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第4移動警戒隊>:航空自衛隊移動警戒隊202010月、与那国駐屯地にJ/TPS-102を展開して東シナ海の監視活動を開始。2021315日、機動展開訓練を行い、那覇基地から嘉手納飛行場へと機動、移動式警戒監視システムの展開から撤収までを演練した。202241日、与那国駐屯地に第53警戒隊与那国分遣班が新編されたのに伴い、J/TPS-102による与那国駐屯地での監視任務を終了して撤収した。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊JWings5,21、朝雲

 <第4移動警戒隊(2015年)>:南西航空警戒管制隊隷下で、那覇基地に置かれている。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊航空ファン4,16

第4移動通信隊>:航空自衛隊の移動通信隊。19923月、車力分屯基地で新編された。2000年、上級部隊が航空システム通信隊移動通信群になった。参考:航空自衛隊ホームページ、月刊JWings8,14、月刊丸4,17

 <第4移動通信隊(2015年)>:航空システム通信隊移動通信群隷下で、車力分屯基地に置かれている。参考:月刊航空ファン4,16

第4ウクライナ方面軍>:ソ連陸軍の方面軍。19431020日、南部方面軍を改称して新編された。194499日、第1親衛軍がウクライナ北部に侵攻。参考:激闘 東部戦線(2)、歴史群像4,18

第4海軍区>:日本海軍の海軍区。舞鶴鎮守府が所在する。明治225月に指定された。大正124月に廃止されたが、昭和1412月に復活。京都府、山形、新潟、富山、石川、福井、滋賀、兵庫の一部、鳥取、島根の陸上と海岸・海面を担当した。参考:月刊世界の艦船9,13増刊

第4海軍燃料廠>:日本海軍燃料廠。昭和164月、福岡県志免に開設された。参考:月刊世界の艦船9,13増刊

第4海上護衛隊(日本海軍)>:日本海軍の海上護衛隊。鹿児島−沖縄航路を担当する部隊として昭和19410日に新編され、佐世保鎮守府部隊に編入された。参考:月刊世界の艦船9,13増刊、第2次大戦日本海軍作戦年誌

第4回天隊>:日本海軍の基地回天隊。高知県に配備された。参考:月刊丸8,'15別冊

第4海兵遠征旅団>:アメリカ海兵隊の海兵遠征旅団。1983年、第2海兵遠征軍隷下の水陸両用展開MEBとして第4海兵水陸両用旅団(4MAB)の名称でノーフォークで創設された。1988年、第4海兵遠征旅団に改称された。1990年、湾岸戦争に参加。冷戦崩壊を受けて1992年に解隊された。20011029日にアメリカ本土防衛対テロ専用海兵隊部隊として再編された。兵力5500名で、NBC対応部隊CBIRF、対テロ大隊1個、保安軍大隊(海軍基地を担当)、保安警備大隊(海外の大使館・領事館を担当)で構成されている。ただ対テロ戦争における特殊作戦能力をアピールするために創設されたらしく、それらしい出来合いの部隊を集めただけだった。2006年、海兵隊特殊作戦コマンド創設により解隊された。参考:月刊軍事研究7,123,137,04

 <第4海兵遠征旅団(湾岸戦争時)>:総兵力8442名。司令部・業務中隊、第2監視偵察情報支援群、第2連隊上陸チーム(兵力3526名。2個海兵大隊、1個砲兵大隊、1個軽装甲歩兵大隊、1個強襲水陸両用中隊、1個戦車中隊、1個戦車中隊、1個トラック中隊など)、第40海兵航空群(兵力2792名。1個海兵攻撃飛行隊、2個海兵中型ヘリ飛行隊、1個海兵重ヘリ飛行隊、1個海兵軽攻撃ヘリ飛行隊)、第4旅団業務支援群(兵力1464名)からなる。M-60A1戦車22両、AAV7水陸両用車48両、LAV軽装甲車52両、155mm榴弾砲18門、TOW搭載HMMWV36両、AV-8B戦闘機20機、AH-1攻撃ヘリ15機、UH-1ヘリ6機、CH-46Eヘリ24機、CH-53ヘリ16機を装備する。参考:月刊軍事研究7,12

 <第4海兵遠征旅団(デザート・シールド作戦時)>:アメリカ中央軍海軍CTF150隷下の第2揚陸群に所属する揚陸艦13隻に分乗し、中央軍海軍作戦統制下の洋上海兵部隊としてペルシャ湾に展開することになった。他に軍事海上輸送コマンドの輸送艦8隻が重装備の一部と上陸後に必要な兵站物資を積んでペルシャ湾に派遣されている。817日に揚陸艦5隻、820日に揚陸艦4隻、821日に揚陸艦4隻がノースカロライナ州モーアヘッド・シティー港を出港。それぞれ93日、96日、99日にペルシャ湾に到着した。MSCの輸送艦8隻は917日から1021日に到着している。参考:月刊軍事研究7,12

第4海兵航空団>:アメリカ海兵隊の海兵航空団で、4MAWと略す。参考:月刊軍事研究8,14

第4海兵航空団(2014年)>:予備役の海兵航空団で、司令部はルイジアナ州ニューオリンズ統合予備基地にある。第41海兵航空群、第49海兵航空群、第48海兵航空管制群、第42海兵航空訓練支援群などを隷下に置く。参考:月刊軍事研究8,14

第4海兵航空団(2016年)>:予備役の海兵航空団で、司令部はルイジアナ州ニューオリンズ統合予備基地にある。VMR-4VMR-5、第41海兵航空群、第49海兵航空群、MACG-48MATSG-42などを隷下に置く。参考:月刊航空ファン2,17

第4海兵師団>:

第4海兵師団(2015年)>:アメリカ海兵隊予備役で、機甲偵察大隊1個、偵察大隊1個、歩兵連隊(3個大隊編成)2個、水陸両用強襲大隊1個、砲兵連隊(3個大隊編成)1個、戦闘工兵大隊1個、情報大隊1個、信号大隊1個からなる。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

第4海洋>:日本海軍海洋型海洋観測船。昭和17717日竣工。太平洋戦争終戦で昭和201129日に運輸省水路部に移管され、昭和2351日に海上保安庁が新設されると同庁水路局に編入された。昭和241020日、第4海洋丸に改称された。昭和311215日、海洋に改称された。昭和39326日に除籍された。参考:月刊世界の艦船12,'21、小艦艇入門

第4艦隊(アメリカ海軍)>:アメリカ海軍の艦隊。1943年に新編された。1950年に解隊された。20087月、アメリカ南方軍(USSOUTHCOM)隷下の海軍部隊としてフロリダ州メイポートで再編された。アメリカ南方軍の実動部隊で、カリブ海と中南米沿岸を担当し、密輸や密航を監視するのが主任務である。保有艦船は無く、担当海域に移動してきた艦船を隷下に組み込む。司令官はアメリカ南方海軍司令官との兼務。参考:月刊世界の艦船3,12、月刊軍事研究1,137,12

 <第4艦隊(アメリカ海軍、2012年)>:隷下に第40任務部隊司令部、第43任務部隊司令部、第46任務部隊司令部、第47任務部隊司令部、第40駆逐隊を置く。参考:月刊軍事研究1,13

第4艦隊(日本海軍)>:日本海軍の艦隊。明治38614日、連合艦隊隷下に新編された。三景艦と日本海海戦の戦利艦からなり、第3艦隊と共に樺太占領軍の輸送と護衛を行った。1220日、解隊された。以降は連合艦隊特別大演習の際に赤軍(対抗部隊)として臨時編成されていたが、昭和11年度作戦計画で、アメリカと戦争になった際にグアム・内南洋方面を担当する艦隊として常設されることになった。昭和121020日(1120日?)、日華事変や第二次上海事変を受け、第3艦隊の外洋作戦向き戦力を抽出して再編され、支那方面艦隊の隷下に入った。中国沿岸北部を担当する。昭和141115日、第3遣支艦隊に改編され、同時に内南洋群島を担当する大本営直轄の独立艦隊として再編され、敷設艦常磐が編入された。昭和151115日、連合艦隊の隷下に入った。昭和16128日の太平洋戦争開戦時、連合艦隊南洋部隊として、内南洋防備と、ニューギニア、グアム、ウェーキ、ソロモン群島、ギルバート諸島、マーシャル諸島、マリアナ諸島、カロリン諸島攻略を任務とした。128日、サイパンから出撃した第18航空隊の水上偵察機5機によりグアムを攻撃、掃海艇ペンギンを撃沈した。ルオットから出撃した千歳空の陸攻34機によりウエーク島を爆撃した。昭和174月、隷下に第2海上護衛隊が新編された。714日、南洋防衛担当の第8艦隊が新編されたため、トラックに司令部を置き、日本本土と南洋諸島間の交通警備にあたった。昭和1934日、中部太平洋艦隊に編入された。718日、中部太平洋艦隊解隊に伴い編入を外れた。参考:日本海軍艦隊総覧、軍事用語の基礎知識、第2次大戦日本海軍作戦年誌、写真集日本の小艦艇、月刊世界の艦船12,10、帝国海軍太平洋作戦史T

 <第4艦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:司令長官は井上成美中将。建制上は連合艦隊隷下で、練習巡洋艦鹿島、第18戦隊、第19戦隊、第6水雷戦隊、第7潜水戦隊、第24航空戦隊、第3・第4・第5・第6根拠地隊(パラオ、トラック、サイパン、クェゼリン。全て特設艦船配備)、舞鶴第2特別陸戦隊、聖川丸、松栄丸、山鳩丸、氷川丸、金剛丸、金龍丸、補給部隊(立山丸、第一あまかす丸、大宝山丸、興亜丸、秩父丸、北開丸、地洋丸、榛名丸、石廊、第二号海城丸、寶洋丸、知床、岩代丸、第六真盛丸、三江丸、男鹿島丸)からなる。兵力部署では連合艦隊南洋部隊で、主隊(鹿島)、グアム島攻略部隊(聖川丸)、ウェーク島攻略部隊(第6水雷戦隊、金剛丸、金龍丸、舞鶴第2特別陸戦隊1個中隊)、ウェーク島攻略掩護隊(第18戦隊)、ハウランド方面攻撃支援隊(第19戦隊)、潜水部隊(第7潜水戦隊)、航空部隊(第24航空戦隊)、防備部隊(第3・第4・第5・第6根拠地隊)、付属(舞鶴第2特別陸戦隊)に配属されている。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧、帝国陸海軍事典

第4艦隊事件>:昭和107月から日本海軍は大演習を実施。9月末に岩手沖で総括の対抗演習を行うことになり、924-25日に特設赤軍艦隊(第4艦隊。臨時編成で、41隻が所属)が函館を出港した。台風の予想が出ていたが、構わずに南下した結果、926日午後に岩手県東方沖で台風に突入し、最大風速36m、最大波高20mの悪天候に襲われて吹雪型駆逐艦初雪・夕霧が艦首を切断し、睦月・朝風・春風の艦橋が倒壊、白雲・朧が艦橋前で船体屈曲、潮・曙・叢雲が船尾に亀裂発生、天霧・白雪・薄雲が船体を小破した。アメリカ戦艦と想定された潜水母艦大鯨は舵取機の電動機が故障して航行困難になり、波浪に煽られて船体が50度も傾斜、船体前部外板が歪んで皺だらけとなった。空母龍驤は艦橋前面を破損し、鳳翔は飛行甲板前面が崩壊、他に重巡妙高、駆逐艦睦月・菊月などが損傷した。切断された夕霧の艦首部分は沈没し28名が死亡。初雪の艦首部分は転覆して漂流、巡洋艦が曳航しようとしたが失敗し、暗号の入った金庫を積んだ状態で外国に漂着する可能性も出てきたため、内部に乗員24名を残したまま砲撃により撃沈した。損害を受けた艦艇は19隻、死者は54名、負傷者は56名だった。原因は設計や溶接技術未熟による強度不足、波浪に関する知識不足で、各艦に補強工事を実施した。演習の2か月前には艦政本部の牧野造船少佐から、特型駆逐艦の中に船体強度が不十分な艦があるので演習に参加させないようにという意見があったのだが、担当部長が握り潰している。参考:月刊世界の艦船9,13増刊、10,06、艦船メカニズム図鑑、巡洋艦入門、歴史群像10,06、海軍技術研究所、日本潜水艦物語、日本海軍艦隊総覧

第4機械化歩兵師団(アメリカ陸軍)

 <第4機械化歩兵師団(2013年)>:第3軍団隷下で、司令部はコロラド州フォート・カーソンにある。隷下に第1重旅団戦闘団、第2重旅団戦闘団、第3重旅団戦闘団、第4歩兵旅団戦闘団、第4機械化歩兵師団戦闘航空旅団、第43継戦旅団、第214火力旅団を置く。参考:月刊軍事研究7,12

第4基地防空隊>:航空自衛隊の基地防空隊。2003年、第402基地防空隊から改編されて松島基地で第4航空団隷下に新編された。参考:松島基地ホームページ

<第4級賞詞>:賞詞を参照。

<第4級賞状>:賞状を参照。

<第4級防衛功労賞>:防衛功労賞を参照。

第4駆潜隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の駆潜隊。1986319日に解隊され、PC-319しらとりは特務艇に類別変更の上で舞鶴地方隊に編入、PC-320ひよどりは舞鶴地方隊直轄艦となった。参考:月刊世界の艦船5,86

第4駆潜隊(1978年)>:舞鶴地方隊隷下で、PC-311みずとり、PC-312やまどり、PC-316うみどり、PC-320ひよどりを配備する。参考:月刊世界の艦船1,79増刊

<第4駆逐艦>:呉竹を参照。

第4駆逐隊(日本海軍)>:日本海軍の駆逐隊。昭和2728日から810日、御召艦山城の供奉艦を務めた(太刀風、羽風、帆風、秋風)。昭和16127日、嵐が編入された。331日、陽炎が編入された。715日、舞風が編入された。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は南方部隊主隊としてマレー上陸作戦、フィリピン上陸作戦に参加した。昭和172月、ジャワ南方機動作戦に参加。3月、セイロン作戦に参加。32日、ジャワの南において、摩耶と共同でイギリス駆逐艦H50ストロングホールドを砲撃して撃沈した。33日、バリ島の南南西160海里で砲艦アッシュビルを砲撃して撃沈した。45日、セイロン島攻撃に参加(第2小隊萩風、舞風)。65日、ミッドウェイ海戦に参加(萩風、舞風、野分、嵐)。66日、赤城を魚雷により処分した。811日、柱島を出撃。817日、トラックに到着。821日、トラックを出撃してガダルカナルに向かった。824日、第2次ソロモン海戦に参加(野分、舞風)。1026日、南太平洋海戦に参加(嵐、舞風)。昭和1886日、ベラ湾夜戦に参加(萩風、嵐)。昭和191022日、比島沖海戦に参加(満潮、朝雲、山雲)。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊丸4,99、日本海軍艦隊総覧

 <第4駆逐隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第4水雷戦隊隷下、兵力部署は南方部隊本隊所属で、嵐、萩風、野分、舞風を配備する。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,14

第4軍(日本陸軍)

 <第4軍(昭和19年後半)>:第3方面軍隷下で、第57師団、独立混成第73旅団からなる。参考:比島決戦

第4軍団(イラク)

 <第4軍団(湾岸戦争時)>:アル・ジャビル空軍基地に配置され、クウェート湾岸の防御及び空挺作戦・強襲作戦への対処にあたっていた。第2・第11・第14・第19・第23歩兵師団、第66特殊戦旅団からなる。参考:月刊グランドパワー3,95

第4号>:スウェーデン海軍第2号級潜水艦3番艦。

第4航空艦隊(日本海軍)>:日本海軍の航空艦隊。昭和16128日、龍驤の艦上機22機によりダバオ飛行場及び特設水上機母艦プレストンを攻撃した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

第4航空群>:海上自衛隊の航空群。196291日、航空集団隷下に下総航空基地で創設され、第3航空隊が隷下に入った。19633月、第14航空隊が隷下に入った。315日、第51航空隊が第2航空群から編入された。19651010-22日、マリアナ沖遭難漁船乗組員捜索救難の災害派遣に参加。1968年、隷下に硫黄島航空基地分遣隊と南鳥島航空派遣隊が新編された。19697月、第51航空隊が航空集団直轄となった。19711224日、厚木航空基地分遣隊が新編された。197310月、厚木航空基地分遣隊が厚木航空基地隊に改編された。1225日、厚木航空基地に移駐。1982年、第6航空隊がP-3Cに機種改変された。1984年、第3航空隊がP-3Cに機種改変された。200915日、厚木航空基地で平成21年初訓練飛行を実施。第3航空隊第31飛行隊から3機、同第32飛行隊から3機、他に統制機と取材機1機ずつのP-3Cが参加した。428日、伊豆・小笠原諸島からの急患空輸1500回の功績により、第21航空群と共に東京都知事と東京都島嶼町村会会長から感謝状を授与された。10250700頃、伊豆漁協下田支所から下田海上保安部に対し、前日夕方の八丈島沖での連絡を最後に漁船第1幸福丸が行方不明になっていると通報が入ったため、1550に第3管区海上保安本部長から行方不明漁船の捜索に係わる災害派遣要請を受けた。1600P-3C哨戒機1機が厚木航空基地を離陸。2230P-3C哨戒機1機が捜索に加わった。10261130、台風20号接近により捜索を中断。1027日、P-3C哨戒機2機で捜索したところ、第1幸福丸のブイなど漂流物多数を発見した。10281030、八丈島北北東55kmで転覆した第1幸福丸を発見し、海保に通報。1300に撤収要請を受け撤収した。2011111日、厚木航空基地で平成23年初訓練飛行を実施。第3航空隊第31飛行隊のP-3C1機、第32飛行隊のP-3C2機が訓練飛行を行い、他に1機が報道機として、1機が予備機として参加した。215日、2日前に千葉県銚子沖で行方不明なったヨット捜索のため0530に第3管区海上保安本部長から第4航空群司令に災害派遣要請があった。延べ4機のP-3Cがいわき市沖から八丈島まで捜索したが見つからず、2161915に撤収要請を受けた。311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。3290907P-3Cで房総沖から三陸沖にかけての偵察を行った。491925、固定翼機1機で余震の状況偵察を実施。4100854、固定翼機で被災地周辺捜索救難を実施。1052、漂流漁船を視認し、海上保安庁に通報した。1231、漂流漁船を視認し、海上保安庁に通報した。4110835、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。4120814、固定翼機が余震状況偵察のため離陸。0829、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。0846、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。1121、固定翼機が漂流ボートを視認し、海上保安庁に通報。1140、固定翼機が漂流漁船を視認し、海上保安庁に通報。1410、固定翼機が余震状況偵察のため離陸。4140903、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。1527、固定翼機が漂流漁船を視認し、海上保安庁に通報した。1609、固定翼機が漂流漁船を視認し、海上保安庁に通報した。4160855、固定翼機で捜索救助を行った。1136、固定翼機が余震状況偵察のため離陸。4170213、新潟県中越地方で震度5弱の地震が発生したため、固定翼機で被害状況を調査した。4230406、固定翼機で被災地周辺の地震被害状況偵察を実施。4240852、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。4260901、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。4280856、固定翼機が被災地周辺で捜索活動を開始。4300855、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。520857、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。540902、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。560858、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。580858、固定翼機で被災地周辺の捜索救難飛行を実施。5100855、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。5110826、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。5120935、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。5130835、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。5140929、固定翼機で被災地周辺の捜索救難。5160925、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。5181016、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。5210930、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。5220928、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。5240957、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。5250536頃、福島県浜通で震度5弱の地震が発生したため、P-3C哨戒機1機で情報収集を実施した。0651、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。5260943、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。5280944、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。5300925、固定翼機で被災地周辺の捜索救難を実施。621133頃、新潟県中越地方で震度5強の地震が発生したため、P-3C哨戒機1機を離陸させた。64日、福島県沖を震源とする震度5弱の地震が発生したため、P-3Cで情報収集を行った。6300816に発生した長野県中部を震源とする震度5強の地震を受け、P-3Cを情報収集のため飛行させた。7250351頃に福島県沖で発生した震度5弱の地震を受け、航空機で情報収集を行った。89日、上対馬の東50kmを航行する江衛U型フリゲート527洛陽、練習艦鄭和を確認した。11171200頃、宗谷岬の南西250kmを航行するグリシャX型警備艦メテルを確認した。11201023頃、茨城県日立市で震度5強の地震が発生したため、航空機で情報収集活動を実施した。

