<レイ>:SS-271(ガトー級潜水艦)またはSSN-653(スタージョン級攻撃原潜)を参照。
<レイ・K・エドワーズ>:APD-96(高速輸送艦)またはDE-237(護衛駆逐艦)を参照。
<レイヴィン>:RQ-11シリーズ(無人機)を参照。
<レイヴン>:カナダ海軍CSC級フリゲートが搭載予定の電子戦システムRaven。俯仰角マイナス30度からプラス60度、周波数6-18GHzをカバーし、周波数変調やパルス繰り返し時間変調にも対応できる。参考:月刊世界の艦船5,’22
<レイヴンス>:VA-93(攻撃飛行隊)を参照。
<冷温車(コンテナ付)>:自衛隊の車両。トヨタ自動車製。参考:月刊軍事研究8,’10
<霊岩山>:930(揚陸艦)を参照。
<冷却装置(BMD及び25DD用テストサイト器材)>:自衛隊の機器。ジャパンマリンユナイテッド製。参考:月刊軍事研究7,’17
<零距離射撃>:Point-blank range shot。砲に仰角をかける必要が無く、水平射撃で命中させられる距離での射撃のこと。カノン砲の場合、数百メートル先でも零距離射撃になることがある。参考:GUN用語事典、月刊軍事研究7,’09
<零距離発射装置>:ZELLを参照。
<レイギン・ブルズ>:VFA-37(飛行隊)を参照。
<レイク>:DE-301(護衛駆逐艦)を参照。
<レイク・エリー>:CG-70(イージス巡洋艦)を参照。
<レイク級>:ニュージーランド海軍内水哨戒艇Lake級。ロトイティとプカキが就役した。参考:月刊世界の艦船6,’22
<レイク級・海外シリーズ>
<レイク級(アイルランド海軍)>:アイルランド海軍内水哨戒艇Lake級。オーラ級哨戒艇の後継で、ニュージーランドからロトイティとプカキを取得し、バブコックで整備を行い、2023年5月14日に2隻ともオランダ重量物運搬船ハッピー・ダイナミックに搭載されてアイルランドのリンガスキディに到着、5月16日に引き渡された。参考:月刊世界の艦船6,’22、8,’23
<レイク・シャンプレーン>:CG-57(イージス巡洋艦)またはCV-39(空母)を参照。
<レイクハースト海軍航空基地>:アメリカ海軍の航空基地。ニュージャージー州にある。カタパルトやアレスティング・ワイヤを備え、CATOBARの試験に使用される。参考:月刊JWings12,’22
<レイクンヒース空軍基地>:第1次大戦時に開設されたイギリスの空軍基地で、現在は在欧米空軍基地となっている。滑走路は当初ランウェイ05/23が作られ、次いで12/30と17/35が加わり、滑走路コンクリート化で01/19、07/25、14/32となり、07/25が06/24に改修されて他の2本は廃止され、現在は06/24(2743m)のみが使用されている。堅固化航空機掩体が分散配置されており、生残性が高い。第1次大戦終結後の1918年に一時閉鎖され、第2次大戦勃発でミルデンホール空軍基地のダミーとして再開、1941年末に飛行場としての再整備が決まり、1942年4月に第149飛行隊が配置された。1943年6月、第199飛行隊が配備された。ヨーロッパ戦終結でアメリカ陸軍重爆の駐留が始まり、1948年1月に管理権がイギリス空軍から在欧米空軍に移った。以降はB-50、B-47、KC-97の基地として使用され、核爆弾も配備されており、1956年4月にはU-2も配備された。1960年から爆撃機部隊に替わって第48戦術戦闘航空団(F-100D)が配備され、装備機体を変更しつつ現在も駐屯している。1977年、F-111F戦闘爆撃機装備第495戦闘飛行隊が配備された。1991年、第495戦闘飛行隊が解隊された。2010年の配備部隊は、第48戦闘航空団隷下の第492戦闘飛行隊(F-15E)、第493戦闘飛行隊(F-15C/D)、第494戦闘飛行隊(F-15E)、第56救難飛行隊(HH-60G)で、在欧米空軍唯一のF-15E配備基地となっている。2019年4月から2020年8月、駐機エリアと施設の拡充工事を実施し、第492・第494戦闘飛行隊が新施設に移った。2021年10月、USAFE-AFAFRICA恒久駐留部隊の第495戦闘飛行隊(F-35A装備)が再編された。12月15日、第495戦闘飛行隊所属F-35A戦闘機の最初の4機(F-35AF-301、AF-303、AF-304など)が到着した。参考:月刊軍事研究4,’10、月刊JWings3,’22
<礼号作戦>:太平洋戦争時の昭和19年12月15日、ルソン島上陸の前段として、アメリカ第24師団がミンドロ島に上陸した。日本兵は500名しかおらず、あっさりと制圧に成功、12月20日には2つの飛行場を完成させてアメリカ陸軍航空隊第5航空軍を進出させた。日本海軍はここに反撃を行うため、16日に第43駆逐隊(榧、杉、樫)を派遣したが、台風のために引き返した(ちなみにこの台風でアメリカ第38機動部隊では駆逐艦3隻が転覆、艦上機186機が海没し、800名の死者が出ており、ハルゼーが軍法会議にかけられそこなっている)。そこでサイゴン南にいた第5艦隊を基幹とする第2遊撃部隊に編入して再度出撃させることとし、礼号作戦と名付けて12月20日に発動した。指揮官はキスカ島撤退を成功させた第2水雷戦隊司令官木村昌福少将で、当初は駆逐艦のみの編成とする予定だったが、南西方面艦隊司令部から第2水雷戦隊旗艦の軽巡大淀を同行させるよう要求され、重巡足柄も追加、自身は小回りが効き以前に座乗していて意思疎通の取りやすい駆逐艦霞に座乗した。挺身部隊の編成は第2水雷戦隊(挺身部隊旗艦の駆逐艦霞、清霜、朝霜)、第31戦隊(重巡足柄、軽巡大淀、駆逐艦榧、杉、樫)である。12月24日、礼号作戦部隊はベトナムのカムラン湾を出撃し、東にあるミンドロ島ではなく、欺瞞のため北東に針路を取った。12月25日未明、逆探にアメリカ潜水艦の無線をキャッチしたため、対潜警戒を取って針路を北に向け、日が昇ってから東に針路を変えた。12月26日未明、針路を南南東に変え、ミンドロ島に向かった。1603、足柄が零式三座水偵2機を発進させ、前方50海里で対潜哨戒に就かせた。1623、足柄の見張り員がサンホセ西北西130海里で哨戒任務中のB-24を発見したが、そのまま速力20ノットで前進した。B-24は取り急ぎ平文で日本艦隊発見(戦艦大和級1隻、巡洋艦1隻、駆逐艦6隻、針路90度、速力28ノット)を伝え、ミンドロ島の魚雷艇20隻と航空機(B-25爆撃機13機、P-47、P-38、P-61、P-40など戦闘機120機)は出撃準備を整えたが、爆弾の配備数が足りず、戦闘機は機銃弾のみ満載して出撃した。サンホセ港では輸送船21隻が避難(足の遅いリバティ型4隻は残った)し、レイテ島からはB-26が離陸、第4巡洋戦隊の重巡洋艦2隻と軽巡洋艦2隻、駆逐艦8隻が出撃し、25ノットでミンドロ島に向かった。1735、B-25爆撃機8機が接近。挺進部隊は速力を28ノットに上げ、第5対空序列を下命、先頭に霞、後ろに巡洋艦2隻、その後ろに駆逐艦5隻が付いた。しかしB-25は攻撃して来ず、1752に大淀が零式三座水偵3機を発艦させたが反応無く、1807に清霜が発砲するとB-25は退避して姿を消した。挺進部隊は戦闘糧食を配布した後、雷撃は無いと見て第2対空序列に変更、駆逐艦を巡洋艦の左右に付かせた。2000過ぎ、B-25が250kg爆弾を搭載して来襲。2045から攻撃が始まり、大淀に2発が命中し、1発は1番主砲塔前方の上甲板から左舷吃水線外板を貫通、もう1発は煙突右の上甲板と中甲板を貫通して缶室に達したが、両方とも不発(信管が付いていなかった)だった。2115、清霜の重油タンクに250kg爆弾2発が命中して大爆発を起こし、2時間後に沈没。足柄の左舷中甲板にはパイロットが負傷したB-25が突っ込んで2mの穴が開き、火災が発生したため、魚雷8本を投棄した。更に44機のP-38と28機のP-47が来襲し、機銃掃射により榧の後部マストが折れ、第1缶室で火災が発生した。空襲が終わるとアメリカ第13魚雷艇隊第1小隊のPT-17、80、82、84が襲撃をかけてきた上、第2小隊のPT-87、77、78、81がマンガリン湾で待ち伏せていた。この時南西方面艦隊司令部はミンドロ島に上陸を命令する偽電文を平文で打電。この偽電文にアメリカがひっかかり、上陸が始まるまで魚雷艇による攻撃を行わない命令を出した。照明弾と銃砲撃で魚雷艇1隻を撃沈、2隻を座礁させて撃退すると、挺身部隊は第3戦闘序列(霞、朝霜、足柄、大淀、榧、樫、杉の単縦陣)に組み替えてサンホセ港に向かったが、ここには敵船団がいなかった。そこで2245に艦隊を反転させてマンガリン湾に向かい、リバティ船4隻を発見して2302から霞が、2303から巡洋艦2隻が砲撃を浴びせ、霞、榧、樫は雷撃も行い、1隻沈没、3隻損傷の被害を与えた。その後は飛行場の砲撃に移り20機を破壊、2345からブスアンガ河口の物資集積所を吹き飛ばして12月27日0004に作戦を終了、帰路に就いた。結局レイテ島からのアメリカ艦隊は間に合わなかった。日本艦隊は清霜が落伍した地点に引き返し、旗艦霞と朝霜が救助に当たり、0048に清霜のカッターを発見、主機を止めて救出にあたった結果、2時間で生存者258名を救助した。この間魚雷艇2隻が巡洋艦に向かっていったが、砲撃により撃退された。その後挺進部隊は経済速度を守って燃料を節約するため二手に分かれてカムラン湾に向かい、途中潜水艦からの雷撃を受けたものの被害は無く、12月28日1830に霞、朝霜、足柄、大淀が、12月29日1130に榧、樫、杉がベトナムのカムラン湾に帰投した。日本海軍の戦死者は135名(うち清霜79名)。参考:歴史群像8,’98、激闘太平洋戦記、連合艦隊巡洋艦、第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊世界の艦船1,’21
<レイザー・ワイヤー>:軍用有刺鉄線。ワイヤー自体がカミソリのような刃物になっていて、更にトゲのかわりに小さなカミソリ状の鋼板が無数に溶接されている。防刃手袋を着けていないと、敷設者も大ケガをする。最新のウルトラ・バーブ・バンドは高張力鋼でできており、特殊工具でないと切断できない。参考:月刊軍事研究10,’04、4,’97、陸上自衛隊地上戦力の全容
<麗女>:榎(駆逐艦)を参照。
<レイジング・ブルズ>:VMM-261(飛行隊)を参照。
<励振受信機専用試験装置>:自衛隊の機器。東芝製。参考:月刊軍事研究1,’14
<レイス>:L36(スループ)を参照。
<レイズ>:VR-3(無人機システム)を参照。
<レイズD>:VR-3D(無人機システム)を参照。
<麗水>:765(コルベット)を参照。
<麗水の反乱>:1948年10月19日2000、済州島の騒乱に投入する予定だった麗水駐屯の韓国陸軍第14連隊人事係曹長(南朝鮮労働党所属)が「警察が攻めてくる」などと演説を行い、これに呼応した兵士が将校を射殺して弾薬庫を制圧、連隊全体が反乱を起こした。夜のうちに麗水を制圧して南朝鮮労働党地下組織と連携、警察官や右派を殺害して北上し、順天の部隊や光州から鎮圧のため派遣された第4連隊の1個中隊とも合流、順天も制圧した。鎮圧のため韓国軍は7個大隊を投入、10月26日には麗水を奪還した。ただ作戦を急ぎすぎて包囲網が薄くなり、500-600名が智異山に逃げ込んでゲリラになった。これを討伐するため、韓国軍は峰を包囲した後に別働隊が山頂まで突撃、頂上と峰から挟み撃ちにして内部に5-6名の少人数チームを投入し、ゲリラが移動せざるを得なくなった所で見つけ出して殲滅する戦法を開発した。1950年1月、智異山地区戦闘司令部が解散。2月、戒厳令が解除された。ただゲリラは約200名残っており、その後の朝鮮戦争で釜山包囲網から後退した北朝鮮軍が加わり、完全な掃討には朝鮮戦争後までかかった。参考:月刊軍事研究12,’09
<レイス級>:214TN型(潜水艦)を参照。
<レイズド・パネル>:ストック・パネルを参照。
<レイズ・ハミドゥ級>:ナヌチュカ型ミサイル艇(アルジェリア海軍)を参照。
<レイス・バルガチ級>:モロッコ海軍哨戒艇Rais Bargach級。全長64m、満載排水量589トン。参考:月刊世界の艦船12,’12
<レイセオン社>:Raytheon Company。1922年、アメリカン・アプライアンス社として創設された。まず直流電池式ラジオを家庭用交流電源で使えるようにする整流器(真空管式交流・直流変換器)の量産を開始し、光線という意味のRayに、神々からという意味のギリシャ語であるTheonを組み合わせて最先端っぽい響きにしたレイセオンという商品名を付けて販売したところヒット商品となり、1925年に社名をレイセオン・マニュファクチャリング社に変更した。その後、真空管メーカーのQ.R.S.カンパニーと合併したり変圧器・電力機器メーカーのアクメ・デルタ・カンパニーを買収したりして1930年代に世界最大の真空管メーカーに成長。第2次大戦にイギリスが参戦してマグネトロン管が大量に必要になると、イギリスから共同開発と量産化を打診され、1940年からレーダー用マグネトロンの開発・生産を開始。マグネトロンの実験中にポケットに入れていた飴が溶けているのに気づき、電子レンジの原理を偶然発見(1945年。1965年のアマナ冷蔵庫買収後、1967年から本格生産した)するというオマケも付いている。1959年、社名をレイセオン社に変更。レーダーシステムとミサイルシステムのトップメーカーとなった。1980年、ビーチクラフトを買収。1993年、ブリティッシュ・エアロスペースのビジネスジェット部門を買収し、航空機部門をレイセオン・エアクラフトに統合した。1995年、Eシステムズを買収。1997年、ヒューズ・エレクトロニクスの航空宇宙・防衛事業部門であるヒューズ・エアクラフトを95億ドルで買収した。テキサス・インスツルメンツ社防衛部門も買収している。民生家電部門をグッドマン・ホールディングに売却。2006年、レイセオン・エアクラフトを投資会社に売却。その後は売り上げのほぼ全てを軍事関連事業が占めている。2020年4月4日、ユナイテッド・テクノロジーズ社と合併してレイセオン・テクノロジーズ社になった。2023年6月19日、レイセオン・テクノロジーズ社がRTX社に改称され、レイセオンの名称は同社の部門名になった。参考:月刊軍事研究12,’18、6,’10、月刊JWings9,’13
<レイセオン・サルコス社>:1982年に医療向けなどのロボット開発ベンチャー企業として誕生したサルコス社を、2007年11月にレイセオン社が買収したもの。サルコス社時代の2000年にDARPAから開発権を得た軍用強化外骨格計画を元に、XOSを開発中である。参考:月刊軍事研究2,’09
<レイセオン・テクノロジーズ社>:アメリカの航空宇宙・軍事関連企業。レイセオン社とユナイテッド・テクノロジーズ社が2020年4月4日に合併して誕生した。5月5日、軍用通信部門をBAEシステムズ社に売却した。2023年6月19日、RTX社に社名変更した。参考:月刊JWings7,’20、月刊世界の艦船9,’23
<レイセオン新型戦闘レーダー>:RACRを参照。
<零戦>:零式艦上戦闘機を参照。
<冷戦>:米ソ両国を中心とする世界規模の対立。実際に直接戦火を交えなかったため、ホット・ウォーに対比してこう呼ばれた。西側諸国はラジオ放送によるプロパガンダを展開、これに対抗するため、ソ連は年間6億2600万ポンドをかけて電波妨害を行い、7000億ルーブルをかけて対抗番組を放送したという。主に第2次大戦後の対立を指すが、1945年2月のヤルタ会談から始まったという説もある。ソ連は第2次大戦のバグラチオン作戦以降、東ヨーロッパとバルカン半島を制圧してベルリンを占領し、東ドイツ(ドイツ民主共和国)、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ユーゴスラビア、ブルガリア、アルバニアを共産圏に組み込んだ。1946年2月、アメリカ国務省モスクワ駐在代理大使ジョージ・F・ケナン外交官が封じ込め政策をアメリカ本国に送った。3月、トルーマン・ドクトリンが発表された。3月5日、イギリスのチャーチルが「鉄のカーテン」発言を行い、ソ連を非難。8月、ユーゴスラビア軍Yak-3戦闘機がアメリカ軍C-47を撃墜。アメリカは西ドイツにB-29爆撃機を派遣したが、核爆弾はアメリカに止まったままだった。1947年6月、マーシャル・プランを発表。7月、ジョージ・F・ケナンがXというペンネームで封じ込め政策をフォーリン・アフェアーズ誌に寄稿し、これを批判するW・リップマンの文からCold warの語も広まった。1948年2月、チェコで共産主義クーデターが発生。4月、ベルリン封鎖開始。10月、ベルリン封鎖を受けてアメリカ軍がB-29爆撃機2個航空団と核爆弾12発をイギリスに派遣。11月、アメリカ国家安全保障会議がソ連を敵として宣言。1949年4月、NATO創設。8月、ソ連が原爆実験に成功。1950年2月、中ソ友好同盟条約締結。6月、朝鮮戦争勃発。12月、アメリカが対共産圏輸出禁止を発表。1951年8月、アメリカ・フィリピン相互防衛条約締結。太平洋安全保障条約をアメリカ・オーストラリア・ニュージーランド間で締結。日米安保条約締結。1952年10月、アメリカが水爆実験に成功。1953年7月、米韓相互防衛条約締結。8月、ソ連は水爆保有を宣言。1954年1月、アメリカ国務長官がニュールック政策で大量報復戦略を発表。9月、東南アジア集団安全保障条約締結。12月、アメリカ・中国国民党相互防衛条約締結。1955年5月、ワルシャワ条約調印。7月、モスクワで開催された航空ショーで、M-4バイソンとTu-95ベアが大量に飛行したため、西側で爆撃機ギャップ論争が起こったが、実際には数機編隊を繰り返し飛行させただけだった。1956年、ソ連がハンガリーに侵攻。1959年、EEC(ヨーロッパ経済共同体)発足。1960年、グランドスラム作戦。5月1日、U-2撃墜事件。1962年、キューバ危機。1964年、大西洋でアメリカ空母フォレスタルにソ連海軍Tu-142哨戒機が異常接近。1965年4月9日、海南島付近でCVA-61レンジャー搭載VF-96所属F-4B戦闘機4機と中国空軍MiG-17戦闘機4機が交戦した。双方1機ずつの戦果を主張したが、偶発的事象ということで決着が図られ、アメリカ側ではF-4B戦闘機1機を事故損失したということになっている。1966年7月、ブカレストでワルシャワ条約機構首脳会議が開催され、NATO及びワルシャワ条約機構の解消と全欧安保の開催を呼びかけるブカレスト宣言を採択した。西側は非現実的として兵力相互削減を提案している。1967年、日本海でアメリカ海軍フレッチャー級駆逐艦ウォーカーとソ連海軍クルップニィ級駆逐艦ベススレードヌィが衝突。1968年、ソ連がダニューブ作戦でチェコスロバキアに侵攻。ノルウェー海でアメリカ空母CV-9エセックスにTu-16が異常接近して海上に墜落した。1970年代、東西緊張緩和を受けて天然ガスパイプラインがソ連からドイツやフランスにまで延長された。1970年7月、スウェーデン沖でスウェーデン駆逐艦とソ連駆逐艦が衝突。8月、ソ連と西ドイツが武力不行使条約を締結。11月、地中海でイギリス空母アークロイヤルとソ連駆逐艦ブラービが衝突し、ブラービの乗員2名が行方不明になった。1972年、SALTT締結。11月、ヘルシンキで全欧安保準備会議を開催。1973年1月、ウィーンで東西欧州相互兵力削減交渉を開催。6月、全欧安保会議が開催され、NATO加盟14カ国、ワルシャワ条約機構7カ国、中立非同盟14カ国が参加した。1975-76年、ソ連海軍艦艇50隻以上が房総半島沖合から南西諸島周辺海域で対艦演習などを実施。1975年8月1日、ヘルシンキでアメリカ、ソ連、東西ヨーロッパ、カナダの35カ国が出席して全欧安保協力首脳会議が開催され、平和的手段・合意の下での国境変更(第1原則)を認めつつも基本的には国境を不可侵とする(第3原則)、国境から250km以内で行われる参加者25000名以上の軍事演習を開始21日以前に自発的に通告する、といった最終合意文書が調印された。これによりソ連は東欧勢力圏の確定に成功している。1979年、SALTU締結。1983年9月、ソ連軍のレーダーがアメリカ戦略弾道ミサイル5発を誤探知した。ソ連軍当直士官は数が少なすぎるとしてシステム誤作動と判断し上官に報告しなかったため、核戦争は起きずに済んでいる。1984年、世界終末時計が3分前に達した。1985年、在東独アメリカ連絡武官がソ連兵に射殺された。1987年、INF全廃条約調印。9月13日、バレンツ海上空でノルウェー空軍P-3B哨戒機とソ連防空軍Su-27P戦闘機が衝突。1988年2月、黒海でアメリカ海軍タイコンデロガ級イージス巡洋艦CG-48ヨークタウンがソ連海軍クリヴァクT型フリゲートのベズザベートヌィに体当たりされ、スプルーアンス級駆逐艦DD-970カロンもミルカ級フリゲートSKR-6から体当たりされた。1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊。11月10日、ブルガリアで最高権力者が失脚し、共産党の一党独裁体制が崩壊。12月2-3日、地中海のマルタ島に停泊するソ連客船ゴーリキー(当初はCG-26ベルナップ艦上の予定だったが悪天候で変更)で行われたブッシュ・ゴルバチョフ会談で終結が確認された。12月3日、チェコスロバキア首相が退陣。12月16日、ルーマニア西部のティミショアラで民主化要求デモが発生、チャウシェスク大統領が武力鎮圧したため全土での抗議活動に発展し、12月22日にブカレストで10万人の市民が大統領宮殿、共産党本部、放送局などを占拠して政権を打倒した。12月25日、チャウシェスク大統領が特別軍事法廷で死刑を宣告され、即時執行された。1990年3月11日、リトアニアが独立を宣言。7月31日から5日間、ソ連太平洋艦隊の3隻がアメリカのサンディエゴ軍港を訪問。9月10日、アメリカ艦隊がソ連海軍ウラジオストク基地を訪問した。1991年1月11日、リトアニアの首都ヴィリニュスにソ連軍が侵攻。8月19日、モスクワ・クーデターが発生。ゴルバチョフ大統領と共産党の権威が失墜して離党が相次ぎ、11月6日にロシア連邦共和国エリツィン大統領が共産党を非合法化するに至り、12月1日のウクライナ国民投票で独立賛成が90%以上の圧倒的勝利を達成(ちなみにクリミア半島は54%、セヴァストポリは57%)。これを受けて12月8日にロシア連邦共和国エリツィン大統領、ウクライナ共和国クラフチュク大統領、白ロシア共和国シュシュケヴィチ最高会議議長が白ロシアにあるヴェロヴェシの森で会談、ソ連の解体が決まり、12月25日にソ連が崩壊。ロシア連邦、アゼルバイジャン、アルメニア、ウクライナ、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスタン、グルジア/ジョージア、タジキスタン、トルクメニスタン、ベラルーシ、モルドバの12カ国が独立国家共同体(CIS)を形成し、バルト三国が分離独立した。参考:朝鮮戦争(下)、戦争がやってくる、月刊軍事研究11,’07、8,’14、12,’08、10,’10、10,’16、10,'75、航空ジャーナル9,’77臨時増刊、月刊丸12,’90、歴史群像12,’09、8,’15、4,’18、ザ・マーチ42号、月刊世界の艦船8,’16、月刊航空ファン4,’18、朝雲
<冷蔵車(コンテナ付)>:自衛隊の車両。三菱ふそうトラック製。参考:月刊軍事研究6,’08
<レイダー>:B-21(爆撃機)またはH15(駆逐艦)またはYC-125シリーズ(輸送機)を参照。
<レイダー>:イギリス海軍アーチャー級訓練哨戒艇。1998年就役。参考:月刊軍事研究11,’98、3,’02
<レイダウン>:核兵器を地表に軟着地させ、遅延信管で起爆させる投下方法。爆心地に破壊力が集中するため、ICBMサイロや強化構造物の破壊に使用される。また、投下航空機が逃げる時間も稼げる。参考:核兵器事典、U.S.ウェポン・ハンドブック
<レイチェホース>:H11(駆逐艦)を参照。
<レイテ>:CV-32(空母)を参照。
<レイティン2000>:RT2000(多連装ロケットランチャー)を参照。
<レイテ海戦>:比島沖海戦を参照。
<レイテ・ガルフ>:CG-55(イージス巡洋艦)を参照。
<レイテ島上陸作戦>:捷一号作戦を参照。
<零点規正>:Zero In。銃の照準点と着弾点を一致させることで、試射を繰り返して修正する。銃砲には1丁・1門ごとに癖があるので、それぞれに合った零点規正が必要となる。参考:GUN用語事典
<レイド>:DD-369(駆逐艦)またはFFG-30(フリゲート)を参照。
<レイト90>:ルナM海外シリーズ(弾道ミサイル)を参照。
<レイド・アセスメント機能>:レーダーでキャッチした敵密集編隊の中から個別の機体をピックアップしてロックオンする機能のこと。参考:月刊軍事研究6,’10
<冷凍手術器>:自衛隊の機器。日立製作所製。参考:月刊軍事研究8,’18
<冷凍装置用凝縮器>:自衛隊の機器。ダイキン工業製。参考:月刊軍事研究3,’18
<冷凍冷蔵車>:陸上自衛隊の生鮮食品輸送・保管用トラック。後部荷台に冷凍ユニットと冷凍装置を積んでおり、1日あたり13000名の支援が可能とされる。キャビン上方もしくは車体下側面にコンプレッサーを持つ。師団補給隊や需品教導隊などに配備されており、カンボジアPKOでも派遣部隊の給食支援に使用された。全長8m、全幅2.5m、全高3m、車両重量9.5トン、最大積載量3.5トン。エンジン出力130馬力、最大速度80km。庫内温度は外気温38度でマイナス18度からプラス5度。メーカーは日野自動車と三菱自動車。初期型は民生車を塗装だけオリーブドラブにして使用しており、2000年からは最低地上高の高い専用の4×4輪車両に変更され、2008年からは3・1/2トントラックに地上設置も可能なユニットコンテナを積んだタイプになった。参考:自衛隊装備年鑑1996、スピアヘッドNo.16、自衛隊装備カタログ1981、JGround Vol.11、月刊丸3,’13
<レイトン>:SS-270(潜水艦)を参照。
<レイナ・ソフィア>:F-84(フリゲート)を参照。
<レイナ・ヘレンテ>:スペイン海軍レイナ・ヘレンテ級防護巡洋艦1番艦Reina Regente。1888年1月1日竣工。1893年4月、ニューヨークでコロンブス新世界到達400周年記念国際観艦式に参加。1895年3月10日、カディス湾で荒天に遭い、沈没した。参考:月刊世界の艦船3,’24
<レイナ・ヘレンテ級>:スペイン海軍防護巡洋艦Reina Regente級。垂線間長96.6m、常備排水量4725トン。主機はレシプロ蒸気機関2基2軸11500馬力、速力20.4ノット。兵装は20cm単装砲4門(艦前後2門ずつ並列)、12cm単装砲6門、57mm単装砲6門、37mm機砲6基、35.6cm魚雷発射管5門。レイナ・ヘレンテなど3隻が1888年から竣工した。参考:月刊世界の艦船3,’24
<レイニア>:AOE-7(高速戦闘支援艦)またはT-AOE-7(高速戦闘支援艦)を参照。
<レイノルズ>:DE-42(護衛駆逐艦)を参照。
<レイノルズ数>:Reynolds number。Rと略す。実在の流体は粘性を持っており、物体周囲の流れには粘性による影響が見られるが、粘性による影響の大きさは、粘性自体の大小だけでなく、流れの全体的な規模、速度、流体密度によっても左右され、例えば水中を人間と同じ速度でプランクトンが泳いだすると、水の粘性自体が変わる訳では無いが、プランクトンは人間より遙かに大きな粘性の影響を受ける。イギリスの工学者レイノルズは、円管内の水流を観察することで、粘性による影響の大きさが流体の慣性力と流体の粘性で決定される場合があり、どちらによって流れの状態が大きく影響されるかは両者の比が尺度になる、ということを1883年に発見した。流れに関与する物体の代表的な大きさ(飛行機なら翼スパン、円管なら管直径)をL、流れの速さ(飛行機なら飛行速度、円管なら断面における平均流速)をV、流体密度をρ、粘性係数をμとすると、慣性力はρ×V^2×L^2、粘性はμ×V×Lに比例するので、両者の比はρ×V×L/μ(無次元量)に比例する。これがレイノルズ数で、1908年に命名された。流体の慣性力に対して動きを抑える粘性力が強いと層流に、逆だと乱流になり、だいたい2300を境目にレイノルズ数が小さいと層流、大きいと乱流となる。粘性による影響の大きさが流体の慣性力と粘性で決定される流れでは、レイノルズ数が同じなら、流れの中に置いた物体が幾何学的に相似であれば大きさが違っても流れの力学が相似になる。よって、風洞実験の小型模型の結果を大型の実機に反映することが可能となる。ただし音速に近づいて流体の圧縮性の影響が加わるような場合には、レイノルズ数だけ合わせても力学的な相似が得られないので、マッハ数も同じにして圧縮性の影響を相似させる必要がある。参考:航空用語事典増補改訂版、トコトンやさしい油圧の本
<レイ・ハイメT世>:スペイン海軍特設巡洋艦Rey Jaime T。大元はスペインのイスレーニャ・マリティマ社所属客船で、1911年6月4日にイタリアのオデロ造船所で進水し、8月6日からパルマ・バルセロナ航路で就航、1930年にトラスメディテラネア社に移籍し、スペイン内戦勃発で1936年11月に特設巡洋艦に改造された。全長96.5m、幅11.53m、深さ7.97m、吃水5.13m、総トン数2257トン、重量トン数800トン。主機は三連成汽機2基2軸4000馬力、航海速力17.6ノット。船客定員498人。その後輸送船に改造され、内戦が終わると総トン数2320トンとなり1939年5月にパルマ−バルセロナ航路に復帰した。1953年、主缶を重油専焼缶に換装した。1967年10月29日に引退し、10月30日にスクラップとして売却された。1968年に解体された。参考:月刊世界の艦船12,’21
<レイバン>:サール・オプトロニクス社製昼夜間映像サイトシステム。昼間用8倍固定モードと夜間用2倍・6倍切り替え式映像モード、昼間用ペリスコープの3モードから選択する。探知/識別距離は昼間が5000m/3000m、夜間が2500m/1000m。ウォーリア歩兵戦闘車に搭載されている。参考:月刊グランドパワー2,’05
<レイヒ>:CG-16(ミサイル巡洋艦)を参照。
<レイピア>:F-108(戦闘機)を参照。
<レイピア自走地対空ミサイル>:イギリス軍初の自走対空ミサイル車両で、牽引式のレイピア対空ミサイルシステムを自走化したものである。1973年初めから開発され、1974年8月に試作車が完成し、1983年から70両が引き渡された。車体はアメリカのM548装軌式輸送車がベースで、車体をやや延長して前部に装甲キャビンを設け、車長、ミサイル操作員、操縦手を収容する。キャビン上部には引き込み式の光学追跡機を装備。後部荷台にレイピアミサイル8発(装甲化4連装ランチャーを左右2基)、捜索レーダー、IFFアンテナ、誘導電波送信アンテナを搭載した旋回式架台が搭載されている。誘導は半自動指令照準線誘導方式。全長6.4m、全幅2.8m、全高2.78m、全備重量14トン。装甲厚5-25mm。エンジンは6気筒液冷ディーゼル(210馬力)で、最大速度48km、航続距離300km。乗員3名。1990年代半ばにストーマーとスターストリークに後を譲り、退役した。イギリスよりも前にイランに輸出される予定だったが、イラン革命によりキャンセルされている。参考:世界の軍用車両(2)
<レイピア牽引式地対空ミサイルシステム>:イギリス陸軍牽引式地対空ミサイルシステムRapier。1970年にBAeが開発した。ランチャー、光学TVによる目視照準装置、DN181ブラインド・ファイア・レーダー、レーダー追跡装置などで構成される。ミサイルは全長2.21m、直径0.13m、翼スパン0.38m、重量43.6kg、弾頭重量0.5kg(半徹甲)。信管は触接。推進はIMIトロイ・ディアル・スラスト固体燃料ロケットで、最大速度マッハ2.0、最大射高3km、射程1-6kmで、低高度用である。誘導はテレビ誘導。フォークランド紛争では12セットがフォークランド島に持ち込まれた。照準はレーダーでなく全て目視照準装置で行い、確実14機・不確実6機のスコアを挙げたといわれる。参考:ザ・マーチ17号、5号、陸上自衛隊地上戦力の全容
<レイピア牽引式地対空ミサイルシステム海外シリーズ>
<B/L−84>:スイス陸軍地対空ミサイル。参考:ミリタリー・バランス1989-1990
<レイビー>:DE-698(護衛駆逐艦)を参照。
<レイヒ級>:アメリカ海軍ミサイル・フリゲートLeahy級。クーンツ級に続く対空ミサイル重視の戦闘艦で、空母戦闘群だけでなく揚陸即応群など各種戦闘群の一員として防空を行う。船型は長船首楼型で、テリアミサイル連装発射機を艦前後に1基ずつ装備(ダブルエンダー配置という)、マストと煙突を統合したマックを採用している。装甲は持たない。全長162.5m、幅16.3m、吃水5.8m、基準排水量5670トン、満載排水量6700トン(7950トン?)。主機は蒸気タービン、出力85000馬力、2軸推進、速力34ノット(32ノット?)。兵装はテリア連装発射機Mk10が2基、アスロック8連装発射機1基(艦橋直前)、76mm連装砲2基、324mm3連装短魚雷発射管2基。乗員377名。DLG-16レイヒ、DLG-17ハリー・E・ヤーネル、DLG-18ウォーデン、DLG-19デイル、DLG-20リッチモンド・K・ターナー、DLG-21グリッドレイ、DLG-22イングランド、DLG-23ハルゼー、DLG-24リーブスの9隻が1962-64年に竣工した。1975年、ミサイル巡洋艦CGに艦種変更された。1970年代末に76mm連装砲を撤去してハープーン及びファランクスを装備した。1992年の諸元は以下の通り。全長162.5m、幅16.6m、吃水7.6m、満載排水量8203トン。主機は蒸気タービン2基2軸85000馬力で、速力32.7ノット。兵装はスタンダードER連装発射機2基、ハープーン4連装発射機2基、アスロック8連装発射機1基、ファランクス2基、324mm3連装短魚雷発射管2基。乗員423名、司令部要員18名。1993-95年に除籍された。参考:月刊世界の艦船10,’02、9,’96、3,’92増刊、12,’18、2,'21、近代巡洋艦史、月刊軍事研究5,’03
<レイフォリー>:F99(駆逐艦)を参照。
<レイブン>:EF-111A(電子戦機)またはES05(レーダー)またはMHC-61(機雷掃討艇)またはOH-23シリーズ(ヘリ)またはR44シリーズ(ヘリ)をまたはUH-12シリーズ(ヘリ)を参照。
<レイブン>:イギリスの無人実験機。B-2に似た形状の小型の全翼機で、外翼の上下面に張り出し舵が付いており、使用時のみ外部に張り出して機体をコントロールする。飛行システムは二重のフライ・バイ・ワイヤ。2003年から実験飛行を繰り返している。参考:月刊軍事研究2,’07
<レイブンU>:R44シリーズ(ヘリ)を参照。
<レイブン・オーク級>:アメリカ海軍艦隊掃海艇Raven-Auk級。船体は船首楼型で、機関はシフト配置を取っている。兵装が充実していたため、護衛用としても使用できた。全長67.4m、幅9.8m、吃水3.3m、基準排水量890トン(AM-55とAM-56は810トン)。主機はディーゼル・エレクトリック方式で、出力2900-3500馬力、2軸推進、速力18.1ノット。兵装は76mm単装砲1門、40mm単装機銃2門(AM-314から-341は連装機銃2門)、ヘッジホッグ、爆雷投射機4基、爆雷投下軌条2条。乗員100名。1940-41年に90隻強が就役した。参考:第2次大戦のアメリカ軍艦
<砺兵2008>:中国軍の長距離機動演習で、2008年8月に実施された。済南軍区の機械化歩兵旅団が鉄道と車両で1500km以上機動し、朱日和訓練基地で北京軍区の装甲連隊と対抗演習を行っている。参考:月刊軍事研究2,’13
<礼砲>:Saluting
Gun。国際儀礼上重要な装備で、国際慣行により発射回数が決まっている。再装填にかなり時間のかかる前装式の艦砲を使用していた17世紀頃、空包を射撃することにより攻撃意図が無いことを示したのが始まりで、相手の位が高い程たくさん撃つ。搭載砲の数が増加すると発射数も増え、明治時代初期には皇帝・天皇に対して101発も撃っていたが、面倒なので小口径砲による最大21発の射撃が慣例となった。また、実施するのも相手の答砲が受けられる場合に限られる。国旗・国家元首・大統領・皇族なら21発、首相・国賓・特命全権大使なら19発、閣僚なら17発、特命全権公使なら15発、臨時代理大使なら13発、臨時代理公使・総領事なら11発、領事なら7発、大将なら17発、中将なら15発、少将なら13発、准将なら11発で、5秒おきに撃つ。参考:丸スペシャルNo.75、月刊丸1,’10別冊、月刊世界の艦船8,’11増刊、海軍こぼれ話、朝雲
<礼砲(海上自衛隊)>:固定仰角式で、使用時に甲板上にボルトで止める。使用弾は空包の礼砲装薬包であり、5秒間隔で発射する。操作要員は礼砲指揮官、時計係、弾数係、記録係、砲員長以下砲員である。練習艦かとり型と練習艦かしま型に搭載されている。他の艦は装備していないので、艦砲で実施するが、5インチ(127mm)砲ともなると空包でも発射衝撃が相当大きくなるので、入港のかなり前から発砲を開始しなければならない。礼砲射撃を行うのは、防衛大臣が国際儀礼上必要と認めた場合である。メインマストに相手国の艦旗を掲揚し、上甲板乗員全員が挙手の礼を行い、礼砲射撃を実施、終了したら艦旗を降ろす。東京湾に入港する外国艦に対しては、観音崎警備所の礼砲台に備え付けられている50口径3インチ(76.2mm)砲3門が礼砲を行う。参考:丸スペシャルNo.75、月刊丸1,’10別冊、月刊世界の艦船8,’11増刊、MAMOR
vol.118
<礼砲(陸上自衛隊)>:羽田空港などに国賓が到着した際に滑走路脇で発射する。第1師団第1特科連隊/第1特科隊が担当で、実施予定が決まると礼砲中隊を臨時編成して1-2ヶ月前から訓練に入る。礼砲中隊本部は国賓が機体から降りるタラップの見える位置にあり、砲要員は1門あたり砲班長、照準手、1番手、2番手、3番手の5名で、後方に戦砲隊本部の戦砲隊長、計測手、記録手が控え、礼砲が配置されている場所から滑走路を挟んで反対側の複数箇所に観測員2名ずつが位置する。全員甲武装を着用し、105mm榴弾砲M2A1を3-4門配置する。国賓がタラップを降りて滑走路を踏んだ瞬間に1発目を発射するため、礼砲隊長がタイミングを計って戦砲隊長に発射を命じ、観測員も1名が双眼鏡で礼砲隊長の様子を確認し、もう1名が赤旗を振り下ろして戦砲隊長に確実に発射命令を伝える。戦砲隊長は赤旗を振り下ろして発射を下命、各砲の砲班長が班員に射撃を命じ、砲の右に位置する1番手が拉縄を引いて1発目を発射する。照準手は砲の左に位置し、その後方にいる3番手が各砲5-6発(+予備)用意されている空包を1発ずつ2番手に渡し、砲尾にいる3番手が空包を装填する。以降は計測手がストップウォッチを見て発射タイミングを戦砲隊長に伝え、4秒間隔で礼砲射撃を行う。発射間隔がずれると国の恥になるため、ある砲が発射不能になれば「不発」の号令を発して直ちに隊長に報告、戦砲隊長はすぐさま別の砲班に発射命令を下して1秒たりとも遅れないようにする。故障した砲の空包は1-3番手がすぐ他の砲に移すが、安全管理のため決して走らない。1964年の東京オリンピックでは礼砲中隊が羽田空港で各国賓客の搭乗した飛行機に対して礼砲射撃を行い、また祝砲隊として開会式の五輪旗掲揚時に3発の祝砲を発射した。この時使用された105mm榴弾砲のうちの1門は北富士駐屯地隊舎前に展示されている。参考:MAMOR
vol.118、朝雲
<レイボールド>:DE-177(カノン級護衛駆逐艦)またはDE-275(エヴァーツ級護衛艦)を参照。
<レイボルト>:韓国陸軍個人携行対戦車ミサイル。106mm無反動砲M40と9M131メティスM対戦車ミサイルの後継としてLIG Nex1が開発した。誘導は赤外線画像誘導で、撃ちっ放し式であり、目標にトップアタックをかける。2017年6月に全規模量産に入った。参考:月刊軍事研究3,’18
<レイポン>:SS-260(ガトー級潜水艦)またはSSN-661(スタージョン級攻撃原潜)を参照。
<レイム・ヘッド>:A134(工作艦)を参照。
<レイモン・W・ハーンドン>:APD-121(高速輸送艦)またはDE-688(護衛駆逐艦)を参照。
<レイモンド>:DE-341(護衛駆逐艦)を参照。
<レイモンド・エイムズ・スプルーアンス>:スプルーアンスを参照。
<レイモンド・コリショー>:カナダ空軍戦闘機パイロット。第1次大戦で61機を撃墜し、機体を黒く塗っていたのでブラック・プリンスと呼ばれた。1975年に82歳で死去した。参考:戦闘機のしくみ
<レイライダー>:RBS70(地対空ミサイル)を参照。
<レイルストン>:M1158(沿岸掃海艇)を参照。
<レインジャー>:CV-61(空母)を参照。
<レイン・ドロップ作戦>:ベルリン封鎖に対する空輸作戦時からアメリカが行った偵察作戦。西ドイツのウィスバーデン基地にあった第7405支援中隊所属の輸送機にカメラを積んでベルリンのテンペルホーフ空港まで通常輸送機に紛れて飛行させたもので、最初はC-47に市販の望遠カメラを積んで行い、後にC-97輸送機に長焦点カメラや赤外線カメラを搭載するようになり、信号捕捉専任乗員も乗り込んだ。更にT-29練習機やRC-130偵察機まで使用している。ベルリンの壁が無くなる頃まで続けられた。参考:月刊ミリタリーエアクラフト4,’02
<レインフォール>:ブルーインパルス曲技飛行の1つ。5機(1-4番機と6番機)編隊で会場正面から進入して編隊宙返りを行い、機首が真下を向いたところで5方向に分かれる。参考:月刊JWings8,'24、6,’09
<レインボー>:N16(潜水艦)またはXF-12(試作偵察機)を参照。
<レインボー・コード>:イギリス軍が1950年代に付けていた兵器秘匿名称。7色では間に合わなかったらしく、黒など虹と関係無い色も使われている。レッド・スノー、レッド・ベアード、イエロー・サン、ブルー・スチールなどがある。参考:月刊JWings6,’13
<レインボー作戦>:ソ連名はRADUGA作戦。タラキー暗殺計画を立てたとしてアミン大統領から処刑を要求されたアフガニスタンの閣僚3人と秘密警察長官を国外脱出させるもので、KGBが実行した。1979年9月14日0800、閣僚らと秘密警察長官からKGBアフガン支局に対し、接触を要求する緊急連絡が入ったため、工作員を派遣したところ、アミンにより処刑されかけていることが判明した。これを受け、KGBは反アミン派の彼らを救出することを決定し、1430にKGB工作員の車に乗せて隠れ家に向かわせ、次いでKGB特殊部隊ゼニスの秘密基地に収容した。モスクワからはゼニス要員10名とKGB第一総局S課(公文書などの偽造を専門とする非合法部門)要員がバグラム空軍基地に送り込まれ、閣僚3人はゼニス要員に変装して偽造パスポートを持ち、秘密警察長官は貨物の中に隠れた。9月19日、閣僚らと秘密警察長官は軍用機でアフガンを出国し、ウズベキスタンに到着、作戦は成功した。その後4人は1ヶ月にわたりKGBの事情聴取を受け、アメリカのスパイであるとしてアミンを非難。エージェントを粛正されるなどしてアミンに対する不信感を募らせていたKGBは、確証が無いままこの情報をソ連首脳部に流したため、アフガニスタン侵攻に繋がっていった。参考:月刊軍事研究6,’11
<レインボー計画>:アメリカ軍が1939年8月から策定した戦争計画。外交関係や同盟関係も考慮に入れた世界戦略である。参考:帝国海軍太平洋作戦史T
<レインボー第1号計画>:ドイツが南アメリカ大陸に侵攻した場合の作戦計画。参考:帝国海軍太平洋作戦史T
<レインボー第2号計画>:枢軸国に対し、アメリカ・イギリス・フランスで対抗する場合の作戦計画。ヨーロッパでは防勢作戦を行い、まず太平洋方面でシンガポールとハワイを拠点に積極攻勢を実施する。参考:帝国海軍太平洋作戦史T
<レインボー第3号計画>:対日作戦計画で、アメリカが単独で対抗する防勢作戦メインの計画である。参考:帝国海軍太平洋作戦史T
<レインボー第4号計画>:ドイツが南アメリカ大陸に侵攻し、太平洋方面で日本も侵攻を開始した場合の二正面同時対処作戦計画。参考:帝国海軍太平洋作戦史T
<レインボー第5号計画>:アメリカが1941年5月に制定した対日・対独作戦計画で、枢軸国に対し、アメリカ・イギリス・フランスで対抗するのは第2号計画と同じだが、まずヨーロッパ方面で攻勢に出て勝利し、太平洋方面は後回しにする。これに基づいてアメリカ太平洋艦隊は7月に戦争計画第46号を策定した。開戦が必至となった場合、太平洋方面部隊に10個任務部隊を編成し、第1-3任務部隊でマーシャル諸島を2週間以内に攻略する予定だった。予定されていた任務部隊編成は、海軍作戦本部長をトップとし、太平洋方面部隊(指揮官・太平洋艦隊司令長官)が第1任務部隊(海戦担当。第2戦艦戦隊、第4戦艦戦隊、空母サラトガ、第3巡洋戦隊、第9巡洋戦隊、第1駆逐戦隊の戦艦6隻、空母1隻、軽巡9隻、嚮導駆逐艦2隻、駆逐艦16隻、駆逐艦母艦2隻)、第2任務部隊(水陸両用戦担当。第1戦艦戦隊、第2航空戦隊・ヨークタウン欠、第5巡洋戦隊、第2駆逐戦隊・第4・第8駆逐連隊及び第50駆逐隊欠の戦艦3隻、空母1隻、重巡4隻、軽巡1隻、駆逐艦8隻、駆逐艦母艦2隻)、第3任務部隊(哨戒担当。第4巡洋戦隊、第6巡洋戦隊、第1航空戦隊・サラトガ欠、第4駆逐連隊、第5駆逐連隊、第3敷設連隊・第5・6敷設隊欠、根拠地部隊所属運送艦、第2海兵師団、第2海兵航空部隊の重巡8隻、空母1隻、嚮導駆逐艦2隻、駆逐艦16隻、敷設艦5隻、輸送艦6隻)、第4任務部隊(ハワイの局地防衛部隊)、第5任務部隊(南太平洋地域の沿岸・局地防衛部隊)、第6任務部隊(根拠地部隊所属の掃海艇18隻、運送艦22隻、工作救難艦7隻、雑役船4隻)、第7任務部隊(潜水艦30隻、旧式潜水艦2隻、機雷敷設潜水艦1隻、旧式駆逐艦1隻、潜水艦母艦3隻、潜水艦救難艦1隻、掃海艇1隻)、第8任務部隊(敷設艦1隻、旧式駆逐艦改造敷設艦)、第9任務部隊(哨戒機106機、水上機母艦8隻、雑用機10機)、第10任務部隊(北太平洋地域の局地防衛部隊)、サモア海軍根拠地隊、グアム海軍根拠地隊で、西部大西洋方面部隊(指揮官は大西洋艦隊司令長官)が海洋護衛部隊、攻撃部隊、南方哨戒部隊、第1-3潜水部隊、北西護衛部隊、バミューダ海軍作戦機地帯、その他任務部隊、南東太平洋部隊(海軍作戦本部長の指示で編成する)が第1駆逐戦隊の一部など、極東方面部隊(指揮官はアジア艦隊司令長官)がアジア艦隊所属艦艇、フィリピン海軍沿岸海域部隊である。対日戦争勃発日(J日)に第3任務部隊の空母CV-3サラトガを第2任務部隊(戦艦3隻、空母CV-5ヨークタウン、重巡4隻、旧式軽巡2隻、駆逐艦8隻)に編入、J+1日に真珠湾を出撃する。第3任務部隊のうち巡洋艦2隻、駆逐艦2隻、潜水艦1隻、補給艦1隻はサモア諸島に配備し、ニュージーランド側1000海里を巡洋艦1隻、北緯20度までの北方を複数の巡洋艦と複数の駆逐艦で哨戒する。第1任務部隊(戦艦6隻、軽巡4隻)と第3任務部隊(重巡8隻、駆逐艦18隻。空母2隻に護衛された海兵隊も編入)はJ+5日に真珠湾を出撃。J+6日またはJ+9日に第2任務部隊がマーシャル諸島を偵察し、一旦退避して第1・第3任務部隊と合流、J+13日にマーシャル諸島攻略作戦を開始する。日本海軍はマーシャル諸島にアメリカ艦隊が接近しているとの報を受けてJ+8日に出撃、トラックで給油してJ+15からJ+17日に艦隊決戦となる。しかし編成完了前に太平洋戦争開戦を迎え、直後のチャーチル首相とのアルカディア会議でヨーロッパ優先の方針が決まったため本計画の採用となったが、真珠湾攻撃で主力艦が行動不能となっており、早期反撃は行われなかった。参考:第2次大戦のアメリカ軍艦、月刊世界の艦船1,’12、帝国海軍太平洋作戦史T
<レヴァンツォ>:イタリア海軍ポンツァ級小型補給船。2011年2月4-17日、プラウド・マンタ2011演習に参加。参考:JShips Vol.44
<レヴィ>:DE-162(護衛駆逐艦)を参照。
<レ・ウンベルト級>:イタリア海軍前弩級戦艦(イタリアでの艦種は装甲艦)Re Umberto級。3番艦は主機を2段膨張式から3段膨張式に変更し、速力を向上させた。全長130.9m、常備排水量13860トン。主機はレシプロ蒸気機関4基2軸21000馬力、速力20ノット(3番艦)。兵装は34.3cm連装砲2基、15.2cm単装砲8門、12cm単装砲16門、7.5cm単装砲2門、5.7cm単装砲20門、37mm機砲10基、小口径機銃2丁、45cm魚雷発射管5門。3番艦サルデーニャなど3隻が就役した。参考:月刊世界の艦船12,’16
<レーアガンク作戦>:ハスキー作戦を参照。
<レーウェ>:P6148(哨戒艇)を参照。
<レーヴェ>:ドイツ海軍レオパルト級水雷艇。元はノルウェー海軍スライプネル級小型駆逐艦ギイレルである。第2次大戦終結後、ノルウェーに返還された。参考:写真集ドイツの巡洋艦
<レーガン>:K259(フリゲート)を参照。
<レーキド・ウイングチップ>:傾斜翼端。大きな後退角と僅かな上反角の付いた翼端小翼のことで、ウイングレットと同じ効果を持つ。構造が単純で軽量、取り付けも容易だが、翼スパンが増えるので狭い空港では使用しにくい。参考:月刊JWings10,’11
<レーク型>:オーストリア=ハンガリー海軍潜水艦Lake型。全長30.5m、水上排水量230トン、水中排水量270トン。主機はガソリンエンジンで、水上出力560馬力、水中出力200馬力、水上速力10ノット、水中速力6ノット、航続距離は水上950海里/水中40海里。兵装は45cm魚雷発射管3門(艦首2門、艦尾1門。魚雷3本)。U1とU2が1911年に就役した。揮発したガソリンが漏れて機関要員が中毒になるという欠点があり、後に主機をディーゼルに換装している。参考:月刊世界の艦船7,’15
<レーゲンスブルク>:ドイツ海軍クラウデンツ級軽巡洋艦Regensburg。1915年竣工。1920年、フランスに引き渡された。参考:近代巡洋艦史
<レーゲンボーゲ作戦>:第2次大戦時、バレンツ海を横断するソ連向け船団を攻撃するため、ドイツ軍が発動した作戦。1942年12月30日、アドミラル・ヒッパーを旗艦とし、リュッツォと駆逐艦6隻からなる艦隊が出撃、バレンツ海に向かった。12月31日、イギリスのJW-51B船団と遭遇してバレンツ海海戦となった。参考:写真集ドイツの巡洋艦、月刊丸9,’20
<レーゲンボーゲン作戦>:第2次大戦でドイツが降伏するにあたり実施した、戦闘艦艇自沈作戦Regenbogen(虹)。終戦後も必要になる掃海艦艇と輸送艦船を除く全艦艇を自沈させるもので、1945年4月30日に発令された。5月4日にデーニッツ総統兼国防軍総司令官が連合軍の海軍艦艇全面引き渡し要求に応じる形で中止命令を出したが、それまでに自沈した艦艇も多かった。Uボートはベルリン戦が終末期に入った1945年5月1-4日に136隻、イギリスのモントゴメリー元帥が占領命令を発令したのを受けて5月4-5日に83隻が自沈し、残りは捕獲されてイギリスに運ばれた。5月3日の降伏命令発令時に行動中だったUボートは48隻で、5月4日に潜水艦隊司令官から攻撃行動停止命令、5月8日にドイツ降伏が伝達され、連合軍無線局からは降伏命令と武装解除、現在位置報告命令が送信されている。これを受けて26隻がイギリス、7隻がアメリカ、2隻がカナダ(両艦とも1947年10月21日に海没処分)、1隻がフランス、2隻(U530、U977。両艦とも1946年にアメリカで解体)がアルゼンチンに入港し、2隻がポルトガル沿岸で自沈、1隻が触雷沈没、1隻が座礁した。イギリスに運ばれた捕獲Uボートのうち、10隻がソ連、6隻がフランス、4隻がアメリカ(U-1105、U-2513、U-3308)、4隻がノルウェー(ZC型3隻と]]V型1隻)、3隻がイギリス(U-2348、U-2518、U-3017)、1隻がカナダに引き渡され、残りはデッドライト作戦で海の藻屑になっている。参考:Uボート入門、月刊世界の艦船9,’12増刊、月刊丸4,’17
<レーザー>:DE-680(護衛駆逐艦)を参照。
