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与圧>:Pressurizatopn。密閉空間内に空気を強制的に送気し、内部の気圧を人工的に上昇させること。参考:飛行機のしくみ、月刊JWings10,09別冊付録

<与圧高度>:臨界高度を参照。

与圧室>:Pressurized cabin。高々度での空気密度低下による酸欠や低圧による障害を防ぐため、酸素分圧を一定に維持する機構を持つ室構造のこと。高度3000m以上を長時間飛ぶと低酸素症に陥る危険が生じるので酸素供給装置か与圧室、高度8000m以上だと低圧の影響が出るので与圧室が必要になる。また、急上昇・急降下による気圧の急変を緩衝する機構も設けておけば、鼓膜が張ったりしないので都合が良く、ついでに空調も付ければ、寒さで震えることも無い。エンジンから高温高圧の空気を取り出し、流量調整弁で圧力を、空調機で温度を下げて室内に送り込む。室内外で圧力差が生じるため、それに耐えて空気を漏らさない設計が必要になる。とはいえ空気の漏れをゼロにするのは難しいので、漏れる量より多い空気を送り込み、与圧室端のアウトフローバルブから余分な空気を排出するようにしておけば、換気も出来て便利である。高度0mの気圧を維持する強度にすると重くなるので、高度3000m程度に相当する気圧低下なら中の人間には特に支障が無いことから、旅客機では高度8000フィート(2400m)以下に相当する気圧を維持することが義務づけられている。ちなみにこの基準はB-29爆撃機与圧方式を踏襲している。この場合、高度35000-45000フィート(10700-13700m)での飛行を考慮し、7.5-8.8psi0.53-0.62kg/平方センチ)の圧力差に耐えられる設計を行う。アメリカ空軍軍用機の常用キャビン圧力差は、F-86/F-4/F-5戦闘機で5psi0.35kg/平方センチ)、B-52爆撃機で7.5psi0.53kg/平方センチ)、C-141輸送機で8.6psi0.61kg/平方センチ)となっている。強度を保てるよう開口部を少なくする必要があるので、内部に大きな機械を入れて艤装を行うことができず、生産に手間がかかる。与圧と酸素分圧保持を両方行う装置は重量がかさむので、戦闘機などでは酸素ボンベや機上酸素発生装置を別個に搭載し、酸素マスクでパイロットに供給するようになった。これには被弾して与圧が保てなくなっても低酸素症にならないという利点もある。ドイツでは1941年には高度12000mまで飛べる機体を開発しており、アメリカでは1938年にボーイングが与圧室付きの旅客機モデル307を完成させていた。日本は昭和15年秋に立川飛行機がSS-1高々度研究機で研究し、キ−74に装備したが、圧力差に耐えられず空気漏れが酷く、小型に纏めて何とか装着したものの、完成したのは終戦間近だった。太平洋戦争開戦直前の昭和16年にはボーイングのモデル307が売り込まれたが、軍が購入を断ってしまい、せっかくのチャンスをものにできなかった。キ−108などにも装備したが、実用機に配備するには至らなかった。参考:航空用語事典増補改訂版、世界の傑作機No.24、ミリタリーエアクラフト1,97、飛行機のしくみ、月刊軍事研究1,137,14、月刊航空ファン11,16

<ヨアヒム・ミュンヒェベルク>:ミュンヒェベルク(ドイツ空軍エース)を参照。

余市防備隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の防備隊で、大湊地方隊の隷下にある。所在地は北海道余市郡余市町港町で、余市湾に面している。北海道の日本海側の警備を担当し、爆発物処理、港湾調査、情報収集、艦艇への支援などを主任務とする。1971715日、魚雷艇部隊として創設された。本部と第1魚雷艇隊からなる。1993313日、第1魚雷艇隊が廃止され、PT-815魚雷艇15号が直轄艇となり、第1ミサイル艇隊とミサイル艇機動支援整備班が新編された。19941014日、PT-815魚雷艇15号が除籍された。20084月、はやぶさ型ミサイル艇配備に備えて岸壁改修関連工事を開始。1213日、第1ミサイル艇隊所属ミサイル艇2隻の余市初入港歓迎式を実施。2010624日、ミサイル艇機動支援整備班が廃止された。2018423日、平成29年度下半期大湊地方隊働き方改革推進の優秀部隊として大湊地方総監部で総監から賞状を授与された。96日に発生した北海道胆振東部地震の災害派遣に参加。202095-9日に札幌地本が行った大学生らに対するインターンシップに協力した。2022510日、北海道防衛局の新規採用者教育研修(後段)に協力した。参考:月刊丸7,14、月刊世界の艦船1,79増刊、2,12、朝雲

余市防備隊(1978年)>:大湊地方隊隷下で、第1魚雷艇隊を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船1,79増刊

余市防備隊(2001年4月1日)>:大湊地方隊隷下で、第1ミサイル艇隊を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船6,01

余市防備隊(2011年)>:大湊地方隊隷下で、本部、第1ミサイル艇隊からなる。参考:海上自衛新聞、月刊世界の艦船6,11

余市防備隊(2015年)>:大湊地方隊隷下で、本部、第1ミサイル艇隊からなる。参考:月刊世界の艦船6,15

余市防備隊(2020年)>:大湊地方隊隷下で、第1ミサイル艇隊などを隷下に置く。参考:月刊世界の艦船6,20

宵月>:日本海軍秋月型駆逐艦10番艦Yoizuki。昭和20131日竣工。65日、大分県姫島灯台の北西5.8kmで触雷して損傷した。724日、呉で空襲を受け、被弾損傷した。昭和20105日に除籍され、兵装を撤去(レーダーや高射装置は装備したままだった)して121日に特別輸送艦に指定され、昭和212月から復員輸送任務に就いた。3月、シドニーで台湾と朝鮮の軍人・軍属を乗せ、基驍ニ釜山に輸送した。狭い船体に1000名以上を詰め込んだため、台湾では宵月艦地獄船事件と呼んでいる。昭和221月、葫蘆島から博多への復員輸送任務を実施。昭和22829日、賠償艦として中国に引き渡され、国府海軍所属の汾陽となった。参考:日本駆逐艦史、第2次大戦日本海軍作戦年誌、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船8,22

揚威>:清国海軍超勇級巡洋艦Yangwei18817月竣工。1894917日、日清戦争黄海海戦で戦没した。参考:月刊世界の艦船2,23

揺架>:可動式砲架。砲身部と駐退復座装置を支え、砲身に射角を与える時の俯仰部になる部分で、後座/復座時には砲身部のガイドとなる。参考:火器弾薬技術ハンドブック、兵器最先端5

八日市飛行場>:日本陸軍の飛行場。元は大正46月に滋賀県八日市町沖野が原で開設された民間の沖野が原飛行場で、あまり使われずにいたが、大正611月の近江陸軍特別大演習で陸軍が使用したのをきっかけに陸軍航空部隊の誘致活動が始まって陸軍に献納され、大正1011月に航空第3大隊が新編され、大正111月に八日市飛行場として開設された。昭和154月、第8航空教育隊が配置された。参考:月刊航空ファン4,17

用賀駐屯地>:陸上自衛隊の駐屯地。所在地は東京都世田谷区上用賀1-20-12011311日、東日本大震災で車両整備場に亀裂が入った。参考:JGround Vol.23、朝雲

 <用賀駐屯地(2015年)>:関東補給処用賀支処が駐屯している。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

ようかん>:10cm角で20cm長くらいの角材のこと。旋回時に外れた履帯と車両の間にこれを差し込み、バックさせると簡単に履帯をはめ直すことができた。日本軍では砂地などの不整地で履帯が外れやすく、これは必需品であった。参考:月刊PANZER2,04

遥感衛星シリーズ>:中国が2006年から打ち上げているリモートセンシング衛星YaoGan。地球観測衛星というふれ込みだが、軍用を兼ねる。光学観測装置搭載型、合成開口レーダー搭載型、電子信号妨害型、電子偵察型、海洋偵察型など、いくつかの種類がある。参考:月刊軍事研究10,141,1311,10

 <遥感1号>:JB-5.1(尖兵Jian Bing-5.1)という軍名称も付けられており、2006426日に長征4Cで打ち上げられた。合成開口レーダーを搭載しており、高度628km×629km・傾斜角97.8度の軌道を周回している。2010年に損壊した。参考:月刊軍事研究10,14

 <遥感2号>:JB-6.1という軍名称も付けられており、2007525日に長征2Dで打ち上げられた。合成開口レーダーを搭載しており、高度663km×639km・傾斜角97.9度の軌道を周回している。参考:月刊軍事研究10,14

 <遥感3号>:JB-5.2という軍名称も付けられており、20071111日に長征4Cで打ち上げられた。遥感1号と同型で、合成開口レーダーを搭載しており、高度628km×629km・傾斜角97.8度の軌道を周回している。重量2.7トン。参考:月刊軍事研究10,14

 <遥感4号>:JB-6.2という軍名称も付けられており、2008121日に長征2Dで打ち上げられた。遥感2号と同型で、合成開口レーダーを搭載しており、高度660km×642km・傾斜角97.9度の軌道を周回している。参考:月刊軍事研究10,14

 <遥感5号>:20081215日に長征4Bで打ち上げられた。解像度0.6mくらいの電子光学画像衛星で、高度501km×494km・傾斜角97.3度の軌道を周回している。参考:月刊軍事研究10,14

 <遥感6号>:JB-7.1という軍名称も付けられており、2009422日に長征2Cで打ち上げられた。合成開口レーダーを搭載しており、高度518km×519km・傾斜角97.3度の軌道を周回している。参考:月刊軍事研究10,14

 <遥感7号>:JB-6.3という軍名称も付けられており、2009129日に長征2Dで打ち上げられた。遥感2号と同型で、合成開口レーダーを搭載しており、高度630km×666km・傾斜角97.8度の軌道を周回している。参考:月刊軍事研究10,14

 <遥感8号>:20091215日に長征4Cで打ち上げられた。重量1.04トンの電子光学画像衛星で、高度1202km×1207km、傾斜角100.1度の軌道を周回している。参考:月刊軍事研究10,14

 <遥感9号>:201035日に長征4Cで遥感9号A・B・Cの3基いっぺんに打ち上げられた。ESMにより艦艇の位置を特定し、監視することが可能な海洋監視衛星で、各衛星は60-100km離れた三角形の頂点上に位置し、高度1089km×1107km、傾斜角63.4度の軌道を周回している。参考:月刊軍事研究10,144,15

 <遥感10号>:JB-5.3という軍名称も付けられており、2010810日に長征4Cで打ち上げられた。遥感1号と同型で、合成開口レーダーを搭載しており、高度628km×629km・傾斜角97.8度の軌道を周回している。参考:月刊軍事研究10,14

 <遥感11号>:JB-6.4という軍名称も付けられており、2010922日に長征2Dで打ち上げられた。遥感2号と同型で、合成開口レーダーを搭載しており、高度670km×625km・傾斜角98度の軌道を周回している。参考:月刊軍事研究10,14

 <遥感12号>:2011119日に長征4Bで打ち上げられた。遥感5号と同じ電子光学画像衛星で、周回軌道は不明。参考:月刊軍事研究10,14

 <遥感13号>:JB-7.2という軍名称も付けられており、20111130日に長征2Cで打ち上げられた。遥感6号と同型で、合成開口レーダーを搭載している。周回軌道は不明。参考:月刊軍事研究10,14

 <遥感14号A>:2012510日に長征4Bで打ち上げられた。電子光学画像衛星で、高度466km×479km・傾斜角97.24度の軌道を周回している。参考:月刊軍事研究10,14

 <遥感15号>:2012529日に長征4Cで打ち上げられた。遥感8号と同型の電子光学画像衛星で、高度1202km×1201km・傾斜角100.1度の軌道を周回している。参考:月刊軍事研究10,14

遥感16号>:20121125日に長征4Cで遥感16号A・B・Cの3基いっぺんに打ち上げられた。遥感9号と同じ海洋監視衛星で、高度1085km×1096km・傾斜角63.4度の軌道を周回している。参考:月刊軍事研究10,14

遥感17号>:201391日に長征4Cで遥感17号A・B・Cの3基いっぺんに打ち上げられた。遥感9号と同じ海洋監視衛星で、周回軌道は不明。参考:月刊軍事研究10,14

遥感18号>:JB-7.3という軍名称も付けられており、20131029日に長征2Cで打ち上げられた。遥感6号と同型で、合成開口レーダーを搭載している。周回軌道は不明。参考:月刊軍事研究10,14

遥感19号>:20131120日に長征4Cで打ち上げられた。遥感8号と同型の電子光学画像衛星で、高度1202km×1207km・傾斜角100.1度の軌道を周回している。参考:月刊軍事研究10,14

遥感20号>:201489日に長征4Cで遥感20号A・B・Cの3基いっぺんに打ち上げられた。遥感9号と同じ海洋監視衛星で、高度1085km×1102km・傾斜角63.4度の軌道を周回している。参考:月刊軍事研究10,14

遥感21号>:遥感5号と同型。参考:月刊軍事研究4,15

遥感22号>:遥感8号と同型。参考:月刊軍事研究4,15

遥感23号>:遥感6号と同型。参考:月刊軍事研究4,15

遥感24号>:遥感2号と同型。参考:月刊軍事研究4,15

遥感25号>:遥感9号と同型で、3基同時に打ち上げられた。参考:月刊軍事研究4,15

遥感26号>:20141227日に打ち上げられた。電子光学センサーを搭載する。参考:月刊軍事研究4,15

遥感30号>:2016515日に打ち上げられた。参考:月刊軍事研究3,18

遥感33号>:リモートセンシング衛星。2019523日に長征4Cロケットで打ち上げたが、3段目の不具合により軌道に乗らなかった。参考:月刊航空ファン8,19

養缶水>:艦のボイラーに補充する水のこと。参考:月刊世界の艦船9,02

養缶水タンク>:養缶水の蒸発量を計測するためのタンク。参考:月刊世界の艦船9,02

<邀撃>:要撃を参照。

要撃>:昔は邀撃と書いた。未確認機を確認、攻撃、排除するための戦闘行動で、迎撃に同じ。航空自衛隊では専守防衛の立場から、迎え撃つ「迎撃」ではなく、必要に応じて出撃する「要撃」を専ら使用している。参考:月刊JWings1,059,10

鷹撃1型シリーズ>:中国海軍対艦ミサイル。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版

鷹撃1型>:艦対艦ミサイル版Yīngjī-1(YJ-1)、輸出名称C801、米軍コードCSS-N-4NATOコードはサーディン(Sardine)。1984年に公表された。エグゾセのコピーとみられるが、それよりも重い割に射程が短い。全長5.814m、直径0.36m、翼スパン1.18m、重量815kg(ブースターあり)/625kg(無し)、弾頭重量165kg。推進は固体ロケットで、最大速度マッハ0.9、射程42km。誘導は慣性誘導+ARHで、高度25mを巡航し、突入直前に高度を5-7mに下げる。1990年にタイ、1990年代前半からイランに輸出された。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版、軍用機ウェポン・ハンドブック、月刊軍事研究12,996,93別冊、日米イージス艦と弾道ミサイル防衛、月刊世界の艦船11,17

 <C−801K>:航空機発射型で、YJ-8Kともいう。強撃5型の主翼下に1発ずつ搭載できる。全長5.181m、翼スパン0.975m、発射重量998kg。射程35km。参考:世界軍用機年鑑1990-91

<鷹撃1型・海外シリーズ>

 <カルス>:イラン海軍・イラン革命防衛隊対艦ミサイル。C-801のライセンス生産版で、地対艦、艦対艦、空対艦型がある。全長5.81m(空対艦は4.65m)、直径0.36m、重量815kg(空対艦は655kg)、弾頭重量165kg。推進は固体ロケットで、最大射程40km1997年から量産された。参考:月刊軍事研究11,11

 <タケブ>:カルスの水中発射型。20068月、潜水中のキロ級潜水艦から発射された。参考:月刊軍事研究11,11

鷹撃2型>:中国の艦対艦ミサイルインチ2型、別名YJYīngjī-2、輸出名称C-802、米軍コードはCSS-N-8(開発中はCSSC-X-8)、NATOコードはサッケイド。鷹撃1型のエンジンをターボファン(ターボジェット?)に換装したタイプで、射程が120kmになった。誘導は中間が慣性/GPS、終末がアクティブ/パッシブレーダー。巡航飛翔高度20-30m、終末飛翔高度5-7m1989年に公表された。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック、艦載兵器ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船6,14、月刊軍事研究12,994,053,13、日米イージス艦と弾道ミサイル防衛

<鷹撃2型・海外シリーズ>

 <鷹撃2型(イラン)>:イラン軍艦対艦ミサイル。1991年に中国から60発を輸入した。参考:日米イージス艦と弾道ミサイル防衛

 <トンダル>:イラン軍対艦ミサイル。イランが1997年からライセンス生産したもので、艦対艦、地対艦、空対艦型がある。全長6.39m(空対艦は5.3m)、直径0.36m、重量715kg(空対艦は555kg)、弾頭重量165kg。エンジンはターボジェットで、最大射程120km。性能が低かったため、2000年から北朝鮮と共同で改良に着手し、命中精度を改善した。20073月、Mi-17ヘリからの発射に成功した。参考:月刊軍事研究11,11

 <ヌーア>:イラン軍対艦ミサイル。鷹撃2型(イラン)/トンダルの射程延伸型で、2002年に登場した。シーカーをイラン国産のDM-3Bアクティブレーダーに換装し、中間誘導としてGPSを搭載しているらしい。射程180km20064月、ASH-3DシーキングまたはMi-17ヘリからの発射に成功した。地対艦型がヒズボラの手に渡り、南レバノン紛争でハニトを大破させ、民間船を撃沈した。参考:月刊軍事研究10,0711,11

鷹撃6型シリーズ>:中国の空中発射巡航ミサイルで、インチ6型と読む。1960年代半ばに轟炸5/6型爆撃機用空対艦ミサイルとして計画されたが、文化大革命で開発がストップし、19774月(1975年?)に開発を再開した。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック

鷹撃6型>:対艦ミサイル型で、別名YJ-6(Yīngjī-6)、米軍コードはCAS-1NATOコードはクラーケン(Kraken)。海鷹2型艦対艦ミサイルの空中発射型で、1982619日(1981年?)に轟炸6型からの空中発射試験に成功、19837月に中間誘導用INSを追加して完成した。全長7.1m、直径0.76m、翼スパン2.40m、重量2.44トン、弾頭重量513kg。液体燃料ロケット推進で、射程100km。誘導は慣性誘導とJバンド・モノパルスレーダーによるARH。轟炸6型D爆撃機に2発搭載できる。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック、月刊丸10,97、月刊軍事研究5,07

YJ−61>:射程を200kmに延伸したタイプで、全長が7.36mになった。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック

YJ−62>:Yīngjī-62、鷹撃62。鷹撃6型のエンジンをターボファン(ターボジェット?)に換装したもの。弾体中央に2枚の折り畳み式水平安定翼、後部下面にエアインテイク、尾部に十字翼を持つ。366型射撃指揮レーダーで管制される。対地攻撃にも使えるらしい。全長6.1m(本体のみ)/7m(固体燃料ロケットブースター込み)、直径0.54m、翼スパン2.9m、発射重量1.35トン、本体重量1.14トン、弾頭重量0.21-0.3トン(半徹甲)。巡航速度マッハ0.6-0.8、最大速度マッハ0.9、巡航高度30m、終末飛翔高度7-10m、最大射程222km-400km以上。誘導は中間が慣性+GPS、終末がARH(探知距離40km以上、追尾距離30km)。2005年頃に実用化され、052C型ミサイル駆逐艦に搭載された。参考:月刊軍事研究5,0712,067,0711,16、月刊世界の艦船1,'15増刊、8,'204,'215,156,1411,179,'22、月刊航空ファン6,19

YJ−62A>:8×8輪トラクターTAS-5380に3連装ランチャー(俵積み)を搭載した地対艦ミサイル型。射程280km。参考:月刊世界の艦船3,10、月刊軍事研究2,1012,15

YJ−62C>:20086月に公表された地対艦ミサイル型。射程280km。参考:月刊世界の艦船4,09

YJ−63>:Yīngjī-63。空対地巡航ミサイル型で、YJ-62の射程延伸・命中精度改善型であり、中間誘導を慣性・GPS、終末誘導をTVとしてCEP10-15mにしている。全長7.36m、直径0.76m、発射重量2440kg、弾頭重量500kg(半徹甲)。エンジンはターボジェットで、巡航速度マッハ0.68、射程500-600kmH-6Hに2発、H-6Kに6発を搭載可能である。2007年現在、100発以上が配備されている模様。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック、月刊軍事研究5,07

C−601>:鷹撃6型の輸出型で、Tu-16の主翼下に1発ずつ搭載できる。全長7.376m、直径0.92m、翼幅2.8m、発射重量2440kg、弾頭重量510kg。固体燃料ロケット推進(固体燃料ロケットブースター+液体燃料ロケットサステナー?)で、射程80km。イラク軍が湾岸戦争当時配備していた。参考:軍事研究湾岸戦争、軍用機ウェポン・ハンドブック、月刊軍事研究6,93別冊

C−602>:YJ-62の輸出型で、射程を280kmに減らしている。中国精密機械進出口総公司が2006年のAADに出展し、ミャンマーやパキスタンが採用した。参考:月刊軍事研究5,0712,067,07、月刊世界の艦船1,'15増刊、5,156,14

C−611>:YJ-61の輸出型。参考:月刊軍事研究11,16

<鷹撃7>:C-701シリーズ(対艦ミサイル)を参照。

鷹撃8シリーズ>:中国海軍の対艦ミサイル。19779月に開発が許可されて鷹撃8の名称が付き、1979年に初の飛翔試験に成功し、19859月に24型ミサイル艇から6発発射して全弾命中しテストを終了、1987年に実用化された。参考:月刊航空ファン6,19、月刊世界の艦船3,10

 <鷹撃8>:艦対艦型で、別名YJ-8(Yīngjī-8)、米軍コードはCSS-N-4NATOコードはサーディン(Sardine)。当初は液体燃料ロケットによる超音速ミサイルを計画したが、エグゾセMM38をベース(コピーしたともいわれる)としたシースキミング・ミサイルに変更した。全長5.81m、直径0.36m、翼スパン1.18m、発射重量815kg、弾頭重量165kgHE)。誘導は中間INS、終末ARH。推進は固体燃料ロケットブースター+固体燃料ロケットサステナー、飛翔速度マッハ0.9、最大射程42km。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊、11,176,'209,'22、月刊軍事研究4,05

鷹撃8A>:艦対艦型で、別名YJ-8A(Yīngjī-8A)。鷹撃8の安定翼を折り畳み式にしたもので、発射筒も小型にして強化リブを付けた。推進は固体燃料ロケット、射程65海里。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊、3,1011,17、月刊航空ファン6,19

鷹撃81>:空対艦型、別名YJ-81(Yīngjī-81)。弾頭重量165kg。鷹撃8の空中発射型で、ブースターを省いた。弾体中央に安定翼4枚、尾部に操縦翼4枚がある。誘導はミリ波レーダーと赤外線。推進は固体燃料ロケット、飛翔速度マッハ0.9、巡航高度20-30m。殲轟7に搭載可能。参考:月刊航空ファン6,19、月刊世界の艦船11,171,'15増刊、月刊軍事研究4,0512,094,15

鷹撃82>:潜対艦型、別名YJ-82(Yīngjī-82)、米軍コードCSS-N-7。鷹撃8の潜水艦発射型で、キャニスターに入れて発射し、海面に到達するとミサイルが射出される。弾頭重量165kg。誘導は中間INS+終末ARH。推進は固体燃料ロケット、飛翔速度マッハ0.9、射程42km091型漢級、039型宋級、093型商級、元級に搭載された。参考:月刊世界の艦船4,'2111,176,143,10、月刊航空ファン6,19THE MILITARY BALANCE 2016

鷹撃83>:艦対艦型、別名YJ-83(Yīngjī-83)、米軍コードCSS-N-8NATOコードはサッケイド(Saccade)。台湾海軍雄鷹2型・3型対艦ミサイルに対抗するため1993年から開発した終末超音速飛行型で、YJ-8Aのエンジンをターボジェットに変更し、目標から20-30kmの地点でマッハ1.3-1.5の超音速飛行に移るようにした。366型射撃指揮レーダーで管制される。全長6.39m6.86m?)、直径0.36m、発射重量715kg850kg?)、弾頭重量165kg(半徹甲)。誘導は中間がINS+データリンクによる目標情報アップデート、終末がミリ波レーダーARH+パッシブ赤外線。推進は固体燃料ロケットブースター+ターボジェット、巡航速度マッハ0.85、終末速度マッハ1.5-2、巡航高度10-50m、終末高度5m、最大射程120-150km95海里?)。199810月の実艦的に対する実射試験で6発発射して5発命中し、1999年に実用化された。参考:月刊世界の艦船5,1511,173,182,204,'213,053,133,106,146,'20、月刊航空ファン6,19、月刊軍事研究12,09

鷹撃83K>:空対艦型、別名YJ-83K(Yīngjī-83K)。全長5.145m、直径0.36m、翼スパン1.18-1.22m(展長時)/0.72m(折り畳み時)、発射重量530kg、弾頭重量165-200kg。巡航速度マッハ0.9、最大速度マッハ1.5、最小射程12-15km、最大射程160-250km、巡航高度20-30m、終末高度5-7m。参考:月刊世界の艦船3,10、月刊航空ファン9,184,10

YJ−84>:潜対艦ミサイル型Yīngjī-84、鷹撃84。参考:月刊世界の艦船1,15増刊

<YJ−85>:空地63を参照。

YJ−88>:空対地型Yīngjī-88、鷹撃88。射程を180kmに延伸し、GPS/TERCOMによる対地攻撃能力を追加したタイプらしい。参考:月刊世界の艦船1,15増刊、月刊軍事研究12,14

<鷹撃8海外シリーズ>

 <C−800>:鷹撃8の輸出型。参考:月刊航空ファン6,19

 <C−801>:鷹撃8または鷹撃81の輸出型。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊、月刊航空ファン6,19

 <C−801A>:鷹撃8Aまたは鷹撃81の輸出型。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊

 <C−802>:鷹撃82の輸出型。米軍コードCSS-N-4NATOコードはサーディン(Sardine)。参考:月刊航空ファン6,19、月刊世界の艦船11,17

 <C−802A>:輸出型で、C-802の弾頭を大型化し、射程も延伸した。参考:月刊世界の艦船11,17

 <C−802AK>:鷹撃83Kの輸出型。全長5.14m、弾体直径0.36m、翼スパン1.8m、発射重量595kg、弾頭重量190kg。エンジンはTRI60-2ターボジェット、飛翔速度マッハ0.8-0.9、射程225-250km。誘導は中間INS+終末パッシブレーダー。参考:月刊航空ファン10,18、月刊軍事研究11,16

 <C−802AKJ>:C-802AKにデータリンクを追加し、母機(轟炸6型Kなど)にもデータリンクポッドを搭載、対地攻撃や移動目標攻撃も可能としたタイプ。参考:月刊航空ファン10,18

 <C−803>:鷹撃83の輸出型。参考:月刊航空ファン6,19

 <Ghader>:イランの対艦ミサイル。C-802Aを国産化したものである。参考:月刊航空ファン10,18

 <ノール>:ノールを参照。

鷹撃9>:中国軍のヘリコプター用対艦ミサイルYJ-9(Yīngjī-9)、輸出名称C701またはC900または天龍10。全長2.5m、翼スパン0.58m、重量100kg。射程30kmZ-9Dヘリに4-8発を搭載可能。参考:月刊航空ファン6,19

鷹撃12シリーズ>:中国軍艦対艦/地対艦/空対艦ミサイルYīngjī-12YJ-12。対地攻撃にも使える。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊、月刊軍事研究10,18

YJ−12>:3M80EYJ-83Kh-31説あり)をベースに1990年代から開発され、1990年代後半にジェット推進で発射テストに成功、21世紀に入ってラムジェット推進に変更したYJ-12Aとして実用化された。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊、5,163,136,14、月刊軍事研究4,152,1312,15、月刊航空ファン6,19、軍用機ウェポン・ハンドブック

YJ−12A>:艦対艦/空対艦型。YJ-12の実用化型で、2004年から量産中(2014年配備?)らしい。弾体中央から後方にかけての斜め四方に角型エアインテイクとダクトが付いており、その中央と後部にクリップドデルタ翼が1枚ずつ装着されている。全長6.3m6-7m?)、弾体直径0.387m、翼スパン0.756m、発射重量1-2.5トン、弾頭重量0.205トン(0.4-0.5トン説あり)。誘導は中間がINS/GPS/GLONASS/北斗、終末がARH/TV/赤外線画像/パッシブレーダー。推進は固体燃料ブースター+液体燃料ラムジェット(インテグラル・ロケット・ラムジェット?)、最大速度マッハ2.5-3.2(マッハ4以上?)、最大射程150-200km250km/400km/500km説もあり)。艦対艦型はVLS(コールド・ランチ式らしい)から発射する。空対艦型はJH-7Bに搭載予定。艦対艦型がYJ-12で空対艦型がYJ-12Aという説や、逆に空対艦型がYJ-12で艦対艦型がYJ-12Aという説もある。2015年の閲兵式で行進した。参考:月刊軍事研究10,1710,18、月刊世界の艦船11,171,1811,182,204,'2111,'219,'22、月刊航空ファン6,19

YJ−12B>:地対艦型。飛翔速度マッハ3、射程544km20183月、南沙諸島に配備されているのが確認された。参考:月刊軍事研究10,18、月刊世界の艦船8,20

<鷹撃12海外シリーズ>

 <CM−302>:輸出型。射程280km。参考:月刊世界の艦船8,20

<鷹撃18シリーズ>:YJ-18シリーズ(対艦ミサイル)を参照。

<鷹撃62>:鷹撃6シリーズ(対艦ミサイル)を参照。

<鷹撃83>:鷹撃8シリーズ(対艦ミサイル)を参照。

<鷹撃91>:Kh-31海外シリーズ(対艦ミサイル)を参照。

要撃管制官(航空自衛隊)>:航空総隊防空管制隊・警戒管制隊に所属し、防空指揮所に位置して国籍不明機の情報を関連部隊(戦闘機部隊、早期警戒管制部隊、防空ミサイル部隊など)に提供して要撃を指示する。参考:月刊JWings4,16

要撃機搭載型護衛艦>:DDVと略す。1986-87年度の防衛庁洋上防空体制研究会で海幕がイージス艦と共に提案した護衛艦である。主任務は空対艦ミサイル搭載爆撃機の迎撃で、撃ち漏らして発射された対艦ミサイルはイージス艦で叩き落とすことにより完全な艦隊防空体制を達成する。排水量15000-20000トン。AMRAAM搭載STOVL戦闘機10機を運用する。構想のみに終わった。参考:月刊世界の艦船9,12

要撃警戒管制(航空自衛隊職域)>:航空自衛隊の職域の1つで、要撃管制、機上要撃管制、警戒管制、機上警戒管制の各職種を含む。領空を常に監視して国籍不明機を探知識別し、スクランブル機を誘導するのが主任務である。参考:月刊JWings7,12

<要撃戦闘機>:迎撃戦闘機を参照。

要撃戦闘機(航空自衛隊)>:航空自衛隊の機種。2005年、支援戦闘機と合わせて戦闘機に機種統一された。参考:月刊世界の艦船10,15

要撃戦闘機飛行隊>:航空自衛隊の飛行隊。配備定数は稼働数なので、実際に配備される航空機はもっと多い。参考:月刊JWings1,04

要撃戦闘機飛行隊(F−86D)>:1958年から第101、第102、第103、第105飛行隊が編成された。ちなみに第104F-104と紛らわしいので飛ばされている。参考:月刊JWings6,16

要撃戦闘機飛行隊(F−86F)>:定数はF-86F戦闘機25機。第1、第2、第3、第4、第5、第6、第7、第8、第9、第10飛行隊が編成された。参考:世界の傑作機No.104、月刊JWings6,16

要撃戦闘機飛行隊(F−104J)>:定数はF-104J18機、F-104DJが2機、T-33Aが2機。沖縄配備後の第207飛行隊はF-104J25機、F-104DJが3機、T-33A10機の特別編成とされた。第201、第202、第203、第204、第205、第206、第207飛行隊が編成された。参考:世界の傑作機No.104、月刊JWings6,16

要撃戦闘機飛行隊(F−4EJ)>:第301、第302、第303、第304、第305、第306飛行隊が編成された。参考:月刊JWings6,16

要撃戦闘機飛行隊(F−15J)>:指揮官たる飛行隊長(二等空佐)、飛行班長(三等空佐)、フライト・リーダー(一等空尉)4名などを擁し、隊長機1機、班長機1機、戦闘機16機、在場予備機2-4機、損耗予備2機を有する。戦闘機はエレメント(2機編隊)やフライト(4機編隊)もしくはそれ以上での運用が可能で、任務に応じて編成を変える。F-15Jに加えて複座のF-15DJ1-2機含まれる。連絡機としてT-42-3機保有する。第201、第202、第203、第204、第303、第304、第305、第306飛行隊が機種改変でF-15J飛行隊となった。参考:月刊軍事研究4,10、月刊JWings6,16

邀撃艇>:日本海軍の試作潜水艇で、秘匿名称はU金物。潜水艦による輸送作戦が不可能となったために余っていた特型運貨筒を改造したもので、操縦塔を艇体中央に移し、舵とスクリューを大型化、艇体下面に61cm魚雷2本を装備した。上陸予想地点付近で待機、敵が来たら半潜没状態で航行し、操縦筒の覗き窓から前を見つつ操舵する。全長14.05m、幅2m、排水量15トン。主機は魚雷用エンジン1基で、速力3ノット、航続距離1.35海里。乗員1名。低速のため有効な攻撃ができないと判断され、昭和19年に先行量産20隻(14隻?)のみの生産に終わった。完成した艇は佐伯基地に配備され、実戦に備えて訓練が行われていた。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、日本潜水艦物語、月刊世界の艦船9,13増刊

<陽江>:770(ミサイル艇)を参照。

要港(日本海軍)>:鎮守府管内(海軍区)に設置された港で、軍港よりも設備や機関が小規模のもの。トップは司令官(中将または少将)で、要港部が置かれており、特定地域の防御・警備を担当する。固有の艦艇は無い。参考:月刊世界の艦船9,13増刊、帝国陸海軍事典

養浩館>:海軍兵学校の酒保で、浩然の気を養う館の意。和洋折衷2階建てで、普通学講堂の裏手にあり、売店と学年別の日本間が用意されている。毎日夕食後に開かれ、入る時は外で短剣と帽子を取り、帽子は帽子掛けに掛ける。日本間では外出許可時間のみ上衣を脱ぐことと横になることが可能。売店では羊羹、うどん、汁粉といった食料や、文房具、靴下、褌などの日用品を買うことが出来る(伝票に書いて箱に入れ、月末に一括精算する)。昭和16年前半くらいまでは夕食がマズかったらオカズを残して養浩館で食べたいものを食べ、長さ18cmの大羊羹を1ヶ月に55本食べたり、早食い競争で13本一気食いしたりと、空腹に悩まされることは無かったらしい(ちなみに兵学校から給与が出るので金払いには困らない)。日華事変の長期化と国際情勢悪化で食糧事情が厳しくなり、生徒数も急増したため、昭和16年後半には平日の営業を停止、土曜の夕食後から1900までと日曜の0900-1700しか開かれなくなった。更に73期生の入校時からは飲食物の販売を停止、水曜の夕食時に短い羊羹1本とミカン1個、日曜に甘味品数個が提供されるのみという状況になってしまい、以降の生徒は空きっ腹を抱えて授業を受けることになった。ちなみに帳簿などをチェックする担当生徒は酒保・養浩館係であって、間違っても塩羊羹係ではない。参考:海軍兵学校よもやま物語

揚抗比>:Lift-drag ratioL/D(エル・バイ・ディー)。航空機が飛行する際の揚力と抗力の比または揚力係数と抗力係数の比。後者が良く使用されるが、前者でも値は同じである。滑空比に等しく、グライダーの性能をほぼ決定する値であり、揚抗比が大きければ同じ燃料搭載量でも航続距離が延伸する。一般的に、翼面積が大きいと低速時に揚抗比が大きくなり、翼面積が小さいと高速時に揚抗比が大きくなる。参考:航空用語事典増補改訂版

要港部>:要港に置かれている組織で、鎮守府の隷下にある。艦隊支援や沿岸防備を主任務とするが、固有の艦艇は無い。昭和1611月に警備府となった。参考:月刊世界の艦船9,13増刊

陽光を背に>:陸上自衛隊の車両行進曲。「祝典ギャロップ」の後継で、201710月から20184月までの募集に音楽隊員から6曲の応募があり、東北方面音楽隊の岩渕3等陸曹が作曲した本曲が採用された。20181014日の自衛隊記念日観閲式で初披露された。参考:朝雲