20122190300前、茨城県日立市で震度5弱の地震が発生したため、0330からUH-60Jヘリ1機を離陸させて情報収集を行った。3100225頃、茨城県高萩市で震度5弱を観測する地震が発生したため、0330前にP-3C哨戒機1機を離陸させて0600前まで情報収集を行った。3142100過ぎ、千葉県東方沖でマグニチュード6.1の地震があり、震度5強を観測したため、2116からP-3C哨戒機1機を離陸させて情報収集を行った。412300過ぎ、福島県沖でマグニチュード5.9の地震が発生し、震度5弱を観測したため、2323からP-3C哨戒機1機を離陸させて420300前まで情報収集を行った。4291000、長崎県下対馬の南西180kmを北に航行するスラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグ、ウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・ヴィノグラードフ、マーシャル・シャポシニコフを確認した。1200頃、鹿児島県屋久島の西430kmを太平洋に向け東に航行し、鹿児島県佐多岬と種子島の間を通過する054A型フリゲート529舟山、同530徐州、東調型情報収集艦851北極星を確認した。その後これらは沖ノ鳥島700kmUAVの飛行訓練を行っている。4301300、長崎県下対馬の南西150kmを北に航行するウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・トリブツ、ドゥブナ級補給艦1隻、ソルム級航洋曳船MB-37、ゴーリン級航洋曳船1隻を確認した。1150730頃、上対馬北東180kmを南西に航行するウダロイT級ミサイル駆逐艦マーシャル・シャポシニコフ、ドゥブナ級補給艦イルクート、イングル型救難曳船アラタウを確認した。その後3隻は対馬海峡を南下していった。12311500頃、父島の西250kmの海域で宮崎県日向市漁協所属のマグロ延縄漁船第八浩丸からインドネシア国籍乗員1人が転落したため、2120に第3管区海上保安本部長から災害派遣要請が出された。2216P-3C哨戒機1機が厚木航空基地を離陸して捜索を開始。

2013110757P-3C哨戒機1機が離陸して捜索を実施したが発見できず、1615に撤収要請を受けた。18日、初飛行訓練を実施。31日、グアム方面派遣訓練のためP-3C哨戒機2機が厚木航空基地を出発。31-10日、P-3C哨戒機2機と隊員40名がアンダーセン基地で訓練を実施。35日、トルコ国防相や駐日トルコ大使らの訪問を受けた。3211300頃、下対馬の南西45kmを南西に航行するドゥブナ級補給艦ペチェンガを確認した。1400頃、上対馬の北東170kmを南西に航行するウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ、ロプーチャT型揚陸艦BDK-98、ロプーチャU型揚陸艦ペレスヴェート、バクラザン型救難曳船フォーティ・クリロフを確認した。621日、宮城県金華山の南東1200kmで転覆したヨット乗員救助の災害派遣に参加。7131600頃、宗谷岬の西南西250kmを北東に航行する中国海軍051C型ミサイル駆逐艦116石家荘、同115瀋陽054A級フリゲート538煙台、同546塩城福清型補給艦881洪澤湖を確認した。1029日、海上保安庁長官から感謝状を授与された。122日、マリアナ諸島モーグ島沖で日本人2人が乗ったヨットが座礁したとの連絡が第6管区海上保安本部に入ったため、第3管区海上保安本部長から第4航空群司令に災害派遣要請が出され、P-3C哨戒機1機を派遣して情報収集活動を行った。日本人2人は巡視船しきしまのヘリに救助された。1214日、下対馬の南30kmを航行するウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・ヴィノグラードフ、ドゥブナ級補給艦イルクート、ネフテガズ型航洋曳船カラルを確認した。12220600頃、下対馬の南西70kmを北に航行するウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ、ロプーチャT型揚陸艦アドミラル・ニヴェルスキー、ロプーチャU型揚陸艦ペレスヴェート、ドゥブナ級補給艦ペチェンガ、バクラザン型救難曳船フォーティ・クリロフを確認した。

201418日、初訓練飛行を実施。36日、千葉県野島崎南東2200kmで中国船籍漁船が火災を起こしたため、第3管区海上保安本部長から災害派遣要請があり、37日までP-3Cで捜索した。3160300頃、上対馬の北東170kmを南西に航行するウダロイT級ミサイル駆逐艦マーシャル・シャポシニコフ、ドゥブナ級補給艦イルクート、イングル型救難曳船アラタウを確認した。77日、金華山の東1130kmで漁船乗員が腸閉塞を起こしたため、第2管区海上保安本部から災害派遣の要請があり、P-3C哨戒機1機で状況偵察を行った。716日、漁船雅栄丸が行方不明になったため、7170345に第3管区海上保安本部長から群司令に捜索要請が出された。0430P-3C哨戒機1機が離陸し、捜索を開始。1048に撤収要請を受けて撤収した。8130900頃、小笠原諸島南鳥島沖で調査捕鯨船から乗員1人が海上に転落したため、1130に第3管区海上保安本部長から海自航空集団司令官に災害派遣要請が出され、1152P-3C哨戒機1機を離陸させた。8151731の撤収要請までにP-3C哨戒機延べ5機で捜索したが、発見できなかった。10251300頃、上対馬の北東220kmを南西に航行するスラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグ、ウダロイT級ミサイル駆逐艦マーシャル・シャポシニコフ、ボリス・チリキン級補給艦ボリス・ブトマ、バクラザン型救難曳船フォーティ・クリロフを確認した。その後これらは対馬海峡を南下して東シナ海に抜けている。10291430頃、上対馬の北東220kmを南西に航行するウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・ヴィノグラードフ、改アルタイ型補給艦イリム、ソルム型航洋曳船MB-37、アカデミーク級海洋観測艦アドミラル・ウラジミルスキーを確認した。その後これらは対馬海峡を南下して太平洋に抜けている。1122日に発生した長野県北部を震源とする地震の被害偵察のため、P-3C哨戒機1機を発進させた。1220日、三重県大王崎沖で1人乗りヨットが行方不明になり、第4管区海上保安本部が捜索したが見つからず、12211455に第4管区本部長から第4航空群司令に災害派遣要請が出された。1530過ぎにP-3C哨戒機1機が厚木基地を離陸し、交代しながら徹夜で捜索、12220630過ぎにヨットを発見して海保に連絡、巡視船すずかが乗員を救出した。1227日、上対馬の北東310kmを南西に航行するルーフー級駆逐艦哈爾浜、054A型フリゲート538煙台、同546塩城、福池型補給艦太湖を発見した。201518日、P-3C哨戒機3機(+取材撮影機1機)で初飛行訓練を実施。5302024頃、小笠原諸島西方沖を震源とするマグニチュード8.5の地震が発生し、最大震度5強を観測したため、P-3C哨戒機1機を情報収集にあたらせた。12231530頃、房総半島南東の接続水域外側を北東に航行する東調型情報収集艦851北極星を発見した。その後12261100まで付近を北東と南西に往復し、三宅島と八丈島の間を南西に航行していった。

201618日、P-3C哨戒機2機とP-1哨戒機2機で年初訓練飛行を実施。221400頃、青森県竜飛岬南西150kmを北東に航行するルーフー型駆逐艦ハルビン、054A型フリゲート538煙台、東調型情報収集艦艦番号854、福清型補給艦洪澤湖を確認した。その後これらは津軽海峡を東に航行している。24-8日、房総半島南東沖(接続水域外)を単独で複数回往復している東調型情報収集艦854天狼星を確認した。39-11日、アメリカ海軍・カナダ海軍との共同訓練にP-1哨戒機1機で参加。3280430頃、上対馬北東74kmを南西に航行するウダロイ級ミサイル駆逐艦アドミラル・ヴィノグラードフ、ドゥブナ級補給艦イルクート、バクラザン級航洋曳船フォーティ・クリロフを確認した。その後これらは対馬海峡を南下している。1020日、上対馬北東100kmを南南西に航行するウダロイ級ミサイル駆逐艦アドミラル・トリブツ、ソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦ビストリイ、ボリス・チリキン級補給艦ボリス・ブトマ、イングル級曳船アラタウを確認した。その後これらは対馬海峡を南下して日本海から東シナ海に入っている。11171500頃、下対馬南西220kmを北北東に航行するソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦ビストリイ、イングル級曳船アラタウを確認した。その後これらは対馬海峡を北上している。

2017110日(11日?)、第3航空隊P-1哨戒機3機で初飛行訓練を実施。617日、伊豆半島沖でコンテナ船と衝突したDDG-62フィッツジェラルドの乗員捜索に参加。6250702頃、長野県南部を震源とするマグニチュード5.6の地震が発生したため、P-1哨戒機1機で情報収集を行った。72日、津軽海峡を東航していた東調級情報収集艦854天狼星が、北海道松前町小島南西で日本の領海を90分ほど(1040から1210まで)侵犯したのを確認した。直線的に航行し、不審な行動はとらなかったため、海上警備行動は発令されていない。7231630頃、下対馬南西200kmを北東に航行する056型コルベット502黄石を確認した。その後この艦は対馬海峡を抜けて日本海を北上している。8141600頃、上対馬北東100kmを南西に航行する056型コルベット502黄石を確認した。その後この艦は対馬海峡を南下して東シナ海に向かっている。9241100-1900頃、宗谷岬西160kmを北東に航行するスラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリヤーグ、ウダロイ級ミサイル駆逐艦アドミラル・トリブツ、イゴール・ベロウソフ級潜水艦救難艦イゴ−ル・ベロウソフ、051C級ミサイル駆逐艦116石家荘、054A級フリゲート576大慶、福池型補給艦960東平湖を確認した。その後これらは宗谷海峡を東に抜けている。1031400頃、上対馬北東70kmを南西に航行するウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ、同アドミラル・ヴィノグラードフ、ボリス・チリキン級補給艦ボリス・ブトマを確認した。その後これらは対馬海峡を南下し、東シナ海に向かっている。

2018160000頃、下対馬南西120kmを北東に航行するウダロイ級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ、ボリス・チリキン級補給艦ボリス・ブトマを確認した。その後これらは対馬海峡を北上して日本海に向かっている。19日、第3航空隊P-1哨戒機3機(+撮影機1機)で平成30年初飛行訓練を実施。2261000頃、P-1哨戒機が下対馬西南西70kmを北東に航行する054A型フリゲート549常州を確認した。その後この艦は対馬海峡を北に進み、日本海に入っている。4241200頃、上対馬北西20kmを北東に航行するルーフー級駆逐艦ハルビンを確認した。その後この艦は対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。591100頃、上対馬北東60kmを南西に航行するウダロイT級駆逐艦アドミラル・トリブツ、同アドミラル・ヴィノグラードフドゥブナ級補給艦ペチェンガP-1哨戒機が確認した。その後これらは対馬海峡を南下し、東シナ海に向かっている。525日に発生した長野県北部を震源とする地震でP-1哨戒機による情報収集を実施。6271200頃、上対馬北東140kmを南西に航行するルーフー級駆逐艦チンタオを確認した。その後これは629日にかけ対馬海峡を南下し、東シナ海に向かっている。710500頃、下対馬南西60kmを北東に航行するウダロイT級駆逐艦アドミラル・トリブツ、同アドミラル・ヴィノグラードフドゥブナ級補給艦ペチェンガを確認した。その後これらは対馬海峡を北上して日本海に向かっている。73日に出港した漁船が、75日の硫黄島北東130kmでの位置通報を最後に連絡が取れなくなったため、7101430に第3管区海上保安本部長から群司令に災害派遣要請が出され、1523P-1哨戒機1機が厚木基地から離陸して捜索に入った。7131751に撤収要請が出されている。7271400頃、上対馬北東100kmを南西に航行する054級フリゲート526温州を確認した。その後この艦は対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。1092200頃、上対馬北東55kmを南西に航行するスラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフボリス・チリキン級補給艦ボリス・ブトマを確認した。その後これらは対馬海峡を南下している。1121日、硫黄島で座礁した民間船舶から要救助者と乗員を救出する災害派遣に参加。1220日、第3航空隊P-1哨戒機が能登半島沖の日本海で韓国海軍ミサイル駆逐艦971広開土大王から射撃指揮レーダーの照射を受けた。

201919日、P-1哨戒機で初飛行訓練を実施。4261000頃、上対馬北東180kmを南西に航行するスラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグロプーチャT級戦車揚陸艦オスラビアを確認した。その後これらは対馬海峡を南下して東シナ海に向かい、中露海軍共同演習海上協力2019に参加している。552000頃、下対馬南西220kmを北東に航行するステレグシュチイ級フリゲートソブエルシェンヌイキロ級潜水艦1隻、イゴール・ベロウソフ級潜水艦救難艦イゴール・ベロウソフを確認した。その後これらは対馬海峡を北上し、日本海に向かっている。560600頃、下対馬南西210kmを北東に航行するロプーチャT級戦車揚陸艦オスラビアを確認した。その後これは対馬海峡を北上して日本海に向かっている。5260700頃、宮古島北東100kmを南に航行する054A級フリゲート515浜州を確認した。その後これは沖縄本島と宮古島の間の海域を南下し、一時的に太平洋に進出、530日に沖縄本島と宮古島の間を北上して東シナ海に向かっている。526日に千葉県銚子市犬吠埼沖で衝突沈没した民間貨物船乗員の捜索救助を目的とする災害派遣に、529日から531日まで参加。6182222に発生した山形県沖を震源とする最大震度7の地震でP-1哨戒機による情報収集活動を実施。761330頃、上対馬北東110kmを南西に航行する054A型フリゲート539蕪湖と同579邯鄲を確認した。その後これらは対馬海峡を南下し、東シナ海に向かっている。8220900頃、上対馬北東200kmを南西に航行する054A級フリゲート546塩城江衛U型フリゲート564宜昌を確認した。その後これらは対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。

20205171100頃、P-1が上対馬北東90kmを南西に航行するウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフを確認した。その後これは対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。851100頃、上対馬北東90kmを南西に航行するウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・トリブツ、同アドミラル・ヴィノグラードフボリス・チリキン級補給艦ボリス・ブトマP-1が確認した。その後これらは対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。9240012、東京都知事から海自航空集団司令官に新型コロナウイルス患者の急患空輸に係る災害派遣要請が出されたため、父島から硫黄島まで第21航空群UH-60Jヘリ1機が輸送した患者2人を、P-1哨戒機1機で硫黄島から厚木航空基地まで輸送した。1160900頃、上対馬北東50kmを南西に航行するスラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフドゥブナ級補給艦ペチェンガP-1が確認した。その後これらは対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。

