜望鏡や司令塔に桜の枝を飾り付けた。爆破だけで沈まなかった艦にはPBM飛行艇による爆撃と潜水母艦ネレウスや駆逐艦エヴァレット・F・ラーソンの砲撃が加えられ、伊36、伊47、伊53、伊58、伊156、伊157、伊158、伊159、伊162、伊366、伊367、伊402、呂50、波103、波105、波106、波107、波108、波109、波111、波201、波202、波203、波20824隻が処分された。残る4隻はデッド・ダック作戦で海没処分されている。参考:歴史群像4,18

<ロースタフト>:F103(フリゲート)を参照。

ロースピード・ヨーヨー>:空中戦機動の1つで、位置エネルギーを運動エネルギーに転換する手法であり、戦術が手詰まりになった時に使用される。直線追尾時に防御側に追いつけない場合、一旦緩降下して速度を高め、水平面での距離を縮めて一気に上昇し、攻撃する。防御側の後下方に位置することになるため、相手からは死角になるのも有利な点である。旋回戦闘中に手詰まりになった場合には、旋回円の内側に機首を下げて降下、防御側との角度差が30度くらいになったところで引き起こし、後下方につく。何回か繰り返すことで徐々に距離を詰めていく。対抗するには、防御側も同じ機動を行って手詰まり状態を維持するか、攻撃側が降下した後上昇に移ったタイミングで一旦機首を上げて少し上昇し、攻撃側に向かって反転降下、逆襲をかける。参考:図解現代の航空戦

<ローズベイ>:K286(改フラワー級コルベット)またはPG-97(テンプトレス級コルベット)を参照。

<ローズマリー>:L14(スループ)を参照。

ローゼンジ・パターン>:ドイツ陸軍航空隊が第1次大戦時に羽布張り航空機用として採用した迷彩で、菱形パターンの意。4色または5色を同一組み合わせの石垣模様パターン(4-6角形)にし、遠距離で輪郭をぼかす効果を狙ったもので、それぞれ上面用(プロシア・ブルー、ブルー、グリーン、黄土色、薄紫など)と下面用(ピンク、ブルー、グリーン、黄土色、薄紫など)の2種類が用意されている。模様は羽布にローラーで塗布していくので、数十センチメートルごとに同じパターンとなる。羽布部分だけでなく、胴体にも施した機体も存在し、D.[戦闘機では逆に胴体だけローゼンジ・パターンで、主翼はダークグリーン単色だった。大型機ほどパターンも大きくなり、爆撃機は一般に大型正六角形を使用した。19174月にアルバトロス社が導入し、1918年夏までにはほぼ全てのメーカーが使用するようになったが、会社ごとにパターンが違い、時期によっても変更が加えられていて、凄まじい数のバリエーションがある。オーストリア=ハンガリーでも採用した機体がある。参考:図解世界の軍用機史、ミリタリー・イラストレイテッド17

<ローソン>:K516(フリゲート)を参照。

<ロータ1>:C.30A海外シリーズ(オートジャイロ)を参照。

<ロータ2>:C.40(オートジャイロ)を参照。

ローター>:Rotor、回転翼(Rotary wing)。ローター・ブレードを回転させて揚力(ローター推力)を発生させる翼のこと。ローター・ブレード、回転軸、ローターヘッド、ハブ、スオッシュ・プレートなどで構成される。ブレードにはピッチ変更アームが付けられており、スオッシュ・プレートと呼ばれる回転円盤に接続されていて、操縦桿(サイクリック・ピッチ・レバー)を動かすとスオッシュ・プレートが傾き、ローター回転面が傾斜する。また、コレクティブ・ピッチ・レバーを上下させるとスオッシュ・プレートも上下し、ピッチ角が増減するので、上昇・下降が行える。機体の進行方向と同じ方向に進む側のブレード(前進側ブレード)と反対側(後退側ブレード)で揚力に差が出る(非対称揚力)ため、ブレードのピッチを回転面の左右で変更できる(サイクリック・ピッチ・コントロール)のがプロペラとの違いで、ブレードごとにピッチを制御することが可能。ただし機体速度が速すぎると後退側ブレードが回転翼失速に陥るため、最大速度に制限がある。機体速度と前進側ブレード先端の速度の和がマッハ0.9を超えると衝撃波が発生し、前進側ブレードも翼端失速に陥るし、非対称揚力をサイクリック・ピッチ・コントロールで制御できる範囲に収める必要もあり、こちらも機体速度を制限してしまう。この非対称揚力を解消するため、タンデムローターヘリや二重反転ローターヘリが開発された。スピードを出すためには海面高度近くを飛ばねばならず、巡航に適した高度に上がると超過禁止速度が低くなってしまうという欠点もある。機能によりメインローター、テイルローター、サーボローター、ブレードとハブや回転軸との取り付け方(ローターヘッドの構造)で全関節型、セミリジッド型、リジッド型、駆動方式で軸駆動型(軸を動力で回す)、ブレード先端駆動型(ブレード先端からジェットを噴射して回す)、作動様式などでシーソーローター、リードラグローター、ティルトローター、トレーリングローター、テレスコーピング(伸縮式)ローター、減速・停止式ローター、自転ローター、折り畳み式ローター、収納式(ストード)ローター、配置でシングルローター、タンデムローター、二重反転ローター、並列ローター、交差ローターに分かれる。参考:月刊軍事研究6,113,12、月刊JWings6,1010,09別冊付録、航空用語事典増補改訂版、世界軍用機年鑑1990-91

<ローター効率>:フィギュア・オブ・メリットを参照。

<ローター剛率>:ローター・ソリディティを参照。

ローターシュート>:イギリス空軍の試作ジャイログライダー。空挺部隊や工作員を空挺侵入させるため開発したもので、1名用座席の上にローター、後ろに安定翼、下に降着装置(ソリと車輪)が付いている。航空機で曳航して目的地付近で切り離し、オートローテーションで降下する。1940年末から開発され、1943年頃までテストされたが、実用化には至らなかった。参考:月刊JWings11,17

ローター・セイル>:1920年代にフレットナーが考案したフレットナー・ローターの商品名。太い円柱状マストを動力で回転させるもので、風が当たるとマグナス力が発生してマストと垂直方向に推進力が生まれる。21世紀に入って省エネ動力として艦船に搭載されるようになった。ただマストを回転させる動力が要るので実際には言うほど省エネでないらしいが、見た目が立派なので宣伝効果は大きい。参考:月刊世界の艦船7,18

ローター・ソリディティ>:Rotor solidity、ローター剛率。全ローターブレード面積を円盤面積で割った値。(ローターブレード枚数×翼弦長)/(円周率×ローター半径)で表される。ブレードにテーパー(先細り)が付いている時は、半径の75%位置における翼弦長を用いる。これが大きいと推力や駆動トルクも大きくなる。参考:航空用語事典増補改訂版

ローター直径>:Rotor diameter。ローターブレード回転面を平面に投影した際の直径のこと。参考:月刊JWings10,09別冊付録

ローターバギー>:イギリス空軍の試作ジャイログライダーで、ジープにフェアリングと自由回転ローター、双垂直尾翼を取り付けたものである。航空機により曳航され、目的地で切り離されてオートローテーションで降下、地面に降り立つと不要部分を外してジープとして使用する。イギリス空軍仕様10/42に基づいて1942年に試作され、1943年から試験が開始されて116日にはホイットレー爆撃機に牽引されて初飛行したが、ジープを運べる大型グライダーが完成したので意味が無くなり、開発中止となった。ローター直径14.22m。乗員2名(空中操縦手、地上操縦手)。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇、月刊丸2,12、月刊JWings11,17

<ローター・ハブ>:ハブを参照。

ローターブレード>:Roter blade。回転翼の羽根のことで、回転して揚力を発生する。翼型は空力中心周りのピッチング・モーメントが小さい対称翼型を採用し、サイクリック・ピッチ・コントロールで操縦系統に不規則な反力などが加わらないようにしている。アスペクト比は15-20と細長い。ブレードの付け根と先端では対気速度が異なり、翼断面を同じにすると不均衡揚力となってしまうため、付け根から先端に向けて先細りとし、またピッチが小さくなるよう捩り下げを付ける。ただ製造に手間がかかるので、翼弦は一定にして先端を後ろに向かって折り曲げ、8度以下くらいの捩り下げだけ付加する事が多い。軽合金D型押し出し型材を前半部に配し、金属製薄板または強化プラスチック製ハニカム構造のV型後半部を取り付けるのが代表的な構造で、保護のために前縁にステンレス鋼板、後縁に軽合金薄板を接着したりする。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings10,09別冊付録

ローターブレードの幾何学的不均衡>:Geometric unbalance of rotor blades。ハブを傾斜させる方式のローターや、シーソー・ローター以外のローターでは、各ローターブレードの重心が描く軌跡を含む平面(ローターブレード回転面)とハブが平行でなくなると、各ローターブレードで異なったリード角やラグ角が生じるが、これをローターブレードの幾何学的不均衡という。ローターブレードは回転軸と同じスピードで回ろうとするので、各ローターブレードには不均衡を無くそうとラグさせたりリードさせたりしようとする力(コリオリの力)が作用して無理なモーメントが加わってしまうことになり、リード・ラグ・ヒンジを設けるなどして許容しておかないと壊れる。参考:航空用語事典増補改訂版

ローターヘッド>:ローターブレードとローターシャフト(回転軸)を繋ぐ構造のこと。ローターハブやヒンジで両者を結合しており、ローター回転面を傾けるスオッシュプレートや、その操作に使うコントロールロッドなどが組み込まれている。ヘッドという名称だが、抗力を減らすためローターマストは極力短く設計されていて、ハブはローターマスト頂部にあるもののスオッシュプレート非回転部はローターマスト付け根近くに位置する。ヒンジの有無で全関節型、半関節型、リジット型、ベアリングレス型に分かれる。参考:月刊JWings3,188,20

ローターマスト>:ローターを回転させるためのローターシャフト(回転軸)を通す、マスト状構造物のこと。ローターヘッドが周囲を取り巻いている。参考:月刊JWings8,20

ローダシュー>:フランス海軍ル・ファンタスク級駆逐艦LAudacieux1935年竣工。第2次大戦中はドイツ軍に接収され、1943年にビゼルトでアメリカ軍の爆撃を受けて沈没し、解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦、月刊世界の艦船10,06

ロータシュート>:オーストラリア人のハフナー氏が開発した空挺用オートジャイロ、Rotachute。目標上空で母機から切り離される。種々の武装を搭載できる、遠距離まで到達できるなどの利点があり、イギリス軍に提示されたが、搭載数が限られる、切り離しが困難などの欠点があって採用されなかった。ローター直径4.57m、重量135kg。最大曳航速度149km。乗員1名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

<ロータス>:K93(フラワー級コルベット)またはK130(フラワー級コルベット)を参照。

ロータリーウィング>:ラジオ・コントロール・スペシャリスツ社が開発したヘリコプター型RPV。重量20kg、ペイロード8.5kg。エンジン出力10馬力、航続時間は速度60kmで1時間。自動安定式テレビカメラなどの搭載が可能。参考:スパイ機

ロータリーエンジン>:シリンダーを冷却するため、プロペラシャフトの回転に合わせてシリンダー自体も回転させてしまうエンジン。1889年にオーストラリアのローレン・ハーグレイブが製作した。エンジンオイルが撒き散らされてプロペラ後流に乗り、コクピットにオイルの嵐が来襲するため、カウリングを取り付けて解決している。速度が遅くて単純な空冷式では冷却しきれず、液冷システムを載せると重くて飛べない初期の飛行機に多用され、第1次大戦前半まで使用された。エンジンが大型大出力になると遠心力とジャイロ効果でエンジン自体が吹っ飛んでしまうため、廃れた。参考:月刊丸9,97、陸海軍学校と教育

<ロータリーボルト>:遊底を参照。

ロータリーマガジン>:回転式弾倉。回転式拳銃の弾倉はシリンダーと呼ばれ、ロータリーマガジンはライフルに使用されるものを指す。大きさの割に収容弾数が多いが、コストが高い。参考:GUN用語事典

<ロータリーランチャー>:ランチャーを参照。

<ローチ>:OH-6シリーズ(ヘリ)を参照。

ローデ>:ラトビア海軍ストルム級高速哨戒艇。元はノルウェー海軍高速哨戒艇ヴァスである。参考:月刊軍事研究3,12

<ローテイティング・バンド>:導環を参照。

ローテイティング・バレル>:自動拳銃の作動機構の1つで、反動を利用して銃身を回転させることによりスライドとの閉鎖を解くものである。参考:GUN用語事典

<ローディング>:装填を参照。

<ローディング・インジケーター・ピン>:インジケーター・ピンを参照。

<ローディング・ゲート>:装填口のこと。参考:GUN用語事典

<ローディング・ポート>:エジェクション・ポートを参照。

<ローテーション速度>:VRを参照。

ローデシア空軍>:1957年、キャンベラB.Mk2T.Mk4を計18機発注した。参考:週刊エアクラフトNo.82

ローデシア空軍(1977年)>:兵力1300名。キャンベラB2爆撃機5機、キャンベラT4練習機2機、ハンターFGA9攻撃機10機、バンパイアFB9攻撃機12機、プロポストT52練習機8機、バンパイアT55練習機11機、C-47輸送機9機、バロン55輸送機1機、アイランダー輸送機6機、A1-60C4軽輸送機12機、セスナ337軽輸送機18機、アルエートU/Vヘリ55機を配備する。参考:軍事力バランス78年版

ローデシア陸軍(1977年)>:兵力8250名、うち徴兵3250名。白人歩兵大隊1個、黒人歩兵大隊2個、特別航空中隊3個、セラウス偵察隊、グレイズ・スカウト騎馬歩兵隊1個、砲兵大隊1個、工兵中隊1個からなる。AML90装甲車60両、フェレット偵察車、UR416装甲兵員輸送車、25ポンド砲、105mm分解式榴弾砲、5.5インチ(139.7mm)榴弾砲、105mm無反動砲を装備する。参考:軍事力バランス78年版

ローデル>:グスタフ・ローデル。ドイツ空軍エース。19151024日、メルゼブルク生まれ。1936年、ドイツ空軍に入隊し、士官候補生となった。その後コンドル軍団第88戦闘飛行隊に配属されてスペイン内戦に参加。1939715日、第21戦闘航空団第1飛行隊(後に第54戦闘航空団第3飛行隊と改称)に配属された。91日、初撃墜を達成。1124日、第27戦闘航空団本部小隊に配属された。19407月、第27戦闘航空団第4飛行中隊に配属された。97日、第4飛行中隊長となった。194111月、北アフリカに移動。1941126日、32機撃墜を達成。1942520日、第27戦闘航空団第2飛行隊司令となった。523日、40機撃墜を達成。1943104日、第27戦闘航空団司令となった。総出撃回数980回、撃墜機数98機。最終階級は大佐。参考:グラフィックアクション36

<ロード・アイランド>:SSBN-740(戦略原潜)を参照。

<ロード式軍用架空索道>:渡河索道車両搬送を参照。

ロード師団>:アメリカ陸軍の師団編成で、ロードは陸軍師団再編成(Reorganization Of Army Division)の略。ペントミック師団が核戦争専門だったため、非核戦争にも対応できるよう改正を加えたもので、1962年から採用された。歩兵、機甲、機械化、空挺の4種類の師団を共通の部隊で編成してあり、それぞれ旅団司令部3個と砲兵連隊、工兵大隊、通信大隊、支援連隊を持ち、これに歩兵大隊や機甲大隊または突撃砲大隊を複数個配分して各師団の役目を果たせるようにする。具体的には、歩兵師団には9個歩兵大隊(うち1個が機械化)と1個機甲大隊を、機甲師団には5個歩兵大隊と5個機甲大隊を、機械化師団には6個歩兵大隊と5個機甲大隊を、空挺師団には9個歩兵大隊と1個突撃砲大隊を隷属させる。参考:兵器最前線5

<ロードスター>:C-56シリーズ(輸送機)を参照。

ロードスター型自転車>:チェーン、空気チューブ入りゴムタイヤ、フリーハブ(ペダルの空転が可能)などを装備した自転車。20世紀初めに実用化された。早速軍用にも使用され、当初は騎兵や竜騎兵の足として、また上下逆さに置いてタイヤを回し、敵騎馬隊の馬を驚かせる手段として(何だそれ)の使用が考えられたが、第1次大戦は塹壕戦となってしまったので、前線での役割は無かった。しかし奇襲や後方支援では大活躍している。それ以降も銀輪部隊の足として活躍した。参考:歴史群像6,04

<ロードストーン>:A115(消磁船)を参照。

ロートダイン>:Rotodyne。離着陸時に回転翼を使用し、飛行中は回転翼を空転させてプロペラ推進する方式のVTOL機のこと。フェアリー社(と19605月に同社ヘリ事業部と合併したウエストランド社)が民間航空用に開発し、チップ・ジェット方式回転翼と推進用ターボプロップを組み合わせて195711月に初飛行したが、回転翼駆動用チップ・ジェットによる騒音が酷すぎて実用化できなかった。参考:月刊JWings8,114,20、世界の傑作機No.162

ロード抵抗軍>:Loads Resistance Army。アフリカの反政府武装組織で、中央アフリカ、コンゴ民主共和国、スーダン、南スーダン、ウガンダを活動範囲に収める。2007年には数千人を擁していたが、201111月からUSAFRICOMがオブザーヴァント・コンパス作戦を開始して各国政府軍の戦闘を支援、2014年には500人以下にまで制圧されているとみられる。参考:月刊軍事研究1,15

ロード・ディフューザー演習>:アメリカ空軍とハンガリー空軍を中心とする多国籍航空統合演習Load Diffuser2008年にDACT中心の2国間演習として始まり、国際情勢を受けて2010年から近接航空支援を取り入れるなど次第に内容が複雑化、参加国も増えて多国籍統合演習になった。参考:月刊航空ファン10,17

 <ロード・ディフューザー2017>:20175-6月にハンガリーで実施され、アメリカ、ハンガリー、イギリス、クロアチア、スロバキア、スロベニア、チェコが参加した。参考:月刊航空ファン10,17

ロード・トゥ・バグダッド>:湾岸戦争時に立案されたバグダッド攻略計画。スピード重視のため、リープ・フロッグ(カエル跳び)作戦がとられた。サマワ南東の前方作戦基地リンカーン(バクダッドまで300km)から出撃し、ユーフラテス川沿いにナジャフまで進出して前線作戦基地グラントを設営。ここから更にユーフラテス川を遡り、ムサイビを制圧してここからバクダッドに機甲部隊とヘリボーン部隊で侵攻する。実行はされなかった。参考:月刊軍事研究4,03

ロートドーム>:RotodomeRoto-dome。それ自体が360度回転するレドームのこと。内蔵するレーダーにより全周監視が可能となる。使用するレーダー波を透過させるため、素材はFRPを使う。空力や安定性に多大な影響を与えるので、設計に苦労する。旋回などで機体が傾くとレーダー波放射面が水平でなくなるので、補正機構を設けたりするが、そんなに激しい機動を繰り返すような任務ではないので、補正可能範囲が多少狭くてもそれほど実用面で問題は生じない。参考:航空用語事典増補改訂版、世界の軍用機1979、月刊JWings10,09別冊付録

<ロートニク>:ストレラ-3M (通信衛星)を参照。

ロード・バリア>:オランダのPEVAC社が開発した車両進入阻止装置。地中に伸縮式の鉄パイプを埋め込んで箱を被せたもので、14トンの大型バスが時速100km超で突っ込んできても止められる。センサーと連動させ、異常な速度で突っ込んでくる車輌を探知した際に自動的に起ち上がるようにすることも可能。1991年からシャルル・ド・ゴール空港やヒースロー空港、NATO軍司令部などに設置された。参考:月刊軍事研究4,9710,04

<ロードホイール>:下部転輪を参照。

ロードマスター>:Loadmaster。輸送機に乗り込み、貨物の積み降ろしや管理・空中投下など、貨物に関わる一切を取りしきる要員。兵員輸送の時には搭乗しないこともある。参考:月刊JWings7,04

 <ロードマスター(航空自衛隊)>:空中輸送員と呼ぶ。輸送機や輸送ヘリの離陸に先立ち、搭載貨物、燃料、人員などの総重量を計算して積み込み方を考え、機長に伝える。実際の機内搬入出や作業管理、貨客仕様変更なども行う。輸送機や輸送ヘリに搭乗し、人員への搭乗前注意事項伝達、体調管理、シートベルト確認、機内での貨物管理、重量配分計算、ヘリの場合は飛行場以外に着陸する際の安全確認、カーゴスリングや消火バケットの懸吊、消火バケットからの放水、ホイストでの要救助者吊り上げ(2009年から任務追加、実際に行ったのは東日本大震災が初)などを実施する。1回のフライトで数カ所を回る場合には、順序よく貨物を搭載しつつ重量重心を最適にする工夫が求められる。特別航空輸送隊政府専用機の空中輸送員はキャビン・アテンダントと言った方が通りが良いかもしれない。部隊配置後に空士長以上・特技レベル中級以上・30歳以下・空自英語検定5級以上から希望者を募り、航空身体検査、1次試験(書類選考)、2次試験(学科試験)、面接で選抜し、第3輸送航空隊で幹部空中輸送基礎課程または空中輸送員基礎課程など半年間の課程教育を修了すると空中輸送員に任じられる。B777政府専用機の空中輸送員は基礎課程を終えたら幹部空中輸送課程(特別輸送)または空中輸送(特別輸送)員課程に進み(ANAでの委托教育を含む)、更に特別航空輸送隊での実機教育訓練を修了する必要がある。参考:月刊航空ファン4,17MAMOR vol.116vol.165

ロードマップ>:中東新和平案のこと。アメリカ、ロシア、EU、国連が纏め、2003430日にイスラエル・パレスチナに手渡された。3段階に渡り和平を達成する予定になっている。まず20035月末までにパレスチナ側が暴力を停止、イスラエルの生存権を認める。イスラエルは入植を停止し、20009月以降の侵攻地から撤退する。次いで12月までにパレスチナが憲法を制定し、暫定的国境のパレスチナ国家を樹立、国際会議で経済復興を図る。最後に2005年までにエルサレムの帰属、難民問題、最終的国境を確定する。ミッチェル案・テネット案などの和平案、オスロ合意、国連安保理決議2423381397などを基に製作された。参考:月刊軍事研究7,045,05

ロードランナー>:南アフリカのATE社が開発したUAVで、コンボイルートの警戒任務を行う。無尾翼機で、主翼形状はダイヤモンド型である。ペイロード1kg。最大速度200km。参考:月刊軍事研究1,09

<ロードローラ(UNMISS用)>:自衛隊の車両。英和が受注している。参考:月刊軍事研究8,13

<ロードローラ(振動式)1型>:自衛隊の車両。酒井重工または英和が受注している。参考:月刊軍事研究2,092,13

<ロードローラ(振動式)2型>:自衛隊の車両。酒井重工製。参考:月刊軍事研究2,09

<ロードローラ8トン(振動式)>:自衛隊の車両。酒井重工業製。参考:月刊軍事研究9,10

ロードローラー10トン>:航空自衛隊のマカダム型ロードローラーWN-10。全長5.1m、全幅2m、全高2.2m、重量10トン、最大ペイロード60kg。エンジンはいすゞ自動車製DA120液冷6気筒ディーゼル(総排気量6126cc)、トランスミッションは歯車選択摺動式前進3段、最大速度5.2km、燃費は1リットルあたり5.773km。タイヤは前輪がローラー幅1.25mのもの1本、後輪がローラー幅0.52mのもの2本。乗員1名。渡辺機械製。参考:自衛隊装備カタログ1981

<ローナ>:東海シリーズ(対潜哨戒機)を参照。

ローヌ>:フランス海軍油槽艦Rhone。全長112.5m、幅13.7m、吃水7.6m、基準排水量2785トン、貨油積載量4000トン。主機はレシプロで、出力2100馬力、1軸推進、速力11ノット。1910年に就役した。194012月、ドイツ海軍潜水艦の雷撃により沈没した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

<ローバー>:N62(潜水艦)を参照。

<ローパー>:APD-20(高速輸送艦)またはDD-147(平甲板型駆逐艦)を参照。

ローバー>:オーストラリアのマラソン・ロボティクス社が開発した射撃訓練用ロボット。セグウェイに台座を設けてマネキンの上半身を固定したもので、GPSとレーザーにより障害物を探知しながら移動、コンピュータ制御と高速イーサネット通信により互いが協調行動を取るようになっている。1体が命中判定を受けて倒れると、他のロボットは遮蔽物に隠れようとし、数が減るにつれて慎重に行動するようになる。ある程度自由に自律行動を取らせることも、事前に厳密なプログラム設定を行うことも可能。参考:月刊コンバットマガジン7,09

<ローハイダーズ>:VRC-40(飛行隊)を参照。

<ローバック>:H95(駆逐艦)を参照。

<ローパン形態>:RF-4E偵察機(航空自衛隊)を参照。

ロービ>:フランス海軍潜水艦Laubie。基はドイツ海軍UボートZC型潜水艦U766で、1947年に就役した。1963311日に除籍された。参考:ナチスUボート

ロービジ>:Low visibility(低視認性)の略。参考:月刊JWings10,16

ロー・ビジビリティー・マーキング>:Low visibility marking、低視認塗装。広義では迷彩塗装のことだが、狭義には空中での視認性低減を図った文字・インシグニアの白・灰色・黒系無彩色つや消し塗装を指す。参考:航空用語事典増補改訂版

ロープ>:イギリス軍が対FuG220レーダー用に開発したチャフの秘匿名称。参考:連合軍の傑作兵器駄作兵器

<ローフォード>:K514(フリゲート)を参照。

<ローブリング・トラクター>:LVT-1シリーズ(水陸両用車)を参照。

ロー・ブロー>:S-125SA-3)地対空ミサイル用SNR-125射撃指揮レーダーのNATOコードLow Blow。低空目標にもミサイルを指向できるので、このコードが付いた。システムはUNK-M管制用キャビン、UNVレーダーアンテナ、電源車で構成される。ファン・ソングと同様の2本の樋型アンテナを使用し、直交する電磁ビームを掃引するトラック・ワイル・スキャン・レーダーで、アンテナは45度の角度で配列されており、クロス・スキャンによってグランド・クラッターを減少できる。電磁ビームが交わる地点で目標を捉えると、システムがLOROモードに切り替わり、アンテナ上部の矩形パラボラアンテナからミサイルに対して誘導・指令信号を送信する。その間、管制キャビン内の要員が、回転ツマミ2つを操作して左右に並んだCRTモニターのカーソル目標に合わせ、下の3つの計器で信号レベルを確認しつつ手動で追尾する。フラット・フェイスまたはスカット・アイ早期警戒・目標捕捉用レーダーと連動する。参考:月刊航空ファン8,09、月刊エアワールド4,00、航空ジャーナル9,77臨時増刊

ローマ>:イタリア海軍ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦3番艦Roma1938年起工、1942614日竣工。19438月、前檣楼頂部にレーダーを装備した。99日、休戦協定を受けてマルタに回航中、チレニア海でドイツ国防軍機の攻撃を受け、SD-1400X誘導爆弾を被弾して沈没した。参考:近代戦艦史、月刊世界の艦船1,124,17

ローマ撃沈>:第2次大戦時の19438月、ドイツ軍はロンドン−ワシントンの暗号通信を解読し、イタリアが連合軍と休戦交渉をしていること、イタリア艦隊が降伏するためにマルタ島に向かうことをキャッチ。イタリア艦隊が連合軍の手に堕ちるのを恐れたドイツ国防軍は、Do217K-2装備の第3航空艦隊第100爆撃航空団第V飛行隊を南フランスのイストレ基地に待機させた。98日、イタリアが連合軍と休戦協定を締結。990300、休戦協定発効と共に、戦艦ローマ、ヴィットリオ・ヴェネト、イタリア、巡洋艦6隻、駆逐艦8隻、水雷艇1隻からなるイタリア艦隊がラ・スペチア軍港とジェノバ軍港を出港し、連合軍に降伏するためマルタ島に向かった。ほぼ同時にローマのドイツ国防軍司令部にイタリア艦隊出港の知らせが入り、ドイツ偵察機はイタリア艦隊がドイツ空軍の脅威下に無いコルシカ島の西を通過していくのを確認した。ドイツ国防軍は第V飛行隊に出撃を下命し、イタリア艦隊が北上したらドイツ側に付くとして攻撃を控え、南下したら連合軍に降伏するとして攻撃するよう伝えた。1400、第V飛行隊の11機(9機説あり)のDo217K-2SD-1400X誘導爆弾を右内翼に1発ずつ吊り下げて出撃。1440、コルシカ島とサルデニア島の間を南下していくイタリア艦隊を発見し、高度6000mSD-1400Xを投下した。イタリア艦隊は当初Do217K-2が水平飛行をしていたためドイツ空軍機とは思わず、途中で気がついて回避行動を取ったが、誘導爆弾相手には通用せず、1546に先頭を行く戦艦ローマの後部マスト右に1発目が命中、艦底部で爆発し右舷蒸気タービンが停止して速力が16ノットに落ちた。直後の1552に2発目が直撃、前部B砲塔と艦橋の間の左舷側を貫通して艦内で炸裂したため左舷蒸気タービンが停止して大火災が発生、程無く前部火薬庫が誘爆して戦艦ローマは1615に真っ二つになり沈没し、艦隊司令長官ベルガミーニ大将と艦長チーマ大佐含む1254名が戦死、596名が救助された。1629には戦艦イタリアの一番砲塔後方右舷にも1発が命中、800トン浸水して速力が24ノットに落ちたが、残りの艦と共にマルタ島に逃げ込むことに成功した。参考:歴史群像6,14、月刊世界の艦船11,'20、世界の傑作機No.145、月刊丸1,98

ローマ条約>:海上テロを対象とした国際条約で、正式名称は「船舶の安全航行を阻害する不法な行為を鎮圧するための条約」。アキレ・ラウロ事件をきっかけに19883月に国際海事機関で制定され、19923月に発効した。海上テロの定義として、船舶を武力あるいは威嚇によって支配すること、船舶の安全な航行に支障のあるような暴力を行使すること、船や積み荷を破壊したり被害を与えたりするような装置を仕掛けること、虚偽の情報を与えて安全な航行を妨害すること、これらのために乗員を死傷させること、などとしている。よって、海賊行為もここに含まれる部分がある。ここでいう船舶には軍艦や海上警備艦艇は含まれない。また、洋上プラットフォームには「大陸棚上の固定プラットフォームの安全を阻害する不法な行為を鎮圧するための宣言」という別の宣言が1992年に発効している。参考:月刊軍事研究4,04

ローマ人の鼻>:IS-2m戦車の車体前面上部装甲のニックネーム。

<ローヤル>:T-AGOS-22(音響測定艦)を参照。

<ローヤン>:DD-917(駆逐艦)を参照。

ローラーコースター戦法>:Me262が爆撃機編隊との交戦に使用した戦法。敵編隊の4500m後方・2000m上空から降下を開始、1500m後方まで追いついたところで450mほど下に潜り込むようにし、その後上昇に転じて1000m後方・同高度に位置、攻撃に移る。目標の後方650mまで接近したら50mmロケット弾24発を斉射し、150mに近づくまで30mm機関砲を撃ち続ける。攻撃終了後は急降下して850km以上に加速、退避する。参考:月刊丸9,03、グラフィックアクション36

<ローラ閉鎖式>:閉鎖機構を参照。

<ローラル社>:アメリカのレーダー・ソナー会社で、1948年に設立された。1996年、ディフェンス・エレクトロニクス・アンド・システム・インテグレーション事業部門がロッキード・マーチン社に買収された(1997年にL3コミュニケーションズとして独立)。参考:月刊JWings1,19

ローランド装甲車>:スイスのモワグ社がプライベートベンチャーで開発した4輪装甲車Roland。車体は装甲鋼板製で、7.62mm弾に抗堪できる。車体前部左が操縦手席、中央から後部が兵員室、後部左が機関室で、上面に7.62mm機銃搭載のリモコン銃塔を装備する。操縦手には右開きのハッチと3つのペリスコープが用意されており、車体側面・後面のドアや車体周囲にはビジョンブロック付きのガンポートを持つ。車体中央に機関銃手が、その左右に1名ずつが搭乗し、車体後部右にも2名が座る。1963年に試作車が完成し、アフリカや南米の数カ国(ボリビア陸軍など)で採用された。参考:世界の軍用車両(4)THE MILITARY BALANCE 2016

ローラント>:ドイツ海軍特設敷設艦。19446月、自艦で敷設した機雷に触雷して沈没した。参考:写真集ドイツの巡洋艦

ローランドTシステム>:西ドイツとフランスが共同開発した近距離地対空ミサイルシステム。車体はAMX-30戦車ベースでのAMX-30Rで、車体上部はシャヒネと似た箱形としてある。車体上部中央にローランドTミサイルターレットが搭載されており、ターレット後部に捜索レーダー、両側にミサイルキャニスターが1基ずつ装着されている。ミサイルは全長2.4m、直径0.27m、翼スパン0.5m、重量63kgで、前部に操縦フィン、中央に安定フィンを持つ。炸薬重量3.5kg、加害半径6mで、電波近接信管と接触信管を装備する。推進はブースターが推力1600kg・燃焼時間1.7秒、サステナーが推力200kg・燃焼時間13.2秒で、最大速度マッハ1.6、最小射程0.5km、最大射程6.3km、最小射高20m、最大射高3000m。誘導用レーダーが無いため、基本的に好天時の昼間用である。乗員3名。1977年からミサイル3364発と車台98両がフランス陸軍に引き渡され、5個連隊(2個中隊8両からなる大隊3個から構成。各中隊には20mm機関砲装備のVABも配属)に配備され、後にローランドUに改造された。西ドイツでは採用されていない。参考:世界の軍用車両(2) 、ザ・マーチ17

ローランドUシステム>:西ドイツとフランスが共同開発した全天候型地対空ミサイルシステム。1964年から西ドイツ主体で開発され、1977年に生産を開始、12月にフランス軍、1978年に西ドイツ軍への配備が始まった。チューブキャニスターに搭載されたミサイル(5年間未整備で稼働状態を保つ)と、捜索・照準2種のジーメンス/トンプソン製パルス・ドップラー式レーダー(前部に追尾用の縦長ディッシュ型アンテナ、後部に捜索用回転式扇形ディッシュ型アンテナ)を搭載したターレットで構成されており、固定陣地に据え付けたり、AMX-30やマルダーの車体に搭載したりして使用する。誘導はレーダーまたは目視で、ミサイルは前部に4枚の操縦フィン、中央に4枚の安定フィンを持ち、弾頭には近接・触発両信管が付いている。ミサイルの諸元は以下の通り。全長2.4m、直径0.16m、重量66.5kg、弾頭重量6.5kg。推進は2段式固体燃料ロケット、最大速度マッハ1.6、有効射高5500m、有効射程6300m。マッハ1.51.3?)までの目標に対応でき、有効射程圏内での命中率は80%とされる。レーダーの捜索距離は最大60km、捜索高度は超低空から6000mHAWKミサイルサイトの防御用としての使用も考慮されている。イラク、ナイジェリア、ヨルダンなどに輸出された。アメリカも1975年にM975として採用し、M109の車体に載せる予定だったが、議会の承認が得られず、採用が取り消された。参考:月刊PANZER12,00、月刊軍事研究2,03、世界の軍用車両(2)

 <ローランドU(ドイツ陸軍)>:ドイツ陸軍地対空ミサイルシステムで、FlaRakPzという。車体はマルダー歩兵戦闘車がベースだが、足回り以外の配置はかなり変更されている。車体後部の乗降ランプドアは廃止され、大型の排気口が装備された。走行時にはレーダーアンテナを折り畳み、ミサイルランチャーを下げてターレットをコンパクトにできる。全長6.92m、全幅3.24m、全高2.92m、重量32.5トン。エンジンは6気筒液冷ディーゼル(600馬力)で、最大速度70km、航続距離520km。乗員3名。参考:世界の軍用車両(2)、月刊軍事研究1,98、月刊グランドパワー10,94

 <ローランドU(ドイツ空軍)>:ドイツ空軍地対空ミサイルシステム。MAN15トン8輪駆動野戦トラックに搭載されている。1986-90年に68両が生産された。参考:月刊軍事研究1,98、月刊グランドパワー10,94

 <ローランドU(フランス陸軍)>:フランス陸軍地対空ミサイルシステムで、フランスではロランUと発音する。AMX-30R(ロランT搭載)をグレードアップして使用している。参考:月刊PANZER12,00

<ローランドU海外シリーズ>

 <ローランドU(イラク)>:イラク陸軍地対空ミサイルシステム。MAN社製の野戦トラックに発射機を搭載する。湾岸戦争時に66両を配備していた。参考:月刊軍事研究12,09

ローランド3システム>:ローランドU地対空ミサイルシステムの性能向上型で、1987年に実用化された。ミサイルは射程8500m・飛翔速度毎秒620mの新型で、光学誘導モードを追加していて、レーダー誘導モードと発射後に切り替えが可能。これに合わせて光学サイトも熱線暗視装置とレーザー測距器を組み込んだGLAIVEサイトに変更された。参考:月刊グランドパワー10,94

<ローリー>:DD-770(駆逐艦)またはLPD-1(ドック型輸送揚陸艦)を参照。

ローリー>:イギリス海軍改バーミンガム級軽巡洋艦Raleigh1921年竣工。1922年、座礁して沈没した。参考:近代巡洋艦史、第2次大戦のイギリス軍艦

ローリー級>:アメリカ海軍ドック型輸送揚陸艦Raleigh級、基本計画番号SCB-18。初のドック型輸送揚陸艦で、艦内に長さ51.2m・幅15.2mのドック・ウエルを持ち、LCU1隻とLCM(6)級3隻を収容する。LCM(8)級なら4隻、LVTなら20両を積める。甲板上にはLCM(6)級2隻またはLCPL4隻を搭載可能。車両甲板は床面積1160平方メートル。艦後部にヘリ甲板を持ち、マストにTACANを備え、大型兵員輸送ヘリの運用が可能だが、格納庫や整備施設、固有のヘリは無く、強襲揚陸艦LPHと連携して運用する。全長159.1m、幅30.5m、吃水6.7m、軽荷排水量8000トン(LPD-28276トン)、満載排水量13600トン(LPD-214665トン)。主機はド・ラヴァル蒸気タービン2基、主缶はバブコック&ウィルコックス缶2基、出力24000馬力、2軸推進、速力21ノット、航続距離は16ノットで9800海里。兵装は50口径76mm連装速射砲4基で、後に砲2基を外して20mmCIWS2基を追加した。乗員429名。海兵隊員930名と車両・貨物2500トンを搭載可能。1962-64年にLPD-1ローリー、LPD-2バンクーバー、LPD-3ラ・サールの3隻が竣工した。3番艦は建造当初から揚陸艦隊旗艦施設を追加しており、後に指揮艦に艦種変更されている。参考:アメリカ揚陸艦史、月刊世界の艦船12,135,912,1412,20

<ローリイ・グレイ>:P424(哨戒艇)を参照。

<ローリッカー>:A502(曳船)を参照。

<ローリフト・バフェット>:バフェット(機体振動)を参照。

<ローリング>:K565(フリゲート)を参照。

ローリング>:Rolling、横揺れ。機体・船体が前後方向を軸として左右に回転運動を起こすこと。航空機の場合、この動作にはエルロンを使う。船が転覆するのは大体ローリングの結果である。参考:航空用語事典増補改訂版、JWings5,0310,09別冊付録、図解船の科学

ローリング>:転身と訳す。歩兵が稜線を通過する際などにとる行動で、ライフルを胸に抱え込んで両足を交差し、転がりながら進む。参考:コンバット・バイブル

ローリング・コンバット・ピッチ>:ブルーインパルス曲技飛行の1つ、Rolling Combat Pitch。会場左手から4機がレフト・エシュロン隊形で進入し、やや上昇しつつ1機ずつ右ロールをうって散開、会場右手で180度水平旋回して左手に抜ける。参考:月刊JWings7,126,096,106,10別冊付録