<レーザー>:Light Amplification by Stimulated Emission of Radiationの略。原子にエネルギーを与えると励起(excite)され、これが正常の状態(基底状態)に戻る際に光が放出される。励起状態の原子が基底状態の原子よりも多い状況(レーザー媒質)を作り、そこに外部から特別な方法でエネルギーを与える(ポンピング)と、励起原子が特定波長の光(可視光だけでなく赤外線にγ線まで電磁波一般)を同時に放射して基底状態に戻る。この特定波長の光を共振空洞(resonant cavity)に入れ、特定波長に適合した誘電体薄膜で製造した反射鏡で前後に反射させてレーザー媒質を通過させることで増幅させ、共振器(resonator)により特定方向にのみ脱出させると、全く同じ性質の強力な光を放出させることが出来る。これがレーザーで、収束性が非常に高く、10km先で直径2m以内にしか拡散せず、レンズを使えば25000分の1mmに収束させることが可能である。レーザー媒質の種類で半導体レーザー、固体レーザー(ルビー・レーザー、ホモジニアス・ガラス・レーザー、Nd-YAGレーザー、Ho-YAGレーザー、Ti-サファイア・レーザーなど)、ガス・レーザー(He-Neレーザー、CO2レーザー、Arレーザー、Ar-Fエキシマレーザー、Kr-Fエキシマレーザー、Xe-Clエキシマレーザー、Xe-Fエキシマレーザーなど)、化学レーザー、自由電子レーザーなどに分類され、ポンピングの方法でEDL(Electric Discharge Laser)、ガス・ダイナミック・レーザー、ケミカル・レーザー、リキッド・ダイ・レーザーなどに分類される。入射する光のエネルギーに対して放射されるレーザーのエネルギーは、ルビー・レーザーで0.1%、CO2レーザーで2%、Nd-YAGレーザーで6%程度でしかないが、極めて短い時間にエネルギーを集中することができるため、ワット(ジュール/秒)に換算すると莫大なエネルギーを与えることが可能である。1958年に理論的予言が出され、1960年にアメリカ3軍の援助の下でコロンビア大学がルビー・レーザーの照射に初成功した。測距や照準用として使用されている他、レーザー砲も開発中。大気には特定波長の光の吸収率が低い「大気の窓」という特徴があり、0.2-1.2ミクロン、1.6-1.8ミクロン、2-2.5ミクロン、3.4-4.2ミクロン、4.4-5.5ミクロン、8-14ミクロンの光を使うと遠距離まで届く。参考:月刊戦車マガジン10,’78、月刊軍事研究9,’00、4,’09、8,’09、4,’12、月刊世界の艦船11,'21、MAMOR
Vol.76
<レーザーJDAM>:LJDAM(Laser Joint Direct Direct
Attack Munition)と略す。JDAMの先端にレーザーシーカー(PLGS、精密レーザー誘導セット)を取り付けたもので、基本的にはJDAMだが、目標から反射したレーザーを探知すると、反射源を割り出して新しいGPS座標を計算、命中位置を修正する。発射後の目標修正が可能で、レーザーを照射し続けられるような低速移動目標にも命中させることができる。弾体下部にはPLGSからテイルアセンブリを繋ぐ配線が追加されている。汎用爆弾ベースとして500ポンド(226.8kg)級のGBU-54/B、1000ポンド(453.6kg)級のGBU-55/B、2000ポンド(907.2kg)級のGBU-56/Bを開発していたが、実用化されたのはGBU-54/Bのみだった。参考:月刊JWings8,'24、12,’12、6,’09、月刊軍事研究9,’18、8,’09
<レーザーJDAM移動標的>:自衛隊の機器。ワイマックス製。参考:月刊軍事研究4,’18
<レーザー・アヴェンジャー>:ボーイング社が開発中の自走地対空システム。アヴェンジャー自走地対空ミサイルの改良型で、砲塔右のスティンガー発射機の代わりにレーザー砲を取り付けたものである。2007年9月、1kWのレーザーを使用してデモンストレーションを行い、不発弾・IED計5発と地上のUAVを2機破壊した。2009年1月26日、ホワイトサンズ・ミサイル射場で飛行中の小型UAV3機を撃墜した。参考:月刊軍事研究3,’09、5,’12
<レーザーウォール>:イスラエルが開発中の砲弾・ロケット弾・無人機迎撃システム。レーザー砲による迎撃システムで、出力100kW・無人機迎撃距離20kmを目指し、2021年から実証試験を行っている。参考:朝雲
<レーザー・オン>:Laser on。FACがレーザー照射を行う時にコールする。参考:月刊航空ファン2,’02
<レーザー区域防御システム>:LADSを参照。
<レーザー検知器>:LWRと略す。戦車や装甲車に装備され、レーザー測遠機のレーザーを感知して警報を発する他、普通は発煙弾発射機と連動していて、煙幕を張る。ただし、高初速の戦車砲で即座に狙われると煙幕や退避が間に合わないという欠点がある。レーザー誘導式ミサイルに対しても効果があるが、この場合のレーザー出力は測距機に比べて1%以下であり、検知が難しい。高性能のLWRではレーザー照射方向も検出でき、ノースロップ・グラマン社のメネシスAN/ALQ-24Vはレーザー照射方向にミサイルを誘導して反撃できる。また、カナダが開発したBRILLIANTは、レーザー照射方向に同じ周波数の対抗レーザーを照射して誘導できなくする。参考:月刊PANZER12,’03
<レーザー検知器(イラン)>:イラン防衛産業研究所が開発したレーザー探知・追跡・警告センサー。円筒形のポッド状をしており、覆域は上下60度・全周360度で、マスト上に装備される。レーザー測遠機やレーザー照準器などのレーザー光を探知すると車長に方向とタイプを伝え、ロックオンされると自動的に発煙弾を発射する。装甲戦闘車や自走対空砲への装備が検討されており、ZSU-23-4に搭載が開始されたともいわれる。参考:月刊軍事研究9,’00
<レーザー・コード>:レーザーの発振方式(パルス反復率など)の取り決めのこと。参考:攻撃ヘリコブラ&アパッチ
<レーザーサイト>:レーザーを使用した照準器。発光部を銃身と平行に取り付け、必要な射程の着弾点とレーザースポットが一致するように調節して使用する。周囲の光量が小さい時に有効である。小型化が進み、銃の一部に組み込まれたものもある。参考:GUN用語事典
<レーザー指向エネルギー兵器>:レーザー砲を参照。
<レーザー照射熱画像カメラポッド>:PDLCTを参照。
<レーザー・スポット・トラッカー>:LST(Laser Spot Tracker)と略す。目標からのレーザー反射をキャッチして目標を自動追尾する器材である。参考:月刊JWings6,’19、8,’13
<レーザー測遠機>:レーザー測距器を参照。
<レーザー測距器>:Laser Range Finder(LRF)。レーザーを使用して正確な測距を行う機器のこと。光学式測距機のような、遠距離における急激な精度低下が無い。レーザーのパルス光を用いるTOF(Time Of Flight)式と、周波数変調レーザーの送受信光位相差を用いる位相差式があるが、主に前者が使用されている。レーザー発射スイッチを押すと、一部が電気パルスに変換されて計算機に送られ、残りは目標に向け照射される。目標からの反射光は検知器で検出され、電気パルスに変換されて計算機に再び送られ、そのタイムラグから距離を計算する。参考:火器弾薬技術ハンドブック
<レーザー測距器(暗視機能付)(部隊実験用)>:自衛隊の機器。スリーディー製。参考:月刊軍事研究7,’09
<レーザー・ダズラー>:アメリカ軍がプロジェクト・シェリフで開発した暴徒鎮圧用レーザー幻惑装置Laser Dazzler。ライフルのような形状をしたレーザー発振装置で、暴徒の目に当てることで一時的に視力を奪う。網膜が焼けるほどの威力は無いので、後遺症は残らない。参考:月刊軍事研究2,’12
<レーザー・デジグネータ>:レーザー照準器。目標に兵器誘導用レーザーを照射する器材である。参考:月刊JWings8,’13、6,’19
<レーザー濃縮法>:ウラン濃縮法の1つで、1974年にアメリカのローレンス・リバモア研究所が開発した。気化天然ウランに特定波長のレーザーと紫外線を照射し、ウラン235のみをイオン化させて電磁場で分離する方法である。ガス拡散法よりも回収率が100倍高く、設備も単純で済むという。参考:アメリカの核兵器
<レーザー・ビーム・ライディング方式>:目標に対して照射したレーザービームに沿って飛翔する誘導方式のこと。参考:月刊丸3,’90
<レーザー砲>:レーザーの持つエネルギーを破壊力として使用する兵器で、レーザー指向エネルギー兵器LDEW(Laser Directed Energy Weapon)ともいう。反動が無い、発射と命中がほぼ同時でリード射撃を行う必要が無く弾道計算が要らない、機関砲のように弾幕を張る必要が無いので無駄弾が出ない、ミサイルより1発あたりの発射コストが遥かに安い(1ドルともいわれる)、パルス電源に電力を供給しておけば化学レーザー以外は弾切れの心配が無い、次発装填の手間が不要といった利点がある。物体を破壊するためには同部位にピンポイントで一定時間照射する必要があり、ビーム幅の広いレーダー照準は使えず、電子光学赤外線センサーを追尾に使う。表面を磨いたり、メッキをかけたりされるとエネルギーの90%以上を反射されてしまい、熱を遮断する素材を使用されると効果が落ちるという欠点がある。大気で減衰するため、気象条件の影響も無視できず、霧や大雨が苦手で、特に海上では水蒸気などの影響が大きくなるため、艦載型レーザー砲で問題になる。小型UAVなら出力5kW、ロケット弾や迫撃砲弾なら10kW、重量600kgまでのUAVやRHIB相手なら数十kW程度で破壊できるが、横行する亜音速巡航ミサイルを破壊するなら150-300kW、超音速ミサイルや攻撃ヘリなら300kW以上、対艦巡航ミサイルの半徹甲弾頭を貫通して炸薬や推進剤を誘爆させるなら500kW以上が必要で、弾道ミサイル相手だとMW級の出力を要し、相当ハードルが高くなる。また、小型UAVでも固定翼型では動きの少ない主翼を破壊すれば撃墜できるが、クアッドコプター型だとローターや支柱の動きが速くて破壊が難しい。電力からレーザーへの転換効率は1-2割に過ぎず、残りは廃熱になるため冷却システムが必要で、これに更に電力を喰われる。人の目を永久的に失明させるレーザー砲は特定通常兵器使用禁止制限条約追加議定書Wで禁止されている。DARPAでは、レーザー砲を照射された側が防衛を試みる場合、レーザー検知器で探知してから敵レーザー砲を無力化するまでを1ミリ秒以内に収めるのが理想的であるとみており、研究を進めている。1960年代に開発が始まり、1990年代には大出力化が容易な化学レーザーで実用化が試みられ、2000年代に入りフッ化重水素化学レーザーTHEL計画や化学酸素ヨウ素レーザーABL計画でテストを行ったが、レーザー発生装置やガス貯蔵施設が巨大で車載はおろかジャンボジェットにも載り切らないという欠点があり、2010年代に出力は低めだが小型にできる固体レーザーへと切り替えられた。2020年頃には1.6km先で小型UAV/水上目標に対処できる出力100kWクラスのレーザー砲が実用化に向かうとみられるが、CIWS代わりに使えるような16km先の航空機・水上目標を無力化する1MWクラスとなると、相当の時間を要する。参考:月刊世界の艦船11,’14、3,’16、12,’18、11,'21、月刊軍事研究9,’17、2,’18、3,’18、月刊JWings2,’20、朝雲
<レーザー砲(アメリカ海軍)>:1980年、化学レーザー砲MIRACLが完成。テストの結果、超音速ミサイルから衛星まで無力化できたが、必要以上の大出力と大がかりすぎる施設から陸上拠点防衛にしか使えないため開発を中止し、2000年代からは個艦防衛用レーザー砲に切り替え、ファイバー固体レーザー、スラブ固体レーザー、自由電子レーザーを試すことにした。2009-12年に出力33kWのLaWS固体レーザーをテストし、AN/SEQ-3として制式化。2009年3月、MLD試作レーザー砲が完成し、2011年4月から試験艦EDD-964ポール・F・フォスターで洋上試験に入り、RHIBを炎上させた。超音速対艦ミサイルや対艦弾道ミサイルの脅威に対応すべく開発を加速しており、海軍レーザーファミリーNLFOS(Navy Laser Family of Systems)として、対艦ミサイル撃墜用SSL-TM計画LWSD試作レーザー砲(2020年5月にLPD-27ポートランドでの試験でUAVを破壊)、UAV・USV・ISRセンサー破壊用SNLWS計画HELIOS試作レーザー砲(2021年にDDG-88プレブルに搭載予定)、UAVセンサー・制御装置破壊用AN/SEQ-4ODIN(2019年11月にDDG-105デューイに搭載)、詳細不明RHELが進行している。他にもHELCAPやTLSを開発中。小型化を進めて潜水艦のマストから照射して対潜ヘリを破壊したり、MH-60ヘリに積んで舟艇を撃破したりする計画もある。参考:月刊軍事研究4,’18、9,’17、月刊世界の艦船5,’21
<レーザー砲(アメリカ空軍)>:メガワット級化学レーザーをB737に積んで弾道ミサイル防衛に使うABL計画は2012年に中止された。2015年、AC-130ガンシップ用対地レーザー砲としてAHELの開発を開始。対空ミサイルを迎撃するHELLADSとSHiELDを開発中。参考:月刊軍事研究9,’17、月刊JWings1,’22
<レーザー砲(アメリカ陸軍)>:出力100kWクラスのHEL-TVD、60-100kWクラスのHELMTT、2-5kWクラスのMEHELを開発中。参考:月刊軍事研究9,’17、月刊航空ファン6,’17
<レーザー砲(イスラエル軍)>:2021年6月22日、イスラエル航空宇宙軍、エルビット・システムズ、ヤナットが、セスナ208キャラバンに高出力レーザー砲を積み、胴体後部左側面から照射、飛行高度と射距離が異なる複数のUAVに照射するテストを行い、全て破壊することに成功した。参考:月刊JWings9,’21
<レーザー砲(自衛隊)>:1975年から励起実験装置の研究試作として高出力ガス・ダイナミック・レーザーの研究を開始し、1989年から高出力レーザー集光実験装置を製作して1990年代に出力10kWの炭酸ガスレーザー実験に成功した。2003年、統合光波電子戦システムという名称の炭酸ガスレーザー(波長8-12ミクロン、出力20kW)発生装置を製作。2010-16年度にヨウ素レーザー(COIL)を使用した近接防御用レーザー砲の実験を行い、出力50kWのレーザー砲に追尾照準装置とビーム指向装置を組み合わせ、数百メートル先にある厚さ1mmのジュラルミン板に孔を開けている。防衛装備庁技術シンポジウム2017ではレーザー砲に貫通された厚さ1mm/2mm/3mmのジュラルミン板が展示された。今後は固体レーザーに切り替え、2018-23年度に陸上配備型高出力レーザー・システムの研究を行っており、赤外線カメラによる目標追尾システムと組み合わせ、有効射程1-2kmを目指す。参考:月刊軍事研究4,’18、9,’17、2,’18、月刊JWings2,’18、月刊世界の艦船5,’21
<レーザー砲(中国軍)>:1964年、対戦略ミサイル用レーザー砲の開発を決定。2017年、LaWSに酷似したレーザー砲を車載してテストし、300m先の無人機を撃墜した。2018年5月、ジブチの中国軍基地周辺でアメリカ空軍C-130輸送機がレーザー照射を受け、パイロット2名が眼を負傷した。2019年2月17日、グアム西方で052D型ミサイル駆逐艦161呼和浩特がアメリカ海軍P-8A哨戒機に非可視光レーザーを照射。5月、海上民兵所属らしい漁船がIPE19演習中のオーストラリア海軍MRH-90ヘリにレーザーを照射。参考:月刊JWings6,’20、月刊世界の艦船5,’21
<レーザー誘導爆弾>:LGB(Laser Guided Bomb)と略す。精密誘導兵器の1つで、爆弾にレーザー感知器と動翼を取り付けたものである。普通、LANTIRNのような目標捕捉・レーザー照準システムを搭載した攻撃機自身がレーザー誘導爆弾を抱え、目標をレーザー照射し、その反射円錐の中に爆弾を投下することでレーザー感知器が反射レーザーをキャッチ、動翼を動かしてレーザー反射光源に自動的に命中する。つまりセミアクティブ・レーザー誘導式である。別の航空機の装備するレーザー照射装置や、地上部隊が携帯するレーザー照射器を使用して照準することも可能。レーザー反射光受光部と操縦翼、安定翼を通常爆弾に取り付けるだけで済むので、コストが低い。欠点は、推進力が無いので射程に限界があること、命中までレーザーを照射し続ける必要があり完全撃ちっ放しではないこと、レーザー照射ポッドでステーションが1-2個ほど塞がれること、塵や煙や悪天候に弱いこと、ロックオンが外れると再ロックオンが難しいこと。アメリカでは1964年から研究が始まり、1965年にM117にシーカーを装着してのテストが開始され、ペイブウェイとして実用化された。参考:月刊軍事研究1,’01、4,’03、2,’09、8,’09、11,’14、ワイルドウエポン
<レーザー誘導爆弾(中国)>:1995年に存在が公表された。弾体は500kg通常爆弾で、前部にセミアクティブレーザーシーカーと全遊動式制御翼、後部に安定翼が付いている。全長3.68m、直径0.377m、重量560kg。250kg爆弾型も開発中とされる。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック
<レーザー溶接>:溶接を参照。
<レーザー・レーダー>:ライダーを参照。
<レーザーレンジディジグネータ(SH−60K用)>:自衛隊の機器。住商エアロシステムが受注している。参考:月刊軍事研究1,’13
<レーザーレンジファインダー>:レーザー測距器を参照。
<レーザ受信装置(人員用)>:自衛隊の機器。東芝電波プロダクツ製。参考:月刊軍事研究2,’09
<レーザ捜索システム用整備用器材>:自衛隊の機器。住友商事が受注している。参考:月刊軍事研究8,’16
<レーザ送信装置(小火器用)>:自衛隊の機器。東芝電波プロダクツ製。参考:月刊軍事研究2,’09
<レーザ測距器(暗視機能付)(部隊実験用)>:自衛隊の機器。スリーディ製。参考:月刊軍事研究10,’10
<レーザ測距器(暗視機能付)(部隊実験用)(軽量)>:自衛隊の機器。極東貿易が受注している。参考:月刊軍事研究5,’14
<レーション>:戦闘糧食。将兵が携行し、前線でそのまま又は簡単な調理を行って食べる。軽量コンパクトで携行しやすく、カロリーが豊富で、保存も利くものが求められる。後退時に缶やパッケージをその辺に捨てると撤退路が敵にばれるので注意。後方で食べる兵食だけでなく、前線でとる戦闘糧食も兵士の士気に与える影響は重大で、食糧事情が劣悪だったナポレオン時代のイベリア半島戦役ではフランス軍が少ない食料をしっかりと調理して供給したのに対し、イギリス軍は適当に火であぶる程度だったため、士気や体力に格段の差が付いてフランス軍が勝利した。更にナポレオンは長期保存可能な食料の開発に懸賞金を掛けて瓶詰が誕生。その後イギリスで缶詰に発展し、時代は下って軽量のレトルトパックになった。参考:ミリタリー・イラストレイテッド17、朝雲
<レーション(アメリカ軍)>:独立戦争初期には食糧事情が貧しかったが、南部参加後は改善され、部隊から毎日配給された。メニューはパン1ポンド(453.6g)、牛肉・豚肉1ポンド(453.6g)ずつ、ミルク1パイント(473.2ml)または米、ジン又はビール1クォート(946.4ml)、エンドウ豆又はそら豆1ガロン(3785cc)で、週に1回はバター6オンス(170.1g)、塩漬け魚1.25ポンド(567g)、酢1パイント(473.2ml)が供給された。メキシコ戦争ではパン18オンス(510.3g)、牛肉18オンス(510.3g)、豚肉0.75ポンド(340.2g)と貧相になり、お付きのメキシコ人行商人から生鮮食品を購入したり、狩猟や釣りで間に合わせたりした。南北戦争の北軍はベーコンまたは豚肉0.75ポンド(340.2g)または牛肉1.25オンス(35.4g。1.25ポンド/567g?)、パン18オンス(510.3g)またはハードブレッド(堅パン。ハードタックともいう)12オンス(340.2g)またはコーンミル1.25オンス(35.4g)、エンドウ豆又はそら豆8クォート(7571cc)または米10オンス(283.5g)、コーヒー6ポンド(2722g)で、週に1回は砂糖12オンス(340.2g)、酢4クォート(3785cc)、塩2クォート(1893cc)を支給しており、ベーコンやハードブレッドといった保存食が導入されるようになった。西部開拓時代にはハードブレッド、ベーコン、豆が主流で、ハードブレッドは10年も前に製造されてナイフの刃も通らないようなシロモノであり、砦の中で畑を作ったり、狩りをしたりして栄養を確保した。また、調理は兵士が交替で行っていたが、腕の良い兵士は将校がお抱えにしてしまうため末端では珍奇料理のオンパレードになり、料理当番兵はインディアンよりも多くの兵隊を殺すなどといわれた。南北戦争時代に缶詰が実用化されたが、部隊からは中身しか支給されず、兵士が13ドルで缶などを購入し、自分で詰めて持ち歩いた。米西戦争では保存に優れた腸詰めや缶詰牛肉が支給されている。また、この戦争以降は赤十字慰問部隊によるドーナツとコーヒーの無料サービスが行われるようになった。第1次大戦では大砲の発達でキッチンワゴンが前線に来られなくなったため、後方で調理して食糧支給部隊(レーション・パーティ)が前線に配給した。また、25名1日分の缶詰をセットにした緊急用食糧トレンチ・レーション(リザーブ・レーションともいう)が支給されることもあった。フランスには数カ所の巨大な補給デポが設けられ、膨大な食糧を貯蔵。第2次大戦ではAレーション、Bレーション、Cレーション、Dレーション、Kレーションの5種類が用意されたが、イギリスに展開したての頃は古新聞に包んだフィッシュアンドチップスくらいしか食べられる物が無く、士気に重大な影響を及ぼしたという。後にUボートの脅威が去ってアメリカ本土から大量の物資が輸送されるようになると食糧事情は改善、イギリスのPXで購入した食糧をイギリス女性にプレゼントする余裕も生まれた。前線の兵士は2食分のレーションと固形燃料、ガソリンストーブを携行して戦った。また、ドイツ国防軍の食糧を手に入れることもあり、特にマーマレード缶は好評だった。他には野戦病院用のレーション・サプリメント・ホスピタルも開発されている。朝鮮戦争ではRIC(レーション・インディビジュアル・コンバット)やスモール・デタッチメント・レーション、インディビジュアル・フード・ポケットといった新しいレーションが使用された他、戦争後半にはヘリコプターによる食糧補給が行われ、温かい食事が供されるようになった。ベトナム戦争では、ヘリコプターの発達により温かい食事が提供される割合が大幅に増加したが、前線のパトロール部隊は朝昼にRICもしくはMCIを食べ、夕方のみヘリからの食事供給を受けた。1960年代後半からはドライレーションが提供された。後方では毎日温かい食事を食べることができたが、メニューがワンパターンだったため、現地ベトナム人を雇って食事を作ってもらう兵士もいた。月給は1人10ドルで、月給270ドルの二等兵でも十分に雇える額だった。1980年代には寒冷地用のRCW(Ration
Cold Weather)と長距離偵察用のLRP(Long Range Patrol)という特別食があったが、両者の構成が似ていたため、MCW/LRPに統合された。参考:ミリタリー・イラストレイテッド17、ストライク・アンド・タクティカルマガジン3,’13
<レーション(インド軍)>:一日分が厚紙の箱に入れられ、グリーンの薄いプラスチックバッグ(持ち手付き)に収容されている。中身は主菜レトルトパック2種、米料理、無発酵パンのチャパティ、ソフトバー(平たくて大きいソフトキャンディ)、デザート、チャイ(茶葉、粉末ミルク、砂糖)、紙ナプキン、紙皿、ステンレス製スプーン、簡易コンロ、燃料、カミソリの刃(髭剃り用)。宗教により食べられない食材もあるので、主菜は野菜カレーとなっている。参考:ストライクアンドタクティクスマガジン5,’12
<レーション(韓国軍)>:創設直後の朝鮮戦争勃発時にはおにぎりと乾パンが主であり、国連軍本格介入以降はアメリカ軍から供与されたRICなどを食べていた。戦争長期化で在庫が足りなくなると、日本で紙袋にパッキングした簡易レーションを作っている。2010年現在、食糧戦闘用1型などを使用中。参考:ストライクアンドタクティクスマガジン7,’11
<レーション(ギリシャ陸軍)>:食パンくらいの巨大ビスケット、20g蜂蜜パック2個、市販の缶詰(肉、肉料理、プロセスチーズ、オリーブオイル漬けグリーンピースなど)、ビタミン剤、脱脂粉乳、インスタントコーヒー、ティーバッグ、10g砂糖パック3個、5g塩パック、浄水タブレット4個、固形燃料、コンロ、マッチ、ティッシュペーパーなどがダンボール(110mm×120mm×230mm、総重量1.6kg)に詰め込まれている。サイズは小さいが、ビスケットだけで1395kcalもあるのと、オリーブオイルなどで油漬けの缶詰のカロリーがやたら高いので、これで1日まかなえる。NATO共用ということで、ギリシャ語だけでなく英語やフランス語の表記もある解説書が入れられている。参考:ストライク・アンド・タクティカルマガジン3,’12
<レーション(自衛隊)>:警察予備隊時代は乾パンだったが、自衛隊創設と同時(1964年?)に缶詰タイプの戦闘糧食T型を採用した。その後レトルトタイプの戦闘糧食U型(保存期間1年)を採用。2015年、戦闘糧食U型を改良し、保存期間が3年に増えた。1年目は補給処、2年目は基地や駐屯地で保存し、3年目になったら順次消費する。ダンボールに梱包して対地高度200mからのパラシュート投下、マイナス30℃で24時間保存後に高度1.5mからコンクリート床への投下、マイナス20℃での1年半保存、プラス45℃での1年半保存に耐える。味がイマイチという面を補うべく株式会社たかのがプライベートベンチャーで開発したスティックライス(保存期間2年間)も採用した。2016年2月、戦闘糧食T型の在庫が無くなり、全てレトルトになった。2019年、戦闘糧食U型の改訂を実施。ビタミンB1、鉄分、カルシウムなどの栄養素を加え、和洋中・肉魚をバランス良く配分し、メニューも21種類に増やした。2022年、ウクライナにパン食メニューの戦闘糧食U型ボロニアソーセージとナポリタンを提供した。参考:MAMOR vol.125、朝雲
<レーション(中国人民解放軍)>:1950年代後半までは乾燥させた麺や米飯を携帯し、蒸したり茹でたりしていたが、加熱調理に手間がかかるので1958年にレーションを試作した。中国では主食が麺の所と米の所があるので、両方に対応できるようケーキやビスケットを圧縮したものを採用している。1976年にこれを発展させた761圧縮干粮(高エネルギーバー)を採用、主食としてこれに脱水米飯、脱水麺を加え、副食として豚肉角煮缶詰、肉野菜炒め缶詰、肉味噌炒め缶詰を組み合わせた。ただ脱水米飯・脱水麺は湯がないと調理できず、不味いため、あまり食べられなかったらしい。1983年から粉末飲料が導入され、1990年には90圧縮干粮を採用した。1994年、新しい副食缶詰を採用。1缶あたり500g入っており、2-3名で分けて食べる。ただ取り分けが面倒なので、後に容量100-120g程度の個人用副食缶詰が開発された。2005年、05圧縮食品を採用。2006年、アメリカ軍のMREを参考にした06単兵自熱食品(SMI-300)と06単兵即食食品(IMI-120)を採用。2008年、長期保存パンを採用。2009年、09圧縮干粮を採用。海軍は単兵特族定食を採用、1991年に911b普通単兵食品、2006年に単兵自熱食品を採用し、更に海軍単兵自熱食品を採用した。参考:ストライク・アンド・タクティカルマガジン1,’11、3,’11、5,’11
<レーション(日本海軍)>:日露戦争時は乾麺麭、砂糖、コンビーフ缶といった食事で済ませたが、士気を高めるため白米を炊いて梅干し握飯を作ることもあった。ただ戦闘中は烹炊室に主缶の蒸気が回ってこないので調理が行えなくなるため、戦闘前に大わらわで食事の準備を行わねばならなかった。日本海海戦では握飯に梅干しと乾麺麭を添え、連合艦隊司令部には更に缶詰ミルクを氷で溶いたものを用意している。参考:写真で見る海軍糧食史、歴史群像10,’18
<レーション(日本陸軍)>:戦用糧食、戦用糧秣品などと称する。陸軍糧秣本廠で研究が行われ、圧搾口糧(玄米と麦を炊いた後に圧搾したもの)、乾燥鰹節、乾燥梅干、圧搾砂糖、乾麺麭(大型と小型。湯に入れて粥にしても良い)、尋常缶詰肉(6名分450g入り。牛肉、鰤、鰹、鮪、鯖)、携帯缶詰肉(個人用牛肉150g入り)、乾燥肉(30g。牛肉、馬肉、兎肉、魚肉)、粉醤油(1包あたり50食分750g。1500ccの水で溶く)、醤油エキス(濃縮醤油)、粉味噌(30g。少量の水で味噌、熱湯2合で味噌汁になる)、漬物(市販の缶詰または樽詰)が採用された。本廠で乾麺麭、缶詰、醤油エキス、大阪支廠で乾麺麭、宇品支廠で缶詰を製造している。古くなってくると戦用繰下品の使用と称して兵食の食材に回され、乾麺麭を揚げて砂糖をまぶしたり、牛肉缶詰を肉うどんにしたりと様々に流用された。この場合は賄料をその分だけ減額した補助賄料が支給されるが、だいたい余るので、部隊で光熱費に流用した。参考:日本陸軍兵営の食事
<レーション・イン・コンバット>:アメリカ軍のレーション。レトルトパックで、缶切りが要らない。参考:ミリタリー・イラストレイテッド17
<レーション・インディビジュアル・コンバット>:RICを参照。
<レーズキィ>:ロシア海軍ステレグシュチイ級フリゲート、艦番号343。2023年12月24日0300頃、宗谷岬北西70kmを東に航行するのを第2航空群P-3C哨戒機が確認した。その後宗谷海峡を東に進んでいる。参考:月刊世界の艦船4,’24
<レーゼクネ>:ラトビア海軍スクルンダ級哨戒艇5番艇Rēzekne。参考:月刊軍事研究3,’12
<レーゾン>:アメリカ軍が第2次大戦時に開発した誘導爆弾Razon。爆撃手がリモコンにより爆弾尾部の操縦翼を操作して命中させる。重量1000ポンド(453.6kg)。朝鮮戦争において1950年秋に第19爆撃航空群のB-29が489発投下し、331発が誘導に成功、15発が橋に命中した。1つの橋を落とすのに32.5発を落とす必要があった計算になるが、当時の通常爆弾による橋の破壊率である橋1基あたり13.3航過(破壊力のより大きい大型爆弾を1航過あたり4発落とす)に比べてメリットが無く、強力なターゾン爆弾が開発された。参考:航空ジャーナル9,’77臨時増刊
<レーダー>:アメリカ海軍のF.R.ファース中佐とS.M.タッカー中佐が1940年に作り出した造語で、RAdio Detection And Rangingの略。イギリスでは1943年まで、電波方向探知器(Radio Direction Finder、RDF)と呼ばれていた。ドイツではフンクメスゲレートと称している。アンテナ部分(フロントエンド)、送受信機や信号処理機などの後方部分(バックエンド)から構成され、目標に電波(レーダー波)を発信し、反射波を受信して目標の存在を掴み、その距離や方位を測定するもので、地球の大気中において天候に関わらず遠方の物体を探知する唯一の手段である。全周に連続波を放射しても距離や方位が分からず意味が無いので、レーダー波を絞り込んで強い指向性を持たせ、アンテナを機械的に旋回させたり電子的に走査させたりして方位を掴み、変調パルス波を送信することにより距離を測定する。ただし指向性電波の脇や背後に余計な電波面が生じる(サイドローブSide lobe、バックローブBack lobe)ため、ここからの反射波の対処が必要になる。受信波の検波方式には振幅情報だけを抽出する包絡線検波(同期検波)と、受信信号を複素信号化して位相情報も調べる直交検波(位相検波)がある。波長が短いと解像度が良くなり、アンテナも小型で済む。目標が障害物の影やクラッターの中に入ると探知できなくなり、天候による電波の減衰があれば探知の障害となる。対空レーダーはS-C-Xバンドを使用するが、気象レーダーと同様、雨や雲によって反射してしまうため、悪天候では探知距離が短くなってしまう。電波の変調方式(パルスレーダー、ドップラーレーダー、連続波レーダーなど)、送信出力(大出力、微電力など)、使用波長・周波数(メートル波レーダー、Xバンド・レーダーなど)、機能(三次元など)、用途(捜索、追尾、対空、対水上、射撃管制、気象、画像、地中探査など)、プラットホーム(機載、陸上、艦船・船舶用、車載など)により細分される。1888年にヘルツが火花放電によりUHF波長の電波を発生させることに成功、この時電波は波動と同じ特性を持ち、金属板で反射されることが実証された。世界初のレーダーは1904年にドイツの物理学者兼発明家クリスチャン・ヒルマイヤーが特許を取ったテレモービルスコープ(船舶衝突防止装置)だが、これは有用性に対する理解が得られずに埋もれてしまい、電波の利用は無線通信方面に向かった。1905年、ドイツの物理学者ブラウンがフェイズド・アレイ・アンテナを開発。これも無線通信でのMIMO(Multiple-Input and Multiple-Output)技術へと向かっている。1922年9月、アメリカ海軍研究所が、メートル波レーダーにより、ポトマック川を航行中の木造船の探知に成功。1925年、カーネギー研究所のブライトとチューブが電子管で発生させた短波パルスを電離層で反射させ、電離層の高度を測ることに成功。この際、航空機や鳥の群れが観測所近くを通過する度に反射波が乱れることが判明し、レーダーによる航空機探知の可能性が示唆された。1929年、ドイツ海軍がレーダーの研究を開始。1931年、アメリカ海軍研究所が周波数60MHzのバイスタティック方式VHFドップラーレーダーを開発し、距離35kmの航空機を探知する事に成功。1933年、ドイツ海軍がセンチメートル波を使用したパルス・レーダーの開発を開始、テレフンケン社の技術者を引き抜いてGEMA社を設立し、波長10cmクラスの電波を出せるマグネトロンの研究に入った。1935年、イギリスで対爆撃機用防空兵器を研究するティザード委員会が発足。翼スパン25mの大型爆撃機を探知しやすい波長50mの電波を使用したバイスタティック・レーダー網を張り巡らし、中央管制室で情報を纏める防空システムを構築することとなり、同年からチェーンホーム・レーダーの設計に入った。1936年、ドイツでフレーヤー対空捜索レーダーが完成。アメリカ陸軍がSCR268のベースとなるVHF帯パルス・レーダーを開発。1937年、アメリカ海軍がXAFレーダーを完成させた。1938年、ドイツでゼータクト水上捜索レーダー、ウルツブルグ射撃管制レーダー、クルフュルスト射撃管制レーダーが完成。第2次大戦後は捜索レーダーと測高レーダーを組み合わせた三次元レーダーが出現。更に水平方向も電子的に走査するフェイズド・アレイ・レーダーが開発された。参考:英仏航空決戦、月刊軍事研究7,’08、8,’01、11,’08、レーダシステムの基礎理論、レーダの基礎、航空管制のはなし、航空ジャーナル9,’77臨時増刊、月刊丸3,’90、連合軍の傑作兵器駄作兵器、空軍
<レーダー(アメリカ)>:1922年9月、アメリカ海軍研究所が、連続波メートル波レーダーにより、ポトマック川を航行中の木造船の探知に成功。しかし研究は継続されなかった。1931年、アメリカ海軍研究所が周波数60MHzのバイスタティック方式VHFドップラーレーダーを開発し、連続波干渉方式により距離35kmの航空機を探知する事に成功。以降は送信アンテナと受信アンテナを共通化する研究に入った。1934年、アメリカ海軍研究所がパルス・レーダーの開発を開始。1936年、アメリカ陸軍通信隊研究所がSCR-268のベースとなるVHF帯パルス・レーダーを開発。1938年、アメリカ陸軍がSCR-268射撃指揮レーダーを制式化。1939年、アメリカ陸軍がSCR-270早期警戒レーダーを制式化。1940年11月、マサチューセッツ工科大学に電波研究所を創設し、最大3500人の研究者をかき集めてマイクロ波レーダーや電波航法装置の開発を1945年11月まで行った。1941年、アメリカ海軍が主要艦艇へのVHFレーダー搭載を開始。1942年、アメリカ海軍研究所が機載レーダーを開発。参考:レーダシステムの基礎理論、レーダの基礎
<レーダー(イギリス)>:物理学者サー・R・ワトソン・ワットの提言に基づき、天候が良くても3.6kmしか監視できない双眼鏡、3.7kmしか探知できない聴音探知に替わる全天候監視装置として、1934年に空軍科学研究所で研究が開始された。1935年2月26日に波長49mの電波を使用してヘイフォード爆撃機(翼スパン21.36m)の探知に成功。更に、パルス電波を放出して電離層からの反射波と航空機からの反射波の時間差を計測することにより、目標の距離や高度を測定する技術を編み出した。9月、距離24km・高度2200mを飛行する航空機を誤差角度1度で探知することに成功。1936年3月13日、距離21km・高度457mを飛行するホーカー・ハートの探知に成功。1937年、対水上レーダーの開発を開始。5月、チェーン・ホーム・レーダー・ネットワークの運用を開始。第2次大戦開戦前に艦載対空捜索レーダー283型が完成。1940年、出力が三極管の10倍ある空洞マグネトロンが完成し、AIレーダーの開発を開始。1941年、艦載対水上射撃指揮レーダー284型と艦載対水上センチメートル波捜索レーダー271型が実用化。参考:連合軍の傑作兵器駄作兵器、レーダの基礎
<レーダー(ドイツ)>:1939年にウルツブルグ射撃管制レーダーを開発。地上用レーダーは早期警戒用(フライアなど)、測高/高射砲管制用(FuMG63など)、高射砲/要撃機管制用(FuMG65など)の3種を運用した。参考:歴史群像4,’11、レーダの基礎
<レーダー(日本軍)>:陸軍ではレーダー一般を電波探知機、捜索レーダーを電波警戒機、射撃指揮レーダーを電波標定機、海軍ではレーダー一般を電波探信儀、捜索レーダーを見張用電探、射撃指揮レーダーを射撃用電探と呼ぶ。昭和7年に海軍技術研究所でアイディアが出されたが、この時は技術的に不可能と判断された。昭和9年、海軍技術研究所と日本無線がG型発振磁電管(極超短波マグネトロン)の開発を開始。昭和10年、海軍技術研究所に勤務していた日系二世から、アメリカのある技術者が数十マイル先の飛行機を検出できる装置を開発していて、完成後は日本に売りたがっているという情報を得たが、そんな装置を日本に売る筈が無いとして、相手にしなかった。昭和11年、海軍技術研究所はレーダー開発を艦政本部に提案したが、一蹴された。昭和12年、陸軍科学研究所で電波索敵兵器の研究を開始。イギリス留学中に超短波によるレーダー開発の気配を掴んだメンバーが実験を開始、立川飛行場を飛び立つ飛行機を超短波バイスタティック・レーダーで探知することに成功した。海軍もドイツが電波による測距装置を開発したという情報を得たが、そこから先には進まなかった。また、イギリスで戴冠記念観艦式への出席を終えた足柄がドーバー海峡を通過中に、同乗していた司令部付技術官が、防空演習を行っていたイギリスの探照灯が飛行機を素早く捉える様子を目撃、何らかの方法で夜間の飛行機を探知しているのではと思い、帰国後に艦政本部や呉工廠で話をしたが、誰も取り合わなかった。昭和12年末、海軍技術研究所と日本無線が波長1.5cm・出力1ワットのG型発振磁電管を完成させた。ちなみに、それまで世界で最も短い波長のマイクロ波は、ドーバー海峡越え通信実験に成功した16cm波だった。昭和13年5月、陸軍科学研究所の技師が、昭和15年に予定されていた東京オリンピックの放送事業の参考とするため、欧米に出張した。その際、テレビ放送をいち早く開始したアメリカよりも、イギリスを初めとするヨーロッパの方がテレビ関連の研究が盛んで、しかもイギリスではテレビ放送関係の研究所見学が全面禁止されていることが判明。また、テレビの実験放送を見学した際、飛行機の接近によって画像が乱れるのを目撃した。帰国後、出力1kWのテレビ電波送信管を試作して自動車搭載受信機による受信実験を行っていたところ、立川陸軍飛行場から飛行機が離陸する度に受信機の音がワンワンと唸り出すことが判明、送信管から直接届く電波と飛行機から跳ね返る電波の干渉によるものと分析された。これにより電波による飛行機探知の道が開かれ、陸軍科学研究所、日本電気、東京電機、日本無線、東大、阪大、日本学術振興会が共同組織を作って電波干渉によるレーダーの研究を開始した。昭和14年、陸軍科学研究所でFM連続波ドップラー式メートル波レーダーである電波警戒機甲型が完成。海軍もこれに倣ったレーダーを試作したが、海上で使用するには問題があり、実用化は見送られた。そこで、海軍技術研究所が開発したG型発振磁電管M-3を使用しての水雷戦隊夜襲用暗中測距装置(探知距離数km)の開発を開始。昭和15年10月10日、海軍技術研究所が暗中測距装置の実験を実施。鶴見臨港線海芝浦駅前にある芝浦工作機械製作所の屋上に設置したセンチメートル波(波長10cm)送信機及び実験艇に搭載した受信機で、翌日の特別観艦式に備えて東京湾鶴見沖に仮泊していた空母赤城を探知し、マイクロ波レーダーの研究に入った。日本無線では波長3cmのマグネトロンを開発し、周波数変調で数km先の煙突を識別できる試作レーダーを製作した。昭和16年3月7日、陸海軍の独伊軍事視察団がウルツブルグレーダー及びレーダー管制射撃演習を視察、陸軍は購入を決定したが、この時は最高機密として輸出が許可されなかった。4月、在ワシントン日本海軍武官がイタリアの海軍武官から、イギリス艦には闇夜でも見え、探照灯無しに射撃できる秘密兵器が付いているという噂を聞き、アメリカ艦も当然持っているだろうと推測、在ニューヨーク日本海軍武官に偵察を命じたところ、大型艦の艦橋にアンテナ(CXAM用)が搭載されていることが判明したため、軍令部に連絡した。ちなみに昭和14年4月に戦艦53プリンス・オブ・ウェールズがニューヨークに寄港した際の写真には既に艦橋のレーダーが写っていたが、知識が無くレーダーであることに気付いていなかった。この頃、軍令部にウルツブルグレーダーや、ラインユーブング作戦での戦艦ビスマルクのレーダー射撃の情報も届き、昭和16年6月12日にロンドンにある海軍監督官事務所へ問い合わせの電報を打電。一週間後に返事が届き、イギリスは電波による航空機・艦船探知を行い効果を上げていると6月7日に発表していて、6月15日からハイドパーク高角砲台付近にその装置とみられる回転式空中線を持つ設備を配置しているとの内容だった。これを受け、8月2日に軍令部と艦政本部で対空警戒用レーダーを試作することを決定。それまでの周波数変調方式から、ウルツブルグと同じパルス方式を採用することになった。ただマイクロ波レーダーは受信機の開発に手間取って実用化が遅れたため、取り敢えずメートル波長のレーダーが完成、昭和16年9月に一一号電探が実用化された。また、これを小型化した艦載用二一号電探の開発も進められた。昭和16年12月8日の太平洋戦争開戦を受け、ヒトラーがウルツブルグレーダーの輸出を許可した。昭和17年、伊勢に二一号電探、日向に一〇三号電探を搭載して試験を行った結果、対空用として二一号を採用することになった。空技廠で空六号電探が完成。2月、南方軍が占領したシンガポールのゴミ焼却場でイギリスのレーダー操作員ニューマンが手書きしたレーダー技術ノートを発見し、兵器技術指導班が清書してニューマン文書として本土に送付。陸軍は民間技術者を含む調査団をシンガポールに派遣し、イギリス軍高射砲陣地でGL(Gun Laying) Mk2射撃指揮レーダー(波長1.5m、八木アンテナ使用)を鹵獲して第五技研に送り、た号電波標定機を開発した。海軍でもGL
Mk2をベースに四号二型電探を開発している。5月、フィリピンのコレヒドールで陸軍がSCR-268射撃指揮レーダーとSCR-271警戒レーダーを鹵獲して第五技研に送り、これをコピーして電波警戒機乙型が完成した。海軍でもSCR-268レーダーを入手して技術研究所に持ち帰り、四号一型電探のベースとしている。5月末、ウルツブルグレーダーを日本に持ち帰るため、伊30潜水艦が呉から出港。6月、ミッドウェイ海戦での撤退戦で一〇三号レーダーの有用性が判明し、海軍技術研究所研究員や戦艦日向艦長も必要性を説いたが、二一型で十分だとしてマイクロ波レーダーの開発が打ち切られかけた。8月22日、ウルツブルグレーダーなどを積み込んだ伊30がロリアンを出港。10月、伊30がシンガポールを出港した直後に触雷して沈没、ウルツブルグレーダーは修復不能なまでに破壊され、図面しか手に入らなかった。それでも技術資料を基に陸軍で佐竹式ウルツブルグレーダーを試作し、海軍は二二型電探の受信機に技術を流用している。11月、第三次ソロモン海戦で戦艦2隻を失い、海軍はマイクロ波を使用した射撃指揮レーダーの開発を行うことに決定、対潜水艦用のものを試作することになった。年末、二二号電探の試作型が完成。駆潜艇に装備しての実験に成功し、量産が決まった。昭和18年、海軍がストックしてきた高品質素材・部品が底を尽き、粗悪品が横行、ニッケルが無いからと香港のニッケル硬貨を溶かしたり、代わりに鉄を使ったりと悪戦苦闘したものの、部品の信頼性が低下し、コンセントやコードまで不良品だらけになってしまい、開発に大幅な遅延を来した。6月、陸軍のレーダー開発部門を多摩技術研究所に集約。秋、海軍が機上対水上レーダーの三式空六号無線電信機を制式化した。12月、イタリア潜水艦によりウルツブルグレーダーの入手に成功し、陸軍で国産化することになった。昭和19年3月、天山への三式空六号無線電信機搭載を決定。しかし電探用発電機が重い、性能が悪い、部品不良でいざという時に動かないといった欠点もあり、現場からは機銃を積んだ方がマシだと言われた。軍令部は水上射撃用電探の重量制限を撤廃し、マストトップへの搭載を認めた。航行中の電波封止も解除され、巡洋艦以上の艦が電探25分・逆探5分の順で作動させて24時間哨戒を行うようになった。昭和20年7月、国産化ウルツブルグレーダーが完成したが、実戦使用前に終戦を迎えた。海軍では夜間戦闘機用迎撃レーダーである十八試空六号無線電信機を試作していたが、これも実用化前に終戦となっている。科学技術の全般的なレベルの低さや層の薄さなどから開発に後れを取り、陸海軍共同開発も進まず、互いの実験結果は共有を禁じられ、資材も融通できず、軍需工場労働者も陸軍はR、海軍はKのバッジを付けて区別していた。海軍でレーダーを担当する電測兵の専門教育を行う海軍電測学校が創設されたのは昭和19年9月になってからで、レーダーの取り扱い部門も艦によって砲術科だったり、通信科だったり、航海科だったりしている。参考:海軍技術研究所、レーダシステムの基礎理論、月刊軍事研究7,’08、4,’18、月刊世界の艦船9,’13増刊、日本海軍艦隊総覧、月刊丸3,’18別冊
<レーダーLST>:LSTの甲板に対空レーダーを設置し、揚陸作戦時に海岸上空の対空警戒に当てたもの。参考:月刊軍事研究5,’02
<レーダー・アプローチ・コントロール>:ラプコンを参照。
<レーダー雨量計>:気象レーダーの1つ。使用周波数Cバンド、観測半径120km。日本では1976年から運用され、2014年現在で26基が配備されている。降雨からの反射パルス強度を基に、1kmメッシュ単位で雨量を算定するもので、地上雨量計による補正に5-10分かかるため、ニア・リアルタイムの雨量データとなる。使用周波数をXバンドに変更して解像度を高くしたタイプは東京都と近隣自治体がゲリラ豪雨に備えて設置している。また、Xバンド水平偏波・垂直偏波を使用し、雨滴のサイズが大きくなると空気抵抗で潰れて偏波方向により反射波の振幅・位相が変化することを利用して降雨量を推定すると共に、ドップラー周波数から雨滴の水平移動速度を計測して他のレーダーから得た情報と組み合わせ風向・風速を算定、地上雨量計による補正を不要として250mメッシュ単位でリアルタイム雨量データ測定を可能としたXバンド・マルチ・パラメーター・レーダー(観測半径60km)も、2014年現在で日本全国に38基が設置されている。参考:レーダシステムの基礎理論
<レーダー解析セル>:RRCを参照。
<レーダー・クラッター>:クラッターを参照。
<レーダー警戒装置>:RWR(Radar Warning Receiver)と略す。レーダー放射源を傍受・識別し、形式と方位を表示するもの。全周をカバーするため、アンテナを2つ以上装備することが多い。側面方向警戒用としてフラット・スパイラル型アンテナを垂直尾翼内部もしくは先端に、前後の警戒用としてアルキメデス螺旋型アンテナを主翼や垂直尾翼頂部に搭載、流線型のフェアリングで覆っている。脅威となる電波をより分けて警告を出す必要があり、例えば高パルス反復率や長時間連続レーダー照射をキャッチした場合にロックオン警報を出すようになっている。参考:図解現代の航空機、月刊エアワールド1,’00
<第1世代レーダー警戒装置>:アナログ型クリスタル・ビデオ受信機を使用したタイプ。参考:月刊エアワールド1,’00
<第2世代レーダー警戒装置>:スーパーヘテロダイン受信機を使用したタイプ。多数の脅威から最も脅威度の高いレーダーを探知できるが、対応時間が長く、探知確率が低かった。参考:月刊エアワールド1,’00
<第3世代レーダー警戒装置>:デジタル型クリスタル・ビデオ受信機を使用したタイプ。感度は第2世代に劣るが、デジタル化により処理能力を高め、複数脅威を認知可能としている。参考:月刊エアワールド1,’00、図解現代の航空機
<レーダー迎撃将校>:RIOを参照。
<レーダーサイト>:固定式の対空レーダーを設置した拠点。アンテナを風雨から守るため、硬質のレドームで覆っている。水平線下や、障害物の向こう側(見通し線下)が死角になるという欠点があり、AEWやAWACSで補う必要がある。最重要攻撃目標でもあり、防空兵器を配置して防御するが、動けないので奇襲攻撃には弱い。参考:月刊JWings4,’04、月刊軍事研究6,’10
<レーダー進入管制>:GCAを参照。
<レーダー探知距離>:レーダー方程式により割り出されるが、レーダーから見て水平線の下に潜り地球の影になった目標はレーダー波が届かず物理的に探知できないので、物理的な限界はレーダーから水平線までの距離+目標から水平線までの距離となる。大気は高度が増すにつれて密度が薄くなり、電波が少し下に曲がっていくため(よってレーダーアンテナは目標の少し上を指向することになる)、レーダーにとっての地球は実際よりも直径が4/3倍(1.33倍)大きくなり、高度Xメートルから高度Yメートルにいる目標を探知できる距離は、Xの平方根とYの平方根を足して4.12を掛けた値(単位はkm)である。例えば高度100mにあるレーダーから高度10000mの目標を探知できる物理限界は4.12×10+4.12×100=453.2kmで、この距離を超えると目標が水平線下に潜ってしまい、いくらレーダーを強力にしても探知できない。高度10000mを飛行するAWACSが同高度を飛行する物体を探知できる物理限界は4.12×100+4.12×100=824kmで、だいたいのAWACSの最大探知距離は800kmくらいになっている(信号処理能力がそれ以下だと、それより短い距離で記載される)。ちなみに可視光の場合、4.12ではなく3.57を掛ける。高度Xフィートから高度Yフィートにいる目標を探知できる距離は、Xの平方根とYの平方根を足して1.23を掛けた値(単位は海里)となる。対流圏内では地球の大気によるレーダー波の減衰が観測され、水蒸気の共振周波数22.2GHzと酸素分子の共振周波数60GHzで特に大きく減衰し、レーダー探知距離が短くなる。霧、雨、雪、雹など気象によってもレーダー波が大きく減衰してレーダー探知距離に影響する。参考:ロッキードF117ナイトホーク、レーダシステムの基礎理論、空軍、月刊JWing8,’03、歴史群像2,’01、月刊軍事研究11,’06、10,’07、ザ・マーチ5号
<レーダー断面積>:RCSを参照。
<レーダー・ドーム>:レドームを参照。
<レーダー波>:レーダーに使用される電波のこと。送信アンテナから発信され、目標に当たると一部はあちこちに散乱(発信源から遠い方に行くのを前方散乱Forward scatter、発信源に向けて跳ね返るのを後方散乱Back