202117日、P-1哨戒機1機で初訓練飛行を実施。2132308頃、福島県沖を震源とする最大震度6強の地震が発生したため、P-1哨戒機で情報収集を行った。3181100頃、下対馬南西250kmを北東に航行する055級ミサイル駆逐艦101南昌052D級ミサイル駆逐艦120成都054A級フリゲート576大慶を確認した。その後これらは対馬海峡を北上し、日本海に向かっている。551600頃、対馬北東220kmを南に航行するスラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグウダロイT級ミサイル駆逐艦マーシャル・シャポシニコフステレグシュチイ級フリゲートソブエルシェンヌイ、同グロームキイを確認した。その後これらは対馬海峡を南下し、東シナ海に向かっている。8141300頃、対馬南西130kmを北東に航行する中国海軍056型コルベット649広元を確認した。その後これは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。8220000頃、対馬南西105kmを北東に航行する中国海軍055型ミサイル駆逐艦101南昌052D型ミサイル駆逐艦119貴陽福池型補給艦903可可西里湖を確認した。その後これらは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。8310000頃、対馬北東45kmを南西に航行する中国海軍056型コルベット649広元を確認した。その後これは対馬海峡を南下し、東シナ海に向かっている。910日午前、奄美大島東を航行する052D型ミサイル駆逐艦119貴陽を確認した。付近には中国海軍所属と推定される潜没潜水艦がおり、奄美大島東の接続水域内を北西に航行し、912日午前には横当島西南西の接続水域外を西に進んでいる。10111300頃、対馬南西320kmを北東に航行する055型ミサイル駆逐艦101南昌052D型ミサイル駆逐艦172昆明054A級フリゲート515浜州、同573柳州福池型補給艦902東平湖、大老級潜水艦救難艦846を確認した。その後これらは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。10232200頃、対馬南西140kmを北東に航行するロシア海軍ウダロイT級駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ、同アドミラル・トリブツステレグシュチイ級フリゲートグロームキイ、同アルダー・ツィデンジャポフマーシャル・ネデリン級ミサイル観測支援艦マーシャル・クリロフを確認した。その後これらは対馬海峡を北東に進んで日本海に向かい、10241000には対馬北東60kmステレグシュチイ級フリゲート1隻から艦載ヘリ着艦させたため、空自スクランブル発進した。11131400頃、対馬南西250kmを東に航行する052D型ミサイル駆逐艦122唐山054A型フリゲート579邯鄲を確認した。その後これらは対馬海峡を北東に航行し、日本海に向かっている。11161300頃、対馬南西170kmを北東に航行する054A型フリゲート548益陽を確認した。その後これは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。11231600頃、西表島南170kmを北東に航行するロシア海軍キロ改級潜水艦2隻、ステレグシュチイ級フリゲートグレミャーシュチイドゥブナ級補給艦1隻、イングル級救難曳船1隻を確認した。その後これらは沖縄本島と宮古島の間を北に航行し、1127日に対馬海峡を北東に進んで日本海に向かっている。12151100頃、男女群島西350kmを南東に航行する遼寧級空母16遼寧055型ミサイル駆逐艦101南昌054A型フリゲート598日照901型補給艦901呼倫湖を確認した。これらは1216日に沖縄本島と宮古島との間を南下して太平洋に向かい、東シナ海と太平洋で艦載ヘリ着艦させている。12291500頃、対馬北北東430kmを南西に航行するロシア海軍スラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグウダロイT級駆逐艦アドミラル・トリブツボリス・チリキン級補給艦ボリス・ブトマを確認した。その後これらは対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。20223162336頃、福島県沖を震源とする最大震度6の地震が発生したため、P-1哨戒機情報収集を行った。3200200頃、対馬東北東40kmを南西に航行するヴィシュニャ級情報収集艦を確認した。その後これは対馬海峡を南下し、対馬南西70kmで反転、対馬海峡を北上して日本海に向かっている。3241400頃、対馬北東210kmを南南西に航行するウダロイT級駆逐艦アドミラル・パンテレーエフを確認した。その後これは対馬海峡を南に進み、東シナ海に向かっている。3281200頃、五島列島西170kmを東に航行する052D型ミサイル駆逐艦117西寧と、五島列島西330kmを南東に航行する054A型フリゲート546塩城を確認した。その後これらは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。3291400頃、対馬東北東60kmを南西に航行するヴィシュニャ級情報収集艦を確認した。その後これは対馬海峡を南に進み、東シナ海に向かっている。431000頃、対馬北東320kmを南に航行する052D型ミサイル駆逐艦117西寧054A型フリゲート546塩城を確認した。その後これらは対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。20223200200頃、対馬東北東40kmを南西に航行するヴィシュニャ級情報収集艦艦番号535を確認した。その後これは対馬海峡を南下し、対馬南西70kmで反転、対馬海峡を北上して日本海に向かっている。3241400頃、対馬北東210kmを南南西に航行するウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフを確認した。その後これは対馬海峡を南下し、東シナ海に向かっている。3291400頃、対馬東北東60kmを南西に航行するヴィシュニャ級情報収集艦艦番号535を確認した。その後これは対馬海峡を南下し、東シナ海に向かっている。4111200頃、対馬南西130kmを北東に航行する東調型情報収集艦艦番号794天狼星を確認した。その後これは対馬海峡を北上し、日本海に向かっている。4130800頃、対馬北北東160kmを南西に航行する東調型情報収集艦艦番号794天狼星を確認した。その後これは対馬海峡を南下し、東シナ海に向かっている。4190900頃、男女群島西80kmを北東に航行するウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ改アルタイ型補給艦1隻、スリヴァ型航洋曳船SB-408民間船3隻(ガスプロム社パイプ敷設船アカデミーク・チェルスキー、同社オフショア船イヴァン・シドレンコ、同社オフショア船オスタップ・シェレメタ)を確認した。その後これらは対馬海峡を北上し、日本海に向かっている。511200頃、男女群島西350kmを南に航行する遼寧級空母16遼寧055型ミサイル駆逐艦101南昌052D型ミサイル駆逐艦117西寧、同118烏魯木斉、同120成都901型補給艦901呼倫湖を確認した。1800頃、沖縄本島北西480kmを東に航行する054A型フリゲート531湘潭を確認した。520600頃、大正島北160kmを南に航行する052C型駆逐艦151鄭州を確認した。その後これら8隻は沖縄本島と宮古島の間を南下して太平洋に向かっている。5221300頃、福江島西260kmを南東に航行する054A型フリゲート579邯鄲を確認した。5230700頃、対馬南西120kmを北東に航行する054A型フリゲート530徐州を確認した。その後これら2隻は対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。5241600頃、対馬北東120kmを南西に航行する054A型フリゲート530徐州を確認した。1900頃、隠岐島北西90kmを南西に航行する054A型フリゲート579邯鄲を確認した。その後これら2隻は対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。6121300頃、対馬南西280kmを東に航行する東調型情報収集艦艦番号794天狼星を確認した。その後これは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。6131200頃、長崎県福江島西200kmを東に航行する055型ミサイル駆逐艦102拉薩052D型ミサイル駆逐艦120成都福池型補給艦902東平湖を確認した。その後これらは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。6161900頃にウダロイT級ミサイル駆逐艦マーシャル・シャポシニコフステレグシュチイU級フリゲートグレムヤシチィステレグシュチイ級フリゲートソブエルシェンヌイ、同グロームキイ、同アルダー・チデヌサポフ6170000頃にウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ0700頃にマーシャル・ネデリン級ミサイル観測支援艦1隻が、それぞれ伊豆諸島須美寿島と鳥島の間を南西に航行するのを確認した。7110100頃、長崎県男女群島西130kmを北東に航行するヴィシュニャ型情報収集艦艦番号535を確認した。その後これは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。7290500頃、対馬西40kmを北東に航行する636型海洋調査艦艦番号22を確認した。その後これは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。8121200頃、対馬北東70kmを南西に航行するステレグシュチイ級フリゲートグロームキイを確認した。その後これは対馬海峡を南下し、東シナ海に向かっている。8211200頃、長崎県福江島270kmを東に航行するステレグシュチイ級フリゲートグロームキイを確認した。その後これは対馬海峡を北上し、日本海に向かっている。8291300頃、対馬南西240kmを北東に航行する055型ミサイル駆逐艦101南昌054A型フリゲート546塩城福池級補給艦902東平湖を確認した。これらは830日に対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。9262200頃、伊豆諸島須美寿島南南東50kmを西に航行する055型ミサイル駆逐艦101南昌054A型フリゲート546塩城福池級補給艦902東平湖を確認した。その後これらは須美寿島と鳥島の間を西に進み、9270900頃には紀伊半島潮岬南南東300kmを西に航行している。9270200頃、犬吠埼東160kmを南に航行するウダロイT級ミサイル駆逐艦マーシャル・シャポシニコフステレグシュチイ級フリゲートソブエルシェンヌイ、同アルダー・チデヌサポフ、同グロームキイを確認した。その後これらは1100頃に御蔵島東北東80kmを南西に航行し、御蔵島と八丈島の間の接続水域を南西に進んでいる。9270900頃、室戸岬南南東260kmを西に航行する055型ミサイル駆逐艦101南昌054A型フリゲート546塩城福池級補給艦902東平湖ウダロイT級ミサイル駆逐艦マーシャル・シャポシニコフステレグシュチイ級フリゲートソブエルシェンヌイ、同アルダー・チデヌサポフ、同グロームキイを確認した。その後これらは928-29日に大隅海峡を西に進み、東シナ海で相互に隊列を組み航行している。9291400頃、長崎県男女群島南西90kmを北西に航行するウダロイT級ミサイル駆逐艦マーシャル・シャポシニコフステレグシュチイ級フリゲートソブエルシェンヌイ、同アルダー・チデヌサポフ、同グロームキイを確認した。その後これらは対馬海峡を北東に航行し、日本海に向かっている。1031700頃、隠岐諸島北120kmを南西に航行する東調型情報収集艦艦番号796開陽星を確認した。その後これは104日に対馬海峡を南西に航行し、東シナ海に向かっている。1111950頃、鹿児島県臥蛇島西の接続水域内を北東に航行する636A/B型測量艦海洋二十六号陳景潤を確認した。1120010頃に口之永良部島南西の日本領海内に入り、0300頃に屋久島南で領海を出域、南東に向かっている。11281700頃、対馬南西150kmを北東に航行する054A型フリゲート577黄岡を確認した。その後これは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。11290900頃、対馬南東20kmを北東に航行する中国海軍ソブレメンヌイU級ミサイル駆逐艦138泰州を確認した。その後これは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。1231900頃、対馬北東60kmを南西に航行するヴィシュニャ級情報収集艦艦番号535を確認した。その後これは対馬海峡を南西に進んでいる。12132200頃、長崎県男女群島西90kmを南東に航行する055型ミサイル駆逐艦102拉薩052D級ミサイル駆逐艦124開封福池級補給艦889太湖を確認した。これらは1214日に大隅海峡を東に進み、太平洋に向かっている。12151000頃、長崎県福江島西440kmを南に航行する遼寧級空母16遼寧055級ミサイル駆逐艦103鞍山052D級ミサイル駆逐艦120成都054A級フリゲート542棗荘901型補給艦901呼倫湖を、1200頃には福江島西420kmを南東に航行する055級ミサイル駆逐艦104無錫を確認した。これらは1216日に東シナ海で艦載ヘリ着艦させ、沖縄本島と宮古島の間を南に進み、太平洋に向かっている。12201700頃、対馬北東80kmを南西に航行するスラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリヤーグウダロイT級ミサイル駆逐艦マーシャル・シャポシニコフステレグシュチイ級フリゲートソブエルシェンヌイ、同アルダー・チデヌサポフを確認した。その後これらは1221日にかけて対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。12271700頃、長崎県男女群島北西140kmを北東に航行するスラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリヤーグウダロイT級ミサイル駆逐艦マーシャル・シャポシニコフステレグシュチイ級フリゲートソブエルシェンヌイ、同アルダー・チデヌサポフを確認した。その後これらは1228日にかけて対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。

2023111日、P-1哨戒機2機で初飛行訓練を実施。3161000頃、奄美大島西160kmを東に航行する054A型フリゲート515浜州を確認した。その後これは奄美大島と横当島の間を北東に進み、太平洋に向かっている。3250700頃、長崎県五島列島西140kmを北東に航行するヴィシュニャ型情報収集艦艦番号535を確認した。その後これは25-26日に対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。3271300頃、長崎県五島列島西160kmを北東に航行する東調級情報収集艦796開陽星を確認した。その後328日に対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。3281300頃、長崎県五島列島西240kmを東に航行する052D型ミサイル駆逐艦121斉斉哈爾を、1400頃には五島列島西300kmを南東に航行する055型ミサイル駆逐艦103鞍山福池型補給艦889太湖を確認した。その後これらは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。4151400頃、種子島北東70kmを南西に航行する東調級情報収集艦796開陽星を確認した。その後これは416日にかけて大隅海峡を西に進み、東シナ海に向かっている。4290800頃、五島列島南西180kmを北東に航行する東調級情報収集艦796開陽星を確認した。その後これは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。530500頃、魚釣島北西80kmを南西に航行する054A型フリゲート530徐州052D型ミサイル駆逐艦133包頭を確認した。その後これらは魚釣島西80km及び与那国島台湾との間を南下し、58日に大隅海峡を西に進み、東シナ海に向かっている。581400頃、伊豆諸島須美寿島南東60kmを南西に航行する東調級情報収集艦796開陽星を確認した。その後これは須美寿島と鳥島との間を南西に進んでいる。5121000頃、対馬北東80kmを南西に航行するステレグシュチイU級フリゲート2隻とドゥブナ級補給艦1隻を確認した。その後これらは対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。2100頃、伊豆諸島須美寿島南東80kmを南西に航行する052D型ミサイル駆逐艦121斉斉哈爾を確認した。その後これは513日にかけて須美寿島と鳥島の間を西に進んでいる。8181100頃、長崎県鳥島西40kmを北東に航行するステレグシュチイU級フリゲート1隻を確認した。その後これは819日にかけて対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。8251400頃、長崎県福江島北西110kmを東に航行するウダロイT級ミサイル駆逐艦2隻とステレグシュチイ級フリゲート1隻を確認した。その後これらは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。1400頃、長崎県福江島西190kmを東に航行する055型ミサイル駆逐艦104無錫福池型補給艦903可可西里湖を確認した。その後これらは826日にかけて対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。8251800頃、伊豆諸島御蔵島東40kmを南西に航行するヴィシュニャ型情報収集艦1隻を確認した。その後これは826日にかけて御蔵島と八丈島の間を南西に進んでいる。8260000頃、長崎県男女群島100kmを東に航行する054A級フリゲート550維坊を確認した。その後これは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。8272200頃、種子島北東80kmを南西に航行するヴィシュニャ型情報収集艦1隻を確認した。その後これは828日にかけて種子島東の接続水域内を南下、種子島南東の接続水域を出域して北東に進み、829日にかけて種子島沖から八丈島沖にかけての海域を北東に航行し、830日に御蔵島と八丈島との間を北東に進んでいる。8301900頃、伊豆諸島大島東60kmを北東に航行するヴィシュニャ型情報収集艦1隻を確認した。その後これは91日にかけて房総半島から三陸沖にかけての接続水域内を含む海域を北上し、92-3日には釧路沖の接続水域内を北東に進んでいる。8310300頃、対馬南西110kmを北東に航行する東調級情報収集艦799を確認した。その後これは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。9181000頃、対馬北西20kmを南西に航行する東調級情報収集艦799を確認した。その後これは対馬海峡を南西に進み、東シナ海に入っている。1081600頃、対馬北東70kmを南西に航行するウダロイT級駆逐艦2隻とドゥブナ級補給艦1隻を確認した。その後これらは109日にかけて対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。1192200頃、対馬南西110kmを北東に航行する東調型情報収集艦艦番号799を確認した。その後これは1110日にかけて対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。11150600頃、種子島東北東60kmを西に航行する052D級ミサイル駆逐艦132蘇州054A級フリゲート529舟山福池級補給艦904高郵湖を確認した。その後これらは大隅海峡を西に進み、東シナ海に入っている。1200頃、対馬北西20kmを南西に航行する東調級情報収集艦799を確認した。その後これは対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。12111200頃、福江島南西200kmを北東に航行する055級ミサイル駆逐艦104無錫を確認した。その後これは12日にかけて対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。12150600頃、対馬東50kmを南西に航行する055級ミサイル駆逐艦104無錫を確認した。その後これは対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。12181200頃、鳥島北60kmを北東に航行するウダロイT級ミサイル駆逐艦2隻を確認した。その後これらは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。

20241221000頃、対馬北東80kmを南西に航行するスラヴァ級ミサイル巡洋艦1隻、ウダロイT級ミサイル駆逐艦1隻、ドゥブナ級補給艦1隻を確認した。その後、ウダロイT級ミサイル駆逐艦は対馬海峡を南西に進み東シナ海に向かい、スラヴァ級ミサイル巡洋艦ドゥブナ級補給艦は対馬海峡を南西に進み、対馬南東30kmで反転、対馬海峡を北東に航行して日本海に向かっている。1241200頃、対馬東50kmを南西に航行するスラヴァ級ミサイル巡洋艦1隻を確認した。その後これは対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。

参考:月刊JWings12,063,094,119,132,145,142,153,158,153,179,179,183,198,199,195,'213,'23、月刊世界の艦船1,79増刊、3,121,134,135,136,133,144,146,143,153,164,165,'166,162,173,1710,1712,173,185,187,188,189,1810,1812,187,199,1911,193,208,'2010,206,'217,'2111,'211,'222,'223,'226,'227,'228,'229,'2210,'2211,'2212,'221,'232,'233,'236,'237,'2311,'2312,'231,'242,'243,'244,'24、東日本大震災海上自衛隊災害派遣の記録、月刊丸11,724,17、月刊軍事研究3,113,153,163,18MAMOR vol.52vol.141、月刊航空ファン10,143,18、日本の防衛戦力Part3、朝雲、海上自衛新聞、厚木航空基地ホームページ

 <第4航空群(1978年)>:航空集団隷下で、司令部は厚木にある。第3航空隊、第14航空隊、第4支援整備隊、厚木航空基地隊、硫黄島航空基地分遣隊を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船1,79別冊

 <第4航空群(1980年)>:航空集団隷下で、司令部は厚木にある。第3航空隊、第14航空隊、第4支援整備隊、厚木航空基地隊、硫黄島航空基地分遣隊を隷下に置く。参考:自衛隊装備カタログ1981

 <第4航空群(2001年度)>:航空集団隷下で、厚木航空基地に置かれている。隷下に第3航空隊(P-3C)、第6航空隊(P-3C)、第4整備補給隊、厚木航空基地隊(UH-60J)、硫黄島航空基地隊(UH-60J)、南鳥島航空派遣隊を置く。参考:月刊世界の艦船1,02

 <第4航空群(2007年度、改編前)>:第3航空隊、第6航空隊、第4整備補給隊、厚木航空基地隊、硫黄島航空基地隊などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,07

 <第4航空群(2010年)>:航空集団隷下で、厚木航空基地に置かれている。隷下に第3航空隊、第4整備補給隊、厚木航空基地隊、硫黄島航空基地隊などを置く。参考:月刊航空ファン4,10

 <第4航空群(2011年)>:航空集団隷下で、厚木航空基地に置かれている。隷下に第3航空隊、第4整備補給隊、厚木航空基地隊、硫黄島航空基地隊などを置く。参考:海上自衛新聞

 <第4航空群(2015年)>:航空集団隷下で、厚木航空基地に置かれている。第3航空隊、第4整備補給隊、厚木航空基地隊、硫黄島航空基地隊、南鳥島航空派遣隊を隷下に置く。参考:月刊JWings3,16、月刊航空ファン4,16

 <第4航空群(2020年)>:航空集団隷下で、厚木航空基地にある。第3航空隊などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,20

第4航空軍(アメリカ空軍、2015年)>:空軍予備役コマンド隷下で、司令部はマーチ基地にある。第315空輸航空団(C-17A)、第433空輸航空団(C-5A)、第439空輸航空団(C-5B)、第445空輸航空団(C-17A)、第446空輸航空団(C-17A)、第512空輸航空団(C-17AC-5M)、第349航空機動航空団(KC-10AC-17AC-5B/C)、第452航空機動航空団(KC-135RC-17A)、第514航空機動航空団(KC-10AC-17A)、第434空中給油航空団(KC-135R)、第459空中給油航空団(KC-135R)、第507空中給油航空団(KC-135R)、第916空中給油航空団(KC-135R)、第927空中給油航空団(KC-135R/T)、第931空中給油航空群(KC-135R/T)を隷下に置く。参考:月刊軍事研究5,16

第4航空軍(日本陸軍)>:日本陸軍の航空軍。第6・第7飛行師団を統括するため昭和18725日にラバウルで新編された。昭和19325日、第2方面軍の隷下に入った。参考:ラバウル航空戦、太平洋海戦史

 <第4航空軍(昭和18年7月28日)>:第6飛行師団、第7飛行師団、第14飛行団などを隷下に置く。参考:歴史群像8,15

 <第4航空軍(昭和19年後半)>:南方軍隷下で、マニラに置かれている。第2飛行師団、第4飛行師団、第7飛行師団、第1挺身集団からなる。参考:比島決戦

第4航空軍司令官脱走事件>:太平洋戦争時の昭和19127日、日本陸軍第4航空軍司令官が方面軍司令官に無断で参謀らと台湾に脱出した。温泉にいる所を発見され、軍紀違反で予備役に入れられたが、軍法会議にはかけられず、その後師団長になっている。普通敵前逃亡は死刑なのだが。参考:月刊軍事研究7,05

第4航空戦隊(日本海軍)>:日本海軍の航空戦隊。昭和16410日に新編され、第1航空艦隊の隷下に入った。配備されたのは龍驤である。1222日、祥鳳が第2潜水戦隊から編入された。昭和1745日、セイロン島攻撃に参加(龍驤)。46日、ベンガル湾カルカッタ沖とマドラス方面において、第7戦隊、第20駆逐隊、鳥海、由良と共同で商船13隻を撃沈した(龍驤)。53日、隼鷹が編入された。昭和1951日、伊勢と日向で編成されることになり、第3艦隊に編入され、第634航空隊を隷下に置いた。710日、隼鷹が編入された。810日、龍鳳が編入された。1020日、比島沖海戦に参加(日向、伊勢)。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、日本海軍戦闘機隊、日本航空母艦史、月刊世界の艦船7,'20

 <第4航空戦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第1航空艦隊隷下で、空母龍驤、春日丸(後の大鷹)、第3駆逐隊からなる。兵力部署では比島部隊南比支援隊隷下で、龍驤、汐風を配備する。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,14、帝国陸海軍事典

 <第4航空戦隊(昭和19年8月)>:第3艦隊隷下で、航空戦艦伊勢、日向、空母隼鷹、龍鳳からなる。参考:比島決戦

第4航空隊(日本海軍)>:日本海軍航空隊。昭和17210日にトラックで第4艦隊第24航空戦隊隷下に新編された。定数は艦戦27機、艦攻27機である。214日からラバウルに進出。29日から九六式艦戦隊がニューブリテン島に進出。211日、ハドソン爆撃機3機を撃墜。217日、祥鳳により零戦6機が輸送された。220日、ラバウル空襲に向かう空母レキシントン率いる第11任務部隊を一式陸攻17機で爆撃(魚雷は配備されていなかった)に向かったが、F4F戦闘機12機によるレーダー管制迎撃で空母到達前に13機を撃墜され、2機が不時着するという大損害を受けた。224日、モレスビー攻撃に出撃。228日、零戦6機と陸攻17機でモレスビー攻撃を実施、カタリナ飛行艇4機を炎上させたが、対空砲火で零戦1機が撃墜された。311日、ラエ飛行場に零戦7機が進出。314日、オーストラリアのホーン島に零戦12機と陸攻8機で出撃し、8機(不確実2機含む)を撃墜したが、2機を失った。410日、陸攻部隊に改編されて第25航空戦隊の隷下に入り、戦闘機隊は台南航空隊に編入された。主任務はラバウルから出撃しての東部ニューギニア爆撃である。57日、一式陸攻12機で珊瑚海海戦に参加。514日、ポートモレスビー港を一式陸攻8機で爆撃。111日、第702航空隊に改称された。参考:日本海軍戦闘機隊、月刊航空ファン5,197,19

第4航空隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の航空隊。1963年、第2航空群隷下に八戸航空基地で新編された。1986年、P-3Cに機種改変された。20083月に解隊された。参考:月刊JWings12,106,11、月刊航空ファン11,92、八戸航空基地ホームページ