ローリング・サンダー作戦>:ベトナム戦争時の1965318日から開始された、アメリカ軍による北ベトナム爆撃作戦。アメリカ空軍は南ベトナムやタイから出撃し、アメリカ海軍は第77任務部隊を編成してトンキン湾から出撃した。アメリカ海軍は北ベトナム沖にNTDSを装備した艦船(レッド・クラウンというコールサインが付けられた)を1隻展開させ、トンキン湾と北ベトナム上空に設定したPIRAZPositive Identification Radar Advisory Zone)と呼ばれる防空識別圏での迎撃管制を行った。タンホア鉄橋(通称ドラゴン・ジョー)への爆撃も行われたが、AGM-12ブルパップやM117では歯が立たず、AGM-62ウォールアイの1000ポンド弾頭も通用しなかった。196543日、初の非軍事目標爆撃を行い、ドンフォントン鉄橋に爆弾を投下したが、破壊には失敗した。この際、MiG-17が迎撃のため初出撃し、VF-211F-8E戦闘機1機に命中弾を与えている。44日、ドンフォントン鉄橋爆撃のためアメリカ空軍第355戦術戦闘航空団のF-105D戦闘機が出撃。1030、地上迎撃管制GCIの誘導を受けたMiG-17戦闘機4機が飛来し、護衛のF-100D戦闘機をすり抜けてF-105D編隊に突入、F-105D戦闘機2機が撃墜された。これがベトナム戦争におけるアメリカ初の空対空戦闘損失である。これを受け、後上方からの一撃離脱を防ぐため、アメリカ空軍では機体上面にダークグリーン・グリーン・タンの三色迷彩(通称東南アジアカモフラージュ)を施すようになった。617日から710日、MiG-17戦闘機6機が撃墜されたため、北ベトナム軍は練度不足を悟り、MiG-171966年春まで姿を見せなくなった。1966226日、CVN-65エンタープライズ所属のA-6A攻撃機7機が河川の機雷封鎖を実施。19683月、CV-63キティホーク所属のA-6A攻撃機が河川の機雷封鎖を実施。331日に北緯20度以北の爆撃停止命令が出され、43日には19度線まで拡大された。1968111日に全面停止命令が出された。空中戦ではアメリカ側48機、北ベトナム側110機が撃墜された。アメリカ海軍機は最後の数ヶ月に50発以上の空対空ミサイルを発射したが、1発も当たらなかった。参考:U.S.ウェポンハンドブック、F-15イーグル、世界の傑作機No.1、月刊丸12,92、月刊航空情報2,10、月刊軍事研究6,93別冊、月刊JWings4,23

ローリング上昇>:ヘリコプターの機動の1つ。機首を下げて降下に移ると見せかけ、そのままの姿勢で上昇する機動である。射撃方向を見誤らせる効果がある。参考:攻撃ヘリコブラ&アパッチ

ローリング・テイクオフ>:ヘリコプターが地上滑走しながら離陸すること。参考:攻撃ヘリコブラ&アパッチ

ローリング・ボム>:アメリカ軍が第2次大戦時に考えた転がる爆弾。とげの生えた巨大な球状をしており、投下されるとパラシュートで軟着陸、内部のはずみ車により辺りを転げ回り、時限信管で炸裂する。敵兵の集中している前線で使用すると味方も踏み潰されるので、開発まで至らなかった。参考:世紀の失敗物語

ローリング・モーメント>:Rolling moment、横揺れモーメント。ローリングを起こすモーメントのこと。航空機では横揺れモーメント係数、空気密度、翼面積、翼幅に比例し、速度の2乗に比例する。横揺れモーメント係数は無次元量で、横滑り角、マッハ数、レイノルズ数などにより変化する。航空機は補助翼で横揺れモーメントを作り出して操縦する。風を受けるなどして機体がローリングを起こし横滑りした際、左右主翼に迎え角の差が生じて横揺れモーメントが発生する。この時、主翼に上反角が付いていると、元の姿勢に戻すような横揺れモーメント(復元モーメント)を生み出してくれる。垂直尾翼が重心位置から上下にずれていると、航空機が横滑り・横揺れ・片揺れした際や、方向舵を操作した際に垂直尾翼に横向きの力が生まれ、横揺れモーメントが生じる。プロペラ後流が垂直尾翼に当たると、捩れた流れによって垂直尾翼に横向き力が誘起され、横揺れモーメントが発生する。参考:航空用語事典増補改訂版

<ロール>:DE-304(護衛駆逐艦)を参照。

ロール・アウェイ>:ハイスピード・ヨーヨーの亜系。攻撃側が上昇時の頂点近くで防御側旋回方向と逆にロールを行って背後につくものである。参考:図解現代の航空戦

ロールオン・テイクオフ>:ブルーインパルス曲技飛行の1つ、Roll On Take Off。スモークを出したまま単機で離陸し、ギアとフラップを下げたままで右にバレルロールを行う。参考:月刊JWings7,126,096,10別冊付録

ロール・カップリング>:Roll coupling。旋回から復帰する時など、ある迎え角をもってロールを行った際、それに連れてヨーイングが起こり、ローリングとヨーイングに伴う遠心力でピッチングが生じ、それによってヨーイング角が増大し、ローリング速度が速くなり、更にピッチングが大きくなり、を繰り返して旋転運動の振幅が異常増大していく現象のこと。胴体の慣性モーメントが横滑り角や迎え角を増大させる方向に働くのが原因である。F-100など初期の超音速機は、高速を出せるよう細い胴体と翼スパンの短く翼面積の小さい主翼を持っていたため、胴体の慣性モーメントと反対に作用する主翼の慣性モーメントが小さく、ロール・カップリングを起こしやすかった。垂直尾翼やベントラルフィンで十分な方向安定性を確保すれば問題無いが、超音速飛行時は速度増大と共に垂直尾翼の方向安定性が低下するので、これも初期の超音速機でこの現象を生じる原因となった。大重量のエンジンを重心近くに置き、垂直尾翼をエンジンのテールパイプより後ろに延ばすなどして方向安定性を強化することでも解決できる。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings11,00

ロール・コール>:リンク11の通常運用モード。データネットワークに参加する複数の艦船・航空機のうち、1つがネット管制ステーション(NCS)となり、他はネット・ピケット・ステーション(NPS)となる。NCSは順番にNPSを呼び出して所定のフォーマットに従いデータを送信させる。1960年代の技術であるため、伝送レートが毎秒1364ビットまたは2250ビットと低く、ジャミングに弱い。また、双方向通信可能な艦船・航空機数が最大62に限られ、これが多くなるとデータ更新時間が長くなるという欠点がある。このため、リンク16が新たに開発された。参考:月刊軍事研究3,03

<ロールスロイス・チュルボメカ・リミテッド>:RRTM社を参照。

ロールスロイス社>:Rolls-Royce。マンチェスターの電気技師だったフレデリック・ヘンリー・ロイスと、ディーラー業をしていた貴族のチャールズ・スチュアート・ロールスが19063月に自動車会社として設立、同年に製作した高級自動車シルバーゴーストが大ヒットとなった。1914年から航空機用エンジンの本格生産を開始、第1次大戦では連合軍機用エンジンの半分を作っている。第二次大戦後はジェットエンジンの生産を開始。1970年、ロッキードL-1011旅客機用RB211エンジンの開発に失敗して倒産してしまい、19714月に国有化されて再建された。1973年、自動車部門のロールス・ロイス・モーターカーズをヴィッカーズに売却。1987年、民営化された。1995年、アリソン・エンジンをジェネラル・モーターズ社から買収した。参考:月刊JWings3,1311,182,206,23、月刊丸10,93、月刊航空情報2,10

ロールスロイス装甲車シリーズ>:Rolls Royce Armoured Car。ロールスロイスが開発した4輪装甲車で、第1次大戦勃発に伴いイギリス海軍航空隊が地上部隊用として開発命令を出した。参考:世界の軍用車両(4)、月刊アーマーモデリング7,13

ロールスロイス装甲車1914年型>:Rolles Royce 1914 Pattern Armoured Car。民間乗用車シルバーゴーストのシャシーを流用し、サスペンションを強化、後部車輪をダブルタイヤとし、装甲車体を乗せてある。車体後ろ寄りに操縦室があり、その上にヴィッカーズ7.7mm水冷機銃を装備した銃塔が搭載された。戦闘重量4.7トン。エンジンはロールスロイス製6気筒ガソリン(50馬力)で、最大速度72km、航続距離240km。装甲厚は車体・銃塔とも12mm1914123日に試作車3両が引き渡され、1917年までに120両が生産された。1915年に海軍航空隊地上部隊が廃止されると、陸軍機関銃軍団(自動車)の軽装甲砲兵中隊が配備している。参考:世界の軍用車両(4)、月刊アーマーモデリング7,13

ロールスロイス装甲車1920年型>:第1次大戦終戦時に配備されていた70両に改良を施したもの。タイヤと前部フェンダーを新型にし、ラジエータードアや操縦手バイザー位置、銃塔に変更を加えている。イギリス陸軍に53両、イギリス空軍に17両が配備された。第二次大戦開戦時にはイギリス本土のダービーシャー義勇農騎兵師団騎兵連隊が50両を装備しており、1941年まで訓練に使用された。参考:月刊アーマーモデリング7,13

ロールスロイス装甲車1921年インド型>:装甲車体を新型に変更し、ドーム型銃塔を装備するタイプ。銃塔には車長用キューポラと4カ所のボールマウント式機銃架がある。参考:月刊アーマーモデリング7,13

ロールスロイス装甲車1924年型>:車体後部の観音開きドアを廃止して両側面に片開きドアを設置したタイプ。イギリス陸軍向けに24両が生産されて中東に送られ、1941年の北アフリカ戦線でも現役だった。参考:月刊アーマーモデリング7,13、世界の軍用車両(4)

ロールプレイ方式>:敵役や民間人役など、割り当てられた役目を演じつつ行う訓練方式のこと。アグレッサーなどはロールプレイ方式の訓練を行うための部隊である。最近では役割を演じるどころか、戦闘想定地域の民間人そのものを演習場に住まわせてしまうこともある。参考:月刊軍事研究11,10

<ローレイ>:K560(フリゲート)を参照。

<ローレット>:AKA-99(攻撃貨物輸送艦)を参照。

<ローレベル・エアディフェンス>:ADATS(ミサイルシステム)を参照。

ローレライ>:ドイツ海軍砲艦。第2次大戦終結後はベルギーに引き渡され、アルベルデとなった。参考:グラフィックアクション44

<ローレンス>:APA-153(攻撃輸送艦)またはDD-250(駆逐艦)またはDDG-4(ミサイル駆逐艦)を参照。

<ローレンス・C・テイラー>:DE-415(護衛駆逐艦)を参照。

<ローレンス・H・ジャイアネラ>:T-AOT-1125(油槽艦)を参照。

ローレンス級>:アメリカ海軍駆逐艦Lawrence級。1898年度計画4クラスの1つで、他の3クラスと違って機関の配置が缶室−機械室−缶室でなく缶室−缶室−機械室となっており、煙突がほぼ等間隔で4本連なっている。また、兵装も7.6cm単装砲が無い。全長75.1m、常備排水量430トン。主機はレシプロ蒸気機関2基2軸8400馬力、計画速力30ノット、公試時速力29ノット。兵装は57mm単装砲7門、45cm魚雷単装発射管2基。DD-9マクドノーなど2隻が竣工した。参考:月刊世界の艦船12,22

ローレンス・リバモア国立研究所>:アメリカの核弾頭設計研究所で、LLNLLawrence Livermore National Laboratory)と略す。カリフォルニア州リバモアにあり、1952年から稼働した。ロスアラモス国立研究所に次いで創設され、ポラリスやポセイドンなどの弾頭を設計した。参考:核兵器事典

ローレンツ盲目着陸装置>:ドイツのローレンツ社が1930年に開発した、28-35MHz帯電波による盲目着陸装置。滑走路の中心線上からやや右にずらして短音モールス信号電波ビームを、やや左にずらして長音モールス信号電波ビームを放射し、互いに僅かに重なるようにする。航空機側がこの電波を受信すると、アプローチコースから右にずれていると長音が、左にずれていると短音が聞こえ、コース上に乗っていると両方が重なって連続音が聞こえ、滑走路に接近すると長音や短音の間隔が短くなっていくので、これを頼りに滑走路に接近していく。有効距離は48km前後。参考:連合軍の傑作兵器駄作兵器

ローレンティック>:イギリスの特設巡洋艦Laurentic。元はイギリスのホワイト・スター・ラインに所属する北大西洋航路船で、1927111日に竣工し、19369月にはパレスチナ独立戦争でイスラエルにイギリス将兵を輸送、第2次大戦勃発で特設巡洋艦に改造された。全長182.9m、幅23m、深さ12.37m、吃水8.92m、総トン数18724トン。主機は三連成汽機2基・低圧タービン1基、出力15000馬力、3軸推進、速力16ノット。船客定員キャビン・クラス594名、ツーリスト・クラス406名、三等500名。1940114日、アイルランド沖でU99の雷撃を受け沈没した。参考:月刊世界の艦船6,19

<ローロー船>:RO-RO船を参照。

ローロール級>:オーロール級(潜水艦)を参照。

<ローワン>:DD-782(駆逐艦)を参照。

<ローン百十馬力発動機>:ロ式一二〇馬力発動機を参照。

<ローンチ・アンド・リーブ>:ファイア・アンド・フォーゲットを参照。

<ロガース・ブラッド>:DE-605(護衛駆逐艦)を参照。

<ロガーヘッド>:SS-374(潜水艦)を参照。

<路外貨物輸送車両>:A7Vファミリーを参照。

鹵獲>:敵兵器を入手すること。詳細な性能分析に使用したり、自国兵器として再利用したりする。参考:戦闘機のしくみ

ロカルノ条約>:1925年に採択された条約で、ドイツとフランス、ベルギーの戦争を禁止するものである。これを監視するため、イギリスとイタリアも条約に加わっていた。参考:月刊軍事研究2,05

<ロカン>:GMI100(機雷)を参照。

ロキ>:カール自走臼砲5号車。

ロキ>:イギリスのキネティック(QuinetiQ)社水中機器部門が開発した魚雷防御用音響デコイLoki。先の丸い円筒型をしており、DL-12T臼砲またはMk36SRBOC発射機から射出され、10.5-90kHzの音響を発信、大出力のランダム雑音を放射して艦船の雑音を覆い隠すジャマー・モードと、複雑な信号を発信して音響ホーミング装置の信号処理機能を飽和させる欺瞞モードにより、音響誘導式魚雷からの防御を行う。プログラム変更も容易で、新たな脅威にも対抗が可能。ノルウェー海軍フリチョフ・ナンセン級フリゲートDL-12Tと共に搭載された。参考:月刊軍事研究6,155,07、月刊世界の艦船1,'15増刊、8,21

<ロキ車>:三式六輪駆動自動貨車を参照。

炉器爆弾>:日本陸軍が研究した爆弾で、陶器メーカーが作っていた耐酸炉器を弾殻に使用したものである。昭和19年に年産40000発を目指していた。参考:日本海軍の爆弾

路橋基地>:中国軍の航空基地。2400m滑走路、掩体15基、耐爆シェルター24基を持つ。参考:月刊軍事研究8,14

ログ>:船舶の速力計のこと。帆船時代、海に投げ入れたログ(木片)が船首から船尾まで流れる時間を測って速力を測定していたことから、こう呼ばれる。参考:月刊世界の艦船9,12増刊

<ログCFAR>:CFAR(定誤警報率)を参照。

<ログFTC>:CFAR(定誤警報率)を参照。

ロク・アドハール>:インド海軍支援給油船Lok Adhar。排水量9231トン。参考:月刊世界の艦船6,83

<六安>:611(コルベット)を参照。

ログ受信機>:入力信号に対して対数(ログ)対応を示すレーダー受信機。小さな信号は高振幅で、大きな信号は低振幅で受信することにより、信号処理能力を高めている。参考:月刊エアワールド4,00

<ロクセイン>:AKA-37(攻撃貨物輸送艦)を参照。

<六盤山>:933(揚陸艦)を参照。

<六盤水>:514(コルベット)を参照。

<ロクマル>:UH-60JA(汎用ヘリ)を参照。

<瀘渓>:840(掃海艇)を参照。

<ロケーテンパンツァーブクセ>:ラケーテンベルファー43(ロケットランチャー)を参照。

<ロケ車>:九八式六屯牽引車を参照。

<ロケット>:H92(駆逐艦)を参照。

ロケット>:Rocket。酸化剤と燃料(両者を併せて推進剤、Propellantと称する)を燃焼室で燃焼させることで内壁に作用する圧力により推進する機関。膨らませた風船の口を離すと口とは反対側に吹っ飛んでいくのと同じ原理である。円柱形の燃焼室の底面にノズルを設け、ガスを噴射させることで、上面との間に圧力差を生じさせて推力を発生させる。他の推進機関に比べて構造が単純で信頼性が高く、運用が容易である。酸化剤を自前で用意しているので超高空や宇宙空間でも推力を維持でき、大気圏の突破も可能。飛翔方向を変える方法には、外付けの操縦翼を使う方式、ノズルに小翼を置いて排気噴出方向を変更する噴流舵/ジェット・ベーン方式、方向転換可能な小型ロケット(ヴァーニア)を追加するヴァーニア方式、ロケットを回転式吊枠(ジンバル)に取り付けて全体の向きを変更できるようにするジンバル方式がある。高々度爆撃機用迎撃戦闘機の主動力としても採用され、Me163などが完成したが、酸化剤タンクの分だけ航続距離が短くなり、実用性に難があった。推進剤の性状によって液体推進ロケットと固体推進ロケット、酸化剤と燃料を混ぜ込んだ一元推進剤ロケットと別のタンクに入れる二元推進剤ロケットに分かれる。人工衛星を軌道に乗せる打ち上げロケットや、ロケット弾のことを指すこともあるので注意。参考:火器弾薬技術ハンドブック、自衛隊装備年鑑1996、月刊世界の艦船3,05、続日本海軍よもやま物語、月刊JWings10,169,14、航空用語事典増補改訂版、月刊軍事研究2,18

ロケット・アシスト弾>:Rocket Assisted ProjectileRAPと略す。噴進弾ともいう。榴弾の底部に推進用ロケットを追加し、発射直後に点火加速して射程を延伸する。射弾撒布にばらつきが出るという欠点がある。参考:月刊PANZER3,98、火器弾薬技術ハンドブック

ロケット弾>:ロケットによる推進力を持つが、誘導装置を持たない弾薬。対戦車ロケットやロケットランチャーなど、「弾」が省かれる事がある。また、ドイツやロシアではミサイルもロケットと呼ぶので注意。大きさの割に発射装置が単純で済み安価という利点があるが、飛翔中に燃料を消費するにつれて重心が変化するので、命中精度に劣る。漢の時代から使用されていた兵器だが、安定翼が横風の影響を受けまくるという欠点があり、均等に燃焼する強力な推進薬が登場する第2次大戦頃まで実用的なロケット弾は配備されなかった。第2次大戦後、ソ連など東側諸国は多連装ロケットシステムの開発に勤しんだが、西側では一般に低調だった。冷戦終結後あたりから誘導装置を後付けした誘導ロケット弾が開発されている。参考:火器弾薬技術ハンドブック、自衛隊装備カタログ1981、丸エキストラ版No.71、月刊丸4,99

ロケット弾攻撃(F−4戦闘機)>:目標の風下側10000-12000フィート(3048-3657m)、高度6500フィート(1981m)で速度200ノットを保ち、左旋回をうって目標と正対。降下角30度でダイブし、高度2700フィート(823m)、速度400ノットでロケット弾を発射する。目標上空1000フィート(305m)を通過した後、左旋回しながら上昇、速度300ノット・高度6500フィート(1981m)に回復したら再攻撃に入る。参考:アメリカジェット戦闘機

ロケット・ベルト>:ベル・エアロスペース社が開発した1名用飛行ロケット。酸化剤に過酸化水素を使ったため補給に手間がかかる、飛行時間21秒・飛翔距離270mで実用性に欠ける、操作に熟練を要するといった欠点があった。参考:月刊PANZER5,83

ロケットボール>:1840-50年代にアメリカで使用された無薬莢銃弾で、弾頭内に発射薬とプライマーを組み込んである。威力に劣るという欠点があり、金属製薬莢の登場で廃れた。参考:世界の軍用銃

<ロケットモータ1形>:自衛隊のロケットモーター。日本工機製。参考:月刊軍事研究5,08

<ロケットモータ3形>:自衛隊の機器。日本工機製。参考:月刊軍事研究12,11

ロケットモーター>:ロケットによる推進装置のこと。主に固体推進ロケットを指す。参考:月刊JWings10,16

ロゲル・デ・ラウリア級>:スペイン海軍駆逐艦Roger de Lauria級。主機はラトー・ブルターニュ式蒸気タービン2基、主缶はフランス式(蒸気圧1平方センチあたり35kg、温度375℃)3基、出力60000馬力。参考:月刊世界の艦船12,21

呂号乙薬>:日本海軍用語で、ロケット用液体推進薬のこと。ロケット戦闘機秋水には甲液/過酸化水素と乙液/水化ヒドラジン混合物からなる呂号乙薬を使用した。参考:月刊丸8,'15別冊、4,99

ロ号乙型水上機>:日本海軍が輸入したモーリス・ファルマン1914年型水上機で、当初はモ式大型水上機と呼ばれていた。主翼は複葉で、コクピット後方にエンジンと推進式プロペラを持つ。全幅19.02m、全備重量1636kg。エンジンはルノー発動機(100馬力)で、最大速度96.3km。乗員3名。参考:月刊丸12,92

ロ号艦本式缶>:日本海軍のボイラーで、イ号艦本式缶の水ドラムに腐食が生じたために採用された改良型である。水ドラム断面を円形にして内圧付加が局所に集中しないようにしてあり、水管は直管とされ、水胴や汽胴との取り付け部分にのみ曲がりを付けて接合を簡単確実にした。水管は当初外径50.8mm以上だったが、加賀型戦艦に搭載予定のものは44.5mm以下に小型化して本数を増やし、缶数や缶室スペースを節約しながら伝熱面積を増加させている。参考:月刊丸11,09、日本駆逐艦史

蘆溝橋事件>:昭和12772230過ぎ、蘆溝橋(Marco Polo Bridge)付近で夜間演習中の日本軍豊台駐屯部隊歩兵第1連隊第3大隊第8中隊の演習対抗部隊が軽機関銃で空包射撃を行っていたところ、中国第29軍と思われる部隊が数発の銃弾を撃ち込み、中隊の初年兵1名が行方不明になった。一木第3大隊長は連隊長と連絡を取り、780020、牟田口連隊長は大隊に全力出動を下命。0320、大隊が現場に到着したが、そこに更に銃弾が撃ち込まれ、これに応戦して中国軍と戦闘になり、日本軍は竜王廟を占領、0900に停戦した。1842、支那駐屯軍司令官は事件の拡大防止を命ずる臨命第四百号を発令した。事件発生のタイミング的には陸軍歩兵部隊2年兵が710日に除隊となり陸軍兵力が半減する直前で、京都より西の師団に所属する2年兵は除隊延期となっている。この時蘆溝橋付近の300km正面には12000人の在留邦人がおり、支那駐屯軍は文官含め6000名弱しかいなかったため、3個師団を増派して邦人保護を行うこととした。710日、国民政府蒋介石総統が軍政首脳部会議を開催し、全航空部隊に動員令を下命、中央軍第43師を北上させた。日本陸軍は関東軍から独立混成旅団2個、朝鮮軍から第20師団を派遣することを決定。711日、日本政府が華北出兵の声明書を発表。しかし現地部隊、北平特務機関、中国軍第29軍顧問などが奔走し、現地部隊間では停戦協定が結ばれた。日本政府も当初の不拡大方針を諦めず、718日には第29軍と支那駐屯軍との間で武力衝突回避が確認されたが、前日の717日には北上中の国民政府軍が徹底抗戦を表明、719日の南京政府の声明や中国共産党の指導で抗日意識が高まった。7252330、天津と北平の間にある郎坊で電線修理と鉄道補修を行っていた歩兵1個中隊が中国軍の攻撃を受け、6名が負傷。7260100、日本軍は内地から第5・第6・第10師団の増派を決定した。また、北平城内にいる2000人の在留邦人及び警備の歩兵2個中隊に対して天津から1個大隊の増派を行い、1900に到着したが、到着早々に銃撃を受けている。728日に支那駐屯軍の攻撃が始まり日華事変の口火が切られ、813日には上海に戦火が拡大した。参考:月刊軍事研究12,06、戦時用語の基礎知識、日本赤十字社社史稿第5巻

呂号甲薬>:日本海軍用語で、ロケット用固体推進薬のこと。参考:月刊丸8,'15別冊、4,99

<ロ号甲型水上偵察機>:横廠式水上偵察機を参照。

ろ号作戦>:太平洋戦争中の昭和18年夏、い号作戦終了後も南方戦線の戦況は悪化の一途を辿り、日本軍は南部ソロモン諸島を放棄して戦線を整理。東部ニューギニアでも連合軍の圧迫を受け、海軍基地航空隊拠点ラバウル飛行場のあるニューブリテン島が孤立しかねない状況に陥った。これを防ぐべく、東部ニューギニア方面に航空撃滅戦を仕掛けることになったが、基地航空隊の第11航空艦隊は定数544機に対して実動134機くらいだったため、第1航空戦隊空母瑞鶴・翔鶴・瑞鳳飛行隊(零戦82機、艦爆45機、艦攻40機、艦偵6機)の投入も決定、ろ号作戦と命名した。1027日のモノ島上陸に始まるアメリカ軍の北部ソロモン反攻を受け、第1航空戦隊の航空戦力全てをラバウルの陸上基地に進出させることになった。1028日、ろ号作戦が発動された。参加戦力は第11航空艦隊第25航空戦隊(第251・第253・第702・第751航空隊)、第26航空戦隊(第201・第204・第501・第582航空隊)、第151航空隊、第1航空戦隊翔鶴・瑞鶴・瑞鳳飛行隊で、総機数773機、可動機数370機である。第11航空艦隊第22航空戦隊はマーシャル諸島に配置されており、ろ号作戦には加わっていない。更に基地航空隊を増強するため、千島方面の飛行艇以外の航空兵力を引き抜く内示が出された。東部ニューギニア方面での航空戦に備え、第201航空隊司令部がブーゲンビル島ブインからブカに移動。1031日、ラバウルに2回の空襲警報が発令された。0830、日本軍哨戒機が輸送船33隻、駆逐艦10隻、巡洋艦4隻からなる連合軍上陸船団を発見。1300、第1航空戦隊艦上機が上陸船団攻撃のため出撃。1440、日本軍哨戒機がシンボ島西に駆逐艦4隻と輸送船12隻、モノ島南に駆逐艦4隻、巡洋艦4隻、輸送船12隻、モノ島西に駆逐艦8隻と輸送船12隻を発見。夕方になり第5戦隊などがラバウルを出港したが、悪天候で連合軍を発見できず、艦上機と共に引き返した。2000、ブカ島に巡洋艦4隻と駆逐艦4隻による艦砲射撃が加えられた。2300過ぎ、連合軍がシイド島に上陸したという報告が入った。111日、連合軍がブーゲンビル島タロキナに上陸。ブーゲンビル島沖にはこれを支援する空母機動部隊(CV-3サラトガ、CVL-23プリンストン)が遊弋しており、日本海軍航空部隊は東部ニューギニアではなく、こちらに航空攻撃を仕掛けることになった。1400、第1航空戦隊司令部と艦上機(翔鶴飛行隊零戦32機、艦爆23機、艦攻16機、艦偵3機、瑞鶴飛行隊零戦32機、艦爆22機、艦攻16機、艦偵3機、瑞鳳飛行隊零戦18機、艦攻8機)がトラックからラバウル(翔鶴零戦隊はブナカナウの西飛行場、瑞鶴・瑞鳳零戦隊はラクナイの東飛行場)に進出し、基地航空隊と合流。112日、ブーゲンビル島沖海戦。続いて第1航空戦隊艦戦65機、艦爆18機、基地航空隊艦戦24機が連合軍上陸部隊に航空攻撃を掛け、急降下爆撃により軽巡モントペリアに爆弾2発を命中させて損傷させた。日本海軍側は艦爆6機を撃墜されている。再出撃を予定したものの、アメリカ陸軍B-25爆撃機75機とP-38戦闘機80機がラバウルを襲撃し、第1航空戦隊零戦58機と基地航空隊零戦57機で迎撃したが、18機を失って追撃は中止となった。113日、アメリカ機動部隊は燃料補給のため後退。悪天候もあり、航空部隊は上陸地点のみを攻撃した。114日、悪天候のため航空部隊は出撃できなかった。115日、第1次ブーゲンビル島沖航空戦。0900過ぎ、敵機大編隊を発見したとの報告を受け、西飛行場から翔鶴零戦17機、第201航空隊零戦13機、東飛行場から瑞鶴・瑞鳳零戦15機ずつ、第204航空隊零戦11機が出撃(第253航空隊は不詳)。0920CVL-23プリンストン搭載のVF-23所属F6F-3艦戦19機、SBD5艦爆、TBF1艦攻がラバウルに来襲。0940CV-3サラトガ搭載のVF-12所属F6F艦戦33機、SBD艦爆、TBF艦攻がラバウルに来襲。その後東部ニューギニアのトボデュラを出撃したP-38戦闘機67機、B-24爆撃機・B-17爆撃機計90機(ほぼB-24)がラバウルに来襲。その後、少しでも迎撃高度をとる時間を短縮するため、第1航空戦隊の戦闘機隊は全て標高の高いラバウル西飛行場に配置された。116日、駆逐艦輸送によりブーゲンビル島タロキナ岬に陸軍部隊を逆上陸させた。117日朝、ラバウルに戦闘機20機・爆撃機20機来襲の警報が出され、翔鶴飛行隊零戦12機、瑞鳳飛行隊零戦12機、瑞鶴飛行隊零戦14機、第26航空戦隊零戦54機が1000までに出撃し、P-38戦闘機64機とB-24爆撃機25機を迎撃した。日本海軍の損害は着陸時の1機大破、アメリカ軍の損害はP-38戦闘機5機被撃墜だった。空戦終了後にF6F戦闘機2機が西飛行場に奇襲の機銃掃射をかけ、日本海軍パイロット1名が戦死している。118日、第2次ブーゲンビル島沖航空戦。千島方面航空兵力の南方転進命令が正式に発令された。1111日、第3次ブーゲンビル島沖航空戦。ここで第1航空戦隊戦力が大ダメージを受けたため、1112日に古賀連合艦隊司令長官が連合艦隊電令作第799号でろ号作戦終了を下命、第1航空戦隊艦上機はトラックに引き上げた。代わりに千島方面の第281航空隊零戦16機と第531航空隊天山12機、内南洋の第551航空隊九九式艦爆25機が基地航空隊に増強されており、引き続きブーゲンビル島沖に出撃している。1113日、第4次ブーゲンビル島沖航空戦。1117日、第5次ブーゲンビル島沖航空戦。第1航空戦隊は零戦82機、艦攻40機、艦爆45機、艦偵6機が進出したが、零戦43機と搭乗員24名、艦攻34機と搭乗員81名、艦爆38機と搭乗員70名、艦偵6機と搭乗員6名を失い、投入戦力の70%を喪失、パイロットも飛行隊長及び分隊長を中心に50%363名中181名)を失い、飛行隊の編成が困難な状況に陥り、マリアナ海戦に至っても損耗の補充が不完全であった。第11航空艦隊は作戦終了時に艦戦66機、夜間戦闘機2機、艦爆37機、艦攻22機、陸攻30機、水偵15機、陸偵1-2機の実動戦力を保持していたが、東部ニューギニアもタロキナに対しても何も出来ない状態だった。アメリカ海軍はこれまで敵陸上航空部隊の活動圏内に陸上航空基地より脆弱な空母を進出させない方針を採っていたが、ろ号作戦に対抗する際はラバウル航空隊の活動圏内に侵入して対応、陸上航空部隊の活動圏内でも空母による作戦が可能であることを掴み、以降は遠慮無く空母機動部隊を送り込むようになった。日本軍はアメリカ空母機動部隊の分厚い艦隊防空網を突破できず、戦果を挙げられなくなり、最終的に特攻に頼らざるを得なくなってしまった。参考:ラバウル航空戦、日本海軍艦隊総覧、歴史群像8,15、第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊世界の艦船9,1411,15

<瀘沽湖>:962(補給艦)を参照。

<ロコテネントゥ・ルプ・ディネスク>:25(掃海艇)を参照。

ロコテネントゥ・レムス・レプリ級>:ルーマニア海軍掃海艇Locotenent Remus Lepri級。国産艇で、哨戒艇としても使える。全長59.2m、満載排水量803トン。速力17ノット。兵装は30mm連装機関砲2基、5連装対潜ロケット発射機2基。2番艇艇番号25ロコテネントゥ・ルプ・ディネスクなど4隻が1987-89年に就役した。参考:月刊世界の艦船5,18

ロコンプ>:ディベロップメント・サイエンシズ社が開発したRPV。推進はジェットで、飛行速度マッハ0.82。参考:スパイ機

<ロザー>:K224(フリゲート)を参照。

ロサ弾>:震洋一型改一や哨戒特務艇に搭載された120mmロケット弾で、ロサはロケット式散弾の略。弾頭には黄燐散弾60個が詰めてあり、水上艦や潜水艦の機銃員、砲手、見張り員などを殺傷する。全長730mm、直径120mm、重量23.9kg。弾体後部500mmの部分に推進薬を収容する。飛翔開始後3秒(飛翔距離600m)で炸裂する信管が付く。十二サンチ単装噴進砲(震洋用)、二〇糎噴進砲1型/2型/3型といった単装発射機に装填される。十二サンチ噴進焼霰弾と同じ?参考:小艦艇入門、月刊軍事研究9,04、月刊丸4,992,12別冊付録

<ロザラム>:H09(駆逐艦)を参照。

ロサレス>:アルゼンチン海軍フリゲートRosales20171115日に行方不明になったアルゼンチン海軍潜水艦S-42サン・ファンの捜索に参加。参考:月刊世界の艦船2,18

<魯山>:942(輸送艦)を参照。

<ロサンゼルス>:CA-135(重巡洋艦)またはSSN-688(原潜)を参照。

ロサンゼルス級攻撃原潜シリーズ>:アメリカ海軍攻撃型原子力潜水艦Los Angeles級。空母機動部隊に随伴してソ連原潜(ヴィクター級は水中速力32ノットを誇る)を迎撃できる水中速力を発揮しつつ、ソ連原潜に探知されない静粛性を持ち、ソ連攻撃原潜を圧倒すると共に、ソ連SSBN追尾、敵基地近くでの作戦、対艦攻撃、機雷敷設、ISR、特殊部隊員輸送も行える攻撃原潜として開発され、1976-96年に62隻が就役した。艦名が従来の魚の種類ではなく都市の名前になっているのは、リッコーヴァー提督の発案で議員の票集めに使えるようにしたためで、異論を唱えた部下に対して魚は票にならないと怒鳴ったらしい。SSN-700SSN-701SSN-715SSN-772グリーンヴィルなど5隻は1995-96年に特殊作戦能力付与改装を受け、セイル直後にDDS1基を積めるようにし(テスト期間含め1-3日かかる)、SEALs輸送用潜水艇SDV1隻またはCRRC4隻を搭載可能とした。参考:世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、アメリカ潜水艦史、月刊世界の艦船5,141,178,18

ロサンゼルス級フライトT>:水中高速性能にものを言わせて空母戦闘群航路の事前哨戒や水上・水中情報収集を行うのが主任務で、船体長・幅比を10.9と細長くし、セイルを極力小型化して抵抗を減らした。耐圧船殻はHY-80高張力鋼製単殻構造で、船殻前後にバラストタンクがある。直径33フィート(10.1m)の船体には吸音コーティングが施されており、船体右舷上部にTASSケーブルを収容するコブが付いている。耐圧船殻内は前後2区画に分かれていて、前部に発令所、居住区、武器管制室、魚雷室、後部に原子炉、蒸気タービンがあり、耐圧船殻外前後にメイン・バラスト・タンクを配置した。セイルが小さいのでセンサーやシュノーケルは並列配置にするなど工夫して収容したが、セイル・プレーンの旋回機構を設けることができず、氷海での浮上が困難になった。搭載するソナーシステムはAN/BQQ-5A(V1)で、AN/BQS-13艦首球形ソナー、AN/BQG-5広開口側面アレイソナー、TASSAN/BQS-15高周波近距離ソナー(セイル前面)から構成されており、後にAN/BQQ-5D/-5Eに換えられた。TASSAN/BQR-23/-25AN/BQR-15?)で、上構右舷側に鞘を持ち、オーバーホールの際にTB-23/-29に換装している。セイル前面にはAN/WLR-9またはAN/WLR-12ソナー音波受信警戒装置を搭載しており、これも後にAN/WLY-1に換えた。セイルからは18型捜索潜望鏡(テレビカメラ、ESMアンテナ、通信アンテナ組み込み)、2型攻撃潜望鏡(測距レーダー組み込み)、AN/BPS-15航海レーダー(後にAN/BPS-5またはAN/BPS-16に換装)、AN/BQR-19航海ソナー、AN/BRD-7方向探知機、AN/WLR-1HまたはAN/WLR-8(V)2電波探知機(後にAN/BLQ-10に換装)が突き出す。戦闘システムはCCS Mk2Mod0で、ソナーなどを一纏めにした戦闘システムはAN/BSY-1と呼ばれ、UYK-7中央コンピュータでソナーデータを処理した後、Mk113Mod0SSN-699まで。後にトマホーク対応のMk117に換装)またはMk117攻撃指揮装置(SSN-700以降)に送って攻撃を行う。25番艦SSN-712アトランタ以降は魚雷発射管から発射できるトマホークが搭載できるようになり、以前の型にも遡って装備された。全長110.3m、全幅10.1m、吃水9.9m、水上排水量6082トン、水中排水量6927トン。主機は原子力蒸気タービン方式、S6G原子炉1基・蒸気タービン2基、出力35000馬力、1軸推進、水上速力20ノット、公式発表水中速力25ノット(実際には32ノット前後、一説には33-37ノット)、安全潜航深度244m300m?)、試験深度290m、圧壊深度450m。兵装は533mm魚雷発射管Mk67が4門(艦前部両舷2門ずつ。魚雷・トマホーク計26本。当初ハープーンも運用したが、後に廃止)。乗員133名。SSN-688ロサンゼルス、SSN-689バトン・ルージュ、SSN-690フィラデルフィア、SSN-691メンフィス、SSN-692オマハ、SSN-693シンシナティ、SSN-694グロトン、SSN-695バーミンガム、SSN-696ニューヨーク・シティ、SSN-697インディアナポリス、SSN-698ブレマートン、SSN-699ジャクソンビル、SSN-700ダラス、SSN-701ラ・ホーヤ、SSN-702フェニックス、SSN-703ボストン、SSN-704ボルティモア、SSN-705シティ・オブ・コーパス・クリスティ、SSN-706アルバカーキ、SSN-707ポーツマス、SSN-708ミネアポリス・セント・ポール、SSN-709ハイマン・G・リッコーヴァー、SSN-710オーガスタ、SSN-711サンフランシスコ、SSN-712アトランタ、SSN-713ヒューストン、SSN-714ノーフォーク、SSN-715バッファロー、SSN-716ソルトレイクシティ、SSN-717オリンピア、SSN-718ホノルルの31隻が1976-1985年に竣工した。後にソナーシステムをAN/BQQ-10に換装した。参考:世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、アメリカ潜水艦史、月刊世界の艦船6,134,04増刊、2,13、月刊軍事研究5,03、月刊丸1,983,90、ザ・マーチ33号、39

 <ロサンゼルス級フライトU>:32番艦以降。艦首ソナーと耐圧船殻の間(元は艦首バラストタンク区画)にトマホーク用Mk36Mk32?)VLS12セルを追加、魚雷発射管から発射する12発と合わせてトマホーク24発を運用できるようにした。サブロックの搭載能力は持たない。戦闘システムはCCS Mk2 Mod1に変更されたが、攻撃指揮装置はMk117のままで、トマホークは3発斉射が限界である。原子炉は炉心がD1G-2からD2Wに換装され、退役まで燃料交換の必要が無くなっている。SSN-719プロヴィデンス、SSN-720ピッツバーグ、SSN-721シカゴ、SSN-722キー・ウエスト、SSN-723オクラホマシティ、SSN-724ルイヴィル、SSN-725ヘレナ、SSN-750ニューポート・ニューズの8隻が1985-1989年に竣工した。ソナーシステムをAN/BQQ-10に換装する改修が進行中である。参考:世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、月刊軍事研究10,03、現代の潜水艦、アメリカ潜水艦史、月刊世界の艦船6,131,10

