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>:海上自衛隊の略号で、艇長のこと。参考:日本の防衛戦力Part3

テ一>:日本陸軍航空機用旋回機銃で、試製単銃身旋回機関銃一型ともいう。八九式旋回機銃の右を撤去して単装とし、取り回しを良くしたものである。口径7.7mm。昭和13年から量産された。参考:歴史群像8,17

テ三>:日本陸軍航空機用旋回機銃九八式旋回機銃を連装にしたもので、後に一式(一〇〇式という説もある)旋回機関銃として制式化された。全長1.051m銃身0.63m、重量16.7kg発射速度は2丁で毎分2200発。アメリカ軍資料では全長1.742m銃身0.9m、重量37kg発射速度毎分750発(恐らく片門あたり)となっている。参考:月刊航空ファン9,02

テ四>:日本陸軍航空機用旋回機銃で、単銃身旋回機関銃二型ともいう。口径7.7mm。昭和14年から量産された。参考:歴史群像8,17

デアーミング>:Dearming。着陸後、安全ピンを差し込むなど兵装に安全装置を施したり、ドラッグシュートを切り離したりすること。参考:月刊JWings10,09別冊付録

デアーミング・エリア>:Dearming area。デアーミングを行う場所のことで、普通滑走路端の脇にある。参考:月刊JWings10,09別冊付録

手当(自衛官)>:自衛官俸給表に基づく俸給に加え、職種や勤務地などに応じて支払われる給与。民間企業と同様の住居手当や通勤手当の他、航空機手当、乗組手当、航海手当、落下傘隊員手当、寒冷地手当、特地勤務手当、地域手当など様々な種類がある。参考:月刊JWings6,16

<デア・フューラー>:SS護衛連隊デア・フューラーを参照。

デアフリンガー>:ドイツ海軍デアフリンガー級巡洋戦艦Derfflinger1914年竣工。1916531日、第1偵察戦隊所属でジュットランド海戦に参加。主砲弾17発を被弾し、3000トン浸水した。修理の際に前部マストを三脚マストに変更し、頂部に戦闘指揮所を設けている。1919年に自沈した。参考:近代戦艦史、月刊世界の艦船6,16

デアフリンガー級>:ドイツ海軍巡洋戦艦Derfflinger級。海外駐屯用の巡洋戦艦として建造されたもので、ザイドリッツ級の改良型である。船体を平甲板型とし、凌波性向上のため艦首に顕著なシーアを付けた。主砲を全て中心線上に装備、副砲を第1甲板上に設置した。全長210.4m(ヒンデンブルクは212.8m)、幅29m、吃水8.3m、常備排水量26180トン(リュッツォウは26318トン、ヒンデンブルクは26513トン)。主機は改良パーソンズ式高低圧並列直結蒸気タービン2基、主缶はシュルツ・ソーニクロフト石炭専焼缶(16気圧、飽和蒸気)14基+同重油専焼缶(16気圧、飽和蒸気)4基、出力76000馬力(ヒンデンブルクは95000馬力)、4軸推進、プロペラ直径3.90m(ヒンデンブルクは4.00m)、速力26.5ノット。兵装は30.5cm連装砲4基、14.9cm単装砲14門(デアフリンガーは12門)、8.8cm単装砲4門(デアフリンガーのみ)、8.8cm単装高角砲4門(ヒンデンブルクのみ)、60cm水中発射管4門(デアフリンガーは50cm水中発射管4門)。装甲厚は水線部300mm、甲板50mm80mm?)。乗員1112名(ヒンデンブルクは1182名)。1914-17年にデアフリンガー、リュッツォウ、ヒンデンブルクの3隻が竣工した。参考:近代戦艦史、月刊丸11,09、月刊世界の艦船1,126,16

手荒く>:海軍兵学校のスラングで、物凄く、という意味。参考:海軍兵学校岩国分校物語

<デアリング>:D3245型駆逐艦)またはH16(D級駆逐艦)を参照。

デアリング>:イギリス海軍ダナエ級軽巡洋艦Daring。建造中止になった。参考:近代巡洋艦史

デアリング>:シンガポール海軍フィアレス級哨戒艇Daring19975月就役。2001611-22日、南シナ海で西太平洋掃海訓練に参加。2018719日に退役した。参考:月刊世界の艦船10,189,01

<デアリング級>:45型シリーズ(駆逐艦)を参照。

デアリング級>:イギリス海軍駆逐艦Daring級。イギリス海軍最後の艦隊型駆逐艦で、1944年度計画で16隻を建造予定だったが、第2次大戦終戦で一旦工事を中断し、隻数を半分に減らして兵装を更新した。全長118.9m、満載排水量2610トン(基準排水量2800トン?)。主機は2段減速式蒸気タービン2基、主缶(蒸気圧1平方センチあたり39.8kg、温度454℃)4基、出力54300馬力、2軸推進、速力34.8ノット(31.5ノット?)。兵装は114mm連装両用砲3基、40mm連装機関砲3基、533mm5連装魚雷発射管2基、スキッド1基。1952-54年にD114ディフェンダーなど8隻が就役した。参考:月刊世界の艦船12,'213,92増刊、6,09

<デアリング級・海外シリーズ>

 <デアリング級(オーストラリア海軍)>:オーストラリア海軍駆逐艦。オーストラリア海軍初の全溶接式水上戦闘艦である。全長118.95m、基準排水量2800トン。主機は蒸気タービン2基、2軸推進、速力34.75ノット。兵装は11.4cm連装両用砲3基、40mm連装機関砲3門、533mm魚雷5連装発射管2基、リンボー対潜迫撃砲1門。1957年からD04ボイジャーなど3隻が竣工した。参考:月刊世界の艦船3,22

 <デアリング級(ペルー海軍)>:ペルー海軍駆逐艦で、パラシオス級ともいう。1969年に2隻を購入し、DM73パラシオス及びDM74フェレとして就役させた。1973年に改装工事を受け、エグゾセMM38発射筒を搭載し、ヘリ発着甲板を設置、前部煙突をマックに変更している。1992年の諸元は、全長118.9m、幅13.1m、吃水5.5m、基準排水量2800トン、満載排水量3600トン。主機は蒸気タービンで、出力54000馬力、2軸推進、速力32ノット。兵装はエグゾセMM38単装発射筒8基(連装発射筒4基?)、114mm連装砲2基(DM74は3基)、40mm連装機銃2基。乗員297名。参考:月刊世界の艦船3,92増刊、ミリタリー・バランス1989-1990

<テイ>:K232(フリゲート)を参照。

てい>:海上自衛隊の号令。概ね「はじめ」「スタート」くらいの意味で、エンジン始動時や水泳でスタートする際などの合図に使用される。日本海軍では「撃て」の号令を「てい」と発声しており、それを引き継いで様々な分野に使っている。参考:MAMOR vol.116

<デイ>:DE-225(護衛駆逐艦)を参照。

<ティア1MAE>:ナット750-45(無人機)を参照。

<ティア2>:RQ-1シリーズ(無人機)を参照。

<ティア2プラス>:グローバル・ホーク(無人機)を参照。

ティア3>:アメリカ軍の無人機開発計画で、高々度を長時間滞空するステルスUAVである。要求が贅沢すぎて開発の見込みが無かったため、ステルス性を重視したティア3マイナス(RQ-3A)と、高々度長時間滞空性能を重視したティア2プラス(グローバル・ホーク)を開発することになった。参考:月刊軍事研究5,11

<ティア3マイナス>:RQ-3A(無人機)を参照。

ディアーナ>:イタリア海軍高速通報艦(実際は首相ヨット兼高速スループ)Diana1940年就役。参考:月刊世界の艦船5,23

<ディアチェンコ>:APD-123(高速輸送艦)またはDE-690(護衛駆逐艦)を参照。

低圧訓練装置(航空自衛隊)>:航空医学実験隊第4部低圧訓練科が装備する器材。低圧室は3.4×13mで、主室と副室からなり、主室に訓練生が入室する。徐々に減圧を行うだけでなく、副室の気圧を下げて主室と繋げることで主室を一気に減圧することもできる。与圧が効かなくなった際の対処を行う低圧・低酸素訓練などに使用される。参考:月刊軍事研究7,14、月刊MAMOR vol.138

<低圧タービン>:蒸気タービンまたはタービンを参照。

低圧砲>:高低圧砲ともいう。英語ではLow Pressure Gun。薬室と砲身の間にノズル板または絞りがあり、薬室(高圧室)で燃焼した発射ガスがノズル板または絞りを通る間に低圧化され、弾丸を加速する。薬室内で発射薬が完全燃焼できる。腔圧が低いので砲身が薄くて済み、弾殻も薄くできるので炸薬充填量が多くなる。参考:火器弾薬技術ハンドブック

<ディアナ>:P520(哨戒艇)またはSd.Kfz.6シリーズ(ハーフトラック)を参照。

ディアナ級>:デンマーク海軍哨戒艇Diana級。船体はGFRP製。スタンフレックス・モジュール・コンテナ1基を搭載可能で、積み替えにより多任務に対応する。全長43m、満載排水量280トン。主機はディーゼルで、速力25ノット。兵装は12.7mm単装機銃2丁。P520ディアナ、P525ロタなど6隻が2007-09年に就役した。参考:月刊世界の艦船3,148,16

<ディアネラ>:K07(コルベット)を参照。

<ディアハウンド>:A155(曳船)を参照。

<ディアブロ>:SS-479(潜水艦)を参照。

<ディアボーン>:PF-33(フリゲート)を参照。

帝亞丸>:日本郵船貨客船Teia maru。元は昭和7年に竣工したフランスMM社極東航路貨客船アラミスで、第2次大戦勃発により日本(仏印サイゴン?)から帰れなくなっていたのを昭和174月に日本が借用(接収?)し、日本郵船に運航を委託したものである。総トン数17536トン。昭和18913日、太平洋戦争の第2次戦時交換船として横浜を出港。1015日、ポルトガル領ゴアのモルムガオに入港。1019日、アメリカ側に1345人を引き渡して中立国の8人を含む1525人を引き受けた。1021日、モルムガオを出港。1114日、横浜に帰港。昭和1988日、ヒ71船団の一員として六連島泊地を出港。ルソン島北西でアメリカ潜水艦の雷撃を受け、魚雷2本を被雷して沈没し、乗員53人、将兵2326名、軍属275人の計2654名が戦死した。参考:月刊世界の艦船9,16、輸送船入門

ディアマン>:フランスの3段式固体燃料ロケットで、19651126日にフランス初の人工衛星A1の打ち上げに成功した。参考:月刊軍事研究2,01

ディアマンティナ>:オーストラリア海軍リバー級フリゲートDiamantina1943412日起工、194446日進水、1945427日就役。913日、後甲板で日本海軍ナウル島守備隊の降伏文書調印式を実施。オーシャン島の降伏調印式も行われ、ブーゲンビル島守備隊指揮官神田陸軍中将・鮫島海軍中将を輸送した。1959622日、測量艦(艦番号A266)として再就役した。1980229日に退役した。オーストラリアのブリスベーンにあるクイーンズランド海事博物館サウス・ブリスベン乾ドックで展示されている。参考:月刊世界の艦船10,'23、歴史群像8,17

<ディアマンティナ>:86(掃海艇)を参照。

ディアマント>:フランスのECAグループが開発した無人掃海システムで、ダイアモンドの意。インスペクトルMk2無人水上艇にTOWCA側面ソナーとISSS格納式バウソナーを装備し、シースキャンMk2無人潜水艇2隻を搭載して運用する。参考:月刊世界の艦船11,18

<ディアンサス>:K95(コルベット)を参照。

帝安丸>:日之出汽船貨物船。総トン数5387トン。昭和1719日、犬吠埼南西でアメリカ潜水艦の雷撃を受け沈没した。参考:輸送船入門

<ティアンム>:M47海外シリーズ(戦車)を参照。

ティーア級>:シリア海軍高速艇。2006年にイランから6隻を導入した。射程120kmのノール対艦ミサイルを搭載する計画もある。参考:月刊軍事研究12,09

<ティーガー>:Ⅵ号戦車シリーズを参照。

ティーガー・シリーズ>:フランスのアエロスパシアル社とドイツのMBB社が1985年に共同設立したユーロコプターが開発した戦闘ヘリEC665 Tiger/Tigre(ティーガー・タイガー/ティグル・ティグレ)。メーカーがエアバス・ヘリコプターズになってからはTigerに統一している。専用攻撃ヘリの無かったヨーロッパ諸国で運用すべく1970年代末から開発についての会合を行い、19845月に基本合意に達して開発が始まった。仕様の違いなどから1986年に一旦キャンセルされたが、A129マングスタは小さすぎ、AH-64は大きすぎて難があり、19873月から計画が再開された。19891130日にユーロコプターが開発契約を結び、199124日に初号機が完成、427日に初飛行した。最初、ドイツがPAH-2、フランスがHAPHAC3G1990年代半ばから受領する予定だったが、冷戦崩壊で計画が変更され、1999618日のパリ航空ショーで漸く独仏両政府との調達契約が結ばれて引き渡し開始が21世紀にずれ込んだ。トルコの次期攻撃・偵察ヘリ候補にも挙げられていたが、2007年に落選した。20093月、UHTHAPのチャフディスペンサーに回路異常が発見され、ユーロコプターが改修を行った。参考:月刊航空ファン7,006,02、月刊軍事研究11,095,07、世界航空機年鑑2018-2019、月刊JWings4,21

 <UHT>:ドイツ陸軍攻撃ヘリ。UnterstützungsHubschrauber Tiger(ティーガー戦闘支援ヘリコプター)の略で、PAH-2から改称された。機体構造の80%CFRPで、11%がアルミ合金、6%がチタン合金、残りがGFRPなどであり、MIL-STD-1290耐墜落基準の毎秒10.5mの落下に耐えられる。コクピットは視界確保のため段差の付いたタンデム複座で、風防やキャノピーは別々になっており、前席にパイロット、後席にガンナー兼機長が座るが、逆でも任務をこなせる。対戦車ミサイル運用のみ前後席の役割が固定されていて、前席が操縦と目標表示操作、後席が射撃を行う。前後席とも計器板にはカラー多機能表示装置2基とキーボード付き表示装置1基が用意されている。乗員はヘルメット装着式照準・表示装置(HMD)を装備し、視野上に飛行情報やFLIR画像を重ねたり、暗視ゴーグルを併用したりできる。エンジンはMTU・ロールスロイス・チュルボメカ3社共同開発のMTR390ターボシャフト2基(離陸時最大出力958kW、継続最大出力873kW)またはMTR390E(海面高度最大出力1465馬力)で、排気口は上方を向いていて、ダウンウォッシュで排気を拡散するようになっている。エンジン排気口の赤外線抑制装置がかなり後ろに張り出しているため、テイルブームが短く見える。トランスミッションは60分間(30分間?)のドライラン能力を持つ。メインローターはMBB社が開発した高効率形状の複合材ブレード(前縁はニッケル)4翅で、先端には後退角がある。ローターヘッドはヒンジレス、ローター・ハブにはファイバー・エラストメトリック・ユニットが付き、ローター・ハブの部品数は24点しかない。コクピット直後の胴体中央左右にあるスタブウイングは、アルミ合金製の桁に複合材製のリブと外皮を組み合わせ、重量軽減を図った。テイルローターは直径2.7mの3翅で、ローターマストとローター・ハブを一体化した。電子システムは任務機材パッケージ(MEP)に統合されており、ユーロMEPと呼ばれ、対戦車兵装サブシステム、パイロット用画像サブシステム、空対空サブシステムなどで構成され、昼夜間・悪天候を問わずNOE飛行ができる。自動操縦も可能。機首に操縦用FLIR(視野角40度×30度)、ローターマスト上に照準用TVFLIR・レーザー測距器を統合したSAGEM社製オシリス観測目標指示システムを装備。固定武装は無い。スタブウイングにトリガット対戦車ミサイル(トリガットLR含む)8発またはHOT2対戦車ミサイル8発またはスティンガー空対空ミサイル4発を搭載できる。他にロケットランチャー、機関砲ポッド、射出型防御システムも搭載可能。降着装置は尾輪式固定脚で、降下率毎秒6m分の衝撃を吸収できる。メインローター直径13.02m、全長15.8m、ローター折り畳み時15.30m、胴体長14.08m、全高5.2m、胴体高3.84m、小翼幅4.52m、基本運用自重3300kg、空虚重量4200kg、ミッション離陸重量5300-6000kg、過荷最大離陸重量6100kg、機外吊り下げ時全備重量6594kg6000kg?)。エンジンはMTR390ターボシャフト(離昇出力1285軸馬力、最大連続出力1171軸馬力、片発停止時緊急出力1556軸馬力)双発、巡航速度124ノット、最大水平速度145ノット、機内最大燃料重量1020kg、機内燃料容量1360リットル、海面上昇率毎分642-690m、ホバリング高度限界3200-3500m(地面効果外)、航続距離432海里・800km。乗員2名。80機を導入する予定で2005年から引き渡されたが、運用してみると数時間の飛行で配線系統に異常が発生するという問題が発覚、11機が導入されたところで改善策が出されるまで予算が凍結されてしまった。結局調達数は68機に減らされている。参考:月刊航空ファン7,006,02、月刊軍事研究11,096,0112,10、月刊JWings1,1610,18、世界航空機年鑑2018-2019THE MILITARY BALANCE 2016

 <ティグールHAC>:Helicoptere Anti-Char(対戦車ヘリコプター)の略で、フランス陸軍対戦車ヘリバージョン。UHTと同仕様である。武装はHOT2またはトリガット対戦車ミサイル8発と、ミストラルAAM4発。冷戦終結で出番が減るとみられたため、生産されないことになった。参考:月刊航空ファン7,006,02、月刊軍事研究11,096,01

 <ティグールHAP>:Hélicoptère dAppui-Protectionの略で、フランス陸軍の護衛・火力支援バージョンである。1993年にジュルフォー(オオハヤブサ)という名が付いたが、取り消された。メインローターマスト前方にTVカメラ、FLIR、レーザー測距器、直接視野光学センサーを統合したSAGEM社製ストリックス照準システムを持つ。ヘルメットには増感画像表示装置を装備。MEPHAPMEPと呼ばれるもので、兵装コンピュータ・シンボル・ジェネレータが中核となっており、センサー情報と組み合わされて使用される。機首に機関砲を装備した関係上、パイロット用FLIRは外された。全長15.8m、胴体長15m、メインローター直径13m、全高3.81m、自重3.3トン、総重量5.295トン(機内搭載)/6トン(機外吊り下げ)。エンジンはMTU・サフラン製MTR390ターボシャフト(1285軸馬力)双発、巡航速度250-280km、最大速度322km、海面上昇率毎分642-690m、ホバリング高度限界3200-3500m(地面効果外)、機内燃料容量1360リットル、航続距離800km。武装は機首下面ターレットのGIAT社製30mm機関砲30M781AM-30781140-150発。150-450発?)、スタブウイングのミストラルAAM4発+68mm22連装ロケットポッド2個またはミストラルAAM4発+12連装ロケットポッド2個または22連装68mmロケットポッド2個+12連装ロケットポッド2個。乗員2名。40機を導入した。スタンダード1仕様36機をティグレHADブロック2仕様にする改修を実施中で、初号機は20171130日に納入された。参考:月刊航空ファン7,006,023,18、月刊軍事研究11,096,017,95、世界航空機年鑑2018-2019THE MILITARY BALANCE 2016

 <ティグレHAD>:Hélicoptère dAppuil-DestructionまたはHelicopter Attack and Destructionの略で、フランス陸軍向け支援攻撃型/スペイン陸軍向け多任務型。HAPSTRIX照準器を追加するなどして対戦車ミサイル(HOT3、トリガット、AGM-114ヘルファイア。最大8発)運用能力を追加したものである。ミストラル、AIM-92、ハイドラ70ロケット弾19連装ポッド、SNEBロケット弾22連装ポッドも搭載可能。エンジンをMTR390Eに強化し、最大離陸重量を500kgほど増やした。全長15.8m、全幅13m、最大離陸重量6.1トン。エンジンはMTR390Eターボシャフト(離昇出力958kW、連続出力873kW)双発、巡航速度230km、航続距離800km。固定武装は機首ターレットの30mm機関砲AM-30791(発射速度毎分2500発)が1門。乗員2名。フランス陸軍は40機を配備予定で、初号機は20121216日に初飛行(非公式には201012月初め)し、2013419日に納入された。20151222日、フランス陸軍が7機追加発注した。AGM-114K1A/N1Aヘルファイアの後継としてMHTを搭載するスタンダード3への改修計画が進行中。参考:月刊JWings10,187,133,'16、月刊軍事研究11,09、月刊航空ファン8,18

 <ティーガーMk.Ⅲ>:フランス陸軍・スペイン陸軍向け改良型。202232日にエアバス・ヘリコプターズと共同軍備協力機構OCCAR(フランス装備総局とスペイン軍事総局の代表)が開発生産契約を結び、フランス陸軍42機(+オプション25機)とスペイン陸軍18機に改修を施す事になった。ドイツ向けも作るかもしれない。試作機は2025年に初飛行予定。参考:月刊JWings5,22

 <ティーガーMk.Ⅲ(スペイン陸軍向け)>:インドラ社製戦闘管理システム、リンク16SATCOMを積み、70mm誘導ロケット弾や新型空対地ミサイルを運用可能とする。18機を改修し、2030年から配備する予定。参考:月刊JWings5,22

 <ティーガーMk.Ⅲ(フランス陸軍向け)>:ATOS製戦闘管理システム、サフラン社製Strix NG照準装置、サフラン社製INS、タレス社製全地球測位衛星システムGNSS、タレス社製FlytXアビオニクス・スーツ、トップアウルDDヘルメット照準装置、タレス社製コンタクト/シナプス無線システム、新型IFFを積み、MBDA製将来型戦術地対空ミサイルMAST-FFuture Tactical Air-to-Surface Missle)とミストラル空対空ミサイルを運用可能とする。42機(+オプション25機)を改修し、2029年から配備する予定。参考:月刊JWings5,22

<ティーガー攻撃ヘリ海外シリーズ>

 <タイガーARH(オーストラリア陸軍)>:オーストラリア陸軍攻撃ヘリTiger ARH(Armed Reconnaissance Helicopter)。ベル206B-1の後継ヘリ導入計画Air87で、AH-64AH-1A129AH-2ローイファルクを破って20018月に採用された。1-4号機はフランスから輸入、5号機以降はオーストラリアで組み立て、初号機は2004220日に初飛行し、1215日から引き渡されている。ティグールHAPAGM-114MヘルファイアⅡの運用能力を持たせており、ストリックスにレーザーデジグネーターを追加したものである。22機を導入して第1航空連隊に16機、陸軍航空訓練センターに6機配備した。2016年のオーストラリア国家会計検査院のレポートでは、実戦部隊での目標稼働数12機に対して2015年の平均が3.5機、海軍艦船からの発着艦能力は獲得できず、運用コストも予想の倍以上掛かり、ストリックスの有効探知距離がヘルファイア射程の半分しか無いといった多数の問題点が指摘されている。参考:月刊軍事研究11,09、月刊航空ファン12,19、月刊JWings12,163,05

 <ティーガー(ドイツ陸軍)>:ドイツ陸軍攻撃ヘリ。UHT80機導入して2個攻撃ヘリ連隊に配備する予定で、初号機は200346日に納入された。参考:月刊軍事研究11,09

 <ティグール(フランス陸軍)>:フランス陸軍攻撃ヘリ。2025年までにHAC135機、HAP80機導入する予定だったが、1999年にHAC10機、HAP60機に減らされ、2003年にHACを採用しないことになり、HAPHAD40機ずつ導入することにした。2003318日からHAPの配備が開始されている。2009726日にはアフガンに派遣された。揚陸艦やフリゲートへの離着艦テストも行われており、緊急着陸や中継基地として艦船を使用する模様。参考:月刊軍事研究11,09

 <ティグレ(スペイン航空機動軍)>:スペイン航空機動軍攻撃ヘリ。200395日に24機のHADを発注した。配備まで時間がかかるので、繋ぎとしてHAP2007-08年に6機導入して準HAD仕様に改造、アルマグロ基地に配備している。参考:月刊軍事研究11,09THE MILITARY BALANCE 2016

<ティーガーⅠ>:Ⅵ号戦車シリーズを参照。

<ティーガーⅡ>:ティーガーBシリーズ(戦車)を参照。

<ティーガーⅢ>:ティーガーBシリーズ(戦車)を参照。

ティーガーBシリーズ>:ドイツ軍戦車Tiger B、別名Panzerkampfwagen ausf B1941年にヒトラーの命令でティーガーⅠよりも攻撃力と防御力が強力な重戦車として構想が練られ、ラインメタル・ボルジッヒとポルシェがFlak41の戦車砲改良型であるKwK43を搭載する新砲塔を製作し、後者が採用された。1942年にはVK4501P)車体の開発が決定、砲塔と組み合わせたVK4501(P2)が同年2月に発注された。しかしポルシェ博士肝入りの電気駆動系にトラブルが多発、テスト中にサスペンションが脱落する有様で採用が中止されてしまった(砲塔は既に50基作ってあったので再利用された)。ポルシェとヘンシェルはVK4501P2)の改良型であるVK4502P)とVK4502(H)を再提案し、VK4502(H)が採用されたが、ヒトラーが装甲強化を命じ、19432月にはパンターⅡとの部品共通化まで要求したため、計画が頓挫しかかった。ヘンシェルはVK4503(H)という再々改良型を提案、漸く話が纏まって194311月に試作車が完成した。19441月から生産が開始され、489両が生産された。最初の5両は無線操縦戦車部隊(BⅣやゴリアテを運用)に誘導母車として配備されたものの、誘導用送信機などの機材は一切搭載されていない。名称は、19429月にティーガーⅡとなり、10月にはティーガーⅢとされ、19431月にはヘンシェル・ティーガーB型となり、3月にティーガーⅡに戻り(この時Ⅵ号戦車ティーガーに「Ⅰ」が付いた)、Sd.Kfz.182の特殊車両番号が付き、6月にティーガーB型で制式名称が決定した。ケーニッヒス・ティーガーという名称は、19441211日付けのシュペーア軍需相の報告書で登場しているが、殆ど使用されていない。19448月に第501重戦車大隊に45両が装備されて実戦に初めて投入されることとなり、東部戦線に向かったが、待ち伏せ攻撃に遭って4日で11両が撃破され、更に3両が故障により無傷でソ連に渡ってしまった。ソ連の調査結果では、クローム・モリブデン含量が少ないために装甲板が脆く、溶接も不完全で、100mm以上の大口径弾を1000m以内で命中させるとひび割れが生じたり、溶接が剥がれたりしてしまったらしい。19453月までに489両が完成、陸軍と武装SSの独立重戦車大隊とフェルトヘルンハレ師団(5両)に配備された。第2次大戦終結後、フランス陸軍が数両を運用している。参考:月刊PANZER5,989,12、月刊グランドパワー4,02、ジャーマンタンクス、ティーガー重戦車パーフェクトバイブル

ティーガーB(ポルシェ砲塔)>:初期生産型。ポルシェ砲塔というのはポルシェ社が開発したVK4502P)用の砲塔だからで、この砲塔自体を開発したのはクルップ社、組み立てたのはヴェクマン社である。車体は前部に操縦室と変速機、操向装置を置き、中央に戦闘室、後部に機関室がある。車体上面前部には左に操縦手ハッチ、右に無線手ハッチがあり、一旦持ち上げてから旋回して開くようになっている。無線手席前面にはボールマウント式のMG34機銃(主に400mまでの目標に使用された。俯仰角マイナス8度からプラス17度)と2型球形照準器(KgZF2)が装備され、無線手ハッチ前方には固定式のペリスコープがある。操縦手席の真上には旋回式のペリスコープが設けられていた。操縦手と無線手の間にマイバッハ製オルバーOG40 12 16B変速機(前進8段・後進4段)があり、前方にある起動輪に動力を伝達する。変速機上部にはFuG5送受信用無線機とFuG2受信用無線機を搭載しており、6kmまで送信できた。車体底面右前部にはエスケープ・ハッチが設けられている。車体後部の機関室にはマイバッハ製HL230P30ガソリンエンジンが搭載され、燃料タンクやラジエーターも配置された。燃料タンクは車体後部側面とエンジン後方中央に計5基、戦闘室弾薬庫下方両側に計2基設置されている。自動消火装置と潜水装備も用意されていた。右排気管下方に開口部と装甲カバーがあり、寒冷時はそこにクランク軸を差し込んで回すことでエンジンをかける。排気管中央のカバーには強制始動機を取り付けるアダプターがあり、これを使えばクランク軸を回す手間が省ける。砲塔は前部が曲面で構成された避弾経始に優れたもので、車長用キューポラ下部が張り出しており、下方に車外連絡用ハッチが設けられた。砲塔上面中央部左に7個のペリスコープが付いた車長用キューポラがあり、右には前方にペリスコープの付いた装填手用ハッチ(厚さ15mm)がある。キューポラ右後方にはベンチレーターがあり、装填手ハッチ後方には近接防御兵器が装着された。砲塔後面には主砲交換用の大きなパネルがボルト止めされ、その中央部にピストルポートを備える脱出用ハッチがトーションバー式蝶番を介して取り付けられている。砲塔旋回は油圧式で、全周旋回にかかる時間はエンジン2000回転で19秒、3000回転で10秒とティーガーⅠよりもかなり速い。砲手席に旋回用ハンドル、装填手席に補助旋回用ハンドルが設けられている。主砲発射ガス排出のため、圧縮空気による強制排出装置が備えられた。主砲は71口径88mmKwK4380発)で、Pzgr39/43及びPzgr40/43徹甲弾とSprgr高性能榴弾を半々くらいずつ搭載した。他にPzgr40/43タングステン弾芯弾(タングステンのストックが無いので殆ど作られなかった)やGr.39/43HL成型炸薬弾を搭載することもあった。照準器は双眼式のTZF.9bで、砲塔前面左に開口部が設けられた。主砲同軸にMG34(装弾数は車体機銃と合わせて5850発)が装備され、砲塔前面右に開口部がある。転輪は千鳥式で、9軸のアームに2枚ずつ装着される。サスペンションはトーションバー式で、1・9軸は強化サスペンションを使い、1・2・8・9軸にはショックアブソーバーが付く。転輪アームは右側は後方向きに、左は前方向きに装備される。転輪はゴムを内蔵した鋼製転輪(直径800mm)で、履帯は戦闘用の800mmダブルピン履帯(Gg24/800/300。シングルピンのKgs73/800/152?)と鉄道輸送用の660mm履帯(Gg24/660/300)があった。鉄道輸送時でも転輪を外す必要は無い。起動輪と誘導輪はⅥ号戦車後期型とほぼ同じだが、重量増に合わせて構造が強化されていて、起動輪の歯は18枚、誘導輪基部には履帯張度調整装置がある。車体側面には短い装甲スカートが装着され、前方は曲面のフェンダーとなっている。全長10.3m、全幅3.76m、鉄道輸送時3.27m(側面マッドガード無し)、全高3.08m、重量68トン。エンジンはマイバッハ製HL230P30ガソリン(23000cc700馬力)、最大速度35km、燃料容量860リットル、航続距離は整地で172km250km?)、不整地で120km145km?)。装甲鋼材はE32E22E40E41E43を使用し、装甲厚は車体前面下部100mm50度、上部150mm50度、側面下部80mm0度、上部80mm25度、後面80mm30度、底面前部40mm90度、後面25mm90度、上面40mm90度、砲塔前面60-110mm(半円形)、側面80mm30度、後面80mm30度、上面40mm77-90度、防楯100mm(ザウコップ式)。乗員5名。最初に生産された50両(試作車3両を含む)がこのタイプで、砲塔前面がカマボコ型をしていてショット・トラップを形成しており(下半分に当たると下方に跳ね返って車体上面を貫通する)、側後面の傾斜がきつすぎて車内容積も小さく、すぐにヘンシェル砲塔に切り替えられた。参考:月刊PANZER5,987,10、月刊グランドパワー4,02、ジャーマンタンクス、月刊丸7,09別冊

 <ティーガーB(ヘンシェル砲塔)>:ヘンシェル砲塔と言いつつ、こちらもクルップ社が開発してヴェクマン社が組み立てたもので、生産48号車からはこのタイプである。砲塔前面形状を平面に変更し、厚さ180mmの装甲板とした。防楯も最大厚が180mmの鋳造製新型に変更され、同軸機銃開口部も防楯に設けられている。側後面装甲板の角度が70-80度となり、キューポラが中央に寄せられ、上面装甲厚が全て40mm(ただし装填手ハッチは15mm厚)に強化された。表面硬化鋼は一切使用しなくなっている。砲塔後部のバスル容積が増加し、ここの砲弾搭載量が16発から22発(総弾数は84発)に増えた。ベンチレーターは主砲尾栓直上に移され、装填手ハッチは後方に移されて近接防御兵器がその前方に位置した。後面の取り外し式パネルは廃止され、脱出ハッチを大型化してここから主砲交換などを行うようにした。砲塔駆動は油圧式で、全周旋回に19秒かかる。車体長7.38m、全長10.286m、全幅3.755m、全高3.09m、戦闘重量69.8トン、鉄道輸送重量66.3トン。車体装甲厚はポルシェ砲塔と同じ。砲塔装甲厚は前面180mm9度、側面80mm21度、後面80mm21度、上面40mm78-90度、防楯100mm(ザウコップ式)。最大速度は整地で38km、不整地で15-20km、航続距離170km(整地)、120km(不整地)。無線機はFuG2FuG5。乗員5名。参考:月刊PANZER5,989,12、月刊グランドパワー4,02、ジャーマンタンクス

 <ティーガーB(生産中の変更)>:19442月、エンジン暖気用トーチランプ(ブロートーチ)を装備、排気管周囲に金属製のカバーを新設。3月、潜水装備を廃止。機関室上面の装甲カバーが無くなり、開口部には金属製の網を装備した。排気管上部がカーブしている形状となった。4月、車体前端の牽引用フック取り付け部中央がえぐられたものとなった。砲塔周囲に防弾リングを設け、無線手用ペリスコープ前面の装甲板に切り欠きを設けた。照準器を単眼式のTZF9dに変更(既存のものは換装時に片方を溶接で塞いだ)。主砲砲身を生産性の高い2分割式とし、砲口排煙機を小型化した。燃料注入口がある最後部タンクに揮発ガソリン除去用通気パイプを新設。5月、排気管周囲の金属製カバーを廃止。履帯に不具合があり、構成部品が多く実用性にも欠けたため、新型の一体構成型Gg26/800/300に変更、起動輪の歯の数を18から9に半減。車長用直接照準器を砲塔左前部に新設、この後方のペリスコープのガードに金属線2本が溶接された。6月、ヘンシェル砲塔装備の初号車が完成。防弾リングは必要無くなり、廃止された。砲塔上面には2トンクレーン装着基部(ピルツ)3ヵ所を増設。月末より砲塔側面に予備履帯装着基部を溶接、装填手ハッチを40mm厚の簡易型に変更。7月、毒ガス検知パネル(タッフェル)装着具を砲塔後部上面2ヵ所と、防楯上部に装着。ただし、パネル自体の使用例は実戦では無い。砲塔側面前後に2段の予備履帯ラックを装着。8月、車長用キューポラのペリスコープ基部を改修。砲塔後部の脱出用ハッチ蝶番部となるトーションバー上に半円形の装甲カバーを新設。車内の発光塗料(RAL1015エルフェンバイン)使用を中止し、工場で3色迷彩+斑点のいわゆる光と影迷彩を施すことに決定。9月、機関室後部のエアインテイク開口部上部に円形の装甲カバーを設けた。生産当初から施されていた、ツィメリット・コーティングを廃止。ラジエーター下部の燃料タンクを、溶接固定からバンド固定に変更。10月、燃料タンク全てに通気パイプを新設。車内塗装を廃止し、さび止め塗装のみとした。迷彩をダークイエローが基本調の3色迷彩に変更、レッドブラウン塗装のかわりに錆止めのままでも可となった。ダークイエローの塗料が無い場合はダークグレイでも可とされた。20トンジャッキを標準装備品から外し、車体リアパネルのジャッキ固定具を廃止。11月、主砲照準具の開口部直上にU字型の雨避けを新設。エンジンに回転数2600のガバナーを設定。操縦室左右のハッチを2カ所でロックするよう変更。月末に、迷彩基本色をオリーブグリーンに変更。塗料の境界線はくっきりと行うように通達された(19453月から有効)。12月、装甲板製造時にオリーブグリーン色を塗ることに決定。防楯中央の段が無くなり、シンプルな形状となった。一部の車両で機関室左右のグリル上方に5mm装甲板を追加。19451月、砲塔前面照準孔上部にバイザーを追加。3月、履帯に重量過大が認められたため、シングルピン式のKgS73/800/152に換装。起動輪の歯数が18枚に戻された。履帯用交換ケーブルを廃止。砲塔側面の予備履帯装着具を前後各3段ずつに変更。砲塔側面左右5ヵ所ずつに、擬装用金属線を止めるU字型リングが装着された。砲塔後面ハッチの形状を単純化。前部フェンダー左右にはリブが設けられ、車長用キューポラのペリスコープカバー周囲に溶接されていた対空機銃取り付け用レールが廃止され、ピントルマウントになった。参考:月刊PANZER9,125,98

 <ティーガーB指揮戦車(Sd.Kfz.267)>:砲塔バスルの弾薬ラックを廃止し、FuG8遠距離通信用中波送受信無線機とFuG5短波送受信用無線機の2台を搭載したもの。機関室後部に、周囲を装甲板で囲んだアンテナベース1型を装備し、FuG8用のD型スターアンテナ(長さ2m)を装着している。FuG5用の2m長アンテナは、砲塔上面の装填手ハッチ後方に位置していた。参考:月刊PANZER5,98

 <ティーガーB指揮戦車(Sd.Kfz.268)>:Sd.Kfz.267FuG8のかわりにFuG7航空機通信用極短波送受信無線機を搭載したもの。機関室上部のアンテナは1.4m長のものに変更されている。参考:月刊PANZER5,98

ティーガー級>:ドイツ海軍148型ミサイル艇。76mm砲射撃指揮用にカストール2レーダー方位盤を装備する。排水量234トン。最大速力36ノット。兵装は62口径76mm単装砲1基、70口径40mm機関砲1基、MM38エグゾゼ対艦ミサイル単装発射筒4基(連装発射筒2基?)。1972-75年に20隻が就役した。2002年までに全艦退役し、17隻が3カ国に輸出され、残る3隻は2003年に廃棄された。参考:月刊軍事研究3,02、ミリタリー・バランス1989-1990、月刊世界の艦船3,22

<ティーガー級・海外シリーズ>

 <ティーガー級(エジプト海軍)>:エジプト海軍ミサイル艇。5隻を輸入した。参考:月刊世界の艦船3,22

 <ティーガー級(ギリシャ海軍)>:ギリシャ海軍ミサイル艇、別名Votsis級。兵装は76mm砲1門、RGM-84Cハープーン用連装発射機Mk141が2基またはMM-38エグゾセ連装発射機2基。6隻を輸入した。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、月刊世界の艦船3,22

 <ティーガー級(チリ海軍)>:チリ海軍ミサイル艇。兵装はエグゾセMM38艦対艦ミサイル単装発射筒4基、76mm砲1門。6隻を輸入した。2014年までに全艦退役した。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、月刊世界の艦船3,22

ティーガーフィーベル>:Tigerfibel(ティーガー入門書)。ドイツ陸軍装甲科教育担当将校ハンス・クリステン中佐が考案し、ヨーゼフ・フォン・グラトール・ゲーツ中尉が作成、グデーリアン装甲兵総監が194381日に認可した、Ⅵ号戦車ティーガーの写真・イラスト付き運用マニュアルである。中身はドイツ人らしい堅苦しく真面目な内容、ももちろんあるのだが、ティーガー戦車を女性に擬人化した上に入浴やらシャワーやらサービスシーンを満載し、最終ページで装填手が「俺の嫁」にするという、日本の60年先を行った内容となっている。参考:図説ティーガー重戦車パーフェクトバイブル

ティーグル>:フランス海軍シャカル級駆逐艦。1926年竣工。第2次大戦勃発後、ツーロン港でイタリア軍に接収されてFR.23となり、イタリア降伏後に返還された。その後レオパールと同様の改装を施されて戦後まで生き残り、1954年に解体されてスクラップとなった。参考:第2次大戦のフランス軍艦、月刊世界の艦船10,06

<ティーゲル>:P6141(哨戒艇)を参照。

ティーゲル>:ドイツ海軍ヴォルフ級水雷艇。19291月竣工。1939825日(5日?)、ボルンホルム沖で駆逐艦Z-3と衝突して沈没した。参考:写真集ドイツの巡洋艦

ティーゲル>:ドイツ海軍レオパルト級水雷艇。元はノルウェー海軍艦船である。第2次大戦後、ノルウェーに返還された。参考:写真集ドイツの巡洋艦

ディーコンヌ>:イギリス軍対戦車自走砲。4×4輪AECマタドール・トラック(厚さ6-20mm装甲キャブ付き)に防楯付きの6ポンド砲を搭載したものである。路上最大速度は30kmだが、路外で9kmしか出ないのが欠点。1942年に175両が製作され、中東に投入された。参考:月刊PANZER10,04、米英軍戦闘兵器カタログVol.2

<ティーズ>:K293(フリゲート)を参照。

ディーゼル員>:海上自衛隊の職種。ディーゼル主機・補機・発電機や関連装置の操作整備が主任務で、空調、ボイラー、冷凍冷蔵庫も担任し、操縦室と交信するヘッドセット(OIC)を被り、異音聴取用の聴診棒(十手みたいな形をしている)を手に職務を行う。教育隊での初期教育を修了して機関要員として艦艇に1年ほど勤務し、第2術科学校で海士ディーゼル課程を修了すると任命される。参考:MAMOR vol.126

ディーゼル・エレクトリック>:ディーゼル発電機で発電し、蓄電池に充電、電動機を駆動して航行するシステム。潜水艦の水上航行をディーゼル直結、水中航行を電動機(発電機兼用)としてクラッチで切り替えるディーゼル直結推進方式の場合、推進軸1軸あたりディーゼル1基を装着することになるが、総出力が軸数に制限されるという欠点があり、アメリカ海軍が推進軸2軸にディーゼル3基を割り当てる方法として開発し、使い勝手が良いので在来型潜水艦の一般的な推進システムとなった。ガソリンエンジンより使用燃料の安全性が高い、減速歯車やクラッチが要らず音が静か、軸系が短いので捩り振動を抑えられる、発電機と電動機が独立しており各々最適なものを使える、低速時の効率が良い、速力調節や後進への切り替えが容易、発電機を任意の場所に置くことができる、遠隔制御や自動制御が簡単、プロペラが何かにぶつかって急に回転が止まっても発電機は損傷しないといった利点がある。ディーゼル直結より重量がかさむのと、水上航行時の動力伝達効率が悪いのが欠点。シュノーケル航行を始めて発電機を動かしたと思ったら敵に見つかりそうになって潜るという場面も多いと想定され、急始動-急速暖機運転(可能なら暖機運転不要)-短時間高出力運転-急停止-急速冷機運転のサイクルを繰り返しても耐えられるディーゼルエンジンが必要になる。被発見率低減のため、低磁性や低振動も求められ、設置場所が狭いので小型高出力が望ましく、外の水圧に負けず排気を出せる構造も要る。大規模整備や修理のため分解してハッチから外に出せるようにしておく必要もあり、これを怠ったコリンズ級は耐圧船殻を切断する羽目になった。故障に備えて発電機は複数台積んでおく。鉛蓄電池では充電時に水素が放出される、海水に触れると塩素ガスが発生する、急速放電時に高温になるといった欠点を持つ。銀亜鉛電池や銀カドミウム電池は軽量だが、値段が高い、完全放電しないとフル充電できない、使用サイクルが短い、有毒ガスが出るなどの欠点がある。そうりゅう型でリチウム電池を採用する予定で、出力強化や艦内配置自由度向上などが図れるが、蓄電容量が大きい分だけ充電に時間がかかるし、リチウム電池自体の運用実績が短く安全性などが未知数である。鉛蓄電池から得られるのは直流電源なので、電動機も直流電動機になるが、ブラシからノイズが出るという欠点がある。そこでVVVFインバーターで交流化して永久磁石同期電動機を使う方式がそうりゅう型や212A型で採用された。水上艦でもアメリカを中心に採用されていた(潜水はしないので蓄電池は要らない)が、費用や容積・重量がディーゼルや蒸気タービンに対して優れている訳でもないので、廃れた。その後静粛性が注目され、CODLAGとして復活の兆しがある。また、砕氷艦では低速での砕氷時に大出力を発揮できること、砕氷作業における頻繁な前後進切り替えや速力増減に対応が可能なこと、プロペラが氷に接触した際の急激なトルク変動から主機を防御できることなどから、広く採用されている。参考:月刊世界の艦船7,1711,163,92増刊、6,09、世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、小艦艇入門、現代の潜水艦、丸スペシャルNo.78