scatterと称する)し、一部は透過(その際に吸収されて減衰)するので、散乱したレーダー波を受信アンテナで捉えて情報を得る。レーダー覆域を効率良く形成するため、適切なビーム形状となるようアンテナを設計する。探知距離は波長の2乗根に比例(レーダー方程式を参照)し、ビーム幅は波長に比例するという性質があるので、周波数が低い(波長が長い)と、探知距離が大きくなるが、ビーム幅が広くなるので方位分解能と指向性が悪く、周波数が高い(波長が短い)と、逆に方位分解能と指向性が高いが遠くまで届かない。ただし短波は電離層での反射が起きるので、水平線外の探知(OTHレーダー)に使用される。また、周波数が低いと大きめの物体でも回折現象が生じるため、散乱する割合が増えて探知能力が向上する。距離分解能はパルス幅が小さいほど高くなるが、パルス幅を単に小さくしてもノイズが増えるだけなので、パルス圧縮技術を利用して探知距離を保ちつつ分解能を向上させる。参考:月刊航空ファン5,’17、月刊軍事研究5,’13、月刊世界の艦船8,’13、レーダシステムの基礎理論
<レーダー波吸収素材>:RAMを参照。
<レーダー・ビーム・ライディング方式>:Radar Beam Riding。発射母機から電波ビームを目標に照射し、それにミサイルを乗せて誘導する方式。ミサイル尾部に誘導ビームを捉えるアンテナを付けておく。追尾レーダーがそのまま使え、1つの電波で複数のミサイルを誘導でき、ミサイルに目標追尾システムを積まなくていいので単純安価になるが、電波ビームが距離に従って拡散しエネルギーも低下するので遠距離での終末誘導が難しく、ジンキングを受けるとロックオンが外れるという欠点がある。このため、セミアクティブ・レーダー・ホーミング方式が開発された。参考:月刊JWings4,’05、月刊軍事研究11,’08、月刊世界の艦船1,'15増刊、11,’17
<レーダー・ピケット艦>:Radar Picket Ship。艦隊の対空警戒を主任務とする長距離対空レーダー搭載艦艇のことで、艦隊外周に配置する。アメリカ海軍が太平洋戦争後期に特攻機の被害を減らすため配置したのが始まりである。この時は駆逐艦の魚雷兵装を撤去して後部マストを新設、遠距離警戒用レーダーや艦上戦闘機迎撃管制装置を搭載した。自艦を守るため対空機関砲を増備したが、艦隊外周に配置されているので標的にもされやすく、かなりの損害を出している。太平洋戦争終結後も駆逐艦改造のDDR、護衛駆逐艦改造のDER、リバティ・シップ改造のAGR、潜水艦改造のSSR、更にはレーダー・ピケット原子力潜水艦SSRN-586を配備したが、早期警戒機の登場と艦載対空レーダーの性能向上で廃れた。早期警戒機を持たないイギリス海軍はフォークランド紛争でも駆逐艦やフリゲートを揚陸艦隊外周に置いてレーダー・ピケット任務を行ったが、やはり真っ先にアルゼンチン軍の標的にされてシェフィールドとコヴェントリーを失っている。参考:月刊世界の艦船6,’16、10,’13、第2次大戦のアメリカ軍艦
<レーダー覆域>:Radar coverage。レーダーが目標を探知可能な範囲のことで、最大探知方位角・俯仰角を示す角度覆域と、最大探知距離を示す距離覆域がある。参考:レーダの基礎
<レーダープロット>:レーダー探知目標の航跡記録。参考:月刊軍事研究5,’04
<レーダー方位盤>:Radar Director。射撃指揮レーダーと連動する方位盤のこと。参考:月刊丸2,’12
<レーダー妨害装置試験器付加器>:自衛隊の機器。三菱電機特機システム製。参考:月刊軍事研究3,’09
<レーダー方程式>:Radar equation。レーダーの基本的性能である目標探知性能を算定するための方程式。参考:レーダシステムの基礎理論、レーダの基礎
<基本レーダー方程式>:レーダーは送受信アンテナを共用しており、自由空間で作動していると仮定し、レーダー波が伝搬する途中の損失や、伝搬中の地面などによる反射、大気による屈折は考えない。各種損失はシステム損失に纏めて方程式に組み込む。アンテナ、高周波伝送路、回路素子、各接続部は、相互にインピーダンス整合を取っているものとする。ピーク出力Pのレーダー波を無指向性の送信アンテナから放出すると、球面状に空間を伝わっていくので、レーダーからRだけ離れた目標に到達する単位面積当たりの電波エネルギーはP/4πR^2になる。送信アンテナを工夫して電波に指向性を持たせ、目標に無指向性アンテナのG倍の電波エネルギーを収束できるようにすれば(これをアンテナ利得という)、Rだけ離れた地点に到達するエネルギーは単位面積当たり(P×G)/4πR^2となる。そこにレーダー波を反射する物体があって、レーダー断面積がσであるとすると、跳ね返る電波エネルギーは(σ×P×G)/4πR^2である。これがRだけ離れた位置にある受信アンテナまで戻ってくると、単位面積当たりのエネルギーは(σ×P×G)/(4πR^2)^2となる。これを実効開口面積(アンテナに入射した電波のうち、どれだけの面積に相当する入射電力を吸収できるかを示す数値。物理的開口面積の6-8割くらい)Aの受信アンテナでキャッチし、出力端に至るまでの各種システム損失により受信電力が1/Ls倍に減ったとすると、アンテナ出力端における受信電力Prは(σ×P×G×A)/{Ls×(4πR^2)^2}となる。また、受信アンテナ実効開口面積Aと電波波長λ、ゲインGとの間には、A=(G×λ^2)/4πの関係があるため、先ほどの式はPr=(σ×P×G^2×λ^2)/{Ls×(4π)^3×R^4}になる。これを距離Rを中心とする式に書き換えると、R^4=(σ×P×G×A)/{(4π)^2×Ls×Pr}またはR^4=(σ×P×G^2×λ^2)/{(4π)^3×Ls×Pr}またはR^4=(σ×P×A^2)/{(4π)^3×Ls×Pr}となる。受信電力Prが最小信号検出レベルSminを下回ると目標信号として検出されないため、受信電力と最小信号検出レベルが等しくなる距離がレーダー最大探知距離(Rmax)となり、Rmax^4=(σ×P×G×A)/{(4π)^2×Ls×Smin}またはRmax^4=(σ×P×G^2×λ^2)/{(4π)^3×Ls×Smin}またはRmax^4=(σ×P×A^2)/{(4π)^3×Ls×Smin}という式が導き出される(これをレーダーレンジ方程式Radar range
equationとも呼ぶ)。これらが基本レーダー方程式で、Rmaxはレーダー出力(P)、アンテナ利得(G)、アンテナ開口面積(A)、目標のレーダー断面積(σ)の4乗根と電波波長(λ)の2乗根に比例し、最小信号検出レベル(Smin)の4乗根に反比例する。目標の変数はレーダー断面積のみで、あとは全てレーダー側の性能である。レーダー探知距離を倍にするなら、使用波長を4倍にする、アンテナ利得を4倍にする、出力を16倍にするという方法があるが、出力を16倍にすると装置が大型になりすぎ、波長を4倍にすると解像度が悪くなるので、アンテナを工夫してアンテナ利得を4倍にするのが手っ取り早い。レーダーが完成して方程式内の諸元が全て分かっている場合には最大探知距離を正確に算出できるが、必要な最大探知距離から各諸元を求めようとすると様々な数値を当てはめて試行錯誤する手間が掛かり、設計時に使う式としてはあまり実用的で無いという欠点がある。参考:レーダシステムの基礎理論、レーダの基礎、月刊JWings8,’03、歴史群像2,’01、月刊軍事研究11,’08、11,’06、10,’07
<実用レーダー方程式>:基本レーダー方程式では、アンテナ出力端における受信信号レベルを基準に、最小信号検出レベルと比較してレーダーの探知性能を定めている。しかし受信信号は目標のRCS変化によるゆらぎでランダムに変化し、更に受信信号には雑音(ノイズ)が常に紛れ込み、ノイズが単独でキャッチされる場合も、ノイズと目標信号が重なる場合もある。最小信号検出レベルを低くするほど最大探知距離が伸びるが、低くしすぎてノイズまで全て拾ってしまうと使い物にならないので、これを排除できるレベルに設定しなければならない。ノイズにはレーダー機器の電気回路抵抗内での熱による自由電子ランダム運動から生じる熱雑音(白色性ガウス雑音、ジョンソンノイズ。正規分布に従う)、離散的に発生するショットノイズ、周波数に反比例する強度を持つピンクノイズなどの他に、アンテナが拾う雑電波やクラッターなども含まれており、レーダー設置場所の周辺環境など種々の要素に左右されるため、ノイズの絶対値を定めようとすると、レーダー以外の要素も含め全てを勘案しなければならず、無理があるし、設置して周辺環境からの影響を見てからでないと性能が分からないのでは使い勝手が悪い。そこで、受信信号とノイズの相対レベルである信号対雑音比(Signal-to-Noise Ratio、SNR、S/N)を定義し、これによって探知性能を定めるのが良い。信号対雑音比が定まるのは、中間周波増幅部の狭帯域フィルタ通過後であるため、ここで信号対雑音比を測定して目標検出基準を定め、外来雑音はシステム雑音として1つの項に纏めてしまえば、レーダーの性能を予め計算することができる。レーダーの信号検出基準となる信号対雑音比はディテクタビリティファクタと呼ばれ、中間周波増幅器から出た中間周波信号(目標信号と雑音が混在する)が包絡線検波器を通ってビデオ信号となった際のビデオ電圧に、雑音を目標と間違えて検出してしまう誤検出確率の許容値から割り出した目標検出しきい値電圧を定め、その電圧に対してレーダーが必要とする目標検出確率を与える確率密度関数を決定することにより、ディテクタビリティファクタが定められる。単一のパルス・レーダー波で目標信号検出を行うならディテクタビリティファクタは10-15dBくらいになる。連続する複数のパルスで同一目標を照射し、積分処理を行うことで、目標検出性能を向上させることが可能。参考:レーダシステムの基礎理論、レーダの基礎
<実用レーダー方程式(帯域フィルタ)>:帯域フィルタ(Passband-based Filter)を使用するレーダーの実用レーダー方程式。帯域フィルタは入力信号のフィルタ帯域内成分を可能な限り忠実に再現するよう設計されている。フィルタ通過後の矩形パルス信号電力をS、雑音電力をNとすると、信号対雑音比はS/Nとなる。ただし雑音電力Nを直接的に測定できないので、雑音帯域幅の扱いに実行上の課題があるのが欠点。また、動作原理が違うマッチドフィルタとは区別する必要がある(とはいえ帯域幅を最適化した帯域フィルタを使えば、マッチドフィルタとの信号対雑音比の実質的な差は1dB以下になる)。アンテナで受信した信号電力をSi、初段高周波増幅器から中間周波増幅器出力端までの電力利得をGとすると、S=G×Siとなる。ただし、電力利得Gが得られるのは、帯域フィルタの通過帯域幅Bがパルス幅τで決まる周波数帯域幅1/τより十分大きい場合に限られるので注意。それ以外の場合ではGよりも少ない電力利得になってしまうので、帯域幅損失係数Lを定義してS=G×Si/Lとする(Bが1/τより十分大きい場合はL=1とおけば良い)。雑音電力Nは、アンテナからの入力雑音Niと受信部からの雑音Nrの和であるシステム雑音Nsに、電力利得Gを掛けたもの(G×Ns)である。ここで、絶対温度Tケルビンの抵抗が発生する熱雑音最大伝達電力はボルツマン定数k(1.38×10^23ジュール/ケルビン)×T×雑音帯域幅Bnになるので、絶対温度Ts度の抵抗器を仮想してNsを等価的な熱雑音に転換すると、Ns=k×Ts×Bnと表すことができる。これらから、中間周波増幅器出力端における信号対雑音比は、S/N=Si/(Ns×L)=Si/(k×Ts×Bn×L)となる。Siは基本レーダー方程式の受信アンテナ出力端における受信電力Prに等しいから、S/N=P×G×A×σ/{(4π)^2×k×Ts×Bn×L×Ls×(R)^4}となる。S/Nがそのレーダーで設定した目標検出基準値(ほぼディテクタビリティファクタDに等しい)を上回っていれば目標として探知できるので、S/N=Dとなった時のRが最大探知距離Rmaxとなるから、(Rmax)^4=(P×G×A×σ)/{(4π)^2×k×Ts×Bn×L×Ls×D}という式が導き出される。これが帯域フィルタにおける実用レーダー方程式で、中間周波増幅器出力端におけるディテクタビリティファクタが決定できれば、最大探知距離を算出することができる。帯域フィルタではBn×τを1-1.2くらいにすると信号対雑音比が良好になることが経験的に報告されている。Bn×τが1より相当大きい場合には、帯域フィルタでは信号対雑音比の改善が得られないので、マッチドフィルタを使った方が良い。参考:レーダシステムの基礎理論
<実用レーダー方程式(マッチドフィルタ)>:マッチドフィルタ(Matched Filter、整合フィルタ)を使用するレーダーの実用レーダー方程式。白色性熱雑音は無限の周波数帯域で一定の電力を有しており、フィルタの帯域幅を狭くすれば混入する雑音電力を小さくできるが、受信信号の帯域幅より狭くしてしまうと受信電力も小さくなってしまうので、受信信号の周波数スペクトルに応じてフィルタリングを行うことで、フィルタ出力信号の信号雑音比を最大にできる。この理論に基づいて設計されたのがマッチドフィルタで、本来なら受信信号を参照信号にして整合する必要があるが、レーダーの場合は受信波形と送信波形が相似になるので、送信信号をフーリエ変換して複素共役を取ることにより近似している。信号雑音比最大化のため、インパルス応答として入力信号を時間的に反転させた波形を発生させる設計となっており、出力信号は送信波形を忠実に再現はせず、パルス変調を受けた一定振幅・一定周波数の正弦波が入力されると、入力信号と同じ周波数を持ち菱形包絡線に内接する振幅で時間が2倍の正弦波が出力される。ある矩形パルス信号が、それに整合したマッチドフィルタに入力された時、出力信号の信号対雑音比は入力パルス信号エネルギーE(パルス平均電力×パルス幅)を入力雑音のスペクトル密度N(1Hzあたりの雑音電力)で割ったもの(E/N)であり、信号対雑音エネルギー比(Signal-to-noise energy ratio)と呼ばれる。このE/Nはレーダーが達成可能な信号対雑音比の最大値を示すものであり、この式に損失項を加えれば、マッチドフィルタ以外の帯域フィルタにも適応でき、雑音帯域幅の項が式に含まれないので扱いやすい。アンテナ端子からマッチドフィルタ入力端までの信号と雑音は帯域フィルタと同じなので、マッチドフィルタ使用時の中間周波増幅器出力端でのE/Nは(Pr×τ)/(k×Ts)となる。ただしマッチドフィルタが最適でない場合や、帯域フィルタに方程式を流用することを考慮し、マッチング損失Lmの項を導入してE/N=(Pr×τ)/(k×Ts×Lm)とする。基本レーダー方程式からPrを代入すると、E/N=(P×G×A×σ×τ)/{(4π)^2×k×Ts×Lm×Ls×(R)^4}となる。E/Nがそのレーダーで設定した目標検出基準値(ほぼディテクタビリティファクタDに等しい)を上回れば目標として探知できるので、E/N=Dとなった時のRが最大探知距離Rmaxとなるから、(Rmax)^4=(P×G×A×σ×τ)/{(4π)^2×k×Ts×Lm×Ls×D}という式が導かれる。これがマッチドフィルタにおける実用レーダー方程式である。マッチング損失Lmの代わりに帯域幅補正係数Cを使う方程式もあるが、Cは帯域フィルタを使用してCRT表示器を目視観察した実験式に基づく補正係数なので、フィルタ特性の違うマッチドフィルタに適応するのは無理がある。信号対雑音エネルギー比はBn×τに比例して改善するので、パルス圧縮方式などBn×τが1より相当大きくなる場合には、マッチドフィルタを使う。参考:レーダシステムの基礎理論、レーダの基礎
<レーダー方程式(ボリューム・サーチ・レーダー)>:モノスタティック・パルス・レーダーをボリューム・サーチ・レーダーとして使用し、パルス圧縮やヒット積分を適応している場合、基本レーダーレンジ方程式を[最大探知距離の4乗]=[送信尖頭電力×送信アンテナ利得×受信アンテナ利得×レーダー波波長の2乗×目標レーダー断面積×パルス圧縮利得×ヒット積分利得(コヒーレント積分ならパルスヒット数に同じ)]/[4πの3乗×ボルツマン定数×受信機温度×受信周波数帯域幅×受信機雑音指数×最小探知信号対雑音比×各種損失計]と変形できる。ちなみにボルツマン定数×受信機温度×受信周波数帯域幅×受信機雑音指数は雑音電力で、これに最小探知信号対雑音比と各種損失計を掛けると最小受信電力になる。捜索角度範囲(正確には立体角だが、近似的には方位幅×仰角幅)をΩとし、この範囲を送信ビーム幅φ(こちらも正確には立体角、近似的には方位幅×仰角幅)でスキャンし、走査時間(データレート)Tsで1回の走査を終えるボリューム・サーチ・レーダーがあるとすると、走査に必要なビーム数はΩ/φとなり、ビーム1本あたりの送受信時間(目標照射時間)TdはTs×φ/Ωになる。また、目標照射時間Tdは、パルス反復時間がtprtのパルス送受信H回で構成されていると仮定すると、tprt×Hで近似できるので、Ts×φ/Ω=tprt×Hとなる。送信アンテナ利得は4π/φで概ね近似できるので、代入して4πTs/ΩHtprtと表される。パルス圧縮利得Dは、圧縮前後のパルス幅の比とだいたい同じなので、送信パルス幅はパルス圧縮利得Dと圧縮後パルス幅τの積になる。送信平均電力Paveは、送信パルス幅とパルス反復時間tprtの比(送信デューティ・サイクル)と送信尖頭電力Ptの積なので、Pt=(tprt×Pave)/(D×τ)と表すことができ、受信帯域幅Bと圧縮後パルス幅τには概ねB=1/τの関係が成り立つのでPt=(tprt×Pave×B)/Dと変形できる。受信アンテナ利得は(4π×受信アンテナ実効開口面積)/(電波波長の2乗)であるから、これらを変形した基本レーダーレンジ方程式に代入し、整理すると、[(最大探知距離の4乗×捜索角度範囲×最小探知信号対雑音比)/(レーダー断面積×データレート)=(送信平均電力×受信アンテナ実効開口面積)/(4π×ボルツマン定数×受信機温度×受信機雑音指数×各種損失計)]となる。これがボリューム・サーチ・レーダーのレーダー方程式で、左辺はどれくらいの距離・角度範囲にあるどれくらいの小さい目標をどれくらいの短時間でどれくらい高い信号対雑音比により探知できるか、つまりレーダーの性能を表し、右辺はその性能を達成するために必要なレーダー諸元を示す。右辺の(送信平均電力×受信アンテナ実効開口面積)はパワー・アパチャ積(Pawer aperture product)とも呼ばれ、右辺には見かけ上は周波数の項目が無い(実際には雑音指数や各種損失計の中に周波数特性を持つものがあるが、近似的に省略できる)ので、必要なレーダー諸元を達成するためのパワー・アパチャ積を簡単に算出でき、アンテナやパルス波形などの詳細設計をすること無くレーダーの概略規模を見積もることが可能となる。参考:レーダの基礎
<レーダー・ホーミング警報装置>:RHAWS(Radar Homing And Warning System)と略す。レーダー放射源を傍受・識別し、方位を表示、警報を発する。表示方位に装置を指向すれば、放射源にロックオンできる。参考:月刊エアワールド1,’00
<レーダー有効反射面積>:RCSを参照。
<レーダアルチメーターキャリブレーションセット>:自衛隊の機器。伊藤忠アビエーションが受注している。参考:月刊軍事研究5,’14
<レーダーリフレクター>:コーナーリフレクターを参照。
<レーダーレンジ方程式>:基本レーダー方程式を参照。
<レーダ液冷用地上冷却及び充填/排出装置>:自衛隊の機器。島津製作所製。参考:月刊軍事研究2,’18
<レーダ散乱断面積計算システム>:自衛隊の機器。富士通製。参考:月刊軍事研究10,’09
<レーダ試験器>:自衛隊の機器。ネットコムセック製。参考:月刊軍事研究12,’12
<レーダ装置搭載キット(1)>:自衛隊の機器。川崎重工製。参考:月刊軍事研究2,’15
<レーダ波監視装置>:自衛隊の機器。東芝製。参考:月刊軍事研究1,’13
<レーニン>:ソ連の原子力砕氷船Lenin、プロジェクト92M。世界初の原子力水上艦である。原子炉は直径0.9m、高さ1.4mあり、圧力容器は直径2.0m、高さ5.0mで、5%濃縮ウランを使用とする。砕氷能力は船首前進1.5m、船尾前進2.3m。全長134.0m、基準排水量15940トン、満載排水量19240トン。主機は原子力蒸気ターボエレクトリック方式、OK-150原子炉(一次冷却水平均圧力184気圧、平均温度559K、熱出力90MW)3基・蒸気ターボ発電機4基・電動モーター3基、出力39200馬力、3軸推進、速力19.7ノット。1956年起工、1957年末進水、1959年9月北極海航路に就航。1959年、ソ連を親善訪問にしたニクソン副大統領(当時)にアドミラルティ海軍工廠で内部の詳細を見学させた。1965年に原子炉事故(メルトダウン?)を起こして乗員30人が死亡、1967年にも原子炉事故を起こしたため、1967-72年に修理改装を行い、実験用原子炉1基を撤去して残る2基もOK-900(熱出力159MW)に換え、1972年に再就航した。この時の諸元は以下の通し。全長134m、幅27.6m、満載排水量19240トン。主機はOK-900原子炉(熱出力159MW)2基、出力43000軸馬力/32MW、速力19.6ノット。乗員243名。1989年に退役した。総航行距離1212000km(うち氷海航行1040000km)、延べ砕氷支援商船3741隻だった。参考:月刊世界の艦船3,’00、月刊軍事研究11,’18、ザ・マーチ17号
<レーニンスキー・コムソモル>:K3(潜水艦)を参照。
<レーベレヒト・マース>:Z-1(駆逐艦)を参照。
<レーベレヒト・マース級シリーズ>:ドイツ海軍駆逐艦Leberecht Maass級。1935年3月の再軍備宣言、同年6月のイギリスとの海軍協定締結を受けてナチスドイツが建造(ただし建造計画は1934年に出された)した第1陣の駆逐艦である。フランスのシャカル級に対抗すべく設計された。個艦名称は第1次大戦で戦死した水上艦乗員の名前である。1941-42年にレーダーを設置している。参考:月刊世界の艦船10,’06、写真集ドイツの巡洋艦
<レーベレヒト・マース級1934年型>:1-8番艦(1-4番艦?)。船型は船首楼型で、艦首はほぼ直立、シーアとフレアは少なく、凌波性に問題があり、青波を被りまくって船体が損傷することもあった。主船体は15の隔壁を持つ。缶室は3つで、1室に2つの缶を配置しており、その後ろに機械室がある。煙突は2本で、前部2室と後部1室の排煙をそれぞれ排出する。主缶は商船で実績のあった高圧ボイラーを駆逐艦向けに小型化したが、少々無理があったらしく配管系に故障が多発し、振動も激しく、整備も困難だった。マストは単脚式のもの2本。全長119.3m、幅11.3m、吃水4.2m、平均吃水3.82m、公称排水量1625トン、基準排水量2232トン、満載排水量3156トン。主機は蒸気タービン2基、主缶はワグナー缶(圧力74気圧、温度480度、自然循環式)6基、出力70000馬力、2軸推進、速力36ノット(38.2ノット?)、燃料搭載量770トン、航続距離は速力19ノットで4400海里。兵装は127mmSKC/34単装砲(防楯付き)5門(艦前部にタンデムで2基、後部にピラミッド式に3基)、37mm連装機関砲2基(単装4門?)、533mm4連装魚雷発射管2基(使用魚雷はT1G7a、予備魚雷8本搭載)、機雷60個。乗員315-325名。Z-1レーベレヒト・マース、Z-2ゲオルク・ティーレ、Z-3マックス・シュルツ、Z-4リヒャルト・バイツェン、Z-5パール・ヤコビ、Z-6テオドール・リーデル、Z-7ヘルマン・ショーマン、Z-8ブルーノ・ハイネマンが1937-38年に竣工した。Z-5以降は艦首のシーアを0.7m増やし、船体中央部に高強度鋼板を適用、前甲板の水密性を強化している。1938年以降、Z-4までにもシーアを付けた。第2次大戦中には艦首をクリッパー型にしている。Z-5は第2次大戦後期に3番主砲を撤去、37mm機関砲を追加した。参考:月刊世界の艦船10,’06、2,'22、写真集ドイツの巡洋艦、グラフィックアクション29
<レーベレヒト・マース級1934年A型>:9-16番艦(5-16番艦?)。船首楼のラウンド・ガンネルを廃止し、艦首をクリッパー型に変更、前甲板のシーアを強くした。基準排水量2171トン(Z-14以降2239トン)。主機はワグナー式ギヤード・タービン、主缶はベンソン缶(110気圧、強制循環方式)で、出力70000馬力、2軸推進。Z-9ヴォルフガング・ツェンカー、Z-10ハンス・ロディ、Z-11ベルント・フォン・アルニム、Z-12エーリッヒ・ギーゼ、Z-13エーリッヒ・ケルナー、Z-14フリードリッヒ・イーン、Z-15エーリッヒ・シュタインブリンク、Z-16フリードリッヒ・エッコルトが1938-39年に竣工した。Z-10とZ-13からZ-16にはベンソン・ボイラー(圧力116気圧、温度510度)を搭載し、燃料搭載量を670トンに減らして同じ航続力を得ているが、高温高圧故にトラブルが頻発した。Z-10とZ-15は第2次大戦後期に3番主砲を撤去、37mm機関砲を追加した。参考:月刊世界の艦船10,’06、写真集ドイツの巡洋艦
<レーベレヒト・マース級1936年型>:17-22番艦で、ディーター・フォン・レーダー級ともいう。艦首はクリッパー型を採用しており、主缶は全艦ともワグナー・ボイラーである。全長123.2m(Z-20以降は125.0m)、幅11.8m、吃水4.5m、平均吃水3.8m、基準排水量2411トン、満載排水量3415トン。機関出力70000馬力、速力38ノット、燃料搭載量787トン、航続距離は速力19ノットで4850海里。兵装は45口径12.7cm単装砲5門、37mm機関砲4門、20mm機関砲6門、533mm魚雷発射管8門、機雷60個。Z-17ディーター・フォン・レーダー、Z-18ハンス・リューデマン、Z-19ヘルマン・キュンネ、Z-20カール・ガルスター、Z-21ヴィルヘルム・ハイドカンプ、Z-22アントン・シュミットが1938-39年に竣工した。参考:月刊世界の艦船10,’06、写真集ドイツの巡洋艦
<レールガン>:電磁砲を参照。
<レールランチャー>:ランチャーを参照。
<レーロス>:FuMB37(電波探知機)を参照。
<レオ>:レオパルト2海外シリーズ(戦車)を参照。
<レオーネ>:Z.1018(爆撃機)またはサジタリオ2(試作戦闘機)を参照。
<レオーネ・パンカルド>:イタリア海軍ナヴィガトリ級駆逐艦Leone Pancaldo。1929年竣工。1940年に爆撃で沈没した。その後引き揚げられて再就役したが、1943年に爆撃で再び沈没した。参考:月刊世界の艦船10,’06
<レオナード・ウッド>:APA-12(攻撃兵員輸送艦)を参照。
<レオナルド・F・メイソン>:DD-852(駆逐艦)を参照。
<レオナルド社>:イタリアの複合企業体で、2017年1月1日、フィンメカニカから改称されて創設された。参考:月刊JWings10,’16
<レオナルド・ダ・ヴィンチ>:イタリア海軍コンテ・ディ・カブール級戦艦3番艦Leonard da Vinci。1914年竣工。1916年8月、タラントに停泊中、サボタージュにより火薬庫を爆破されて沈没した。1919年に引き上げられて修理が試みられたが、結局断念されている。参考:近代戦艦史、月刊世界の艦船8,’15
<レオナルド・ダ・ヴィンチ>:イタリア海軍マルコニー級潜水艦Leonardo da Vinci。1943年3月13日、リベリア南で兵員輸送船エンプレス・オブ・カナダを雷撃して撃沈した。5月23日に戦没した。参考:月刊丸11,’09、月刊世界の艦船10,’19
<レオナルド・ヘリコプターズ>:レオナルド社のヘリコプター部門。2017年1月1日、フィンメカニカ・ヘリコプターズから改称されて創設された。参考:月刊航空ファン5,’17
<レオニード・ソボレフ>:ソ連海軍アカデミク・クリノフ級海洋観測艦Leonid Sobolev。参考:月刊世界の艦船8,’82増刊
<レオニード・ブレジネフ>:アドミラル・クズネツォフ(空母)またはアルクティカ(原子力砕氷船)またはソビエツキー・ソユーズ(原子力砕氷船)を参照。
<レオニダス1>:4K7FA海外シリーズ(装甲兵員輸送車)を参照。
<レオニダス2>:4K7FA海外シリーズ(装甲兵員輸送車)を参照。
<レオパール>:フランス海軍シャカル級駆逐艦Leopard。1927年竣工。1940年、ポーツマスで自由フランス軍に編入された後、改装を受けた。1943年5月27日、トブルク付近で座礁して全損した。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<レオパルト>:VK1602(試作戦車)を参照。
<レオパルド>:1RL232-2M(レーダー)またはK-328(潜水艦)を参照。
<レオパルト>:ドイツ海軍ヴォルフ級水雷艇。1929年6月竣工。1934年、主砲を45口径12.7cm砲に換装した。第2次大戦開戦時、第6水雷戦隊旗艦として北海で機雷敷設や通商破壊を行った。1940年4月30日、北海で機雷敷設中に敷設艦プロイセンと衝突して沈没した。参考:写真集ドイツの巡洋艦
<レオパルト(2代目)>:ドイツ海軍レオパルト級水雷艇。元はノルウェー海軍スライプネル級小型駆逐艦バルデルである。第2次大戦終戦後にノルウェーに返還され、バルデルになった。参考:写真集ドイツの巡洋艦
<レオパルト1シリーズ>:ドイツ陸軍主力戦車Leopard 1。西欧同盟の縛りで西ドイツ単独での戦車開発が不可能だったため、フランスと共同開発することにしたが、1958年に単独開発が認められたため、フランスのAMX-30と分離した。1970年代まではレオパルトと呼ばれていたが、レオパルト2が開発され始めてから、区別のためにレオパルト1に改称されている。1960年に各社の試作車両が完成、審査の結果ポルシェ、Mak、ユンクなどが開発したものが選定され、1961年7月(1962年10月?)にはプロトタイプのOシリーズの生産を開始、1963年10月1日に制式化され、1965年9月に量産初号車が引き渡された。生産主契約社は、コストの関係などで、開発とは全く関係無いクラウス・マッファイ社である。1981年まで生産され、派生型やゲパルト対空戦車含め3602両がドイツ陸軍に引き渡された。オランダ(677両)、ベルギー(443両)、カナダ(137両)、デンマーク(120両)、オーストラリア、ノルウェーなどに輸出され、イタリアではオットー・メララ社で1116両がライセンス生産されている。総生産数6526両。参考:世界AFV年鑑2002-2003、月刊PANZER7,’98、3,’02、月刊丸7,’09別冊
<レオパルト1>:生産バッチ4まで。車体は圧延鋼板の溶接構造で、要求当初から20mm機関砲弾に耐えれば良いとされていたため、前面下部でも装甲厚70mm(55度)と装甲は薄いが、戦闘重量を40トンに抑え、高い機動性を持つ。これにより敵対戦車ミサイルをかいくぐって戦闘を行うとされた。現実はどうであれ。車体前部右に操縦手席があり、ハッチには3つのペリスコープを持つ。このうち中央のものはアクティブ赤外線式夜間用ペリスコープに換装できる。車体前部左に弾薬ラックとNBCフィルター、下面に脱出ハッチがある。車体中央が戦闘室で砲塔が載り、車体後部は機関室である。下部転輪はダブルタイプ片側7組、トーションバー式サスペンションを持ち、中間の2輪(4・5輪)以外はショックアブソーバーを装備する。各トーションバーのトラベル長は微妙に変えられており、走行性能は良好で、第2世代戦車中最良ともいわれる。履帯はディール社製のダブルピン・ダブルブロック式、ゴムブッシュ付きのD139E2。砲塔は亀甲形の鋳造製で、右に砲手と車長、左に装填手が位置する。上面右に車長用ハッチがあり、周囲に8個のペリスコープがあって夜間用ペリスコープとの交換も可能。ハッチ前部にはTRP1Aパノラミックペリスコープ(6-20倍のズーム式)を持ち、砲手にオーバーライドして照準できる。左には装填手用ハッチがあり、前と左斜め前にペリスコープを持つ。装填手左側面には小型の砲弾積み込み・排莢ハッチがある。砲塔前部に砲手用基線長式測遠機(ツァイスTEM2A、基線長1.72m、視野2.5度、倍率16倍、最大測距距離4000m)があり、光像合致式と立体式の切り替えが可能。バックアップとして主砲同軸にTZF1A照準潜望鏡(視野20度、倍率8倍)が装備されている。初弾命中率は射距離1000mで85%、2000mで40%、第2弾命中率は射距離1000mで98%、2000mで75%。砲塔防楯上にはコンパクトな白色光/赤外線投光器XSM-30-U(後にXSM-30-Vに換装)が搭載され、有効照射距離は白色光で1500m、赤外線で1200m。使用しない時は砲塔後部の収容箱に入れる。主砲は105mmライフル砲L7A3(APDS31発、HESH26発、発煙弾3発の計60発。うち即用弾ラックに3発、砲塔内に15発、操縦手席脇に42発)で、APDSを主に搭載していたが、後にラインメタル製APFSDS、HEAT-MPも搭載するようになった。俯仰角はマイナス9度からプラス20度。発射速度毎分10発。全長9.54m、車体長6.94m、全幅3.25m、全高2.61m、戦闘重量40トン。装甲厚は車体前面下部70mm55度、前面70mm60度、側面下部25mm90度、側面上部35mm50度、後面25mm80度、上面10-25mm、底面15mm、砲塔は全周60mm、防楯52mm。副武装はMG1(後にMG3)2丁(500発。1丁は同軸、もう1丁は車長または装填手ハッチのリングマウントに装備。対空機銃の俯仰角はマイナス15度からプラス75度)。砲塔後部両側に4基ずつの76mm発煙弾発射機(16発)を持つ。車内には乗員の自衛用にMP2(イスラエルのUZI。488発)、手榴弾4発が置かれている。エンジンはMTU社製MT838CAM500水冷10気筒ディーゼル(37400cc、830馬力)、トランスミッションは電気油圧制御のZF4HP-250(前進4段・後進2段)で、バイパスクラッチ付きトルクコンバータとロックアップクラッチ付きギア・トランスミッションの組み合わせであり、最大速度は前進65km、後進25km、燃料搭載量1010リットルで、190リットルあたり100km走行可能。通常渡渉能力は1.2mだが、シュノーケルを装備して4mの潜水走行ができ、車内には2台の排水ポンプも備える。バッチ1は1965年9月9日から1966年7月までに引き渡された400両。バッチ2は1967年7月までに生産された600両で、乗員用予備通話システム収容箱が丸くなり、ターレットリング周囲に跳弾板が取り付けられた。バッチ3は1968年8月までに生産された484両で、車体前後に牽引フックが追加された。うち16両がベルギーに輸出されている。バッチ4は1970年2月までに生産されたもので、後部側面冷却グリルの形状が変更された(初期ロットのものは格子状だった)。国内向け361両、ベルギー向け318両、オランダ向け468両、ノルウェー向け78両、イタリア向け40両が生産された。参考:世界AFV年鑑2002-2003、月刊PANZER11,’03、4,’04、7,’98、6,’06、6,’14、月刊軍事研究8,’01、月刊丸7,’09別冊
<レオパルト1A1>:1972年にレオパルト1にA2相当の改修を加えたもの。ただし砲塔装甲厚は変わらない。参考:月刊PANZER11,’03、7,’98、世界AFV年鑑2002-2003
<レオパルト1A1A1>:1975-77年にレオパルト1A1の砲塔と防楯に追加装甲を取り付けたもの。追加装甲はゴムの内張を持つ装甲鋼板で、砲塔表面にゴムのショックアブソーバーを介して中空式にボルト止めされる。装甲板は7枚で構成され、砲塔側面から後面にかけて覆うようになっている。前方では厚さ20mm、後方に行くほど薄くなり、10mmくらいまで減少する。主砲防楯にも平面板を組み合わせた増加装甲を持つ。重量は42.4トンに増加した。1980年以降、テレフンケン社製PZB200パッシブ暗視装置(LLLTV)が主砲防楯のサーチライト脇に装備された。参考:世界AFV年鑑2002-2003、月刊PANZER7,’98、11,’03
<レオパルト1A2>:第5バッチで、1972年4月から1973年5月まで生産された。砲塔装甲を増強し、砲安定化装置、サーマルスリーブ、装甲スカート、NBC防護装置、シュノーケル、改良型履帯(取り外し式ラバーパッド方式のD640A)を装備している。滑り止めのグローサー20枚が装甲補強を兼ねて車体前面に装着された。1980年以降、テレフンケン社製PZB200パッシブ暗視装置(LLLTV)が主砲防楯のサーチライト脇に装備されている。232両が生産された。参考:世界AFV年鑑2002-2003、月刊PANZER7,’98、11,’03
<レオパルト1A3>:これも第5バッチで、1973年5-11月に生産された、砲塔装甲を中空装甲の全溶接式としており、砲塔形状が角張っている。また、後部バスルにサーチライトを収納できる。装填手用ペリスコープが旋回式に変更された。1980年以降、テレフンケン社製PZB200パッシブ暗視装置(LLLTV)を主砲防楯のサーチライト脇に装備した。計110両が生産された。参考:世界AFV年鑑2002-2003、月刊PANZER11,’03、7,’98
<レオパルト1A4>:第6バッチで、1974年8月から1976年3月まで生産された。A3のFCSを改良し、車長用赤外線暗視装置付き安定式パノラミックペリスコープPERI-R12を搭載している。倍率は2倍(視野30度)と8倍(視野8度)の切り替え式。テレフンケン社製FLER-HG弾道コンピュータ、ツァイス社製ステレオ式測遠機EMES-12A1(基線長1.72m、双眼式)を装備する。1980年以降、テレフンケン社製PZB200パッシブ暗視装置(LLLTV)を主砲防楯のサーチライト脇に追加した。250両が生産された。参考:世界AFV年鑑2002-2003、月刊PANZER7,’98、11,’03
<レオパルト1A5>:EMES-18砲手用照準器(レオパルト2のFCSを105mm砲用に修正したもの)を各タイプにレトロフィットしたもの。砲塔上面右、車長用キューポラ前方に装甲カバー付きの熱線暗視装置(向かって左の窓)・レーザー測遠機(向かって右の窓)組み込み統合光学サイトがあり、基線長式ステレオテレスコープは撤去されて開口部が装甲カバーで塞がれている。測遠機の測定距離は最大9990m、誤差はプラスマイナス10m。弾道コンピュータは7種類の弾丸に関する4000mまでの弾道を記憶している。砲手用サイトが大型化したため、後ろの車長用サイトを高くした。また、新型APFSDS(DM23、33)も採用した。1986-92年に1339両が改造された。参考:世界AFV年鑑2002-2003、月刊PANZER11,’03、7,’98、6,’05、月刊グランドパワー10,’94、月刊戦車マガジン6,’89
<レオパルト1A5A1>:レオパルト1A5に1980年代終盤に採用されたSEM80/90VHFデジタル無線機を搭載したもの。参考:月刊PANZER11,’03
<PzAbwKW90>:主砲を120mmに換装し、FCSを改良、増加装甲を装備したもの。レオパルト2が既に余剰気味であり、採用されなかった。参考:月刊PANZER11,’03
<レオパルト1ファミリー>
<シュタンダルト戦車回収車>:戦車回収車型。砲塔を外して固定式戦闘室を設け、車体右にクレーン、車体前部にドーザーを搭載している。参考:月刊PANZER12,’04
<操縦訓練型>:砲塔を外してガラス張りの教官席を設けたもの。教官室にはダミーの砲身が取り付けてある。参考:世界AFV年鑑2002-2003、月刊丸7,’09別冊
<ビーバー>:戦車橋型Biber。砲塔を外してスライド式の20m戦車橋(全長22mだが、架設できる障害幅は20m)を搭載している。橋体重量は9.94トンで、2分割式、展張にかかる時間は2.5分。1965年から開発され、1969年にA・B型2種類の試作車が完成してB型が採用され、1975年から生産された。70トンクラスの車両は通過できないため、ドイツでは2005年までに退役予定。ドイツ(105両)の他、オーストラリア(5両)、カナダ(6両)、イタリア(64両、OTOメララ社ライセンス生産)、オランダ(25両)、ギリシャ(8両)などでも使用されている。参考:月刊グランドパワー10,’94、月刊PANZER5,’01、11,’01、7,’02、世界AFV年鑑2002-2003、月刊軍事研究10,’08
<ピオニアパンツァー>:装甲工兵車両。ベルゲパンツァーとほぼ同じ仕様である。参考:世界AFV年鑑2002-2003
<ピオニアパンツァー2ダクス>:装甲戦闘工兵車型で、ベルゲパンツァーから104両、ピオニアパンツァーから36両が改修された。クレーンを外して先端にバケットの付いた伸縮式アームを装着している。また、水密性を強化してビルジポンプを増設、電気油圧式コントローラーを採用した。1990年からドイツ陸軍に引き渡され、カナダ国防軍にも9両が引き渡された。参考:月刊グランドパワー10,’94
<ベルゲパンツァー>:砲塔を降ろしてクレーンやウインチを搭載した戦車回収車型。1966年9月に量産初号車が完成し、1970年代初めまでに544両が生産され、104両は後にピオニアパンツァー2に改修された。オーストラリアに6両、ベルギーに36両、カナダに8両(ベルゲパンツァー2A2)、ギリシャに4両、イタリアに69両、オランダに52両、ノルウェーに6両、トルコに4両が輸出された。参考:月刊グランドパワー10,’94、世界AFV年鑑2002-2003、月刊PANZER10,’85
<ベルゲパンツァー2>:戦車回収車型Bergepanzer 2。ベルゲパンツァーの改良型で、1978年に100両が追加生産された。車体右側のクレーンを使う時に車体が傾くのを防ぐため、車体後部右に油圧ジャッキを追加し、そのベースプレートを車体左に搭載している。参考:月刊グランドパワー10,’94
<レオパルト1海外シリーズ>
<レオパルト1A1IT>:イタリア陸軍主力戦車。バッチ4相当で、1971-72年に40両が輸出された。参考:月刊PANZER7,’98、11,’03
<レオパルト1A2IT>:イタリア陸軍主力戦車。バッチ5に相当する。1971-72年に160両を輸入し、1974年からオットー・メララ社が600両をライセンス生産、更に120両を1980年までに追加生産した。参考:月刊PANZER7,’98
<レオパルト1A5IT>:イタリア陸軍主力戦車。レオパルト1A1ITにレオパルト1A5相当への改良を施したタイプで、1995-96年に改修された。参考:月刊PANZER11,’03
<レオパルト1BE>:ベルギー陸軍主力戦車。機銃をMAG58に換え、砲塔左上面に環境センサーの短いポールを装着している。車体袖部には大型収納箱が追加された。バッチ3・4生産型合計334両が輸出された。導入後にレオパルト1A1相当に改修された。参考:月刊PANZER11,’03、7,’98、ウォーマシン・レポートNo.26
<レオパルト1BE(改良型)>:ベルギー陸軍主力戦車。レオパルト1BEにSABCA社製コベルダFCS(レーザー測遠機、弾道コンピュータ搭載)、キャデラック・ゲージ社製砲安定化装置、サーマルスリーブを搭載したもので、レオパルト1A4に相当する。1975年に132両が改修され、1980年に残りも改修された。参考:月刊PANZER11,’03、4,’93
<レオパルト1A5BE>:ベルギー陸軍主力戦車。レオパルト1BEにレオパルト1A5相当の改修を施したもので、レオパルト1SCTともいう。熱線暗視装置はEMES-18でなく、能力が同等とされるSABCA製の熱線暗視装置・改良型レーザーレンジファインダー組み込み統合光学サイトを付けており、暗視装置カバーは両側面に傾斜の付いたものとなった。砲塔後方には風向センサーがあり、スカートは直線形である。132両が改修され、残りの1BEは退役か、売却される。参考:月刊PANZER11,’03、9,’02、11,’00、5,’02、7,’09
<レオパルト1A5BE(増加装甲型)>:ベルギー陸軍主力戦車。レオパルト1A5BEの増加装甲型で、砲塔前側面に100mm以上の厚みを持つ(恐らく中空装甲)アップリケアーマーを付けている。サイドスカートも鋼製のものに換わった。参考:月刊PANZER9,’02
<レオパルト1A3DK>:デンマーク陸軍主力戦車。レオパルト1A3相当で、車体側面に雑具箱を追加、カモフラージュマットを装備している。ただしカモフラージュマットは扱いが難しく、すぐに廃止された。車体前部にドーザーブレードや履帯幅地雷除去鋤(マインプラウ)を装着できる。1976-78年に120両が引き渡され、更に1980年代に110両を追加発注した。ボスニア・ヘルツェゴビナに派遣され、セルビア軍のT-55を撃破してレオパルト1初の対戦車戦戦果を記録した。参考:月刊PANZER11,’03、7,’10
<レオパルト1A5DK>:デンマーク陸軍主力戦車。レオパルト1A3DKにEMES18を搭載するなどし、レオパルト1A5相当に改修したもの。ボスニア紛争でスルプチカ共和国軍のT-55戦車3両を撃破した。参考:月刊PANZER11,’03、月刊丸7,’09別冊
<レオパルト1GR>:ギリシャ陸軍主力戦車。レオパルト1A3をベースにEMES12A3FCSとPZB200映像強化装置を搭載し、レオパルト1A5相当の攻撃力を持たせている。1983-84年に106両が引き渡された。参考:月刊PANZER11,’03、7,’98
<レオパルト1NL>:オランダ陸軍主力戦車で、バッチ4に相当する。発煙弾発射機をオランダ製に換え、無線機とアンテナをアメリカ製にし、車体側面に雑具箱を追加した。参考:月刊PANZER11,’03、7,’98
<レオパルト1NL(改良型)>:オランダ陸軍主力戦車。レオパルト1NLにハネウェル社製砲安定化装置とL52APDS用改良型サイトを搭載し、機銃をMAGに換えている。参考:月刊PANZER11,’03
<レオパルト1V>:オランダ陸軍主力戦車で、レオパルト1NLにレオパルト1A5相当の改良を施したもの。ハネウェル・ツァイス社製EMES12A3AFSL-2射撃統制装置を搭載し、サイドスカートを改良、砲塔にブロムウントフォス社製増加装甲を取り付けている。1980年代から改造された。1995年までに全て退役し、170両がギリシャに提供され、200両がPZB200映像強化装置を付けてチリに輸出された。参考:月刊PANZER11,’03
<レオパルト1NO>:ノルウェー陸軍主力戦車。第4バッチ生産車(レオパルト1A1相当)で、1970-71年に78両が輸出された。後に全てレオパルト1A5NOに改修された。参考:月刊PANZER11,’03
<レオパルト1A1NO>:ノルウェー陸軍主力戦車で、ドイツから追加輸入したもの。参考:月刊PANZER11,’03
<レオパルト1A5NO>:ノルウェー陸軍主力戦車。レオパルト1NOのFCSをEMES18に、砲駆動装置を電動式に換えている。1980年代末から改修が開始され、1994年に終了した。参考:月刊PANZER11,’03
<レオパルト1SCT>:レオパルト1A5BEを参照。
<レオパルト1T1>:トルコ陸軍主力戦車。レオパルト1A3が原型で、主砲防楯上にPZB200LLLTVを装備する。EMES12A3、レーザー測遠機、トロピカルキットも搭載しており、レオパルト1A5と同等の戦闘能力を持つ。1982年9月から1983年12月までに77両が生産された。更にレオパルト1と1A1A1のレオパルト1T1規格改良型を1990-91年に受領している。後に近代化改修を受け、砲塔に追加装甲を装着し、電子装置をデジタル化、車長・砲手用に赤外線暗視装置付きの視察照準装置を装備し、走行間射撃能力を得た。戦闘重量42.4トン。参考:月刊PANZER7,’98、11,’03、月刊軍事研究8,’09
<レオパルトAS1>:オーストラリア陸軍主力戦車。レオパルト1A3にSABCA社製コベルダFCS(レーザー測遠機付き)を搭載しており、APFSDS運用能力を持つ。砲耳のベアリングも改良し、熱帯地用装備、熱帯地用吸気フィルター、雑具箱などを追加した。1976年6月から1978年11月までに90両が生産された。2003年半ばからターレス・オプトロニクス社製赤外線暗視装置を搭載して夜間戦闘能力を向上させる改修が開始された。参考:月刊PANZER7,’98、11,’03
<レオパルトC1>:カナダ陸軍主力戦車。1966年からテストし、1976年に導入を決定した。レオパルト1A3にSABCA社製コベルダFCS(レーザー測遠機付き)とPZB200映像強化システム(LLLTV、主砲防楯上に搭載)を搭載しており、攻撃能力はレオパルト1A5に匹敵する。砲塔上部両側面に基線長式測距儀対物レンズ開口部が残っており、右にレーザー測距器、左に白色光サーチライトが付けられた。操縦手用ペリスコープにはワイパーとウォッシャーを追加し、砲塔右側面に通信用ケーブルリールが付き、機銃がMAGになった。1978年7月から1979年6月までに114両が生産された。同時にビーバー戦車橋6両とトーラス戦車回収車8両も購入している。後にLLLTVの左にIRS100サーマルポインターが追加された。2001年からレオパルトC2に改良されている。参考:月刊PANZER7,’10、11,’03、7,’98、10,’85
<レオパルトC1A1>:カナダ陸軍主力戦車で、レオパルトC1にMEXAS増加装甲を装着したもの。参考:月刊PANZER7,’10
<レオパルトC2>:カナダ陸軍主力戦車。1984年に出された改修案がお蔵入りになった後、1996年に提出された改修案が採用された。ドイツからレオパルト1A5の砲塔のみを輸入してC1の車体に搭載し、夜間戦闘能力を強化している。主砲はC1のものを使用した。他に砲塔側面雑具箱追加、サスペンション改良、砲塔周囲への中空装甲装備、アイリス戦術指揮・統制・通信システム搭載などを行っている。2001年から114両が改修された。参考:月刊PANZER7,’10、2,’00
<レオパルトC2A1>:カナダ陸軍主力戦車で、レオパルトC2にMEXAS増加装甲を装着したもの。2006年10月からアフガニスタンに派遣されている。履帯幅地雷除去鋤を装着した車両もあり、アフガン派遣部隊では戦車小隊4号車が装備する。暑さ対策が施されておらず、取り敢えず冷却ベストや外装エアコンを装着して耐えている。参考:月刊PANZER7,’10
<レオパルト1海外ファミリー>
<AMCV>:ヘグルンズ社が開発した装甲地雷啓開車両で、ノルウェー陸軍が採用した。レオパルト1の車体を流用し、砲塔を外して上部構造物を溶接、自衛用の7.62mm機銃と発煙弾発射機を備えている。車体前部にはイギリスのアードバーグ社製地雷除去用フレイルが装着され、地雷原に幅4mの通路を作ることができる。参考:月刊軍事研究8,’99
<BARV>:Beach Armored Recovery Vehicleの略。オランダ陸軍が採用した海岸線スタック車両回収車で、砲塔を外して車体前部に背の高いキャビンを、車体後部に構造物を設けている。キャビン上部に自衛用機銃を搭載可能。参考:月刊PANZER2,’11
<地雷原処理車>:車体にボフォース社製のマイン・ガズラーを搭載したタイプ。参考:月刊PANZER8,’99
<ベルゲパンツァー2(ポーランド陸軍)>:ポーランド陸軍戦車回収車ベルゲパンツァー2。2013年11月22日に18両の購入契約締結を公表した。参考:月刊軍事研究6,’14
<レグアル>:ベルギー・ノルウェー向けの戦車橋。レオパルト1の車体に長さ26mの戦車橋を搭載する。参考:月刊PANZER5,’01
<レオパルト2シリーズ>:ドイツ陸軍主力戦車Leopard 2。1965年にポルシェ社のフェルゴルデーター・レオパルト(金メッキしたレオパルト)が提案され、アメリカとの戦車共同開発計画(Kpz.70)が中止に追い込まれたためこちらをカイラー計画の名称で継続することになり、1969-70年に2両が試作された。この時はレオパルト1の改良型程度だったが、1971年からKpz.70向け技術を転用したレオパルト2を開発することになり、ガンランチャー型のレオパルト2FK(FlugKorperの略)と滑腔砲型のレオパルト2K(Kanoneの略)が検討され、滑腔砲型を試作することになり、1972-74年に車体16両と砲塔17基が製作されてテストされた。この際、重量過大(50アメリカトンに収まらなかった)が指摘されたため、砲塔を軽量化したスピッツマウス(がみがみ女)砲塔を試作。しかし第4次中東戦争で防御力強化が叫ばれたため、逆に重量を増やして60アメリカトン(54.4メートルトン)級の戦車を製作することとなった。1974年12月、アメリカの次期主力戦車候補にも挙げられることとなり、1976年、アメリカとの共通化戦車バージョン(レオパルト2AV、105mm砲装備。AVはAustere