 <ロサンゼルス級フライトV>:40番艦以降で、改ロサンゼルス級、サン・ファン級、688i級(発達型688級、688Improved)ともいう。ソ連戦略原潜が北極海に潜んで攻撃してくる可能性が高まったため、セイル・プレーンを廃止してセイル自体も強化、氷を叩き割って浮上できるようにし、氷海での行動能力を向上させたものである。潜舵は船体前部に折り畳み式で搭載している。静粛性も高めてあり、アクティブソナーの反射を減らすため、吸音タイルを追加した。戦闘システムはCCS Mk2 Mod2、射撃指揮装置はAN/BSY-1AN/BSY-2?)で、ソナーシステムは最初からAN/BQQ-5Eを装備、TASSTB-29を搭載し、セイルにAN/BQS-24機雷・氷塊探知ソナーを装着する。セイル内部にAN/BRA-34多機能通信マスト2本、18型捜索用潜望鏡(右舷側)、タイプ8Mod3/タイプ2/タイプ22汎用潜望鏡(左舷側。頂部にAN/USC-38(V)1アンテナ装着)、AN/BRD-1/-7ESMマスト、AN/WLR-8(V)6ECM及びAN/WLR-10レーダー警戒装置内蔵マスト、OE-315(V)浮上アンテナを収容している。Mk36VLSからトマホークを発射する際には深度60フィート(18.3m)に上昇して速力を3-5ノットとし、通信アンテナで目標諸元などを受領、ミサイルに必要な情報を入力し、VLSのハッチを油圧で開放、VLS底部のコールドランチ用火薬が燃焼してトマホークが透明プラスチック保護膜を突き破り海中に押し出され、25フィート(7.62m)上昇したところでトマホークのロケットブースターに点火、海面から空中に飛び上がる。全長109.7m、幅10.1m、吃水9.9m、基準排水量6900-7011トン、水中排水量7124トン。主機は原子力蒸気タービン方式で、S6G原子炉1基・蒸気タービン2基、出力35000馬力、1軸推進(SSN-768以降はポンプジェット)、水中速力33ノット。潜航深度450m。兵装は533mm魚雷発射管Mk67が4門(Mk48長魚雷・ハープーン・トマホーク26本。Mk60/Mk67機雷の敷設も可能)、トマホーク用Mk36VLS12セル(Mk34?艦前部。外舷2セルずつ、内舷4セルずつが縦に並んでおり、外舷側のハッチは外開き、内舷側のハッチは内開き)。乗員143名(134名?)。価格は1993年で7億5000万ドル。SSN-753オルバニーとSSN-754トペカはシーウルフ級攻撃原潜のテストとしてHY100鋼を部分的に使用している。SSN-751サン・ファン、SSN-752パサデナ、SSN-753オルバニー、SSN-754トペカ、SSN-755マイアミ、SSN-756スクラントン、SSN-757アレクサンドリア、SSN-758アシュビル、SSN-759ジェファーソン・シティ、SSN-760アナポリス、SSN-761スプリングフィールド、SSN-762コロンブス、SSN-763サンタフェ、SSN-764ボイシ、SSN-765モントピーリア、SSN-766シャルロット、SSN-767ハンプトン、SSN-768ハートフォード、SSN-769トレド、SSN-770ツーソン、SSN-771コロンビア、SSN-772グリーンヴィル、SSN-773シャイアンの23隻が1988-96年に竣工した。ソナーシステムをAN/BQQ-10に換装する改修が進行中。参考:月刊軍事研究5,033,99、世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、アメリカ潜水艦史、月刊世界の艦船6,134,154,1611,162,101,106,175,'22THE MILITARY BALANCE 2016

ロシア>:ソ連アルクティカ級原子力砕氷船3番艦Rossiya1985年竣工、北極海航路に就航した。2013年に退役した。参考:月刊世界の艦船3,00、月刊軍事研究11,18

ロシア>:ソ連海軍11641型ミサイル巡洋艦Rossia1987811日艦籍編入。1230日、オクチャブルスカヤ・レボルチヤ(Oktybrskaya Revoltsiya)に改称された。19881115日起工。建造中止となり、1990104日に除籍されて解体された。参考:ソ連/ロシア巡洋艦建造史

ロシア宇宙軍>:ロシア軍の独立兵科Voenno Kosmicheskikh SilVKS)。1992年、戦略ロケット軍が管轄していた宇宙作戦を担当する参謀本部直轄の独立兵科(軍種ではない)として、ロシア宇宙手段司令官局から改編されて創設された。19977月、戦略ロケット軍の隷下となった。20011月、弾道ミサイル防衛システム、敵衛星破壊システム、味方衛星運用システムなどを統合して再度独立兵科となった。略称はKVKosmicheskie Voiska)で、軍民の人工衛星開発、打ち上げも一手に引き受ける。2004年にはアクノー宇宙空間光学電子管制システムを完成させた。隷下に第45宇宙管制師団、第1ミサイル警戒師団、第9ミサイル防御師団などを置く。201112月、ロシア航空宇宙防衛軍に改編された。参考:月刊航空ファン11,15、月刊軍事研究3,087,125,131,16、月刊JWings6,09

ロシア宇宙手段司令官局>:UNKSと略す。ソ連宇宙手段総局が1986年に改編されたもので、ソ連国防省の隷下にある。1992年、ロシア宇宙軍に改編され、参謀本部直轄の独立兵科になった。参考:月刊航空ファン11,15

ロシア海軍>:1682年にピョートル一世が創設した。1689年、スウェーデン海軍を撃破してバルト海を制圧。18世紀後半に黒海艦隊を創設し、トルコ海軍を撃破して黒海を制圧した。1803-06年、世界一周航海を実施。1853年、クリミア戦争でトルコ海軍に勝利したが、1854年に英仏艦隊により壊滅させられた。19世紀後半、水雷艇による自走魚雷攻撃で敵艦を撃沈することに世界で初めて成功した。1904年、戦艦23隻(1万トン以上10隻、7千トン以上10隻、それ未満3隻)、巡洋艦17隻(6千トン以上4隻、3600トン以上8隻、1500トン以上5隻)など総トン数80万トンの艦船を保有していたが、1905年の日本海海戦で主力艦艇のほぼ全てを喪失してしまった。第1次大戦開戦時にはド級戦艦11隻、旧式戦艦6隻、一等巡洋艦6隻、軽巡洋艦8隻、駆逐艦105隻、潜水艦25隻を保有しており、潜水艦に注目してイギリスと共同で通商破壊作戦を行った。ロシア革命では革命軍側に立つ行動が目立ったため、革命政府樹立後は一旦高い地位を与えられ、1918212日に社会主義労農赤色艦隊という名称を与えられている。しかし1920年以降、内部で反革命運動が起きたため、将兵の6分の1が追放され、1923年には海軍要員の7割が共産主義青年同盟員で占められるに至った。戦力も戦艦2隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦15隻、潜水艦9隻のみで、将校団に含まれていた海軍技官はいなくなり造船所は破壊工作とサボタージュで壊滅、沿岸防備を主任務とする方針とされてしまい、潜水艦、哨戒艦、駆逐艦などが主な建造艦とされた。1932年、M級潜水艦が竣工開始。スターリン政権掌握後の1930年代半ばから海軍総司令部の提案が政府に承認されるようになり、第2次大戦勃発までに533隻の艦船が起工され、1937年から漸く大型巡洋艦や戦艦の建造を開始したが、海軍トップや設計官が粛正の対象となったため空母や軽巡、防空巡洋艦といった艦艇の整備は遅れてしまった。19365月、艦隊造成計画で1946年までに戦艦15隻や重巡15隻などを建造することにした。19371230日、海軍省が創設された。1939年、艦隊造成計画を現実的なものに修正し、1947年までに戦艦6隻と重巡4隻を建造することにした。第2次大戦勃発までに引き渡されたのは軽巡4隻、嚮導駆逐艦6隻、駆逐艦30隻、警備艦18隻、掃海艇38隻、敷設艦1隻、砲艦8隻、潜水艦206隻の計311243200トンだった。また、戦艦3隻、重巡2隻、軽巡10隻、嚮導駆逐艦2隻、駆逐艦45隻、警備艦15隻、掃海艇25隻、砲艦6隻、敷設艦10隻、駆潜艇10隻、潜水艦91隻が建造中だったが、第2次大戦が開始されると主力艦の資材が陸上兵器用に回され、海軍は陸軍の支援に使われて艦艇はあまり活躍していない。第2次大戦終戦時、キーロフ級重巡6隻、チャパエフ級軽巡5隻、駆逐艦33隻、潜水艦77隻を保有していた。終戦直前の1945722日の海軍記念日に、スターリンが演説で大海軍主義を発表しており、重巡から魚雷艇まであらゆる艦艇をバランス良く建造する方針とした。ただパルチザン戦にも対応できるよう小型艦や潜水艦も大量に配備しており、1950-53年にスコーリイ級駆逐艦を50隻、1951年からコラ級フリゲート、1951-57年に613型潜水艦を240隻も造っている。1950-51年、チャパエフ級巡洋艦5隻が竣工。1950年、海軍省を復活させた。1951年、スターリングラード級巡洋戦艦を起工。朝鮮戦争で強大な空母艦隊を持つアメリカに対抗する必要性を認識したため、ハリネズミのように武装した水上艦艇や空母を造り、1200隻の潜水艦を造る計画を立てた他、核開発も急いだ。1954年、海軍総司令部に暗号解読担当の特別部を編成。スターリンの死去で大艦隊計画は頓挫し、フルシチョフ政権下で海軍省は廃止されて国防省に組み込まれ、旧式大型水上艦や潜水艦の整理が進められ、空母艦上機に替わる戦力として対艦ミサイルや弾道ミサイルの開発に勤しんだ。また、原子力対潜艦と原子力防空艦をセットで運用してアメリカ原潜に対抗する二隻戦法を考え出したが、全原潜を阻止するのに50隻以上かかることが判明、実現不可能として放棄された。611型潜水艦、A615AIP潜水艦が就役開始。1955年、NATO海軍に対抗して海外基地を維持するのが困難であるとして、フィンランドのボルカラ基地や旅順基地を廃止した。コトリン級駆逐艦が就役開始。1956年、海上作戦の主体は対陸上作戦にあるという方針を発表し、敵攻撃空母や戦略原潜を先制撃破したり、強襲上陸作戦を阻止したり、沿岸海上交通を防衛したりするのが主任務であるとした。戦略原潜に対抗するため、攻撃潜水艦を大量に製造している。1958年、初の原潜である627型攻撃原潜の配備を開始。629型弾道ミサイル潜水艦が就役開始。ソ連初の対艦ミサイル搭載艦であるキルディン型4隻が就役。1960-61年、クルップニイ型ミサイル駆逐艦8隻が就役。1961年、658型戦略原潜8隻が就役開始。1962-65年、キンダ級ミサイル巡洋艦4隻が就役。1962-73年、カシン級対潜艦20隻が就役。1962年のキューバ危機でアメリカ海軍に太刀打ちできないことが判明したため、海軍の増強を開始。対潜能力を重視した水上艦を建造するようになった。1963年、中央情報局直属の指揮センターを開設。地中海艦隊を創設し、外洋海軍への転換を開始した。645型攻撃原潜1隻が就役。675型攻撃原潜29隻が就役開始。1964年、無線電子情報担当の特務センターを海軍総司令部に設置。カシン級駆逐艦20隻が就役開始。1966-76年、アリゲーター級揚陸艦14隻が就役。1966年、海軍総司令部に中央情報センターを設置。1967年、モスクワ級航空巡洋艦2隻、クレスタT級ミサイル巡洋艦4隻、667A型戦略原潜、671型攻撃原潜が就役開始。1968年、巡洋艦19隻、駆逐艦・護衛艦181隻、SSN51隻、在来型潜水艦279隻、戦略型潜水艦38隻、哨戒艦艇150隻、揚陸艦艇368隻、機雷戦艦艇220隻を保有していた。1968年、670型巡航ミサイル原潜、カニン型ミサイル駆逐艦、アムール級工作艦29隻が就役。1969-77年、クレスタU級ミサイル巡洋艦10隻が竣工。1969年、リビア革命でアメリカ以上に多数の艦艇を地中海に派遣して革命を支援した。661型実験原潜1隻が就役。ナヌチュカ級ミサイル艇38隻が就役開始。1970年代にはいち早く対艦ミサイルに対する近接防御兵器を搭載している。1970年からナチャ級掃海艇40隻以上が就役。1970-78年、ボリス・チリキン級補給艦6隻が就役。1970-82年、クリヴァクT級フリゲート21隻が就役。1970年、オケアン70演習を実施。太平洋、大西洋、地中海で全艦隊全兵種が参加した。1971年、705型攻撃原潜1隻が就役。641型潜水艦が就役開始。1972年、667B型戦略原潜18隻が就役開始。1973-89年、ソルム型航洋曳船41隻が竣工。1973-95年、ソーニャ級掃海艇が竣工。1973年、海軍は平時にもソ連や社会主義国家の権益を保護し、社会主義と革命運動を支援し、局地戦や紛争を抑止する任務を持つとした。SLBMの数がアメリカを超えた。1975-82年、クリヴァクU型フリゲート11隻が就役。1975-84年、イングル級救難曳船4隻が就役。1975-87年、キエフ級空母4隻が就役。1975年、海軍総参謀情報局を創設。オケアン75演習を実施。北海からインド洋までを演習海域に設定し、西側石油輸送ルートのアデン湾にも20隻の艦艇を集結させた。ソマリアに8500トン浮きドック(クレスタ級を修理可能)を設置。667BD型戦略原潜4隻、ロプーチャT型戦車揚陸艦が就役開始。1976年、667BDR型戦略原潜14隻が就役開始。1977年、ベレジナ級補給艦1隻が就役。マトカ級ミサイル艇20隻が竣工開始。1978年、705K型攻撃原潜6隻、イワン・ロゴフ級輸送揚陸艦3隻が就役開始。1979年からタランタル級ミサイル艇が就役。1979年、空母1隻、巡洋艦37隻、駆逐艦・護衛艦195隻、攻撃原潜80隻、在来型潜水艦80隻、戦略型潜水艦91隻、哨戒艦艇50隻、揚陸艦艇351隻、機雷戦艦艇265隻を保有していた。1980年代にはP700長射程ミサイルを搭載した大型艦を建造。1980年、保有トン数(577.1万トン)がアメリカ(571.6万トン)を超えた。ちなみに保有艦艇数はアメリカが740隻、ソ連は2740隻であった。1980年からソブレメンヌイ級17隻が就役。1980-88年、オビ型病院船4隻が竣工。1981年、949SSGN2隻、エルブラス型潜水艦救難艦3隻が就役開始。198127日、演習を終えてウラジオストクに戻る太平洋艦隊司令官を乗せたTu-104が、レニングラードを離陸した直後に墜落し、司令官を含む将官16名と士官50名が死亡した。1982-89年、スラヴァ級ミサイル巡洋艦3隻が就役。1983-91年、ウダロイT級12隻が就役。1984年、685型原潜1隻が就役。945型原潜4隻が就役開始。1984-93年、クリヴァクV型フリゲート7隻が就役。1985年、667BDRM型戦略原潜が就役開始。1986年、949ASSGN11隻、ズブル級揚陸艇6隻が就役開始。パルヒムU級警備艦12隻が東ドイツから引き渡された。10月、北朝鮮領海内で初となる北朝鮮海軍との共同演習を実施。北朝鮮からは艦艇30隻、航空機26機が参加し、ソ連からは艦船10隻、航空機12機が参加した。1988年、971型攻撃原潜14-15隻とゴーリャ級掃海艦2隻が就役開始。1989年からダーガチ級ミサイル艇2隻が竣工。1989年、潜水艦323隻(戦略ミサイル原潜61隻、巡航ミサイル原潜46隻、攻撃原潜68隻など)、主要水上艦227隻(空母5隻、巡洋艦43隻、駆逐艦・フリゲート179隻)を保有していた。1990年、空母アドミラル・クズネツォフが就役。636型キロ級潜水艦が就役開始。1991年、兵力は45万名で、SSBN60隻、SSGN44隻、SSN65隻保有していた。199212月にソ連が崩壊し、その後は予算不足で艦艇の廃棄処分及び行動不能状態が続いていた。1993-2001年、09710型アクラU級原潜5隻が就役。1993年からネウストラシムイ級フリゲートが就役。19932月、ウラジオストクの士官候補生学校で栄養失調により20名以上が入院し、うち4名が死亡、太平洋艦隊司令官が更迭された。199611月、太平洋艦隊司令官が来日し、インタビューの中で自分自身が3ヶ月の給料遅配に遭っていると述べた。1998123日、セルゲーエフ国防相が、近い将来空母を建造する計画は無いと発表。7月、初の日ロ共同訓練を実施。プーチン大統領就任後は海軍戦力の立て直しを図っており、大西洋や地中海での作戦行動を行っている。1999年、ウダロイU型1隻が就役。潜水艦72隻(SSBN18隻、SSGN8隻、SSN20隻、ディーゼル潜水艦18隻など)、水上艦79隻(空母1隻、巡洋艦7隻、駆逐艦・フリゲート71隻)を保有していた。2001年、ロシア連邦の海洋ドクトリンが制定され、ロシア海軍の主任務がロシア及び同盟国に対する海洋からの脅威・侵略の抑止及び排除、海洋におけるロシア国境防衛、領海・排他的経済水域・大陸棚・大洋での経済活動その他の権益保護と定められた。兵力は17.15万名で、SSBN17隻、SSGNを6隻、SSN15隻保有していた。2002年、賃貸料が払えなくなったため、ベトナムのカムラン湾から撤退した。2003年、SSBNによる戦略パトロールが再開され、2回を実施した。5月、太平洋艦隊と黒海艦隊所属の9隻に潜水艦3隻を加えてインド洋において過去10年間で最大の艦隊展開訓練を実施。2003-12年、ゲパルト3.9級フリゲート2隻が就役。2004年、SSBNによる戦略パトロールを2回実施。10月、中部太平洋で空母、ミサイル巡洋艦、駆逐艦など水上艦6隻と潜水艦による演習を実施。2005年、SSBNによる戦略パトロールを3回実施。2006-12年、プロジェクト21630ブヤン型コルベット3隻が就役。2006年、兵力は14.2万名で、SSBN15隻、SSGNを8隻、SSN18隻保有していた。2月、地中海でNATOが実施している対テロ作戦アクティブ・エンデバーに黒海艦隊巡洋艦モスクワが参加。6月から、アクティブ・エンデバーにフリゲート2隻がローテーション参加することになった。2007年、ステレグシシイ級が就役開始。12月、北東大西洋と地中海に向けて空母アドミラル・クズネツォフ統合海軍任務部隊(北洋艦隊、黒海艦隊、バルチック艦隊所属の艦艇11隻と航空機47機からなる)が出港し、3ヶ月間で6カ国を回る12000海里の航海に出た。2008年、グルジア紛争で大型揚陸艦不足を認識し、フランスからミストラル級を導入することにした。1011日、メドベージェフ大統領が2015年までに原子力空母を竣工させると発表。11月末、巡洋艦ピョートル・ヴェーリキー任務部隊をベネズエラに派遣し、ベネズエラ海軍との共同演習を実施。2009年末、総司令部をモスクワからサンクト・ペテルブルグに移転させた。2010年、ロシア軍が4個作戦戦略コマンドに改編されたことに伴い、東部コマンドに太平洋艦隊、西部コマンドにバルチック艦隊と北洋艦隊、南部コマンドに黒海艦隊とカスピ小艦隊を隷属させた。プロジェクト21980対テロ哨戒艦と677型潜水艦が就役開始。2012年、海上連合2012演習を実施。6月、SSBNによる常時パトロールを再開。2013年、955型戦略原潜の配備を開始。1月後半から30日まで、黒海と地中海で黒海艦隊、北洋艦隊、バルチック艦隊による大規模海上演習を実施。ミサイル巡洋艦モスクワなど水上艦20隻、原潜1隻を含む潜水艦3隻に加え、南部軍管区第4防空・航空コマンドと長距離航空軍の航空機・戦略爆撃機が参加した。75-12日、海上連合2013演習を実施。2014年からプロジェクト21631ブヤンM型コルベットとプロジェクト03160ラプトル級高速哨戒艇が就役。2014年、636.3型キロ級潜水艦が就役開始。513日、黒海艦隊が創立230周年記念式典を実施。520-26日、東シナ海で海上連合2014演習を実施。121日、北洋艦隊が統合戦略コマンドに格上げされ、軍管区と同列になった。2015年、ミストラル級の導入計画が破棄された。511-21日、地中海で海上連合2015(T)に参加。820-28日、中国海軍との合同演習である海上連合2015(U)を実施。2016年に新型空母(原子力空母2隻以上?)の設計・建造を開始する予定。2016年、アドミラル・グリゴロヴィッチ級が就役を開始。911-19日、海上連合2016に参加。20211014-17日、日本海で日露共同演習海上連合2021を実施。その後中露参加艦が日本を一周した。参考:月刊軍事研究3,083,0912,081,092,093,104,101,17、月刊世界の艦船6,153,92増刊、3,003,056,099,0911,008,108,119,114,138,142,157,153,1611,166,'2012,'21、ソ連/ロシア巡洋艦建造史、月刊丸8,95、現代の潜水艦、月刊JWings8,141,'22、朝雲

 <ソ連海軍(独ソ戦開戦時)>:バルト海艦隊、黒海艦隊、北洋艦隊からなる。バルト海艦隊には戦艦オクチャブルスカヤ・レヴォルチャ、マラート、巡洋艦2隻、嚮導駆逐艦2隻、駆逐艦19隻、潜水艦65隻、哨戒艦艇7隻、砲艦1隻、魚雷艇48隻、敷設艦6隻、掃海艇23隻、航空機656機が配備されていた。黒海艦隊には戦艦パリスカヤ・コンムナ、巡洋艦2隻、旧式巡洋艦3隻、練習巡洋艦1隻、嚮導駆逐艦3隻、駆逐艦13隻、潜水艦47隻、哨戒艦艇2隻、魚雷艇84隻、掃海艇15隻、航空機625機が配備されていた。北洋艦隊には駆逐艦8隻、潜水艦15隻、哨戒艦艇7隻、砲艇15隻、魚雷艇2隻、掃海艇2隻、航空機116機が配備されていた。参考:月刊丸11,09

 <ソ連海軍(1977年)>:兵力45万名(うち海軍航空隊50000名、海軍歩兵12000名、沿岸砲兵・ロケット部隊10000名)。667BD型デルタU級原潜8隻、667B型デルタT級原潜13隻、667型ヤンキー級原潜34隻、658型ホテル級原潜7隻、629A型ゴルフU級潜水艦11隻、629型ゴルフT級潜水艦9隻、627型ノヴェンバー級SSN13隻、671型ヴィクターT級SSN17隻、671RT型ヴィクターU級SSN3隻、659型エコーT級SSN5隻、705型アルファ級SSN1隻、641型フォックストロット級潜水艦56隻、ロメオ級潜水艦10隻、611型ズールー級潜水艦10隻、613型ウイスキー級潜水艦40隻、690型ブラボー級潜水艦4隻、641B型タンゴ級潜水艦3隻、A615型ケベック級潜水艦5隻、661型パパ級SSGN1隻、670型チャーリー級SSGN13隻、675型エコーU級SSGN29隻、651型ジュリエット級SSG16隻、665型ウイスキー・ロング・ビン級SSG6隻、644型ウイスキー・ツイン・シリンダー級SSG2隻、キエフ級空母1隻、モスクワ級巡洋艦2隻、カーラ型巡洋艦5隻、クレスタT型巡洋艦4隻、クレスタU型巡洋艦9隻、キンダ型巡洋艦4隻、スヴェルドロフ級巡洋艦10隻、チャパエフ級練習巡洋艦1隻、クリバック級駆逐艦14隻、カニン型駆逐艦8隻、キルディン型駆逐艦4隻、カシン型駆逐艦19隻(SAM14隻、SSM型5隻)、コトリン級駆逐艦SAM搭載型8隻、コトリン級駆逐艦18隻、スコーリイ級駆逐艦20隻、ミルカ級フリゲート20隻、ペチャ級フリゲート45隻、リガ級フリゲート35隻、コラ級フリゲート3隻、ナヌチュカ級ミサイル哨戒艇17隻、ツーリャ級駆潜艇25隻、プチェラ級駆潜艇25隻、グリシャ級駆潜艇25隻、ポチ級駆潜艇64隻、ステンカ級駆潜艇65隻、ソイ級駆潜艇65隻、オサ級ミサイル高速哨戒艇120隻、コマール級ミサイル高速哨戒艇5隻、魚雷艇100隻、掃海艇330隻、アリゲーター級揚陸艦14隻、ロプーチャ級戦車揚陸艦7隻、ポルノクヌイ級揚陸艦60隻、上陸用舟艇90隻、給油艦60隻、航洋補給船80隻、補給艦20隻、修理艦30隻、情報収集船54隻を保有する。また、ウイスキー級潜水艦90隻、ケベック級潜水艦15隻、巡洋艦2隻、スコーリイ級駆逐艦15隻、リガ級フリゲート10隻が予備役にいる。沿岸砲兵・ロケット部隊は沿岸砲、サムレット地対艦ミサイル、SSC-1Bセパル地対艦ミサイルを装備する。参考:軍事力バランス78年版

 <ソ連海軍(1981年)>:兵力は45万名で、うち海軍航空隊が55000名、海軍歩兵が12000名。タイフーン級原潜1隻、667BDR型デルタV型原潜11隻、667BD型デルタU型原潜4隻、667B型デルタT型原潜18隻、667A型ヤンキー型原潜29隻、701型ホテルV型原潜1隻、658M型ホテルU型原潜7隻、ゴルフX型潜水艦1隻、ゴルフW型潜水艦1隻、ゴルフV型潜水艦1隻、629A型ゴルフU型潜水艦13隻、629型ゴルフT型潜水艦3隻、949型オスカー型原潜1隻、661型パパ型原潜1隻、670M型チャーリーU型原潜5隻、670型チャーリーT型原潜11隻、675型エコーU型原潜29隻、651型ジュリエット型潜水艦16隻、665型ウイスキー・ロング・ビン型潜水艦3隻、644型ウイスキー・ツイン・シリンダー型潜水艦2隻、705型アルファ型原潜4隻、667A型ヤンキー型原潜5隻、671RTM型ヴィクターV型原潜5隻、671RT型ヴィクターU型原潜7隻、671型ヴィクターT型原潜16隻、659型エコーT型原潜5隻、627型ノヴェンバー型原潜13隻、641B型タンゴ型潜水艦15隻、ゴルフT型改潜水艦1隻、641型フォックストロット型潜水艦60隻、ズールーW型潜水艦12隻、ロメオ型潜水艦12隻、613型ウイスキー型潜水艦50隻(他に予備役100隻)、ウイスキー・キャンバス・バッグ型潜水艦2隻、A615型ケベック級潜水艦4隻、リマ型潜水艦1隻、940型インディア型潜水艦1隻、690型ブラボー型潜水艦4隻、キエフ級空母3隻、モスクワ級巡洋艦2隻、キーロフ級巡洋艦1隻、カーラ型巡洋艦7隻、クレスタU型巡洋艦10隻、クレスタT型巡洋艦4隻、キンダ型巡洋艦4隻、スヴェルドロフ級巡洋艦11隻、ソブレメンヌイ級駆逐艦1隻、ウダロイ級駆逐艦1隻、クリヴァクU型駆逐艦10隻、クリヴァクT型駆逐艦19隻、カシン型駆逐艦19隻、キルディン型駆逐艦4隻、カニン型駆逐艦8隻、コトリン型駆逐艦18隻、スコーリイ級駆逐艦30隻、コニ型警備艦1隻、ミルカ型警備艦18隻、ペチャ型警備艦47隻、リガ型警備艦48隻、グリシャ型警備艦42隻、ナヌチュカ型コルベット21隻、タランタル型コルベット2隻、サランチャ型ミサイル艇1隻、マトカ型ミサイル艇10隻、オーサU型ミサイル艇50隻、オーサT型ミサイル艇70隻、チューリア型魚雷艇30隻、シェルシェン型魚雷艇30隻、ポーク型警備艇1隻、ポチ型警備艇64隻、T-58型警備艇18隻、SO-1型警備艇45隻、バボチュカ型哨戒艇1隻、プヒェラ型哨戒艇20隻、スレペン型哨戒艇1隻、ステンカ型哨戒艇90隻、ズーク級哨戒艇30隻、シュメール型河用哨戒艇80隻、イワン・ロゴフ級揚陸艦1隻、ロプーチャ型揚陸艦11隻、アリゲーター型揚陸艦14隻、ポルノクニイ型揚陸艦52隻、ヴィドラ型揚陸艇20隻、MP-4型揚陸艇5隻、SMB-1型揚陸艇15隻、オンダトラ型揚陸艇6隻、アイスト型LCAC12隻、レベッド型LCAC10隻、グス型LCAC33隻、アレシャ型敷設艦3隻、ナチャ型掃海艇30隻、ユルカ型掃海艇49隻、T-43型掃海艇65隻、アンドリューシャ型掃海艇3隻、ソニア型掃海艇35隻、ゼニア型掃海艇3隻、ヴァニア型掃海艇69隻、サシャ型掃海艇15隻、エフゲニア型掃海艇36隻、イリューシャ型掃海艇10隻、オルヤ型掃海艇7隻、TR-40型掃海艇10隻、K-8型掃海ランチ40隻、ウグラ型潜水母艦7隻、ドン型潜水母艦6隻、ラマ型給兵艦7隻、アムガ型給兵艦2隻、改アンディザアン型給兵艦2隻、アムール型工作艦19隻、トンバ型工作艦4隻、オスコル型工作艦12隻、ドニエプル型工作艦5隻、ベレジナ型補給艦1隻、ボリス・チリキン型補給艦6隻、ドゥブナ型補給艦4隻、カズベク級給油艦3隻、ポルヤルニク級給油艦1隻、ウダ型給油艦6隻、アルタイ型給油艦6隻、オレクマ級給油艦3隻、ソフィア級給油艦1隻、フョレント級給油艦1隻、ドラ級給油艦2隻、コンダ級給油艦4隻、ネルチャ級給油艦3隻、コービ級給油艦12隻、イルティシュ級給油艦1隻、バスクンチャク級給油艦1隻、ネパ型潜水艦救難艦1隻、ヴァルダイ型潜水艦救難艦11隻、ルドニツキイ級救難艦2隻、プルート型救難艦8隻、パミール級救難艦2隻、イングル級救難艦2隻、スーラ型救難艦10隻、オーレル型救難艦2隻、カワン型救難艦10隻、ネプチューン型救難艦14隻を保有する。航空兵力は固定翼機845機、回転翼機300機。参考:月刊世界の艦船8,82増刊

 <ソ連海軍(1989年)>:兵力437000名、うち徴兵260000名。タイフーン級原潜5隻、667BDRM型デルタW級原潜5隻、667BDR型デルタV級原潜14隻、667BD型デルタU型原潜4隻、667B型デルタT型原潜18隻、667AM型ヤンキーU級原潜1隻、667A型ヤンキーT級原潜15隻、701型ホテルV型原潜1隻、629A型ゴルフU級潜水艦6隻、949型オスカー級原潜5隻、661型パパ型原潜1隻、670M型チャーリーU型原潜6隻、670型チャーリーT型原潜10隻、675型エコーU型原潜28隻、667AR/AT型ヤンキー・ノッチ級原潜2隻、667型ヤンキー級原潜1隻、971型アクラ級原潜4隻、945型シエラ級原潜3隻、705型アルファ型原潜5隻、671RT型ヴィクターU型原潜7隻、671型ヴィクターT型原潜16隻、659型エコーT型原潜5隻、627型ノヴェンバー型原潜12隻、651型ジュリエット型潜水艦16隻、877型キロ級潜水艦12隻、641B型タンゴ型潜水艦18隻、641型フォックストロット型潜水艦39隻、ロメオ型潜水艦3隻、613型ウイスキー型潜水艦45隻、1910型ユニフォーム級原潜1隻、1851型エックスレイ級原潜1隻、658U型ホテルU級通信原潜1隻、675型エコーU級補助用原潜1隻、ベルガ級潜水艦1隻、690型ブラボー型標的潜水艦4隻、629型ゴルフT級研究用潜水艦3隻、629A型ゴルフU級通信潜水艦3隻、リマ級潜水艦1隻、ゴルフX級SLBM試験用潜水艦1隻、インディア級救難潜水艦2隻、バクー級空母1隻、キエフ級空母3隻、キーロフ級巡洋艦3隻、モスクワ級巡洋艦2隻、スラヴァ級巡洋艦3隻、カーラ型巡洋艦7隻、クレスタU型巡洋艦10隻、クレスタT型巡洋艦4隻、キンダ型巡洋艦4隻、スヴェルドロフ級巡洋艦4隻、ソブレメンヌイ級駆逐艦10隻、カシン改級駆逐艦5隻、カシン型駆逐艦12隻、コトリン級艦対空ミサイル型4隻、ウダロイ級駆逐艦10隻、キルディン改級駆逐艦3隻、コトリン/コトリン改級艦対艦ミサイル型4隻、コトリン/コトリン改級対潜型4隻、スコーリイ級駆逐艦4隻、クリバックU級フリゲート11隻、クリバックT級フリゲート21隻、コニ級フリゲート1隻、リガ級フリゲート25隻、グリシャT/V/X級フリゲート59隻、パルヒムU級フリゲート8隻、ミルカT/U級フリゲート18隻、ペチャ級フリゲート28隻、タランチュルT/U級コルベット22隻、タランチュルV級コルベット12隻、ナヌチュカT/V級コルベット30隻、オサT級ミサイル艇40隻、オサU級ミサイル艇30隻、サランチャ級水中翼ミサイル艇1隻、マトカ級水中翼ミサイル艇15隻、トゥリャ級水中翼魚雷艇25隻、シェルシェン級魚雷艇5隻、T-58級哨戒艇15隻、ポーク級哨戒艇32隻、ポチ級哨戒艇50隻、バボチュカ級水中翼哨戒艇1隻、SO-1級哨戒艇11隻、スレペン級高速哨戒艇1隻、ヤズ級哨戒艇20隻、ピヤブカ級哨戒艇10隻、ボシュ級哨戒艇8隻、小型哨戒艇73隻、プリピャト級敷設艦3隻、ナチャT/U級掃海艦35隻、T-43級掃海艦35隻、ユルカ級掃海艇45隻、アンデューシャ級掃海艇3隻、ソーニャ級掃海艇60隻以上、ジェーニャ級掃海艇3隻、バーニャ級内海掃海艇65隻、サーシャ級内海掃海艇10隻、小型掃海艇115隻以上、イワン・ロゴフ級揚陸艦2隻、ロプーチャ級揚陸艦24隻、アリゲーター級揚陸艦14隻、ポルノクヌイ級揚陸艦36隻、ビドラ級揚陸艇10隻、SMB-1級揚陸艇5隻、オンダトラ級揚陸艇40隻、ポモルニク級揚陸艇3隻、アイスト級揚陸艇20隻、ツァプリャ級揚陸艇5隻、レベッド級揚陸艇20隻、ウテノク級揚陸艇2隻、ガス級揚陸艇31隻、オルラン級WIG実験機1機、ベレジナ級補給艦1隻、ボリス・チリキン級補給艦6隻、給油艦23隻、給油支援艦14隻、潜水艦母艦18隻、工作艦38隻、全般整備支援艦12隻、タンカー27隻、ミサイル支援補給艦18隻、曳船70隻、特殊液体輸送艦14隻、給水艦13隻、貨物船50隻、情報収集艦67隻、ミサイル実験支援艦7隻、練習艦12隻、砕氷艦55隻(非軍人乗員)、病院船2隻、海洋観測艦40隻(+非軍人乗艦60隻)、測量艦100隻(+非軍人乗艦40隻)、宇宙活動支援艦11隻(非軍人乗員)、戦時増強・補助用商船隊2500隻を保有する。沿岸砲兵師団1個(7500名)にSM-4-1沿岸砲、130mm沿岸砲、ルベズ地対艦ミサイル40基、SS-C-3地対艦ミサイル、SS-C-4地対艦ミサイルを配備。641型フォックストロット型潜水艦10隻、611型ズールー級潜水艦2隻、613型ウイスキー型潜水艦43隻、スヴェルドロフ級巡洋艦4隻、スクロムニイ級駆逐艦2隻、スベドシュチイ級駆逐艦17隻、スコーリィ級駆逐艦5隻、リガ級フリゲート15隻、ペチャ級フリゲート8隻を保管している。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ロシア海軍(1994年)>:SSBN54隻、SSGN30隻、SSG7隻、SSN65隻、攻撃型通常動力潜水艦69隻、補助潜水艦16隻、正規空母4隻、ヘリ空母1隻、ミサイル原子力巡洋艦3隻、ミサイル巡洋艦20隻、ミサイル駆逐艦36隻、ミサイルフリゲート32隻、フリゲート109隻、コルベット66隻、レーダーピケット艦5隻、ミサイル艇33隻、ハイドロフォイル型ミサイル艇17隻、高速攻撃艇148隻、ハイドロフォイル型高速攻撃艇44隻、沿岸哨戒艇32隻、河川哨戒艇148隻、敷設艦3隻、外洋型掃海艇75隻、沿岸型掃海艇180隻、LPD3隻、LST40隻、LSM32隻、LCAC62隻、洋上補給艦45隻、補給・修理艦艇79隻、情報収集船52隻、調査船126隻を保有する。参考:月刊丸8,95

 <ロシア海軍(1999年)>:弾道ミサイル原潜30隻、巡航ミサイル原潜9隻、攻撃型原潜38隻、攻撃・哨戒型通常動力潜水艦36隻、補助任務潜水艦9隻、空母1隻、巡洋艦11隻、駆逐艦26隻、フリゲート25隻、哨戒戦闘艦艇347隻、機雷戦艦艇174隻、揚陸輸送艦37隻、ホバークラフト28隻、情報収集艦25隻、各種調査研究船146隻、固定翼機300機以上、回転翼機380機以上、海軍歩兵部隊14000名、沿岸防衛部隊5000名を擁する。しかし予算不足で外洋型水上戦闘艦と潜水艦の稼働率は10%しかなく、退役原潜や200隻以上の旧式艦艇が破棄を待っている状態である。参考:月刊軍事研究7,99

 <ロシア海軍(2007年)>:北洋艦隊、太平洋艦隊、バルチック艦隊、黒海艦隊、カスピ小艦隊、海軍航空隊、海軍歩兵2個師団、沿岸防衛隊からなる。空母アドミラル・クズネツォフ、巡洋艦キーロフ、スラヴァ級3隻、ソブレメンヌイ級6隻、ウダロイ級8隻、カーラ級1隻、フリゲート14隻、コルベット117隻、戦略原潜37隻、通常型攻撃潜水艦17隻を保有している。参考:月刊軍事研究3,08

 <ロシア海軍(2009年)>:レニングラード軍管区に北洋艦隊とバルチック艦隊、北コーカサス軍管区に黒海艦隊、極東軍管区に太平洋艦隊を置く。空母アドミラル・クズネツォフ、キーロフ級2隻、スラヴァ級3隻、カーラ級1隻、ウダロイT型7隻、ウダロイU型1隻、ソブレメンヌイ級4隻、クリヴァク級3隻、ネウストラシムイ級2隻、ステレグシシイ級1隻が現役にある。参考:月刊JWings6,09、月刊軍事研究3,10

 <ロシア海軍(2013年)>:兵力145000名。東部軍管区に太平洋艦隊、西部軍管区に北洋艦隊とバルチック艦隊、南部軍管区に黒海艦隊とカスピ小艦隊が編成されている。潜水艦64隻、空母アドミラル・クズネツォフ、巡洋艦5隻、駆逐艦15隻、フリゲート30隻、コルベット47隻、ミサイル艇5隻、高速艇1隻、哨戒艇3隻、戦車揚陸艦19隻、揚陸艇12隻、ホバークラフト7隻、掃海艦2隻、掃海艇49隻、測量・調査艦82隻、情報収集艦12隻、ミサイル追跡艦1隻、練習艦艇12隻、ミサイル補給艦3隻、潜水艦支援艦1隻、工作艦12隻、補給・給油艦23隻、核燃料輸送艦1隻、輸送艦4隻、給水艦2隻、病院船3隻、電纜敷設艦7隻、救難艦4隻、設標艦12隻、潜水艦救難艦2隻、消磁艦28隻、給兵艦2隻、試験艦1隻、砕氷艦5隻、航洋曳船56隻、固定翼艦上機48機、艦載ヘリ91機、固定翼陸上機160機を配備する。参考:月刊世界の艦船3,14