<ディーゼル・エレクトリック潜水艦構想>:DESIを参照。

ディーゼルエンジン>:レシプロエンジンの1つで、1892年にドイツのルドルフ・ディーゼル氏が特許を出願したのでこの名がある。空気を11-22という高い圧縮比で圧縮して高温にし、そこに軽油など自己着火性の高い液体燃料(発火点225℃くらいまで)を吹き付けて着火、エネルギーをピストンに伝えて出力を得る。ガソリンエンジンに付いている点火プラグとキャブレター(気化器)は無く、燃料噴射ポンプとノズル(インジェクター)が用意されている。高圧縮比を取れるのは、空気のみの圧縮を行うことから異常燃焼の恐れが無いためで、圧縮比が高い分、ガソリンエンジンより熱効率が良く、二酸化炭素排出量が少ない。シリンダーに燃料を直に噴射する直接噴射式と、シリンダーに隣接する予燃焼室に燃料を噴射して着火、シリンダー内に延焼させる予燃焼室式がある。燃料の粒子を細かくした方が良く燃えるため、燃料噴射ポンプで高圧をかける必要があり、出力調整も燃料噴射量の調節で行うので、ポンプの設計が重要かつ困難である。噴射タイミングでも出力が左右されるため、コンピュータで制御している。以前は爆発圧力に耐えるため鋳鉄でピストンを作っていたが、素材の改良でアルミ合金も使えるようになった。性能は出力率で示す。ガソリンエンジンよりも燃費が良く(1時間・1馬力あたり120g、燃料効率50%以上)、燃料を気化させる必要が無いので安価な軽油や重油(日本海軍では第一種重油/A重油を使った)など様々な燃料を使用でき(多燃料ディーゼル)、点火プラグが必要無いので構造が単純であり、摩耗損傷した部品を交換すれば修理が終わるので整備が楽、冷却が良好で夏の暑さに強い、低速トルクが大きいという利点がある。気化しにくい燃料は漏れて火が付いた時に爆発的な燃焼を起こさず、被弾時の付随被害を防げるという長所もある。高圧縮比に耐える必要から頑丈にしなければならず重くなり出力重量比が低めで、膨張比が大きいので振動や騒音が大きく、加速が悪く、燃料噴射ポンプの開発に技術を要するという欠点を持つ。過負荷最大出力は定格出力の1割増しが限度で、蒸気タービンに劣る。ディーゼル氏も高圧縮比に耐えうる素材の開発と設計に苦しみ、過労の末に1913年に大西洋上で行方不明となってしまった(自殺か事故かは不明)。振動と騒音の防止のため、パッケージ化して防振装置に載せるなどの工夫が行われた。加速の悪さや出力の低さはターボ・スーパーチャージャーでカバーでき、排気温が比較的低く、吸気温が高くてもノッキングが起きないため、重量をあまり気にしなくて良い艦船を中心に広く使用され、通常動力潜水艦はディーゼル・エレクトリック方式で占められている。被弾時の危険性がガソリンより低いため、軍用車両も軽油燃料のディーゼルがメインとなった。ただ軽量化を旨とし、高空を飛行する際には低温による軽油の流動性低下も問題になる航空機では、あまり使われない。参考:自動車エンジンの技術、月刊軍事研究8,166,16、自衛隊装備年鑑1996、月刊PANZER7,095,81、月刊世界の艦船3,92増刊、12,'21、自動車メカニズム図鑑、クルマのすべてがわかる事典、丸スペシャルN0.78、月刊丸4,17

ディーゼル直結推進方式>:潜水艦推進方式の1つ。ディーゼルエンジン、クラッチ、電動モーター兼発電機、クラッチ、プロペラシャフトという構成で、ディーゼルエンジンとクラッチの間に減速歯車を噛ます(ついでに複数のディーゼルからの出力を1本に纏める)こともある。水上航行時はクラッチを両方繋いでディーゼルエンジンの出力によりプロペラシャフトを直接回し、全力航行の必要が無い場合には余剰出力を発電機に送って充電を行う。水中航行時はディーゼルエンジンと電動モーターの間のクラッチを切り、蓄電池により電動モーターでプロペラシャフトを回す。停泊時は発電機とプロペラシャフトの間のクラッチを切り、ディーゼルエンジンの出力を全て発電機に送って急速充電する。水上航行時の推進効率が良く、電動モーターと発電機が一纏めになっているので重量を抑えられる。水上航行時の充電効率が悪い、クラッチ部分の故障が多い、長い軸系が必要なので捩り振動が生じる、といった欠点があり、ディーゼル・エレクトリック方式に後を譲った。参考:アメリカ潜水艦史

ディーゼル燃料>:ディーゼルエンジンに使用する燃料のこと。一般には軽油だが、船舶用低・中速ディーゼルではC重油、高速ディーゼルではA重油が使用されることもある。参考:図解雑学 船のしくみ

ディーゼル・ノック>:ディーゼルエンジンで生じる異常燃焼のことで、シリンダー内に噴射された軽油の着火が遅れ、次に噴射された軽油と同時に着火してしまう現象を指す。着火性が低いほど起こりやすい。参考:自動車メカニズム図鑑

<ディーター・フォン・レーダー>:Z-17(駆逐艦)を参照。

<ディーター・フォン・レーダー級>:レーベレヒト・マース級駆逐艦1936年型を参照。

ディーダラス>:イギリス海軍ダナエ級軽巡洋艦Daedalus。建造中止になった。参考:近代巡洋艦史

<ディード>:DE-263(護衛駆逐艦)を参照。

<ディーネ>:K551(フリゲート)を参照。

<ディーパク>:A50(補給艦、初代)またはL50(補給艦、2代目)を参照。

ディーパク級(初代)>:インド海軍給油艦Deepak級。西ドイツのブレーマー・フルカン社が建造し、インドのモガル・ライン社が購入、インド海軍がチャーターしている。前甲板にデリック・ポストがあり、ドライカーゴも積めるようである。その後ろに艦橋があり、上面にマストが1本立っている。艦橋後方と船尾楼の間に門型ポストが2本用意されていて、両舷の上甲板より1甲板分高いところが補給ステーションになっている。船尾楼にはヘリ格納庫があり、アルーエトⅢを1基搭載できるが、VERTREP能力は限定的とみられる。ボイラー油12624トン、ディーゼル燃料1280トン、航空燃料1495トン、真水812トンを搭載できる。全長168.43m、幅23m、吃水9.14m、基準排水量15828トン、満載排水量22000トン。主機は蒸気タービン1基16500馬力、速力20ノット、航続距離は18.5ノットで5500海里。兵装は40mm単装機関砲3門と20mm単装機関砲2門だが、有事のみ搭載するらしい。乗員169名。1967年にディーパク、1975年にシャクティが竣工した。参考:月刊世界の艦船6,83

ディーパク級(2代目)>:インド海軍補給艦Deepak級。イタリアのフィンカンティエーリ社製である。艦首にバルバス・バウとバウ・スラスターを持つ。船体の後ろ寄りに上構があり、上部2層が艦橋で、艦橋の幅は船体幅より広い。後甲板はヘリ甲板である。艦内には医療設備も用意されている。全長175m、幅25m、満載排水量27941トン。主機はディーゼルで、出力26800馬力、1軸推進、速力20ノット、航続距離10000海里。兵装はAK630CIWS4基。艦船用燃料12000トン、航空燃料2300トン、真水2000トン(1000トン?)、ドライカーゴ370トン(弾薬は200トン)などを搭載でき、コンテナ輸送能力もある。L50ディーパク、A57シャクティが2011年に就役した。参考:月刊軍事研究4,11、月刊世界の艦船3,126,164,1110,142,16THE MILITARY BALANCE 2016

<ディーパック>:HPT-32(練習機)を参照。

<ディープAI>:航空阻止を参照。

ディープV型>:船首付近の船底をV字にした船型で、1958年にアメリカのレイモンド・ハントが開発した。スラミングの際の衝撃圧を逃がす働きがあり、単胴高速艇や滑走艇に採用されている。参考:図解船の科学、日本の防衛戦力Part3

<ディープウェル>:AN/ALR-60COMINT装置)またはEP-3ECOMINT機)を参照。

ディープ・サーベル21>:第7回PSI多国間訓練で、20211028-29日にシンガポールが主催してオンライン形式で行われた。日本からは統幕2名、中央特殊武器防護隊1名、外務省、警察庁、財務省、海上保安庁が参加し、アカデミック・セッション、机上訓練、CBREシンポジウムを実施している。参考:朝雲

<ディープ・サイレン>:CSD(潜水艦用通信ブイ)を参照。

ディープ・ストール>:Deep stall。主翼が失速を起こした際、水平尾翼に主翼の失速渦が到達して水平尾翼まで失速してしまうこと。通常の航空機は主翼取り付け角が水平尾翼取り付け角より大きいので、主翼が失速しても水平尾翼は失速せず、機首が下がって降下加速に入るので、高度を失う代わりに速度を得て失速から回復できる。しかし主翼と水平尾翼の取り付け角に差が無かったり、T型尾翼機のように水平尾翼が高い位置にあって迎え角が大きい際に主翼失速渦に水平尾翼が巻き込まれたりすると、水平尾翼も失速してしまって昇降舵が効かなくなり、機首が下がらず速度も得られず、失速からの回復が不可能になる。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊航空ファン8,10、航空機設計法

<ディープ・スロート>:GBU-28/B(誘導爆弾)を参照。

ディープセイバーⅡ>:シンガポール軍主催のPSI訓練で、20091027-30日に実施された。参加国はシンガポール、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、日本(DD-101むらさめ、P-3C、警視庁)で、韓国は直前にキャンセルした。参考:月刊軍事研究5,105,13

<ディープセイバー16>:2016927-30日にシンガポールが主催してシンガポールなどで行われたPSI海上阻止訓練。アメリカ、オーストラリア、韓国、シンガポール、日本(統幕1名、外務省、警察庁、財務省、税関、海保)、ニュージーランドなど30カ国が参加した。参考:月刊世界の艦船12,16、朝雲

ディープ・ブルース>:2002年にデビューした、Su-26MXを専用機とする飛行チーム。パイロットは室屋義秀氏。参考:月刊航空ファン11,02

ティーベト暗号>:ドイツ海軍が第2次大戦初期に使用した暗号で、チベットの意。中立国に寄港する補給艦向けである。参考:Uボート入門

<ディーレイ>:DE-1006(護衛艦)を参照。

ディーレイ級>:アメリカ海軍護衛艦Dealey級。戦後型対潜護衛艦第1陣で、量産を考慮して1軸推進にしてある。ベースはジョン・C・バトラー級で、船体は艦首に強いシアを付けた平甲板型を採用、上部構造物とラティスマストにアルミ合金を使用して重量を40%減らした。CICUB(水線下バッテリープロット)、ソナー室は同一区画に設置。タービンは高圧・低圧の2胴式で、必要に応じて片方のみでの運転が可能だが、低圧タービンが損傷すると後進ができなくなる。前部マスト頂部にSPS-10対水上レーダー、その下にSPS-6対空レーダーを装備する。艦橋上にはMk63射撃方位盤を搭載。ソナーはSQS-4ハルソナー(SQS-2B及びSOG-1?)。対潜主兵装は1番艦がスキッドだが、2番艦以降はMk108を採用した。全長95.86m93.9m?)、幅11.19m、吃水2.82mDE-1023から10302.77m)、基準排水量1280トン(DE-1023から10301270トン)、満載排水量1950トン(DE-1023から10301900トン)。主機はド・ラヴァル式ギヤード・タービン1基20000馬力、主缶はフォスター・ホイーラー式水管缶(圧力42.2気圧、温度454度)2基で、1軸推進、速力27ノット、航続距離は12ノットで6000海里。兵装は7.6cm連装両用速射砲Mk33が2基(艦前後に1基ずつ)、Mk108対潜ロケット発射機1基(前部砲と艦橋の間。DE-1006はスキッド2基で、前部砲後方の即応弾収容スペース両舷)、533mm対潜魚雷発射管2門、爆雷投射機8基(後甲板)、爆雷投下軌条1条(後甲板)。乗員170名。1954-58年にDE-1006ディーレイ、DE-1014クロムウェル、DE-1015ハンマーバーグ、DE-1021コートニー、DE-1022レスター、DE-1023エヴァンス、DE-1024ブリジェット、DE-1025バウアー、DE-1026フーパー、DE-1027ジョン・ウイリス、DE-1028ヴァン・ヴォーリス、DE-1029ハートレイ、DE-1030ジョセフ・K・タウシグの13隻が竣工した。後に前部7.6cm砲にグラスファイバー製の防楯を付け、艦尾にVDSを搭載している。DE-1006はスキッド2基に換えて旋回式ヘッジホッグを装備した。1962年以降、DE-1006DE-1014DE-1021を除く各艦は後部7.6cm砲と爆雷兵装を撤去してDASH甲板と格納庫を搭載、ソナーをSQS-23に換装した。参考:アメリカ護衛艦史、月刊世界の艦船3,079,'9612,13

<ディーレイ級・海外シリーズ>

 <ディーレイ級(ウルグアイ海軍)>:ウルグアイ海軍フリゲート。1972年にDE-1006ディーレイを購入し、18デ・フリオとして就役させた。全長95.9m、幅11.2m、吃水4.2m、満載排水量1914トン。主機は蒸気タービンで、出力20000馬力、1軸推進、速力25ノット。兵装は76mm連装砲2門、324mm3連装短魚雷発射管2基、爆雷投下軌条1条。参考:月刊世界の艦船3,92増刊、9,96、ミリタリー・バランス1989-1990

 <ディーレイ級(コロンビア海軍)>:コロンビア海軍フリゲート。DE-1021コートニーを購入した。全長95.9m、幅11.2m、吃水4.1m、満載排水量1914トン。主機は蒸気タービンで、出力20000馬力、1軸推進、速力24ノット。兵装は76mm連装砲1門、324mm3連装短魚雷発射管2基、爆雷投下軌条1条。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

<テイヴィー>:K272(フリゲート)を参照。

<デイヴィッド・R・レイ>:DD-971(駆逐艦)を参照。

<ディヴィッドソン>:DE-1045(護衛駆逐艦)を参照。

<鄭運>:067(潜水艦)を参照。

ディエゴ・ガルシア>:アメリカ軍の軍事基地名称はキャンプ・ジャスティス。インド南端から南南西1700kmのインド洋中部にあるイギリス領チャゴス諸島の主島である。インド南端から1700km、オーストラリアから4500km、アフリカ大陸から3000km、アフガンまで4250km、イラクまで4500km、ソマリアまで3000kmのところにあるU字型の環礁で、長さ21km、幅7km、広さ27平方キロメートル。1810年のナポレオン戦争以来イギリス領となった(正式編入は1965年)。1966年からアメリカがインド洋の軍事バランス維持を目的に借用している。借用の裏には、ベトナム戦争に苦慮するアメリカと、戦略核搭載原潜建造を進めるイギリスの間で裏取引があったらしい。1971年からアメリカ海軍施設隊が基地の建設を開始し、1980年代末期に3700m級滑走路2本、大型艦船20隻が停泊できる泊地、空母戦闘群1個を支援できる基地施設が完成した。貯油能力も1980年代初期には艦艇用51000キロリットル+航空用60400キロリットルだったのが、1980年代末期には計213000キロリットルに強化された。有事に1個海兵遠征旅団を支援できる能力を持つ第2海上事前集積船が置かれており、アメリカ空軍宇宙コマンド第21宇宙団第21作戦群第2分遣隊が地上配備電子光学深宇宙監視システムを運用している。アメリカ軍軍人、フィリピン人労働者それぞれ1600名が駐屯し、イギリス海軍第1002班の指揮官が英政府代表を務め、50名のイギリス軍兵士が駐留する。有事の際には更に700名程度余計に収容できる。環礁周囲の海は18-30mの水深があり、大型空母も停泊可能。珊瑚礁なので地下を掘るのは難しく、核攻撃には弱そうである。先住民1200人はモーリシャスとセイシェルに移住させられ、帰島を禁じられた。参考:月刊世界の艦船3,126,83、月刊軍事研究1,032,024,17

<ディエズ・カンセコ>:DD-79(駆逐艦)を参照。

<ディエップ上陸作戦>:ジュビリー作戦を参照。

ティエルク・ヒッデス>:オランダ海軍ヴァン・スペイク級フリゲートTjerk Hiddes1986年にインドネシアに売却され、アフマッド・ヤーニーとなった。参考:月刊世界の艦船9,96

定遠>:清国北洋水師定遠級装甲コルベットDingyuan1885年、清に回航され、北洋水師旗艦となった。1886年、長崎に寄港。乗員が長崎事件を起こした。1891年、北洋水師・南洋水師合同遠洋航海訓練の途中に下関から東京まで各地を来訪。長崎事件による関係悪化の改善も兼ねた親善訪問で、横浜では艦内を全公開したが、機密が必要な要所も全部筒抜けになった上、水兵がアヘンを吸いながら博打をしている姿まで露わになってしまった。1894917日、黄海海戦に参加。189525日、日本海軍水雷艇隊の威海衛夜襲で擱座し、陸上からの砲撃も受け、自沈処分された。参考:歴史群像8,1710,18

定遠級>:清国北洋水師装甲コルベットDingyuan級。1875年の日本による台湾出征と1879年の沖縄県の設置、朝鮮半島への介入強化を受け、清国は海軍力増強を図ることにし、ドイツのフルカン・シュテッティン造船会社に対して18807月に1隻と後にもう1隻を発注、ザクセン級装甲コルベットをベースに設計された。主砲の全火力を正面に集中させつつ敵艦に突っ込んで衝撃が行えるよう、連装砲を上甲板前寄りに梯型配置で並べ(右舷側が前に出ている)、艦首尾方向に主砲4門を指向できるようにした。さすがに反対舷は撃てないので、舷側方向の火力は2門となる。艦首尾には副砲も1門ずつ置いた。主砲と副砲の砲架は弾片防御用の鋼板で囲んでおり、一見砲塔のように見える。ただ排煙装置が無いので発射煙が籠もるという欠点があり、主砲の鋼板は実戦では撤去した。設計時には前後マストでの帆走も考慮されていたが、建造中に帆走しないことが決定、マストから帆走設備を外し、ファイティング・トップを据えて水雷艇撃退用の速射砲や機砲を積んでいる。全長94.5m、全幅18.4m、常備排水量7144トン。主機はレシプロ蒸気機関2基、主缶は石炭専焼缶、出力6200馬力、2軸推進、速力15ノット、石炭搭載量1000トン、航続距離は10ノットで4500海里。兵装はクルップ社製20口径305mm連装後装式ライフル砲2基、クルップ社製40口径150mm単装砲2門、6ポンド単装速射砲2門、3ポンド単装速射砲8門、356mm単装魚雷発射管3門。装甲厚は水線部355mm、甲板76mm、主砲バーベット305mm30トン級水雷艇2隻を搭載できる。乗員360名。定遠と鎮遠が1885年に中国に回航されて北洋水師に配備され、この時点で東洋最強の2隻だった。参考:歴史群像8,1710,18

<ティエン・タン>:FFG1110(フリゲート)を参照。

ディエンビエンフー占領作戦>:インドシナ紛争において、195311月下旬頃にはフランス軍支配地域が紅河デルタ地帯のみとなり、フランスは苦境に陥った。これを打破するため、ハノイから1000km近く西にあるラオス国境に近いディエンビエンフーを空挺占領し、空中補給により戦力を維持、ベトミン軍の北部山岳地帯本拠地から中南部ゲリラ部隊への兵站線を分断する作戦を立案。ディエンビエンフー付近は盆地であり、付近の稜線の内側に入り込まなければベトミン軍の保有する射程の短い火砲では滑走路を砲撃することができないため、砲兵隊と航空攻撃、軽空母R95アロマンシュ機動部隊によりこれを殲滅できると考えた。1120日、3個空挺大隊がディエンビエンフー付近に降下、1121日にも3個大隊が降下した。ベトミン軍の反撃は無く、1125日から空輸を実施、兵員12000名とM24戦車10両、火砲、弾薬、軍需物資を運び込んだ。ベトミン軍は前線の3個師団を徒歩で600-1000km離れたディエンビエンフーに向かわせ、1000台の3輪自転車にそれぞれ300kgの荷物を積んで夜間に移動、歩兵27個大隊70000名、105mm20門(弾薬15000発)、75mm18門(後に80門に強化)、12.7mm機銃100丁、大量の迫撃砲をかき集めて反撃準備を整えた。1954310日頃からディエンビエンフーの滑走路に対してベトミン軍の散発的な砲撃が開始されたが、フランス側は隠蔽陣地を発見できず、潰すことができなかった。3131700過ぎ、ベトミン軍は総攻撃を開始。フランス軍は火力で圧倒され、頼みの航空機も悪天候で反撃が限定され、徐々に陣地を奪われていった。53日、軽空母ボア・ベローが戦列に加わった。56日、ベトミン軍は多連装ロケットによる攻撃準備射撃を実施、フランス砲兵が壊滅した。57日にベトミン軍は最後のフランス軍陣地に突入を開始、残存するフランス部隊は保有する兵器を全て破壊し、1600に主要部隊は降伏、59日に最後のフランス兵が降伏した。フランス側は1500名の戦死者と4000名の負傷者を出し、捕虜1万名も殆どが捕虜収容所で死亡した。ベトミン側も2万名以上の死傷者を出した。参考:現代の空挺作戦、歴史群像8,02、月刊世界の艦船2,22

ディオーネ級>:フランス海軍水中処分母船Dionée級。1990-96年に就役した。後継としてVSPを建造する。参考:月刊世界の艦船4,20

<ティオガ・カウンティ>:LST-1158(戦車揚陸艦)を参照。

<ディオドン>:SS-349(潜水艦)を参照。

ディオドン>:フランスで開発された水上艦用アクティブ・パッシブソナーで、艦首に装備される。使用周波数は10kHzまたは11-13kHzで、探知距離14.5km。アルゼンチン海軍ドルモント級に搭載されている。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版

<ディオミード>:I92(軽巡洋艦)を参照。

<ディオンヌ>:DE-261(護衛駆逐艦)を参照。

ディカーレン>:スウェーデン海軍ショーレヨネット級潜水艦6番艦。1940年起工、19401217日進水、19411018日就役。1959515日退役。参考:月刊軍事研究1,03

<低価格Sバンド受信装置>:LSRを参照。

<低価格画像誘導ロケット弾>:LOGIRを参照。

<低価格損耗容認機技術>:XQ-58A(無人機)を参照。

<低価格対装甲弾薬>:LOCAASを参照。

<低価格無人機群れ技術>:LOCUSTを参照。

定格出力>:エンジンが連続して発揮できる最大出力のことで、連続最大出力(Maximum Continuous Power)、航空機ではMETOパワー(Maximum Except Take Off Power)ともいう。METOパワーより離陸出力の方が大きいが、一時的にしか発揮できないので、離陸後の上昇は定格出力で行う。参考:航空用語事典増補改訂版

<丁型>:松型駆逐艦を参照。

<丁型海防艦>:海防艦2号型を参照。

<丁型潜水艦>:潜丁型を参照。

梯型配置>:艦船の砲配置の1つで、両舷の砲塔を斜め前後にずらして装備したものである。舷側砲塔で反対舷を射撃するために編み出されたが、首尾線上に配置した方が便利なので、廃れた。参考:近代戦艦史

ディキシー>:アメリカが開発したUGVDIXIE。小型4輪駆動不整地用バギーのホンダ125を遠隔操縦/自律化したもので、高さ2.5mの伸縮マストの先端に偵察/斥候用の電子光学/赤外線望遠TVカメラを装備する。参考:月刊軍事研究1,03

ディキシー級>:アメリカ海軍駆逐艦母艦Dixie級。旗艦2隻と駆逐艦16隻(4個駆逐隊分)を同時に支援できる。全長161.7m、幅22.3m、吃水7.8m、基準排水量9450トン。主機は蒸気タービン2軸12000馬力、速力19.6ノット。兵装は127mm単装砲4門、40mm連装機銃4門。乗員1262名。第2次大戦中にAD-19ヨセミテなど5隻が建造された。参考:第2次大戦のアメリカ軍艦

定期修理(海上自衛隊回転翼機)>:B区分整備の1つで、第1航空修理隊が担当する。修理計画立案、機体搬入、機体洗浄、作動状態確認試験、機体分解、部品洗浄、取外部品の検査、ベンチ試験、不具合修理、組立調整、完成作動試験、計器表示等試験、グランドラン(地上試運転)、試飛行、機体搬出の順で行われる。参考:MAMOR vol.148

低軌道>:LEOLow Earth Orbits)と略す。高度80-2000km1-2時間で周回する軌道で、軍事情報衛星や気象衛星が使用する。通信衛星として使用する場合には地球全域をカバーするのに60基以上を周回させなければならないが、低出力の通信機が使用できる。参考:月刊軍事研究3,084,07

低仰角シャープ・カットオフ・パターン>:レーダーの垂直面アンテナパターンの1つ。コセカント2乗パターンの地面・海面によるクラッターを小さくするため、パターンの低仰角側をシャープカットオフとして地面や海面にレーダー波が当たらないようにしたものである。ビーム最下部を形成するアンテナ開口部分を放物面に近づけてメインビームを鋭くするなどして低仰角側の広がりを小さくし、高仰角側はアンテナ下部からのビーム形成でカバーするような手法が採られる。参考:レーダシステムの基礎理論

低強度紛争>:LIC(Low Intensity Conflict)と略す。国家対非国家の紛争で、テロ・ゲリラ戦などを指す。ただし、アメリカ軍ではこの言葉は使用されておらず、高強度紛争と共に全範囲作戦として認識されている。参考:月刊軍事研究10,03

<デイキンス>:K550(フリゲート)を参照。

低空衛士シリーズ>:中国工学物理研究院の低高度用防空レーザー砲。参考:月刊JWings6,20

 <低空衛士>:出力30kW800m先の2mm鋼板5枚や1000m先の5mm鋼板1枚を貫通でき、2000m先の小型UAVを5秒で撃墜可能。参考:月刊JWings6,20

 <低空衛士Ⅱ>:射程4000m型。参考:月刊JWings6,20

<低空衛士・海外シリーズ>

 <沈黙猟手>:低空衛士の輸出型。参考:月刊JWings6,20

低空爆撃(F-4戦闘機)>:目標の風下側から高度2500フィート/762m、速度350ノットで左旋回しつつ降下角0-15度で侵入。2マイル飛行する間に速度400マイル、高度100フィート/30.5m(降下爆撃)もしくは50フィート/15.2m(水平爆撃)として目標上空を通過し、爆撃コンピュータの指示で爆弾を投下する。攻撃後は左旋回しつつ上昇し、高度2500フィート/762m、速度350ノットになったら再度爆撃を仕掛ける。参考:アメリカジェット戦闘機

低空飛行>:地上障害物に当たらないくらいの低空を直線飛行すること。参考:月刊JWings9,01

 <低空飛行(ヘリコプター)>:最大高度60mで直線飛行すること。被発見率は高いが、燃費は良く、比較的高速での移動に有利である。後方地域の飛行に用いられる。参考:攻撃ヘリコブラ&アパッチ

ティグール>:フランス海軍シャカル級駆逐艦Tigre1926年竣工。イタリア降伏後に改装を受けた。1954年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦

テイクオフ・ラン>:Take-off run。不釣り合い滑走路長を用いる離陸で使われる用語。全発動機作動時は、車輪が地面を離れた点と離陸面上35フィート(10.7m)の高度に達する点の中点から、静止出発点までの距離に、1.15を掛けた値で算出する。片発停止時は、1.15を掛けずに算出する。不釣り合い滑走路長を用いて離陸する場合には、同じ機体で両者を比較して長い方を使用し、クリアウェイを採用した時にその端末が必ず滑走路上にあるようにすることにより、クリアウェイを必要以上に長くしたり、離陸・上昇性能の極端に悪い飛行機を使ったりしないようにする。参考:航空用語事典増補改訂版

<ティクナ>:S34(潜水艦)を参照。

<ディグナ>:DAA04(戦車)を参照。

<ディグビイ>:B-18海外シリーズ(爆撃機)を参照。

<ティグリス>:N63(潜水艦)を参照。

ディ・クリストファロ級>:イタリア海軍De Cristofaro級。全長80.2m、幅10.3m、吃水2.7m、満載排水量1020トン。主機はディーゼルで、出力8400馬力、2軸推進、速力23ノット。兵装は76mm単装砲2門、メノン対潜ロケット発射機1基、324mm3連装短魚雷発射管2基。1965年から4隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

<ティグル>:GAZ-233014(装甲車)を参照。

<ティグルM>:GAZ-233114(装甲車)を参照。

<ティグルSV>:GAZ-233014装甲車ファミリーを参照。

<ティグル級コルベット>:プロジェクト20382を参照。

<デイクレス>:K472(フリゲート)を参照。

ティグレス>:イスラエルの重装甲車で、メルカヴァMk.1の車体をベースにしている。参考:月刊PANZER2,05

<ティグロン>:SS-419(潜水艦)を参照。

定係港>:海上自衛隊船舶は、籍を置く地方総監部が所在する港を定係港とする。ただし、第24航空隊は徳島小松島港、鹿屋航空基地隊は鹿屋港、館山航空基地隊は館山港、大村航空基地隊は大村港、岩国航空基地隊は岩国港、小月航空基地隊は小月泊地(小月飛行場灯台から半径3000mの海面)、阪神基地隊(由良基地分遣隊以外)は阪神港、下関基地隊は吉見泊地(網代鼻、鴨島西端、新免川左端を結んだ線より東の陸岸との間に囲まれた海面)、沖縄基地隊は金武中城港、函館基地隊は函館港、対馬防備隊(壱岐警備所以外)は竹敷泊地(塔ノ埼、鹿ヶ埼、名字埼を結ぶ線と陸岸で囲まれた海面)、余市防備隊は余市港、父島基地分遣隊は二見泊地(舟見山山頂、烏帽子岩西端、野羊山山頂を結んだ線と陸岸で囲まれた海面)、由良基地分遣隊は由良港、佐伯基地分遣隊は佐伯港、壱岐警備所は勝本港、鹿児島思軒所は鹿屋港、海自第1術科学校は江田内(津久茂山山頂から250度に引いた線と陸岸で囲まれた海面)及び小用港(鳥の頸突端から真西に1500mの点を中心に、半径2000mの円と陸岸で囲まれた海面)とする。定係港の変更日は、新たな定係港に初入港した日である。参考:海上自衛隊の使用する船舶の定係港を定める訓令

<ディケイター>:DD-341(駆逐艦)またはDDG-73(イージス駆逐艦)を参照。

<ディケンズ>:APA-161(攻撃輸送艦)を参照。

丁号自動貨車>:日本陸軍の3トントラックで、丙号自動貨車の改良型。参考:機甲入門

<低高度動揺制御装置>:LARCを参照。

<低高度爆撃システム>:LABSを参照。

<低高度パラシュート降下>:LAPESを参照。

<低高度有人侵攻機>:B-1シリーズ(爆撃機)を参照。

抵抗板付き砲弾>:技術研究本部陸上装備研究所が開発中の射程制御砲弾。砲弾先端にリング状の薄い抵抗板を填め、装薬量を変えずに射距離を短縮するもので、落角も大きくなるため、薬莢式砲弾を使用する単一砲でカノン砲、榴弾砲、迫撃砲を兼用させることができる。射程によって抵抗板を使い分ける必要があるため、信管を填めるついでに取り付けられるようにする。軽量戦闘車両システムに搭載する105mm低反動砲に応用する予定。参考:朝雲

<抵抗ボックス>:自衛隊の機器。日本電計製。参考:月刊軍事研究7,18

帝国海軍壱番型拳銃>:日本海軍がH.アーレンス商会経由で輸入したスミス&ウェッソン社製モデル3リボルバー拳銃。中折れ式で、装弾数6発。参考:月刊コンバットマガジン7,06

帝国国策遂行要領>:昭和1696日、御前会議で決定された。アメリカ、イギリス、オランダなどの対日攻勢や、ソ連の情勢、日本の国力の弾撥性に鑑み、情勢の推移に伴う帝国国策要綱にある南方に対する施策の遂行方針を示したものである。自存自衛を全うするため、対米英蘭戦争も辞さない決意の下、昭和1610月下旬を目途に戦争準備を完了する。これに平行して米英に外交交渉も行うが、10月上旬になっても決着する目途が立たない場合には、対米英蘭開戦を決意する。南方以外の施策は既定路線を維持し、特にアメリカとソ連が連合戦線を結成しないよう努める。参考:太平洋海戦史

帝国国防方針>:正式名称は日本帝国の国防方針。日露戦争後の国際情勢を踏まえ日本軍の戦略方針を定めたもので、明治40年に参謀本部、軍令部、陸軍省、海軍省で策定された。大陸の利権保全と本土防衛のため、攻勢により国防を行うことを旨とし、仮想敵国はロシア、アメリカ、ドイツ、フランスの順となっている。短期決戦のため初動で攻勢作戦を実施して相手に大打撃を与えるのが基本で、陸軍はロシア、海軍はアメリカに対抗できる戦力を揃えることになった。付属として国防に要する兵力という文書があり、陸軍は平時25個師団・戦時50個師団を揃え、海軍は戦艦8隻と装甲巡洋艦8隻からなる八八艦隊を艦齢8年目まで、16年目まで、25年目までの3セット整備することにし、明治46年度までに陸軍は19個師団を編成、海軍は戦艦16隻と装甲巡洋艦17隻を配備することにした。大正76月、対支要求21箇条による日中関係悪化を受けて第一次改訂が行われ、仮想敵国がロシア、アメリカ、支那の順になった。ただロシアは大正6年にソ連になり、先行きが不透明だったため、事実上の仮想敵国はアメリカになっている。海軍所要兵力は戦艦8隻、戦艦または巡洋戦艦8隻、巡洋戦艦8隻の3個戦隊とした。大正122月、ワシントン軍縮会議の結果を受けて第二次改訂が行われた。軍事戦略の上位にある国家戦略が省かれてしまっている。仮想敵国はアメリカを筆頭とし、2番目のソ連と3番目の支那には親善を旨とすることになった。海軍所要兵力はワシントン条約に基づき戦艦9隻、空母3隻、巡洋艦40隻、水雷戦隊・潜水戦隊旗艦16隻、駆逐艦144隻、潜水艦80隻とされた。昭和11年、ワシントン・ロンドン条約失効を受けて第三次改訂が行われ、仮想敵国にイギリスが加えられてアメリカ、ソ連、支那、イギリスの順になり、陸軍はソ連、海軍はアメリカを主敵に据え、軍事力保持の目的は中国大陸と西太平洋の制圧であると定め、短期決戦・初動攻勢により戦争の目的を達成することが強調された。海軍所要兵力は戦艦12隻、空母10隻、巡洋艦28隻、水雷戦隊6個(旗艦6隻+駆逐艦96隻)、潜水戦隊7個(旗艦7隻、潜水艦70隻)である。これに基づいて陸軍は中国大陸方面、海軍は太平洋方面に戦略正面を向けており、二正面作戦状態となったまま陸海軍の協調政策もとられず、統一参謀本部も協同作戦の取り決めも無い状態で太平洋戦争に突入していった。参考:帝国陸海軍事典、月刊世界の艦船12,119,14、太平洋海戦史、帝国海軍太平洋作戦史Ⅰ、朝雲

<帝国在郷軍人会>:在郷軍人会を参照。

<帝国陸上戦艦>:Mk.Ⅰ菱形戦車を参照。

<定誤警報率処理>:CFAR処理を参照。

<ティサ>:911(潜水艦)を参照。

<低サイクル疲労>:疲労破壊を参照。

偵察>:Reconnaissance。作戦を立てるのに必要な情報を収集する活動のこと。重要性は高く、かなりの兵力を充てなければならない。部隊は上級司令部直轄で、上級司令部の中に偵察活動の統合運用を行う統制機関を設け、効率的な偵察を行う態勢を作っていることが多い。航空作戦の場合、第一線兵力の20-25%を偵察活動に割り当て、計画的に運用して情報を収集する。参考:スピアヘッドNo.12、空軍

 <威力偵察>:敵兵力や配置を暴露させ、対応力を知るために行う偵察。参考:月刊PANZER7,00

 <威力偵察(日本陸軍)>:捜索のため攻撃を行うこと。敵に近接していて、各種手段を用いても所望の敵情が明らかとならない場合に必要となり、同時に他の各種捜索機関を活動させて敵情把握に努める。攻撃を行う兵力が大きくなればなるほど、敵からの離脱が困難になるので注意。大兵力を用いる場合には高級指揮官が的確に統一指揮を行い、また主力が機を失せず威力偵察の結果を利用できるような準備を整えておくことが重要である。参考:作戦要務令

 <射撃による偵察>:疑わしい敵陣地に射撃を加え、位置や状態を暴露させるもの。参考:月刊PANZER7,00

 <偵察(アメリカ軍)>:既に存在を知っている敵の規模や交戦意思を知ることで、基本的に威力偵察であり、師団の騎兵隊が行う。敵の所在を突き止めるのは斥候(スカウト)といい、大隊所属の斥候小隊が行う。参考:月刊PANZER7,00

 <偵察(イギリス軍)>:敵の所在を突き止めるのは中隊が行う近接偵察、突き止めた敵の規模・交戦意思を知るのは師団レベルの偵察連隊が行う編成偵察。参考:月刊PANZER7,00

 <偵察(ドイツ陸軍)>:地形やその通過の可否、道路・鉄道・橋梁の景況や阻絶の可能性、観測地点や通信施設の状況を明らかにすること。参考:歴史群像12,09

 <偵察(日本陸軍)>:地形を明らかにすること。また、敵がいるらしい所に出かけて確認を取り、詳細を探索すること。敵情と地形の両方を明らかにする場合は、捜索でも偵察でも可。参考:歴史群像12,09、海軍よもやま物語、月刊軍事研究3,16

 <偵察(陸上自衛隊偵察隊)>:小隊以上の部隊で行う情報収集活動のこと。参考:スピアヘッドNo.12

 <偵察(陸上自衛隊化学科)>:NBC兵器による脅威があるか、汚染が生じているかを検知し、あるならばその種類を識別・同定し、状況をリアルタイムで監視すること。参考:月刊軍事研究8,10

偵察衛星>:画像偵察衛星(写真、電子光学、レーダーといったIMINT)と非画像偵察衛星(ELINTCOMINTSIGINT)がある。領空侵犯で撃墜される心配が無いのが利点。画像偵察衛星の場合、同一地点を最大でも1日2回程度しか通過できない(地球を1日十数回周回する衛星もあるが、楕円軌道なので距離が離れすぎていて必要な解像度が得られないことも多く、周回速度が速いせいで目標上空での撮影時間が数分しか取れない)ため、特定の地点を常時監視するには複数の衛星を同時に運用する必要がある。雲に覆われていて写真を撮っても地上が写っていないこともある。搭載燃料容量の関係で基本的に周回軌道を変えないため、通過時間を読まれて目標を隠蔽されたりもする。初期の任務は弾道ミサイル着弾点の正確な地図を作製することや、地球の重心や質量を計算して弾道ミサイルの飛翔軌跡を正確に推定するために地球の形状を正確に把握することだった。参考:月刊軍事研究12,9810,073,9912,08、月刊JWings3,17、月刊丸11,72

偵察機>:Reconnaissance aircraft。偵察を行う航空機のこと。短時間で敵地奥深くに侵入して必要な情報を入手できる。専用に作られた機体もあれば、既存の機体に偵察ポッドや偵察システムを搭載して済ませることもある。搭載機材は人間の目(目視偵察)、カメラ(写真偵察)、レーダー、ソノブイ、磁気探知機、赤外線ラインスキャナ、ELINT/ COMINT/ RADINT/ TELINT装置(電子偵察)など多岐にわたる。偵察機同士で編隊を組むことは少なく、基本的に単機行動で、FCSも含めた搭載スペースや射撃時の振動などの問題から自衛用の武装を搭載しないことも多く、低空を高速で飛んだり、超高空を遊弋したり、超高空を超高速で飛んだり、ECMなどを満載したり、自らはなるべく電波などを放射しないようにしたり、護衛を付けたりして防空網に対抗する。そこでモットーはAlone, Unarmed and Unafraidといわれる。乗員が死亡することが無い無人機も使用される。初めて大々的に投入された第1次大戦ではノートに手書きしていたが、すぐにカメラが使われるようになった。空中から偵察結果を投下する装置も開発されたが、写真乾板がガラスだったので、特殊なケースが必要だった。第1次大戦終戦間際には無線機によりリアルタイムで偵察結果を知らせることができるようになった。参考:スパイ機、空軍、月刊航空ファン2,12、戦闘機のしくみ、月刊JWings11,19

 <気象偵察機>:気象偵察や気象観測を行う航空機のこと。高高度を含む広範囲を短時間で観測できるので効率が良く、台風予報や放射能塵収集などで使用される。広域観測のため長い航続距離や、観測用ゾンデなどの各種器材を収容する広いスペース、台風などの悪天候に耐えられる強度が必要なので、大型輸送機や戦略爆撃機を改造して使うことが多い。高高度での観測には戦略偵察機も使用される。ついでに戦略偵察器材や電子偵察機材を積んでいき、気象だけで無く軍事情報も収集したりする。軍用機を平時に気象偵察機として民生利用することで、経済的な利点も得られる。参考:空軍

 <戦術偵察機>:敵支配地の状況を偵察(戦術偵察)するための航空機で、得た情報は作戦立案や戦果確認(爆撃損害評価など)に使用される。日本陸軍では軍偵察機がこれにあたる。敵支配域上空を強行突破する必要があるため、高速を出せる戦闘機をこれに改造することも多い。偵察内容に戦略偵察的なものが含まれることもあり、ベトナム戦争では戦略偵察も殆ど戦術偵察機が行っていた。参考:月刊JWings11,09、空軍、戦闘機のしくみ

 <戦略偵察機>:戦略偵察を行う偵察機のこと。日本陸軍が配備した司令部偵察機が元祖である。太平洋戦争前には日本海軍が九六式陸攻により南方の極秘写真偵察を実施したが、戦時中は戦術偵察を重視しすぎて出番が無かった。第二次大戦後半に連合国が戦略爆撃を行うようになると、事前に目標選定を実施する必要性が生じ、戦略偵察機の重要性が認識された。レーダーの発達で、敵レーダーの情報を得る電子偵察機も登場している。戦後は核兵器の登場で、核基地に対する戦略偵察を行うようになり、敵地深くに入り込んで防空ミサイルに撃墜される事例も出てきたため、高空を高速で強行突破するSR-71のような機体が登場した。また、解像度に限界はあるが撃墜される恐れの無い軍事偵察衛星に一部の任務を譲っている。参考:月刊丸11,72、戦闘機のしくみ