第4航空隊(1978年)>:第2航空群隷下で、司令部は八戸にある。P-2JP2V-7T-34を配備する。参考:月刊世界の艦船1,79増刊

第4航空団>:航空自衛隊の航空団。戦闘機操縦課程教育を担当する。1958216日、松島基地で訓練航空団として新編された。使用機はF-86Fである。111日、第5飛行隊が第1航空団から転入した。196071日、要撃戦闘航空団に改編され、中部航空方面隊の隷下に入った。第7飛行隊が第5航空団から転入した。1029日、第8飛行隊が新編された。196121日、第9飛行隊が新編された。51日、第8飛行隊が第6航空団に移った。715日、第9飛行隊が第7航空団に移った。196335日、第3飛行隊が第2航空団から転入した。196421日、第3飛行隊が第81航空隊の隷下に移った。1971630日(71日?)、第5飛行隊が解隊された。1973823日、訓練航空団に改編され、飛行教育集団の隷下に入った。1975年、T-2に機種変更した。1976101日、第21飛行隊が新編された。197771日、第7飛行隊が解隊された。197845日、第22飛行隊が新編された。1989316日、飛行教育集団が航空教育集団に改編されたため、航空教育集団の隷下に移った。1994年、第402基地防空隊が新編された。19951222日、隷下に第11飛行隊ブルーインパルスが編成された。2001327日、第22飛行隊が解隊された。200241日、臨時教育F-2飛行隊が新編された。2003年、第402基地防空隊が廃止され、第4基地防空隊が新編された。2004329日、臨時教育F-2飛行隊が第21飛行隊に改編された。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。20124191130、三沢基地に避難していた第21飛行隊のF-2B戦闘機1機が第21飛行隊隊長らの操縦で松島基地に飛来し、離着陸訓練を20分間行い、滑走路に着陸した。1時間後に同様の訓練を行って三沢基地に帰投している。2014116-9日、みちのくALERT2014に参加。2016517日、第4航空団司令にオバマ大統領から勲功章リージョン・オブ・メリットが授与された。201715日、ブルーインパルス4機、F-2戦闘機など計11機で飛行始めを実施。202071日、隊員自主募集の功績で、丸茂空幕長から第5級賞状を授与された。2022328日、令和3年度体力測定T練度向上の部で優秀賞を獲得し、空幕長から表彰を伝達された。参考:月刊JWings4,114,156,16MAMOR vol.52vol.111、月刊航空ファン1,152,15、松島基地ホームページ、朝雲

第4航空団(2007年度)>:航空教育集団隷下で、ホームベースは松島基地。第11飛行隊、第21飛行隊を隷下に置く。参考:月刊JWings6,07

第4航空団(2010年)>:航空教育集団隷下で、松島基地に置かれている。隷下に第11飛行隊(T-4ブルー)、第21飛行隊(F-2BT-4)、第4基地防空隊(短SAM、携SAMVADS)を置く。参考:月刊航空ファン4,10

第4航空団(2015年)>:航空教育集団隷下で、司令部は松島基地にある。飛行群第11飛行隊ブルーインパルス(T-4ブルー)、飛行群第21飛行隊(F-2BT-4)、第4基地防空隊(短SAM、携SAMVADS)、整備補給群、基地業務群からなる。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊航空ファン4,16

第4航空団(2020年)>:航空教育集団隷下で、松島基地にある。第11飛行隊ブルーインパルス、第21飛行隊などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,20

<第4号駆逐艦>:呉竹を参照。

第4高射群>:航空自衛隊の高射群。1972年、岐阜基地で新編された。197310月、笠取山分屯基地に指揮所運用隊が新編された。19933月、指揮所運用隊が岐阜基地に移駐した。2009226日、第13高射隊にペトリオットPAC3が配備された。428日、第12高射隊にペトリオットPAC3が配備された。623日、第14高射隊にペトリオットPAC3が配備された。821日、第15高射隊にペトリオットPAC3が配備された。916日、高射教導隊と共に、ホワイトサンズ射場でペトリオットPAC3ミサイル発射試験を実施。ライセンス生産ミサイルを使用し、120km先から発射された弾道ミサイル模擬標的に対してリモートランチ方式で2発を発射、1発目で撃墜し、2発目は正常に自爆させた。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。313日、福島第二原発の給水作業を実施。2013109日、第14高射隊が吹田市の万博公園でペトリオットPAC3の機動展開訓練を実施。2015818日、王城寺原演習場で行われた平成27年度実爆を伴う滑走路被害復旧訓練に参加。201683日から1118日、高射部隊年次射撃訓練に参加。2017615日、PAC-3機動展開訓練に参加し、小牧基地に展開した。201828日、元産経新聞編集長を招き、講話を実施。2019年、PAC-3機動展開訓練に参加し、愛知県口論義運動公園に展開した。202035日、PAC-3機動展開訓練に参加し、伊丹駐屯地に展開して器材の展開から撤収までを演練した。202122日、第15高射隊PAC-3機動展開訓練に参加。717-18日、富山地本が富山伏木港万葉3号岸壁で行った広報に協力し、ペトリオットPAC3を展示した。827日から1121日、令和3年度高射部隊年次射撃訓練に参加。2022111日から214日に名寄市南広場で開催されたなよろ雪質日本一フェスティバルに協力し、大雪像を製作した。519日、PAC-3機動展開訓練に参加し、PAC-3MSEを岐阜基地から大阪市舞洲スポーツアイランドに展開した。2023316日、中部高射群に改編された。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、笠取山分屯基地ホームページ、MAMOR vol.52、月刊航空ファン9,17、月刊JWings1,205,204,'218,'226,'23、朝雲

第4高射群(2010年)>:中部航空方面隊隷下で、岐阜に置かれている。隷下に第12高射隊(饗庭野)、第13高射隊(岐阜)、第14高射隊(白山)、第15高射隊(岐阜)を置き、全てペトリオット/PAC3装備である。参考:月刊航空ファン4,10

第4高射群(2015年)>:中部航空方面隊隷下で、群本部は岐阜基地にある。隷下に第12高射隊、第13高射隊、第14高射隊、第15高射隊、指揮所運用隊、整備補給隊を置く。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊航空ファン4,16

第4高射群(2020年)>:中部航空方面隊隷下で、岐阜基地にある。参考:月刊JWings6,20

第4高射隊>:航空自衛隊の高射隊。2010425-26日、隊員55名と車両15両でPAC3による機動展開訓練を実施。システムを構成するほぼ全ての器材を新宿御苑内に展開させた。20151118日、MDAAのジャパン・ミサイル・ディフェンダー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。201999日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。参考:朝雲、MAMOR vol.155

 <第4高射隊(2015年)>:第1高射群隷下で、入間基地に置かれている。総括班、射撃小隊、整備小隊、管理小隊からなり、ペトリオット、ペトリオットPAC3を装備する。参考:第4高射隊ホームページ、航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊航空ファン4,16

第4高射特科群>:陸上自衛隊の高射特科群。第1高射特科団隷下で、名寄駐屯地に置かれている。1972324日、名寄駐屯地で新編された。参考:名寄駐屯地ホームページ

第4護衛隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の護衛隊。1963331日に解隊された。2000321日、第4護衛隊群隷下に新編され、DD-105いなづま、DD-106さみだれが配備された。2002319日、DD-108あけぼのが配備された。2008326日、DDG-171はたかぜが第61護衛隊から編入された。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。316日、DDH-182いせが配備され、DDH-142ひえいが除籍された。81日、DD-155はまぎりが第15護衛隊に転属となり、DD-106さみだれが第8護衛隊から編入された。2014312日、DD-113さざなみが第8護衛隊から転入し、DD-158うみぎりが第12護衛隊に転属した。1024日、DDG-171はたかぜが第1護衛隊に移り、DD-105いなづまが第8護衛隊から転入した。201676日、隊司令の南厚一等海佐が、前職の統幕日米共同班長時代に日米同盟強化に寄与した功績で、アメリカ太平洋軍司令官ハリス大将から国防総省功績勲章を授与された。2017322日、DDH-184かがが配備され、DDH-182いせが第2護衛隊に移った。参考:月刊世界の艦船5,1111,115,148,142,155,17MAMOR vol.52、朝雲

 <第4護衛隊(1961年9月1日)>:第3護衛隊群隷下で、佐世保に置かれている。PF-284もみ、PF-292つげ、PF-293かえでを配備する。参考:月刊世界の艦船11,11

 <第4護衛隊(1998年)>:第4護衛隊群隷下で、呉に置かれている。DD-127いそゆき、DD-128はるゆきを配備する。参考:月刊世界の艦船4,98

 <第4護衛隊(2001年4月1日)>:第4護衛隊群隷下で、呉に置かれている。DD-105いなづま、DD-106さみだれを配備する。参考:月刊世界の艦船6,01

第4護衛隊(2006年4月3日)>:第4護衛隊群隷下で、呉に置かれている。DD-105いなづま、DD-106さみだれ、DD-108あけぼのを配備する。参考:月刊世界の艦船11,11

 <第4護衛隊(2007年度改編後)>:第4護衛隊群隷下で、大湊に置かれている。DDH-142ひえい、DDG-171はたかぜ、DD-155はまぎり、DD-158うみぎりを配備する。参考:月刊世界の艦船11,11

 <第4護衛隊(2010年)>:第4護衛隊群隷下のDDHグループ。DDH-142ひえい、DDG-171はたかぜ、DD-155はまぎり、DD-158うみぎりを配備する。参考:月刊世界の艦船1,11、月刊軍事研究7,10

 <第4護衛隊(2011年)>:第4護衛隊群隷下で、呉に置かれている。DDH-182いせ、DDG-171はたかぜ、DD-155はまぎり、DD-158うみぎりを配備する。参考:月刊世界の艦船6,11

 <第4護衛隊(2012年)>:第4護衛隊群隷下で、呉に置かれている。DDH-182いせ、DDG-171はたかぜ、DD-106さみだれ、DD-158うみぎりを配備する。参考:月刊世界の艦船6,12

 <第4護衛隊(2015年)>:第4護衛隊群隷下で、呉に置かれている。DDH-182いせ、DD-105いなづま、DD-106さみだれ、DD-113さざなみを配備する。参考:月刊世界の艦船6,15

 <第4護衛隊(2020年)>:第4護衛隊群隷下で、呉に置かれている。DDH-184かがDD-105いなづまDD-106さみだれDD-113さざなみを配備する。参考:月刊世界の艦船6,20

第4護衛隊群>:海上自衛隊の護衛隊群。整備の4群などと呼ばれる。197121日、護衛艦隊隷下に舞鶴で新編された。旗艦はDD-162てるづきで、第9護衛隊、第11護衛隊を隷下に置く。1973831日、隷下に第35護衛隊が新編された。1982327日、第23護衛隊が隷下に入り、第35護衛隊が地方隊に移った。1983330日、第1護衛隊が第2護衛隊群から転入した。19842月下旬、FF-1050アルバート・デイヴィッド及びFF-1077ウーレットと日米対潜訓練ASWEXに参加。330日、DDH-142ひえいが直轄艦となった。1989317日、第43護衛隊が第1護衛隊群から転入した。1990131日、第41護衛隊が編入された。第23護衛隊が地方隊隷下に移った。199532日、司令部が横須賀からに移った。316日、隷下に第64護衛隊が新編された。1997324日、改編で第4・第8・第64護衛隊を隷下に置いた。旗艦はDDH-142ひえいである。2000315日、DD-105が直轄艦として編入された。2008326日、改編が行われ、第4・第8護衛隊を隷下に置いた。201619-30日、平成27年度第1回護衛隊群米国派遣訓練(グアム方面)に参加。21日、DDH-182いせの艦内で創設45周年記念行事を実施。414日と16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。201875-8日に発生した西日本豪雨の災害派遣に参加。1219日、働き方改革推進のための取り組みコンテスト防衛副大臣賞を受賞した。参考:月刊世界の艦船11,119,106,834,166,'22、月刊軍事研究10,18、朝雲

 <第4護衛隊群(1971年2月1日)>:護衛艦隊隷下で、司令部は舞鶴にある。DD-162てるづき、第9護衛隊、第11護衛隊を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船11,11

 <第4護衛隊群(1978年)>:護衛艦隊隷下で、司令部は横須賀にある。第9護衛隊、第35護衛隊、直轄艦(DD-162てるづき)を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船1,79別冊

 <第4護衛隊群(1980年)>:護衛艦隊隷下で、司令部は横須賀にある。DD-162てるづき、第9護衛隊、第35護衛隊を隷下に置く。参考:自衛隊装備カタログ1981

 <第4護衛隊群(1998年)>:護衛艦隊隷下で、司令部は呉にある。直轄艦(DDH-142ひえい)、第4護衛隊、第8護衛隊、第64護衛隊を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船4,98

 <第4護衛隊群(2001年度)>:護衛艦隊隷下で、呉に置かれている。隷下に直轄艦(DDH-142ひえい)、第4護衛隊、第8護衛隊、第64護衛隊を置く。参考:月刊世界の艦船1,02

 <第4護衛隊群(2006年4月3日)>:護衛艦隊隷下で、司令部は呉にある。DDH-142ひえい、第4護衛隊、第8護衛隊、第64護衛隊を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船11,11

第4護衛隊群(2007年度改編前)>:護衛艦隊隷下で、司令部は呉にある。DDH-142ひえい、第4護衛隊(DD3隻)、第8護衛隊(DD2隻)、第64護衛隊(DDG2隻)を隷下に置く。参考:月刊JWings6,07

第4護衛隊群(2007年度改編後)>:護衛艦隊隷下で、司令部は呉にある。第4護衛隊、第8護衛隊を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船11,11

第4護衛隊群(2010年)>:護衛艦隊隷下で、司令部は呉にある。DDHグループの第4護衛隊、DDGグループの第8護衛隊を隷下に置く。参考:月刊軍事研究7,10

第4護衛隊群(2011年)>:護衛艦隊隷下で、司令部は呉にある。第4護衛隊、第8護衛隊を隷下に置く。参考:海上自衛新聞

第4護衛隊群(2015年)>:護衛艦隊隷下で、司令部は呉にある。第4護衛隊、第8護衛隊を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船6,15

第4護衛隊群(2020年)>:護衛隊群隷下で、司令部は呉にある。第4護衛隊、第8護衛隊を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船6,20

第4根拠地隊(日本海軍)>:日本海軍の根拠地隊。昭和16811日に編成された。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

 <第4根拠地隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第4艦隊隷下、兵力部署では南洋部隊防備部隊所属で、トラックに配置されている。第4防備隊、第17航空隊などを隷下に置く。参考:日本海軍艦隊総覧、帝国海軍太平洋作戦史T

<第4次ギルバート諸島沖航空戦>:ギルバート諸島沖航空戦を参照。

第4施設群>:陸上自衛隊の施設群で、第1施設団隷下にある。19728月、宇都宮駐屯地で新編された。2001年、座間分屯地に移駐した。20083月、第303水際障害中隊が第9施設群に移った。第362施設中隊が宇都宮駐屯地から古河駐屯地に移駐。2012914日、古河駐屯地で後期教育隊修了式を実施。201391日、相模市総合防災訓練に参加。2014215-23日、関東甲信大雪災害の災害派遣に参加。91日、神奈川県相模原市で開催された9都県市合同防災訓練に参加。2015910日から関東・東北豪雨の災害派遣に参加。2016127日、神奈川県相模原市淵野辺公園で国民保護実動訓練に参加。2017717-21日、東富士演習場で第1施設団の施設科職種合同訓練に参加。2018327日、第364施設中隊が座間駐屯地に移駐した。525日、アフリカ施設部隊早期展開プロジェクトに参加する20名が防衛省で陸幕長に出国を報告。526日、アフリカ施設部隊早期展開プロジェクトに参加する20名が出国し、27日にケニアに到着した。64日から824日、ケニアのナイロビでアフリカ施設部隊早期展開プロジェクトに参加。96日に発生した北海道胆振東部地震の災害派遣に参加。2019825日、建設フェスタ2019イン厚木で道路障害作業車と偵察用オートバイを展示した。99日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。1013日から台風19号・21号被害の災害派遣に参加。202085日、新隊員後期教育隊を在日米陸軍基地管理本部ノーマン最先任上級曹長が研修した。95日、座間市総合防災訓練に参加し、道路啓開や人命救助などの訓練を実施、カレー300人分の炊き出しも行った。参考:月刊軍事研究4,16、陸上自衛隊東部方面隊広報紙あづま、朝雲、宇都宮駐屯地ホームページ、古河駐屯地ホームページ、第5施設団ホームページ、MAMOR vol.155

第4施設団>:陸上自衛隊の施設団。19618月、大久保駐屯地で新編された。19813月、第325地区施設隊が第2混成団に移った。19853月、第307ダンプ車両中隊が第7施設群から団直轄に移った。19903月、金沢地区施設隊、久居地区施設隊、大津地区施設隊、松山地区施設隊が廃止された。1995117日に発生した阪神淡路大震災の災害派遣に参加。19993月、第8施設群が廃止され、第304施設隊、第305施設隊が新編された。200919-13日、初級幹部27名に対する平成20年度初級幹部職能向上訓練を実施。119-23日、大久保駐屯地で建設技術者集合訓練を実施。514-17日(11-18日?)、長池演習場で団指定訓練(バトラー訓練)を実施。施設小隊の攻撃支援任務における基本行動などを確認した。512-14日、第305施設隊が三軒屋駐屯地で新興工業株式会社の新入社員19人に対する隊内生活体験を実施。2010119-22日、八尾駐屯地で航空偵察要員集合訓練を実施。

2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。岩手県大槌町に拠点を置いた。48日、陸前高田、大船渡、釜石などで道路警戒作業や瓦礫運搬作業、捜索活動を行った。63日、東日本大震災災派部隊主力が帰隊を開始。93日から台風12号豪雨災害対処の災害派遣に参加。2012813日夜からの豪雨により京都府各地で河川が氾濫し、宇治市志津川東詰地区で住宅1棟が流出して2人が行方不明となったため、8140700過ぎに京都府知事から災害派遣要請が出された。第3施設大隊要員も加えて190名で志津川沿いを捜索したところ、8161100過ぎに1人の遺体を発見。1830に撤収した。916日、ビッグレスキューかながわに参加。201342-4日、第305施設隊が企業3社の新入社員27人に生活体験を実施。424-25日、第304施設隊が日光演習場で集結地占領・自衛警戒戦闘訓練を実施。526日、第304施設隊が鳥取市千代川河川敷で千代川水防演習総合予行に参加。64-8日、第305施設隊が岡山市の吉井川渡河訓練場で渡河訓練を実施。2014121-23日、第304施設隊が第7次野営・積雪寒冷地部隊訓練を実施。戦闘基礎動作、遭難者救助訓練、災害派遣を想定した総合訓練を行った。24-14日、饗庭野演習場で集中爆破訓練を実施。201516-21日、米子市大山スキー場で積雪地訓練・積雪寒冷部隊訓練を実施。スキー技術習得、6km滑走記録会、積雪寒冷部隊訓練、遭難者救助訓練、スキー行進(アキオ曳き5km)を行った。310-26日、第304施設隊が出雲駐屯地で救急法と格闘の検定を実施。2016112日から第305施設隊が第4施設団17名と日本原駐屯地業務隊1名に陸曹特技課程施設機械操作教育を実施。124-25日の九州・中国地方寒波に対する災害派遣に第304施設隊が参加。22-6日、第305施設隊が吉井川で渡河訓練(軽徒橋構築、軽門橋構築、漕舟競技会)を実施。即応予備自衛官11名も参加している。31-3日、大久保駐屯地で団戦技競技会を実施。総合優勝は第304施設隊だった。414日と16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。725-27日、饗庭野演習場で爆破訓練を実施。1212-13日、奈良県吉野郡辻堂山山林火災の災害派遣に参加。2017124日から224日、コブラ・ゴールド17に参加。26-8日、本部付隊が奈良県五条市役所職員の隊内生活体験を支援し、基本教練、救急法、格闘などの訓練を行った。327日、第305施設隊が部隊改編を実施。即応予備自衛官訓練担当の第302施設小隊が廃止され、3個小隊編成になった。424-26日、吉井川渡河訓練場で第305施設隊が第13旅団第13特科隊・第13施設隊との合同渡河訓練及び漕舟競技会に参加。427日から第305施設隊の陸曹3名がベトナムのダナンでパシフィック・パートナーシップ2018に参加。528日、第304施設隊が倉吉市天神川河川敷で鳥取県天神川総合水防演習に参加。915-23日、青野ヶ原演習場などで第6施設群と第307ダンプ車両中隊に訓練検閲を実施。1010-12日、最先任上級曹長以下25名が東部方面隊部隊研修を行い、第1施設団、第4施設群、第5施設群を研修した。201819日から316日、第304施設隊が16名に陸士特技課程測量教育を実施し、全員が到達基準を達成して特技認定を受けた。。123日、空自幹部候補生学校、奈良地本と共に、奈良県主催国民保護共同図上訓練に参加。410-19日、第304施設隊が方面隊統制春期演習場整備に参加し、路面生成(総距離56km)、砕石運搬・敷きならし、整地作業などを行った。512日、第102施設器材隊が、第3師団第7普通科連隊、同第3施設大隊、海自第23航空隊、京都地本と共に、福知山市猪崎河川敷運動広場で由良川水系統合水防演習に参加。75-8日に発生した西日本豪雨の災害派遣に参加。1019日、西日本豪雨の災害派遣における功績で、岡山県から感謝状を贈呈された。2019212-22日、コブラ・ゴールド19に参加。311日、有田募集案内所が有田市立箕島中学校で行った防災実技教育に第304水際障害中隊が協力した。1012日に上陸した台風19号の被害に対する災害派遣に参加。202061-5日、三重県津市の雲出川で方面施設科練度維持訓練(前段)を実施。621-24日、東富士演習場で方面施設科練度維持訓練(後段)を実施。20211219日、五條市上野公園で行われた奈良県防災フェア2021で広報に協力し、装備品を展示した。参考:大久保駐屯地ホームページ、MAMOR vol.52、月刊JWings6,111,203,'22、スピアヘッドNo.17、朝雲、月刊軍事研究4,17