 <ロシア海軍(2015年)>:現役総兵力148000名(徴兵含む)。北洋艦隊、バルチック艦隊、黒海艦隊、太平洋艦隊の4個艦隊と、カスピ小艦隊の1個独立小艦隊からなる(艦隊の下にもいくつか小艦隊が隷属している)。北洋艦隊は軍管区と同列にあり、バルチック艦隊は西部軍管区、黒海艦隊とカスピ小艦隊は南部軍管区、太平洋艦隊は東部軍管区に属する。フォース・プロバイダーは海軍総司令部、フォース・ユーザーは各軍管区統合戦略コマンド。ブラヴァ搭載955/955A型ボレイ級戦略原潜3隻、タイフーン級戦略原潜(SLBMテスト艦に改装)1隻、R-29RMU搭載667BDRM型デルタW級戦略原潜7隻(6隻?)、RSM-50搭載667BDR型デルタV級戦略原潜4隻(うち1隻は海洋調査潜水艦に改装)、885/885M型ヤーセン級原子力巡航ミサイル原潜1隻、949A型オスカーU級巡航ミサイル原潜8隻、945A型シエラU級攻撃原潜1隻(他に1隻が長期修理中)、945型シエラT級攻撃原潜1隻(他に1隻が近代化改装工事中断中)、971/971U/971M型アクラ級攻撃原潜11隻、671RTMK型ヴィクターV級攻撃原潜4隻、677型ラダ級潜水艦1隻、877/636/636.3型キロ級潜水艦20隻(877/63617隻と636.3型4隻の計21隻?)、1910型ユニフォーム級原潜3隻、18510型(1851型?)パルタス級潜水艦3隻(2隻?)、デルタVストレッチ型潜水艦1隻、ロシャリク級潜水艦1隻、20120型サロフ級実験潜水艦1隻、アドミラル・クズネツォフ級空母1隻、キーロフ級原子力ミサイル巡洋艦1隻(もう1隻が近代化改装中)、スラヴァ級ミサイル巡洋艦3隻、カーラ級ミサイル巡洋艦1隻(退役予定)、ウダロイT級ミサイル駆逐艦7隻(8隻?)、ウダロイU級ミサイル駆逐艦1隻、ソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦6隻(5隻+退役3隻?)、カシン改級ミサイル駆逐艦1隻、プロジェクト20380ステレグシュチイ級フリゲート1隻、プロジェクト20381ステレグシュチイ級フリゲート3隻、ネウストラシムイ級フリゲート2隻、クリバックT級フリゲート1隻、クリバックU型フリゲート1隻、ゲパルド型フリゲート2隻、グリシャV型フリゲート3隻(1隻?)、グリシャX型フリゲート18隻(19隻?)、パルヒムU級コルベット7隻(6隻?)、ダーガチ級コルベット2隻、ナヌチュカV級コルベット12隻、ナヌチュカW級コルベット1隻、タランタルU級ミサイル艇3隻、タランタルV級ミサイル艇18隻、マトカ級ミサイル艇3隻、グラチョーノク級哨戒艇10隻、ラプトール級哨戒艇6隻、マングスト級哨戒艇2隻、ムカ/ソコル級哨戒艇1隻、ブヤン級警備艦3隻、ブヤンM級警備艦3隻、アリゲーター級戦車揚陸艦4隻、ロプーチャT級揚陸艦(ロプーチャT/U級12隻?)、ロプーチャU級揚陸艦(ロプーチャV級?)3隻、アイスト型エアクッション揚陸艇2隻、ポモルニク級エアクッション揚陸艇2隻、セルナ級揚陸艇9隻(12隻?)、ジュゴン級汎用揚陸艇5隻、アクラ/オンダトラ級中型揚陸艇9隻、ゴーリャ級掃海艦2隻、ナチャT/U/V級掃海艇10隻(ナチャT級10隻+ナチャU級1隻?)、プロジェクト1258イフゲーニャ級掃海艇2隻、ソーニャ級掃海艇21隻、リダ/サプフィール級掃海艇8隻、オリャ/マラヒト級掃海艇1隻、ペトルーシュカ級練習艦10隻、スモルニイ級練習艦2隻、ボリス・チリキン級補給艦4隻、ドゥブナ級補給艦3隻、アムール級工作艦10隻、マーシャル・ネデリン級ミサイル追跡艦1隻、セリゲル級海洋観測艦1隻、シビリヤコフ級海洋観測艦2隻、海洋観測・測量艦70隻、ヴィシュニャ型情報収集艦5隻、エルブラス型潜水艦救難艦1隻、カシュタン級設標艦8隻、スラ級設標船4隻、ベレザ級消磁艦15隻、スモルヌイ級練習艦2隻、プルト級救難曳船1隻、イングル級救難曳船4隻、ソルム型航洋曳船13隻、オビ級病院船3隻などを保有する。参考:月刊世界の艦船6,15THE MILITARY BALANCE 2016

ロシア海軍航空隊>:MA VMFと略す。19634月、Ka-25ヘリが初飛行。1968年、Il-38哨戒機の配備を開始。Tu-142対潜哨戒機を生産。197610月、Yak-38が就役。1982年、Ka-27ヘリを実用化。1993年、Su-33艦上戦闘機の量産を開始。19988月、Su-33艦上戦闘機を制式化。2008年末、保有していたTu-22M3爆撃機45機が全て空軍に移管された。2015年のパイロット1名あたり年間飛行時間は83時間だった。参考:月刊軍事研究3,093,1612,18、月刊JWings4,23

 <ソ連海軍航空隊(1989年)>:兵力68000名。艦隊航空隊4個からなる。航空師団は2-3個飛行連隊、飛行連隊は連隊本部と2個大隊(9-10機)で編成され、偵察機、対潜哨戒機、輸送機、汎用機部隊は独立連隊や飛行隊で運用される。Tu-22M爆撃機180機、Tu-16爆撃機135機、Tu-22爆撃機40機、Tu-142対潜哨戒機60機、Il-38対潜哨戒機45機、Be-12対潜哨戒機90機、Mi-14対潜ヘリ95機、Ka-25対潜ヘリ100機、Ka-27対潜ヘリ75機、Tu-95洋上哨戒機40機、Tu-16洋上哨戒機40機、Tu-16電子戦機55機、Tu-22哨戒機20機、Su-24哨戒機10機、An-12哨戒機20機、Ka-25哨戒ヘリ30機、Mi-14掃海ヘリ25機、Ka-27強襲戦闘ヘリ25機、Tu-16空中給油機46機、An-12/An-24/An-26/Il-14/Mi-6/Mi-8輸送・訓練機445機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ロシア海軍航空隊(2009年)>:Su-27戦闘機53機、Su-33戦闘爆撃機17機、Tu-142対潜哨戒機(Tu-142M3?)27-46機、Su-24攻撃機51-94機、Su-25UB14機、Il-3848機、An-12輸送機48機、An-2410機、Be-1220機、Il-114を1機、Mi-24攻撃ヘリ30機、Ka-25ヘリ42機、Ka-27ヘリ85機、Ka-29ヘリ24-30機、Mi-8ヘリ16機、Mi-14BTヘリ3機、Mi-14PLヘリ21機を保有する。参考:月刊JWings6,09

 <ロシア海軍航空隊(2015年)>:年間飛行時間60時間強。MiG-29K戦闘機2機、MiG-29KUB戦闘機2機、MiG-31B/BS戦闘機12機、MiG-31BM戦闘機20機、Su-33戦闘機18機、Su-27/-27UB戦闘機18機、Su-24M戦闘機41機、Su-30SM戦闘機3機、Su-25UTG練習機5機、Tu-142M/MR対潜哨戒機27機、Be-12哨戒機3機、Il-18D哨戒機1機、Il-38哨戒機17機、Il-38N哨戒機5機、Su-24MR偵察機12機、An-12PS捜索救難機3機、Il-20RT電子情報収集機2機、Il-22電子情報収集機2機、An-12BK輸送機2機、An-24RV輸送機1機、An-26輸送機26機、An-72輸送機6機、An-140輸送機2機、Tu-134輸送機10機、Tu-154M要人輸送機2機、L-39練習機4機、Ka-27対潜ヘリ63機、Mi-14対潜ヘリ20機、Mi-8ヒップJ電子戦ヘリ8機、Ka-31R早期警戒ヘリ2機、Ka-27PS捜索救難ヘリ16機、Mi-14PS捜索救難ヘリ40機、Ka-29輸送ヘリ28機、Mi-8T輸送ヘリ4機、Mi-8MT輸送ヘリ4機、Kh-25/-59空対艦ミサイル、Kh-58/-25MP対レーダーミサイル、R-27T/ET/R/ER空対空ミサイル、R-33/-60/-73空対空ミサイルを保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ロシア海軍歩兵>:ロシア軍の海兵隊組織。海軍参謀本部の下に司令部があり、平時には各艦隊の沿岸防衛部隊に組み込まれていて、戦時には必要に応じて水陸両用戦司令部隷下に入り、橋頭堡の確保を行う。ただ空母勢力が乏しいので、陸上航空基地のエアカバー範囲内でないと強襲上陸は行えず、小規模奇襲上陸が主任務となる。内陸への侵攻は地上軍の担当なので、海軍歩兵は手を出さない。また、在外高官警備、艦内秩序維持・警備などの任務は担当していない。他に沿岸部での特殊部隊の支援任務を担っており、特殊部隊と地上軍との中間の役目があるため、機密度がそれなりに高く、部隊番号などは不明。階級は陸軍式である。1705年にバルチック艦隊が編成した艦船乗員による白兵戦部隊を嚆矢とする。通常の海兵隊と異なり、艦船の修理・戦没などで余剰になった乗員を集め、陸軍と共に陸上戦闘を行う部隊であり、後に海軍歩兵という名称になった。1813年に陸軍に吸収され、第1次大戦時に復活している。第2次大戦時は40個旅団6個独立連隊35万名が配備されていたが、相変わらず陸戦に参加する艦艇乗員といった形で、特別な上陸作戦訓練は受けておらず、大戦中の100回以上の上陸作戦に対し、旅団規模以上を投入したのは5回だけだった。また、19458月の北朝鮮清津上陸作戦では、威力偵察部隊の上陸から旅団本隊の上陸完了まで60時間以上、第3梯団の上陸までに1週間もかかっていた。乗員が余っているからといって慣れない陸上戦闘に投入した結果、損害が続出し、本来任務の艦艇運用が行えなくなるという本末転倒状態に陥り、1947年に一旦解隊されて沿岸防衛部隊に組み込まれた。1961年、冷戦激化に伴い、アメリカ海兵隊に対抗すべく、旅団(海軍歩兵大隊5個、戦車大隊2個)1個+連隊(海軍歩兵大隊3個、戦車大隊2個)3個の計18000名規模で再編され、太平洋艦隊に1個旅団、北洋・黒海・バルチック艦隊に1個連隊ずつが配備された。任務は一般の海兵隊と同様のものとなっている。強襲上陸が想定されるのはデンマークやノルウェーなど防備の薄い地点であるため、専用の水陸両用車は持たずPT-76BTR-60で済ませているが、ホバークラフトをいち早く配備して急速水陸両用作戦を可能とした。1970年代に連隊が旅団に、旅団が師団(海軍歩兵連隊3個+戦車連隊1個+砲兵連隊1個という説と、旅団2個編合編成という説がある)に改編された。2011年、BTR-82A装甲車の配備を開始。2013年後半、太平洋艦隊隷下の第3独立海軍歩兵連隊が第40独立海軍歩兵旅団に格上げされた。2014年には北洋艦隊隷下の1個連隊が旅団に格上げされる予定。シリア内戦に投入されたが、強襲上陸ではなく通常の軽歩兵部隊として運用された。ウクライナ戦争で黒海艦隊第810海軍歩兵旅団が戦闘に参加したが、やはり通常の軽歩兵部隊としての運用で、しかも毎年のように壊滅している。参考:月刊丸12,90、月刊世界の艦船3,192,1412,23

 <ソ連海軍歩兵(1977年)>:海上歩兵連隊5個からなり、太平洋艦隊に2個、北洋・黒海・バルチック艦隊に1個ずつ配置されている。装備はT-54/55戦車、PT-76軽戦車、BTR-60P装甲車、BM21多連装ロケット、ZSU-23-4自走高射機関砲、9K31地対空ミサイルなど。参考:軍事力バランス78年版

 <ソ連海軍歩兵(1989年)>:兵力17000名。師団1個、独立旅団3個、艦隊特殊戦(スペツナズ)旅団(水中作戦大隊2-3個、パラシュート大隊1個)4個からなる。T-54/55戦車230両、PT-76軽戦車150両、BRDM-2偵察車30両、BMP-1/2歩兵戦闘車/BTR-60P/PA/PB/70/80装甲兵員輸送車/MT-LB装甲車計1045両、2S1自走砲90両、2S3自走砲、BM21多連装ロケット150両、120mm迫撃砲125門、9M14/9M113対戦車ミサイル50基、ZSU-23-4自走高射機関砲60両、9M32地対空ミサイル250基、9K33地対空ミサイル10基、9K31/9K35地対空ミサイル35基を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ロシア海軍歩兵(2015年)>:兵力35000名。特殊作戦旅団3個、偵察旅団1個、海兵偵察旅団3個、海兵偵察連隊1個、独立海軍歩兵旅団6個、砲兵旅団2個、地対艦ミサイル旅団1個、9K33地対空ミサイル連隊2個、S-300PS地対空ミサイル連隊1個、S-300PM/PS地対空ミサイル連隊1個、S-300PM/-400地対空ミサイル連隊1個、S-400地対空ミサイル連隊2個、沿岸ミサイル・砲兵(兵力2000名。旅団4個・連隊2個)からなる。一部の部隊は空挺降下技能を有し、空中機動展開能力を持つ。T-72B戦車50両、T-72B3戦車200両、9K113対戦車ミサイル装備BRDM-2偵察車60両、BMP-2歩兵戦闘車400両、BTR-82A歩兵戦闘車600両、MT-LB装甲車300両、BTR-80装甲車100両、122mm自走砲2S195両、152mm自走砲2S350両、152mm自走砲2S1918両、152mm2A3650門、152mm2A6550門、120mm自走迫撃砲2S2312両、120mm自走迫撃砲2S930両、120mm迫撃砲2B1624門、122mm自走多連装ロケットBM-2136両、9K114対戦車ミサイル装備9P149自走対戦車ミサイル、9K123対戦車ミサイル装備9P157-2自走対戦車ミサイル、9K113/135対戦車ミサイル、100mm対戦車砲T-129K33自走地対空ミサイル20両、9K31/9K35自走地対空ミサイル50両、S-300PM自走地対空ミサイル60両、S-300PS自走地対空ミサイル48両、S-400自走地対空ミサイル72両、9K338携帯地対空ミサイル、23mm自走高射機関砲ZSU-23-460両、9K79-1地対地ミサイル12基、130mm沿岸砲A-22236門、3K60SS-C-6)地対艦ミサイル24基、3K55SS-C-5)地対艦ミサイル12基、4K44SS-C-1)地対艦ミサイル少数、4K51SS-C-3)地対艦ミサイル少数を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、月刊世界の艦船3,19

<ロシア海軍歩兵師団>

 <ソ連海軍歩兵師団(1989年)>:兵力7000名。歩兵連隊3個、戦車連隊1個、砲兵連隊1個からなる。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

<ロシア海軍歩兵中隊>

ソ連海軍歩兵中隊(1970年代)>:中隊本部(1個歩兵分隊相当の戦闘力あり)と3個小隊からなり、1個小隊は3個分隊からなる。1個分隊は分隊長、BTR操縦手、搭載機関銃手、PKM機銃手、RPK軽機関銃手、RPG-7対戦車ロケット手4名などの10名で、BTR-60PB装甲車1両に乗る。参考:月刊丸12,90

ロシア海軍歩兵旅団

ソ連海軍歩兵旅団(1970年代)>:兵力は3000-4400名。3-5個海軍歩兵大隊(BTR-60PBで機械化された海軍歩兵中隊3個、122mm迫撃砲3門装備の迫撃砲小隊1個、ミサイル3基と無反動砲3基装備の対戦車小隊1個、通信小隊1個、支援小隊1個、衛生班1個からなる)、1個戦車大隊(戦車10両装備の主力戦車中隊1個、PT-76水陸両用戦車10両装備の軽戦車中隊3個からなる)、122mm18門装備の砲兵大隊1個、多連装ロケット18基装備の多連装砲大隊1個、ミサイル4基と対空砲4門装備の防空大隊1個、対戦車砲4門とミサイル4基装備の対戦車大隊1個、工兵大隊1個を隷下に置く。参考:月刊丸12,90

ソ連海軍歩兵旅団(1985年)>:海軍自動車化狙撃大隊(BTR-60装甲車33両)5個と海軍戦車大隊(PT-76水陸両用戦車34両、T-55またはT-72戦車7両、TO-55火炎放射戦車3両)2個からなる。参考:ワルシャワ条約機構軍特殊部隊

ソ連海軍歩兵旅団(1989年)>:兵力3000名。歩兵大隊3個(装甲兵員輸送車90両)、戦車大隊1個(中戦車中隊1個・主力戦車10両、軽戦車中隊3個・軽戦車31両)、砲兵大隊1個(自走榴弾砲18門)、多連装ロケット大隊1個(ランチャー18基)、防空大隊1個(高射砲4門、自走地対空ミサイル4基)、対戦車大隊1個(自走対戦車砲6門)からなる。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

<ロシア海軍歩兵連隊>

 <ソ連海軍歩兵連隊(1985年)>:連隊本部(60名。BTR-60装甲車4両)、海軍自動車化狙撃大隊(409名。BTR-60装甲車34両、120mm迫撃砲3門、RPG-7対戦車ロケット27基、SPG-9無反動砲3門、AT-4対戦車ミサイル3基)3個、海軍戦車大隊(188名。PT-76水陸両用戦車31両、T-55またはT-72戦車7両、TO-55火炎放射戦車3両、BTR-60装甲車3両)、偵察中隊(50名。PT-76水陸両用戦車3両、BRDM-2装甲車9両、ZSU-23-4自走対空機関砲4両、9K31自走対空ミサイル4両)、対戦車中隊(30名。AT-4対戦車ミサイル6基)、多連装ロケット中隊(66名。BM-21自走ロケット6両)、防空中隊(58名)、工兵中隊(70名。K-61輸送車3両)、通信中隊(57名。BTR-60装甲車2両)、NBC防護中隊(36名。BRDM-2装甲車3両)、輸送中隊(74名)、補給中隊(39名)、整備中隊(57名)、衛生中隊(27名)からなる。威力0.1-0.5キロトンの核地雷を装備する特別チームがあり、港湾や沿岸防御施設の破壊を担当する。参考:ワルシャワ条約機構軍特殊部隊

ロシア空軍>:VVSVoyenno-Vozdushnyye Sily)と略す。帝政ロシア軍の航空部隊は、1910年にサンクトペテルブルクとセヴァストポリに飛行学校を創設してパイロットの養成を開始、1911年に90機の航空機を購入して1912年に陸軍航空隊を編成したのが始まりである。第1次大戦には300機の前線機と500機の予備・練習機を参加させた。1917年の革命で一旦崩壊し、19185月に労農赤軍航空艦隊として再結成され、12月にツアギを創立、192011月には航空技術者に動員をかけ、ソ連空軍を設立した。使用機は航空工業省の統括を受けて設計局が設計し、ツアギが研究や基礎設計データを提供、適切な工場を航空工業省が指定して量産化する。研究所を各設計局に置かず1ヵ所に纏めたので効率が良く、工場の割り当ても上部組織が指定するので生産性が高いが、社会主義型トップダウン方式でボトムアップの仕組みが無いため現場の意見が反映されにくく、設計者やユーザーの提案がサボタージュ扱いされることも多かった。1922-23年、ドイツと秘密協定を結び、秘密工場や訓練の場を提供する代わりに、航空機技術や製造に関する知識を得た。1926年、TB-1爆撃機の量産を開始。1930年代、設計局での試作の失敗をサボタージュ犯罪として粛正弾圧する事態が多発、設計局が丸ごと獄中に移設されて航空機を設計させられる状況に陥った。1930429日、I-5戦闘機が初飛行。1932年、TB-3爆撃機の量産を開始。193312月、I-16戦闘機が初飛行。1934年、I-15戦闘機を採用。1935年、SB-2爆撃機の量産を開始。1936年からスペイン内戦にI-15/I-16戦闘機を送り込んだが、Bf109に叩きのめされ、新型戦闘機を開発することにした。1930年代末には60個旅団を編成。19398月、Su-2爆撃機の量産を開始。12月、赤色航空隊に改称された。19405月、Yak-1戦闘機を制式化。6月、Pe-2爆撃機を制式採用。7月、LaGG-3戦闘機の量産を開始。1941年、MiG-1戦闘機、MiG-3戦闘機の引き渡しが始まった。3月、Il-2攻撃機の引き渡しが開始された。1941622日にドイツ軍がバルバロッサ作戦を発動し、第2次大戦に参戦。押し寄せるドイツ機甲部隊に対して前線航空部隊の46.5%、長距離爆撃隊の40.4%を陸上部隊直協支援に使用した。パイロットから整備員まで女性で固めた航空連隊を4個(第46親衛夜間爆撃航空連隊、第587爆撃飛行連隊など)編成している。ドイツ軍の侵攻で工場疎開を余儀無くされ、航空機の生産が滞ったが、レンドリース法と英ソ相互援助協定で米英機を入手して生産再開まで乗りきった。12月、La-5戦闘機試作機が初飛行。1942年、Su-4爆撃機を量産。194312月、Tu-2S爆撃機を量産。19443月、Yak-3戦闘機が初飛行。5月、La-7戦闘機の配備を開始。8月、Il-10攻撃機の量産を開始。19458月、対日戦に参加。第2次大戦で米英による戦略爆撃と核爆弾の威力を目の当たりにし、これらの戦力も揃えることとした。1946年、ソ連空軍(VVS)に改称した。1月、Il-12輸送機が初飛行。4月、MiG-9ジェット戦闘機が初飛行。6月、La-9戦闘機試作機が初飛行。1947年、イギリスからジェットエンジンを入手、次々とジェット化を行った。Yak-15ジェット戦闘機、Yak-17ジェット戦闘機を実戦配備。戦闘機は祖国防空軍(防空担当)と前線航空軍(局地的航空優勢確保及び戦術航空支援担当)で運用した。1948年、MiG-15戦闘機の量産を開始。La-11戦闘機の配備を開始。La-15戦闘機を制式化。1949年、Tu-2爆撃機が就役。1950年、Il-14輸送機が初飛行。9月、Il-28爆撃機の配備を開始。19519月、MiG-17戦闘機を制式化。1954年、Tu-16爆撃機を配備。19552月、M4爆撃機が就役。1958年、MiG-21戦闘機の配備を開始。19627月、Su-11戦闘機量産型が初飛行。1965年、Tu-22が就役。4月、Tu-28P戦闘機の配備を開始。1969年、An-26輸送機の量産を開始。19702月、アメリカ空軍F-15戦闘機に対抗すべく、先進戦術戦闘機PFIの要求を発出し、Su-27戦闘機の開発が始まった。1971年、MiG-23戦闘機が就役。Tu-126早期警戒機を配備。1974年、Il-76輸送機が就役。1975-76年、Tu-22M2の運用を開始。1978年、Su-25攻撃機量産初号機が初飛行。1981年、祖国防空軍が防空軍に改称された。1983年、MiG-29を配備。91日、大韓航空機撃墜事件。1984年、A-50早期警戒管制機が就役。1985年、Su-27戦闘機を制式化。1986年、MFIの開発を開始。1987年、An-124輸送機の配備を開始。528日、西ドイツ人の操縦するセスナ172軽飛行機がモスクワの赤の広場に着陸。冷戦末期には東ヨーロッパ方面に6611機の航空機を配備していた。1991年、兵力は42万名、保有爆撃機はTu-16210機、Tu-22120機、Tu-22M60機、Tu-95160機、Tu-16015機、M-430機であった。1991年のソ連崩壊後にロシア空軍に改称された。1992年、ロシア最高議会が812日をロシア空軍の日に制定した。1994年(1999年?)以降、2003年まで新造機は1機も引き渡されなかった。1997年(1998年?)、空軍と防空軍を統合し、防空軍は兵科の1つとなった。連隊は102個から70個に、防空ミサイル連隊は70個から40個に減らされた。2001年、兵力は18.46万名で、戦略爆撃機191機(平均飛行時間20時間)と戦術機1538機(平均飛行時間20時間)を保有していた。2002年、西部地域の防空を強化するため特別目的防空管区を設立。モスクワ軍管区の担当部隊を第16航空軍プラス2個防空軍兵団とした。20031月、ロシア陸軍航空隊が空軍に移管された。2004-2009年に引き渡された新造機はTu-160爆撃機1機とSu-34戦闘爆撃機2機のみである。2005年、予算は前年の30%増となった。2006年、調達予算が前年の倍に増やされた。兵力は16万名で、戦略爆撃機204機(平均飛行時間25時間)と戦術機1852機(平均飛行時間25時間)を保有していた。2007年、Su-34戦闘爆撃機の生産を開始。2008-15年まで戦闘機の新規調達は行わず、T-50の開発に専念し、既存のSu-27シリーズをSu-27SMへ改良することで済ませる予定だったが、T-50の開発が遅れたため、Su-35Sの導入を決めた。2009年、大規模再編に着手し、軍団−航空師団−航空連隊制を廃止して航空・防空軍コマンド(Komandovanie VVS i PVO。各軍管区に1個ずつ)−戦闘防空旅団−55個航空基地(aviabaza)/独立飛行隊に再編することになった。これにより、航空基地司令が基地の管理から配備飛行隊の運用までを行うようになり、航空部隊の名称は第999航空基地といった妙な名前(3個前後の飛行隊からなる航空群を複数隷下に置く航空師団規模と、航空群が無く飛行隊を直接指揮下に置く航空連隊規模の2種がある)になった。防空ミサイル部隊の方は航空宇宙防衛旅団、地対空ミサイル連隊といった名称が付けられている。組織は空軍総司令部をトップとし、隷下に第4戦闘適応/転換訓練センター、航空宇宙防衛作戦戦略コマンド、第1航空・防空軍コマンド(西部軍管区)、第2航空・防空軍コマンド(中央軍管区)、第3航空・防空軍コマンド(東部軍管区)、第4航空・防空軍コマンド(南部軍管区)を配する。最高司令部直轄部隊には、長距離航空コマンド(戦略爆撃機部隊)、軍事輸送コマンドがある。また、陸軍防空部隊が空軍へと移管された。2010年、ベラルーシとの間で、地域防衛システム(5個飛行隊、10個防空部隊、5個無線技術部隊、1個対電子部隊)を構成することで合意した。201187-9日、NORADとの合同演習であるビジラント・イーグル演習に参加。2011年の空軍パイロット1名あたり平均飛行時間は90時間で、若手パイロットの80%100時間以上飛行しているという。2011-20年に航空機とヘリを1600機新規調達し、400機近代化改修する予定。2012810-12日、ジュコウスキー飛行場でロシア空軍100周年記念エアショーを実施。12月、Su-35S戦闘機の配備を開始。2013年のパイロット1名あたり平均飛行時間は112時間。201581日、ロシア航空宇宙防衛軍と統合されてロシア航空宇宙軍(VKSVozdushno-Kosmicheskie Sily)となった。航空部隊、防空・ミサイル防衛部隊、宇宙部隊の3部門からなる。隷下の航空・防空軍コマンドは航空・防空軍(Armiia VVSiPVO)という名称に戻っており、航空部隊は航空基地から航空師団−航空連隊制、防空ミサイル部隊は航空宇宙防衛旅団から防空ミサイル師団に戻される模様。陸軍航空隊や陸軍防空部隊はそのまま航空宇宙軍の隷下に置く。2017426日、シベリアのテレムバ試験場で訓練飛行中のMiG-31BM戦闘機が、間違って僚機の射線上に入ってしまい、僚機のザスロンAMレーダーに敵機と判断されてR-33空対空ミサイルを撃ち込まれ、撃墜された。乗員は無事だった。920日、ブリヤート共和国テレンバ演習場(東部軍管区内)で巡航ミサイル迎撃訓練を実施。Tu-95MS爆撃機からKh-55を発射し、Su-35Sが全弾撃墜した。104日、Tu-95MS爆撃機とTu-22M3爆撃機による長距離機動・ミサイル攻撃訓練を実施。ロシア最東端チュコト半島アナドゥイリ飛行場にTu-22M3が初展開している。2019118日、間宮海峡でSu-34戦闘機2機が訓練中に空中衝突して両方墜落し、1名が救助されたが、2名が死亡、1名が行方不明になった(墜落したのは1機で、脱出した乗員2名のうち1名は救助され1名は死亡したという説もある)。122日、訓練飛行後のTu-22M3がブリザードの中でムルマンスク近傍オレニヤ基地に着陸しようとした際、接地直後に機体が跳ね上がって2つに折れ炎上、乗員4名のうち3名が死亡した。723日、Tu-95MS爆撃機が日本海で中国空軍轟炸6型K爆撃機と初の共同訓練を実施。参考:ウォーマシン・レポートNo.67、月刊JWings10,0511,1011,124,194,'23、月刊丸1,77、月刊軍事研究3,086,147,0812,082,093,097,092,104,109,101,122,1210,121,'161,18、月刊航空ファン11,'157,117,184,197,1910,19、月刊航空情報11,09

 <ソ連空軍(1977年)>:兵力475000名。MiG-17戦闘機220機、MiG-21戦闘機1450機、Su-17戦闘機300機、Su-7戦闘機500機、MiG-25迎撃機115機、MiG-23/27攻撃機1100機、Su-19戦闘攻撃機120機、Il-28/Yak-28175機、Tu-95爆撃機100機、M-4爆撃機35機、Tu-16爆撃機305機、Tu-22爆撃機136機、Tu-22M爆撃機35機、Tu-16空中給油機型9機、M-4空中給油機型44機、Tu-16電子戦機型94機、Tu-95偵察機型4機、Tu-16偵察機型22機、Tu-22偵察機型10機、MiG-21偵察機300機、ブリューワーE45機、An-12電子戦機6機、An-8輸送機50機、An-12輸送機780機、An-24/-26輸送機180機、Il-14輸送機235機、Il-18/-62輸送機15機、Il-76輸送機35機、Li-2輸送機100機、Tu-104輸送機10機、Tu-134輸送機5機、Tu-114/An-22輸送機50機、Mi-1/-2輸送ヘリ800機、Mi-4輸送ヘリ410機、Mi-6輸送ヘリ490機、Mi-8輸送ヘリ1610機、Mi-10輸送ヘリ10機、Mi-24攻撃ヘリ310機などを保有する。参考:軍事力バランス78年版

 <ソ連空軍(1989年)>:総兵力448000名、うち徴兵310000名。戦略戦力は兵力108000名、航空軍5個。Tu-95爆撃機195機(Tu-95B/G60機、Tu-95H75機)、Tu-160爆撃機20機、Tu-22M爆撃機175機、Tu-16爆撃機140機、Tu-22爆撃機120機、Tu-16戦略偵察機20機、Tu-22偵察機型20機、MiG-25偵察機40機、Su-24偵察機50機、MiG-21戦闘機45機、MiG-23戦闘機135機、Su-27戦闘機80機、Tu-16電子戦機100機、Il-20/-22電子戦機30機、Yak-28電子戦機40機、M-4空中給油機40機、Tu-16空中給油機20機、Il-78空中給油機14機を保有する。戦術戦力は兵力340000名、軍管区・軍集団空軍16個。MiG-21戦闘攻撃機180機、MiG-27戦闘攻撃機855機、Su-17戦闘攻撃機810機、Su-24戦闘攻撃機830機、Su-25攻撃機225機、MiG-21戦闘機260機、MiG-23戦闘機800機、MiG-25戦闘機25機、MiG-29戦闘機500機、Su-27戦闘機110機、MiG-21偵察機50機、MiG-25偵察機120機、Su-17偵察機135機、Su-24偵察機100機、Yak-28偵察機100機、練習機2000機を保有する。軍事輸送航空隊は兵力40000名、師団5個、独立飛行連隊数個。An-12輸送機125機、Il-76M/MD輸送機385機、An-22輸送機55機、An-124輸送機12機、増強戦力(独立飛行連隊/飛行隊の輸送機)1200機、民間航空輸送機関アエロフロート1700機(うちAn-12/Il-76輸送機220機)を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ロシア空軍(2007年)>:司令部直轄の戦略爆撃機及び輸送航空隊(2個航空軍)、軍管区隷下の6個航空軍(各軍管区に1個ずつ)からなる。具体的には、モスクワ空軍防衛管区に第16航空司令部/航空軍最高司令部、北コーカサス軍管区に第4航空軍、ボルガ軍管区に第5航空軍、レニングラード軍管区に第6航空軍、極東軍管区に第11航空軍、シベリア軍管区に第14航空軍が置かれている。Su-27系列370機、Mig-29系列350機、MiG-31系列300機、Tu-95MS70機、Tu-22M70機、Tu-160Su-24M500機、Su-25系列278機、MiG-25RB25機、各種輸送機300機、Mi-24系列800機、Ka-50系列10機を保有しており、800機の旧式機(Mig-29Tu-22Mも一部含まれる)がモスボール保管されている。参考:月刊軍事研究3,087,08

 <ロシア空軍(2009年)>:レニングラード、北コーカサス、ボルガ・ウラル、シベリア、極東の各軍管区に空軍防空軍が1個ずつ編成されており、モスクワ周辺はモスクワ空軍防衛管区の第16航空司令部及び航空軍最高司令部が管轄する。MiG-29戦闘機435機、Su-27戦闘機286機、Su-27SM戦闘機24機、Su-27UB戦闘機52機、Su-34戦闘爆撃機10機、MiG-31迎撃機193機、MiG-31M迎撃機90機、Su-24攻撃機154機、Su-24M攻撃機180機、Su-24MP攻撃機20機、Su-24MR攻撃機175機、Su-25攻撃機193機、Su-25UB攻撃機20機、Tu-160爆撃機16機、Tu-22M3爆撃機68-118機、Tu-95MS爆撃機32機、MiG-25RB偵察機39-42機、A-50早期警戒機20-26機、L-39C455機、An-2輸送機88機、An-12輸送機35機、An-12BP輸送機46機、An-124輸送機22機、An-22輸送機20機、An-24輸送機95機、An-26輸送機9機、An-26B輸送機21機、An-32輸送機50機、An-72輸送機25機、Tu-134A6機、Tu-134A-3を6機、Tu-134B-2を4機、Tu-134B-3を8機、Il-18Dを6機、Il-18Vを2機、Il-2212機、Il-62M10機、Il-76M106機、Il-76MD119機、Il-7818機、L-410UVP31機、Mi-2ヘリ32機、Mi-8ヘリ59機を保有する。参考:月刊JWings6,09

 <ロシア航空宇宙軍(2015年8月1日新編時)>:中央軍管区/中央統合戦略コマンド隷下に第14航空防空軍(MiG-31BMSu-24MMi-8AMTShMi-24Mi-26S-300PS。第2航空防空コマンドから改編)、東部軍管区/東部統合戦略コマンド隷下に第11航空防空軍(Su-30SMSu-30M2Su-35SMi-8AMTShKa-52S-300S-400、トールM2U。第3航空防空コマンドから改編)、西部軍管区/西部統合戦略コマンド隷下に第6レニングラード赤旗航空防空軍(Su-30SMSu-34Su-35SKa-52Mi-28NMi-35Mi-8MTV5S-300S-400、パンツィールS1。第1航空防空コマンドから改編)、南部軍管区/南部統合戦略コマンド隷下に第4航空防空軍(Su-25SM3Su-30SMSu-34Su-25SMMi-8AMTShMi-35MKa-52Mi-28NMi-8MTV5Mi-26。これも第1航空防空コマンドから改編)が置かれている。北洋艦隊統合戦略コマンドの隷下にも後に1個航空軍が創設される予定で、北極圏を担当する。年間飛行時間は戦闘用機60-100時間、輸送機120時間強。Tu-22M3/MR爆撃機63機、Tu-95MS/MSM爆撃機60機、Tu-160爆撃機16機、MiG-29戦闘機90機、MiG-29UB戦闘機30機、MiG-31B/BS戦闘機40機、MiG-31BM戦闘機40機、Su-27戦闘機100機、Su-27UB戦闘機20機、MiG-29SMT戦闘機28機、MiG-29UBT戦闘機6機、Su-24M/M2戦闘機140機、Su-27SM2戦闘機47機、Su-27SM3戦闘機14機、Su-30M2戦闘機14機、Su-30SM戦闘機15機、Su-34戦闘機57機、Su-35S戦闘機36機、Su-25攻撃機80機、Su-25SM/SM3攻撃機100機、Su-25UB攻撃機15機、An-30偵察機4機、Su-24MR偵察機79機、Tu-214ON情報収集機2機、Il-20M電子情報収集機15機、Il-22電子情報収集機5機、Il-22M電子情報収集機12機、A-50早期警戒管制機15機、A-50U早期警戒管制機3機、Il-80コマンドポスト4機、Il-82コマンドポスト2機、Tu-214SRコマンドポスト2機、Il-78空中給油機5機、Il-78M空中給油機10機、An-124輸送機9機、An-22輸送機4機、Il-76MD/MF輸送機110機、An-12BK輸送機65機、An-26輸送機115機、An-72輸送機25基、An-140輸送機5基、L-410輸送機27機、Tu-134輸送機54機、Tu-154要人輸送機18機、L-39練習機150機、Yak-130練習機54機、Ka-50攻撃ヘリ12機、Ka-52A攻撃ヘリ81機強、Mi-24D/V/P攻撃ヘリ100機、Mi-28N攻撃ヘリ54機強、Mi-35攻撃ヘリ24機強、Mi-8PPA電子戦ヘリ20機、Mi-8MTRP-1電子戦ヘリ7機、Mi-26/-26T輸送ヘリ32機、MI-8/-8MT/-8MTSh/-8MTV-5輸送ヘリ300機、Ka-226練習ヘリ19機、アンサットU練習ヘリ20機、プチェラ1T無人機少数、プチェラ1K無人機少数、9K317地対空ミサイル80基、S-300PS/PM地対空ミサイル400基、S-300V地対空ミサイル20基、S-400地対空ミサイル48基、96K6パツィールS1地対空ミサイル12基、R-27T/ET/R/ER/P/EP空対空ミサイル、R-33/-33S空対空ミサイル、R-60T空対空ミサイル、R-73空対空ミサイル、R-77-1空対空ミサイル、K-37M空対空ミサイル、Kh-25MP/-31P/-31PM/-58対レーダーミサイル、Kh-25/-29/-38/-59/-59M空対地ミサイル、Kh-22/-32空対艦ミサイル、Kh-55/-55SM/-101/-102/-555巡航ミサイル、KAB-500/-1500Lレーザー誘導爆弾、KAB-500KR/-1500KR/-500ODテレビ誘導爆弾、UPAB1500テレビ誘導爆弾、KAB-500S慣性・GLONASS誘導爆弾を保有する。参考:月刊航空ファン11,'15、月刊軍事研究3,16THE MILITARY BALANCE 2016

ロシア空挺軍>:VDVVozdushno-Desantnye Vojska)と略す。創設当初は空軍の隷下にあり、1946年にソ連国防相直轄の戦略予備軍となり、1956年にロシア地上軍に編入され、1964年に国防相直轄の独立軍種となった。1968年、BMD-1空挺戦闘車の量産を開始。チェコスロバキア侵攻でプラハ空港への空挺作戦を実施。1979年、アフガニスタン侵攻でカブール空港に空挺作戦を実施。1985年、BMD-2空挺戦闘車の量産を開始。20081014日の国防基本ガイドライン改変で、4個師団・1個旅団・数個独立連隊編成を6個旅団編成に変え、各軍管区に1個ずつを配置することになった。2010年、BMD-4BTR-MD2S25の調達を中止した。9月、ロシア空挺軍アカデミー校長が国防相から公衆の面前で叱責されたため、空挺軍は反発し、空挺軍退役軍人同盟がモスクワでデモを行った。10月末、空挺軍司令官の乗った車が大型トラックに衝突されて司令官が重傷を負った。2015年から戦車の配備を開始。2015129日、空挺軍を15000名増やして60000名にし、1個師団を増強する計画が2020年以降に延期された。この煽りを受けてクリミア北部に展開している第7空挺強襲師団第3連隊が大隊規模に縮小される。33日、BMD-4MBTR-MDMの配備を開始。2016年、初の戦車部隊となる戦車中隊6個(T-72B3戦車装備。実際にはT-72B3Mらしい)が新編された。参考:月刊軍事研究12,081,091,118,153,1710,18、ワルシャワ条約機構軍特殊部隊、月刊PANZER45,17

 <ソ連空挺軍(1985年)>:国防大臣直属で、戦時には戦略予備軍の主力となる。トップはスホルコフ上級大将で、隷下に7個航空強襲師団(極東軍管区の第6親衛クレミンチュグ・ズナメンカ、レニングラード軍管区の第76親衛チェルニゴフ・プレストリトウスク・コベル・エルニャ、オデッサ軍管区の第102親衛スビル・ペトロザボドスク、アフガニスタン限定派遣軍の第103親衛、トランスコーカサス軍管区の第104親衛、モスクワ軍管区の第106親衛ザバイカル・ドニエプル、バルト軍管区の第107親衛チェルカッシイ航空強襲師団。第106親衛航空強襲師団は訓練部隊)、第44親衛空挺師団(訓練部隊で、平時は基幹要員のみ)などを置く。戦略機動はソ連空軍輸送航空軍が保有するAn-12輸送機200機、An-22輸送機50機、Il-76輸送機170機で行い、長距離機動なら航空強襲師団1個、短距離なら軽装備の2-3個を輸送できる。参考:ワルシャワ条約機構軍特殊部隊

 <ロシア空挺軍(2007年)>:兵力35000名。隷下に空挺師団4個、空挺旅団1個、特殊任務独立連隊1個、空挺教育センターなどを置く。対テロ作戦や平和維持活動で率先して任務に当たる。参考:月刊軍事研究3,08

 <ロシア空挺軍(2015年)>:兵力34000名(45000名?)。空挺師団4個、独立空挺旅団1個、空中強襲旅団3個、スペツナズ旅団1個からなる。ティグル偵察車、BMD-1装甲車100両、BMD-2装甲車1000両、BMD-3装甲車10両、BMD-4装甲車30両、BMD-4M装甲車12両、BTR-82AM装甲車20両、BTR-D装甲車700両、BTR-MDM装甲車12両、122mmD-30150門、120mm自走迫撃砲2S9250両(+保管中500両)、82mm迫撃砲2B14150門、120mm迫撃砲2B2350門強、BTR-RD自走対戦車ミサイル100両、9K111/9K113/9K115/9K115-1/9K135対戦車ミサイル、73mm無反動砲SPG-9105mm携帯対戦車ロケットRPG-29125mm対戦車自走砲2S2536両強、BTR-ZD自走地対空ミサイル150両、9K310/9K38/9K333/9K338/9K34携帯地対空ミサイル、BREM-D/BREhM-D装甲回収車を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、月刊軍事研究7,16