要塞>:重要拠点に永久築城を行ったもの。参考:月刊軍事研究7,05

要塞砲>:攻守城砲ともいう。要塞などに設置する固定式の砲のこと。参考:戦場写真で見る日本軍実戦兵器

洋手>:日本海軍用語で、タオルのこと。参考:海軍よもやま物語

<揚州>:578054A型フリゲート)またはS83U(レーザー測距器)を参照。

洋上活動集合教育>:陸上自衛隊の教育。水陸機動連隊以外の水陸機動団所属隊員が必ず受講する教育で、期間は2週間。水陸機動教育隊で行われる。参考:MAMOR vol.158

洋上監視機>:200海里経済水域などの洋上監視を行う航空機のこと。主に軽輸送機をベースとして必要な器材を積み込んでおり、限定的な対潜戦能力を持つものもある。参考:世界軍用機年鑑1990-91

<洋上給水装置用給水ホース>:自衛隊の機器。ユニバーサル特機製。参考:月刊軍事研究9,16

洋上給油>:海洋上で給油を行うこと。長期間海洋作戦には欠かせないが、手早く済ませないと潜水艦の餌食になる。給油艦と被給油艦が近接して同速・同針路を保たねばならず、実戦では夜間悪天候、無灯火、無線封止で行うことも多く、猛訓練が必須。参考:艦船メカニズム図鑑、月刊世界の艦船8,13、敷設艦 工作艦 給油艦 病院船

 <洋上給油(スパンワイヤー方式)>:スパンワイヤーと呼ばれる鋼索を使用する横曳き式の洋上給油で、アメリカ海軍が開発した。基準艦は給油艦で、一定の針路と速力を保ち、受油艦は後方から6ノット優速で接近、針路と速力を調整して対艦距離35-40mで給油舷側を併走する。給油艦はスパンワイヤー用導索、蛇管導索、距離・電話索の先端部を中索に繋ぎ、更に先端に砂袋を付けた長さ80mの小索も中索に結ぶ。この小索を投擲員(レットマン)が頭上で水平に振り回して勢いを付け、受油艦の甲板に投げ込む。ハイライン作業時の垂直振り回しよりも周辺の障害物に砂袋をぶつけてしまう危険性が高く、投擲方向もずれやすいため、注意が必要。受け取った受油艦側は中索から各索を解き、所定の場所に係止する。次いで給油艦から導索に沿ってスパンワイヤーを送り出すが、繰り出す給油艦ウインチマンと巻き取る受油艦甲板作業員の息が合わないと、たるんだり、引っ張りすぎたりする。スパンワイヤーが受油艦側に達したら、受油ステーションにスパンワイヤーを係止し、給油艦側はウインチ操作で一定の張度と蛇管繰り出しに必要な傾斜を保つ。スパンワイヤーが緩むと蛇管が海に浸かってしまい、緊張しすぎると最悪スパンワイヤーが切断されて給油装置が海に落ちたり、飛び跳ねたスパンワイヤーが兵員を切断したりするので、一定の張度を維持するウインチシステムと、給油艦・受油艦の十分な訓練が必要である。送油に使用する蛇管は給油艦のデリックブームに吊されており、スパンワイヤーの上を円滑に進めるようサドルと呼ばれる滑車付移動装置が取り付けられている。このサドルを受油艦側に傾斜したスパンワイヤーに取り付け、蛇管導索(メッセンジャー)を引っ張ってたぐり寄せ、受油ステーションの受油口に蛇管を結合し、補強索を取り付けて外れないようにすれば給油準備は完了する。受油口と蛇管との結合は、当初は単に差し込むだけだったが、漏れたり外れたりする恐れがあり、受油口と蛇管先端にフランジを取り付けて互いにボルトで締めるフランジ方式が採用された。更に蛇管先端を雄ネジ、搭載口を雌ネジにしたカップリング方式に発展したが、いずれも作業に手間がかかり、夜間悪天候時などは危険が伴うといった欠点があった。そのため、空中給油装置と同様の自動嵌合機構を使用することにし、蛇管先端にプローブを取り付け、受油艦の艦橋外壁などに作りつけてあるスイブルアームにプローブレシーバーを固定、プローブレシーバー上部のペリカンフックに取り付けたスパンワイヤーに沿って蛇管を送り込み、そのまま慣性でプローブをプローブレシーバーに自動的にドッキングさせるプローブ方式を開発して解決した。送油終了後はブローを行って蛇管を空にし、逆の手順で給油艦が蛇管や索を回収、最後にスパンワイヤーを解除したところで受油艦が増速して前方に離脱する。参考:月刊世界の艦船8,13、艦船メカニズム図鑑

 <洋上給油(日本海軍)>:大型艦から小型艦への洋上給油は太平洋戦争前から度々実施していたが、給油艦から大型艦への補給は真珠湾攻撃の時が初めてで、2ヶ月前から試行錯誤した。結果、給油艦から大型艦に給油する場合は大型艦が給油艦を縦曳し、給油艦から小型艦(駆逐艦など)に給油する場合には給油艦と小型艦が側曳(わきびき。横曳方式)、荒天の時は給油艦が小型艦を縦曳することにし、巡航速力9ノット(最大12ノット)で航走、間隔は縦曳で70-80m・側曳で30m10-20m?)を保ち、縦曳なら毎時100トン、側曳なら毎時200トンを送油した。真珠湾攻撃では1127日から127日までに9回の洋上給油を行っている。参考:月刊軍事研究12,07、月刊世界の艦船2,23

<洋上給油ホース>:自衛隊の機器。日本バルカー工業製。参考:月刊軍事研究3,18

<洋上計画システム>:トマホーク武器システムを参照。

洋上降下救助員>:海上自衛隊の機上救助員。ホイスト・ケーブルと自分を繋ぎ、洋上で救助活動を行う。ケーブルを離脱して救助活動を行うにはHRSという別の資格が要る。参考:MAMOR vol.103

洋上航空路監視レーダー>:ORSROceanic Route Surveillance Radar)と略す。航空路監視レーダーがカバーできない洋上域を監視するレーダーで、島嶼などに設置されている。参考:航空管制のはなし

<洋上事前集積船>:MPSを参照。

<洋上事前集積船部隊>:MPSRONを参照。

<洋上事前集積戦力>:APFを参照。

洋上哨戒機>:MPAMaritime Patrol Aircraft)と略す。洋上監視や洋上捜索救難を行う固定翼機で、対水上戦能力を有することが多い。冷戦終結後は対潜哨戒機の主任務が洋上哨戒になったため、対潜哨戒機も洋上哨戒機と呼ばれるようになっており、こちらは対水上任務に加えて対潜水艦哨戒や対潜作戦もこなす。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、月刊軍事研究5,05

 <洋上哨戒機(アメリカ海軍)>:陸上から運用される対潜哨戒機のことで、機種記号はP。航続性能の良い大型機を使い、対潜戦だけでなく、対水上戦、水上監視、捜索救難、気象観測、海象調査、科学調査などもこなす。参考:日本の防衛戦力Part7

洋上潜入課程>:陸上自衛隊の教育。洋上からの潜入員を養成するもので、水陸機動教育隊が教育を行う。水陸機動教育隊の教育の中で最も厳しい家庭である。参考:MAMOR vol.158

洋上潜入徽章>:陸上自衛隊の徽章。水陸両用徽章の桜花の上に波をデザインしたシンボルを追加したものである。参考:MAMOR vol.158

<洋上前方配備基地>:AFSBを参照。

<洋上打撃ヘリコプター飛行隊>:HSMを参照。

洋上の漸減作戦>:大正11年のワシントン条約締結後、主力艦・空母保有比率をアメリカの6割に抑えられてしまった日本軍が、アメリカに対抗するため打ち出した苦肉の策で、大正12年の帝国国防方針第2次改訂に基づいて策定された帝国軍用兵綱領で定められた。大正12-13年頃にアメリカの対日渡洋作戦案オレンジプランを入手できたので、フィリピン救出のためハワイから出撃してミクロネシア(日本委任統治下の内南洋諸島)を攻略し日本に向かうアメリカ艦隊をフィリピン手前で捕捉撃滅することにした。まず海軍はアジアに展開するアメリカ海軍アジア艦隊を殲滅し、陸軍はルソン島とグアム島のアメリカ海軍基地を開戦後30日までに制圧、真珠湾周辺まで進出できる長航続距離の巡洋潜水艦(旗艦の巡潜甲型1隻、水偵搭載の乙型6隻、重雷装の丙型3隻からなる戦隊をハワイの西に4個配置)でアメリカ太平洋艦隊の出撃をキャッチし、水上速力23.5ノットの高速を活かして追尾、機会があれば反復雷撃もかけ、次いでマーシャル諸島周辺に散開線を構成する海大潜水艦が引き継ぎ、高速性能を活かして触接しながら隙を見て雷撃を行い、進撃予想海面に進出した前進部隊(駆逐艦・巡洋艦)が撹乱攻撃を昼夜にわたり加えて敵艦隊戦力を3割以上すり減らし、グアム島近辺で艦隊決戦を行い、速力に優れる日本海軍主力艦隊(第1・第2艦隊)が機動力を活かしてアメリカ主力艦隊を撃滅、開戦後45日までに決着を付けるという作戦である。昭和5年にロンドン条約が締結されて巡洋艦や駆逐艦にも制限が加えられ、洋上戦力ほぼ全てをアメリカより下に抑えられてしまい構想が崩壊しかかったが、重雷装艦を作るなど単艦戦闘力を局限まで高め、潜水艦戦力を強化し、陸上攻撃機を配備する基地航空隊を創設してマーシャル諸島、グアム、小笠原諸島に配置、洋上戦力の足りない分は空と海中で補うこととした。ちょうどマリアナ諸島水域の測量が終わったので、決戦水域に内南洋諸島を含めている。昭和12年に軍令部が策定した帝国海軍作戦計画では、先ず東アジアのアメリカ艦隊を殲滅して制海権を獲得し、フィリピンなどの根拠地を陸軍と共同で制圧、シーレーンを確保し、グアム島のアメリカ海軍前進基地を占領する。マーシャル諸島東沖には潜水艦を散開させてアメリカ主力艦隊の索敵を行い、出撃をキャッチしたら追跡しつつ隙を見て雷撃をかける。日本の委任統治領となっていたマリアナ、カロリン諸島、マーシャル諸島には基地航空隊を展開し、これも索敵や敵戦力漸減に使用する。艦隊決戦の予想海面はマーシャル諸島近辺の東経160度線からマリアナ諸島西方付近であり、千歳型甲標的母艦2隻から発進した甲標的24基で漸減の仕上げに入り、決戦前日に金剛型巡洋戦艦で偵察部隊を撃破、水雷戦隊旗艦から飛び立った水上偵察機が夜通し敵艦隊に触接し、20cm砲搭載巡洋艦と大型駆逐艦で夜襲をかけ、当日の朝に状況を判断して決戦が決まったら夜襲部隊を主力艦隊に加え、艦上機によりアウトレンジ攻撃を掛けて敵空母の飛行甲板に孔を開け制空権を確保、距離40kmまで近づいたら重巡18隻、重雷装艦2隻、水雷戦隊4個が九三式酸素魚雷片舷射線750本の一斉雷撃をかけ、水偵により着弾観測を行いつつ射距離30-40kmでのアウトレンジ砲撃で艦隊決戦を実施、最終的に射距離18-23kmまで近づいて多数の命中弾を送り込み、アメリカ艦隊を撃滅する。漸減が足りない場合にはもう1回夜襲をかけて決戦に持ち込む。この計画に基づき、潜水艦は遠距離作戦を行える巡潜と、艦隊に随伴し急速に散開線を構成できる高速性能を持つ海大型を建造し、アメリカ艦隊の監視は潜水艦搭載の小型機と利根型重巡搭載の水上機、夜間触接は水雷戦隊旗艦搭載の九八式水上偵察機で行うことにした。また昭和13年度からアメリカ・イギリス・ソ連の3カ国を敵に回した際の計画策定に入ったが、最初に制圧する東アジアのアメリカ艦隊にイギリス東洋艦隊を加え、制圧カ所に香港、ボルネオ、マレー、シンガポールといったイギリス根拠地を足した程度だった。ただ各部隊の正確な連携が必要なのに燃料不足で全艦隊規模の訓練を一度も行えない、図上演習で思ったような戦果が挙げられない、ハワイの艦隊根拠地と内南洋の前進基地を自由に使い西太平洋を縦横無尽に駆け巡るであろうアメリカ艦隊を決戦海面付近のみで待ち伏せて一気に壊滅させる構想自体に無理があるなど実効性に疑問符が付いた上、アメリカ海軍が急速に勢力を拡大して対米7割の勢力確保が不可能となり、太平洋戦争の計画を立ててみると南方戦線に決戦兵力である第2艦隊、ミクロネシア方面に第4艦隊、イギリス東洋艦隊向けに第5艦隊を割く必要が出たので、漸減戦法・主力艦隊決戦による短期決着は無理どころか南方作戦が終わるまでアメリカ主力艦隊を出撃させない必要性が生じ、ハワイにいるうちに叩いてしまおうということになり、真珠湾攻撃を行うことにした。これで制海権を確保した後は、東南アジアの敵根拠地制圧によるシーレーン確保やグアム島占領、イギリス東洋艦隊撃滅など、このシナリオ通りに作戦を進めている。しかし日本海軍の戦力整備が本作戦に基づく艦隊決戦による短期決着に特化しすぎており、航空決戦、海上交通破壊作戦、島嶼侵攻・防衛戦に対応できず、内南洋の作戦根拠地や後方支援部隊も整備されておらず、最終的な勝利は得られなかった。参考:月刊世界の艦船9,13増刊、10,064,179,12増刊、3,15、帝国海軍太平洋作戦史T、戦艦入門、歴史群像2,018,15、日本海軍艦隊総覧

洋上防空>:洋上を航行する艦船・船舶の防空のこと。艦隊防空やシーレーン防衛を含む。航空機の撃退、ミサイルや爆弾・航空魚雷の回避、命中後の処置(艦内応急作業)などがあり、対空砲火や航空機による支援が行われる。艦船自身による防御の他、陸上や空中、宇宙空間(人工衛星)からの各種支援を受けることもあり、海上以外の広域防空システムなどとも連携して防空を行う。センサーとしてはレーダー、赤外線暗視装置、LLLTV、光学センサー、目視、ESM、方向探知器などがあり、防御兵器としてはエリアディフェンス/ポイントディフェンス用ミサイル、CIWSECM、デコイ/チャフ/フレア、空対空ミサイル、地対空ミサイルなどがある。参考:月刊世界の艦船2,87

洋上補給>:UNREPUNderway REPlenishment)と略す。NATOではRASReplenishment At Sea)という。海洋上で艦船が弾薬・食料・水などの補給を行うこと。補給艦からワイヤーを受給艦に渡し、それを伝わせて物資の受け渡しを行うCONREPと、ヘリで行うVERTREPがある。補給中はほぼ無防備なので、緊急離脱できる態勢を整えておき、周囲には護衛の戦闘艦(補給中の転落事故などに備え、後方から同針路・同速力で航行する)を付ける。参考:艦船メカニズム図鑑、月刊世界の艦船8,11増刊、月刊軍事研究5,11

<洋上モード>:AN/APY-2(レーダー)を参照。

用心鉄>:ようじんがねと読む。トリガーガードのこと。

養成訓練>:陸上自衛隊の教育で、職種学校において得た技術や知識を部隊での任務に反映させ、またその練度を高めることにより部隊を精強にするために行われる。個人の体力、精神力、特技能力を向上させる個人訓練(射撃、銃剣術、スキー、空挺、レンジャーなど)と、班・小隊・中隊・大隊・連隊と各単位ごとに段階的に行い総合戦闘能力を高める部隊訓練がある。参考:陸海軍学校と教育

要請による介入>:国際法上での武力行使が可能かどうか論議となる他国への武力介入で、正当な政府からの要請であれば許されるという意見、反政府でも人民自決権を行使する主体の要請であれば許されるという意見、いずれであっても許されないという意見がある。近年ではいずれも許されないというのが有力。参考:軍事分析湾岸戦争

揚石機>:日本陸軍の機力器材。岩石を砕石機に投入したり、運搬車に積載したりするための器材である。自重6トン。揚土能力毎時23トン。エンジンは統制型空冷4気筒で、速度10km。参考:工兵入門

<容積制限ペイロード>:ペイロードを参照。

溶接>:冶金的接合の1つ。接合部分に熱を加えて液体にし、互いに混ざり合った状態で凝固させ、接合状態にさせる方式である。継ぎ手の形状が単純で自由度が高く、接合部表面を平滑にできるので抗力を小さくでき、短時間で固定可能で、重量が軽く工数が少なく、気密・水密に優れる。木材など溶接できない素材がある。局所への加熱と冷却が必要なので、溶接ひずみや残留応力が生じて寸法精度が狂う。加熱・溶融で周辺のガス成分原子と反応しやすくなり、脆い不純物化合物に変化してしまうため、溶融部周囲にシールドガス(アルゴンなど不活性ガス)を流してガス成分原子をブロックする必要がある。溶接部表面にピット(気泡跡)、アンダーカット、オーバーラップ、余盛り不足、溶接割れ、アークストライクといった欠陥を生じる。溶接部内にもブローホール(気泡)、溶け込み不良、融合不良、溶接割れといった欠陥が発生し、外からは見えないため、非破壊検査を行う必要がある。破断が生じると止めるのが困難。製品全体でみると、機械的性質や形状が不連続になる。熱源や溶融素材が高温で危険なため、教育訓練が必要。溶接作業者の熟練度や溶接条件で製品強度が変わってくるため、品質保証が極めて難しい。自動溶接ロボットも開発されているが、溶接部の様子を音でも確認しながら溶接棒を細かく動かしつつ安定した品質の溶接を行うのは、熟練者による人力でないと非常に困難である。熱源によってガス溶接、アーク溶接、被覆アーク溶接、MIG溶接、TIG溶接、プラズマ溶接、レーザー溶接などに分かれる。参考:トコトンやさしい溶接の本、月刊丸4,07、月刊軍事研究6,12、図解船の科学、戦時標準船入門

 <MIG溶接>:消耗電極式アーク溶接の1つ。母材に近い材料を0.9-1.6mmのワイヤー状電極にし、シールドガス・ノズル先端から電極を突き出し、シールドガスとしてアルゴンなどの不活性ガスを流す。電源は直流で、溶接に伴いワイヤーが溶けていくため、一定の速度でワイヤーを進めていくワイヤー供給装置も使用する。溶けたワイヤーは重力に従い下に落ちるが、電流を高くするとアークが細く絞られてジェット気流を生じ、細かい粒子がスプレー状に吹き付けるようになる。溶接時の冷却が早いので、特殊鋼の溶接に適している。参考:トコトンやさしい溶接の本、月刊軍事研究11,06

 <TIG溶接>:非消耗電極式アーク溶接の1つで、電極棒に融点が高く溶融しにくいタングステンを使用する。シールドガスにはアルゴンなどの不活性ガスを使用し、溶接用トーチはシールドガス・ノズル先端からタングステン電極棒が僅かに突き出た形状をしている。電極が溶けないのでアークが安定し、溶融から凝固まで不活性ガスでシールドされているので酸化による成分変化が少なく、母材だけ溶けるので均一な溶け込み維持が容易であり、高品質な溶接を行える。電極先端形状変更や電流パルス制御により、比較的簡単に熱源を制御できる。炭素鋼、高張力鋼、合金鋼、アルミ、チタン、マグネシウムなど各種材料の溶接に幅広く使用される。アルミニウムとマグネシウム材料は交流、他は直流電源を使う。交流TIG溶接では、電極棒も半分の時間はプラス極になるので、高熱により多少溶けてしまい、先端部が変形して溶け込みに影響する。純タングステンだと先端が大きめの球を形成して溶け込みが浅く広くなり、トリア(ThO2)入りタングステンだと先端が歪んで溶け込みが偏るので、先端が小球になり影響が少ないセリア(酸化セリウムCeO2)入りタングステンを使う。直流TIG溶接ではマイナス極をパワーケーブルで電極棒に、プラス極をアースケーブルで母材に繋ぐ。電極棒は溶けないので、素材にはアーク放電を発生させやすい酸化物(トリアやセリア)入りタングステンを使用する。参考:トコトンやさしい溶接の本、月刊軍事研究11,06

 <アーク溶接>:アーク放電で生じる熱により溶接する方法。高電流・低電圧の電源から溶接する母材と電極棒に電極を繋ぎ、互いを近接させると、母材と電極棒の間のガスなどが電子とプラスイオンに電離し、プラス電極側またはマイナス電極側に引き寄せられることで電気の流れ(アーク放電)を生じ、強烈な光と大きな熱量を発生する。電子が引き寄せられるプラス電極側の方が熱量が大きくなるので、母材にマイナス電極を繋いでおくと、母材側の溶け込みが大きい溶接を行える。電極棒が溶ける消耗電極式と溶けない非消耗電極式があり、消耗電極式は被覆アーク溶接、MAG溶接(炭酸ガス・アーク溶接とアルゴン・炭酸ガス・アーク溶接)、MIG溶接、非消耗電極式はTIG溶接、プラズマ溶接に分かれる。参考:トコトンやさしい溶接の本、月刊丸4,07

 <ガス溶接>:アセチレンガスやプロパンガスを燃焼させたガス炎で溶接する方法。手軽だが、金属を溶かすには熱量が不足気味なのと、局部的な加熱が難しく母材が過大に溶融したり大きい歪みが発生したりするという欠点があり、精度は低い。また、可燃性ガスを使うので、火災や爆発の危険がある。参考:トコトンやさしい溶接の本

 <スポット溶接>:電気抵抗スポット溶接を参照。

 <炭酸ガスアーク溶接>:消耗電極式アーク溶接の1つ。母材に近い材料を0.9-1.6mmのワイヤー状電極にし、シールドガスとして炭酸ガスを使用する(MIG溶接の炭酸ガス版)。電源は直流で、溶接に伴いワイヤーが溶けていくため、一定の速度でワイヤーを進めていくワイヤー供給装置も使用する。シールドガスの特性上、アークが下方に集中するので母材の溶け込みが大きくなり、その反力で溶けたワイヤーが下に落ちずワイヤー先端で大きい塊を作るので、厚板に多量の溶着金属を付けてしっかり溶接するのに向いており、炭素鋼の効能率溶接などに広く使用される。薄板や上向き・立向き溶接など、溶着金属を少なくしたい場合は、溶けたワイヤーが大きい塊になる前に母材溶融池に付けてそちらに移したり、炭酸ガスに不活性ガスを混ぜてMIG溶接っぽくしたりする。アークが集中するため、溶接速度が遅いと母材が溶けすぎて孔が開く恐れが高く、初心者は熟練者より電流を下げるといった調整が要る。参考:トコトンやさしい溶接の本

 <電気抵抗スポット溶接>:単にスポット溶接ともいう。金属板2枚を重ね、円柱状の銅電極2本を上下から押し当てて圧力(溶接加圧力)を掛けつつ通電すると、加圧部に電流が集中し、金属板が重なった部分で抵抗発熱が発生、金属が溶融する。通電を止めると溶けた金属が冷えて固まっていく(ナゲットを形成する)が、通電を止める直前から完全に固まるまでは更に加圧力を高め(鍛圧加圧力)、ナゲットの組織を緻密にし機械的性質を高める。電極をローラー状にし、挟み込んだ金属板を線状に溶接する(シーム溶接)ことも可能。参考:トコトンやさしい溶接の本

 <電気溶接>:熱源に電力を使う溶接。アーク溶接やその派生型、レーザー溶接、電気抵抗スポット溶接などがある。参考:トコトンやさしい溶接の本

 <電子ビーム溶接>:真空チャンバー内で電子ビームを溶接箇所に照射し、母材を直接溶接する方法。酸化や歪みが少ないが、母材が入る真空チャンバーを用意しなければならない。参考:月刊軍事研究11,06

 <被覆アーク溶接>:消耗電極式アーク溶接の1つ。母材と同じ素材の金属棒(心線)の外側に被覆材(フラックス)を塗布し、母材と心線の間にアークを発生させると、アークの発熱で母材及び心線と共に被覆材が溶けて炭酸ガスと被覆材スラグが発生し、これらがシールドガスになる。シールドガス用ボンベが要らず、母材・心線の他に交流電源(家庭用100ボルトでもある程度は可能)と電気ケーブルを用意すれば済む。電流が大きいと心線自体が発熱して被覆材が先端部より手前で溶けてしまい、十分なシールドガスを得られないので、電流を小さめにしなければならない。よって、母材や心線の溶ける量が少なくなるため、溶接速度は遅い。アークを安定して発生させるには母材と心線の距離を一定に保つ必要があるが、心線が溶けるに従ってどれくらい溶接棒を下げていくかは溶接の際に出る音と溶融金属・スラグの挙動で判断するため、自動化が難しく、高い熟練を要する。ドイツでは第2次大戦中期以降から取り入れられた。参考:トコトンやさしい溶接の本、月刊丸4,07

 <プラズマ溶接>:非消耗電極式アーク溶接の1つ。溶接用トーチはタングステン電極棒を先端まで冷却用水冷銅チップで覆い、更に外側にシールドガス・ノズルを被せた構造をしている。母材とタングステン電極棒との間でアーク放電を発生させ、冷却用水冷銅チップ先端の孔から不活性ガスをプラズマガスとして流すことによりアーク推力を高め、母材裏面まで貫通するキーホール(小孔)を作りながら溶接する。電極棒先端が冷却チップで保護されるので、変形が無く、安定した溶接が可能。ただしキーホールが作れないと上手く溶接できないので、手動では難しく、自動溶接によりキーホールを安定的に維持する必要がある。電極先端を冷却用チップ先端に近づけたり、冷却用チップ径を大きくしたりすると、アーク推力が弱くなってTIG溶接の性質に近くなり、キーホール無しの手動溶接が可能となる。参考:トコトンやさしい溶接の本

 <レーザー溶接>:熱源にレーザーを使う溶接。狭い幅で深い溶け込みを作れるので、特に薄板での精密溶接が行える。ガス・レーザーはレーザー発生装置が固定式で、母材の方を動かす。高出力なので、高精度・高速移動が可能なNCテーブルに厚板含む母材を載せて自動高速溶接を行える。固体レーザーは出力が低めだが光ファイバーでエネルギーを伝達できるので、薄板のレーザー溶接トーチによる手持ち・ロボット溶接が可能。参考:トコトンやさしい溶接の本

 <溶接(アルミニウム)>:純アルミニウムは強度が低く、合金にしたり、熱処理や加工による硬化現象を利用したりして必要な強度を得ているため、溶接による急加熱・急冷などにより、軟化や割れを起こす場合がある。アルミニウム自体も溶接時の割れや気泡(ブローホール)を生じやすく、溶接棒や溶接条件の選択が必要になる。アルミニウムの融点は660℃だが、表面に形成される酸化膜の融点は2000℃あり、そのままだと表面が溶け残って溶接できないため、ワイヤブラシなどで酸化膜を擦り落としてから溶接する。熱伝導率が良いので、溶かしすぎに注意。一般的なアルミ材の溶接はアルゴン・アーク溶接で行い、表面の汚れによる仕上がりへの影響が大きいので清潔な屋内作業を要する。参考:トコトンやさしい溶接の本、月刊丸4,07、月刊軍事研究6,12

 <溶接(合金鋼)>:オーステナイト系ステンレス鋼などニッケル入り合金鋼は溶接向きだが、フェライト系ステンレス鋼など入らないものは急加熱・冷却で脆くなったり割れたりするので、合金元素の焼き入れ性から炭素当量を計算し、相当する炭素鋼と同様の工夫を行う必要がある。ダイス鋼や高速度鋼など工具に使われるような硬さ重視の合金鋼には多量の炭素が付加されているため、溶接には向かない。参考:トコトンやさしい溶接の本

 <溶接(炭素鋼)>:炭素鋼は溶融温度、熱伝導性、流動性などが溶接に適しており、酸素がシールドガスを抜けて溶融部に入り込んできても付加されたマンガンやケイ素の方に結合して鉄の酸化を防いでくれる(脱酸反応)ので、溶接向きの素材である。鋼材の溶接部分に接する部分は焼き入れに近い急激な温度変化に晒され(熱影響層)、炭素量の多い鋼材は脆い焼き入れ組織になってしまうので、予熱、溶接中の温度管理、後熱(溶接後の加熱による冷却速度管理)を行う必要がある。第2次大戦中のドイツでは予熱によるコスト上昇や変形を恐れ、戦車用装甲板を冷たいままで溶接したが、これにより被弾時の装甲板割れが多発、大戦終盤には装甲板のブリネル硬度を下げざるを得なかった。鋼材を鉄系溶接材で溶接する場合、鋼材から溶接材に大量の炭素が入り込み、溶接材が硬化して割れやすくなるため、硬化しないステンレス型溶接材か、炭素含有量の低い軟鋼を使用し、温度変化を緩やかにしてゆっくりと溶接する。日本陸軍では戦車用装甲板の溶接に直径3.2mmのオーステナイト溶接棒を使うよう指示していたが、装甲の厚い三式中戦車以降は直径5-6mmのオーステナイト溶接棒を使用している。参考:トコトンやさしい溶接の本、月刊丸4,07

 <溶接(チタン合金)>:酸素と結合すると脆くなるので、溶接後の高温部や裏面も含めて不活性ガスでカバーする必要がある。切り欠き状の傷があると、そこから破壊が進んでしまうという欠点があり、粘性の高い溶融チタン合金は冷えて固まる際に切り欠き状の欠陥を発生しやすいことから、十分に溶かして融合させるようにする。参考:トコトンやさしい溶接の本

 <溶接(鋳造品)>:鋳鉄の場合、鋳造の際に必要な流動性を得るため大量の炭素が付加されており、溶接の際の急加熱・急冷で直後に割れてしまう。よって、製品化のために溶接を使うことは無く、修理のみに使用され、その際も割れ止め孔を開ける、熱管理を十分に行う、伸びの良い溶接棒を選ぶといった工夫が要る。鋳鋼の場合、炭素とマンガンで流動性を確保しているため、炭素の量に応じた熱管理や溶接棒素材選択を行えば、溶接による製品化も可能。ダイキャスト(金型鋳造)製品では溶接時にブローホール(気泡の跡)が発生しまくる場合があるので注意が要る。参考:トコトンやさしい溶接の本

 <溶接(マグネシウム合金)>:溶融温度は600℃くらいでアルミニウムと同様だが、熱伝導率が低いので、アルミニウムより溶接速度制御は楽。ただし表面の酸化膜がアルミニウムより格段に弱いため、溶かしすぎると孔が開く。参考:トコトンやさしい溶接の本

<傭船>:徴用船を参照。

ヨウ素レーザー>:化学レーザーの1つで、塩基性過酸化水素水溶液と塩素ガスを反応させて励起酸素分子を発生させ、これにヨウ素ガスを反応させることで近赤外線レーザーを放出させる。出力が高く、レーザー加工機として使用されている。技術研究本部では2006年に車載ヨウ素レーザーでジュラルミンプレートを貫通することに成功した。参考:月刊軍事研究10,11

宜候>:ヨウソロと読む。日本海軍用語で、針路そのまま、という意味である。前艦の航跡宜候、と命じられたら、前艦の航跡通りに付いていく。発音する時にはヨオォソロオッという感じでややのんびりと言う。どこぞの店に一直線、という時にも使用された。海上自衛隊では直進または了解という意味の操艦号令詞で、ヨーソローという調子の発音は日本海軍譲りである。参考:海軍よもやま物語、月刊世界の艦船9,12増刊、海軍こぼれ話

<鷹潭>:531(フリゲート)を参照。

<陽澄湖>:883(輸送艦)を参照。

揺底>:slide。燃焼ガスの圧力または外力により作動し、遊底などを動かす部品。参考:火器弾薬ハンドブック

陽動作戦>:Faint operation。参考:軍事力バランス78年版

<揺動式閉鎖方式>:ティルト・ボルト・メカニズムを参照。

揺動砲塔>:砲身が砲塔ごと俯仰する方式で、AMX-13などに使用されている。自動装填装置を砲塔に作りつけることができるが、可動部位の防御力に不安があり、車内密閉も困難でNBC防御がしにくいため、流行らなかった。参考:歴史群像6,04

用途廃止>:用廃と略す。退役と同じ。陸自では補給処で共食い整備部品を外して所定の手続きを行い、完了すると装備品から物品になり保管庫に入れられ、一部は教材や展示品に回され(1年更新の部外貸し出し制度もある)、ごく一部は他国や他機関に譲渡・売却されるが、大部分は不要と決定されて裁断・溶解処理され、鉄くずやスクラップとして売却されるか廃棄処分される。スクラップとして売却するものは、切断または破壊して本来の機能・性能を発揮または回復・再使用可能な状態にされており、その状態のままならスクラップ業者が転売できるので、個人が購入して飾っていたりする。施設装備品は修理費が初度費用の一定割合を上回った場合に廃棄できるアッカーマン方式を採用していたが、戦車には適用できず、61式戦車を用途廃止にする際には大蔵省など関係部署への説得に難渋したらしい。参考:月刊JWings5,'2010,048,'21、月刊軍事研究10,12MAMOR vol.167

<用廃>:用途廃止を参照。

<揚錨機>:ケーブルホルダーを参照。

傭兵(ジュネーブ第1追加議定書)>:武力紛争において戦闘するために現地または外国で特別に募集され、実際に敵対行為に直接参加し、本質的に私的利得を得たいという願望に動かされて敵対行為に参加しようとし、かつ実際に紛争当事国によってまたはその国のために、当該国の軍隊の類似の階級及び任務の戦闘員に約束されまたは支払われる額を相当に超える物質的報酬を約束され、紛争当事国の国民でなく、また紛争当事国によって支配された地域の居住者でもなく、紛争当事国の軍隊の構成員でなく、かつ紛争当事国でない国によって、その国の軍隊の構成員として公の任務で派遣されたものでない者。参考:軍縮条約・資料集第2版

養民>:満州国江防艦隊順天型砲艦2番艦Yangmin1935101日就役。参考:月刊世界の艦船7,11

<楊万春>:973(駆逐艦)を参照。

揚陸(自衛隊)>:味方により完全に確保されている海岸に隊員や装備品などを陸揚げすること。参考:月刊軍事研究10,98

揚陸艦>:Landing Ship。人員、車両、貨物を搭載し、揚陸施設の無い海岸に直接荷揚げすることができる艦。自ら砂浜に乗り上げるタイプ、搭載する揚陸艇を海に下ろして荷揚げするタイプ、艦内のドック(ドック・ウェル)から揚陸艇を発進させるタイプ、ヘリコプターで部隊と兵器を運ぶタイプ、これらを組み合わせたタイプなど様々な種類があり、貨物揚陸艦(LKA)、戦車揚陸艦(LST)、ドック型揚陸艦(LSD)、ドック型輸送揚陸艦(LPD)、強襲揚陸艦(ヘリコプターLPH、汎用LHA、多目的LHD)といった種別がある。当初は輸送船や貨物船に揚陸艇を積んでいたが、居住性の悪い船に長時間搭乗した将兵がデリックで降ろした揚陸艇に縄梯子で移乗して戦場に向かうというのは戦力効率も時間効率も悪すぎるので、専用艦が開発された。広い艦内スペースを活かして揚陸作戦指揮統制機能や医療施設を備えたりする。第2次大戦でアメリカが大量に製作し、太平洋・大西洋に投入した。戦後はヘリコプターやVTOLの登場で飛行甲板や全通甲板を持つタイプが出現。LCACの開発もあり、作戦の幅が広がった。自ら火力支援を行うため、大口径艦砲を備えた艦もあったが、対艦ミサイルの登場で海岸に近づくのが危険になり、自衛兵装程度になっている。冷戦終結後は非戦闘員の救出、難民保護、PKO/PKF、人道支援のための輸送任務、災害派遣など任務が多様化している。参考:月刊軍事研究11,08、月刊世界の艦船12,'232,192,14、ミリタリー・バランス1989-1990

 <揚陸艦(アメリカ海軍)>:対日戦での島嶼作戦を考慮し、1930年代から整備に着手。港湾に兵員や貨物を荷揚げする輸送艦に、直接海岸に荷揚げするための揚陸艇を積み込んだ攻撃輸送艦と攻撃貨物輸送艦を建造(艦種が定められたのは194321日)した。また、コマンドー、水中処分隊、偵察隊など小規模部隊を高速で輸送する旧式駆逐艦改造の高速輸送艦を1938年から製作している。第2次大戦ではイギリス海軍のアイディアに基づいてLSTLSMLSDを大量生産した。また、支援用として揚陸指揮艦AGC、ロケット中型揚陸艦LSM(R)などを建造している。第2次大戦終結後、航空機と潜水艦の発達に鑑み、1948年に揚陸艦速力を20ノット以上とする方針を立てたが、水陸両用戦部隊が核兵器に弱いので使えない、第2次大戦中に作った揚陸艦が余っているといった理由で新造艦は暫く建造されず、朝鮮戦争で水陸両用戦の有効性が確認されると開発が再開された。ヘリコプターによる水平線以遠強襲上陸能力を持つ艦を多数開発している。1956年、CVE-90セティス・ベイを強襲ヘリコプター空母CVHA-1に改造。1957-61年、護衛空母やエセックス級空母を強襲揚陸艦LPHへと改造した。1961年からイオー・ジマ級LPHが竣工。1962年からローリー級LPDが竣工。1976年からタラワ級LHAが竣工。1985年からLCACの運用を考慮したホイッドビー・アイランド級LSDが竣工。1989年からワスプ級LHDが竣工。2006年からステルス設計を採用したサン・アントニオ級LPDが竣工。参考:アメリカ揚陸艦史