 <電子偵察機>:電子偵察機を参照。

偵察教導隊>:陸上自衛隊の教導隊。偵察部隊幹部候補教育支援や偵察に関する研究調査が主任務で、富士教導団の隷下にある。元は1959年に新編された偵察教導中隊で、1961年に偵察教導隊となった。2018930日から1012日、イギリス陸軍との実動訓練に参加。2019325日、富士駐屯地で廃止行事が行われて廃止され、機甲教導連隊に改編された。参考:MAMOR vol.152vol.71vol.117、月刊軍事研究12,18、朝雲

偵察航空隊>:航空自衛隊の偵察機部隊。空自創設時、アメリカからの供与機に偵察機が無かったため、発足はRF-86Fの取得後にずれ込むこととなった。19607月、空幕に偵察航空隊編成準備室が設置され、在日米空軍第45偵察飛行隊(RF-101C)や第67偵察技術中隊などに要員を派遣した。19611011日、松島基地に偵察編成準備室分室が設置された。121日、松島基地で正式に創設され、隷下に第501飛行隊を置いた。使用機はRF-86F偵察機10機である。1962327日、18機目のRF-86F偵察機が引き渡された。他にT-33A練習機2機とT-28B1機を練習・連絡用に装備した。86日、先発隊が入間基地に移動を開始。820日、本隊が入間基地に移動を開始。828日、部隊が正式に入間基地に移動。1962121日、入間基地で創設一周年記念式典を実施。196324日、38豪雪に対する災害派遣命令が出され、積雪による被害の状況調査飛行を行った。73日、T-28Bが宇都宮への要務飛行の際にエンジントラブルを起こし、ハードランディングで何とか着陸に成功したが、機体は修理不能となった(熊谷基地と浜松基地を経て空自広報館に展示中)。1964616日に発生した新潟地震の災害派遣に参加。19667月、新潟水害で偵察を実施。19677月、西日本水害で偵察を実施。8月、羽越・山形南部水害で偵察を実施。19685月、十勝沖地震で偵察を実施。1972216日、築城基地を離陸したRF-86FF-86Fが基地の東5kmで空中衝突してどちらも墜落、乗員全員が死亡した。7月、集中豪雨で偵察を実施。19745月、南伊豆地震で偵察を実施。101日、RF-4E導入に伴い入間基地での運用ができなくなり、百里基地に移動することになったため、偵察航空隊百里先遣隊が百里基地に展開。123日、RF-4Eの最初の2機が百里基地に到着。1975101日、第501飛行隊と共に百里基地に移動。入間基地には偵察航空隊入間分遣隊が残り、RF-86Fによる偵察活動を続けた。68日、RF-4Eの配備を完了。1977325日、入間分遣隊が廃止された。8月、有珠山噴火で観測を実施。198310月、三宅島噴火で観測を実施。1984年、長野県西部地震で偵察を実施。19858月、日航機御巣鷹山墜落事故で墜落地点特定のため偵察を実施。1986年、伊豆大島三原山噴火で観測を実施。1988年、十勝岳噴火で観測を実施。1989年、伊豆東方沖海底火山噴火で観測を実施。19916月、雲仙普賢岳噴火に伴い九州に派遣され、観測を行った。121日、百里基地で創設30周年記念式典を実施。199232日、福島県でRF-4Eが墜落して乗員2名が死亡した。727日から87日、コープ・ノース92-4に参加。1994116日、RF-4Eが墜落した。2000年、有珠山の観測を実施。2009310日、199410月からの無事故飛行5万時間以上達成により、防衛大臣から一級賞状を授与された。326日、改編が実施され、整備群が廃止されて偵察整備隊が新編され、第501飛行隊隷下の整備小隊が偵察整備隊隷下となった。これにより、偵察器材整備や列線整備は偵察整備隊が実施するが、機体検査修理は第7航空団の整備補給群が行うことになった。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。3200859RF-4が福島第1原発偵察のため百里基地を離陸し、0933に帰投した。0909RF-4が福島第1原発偵察のため百里基地を離陸し、0942に帰投した。3220903、福島第一原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。0924、福島第一原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。3230903、福島第1原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。0924、福島第1原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。1233、天候偵察のためRF-4が百里基地を離陸。1642、福島第1原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。3240905RF-4で福島第1原発の偵察を実施。0916RF-4で福島第1原発の偵察を実施。1129RF-4で福島第1原発の偵察を実施。1135RF-4で福島第1原発の偵察を実施。1559RF-4で福島第1原発の偵察を実施。325日、牡鹿半島、広田湾、釜石を航空偵察した。0900、原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。0908、原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。1128、原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。1129、原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。1606、原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。3260929、福島第一原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。1557、福島第一原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。3270858、福島第一原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。0942、福島第一原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。1558、福島第一原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。3280857RF-4が福島第1原発偵察のため百里基地を離陸。0859RF-4が被災地偵察のため百里基地を離陸。1259RF-4が被災地偵察のため百里基地を離陸。1558RF-4が福島第1原発偵察のため百里基地を離陸。329日、被災地の航空偵察を実施。0857、福島第一原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。1559、福島第一原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。3300857、福島第一原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。0859、被災地偵察のためRF-4が百里基地を離陸。1557、福島第一原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。3310901、岩手県沿岸偵察のためRF-4が百里基地を離陸。0907、福島第一原発でのモニタリングのため、RF-4が百里基地を離陸。0920、岩手県沿岸偵察のためRF-4が百里基地を離陸。1255、岩手県沿岸偵察のためRF-4が百里基地を離陸。410859、福島第一原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。0910、岩手県沿岸の航空偵察のためRF-4が百里基地を離陸。420803、福島第一原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。430824、福島第一原発偵察のためRF-4が百里基地を離陸。426日、福島第一原発上空からの写真撮影を終了。123日、創隊50周年記念式典を実施。2012213-24日、百里沖で第7航空団と共に第12海兵航空群との日米共同訓練を実施。619日、偵察整備隊機上電子小隊QCサークルかめらじおが第5回全日本選抜QCサークル大会に参加し、銀賞を獲得した。201391日、第34回9都県市合同防災訓練に参加。1117日、茨城県小美玉市玉里公園で小美玉市総合防災訓練に参加。2014215-23日、関東甲信大雪災害の災害派遣に参加。2015529日、口永良部島噴火の災害派遣に参加。6160930頃、浅間山で小規模な噴火が起きたため、RF-4偵察機1機で情報収集を実施。910日から関東・東北豪雨の災害派遣に参加。2016414日・16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。201875日に発生した西日本豪雨の災害派遣に参加。96日に発生した北海道胆振東部地震の災害派遣に参加。1014日、自衛隊記念日中央観閲式で、安倍総理から特別賞状を授与された。1018-26日、平成30年度航空総隊総合訓練(実動訓練)に参加。201988日、浅間山小規模噴火の情報収集を実施。202017日、飛行始めを実施。24日、無事故飛行80000時間(1994106日から)を達成。39日、偵察航空隊飛行訓練終了セレモニーを実施。第501飛行隊RF-4E偵察機3機が最後の訓練飛行を行った後、エプロンで化学消防車がRF-4Eに放水アーチを掛け、百里基地司令が訓示した。323日、百里基地で隊旗返還式が行われ、隊司令が航空総隊司令官に隊旗を返還した。326日に廃止された。2021318日、RQ-4B無人偵察機装備の臨時偵察航空隊として三沢基地で発足。20223月、RQ-4B偵察機2機が配備された。1215日、臨時偵察航空隊から改編されて航空総隊隷下に三沢基地で再編され、三沢基地で編成完結式を実施、航空総隊司令官から隊司令に隊旗が授与された。2023123日、三沢基地で編成完結記念式典を実施。630日、3機目のRQ-4B偵察機が三沢基地に到着した。参考:月刊JWings11,096,076,118,1511,185,206,203,'234,'239,'23、月刊航空ファン11,922,116,112,121,157,164,19MAMOR vol.52vol.141vol.154、朝雲

 <偵察航空隊(2010年)>:航空総隊隷下で、百里基地に置かれている。隊本部、第501飛行隊(RF-4ERF-4EJT-4)、偵察整備隊、偵察情報処理隊からなる。参考:月刊航空ファン4,102,11

 <偵察航空隊(2015年)>:航空総隊隷下で、隊本部は百里基地にある。隷下に第501飛行隊、偵察情報処理隊(映像処理小隊、映像判読小隊)、偵察整備隊を置く。参考:月刊航空ファン4,16MAMOR vol.130

 <偵察航空隊(2022年12月15日再編時)>:航空総隊隷下で、三沢基地に置かれている。トップは隊司令(一等空佐)、人員定数130名(再編時点では80名くらい)。隊本部、仮称第502飛行隊(RQ-4Bが3機になったら正式発足予定)、整備隊からなる。参考:月刊JWings3,234,23

偵察航法士(航空自衛隊)>:航空自衛隊の航空機搭乗員。RF-4E/EJ偵察機の後席に搭乗し、機体を正確に飛行コースへと誘導する他、飛行前の偵察ルート計画なども担当する。航法士としての教育を第3輸送航空隊YS-11・後に第1輸送航空隊C-130Hで受講し、第1術科学校でF-4EJ/EJ改の教育も受けて任じられる。参考:月刊JWings11,19

<偵察車両用監視システム>:RVSSシリーズを参照。

偵察戦車>:偵察部隊の骨幹戦力として使用される戦車。機動力が重視されるので、主に軽戦車が充てられる。参考:月刊PANZER8,13、月刊戦車マガジン1,88

偵察戦闘大隊>:陸上自衛隊の機甲科部隊。平成26年度以降に係る防衛計画の大綱で、北海道・九州以外の戦車を16式機動戦闘車に更新することになり、戦車大隊、偵察隊、特科連隊を統合した部隊として新編された。16式機動戦闘車や96式装輪装甲車を装備しており、隠密下の偵察に加えて威力偵察や強行偵察を主任務とし、必要なら火力戦闘も行う。C-2輸送機で島嶼部に即応展開できる。2019326日、第4師団隷下に第4偵察戦闘大隊が新編された。20223月、第1師団隷下に第1偵察戦闘大隊が新編された。20233月、第3師団隷下に第3偵察戦闘大隊が新編された。316日、第12旅団隷下に第12偵察戦闘大隊が新編された。20243月には第9・第10・第13偵察戦闘大隊が新編される予定。参考:月刊JWings6,237,'23MAMOR vol.152、朝雲

偵察総局>:北朝鮮軍の情報機関・工作機関。軍の機関ではあるが、軍の指揮下には無く、金正日/金正恩の直轄で、海外での諜報活動や破壊工作、軍事作戦、サイバー戦、他組織の工作支援を担当する。20095月、北朝鮮人民軍偵察局、朝鮮労働党作戦部(ドル紙幣偽造、麻薬密輸、武器輸出などを行う)、朝鮮労働党35号室を纏めて創設された。参考:月刊軍事研究5,17

偵察隊(陸上自衛隊)>:陸上自衛隊の偵察部隊、通称レコン(Reconnaissance)。師団や旅団の隷下に1個ずつ配置されており、師団/旅団本部第2部(情報)部長の命を受けて威力偵察を含めた大規模な情報収集活動を担当する。ちなみに連隊レベル以下の小規模情報収集活動は情報小隊が実施する。隊本部/本部付隊、偵察小隊2-3個、電子偵察小隊(センサー班1個、レーダー班2個)、斥候小隊で構成され、要員は機甲科隊員がメイン。以前は威力偵察用にM41軽戦車を配備していたが、87式偵察警戒車に更新されており、戦車装備の偵察隊は第7偵察隊(74式戦車/90式戦車装備)のみとなった。本部には82式指揮通信車が配備されており、他に偵察用オートバイ(XLR250/KLX250)、軽装甲機動車、野戦情報探知装置1号、P11レーダーなどを装備する。今後は87式偵察警戒車が近接戦闘車に更新され、空中監視装置などが配備される。参考:スピアヘッドNo.12、日本の防衛戦力Part1

 <偵察隊(陸自、1977年)>:師団隷下(師団長直轄)で、甲師団では3個偵察小隊など100名、乙師団では2個偵察小隊など80名からなり、装甲車2両、オートバイ20両、106mm無反動砲搭載ジープ3両を装備する。1個小隊は小隊本部、地上レーダー搭載ジープ装備の斥候班2個、オートバイ斥候班2個という編成で、1個小隊あたり最大幅6kmの移動偵察を行う。参考:日本の防衛戦力Part1

偵察隊(陸自、1980年代半ば)>:師団隷下で、定数は機甲科隊員を中心とした約100名。3個小隊で編成され、オートバイやジープを装備する。参考:兵器最先端5

<偵察パトロール>:パトロールを参照。

<偵察飛行隊>:RSReconnaissance Squadron)と略す。参考:月刊航空ファン8,16

偵察飛行隊(日本陸軍)>:作戦初期は軍が飛行隊の全てまたは大部分を運用する。戦闘に入ると予想される状況になったら、第一線兵団や軍直轄砲兵隊などに直協飛行隊を配属し、戦闘指導に直接関係ある地域を捜索させる。大兵力の機械化部隊や、騎兵隊など、軍主力と離れた場所で作戦を行う兵団には、飛行場や連絡関係の状況が許せば、作戦当初から直協飛行隊を配属させておく。直協飛行隊を更に分割して使うことは避ける。直協飛行隊の飛行場諸勤務や補給などは、本属の隊長が所管する。高級指揮官が偵察飛行隊を使用する際は、機種、機数、連絡施設の状態などを考慮して飛行隊長に自分の企図と総括的任務を明示し、適宜処置させるか、逐次達成すべき目的、必要なら使用時期や機数などを示し、濫用は避け、重点使用を心がける。飛行機による捜索法には視察と写真があるが、どちらを使う(あるいは併用する)かは捜索の目的、敵情、気象、時刻、捜索結果利用時期などを考慮して決める。指揮官や幕僚が自ら飛行機に乗り込んで視察するのも重要である。偵察飛行隊を配置する飛行場はなるべく所属高級指揮官に近い場所を選び、必要なら更に近い場所に連絡用の着陸場を設け、所属高級指揮官が責任を持って施設維持、警戒、関係指揮官との連絡などにあたる。参考:作戦要務令

偵察ヘリコプター>:Scout Helicopter。観測ヘリコプターともいう。各種偵察器材を搭載し、地上野戦部隊が敵情を把握するために使用するヘリコプターである。上空から遠距離を見通すことができるのが利点で、AOP(空中砲兵観測)も行える。攻撃ヘリと組み合わせて運用するが、自衛用にある程度の武装を搭載するものもある。西側では操縦士と観測偵察員に加えて2名くらい乗れるようにし、連絡・軽輸送任務も兼務できるものが多い。陸自では専用のOH-1を開発した。参考:月刊JWings7,103,15、月刊軍事研究11,98、陸上自衛隊地上戦力の全容、世界航空機年鑑2018-2019

<偵察ボート>:自衛隊の船艇。アキレス製。参考:月刊軍事研究9,15

<偵察ボート(2人乗)>:自衛隊の舟艇。アキレス製。参考:月刊軍事研究10,11

<偵察ボート(5人乗)>:自衛隊のボート。アキレス製。参考:月刊軍事研究7,08

偵察ボート(8人乗)>:陸上自衛隊のゴムボート。空気で膨らませるタイプで、耐弾性は無いが、内部は8つに区切られており、ゴムが破れて1つが浸水しても浮いていられる。舷側に持ち手が付いており、乗員は防御と安定性向上のため伏せて舷側にしがみつく。船尾に船外機を取り付ければ高速移動が可能。全長4.7m、全幅1.9m、重量150kg。ペイロード1250kg。乗員8名。双信商事またはアキレスが受注している。参考:MAMOR vol.158、月刊軍事研究12,101,13

<偵察用オートバイ(陸上自衛隊)>:XLR250またはKLXを参照。

偵察用小型乗用車>:日本陸軍の偵察部隊用4輪小型自動車で、秘匿名はホヤ車。東京瓦斯電気工業がちよだHF型四輪自動車をベースに開発した。オープントップで、悪天候時には幌をかける。不整地踏破能力向上のため、独立懸架式サスペンションを採用している。自重1.5トン。エンジン出力40馬力、最大速度65km。乗員4名。昭和9年に完成し、50両が生産された。参考:月刊丸7,14、月刊PANZER11,86

<偵察用バイク>:オート偵察斥候車を参照。

<偵察用無人機>:LUNAを参照。

<偵察用無人ヘリコプター>:陸上自衛隊の無人ヘリで、イラク派遣部隊の宿営地周辺警戒用に導入した。ヤマハのRMAXタイプⅡにカメラなどの監視器材を搭載したもので、ラジコン操作のみならず、事前プログラムによる自律飛行も行える。全長3.6m、センサーペイロード30kg。飛行時間60分。3機を配備し、第3次派遣部隊から使用した。参考:月刊軍事研究2,11

低酸素症>:血液中の酸素分圧が低下することに伴い生じる症状のこと。高度になると高次脳機能低下や意識低下といった症状が出現し、最終的には意識消失から死に至る。高々度飛行時に酸素マスク故障などでこれに陥ると致命的なので、訓練装置で予め体験させておき、初期症状が出現した時点で対応できるようにする。参考:月刊軍事研究7,14

<デイジー>:A145(港内曳船)を参照。

<デイジー・カッター>:BLU-72/B(燃料気化爆弾)またはBLU-82/B(大型爆弾)を参照。

丁式一型爆撃機>:日本陸軍の複葉爆撃機で、ファルマンF.50を導入したものである。日本陸軍ではシベリア出兵の戦訓などから本格的な爆撃機を導入することを決定、フランスのファルマンF.50が候補に挙がり、大正812月に中尉2名をヨーロッパに派遣して調査にあたらせると共に、夜間飛行訓練を含む操縦訓練を受けさせ、大正910月に輸入を決定、大正10年春から日本に到着し、10月にF五〇型飛行機から丁式一型爆撃機に改称した。ただ中古品であり、派遣調査にあたった大尉(調査中に中尉から昇任)が実戦用爆撃機としては丁式二型爆撃機を導入するよう勧めたため、こちらはその練習機として使用する予定だった。原型機は複座だが、三座に改修している。エンジンはサ式230馬力、プロペラは木製2翅。5機を輸入して陸軍航空学校に配備したが、全て中古で状態が悪く、飛行に耐えられたのは1機のみで、しかも飛行中に事故を起こしかけたため、大正11年には退役させられたらしく、大正1212月の航空学校廃品リストに5機全てが並んでいる。参考:月刊航空ファン11,'158,19

丁式二型爆撃機>:日本陸軍複葉重爆撃機で、当初はF六〇型飛行機という名称だったが、大正1010月に改称された。ファルマンF.50の改良型であるファルマンF.60Tゴリアテを導入したもので、フランスでは第1次大戦に間に合わず旅客機に流用されていたが、ヨーロッパで爆撃機の調査にあたっていた陸軍中尉が爆撃機に戻すようメーカーに提案、新型機として日本陸軍に配備した。客室を爆弾倉に変更、胴体下面に100kg爆弾を搭載可能とし、自衛機銃を装着、三座に改造し、分解して鉄道輸送できるようにしてある。爆弾を積むと低高度を低速でノロノロ飛ぶのがやっとだったため、夜間爆撃を主任務とする。当初エンジンは乙式一型偵察機と同じサ式二三〇馬力発動機2基としたが、自重が旅客機型より350kg増えたのに出力が減った(元は260馬力2基)ため性能が悪く、サ式三〇〇馬力発動機に換装してテストしてみたがやはり出力不足で、昭和頃からロレーヌ四〇〇馬力発動機(ロレーヌ12D水冷V型)を搭載している。ついでにエルロンを改修し、方向舵面積を増やした。翼面積165平方メートル。全幅26m、自重2500kg、全備重量4500kg。プロペラは木製2翅。最大速度160km50kg爆弾、100kg爆弾、100kg破甲爆弾、200kg破甲爆弾を搭載できる。大正10-14年に16機くらいを導入し、所沢陸軍航空学校爆撃班に配備した。大正142月に日本初の爆撃連隊である飛行第7連隊(編成当初は飛行第7大隊)の編成が始まると、そちらに移管されている。八七式重爆に後を譲って昭和6年頃に退役した。参考:月刊航空ファン11,'158,19、月刊JWings5,06

<低シグネチャ艦艇技術(その3)>:自衛隊の研究試作。三菱重工が受注している。参考:月刊軍事研究12,17

テイシット・ブルー>:アメリカ空軍技術実証機Tacit blue。ノースロップ社が開発し、19822月に初飛行した。矩形胴体の後部から直線翼が出ており、垂直尾翼は外側に傾けた双尾翼で、水平尾翼は無い。エアインテイクとノズルは胴体上面にあり、対レーダーステルスや対赤外線ステルスに気を遣った形状をしている。地上目標の監視捕捉を目的としたセンサーを搭載していて、こちらはE-8用センサーへと進んだようである。1996430日に存在が公表され、アメリカ空軍博物館に展示されている。参考:月刊JWings1,15

停車場司令部>:日本陸軍軍事鉄道機関。戦時鉄道輸送において、停車場または隣接数停車場で、人馬や材料の搭載・卸下に関する所要の事項を規定して指導監督し、通常輸送中の給養を行う。トップは停車場司令官で、停車場での乗車・下車と給養に関し、乗車部隊を区処する。参考:作戦要務令

<鄭州>:151(駆逐艦)を参照。

<定州>:603(コルベット)を参照。

<低周波>:長波を参照。

<低周波アクティブ・ソナー>:アクティブ・ソナーを参照。

定常上昇>:Steady climb。一定の上昇速度で速度を変えず上昇していくこと。実際には速度が変化する加速度上昇になってしまうことが殆どで、カタログデータ上の数値であることが多い。参考:航空用語事典増補改訂版

定常流>:時間が経過しても流れの状態が変化しない流れのこと。流線も時間経過に関わらず同じ状態を保ち、流体の微少部分が流れる道筋と流線とが一致する。参考:航空用語事典増補改訂版

定針儀>:Directional GyroDG)。回転軸を水平にした自由ジャイロで、ジンバルに方位目盛りを装着している。磁気コンパスは加速度誤差と振動減衰不良により旋回中には使用できないので、こちらにコンパスの読みを移しておいてから旋回を行う。毎時10°くらいのドリフトがあるので、15分ごとにセットし直さなければならない。参考:航空用語事典増補改訂版

挺進集団>:日本陸軍が昭和19年に編成した師団級の空挺部隊で、輸送飛行隊も部隊の中に保有している。挺進集団司令部、挺進団2個、滑空歩兵連隊2個、挺進飛行団、挺進戦車隊、挺進工兵隊、挺進通信隊、挺進機関砲隊、挺進整備隊からなる。挺進団は2個挺進連隊からなり、挺進連隊は3個中隊、1個作業中隊、1個重火器中隊から編成される。滑空歩兵連隊は3個中隊、1作業中隊、1個速射砲中隊、1個山砲中隊からなる。挺進飛行団は2個挺進飛行戦隊、1個滑空飛行隊、3個飛行場中隊、1個通信隊から編成される。参考:現代の空挺作戦

低伸弾道>:最大射程を出せる発射角よりも小さい角度で発射された弾丸が辿る弾道のこと。参考:GUN用語事典

挺身艇甲一型>:日本陸軍の特攻艇。船体はケヤキと耐水ベニヤで出来ている。全長5.6m、全幅1.8m。機関出力20-24馬力、航続時間3.4時間。120kg爆雷2個を搭載する。参考:月刊軍事研究10,04

<挺身赴難>:第1空挺団を参照。

<デイス>:SS-247(潜水艦)またはSSN-607(スレッシャー級攻撃原潜)を参照。

<ディスアピアリング式砲架>:沿岸砲台用として19世紀半ばに開発された砲架。装填後に砲をスイングアームで防御壁の上に持ち上げて射撃を行うもので、発射すると反動で砲が倒れて防御壁に隠れた状態になる。砲自体は敵から見えなくなるが、発砲炎の見えた辺りに反撃を喰らうと結局破壊されてしまうのであまり効果は無く、すぐに廃れた。参考:月刊軍事研究7,10

<テイズウェル>:APA-209(攻撃輸送艦)を参照。

ディスカバラーⅡ>:アメリカ軍が開発していた合成開口レーダー搭載偵察衛星、DiscovererⅡ。ストリップSARモード(解像度3m、監視範囲毎時70万平方キロ)、スキャンSARモード(解像度1m、監視範囲毎時10万平方キロ)、スポットSARモード(解像度0.3m、監視範囲毎時150×16キロ)、地上移動目標表示モード(時速4-100kmで移動中の目標を探知、監視範囲毎時200万平方キロ)の4モードにより地上を監視する予定だったが、開発中止となった。参考:月刊軍事研究4,07

ディスカバラー14号>:アメリカの偵察衛星で、1960819日に打ち上げられた。解像度10-12mのカメラを搭載し、作戦9009に投入された。参考:月刊軍事研究12,09

ディスカバラー18号>:アメリカのKH-2偵察衛星。196012月、ネジェーリン大災害の現場写真を撮影した。参考:月刊軍事研究12,09

ディスカバラー25号>:アメリカのKH-2偵察衛星で、1961616日に打ち上げられた。撮影した写真の分析結果から、50基のICBMが稼働中とするアメリカ空軍の情報評価は誤りで、バルト海からウクライナ南部に200基のMRBMがあり、南アジアや極東にMRBMが配置されていて、ICBM開発が滞っていることが判明、ミサイル・ギャップ論争に終止符を打った。参考:月刊軍事研究12,09

ディスカバリー・エア・ディフェンス社>:DAD社と略す。カナダの民間企業で、航空戦訓練支援を主要業務とし、A-4N攻撃機(イスラエル空軍の中古)やアルファジェット攻撃機などを所有する。20151月、5年間のドイツ空軍訓練支援業務を受注した。ビットムント基地に展開したA-4N攻撃機6機で1日あたり12ソーティを行い、仮想敵、DO-SK6空対空射撃標的曳航、DM-18/-38模擬爆弾投下によるFAC訓練、要撃管制訓練、艦艇防空能力確認などを支援する。201712月、トップエイセズ社に改称した。参考:月刊航空ファン2,16、月刊JWings2,169,23

ディスキング>:Disking。プロペラのピッチ角をゼロにしてブレーキをかけること。ある程度の飛行速度があれば、リバースピッチにしなくても相応の負の推力を発揮してくれる。トルクはゼロもしくは負になるので、エンジン出力は絞っておく。参考:航空用語事典増補改訂版

ディスク・プライマー>:1840年代に開発された、銃の連発機構。小さな銅の円盤に発火剤を塗り、逆さにして火皿に被せ、ハンマーで叩いて発火させる。パーカッション式よりも信頼性が無く、10年くらいで消え去った。参考:GUN用語事典

ディスクブレーキ>:車輪と共に回転する円盤状のディスクローターをブレーキパッドで挟み込んで回転数を減らすタイプのブレーキ。制動力はドラムブレーキに劣るが、放熱性に優れ、ディスクローターに水などが付着しても遠心力で吹っ飛ばされるので乾きやすい。参考:クルマのすべてがわかる事典

ディスクローター>:ボーイング社とDARPAが共同開発している航空機。胴体上部に支柱を介して円盤が載っており、ここから回転翼を出して離着陸する。飛行時は回転翼を引っ込めて固定主翼とその前縁に装着されたダクテッドプロペラを使う。テイルローターは無く、回転翼のトルク相殺や離着陸時のヨー制御には左右ダクテッドプロペラの推力差を用いる。最大速度360ノット、航続距離400海里。参考:月刊軍事研究3,12

ディスコネクター>:自動式の銃で、撃発後のリコイル時にトリガーを引いたままでもハンマーやファイアリングピンがコッキングされるよう、トリガーとシアの連結を切り離す部品のこと。参考:GUN用語事典

<ディスコボール>:AN/ALQ-144(赤外線妨害装置)を参照。

<ディスコライト>:AN/ALQ-144(赤外線妨害装置)を参照。

<ディスタント・フロンティア92>:イギリス空軍がアラスカに分遣隊を派遣してアメリカ空軍と共に実施した演習。イギリスからはトーネードF.Mk3戦闘機6機、トーネードGR.Mk1爆撃機6機、トーネードGR.Mk1A偵察機2機、VC-10空中給油機1機、セントリーAEW.Mk1AWACS1機が参加。4週間にわたり対抗演習や米英共同部隊演習を行った。参考:月刊エアコマンド8,93

<ティスディル>:DE-33(エヴァーツ級護衛艦)またはDE-278(エヴァーツ級護衛艦)を参照。

ディストリビューテッド・リーサリティ>:分散型攻撃力Distributed Lethality。アメリカ海軍が2010年代半ばに部内研究を開始し、20151月に「21世紀のシーパワーのための協同戦略」で発表した戦術で、攻勢的制海確保構想の具体案である。空母打撃群や揚陸即応群の一員として空母や揚陸艦の護衛を主任務としていたイージス巡洋艦・イージス駆逐艦に、単独での攻撃任務を担わせるもので、イージス巡洋艦・駆逐艦のみで水上戦闘グループを編成し、空母打撃群や揚陸即応群に続く第3の打撃部隊として運用、長射程対艦攻撃能力を持つ敵部隊を排除して制海権を確保し、空母打撃群や揚陸即応群が自由に行動できるようにする。主に対水上戦を意識しているが、主兵装のハープーンがYJ-12/-18などに比べて射程に劣るため、長射程のLRASMを開発している。LCSや非戦闘艦(高速揚陸艦など)に新型攻撃用ミサイルを積んで打撃部隊に加えることも考え中。2018年に海上分散作戦に発展した。参考:月刊世界の艦船8,161,181,24

<ディストリクト・オブ・コロンビア>:SSBN-826(戦略原潜)を参照。

ディストリクト・オブ・コロンビア級>:アメリカ海軍戦略原潜District of Columbia(コロンビア特別区)級、計画名SSBN(X)。1番艦の艦名が当初コロンビア(Colombia)だったのでコロンビア級だったが、ロサンゼルス級攻撃原潜SSN-771コロンビアと名前が被るので、2022年に艦名がディストリクト・オブ・コロンビアに変更された。建造はジェネラル・ダイナミクス社エレクトリック・ボート部門(主契約社、78%)とハンチントン・インガルス社ニューポート・ニューズ部門(副契約社、22%。艦首、艦尾、上構セイル、兵装、補機)で、最終組立は全て前者が行う。耐圧船殻モジュール6個で構成される。弾道ミサイルは2×2のクォッドパック・モジュールからなる共通ミサイル区画CMCイギリス海軍ドレッドノート級戦略原潜と同じ)4基に計16発収容する。主機はアメリカ量産原潜初の原子力ターボ・エレクトリック方式で、水中速力はオハイオ級より若干低いが、静粛性を優先したようである。セイル・プレーンと艦尾X舵で、氷海行動能力は重視していない。SWFTSSubmarine Warfare Federated Tactical System)戦闘システムを搭載する。セイル付け根前縁にフェアリングを持つ。潜望鏡AN/BVS-1(V)電子光学マスト2本。全長171m、最大13.1m水中排水量20801トン(18883トン?)。主機原子力ターボ・エレクトリック方式、ベクテル社S1B加圧水型原子炉1基、推進はポンプジェット、水中速力24ノット20ノット?)。兵装は共通ミサイル区画CMC4基(トライデントD-5LE弾道ミサイル16発)、533mm魚雷発射管4門。乗員155名。SSBN-826ディストリクト・オブ・コロンビアSSBN-827ウィスコンシンなど12隻を2021年度から建造予定で、2042年に12番艦が就役する。総建造費用は3470億ドルの予定で、アメリカ空海軍海兵隊F-35戦闘機調達総額に匹敵するレベルのため、海軍予算に加えて国防総省予算に国家海洋抑止資金NSDFという別枠の調達予算を設け、他の海軍兵器調達を阻害しないようにした。オハイオ級SSBNSSGNへの転換艦除く)より2隻少ないが、核燃料交換による長期ドックインが無いので常に10隻を任務に就けられる。投射できるトライデントD-5は最大160発(ドック入りしているのを無理矢理引っ張り出せば192発)とオハイオ級200-280発から減少するが、2080年代までは戦略核抑止を行うのに問題無いらしい。予定運用期間42年間、予定核抑止哨戒回数124回。2040年度以降にSLBMを新型に換装する予定。参考:月刊世界の艦船7,'2211,'234,'208,1912,211,228,22

ディストン軽戦車>:アメリカのディストン社が開発した簡易型戦車で、民間トラクターに装甲板を貼り付けて37mm砲と機銃を取り付けたものである。重量6.8トン。最大速度7km。乗員3名。1935年に中国国民政府軍が16両を発注したのをはじめ、数カ国が興味を示したが、実戦には耐えられそうになかったため次々にキャンセルされ、アフガニスタンに3両が輸出されたのみに止まった。参考:月刊戦車マガジン11,92

<ディスパッチ>:I30(軽巡洋艦)を参照。

<テイスマン>:P337(潜水艦)を参照。

<ディズミュド>:L-9015(強襲揚陸艦)を参照。

ディズミュド>:フランス海軍ディズミュド級護衛空母Dixmude。元はアーチャー級護衛空母D97バイターで、194549日にイギリスから一旦アメリカに返還され、直後にフランス海軍へ貸与され就役した。527日、ツーロンに入港。アフリカからフランスへの貨客輸送任務に就いた。19473月、インドシナ紛争に参加し、SBD艦爆15機を搭載して航空攻撃を行った。4月初め、カタパルト故障修理などのためフランスに向かった。10月、修理整備を終え戦列に復帰し、航空機輸送、艦砲射撃、艦上機を陸揚げしての航空作戦などを行った。19485月、ツーロンに帰港。1951124日、供与に変更され、アメリカでは除籍された。195214日、航空機運搬艦に種別変更されて兵装を全て撤去した。1956年、40mm機関砲4門と20mm機関砲10門を搭載、飛行甲板後方に大型クレーンを設置。アメリカのノーフォークからアフリカまでTBMT6H21S55S58といった航空機を輸送する任務に就いた。1960613日に退役して予備艦となり、ツーロンで宿泊艦として使用された後、1966614日にアメリカに返却され、標的艦になり処分された。参考:月刊丸3,13、第2次大戦のフランス軍艦、月刊世界の艦船2,221,23

ディズミュド級>:フランス海軍護衛空母Dixmude級。アメリカが建造してイギリス海軍に貸与したアーチャー級護衛空母バイターを借りたものである。全長149.96m、垂線間長141.73m、幅21.18m、吃水8.7m、基準排水量8200トン、満載排水量16200トン。主機はドックスフォード式ディーゼル2基1軸8500馬力、速力15ノット、燃料搭載量1900トン、航続距離は14ノットで24900海里。兵装は10.2cm単装砲3門、20mm機関砲19門。搭載機定数15機。乗員800名。ディズミュドが194549日に就役した。参考:月刊丸3,13、第2次大戦のフランス軍艦

テイゼ>:スペイン海軍給油艦Teide。満載排水量8030トン。毎時300トンの洋上給油が可能である。1956年竣工。参考:月刊世界の艦船2,87

<ディセプション・ジャミング>:ジャミングを参照。

<堤川>:776(コルベット)を参照。

汀線>:波打ち際のこと。参考:兵器最先端5

<低層風測定システム>:自衛隊の機器。三菱電機製。参考:月刊軍事研究8,13

<低速風洞>:風洞を参照。

低速ディーゼル>:回転数毎分300以下のディーゼルエンジンのこと。シリンダ径は350-980mm、ストロークは700-3000mmに達する大型ディーゼルである。1サイクルあたりの出力は440-5700kW。ピストンの往復速度がゆっくりで、燃焼時間を長く取れるため、質の悪いC重油でも十分に火が回る。プロペラを低速回転させるのに便利で、効率と燃費が良く、C重油を使えば燃料費も安く、後進をプロペラのリバースピッチで済ませれば減速ギアを省略して直結できるが、エンジン自体が巨大で重く、振動が大きいのが欠点。参考:図解雑学 船のしくみ、図解船の科学、月刊軍事研究8,16

<低速標的機GDRN-F2用補用部品(輸入)>:自衛隊の機器。住商エアロシステムが受注している。参考:月刊軍事研究2,17

定速プロペラ>:Constant-speed propeller。エンジン回転数を一定に保ちつつ、ピッチ角を最適な状態に変化させて飛行することができる仕組みを持つプロペラのこと。可変ピッチプロペラは概ね定速プロペラで、個々のプロペラ羽根角に対して最大効率が出せる訳では無いが、実用上は問題無く、高速機では最大速度、旅客機や輸送機などでは巡航速度で最大推進効率が出せるようにプロペラブレードを設計する。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings10,09別冊付録

 <定速プロペラ(ハミルトン・スタンダード社)>:2段階可変ピッチプロペラの改良型で、プロペラ回転数を調速器で測定し、予定回転数より小さければ油圧を掛けて低ピッチ、大きければ油圧を抜いて高ピッチに無段階で調節、プロペラ回転数を予定通りに維持する。錘の遠心力だけでは応答が悪いため、後にバネを追加したが、改善は不十分で、ピッチ可変範囲も狭く、フルフェザリング化するにあたり全油圧作動でベベルギアによりピッチを変更するハイドロマチック式を採用した。油圧シリンダーは双方向動作、作動はピッチ上げ・ピッチ下げ・オイル戻りの3系統に増やしている。参考:月刊航空ファン10,19

<ティタニア>:AKA-13(攻撃貨物輸送艦)を参照。

<ディタニー>:PG-88(コルベット)を参照。

<テイタム>:APD-81(高速輸送艦)またはDE-789(護衛駆逐艦)を参照。

<鄭地>:073(潜水艦)を参照。

艇長(海上自衛隊)>:略号はテ。参考:日本の防衛戦力Part3

艇長課程(陸上自衛隊)>:陸上自衛隊の教育。偵察ボート部隊の小隊長、分隊長、操舵員向けで、水陸機動教育隊が教育を行う。参考:MAMOR vol.158

艇長徽章(陸上自衛隊)>:陸上自衛隊の徽章。艇長課程修了者に授与される。正面から見た波をかき分けるゴムボートの艇首に桜花を取り付け、持ち手先端が矢頭になったオール2本をクロスさせて桜花の下に配置したデザインである。参考:MAMOR vol.158

<梯鳥式教練機>:T-33海外シリーズ(練習機)を参照。

<ディッカーソン>:APD-21(高速輸送艦)またはDD-157(平甲板型駆逐艦)を参照。

<ティックハム>:L98(駆逐艦)を参照。

ディッシュ・アンテナ>:レーダーアンテナが皿状をしているもの。中央にフィードという棒状の発信器がある。参考:月刊Jwings2,01

ティッセン・クルップ社マリン・システムズ・グループ>:ドイツの造船企業で、ティッセン・クルップ社の造船部門と造船企業グループのHDW社が200515日に合併して出来たものである。グループ内にブロム・ウント・フォス社、ノルトゼーヴェルケ社が含まれ、ドイツの艦艇メーカーの殆どが纏められた形となった。スウェーデンのコックムス社やギリシャのHSY社を100%子会社に置いている。2011年、ブロム・ウント・フォス社をイギリス投資会社のスター・キャピタル・パートナーズに売却した。20147月、コックムス社をサーブ社に売却した。参考:月刊世界の艦船6,0512,16、月刊JWings1,16

<ディッタニー>:K279(コルベット)を参照。

ディッチング>:Ditching。エンジン故障を起こした航空機が不時着水すること。残ったエンジンの出力を上げ、機首を風上に向け、できる限りゆっくり降下し、うねりの方向でうねりの頂点のすぐ後ろに着水する。船舶があればその近くに降りてすぐに通報・救助してもらう。年1回はディッチング時の対応訓練(機外脱出、救命筏展開、救急用品点検など)を行い、不慮の事態に備える。参考:航空用語事典増補改訂版

ディッピング・ソナー>:直訳すれば「水に浸すソナー」だが、吊下ソナーと訳される。ヘリコプターからウインチで海中に降ろして使用するソナーのこと。アクティブ/パッシブ兼用で、ソノブイ・バリアにより探知した潜水艦の詳細な位置を特定するのに用いられる。参考:月刊軍事研究2,14、月刊世界の艦船3,07、自衛隊装備カタログ1981

ティップ・ジェット>:ローター先端にジェットを取り付けて回転させるタイプの回転翼機。ローターから反トルクが生じない(ベアリングの僅かな摩擦による回転力は生じる)ので、テイルローターが要らない。実用性はイマイチらしく、これまで試作だけは多数されているが、実用化には至っていない。参考:月刊JWings5,12

<低抵抗被冒付き徹甲弾>:APCBCを参照。

逓伝>:次々と伝えていくこと。口頭命令の後ろに「逓伝」と付いたら、了解や復唱で済ませず、後続や前方の兵士・隊員に同じ口頭命令を次々と伝達していく。参考:MAMOR vol.99vol.105

<低電圧編隊灯>:エレクトロ・ルミネッセンス・ライトを参照。

定点観測所>:Observation PostOPと略す。砲兵隊の攻撃目標算定に使用される観測所で、方向盤付きの望遠鏡などを使って直接目視観測で得た目標までの方位のみを本部に伝える。2つ以上のOPから方位を知らせることでその交点が攻撃目標の位置となるが、特に遠距離の攻撃目標に対して正確な位置標定を可能とする。陸上自衛隊の場合通常3名で構成される。参考:月刊軍事研究11,98、月刊丸6,14

逓伝哨>:日本陸軍の連絡施設。命令、報告、通報伝達のため必要に応じて設け、伝令(乗馬、自転車、徒歩)などを配置する。参考:作戦要務令

<テイト>:AKA-70(攻撃貨物輸送艦)を参照。

<デイド>:APA-99(攻撃輸送艦)を参照。

提督>:海軍将官のこと。由来は清朝時代の中国における揚子江水軍のトップである水師提督。参考:月刊丸12,90

ディドゴリ・シリーズ>:グルジア陸軍/ジョージア陸軍4輪装輪装甲車Didgori。グルジア国防省国営軍事科学センター(デルタ)とトビリシ・エアクラフト・マニファクチャリング社(ロシアのスホーイとの協力関係が解消されて仕事が無くなった)が共同開発した。2011年から配備中。参考:月刊軍事研究11,1112,12

 <ディドゴリ1>:Didgori-1。フォードFシリーズのシャシーにSTANAG4569レベル2以上の装甲車体を載せており、7.62mm×54R弾に抗堪できる。底部は三層構造になっていて、中央の層で地雷の衝撃波を、上下の層で破片を防ぐことができ、耐地雷能力はSTANAG4569レベル2b。戦闘重量7トン。エンジンはターボディーゼル(450馬力)、最大速度100-120km、航続距離500km。武装は7.62mmミニガンM134D。乗員2名で、兵員7名を乗せられる。参考:月刊軍事研究11,1112,12

 <ディドゴリ2>:装甲偵察車型、Didgori-2。武装は12.7mm機銃NSV。乗員7名。参考:月刊軍事研究11,11THE MILITARY BALANCE 2016

 <ディドゴリ3>:装甲兵員輸送車型、Didgori-3。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

デイトマルヘン>:ドイツ海軍給油艦。第2次大戦後はアメリカに譲渡され、コネクーとなった。参考:グラフィックアクション44

<デイトン>:CL-78(クリーブランド級軽巡洋艦、初代)またはCL-105(クリーブランド級軽巡洋艦、2代目)を参照。

<デイトン合意>:ボスニア紛争を参照。

<ティナ>:九六式陸上輸送機シリーズを参照。

ディナイ・フライト作戦>:ボスニア紛争中の19934月から199512月まで続けられた、ボスニア・ヘルツェゴビナにおける飛行禁止空域監視作戦。参考:月刊軍事研究5,03

泥濘地作業車>:通称SA車。陸上自衛隊が試作した泥濘地用車両で、日本陸軍の湿地車(FB器)をベースとしている。形状はFB器のキャビンを横長にしたような感じで、後部に2トンの貨物を積める。操向装置はクレトラック型。水上では車体後部のスクリューで航行する。履帯はゴム製の浮嚢を取り付けてあり、旋回時の耐久性にかなりの問題があったらしいが、何とか実用試験に漕ぎ着けており、支笏湖で浮航試験も行われている。水田の通過を目的に開発されたらしいが、迂回すれば済むということで中止になった。参考:スピアヘッドNo.5