ロシア軍>:最高指揮官はロシア大統領で、国防相には帝政ロシア時代から軍人が任命されてきたが、2001年に初めて民間(とはいっても国境警備隊だが)出身の人物が就任した。軍の序列は戦略ロケット軍(19591217日創設)、地上軍、防空軍(1954年に軍に格上げ。1996年に空軍と統合)、空軍、海軍で、海軍は1953年まで軍政上は別組織になっていた。1918年、労働者・農民赤軍として創設された。1920年のソ連・ポーランド戦争後に正規軍と民兵を組み合わせた編制とした。1922416日、ドイツとラパッロ条約を締結。航空機、戦車、化学兵器の共同開発実験を行い、新戦術の糧にした。1230日、ソ連邦が結成された。1925年、初の野外教令を作成。1927年、産業動員計画を策定。1928-37年の第1・第2次5カ年計画で軍事産業の基盤整備を行った。主要工場はヨーロッパに近い地域に設けられたが、戦時の抗堪性を考えてシベリア鉄道沿いのウラル山脈周囲、西シベリア、極東地域にも工場を作っている。1929年、赤軍野外教令を改訂。1935年、正規軍のみの編制とした。1936年、赤軍野外教令を改訂。1937-38年、スターリンが大規模な粛正を実施。将校は35000名が粛正され、将官の90%、大佐の80%が粛正を受けたという。19387-8月、長鼓峰事件に参戦。19395月、ノモンハン事件。8月、独ソ不可侵条約締結。9-10月、バルト三国との相互援助協定に基づいて軍を派遣し、実質的に併合。11月、冬戦争。1941622日、ドイツと開戦し、第2次大戦に参戦。1991年、国防予算は1337億ドル、国防支出は916億ドル、現役総兵力は340万名であった。冷戦崩壊後、19925月にロシア連邦共和国が誕生し、ソ連軍がロシア軍に改称され、ロシア国防省が創設され、グラチョフ国防相が就任。安全保障会議を設立。1992-93年にはロシア国防省が政府の審議を殆ど受けずに軍事ドクトリンを作成するなど一時混乱状態に陥った。大規模戦争から地域紛争対応に変化させるため、空挺部隊を中心とする機動軍構想を打ち出してみたものの、予算が足らずにお蔵入りとなっている。名目上の国防費は世界第2位だったが、実際の支出は1割に満たないとも言われており、更に私的流用も加わったため、予算不足は兵士の給料や基地の光熱費も払えないという深刻なもので、独立採算性に移行した軍需産業は新規装備のロシア向け生産を渋るようになり、結果として輸出が加速された。1996年、ロジオノフ国防相が就任。GPV-2005を開始。1997年、セルゲーエフ国防相が就任。包括的安全保障文書が策定され、戦略核抑止の維持と地域紛争対処を主眼とすることになり、兵力を大幅に削減、空軍と防空軍を統合し、宇宙軍と防空軍宇宙ロケット防衛部隊も戦略ロケット軍に統合した。しかし予算を戦略核抑止方面に回しすぎたため、通常戦力が維持できなくなり、このせいで第2次チェチェン戦争が長引いたという批判を受けた。初めて国家安全保障概念を策定。軍事政策の基本となる軍事ドクトリンや外交政策の基本となる対外政策概念の根本となる国家方針の筈だったが、策定に時間がかかってこれらより後に出されてしまい、中身もロシア内部の脅威を強調する内容だったため、NATO軍のユーゴ介入姿勢と比較して軟弱だという批判も受けた。2000年、プーチン政権下で国家安全保障概念、軍事ドクトリン、対外政策概念、情報安全保障ドクトリン、海洋ドクトリンなどが改訂され、関係が悪化しつつあったNATOに対抗できるよう、大規模な通常戦力を保有することにした。8月の安全保障会議で、地上軍、防空軍、海軍、空軍、戦略ロケット軍の5軍種編成から陸海空の3軍編成に改編することになった。2001年、国防予算は75億ドル、国防支出は637億ドル、武器輸出額は54.71億ドル、現役総兵力は97.7万名であった。GPV-2010を開始。3月、プーチン大統領はロシア軍の建設と整備・構成の改善に関する大統領令を発動、戦略ロケット軍を6月までに独立兵科に格下げし、通常戦力重視とする方向性を打ち出し、核重視のセルゲーエフ国防省を解任して国境警備隊出身のセルゲイ・イワノフ国防相を誕生させた。911日の同時多発テロ以降、アメリカのテロとの戦いを支持し、チェチェン紛争への批判を抑えることに成功した。2002年、モスクワ劇場占拠事件が発生。2月、武器庫から数万基の携SAMが行方不明になっているとした。419日、ムミラク訓練場でサウス・アンチテラー2002演習を実施。タジクの第201師団を中心に、アフガンからテロリストが侵入したという想定で訓練を行った。2003年、イワノフ国防相がイワノフ・ドクトリンと呼ばれる国防改革を公表。軍を精鋭化することでテロへの対応能力を高め、全世界への軍事力投射能力を獲得し、CIS構成国への影響力を再構築することとした。2004年の北オセチア小学校占拠事件を受けて、大統領は武力のみならず、広範な社会・経済対策によりテロ組織を抑え込む方針を示している。2004年上半期の犯罪や事故による兵士の死亡は500名を超え、チェチェン紛争での戦闘による死者と同じ程度にまで達した。また、国防費の不正利用も上半期だけで5億ルーブル(1700万ドル)に達したという。7月、国防相の改革に対する抵抗勢力だったアナトリー・クワシニン参謀総長が解任され、国防法を改訂、参謀部の地位が下げられて軍の運用統制権が国防相に移行した。2005年、内務省軍が軍隷下から外れた。ヴォストーク2005演習を実施。国防相がロシア軍士官による犯罪発生率が極めて高いと述べ、ロシア人口の1%でしかない軍人が犯罪全体の15%に関与しているとした。1月、チェチェンやタジキスタンの部隊は全て志願兵を充てると発表。これにより志願兵が減ってしまい、モスクワ軍管区でも目標の17%しか集まらなかった。2月、アメリカとの間で携SAM監視規制を行うことで合意。しかし処分のために集められた携SAMが纏めて転売されるという事態も生じている。101日、国防相は徴兵忌避率が90%を超え、応じた9.3%も2人に1人が健康問題あり、5人に1人が学力高卒未満、20人に1人が前科者であると発表した。2006年、国家反テロ委員会が設立された。バイカル2006、カフカス国境2006、南の盾2006演習を実施。1月、2007年から2015年に5兆ルーブル(1830億ドル)をかけてロシア軍装備の45%を更新する計画(国家兵器計画2015)を打ち出した。512日、国防省から連邦軍事・ロジスティクス物資調達契約庁を独立させた。2006年上半期の国防費不正流用は9億ドルに達すると発表されたが、実際にはもっと多いらしい。2006年度の国防予算は246億ドル、国防支出は700億ドル、現役総兵力は102.7万名であった。兵器輸出額は64億ドル(58億ドル?)で、武器輸出シェアでアメリカを抜いて1位になった。輸出に力を入れすぎて本国軍の近代化が遅れているともいわれるが、軍の主任務がNATOに対する正面戦闘から局地対テロ任務に変化してきたため、旧式装備の改良でも対応できるようだ。軍人の給与は陸軍中尉でも月150ドル程度とロシア一般人の75%に過ぎず、武器の横流し(AK-47を1丁売ると400-500ドル入る)の原因となっている。2007年、複数年度にまたがる国防支出計画を導入した。GPV-2015を開始。カフカス国境2007演習を実施。2007年(2006年?)215日、アナトリィ・セルジュコフ国防相(元財務相税務庁長官)が就任。兵役以外に軍との接点を持たない初の国防相となり、兵力の10%削減などを打ち出したが、バルエフスキー参謀総長との間で軋轢が生じた。2008年、対外政策概念を改訂。カフカス2008、ヴォストーク2008、ツェントル2008、スタビリノスチ2008演習を実施。軍事機構の改編を進め、2008-10年に従来の軍を戦略核戦力コマンド、航空宇宙防衛コマンド、輸送コマンド、地域コマンド(東、西、南)に統合する予定とした。海軍艦隊は北洋艦隊を除いて地域コマンドの隷下に入る。2008年上半期の調達契約のうち、3000件で規則違反が見つかり、1億4000万ドルが不正に流用または支出され、7億6000万ドルが非効率もしくは効果の無い支出であったという。また、調達発注時の中間搾取で価格が1.5-2倍になってしまうこともあり、不正流用・着服額は国防調達の30%にも及ぶという。6月、セルジュコフ国防相は兵力を113万名規模から100万名に削減し、士官の比率も32%から15%に下げる(ロシア以外の国では7-20%くらい)と発表。63日、セルジュコフ国防相とバルエフスキー参謀総長の間の亀裂は決定的となり、参謀総長が更迭された。アメリカのミサイル防衛に関してプーチン大統領が譲歩し、問題を決着させようとしていたことに抗議する目的もあったとみられる。後任は軍改革に協力的なニコライ・マカロフ上級大将である。8月、南オセチア紛争が勃発。通信や精密攻撃能力に問題があることが判明し、911日にメドベージェフ大統領が軍発展計画に関する秘密会合を開催した。1014日、2012年までに軍の旅団化を進め、軍管区司令官、作戦コマンド、旅団司令官の3階層方式(それまでは軍管区・軍・師団・連隊の4階層)に変更し、全部隊を常時即応部隊化して緊急展開能力を高めるという基本ガイドラインを発表。緊急展開任務は専門部隊でなく、各軍管区に1個ずつ創設する緊急対応旅団(空挺)が行うことになった。また、2012年までに総兵力は100万名を目標とし、職業軍人を5万5千名から10万名に、志願兵の割合を7割に増加させ、戦闘部隊士官を33万5千名から15万名に、指揮統制組織幹部を21583名から8500名に、将官数を1107名から877名に、士官を半分の15万名に削減する予定。士官候補生学校は15から6に、軍大学は4から1に、研究所や専門学校は46から3に減らされる他、2018-20年までに装備の80-100%を更新することにした。司令部要員と装備しかない倉庫部隊は全て解隊され、全軍が常時即応部隊に改編される。1111日、世界的な金融危機で軍需産業の資金繰りが危機的になったため、予算の前倒し支出を決定。2009年、国家安全保障概念を国家安全保障戦略に改称(正確には2020年までの国家安全保障戦略)し、中身も改訂した。ザーパド2009演習、ラドガ演習、カフカス2009演習を実施。2009327日、北極圏軍の創設を発表した。20102月、軍事政策の基本となる軍事ドクトリンを改訂。軍事的脅威の下に新たに軍事的危険のカテゴリーを設けたが、外的軍事的危険のトップにNATO関連事項を置いたため、NATOの反発を招いた。4月、境界2010演習に参加。629日から78日、ヴォストーク2010演習を実施。96日、イスラエル軍との軍事協力協定に署名。シリアやイラン向けの兵器などに転用しない限り、イスラエルの防衛技術を得られるようになった。99-25日、和平使命2010に参加。1015-24日、インドラ2010演習に参加。1022日、6個軍管区を4個統一戦略司令部(中央、西、東、南)に再編成する計画を完了。1025-28日、連携2010演習に参加。12月、従来の軍管区に代わって西部、東部、中央、南部の各戦略司令部を創設し、バルト海艦隊を西部、太平洋艦隊を東部、北洋艦隊を中央、黒海艦隊を南部戦略司令部に隷属させた。ネットワーク中心の戦いに対応するため、アカツィヤM及びESU-TZを導入中。2011年度、GPV-2020を開始。20112月、将校の定員を15万名でなく22万名にすると発表。919-27日、ツェントル2011演習とシチート・サユーザ2011演習を実施。12月、ロシア宇宙軍とロシア空軍航空宇宙防衛作戦戦略コマンドを統合してロシア航空宇宙防衛軍を創設した。2012年、カフカス2012演習を実施。127日、国防省と国営軍事公社ロスオボロンセルヴィスによる巨額汚職事件に関与していた疑いで、セルジュコフ国防相が解任された。参謀総長などの軍高官人事も一新されている。かわりに国家非常事態相セルゲイ・ショイグ上級大将(ただし軍歴は大学時代の予備将校課程のみ)が国防相に就任した。20135月、西部軍管区の2個旅団が師団に改編された。ただし中身も師団化したかは定かでなく、セルジュコフ改革の巻き戻しなのか、単なる方便なのかは不明である。713-20日、東部軍管区で抜き打ちの大演習を実施。兵員16万名、戦車・装甲車1000両、航空機130機、艦艇70隻が参加するソ連崩壊後最大規模の演習となった。特定の国を対象としたものではないとしているが、陸上は中国、島嶼部は日本を仮想敵に据えていたという説もある。813日から912日、戦闘協力2013演習に参加。9月、ザーパド2013演習を実施。107-11日、破れざる兄弟愛2013演習に参加。2014年初め、ウクライナとの国境付近に20000-30000名の兵力をローテーション配置するようになった。9月、ヴォストーク2014演習を実施。12月、軍事ドクトリンを改訂。2010年度版からは細部変更のみに止まっている。121日、参謀本部国家国防指揮センターが完全稼動体制に入った。北洋艦隊が統合戦略コマンドとなり、西部・南部・中央・東部軍管区と同列の統合部隊となった。2015316-21日、大規模抜き打ち演習を実施。北洋艦隊による北極圏での防空・対潜作戦演習に始まり、西部軍管区バルト海艦隊・南部軍管区・空挺部隊が高度準備態勢に移行、更に中央軍管区、東部軍管区、空軍長距離航空コマンド、軍事輸送コマンドが加わり、兵員80000名、水上艦65隻、潜水艦15隻、航空機220機が参加した。3日目には戦略原潜に対するSLBM模擬発射命令が下命され、クリミア半島にTu-22M3爆撃機、カリーニングラードにイスカンデルMが展開し、核攻撃を想定した訓練も行われている。528日、国家機密の対象範囲を拡大する大統領令が発効し、対外諜報機関や平時特殊作戦の人的損失などが国家機密に含まれるようになり、ウクライナ紛争やシリア内戦介入による人的被害を表に出さなくなった。81日、ロシア空軍とロシア航空宇宙防衛軍を統合してロシア航空宇宙軍を新編した。92-5日、スラブの絆2015演習を実施。910-16日、同盟の盾2015演習を実施。914-20日、ツェントル2015演習を実施。930日、シリア内戦への軍事介入を開始。1231日、プーチン大統領が国家安全保障戦略の改定を承認。201685-7日、多国間射爆撃競技会アヴィアダーツ(AVIADARTS)を実施。95-10日、カフカス2016演習を実施。1026日まで、ロシア軍と独立国家共同体CISによる防空演習を実施。Tu-160爆撃機3機、Tu-95MS爆撃機1機、Tu-22M3爆撃機3機を仮想敵とし、戦闘機による迎撃訓練を行った。ハイジャック共同対処訓練なども実施している。20173月、大統領令第127号で定数が1000000名から1013628名に増えた。1026日、戦略核部隊の大演習を実施。戦略ロケット部隊がプレセツク宇宙基地からカムチャツカ半島クラ射爆場にRS-12Mを発射し、航空宇宙軍Tu-160Tu-95MTu-22M3が巡航ミサイル発射訓練を行い、太平洋艦隊戦略原潜(667BDR型らしい)がオホーツク海からチジャ射爆場にSLBMR-29Rらしい)2発を同時発射し、北洋艦隊戦略原潜(667BDRM型らしい)がバレンツ海からクラ射爆場にSLBMR-29RMU2らしい)を発射した。2018124日、GPV-2027が承認された。31日、プーチン大統領が年次教書演説で新型兵器6種類(9M730プレヴェストニク原子力巡航ミサイル、アヴァンガルド極超音速滑空弾頭、ポセイドン核魚雷など)を発表。9月、ヴォストーク2018演習を実施。2022224日、ウクライナに侵攻した。731日、ロシア連邦海洋ドクトリンを改訂し、アメリカとNATOを脅威であると明記した。91-7日、ヴォストーク2022演習を実施。参考:月刊軍事研究7,072,083,0812,081,093,096,099,092,109,1010,101,1112,112,1310,1312,1312,142,154,1612,161,183,184,18、月刊JWings10,051,1711,'22、月刊丸8,8711,0912,10、月刊PANZER9,102,12、月刊世界の艦船10,132,156,151,'161,189,'23、月刊航空情報8,02、月刊航空ファン10,16、歴史群像8,15、朝雲、THE MILITARY BALANCE 2016

 <ソ連軍(1989年)>:戦略ロケット軍、地上軍、防空軍、空軍、海軍、空挺軍からなる。世界を大陸/海洋作戦区域に分割し、戦略方面として設定しているが、各戦略方面に作戦司令部を置いている訳では無く、情報収集や作戦計画立案における便宜上の区域分けで、平時に部隊が置かれているのはソ連国内の各軍管区、艦隊、ワルシャワ条約機構諸国である。ソ連国内は中央戦略地域、極東戦略方面、南部戦略方面、西部戦略方面、南西部戦略方面、北部方面軍に分かれ、艦隊は北洋艦隊、太平洋艦隊、バルチック艦隊、黒海艦隊、地中海分遣隊からなる。ワルシャワ条約機構諸国には西方軍集団(司令部は東ドイツのツオッセン・ヴュンドルフ)、中央軍集団(司令部はチェコスロバキアのミロビーチェ)、北方軍集団(司令部はポーランドのレグニツァ)、南方軍集団(司令部はハンガリーのブダペスト)が置かれている。現役4258000名(徴集兵270万名)、予備役556万名(直近5年間の軍務経験者)、5500万名(50才までの予備役義務期間総計。更に正規軍退役者が加わる)。他に鉄道・建設部隊49万名、KGB/内務省兵力57万名がいる。モンゴルに60000名、ベトナムに2800名、Tu-95/-142哨戒機6機、Tu-16バジャーA/C/E/J対潜哨戒機16機、MiG-23戦闘機1個飛行隊、地対空ミサイル、通信傍受施設、アフガニスタンに軍事顧問、アルジェリアに700名、アンゴラに1000名、艦艇4-8隻、洋上哨戒機、コンゴに75名、キューバに1個旅団2800名、軍事顧問2800名、通信傍受・その他技術者2100名、エチオピアに1600名、乾ドック、海軍歩兵分遣隊、インドに500名、イラクに1000名、カンボジアに500名、ラオスに500名、リビアに1500名、マリに75名、モザンビークに700名、ニカラグアに100名、南イエメンに1000名、その他アフリカに600名を派遣している。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ロシア軍(2007年)>:地上軍、空軍、海軍の三軍と戦略ロケット軍、宇宙軍、空挺軍の三兵科から構成される。部隊数は地上軍1890個部隊(動員準備部隊含む)、空軍340個、海軍240個、戦略ロケット軍12個連隊、宇宙部隊7個連隊、空挺部隊6個旅団。軍教育施設は65カ所、軍用飛行場は245カ所。軍管区はモスクワ、レニングラード、沿ボルガ・ウラル、北カフカス、シベリア、極東の6つで、特別地区としてカリーニングラードがあり、海軍は海域ごとに艦隊が編成されている。総兵力1134800名で、軍外組織として国内治安及び国境警備を担当する連邦保安庁国境軍、内務省国内軍など30万名がいる。参考:月刊PANZER2,12、月刊軍事研究3,08

 <ロシア軍(2012年)>:兵力定数100万名。地上軍172個部隊(1個師団、85個旅団など)、空軍180個部隊、海軍123個部隊、戦略ロケット軍9個連隊、宇宙部隊6個連隊、空挺部隊7個旅団、軍教育施設10カ所、軍用飛行場27カ所を擁する。軍管区は西部、南部、中央、東部の4つ。参考:月刊PANZER2,12

 <ロシア軍(2015年)>:三軍(地上軍、空軍、海軍)と三独立兵科(空挺部隊、戦略ロケット部隊、航空宇宙防衛軍)からなり、空軍と航空宇宙防衛軍は201581日に航空宇宙軍に統合された。大統領をトップとする最高司令部は、戦略抑止戦力(戦略ロケット部隊、航空宇宙防衛軍、海軍戦略原潜、空軍戦略爆撃機)と空挺部隊を直轄指揮する。それ以外の一般任務戦力は、4個軍管区(西部、中央、南部、東部)統合戦略司令部をフォース・ユーザー、各軍種総司令部をフォース・プロバイダーとして運用される。現役総兵力798000名(陸軍240000名、海軍148000名、空軍145000名、戦略兵器部隊/戦略ロケット部隊に海空戦略核部隊含め80000名、空挺部隊34000名、特殊作戦部隊1000名、司令部・支援部隊150000名)、予備役2000000名、準軍事部隊489000名(連邦国境警備隊160000名、連邦特別構築機関50000名、連邦通信情報機関55000名、連邦防護隊10000-30000名、連邦保安庁武装要員4000名、内務省軍170000名)。アルメニアに3300名、基地1カ所、自動車化狙撃旅団1個、T-72戦車74両、BMP-1歩兵戦闘車80両、BMP-2歩兵戦闘車80両、2S1自走砲12両、BM-21多連装ロケット12両、飛行隊1個、MiG-29戦闘機18機、S-300V防空部隊2個、2K12防空部隊1個、ベラルーシにボルガ・システム用レーダー基地1カ所、海軍情報サイト1カ所、ボスニア・ヘルツェゴヴィナにOSCE要員2名、コートジボアールにUNOCIオブザーバー9名、コンゴ民主共和国にMONUSCO要員1名とオブザーバー26名、ジョージアに7000名、アブハジアに基地1カ所、自動車化狙撃旅団1個、T-90A戦車40両、BTR-82A装甲車120両、2S3自走砲18両、2S12自走砲12両、BM-21多連装ロケット18両、S-300地対空ミサイル少数、攻撃ヘリ少数、南オセチアに基地1カ所、自動車化狙撃旅団1個、T-72戦車40両、BMP-2歩兵戦闘車120両、2S3自走砲36両、2S12自走砲12両、カザフスタンにドニェープル・システム用レーダー基地1カ所、キルギスタンに500名、Su-25SM攻撃機13機、Mi-8ヘリ2機、リベリアにUNMILオブザーバー3名、中東にUNTSOオブザーバー4名、モルドバに1500名(平和維持要員380名含む)、自動車化狙撃大隊2個、戦車含む装甲戦闘車両100両、Mi-24ヘリ7機、Mi-8ヘリ少数、コソボにOSCE要員1名、南スーダンにUNMISS要員4名とオブザーバー2名、スーダンにUNISFA要員1名、シリアに4000名、空軍基地1カ所(ラタキア)、海軍施設1カ所(タータス)、海軍歩兵戦闘群1個、T-90戦車7両、BTR-82A装甲車20両、2A6512門、9A52多連装ロケット4両、TOS-1ASu-24M戦闘機12機、Su-25SM/UBM攻撃機12機、Su-30SM戦闘機4機、Su-34戦闘機4機、Il-20M電子戦機1機、Mi-24Pヘリ12機、Mi-8AMTShヘリ4機、パンツィールS1地対空ミサイル3基、タジキスタンに5000名、基地1カ所、第201自動車化狙撃師団、T-72B1戦車40両、MBP-2歩兵戦闘車60両、MTR-80装甲車80両、MT-LB装甲車40両、2S1自走砲18両、2S3自走砲36両、2S12自走砲6両、9P140多連装ロケット12両、Mi-24Pヘリ4機、Mi-8MTVヘリ4機、ウクライナにOSCE要員27名、ウクライナのクリミア半島に28000名、偵察旅団1個、海軍歩兵旅団2個、砲兵旅団1個、NBC連隊1個、T-72B3戦車40両、BMP-2歩兵戦闘車80両、BTR-82A装甲車200両、BTR-80装甲車20両、MT-LB装甲車150両、2S1自走砲18両、2S19自走砲18両、BM-21多連装ロケット12両、3K60/3K55地対艦ミサイル旅団1個、Su-24M/MR/Su-30SM戦闘機連隊1個、Su-27SM2/SM3/Su-30M2戦闘機連隊1個、Su-24M/M2戦闘機連隊1個、攻撃・輸送ヘリ連隊1個、対潜ヘリ連隊1個、S-300PS/PM防空連隊2個、艦隊司令部1カ所(セバストポリ)、ドニェープル・システム用レーダー基地2カ所(セバストポリ、ムカチェヴォ)、ウクライナのドネツク・ルハンスクに300名以上、西サハラにMINURSOオブザーバー13名を派遣している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、月刊世界の艦船6,15

<ロシア航空宇宙軍>:201581日にロシア空軍とロシア航空宇宙防衛軍が統合されたもので、VKSVozdushno-Kosmicheskie Sily)と略す。ロシア空軍を参照。

ロシア航空宇宙防衛軍>:Voiska Vozdushno-Kosmicheskoi OboronyVVKO)と略す。ロシアの軍事衛星/宇宙基地運用・弾道ミサイル防衛部隊で、軍種ではなく参謀本部直轄の独立兵科であり、201112月にロシア宇宙軍とロシア空軍航空宇宙防衛作戦戦略コマンドを統合して創設された。司令官は少将。隷下に宇宙コマンド(ゲルマン・チトフ記念第153総合宇宙試験管制センター、第820ミサイル攻撃警戒センター、第821宇宙監視センター)、防空・ミサイル防衛コマンド(防空旅団、ミサイル防衛部隊。第9ミサイル防衛師団のことか)、国家試験宇宙飛行場プレセツクを置く。弾道ミサイル早期警戒システム、A-135弾道ミサイル防衛システム、S-300/S-400防空システムを管理運用する。201581日、ロシア空軍と統合され、ロシア航空宇宙軍になった。参考:月刊軍事研究7,125,131,16、月刊航空ファン11,15

 <ロシア航空宇宙防衛軍(2015年)>:ゴネツ−D/M通信衛星13基、改グロバス(ラドゥガ−1M)通信衛星3基、メリジアン通信衛星4基、パルス通信衛星3基、ラドニク(ストレラ−3M)通信衛星9基、GLONASS航法衛星22基、バールス−M偵察衛星1基、コンドル偵察衛星1基、ペルソナ偵察衛星2基、リアーナ(ロトス−S)ELINT/SIGINT衛星2基、ツェリーナELINT/SIGINT衛星2基、早期警戒レーダー12基、防空師団司令部3個、S-300PM連隊6個、S-400/96K6パンツィールS1連隊5個、S-300PM地対空ミサイル120基、S-400地対空ミサイル120基、96K6パンツィールS1地対空ミサイル30基、53T6弾道弾迎撃ミサイル68基、51T6弾道弾迎撃ミサイル32基(保管中、恐らく解体済み)、ABMシステム用レーダー1基を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ロシア国防省特別監視局>:ロシア国防省第12総局の下部組織で、他国の核実験を監視するのが主任務である。電磁パルス、地震波、衝撃波、地磁気、放射性物質などを観測して核実験の監視を行う。参考:月刊軍事研究7,18

ロシア国防輸出>:ロシアの武器輸出公社Rosoboroneksport(ロスオボロンエクスポルト)。ロスヴァアルジェーニエ、プロムエクスポルト、ロシアテクノロジーの3社が20004月に合併したもので、ロシアの武器輸出を国家統制下に置くことを目的として創設された。20071月、大統領令により、この会社を通さないと武器輸出ができなくなった。例外もあるが、大半は本公社創設前に売った武器のアフターサービスである。2007年末にはロステフノロギィを傘下企業として設立したが、その後ロステフノロギィの100%子会社となっている。参考:月刊軍事研究5,085,16、月刊世界の艦船6,15

ロシア国家親衛軍>:ロシア内務省国内軍が改編されてロシア連邦国家親衛軍庁の管轄下に創設される予定の組織。トップは総司令官で、ロシア連邦国家親衛軍庁長官が兼任する。201676日に連邦法第226号が施行され、国家と社会の安全確保、人及び市民の権利と自由の保護を主任務とする国家軍事組織であると規定された。参考:月刊軍事研究10,16

ロシア戦略ロケット軍>:RVSNRaketnyye Voyska Strategicheskogo Nazacheniya)と略す。ソ連が195912月に創設した軍種で、ICBM、中距離・準中距離弾道ミサイルといった戦略核ミサイルの全てを運用する。19601024日、ネジェーリン大惨事で初代司令官ネジェーリン元帥が死亡。後任にはモスクワ軍管区司令官のモスカレーンコ元帥が就任した。1962年、防空軍総司令官のビュリーゾフ元帥が司令官に就任した。1964年、ビュリーゾフ司令官が航空機事故で死亡したため、モスクワ軍管区司令官のクルィロフ元帥が司令官となった。1970年、指揮通信システムを第2世代に更新。1976年、ピオニール中距離弾道ミサイルを配備。1980年代、指揮通信システムを第3世代に更新。核ミサイルの飛翔コースや目標情報をアップデートできるようにし、移動式発射機での核ミサイル運用を可能とした。1981年、ソ連宇宙手段総局が独立し、参謀本部隷下に移った。1987年、RT-23列車移動式ICBMの配備を開始。1991年、兵力は28万名だった。1997年、ロシア宇宙軍を隷下に置いた。2001年に軍から独立兵科に格下げされ、ロシア宇宙軍が独立兵科として分離した。2010年までに師団を10個に減らし、RS-2040基、UR-100N50基、RT-2PMトーポリM(固定サイロ型)を64基、RS-12M2144基、RS-12M2トーポリM(TEL搭載型)を15基とする予定。2011年、第4世代指揮通信システムの導入を開始。2017912日、プレセツク宇宙基地でサイロ発射型RS-24の発射試験を実施。IPBV(ポスト・ブースト機動弾頭)をテストしたらしい。920日、第27親衛ロケット軍第14ロケット師団が駐屯するマリ・エル共和国ヨシュカル・オラから850km離れたプレセツク宇宙基地に移動し、RS-24ICBMの発射訓練を実施、複数弾頭を全てカムチャツカ半島クラ射爆場に着弾させた。925日、ノヴォシビルスク州で大規模指揮参謀演習を開始。人員10000名、ロケット軍3個(部隊数30)、装備品1000が参加し、926日には将来型戦闘ペイロード(極超音速弾頭説あり)試験用RS-12Mをカプスチン・ヤール演習場から発射、2000km先のカザフスタン共和国サリ・シャガン演習場に着弾させた。参考:核兵器事典、月刊軍事研究12,082,0912,0912,102,187,18、月刊JWings6,09、月刊航空ファン11,15

 <ソ連戦略ロケット軍(1977年)>:兵力375000名。ICBMSS-7/R-16SS-8/R-9A109基、SS-9/R-36238基、SS-11/RS-10840基、SS-13/RS-1260基、SS-17/RS-1640基、SS-18/RS-2050基、SS-19/UR-100N140基の計1477基保有する。MRBMSS-4/R-12500基、IRBMSS-5/R-14100基とSS-20/ピオニールを20基配備している。参考:軍事力バランス78年版

 <ソ連戦略ロケット軍(1989年)>:兵力287000名。6個ロケット軍−師団−連隊−大隊−中隊という序列で、中隊あたりランチャー1基が配備されている。配備地域28箇所、発射管制本部300箇所、ミサイル試験センター3箇所を有する。SS-11Mod2/3ICBM400基、SS-13/RS-12ICBM60基、SS-17Mod3/RS-16ICBM138基、SS-18Mod4/RS-20ICBM308基、SS-19Mod3/RS-18ICBM350基、SS-25/RS-12M165基以上、SS-20/RSD-10IRBM340基、SS-4/R-12MRBM43基を配備する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ロシア戦略ロケット部隊(2007年)>:兵力16万名。隷下にロケット軍3個、ロケット師団13個、ミサイル512発(主力はトーポリ)、核弾頭1808発を置く。参考:月刊軍事研究3,08

 <ロシア戦略ロケット部隊(2015年)>:ロケット軍3個・ロケット師団12個からなる。発射群1個は発射センター1ヵ所とサイロ10基またはTEL9両からなる。RS-20(大部分はSS-18mod5MIRV10基)54発、RS-12M(単弾頭)108発、RS-18(大部分はSS-19Mod3MIRV6基)30発、サイロ運用型RS-12M2(単弾頭)60基、TEL搭載型RS-12M2(単弾頭)18発、サイロ運用型RS-24MIRV3基)4発、TEL運用型RS-24MIRV3基)58発を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <ロシア戦略ロケット部隊(2016年)>:第27親衛ロケット軍、第31ロケット軍、第33親衛ロケット軍からなる。第27親衛ロケット軍は第60ロケット師団(サラトフ州タチシェヴォ。サイロ発射型RS-12M2トーポリM10発配備のロケット連隊6個、サイロ発射型RS-18B10発配備のロケット連隊1-2個)、第54親衛ロケット師団(イワノヴォ州ティコヴォ。TEL搭載RS-12M2トーポリM9発配備の第235親衛ロケット連隊、TEL搭載RS-24ヤルス9発配備の第285親衛ロケット連隊、TEL搭載RS-12M2トーポリM9発配備の第321ロケット連隊、TEL搭載RS-24ヤルス9発配備の第775ロケット連隊)、第28親衛ロケット師団(カルーガ州コゼリスク。サイロ発射型RS-24ヤルス10発配備の第74ロケット連隊、サイロ発射型RS-24ヤルス10発配備の第168ロケット連隊)、第7親衛ロケット師団(トヴェリ州ヴイパルソヴォ。TEL搭載RS-12Mトーポリ9発配備の第41ロケット連隊、TEL搭載RS-12Mトーポリ9発配備の第510親衛ロケット連隊)、第14ロケット師団(マリ・エル共和国ヨシュカル・オラ。TEL搭載RS-12Mトーポリ9発配備の第697ロケット連隊、TEL搭載RS-12Mトーポリ9発配備の第702ロケット連隊、RS-12Mトーポリ9発配備の第779ロケット連隊)を隷下に置く。第31ロケット軍は第13ロケット師団(オレンブルグ州ドンバロフスキー。サイロ発射型RS-20Vヴォイェヴォーダ6発配備のロケット連隊3個)、第42ロケット師団(スヴェルドロフスク州ニジニ・タギル。TEL搭載RS-24ヤルス9発配備の第308ロケット連隊、TEL搭載RS-12Mトーポリ9発配備の第433ロケット連隊、TEL搭載RS-24ヤルス9発配備の第804ロケット連隊)を隷下に置く。第33親衛ロケット軍は第35ロケット師団(アルタイ地方バルナウル。TEL搭載RS-12Mトーポリ9発配備の第307ロケット連隊、TEL搭載RS-12Mトーポリ9発配備の第479親衛ロケット連隊、TEL搭載RS-12Mトーポリ9発配備の第480ロケット連隊、TEL搭載RS-12Mトーポリ9発配備の第867親衛ロケット連隊)、第29親衛ロケット師団(イルクーツク州イルクーツク。TEL搭載RS-24ヤルス9発配備の第92親衛ロケット連隊、TEL搭載RS-12Mトーポリ9発配備の第344親衛ロケット連隊、TEL搭載RS-12Mトーポリ9発配備の第586親衛ロケット連隊)、第39親衛ロケット師団(ノヴォシビルスク地方ノヴォシビルスク。TEL搭載RS-12Mトーポリ9発配備の第357親衛ロケット連隊、TEL搭載RS-24ヤルス9発配備の第382親衛ロケット連隊、TEL搭載RS-24ヤルス9発配備の第428親衛ロケット連隊)、第62ロケット師団(クラスノヤルスク州ウジュール。サイロ発射型RS-18B7発配備のロケット連隊4個)を隷下に置く。参考:月刊軍事研究2,18

<ロシア第1>:SS29擲弾兵師団を参照。

<ロシア第2>:SS30擲弾兵師団を参照。

<ロシア地域航空ジェット>:SSJ-100シリーズ(旅客機)を参照。

ロシア内務省>:MVDMinistrestvo Vnutrennikh Del)と略す。ソ連時代には警察と特殊部隊、35万名の国内軍を合わせて350万名の人員を配していた。国内軍は国内治安担当で、重装備を有する師団編制部隊であり、有事には国防省の指揮下に入る。警察部隊としては、一般的な警察の他、治安維持担当の特殊任務機動隊(対テロ特殊部隊ズーブルを隷下に置く)、即応特殊部隊、特別飛行隊ヤストレブなどが編成されていた。ソ連崩壊後は1992年に誕生したエリツィン政権支持を明確にしたため、ロシア保安省の対テロ部隊や対犯罪組織局が移管され、組織が強化された。チェチェン紛争でも積極的な協力を見せたが、1995年のブデノフスク病院占拠事件での強行突入に失敗し、隷下の情報機関が連邦保安庁対テロセンターに引き抜かれた。2000年にプーチンが政権を獲得すると、連邦保安庁の支配下に置かれた。また、地方知事指揮下の連邦構成主体単位編成だった各機関が、大統領指揮下の連邦管区単位編成に組み替えられ、中央集権体制に変更された。2001年には連邦消防庁が民間防衛・非常事態・自然災害復旧省に移った。2008年、隷下の国内軍兵力は17-20万名で、7個軍管区に分かれている。主任務は分離独立運動やイスラム過激派の鎮圧、重要施設の防護などで、装備は軽火力を中心としたものに転換された。2011年を目処に機動力の高い旅団編成に移行し、3個地域管区にする計画である。参考:月刊軍事研究11,0810,16

 <ソ連内務省(1989年)>:内務省国内軍は兵力34万名で、戦車などを装備する30個師団からなる。法令上はソ連軍の一部で、平時には国内治安維持、有事には後方地域治安維持などを担当する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ロシア内務省(2015年)>:国内軍は兵力17万名。地域コマンド7個(中央、ウラル、北コーカサス、ボルガ、東、北西、シベリア)、第55師団、第59師団、ODON師団、OBRON旅団18個、特殊任務旅団2個(OBR/OSMBR)、連隊・大隊102個(特殊自動車化ユニット含む)、特殊ユニット11個、砲兵連隊1個、航空中隊1個、鉄道軍(20000名。地域コマンド4個、輸送旅団10個)からなり、BMP-1/-2/BTR-80装甲車1650両、122mm榴弾砲D-3020門、120mm迫撃砲PM-3815門、Il-76輸送機9機、An-12輸送機2機、An-26輸送機12機、An72輸送機6機、Mi-26ヘリ10機、Mi-8ヘリ60機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、月刊軍事研究10,16

ロシア防空軍>:V-PVOVoyska Protivo-Vozdushnoy Oborony)と略す。ロシア陸軍防空部隊を再編成して19487月に創設された部隊で、当初は国土防空軍(PVOストーラヌイ)と呼ばれており、迎撃戦闘機、高射砲、阻塞気球、警戒レーダーなどを配備してソ連内陸部の防空を担当した(国境付近は軍管区と海軍の所管)。ジェット迎撃機としてMiG-9を配備したが、実用性が低く、MiG-15/-17を開発・配備した。1951年、ソ連全土を8つの統一防空管区に再編し、国土防空軍も隷下に入ったが、効果が低かったらしく、1953年に統一防空管区は廃止された。1954年、S-25地対空ミサイルの配備を開始。714日、国土防空軍がソ連全土の防空を担当することになった。1955年、MiG-19戦闘機の配備を開始。1957年、MiG-21戦闘機の配備を開始。1958年、Su-9戦闘機の配備を開始。1962年、Su-11戦闘機の配備を開始。1963年、Tu-28P戦闘機、Yak-28P戦闘機の配備を開始。1967年春(1966年?)、Su-15戦闘機の配備を開始。1970年、MiG-25戦闘機の配備を開始。1970年代後半から高速縦深打撃戦法の採用に伴い陸軍が重視されるようになり、国境付近の防空の責任が軍管区に移管され、防空管区の司令官は軍管区副司令官が兼任することになり、1978-86年には北東、南西、南方、東方防空管区の部隊や器材が空軍に渡された。1979年、S-300PS防空ミサイルを採用。1981年、名称が防空軍に変更された。1982年、MiG-31戦闘機の配備を開始。1983年、兵力は5万名で、迎撃戦闘機1200機(うちMiG-23400機)、地対空ミサイル発射機1万基を保有していた。1991年、兵力は47.5万名だった。1998年(1997年?)に空軍に統合されて兵科の1つとなり、20008月の安全保障会議で廃止の方針となった。参考:月刊軍事研究12,081,16、月刊JWings6,09、月刊航空情報11,09

 <ソ連防空軍(1977年)>:兵力550000名。MiG-17戦闘機80機、MiG-19戦闘機170機、Su-9Su-11戦闘機650機、Yak-28P戦闘機320機、Tu-28P戦闘機150機、Su-15戦闘機850機、MiG-23戦闘機110機、MiG-25戦闘機300機、Tu-126早期警戒管制機9機、ガロッシュABMミサイル発射機64基、S-75地対空ミサイル3500基、S-125地対空ミサイル1500基、5V28地対空ミサイル、2K11地対空ミサイル、2K12地対空ミサイル、9M32地対空ミサイル、9K33地対空ミサイル、9K31地対空ミサイルを配備している。参考:軍事力バランス78年版