 <揚陸艦(海上自衛隊)>:海上自衛隊の艦種。おおすみ型揚陸艦の供与に伴い、1960101日、区分・自衛艦−大分類・警備艦−中分類・揚陸艦艇の下の種別として制定され、LSTの艦種記号と4001以降の艦番号が付与された。197141日、輸送艦に改称された。参考:月刊世界の艦船11,'17増刊

揚陸艦艇(海上自衛隊)>:海上自衛隊の艦種。1960101日、自衛艦の大分類である警備艦の下の中分類として制定された。揚陸艦と揚陸艇の種別からなる。197141日、輸送艦艇に改称された。参考:月刊世界の艦船11,'17増刊

揚陸指揮艦(アメリカ海軍)>:アメリカ海軍の艦種で、艦種記号はAGC19691月以降はLCC。陸海空の水陸両用戦部隊を一元指揮するのが主任務である。第2次大戦勃発後にアパレイチアン級15隻、アンコン級1隻、ビスケイン級1隻、キャンベル級カッター改造艦6隻を建造した。これらの代替として1970-71年にブルー・リッジ級2隻が竣工している。参考:アメリカ揚陸艦史

<揚陸戦情報戦術統合装置>:ITAWDSを参照。

<揚陸即応群>:ARGを参照。

揚陸艇>:人員、車両、貨物を搭載し、揚陸施設の無い海岸に直接荷揚げすることができる小型艦。自ら砂浜に乗り上げるタイプで、砂浜の手前に座礁して動けなくなるのを防ぐため、吃水が浅い。通常船型だと搭載量や卸下時間の問題があり、平底型にして艇首にランプを設けるようになった。ただ航洋性に問題があるため、揚陸艦に積んで沖まで運んでもらう必要がある。低速なので敵防御砲火に脆弱という問題があり、エアクッション揚陸艇が誕生した。参考:月刊世界の艦船12,23

揚陸艇(海上自衛隊)>:海上自衛隊の艦種。1955215日、自衛艦の種別として定められた。19568月、LSMLCULCMの艦種記号が定められ、195791日に公式制定された。1960101日、区分・自衛艦−大分類・警備艦−中分類・揚陸艦艇の下の種別となった。197141日、輸送艇に改称された。参考:月刊世界の艦船11,'17増刊

<揚陸艇1001号−1042号>:LCM-1001からLCM-1042を参照。

揚陸艇1001号型>:海上自衛隊揚陸艇。アメリカから供与されたLCM(6)型で、域外調達により日本で建造され、1955年にLCM-1001からLCM-1029まで29隻、1961年にLCM-1030からLCM-1042まで13隻の計42隻が供与された。艦首にランプを備え、主機直結ウインチまたは油圧ウインチでワイヤーの巻き取り・繰り出しを行って操作する。バウ・ドアは無い。車両甲板はオープントップ式で、甲板下と両側は防水区画として細分されており、貨物は露天搭載する。大型揚陸艦艇の上甲板に積むのを前提としているため、船体には4カ所に吊り下げ用のアイプレートを装備する。ただしドック・ウエルに収容することは無いので、船体後端の操舵室は背を高くして運用性を向上させた。全長17.0mLCM-1030以降は17.1m)、最大幅4.2m1030以降は4.3m)、深さ1.7m1030以降は1.3m)、吃水0.7m1030以降は0.9m)、基準排水量22トン、満載排水量50トン。主機はディーゼル2基2軸450馬力、最大速力10ノット、航続距離850海里。乗員6名。兵員120名または30トンまでの車両1両または貨物27トンを搭載できる。LCM-1030以降は船体が微妙に変更されているが、搭載能力は変わらない。1971年に輸送艇1001号型に改称され、19749月に18隻が支援船となり、24隻が除籍されてアメリカに戻された。参考:月刊PANZER5,04、海上自衛隊全艦艇史、月刊世界の艦船11,'17増刊、5,02増刊

<揚陸艇2001号−2006号>:LCU-2001からLCU-2006を参照。

揚陸艇2001号型>:海上自衛隊揚陸艇。アメリカ海軍汎用揚陸艇LCU1466型の供与を受けたもので、域外調達により日本で建造された。船体はポンツーン構造で、上面がオープントップの車両甲板になっており、艦首の水密ランプ、舷側のブルワーク(水密区画ではない)、後部の艦橋/機関室/兵員室に囲まれている。ドック型揚陸艦に搭載する予定は無いので、ドック・ウエルの高さを気にする必要が無く、艦橋は背を高くして天井を設置、固定式マストも装着した。航洋力が無いので、作戦海域までは3分割して輸送する。全長35.0m、最大幅10.4m、深さ1.8m、吃水1.2m、基準排水量180-187トン、満載排水量360トン。主機はディーゼル3基3軸670馬力、速力9ノット、航続距離1200海里。兵装は艦橋直後両舷の20mm単装機関砲1門ずつ。乗員13名。150トンまでの物資(戦車なら4両)、200名の隊員を搭載できる。LCU-2001揚陸艇2001号、LCU-2002揚陸艇2002号、LCU-2003揚陸艇2003号、LCU-2004揚陸艇2004号、LCU-2005揚陸艇2005号、LCU-2006揚陸艇2006号の6隻が19553月に供与され、輸送任務の他、水中聴音機材の敷設作業にも使用された。1971年に輸送艇2001号型に変更され、1974年に3隻が支援船(敷設船)になり、残り3隻は返還された。2002年に最後の1隻が除籍された。参考:月刊世界の艦船11,'17増刊、12,145,02増刊、月刊PANZER5,04、海上自衛隊全艦艇史

<揚陸艇3001号>:LSM-3001を参照。

揚陸艇3001号型>:海上自衛隊揚陸艇。大元はアメリカ海軍LSM-1級中型揚陸艦LSM-125で、第2次大戦後フランス海軍に渡されてLSM-9013となり、インドシナ戦争で使用された後アメリカに返還され、今度は海上自衛隊に引き渡されてこの名称となった。オープンデッキの全通車両甲板を持ち、前面をバウ・ランプとバウ・ドア、左右を水密区画を兼ねる居住区画で囲っている。右舷中央に艦橋がある。全長62m、最大幅10.7m、深さ3.4m、吃水2.3m、基準排水量740トン、満載排水量1100トン。主機はディーゼル2基2軸2800馬力、速力12ノット、航続距離3500海里。兵装は40mm連装(単装?)機関砲1基(艦首)、20mm単装機関砲6門。40mm機関砲用にMk.51射撃方位盤を搭載する。乗員55名。物資150トンと隊員54名を載せて擱座着岸が可能。LSM-30011957年に就役し、1974年に除籍された。参考:月刊PANZER5,04、海上自衛隊全艦艇史、月刊世界の艦船11,'17増刊、12,145,02増刊

揚陸艇G型>:スウェーデン水陸両用戦軍団の装備する高速揚陸艇で、マリン・アルテック社製ウォーター・キャットM8をベースとしている。全長8.1m、排水量10トン。推進はウォータージェットで、速力30ノット。兵員10名または貨物2.1トンを搭載できる。参考:月刊軍事研究10,08

揚力>:Lift。物体に作用する浮力のうち、物体と物体周辺の流体との間に生じる動的浮力のこと。物体と流体との間に相対速度がある時にのみ、流体の一様な流れと垂直な方向に発生し、重力とは逆方向に作用して物体を浮き上がらせようとする。流体の密度×翼面積×揚力係数×流速の二乗×1/2で表される。翼型(二次元翼)においては、翼断面に垂直な方向の単位長さにおける揚力を考えるので、翼面積=翼弦長×1となり、翼面積の所に翼弦長を代入すれば良い。参考:航空用語事典増補改訂版、図解船の科学、飛行機のしくみ、月刊JWings10,09別冊付録

揚力傾斜>:Slope of lift curve。揚力係数と迎え角をグラフにすると、迎え角があまり大きくない範囲では直線的な変化を取るが、この直線の傾きを揚力傾斜と称する。レイノルズ数やマッハ数によって値が変化する。迎え角をラジアン単位でプロットした場合、二次元翼での揚力傾斜は概ね2πη(ηは0.9くらい)であり、超音速二次元翼では4/(マッハ数の2乗マイナス1)^2である。三次元翼では二次元翼よりも小さい値を取り、計算式はもっと複雑になる。参考:航空用語事典増補改訂版

揚力係数>:Lift coefficientCL)。揚力を表す数式の比例係数で、無次元量である。翼の形状、翼表面の粗さ、迎え角、マッハ数、レイノルズ数によって変化する。高揚力装置(スラットやフラップ)により最大揚力係数を向上させることが可能。参考:航空用語事典増補改訂版、戦闘機のしくみ、図解船の科学

<揚力支柱>:翼支柱を参照。

<揚力ローター>:メインローターを参照。

ヨー>:ノルウェー海軍ハウク級ミサイル哨戒艇。1979年就役。参考:週刊ワールドウェポン17

ヨーイング>:Yawing、片揺れ、船首揺れ。機体・船体の上下軸周りに、機首・船首を左右へと方向転換させる回転運動のこと。航空機の場合、垂直尾翼のラダーでヨーイングを発生させて機体を制御する。ただし回転翼機では反トルク装置を用いることが多い。参考:JWings5,0310,09別冊付録、航空用語事典増補改訂版、図解船の科学

ヨーイング・モーメント>:Yawing moment、片揺れモーメント。ヨーイングを発生させるモーメントのこと。方向舵はヨーイング・モーメントを発生させ、垂直安定板は減衰させる。機体の横滑りによる垂直尾翼での揚力発生、機体の横揺れによる左右主翼の揚力分布不均衡・垂直尾翼迎え角発生、補助翼操作による左右主翼の抗力不均衡、左右エンジン推力不均衡、プロペラなどの回転によるジャイロモーメントなどによってもヨーイング・モーメントが発生する。参考:航空用語事典増補改訂版

ヨーイング・モーメント係数>:Yawing moment coefficient。航空機に作用するヨーイング・モーメントは、翼面積と翼スパンに比例し、飛行速度の2乗に比例する数式で表されるが、この際の比例係数をヨーイング・モーメント係数という。無次元量で、横滑り角、マッハ数、レイノルズ数などにより値が変わる。参考:航空用語事典増補改訂版

<ヨーク>:90(重巡洋艦)またはD9842型駆逐艦)または操縦輪を参照。

ヨーク>:アルビン・ヨーク。アメリカ陸軍第82師団で伍長を務めていた1918108日、アルゴンヌで戦闘に参加し、1名で機関銃座35個を制圧、28名を射殺して132名を捕虜にし、名誉勲章を授与されて軍曹になった。参考:月刊軍事研究1,10

ヨークC.MkT>:イギリス空軍輸送機で、アブロ社が開発した。マンチェスターMk.TをMk.Vに改良する過程で派生したもので、1941年の設計開始当初から戦後に旅客機として使用することを考慮していた。ランカスターの主翼、降着装置、3枚垂直尾翼を流用して4発機に改造、胴体下面を強化して強襲輸送機としての使用も考えてある。194275日に初飛行し、第2次大戦中にも数機がイギリス軍VIP機として使用されたが、イギリス空軍に引き渡された208機は主に戦後に輸送機として使用され、ベルリン空輸作戦に投入された他、54機が民間旅客・貨物輸送機となった。全長23.93m、全幅31.09m、全備重量31.12トン。エンジンはロールスロイス社製マーリンT.241620馬力)4発で、巡航速度375km、最大速度480km、実用上昇限度7820m、航続距離4350km。乗員5名+搭乗兵員24名。1957年に退役した。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇、月刊JWings4,058,11

<ヨーク・カウンティ>:LST-1175(戦車揚陸艦)を参照。

ヨーク級>:イギリス海軍重巡洋艦York級。イギリスのシーレーン防衛には巡洋艦70隻が必要と見積もられたが、重巡1隻の建造費が200万ポンドにも達したため、ケント級の主砲塔を3基に減らし、基準排水量を1500トン軽くして経済性を重視したものである。船型は船首楼型で、前方煙突は2本を一体にしたため後方煙突よりもかなり太い。エグゼターは針路判定を難しくするために煙突とマストを垂直にした。全長175.4m、幅17.4m(エグゼターは17.7m)、吃水5.2m、基準排水量8250トン(エグゼターは8390トン)。主機は蒸気タービンで、出力80000馬力、4軸推進、速力32ノット。兵装は20.3cm連装砲3基、10.2cm単装高角砲(連装砲?)4基、2ポンド単装ポンポン砲2基、533mm3連装魚雷発射管2基。航空機1機を搭載する。乗員623名(エグゼターは630名)。艦番号90ヨーク、68エグゼターの2隻が1930-31年に就役した。ヨークのカタパルトは2番砲塔上に設置する予定だったが、第2煙突後部に変更され、就役後に搭載された。砲塔上のカタパルトと干渉しないよう、艦橋はエグゼターよりも高い。エグゼターは最初から第2煙突後部に搭載する予定で建造されたため、艦橋構造が単純化されており、別クラスとして扱われることもある。参考:近代巡洋艦史、第2次大戦のイギリス軍艦

<ヨークス>:APD-69(高速輸送艦)またはDE-668(護衛駆逐艦)を参照。

<ヨークタウン>:CG-48(イージス巡洋艦)またはCV-5(ヨークタウン級空母)またはCV-10(エセックス級空母)を参照。

ヨークタウン級>:アメリカ海軍空母Yorktown級。レンジャー級の運用結果に基づき、常用艦上機72機を載せ、巡洋艦と完全な協同作戦を行える速力と航続力を持ち、戦艦と巡洋艦の間くらいの防御力を有する、というのがコンセプトで、レンジャー級をベースに速力と防御力を充実させて艦隊型空母に仕上げており、ワシントン条約の排水量制限(CV-4レンジャーの分を除いて54000トン)で2隻の建造を考慮、排水量20000トンの艦とした。折からの世界大恐慌を受け、建造予算は産業活性化予算で賄っている。その後第2次ロンドン条約エスカレーター条項でもう1隻作った。飛行甲板は全通式で、長さ246.9m244.6mCV-8252.2m)、幅24.4m26.2m?)。飛行甲板に航空機を並べた状態では滑走距離が短くなるため、最初に発艦する偵察爆撃中隊の艦爆は500ポンド爆弾を、その後に発艦する爆撃中隊の艦爆は1000ポンド爆弾を搭載した。カタパルトは油圧式のH-2で、飛行甲板上に2基、格納庫内に横向きに1基が装備されている。エレベーターは飛行甲板前・中・後に内舷式1基ずつ計3基で、長さ14.6m、幅13.4m、最大荷重7.7トン。着艦制動索はMk4で、後部に9本張ってある他、前部にも4本あり、飛行甲板後部が損傷して着艦不能となった場合には後進をかけて艦首から着艦することもできた。非常時に艦尾から発艦できるよう、後進速力がかなり速い。レンジャー級より大出力の主缶排気を起倒式煙突で行うのは無理だったため、煙突は艦橋と一体化したアイランドとし、右舷中央に設置している。右舷アイランドと重量バランスを取るため左舷側にバラストを置くと排水量が無駄に増えるため、船体を左右非対称にしたが、工作が難しくなり、建造費上昇を招いた。艦橋上部と煙突後部にMk33方位盤1基ずつを装備する。CV-8Mk37方位盤で、後にCV-5CV-6Mk37に換装した。アイランド直後には艦上機用クレーン、側面には艦載艇用クレーンを持つ。飛行甲板下にギャラリー・デッキがあり、その下が格納庫で、格納庫甲板が強度甲板である。格納庫は1段の開放式で、長さ166.4m、幅19.2m、側面にシャッターを持つ。機械室は主缶を前方、主機を後方に纏めて配置した集中配備方式で、缶室9区画(3×3)に主缶を1基ずつ、前部機械室に外舷軸用、後部機械室に内舷軸用の主タービンを2基ずつ収容した。艦尾はクルーザー・スターンで、飛行甲板後部はオーバーハングしている。防御力は当初20.3cm弾に耐えられる程度にする予定だったが、耐15.2cm弾に減らされた。水雷防御は3層のインターナルブリスターで、外板厚19mm、水線装甲厚102mmTNT150kgの炸裂や15.2cm弾に耐えられる。飛行甲板は非装甲で、機関室天井に38mm厚の装甲が張られており、15.2cm弾や500ポンド爆弾急降下爆撃に耐える。ワシントン条約失効で急遽3番艦を追加建造することになり、2番艦とは起工に5年の間ができたため、艦を大型化し、舷窓を減らすなどの小改良が加えられた。ついでに機械室をシフト配置にする案は見送られたが、南太平洋海戦で機関区画に命中した魚雷が致命傷になっている。全長246.9mCV-8252.2m)、水線長234.7m、最大幅33.2mCV-834.8m)、水線幅25.3m、吃水6.6m、満載吃水7.9m、基準排水量19800トン(CV-819900トン)、満載排水量25484トン(CV-829100トン)、緊急時最大排水量32060.2トン。主機はパーソンズ式ギヤード・タービン4基、主缶はパブコック&ウィルコックス式重油専焼水管缶(328℃、28気圧)9基、出力120000馬力、4軸推進、速力33ノット(34ノット?32.5ノット?)、重油搭載量7366トン(CV-86400トン)、航続距離8220海里(20ノット)/12000海里(15ノット)。主発電機はターボ発電機(1000kW)4基、非常用発電機はディーゼル発電機(200kWCV-8250kW)2基。兵装は38口径12.7cm単装両用砲8門、4連装28mm機関砲4基、12.7mm機銃24丁。装甲厚は舷側水線部64-102mm、甲板67mm(格納庫甲板29mm+機関区画天井第4甲板38mm)、司令塔側面102mm。搭載機数81-90機(CV-885-90機)。1938年には艦戦18機、艦爆55機、艦攻18機、汎用機6機の計97機を搭載しており、1941年には完成機84機に加えて分解予備機37機を格納庫天井から吊っていた。乗員1889名(平時)/2217名(1941年。うち航空要員851名)/2919名(戦時)。CV-5ヨークタウン、CV-6エンタープライズ、CV-8ホーネットが1937-41年に就役した。後に28mm機関砲をボフォース4連装40mm機関砲に換装している。19422月、使用機会の無い格納庫カタパルトの撤去指示が出された。参考:月刊世界の艦船10,'2010,'226,172,15、第2次大戦のアメリカ軍艦、丸スペシャルNo.83、日本海軍の爆弾

<ヨーシュ>:9K40(艦対空ミサイルシステム)または9M317シリーズ(対空ミサイル)またはシュチル1(艦対空ミサイルシステム)を参照。

<ヨーゼフ・プリラー>:プリラー(ドイツ空軍エース)を参照。

ヨー・ダンパー>:Yaw damper。ヨーイングを防止し、ダッチロールを減衰させるための自動安定増強装置のこと。ヨーイングやダッチロールをレートジャイロなどの感知器で探知し、片揺れ角速度(ヨー・レート)の電気的出力を増幅してサーボモーターなどに伝え、方向舵を自動操舵して減衰させる。高々度を高速飛行する際には衝撃波や迎え角により垂直安定板の効きが悪化し、方向不安定になってダッチロールを生じやすいので、超音速ジェット戦闘機やジェット旅客機では本装置がほぼ必須であり、ヨー・レートの電気的出力を機力操縦装置のサーボ機構に伝えてダッチロールを防ぐシステムを組み込んでいる。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings10,09別冊付録

ヨーチン>:日本陸軍用語で、隊付衛生兵の通称というか蔑称。外用消毒薬ヨードチンキの略で、治療薬として使えるのがヨーチンくらいしか無いのでこう呼ばれた。また、兵科でなく各部(衛生部)所属という差別感情や、兵の特業として衛生兵が一番楽だといわれていた(ちなみに2番目は喇叭兵)事によるやっかみもあったようである。ちなみに前線でヨーチン呼ばわりすると命に関わるので、衛生兵殿と敬称付きで呼んでいた。参考:軍医サンよもやま物語、帝国陸海軍事典

<ヨーヘン・パイパー>:パイパー(SS大佐)を参照。

ヨーメン(f)>:アメリカ海軍が1916年から雇用した女性事務職員で、翻訳や製図などを担当した。1942年に廃止された。参考:歴史群像12,10

ヨーロッパ空中給油訓練>:EARTEuropean Air-to-air Refueling Training)と略す。第5回は201849日からオランダのアイントホーフェン空軍基地で開催され、アメリカ空軍KC-135R、オランダ空軍KDC-10、ドイツ空軍A310MRTT、フランス空軍C-135FRが参加し、NATO軍混成航空作戦演習フリジアンフラッグを実施中の戦闘機に空中給油を行った。参考:月刊航空ファン7,18

ヨーロッパ空輸軍団>:EATCと略す。ベルギー、ドイツ、フランス、オランダ、ルクセンブルクの輸送機部隊(輸送機計218機を保有する)を纏めたもので、201091日にオランダのアイントホーヘン基地で創設され、20131128日に完全作戦能力を達成した。2013122日、スペインが参加を決定した。参考:月刊JWings3,14、月刊航空ファン5,11

ヨーロッパ航空輸送部隊>:EATFと略す。EU加盟国の輸送機を効率的に運用するための機関で、2011年に設立された。参加国はアイルランド、イギリス、イタリア、エストニア、オーストリア、オランダ、キプロス、ギリシャ、クロアチア、スウェーデン、スペイン、スロバキア、スロベニア、チェコ、ドイツ、ハンガリー、フィンランド、フランス、ブルガリア、ベルギー、ポーランド、ポルトガル、マルタ、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、ルクセンブルク。2011-14年に第1フェーズとして外交的な調整方法を検討し、それに基づいた訓練や演習を行った。2015-17年に第2フェーズを実施する予定で、法律・規制・手順の整備、技術や戦術の確立、第1フェーズでテストしたC-27Jユーザーグループに基づくA400M/A330MRTT/C295/KC390ユーザーグループの設定、ヨーロッパ空輸軍団との協調などを図る。2017-21年の第3フェーズでは、最終フェーズとして協力の深化や新能力開発などを行う予定。参考:月刊軍事研究6,15

ヨーロッパ哨戒コルベット>:フランス海軍とイタリア海軍が計画しているコルベットで、EPCEuropean Patrol Corvette)と略す。2020年にスペイン、その後ギリシャ、20235月にルーマニアも加わった。主任務は外洋警備で、小型フリゲート並の戦闘能力を備える。ネイヴァル・グループとフィンカンティエーリが対等出資して設立したNAVIRISが担当する。参考:月刊世界の艦船9,'238,205,21

 <ヨーロッパ哨戒コルベット(イタリア海軍)>:イタリア海軍コルベット。カシオペア級、ミネルヴァ級、コマンダンテ級の後継として8隻を2027年から就役させる予定。クロノス三次元レーダーを搭載する。兵装は62口径76mm単装砲1門、アスター艦対空ミサイル用VLS、テセオ艦対艦ミサイル連装発射筒2基、遠隔操作式25mm単装機関砲2門。参考:月刊世界の艦船9,23

 <ヨーロッパ哨戒コルベット(スペイン海軍)>:スペイン海軍コルベット。デスクビエルタ級とセルビオラ級の後継として導入する。参考:月刊世界の艦船9,23

 <ヨーロッパ哨戒コルベット(フランス海軍)>:フランス海軍コルベット。フロレアル級フリゲートの後継として9-11隻を2030年から就役させる予定。全長100m、排水量3000トン以下。主機はCODLAD方式、速力24ノット、航続距離10000海里(14ノット)。兵装はT40AA速射砲、艦対空ミサイル用VLSHM-160ヘリ1機またはVSR700無人機を搭載可能。参考:月刊世界の艦船9,23

 <ヨーロッパ哨戒コルベット(ルーマニア海軍)>:ルーマニア海軍コルベット。テタル級/改テタル級計4隻の後継として導入する。参考:月刊世界の艦船9,23

<ヨーロッパ多任務フリゲート>:FREMMを参照。

ヨーロッパ防衛共同体>:EDCと略す。朝鮮戦争勃発を受けてフランスのプレバン首相が提唱した西ヨーロッパ共同防衛軍(というか新生ドイツ軍)である。ソ連が西ドイツに侵攻してきた場合、加盟各国が連隊レベルの軍事力を提供し、各国軍将校からなる司令部で運用する。最大総兵力は50万名。フランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、イタリアなどが加盟して1952527日に調印式が行われたが、連隊以上のレベルの支援火力が無いなど運用に無理があるとみられ、朝鮮戦争休戦で緊急性も無くなり、フランス下院で条約が批准されず、消滅した。参考:月刊PANZER45,17

ヨーロッパ防衛庁>:欧州連合(EU)条約第42条(共通安全保障及び防衛政策の策定)3で規定されている機関。構成国の軍事的能力の目的明確化と能力向上評価、作戦調整、実効的・適合的調達法選定、多国間軍事事業提案・調整・運営、防衛技術研究支援、防衛産業・技術基盤強化、軍事的支出効果改善を主任務とする。参考:ベーシック条約集2018

ヨーロッパ連合軍緊急対応軍団>:ARRCと略す。ワルシャワ条約機構軍に対抗するため誕生したNATO軍の即応部隊で、司令官はイギリス陸軍が務める。冷戦終結後もIFORSFORという名称で紛争地域に軍を派遣している。参考:月刊軍事研究7,97

ヨーロピアン・デザート・エクスプレス>:湾岸戦争デザート・シールド作戦フェーズUで実施された、第7軍団に対する緊急空輸定期特急便。1990118日から199139日まで行われた。C-141がドイツのラムシュタインを離陸、45分後にライン・マイン基地で物資を積み込み、8時間でダーラン空港に到着した。参考:月刊軍事研究12,99

ヨーロピアン・ワン>:アメリカ空軍機が1982年頃から採用した濃グリーン系の迷彩塗装で、A-10Aを皮切りにOV-10などに施された。参考:世界の傑作機No.45

<予科練>:海軍飛行予科練習生を参照。

予科練平和記念館>:201022日に開館した、海軍飛行予科練習生の資料を集めた施設。7つのテーマ別常設展示室などがあり、写真や資料、遺品など9500点が収蔵されている。館内は撮影禁止なので注意。土浦駐屯地に隣接しており、0930から1630までは駐屯地内の予科練記念施設(雄翔館・雄翔園)に直接アクセスできる。所在地は茨城県稲敷郡阿見町大字廻戸五番地一。土浦駅西口からJRバス江戸崎方面行きで阿見下車、または関東鉄道阿見中央公民館行きバスで阿見坂下下車、徒歩3分。開館時間は0900-1700までで、入館は1630まで。休館日は毎週月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始(1229日から13日)。入館料は大人500円、高校生以下300円、小学生未満無料。団体は大人400円、高校生以下240円、小学生未満無料。参考:月刊航空ファン4,10、朝雲、MAMOR vol.58

<ヨキ車>:二式四輪駆動自動貨車を参照。

<抑圧されし者の解放>:グリンベレーのモットー。

<翼安定成型炸薬弾>:HEAT-FSを参照。

翼型>:Aerofoil。主翼や回転翼の断面型のことで、翼断面形(Wing section)ともいう。断面は飛行機の対称面に平行にとったり、桁材と垂直の平面としたり、主翼の面と垂直にしたり、様々である。低速時の翼型はNACA翼型で研究が進められ、広く使用されている。高亜音速では翼面上に衝撃波が発生しないよう翼型を工夫する。遷音速領域では後退翼やデルタ翼といった翼平面形の方が重要になってくる。超音速では翼平面形と共に翼型の重要性も増し、できるだけ薄い翼型にすると良い。参考:航空用語事典増補改訂版、飛行機のしくみ、月刊JWings10,09別冊付録

翼型抗力>:Profile drag。二次元翼に作用する抗力のことで、摩擦抗力と圧力抗力からなる。二次元翼は翼幅が無限大なので、二次元翼全体の抗力を考えると無限大になってしまうため、普通は単位翼幅における抗力をとる。参考:航空用語事典増補改訂版

翼型中心線>:Mean line。中心線、平均線、平均キャンバー線、骨格線、骨線ともいう。翼型上面と下面の中点を結んだ線のこと。中点の取り方でいくつか違った中心線が得られる。翼弦線と直角に交わる直線を引き、翼断面上面と下面との2つの交点に挟まれた部分の中央の点を中点とする手法は、翼型の反りが小さい翼断面において、算出が簡単なため良く使用される。NACA翼型の研究手法の逆を使い、翼型上面と下面のほぼ中央の点を中心にして翼上下面に接するもしくは交わる円を描いた場合に、その円と翼型の輪郭との接点または交点と円の中心が一直線上に並ぶような円の中心を中点とする手法もある。他に、翼上下面に接する内接円を描き、その内接円の中心を中点としたりする。この際は翼前後縁の近くで内接円が描けなくなるので、翼断面の輪郭の曲率半径が、前の最小内接円半径と等しくなるような翼断面上の点を、中心線の開始・終了点とする。参考:航空用語事典増補改訂版

翼弦>:Wing chord。翼弦線(Chord line、コードライン)、弦線ともいう。翼断面中心線の前縁と後縁を結ぶ直線のことで、翼断面の基準となる。翼断面の下側の面が上反りになっている場合は、下側の面の2点に接する直線を翼弦とする場合もある。参考:航空用語事典増補改訂版、飛行機のしくみ

<翼弦線>:翼弦を参照。

翼弦長>:Chord length。翼弦の長さのことで、弦長ともいう。単に翼弦という事もある。翼断面の下面が上反りになっていて、下面の接線を翼弦としている場合は、その翼弦を含む面に垂直な方向から投影した翼断面の長さを翼弦長にしたりする。参考:航空用語事典増補改訂版

翼厚>:Wing thickness。翼断面中心線と垂直方向に測定した翼の上面と下面との距離のことで、一般には最大値(最大翼厚)を指す。通常は前縁付近を除いて翼弦線と垂直方向に測定しても概ね同じ値になる。高速機では空気抵抗を減らすためと、ウイング・ドロッピングを防ぐために薄くする。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings10,09別冊付録

翼厚比>:Wing thickness ratio。最大翼厚を翼弦長で割ってパーセントにしたもの。参考:航空用語事典増補改訂版

翼根失速>:Root stall。主翼付け根部から失速を起こすこと。矩形翼で発生しやすい。参考:航空用語事典増補改訂版

翼賛壮年団>:昭和16927日に結成基本要綱が決定された組織で、40-45歳の男子が構成員である。活動内容は、国民精神高揚、時局認識徹底、興亜運動促進、戦時生活大成建設、国防思想普及などで、経費は団員から徴収した団費などが充てられた。敵国の記念碑は屈辱だとして昭和2028日に久里浜のペリー上陸記念碑を引き倒している(海軍は開戦後も保健行軍で記念碑を訪問したりしていて、そこまでするのは大国民として大人気無いから喪章でも付けとけ位の意見だった)。昭和206月、大日本婦人会と共に国民義勇隊に統合された。敗戦後の変わり身は早く、ペリー上陸記念碑は混乱と物資不足の中でも昭和2011月に神奈川県が速攻で再建している。参考:戦時用語の基礎知識、月刊世界の艦船11,18

抑止>:Deterrence。自国にとって好ましくない行動を他国に取らせないよう、行動を起こした場合には深刻な被害を与えるという脅迫をかけるなどして行動を抑制すること。他国に勘違いなどによる行動実行意思を持たせないよう、脅迫は虚仮威しではなく、信憑性のあるものでなければならない。他国にそれを理解する頭が無かったりすると、損害を無視して行動してくるので注意が要る。参考:月刊軍事研究9,18、月刊世界の艦船2,19、朝雲

 <拒否的抑止>:他国の行動が成功することを物理的に阻止する能力を保有することで、他国の行動を無意味なものとし、断念させるタイプの抑止。弾道ミサイル防衛などがこれにあたる。自衛隊の抑止力はだいたいこれ。参考:月刊世界の艦船2,194,'23、月刊軍事研究9,18

 <懲罰的抑止>:他国の行動が成功した際には報復を行い、他国が授与する利益以上の損害を与える能力を保有することで、深刻な被害を与えるという脅迫をかけ、他国の行動を断念させるタイプの抑止。他国に対し、報復能力と実行意思があることを理解させる必要がある。核抑止などがこれにあたる。参考:月刊軍事研究9,18、月刊世界の艦船2,194,23

翼支柱>:Wing strut。揚力支柱(Lift strut)ともいう。翼の付け根にかかる、揚力による大きな上向き曲げモーメントを分担する支柱で、翼下面と胴体側面を繋ぐ形で設け、静定トラス構造を取る。着陸時などにかかる、下向き加速度による荷重・圧縮力にも耐える必要があり、太い支柱が使われる。主翼と胴体の結合を単純にできるので構造重量は軽くなるが、支柱が大きな抗力を生じるため、飛行性能は悪い。参考:航空機設計法、航空用語事典増補改訂版

浴室(アメリカ海軍)>:アイオワ型戦艦は艦長室や上級士官室に個別のシャワーと洗面台があり、他はトイレと併設のシャワー室を使った。石鹸は海水でも泡が立てられるタイプを使い、海水シャワーで一通り洗った後、少量の真水シャワーですすぐ。BB-61アイオワにはカイロ会談・テヘラン会談に出席するルーズベルト大統領向けとして大統領専用室が設けられ、下半身が不自由だったので手摺り付きのバスタブを設置した。参考:月刊世界の艦船9,21

浴室(海上自衛隊)>:大型水上艦には艦長浴室、士官浴室、科員浴室など階級別の浴室があり、幹部は上級者から、科員は年長者から、停泊中は上陸番から、という順番で入る。補給艦には大型の浴室を備えたものもあり、他艦乗員が内火艇で入浴しに来ることもあった。たまに浴槽でエビが泳いでいたりするので注意。潜水艦はスペースが無いのでシャワーのみ、節水のためと造水装置から雑音が生じるため頻度は3日に1回である。参考:月刊世界の艦船8,11増刊、9,12増刊、MAMOR vol.115

浴室(日本海軍)>:水上艦には将校用の士官浴室と下士官・兵用の一般兵用浴室・機関科員用浴室があり、長方形の和式浴槽に蒸気で加熱した海水が入れられている。入浴後、洗面器で清水が提供される(洗面器1杯分の引き換え札が支給される。大和型戦艦だと入浴1回あたり3枚)ので、これで海水を流す。少なくとも週に二回は入ることになっていた。小型艦艇や潜水艦には浴室を設けるスペースが無いので、母艦のお世話になる。参考:写真で見る海軍糧食史、潜水艦気質よもやま物語、月刊世界の艦船9,21

翼スパン>:Wing span。翼幅ともいう。固定翼機(たまにミサイル)の翼を平面に投影した際の、一方の翼端からもう一方の翼端までの長さのこと。主翼スパンは概ね航空機の全幅に等しくなる。可変後退翼機では後退角と併記する。史上最大はヒューズH-497.5mで、An-22588.7m)、B-36/XC-9970.1m)及びブリストル・ブラバゾン(70.1m)と続く。参考:航空用語事典増補改訂版、世界の傑作機No.125、戦闘機のしくみ

抑制赤煙硝酸>:液体燃料ロケット用酸化剤の1つで、IRFNAInhibited Red Fuming Nitric Acid)と略す。赤煙硝酸に腐食を抑制するための添加剤を加えたものである。参考:月刊軍事研究2,18

<翼側攻撃>:攻撃を参照。

翼端渦>:Wing-tip vortex。後曳き渦(Trailing Vortex)ともいう。翼端で翼下面の気流が上面に回り込むことにより生じる乱気流のこと。翼が揚力を発生している状態では、下面の圧力が上面よりも高いため、翼端で下から上に回り込む気流が生じ、前進していく翼の後ろに渦となって流れていく。この現象が理論化されたのは1907年で、上下面の圧力差は翼全体で生じており、翼の全長に渡って気流の回り込みによる渦が起こることから、翼を渦糸(束縛渦という)と仮定してみる。空気が完全流体であるとすると、渦糸はその中で始まり終わりもできず無限に連続するので、翼端部分で渦糸が終わることは無く、後方に折れ曲がって連続していくことになる。この後方への折れ曲がりで生じた渦が後引き渦(翼端渦)で、束縛渦と翼端渦を合わせたものを形状から馬蹄渦と称する。1911年には更に詳細な理論化が行われた。気流の循環は翼幅に沿って変化していくので、翼を渦糸1本で置き換えるのは無理があり、実際にはスパンの違う多数の馬蹄渦を重ね合わせた形にする必要がある。この場合、翼後縁全体から後引き渦が出てくることになるが、同じ方向に回転する渦は1本に纏まる性質があるため、後縁を離れるに従って渦が合流し、1本の強力な渦が翼端に発生する。強力な空力エネルギーを持っており、後続の航空機が巻き込まれて危険な状態に陥ることもある。参考:航空用語事典増補改訂版、飛行機のしくみ