VersionまたはAmerican Versionの略)が完成したが、アメリカでテストを受けたものの採用されず、1977年9月にドイツ陸軍で採用され、1979年10月25日から引き渡された。総生産数2125両。オランダ、スイス、スペイン、スウェーデン、オーストリアなど多数の国で使用されている。参考:月刊軍事研究11,’09、月刊PANZER2,’11、2,’00、世界AFV年鑑2002-2003
<レオパルト2>:第1バッチ生産車。車体は新型複合装甲と装甲鋼板の溶接構造で、前面と側面主要部が拘束セラミック式複合装甲、他の部分が中空装甲である。装甲スカートの前半も複合装甲(中空装甲?)といわれ、一段上にずらしてからヒンジで上方に跳ね上げる構造になっているが、これは鉄道輸送時に幅を納めるためである。後半部は一枚板で、普通に上に跳ね上げる。操縦席は車体前部右側にあり、高さ調節が可能で、右開きの上部ハッチに2個、ハッチ左に1個のペリスコープがあって、前方140度の視界が得られる。中央のものは夜間操縦用光量増幅ペリスコープに交換可能。操縦席前面にハンドル式の操縦装置、左に計器板がある。アクセルペダルは2段重ねで、座席をスライドさせても問題ないような配置になっている。エンジンをかける時は計器板のメインスイッチのキーを回してスターター・ボタンを押せば良い。中央が戦闘室で砲塔が載り、後部がパワーパックを収容した機関室で、その間は防火隔壁で仕切られている。ヨーロッパ市街での使用を考慮し、車体後部中央上部にはバックモニターが装備されており、操縦手が後方を確認することができる。車体後面上半分は全幅にわたるラジエター用排気グリルで、その下に丸いエンジン排気用グリルが左右1カ所ずつ設置されている。機関室上面には円形の冷却空気取り入れ口があり、その間にトラベリング・クランプを持つ。下部転輪はアルミ製でダブルタイプ片側7組、前方に誘導輪、後方に起動輪を持ち、上部転輪片側4個を持つ。トーションバー式サスペンションを搭載し、トラベル長が140-200mm(上限350mm+下限175mmの計525mm?)と大きく不整地踏破能力が高い。第1-3・第6・第7転輪にはショックアブソーバー(ロータリー・フリクション・ダンパー)が用意されている。履帯はディール社製のダブルピン・ダブルブロック式ゴムブッシュ付570Fで、片側82枚。防御強化のため、車体前面にグローサーや予備履帯を張り付けていることが多い。砲塔は垂直面で構成されており、主要部は複合装甲製で、前面装甲厚はRHA換算で徹甲弾に対し400mm、HEATに対して700mm相当とされる。主砲はラインメタル社製44.17口径120mm滑腔砲で、APFSDS-TとHEAT-MP-Tを42発搭載する。うち27発が操縦手左のラック、15発が砲塔後部バスル左側に収容される。砲塔弾薬庫と乗員区画の間には電動ドア付きの隔壁があり、上部はブロウオフパネルになっていて、被弾時に爆風を上方に逃がす。砲塔両側面後部に片側2列4連計8発の76mm発煙弾発射機を装備しており、単発または4連発が可能。車長は砲塔内右側、砲手は右前方、装填手は左側に位置する。砲手用照準器は砲塔右前面にあるEMES-15で、熱線暗視装置とレーザー測距器を搭載し、二軸安定化されている。ただ熱線暗視装置の開発が間に合わず、取り敢えずLLLTVで代用し、後にPZB200熱線暗視装置を主砲防楯に取り付け、レオパルト2A2に改修された時に本来のEMES-15を装備した。車長にも専用のPERI-R17照準器が備えられ、こちらは360度旋回が可能で、砲手が照準中でも周囲を監視できる。弾道計算機はFLT-2、砲制御装置はNA-H22。EMES-15の故障時にはFERO-Z18砲手用直接照準器(倍率8倍)を使用する。これらを統合する射撃指揮装置はM-1戦車と同じヒューズ・エアクラフト社製の基本システムを使用しており、M-1A1がラインメタル製の滑腔砲を採用したことに対する見返りらしい。車長用キューポラには6個のペリスコープがあり、装填手ハッチには対空機銃架と1個のペリスコープが装着されている。砲塔左側面には空薬莢排出・砲弾積み込み用の小ハッチを持つ。砲塔バスル右にSEM25/35無線機(周波数26-70MHz、最大交信距離25km及び12km)が搭載されていて、アンテナはバスル左右にロッド式のものが装備される。砲塔上面後部中央には風向センサーが取り付けられていたが、後に撤去された。砲塔後部のシュノーケルを車長用キューポラに取り付け、各部をシールすれば水深2.25mまで、3分割の大型シュノーケルを取り付ければ水深4mまで渡渉できる。温度センサー、火災報知器、ハロンガス消火ボトル(9kg)4個からなる自動消火装置が装備されており、戦闘室や機関室の温度が82.22℃を超えると作動する。予備の消火剤としてハロン消火器HAL2.5(2.5kg)を車体床下に収容する。全長9.613m、車体長7.672m、全幅3.700m、スカート含まず3.540m、全高2.884m(機銃まで)。エンジンはMTU製MB873KaM-501水冷90度V型12気筒多燃料エンジン(1500馬力)、トランスミッションはレンク社製HSWL354/3で、トルクコンバータを使用した流体機械式、操向装置は動力再生式ハイドロスタティック、最大速度72km(ガバナーを外すと90km出る)、燃料搭載量1160リットル、航続距離550km。副武装はMG3機銃2丁(同軸、対空。4750発)。自衛用に手榴弾4発とMP2A2短機関銃(480発)が搭載されている。乗員4名。クラウス・マッファイ社で209両、MaK社で171両の計380両が1979年10月から1982年3月までに生産された。参考:月刊丸7,’09別冊、世界AFV年鑑2002-2003、月刊PANZER1,’04、月刊軍事研究2,’00、5,’08、11,’09、月刊グランドパワー2,’05、10,’94
<レオパルト2A1>:第2・第3バッチ生産車。当初の予定通り砲手用にテキサス・インスツルメント社製統合型熱線暗視装置を搭載しており、LLLTVは外されている。車長用照準器のカバーが丸みを帯びたものから四角いものになり、砲塔後部の風向センサーが廃止された。エンジンルーム上にあった燃料補給口は砲塔が邪魔で給油しにくいので車体左右フェンダー上に移され、排気口カバーが水平スリット型から蜘蛛の巣状のものに変更されている。砲塔側面に車内との交信用インターコム接続ソケットを設け、車体後部上面及び車体後面の牽引ワイヤー取り付け具の位置と向きが変わり、ワイヤーの長さも5mとなり、パワーパックに足掛け2つ追加した。第3バッチでは車長用サイトが跳弾板追加で50mmほど高くなり、車長用キューポラのカバープレートが角張り、NBC防護装置収納部に大型カバーが付いた。第2バッチは1982年3月から1983年11月までにクラウス・マッファイ社で248両、MaK社で202両が生産され、第3バッチは1983年11月から1984年11月までにクラウス・マッファイ社で165両、MaK社で135両が生産された。参考:月刊丸7,’09別冊、月刊PANZER2,’00、2,’11、世界AFV年鑑2002-2003
<レオパルト2A2>:第1・第2バッチ生産車にレオパルト2A1第3バッチと同様の改修を加えたもの。横風センサー撤去後に円形の鋼板が張られており、車長用視察ブロック防護リングが円形になっているのがレオパルト2A1第3バッチとの違いである。1984-87年に改修された。参考:月刊丸7,’09別冊、月刊PANZER2,’00、世界AFV年鑑2002-2003
<レオパルト2A3>:第4バッチ生産車。無線機をSEM80/90デジタルVHF無線機にし、アンテナを短縮、吸気口カバーの柵を左右平行から放射状に変更し、砲手席前面に胸当てを取り付けた。砲塔左側面の弾薬補給用ハッチ(被弾時に車内の密閉性が失われてNBC防護ができなくなる)を生産後に溶接で塞いでいる。迷彩は従来のオリーブドラブ単色からブロンズグリーン、レザーブラウン、タールブラックの三色迷彩に変更された。1984年12月から1985年12月までにクラウス・マッファイ社で165両、MaK社で135両が生産された。参考:月刊丸7,’09別冊、月刊PANZER2,’00、2,’11、世界AFV年鑑2002-2003、月刊グランドパワー10,’94
<レオパルト2A4>:第5-8バッチ生産車と、レオパルト2-2A3から改修されたタイプ。第5バッチでは射撃指揮コンピュータをデジタル式にし、車内消火システムをドイグラ社製の新型に変更、対空機銃リングや照準器カバーを改良した。砲塔左側面の弾薬補給用ハッチは被弾時に歪んでNBC防護能力が失われるため溶接で塞がれている。装甲防御力は砲塔前面で700mm(対APFSDS)、1000mm(対HEAT)に強化されたといわれる。生産途中に上部転輪の位置が変更され、2番・3番上部転輪が下部転輪1つ分ずつ後ろにずらされた(第3・第4転輪間と第5・第6転輪間)。また、弾薬補給用ハッチが最初から作られなくなった。第6バッチでは履帯をディール社製の570FTに変更、バッテリーをメンテナンスフリーにし、ウォーニングライトを操縦手(ハッチから頭を出した時)から見やすい位置に移動している。後期型ではサイドスカートのヒンジに装甲カバーが装備された。第7バッチは第6バッチ後期型と同じ仕様である。第8バッチでは後方サイドスカートが6分割になり、山切りから一直線に換えられた。後期型では砲身に砲口照合器が追加されており、以前の生産車にもフィードバックして搭載された。全長9.67m、全幅3.7m、全高2.79m、最大重量55.15トン。エンジンはMTU社製MB873Ka-501ディーゼルで、最大速度75km、燃料搭載量1200リットル、航続距離550km。乗員4名。第5バッチ生産数は1985年12月から1987年3月までにクラウス・マッファイ社で190両、MaK社で180両、第6バッチ生産数は1988年1月から1989年5月までにクラウス・マッファイ社で83両、MaK社で67両、第7バッチ生産数は1989年5月から1990年4月までにクラウス・マッファイ社で55両、MaK社で45両、第8バッチ生産数は1991年1月から1992年3月までにクラウス・マッファイ社で41両、MaK社で34両。既存の車両にSEM80/90無線機を搭載し、履帯を570FTに換装、バッテリーをメンテナンスフリーにするなどの改修を加えたものもレオパルト2A4と呼ばれる。参考:月刊丸7,’09別冊、月刊PANZER2,’00、世界AFV年鑑2002-2003、月刊グランドパワー2,’05、10,’94、月刊軍事研究11,’09
<レオパルト2KVT>:1989年に製作された試験型で、KVTはコンポーネント試験車両の略。追加装甲を装備し、車長用サイトに独立赤外線映像装置を追加、砲手用サイトを改良している。第5バッチ生産車から1両が改造され、テスト終了後はレオパルト2IVTに改造された。参考:月刊丸7,’09別冊
<レオパルト2IVT>:IVTは装備試験車両の略。レオパルト2KVTを試験終了後に改造したもので、後に統合指揮情報システムの開発にも使用され、1992年までテストを行った。参考:月刊丸7,’09別冊
<レオパルト2TVM>:TVMは部隊試験車両の略。第8バッチ車両2両がレオパルト2TVM maxとレオパルト2TVM minに1両ずつ改造され、前者が採用されて699両をこの規格に改修する予定となったが、冷戦崩壊で中止された。参考:月刊丸7,’09別冊
<レオパルト2KWS>:TVMに替わる改修計画。55口径120mm滑腔砲を搭載するKWST、FCSを改良して増加装甲を取り付けるKWSU、140mm滑腔砲を搭載するKWSVの3種類が検討され、KWSUが採用されてレオパルト2A5となった。参考:月刊丸7,’09別冊
<レオパルト2A5>:砲塔前面・側面前部にショト装甲と呼ばれる楔形の増加装甲を追加し、それに合わせて防楯形状を変更、砲手用照準装置を砲塔前面から砲塔上に移動したタイプ。車体前面や上面にも増加装甲が付けられ、砲塔側後面には雑具箱が追加され、車内にスポールライナーが装着され、操縦手用ハッチがスライド式に変更されている。それでも操縦手が外に出るのは相当困難らしく、普段は砲塔から出入りしているという。重量が増加しているが、エンジンなどには改修は加えられていない。砲塔側面のショト装甲はエンジン整備の便を図るため、可動式になっている。防楯の幅が狭くなり、FERO-Z18A2補助照準器を上部に搭載、同軸機銃を防楯左端に移した。また、車長用全周視察装置はPERI-R17A2となり、熱線暗視装置とレーザー測距器が組み込まれ、夜間・悪天候でもハンター・キラー能力を獲得した。搭載位置は車長用ハッチ後方に移されている。他に砲塔・主砲発射機構が全電動方式となり、GPSを装備(アンテナは砲塔後部右上面にある)、車体後部にTVカメラを搭載、転輪をアルミから鋼鉄に変更した。全長9.97m、全幅3.74m、全高2.64m、戦闘重量59.7トン。エンジンはMTU社製MB873Ka-501水冷12気筒四ストロークターボディーゼル(1500馬力)で、トランスミッションはレンク社製HSWL354(前進4段・後進2段)、最大速度72km、最大後進速度31km、燃料搭載量1200リットル、路上航続距離500km。乗員4名。1993年12月29日に契約が結ばれ、クラウス・マッファイ社がレオパルト2A4から225両を改修、1995年11月から引き渡された。コソボ平和維持軍(KFOR)に投入されている。参考:月刊丸7,’09別冊、世界AFV年鑑2002-2003、月刊軍事研究12,’09、2,’00、月刊PANZER5,’03、11,’02、10,’05、ウォーマシン・レポートNo.26
<レオパルト2A6>:55口径120mm砲に換装したタイプ。射撃統制装置や照準装置も改良されており、有効射程が1000m伸びて4000mに達し、射距離3000mでT-80を撃破できるとされるが、配備当初はマッチング不良で命中精度が悪かったらしい。砲身が1.3mも伸びたため、機動に支障が出ている面もあるらしく、回収時には砲塔を後ろに回して砲に仰角をかけて固定する必要がある。主砲弾補給用ハッチは防御上の弱点になるとして早期に廃止または溶接されている。全長11.17m、全幅3.74m、全高2.64m、最大重量62.4トン。エンジンはMTU社製MB873Ka-501ディーゼル(1500馬力)で、最大速度72km、燃料搭載量1200リットル、航続距離500km。乗員4名。配備全車がこのバージョンに改修された。参考:月刊丸7,’09別冊、月刊PANZER5,’03、6,’04、10,’05、7,’11、8,’13、月刊軍事研究1,’10
<レオパルト2A6EX>:輸出向けのデモ車両で、車体前上面と砲塔上面に分厚いブロック装甲をボルトオンで搭載しており、サイトの装甲も強化、重量は62.5トンに達するが、ユーロ・パワーパックを搭載してサスペンションも強化し、機動力を保っている。砲塔ハッチも厚さ100mm以上の分厚いものに換装されたため、スライド式に変更された。それでも開け閉めには手間がかかるため、通常は開けっ放しにしておき、代わりに黒いビニールカバーをかけてある。参考:月刊丸7,‘09別冊、月刊軍事研究2,’03、月刊PANZER10,’05
<レオパルト2A6M>:2A6に新型地雷防御キットを装着したタイプで、2A6MのMはマイン・プロテクトの略である。車体底面に装甲を付加し、トーションバー防御用カバーを追加、車体底面脱出ハッチを強化してトーションバー、転輪部を含め底部全幅を防御できるようにした。また、操縦席も改良、車体の120mm弾収容区画の最下段を空にし、車長・装填手・砲手席も改修取り付けを行い、砲塔バスケットを新設計にした。戦闘重量は2トン増えている。2004-06年に2A6から70両が改造され、訓練用以外は保管状態となっていて、必要時に実戦投入される。参考:月刊軍事研究12,’09、1,’04、月刊PANZER10,’05
<レオパルト2PSO>:PSOは平和支援作戦(Peace Support Operation)の略。PKO/PKFでの市街戦任務用としてクラウス・マッファイ・ヴェクマン社が独自に開発したバージョンである。ベースはレオパルト2A4で、主砲は取り回しの良い44口径を採用。砲塔上にはPz.87用に開発されたリモコン機銃(7.62mm、12.7mm、グレネードランチャーなどを搭載可能。操作は装填手)が装備されており、俯仰角はプラス70度からマイナス15度で、建物に籠もる歩兵を掃討するために使用される。発煙弾発射機からは閃光弾や催涙弾なども発射可能。レオパルト2A6M用の耐地雷キット、砲塔後部左右・車体前方左右・スカートには対RPG-7用モジュラー装甲がスペースド・アーマー式に追加され、砲塔・車体上部にも装甲を追加、機関室周囲には対火炎瓶用メッシュ、光学サイトには対投石用の防御装甲が追加された。防楯上部のサイト横にはレオパルト2A5DKと同じサーチライトが設置されている。砲塔にはレオパルト2A6と同じ車長用昼夜間統合サイト(全周旋回可能)、車体後部左右には全天候型監視カメラが装着され、車体後部右にはAPUが装備された。操縦手用には微光暗視装置に加えて熱線暗視装置が搭載されており、車体前部にはバリケード除去用の油圧ドーザーを搭載する。エンジンは砲塔後部に強力な冷房を装備、履帯と起動輪も新型になっている。迷彩は長方形を組み合わせた都市用のものを採用した。2005年に初公開され、2006年のユーロサトリではエンジンを小型のユーロパワーパック(1800馬力)に換装し、余ったスペースに燃料400リットルを追加、車体前面と砲塔上面に増加装甲を追加したバージョンが展示された。本車をベースとする改造キット(レオパルト2A7+のことか?)が2011-2018年に150セットほどドイツ連邦陸軍に納入される予定。参考:月刊軍事研究12,’09、8,’06、月刊丸7,’09別冊、10,’10
<レオパルト2A7+>:レオパルト2A6にレオパルト2PSOの技術を導入したもの。モジュラー装甲を採用しており、正規戦用の対徹甲弾用装甲パッケージと、非正規戦用の対成型炸薬弾用中空装甲パッケージが用意されている。車体前面には障害物排除用のドーザーを装備可能。APUは強化されていて、クーラーを標準装備した。車長用サイトはATTICA熱線暗視サイト。主砲弾としてDM11プログラム可能榴弾が用意されており、ゲリラやテロリストに効果を発揮する。砲塔上面にはFLW200遠隔操作銃塔を搭載していて、装填手が操作する。足回りも強化されており、履帯、トーションバーサスペンション、ブレーキが改良された。車体前部上面中央と車体後上面中央に昼夜間車外視察カメラを持つ。戦闘重量67.5トン。カタールで採用が検討されている。参考:月刊軍事研究9,’10、7,’11、10,’17
<レオパルト2A7>:レオパルト2A7+から車体増加装甲とFLW200を抜いたもので、ドイツ陸軍が採用した。レオパルト2A5のうち125両と、レオパルト2A6のうち225両をアップグレードする予定で、2014年12月から引き渡されている。参考:月刊軍事研究2,’16
<レオパルト2MBTレボリューション>:ラインメタル社が独自開発した改修型。レオパルト2A4エボリューションと同じIBD社製のシステム装甲を採用、車体側面後部から車体後面はスラットアーマーとAMAP-Pメッシュプレート装甲を組み合わせている。車体底面には耐地雷装甲キットを取り付けてあり、車内にはAMAP-Lライナーを装着しているとみられる。従来のスモークディスチャージャーは外され、砲塔前後左右にラインメタル社製ロージーLを搭載。車長用のブレーキを追加装備している。FCSはSeoss(Stabilized electro-optical sensor system)デジタルFCSで、ラインメタル社製SAPHIR熱線暗視装置を組み込んだ全周旋回車長用サイト、昼夜間用状況把握カメラ、レーザー測距器、二軸安定化装置などを統合している。状況把握カメラはロージーLの下に3個ずつ装着されていて、全周をカバー、自動探知追尾機能により目標を瞬時に把握して武装を指向することができる。副武装は同軸機銃とラインメタル・カナダ社製キメック遠隔操作銃塔。INIOCHOS Vバトルマネジメントシステムを搭載しており、C4I能力を持つ。これらの電子機器や標準装備となったエアコンを作動させるため、APU(17kW)が追加された。主砲は44口径でも55口径でも可で、FCSは新型のDM11榴弾にも適合する。参考:月刊軍事研究9,’10
<レオパルト2ファミリー>
<ビュッフェル>:戦車回収車型Büffel、別名ベルゲパンツァー3、BPz.3。開発はMaK社、生産はMaKシステム社とクラウス・マッファイ社である。初期バッチ車の砲塔を外して車体前部に固定式戦闘室を増設、車体右側に可動範囲270度の30トンクレーンを、車体前部にドーザーを搭載した。牽引能力34.3トン・ワイヤー長140mのウインチも装備。車体底部中央には内蔵式の車体固定用ジャッキを搭載しているらしい。自衛用に7.62mm機銃と、発煙弾発射機を車体前面右に4基1列、左に2基2列、車体後部左に8基1列装備する。乗員は操縦手、車長、操作員の3名(+メカニックの4名?)。ドイツに75両が採用され、オランダ(25両)、カナダ(14両)、ギリシャ(12両)、シンガポール、スイス(25両)、スウェーデン(14両)、スペイン(16両)に輸出された。参考:月刊PANZER6,’04、1,’13、6,’18、月刊グランドパワー10,’94、月刊軍事研究12,’12
<ベルゲパンツァー3>:ビュッフェルを参照。
<レオパルト2海外シリーズ>
<Pz.87>:スイス陸軍主力戦車、別名レオ。NKPz計画の中止を受けて1981年8月からM-1戦車との比較試験に入り、1983年8月24日に採用を決定した。ベースはレオパルト2A4第5バッチ仕様で、同軸・対空機銃をスイス製7.5mm機銃MG87とし、コンピュータをデジタル式に換装、無線機をAN/VCR-12に変更し、パッシブ式夜間操縦用ペリスコープ「バード」を搭載している。車体前面に18枚、砲塔左側面に3枚、砲塔右側面に7枚の滑り止めグローサーが装着され、砲塔後部形状が変更され、NBC防護装置や自動消火装置も改良を受けた。後期型は前部サイドスカートが新型になり、騒音防止として車体後面に巨大な筒状マフラー2基を装備、砲口照合装置が付いた。当初は440両を導入する予定だったが、途中で減らされて1993年3月までに380両(うち35両が輸入、残りがライセンス生産)が調達され、独立機甲旅団5個に優先配備された。1999年からはDM53徹甲弾を導入している。将来的にはレオパルト2A5規格にグレードアップされる予定。参考:月刊軍事研究1,’10、3,’97、月刊PANZER2,’11、2,’00、月刊丸7,’09別冊
<Pz.87(140mm砲装備型)>:スイス陸軍実験戦車。Pz.87にSwiss Federal Armament Works Thunが開発した140mm滑腔砲を搭載したタイプで、1989年に試射を行い、厚さ1mの装甲板を撃ち抜いたという。参考:月刊軍事研究3,’97
<Pz.87WE>:スイス陸軍主力戦車で、WEはWerterhaltungの略。Pz.87のうち150両を低強度紛争用に改良するもので、防御力強化に重点を置いている。車体底部の装甲を強化して地雷対策をとり、砲塔側面と上面にも箱形追加装甲(チタン合金装甲入り)を装備、車体前面上部に付加装甲を適応、発煙弾発射機を装甲内に収容し、装填手用の遠隔操作式12.7mm機銃を増設、主砲制御を完全電動とし、防音装置や後方確認カメラ、RDE社製VIINACCS指揮統制装置を搭載する。当初は120両を改修する予定だったが、箱形追加装甲と遠隔操作機銃は装備せずに134両を改修することになった。参考:月刊軍事研究1,’10、月刊PANZER10,’05
<Strv.121>:スウェーデン陸軍主力戦車で、レオパルド2A4を導入したものである。Strv.2000計画が頓挫したため、M-1、チャレンジャー2、レオパルト2TVM、ルクレールから選定することにしたが、チャレンジャー2はテスト車両が無かったので替わりにT-72とT-80を加えてトライアルを行い、レオパルト2TVMの採用を決定。ただレオパルト2TVMの制式化型であるレオパルト2A5の完成には時間がかかるとみられたため、取り敢えずドイツで余っていたレオパルド2A4を1994年後半にバーゲン価格で160両購入した。参考:スピアヘッドNo.3、月刊PANZER2,’00
<Strv.122>:スウェーデン陸軍主力戦車Stridsvagn 122。レオパルト2A5の改良型で、予算の関係から装甲強化に重点を置いている。車体前面、前上面に追加装甲が取り付けられ、操縦室内に破片飛散防止用スポールライナーを装備。砲塔上面にも増加装甲が付けられ、砲塔後部には履帯の滑り止めを収容する大きな雑具箱を追加、砲塔ハッチの装甲も強化されて持ち上げられなくなったため、スライド式の電動開閉式になっている。下部転輪も装甲ハブになって車体装甲強化の一助となった。燃料タンク内部には爆発防止用の特殊な液体を充填しており、火炎瓶やナパーム弾などを被弾した際には自動的にエンジンのファンとエアインテイクが停止して炎の巻き込みを防ぐ。車重が62トンに増加したため、サスペンションにPzH.2000のトーションバーを採用し、ブレーキディスクを補強している。エンジンとトランスミッションは変更無し。操縦手用暗視装置はギリシャのテオン・センサー社製NX-129パッシブ暗視装置を採用し、レーザー測遠器はアイセーフ型に変更した。デジタル戦場化のために戦車指揮/統制システム(TCCS)が搭載されており、航法システム、通信システムとリンクした師団レベルのデータリンクによって部隊単位の戦闘指揮が可能で、ヨーロッパ初のデジタル化戦車となった。スモークディスチャージャーもフランスGIAT製のGALIX車両防御システムに変更され、操縦手用暗視装置はCV90と同じものに換えられた。エンジン・コンパートメントは常時冷却されて赤外線放出を抑制し、燃料タンクに爆発防止用充填剤を入れ、火炎瓶攻撃に対抗するため冷却ファンを止めて外気を遮断するセンサーが備えられた。使用弾種はAPFSDSの他にHE弾が用意されている。全長9.97m、全幅3.74m、全高2.64m、戦闘重量62.5トン。最大速度72km、燃料容量1200リットル、航続距離500km。1995年から120両を配備した。参考:月刊軍事研究3,’02、月刊PANZER8,’18、8,’02、2,’00、10,’05、スピアヘッドNo.3
<Strv.122M>:Strv122にレオパルト2A6Mと同等の新型地雷防御キットを装着したもの。戦闘重量が64.5トンに増加した。参考:月刊軍事研究1,’04、スピアヘッドNo.3
<レオ>:Pz.87を参照。
<レオパルト2(インドネシア)>:インドネシア陸軍主力戦車。2013年に104両(うち63両はレオパルト2レボリューション)の導入を決定した。戦車回収車4両、ビーバー戦車橋3両、ピオニア・パンツァー3両とセットで価格は2億8700万ドル。レオパルト2A4戦車42両+レオパルト2レボリューション61両+ARV・AEV11両という説もある。参考:月刊PANZER8,’13、THE
MILITARY BALANCE 2016
<レオパルト2(カタール)>:カタール陸軍主力戦車。AMX-30の後継として62両を発注したことが2013年4月18日に公表された。レオパルト2A7+を導入するとみられ、2014-15年に納入される予定。参考:月刊軍事研究11,’13
<レオパルト2(カナダ)>:カナダ陸軍主力戦車。冷戦終結後に退役を進めていたが、不朽の自由作戦に参加して戦車の必要性を再認識し、2007年にレオパルト2A4を80両とレオパルト2A5を20両オランダから購入し、レオパルト2A6Mを20両とレオパルト2装甲回収車を2両、ドイツからリース(2012年9月まで)した。レオパルト2A6Mはアフガンに送られたが、修理やオーバーホールのため2010年に帰還することになり、代わりにレオパルト2A4をレオパルト2A4M CANに改良して送り込む予定。参考:月刊丸7,’09別冊、月刊軍事研究2,’09、月刊グランドパワー6,’10
<レオパルト2A4(オーストリア)>:オーストリア陸軍主力戦車。オランダから中古の115両を導入しており、発煙弾発射機はオランダ製である。1両はトラブルで退役した。参考:月刊丸7,’09別冊、月刊PANZER5,’04
<レオパルト2A4(ギリシャ)>:ギリシャ陸軍主力戦車。2005年8月に契約を締結し、196両(183両?)を導入する予定。参考:月刊丸7,’09別冊、月刊軍事研究7,’07
<レオパルト2A4(シンガポール)>:シンガポール陸軍主力戦車。ドイツ陸軍中古の66両を導入した。また、30両をスペアパーツ用に購入している。参考:月刊丸7,’09別冊
<レオパルト2A4(デンマーク)>:デンマーク陸軍主力戦車。ドイツ陸軍中古のレオパルト2A4第5バッチを56両配備した。参考:月刊PANZER2,’11
<レオパルト2A4(トルコ)>:トルコ陸軍主力戦車。アルタイ配備までの繋ぎとしてドイツ陸軍中古の298両を導入した。更に40両を調達する計画もある。参考:月刊軍事研究8,’09、月刊丸7,’09別冊
<レオパルト2A4(フィンランド)>:フィンランド陸軍主力戦車。ドイツ陸軍の旧式(レオパルト2A4第5バッチ)124両を2002年9月に発注し、120両をパロラ旅団、4両をカレリア旅団に配備している。価格は1両6800万ユーロ。うち20両は架橋戦車や工兵戦車に改造され、12両はスペアパーツ用にされた。参考:月刊軍事研究12,’08、月刊丸7,’09別冊、月刊PANZER12,’10
<レオパルト2A4M CAN>:カナダ陸軍のレオパルト2A4近代化型で、別名レオパルト2A4+。クラウス・マッファイ・ヴェクマン社が開発した。耐地雷/IED能力を強化し、車体や砲塔にも増加装甲を装着してある。参考:月刊軍事研究8,’11、月刊PANZER8,’18
<レオパルト2A4NO>:ノルウェー陸軍主力戦車で、オランダの中古レオパルト2A4を購入したものである。無線をノルウェー規格に変更し、GPSを追加(アンテナは砲塔後部中央にある)、発煙弾発射機をオリジナルの片側8基に戻し、砲塔後面右に雑具箱とラックを追加した。対空機銃はFN-MAGのままである。52両を配備し、2001年12月から運用中。参考:月刊PANZER8,’10、月刊丸7,’09別冊
<レオパルト2A4PL>:ポーランド陸軍主力戦車。ドイツから中古のレオパルト2A4第5バッチ128両を2002年1月に発注し、116両を第10装甲騎兵旅団に配備、12両を訓練用として使用している。2013年11月に14両を追加発注した。2014年までの導入数は計251両で、128両が第10装甲騎兵旅団に配備されている。参考:月刊PANZER2,’11、月刊丸7,’09別冊、月刊軍事研究4,’14、6,’14、5,'16、月刊PANZER6,’14
<レオパルト2A4PL改>:ポーランド陸軍主力戦車で、レオパルト2A4PLの改良型。主砲は44口径120mm戦車砲のままだが、FCSを改良してDM11戦車砲弾とDM63徹甲弾を使用できるようにし、レオパルト2A5と同等の防御力を持たせつつ重量は60トン未満に抑え、APUと操縦手用後方確認CCTVカメラ(暗視機能付)を追加、車長・砲手用サイトを新型にし、砲安定化装置を油圧式から電気式に換装する。2015年に128両の改修契約をPolska
Grupa Zbrojeniowaと締結した。PGZ子会社のZaklady
Mechaniczne BumarLabedy社とラインメタル社が共同で担当し、2020年までに改修を終える予定。参考:月刊軍事研究6,’16、4,’17
<レオパルト2A4エボリューション>:IBD(Ingenieur-Buro
Deisenroth)社が独自開発した装甲強化型。車体及び砲塔の前半分に複合装甲、後ろ半分にスラット装甲類似の装甲を追加している。総重量3.3トンの基本型ではプラス80mm、4.6トンのカテゴリー2ではプラス120mmの装甲防御力を持つとされ、後者では全周でRPG-29に耐えられる。必要に応じてAMAP-R増加装甲を砲塔上面に追加可能。追加装甲はモジュール化されているので、被弾損傷時にはそこだけ交換すれば良く、アップグレードも容易である。参考:月刊PANZER7,’09、月刊丸10,’10
<レオパルト2A5DK>:デンマーク陸軍主力戦車。レオパルト2A4から改良したもので、Strv122類似だが、TCCS(戦車指揮統制システム)やルーフ付加装甲は装備していない。57両を導入した。参考:月刊PANZER10,’05、月刊丸7,’09別冊
<レオパルト2A5(ギリシャ)>:ギリシャ陸軍主力戦車。レオパルト2HELの導入と同時にドイツから中古の82両を導入した。参考:月刊丸7,’09別冊、月刊軍事研究10,’08
<レオパルト2A5(ポーランド)>:ポーランド陸軍主力戦車。2013年11月に中古105両の導入契約を結んだ。2014年5月16日に第1バッチ11両が引き渡されており、2015年末までに全てを受領した。参考:月刊軍事研究4,’14、6,’14、10,’14
<レオパルト2A6(チリ)>:チリ陸軍主力戦車。ドイツ陸軍の中古レオパルト2A4をレオパルト2A6仕様に改造して132両導入し、スペアパーツ用8両も購入した。参考:月刊丸7,’09別冊
<レオパルト2A6(フィンランド陸軍)>:フィンランド陸軍主力戦車。オランダの中古を2015-19年に100両配備する。参考:月刊PANZER4・5,’17
<レオパルト2A6(ポルトガル)>:ポルトガル陸軍主力戦車。2008年10月から2009年12月にオランダから37両を購入した(レオパルト2A4を購入して改修?)。2016年から通信システムとバトルマネジメントシステムの改良を開始。タレスSOTASシステムをEID社製ICC-251ソフトウェア化デジタル相互通信システムに換装し、音声通信に加えてデータ通信を可能とする。バトルマネジメントシステムは戦車13両を1単位として旅団戦闘車グループ指揮車とリンクさせるもので、EID社製PRC-525デジタル戦術マルチバンド無線機2セットとEID社製8.4インチ(213mm)タブレット操作部付きRoda Computer Panther DR786端末を搭載する。バトルマネジメントシステムは31両に搭載して旅団戦闘車グループに配備、残る6両は旅団偵察大隊に回す。参考:月刊丸7,’09別冊、月刊軍事研究10,’10、11,’16
<レオパルト2A6M(カナダ)>:カナダ陸軍主力戦車。砲塔と車体の側後面にはスラットアーマーを装備している。砲塔上面ハッチの後方右に箱状構造が2つあり、IED対策システムらしい。また、アンテナポストにも短いIED妨害アンテナを付けている。車長用ハッチの前にはC8小銃2丁を収容するボックスが追加された。参考:月刊PANZER7,’10
<レオパルト2A6MA2>:レオパルト2NLを参照。
<レオパルト2A7(カタール陸軍)>:カタール陸軍主力戦車。2013年に62両を発注した。最初の4両は2015年末に引き渡される。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<レオパルト2E>:スペイン陸軍主力戦車で、M60の後継である。1995年に採用を決定した時はレオパルト2A5を導入する予定だったが、レオパルト2A6改修型に変更された。レオパルト2A6とStrv.122のいいとこ取りで、車体前面下部と下面に対地雷・IED用装甲を追加、APU(クボタ製)、エアコン、インドラ社製熱線暗視装置(車長と砲手それぞれに用意)も装備されており、スペイン陸軍指揮統制システムのSIMACETフォーメーションと連接する。全長10.97m、車体長7.87m、全幅3.77m、全高2.64m、戦闘重量62.5トン。最大速度68km、航続距離350km。乗員4名。2005-09年に219両を19.5億ユーロで調達(1両あたり11億円)予定で、うち189両をジェネラル・ダイナミクス・サンタ・バーバラ・システマス社でライセンス生産(残りは輸入)し、回収車としてビュッフェルも16両購入する。配備完了まではレオパルト2A4を108両ほどドイツ軍からリース(後に全て購入)して間に合わせた。参考:月刊丸7,’09別冊、月刊PANZER10,’05、月刊軍事研究5,’07
<レオパルト2HEL>:ギリシャ陸軍主力戦車で、HELはヘラクレス(正式国名のヘレニック?)の略。レオパルト2Eとほぼ同じバージョンで、55口径120mm砲、EMES-15射撃統制システムの射程延伸型、風向センサー、ツァイス社製改良型熱線暗視装置オフェリオス(車長・砲手それぞれ装備)、エアコン、APU(車体後部右側面)などを装備する。戦闘管理システムはラインメタル・ディフェンス・エレクトロニクス社製のイニオカスと呼ばれるもので、TCCSなどにリンクできる。トップアタック対策のため砲塔上面装甲が強化されている他、レオパルト2A6Mと同様の耐地雷装甲を追加することも可能。戦闘重量62.4トン。最大速度72km、航続距離500km。170両を調達予定で、うち56両は通信装置を追加して指揮戦車になる予定である。同時にビュッフェル戦車回収車12両、レオパルトAVLB8両も購入した。2000年8月にM-1A1、チャレンジャー2E、ルクレールとの比較試験に臨んだが、この際にフランスの情報機関員がGPSに対して欺瞞電波を発信。M-1A1とチャレンジャー2Eは砲撃開始地点まで走行するのに苦戦したが、レオパルト2はものともせずに走行試験でトップの成績を得た。ちなみに関係者が不審に思って付近を捜索し、フランスの使用した妨害装置は発見されてしまっている。参考:月刊PANZER10,’05、月刊軍事研究10,’08、8,’09
<レオパルト2NG>:トルコのアセルサン社が開発したレオパルト2A4近代化型で、NGはNext
Generationの略。ドイツのIBD社が開発した増加装甲を装着しているため、外見はレオパルト2A4エボリューションとほぼ同じである。FCSや遠隔操作兵装ステーションはアルタイ戦車と同じもので、トルコ陸軍への採用を意識している。主砲は55口径に換装可能。参考:月刊軍事研究8,’11
<レオパルト2NL>:オランダ陸軍主力戦車。レオパルト2A1をベースに、副武装の機銃をMAG58に換装し、砲塔後部左右にオランダ独自の2連装スモークディスチャージャー3基ずつを装備した。無線機もフランス製のFM9000に換装され、車体周囲に擬装用キャンパスが括り付けられている。操縦手用暗視装置も変更された。1979年3月に445両が発注され、1982年7月から1986年7月に引き渡された。後に砲塔側面ハッチを塞ぎ、砲身先端に砲口照合器を装着した。1993年1月に330両がレオパルト2A5仕様に改造され、更に180両がレオパルト2A6仕様に改造された。戦車定数を48両にまで削減することが決定し、余った車両は輸出に回されており、オーストラリアに114両、ノルウェーに57両、カナダに80両が輸出されている。2018年、ELIAS戦場マネジメントシステムを搭載したレオパルト2A6MA2の配備が始まった。参考:月刊丸7,’09別冊、月刊PANZER9,’99、7,’03、8,’03、2,’11、月刊軍事研究2,’09、1,’19
<レオパルト2海外ファミリー>
<Bgbv120>:スウェーデン陸軍が導入したビュッフェル戦車回収車。ワイヤー長230mの雪ソリ牽引用小型ウインチを追加している。また、車体後部に遠隔操作式のA型牽引具を装備しており、車内からカメラで確認しつつ戦車車体後面の牽引具に接続することで戦闘状況下でも安全に戦車を回収できる。参考:月刊軍事研究9,’08
<コディアック>:ラインメタル・ランドシステムズ社とスイスのルアグ・ランドシステムズ社が開発した装甲工兵車で、スイス陸軍に採用された。車体はレオパルト2の流用で、地雷防御キットや対戦車地雷信管無能力化システムと車体前部の増加装甲を追加しており、高い防御力を持つ。油圧式回転ドーザーブレードを車体前部、アームクレーンを車体上に装備し、油圧回転ウインチ2基を搭載する。ドーザーブレードはピアソンエンジニアリング社製地雷除去プラウとの交換が可能で、その場合は安全地域を示すラインを設置する装置を車体後部両側に搭載する。後方監視カメラも搭載しており、車内で全ての工兵作業を実施することが可能。自衛用に遠隔操作式12.7mm機銃、76mm発煙弾発射機を装備する。2009-11年に12両が納入される予定。また、オランダ陸軍が10両、スウェーデン陸軍が6両の採用を決めており、カナダ陸軍にも配備された。参考:月刊軍事研究1,’08、1,’09
<コディアック(カナダ陸軍)>:カナダ陸軍が導入したコディアック。耐地雷装甲と上部車体増加装甲を取り付け、無線を変更、ドーザーブレード幅を広げてある。参考:月刊PANZER7,’10
<バッファロー>:カナダ陸軍が導入したビュッフェル戦車回収車。2両をアフガンで使用し、更に12両を追加発注している。参考:月刊PANZER1,’13
<ビュッフェル(ギリシャ)>:ギリシャ陸軍のビュッフェル戦車回収車。12両を導入する予定。参考:月刊軍事研究10,’08
<レオパルド級フリゲート>:イギリス海軍防空フリゲート41型Leopard級。リンクスなどが竣工した。参考:月刊世界の艦船3,’92増刊、9,’96、ミリタリー・バランス1989-1990
<レオパルド級フリゲート海外シリーズ>
<レオパルド級フリゲート(インド)>:インド海軍フリゲートで、ベアス級ともいう。全長103.5m、幅12.2m、吃水4.9m、満載排水量2555トン。主機はディーゼルで、出力12380馬力、2軸推進、速力24ノット。兵装は114mm連装砲1基、40mm単装機銃2門、スキッド1基。1隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,’92増刊、ミリタリー・バランス1989-1990
<レオパルド級フリゲート(バングラデシュ)>:バングラデシュ海軍フリゲートで、アブバカル級ともいう。全長103.6m、幅12.2m、吃水4.7m、満載排水量2520トン。主機はディーゼルで、出力14400馬力、2軸推進、速力24ノット。兵装は114mm連装砲2基、ボフォース40mm単装機関砲1門。F15アブバカルなど2隻が1978年と1982年に1隻ずつ引き渡された。参考:月刊世界の艦船3,’92増刊、9,’96、ミリタリー・バランス1989-1990
<レオパルド級フリゲート(マレーシア海軍)>:マレーシア海軍フリゲート。全長103.5m、幅12.2m、吃水4.9m、満載排水量2520トン。主機はディーゼルで、出力14400馬力、2軸推進、速力24ノット。兵装は102mm連装砲1門、40mm単装機関砲2門、リンボー1基。1隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,’92増刊
<レオパルト級水雷艇(ドイツ海軍)>:ドイツ海軍水雷艇で、ノルウェー侵攻時に鹵獲したスライプネル級小型駆逐艦4隻を編入したものである。排水量590トン。速力30ノット、航続距離は15ノットで3500海里。兵装は10cm砲3門、20mm機銃4丁、533mm発射管2門(レーヴェは4門)、機雷24個。レオパルト(2代目)、パンター、ティーゲル、レーヴェの4隻が就役した。参考:写真集ドイツの巡洋艦
<レオポルド>:DE-319(護衛駆逐艦)を参照。
<レオポルドT世>:F930(フリゲート)を参照。
<レオン>:APA-48(攻撃輸送艦)を参照。
<レオン・ガンベッタ>:フランス海軍レオン・ガンベッタ級装甲巡洋艦1番艦Léon Gambetta。1905年竣工。1915年4月27日0041、オーストリア=ハンガリー帝国海軍U5潜水艦の魚雷2本を被雷して沈没した。参考:月刊世界の艦船7,’15、11,’24
<レオン・ガンベッタ級>:フランス海軍装甲巡洋艦Léon Gambetta級。通商破壊が主任務で、艦隊随伴作戦も行える。船型はタンブルホーム型、艦首は直立型。水線長146.45m、常備排水量13108トン。主機はレシプロ蒸気機関、速力22.57ノット。兵装は40口径19cm連装砲2基、45口径16cm連装砲6基、45口径16cm単装砲4門。装甲厚は舷側90-170mm。乗員728-821名。1番艦レオン・ガンベッタ、3番艦ヴィクトル・ユゴーなど3隻が1905-07年に竣工した。参考:月刊世界の艦船11,’24
<レガシー450>:エンブラエルの小型ビジネスジェットLegacy 450。2013年12月28日に原型機が初飛行し、2015年8月にブラジル連邦民間航空庁とFAA、9月にEASAの形式証明を取得した。オーソドックスなリアジェット機で、主翼はキャビン下面フェアリングから出る低翼配置、翼端にウイングレットを持ち、尾翼はT字。降着装置は前輪式引き込み脚、タイヤは全てダブル。操縦系統はフライ・バイ・ワイヤ。全長19.68m、全幅20.25m、全高6.43m。最大速度マッハ0.83、実用上昇限度13720m、航続距離5378km。乗員2名。客席数7-9。参考:世界航空機年鑑2018-2019
<レガシー500>:エンブラエルのビジネスジェットLegacy 500。2012年11月27日に原型機が初飛行し、2014年8月にブラジル連邦民間航空庁、12月16日にEASAの形式証明を取得した。レガシー450のキャビンを延長して客席数を増やしている。全長20.72m、全幅20.25m、全高6.44m。エンジンはハネウェル製HTF2Eターボファン双発、最大速度マッハ0.83、実用上昇限度13720m、航続距離5788km。乗員2名。客席数8-12。参考:世界航空機年鑑2018-2019
<レガシー600シリーズ>:エンブラエルのビジネスジェットLegacy 600。ERJ145の長距離型がベースである。参考:世界航空機年鑑2018-2019
<レガシー600>:主要コンポーネントはERJ145を流用し、胴体だけ短縮した。双発リアジェット機で、主翼はキャビン下面フェアリングから出る低翼配置でウイングレット付き、尾翼はT字。降着装置は前輪式引き込み脚。エンジンはロールスロイス社製AE3007A1E双発。乗員2名、キャビン・アテンダント1名。客席数13-37。参考:世界航空機年鑑2018-2019
<レガシー650>:航続距離延長型で、2010年10月にブラジル連邦民間航空庁とEASAの形式証明を取得した。エンジンをAE3007A2に換装し、胴体後部と中央翼に燃料タンクを追加、降着装置を強化した。アビオニクスをハネウェル社製プリムス・エリート、操縦系統をフライ・バイ・ワイヤに換装している。参考:世界航空機年鑑2018-2019
<レガシー650E>:全長26.33m、全幅21.17m、全高6.64m。最大速度マッハ0.8、実用上昇限度12500m、航続距離7223km。乗員2名。客席数13-14。参考:世界航空機年鑑2018-2019
<レガシー弾>:Legacy Projectiles。APDS・APFSDS以外の運動エネルギー弾(徹甲弾)の総称。参考:月刊グランドパワー10,’03
<レガシー・ホーネット>:F/A-18シリーズ(戦闘攻撃機)を参照。
<レガル>:ソ連海軍フォックストロット級潜水艦Regul。主任務は海洋観測支援で、セイル側面に艦名が記入されている。1982年9月、アブハシア級海洋観測艦バシキリヤと共に津軽海峡西方を航行していた。1983年2月12日0900頃、アブハシア級海洋観測艦バシキリヤと共に津軽海峡の東25kmを西に航行するのを、第2航空群P-2J対潜哨戒機が確認した。参考:月刊世界の艦船5,’83
<レキウ>:30(フリゲート)を参照。
<レキウ級>:マレーシア海軍フリゲートLekiu級。イギリスのGECヤーロー社で建造された。船型は長船首楼型で、上構幅を船体幅一杯に取り、船首楼後端まで続くナックルラインより上の舷側を船体と逆傾斜にし、マストは艦橋後方・煙突直前共にタワー型としてステルス性に配慮した。煙突直前の後部マスト上にシグナール社製DA08対空レーダーを搭載する。主砲用方位盤はマルコーニ社製タイプ1802で、艦橋上面と上構最後部ヘリ格納庫上に1基ずつ装備する。全長106m、幅12.75m、吃水3.6m、満載排水量2270トン。主機はMTU20V1163TB93ディーゼル4基、出力33000馬力、2軸推進、速力30ノット以上。兵装はボフォース57mm単装両用砲Mk2が1門(前甲板)、MM40エグゾセ・ブロックU艦対艦ミサイル4連装発射筒2基(前後マスト間。前方が右舷向き、後方が左舷向き)、シーウルフ艦対空ミサイル16セルVLS1基、30mmDS30B機関砲2門、3連装短魚雷発射管B515ILAS-3が2基(A244またはスティング・レイ短魚雷。ヘリ格納庫両舷)。後部にはスーパーリンクス1機の格納庫と飛行甲板がある。乗員152名、うち士官17名。1999年に1番艦艦番号29ジェバトと2番艦艦番号30レキウが竣工した。参考:月刊世界の艦船7,’13、3,’00、11,’14、3,’16、月刊軍事研究4,’00、JShips Vol.24、THE MILITARY BALANCE 2016
<レギオン>:ロッキード・マーチン社が開発したセンサー/データリンクポッド。AN/ASG-34IRSTとリンク16を内蔵し、空対地通信ポッドタロン・ヘイトの機能も統合する。アメリカ空軍がF-15C(センターライン・パイロンに装着)とF-16用に採用した。130基強を配備する予定。参考:月刊軍事研究8,’16、月刊航空ファン12,’17、12,’18、月刊JWings3,’22
<レキシントン>:CC-1(レキシントン級計画巡洋戦艦)またはCV-2(レキシントン級空母)またはCV-16(エセックス級空母)を参照。
<レキシントン級>:アメリカ海軍計画巡洋戦艦Lexington級。アメリカ初の巡洋戦艦で、第1次大戦の戦訓を元に1916・17・19年度計画で2隻ずつ計6隻の建造を予定した。最初の検討時には敵軽巡を駆逐する大型偵察巡洋艦という扱いで、装甲巡洋艦の延長線上にある艦(テネシー級装甲巡洋艦の後継)と考えていたらしく、速力第一の設計で、砲門数は初期案では40.6cm砲の3連装砲塔と連装砲塔を背負い式で艦前後に配していたが、後に連装砲塔を艦前後に2基ずつと戦艦の3分の2に減らしていて、装甲も薄かった。ただジュットランド海戦で痛い目を見たイギリスから、せめて金剛型に対抗できるだけの能力は持たせるべきと助言が入り、これを取り入れて建造に入っている。それでも金剛型に対して十分な装甲とはなっておらず、八八艦隊の天城型巡洋艦には砲門数も防御力も劣っていて、有効な戦力として使えたかは疑問である。船体中央前後に主発電機室、その舷側に缶室8室ずつ、主発電機室の後ろに主電動機室があり、1軸あたり電動機2基を繋いでいる。初期案では煙突が前後マスト後方に1本ずつと艦中央に5本の計7本もあったが、最終案では前部マスト後方と後部マスト前方に1本ずつの計2本に纏め、前後の缶室8室ずつを担当した。全長266.5m、水線幅30.5m、常備排水量43500トン(うち機関重量5743トン)、満載排水量51217トン。主機はターボ・エレクトリック方式、改良パーソンズ式またはカーチス式単胴ギヤード・タービン4基、過熱器付小径管ヤーロー缶(レキシントン)またはホワイト・フォースター3胴缶(サラトガ)またはバブコック・ウィリアム式またはウエスティングハウス式重油専焼缶(21.1気圧、272℃)16基、GE製直結ターボ発電機4基、主電動機8基、出力180000馬力、4軸推進、最大速力33.25ノット。兵装は50口径40.6cm連装砲塔4基、15.2cm砲16門。装甲厚は水線部178mm(下部で127mmにテーパー。傾斜角11.5度)、水平が上甲板57mm+下甲板51mm、砲塔前楯283mm、砲塔側面152mm、砲塔天蓋127mm。CC-1レキシントン、CC-2コンステレーション、CC-3サラトガ、CC-4レンジャー、CC-5コンスティテューション、CC-6ユナイテッド・ステイツの6隻が1920-21年に起工されたが、ワシントン条約でレキシントンとサラトガを空母に改造、他は廃棄が決定した。参考:近代戦艦史、月刊世界の艦船6,'20、3,’15、1,’12