 <ソ連防空軍(1989年)>:兵力502000名(うち徴兵300000名)。防空軍5個、学校14校からなる。ABM-1B/SH-11/SH-08対弾道弾ミサイル100基、MiG-21戦闘機45機、MiG-23戦闘機900機、MiG-25戦闘機350機、MiG-31戦闘機250機、Su-15戦闘機500機、Su-27戦闘機160機、Yak-28戦闘機20機、Tu-126早期警戒管制機3機、Il-76早期警戒機14機、S-25地対空ミサイル1600基、S-75地対空ミサイル2400基、S-125地対空ミサイル1000基、5V28地対空ミサイル2000基、S-300地対空ミサイル1500基、ICBM/SLBM発射探知衛星9個、警戒衛星9個、ELINT衛星6個、偵察衛星2-4個、弾道ミサイル発射探知衛星1個、バックスキャッターOTH(B)レーダー3基、フェイズド・アレイ・レーダー9箇所、ヘン・ハウス早期警戒レーダー11箇所、ピル・ボックス射撃指揮レーダー1基を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ロシア陸軍>:伝統的に砲兵を重視しており、第2次大戦末期には地上軍のうち砲兵の占める割合が3割以上あったといわれる。1897年、M1897小銃を採用。1910年、フランス製飛行機を輸入してパイロットの訓練を開始。労農赤軍時代の19215月、装甲部隊の中央管理部を新設し、戦車の研究が開始された。1927年、T18戦車の量産を開始。1928年、戦車及び装甲車200両を保有しており、機械化連隊を新編して機械化部隊の実験運用に入った。BA-27装甲車を採用。1931年、陸海軍人民委員代理兼赤軍兵器本部長トハチェフスキー元帥が機械化旅団を創設。ウラジミール・トリアンダフィーロフ参謀部長は遠距離戦車群が敵後方に進出して砲兵や予備部隊を攻撃し、その後ろから歩兵支援戦車群が第3梯団となって更に深部になだれ込み、大規模空挺部隊とも組み合わせて30日間で200km進撃するという縦深同時作戦を考案した。T-26戦車を採用。BA-27M装甲車を生産。1932年、機械化旅団を機械化軍団(戦車500両、装甲車200両)に改編。BT-2戦車の量産を開始。1933年、T-35重戦車を制式化。T-28中戦車を配備。BT-5戦車の量産を開始。T-37水陸両用戦車を採用。1934年、BA-3装甲車の配備を開始。1935年、機械化軍団2個を編成。BT-7戦車、BA-6装甲車の量産を開始。1936年、F-22師団砲を制式化。1937年、機械化軍団9個を編成。T-38浮航戦車の量産を開始。1938年、戦車15000両を保有していた。トハチェフスキーが粛正されたため、機械化軍団は解散され、戦車は歩兵直協を主任務とした。BA-10装甲車の量産を開始。122mm師団砲M30M1938小銃を採用。1939年、BA-11装甲車を制式採用。第2次大戦の電撃戦に刺激されて機械化軍団を再編することになった。ただ遠距離戦車群は廃止され、歩兵との協同作戦が中心になっている。1940年、T-34/76中戦車、KV-1重戦車、KV-2重戦車の量産を開始。T-40浮航戦車を採用。19414月、BM13シリーズ(カチューシャ・ロケット)を採用。6月、独ソ戦(大祖国戦争)が始まった。当初は戦車の用法に混乱が見られたが、戦訓を基に改善している。11月、T-60軽戦車を量産。19423月、BA-64装甲車を採用。12月、SU-122自走砲を採用。1943年、IS-1重戦車を生産。SU-76自走砲、M1943重機関銃を採用。2月、SU-152自走砲を制式採用。秋、SU-85駆逐戦車を制式化。11月、ISU-152自走砲とISU-122自走砲の量産を開始。1944年、T-34/85中戦車の量産を開始。BM-31-12ロケットランチャー、ZSU-37自走高射機関砲の配備を開始。2月、IS-2重戦車の配備を開始。7月、T-44戦車、SU-100駆逐戦車を制式化。1945年、IS-3重戦車の量産を開始。1947年、IS-4重戦車の生産を開始。1949年、T-54-2戦車の量産を開始。1940年代末、BM-14-16の配備を開始。カチューシャ配備で地域制圧をロケット弾に任せるようになると、榴弾砲よりも精度の良いカノン砲の開発を進めた。1950年代、第2次大戦の反省を受けて近代化を進めることになり、短期間に攻勢作戦を進めるため、特定正面に圧倒的な機甲戦力を集めて戦略目標目掛け高速攻撃を行うのを旨とするようになった。BMD-20BM-25の配備を開始。1950年、BTR-40装甲兵員輸送車を制式化。BTR-152装甲兵員輸送車、S-60高射機関砲の量産を開始。1951年、T-10重戦車の量産を開始。BMD-20多連装ロケットを制式化。1952年、BM-14多連装ロケットを制式化。1954年、BTR-50装甲車を開発。1955年、152mm榴弾砲D-20BM24多連装ロケットランチャーを制式化。スカッドAの配備を開始。ZSU-57-2自走高射機関砲の量産を開始。1957年、BRDM-1装甲車、フロッグ1/2の配備を開始。1958年、T-55戦車、PT-76水陸両用軽戦車の量産を開始。1960年代初め、IT-130自走砲を実戦配備。1960年、核砲弾専用の2B1自走迫撃砲を制式化。BTR-60装甲車の量産を開始。1961年、9K72弾道ミサイルシステムの配備を開始。PK機関銃を採用。19627月、T-62戦車の量産を開始。1963年、BM-21多連装ロケットの配備を開始。1964年、T-64戦車、MT-LB装甲車の量産を開始。1965年、ZSU-23-4自走高射機関砲、フロッグ7a/7b弾道ミサイル、スカッドB弾道ミサイルの配備を開始。1966年、BMP-1歩兵戦闘車を制式化。1968年、9K31自走地対空ミサイルシステムを採用。1970年代に大規模な改編を実施。対戦車ミサイルの発達で、対戦車ミサイル陣地を事前制圧する必要性に迫られ、戦車部隊に随伴して戦車部隊前面に出現する陣地を臨機応変に射撃できる全周旋回砲塔付き自走榴弾砲の配備を開始した。1970年、2K12自走地対空ミサイルシステムの配備を開始。1971年、2S1自走砲、2S3自走砲、2S4自走迫撃砲の配備を開始。1973年、T-72戦車を制式化。1974年、9K33自走地対空ミサイルシステムの配備を開始。1975年、2S7自走砲を採用。BM9P140の配備を開始。1976年、2S5自走砲、BTR-70装甲車の量産を開始。9K57自走多連装ロケットシステム、9K79弾道ミサイルシステムの配備を開始。1977年、BM9P140自走多連装ロケットランチャー、9K35自走地対空ミサイルシステムの配備を開始。1980年、作戦機構を一新し、戦域軍(北方、中欧、南方、南西欧、極東)を新設、指揮系統を変更した。BMP-2歩兵戦闘車を制式化。9K37自走地対空ミサイルシステムの配備を開始。1982年、2S6地対空ガン・ミサイルシステムを制式化。1986年、9K330自走地対空ミサイルシステム、BTR-80装甲車の配備を開始。1987年、9K58自走多連装ロケットシステム、9K59自走多連装ロケットシステムの配備を開始。1989年、BMP-3歩兵戦闘車、2S19自走砲の配備を開始。1990年、シュトゥルム−S対戦車ミサイル車両の配備を開始。1991年、兵力は140万名で、主力戦車54400両と歩兵戦闘車・装甲兵員輸送車78000両以上を装備していた。1994年、T-90戦車の量産を開始。2001年、兵力は32.1万名(空挺軍含む)で、主力戦車21820両と歩兵戦闘車・装甲兵員輸送車25975両を装備していた。2004年、T-90Aの配備を開始。2005年、S-400防空システム、GAZ233014ティグル装甲車の配備を開始。2006年、兵力は39.5万名(空挺軍含む)で、主力戦車22800両以上と歩兵戦闘車・装甲兵員輸送車24990両以上を装備していた。イスカンデルMの配備を開始。2008年、2S34自走砲とBLA-05チプチャークの配備を開始。2009年から大規模改編に着手しており、軍管区−軍−師団−連隊制は廃止されて121日までに85個常時即応旅団に再編され、軍管区−軍−旅団(定数3500名)という命令系統となった(北方領土の1個機関銃砲兵師団のみ師団のまま)。これにより、予備役を動員して師団編成を充足させる手間が省けるため、即応性が増している。廃止された部隊や軍事物資のみの整備基地などは14カ所の武器修理装備保管基地(BKhRVT)の統合されており、作戦投入部隊はここで重装備を受け取って3日程度の短期訓練の後に作戦区域に向かう。軍管区や軍には域内の陸海空部隊に対する統一指揮権が付与された。戦車数は実戦部隊2000両、訓練部隊数百両、予備保管基地2000-3000両となる予定。2009年、パンツィールS1RPMダゾールの配備を開始。201048日、T-95戦車、コアリツィヤSV自走砲、BMD-4空挺戦闘車、スプルトSD空挺自走砲、BMPT歩兵戦闘車の開発を中止すると発表した。2011年、BTR-82A装甲車の配備を開始。2012年、T-90Aの調達を中止。アルマータ/クルガーニェツ25/ブメラーング共通プラットフォームを使用した装甲車ファミリー(T-14戦車、T-15歩兵戦闘車、T-16戦車回収車、2S35自走榴弾砲、B-10装甲兵員輸送車、B-11歩兵戦闘車、K-16装輪装甲兵員輸送車、K-17装輪歩兵戦闘車など)の開発を開始。201312月、ウラジミール・チルキン陸軍総司令官が収賄(2010-12年の中央軍管区司令官時代)疑惑により罷免された。2014年、シュトゥルム−SM対戦車ミサイル車両の配備を開始。ウクライナ紛争では機甲旅団が従来の上官命令による一斉攻撃ではなく下級指揮官の独断専行を認める浸透型速攻をかけ、要地を奪取するとそのまま居座って152mm榴弾砲の直接射撃を含む射距離6000mにも達する直射重火網により敵の反撃を弾き返す戦術を採用したとされる。2016年末までに既存の旅団を改編した6個連隊基幹・定員10000名の師団を4個新設し、西部軍管区に2個、南部軍管区に1個、中央軍管区に1個配置して対NATO抑止力を強化する予定。参考:月刊軍事研究12,082,1010,101,123,143,167,1610,1610,18、月刊丸8,874,99、月刊PANZER7,102,1245,17、ザ・マーチ5号

 <ソ連地上軍(1977年)>:兵力1825000名。戦車師団45個、自動車化狙撃師団115個、空挺師団8個からなる。戦車43000両、APC/IFV47000両、自走砲・榴弾砲19000門、迫撃砲7200門、ロケットランチャー2700門、対戦車砲10800門、3M11/9M14対戦車ミサイル、高射砲9000門、フロッグ/スカッドB/TR1地対地ミサイル1200基を配備する。参考:軍事力バランス78年版

 <ソ連地上軍(1987年)>:戦車師団51個と自動車化狙撃師団142個、主力戦車53000両、APC/IFV59000両、野砲29000門、迫撃砲11000門、多連装ロケットランチャー7000基、地対空ミサイル発射機4800基(携SAM除く)、高射砲12500門、弾道ミサイル発射機1600基、ヘリコプター4400機を保有していた。東ドイツには第2親衛軍、第8親衛軍、第20親衛軍、第3打撃軍、第1親衛戦車軍、直轄部隊(スペツナズ旅団、砲兵師団、空中強襲旅団など)を配備した。基本理念は攻勢至上主義、大量戦力集中主義、高速機動主義、全縦深同時打撃主義である。ただし全師団を常に充足させるのは無理があったため、大半は平時には1個連隊程度の司令部要員と装備しか持たず、戦時に予備役を動員して装備を充当することになっており、即応性に乏しかった。参考:月刊軍事研究12,082,1010,101,12、月刊丸8,874,99、月刊PANZER7,102,12、ザ・マーチ5号

 <ソ連地上軍(1989年)>:兵力1596000名(うち徴兵1200000名と推定)。軍管区15箇所、軍集団4個/独立軍団1個、戦車師団53個、自動車化狙撃師団153個、空挺師団7個、動員師団3個、砲兵師団18個、独立重砲兵旅団12個、空中強襲旅団10個、スペツナズ旅団16個、スペツナズ連隊3個からなる。T-10/T-10M重戦車350両、T-54/55戦車19000両、T-62戦車11300両、T-64A/B戦車9700両、T-72L/M戦車10000両、T-80戦車3000両、PT-76軽戦車1200両、保管中戦車6700両、偵察車8000両(うちBRDM-2装甲車3500両)、BMP-1/2歩兵戦闘車26000両、BMD装甲車2500両、BTR-50P/60P/70/80/152装甲兵員輸送車26000両、MT-LB装甲車4000両、122mm砲(D-74M1938D-30)/130mmM-4618000門、152mmM1937500門、D-202000門、M-19761000門、180mmS23180門、2S9自走砲、2S1自走砲3200門、2S3自走砲3500門、2S5自走砲2100門、2S7自走砲200門、自走多連装ロケットランチャー7100門(122mm40連装BM-21122mm40連装RM-70122mm12連装M-1975122mm36連装M-1976140mm16連装BM-14140mm16連装RPU-14220mm16連装BM-22240mm12連装BM-24)、120mm迫撃砲10500門、2S4自走迫撃砲400両、フロッグ/ルナ地対地ミサイル630基、トチカ地対地ミサイル300基、スカッドB630基、OTR-23/SS-23スパイダー76基、対戦車ミサイル(3M119M14AT-49M1139M1149K115)、自走・牽引式対戦車砲8000門(ASU-5776mm対戦車砲、D-4485mm対戦車砲SD-44ASU-85T-12T-12A100mm対戦車砲M-55)、自走・牽引式高射砲12000門(ZU-23ZSU-23-42S637mm高射機関砲、57mm高射砲S-60ZSU-57-285mm高射砲M-1939100mm高射砲KS-19130mm高射砲KS-30)、2K11地対空ミサイル1350基、2K12地対空ミサイル800基、9M32地対空ミサイル18500基、9K33地対空ミサイル900基、9K31地対空ミサイル425基、9K37地対空ミサイル250基、9M82地対空ミサイル45基、9K35地対空ミサイル930基、9K34地対空ミサイル2500基、9K310地対空ミサイル3500基、Mi-8武装ヘリ型340機、Mi-17武装ヘリ型290機、Mi-24武装ヘリ1420機、Mi-8輸送ヘリ1010機、Mi-6輸送ヘリ435機、Mi-26輸送ヘリ55機、Mi-10輸送ヘリ10機、Mi-8早期警戒・電子戦ヘリ型200機、Mi-2汎用ヘリ600機、Mi-8通信ヘリ型80機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ロシア地上軍(2007年)>:兵力は40万名弱(2006年は39万名)で、ロシアの人口減(第2次大戦時は約2億人だったのが現在は1億4000万人と、広大な国土に日本の1.1-1.2倍程度である)・少子化、チェチェン紛争従軍拒否問題から採択された代替文民勤務法(良心的兵役拒否制度)により、拡大はおろか維持も困難な状況である。装備する戦車は22000両。モスクワ軍管区に2個戦車師団と3個自動車化狙撃師団(戦車2040両、戦闘ヘリ206機、装甲車2246両、火砲1740門)、レニングラード軍管区に2個自動車化狙撃師団(戦車333両、戦闘ヘリ74機、装甲車500両、火砲939門)、沿ボルガ・ウラル軍管区に3個自動車化狙撃師団(戦車731両、戦闘ヘリ16機、装甲車1041両、火砲650門)、北カフカス軍管区に6個自動車化狙撃師団(戦車600両、戦闘ヘリ70機、装甲車1940両、火砲755門)、シベリア軍管区に2個自動車化狙撃師団、極東軍管区に5個自動車化狙撃師団と5個拠点師団(戦車3900両、戦闘ヘリ85機、装甲車6000両、火砲3000門)を配置している。参考:月刊軍事研究3,08

 <ロシア地上軍(2009年)>:Ka-50攻撃ヘリ10機、Mi-24D攻撃ヘリ245機、Mi-24K攻撃ヘリ70機、Mi-24P攻撃ヘリ164機、Mi-24R攻撃ヘリ86機、Mi-24VP攻撃ヘリ14機、Mi-28N攻撃ヘリ1機、Mi-6輸送ヘリ95機、Mi-8輸送ヘリ149機、Mi-8MT輸送ヘリ162機、Mi-8MTV輸送ヘリ123機、Mi-8PP輸送ヘリ66機、Mi-26輸送ヘリ16機を保有する。参考:月刊JWings6,09

 <ロシア地上軍(2015年)>:現役兵力230000名(徴兵含む)。軍司令部11個、特殊作戦(スペツナズ)旅団7個、偵察旅団1個、第4戦車師団(戦車連隊2個、砲兵連隊1個)、戦車旅団(機甲偵察大隊1個、戦車大隊3個、自動車化狙撃大隊1個、砲兵大隊1個、多連装ロケット大隊1個、防空大隊2個、工兵大隊1個、電子戦中隊1個、NBC中隊1個)3個、戦車旅団1個(編成中)、第2自動車化狙撃師団(狙撃連隊2個、砲兵連隊1個)、第201自動車化狙撃師団(狙撃連隊2個、砲兵連隊1個)、自動車化狙撃旅団(偵察大隊1個、戦車大隊1個、自動車化狙撃大隊3個、砲兵大隊2個、多連装ロケット大隊1個、対戦車大隊1個、防空大隊2個、工兵大隊1個、電子戦中隊1個、NBC中隊1個)28個、自動車化狙撃旅団(自動車化狙撃大隊4-5個、砲兵大隊1個、防空大隊1個、工兵大隊1個)2個、軽・山岳自動車化狙撃旅団(偵察大隊1個、自動車化狙撃大隊2個、砲兵大隊1個)4個、第18機関銃砲兵師団(機関銃砲兵連隊2個、砲兵連隊1個、戦車大隊1個、防空大隊2個)、砲兵旅団8個、多連装ロケット旅団4個、多連装ロケット連隊1個、9K720地対地ミサイル旅団6個、9K79-1地対地ミサイル旅団3個、防空旅団9個、工兵旅団4個、憲兵旅団1個、NBC連隊10個、兵站旅団10個、予備役自動車化狙撃旅団13個からなる。T-72B/BA戦車1300両、T-72B3戦車600両、T-80BV/U戦車450両、T-90/-90A戦車350両、T-55戦車2800両(保管中)、T-62戦車2500両(保管中)、T-64A/B戦車2000両(保管中)、T-72/-72A/-72B戦車7000両(保管中)、T-80B/BV/U戦車3000両(保管中)、T-90戦車200両(保管中)、Dozor偵察車100両強、ティグル偵察車100両強、BRDM-2/-2A偵察車1000両、BRDM-2偵察車1000両以上(保管中)、BMP-1歩兵戦闘車500両(+保管中7000両)、BMP-2歩兵戦闘車3000両(+保管中1500両)、BMP-3歩兵戦闘車500両、BRM-1K歩兵戦闘車700両、BTR-80A装甲車100両、BTR-82A/AM装甲車600両、BMO-T装甲車少数、MT-LB装甲車3500両(+保管中2000両)、BTR-60装甲車800両、BTR-70装甲車200両、BTR-80装甲車1500両、BTR-60/-70装甲車4000両(保管中)、122mm自走砲2S1150両(+保管中2000両)、152mm自走砲2S3800両(+保管中1000両)、152mm自走砲2S5100両(+保管中850両)、152mm自走砲2S19450両(+保管中150両)、203mm自走砲2S7320両(保管中)、152mm2A65150門(+保管中600門)、122mmD-304400門(保管中)、122mmM-30M-1938)を3750門(保管中)、130mmM-46650門(保管中)、152mm2A361100門(保管中)、152mmD-201075門(保管中)、152mmD-1M-1943)を700門(保管中)、152mmML-20M-1937)を100門(保管中)、203mmB-4M40門(保管中)、120mm自走迫撃砲2S2380両強、120mm自走迫撃砲2S3450両強、120mm迫撃砲2B16100門、122mm多連装ロケットBM-21550両(+保管中2000両)、220mm多連装ロケット9P140200両(+保管中700両)、220mm多連装ロケットTOS-1A少数、300mm多連装ロケット9A52100両、122mm多連装ロケット9P138420両(保管中)、132mm多連装ロケットBM-13100両(保管中)、240mm自走迫撃砲2S4430両(保管中)、82mm迫撃砲2B14800門、120mm迫撃砲2S12700門(+保管中1000門)、120mm迫撃砲PM-38900門(保管中)、160mm迫撃砲M-160300門(保管中)、9K120対戦車ミサイル搭載BMP-T9K114対戦車ミサイル搭載9P1499K123対戦車ミサイル搭載9P157-29K111/9K113/9K115/9K115-1/9K135対戦車ミサイル、73mm無反動砲SPG-9105mm対戦車ロケットRPG-29100mmMT-12526門、100mmT-12/MT-122000門(保管中)、9K317自走対空ミサイル350両強、9K33M3自走対空ミサイル400両、9K35M3自走対空ミサイル400両、9K330/331/332自走地対空ミサイル120両強、2K22自走対空ガン・ミサイル250両強、9K310/9K38/9K333/9K338/9K34携帯地対空ミサイル、23mm自走高射機関砲ZSU-23-423mm連装高射機関砲ZU-23-257mm高射砲S-60Tu-143/-243/-243D/-300無人機、BLA-07無人機、プチェラ-1/-2無人機、9K79-1地対地ミサイル48基、9K720地対地ミサイル72基、スカッド地対地ミサイル少数(保管中)、BAT-2装甲工兵車、IMR/IMR-2装甲工兵車、IRM装甲工兵車、MT-LB装甲工兵車、BMP-1装甲回収車、BREM-1/-64/-K/-L装甲回収車、BTR-50PK(B)装甲回収車、M1977装甲回収車、MTP-LB装甲回収車、RM-G装甲回収車、T-54/55戦車回収車、VT-72A戦車回収車、KMM戦車橋、MT-55A戦車橋、MTU/MTU-20/MTU-72戦車橋、PMM-2戦車橋、BMR-3M地雷戦車両、GMX-3地雷戦車両、MCV-2地雷戦車両、MTK/MTK-2地雷戦車両を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ロシア連邦国家親衛軍庁>:201645日にロシアのプーチン大統領が2016年度大統領令第157号で創設を命じた行政機関。ロシア内務省国内軍(ロシア国家親衛軍に改称)や内務省管轄の各種治安・特殊部隊、内務省管轄警備会社オフラーナを統合管理する、準軍事組織統括機関である。トップは長官で、国家親衛軍総司令官を兼任する。2016年末までに内務省からの組織移管を完了し、2018年初めまでに組織の再統合を終える予定。参考:月刊軍事研究10,16

ロシア連邦国境警備隊

ロシア連邦国境警備隊(2015年)>:大統領直轄である。地域総局10個、地境群7個からなる。BMP歩兵戦闘車/BTR装甲車1000両、2S1/2S9/2S12自走砲90両、クリヴァクV級フリゲート3隻、パウクU級哨戒艇2隻、スヴェトリャク級哨戒艇27隻、パウクT級哨戒艇17隻、アンタレス級哨戒艇2隻、コマンドル級哨戒艇4隻、アルピニスト級哨戒艇8隻、スプルト級哨戒艇1隻、ルービン級哨戒艇6隻、アンター級哨戒艇2隻、プルガ級哨戒艇1隻、ステンカ級哨戒艇13隻、プロジェクト14310ミラズ級哨戒艇3隻、1496型哨戒艇13隻、チュク級哨戒艇12隻、クリク級哨戒艇17隻、オゴネク級哨戒艇3隻、ピヤブカ級哨戒艇8隻、シュメル級哨戒艇5隻、ヴォシュ級哨戒艇6隻、ヤズ級哨戒艇2隻、ゴルノステイ級哨戒艇1隻、ボゴモル級哨戒艇2隻、その他哨戒艇135隻、ツサプリャ級LCAC7隻(哨戒任務に使用)、兵站支援船42隻、An-24/An-26/An-72/Il-76/Tu-134/Yak-40輸送機70機、SM-92輸送機16機、Ka-28/Mi-24/Mi-26/Mi-8ヘリ200機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ロシア連邦情報部員不審死事件>:2006111日、イギリスで反プーチン運動を行っていた元ロシア連邦情報部員アレクサンドル・リトビネンコ氏がロンドン市内の寿司レストランで会食後に体調不良を訴え、集中治療室で治療を受けたが、多臓器不全を起こして1123日に死亡した。ロンドン警視庁は当初タリウムによる毒殺を疑ったが、1124日に体内からポロニウム210が大量に検出され、内部被曝による急性放射線障害が死因と判明した。また、関係者や接触者738名に対して内部被曝調査が行われ、17名が6mSv以上、35名が1-6mSvを被曝していた。ポロニウム210は個人やちょっとした組織・団体レベルで入手できるものではなく、実行犯として元KGB第9局要人警護要員の2名(当時は民間セキュリティ業務に従事)が特定された。実行犯はロシアに戻り、1名は下院議員になっている。参考:日本医事新報No.4620、月刊軍事研究7,18

ロシア連邦政府情報通信局>:FAPSIと略す。KGBの情報部門を引き継いで誕生した組織で、ロシア国内、キューバ、ベトナム、ラトビアにおけるELINT/SIGINT、政府通信システム運用、インターネットを含む通信出版検閲などを行った。2003年にロシア連邦保安庁に編入された。参考:月刊軍事研究11,08

ロシア連邦通信情報局(2015年)>:人員55000人。軍4個、旅団28個からなる。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ロシア連邦保安庁>:FSBと略す。KGBの後身で、国内公安活動を担当した連邦防諜庁を19954月に組織強化して誕生した。しかし5月にはブデノフスク病院占拠事件が発生し、更なる情報収集能力及びテロ対応能力強化が求められたため、傘下に対テロセンター(ATTs)を設立。その隷下に作戦局(対テロ作戦担当)とK局(イデオロギー・防諜担当)を置くと共に、ロシア内務省から特殊部隊アルファ(輸送施設や建造物の警護担当)及び特殊部隊ヴィンペル(重要拠点警護担当)を移管した。1999年、アパート連続爆破事件が発生したが、FSBによる陰謀であったといわれている。2000年に大統領となったプーチン氏の下で権限が強化され、2001年にはチェチェンの作戦指揮権が内務省から移管された。2003年、連邦国境庁の全機関と連邦政府情報通信局の大部分が編入され、国境軍を含む強大な軍事力と、情報力を持つことになった。この強大な権力を盾に人権侵害を繰り返しているとされるが、告発したジャーナリストと元FSB捜査官はいずれも不審死を遂げている。参考:月刊軍事研究11,0810,07

 <ロシア連邦保安庁(2015年)>:武装組織は人員4000名。アルファやヴィンペルを含む特殊部隊を数個保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ロシア連邦防護隊(2015年)>:現役人員10000-30000名。組織に陸軍(機械化歩兵旅団、空挺連隊)の一部を含む。機械化歩兵連隊1個、空挺連隊1個、大統領警護連隊1個からなる。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ロシア連邦輸送会社>:ロシアのVIP輸送や政府関係チャーター便の運航を担当する会社で、政府の100%出資。一部商業運航も行っているらしい。クルーは空軍から出向しているという説もある。ベースはモスクワのブヌコボ空港。参考:月刊JWings1,01

ロシアン・コンボイ>:第2次大戦で連合軍が使用した、ソ連向け物資搭載輸送船団航路(北氷洋、シベリア、ペルシャ湾)のうち、北氷洋航路の通称。アイスランド−北極海−バレンツ海−ムルマンスクまたはアルハベリスクのルートで、往路はPQ後にJW、復路はQP後にRAという略号が付けられた。三航路中で最短だが、海象が荒い上にノルウェーに近いためPQ17船団の悲劇など損害を被りやすく、輸送物資のうち21%を失った。参考:月刊世界の艦船1,18

<ロシアン・ナイツ>:ルスキーイェ・ビチャジ(アクロバットチーム)を参照。

ロシアン・ヘリコプター社>:ロシアのヘリコプター会社。2007年(20083月?)、ミルやカモフなどのヘリ開発製造会社を合併して創設された。20114月、ロシアとイギリスで上場し、株式の20%を市場に出して部分民営化する計画を発表したが、業績の先行き不安と予定株価の高さから投資家に不安を持たれ、5月に中止になった。参考:月刊軍事研究5,12、ウォーマシン・レポートNo.67

<ロジー>:K303(フリゲート)を参照。

ロジェ・シュル・メール砲台>:ノルマンディー海岸の防御砲台の1つ。19439月に建設され、射程20km15cm砲4門がコンクリートバンカーに据え付けられ、ゴールド海岸とオマハ海岸を射程内に収めていた。連合軍は1944528日、6356日に激しい爆撃を加えたが、生き残っており、660537から連合軍艦艇に向けて砲撃を開始した。連合軍は艦砲射撃で対抗し、1900までに砲3門が破壊されて砲台は沈黙、翌朝に占領された。参考:月刊PANZER12,01

ロ式八〇馬力発動機>:日本軍の航空機用エンジンで、ノーム社製ル・ローン9Cエンジンのライセンス生産型である。当初は陸軍砲兵工廠で製造(大正10年度に20基)したが、大正11年度から東京瓦斯電気工業で生産(昭和3年度まで282基)した。海軍も採用し、ソッピース・バップや横廠式一号水上偵察機に搭載した。回転式空冷星形9気筒ガソリンエンジンで、重量118kg、公称出力80馬力。参考:月刊丸8,95

ロ式一二〇馬力発動機>:日本軍の航空機用エンジンで、ノーム社製ル・ローン9Jを東京瓦斯電気工業でライセンス生産したものである。回転式空冷星形9気筒ガソリンエンジンで、筒径112mm、行程170mm、重量146kg。公称出力110馬力、離昇出力130馬力。大正12年度に10基が生産され、陸軍甲式三型練習機に搭載された。海軍もローン百十馬力発動機という名称で制式化し、アブロ陸上練習機に装備している。参考:月刊丸8,95

<露式小銃>:M1891シリーズ(ライフル)を参照。

ロ式輸送機>:日本陸軍輸送機、連合軍コードはテルマ(Thelma)。ロッキード社製L-14スーパーエレクトラ高速旅客機を制式化したもので、立川飛行機がライセンス権を取得し、昭和15-16年に立川で45機、昭和16年に川崎で55機を生産、更に一式輸送機として国産化した。低速飛行時に翼端失速が起こりやすいため、外翼前縁に固定スラットを装備している。全長13.4m、全幅20m、全高3.5m、自重4950kg、全備重量7100kg。エンジンはハ-26-1870馬力)双発、プロペラはハミルトン式金属製油圧定速3翅(直径3.2m)、巡航速度350km、最大速度418km、実用上昇限度7400m、航続距離1400km。乗員3名+搭乗兵員8-10名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇、月刊丸3,903,18別冊、月刊航空ファン12,19

ロ式B型高々度研究機>:日本陸軍の高々度飛行研究機で、別名SS-1または研二。立川飛行機で国産化したロッキード14Yを元にしており、胴体を与圧化してエンジンをハ-102(2速過給器付き)またはハ-102(2段2速過給器付き)に換えてある。前者を搭載した初号機は昭和188月に初飛行し、昭和191月までに6回のテスト飛行を行って高度9000mまで到達した。後者を搭載した2号機は昭和19年夏に完成したが、戦局悪化で殆ど試験飛行が行われず、そのまま終戦となった。初号機の諸元は、全長11.7m、全幅20m、全高7.5m、自重5.16トン、全備重量6740kg。エンジンはハ−1021080馬力)2基で、巡航速度360km、最大速度475km、実用上昇限度10000m、航続時間5.6時間。乗員2名+実験員4名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇

ロジサ>:海上自衛隊の略号で、後方幕僚のこと。参考:日本の防衛戦力Part3

<ロジスティックス>:兵站を参照。

<ロジャース>:DD-876(駆逐艦)を参照。

<ロジャース・ブラッド>:APD-115(高速輸送艦)またはDE-605(護衛駆逐艦)を参照。

ロジャー・ヤング>:アメリカ陸軍一等兵。軍曹だったが、聴覚障害があり、自分で降格を申し出て一等兵となった。19437月、ニュージョージア島ムンダ飛行場の戦闘に第37歩兵師団第148歩兵連隊第1大隊B中隊所属で参加し、部隊の後退援護のため負傷しながら機関銃陣地を手榴弾で制圧、戦死した。この功績により名誉勲章を受章。ロジャー・ヤングのバラードという歌が作られ、ロバート・ハイラインのSF小説スターシップ・トルーパーズ(宇宙の戦士)で主人公が乗り込む地球連邦海軍宇宙兵員輸送艦(映画では地球連邦軍機動艦隊宇宙戦艦)の艦名にもなっている。参考:月刊軍事研究8,14

<ロシャリク>:AS-31(特殊任務原潜)を参照。

<濾州>:592(コルベット)を参照。

<ロス>:DD-563(フレッチャー級駆逐艦)またはDDG-71(イージス駆逐艦)またはP.37シリーズ(爆撃機)を参照。

ロスMkV小銃>:イギリス軍の小銃。元々カナダ軍が制式採用して第1次大戦に使用したら整備不良による故障が多発したため倉庫にしまってあったのをアメリカ軍が教練銃として採用したもので、第1次大戦終結後に再び倉庫に放り込まれていたのを、第2次大戦勃発で小銃不足になったイギリス軍が購入したものである。作動はストレート・プル・アクション式のボルトアクションだが、機構が複雑で、この部分に不具合が多発した。全長1.285m、銃身長0.885m、重量4.48kg。使用弾は.303ブリティッシュで、装弾数5発。

ロスアトム>:ロシアの国営原子力企業Rosatom。ロシア連邦原子力庁を2007年に企業化したもので、ロシア連邦原子力庁の通称をそのまま社名にした。原子力砕氷船の運用を一手に引き受ける国営海運会社アトムフロート(Atomflot)を子会社に置いている。参考:月刊軍事研究11,18

ロスアラモス国立研究所>:アメリカの核弾頭設計研究所で、LANLLos Alamos National Laboratory)と略す。ニューメキシコ州ロスアラモスにあり、1943年から稼働した。MkTリトルボーイを設計したのを皮切りに、トライデントやトマホークなどの核弾頭を設計している。参考:核兵器事典

ロスヴァアルジェーニエ>:ロシアが1993年に設立した武器輸出公社。次第に武器輸出を独占するようになり、独占率が97%にも達したため、1997年にロスヴァアルジェーニエ、プロムエクスポルト、ロシアテクノロジーに3分割された。2000年4月にロシア国防輸出となった。参考:月刊軍事研究5,08

<ロスオボロンエクスポルト>:ロシア国防輸出を参照。

<ロスシー>:F107(フリゲート)を参照。

ロスシー級>:イギリス海軍対潜フリゲート、改12Rothesay級。ホイットビー級の改良型である。全長112.8m110m?)、幅12.5m、吃水5.5m、基準排水量2150-2380トン。主機は蒸気タービン2基2軸30000馬力、速力30ノット。兵装は114mm連装砲1基、40mm単装機関砲1門、リンボー2基。1960-61年にF101ヤーマス、F103ロースタフト、F106ブライトン、F107ロスシー、F108ロンドンデリー、F113ファルマス、F115バーウィック、F126プリマス、F129リールの9隻が竣工・就役した。1970年頃にシーキャットGWS20発射機搭載改修やヘリ搭載改装を実施した。一部の艦は1970年代後半に試験艦へ改造されている。参考:月刊世界の艦船12,115,832,'21、月刊丸3,90

ロスティスラブ>:ロシア海軍ロスティスラブ級沿岸防備戦艦Rostislav1898年竣工。19201116日、アゾフ海で座礁(自沈とも着底ともいわれる)し、解体された。参考:月刊世界の艦船2,10

ロスティスラブ級>:ロシア海軍沿岸防備戦艦Rostislav級。シソイ・ヴェルキー級の改良型で、当初は同型艦として建造される予定だった。全長107.2m、常備排水量10140トン。主機はレシプロ2基2軸8700馬力、速力15.6ノット。兵装は25.4cm連装砲2基、15.2cm連装砲4基、7.5cm単装高角砲4門、魚雷発射管。ロスティスラブが1898年に竣工した。参考:月刊世界の艦船2,10

ロステフノロギィ>:ロシアの軍需企業で、2007年にロシア国防輸出が出資して設立された。国家コーポレーションの地位を与えられており、外国で独自に兵器生産合弁企業を作ることができる。439の事業体を傘下に置き、装甲車、ミサイル、防空システムから自動車やモバイル通信まで広範な事業を展開しているが、2008年以降の経済危機で6250億ルーブルの負債を抱え、27社が破産、13社が活動停止に追い込まれた。その後ロシア国防輸出を100%子会社にしている。参考:月刊軍事研究8,105,16、月刊世界の艦船6,15

ロストック(2代目)>:ドイツ海軍ケルン級軽巡洋艦Rostock。起工されたが建造中止となり、1922年に解体された。参考:近代巡洋艦史

ロストック級>:ドイツ海軍Rostock級。全長96.7m、幅12.8m、吃水4.2m、満載排水量1900トン。主機はCODAG方式、出力30000馬力、3軸推進、速力27ノット。兵装は9M32対空ミサイル4連装発射機2基、76mm連装砲2基、30mm連装機関砲2基、12連装対潜ロケット発射機2基、爆雷投下軌条2条、機雷22個。1978年から2隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

<ロストフスキー・コムソモレーツ>:K42(潜水艦)を参照。

<ロストフ・ナ・ドヌ>:B-237(潜水艦)を参照。

<ロスマック>:AMV海外シリーズ(装甲車)を参照。

<ロタ>:P525(哨戒艇)を参照。

<ロタ弾>:試製四式七糎噴進砲を参照。

ロタの二重モード作戦>:アメリカ軍が自由の番人作戦で2015126日から201612日に実施した、ヘリ部隊交代作戦。第101空挺師団第101戦闘航空旅団と第4歩兵師団第4戦闘航空旅団を交代させるもので、アメリカ本土とスペインのロタ海軍基地の間を海軍輸送艦、ロタ海軍基地とアフガンのバグラム空軍基地の間をアメリカ空軍第9空輸飛行隊C-5M輸送機3機が担当した。C-5M82ソーティで1134トンを空輸している。参考:月刊軍事研究5,16

<ロタ砲>:試製四式七糎噴進砲を参照。

ロタ弾>:日本海軍の8cm噴進穿甲弾(対戦車ロケット)。発射筒断面は六角形をしており、弾頭はHEATで、有効射程100m、装甲貫徹力80mm。参考:月刊丸4,99

<ロチェスター>:CA-2(装甲巡洋艦)またはCA-124(重巡洋艦)またはL50(ロチェスター級護衛スループ)を参照。

露頂>:海上自衛隊用語で、潜水艦が潜望鏡深度に浮上することで、シュノーケルの使用も可能となる。まず吃水の深い大型船が居てもぶつからない深度まで上昇し、方位を正確に測定できる艦首ソナーで周囲の船舶を確認する。この際、艦尾方向からの音は自艦プロペラ音が混ざって正確に聴音できないので遮断する。その後大きく針路を変更して同様に艦首ソナーで周囲を確認し、全周の状況を把握、周辺の船舶に近接せず、かつソナーで確認できる針路を選んで露頂する。ソナーのみで周囲の状況を探らねばならないので、他の船舶と接触する危険性が高く、最も緊張を強いられる運航である。2回目のソナー捜索で死角の艦尾方向にうっかり船舶を置いてしまって気付かずに露頂に入ると、衝突事故が起きたりする。参考:MAMOR vol.87、月刊軍事研究4,07、月刊世界の艦船5,'2110,16

<露頂深度>:潜望鏡深度を参照。

<ロッカウェイ>:AVP-29(飛行艇支援艦)を参照。

六ヶ所対空射撃場>:青森県六ヶ所村の北東部、太平洋岸に位置する陸上自衛隊の対空射撃場で、本州唯一の対空射撃場でもある。19596月に六ヶ所村尾鮫地区に開設された。その後開発区域となったため、19827月に10kmくらい北の泊地区に移設された。毎年71日から115日まで陸自と空自が射撃訓練を行い、付近の海域は操業制限水域となる。参考:MAMOR Vol.52、月刊軍事研究12,16

ろっきー>:帯広地方協力本部のマスコットキャラ空自版。201626-7日、第53回おびひろ氷まつりに参加。参考:朝雲

ロッキード航空機会社>:Lockheed Aicraft Co.1926年にアラン・ローグヒードがカリフォルニアのバーバンクに設立した航空機会社で、社長は出資者のF・キーラーである。最初はスポーツ機を生産し、続いて単発高速長距離旅客機ベガを初めとする旅客機の生産を行った。世界恐慌を乗り切った後は双発高速旅客機エレクトラ及びスーパーエレクトラを開発。1937年にアメリカ陸軍の要求に基づいてP-38を開発し、採用された。198112月、民間旅客機市場の競争激化により、民間航空機事業からの全面撤退を決定した。19933月、ジェネラル・ダイナミクス社の戦術航空機部門を買収した。19953月、マーチン・マリエッタ社と合併してロッキード・マーチン社となった。参考:月刊丸12,90、月刊軍事研究5,079,07、月刊航空情報2,10

ロッキード造船会社>:Lockheed Shipbuilding and Construction。ロッキード社に買収されたピュージェット・サウンド橋梁乾ドック会社が1965年に改称したもので、オースチン級揚陸艦、ホイッドビー・アイランド級揚陸艦などを建造した。アーレイ・バーク級の建造に参加できず、仕事が無くなったために1987年に閉鎖された。参考:月刊軍事研究9,07