翼端経路面>:Tip path plane。回転翼のブレード先端が描く軌跡からなる平面のことで、ローター円板(ローター・ディスク)と一致する。ローター性能を概算する際、推力をこの面に垂直であると取り扱うことができ、ブレードの運動を考える際には、ブレードが翼端経路面に関してフラッピングせずフェザリング運動のみを行うので、理論を単純化できる。参考:航空用語事典増補改訂版

翼端失速>:Tip stall。翼端部から生じる失速のことで、テーパー翼や後退翼で起こる。後退翼にあたる気流は外側に逃げていくため、翼端で淀みが生じ、低速時などでは最初に失速が起こる。揚力が減少し、揚力中心が前方に移動して機首が急激に上がってしまい、更なる失速を招き、操縦性にも影響する。片方だけ翼端失速を起こすと、機体が横転してしまう。後退翼機の大迎え角飛行時や離着陸時(低速機首上げ飛行時)には必ず起こる現象だが、前縁スラット、境界層板、ドッグツース、ソーカットなどにより解決可能。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings3,004,07、ジェット戦闘機、戦闘機のしくみ

<翼端増槽>:増槽を参照。

翼端板効果>:Endplate effect。翼端に板を取り付けて翼端渦の発生を抑制することにより生じる、誘導抗力の減少と空力効率の向上効果のこと。防衛庁もX1G3実験機でテストを行った。参考:航空用語事典増補改訂版

<翼断面形>:翼型を参照。

<翼幅>:翼スパンを参照。

翼幅荷重>:機体重量を翼スパンの2乗で割った値で、誘導抗力に比例する。翼幅荷重が大きい(誘導抗力が大きい)と、旋回時に機体抵抗による速度低下が起きやすくなる。参考:戦闘機のしくみ

翼平面形>:Wing platform。翼を上下方向から見た際の形状のこと。アスペクト比、テーパー比、後退角で規定され、矩形翼、テーパー翼、楕円翼、デルタ翼、直線翼、後退翼、前進翼などがある。参考:航空用語事典増補改訂版

翼面荷重>:Wing loading。機体全備重量(W)を翼面積(S)で割った値(W/S)のこと。急降下からの引き起こしや旋回でGがかかった場合には、その分をWに掛けて算出する。飛行機の最大速度や失速速度はこれの平方根に比例するので、スピード重視にするなら翼面荷重を増やし、低速・旋回性能重視にするなら翼面荷重を減らす。ただし、翼面荷重を大きくするために重量を増やすと、揚力を保つためには迎え角をとる必要があり、抗力が上がってしまうため、かえって速度が低下する。よって、速度を上げるには翼面積を小さくする必要があるが、同じ速度でも発生する揚力が小さくなるので、低速時の揚力確保を工夫せねばならない。また、翼面荷重を大きくすると失速速度も大きくなり、巡航速度も上がるため、それに見合った強力なエンジンを積む必要が出てくるし、旋回時の最小速度も大きいため旋回半径も大きくなる。翼面荷重が小さいと翼面積あたりの重量が軽いため、上昇性能が向上する。翼面荷重が大きくなると失速速度が大きくなるので離着陸速度が速くなり、離陸・着陸滑走距離が長くなる。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings3,0310,09別冊付録、戦闘機のしくみ、世界の傑作機No.125

翼面推力>:Wing thrust。ジェット機の離昇推力を翼面積で割ったもの。最大水平速度は翼面推力の2乗根に比例する。参考:航空用語事典増補改訂版

翼面積>:Wing area。固定翼機では、機体を平面上に投影した時の主翼面積をいう。主翼前縁と後縁を機体中央線まで延長し、それに囲まれた胴体部面積も含む。フィレットは単なる整流用なので含まない。ストレーキは通常含まない。たまに主翼空力改善に役立つということで含める場合もあるが、その場合でもストレーキ付け根の胴体部面積は含まない。エルロンは中立位置、フラップやスラットは引き込んだ状態で示す。水平尾翼面積は主翼と同様に算出する。垂直尾翼面積は、付け根の胴体部分をどこまで垂直尾翼に含めるかの厳密な規定は無い。ドーサルフィン面積は、付け根の胴体部分を含めず、胴体の上に飛び出ている部分だけを計算する事が多い。回転翼機の場合は、ローターを真っ直ぐ広げて回転させた時の円盤面積をいう。よって、ローター半径の2乗×円周率である。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings10,176,027,022,13、月刊JWings10,09別冊付録

翼面馬力>:Wing power。レシプロエンジンの離昇出力またはターボプロップエンジンの離昇等価軸馬力を翼面積で割ったもの。最大水平速度は翼面馬力の3乗根に比例する。参考:航空用語事典増補改訂版

<沃雷>:814(敷設艦)を参照。

翼龍Tシリーズ>:中国が開発した中高度無人偵察爆撃機の輸出名称ウイングロン(Wing Loong)/イーロン(Yilong)。中国航空工業集団公司(中国航天科技集団公司?)成都飛機設計研究所が翼龍の名称で2005年から開発し、200710月に初飛行した。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊航空ファン6,16

翼龍T>:中国国内名称GJ-1(攻撃-1Gong Ji-1)、輸出名称YL-1で、制式化に伴いTが付いた。MQ-9にそっくりだが、例によって独自開発と主張している。彩虹4/CH-4にもそっくりだが、センサーターレットが前脚収容部の前にあり、機首上部の盛り上がりが大きく、パイロン数が少なく、V字尾翼の開きが大きい。機首下部に電子光学/赤外線センサー/レーザー測距照準器ターレットを持ち、機首上部に衛星通信アンテナを収容する。自動離着陸、遠隔操作飛行、完全自律飛行が可能で、衛星や僚機による操縦指令中継による遠距離遠隔操作も行える。全長9.34m、翼スパン14m、自重1100kg、ペイロード200kg。巡航速度160km、最大速度280km、最大上昇限度5300m(巡航高度20000フィート/6096m?)、航続距離4000km、航続時間20時間。主翼下に1基ずつのパイロンを持ち、兵装ペイロードは100kgで、50kg爆弾飛騰−9、YZ100クラスター爆弾、BA7空対地ミサイル、LS6誘導爆弾、AKD-10セミアクティブ・レーザー誘導爆弾、YZ212レーザー誘導爆弾、AR-1空対地ミサイルなどを1発ずつ搭載可能。2012年の珠海国際航空ショーで展示された時は主翼下パイロンにミサイルを吊っていた。価格は1機100万ドル。2008年から中国空軍が配備した。2011年にUAE2014年にサウジアラビアが導入を開始しており、アルジェリア、インドネシア、ウズベキスタン、エジプト、カザフスタン、セルビア、ナイジェリア、パキスタンも配備している。参考:月刊航空ファン6,1611,157,16、月刊軍事研究10,142,1712,153,'164,16、月刊JWings12,152,13、月刊航空情報3,18、世界航空機年鑑2018-2019

 <翼龍T−D>:胴体を全複合材製にしたタイプで、20181224日に初飛行した。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊JWings4,19

<翼龍T海外シリーズ>

 <翼龍T(イラク)>:イラク軍無人機。20153月、イラク人のブログの写真で3機が並んでいるのが見つかり、イラク国防省もイラク陸軍クット航空基地に配備された機体の映像を公開した。AR-1レーザー誘導ミサイルとFT-9誘導爆弾を積んでおり、アルアンバー県で実戦投入したとしている。参考:月刊軍事研究4,16

 <翼龍T(パキスタン)>:パキスタン軍無人機。2016618日、ミアンワリ市近郊でテスト飛行中の1機が墜落した。参考:月刊軍事研究4,16

翼龍U>:中国の成都飛機工業集団公司が開発したUAVYilongU。相変わらずMQ-9にそっくりだが、エンジンの性能が悪いため、ペイロード、最大速度、最大飛行高度といった性能に劣る。全長11m、翼スパン20.5m、最大離陸重量4200kg、機内ペイロード200kg、機外ペイロード480kg100kg?)。推進はプッシャー・プロペラ1基で、最大速度370-380km、最大飛行高度(実用上昇限度)30000フィート/9100m、機内最大燃料重量2035kg、滞空時間20時間。外部兵装ステーションは6ヵ所で、ブルーアロー9空対地ミサイル12発を搭載したイラストがあり、空対空ミサイル、AKD-10対戦車ミサイル、誘導爆弾も積めるらしい。20153月に地上滑走試験と飛行試験の様子がウェブサイトにアップロードされ、2017227日に初飛行した。2017年のパリ国際航空ショーでは同じスペースにLS-6誘導爆弾、FT-9空対地ミサイル、FT-10対戦車ミサイル、CM-502空対地ミサイル、YJ-9E空対艦ミサイルが展示されていた。参考:月刊軍事研究3,169,174,18、月刊航空ファン9,17、月刊航空情報3,18

<翼龍U海外シリーズ>

 <翼龍U(UAE空軍)>:UAE空軍UAV20171022日の衛星画像でクシャヒラ空軍基地に3機が配備されているのが確認された。参考:月刊軍事研究7,18

 <翼龍U(パキスタン空軍)>:パキスタン空軍UAV48機を導入予定。参考:世界航空機年鑑2018-2019

<ヨケ車>:九四式四屯牽引車を参照。

横安定性>:Lateral stability。横揺れ(ローリング)、片揺れ(ヨーイング)、横滑りという縦の運動から独立した要素で表される運動に関する安定性のこと。機体が振られてバンク角が変わると、横滑りが生じ、これを回復しようと横揺れが発生、2つの非周期運動と1つの周期運動の和からなる横の動揺が発生する。横の静安定を得るには、主翼に上反角を付ければ良く、横揺れが発生した際に左右主翼の迎え角が変わる事による揚力差が減衰モーメントになる。横の動安定を得るには、2つの非周期運動を減衰させつつ周期運動を収束させる必要があるが、横揺れモーメントと片揺れモーメントのバランスを取ることが重要で、片揺れモーメントの方が大きすぎると螺旋不安定となり螺旋降下に陥り、横滑りによる横揺れモーメントの方が大きすぎるとダッチロールや方向不安定となるので、注意が要る。参考:航空用語事典増補改訂版

横風滑走路>:Crosswind runway。後退翼機は横風での離着陸が難しく、風速毎秒13mを超えると離着陸禁止になってしまうため、それに備えて頻度の高い横風方向に設置した補助滑走路のこと。基本的に横風滑走路の首尾線方向に風が強い時に使用されるため、長さは主滑走路より短くて済む。参考:航空用語事典増補改訂版

横河電機製作所>:元は横河工学博士が大正4年に東京府渋谷町で創設した電機計器研究所で、大正9年に横河電機製作所となった。昭和5年、吉祥寺工場を設立。昭和8年、航空計器などの製造を開始。昭和12年、小金井工場を設立。航空計器、航空機用発電機、点火プラグなどを製造した。1983年、北辰電機製作所と合併し、横河北辰電機株式会社になった。1986年、横河電機株式会社に改称した。参考:月刊JWings8,'20、首都防空網と空都多摩

横教筋肉番付>:海上自衛隊横須賀教育隊の運動会で行われる競技。トラックを半周走ってプッシュアップ30回(女性15回)、更に半周走って腹筋30回(女性15回)、また走ってゴールする。参考:MAMOR vol.55

横芝飛行場>:日本陸軍の飛行場。昭和13年、千葉県山武郡横芝町に開設され、水戸陸軍飛行学校横芝分校が置かれた。太平洋戦争時には陸軍挺進連隊の飛行場攻撃訓練にも使用され、昭和20年に一時的に海軍攻撃第254飛行隊が進出している。昭和20710日、CV-15ランドルフなどの艦上機による攻撃を受けた。810日、アメリカ海軍第38.4任務群CV-10ヨークタウン、CV-18ワスプ、CV-38シャングリ・ラなどの艦上機による攻撃を受けた。参考:月刊丸8,'15増刊、首都防空網と空都多摩

横廠式一号水上偵察機>:日本海軍の潜水艦搭載用航空機で、U-1水上偵察機を参考に横須賀海軍工廠で製作した。エンジンをルローン空冷星形9気筒ガソリン(80馬力)に変更し、機体構造を木金混合に変更、フロートも金属製にしている。全備重量520kg。最大速度154km。昭和2-3年に伊51潜水艦に格納筒を搭載して実験を行った。組み立て開始から発進までは十数分かかる。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

<横廠式二号水上偵察機>:九一式水上偵察機を参照。

横廠式水上偵察機>:日本海軍の複葉双フロート単発水上偵察機で、当初はロ号甲型水上偵察機という名称だった。大正688日に初飛行し、大正7年に制式化された。全長10.16m、全幅15.692m、全備重量1628kg。エンジンはヒ式発動機(200馬力)単発、最大速度84ノット、航続時間5時間。兵装は7.7mm旋回機銃1丁。乗員2名。218機が生産された。参考:日本航空母艦史

横須賀衛生隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の衛生隊で、横須賀基地に置かれている。隊員に対する医療・保健衛生や、衛生資材の維持保管など、衛生に関する業務を行うのが主任務で、必要に応じ移動衛生班を編成し、医療が必要な現場に派遣する。197032日、横須賀地方総監部衛生課、横須賀教育隊衛生科、第2術科学校衛生課を統合して新編された。19771227日、第4衛生科が新編された。1988430日、第3衛生科が廃止された。1996411日、第3衛生科が再度新編された。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。201791日、神奈川県横須賀市で9都県市合同防災訓練に参加し、酒匂川河川敷で現場救護所訓練を行った。2018614日、横須賀港で日米共同衛生訓練に参加。921日、衛生特別訓練に参加。2019920日、衛生特別訓練に参加。2021311日、新型コロナウイルス対応の功績で、1級賞状が授与された。2022520日、横須賀地方総監部自衛隊横須賀病院横須賀基地業務隊と共に、自衛隊横須賀病院と横須賀米海軍病院で行われた日米共同訓練に参加。横須賀米海軍病院と、衛生関係部隊連携要領及び負傷者対応能力向上を目的とした訓練を行った。20231213日、自衛隊横須賀病院と横須賀米海軍病院で行われた第25回衛生特別訓練に参加。横須賀地方総監部自衛隊横須賀病院と共に、横須賀米海軍病院40名と、日米関係部隊の連携要領及び負傷者への対応能力(トリアージ、傷者処置、搬送及び医療活動)の向上を目的とする訓練を行った。参考:横須賀地方隊ホームページ、MAMOR vol.52、月刊世界の艦船11,1812,1812,198,'223,24、朝雲

 <横須賀衛生隊(2015年)>:横須賀地方隊隷下で、トップは横須賀衛生隊長。総務科(長浦地区。企画係、総務係、薬務係)、第1衛生科(長浦地区。医務係、診療係、調剤係)、第2衛生科(武山地区。医務係、診療係、歯科係、調剤係)、第3衛生科(船越地区。医務係、診療係、歯科係、調剤係)、第4衛生科(楠ヶ浦地区。医務係、診療係、歯科係、調剤係)からなる。参考:横須賀地方隊ホームページ

横須賀音楽隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の音楽隊。士気高揚や広報のための音楽演奏、儀式における音楽演奏を主任務とし、横須賀基地武山地区に所在する。195416日に発足し、1974411日に横須賀地方隊隷下の横須賀地方総監直轄部隊として正式な編成に組み込まれた。2012311日、国立劇場で実施された東日本大震災一周年追悼式で演奏を実施。510日、東日本大震災一周年追悼式での演奏に対し、防衛相から総理大臣感謝状を伝達(授与は420日付)された。422日、会津若松市の会津風雅堂で行われた会津若松市自衛隊音楽祭に参加。714日、久里浜ペリー祭に参加。2014130日、宮城県気仙沼市の気仙沼商工会議所から大漁旗を贈呈された。510日、横須賀市三笠公園で行われたよこすかカレーフェスティバル2014で演奏を実施。横須賀市長から感謝状と創設15周年記念の記念品が授与された。822日、声楽採用(海自2人目)の女性二等海士が配属された。104日、横須賀市民病院で入院患者などの慰問演奏を実施。12月、アメリカのジョンフィリップスーザ財団からジョージ・ハワード大佐顕彰を受賞した。2015227日、横浜みなとみらいホールで第49回定期演奏会を実施。ジョージ・ハワード大佐顕彰の授与式も行われた。1010日、横須賀芸術劇場で海上自衛隊バンドフェスティバルに参加。1011日、横須賀パレードに参加。201636日、神奈川自衛隊音楽まつりに参加。520-22日、下田黒船祭に参加。527日、日本海海戦111周年記念式典に参加し、記念艦三笠の甲板上で演奏した。716-20日、愛知県三河港の海フェスタ東三河で演奏支援を実施。1021日、按針フェスタ2017の一環として、横須賀市浄土寺本堂で金管五重奏の演奏を行った。1112日、横須賀市ヴェルニー公園で開催されたヴェルニー・小栗祭式典で演奏を披露した。201733日、横浜市内で定期演奏会を実施。88日、鎌倉市鶴岡八幡宮のぼんぼり祭吹奏楽の夕で奉納演奏会を実施。1118日、第2術科学校オープンスクールで演奏会を実施。2018113日、水戸市の自衛隊茨城音楽まつりで演奏を行った。32日、横浜市で定期演奏会を実施。630日、MSC-605ちちじま乗員と共に小笠原諸島返還50周年記念行事に参加。831日、東海大学付属甲府高校吹奏楽部員85人に演奏指導を実施。928日、よこすか芸術劇場でふれあいコンサートを実施。1110日、横須賀市主催ヴェルニー・小栗祭式典と開国史研究会シンポジウムで演奏を実施。201931日、横浜みなとみらいホールで定期演奏会を実施。20202月、新型コロナウイルス感染症が発生したダイヤモンド・プリンセス号の災害派遣に1名が参加。103日、よこすか芸術劇場でふれあいコンサート2020を実施。2021125日、入隊予定者70人に対するDDH-183いずも艦艇見学に協力し、艦内コンサートを行った。参考:横須賀地方隊ホームページ、朝雲、月刊世界の艦船8,16MAMOR vol.163

横須賀海軍航空隊>:日本海軍航空隊。追浜飛行場に置かれており、航空機搭乗員養成教育、飛行予科練習生教育、飛行機整備教育、兵器整備教育、操縦教育などを行う。大正541日に創設され、主に教育訓練を行った。後に戦技研究や新型機の実用試験(性能試験は空技廠実験部)を主任務とするようになり、高等訓練も実施、昭和5-14年には予科練習部が編成されて飛行予科練習生の教育も行っている。昭和4-5年頃から戦闘機の戦技開発を行うようになり、昭和7年には特殊飛行チームが誕生し、アクロバット飛行を展示するようになった。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は兵力部署では一部が北方部隊航空部隊に所属していた。昭和17年末、二式艦偵の実用試験を行うことになったが、偵察機の試験部隊が無かったため、艦爆隊に要員を配置し、二式艦偵一一型5機でテストを実施した。昭和187月、偵察隊が新編された。定数は12機である。昭和192月下旬、陸攻2個中隊がマリアナに派遣された。615日、実動部隊は第27航空戦隊と共に八幡空襲部隊を編成し、あ号作戦に参加して硫黄島からアメリカ機動部隊を捕捉することとなり、零戦52機、一式陸攻17機、彗星15機、天山20機、彩雲2機、二式艦偵1機で硫黄島に向かった。彩雲2機と攻撃機は620日までに進出を完了し、あ号作戦に参加したが、二式艦偵と零戦は悪天候で進出が622日以降に遅れ、624日のアメリカVF-1/-2/-50所属F6F-3艦上戦闘機による硫黄島空襲で零戦26機と艦攻7機を失った。二式艦偵5機が追加配備されたものの、73-4日には艦上機の攻撃と艦砲射撃、火薬庫爆発事故で硫黄島に展開する機体の大部分を失い、76日にパイロットは九六式陸攻と零式輸送機で本土に帰還した。偵察隊はその後香取基地に移動し、彩雲で本州東方の哨戒を行った他、大分基地にも派遣隊を送って偵察機部隊への運用指導を実施している。710日、隷下に銀河装備の攻撃第501飛行隊が編成された。91日、晴嵐のテスト飛行を開始。913日、南山のテスト飛行を開始。925日、攻撃第501飛行隊がT攻撃部隊に編入された。昭和20216-17日、零戦、紫電改、雷電計十数機によりF6F及びF4Uを迎撃し、217日午後には厚木上空で19機(不確実6機)を撃墜した。この時落下傘降下した1名がアメリカ軍パイロットと誤認され、民間人に撲殺される事件が発生したため、以降は飛行服に日の丸のマークを付けることになった。4月、1個分隊を南九州に派遣し、菊水作戦に参加。4月中旬、第3次菊水作戦終了後に南九州派遣部隊は原隊に復帰した。以降は兵力温存に努め、終戦を迎えた。参考:日本海軍戦闘機隊、陸海軍学校と教育、月刊丸4,136,01、続日本海軍よもやま物語、月刊航空ファン6,165,17、帝国海軍太平洋作戦史T

<横須賀海軍航空隊百里原派遣隊>:第302航空隊を参照。

横須賀海軍工廠>:日本海軍の工廠。元は1866年(慶応2年)2月に日本初の西洋式造船所として建設された徳川幕府横須賀製鉄所であり、1868年の明治維新により明治政府に移管され、明治5年に海軍省に移され、明治22年に横須賀鎮守府造船部となった。その後横須賀海軍造船廠と改称され、明治361110日に横須賀海軍工廠となった。第一号船渠(長さ134.5m、幅29m、深さ9m)は慶応2年起工・明治4年竣工で、日本最古の西洋式石造りドックであり、平成28年になっても未だ現役。第三号船渠は明治4年起工・明治7年竣工で、長さ94m、幅18m、深さ7.5m。明治39年、会計係や製図工などとして女子工員の採用を開始。性差に配慮して労働時間は男性より1時間半短い8時間とした。大正129月、関東大震災で大破したが、急ぎ復興している。昭和初期に第六号船渠を建設。昭和12年、第六号船渠で大和型戦艦3番艦を建造することになり、100トン大型走行起重機と60トン走行起重機を2基ずつ建設した。小海に艤装岸壁を建造し、350トンクレーンと浮き桟橋を設置している。松が浜には船殻工場を作り、軽船台を増設した。参考:月刊世界の艦船11,185,119,13増刊、2,16、月刊軍事研究4,10

横須賀海上訓練指導隊>:海上自衛隊の海上訓練指導隊。2002年に新編された。戦術訓練装置運用隊対潜戦術班(1982年新編)をベースとする対潜戦術訓練装置SATTの運用及び訓練指導担当の対潜戦術科などを隷下に置く。202025日、服務規律違反の疑いで、司令が更迭された。101日、対潜戦術科が廃止され、対潜戦術訓練装置SATTの運用と訓練指導は海上訓練指導隊群水上戦術開発指導隊に移管された。対潜戦術科は18年間でSATTにより7000時間の指導を行い、140031000名に対潜戦術を教育している。参考:月刊世界の艦船4,20、朝雲

横須賀海兵団>:日本海軍海兵団。昭和15年、兵舎の壁面にB-17爆撃機とB-24爆撃機の機影が描かれた。参考:海軍操舵員よもやま物語

横須賀艦船修理廠>:アメリカ海軍の組織で、SRFShips Repair Facility)と略す。元は横須賀海軍工廠で、アメリカ軍が接収して1947年にアメリカ海軍横須賀基地司令部艦船修理部を創設、1951年にこの名称になった。日本人も基本労務契約に基づいて多数(正式名称は駐留軍等労働者。2018年現在で4500人)勤務しており、同時多発テロ直後のテロ警戒レベルD(絶対必要人員以外自宅待機)でも日本人労働者は勤務を続けていて、第7艦隊の機能維持には欠かせない存在となっている。1985年には技能訓練制度を創設、日本人を訓練生として採用し、座学研修、OJT、集中英語訓練などを受講させて技能者に育て上げるようになった。総面積4.2ヘクタールの横須賀造修所には建屋10棟以上に14の工場を有し、アーレイ・バーク級イージス艦くらいならアメリカ本土に戻すことなく修理やBMD能力付与含む改装を全てこなせる。潜水艦も内容によっては修理可能。佐世保に艦船修理廠佐世保分所を置く。参考:月刊軍事研究4,10、月刊世界の艦船7,1711,18、朝雲

横須賀艦船修理廠・造修統括本部>:アメリカ海軍の組織で、SRF-JRMCShips Repair Facility and Japan Regional Maintenance Center)と略す。横須賀基地に置かれている。参考:月刊世界の艦船11,18

横須賀基地(アメリカ海軍)>:正式にはUnited States Fleet Activities Yokosuka(横須賀海軍施設)である。元は日本海軍横須賀軍港で、太平洋戦争終結で使用を開始した。面積は陸上2363263平方メートル(私有地254平方メートル含む)・水域8200000平方メートルで、フィリピンのスービック湾基地が閉鎖された1992年以降は世界最大のアメリカ海軍海外基地施設であり、ドック6基(1−6号ドック)と係船バース18カ所(1−9号バース、1213号バース、ハーバー・マスター・ピアのバース2本など)を有し、在日米海軍司令部、第7艦隊司令部、第15駆逐隊、第74任務部隊など洋上部隊13個・陸上部隊50個の司令部や指揮所が置かれ、住宅(将官・大佐用)、学校(小学校から短大まで)、病院、スポーツ施設、映画館にボーリング場も完備している。アメリカ本土から東アジアまでの2週間、ペルシャ湾までの1ヶ月半を節約でき、ここに空母を常駐させることで空母1隻分が少なく済んでいるという。空母岸壁は12号バース(長さ410m)で、向かい側には原潜が着岸できる13号バースがある。以前は10号・11号バースに原潜が停泊していたが、13号バース完成により撤去され、空母修理工事用台船と宿泊船用の係留場に改造された。軍港地区には第7艦隊のメンテナンスを一手に引き受ける海軍横須賀艦船修理廠(SRF)の工廠と6つのドックがあり、1-5号ドックは日本に返還され、1-3号ドックを海上自衛隊と共用している。ドックの大きさは1号が長さ137.5m、幅29m、深さ9m、2号が長さ150.8m、幅32m、深さ11m、3号が長さ96m、幅18m、深さ7m、4号が長さ240.5m、幅38m、深さ13m、5号が長さ323.7m、幅50m、深さ15m、6号が長さ365.8m399m?)、幅67.5m、深さ17m、容積24万トン。大型空母修理用の6号ドックはアメリカ海軍専用で、元は日本海軍が大和型戦艦の整備と空母信濃の建造用に作ったものであり、アメリカ空母が入渠可能なアメリカ国外唯一のドライドックである。バースやドックには大型クレーン8基が備え付けられていて、LC41ジーク(Zeke。クレーン建設に尽力したトム・ブロヴァローン中佐の愛犬の名前)、LC42ゴジラ(GojiraGodzillaではなくローマ字表記)、LC43カイジュー(Kaiju)、LC44テツ(クレーン新造に貢献した人物の愛犬の名前)、LC45TJ(クレーン担当部長の息子2人の頭文字)、LC46ロダン(Rodan。怪獣ラドンの米名)、LC47ヨコズナ(Yokozuna)、LC48オオゼキ(Oozeki)と命名されている。国連軍の基地でもあるので、アメリカ以外の特定国艦艇も使用可能。横須賀港の中にあるため、アメリカ軍岸壁から50ヤード(45.7m)までの海域と、海上保安庁が規制している海域を除き、港湾法に基づいて横須賀市長が管理権を保有している。そのため、軍艦に近接しての抗議活動が可能である。基地近傍には燃料貯蔵施設として吾妻倉庫地区(吾妻島。海軍補給センター管理)と鶴見貯油施設(横浜市。管理は海軍補給センターだが中身の燃料は横田基地の空軍機向け)、弾薬庫として浦郷倉庫地区(アメリカ海軍兵器部管理)を有する。また、軍人・軍属・家族向けに池子住宅・海軍補助施設があり、2884000平方メートルの土地に高層住宅8棟528戸と低層住宅60320戸と小学校が建っている。1947428日、SRF-JMRC(横須賀艦船修理廠・造修統括本部)を創設。19665月、原子力艦(原潜)が初めて入港した。1973831日、横須賀基地への空母前方展開で日米が合意した。101日、空母の前方展開が開始され、CV-41ミッドウェイが入港した。19907月、アメリカは日本に思いやり予算での12号バース拡張を要求しており、長さを277mから414mに広げ、幅も5m増やし、各種設備を増設する工事を検討中で、既に細かい部分は始められていた模様。ブッシュ政権下では国防費削減の流れを受けてレイヒ級巡洋艦、チャールズ・F・アダムス級駆逐艦、ノックス級フリゲートなどの旧式艦が姿を消し、1980年代に建造された最新艦が配備されるようになった。1991911日、CV-62インディペンデンスが前方配備された。1992年、アメリカ海軍がフィリピンのスービック湾基地から撤退したため、国外最大のアメリカ海軍基地となった。1993年、12号バース拡張工事が本格的に着工された。1998年、CV-63キティホークが前方配備された。20062月、12号バースのクレーンが一回り大きいクレーンに換装され、ヨコヅナ及びオオゼキと名付けられた。20063月、12号バースの工事が完成(6月に引き渡し)し、全長が277mから410mとなり、幅も5mほど広くなった。かかった費用は128億円で、思いやり予算から捻出されている。829日、横須賀初のイージスBMD対応艦CG-67シャイローが配備された。20074月、原潜接岸用の10号・11号バースが撤去され、新たなバースが設置されて作業施設船が繋留された。原潜桟橋は12号バースの裏側に新設されている。20075月、12号バースの海底を約2m浚渫する工事を開始。11月、6号ドックのゲート交換作業を開始。20083月、6号ドックのゲート交換作業を完了。8月、12号バースの浚渫工事が完了。かかった費用は64億円で、思いやり予算から捻出された。925日、CVN-73ジョージ・ワシントンが前方配備された。20091月現在、海軍の情報部隊として、横須賀海軍情報作戦コマンドが置かれている。20091117-19日、海上自衛隊とアメリカ海軍が共同で基地警備特別訓練を実施。横須賀地方隊から170名、アメリカ海軍横須賀基地憲兵隊から40名が参加した。1118日、海上自衛隊とアメリカ海軍が共同で衛生特別訓練を実施。横須賀地方隊などから170名、アメリカ海軍横須賀病院なとから70名が参加した。2011105-7日、基地警備特別訓練を実施。横須賀地方隊などから170名、アメリカ海軍横須賀基地憲兵隊から40名が参加した。2012925日、平成24年度横須賀地区殉職隊員追悼式を実施。20132月、CG-63カウペンスがCG-54アンティータムと交代した。129-12日、日米共同基地警備訓練を実施。2014323日、アメリカ海軍横須賀基地アメリカンフットボールチームのシーホークスが防衛大カデッツと第4回の交流試合を実施。42-0で圧勝した。201516日、DDG-82ラッセンと交代してDDG-52バリーが前方配備された。101日、CVN-76ロナルド・レーガンが前方配備された。2016420日、アメリカ海軍日本地区司令官マッシュー・カーター少将が、基地司令としての高度な服務基準を満たしていないとして、横須賀基地司令デイヴィッド・グレニスター大佐を更迭した。新しい基地司令には横須賀基地副司令スティーブン・ウイーマン大佐が昇格している。520日、地元町内会、自治体、横須賀警察署、NPOガーディアン・エンジェルス、海自横須賀地方隊、南関東防衛局と共に、横須賀市繁華街の第237回夜間巡回パトロールに参加。823日、稲田防衛大臣の視察を受けた。916日、地元町内会、自治体、横須賀警察署、NPOガーディアン・エンジェルス、海自横須賀地方隊、南関東防衛局と共に、横須賀市繁華街の夜間巡回パトロールに参加。2017年、作戦準備と保守整備を担当する西太平洋海軍水上群NACSURFGRUWESTPACが新編された。726日、フランス海軍情報収集艦A759デュピュイ・ド・ロームが寄港。727日、アメリカ海軍施設技術極東地区本部司令交代式典を実施。前司令に海幕から海幕長感謝状と第2号防衛協力章が授与された。2018525日、DDG-69ミリアスが前方配備された。614日、基地司令部が横須賀港で日米共同衛生訓練に参加。921日、海上自衛隊衛生特別訓練が行われ、アメリカ海軍横須賀基地司令部と横須賀米海軍病院から350名が参加した。2020224-28日、令和元年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。202124日、DDG-115ラファエル・ペラルタが入港し、前方展開を開始した。816日、DDG-76ヒギンズとDDG-83ハワードが入港し、前方展開を開始した。818日、DDG-54カーティス・ウィルバーが前方展開を終え、サンディエゴに向かった。98日、DDG-105デューイが前方展開を開始した。20221118日、新桟橋(長さ200m、巡洋艦3隻同時係留可、給電施設付き)の竣工祝賀式典を実施。2023227日、DDG-52バリーが前方展開を外れてアメリカ本土に向かった。34日、DDG-113ジョン・フィンが入港し、前方展開を開始した。参考:月刊軍事研究1,1512,085,054,097,09、月刊丸12,92、月刊世界の艦船11,182,1012,113,129,135,'167,'1611,1610,178,1811,1812,184,'2111,'212,'235,'232,24、月刊JWings5,20、朝雲

 <横須賀基地(アメリカ海軍、1992年)>:LCC-19ブルーリッジ、CV-62インディペンデンス、CG-49ヴィンセンズ、CG-52バンカーヒル、CG-53モービルベイ、DD-966ヒューイット、DD-972オルデンドルフ、DD-975オブライエン、DD-991ファイフ、FFG-38カーツ、FFG-41マクラスキー、FFG-43サッチ、FFG-60ロドニー・M・デイビスが前方展開している。参考:月刊丸12,92

 <横須賀基地(アメリカ海軍、2009年)>:LCC-19ブルーリッジ、CVN-73ジョージ・ワシントン、CG-63カウペンス、CG-67シャイロー、DDG-54カーティス・ウィルバー、DDG-56ジョン・S・マッケイン、DDG-62フィッツジェラルド、DDG-63ステザム、DDG-82ラッセン、DDG-85マッキャンベル、DDG-89マスティンが前方展開している。参考:月刊軍事研究5,15

 <横須賀基地(アメリカ海軍、2014年)>:LCC-19ブルーリッジ、CVN-73ジョージ・ワシントン、CG-54アンティータム、CG-67シャイロー、DDG-54カーティス・ウィルバー、DDG-56ジョン・S・マッケイン、DDG-62フィッツジェラルド、DDG-63ステザム、DDG-82ラッセン、DDG-85マッキャンベル、DDG-89マスティンが前方展開している。参考:月刊軍事研究5,15

 <横須賀基地(アメリカ海軍、2017年)>:在日米海軍司令部、第7艦隊司令部、第74任務部隊/第7潜水隊群司令部、西太平洋海軍水上群司令部、海軍通信隊、海軍海洋業務群、横須賀艦船修理廠・造修統括本部、海軍補給センター、海軍病院、横須賀造修所、西太平洋洋上消火ダメージ・コントロール複合訓練施設、海軍犯罪捜査局NCIS極東支部などが置かれ、82の部隊や機関が所在している。港外には海自と共用の消磁施設もある。LCC-19ブルーリッジ、CVN-76ロナルド・レーガン、CG-54アンティータム、CG-62チャンセラーズ・ビル、CG-67シャイロー(BMD対応)、DDG-52バリー(BMD対応)、DDG-54カーティス・ウィルバー(BMD対応)、DDG-56ジョン・S・マッケーン(BMD対応)、DDG-62フィッツジェラルド(BMD対応)、DDG-63ステザム(BMD対応)、DDG-65ベンフォールド(BMD対応)、DDG-85マッキャンベル、DDG-89マスティンが前方展開している。参考:月刊軍事研究5,17、月刊世界の艦船11,18

横須賀基地(海上自衛隊)>:海上自衛隊の基地。逸見地区、楠ヶ浦地区、長浦地区、新井地区、比与宇地区、田浦地区、船越地区、吾妻島地区、柏地区、武山地区からなる。19528月に開設された。1994120日、練習艦隊司令部が呉に移った。199532日、第4護衛隊群司令部が呉に移った。2010119日、吉倉桟橋でアメリカ海軍と日米安保条約改定50周年行事を実施。DD-111おおなみとDDG-59ラッセルが満艦飾を行った。4月、逸見地区に逸見岸壁(長さ390m、幅28m、水深11mDDH-181ひゅうがクラスの大型艦も着岸でき、ヘリポートもある)が新設された。201198日、日米衛生部隊(横須賀地方隊など90名、アメリカ海軍横須賀病院などから130名)による衛生特別訓練を実施。201425-7日、基地モニター7人が岩国航空基地、呉基地、江田島地区で研修を実施。128日、船越地区合同庁舎前で避難訓練を実施。掃海業務支援隊などの隊員60名が参加した。2015115日、中谷防衛大臣の初度視察を受けた。212日、安倍総理夫人、防衛大臣夫人、自民党副総裁夫人、ケネディ駐日アメリカ大使が隊員向け保育園このはな園を訪問し、園児と交流した。2016527日、記念艦三笠での日本海海戦111周年記念式典を支援した。719-21日、海自・在日米海軍中級海曹交流を実施。823日、稲田防衛大臣の視察を受けた。123日、横須賀上級海曹会がアメリカ海軍横須賀基地先任上級兵曹長らと第30回日米親善CPOもちつき大会を実施。2018318日、安倍首相の視察を受けた。49日、配備各護衛艦乗員52名が三笠の塗装・清掃ボランティアを実施。201935日、空自PAC-3機動展開訓練で第1高射群が展開した。2020224-28日、令和元年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。3月、海上作戦センター(地上6階、延床面積36000平方メートル)が竣工。821日、茨城地本募集課の基地見学に協力した。101日、船越地区で海上作戦センター(自衛艦隊護衛艦隊潜水艦隊掃海隊群海洋業務・対潜支援群艦隊情報群の各司令部を集約)の運用開始記念式典を実施。2021118日、岸防衛大臣が海外派遣護衛艦乗員留守家族との車座対話を実施。2022616日、陸上自衛隊アメリカ海兵隊共催の太平洋水陸両用指揮官シンポジウム2022の部隊研修が行われた。参考:月刊世界の艦船11,188,1011,112,1211,1612,'209,'22、月刊JWings5,195,20、朝雲