<ティノサ>:SS-283(潜水艦)またはSSN-606(スレッシャー級攻撃原潜)を参照。

<ディバース>:M-3シリーズ(騎兵戦闘車)を参照。

<逓倍器>:自衛隊の機器。アンリツ製。参考:月刊軍事研究8,11

碇泊場監部(日本陸軍)>:日本陸軍の軍事船舶機関。同一方面に位置する碇泊場司令部数個を統括する。時に一部の輸送船を管轄し、局地での船舶輸送計画に任ずる。参考:作戦要務令

碇泊場司令部(日本陸軍)>:日本陸軍の軍事船舶機関。海運主地または海運補助地に置かれ、当該海運地での船舶業務を行う。時に一部の輸送船を管轄し、局地での船舶輸送計画に任ずる。参考:作戦要務令

碇泊場司令部支部(日本陸軍)>:日本陸軍の軍事船舶機関。海運補助地に置かれ、当該海運地での船舶業務を行う。参考:作戦要務令

低反動砲>:砲身を高速で前進させながら発射薬を燃焼させることにより反動を相殺し、発射反動を軽減させる火砲のこと。参考:火器弾薬技術ハンドブック

<テイピア>:P335(潜水艦)を参照。

<デイビス>:DD-395(駆逐艦)を参照。

<デイビス式無反動砲>:無反動砲を参照。

デイビス無反動砲>:1909年にアメリカ陸軍のデイビス少佐が考案した無反動砲。砲身中央に薬室があり、前方に砲弾、後方に同重量の散弾(錘弾と称する)が配置してある。発射すると後ろに散弾が飛散し、反動を相殺する。第1次大戦時にイギリス空軍がアイディアを取り入れ、飛行船やUボートを攻撃した。参考:GUN用語事典

<デイブ>:九五式水上偵察機を参照。

ティプ>:パキスタンの地対地ミサイル。テポドン2号を元に製作されたらしい。参考:月刊軍事研究4,04

<ディファ>:FF1206(フリゲート)を参照。

<ディファレンシャルGPS>:DGPSを参照。

ディフェンシブ・スプリット>:2機編隊において行われる機動で、二手に大きく分かれてどちらか一方を追跡させ、フリーになったもう一方が敵を挟み撃ちする方法である。上方に分かれた機体はエネルギーを失いやすく、不利になるので、敵が追ってきたらすぐ僚機の支援を受けられるように準備しておく。参考:図解現代の航空戦

<ディフェンス>:ライオン(巡洋艦)を参照。

ディフェンス>:アメリカ海軍掃海艇。194546日、沖縄付近で菊水一号作戦特攻機の攻撃を受けて損傷した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

ディフェンス>:イギリス海軍マイノトー級装甲巡洋艦。1916年、ジュットランド沖海戦でドイツ主力艦の主砲弾7発を被弾し、爆沈した。参考:月刊丸4,07

<ディフェンダー>:BN-2シリーズ(軽輸送機)またはD3645型駆逐艦)またはD114(デアリング級駆逐艦)またはH07(D級駆逐艦)またはMCM-2(掃海艦)またはOH-6シリーズ(ヘリ)またはプレデターCシリーズ(無人機)を参照。

<ディフェンダー90>:ランドローバー・シリーズ(輸送車)を参照。

<ディフェンダー110>:ランドローバー・シリーズ(輸送車)を参照。

<ディフェンダー4000>:BN-2T-4S(軍用機)を参照。

<ディフェンダーMRCV>:ランドローバー輸送車ファミリーを参照。

<ディフェンダーSOV>:ランドローバー輸送車ファミリーを参照。

<ディフェンダーXD>:ランドローバー・シリーズ(輸送車)を参照。

<ティフォン>:EF2000海外シリーズ(戦闘機)を参照

ティフォン>:フランス海軍ブーラスク級駆逐艦Typhon1928年竣工。1942119日、北アフリカに上陸を図る連合軍とオランで戦闘になり自沈、閉塞船として処分された。参考:第2次大戦のフランス軍艦

<ティプ・サルターン>:D-168(駆逐艦)を参照。

ティプ・サルターン>:パキスタン海軍21型フリゲートTippu Sultan。元はイギリス海軍21型フリゲートのアヴェンジャーで、1994年に再就役した。参考:月刊世界の艦船6,09

<ディフダ>:AKA-59(攻撃貨物輸送艦)を参照。

ディフューザー>:Diffuser、拡散筒。流体の速度エネルギーを圧力に変換する流路部分のこと。ガスタービンエンジンの遠心式圧縮機で加速された空気を圧縮空気に転換する通路構造などがこれにあたる。参考:航空用語事典増補改訂版

<ディフューザー・ガイドベーン>:ガイドベーンを参照。

<ティブロン>:SS-529(潜水艦)を参照。

<ティペカノー>:T-AO-199(給油艦)を参照。

ティペカノー>:アメリカ海軍給油艦。194256日、珊瑚海海戦に参加。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

<ディベロン>:K265(フリゲート)を参照。

定邊>:満州国江上軍江防艦隊親仁型砲艦Tingpien。昭和10831日竣工。黒竜江に配備され、ソ連と対峙した。10月、満州国大典記念観艦式に皇帝溥儀の御召艦として参加。参考:月刊世界の艦船7,11、小艦艇入門、月刊丸3,14

<デイホーク>:F-117爆撃機ファミリーを参照。

<ディポネゴロ>:365(コルベット)を参照。

ディポネゴロ級>:インドネシア海軍コルベットDiponegoro級。オランダのロイアル・ダメン・シェルダ社が設計したシグマ9113SIGMA 9113)型コルベットを導入したもので、建造もオランダで行われた。ステルス船型で、船型は平甲板型、ナックルラインより上の舷側を船体と逆傾斜にし、前甲板にはブルワークが付く。艦橋後方のタワーマストにMW08捜索レーダーとLIROD Mk2方位盤を装備する。上構後部は幅を絞り込んで両舷にRHIBを1隻ずつ搭載しており、舷側にブルワークを設けてレーダー波の乱反射を防いでいる。ソナーはUMS4132ハルソナー。全長90.7m、全幅23m、満載排水量1692-1719トン。主機はCODAD方式、ディーゼル4基(2基?)で、推進は可変ピッチプロペラ2軸、最大速力28-30ノット、航続距離は速力14ノットで4500海里。兵装はMM40エグゾセ・ブロックⅡ連装発射筒2基(上下2連。タワーマストと煙突の間に内舷向きで、前方が右舷側、後方が左舷側に発射)、ミストラル艦対空ミサイル4連装発射機2基(艦橋頂部、上構後端上面)、オットー・メララ社製62口径76mm単装砲スーパーラピッド1門(非ステルス砲塔)、3連装324mm短魚雷発射管B515A244/SまたはMU90短魚雷)2基、20mm単装機関砲4門。船体後部にヘリ甲板があるが、格納庫は無い。2007-09年に艦番号365ディポネゴロ、スルタン・ハサヌディン、スルタン・イスカンダル・ムダなど4隻が就役した。TACTICOSベースライン2艦載戦闘システムやNS50レーダーを積む改装を計画中。参考:月刊世界の艦船8,139,101,1412,162,'23、月刊軍事研究3,171,14THE MILITARY BALANCE 2016

<テイマー>:P233(哨戒艦)を参照。

<ディマンドレギュレータ・テスト・セット>:自衛隊の機器。東京航空計器製。参考:月刊軍事研究10,16

<ディミトロフ>:B-806(キロ級潜水艦)を参照。

ディミトロフグラード>:ロシア海軍タランタル級ミサイル艇Dimitrovgrad2021725日、サンクト・ペテルブルグでロシア海軍記念日祝賀行事(艦艇パレード)に参加。参考:月刊世界の艦船10,21

ていむす丸>:川崎汽船貨物船Thames maru。垂線間長117.35m、幅15.54m、深さ10.97m、満載吃水8.26m、総トン数5873トン、重量トン数9084トン。主機は三連成レシプロ蒸気機械1基1軸3800馬力、航海速力10.5ノット、最大速力13.397ノット。大正9721日竣工。太平洋戦争時は陸軍の輸送任務に就いた。昭和18725日、ラバウルからウェーク島に向かっていたところ、トラック環礁南西600kmSS-267ポンポンの雷撃を受け沈没した。参考:月刊世界の艦船9,14

ディモス>:アメリカ海軍貨物運送艦。1943623日、ソロモン付近で日本海軍潜水艦の雷撃により沈没した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

ティモニー>:アイルランドのテクノロジー・インベストメンツ社が開発した4輪装甲兵員輸送車。アイルランドの他、ベルギー、アルゼンチン、メキシコなどで採用された。参考:世界の軍用車両(4)

<ティモニー海外シリーズ>

 <BDX>:ベルギー空軍飛行場警備隊/憲兵隊装甲兵員輸送車。車体は装甲鋼板の溶接製で、装甲厚は全周12.7mm、上面9.5mm。前部中央が操縦手席で、防弾ガラスの厚さは104mmある。その後ろが機関室で、後部が10名乗りの兵員室となっていて、左右と後面にビジョンブロックとガンポートの付いた乗降ドアがある。車体上部中央に銃塔が装備されており、7.62mm機銃や12.7mm機銃が搭載できる他、ミラン対戦車ミサイルの装備も可能である。タイヤにより浮航推進が可能だが、オプションでウォータージェットを装着できる。NBC防護装置、暗視装置もオプションで搭載可能。全長5.1m、全幅2.47m、全高2.06m、総重量9.35トン。エンジンはクライスラー社製V8ガソリン(180馬力)。1977年に採用して配備した。参考:世界の軍用車両(4) 、ザ・マーチ5号

ディヤーヌ>:フランス海軍ディヤーヌ級潜水艦Diane1932年竣工。1942119日にオランで自沈し、1944年に引き揚げられて解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦

ディヤーヌ級>:フランス海軍潜水艦Diane級。ノルマン・フノー級(630トン型)とも呼ばれる。ノルマン造船所で5隻、ウォルムス造船所で4隻が建造されたため、それぞれノルマン型、ウォルムス型と呼ばれることもある。全長64.4m、幅5.2m、吃水3.9m、水上排水量651トン。主機はディーゼルと電動モーターで、出力1300馬力、速力13.7ノット。兵装は55cm魚雷発射管6門、40cm魚雷発射管2門、7.5cm単装砲1門。ディヤーヌ、メデューズ、アンフィトリト、アンティオプ、アマゾーヌ、オルフェ、オレアド、ラ・プシシェ、ラ・シビルが1932-34年に竣工した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

ディヤマン>:フランス海軍サフィール級機雷敷設潜水艦Dimant1934年竣工。194211月にツーロンで自沈した。一旦引き揚げられたものの、1944年に連合軍の爆撃を受けて戦没した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

帝洋丸>:帝国船舶貨物船。総トン数6801トン。昭和18228日、八一号作戦に参加。33日、航空攻撃を受けて沈没し、1915名が戦死した。参考:輸送船入門

帝洋丸>:日本海軍特設艦船。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は連合艦隊補給部隊所属だった。昭和1988日、ヒ71船団の一員として六連島泊地を出港。8190510、ルソン島北西で潜水艦の雷撃を受け、船首右舷、船体中央右舷、船尾右舷に魚雷1本ずつを被雷し、0515に沈没、41名が戦死した。参考:輸送船入門、帝国海軍太平洋作戦史Ⅰ

低翼配置>:Low wing。主翼下面が胴体最下部と同じ高さにあるもの。左右の主翼を中央翼で一体化し、床下を通すことで、主翼強度を高くしつつ、胴体スペースを有効活用できる。地面効果が大きいため、離陸滑走路長が短く、着陸時のフレア操作が小さくて済む。胴体着陸した際、中央翼やキャリースルーが衝撃を吸収するので、胴体へのダメージが少ない。不時着水した際、主翼が浮きになり、人員の脱出時間を稼げる。胴体床面が主翼の上にあるので、地上からは離れた位置になり、器材や設備が無いと乗降や積み降ろしができない。胴体下面や主翼下面と地面とのクリアランスが小さいので、兵装に制限がかかったり、兵装搭載作業が面倒になったりする。翼胴結合部で主翼上面と胴体との空力干渉が大きいため、大迎え角で主翼付け根後縁付近上面の境界層が剥離しやすく、フィレットを付ける必要がある。機体が横滑りすると、胴体上部から発生した後方乱流が主翼上面を流れて揚力が減少し、予期せず機体がロールする場合がある。地面効果が大きいため、着陸時に地面に接地しにくく、必要着陸長が長くなる。開放式コクピットの低翼配置機がグラウンド・ループを起こして機体が転倒した際にパイロットが潰れるのを防ぐため、コクピット付近に頑丈な支柱などを設ける必要がある。参考:航空機設計法、飛行機のしくみ、月刊JWings12,001,1611,21

<テイラー>:DD-468(駆逐艦)またはFFG-50(フリゲート)を参照。

ティラーダ2S>:ロシアの衛星通信妨害装置。参考:月刊軍事研究9,18

テイラード・アクセス作戦>:NSAの世界的ハッキング作戦。大元は1990年代に計画されたインターネット・携帯電話傍受作戦シン・スレッドで、2000年にトレイルブレイザーという新規プログラムを組むことになったが、同時多発テロ後に個人情報保護を無視した計画になったため問題視され、2003-04年に放棄された。その後継として2005年にサイバー攻撃能力も含むタービュランスというプログラムが計画されたが、2007年に議会で問題視されて中止となり、かわりに誕生したのがテイラード・アクセス作戦である。外国の端末を標的としてハッキングを行うもので、NSAでは毎時210万ギガバイトのデータを入手しているという。参考:月刊軍事研究9,13

<ディライト>:H38(駆逐艦)を参照。

<デイリー>:DD-519(駆逐艦)を参照。

ディリジェンス>:イギリス海軍前方工作艦。200934-14日、アマン09演習に参加。参考:月刊軍事研究9,09

ディリジャント級>:フランス海軍二等通報艦Diligente級。全長66.4m、幅7m、吃水2.8m、基準排水量315トン。主機はディーゼルで、煙突は無く、細い排気筒3本で済ませてある。出力900馬力、速力14ノット。兵装は10cm単装砲2門。3隻が就役した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

低率初期生産>:Low Rate Initial ProductionLRIPと略す。マイルストーンB段階に達してEMDに入った開発中の機体が、試験をある程度進めてマイルストーンC段階に達してから、初度作戦能力(IOC)を獲得するまでの間に行われる量産のこと。低率とあるが、必ずしも生産数が少ないわけではなく、LRIPの間に本格量産を開始することもある。参考:月刊軍事研究10,112,16

<ディリンゲン>:M1065(掃海艇)を参照。

<デイル>:CG-19(巡洋艦)またはDD-353(駆逐艦)を参照。

<デイル・W・ピーターソン>:DE-337(護衛駆逐艦)を参照。

ティル級>:シリア海軍ミサイル艇Tir級。兵装はC-802艦対艦ミサイル単装発射筒2基。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

テイルコード>:テイルレターともいうが、これらは通称で、正式名称はDistinctive Unit Aircraft Identification Marking(アメリカ空軍)/Unit Identifier(アメリカ海軍海兵隊)である。アメリカ空海軍海兵隊機が部隊識別のため垂直尾翼に記入しているアルファベット2文字(海軍訓練航空団だけ1文字)のこと。時々アルファベットでないこともあり、海軍VFP-63det.319744月末にCV-41ミッドウェイから降りた後に暫く所属空母航空団が決まらず、??というコードを入れていた。第2次大戦時にアメリカ陸軍航空軍がアルファベット1-2文字を部隊に割り当てて胴体に記入したのが始まりである。アメリカ海軍の方は第2次大戦後期にGeometrical Symbol(Gシンボル)という模様や文字を垂直尾翼に描き込んでいたが、模様だと無線交信に使えないので、1945年頃には空母別にアルファベット1-2文字を割り当てるIdentification Symbolに変更、1946年には対潜哨戒機部隊の艦隊航空団が飛行隊別にアルファベット2文字を付与するLetter Symbolに発展し、アメリカ海兵隊も続いた。1958年、アメリカ海軍が空母航空団ごとのアルファベット2文字付与方式を採用。大西洋艦隊はA、太平洋艦隊はNが頭に付く。陸上航空隊は大西洋艦隊ならA-M、太平洋艦隊ならN-Zのどれかを頭に付けるが、数字と間違えないようIとOは除かれている。訓練航空団はアルファベット1文字である。19671月、ベトナム戦争でタイのウボン基地に展開していた第8戦術戦闘航空団第433戦術戦闘飛行隊が、迷彩塗装F-4D戦闘機に白抜きでFGと記入し部隊識別を開始。第8戦術戦闘航空団隷下の他の飛行隊にもFで始まる2文字を割り当てた。南ベトナムのダナン基地に展開していた第366戦術戦闘航空団もこれを真似し、1968年には太平洋航空軍PACAFがこの方式を採用、更に在欧米空軍USAFEも加わって識別コードが被る恐れが出てきたため、19726月に空軍としてこの方式を正式採用することにし、戦術航空コマンドが航空団ごとにアルファベット2文字を割り当てることになった。同じアルファベットが割り当てられている航空団もあり、その場合は垂直尾翼先端などに塗られている飛行隊色(フィンカラー)で区別する。参考:航空ジャーナル9,77臨時増刊、世界の傑作機No.1、月刊JWings2,1711,177,18、月刊軍事研究7,17、月刊航空ファン1,18

テイルコーン>:Tail cone。機体尾部の整流カバーのこと。円錐状のこともあれば、平板状になっていることもある。機種によって後部与圧隔壁後方全体を称したり、尾端の狭い部位を指したりと、明確な範囲の定義は無い。事故の際に破壊される可能性が低いので、フライト・データ・レコーダーの収容場所や、非常脱出口として使用される。キャビンや地面から遠いので、騒音防止のためAPUをテイルコーンに格納することも多い。昔の航空機では、周辺に金属部品が少ないことから、自動操縦装置にシグナルを与えるフラックス・バルブを取り付けていた。ジェットエンジンのタービン後方に設ける円錐状の整流装置もテイルコーンと呼ぶ。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings10,09別冊付録

テイルシッター>:TailsitterVTOL機の1つで、機体重量を上回る推力を持つエンジンを搭載して機体を支え、垂直発射台から離陸後、機体を水平に戻して飛行、機体を立てて垂直着陸する。専用の発射機が必要で運用の柔軟性に欠ける、姿勢転換時に安定を保つのが困難、着陸時に視界を得るのが難しいという欠点がある。Ba349ナッター、ヴェスペ、トリープフリューゲル、XFY-1XFV-1X-13といった機体が計画・製作されたが、どれも実用化されなかった。参考:月刊JWings10,054,15、月刊世界の艦船7,11

<ティルズ>:DE-748(護衛駆逐艦)を参照。

テイルスマン>:BAEシステムズ社が開発したUUV。船体はカーボン複合繊維で、多面体を組み合わせた形で構成されており、ソナーの反射を抑える音響ステルス効果があるとされる。遠隔操縦装置、通信装置、自律航法装置などが搭載されている。全長4.5m、全幅2.5m、重量1.8トン、ペイロード0.5トン。可変スクリュー6基が装着されており、最大速力5ノット、航続時間24時間。海底地形の観測が主任務として考えられているが、掃海用UUVとしても使用できると思われる。参考:月刊軍事研究9,06

テイル・スライド>:急角度での上昇を続け、速度がゼロになり落下が始まっても機首を上げたままの姿勢で少し粘り、機首を下げて降下に移る機動。アクロバット機動で行われたりするが、対気速度が一旦マイナスになるので、錐揉みに陥ったり(特に後退翼機では落下中に機体軸線が傾くと左右主翼の揚力バランスが崩れて錐揉みに入りやすい)、ジェットエンジンが止まったりといった事態に陥りやすく、高性能機やベテランパイロットでないと行えない危険な機動でもある。参考:月刊JWings12,11

<ティルソ>:A5377(給水艦)を参照。

<ティルティング・ブリーチ・ブロック>:遊底を参照。

ティルト・ウイング>:エンジン及びそれを取り付けた固定翼全体の角度を変えることができる航空機。90度上に向ければ垂直離着陸が可能であり、エンジンやプロペラからの気流が主翼によって遮られない利点がある。角度を変える機構が大型複雑になるのと、垂直離着陸時の突風で左右に揺すられやすいのが欠点。参考:月刊航空情報10,05

ティルト・スラスト>:主翼端にジェットエンジンを装着し、これを縦にして垂直離着陸を行い、横にして水平飛行を行うタイプのVTOL。参考:月刊JWings10,09

ティルト・プロップ>:プロペラの回転面を変更することができる飛行機のこと。ティルト・ローター機とは異なり、サイクリック・ピッチ・コントロールは不可能で、ブレードごとにピッチを変更することはできない。参考:月刊JWings6,10

ティルト・ボルト・メカニズム>:ボルトの閉鎖方式の1つ。ボルトが前進しきると後端が下がって機関部のコーナーに結合、発射時の圧力に対抗する。参考:最新軍用ライフル図鑑

ティルト・ローター>:Tilt rotor。ローターの回転面を変えることができる航空機。回転面を上に向けて揚力発生に使用するとヘリコプターと同様の垂直離着陸ができ、回転面を前に向けて推力に転換すれば主翼の揚力により飛行機と同様の高速巡航が可能である。ヘリコプターより速度、航続距離、輸送力の面で有利だが、静止推力が大きく高速飛行時の効率も高いローターの設計が難しいのと、回転面可変機構が複雑で事故を起こしやすいのが欠点。1920年代にコンセプトが誕生し、1930年代以降からFa269Do29といった実験機が作られ、21世紀に入って漸くV-22で実用化された。参考:月刊JWings6,05、月刊軍事研究9,062,109,13、航空用語事典増補改訂版、月刊丸6,01

<ティルト・ローター機整備実習用教材>:防衛省がアメリカ海軍省に発注している。参考:月刊軍事研究7,18

<ティルト・ローター機操縦シミュレータ>:自衛隊の機器。アメリカ海軍省に発注している。参考:月刊軍事研究11,16

<テイルナンバー>:ラジオコールナンバー(アメリカ陸軍)を参照。

ティルピッツ>:アルフレート・フォン・ティルピッツ。19世紀末から第1次大戦の途中までドイツ海軍大臣を務めた。軍艦は傾いてはいけない、まして沈没させては絶対にいけない、浮かんでさえいれば戦闘力を多少なりとも発揮できるとして、防御力第一の軍艦建造に邁進した。参考:月刊丸12,11

ティルピッツ>:ドイツ海軍ビスマルク級戦艦Tirpitz(ドイツ海軍の父と呼ばれたアルフレート・フォン・ティルピッツ海軍大臣から)、仮称艦名G。19361024日起工(112日という記録もあり、こちらは公式起工写真の撮影日らしい)、193941日(11日?)進水、1941225日竣工。公試時出力163000馬力、速力30.8ノット。55日、ヒトラーの査閲を受けた。訓練不足のためラインユーブンク作戦には参加せず、ビスマルク沈没を受けて大西洋正面での作戦は行わないことになった。1941622日、バルバロッサ作戦に伴い、バルト海に出撃、フィンランドのオーランド諸島周辺での哨戒任務に就いた。その後はキールに帰港して訓練を実施。19421月、ノルウェー侵攻の抑止力及び援ソ船団攻撃のためキールを出港し、ノルウェー方面に向かった。116日、ノルウェー中西部のアースフィヨルドに到着。36日、イギリスの援ソ船団(行きのPQ12船団、帰りのPQ18船団)攻撃のため第5水雷戦隊の大型駆逐艦3隻(Z-25、フリードリヒ・イーン、ヘルマン・ショーマン)と共にノルウェーのトロンハイムを出撃、初陣を飾ったが、戦果は駆逐艦フリードリッヒ・イーンが貨物船1隻を撃沈したのみだった。この船団にはイギリス本国艦隊の空母1隻、戦艦2隻、巡洋戦艦1隻、駆逐艦12隻が護衛に就いていたが、霧と荒天で互いを発見できず、39日に空母搭載機のアルバコア12機から雷撃を受けただけで(全て外れた)、ナルヴィクに帰港した。この雷撃を回避する際、同乗のチリアックス中将が思わず面舵一杯と叫んだが、艦長のトップ大佐は艦の指揮権は私にあると怒鳴りつけた。71日午後、アドミラル・ヒッパー、駆逐艦4隻、水雷艇2隻と共にPQ-17援ソ船団攻撃に向かった。まずはナルヴィクに向かい、同港を出港したアドミラル・シェーア、リュッツォ、駆逐艦8隻と極北のアルタフィヨルドで合流することになったが、同行の駆逐艦3隻とリュッツォがナルヴィクで座礁した。イギリスは航空偵察により出撃を掴み、輸送船団を解散したため、空軍とUボートが攻撃することになり、ドイツ艦隊は帰投した。トロンヘイムに帰還した後で小改装を受け、19431月にアルタフィヨルドに進出。96日、スピッツベルゲン島の連合軍施設に対する艦砲射撃に出撃。最初で最後の実戦艦砲射撃を行った。その後はアルタフィヨルドに帰還、ソ連への航路に近い所に単艦で陣取っており、イギリスにとっては大きな脅威で、「北の孤独な女王」というニックネームを冠された。922日、イギリス海軍によるX潜航艇を使用したソース作戦により損傷した。19443月、試験航行が可能となったが、43日、イギリス艦隊航空隊によるタングステン作戦で損傷した。その後もイギリス海軍による爆撃が繰り返されたが、難を逃れ、7月末から8月初めには駆逐艦と共に行動できるようになった。911日、イギリス空軍のパラヴァン作戦で大破した。完全な修復は不能と判断されたため、沿岸砲台とすることが決定し、1015日にノルウェーのトロムソの西3.5kmにあるハーケイ島付近に投錨した。1029日、イギリス空軍のオヴィエト作戦で航行不能となった。これを受けて防空艦2隻が展開し、対空砲台も設置されたが、1112日、イギリス空軍のキャティキズム作戦でトールボーイ2発を被弾し、転覆した。戦死者は700名、生存者は900名で、工作船ノイマルクが船底に穴を空けて87名を救出している。参考:歴史群像8,08、近代戦艦史、月刊世界の艦船7,'1512,17、月刊丸4,17、写真集ドイツの巡洋艦、月刊軍事研究11,092,10、グラフィックアクション44、護衛空母入門

ティルピッツ砲台>:ユトランド半島のオクスビー(デンマーク)に建設される予定だった沿岸砲台。38cm連装砲塔を設置する予定で、19448月に建設が開始されたが、完成前に戦争が終わり、連合軍もデンマークへの上陸作戦は行わなかった。参考:月刊PANZER9,02

テイルブーム>:Tail boom。航空機の胴体から後ろに延びる構造物。参考:月刊JWings10,09別冊付録

テイルフッカー>:艦上機パイロットのこと。テイルフック使いなので。参考:月刊JWings1,17

<テイルフック>:アレスティング・フックを参照。

テイルフック事件>:19919月、アメリカ海軍艦上機クルー親睦団体テイルフック・アソシテーションの年次総会で、140名以上が酒に酔い、海軍・海兵隊・空軍女性士官20名以上を含む80名以上に性的暴行を加えた事件で、海軍長官が引責辞任した。参考:月刊航空ファン9,18

テイル・プローブ>:艦載ヘリに装備されている器材で、着艦後にリテイニング・レール内の移送軌条にセットされ、格納庫に引き込まれる。参考:月刊JWings2,00

<ティルマン>:DD-641(駆逐艦)を参照。

<テイルレター>:テイルコードを参照。

<ディルレワンガー>:SS36擲弾兵師団を参照。

テイルローター>:Tail rotor。シングルローター・ヘリコプターの尾部に装着されている補助ローターのことで、メインローターの反トルクを打ち消したり(アンチ・トルク・システムともいう)、機首の方向を変えたりするのに使用する。概ね半関節型ローター式で、フェネストロンを採用したものもある。推力の増減はブレードピッチの制御で行う。ホバリング時でエンジン出力の10%程度、前進飛行時で6%程度を消費する。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings10,09別冊付録、2,13

ディレイテッド・エンジン>:Derated engine。全推力より定格推力(運用限界)を低めに設定したエンジンのこと。機体や最大離陸重量がエンジン全推力と比較して小さく全力を必要としない時や、新型エンジンの開発が間に合わなかった時などに、この方式が使われる。エンジンへの負荷が減るので、オーバーホール間隔や寿命が延びる。機体改修や重量増などでエンジン推力増大が必要な時は、書面で定格推力上昇の手続きをすれば、全推力まで定格推力を上げられる。参考:航空用語事典増補改訂版

<ディレイド・ブローバック・システム>:遅延ブローバック式を参照。

<ティレル>:AKA-80(攻撃貨物輸送艦)を参照。

<鄭和>:FFG1103(フリゲート)を参照。

<鄭和>:81(練習艦)を参照。

鄭和級練習艦>:中国海軍練習艦795型チョンホー(Zhenghe)級。大新(Daxin。大興?)級とも呼ばれる。沿岸用客船をベースに設計されており、士官候補生の遠洋航海訓練に使用される。前部マストの前方にはラウンド・ドーム射撃指揮装置が装備されており、後部甲板にはヘリ発着スペースを持つ。全長130m119m?)、全幅15.8m、吃水4.8m、満載排水量5470-5558トン。主機はディーゼル2基2軸7800馬力、速力15ノット、航続距離5000海里。兵装は57mm連装砲1基(2基?)、30mm連装機銃2基、12.7mm機銃4丁、12連装(5連装?)対潜ロケット発射機2基。乗員170名、指導員30名、士官候補生200名。鄭和が1987年に就役した。参考:中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船5,156,143,131,109,11

<デイン>:APA-238(攻撃輸送艦)を参照。

ティンカー空軍基地>:アメリカ空軍の航空基地。オクラホマ州にあり、1941年に爆撃機・輸送機整備拠点として開設された。参考:月刊JWings10,23

<ティンカー・トイ>:A-4シリーズ(攻撃機)を参照。

<ディンキーズ>:ディフェンダーMRCV(多目的戦闘車両)を参照。

<ティンゲイ>:DD-539(駆逐艦)を参照。

<ディンゴ>:ダイムラー・スカウトカー(装甲偵察車)を参照。

ディンゴ>:ドイツのKMW社がPKO用に開発した4×4輪装甲車両。シャシーはベンツのウニモグのものを流用している。全長5.45m、全幅2.31m、全高2.35m、重量8.8トン。ペイロードは乗員含め1.2トン。エンジン出力230馬力、最大速度100km、航続距離700km以上。乗員1名、乗車兵員4名。参考:月刊PANZER2,02、月刊軍事研究7,16

ディンゴ2>:ドイツのクラウス・マッファイ・ヴェクマン社が開発した4×4輪装甲車Dingo 2。シャシーはウニモグ社のU-5000がベースで、最大速度90km、航続距離1000km。榴弾破片や対戦車地雷に対する防御力を持ち、NBC防護能力がある。乗員2名、乗車兵員6名。2004年にドイツ、オーストラリア、ベルギー陸軍が採用した。2008年にはチェコ軍が15両を採用している。NBC偵察型のモックアップも製作された。参考:月刊PANZER3,05、月刊軍事研究9,08、月刊グランドパワー6,10

 <ディンゴ2HD>:HDHeavy Dutyの略。ペイロードを3トン増加させたタイプである。戦闘重量14.5トン。エンジンはディーゼル(300馬力)で、トランスミッションはオートマチック。参考:月刊軍事研究1,12

<ディンゴ2ファミリー>

 <ディンゴ2回収車>:6×6輪に改造し、10トンウインチを装着したもの。キャビン天井にFLW100遠隔操作銃塔を搭載できる。重量17.5トン。乗員3名。参考:月刊軍事研究10,10

<ディンゴ2海外シリーズ>

 <ディンゴ2(ベルギー陸軍)>:ベルギー陸軍装甲車。2006年末から受領しており、国連暫定レバノン軍(UNIFILⅡ)やアフガニスタンに配備する予定である。地雷や曲射弾道弾(迫撃砲やロケット弾など)に対する防御力はレオパルト1よりも高いと評価している。参考:月刊軍事研究3,08

<ティンズマン>:DE-589(護衛駆逐艦)を参照。

ティンゼル>:イギリスが第2次大戦時に開発した電波妨害装置で、金銀糸の織物の意。爆撃機に搭載し、エンジン音をマイクロホンで集音して放射することにより、ドイツ夜間迎撃戦闘機の管制電波受信機を妨害する。参考:連合軍の傑作兵器駄作兵器

<ティンターゲル・キャッスル>:K399(コルベット)を参照。

<ディン・ティエン・ホアン>:HQ-011(フリゲート)を参照。

ディン・ティエン・ホアン級>:ベトナム海軍フリゲートDinh Tien Hoang級。ゲパルト3.9級フリゲートの改良型で、ロシアで建造されており、ロシア名称はプロジェクト11661Eである。兵装やステルス性を強化し、ヘリ運用能力を追加した。船型は長船首楼型で、上構は前後に分かれており、上構幅は船体幅と同じで、ナックルラインから上を船体と逆傾斜にしてステルス性を持たせている。前部上構にタワーマストがあり、頂部にポジティフME1.2レーダーを搭載する。後部上構中央にヘリ格納庫があるが、ヘリの前半分しか入らない大きさで、後ろ半分は露出状態になる。ヘリ甲板は上甲板より1段高い01甲板レベルに設けられている。全長102.2m、幅13.1m、吃水5.3m、満載排水量2134トン。主機はCODOG方式、ガスタービン2基・ディーゼル1基、出力30850馬力、2軸推進、速力26ノット。兵装は76mm単装砲1門(前甲板)、Kh-35艦対艦ミサイル4連装発射筒2基(煙突後方両舷に内舷向き)、3M89CIWS1基(主砲後方甲板室上)、30mm近接防御兵器AK630を4基(3番艦は艦橋直前のCADS-N-2近接防御システム1基とヘリ格納庫両脇のAK630近接防御兵器2基)、533mm連装魚雷発射管2基(後部上構両舷)(とRBU-6000対潜ロケット1基?)。ヘリックス対潜ヘリ1機を搭載できる。乗員100名。28名分の予備居住施設を持つ。2006年に2隻を発注、1番艦HQ-011ディン・ティエン・ホアンと2番艦HQ-012リ・タイ・トが2011年に就役した。もう2隻建造されており、3番艦チャン・フン・タオは2013年に就役している。5-6番艦は対潜型で、2013年秋からロシアのゼルノドルスク造船所で建造されており、5番艦は20171027日に重量物運搬船ロールドック・スターに載せられてカムラン湾に到着した。6番艦も2017年中に引き渡される予定。参考:月刊世界の艦船3,1610,1712,1811,117,168,167,171,18、月刊軍事研究10,11THE MILITARY BALANCE 2016

<ディンドン>:AIR-2A(空対空ロケット)を参照。

<ティンバリア>:AVP-54(飛行艇支援艦)を参照。

<ティンピラ>:S32(潜水艦)を参照。

<ティンマーマン>:DD-828(駆逐艦)を参照。

<ティンロン>:AC-119Kガンシップ(南ベトナム空軍)を参照。

<テヴィオット>:K222(フリゲート)を参照。

デヴィスモンサン空軍基地>:アメリカ空軍の基地で、アリゾナ州にある。面積10.5平方キロメートルの保管場にアメリカ4軍、沿岸警備隊、政府機関、同盟国から送られてきた退役航空機がずらりと並んでおり、航空機の墓場と呼ばれるが、実際には第309航空宇宙整備再生群によりモスボール状態で保管されており、必要なら共食い整備に使用されたり、ファミリー機に改造されたり、現役復帰したり、同盟国に供与されたり、展示機になったりする。引受先が無ければ最終的に請負業者に引き渡されてスクラップにされる。参考:月刊JWings1,18

デヴィッド>:イスラエルのMDTアーマー社が開発した装甲車で、ランドローバー・ディフェンダーがベースである。全周で5.56mmNATO弾、7.62mNATO弾、7.62mm×39弾に耐えられ、車体下部はDM51手榴弾2個の炸裂に抗堪できる。戦闘重量3.6トン。エンジンは排気量2500ccのディーゼル。乗員7名。イスラエル軍がパトロール用に採用した。参考:月刊軍事研究2,10

<デヴォサ>:AKA-27(攻撃貨物輸送艦)を参照。

デヴォンシャー>:イギリス海軍カウンティ級ミサイル駆逐艦Devonshire。参考:月刊世界の艦船3,05

<てうり>:MSC-636(掃海艇)を参照。

<テーグウ>:DD-917(駆逐艦)を参照。

<テーザー>:R23(駆逐艦)を参照。

<テー・ジョヨン>:977(駆逐艦)を参照。

<データクオリティアナライザ>:自衛隊の機器。アンリツ製。参考:月刊軍事研究12,16

<データ・コレクション・ユニット(DCU)>:自衛隊の機器。アイ・エヌ・シー・エンジニアリング製。参考:月刊軍事研究12,18

<データターミナルセット付加器材>:自衛隊の機器。ネットコムセックまたはNECネットワーク・センサ製。参考:月刊軍事研究3,145,17

<データ通信ユニット>:自衛隊の機器。川崎重工製。参考:月刊軍事研究12,17

<データ・トランスファ・ユニット(F110-129M-DEC用)>:自衛隊の機器。アイ・エヌ・シー・エンジニアリング製。参考:月刊軍事研究8,14

<データ復調解析装置>:自衛隊の機器。エイリイ・エンジニアリング製。参考:月刊軍事研究7,15

<データ分岐装置>:自衛隊の機器。日本電気製。参考:月刊軍事研究2,16

<データ分配装置>:DDSを参照。

<データ変換表示装置>:自衛隊の機器。東芝三菱電機産業システム製。参考:月刊軍事研究8,15

データ・マイニング>:NSAの対テロ用世界規模通信データ解析システム。世界中の通信メタデータを監視し、コンピュータが警戒すべきと判断したものを自動的にファイリング、更に分析してユーザーや対象グループの動向を割り出すものである。この情報はバウンドレス・インフォーマント(Boundless Informant)という結果表示プログラムに送られ、モニター上の世界地図に分かりやすく示される。スノーデン氏が暴露した20133月時点のバウンドレス・インフォーマント画面では、インターネット通信・電話メタデータ総ファイル数が97111188358件に達しており、国別ではイラン140億件、パキスタン135億件、ヨルダン127億件、エジプト76億件、インド63億件となっていた。ちなみにアメリカ国内は30億件。参考:月刊軍事研究9,13

データリンク>:Data Link。情報交換を行うためのシステムで、有線と無線がある。参考:月刊JWings2,13

<データリンク技術支援(その1)>:防衛省がアメリカ国家安全保障庁に発注している。参考:月刊軍事研究9,18

<データリンク技術支援(その2)>:防衛省がアメリカ空軍省に発注している。参考:月刊軍事研究9,18

<デーチョン>:777(コルベット)を参照。

デーニッツ>:ドイツ海軍元帥カール・デーニッツ(Karl Dönitz)。1891916日、ベルリン生まれ。19104月、プロシア海軍士官候補生として海軍兵学校に入学。19139月、少尉となった。1914年、軽巡洋艦ブレスラウの乗員として第1次大戦に参加。1915年、中尉に昇進。1916年、Uボート乗員に転換、U-39の次席士官となった。19182月、UC-25の艦長となった。9月、UB-68の艦長となった。104日、UB-68が故障してイギリス軍に撃沈され、捕虜となった。19197月、ドイツに帰国。1921年、大尉に昇格。1928年、少佐に昇格。193611日、第1潜水艦戦隊指揮官となった。同年、Uボート艦隊司令官FdUに就任。19395月、ルーデル・タクティクによる攻撃訓練を実施。19396月、少将に昇進。1017日、Uボート艦隊司令官BdUに着任。第2次大戦開始後は作戦可能艦全てを動員して大西洋での通商破壊任務を行い、戦果を上げた。第2次大戦中、Uボートが帰港する度に直接出迎え、勲章授与や特別任務手当の引き上げ、娯楽施設の充実などで士気を鼓舞したため、オンケル・カール(カールおじさん)の愛称で親しまれた。1940421日、騎士鉄十字章受章。19423月、海軍大将に着任。1943130日、元帥に昇格。レーダー提督辞任後にドイツ海軍総司令官兼Uボート艦隊司令官となった。46日、柏葉騎士鉄十字章受章。1945420日、北ドイツ総督に任命された。54日、フライブルグ大将をモントゴメリー元帥の下に派遣して降伏交渉を行い、55日にUボート乗員に向けて降伏無線を発した。イギリス軍の捕虜となってニュルンベルク裁判で禁錮10年の判決を受け、1956年に釈放された。19801224日に89歳で死去した。参考:Uボート入門、月刊世界の艦船8,18

テーパー比>:Taper ratio。翼端の翼弦長と、主翼前縁・後縁を機体中心まで延長した翼弦長の比。大きいほど翼端が細く軽量だが、翼端失速の危険性が高まる。参考:歴史群像2,05、飛行機のしくみ、航空用語事典増補改訂版

テーパー翼>:Tapered wing。直線翼の1つで、先に行くほど細くなる主翼。矩形翼より重量が軽い分、曲げモーメントが少ないので、矩形翼より翼厚比を小さくでき、最大速度が速くなる。付け根が太いので、主脚引き込みスペースや燃料タンクスペースを大きく取れる。慣性モーメントが減るので操縦性も向上する。迎え角が大きくなると、揚力係数が最大になる前に翼端失速を起こしてしまうのが欠点。これを防ぐには、主翼先端を楕円にした楕円テーパー翼か、迎え角を翼端に向かって減らす捩り下げを採用する必要がある。厚翼なら前縁後退角を大きくする方策も可。参考:飛行機のしくみ、航空用語事典増補改訂版、月刊JWings12,00、月刊丸2,12、月刊航空ファン12,18

<テーム>:K458(フリゲート)を参照。

<デーモン>:CW-21シリーズ(戦闘機)を参照。

<デーモン・M・カミングズ>:DE-643(バックレイ級護衛駆逐艦)またはDE-756(カノン級護衛駆逐艦)を参照。

<テーヤン>:DDG-925(駆逐艦)を参照。

テールゲート・テクニック方式>:補給部隊が中隊の各部隊を回って再補給を行う方式。時間はかかるが危険は少ない。参考:月刊軍事研究8,03

テールスライド>:機首上げで急上昇して機体を失速状態に陥らせ、機首上げ状態のままで降下、途中でアフターバーナーに点火して機首を下げ、一気に加速して失速を脱し通常飛行に戻る機動。1988年の第28回ファーンボロ国際航空宇宙ショーでMiG-29が西側向けに初披露した。参考:月刊軍事研究11,17

テール・スラップ現象>:スーパー・キャビテーション発生時、水中航走体後部が空洞内壁にぶつかってしまう現象のこと。航走体は減速され、空洞も維持できずに潰れてしまう。参考:月刊軍事研究9,01