ロッキード・マーチン社>:ロッキード社とマーチン・マリエッタ社が1995年に合併して誕生した。本社はメリーランド州のベセスダにある。1997年、マクダネル・ダグラス社を傘下に収めた。2006年の従業員総数は14万人、売上高は396億ドル(うち軍需関連が342億ドル)で、軍需関連の売上高は軍需企業内で世界一。201371日、国際ビジネス担当部門のロッキード・マーチン・インターナショナル社を設立した。2015116日(126日?)、シコルスキーを買収し、ミッションシステム・訓練部門として傘下に収めた。参考:月刊JWings12,061,'166,19、月刊軍事研究5,079,079,13、月刊航空ファン10,15

ロッキード・マーチン・エアロノーティクス>:ロッキード・マーチン社の事業部門の1つで、航空機の設計開発・製造やシステム統合を主業務とする。本社はジョージア州マリエッタにあったが、後にテキサス州フォートワースに移された。フォートワースにあるB-36爆撃機製造用に建造された全長1マイル(1.6km)の巨大工場(元はコンベア社の工場だった)をはじめ、アメリカ各地の工場で各種軍用機を製造している。参考:月刊軍事研究5,07

ロッキード・マーチン・ミサイルズ・アンド・ファイア・コントロール>:ロッキード・マーチン社の事業部門の1つで、PAC-3ミサイル、ヘルファイアミサイル、AGM-158LANTIRN、スナイパーXRなどを生産している。参考:月刊軍事研究9,07

ロッキー・フラッツ工場>:アメリカの核弾頭生産工場で、コロラド州ゴールデンにある。1951年から稼働。プルトニウムを処理し、原爆及び水爆プライマリーに使用するピットの組み立てを行っている。参考:核兵器事典

<ロッキー・マウント>:AGC-3(揚陸指揮艦)を参照。

<ロッキンガム>:APA-229(攻撃輸送艦)またはG58(駆逐艦)を参照。

<ロック>:SS-274(潜水艦)を参照。

ロック>:日本海軍士官のスラングで、呉の料亭岩越のこと。参考:帝国陸海軍事典

ロック>:ノルウェー海軍ストルム級高速攻撃艇。1968年就役。参考:週刊ワールドウェポン17

ロックMk.T>:イギリス空軍複座戦闘機Roc。スクアを元にしてブラックバーンで開発され、19381223日に初飛行した。後部座席に4連装7.7mm銃塔を搭載している。生産はボールトンボールで行われ、19404月から138機が就役したが、性能が悪くシーハリケーンとすぐに交代した。全長10.84m、全幅14.02m、全備重量3990kg。エンジンはブリストル・パーシウス12905馬力)単発、最大速度313km、実用上昇限度5020m、航続距離980km。固定武装は7.7mm機銃4丁。乗員2名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

<ロック・アーケイグ>:K603(フリゲート)を参照。

<ロック・アード>:トランスヴァール(フリゲート)を参照。

<ロックアイ>:Mk20Mod0(クラスター爆弾)を参照。

<ロックアイU>:CBU-99/Bシリーズ(クラスター爆弾)またはCBU-100/Bシリーズ(クラスター爆弾)またはMk20Mod2(クラスター爆弾)またはMk7ディスペンサー(クラスター爆弾)を参照。

<ロック・アカナルト>:K424(フリゲート)を参照。

<ロック・アシュレイ>:K426(フリゲート)を参照。

<ロック・アルヴィー>:K428(フリゲート)を参照。

<ロック・インシュ>:K433(フリゲート)を参照。

ロックウェル・インターナショナル社>:Rockwell International。大元はロックウェル・スタンダード社で、19679月にノースアメリカン社を買収してノースアメリカン・ロックウェル社になり、1973年にコリンズ・ラジオ社を買収してロックウェル・インターナショナル社となった。1996年、エアロスペース部門と防衛事業部門がボーイング社に買収された。2001年、アビオニクス部門がロックウェル・コリンズ社として分社化された。参考:月刊JWings3,172,22

ロックウェル・コリンズ社>:アメリカのアビオニクス企業。ロックウェル・インターナショナル社のアビオニクス部門が2001年に分社化されたものである。2014年、エアリンクを買収。201795日、ユナイテッド・テクノロジーズ社に買収されることが発表された。参考:月刊JWings3,17、月刊航空ファン6,18

<ロックウォール>:APA-230(攻撃輸送艦)を参照。

<ロックウッド>:L39(駆逐艦)またはFF-1064(フリゲート)を参照。

<ロック・エック>:K422(フリゲート)を参照。

ロックエッジ>:ショルダーパッチの縁取りをミシンでロックしたもの。アメリカ軍では1960年代半ばから使用されている。参考:月刊JWings5,02

ロック・オブ・ザ・マールン>:アメリカ陸軍第3歩兵師団の愛称、「マルヌ河の岩」。1918年、第1次大戦に参戦した同師団がフランス戦線で見せた頑強な戦闘ぶりから命名された。参考:月刊軍事研究9,03

ロックオン>:Lock-on。目標をレーダー、レーザー、赤外線、可視光などを使用した照準装置により連続的に追尾・照準し、攻撃可能な状態にすること。兵装が固定機銃の場合には自動操縦装置、旋回機銃の場合には旋回駆動装置に制御信号を送り、追尾状態を保つ。機械式アンテナを使用したレーダーではアンテナが目標の方を指向して動きを追尾するようになるので、見た目でもある程度分かる。海上自衛隊ではオン・ターゲットと言い、その後使用武器の割り当てを行う。参考:月刊JWings9,1010,09別冊付録、5,13、月刊世界の艦船5,13、航空用語事典増補改訂版

<ロック・カトライン>:K625(フリゲート)を参照。

ロック級>:イギリス海軍フリゲートLoch級。リバー級をベースとしており、ブロック建造方式を採用して大量生産向きとしたものである。平均建造期間はリバー級の15-18ヶ月から10-11ヶ月に短縮された。対潜兵器としてスキッドを採用し、艦橋直前の甲板室上に2基を搭載した。全長93.7m、幅11.7m、吃水2.7m、基準排水量1435トン。主機は5500馬力のレシプロまたは6500馬力の蒸気タービンで、速力20ノット。兵装は10.2cm単装砲1門、2ポンド4連装砲1基、20mm機関砲6門、スキッド2基。40mm機関砲を装備した艦もある。1943-45年にK390ロック・ファーダ、K391ロック・キリン、K421ロック・シャイン、K422ロック・エック、K424ロック・アカナルト、K425ロック・ダンヴェガン、K426ロック・アシュレイ、K428ロック・アルヴィー、K429ロック・ファイン、K431ロック・ターバート、K433ロック・インシュ、K434ロック・クオイッチ、K437ロック・ローモンド、K517ロック・モーリッチ、K603ロック・アーケイグ、K609ロック・クレイギー、K619ロック・グレンドゥー、K620ロック・ゴーム、K625ロック・カトライン、K628ロック・キリスポート、K639ロック・モア、K645ロック・ルスヴェン、K648ロック・スカヴェイグ、K655ロック・トラレイグなど30隻(28隻?)が竣工した。他に第2次大戦終戦でキャンセルされた艦が54隻ある。参考:第2次大戦のイギリス軍艦、月刊世界の艦船9,96

<ロック・キリスポート>:K628(フリゲート)を参照。

<ロック・キリン>:K391(フリゲート)を参照。

<ロック・クォイッチ>:K434(フリゲート)を参照。

<ロッククライミング>:SS24山岳猟兵師団を参照。

<ロック・クラギー>:K609(フリゲート)を参照。

<ロック・グレンドゥー>:K619(フリゲート)を参照。

<ロック・ゴーム>:K620(フリゲート)を参照。

<ロックサット>:ROCSATシリーズ(人工衛星)を参照。

<ロックサット2>:ROCSAT2(人工衛星)を参照。

<ロック・シャイン>:K421(フリゲート)を参照。

<ロックス>:VAQ-137(飛行隊)を参照。

<ロック・スカヴェイグ>:K648(フリゲート)を参照。

<ロックスボー>:I07(駆逐艦)を参照。

<ロック・ターバート>:K431(フリゲート)を参照。

<ロック・ダンヴェガン>:K425(フリゲート)を参照。

<ロックド・シールズ>:NATOサイバー防衛協力センターCCDCOECooperative Cyber Defence Centre Of Excellence)のサイバー防衛演習。参考:朝雲

ロックド・シールズ2021>:2021413-16日にオンラインで行われた。防衛省・自衛隊が初参加し、内局、統幕、指揮通信システム隊の計10名と、内閣官房内閣サイバーセキュリティセンター、総務省、情報処理推進機構などの計17人が、サイバーセキュリティに関する動向の把握などを実施している。参考:朝雲

ロックド・シールズ2022>:20224月に行われ、防衛省・自衛隊も参加した。参考:朝雲

ロックド・シールズ2023>:2023418-21日にオンライン形式(演習統裁部はエストニアのタリン)で行われ、NATO加盟国含む40カ国が参加した。日本からは防衛省内局、統幕サイバー防衛隊、陸自システム通信団、海自システム通信隊群、空自作戦システム運用隊航空システム通信隊、内閣官房内閣サイバーセキュリティセンター、総務省、警察庁、情報処理推進機構、JPCERTコーディネーションセンター、重要インフラ事業者などが参加し、オーストラリアと合同チームを組んで演習を行っている。参考:朝雲

<ロック・トラレイグ>:K655(フリゲート)を参照。

<ロック・ファーダ>:K390(フリゲート)を参照。

<ロックフォード>:PF-48(フリゲート)を参照。

<ロックブリッジ>:APA-228(攻撃輸送艦)を参照。

<ロックマン>:BTGM-100(機雷)を参照。

<ロック・モア>:K639(フリゲート)を参照。

<ロック・モーリッチ>:K517(フリゲート)を参照。

<ロック・ルスヴェン>:K645(フリゲート)を参照。

<ロックローズ>:K51(コルベット)を参照。

<ロック・ローモンド>:K437(フリゲート)を参照。

肋骨服>:明治8年に制定された日本陸軍将校用制服の通称。左右の胸に付いた飾り紐が肋骨に見えるので。参考:軍医サンよもやま物語

<ロッシー>:K365(フリゲート)を参照。

ロッシェル塩>:酒石酸カリウム・ナトリウム。酒石酸にカリウムが反応して生じた酒石に水酸化ナトリウムを加えてできる物質で、1880年に圧電効果があることが判明、ソナー用ハイドロフォンに使用された。参考:防衛技術ジャーナル1,07、海軍技術研究所、月刊世界の艦船12,16

ロッシェル塩の絞り汁>:ワインのこと。太平洋戦争中、日本がソナーの材料となるロッシェル塩を抽出した後のワインを国民に配給したことによる。戦時中はブドウ農家やワイン生産業者が保護されたため、敗戦後もいち早く本業に復帰した。ただロッシェル塩抽出後のワインの味が悪かったせいで、ワインは不味いものというイメージがこびりついてしまい、倒産するワイナリーが続出したらしい。参考:防衛技術ジャーナル1,07、月刊世界の艦船12,16

<ロッシュ>:DE-197(護衛駆逐艦)を参照。

ロッセン>:デンマーク海軍リンドルメン級敷設艦Lossen1978年就役。後にエストニア海軍敷設艇A433ヴァンボラになった。参考:月刊世界の艦船9,17

ロッタ・スヴァルド>:フィンランドの女性による軍補助組織。独立戦争開始直後に基礎となる組織が作成され、1921年に全国的に統一された。平時は学校活動、出版、訓練などを行い、有事の際は野戦・軍病院での看護、避難民支援、伝令、防空監視、兵器庫の警備などを行う。継続戦争の休戦時に廃止を要求され、19441123日に廃止された。ただし、ほぼ同時にフィンランド女性扶助基金が作られて同じ様な活動をした。参考:月刊軍事研究11,03

ロツ弾>:日本海軍が開発した局地防備用20cm噴進通常弾で、短20cm砲弾を改造して制作された。参考:月刊丸4,99

ロッテ戦法>:ドイツ空軍ベルナー・メルダースがスペイン内乱時に確立した戦闘機戦術。それまでは3機編隊でV字を作って戦闘を行っていたが、高速機同士の戦闘ではV字隊形の維持に気を遣いすぎて敵との戦闘がおろそかになる傾向が出たため、編隊を2機(Rotte)にして随伴機を長機の後ろに付け、各機の間隔を厳密に定義しないようにしたものである。隊形をあまり気にしなくて済むため随伴機の戦闘経験が少なくても戦闘が可能で、敵の攻撃に際しても安全性が高く、長機を観察することで随伴機の教育も兼ねられるという利点があった。1機が僚機の掩護を受けて攻撃(主に一撃離脱)に専念する方式で、僚機との間隔が大きく開くこともあるため、無線機による高度な連携が必要である。参考:ミリタリーエアクラフト1,97、月刊航空ファン4,18

ロッテ戦法(日本陸軍)>:昭和15年秋に理念と戦訓が伝えられ、昭和166月にBf109E-7と一緒に船で来日したドイツ空軍パイロット2名がキ−60の審査に参加した際に教授した。シュバルム戦法も同時に教えたが、シュバルムは言いにくいので両方纏めてロッテ戦法と呼んでいる。これに基づき、同年秋から明野陸軍飛行学校で1個小隊を4機にしての研究を開始し、太平洋戦争開戦前後に甲種学生へと教育を行い、昭和18年頃には主戦法として確立した。昭和18年春からは乙種学生への教育を開始(第56期から)し、単機戦闘教育を省略してロッテ戦法だけを教えたが、実戦では陸軍戦闘機が一撃離脱に向いていない、無線機の信頼性が低く連携が取れない、稼動率が低く編隊を組むだけの数が揃わない、格闘戦を教えていないので単機戦闘に陥るとただ墜とされるだけといった欠点を露呈して大苦戦している。この反省を元に、昭和19年の乙種学生第57期からは単機戦闘教育を復活させた。参考:月刊航空ファン4,184,19

<ロッテルダム>:D818(駆逐艦)またはL800(揚陸艦)を参照。

ロッテルダム級>:オランダ海軍ドック型輸送揚陸艦(LPDRotterdam級。1番艦と2番艦の就役に10年の差があり、諸元もかなり違うので、別々のクラスに分類することもある。船体は商船構造、船型は平甲板型で、前甲板にブルワークが付く。前甲板の後ろに巨大な箱型上部構造物があり、内部に居住区画、医療区画、指揮管制区画、ヘリコプター格納庫、上面前後にタワーマスト、上面両舷に煙突1本ずつを持つ。ヘリ格納庫にはNFH90/AS532ヘリなら6機、AW101ヘリなら4機を搭載可能。艦後半部はヘリ発着スポット2ヵ所を持つヘリ甲板(58m×25m)で、2番艦は大型機の運用を考慮し甲板強度を増した。対潜魚雷36本(30本?)とソノブイ300本を積めるため、対潜ヘリ空母としても使える。艦首下部にはバウスラスターを搭載。艦内には主車両甲板、低車両甲板、弾薬庫、海兵隊居住区、ドックウエルなどが用意されている。主車両甲板は主力戦車(レオパルト2A6)を33両搭載でき、低車両甲板には重量25トン以下の車両を載せられる。重量10トンクラスの装甲車なら両甲板に計170両を収容可能。2番艦は司令部設備を備えており、船体と上構を拡大して指揮通信能力を強化し居住区を拡大したが、ドックウエルは縮小した。医療設備は手術室2部屋、ベッド100床。DA-08対空捜索レーダーを装備する。NBC防護能力を持つ。全長166m(2番艦は176.4m)、幅25m(2番艦は29.2m)、吃水5.9m、満載排水量12750-12955トン(2番艦は15500-16948トン)。主機はディーゼル発電機4基、出力16000馬力(2番艦は19310馬力)、1番艦は電動モーター2軸、2番艦はアジマスポッド2基により推進し、速力は1番艦が19ノット(18ノット?)、2番艦が19.5ノット(17ノット?)、航続距離は12ノットで6000海里。自衛用に30mmCIWSゴールキーパー2基(前甲板の甲板室上と上部構造物上面後端に1基ずつ)と20mm機関砲4門(艦橋周囲)を装備する。NH90/AS532ヘリ6機またはEH-101ヘリ4機の搭載が可能。1番艦はLCU4隻またはLCVP6隻を収容でき、2番艦はLCU2隻をドックウエルに、LCVP2隻を舷側レセスに搭載する。乗員124名(2番艦は146名)。2番艦は司令部要員400名も乗せる。揚陸部隊613名(2番艦は555名)を収容可能。1998年に1番艦L800ロッテルダム、2007年に2番艦L801ヨハン・デ・ウィットが就役した。後に対空捜索レーダーをNS100に、対水上レーダーをスカウトMk3に換装した。参考:月刊軍事研究11,0810,11JShips Vol.24、月刊世界の艦船12,'2312,125,173,142,141,'15増刊、10,2012,20

ロットヴァイル>:ドイツ海軍掃海艇Rottweil201735-13日、ポセイドン2017演習に参加。参考:月刊世界の艦船7,17

ロットナンバー>:同時生産品、同品番号、同一資材、同一規格で一定の工程により継続生産された製品を同一ロット製品というが、その各ロットに付けられた番号のこと。参考:GUN用語事典

<ロッド・アンテナ>:ホイップ・アンテナを参照。

<ロッドマン>:DD-456(駆逐艦)を参照。

<ロッドン>:RPL11(揚陸艇)を参照。

<露天甲板>:甲板を参照。

ロトイティ>:ニュージーランド海軍レイク級内水哨戒艇Rotoiti。参考:月刊世界の艦船6,22

<蘆洞1号>:ノドン1号(弾道ミサイル)を参照。

<蘆洞2号>:ノドン2号(弾道ミサイル)を参照。

ロトス−S>:14F138 Lotos-S。ロシアのELINT衛星で、リアーナ・システムを構成する。TsSKBプログレスの設計で、データ通信や音声通信傍受が可能。2009年に1基が打ち上げられ、直後にはプログラムミスでシステムの半分がダウンしたが、アップデートで解決した。長距離対艦ミサイルシステムへの目標情報提供にも使用でき、北洋艦隊所属艦による海上目標捕捉テストに成功したとされる。2015年に2基目が打ち上げられた。参考:月刊軍事研究5,1311,15、月刊世界の艦船11,14

<ロドニー・M・デービス>:FFG-60(フリゲート)を参照。

<ロドネイ>:29(戦艦)を参照。

ロドリゲス>:ペルー海軍潜水母艦Rodriguez。元はアメリカ海軍カノン級護衛駆逐艦で、1951年に供与されて改造を施した。参考:月刊世界の艦船5,86

<ロナルド・レーガン>:CVN-76(空母)を参照。

<ロナルド・レーガン・ミサイルテストサイト>:クェゼリンミサイル試験場を参照。

ロナルド・レーガン・ミサイル防衛サイト>:カリフォルニア州ヴァンデンバーグ空軍基地にあるGBIミサイルサイトの名称で、2006410日に名付けられた。参考:日米イージス艦と弾道ミサイル防衛

ロニ>:イスラエルのCAAタクティカル社が開発した拳銃改造カービンシステム。フレームに既存の拳銃をそのまま填め込むだけでカービンに早変わりするというもので、フルオートの拳銃を入れればサブマシンガンになる。参考:月刊軍事研究2,10

<ロニー・L・ムーア>:ムーア(アメリカ空軍エース)を参照。

<ロニ車>:九八式機動軽牽引車を参照。

ロハ>:エクアドル海軍コルベットLoja1984年就役。2020112-11日、ユニタス2020に参加。参考:月刊世界の艦船2,21

<ロバーツ>:DE-749(カノン級護衛駆逐艦)またはF40(砲艦)を参照。

ロバーツ級>:イギリス海軍砲艦Roberts級。砲艦マーシャル・ソールトとマーシャル・ネイの38.1cm連装砲塔を流用して建造された。全長113.9m、幅27.4m、吃水3.4m、基準排水量7970トン。主機はタービンで、出力4800馬力、速力12ノット。兵装は38.1cm連装砲1基、10.2cm連装砲4基。F40ロバーツ、F109アバクランビが1941-43年に就役した。参考:第2次大戦のイギリス軍艦

<ロバート・A・オーエンス>:DD-827(駆逐艦)を参照。

<ロバート・E・シマネック>:ESB-7(遠征用海上基地艦)を参照。

<ロバート・E・ピアリー>:DE-132(護衛駆逐艦)またはFF-1073(ノックス級護衛艦)またはT-AKE-5(ルイス・アンド・クラーク級補給艦)を参照。

<ロバート・E・リー>:SSBN-601(戦略原潜)を参照。

<ロバート・F・ケネディ>:T-AO-208(給油艦)を参照。

<ロバート・F・ケラー>:DE-419(護衛駆逐艦)を参照。

<ロバート・G・ブラッドレイ>:FFG-49(フリゲート)を参照。

ロバート・H・スミス級>:アメリカ海軍軽敷設艦Robert H. Smith級。アレン・M・サムナー級駆逐艦を建造中に改造したもので、魚雷・爆雷兵装を撤去して機雷敷設軌条を装備している。全長114.8m、幅12.4m、吃水5.7m、基準排水量2200トン。主機は蒸気タービン2軸60000馬力、速力34ノット。兵装は127mm連装砲3門、40mm4連装機関砲2基、40mm連装機関砲2基、機雷100個。乗員350名。1944年にDM-23から-3412隻が就役した。参考:第2次大戦のアメリカ軍艦

<ロバート・H・スミス級・海外シリーズ>

 <ロバート・H・スミス級(トルコ)>:トルコ海軍駆逐艦。1971年に1隻が引き渡され、DM-357ムアヴェネトとなった。全長114.8m、幅12.5m、吃水5.8m、基準排水量2250トン、満載排水量3375トン。主機は蒸気タービン2基2軸60000馬力で、速力34ノット。兵装は127mm連装砲3基、76mm連装砲1基、40mm4連装機関砲2基、40mm連装機関砲2基、324mm3連装短魚雷発射管2基、ヘッジホッグ2基、爆雷投下軌条1条、機雷80個。乗員274名。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

<ロバート・H・マッカード>:DD-822(駆逐艦)を参照。

<ロバート・I・ペイン>:DE-578(護衛駆逐艦)を参照。

<ロバート・K・ハンチントン>:DD-781(駆逐艦)を参照。

<ロバート・L・ウィルソン>:DD-847(駆逐艦)を参照。

<ロバート・S・タック>:タック(イギリス空軍エース)を参照。

ロバート・ジョンソン>:1920221日、オクラホマ州生まれ。第2次大戦時、ヨーロッパ戦線で27機を撃墜した。最終階級は中佐。参考:歴史群像6,10

<ロバート・スモールズ>:CG-62(イージス巡洋艦)を参照。

<ロバート・バラード>:T-AGS-67(測量艦)を参照。

ロバート・ハンプトン・グレイ>:カナダ海軍ハリー・デウォルフ級砕氷警備艦6番艦Robert Hampton Gray2025年引き渡し予定。参考:月刊世界の艦船11,23

<ロバート・ブレジア>:DE-345(護衛駆逐艦)を参照。

ロバート・ローワン>:アメリカのリバディー・シップRobert Rowan19437月、シチリア島上陸ハスキー作戦に参加。711日、枢軸軍の空襲を受けて船内の弾火薬に引火、大爆発して沈没した。参考:月刊世界の艦船11,19

<ロバスト>:A366(曳船)を参照。

<ロバ弾>:十五サンチ噴進爆雷を参照。

<ロバロ>:SS-273(潜水艦)を参照。

<ロビソン>:DDG-12(駆逐艦)を参照。

<ロビン>:MHC-54(機雷掃討艇)を参照。

ロビン>:イギリス海軍河用砲艦。排水量226トン。石炭搭載量41トン。乗員42名。太平洋戦争開戦時は西方河川戦隊に所属しており、香港南岸沖から日本陸軍部隊に向けて砲撃を行った。参考:小艦艇入門

ロビン作戦>:イギリス空軍による、ソ連高々度偵察作戦。1952年からキャンベラ高々度偵察機を使用して実施され、対空警戒レーダーを持っていなかったソ連の上空を夜間飛行して写真撮影を行った。参考:月刊軍事研究12,09

<ロビンソン>:DD-562(駆逐艦)を参照。

ロビンソン・スキャナ>:第2次大戦時に開発された測高レーダーRobinson scanner。大型のアンテナ(反射鏡)を機械的に動かす方式だと走査速度に限度があるので、給電点の方を上下に動かすようにしたものである。ただ給電器を上下に高速で動かすと折り返し点で無理な力がかかったりするので、給電部入力側を円形にして中に給電器を填め込み高速で回転させ、ホーンからレーダー波として出てくる時に上下に大きく動くよう転換、反射鏡アンテナで反射させて高速走査した。参考:レーダシステムの基礎理論

ロプーチャ型シリーズ>:ソ連海軍戦車揚陸艦。建造はポーランドで行われた。参考:月刊世界の艦船9,11

ロプーチャT型>:ソ連海軍戦車揚陸艦、775型/プロジェクト775 RopuchaT型。艦内に全通車両甲板があり、艦首と艦尾のランプから揚陸を行う。大型の上部構造物を持ち、兵員輸送力にも優れるようだ。上陸前の地上制圧用に122mm多連装ロケットランチャーを搭載しており、ロケット弾重量20kg、初速毎秒690m、射程20km(後に30-45km)で、20秒または40秒での斉射や、5秒に1発の連射が可能。全長110m112.5m?)、基準排水量3450トン、満載排水量4471トン。主機はディーゼルで、2軸推進、速力17.5ノット。兵装は57mm連装砲AK-257AK-725?)が2基(上構前後)、40連装24.6口径122mmロケットランチャー2基。主力戦車10両+人員190名または装軌式装甲車24両+人員170名を搭載できる。1975-91年(1974-92年?)にポーランドで23隻が建造された。2007年現在、アドミラル・ニヴェルスキー、カリーニングラード、ミンスク、ノヴォチェルカスク、チェーザレ・クニコフなど16隻が現役である。参考:月刊世界の艦船8,82増刊、6,151,029,109,113,141,'15増刊、6,'22、月刊軍事研究8,07THE MILITARY BALANCE 2016

ロプーチャU型>:ソ連海軍戦車揚陸艦、775M型/プロジェクト775M RopuchaU型。ロプーチャT型の砲熕兵装を76mm砲に強化したものである。全長112.5m、満載排水量4471トン。主機はディーゼルで、速力17.5ノット。兵装は9M32ミサイル4基、76mm単装砲AK-176が1門(前甲板後部甲板室上)、30mmCIWS2基、40連装24.6口径122mmロケットランチャー2基。主力戦車10両+人員190名または装軌式装甲車24両+人員170名を搭載できる。1992年までにペレスウェートなど5隻が建造された。参考:朝雲、月刊世界の艦船6,159,119,14THE MILITARY BALANCE 2016

<ロフティ・ビュー>:ナット750(無人機)を参照。

ロフテッド弾道>:Lofted Trajectory。高仰角で発射し、ほぼ真上から目標に落とす弾道のこと。射程の長い弾道ミサイルを近距離に落とす時などに使用されるもので、精度の低い弾道ミサイルを違うタイミングで複数発射して単一目標に同時弾着させる弾道などとして検討され、弾道ミサイル防衛による迎撃を逃れる弾道に流用されるようになった。到達高度が高いのでレーダーによる探知は容易だが、迎撃ミサイルの届かない高々度までの上昇時間が短く、落下地点の予想が難しく、落下速度が速くなるなど、迎撃が難しい。パトリオットではPAC3でも対応困難である。参考:日米イージス艦と弾道ミサイル防衛、月刊軍事研究9,067,0710,079,16、月刊世界の艦船11,17

ロフト爆撃>:レーダーを避けるため低空で侵入し、上昇しながら爆弾を投げ上げる爆撃法。命中精度に劣るが、離脱時間を稼げる。核爆弾を空中爆発で炸裂させる場合、直接の衝撃波と地上で反射した衝撃波が重なる三重点が爆心地から浅い角度で広がり、これに航空機が巻き込まれると最悪空中分解してしまうので、ロフト爆撃による空中爆発をさせる際には三重点の下に潜る低空離脱を行う。参考:世界の傑作機No.118、月刊軍事研究4,11、戦闘機のしくみ

<ロフバーグ>:DD-759(駆逐艦)を参照。

<ロベリア>:K05(コルベット)またはM921(掃海艇)を参照。

ロヘル・デ・ラウリア級>:スペイン海軍駆逐艦Roger de Lauria級。1947年計画で設計されたもので、艦隊決戦用に重装備を搭載していたが、時代遅れな上にトップヘビーすぎたため、1番艦進水後の1959年にアメリカの援助で設計をし直して1968年に再進水、就役した。武装や電子装備はギアリング級FRAMUと同じものに変更されている。兵装は3連装短魚雷発射管、533mm魚雷発射管2門(Mk37対潜魚雷用)など。ヘリコプター1機を搭載できる。ロヘル・デ・ラウリア(1982年除籍)、D43マスケス・デ・ラ・エンセナダなどが竣工した。参考:月刊世界の艦船2,87

ロボスカウト>:ドイツのベース・テン・システムズ・エレクトロニクス社が開発中の6×6輪UGV。車体上部に伸縮式アームを持ち、兵装やセンサーを搭載できる。車体重量3トン。参考:月刊軍事研究11,06

ロマーシュ>:イスラエル陸軍155mm誘導ロケット弾。弾頭重量20kg。射程35kmGPS誘導で、CEP10m以下。18連装ポッドに収容してMLRSM270発射機にポッド2基・計36発を搭載する。2016年から配備された。参考:月刊軍事研究2,19

<ロマス>:145(中型揚陸艦)を参照。

<ロマス級>:LSM-1級・海外シリーズ(中型揚陸艦)を参照。

ロマソク>:ポーランド陸軍が配備予定の装輪装甲車両で、フィンランドのパトリア社が開発した。8×8輪型、6×6輪偵察型などがある、WZM社によるライセンス生産や、遠隔操作式兵装ステーションの搭載を予定している。参考:月刊軍事研究3,05

ロマト級>:イスラエル海軍ミサイル艇。兵装はハープーン発射筒8基、ガブリエル発射筒8基。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ロム>:ノルウェー海軍ハウク級ミサイル哨戒艇。1980年就役。参考:週刊ワールドウェポン17

ロムテクニカ狙撃銃>:ルーマニアのロムテクニカが開発した輸出用狙撃銃。作動はボルトアクションで、二脚を標準装備している。全長1150mm、銃身長620mm、重量4.9kg。ライフリングは4条右回り。使用弾は7.62mm×54R弾で、装弾数10発。参考:最新軍用ライフル図鑑

ロメオ級>:ソ連海軍潜水艦のNATOコードで、R型ともいう。セイルにはNATOコードでストップ・ライトと呼ばれる広帯域ESMアンテナを装備する。水中排水量1730トン。機関出力2700馬力、最大速力13ノット、航続距離は水中4ノットで40海里。参考:月刊軍事研究1,17、月刊世界の艦船5,83

<ロメオ級・海外シリーズ>

 <ロメオ級(エジプト海軍)>:エジプト海軍潜水艦。中国から033型を4隻購入し、1982-84年に艦番号849852855858として就役、1994-96年にハープーン対艦ミサイル搭載、ソナー換装、GPS搭載、曳航式通信ワイヤ装備などの近代化改修を受けた。全長76.6m、全幅6.7m、吃水4.9m、水上排水量1475トン(1320トン?)、水中排水量1859トン(1830トン?1712トン?)。主機はディーゼル・エレクトリック方式、ディーゼル発電機2基・電動モーター2基2軸2700馬力、水上速力16ノット、水中速力13ノット。兵装は533mm魚雷発射管8門(艦首6門、艦尾2門)で、Mk37長魚雷とUGM-84Cハープーン計14本を搭載する。乗員54名(士官8名、下士官・兵43名?)。参考:世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、現代の潜水艦、月刊世界の艦船11,163,'21THE MILITARY BALANCE 2016

 <ロメオ級(北朝鮮海軍)>:北朝鮮海軍033型潜水艦。中国と1970年代初めに締結した十三号工程という協定に基づき、江南造船所から六台造船所への033型潜水艦建造技術援助が始まり、1972年・74年に1隻ずつ(2隻ずつ?)、75年に3隻を供与され、76年から自国で建造、1995年まで1年2ヶ月に1隻のペースで17隻を建造し、計22隻(24隻?)が就役した。全長76.6m、全幅6.7m、吃水5.2m、水上排水量1475トン、水中排水量1830-1859トン。主機はディーゼル・エレクトリック方式、ディーゼル発電機2基・電動モーター2基2軸4000馬力(2700馬力?)、水上速力15ノット、水中速力13ノット。兵装は533mm魚雷発射管8門(艦首6門、艦尾2門)で、魚雷(SAET-6053-5614本または機雷28個を搭載する。乗員54名(士官8名、下士官・兵43名?)。1985年に1隻が沈没したらしい。2016年現在、20隻が就役しているが、艦齢が高く、稼動状態はかなり悪いとみられる。1隻を北極星3号SLBM用弾道ミサイル潜水艦に改造中。参考:世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船11,1612,194,'209,0112,1711,18、現代の潜水艦、月刊軍事研究4,10

 <ロメオ級(中国海軍)>:中国海軍潜水艦、033型。ソ連のもののコピーで、1960年代初めから1980年代後半に自国用に84隻が建造され、北朝鮮に7隻、エジプトに4隻が輸出された。全長76.6m、全幅6.7m、吃水5.2m、水上排水量1475トン、水中排水量1830トン。主機はディーゼル・エレクトリック方式、ディーゼル2基・電動モーター2基2軸4000馬力(2700馬力?)で、水上速力15.2ノット、シュノーケル速力10ノット、水中速力13ノット。潜航深度300m。兵装は533mm魚雷発射管8門(艦首に6門、艦尾に2門)。Yu-1/Yu-2魚雷14本または機雷28発を搭載する。乗員54名(士官8名、下士官・兵43名?)。艦番号256-260268-272275-280286287291-304343-349355などが就役した。参考:中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版、世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、月刊軍事研究4,05、現代の潜水艦

 <改ロメオ級(中国海軍)>:中国海軍潜水艦、033G型。ロメオ級から1隻が改装された。セイル周囲の船体を一段盛り上げ、内部に左右3基ずつのYJ-1発射機を搭載している。発射時には浮上して発射筒に20度の仰角をかけてやる必要がある。魚雷発射管からの対艦ミサイル発射テストも行ったという説もある。全長76.6m、全幅6.7m、吃水5.2m、水上排水量1650トン、水中排水量2100トン。主機はディーゼル・エレクトリック方式、ディーゼル2基・電動モーター2基2軸4000馬力(2700馬力?)、水上速力15ノット、シュノーケル速力10ノット、水中速力13ノット、潜航深度200m。兵装は533mm魚雷発射管8門、YJ-1発射筒6基。乗員54名(士官10名、下士官・兵48名?)。艦番号351が就役した。参考:中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版、世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、現代の潜水艦

ロメオ級(ブルガリア海軍)>:ブルガリア海軍潜水艦。全長76.6m、全幅6.7m、吃水4.9m、水上排水量1475トン、水中排水量1830トン。主機はディーゼル・エレクトリック方式で、ディーゼル発電機2基・電動モーター2基2軸2700馬力、水上速力16ノット、水中速力13ノット。潜航深度300m。兵装は533mm魚雷発射管8門(艦首6門、艦尾2門)で、魚雷14本または機雷28個を搭載する。乗員54名(60名?)。1972-73年に2隻、1985-86年に2隻を受領した。3隻が退役した後、最後に残った艦番号84スラヴァは潜航深度を50mに制限して運用され、201110月に退役した。参考:世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、現代の潜水艦、月刊世界の艦船3,14

ロメオ・ロメイ>:イタリア海軍212A型潜水艦4番艦Romeo Romei201574日進水、201637日公試開始。2017511日、イタリア海軍に引き渡されて就役した。201835-16日、ダイナミック・マンタ2018演習に参加。2020224日から36日、ダイナミック・マンタ2020に参加。参考:月刊世界の艦船10,159,168,173,186,186,20

ロライマ>:ブラジル海軍ロライマ級河川哨戒艦Roraima19752月就役。参考:月刊世界の艦船3,15

ロライマ級>:ブラジル海軍河川哨戒艦Roraima級。満載排水量371トン。兵装は40mm単装機関砲1門、12.7mm単装機銃6丁、81mm単装迫撃砲2門。1975年からロライマなど3隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,15

<ロラン>:AMX-30戦車・海外ファミリーを参照。

ロラン>:アメリカが開発した航空機・船舶用電波航法装置で、LOng RAnge Navigationの略。GEE装置の使用電波波長を変更したものである。標準システム双曲線方式に分類され、2つの地上局(主局と従局)から発せられるパルス波の到達時間差を測定して2局を焦点とする双曲線を求め、もう2局からの到達時間差も測定してもう1本の双曲線を描き、その交点が自分の位置になる。参考:図解・電波のしくみ、航空用語事典増補改訂版、連合軍の傑作兵器駄作兵器

 <ロランA>:周波数1.75-1.95MHz(中波)のパルス電波を使用するもので、送信出力130-1000kW、有効距離は昼間で750海里、夜間で1500海里。誤差は0.5-4km1942年に開発されたが、使用可能領域が狭いという欠点があり、ロランCに替わられた。参考:図解・電波のしくみ、月刊軍事研究12,08

 <ロランB>:計画のみで、実用化されなかった。参考:月刊軍事研究12,08

 <ロランC>:周波数90-110kHz(長波)のパルス及び連続波を使用するもので、送信出力1-1.2MW、有効距離は昼間で1200海里、夜間で2400-3600海里。誤差は100-300m。全天候下で使用できるというふれ込みだったが、嵐などでは精度が落ちる他、夜間など利用者周辺の視界が悪い場合にも精度が悪くなるという欠点があった。また、地上局のカバー範囲内が限られており、緯度と経度しか表示されないので、航空機向けの三次元航法装置としての利用は限定されていた。GPSの完成で殆ど使われなくなったが、GPSよりも遥かにECMに強いため、バックアップとして使用されている。201521日、沖縄の慶左次にあるロランC局が閉鎖され、日本でのロランC局運用が廃止された。参考:月刊軍事研究12,08、図解・電波のしくみ、月刊世界の艦船5,15

 <ロランD>:ロランCを補完するもので、ロランC固定局から外れている場所でも航法が行えるよう、発信局設備を輸送機に丸ごと搭載可能にしたものである。設置や解体には1日しかかからない。アメリカ軍がGPSに傾注したため、計画のみで完成しなかった。参考:月刊軍事研究12,08

 <ロランSS>:夜間用だが、昼に使えないのは不便なため、普及しなかった。参考:月刊軍事研究12,08

<ロランU>:ローランドUシステム(地対空ミサイル)を参照。

ロラント>:モワク社が開発した治安/警察用4×4輪軽装甲車。ベースはグレナディア兵員輸送車で、前部にデモ隊・バリケード排除用ブレードを装着し、車体各所にガンポートを設けている。車体後部左にエンジンを収める。重量4.7トン。アルゼンチンでライセンス生産され、ギリシャ、ペルー、南アフリカなどに輸出された。参考:月刊PANZER5,79

ロラン・モリロ>:フランス海軍潜水艦。元はドイツ海軍UボートUB26で、第1次大戦時に防潜網に引っかかったものをフランスで再就役させたものである。参考:小艦艇入門

ロラン・モリロ>:フランス海軍潜水艦Roland Morillot。元はドイツ海軍Uボート]]T型潜水艦U2518で、1947年にフランス海軍で再就役した。19671017日に除籍された。参考:ナチスUボート

ロラン・モリロ級>:フランス海軍潜水艦Rolland Morillot級。ルドゥタブル級の拡大改良型として1934年度以降の計画で8隻を建造する予定だった。一部が起工した時に第2次大戦が開始され、完成しなかった。参考:第2次大戦のフランス軍艦

ロリナト・トオン>:フィリピン海軍シャルダグMkX級哨戒艇2番艇Lolinato To-ong202296就役1128日、フィリピンで就役式典を実施。参考:月刊世界の艦船12,222,23

<ロルフ>:DE-362(護衛駆逐艦)を参照。

ロルフ・ヘルミヒェン>:ドイツ空軍エース。19425月、第26戦闘航空団第3中隊長となった。第26戦闘航空団本部付を経て194310月に第11戦闘航空団第T飛行隊司令官となり、19444月から第104戦闘航空団所属となった。1945219日、柏葉騎士鉄十字章を授与された。出撃回数629回、総撃墜機数64機(うち4発重爆26機)。参考:フォッケウルフFw190A/F/Gシリーズ

<ロレイン>:PF-93(タコマ級フリゲート)またはPF-97(タコマ級フリゲート)を参照。

<ロレイン・カウンティ>:LST-1177(戦車揚陸艦)を参照。

<ロレーヌ>:D-657(フリゲート)を参照。

ロレーヌ>:フランス海軍ブルターニュ級戦艦3番艦Lorraine1912年起工、19167月竣工。1919年から順次改装工事を受けた。1932-35年には中央部の主砲を撤去して上部構造物を新設し、そこにカタパルト1基と水上機2機を搭載した。第2次大戦勃発後、19406月にイギリス海軍と共にリビア沿岸を砲撃した。フランス降伏後はイギリスに武装解除されてアレクサンドリアに置かれ、1944年からは連合軍に参加してプロヴァンス上陸作戦、ツーロン解放作戦などに就いた。その後レーダー搭載や対空兵装強化などを行い、1953217日に除籍された。参考:第2次大戦のフランス軍艦、月刊世界の艦船1,124,17