横須賀基地(海自、2007年度改編前)>:自衛艦隊司令部、護衛艦隊司令部、第1護衛隊群、海上訓練指導隊群、潜水艦隊司令部、第2潜水隊群、掃海隊群、情報業務群、開発隊群、横須賀地方隊、第2術科学校、海洋業務群、艦船補給処、自衛隊横須賀病院が所在している。参考:月刊JWings6,07

横須賀基地(海自、2011年度)>:自衛艦隊司令部、護衛艦隊司令部、第1護衛隊群、第11護衛隊、第1海上補給隊、海上訓練指導隊群、潜水艦隊司令部、第2潜水隊群、掃海隊群司令部、第51掃海隊、開発隊群司令部、海洋業務群司令部、情報業務群司令部、横須賀地方隊が所在している。参考:JShips

横須賀基地(海自、2015年)>:自衛艦隊、護衛艦隊、第11護衛隊、第1海上補給隊、第1護衛隊群、第1護衛隊、潜水艦隊、第2潜水隊群、第2潜水隊、第4潜水隊、掃海隊群、第1掃海隊、海上訓練指導隊群、開発隊群、海洋業務群、情報業務群、横須賀地方隊、第41掃海隊などが所在している。参考:JShips VOL.70

横須賀基地(海自、2018年)>:逸見地区(横須賀地方総監部、第1護衛隊群司令部、第1護衛隊、第6護衛隊、第11護衛隊、横須賀造修補給所、横須賀システム通信隊、海上自衛隊指揮通信システム用鉄塔など)、楠ヶ浦地区(日米共同使用。第2潜水隊群司令部、第2潜水隊、第6潜水隊、横須賀潜水艦基地隊、対潜資料隊)、長浦地区(横須賀基地業務隊、横須賀衛生隊)、新井地区(海上訓練指導隊群司令部、横須賀海上訓練指導隊、横須賀警備隊)、比与宇地区(横須賀弾薬整備補給所)、田浦地区(潜水医学実験隊、艦船補給処、横須賀造修補給所工作部、自衛隊横須賀病院、第2術科学校)、船越地区(自衛艦隊司令部、護衛艦隊司令部、潜水艦隊司令部、掃海隊群司令部、第1掃海隊、第41掃海隊、掃海業務支援隊、海洋業務・対潜支援群司令部、対潜評価隊、第1海洋観測隊、開発隊群司令部、指揮通信開発隊、艦艇開発隊、情報業務群司令部、作戦情報支援隊、電子情報支援隊、誘導武器教育訓練隊、船越地区業務分遣隊、船越保全監査分遣隊など)、吾妻島地区(日米共同使用。横須賀造修補給所吾妻島貯油所、横須賀弾薬整備補給所整備第1・第2部、同所火薬庫など)、柏地区(日米共同使用)、武山地区(横須賀教育隊、横須賀音楽隊)からなる。参考:月刊世界の艦船11,18

横須賀基地業務隊>:海上自衛隊の基地業務隊。横須賀市所在部隊・機関と父島基地分遣隊の所属隊員に対する各種業務(給養、給与支払い、福利厚生、施設管理、車両運行など)が主任務で、横須賀基地長浦地区に本部、船越地区に船越基地業務分遣隊が所在する。19877月に新編された。2010923日、横須賀市が主催する第47回交通安全市民総ぐるみ運動推進大会で市内交通安全功労者部門団体賞を受賞。2018614日、横須賀港で日米共同衛生訓練に参加。921日、衛生特別訓練に参加。2019920日、衛生特別訓練に参加。20211025日、海自初のカーシェアリング・サービスを開始。2022520日、横須賀地方総監部自衛隊横須賀病院横須賀衛生隊と共に、自衛隊横須賀病院と横須賀米海軍病院で行われた日米共同訓練に参加。横須賀米海軍病院と、衛生関係部隊連携要領及び負傷者対応能力向上を目的とした訓練を行った。参考:横須賀地方隊ホームページ、月刊世界の艦船11,1812,1812,198,'22、朝雲

 <横須賀基地業務隊(2015年)>:横須賀地方隊隷下で、横須賀基地に置かれている。本部(総務科、厚生科、会計科、車両科、施設科、補充部)と船越基地業務分遣隊(総務科、厚生科、補給科、施設科)からなる。参考:横須賀地方隊ホームページ

横須賀基地警防隊>:海上自衛隊の基地警防隊。海上警備隊時代の1953916日に横須賀地方隊隷下に新編された。195841日、隷下に横須賀防備隊、剣崎警備所、観音崎警備所が新編された。195961日、横須賀警備隊に改称された。参考:横須賀地方隊ホームページ

横須賀教育隊>:海上自衛隊の教育隊。自衛官候補生、一般海曹候補生、公募海曹、初任海曹、予備自衛官への教育を担当し、教育隊の中で唯一女性自衛官の教育も担任する。横須賀基地武山地区に所在し、総務科、厚生科、補給科、教育第1部、教育第2部(女性自衛官担当)からなる。1959年に新編された。2009113日、第111期公募海曹課程23名の修業式を実施。324日、第110期初任海曹課程147名と第32期一般海曹候補学生海曹予定者課程60名の修業式を実施。一般海曹候補学生海曹予定者課程の教育はこれが最後で、以降は一般海曹候補生課程に引き継がれた。76日、第112期公募海曹過程3名の修業式を実施。12月、NTT東日本関連企業社員15人に対し、2日間の隊内生活体験を実施。社員はオリエンテーションの後、防火訓練、基本教練、短艇訓練を受け、意見交換会などを行った。122日、352期練習員課程と113期公募海曹課程の短艇競技を実施。前者から1個分隊4艇、後者から1個分隊オープン参加で競技が行われ、3班が優勝した。201117日、第114期初任海曹課程学生(男性2個分隊141名、女性1個分隊33名)の始業式を実施。2012410日、第118期公募海曹、第5期一般海曹候補生、第356期練習員、第3期自衛官候補生、第2期女性自衛官候補生課程の入校式を実施。719日、第5期一般海曹候補生、第356・第357期練習員、第54期練習員(女性)課程学生計650名による短艇競技を実施。分隊対抗では男性が補生第24分隊と練習員第32分隊、女性が補生第121分隊の優勝となった。班対抗では補生第24分隊第4班、練習員第32分隊第4班、女性第121分隊第1班が優勝した。823日、第356・第357期練習員課程179名と第54期練習員(女性)課程58名の修業式を実施。2014326日、初任海曹課程の修業式を実施。48日、入隊式と分隊編成式を実施。623日、陸自第117教育大隊と新入隊員交流行事を実施。陸上競技などを通して団結を深めた。101日、第372期練習員課程の入隊式を実施。2015216日、第362期練習員課程58名の終業式を実施。49日、第8期一般海曹候補生課程369名、第9期自衛官候補生課程212名、第5期自衛官候補生(女性)課程79名の入隊式を実施。2016721日、第9期一般海曹候補生課程、第365期練習員課程、第58期練習員(女性)課程の短艇競技を実施。分隊対抗の部で第25・第31・第131分隊、班対抗の部で第23分隊第2班・第31分隊第3班・第132分隊第1班が優勝した。201716日、武山駐屯地体育館で第126期初任海曹課程と第2期海曹予定者課程の始業式を実施。126日、初任准尉特別講習員46名の修講式を実施。213日、神奈川地本カレッジ防衛モニターに職場体験を実施。823-24日、第367期練習員課程、第59期練習員(女性)課程、第10期一般海曹候補生課程の修業式を実施。103日、第124期公募海曹課程、第14期自衛官候補生課程、第8期自衛官候補生(女性)課程の入隊式と、第127期初任海曹及び第3期海曹予定者課程の始業式を実施。2018215日、第368期練習員課程・第60期練習員(女性)課程の修業式を実施。416日、第16期自衛官候補生がDD-152やまぎりで停泊実習を実施。516-18日、第11一般海曹候補生と第9期・第16自衛官候補生の各課程学生計802名が、SS-592うずしおSS-599せとしおで実習を実施。65日、硫黄島戦没者追悼式・海軍予備学生顕彰式を実施。720日、学生隊舎の第4隊舎の命名式を行い、海誠館と書かれた看板が教育第1部長の手により掲げられた。103日、第129期初任海曹課程学生80名と第5期海曹予定者課程169名の始業式を実施。1030日、市民救助・救命の功績で、学生7名に善行褒賞が授与された。1214日、第12期一般海曹候補生課程、第17期自衛官候補生課程、第10期自衛官候補生(女性)課程の短艇競技を実施。男性班対抗の部で自衛官候補生課程31分隊第3班、女性班対抗の部で自衛官候補生課程131分隊第3班が優勝した。2019110-25日、第3002期初任准尉特別講習を実施。35日、山形地本の海自入隊予定者・家族15人に対する見学会に協力した。422-25日、第13期一般海曹候補生課程、第19期自衛官候補生課程、第11期自衛官候補生(女性)課程の各学生計912名に停泊実習を実施。827日、第13期一般海曹候補生、第373練習員、第63期練習員(女性)課程学生計875名の修業式を実施。2020325日、第132期初任海曹課程28名と第8期海曹予定者課程149名の修業式を実施。520-21日、第15期一般曹候補生課程及び第22期自衛官候補生課程の艦艇研修(DDG-174きりしま)を実施。78日と14日、ミス・ワールド日本事務局の協力でヨガ教室を開催。715-17日、持久走競技会を実施。15個分隊824名が参加し、男子の部は第376期練習生課程で31分隊、第15期一般海曹候補生課程で28分隊、女子の部は第15期一般海曹候補生課程122分隊が総合優勝した。85日、学生789名に遠泳の海面訓練を実施。参考:朝雲、教育隊の編制に関する訓令、MAMOR vol.90vol.110、月刊世界の艦船11,18

横須賀軍港(日本海軍)>:日本海軍の軍港。慶応元年(1865年)5月に徳川幕府が竣工させた製鉄所がルーツで、後に造船所を経て工廠となり、明治293月に横須賀鎮守府隷下の軍港として開設された。参考:月刊世界の艦船9,13増刊、8,10、日本海軍艦隊総覧

横須賀警備区>:海上自衛隊横須賀地方総監部の管轄区域で、三重県から岩手県にかけての太平洋と、栃木、群馬、埼玉、山梨、長野、岐阜を含む内陸部を担当する。参考:日本の防衛戦力Part3、月刊世界の艦船1,95

横須賀警備戦隊(日本海軍)>:日本海軍の警備戦隊。昭和812月に横須賀鎮守府で新編された。昭和17410日、編成から除かれた。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、日本海軍艦隊総覧

横須賀警備隊>:海上自衛隊の警備隊。横須賀基地新井地区に本部があり、警備、出入港・燃料弾薬搭載支援、不発弾処理などを行う。大元は海上警備隊時代の1953916日に新編された横須賀基地警防隊で、195961日に横須賀警備隊に改編され、横須賀地方隊隷下に入った。196531日、隷下に船越警備分遣隊が新編された。198771日、横須賀防備隊と剣崎警備所が廃止され、横須賀水中処分隊が隷下に入り、横須賀基地業務隊から独立した。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。3131800、千葉県浦安市で72トンの給水支援を実施。3181152、千葉県浦安市オリエンタルランドの岸壁で給水支援を実施。この日までに1215トン(給水車472両分)を給水した。3190800、千葉県に水62トンを提供した。3212000、千葉県に真水89トンを提供した。3222000、千葉県に真水22トンを提供。3280900、石巻市内で入浴支援を行った。3290900、石巻市内で入浴支援を実施。3301645、石巻地区で入浴支援を実施。3311645、石巻市で入浴支援を実施。411230、石巻市市営駐車場で男性122名と女性110名に入浴支援を実施。431700、石巻市で男性101人と女性90人に入浴支援を実施。441700、石巻地区で男性86人と女性99人に入浴支援を実施。461230、石巻市中央2丁目市営駐車場で男性104人と女性129人に入浴支援を実施。471650、石巻市街地で男性97人と女性90人に入浴支援を実施。481645、石巻市街地で入浴支援を実施。491300、石巻市中央市営駐車場で被災者166人に入浴・シャワー支援を実施。4101700、石巻市中央市営駐車場で被災者281人に入浴・シャワー支援を行った。4111230、石巻市中央市営駐車場で被災者231人に入浴・シャワー支援を実施。4121230、石巻市中央市営駐車場で被災者191人に入浴・シャワー支援を実施。4131630、石巻市中央市営駐車場で被災者220人に入浴・シャワー支援を実施。4141645、石巻市中央市営駐車場で被災者234人に入浴支援を実施。4151230、石巻市中央市営駐車場で被災者180人に入浴支援を実施。4171725、石巻市中央市営駐車場で被災者230人に入浴支援を実施。4181700、石巻市中央市営駐車場で被災者163人に入浴・シャワー支援を実施。4201700、石巻市中央市営駐車場で被災者176人に入浴・シャワー支援を実施。4211700、石巻市中央市営駐車場で被災者180人に入浴・シャワー支援を実施。4221715、石巻市中央市営駐車場で被災者151人に入浴・シャワー支援を実施。4231715、石巻市中央市営駐車場で入浴・シャワー支援を実施。4241220、石巻市中央市営駐車場で212人に入浴・シャワー支援を実施。4252020、石巻市中央市営駐車場で被災者227人に入浴・シャワー支援を実施。4262000、石巻市中央市営駐車場で被災者239人に入浴・シャワー支援を実施。4272015、石巻市中央市営駐車場で被災者270人に入浴・シャワー支援を実施。4282015、石巻市中央市営駐車場で被災者292人に入浴・シャワー支援を実施。4302030、石巻市中央市営駐車場で被災者333人に入浴・シャワー支援を実施。512010、石巻市中央市営駐車場で被災者280人に入浴・シャワー支援を実施。521600、石巻市中欧市営駐車場で被災者222人に入浴・シャワー支援を実施。532010、石巻市中央市営駐車場で被災者240人に入浴・シャワー支援を実施。542009、石巻市中央市営駐車場で被災者273人に入浴・シャワー支援を実施。552015、石巻市中央市営駐車場で被災者272人に入浴・シャワー支援を実施。561530、石巻市中央市営駐車場で被災者248人に入浴・シャワー支援を実施。571515石巻市中央市営駐車場で被災者238人に入浴・シャワー支援を実施。581515、石巻市中央市営駐車場で被災者283人に入浴・シャワー支援を実施。591525、石巻市中央市営駐車場で被災者261人に入浴・シャワー支援を実施。5101430、石巻市中央市営駐車場で被災者251人に入浴・シャワー支援を実施。5111525、石巻市中央市営駐車場で被災者294人に入浴・シャワー支援を実施。5121525、石巻市中央市営駐車場で被災者216人に入浴・シャワー支援を実施。5131525、石巻市中央市営駐車場で被災者248人に入浴・シャワー支援を実施。5141525、石巻市中央市営駐車場で被災者247人に入浴・シャワー支援を実施。5151525、石巻市中央市営駐車場で被災者237人に入浴・シャワー支援を実施。5161430、石巻市中央市営駐車場で被災者232人に入浴・シャワー支援を実施。5171525、石巻市中央市営駐車場で被災者216人に入浴・シャワー支援を実施。5181525、石巻市中央市営駐車場で被災者244人に入浴・シャワー支援を実施。5191525、石巻市中央市営駐車場で被災者200人に入浴・シャワー支援を実施。5201525、石巻市中央市営駐車場で被災者199人に入浴・シャワー支援を実施。5211525、石巻市中央市営駐車場で被災者201人に入浴・シャワー支援を実施。5222005、石巻市中央市営駐車場で被災者160人に入浴・シャワー支援を実施。5232000、石巻市中央市営駐車場で被災者220人に入浴・シャワー支援を実施。5241530、石巻市中央市営駐車場で被災者221人に入浴・シャワー支援を実施。5251530、石巻市中央市営駐車場で被災者208人に入浴・シャワー支援を実施。5261530、石巻市中央市営駐車場で被災者206人に入浴・シャワー支援を実施。5271530、石巻市中央市営駐車場で被災者204人に入浴・シャワー支援を実施。5281515、石巻市中央市営駐車場で被災者190人に入浴・シャワー支援を実施。5291515、石巻市中央市営駐車場で被災者175人に入浴・シャワー支援を実施。2012112日、東日本大震災の災害派遣に対し、千葉県知事から感謝状が贈呈された。201743日、AMS-4305えんしゅうとLCU-2002輸送艇2号が隷下に入った。201936日、相模湾でLCU-2002輸送艇2号体験航海を実施。1013日から台風19号・21号被害の災害派遣に参加。参考:MAMOR vol.52、月刊JWings6,11、月刊航空ファン6,11、東日本大震災海上自衛隊災害派遣の記録、海上自衛新聞、月刊世界の艦船11,17、朝雲

 <横須賀警備隊(2001年4月1日)>:横須賀地方隊隷下で、ASU-83特務艇83号、ASY-91はしだてが配備された。参考:月刊世界の艦船6,01

 <横須賀警備隊(2011年)>:横須賀地方隊隷下で、本部、横須賀陸警隊、横須賀港務隊、横須賀水中処分隊、観音崎警備所、ASY-91はしだてからなる。参考:海上自衛新聞

 <横須賀警備隊(2015年)>:横須賀地方隊隷下で、トップは司令。警備隊本部(総務班、運用班)、横須賀陸警隊、横須賀港務隊、横須賀水中処分隊(水中処分母船3号)、船越警備分遣隊、観音崎警備所、ASY-91はしだてを配備する。AMS-4305えんしゅうとLCU-2002輸送艇2号の部隊運用や教育訓練に関する指揮も担当する。参考:横須賀地方隊ホームページ、月刊世界の艦船6,15

 <横須賀警備隊(2020年)>:横須賀地方隊隷下で、AMS-4305えんしゅうASY-91はしだてLCU-2002輸送艇2号を配備する。参考:月刊世界の艦船6,20

横須賀警務隊>:海上自衛隊の警務隊。201492日、横須賀基地配備の護衛艦で2014年に自殺した乗員にいじめを繰り返したとして、上司の一等海曹を暴行などの疑いで書類送検した。20196月、隊員自主募集優秀部隊等褒賞を受賞した。参考:朝雲

横須賀工作所>:海上自衛隊の工作所。196121日、横須賀地方隊隷下に新編された。197032日、横須賀造修所に改編された。参考:横須賀造修補給所ホームページ

横須賀港務隊>:海上自衛隊の港務隊で、横須賀警備隊の隷下にある。2011311日の東日本大震災を受け、アクア作戦に参加。3311550、多用途支援艦ひうちが曳航してきた1号バージを曳船により福島第一原発岸壁に接岸させた。2015312日、YL-16運貨船16号が配備された。1221日、YT-06曳船06号が配備された。2017731日、YT-1037交通船1037号が配備された。2018323日、YT-10曳船10号が配備された。2019228日、YT-12曳船12号が配備された。参考:月刊世界の艦船7,157,167,187,19、朝雲

横須賀システム通信隊>:海上自衛隊のシステム通信隊。システム通信隊群隷下で、横須賀基地逸見地区に置かれている。横須賀所在部隊の通信組織(防衛情報通信基盤DIIや基地内基幹伝送路などのネットワークシステム及び作戦用無線通信網など)の構成及び維持管理や、サイバー防衛を主任務とする。隷下に館山システム通信分遣隊を置く。2002322日、システム通信隊群隷下に新編された。2021108日、システム通信隊群中央システム通信隊、、同保全監査隊と共に、保全監査隊(市ヶ谷地区)で、アメリカ海軍情報作戦コマンド横須賀NIOC-Yとの日米共同訓練(サイバー攻撃等対処)に参加。参考:月刊世界の艦船11,187,191,'22、朝雲

横須賀消磁所>:海上自衛隊の消磁所。横須賀造修補給所の隷下で、総務科と消磁科からなり、船体消磁、船体磁気分析評価・資料整備、施設維持管理を行う。20115月、いずも型DDHに対応するための改修工事を開始。磁気処理用大型発電機設置、磁気検知器増設、人工係留物(ドルフィン)配置変更などを行った。201632日、いずも型DDHに対応するための改修工事が完工した。参考:横須賀造修補給所ホームページ、月刊世界の艦船6,16

横須賀情報保全派遣隊>:自衛隊の情報保全部隊。横須賀地方総監部及び横須賀所在部隊の情報保全支援業務が主任務で、2009年に自衛隊情報保全隊隷下となった。参考:朝雲

横須賀水中処分隊>:海上自衛隊の水中処分隊。196131日、横須賀防備隊隷下に新編された。1966年、羽田沖全日空機墜落事故で派遣され、水深24mの海底に沈む機体の位置を確認した。1969年から警視総監の要請に基づく民生協力として、新島付近の海底で太平洋戦争終結後に新島守備隊が海中に遺棄した弾薬を回収している。1976年、台風17号による小豆島水害における災害派遣に参加。1982年、羽田沖日航機墜落事故で救助活動を実施。198771日、横須賀警備隊の隷下に移った。1988年、なだしお・第1富士丸衝突事故で行方不明者を捜索した。1995年、北海道南西沖地震で行方不明者の捜索を実施。1999年、新島付近での弾薬回収に関し、新島村長から感謝状、警視総監から一級賞状を授与された。2001年、新島付近での弾薬回収に関し、総理大臣から表彰を受けた。2010年、新島での回収弾薬累計は52992640トンとなった。20101010日、福島県小名浜港で不発弾(全長1.15m、直径0.2m、重量100kg)処理を行った。201354日、千葉県船橋市沖で発見された日本陸軍7.5cm榴弾を海中で爆破処分した。522日、YDT-03に乗って東京都新島沖に進出。523-24日、新島前浜海岸と黒根沖で爆発性危険物の捜索・識別を実施。砲弾など不発弾73発を発見し、回収可能な13発を回収した。回収困難な残り60発は528日に水中爆破処理している。620-28日、EOD1名が硫黄島沖で実機雷処分訓練に参加。201572日、茨城県常陸那珂港区中央埠頭地区で発見された不発弾4発(日本軍250kg爆弾3発、アメリカ軍500ポンド爆弾1発)を常陸那珂港沖400mで水中爆破処理した。924-25日、水中処分母船3号と隊員12名が静岡県下田沖で発見された海龍の調査を実施。1028日から119日、水中処分母船3号が中部・関西方面への長距離行動訓練を行った。201665-9日、伊豆諸島新島沖で不発弾の捜索・集積などを行い、98247kgを回収、6101030に水中爆破処理した。20231117-27日、令和5年度機雷戦訓練(日向灘)及び掃海特別訓練(日米共同訓練)に参加。202421-10日、令和5年度機雷戦訓練(伊勢湾)及び掃海特別訓練(日米共同訓練)に参加。参考:MORIBITO Vol.3MAMOR Vol.42、月刊軍事研究2,11、月刊世界の艦船9,131,244,'24、朝雲

横須賀水中処分隊(2009年)>:横須賀地方隊横須賀警備隊隷下で、YDT-03水中処分母船3号が配備された。参考:MORIBITO Vol.3

横須賀水中処分隊(2015年)>:横須賀地方隊横須賀警備隊隷下で、YDT-03水中処分母船3号が配備された。参考:横須賀地方隊ホームページ

横須賀水雷調整所>:海上自衛隊の水雷調整所。1955121日、横須賀地方隊隷下に開設された。1965121日、弾薬整備科が新編された。198371日、弾薬整備科が廃止された。198571日、魚雷科と機雷整備科が新編された。1998128日、横須賀弾薬整備補給所に改編された。参考:横須賀地方隊ホームページ

横須賀潜水艦基地隊>:海上自衛隊の潜水艦基地隊。横須賀基地楠ヶ浦地区に置かれており、基地や潜水艦乗員待機所の維持管理、出撃中の潜水艦乗員の家族支援などを主任務とする。19683月、第1潜水隊群隷下に新編された。197210月、横須賀基地船越地区から楠ヶ浦地区(アメリカ海軍と共用)に移った。参考:月刊世界の艦船11,189,15

横須賀造修所>:海上自衛隊の造修所。197032日、横須賀工作所から改編されて横須賀地方隊隷下に創設された。砲銃弾科、化学器材整備科からなる。1998128日、横須賀造修補給所と横須賀弾薬整備補給所に改編された。参考:横須賀造修補給所ホームページ、横須賀地方隊ホームページ

横須賀造修補給所>:海上自衛隊の造修補給所。艦船、武器、需品などの整備・保管・補給、艦船や武器などの維持・修理・研究・改良・改造・試験・検査を主任務とする。横須賀基地逸見地区に所在する。1998128日、横須賀補給所と横須賀造修所を統合して横須賀地方隊隷下に新編された。2017925-29日、フィリピン海軍への艦船整備に関する能力構築支援事業(艦船整備に係る研修)を実施。201896日に発生した北海道胆振東部地震の災害派遣に参加。参考:横須賀造修補給所ホームページ、横須賀地方隊ホームページ、月刊世界の艦船12,17、朝雲

 <横須賀造修補給所(2015年)>:横須賀地方隊の隷下にある。所長、副所長、先任伍長、艦船検査官、武器検査官、総務科、計画調整部(企画調整科、補給管理科、需品管制科、情報処理科)、艦船部(艦船補給科、船体科、機関科、電気科、潜水艦科)、武器部(武器補給科、誘導武器科、水中武器科、通信電子科)、工作部(工務科、艦船工作科、武器工作科、ガスタービン整備科、ドック科、観測器材科)、資材部(資材1科、資材2科、利材科、輸送科)、横須賀消磁所からなる。参考:横須賀造修補給所ホームページ

横須賀第1特別陸戦隊>:日本海軍の特別陸戦隊(空挺部隊)。太平洋戦争開戦時は南方部隊航空部隊第1001部隊に所属していた。参考:帝国海軍太平洋作戦史T

横須賀第3特別陸戦隊>:日本海軍の特別陸戦隊(空挺部隊)。太平洋戦争開戦時は南方部隊航空部隊第1001部隊に所属していた。参考:帝国海軍太平洋作戦史T

横須賀弾薬整備補給所>:海上自衛隊の弾薬整備補給所。弾火薬類、化学器材、魚雷標的の整備保管補給と、訓練で使用した魚雷やミサイルのデータを収集分析評価するのが主任務で、横須賀基地比与宇地区に置かれており、吾妻島地区などに保管庫を分散している。整備第1部整備管理第1科評価係では訓練用魚雷のデータ解析も行う。1998128日、横須賀補給所、横須賀水雷調整所、横須賀誘導弾整備所、横須賀造修所を統合して横須賀地方隊隷下に新編された。参考:横須賀地方隊ホームページ、月刊世界の艦船11,18MAMOR vol.146

 <横須賀弾薬整備補給所(2015年)>:横須賀地方隊の隷下にある。所長、副所長、先任伍長、企画調整室(企画調整係、安全係)、総務科(総務係、警備係)、補給科(管制係、資料処理係、輸送係、資材係)、整備第1部(整備管理第1科、火工整備科、魚雷整備科、機雷整備科)、整備第2部(整備管理第2科、誘導弾整備科)からなる。参考:横須賀地方隊ホームページ

横須賀地方総監部>:海上自衛隊の地方総監部。所在地は横須賀基地逸見地区、神奈川県横須賀市西逸見町1丁目無番地。横須賀警備区内の全海自隊員の人事管理(幹部除く)、就職掩護、福利厚生や、全所在部隊の経理業務を担当する。195281日、横須賀地方隊隷下に新編された。2011130日、セシウム137を含むダーティーボムによるテロを想定した国民保護共同実動訓練に参加。311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。地震の揺れで渡り橋が落下する被害を受けている。726日、防衛医大医学科1年生81名が研修を実施。201391日、相模市総合防災訓練に参加。2014912日、女性隊員フットサル競技大会の平成26年度第1回横須賀なでしこカップを開催。13チームが参加し、横須賀教育隊チームが優勝した。2016414日と16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。512日、援護業務課が静岡地本本部で陸海空援護担当者会同に参加。518-19日、管理部長が平成28年度都県募集等連絡会議に参加。630日、第1回横須賀地区日米史跡研修を実施。海自から17名、在日米海軍司令部から18名が参加し、東京湾要塞千代ヶ崎砲台跡を見学した。723日、横浜F・マリノスのホームゲームイベントで行われた神奈川地本横浜出張所による募集広報活動を支援した。926日から109日、平成28年度海上自衛隊演習(図上演習〈日米共同演習〉)に参加。1110日、ワークライフバランスの積極推進による働き方改革推進の功績で、海幕長から賞状が授与された。1214日、第1回働き方改革推進コンテスト副大臣賞が伝達された。2017130日から21日、海自から2等海曹12名、アメリカ海軍から1等・2等兵曹12名が参加し、横須賀基地で日米中級海曹交流を実施。321日、平成28年度ワークライフバランス職場表彰国家公務員制度担当大臣表彰を受賞した。1017日、海自とアメリカ軍との衛生特別訓練が行われた。1115日、久里浜駐屯地、武山駐屯地、武山分屯基地と共に、横須賀市と大規模災害時等に従事する隊員の家族支援に関する協定を締結。2018117日、東部方面総監部第1師団34普通科連隊、静岡地本と共に、静岡県地震対策オペレーション2018に参加。126日、災害時の連携強化を目的に、東京電力と初の定例会議を実施。26日、採用予定者らを対象に横須賀基地ツアーを実施。331日、田戸台分庁舎で平成30年観桜会を実施。921日、衛生特別訓練に参加。201959日、第10師団33普通科連隊が久居駐屯地が行った三重県内各自治体・関係機関との防災連絡会議に参加。920日、衛生特別訓練に参加。202033-24日、新型コロナウイルス感染拡大に伴う臨時休校措置を受け、緊急登庁支援の活用の特例措置が取られたことに伴い、横須賀基地勤務隊員の子供を預かる家族一時預かり所を開設した。2021117日、神奈川県横浜市臨港パークで行われた第42回九都県市合同防災訓練(令和3年度横浜市総合防災訓練)に参加。2022514-15日、第60回静岡ホビーショーで広報ブースを設置した。520日、自衛隊横須賀病院横須賀基地業務隊横須賀衛生隊と共に、自衛隊横須賀病院と横須賀米海軍病院で行われた日米共同訓練に参加。横須賀米海軍病院と、衛生関係部隊連携要領及び負傷者対応能力向上を目的とした訓練を行った。20231213日、自衛隊横須賀病院と横須賀米海軍病院で行われた第25回衛生特別訓練に参加。自衛隊横須賀病院横須賀衛生隊と共に、横須賀米海軍病院40名と、日米関係部隊の連携要領及び負傷者への対応能力(トリアージ、傷者処置、搬送及び医療活動)の向上を目的とする訓練を行った。参考:月刊JWings6,10別冊付録、MAMOR vol.52vol.134、月刊世界の艦船12,1612,1712,1812,198,'223,'24、朝雲

横須賀地方総監部(1978年)>:横須賀地方隊隷下で、横須賀にある。管理部、防衛部、経理部、補給監理官、技術監理官、衛生監理官、監察官を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船1,79別冊

横須賀地方隊>:海上自衛隊地方隊Yokosuka Regional District。横須賀警備区における沿岸防備、対機雷戦、艦艇の修理補給や人事教育などの後方支援、災害派遣、爆発物処理が主任務で、記念艦三笠の保存や田戸台分庁舎の管理も行っている。195281日、保安庁警備隊の創設と同時に新編された。横須賀地方総監部、横須賀航路啓開発、西部航路啓開発、函館航路啓開発を隷下に置く。1953916日、横須賀基地警防隊が新編された。函館航路啓開隊が函館基地隊に改称されて大湊地方隊に移った。1955121日、横須賀水雷調整所が開設された。19574月、第11護衛隊からDE-261わかばが編入された。1958816日、隷下に第32掃海隊が新編された。1959年、横須賀教育隊が新編された。61日、横須賀基地警防隊が横須賀警備隊に改編された。196121日、横須賀補給所と横須賀工作所が新編された。4月、DE-261わかばが第6護衛隊から編入された。1968年、隷下に父島基地分遣隊が新編された。197032日、横須賀工作所が横須賀造修所に改編された。1974411日、横須賀音楽隊が正式な編成に入った。198371日、横須賀誘導弾整備所が開設された。1985327日、ASU-7010あきづきが護衛艦隊から編入された。19862月中旬、LST-4101あつみが沼津市今沢海岸で輸送艦総合訓練に参加。1216日、第42掃海隊が廃止され、第46掃海隊が編入された。1998128日、横須賀補給所、横須賀水雷調整所、横須賀誘導弾整備所、横須賀造修所が廃止統合され、横須賀造修補給所、横須賀弾薬整備補給所、艦艇補給所が新編された。2008220日、AMS-4305えんしゅうが編入された。3月、第21護衛隊が第11護衛隊に改称されて護衛艦隊隷下に移った。2009520日、AGB-5003しらせが配備された。1118日、日米共同衛生特別訓練に参加。2011105-7日、アメリカ海軍横須賀基地及び横須賀港内における日米共同基地警備特別訓練に参加。2012117日、日米共同衛生特別訓練に参加。125-7日、横須賀地区で基地警備特別訓練に参加。2013102日、日米共同衛生特別訓練に参加。129-12日、アメリカ海軍横須賀基地と横須賀港内で行われた基地警備特別訓練に参加。2014108日、アメリカ海軍との共同衛生特別訓練に参加。116-9日、みちのくALERT2014に参加。128-12日、横須賀で基地警備特別訓練に参加。2015422日、神奈川県横須賀市と共催する「横須賀と海の防人の伝統を考えるシンポジウム」を横須賀芸術劇場で実施。91日、首都直下地震を想定した9都県市防災訓練に参加。914日、アメリカ海軍との衛生特別訓練に参加。1023日から1113日、平成27年度自衛隊統合演習に参加。2016520日、地元町内会、自治体、横須賀警察署、NPOガーディアン・エンジェルス、アメリカ海軍横須賀基地、南関東防衛局と共に、横須賀市繁華街の第237回夜間巡回パトロールに参加。912日、伊勢志摩サミット支援の功績で、防衛大臣から一級賞状が授与された。916日、地元町内会、自治体、横須賀警察署、NPOガーディアン・エンジェルス、アメリカ海軍横須賀基地、南関東防衛局と共に、横須賀市繁華街の夜間巡回パトロールに参加。927日、田戸台分庁舎でアメリカ海軍初級士官を歓迎する横須賀地区日米若手士官交流会を実施。201743日、直轄艦のLCU-2002輸送艇2号とAMS-4305えんしゅうが横須賀警備隊の隷下に移った。53-22日、日仏英米共同訓練に参加。10月、海上自衛隊横須賀地方隊と東京電力ホールディングス株式会社の連係に関する協定を締結した。2019624-27日、陸輸輸送学校の輸送艇研修に協力した。99日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。1012日に上陸した台風19号の災害派遣に参加。2020131日に発出された新型コロナウイルス感染症拡大防止の災害派遣に参加。221-23日、令和元年度日米共同統合防災訓練TREXに参加。914日、隊員38名が横須賀アリーナで横須賀市大規模風水害避難訓練に参加。1222日、YT-13曳船13号が配備された。

202126日、YL-121運貨船121号が配備された。212-13日、日米共同統合防災訓練TREXに参加。117日、神奈川県横浜市臨港パークで行われた第42回九都県市合同防災訓練(令和3年度横浜市総合防災訓練)に参加。202286日、横須賀基地で開隊70周年記念サマーフェスタ2022を開催。DDG-174きりしまSS-509せいりゅう(上甲板のみ)、AGB-5003しらせが一般公開された。119日、令和4年度離島統合防災訓練及び日米共同統合防災訓練に参加。

参考:横須賀地方隊ホームページ、月刊世界の艦船5,862,878,1212,1110,121,132,138,11増刊、12,132,142,151,'1611,171,204,'217,'211,'23、月刊丸10,10、月刊航空ファン2,15、日本の防衛戦力Part3、朝雲、MAMOR vol.155vol.160、月刊JWings2,22