 <第4施設団(1977年)>:中部方面隊隷下で、本部は大久保にある。第6施設群、第7施設群、第8施設群などを隷下に置く。参考:日本の防衛戦力Part1

 <第4施設団(2015年)>:中部方面隊隷下で、本部は大久保駐屯地にある。本部/本部付隊、第6施設群、第7施設群、第304施設隊、第305施設隊、第102施設器材隊、第307ダンプ車両中隊からなる。参考:大久保駐屯地ホームページ

第4師団(日本陸軍)>:日本陸軍の師団。常備師団の1つで、メッケルの助言に基づく最初の野戦兵団として大阪で新編された。通称淀師団。歩兵第7旅団(歩兵第8・第70連隊)、歩兵第32旅団(歩兵第37・第61連隊)、騎兵第4連隊、野砲兵第4連隊、深山重砲兵連隊、工兵第4大隊、輜重兵第4大隊を隷下に置く。師団管区の管轄区域は大阪府、兵庫県、和歌山県。日華事変で野砲兵第4連隊が中国大陸に移動した際、野砲大隊1個が削減され、3個大隊編成(野砲大隊2個・一部山砲装備、十榴大隊1個)となった。太平洋戦争時、歩兵第8・第37・第61連隊などを隷下に置いていた。フィリピンに展開したが、野砲兵第4連隊は各大隊を3個中隊から2個中隊に減じたため、野砲定数は本来の36門から16門、十榴定数は12門から8門になり、段列も省かれてしまった。昭和19年後半、第25軍の隷下にあった。参考:帝国陸海軍事典、大砲入門、月刊軍事研究11,12、比島決戦、大日本帝国陸海軍軍装と装備

第4師団(陸上自衛隊)>:陸上自衛隊の師団。北部九州(福岡、佐賀、長崎、大分)の防衛を担当する。対馬、壱岐、五島列島など860以上の離島があり、海自佐世保地方隊と協同で海上機動演習を行っている。1962815日、第4管区隊をベースに甲師団として福岡駐屯地で創設され、隷下に第16普通科連隊、第19普通科連隊、第40普通科連隊、第41普通科連隊などを置いた。825日、対馬分屯地が開設され、第41普通科連隊第4中隊が駐屯した。196434日、突撃破砕射撃演習を実施。75-11日、海上輸送演習を実施。1965117-13日、連隊戦闘団演習を実施。19661119-23日、秋季演習を実施。1967511-12日、上陸演習を実施。1017-19日、連隊戦闘団演習を実施。1972109-13日、日出生台演習場などで後方演習を実施。1973527日、第41普通科連隊がヘリボーン演習を実施。1974年、対空演習を実施。1980325日、対馬分屯地が対馬駐屯地に昇格し、対馬警備隊と第436会計隊が駐屯するようになった。1981116-14日、師団演習を実施。隊員5700名(方面隊などの協力部隊を含めると7700名)、戦車41両、装甲車6両、車両1000両、火砲260門が参加した。平成8年度以降に係る防衛計画の大綱で、Aタイプ師団(沿岸配備、内地)に改編されることになった。2002327日、第4対戦車隊が96MPMS装備の第4対舟艇対戦車隊に改編された。20081215-16日、第16普通科連隊が長崎県島原市にある島原城の城壁清掃を実施。200915日、第16普通科連隊が訓練始めを実施し、中隊対抗ミニ射撃競技会を行った。118日、第4特科連隊が佐賀市の神野小学校で佐賀市総合防災訓練に参加。121日、第16普通科連隊が佐世保市原子力艦原子力防災訓練に参加。31-3日、日出生台演習場で第4師団総合戦闘射撃競技会を実施。39-11日と16-18日、日出生台演習場、十文字原演習場、別府駐屯地でPKO部隊指定に備えた総合訓練を実施。319日、第4特科連隊が久留米駐屯地で幹部候補生3名に対する幹部任官行事を実施。326日、第4化学防護隊が第4特殊武器防護隊に改編された。4-9月、国際平和協力活動部隊の指定を受けて待機任務を行った。42-13日、小倉駐屯地で27企業680人の新入社員に隊内生活体験を実施。410日、福岡県久留米市でマイクロバスや会社事務所玄関のガラスが割られて内部からアメリカ製手榴弾らしきものが発見される事件が発生。警察からの通報で第4師団司令部から3名と第4特科連隊から4名を現場に派遣し、回収作業を支援した。419-26日、第41普通科連隊が霧島演習場などで第2・第3中隊の訓練検閲を実施。526日、第16普通科連隊第4中隊、第4施設大隊、第4飛行隊、第4特殊武器防護隊が長崎県総合防災訓練に参加。65日、第16普通科連隊新隊員前期課程30名が大野原演習場と周辺地区で25km行進訓練を実施。610日、第40普通科連隊が連隊炊事競技会を実施。5kmの持久走記録会に続いて各中隊の炊事要員6名が炊事所を開設し、100名分の料理を作るという内容で、第2中隊が優勝した。611-14日、第41普通科連隊が霧島演習場で第1・第4中隊の訓練検閲を実施。628日、第41普通科連隊が新隊員課程前期教育修了式を実施。630日、第40普通科連隊が平成21年度新隊員課程前期修了式を実施。724-25日、福岡県篠栗町で豪雨による土砂崩れが発生し、2人が行方不明となったため、7251325に福岡県知事から第4師団長に災害派遣要請があり、1530から第4後方支援連隊20名が捜索を開始。725日、福岡県宗像市で浄水施設取水管斜面が崩落して水道管が破裂したため、第4師団長に災害派遣要請があり、第4後方支援連隊10名、水タンク車など車両6両を派遣した。726日、福岡県那珂川町のキャンプ場グリーンピアなかがわが崖崩れによる道路寸断で孤立状態となり、小中学生ら100人が帰れなくなったため、1730に福岡県知事から第4師団長に災害派遣要請があり、第4飛行隊のUH-1ヘリ3機が救出活動を行い、全員を那珂川南中学校に運んだ。727日、長崎県佐世保市で水道管が破裂したため、第16普通科連隊に災害派遣要請があり、19箇所で給水支援を行った。81日、第16普通科連隊と第4後方支援連隊が長崎県済生会病院の移転を支援した。91日、第16普通科連隊が相浦駐屯地で佐世保市総合防災訓練に参加。914日、第41普通科連隊が日出生台演習場で持続走競技会を実施。重迫撃砲中隊が優勝した。107日、第40普通科連隊が日出生台演習場で連隊持続走競技会を実施。第4中隊が優勝した。1128日、第40普通科連隊第2中隊が北九州市で戸畑区総合防災訓練に参加。2010226日、第4師団射撃競技会を十文字原演習場で実施。Bグループの部では第4特科連隊が総合優勝した。228日から34日まで、第4師団総合戦闘射撃競技会を日出生台演習場で実施。第40普通科連隊が総合優勝し、平成15年度からの7連覇を達成した。師団ナンバーワン中隊には第16普通科連隊第2中隊が選ばれた。42-13日、第40普通科連隊が地元31企業から621名の新入社員を受け入れ、2泊3日の基本教育を行った。46-9日、第4後方支援連隊が福岡駐屯地で国際緊急援助隊機能別訓練を実施。715日から翌年1月14日までの6ヶ月間、国際緊急援助隊として緊急出動に待機する予定の要員候補者264名が参加し、導入教育と機能別訓練を行った。419日、第4後方支援連隊が福岡駐屯地で営内/営外班長等教育を実施。54-5日、佐賀オートパーティに82式指揮通信車やトラックを展示。611日、第40普通科連隊が新日鉄八幡記念看護専門学校の学生96人に隊内生活体験を実施。613日、第4後方支援連隊本部付隊が春日市総合防災訓練に参加。76-8日、第41普通科連隊が別府市立中部中学校2年生9人に自衛隊職場体験学習を実施。726日、第40普通科連隊が第38期レンジャー帰還式を実施。7日間の最終想定をクリアした12名の隊員にレンジャーバッジが授与された。826日、第40普通科連隊が山田訓練場で平成22年度連隊持続走競技会を実施。各中隊11名編成の分隊3個ずつが5.2km走の合計タイムと個人走平均タイムで競い、第1中隊が優勝した。104日、平成22年度師団持続走競技会を日出生台演習場で実施。部隊走の部、断郊・駅伝の部Aでは第16普通科連隊が優勝した。1215日、平成22年度一般幹部候補生(B・U)普通科隊付教育に参加する学生28名の師団着隊式を実施。

201122-3日、第40普通科連隊が曽根中学校の生徒7人に対する職場体験学習を実施。311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。宮城県気仙沼市に拠点を置き、南三陸町や登米市などでも支援活動を行った。第4施設大隊は気仙沼市に軽徒橋、南三陸町に81式自走架柱橋を設置した。313日、隊員4000名が被災地に移動を開始。3190019、第40普通科連隊が志津川町で捜索救難活動、救援物資輸送、瓦礫除去作業を実施。43日、第16普通科連隊音楽部が気仙沼市の被災者支援拠点はまなす文化タウンで慰問演奏を実施。410日、第40普通科連隊が自衛官候補生68名の入隊式を実施。425-26日、宮城県の行方不明者集中捜索に参加。515日、災派部隊主力が帰隊を開始。5月末までに災派部隊主力が帰隊を完了。65日、第4飛行隊、第4特殊武器防護隊などが平成23年度福岡県総合防災訓練に参加。623日、第16普通科連隊が大村駐屯地体育館で平成23年度自衛官候補生課程教育修了式を実施。82日、第41普通科連隊が日出生台演習場で新隊員特技課程隊員に対する81mm迫撃砲・120mm重迫撃砲実射訓練を実施。91日、第40普通科連隊が北九州私立大学生の依頼を受け、南三陸町被災者に宛てた激励ビデオメッセージの収録に協力した。95-6日、福岡駐屯地で北部九州4県にある駐屯地の広報担当者54名に対し、師団広報担当者集合訓練を実施。その後、福岡市内の読売新聞西部本社で研修を行った。927-29日、第16普通科連隊が日出生台演習場とその周辺で第4中隊、重迫撃砲中隊、本部管理中隊通信小隊の訓練検閲を実施。107日、第16普通科連隊が周辺住民と共に大野原演習場防火帯の野焼きを実施。1110-18日、平成23年度西部方面隊実動演習に合わせて対馬市に隊員1000名と車両250両を展開させ、島嶼防衛訓練と基地警備訓練を行った。2012119日、第40普通科連隊が曽根訓練場で小火器射撃・炊事競技会を実施。小銃・狙撃銃で第2中隊、機関銃で第4中隊、炊事競技会で重迫撃砲中隊が優勝した。47日、第41普通科連隊が別府駐屯地で自衛官候補生40名の入隊式を実施。513日、第16普通科連隊本部管理中隊と第4施設大隊の計28名が長崎県諫早市の本明川河川敷で実施された諫早市総合防災訓練に参加。520日、第16普通科連隊第2中隊基幹の43名が長崎県大村市の九州電力火力発電所跡地で長崎県総合防災訓練に参加。第16普通科連隊音楽部の16名が長崎市長浦町の琴梅文化センターで行われた長浦音頭復活記念コンサートで演奏支援を実施。63日、第19普通科連隊や第4特殊武器防護隊が九州電力玄海原発の事故を想定した総合防災訓練に参加。624日、第41普通科連隊が自衛官候補生38名に対する平成24年度自衛官候補生課程教育修了式を実施。75-10日、日出生台演習場で第41連隊戦闘団と第4通信大隊に対する第1次師団訓練検閲を実施。711日から第4飛行隊などが平成247月九州北部豪雨に対する災害派遣に参加。714日からは第4戦車大隊、第41普通科連隊、第4特科連隊、第4高射特科大隊が加わっている。722日、第16普通科連隊音楽部が長崎県西海市横瀬浦公園で開催された横瀬浦開港450周年記念式典で演奏支援を実施。819-30日、第41普通科連隊が日出生台演習場で平成24年度日米共同訓練に参加。915日、第4音楽隊がアクロス福岡シンフォニーホールで第37回定期演奏会を実施。922日、第16普通科連隊音楽部が長崎県南島原市口之津緑地公園で行われた口之津開港450年記念イベントでオープニング演奏を実施。112-22日、西部方面隊実動演習に参加。201318日、第4特科連隊が訓練始めとして安全祈願と空包射撃を実施。121-25日、大野原演習場で師団施設技術訓練を実施。129日、第40普通科連隊が山田訓練場で平成24年度連隊持続走競技会を実施。第2中隊が優勝した。215日、第41普通科連隊が十文字原演習場で大分県警との協同訓練を実施。217-22日、日出生台演習場で重迫撃砲射撃競技会を実施。第16普通科連隊重迫撃砲中隊が優勝した。218日から31日、第41普通科連隊が警察官20人に対する教育を実施。326日、即応近代化改編が行われ、第19普通科連隊が西部方面混成団隷下に移り、第4特科連隊が5個大隊16個射撃中隊(FH-70榴弾砲80門)から3個大隊6個射撃中隊(FH-70榴弾砲30門)に改編された。47日、第40普通科連隊が自衛官候補生入隊式を実施。427日、第40普通科連隊が自衛官候補生家族に対する訓練参観を実施。519日、第16普通科連隊第3中隊基幹の44名が長崎市総合防災訓練に参加。第41普通科連隊と第4飛行隊が大分川河川敷で大分川・大野川水防訓練に参加。522日、第16普通科連隊第2中隊28名が長崎市総合防災訓練に参加。64日、第4戦車大隊が玖珠町で玖珠郡防災訓練に参加。611-15日、日出生台演習場で第1次師団訓練検閲を実施。第4後方支援連隊(師団段列開設)、第4高射特科大隊(対空警戒、対空射撃、対空防護)、第4音楽隊(師団指揮所全周巡察と障害での間隙閉塞による警戒)が受閲した。623日、第41普通科連隊が自衛官候補生課程82名の修了式を実施。88日、第16普通科連隊が幹部隊員に精神教育を実施。92日、平成25年防災功労者内閣総理大臣表彰を受賞した。94-24日、平成25年度米国における米陸軍との実動訓練に参加。第16普通科連隊、第4特科連隊、第4戦車大隊などが訓練を行った。98日、第16普通科連隊が竹松駐屯地で大村市総合防災訓練に参加。201416日、訓練始めとして持続走を実施。326日、第4特殊武器防護隊が編成完結式を実施。424-25日、第41普通科連隊と第4飛行隊が大分県別府市湯山付近で発生した火災の災害派遣に参加。527日、第16普通科連隊第4中隊が相浦駐屯地で実施された長崎県総合防災訓練に参加。722日から81日、平成26年度第2回水陸両用集合訓練を実施。913日、アクロス福岡シンフォニーホールで第39回定期演奏会を実施。922日、第40普通科連隊が北九州空港航空機事故対策総合訓練に参加。1020-31日、十文字原演習場で師団狙撃手集合訓練を実施。1025日、福岡駐屯地でミス・ユニバース・ジャパン福岡県ファイナリスト17人に講話を行い、ミス・ユニバースとして世界各国でボランティア活動を行う際のスキルアップに協力した。121日、第40普通科連隊が小倉南警察署の年末特別警戒出発式とパレードに参加。

201515日、第40普通科連隊が訓練始め(持続走、中隊対抗リレー)を実施。118日、佐賀県有田町の養鶏場で高病原性鳥インフルエンザが発生したため、災害派遣要請があり、第4特科連隊などが殺処分を行った。120日、鳥インフルエンザの災害派遣を終了。第4特科連隊、第4高射特科大隊、第4師団司令部付隊、第4後方支援連隊から延べ270名が派遣された。120-23日、平成26年度師団総合戦技競技会を実施。武装走、格闘、衛生、通信、情報、ラッパ、炊事の7種目を中隊対抗で競い、連隊の部で第16普通科連隊、大隊の部で対馬警備隊、隊の部で第4飛行隊が優勝した。217日、第40普通科連隊の17名が東九州自動車道豊前インターで福岡県警やNEXCO西日本など企業20社と共同で防災訓練を実施。33日、第40普通科連隊が平成26年度最後の連隊朝礼を実施。325日、西部方面対舟艇対戦車隊の編成解組式を実施。326日、西部方面対舟艇対戦車隊が第8師団隷下に移った。46日、健康管理優秀部隊表彰式を実施。健康増進目標の達成隊員が多い健康管理優秀部隊に第4特科連隊第2大隊第3中隊、健康改善優秀部隊に第4飛行隊が選出された。524日、対馬警備隊と第4飛行隊が長崎県の総合防災訓練に参加。531日、第4飛行隊、第4施設大隊、第4後方支援連隊が福岡県の総合防災訓練に参加。65日に九重町、67日に日田市で行われた大分県西部地区総合防災訓練に第4戦車大隊と第4後方支援連隊が参加。620-30日、福岡駐屯地、久留米駐屯地、十文字原演習場、日出生台演習場で第4特科連隊、第4高射特科大隊、第4音楽隊への第1次師団訓練検閲を実施。829日、第41普通科連隊第2中隊先任上級曹長ら8名が別府大学短期大学部食物栄養科開催の「災害時の食事づくり」に参加し、野外炊事(カレーライス)の実演や、「東日本大震災から学ぶこと」と題する講演を行った。92-9日、第40普通科連隊が日出生台演習場で第40普通科連隊戦闘団訓練検閲を実施。4夜5日に及ぶ「鋼の盾作戦」を完遂した。916日、第4高射特科大隊が静内射場で近SAM実射訓練を実施。2個班が対空射撃を行い、両班ともミサイルを空中移動標的に命中させた。918日、第40普通科連隊が福岡県折尾警察署による秋の交通安全県民運動出動式を支援した。105-16日と19-30日、別府駐屯地と玄界灘奈多海岸で第4師団水陸両用集合訓練を実施。1019日から1119日、鎮西27に参加。114日、第40普通科連隊が北九州市で新小倉発電所防災訓練に参加。