<レキシントン級>:アメリカ海軍空母Lexington級。サラトガの方が先に竣工したのでサラトガ級とも呼ばれるが、正式にはレキシントン級である。元はレキシントン級巡洋戦艦として建造されていたが、ワシントン条約で廃棄対象となったため1922年7月1日に2隻を空母に改造することが決まったもので、第2次大戦前としては世界最大の空母だった。同条約の空母単艦基準排水量制限は27000トンだったが、巡洋戦艦から改造するとこの排水量では艦隊型空母として必要な性能を得られない事から20.3インチ砲を2門減の8門とする代わりに基準排水量を33000トンに拡大する特例条項を設け、結局それもオーバーし(公表要目上は33000トンで通した)、1923年10月に設計が承認されている。建造途中の巡洋戦艦から排水量制限付きの改造を行っているので、他のアメリカ正規空母とは構造がかなり違う。船体は大型で前後に長く、上甲板の上に格納庫を設けて飛行甲板を載せると排水量制限をオーバーするので、強度甲板を飛行甲板として低い位置に収め、錨甲板を露天甲板にできなかったのでエンクローズド・バウとし、主船体内に閉鎖式格納庫を設けた。ただ主船体内は機関室も大きなスペースを占めており、格納庫と飛行甲板の間にギャラリー・デッキを設けて居住区を確保している。船体が細身なので格納庫は長さ119.8m、幅20.7m、高さ6.1mと狭く、艦上機は主に露天繋止して格納庫で整備した。定数は艦戦48機+艦攻24機で、更に予備機(艦戦16機+艦攻8機)を分解して格納庫天井に吊すという案があったため、格納庫の天井が高くなっている。飛行甲板は前部が船体に合わせてテーパーした形状で、長さ264m、幅32.3m、装甲は無く、中心線上前後に内舷式エレベーター1基ずつ、飛行甲板前部に水上機用のF Mk2型カタパルト1基を持つ。アレスティングワイヤはMk2で、艦尾だけでなく艦首からも着艦できるよう飛行甲板前後両方に設置していた。前部エレベーターは長さ9m、幅18.1m、最大荷重7.3トン。後部エレベーターは長さ8.9m、幅10.1m、最大荷重2.7トン。アイランドと煙突は飛行甲板右舷中央にタンデム配置し、その前後にペンサコラ級重巡の主砲と同じ20.3cm連装砲塔を背負い式で計4基設置した。煙突は16缶の排気を担当する巨大な1本煙突で、排気が気流を乱して着艦の障害とならないよう、飛行甲板からの高さは24mもある。アイランド上部主砲射撃指揮所と煙突後部中段予備指揮所に20.3cm砲用Mk18方位盤、1-3番砲塔と航海艦橋に測距儀を装備する。他に高角砲用としてMk19方位盤を搭載した。艦首水線下はバルバス・バウだが、前方への突出は無い。船体下部はほぼ巡洋戦艦のままで、機関区画両舷に3-4層の多層防御とバルジを持つ。機関区画は格納庫から1甲板隔てて下の船体中央下部で、中央4区画がターボ発電機1基を収めた主発電機室、その両舷が片舷8区画ずつの缶室、その後方両舷が推進用電動機室(前方2区画が外舷軸1本ずつ、後方1区画が内舷軸2本)である。船体左舷に4箇所、右舷に1箇所の艦載艇格納レセスがある。鈍足の敵戦艦とは高速で距離をとり(つまり逃げる)、等速の敵巡洋艦とは必要に応じて砲戦を行う。全長270.7m、最大幅32.3m(39.7m?)、水線幅32.1m、吃水8.9m(7.4m?)、基準排水量36000-37681トン、満載排水量43054.6トン、緊急時最大47879.4トン。主機はターボ・エレクトリック方式、ジェネラル・エレクトリック式ターボ・エレクトリック機関(直結ターボ発電機1基+電動機2基)4組、主缶はヤーロー式(CV-3はホワイト・フォスター式)重油専焼水管缶(272℃、21気圧)16基、出力180000馬力、4軸推進、速力34ノット(CV-3は公試時に過負荷最大出力で34.99ノットを出した)、重油搭載量2637トン(設計時)/7277.7トン(最大)、航続距離9490海里(15ノット)。補助ターボ発電機(750kW)6基を装備する。兵装は55口径20.3cm連装砲4基(アイランド前方及び煙突後方に背負い式で2基ずつ)、25口径12.7cm単装高角砲Mk10が12門(前後両舷スポンソンに3基ずつ)、12.7mm機銃32丁。装甲厚は舷側127-178mm(傾斜11度)、甲板51mm、司令塔51-57mm。搭載機定数72機(艦戦48機+艦攻24機)、最大79機(90機?110機?)。乗員2372名、戦時2951名(3300名?)。CV-2レキシントンとCV-3サラトガが1927年に竣工した。後にアレスティング・ワイヤをMk3次いでMk4に換装している。1931年頃にカタパルトを撤去した。CV-2は1936年、CV-3は1941年に飛行甲板前部を矩形に拡幅する改装を行った。これで満載排水量が54000トンに達し、吃水が深くなりすぎて防御上の不安材料となっている。1942年、20.3cm連装砲塔を撤去して5インチ(127mm)連装両用砲に換装した。CV-2は両用砲が間に合わず、臨時に高射機関砲を積んで珊瑚海海戦に参加している。参考:月刊世界の艦船6,’17、12,’19、6,'20、10,'22、7,'15、7,’11、12,’14、6,’12、8,’16、第2次大戦のアメリカ軍艦、帝国海軍太平洋作戦史T、歴史群像4,’17
<レギュラス>:N88(R級潜水艦)またはT-AKR-292(輸送艦)を参照。
<レギュラス・シリーズ>:アメリカ海軍潜水艦発射対地ミサイルRegulus。制式名称はSSM-N-8/SSM-N-9、後にRGM-6/RGM-15。1945年10月にアメリカ海軍がルーン巡航ミサイルの実験結果を基に各社に要求(当時はミサイルでなくPilotless Airclaft/無人機と呼ばれた)し、ボート社の案が採用されて1946年6月から開発され、ソ連の核保有が明らかとなった1949年に戦略核兵器となることが決定した。参考:現代の潜水艦、月刊世界の艦船3,’05、世界の傑作機No.1
<SSM−N−8>:訓練用ミサイル。参考:世界の傑作機No.1
<レギュラスT>:SSM-N-8a、1962年以降RGM-6。1951年3月29日に初飛行した。後退角付きの主翼と垂直尾翼があるが、水平尾翼は持たない。重巡や攻撃空母のランチャーから推力30000ポンド(13.6トン)のRATOを2基装着して発射するか、使い捨てドリーに載せて攻撃空母のカタパルトから射出する。潜水艦から発射する際には浮上して格納筒に収容されているレギュラスTを引き出し、主翼や尾翼を展開してカタパルト発進させるという手間がいる。全長31フィート4インチ(9.55m)、全幅21フィート(6.4m)、発射重量12000ポンド(5.4トン)。弾頭はMk5Mod0核弾頭(120キロトン)。エンジンはアリソンJ33-A-18A(推力4600ポンド/2.1トン)で、最大速度マッハ0.95、射程500海里・926km。誘導はレーダービーコンを使用したコマンド式で、ミサイルに搭載されたAN/DPN-37/-38から出されるXバンドレーダービーコンを、発射水上艦や他艦艇のマスト頂部にあるAN/SPO-2または潜望鏡深度の潜水艦からアンテナだけ海面に出したAN/BPQ-1/-2で受信し、目標上空まで誘導してやる必要があった。機体はそのまま空中爆発したり、急降下で地上に突入して爆発したりする。CEPは4600m。電波が届く距離までしか誘導できないので、AN/BPQ-1なら200海里、AN/BPQ-2なら350海里しか有効射程が無く、AN/BPN-1ラジオビーコンを搭載した別の潜水艦(最大射程を活かすなら2隻以上必要)が目標近くでアンテナだけ海面に出し、発射艦のラジオビーコンと共同で双曲線グリッドを作って誘導を行う方式も開発された。それでも内陸に届かせるには限界があるため、F9F-6D戦闘機またはFJ-3D戦闘機にAN/ARW-55誘導送信装置を搭載し、ミサイルのAN/ARW-26誘導受信装置に向けて誘導電波を送る方式も採用されている。これにより、実験ミサイルを飛翔テスト終了後に帰還させてデータを回収することも出来た。テスト飛行時にちょくちょく人家の近くに墜落したので、機密保持のためパラシュートを背負ったテストパイロット役を待機させ、墜落したらジープで現場に送り込んで有人機の事故を装うこともあったらしい。1952年11月3日にはAVM-1ノートンサウンドからの水上発射、1953年7月15日にはSS-282タニーからの水上発射に成功。1954年5月に実戦配備された。SS-282タニーの他にSS-317バーベロが格納筒及び発射筒を司令塔後方に装備する改修を受けている。また、重巡4隻と空母10隻などに水上発射型の運用能力が付加された。後に核弾頭をMk5Mod1に換装し、1957年9月にはMk27Mod0水爆(2メガトン)を搭載した。参考:世界の傑作機No.1、アメリカの核兵器、現代の潜水艦、月刊世界の艦船3,’05、5,’14、月刊軍事研究8,'15、アメリカ潜水艦史
<レギュラスU>:SSM-N-9、1962年以降RGM-15。1952年6月からチャンスボート社が開発した超音速版である。コクピットの無い前部カナード付き無水平尾翼無人機といったような外見をしている。エアインテイクは胴体下面にあり、下部が前方に突き出した形状である。全長57フィート6インチ(17.5m)、全幅20フィート1インチ(6.1m)、重量23000ポンド(10.4トン)。エンジンはJ79-GE-3(推力12000ポンド・5.4トン)、最大速度マッハ2(高度20000フィート・6096m)、最大射程1000海里・1852km(2200km?)。核弾頭はW27(2メガトン)。飛翔速度が速いため、最大速度マッハ1.5のF8U-1D(DF-8A)にAN/ARW-55を積んだ。1956年に初飛行し、降着装置付のXSSM-N-9飛行テスト機で実験を繰り返した後、1958年9月18日にSSG-574グレイバックからの発射に成功して制式採用され、グレイバック級潜水艦SSG-574グレイバック、グロウラー級潜水艦SSG-577グロウラー、ハリバット級原潜SSGN-587ハリバットの艦首に格納筒と発射台を取り付けて実用化された。ただ搭載艦が浮上してレギュラスUを発射し、ロラン及び自動操縦装置に切り替えるまで潜望鏡深度で無線誘導する必要があり、ポラリス弾道ミサイルの開発に目処が付いたこともあって1958年12月に開発打ち切りとなり、200発生産されたものの1年ほどで退役(1964年退役?)を余儀無くされ、地対空ミサイルの標的機になった。レギュラスU搭載潜水艦は搭載ミサイルをレギュラスTに切り替えている。参考:世界の傑作機No.1、月刊丸2,’08、現代の潜水艦、月刊世界の艦船3,’05、核兵器図鑑、アメリカの核兵器、月刊軍事研究12,’16、アメリカ潜水艦史
<レギュラス・ファミリー>
<BQM−6C>:レギュラスTの無人標的機型で、当初はKDU-1と呼ばれた。参考:世界の傑作機No.1
<MQM−15A>:レギュラスUの無人標的機型で、当初はKD2U-1と呼ばれた。参考:世界の傑作機No.1
<レキル>:26(フリゲート)を参照。
<レグアル>:レオパルト1戦車・海外ファミリーを参照。
<レグアン>:MLC70(装甲橋)を参照。
<レゲレ・カロルT世>:ロシア海軍水上機母艦Regele Carol T。1916年にルーマニア商船を改造したものである。常備排水量2368トン。速力18ノット。小型飛行艇4機を搭載する。参考:月刊世界の艦船11,’00
<レゲンダ>:Legenda。ソ連の人工衛星を利用した海洋情報収集システムで、パッシブ・アクティブの両手段で空母機動部隊などを捜索追尾する。1960年代初期から開発が開始され、1973年からUS-Aレーダー衛星、1974年から光学偵察衛星の打ち上げが行われ、1978年から稼働した。レーダー衛星には小型原子炉が積まれており、重量4.3トン、軌道高度280km、軌道傾斜角65度を周回し、光学衛星は太陽電池を積み、重量3.3トン、軌道高度420km、軌道傾斜角65度を周回する。他にUS-PM電子情報収集衛星もセットで運用される。これらの衛星からの情報は、地上司令部、水上艦艇、原潜で受信でき、それぞれで解析を行うが、この解析装置の小型化に失敗して非常にかさばるものとなってしまった。1982年のフォークランド紛争時に運用され、イギリス軍上陸を事前に予測できたとされる。US-A衛星の打ち上げは1988年、US-PM衛星の打ち上げは2006年が最後となっており、後継としてリアーナを開発中。参考:ソ連/ロシア原潜建造史、月刊軍事研究5,’13、月刊世界の艦船11,’14
<レコン>:偵察隊(陸上自衛隊)を参照。
<レザーバック>:SS-394(潜水艦)を参照。
<レジーナ・エーレナ>:イタリア海軍レジーナ・エーレナ級戦艦Regina Elena。1907年9月11日竣工。1921年3月、沿岸装甲艦に艦種変更された。1923年3月に除籍された。参考:月刊世界の艦船10,’22
<レジーナ・エーレナ級>:イタリア海軍戦艦Regina Elena級。全長144.6m、常備排水量12691トン。主機はレシプロ蒸気機関2基2軸19000馬力、速力21ノット。兵装は30.5cm単装砲2門、20.3cm連装砲6基、7.6cm単装砲16門、4.7cm回転機砲10基、45cm魚雷発射管2門。レジーナ・エーレナなど4隻が竣工した。参考:月刊世界の艦船10,’22
<レジーナ・マルゲリータ>:イタリア海軍前弩級戦艦Regina Margherita。1916年12月11日、ヴァローナ沖でドイツ海軍UボートUC14の敷設した機雷2発に触雷して沈没した。参考:月刊世界の艦船8,’15
<レシーバー>:尾筒を参照。
<レシーバー・トランスミッター・レーダ>:自衛隊の機器。丸紅エアロスペースが受注している。参考:月刊軍事研究3,’18
<レシーバ・トランスミッター・ラジオ・ナビゲーション>:自衛隊の機器。日本エアロスペース製。参考:月刊軍事研究12,’18
<レシーバ・ラジオ・ナビゲーション>:自衛隊の機器。日本エアロスペース製。参考:月刊軍事研究12,’18
<レジール・フェルディナンド>:F221(フリゲート)を参照。
<レジール・フェルディナンド級>:22型バッチ2フリゲート(ルーマニア海軍)を参照。
<レシェフ級>:サール4型(ミサイル艇)を参照。
<レジオン・ド・ヌール勲章>:フランスの勲章で、ナポレオン・ボナパルトが1802年に創設した。国家元首級のグラントクロワ、首相級のグラントフィシエ、大臣級のコマンドゥール、将校のオフィシエ、騎士のシュバリエがあり、軍人も民間人も対象としている。2016年11月15日、武居海上幕僚長が現役自衛官として初めてオフィシエを授与された。2020年、山崎統幕長がオフィシエを授与された。2022年2月10日、山村海幕長がオフィシエを授与された。5月25日、井筒空幕長が授与された。参考:朝雲
<レジス>:VR-3(無人機)を参照。
<レジスター>:APD-92(高速輸送艦)またはDE-233(護衛駆逐艦)を参照。
<レジスタンス>:第2次大戦中、ドイツ占領下のフランス人抵抗運動が戦後こう呼ばれるようになった。単に占領軍に対する被占領国民の抵抗、と定義するなら、イラク戦争後に米英軍を攻撃しているイラク人もこう呼ばれる筈だが…。参考:軍事研究3,’04
<レジスタンス(フランス)>:1940年6月22日のフランス被占領から暫くは抵抗運動がほぼ無かったが、独ソ戦開戦後の1941年8月21日に共産党員レジスタンスがパリでドイツ将校1名を殺害し、共産主義者抵抗組織による抵抗運動が開始された。これに対してドイツ軍は50-100倍のフランス人を銃殺する報復で応え、ヴィシー政府や自由フランス政府がレジスタンス活動の中止を布告する事態となっている。1942年夏、イギリスの支援で非共産主義のレジスタンス組織が発足。ドイツ軍による報復を避けるため、主に情報収集を行った。1943年2月にドイツがフランス人を強制労働に駆り立てるようになると、それを逃れるべく森林や山岳地帯に隠れたフランス青年がマキ(森林・灌木地帯)やマキザールと呼ばれるレジスタンス組織を結成し、夏頃から鉄道や電力網の破壊作戦を開始。ドイツ軍は苛烈な掃討作戦を行い、レジスタンス側はドイツ軍の武器を奪って対抗しようとしたものの軍事訓練を受けておらず、戦闘で23000人が殺害されるなど多大な損害を出した。5月21日にはシャルル・ド・ゴール将軍がフランス国内に秘密軍事組織を創設することにしてドレストレン将軍を司令官に任命したが、将軍がドイツに逮捕されてしまい、シャバン・デルマス国家軍事委員をトップとする新しい秘密軍事組織を作り直す羽目になり、フランス国内のレジスタンス組織が統一指揮や軍事訓練を受けて活動するようになるのは1944年6月のノルマンディ上陸作戦を待たなければならなかった。それ以降はレジスタンス参加者もそれまでの4-5倍に達する15万人を数え、アイゼンハワー将軍はレジスタンスの妨害活動が連合軍15個師団分に相当すると賞賛している。参考:月刊軍事研究12,’73
<レジスタンス(ポーランド)>:1939年9月20日にワルシャワが占領されると、フランス国内にポーランド臨時政府が樹立され、フランスのラジオ放送やイギリスのBBCがポーランドへの放送を開始、ポーランド民衆が多数のレジスタンス組織を立ち上げ、現役軍人が組織した内国軍も加わり、ナチスに対する抵抗運動を開始した。イギリスは空挺降下による工作員潜入や空中投下による支援物資供与も行っている。ドイツ軍への直接攻撃やインフラ破壊活動は苛烈な報復(時に数千人を惨殺)を受けたため、情報活動や鉄道破壊工作などを実施した。1940年、フランスがドイツに占領されたため、ポーランド臨時政府はイギリスのロンドンに移った。1941年6月、ドイツ軍がソビエト国境に集結していることをイギリスに報告。チャーチル首相がスターリンに伝達したが、スターリンが信じなかったため、バルバロッサ作戦の奇襲を許した。独ソ戦が始まると、ポーランド臨時政府とソ連政府が協定を結び、外交関係を再開。ポーランド軍再建のため、ソ連のポーランド人捕虜(軍人40000名、民間人25000人)が解放されたが、反ソ連感情は根強く、ソ連軍隷下でドイツ軍と戦闘を行うのを拒否し、イラン経由でイギリス領の中東に脱出している。12月、スターリンがポーランド人共産主義者からなるポーランド愛国者同盟と、人民前衛軍を創設させた。1942年5月、イギリスがランカスター爆撃機及びリベレーター爆撃機による空挺降下・空中投下支援を開始。1943年4月13日、カチンの森事件が発覚。ドイツがソ連によるものであると発表したため、ポーランド臨時政府トップのシコルスキー将軍がソ連に回答を求めると、ソ連はポーランド臨時政府との外交関係を打ち切り、ソ連領内のルブリンにポーランド民族解放委員会を置き、ポーランド人軍隊を組織した。これに対し、内国軍は反共委員会を創設し、ソ連・ポーランド国境の変更を認めないと表明している。1944年、イタリア降伏で空挺降下・空中投下支援を連日行えるようになり、ポーランド占領からポーランド解放までに858回の降下・投下作戦が計画され、483回成功し、指導者や工作員345人と武器弾薬600トンを供給している。1942-44年、無線通信またはストックホルム経由での情報要員によるロンドンへの情報提供を300回行った。1944年7月、ソ連軍がヴィツスラ河付近に進出。内国軍はソ連軍に協力したが、ソ連軍はドイツ軍を追い払うと現地の内国軍幹部を逮捕し、組織を解体した。ソ連がポーランドを再び勢力下に置く意図が明らかとなったため、ポーランド臨時政府は先んじてワルシャワでのレジスタンス一斉蜂起を決定。8月1日にレジスタンス40000人がドイツ軍への攻撃を開始したが、小銃や機関銃すら半分にしか行き渡らず、弾薬は7日分弱しか無く、米英側が航空機300機で武器弾薬230トンを投下したが焼け石に水で、ソ連軍やポーランド人民軍は全く支援せず、戦死1000人・戦傷7000人の損害を出して9月28日に降伏した。ソ連軍は1945年1月12日からワルシャワを攻撃してポーランドを解放、ポーランド民族解放委員会をポーランド臨時政府に据えてソ連の勢力圏下に置いている。参考:月刊軍事研究12,’73
<レシテルニ級>:パウクT級魚雷艇(ブルガリア海軍)を参照。
<レシテルヌイ>:ソ連海軍プロジェクト61ME型ミサイル駆逐艦Reshitelny。1968年竣工。参考:月刊世界の艦船3,’92増刊
<レジナ・エレナ級>:イタリア海軍戦艦。常備排水量13000トン。速力21ノット。兵装は30.5cm砲2門。4隻が就役した。参考:月刊世界の艦船4,’17
<レジナルド・ジュリアーニ>:イタリア海軍コンソーレ・ゲネラーレ・リウッツィ級潜水艦Reginaldo Giuliani。1940年2月3日就役。1943年9月10日にシンガポールで日本軍に接収され、ドイツ国防軍に引き渡されてUIT23となった。参考:ナチスUボート
<レシプロ・エンジン>:Reciprocating Engine(往復式エンジン)。ピストン・エンジン(Piston
engine)ともいう。燃料の燃焼によって生じたエネルギーをピストンの往復運動に換え、ピストンに接続されたコンロッドによりクランクシャフトを回し、回転エネルギーとして取り出すエンジン。熱エネルギーを直接ピストンに伝えるのは内燃機関、蒸気機関のように蒸気などを介して間接的にピストンに伝えるのは外燃機関と呼ばれる。内燃機関ではシリンダー内に燃料と酸化剤を吸気し、ピストンで圧縮して点火すると、爆発・膨張によりピストンが押し戻され、その後燃焼ガスを排気する、を繰り返して出力を得る。外燃機関では蒸気などをシリンダーに吹き込んでピストンを押し下げ、エネルギーを失った蒸気などを排気する、を繰り返す。出力を上げるには排気量かシリンダー数を増やせば良く、多数のシリンダーをコンパクトに纏めるため星型エンジンや直列エンジンといった配置が考案された。往復運動により振動が発生する、往復運動を回転運動に変換する際の機構が複雑で高速回転が難しいといった欠点がある。1680年に化学者のホイヘンスが考案した化学エンジンが最初で、これはシリンダーの中で火薬を燃焼させてピストンを持ち上げ、燃焼ガスを排出した後に一方向弁を閉じる構造になっていた。シリンダー内部が冷えるにつれてピストンが下がっていくので、ピストンに繋いだロープにより牽引力が得られるという面倒くさいシステムである。その後火薬でなく蒸気を使用したシステムが1705年に実用化され、ワットが蒸気でピストンを押す力を動力として取り出すシステム(レシプロ蒸気機関)を1781年に開発した。しかしボイラーの爆発事故が相次いだ上にエンジン容積が大きいという欠点もあり、フランスのルノワールが2サイクル式の内燃機関を開発し、1876年にドイツのオットーが実用的な4サイクルエンジンを完成させ、1881年にイギリスのクラークが実用的な2サイクルエンジンを製作した。ただし両者とも燃料にガスを使用していたので、配管などに問題があり、ダイムラーがガソリンエンジンを開発して強力なレシプロ・エンジンが完成した。参考:自動車エンジンの技術、月刊JWings1,’01、自動車メカニズム図鑑、月刊軍事研究4,’12、航空用語事典増補改訂版
<レシプロ蒸気機関>:蒸気を使用したレシプロ・エンジンで、主缶で蒸気を発生させ、それを利用してピストンを動かし、駆動軸を回転させる。シリンダーには上下に蒸気流入用の孔が開いていて、クランクシャフトに接続されたバルブにより交互に開閉し、ピストンが上下どちらに動く時にも力を加えるようになっている(複動式)。ちなみにバルブの位相を180度変更すればエンジンの回転が逆になり、後進が可能となる。これにより、以前の体力勝負の人力漕艇や風任せの帆走と違って艦船が安定した速力で運航できるようになった。推進装置としては当初外輪が使われていたが、後にプロペラが開発されている。軍用では高さを抑えるため口径を大きくして行程の短いタイプが使用されており、回転速度が速い。ピストンを2-3段用意して効率を高めている(二段/三段膨張式)が、それでも蒸気タービンに比べれば効率は悪い。ただし取り扱いや製造が簡単でコストが安く、性能に目を瞑れる戦時急造艦などに搭載された。軍艦で最初に搭載したのは1816年にアメリカで就役したデモロゴスで、単気筒・出力120馬力のレシプロ蒸気機関を搭載して5.5ノットを出した。参考:月刊世界の艦船10,’11、2,’15、9,'24、歴史群像10,’06、丸スペシャルNo.78
<レジメント>:連隊を参照。
<レジャイナ>:FFH334(フリゲート)を参照。
<レシャディエ級>:トルコ海軍計画戦艦Reshadieh級。1911年にイギリスに3隻を発注した。常備排水量25250トン、速力21ノット。兵装は34.3cm砲10門、15.2cm砲16門など。装甲厚は水線部305mm、甲板部76mm。レシャディエ、レシャド・イ・ハミス、ファティを建造予定だったが、翌年バルカン戦争が勃発したため1隻の発注を取り消し、1番艦レシャディエは進水後に第1次大戦が勃発したためイギリスが敵になると予想されるトルコには引き渡さず1914年に徴発して自国でエリンとして就役させ、残る1隻も1914年に起工直後に解体された。参考:月刊世界の艦船6,'20、近代戦艦史
<レス>:日本海軍スラングで、料亭のこと。レストランのレス。参考:日本海軍史
<レスールス・シリーズ>:ソ連・ロシアの衛星。参考:月刊軍事研究5,’13
<レスールス>:ソ連の商業用画像衛星だが、軍用の広域偵察衛星としても使用できる。寿命は通常30日、最大76日。湾岸危機の際には7号(レスールスF7)が軌道上にあり、8・9号も続けて打ち上げられた。参考:軍事分析湾岸戦争
<レスールスDK1>:ロシア気象庁/農業省/国家非常事態省の光学偵察衛星で、TsSKBプログレスが開発した。解像度はモノクロで1m、カラーで2m。2006年に打ち上げられた。参考:月刊軍事研究5,’13
<レスールスP>:ロシア連邦宇宙庁が2013年に打ち上げを予定している光学偵察衛星で、レスールスDK1の改良型。参考:月刊軍事研究5,’13
<レスールスR>:ソ連の軍民共用合成開口レーダー衛星。1991年に最終号機が打ち上げられた。参考:月刊軍事研究5,’13
<レスカット>:ATDS(対魚雷装置)を参照。
<レズキイ>:ソ連海軍クリヴァクU型フリゲートRezky。1976年竣工。参考:月刊世界の艦船3,’92増刊
<レスキュー・スペシャル・フォース>:RSFを参照。
<レスキュー・チェンバー>:潜水艦救難に使用する釣り鐘状の耐圧カプセルのこと。沈没潜水艦のハッチ中央部からメッセンジャー・ブイを繰り出し、ブイ係留ワイヤを辿って潜水艦救難艦からケーブルをハッチに接続、それに沿ってレスキューチェンバーを降下させてハッチ上に固定し、乗員を内部に移乗脱出させる。海流が穏やかで(流速3.5ノットまで)ハッチがほぼ水平(せいぜい傾斜30度まで)になっていないと接続できない、潜水艦救難艦が潜水艦の直上に正確に4点繋留しなければならない、といった欠点がある。参考:月刊世界の艦船6,’17、12,’13、9,’12増刊、現代の潜水艦
<レスキューベスト>:自衛隊の機器。クラレ製。参考:月刊軍事研究3,’18
<レスキューユニット(緊急酸素)>:自衛隊の機器。海外物産が受注している。参考:月刊軍事研究8,’18
<レスキューリュック>:自衛隊の機器。帝国繊維製。参考:月刊軍事研究3,’18
<レスキュ・ネット>:海上自衛隊のレスキュー用吊り上げ装備品。要救助者を背中から包むようにくるみ、ホイスト・ケーブルで吊り上げて救助する。参考:MAMOR vol.103
<レスター>:DE-1022(護衛駆逐艦)を参照。
<レスティゴーシュ>:DDE-257(護衛駆逐艦)を参照。
<レスティゴーシュ級>:カナダ海軍護衛駆逐艦Restigouche級。サン・ローラン級の改良型で、前甲板の主砲をイギリス制式76mm連装砲Mk6に変更している。装備位置も少し高くなったので、艦橋を半甲板分高くして視界を確保した。後部主砲は防楯無しのMk33のままで、後に防楯付きに換装している。基準排水量2366トン。DDE-257レスティゴーシュ、DDE-236ガティノー、DDE-256サン・クロワ、DDE-259テラ・ノヴァなど7隻が就役した。1966-73年、4隻に対してアスロック8連装発射機を追加する改装を実施。後甲板に装備スペースを確保するためMk33とリンボー1基を撤去した。艦尾にはVDSを追加している。基準排水量は2390トンになった。参考:月刊世界の艦船3,’12
<レストア・ホープ作戦>:リストア・ホープ作戦を参照。
<レストアリング・ホープ作戦>:イエメン内戦を参照。
<レストレス>:PG-66(コルベット)を参照。
<レスピレーター>:ガスマスクを参照。
<レズブイ>:ソ連海軍クリヴァクU型フリゲートRezvy。1975年竣工。参考:月刊世界の艦船3,’92増刊
<レスプブリカ>:インペラトール・パウエル1世(戦艦)を参照。
<レスポアール>:フランス海軍ルドゥタブル級潜水艦L’Espoir。1932年竣工。1942年に自沈した。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<レスモック>:19世紀末にウィンチェスター社が発売した発射薬で、レス・スモークをもじっている。黒色火薬85%にニトロセルロース15%を混合したもので、比較的発砲煙が少ない。参考:GUN用語事典
<レスラー>:D35(護衛艦)を参照。
<レスリー>:A172(曳船)を参照。
<レスリー・L・B・ノックス>:DE-580(護衛駆逐艦)を参照。
<レセス>:錨やVDSなどを収容するためのへこみ。参考:月刊JWings2,’00
<レゼツ>:V006(レーダー)を参照。
<レソト軍>:2014年9月、クーデターが起きた。混乱収束のため、年末に南アフリカが警察140名を派遣している。2015年半ば、前の軍司令官が殺害された。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<レソト軍(1989年)>:兵力2000名。歩兵中隊7個、支援中隊1個、飛行隊1個からなる。ラブタ偵察車10両、81mm迫撃砲、Bo105ヘリ2機、ベル412ヘリ3機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990
<レソト軍(2015年)>:現役兵力2000名(うち航空団110名)。偵察中隊1個、歩兵中隊7個、飛行隊1個、砲兵中隊1個、支援中隊(迫撃砲装備)1個からなる。T-55戦車1両、AML-90偵察車4両、BRDM-2偵察車2両、RAM-2000偵察車6両、RBY-1偵察車10両、S52ショーランド偵察車8両、105mm砲2門、81mm迫撃砲10門、106mm無反動砲M40を6門、C-212-300輸送機2機、GA-8輸送機1機、ベル412ヘリ1機、ベル412EPヘリ2機、ベル206ヘリ1機、H135ヘリ1機を保有する。スーダンにUNAMIDオブザーバー2名を派遣している。参考:THE MILITARY
BALANCE 2016
<レゾナンスNE>:ロシア軍の早期警戒レーダー。使用周波数はVHF。イランも配備した。2020年8月24日、イラン配備レーダーがF-35を探知追尾したとタス通信が報じたが、情報源がレーダー開発元であり、本当かどうかは不明。参考:月刊JWings11,’20
<レゾリューション>:09(戦艦)またはL208(揚陸艦)またはS22(戦略原潜)を参照。
<レゾリューション>:ニュージーランド海軍レゾリューション級測量艦Resolution。1997年2月就役。2013年(2012年?)に退役した。参考:月刊世界の艦船11,’00、1,’14、6,’19
<レゾリューション級>:イギリス海軍戦略ミサイル原子力潜水艦Resolution Class。R級とも呼ばれる。アメリカとの原子力に関する相互協定(1958年締結)とポラリス売却協定(1963年)に基づいて最優先工事で建造された。常時2隻の作戦配備を目指し、5隻を建造する予定だったが、予算の関係で4隻になったため、1隻しか常時配備出来なくなった(他の2隻は乗員交替・補給・パトロール海域への往復路途上、1隻はオーバーホール/核燃料交換)。乗員は2チーム交代制である。潜舵は艦前部の吃水線よりも上に付く。全長129.5m、全幅10.1m、吃水9.1m、水上排水量7600トン、水中排水量8500トン。主機は原子力蒸気タービン方式、PWR1原子炉+蒸気タービン、出力15000馬力、1軸推進、水中速力25ノット。兵装はA-3T/A-3TKポラリスA3ミサイル16発、自衛用の533mm魚雷発射管6門。乗員143名。1963年1月に1番艦が発注され、1967-69年にS22レゾリューション、S23レパルス、S26レナウン、S27リベンジの4隻が就役した。1996年までに退役した。参考:月刊軍事研究5,’01、5,’17、12,’16、月刊世界の艦船12,’11、5,’83、10,’23
<レゾリューション級>:ニュージーランド海軍測量艦Resopution級。元はアメリカ海軍音響測定艦テネイシャスで、1996年に取得してレゾリューションと命名し、1997年2月に就役させたものである。主任務は水路測量で、音響測定も行う。満載排水量2262トン。参考:月刊世界の艦船11,’00
<レゾリュート・ドラゴン>:陸上自衛隊とアメリカ海兵隊の共同実動演習「不屈の龍」。ノーザン・ヴァイパーの後継で、対象を全国の陸自部隊に広げており、アメリカ海兵隊との相互運用性向上を目的として2021年に開始された。2023年に師団規模から方面隊規模に拡大し、指揮所演習も加わっている。参考:月刊JWings2,’22、朝雲
<レゾリュート・ドラゴン21>:2021年12月4-17日に矢臼別演習場、八戸演習場、岩手山演習場、王城寺原演習場、霞目駐屯地などで実施された。陸上自衛隊から第9師団第5普通科連隊、東北方面特科隊、東北方面航空隊など隊員1400名、航空機7機、アメリカ海兵隊から人員2560名、第3海兵師団第4海兵連隊第2-8大隊、M142HIMARS、F/A-18戦闘機、KC-130J空中給油輸送機、第1海兵航空団第36海兵航空群VMM-262所属MV-22B輸送機10機、第24海兵航空群HMLA-369所属AH-1Z、同UH-1Y、HMM-466所属CH-53Eが参加し、離島防衛を想定した各種訓練を行った。UH-1Yヘリや第27特殊戦航空団第524特殊戦飛行隊C-146A輸送機が人員・貨物輸送支援にあたっている。東北防衛局は11月21日から12月23日まで王城寺原演習場内に現地連絡本部を設置し、三沢防衛事務所や岩手山演習場にも職員を派遣、情報提供や騒音測定などを行った。参考:月刊JWings2,’22、朝雲
<レゾリュート・ドラゴン22>:2022年10月1-14日、北海道各地の演習場(矢臼別演習場や上富良野演習場など)で実施された。陸上自衛隊から第2師団司令部、第3即応機動連隊、第2後方支援連隊、第1特科団、第1電子隊、第3施設団、北部方面航空隊など2700名、16式機動戦闘車、中距離多目的誘導弾、MLRS、地対艦誘導弾、電子戦システム、AH-1S対戦車ヘリなど、アメリカ海兵隊から第3海兵師団第12海兵連隊、第3海兵連隊第3海兵大隊、第36海兵航空群、第3海兵後方支援群など1400名、HMLA-469所属AH-1Z攻撃ヘリ、同UH-1Y汎用ヘリ、HMH-361所属CH-53E強襲輸送ヘリ、VMM-265所属MV-22B輸送機、HIMARS、ジャベリン対戦車ミサイルなど、アメリカ空軍からCV-22B特殊作戦輸送機などが参加し、島嶼作戦における陸自領域横断作戦CDO・アメリカ海兵隊機動展開前進基地作戦EABOの連係強化及び共同作戦能力の向上を図っている。参考:月刊JWings12,’22、1,’23、朝雲
<レゾリュート・ドラゴン23>:2023年7月10-17日、前段の指揮所演習を実施。レゾリュート・ドラゴンでは初の指揮所演習で、陸自から西部方面総監部、第8師団、西部方面情報隊、西部方面特科隊、第2高射特科団、西部方面航空隊、西部方面システム通信群、西部方面後方支援隊、西部方面衛生隊、九州補給処など、アメリカ海兵隊から第3海兵遠征軍司令部、同軍情報群、第12海兵連隊、第1海兵航空団、第3海兵兵站群などが参加し、建軍駐屯地、北熊本駐屯地、那覇病院、牧港補給地区などで、島嶼作戦での陸自領域横断作戦CDOとアメリカ海兵隊機動展開前進基地作戦EABOを踏まえた相互連携要領を演練した。10月14-31日、後段の実動訓練を実施。西部方面隊基幹の方面隊作戦レベル演習で、建軍駐屯地、高遊原分屯地、日出生台演習場、十文字原演習場、霧島演習場、瀬戸内分屯地、矢臼別演習場、沖縄県内の一部の自衛隊施設及び在日米軍施設などで行われ、陸上自衛隊から5000名、西部方面総監部、第8師団、第15旅団、西部方面情報隊、西部方面特科隊、第2高射特科団、第5施設団、西部方面航空隊、西部方面システム通信群、西部方面後方支援隊、西部方面衛生隊、九州補給処、第1ヘリコプター団など、アメリカ軍から1400名、第3海兵遠征軍司令部、第3海兵師団司令部、第4海兵連隊、第12海兵連隊、第3海兵遠征軍情報群、第1海兵航空団、第3海兵兵站群、アメリカ陸海空軍などが参加し、島嶼防衛作戦での陸自領域横断作戦CDOとアメリカ海兵隊機動展開前進基地作戦EABOを踏まえた連携要領を具体化するための共同訓練を行った。陸自V-22輸送機が初めて沖縄県に飛来し、高遊原分屯基地から瀬戸内分屯基地経由で新石垣空港に着陸、負傷隊員を乗せて高遊原分屯基地に戻っている。19式装輪自走155mm榴弾砲は北海道で初の実射訓練を行った。10月21日、北海道計根別飛行場にVMGR-152所属KC-130J空中給油輸送機が飛来し、矢臼別演習場で訓練を行うHIMARSを運び込んだ。10月29日、北海道計根別飛行場にVMGR-152所属KC-130J空中給油輸送機が飛来し、演習で使ったHIMARSを積んで離陸、横田基地に向かった。参考:陸上自衛隊ホームページ、月刊JWings1,’24
<レゾリュート・ドラゴン24>:令和6年度米海兵隊との実動演習。2024年7月28日から8月7日、アメリカ海兵隊岩国基地、健軍駐屯地、高遊原分屯地、大矢野原演習場、日出生台演習場、目達原駐屯地、沖縄県内自衛隊施設・在日米軍施設で行われ、西部方面総監部、第4師団、第8師団、第15旅団、西部方面情報隊、第2特科団、第7地対艦ミサイル連隊、第2高射特科団、西部方面航空隊、西部方面システム通信群、西部方面後方支援隊、西部方面衛生隊、九州補給処、自衛隊那覇病院、陸上総隊、第1ヘリコプター団、輸送航空隊など、アメリカ海兵隊第3海兵遠征軍司令部、同軍情報群、第3海兵師団、第1海兵航空団、第3海兵兵站群、アメリカ海兵隊太平洋基地所属部隊、アメリカ陸軍・海軍・空軍の一部などが参加し、島嶼防衛作戦における陸自領域横断作戦CDOとアメリカ海兵隊機動展開前進基地作戦EABOを踏まえ、作戦レベルと戦術レベルにおける連携要領の具体化を図るべく、アメリカ海兵隊との共同訓練を行った。参考:陸上自衛隊ホームページ
<レソループ>:ソ連の艦載自動戦闘情報システムASBUで、樵の意。それまでの艦載戦闘情報システムBUISであるコーレニやアレーヤ−2シリーズが巡洋艦以上にしか積めない大型高価なシステムだったため、小型安価に纏めて全水上艦共通システムとし、射撃指揮装置の進化に合わせて自動化を更に進め、部分的にオープン・アーキテクチャも取り入れて改修を容易にした。アドミラル・クズネツォフ級、11442型キーロフ級、スラヴァ級、ウダロイ級、ソブレメンヌイ級などに搭載された。参考:月刊世界の艦船12,’18
<レゾルト・レスポンス作戦>:アメリカ軍が1998年8月20日から実施した作戦。アフガニスタンとスーダンにトマホーク79発を発射した。参考:月刊軍事研究5,’18
<レゾルブ>:ソ連海軍艦載戦闘システムResorub。キエフ級空母4番艦やウダロイ級駆逐艦に搭載された。参考:月刊世界の艦船6,’22
<レター・エイト>:ブルーインパルス曲技飛行の1つ、Letter Eight。会場後方から4機(1-4番機)が高度1000フィート(305m)をダイヤモンド隊形で進入し、1-3番機が右、4番機が左に旋回して8の字を描く。左旋回した4番機は5G旋回で右旋回組よりも速く円を描き終えて右旋回組を追いかけ、ダイヤモンド隊形に戻る。8の字を描き終えると、4機は会場左手に抜ける。参考:月刊JWings7,’16、6,’09、7,’12、6,’10別冊付録、8,’24
<レダック010>:フランスのラムジェット実験機で、SE-161の機体上部に支柱を取り付けて搭載し、所定の速度で射出される。1949年4月21日に初飛行した。参考:月刊丸2,’08
<レダック022>:フランスのラムジェット実験機。加速用ターボジェットを搭載しており、自力で離陸して加速、ラムジェットに点火する。1956年12月に初飛行を行い、1957年中に141回のテスト飛行を実施したが、1958年に研究中止となった。参考:月刊丸2,’08
<レタリック>:K555(フリゲート)を参照。
<レダン>:13(掃海艇)を参照。
<レツイス>:チェコのレティア社が開発した壁面透視レーダー。探知距離20m、駆動時間5時間。参考:月刊軍事研究2,’10
<劣化ウラン>:DU(Depleted Uranium)と略す。原発の燃料として、ウラン235を3-5%とした低濃縮ウランを製造するが、この際にウラン238が大量に余る。これがDUで、天然ウランの6割の放射能を有する。主要放出放射線はアルファ線で、身体に吸収された際に問題となる。通常6フッ化ウランの形でガスボンベに貯蔵される。空気中の水分と触れるとフッ化水素が生じるので、管理には注意とコストが必要である。参考:月刊グランドパワー5,’04、月刊PANZER11,’00
<劣化ウラン弾>:DU(Depleted Uranium)弾と略す。劣化ウランにチタンを1%未満加えて徹甲弾に加工したもので、比重は18.5以上。タングステンに比べ密度が高く、セルフ・シャープニング能力を持っていて装甲貫徹力に優れるが、装甲板に衝突した際の剪断力などへの抗力は劣るため、複合装甲やリアクティブアーマーに対しては脆い可能性がある。また、弾速が毎秒1700mを超えると、均質装甲に対する貫徹力もタングステン合金と変わらなくなる。装甲貫徹時に生じる細かい破片が自然発火するため、貫徹後の破壊力は高い。アメリカ、ロシア、イギリス、フランスなどが所有している。希少金属のタングステンに比べて安いのが一番のメリットといわれるが、不純物が混入すると脆くなり、加工中の取り扱いも厳重な注意が必要で、弾丸の価格はかえって高い。安さよりも資源の豊富さが有利なのかもしれない。アメリカの120mm劣化ウランAPFSDS-T弾M829E3は1発55万円を目標に開発中、ドイツの120mmタングステンAPFSDS-T弾DM53が1発34万円で採用、アメリカの25mmタングステンAPDS弾M792が24ドル、劣化ウランM919が108ドル、ということを考えるとやはり価格は有利でない。威力の面では、フランスの120mm劣化ウランAPFSDS弾OFL120F2が射程2000mで貫徹力640mm、タングステン弾OFL120F1が560mm、M792が射程1200mでBMP-1の側面装甲貫徹、M919がBMP-1の側面を貫徹し、反対側の装甲も撃ち抜いて車外に飛び出る、ということなので、やはり劣化ウラン弾の方が強力なのだろう。弾丸として加工した後の放射線量は極めて微量であるが、集中射撃され、命中後に細かい破片となって大量に飛び散った場合には人体・環境汚染が予想される。国連が影響について調査中。参考:月刊グランドパワー5,’04、8,’04、月刊軍事研究8,’04、8,’08、月刊PANZER11,’00
<レッカ車>:FW419M9。航空自衛隊のレッキング用車両で、大型部品の積み降ろしにも使用できる。車体後部に吊り上げ能力4.25トンのクレーンを装備。全長9.32m、全幅2.49m、全高3.5m、車重19.6トン、車両総重量19.84トン。エンジンは8DC11ディーゼル(8気筒17737cc、355馬力)で、トランスミッションはL・Hそれぞれ前進5段・後進1段、最大速度95km、燃料タンク容量250リットル。乗員3名。三菱ふそうトラック・バス製。参考:自衛隊装備年鑑1996、月刊軍事研究2,’18
<レツキイ>:ソ連海軍クリヴァクU型駆逐艦。1986年11月25日1230頃、沖縄北西370kmを北上するのを第1航空群P-2J対潜哨戒機が確認した。参考:月刊世界の艦船2,’87
<レックス>:カール自走臼砲1号車。
<レックス>:強風(水上戦闘機)を参照。
<レッコする>:日本海軍スラングで、物を捨てること、つきあっている異性と手を切ること、離婚すること。日本海軍では綱から手を放す時にレッコ(Let’s goがなまったもの)と号令をかけており、そこから来ている。参考:海軍よもやま物語、日本海軍史、帝国陸海軍事典
<烈作戦>:日本軍が太平洋戦争時に計画したサイパン島爆撃・機銃掃射作戦で、剣作戦と同時に行われる予定だった。第706航空隊攻撃405飛行隊の装備する銀河改造機(多銃機と親子爆弾搭載機)を用いて、飛行場に居並ぶB-29を破壊する作戦である。破壊後は飛行場に強行着陸し、乗員は剣作戦で輸送される空挺隊と共にゲリラ戦を行うことになっていた。実行前に終戦となった。参考:月刊丸4,’13、激闘太平洋戦記
<レッジ・バウ>:LEADGE-Bow、LEADGEはLEAding eDGEの略。NKKがアックス・バウをベースに開発した大型船用の艦首形状で、垂直艦首にして艦首先端を上から下まで尖らせたものである。大型船はフルード数が低く造波抗力が小さいため、バルバス・バウは摩擦抗力を増やすだけなので廃止した。参考:月刊世界の艦船8,’17
<列車砲>:鉄道台車を砲架とし、大口径砲を搭載したもので、自走砲の鉄道版。移動範囲は軌条上に限定されるが、陣地転換が容易で、戦闘準備をしたまま陣地に進入して射撃に移ることができる。短い発射用軌条を用意して普段はバンカーやトンネル内に隠しておけば、見つからずに射撃し続けることも可能。反動が大きいため、支柱を出したり、軌条と列車をクサビで繋いだりして固定した。回転盤に列車砲ごと搭載したり、軌条を曲げたりして射界を確保する。大型のものではドイツの80cm列車砲ドーラ、フランスの52cm列車榴弾砲などがある。第2次大戦後に廃れたが、列車移動式大陸間弾道ミサイルに進化して生き延びている。参考:第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログVol.4、月刊軍事研究7,’17、9,’10
<レッシング>:FuMO391(レーダー)を参照。
<列線整備員>:航空自衛隊飛行隊の整備小隊に所属するメカニックのこと。参考:月刊JWings6,’05
<列線整備隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊航空隊隷下の部隊で、航空機の日常的な整備、燃料・潤滑油補給などを行う。参考:MAMOR vol.132
<レッチレード>:A211(通船)を参照。
<レッド>:日本海軍士官のスラングで、月経のこと。参考:帝国陸海軍事典
<レッド・アイ>:FIM-43(地対空ミサイル)を参照。
<レッドアウト>:人体にマイナスGがかかって頭部が鬱血し、失神すること。参考:月刊JWings9,’00
<レッドアロー8シリーズ>:中国軍の対戦車ミサイルで、紅箭8(HJ-8)ともいう。NORINCOが開発し、1988年から運用中。三脚架に搭載されて歩兵用に使用される他、4輪駆動BJ2023C軽車両に4連装発射機を搭載したものや、ヘリコプター搭載型もある。参考:月刊軍事研究10,’98、軍用機ウェポン・ハンドブック
<レッドアロー8A>:HEAT単発弾頭搭載型で、最大射程3000m。誘導方式は半自動・指令照準線式で、発射機には大型の誘導システムが装着されており、かなり重い。参考:月刊軍事研究8,’02
<レッドアロー8C>:タンデムHEAT型。ノーズスパイクも装備している。装甲貫徹力800mm。参考:月刊軍事研究10,’98、8,’02、軍用機ウェポン・ハンドブック
<レッドアロー8E>:タンデムHEATで、最大射程を4000mに延伸したタイプ。オプションとしてPTI-32熱映像装置を搭載可能で、これにより夜間の目標識別能力も4000mに向上する。全長1.3m、直径0.12m、翼スパン0.32m、重量14kg。参考:月刊PANZER7,’98、月刊軍事研究8,’02、軍用機ウェポン・ハンドブック
<レッドアロー8F>:HEATとHEのタンデム弾頭で、HEATの貫徹力は80mm(0度)。貫徹孔を通った後にHEが炸裂して車内や建造物内に大ダメージを与える。参考:月刊軍事研究8,’02
<レッドアロー8海外シリーズ>
<バクタル・シカン>:レッドアロー8のパキスタン生産型。参考:月刊軍事研究8,’02
<レッドアロー8L>:レッドアロー8対戦車ミサイル用の軽量発射機。重量22.5kgで、歩兵1名で運搬できる。オプションでPTI32赤外線暗視装置(探知距離4000m、識別距離2000m)も装着可能。参考:月刊軍事研究8,’02、10,’98
<レッドアロー9シリーズ>:中国のNORINCOが開発した対戦車ミサイルRed Arrow 9、紅箭9(HJ-9)ともいう。重いのでヘリに搭載できないという欠点があり、AKD-10を開発中である。参考:月刊軍事研究9,’08、12,’09
<レッドアロー9A>:前方にコントロール翼4枚、後部に安定フィン4枚を持つ。ミサイル直径152mm、発射重量37kg。誘導はミリ波誘導式で、射程100m-5000m。最大射程での交戦時で毎分2発を発射できる。弾頭はタンデムHEATで、ERAに防御された傾斜68度の均質圧延装甲320mmを貫徹可能。照準器は光学式の他、波長8-12μmの赤外線を用いる暗視照準器(探知距離4000m、識別距離2500m)を使用することもできる。参考:月刊軍事研究9,’00、9,’08、2,’10
<レッドアロー9B>:波長帯0.9μmのレーザーでセミアクティブ誘導され、射程5500m以上。参考:月刊軍事研究9,’00、2,’10
<レッドアロー10>:中国の対戦車ミサイルで、紅箭10(HJ-10)ともいう。全長1.78m、直径0.17m、重量47kg。誘導はセミアクティブ・レーザー・ホーミング式(光ファイバー説あり)。固体燃料ロケット推進で、有効射程10km(7km?)、最大有効射程までの飛翔時間50秒。ヘリ搭載型はAKD-10、無人機搭載型はAR-1という。参考:月刊軍事研究2,’17、10,’15、12,’15
<レッドアロー10A>:中国の対戦車ミサイルで、紅箭10A(HJ-10A)ともいう。スパイクNLOSのコピーだが、それにしては射程がかなり短い。光学画像誘導の撃ちっ放し式で、最大射程5-7km。参考:月刊PANZER6,’18
<レッドアロー73>:中国の対戦車ミサイルで、紅箭73(HJ-73)ともいう。ソ連のコロムナKBM・9K11マリュートカの発展型で、誘導を半自動指令照準線方式に変更し、最大射程3000m。1970年代に開発された。タンデム弾頭型ではERAを装着した800mm装甲を貫徹できるとされる。参考:月刊軍事研究9,’04
<レッド・アローズ>:イギリス空軍のアクロバットチームRed arrows。9機編成で、機体を赤単色で塗装し、白のストライプを入れている。シーズン中のブリーフィングは4番機の主翼の周りで行うのが恒例。イギリスは天候不順に見舞われやすいので、2月から3ヶ月ほどキプロスのアクロチリ空軍基地(ナット時代は航続距離の関係でジブラルタル)に展開して集中トレーニングに入り、5-9月のシーズン中に100回以上のフライトをこなす。1964年(1965年?)に創設された。使用機はナットである。この時は前に活動していたイエロージャックスの塗装を引き継いでいたが、新チーム編成ということで塗装も変えることになり、イギリス国籍マーク記入用として大量の在庫があった赤を基調としている。1965年5月6日、リトルロッシントン空軍基地で初の公式展示を実施。1980年(1979年?)、ホークT.1練習機に機種変更した。2018年3月20日、ホークT.1A練習機1機がバレー空軍基地を離陸して上昇中に墜落し、パイロットは脱出に成功したが、同乗の技術要員が死亡した。2019年8月5日から10月17日、カナダとアメリカの25都市・地域を巡る北米ツアーを実施。2020年6月18日、第2次大戦ドイツ占領下のフランスからロンドンに脱出したシャルル・ド・ゴールによるフランス国民への抗独ラジオ放送80周年を記念し、パトルイユ・ド・フランスと共に、ロンドン及びパリ上空で赤白青のトリコロールを描いた。参考:月刊JWings2,’15、12,’10、6,’18、1,’20、9,'20、9,'24、月刊エアワールド10,’03