 <横須賀地方隊(1978年)>:横須賀地方総監部、第33護衛隊、第42掃海隊、横須賀教育隊、横須賀通信隊、横須賀警備隊、横須賀防備隊、横須賀衛生隊、横須賀音楽隊、横須賀水雷調整所、父島基地分遣隊、横須賀補給所、木更津航空補給所、横須賀造船所、下総航空工作所、直轄艦(ふじ、あつみ、海洋観測艇5号、特務艇83号)、はやぶさ、特務艇85号を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船1,79別冊

 <横須賀地方隊(2001年4月1日)>:隷下に第21護衛隊、第41掃海隊、横須賀警備隊、父島基地分遣隊、LCU-2002輸送艇2号、AGB-5002しらせなどを置く。参考:月刊世界の艦船6,01

横須賀地方隊(2007年度、改編前)>:第21護衛隊、南極観測船しらせ飛行科などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,07

横須賀地方隊(2010年)>:横須賀地方総監部、横須賀警備隊(特務艦ASY-91はしだて)、第41掃海隊、横須賀教育隊、横須賀弾薬整備補給所、横須賀造修補給所、横須賀基地業務隊、横須賀衛生隊、横須賀音楽隊、父島基地分遣隊、砕氷艦AGB-5003しらせ、LCU-2002輸送艇2号、多用途支援艦AMS-4305えんしゅうを隷下に置く。参考:月刊丸10,10、月刊世界の艦船1,11

横須賀地方隊(2011年)>:横須賀地方総監部、第41掃海隊、横須賀教育隊、横須賀警備隊、横須賀弾薬整備補給所、横須賀造修補給所、横須賀基地業務隊、横須賀衛生隊、横須賀音楽隊、父島基地分遣隊、LCU-2002輸送艇2号、多用途支援艦AMS-4305えんしゅう、砕氷艦AGB-5003しらせを隷下に置く。参考:海上自衛新聞

横須賀地方隊(2015年)>:横須賀地方総監部、第41掃海隊、横須賀教育隊、横須賀警備隊、横須賀弾薬整備補給所、横須賀造修補給所、横須賀基地業務隊、横須賀衛生隊、横須賀音楽隊、父島基地分遣隊、AMS-4305えんしゅう、AGB-5003しらせ、しらせ飛行科、LCU-2002輸送艇2号などを隷下に置く。しらせ飛行科のCH-101は岩国基地に配置されている。参考:横須賀地方隊ホームページ、月刊世界の艦船6,15、月刊航空ファン4,16

横須賀地方隊(2020年)>:横須賀基地に置かれている。第41掃海隊、横須賀警備隊、AGM-5003しらせ、しらせ飛行科(岩国。CH-101)などを隷下に置く。参考:月刊世界の艦船6,'20、月刊JWings6,20

横須賀鎮守府>:日本海軍の鎮守府。元は明治996日に横浜で開設された東海鎮守府で、横須賀に移転して明治171215日に創設された。第1海軍区を担当する。明治32-36年、横須賀鎮守府艦隊が置かれた。昭和812月、横須賀警備戦隊が新編された。昭和20820日、鎮守府長官が横須賀市に対し、進駐軍上陸にあたり注意との布告を発した。829日、日本人が鎮守府構内から退去。8301231、横須賀に上陸したアメリカ軍により、屋上に星条旗が掲げられた。1130日に解隊された。参考:月刊世界の艦船9,13増刊、11,18、日本海軍艦隊総覧

横須賀鎮守府第1特別陸戦隊>:日本海軍陸戦隊。といいつつ、実際には一〇〇一部隊所属の空挺部隊である。定数750名。昭和16128日の太平洋戦争開戦時、建制上は連合艦隊の隷下に置かれていた。昭和17111-12日、セレベス島メナド降下作戦に参加。参考:月刊航空ファン3,19、日本海軍艦隊総覧

横須賀鎮守府第2特別陸戦隊>:日本海軍陸戦隊。昭和16128日の太平洋戦争開戦時、建制上は連合艦隊の隷下に置かれていた。参考:日本海軍艦隊総覧

横須賀鎮守府第3特別陸戦隊>:日本海軍陸戦隊。といいつつ、実際には一〇〇一部隊所属の空挺部隊である。定数750名。昭和16128日の太平洋戦争開戦時、建制上は連合艦隊の隷下に置かれていた。昭和17220-21日、チモール島クーパンへの降下作戦に参加。参考:月刊航空ファン3,19、日本海軍艦隊総覧

横須賀米海軍病院>:2018614日、横須賀港で日米共同衛生訓練に参加。2019920日、衛生特別訓練に参加。参考:月刊世界の艦船12,19、朝雲

横須賀防備戦隊>:日本海軍の防備戦隊。昭和18628日、海防艦福江が編入された。715日、福江が第2海上護衛隊に転出した。928日、海防艦平戸が編入された。111日、平戸が第2海上護衛隊に転出した。昭和20127日、海防艦四阪が呉防備戦隊から転入した。参考:月刊丸7,14

横須賀防備隊>:海上自衛隊の防備隊。195841日、横須賀基地警防隊隷下に新編された。195961日、横須賀基地警防隊が横須賀警備隊に改編されたのと同時に独立した。196131日、隷下に横須賀水中処分隊が新編された。198771日に廃止され、横須賀水中処分隊は横須賀警備隊の隷下に移った。参考:横須賀地方隊ホームページ

横須賀防備隊(1978年)>:隷下に第1港湾哨戒隊、横須賀水中処分隊を置く。参考:月刊世界の艦船1,79別冊

横須賀補給所>:海上自衛隊の補給所。196121日、横須賀地方隊隷下に新編された。管制科、輸送科、資料処理科からなる。1998128日、横須賀造修補給所と横須賀弾薬整備補給所に改編された。参考:横須賀造修補給所ホームページ

横須賀誘導弾整備所>:海上自衛隊の誘導弾整備所。198371日、横須賀地方隊隷下に新編された。1998128日、横須賀弾薬整備補給所に改編された。参考:横須賀地方隊ホームページ

横須賀陸警隊>:海上自衛隊の陸警隊。2014219日、アメリカ海軍横須賀基地憲兵隊軍用犬専門部隊(通称K9)を研修した。参考:朝雲

横滑り>:Side slip。機体中心軸と飛行方向がずれている状態のこと。パイロットが感知するのは難しいので、旋回計に組み込んだスリップ・ゲージを見て判断する。横風着陸の際には意図的に横滑りさせることもあるが、航空機は横からの力に耐えられるようには設計されていないので、この状態は各部故障の原因となる。機銃などを発射しても命中精度は保証されず、垂直尾翼が失速に陥り、着陸すれば事故を引き起こす。ドッグファイトでは敵の射線を外すなどの目的で意図的に行うことがあり、積極的に横滑り機動ができるよう、直接横力制御技術が研究された。旋回運動中に旋回円の内側に滑るのが内滑り(Slip)で、バンクが大きすぎたり、方向舵の作動角が浅かったりすると発生する。放っておけば主翼上反角による復元モーメントで内滑りが止まる。逆に外側に滑るのが外滑り(Skid)だが、こちらは主に水平飛行中に方向舵だけ踏み込んだ際の横滑りを表す言葉として使用される。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings10,09別冊付録、丸メカニック別冊1、世界の傑作機No.155

<よこせ>:MSC-642(掃海艇)を参照。

横瀬貯油所>:在日米軍の貯油所で、長崎県西海市にある。面積62万平方メートル。2013315日、新しいLCAC施設NBU7Naval Beach Unit 7)の運用開始を祝うセレモニーを実施。参考:月刊軍事研究4,10、月刊世界の艦船12,14、朝雲

横田気象隊>:航空自衛隊の気象隊。横田基地に置かれている。2012年に新編された。新編以来、アメリカ空軍横田基地の気象部隊と新任隊長を相互に招待して理解を促進する説明会を行っている。20151130日から129日、航空気象群主催の平成27年度気象技術競技会に参加し、総合成績3位となった。2018213日、気象隊長がアメリカ空軍第374運用支援中隊気象小隊に招かれ、中隊長と小隊長からミッションブリーフィングを受けた。619日、アメリカ空軍第17作戦気象隊(ヒッカム空軍基地)の隊長以下2名が来訪し、日米気象部隊間電話会議METCONの状況を視察した。630日、アメリカ軍施設多摩ヒルズのバーベキュー場でアメリカ空軍第374気象小隊と日米ピクニックを実施。入間・府中・市ヶ谷基地の気象隊員なども含む90名が参加し、横田気象隊総括班長と第374気象小隊長の送別会も同時に行った。201969日、アメリカ空軍第374気象小隊と横田基地内で日米ピクニックを実施。気象群本部、中枢気象隊、入間気象隊も加わり70名でバーベキューを楽しんだ。参考:月刊JWings8,14、朝雲

横田基地(航空自衛隊)>:航空自衛隊の基地。2012312日に設置され、326日に航空総隊司令部(府中基地から移転)が運用を開始した。在日米軍司令部と隣接しており、地下通路で結ばれている。総隊司令部庁舎の地下には日米共同調整所(BACCEBL/ERE)も存在する。同日、作戦情報隊と防空指揮群も運用が始められ、航空気象群横田気象隊と航空警務隊横田地方警務隊が新編された。530日、航空総隊司令部と関連部隊の横田基地移転を祝う記念式典を実施。201481日、航空戦術教導団が新編された。201794日、オーストラリア空軍本部長が訪問し、航空総隊司令官を表敬した。201961日、第40回関東地区スペシャルオリンピックを開催。15団体から障害を持つ選手164人が11競技に参加した。2020224-28日、令和元年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。108日、岸防衛大臣と井筒空幕長らが視察し、航空総隊司令官以下隊員80名に訓示した。参考:月刊JWings6,1210,145,20、月刊航空ファン1,1511,17、朝雲

 <横田基地(空自、2015年)>:航空総隊司令部、航空戦術教導団、防空指揮群、作戦情報隊、作戦システム運用隊、横田気象隊、横田地方警務隊、第4補給処立川支処保管課横田通関班が所在する。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015

横田基地(在日米軍)>:在日米軍基地で、西太平洋・東アジア地域の戦域空輸の中核飛行場である。元は1940年(昭和15年)に開設された陸軍多摩飛行場(福生飛行場?)で、1945920日から進駐を開始して滑走路や施設を拡張、飛行場東側の軍人用住宅区域の近くにあった北多摩郡村山村横田の地名から横田基地と呼ばれるようになったらしい。1950年代後半、第6091偵察飛行隊にRB-50E偵察機とRB-50G電子偵察機が配備され、北朝鮮や中国に対する写真偵察や電子偵察を開始した。1956年、第55戦略偵察航空団からRB-47H電子偵察機2-4機がローテーション配備されるようになり、第3航空師団横田分遣隊の作戦支援を受けてソ連と中国に対するSIGINT任務を開始した。19584月、B-52爆撃機が初飛来(B-52E)。19591212日、サンダーバーズがF-100Dで展示飛行を実施。1964513日、F-105装備の第35・第36・第80戦術戦闘飛行隊が板付基地から移駐した。19677月、RB-47Hのローテーション配備が終了した。代わりに嘉手納基地第4252戦略航空団が作戦支援を行うRC-135M偵察機がローテーション配備されている。19721月、日米首脳会談(佐藤・ニクソン)で関東平野の在日米空軍施設を1976年までに横田基地に集約する計画が決まり、19731月の第14回日米安全保障協議委員会で関東空軍施設統合計画を決定し、立川基地、大和基地、府中空軍施設、調布の関東村住宅地、調布飛行場、練馬のグランドハイツ、キャンプ朝霞、水戸射爆場、ジョンソン住宅区域などが返還されたのに伴い、それらにあった施設・部隊がここに集約され、横田基地施設や滑走路の拡張が行われた。ちなみに統合費用401億円は全額日本負担である。1974年には在日米軍司令部・第5航空軍司令部も移動した。朝鮮戦争の国連軍司令部(代替)でもあり、休戦が破られれば国連軍基地として機能することになる。長さ3354m11000フィート)・幅61m200フィート)の滑走路(ランウェイ18/36)、北側305m・南側300mのオーバーラン、管制塔、格納庫などの他、兵員宿舎から教会、スーパーマーケット、パン工場、幼稚園から大学に至るまで、各種施設が設けられている。滑走路にはアレスティング・ワイヤを備えているが、配備されているのは輸送機部隊で、アレスティング・フックが無いため、三沢基地から戦闘機が飛んできて年に1回程度チェックを行っている。1975年、第374戦術空輸航空団第345戦術空輸飛行隊がフィリピンのクラーク基地から移駐した。1980年、アメリカ空軍下士官会が関東地区スペシャル・オリンピックスを設立。1989年、第374戦術空輸航空団第21戦術空輸飛行隊がフィリピンのクラーク基地から移駐した。199241日、第374戦術空輸航空団と第475基地航空団が統合されて第374空輸航空団となった。199371日、第345空輸飛行隊が解隊された。101日、第21空輸飛行隊が横田基地を去り、第36空輸飛行隊が配備された。199955日、C-130Eが東京都と神奈川県の境界付近を飛行訓練中に、物資投下訓練用のパラシュート付き砂袋(重量7kg)を誤って落下させた。砂袋は町田市小川町の民家の屋根に落ち、死傷者は出ていない。20062月、BJOCCが稼働を開始。20071月、第13航空軍第1分遣隊が派遣されるようになった。2009118日、下士官クラブで横田基地と近隣市町交流クラブの合同新年会を実施。616日、第374空輸航空団と北関東防衛局が共催し、初の米軍航空機事故対処図上確認訓練を実施。1113-16日、新兵導入訓練(FTACFirst Term Airman Center)を実施。空自からも2名が参加した。2011311日の東日本大震災に対するトモダチ作戦で施設管制センター/緊急作戦センターが設置され、同作戦及びパシフィック・パッセージ作戦の作戦調整にあたった。また、第18航空団、第33救難飛行隊、空軍特殊作戦軍団第353特殊作戦群、第1特殊戦飛行隊、第17特殊戦飛行隊、第27特殊戦航空団第318特殊戦飛行隊(U-28A。ニューメキシコ州キャノン空軍基地がホームベースで、福島原発事故の調査飛行を行ったらしい)などが展開して救援活動を行った。201231-7日、在日米空軍部隊現地研修を実施。アメリカ空軍と空自の下士官が特技能力の向上や友好を図った。34-9日、福岡県築城基地に保管されていたF-1支援戦闘機を航空総隊司令部庁舎と在日米軍司令部庁舎の間(アメリカ空軍F-86戦闘機も展示してある)に設置した。63日、第28回横田ストライダーズ駅伝を実施。65-7日、第374空輸航空団や第36空輸飛行隊のC-130輸送機がサムライ・サージ訓練(編隊飛行及び投下・降下訓練)を実施。9月、第13航空軍第1分遣隊が廃止され、要員は第5航空軍司令部に移った。20152-3月、OC-135Bがオープンスカイ・ミッションを実施。途中でエンジントラブルを起こしたため、314日にエンジンを交換している。1015日、防衛省がCV-22配備(2021年までに10機を予定)に関する環境レビューを公表した。2200-0600の離着陸とエンジン起動は運用群司令の承認を得て行い、2100-0700は逆噴射装置の使用を必要最小限とすることを求めている。また、訓練には東富士演習場、三沢基地、三沢対地射爆撃場、沖縄の各訓練場、アンダーセン空軍基地、韓国のピルサン・レンジを使う予定。1125日、イギリス空軍A400Mがソウルから飛来。1126日、イギリス空軍A400Mがパールハーバー・ヒッカム統合基地に向け離陸。

2016226日、OC-135Bが飛来。229日、OC-135Bが離陸。0744頃、横田を離陸してハーディ・バラックス(赤坂プレスセンター)に向かっていた第374空輸航空団第459空輸飛行隊UH-1Nの警告灯が点灯したため、調布飛行場に予防着陸した。乗員9名は無事。横田基地から整備修理チームは派遣され、34日午前に整備を終えて横田に帰投している。32日、OC-135Bが飛来。39日、OC-135Bが離陸。313日、OC-135Bが飛来。322日、OC-135Bが離陸。410日、オーストラリア空軍KC-30Aが飛来。412日、KC-30Aが離陸。522日、ベトナムを訪問するオバマ大統領を乗せたVC-25Aと随伴のC-32Aが給油のため飛来。815日、フランス空軍C-130H-30が飛来。818日、フランス空軍C-130H-30が離日した。971245頃、第51戦闘航空団第25戦闘飛行隊A-10C攻撃機2機が給油のため着陸してスポットに停止した際、1番機の右垂直尾翼と2番機の左主翼が接触して両者とも破損した。三沢基地航空祭への参加をキャンセルして修理を行い、922日午後に烏山基地へと向かっている。9150925頃、三沢基地を離陸してアンダーセン空軍基地に向かっていたKC-135Rのコクピットから煙が出たため、横田基地に緊急着陸した。整備を行い、923日午前にアンダーセン空軍基地へと向かっている。1010日午後、オーストラリア空軍KC-30Aが飛来。1011日午前、KC-30Aが離陸してオーストラリアのタウンズビル空軍基地に向かった。10311334頃、横田から小松基地に向かっていた第374空輸航空団第459空輸飛行隊UH-1Nが燃料系統トラブルで富山空港に予防着陸した。1120846頃に富山空港を離陸して小松基地に向かっている。114日午後、OC-135Bが飛来。117日午前、OC-135Bがロシアのウランウデ国際空港に向かった。1112日午後、OC-135Bが飛来。1114日午前、OC-135Bがウランウデ国際空港に向かった。125日、カーター国防長官を乗せたE-4Bが着陸。128日、カーター国防長官を乗せたE-4Bが離陸し、インドのインディラ・ガンディー国際空港に向かった。

2017231345頃、ジェームズ・マティス国防長官を乗せたE-4Bが烏山基地から飛来。マティス国防長官は到着後すぐ海軍HSC-12Det.1MH-60Sヘリでハーディ・バラックスに移動して安倍総理や岸田外相を表敬訪問、24日に防衛大臣との日米防衛相会談を行った。241250、マティス国防長官を乗せたE-4Bがアンドリュース統合基地に向け離陸。331000頃、第374空輸航空団第36空輸航空隊C-130H輸送機がエプロンで整備中に燃料漏れを起こした。34日、OC-135Bがロシアのウランウデ国際空港から飛来。36日、第374空輸航空団第36空輸飛行隊C-130J-30輸送機1番機が着陸。313日、OC-135Bがロシアのウランウデ国際空港に向け離陸。314日、元統幕主席法務官にハリス太平洋軍司令官からアメリカ国防総省功績勲章が授与された。318日、OC-135Bがロシアのウランウデ国際空港から飛来。322日、OC-135Bがアメリカに戻った。43日、タイ空軍C-130H-30輸送機が飛来。45日、タイ空軍C-130H-30輸送機が離陸。51日から1031日まで、アンダーセン空軍基地の第9偵察航空団第69偵察航空群第1分遣隊グローバルホーク5機と隊員110名が台風避難のために一時展開することになり、51-4日に3機が飛来した。526日、第51戦闘航空団第25戦闘航空隊A-10C攻撃機14機が飛来。61日、レッドフラッグ・アラスカ17-2に参加予定の韓国空軍KF-16D-52戦闘機6機がアメリカ空軍空中給油機トラブルのため緊急着陸した。62日、韓国空軍C-130HKF-16Dの支援器材を積んで飛来。63日、韓国空軍KF-16D-52戦闘機6機とC-130H輸送機1機が全機離陸した。610日、第55航空団第45偵察飛行隊OC-135Bが飛来。613日、OC-135Bがロシアのウランウデ国際空港に向かった。622日、OC-135Bがロシアのウランウデ国際空港から飛来し、パールハーバー・ヒッカム統合基地へと離陸した。73日、第55航空団第38偵察飛行隊RC-135SRC-135Vが嘉手納から飛来。740645頃、RC-135Sが離陸。0925頃、RC-135Vが離陸。0951に北朝鮮から火星14号が発射されているが、監視のため離陸したのか、沖縄付近を通過した台風3号からの避難を終えて嘉手納に戻るためなのかは不明。7201040頃、A1タキシーウェイで離陸準備に入った第60航空機動航空団第22空輸飛行隊C-5Mの機内で煙が発生した。エンジンを止めて駐機スポットに戻ろうとしたが、機体後下部からブレーキオイルが漏れていてブレーキが効かなくなり、機体が一時的に後進したため、機体停止後に緊急脱出シュートで乗員と乗客が退避した。その後修理を行い、730日に離陸してトラビス空軍基地に戻っている。728日、フランス空軍第110クレイユ空軍基地所属A340-211輸送機が飛来し、3時間強で離陸した。81日、フランス空軍第110クレイユ空軍基地所属A340-211輸送機が飛来し、2時間半で離陸した。88日、カナダ空軍CC-144B輸送機2機が飛来し、平壌国際空港を往復した。89日、フランス空軍C-130H-30輸送機1機が飛来。810日、CC-144B輸送機1機が、2015年に北朝鮮で拘束され人道的理由で釈放された韓国系カナダ人の引き渡しを受けるため、平壌を往復。810日と12日にCC-144B輸送機1機ずつがアンダーセン空軍基地に向かった。812日、フランス空軍C-130H-30輸送機1機が上海国際空港に向かった。92日、オーストラリア空軍C-130J-30輸送機1機が飛来。93日、オーストラリア空軍C-130J-30輸送機1機が離陸した。1016日、最後のC-130H輸送機2機が離陸してアメリカに向かった。115日、トランプ大統領来日に伴いVC-25A大統領専用機2機が飛来。激励スピーチ会場にはVMFA-121F-35B戦闘機2機と第35戦闘航空団第14戦闘飛行隊F-16CM戦闘機1機が展示された。スピーチを終えると大統領はHSC-12MH-60Sヘリによる先導を受けHMX-1VH-3Dで埼玉県のゴルフ場に移動している。117日、VC-25A大統領専用機2機がトランプ大統領を乗せ離陸、烏山基地に向かった。先んじてC-40Bが離陸しており、撤収要員搭乗用のC-32Aも飛来している。1111日、OC-135Bが飛来。1112日、タイ空軍第6航空団第601飛行隊C-130H-30輸送機が自衛隊音楽まつりにゲスト出演するタイ空軍軍楽隊を乗せて飛来。1113日、OC-135Bがロシアのウランウデ国際空港に向かった。1120日、タイ空軍第6航空団第601飛行隊C-130H-30輸送機がタイ空軍軍楽隊を乗せ離陸、バンコクのドンムアン基地に戻った。

2018112日、EC-130H電子戦機が飛来。24日、登記上ユタ銀行関係者(Bank of Utah Trustee)の保有となっているDHC-8-315Bが飛来。ミサイル警報を積んでいるなど、只の民間機ではなく、実際にはアメリカ陸軍RO-6A偵察機のベース機で、横田基地で改修作業に入った。25日、第34戦闘飛行隊F-35A戦闘機が嘉手納基地から飛来。262130、マイク・ペンス副大統領を乗せたC-32Aが到着。その後、副大統領はUH-60Lに乗り換えて六本木のハーディバラックスに向かった。28日、ペンス副大統領がアメリカ空軍将兵と航空自衛官1000名に激励の演説を行い、C-32Aで韓国平昌に向かった。228日、4日に飛来したDHC-8-315B/RO-6Aが改修後の初飛行を実施。3月、RO-6Aが岩国経由で嘉手納基地に移動した。43日、2017会計年度に配備される予定で2020年度に延期となっていたCV-22B特殊作戦機10機の配備を前倒しするとの発表があった。45日、前日に横浜ノースドックに陸揚げされたCV-22B特殊作戦機5機が着陸し、暫定配備された。所属部隊は当初公表されていなかったが、第353特殊作戦航空群第1分遣隊と判明している。412日、イギリス空軍グローブマスターC.Mk1輸送機1機が飛来。413日、CV-22B特殊作戦機5機が韓国に展開して演習に参加。414日、イギリス空軍グローブマスターC.Mk1輸送機1機が離陸。427日、オーストラリア空軍KC-30A空中給油輸送機1機が飛来。430日、オーストラリア空軍KC-30A空中給油輸送機が秋田沖の日本海上でミッションを実施。51日、オーストラリア空軍KC-30A空中給油輸送機がミッションフライトを実施。53日、オーストラリア空軍KC-30A空中給油輸送機がミッションフライトを実施。54日、第374空輸航空団がC-130J-30輸送機11機で大規模編隊飛行訓練サムライ・サージを実施。オーストラリア空軍KC-30A空中給油輸送機がミッションフライトを実施。57日、オーストラリア空軍KC-30A空中給油輸送機がミッションフライトを実施。525日、タイ空軍A319-115Xが飛来。528日、シンガポールでの米朝首脳会談の準備を行うアメリカ政府関係者30名を乗せたC-32A輸送機が給油のため立ち寄り、シンガポールに向かった。529日、タイ空軍A319-115Xがフィリピンのクラーク基地に向かった。530日(29日?)、CV-22B特殊作戦機5機が韓国から帰投。62日、シンガポールでの米朝首脳会談の準備を行ったアメリカ政府関係者30名を乗せたC-32A輸送機が給油のため立ち寄り、アメリカへと戻っていった。64日、CV-22B特殊作戦機5機が岩国経由で嘉手納に向かった。うち1機で飛行システムの異常を示す警告が出たため、付き添いの1機と共に1500頃に奄美空港に予防着陸し、1740頃に付き添いの1機が嘉手納に向かっている。610日、タイ空軍SSJ-100-95LR輸送機が着陸。飛来目的は不明である。615日、タイ空軍SSJ-100-95LR輸送機が離陸。623日、CV-22B特殊作戦機4機が帰投。628日、マティス国防長官を乗せたE-4Bが飛来。CV-22B特殊作戦機4機が通常の訓練飛行を開始。629日、マティス国防長官を乗せたE-4Bがアンドリューズ統合基地に向かった。71日、イギリス空軍ボイジャーKC.2が飛来。72日、配備されている第353特殊作戦群第1分遣隊CV-22B特殊作戦機が埼玉県所沢市のアメリカ空軍所沢通信所に着陸し、10分ほどで離陸した。事前通告が無かったとして周辺自治体が抗議している。イギリス空軍ボイジャーKC.2がアラスカ州テッド・スティーブンス−アンカレッジ国際空港に向かった。73日、前月に奄美空港に予防着陸していたCV-22Bがテストフライトを2回行い、74日に岩国基地経由で横田基地に戻った。76日、ポンペオ国務長官搭乗C-32Aが飛来し、平壌国際空港に向かった。729日、C-40Bが着陸。84日、アメリカ海兵隊総司令官搭乗C-37Bが飛来。87日、アメリカ海兵隊総司令官搭乗C-37Bがパールハーバー・ヒッカム統合基地に向かった。814日、フランス空軍C-130H-30輸送機が飛来。817日、フランス空軍C-130H-30輸送機が香港に向かった。822日、C-32A輸送機が着陸。926日、北朝鮮の瀬取り監視のため嘉手納に展開していたカナダ空軍CP-140哨戒機が台風避難で飛来。927日、北朝鮮の瀬取り監視のため嘉手納に展開していたオーストラリア空軍AP-3C哨戒機2機が台風避難で飛来。101日、第353特殊作戦群第1分遣隊CV-22B特殊作戦機5機が正式に配備された。1023日午後、システム評価試験のためKC-46A空中給油輸送機EMD4号機が飛来。1025日午後、KC-46Aが離陸してワシントン州キングカウンティ国際空港に向かった。11121848、アメリカのマイク・ペンス副大統領を乗せたC-32A輸送機1機とバックアップの1機が着陸。1113日午後、アメリカ副大統領らを乗せたC-32A輸送機2機が離陸し、東南アジアに向かった。

201925日、第5航空軍兼在日米軍司令官交代式典を実施。215日、第55航空団第45偵察航空隊OC-135Bが飛来。218日、OC-135Bがロシアのウランウデに向け離陸。223日、OC-135Bがロシアから戻った。225日、OC-135Bがロシアのウランウデに向け離陸。47日夕方、オーストラリア空軍第86航空団第33飛行隊KC-30A空中給油輸送機が飛来して49日から任務飛行(主に秋田沖C空域での空中給油)を行い、421日に去った。530日、C-37Aが飛来。531日、C-37Aが去った。63日、E-4Bがアメリカ国防長官代行を乗せて着陸した。64日、E-4Bが離陸。71日、CV-22B部隊の第353特殊作戦群21特殊戦飛行隊と整備担当の同群第753特殊戦航空機整備飛行隊が新編された。731日、ポンペオ国務長官を乗せたC-32Aが飛来し、補給を行った後、バンコクに向かった。84日夜、台風避難で第9偵察航空団RQ-4B無人偵察機1機がアンダーセン空軍基地から飛来。85日昼、台風避難で第9偵察航空団RQ-4B無人偵察機1機がアンダーセン空軍基地から飛来。その後もう2機が避難して計4機で横田基地からミッションを行った。86日、エスパー国防長官を乗せたE-4Bが飛来。816日、第55航空団第45偵察飛行隊OC-135Bが飛来。フランス空軍第61輸送飛行隊C-130H輸送機1機が飛来。819日、OC-135Bが離陸し、ロシアのブリヤート共和国首都ウランウデに向かった。フランス空軍第61輸送飛行隊C-130輸送機1機がフランスに戻った。824日、OC-135Bがウランウデから帰投、クイックで離陸してアメリカに戻った。825日、KC-46Aが飛来し、クイックで烏山空軍基地に向かった。

2020121日、日米下士官スペースシンポジウムが開催され、航空自衛隊から准曹士先任以下42名、アメリカ空軍からアメリカ宇宙軍宇宙作戦コマンド最先任上級曹長などが参加した。429日、三沢基地の第35戦闘航空団第13戦闘飛行隊所属F-16DM戦闘機1機が飛来し、アレスティング・フックを使用して着陸、滑走路端アレスティング・ワイヤの作動チェックを行った。530日、台風避難のため、第319偵察航空団第319運用群第1分遣隊RQ-4B無人偵察機がグアムから一時展開を開始。機体はブロック40が2機とブロック30が3機の計5機で、530日に2機、531日に1機、61日に2機が飛来した。6202020頃、第22給油航空団第344空中給油飛行隊KC-46A空中給油輸送機(LRIPロット2)1機が飛来し、6211438頃に離陸した。87日、VMFA(AW)-242所属F/A-18D戦闘機4機がクロスカントリー飛行訓練のため飛来し、87-8日にローカル飛行を行い、89日に岩国基地に戻った。822日、河野防衛大臣が在日米軍司令官兼第5航空群司令官シュナイダー中将と会談し、弾道ミサイル防衛での日米連携で一致した。沖縄に台風8号が接近したため、嘉手納基地からRC-135S偵察機2機、RC-135W偵察機1機、E-3B早期警戒管制機1機、KC-135R空中給油機3機が飛来し、825日に戻っていった。827日、台風避難のため、第319偵察航空団第319運用群第1分遣隊RQ-4Bブロック40無人偵察機1機がグアムから飛来し、計6機が横田基地に展開した。829日、沖縄に台風9号が接近したため、嘉手納基地からRC-135W偵察機2機、FC-135S偵察機1機、E-8C偵察機1機、KC-135R空中給油機数機が飛来し、92日に戻っていった。94日、沖縄に台風10号が接近したため、嘉手納基地からE-8C偵察機1機が飛来し、97日に戻っていった。95日、沖縄への台風10号接近に伴い、嘉手納基地からE-3B早期警戒管制機1機、RC-135W偵察機2機、RC-135S偵察機1機、KC-135R空中給油機数機が飛来し、97日に戻っていった。108日、岸防衛大臣と山崎統幕長らが基地を訪問し、在日米軍司令官兼第5航空軍司令官シュナイダー中将と会談、日米同盟強化に向けた意見交換を行い、普天間飛行場の辺野古への移設が唯一の解決策との認識で一致した。1113日、在日米軍副司令官から前西部方面総監にリージョン・オブ・メリット・ディグリー・オブ・オフィサーが伝達された。126日、E-8C地上目標監視機が飛来し、給油後に離陸、嘉手納基地に向かった。

2021315日、日米2プラス2に出席するブリンケン国務長官を乗せた第89空輸航空団第1空輸飛行隊C-32Aとオースティン国防長官を乗せた第595指揮管制群第1空中指揮管制飛行隊E-4Bが着陸した。昼に到着した国防長官はUH-60Lで、夜に到着した国務長官は専用車で都心に向かっている。317日、ブリンケン国務長官を乗せた第89空輸航空団第1空輸飛行隊C-32Aとオースティン国防長官を乗せた第595指揮管制群第1空中指揮管制飛行隊E-4Bが離陸し、韓国に向かった。326日、在韓米陸軍第501軍事情報旅団第3軍事情報大隊RC-12X電子情報収集機が飛来。41日、在韓米陸軍第501軍事情報旅団第3軍事情報大隊RC-12X電子情報収集機が飛来。7221510頃、第89空輸航空団第1空輸飛行隊C-32A輸送機がオリンピック開会式に出席するバイデン大統領夫人を乗せて飛来。夫人は在日米陸軍航空大隊UH-60Lに乗り換えて都心に向かった。725日、第89空輸航空団第1空輸飛行隊C-32A輸送機がバイデン大統領夫人を乗せて帰路に就いた。812日、アメリカ沿岸警備隊HC-130Jがコディアック基地から飛来し、日本近海でOperation North Pacific Guardに参加。817日、アメリカ沿岸警備隊HC-130Jが帰投。

2022416日、アントノフ航空An124-100M輸送機がフォートワース空港からアンカレジ空港経由で飛来し、アメリカ軍関連の貨物を搬出してセントレア空港に向かった。58-12日、第35戦闘航空団F-16戦闘機12機が展開し、ビバリー・モーニング22-01演習を実施。516日、グアム島配備RQ-4B無人偵察機が台風避難のため飛来。522日、日米豪印クアッド首脳会合に出席するバイデン大統領を乗せたVC-25A大統領専用機と随伴のC-32A輸送機が着陸。523日、ブリンケン国務長官を乗せたC-32A輸送機が着陸。524日、VC-25A大統領専用機と随伴のC-32A輸送機が離陸。528日、ブリンケン国務長官を乗せてきたC-32A輸送機が離陸。機体トラブルで帰国が遅れた模様で、国務長官は524日に離陸したC-32A輸送機の方に乗っていたらしい。711日、殺害された安倍元総理に哀悼を示すため急遽来日したブリンケン国務長官搭乗のC-32A輸送機が着陸。長官は第459空輸飛行隊UH-1Nヘリに乗り換えてハーディバラックスに向かった。719日、第388戦闘航空団第4戦闘飛行隊F-35A戦闘機2機が飛来。722日、第388戦闘航空団第4戦闘飛行隊F-35A戦闘機4機(第388運用支援隊隊長指定機F-35AF-187など)が飛来。82日、C-40C輸送機(台湾などを訪問するペロシ下院議長の予備機)が飛来。84日、台湾などの訪問を終えたペロシ下院議長を乗せた第932空輸航空団第73空輸飛行隊C-40C輸送機が飛来。810日、フランス空軍C-130H-30輸送機が飛来。811日、タイ空軍第601輸送飛行隊C-130H輸送機が飛来。812日、タイ空軍C-130輸送機が離陸。813日、フランス空軍C-130H-30輸送機が離陸。91日、第55航空団第45偵察飛行隊RC-135U電子偵察機、RC-135V電子偵察機、VP-5所属P-8A哨戒機(AAS付き)3機が台風避難のため嘉手納基地から飛来。910日、第92空中給油航空団(フェアチャイルド空軍基地)KC-135T空中給油輸送機のフライング・ブームがノズルを出したまま引き上げられなくなり、滑走路にブームを擦りながら緊急着陸した。926日、安倍総理の国葬に参列するハリス副大統領を乗せたC-32A輸送機が飛来。1017日、アメリカ沿岸警備隊C-37B長距離指揮管制機が飛来し、燃料補給後にシンガポールに向かった。1029日、ハリス副大統領を乗せたC-32A輸送機が離陸し、韓国に向かった。105日、台風シーズンが終わったため、グアム島配備RQ-4B無人偵察機がグアムに戻った。117日、キーン・ソード23に連動して実施される日米共同訓練に参加する第17特殊作戦飛行隊AC-130Jガンシップが飛来。三沢対地射爆撃場で実弾射撃訓練を4回行った。1117日、APEC首脳会議に出席するハリス副大統領を乗せたC-32A輸送機と随行C-32A輸送機が飛来し、給油後にバンコクに向かった。1120日、第17特殊作戦飛行隊AC-130Jガンシップが離日。1121日、C-32A輸送機1機が着陸した。バリでのG20会合を終えて帰国するVC-25A大統領専用機の予備機だったらしく、航続距離に差があるのでC-32Aだけ横田に寄ったとみられる。1122日、APEC首脳会議を終えたハリス副大統領を乗せたC-32A輸送機と随行C-32A輸送機が飛来し、アメリカに戻った。1129日、日米共同情報分析組織運用開始式典を実施。