2016124-25日の九州・中国地方寒波に対する災害派遣に参加。118日、第16普通科連隊の銃剣道国体長崎県成年チームが日本スポーツ賞優秀団体に選出された。118日から37日、アイアン・フィスト16に参加。23-5日、福岡駐屯地と福岡県消防学校で第4特殊武器防護隊が担任して師団特殊武器防護集合訓練を実施。第4師団隷下12部隊がダーティーボム対処とCBテロ対処の教育訓練を受けた。24日、第16普通科連隊が長崎県警と治安出動時の連携事案対処を目的とした共同訓練を実施。28日、第40普通科連隊が福岡県警と治安出動時の連携事案対処を目的とした共同訓練を実施。221日、第40普通科連隊が北九州マラソン2016で炊き出し支援を実施。227日、第40普通科連隊が市立則松小学校で八幡西区防災訓練に参加。35日、音楽隊が熊本市民会館で西部方面音楽まつりに参加。36日、第40普通科連隊が小倉駐屯地体育館で連隊銃剣道競技会及び炊事競技会を実施。銃剣道で第2中隊、炊事で第1中隊が優勝した。43日、第40普通科連隊が東九州自動車道京築地域開通記念プレイベントに協力し、高機動車、軽装甲機動車、新73式小型トラックを展示した。47日、第40普通科連隊が転入隊員、新婚隊員、その家族を対象に、第1回家族コミュニティーを実施。414日と16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。516-27日、大村駐屯地と海自大村航空基地で水陸機動団創隊に向けた師団水陸両用集合訓練を実施。526日、福岡駐屯地で第4警備地区防衛協議会を開催。北部九州4県、国土交通省、警察、消防、九州電力、NEXCO西日本が参加し、相互連携強化と運用基盤拡充を図った。530-31日、大村駐屯地と大多武演習場で小隊戦闘戦技練度判定(重要防護施設の警備要領、前衛小隊の行動)を実施。69-16日、日出生台演習場と十文字原演習場で第1次師団訓練検閲を実施し、第16普通科連隊基幹の第16戦闘団、第4戦車大隊、第4偵察隊が離島における防勢行動を行った。69-15日、第4戦車大隊が日出生台演習場で戦車大隊として最後の検閲を実施。夜間100km超の車両行進、第16・第41普通科連隊に戦車中隊を配属した行動、戦車小隊の戦闘射撃を行った。612-14日、第19普通科連隊52名が福岡県糸島市の山林で行方不明になった男性を捜索した。男性は6141020頃に男性が入所する施設の関係者により発見保護されている。630日から81日、リムパック2016に参加。74-15日、大村駐屯地と海自大村航空基地で第2回師団水陸両用集合訓練を着装泳中心に実施。711-15日、第40普通科連隊が各中隊基幹要員に霧島演習場で市街地戦闘集合訓練(ゲリラ・コマンドー掃討)を実施。724日、第40普通科連隊が北九州市で戸畑祇園大山笠に隊員38名で参加した。725-29日、佐多射撃場で各普通科連隊、対馬警備隊、第4飛行隊がドアガン射撃、第4特科連隊がFH70射撃訓練を実施。729日、第41普通科連隊が別府駐屯地でレンジャー帰還式を実施。学生11名にレンジャー徽章が授与された。86日、玖珠駐屯地が行ったヘリ体験搭乗に第4飛行隊UH-1Jが協力した。91日、第16普通科連隊が相浦駐屯地で佐世保市総合防災訓練に参加。95-7日、第4飛行隊がOH-1ヘリとUH-1ヘリで長崎県対馬市美津島町の白嶽で行方不明になった韓国人男性を捜索した。926-28日、第40普通科連隊がJR九州の新入社員・管理職員26人に2泊3日隊内生活体験(基本教練、非常呼集訓練など)を実施。1016日から116日、第3海兵遠征軍に隊員を派遣しての水陸両用作戦研修を実施。1030日、第41普通科連隊が第36回大分国際車いすマラソン大会を支援した。111日、第40普通科連隊が小倉駐屯地資料館前で乃木希典大将・杉山元元帥の慰霊祭を実施。

201715日、第40普通科連隊が年頭行進訓練(往復8km)を実施。第41普通科連隊が十文字原演習場で戦闘射撃訓練を実施。16日、第4飛行隊が福岡県と佐賀県の上空でUH-1JヘリやOH-6Dヘリなど7機による編隊飛行訓練を実施。112日、第3回師団最先任上級曹長等集合訓練を実施。125日、第40普通科連隊が曽根訓練場で連隊武装走競技会と小火器射撃競技会を実施。武装走で重迫中隊、小火器射撃で第2中隊が優勝した。130日から310日、アイアンフィスト17に参加。24日、佐賀県江北町の農場で高病原性鳥インフルエンザの発生が確認されたため、1910に佐賀県知事から第4特科連隊長に災害派遣が要請され、2030に第4高射特科大隊70名が駐屯地を出発して2230から殺処分を開始、262200に撤収要請を受けた。第4特科連隊と第4高射特科大隊の隊員延べ300名が派遣されている。211日、第4音楽隊が大分市内の市中パレードに参加。219日、北九州マラソンで炊事支援を行い、小倉駐とん汁10000食を振る舞った。41-2日、第40普通科連隊が大矢野原演習場で81mm迫撃砲射撃競技会を実施。42日、別府八湯温泉まつりの湯けむり総パレードで第41普通科連隊・西部方面特科隊合同音楽隊、82式指揮通信車、軽装甲機動車などが行進した。43-7日、大矢野原演習場で防御における施設作業を課題とする師団施設技術訓練を実施。423日、第40普通科連隊が北九州市勝山公園で熊本震災復興祈念イベントを支援し、資材運搬車や偵察用オートバイなどを展示、炊き出しを行った。528日、第40普通科連隊第3中隊14名が吉富町小祝吉富漁港で福岡県総合防災訓練に参加。63-4日、北九州市で福岡地本と共にとばた菖蒲まつりを支援し、高機動車などを展示した。64日夜、大分県中津市で山林火災が発生したため、2250に大分県知事から第41普通科連隊長に災害派遣要請が出された。第41普通科連隊は連絡幹部を県庁と中津市役所に派遣すると共にファスト・フォース30名を現地に向かわせ、650430頃から第4飛行隊UH-1J多用途ヘリ2機で消火活動に入り、0810頃に鎮火が確認されたため撤収要請が出された。派遣規模は隊員30名、ヘリ2機、散水回数8回、散水量4トンだった。6202327頃、大分県豊後水道を震源とするマグニチュード5の地震が発生したため、第4師団司令部の7名が情報収集を実施。73日、第40普通科連隊が大野原演習場や十文字演習場で中隊規模の練成訓練を開始。75日、第40普通科連隊長は降雨の状況から災害発生の可能性が高いと判断し、錬成訓練中の部隊を駐屯地へと帰隊させた。75日に発生した九州北部豪雨の災害派遣に参加。715日、佐賀市文化会館で第4音楽隊巡回演奏会を実施。729-30日、第40普通科連隊が小倉駐屯地で小学校5-6年生を対象とする少年キャンプを実施。729-31日、第41普通科連隊音楽部が別府市の依頼を受け、イベント湯〜園地オープニングセレモニーで演奏した。828日から93日、日出生台演習場で師団砲迫観測訓練を実施。93日、第41普通科連隊が平成29年度大分・津久見市総合防災訓練に参加。914-15日、第4戦車大隊が海自呉基地Dバースと広島湾でAAV-7の運用試験を実施。輸送艦からの初運用試験で、本格的な海上運用試験としても初であり、LST-4002しもきたの艦内での取り回し、洋上停艦状態で海水を満たしたウェル・ドックからの発進・揚収、航行中に水平に開いたウェル・ドック扉から海面に飛び込む方式の発進(スプラッシュ)、海上航走などをテストした。917-18日、第41普通科連隊と第4飛行隊が大分県臼杵市と津久見市で台風18号豪雨に対する水防活動の災害派遣に参加。919日、第4戦車大隊が新隊員後期教育課程25km徒歩行進訓練を実施。106-9日、第40普通科連隊が本管中隊補給小隊に小隊検閲を実施。1022-29日、師団訓練検閲を実施。第40普通科連隊が受閲し、非常呼集、応急出動準備、夜間車両行進、陣地防御を行った。1023日から1122日、鎮西29演習に参加。1024日、第41普通科連隊が杵築市立杵築小学校で南海トラフ巨大地震を想定した避難訓練に参加。11月、第16普通科連隊と第4施設大隊が国民保護訓練に参加。1111日、第40普通科連隊が北九州市八幡西区黒崎で開催された黒崎こども商店街に軽装甲機動車などを展示した。

201819日、第40普通科連隊が北九州市内で山地機動訓練を実施。小文字山、妙見山、砲台山、北九州市街地、小倉駐屯地の11kmコースを完全武装で行進した。27日、第16普通科連隊が大村駐屯地で長崎県警との共同対処訓練を実施。自衛官・警察官計90名が参加し、治安出動下に長崎県内に武装工作員が上陸したとの想定で、緊急部隊輸送、調整、検問などの訓練を行った。28-9日、福岡駐屯地で師団最先任上級曹長等集合訓練を実施。28-10日、第41普通科連隊がプロラグビーチームのヒト・コミュニケーションズ・サンウルブズ選手66人に生活体験を実施。ラグビー・ワールドカップ2019プレシーズンキャンプの一環で、レンジャー基本訓練をベースとした訓練(早朝非常呼集含む)を施した。211日、第16普通科連隊が長崎市・大村市・諫早市・川棚町の建国記念日行事を音楽演奏とラッパ演奏で支援した。218日、第40普通科連隊が北九州マラソンの炊事支援を行い、豚汁10000食を提供した。33日、第40普通科連隊が小倉飯塚小郡別府駐屯地音楽隊の協力を受け若松市民会館で小倉駐屯地定期演奏会を実施。JR若松駅前の久岐の浜広場ではOH-6Dヘリ、軽装甲機動車、高機動車を展示した。327日、第4戦車大隊が西部方面戦車隊に改編され、西部方面隊隷下に移った。43-17日、地元企業など40社の新入社員計800人に隊内生活体験を実施。411-23日、第41普通科連隊と第4施設大隊が大分県中津市耶馬溪町で発生した土砂崩れの災害派遣に参加。413日、第40普通科連隊が新入・新婚隊員とその家族を対象とした家族コミュニティを実施。53-4日、第4音楽隊が博多どんたくでパレード演奏を行った。513-15日、第40普通科連隊が2夜3日の第1次中隊等訓練検閲、本部管理中隊情報小隊・第4中隊・重迫中隊検閲を実施。520日、第16普通科連隊や第4施設大隊が長崎県総合防災訓練に参加。大雨洪水警報と土砂災害情報が発令される中でマグニチュード6.8の大地震が発生したとの想定で、偵察、人命救助、炊き出し、07式機動支援橋による本明川への架橋などを行った。62日、福岡地本が門司港で行ったDDH-181ひゅうがの艦艇広報に協力し、岸壁で軽装甲機動車を展示した。75-8日に発生した西日本豪雨の災害派遣に参加。826日、第16普通科連隊が長崎県時津港で開催されたとぎつ夏祭りで装備品展示を行った。102日、第41普通科連隊がJR大分駅前広場で大分地本による市街地広報を支援した。1031日、第40普通科連隊が社会福祉施設北九州総合療育センターの移転に伴う人員・器材移動を支援した。127-19日、第41普通科連隊がフォレストライト2018-01に参加。

201914日、大村駐屯地でソマリア海賊対処行動第11次支援隊隊員110名の壮行行事を実施。17日、第40普通科連隊が訓練始めの中隊対抗綱引きを実施。217日、第40普通科連隊が北九州マラソンの炊事支援を行い、豚汁10000食を提供した。326日、第4戦車大隊、第4偵察隊、第4特科連隊が第4偵察戦闘大隊に統合された。329-30日、大村駐屯地がシーハット大村で開催したふれあいコンサートに第4音楽隊が参加。42-16日、第40普通科連隊が北九州市各企業計980人に2泊3日の隊内生活体験を実施。47日、第19普通科連隊が自衛官候補生87名の自衛官候補生課程教育入隊式を実施。68-9日、第40普通科連隊が北九州市夜宮公園で開催されたとばた菖蒲まつりで軽装甲機動車を展示した。610-17日、日出生台・十文字原演習場で第1次師団訓練検閲を実施。受閲部隊の第41普通科連隊は第41連隊戦闘団を編成し、52km夜間車両行進後の陣地攻撃を行った。72-23日、第41普通科連隊が防衛大学校3学年陸上要員部隊実習を支援した。722日、ソマリア海賊対処行動第11次支援隊76名の帰国行事を実施。822-25日、第42即応機動連隊と第4偵察隊が合同射撃訓練を実施。第14旅団第15即応機動連隊もオープン参加した。826日から923日、オリエント・シールド19に参加。828日から佐賀県大雨の災害派遣に司令部、第16普通科連隊、第41普通科連隊、第4偵察戦闘大隊、第4高射特科大隊、第4施設大隊、第4飛行隊、第4通信大隊、第4後方支援連隊が参加。923日、第16普通科連隊が、雲仙市国見町で開催された「くにみの日」イベントで島原地域事務所が実施した募集広報に協力し、軽装甲機動車展示などを行った。1013日から第16・第41普通科連隊が台風19号・21号被害の災害派遣に参加。1024-31日、第40普通科連隊が小倉駐屯地と日出生台演習場で師団訓練検閲(連隊を基幹とする5日間連続状況下での攻撃)を実施。1026日、大分地本が日本文理大学学園祭で行った広報活動に第41普通科連隊が協力し、軽装甲機動車と偵察用オートバイを展示した。1218日、第16普通科連隊が島原城で城壁登坂訓練を実施。隊員115名がロープで身体を保持し、石垣雑草除去を行った。

2020212-13日、福岡駐屯地で戦技競技会を実施。隷下部隊を3グループに分けて武道(拳法・銃剣道、団体戦)、炊事、ドローンの各競技を行い、Bグループ武道競技会では対馬警備隊が総合8連覇を遂げた。対馬警備隊はBグループ炊事競技会でも優勝している。316日、第40普通科連隊が小倉駐屯地で任官者6名に幹部任官行事を実施。417日、4名が福岡県職員10人に新型コロナウイルス衛生教育を実施。420日、福岡県内の病院から宿泊施設への新型コロナウイルス軽症患者輸送支援を開始。422日、第40普通科連隊が春の全国交通安全運動に伴う飲酒運転防止活動を実施。68日、第16普通科連隊が部隊訓練評価隊の令和2年度FTC第1次運営(対抗戦)に参加。610-16日、対馬警備隊に対する第1次訓練検閲を実施。対馬警備隊に第16普通科連隊第3・第4中隊・重迫中隊、西部方面特科連隊第4大隊、西部方面戦車隊第2中隊、第4高射特科大隊第2中隊、第5施設団375施設中隊を配属して対馬戦闘団を初編成し、十文字原演習場や佐多射場などで、侵攻してきた敵の制圧や、洋上の敵舟艇に対する中距離多目的誘導弾実弾射撃などの訓練を行い、概ね優良の評価だった。623日、第4音楽隊が福岡駐屯地で高校球児へのオンライン演奏動画を収録した。626日、第40普通科連隊が小倉駐屯地で自衛官候補生74名の自衛官候補生課程教育修了式を実施。74日に発生した九州南部豪雨の災害派遣に第4飛行隊が参加。828日から91日、第4後方支援連隊が予備自衛官5日間招集訓練を実施。914日から121日、第40普通科連隊が第47期連隊レンジャー集合教育を実施。8名にレンジャー徽章が授与された。914日、第40普通科連隊が新隊員特技課程教育修了報告と中隊配置申告を実施。930日から1015日、第40普通科連隊が一般幹部候補生課程普通科部隊実習を実施。1026-28日、第40普通科連隊が応急出動訓練を行い、ドローン対処や不審者に対する警備行動などを演練した。1117日、第16普通科連隊2名が長崎地本島原地域事務所1名と共に平成新山防災視察登山に参加し、雲仙普賢岳溶岩ドームの現状を確認した。

202117日、第19普通科連隊が訓練始めを実施。127日から22日、訓練評価支援隊の検証訓練に協力し、第16普通科連隊基幹の第16戦闘団が、第13旅団増強第17普通科連隊と、日出生台演習場で実動対抗演習を行った。311日、新型コロナウイルス対応の功績で、司令部付隊に1級賞状が授与された。49-13日、第40普通科連隊が小倉駐屯地で予備自衛官5日間訓練を実施。62日、第40普通科連隊が自衛官候補生課程修了式を実施。724-25日、第42即応機動連隊機動戦闘車隊と第4偵察戦闘大隊が日出生台演習場で機動戦闘車合同射撃訓練を実施。725日、第4飛行隊が小倉駐屯地のUH-1Jヘリ体験搭乗に協力した。813日に発生した九州豪雨の災害派遣に第16普通科連隊と第4偵察戦闘大隊が参加。914日から1210日、第40普通科連隊が部隊集合教育レンジャーを実施。930日から1014日、第40普通科連隊が幹部候補生12名の普通科部隊実習を実施。

2022316日に発生した大分県竹田市の山火事消火の災害派遣に第41普通科連隊、第4飛行隊、第4通信大隊が参加。53-4日、第4音楽隊が第61回福岡市民の祭り博多どんたく港まつりで音楽支援を行った。

202421-16日、令和5年度北海道訓練センター第5回実動対抗演習等に参加。第16普通科連隊(16式機動戦闘車、AH-64D戦闘ヘリ)と第41普通科連隊(10式戦車、155mm榴弾砲FH70UH-1J多用途ヘリ)が参加し、西部方面区内から日出生台演習場への機動展開訓練、日出生台演習場での準備訓練、同演習場での連隊規模の実動対抗演習、同演習場の整備と撤収、同演習場から西部方面区内への機動展開訓練を行った。

参考:月刊軍事研究10,105,118,11、月刊PANZER5,836,18MAMOR vol.52vol.114vol.154vol.157、月刊航空ファン6,11、陸上自衛隊地上戦力の全容、朝雲、スピアヘッドNo.12No.16、月刊JWings8,1110,135,1611,169,1712,172,189,'20、北部方面対舟艇対戦車隊ホームページ、月刊世界の艦船12,17、陸上自衛隊ホームページ

 <第4師団(陸自、1977年)>:西部方面隊隷下の甲師団で、司令部は福岡にある。第16普通科連隊、第19普通科連隊、第40普通科連隊、第41普通科連隊、第4特科連隊などを隷下に置く。参考:日本の防衛戦力Part1

 <第4師団(陸自、1980年)>:西部方面隊隷下で、司令部は春日市にある。隷下に第16普通科連隊、第19普通科連隊、第40普通科連隊、第41普通科連隊、第4特科連隊などを置く。参考:自衛隊装備カタログ1981

第4師団(陸自、1980年代半ば)>:西部方面隊隷下で、司令部は福岡駐屯地にある。九州北部、対馬海峡、関門海峡の防衛を担当する。隷下に第4特科連隊、第16・第19・第40・第41普通科連隊、対馬警備隊などを置く。参考:兵器最先端5、日本の戦力、陸上自衛隊地上戦力の全容

第4師団(陸自、2007年度)>:西部方面隊隷下で、司令部は福岡駐屯地にある。第4飛行隊、第16普通科連隊、第19普通科連隊、第40普通科連隊、第41普通科連隊、第4通信大隊、第4偵察隊、第4後方支援連隊、第4特科連隊、第4高射特科大隊、第4戦車大隊、第4対舟艇対戦車隊、第4施設大隊、対馬警備隊を隷下に置く。参考:月刊JWings6,07

第4師団(陸自、2010年)>:定数は隊員9000名、74式戦車58両、FH-70榴弾砲80門。師団司令部、司令部付隊、第16・第19・第40・第41普通科連隊、第4特科連隊、第4後方支援連隊、対馬警備隊、第4戦車大隊、第4高射特科大隊、第4施設大隊、第4通信大隊、第4対舟艇対戦車隊、第4偵察隊、第4飛行隊、第4特殊武器防護隊からなる。参考:月刊軍事研究11,10

第4師団(陸自、2015年)>:西部方面隊隷下で、司令部は福岡駐屯地にある。第4師団司令部、第4師団司令部付隊、第16普通科連隊、第40普通科連隊、第41普通科連隊、対馬警備隊、第4飛行隊、第4戦車大隊、第4特科連隊、第4高射特科大隊、西部方面対舟艇対戦車隊、第4偵察隊、第4後方支援連隊、第4施設大隊、第4通信大隊、第4特殊武器防護隊、第4音楽隊を隷下に置く。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