<テール整備作業台>:自衛隊の機器。川崎重工製。参考:月刊軍事研究7,16

<テオティワカン>:P332(哨戒艇)を参照。

<テオドール・ヴァイセンベルガー>:ヴァイセンベルガー(ドイツ空軍エース)を参照。

<テオドール・ホイス>:A340-330(ドイツ空軍)を参照。

<テオドール・リーデル>:Z-6(駆逐艦)を参照。

手斧>:日本陸軍の木工器材。参考:工兵入門

<テ・カハ>:F77(フリゲート)を参照。

<テ・カハ級>:アンザック級シリーズ(フリゲート)を参照。

<テカムゼー>:SSBN-628(ジェームズ・マディソン級戦略原潜)を参照。

<デカメートル波>:短波を参照。

適応型エンジン移行プログラム>:アメリカ空軍が2016年に開始した適応サイクルエンジン開発計画で、AETPと略す。F-35F135エンジンとサイズは同等ながら最大推力10%増し・燃費25%改善・熱管理能力50%向上を目標とする。ジェネラル・エレクトリック社がXA100-GE-100、プラット&ホイットニー社がXA101を開発中。F-35F135エンジンにタービンブレードのコーティング耐久性不足問題が出ており、F-35のアビオニクス改良に伴い発電・冷却能力不足も指摘され、仮想敵の防空システム有効半径拡大に伴い航続距離も延伸したいので、代わりに搭載されるかもしれない。2023310日、ケンドール空軍長官が、2024度予算には本計画の予算を計上しないと表明した。海軍・海兵隊ではF135エンジンを使い続けるため、空軍だけ新規エンジンにするのは割に合わないということで、F135エンジンの改良型で済ますらしい。参考:月刊JWings3,226,23

適応サイクルエンジン>:アメリカ空軍調査研究所が2020年を目処に開発中の可変サイクルエンジンで、ACEAdaptive Cycle Engine)と略す。ファンを通過した空気は圧縮機、その外側のバイパスダクト2本、最外周のバイパスへと分けて流れるようになっていて、高推力発揮時には2本のバイパスダクトを閉じてターボジェットエンジンにする。バイパスダクトの開閉はデジタル燃料管制装置が自動制御で行う。最外周バイパス流はエンジンや排気の冷却に使う。インテイクダクトや排気ノズルは内部をS字にしてステルス性にも気を遣っている。同クラスのターボファンエンジンに比べて推力が2割、燃費が2割5分、航続距離が3割以上増えるとされる。参考:月刊軍事研究2,16

<適応制御ミリ波ネットワーク装置(その2)の研究試作>:自衛隊の研究試作。富士通が受注している。参考:月刊軍事研究12,18

<迪化>:FF1206(フリゲート)を参照。

適宜食>:日本海軍の特殊糧食で、昭和63月の海軍糧食表改訂で制定された。演習や建造中の艦艇などで規定の兵食を提供できない場合に、一定金額以内で食材を独自調達して作る食事のことである。参考:写真で見る海軍糧食史

<テキサス>:BB-35(戦艦)またはCGN-39(巡洋艦)またはSSN-775(原潜)を参照。

テキサス級>:アメリカ海軍超弩級戦艦Texas級。アーカンソー型の改良型で、アメリカ初の超弩級戦艦でもあり、1910年計画で建造された。船体は平甲板型で、主砲を35.6cm連装砲塔(重量532トン。射程は仰角15度で19200m。電動式、俯仰角マイナス5度からプラス15度、俯仰速度毎秒4度、旋回速度毎分100度)に強化し、装甲も35.6cm砲弾対応にしている。主機はタービンにする計画もあったが、BB-29ノース・ダコタの運用実績から燃費が思った以上に悪いと判明、アメリカ西岸からフィリピンまでの無補給航行が困難であり、レシプロ機関となった。マストは籠マストが前後に1本ずつあり、その間に煙突が2本立っている。全長174.7m、幅29.1m、吃水8.7m、常備排水量27000トン。主機は直立型4気筒3段膨張式レシプロ蒸気機械2基、主缶はバブコック&ウィルコックス式混焼水管缶(20.7気圧、過熱蒸気)14基(12基?)で、出力28100軸馬力、2軸推進、速力21ノット、石炭搭載量2850トン、重油搭載量267トン、航続距離は10ノットで7060海里。兵装は45口径35.6cmMk1連装砲塔5基(前後に背負い式で2基ずつ、中央1基)51口径12.7cm単装砲21門、533mm水中発射管2門(4門?)。装甲厚は水線部305mm、甲板50mm、砲塔前楯356mm279mm?)、砲塔天蓋102mm、司令塔305mm。乗員1042名(士官58名、下士官兵994名。計1530名?)。BB-34ニューヨーク、BB-35テキサスが1914年に就役した。第1次大戦中までに砲塔上に測距儀を装備、高角砲を搭載するなどの改装を実施した。1925-27年に改装を実施し、前後マストを三脚式に変更、後部マストを3番砲塔前方から4番砲塔前方に移した。缶は重油専焼(20気圧、214℃)6基となり、煙突が1本に減少。バルジを装着して幅が32.4mになり、水平防御を強化した。3番砲塔にはカタパルトを設置している。舷側の副砲3門ずつを一段上の甲板に移設、7.6cm単装両用砲10門を増設し、2番砲塔と艦橋に測距儀を搭載した。出力25400馬力、速力19.7ノット。1941年にも改装を実施し、主砲仰角増大、主船体の副砲撤去、対空兵装強化(最終的に40mm4連装機銃10基)が行われた。参考:近代戦艦史、第2次大戦のアメリカ軍艦、月刊世界の艦船3,151,124,17

<テキサスレンジャー>:OH-58シリーズ(ヘリ)を参照。

<テキサン>:AT-6(練習機)を参照。

<テキサンⅡ>:T-6A(練習機)を参照。

溺者救助部署>:海上自衛隊の部署。緊急部署の1つで、航行中の艦船から人が海に落ちた際に発動される。発見者は「落水者発生」と叫び、落水者が近い場合には艦船が反転して落水者に接近し、救助要員が直接飛び込んで救助、落水者が遠い場合には艦載艇を降ろして救助に向かう。他の要員は持ち場に集合して点呼を行い、落水者を特定する。救助されて艦上に引き上げられた落水者はメディカルチェックを受け、必要な救命措置が行われる。参考:MAMOR vol.137

テキストロン・アビエーション>:テキストロン社傘下の航空機会社で、セスナとビーチクラフトが統合されて創設された。参考:月刊JWings3,16

<テキストロン・アビエーション式172S型>:セスナ172海外ファミリーを参照。

テキストロン・エアランド>:テキストロン社傘下の航空機会社。テキストロン社と軍用複合材ベンチャーのエアランド・エンタープライゼズ社がスコーピオン多用途機を開発製造するため合弁で創設した。参考:月刊JWings3,16

テキストロン社>:アメリカの持ち株会社。テキストロン・アビエーションやテキストロン・エアランドを傘下に収める。参考:月刊JWings3,16

敵性語>:「軽薄な舶来思想の遺物として頑迷にこびりついている外来語」。昭和15年にタバコの銘柄と映画・レコード業界の所属芸能人について改名を行い、プロ野球のユニフォーム表記を漢字にし、音階をドレミ…からハニホ…に換えたのが最初である。昭和17年には楽団名が日本名となり、昭和18年には雑誌名とスポーツ用語が変更された。中等学校でも英語教育が廃止されてしまったため、情報戦要員の教育にかかる手間が増え、連合軍の通信傍受や暗号解読に支障を来すことになった。日本海軍では戦時中も英語教育を続けており、民間で回収された外国映画のフィルムも海軍航空隊などの娯楽として見せたりしている。井上成美海軍兵学校長は敗戦後のことを考え、表向きは「世界に自国語しか話せない海軍兵科将校は存在しない、外国語を学ぶ気の無い者は一人前の海軍士官として通用しないから日本海軍には必要無い」として、一般学校で英語教育が廃止された後も入校試験科目に英語を入れ続けた。昭和20527日の海軍記念日に海軍兵学校岩国分校で行われた分隊対抗野球では分隊監事が普通に英語で審判している。日本陸軍では柄付螺廻(えつきらまわし。ネジ回しのこと)や転把(てんぱ。ハンドルのこと)といった面倒な表記もしていて、昭和14年の自動車操縦教範で既に操向転把、変速槓杆、連動践板、制動践板といった漢字表記が並んでおり頭が痛くなるが、「ガス」践板、「マシン」油用手動喞筒などごく一部に外来語のカタカナ表記がある。九七式中戦車教程(昭和18年版)にも「パノラマ」眼鏡、無線用「アンテナ」、ヂャッキ(八九式中戦車甲の昭和12年版教程では扛重機という表記だった)といった記載があり、物凄く厳密という訳では無かったのかもしれない。参考:戦時用語の基礎知識、帝国陸海軍事典、JShips Vol.44vol.48、月刊丸7,14、日本戦車隊戦史、戦車の戦う技術、海軍兵学校岩国分校物語、自動車操縦教範

てき弾(広義)>:比較的近距離の人員や装甲車両を攻撃するため、弾頭に炸薬または化学剤を充填した弾薬。手榴弾、小銃てき弾(てき弾銃てき弾)、てき弾筒てき弾(てき弾)に分類される。参考:火器弾薬技術ハンドブック

てき弾発射機>:Granade launcher。装填、閉鎖、排莢などの操作を全て手動で行う手動式、小銃下部に装着する装着式(カートリッジ・タイプ)、作動サイクルを自動で行う自動式がある。また、ライフル銃に取り付けて発射するタイプ(Rifle Grenade)は投射方法によっても分類されており、銃口に発射筒を付けて空包で発射するカップ・ランチャー式、てき弾後部に棒を取り付けて銃口に差し込み、空包で発射するスピゴット式、フラッシュ・ハイダーに差し込んで実弾をそのまま使用して投射するブレット・トラップ式がある。参考:火器弾薬技術ハンドブック、GUN用語事典、陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

<てき弾発射器>:自衛隊の小火器。JALUX製。参考:月刊軍事研究6,14

<てき弾発射器用弾薬>:自衛隊の火工品。住商エアロシステムが受注している。参考:月刊軍事研究2,12

<てき弾発射器用弾薬(演習弾)>:自衛隊の弾薬。住商エアロシステムが受注している。参考:月刊軍事研究10,10

てき弾兵>:Grenadier17世紀頃に投擲爆薬を使用する兵科として誕生したが、安全性が低かったため、大砲の発達と共に廃れた。第1次大戦前に手榴弾の発達と共に再び登場し、イギリス、フランス、ドイツなどで兵科として認定された。軽機関銃などで敵の連射火器を制圧している隙に敵陣地に接近し、手榴弾を投げ込んで塹壕を制圧するのが主任務である。手投げだと射程に限界があるので小銃てき弾を使うようになったが、照準しにくいという欠点があり、迫撃砲や歩兵砲の登場で廃れた。ドイツ軍では今でも歩兵をこう称する。参考:手榴弾・迫撃砲、兵器最先端5、月刊軍事研究1,16

 <てき弾兵(イギリス陸軍)>:1915年に手榴弾投擲を担当する兵科として再登場したが、元祖てき弾兵を祖とする近衛歩兵からは激しい抗議があり、1916年に爆弾投擲手と名称が変更されている。部隊は下士官(班長)1名、銃剣兵2名、爆弾投擲兵(てき弾兵)2名、運搬兵2名、予備兵2名で編成され、運搬兵と予備兵がありったけの手榴弾を持って行き、敵の塹壕に飛び込んだら銃剣兵の援護の下で爆弾投擲兵が前方の塹壕内に手榴弾を次々と放り込み、塹壕を制圧することになっていた。第1次大戦で実戦投入してみると、飛び込んだ塹壕の20mくらい後ろに掘られた擲弾壕に敵の擲弾兵が潜んでいて、逆に手榴弾を投げ込まれることが多かった。また、飛び込んだ部隊が手榴弾を投げ上げることが出来ないように金網のフタが被せてあることもあり(目が300mm四方程度なので、敵が手榴弾を投げ込むのは容易である)、運用は上手くいかなかったようである。参考:手榴弾・迫撃砲、月刊軍事研究1,16

<てき弾用弾薬のう>:自衛隊の火工品。ハイランドテクノ製。参考:月刊軍事研究10,15

<てき弾用弾薬のう三発用>:自衛隊の火工品。ハイランドテクノ製。参考:月刊軍事研究6,13

敵超大型機に対する体当り攻撃の参考>:日本陸軍航空総監部が昭和204月に発行した極秘教範で、B-29に対する体当たり攻撃の要領を示したものである。まずB-29の性能を分析しており、飛行高度は偵察行動時10000-11000m、爆弾携行時8000-10000mで、航続時間16時間、航続距離5000-5500km、巡航速度は高度8000m330km9000m310km程度であり、二式単戦の全速とほぼ同じとしている。高々度でも機動性は良好。爆弾搭載量は500ポンド爆弾4-6発。次に偵察時や爆撃時の戦法について記載してあり、爆撃の前には1-2機の偵察機が先行し、関東空襲にあたっては5-12機編隊(最近は20機以上もあり)が10-30分(最近は4-60分以上)間隔で梯団を形成して高度9000mを富士山方面より侵入、迎撃を受けると単機や編隊で回避機動を行ったり、編隊での密集防御射撃を行ったりするとしている。爆撃終了後は上昇して攻撃を回避する。最後に体当たり戦法を解説してあり、前方から突入する際の飛行コースは軸線に近い前上方または直前方を選択し、前下方から突入する際には上昇に伴う速度低下に注意することと記載されている。後方からの突入は、相対速度の減少により衝撃が少なくなり、操縦者の安全を確保できる点では優れているが、防御火器による猛射で損害を受けやすいため、B-29の機銃が故障したり、弾薬切れになったりした場合にのみ軸線近くから接近して行うべきであるとした。側方突進は接敵点の判断が難しいので、なるべく軸線に近い位置に機体を持って行くようにする。衝突部位は前方突進では前部気密室、後方・側方突進では尾翼を狙い、確実を期す。また、前方突進では可能ならば主翼を敵翼に対して垂直に傾ける。衝突直前に敵機が急激な回避を行うことがあるので、衝突するまで目を瞑らないこと。参考:月刊丸10,10

<敵防空網制圧>:SEADを参照。

<敵防空網破壊>:DEADを参照。

<敵味方識別装置>:IFFを参照。

テク>:イスラエルの合成開口レーダー衛星。20081月に打ち上げられた。参考:月刊軍事研究10,09

<テグ>:818(フリゲート)またはF45(フリゲート)を参照。

<テグ級>:インチョン級バッチ2(フリゲート)を参照。

テ・ククパ>:クック諸島パシフィック級哨戒艇Te Kukupa19899月就役。20161116日、ニュージーランドのデヴォンポート海軍基地に入港。1119日、ニュージーランド海軍創設75周年記念国際観艦式に参列。参考:月刊世界の艦船2,17

<デクストラス>:MCM-13(掃海艦)を参照。

デグチャレフ>:ソ連の銃器技師。正確な発音はジェフチャリョーフ。参考:月刊グランドパワー2,05

<デグチャレフ機関銃>:DP機関銃またはDPM機関銃またはRP-46機関銃を参照。

<デグチャレフ軽機関銃>:RPD軽機関銃を参照。

<デグチャレフ短機関銃>:M1934短機関銃またはM1934/38短機関銃またはM1940短機関銃を参照。

テクニカル>:重武装四輪駆動車。四輪駆動ピックアップ・トラックの後部荷台にNSVZPU-1ZPU-2などの重機関銃を搭載したもので、民兵がヒット・エンド・ラン戦法をとるのに便利。ヘリ部隊には脅威となる。参考:月刊軍事研究8,04

テクマ>:イスラエル海軍タイプ800ドルフィン級潜水艦3番艦Tekuma2000年就役。参考:現代の潜水艦

<デグマン>:M-84シリーズ(戦車)を参照。

デクリストファロ級>:イタリア海軍フリゲート。兵装は3連装短魚雷発射管2基、爆雷投射器1基など。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

テゲトフ>:オーストリア=ハンガリー海軍フィリブス・ウニーティス級戦艦1番艦Tegetthoff1913714日竣工。第1次大戦開戦時、第1戦艦戦隊第1小隊に所属していた。1918年に除籍され、ユーゴスラビアに移管されたが、イタリアの賠償艦に指定されて引き渡され、1924-25年にラ・スペチアで解体された。参考:月刊世界の艦船4,98、近代戦艦史

<テゲトフ級>:フィリブス・ウニーティス級(戦艦)を参照。

<デコイ>:H75(駆逐艦)を参照。

デコイ>:囮のこと。参考:GUN用語事典

<デコイランチャー>:自衛隊の火工品。IHIエアロスペースまたは三菱重工製。参考:月刊軍事研究4,151,16

テ号>:日本陸軍の試作観測機で、神戸製鋼が試作した。主翼前縁に自動スラット、後縁にファウラーフラップ兼エルロンを装着し、長い主脚柱を持つ。試作機はテスト中に墜落して失われ、カ号に負けて採用されなかった。全長9.5m、全幅13m、全備重量1.13トン。エンジンはAs-10240馬力)1基で、最大速度180km。固定武装は7.7mm機銃1丁。乗員2名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇

<テ号作戦>:和号作戦を参照。

デコッキング>:コッキング・ポジションから発射することなくレスト・ポジションに戻すこと。参考:GUN用語事典

デコッキング・レバー>:デコッキング機構を作動させるレバーのこと。参考:GUN用語事典

デコレーション・ガン>:主要部を作動不能にした、展示用の銃のこと。銃を丸ごと作り直せる程度の技術や部品があれば再生できる。参考:月刊軍事研究7,95

デコント・ジェット21>:NATO軍で使用されている移動式大型除染器で、アルフレッド・ケルヒャーGmbH&Co.社製。大型トレーラーに搭載されており、戦車を丸ごと除染できる。操作人員は2名で、準備にかかる時間は15分。参考:化学・生物兵器概論

<デザート・アウル>:RO-6Aシリーズ(偵察機)を参照。

デザート・イーグル>:アメリカのマグナム・リサーチ社が開発した自動式拳銃。1986年に.357口径モデルが発売され、次いで.44マグナム弾使用モデルができ、1992年に市販最強の.50AEモデルが販売された。当初はイスラエルのIMIで製造されていたが、.50AEモデル発売頃からアメリカで生産されている。参考:GUN用語事典

デザート・イーグル>:ロッキード・マーチン社が開発したUAV。全長0.86m、全幅1.32m、最大離陸重量3.2kg。推進は電動モーターで、航続時間1時間。参考:月刊JWings8,11

<デザート・ウォーリア>:ウォーリア・シリーズ(歩兵戦闘車)を参照。

デザート・エクスプレス>:アメリカ軍がデザート・シールド作戦中の19901030日から1991519日まで行った、米本土・湾岸戦域間緊急空輸定期特急便。毎日C-1411-2便運航され、チャールストン空軍基地からダーラン空港まで17時間半で到着する。これにより、2週間かかっていた輸送品を72時間で届けることが可能となった。参考:月刊軍事研究12,99

デザート・サンダー作戦>:19982月から開始された、湾岸地域に対するアメリカ軍増派。1997年末からイラクが国連の大量破壊兵器査察を拒否・妨害し、19981月にはアメリカ人査察官9人の国外退去を要求したことがきっかけで、イギリス軍、オーストラリア空軍、カナダ国防軍も加わった。アメリカ陸軍兵士3000名、F-117A攻撃機6機、B-52爆撃機6機などを増派し、インディペンデンス空母戦闘群も向かわせたため、イラク側がアナン国連事務総長の調停案を受け入れて譲歩し、武力行使には至らなかった。参考:月刊軍事研究5,141,03、月刊JWings3,99

デザート・シールド作戦>:湾岸戦争において199087日に発動された、サウジアラビアへのアメリカ軍戦略輸送作戦。イラクがクウェート侵攻後にペルシャ湾岸に沿ってサウジアラビアにまで侵攻する恐れがあり、これを防ぐため作戦計画1002-90に基づいて発動された。目標は、サダム・フセインの次期攻撃の阻止、サウジアラビア防衛能力の増強、多国籍軍の軍事力統合化、国連安保理決議第661・第665号に基づく経済制裁の実施。合衆国輸送コマンド(USTRANSCOM)がC-5C-141をフル動員し、民間予備役空輸部隊も徴用して片道13000km、往復38時間かけてダーランの飛行場に空輸を実施。フェーズⅠ(87日から117日まで)ではCRAF(戦略集中)ステージⅠを発動、第18空挺軍団を中心に20万名の兵員と8800万食の食料、1億400万ガロンの燃料を運搬し、イラク軍のサウジ侵攻を阻止。フェーズⅡ(118日から116日まで)で第7軍団を増派。フェーズⅢ(117日から228日まで)でも引き続き増派を継続し、CRAFステージⅡを発動して民間機を徴用、25万名の兵を輸送した。軍事空輸コマンドが派遣に関する検討を始めたのは湾岸危機発生当日の82日である。荷物の積載に手間取ったり、ダーラン空港の給油能力が飽和したりとトラブルも発生したが、何とか解決して10月までにイラク機甲部隊に対抗できる兵力を揃え、輸送作戦を成功させた。受け入れるサウジアラビア側は当初1個MEB用としてビル1棟と倉庫4棟しか用意していなかったが、過去10年間に6500億ドルを投じて整備した港湾・道路インフラを駆使し、ペルシャ湾岸沿いの港湾施設のほぼ全てを提供した。85日、第26海兵機動展開旅団がアメリカを出発。86日、第1海兵機動展開旅団がハワイを出発。87日、空母サラトガ戦闘群15隻と戦艦ウィスコンシンがノーフォークを出港。2個戦闘飛行隊(F-15戦闘機48機)とE-3AWACS5機がアメリカを出発。88日、前日にアメリカを発ったF-15E-3がサウジアラビアに到着。アメリカ中央軍司令部がリヤドに移動。第82空挺師団がアメリカを出発し、同日中にサウジアラビアに到着。第101空挺師団がアメリカを出発。第1・第7海兵遠征旅団に湾岸地域への移動が命じられ、第2MPS船隊がディエゴ・ガルシア、第3MPS船隊がグアムから出撃した。810日、F-16戦闘機2個飛行隊48機をサウジアラビアに派遣。811日、第1海兵師団がアメリカを出発。813日、第7艦隊旗艦ブルーリッジが横須賀を出港。第24歩兵師団(機械化)第2旅団を積載した高速輸送艦カペラがジョージア州サバンナ港を出港。この頃サウジアラビアに展開を終えたアメリカ軍戦力は第82空挺師団4575名、AH-64A攻撃ヘリ15機、OH-58観測ヘリ8機、M-551空挺戦車18両、TOW発射機56基、M102榴弾砲12門、MLRS2両であった。814日、空母ジョン・F・ケネディ戦闘群8隻がノーフォークを出港。816日、リヤドにアメリカ中央軍前方司令部が展開した。817日、アメリカ陸軍第1騎兵師団がテキサス州を出発。第4海兵遠征旅団の第一陣が輸送揚陸艦2隻、揚陸艦2隻、戦車揚陸艦1隻に分乗してノースカロライナ州モーアヘッド・シティー港を出港。820日、F-117攻撃機22機がアメリカを出発。第4海兵遠征旅団の第二陣が強襲揚陸艦1隻、輸送揚陸艦1隻、揚陸艦1隻、戦車揚陸艦1隻に分乗してモーアヘッド・シティー港を出港。821日、第4海兵遠征旅団の第三陣が強襲揚陸艦2隻、戦車揚陸艦2隻に分乗してモーアヘッド・シティー港を出港。824日、サラトガ戦闘群が湾岸地域に到着、空母アイゼンハワーに換わりアカバ湾封鎖任務に就いた。825日、第7海兵遠征旅団がサウジアラビアへの展開を終了。827日、B-52のサウジアラビア展開を開始。高速輸送艦カペラがサウジアラビアのダンマン港に到着。828日、ブルーリッジがペルシャ湾に到着。829日、第3機甲師団が西ドイツを出発。中東への輸送任務に就いていた第433軍事空輸航空団のC-5Aが中継点となるドイツのラムシュテイン基地で着陸に失敗し、乗員13名が死亡した。93日、第4海兵遠征旅団第一陣が湾岸戦域に到着。96日、第4海兵遠征旅団第二陣が湾岸戦域に到着。97日、第13海兵遠征隊が湾岸戦域に到着。99日、第4海兵遠征旅団第三陣が湾岸戦域に到着。925日、第24歩兵師団(機械化)の全兵力がサウジアラビアへの輸送を終了した。118日、ブッシュ大統領が空軍機400機以上、空母戦闘団3個、第7軍団、第2海兵師団の派遣を決定。ヨーロピアン・デザート・エクスプレスが発動。MPSRON-2/-3が動員され、6週間で3万名の海兵隊部隊をサウジアラビアに展開した。更に緊急輸送用にデザート・エクスプレスを開始した他、大量の艦船をチャーターし、ヨーロッパからも武器や物資を大量輸送した。しかし取り敢えず積みやすいものからどんどん積んでいったので、砲弾が到着しても装薬が無かったり、信管が無かったり、重装備が全部揃うのに1ヶ月以上かかったりした。1114日、アメリカ陸軍予備役80000名、海軍予備役10000名、海兵隊予備役15000名、空軍予備役20000名の招集命令が発出された。サウジアラビアに到着した部隊の集結地点までの移動では、第7軍団の輸送路が幹線道路1本しか無く、M-1戦車を運搬するM911トラクターが能力・数量共に足りず、128日に第1機甲師団と第1歩兵師団が、131日にイギリス第1機甲師団が漸く展開を終了、第3機甲師団は2月に入って戦術集結地に集合し、217日までに前方集結地への前進を終了した。第18空挺軍団は比較的軽い車両がメインだったため、大半はC-130輸送機により空路で戦術集結地に向かい、17%の車両が第7軍団輸送路の南側にある迂回道路を1000km自走、129日までに主力の移動を終了し、27日に全隷下部隊の移動を完了した。第5海兵遠征旅団は12月初旬にアメリカ西海岸を出港し、112日に湾岸戦域に到着した。展開兵力は、アメリカ軍地上兵力が中央統合軍陸軍部隊司令部兼第3軍司令部、第18空挺軍団(第82空挺師団、第101空挺師団、第24歩兵師団)、第3軍団(砲兵司令部、第1騎兵師団、第2機甲師団第1戦闘旅団、第11野戦防空砲兵旅団、第3機甲騎兵連隊)、独立第197歩兵旅団、第7軍第5軍団第12戦闘航空団、第1特殊作戦司令部第5特殊部隊群、第3特殊部隊群、第22支援集団、第8心理戦大隊、中央統合軍空軍特殊作戦司令部第1特殊作戦航空団、陸軍予備第96戦闘航空旅団、第1海軍特殊戦群、戦闘航空写真班、中央統合軍海兵隊司令部、第1海兵遠征軍。第1騎兵師団、第24歩兵師団はM-1戦車を装備していたため、陸軍参謀総長がシュワルツコフ中央軍総司令官にかけあってヨーロッパの事前集積部隊から865両のM-1A1を取り寄せ、これらと第3機甲騎兵連隊、第1騎兵師団のM-1A1合わせて1032両をM-1A1HA相当にダンマン港で現地改造した。手順は、装甲パッケージを劣化ウラン入りに交換し、タービンエンジンに耐熱シールドを取り付け、ハロン自動消火装置及びNBC防護装置をメンテナンスし、砲手・車長用照準器をレーザー防護式に変更、車両をサンドカラーに塗り替える、というものであった。陸軍州兵はジョージア州軍第48歩兵旅団、ミシシッピ州軍第155機甲旅団、ルイジアナ州軍第256歩兵旅団を動員したものの、いずれも練度不足で派遣されなかった。アメリカ以外の地上兵力はイギリス中東派遣軍第7機甲旅団、イギリス第22特殊航空任務連隊、フランス湾岸派遣軍第6軽機甲師団、フランス特殊部隊、ロイヤル・サウジ地上軍、サウジアラビア国家警備隊、バーレーン地上軍(1個装甲車化歩兵中隊)、カタール地上軍(1個機械化歩兵大隊戦闘団)、UAE地上軍(1個機械化歩兵大隊)、オマーン地上軍(北部オマーン旅団)、クウェート地上軍(5個旅団と1個大隊)、エジプト地上軍(1個軍団、2個師団、1個連隊)、シリア地上軍(第9機甲師団、第4特殊戦旅団)、バングラデシュ地上軍(第1東ベンガル歩兵大隊、1個戦闘工兵隊)、モロッコ地上軍(第6機械化大隊と特殊部隊)、ニジェール地上軍(1個歩兵大隊)、パキスタン地上軍(第7機甲旅団)、セネガル地上軍(第1歩兵大隊)、アラブ合同軍特殊部隊、アラブ合同軍通信部。総兵力はデザート・ストーム作戦直前でアメリカ軍42万名以上、その他の国が25.5万名以上。航空戦力は固定翼機2500機以上、回転翼機1500機。海上戦力はアメリカ軍80隻以上、多国籍軍90隻以上。フランス海軍は空母クレマンソー、ミサイル巡洋艦コルベール、対潜駆逐艦デュプレ、モンカルム、フリゲートのコマンダン・ボリ、補給艦3隻、工作艦ジュール・ベルヌなどが参加したが、クレマンソーは第5戦闘ヘリ連隊を輸送したのみで、作戦には参加しなかった。陸上戦力は、アメリカ軍26-27万名、その他の国の地上軍20万名、アメリカ軍戦車はM-1835両、M-1A1650両、M-1A1HA(現地改造)が1032両、M-1A1HA694両(海兵隊76両含む)、M60A1277両、M55156両、アメリカ軍装甲車2000両、アメリカ軍対戦車ヘリコプター300機。トラックは陸軍・海兵隊合わせて37800両を配備しており、うちM911M915M916M920といった牽引トラクターが3454両、M977系及びMk48系重機動トラックが5025両、M39M809M939といった5トン積みトラックが15321両、M442.5トン積みトラックが14000両であった。イギリス陸軍装備はチャレンジャー戦車221両、ウォリアー歩兵戦闘車324両など。アメリカ陸軍のM-1戦車シリーズ総計3135両のうち、前線に配備されたのは1963両で、残る1172両は予備として後方に残された。第22支援集団は地上部隊用の燃料3600万ガロン(5.2日分)、弾薬11.5万トン(45日分)、食糧2960万食(29日分)を事前に集積した。ペルシャ湾、ホルムズ海峡、紅海では海上阻止行動(臨検)を行い、商船30000隻のうち7500隻以上の行き先をチェックし、964隻に臨検を実施、51隻の行き先を変更させ、11回の警告射撃を実施、積み荷没収は11回行った。参考:軍事分析湾岸戦争、月刊グランドパワー3,95、月刊軍事研究1,988,025,086,086,117,125,145,16、月刊丸12,92、月刊世界の艦船5,91