202316日、VMFA-312所属F/A-18C/D戦闘機3機がアレスティング・ワイヤ動作点検を実施。33日、第55航空団RC-135Sコブラボール1電子偵察機がアラスカから飛来。34日、第55航空団RC-135Sコブラボール1電子偵察機が嘉手納基地に向かった。39日、VMFA-121所属F-35B戦闘機4機が飛来し、ローカル訓練を行った後、312日に岩国基地に戻った。5月、台風避難で第319偵察運用群RQ-4B無人偵察機3機がグアムから展開。518日、G7広島サミットに出席するバイデン大統領来日(岩国基地に到着)に合わせ、第89空輸航空団第1空輸隊C-32A輸送機が飛来。521日、C-32A輸送機がアラスカに向かった。531日、オースチン国防長官を乗せた第595指揮管制群第1空中指揮管制飛行隊E-4B空中指揮機が岩国基地から飛来。61日、E-4Bがシンガポールに向かった。7120556頃、第5爆撃航空団第69遠征爆撃飛行隊所属B-52Hが日本近海で訓練飛行中に第7エンジンが不調となり、点検のため1022頃に着陸した。横田基地にB-52爆撃機が着陸するのは1991830日(基地祭でB-52Gが飛来)以来である。713日、モンタナ州空軍120空輸航空団第186空輸飛行隊C-130H輸送機(8翅プロペラ装備)がモビリティ・ガーディアン演習で飛来。718日、モビリティ・ガーディアン23演習航空医療搬送訓練に参加するイギリス空軍第2航空団ほいジャーKC.3空中給油輸送機が飛来。719日、アメリカ沿岸警備隊HC-130J救難捜索・輸送機が飛来し、翌日から太平洋でミッションを開始した。720日、B-52H爆撃機が修理を終えて離陸した。86日、フランス空軍A330-200輸送機が飛来。88日、フランス空軍A330-200輸送機が離陸。812日、フランス空軍C-130H輸送機が飛来。815日、フランス空軍C-130H輸送機が離陸。1011日、TVPX AIRCRAFT SOLUTIONS INC TRUSTEE所属CL-600が飛来。胴体前部下面にフェアリングを持ち、胴体上下にブレードアンテナが林立していて、アメリカ政府運用ISR機とみられる。

参考:月刊軍事研究2,055,159,17、月刊JWings6,118,1211,131,'165,'166,167,168,1611,163,175,176,177,178,179,1710,1711,171,183,184,185,186,187,188,189,1812,184,195,197,198,199,1910,1911,197,'208,'209,'2011,'203,216,2110,'2111,'211,'227,'228,'2210,'2211,'2212,'221,'232,'233,'235,'236,'238,'2310,'2311,'231,'24、月刊航空ファン7,997,'155,'168,1612,161,172,174,175,176,178,179,1710,1711,171,182,184,185,186,187,188,189,1810,1811,1812,181,195,197,198,1911,19、首都防空網と空都多摩、MAMOR vol.120、月刊世界の艦船2,'23、朝雲

 <横田基地(2007年度)>:アメリカ空軍第374空輸航空団第36空輸飛行隊(C-130H)、第459空輸飛行隊(C-21UH-1N)が所在している。参考:月刊JWings6,07

 <横田基地(2012年度)>:アメリカ空軍第374空輸航空団第36空輸飛行隊(C-130H)、第459空輸飛行隊(C-12JUH-1N)が所在している。9月までは第13航空軍第1分遣隊も配備されていた。参考:月刊JWings2,13別冊付録、月刊軍事研究5,17

 <横田基地(2017年)>:アメリカ空軍第374空輸航空団が所在している。参考:月刊軍事研究5,17

 <横田基地(2020年)>:アメリカ空軍第374空輸航空団第36空輸飛行隊(C-130J-30)、同第459空輸飛行隊(C-12JUH-1N)、第353特殊戦航空群第21特殊戦飛行隊(CV-22B)が所在している。参考:月刊JWings3,20

横鉄砲>:日本海軍用語で、砲術学校普通科卒業マークの通称。参考:海軍よもやま物語

横浜海軍航空隊>:日本海軍航空隊。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は第24航空戦隊の隷下で、定数は九七式大艇24機だった。1211日からウェーク島攻略戦に参加(飛行艇24機)。昭和17410日、第25航空戦隊の隷下に入った。参考:日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船6,83、月刊航空ファン11,187,19

横浜事件>:昭和171130日、横浜港8号岸壁でドイツ特設給油艦ウッケルマルクが弾薬補給と燃料タンク清掃を行っていた。1340頃、ウッケルマルクで火災が発生、弾薬に引火して大爆発を起こした。ウッケルマルクに接舷していた補助巡洋艦トールにも引火、流出した重油も燃え出して周辺は火の海になり、7号岸壁の海軍特設給糧艦第3雲海丸、対岸のドイツ貨物船ロイテンに燃え移って陸上にも広がり、多数の死傷者を出した。4隻の船は焼き尽くされて使用不能になり、全て解体された。最初の火災の原因は、事故なのか意図的なのか含め不明である。参考:写真集ドイツの巡洋艦、月刊世界の艦船9,099,01

横浜船渠>:明治29年に石造りの二号船渠を建造。昭和3年に駆逐艦白雪を建造した。参考:月刊世界の艦船5,11

横浜駐屯地>:陸上自衛隊の駐屯地。所在地は神奈川県横浜市保土ヶ谷区岡沢町27319571月に開設され、第107特科大隊が習志野駐屯地、第391会計隊が桜木町分屯地から移駐した。19601月、第384基地通信隊と第367警務隊本部が新編された。19663月、第107特科大隊が松戸駐屯地、第367警務隊本部が久里浜駐屯地に移った。京浜港湾処理隊が桜木町分屯地から移駐し、第367警務隊横浜連絡班が新編された。19733月、第367警務隊横浜連絡班が第113地区警務隊横浜連絡班に改編された。19753月、第384基地通信隊が第309基地通信中隊横浜派遣隊に改編された。19833月、中央輸送業務隊が新編された。19941月、第309基地通信中隊横浜派遣隊が第316基地通信中隊横浜派遣隊に改編された。20083月、中央輸送業務隊第3移動支援隊が函館駐屯地から移駐し、第113地区警務隊横浜連絡班が第129地区警務隊横浜連絡班に改編された。1212日、第1回輸送科最先任上級曹長サミットが開催された。20153月、中央輸送業務隊第4・第5移動支援隊が新編された。参考:横浜駐屯地ホームページ、月刊JWings6,10別冊付録、朝雲

 <横浜駐屯地(2015年)>:中央輸送業務隊本部、第1移動支援隊、第2移動支援隊、第3移動支援隊(3月から第4・第5移動支援隊も)、輸送処理隊、第316基地通信中隊横浜派遣隊、第129地区警務隊横浜連絡班が駐屯している。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

横浜ノースドック>:在日米陸軍施設管理本部と在日米海軍基地司令部が共同管理している車両搬出施設で、瑞穂埠頭ともいう。横浜市神奈川区にあり、パシフィコ横浜の奥にあるみなとみらい臨港パークから横浜港を挟んで向かい側。1945年にアメリカ軍が接収してモータープールとして使用したのが始まりで、1946年には埠頭地区なども接収した。相模総合補給廠で修理された車両の搬出や、本土演習で使用する海兵隊などの車両揚陸を行う。音響測定艦やミサイル観測艦が前方展開拠点として停泊していることもある。面積は陸上55万平方メートル、水域11万平方メートルで、12基のバースを持つ。20067月、アメリカ海軍軍事海上輸送コマンド極東司令部がシンガポールのセンバワンに移転した。その後返還が進み、2012年には陸上52万3千平方メートル、接岸バース7基となった。2017年現在、陸軍第826輸送大隊が駐屯している。316-17日、東部方面隊と在日米陸軍が日米共同災害対処訓練を実施。201844日午前、CV-22B特殊作戦機5機が輸送船から陸揚げされた。45日午前、CV-22B特殊作戦機5機が離陸し、横田基地に向かった。参考:月刊軍事研究4,105,176,17、月刊世界の艦船3,12、月刊航空ファン6,18

横浜飛行場>:日本海軍の飛行場。昭和11年、神奈川県久良岐郡富岡に開設された。参考:首都防空網と空都多摩

横浜丸>:日本軍輸送船。昭和1735日からSR作戦に参加。310日、アメリカ軍の爆撃を受けて沈没した。参考:月刊世界の艦船6,83

<横揺れ>:ローリングを参照。

<横揺れ発散>:ロール・カップリングを参照。

<横揺れモーメント>:ローリング・モーメントを参照。

与座岳分屯基地>:航空自衛隊の分屯基地で、第56警戒群が駐屯している。所在地は沖縄県糸満市字与座1780。大元は海軍特設見張所と陸軍第32軍第24師団歩兵第89連隊・工兵第24連隊が駐屯していた場所で、太平洋戦争終結後の1952年にアメリカ軍第623航空管制警戒大隊第3分遣班が進駐、19729月に空自先遣隊20名が派遣され、10月に与座岳分遣隊を新編、19733月にアメリカ軍から移管されて分屯基地が開設された。1995年、第5高射群指揮所運用隊が那覇基地に移った。20122月末、J/FPS-2に換わってJ/FPS-5が配備された。参考:与座岳分屯基地ホームページ、航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊JWings6,10別冊付録、月刊軍事研究9,115,12

与座分屯地>:陸上自衛隊の分屯地。所在地は沖縄県島尻郡八重瀬町富盛260819732月に第6高射特科群が移駐し、413日に開設された。19784月、業務小隊が新編された。19866-7月、レーダードームが解体された。19947月、貯油槽を撤去し、八重瀬池を埋め立てた。19969月、生活隊舎ファインビュー与座の落成式を実施。19974月、体育館の落成式を実施。20051月、所在地の町村合併により八重瀬分屯地に改称された。参考:第15高射特科連隊ホームページ、月刊JWings6,10別冊付録

吉井分屯地>:陸上自衛隊の分屯地。所在地は群馬県高崎市吉井町馬庭25292011311日、東日本大震災で停電が発生した。2013912日、ヘリポートに通じる道路の舗装が終わり、竣工式を実施した。参考:JGround Vol.23、朝雲

 <吉井分屯地(2015年)>:関東補給処吉井弾薬支処が駐屯している。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

吉岡由太郎>:日本陸軍エース。大正9年、福井県生まれ。昭和13年、東京陸軍航空学校に入学し、昭和147月に熊谷飛行学校を卒業、飛行第9戦隊第1中隊に配属された。昭和193月、航空士官学校を卒業して飛行第9戦隊に復帰。62日、P-40戦闘機2機を撃墜し、初戦果を挙げた。625日、2機を撃墜。722日、エンジン故障で不時着して重傷を負ったが、9月に退院して戦線に復帰。昭和203月、北京に移動。更に南京に移動し、特攻教育を行いつつ終戦を迎えた。総撃墜数6機。最終階級は中尉。中国空軍に四式戦闘機の教育を行った後に復員し、陸上自衛隊のヘリコプター操縦士となり、二等陸佐で退官した。参考:日本陸軍戦闘機隊

<よしきり>:MSI-690(掃海艇)を参照。

吉沢徳重>:大正12年、秋田県生まれ。昭和156月、横須賀海兵団に入隊。昭和167月、丙種飛行予科練習生として土浦航空隊に入隊。昭和183月、飛行練習生課程を修了し、秋に第201航空隊に配属され、ブインに向かった。年末、ラバウルに配置された。その後第204航空隊に転属となり、トラックに後退してからは第105航空基地隊に移ってラバウルに残った。昭和2019日、アドミラルティ偵察のため出撃したが、未帰還となり、戦死認定された。公認撃墜数9機。最終階級は飛曹長。昭和478月にラバウル西方のランバート岬沖で複座零戦と遺骨が引き揚げられ、昭和502月に日本に送られたが、これが吉沢機であると推定されている。参考:日本海軍戦闘機隊

吉田善吾>:海軍兵学校32期卒。昭和6121日から昭和8915日、第1艦隊参謀長を務めた。昭和1121日から121日、練習艦隊司令官を務めた。昭和11121日、第2艦隊司令長官に就任。昭和12121日、第1艦隊司令長官に就任。昭和14830日、第1艦隊司令長官を退いた。安倍内閣と第2次近衛内閣で海軍大臣を務め、日本海軍はアメリカと戦っても1年しかもたないから戦争を始めるのは暴虎馮河の愚であり、陸軍に引っ張られず軍備再検討を含め日本の今後を研究せよと海軍省や軍令部に命じている。昭和158月の蘭印特派使節派遣で近衛首相から軍艦の派遣を要請されたが、即座に拒否した。昭和17111日から昭和18121日、支那方面艦隊司令長官を務めた。昭和206月、予備役に退いた。昭和411114日、81歳で死去した。参考:日本海軍艦隊総覧

吉田素綱>:日本海軍エース。大正7年、岡山県生まれ。昭和106月、呉海兵団に入隊し、長鯨に搭乗。昭和11年、整備兵となった。昭和141月、操縦練習生を卒業し、大分航空隊に配属された。その後大村航空隊に転属し、昭和149月に第12航空隊に配属され、中国戦線に配置された。1014日、漢口で爆撃を受けて負傷し、回復後は柳州及び桂林攻撃に参加した。昭和157月、横須賀航空隊に転属となり、教官となった。昭和172月、第4航空隊に配属され、ラバウルに配置された。223日、ラバウル上空でB-17を撃墜した。4月、一等飛行兵曹となり台南航空隊に転属した。5月からモレスビー攻撃に参加。87日、空戦中に行方不明となり、戦死認定された。総撃墜数は確実12機、不確実1機、共同3機。最終階級は飛曹長。参考:日本海軍戦闘機隊

<吉田ブルドッグ>:九〇式艦上戦闘機シリーズを参照。

吉田好雄>:大正10年、広島県生まれ。昭和14年、航空士官学校に入学し、昭和173月に卒業、明野の乙種学生課程を修了して10月に飛行第70戦隊に配属となった。昭和1998日、B-29爆撃機1機を撃墜。11月、柏に帰還。終戦までにB-29爆撃機5機を撃墜し、武功章を授与された。最終階級は大尉。参考:日本陸軍戦闘機隊

<よしの>:DE-223(護衛駆逐艦)を参照。

吉野俐>:よしのさとし。日本海軍エース。大正7年、千葉県生まれ。昭和96月、乙種予科練習生に合格し、昭和128月に卒業した。昭和133月、飛行練習生課程を卒業、佐伯航空隊に配属された。その後大村航空隊、蒼龍航空隊に転属となり、昭和1510月に千歳航空隊に配属された。昭和1610月、マーシャル群島に進出し、昭和172月に第4航空隊配属となり、ラバウルに進出した。211日、九六式艦戦4機を率いて出撃し、オーストラリア空軍のハドソン2機を撃墜した。その後零戦に乗り換えて計4機を撃墜。311日、ラエに展開。69日、B-26を追撃中にP-39の奇襲を受けて行方不明となり、戦死認定された。公認撃墜数15機。最終階級は少尉。参考:日本海軍戦闘機隊

吉野丸>:日本郵船客船。総トン数8990トン。昭和197月、ルソン島北で雷撃を受けて沈没し、2495名が戦死した。参考:輸送船入門

吉村啓作>:日本海軍エース。大正11年、新潟県生まれ。昭和14年、海軍に入隊し、昭和167月に操縦練習生を卒業、第1航空隊に配属された。10月、台南空に転属となった。121日、第22航空戦隊司令部付戦闘機隊に分遣され、太平洋戦争開戦後はマレー及び蘭印作戦に参加。昭和175月、原隊に復帰。616日、ラエに進出し、モレスビー攻撃で3機を撃墜した。87日、F4F戦闘機5機(不確実2機含む)を撃墜。1025日、F4Fとの戦闘中に被弾して戦死した。撃墜数は確実9機、不確実4機、共同1機。最終階級は三等飛行兵曹。参考:日本海軍戦闘機隊

吉山文治>:よしやまぶんじ。日本陸軍エース。大正5年、鹿児島県生まれ。昭和92月、陸軍少年航空兵として所沢飛行学校に入学し、昭和1011月に卒業した。明野学校で戦闘機教育を受け、昭和112月に卒業して飛行第11連隊に配属され、ハルビンに配置された。昭和145月、ノモンハン事件に参加。528日、I-15戦闘機1機を撃墜して初戦果を挙げた。627日、I-16戦闘機3機とI-15戦闘機1機を撃墜した。725日、3機を撃墜した。820日、1機を撃墜した後、着陸してパイロットを仕留め、ピストルと時計を捕獲して帰投している。915日、タムスク攻撃で未帰還となり、戦死認定された。総撃墜数20機。最終階級は准尉。参考:日本陸軍戦闘機隊

豫州丸>:日本の貨物船。総トン数5711トン。昭和191230日、ヒ八六船団の一員としてシンガポールを出港。昭和20112日、仏印沖で航空攻撃を受け沈没した。参考:輸送船入門

<余剰推力>:余裕推力を参照。

余剰推力率>:航空機の利用推力から抗力(必要推力)を引いた値(余裕推力)に、速度を掛け、機体重量で割ったもの。参考:月刊JWings9,16、戦闘機のしくみ

ヨス・スダルソ>:インドネシア海軍ヴァン・スペイク級フリゲートYos Sudarso。元はオランダ海軍ヴァン・スペイク級フリゲートのヴァン・ガレンである。参考:月刊世界の艦船9,96

ヨゼフ・ヴュルムヘラー>:ドイツ空軍エース。19421113日、60機撃墜で柏葉騎士鉄十字章を授与された。19437月、75機撃墜を達成。194468日、大尉に昇進し、第2戦闘航空団第V飛行隊司令官になった。622日、僚機と空中衝突して戦死した。総撃墜機数102機(うち東部戦線9機、4発重爆13機)。死後に剣付柏葉騎士鉄十字章が授与された。参考:フォッケウルフFw190A/F/Gシリーズ

ヨゼフ・プリラー>:ドイツ空軍エース。1943111日、少佐に昇進し、第26戦闘航空団司令官となった。1944615日、100機撃墜を達成。剣付柏葉騎士鉄十字章を授与された。1945年、西部戦闘機隊兵監となり、第一線を退いた。総撃墜機数101機(全て西部戦線)。最終階級は大佐。参考:フォッケウルフFw190A/F/Gシリーズ

<ヨセミテ>:AD-19(駆逐艦母艦)を参照。

ヨッスル>:イギリスが第2次大戦時に開発したECM機材で、競り合いの意。ティンゼルの後継で、強力なECM送信機により、ドイツの機上レーダーを妨害する。参考:連合軍の傑作兵器駄作兵器

ヨッテボーイ級>:スウェーデン海軍哨戒艇Goteborg。全長57m、排水量380トン。主機はディーゼルで、推進はウォータージェット、最大速力32ノット。兵装は70口径57mm単装砲1基、70口径40mm機関砲1基、RBS15対艦ミサイル連装発射機4基、400mm魚雷発射管4門、対潜ロケット発射機。FCS9LV200。参考:月刊軍事研究1,983,02

ヨット(海上自衛隊)>:海上自衛隊第3種支援船、船種記号Y(Yachtの略)。幹部候補生学校学生がヨット訓練に使用するもので、シーマンシップの涵養が主任務である。全て第1術科学校所属で、愛称が付けられている。参考:月刊世界の艦船1,79増刊、自衛隊装備カタログ1981MAMOR vol.160

ヨット7010号型>:海上自衛隊ヨット。白塗りの合板製で、帆走もしくは船外ガソリンエンジン(ディーゼルエンジン?)駆動である。マストは1本。全長7m、全幅2.3m、深さ1.7m、排水量1.7トン。Y-7010Y-7011の2隻が建造された。参考:自衛隊装備カタログ1981、月刊世界の艦船1,79増刊

ヨット7012号型>:海上自衛隊ヨット。FRP製市販クルーザーを導入したものである。全長6.4m、全幅2.2m、深さ0.5m、吃水0.5m、基準排水量0.7トン(0.85トン?)。推進は帆走または船外の9馬力ガソリンエンジンで、速力7ノット。Y-7012Y-7013Y-7014の3隻が建造された。参考:月刊世界の艦船1,95、月刊世界の艦船1,79増刊、自衛隊装備カタログ1981

ヨット7015号型>:海上自衛隊ヨット。FRP製の市販ディンギーで、全長4.7m、全幅1.7m、吃水0.2m0.5m?)、基準排水量0.18トン。Y-7015から7020の6隻が建造された。参考:月刊世界の艦船1,79増刊、自衛隊装備カタログ1981

ヨット7021号型>:海上自衛隊ヨット。FRP製で、全長8m、幅2.8m、深さ2.5m、吃水1.6m、基準排水量2トン。8隻が建造された。参考:月刊世界の艦船1,95

>:日本海軍淀型砲艦Yodo。明治4148日、川崎造船所で竣工し、通報艦に類別された。1013日、呉から横須賀に回航された。大正元年828日、一等砲艦に類別変更された。大正9年から南洋、中国沿岸、北方の測量任務に就いた。昭和2年、測量艦に改造された(艦種は一等砲艦のまま)。昭和5年、英式音響測深儀を搭載。潮岬沖で測深3100mを記録した。昭和6年、L式2型音響測深儀のテストを行った。61日、等級が廃止されて砲艦になった。昭和12年、測量任務を終えた。昭和1541日に除籍され、昭和23723日に解体を完了した。参考:日本海軍特務艦船史、小艦艇入門、月刊世界の艦船12,21

<ヨトヴィンギス>:N42(掃海母艦)を参照。

淀型>:日本海軍砲艦Yodo型。垂線間長85.34m、最大幅9.78m、吃水2.97m、常備排水量1250トン。主機は直立式4気筒3段膨張レシプロ蒸気機械2基、主缶は宮原式混焼水管缶4基、出力6500馬力、2軸推進、速力22ノット、重油搭載量76トン、石炭搭載量339トン。兵装は安式12cm単装砲2門、一号40口径8cm単装砲4門、麻式6.5mm単装機銃1丁、45cm単装水上発射管旋回式2門。乗員166名。淀が明治41年に竣工した。参考:日本海軍特務艦船史

淀川丸>:日本海軍特設艦船。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は連合艦隊補給部隊所属だった。参考:帝国海軍太平洋作戦史T

よど号ハイジャック事件>:19703月に起きたハイジャック事件。一旦金浦空港に着陸し、北朝鮮に向かった。韓国は人質の生命を重視して強行突入などは行わず、日本の警察官も韓国側と良好な関係を築くことに成功し、北朝鮮情報を多数入手。北朝鮮スパイ網を多数摘発した。参考:月刊軍事研究1,05

淀み点>:Stagnation point。流れの中に先端の丸い物体を置いた際、流れが物体に直角に当たって流れの速度がゼロになる点のことで、ここを境に流れが上下に分岐するので分岐点ともいう。粘性のある流体は物体表面にへばりつくので、速度ゼロになる場所はそこら中にあるが、粘性によって速度ゼロになっている点は淀み点ではない。完全流体では物体後端にも速度ゼロになる淀み点が生じるが、粘性流体では渦状の後流が生じるため物体後端の淀み点は無くなる。淀み点ではその流れの中における圧力と温度が最大になり、マッハ数が大きくなると金属を溶かす程の高温になる。参考:航空用語事典増補改訂版

淀み点圧>:Stagnation pressure。岐点圧ともいう。流れの速度をゼロにした際の圧力のこと。亜音速流の場合は、淀み点に生じる圧力をいい、ベルヌーイの定理から、流れの中に生じうる圧力の内最大であり、1本の流線の上では同じ数値になる。超音速流で衝撃波を伴わない場合、亜音速流と同様になる。超音速流で衝撃波を伴う場合、淀み点の直前に衝撃波が出来るので、流体が衝撃波を通過する時に圧力損失が生じ、衝撃波を伴わない場合より淀み点圧が低くなる。参考:航空用語事典増補改訂版

米内光政>:よないみつまさ。明治13年、盛岡市生まれ。明治3412月、海軍兵学校第29期卒、ハンモックナンバーは125名中68番だった。大正14121日から大正15121日、第2艦隊参謀長を務めた。昭和7121日から昭和8915日、第3艦隊司令長官を務めた。昭和91115日から昭和10122日、第2艦隊司令長官を務めた。昭和11226日、横須賀鎮守府長官時代に二・二六事件があり、決起部隊を反乱軍と呼んで制圧する態勢を貫き、海軍の動揺を抑えている。121日、連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官に就任。昭和1222日、山本五十六海軍次官の強力な推挙により、林銑十郎内閣で海軍大臣になった。見かけだけで何もしない金魚大臣と皮肉られたが、第1次近衛文麿内閣、平沼麒一郎内閣でも海軍大臣を続け、盧溝橋事件では不拡大方針を主張し、日独伊三国同盟には山本五十六海軍次官、井上成美海軍軍務局長と共に海軍左派トリオとして断固反対。ドイツに2ヶ月半駐在した経験と、ヒトラーの「わが闘争」を熟読した結果から、ドイツは昔から時と実力とを深く反省もせず強気一点張りで、ドイツと提携するのは非常に危険であると確信していたという。昭和15116日、内閣総理大臣となった。このまま米内内閣が続いていたら太平洋戦争の惨禍は起きなかったかもしれない、とは昭和天皇の言だが、ドイツが黄作戦でヨーロッパを席巻すると日独伊三国同盟を画策する陸軍が倒閣に走り、畑俊六陸軍大臣を辞任させて後継を出さない強硬手段に出たため、716日に総辞職に追い込まれた。昭和1865日、山本五十六元帥の国葬で葬儀委員長を務めた。昭和19722日、小磯国昭内閣に副総理兼海軍大臣として入閣。鈴木貫太郎内閣でも海軍大臣を務め、ポツダム宣言受諾・太平洋戦争終戦の陰の立役者となった。8151200の終戦勅語ラジオ放送は焼け落ちた海軍省の中庭で拝聴し、2-3回首を振って空を見上げた後、深い疲労の陰りが落ち憔悴した横顔とは対照的な軽やかにも見える足取りで、悠然と大臣室に戻ったという。同日に自決した阿南惟幾陸軍大将は割腹直前に米内を斬れと言い残し、海軍内部にも米内大臣は自決するという見方をする者が多かったが、自分では死なない、陛下1人残して死ねないと言って海軍省廃止まで海軍大臣を務め、復員と武器弾薬・軍需品等引き渡しを整斉と実施するよう厳命した。終戦直後に軍務局長保科善四郎中将を海軍大臣室に呼び、連合国は極東平和維持と民生安定のため最小限の国防力を残すとみて、新海軍再建の構想を練る事、海軍伝統精神の美風を新海軍に伝承する事、新日本建設に海軍が育成した技術力を活用する事を命じている。東久邇内閣では病軀により任に堪えずと申し出たものの慰留され、幣原内閣でも連合軍司令部から病床で出勤できなくても仕事に差し支えは無いとアメリカの例まで引用して引き止められた。昭和23420日、脳出血後の肺炎により68歳で死去した。参考:山本五十六と米内光政、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,13増刊、6,22

<代永兵衛>:よながひょうえ。大正3年、山梨県生まれ。昭和11年、陸軍士官学校を卒業し、10月に航空兵少尉となり、所沢・明野飛行学生を修了して昭和1212月に中尉となり、飛行第11連隊に配属された。昭和139月、飛行第24戦隊に転属となり、明野飛行学校甲種学生を卒業、昭和143月に帰隊した。ノモンハン事件では第2中隊編隊長として出撃し、622日から空戦を行った。10月、明野飛行学校の教官となった。昭和158月、大尉に昇進。昭和167月、飛行第24戦隊第2中隊長となった。太平洋戦争開戦後はフィリピン作戦に参加。昭和173月、ハイラルに戻った。7月、広東に移動。12月、陸軍大学校に入学、昭和195月に卒業し、明野教導飛行師団司令部付となった。8月、飛行第101戦隊長となった。昭和203月、隈之床に進出。しかし第6航空軍司令部と戦闘機用法についての意見が対立したため、4月に航空士官学校教官に転任となり、終戦を迎えた。総撃墜機数16機。最終階級は少佐。参考:日本陸軍戦闘機隊

与那国沿岸監視隊>:陸上自衛隊の沿岸監視隊。東シナ海の領空・領土監視を主任務とする。2016328日、西部方面情報隊隷下に与那国駐屯地で創設され、編成完結式が行われた。隊本部、警備小隊(軽装甲機動車装備)、レーダー班、監視班、後方支援隊などからなる。4101500頃、与那国島比川地区で素潜り中の民間人1人が行方不明になり、海上保安庁が捜索したが発見できず、4110000に沖縄県知事から捜索の災害派遣要請が出された。0615、隊員50名で捜索を開始。0720に民間ダイバーが行方不明者を発見したため自衛隊の救急車で搬送したが、死亡が確認された。0930に撤収している。2019724日、ヘリ降着適地の設定・整備等の功績で、陸幕長から2級賞状と副賞が贈呈された。10月、後方支援隊衛生班の診療放射線技師(2等陸曹)を与那国町診療所に週1回派遣しての診療実習(という名の医療支援)を開始。2020226-28日、沖縄の中部訓練場で日米射撃競技会に参加。1013-21日、令和2年度機動展開訓練(中部方面隊)で第1ヘリコプター団CH-47ヘリにより与那国駐屯地に展開した第14旅団部隊と、協同警備訓練などを行った。参考:月刊JWings6,16、月刊航空ファン6,16MAMOR vol.113、月刊丸4,17、朝雲

与那国準備隊>:与那国島に配備する沿岸監視部隊の編成準備部隊で、201542日に建軍駐屯地で立ち上げ式が実施された。隊本部、那覇派遣隊、与那国派遣隊からなる。2016328日、与那国沿岸監視隊に改編された。参考:朝雲

与那国島>:日本最西端の島で、東西14km、南北4km、周囲28km。沖縄本島から500km、台湾から111km、尖閣諸島から150kmのところにある。1945815日の太平洋戦争敗戦でアメリカ軍の施政下となった。19725月、日本に返還された。台湾と日本の防空識別圏の境界が上空を通る状態が続いていたが、20106月に解決している。20096月、町長から防衛大臣に陸上自衛隊部隊配置に関する要望書が出され、平成23年度以降に係る防衛計画の大綱と23中期防で南西地域島嶼部への沿岸監視部隊新編が決定し、20119月末に陸自沿岸監視部隊(仮称第303沿岸監視隊)と空自第4移動警戒隊の装備する移動式警戒管制レーダーを置くことが決まった。尖閣諸島はレーダー水平線の下なので見えない。駐屯地予定地は島の西部、久良部港フェリーターミナルの南東あたりで、沿岸監視施設は島の中央にあるインビ岳西部にも設置される。町の要望を受け、民間共用の陸上競技場や医療施設も建設する。2013627日、与那国町役場で町長と沖縄防衛局長が町有地の停止条件付き賃貸借契約(214000平方メートル、年間1500万円)を締結。2014419日、与那国町離島振興総合センターで駐屯地起工式を実施。2015222日、沿岸監視隊配備の是非を問う住民投票が行われ、賛成632票・反対445票(投票率85.74%、当日有権者数1276人)で賛成多数となった。2016328日、与那国駐屯地が開設された。68日午前、排他的経済水域内で中国海洋調査船科学が無許可で海洋観測を実施。610日、沖合で中国海洋調査船科学が無許可で海洋観測を実施。参考:MAMOR vol.82vol.90、月刊軍事研究11,14、月刊JWings6,15、月刊航空ファン6,16、月刊世界の艦船8,16、朝雲

与那国駐屯地>:陸上自衛隊の駐屯地。沖縄県与那国島にあり、尖閣諸島から150km、台湾から110kmに位置する。駐屯地本隊は与那国島西部久部良地区の高台にあり、駐屯地北側の久部良港に面する稜線に沿岸監視レーダー施設が設置されていて、駐屯地と陸橋で結ばれている。また、与那国島中部のインピ岳にELINT用らしき施設があり、高さ80mの紅白の鉄塔1本と、それより低く上部にアンテナドームを備えた鉄塔4本が建っている。島内に射撃訓練場は無いので、駐屯地内の戦闘射撃訓練シミュレーターを使う。駐屯地司令は与那国沿岸監視隊長(二等陸佐)の兼務。在島隊員には特地勤務手当が支給される。営内隊舎は3階建てで、空自第4移動警戒隊が訓練で使用する部屋も用意してある。敷地内に希少水生昆虫や植物が生息していたため、庁舎前にビオトープを設けて保護した。2016328日に部隊新編行事が行われ、与那国沿岸監視隊、西部方面通信情報群通信情報隊収集小隊、第322基地通信中隊与那国基地通信派遣隊、第442会計隊、第136地区警務隊与那国警務連絡班の隊員160名が駐屯した。夜には比川地区離島振興総合センターで隊員と町民との交流会が開かれ、町民250人と泡盛やカジキマグロで親交を深めた。ただ20159月の台風21号で最大瞬間風速81mの暴風が吹き荒れたため工事が遅れ、開設時点では駐屯地が竣工していなかった。直営売店と共済ATM328日に開店し、クリーニング店は75日、飲酒可能な食堂は729日に開店している。87日、与那国駐屯地夏祭り2016を実施、589人が駐屯地を訪れた。2017423日、駐屯地開設1周年記念行事を実施。MSC-691ししじまの艦艇広報も行われた。517日、統合幕僚長、西部方面総監、アメリカ太平洋軍司令官ハリー・ハリス大将、在日米軍司令官マルチネス中将が駐屯地を訪問し、自衛隊施設を視察した。2018116日、河野統幕長とインド太平洋軍司令官デービッドソン大将が駐屯地を訪問し、沿岸監視部隊の活動を視察した。202088日、河野防衛大臣が視察して訓示を行い、隊員を激励した。10月、東シナ海の警戒監視のため、空自第4移動警戒隊J/TPS-102レーダー部隊が展開を開始。1128日、地域住民とも共用するグラウンド「黒潮の風(くるうすぬかでぃ)」の落成式を実施。2021417日、岸防衛大臣が視察して訓示を行い、隊員を激励した。118-9日、山崎統幕長とインド太平洋軍司令官アクイリーノ海軍大将が視察した。202241日、空自第53警戒隊与那国分遣班が新編され、第4移動警戒隊が撤収した。参考:月刊JWings6,167,176,'22、月刊航空ファン6,168,17、月刊丸4,17MAMOR vol.113vol.126、月刊軍事研究4,162,17、朝雲

米子射撃場>:自衛隊の射撃場。2018829日、三朝町自衛隊家族会が鳥取地本倉吉地域事務所の支援を受け部隊研修を行った。参考:朝雲

米子駐屯地>:陸上自衛隊の駐屯地。所在地は鳥取県米子市両三柳2603JR米子駅からバスが出ている。元は逓信省航空機乗員養成所で、195012月に開設され、警察予備隊米子駐屯部隊が新編された。195112月、米子駐屯部隊が第8連隊第3大隊に改編された。19521月、第8連隊第3大隊が第7連隊第2大隊に改編された。195510月、第7連隊第2大隊が第8連隊第3大隊に戻った。19621月、第13師団創設に伴い、第8連隊が第8普通科連隊に改編され、第8普通科連隊本部が海田市駐屯地から、第8普通科連隊第1大隊が出雲駐屯地から移駐した。2012128-9日、鳥取県岩美町消防団ラッパ隊6人の生活体験を実施。201418日、成人行事を実施。新成人隊員21名が奉仕清掃活動を行った。103日、鳥取地方協力本部が援護担当者会同を実施。1124日、鳥取県警女性警察官との意見交換会(第2回)を実施。2015128日、新成人隊員53名の成人記念行事を実施。公共施設や駐屯地周辺の清掃奉仕活動を行った。129日、女性自衛官と鳥取県警女性警察官との意見交換会を実施。123日、鳥取地本が第2回予備自衛官等制度普及教育を実施。127日、福利厚生の功績で陸幕長から2級賞状と副賞が授与された。201621日、鳥取地本が駐屯地援護担当者会同を実施。512日、米子市と大規模災害における派遣隊員と留守家族支援に関する協定を締結した。526日、琴浦町自衛隊友の会の駐屯地研修に協力した。712日、鳥取地本が就職連絡担当者会同を開催。104日、鳥取地本が援護担当者会同を開催し、隊員再就職に向けた協議を行った。201721日、鳥取地本が援護担当者会同を開催。地本の5名と部隊の9名が参加し、退職予定隊員の内定状況や進捗状況を確認した。20181029日、女性警察官、消防官、海上保安官を招き、女性が働きやすい職場環境の整備と改善を目的に、女性自衛官との意見交換会を実施。1211-14日、平成30年度在外邦人等保護措置訓練(国内)が行われた。2019422日、鳥取・島根地本が山陰地区援護担当者会同を実施。2020411-12日、中部方面混成団47普通科連隊が令和2年度即応予備自衛官招集訓練開始式を実施。86日、米子駐屯地サマーフェスタを開催。88-9日、夏休みちびっこキャンプ大会を実施。914日、鳥取地本が援護担当者会同を開催。1011日、創設70周年記念行事を実施。1118日、鳥取地本による大山町立大山中学校2年生9人の職場体験学習に協力し、車両試乗、ロープによる降下、土のう作製などを行った。2021421日、鳥取地本が駐屯地援護担当者会同を実施。76-7日、大山町立大山中学校生徒4人の職場体験学習を支援した。2022511日、鳥取地本が駐屯地援護担当者会同を実施。退職予定隊員の就職進捗状況確認や、今後の就職援助に関する協議を行った。参考:JGround Vol.23、出雲駐屯地ホームページ、米子駐屯地ホームページ、月刊世界の艦船2,19、朝雲