<レッド・イーグルス>:九州のアクロバットチームで、元テストパイロットの新妻氏とピッツS-2Aによるアクロバット飛行を行う。1976年10月に入間基地で行われた国際航空宇宙ショーでもアクロバット飛行を実施した。参考:月刊丸1,’77
<レッドインパルス>:航空自衛隊第13飛行教育団所属練習機の通称。ブルーインパルスの青を赤に置き換えたマーキングを入れているため、こう呼ばれる。参考:月刊JWings1,’04
<列島線>:中国軍の国防戦略構想ラインで、1982年に中国海軍劉華清提督が考案し、1987年に人民解放軍総参謀部から承認された。大元は西側諸国が太平洋地域に於ける中ソ封じ込めラインとして考案したIsland chainで、中国側が逆利用したらしい。九州南端から沖縄、台湾東方沖、フィリピン東方沖、ボルネオ島北方沖からベトナムを結ぶラインが第1列島線で、東シナ海、南シナ海、西太平洋を内海として対米防衛ラインを形成する。海洋資源やシーレーン防衛の目標でもあり、第1列島線内にある尖閣諸島の領有権を主張している。第2列島線は伊豆諸島、小笠原諸島、グアム、サイパン、パプアニューギニアを結ぶラインで、アジア太平洋地域を支配するための制海ラインである。2006年には対米防衛ラインを第2列島線にまで拡大することが示されており、A2AD(領域拒否/近接阻止)戦略と呼ばれる。アリューシャン、ハワイ、ライン諸島、ニュージーランド、南極を結ぶ第3列島線もあり、2050年までにこの範囲でプレゼンスを確立する予定ともいわれる。参考:月刊軍事研究9,’13、12,’10、2,’15、月刊世界の艦船9,’11、月刊航空情報8,’12
<レッドエア>:仮想敵部隊が行う、仮想敵戦闘機任務のこと。参考:月刊航空ファン11,’11
<レッド・オーケストラ>:ソ連がドイツによるバルバロッサ作戦開始前に東部戦線に構築した、NKVDとGRUによる諜報網で、ドイツ占領下で後方撹乱を行った。1942年、パリの無線発信局が摘発されてしまったため、6月25日にブリュッセルの無線局を使用して交信を開始。これが東プロイセンの国防軍防諜部クランツ受信局に探知されてしまい、防諜部は無線方位測定車によるブリュッセルの捜索を行った。ブリュッセル無線局は一晩にわたるモスクワとの交信を実施したため、6月28日に防諜部は発信地区を郊外のラーケン地区と特定、7月1日0300に無線局を襲撃して発信者を逮捕した。身元捜査でこの人物がドイツ共産党最高幹部の一人であり、コミンテルン秘密組織の統括も行っていることが判明、ゲシュタポによる苛烈な拷問が2ヶ月も行われ、発信者は自白して二重スパイとなった。また、無線局に置いてあったモスクワ向けの機密書類にはドイツ軍によるカフカズ地方への侵攻作戦の詳細(師団数、兵力など)が正確に記されており、情報が送付される寸前での阻止に成功した。ブリュッセル無線局の責任者は国外に逃れるため偽造書類を作ろうとしたが、依頼したのがレジスタンスに潜伏していた国防軍防諜部工作員だったため、すぐに逮捕されてしまい、知っている情報を洗いざらい自白させられた。これでオランダの組織も発覚、構成員は拷問の末に二重スパイに仕立て上げられた。また、中心組織がドイツ軍とも多額の取引を行っていた貿易商社ジメックスを装っていることも判明し、捜索しようとしたが、既にジメックスは移転した後だったため、移転先の解析に全力を尽くした。8月12日、ブリュッセル無線局責任者の情報を元に、ブリュッセル無線局の前任責任者と愛人を逮捕。8月31日、ベルリンで活動していた空軍大尉が逮捕され、芋づる式に計118名がドイツ国防軍防諜部により摘発され、ゲシュタポ本部に連行されて拷問にかけられた。11月19日、ジメックス本社を経営している人物を逮捕。レッド・オーケストラの中心人物であるトレッペルが歯医者に行っていることを突き止め、逮捕に成功した。その後、トレッペルはドイツへの服従を誓ってレッド・オーケストラは二重スパイとしての活動を行うようになり、モスクワに偽情報を送り続けた。12月22日、ドイツが逮捕したレッド・オーケストラの重要人物11名が一斉に処刑された。1943年9月13日、トレッペルは連絡所に入ったまま行方不明になり、1944年10月まで姿を消していた。参考:グラフィックアクション29、月刊軍事研究3,’10
<レッド・クラウド>:T-AKR-313(輸送艦)を参照。
<レッド・クラブ>:高尾山レッド・クラブを参照。
<レッドコックス>:VFA-22(戦闘攻撃飛行隊)を参照。
<レッド・サンダー作戦>:不朽の自由作戦においてアメリカ海兵隊が実施した、ファラー県シワンにおけるタリバン掃討作戦で、2009年9月26日深夜から開始された。空軍特殊部隊AC-130ガンシップ、空軍F-16戦闘機、A-10攻撃機、海兵隊AH-1攻撃ヘリ、第1海兵特殊作戦大隊、陸軍AH-64攻撃ヘリ、アフガン軍が参加し、タリバン65人を殺害して9月29日に作戦を終了した。損害は海兵隊員1名とアフガン軍兵士3名だった。参考:月刊軍事研究3,’13
<レッド・ジャージ>:アメリカ海軍デッキクルーのうち、オードナンス・ハンドラー(兵器搭載係)、オードナンス・オフィサー(兵器管理係)、エクスプローシブ・オードナンス・ディスポーザル(爆発物処理係)、クラッシュ・アンド・サルベージ(消防係)などのことで、着ているジャージの上着が赤い。クレニアル・ヘルメットとライフ・プリザーバー・ベストMk1も赤である。参考:月刊JWings1,’02、7,’22
<レッドスタート級>:イギリス海軍管制機雷敷設艇Redstart。陸上から作動させることができる管制機雷を敷設するための船舶である。全長49.9m、基準排水量498トン。速力10.5ノット。兵装は20mm単装機関砲1門、機雷12個。参考:第2次大戦のイギリス軍艦
<レッド・ストーム作戦>:湾岸戦争ルクイ・ポケットの戦いにおいて、1991年2月13日から開始されたイラク砲兵撃滅作戦。第1騎兵師団の1個ロケット中隊(MLRS9両)、軍団直轄第42砲兵旅団の2個ロケット中隊(MLRS18両)が参加し、時速40kmで一気に北上、イラク軍のD30榴弾砲1個大隊及びM46・59式野砲中隊数個を距離21-30kmに収めた。MLRSはGPSで現在位置を測定し、目標諸元を入力、まず2個中隊が24ヵ所の目標に対して1815からロケット弾287発を発射した。残る1個中隊はTPQ-37対砲レーダーにより敵の砲撃を監視し、反撃態勢を整えていたが、イラク砲兵は壊滅してしまい、砲撃は帰ってこなかった。参考:月刊軍事研究8,’08
<レッドストーン>:アメリカ陸軍戦術弾道ミサイルRedstone。制式名称はSSM-A-14で、後にPGM-11となった。IRBMをアメリカ空軍管理とする方針に反発してアメリカ陸軍が1950年からクライスラー社と開発したもので、戦術弾道ミサイルと言いながらメガトン級核弾頭を備える。全長20.2m(21.2m?)、直径1.8m、翼スパン4.42m、重量28トン。推進は液体燃料ロケット、平均飛翔速度マッハ5以上、射程320-400km。弾頭はW29核弾頭の予定だったが開発中止になり、W39核弾頭になった。1956年に就役し、1000発以上が生産され、1957年から在欧米軍にも配備されている。サージャントとパーシングTに後を譲って1963-65年に退役した。参考:核兵器図鑑、歴史群像6,’04、核兵器事典、月刊丸4,’99
<レッド・スノー>:イギリス軍のイエロー・サンMk2及びブルー・スチールに搭載されているW28核弾頭の別名。参考:核兵器事典、月刊JWings6,’13
<レッド・テイル・デビルズ>:第301戦闘飛行隊を参照。
<レッド・テイル・ライノ>:QF-4シリーズ(標的機)を参照。
<レッドデビルズ>:VMFA-232(海兵戦闘攻撃飛行隊)またはVMF(AW)-232(海兵全天候戦闘飛行隊)を参照。
<レッドデビルズ>:イギリス空挺部隊全将兵共通の愛称。参考:月刊PANZER6,’00
<レット・ドット>:ベルギーのFNハースタル社が開発した火器管制ユニットで、ダットサイト、レーザー測距器、弾道コンピュータからなる。最大有効距離900m、誤差2m。レーザーは可視光と赤外線の2種から選択可能。参考:月刊軍事研究2,’10
<レッド・トップ>:イギリス空海軍の空対空ミサイル。全長3.5m。推進は固体燃料ロケット1段で、最大射程6海里。参考:空軍
<レッド・ドルフィン>:空自第13飛行教育団で運用しているT-4練習機の通称。訓練時の空中識別のため、機首からコクピット後方にかけての機体上面、垂直尾翼上部3分の2くらい、エアインテイク上面、主翼前縁・翼端、水平安定板前縁・翼端を赤く塗っているので、こう呼ばれる。参考:月刊航空ファン1,’15
<レッドノア>:アメリカ海軍輸送駆逐艦。1945年5月27日、菊水8号作戦特攻機の攻撃を受けて損傷した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌
<レッドバック>:オーストラリアのメタルストーム社がシンガポールのSTキネティック社と共同開発している遠隔操作式4銃身グレネードランチャー。銃身にグレネードを詰め込んだだけの単純な構造で、それぞれ別の弾頭を詰めておけば、様々な場面に対応できる。赤外線暗視装置、銃安定化装置を標準装備。重量70kg。発射速度毎分3000発。参考:月刊軍事研究7,’07
<レッドバリー>:L90(駆逐艦)またはM30(ハント級掃海艇)を参照。
<レッドバロン>:第1次大戦時にマンフレート・フォン・リヒトフォーヘンが搭乗したフォッカーDR-1に英仏連合軍が付けたニックネーム。騎士道精神に則って迷彩を施さず、赤一色に塗ったためにこう呼ばれた。参考:ミリタリー・イラストレイテッド17
<レッドバロン>:スウェーデンのFFV社が開発した赤外線ラインスキャン偵察ポッドで、重量125kg。デンマーク空軍のRF-35ドラケンに搭載されている。参考:スパイ機
<レッドフィールド望遠照準鏡>:全長324mm、重量455g。倍率は3-9倍の可変型。最低倍率で索敵し、照準鏡の目盛りで距離を測った後に最適倍率に調整して使用するが、実戦では面倒なので倍率を7か9に固定し、距離により修正を加えて射撃していた。参考:コンバット・バイブル
<レッドフィッシュ>:SS-395(ガトー級潜水艦)またはSSN-680(スタージョン級攻撃原潜)を参照。
<レッドフィン>:SS-272(ガトー級潜水艦)を参照。
<レッドフラッグ演習>:アメリカ空軍がネリス空軍基地周辺で1975年から毎年2-4回(各年第1回目はアメリカ会計年度明けの10月になる)実施している地上攻撃想定訓練Red Flag。第2次大戦の空戦研究(レッドバロン・プロジェクト)上、10回以上の出撃を行うと乗員の生残率が劇的に増大することが判明したため、実戦前に10回の模擬戦闘を行っておくというのが趣旨であり、敵防空システムや迎撃戦闘機を突破しての実戦的な訓練が行われる。参加部隊にはブルー4と呼ばれるコンバット・レディネスの資格はあるが実戦経験の無いパイロット達がおり、ブルーフォース(友軍)4機編隊4番機(ブルー4)を務める彼らに2週間で10回(週末を除き1日1回)の実戦シミュレート体験をさせるのが目的といっても過言ではない。アメリカ空軍や同盟国軍の機体も参加し、敵側の赤軍(レッドフォース。ネリス空軍基地所属の第57航空団)と味方攻撃側の青軍(ブルーフォース)に分かれて訓練を行う。撃墜判定を受けて基地に戻ると、乗員は撃墜された地点に連れて行かれて置き去りにされ、ブリーフィングで伝えられた救難ヘリの到着場所まで自力で辿り着くというサバイバル訓練も実施される。空対空戦闘に加え、空対地戦闘、電子戦、CSAR、戦術輸送などの訓練も追加されていった。空自も53中業から参加を検討したが、空中給油機が無く飛んでいけないということで諦めた。参考:月刊JWings9,’00、5,’07、11,’12、11,’15、9,’18、月刊軍事研究5,’07、5,’15
<レッドフラッグ12−4>:2012年7月16日から実施された。アメリカ空軍から11個飛行隊が参加し、UAEやコロンビア(初参加)も加わっている。参考:月刊JWings11,’12
<レッドフラッグ13−01>:2012年10月に開催される予定だったが、中止された。参考:月刊JWings4,’13
<レッドフラッグ13−02>:2013年1月21日から2月1日、ネリス空軍基地周辺で実施された。参加したのはアメリカ空軍第57航空団、第125戦闘飛行隊、第179戦闘飛行隊、第199戦闘飛行隊、第389戦闘飛行隊、第358戦闘飛行隊、第9爆撃飛行隊、第20爆撃飛行隊、第964空中航空管制飛行隊、アメリカ海軍第25戦闘攻撃飛行隊、第138電子戦飛行隊、在独米空軍第480戦闘飛行隊、UAE空軍第76飛行隊、オランダ空軍第313飛行隊、シンガポール空軍第425戦闘飛行隊、スウェーデン空軍第172戦闘偵察飛行隊。参考:月刊JWings4,’13
<レッドフラッグ14−1>:2014年1月27日から2月14日、ネリス空軍基地周辺で行われた。参加部隊はアメリカ空軍第509爆撃航空団(B-2A)、第1戦闘航空団(F-22A)、第20戦闘航空団(F-16C/D)、第366戦闘航空団(F-15E)、第116航空統制航空団(E-8C)、第55電子戦航空群(EC-130H)、第55航空団(RC-135W)、第23航空団(HC-130J)、州空軍、アメリカ海軍(EA-18G、P-3C、EP-3C)、アメリカ海兵隊(F/A-18C、EA-6B)、イギリス空軍(トーネード、タイフーン、E-3D)、オーストラリア空軍(F/A-18)など。参考:月刊JWings4,’14
<レッドフラッグ14−3>:2014年7月14-25日、ネリス空軍基地周辺で実施された。第95戦闘航空団のF-22Aも参加している。参考:月刊JWings10,’14
<レッドフラッグ15−1>:2015年1月26日から2月13日まで、ネリス空軍基地周辺で行われた。イギリス空軍からタイフーンFGR.4、ボイジャーKC.2、センチネルR.1、オーストラリア空軍からC-130Jが参加している。参考:月刊JWings4,’15、5,’15
<レッドフラッグ15−2>:2015年3月2-13日に実施され、アメリカ、NATO、ノルウェーが参加した。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<レッドフラッグ15−4>:2015年8月17-28日に実施され、アメリカ、イスラエル、シンガポール、ヨルダンが参加した。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<レッドフラッグ16−2>:2016年2月29日から3月11日まで、ネリス空軍基地周辺で行われた。イタリア空軍(EF2000タイフーン8機)、トルコ空軍(F-16戦闘機、KC-135空中給油機)が参加している。参考:月刊JWings6,’16
<レッドフラッグ16−3>:2016年7月11-29日にネリス空軍基地周辺で行われた。VMFA-121がF-35Bブロック2B戦闘機6機で参加している。参考:月刊航空ファン11,’16、10,’16
<レッドフラッグ16−4>:2016年8月18日2200頃、第41救難飛行隊HH-60Gがネバダ・テスト&トレーニングレンジで墜落した。乗員5名が負傷している。参考:月刊航空ファン11,’16
<レッドフラッグ17−1>:イギリス空軍EF2000戦闘機やオーストラリア空軍機も参加し、2016年1月23日から2月10日までネバダ州ネリス空軍基地で実施された。第388戦闘航空団F-35Aが13機で初参加し、具体的に何を相手にどういう訓練をしたのかは不明だが、演習全体で20対1のキルレシオを記録した。EA-18Gからデータリンクで情報を取得してのSEAD任務も行っている。参考:月刊航空ファン4,’17、5,’17、月刊JWings4,’17、5,’17
<レッドフラッグ17−3>:2017年7月10-27日、ネリス空軍基地で実施された。アメリカ空軍第9戦闘飛行隊F-22A戦闘機10機、第33航空団F-35A戦闘機、アメリカ海兵隊VMFA-211のF-35B戦闘機、アメリカ海軍VAQ-134のEA-18G電子戦機などが参加している。参考:月刊航空ファン10,’17
<レッドフラッグ18−1>:2018年1月26日から2月16日、ネリス空軍基地で行われた。イギリス空軍EF2000戦闘機やオーストラリア空軍EA-18G電子戦機4機も参加している。1月27日、オーストラリア空軍EA-18G電子戦機1機が離陸滑走中に火災を起こした。乗員は機体停止後に射出座席は使わずコクピットから脱出している。右エンジンが火を噴いたらしい。参考:月刊JWings4,’18
<レッドフラッグ19−1>:2019年1月26日から2月15日、ネリス空軍基地で行われた。第388戦闘航空団と第419戦闘航空団からF-35A戦闘機、イギリス空軍からEF2000戦闘機、オーストラリア空軍からF/A-18E/F戦闘機が参加している。参考:月刊JWings4,’19
<レッドフラッグ20−1>:2020年1月27日から2月14日、ネリス空軍基地で行われた。イギリス空軍第617飛行隊F-35B戦闘機5機が参加している。参考:月刊JWings5,’20
<レッドフラッグ20−2>:2020年3月9-20日、ネリス空軍基地で行われた。参考:月刊JWings5,’22
<レッドフラッグ21−3>:2021年8月、ネリス空軍基地で行われた。第64アグレッサー飛行隊がF-35A戦闘機で参加している。参考:月刊JWings10,’21
<レッドフラッグ22−3>:2022年7月9-29日、ネリス空軍基地で行われた。ブルー・フォース戦闘機部隊は第27・第94・第95戦闘飛行隊F-22A戦闘機、第4・第134・第308・第421飛行隊F-35A戦闘機、サウスダコタ州空軍第175戦闘飛行隊F-16C戦闘機、VFA-147所属F-35C戦闘機、レッド・フォース戦闘機部隊は第64仮想敵飛行隊F-16C戦闘機、第65仮想敵飛行隊F-35A戦闘機で、他に阻止攻撃群F-15E飛行隊2個・B-52H飛行隊1個・MQ-9飛行隊1個、偵察群RC-135V/W電子偵察機・RQ-4B無人偵察機、指揮管制群E-3G早期警戒管制機・E-8C地上監視機、電子戦群EC-130H電子戦機・EA-18G電子戦機、戦闘捜索救難群HC-130J捜索救難機・HH-60G捜索救難ヘリ、空中給油群KC-135R飛行隊4個が参加し、アメリカ海空軍のみで実施している。参考:月刊JWings10,’22
<レッドフラッグ・アラスカ演習>:アメリカ空軍主催の多国間演習。元はフィリピンのクラーク空軍基地で実施されていたコープサンダー(アラスカ軍団が実施していた実動演習ノーザンエッジと連動して行われていた)と呼ばれるPACAFの演習であり、ピナツボ火山噴火の影響による基地閉鎖で1992年にアラスカに移り、1998年に環太平洋諸国も参加するようになってコーポレーティブ・コープサンダーに名称変更され、2006年にレッドフラッグ演習アラスカ版ということでこの名称になった。演習空域は18万平方キロメートルに及び、アイルソン空軍基地所在の第353戦闘訓練飛行隊が演習シナリオを作り、第18仮想敵飛行隊が敵役(レッド・フォース)を務める。2007年7月から航空自衛隊が参加している。参考:月刊航空ファン3,’11、月刊JWings9,’18、朝雲
<レッドフラッグ・アラスカ07−3>:2007年7月12-27日にアイルソン及びエルメンドルフ空軍基地周辺で実施された。航空自衛隊からはF-15J/DJ戦闘機6機とE-767が参加している。参考:月刊航空ファン3,’11
<レッドフラッグ・アラスカ08−3>:2008年6月5-20日にアイルソン及びエルメンドルフ空軍基地周辺で実施された。航空自衛隊からはF-15J/DJ戦闘機6機とE-767が参加している。参考:月刊航空ファン3,’11
<レッドフラッグ・アラスカ10−1>:2009年10月2-17日、アイルソン及びエルメンドルフ空軍基地周辺で実施された。航空自衛隊からは第6航空団のF-15J/DJ戦闘機6機、E-767早期警戒管制機1機、携SAM追随訓練器材6セットが参加している。参考:月刊航空ファン3,’11、朝雲
<レッドフラッグ・アラスカ10−3>:2010年6月11-26日にアラスカ州アイルソン空軍基地・エルメンドルフ空軍基地周囲で実施された。航空自衛隊も参加し、航空総隊と航空支援集団の人員330名、F-15J/DJ戦闘機6機、E-767早期警戒管制機1機、C-130H輸送機3機、KC-767空中給油輸送機2機、携SAM追随訓練機材6セットを派遣した。参考:月刊航空ファン8’10
<レッドフラッグ・アラスカ12>:2012年6月8-23日にアラスカ州アイルソン空軍基地、エルメンドルフ・リチャードソン統合基地、その周辺空域で実施された。航空自衛隊からは第6航空団、警戒航空隊、第1輸送航空隊などからF-15J/DJ戦闘機6機、E-767早期警戒管制機1機、C-130H輸送機3機、KC-767空中給油輸送機2機、隊員310名が参加した。参考:朝雲
<レッドフラッグ・アラスカ13−1>:強制予算削減で中止になった。参考:月刊JWings11,’13
<レッドフラッグ・アラスカ13−2>:強制予算削減で中止になった。参考:月刊JWings11,’13
<レッドフラッグ・アラスカ13−3>:2013年8月9-24日、アイルソン空軍基地とエルメンドルフ・リチャードソン統合基地、周辺空域などで実施された。アメリカ空軍から第354戦闘航空団、第3航空団、アラバマ空軍州兵第187戦闘航空団第100戦闘飛行隊(F-16C/D)、インディアナ空軍州兵第122戦闘航空団第163戦闘飛行隊(A-10C)、VAQ-132(EA-18G)、航空自衛隊(7月26日から輸送開始、9月6日に全部隊帰国)から第306飛行隊(F-15J/DJ戦闘機6機)、E-767早期警戒管制機1機、C-130H輸送機3機、隊員270名、韓国空軍からF-15Kが参加した。参考:月刊JWings10,’13、11,’13、朝雲
<レッドフラッグ・アラスカ14−1>:2014年1月に実施された。参考:月刊JWings6,’14
<レッドフラッグ・アラスカ14−2>:2014年3月3-14日、ネリス空軍基地で実施された。アメリカ空軍からF-15C/D戦闘機、F-15E戦闘爆撃機、F-16CJ戦闘機、B-52H爆撃機、E-3C早期警戒管制機、HC-130J救難機、HH-60G救難機、KC-135R空中給油機、サウジアラビア空軍からF-15S戦闘爆撃機、ベルギー空軍からF-16AM戦闘機、デンマーク空軍からF-16AM戦闘機、UAE空軍からF-16E/F戦闘機、NATO軍からE-3A早期警戒管制機が参加した。参考:月刊JWings6,’14
<レッドフラッグ・アラスカ14−3>:2014年6月17-28日、アイルソン基地、エルメンドルフ・リチャードソン統合基地とその周辺で実施され、空自からは隊員310名、第2航空団第201飛行隊F-15戦闘機6機、第602飛行隊E-767早期警戒管制機1機、第1輸送航空隊C-130H輸送機3機、KC-767空中給油輸送機2機が参加した。7月26日、C-130JがF-16の攻撃を避ける訓練を実施。アストロドームからロードマスターが機体周囲を見渡し、F-16を発見してパイロットに知らせ、回避機動を取らせることに成功した。参考:月刊JWings10,’14、朝雲
<レッドフラッグ・アラスカ15−3>:2015年8月7-22日、アイルソン基地、エルメンドルフ・リチャードソン統合基地とその周辺で実施された。規模は参加国7カ国(アメリカ、イギリス、オーストラリア、タイ、日本、ニュージーランドなど)、兵員数1500名、航空機数100機。空自からは航空総隊、北部航空方面隊、航空支援集団の隊員310名、第2航空団第203飛行隊F-15J戦闘機6機、警戒航空隊E-767早期警戒管制機1機、第1輸送航空隊C-130H輸送機3機、第1輸送航空隊KC-767空中給油輸送機2機が参加し、電子戦環境下での防空戦闘訓練、空中給油訓練、戦術空輸訓練を行い、8月28日までに帰国した。参考:月刊航空ファン10,’15、朝雲
<レッドフラッグ・アラスカ16−2>:2016年6月3-18日、アイルソン空軍基地、エルメンドルフ・リチャードソン統合基地とその周辺空域で実施された。空自は航空総隊と航空支援集団から隊員310名、第2航空団第201飛行隊F-15J戦闘機6機、警戒航空隊E-767早期警戒管制機1機、第1輸送航空隊C-130H輸送機3機、第404飛行隊KC-767空中給油輸送機2機を5月24日から6月24日まで派遣し、防空戦闘訓練、空中給油訓練、戦術空輸訓練を行った。6月13-15日には空自准曹士先任がアメリカ空軍最先任上級曹長の公式招待を受け、准曹士先任として初めて視察を行っている。参考:月刊航空ファン8,’16、月刊JWings8,’16、朝雲
<レッドフラッグ・アラスカ17−1>:F-22A戦闘機はアグレッサーF-16戦闘機とのDACTを行い、キルレシオ15対1だったとされる。参考:月刊JWings10,’18
<レッドフラッグ・アラスカ17−2>:2017年6月9-24日、アイルソン空軍基地、エルメンドルフ・リチャードソン統合基地とその周辺空域で実施された。空自は航空総隊隊員180名、第2航空団F-15J/DJ戦闘機6機、警戒航空隊E-767早期警戒管制機1機、航空支援集団第1輸送航空隊隊員120名、C-130H輸送機2機、KC-767空中給油輸送機2機を5月25日から7月1日まで派遣し、防空戦闘訓練、空中給油訓練、戦術空輸訓練を行った。韓国空軍も参加している。参考:月刊航空ファン8,’17、月刊JWings8,’17、朝雲
<レッドフラッグ・アラスカ18−2>:2018年6月8-23日、アイルソン空軍基地とエルメンドルフ・リチャードソン統合基地とその周辺空域で実施され、アメリカ空軍(F-16C、KC-135R)、アメリカ海軍(F/A-18E、EA-18G)、航空自衛隊、シンガポール空軍(F-15SG、F-16D-52)が参加した。空自は第6航空団と警戒航空隊の隊員180名、第1輸送航空隊の隊員110名、第6航空団F-15J/DJ戦闘機6機(うち近代化改修2型4機以上、MJ1機)、警戒航空隊E-767早期警戒管制機1機、第1輸送航空隊C-130H輸送機2機、KC-767空中給油輸送機1機が参加し、防空戦闘、空中給油、戦術空輸の各訓練を行っている。訓練終了後、F-15J/DJ戦闘機はアメリカ空軍空中給油機から空中給油を受けつつ5400km先の小松基地に帰投した。参考:月刊JWings9,’18、8,’18、月刊航空ファン8,’18、朝雲
<レッドフラッグ・アラスカ18−3>:2018年8月11-24日に実施された。アメリカ空軍第35戦闘航空団第14戦闘飛行隊F-16CM-50戦闘機10機などが参加している。参考:月刊航空ファン1,’19
<レッドフラッグ・アラスカ19−1>:2018年10月8-19日に実施された。アメリカ空軍第35戦闘航空団第14戦闘飛行隊F-16CM-50戦闘機10機などが参加している。参考:月刊航空ファン1,’19
<レッドフラッグ・アラスカ19−2>:2019年6月7-22日、アイルソン空軍基地とエルメンドルフ・リチャードソン統合基地とその周辺空域で実施され、アメリカ空軍(第11航空軍第354戦闘航空団第353戦闘訓練中隊、同団18仮想敵飛行隊F-16C戦闘機、第35戦闘航空団第14戦闘飛行隊F-16CM-50戦闘機、第51戦闘航空団第25戦闘航空隊A-10C攻撃機4機、KC-135R空中給油機、第108攻撃飛行隊RQ-9A無人機など)、航空自衛隊、韓国空軍(C-130H輸送機)、タイ空軍(第1航空師団第6航空団第601飛行隊C-130H輸送機)、NATO軍(E-3早期警戒管制機)、ドラケンインターナショナル(L-159E訓練支援機)などが参加した。空自の派遣期間は5月27日から6月29日で、第3航空団第3飛行隊F-2A戦闘機6機、警戒航空隊E-767早期警戒管制機1機、第1輸送航空隊第404飛行隊KC-767空中輸送機、隊員210名、第1輸送航空隊第401飛行隊C-130H輸送機2機、隊員70名が参加し、防空戦闘、戦闘機戦闘、空対地戦闘、早期警戒管制機相互搭乗・日米共同管制、空中給油、戦術空輸(低高度航進、空中降投下、不整地着陸、脅威対処)などの各訓練を行っている。ちなみにF-2戦闘機は今回が初参加。参考:月刊JWings8,’19、月刊航空ファン9,’19、8,’19、11,’19、朝雲
<レッドフラッグ・アラスカ20>:2020年6月11日から開催予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大防止のための移動制限の影響で4月22日に中止が発表され、8月にアメリカ軍のみで実施された。第388戦闘航空団第4戦闘飛行隊F-35A戦闘機と第419戦闘航空団F-35A戦闘機が参加している。参考:月刊JWings10,’20、9,'21、朝雲
<レッドフラッグ・アラスカ21−2>:2021年6月11-26日、アラスカ州アイルソン空軍基地とエレメンドルフ・リチャードソン統合基地及び周辺空域で実施された。第18アグレッサー飛行隊F-16戦闘機、第80戦闘飛行隊F-16戦闘機、第51戦闘航空団第25戦闘飛行隊A-10C攻撃機、第36空輸飛行隊C-130J-30輸送機、KC-10A空中給油輸送機、第354兵站即応隊、韓国空軍F-15K戦闘機、航空自衛隊第9航空団第204飛行隊F-15J戦闘機2機、同F-15DJ戦闘機1機、第304飛行隊F-15J戦闘機3機、警戒航空団第602飛行隊E-767早期警戒管制機1機などが参加し、防空戦闘、戦術攻撃、対戦闘機戦闘、空中給油などの各訓練を行っている。空自の派遣期間は6月1日から7月3日で、C-2やKC-767により訓練器材を輸送し、参加F-15J戦闘機は太平洋上でアメリカ空軍機から空中給油を受け5000kmを飛行して開催基地に移動した。参考:月刊JWings9,'21、8,’21
<レッドフラッグ・アラスカ23−2>:2023年6月9-24日、アイルソン空軍基地、エレメンドルフ・リチャードソン統合基地、それら周辺空域で行われた。空自の派遣期間は5月26日から7月1日で、隊員260名、第2航空団F-15J/DJ戦闘機6機、警戒航空団E-767早期警戒管制機1機、第3輸送航空隊C-2輸送機1機が参加し、防空戦闘、戦術攻撃、対戦闘機戦闘、戦術空輸、物料投下、空中給油の各訓練を行った。参考:月刊JWings9,’23、朝雲
<レッド・ベアード・シリーズ>:イギリスのブーステッド核分裂爆弾Red Beard(赤い顎髭)。正式にはターゲット・マーカー・ボムと呼ばれていた。全長3.66m、直径0.915m、重量0.9トンで、戦術爆撃機にも搭載可能である。弾頭威力5-20キロトン(15-25キロトン?)。1959年から生産され、1961年から実戦配備、1971年に退役した。参考:核兵器事典、月刊JWings1,’13
<レッド・ベアードMk1>:全長3.66m、直径0.71m、重量770kg。威力10キロトン。参考:月刊JWings1,’13
<レッド・ベアードMk2>:威力25キロトン。参考:月刊JWings1,’13
<レッドポール>:U69(スループ)を参照。
<レッド・ボール・エクスプレス>:アメリカ陸軍戦闘補給グループ戦術トラック輸送部隊のニックネームRed Ball Express(赤玉特急)、別名Fire Cannon Ball
ExpressまたはFire Ball Express(火の玉特急)。作戦開始前の物資備蓄や大規模戦闘時の緊急物資輸送のため編成される軍用トラック部隊で、第2次世界大戦時に本格的に運用が始まった。野戦補給輸送司令部隷下の軍団・師団が保有するCCKW軍用トラック数百−数千両からなり、機銃装備MB/GPWジープを先導と側後衛に付け、輸送にあたる。1944年8月1日にヨーロッパ戦域に投入されたアメリカ第3軍の1ヶ月間で650kmという猛進撃を陰で支えた。12月のドイツ国防軍によるラインの守り作戦では、第12集団軍がCCKWトラック40000両以上をかき集め、人員や燃料弾薬から食料や飲料水に至るまで、1000km以上後方の補給港から前線へと24時間体制で運びまくっている。朝鮮戦争でも輸送任務に就いたが、道路整備が不十分で、細い山道を延びきった隊列で鈍足走行している所を中国義勇軍に襲撃されて物資を略奪される事態が相次いでいる。ベトナム戦争ではM35戦術トラックとM151ジープの組み合わせで任務に就き、オリエント急行ジャングル版(ジャングル・オリエント・エクスプレス)などとも称された。参考:THE JEEP、月刊丸3,’01
<レッド・ホワイト級>:インドネシア海軍フリゲートRed White級。アフマッド・ヤーニー級の後継で、バブコック社製アローヘッド140を導入したものである。インドネシアのPT PALで2隻を建造予定で、1番艦は2023年8月に起工し、2番艦は2024年6月5日にファースト・スチール・カットを行った。参考:月刊世界の艦船9,’24
<レッドミル>:K554(フリゲート)を参照。
<レッド・ライオンズ>:HSC-15(飛行隊)を参照。
<レットラント第1>:SS第15擲弾兵師団を参照。
<レットラント第2>:SS義勇第19擲弾兵師団を参照。
<レッド・リッパーズ>:VF-11(戦闘飛行隊)またはVFA-11(戦闘攻撃飛行隊)を参照。
<烈風シリーズ>:日本海軍十七試艦上戦闘機A7M、連合軍コードはサム(Sam)。零戦に換わる艦上戦闘機として昭和17年4月から開発された。7月に航空本部から発出された計画要求書では翼面荷重1平方メートルあたり150kgとしていたが、空技廠では艦戦の翼面荷重を1平方メートルあたり130kgで研究していたのと、ミッドウェイ海戦で正規空母4隻を沈められて小型空母での運用(RATOを装備して特1TL型船にも搭載予定だった)を考えなければならなかったことから、まず翼面荷重1平方メートルあたり130kgの主翼を作り、次に150kgのものを作って両者を比較することになった。また、エンジンは海軍側では開発の進んでいた誉を使用することにしたが、堀越二郎技師は出力が大きいハ四三を要求したため、完成次第切り替えることにした。このため要求変更や改修に追われ、地震や空襲にも見舞われて試作機8機のみの完成に止まり、実戦には間に合わなかった。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇、月刊丸3,'18別冊、10,’97、丸メカニック別冊1、日本航空母艦史
<A7M1>:中島の誉エンジンを搭載した試作型。エンジンが所定の出力を出せず、一旦試作命令が取り消されて紫電改の生産が行われる羽目になった。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇
<A7M2>:三菱ハ-43-11(MK9A)エンジンを搭載したタイプで、試作6号機以降にあたる。三式空一号無線電話機と一式空三号無線帰投方位測定機を装備する。昭和19年10月に完成し、最大速度628kmと良好な成績を出したため、量産指示が出されたが、生産ラインが紫電改用になっていたことや、東海大地震、空襲もあって終戦までに3機しか完成しなかった。全長10.984m、全幅14m、全高4.3m、自重3266kg、全備重量4720kg。翼面積30.86平方メートル。エンジンはハ-43-11(離昇出力2200馬力)単発、最大速度計画685km(高度10000m)/実測627km、実用上昇限度10900m、上昇力6000mまで6分7秒、燃料搭載量910リットル+増槽400リットル、航続距離1500km(3000km?)、航続時間2.6時間+全力0.5時間。固定武装は20mm機関砲2門+13mm機銃2丁。60kg爆弾2発を搭載可能。乗員1名。固定武装を紫電改と同等の20mm機関砲4門に強化し、燃料タンクを防弾化する改修も計画されていた。参考:月刊丸3,'18別冊、9,'20、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇、日本航空母艦史、月刊JWings10,’22
<A7M3>:エンジンを3速過給機付きのハ-43-51(MK9C)に換装したタイプ。計画のみ。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇
<A7M3−J>:エンジンをターボチャージャー付きのハ-43-11(MK9A)に換装したタイプ。計画のみ。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇
<烈風改>:五式三〇粍固定機銃一型を搭載したもの。計画のみ。参考:歴史群像6,’08
<レディ>:PG-67(コルベット)を参照。
<レティヴィイ>:メルクーリィ(フリゲート)を参照。
<レティクル>:スコープの視野内に表示される、狙点を示すマーク。単なる点になっているのはダット、十字線が描かれているのはクロス・ヘアという。参考:GUN用語事典
<レディゴ>:L-90(練習機)を参照。
<レティチキイ>:ソ連海軍クリヴァクT型フリゲートLetichky。1977年竣工。参考:月刊世界の艦船3,’92増刊
<レディバード>:A253(通船)を参照。
<レディバード号事件>:日華事変中の昭和12年12月12日、イギリス砲艦レディバードを日本陸軍砲兵隊が誤砲撃して損傷させた。日本側は直ちに陳謝し、責任者の処分や賠償を行い、12月31日までに解決した。参考:月刊軍事研究7,’99
<レティブイ>:ソ連海軍クリヴァクT型フリゲートRetivy。1975年竣工。参考:月刊世界の艦船3,’92増刊
<レディ・マグ>:市販のマガジン連結具。アメリカ軍で兵士が独自に購入して使っている。参考:月刊軍事研究4,’04
<レディ・ラブ>:ゴルフボール(通信傍受施設)を参照。
<レディ・ルーム>:Ready Room。艦上機搭乗員待機室のこと。参考:月刊世界の艦船2,’22
<レディ・レックス>:CV-2(空母)を参照。
<レトヴィザン>:ロシア海軍戦艦Retvisan。アメリカ・フィラデルフィアのウィリアム・クランプ造船所で建造された。全長117.85m、常備排水量12900トン。主機はレシプロ蒸気機械2基2軸17000馬力、速力18ノット。兵装は30.5cm連装砲2基、15.2cm単装砲12門、7.5cm単装砲20門、4.7cm単装砲24門、3.7cm機砲8門、45cm魚雷発射管6門(水上4門、水中2門)。1901年12月、クロンシュタットに回航されて就役し、バルチック艦隊に配備された。1902年末、太平洋艦隊に転属。1903年5月、旅順に入港。日露戦争で陸上から砲撃を受けて旅順で大破着底した。1905年1月、日本に鹵獲されて肥前になった。参考:月刊世界の艦船3,’16
<レドゥート>:4K44(地対艦ミサイルシステム)を参照。
<レドーム>:Radome。レーダーを収容しているドームのことで、レーダー・ドームの略。アンテナフェアリングも纏めてこう呼ぶことがある。電波の透過性が高い強化プラスチックで作られることが多い。航空機用レドームは航空機にレーダーが搭載されるようになった第2次大戦時に登場し、ちょうどアルミ合金を節約するため研究が進められていたガラス繊維強化プラスチック(GRP)を使って製造された。参考:月刊JWings11,’00、1,’05、12,’06、10,’09別冊付録、航空用語事典増補改訂版
<レドノアー>:APD-102(高速輸送艦)またはDE-592(護衛駆逐艦)を参照。
<レトリーバー>:HUPシリーズ(ヘリ)またはWLW(トラック)を参照。
<レトルトパック>:アメリカ陸軍の包装技術研究者フランク・ルビネートが1940年後半に開発した食料包装。ポリエステル、アルミ箔、ポリプロピレンを重ねた包装紙に食物を密封し、熱殺菌したもので、お湯に入れるだけで加熱でき、缶切り無しに開けることが可能で、NBC汚染から内容物を防護できる。頑丈さをアピールしようとして踏んだら破裂して視察に来た軍の高官にシチューをぶっかけたり、生産中に機械をシチューまみれにしたり、接着剤が中身を汚染したりといった数々のトラブルを解決し、1976年に完成した。宇宙食や民間一般食としても広く流通している。参考:ミリタリー・イラストレイテッド17
<レトロフィット>:Retrofit。使用中の機体を改修して新型機並みの性能向上を行うこと。技術革新により次々生み出されるバリエーションをいちいち買い換えているといくら予算があっても足りないため、レトロフィットで済ませる。構造強化、エンジン性能向上(リエンジン)、舵面改修、ローター・プロペラ換装などが行われる事が多い。参考:航空用語事典増補改訂版
<レナ・H・サトクリフ・ハイビー>:DDG-123(駆逐艦)を参照。
<レナウィー>:APA-195(攻撃輸送艦)を参照。
<レナウン>:72(戦艦)またはS26(潜水艦)を参照。
<レナモ>:モザンビークの反政府軍。日常的に子供狩りをして6ヶ月かけて少年兵へと訓練し、仕上げに拉致してきた人間を射殺させる。更に出身の村へ連れて行って縁者を射殺させ、家族や故郷と絶縁させて居場所を無くしてしまう。月刊軍事研究3,’98
<レニネツ>:Su-27IBのレーダー。
<レニ・レナペ>:T-ATS-9(航洋救難曳船)を参照。
<レニングラード>:ソ連海軍モスクワ級航空巡洋艦2番艦Leningrad。1965年1月起工、1968年竣工、1969年6月就役。1991年除籍。参考:近代巡洋艦史、世界の傑作機No.162
<レニングラード解囲>:第2次大戦時の1942年1月13日、ソ連ウォルホフ方面軍がドイツ第18軍に対し攻撃を加え、戦線の突破に成功したが、突出したところを逆に包囲されてしまい、解囲は失敗。8月24日、ウォルホフ方面軍が再度攻勢に出たが、またも突破して突出したところを包囲殲滅されてしまった。1943年1月12日、ソ連軍はイスクラ(火花)作戦を発動、第2突撃軍と第67軍がレニングラードに向かい攻撃を開始。1月18日にシュリッセリブルク付近を打通して1本の農道を確保し、そこに鉄道を建設してレニングラードへの連絡線を設営した。1944年1月14日、レニングラードを包囲するドイツ第18軍に対し、レニングラード方面軍とウォルホフ方面軍が攻勢を開始した。ヴォルホフ方面軍第2打撃軍は凍結したフィンランド湾を渡ってレニングラード西に移動、ノヴゴロド防御部隊の背後から攻撃をかけ、レニングラード方面軍はドイツ第18軍ベテルホフ・ストレルナ防御部隊の防御線を突破した。1月27日にレニングラード近辺のドイツ軍陣地を突破し、2月3日にはフィンランド湾近くのナルヴァに到達。南では1月28日にイリメニ湖北のノヴゴロドを占領。2月15日までにルガ川に達し、両方面軍は共同して第18軍を壊滅させ、更に南に進撃して2月17日にはドイツ第16軍の左翼も粉砕した。3月1日にはオストロフ前面まで進出した。参考:月刊PANZER12,’03、月刊軍事研究11,’05、2,’17、激闘東部戦線(2)
<レニングラードスキイ・コムソモレッツ>:ソ連海軍クリヴァクT型フリゲートLeningradsky Komsomolets。1976年竣工。参考:月刊世界の艦船3,’92増刊
<レニングラード包囲>:第2次大戦バルバロッサ作戦時の1941年7月10日、ドイツ北方軍集団がレニングラードに向けて進撃を開始。7月14日、ポレチエ占領、ルガ川に橋頭堡を確保。その後は補給を行い、8月8日に攻撃を再開。8月20日、モスクワとレニングラードを結ぶ鉄道の中継点であるチュードヴォを占領。9月4日、レニングラードに対する爆撃を開始。9月8日、レニングラード東のシュリッセルブルクが陥落、レニングラードとの陸上連絡路が完全に消滅した。9月9日、レニングラードへの攻撃を開始。9月11日、レニングラード市街を一望するドゥーデルホフの丘を占領した。ここでヒトラーがレニングラードを占領せず、包囲したままとすることを決定。この時市内には約300万人の市民がおり、食糧は1ヶ月分しか貯蔵されていなかった。レニングラードへの唯一の補給路となったラドガ湖ごと包囲するため、ドイツ軍は更に東に進撃したが、11月には兵力不足と寒さから前進が止まり、レニングラードは凍ったラドガ湖に渡された鉄道、電力ケーブル、燃料パイプにより何とか命脈を保った。参考:月刊軍事研究11,’05、WWU欧州戦史シリーズVol.4
<レノアー>:AKA-74(攻撃貨物輸送艦)を参照。
<レノ・ルスキー>:KS(戦車)を参照。
<レバ・シリーズ>:南アフリカのインターナショナル・コンボイ・プロテクション社が開発した4×4輪装甲車で、外見はマンバに似ている。2004年からアメリカ陸軍、イラク軍警察、民間軍事会社などに200両が採用された。参考:月刊軍事研究12,’08
<レバV>:ホイールベース延長型。車体はモノコック構造で、戦闘重量8.98トン。防御レベルは耐地雷でSTANAG4569レベルV。乗員10名。タイ陸軍が87両を採用した。参考:月刊軍事研究12,’08
<レバX>:車体を一回り大型にしたもの。車体は厚さ8.9mmの圧延鋼板製で、側面は同じ厚さの鋼板をもう1枚重ねてスペースドアーマーにしてあり、底面は厚さ16mmの装甲板を使用している。上面にはキューポラが2ヵ所設置されていて、自衛用機銃などの装備が可能。オプションで背面に6mmの装甲板を埋め込んだ耐ショック座席に換装できる。厚さ63mmの防弾ガラスを使用しており、側面及び後面にガンポートを持つ。車体両側に25リットル入り飲料水タンクが用意されている。戦闘重量10.5トン。最大速度120km。乗員12名。参考:月刊軍事研究12,’08
<レバーアクション式>:手動小銃の形式の1つ。トリガーガードを兼ねたフィンガーレバーを前進・後退させると、銃身と平行に設けられた管状弾倉から弾薬が1発ずつ後方に抜き出され、キャリアに乗せられたその弾薬を遊底で送弾する方式である。1850年代に登場し、最初の実用連発銃となったメカニズムだが、ボルトアクションよりも確実性に欠け、現在では殆ど用いられていない。参考:GUN用語事典、火器弾薬技術ハンドブック、世界の軍用銃
<レバー式装填機>:レバーによって装填トレイ上の弾薬を装填する方式の装填装置。参考:火器弾薬技術ハンドブック
<レバイヤサン>:イスラエル海軍タイプ800ドルフィン級潜水艦2番艦Leviathan。1999年竣工。2009年5月、エジプトとの共同対ゲリラ作戦強化のため、スエズ運河を往復して紅海に展開した。参考:現代の潜水艦、月刊世界の艦船4,’10
<レバノン>:北と東でシリア、西で地中海、南でイスラエルに隣接している。国の真ん中を標高3000m以上のレバノン山脈が南北に走り、海岸側は地中海性気候、山側は冬に積雪の多い気候である。アラブ人が大半を占めるが、昔から民族や文化の交流が盛んだったため細かく分けると18の宗教・宗派が存在し、外国文化にも寛容で、全身を黒い布で覆いラマダンで断食する女性と、その期間中にもTシャツ短パンでレストランでの飲酒を楽しむ女性とが混在していたりする。第1次大戦時はトルコの支配下にあり、第1次大戦終結でフランスの委任統治領となり、1941年にフランスから独立した。1960年代には中東のパリという異名が付くほど栄えたが、第3次中東戦争後にパレスチナ解放戦線がヨルダンからレバノンに拠点を移し、キリスト教マロン派と対立して1975年からレバノン内戦に陥って国内が荒廃した。1990年、レバノン内戦が終結したが、シリア軍が駐留を続け、大きな影響力を及ぼすようになった。2003年5月(2005年?)、シリア軍が撤退。2011年からのシリア内戦で150万人もの難民が流れ込み(ちなみにレバノンの人口は465万人)、ヒズボラがシリア内戦に介入、社会情勢が流動化して治安悪化や近隣諸国への悪影響が懸念されている。2020年8月4日、ベイルート港の倉庫に放置されていた硝酸アンモニウムによる大規模爆発(TNT1.5キロトン相当)が発生し、少なくとも154人が死亡、5000人以上が負傷し、30万人以上が被災した。新型コロナウイルス感染拡大の影響によりベイルートで係船状態にあったアブ・メリ・クルーズ所属客船オリエント・クイーンが転覆し、乗員2人が死亡している。フランス海軍はミストラル級強襲揚陸艦L-9014トンネールにEDA-R高速揚陸艇1隻、資材揚陸用パージ2隻、ヘリ2機、マルセイユ消防局消防車(レバノンへの寄付用)、各種資器材、陸軍工兵350名、水中爆発物処分隊フロッグマン、フランス政府派遣員を乗せ、救援のため現地に派遣した。参考:MAMOR vol.129、月刊軍事研究5,’16、月刊世界の艦船10,’20、12,’20
<レバノン海軍>
<レバノン海軍(1977年)>:兵力250名。大型哨戒艇4隻、沿岸哨戒艇2隻、上陸用舟艇1隻を配備する。参考:軍事力バランス78年版
<レバノン海軍(1989年)>:キリスト教徒の支配下にある。兵力500名。ジュニエに基地を持つ。タラブラス級内海哨戒艇1隻、ビブロス級内海哨戒艇3隻、戦車揚陸艇2隻を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990
<レバノン海軍(2015年)>:現役兵力1800名。哨戒艇13隻、ソウル級LCT2隻を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<レバノン空軍>
<レバノン空軍(1977年)>:兵力1000名。ハンターF70戦闘機10機、ハンターT66戦闘攻撃機2機、ミラージュVEL/BL戦闘機9機、アルエートU/Vヘリ10機、AB212ヘリ6機、SAブルドッグ練習機6機、マジステール練習機8機、バンパイア練習機3機、ダブ輸送機1機、ターボコマンダー690A輸送機1機を配備する。参考:軍事力バランス78年版
<レバノン空軍(1980年)>:ミラージュVEL/BLを100機、ハンターF.Mk70を10機、ハンターT.Mk66Cを2機、CM170-2マジェスターを8機、ブルドッグ126を6機、SA316アルエートVを12機、SA315アルエートUを2機、AB212を4機保有する。参考:ザ・マーチ18号
<レバノン空軍(1989年)>:主にキリスト教徒の支配下にある。兵力800名。ただし基地が壊滅状態でジュニエ・ジュバイル間の高速道路を滑走路代わりに使用するしか無く、保有機も稼動状態にある気がしない。ハンターF70戦闘機5機、ハンターT66戦闘機1機、SA-342武装ヘリ(SS-11/12対戦車ミサイル装備)4機、AB212汎用ヘリ7機、SA330汎用ヘリ9機、SA313汎用ヘリ2機、SA316汎用ヘリ7機、ブルドッグ練習機5機、CM-170練習機3機、ダブ輸送機1機、ターボ・コマンダー690A輸送機1機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990
<レバノン空軍(2015年)>:現役兵力1600名。ハンターMk6/Mk9戦闘機3機、ハンターT66戦闘機1機、AC-208攻撃機3機、ブルドッグ練習機3機、AW139汎用ヘリ1機、SA342L汎用ヘリ8機、S-61N消火ヘリ3機、AS330/IAR330汎用ヘリ10機、ベル205/UH-1H汎用ヘリ18機、R-44練習ヘリ4機を保有する。他にSA342L汎用ヘリ5機、SA316汎用ヘリ5機、SA318汎用ヘリ1機、ベル205ヘリ11機、ベル212ヘリ7機が非稼動状態にある。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<レバノン軍>:
<レバノン軍(1989年)>:内戦で崩壊状態にあり、宗教・宗派別の民兵に分裂している。キリスト教徒レバノン軍団が現役6000名・総戦力35000名、キリスト教徒ファランジェ党が現役800-1000名・総戦力6000名、イスラム教徒シーア派アマル(親シリア)が現役5000名・総戦力15000名、イスラム教徒シーア派ヒズボラ(親イラン)が現役3500名・総戦力15000名、ドルーズ教徒進歩社会主義者党が現役5000名・総戦力12000名、南レバノン軍(キリスト教徒、一部シーア派とドルーズ派。親イスラエル)が現役1200名・民兵1500名とされる。国連暫定軍5500名、シリア軍30000名、イラン革命防衛隊2000名、PLO4500名が駐留している。参考:ミリタリー・バランス1989-1990