<デザート・シップ>:LLS-1(イージスシステム試験装置)を参照。

デザート・ストーム作戦>:湾岸戦争における、イラク軍に対する多国籍軍の航空攻撃作戦。これはアメリカ軍名称で、イギリス軍はグランビー作戦(Operation Granby)と命名している。作戦の目的は、イラク軍最精鋭である共和国親衛隊の殲滅。第1段階で指揮統制通信施設、政府機関、NBC兵器生産・開発施設、軍事施設、軍産複合体などの戦略目標を破壊し、第2段階で防空施設を制圧、第3段階で地上戦に備えた航空阻止と戦術目標攻撃を行い、第4段階で地上戦における近接航空支援を行った。クウェート及び南部イラクに配置されたイラク軍地上部隊は、第2戦車軍団(ヤルムーク軍団)、第3軍団(ガディシエ軍団)、第4軍団、第6軍団、第7軍団(ジハード軍団)、第9軍団、共和国親衛隊の計7個で、兵力435000名(定数は545000名だが、充足率が低かった)、戦車3475両、装甲車3080両、火砲2475門に及んだ。また、海上作戦を妨害するため、ペルシャ湾に1000個の機雷を撒布したとみられる。イラク空軍作戦機は724機で、MiG-29戦闘機35機、MiG-25A/E要撃機22機、MiG-23G戦闘機37機、ミラージュF1EQ戦闘機65機、MiG-21戦闘機206機、MiG-23E戦闘機40機を装備していた。イラク軍の本土防空兵器は固定式対空砲2404門、牽引/自走対空砲6100門、赤外線誘導SAM7380基(SA-76500基、SA-9400基、SA-13192基、SA-14288基)、レーダー誘導SAM3679基(SA-2/3/6400基、SA-8140基、ローランドⅡが66基など)、対空砲陣地972ヵ所。これらに対して、多国籍軍は高度3000m以上を飛行して対空砲と赤外線誘導SAMの射程外から攻撃し、レーダー誘導SAMSEADにより制圧することとした。湾岸地域に派遣された多国籍軍航空兵力は2790機、うち戦闘に参加したのは1677機(アメリカ空軍954機、アメリカ海軍・海兵隊334機、サウジアラビア空軍184機、イギリス空軍64機、フランス空軍41機、クウェート空軍35機など)である。展開先は主にサウジアラビアで、バーレーン、カタール、UAE、トルコにも配置されている。制空戦闘に参加した多国籍軍戦闘機は、アメリカ空軍F-15戦闘機125機、海軍F-14要撃機109機、F/A-18戦闘攻撃機89機、イギリス空軍トーネードF3戦闘機18機、フランス空軍ミラージュ2000戦闘機12機、カナダ空軍CF-18戦闘機26機、サウジアラビア空軍F-15戦闘機72機、同トーネードADV24機、バーレーン空軍F-16戦闘機12機。アメリカ空母戦闘群は6個が展開し、中央軍海軍部隊(USNAVCENT)の隷下に入ったが、アメリカ中央軍司令部からの任務命令受信がコンピュータソフトの関係で出来なかったため、命令書をヘリで物理的に輸送した。空母戦闘群のうち、CV-60サラトガ、CV-66アメリカ、CV-67ジョン・F・ケネディ(第3空母航空団のF-14戦闘機22機、A-7攻撃機24機、A-6攻撃機16機、KA-6給油機6機、E-2早期警戒機5機、EA-6電子戦機5機、S-3対潜哨戒機5機、SH-3哨戒ヘリ6機、CG-56サン・ジャシント、CG-51トーマス・S・ゲイツ、CGN-40ミシシッピ、DD-980モースブラッガー、FFG-58サミュエル・B・ロバート、AOE-3シャトルからなる)からなるY戦闘団は紅海に、CV-41ミッドウェイ、CV-61レンジャー、CVN-71セオドア・R・ルーズベルトからなるZ戦闘団はペルシャ湾に展開した。B-52爆撃機の一部はディエゴ・ガルシア島、イギリスのフェアチャイルド基地、スペインのモロン基地、アメリカ本土からはるばる飛んできている。イラク周辺にはE-3B/C14機配備され、11機はサウジアラビア、3機はトルコに展開し、イラク・トルコ国境沿いを1機、イラク・サウジアラビア国境沿いを2機、イラク・クウェート国境沿いを1機が常に周回(それぞれ国境からは200km離れている)してイラク上空を飛行する多国籍軍機の管制にあたった他、サウジアラビアの後方を1機が周回し、空中給油機に対して管制を実施、サウジ南部に1機が周回して通信中継を行っていた。また国境沿いのE-3EC-130Hコンパス・コールとペアを組んで周回しており、それらをF-15Cが常にバリアCAPで防御していた。海軍のE-2C29機が配置され、洋上の監視にあたった。1991115日、イラクの通信網に対する電子妨害を開始。116日、シークレット・スクレル作戦開始。117日、中央軍作戦命令91-001を発令。現地は新月で、ペルシャ湾の満潮を迎え、「攻撃には絶好の日和(航空自衛隊第3航空団司令及び同気象隊長の言)」だった。イラク国境から200kmほど離れた所を160機のKC-135KC-10Aが周回し、多国籍軍爆撃部隊へ給油を行った。0020、カミス・ムシャイト航空基地を第37戦術戦闘航空団のF-117ステルス機30機が離陸。2度の空中給油を行い、トルコ側からイラク防空網を正面突破してイラク防空システムの爆撃に向かった。0120、紅海上の空母サラトガ及びジョン・F・ケネディからAGM-88を搭載したF/A-18攻撃機10機、A-7攻撃機8機と、ADM-141Aデコイを搭載したA-6E攻撃機2機、護衛のF-14戦闘機3機、KA-6空中給油機3機が発艦。空母アメリカからはADM-141を搭載したA-6E攻撃機4機が発艦した。サウジアラビアからは4発ずつのAGM-88を搭載したF-4Gワイルド・ウィーゼル12機が離陸。0130、サン・ジャシントがトマホークを発射。次いでバンカーヒルが発射し、その後も次々とトマホークが虚空に吸い込まれていった。0200、アメリカ陸軍第101空挺師団のAH-64A9機(8機+予備1機。名称はタスクフォース・ノルマンディ。ヘルファイア8発、230ガロン増槽1本、M261ロケットポッド1個装備)がサウジアラビアの基地を離陸。15分後に離陸したMH-53Jペイブ・ロウⅢ2機(レッドチーム。1機?3機?)に誘導され、高度15mを時速37kmで進み、現地時間0239、サウジ・イラク国境西部にあるイラク領内の2箇所のレーダーサイト(P-15/P-15M/P-18早期警戒レーダー装備。UHF/VHFレーダーのためAGM-88ではロックオンできない)から5026m手前に到達した。「パーティ・イン・テン(10秒以内に射撃開始)」のコールの後、ヘルファイア32発を発射し、4kmまで接近してFFAR2kmまで接近して30mm機関砲弾を叩き込み、4分間で両サイトを完全に破壊、イラク軍要員150名のうち130-140名を殺害して幅32kmの進入コリドーを確保した。これを表示するため、MH-47ヘリが11基のレーダー・リフレクターを設置。ここから0243EF-111A電子戦機2機に先導されたF-15E戦闘爆撃機(500ポンド爆弾12発搭載)22機が突入し、イラク西部にある高射砲281門を配した対空陣地138個と対空ミサイル陣地90個に守られた2カ所のスカッドミサイル陣地を攻撃に向かった。0251F-117がイラク南部ヌハイブにある迎撃作戦センターにレーザー誘導爆弾を投下。0300(H時)、F-117Aがバグダッドの国際電話通信センター(14階建てAT&Tビル)にGBU-27を投下。屋根に開いた大穴から別のF-117AGBU-10を叩き込み、ビルを完全に破壊した。次いでイラク中部の防空戦区作戦センター、バグダッド周囲の迎撃作戦センターを破壊。F-117A第1波10機は20発の誘導爆弾のうち17発を投下して13発を命中させ、第2波12機は24発中16発を投下して10発を命中させた。第3波8機は悪天候が災いして16発中5発しか命中しなかった。0306、ペルシャ湾の艦艇から発射されたトマホーク52発が目標に着弾(20発がタジの化学兵器関連施設、12発が電力施設、8発が大統領官邸)。0310、アルカ・カークの中央電話中継所がGBU-27A/BGBU-10/Bにより破壊され、テレビ中継が全てストップ。0320、バクダッド戦区作戦センターの早期警戒レーダーが多国籍軍の編隊を探知。これは西からバクダッドに向かうアメリカ海軍と、南から向かうアメリカ空軍のSEAD部隊であった。空軍は事前にBQM-74ドローン38基をアル・タカダム空軍基地とバクダッド上空に発射しており、海軍のA-6EADM-141TALD25発を発射した。これを探知した早期警戒レーダーの指令により、イラク軍SAM陣地がレーダーを照射したところでSEAD部隊がHARM67発(海軍45発、空軍22発)を叩き込んで沈黙させた。他の防空レーダー及びレーダー誘導SAMも、予定通りF-4Gワイルドウィーズルとトーネード、EA-6BEF-111F-16F/A-18A-7などによる別働SEAD編隊で潰した。カリ防空システムは10種類の攻撃機とトマホークで爆撃、総計630回の爆撃を繰り返し、システム全体の破壊はならなかったものの、無力化に成功した。イギリス空軍のトーネードはクウェートに向かい、飛行場をJP233で、防空レーダーをALARMで潰した。これにより、開戦初日に制空権をほぼ確保することに成功。初日の出撃機は戦闘用作戦機数700機、延べで2759機にも達し、2500トンの爆弾・ミサイルを投下した。0315、第33戦術戦闘航空団(33TFW)のF-15C1機がAIM-7MiG-29戦闘機1機を撃墜。032033TFWF-15C1機がAIM-7でミラージュF1戦闘機1機を撃墜。032033TFWF-15C1機が空戦機動でミラージュF1戦闘機1機を撃墜。0320過ぎ、1TFWF-15C1機がAIM-7でミラージュF1戦闘機1機を撃墜。午後、33TFWF-15C2機がAIM-7MiG-29戦闘機2機を撃墜。空母サラトガ所属のF/A-18戦闘攻撃機1機がAIM-7で、1機がAIM-9MiG-21戦闘機1機ずつを撃墜。F/A-18はそのままMk84爆弾による爆撃任務をこなしている。深夜、SEAD任務でバグダッド西に向かった空母サラトガ搭載VFA-81所属F/A-18C戦闘機1機が、バグダッドの北東54kmで行方不明になった。航跡情報と位置情報を解析した結果、付近にいたMiG-25PDS戦闘機のR-40TDパッシブ赤外線誘導式ミサイルによる不意打ちを喰らい撃墜されたと判断されている。パイロットの遺骨は2009年に漸く発見された。対地攻撃部隊は戦略爆撃やSEADの他、一部は共和国親衛隊攻撃にも回されており、118日までの2日間にハムラビ師団に対してF-16戦闘機42機、B-52爆撃機15機、F/A-18戦闘攻撃機22機、F-15E戦闘爆撃機8機が、タワカルナ師団に対してF-16戦闘機146機、B-52爆撃機6機、F/A-18戦闘攻撃機8機が、メディナ師団に対してF-16戦闘機26機、B-52爆撃機10機、F/A-18戦闘攻撃機6機が主に無誘導爆弾及びクラスター爆弾による爆撃を加えたが、殆ど効果が無かった。また、117-23日にかけてクウェート・サウジ国境沿いのサダム・ラインにいる歩兵師団をターゲットとした攻撃作戦を実施、まずは高度3000mを飛行するF-16からの無誘導通常爆弾及び高度9000mを飛行するB-52G爆撃機からのCBU-87クラスター爆弾による攻撃を行ったが、通常爆弾は命中率が低すぎ、クラスター爆弾は破壊力が無さ過ぎ、掩体に潜ったイラク軍戦車隊には殆どダメージを与えることができなかった。イラクが大量に配備していた12.7mm重機関銃、シルカの23mm機関砲、SA-7SA-14を避けるために多国籍軍は飛行高度を下げることができず、戦車などの小目標に対する正確な攻撃は困難で、唯一頑丈なA-10が高度1200-2100mから30mm機関砲やマーヴェリック、クラスター爆弾で塹壕に隠された兵器や弾薬をピンポイントで潰していった。トマホークは117日に122発、118日に94発が発射され、バグダッド周辺の重要目標16カ所などを破壊した。118日、多国籍軍は地対空ミサイルでイラク軍機5機を撃墜し、アメリカ海軍・海兵隊・イタリア軍機計3機が地対空兵器で撃墜された。A-6E攻撃機が哨戒艇1隻を撃沈している。119日、パッケージQによるバグダッド昼間爆撃を実施したが、作戦は失敗。バクダッド南方の核研究施設に対する昼間爆撃も失敗し、以降はF-117による夜間爆撃に切り替えた。33TFWF-15C2機がAIM-7MiG-25要撃機2機を撃墜。33TFWF-15C1機がAIM-7MiG-29戦闘機1機を撃墜。33TFWF-15C1機が空戦機動でMiG-29戦闘機1機を撃墜。33TFWF-15C2機がAIM-7によりミラージュF1戦闘機2機を撃墜。アメリカ・イギリス・サウジアラビア軍機計7機が地対空兵器で撃墜された。121日、F-14A戦闘機1機が地対空兵器で撃墜された。夜、F-117攻撃機8機により核研究施設を再攻撃、2基の原子炉を破壊し、1基を大破させた。124日、サウジ空軍のF-15戦闘機2機がAIM-9によりミラージュF1戦闘機2機を撃墜。航空基地にはコンクリートバンカーが計594個も建設されており、イラク軍が航空機をバンカー内に温存している(一時ペイブウェイⅢが不足したので、バンカーを貫徹できず、イラク軍が安全と判断して退避させた)と判明した開戦7日目からF-117GBU-27及びF-111FGBU-24で片っ端から爆撃し、375個をイラク軍機141機もろとも吹き飛ばした。これを見て126日頃からイラク軍はイランに121機を避難させた。126日、33TFWF-15C3機がAIM-7によりMiG-23戦闘機3機を撃墜。127日、36TFWF-15C2機がAIM-9によりMiG-23戦闘機2機を撃墜。36TFWF-15C1機がAIM-7によりMiG-23戦闘機1機を撃墜。32TFWF-15CAIM-7によりミラージュF1戦闘機1機を撃墜。シュワルツコフ司令官は絶対航空優勢を確保したと宣言し、作戦は第3段階に移行。東経45度よりも東側、北緯31度よりも南側に展開するイラク地上軍43個師団に対する攻撃に入った。効率的に爆撃を行うため、この範囲を48km四方のキルボックス(北から南へ8・7・6・5・4の5段、西から東へAAABACADAEAFAGAHの8列、計40個)に区切り、各飛行隊を割り当てることにした。実際には各キルボックスを更に4等分し、それぞれに1個編隊4機を割り振った。特に重点が置かれたのはクウェート領内に集中配置されているイラク軍一般師団と、クウェート北方・西方のイラク領内に置かれている共和国親衛隊であり、メディナ師団の展開するクウェート北方のAF-7、タワカルナ師団の展開するクウェート西方のAE-6、クウェート市周辺のAG-5、タワカルナ師団及び第10・第12戦車師団の展開するクウェート西部のAF-6、ハムラビ師団の展開するクウェート北方(バスラ南方)のAG-7、クウェート南部のペルシャ湾岸域であるAH-4への攻撃が頻回に実施された。イラク空軍はイランへの航空機退避を開始。124日から30日、キルボックス爆撃のターゲットは国境沿いからイラク深部で、共和国親衛隊を中心に爆撃を加えた。特にメディナ戦車師団が配置されているキルボックスAF-7にはB-52F-16を中心に805回の爆撃が加えられたが、隠蔽が厳重で、対空砲火が濃密だったため、殆ど成果を挙げることができなかった。128日、イラク南半分でCAPが可能となり、AWACSの監視範囲がイラク全土に広がった。33TFWF-15C1機がAIM-7によりMiG-23戦闘機1機を撃墜。アメリカ海兵隊AV-8A攻撃機が高射機関砲で撃墜された。129日、カフジにイラク軍が奇襲攻撃。36TFWF-15C1機がAIM-7によりMiG-23戦闘機1機を撃墜。イギリス海軍駆逐艦グロスターとフリゲート・ブレイズンから発艦したリンクス対潜ヘリがイラク軍哨戒艇を発見、アメリカ海兵隊のAH-1Wとサウジアラビアのドーファンの応援を得て5隻を撃沈した。130日、多国籍軍はクウェート・イラク上空の制空権を獲得したと発表。131日から26日のキルボックス爆撃のターゲットは前回と同じで、規模が拡大された。しかし、131日、U-2偵察機による評価の結果、共和国親衛隊の戦力は99%健在であることが分かり、戦術を転換する必要性に迫られた。131日、イギリス海軍リンクスがイラク海軍ポルノクヌイ級揚陸艦を対艦ミサイルで航行不能にした。アメリカ空軍AC-130H攻撃機が地対空ミサイルで撃墜された。22日、36TFWF-15C1機がAIM-7によりIl-76早期警戒機1機を撃墜。アメリカ空軍A-10A攻撃機1機が地対空ミサイルで撃墜された。アメリカ海軍A-6E攻撃機1機が高射機関砲で撃墜された。多国籍軍はペルシャ湾の制海権を獲得。この日までに延べ314機のB-52爆撃機が1日あたり1600発のクラスター爆弾を投下し続けたが、戦車以外の車両を毎日6-8両ずつ破壊したにすぎないと判定された。23日、夜間飛行をしていたF-111Fからペイブ・タックFLIRにより掩体壕に隠れている戦車を砂との温度差で発見することが可能という情報が入ったため、クラスター爆弾(14000ドル)の6割の値段であるGBU-12レーザー誘導爆弾(9000ドル)を使用してピンポイント攻撃をかけることにした。24日、戦艦ミズーリとウィスコンシンがクウェート沿岸のイラク軍陣地に艦砲射撃を実施。キブリトに海兵隊2個師団が1週間分戦闘を維持できる物資を集積した。F-16によるキラー・スカウトを開始。25日、アメリカ空軍A-10A攻撃機1機が高射機関砲で撃墜された。アメリカ海軍F/A-18戦闘機1機が撃墜された(兵器は不明)。2100F-111F爆撃機2機がGBU-12を4発ずつ搭載してメディナ戦車師団攻撃に出撃、8発を投下して戦車4両と野砲1門を破壊し、この戦法の有効性を実証。以降F-111Fは戦略爆撃任務から外されて夜間の戦車狩りに専念し、雲が厚くレーザーの通らない日を除き連夜出撃して戦車を破壊し続けたため、イラク軍戦車乗員は夜間に戦車を離れて塹壕内で休むようになった。26日、36TFWF-15C2機がAIM-9によりMiG-21戦闘機2機を撃墜。36TFWF-15C2機がAIM-9Su-25攻撃機2機を撃墜。926TFGA-10A攻撃機1機が30mm機関砲でBo105ヘリ1機を撃墜。27日から213日、キルボックス爆撃のターゲットは同じだが、F-111Fによる夜間レーザー誘導爆弾攻撃を多用するようになった。また、F-111Fと同様の夜間攻撃システムを持つF-15EA-6Eも同じ戦車攻撃任務に就くようになった。27日、ルクイ・ポケットの戦いを開始。空母レンジャー所属のF-14戦闘機1機がAIM-9Mi-8ヘリ1機を撃墜。33TFWF-15C3機がAIM-7Su-7/-17攻撃機3機を撃墜。36TFWF-15C1機がAIM-7でヘリ1機を撃墜。イギリス空軍トーネードGR.1が地対空ミサイルで撃墜された。28日、アメリカ海軍SBU8名とクウェート海兵隊員32名がペルシャ湾のカラー島を占領。29日、アメリカ海軍SBUとクウェート海兵隊員がマラディム島を占領。アメリカ海兵隊F/A-18戦闘機1機とAV-8B攻撃機1機が地対空ミサイルで撃墜された。211日、36TFWF-15C1機がAIM-7でヘリ1機を撃墜。213日、アメリカ空軍EF-111電子戦機1機が撃墜された(兵器は不明)。サウジアラビア空軍F-5E戦闘機が高射機関砲で撃墜された。夜、キルボックスAF-7AF-6AE-7AE-6を中心に猛爆撃が加えられた。AF-7AE-7にはF-111Fが計60機出撃し、120発のGBU-12を投下。AF-6AE-6にはF-15E10機、A-6E16機、LANTIRN装備のF-16戦闘機8機が投入された。214日、アメリカ海軍SBUとクウェート海兵隊員がクーバー島を占領。F-15E戦闘機1機がヒューズ500ヘリ1機を撃墜。イギリス空軍トーネードGR.1が地対空ミサイルで撃墜された。215日、10TFWA-10A攻撃機1機が30mm機関砲によりMi-8ヘリを撃墜。メディナ師団攻撃にA-10を投入することになり、サイドワインダー2発、マーベリック2発、CBU-58クラスター爆弾6発、電子戦ポッドを積んだ4機が出撃、装甲車を破壊したが、1機の尾部でSA-13のミサイルが炸裂し、右昇降舵を吹き飛ばされた(その後基地に帰投)。後詰めとして更に2機のA-10が到着し、機関砲で戦車を破壊したが、1機にSA-13のミサイルが命中、右主翼と油圧系統を吹き飛ばされて操縦不能となり、パイロットは射出座席で脱出、イラク軍の捕虜となった。次いで僚機にもSA-13のミサイルが命中して墜落、パイロットは脱出できずに死亡した。これによりA-10によるイラク南部の共和国親衛隊攻撃任務は中止された。218日、水陸両用作戦強襲艦トリポリと、イージス巡洋艦プリンストンが触雷損傷した。219日、アメリカ空軍OA-10A観測機が地対空ミサイルで撃墜された。220日、クウェート国境から30kmの地点に海兵隊の兵站基地(燃料500万ガロン、水100万ガロン、滑走路2箇所、手術室14を持つ野戦病院などを貯蔵・建設)が完成した。223日、アメリカ海兵隊AV-8B攻撃機1機が地対空ミサイルで撃墜された。本作戦を通して空中戦ではイラク軍機38機を撃墜し、撃墜したイラク軍固定翼機33機のうち29機がアメリカ空軍F-15C、2機がアメリカ海軍F/A-18、2機がサウジ空軍F-15Cによるものであり、スパローで22機(目視距離外が16機)、サイドワインダーで9機、空中機動で2機を撃墜した。他に、F-15EGBU-10でホバリング中に爆破されたMi-8も1機あった。アメリカ軍が発射したスパローは88発(うち空軍67発)、サイドワインダーは86発(うち空軍48発)である。飛行場爆撃にはJP233を搭載したトーネードGR1を投入したが、弾幕射撃を喰らって7機が撃墜され、また破壊力も小さくて1日で修復されてしまった。このため、誘導路を破壊して運用不能とした後にバンカーごとイラク軍機を吹き飛ばす戦術に変更した。イラク軍はイスラエル・サウジアラビアに向けてスカッドミサイルを発射。イスラエルが反撃を加えた場合にはアラブ諸国への悪影響が予想されたため、イスラエルは反撃を自重し、多国籍軍はJ-STARSRF-4CTARPSポッド搭載F-14AU-2TR-1などでスカッドを捜索し、F-15Eで破壊した。多国籍軍による爆撃は通算35085回で、うち23430回がイラク地上軍に向け実施されている。A-10A136機、OA-10A12機がそれぞれ8084ソーティと660ソーティをこなし、A-10Aの出撃のうち6365ソーティが航空阻止、1041ソーティが近接航空支援で、他は捜索救難や対航空作戦である。A-10A6834回の攻撃を行い、うち3367回が戦車狩りで、発射されたマーヴェリックは5255発、うち4801発が戦車に向けて発射された。損害はA-10Aが4機、OA-10Aが2機で、全てSAMによるものである。F-111F2802回の攻撃を行い、うち1804回が地上攻撃(戦車狩り含む)、496回が空軍施設に対する爆撃であった。GBU-124493発が投下され、半分以上はF-111Fが地上攻撃(戦車狩り含む)に使用した。第3段階作戦におけるキルボックスへの攻撃回数は、AE-869回(F-1650回、F-111が4回)、AF-8249回(F-16191回、F-11115回、B-5218回)、AG-8123回(F-1697回、F-111が6回)、AE-7233回(F-16135回、F-11140回、B-5219回)、AF-7(イラク南部、メディナ師団が布陣)が2988回(F-161731回、A-1010回、B-52256回、F-111772回、その他が219回)、AG-7(イラク南部、ハムラビ師団が布陣)が1553回(F-161012回、F-111249回、B-5238回)、AH-750回(F-1648回)、AC-6140回(F-1673回、B-5215回)、AD-6111回(F-1647回)、AE-6(クウェート西方のイラク領内、タワカルナ師団が布陣)が1976回(F-16886回、A-10424回、F-111273回、F-15E137回、B-5286回)、AF-6(クウェート西部、タワカルナ師団が布陣)が1753回(F-16910回、F-111124回、B-5234回)、AG-61018回(F-16517回、F-1114回、B-5224回)、AH-6353回(F-1619回)、AB-511回、AC-5278回(F-1687回、F-111が1回、B-5212回)、AD-5718回(F-16285回、F-11147回、B-5232回)、AE-5931回(F-16269回、F-111129回、B-5293回)、AF-5(クウェート南部)が1290回(F-16399回、A-10347回、B-52127回、その他が417回)、AG-51766回(F-16542回、A-1057回、F-111が1回、B-5261回)、AH-5769回(F-1627回、B-52が6回)、AG-41148回(F-1664回、B-5256回)、AH-41546回(F-1699回、B-5220回)、他のキルボックスは0回である。攻撃機の出撃数は第1週(117-23日)が938ソーティ、第2週(124-30日)が2796ソーティ(131日から26日)、第3週(27-13日)が3512ソーティ、第4週(214-20日)が3972ソーティ、第5週(221-27日)が4048ソーティ、第6週(地上戦開始後の228日-)が3807ソーティの計19073ソーティであった。第4週の各キルボックスへの攻撃回数は、AE-812回(F-16が6回)、AF-812回(F-1611回)、AG-821回(F-1621回)、AE-719回(A-10が2回、F-1616回)、AF-7766回(B-5220回、F-16488回)、AG-7279回(F-16218回)、AH-7が1回、AC-627回(F-1619回)、AD-646回(A-10が8回、F-1616回)、AE-6243回(A-1010回、B-5213回、F-16176回)、AF-6599回(A-1022回、B-52が8回、F-16444回)、AG-6197回(B-5211回、F-16134回)、AH-627回(F-16が7回)、AC-540回(A-1022回、F-1616回)、AD-5121回(A-1048回、B-52が9回、F-1636回)、AE-598回(A-1050回、B-5225回、F-1622回)、AF-5197回(A-1040回、B-5238回、F-1682回)、AG-5381回(B-5219回、F-1652回)、AH-5185回(F-16が4回)、AG-4308回(F-1610回)、AH-4398回(F-16が4回)であった。メディナ師団の陣取るキルボックスAF-7への攻撃は、第1週が53回(A-10が0回、B-5216回、F-1616回、その他が21回)、第2週が805回(A-10が0回、B-5288回、F-16579回、その他が138回)、第3週が612回(A-10が4回、B-5299回、F-16482回、その他が227回)、第4週が766回(A-10が0回、B-5220回、F-16488回、その他が258回)、第5週が519回(A-10が6回、B-5212回、F-1683回、その他が418回)、第6週が233回(A-10が0回、B-5221回、F-1683回、その他が129回)で、優秀な装備を持つ共和国親衛隊に対して激しい爆撃を加え、F-111Fによる戦車狩りも行われたが、優れた隠蔽と巧妙なデコイなどにより破壊は困難で、攻撃された戦車のうち破壊されたのは44%と半分以下であり、布陣した主力戦車数に対する割合では16-17%に過ぎなかった。サウジ・クウェート国境沿いのAF-5への攻撃は、第1週が72回(A-1012回、B-52が0回、F-1615回、その他が45回)、第2週が197回(A-10174回、B-52が4回、F-1610回、その他が9回)、第3週が272回(A-1082回、B-5224回、F-1692回、その他が74回)、第4週が197回(A-1040回、B-5238回、F-1682回、その他が37回)、第5週が338回(A-1027回、B-5242回、F-1669回、その他が200回)、第6週が214回(A-1012回、B-5219回、F-16131回、その他が52回)で、対空兵器の配備が少なかったのでA-10が跳梁跋扈してサダム・ラインを叩き潰した。そのためF-111Fを投入する必要が無く、このキル・ボックスには1回も攻撃に参加していない。多国籍軍戦闘機は防空戦闘に14500回出撃した。アメリカ空軍F-15戦闘機の空対空戦闘出撃は5667回で、サウジ空軍F-15戦闘機の空対空戦闘出撃は2080回。E-3B/Cの任務飛行は戦争を通じて682回、1日平均で2240回の多国籍軍機ソーティを管制していた。E-2C1183回の任務飛行を行った。イラク軍全体の損害は、航空機403機(空対空戦闘38機、地上撃破254機、イラン逃亡121機。保有作戦機724機の56%)、戦車1388両(大半は前線師団のT-5559式など)、装甲車929両、火砲1152門、艦艇143隻(保有高速ミサイル艇13隻全てを含む。保有艦艇178隻の80%)。戦死や逃亡などで11-14万の兵力が失われ、地上兵力は200000-222000名にまで減少した。多国籍軍の航空機の損失は38機で、大部分が敵防空火器、特に地対空ミサイルによる。空対空戦闘での損失はアメリカ海軍F/A-18戦闘攻撃機1機がMiG-25に撃墜されたのみである。AH-64Aの損失は被撃墜1機と事故1機のみ。アメリカ軍はRF-4Cファントム24機を含む偵察機42機を配置しており、1622ソーティ(1日平均38ソーティ)の偵察飛行を実施した。ただ作戦規模と戦果には到底追いつかず、戦闘損害評価が不十分で、破壊済みの目標を何度も攻撃したり、破壊した筈の目標から反撃を受けたりする事態が多発、冷戦終結後の予算縮小の中で戦闘機に戦術偵察の役割も担わせるマルチロール化のきっかけとなっている。この航空攻撃の間にアメリカ海軍艦艇と第2海兵遠征軍がクウェートへの強襲揚陸陽動作戦を行い、地上部隊はデザート・セイバー作戦に向けての部隊移動を終えた。また、1月中旬にはトロイ作戦が行われた。参考:月刊軍事研究9,088,0110,988,997,994,993,992,0912,091,103,15、月刊PANZER1,014,93、月刊JWings4,019,'21、月刊グランドパワー3,954,95U.S.ウェポン・ハンドブック、月刊丸12,927,14、月刊航空ファン5,165,17、世界の傑作機No.172

デザート・ストライク作戦>:1996831日、クルド人自治区のアルビルに対し、イラク軍45000名と戦車300両が侵攻したため、アメリカ軍が発動した懲罰作戦Desert Strike(砂漠の打撃)。トルコとサウジアラビアが自国からのアメリカ軍出撃を拒否したため、93日にペルシャ湾のCG-67シャイローからトマホーク14発を発射した。94日、DD-966ヒューイットからの2発を含むトマホーク15発を発射。B-52爆撃機はALCM13発を撃ち込み、10発を命中させた。作戦を通じてのトマホーク総発射数は33発だった。参考:月刊軍事研究5,1412,135,18、月刊世界の艦船6,05

デザート・セイバー作戦>:1991224日に開始された湾岸戦争地上戦、作戦計画OPLAN1990-2Operation Desert Saber」。ただしこれは第7軍団用語で、中央軍ではデザート・ストーム作戦の一部(第4段階、地上戦)である。多国籍軍兵力は、38ヵ国78万名、作戦機2780機、空母6隻を含む180隻、地上部隊は14個師団51万名、戦車3550両、装甲車5100両、火砲1800門。戦闘序列は中央軍総司令官隷下に中央軍陸軍部隊、中央軍海兵部隊(第1海兵遠征軍)、中央軍特殊作戦コマンド、アラブ合同軍総司令官隷下に北部合同軍及び東部合同軍で、中央軍陸軍部隊はアメリカ第7軍団(第1機甲師団、第3機甲師団、第1歩兵師団・機械化、第2機甲騎兵連隊、第11戦闘航空旅団、第7軍団砲兵、第7工兵旅団、第2軍団支援コマンド、イギリス第1機甲師団)と第18空挺軍団(第1騎兵師団、第24機械化歩兵師団、第82空挺師団、第101空挺師団・空中攻撃、第3機甲騎兵連隊、第18空挺軍団砲兵、第18戦闘航空旅団、フランス第6軽機甲師団)、アメリカ第3軍直轄部隊から構成され、中央軍海兵部隊は第1海兵遠征軍(第1海兵師団、第2海兵師団、第16海兵航空群、第26海兵航空群)、洋上両用作戦待機部隊(第4海兵機動展開旅団、第5海兵機動展開旅団、第13海兵機動展開戦隊、第22海兵機動展開戦隊、第26海兵機動展開戦隊)からなっていた。北部合同軍はエジプト第3機械化師団・第4機甲師団・特殊部隊、シリア第9機甲師団・特殊部隊空挺連隊で、東部合同軍はサウジアラビア陸軍及び国家警備隊の2個機甲グループ、クウェート2個機械化旅団、GCC諸国軍である。チェコスロバキア化学防護部隊も参加した。作戦会議はサウジアラビア軍の古い将校クラブビルをアメリカ陸軍が改修したデザート・インと呼ばれる食堂で行われ、中央軍総司令官、中央軍陸海空海兵隊・兵站部隊司令官、第18空挺軍団長、第7軍団長、各師団長ら22名のみ入場が許可された。当初はクウェートのみに全部隊を進撃させ、イラク軍陣地を正面突破する案(ワシントン・モニュメント作戦というニックネームが付けられた)が出されたが、計算上死傷者が1万名出るとして却下された。洋上に待機している揚陸任務部隊(第4・第5海兵機動展開旅団及び第13海兵機動展開戦隊)による上陸作戦としてタイガー作戦(ウム・カスル港からアル・ファウにかけて上陸)、デザート・スラッシュ作戦(ファイラカ島)、デザート・セイバーⅠ/Ⅱ(クウェート東海岸)、シュアイバ計画(シュアイバ港)などが検討されたが、対機雷戦・機甲戦能力などが不十分で実施されず、陽動のみに止まった。1114日、アメリカ中央軍のシュワルツコフ総司令官は、イラク西部から2個軍団がイラク軍後方に回り込む作戦を披露。第7軍団長との間で第1騎兵師団の扱いに関して揉めたりしたが、第18空挺軍団の配置などに修正を加えて完成した。多国籍軍の配置は、ペルシャ湾沿いのサウジ・クウェート国境(最右翼)にサウジ・湾岸諸国合同軍、サウジ・クウェート国境中央部に第1海兵師団及び第2海兵師団と第1騎兵師団、サウジ・クウェート国境の西部にエジプト軍・シリア軍、サウジアラビア・イラク国境のクウェート側にアメリカ第1歩兵師団及びイギリス第1機甲師団、その西にアメリカ第1機甲師団、更に西に第24歩兵師団、最左翼に第101空挺師団、第82空挺師団、フランス第6軽機甲師団である。作戦としては、クウェートに海兵隊及び東部合同軍が突入、これを排除するためイラク共和国親衛隊が南下してきたところで第7軍団が西側から大回りして包囲殲滅し、第18空挺軍団が国道8号線を封鎖してバグダッドへの逃走を防ぐという手筈であり、心理戦によるイラク軍の士気低下や、電子戦によるイラク軍の通信連絡遮断も併用するもので、西方からの迂回作戦はヘイルメリー(アメリカンフットボール用語)作戦と命名され、レフトフック作戦とも通称された。しかし撤退路は他にバスラから国道6号線を使うルートと、国道8号線からバイパスを抜けて国道6号線に抜けるルートがあり、こちらは手つかずだった。また、フセイン大統領が積極的に共和国親衛隊を南下させてくるかどうかも不確定だった。地上戦開始にあたり、第101空挺師団はキャンプ・イーグルⅡから900km離れた集結地キャンベルに移動。アメリカ陸軍第7軍団にはイギリス陸軍第1機甲師団の精鋭コンバインド・アームズが加わっていた。アメリカ陸軍第1機甲師団は幅25km、縦深80kmのデザート・ウェッジを組み、アパッチ・カイオワ・M-3A2ブラッドレイを先行させて前進。敵を見つけると距離50-150kmで航空阻止攻撃とATACMSによる制圧を行い、25kmまで来ると師団砲兵のM110及びMLRSが攻撃準備射撃を実施。更に3kmに接近するまでF-16A-10AAH-64AM109が次々と攻撃を加え、最後にM1A1とブラッドレイが直接戦闘で壊滅させるという戦法をとった。イラク軍は1990年秋までにクウェート領内に12個歩兵師団を配置、サウジとの国境沿いに陣地帯を構築し、後方に機動予備2個機械化師団を置いていた。ペルシャ湾からの揚陸可能地点は限られていたため、海岸から離れた場所に戦術予備機甲師団が置かれたのみだった。地上戦開戦時の戦力は兵力22.2万名、戦車2087両、装甲車2151両、火砲1323門である。11月以降、クウェートの西に接するイラク・サウジ国境に陣地帯を90km延伸。これらの第一線陣地は正面幅2kmの三角陣地で構成されていたが、縦深と機動力に欠け、また兵站が不十分なため水や食料も不足がちで、士気も低かった。第一線陣地の前面には高さ2-4mの砂壁、幅7-20m・深さ3-7mの火炎対戦車壕(重油が入っている)、縦深500-1500mの対戦車地雷原、対人用鉄条網及び陣地砂堤からなるサダム・ラインが構築されており、障害を正面突破すると大きな損害を出すことが想像されたため、多国籍軍は陣地帯の更に西側から大きく回り込む戦法を採った。また、イラク軍砲兵は最大射程38kmG-5及びGHN-45を配備しており、多国籍軍よりも優位に立っていたため、航空攻撃と機動力でカバーすることとした。イラク軍はペルシャ湾岸には機雷及び地雷を埋めており、海岸沿いの高層アパートを陣地化していた他、指揮所は地下25フィート(7.62m)以上の地点に設置、指揮用の光ケーブルや有線回線も地下に設置して航空攻撃を逃れている。しかし砂漠地帯のため地上部隊が航空攻撃に弱い、兵站が延びきっている、共和国親衛隊と一般部隊に質の差がありすぎるなどの欠点を持っていた。117日、デザート・ストーム作戦開始と同時にアメリカ陸軍第7軍団・第18空挺軍団がサウジアラビア西方に移動を開始。海兵隊は第2海兵師団の到着と前方兵站基地の完成が遅れたため、クウェート国境への展開はそれよりも遅くなった。129日、第13海兵遠征隊がマラディム島に上陸してイラク軍通信施設を襲撃したが、イラク軍は既に撤退していた。29日、地上戦開始日を221-24日とすることに決定。220日頃から、第1騎兵師団は陽動のため威力偵察を繰り返し、イラク軍陣地に猛砲撃を行っていた。戦艦ミズーリは40cm砲による艦砲射撃でクウェート沿岸のイラク軍陣地を猛射し、海兵隊先遣部隊は地雷原処理を開始、第7軍団第2機甲騎兵連隊の工兵隊も国境に43ヵ所の通路を開設し、第18空挺軍団のアパッチ大隊が国境付近のイラク軍拠点への攻撃を行った。2240400、多国籍軍はサウジアラビア・イラク/クウェート国境の500kmにわたる戦線で進撃を開始。サダム・ラインの突破にかかった。第2海兵師団は設置されていたイギリス製の棒地雷でM1A1戦車1両とM60戦車7両を破壊されるなど、突破に手間取るかに思われたが、イラク軍からの阻止砲火や反撃を排除して突破後はスムーズに進撃し、キャンディー・ケインズの戦いでイラク軍戦車隊を撃破、クウェートに接近。0727、第101空挺師団は集結地キャンベルから150kmイラク領内に入ったところに前方作戦基地(FOB)コブラを構築するため、空挺作戦を開始。40分ほどで目標地点に到着し、付近をあっという間に制圧するとAH-64運用施設を2時間で構築、1330には137km北東の高速道路8号線「AOイーグル」の攻撃に出撃している。第24機械化歩兵師団及び第3機甲騎兵連隊は午後に前進を開始。第7軍団は0000頃からサダム・ラインに対する突破作戦を開始しており、戦闘工兵が幅90mの前進路を24本啓開し、0538にイラク国境を突破、北上を開始した。初日のうちに海兵隊がサダム・ラインを突破してしまったため、南下のタイミングを失った共和国親衛隊を逃さないよう予定よりも14時間早く241430にイラク軍主陣地帯に攻撃を開始、軽微な抵抗を排除してその日のうちに80km前進した。第18空挺軍団所属のフランス第6軽機甲師団は0530に攻撃目標ロシャンボーに向かい前進を開始したが、捕虜が多すぎて(2千名)攻略は翌日回しとなった。第5海兵遠征旅団はサウジアラビアのミシャブに上陸し、第1海兵遠征軍の後ろに付いてクウェートに向かった。イラク軍総司令部はイラク第3軍団司令官に対し、アメリカ海兵隊に退路を遮断される前にクウェートから脱出するよう指示を出し、西側からフランス軽機甲部隊を主力とする師団規模の多国籍軍(兵站面からそれ以上の規模での作戦は不可能と考えていた)が進撃していると判断、共和国親衛隊司令官に対して防御方面を南方から南西に変更するよう伝えた。これに基づき、共和国親衛隊司令官はタワカルナ機械化師団及びイラク陸軍作戦予備の第12戦車師団に対して陣地移動を命令。2130頃から各部隊は移動を開始し、クウェート西部に戦車650両と装甲車565両からなる西向きの防御陣地を構築した。更に西側には第12戦車師団第50戦車旅団が配置され、警戒線を張る予定だったが、T-55が砂に足を取られ、夜明け頃になっても移動を続けていた。225日、イラクはクウェートの油井の大部分に放火、戦場は黒煙で覆われた。リヴァリーの戦いでイラク軍1個戦車大隊が壊滅。第101空挺師団はAOイーグルの空挺制圧作戦を開始したが、LZからの集結に手間取り、完全に布陣したのは226日夜になってしまった。第82師団は空挺降下によりバグダッド・バスラ間の第8号幹線道路を制圧、クウェートにいるイラク軍と戦略予備の分断に成功。第24機械化歩兵師団は手薄なイラク領内を進撃、国境からの距離は160kmを超えた。西側を進撃する第7軍団はイラク領内130kmまで進撃、東に方向を変えて共和国親衛隊の殲滅に向かった。フランス第6軽機甲師団は早朝にロシャンボーを制圧、そのまま北進を続け、夕方までにサルマン空港を占領した。第1海兵師団はジャビル航空基地を制圧、クウェート南方16kmに進出。ファイラカ島は、BLU-82により制圧された。第4海兵遠征旅団はシュアイバ沿岸で陽動作戦を実施。OV-10観測機1機とAV-8B攻撃機1機が地対空ミサイルで撃墜された。2260135、フセイン大統領がイラク軍に撤退命令を出した。この日は未明から大雨が降る悪天候となり、ヘリの飛行もままならなかったが、イラク軍の撤退が早いため、FOBコブラから東150kmの地点にFOBバイパーを設けてバスラからバクダッドに逃げる敵を阻止することとした。海兵隊とアラブ統合軍がクウェートの包囲を完了。夜になり、第7軍団がタワカルナ機械化師団と第12戦車師団を中心とする防御部隊にぶつかり、73イースティングの戦いとなった。フランス第6軽機甲師団はプリンセス作戦を開始、攻撃目標ホワイトを制圧。第101空挺師団はユーフラテス川南にヘリボーン。第24機械化歩兵師団は国境から320km地点に達し、幹線道路8号線を封鎖。サウジ・湾岸諸国合同軍はクウェートまで64kmの地点に到達。第4海兵遠征旅団はブビヤン島とファイラカ島の沖で陽動作戦を実施。227日朝にかけ、第7軍団第1歩兵師団がノーフォークの戦いで300両のイラク軍車両を破壊。ミンデンを制圧。227日、アメリカ空軍F-16C戦闘機1機が高射機関砲、OA-10A観測機1機が地対空ミサイルで撃墜された。アメリカ海兵隊AV-8B攻撃機1機が高射機関砲で撃墜された。午前、FOBバイパーを制圧し、第101空挺師団第2空挺旅団が展開。1300にはAH-64を集結させ、バスラ北方のEAトーマスを攻撃に向かった。ここでユーフラテス沿いの土手をバクダッドに向かい逃走するイラク軍部隊を発見し、装甲車14両、BM21を8両、トラック56両、SA-6を2両破壊した。昼には第1機甲師団第2旅団の166両のM1A1と、メディナ戦車師団が激突し、メディナ防壁の殲滅戦となる。第24機械化歩兵師団はジャリバ南東の航空基地を占領。バグダッド北方、アルタージ飛行場近くの国家中央指揮所にGBU-28/B2発が投下され、1発がほぼ垂直に命中して7秒後に大爆発し、完全に破壊した。サウジ・湾岸諸国合同軍及び第1海兵師団はクウェート市を占領。この時には北部合同軍がクウェート北西のアル・ジャハラに到達、また第7軍団はクウェート国境付近のイラク・サフワンに到達し、クウェートにいるイラク軍を二重に包囲して殲滅する予定だったが、両部隊共進撃が遅れた。このため、アル・ジャハラとサフワンを結ぶ国道を撤退中のイラク軍に対して多国籍軍の航空戦力が出撃、アル・ジャハラのすぐ北のクウェート領内で猛爆撃をかけて壊滅させた。後には1000両の破壊されたコンボイが残されており、後に死の街道と呼ばれることとなった。ただし殆どはイラク軍兵士がクウェートから脱出するため強奪した民間車で、爆撃を受ける前に砂漠に逃げ出していたため、光景から想像されるよりは死傷者は少なかったという。夜、イラクは安保理決議660662674を受け入れ、クウェートの領有権を放棄し、戦時賠償責任を負うと発表したが、12の安保理決議のうち3つしか受け入れを表明しなかったため、アメリカは拒否し、戦闘の継続を宣言した。夕方、パウエル議長とシュワルツコフ司令官が停戦時期について会談し、共和国親衛隊を壊滅させるにはあと24時間必要だが、メディアがこれ以上の戦争継続は無差別殺戮だという論調を見せていたためにブッシュ大統領が翌日0500の停戦を望んでいたことから、翌早朝に停戦することになった。停戦時刻は語呂の良い100時間戦争となるようにリヤド時間0800とされた。2280502(アメリカ東部時間272102)、ブッシュ大統領がテレビ演説でクウェート解放を宣言。0800、停戦が成立した。しかしこれは早すぎ、またクウェートからサフワン経由でバスラに向かう脱出口が残存していたため、共和国親衛隊のハムラビ戦車師団、イラク陸軍第51機械化師団は無傷で残った。また、バスラで包囲されかかっていたイラク軍戦車525両、装甲車250両、9個砲兵大隊も難を逃れた。多国籍軍の戦死者は約150名、アメリカ軍の戦闘による死者は79名、戦傷者213名。M1A1戦車の被損傷数は18両(うち2両が撃破)で、4両がイラク軍戦車の砲撃、5両が地雷、9両が同士討ちによる。撃破されたのはどちらもイラク軍戦車の砲撃によってである。イラク陸軍は、クウェートに配置した42個師団が壊滅し、共和国親衛隊も6個師団が全滅した。参考:軍事分析湾岸戦争、月刊軍事研究10,088,0110,988,997,994,996,081,093,091,102,107,12、月刊グランドパワー4,95、月刊PANZER1,014,93、月刊JWings4,01、月刊丸3,01U.S.ウェポン・ハンドブック

<デザート・ピラーニャⅤ>:ピラーニャ・シリーズ(装甲車)を参照。

<デザート・ファルコン>:F-16E/F戦闘機(UAE)を参照。

デザート・フォーカス作戦>:19966月、サウジアラビアのダーランにあるアメリカ軍宿舎コーバル・タワーがテロ攻撃に遭ったため、ダーランからイーグルタウン・サイト12に、リヤド航空基地からエスカン・ヴィレッジにアメリカ軍人を移動させた作戦。リヤド基地のKC-135E-3Aなどもプリンス・サルタンに移動している。19968月までに全て完了した。参考:月刊軍事研究1,03

デザート・フォックス作戦>:199810月、国連大量破壊兵器廃棄特別委員会の査察を拒否したイラクに対し、アメリカが行った航空攻撃作戦。1031日、イラクが国連大量破壊兵器廃棄特別委員会への協力を即時停止。翌日、国連安保理は停止の無条件撤回を要求。アメリカは武力攻撃を表明した。1114日、イラクが査察無条件受け入れを表明。米軍にクリントン大統領が攻撃中止命令を出したのは出撃予定時間の30分前であった。アメリカは査察中に少しでも問題があれば警告無しで攻撃すると表明したが、129日、イラクは生物・化学兵器に関する文書の閲覧を拒否するなどした。また、経済制裁解除によりイラクからの原油輸出が増加し、値崩れを心配する湾岸諸国とも利害が一致し、作戦が開始された。ちなみにこの攻撃は安保理で承認されておらず、アメリカとイギリスが独断で行ったものである。12160100から12192300まで航空攻撃とトマホークによる攻撃が行われ、大統領施設、バース党本部、ミサイル関連施設、指揮通信施設などを破壊した。イギリスは「ボルトン作戦」として1218日から参加し、トーネードGR112機参加させた。12180700から第31海兵遠征隊はベローウッドからクウェート北部にヘリで揚陸され、防衛にあたった他、クウェート在住アメリカ人の救出を実施した。しかしイラクの態度を硬化させるのみに終わり、国連査察も再開されなかった。イラクはトルコを含む米英支援国に報復を宣言したため、アメリカはトルコのインシリック空軍基地にパトリオット1個中隊(発射機3基、要員150名)を派遣した。B-1Bが実戦参加してMk82爆弾を投下した他、CG-64ゲティスバーグ、DD-982ニコルソン、DD-997ハイラー、DD-992フレッチャー、DDG-55スタウト、DDG-60ポール・ハミルトン、DDG-70ホッパー、SSN-755マイアミがトマホーク・ブロックⅢを計325発発射し、B-52AGM-86C巡航ミサイル90発を撃ち込んだ。空母エンタープライズとカールビンソンも参加し、F-14DLANTIRNを使用してGBU-24を投下、レーダーサイトを破壊した。参加兵力24000名。F-117は参加していない。参考:月刊航空ファン3,99、月刊軍事研究5,031,033,995,145,18、月刊丸4,99

デザート・ホーク>:アメリカ空軍小型無人機Desert Hawk。警備用空中監視システム(FPASS)としてロッキード・マーチン社のスカンク・ワークスが開発し、20022月に採用され、6月に12機が導入された。機体はポリプロピレン・フォームで制作され、胴体中央下部の取っ手を持って空に投げ、発進させる。飛行パターンはラップトップ型パソコンで事前にプログラミングしておく。TVカメラを搭載しており、リアルタイムで画像をパソコンに送信する。全長0.8m、全幅1.31m、重量7ポンド(3.18kg)。滞空時間1時間以上、行動半径3マイル(4.83km)前後。操作要員2名、発進準備時間10分。イラク戦争に投入された。参考:月刊軍事研究5,05

デザート・ホーク3>:ロッキード・マーチン社が開発した個人携行軽量戦術UAV。最大滞空時間60分。最大行動半径は15kmで、機体を視認できる必要がある。参考:月刊軍事研究9,09

デザート・ライダー>:イスラエル自動車工業社(AIL)の開発した軽戦闘車。6×6輪で、操縦席が車体中央にある。車体後部からエンジン上部までが積載スペースで、かなりの広さがある。サスペンションはコイル・スプリングで、後ろの4輪は2輪がペアでアームに取り付けられるタンデム・サスペンション構造をとっている。積載量1.2トン。エンジンはクライスラー製ガソリン(排気量2400cc150馬力)で、路上最大速度110km、航続距離500km。乗員3名。参考:月刊PANZER4,03、月刊軍事研究9,00

テザード・ランディング>:ヘリコプター着艦方式の1つで、ヘリのメイン・プローブからメッセンジャー・ケーブルを延ばし、作業員がRASTの拘束装置に用意されているホールダウン・ケーブル(リカバリー・アシスト・ケーブルともいう)と連結、ウインチで巻き取って強制着艦させるものである。ヘリ甲板が狭い時や、海が荒れている時はこの方式をとる。海上自衛隊のDDHではローリング10度・ピッチング5度、はつゆき型ではローリング7度・ピッチング4度までで着艦可能。アメリカ海軍ではリカバリー・アシスト・ランディングと呼ぶ。参考:艦船メカニズム図鑑、月刊世界の艦船4,12

手先信号>:騒音の激しい艦船や、無線の無い航空機同士で意思を伝達するために使用された手話。被弾して落伍・墜落する機体から僚機に向けて行う最後の手先信号は、挙手の敬礼である。参考:海軍よもやま物語

デシ>:海上自衛隊の略号で、電整士のこと。参考:日本の防衛戦力Part3

デ・ジーザス機関>:太平洋戦争緒戦のフィリピン戦において、アメリカ軍がマニラからコレヒドールに撤退する際、ゲリラ戦及び情報収集のためマニラに残置した秘密機関。フィリピン警察隊や兵士など60名から構成され、マニラ市の映画館に無線局を作り、バターン、ザンバレスなど日本軍占領地区での軍事情報収集を行い、コレヒドールのアメリカ軍司令部に伝達した。コレヒドールが陥落すると、日本軍の取り締まりが強化されて機関員が憲兵隊に逮捕されていき、活動を行えなくなってしまった。参考:太平洋戦争情報戦

デジグネイテッド・マークスマン>:Designated Marksman、選抜射手。イギリスではシャープシューター(Sharpshooter)ともいう。歩兵分隊などに配属され、歩兵用アサルトライフルの射程外である500-800mから攻撃を仕掛けてくる敵を7.62mm×51弾使用のセミオートマチックライフル(デジグネイテッド・マークスマン・ライフルDMRまたはバトルライフルまたはシャープシューター・ライフルと呼ぶ)で排除するのが主任務である。参考:ストライク・アンド・タクティカルマガジン3,13

デ・シェルデ社>:オランダの会社で、正式にはコニンクリーケ・マーチャピイ・デ・シェルデ社。閉鎖されたH.パンデル&ゾーネン社航空機製造部門の技術スタッフを確保して1935年に航空機部門を設立、S21などプッシャープロペラ機を中心に独創的な飛行機を開発した。参考:週刊エアクラフトNo.84

<デジェロ>:Dejero(映像伝送装置)を参照。

<てしお>:DE-222(護衛艦)を参照。

<デジタル一眼レフカメラ>:自衛隊の機器。リコー製。参考:月刊軍事研究8,18

<デジタルUHF無線機>:自衛隊の機器。アイコム製。参考:月刊軍事研究5,18

デジタル・アレイ・レーダー>:DARと略す。送信モジュールと受信モジュール以外を全てデジタル化したレーダーで、送信部と受信部が完全に分離されている。送信波はタイレクト・デジタル・シンセサイザーで位相差と周波数変調を加えて送信素子から発振するので、ビーム形成器が要らない。受信波は受信素子で受信した後にデジタルレシーバーでデジタル信号に変換、デジタルビーム形成器で受信方向を確定する。多機能化が容易で、パルス圧縮やドップラーフィルタがソフトウェアのみで実現でき、高度な変調をかけられるが、現在の技術では使用周波数の上限が1GHz程度までという欠点がある。参考:月刊世界の艦船5,13

<デジタル画像処理装置増設型>:自衛隊の機器。コセキ製。参考:月刊軍事研究12,15

デジタル・グラウンド・アーミー指揮統制システム>:イスラエル軍の指揮統制システムDGA。デジタルマップ上に敵味方部隊の位置や動き、火力などをリアルタイムで表示でき、戦場情報を司令部から末端部隊まで同時に共有する。参考:月刊軍事研究8,16

デジタルグローブ社>:アメリカの地球観測衛星運用会社DigitalGlobe。ワールドビュー3やワールドビュー4といった解像度0.3mの光学写真衛星などを運用しており、撮影した写真をグーグルアースからアメリカ政府や防衛省までが利用している。YQM-94A(無人偵察機)を参照。

<デジタル散射通信車>:中国軍の野戦通信車両。対流圏反射(トロポスフェリック・スキャッター)を利用した超水平線通信車両で、ウクライナから技術を得たらしい。参考:月刊軍事研究12,09

<デジタル式クリスタル・ビデオ受信方式>:クリスタル・ビデオ受信方式を参照。

デジタル重師団>:アメリカ陸軍の師団編成で、第4歩兵師団を皮切りに改編された。各師団の名称は機甲師団、歩兵師団、騎兵師団、機械化歩兵師団と様々だが、中身はだいたい同じである。師団司令部、1-2個機甲旅団、2-1個機械化旅団、1個師団砲兵旅団、1個航空旅団、1個師団支援群、防空大隊、情報通信大隊からなる。全旅団に工兵大隊と偵察中隊が付く。兵力16000名。主要装備はM-1A2戦車200両、M-2/M-3ブラッドレイ280両、M109自走榴弾砲54両、MLRS18両、AH-64Dヘリ24機、UH-60ヘリ60機である。機動旅団・師団司令部にはA2C2MCSFBCB2AFATDSFAADC2ICSSCSASASIMETSが備えられ、大隊本部にはMCSAFATDSFAADC2IASASの4つが装備される。これらはM577A3指揮所車に搭載されていたが、容量不足・機動量不足は否めず、M2ブラッドレイを改造したM4指揮所車の導入を進めている。参考:月刊PANZER2,12、月刊軍事研究8,03