 <米子駐屯地(2015年)>:第13旅団第8普通科連隊、第13後方支援隊第2整備中隊第1直接支援小隊、会計隊、基地通信中隊、警務隊、米子駐屯地業務隊が駐屯している。参考:米子駐屯地ホームページ、陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

米子駐屯地業務隊>:陸上自衛隊の駐屯地業務隊。20161021日に発生した鳥取県中部地震の災害派遣に参加。派遣隊員の緊急登庁を支援し、駐屯地内に隊員の子供を預かる施設を開設した。2018327日、美保分屯地に米子駐屯地業務隊派遣隊が新編された。参考:朝雲、月刊JWings6,18

米子飛行場>:日本陸軍の飛行場。参考:月刊JWings11,18

ヨナタン作戦>:1976627日、エールフランス139便(テルアビブ発)がアテネ空港を離陸した直後、アテネ空港のずさんな警備をすり抜けて手榴弾と銃を機内に持ち込んだPLOのテロリスト4人が機体をハイジャックし、リビアのベンガジで給油して妊婦1人を解放した後、ウガンダのエンテベ空港に着陸した。そこで待機していたPLOメンバーと合流したテロリストは、ウガンダ軍部の協力も得て乗客256人(244人?)、乗員12人を旧ターミナルビルに監禁した。イスラエルはベングリオン空港に機体が向かう可能性があるとして特殊部隊を待機させたが、628日未明にエンテベ空港に着陸したことを把握、イスラエル参謀総長は628日夜に特殊部隊サイレット・マトカルに対して人質奪還作戦立案を命じた。629日、テロリストが服役中のPLOメンバー53人(イスラエルに40人、西ドイツに6人、ケニアに5人、スイスに1人、フランスに1人)の解放を要求した。630日、テロリストがイスラエル時間14時までに回答が無ければ人質を殺害すると発表したが、間も無くイスラエル人以外の人質47人が解放されてフランスに送還されたため、交渉による解決も検討され始めた。エンテベ空港及びターミナルビルはイスラエルの会社が設計しており、解放された人質からも監禁場所の詳細な情報を得ることができた特殊部隊は、シャルムエルシェイク基地で綿密な予行演習を実施。また、外交交渉でケニアの支援も得た。71日にイスラエル政府は服役中のメンバーを解放する用意があると発表、テロリストは72時間の回答猶予を与えて人質101人を解放、残る人質は106人となった。イスラエルのラビン首相はテロリストの要求を受け入れることを閣議に図ったが、国防相から解放作戦があることを知らされると軍の首脳を呼んで説明を聴取。エンテベ空港への降下作戦、ビクトリア湖を渡っての強行突入は退けられ、C-130輸送機による強行着陸作戦を国防相が同意したが、ラビン首相は成功に懐疑的だった。73日、国防相及び参謀総長が首相に作戦計画書を提出。作戦名はサンダーボルトとされた。イスラエル内閣は、フランスとウガンダの間で外交交渉が続いていたためと、軍事作戦を秘匿するため、1530C-130輸送機(兵員輸送用3機、給油用2機)、途中まで護衛するF-4Eファントム8機及びB707(民間塗装2機。1機が参謀本部前進指揮所、1機が救護用)がシェルム・エル・シェイク基地を離陸してから30分が経過した1600に閣議で作戦を承認した。部隊はレーダーを避けるため高度を下げて飛行し、7時間後の2301、イギリスの貨物輸送機の後に続いて照明を消したC-130輸送機1番機が滑走路に着陸。釈放されたテロリストを輸送していると嘘の情報を管制塔に伝えつつ、滑走中のC-130輸送機から隊員が飛び降りてバッテリー式の誘導灯を設置、空港の電源を落とされても後発機が着陸できるようにした。1番機はターミナルビル直前で停止後にウガンダのアミン大統領専用車とナンバープレートまで全く同じメルセデスベンツ(アミン大統領に顔を似せた隊員が乗っている)及びランドローバー2台を降ろし、突入隊員を乗せてヘッドライトを点け、旧ターミナルビルに向かった。管制塔の90m手前でウガンダ兵2名に止められたが、消音拳銃で射殺。隊員はそのまま下車して旧ターミナルビルに突入、人質が眠るホールで立って警戒していたテロリスト4人を射殺した。この際人質1名が興奮して立ち上がったため、被弾している。漸くウガンダ兵は突入に気付き、管制塔から銃で応戦、突入隊長のナタニエフ中佐が戦死した。1番機が着陸してから6分後、2番機が空港に着陸。突入部隊は人質の安全を確保し、紛れ込もうとしたテロリスト2人を射殺、人質と共にC-130輸送機に向かった。その間に更に2機が着陸、装甲車を降ろし、管制塔に銃砲撃を行って沈黙させた。イスラエル部隊はテロリスト13人と、首都カンパラから駆けつけたウガンダ兵35名を射殺、旧ターミナルビル2階にいたウガンダ兵60名は全員逃亡し、新ターミナルビルのウガンダ兵は降伏した。更に給油車も確保したが、予定を変更してナイロビで給油を行うことにして撤退を急ぎ、2354に2番機が離陸、2358に人質102人(3人は死亡、1人は前日に食事を喉に詰まらせて入院しており救出できなかった)を乗せた1番機(3番機?)がエンテベ空港を離陸した。イスラエル部隊はエンテベ空港に駐機していたウガンダ空軍の戦闘機8機を機関銃で破壊し、ソ連製の電子部品を外して輸送機に積み込み、740030に1番機が、0040に総指揮官のショムロン少将を乗せた4番機が離陸。ナイロビ空港で給油を行った後、イスラエルに帰国した。ヨナタン作戦の名称は、殉職したヨナタン・ナタニエフ中佐に因んで後に名付けられたものである。参考:現代の空挺作戦、月刊軍事研究7,97

ヨネ公>:日本陸軍用語で、四年兵の蔑称。参考:新兵サンよもやま物語

米山丸>:日本陸軍輸送船。元は勝田汽船のストックボート海安丸で、大正8年(1919年)322日に竣工し、大正12年に板谷商船に売却されて米山丸となっていたものを、太平洋戦争勃発により徴用したものである。垂線間長121.92m、幅16.61m、深さ9.23m、満載吃水7.34m、総トン数5732トン、重量トン数8486トン。主機は三連成汽機1基3429馬力、航海速力10ノット、最大速力14.054ノット。昭和1872日、スラバヤからパラオに航行中、マカッサル海峡北部でSS-200スレッシャーの雷撃を受けて沈没した。参考:月刊世界の艦船11,11

ヨノ級>:北朝鮮の小型潜水艇で、ヨノ(YonoYeono)は鮭の意。イランに輸出したカディル級と同じもので、2000年代(1990年代?)から12隻が就役したとされる。船体には探知を困難にするための構造(音波吸収材?)が導入されているといわれ、ソナー、夜間暗視装置(FLIRまたはLLLTV)、レーダーを搭載しているらしい。全長29m20m?)、水中排水量125トン。主機はディーゼル・エレクトリック方式、水中速力8ノット。兵装は533mm魚雷発射管2門。20103月に天安を撃沈したのはこれとみられる。参考:月刊軍事研究8,107,10、月刊世界の艦船11,169,107,134,20

ヨハネス・ベルガー>:ドイツ戦車兵エース。1944416日に騎士鉄十字章を授与された。910日、柏葉騎士鉄十字章を受章。撃破戦車数144両。最終階級は大尉。参考:歴史群像10,04

ヨハン・コーチニョ級>:ポルトガル海軍コルベットJoao Coutinho級。兵装は76mm連装砲1基。ヘリ1機分のヘリ甲板を持つ。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ヨハン・デ・ウィット>:L-801(揚陸艦)を参照。

<ヨハンネス・シュタインホフ>:シュタインホフ(ドイツ空軍エース)を参照。

ヨハン・ノルデンアンカー>:スウェーデン海軍ヨハン・ノルデンアンカー級測量艦Johan Nordenanker1977年起工、197911月進水、198071日就役。参考:月刊世界の艦船5,83

ヨハン・ノルデンアンカー級>:スウェーデン海軍測量艦Johan Nordenanker級。出力700馬力のバウスラスターを持つ。C甲板(上甲板)後部船体内に3隻と、その両舷に3隻ずつの小型測量艇を搭載し、クルップ・アトラス製コンピュータで指揮して測量活動を行う。01甲板後部にヘリ甲板があるが、格納庫は無い。全長73m、幅14m、吃水4.1m、排水量2000トン。主機はヘテモラ・ディーゼル2基、推進はシュラウド付き可変ピッチプロペラ1軸で、速力15ノット(ディーゼル1基で13ノット)。乗員66名。ヨハン・ノルデンアンカーが1980年に就役した。参考:月刊世界の艦船5,83

予備役(日本軍)>:陸軍兵は5年4ヶ月(昭和16年以降は後備役期間も含めるため15年4ヶ月)。陸軍下士官は下士官任官から18年。陸軍大将は70歳まで。海軍兵は5年(昭和16年以降は後備役期間も含めるため12年)。海軍下士官は予備役になってから7年。海軍大将は70歳まで。参考:月刊丸9,03

予備役部隊(アメリカ軍)>:いわゆる予備役と州軍両者を指す。参考:月刊軍事研究7,05

予備自衛官>:自衛隊の制度。1953年の警察予備隊発足当時から整備されており、自衛隊法第6節第1款(第66-75条)に規定されている。元自衛隊員(三自衛隊全てが対象)や予備自衛官補としての教育訓練を終えた者が、普段は社会人として生活しながら年間20日以内の訓練を行い、有事には防衛招集に応じて防衛出動し、自衛官として後方警備・後方支援等にあたるものである。定員は2017年現在で47900名。年齢制限があり、士長・1士・2士は37歳未満(2018101日以降は55歳未満)、2曹・3曹は55歳未満、1曹から1尉までは56歳未満、2佐・3佐は57歳未満。階級は、元自衛隊員の予備自衛官は自衛隊退官時と同じもの、予備自衛官補(一般)出身の一般公募予備自衛官は2士、予備自衛官補(技能)出身の技能公募予備自衛官は技能に応じたものであり、資格取得や継続年数で昇任がある。1任期は3年で、継続もできる。招集命令を受けている最中に任期満了を迎え、そのまま退職すると自衛隊の任務に重大な支障が出る場合には、防衛大臣が1年(防衛出動の場合)または6ヶ月(災害派遣、国民保護の場合)以内で任期を延長できる。毎月予備自衛官手当が支払われ、訓練時には交通費と訓練召集手当が出る。5年、10年、20年、30年勤務時には表彰を受ける。何人も、被用者を求め、また求職者の採否を決定する場合に、予備自衛官であることを理由として不利益な取扱をしてはならない。また、全ての使用者は、被用者が予備自衛官であることや、予備自衛官になろうとしたことを理由に、解雇したり、不利益な取扱をしたりしてはならない。1970525日、海上自衛隊に定員が設置された。20016月からは、防衛庁長官が特に必要と認めれば予備自衛官を災害派遣に活用することが可能となった。国民保護法でも応招の義務(国民保護出動)がある。2011316日、東日本大震災に対応するため、訓練以外で初めて招集された。415日には海空自の予備自衛官も招集されている。2014825日、防衛省とホテルグランドヒル市ヶ谷で予備自衛官制度創設60周年記念式典を実施。2018年度、一佐の採用を開始。2018510日、初の予備一等陸佐4名に辞令書交付式が行われた。815日、東部方面隊初の予備一等陸佐が採用された。2018101日に防衛省令を改正し、士長以下の採用年齢上限を55歳未満に引き上げた。201910月の台風19号・21号被害で55名が招集された(通算2回目)。2020213日、新型コロナウイルス感染症拡大に対する災害派遣で、医師や看護師などの資格を持つ最大50人の招集命令が発出された(通算3回目)。79日、九州豪雨の災害派遣で最大100名の招集命令が出された(通算4回目)。参考:自衛隊法、月刊軍事研究1,014,08MOLIBITO Vol.3、月刊世界の艦船6,116,'22MAMOR vol.52Vol.56、月刊JWings3,20、朝雲

予備自衛官招集訓練>:予備自衛官が年に5日間行う訓練。出頭すると装備品や生活備品が渡されるが、貸与品なので、まず自分で戦闘服に階級章を付けなければならない。予備自衛官は予備自衛官中隊を編成し、予備自衛官旗が授与される。射撃検定と体力検定が必ず実施され、他にも火器手入れ、市街地戦闘訓練、野外衛生、特殊武器防護、災害派遣に関する教育などが行われ、最終日に予備自衛官旗を返還して訓練終了となる。参考:MAMOR Vol.56

予備自衛官中央訓練>:予備自衛官招集訓練の1つで、訓練の魅力化と参加予備自衛官の意識・能力向上を目的とし、毎年1回行われる。平成21年度は2009829日から92日まで朝霞駐屯地、市ヶ谷駐屯地、神奈川県川崎市で実施され、予備自衛官60名が参加し、検定射撃、統合防災演習、研修、表彰伝達式などを行った。平成26年度は2014822-26日に朝霞駐屯地や東富士演習場で実施された。参考:朝雲

予備自衛官等協力事業所表示制度>:防衛省が2015年度から開始した制度。予備自衛官、即応予備自衛官、予備自衛官補の各制度に理解を示し、規定の年次訓練に参加しやすい職場作りなどをしている事業所を防衛大臣や地方協力本部長が認定するもので、協力事業所ロゴマークを表示することが出来、防衛省や地方協力本部のホームページ上では事業所の紹介が行われる。参考:MAMOR vol.109

予備自衛官補>:陸上・海上自衛隊が、将来予備自衛官となる者として、一般国民から直接公募して採用する人員で、自衛隊法第5章第6節第3款に規定がある。3年以内に50400時間の教育訓練を受けて後方地域の警備等に就く「一般」と、2年以内に1080時間の教育訓練を受けて語学・医療・法務(弁護士、司法書士。2013年度から採用開始)など保有する9個区分の専門技能を活かす「技能」の2種があり、員数は防衛省職員の定員外。募集時の年齢制限は、一般が18歳以上34歳未満、技能が18歳以上。訓練は1クール5日間で、陸自教育大隊の営内で生活し(基本的に外出禁止)、教育訓練招集手当という日当が出る。予備自衛官補の間は防衛招集応招義務や災害招集応招義務は無いが、この訓練を終えると予備自衛官に任官され、同様の義務を負う。2017331日現在の員数は4621名。2024122日、予備自衛官補(一般)の年齢要件を18歳以上52歳未満に緩和することが決定し、2024年度採用者から適用された。参考:月刊軍事研究1,01、自衛隊法、月刊JWings3,206,175,12、朝雲、MAMOR vol.133

予備士官(アメリカ軍)>:陸海空軍にある。一般大学学生に奨学金を交付し、在学中に基礎軍事訓練と士官訓練を受けさせ、大学卒業後に現役士官として軍に入隊させる制度である。参考:月刊軍事研究3,16

予備浮力>:艦船が沈むまでの浸水量を、艦船の排水量で割って、100を掛けたもので、単位はパーセント。民間商船で80%以上、水上軍艦で50%以上、浮上航行中の潜水艦で10-15%。ちなみに潜航している潜水艦では0%であり、浮上中の予備浮力が小さい程潜航が速く、水中排水量も小さくなるので水中での機動性も高くなるが、ダメージを受けた際に沈没しやすくなる。参考:月刊世界の艦船6,018,16

予防核攻撃>:Preventive nuclear strike。軍事紛争開始前に核兵器を使うこと。参考:月刊軍事研究6,15

予防着陸>:Precautionary Landing。飛行中に視程不良や機体トラブルなどで安全な飛行が困難になった際、事故予防のため手近の飛行場に着陸すること。緊急着陸とほぼ同じだが、より軽微なトラブルなどの際に使用されることが多い。参考:朝雲、月刊JWings2,13

<ヨム・キップル戦争>:第4次中東戦争を参照。

>:日本海軍樅型駆逐艦19番艦。大正11819日竣工、二等駆逐艦に類別された。昭和3427日、済南事変に伴い第2遣外艦隊に編入され、渤海方面に派遣された。昭和1541日に哨戒艇に転籍となって第38号哨戒艇と改称された。参考:日本駆逐艦史

余裕推力>:Excess thrust。余剰推力ともいう。ある高度・外気温度における、エンジンの利用推力と必要推力の差のこと。余裕推力がゼロになるまで飛行機を加速させたり上昇させたりすることができ、余裕推力が大きい程、加速性や上昇性能が良い。ジェット機の場合、揚抗比が最大になる速度(抗力と必要推力が最小になる)で余裕推力が最大になり、上昇勾配も最大値が取れるので、離陸や上昇時にはこの速度にするのが好ましい。揚抗比が最大になる速度より遅く飛ぶと、余裕推力が乏しくなり、速度や高度を保てなくなる(速度安定性が負になる)ので注意。レシプロエンジンで定速プロペラを使った場合、利用馬力は速度に関わらずほぼ一定であり、これを利用推力に換算すると、速度と推力が反比例する傾向になる。よって、抗力が最小になる速度より遅く飛行しても、余裕推力と速度安定性は常に正となり、ジェット機よりも低速時の操縦性に優れる、ということになる。参考:航空用語事典増補改訂版、戦闘機のしくみ

余裕馬力>:Excess power。ある高度・外気温度における、エンジンの利用馬力と必要馬力の差のこと。余裕推力と同様、余裕馬力がゼロになるまで飛行機を加速させたり上昇させたりすることができる。参考:航空用語事典増補改訂版

<ヨラム・ペレド>:ペレド(イスラエル空軍エース)を参照。

ヨルク代艦級>:ドイツ海軍計画巡洋戦艦Ersatz Yorck級。第1次大戦で沈没した装甲巡洋艦3隻を補うべく建造を予定した。マッケンゼン級計画巡洋戦艦に準じた設計だったが、イギリスのレナウン級の情報が入ったため再設計している。煙突は大型1本。全長227.8m、常備排水量33500トン(32921トン?)。主機は改良パーソンズ式高低圧串型直結蒸気タービン、主缶はシュルツ・ソーニクロフト混焼缶24基、推進軸回転数毎分295回転、プロペラ直径4.20m、速力27.3ノット。兵装は45口径38.1cm連装砲塔4基(前後甲板背負い式)、15cm単装砲12門(ケースメート式両舷6門ずつ)。装甲厚は水線部300mm、甲板90mm。3隻を建造予定で、1番艦が1916年に起工されたが、工事が進捗しないうちに建造中止となった。参考:月刊世界の艦船6,'20、近代戦艦史、月刊丸11,09

<ヨルダニアン・ファルコンズ>:ヨルダン・ファルコンズ(アクロバットチーム)を参照。

ヨルダン>:ヨルダン・ハシェミット王国。中東にある国で、面積9万平方キロメートル、イスラエル、パレスチナ、シリア、イラク、サウジアラビアに囲まれている。穏健派で、1994年にはイスラエルと国交を樹立した。石油資源が無く農業が主要産業のため、経済基盤はあまり強固でなく、人口の7割が第4次中東戦争時のパレスチナ難民という状態だが、1946年にトランスヨルダン王国としてイギリス委任統治領から独立させたアブドラ1世国王(1950年にヨルダン・ハシェミット王国に改称)、後を継いだ初代フセイン国王、3代目のアブドラ二世ビン・アル・フセイン国王と第1次中東戦争以降は穏健路線を歩みつつ現実主義を取り、特殊部隊を強化するなど国内治安を一定レベルに維持して各国の投資を呼び込んでいる。難民は進んで受け入れているが、シリア内戦で更に膨大な人数となっており、水が足らなくなる恐れが出てきた。参考:月刊航空ファン5,16、月刊戦車マガジン10,78、朝雲

ヨルダン・アロー>:カナダの航空機会社が開発したUAVで、SOFEX04で発表された。全幅2.2mで、胴体下に多数のフレアを搭載し、携帯地対空ミサイルに対する防御力を持つ。エンジンは25-35馬力、最大速度は260ノット(180km?)、飛行高度3000m、航続距離30km、滞空時間1時間。翼下にIウイングという小型UAVを2機搭載できる。参考:月刊軍事研究12,047,08

ヨルダン海軍

ヨルダン海軍(1977年)>:兵力160名。小型哨戒艇10隻を配備する。参考:軍事力バランス78年版

ヨルダン海軍(1989年)>:兵力250名。アカバに基地がある。小型哨戒艇を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ヨルダン海軍(2015年)>:現役兵力500名。アル・フセイン級哨戒艇(イギリスのヴォスパー30m級)3隻とアブドラー級哨戒艇(アメリカのドーントレス級哨戒艇)4隻を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ヨルダン空軍>:操縦教官の質は高いが、周辺国空軍に高給で引っこ抜かれるケースが続出して人手不足に陥っているのが悩みの種である。1949年、アラブ軍団航空として創設された。19557月、バンパイアT.55練習機2機がイギリスから供与された。925日、ヨルダン空軍に改編された。11月、バンパイアFB.9戦闘機9機(10機?)がイギリスから供与された。195610月、バンパイアFB.52戦闘爆撃機7機がエジプト空軍から移管された。1959年、ハンターF.6戦闘機25機の配備を開始。1975年、F-5E/F戦闘機73機の配備を開始。1997年、F-16戦闘機の配備を開始。20113月、リビア爆撃作戦に参加。アメリカとサウジアラビアからの強い要請で対イスラム国有志連合に加わり、航空攻撃を行っている。20145月、AC-235ガンシップ2機を導入。2015年、AH-1攻撃ヘリを配備。空軍大学第5飛行隊訓練ヘリをヒューズH500から運用コストの安いロビンソンR44に変更。20164月、ホークMk.63の配備を開始。2017224日、サウジアラビアでF-16戦闘機1機が墜落した。乗員は脱出して無事だった。723日、UH-60Mヘリ初号機が引き渡された。参考:月刊JWings1,123,18、月刊航空ファン9,'185,166,11、月刊軍事研究4,18

 <ヨルダン空軍(1977年)>:現役兵力6650名、予備役30000名。F-5A/E戦闘機60機、F-104A戦闘機18機、C-130B輸送機4機、ファルコン20輸送機1機、CASA212A輸送機4機、ダブ輸送機2機、アルエートVヘリ18機、F-5B練習機4機、ハンター練習機1機、F-104B戦闘機2機、T-37練習機10機、ブルドッグ練習機12機を配備する。参考:軍事力バランス78年版

 <ヨルダン空軍(1980年)>:F-104A18機、F-5E/F46機、F-5A/B24機、C-130B/Hを4機、C212A/Cを4機、ファルコン20を1機、B727を1機、SA316アルエートVを15機、T-37C12機、F-104Bを6機、ブルドッグ練習機を12機保有している。参考:ザ・マーチ18

 <ヨルダン空軍(1989年)>:現役兵力11000名。F-5E戦闘機52機、F-5F戦闘機7機、ミラージュF1CJ戦闘機15機、ミラージュF1EJ戦闘機17機、ミラージュF1BJ戦闘機2機、F-5A転換訓練機14機、F-5B転換訓練機4機、C-130B輸送機2機、C-130H輸送機4機、C-212A輸送機3機、B727要人輸送機2機、ガルフストリームV要人輸送機2機、S-76要人輸送ヘリ4機、AH-1Sヘリ24機、S-76汎用ヘリ14機、S-70汎用ヘリ3機、AS-332M汎用ヘリ12機、ヒューズ500Dヘリ8機、C-101練習機16機、ブルドッグ練習機18機、パイパー・ウォリアーU練習機12機、パイパー・セネカU練習機6機、防空旅団2個、改ホーク126基を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ヨルダン空軍(2011年)>:F-16A10機、F-16AM34機、F-16Bを4機、F-16BM14機、F-5E29機、F-5Fを7機、C101CCアビオジェット軽攻撃機を10機、T67M260ファイアフライ練習機を15機、C-130Hを4機、C-295を2機、An-32Bを1機、セスナ208Bを5機、AH-1F29機、UH-60Lを8機、AS322M-110機、EC635T113機、UH-1H25機、500Dを8機、500Eを3機、MD530FF10機、AS350B-3を6機、EA300Lを4機保有している。参考:月刊JWings1,12

 <ヨルダン空軍(2015年)>:現役兵力12000名。年間飛行時間180時間。F-5E/F戦闘機29機、F-16AM戦闘機30機、F-16BM戦闘機14機、AC-235攻撃機2機、Il-76MF輸送機2機、C-130E輸送機7機、C-130H輸送機4機、AT802軽輸送機6機、セスナ208B軽輸送機5機、M-28軽輸送機1機、C-295M輸送機2機(全てガンシップへの改装予定で保管中)、T-67M練習機14機、C-101練習機10機、AH-1F攻撃ヘリ12機、AH-1S攻撃ヘリ17機、H135M汎用(輸送/捜索救難)ヘリ13機、AS332M汎用ヘリ12機、S-70A汎用ヘリ3機、UH-60L汎用ヘリ3機、UH-60M汎用ヘリ2機、ベル205UH-1Hヘリ36機、AS350B3ヘリ6機、R-44ヘリ8機、MIM-23B改ホークV型地対空ミサイル24基、MIM-104CパトリオットPAC-2地対空ミサイル40基、AGM-65D/G空対地ミサイル、BGM-71対戦車ミサイル、AIM-9J/N/P空対空ミサイル、AIM-7/-120C空対空ミサイル、R-530/R-550空対空ミサイル、GBU-10/-12レーザー誘導爆弾を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ヨルダン軍>:19675月、エジプトと防衛協定を締結。参考:軍事力バランス78年版

 <ヨルダン軍(1989年)>:現役総兵力85250名、予備役35000名。PLOのパレスチナ解放軍1個旅団1200名を監督下に置いている。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ヨルダン軍(2015年)>:現役総兵力100500名(陸軍74000名、海軍500名、空軍12000名、統合特殊作戦コマンド14000名)、予備役65000名(陸軍60000名、統合部隊5000名)、準軍事部隊(憲兵)15000名、民兵(予備役組織)35000名。中央アフリカ共和国にMINUSCA要員3名とオブザーバー3名、コート・ジボアールにUNOCI要員10名とオブザーバー8名、コンゴ民主共和国にMONUSCO要員10名とオブザーバー13名、ハイチにMINUSTAH要員3名、マリにMINUSMA要員1名、南スーダンにUNMISS要員4名とオブザーバー3名、スーダンにUNAMID要員15名とオブザーバー4名、UAEにレストアリング・ホープ作戦F-16C戦闘機6機を派遣している。モワファク・アル・サルティ空軍基地にシャマル作戦向けフランス空軍ミラージュ2000D戦闘機3機とミラージュ2000N戦闘機3機、インヒアラント・リゾルブ作戦向けオランダ空軍F-16AM戦闘機4機、インヒアラント・リゾルブ作戦向けアメリカ空軍F-16V戦闘機6機が駐留している。アメリカ空軍は他にF-16C戦闘機6機とMIM-104E/FパトリオットPAC-2/-3防空大隊1個も駐留させている。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<ヨルダン軽車両製造>:JLVM社を参照。

ヨルダン特殊作戦コマンド(2015年)>:現役兵力14000名。特殊作戦旅団(特殊部隊大隊2個、空挺大隊2個、空挺砲兵大隊1個、心理戦ユニット1個)1個、レンジャー旅団(特殊部隊大隊1個、レンジャー大隊3個)1個、王立護衛旅団(特殊作戦連隊1個、保安大隊3個)1個、An-32B飛行隊1個、MD-530F飛行隊1個、UH-60L飛行隊1個からなる。An-32B輸送機3機、MD-530F汎用ヘリ6機、UH-60L汎用ヘリ8機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ヨルダン内戦>:1970年、ヨルダンのフセイン国王派とPLOの間で起こった内戦。920日、シリア軍がT-54戦車を主力とする2個機甲師団をPLO救援軍(PLA、パレスチナ解放軍)として派遣、内戦に介入した。しかしヨルダン軍のセンチュリオン戦車とハンター戦闘機の反撃に遭い、イスラエルの介入を恐れたシリアは空軍による援護を行えず、923日までに撤退する羽目になった。1112日、シリアの政権与党であるバース党の秘密臨時党大会でアサド国防相が罷免されたが、翌13日夜にアサドがクーデターを起こし、19713月にシリア大統領に就任した。参考:月刊軍事研究5,05

ヨルダン・パンサー>:ヨルダン・アドバンスド・リモートシステムズ社がヨルダン陸軍第71対テロ大隊と共同開発した4輪監視車両。ベースはシボレー製乗用車エキスプレスで、センサーマストに電子光学センサー(探知距離は対人6km、対車両15km)やレーダー(探知距離8km)を装着する。同社が開発したマイクロUAV(航続距離33km、滞空時間4時間)も搭載しており、これを使っての監視偵察任務も行える。参考:月刊軍事研究9,12

ヨルダン・ファルコン>:JAI社とKADDB社が開発し、SOFEX04で発表したUAV。機首に偵察装備を搭載可能で、車載ランチャーから射出される。全幅4m、重量14kg。エンジンは2ストロークガソリンで、最大速度180km、滞空時間4時間、運用範囲50km。参考:月刊軍事研究12,047,08

ヨルダン・ファルコンズ>:ヨルダンのアクロバットチーム、Royal Jordanian Falcons。第3次中東戦争で領土を喪失して平和路線に転換すると共に、欧米諸国との関係を改善させるため、1976年にフセイン・ビン・タラール国王のアイディアで平和親善役のアクロバットチームとして創設された。ヨーロッパでの移動を容易にするため、空軍の隷下には置かず、チームと機体と整備チームはヨルダン航空の傘下とし、パイロットとディレクターが空軍から派遣されている。2機のピッツS2Aでスタートし、1982年に4機に増加、北アメリカやヨーロッパでの航空ショーに参加した。1992年にはエクストラEA300Sを導入している。1997年、ヨルダン航空の民営化で解散の危機に陥ったが、ヨルダンのアカバ経済特区局がスポンサーに名乗りを上げたために存続が決まった。これに伴い、チームの訓練がアカバ市上空で行われるようになり、観光客向けの格好のアトラクションとなっている。ただしアラブの慣習でチームが引っ越しを嫌ったため、訓練飛行はパイロットが民間定期便でアンマンから移動してくる週末にのみ行われる。観光客が逃げる酷暑の夏にはヨーロッパ各地でエアショーに参加する。2018年、エクストラ330LXに機種改変した。参考:月刊JWings7,1112,10、月刊航空ファン9,18

ヨルダン陸軍>:1967年、M47戦車が供与された。2010年からオランダ陸軍の退役装備を導入しており、レオパルト1装甲工作車5両、M109A2自走榴弾砲121両、ゲパルト60両(と35mm機関砲弾35万発)、レオパルト1/ゲパルト用スペアシャシー14両、YPR-765装甲車441両、牽引式ボフォース70口径40mm対空機関砲22門、タレス社製フライキャッチャー・レーダー11基などを購入した。参考:月刊軍事研究9,13

 <ヨルダン陸軍(1977年)>:兵力61000名。機甲師団2個、機械化師団2個、歩兵師団2個、特殊大隊4個、高射砲大隊2個からなる。M47/M48/M60戦車320両、センチュリオン戦車200両、フェレット偵察車140両、M113装甲兵員輸送車600両、FV603サラセン装甲兵員輸送車120両、25ポンド砲110門、105mm榴弾砲35門、155mm榴弾砲、203mm榴弾砲、M52自走榴弾砲35門、M44自走榴弾砲20門、155mm自走榴弾砲16門、81mm/107mm/120mm迫撃砲、106mm/120mm無反動砲、TOW/ドラゴン対戦車ミサイル、M42自走高射機関砲200門、FIM-43レッドアイ携SAMを配備する。参考:軍事力バランス78年版

 <ヨルダン陸軍(1989年)>:兵力74000名、予備役30000名。機甲旅団2個、機械化歩兵旅団2個、独立王室親衛隊旅団1個、特殊部隊旅団1個、砲兵大隊16個からなる。M-47/M-48A5戦車260両(保管中)、M-60A1/A3戦車218両、カリド/チーフテン戦車360両、タリク/センチュリオン戦車293両、スコーピオン軽戦車19両、フェレット偵察車144両、M-113装甲兵員輸送車1235両、FV603サラセン装甲兵員輸送車34両、EE-11ウルツ、105mmM-101A136門、155mmM-11438門、155mmM-5917門、203mmM-115を4門(保管中)、155mm自走砲M-4420門、155mm自走砲M-109A2108門、203mm自走砲M-11024門、81mm/107mm/120mm迫撃砲、TOW330基(うち自走式50基)、ドラゴン310基、112mmロケット砲アピラス、106mm無反動砲330門、20mm高射機関砲M-163100基、ZSU-23-4自走高射機関砲44両、M-42自走高射機関砲264両、SA-7B2地対空ミサイル、9K33地対空ミサイル20基、9K35地対空ミサイル20基、9K34地対空ミサイル、FIM-43レッドアイ地対空ミサイルを保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ヨルダン陸軍(2015年)>:現役兵力74000名、予備役60000名。戦略予備機甲師団(機甲旅団3個、砲兵旅団1個、防空旅団1個)1個、機甲旅団1個、機械化旅団5個、軽歩兵旅団3個、砲兵旅団3個、防空旅団3個、多連装ロケット大隊1個からなる。チャレンジャー1アル・フセイン戦車390両、FV4030/2カリド戦車274両、M60フェニックス戦車88両、タリク・センチュリオン戦車292両(全て保管中)、M60A1/A3戦車115両(全て保管中)、M47/M48A5戦車23両(全て保管中)、スコーピオン軽戦車19両(全て保管中)、シミター偵察車103両、フェレット偵察車50両、BMP-2歩兵戦闘車31両、ラテル20歩兵戦闘車321両、YPR-76525mm機関砲装備)歩兵戦闘車214両、M113A1/A2 Mk1J装甲兵員輸送車370両、M577A2コマンドポスト200両、Temsah装甲兵員輸送車少数、YPR-765装甲兵員輸送車259両、クーガー装甲車35両、マローダー装甲車25両、マタドール装甲車25両、マックスプロ装甲車100両、105mm自走砲M5230両、155mm自走砲M109A1/A2358両、155mm自走砲M4420両、203mm自走砲M110A2148両、105mmM10254門、105mmMOBAT18門、155mmM1/M5910門、155mmM11418門、203mmM115を4門(全て保管中)、227mm自走多連装ロケットHIMARS12両、273mm自走多連装ロケットWM-80を2両以上、81mm自走迫撃砲50両、81mm迫撃砲359門、107mm迫撃砲M3050門、120mm迫撃砲ブラント300門、M901自走対戦車ミサイル70両、ミラン搭載YPR-765自走対戦車ミサイル45両、ジャベリン対戦車ミサイル、M47ドラゴン対戦車ミサイル、TOW/TOW-2A対戦車ミサイル、9K135対戦車ミサイル、9K35自走地対空ミサイル92両、9K33自走地対空ミサイル48両、FIM-43レッドアイ携帯地対空ミサイル、9K32M/9K36/9K38携帯地対空ミサイル、9K310携帯地対空ミサイル240基、20mm自走高射機関砲M163100両、23mm自走高射機関砲ZSU-23-440両、40mm自走高射機関砲M-42216両(一部は作戦状態に無い)、AN/TPQ-36/-37対砲迫レーダー、アル・モンジェド(Al Monjed)装甲回収車、チーフテンARV55両、センチュリオンMk2戦車回収車、M47戦車回収車20両、M88A1戦車回収車32両、M578装甲回収車30両、YPR-806装甲回収車、アードヴァークMk2地雷戦車両12両を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

夜と霧>:ナハト・ウント・ネーベル。1941127日にドイツ国防軍最高司令部がヒトラーの命令に基づいて発布した法令の通称で、ドイツの安全を脅かす人物を国籍問わず誰でも拘束できるというものである。夜明けにゲシュタポが突如現れて容疑者を連れ去っていくことが多く、グロスローゼンやナッツワイラーの強制収容所に集められ、拷問を受けた。参考:ゲシュタポ

夜の女王エルビラ>:F-117Aのデジタル戦術爆撃航法装置の通称。参考:月刊軍事研究11,99

予冷ターボジェットエンジン>:超音速の高温高圧空気を吸入し、液体水素により冷却して空気の密度を上げ、水素と混合して燃焼させるジェットエンジン。参考:月刊軍事研究9,07

<ヨンイン>:T-5練習機(台湾空軍)を参照。

ヨンオ級>:北朝鮮が開発した小型潜水艇Yeono級。排水量120トン。兵装は533mm魚雷発射管2門。イランが国内生産して4隻保有している。参考:月刊軍事研究1,11

<ヨンジュ>:779(コルベット)を参照。

<ヨンシンタオ>:863(潜水艦救難艦)を参照。

<ヨンドン級>:永同級(掃海艇)を参照。

<ヨンビョン島砲撃事件>:延坪島砲撃事件を参照。

<ヨン・ボンギル>:尹奉吉(潜水艦)を参照。

<ヨン・ヨンハ>:尹永夏(ミサイル艇)を参照。

<ヨン・ヨンハ級>:尹永夏級(ミサイル艇)を参照。

 

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