<レバノン軍(2015年)>:現役兵力60000名(陸軍56600名、海軍1800名、空軍1600名)、準軍事組織(内務省国内保安軍)20000名(V-200装甲車60両、哨戒艇7隻)。アルゼンチン軍のUNTSOオブザーバー3名、アルメニア軍のUNIFIL要員33名、オーストラリア軍のUNTSOオブザーバー12名、オーストリア軍のUNTSOオブザーバー5名とUNIFIL要員180名・兵站中隊1個、バングラデシュ軍のUNIFIL要員286名・フリゲート2隻、ベラルーシ軍のUNIFIL要員5名、ベルギー軍のUNTSOオブザーバー2名とUNIFIL要員1名、ブータン軍のUNTSOオブザーバー2名、ブラジル軍のUNIFIL要員201名・フリゲート1名、ブルネイ軍のUNIFIL要員29名、カンボジア軍UNIFIL要員184名・工兵中隊1個、カナダ軍UNTSO(Operation Jade)オブザーバー4名、チリ軍UNTSOオブザーバー3名、中国軍UNTSOオブザーバー3名とUNIFIL要員418名・工兵中隊1個・野戦病院1個、クロアチア軍UNIFIL要員1名、キプロス軍UNIFIL要員2名、デンマーク軍UNTSOオブザーバー11名、エルサルバドル軍UNIFIL要員52名・歩兵小隊1個、エストニア軍UNTSOオブザーバー4名とUNIFIL要員37名、フィジー軍UNTSOオブザーバー2名とUNIFIL要員144名・歩兵中隊1個、フィンランド軍UNTSOオブザーバー17名とUNIFIL要員308名・機械化歩兵大隊エレメント1個、フランス軍UNTSOオブザ-バー1名とUNIFIL要員825名・歩兵戦闘群1個(ルクレール、AMX-10P、VAB、CAESAR、AU-F1、ミストラル装備)、ドイツ軍UNIFIL要員117名・フリゲート1隻、ガーナ軍UNIFIL要員871名・機械化歩兵大隊1個、ギリシャ軍UNIFIL要員51名・哨戒艇1隻、グアテマラ軍UNIFIL要員2名、ハンガリー軍UNIFIL要員4名、インド軍UNIFIL要員897名・歩兵大隊1個・野戦病院1個、インドネシア軍UNIFIL要員1289名・機械化歩兵大隊1個・兵站大隊1個・フリゲート1隻、アイルランド軍UNTSOオブザーバー13名とUNIFIL要員196名・機械化歩兵大隊エレメント1個、イタリア軍UNIFIL要員1188名・山岳歩兵旅団司令部1個・機械化歩兵大隊1個・工兵中隊1個・通信中隊1個・ヘリコプター大隊1個、ケニア軍UNIFIL要員1名、韓国軍UNIFIL要員320名・機械化歩兵大隊1個、マケドニア軍UNIFIL要員1名、マレーシア軍UNIFIL要員830名・機械化歩兵大隊1個・機械化歩兵中隊1個、ネパール軍UNIFIL要員870名・歩兵大隊1個、オランダ軍UNTSOオブザーバー12名、ニュージーランド軍UNTSOオブザーバー8名、ナイジェリア軍UNIFIL要員1名、ノルウェー軍UNTSOオブザーバー12名、カタール軍UNIFIL要員3名、ロシア軍UNTSOオブザーバー4名、セルビア軍UNTSOオブザーバー1名とUNIFIL要員177名・機械化歩兵中隊1個、シエラレオネ軍UNIFIL要員3名、スロバキア軍UNTSOオブザーバー3名とUNIFIL要員14名、スペイン軍UNIFIL要員613名・機甲歩兵旅団司令部1個・機械化歩兵戦闘群1個、スリランカ軍UNIFIL要員151名・歩兵中隊1個、スウェーデン軍UNTSOオブザーバー6名、スイス軍UNTSOオブザーバー15名、タンザニア軍UNIFIL要員158名・憲兵中隊2個、トルコ軍UNIFIL要員49名・哨戒艇1席、アメリカ軍UNTSOオブザーバー2名が駐留している。参考:THE MILITARY BALANCE
2016
<レバノン侵攻>:1982年6月に発生した、イスラエル軍によるレバノン侵攻「ガリラヤ平和作戦(Operation peace in Gallilea)」。1981年、ベイルート付近に展開したPLO(パレスチナ解放機構)が、ハンガリーから供与された中古のT-34/85を拠点に配置。これを見たイスラエルがテロ路線を変えていないと表明し、掃討作戦に乗り出したものである。作戦開始の数週間前からイスラエル軍はレバノンとの国境付近に戦力を展開、これに対してPLOがイスラエル北部に砲撃を加えて兵士1名を死亡させ、民間人8人を負傷させたため、イスラエル軍は24時間で航空機60機による爆撃と1600発の砲撃を加えた。1982年6月3日、ロンドン駐在イスラエル大使が襲撃されて重傷を負ったため、これを口実に6月4日1515からF-4ファントムUとA-4スカイホークがレバノンのベイルートに侵攻し、PLOの拠点である難民キャンプを90分にわたり爆撃した。この際、SA-7によりA-4スカイホーク1機が撃墜された。6月6日、イスラエル軍はヘリの支援の下に地上部隊(兵士20000名、戦車100両、装甲兵員輸送車100両などからなる)をレバノンに侵攻させ、国連平和維持軍の阻止を無視してリタニ川を渡河、一気に北上してベイルート郊外に到達。6月7日、シリア空軍のミグ戦闘機がベイルートとダムール上空でイスラエル軍のF-16を迎撃したが、逆襲されて2機が撃墜された。イスラエル軍のF-15がシリアのMiG-23戦闘機1機を撃墜。6月8日、イスラエル軍はCH-53によるヘリボーンでベイルートの南東にあるシューフ山脈を制圧。これによりベイルートとダマスカスの連絡が絶たれたため、シリア軍は固定翼機やSA342Lガゼルなどを投入してイスラエル地上部隊に対して本格的な反撃を行った。イスラエル空軍F-15がシリア空軍MiG-21戦闘機2機とMiG-23戦闘機1機を撃墜。イスラエル空軍にとってベッカー渓谷に配置されたシリア軍SAM陣地(SA-6などを配置)が脅威となっていたため、6月9日にSAM陣地19ヵ所に対してSEAD攻撃を仕掛けた。イスラエル軍はE-2CやUAV、気球に吊したAN/TPS-63戦術レーダーを使用して十分に状況を把握していたが、シリア軍は主要なレーダーを後方に下げていた(ソ連から鹵獲されないよう指示されていた可能性がある)ので、シューフ山脈の影から接近するイスラエル軍機を殆ど捕捉できなかった。1400から第一波の攻撃が行われ、ゼエブ短距離地対地ミサイルも加わって10分間に10ヵ所の陣地を破壊。夕方までに第四波まで攻撃が行われ、延べ90機の爆撃により17ヵ所のSAM陣地が壊滅した。その間、迎撃に現れたシリア軍機をイスラエルのF-15とF-16が制圧し、シリア軍機はイスラエル側発表で22機(うちF-15がMiG-21戦闘機5機とMiG-23戦闘機3機を撃墜)、シリア側発表で16機が撃墜された。シリア側はイスラエル機26機を撃墜したと発表したが、殆どはUAVであるとみられる。6月10日、ベッカー渓谷に残る2ヵ所のSAM陣地が破壊された。緒戦でT-72戦車を装備するシリア第82機甲旅団がイスラエル軍のブレイザー装甲付きM60戦車にアンブッシュを仕掛け、21両を撃破(シリア軍発表)、ブレイザー装甲がシリア軍の手に落ちてソ連に渡り、コンタクト装甲の基になった。イスラエル軍は直ちにメルカバ戦車とナグマシュ戦車駆逐車、AH-1を投入してシリア第82機甲旅団に反撃、T-72を30両撃破して敗走させたが、メルカバ戦車も撃破されている。イスラエル空軍F-15はMiG-21戦闘機6機、MiG-23戦闘機6機、ヘリ1機を撃墜。6月11日、イスラエル空軍F-15はMiG-21戦闘機3機とMiG-23戦闘機2機を撃墜。6月22日正午にイスラエルとシリアとの間で停戦が成立。6月23日、PLOは攻撃停止を宣言。6月24日、イスラエル空軍F-15がMiG-23戦闘機2機を撃墜。7月にイスラエルとPLOとの間で停戦が発効し、アラファト議長らPLOメンバーの7割がレバノンから退去した。1984年6月にイスラエル部隊は撤退したが、レバノン南部を安全保障地帯として占領し続け、完全撤退は2000年5月になった。イスラエル軍はシリア軍機85機を撃墜(F-15が40機、F-16が44機、F-4が1機)し、損害はゼロと発表したが、シリア側発表ではシリア軍の被撃墜数は60機である。また、イスラエルの損害は、A-4スカイホークが2機、F-4が1機、F-16が1機、AH-1が1機(PLOによるもの)、AB212が1機(PLOによるもの)、帰投したが修理不能なもの7機と推定されている。ベッカー渓谷上空ではイスラエル軍機3機が撃墜されたが、1機あたり100発以上のSAMが必要であったとされ、SEADにより30カ所のSAM陣地は全て破壊されてしまった。空対空戦闘でイスラエル軍機が敵機を撃墜した方法は、大半が赤外線誘導の短距離ミサイルで、これを撃ち尽くすと目視内でAIM-7を使用しており、機関砲で撃墜したのは7%だった。レバノン国民30-100万名が家を失ったとされる。参考:週刊エアクラフトNo.72、JWings1,’03、11,’12、月刊PANZER9,’10、5,’99、月刊グランドパワー12,’04、月刊軍事研究1,’08、3,’99、2,’09
<レバノン内戦>:ヨルダン内戦後、武装PLOの配下にあるパレスチナ難民がレバノンに2万人前後流入し、警察力の弱いレバノンはコントロール出来ずにいた。1975年4月、パレスチナ難民のバスに対してキリスト教右派の民兵が銃撃、20人以上が死亡。これに対してPLOと被支配層のイスラム教徒が組んでキリスト教徒に対し戦闘を仕掛け、内戦が勃発した。1976年4月、東ベイルートに追い込まれたキリスト教徒を助けるため(レバノンがPLO支配下に置かれるのを防止するため)シリア軍が1万人のPLAを派遣、6月までに2万人に増強し、戦況を逆転させた。10月17日から開催されたアラブ首脳会議でシリア軍はアラブ平和維持軍となり、レバノンに3万名規模の部隊を派遣した。1982年、イスラエル軍によるレバノン侵攻が勃発。9月14日、就任直前のバシール・ジュマイエル大統領(キリスト教、親イスラエル)が爆弾テロで暗殺された。1987年6月1日、ラシード・カラミ首相(イスラム教スンニ派、親シリア)が爆弾テロで殺害された。1988年9月、レバノンが大統領と首相をどちらもキリスト教徒としたため、シリア軍が首相率いる民兵部隊を攻撃して首相を辞職に追い込んだ。1989年10月、サウジアラビアでレバノン国会議員協議会が開催され、民族和解合意が採択された。11月22日、ルネ・ムアッワド大統領が就任17日目で爆弾テロに遭い死亡。1990年に内戦は終結した。15年にわたる内戦で死者は144000人、行方不明者14000人、負傷者197500人。2005年3月12日、シリアがレバノン駐留シリア軍と情報機関員全員の撤退を表明。参考:月刊軍事研究5,’05
<レバノン陸軍>:
<レバノン陸軍(1977年)>:内戦で分裂状態にある。内戦前は兵力17000名20個大隊規模。AMX-13軽戦車25両、M-41軽戦車18両、パナール/AEC/シャミテ装甲車100両、M113装甲兵員輸送車80両、M59装甲兵員輸送車16両、パナールM3、75mm砲6門、122mm榴弾砲24門、155mm榴弾砲20門、120mm迫撃砲25門、106mm無反動砲、84mm自走対戦車砲チャリオティア60門、エンタック/SS11/TOW対戦車ミサイル20基、高射機関砲60門、M42自走高射機関砲15門を配備していた。参考:軍事力バランス78年版
<レバノン陸軍(1989年)>:総兵力21000名。10個旅団からなる。M-48A1/A5戦車105両、AMX-13軽戦車32両、FV601サラディン偵察車65両、フェレット偵察車5両、M-113装甲兵員輸送車300両、FV603サラセン装甲兵員輸送車、VAB-VTT装甲兵員輸送車20両、105mm砲M-101A1を15門、122mm砲M-102を18門、122mm砲M-1938/D30、130mm砲M-46、155mm砲M-50を36門、155mm砲M-114、155mm砲M-198、81mm迫撃砲、120mm迫撃砲25門、エンタック対戦車ミサイル、ミラン対戦車ミサイル、BGM-71A対戦車ミサイルランチャー20基、RPG-7、89mmロケットランチャーM-65、106mm無反動砲M-40A1、20mm高射機関砲、23mm高射機関砲ZU-23、30mm高射機関砲、M42自走高射機関砲15両を保有する。ただし内戦で崩壊状態にあり、キリスト教徒が6個旅団、イスラム教スンニ派が2個旅団、シーア派が1個旅団、ドルーズ教徒が1個旅団を吸収したらしい。キリスト教徒レバノン軍団はT-55戦車150両、M-48戦車、AMX-13軽戦車5両、M-113装甲兵員輸送車、105mm砲、122mm砲25門、130mm砲、155mm砲10門、60mm/81mm/120mm迫撃砲、フロッグ7、RPG-7、12.7mm/14.5mm/23mm高射機関砲を保有する。キリスト教徒ファランジェ党はM113装甲兵員輸送車、120mm迫撃砲、RPG-7を保有する。イスラム教シーア派アマルはM-48戦車、T-54/55戦車50両、FV601サラディン偵察車、VAB装甲兵員輸送車25両、BTR装甲兵員輸送車、M-113装甲兵員輸送車、105mm/122mm/130mm/155mm砲、107mm/122mm多連装ロケットランチャー、81mm/120mm迫撃砲、9M14対戦車ミサイル、107mm無反動砲、85mm/100mm対戦車砲、23mm高射機関砲ZU-23、9M32地対空ミサイルを保有する。イスラム教シーア派ヒズボラは装甲兵員輸送車、火砲、ロケットランチャー、無反動砲、9M14対戦車ミサイル、高射砲を保有する。ドルーズ教徒派はT-34戦車70両、T-54/55戦車、BTR-60/-152装甲兵員輸送車を保有する。南レバノン軍はM-4戦車40両、T-54/55戦車30両、M-113装甲兵員輸送車、122mm砲M-1938、130mm砲M-46、150mm砲、155mm砲M-198を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990
<レバノン陸軍(2015年)>:現値機兵力56600名。地域コマンド5個(ベイルート、ベッカー渓谷、レバノン山、北部、南部)、コマンドー連隊1個、機甲連隊2個、機械化歩兵旅団11個、空挺連隊1個、水陸両用コマンドー連隊1個、大統領警護旅団1個、介入連隊5個、国境通信連隊2個、砲兵連隊2個、戦闘支援旅団(工兵連隊1個、対戦車連隊1個、通信連隊1個)1個、憲兵旅団1個、兵站旅団1個、医療連隊1個、建設連隊1個からなる。M48A1/A5戦車92両、T-54戦車185両、T-55戦車47両、AML偵察車55両、AIFV-B-C-25歩兵戦闘車16両、M113A1/A2装甲兵員輸送車1274両、VAB-VCT装甲兵員輸送車86両、155mm自走砲M109を12両、105mm砲M101A1を13両、122mm砲D-30を9門、122mm砲M-30を26門、130mm砲M-46を15門、155mm砲M114A1を18門、155mm砲M198を178門、155mm砲モデル50を14門、122mm多連装ロケットBM-21を11両、81mm迫撃砲134門、82mm迫撃砲112門、120mm迫撃砲ブラント29門、ミラン対戦車ミサイル、TOW対戦車ミサイル、106mm無反動砲M40A1を113門、73mmロケットランチャーM-50を11門、90mmロケットランチャーM-69を8門、9K32ストレラ-2/-2M携帯地対空ミサイル、20mm高射機関砲20門、23mm高射機関砲ZU-23を57門、M113装甲回収車、T-54/-55戦車回収車(を保有しているという報告あり)、MTU-72戦車橋(を保有しているという報告あり)、ボナンザ地雷戦車両、モハジール4無人機8機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<レパルス>:34(巡洋戦艦)またはS23(潜水艦)を参照。
<レパルス級>:イギリス海軍巡洋戦艦Repulse級。ロイヤル・サブリン級戦艦6番艦レナウン及び7番艦レパルスとして1914年度計画で発注され1914年に起工したが、第1次大戦勃発で一旦発注が取り消され、1914年12月8日のフォークランド沖海戦でインビンシブル級巡洋戦艦が活躍したのを受け、第1海軍卿フィッシャー提督の進言に基づき巡洋戦艦に設計変更されて完成した。このため艦名がロイヤル・サブリン級(R級)と同じくRで始まっている。傾斜甲板及びインターナル・バルジを組み合わせ、防御力強化を図っている。ドイツ巡洋戦艦が27-28ノットを出せたため、それを上回る30ノット(当時の巡洋艦より速い)を発揮できるようにした。全長242m、幅27.5m、吃水7.6-8.2m、常備排水量27320-27650トン、満載排水量32220トン。主機はブラウン・カーチス(パーソンズ?)高低圧(高中低圧?)並列オール・ギヤード(直結?)蒸気タービン4基、主缶はバブコック&ウィルコックス式重油専焼缶(19.3気圧、飽和温度)42基、出力112000馬力、4軸推進、推進軸回転数毎分275回転、プロペラ直径4.11m、計画速力31.5ノット、航続距離2700海里(25ノット)/4000海里(18ノット)/4700海里(12ノット)。兵装は42口径38.1cm連装砲MkT3基、44.3口径10.2cm3連装砲Mk\5基、44.3口径10.2cm単装砲Mk\2門、20口径7.6cm単装高角砲QF2門、4.7cm単装砲4門、533mm水中発射管(固定式)2門。装甲厚は水線部152mm、甲板70mm(最上甲板19mm+中甲板51mm)、バーベット178mm、砲塔前楯279mm、砲塔側面178mm、砲塔天蓋108mm、司令塔254mm。乗員953-967名。1916年に2番艦艦番号34レパルス(こちらが先に就役)、1番艦艦番号72レナウンの2隻が就役した。1919-22年、レパルスの前後砲塔間に舷側装甲を追加し、舷窓を廃止、水中発射管を水上発射管8門(船首楼甲板下後部)とし、2番砲塔上に航空機滑走台を設置した。1923-26年、レナウンのバルジを大型のものに換装した。レパルスは1934-36年、レナウンは1936-39年に主砲仰角を引き上げ、装甲を強化、固定式カタパルトを中心線に対して垂直に設置、後部煙突基部に格納庫を設けてウォーラス小型飛行艇2機を搭載した。レナウンは更に主機を換装し、副砲と高角砲を連装両用砲にして対空兵装を強化、艦橋構造物を箱形にしたため、外見が別物になっている。第2次大戦勃発時の諸元は、全長242.3m、幅27.5m、吃水8.2m、基準排水量32000トン(機関重量6096トン)。主機は蒸気タービン、出力113000馬力(レパルス)/130000馬力(レナウン)、速力29ノット。兵装は38.1cm連装砲塔3基、10.2cm3連装砲4基(レパルスのみ)、10.2cm連装砲2基(レパルスのみ)、10.2cm単装高角砲4門(レパルスのみ)、11.4cm連装両用砲10基(レナウンのみ)、2ポンド8連装対空砲、53cm魚雷発射管8門などを装備した。航空機2機を搭載する。参考:第2次大戦のイギリス軍艦、近代戦艦史、月刊丸11,’09、月刊世界の艦船11,'21、7,’11、1,’12、4,’12
<レバンテU>:ハンガリーの練習・連絡観測機Levente U。パラソル式の主翼を持つ。全長6.1m、全幅9.5m、全備重量752kg。エンジンはヒースHM504A-2(105馬力)単発で、最大速度180km、実用上昇限度4400m。乗員2名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇
<レパント>:D21(駆逐艦)を参照。
<レパント級>:フレッチャー級・海外シリーズ(駆逐艦)を参照。
<レフ218>:AK-130(艦砲)を参照。
<レフィー・ミトライエーズ>:1851年にベルギーのモンテグニーが開発した手回し式連発銃。銃身が25本もあり、遊底板に25発の弾薬を挿して装填、クランクを回して25連射する。弾薬挿入済みの遊底板を交換すれば簡単に再装填できる。参考:歴史群像10,’04
<レフォルマドール>:101(哨戒艦)を参照。
<レフトウィッチ>:DD-984(駆逐艦)を参照。
<レプトン>:M1167(沿岸掃海艇)を参照。
<レブノストニイ>:ソ連海軍クリヴァクU型フリゲートRevnostny(吼えるような)。1980年竣工。1986年2月16日夜、対馬海峡東水道を通過。2月17日0600頃、対馬の南西55kmを南に航行するのを特務艦たかなみが確認した。参考:月刊世界の艦船3,’92増刊、5,’86
<レフラシス>:LeFlaSys(地対空ミサイルシステム)を参照。
<レフレクス>:9M119(対戦車ミサイル)を参照。
<れぶん>:MSC-624(掃海艇)を参照。
<礼文分屯地>:陸上自衛隊の分屯地。所在地は北海道礼文郡礼文町大字船泊村字沼ノ沢。1968年12月16日に開設され、第301沿岸監視隊派遣隊が駐屯した。1969年、第439会計隊礼文派遣員が配置された。1979年、北部方面通信群第301基地通信中隊礼文派遣隊が駐屯を開始。1982年、名寄駐屯地業務隊礼文管理班が新編された。2009年、第439会計隊礼文派遣員が原隊に復帰した。2021年7月28日、「夏が来た!トマトも流れる!流しソーメン祭」を開催。参考:第3師団ホームページ、JGround Vol.23、名寄駐屯地ホームページ
<礼文分屯地(2015年)>:第301沿岸監視隊派遣隊、第301基地通信中隊礼文派遣隊、名寄駐屯地業務隊礼文管理班が駐屯している。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015
<レペ>:フランス海軍ル・アルディ級駆逐艦L’Epee。1940年竣工。先代ラドロアの戦没に伴い、1941年にラドロアと改称された。1942年11月、ツーロンで自沈。その後イタリア海軍に引き揚げられ、FR.33と名付けられた。イタリア降伏に伴いドイツ国防軍に接収されたが、修理不能として1944年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<レベジ・グランド>:レベド]W(計画偵察爆撃機)を参照。
<レベドZ>:ロシア軍複葉偵察機。ロシアのレベド社がソッピース・タブロイドをコピーしたものである。エルロンは無く、ロール操縦は主翼を捩って行う。全長6.95m、全幅7.65m、全高3.15m、重量710kg。エンジンはノーム(80馬力)単発、プロペラは2翅、最大速度135km、航続時間1.5時間。乗員1名。1914-15年に少数が生産され、第1次大戦に投入された。参考:ウォーマシン・レポートNo.67
<レベド[>:レベド社が試作した複葉機。レベドZの改良型で、主翼にエルロンを装着している。2機が製作されたが、量産には至らなかった。参考:ウォーマシン・レポートNo.67
<レベド]U>:ロシア軍複葉偵察機。ロシア初の国産機とされており、レベド社が開発して1915年12月28日に初飛行した。ただ実態は1915年夏に鹵獲したドイツのアルバトロスBをレベド社でコピーしたレベド]Tのエンジンを換装しただけである。機体はそのままだったので重心がずれてしまい、試験中の1917年初めから前線での偵察任務に投入されたが、追加試験で訓練以外に使うべきで無いという判定を下された。全長7.96m、全幅13.15m、全高3.25m、重量1212kg。エンジンはサルムソン(150馬力)単発、最大速度135km、航続時間3時間。乗員2名。1918年までに214機が生産された。参考:ウォーマシン・レポートNo.67
<レベド]W>:ロシア軍計画複葉偵察爆撃機、別名レベジ・グランド。レベド社初の双発機で、大型戦闘機として提案したが、軍では偵察爆撃機として計画を進めることにし、1915年10月から開発した。大型機としてロシア初のモノコック構造胴体を採用しており、前部胴体下面にはガラス窓があって爆撃照準やカメラ撮影に使用、緊急時の脱出口にもなる。上下主翼間左右にエンジンを1基ずつ配置する。全長12.25m、全幅23.6m、重量3170kg。エンジンはサルムソン(150馬力)双発、最大速度140km、航続時間4-5時間。自衛武装は7.7mm旋回機銃3丁。爆弾300kgを搭載可能。乗員4名。完成前に第1次大戦でロシアが休戦してしまった。参考:ウォーマシン・レポートNo.67
<レベド]Y>:レベド社が開発した複葉双発爆撃機。ドイツ軍Gシリーズ爆撃機の影響を受けている。胴体は合板張り、エンジンカバーは金属製。降着装置はレベド]Uの流用である。エンジンはローン(80馬力)双発。乗員3名(爆撃手兼前方銃手、操縦士、後方銃手)。1917年前半に初飛行し、成績は良好だったが、何故か開発中止になった。参考:ウォーマシン・レポートNo.67
<レベド]Z>:ロシア軍複葉偵察機で、レベド社が開発した。レベド]Uの改良型で、エンジンのシリンダーヘッド以外の部分を金属板で覆い、エンジンと胴体を外板で滑らかに繋げ、抗力を低下させることにより飛行性能を向上させており、プロペラ同調機銃も装備している。全長8m、全幅13.2m、全高3.5m、重量1210kg。エンジンはサルムソン(150馬力)単発、最大速度142km、航続時間3時間20分。乗員2名。1917年8月に初飛行し、同年中に少数のみ生産された。参考:ウォーマシン・レポートNo.67
<レベル・オープナー>:ブルーインパルス曲技飛行の1つ。5機(1-4番機と6番機)が会場正面からデルタ隊形で進入し、放射状に同時散開しつつロールする。編隊連携機動飛行ではロールしない。参考:月刊JWings8,'24
<レベル・オフ>:機体を水平飛行に移すこと。上昇から水平に移す時には、機体を180度ロールさせてから行うと、マイナスGがかからないので楽である。参考:月刊JWings12,’06
<レベル・ライダーズ>:第149戦闘飛行隊を参照。
<レホボス>:AVP-50(飛行艇支援艦)を参照。
<レマー>:ハンス・レマー。ドイツ空軍エース。1920年8月17日、フライブルク生まれ。1941年1月2日、ドイツ空軍第27戦闘航空団本部小隊配属となった。4月19日、第27戦闘航空団第1飛行中隊所属となり、北アフリカに派遣された。6月18日、初撃墜を記録。1942年10月30日、第1飛行中隊の中隊長となった。1943年11月2日、B-24を攻撃中に被弾、パラシュート脱出した。1944年4月2日、Bf109G-6でB-24を迎撃し、被弾したため脱出したが、パラシュートが開かず墜死した。総撃墜機数は27機(うち四発重爆8機)。最終階級は大尉。参考:グラフィックアクション36
<レマーゲン攻略>:第2次大戦末期の1945年2月7日、アメリカ第1軍第3軍団がライン川のほとりのレマーゲンを目指し進撃を開始。3月7日、レマーゲンに到達し、無傷のルーデンドルフ鉄橋を発見した。防衛するドイツ軍は歩兵36名と工兵120名のみで、正午過ぎから開始されたアメリカ軍の攻撃を受けて1500に橋の爆破を行ったが、工業用火薬300kgしかなかったため、破壊に失敗。1530に第9機甲師団第27歩兵大隊A中隊によりルーデンドルフ鉄橋は占領された。アメリカ軍は24時間で8000名の兵員と物資や車両をライン川対岸に渡河させることに成功、ドイツ軍はAr234爆撃機やフロッグマンを投入、果てはA4ロケットまで撃ち込んだが破壊できなかった。その間にアメリカ軍はゼブラミッションに参加していた5両のT26E3も渡河させ、ポンツーン橋を渡して橋頭堡を強化した。3月10日、第512重戦車駆逐大隊(ヤクトティーガー装備)に攻撃命令が出されたが、肝心のヤクトティーガーが到着せず、出撃が遅れた。3月17日、ルーデンドルフ鉄橋は爆破や至近弾による損傷と多数の車両通過による負荷に耐えきれず、崩壊した。3月19日、第512重戦車駆逐大隊が漸く出撃したが、既にアメリカ軍は橋頭堡を固めており、攻撃中止命令が出された。参考:月刊軍事研究7,’07
<レ・マット・リボルバー>:リボルバー式拳銃のシリンダー中央部に散弾銃の銃身・薬室を埋め込んだもので、フランスのレ・マット医師が開発した。リボルバーは.44口径9連発、散弾銃は.65の単発。アメリカ南北戦争時、南軍に2200丁が売却された他、フランスでも植民地の囚人監視官用に採用された。参考:GUN用語事典
<レミントン>:G19(駆逐艦)を参照。
<レミントン>:エレファレット・レミントン(Eliphalet Remington)。1793年、コネチカット州生まれ。10代半ばで父親の鍛冶場にあった材料で銃身を作り上げている。その後レミントン社を設立した。1861年没。参考:GUN用語事典
<レミントン社>:エレファレット・レミントンが設立した銃器メーカー。南北戦争中は拳銃やライフルを生産し、戦争後は弾薬製造にも手を広げた。第2次大戦後、ショットガンとライフルに製造を絞っている。参考:GUN用語事典
<レム>:KC-707(空中給油機)を参照。
<レム>:0.01シーベルトを表す線量当量の単位。参考:放射線健康科学
<レムール>:BAEシステムズ社が開発した機関砲システムLemur。可視光・赤外線カメラ、レーザー測距機、機関砲、FCSを統合したもので、車載用と艦載用が用意されている。車載用は25mm機関砲M242+7.62mm同軸機銃や、12.7mm機銃単独といった武装が可能であり、俯仰角はマイナス10度からプラス55度。参考:月刊軍事研究1,’08、9,’10
<レムス・シリーズ>:REMUSシリーズ(UUV)を参照。
<レモラー>:SS-487(潜水艦)を参照。
<レモン>:OH-6DA(練習ヘリ)を参照。
<レモンジュース>:イエローアラートを示す演習用コード。参考:月刊JWing1,’04
<レモン手榴弾>:イギリス軍が第1次大戦時に使用した軽量型摩擦点火手榴弾で、黄色に塗られていたのでこの名が付いた。缶の中心部にTNT、周囲に金属片を詰めており、起爆装置に導火線が繋がっていて、導火線の先に点火装置が付いている。点火装置は金属棒を塩素酸塩混合物に埋め込んだもので、棒を一気に引き抜くと塩素酸塩混合物が発火し、導火線に着火する。参考:手榴弾・迫撃砲
<レランパゴ>:P43(哨戒艦)を参照。
<レリーフ>:SSC-X-4(地上発射巡航ミサイルシステム)を参照。
<レリッチ級>:イタリア海軍掃海艇Lerici級。イタリアのインターマリン造船所が建造した。船体はGRP製で、荷重に応じて板厚を変更し、骨部材を省いたモノコック構造である。全長49.9m、幅9.5m、吃水2.6m、満載排水量620-630トン。主機はディーゼルで、速力14.6ノット。兵装は20mm単装機関砲1門。SQQ-14ソナー、オロペサMk4係維掃海具、プルート機雷処分具、PAP104機雷処分具、水中処分員を搭載する。乗員39名。1985年からキオッジア、ミラッツォなど4隻が就役した。5番艇以降は船体を大型化して処分具を改良しており、ガエタ級と呼ばれる。参考:月刊世界の艦船10,'15、3,’05、8,’12、8,’82増刊、月刊軍事研究9,’14
<レルヒェ>:G7esレルヒェ(魚雷)を参照。
<レルミオーヌ>:フランス海軍オーロール級潜水艦L’Hermione。起工されたが建造中止となった。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<レレファント級>:コートジボアール海軍中型揚陸艇。フランスのパトラル級を導入したものである。ヘリ甲板を持つ。兵員140名、戦車7両を搭載可能。参考:ミリタリー・バランス1989-1990
<レン>:D88(改W級駆逐艦)またはDD-568(フレッチャー級駆逐艦)またはU28(ブラックスワン級スループ)を参照。
<連>:中国軍の部隊単位で、中隊に相当する。連隊では無いので注意。参考:月刊軍事研究5,’16
<練11>:中国の練習機で、別名L-11猟鷹。K-8のエンジン強化型である。参考:月刊軍事研究12,’09
<練15シリーズ>:中国空軍の超音速高等練習機L-15雄鷹(狩鷹?猟鷹?)/ファルコン(Falcon)。中国空軍制式名は教練10/JL-10である。中国軍機にグラスコクピット機が増加し、これに対応する高等練習機が必要になったため計画され、洪都航空工業集団が開発した。2016年末までに中国空軍が135機を配備する他、中国海軍も配備しており、ザンビア空軍に6機、ベネズエラ空軍に24機を輸出する予定。参考:月刊軍事研究3,’08、12,’09、2,’18、月刊航空ファン8’10、4,’16、8,’16、1,’17
<練15>:タンデム複座機で、主翼付け根前縁にストレーキ、主翼中央部前縁にドッグトゥースがあり、エアインテイクは主翼付け根下面に付く。機動追尾用Xバンド・レーダー(探知距離30km)を装備し、計器板はグラスコクピット化されている。操縦装置は四重デジタルフライ・バイ・ワイヤ。全長12.27m、全幅9.48m、全高4.81m、最大離陸重量9.8トン。エンジンはウクライナ製Al-222K-25Fターボファン(A/B時推力4.2トン。EAI-222-25Fターボファン、A/B時推力4.5トン?)双発、最大速度マッハ1.4、上昇限度16000m、航続距離2800km。兵装搭載量2トン。翼端や主翼下に6ヵ所のハードポイントを持ち、PL-8/-9AAM、ロケット弾、爆弾などを搭載できる。機体寿命10000時間(運用30年間くらい)。乗員2名。2006年3月13日に初飛行した。2009年11月にはドバイ航空ショーに出品され、飛行展示を行っているが、その前後にパキスタンで慣熟飛行やパキスタン軍パイロットによるテスト飛行を実施した。2013年6月29日から中国空軍に納入されている。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊軍事研究3,’08、12,’09、月刊航空ファン8’10、4,’16、8,’16、1,’17
<練15LIFT>:改良型で、LIFTは戦闘前段階練習機の略。機首を延長してパッシブ・フェイズド・アレイ・レーダー(Xバンド。探知距離75km)を搭載し、コクピットをHUDと3基のMFDでグラスコクピット化してある。エンジンはウクライナのイフチェンコ設計局製AI-222-25Fターボファン(A/B時推力4.5トン)双発。2010年10月26日に初飛行した。2012年11月の珠海航空ショーでは中国航空工業集団公司製岷山エンジン(推力4.2トン)を積むと発表していたが、無理だったらしく、ウクライナ製エンジンのままである。参考:月刊航空ファン2,’11、4,’16、月刊軍事研究5,’16
<練15B>:軽戦闘攻撃機型L-15B。パッシブ・フェイズド・アレイ・レーダーとデータリンクを搭載し、レーザー照準ポッドの運用も可能。ハードポイントは9ヵ所に増やした。操縦系統はデジタル・フライバイワイヤ。自衛用にレーダー警報を装備する。最大離陸重量11.9トン、ペイロード3.5トン。エンジンはFADEC付きのAL-222K-25Fターボファン(A/B時推力4.2トン。AI-222-25Fの中国国産化型)双発で、最大速度1200km(マッハ1.4)、フェリー航続距離2600km、航続時間3.6時間(増槽搭載時)。PL-9C空対空ミサイルなどを運用可能。2017年5月3日にロールアウト式典が行われた。参考:月刊軍事研究1,’17、10,’17、月刊JWings7,’17、月刊航空ファン8,’17
<練15海外シリーズ>
<練15(ザンビア空軍)>:ザンビア空軍練習機。2014年に6機を発注した。2015年から引き渡されている模様。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<レンヴィル>:APA-227(攻撃輸送艦)を参照。
<連云級>:中国海軍の漁船改造掃海艇リエンユン級。満載排水量400トン。60隻前後が運用されている。参考:月刊軍事研究4,’05
<連雲港>:522(フリゲート)を参照。
<連環>:ベルト給弾式を参照。
<れんげ>:LSSL-434(警備船)を参照。
<連携2003>:上海協力機構加盟国(ウズベキスタン以外)が2003年8月6-13日に新疆ウイグル自治区イリとカザフスタンのウチャラルで実施した多国間演習で、1300名が参加した。参考:月刊軍事研究1,’17
<連携2010>:2010年10月25-28日に実施された多国間合同演習で、ロシア(第98親衛空挺師団第217連隊、Il-76輸送機12機、Su-24及びSu-27が10機、Mi-8ヘリ6機、Mi-24ヘリ4機)、アルメニア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンが参加した。内容は非合法武装組織の殲滅、多数の市民による政府転覆活動の鎮圧である。参考:月刊軍事研究1,’11
<連携2013>:中国陸軍とインド陸軍の対テロ共同演習で、2013年11月5日から10日間にわたり、中国四川省の成都軍区総合訓練所で実施された。参加したのは中国陸軍が成都軍区第13集団軍、インド陸軍が東部軍区で、どちらも1個中隊規模144名ずつである。参考:朝雲
<連係水雷>:浮遊機雷を繋げたもの。敵艦の前方に投下して艦首に引っかけさせ、舷側で爆発させる。1組を1群連と呼ぶ。参考:日本駆逐艦史
<連江>:774(ミサイル艇)を参照。
<練公>:日本海軍用語で、練習生の通称。参考:続日本海軍よもやま物語
<連公>:日本陸軍用語で、連隊長のこと。参考:月刊丸4,’99
<聯合二〇〇三>:SCOの枠組みの下で、中国、ロシア、カザフスタン共和国、キルギス共和国、タジキスタン共和国から1300名が参加して2003年10月に実施された対テロ合同演習。カザフ東部の演習場に5ヵ国の連合指揮所を開設し、ハイジャックへの対応をシミュレートした他、ウイグル自治区で市街地での対テロ掃討訓練を行った。参考:月刊軍事研究4,’07、10,’07
<連合宇宙作戦イニシアチブ>:宇宙安全保障に関する多国間の枠組み、略称CSpO(Combined
Space Operations initiative)。宇宙安全保障に必要な政策、運用、体制、法的課題などの議論を行う。2014年に発足し、アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダが参加した。2015年、ニュージーランドが加入した。2019年、ドイツが加入した。2020年、フランスが加入した。2023年12月4日、防衛省・自衛隊が加入した。12月6-7日、内倉空幕長がベルリンで連合宇宙作戦CSpOイニシアチブ将官級会議に参加。日本に加え、イタリアとノルウェーも新たな加入国として参加している。参考:朝雲
<連合海上部隊>:海洋安全保障確立活動を行う国際組織で、CMF(Combined Maritime Forces)と略す。バーレーンのマナマにあるアメリカ軍基地に司令部があり、隷下に第150・第151・第152連合任務部隊を置く。2020年現在、アメリカ、アラブ首長国連邦、イエメン、イギリス、イタリア、イラク、オーストラリア、オランダ、カタール、カナダ、韓国、ギリシャ、クウェート、サウジアラビア、シンガポール、スペイン、セイシェル、タイ、デンマーク、ドイツ、トルコ、日本、ニュージーランド、ノルウェー、バーレーン、パキスタン、フィリピン、ブラジル、フランス、ベルギー、ポルトガル、マレーシア、ヨルダンの33カ国が加盟している。参考:朝雲
<連合艦隊>:GFと略す。日本海軍の主戦兵力で、2個以上の艦隊で編成される海軍部隊であり、必要に応じて更に艦船部隊が編入される。トップは連合艦隊司令長官で、天皇に直隷し、軍政は海軍大臣の、作戦計画は軍令部総長の指揮下にある。主任務は外洋作戦で、外洋シーレーン防衛も含まれていたが、太平洋戦争では終盤まで実施せず、戦略輸送に多大な支障を来した。明治17年10月1日に制定された艦隊編成例で連合艦隊が定義されたが、この時は外洋作戦艦が12隻しかなかったので、実質的には編成できなかった。明治22年7月に常備艦隊と警備艦隊の2つが編成されて連合艦隊が編成できるようになったが、当初は戦時にのみ編成されており、初めて編成されたのは日清戦争直前の明治27年7月19日になった。隷下艦隊は常備艦隊と、同日に警備艦隊から改称された西海艦隊である。明治27年9月17日の黄海海戦で連合艦隊をコルベット6隻主力の本隊と巡洋艦4隻の第1遊撃隊に分け、指揮官先頭の単縦陣で明瞭な指揮を執って初勝利を収めた。この編制方針と戦法が後々まで日本海軍の伝統となっている。明治28年5月18日、日清戦争の帰結がほぼ明らかとなったため、解隊された。明治36年12月28日、日露関係悪化で再編成され、第1・第2艦隊を隷下に置いた。日露戦争勃発後の明治37年3月4日、第3艦隊を隷下に置いた。各艦隊はそれぞれ30-31隻の戦闘艦で構成されていたが、第3艦隊は老朽艦が多く、第1艦隊(戦艦)と第2艦隊(装甲巡洋艦)を主力として戦っている。明治38年6月14日、第4艦隊が隷下に新編された。日露戦争終結後の12月20日に解隊された。明治41年10月8日、大演習のため連合艦隊が編成された。11月20日、解隊された。帝国国防方針で、超弩級巡洋戦艦(金剛型)からなる第2艦隊が敵艦隊を見つけ、超弩級戦艦からなる第1艦隊と共に艦隊決戦を行うという作戦(要するに日本海海戦と同じ構図)が決定され、両艦隊を統合運用する必要が出てきたため、大正4年からは毎年の演習の度に編成されるようになった。大正4年11月1日に編成され、第1-3艦隊を隷下に置いた。12月13日、解隊された。大正5年9月1日に編成され、第1-3艦隊を隷下に置いた。10月14日、解隊された。大正6年10月1日に編成され、第1-3艦隊を隷下に置いた。10月22日、解隊された。大正7年9月1日に編成され、第1・第2艦隊を隷下に置いた。10月15日、解隊された。大正8年6月1日に編成され、第1・第2艦隊を隷下に置いた。10月28日、解隊された。大正9年5月1日に編成され、第1・第2艦隊を隷下に置いた。9月7日、小樽に入港。9月12日に第2艦隊、9月13日に第1艦隊が小樽を出港した。10月5日に解隊された。大正10年5月1日に編成され、第1・第2艦隊を隷下に置いた。10月31日、解隊された。大正11年12月1日に編成され、第1・第2艦隊を隷下に置いた。これ以降、平時でも事実上常設されるようになった。大正13年12月、艦隊令改正で、当分の間第1・第2艦隊で連合艦隊を編成する(それまでは必要に応じ連合艦隊を編成する、だった)ことが定められた。大正15年9月1日、佐世保を出港し、日本海での基本演習に入った。9月4日、舞鶴に入港。昭和3年4月1日、隷下に第1航空戦隊が新編された。昭和8年5月20日、艦隊平時編制が改正され、連合艦隊の常設が制度化された。昭和12年7月7日の日華事変勃発を受け、11月20日から戦時編制に入った。昭和13年3月22日、第1連合航空隊が隷下に入った。昭和15年11月15日、第4艦隊と第6艦隊が編入された。昭和16年1月15日、第11航空艦隊が編入された。4月10日、第3艦隊と第1航空艦隊が編入された。6月21日から6月29日、連合艦隊後期訓練を実施。7月25日、第5艦隊が編入された。8月11日、連合艦隊司令部が独立となり、連合艦隊司令長官と第1艦隊司令長官の兼務が無くなり、長門と陸奥が司令長官直率となった。10月21日、南遣艦隊が編入された。11月1日、第1段作戦兵力部署を発動。12月8日の太平洋戦争開戦時には第1-6、南遣、第1航空、第11航空の9艦隊254隻が連合艦隊を構成しており、海軍全戦力の9割以上が編入されていて、軍令部の作戦統制が効かない状態に陥っていた。昭和17年5月20日、第2段兵力部署を発動。5月31日、第2航空隊が新編された。7月14日、戦時編制を改定。第1航空艦隊を解隊し、第3艦隊を空母機動部隊に改編、ソロモン・ニューギニア担当の第8艦隊を新編した。8月15日、第2航空隊が第8艦隊に転出した。8月31日、大鷹と雲鷹が連合艦隊付属に編入された。昭和18年4月18日、山本五十六司令長官が戦死。8月15日、第3段兵力部署を発動。11月23日、空母海鷹が連合艦隊付属に編入された。昭和19年3月31日、司令部が飛行艇2機に搭乗して2200にダバオを離陸、パラオに向かったが、4月1日に悪天候で両機とも墜落し、古賀長官らが死亡した。4月2日、南西方面艦隊の高須四郎大将が連合艦隊の指揮を執ることとなった。5月3日、豊田副武大将が司令長官となり、5月4日に東京湾の大淀を旗艦とし、将旗を掲げた。当面の作戦方針として、あ号作戦を下令した。7月、サイパン・テニアン玉砕で中部太平洋方面艦隊が無くなり、隷下の第4艦隊と第14航空艦隊が消滅した。8月1日、第22戦隊を隷下に置いた。9月30日、大淀の旗艦任務を解除し、司令部を日吉台(慶應義塾大学日吉校舎構内)の地下壕に移した。11月の比島沖海戦で第1機動艦隊と第3艦隊が解隊され、昭和20年2月に第5艦隊が消滅してまともな艦隊が第2艦隊しか無くなってしまい、実質連合艦隊が編成できなくなり、その第2艦隊も沖縄特攻で壊滅して4月20日に解隊された。4月25日、海軍総隊の隷下に入った。終戦時の作戦可能艦は43隻だった。昭和20年10月10日に廃止された。参考:連合艦隊巡洋艦、日本海軍艦隊総覧、軍事用語の基礎知識、帝国陸海軍事典、第2次大戦日本海軍作戦年誌、日本海軍戦闘機隊、月刊丸12,’92、歴史群像8,’02、8,’15、月刊世界の艦船9,’13増刊、12,’10、6,’12、月刊航空ファン3,’17
<連合艦隊(明治27年8月1日、日清戦争勃発時)>:常備艦隊(松島、厳島、橋立、扶桑、千代田、比叡、吉野、高千穂、秋津洲、浪速。報知艦は八重山。艦隊附属艦は磐城、愛宕、摩耶、鳥海、山城丸、近江丸。附属水雷艇は小鷹、第7号、第12号、第13号、第22号、第23号、水雷艇母艦筑紫)、西海艦隊(金剛、天龍、大島、葛城、高雄、赤城、武蔵。艦隊附属船は玄洋丸)を隷下に置く。参考:日本海軍艦隊総覧
<連合艦隊(明治38年5月27日、日本海海戦時)>:第1艦隊、第2艦隊、第3艦隊、附属特務艦隊(信濃丸など24隻)からなる。参考:日本海軍艦隊総覧
<連合艦隊(昭和8年5月21日)>:第1艦隊、第2艦隊、第3艦隊、練習艦隊からなる。参考:日本海軍艦隊総覧
<連合艦隊(昭和9年)>:隷下に第1艦隊、第2艦隊、第3艦隊、練習艦隊、第1航空戦隊、第1補給部隊、第2補給部隊、第3補給部隊を置く。参考:帝国陸海軍事典
<連合艦隊(昭和12年7月7日、日華事変勃発時)>:第1艦隊、第2艦隊からなる。参考:日本海軍艦隊総覧
<連合艦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争第一段作戦第一期兵力部署)>:主力部隊は瀬戸内海柱島泊地にあり、戦艦6隻、軽巡2隻、駆逐艦11隻、艦載機59機からなる。真珠湾攻撃を担当する機動部隊は単冠湾からハワイへの航程の半分ほどに達しており、空母6隻、戦艦2隻、重巡2隻、軽巡1隻、駆逐艦11隻、潜水艦3隻、補給艦9隻、艦上機382機からなる。また、アメリカ太平洋艦隊の監視奇襲にあたる先遣部隊は潜水母艦3隻、潜水艦27隻、補給艦5隻からなる。南方作戦支援を行う南方部隊は馬公にあり、戦艦2隻、重巡12隻、空母1隻、軽巡8隻、駆逐艦40隻、水上機母艦2隻、潜水艦16隻、特務船10隻、航空機307機からなる。内南洋哨戒警備、シーレーン防護、グアム・ウェーク・ラバウル攻略にあたる南洋部隊は重巡4隻、軽巡3隻、潜水母艦1隻、潜水艦9隻、駆逐艦12隻、特務艦7隻、特務船68隻、航空機125隻からなる。本州東方と小笠原諸島で哨戒やシーレーン防護にあたる北方部隊は大湊にあり、軽巡2隻、水雷艇2隻、特務船12隻、父島航空隊からなる。通商破壊隊は第24戦隊からなる。中国大陸周辺警備と香港攻略にあたる支那方面艦隊は上海付近にあり、旧式重巡2隻、軽巡1隻、砲艦11隻、駆逐艦2隻、水雷艇5隻、特務艦1隻、特務船12隻からなる。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、帝国陸海軍事典、日本海軍艦隊総覧
<連合艦隊(昭和16年12月10日、建制)>:司令長官は山本五十六大将。隷下に第1戦隊、第1艦隊、第2艦隊、第3艦隊、第4艦隊、第5艦隊、第6艦隊、第1航空艦隊、第11航空艦隊、南遣艦隊、第24戦隊、第11航空戦隊、第4潜水戦隊、第5潜水戦隊、第1哨戒艇隊、第1連合通信隊、千代田、矢風、摂津、明石、朝日、室戸、補給部隊(日朗丸、興業丸、尾上丸、日威丸、日出丸、豊光丸、間宮、伊良湖、厚生丸、駿河丸、第二号天洋丸、第三播州丸、白令丸、北上丸、仙台丸、第二播州丸、長光丸、鳴門、鶴見、襟裳、尻矢、国洋丸、さんくれめんて丸、極東丸、健洋丸、日本丸、神国丸、東栄丸、日栄丸、帝洋丸、菱丸、共栄丸、健良丸、第二菱丸、第二共栄丸、東邦丸、黒潮丸、総洋丸、朝風丸、淀川丸、広驫ロ、北陸丸、北海丸、興津丸、鹿野丸、国川丸、霧島丸、松本丸、畿内丸、南海丸、五洋丸、吾妻山丸)、佐世保連合特別陸戦隊、横須賀鎮守府第1特別陸戦隊、横須賀鎮守府第2特別陸戦隊、横須賀鎮守府第3特別陸戦隊、呉鎮守府第1特別陸戦隊、呉鎮守府第2特別陸戦隊を置く。参考:帝国陸海軍事典、日本海軍艦隊総覧
<連合艦隊(昭和19年8月)>:司令長官は豊田副武大将、旗艦は大淀。第1機動艦隊、北東方面艦隊、南東方面艦隊、南西方面艦隊、第4艦隊、第6艦隊、第2航空艦隊、第3航空艦隊を隷下に置く。参考:比島決戦
<連合艦隊旗艦>:連合艦隊の旗艦で、連合艦隊司令長官及び司令部が座乗する。連合艦隊が戦艦による艦隊決戦を主任務としており、司令部要員居住区や作戦指揮設備スペースを確保する必要もあって、太平洋戦争後期まで最前線で戦闘を指揮することが出来る戦艦部隊の一艦が務めていた。同型艦がある場合、海軍省や連合艦隊司令長官・司令部要員の居住地に近い横須賀鎮守府所属艦が旗艦になることが多く、それ以外の艦が旗艦となった場合には、いちいち横須賀に回航するのが面倒なので、司令長官と司令部要員は横須賀で臨時旗艦に乗り込み将旗を掲げ、艦隊集合地で正規の旗艦に乗り換える。自前の通信設備では各地に点在する各艦隊司令部に連絡ができないため、柱島泊地、木更津沖、トラック環礁に連合艦隊旗艦専用ブイを設置し、これに取り付けられたケーブルを介して呉通信隊、横須賀通信隊、トラック夏島の第4通信隊経由で命令を送っていた。明治27年7月19日、連合艦隊初編成時の旗艦は松島であった。9月17日、黄海海戦で松島が損傷したため、橋立が旗艦となった。11月13日、旗艦を松島に戻した。明治36年12月28日、三笠が旗艦となった。明治38年7月15日、旗艦が敷島に変更された。8月29日、旗艦が三笠に変更された。9月11日、三笠が佐世保で爆発事故を起こしたため旗艦が敷島に変更され、12月20日に連合艦隊が解隊されるまで旗艦を務めた。明治41年10月8日から11月20日、三笠が旗艦を務めた。大正4年11月1日から12月13日、摂津が旗艦を務めた。大正5年9月1日から10月14日、扶桑が旗艦を務めた。大正6年10月1-22日、扶桑が旗艦を務めた。大正7年9月1日から10月15日、山城が旗艦を務めた。大正8年6月1日から10月28日、山城が旗艦を務めた。大正9年5月1日から10月5日、伊勢が旗艦を務めた。大正10年5月1日から10月31日、長門が旗艦を務めた。大正11年12月1日、長門が旗艦となった。大正13年12月1日、旗艦が陸奥に変更された。大正14年12月1日、旗艦が長門に変更された。昭和3年12月10日、旗艦が陸奥に変更された。昭和5年12月1日、旗艦が長門に変更された。昭和6年12月1日、旗艦が金剛に変更された。昭和7年12月1日、旗艦が陸奥に変更された。昭和8年10月3日、旗艦が金剛に変更された。昭和9年11月15日、旗艦が山城に変更された。昭和11年2月4日、旗艦が長門に変更された。昭和12年1月21日、旗艦が陸奥に変更された。昭和13年12月15日、旗艦が長門に変更された。昭和17年2月12日、旗艦を大和に変更された。昭和18年2月11日、旗艦が武蔵に変更された。昭和19年3月31日に古賀連合艦隊長官行方不明事件が発生、暫く旗艦が存在しない状態となったが、5月4日に巡洋艦大淀が旗艦となった。最前線に出ず戦闘全体を見渡して指示を出すという近代的旗艦態勢が漸く確立したが、捷一号作戦を前に大淀が出撃せねばならなくなり、B-29の空襲が迫って内地でも艦上に司令部を置けなくなったため、9月30日には連合艦隊司令部が神奈川県日吉(慶應義塾の校舎)の連合艦隊第1戦闘司令所に陸揚げされ、旗艦は消滅した。参考:月刊世界の艦船12,’10、11,’11、9,’14、日本海軍艦隊総覧