<デジタル重師団師団支援群師団支援大隊>:DSBを参照。

デジタル・センチュリー・シリーズ>:アメリカ空軍が201910月に発表した戦闘機開発コンセプト。デジタル設計技術や最新製造技術により、新型戦闘機を8年間隔という短期間で就役させ続けるというものである。デジタル設計、バーチャル試験、3Dプリンターなどによる機体製作で設計から戦力化までを短期間で済ませ、就役期間を16年間くらいに短縮することで維持・寿命延長コストを減らし開発費の増加をカバーする。デジタル技術や最新製造技術に長けたベンチャー企業の新規参入による産業活性化も図れる。コンセプトの実現に向け、プログラム・エグゼクティブ・オフィス・フォー・アドバンスド・エアクラフトを設立した。次世代航空支配戦闘機の技術実証機開発にコンセプトが適用されたとみられている。参考:月刊JWings12,20

<デジタル地図支援システム>:DTSSを参照。

<デジタル電子エンジン制御>:FADECを参照。

<デジタル電子戦システム>:AN/ALQ-239(電子戦装置)を参照。

<デジタル統合偵察ポッド>:DJRPを参照。

<デジタルトルクレンチテスタ>:自衛隊の機器。スナップオン・ツールズ製。参考:月刊軍事研究4,17

デジタル・ビーム・フォーミング>:Digital Beam FormingDBFと略す。フェイズド・アレイ・レーダーの移相器をデジタル信号処理により代用するもので、各アンテナ素子にアナログ・デジタル変換器を設置、高周波や中間周波のアナログ出力信号をデジタルに変換し、位相シフト、振幅スケーリング、受信信号合成をコンピュータによるデジタル信号処理で行う。コンピュータでマルチビーム化に対応する複数の出力信号を同時に計算し、従来のアナログアンテナと同じ出力で多数の電波ビームを出力する。高速デジタル演算により超高速走査ができ、アンテナパターンを細かく整形できるので超低サイドローブ化などが可能となる。高速フーリエ変換などにより演算を効率化でき、複数の電波ビーム形成演算を同時並列で行えるため、多数の電波ビームを異なる方向に同時に指向させることもできる。参考:レーダの基礎、レーダシステムの基礎理論

デジタル・フライト・データ・レコーダー>:Digital Flight Data RecorderDFDRと略す。航空機事故の原因究明に必要な飛行状態や操作状況を記録するための装置で、航空運送事業に供する最大離陸重量5700kgを越える航空機に装備と作動が義務づけられている。フライト・データ・レコーダー時代に記録していた高度、対気速度、機首方位、垂直加速度、時刻に加え、操縦翼面位置、フラップ位置、機体姿勢、エンジン出力、管制交信時刻など計19種類のデータを25時間エンドレスの磁気テープにデジタル方式で記録していく。事故で破損しないよう、耐熱・耐衝撃カプセル(1100℃に30時間、1000G0.011秒、海水・ジェット燃料に48時間耐えられる)に収容し、発見が容易な機体尾部に搭載、離陸滑走を始める時から着陸滑走を終了するまで作動させる。参考:航空用語事典増補改訂版

<デジタル・ホッグ>:A-10C(攻撃機)を参照。

<デジタルマイクロスコープ>:自衛隊の機器。穂高電子製。参考:月刊軍事研究11,12

<デジタル・マルチメータ>:自衛隊の機器。フルークまたはアジレント・テクノロジー製。参考:月刊軍事研究12,103,14

<デジタル無線機>:自衛隊の機器。アイコム製。参考:月刊軍事研究12,16

デジタル迷彩>:パターンが小さな正方形のドットの集合で描かれている迷彩の通称で、ピクセル・パターンともいう。ある程度離れるとモザイク画像のように輪郭がぼやけて高い迷彩効果を発揮するので、2000年代に迷彩服の柄として採用された。一部で車両や軍用機にも採用されているが、塗装が凄まじく面倒という欠点があり、あまり広まっていない。参考:月刊JWings10,20、月刊丸9,03

デジタル・モックアップ>:DMUDigital Mock-Up)と略す。CADを利用して3次元機体モデルを構築し、そのまま立体図面化して仮想モックアップを製作するものである。使用時の使い勝手以外は全てコンピュータ内で行うことができ、実際にモックアップを作るのは一部だけで済むようになり、全体モックアップを製作するのは宣伝広報目的くらいになった。参考:月刊JWings2,0510,'22、月刊航空情報4,18

<デジタル・ロケット・ランチャー>:LAU-61G/Aを参照。

<デシメートル波>:極超短波を参照。

テジャス・シリーズ>:インド空軍小型戦闘攻撃機Tejas(サンスクリット語で火・光の意)。MiG-21戦闘機の後継となる国産戦闘機で、印パ紛争におけるナット戦闘機の活躍を基に、小型で扱いが容易な再出撃能力(ホット・リフェリング能力含む)の高い戦闘機というコンセプトにした。1983年からLCALight Combat Aircraft)という略称で開発を決定したが、設計に8年かかり、1991年からHAL社で試作され、1995年にTD1(テクノロジー・デモンストレーター1号機)が完成したが、エンジンなど主要部品の国産化も遅れ、1998年の核実験に伴う経済制裁で外国部品の輸入やデジタル飛行制御コンピュータの開発もままならず飛べない状態が続き、不朽の自由作戦開始による経済制裁解除を経て外国製品を搭載し、200114日に漸く初飛行した。2号機のTD2200262日に初飛行している。2007425日、前量産型初号機LSP-1が初飛行でマッハ1.1を出した。1025日、R-73の試射に成功した。20091126日、複座練習機型試作初号機PV5が初飛行した。試験機は計14機が製作され、2011111日に漸く初期作戦能力を獲得、20113月に量産初号機が引き渡されていて、2012年末に実戦配備する予定だったが、エンジン開発遅延などで遅れている。単座型200機と複座型20機を導入し、MiG-21/-23/-27を代替する。ただMMRCAも導入するので、機数はもっと少なくなるかもしれない。国産エンジンのGTREGTZ-35VSカヴァリ(ペカリ?)は1989年からガスタービン研究所で開発していたが、2007-08年に漸く目処が付いたことから、これを搭載する計画が立てられ、2012123日にGTZ-35VSエンジン搭載機を9ヶ月以内にテストに投入すると発表した。しかし2013130日にLCAへの搭載計画は破棄され、F404系を積むことにしている。2015年に量産型40機(テジャスMk.1IOC16機、同FOC16機、複座練習機型8機)が発注され、インド空軍向け量産初号機の引き渡しセレモニーが行われたが、その後2年で2機しか生産されていない。2018730日現在、IOCの単座型9機が引き渡し済み、IOCの単座型7機と複座型4機が製造中である。参考:月刊軍事研究6,118,13、月刊JWings4,'234,1110,18、月刊航空ファン5,113,137,995,17、世界航空機年鑑2018-2019

テジャスMk.1>:無尾翼デルタの単発機で、機体重量の45%がカーボンファイバー複合材である。機首に搭載するレーダーは国産の予定だったが、結局EL/M-2032になった。主翼は中翼配置で、外皮、主桁、リブ全て複合材製であり、付け根に空気取り入れ口を持つ。エンジンは試作初号機・2号機がF404-GE-F2J3で、その後は国産のGTX-35VSA/B時推力83.4kN)に換装する予定だったが、開発が遅れまくったのでそのままF404にした。全長13.2m、全幅8.2m、全高4.4m、空虚重量5.5トン、最大離陸重量8.5トン(クリーン時)。翼面積37.5平方メートル。エンジンはF404-GE-F2J3A/B時推力8.25トン)またはF404-GE-IN20(ドライ推力52kNA/B時推力84kN)単発、最大速度マッハ1.81.6?)、実用上昇限度15240m以上、航続距離459海里。固定武装は23mm連装機関砲1基。ハードポイント7ヵ所、最大機外搭載量4トン。展示写真を見ると、対空ミサイル、対地ロケットランチャー(130mmクラスと思われる)、通常爆弾、レーザー誘導爆弾、対レーダーミサイル(?)、ドロップタンクなどを装備するようだ。乗員1名。価格は2006年で1機2465万ドル。40機を配備予定。射出座席のヘッドレストが低く、スルーキャノピー方式での緊急脱出の際にヘッドレストのキャノピー破砕具より先にパイロットのヘルメットがキャノピーに衝突して首の骨が折れるという欠点が見つかり、201211月から3ヶ月間の飛行停止処分を行ってキャノピーを先に吹き飛ばす装置を追加した。2013年、初度作戦承認IOCInitial Operational Clearance)を獲得した。2017年、ダービー空対空ミサイルをLOALで発射し、標的を撃墜した。201894日と6日にドライコンタクトの空中給油試験を実施。910日、ウェットコンタクトの空中給油試験を実施。高度20000フィートを500kmで飛行しつつIl-78から燃料1.9トンを受領している。20191月、試作機のテストが終了し、インド政府が量産許可を出した。まずは限定能力のIOC型を生産し、次いで制限荷重を6G/-2Gから8G/-3.5Gに、最大迎え角を22度から24度に増加させ、ダービー空対空ミサイル運用能力と空中給油受油能力を追加したFOC型の量産に入る予定。220日、完全作戦承認FOCFull Operational Clearance)を獲得したとインド国防省が発表した。2020317日、FOC仕様量産初号機が初飛行した。2021年現在、30機前後を運用中らしい。参考:月刊軍事研究11,036,028,13、月刊JWings4,'236,059,1012,065,076,075,083,094,115,196,20、月刊航空ファン5,138,1712,185,19、世界航空機年鑑2018-2019

テジャスMk.1A>:レーダーをエルタ製EL/M-2052アクティブ・フェイズド・アレイ・レーダーに換装し、電子戦システムや自己防御装置を新型に変更、インド国産アストラBVRAAMなど新兵器の運用能力を持たせたもの。83機を導入予定で、2022620日に試作機が初飛行した。参考:月刊JWings4,23、月刊航空ファン5.19

テジャスMk.2>:エンジンをF414-GE-INS5に換装したもの。エンジンは18基をGEが生産、81基をHALがライセンス生産する。エンジンが一回り大きくなるため、胴体の再設計が必要である。参考:月刊JWings4,115,12、月刊航空ファン5,13

LCA(N)>:海軍艦載機型で、別名テジャスNまたはLCA Navy Mk.1201076日に原型初号機が完成し、2012429日に初飛行した。ベースは複座のテジャス練習機で、単座に変更して余ったスペースに燃料タンクを積み、エンジンはF414-GE-INS6に換装した。機体構造や降着装置を強化して着艦の衝撃に耐えられるようにし、前方視界を確保するためレドームの位置を下げ、レーダーも新型に変更している。201527日に初飛行した2号機には主翼付け根前縁に前縁渦流制御装置(LEVCON)と呼ばれる板状の可動パーツが取り付けられており、上下に動かして渦流を制御、発着艦能力を向上させる。2014-15年に空母での運用試験を開始し、40機を配備する予定だったが、重量過大で空母での運用は無理と判断され、2016年末に採用中止となり、新たにTEDBFを開発することにした。しかしその後も2機でテストを続けていたようで、2019913日に陸上施設での着艦拘束試験に成功、929日に模擬艦上運用試験(陸上施設でのスキージャンプ発進から拘束着艦まで)を行っている。2020111日、インド海軍が空母ヴィクラマディチャでの発着艦試験に成功したと発表した。202326日、空母ヴィクラントでの初発着艦試験に成功したと、インド海軍が発表した。参考:月刊世界の艦船8,173,20、月刊JWings10,105,154,204,'235,'23、月刊航空ファン5,175,1112,19、月刊軍事研究4,14、世界航空機年鑑2018-2019

<LCAファミリー>

 <テジャス練習機>:LCA-T。原型初号機PV-520091126日に初飛行した。タンデム複座にして主翼付け根前縁にクルーガーフラップを装着している。コクピットを改造したため、レドームの位置が単座型よりも下がった。参考:月刊航空ファン5,113,13、世界航空機年鑑2018-2019

デシュ・ディープ>:インド海軍支援給油船Desh Deep。載貨重量11000トン。1932年進水。参考:月刊世界の艦船6,83

<デス・エンジェルズ>:VMF(AW)-235(海兵全天候戦闘飛行隊)を参照。

デス・カード>:アメリカ軍がベトナム戦争のフエ市街戦で使用したトランプの通称。制圧した建物や部屋の入り口にばらまいておき、友軍に制圧済みであることを示したものである。参考:ストライク・アンド・タクティカルマガジン3,11

<テスキ・テンキ・ヴォジロA>:T-34/85海外シリーズ(戦車)を参照。

<テスク>:AC-TESC(訓練指揮センター)を参照。

<デスクビエルタ>:F31(コルベット)を参照。

デスクビエルタ級>:スペイン海軍コルベットDescubierta級。西ドイツのブローム・ウント・フォス社が設計したポルトガル海軍ヨアン・クーティニョ級をベースに、極力国産化してバサン社が建造したものである。全長88.8m、幅10.4m、吃水3.8m、満載排水量1479トン(1482トン?)。主機はディーゼル4基、出力16000馬力、2軸推進、速力25.5ノット。兵装はハープーン4連装発射機2基、シースパロー8連装発射機1基、76mm単装砲1門、40mm単装機関砲1門、ボフォース対潜ロケット連装発射機1基、324mm3連装短魚雷発射管2基、20mm12連装CIWS1基。1973年にF31デスクビエルタなど4隻、1976年に更に4隻が発注され、6隻がスペイン海軍に、2隻がエジプト海軍に就役した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊、2,878,82増刊

<デスクビエルタ級・海外シリーズ>

 <デスクビエルタ級(エジプト海軍)>:エジプト海軍フリゲートで、エル・スエズ級またはアブ・キル(Abu Qir)級ともいう。全長88.8m、幅10.4m、吃水3.8m、満載排水量1479トン。主機はディーゼル、出力16000馬力、2軸推進、速力25.5ノット。兵装はRGM-84Cハープーン4連装発射筒Mk141が2基、アスピーデ8連装発射機アルバトロス1基、76mm単装砲1門、40mm単装機関砲2門、ボフォース対潜ロケット連装発射機1基、324mm短魚雷スティング・レイ用3連装発射管Mk32が2基。1984年に2隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊、ミリタリー・バランス1989-1990THE MILITARY BALANCE 2016

 <デスクビエルタ級(モロッコ海軍)>:モロッコ海軍フリゲートで、ルテナント・コロネル・エッルハマニ(Lieutenant Colonel Errhamani。エッルハマニ中佐)級ともいう。兵装は324mm短魚雷Mk46用3連装発射管2基、375mm対潜爆雷連装投射器1基、エグゾセMM40MM38?)艦対艦ミサイル連装発射筒2基、アスピーデ8連装発射機アルバトロス1基。ルテナント・コロネル・エッルハマニが1982年に就役した。参考:ミリタリー・バランス1989-1990JShips VOL.70THE MILITARY BALANCE 2016

<デス・ジェスターズ>:VMAQ-2(電子戦飛行隊)を参照。

<テスター(ホイール・スピード・センサ)>:自衛隊の機器。川崎重工製。参考:月刊軍事研究12,17

デスタニィ・リーチ作戦>:イラク戦争中の2003328日、第101空挺師団が実施したメディナ師団殲滅作戦。本当は324日に行う予定だったが、323日に保有するアパッチ2機が撃墜されて29機が損傷するという損害を受けたため、延期された。参加部隊は第101航空旅団(攻撃)の2個大隊で、1個が南から陽動し、もう1個が北に回り込んで第14機械化旅団を殲滅する予定であった。攻撃の4分前、ATACMS18発と航空部隊により敵の防空部隊を混乱させ、主力部隊がカルバラに北から接近したものの、そこには戦車隊はいなかった。陽動部隊の方が高速道路9号線上に敵機甲部隊を発見、直ちに攻撃を開始した。しかし既に主力は撤退しており、戦果は戦車4両、装甲車6両、野砲3両、テクニカル5両のみであった。参考:月刊軍事研究8,04

<テスト>:K239(フリゲート)を参照。

<テストスタンド>:自衛隊の機器。三菱商事が受注している。参考:月刊軍事研究9,16

<テストスタンドエアクラフトエンジン>:自衛隊の機器。アイ・エヌ・シー・エンジニアリング製。参考:月刊軍事研究10,16

<テストセットエアクラフトエンジン>:自衛隊の機器。アメリカ空軍省に発注した。参考:月刊軍事研究7,16

<テストセット・ストア・マネージメント・システム>:自衛隊の機器。三菱重工製。参考:月刊軍事研究12,17

<テストセット・ストア・リリース・イクイップメント>:自衛隊の機器。三菱重工製。参考:月刊軍事研究12,17

テストパイロット>:新開発の航空機に搭乗して飛行し、設計通りの性能を発揮できるか、どこまでの操作なら安全でどこから危険なのかといった航空機のデータを収集、技術用語や定量的評価に理論的に置き換えて技術者に伝達するパイロットのことで、職務内容から航空機の通訳とも呼ばれる。操縦装置を何インチ動かす、何ポンドの力をかけるといった精密な操作を、要求に従ってどんな状況でも行えなければならない。様々な機種(時にそれまで存在しなかったタイプの航空機)を操縦できる能力や、運用部隊でのニーズを把握する能力、将来の運用状況を見通してアドバイスに反映させる先見の明が必要である。パイロットによる個人差を無くすため、複数名が同じ機体を操縦して議論を繰り返すこともある。参考:月刊航空ファン2,16、月刊JWings1,20

 <テストパイロット(航空自衛隊)>:飛行開発実験団飛行実験群飛行隊の試験飛行操縦士課程に入り、10ヶ月の教育を受けてテストパイロット(試験飛行操縦士)資格を得る。年齢は36才未満、階級は三等空佐あたり。飛行開発実験団に配属されて任務に就く。課程教育は1969年から始まり、2期生は即XC-1試作輸送機のテストフライトに投入された。試験飛行操縦士課程に入らず、練成訓練だけで限定的な試験資格を得ることもできるが、航空機の安全性確保のための技術基準適合性確認試験は行えず、兵装や装備品などの試験しか担当できない。参考:月刊航空ファン2,16、月刊JWings9,196,20

テストパイロットスクール(アメリカ空軍)>:アメリカ空軍のテストパイロット養成機関で、USAFTPSと略す。第2次大戦で様々な航空機の試験飛行が重なり、大量のテストパイロットが必要になったため、194499日にオハイオ州ライト・パターソン基地で新編された。1951年、エドワーズ空軍基地に移動。1961年、航空宇宙研究パイロットスクールに改称された。1972年、宇宙飛行士養成課程の終了に伴い、名称がテストパイロットスクールに戻った。1973年、航空機関士コースを新設。1977年、航法士/WSO向けフライトテスト・ナビゲーター・コースを新設。1990年、テスト・マネジメント・プロジェクトを導入。2011年、遠隔操縦航空機テストパイロットコースを新設。参考:月刊JWings5,20

 <テストパイロットスクール(2020年)>:空軍飛行試験センター第412試験航空団の隷下で、エドワーズ空軍基地に置かれている。教官は軍民計30名。教育コースは1月開始のAクラスと6-7月開始のBクラスで、共に学生数25名(うち留学生1-2名)、期間48週間。参考:月刊JWings5,20

テストベッド機>:Testbed aircraft。各種機器を追加搭載してテストするための航空機のこと。もちろん飛行中のテストも行うので、Flying testbedとも呼ばれる。参考:月刊JWings10,09別冊付録

デストラクター>:DSTと略す。普通爆弾の信管などを調節して地雷や爆雷、機雷、対潜爆弾として使用するものをいう。参考:U.S.ウェポン・ハンドブック、月刊世界の艦船10,15

<デストロイヤー>:B-66(爆撃機)またはBTD-1(艦上攻撃機)またはXSB2D-1(艦上爆撃機)を参照。

<デスナ>:S-75N(地対空ミサイル)を参照。

デスペレート>:イギリス海軍軽巡洋艦Desperate。建造中止になった。参考:近代巡洋艦史

<デス・ラトラーズ>:VMFA-323(海兵戦闘攻撃飛行隊)を参照。

<デ・ゼーベン・プロビンシェン>:F802(フリゲート)またはデロイテル(軽巡)を参照。

デ・ゼーベン・プロビンシェン>:オランダ海軍デロイテル級軽巡洋艦De Zeven Provincien1939年にエーンドラハト(Eendracht)の名称で起工されたが、ドイツ侵攻で工事が中断され、終戦後に艦名をデ・ゼーベン・プロビンシェンに変更して1953年に竣工した。1964年、後部兵装を撤去してテリア連装発射機1基と管制用レーダー2基を搭載、後部煙突をマックにして対空レーダーを載せ、後部マストを新設して三次元レーダーを装備、ミサイル巡洋艦になった。退役後にペルーに引き渡されることになり、テリア発射機を撤去してヘリコプター設備を搭載し、1976年に売却されてCH-84アギレとなった。参考:近代巡洋艦史、月刊世界の艦船3,92増刊

デ・ゼーベン・プロビンシェン級>:オランダ海軍フリゲートDe Zeven Provinciën級。防空指揮フリゲート(Luchtverdedigings en Commando FregatLCFAir Defense and Command FrigateADCFともいう)として開発された。船体はステルス製を考慮した作りになっており、適宜RAMを適用している。全長144.24m、全幅18.82m、吃水5.18m、満載排水量6048トン。主機はCODOG方式、ロールスロイス社製スペイSM1Cが2基(計52300馬力)とWartsila16V6STが2基(計13600馬力)で、可変ピッチプロペラ2軸推進、巡航速力19ノット、最大速力28ノット。兵装はMk41VLS40セル(SM-2MRブロックⅢA32発、ESSM ブロックⅠ32発)、RGM-84Fハープーン4連装発射機Mk141が2基、オットー・メララ社54口径127mm単装砲(カナダのトライバル級駆逐艦に搭載していたものを再利用)1門、30mmゴールキーパー2基、2連装短魚雷発射機Mk32Mod9(使用魚雷はMk46)2基、90口径20mm機関砲2門。対空戦闘用FCSNAAWSNATO対空戦闘システム)と呼ばれるもので、ダイムラー・クライスラー・エアロスペース社製APAR目標探知・追跡・照射レーダー(メインマスト四方)と、オランダのシグナール・アパラーテン社製SMART-L長距離対空レーダー(ヘリ格納庫上に直方体アンテナを装備)により対空ミサイルを管制する。これと水上捜索用スカウトLPIレーダー(艦橋頂部)、シリウス長距離赤外線捜索追尾装置、ミラドールEOセンサー、MOC Mk3多機能コンソール、各種ハードウェア、光ファイバー配線、戦闘管理ソフトウェアなどでSEWACOⅨ指揮管制システムを構成する。CICには多機能コンソールが2列に並んでおり、モニターは個人用のみで、イージス艦CICのような別個の大型ディスプレイは用意されていない。CIC内の照明も落とさず明るい中で操作する。対空ミサイルの終末誘導はAPARで行い、16発の終末誘導を含む32発を同時管制できる。対潜水艦用にDSQS-24CDSQS-24B?)バウソナーを持ち、Mk46Mod5魚雷(40発搭載)とSH-14DリンクスまたはNH90ヘリコプター1機で対処する。ECM/ESMセイバー電子戦装置(メインマスト頂部)、チャフ/フレア発射機はMk36SRBOC、対魚雷用デコイはAN/SLQ-25Aニキシー。データリンクはリンク11及びリンク16。乗員200名。F802デ・ゼーベン・プロビンシェンF803トロンプ、F804デ・ロイテル、F805エイヴェルツェンの4隻が2002-05年に就役した。3隻は後にゴールキーパーを1基に減らしている。2019年、長距離対空レーダーをSMART-L MM/Nに換装する改修を開始。主砲の換装計画を立てており、OTOメララ社製64口径127mmLWBAEシステムズ社製Mk45Mod4が争い、20204月にOTOメララの砲を採用した。2024-29年に近代化改修を行う予定で、2032-33年に退役を計画しているF802デ・ゼーベン・プロビンシェンF803トロンプはソフトウェア改良のみ実施、F804デ・ロイテルとF805エイヴェルツェンはESSMブロックⅡ艦対空ミサイル及びRIM-116RAM艦対空ミサイル搭載改修を行う予定。参考:月刊軍事研究10,1310,061,135,0112,001,982,07JShips Vol.20、月刊世界の艦船10,116,197,'208,'229,'23THE MILITARY BALANCE 2016

<テセオ>:オトマート・シリーズ(対艦ミサイル)を参照。

デセプション方式>:レーダージャミングの1つ。探知した敵レーダー波をコピーして時間差で送り返すことにより、偽の目標を作り出すものである。装置が小型で消費電力も少なくて済むので、アメリカ海軍が主力ジャマーとして1950年代から採用し、戦術機の機内に搭載した。アメリカ空軍ではデセプション・ジャミングもノイズ・ジャミングも行える器材をポッドに収容して機外搭載している。参考:アメリカ空軍の第一線機

<デ・ソト・カウンティ>:LST-1171(戦車揚陸艦)を参照。

出初式>:海軍兵学校の恒例行事の1つ。上級生が新入生に初めて鉄拳制裁を加えることで、出初めというか殴り初めである。概ね入校後1-2週間くらいで行われる。参考:陸海軍学校と教育

<デタッチメント>:硫黄島上陸作戦を参照。

テタル級>:ルーマニア海軍フリゲートTetal級。全長95m、幅11.5m、吃水3m、満載排水量1800トン。主機はディーゼルで、2軸推進。兵装は76mm連装砲2基、30mm連装機関砲2基、14.5mm単装機銃2丁、対潜ロケット弾16連装発射機2基、533mm連装魚雷発射管2基。1983年から4隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

 <テタルⅠ級>:TetalⅠ級。兵装は533mm魚雷連装発射管2基、RBU6000対潜ロケット2基、AK630CIWS2基、76mm砲1門。IAR-316アルエートⅢヘリ1機を搭載できる。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <テタルⅡ級>:TetalⅡ級。兵装は533mm魚雷連装発射管2基(53-65魚雷)、RBU2500対潜ロケット2基、76mm連装砲2基。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<デダロ>:R01(軽空母)を参照。

デダロ>:スペイン海軍水上機母艦Dedalo。スペイン海軍での分類は水上機輸送艦で、スペイン海軍唯一の水上機母艦である。1921-22年に商船を改造したもので、艦橋前方を気球運用施設、後方を飛行甲板など航空機運用施設に充てており、観測用凧気球2基と小型飛行艇25機を運用する。小型飛行艇2機に対する母艦任務も行える。基準排水量10800トン。主機はレシプロで、速力10ノット。スペイン内戦では共和国側について実戦参加したが、爆撃を受けて損傷した。1940年に解体された。参考:月刊世界の艦船11,00

デダロ級軽空母>:スペイン海軍軽空母Dedalo級。スペイン海軍初の空母で、1963年に国産計画を立て、当初はフランスのクレマンソー級をライセンス生産する計画だったが、財政難で不可能となったため、アメリカ海軍が第2次大戦中に建造した軽空母CVL-28カボットを1967年に借り受け、1973年に購入した。当初はヘリのみを運用していたが、後にAV-8Sマタドール搭載改修を施している(スキージャンプ台は無し)。全長189.9m、飛行甲板長166m、満載排水量15800-16416トン。主機は蒸気タービン、速力32ノット。兵装は40mm4連装機関砲1基、40mm連装機関砲9基。V/STOL機7機、ヘリコプター20機を搭載できる。R01デダロが就役した。参考:月刊世界の艦船2,879,126,18

テタン>:チェコとポーランドが共同開発している将来歩兵システム。NATOとの共通規格を採用している。通信システムはWBエレクトロニクス社がPSI端末を開発中。2013年に試作型を作成し、2014年から量産する予定である。参考:月刊軍事研究12,11

<デチェイニュスク>:SSG-76(潜水艦)を参照。

<デチュン>:AOE-58(補給艦)を参照。

テチョン型シリーズ>:北朝鮮海軍哨戒艇Taechong型。1970年代半ばから1995年に建造された。参考:月刊世界の艦船7,13

 <テチョンⅠ型>:Taechong Ⅰ。排水量410トン。兵装は85mm砲1門、57mm連装機関砲1基、RBU1200対潜ロケット発射機2基。7隻が建造された。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、月刊世界の艦船7,13

 <テチョンⅡ型>:Taechong Ⅱ。排水量425トン。兵装は100mm砲1門、57mm連装機関砲1基、RBU1200対潜ロケット2基。5隻が建造された。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、月刊世界の艦船7,13

デッカ>:イギリスのデッカ社が開発した双曲線電波航法システムDecca procedure。元は船舶用だが、航空機でも使える。装置はアンテナ部、送受信機部、電源部からなり、主局1つと従局3つに1基ずつ設置、電波(連続波)を発信して艦上・機上で受信し、位相差から自艦・自機の位置を特定する。使用周波数110-130kHz(ロランCとほぼ同じ)、送信出力1.2kW、有効距離600海里(昼間)/390海里(夜間)、精度5-60m。海上自衛隊は掃海部隊向けとして1970年に導入した。GPSに後を譲り、2001年、日本で民間運用を終了した。2020101日、全世界で最後まで使用してきた海上自衛隊が運用を終了し、歴史に終止符が打たれた。参考:図解・電波のしくみ、航空用語事典増補改訂版、朝雲

デッカ1226>:イギリスの対水上捜索・航海用レーダーで、スロッテッド・ウェーブガイド型アンテナを持つ。使用周波数はIバンド、ピーク出力25kW、走査回数毎分28回。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版

<デッカー>:DE-47(護衛駆逐艦)を参照。

<デッカーマックス>:Ⅳ号a型自走砲を参照。

鉄兜>:日本陸軍用語で、コンドームのこと。参考:帝国陸海軍事典

<轍間距離>:ホイール・トラックを参照。

デッキ・オペレーション>:発着艦作業のこと。参考:月刊JWings1,02

デッキ・クルー>:アメリカ空母飛行甲板の作業員。フライトデッキ士官、デッキチェッカー、エアクラフト・ハンドリング士官、カタパルト士官、カタパルト・クルー、カタパルト・セーフティ・オブザーバー、ホールドバック・パーソネル、センターデッキ・オペレーター、ウエイトボード・オペレーター、ジェット・ブラスト・デフレクター操作員、ジェット・ブラスト・デフレクター・セーフティ・オブザーバー、プレーン・キャプテン(機付長)、プレーン・ディレクター、アレスティング・ギア・クルー、フックランナー、エアクラフト・ハンドリング・クルー兼チョーク員、スコードロン・プレーン・インスペクター、クオリティ・アシュアランス、エレベーター操作員、オードナンス・ハンドラー、航空燃料員、セーフティ士官、セーフティ・クルー、クラッシュ・アンド・サルベージ、トラクター・ドライバー、メッセンジャー兼テレフォン・トーカーなど70種くらいに分かれている。着用するジャージの上着の色が職種ごとに分かれており、レッド・ジャージ、イエロー・ジャージ、ブルー・ジャージ、グリーン・ジャージ、パープル・ジャージ、ブラウン・ジャージ、ホワイト・ジャージと呼ばれる。クレニアル・ヘルメットとライフ・プリザーバー・ベストMk1も基本はジャージと同じ色だが、細かい職種によっては違ったりもする。ズボンは士官はカーキ色の制服または市販カーキ色カーゴパンツ、下士官・兵は軍規格に準ずるBDU(迷彩柄は個人の自由)を履く。ちなみにLSOはパイロットであり、デッキ・クルーには含まない。参考:月刊JWings1,177,'221,02

デッキファインダー>:エアバス・ディフェンス・アンド・スペース社が開発した自動着陸・着艦装置。プラットフォームに送信機6基を装着し、機体下面の受信アンテナ2基で電波を受信、機載コンピュータが機体とプラットフォームの位置を計算して自動着陸・着艦させる。S-100無人ヘリを地上で移動するプラットフォームに着陸させたり、R-350無人ヘリを船舶に着艦させたりするテストに成功した。参考:月刊軍事研究11,18

デッキ・フィックス受信機>:中間周波数(IF)を用いるレーダー受信機で、広帯域増幅器、リミッター、狭帯域増幅器からなる。妨害波を受信すると広帯域増幅器とリミッターで処理されて狭帯域増幅器に送られ、ランダム周波数のノイズを除去する。ノイズ妨害、ファースト・スイープ妨害、ナロー・パルス妨害に有効。参考:月刊エアワールド4,00

デッキ・ランチ>:艦上機が飛行甲板を自走して自力で発艦していくこと。ちなみにカタパルトを使うのはカタパルト・ランチという。参考:月刊JWings11,991,17

<徹甲焼夷弾>:APIを参照。

<徹甲弾(狭義)>:APを参照。

徹甲弾(広義)>:運動エネルギーによって装甲を貫徹するための弾丸で、APAPCAPCBCAPCRAPDSAPFSDSなどがある。貫徹力は弾丸重量の0.75乗と弾丸速度の1.5乗、装甲板の防御定数Kに比例し、弾丸直径の1.26乗に反比例する。よって弾丸直径を小さくすれば貫徹力が増す筈だが、細くしすぎると貫徹途中に弾体が折れるから、ちょうど良いところを取るのが難しい。装甲を貫通でき、着弾の衝撃でも砕けない、硬くて粘り強い素材を使う。参考:月刊戦車マガジン1,88、月刊グランドパワー10,03MAMOR vol.132

徹甲弾による破壊モード>:花弁状成形、プラグ状成形、孔径拡大成形、スポール破壊の4つがある。更に装甲板に対して斜めに当たった場合は回頭破壊を生じることもあり、超高速弾では特殊な破壊様式になることもある。参考:月刊戦車マガジン1,88

<徹甲榴弾>:APHEを参照。

鉄地鑿>:日本陸軍の有線通信器材。参考:工兵入門

鉄舟>:日本陸軍の渡河器材で、明治20810日に制式化された。尖錨舟、方形舟、尖形舟からなり、これらを組み立てて舟に仕立てる。2-3隻の間に床板を渡して橋節門橋にすることが可能。日清戦争で使用された。参考:工兵入門

鉄十字章>:ドイツ軍の勲章。1813年にプロイセン皇帝ヴィルヘルムⅢ世が定めたもので、1870年にヴィルヘルムⅠ世が戦功章としての制度を作り、第1次・第2次大戦でも武功章として授与された。第1次大戦時には二級鉄十字章、一級鉄十字章、鉄十字大綬章の3種が設けられていた。ヒトラーがドイツ国防軍最高司令官に就任すると、戦闘において顕著で勇敢な行為を示したと国防軍三軍・武装親衛隊の代表者または代理人から推薦されてヒトラーが決定した将兵に授与されることとなった。1939年、一級鉄十字章と鉄十字大綬章の間に騎士鉄十字章を追加。19406月、騎士鉄十字章と鉄十字大綬章の間に柏葉騎士鉄十字章を追加。19419月、柏葉騎士鉄十字章と鉄十字大綬章の間に剣付柏葉騎士鉄十字章、剣付柏葉騎士鉄十字章と鉄十字大綬章の間にダイヤモンド剣付柏葉騎士鉄十字章を追加。194412月、ダイヤモンド剣付柏葉騎士鉄十字章と鉄十字大綬章の間にダイヤモンド黄金剣付柏葉騎士鉄十字章を追加。参考:武装親衛隊

鉄十字大綬章>:ドイツ軍の勲章。ドイツ軍の最高勲章で、鉄十字章の倍のサイズがあり、黒白赤の幅広リボンで首から吊す。第1次大戦時は5名に授与された。第2次大戦ではヘルマン・ゲーリング空軍元帥が受章した。参考:武装親衛隊

鉄条網>:有刺鉄線で構成された障害。第2次大戦中からレイザー・ワイヤーに換えられた。歩兵にとってはかなり厄介な障害で、戦車は元々これと塹壕と機関銃弾を避けるために開発されている。ただノモンハン事件では日本陸軍戦車がソ連軍の低鉄条網により行動不能になってしまった。横一直線に有刺鉄線を張った棚型、横一直線に何本も有刺鉄線を張り、更に螺旋状に有刺鉄線を巻いた屋根型、螺旋状に巻いただけの蛇腹型、棚型を縦横斜めに張り巡らせた網型、軟弱地面でも沈まないようにした三角型、200-300mmの高さに敷設して戦車と歩兵を分離させる低鉄条網、1辺が1-3mの直方体状に鉄条網を組み合わせて持ち運べるようにした拒馬・投込拒馬などがある。参考:月刊コンバットマガジン11,03、コンバット・バイブル、朝雲

鉄線鋏大>:日本陸軍の通信器材。参考:工兵入門

鉄槌作戦>:Operation Iron Hammer。アメリカ陸軍第1機甲師団がポスト・イラク戦争時の20031112日に実施した、バグダッド区域の掃討作戦。武装組織の拠点をOH-58Dがサーチライトで照射し、AH-64DA-10Aの支援射撃の下、M-1A1M2A2ブラッドレイの援護を受けた歩兵とイラク国内防衛隊が突入して制圧する方法がとられた。参考:月刊軍事研究9,04

徹底攻勢主義>:フランス陸軍が1913年版作戦要務令に記した戦闘の原則で、攻撃以外の原則はこれを廃すると定めた。重機関銃や野砲の砲火から身を隠すために歩兵部隊が散開すると指揮官による統制が取りづらくなり、兵士がパニックに陥って勝手に逃げ出さないようにするには信頼できる指揮官を育てる必要があるが、国民軍という建前のフランスでは指揮官だけをエリートに育て上げるというのが理念に反するため、1894年の歩兵操典でも密集隊形を取っていた。イギリスのボーア戦争の戦訓に基づく1904年の改訂では散開を取ることになったが、日露戦争の観戦武官が日本陸軍の勝利の秘訣を精神力による敵火力を恐れぬ銃剣突撃にあると分析したため、1913年の作戦要務令で損害に構わず密集して突撃し続けるという徹底攻勢主義を採用した。そのまま第1次大戦に突入したが、緒戦でドイツ軍主攻方面の南側において歩兵突撃を繰り返した結果、重機関銃と野砲の滅多打ちを喰らって凄まじい損害を出している。参考:月刊軍事研究1,16

鉄導環>:太平洋戦争中、銅の不足した日本で開発された軟鋼製砲弾用導環。炭素0.03%、珪素0.01%、マンガン0.01%、リン0.005%、硫黄0.04%、ニッケル0.01%、クロム0.01%、銅0.01%、アルミニウム0.03%を含む。降伏点は1平方ミリメートルあたり14.2kg、引っ張り強さは1平方ミリメートルあたり22.2kg、ブリネル硬度61.8。終戦時には12.7cm対空砲や短12cm砲用のものが完成していた。参考:続・海軍製鋼技術物語

鉄道監部>:日本陸軍軍事鉄道機関。戦場または戦場付近での戦時鉄道業務が主任務で、鉄道輸送に関する計画・処理を行う。トップは鉄道艦で、輸送計画・処理に必要な件に関し、乗車部隊を区処する。参考:作戦要務令

<鉄道義勇戦闘隊>:国民義勇戦闘隊を参照。

鉄道橋架柱>:日本陸軍の器材。参考:工兵入門

鉄道作戦>:鉄道に関連する作戦。鉄道は自動車よりも輸送量が圧倒的に大きく、きちんとレールが整備されていれば多少の風雨に関わらず使用できる。後方輸送のみならず、武装兵を列車に乗せたり、列車そのものを武装化した装甲列車を運用したりして追撃や戦闘に投入することも可能。レール以外の場所を走れない、レールを破壊されると使えないので敵の攻撃に脆弱、通過重量が大きいので新設に多大な労力が要るといった欠点がある。坂道の上から石を積んだ貨車を転がして列車に激突させる妨害手段が取られることもある。参考:工兵入門

鉄道隊(日本陸軍)>:日本陸軍軍事鉄道機関。状況により編成され、戦線に近い戦時鉄道業務を担当する。普通鉄道の建設と運用、軍用軽便鉄道の建設と運用が主任務であり、満州事変以降は装甲列車や装甲牽引車を使用して鉄道沿線の戦闘も行うようになった。鉄道の修理にあたっては1列車20トン輸送の軽列車が通れる線路100kmを2週間で修理し、次の2週間で1日600トンを輸送できるよう強化、更に2週間かけて重列車が運行できるようにして停車場や通信保安設備も整備することとした。機動作戦に追随できるようかなりのハイペース工事が要求されており、必要な機材は極力機械化されている。明治28年、台湾陸軍補給廠が軌間1フィート7.5インチ(0.5m)の手押し軽便鉄道を各駐屯地間に敷設。明治29年、鉄道大隊が創設された。臨時台湾鉄道隊が全台鉄路総局の鉄道を占領。明治30年、軍用軽便鉄道の軌間を24インチ(0.61m)、普通鉄道の軌間を3フィート6インチ(1.07m)とすることが決まり、イギリスから機関車と線路を購入した。明治33年、ドイツに倣って訓練を開始。北清事変で臨時鉄道大隊が天津・北京間の線路修理を実施。明治38年、日露戦争で兵站用軽便鉄道を戦線後方に敷設。野戦鉄道提理部は満州に敷設されていた軌間5フィート(1.52m)の鉄道を内地と同じ3フィート6インチ(1.07m)に改修して運用した。日露戦争後、鉄道隊が連隊編成となった。明治44年、普通鉄道の軌間を4フィート8.5インチ(1.435m)とすることが決定。大正3年、青島攻略戦で24インチ(0.61m)軌間の手押し鉄道を建設。山東鉄道を占領して臨時鉄道連隊により復旧し、運転した。昭和18年、泰緬連接鉄道が完成。昭和19年、本土決戦に備えて大陸の物資を本土に輸送する必要が生じたため、大陸鉄道司令部が設けられた。終戦時、鉄道連隊20個、独立鉄道大隊23個、独立鉄道橋梁大隊2個、独立鉄道工務大隊2個、独立鉄道工作隊3個、独立鉄道作業隊40個、手押軽便鉄道隊4個、装甲列車隊3個、鉄道材料廠5個、特設鉄道運輸隊2個、特設鉄道工務隊3個、特設鉄道橋梁隊4個、野戦鉄道廠2個があった。参考:工兵入門、作戦要務令

鉄道第5連隊>:日本陸軍の鉄道連隊。昭和1775日、泰緬連接鉄道の建設をビルマ側から開始。1118日、連隊本部がモールメンを出発してビルマに向かった。昭和191月下旬、連隊本部がビルマのシュエボに到着。隷下4個大隊のうち第1-第3大隊がミイトキーナとマンダレーを結ぶミイトキーナ線(全長586km)、第4大隊がイエウとマンダレーを結ぶイエウ線を担任した。312日、モール駅東に第2次チンディット作戦部隊が降下してミイトキーナ線がナンカン以北で寸断された。鉄道を警備する部隊は無く、最小限の武装しか無い鉄道隊が自ら排除せねばならなくなり、317日に増強1個中隊で敵陣地を攻撃したが、航空支援を受けて機関銃を撃ち込んでくる敵に対して三八式歩兵銃では相手にならず、撃退される羽目になっている。5月末、インパール作戦が敗勢に転じると後退を開始。87日、ミイトキーナがイギリス軍に占領されたため、ミイトキーナ線の放棄が決まり、マンダレーとラングーンを結ぶマンダレー線を担任することになった。昭和20319日、マンダレーがイギリス軍に占領され、小隊ごとにバラバラの状態でビルマ現地人の支援を受けつつ山岳地帯を南に下がった。815日のポツダム宣言受諾時も退却中だった。10月、イギリス軍によりタイのノンプラドックに集合するよう命じられ、列車で移動し、日本軍が建設した捕虜収容所に入れられ、武装解除された。以降はイギリス軍の下で使役に従事。営門ではグルカ兵が警備に就いていたが特に監視は無く、米以外の食料は自前で調達する必要はあったが、酒も自作して宴会を開いたりしていた。昭和211017日、復員が決定。列車でノンプラドックを発ってバンコクに到着した。復員船葛城に乗る寸前、捕虜だった連合軍人が虐待を受けたとして戦犯が3人足りないと言い出したため、将校3名が容疑者として残らされたが、他は112日に浦賀に帰国した。残らされた3名も後に無実として全員帰国を果たしている。参考:歴史群像10,18