第4次中東戦争>:イスラエル名称はヨム・キップル(贖罪日)戦争、アラブ名称はラマダン戦争。19679月、消耗戦争開戦。19683月、エジプトがソ連との秘密協定を結び、ソ連艦艇の港湾施設利用を認める代わりに大量のソ連兵器と戦術を取り入れた。19689月から19708月まで、スエズ運河沿いに1000門以上の火砲を配置してイスラエル側を砲撃。19691月、イスラエルはバーレブ・ラインの建設を開始、1971年に完成した。消耗戦争が終結して2ヶ月後の1970928日、ナセル大統領が心臓発作を起こし、サダト大統領が就任、密かにイスラエル侵攻作戦を練った。イスラエル空軍に対してはSAMS-75S-1252K129M32)、AAAZSU-23-4)、レーダー、指揮システムを張り巡らせた当時世界一濃密だったとされる防空コンプレックスを、戦車隊には対戦車ミサイル・対戦車砲・RPG-7を中心とする対戦車複合陣地をぶつけることにし、更にエジプト後方地域の爆撃に対する報復・抑止手段としてスカッドミサイルを購入、シリアとの協同作戦も取り付けて機会を窺った。イスラエルはMkW相当の原爆を保有していたとみられるが、使用できないだろうと判断した。戦争の目的は、第3次中東戦争までに失った領土を電撃的に奪還し、米ソの仲介を受けて和平交渉の席で領土を確定することである。エジプトの作戦部隊は5月頃から偽装の演習を開始し、7月頃からスエズ運河沿いに布陣。運河西岸に高台を築き、戦車1000両を並べて渡河支援に使用した。更に対戦車複合陣地構成のため、9M14対戦車ミサイル72基、無反動砲90門、対戦車砲36門、RPG-7対戦車ロケット535丁を要する対戦車大隊を歩兵師団に補強した。対するイスラエル軍は、バーレブ・ラインと呼ばれる16ヵ所の拠点に436名の兵を置き、その100km後方に1個師団を配備したのみであった。ユダヤ教の贖罪日(ヨム・キップル)で休日だった1973106日、奇襲攻撃が開始された。モサドは事前に情報を掴んでいたが、政府上層部はラマダン期間中の開戦は無いと見て重要視していなかった。1400、エジプト空軍の240機がイスラエル軍航空基地、SAM陣地、レーダー基地、砲兵陣地、指揮所の爆撃に向かい、2000門の砲兵がバーレブ・ラインに猛砲撃を開始。1分間に10500発を叩き込み、更に1時間以内に3000トンの砲弾を撃ち込んだ。時を同じくしてシリア軍が55分の攻撃準備射撃の後にゴラン高原に侵攻。総兵力は戦車1400両・野砲600門を含む6万名で、対するゴラン高原のイスラエル軍は戦車200両、野砲90門だった。1415、エジプト軍がスエズ運河の渡河を開始。7分で8000名が上陸し、工兵隊が高水圧ポンプで運河東岸の砂壁を崩して通路を啓開、運河上に架橋して6時間で8万名を渡河させた。この間に対戦車大隊は濃密な対戦車複合陣地を構築した。シェバフヨニム作戦に基づいた反撃のため、イスラエル軍レシェフ旅団のセンチュリオン戦車がタル・ドクトリンに従い歩兵・砲兵の援護無しに対戦車複合陣地に突入、夕方までに100両が撃破され、援軍に駆けつけたメンドラー師団の主力も捕捉されて107日昼までに更に200両が破壊された。また、航空支援を行おうとしたイスラエル空軍もシナイ半島一帯に被せられた防空コンプレックスの網に掴まって106日だけで30機以上を失った。106日夜、夜間暗視装置を持つシリア軍はゴラン高原のイスラエル軍陣地に侵入。ラタキア海戦勃発。107日昼、ゴラン高原南戦区の第188装甲旅団が壊滅。北戦区では第7装甲旅団の戦車100両が「涙の谷」でシリア軍戦車200両を撃破、夜間には殆ど零距離射撃で奮闘し、4日間に渡り戦線を維持した。108日、戦線にイスラエル軍3個師団が到着したが、同様に対戦車複合陣地に突っ込み、第190機甲旅団が戦車110両のうち85両を僅か3分で破壊されるなど戦車100両を失った。パルティム海戦勃発。1010日、北戦区ではイスラエル第7装甲旅団の残存戦車が7両にまで減少し、後退を余儀無くされたが、戦時動員部隊の3個師団が戦線に到着。1011日、イスラエル軍はゴラン高原内のシリア軍を駆逐、シリア領内に侵攻して反撃に出た。エジプト軍は防空コンプレックスの外に出る攻勢作戦をためらったが、イスラエル側に予備役の動員を許さないために1013日になって戦車1000両により攻勢に出た。これに対し、イスラエル軍はアメリカから緊急援助で手に入れたTOWミサイルと戦車800両で反撃。防空コンプレックスの外に出たエジプト軍に航空攻撃を再開し、エジプト側に戦車264両・兵員1000名の損害を与えて撃退した。シリア軍支援のため、イラク軍第3戦車師団が北上してきたが、こちらも撃退。シリア領内に22km入ったところで防御態勢に入った。1016日、スエズ運河中央からイスラエル軍が西岸に渡河、エジプト軍の背後に回り込んで孤立させ、更にエジプト領内に進撃したため、米ソ両国が停戦に動いた。1021日午後、空挺1個大隊がヘリコプターでレバノン国境付近のヘルモン山に輸送され、シリア軍陣地を制圧した。1023日にシリアと、1024日にエジプトと停戦決議(国連安保理決議338号)が成立して終結した。損害は、シリア・エジプトが戦車2150両、装甲車数千両、野砲550門、戦死15000名、負傷40600名、捕虜8811名。イスラエルが戦車400両、戦死2222名、負傷5569名、捕虜294名。ソ連は軍事介入を示唆して3個空挺師団に動員をかけており、第106親衛航空強襲師団の1個連隊がベオグラード空港に送られてシリアへの空挺作戦準備を行ったとされる。参考:月刊PANZER11,01、歴史群像2,05、月刊軍事研究11,06、兵器最先端5、現代の空挺作戦、月刊丸12,92、ワルシャワ条約機構軍特殊部隊

<第4次ブーゲンビル島沖航空戦>:ブーゲンビル島沖航空戦を参照。

第4次防衛力整備計画>:自衛隊の防衛力整備計画、4次防。1968年度から策定が始まり、19701月に新防衛力整備計画という名称で10年計画を立てることにし、その後第4次防衛力整備計画に改称され、197111月に通常兵器による限定された直接侵略に対処できる戦力を揃える方針としたが、前半5年度分だけで3次防総額の倍以上(5兆2000億円)となり、大蔵省との交渉が難航。5000億円減らすことにして修正案を作っている最中に予算審議が始まり、決まってもいない4次防予算を組み込むのはおかしいと野党が指摘したために国会審議が揉め、3次防の大綱を概ね踏襲する形にグレードダウンして197227日に国防会議、28日に閣議で大綱を決定した。中身(主要項目)は81日に防衛庁が最終案を策定し、109日に国防会議と閣議で決定され、1972-76年度の5カ年計画で経費は4兆6300億円ということになった。しかし197310月のオイルショックで物価や人件費が高騰、予算で建造が認められても年度内に契約できない事態が発生し、予定した海自艦艇549604トンのうち3748314トンしか作れず、海自初のガスタービン護衛艦や対艦ミサイル搭載護衛艦が幻に終わっている。1972年度、DE-222てしお、DE-223よしの、DE-224くまの、SS-571たかしお、MSC-640たかね、MSC-641むづき、MSB-709掃海艇9号、MSB-710掃海艇10号、PT-814魚雷艇14号、PB-925哨戒艇25号、PB-926哨戒艇26号、PB-927哨戒艇27号、LST-4151みうら、LST-4102もとぶ、ASU-85特務艇85号の建造を承認。1973年度、DDG-169あさかぜ、DE-225のしろ、SS-572やえしお、MSC-642よこせ、MSC-643さかて、MSB-711掃海艇11号、MSB-712掃海艇12号、PT-815魚雷艇15号、LST-4152おじかの建造を承認。1974年度、DD-121ゆうぐも、MSC-644おうみ、MSC-645ふくえ、LST-4153さつまの建造を承認。1975年度、DDH-143しらね、SS-573ゆうしお、MSC-646おきつ、MSC-647はしら、MSC-648いわい、LST-4103ねむろの建造を承認。1976年度、DDH-144くらま、MSC-649はつしま、AGS-5102ふたみ、AOE-421さがみの建造を承認。終了時、陸上自衛隊の定数は自衛官18万名、予備自衛官39000名。12個師団1個混成団からなり、機動運用部隊は1個機械科師団、1個戦車団、1個特科団、1個空挺団、1個教導団、1個ヘリコプター団で、低空域防空部隊は8個高射特科群だった。航空自衛隊の定数は44575名で、28個警戒群、10個要撃戦闘飛行隊、3個支援戦闘飛行隊、1個航空偵察飛行隊、3個航空輸送飛行隊、5個高射群からなり、航空機900機(うち作戦機490機)を配備していた。海上自衛隊の定数は41388名。4個護衛隊群10個地方隊6個潜水隊2個掃海隊群5個航空群17個対潜飛行隊に艦艇167000トン、対潜水上艦61隻、潜水艦14隻、航空機300機(うち作戦機210機)を配備していた。参考:月刊世界の艦船4,115,14、自衛隊装備カタログ1981、日本の防衛戦力Part3

<第4種支援船>:支援船を参照。

第4術科学校(海上自衛隊)>:海上自衛隊の術科教育学校で、舞鶴基地に置かれている。第1術科学校での経理、補給、保管補給、給養、第2術科学校での業務管理、第3術科学校での航空補給の各教育を一元化する学校として1975101日に舞鶴基地で開校した。経理、補給、業務管理、調達、保管、給養といった経補職域の教育・研究を行う。庁舎は日本海軍機関学校生徒館を1975年に改修して使用している。モットーは「不進則退」(ふしんそくたいと読む。朱子学の近思録にある言葉、進まざれば則ち退く)。20121013日、京都産業大学と第36回親善野球大会を実施。2015年、開校40周年を記念して史料室を開設した。43日、職員・学生53名が福井県若狭町の佐久間勉艇長顕彰碑の清掃奉仕を実施。520日、庁舎前グラウンドで実施された海軍機関学校同窓会慰霊祭を支援した。2016818-19日、ヤマト運輸北大阪主管支店社員23人に体験入隊(基本教練、陸戦訓練、学校長講話聴講)を実施。2017518-19日、ヤマト運輸北大阪主管支店社員15人に体験入隊(基本教練、陸戦訓練、幹部学生との座談会)を実施。630日、舞鶴地方総監部が実施した男性隊員対象の料理講習会を支援した。202174日、海上保安学校主催カッターレース交流大会に参加し、準優勝を果たした。101日、京都地本京丹後地域事務所に協力し、府立海洋高校2年生が見学した。202272日、海上保安学校学生祭(五森祭)のカッターレースに参加。参考:MAMOR vol.113vol.46vol.60、月刊世界の艦船1,79増刊、9,'22、月刊丸1,10別冊、朝雲、月刊JWings8,12、日本の防衛戦力Part3

 <第4術科学校(海自、2016年)>:トップは学校長で、副校長、先任伍長、総務課、教務課、教育第1部(経理科、監理科、体育科)、教育第2部(補給科、給養科)、研究部(資料課)、学生隊(第1学生隊、第2学生隊)からなる。経理科は経理、給与計算、旅費、契約、調達、入札、監理科は事務管理、文書管理、庶務、人事、管理技法、応急(陸上警備、防火、防水)、体育科は柔道、剣道、球技、補給科は補給、倉庫管理、輸送、資材、資材類別・識別、燃料火薬類取扱、フォークリフト操作法、給養科は調理、栄養管理、テーブルマナーなどを担当し、幹部課程、海曹士課程、事務官等課程の計30課程・年間48コースの教育、課程修了隊員に対する赴任後インターネット通信教育、退職予定隊員に対する職業訓練を行う。参考:MAMOR vol.113

第4術科学校(航空自衛隊)>:航空自衛隊の術科教育学校。通信、情報、気象職域の教育と、熊谷基地の基地業務を行う。初級術科課程と上級術科課程を受講する隊員は、熊谷基地の学生隊で生活する。19617月、第2術科学校熊谷分校から改編されて熊谷基地で開校し、航空生徒隊が隷下に入った。19629月、術科教育本部の隷下に入った。1989316日、術科教育本部が航空教育集団に改編されたため、航空教育集団の隷下に入った。航空生徒隊が航空教育隊の隷下に移った。200210月、本部庁舎を新設。2004年、学生による断郊(クロスカントリー)競技会が初開催された。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。20141017日、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で部隊拝礼を実施。201999日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。1110日、祝賀御列の儀に儀じょう隊として参加。202071日、隊員自主募集の功績で、丸茂空幕長から第3級賞状を授与された。参考:陸海軍学校と教育、熊谷基地ホームページ、月刊JWings6,168,126,16MAMOR vol.52vol.105vol.145vol.155vol.157、朝雲、航空教育集団ホームページ

 <第4術科学校(空自、2015年)>:航空教育集団隷下で、熊谷基地に置かれている。教育部と学生隊に分かれており、第1教育部第1科で幹部通信電子整備基礎課程と通信幹部(甲T)課程、第2科で上級無線整備課程、初級通信電子整備基礎課程、初級地上無線整備員課程、第3科で上級有線整備課程、初級通信電子整備基礎課程、初級有無線整備員課程、第2教育部第4科で上級通信員と初級通信員、第5科で初級語学課程と上級情報課程、第6科で気象幹部(乙)課程、上級気象器材整備課程、初級通信電子基礎課程、初級気象器材整備課程、初級気象観測員課程の各教育を行う。参考:月刊JWings6,16、月刊航空ファン4,16MAMOR vol.145

第4親衛戦車軍(ソ連)>:ソ連陸軍の親衛戦車軍。1945317日、第4戦車軍から改称されて新編された。41日、ベルリン侵攻を開始。ヴィッスラ軍集団による救出作戦を阻止。59日、プラハ攻略戦に参加。514日、第4親衛機械化軍に改称された。参考:月刊グランドパワー4,98

第4親衛戦車軍団(ソ連)>:ソ連陸軍の親衛戦車軍団で、カンテミロフの称号を持つ。194312日、第17戦車軍団から改編・改称された。2月、ヴォロネジ方面軍に配属された。3月、パブログラードでドイツ国防軍と戦車遭遇戦となり、甚大な損害を受けた。4月、ソ連最高総統帥部予備ステップ方面軍に配属。5月、南部方面軍に配属。6月、ヴォロネジ方面軍予備としてクルスクに移動。7月、クルスク戦に参加。8月、ハリコフ作戦に参加。11月、再編成のためソ連最高総統帥部予備に編入。12月、第1ウクライナ方面軍に配属され、キエフ防御線に配置された。19441月、ウクライナ作戦に機動予備として参加。7月上旬、ポーランド国境への進撃準備。下旬、ルヴォフ・サンドミエルツ作戦に参加。9月、カルパチア・デュクラスキー作戦に参加。19451月、ヴィスラ・オーデル作戦に参加、クラコフを攻略。4月、エルベ河畔に進出。5月、プラハ作戦に参加。194611月、モスクワに帰還し、第4親衛戦車師団に改称された。参考:月刊グランドパワー4,98

第4水雷戦隊(日本海軍)>:日本海軍の水雷戦隊。昭和17227日、スラバヤ沖海戦に参加(那珂、第2駆逐隊、第9駆逐隊)。65日、ミッドウェイ海戦に参加(由良、第9駆逐隊)。811日、柱島を出撃。817日、トラックに到着。821日、トラックを出撃してガダルカナルに向かった。824日、第2次ソロモン海戦に参加(由良、第9駆逐隊、第27駆逐隊)。1113日、第3次ソロモン海戦に参加(朝雲、第2駆逐隊、第6駆逐隊、第27駆逐隊、第61駆逐隊)。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、日本海軍艦隊総覧

 <第4水雷戦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第2艦隊隷下で、那珂(旗艦)、第2駆逐隊、第4駆逐隊、第9駆逐隊、第24駆逐隊からなる。兵力部署では比島部隊第2急襲(護衛)隊で、那珂、第2駆逐隊、第9駆逐隊からなる(第4駆逐隊、第24駆逐隊は欠)。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,14、帝国陸海軍事典

第4整備補給隊>:海上自衛隊の航空機整備・補給部隊。第4航空群隷下で、厚木航空基地に置かれている。隷下に隊本部、第41検査隊(固定翼機担当)、第42検査隊(ヘリコプター担当)、航空機整備隊、電子整備隊、武器整備隊、補給隊を置き、検査隊が機体や兵装などの検査を行い、故障があったら部品を各整備隊で修理する。補給隊は航空機関連だけでなく、厚木航空基地駐留部隊や硫黄島への業務用品補給も行う。隊員数480名。2017414日、アメリカ海軍厚木航空機中間整備分遣隊とシスター・スコードロン関係の締結式典を行った。1117日、厚木航空基地で飛行点検隊4名と男女共同参画推進業務に関する研修に参加。2022629日から84日、リムパック2022に参加。参考:MAMOR vol.55vol.126、月刊JWings9,'22、朝雲

<第4世代赤外線パッシブホーミング>:赤外線パッシブホーミングを参照。

<第4世代戦車>:戦後第4世代戦車を参照。

第4世代戦闘機>:ベトナム戦争の戦訓に基づいて開発された戦闘機。空対空ミサイルによる交戦だけでなく、格闘戦もこなせる。参考:月刊JWings5,1512,03

 <第4世代戦闘機(ロッキード・マーチン社)>:エネルギー管理を行いながら空中戦を実施できる戦闘機。F-14F-15など。参考:月刊軍事研究5,07

第4戦車軍(ソ連)>:ソ連陸軍の戦車軍。1942722日、ハリコフ軍管区で南西方面軍第38軍管轄下に編成された。728日、ドイツB軍集団との戦闘に投入され、スターリングラード方面軍第62軍の一部を救出。8月、スターリングラード戦区で再編成され、後方に配置された。12月、実戦部隊から外れた。19437月、モスクワ軍管区で再編成され、クルスク戦に参加。24日、西部方面軍の統制下に中央軍集団の防御線を突破。12月、第1ウクライナ方面軍に配置。19442月、キエフ戦区に移った。3月、プロスクロフ・チェルノフツィ作戦に参加。715日、ルヴォフ・サンドミエルツ作戦で予備として参加。1945112日、ヴィッスラ・オーデル作戦に機動予備として参加。117日から314日までシュレジェン作戦に参加。オーデル防御線を突破してグロクフ要塞に接近、更にボーベル河を強行渡河した。317日、第4親衛戦車軍に改称。参考:月刊グランドパワー4,98

<第4潜水艦>:第4潜水艇を参照。

第4潜水戦隊(日本海軍)>:日本海軍の潜水戦隊。昭和1411月、潜水母艦剣埼が第2潜水戦隊から転属し、旗艦となった。昭和161222日、剣埼が祥鳳に改称されて第4航空戦隊に移った。参考:日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船7,'20

 <第4潜水戦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は連合艦隊隷下、兵力部署では馬來部隊潜水部隊所属で、鬼怒(旗艦)、特設潜水母艦名古屋丸、第18潜水隊、第19潜水隊、第21潜水隊からなる。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本潜水艦物語、日本海軍艦隊総覧、帝国陸海軍事典

第4潜水隊(日本海軍)>:日本海軍の潜水隊。参考:日本海軍艦隊総覧

第4潜水隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第1潜水戦隊隷下で、伊24、伊25、伊26からなる。兵力部署では先遣部隊第1潜水部隊(伊25)に所属する。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,14、日本潜水艦物語

第4潜水隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の潜水隊。19722月、第1潜水隊群隷下に新編された。201335日、SS-587わかしおが除籍された。36日、SS-505ずいりゅうが配備された。201536日、SS-597たかしおが第2潜水隊に移った。39日、SS-506こくりゅうが配備された。2018312日、SS-506こくりゅうが第6潜水隊に移った。202239日、SS-513たいげいが配備され、SS-512とうりゅうが第6潜水隊から転入した。参考:月刊世界の艦船5,135,159,155,185,22、朝雲