ロレーヌ37L牽引車>:フランス陸軍牽引車。車体前部に変速機と操向装置を、中央部にエンジンを、その間に操縦席を置き、後部を貨物室として弾薬を搭載し、更に運搬用装軌式トレーラーを牽引する。戦闘重量5.61トン、エンジンはデラハヤ13570馬力)で最大速度35km1937年から19405月までに387両が生産された。参考:月刊グランドパワー7,03、世界の軍用車両(1)

<ロレーヌ37L海外ファミリー>

 <4.7cmPaK181(f)搭載ロレーヌ・シュレッパー>:ドイツ国防軍対戦車自走砲。フランス製4.7cm対戦車砲を固定台座に搭載したもので、フランス軍が改造したのをドイツ国防軍が鹵獲したのか、最初からドイツ国防軍が改造したのかは不明。参考:ジャーマンタンクス

 <7.5cmPaK40/1搭載ロレーヌ・シュレッパー(f)>:ドイツ国防軍対戦車自走砲、別名Sdkfz.135マルダーT。第2次大戦時に接収したロレーヌの後部の兵員搭載部分にPaK40/1を搭載したもので、戦闘室の幅が狭いため外側に膨らませる形で新設計しており、防楯は戦闘室に合わせて形を変えてある。重量8トン。主砲は7.5cmPaK40/1 L/46で、旋回角は左右32度ずつ、俯仰角はマイナス5度からプラス22度、照準器はZF3×8°。車内に7.92mmMG34機銃を1丁搭載する。装甲厚は車体下部前面12mm(曲面)、上部9mm35度、側面下部9mm0度、上部9mm45度、後面下部9mm36度、上部9mm35度、底面5mm90度、上面6mm90度、戦闘室前面10mm33度、側面9mm20度、後面7mm28度、上面オープン、防楯10mm33度。エンジンは103TT液冷6気筒ガソリン(70馬力)で、前進5速・後進1速、最大速度34km、航続距離135km。無線機はFuG5。乗員5名。19425月に改造が決定、7-8月に184両が完成し、フランス駐在部隊の対戦車大隊(自走)に配備された。1944年初めの段階でも131両が存在していた。参考:ジャーマンタンクス、世界の軍用車両(1)、異形戦車ものしり大百科、月刊戦車マガジン6,89

 <10.5cm砲搭載ロレーヌ・シュレッパー>:ドイツ国防軍自走榴弾砲。第2次大戦時に接収したロレーヌ37L牽引車に10.5cm榴弾砲leFH18/4を搭載した車両。車体後部に背の高いオープントップの戦闘室を増設しており、下方を外側に膨らませて操砲スペースを確保している。マズルブレーキが牽引式と異なる車両も存在する。全長5.31m、全幅1.83m、全高2.23m、重量8.49トン。照準器はRblf36で、装弾数20発。装甲厚は車体前面下部12mm(曲面)、上部9mm35度、側面下部9mm0度、上部9mm10度または35度、後面下部9mm36度、上部9mm11度、底面5mm90度、上面6mm90度、戦闘室前面10mm8度、側面9mm12度、後面7mm12度、上面オープン、防楯10mm8度。エンジンは103TT70馬力)で、前進5速・後進1速、最大速度34km、航続距離135km。無線機はFuG Spr f。乗員4名。1942年に60両が発注されたが、実際に改造されたのは12両である。うち1両は後にソ連の122mm野砲に換装し、装甲列車に搭載された。参考:ジャーマンタンクス、月刊グランドパワー7,03、月刊戦車マガジン6,89

 <15cm sFH13榴弾砲搭載ロレーヌ・シュレッパー>:ドイツ国防軍自走榴弾砲Sd.Kfz.135/1。第2次大戦時に接収したロレーヌに旧式の15cm榴弾砲sFH13/1(8発)を搭載したもので、北アフリカ軍団向けとして19426-7月に94両が改造された。マルダーTよりも簡単な戦闘室を造って砲を搭載、車体後部に駐鋤を装備し、サスペンションを強化してある。旋回角は左右5度ずつ、俯仰角は0-40度。その他の諸元は10.5cm搭載型とほぼ同じ。参考:世界の軍用車両(1)、月刊戦車マガジン6,89

 <ロレーヌ牽引車(f)改造弾薬運搬車>:ドイツ国防軍が弾薬運搬車として使用したもの。参考:ジャーマンタンクス

 <ロレーヌ牽引車改装観測車>:ドイツ国防軍の観測車両。7.5cmPaK搭載型と並行して開発したもので、1942年に39両が生産された。参考:ジャーマンタンクス

ロレーヌ・ディートリヒ社>:フランスのエンジン会社Lorraine-Dietrich1920年、12Dレシプロエンジン(V型400馬力)を開発。1922年、12Eレシプロエンジン(W型450馬力)を開発。日本陸海軍もエンジンを導入し、陸軍ではロレーヌ、海軍ではローレンと呼んだ。参考:月刊航空ファン11,15

<ロレーン>:PF-93(フリゲート)を参照。

<ロワール・シモノ級>:シレーヌ級(潜水艦)を参照。

<ロワール・シモノ級(630トン型)>:オリオン級(潜水艦)を参照。

<ロワール・ドビジオン級>:オリオン級(潜水艦)を参照。

<ロンカドア>:SS-301(潜水艦)を参照。

<ロンキル>:SS-396(潜水艦)を参照。

ロング>:アメリカ海軍駆逐艦。1942129日、真珠湾付近でDD-393ジャービス、エリオット、トレバーと共に伊73を撃沈した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

ロング>:アメリカ海軍掃海駆逐艦。194516日、フィリピン付近で神風特攻を受け、1機が突入して沈没した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

<ロング・アイランド>:AVG-1(護衛空母)またはACV-1(護衛空母)またはCVE-1(護衛空母)を参照。

ロング・アイランド級>:アメリカ海軍初の商船改造護衛空母Long Island。大西洋の戦いでUボートが輸送船を沈めまくったため、194010月にルーズベルト大統領がスターク海軍作戦部長に特設航空母艦による護衛を提案したのがきっかけで開発された。船団前面に航空機を展開して潜水艦を捜索、護衛艦を誘導すると共に搭載航空機でも攻撃を仕掛けるのが主任務である。C3型戦時標準ディーゼル貨物船モアマックメイル(Moremac mail)を建造中に取得して改造し、中央船楼後方に長さ29.9m・幅16.5m・高さ5.3mの格納庫を設け、その上に長さ109.7m・幅21.6m・甲板強度4.5トンの飛行甲板を乗せて船体前部・中央では支柱で支え、H2カタパルト(左舷前端に30度傾けて取り付けてある)とエレベーター(飛行甲板中央やや後方。長さ10.4m、幅11.8m、最大荷重3.4トン)を1基ずつ装備、平甲板型空母とした。格納庫の床は上甲板をそのまま使ったため、シアとキャンバーが残っていて、運用に支障を来している。護衛空母の試作艦であり、改造規模は最小限に止め、竣工後10ヶ月間はテストに費やした。その中で飛行甲板を長くする必要が出たため、飛行甲板を船体前端まで延ばして長さ127.5mとし、カタパルトを飛行甲板前端の中心線上に移している。アレスティング・ワイヤーはMk3を9本、クラッシュ・バリアは3組を装備。ディーゼル排気は飛行甲板下両舷の排気口から排出される。全長150m、水線長141.7m、最大幅31.1m、水線幅21.2m、吃水7.8m、基準排水量7886トン、満載排水量13499トン。主機はスルザー式ディーゼル4基、出力8500軸馬力、1軸推進、最大速力17.8ノット(16ノット?)、重油搭載量1429トン。兵装は51口径12.7cm単装平射砲1門(艦尾。38口径12.7cm単装両用砲1門?)、50口径7.6cm単装両用砲2門(船首楼後部両舷)、20mm単装機関砲20門(飛行甲板両舷各所スポンソン。12.7mm機銃4丁?)。搭載機数21機。乗員950-970名。AVG-1ロング・アイランド19416月に就役し、主に運用試験に投入された。本格的な護衛空母の量産が始まると役目を終え、1942年後半には練習空母となり、19442月からは航空機運送艦として使用されている。1946年に退役し、商船に戻った。参考:月刊世界の艦船6,1710,'22、護衛空母入門、第2次大戦のアメリカ軍艦

<ロングウイング・ペイブウェイ>:GBU-10A/B(誘導爆弾)を参照。

ロング・サイン>:日本海軍用語で、蛍の光のこと。元歌であるスコットランド民謡オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)からこの名が付いた。海軍兵学校で士官候補生が卒業し、水雷艇や内火艇などに乗って学校を離れる際に軍楽隊が演奏する。参考:海軍兵学校よもやま物語

<ロングショウ>:DD-559(駆逐艦)を参照。

ロングショット>:DARPAが開発している無人機システム。有人無人チーム化用で、有人機の前方に展開して交戦する。202128日、ロッキード・マーチン社、ジェネラル・アトミックス社、ノースロップ・グラマン社と第1段階予備設計作業契約を結んだ。参考:月刊JWings12,21

ロングショット>:ロッキード・マーチン社が開発中の射程延伸誘導爆弾キット。展開翼とGPS/INSがセットになっており、通常爆弾やクラスター爆弾などに取り付けるだけで93km超の長射程(高度10668m以上での投下)とJDAM並の命中精度が得られる。参考:月刊軍事研究9,07

<ロングソード>:AT-802L(軽攻撃機)を参照。

<ロングタームバイパー>:F-16シリーズ(戦闘機)を参照。

<ロングトム>:M2(カノン砲)を参照。

ロングになる>:日本海軍士官のスラングで、首ったけになる、鼻の下を伸ばすこと。参考:日本海軍史、帝国陸海軍事典

<ロングノーズ>:99式自走榴弾砲の愛称。参考:月刊JWings6,01

<ロング・ビーチ>:CGN-9(原子力巡洋艦)またはPF-34(タコマ級フリゲート)を参照。

ロング・ビーチ級>:アメリカ海軍原子力巡洋艦Long Beach級、基本計画番号SCB-169。世界初/アメリカ海軍初の原子力水上戦闘艦で、新規建造時点から対空ミサイルを装備した初の巡洋艦でもある。アメリカ海軍艦艇局が19551月に巡洋艦、ミサイル駆逐艦、レーダーピケット駆逐艦/護衛駆逐艦の原子力化を検討し始めたのが端緒で、10月から予備研究が始まり、駆逐艦クラスの船体に原子炉を収めるのは無理ということで19561月に原子力ミサイル軽巡洋艦CLGN-160として設計を開始、当初は艦対空ミサイルだけを装備する小型艦(基準排水量7800トン)に纏める予定だったが、設計途中で段々大きくなり、クーンツ級ベースの8900トン艦を経て、同時4目標交戦可能な艦対空ミサイルシステム、対潜システム、任務部隊指揮管制用レーダーを積み、艦砲を省く一方でレギュラス/ポラリス戦略ミサイルを後日搭載するスペースも用意したため、19563月の最終性能決定時には予定の倍の大きさになった。対艦・戦術対地ミサイルの搭載も検討されたが、タロスで済ませている。船体はシーアが少なく、ナックルやブルワークはあるものの凌波性が不十分で、装甲も施されていなかった。艦橋は直方体で、横長の捜索レーダーSPS-32(周波数走査方式)と縦長の追尾レーダーSPS-33(縦方向周波数走査方式、横方向位相切替方式)を4面に持ち、それぞれ360度をカバーした。他にAN/SPS-10対水上レーダーを装備する。AN/SPG-55テリア管制レーダーを艦橋前部と艦橋上に2基ずつ背負い式で計4基、AN/SPG-49Bタロス管制レーダーを後部マスト後方に2基装備しており、同時6目標交戦能力を持つ。全長219.9m、幅22.3m、吃水7.3m、基準排水量14200トン、軽荷排水量14611トン、常備排水量15000トン、満載排水量16602トン(16250トン?17350トン?17525トン?)。主機は原子力蒸気タービン方式、C1W原子炉2基・蒸気タービン2基2軸80000馬力、速力35ノット、航続距離90000海里(30ノット)/360000海里(20ノット)。主発電機は出力2500kWのターボ発電機6基、出力1000kWのディーゼル発電機2基。兵装はテリア連装発射機Mk10が2基(240発。40発と80発?艦前部に背負い式)、タロス連装発射機Mk12が1基(40発。52発?後甲板)3連装短魚雷発射管2基、アスロック8連装発射機1基(20発)。艦中央部にはレギュラスU巡航ミサイルやポラリスA-1弾道ミサイル8発分(発射筒4基分?)の装備スペースが用意されていたが、実際には搭載されなかった。乗員858名(1107名?)。19619月にCGN-9ロング・ビーチが就役した。価格は3億2000万ドルで、キティ・ホーク級空母より5000万ドル以上高い上、原子炉技術が未熟で頻繁に核燃料交換がだったため、運用費も超高額になっている。1962年、NTDSAN/SQS-23ソナーを装備。1963年、水上目標と低速航空機に対処するため、船体中央両舷に38口径5インチ(127mm)単装砲1門ずつを装備した。1979年、テリア・タロス発射機を外し、スタンダードSAM連装発射機を搭載。後甲板にハープーン4連装発射筒、マストトップにAN/SPS-12対空レーダーを装備した。イージス・システム搭載案も出されたが、没になっている。198010月から19833月に大改装NTUNew Threat Upgrade)を実施。箱形艦橋はそのままにAN/SPS-32/33レーダーを撤去してアンテナ回転型三次元対空捜索レーダーSPS-48と二次元対空捜索レーダーSPS-49に換装し、後部ラティスマストを新設、装甲を強化し、ファランクス2基を追加、ハープーン4連装発射筒を後ろにずらした。1985年、大改装前にハープーンのあった位置にトマホーク4連装発射機2基を搭載した。1992年時点の諸元は以下の通り。全長219.9m、幅22.3m、吃水9.1m、満載排水量17525トン。主機はC1W型原子炉2基・蒸気タービン2基2軸80000馬力で、速力30ノット。兵装はトマホーク4連装発射機2基(後部上構直後の第1甲板両舷)、ハープーン4連装発射筒2基(後部マスト両舷02甲板)、スタンダードER連装発射機2基(前甲板及び艦橋前方)、127mm単装砲2門、ファランクス2基(後部上構にタンデム装備)、アスロックSUM8連装発射機1基(艦橋直後)、324mm3連装短魚雷発射管2基。乗員958名、司令部要員68名、海兵隊45名。1995年に退役した。参考:月刊軍事研究11,1512,155,039,06、月刊世界の艦船3,92増刊、6,1610,023,008,1610,'23、近代巡洋艦史

 <改ロング・ビーチ級>:195710月に検討された改良型。全長を9m、排水量を1700トン増やして主兵装の艦対空ミサイルをタロス2基とターター2基に換装する。価格高騰(1番艦2億1700万ドル、2番艦以降2億700万ドル)と戦略原潜整備優先方針で建造されなかった。参考:月刊軍事研究11,15

<ロング・ブロードキャスト>:ブロードキャストを参照。

ロングボウ>:イギリスのミサイル試験用艀。シルベールA50やタイプ1045サンプソン多機能レーダー、PAAMS、データ転送システム、戦闘マネージメントシステムなどを搭載しており、45型駆逐艦の実用試験を行うことが可能。20084月からアスター15/30の実射試験に入る予定。参考:月刊軍事研究10,08

<ロングボウUTA>:ロングボウ無人航空システム戦術共通アッセンブリを参照。

<ロングボウ・ヘルファイア>:AGM-114L(ミサイル)を参照。

ロングボウ無人航空機システム戦術共通アッセンブリ>:MUM-TAH-64Eがロングボウレーダーの代わりに搭載(ロングボウレーダー用レドーム内に搭載?)する無人機指揮管制装置で、ロングボウUTAUnmanned aircraft system Tactical common data link Assembly)と略す。ロングボウ社が開発し、20145月に最初の全規模量産契約を締結した。UAVとの広帯域双方向戦術共通データリンク(Tactical Common Data LinkTCDL)装置で、イーサネット機能を持ち、MIL-STD-1553Bインターフェースに対応している。TCDLの無線電子ユニットはAH-64Eの胴体内にあり、機体の機動や振動などを補正してUAVを追跡、データリンクによりUAVから画像データなどを受け取り、UAVに飛行指令や攻撃命令を出すことが出来る。M-TADS/PNVSと統合化されており、AH-64Eの捉えた目標データをUAVに送ったり、地上部隊に高画質画像を送付したりすることも可能。UAVとしてはAH-64Eと有人無人チーム(MUM-T)を組むMQ-1Cグレイ・イーグルを使用する他、RQ-7シャドーでも実戦運用しており、スキャンイーグルを使うこともできる。使用周波数Kuバンド、送信速度毎秒45メガバイト、メモリー容量64ギガバイト、方位覆域360度、俯仰覆域マイナス20度からプラス60度、UAVとの双方向データリンク距離50km、地上局との通信距離100km以上(見通し内)。参考:月刊軍事研究2,175,164,18

<ロングボウレーダー>:AN/APG-78を参照。

<ロングリコイル・アクション>:反動利用長後座式を参照。

<ロング・レンジャー>:ベル206L-3(ヘリ)またはベル206L-4(ヘリ)を参照。

ロンジロン>:Longeron、強力縦通材。航空機の胴体構造の1つで、数本でも曲げ力に対抗できる強度を持つ頑丈な縦通材のこと。ウェポンベイ、エアインテイク、引き込み脚、コクピットといった開口部の多い軍用機では、細い縦通材を多数入れるのが難しいので、ロンジロンを四隅に入れて済ませる。旅客機などでも、カーゴドアなどの大きな開口部がある部分のみロンジロンを使用していたりする。参考:航空用語事典増補改訂版

<ロンチ>:D-56(駆逐艦)を参照。

<ロンドン>:69(重巡)またはF9522型フリゲート)を参照。

ロンドン哨戒艇シリーズ>:イギリスのサロ社が開発した複葉双発飛行艇London1934年に原型機が初飛行した。第2次大戦にも参加し、194211月まで哨戒任務に就いていた。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

 <ロンドンMk.T>:1936年に10機が配備された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

 <ロンドンMk.U>:全長17.22m、全幅24.38m、全備重量8350kg。エンジンはブリストル・ペガサス10920馬力)双発で、巡航速度206km、最大速度250km、実用上昇限度6070m、航続距離1770km。自衛武装は7.7mm機銃3丁。爆弾900kgを搭載できる。乗員6名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

ロンドン級>:イギリス海軍重巡洋艦London級。ケント級の改良型で、航空機運用設備を最初から搭載したが、カタパルトの装備は就役した後になった。船型は船殻を軽く作るために乾舷の高い平甲板型を採用、居住性や復元性も向上した。バルジを撤去して速力を1ノット上げている。全長193.1m、幅20.1m、吃水5.2m、基準排水量9850トン。主機は蒸気タービン4基4軸80000馬力、速力32.3ノット。兵装は20.3cm連装砲4基、10.2cm単装砲4基、2ポンド単装ポンポン砲4基、533mm4連装魚雷発射管2基。航空機1機を搭載する。乗員700名。1929年に艦番号39デボンシャー、69ロンドン、73シュロップシャー、96サセックスの4隻が就役した。1930年代半ばに対空兵装強化(10.2cm単装砲4門を10.2cm連装高角砲4基に、2ポンド単装ポンポン砲4基を4ポンド8連装ポンポン砲2基に換装し、40mm単装機関砲15門を追加)などの改装を受け、ロンドンのみ1938-41年に大改装を受けた。参考:月刊世界の艦船11,13、近代巡洋艦史、第2次大戦のイギリス軍艦

ロンドン級>:イギリス海軍前弩級戦艦London級。常備排水量14150-14500トン。速力18ノット、兵装は305mm連装砲2基、15.2cm単装砲12門。1902-04年にプリンス・オブ・ウェールズなど5隻が就役した。参考:月刊世界の艦船4,18

ロンドン協定>:第2次大戦中にアメリカのOSSとイギリスのSOEが締結した協定で、アメリカとイギリスが担当地域の境界線を敷き、独自担当地域では独自の作戦を行い、共有地域では連携作戦を行っていくものである。参考:月刊軍事研究3,10

ロンドン軍縮会議>:ワシントン条約の規定に基づき、発効8年後の1930年(昭和5年)121日からアメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの5ヵ国で開催された海軍軍縮会議。日本の全権は民生党系の若槻氏や財部海軍大臣らで、顧問は安保大将、随員は左近司中将、山本五十六少将、豊田大佐、中村大佐、佐藤大佐、島津大佐、高橋大佐、岩村大佐、三河中佐、金沢中佐、山口中佐で、昭和4年末に日本を発ち、ワシントンを経由してロンドンに到着した。アメリカとの事前協議を期待した東回りでの渡航だったが、アメリカとイギリスは事前の首脳会談(フーバー大統領とマクドナルド首相)で基本方針などを打ち合わせ済みで、既に交渉の余地は無かった。非公式協議は17日から開始されたが、対米7割(補助艦艇・重巡対米7割、潜水艦77800トン現状維持)を条件とする日本と、6割に抑えようとする米英との間で会議は揉めに揉め、217日までに10回強の会談を重ねたが折り合いが付かなかった。日本政府・民生党内閣は軍縮が纏まらないと公約の国民負担軽減や財政緊縮、金解禁の後始末としての減税などができなくなるため、また米英もフランスとイタリアが巡洋艦以下の補助艦艇制限について不参加を決定しており軍縮会議自体が成り立たなくなる恐れが出てきたため(それと恐らく日本側の暗号電報を解読して事情を知っていたため)、松平・リード両全権による私的会談を開始。314日、若槻全権が海軍側への事前相談無しに請訓電を発した。海軍側は猛反発したが、41日に浜口首相と岡田軍事参議官、加藤軍令部長、山梨次官が会談。首相は請訓電に対する回答をこれ以上延期することはできず、会議が決裂して建艦競争に突入すれば昭和6-10年の建艦予算は主力艦3億4000万円・補助艦4億8000万円の予定が対米7割維持のため巡洋艦だけでも1億4000万円の増額が必要となり、維持費も含めれば国家予算を全て海軍に振り向けても足らなくなる、また米英との関係悪化は中国問題の複雑化や対英借款借り換えの困難化を招くと説明した。3時間後には閣議が開かれて請訓電の受け入れが承認され、日本側全権に向けて回訓電が発せられた。軍令部は猛反対して締結前日の421日に海軍省宛に反対通牒まで送付している。結局日本の補助艦艇合計トン数を対米6.97割、重巡を対米6割とし、昭和11年までは対米7割となるようにアメリカが重巡の建造を控えるという妥協案で落ちついた。422日に1930年ロンドン海軍条約が締結・調印され、1231日に発効した。巡洋艦、駆逐艦、潜水艦など補助艦艇を制限するもので、1万トン未満の空母も制限対象に入れられた。巡洋艦は基準排水量1850トン以上または備砲口径5.1インチ(130mm)以上の水上艦艇で、搭載砲6.1インチ/155mmを超えるものをA級(甲級巡洋艦、一等巡洋艦、重巡洋艦とも呼ばれる)、それ以下をB級(乙級巡洋艦、二等巡洋艦、軽巡洋艦とも呼ばれる)に分け、それぞれの保有量を制限している。具体的には、戦艦はイギリス・アメリカが15525000トン(基準排水量、以下同)、日本が9隻315000トンで、単艦基準排水量35000トン以下・主砲は16インチ/406mm以下(ワシントン条約と同じ)。ワシントン条約による10年間の建艦禁止を更に5年延長する。ワシントン条約で建造が認められた戦艦のうち、イギリスのネルソン級だけ設計時期が遅く強力だったため、アメリカは1934年竣工の新戦艦をアメリカ2隻・日本1隻追加建造できるようにする(代わりに同数の旧式艦を廃棄)案を検討していたが、没になった。空母はイギリス・アメリカが5隻135000トン、日本が3隻81000トンで、単艦基準排水量27000トン以下、搭載できる砲は10000トン以下が6.1インチ/155mm以内、10000トン以上が8インチ/203mm以内。重巡洋艦はアメリカが18180000トン、イギリスが15146800トン、日本が12108000トン、単艦基準排水量1850トン以上10000トン以下、主砲6.1インチ/155mm以上8インチ/203mm以下。軽巡洋艦はアメリカ143500トン、イギリス192200トン、日本100450トン、単艦基準排水量1850トン以上10000トン以下、主砲5.1インチ/130mm以上6.1インチ/155mm以下。駆逐艦はアメリカ・イギリス150000トン、日本105500トン、単艦基準排水量1850トン以下、主砲6.1インチ/155mm以下。潜水艦はアメリカ・イギリス・日本全て52700トン、単艦基準排水量2000トン以下(3隻のみ2800トン以下)、1500トン以上のものは合計排水量の16%以下、主砲5.1インチ/130mm以下(排水量2800トン以下の3隻のみ6.1インチ/155mm以下)。基準排水量600-2000トン、速力20ノット、6.1インチ/155mm砲4門以内の補助艦艇は基本的に無制限、基準排水量600トン以下の補助艦艇は無制限。軽・重巡洋艦の合計排水量以内で、25%分は空母に転用可能。また、軽巡と駆逐艦は各合計排水量の10%以内を融通することができる。就役中の巡洋艦は竣工後20年、駆逐艦は16年、潜水艦は13年を経過すれば艦令超過と見なして代艦を建造可能。日英同盟は破棄となる代わりに、日本、アメリカ、イギリスは東経110度より東に要塞や海軍根拠地を建設しないこととなった。潜水艦による商船攻撃に関しては、停戦命令に従わず臨検に抵抗しない限り、乗客全員の安全を確保した上で、沈没又は航行不能とすることができると定めた。また、商船の武装を禁止した。有効期限は5年間。これにより日本は敵艦隊漸減の主力となる巡洋艦・駆逐艦、この代替戦力として期待される潜水艦(昭和11年までに建造可能なのは19200トン以内)の兵力が限られることになったため、小型高性能の海大6型a・b潜水艦、巡潜2型を開発することにした。また、巡洋艦の制限でシーレーン防護にも支障を来す見込みとなったため、漸減戦法の補助も兼ねて基地航空隊の強化と陸上攻撃機の開発を進めた。日本とアメリカは8インチ/203mm砲を使える重巡の割り当てを増やし、イギリスは海外領土防衛を重視して軽巡の建造を優先している。フランスはイタリアと地中海権益を争っていた関係上、補助艦保有数をイタリアと同率にされることを嫌い、巡洋艦以下の制限協定には参加していない。日本では首相が軍令部の同意無しに調印したのは天皇による統帥権の干犯であるという議論にまで発展し、第59議会では批准を巡って与野党が衝突、海軍省では海軍大臣、部長、次官、次長らが丸ごと更迭され、在郷軍人や右翼団体にまで影響が及び、昭和51110日に首相は右翼構成員のテロにあって重傷を負い、五・一五事件の遠因となった。ワシントン条約と同じ頃に期限切れを迎えるため、その1年前から予備交渉に入り、第2次ロンドン軍縮会議を召集することになっていて、1934年(昭和9年)末から予備交渉が開かれたが、ワシントン条約と第1次ロンドン条約をそのまま継続しようとするアメリカと、各国主権対等の原則から保有兵力量の共通最大限を定めるべきとする日本が対立して1219日に休会となり、1229日には日本政府がワシントン条約廃棄をアメリカ政府に通告した。1935年(昭和10年)129日から第2次ロンドン軍縮会議に入ったものの、日本が米英と同比率の艦艇建造を要求(元々ロンドン軍縮条約継続の意志は無かった)したため1936115日に決裂、日本が脱退を宣言し、227日にはイタリアも脱退、第2次ロンドン条約はアメリカ・イギリス・フランスの3ヵ国のみで325日に調印された。この中には新たに建造する戦艦を主砲口径14インチ/356mm砲・排水量35000トンに抑えるという条項があったが、19374月までに日本とイタリアが調印しなかった場合には排水量と主砲口径を増大(基準排水量45000トン以下、主砲口径16インチ・406mm以下)させる改装を実施できるというエスカレーター条項も記載されており、イギリスが日本の条約復帰がありうるとしてエスカレーター条項発効は19386月末に遅れたものの、同年に日本が46000トン級戦艦(実際は64000トン級の大和型だった)を建造しているという情報を得てアメリカは計画排水量48000トンのアイオワ級を計画した。空母もエスカレーター条項で40000トンの新造枠があり、ヨークタウン級3番艦CV-8ホーネットを建造している。第1次ロンドン軍縮条約は19361231日に失効したため、日本は昭和12年度に70隻の建造計画を立てたが、アメリカはその4倍にもなる第1次・第2次ヴィンソン計画を提出した。193991日の第2次大戦勃発により無効化された。参考:連合艦隊巡洋艦、日本の潜水艦パーフェクトガイド、第2次大戦のフランス軍艦、図解日本の空母、山本五十六と米内光政、歴史群像10,068,15、第2次大戦のイギリス軍艦、近代巡洋艦史、月刊丸11,0912,10、月刊世界の艦船8,11増刊、9,13増刊、9,12増刊、3,1512,156,1712,22

<ロンドンデリー>:F108(ロスシー級フリゲート)またはL76(スループ)を参照。

ロンドン・レセプション・センター>:19411月にMI5B1Dセクションに設置された組織。枢軸国占領下の地域からイギリスに入る全政治難民を監査するのが主任務で、政治難民を装ったアプヴェーアのスパイらしき人物を見つけると、020収容所に送って更なる調査を実施した。第2次大戦中には33000人に対して入国時尋問を行っている。参考:月刊軍事研究5,10

<ロンバッハ>:DE-364(護衛駆逐艦)を参照。

ロンバルディア>:イタリア海軍兵員輸送船Lombardia。大元はドイツのハンブルク・アメリカ・ラインが建造したヴィリアム・オズワルトで、1914年に進水したが第1次大戦で工事が中断、1916年にオランダのロシアル・ホランド・ロイド社に移籍し、1920年に竣工してブラバンティアに改称の上で南米航路に就航、1922年にアメリカのユナイテッド・アメリカン・ラインが購入してレゾリュートになり、1926年にハンブルク・アメリカ・ラインが購入、1935年にイタリア政府が購入して兵員輸送船ロンバルディアになった。全長187.9m、幅22m、深さ12.3m、総トン数19653トン。主機は三連成レシプロ蒸気機関+低圧蒸気タービン、出力17000馬力、3軸推進、航海速力16ノット、最大速力17ノット。乗員450名。船客定員一等290名、二等320名、三等400名。194384日、ナポリで空襲を受け沈没した。参考:月刊世界の艦船12,19

ロンバルディア級>:イタリア海軍防護巡洋艦Lombardia級。全長84.8m、常備排水量2281トン。主機はレシプロ蒸気機械2基2軸7000馬力、速力19.5ノット。兵装は15.2cm単装砲4門、12cm単装砲6門、5.7cm単装砲8門、37mm機砲2門、小口径機砲2門、45cm魚雷発射管2門。エトルリアなど7隻が竣工した。参考:月刊世界の艦船5,16

<ロンメル>:D-187(ミサイル駆逐艦)を参照。

ロンメル>:ヨハンネス・エルヴィン・オイゲン・ロンメル。18911115日、ハイデンハイム生まれ。1910719日、ヴィルヘルムT世第124歩兵連隊に士官候補生として入隊。19113月、ダンチヒ王立士官学校に入学。11月(19121月?)、士官学校を卒業。19121月、陸軍少尉となり、ヴァインガルテンで初年兵の教育にあたった。191431日、第49野戦砲兵連隊に転属。81日、ヴィルヘルムT世第124歩兵連隊に転属し、ベルギー及び北フランスに出征。9月末、戦闘中に負傷し、二級鉄十字章を受章。19151月、アルゴンヌ西部で戦闘に参加。ラボーデイル急襲作戦、セントラル作戦の功績で一級鉄十字章を授与された。7月、中尉に昇進。戦傷を負った。10月、ヴュルテンベルク山岳大隊の中隊長となり、ヴォージュ山地に展開。1916年、ルーマニア戦線に展開。19178月、南部カルパチア山脈での戦闘に参加。926日、イゾンツォ戦線に展開。10-11月、イタリア軍が主要陣地を構えていたマタイユール山とロンガローネを攻略し、150名の将校と9000名の兵士を捕虜にした。1210日、プール・ラ・メリート勲章を授与された。19181月、第64軍団参謀部に転属。10月、歩兵大尉となり、第124歩兵連隊に転属。19193月、第32治安維持中隊に転属。1920年春、ミュンスターラントとヴェストファーレンでの暴徒鎮圧作戦に参加。192111日、第13歩兵連隊小銃中隊の指揮官となった。1929101日、ドレスデンの歩兵学校で歩兵科教官となった。1933101日、少佐になり、第17歩兵連隊第3大隊(猟兵)の大隊長に任命された。1934930日、収穫祭に臨席したアドルフ・ヒトラーの護衛を行い、ヒトラーと初めて会った。1935年、中佐に昇進。1015日、ポツダム歩兵学校講師となった。19369月、ニュルンベルクのナチス党大会でヒトラー警護を行った。この時、ヒトラーの命令を忠実に実行したため、ヒトラーに重用されるようになった。1937年、「歩兵の攻撃」(Infanterie Greift an)を出版。40万部以上を売り上げた。2月、国防軍とヒトラー・ユーゲントの間の特別連絡将校となった。193810月、総統警護大隊指揮官としてズデーテンラント進駐に参加。1110日、ウィナー・ノイシュタット士官学校校長に就任。1939315日、総統司令部臨時指揮官(管理部長)としてプラハ侵攻及びメーメル侵攻に参加。823日、少将となり、総統司令部勤めとなった。この時、ヒトラーは昇進の日付を61日に遡るよう指示を与えている。1940210日、第7装甲師団の師団長に任命された。これは本人の希望によるもので、戦車戦の経験が無いことから陸軍は渋ったが、ヒトラーがねじ込んだ。黄作戦では、前線で陣頭指揮を執るため長距離無線装置搭載の装甲偵察車2両を率い、1両で自ら指揮する第7装甲師団本部と、もう1両で上級司令部や空軍と常に連絡を取り、電撃戦を体現した。それでもしばしば後方部隊と連絡が取れなくなり、戦死したという噂も出たという。指揮した師団の戦闘を正しく伝えるべく、戦車の中から戦場の様子をカメラ(ライカV)で撮影し、撮影できなかった場合には自ら絵も描いている。1940521日、アラスの戦車戦で自ら8.8cmFlakの水平射撃を指示、連合軍の前進を阻止した。526日(27日?)、騎士鉄十字章を授与された。611日、サンバレリヤンコで11名の連合軍将官を捕虜とし、自分の指揮する第7装甲師団がフランス軍から幽霊師団(ゲシュペンシュテル・ディヴィジオン。機動が速く神出鬼没なことから)と呼ばれていることを知った。19411月、中将に昇進した。26日、アフリカ派遣軍(リビア・ドイツ軍)指揮官となり、212日に北アフリカに到着した。219日、在リビア・ドイツ派遣軍司令官兼アフリカ軍団司令官となった。320日、柏葉騎士鉄十字章を授与された。47-8日、メキリ攻略時にイギリス軍のアンチ・ガス・アイ・シールドMk.Uを戦利品として獲得し、以降北アフリカで愛用するようになった。7月、大将に任命された。821日、アフリカ装甲軍司令官となった。前線を駆け回って指揮を執り、簡潔明確な命令で勝利を収める姿はドイツ将兵の尊敬を集めただけでなく、捕虜の紳士的な扱いなどからイギリス将兵にも人気が出始め、砂漠の狐のニックネームを冠され、功績を挙げたイギリス友軍将兵をロンメルのようだと形容するなどといった事態にまで発展したため、イギリス軍上層部は諌めるのに必死だった。1942120日、剣付柏葉騎士鉄十字章を授与された。622日、ドイツ国防省史上最年少(50歳)で元帥となった。923日、肝臓疾患療養のためドイツに一時帰国した。924日、ヒトラー及びムッソリーニと会見、北アフリカへの増援を求めた。その後ウィーンに移り、療養に入った。930日、11人目の元帥としてヒトラーから元帥杖を授与された。正規の元帥杖(元々儀式や公式行事に限って用いるものである)を使ったのはこの日だけ(あと自決した時に持参したが)と言われており、西部戦線などでは略式元帥杖を愛用した。103日、宣伝省で外国人記者を含む記者会見を実施。1126日、報告のためヒトラーと会談。1943126日、アフリカ装甲軍団司令官を免職され、事実上指揮権を解任された。223日、アフリカ軍集団司令官となった。39日、東部戦線を視察中のヒトラーに、アフリカ軍集団のチュニジアからの撤退を進言したが、聞き入れられず、北アフリカ戦線を離れて帰国し、病気療養に入った。311日、ダイヤモンド剣付柏葉騎士鉄十字章を授与された。715日、B軍集団司令官となった。730日、イタリア侵攻に参加。115日、フランス沿岸防衛作戦の指揮を執ることとなった。194434日、ヒトラーに対する忠誠を署名。319日、陸軍元帥としての忠誠宣誓書をヒトラーに提出した。64日、ドイツ本国に帰国。617日、ヒトラー及びルントシュテット陸軍元帥と会談。629日、ヒトラーの山荘で作戦会議に参加。715日、戦況観測を纏めてヒトラーに提出。717日、カーン南のSS第1装甲軍団司令部を訪問し、乗用車でラ・ロッシュ・ギヨンに帰投していたところ、カーン南東部のリヴァロー付近でイギリス空軍スピットファイア(操縦は南アフリカ空軍ジェイコブズ・ルロー少佐)の攻撃を受けて頭の骨を折る重傷を負い、最寄りの村に住む薬剤師の応急手当を受けて一命を取り留め、軍の病院で治療された。720日、ヒトラー暗殺未遂事件が発生。81日、パリで記者会見を実施。87日、黄金戦傷章を受章した。88日、ドイツに戻り、入院して治療を受けた。退院後は自宅療養に入っていたが、ヒトラー暗殺計画に関与した疑いをかけられ、101412時にSS将官2名が自宅を訪れて処刑か自決か選ぶよう告げた。抵抗した時に備え、300m離れた場所には武装親衛隊の装甲車5両が潜んでいた。ロンメルは家族の安全を条件に自決を選び、元帥杖を授与された時と同じ勤務服の上に革のオーバーコートを着用、正規の元帥杖を持参して自宅から100m離れた車内で服毒自殺した。家族によれば、その顔にはかつて見たことも無いような侮蔑の笑みが浮かんでいたという。1018日、717日の負傷による死去という名目で国葬が行われ、ヘルリンゲンの教会の墓地に埋葬された。デスマスクが製作されており、第2次大戦末期にドイツ南部でアメリカ第7軍が発見しているが、写真が残されているだけで、その後の行方は杳として知れない。元帥杖はヒトラーの副官が保管していたが、ロンメルの副官の要請で遺族に返還され、今は出身地方であるシュヴァーベンのとある村役場に保管されているらしい。マーシャル諸島とギニア共和国では、終戦50周年記念切手にロンメルを描いた。参考:グラフィックアクション39

ロンメル暗殺作戦>:第2次大戦中、北アフリカ戦で脅威となっていたロンメルを暗殺し、1941年冬から予定していた攻勢を成功させるため、イギリス軍特別作戦本部が立案した。19411117日、コマンドー部隊が潜水艦N79トーベイとN78タリスマンに分乗してキレナイカに侵入。しかし天候が悪く、53名の隊員のうち28名しか上陸できなかった。予定では部隊を二手に分けて通信施設とロンメルを襲撃する筈だったが、ロンメルのみにターゲットを絞ることにし、3名を退路確保に残して司令部の置かれていたベダ・リットリアに向かった。しかしロンメルは既に司令部を移しており、そこにはドイツの補給本部が設置されていて、11180000から攻撃を開始したものの阻止され、指揮官ジョフリー・キーズ中佐が戦死(ビクトリア・クロス勲章死後受章)、副指揮官が負傷して捕らえられた。残るコマンドー隊員は脱出したが、潜水艦まで戻れたのは2名のみで、残りは全員捕虜になった。1944725日には北フランスのド・ラ・ロッシュ・ギヨンにあった司令部をSASが急襲してロンメル暗殺を試みているが、その時ロンメルは負傷して後方におり、空振りに終わった。参考:グラフィックアクション39、月刊世界の艦船9,12増刊、月刊軍事研究1,15

ロンメルのアスパラガス>:第2次大戦時にロンメルがノルマンディ一帯に敷設した対空挺障害、Rommel Asparagus。鉄製の杭をピアノ線で連結して地雷を仕掛けたもので、強行着陸するグライダーの底部を破壊し、空挺降下する兵士を突き刺し、進撃する空挺部隊を爆破する。杭が整然と並んでいたため、オーバーロード作戦時には隙間に着陸できたグライダーもあったらしい。参考:グラフィックアクション39、現代の空挺作戦

 

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