<連合艦隊司令長官>:日本海軍兵科将校最高位で、艦隊決戦部隊の最高指揮官である。人事は海軍大臣の専権事項で、大将または中将が任命され、軍政は海軍大臣の指揮を受け、作戦計画は軍令部総長の指示を受ける。内規での任務は2年間だが、山本五十六は太平洋戦争勃発があって交替している場合ではなく、3年8ヶ月務めた。明治27年7月19日、連合艦隊が初編成され、司令長官に常備艦隊司令長官伊藤祐享中将が就任した。明治28年5月11日、常備艦隊司令長官有地品之丞中将が司令長官兼務となった。明治36年12月28日、第1艦隊司令長官東郷平八郎中将が司令長官兼務となった。順序でいえば日高壮之丞が就く筈だったが、山本権兵衛海軍大臣が海軍将官800名全員の分析研究及び各艦隊司令官からの対露戦レポートの解析を行い、東郷中将を抜擢している。明治41年10月8日から11月20日、第1艦隊司令長官伊集院五郎中将が司令長官兼務となった。大正4年11月1日から12月13日、第1艦隊司令長官吉松茂太郎中将が司令長官兼務となった。大正5年9月1日から10月14日、第1艦隊司令長官吉松茂太郎中将が司令長官兼務となった。大正6年10月1-22日、第1艦隊司令長官吉松茂太郎大将が司令長官兼務となった。大正7年9月1日から10月15日、第1艦隊司令長官山下源太郎大将が司令長官兼務となった。大正8年6月1日から10月28日、第1艦隊司令長官山下源太郎大将が司令長官兼務となった。大正9年5月1日、第1艦隊司令長官山屋他人大将が司令長官兼務となった。8月24日から10月5日、第1艦隊司令長官栃内曾次郎大将が司令長官兼務となった。大正10年5月1日から10月31日、第1艦隊司令長官栃内曾次郎大将が司令長官兼務となった。大正11年12月1日、第1艦隊司令長官竹下勇中将が司令長官兼務となった。大正13年1月27日、連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官に鈴木貫太郎大将が就任した。12月1日、連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官に岡田啓介大将が就任した。大正15年12月10日、加藤寛治中将が連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官となった。昭和3年12月10日、谷口尚美大将が連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官となった。昭和4年11月11日、山本英輔中将が連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官になった。昭和6年12月1日、小林躋造中将が連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官になった。昭和8年5月20日、艦隊平時編制が改正され、第1艦隊司令長官が連合艦隊編成の度に兼務していたのを改め、連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官という職ができた。11月15日、末次信正中将が連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官になった。昭和9年11月15日、高橋三吉中将が連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官となった。昭和11年12月1日、米内光政中将が連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官となった。昭和12年2月2日、永野修身大将が連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官になった。12月1日、吉田善吾中将が司令長官兼第1艦隊司令長官になった。昭和14年8月30日、山本五十六中将が司令長官兼第1艦隊司令長官となった。昭和16年8月11日、連合艦隊司令長官と第1艦隊司令長官の兼務が無くなった。昭和18年4月18日、山本五十六司令長官が戦死。第2艦隊司令長官近藤信竹中将が連合艦隊の指揮を代行することになった。4月21日、古賀峯一大将が司令長官になった。昭和19年3月31日、古賀長官らが死亡したため、4月1日から5月3日まで南西方面艦隊の高須四郎大将が連合艦隊の指揮を代行することとなった。5月3日、豊田副武大将が司令長官となった。昭和20年4月25日、海軍総司令長官を兼務するようになった。5月1日、護衛総司令長官も兼務するようになり、海軍全部隊の統一指揮が図られた。5月29日、小澤治三郎中将が連合艦隊司令長官兼海軍総司令長官兼海上護衛総司令長官となった。参考:月刊丸12,’92、月刊世界の艦船12,’10、11,’11、9,’14、9,’13増刊、日本海軍艦隊総覧
<連合義勇戦闘隊>:国民義勇戦闘隊を参照。
<連合軍情報局>:太平洋戦争中の1942年7月6日に在オーストラリア連合軍(アメリカ軍、オーストラリア軍、オランダ軍)が編成した諜報組織。主任務は対日作戦情報の収集で、謀略や日本軍の士気喪失も担当した。コースト・ウォッチャーによる情報収集の他、航空機による物資輸送、潜水艦による工作員輸送なども実施している。GHQ参謀第2部指揮下で、監査役はオーストラリア軍人、その下の班長は各国軍で編成されている。担当地域は戦前の植民地通り(オーストラリアはイギリスから統治を委任されていた領域を担当)に配分された。アメリカ軍・オーストラリア軍担当区域ではコースト・ウォッチャーなどによりかなりの成果を挙げたものの、オランダ軍担当地域は植民地政策が苛烈だったこと、住民の大多数を占めるイスラム教徒を日本軍が支援したこともあって上手く行かなかった。工作員は終戦までに264の任務を実施したが、死者164名、捕虜75名、行方不明178名という少なからぬ損害を出している。参考:太平洋戦争情報戦
<連合軍翻訳通訳班>:アメリカ軍の日本語通信翻訳組織で、太平洋戦争時の1942年9月19日に編成された。当初は日系二世や三世で構成され、後にアメリカ陸軍情報部日本語学校で研修を受けた語学兵が加わった。主任務は捕虜の尋問、通訳、押収文書翻訳、投降勧告などである。伊1潜水艦から回収した文書、81号作戦時に帝洋丸の救命ボートから押収した日本陸軍将校実役定年名簿、古賀司令長官行方不明事件の際に入手したZ作戦計画の暗号書の解読を行った。終戦時には5000名の人員を擁しており、この部隊の功績により太平洋戦争を1-2年早く終わらせることができたという。参考:太平洋戦争情報戦
<連合国民義勇隊>:国民義勇隊を参照。
<連合情報委員会>:CICと略す。アメリカとイギリスが太平洋戦争時の1942年1月に行われたアルカディア会議で設立を合意した軍事情報交換機関で、1943年2月に設立された。当初は米英首都の間での情報交換を旨としたが、全戦域の全司令部に及ぶ情報交換を実施することとなり、イギリスはアメリカから渡されたパープル暗号解読器で日独間の通信暗号を解読し、その情報をアメリカに渡して太平洋方面での作戦立案に活かす、といったことが可能となった。参考:太平洋戦争情報戦
<連合戦略情報教育課程>:防衛省がアメリカ空軍省に発注している。参考:月刊軍事研究11,’16
<連合統合任務部隊−アフリカの角>:CJTF-HOA(Combined Joint Task Force-Horn Of
Africa)と略す。アメリカ軍の統合任務部隊で、主任務はアフリカの角の周辺国軍に対する教育訓練である。自衛隊のソマリア海賊対処部隊からも連絡官が派遣されている。2002年、ジブチのキャンプ・レモニエールで新編された。2008年、USAFRICOMの隷下に入った。2013年、隷下に東アフリカ緊急対処部隊が新編された。参考:月刊軍事研究1,’15、MAMOR vol.135
<連合不正規戦任務部隊>:CUWTFを参照。
<連合兵種の指揮及び戦闘>:ドイツ軍が1921年に発行した戦術教範で、ハンス・フォン・ゼークト国防省陸軍部長が発布したことからゼークト教範とも呼ばれる。指揮及びその手段、航空隊及び軍騎兵、捜索及び警戒、行軍、宿営及び露営、遭遇戦及び攻撃動作、追撃、戦闘中止及び退却、陣地攻撃、防御、特種戦の11章からなっており、諸兵科連合(特に歩兵と砲兵)の重要性を説いていた。1923年には続編も発行され、航空機・気球及び空中防御、戦車・路上装甲自動車及び装甲列車、通信機関、鉄道・水路・自動車及び車両、戦闘部隊の補給、付録の6章が追加された。航空機の任務としては偵察、近接航空支援、航空阻止を重視している。イタリアのドゥエが1921年の制空論で主張した戦略爆撃に関しては、フランスとロシアに挟まれていて両国の継戦意欲を削ぐだけの爆撃をかけるのに傾注してしまうと、地上戦で負けて先に国が滅んでしまう可能性が高く、地上部隊との協同作戦が第一と考えたようで、記載されていない。参考:歴史群像6,’08、10,’08、4,’16
<レンザディック・コンパス>:軍用コンパスの1つで、アメリカ軍、イギリス軍、NATO諸国軍砲兵隊・偵察部隊などに幅広く使用されている。中折れ式で、360度・6400ミルの方位目盛りが付いており、合金製で多少のことでは壊れない。参考:コンバット・バイブル2
<連山>:日本海軍陸上攻撃機、略符号G8N、試作名称は十八試陸上攻撃機、連合軍コードはリタ(Rita)。戦闘機の護衛無しで奥地の敵航空基地を爆撃するのが主任務で、双発の一式陸攻を上回る性能を持つ4発陸上攻撃機として当初は十三試陸上攻撃機深山を開発していたが、太平洋戦争緒戦においてフィリピンで鹵獲したB-17爆撃機の性能に大きく劣るため、新型機を開発することになり、昭和18年から中島飛行機で試作に入った。胴体は円形断面にして下部に爆弾層を設け、直線テーパー翼の主翼を中翼配置で取り付けている。エンジンナセルは主脚収容部を兼ねる内側2基を主翼下面に装着して脚柱を短縮し、外側2基は主翼を貫くように配置して空力に配慮した。B-17と同じくエンジンはターボチャージャー付きとし、燃料タンクやコクピットには防弾装備を設け、動力銃架も装備している。鋲を減らして生産性を上げるため、外板には厚板を使用しており、後に鋼製化も検討された。全長27.935m(23m?)、全幅32.54m、全高7.2m、自重17400kg、正規全備重量26800kg、攻撃過荷時総重量31850kg。翼面荷重1平方メートルあたり243kg。エンジンは誉二四型(離昇出力2000馬力)4基、巡航速度370km、最大速度592km(高度8000m)、実用上昇限度10200m、上昇力8000mまで17分37秒、燃料搭載量14000リットル、航続距離正規3945km/攻撃過荷時6482km。防御武装は十八試二十粍連装上方銃架(九九式二十粍一号固定機銃連装動力砲架。コクピット後方上面)、十八試二十粍連装下方銃架(動力砲架で、搭載火砲は上方銃架と同じ。胴体後部下面)、尾部の九九式二〇粍一号固定機銃連装の動力銃架、機首の三式十三粍固定機銃連装の動力銃架、胴体後部両側面の三式十三粍旋回機銃1丁ずつ(手動式)。爆弾4トンや試製魚雷M(直径580mm、重量2トン)2本を搭載できる。二式空三号無線電信機、九八式空四号隊内無線電話機、零式空四号無線帰投方位測定機を装備する。初号機は昭和19年10月23日に初飛行し、戦況が苦しい中でも桜花三三型/五三型の発射母機として開発を継続していたが、4機が完成したところで太平洋戦争終戦となった。参考:月刊丸3,'18別冊、9,'20、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇、歴史群像8,’17
<レンジ>:射程または射撃場のこと。参考:GUN用語事典
<レンジ・キーパー>:アメリカ海軍のハンニバル・C・フォードが開発した超ド級戦艦用射撃指揮装置Range Keeper。射撃に必要な自艦と敵艦の各種諸元を入力すると、距離変化率と旋回角変化率を算出し、更にそれを機械式計算機で積分して敵艦の未来位置を表示してくれる。参考:月刊世界の艦船1,’12
<レンジ・キーパーMkT>:BB-35テキサスに搭載されて1916年にテストが行われ、1917年から主力艦の標準装備FCSとなった。参考:月刊世界の艦船1,’12
<レンジ・キーパーMk[>:主砲射撃角度も算出できるタイプ。参考:月刊世界の艦船1,’12
<レンジ・クロック>:Range clock。ヴィッカーズ社が20世紀初めに開発した機械式連続的距離計算機である。円形ダイヤル内側の指示針を測定した敵艦との距離に合わせ、駆動機構を自艦と敵艦との距離変化率に対応するよう調整すると、時間経過に従って自動的に指示針が敵艦との距離を表示してくれる。日本海軍も金剛級に採用し、距離時計(正確には距離算出装置だが)という名称を付けている。参考:月刊世界の艦船1,’12
<レンジ・ゲート・スティーリング>:リピーター・ジャミングを参照。
<レンジ・ゲート・プル・オフ>:リピーター・ジャミングを参照。
<レンジ・ファインダー・レティクル>:スコープのレティクルに距離測定用のラインが入っているもの。ステアーAUGや、ドラグノフ狙撃銃の照準器がこれである。参考:GUN用語事典
<連射>:2発以上連続して射撃すること。参考:GUN用語事典
<レンジャー>:CC-4(レキシントン級計画巡洋戦艦)またはCV-4(レンジャー級空母)またはCV-61(フォレスタル級空母)またはDHC-7R(海洋哨戒機)またはOUSV-2(無人水上艇)またはP293(訓練哨戒艇)を参照。
<レンジャー>:スイス陸軍の偵察用UAVで、エリコン・コントラベス社が開発した。イスラエルのIAI社が開発したスカウトUAVを改良したもので、後部双胴のプッシャー型、最大速度220km、航続距離100km。参考:月刊軍事研究1,’04
<レンジャー>:イギリスのユニバーサル・エンジニアリング社製6×6輪装甲車で、キャビンはイスラエルのラファール・アドバンスド・ディフェンス・システムズ社の開発である。大きな傾斜が付けられたボンネットは前方に長く延びており、避弾経始を考慮すると共に、触雷時の衝撃からキャビンを守る。キャビン外側にはERAが装着されており、ビジョンブロックなどはバー装甲が追加されている。装甲は全周で耐弾レベル4。エアコンとAPUを標準装備する。戦闘重量19トン。エンジンは540馬力のディーゼルで、最大速度117km、航続距離1000km。乗員2名+乗車兵員6名。2009年6月にプロトタイプが完成した。4×4輪型や8×8輪型も計画中。参考:月刊軍事研究11,’09
<レンジャー>:アメリカのL3コミュニケーション社がリカード社と共同で開発した装輪装甲車で、4×4輪、6×6輪、8×8輪、10×10輪のバリエーションがある。車体下部はV字をしており、地雷などの爆風を逸らす。運転手の視界はパノラマ式のビジョンブロックとビデオカメラの映像により確保している。エアサスペンションにより、車体の左右傾斜を変更することが可能。4×4輪は全長6.31m、戦闘重量16.3トン。6×6輪は全長6.81m、全幅2.59m、全高2.39m。エンジンはキャタピラー社製C7(350馬力)またはC9(400馬力)。乗員2名+乗車兵員10名。参考:月刊軍事研究10,’07
<レンジャー徽章(航空自衛隊)>:航空自衛隊の徽章。レンジャーまたは空挺レンジャーの教育訓練を修了するか、集合教育においてレンジャー教育訓練を陸上幕僚長が定める期間受けた自衛官が付ける。参考:MAMOR Vol.62
<レンジャー徽章(陸上自衛隊)>:陸上自衛隊の徽章。強固な意志を示すダイヤモンドを困難に打ち勝った者を示す月桂樹が囲むデザインである。富士学校の普通科幹部レンジャーまたは空挺教育隊の空挺レンジャー教育訓練を修了するか、各普通科連隊の集合教育において部隊レンジャー教育訓練を陸上幕僚長が定める期間受けた自衛官が付ける。通常はいぶし銀色のレンジャー徽章(銀)で、教官適任証を付与されると金色のレンジャー徽章(金)になる。参考:MAMOR Vol.55、62、スピアヘッドNo.15
<レンジャー級>:アメリカ海軍空母Ranger級。最初から空母として建造された、アメリカ初の軍艦である。ワシントン条約、軍縮予算、少数の大型艦隊型空母より多数の小型空母という海軍思想の変化から、ワシントン条約の全体排水量制限で5隻を建造でき、搭載機数は確保するが防御力は省き速力も最低限とした空母となった。艦首乾舷を高くするため、船体は船首楼型とし、排水量と建造費を削減するため格納庫は開放式を採用、主甲板(強度甲板)を格納庫甲板として長さ160m(155.4m?)・幅20m(17m?)のレキシントン級より大きい格納庫を設け、その上に長さ216.2m・幅26.2mの飛行甲板を載せている。格納庫には完成機32機に加えて予備機40機を天井から吊して収容可能。飛行甲板にカタパルトは無く、格納庫にP MkZ火薬式カタパルトの設置が計画されたが、建造費節減のため中止された。計画時には平甲板型空母だったが、レキシントン級の運用結果と航海・航空機管制・対空射撃指揮の便を図るため建造中に設計変更が加えられ、飛行甲板右舷にアイランドが設置された。エレベーターはアイランド横、その前方、飛行甲板後部の計3基で、前2者は長さ15.8m、幅12.5m、最大荷重6.8トン、後1者は長さ12.1m、幅10.6m、最大荷重4.1トンである。アレスティング・ワイヤはMk4で、艦尾だけでなく艦首からも着艦できるよう、飛行甲板前後に張られた。機械室は2区画で、その後ろに3区画の缶室があり、船体後方に起倒式の煙突が左右3本ずつ用意されている。機関区画の防御は片舷1層の防御層のみで、機械室舷側の倉庫などを多層水中防御の代わりにして水線部装甲も省き、防御を考慮したのは舵取機室だけだった。高角砲用にMk33方位盤を装備する。飛行甲板舷側にギャラリー・デッキを設けて12.7mm機銃をずらりと並べた。全長234.5m、水線長222.5m、最大幅33.4m、水線幅24.4m、深さ15.5m、吃水6m、基準排水量14500トン、満載排水量17577トン。主機はカーチス・パーソンズ式ギヤード・タービン2基、主缶はバブコック&ウィルコックス式重油専焼水管缶6基、出力53500軸馬力、2軸推進、速力29.5ノット、重油搭載量3207トン、航続距離は15ノットで11500海里。主発電機はターボ発電機(500kW)4基。兵装は25口径12.7cm単装高角砲Mk10が8門(艦首2門、前部両舷1門ずつ、艦尾両舷2門ずつ)、12.7mm機銃40丁。搭載機数80-90機(標準は75機+予備8機)。乗員平時1788名、戦時2000名。1934年にCV-4レンジャーが就役した。他に4隻作る予定だったが、小型低速空母では能力に限界があったため、ワシントン条約の残り排水量は艦隊型空母のヨークタウン級2隻と本級の改良型であるワスプ級に回すことになり、計画中止となっている。太平洋戦争でも能力不足から大西洋方面に回された。1940年代初め、Mk33方位盤上にMk4追尾レーダーを追加した。1944年に飛行甲板強化、カタパルト2基追加、バルジ増設、高角砲全撤去、20mm/40mm高射機関砲装備、SC-2対空レーダー及びSM高度測角レーダー追加といった改装を受けた。太平洋戦線で戦闘に参加する計画もあったが、防御力の問題で練習空母として使用されている。参考:月刊世界の艦船6,’17、10,'22、12,’14、11,’15、10,'20、第2次大戦のアメリカ軍艦
<レンジャー・ストーブ>:スウェーデンで開発された携帯用コンロ。燃料はガソリン、アルコール、ケロシンなどが使え、75分間燃焼できる。NATO軍が採用した。参考:コンバット・バイブル
<レンジャー隊員(陸上自衛隊)>:陸上自衛隊の隊員で、2-3ヶ月間の体力向上・野外機動・戦闘訓練課程(レンジャー教育)をクリアした有資格者のこと。主任務は敵地に潜入して襲撃や伏撃を行い離脱するという挺身行動である。志願者はレンジャー教育を受講できるかのレンジャー素養試験をパスしてレンジャー教育に入る。レンジャー教育の目的は、選抜された隊員に対して、主に挺身行動により困難な状況を克服し任務を完遂する能力と精神力を付与することであり、前半の基本訓練と後半の行動訓練に分かれていて、野外偵察、施設破壊、少人数での敵部隊襲撃訓練などを実施する。教育コースに入ると、襟の階級章をはがされ、ゼロから出発し任務の遂行だけを考え実行することを告げられる。教育期間中、教官や助教の命令に「いいえ」で答えることは無いので、「はい」の代わりに全て「レンジャー」と返答する。基本訓練も限られた時間で多くの技術を学ばねばならないのと、銃を手にして20km走るような体力錬成(体力調整と呼ぶ)が連日続いて大変(ここで原隊復帰になる者もいる)だが、行動訓練は食料や飲料水を制限しての行動、昼夜連続戦闘、睡眠制限、ロッククライミング、水路侵入といった過酷な訓練が続くので基本訓練を天国と感じるほどである。体力と気力が限界に近づく中での訓練であり、一歩間違えば死に繋がる(実際殉職者も出ており山中に慰霊碑が建っていたりする)ため、教える方の教官や助教も一瞬たりとも気が抜けない。訓練中に音を上げて泣きが入るタイプは限界手前で自制しているので大丈夫だが、辛くてもまだいけると思い込んで黙々と続けてしまうタイプは限界を踏み越えて死の領域に入ってしまうため、そのサインを絶対に見逃してはならないという。各普通科連隊では1年または2年に1回のペースで部隊レンジャー教育が行われている。普通科だけでなく他職種からも参加でき、富士学校で教官や助教の資格を得たレンジャー隊員がオリジナルに多少のアレンジを加えて教育を行う。富士学校の普通科幹部レンジャー教育は13週のコースで、前半6週ではコンパスやロープなどの利用法、食用植物・動物の採取及び摂取法、体力強化などを行い、後半7週で戦闘に関する座学や実習、ロッククライミングなどを実施、3泊4日の総合項目を行って修了し、教官適任証と金色のレンジャー徽章が授与される。また、富士学校ではレンジャー隊員の陸曹を対象としたレンジャー助教訓練も行っており、修了すると各部隊で助教を務めることができる。第1空挺団のレンジャー教育は特に過酷なので、特別に空挺レンジャー隊員と呼ばれる。レンジャー隊員となった後も年に1回から数回のペースで各部隊ごとに錬成訓練を行い、練度を保っている。1954年に陸幕訓練部長高山信武陸将補が発案したのがきっかけで、1955年には数名がアメリカでレンジャー教育を受け、富士学校にレンジャー課程が創設されて1956年に第一期生の教育が始まった。参考:月刊軍事研究6,’04、日本の戦力、自衛隊装備カタログ1981、日本の防衛戦力Part1、スピアヘッドNo.15、MAMOR
vol.90、vol.100、vol.125、朝雲
<レンジャー・タブ(アメリカ陸軍)>:レンジャーコースを終了した者が制服に縫いつけるタブ。参考:月刊コンバットマガジン7,’06
<レンジャー・タン・ベレー>:アメリカ陸軍第75レンジャー連隊、レンジャー訓練旅団、陸軍特殊作戦コマンド所属(後二者は以前第75レンジャー連隊に所属している必要がある)で、レンジャーコースを終了した者に与えられるベレー帽。参考:月刊コンバットマガジン7,’06
<レンジャー防弾チョッキ>:RBAを参照。
<練習艦(海上自衛隊)>:海上自衛隊の艦種。1968年3月16日、区分・自衛艦−大分類・特務艦−中分類・特務艦艇の下の種別として定められた。艦種記号はTVで、3501以降の艦番号が付く。参考:月刊世界の艦船11,'17増刊
<練習艦隊(海上自衛隊)>:Training squadron、TSと略す。海上自衛隊の組織で、幹部候補生学校を卒業した初任幹部(三等海尉)に遠洋練習航海で慣海性、シーマンシップ、国際性を身に付けさせ、新任海士や術科学校生徒に乗艦実習を行うのが主任務である。トップは練習艦隊司令官(海将補)で、防衛大臣の指揮監督を受けて隊務を統括し、旗艦の前檣に海将補旗を掲揚する。司令部要員は航海、電信、気象、暗号、補給、砲雷、機関、経理の各幕僚3名ずつと医官2名の計26名で、13-16名の音楽隊や取材の記者も乗艦する。1961年6月12日、練習隊群から改編されて横須賀で創設された。1994年1月20日、司令部が呉に移った。2023年5月22日、遠洋練習航海前に司令官以下実習幹部170名が国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑を参拝した。参考:月刊丸1,’10別冊、月刊世界の艦船1,’79増刊、1,’11、6,'22、日本の防衛戦力Part7、Part3、自衛隊法、朝雲
<練習艦隊(1978年)>:司令部は横須賀にある。隷下に第1練習隊、直轄艦TV-3501かとりを置く。参考:月刊世界の艦船1,’79増刊
<練習艦隊(2001年4月1日)>:呉に置かれている。隷下に旗艦TV-3508かしま、第1練習隊を置く。参考:月刊世界の艦船6,’01
<練習艦隊(2010年)>:司令部は呉にあり、練習艦隊司令官(海将補)は旗艦TV-3508かしまに座乗する。隷下にTV-3508かしま、第1練習隊を置く。参考:月刊丸1,’10別冊、月刊世界の艦船1,’11
<練習艦隊(2015年)>:司令部は呉にある。隷下にTV-3508かしま、第1練習隊を置く。参考:月刊世界の艦船6,’15
<練習艦隊(2020年)>:司令部は呉にある。隷下にTV-3508かしま、第1練習隊を置く。参考:月刊世界の艦船6,’20
<練習艦隊(日本海軍)>:日本海軍の艦隊。海軍兵学校を卒業した直後の士官候補生を乗せ、遠洋練習航海を行うのが主任務で、寄港地では各国海軍士官との交流を行うため、司令官には外交儀礼に長けた一流の人物が選出された。明治38年12月20日、艦隊編制及任務の制定により新編され、三景艦が隷下に入った。大正4年12月の艦隊平時編制では巡洋艦4隻が基準とされた。昭和7-8年度練習艦隊は昭和7年8月1日に編成され、一等海防艦磐手と八雲が編入された。11月19日、江田内で兵科(第60期)候補生126名を乗せた。11月22日、舞鶴で機関科(41期)候補生34名を乗せた。11月23日、舞鶴で主計科(21期)候補生14名を乗せた。その後は近海練習航海で朝鮮や中国などを巡航している。昭和8年1月12日、大阪で研究要員として軍医科・薬剤科士官計32名を乗せた。3月6日、遠洋練習航海のため横須賀を出港。7月18日、パラオで候補生と研究要員士官を降ろした。7月26日、横須賀に帰港。昭和12年度は海防艦八雲と磐手からなり、司令官は古賀峯一中将。3月23日から5月6日、近海航海を実施。3月23日、江田内で海軍兵学校第64期少尉候補生158名(疾病入院者2名除く)が乗艦した。3月26日、舞鶴で海軍機関学校第45期機関少尉候補生58名が乗艦した。3月27日、宮津で海軍経理学校第25期主計少尉候補生19名が乗艦した。油谷湾と仁川を経て4月8日に大連に入港。4月13日、大連を出港し、旅順、上海、佐世保(ここで退院した兵科少尉候補生1名が乗艦)、伊勢湾神社沖を経て5月6日に横須賀に帰港した。6月7日、海兵第64期少尉候補生157名(3名欠)、海機第45期機関少尉候補生57名(1名欠)、海経25期主計少尉候補生19名、研究乗組軍医科士官22名を乗せ、遠洋練習航海のため横須賀を出港。10月19日、遠洋練習航海を終え横須賀に帰港。参考:月刊世界の艦船10,’15、3,'24、日本海軍艦隊総覧
<練習機>:Trainer。航空機乗員の訓練に使用される航空機のこと。地味だが存在意義は非常に大きく、軍用機の機数を占める比率も高い。操縦・操作性が難しいと訓練にならないが、簡単だと技量向上に繋がらず、バランスが難しい。初等練習または大型機乗員養成には機能的な並列複座、中級以上の戦闘機・攻撃機乗員養成には自立心向上や側方視界重視のタンデム複座を採用することが多い。地上や空中で見つけやすいよう、特に初等練習機では赤やオレンジなど目立つ色を塗る。第1次大戦頃は1種類の練習機で訓練してそのまま前線配備されていたが、航空機の進歩に伴い、初等練習機、基本練習機、高等練習機の3段階で訓練を行うようになった。ジェット機が主流になると、初等練習機にジェット機を使用することもあったが、飛行感覚を掴むには速度が速すぎる、運用経費が高いといった欠点があり、高速のプロペラ機に戻った。当初は安価なレシプロだったが、燃費やコストが改善してきたことや、燃料共通化の観点から、ターボプロップ機も増えている。プロペラ初等練習機からジェット基本/高等練習機にスムーズに移行するには、特に操作が多い離着陸時に時間の余裕が欲しいので、ジェット機といえども離着陸速度が低い方が良く、翼面荷重を下げ失速特性を向上させるのが好ましい。超音速練習機は機体価格(アフターバーナー付きエンジンが必須)や訓練コストが高く、費用対効果の関係で練習機に超音速性能を求める動きは無くなり、超音速飛行の体験は実機を複座化した転換訓練機で済ませている。軍用機の高性能化でグラスコクピットやHOTASが当たり前になると、練習機もこれらを積んで操作に慣れておく必要が出てきた。また、仮想の戦闘状況をMFDに表示して訓練を行うEBT機能が付加されるようになってきており、HMDに仮想現実の映像を映し出して晴れた日に悪天候の視界下での飛行を実機で飛びながらシミュレーションすることも可能である。当然ながら操縦や戦闘の訓練を行う練習機だけでなく、航法練習機や給油練習機なども存在する。運用上・経済上の理由から、高等練習機を有事や対ゲリラ戦の際に軽攻撃機や軽戦闘機として使用することも多い。ちなみに訓練の際には教官の言葉遣いも肝心で、脚を上げろとか頭を下げろと言ったら学生が自分の脚や頭を上げ下げしたりするので注意。単に下がれと言っても高度を下げるのか、後ろに下がるのか不明なので、日本語は難しい。参考:世界の軍用機1982、月刊軍事研究10,’17、3,’08、月刊JWings10,’09別冊付録、10,’16、世界軍用機年鑑1990-91、月刊丸9,’03
<練習巡洋艦(日本海軍)>:日本海軍の艦種で、昭和4年に軍艦の下に制定された。昭和15-16年、香取型練習巡洋艦が竣工。参考:月刊世界の艦船9,’13増刊
<練習船>:海上自衛隊第2種支援船、船種記号YTE(Yard Training Education)。第1術科学校と幹部候補生学校学生の操船航海訓練や艦位測定訓練、入出港実習などに使用される。参考:月刊世界の艦船1,’11、1,’95、1,’79増刊、自衛隊装備カタログ1981
<練習船11号>:海上自衛隊練習船。船体は鋼製で、訓練用器材の他、レーダーや無線を搭載する。上部構造物後部に講堂兼食堂があり、煙突はこれに押されて両舷に分かれて設置されている。全長33m、全幅7m、深さ3m、吃水1.5m、排水量120トン。主機はディーゼルで、出力700馬力、2軸推進、速力13ノット。1968年度計画で1隻(YTE-11)が建造され、幹部候補生学校に配備された。参考:自衛隊装備カタログ1981、月刊世界の艦船1,’95、1,’79増刊
<練習船12号>:YTE-12を参照。
<練習船12号型>:海上自衛隊練習船。元はFRP実験艇ときわで、技術研究本部から譲り受けて練習船として使用している。全長35m、全幅7.5m、深さ3.5m、吃水1.5m。主機はディーゼルで、出力1100馬力、2軸推進、速力14ノット。YTE-12が建造された。参考:月刊世界の艦船1,’95、7,’16
<練習戦艦>:日本海軍の艦種で、昭和4年に軍艦の下に制定された。この艦種に入ったのはロンドン条約で昭和7年に練習戦艦になった比叡だけである。参考:月刊世界の艦船9,’13増刊、月刊モデルアート9,'15増刊
<練習潜水艦(海上自衛隊)>:海上自衛隊の艦種。専用艦は建造せず既存の潜水艦から艦種変更しており、潜水艦乗員養成訓練や各種試験に使用される。魚雷庫を実習員講堂にしたりと訓練用の改造を施していたが、おやしお型練習潜水艦ではそのままとしてあり、有事の速やかな前線復帰を視野に入れているかもしれない。2000年3月9日、特務艦ATSS(特務潜水艦)から改称され、区分・自衛艦−大分類・補助艦−中分類・補助艦艇の下の種別として定められた。艦種記号はTSS、艦番号は3601以降である。SS-589あさしおをAIPテストベッド・AIP運用訓練艦に改装するにあたり、訓練のみならず新規器材テストベッド艦としての役割もあり、艦齢が浅くいざという時に実戦艦としても使える能力を有するということで、特務艦の分類から外してこの艦種を制定した。早速3月9日にSS-589あさしおがTSS-3601に、SS-575せとしおがTSS-3602に艦種変更されている。2001年3月29日、SS-576おきしおがTSS-3603に艦種変更された。2003年3月4日、SS-578はましおがTSS-3604に艦種変更された。2006年3月9日、SS-581ゆきしおがTSS-3605に艦種変更された。2008年3月7日、SS-585はやしおがTSS-3606に艦種変更された。2011年3月15日、SS-588ふゆしおがTSS-3607に艦種変更された。2015年3月、SS-590おやしおがTSS-3608に艦種変更された。2017年2月27日、SS-591みちしおがTSS-3609に艦種変更された。参考:月刊世界の艦船11,'17増刊、1,’18
<練習隊群(海上自衛隊)>:海上自衛隊の部隊。トップは練習隊群司令で、自衛艦隊司令と横須賀地方総監を歴任してから就任した海将もおり、当時いかに練習部隊を重要視していたかが分かる。1957年5月10日に新編され、隷下に第1練習隊、第2練習隊、第11練習隊、第12練習隊、第13練習隊を置いた。9月10日、PF-295けやきが第1護衛隊から編入された。1961年6月12日、練習艦隊に改編された。参考:月刊世界の艦船1,’79増刊、5,’19、6,’22、8,'24
<練習特務艦(日本海軍)>:日本海軍の艦種。海防艦となった旧式戦艦や旧式装甲巡洋艦が、除籍された後に水兵宿舎や技術訓練所などとして使用されたものである。大正11年、特務艦の下の類別として艦種が制定され、富士、敷島、浅間、吾妻、春日が分類された。参考:小艦艇入門、月刊丸3,’14
<練習ヘリコプター>:ヘリコプター乗員の訓練に使用されるヘリコプターのこと。既存小型軍用ヘリのファミリーや、小型民間ヘリを使うことが多く、ほぼ訓練専用で、たまに人員や軽貨物の輸送など雑任務をこなす程度である。参考:月刊JWings5,’18
<練習連合航空総隊>:第18連合航空隊を参照。
<レンショウ>:DD-499(駆逐艦)を参照。
<連城基地>:中国軍の航空基地。2250m滑走路、掩体9基、耐爆シェルター23基を持つ。参考:月刊軍事研究8,’14
<レンショー法>:航空機識別法の1つで、ゲシュタルト理論に基づいて第2次大戦後半にアメリカ軍が開発した。航空機の全体的な形状を瞬時に把握し、細部を確認して識別していく方法である。参考:英独航空決戦
<レンジ・ワイル・スキャン>:他目標を走査しながら、特定目標の測距を行えること。参考:月刊JWings2,’01
<連助>:日本陸軍用語で、連隊長のこと。参考:月刊丸4,’99
<練成訓練>:自衛隊の教育のうち、それぞれの職域での練度を向上させ、組織として各種状況に対応できるようにすることを目的とするもので、各部隊が行う。参考:陸海軍学校と教育
<連接補給>:CONREPを参照。
<連続最大出力>:定格出力を参照。
<連続波ドップラー・レーダー>:ドップラー・レーダーを参照。
<連続波レーダー>:CWレーダーと略す。レーダー波を連続的に発信するタイプのレーダーである。測距ができないので捜索用としては使いづらく、セミアクティブ・レーダー・ホーミングミサイルの誘導用や、連続波ドップラー・レーダーとして使用される。参考:月刊軍事研究5,’13
<連続無段変速機>:CVT(Continuously Variable Transmission)と略す。変速機の1つで、手動操作が要らないためオートマチック・トランスミッションの一種とも言えるが、従来の機構とは全く違うので、独立して扱われる。滑車(プーリー)とベルトを使う方式が一般的で、入力側プーリーと出力側プーリーにベルトを引っ掛け、両プーリーの半径比で回転数とトルクを調整する方式であり、ベルトを引っ掛けるプーリーの溝の幅を油圧や電動モーターで自由に変えられるようにしてある。溝を開くとベルトが中心側に落ちて半径が小さくなり、溝を閉じるとベルトが外側に移動して半径が大きくなるので、これをコンピュータが車速、必要トルク、アクセルペダルの踏み込み状況などに応じて自動調整し、無段階変速を行う。エンジンを効率の良い回転数に保ったままで出力側の回転数(車速)を変えられるので、燃費が良い。当初はクリーピングができず、従来のオートマチック・トランスミッションと比べて不便さが残っていたが、後にトルクコンバーターを組み込んでクリーピングを行えるようにした。参考:クルマのすべてがわかる事典
<連隊>:Regiment(Regt)。中国軍では団。大隊の上、旅団の隷下。ただし各国の編制上の差が大きく、連隊と言いながら実質的には旅団規模だったり大隊規模だったりし、構成も単一兵科だったり諸兵科連合だったりする。元はルネサンス時代に古代ローマのレギオンを復活させようとしたもので、スペインにコロネリア、フランスにレジョン、マキャベリの著作内にバタリオーネという定員6000名の諸兵科(長槍・剣・火縄銃・騎兵)連合部隊が創設されたが、規模が大きすぎて上手く運用できなかった。そこで16世紀半ばには定数を1000-3000名(ただし当時の標準として充足率は50%くらい)に減らし、君主が任じた連隊長(実際には君主と契約した傭兵部隊隊長)の指揮下部隊ということでラテン語のレゲーレ(君主の権威に基づく指揮)からレジメントという名称が付けられた(スペインだけテルシオと呼んでいる)。この頃は完全な管理単位で、戦時には複数連隊を旅団に組み直して運用しており、18世紀初めになって大隊の上の戦術単位としての運用が始まった。そのため、現代に至るまで管理単位としての性格も強く、連隊区という平時の担当区域を持ち、平時から軍人精神の中核を担っていることから、軍旗といえば連隊旗ということになっている。参考:ミリタリー・バランス1989-1990、歴史群像6,’16、軍事力バランス78年版、月刊軍事研究5,’16
<連隊(日本陸軍)>:兵種に応じた戦闘能力を発揮する戦術単位で、3個大隊により編成される。トップは連隊長。歩兵・騎兵連隊には軍旗(連隊旗)が天皇から直接授与された。参考:帝国陸海軍事典
<連隊(陸上自衛隊)>:平成8年度以降に係る防衛計画の大綱で、即応予備自衛官制度と同時にコア連隊制度を導入した。平成26年度以降に係る防衛計画の大綱で、即応機動連隊を編成することになり、2018年3月の第8師団・第14旅団の機動師団・旅団化に伴い隷下に新編した。参考:月刊軍事研究8,’11、月刊PANZER9,’03、MAMOR vol.137
<連隊旗(日本陸軍)>:軍旗を参照。
<連隊旗(陸上自衛隊)>:正式には自衛隊旗といい、自衛隊法第4条で規定されていて、創隊時に内閣総理大臣から交付され、防衛大臣/防衛庁長官から初代連隊長に手渡される。旗手は陸曹である。需品科補給品の扱いであり、見た目も重厚感が無いようで、来賓に見せるとがっかりするという。参考:自衛隊法、月刊軍事研究6,’12、戦車隊長
<連隊旗手(日本陸軍)>:連隊の若手少尉から模範的な者を選んで任命する。参考:歴史群像6,’14
<連隊区司令部>:日本陸軍の組織。各連隊所在地に置かれており、連隊区での兵事任務を行う。昭和20年3月24日の軍令陸甲第47号で連隊区の防衛任務が付与された。参考:月刊丸8,’15別冊
<連隊戦闘団>:RCT(Regimental Combat Team)と略す。陸上自衛隊の基本戦闘単位で、普通科連隊を中核とし、任務に応じた他職種を配属して臨時編成される諸職種連合部隊である。自動車化狙撃連隊に対抗するには火力・機動力共に厳しいため、中期防で戦車連隊戦闘団が考案された。侵攻を受けてから編成する方式だと即応性が低いので、最初から諸職種連合部隊を作っておくことになり、2018年3月から即応機動連隊が編成されている。参考:兵器最先端5、月刊軍事研究11,’08、月刊丸8,’87、陸上自衛隊地上戦力の全容、MAMOR vol.137
<連隊戦闘団(1980年代半ば)>:団長は普通科連隊長。普通科連隊を基幹とし、軽砲大隊、中砲中隊、戦車中隊、施設中隊、通信小隊、武器小隊などが配属される。第1ヘリコプター団のV-107ヘリ40機を使用すれば、中砲及び戦車以外は2往復で全て空輸でき、方面ヘリコプター隊の輸送ヘリを使用すれば、普通科中隊1個を空輸できる。まず軽砲大隊長の指揮の下、重迫撃砲中隊が前線の火力支援を行い、重点地域に中砲中隊を加え、敵砲兵には方面隊直轄のM-110A2で対抗、敵迫撃砲は軽砲大隊で制圧する。前線には普通科中隊3個を配備し、1個を予備とする。戦車中隊は攻撃時の敵陣突破及び防御時の対戦車戦闘が主任務である。施設中隊は普通科連隊本部管理中隊作業小隊と合同で施設チームを編成し、地雷や障害物の敷設または啓開、要塞陣地攻撃にあたる。渡河作戦では方面隊直轄の施設団の応援を得る。これに属さない対戦車隊は敵戦車が突破しそうな地域に展開し、偵察隊は師団担当地域での情報収集にあたる。参考:兵器最先端5、陸上自衛隊地上戦力の全容
<連隊長(日本陸軍)>:階級は大佐または中佐。主任務は連隊を統率することで、連隊の戦力を充実させ、出戦準備を整え、全力発揮に遺憾が無いようにする。平時には師団長の指揮監督を受けて軍紀振作、風紀粛正、部下の練成教育訓練、業務管理、動員計画実施、賞罰・休暇賦与、国民への軍の実情の伝達(法律に従って国民の兵営見学や兵営宿泊を許可できる)などを行う。連隊団結の中心であり、特に部下の将校を扶掖薫陶し、軍人精神を砥礪して、連隊の団結を強固にする。外地では住民の風俗、習慣、動向などを顧慮して住民に対する心得上必要な事項を教示し、皇軍の威武を顕揚するよう勉める。参考:軍隊内務令、帝国陸海軍事典、月刊軍事研究7,’12
<連隊長(陸上自衛隊)>:階級は一等陸佐。師団長の指揮監督を受けて連隊を訓練し、連隊隷下の各中隊を検閲する。また、担当隊区の防衛警備や災害派遣を行う。参考:月刊軍事研究7,’12
<連隊砲>:日本陸軍が歩兵連隊用に配備した砲で、大隊砲の火力不足を補い、歩兵連隊の直接支援を行うのが主任務である。当初は前線に追随する機動性と補給面を重視して大隊砲と同じ九二式山砲を採用する予定だったが、日華事変において威力面が重視されるようになり、四一式山砲が採用された。後継としては九四式山砲が採用された他、太平洋戦争前の動員で砲が足らなくなると、三十一年式速射野砲を三一式と改称して連隊砲として配備した。参考:大砲入門
<連隊本部(日本陸軍)>:兵器委員(調達以外の兵器弾薬関連事項と連隊工場運営などを担当)、経理委員(給与や炊事などを担当)、酒保委員(金銭・有価証券以外の酒保関連業務を担当)、将校集会所委員(金銭・有価証券以外の将校集会所関連業務を担当)、准士官下士集会所委員(金銭・有価証券以外の准士官下士集会所関連業務を担当)、共有金保管委員(酒保、将校集会所、准士官下士集会所の金銭・有価証券管理を担当)、文庫委員(書籍整理・管理担当)が置かれており、各委員は首座(少佐・大尉)1名と委員士官数名で構成される。参考:日本陸軍兵営の食事
<レンチ・アダプター降着系統>:自衛隊の機器。川崎重工製。参考:月刊軍事研究10,’18
<レンツ>:FFG-46(フリゲート)を参照。
<レント>:ドイツ空軍エース、ヘルムート・レント。1918年生まれ。1939年9月2日、Bf110でウエリントン爆撃機2機を撃墜して初撃墜を記録。ノルウェー戦では5機を撃墜し、その後夜間戦闘機部隊の中隊長となった。1941年8月、30機撃墜を達成。1943年1月、50機撃墜を達成。1944年、大佐となり、第3夜間戦闘航空団司令となったが、第1夜間戦闘航空団のエースであったハンス・ヨアヒム・ヤブスに会うためパデンボルンに着陸しようとしたところ、誤って高圧電線に接触してしまい墜落、2日後に死亡した。撃墜機数は113機(昼間戦闘8機、夜間戦闘105機)。参考:月刊丸10,’10、世界の傑作機No.157
<レンドヴァ>:CVE-114(護衛空母)を参照。
<連動装置>:Ubersetzung。ドイツ国防軍が第2次大戦時に開発した音響機雷起爆装置で、240Hzの音をマイクロホンで探知して炸裂する。1940年8月にイギリス艦が損害を出しため、イギリス軍で分析に乗り出し、オイスター機雷というニックネームを付け、掃海具としてSA型発音装置を開発した。参考:歴史群像12,’09
<レンドリース法>:合衆国防衛振興法の通称Lend lease act、武器貸与法。1941年3月にアメリカが制定した法律で、アメリカの防衛に重要と認定された国に対し、兵器弾薬から食料や原材料に至るまで、あらゆる戦争器材を無償または有償貸与する(使用後に返却する)ことを認めるものである。大統領権限で即座に実施できるため、他の手続きが要らず、短期間で他国への器材提供が可能。当初はイギリスとギリシャが対象で、後にソ連や中国が加わり、最終的に38カ国に対して460億ドル分がレンドリースされた。2022年4月6日、ロシアの侵略を受けたウクライナを支援するため、法律の復活がアメリカ議会上院で全会一致により可決された。5月9日、バイデン大統領がウクライナ支援のため法律に署名した。参考:比島決戦、護衛空母入門、輸送船入門、月刊世界の艦船1,’18、月刊JWings6,’22、7,’22
<レンネル島沖海戦>:連合軍呼称はレンネル島海戦。太平洋戦争時の昭和18年1月、アメリカは日本軍によるガダルカナル島への攻撃に備え、増強兵力を搭載した輸送船団を送り込むことにした。1月27日、4隻の輸送船と直衛の第18任務部隊重巡洋艦3隻(旗艦CA-45ウイチタ、CA-29シカゴ、CA-28ルイヴィル)、軽巡洋艦3隻、護衛空母2隻、駆逐艦8隻がエフェテ島を出港。1月29日0735、バラレから出撃して哨戒にあたっていた第751航空隊一式陸攻6機のうちB2・B3番線を担当する2機が、レンネル島東115マイルの海上でアメリカ艦隊を発見し、触接を開始した。敵戦艦4、大型巡洋艦3、軽巡、輸送船十数隻、ツラギから方位145度、240海里、針路330度、速力18ノットと報告を受けたラバウルの第11航空艦隊は第26航空戦隊司令部に雷撃を下命。第26航空戦隊は第701・第705空の陸攻で薄暮攻撃を仕掛けることにし、それまでは触接を保つことにした。1143、ラバウルのブナカナウ飛行場から第701航空隊九六式陸攻二三型2機(6機?)が吊光弾を搭載し触接機として出撃。1245、ブナカナウ飛行場から第701航空隊九六式陸攻二三型(九五式魚雷改六搭載)16機(指揮官は飛行長檜貝少佐。第1中隊6機、第2中隊4機、第3中隊6機。計18機?)が出撃。1315、第705航空隊一式陸攻(九五式魚雷改三搭載)16機(指揮官は飛行隊長中村少佐)が出撃。途中で701空の1機が故障で引き返し、速度の速い705空が701空をイザベル島南の高度2500mで追い抜いてアメリカ艦隊に向かった。1635、触接機が敵艦隊の位置をサンクリストバル島南、針路300度、速力15ノットと打電。日没直後の1710、705空の一式陸攻がレンネル島北50海里を北西に航行するアメリカ艦隊の航跡を発見。輸送船4隻の右側を重巡3隻、左を軽巡3隻、前を駆逐艦6隻が囲んでおり、1719に指揮官機がト連送を打電、1750から重巡に対して距離1500m・高度50mで雷撃を行ったが、全て外れた。701空は敵艦隊付近上空を後方から前方に抜けて右旋回、右側から雷撃することにし、先発していた触接機が1720に敵艦隊付近で航法目標灯、1721に吊光弾を投下、1740に指揮官機がト連送を打電した。シカゴの右舷に魚雷2本が命中して缶室が浸水、4軸全てが停止して11度傾いた。ウイチタ、ルイヴィルにも1本ずつ命中したが、両者とも不発だった。先陣を切って突撃した701空指揮官機はシカゴの対空砲火により被弾炎上、そのままシカゴに突入を図り、舷側付近の海面に突入して航空燃料がシカゴの甲板を炎上させている。日本海軍側は701空の2機と705空の1機が撃墜され、被弾損傷でラバウルへの帰還を諦めブインやブカ(第701空では3機)に不時着した機体もあった。実際の戦果は重巡シカゴ大破のみだったが、戦況報告を元に第26航空戦隊は戦果を戦艦2隻・巡洋艦2隻撃沈、戦艦1隻・巡洋艦1隻中破とし、大本営発表で新聞には戦艦2隻・巡洋艦3隻撃沈、戦艦1隻・巡洋艦1隻中破と掲載されている。アメリカ艦隊は輸送任務を断念して引き返すことにした。1月30日、0620、日本軍哨戒機がDD-448ラ・バレットに曳航されたシカゴを始めとするアメリカ艦隊を再度発見。1015、ブカ島の751空所属一式陸攻11機が雷装で出撃した。1355、攻撃隊はレンネル島北10海里でエフェテに向かう敵艦隊を発見。シカゴに魚雷4本を命中させて撃沈、ラ・バレットにも1本を命中させ大破させた。しかしシカゴ上空には北北西43海里に展開していたCV-6エンタープライズからの直掩戦闘機10機が警戒しており、迎撃を受けて7機が撃墜され、1機はニュージョージア島に不時着し、帰投した3機も損傷が酷く作戦不能に陥っていた。参考:日本海軍艦隊総覧、月刊航空ファン9,’19、月刊丸9,'20、激闘太平洋戦記、第2次大戦日本海軍作戦年誌
<レンネル島海戦>:レンネル島沖海戦を参照。
<レンハイ型>:055級(駆逐艦)を参照。
<レンビット>:エストニア海軍カレフ級潜水艦2番艦Lembit。1936年竣工。1940年、エストニアがソ連に併合されたため、ソ連海軍潜水艦となった。艦名はU-1を経てS-85となり、退役後の1979年にタリンで記念艦にされ、エストニア海洋博物館に陸揚げ展示されている。参考:月刊世界の艦船2,’14
<練兵休(日本陸軍)>:傷病により軍医や衛生部将校の診察を受けた結果、教練、演習、衛兵など労力を要する勤務を休ませると診断したもの。容態によって就寝許可を付けたりする。参考:軍隊内務令、軍医サンよもやま物語
<連邦国境警備隊>:Bundesgrenzschutz。1951年に西ドイツ内務省隷下に発足した、東ドイツとの国境地帯の警備部隊である。西ドイツ成立後も軍とは別個に存続した。2005年7月に連邦警察(Bundespolizei)に改称された。参考:月刊軍事研究1,’09
<連邦国境警備隊第9対テロ部隊>:GSG9を参照。
<連邦政府ビル爆破事件>:1995年4月19日0900過ぎ、オクラホマシティの連邦政府ビルの北側で時限装置付爆薬550kg(TNT換算で2300kg相当)を積んだ小型トラックが爆発し、9階建てのビルの半分が崩壊、地面には深さ3mのクレーターが生じ、3km離れた建物の窓ガラスが割れ、爆心地から1.6km以内の市民の80%が死傷、167人(168人?)が死亡し、432人(850人以上?)が負傷した。犯人は6人グループのミリシア(ミシガン・ミリシアという報道もあったが、誤報)に所属する白人至上主義右翼過激派2人(主犯は元陸軍の湾岸戦争帰還兵。もう1人も湾岸戦争帰還兵)で、2年前の同じ日に起こったブランチデヴィディアン事件、この日予定されていた白人至上主義者への死刑執行を逆恨みし、アメリカ独立戦争の発端となった記念日でもある4月19日を狙って爆薬を仕掛けたものである。参考:月刊軍事研究8,’95、11,’08、11,’17
<連絡機>:Liaison aircraft。司令部要員の前線視察や輸送といった、司令部と離れた場所との間の用務飛行などを行う航空機のこと。参考:月刊JWings10,’09別冊付録、3,’20
<連絡将校(日本陸軍)>:日本陸軍の将校。各司令部・本部間の連絡を円滑にするのが主任務で、先方部隊の司令部や本部に派遣され、所属部隊の現況や爾後の行動などを常に把握し、先方部隊に適宜報告する。参考:作戦要務令
<連絡偵察飛行隊>:陸上自衛隊の飛行隊。2006年3月26日(2007年3月?)、第1ヘリコプター団本部管理中隊飛行班から改編されて第1ヘリコプター団隷下に木更津駐屯地で新編された。LR-1の退役とLR-2の調達遅延により、連絡偵察機の数が減少したため、本州の方面航空隊本部付隊に配備されていた連絡偵察機を本部隊に纏めている。2010年10月29日、LR-1連絡偵察機19号機が第15飛行隊から転入した。機体は2年ほど北宇都宮に置かれ、訓練に使用されている。2016年2月15日、木更津駐屯地でLR-1のラストフライトを実施。2023年1月17日、第1ヘリコプター団令和5年年頭編隊飛行にLR-2連絡偵察機2機で参加。参考:第1ヘリコプター団ホームページ、月刊航空ファン5,’16、月刊JWings5,’16、4,’23
<連絡偵察飛行隊(2020年)>:第1ヘリコプター団隷下で、木更津駐屯地にある。LR-2を装備する。参考:月刊JWings6,’20
<連絡無線機用音声起動コントローラ>:自衛隊の機器。テムコジャパン製。参考:月刊軍事研究11,’10
<連絡輸送機>:人員の輸送や、書類の伝達などを主任務とする航空機のこと。参考:飛行機のしくみ