第4潜水隊(1978年)>:第2潜水隊群隷下で、横須賀に置かれている。うずしお、まきしお、くろしおを配備する。参考:月刊世界の艦船1,79増刊

第4潜水隊(2001年度)>:第2潜水隊群隷下で、横須賀に置かれている。SS-580たけしお、SS-581ゆきしお、SS-582さちしおを配備する。参考:月刊世界の艦船1,02

第4潜水隊(2010年)>:第2潜水隊群隷下で、横須賀に置かれている。SS-587わかしお、SS-597たかしお、SS-598やえしお、SS-599せとしおを配備する。参考:月刊軍事研究9,10

第4潜水隊(2015年)>:第2潜水隊群隷下で、横須賀に置かれている。SS-598やえしお、SS-599せとしお、SS-505ずいりゅう、SS-506こくりゅうを配備する。参考:月刊世界の艦船6,15

第4潜水隊(2020年)>:第2潜水隊群隷下で、横須賀に置かれている。SS-598やえしお、SS-599せとしお、SS-505ずいりゅうが配備された。参考:月刊世界の艦船6,20

第4潜水艇>:日本海軍ホランド型潜水艇4番艇。明治38年就役。大正841日に第4潜水艦に改称された。大正10年に除籍された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

第4戦隊(日本海軍)>:日本海軍の戦隊。昭和41130日、妙高と那智が編入された。昭和725日、第1次上海事変で上海への兵員輸送任務に従事(妙高、足柄、羽黒、那智)。121日、妙高が予備艦に転出。昭和101115日、那智が第5戦隊に転出。昭和12310日、足柄が第5戦隊から転入し、戦隊旗艦となった。昭和1732日、バリ島の南でCL-12マーブルヘッドを砲撃して撃沈した(愛宕、高雄)。65日、第1小隊がミッドウェイ海戦に参加(愛宕、鳥海)。811日、柱島を出撃。817日、トラックに到着。821日、トラックを出撃してガダルカナルに向かった。824日、第2次ソロモン海戦に参加(愛宕、高雄、摩耶)。1026日、南太平洋海戦に参加(愛宕、高雄、摩耶)。昭和19619日、マリアナ沖海戦に参加(愛宕、高雄、摩耶、鳥海)。1022日、比島沖海戦に参加(愛宕、高雄、摩耶、鳥海)。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊丸10,93、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船11,23

 <第4戦隊(明治38年5月27日、日本海海戦時)>:第2艦隊隷下で、巡洋艦浪速、高千穂、明石、対馬からなる。参考:日本海軍艦隊総覧

 <第4戦隊(昭和9年)>:第2艦隊隷下で、愛宕、高雄、摩耶、鳥海からなる。参考:帝国陸海軍事典

 <第4戦隊(昭和12年7月7日、日華事変勃発時)>:第2艦隊隷下で、高雄、摩耶からなる。参考:日本海軍艦隊総覧

 <第4戦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第2艦隊隷下で、高雄、愛宕、鳥海、摩耶からなる。兵力部署では南方部隊本隊所属で、愛宕、高雄からなる(鳥海と摩耶は欠)。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、帝国陸海軍事典

第4戦闘航空団(2013年)>:第9航空軍隷下で、司令部はノースカロライナ州セイモア・ジョンソンにある。隷下に第4作戦群第335戦闘飛行隊(F-15E)、同第336戦闘飛行隊(F-15E)、同第333戦闘訓練飛行隊、同第334戦闘訓練飛行隊、第4整備群、第4医療群、第4作戦支援群を置く。参考:月刊軍事研究7,12

第4掃海隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の掃海隊。1952111日に新編された。1954101日、第1掃海隊群隷下となった。19613月に解隊された。参考:月刊世界の艦船8,11増刊

第4対戦車ヘリコプター隊>:陸上自衛隊の対戦車ヘリコプター隊。1992327日(31日?)、東部方面隊隷下に木更津駐屯地で新編された。20081217日、東部方面航空隊として初めてOH-1を受領した。2014829日から928日、ヤキマ演習場でアメリカ陸軍第2ストライカー旅団戦闘団などとの日米共同実動訓練(雷神2014)に参加。201617日、AH-1Sヘリ7機で東部方面航空隊年始編隊飛行訓練に参加。201715日、東部方面航空隊年始編隊飛行訓練に参加。36-17日、フォレスト・ライト2016-2に参加。8171940頃、富士総合火力演習夜間演習に備え東富士演習場で夜間錬成訓練射撃中のAH-1Sが落着した。乗員は無事で、機体も軽微な損傷に止まっている。822日に陸幕が原因を操縦士の不適切操作と発表した。98-25日、オリエント・シールド2017に参加。201815日、立川駐屯地で東部方面航空隊年始編隊飛行訓練に参加。2019113日、AH-1S攻撃ヘリで第1空挺団平成31年降下訓練始めに参加。2021416日、エンジン改修を終えたOH-1観測ヘリ1機が復帰した。1072241頃、千葉県北西部を震源とするマグニチュード5.9・最大震度5強の地震が発生したため、情報収集を行った。2022113日、令和4第1空挺団降下訓練始めにAH-1Sヘリで参加。参考:月刊JWings3,0912,127,1312,143,163,176,1711,1712,174,197,'2112,'214,'22、月刊航空情報3,18

 <第4対戦車ヘリコプター隊(2009年度)>:東部方面航空隊隷下で、木更津駐屯地に置かれている。本部付隊(OH-6D)、第1・第2飛行隊(AH-1S)からなる。参考:月刊航空ファン4,10

 <第4対戦車ヘリコプター隊(2020年)>:東部方面航空隊隷下で、木更津駐屯地にある。OH-1AH-1Sを装備する。参考:月刊JWings6,20

第4地対艦ミサイル連隊>:陸上自衛隊の地対艦ミサイル連隊で、19963月に新編された。20091月、隊員14名で八戸駐屯地ラッパ隊を編成した。324日、八戸駐屯地講堂で平成20年度初級ラッパ特技検定を実施。51日、青森県新里村又木戸ダム付近で火災があり、現場などに連絡要員を派遣した。109-16日、八戸駐屯地演習場でSSM戦技競技会を実施。2010326日、東北方面特科隊隷下に移った。201235日、陸曹団が基本基礎統一訓練を実施。不審者対処や災派時除染作業などの教育を行った。314日、八戸駐屯地で創隊16周年記念行事を実施。201317日、訓練始めとして災害対処訓練を実施。122日、連隊意見発表会を開催。226-27日、冬期広域展開時のシステム構成と連隊対艦戦闘能力向上を目的とした、積雪寒冷地訓練を実施。410-12日、戦技競技会を実施。820日、0558に隊区内で震度6の地震が発生し、大津波警報が発令されたとの想定で災害対処訓練を実施。年末、平成25年度東北方面実動演習と西部方面隊鎮西25演習に参加。八戸から鹿児島まで陸上、そこから沖縄まで海上を機動し、島嶼防衛訓練を行った。2014821日、八戸駐屯地で平成26年度連隊炊事競技会を実施。夏野菜カレー190食分が献立で、第4中隊が優勝した。1031日から1122日、平成26年度協同転地演習と鎮西26演習に参加。2016414日と16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。104日から116日、鎮西28に連動した東北方面隊平成28年度連隊等協同転地演習に参加。201721-3日、十和田湖温泉スキー場で冬期戦技競技会を実施。東北方面特科隊本部中隊、第130大隊、第304観測中隊も加わって分隊機動の部と組機動の部で競い、第4地対艦ミサイル連隊第2中隊が総合優勝、第4地対艦ミサイル連隊本部管理中隊が組機動優勝、第4地対艦ミサイル連隊本部第2中隊が分隊機動優勝を果たした。2019325日、第4中隊が廃止され、仙台駐屯地で隊旗返還式が行われた。423日、青森県南部町で山林火災が発生したため、町役場に連絡幹部を派遣した。629-30日、八戸港でDD-120しらぬいの艦艇広報を支援した。202128日、八戸駐屯地で行われた炊事競技会に参加し、第3中隊が優勝した。参考:朝雲、月刊JWings7,19

第4特科群>:陸上自衛隊の特科群。1962313日、東千歳駐屯地から上富良野駐屯地に移駐した。2000328日、第117特科大隊が第131特科大隊に改編された。200994日、十勝岳で十勝岳救難訓練を実施。115-10日、上富良野駐屯地第2グラウンドで合同炊事訓練を実施。2010910日、富良野岳と上富良野岳で富良野消防広域連合と十勝岳連峰救難救助合同訓練を実施。921日夜、北海道中富良野町の水源地で導水管が破裂し、1800世帯が断水したため、9220025に北海道知事から群長に災害派遣が要請された。9220500過ぎ、隊員66名と車両35両(うち水トレーラー17両)が町内に展開。第3地対艦ミサイル連隊の隊員26名と車両11両(うち水トレーラー5両)も加わり、1630まで9カ所で給水支援を実施、5.1トンの水を給水した。201339-14日、矢臼別演習場で平成24年度第3回転地訓練を実施。42-5日、上富良野駐屯地で戦技競技会を実施。射撃指揮と測量で第120特科大隊、有線通信で第104特科大隊、無線通信で本部中隊が優勝した。59日、自衛官候補生教育隊の自衛官候補生37名が10km行進訓練を実施。201416-7日、上富良野駐屯地と上富良野演習場で訓練始めを実施。氷点下15度の寒さの中、総重量30kgの装備を身に付けて6kmのスキー行進を行った。916日、上富良野町十勝岳周辺で冬季遭難救援隊夏期訓練を実施。2015129日、上富良野演習場で群冬期戦技競技会を実施。隊員453名が個人機動の部とアキオ曳行の部で競い、本部対抗で第131特科大隊、中隊対抗で第104特科大隊第2中隊と第131特科大隊本部管理中隊が優勝した。227日、富良野スキー場で男性1人が行方不明になったため、2000に群長に災害派遣要請が出され、2000過ぎに連絡幹部と捜索部隊の計15名が捜索を開始。その後男性が発見されたため、撤収した。74日、北海道上富良野町上ホロカメットク山で山スキーをしていた6人が行方不明になり、1630に北海道知事から第4特科群長に災害派遣要請が出された。1637、隊員15名と車両1両が上富良野駐屯地を出発し、1652から無線中継部隊や連絡幹部など隊員30名を派遣した。1820、6人の保護を受けて撤収した。1014日、第131特科大隊が占冠村で人命救助システム訓練を実施。過去の大水害を教訓に、村の消防支署と協同訓練を行った。2016127日、上富良野演習場で平成27年度群冬期戦技競技会を実施。全長が短い3型スキーを初使用し、個人機動と70kgアキオ曳行の競技を行い、中隊Aグループ(射撃中隊)で第104特科大隊第2中隊、中隊Bグループ(本部中隊・本部管理中隊)で第131特科大隊本部管理中隊、アキオ曳行で第131特科大隊第1中隊、本部対抗で第104特科大隊本部が優勝した。23-6日、第104特科大隊が富良野スキー場北の峰ゾーンで第53回全国中学校スキー大会アルペン競技を支援した。215日、第120特科大隊が美瑛町で十勝岳噴火総合防災訓練に参加。612日、第120特科大隊36名が美幌町で丘のまちびえいヘルシーマラソンを支援。626日、自衛官候補生課程教育修了式を実施。823-28日、美幌町で災害派遣(給水支援)に参加。831日から台風10号被害の災害派遣に参加。916日、新隊員特技課程と一般陸曹候補生後期教育の修了式を行った。2017110日、上富良野駐屯地基本訓練場で訓練始めを実施。中隊対抗機動訓練として、中隊長をアキオに乗せて引っ張った。122日、5日間予備自衛官招集訓練の一環として上富良野駐屯地で小火器射撃検定を実施。223-24日、第120特科大隊が十勝岳噴火総合防災訓練に参加。326日、第120特科大隊が廃止された。49日、自衛官候補生39名の入隊式を実施。613日、上富良野演習場などで自衛官候補生38名が25km徒歩行進を実施。93-4日、矢臼別演習場で第1特科団の平成28年度団MLRS実射競技会に参加。201848日、新隊員20名に自衛官候補生課程教育入隊式を実施。96日に発生した北海道胆振東部地震の災害派遣に参加。2019412-17日、上富良野演習場で群戦技競技会(有線通信、無線通信、測量)を行い、有線通信・無線通信は第4特科群本部中隊、測量は第131特科大隊が優勝した。2020213日、上富良野駐屯地で令和元年度群炊事競技会を実施し、第131特科大隊が優勝した。221日、国設南ふらのスキー場で冬季戦技競技会を実施。202198日、矢臼別演習場で第104特科大隊の203mm自走榴弾砲実射検閲を実施。参考:朝雲、上富良野駐屯地ホームページ、MAMOR vol.118、月刊PANZER45,17

第4特科群(2010年)>:第1特科団隷下で、M110A2装備の第104・第120特科大隊、MLRS装備の第131特科大隊からなる。参考:月刊軍事研究10,10

第4南遣艦隊(日本海軍)>:日本海軍の艦隊。昭和181130日、オーストラリア北方・西ニューギニアを担当する艦隊として編成され、南西方面艦隊の隷下に入った。司令長官は山縣正郷中将。昭和1951日、第28根拠地隊が編入された。昭和20310日に解隊された。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,13増刊

第4任務部隊(アメリカ海軍)>:アメリカ海軍の任務部隊。太平洋艦隊設立と共に隷下に入った。基地海上警備部隊、基地哨戒航空部隊、防空部隊(海兵隊)を隷下に置く。参考:歴史群像8,98

第4飛行師団(日本陸軍)>:日本陸軍の飛行師団。フィリピンで編成された。通称翼師団。昭和19年後半、第4航空軍の隷下にあった。参考:帝国陸海軍事典、比島決戦

第4飛行隊(航空自衛隊)>:航空自衛隊の飛行隊。195721日(9日?)、F-86F部隊として第2航空団隷下に浜松基地で新編された。92日、千歳基地に移動。1961517日、臨時小松派遣隊(後の第6航空団)隷下となり、小松基地に移動した。1973217日から1029日、滑走路工事に伴い築城基地に移動。1030日、小松基地に戻った。1975630日に解隊された。参考:月刊JWings4,154,115,19

第4飛行団>:日本陸軍の飛行団。日華事変漢口攻略作戦発動を受けて昭和1310月に新編された。隷下に飛行第27戦隊1個中隊(九四式偵察機11機)、第1直協飛行隊(九二式偵察機4機)などを置く。参考:月刊航空ファン10,18

第4防備隊>:日本海軍の防備隊。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は第4根拠地隊の隷下だった。参考:帝国海軍太平洋作戦史T

第4補給処>:航空自衛隊の補給処。地対空ミサイル関連物品の補給を担当していた入間基地の高射支援隊が独立したもので、銃弾、爆弾、ロケット弾、ミサイル、火工品、標的、爆弾ラック、ランチャー、拳銃、小銃、対空機関砲、ペトリオットシステム、携SAM、短SAMなどを担当する。1976101日、高射支援隊から改編されて入間基地で創設された。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。201381日、木更津支処と立川支処が隷下に入り、第1補給処が担任していた燃料、油脂、給油器材、事務用品、事務用計算機、出版物、教材、着陸拘束装置、空調機、自動倉庫、電源器材、救命装備品、給食器材、被服、車両、施設器材、衛生器材、航空機用整備器材なども担当するようになった。201781-2日、行政文書管理に関する合同研修を実施。201817日、TEAMじょんそんABが富士スピードウェイでママチャリ日本グランプリに出場し、自衛官募集ののぼりを立てて疾走、1063チーム中61位だった。201999日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。2021311日、新型コロナウイルス対応の功績で、1級賞状が授与された。参考:月刊軍事研究7,11MAMOR vol.52vol.155、月刊JWings8,14、補給本部ホームページ、朝雲

 <第4補給処(2015年)>:補給本部の隷下で、入間基地に置かれている。高蔵寺支処、東北支処、木更津支処、立川支処を隷下に置く。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015

 <第4補給処(2020年)>:補給本部の隷下で、入間基地に置かれている。処長、副処長、総務課、企画課、資材計画部(見積もり、輸送調整担当)、整備部(仕様書・技術指令書作成、品質管理業務担当)、調達部(調達要求、契約担当。札幌調達室と福岡調達室では北海道及び九州地区の契約企業と調整を行う)、保管部(納入物品保管・検査、輸送調整担当)、高蔵寺支処、東北支処、木更津支処からなる。参考:MAMOR vol.166

第4補給処木更津支処>:航空自衛隊第4補給処の支処で、木更津分屯基地に置かれている。航空機支援器材、燃料油脂、車両、施設器材、被服、事務用品などを担当する。総務課、業務課、保管課からなる。201381日、第1補給処から改編されて創設された。201781-2日、入間基地で第4補給処が開催した行政文書管理に関する合同研修に参加。1024日、木更津市江川海岸の清掃を実施。121日、平成30年度退職予定者を対象とした業務管理教育を実施。201999日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。2020131日、台風15号被害の災害派遣の功績で、千葉県知事から感謝状を伝達された。参考:木更津分屯基地ホームページ、月刊JWings11,168,14、補給本部ホームページ、朝雲、MAMOR vol.155

第4補給処高蔵寺支処>:航空自衛隊第4補給処の支処で、高蔵寺分屯基地に置かれている。弾薬、銃砲、ミサイルなどを担当する。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。201781-2日、入間基地で第4補給処が開催した行政文書管理に関する合同研修に参加。参考:月刊JWings11,168,14MAMOR vol.52、朝雲

第4補給処立川支処>:航空自衛隊第4補給処の支処で、立川分屯基地に置かれている。教本や取扱説明書など図書類を担当する。20138月、第1補給処立川支処から改編されて立川分屯基地で創設された。201781-2日、入間基地で第4補給処が開催した行政文書管理に関する合同研修に参加。参考:第4補給処立川支処ホームページ、月刊JWings11,168,14、朝雲

第4補給処東北支処>:航空自衛隊第4補給処の支処で、東北町分屯基地に置かれている。弾薬やミサイルなどの整備補給を担当し、不発弾処理も行う。19943月に東北町分屯基地で新設された。19984月、不発弾処理班を編成。6月、不発弾処理教育を開始。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。201781-2日、入間基地で第4補給処が開催した行政文書管理に関する合同研修に参加。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015MAMOR vol.52、月刊JWings11,168,14、東北町分屯基地ホームページ、朝雲

第4歩兵師団>:アメリカ軍初のデジタル師団。1995年に第2機甲師団ヘル・オン・ホイールを母体とし、旧第4歩兵師団アイヴィを再編成して創設された新規師団で、愛称はアイアンホース(Ironhorse)。最初のフォース21構想実験部隊として5年間先進戦闘実験を行い、2001年にデジタル重師団として戦力化された。機甲旅団2個、歩兵旅団1個、師団砲兵、航空旅団1個、師団支援群からなり、実質は機甲師団である。作戦域は120km×200kmに達し、第2次大戦型師団163個分の支配区域を持つ。20181200100頃、カリフォルニア州フォート・イルウィンのスパローリング・ナショナルトレーニングセンターで訓練中のAH-64ヘリ1機が墜落し、乗員2名が死亡した。参考:月刊軍事研究4,03、月刊航空ファン4,18

 <第4歩兵師団(2015年)>:第3軍団隷下で、司令部はコロラド州フォート・カーソンにある。第1ストライカー旅団戦闘団、第2歩兵旅団戦闘団、第3機甲旅団戦闘団、第4戦闘航空旅団、第4歩兵師団砲兵(本部)、第4継戦旅団を隷下に置く。参考:月刊軍事研究5,16

<第四龍虎隊>:龍虎隊(特攻隊)を参照。

第4.5世代戦闘機>:第4世代戦闘機の格闘戦・ミサイル戦能力に加え、マルチロール性と多少のステルス性(外部兵装無しでRCS1平方メートル以下)を備え、第5世代戦闘機に準じる高性能センサーとセンサー融合技術、戦術データリンクを持つ戦闘機。参考:月刊JWings5,15、月刊軍事研究8,17

 

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