鉄道輸送司令部>:日本陸軍軍事鉄道機関。内地での戦時鉄道業務を担当し、鉄道輸送に関する計画・処理を行う。トップは鉄道輸送司令官で、輸送計画・処理に必要な件に関し、乗車部隊を区処する。参考:作戦要務令

鉄道連隊(日本陸軍)>:日本陸軍の鉄道隊。日露戦争後に従来の鉄道大隊を鉄道連隊編成に拡大したものである。鉄路建設運用が主任務で、陸上勤務中隊8個、建築勤務中隊1個、自動車中隊数個が付属し、鉄道施設の建設補修や機関車・軽便車両による運行を行う。隷下の1個大隊で100km区間を1日16往復運転可能で、2個大隊編成なら200km区間、4個大隊編成なら400km区間を担任する。ただ装備を揃えるのに限界があり、鉄道第3・第4連隊が所定の編成をほぼ達成した程度で、他は装備も扱える兵も不足していた。日露戦争後に津田沼で創設され、千葉・津田沼・松戸を結ぶ軽便・広軌演習線により訓練を行った。線路を敷く際にはレールと枕木を分けて運んで現場で組み立てるのでは無く、線路に組み立てた状態にして現場まで人力運搬するので、うかうかしていると地面に置く際に手足が潰される。という事故を気合いで防ぐという名目で、毎日の日朝点呼後に古参兵が新兵にビンタを喰らわせていた。後に鉄道第一連隊(千葉)と鉄道第二連隊(津田沼)の2個連隊編成になった。太平洋戦争終結後、演習線は京成電鉄に払い下げられ、新京成線として私用されている。参考:工兵入門、月刊丸2,12、月刊軍事研究2,17、軍医サンよもやま物語、歴史群像10,18

鉄道連隊(陸上自衛隊)>:陸上自衛隊の鉄道運用部隊。第101建設隊が解隊された後、1967年頃に新編されたといわれる。来る70年安保で大規模なデモが発生した場合、首都圏の国鉄が運行不能になる事態が予想されたため、かわりに運行するのが主任務である。陸軍鉄道連隊のあった津田沼に部隊を置く予定だったが、引き込み線が無かったため、古河駅で訓練を行ったらしい。実際の70年安保では60年安保ほどの混乱は起きなかったため、出番は無く、部隊は解散した。その後1970年に就任した中曽根康弘防衛庁長官から編成を検討するよう指示が出されたが、鉄道部隊を編成する緊急性や合理性が無く、人員も足りないとして、国鉄など運輸機関との連携強化を図るのみに止めた。参考:自衛隊装備カタログ1981、月刊軍事研究4,12

テツドー>:南アフリカのDCDプロテクテッド・モビリティ社とCMIT社が共同開発した対IED/偵察用UGV。偵察センサー、地雷・IED探知装置、遠隔操作式兵装ステーションなどを装備可能で、負傷者の後送にも使える。車体には四隅に履帯式走行装置が4組取り付けられており、不整地踏破能力が高く、姿勢を自由に変えられる。全長1.75m、車体長0.832m、全幅0.97m、全高0.4-0.7m、自重260kg、ペイロード150kg。バッテリー式電動モーター駆動で、最大速度6.5km、駆動時間6時間。参考:月刊軍事研究3,151,15

<テッド・スティーブンス>:DDG-128(イージス駆逐艦)を参照。

デッド・ダック作戦>:アメリカ軍による日本海軍潜水艦海没処分作戦Operation Dead Duck。太平洋戦争終結後、ローズ・エンド作戦で処分しきれなかった潜水艦を海没処分するもので、昭和2145日に佐世保湾外の向後崎西方沖で伊202、波207、波210、波216の4隻を処分した。参考:歴史群像4,18

<デッドマンズ・カーブ>:H-V線図を参照。

デッドライト作戦>:第2次大戦終結後にイギリス海軍が行った、Uボート処分作戦。1945814日と126日にベルリンで開かれた連合軍海事委員会会合でUボートの処分法が検討され、1946215日までにイギリス海軍が深さ100m以上の海底へと沈めることになった。対象Uボートは116隻で、スコットランドのロック・ライアンに集められ、数隻が標的艦として使用された他は19451125日から処分場所のアイルランド北部沖210kmの地点へと曳航されていったが、航行が不安定なため途中で沈んでしまったり、曳航が危険なため砲撃で撃沈処分されたりしたものが58隻に達した。参考:Uボート入門、月刊世界の艦船9,12増刊

鉄のカーテン>:194635日にイギリスのチャーチル首相がアメリカのミズーリ州フルトンでの演説中に使用した文言「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで鉄のカーテンが下ろされた。その向こう側にはチェコスロバキア以外に真の民主主義は存在しない」にあった言葉で、ヨーロッパが東西陣営により分断されてしまったことを例えており、冷戦を象徴するものとなった。参考:歴史群像12,098,15、朝鮮戦争(上)

<てつのくじら館>:海上自衛隊呉資料館を参照。

鉄の三角地帯>:朝鮮半島の鉄原、平庚、金化を結ぶ三角地帯。ソウルの北90kmにあり、議政府道を南下すれば殆ど河川障害に悩まされずソウルに到達できる。朝鮮戦争休戦交渉開始後に発動されたコマンド作戦で激しい戦闘が続けられ、大量の弾薬が消費されたのでこの名がある。参考:月刊PANZER2,00、月刊軍事研究1,10

鉄の支配作戦>:Operation Iron Grip。ポスト・イラク戦争時の20031224日からアメリカ陸軍第1機甲師団が実施した、バグダッド周辺の掃討作戦である。兵力500名規模の掃討が68回行われ、攻撃ヘリと空軍機、砲兵隊も支援を行い、武装勢力の指揮系統を破壊したとされる。しかし大規模な市街攻撃により民間人死傷者も多かった。参考:月刊軍事研究9,04

鉄の正義作戦>:ポスト・イラク戦争時の20031218日にアメリカ陸軍第1機甲師団が実施した、バグダッド周辺の掃討作戦。20人の密売人を拘留し、28両の油槽トラックと9両のプロパントラックを押収した。参考:月刊軍事研究9,04

鉄の暴風>:沖縄戦に沖縄住民が付けた別名。

テッパチ>:自衛隊用語で、鉄帽のこと。鉄ぱちとも書く。参考:月刊軍事研究2,08MAMOR vol.164

テッポウ>:日本海軍用語で、砲術長や砲術科士官を表す。語源は鉄砲。参考:日本海軍史、帝国陸海軍事典

鉄帽(陸上自衛隊)>:陸上自衛隊の戦闘用ヘルメット。88式鉄帽は鉄でなくアラミド繊維強化プラスチック製である。参考:MAMOR vol.132

鉄砲屋>:日本陸軍用語で、銃工兵の通称。参考:帝国陸海軍事典

鉄鷹Ⅱ>:韓国軍天弓ブロックⅡ地対空ミサイルシステム用ミサイルIron HawkⅡ。対短距離弾道ミサイル用で、巡航ミサイル迎撃能力も持ち、ロシアのアルマーズ・アンティ社から9M96の技術を導入して国産開発した。8連装VLS車両からコールドランチ方式で射出され、目標を直撃破壊する。全長4.61m、直径0.275m、重量400kg。固体燃料ロケット推進で、迎撃高度15-18km、最大射程40km。誘導は中間INS+レーダー車両からのアップリンク、終末ARH。参考:月刊軍事研究3,18

<デティエンヌ・ドーヴ>:F781(通報艦)を参照。

デティエンヌ・ドーヴ級>:フランス海軍通報艦DEstienne dOrves級、別名A69型(Aは通報艦・Avisosの略)。主任務は沿海・近海での対潜戦で、海外権益保護なども行う。全長80m、幅10.3m、吃水5.5m、基準排水量950トン、満載排水量1170トン(1250トン?)。主機はSEMTディーゼル2基2軸12000馬力、速力23ノット、航続距離は15ノットで4500海里、行動日数15日。兵装はエグゾセMM38/MM40単装発射筒2基ないし4基、100mm単装砲1門、20mm単装機関砲2門、375mm6連装対潜ロケット発射機Mk54が1基、550mm単装魚雷発射管MKL5L3対潜魚雷またはL5両用魚雷)4門。乗員75名(対潜任務時は93名)。1976年からF781デティエンヌ・ドーヴ、F786カルティエ・メートル・アンクティル、ルテナン・ド・ヴェソ・ラヴァレ、F791コマンダン・レルミニエ、F792プルミエ・メートル・レール、F796コマンダン・ビロ、コマンダン・ド・ピモダンなど17隻が就役した。後にエグゾセを撤去して哨戒艦となった。2015年現在の兵装は以下の通り。ミストラル艦対空ミサイル連装発射機シンバド1基、対潜魚雷単装発射管4門、100mm単装砲1門。参考:月刊世界の艦船3,92増刊、8,82増刊、5,919,017,119,111,14、ザ・マーチ17号、ミリタリー・バランス1989-1990THE MILITARY BALANCE 2016

<デティエンヌ・ドーヴ級・海外シリーズ>

 <デティエンヌ・ドーヴ級(アルゼンチン海軍)>:アルゼンチン海軍通報艦。全長80m、幅10.3m、吃水3m、満載排水量1170トン。主機はディーゼルで、出力12000馬力、2軸推進、速力24ノット。兵装はエグゾセMM38単装発射筒4基、100mm単装砲1門、40mm連装砲2門、20mm単装機関砲2丁、324mm3連装短魚雷発射管2基。1978年から3隻が竣工した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

 <ブラク級>:トルコ海軍コルベットBurak級。フランス海軍の中古艦を導入したものである。兵装は100mm砲1門、MM-38エグゾセ単装発射筒2基、Mk46短魚雷用単装発射管Mk46が4基、クルーゾ・ロワール製6連装対潜迫撃砲Mk54(艦尾。弾丸重量107kg。射程1600m)1基。2001年からF503ベイコズ、ボズジャアダなど6隻が配備された。参考:THE MILITARY BALANCE 2016JShips Vol.48、月刊世界の艦船9,01

テティス>:ドイツ海軍のUボート用レーダー・デコイThetis。木製の腕木にダイポールアンテナを10個取り付けたもので、長さ5mの薄い鋼板を環状管にして浮体を装着したブイにより海面を漂う。19442月にメートル波対応のものが使用され、その後センチメートル波対応の改良型が使われている。甲板上で組み立てる必要があるのが欠点で、海中から射出できるテティスUSを開発中に終戦を迎えた。参考:Uボート入門、ナチスUボート

テティス>:ドイツ海軍防空艦Thetis。ノルウェー海軍宿泊艦ハーラル・ホールファグレを19404月に捕獲して防空艦に改造したものである。19455月、ドイツ敗戦に伴いノルウェー海軍に復帰し、練習艦ハーラル・ホールファグレになった。参考:月刊世界の艦船4,17

テティス>:フランス海軍シルセ級潜水艦Thetis1929年竣工。1942年に自沈した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

テティス暗号>:ドイツ海軍が第2次大戦時に使用した暗号。北海とバルト海で訓練艦の交信に使用された。参考:Uボート入門

テティス級>:ドイツ海軍対潜コルベット。兵装は対潜ロケット4連装発射機1基、533mm魚雷発射管4門。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

テト攻勢>:ベトナム戦争中の19681月末から共産側が行った、ベトナム全土での大規模攻勢で、36の省都と64の県都で一斉に攻撃が開始された。1年前から計画されており、アメリカ軍も情報を掴んでいたが、攻勢を限定的と考えていたため対応が遅れた。共産側が企図していた都市住民蜂起、南ベトナム政府軍の崩壊などは起きず、アメリカ軍の反撃で大損害を被ったものの、アメリカの世論に与えた影響は大きく、アメリカは北爆停止と和平会談に進むこととなった。参考:月刊軍事研究8, 06

<テトコット>:L99(駆逐艦)を参照。

<デトネーション>:爆轟を参照。

デトネータ>:イニシエータの1つ。起爆雷管、起爆筒、起爆薬筒などをこう呼ぶ。機械的または電気的エネルギーで発火し、高性能炸薬を起爆させるのに十分なエネルギーを持つ。一般的には、感度の高い発火薬、アジ化鉛やスチフネート鉛などの点火薬、RDXPETNなどの添装薬から構成される。参考:火器弾薬技術ハンドブック

デトネーティング・コード>:アメリカ軍のコード状爆薬で、爆薬と爆薬の間を繋ぐために使用される。爆薬芯を6重にコーティングしてある。爆速毎秒6000-7000m。発火具と爆薬の間を繋ぐと逃げる暇が無くなるので注意。参考:コンバット・バイブル2

デドフシチーナ>:Dedvshchina、祖父愛。ロシア軍の上官や先任兵による悪質なイジメのことで、1990年代のソ連崩壊で一気に増加し、指揮系統の弱体化を生み、犯罪や不正の温床となっている。2003年の段階でもこれに絡む犯罪が前年より8%増加したとされる。参考:月刊軍事研究1,09

<テトラーク>:N77(潜水艦)を参照。

テトラーク軽戦車シリーズ>:イギリス陸軍軽戦車MkⅦ、A17Tetrarch。ちなみにテトラークの名称が付いたのは1943年のことである。15mmベサ機銃を搭載できる軽戦車として1937年からヴィッカーズ社で開発され、同年12月に試作車が完成した。1938年に軍需省がA17軽巡航戦車として採用、120両を発注したが、他戦車の生産で忙しかったのとダンケルク撤退で軍需省が歩兵戦車・巡航戦車を優先したのとドイツ軍に工場を空襲されたのとで量産が遅れ、納入は194011月になってからで、1942年までに171両(177両?)が作られ、第1ロットの20両はソ連の援助に回されている。その後に空挺部隊の空挺装甲偵察連隊用空挺戦車として使用されることが決定し、搭載用のハミルカー・グライダーも生産された。初実戦使用は19425月のマダガスカル上陸作戦で、初空挺使用は19446月のオーバーロード作戦であり、19453-5月のライン川渡河作戦(バーシティ作戦)が最後の作戦である。1950年、ハミルカー・グライダー退役に伴いこちらも引退した。参考:British and American tanks of World war two、月刊PANZER3,10、異形戦車ものしり大百科

 <テトラークⅠ>:車体は均質圧延鋼板のボルト止めで、前部中央に操縦席、中央に戦闘室、後部に機関室がある。転輪は片側2枚。前方の誘導輪と後方の起動輪は共に転輪と同じくらいの大きさで、接地しており、起動輪以外はステアリングするので、履帯を外せば装輪走行できる。ただ履帯走行時にもステアリングするため、履帯は転輪の向きに合わせられるよう柔らかく作られており、旋回半径が大きくなってしまった。操縦手は円形ハンドルで操向する。砲塔には2ポンド砲(50発)と7.92mmベサ同軸機銃(2025発)が装備されており、砲口初速を増すため2ポンド砲にリトルジョン・アダプターを装着したものもある。装甲厚は砲塔・車体前面16mm14mm?)、その他6mm4mm?)。全長4.29m、全幅2.31m、全高2.09m、空車重量6.62トン、戦闘重量7.38トン。エンジンはメドウズMAT水平対向12気筒水冷ガソリン(165馬力)、最大速度路上64km、路外28マイル(45.1km)、燃料搭載量205リットル、航続距離224km。乗員3名(車長、操縦士、砲手)。参考:異形戦車ものしり大百科、月刊PANZER3,10British and American tanks of World war two

 <テトラークⅠCS>:主砲を3インチ(76.2mm)榴弾砲MkCSに変更した火力支援(Close Support)型。参考:British and American tanks of World war two、異形戦車ものしり大百科

 <テトラークⅠDD>:DD浮航戦車に改造したもので、車体周囲にスクリーンを張って水面に浮かび、プロペラで推進する。1両が改造され、テストに使用された。参考:British and American tanks of World war two

<テトラル>:ミストラル1対空ミサイル(艦載型)を参照。

テトリス・チャレンジ>:世界の空軍で2019年頃からSNS映えを狙って流行しだした写真。写真1枚のスペースに機体、兵装など各種装備品、整備車両、寝転がった人員などをずらりと隙間無く縦横に整然と並べ(恐らく斜め置きはNG)、真上から写真を撮って#TetrisChallengeのハッシュタグで投稿する。テトリスというよりランナーを外してパーツだけ配置し直したプラモデルみたいだが、それだと世界的知名度が無いのとハッシュタグが付けづらい。参考:月刊JWings3,22

テトリル>:トリニトロ2,4,6フェニルメチルニトラミン。1879年に初めて製造された。淡黄色の結晶体だが、圧縮プレスで充填する際に滑りを良くするため黒鉛を添加するので、製造品では灰色になっていることが多い。製造過程で有毒廃棄物が発生するので、各国で製造中止になっている。融点129.5度、爆速毎秒7720m、爆轟圧23.9GPa。参考:火器弾薬技術ハンドブック

<デトロイト>:CL-8(軽巡洋艦、5代目)またはAOE-4(補給艦、6代目)またはLCS-7(沿海戦闘艦、7代目)を参照。

<テトン>:AGC-14(揚陸指揮艦)を参照。

デナ>:イラン海軍駆逐艦Dena。兵装は76mm単装砲1門(前甲板)、40mm単装機関砲、メラブ艦対空ミサイル連装発射機(艦橋直前)、艦対艦ミサイル発射筒4基(煙突後方)、3連装魚雷発射管2基。2021年に就役した。参考:月刊世界の艦船9,21

手投煙弾>:日本陸軍の手投げ発煙弾で、昭和18719日に制式化された。開発当初は黄燐を使用したが、北満州でテストしたところ黄燐が凍り付いて発煙能力が落ちたため、四塩化チタンと四塩化珪素の混合物に変更して完成した。戦車に投げつけると瓶が割れて発煙し、周囲を煙で覆ったり、隙間から内部に入り込んだりして視界を妨げるので、その隙に肉薄攻撃を行う。瓶内径66mm、瓶肉厚4mm、瓶底部径35mm、瓶全高82mm、重量0.5kg、発煙剤容量145cc。直径86mm・高さ103mmの容器に入れて持ち運ぶ。参考:工兵入門

手投火焔瓶>:日本陸軍の対戦車用火炎瓶で、昭和18719日に制式化された。まずガラス瓶に燃料と発火剤を入れて瓶が割れると自動発火するものを試作したが、取り扱いが不便だったため、缶詰の缶またはサイダー瓶に信管を取り付けたものを作り、後者を採用した。ただサイダー瓶は命中精度が悪かったため、少し背の低い瓶に変更、燃料としてカ剤を入れ、常動信管を口の部分にセットしてある。信管はサイダー瓶やビール瓶の口にも合うので、これらを利用して急造することも可能。瓶外形69mm、内径63mm、瓶高さ140mm、重量0.54kg。備品としてじょうごと箱が付く。参考:工兵入門

手投げ型情報収集ロボット>:防衛技術シンポジウム2008でコンセプトモデルが公開された、自衛隊のカプセル型ロボット。大きなガチャポンを2つに割って中に偵察装置を詰め込んだような外見をしており、外部カバーを回転させることで移動する。内部のカメラは安定化されていて、常に水平を維持する。操作はカメラの映像をパソコンで見ながら市販のゲーム用コントローラーで行うが、データ通信は無線LANで行うため、行動範囲が狭い。また、操作中は両手が塞がる。本体をソフトボール大にまで小型化し、建物に投げ込んで使えるよう強度を高め、GPSやマイクといったオプションを揃え、安価に仕上げるという改良を加える予定。防衛技術シンポジウム2009では携帯型小型情報収集機材にバージョンアップした。参考:月刊軍事研究4,092,10

手投げ式周囲探索コマ(ポケットセンサー)>:防衛技術シンポジウム2010で発表された人感センサー。ワイヤーを球形に組み立て、内部に赤外線センサーを収容してあり、付近に人がいるとブザーが鳴る。直径100mm、重量10g。制作費は2000円。参考:ストライク・アンド・タクティカルマガジン1,11

<テナシティ>:PG-71(コルベット)を参照。

<テナシャス>:R45(駆逐艦)を参照。

<デナリ>:セスナ・デナリ(軽飛行機)を参照。

テナル河畔の戦い>:太平洋戦争において、ガダルカナル島で昭和17820日に一木支隊が飛行場奪取のために実施した攻撃のアメリカ軍名称。一木支隊はMI作戦のため第7師団歩兵第28連隊を主力として編成された支隊で、総兵力2400名。支隊長は連隊長の一木清直大佐で、支隊本部、歩兵大隊(大隊本部、歩兵中隊5個、重機関銃12丁装備の重機関銃中隊、70mm歩兵砲2門装備の大隊砲小隊)、連隊砲中隊(75mm山砲4門)、速射砲中隊(37mm速射砲6門)、工兵中隊、通信隊、衛生隊、輜重隊、独立速射砲第8中隊(PaK35/36対戦車砲6門)、船舶工兵中隊からなり、ミッドウェイ海戦の敗北を受けてグアムに引き返しており、第2艦隊の隷下を外れて大本営直轄に移され、87日に輸送船ぼすとん丸と大福丸に分乗してグアムを出港、内地へと向かっていた。しかし同日にガダルカナル島へアメリカ軍が上陸。一木支隊には参謀総長からグアムに引き返して乗船のまま待機するよう命令が出された。88日、大本営陸海軍部連絡研究が開催され、ソロモン諸島に投入されたアメリカ海兵隊は1個師団分、兵力10000名前後と推定され、ガダルカナル島の奪還は十分な兵力の集結を待ってから、という方針が出された。一木支隊の急速投入という意見も出たようだが、89日の軍事省軍事課での検討では、絶海の孤島への戦力投入はノモンハン事件の二の舞や作戦指導の硬直化を招くといった解析も行われている。89日夜、一木支隊に対し、トラックに向かって第17軍の隷下に入るよう内報が出された。812-13日、第17軍と海軍南東方面部隊が奪回作戦を検討。敵兵力を7000-8000名とみて、パラオの第35旅団と一木支隊を派遣し、空母2隻の護衛の下に8月下旬に作戦を行うという意見が参謀長から出されたが、アメリカ軍が不活発で、飛行場もアメリカ軍の運用に適する状態には至っていないことから、戦機を逃さず早期に上陸すべきという参謀らの意見に押され、即時反攻を行うことになった。しかし海軍はアメリカ機動部隊捕捉撃破を重視しており一木支隊には護衛艦艇や高速輸送船を派出せず、かといって足が遅い輸送船では即時反攻にならないため、第17軍では妥協案として812日夕にトラックへと到着した一木支隊の半分を先遣隊として駆逐艦6隻に乗せ、先行上陸させることとした。これにより、上陸に大発が必要な連隊砲や速射砲は第2梯団に回され、重機関銃12丁と歩兵砲2門しか持って行けなくなってしまった。814日、第17軍から一木支隊にガダルカナル上陸の軍命令が伝達された。この際、敵は主任務である飛行場破壊を終えてガダルカナル島から離脱中で、兵力2000名、飛行場西側に主力を配置して高射砲と戦車若干を有していると伝えられたため、一木大佐は銃剣突撃で一挙に飛行場を占領すると発言している。8160500(日本時間)、一木支隊先遣隊916名を乗せた駆逐艦嵐、萩風、谷風、浦風、浜風、陽炎がトラックを出港。先遣隊の隊長は一木清直大佐で、支隊本部、歩兵第1大隊(大隊本部、歩兵中隊4個、重機関銃8丁装備の重機関銃中隊、70mm歩兵砲2門装備の歩兵砲小隊)、工兵中隊からなる。歩兵中隊の弾薬は1名あたり150発(250発?)、食料は7日分だった。8182100-2300、一木支隊先遣隊は飛行場東のタイボ岬に上陸。本来はもっと飛行場に近いルンガ岬に上陸する予定で、輸送を終えた駆逐艦による支援砲撃にも期待していたが、駆逐艦隊は先遣隊を沖合で降ろして早々に退避している。一木大佐はアメリカ軍が飛行場西側のガダルカナル守備隊と対峙していると考え、飛行場東側の側背を奇襲すべく第2梯団の到着を待たずに飛行場に向け前進を開始、8190200までにベランデ川を渡って0430にテテレまで到達し、大休止を取った。実際のアメリカ海兵隊は総兵力17000名で、飛行場の全周防御態勢を整えており、飛行場周辺及び東側を第1海兵連隊、西側を第5海兵連隊が担当、東のイル川、南のジャングル地帯外縁、西のルンガ川に沿って防衛線を敷いていた。また、818日深夜にコーストウォッチャーが国籍不明の軍艦の接近音を聞いたため、819日朝、第1海兵連隊A中隊80名及び現地人偵察隊を東側に派遣した。0830、一木支隊先遣隊は本部通信班長ら21名と将校斥候4組19名からなる斥候群40名を海岸線沿いにイル川へと進出させたが、1000頃に第1海兵連隊A中隊の待ち伏せにあって戦闘隊形に移る間も無く全滅してしまった。この情報を元に海兵隊はイル川の防備を強化。一木支隊は1430に斥候隊が交戦中との連絡を受けて1500に1個歩兵中隊を送ったが間に合わず、1700に斥候群が全滅したとの報告を受けた。一木支隊は情報の無いまま前進を続け、8200230に飛行場から10kmのレンゴで大休止を取った。1000、一木大佐は静粛夜襲を掛けることとし、第一線に大隊主力、第二線に第3中隊と工兵中隊を置いて一気に突撃、第一線部隊が敵の活発に活動している第11設営隊跡を制圧し、同時に第二線部隊が超越前進して飛行場北にあるヤモリ川周辺を占領、その後飛行場への攻撃準備に入るという作戦を立てた。ちなみに静粛夜襲ということで夜明けまで装填を禁止する命令も出している。1800、一木支隊はレンゴを出発。2000、イル川の1つ東にあるテナル川に到達。先遣した斥候から、逃亡した道案内の住民を射殺した際に前方から信号弾が上がったと報告を受けたが、そのままテナル川を渡河した。2230、尖兵がイル川東100m付近に到達。ここでアメリカ軍の音源標定器に引っかかって射撃を受けたが、反撃で制圧した。続いて先遣隊の全員がイル川東岸に到着し、8210118に緑の信号筒を打ち上げ、第2中隊がイル川左岸への夜間突撃を開始、擲弾筒の一斉射撃に続いて渡河を試みたが、突撃地点には第1海兵師団第1海兵連隊第2大隊が待ち構えており、突撃破砕射撃を喰らって身動きが取れなくなった。イル川河口に幅50mの砂州を発見した一木大佐は、0310にここからの突撃を下命。主力が砂州へと殺到したが、防御上の弱点となる砂州には当然ながらアメリカ海兵隊も火力を集中させており、機関銃、迫撃砲、37mm対戦車砲M3M2キャニスター弾、75mm榴弾砲、75mm自走砲M3による猛烈な射撃を喰らって死傷者が続出。ジャングル内からイル川の渡河を狙った第二線部隊も防御陣地に阻止された。夜明けと共にアメリカ海兵隊が逆襲を開始。一木支隊先遣隊を火砲の猛射でイル川東岸に釘付けにし、1400に予備の第1海兵連隊第1大隊をイル川上流から後方に回り込ませて包囲攻撃を仕掛け、第1海兵飛行大隊の戦闘機も加わり、イル川東岸は日本兵の死体で埋まった。1500M3軽戦車6両が増援に現れて一木支隊先遣隊は蹂躙され、支隊長の一木大佐が軍旗の奉焼を命じて(軍旗小隊とは別の場所にいて下命できなかった説あり)拳銃で自決。先遣隊の将兵のうち777名が死亡、残りも全員負傷して部隊は消滅した。肉薄攻撃をかける歩兵を履帯で踏み潰し、僚車に取り付いた歩兵をキャニスター弾で吹き飛ばしたM3軽戦車は日本兵の血肉で真っ赤に染まり、これは戦車でなく挽肉製造器だと言わしめるほどであったという。参考:激闘!太平洋戦争地上戦、歴史群像6,1410,082,054,17、太平洋戦争情報戦、月刊軍事研究8,09、月刊丸4,99

<テニアン>:CVE-123(護衛空母)を参照。

テニアン上陸作戦>:太平洋戦争時、昭和1979日のサイパン陥落を受けて724日に開始された。テニアンはサイパンの南5.5kmの位置にあり、平坦な地形のため飛行場建設に便利である。当時、島には南洋興発株式会社の経営する製糖工場があり、日本の全生産量の12%を担っていた。在留邦人は15700人で、沖縄出身者が多かった。防御する日本軍は第29師団歩兵第50連隊(35日到着)及び第43師団歩兵第135連隊第1大隊(531日到着)、海軍第56警備隊、第1航空艦隊第61航空戦隊(進出直後に空襲で93機を失った上、5月下旬に主力が転出)の合計8100名。アメリカ軍は昭和19223日に機動部隊によるテニアンへの空襲を行っており、上陸に備えた爆撃を611日から、艦砲射撃を713日から、サイパン南部からの海越しの砲撃を721日から既に始めていた。これはサイパン上陸作戦の反省に立つもので、3軍が参加するため砲爆撃トライアングルと呼ばれた。F6Fのエアカバーの下、海軍のF4Fワイルドキャット、TBFアヴェンジャー、SB2Cヘルダイバーと共に陸軍のP-47サンダーボルトも爆撃に加わり、P-47は初めてナパーム弾を実戦使用した。艦砲射撃は旧式戦艦3隻、重巡2隻、軽巡3隻、駆逐艦16隻で実施されたが、陸軍の観測機との間での目標評定が不確実で交信に時間もかかり、動き回る敵艦を捕捉するため短時間での弾量を優先する対水上戦砲撃戦術に慣れていて精度優先の陸上固定目標砲撃に馴染みが無いこともあり有効性が薄く、陸軍からは「海軍の出資で森林地帯が鉄分たっぷりの見事な農地になった」と酷評される始末だった。陸軍は715日以降、サイパン南岸に105mm以上の火砲を全て集結させてテニアン北部をつるべ撃ちした。ナパーム弾(途中で数が足りなくなり、ドロップタンクに軽油とガソリンを入れたものも使用された)により6月中にテニアンのサトウキビ畑の3分の1が灰となり、北部の海岸砲台はアメリカ軍砲兵により沈黙させられた。上陸地点は島の北東部、ホワイト海岸と命名された地域で、第1飛行場西側にあたり、陽動のために南東のテニアン市街に猛烈な艦砲射撃が加えられた。日本軍も反撃し、615日、テニアン北端の海岸砲台がBB-43テネシーとBB-44カリフォルニアを砲撃して損傷させた。また、723日にはサイパン市街の南、カロリナス台のコンクリート陣地に隠蔽された1905年英国製6インチ(15.2cm)砲がBB-45コロラドを砲撃、15分で22発の命中弾を浴びせて退却させた。724日、ホワイト海岸に海兵隊54000名が上陸を開始した。7310945、第1航空艦隊司令長官角田覚治中将から最後の電信「今ヨリ全軍ヲ率ヒ突撃セントス機密書類ノ処置完了之ニテ連絡ヲ止ム」が発せられた。83日、日本軍はサイパンに続いて玉砕した。日本軍兵士の生き残りは300名。島民は6000人が戦闘に巻き込まれたり、南東部の崖(スーサイド・クリフ)に追いつめられて飛び降りたりして死亡した。アメリカ軍死傷者2200名。参考:月刊軍事研究6,016,029,06、激闘太平洋戦記、第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊航空ファン1,19

デニー級>:イギリス海軍大型砲艇。ドイツのEボートに対抗するために開発され、デニー社が設計・建造を担当した。小型軽量大出力ディーゼルの開発に手間取ったため、主機には蒸気タービンを採用している。全長44.2m、満載排水量165トン。速力35ノット。兵装は2ポンド単装砲2門、12.7mm連装機銃2基、53cm魚雷発射管2門。1942年までに7隻が竣工した。就役後に順次兵装を改良し、最終的に満載排水量205トン、速力30ノット、兵装は7.6cm単装砲1門、6ポンド単装砲2門、20mm連装機銃3基、53cm魚雷発射管2門となった。参考:第2次大戦のイギリス軍艦

<デニス>:DE-405(護衛駆逐艦)を参照。

<デニス・J・バックリー>:DD-808(駆逐艦)またはDE-553(護衛駆逐艦)を参照。

デニス・ハン>:トルクメニスタン海軍トルクメン級フリゲート1番艦Deniz Han2021811日、トルクメンバシ海軍基地で就役式典を実施。参考:月刊世界の艦船11,21

<テヌンゴルフ場>:泰陵ゴルフ場を参照。

<テネイシャス>:71(フリゲート)またはR45(駆逐艦)を参照。

<テネシー>:BB-43(戦艦)またはSSBN-734(戦略原潜)を参照。

テネシー級>:アメリカ海軍装甲巡洋艦Tennessee級。CA-11シアトルなど5隻が竣工した。1925年時点の諸元(CA-11シアトル)は以下の通り。全長153.8m、満載排水量15712トン。主機はレシプロ2基2軸23000馬力、速力22ノット。兵装は25.4cm連装砲2基、15.2cm単装砲4門、7.6cm単装砲10門、7.6cm単装高角砲2門、53.3cm水中魚雷発射管4門。参考:月刊世界の艦船5,14

<テネドス>:H04(駆逐艦)を参照。

<デネボラ>:AF-56(給糧艦)またはT-AKR-289(輸送艦)を参照。

デネボラ級>:アメリカ海軍給糧艦Denebola級。VC2-S-AP3型ヴィクトリー型戦時標準貨物船を改造したものである。全長138.8m、満載排水量10850トン。主機は蒸気タービン1基1軸8500馬力、速力18.3ノット。兵装は76mm連装両用砲4基(艦前後に背負い式2基ずつ)。搭載量3800トン(糧食・消耗品等420種類以上)、洋上補給速度毎時150トン。AF-56デネボラなど4隻が就役した。参考:月刊世界の艦船2,19

デネル・ヴィークル・システムズ社>:2014年にBAEシステムズ・ランドシステムズ・サウスアフリカ社がデネル社の傘下に入り、改称されたものである。参考:月刊軍事研究12,16

デネル社>:南アフリカのアームスコーの子会社であるケントロンやLIWなどアームスコー製造部門20社が統合して設立された株式会社で、政府が全株式を保有する。アームスコー傘下に置かれているが、開発やマーケティングなどは独自に行っている。20148月、BAEシステムズ・ランドシステムズ・サウスアフリカ社を買収すると発表し、デネル・ヴィークル・システムズとして傘下に収めた。AAD2014では民間用コミューター機を開発すると表明している。参考:月刊軍事研究7,951,1512,16

デネル・ランド・システムズ>:デネル社の火砲部門。ラインメタル社の傘下にある。参考:月刊軍事研究1,15

テノチティトラン級>:メキシコ海軍哨戒艇Tenochtitlan級。オランダのダーメン社が設計してメキシコで建造した。全長42.8m、基準排水量208トン。主機はディーゼル、速力26ノット。兵装は12.7mm単装機銃2丁、7.62mm単装機銃2丁。P332テオティワカンなど10隻が2012-17年に就役した。もう10隻建造する予定。参考:月刊世界の艦船10,17

デパーチャー試験>:飛行試験の1つで、失速や錐揉みなど、通常飛行から逸脱した状態に突入させるものである。どのように飛行したらどういう逸脱状態になって、どうしたら回復するかを試すが、当然ながら回復できないこともあるので、スピンシュートなどを装備して万が一に備える。参考:月刊軍事研究6,13

デバ級>:ポーランド海軍汎用揚陸艇Deba級。兵員50名を搭載できる。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

手箱>:小物入れを指す日本陸軍用語。日本海軍では日用品収容箱兼腰掛けの通称で、長さ300mm、幅150mm、高さ200mmくらい。参考:帝国陸海軍事典、海軍よもやま物語

<デバステーター>:MCM-6(掃海艦)またはTBDシリーズ(艦上攻撃機)を参照。

デバステーター>:アメリカ海軍掃海艇。194546日、沖縄付近で菊水一号作戦特攻機の攻撃を受けて損傷した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

<デバステーターⅡ>:XTB2D-1(試作艦上攻撃機)を参照。

手旗>:日本陸軍の通信器材。参考:工兵入門

手旗信号>:日本独自の艦船用通信法で、右手に赤旗、左手に白旗を持ち、腕と旗の形でカナ文字を表現する。明治時代に日本海軍が開発した。参考:MAMOR vol.102

デハビランド・カナダ社>:カナダの航空機会社で、DHCと略す。1928年にデハビランド社の子会社として創設された。1986年、ボーイングが買収した。1992年、カナダのオンタリオ州政府とボンバルディアが買収した。2006年、DHC-1/-2/-3/-4/-5/-6/-7の製造権をカナダのヴァイキイング・エアに売却。2018118日、ボンバルディアがブランドをロングビュー・アビエーション・キャピタルに売却すると発表し、201963日に確定、売却後の社名はデハビランド・エアクラフト・オブ・カナダになった。ボンバルディアからQシリーズ(DHC-8-Q400シリーズ)も引き取っている。参考:月刊JWings1,17、月刊航空ファン2,198,19、世界航空機年鑑2018-2019

デハビランド社>:イギリスの航空機会社で、1920年にジェフリー・デハビランドがハットフィールド飛行場で創設した。全木製機の開発に勤しみ、DH60モス、DH88コメットといった民間機を製作し、第2次大戦ではモスキートを生産した。戦後はDH100バンパイア、DH106コメット、DH108超音速実験機などを開発。1961年、ホーカー・シドレーに統合された。参考:月刊航空情報8,02

デビー・クロケット>:アメリカ陸軍核搭載無反動砲M28(口径120mm)/M29(口径155mm)。1958年から開発された。分解してジープで発射地点まで運び、地上に置いた三脚上に砲身を設置、砲口に核砲弾を差し込んで発射する。砲身前寄り(三脚に固定する位置)左側に照準器があり、上から覗き込んで照準を行う。弾体は砲口径より太い爆弾状で、尾部に安定翼4枚がX字に付く。全備重量58.6kg。弾薬全長790mm、直径280mm、重量34.5kg。弾頭はW54、弾頭部重量23.2kg。最小射程300m、最大射程2000mM28)/4000mM29)。威力0.25キロトン(核実験のリトル・フェラーでは0.02キロトン前後)。塹壕に隠れたとしても、最小300m先で核爆発が起きるので、危なっかしくてしょうがない。弾頭400個が生産され、1960年からNATO駐留軍に配備されたが、1971年までに全て引き揚げられた。参考:月刊軍事研究10,10、世紀の失敗物語、月刊PANZER10,03、核兵器図鑑

<デビッド・I・リオン>:T-AK-5362(空軍コンテナ艦)を参照。

<デビッド・W・テイラー>:DD-551(駆逐艦)を参照。

デビッド・イーヤマ・アンゲ・オサ大佐級>:赤道ギニア海軍Ro-Ro貨物輸送艦Capitan David Eyama Angue Osa級。兵装は76mm砲1門。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<デビッド・シリング>:シリング(エース)を参照。

デビット・ボート>:南北戦争時に南軍が使用した半潜水艇。主機は蒸気機関。兵装は外装水雷(スパー・トーピード)。参考:月刊丸6,01

デビッド・マッキャンベル>:太平洋戦争時のアメリカ海軍トップエース。マリアナ沖海戦では彗星5機と零戦2機を撃墜し、名誉勲章を受章した。19441024日、比島沖海戦では9機を撃墜。1114日、一式戦闘機1機を撃墜。この日で所属航空群が後方に下がったため、これが最後の撃墜となった。総撃墜数34機。参考:月刊JWings5,08、月刊軍事研究8,14

<デビル・ドッグズ>:LHA-3(揚陸艦)を参照。

<デビルフィッシュ>:SS-292(潜水艦)を参照。

<デファイアント>:SB>1(複合ヘリ)を参照。

デファイアント・シリーズ>:イギリス空軍単発複座戦闘機Defiant。前方固定武装は持っておらず、7.7mm機銃4丁装備の背部銃座により敵戦闘機を撃破する機体として設計された。しかし速度と運動性能が悪く、戦闘機相手では歯が立たず、第2次大戦では夜間戦闘機や標的曳航機として使用されることとなった。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

 <デファイアントF.1>:最初の量産型。全長10.77m、全幅11.99m、重量3.821トン。エンジンはマーリンⅢ(1280馬力)で、最大速度504km、航続距離748km。武装は7.7mm機銃4丁。乗員2名。720機が生産された。参考:英独航空決戦、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

 <デファイアントF.2>:エンジン強化型で、1941年から200機が生産された。全長10.77m、全幅11.99m、全備重量3.9トン。エンジンはロールスロイス社製マーリン201480馬力)単発で、最大速度488km、実用上昇限度9250m、航続距離750km。武装は背部銃座の7.7mm機銃4丁。乗員2名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

<デフェンソーラ>:F41(フリゲート)を参照。

デフコン>:DEFCONDefense Readiness Condition(防衛即応体制)の略。アメリカ政府が軍に対して発令する即応体制レベルで、ウォッチコンの分析とプレプコンの国家準備態勢によって全ての部隊に発令され、5段階ある。自衛隊も使用している。参考:月刊軍事研究6,034,076,15、自衛隊装備カタログ1981

デフコンⅠ>:コックド・ピストル。戦争が切迫しており、戒厳令や戦争事態宣言がなされるレベル。参考:月刊軍事研究6,034,07

デフコンⅡ>:ファースト・ピース。敵が攻撃発起の即応体制を整えている状況。行動命令が発令され、各人に弾薬が配布され、各部隊の定員が充足される。参考:月刊軍事研究6,034,07

デフコンⅢ>:ラウンド・ハウス。軍事干渉の可能性がある状態。全ての勤務員は警戒態勢に入り、休暇は取り消される。参考:月刊軍事研究6,034,07

デフコンⅣ>:ダブル・テイク。小規模の緊張がある状態。休戦以降の朝鮮半島レベル。参考:月刊軍事研究6,034,07

デフコンⅤ>:フェイド・アウト。軍事的緊張の無い平時の状態。参考:月刊軍事研究6,034,07

<デプトフォード>:L53(スループ)を参照。

出船>:艦首を港の外に向けて繋留・停泊すること。「出船につける」ともいう。日本海軍では次の行動に備え、艦船を必ず出船につけた。参考:続日本海軍よもやま物語

デプレスト軌道>:Depressed Trajectory。弾道ミサイルを低射角で発射し、低軌道を飛翔させること。射程は減るが、弾着時間が早くなり、最大到達高度が低くなるので探知もされにくくなる。参考:月刊軍事研究10,079,16、月刊世界の艦船11,22

デブレツェン作戦>:第2次大戦時の1944106日に第2ウクライナ方面軍が開始した、ハンガリー東部制圧作戦。ルーマニアからハンガリー東部へと北上侵攻し、カルパチア=ドゥクラ作戦でカルパチア山脈からハンガリー東部へと南下を狙う第4ウクライナ方面軍と協同してドイツ南方軍集団第8軍とハンガリー第3軍を南北から攻撃、壊滅させるものである。まずは戦力の乏しいハンガリー第3軍をあっさり撃破。1011日にハンガリーがモスクワで連合軍との休戦協定に調印すると、ドイツはミッキーマウス作戦を発動して枢軸国側に止めた。1020日、第2ウクライナ方面軍が第8軍後方の交通要衝デブレツェンを占領し、1022日には北のニレージハーザも占領した。包囲されかかった第8軍を救出するため、ドイツ南方軍集団は第3装甲軍団などを増強して反撃、ハンガリー盆地でソ連機械化騎兵集団を包囲殲滅し、1026日にニーレジハーザを奪回、第8軍をティサ河へと後退させた。1029日、第2ウクライナ方面軍がティサ河沿いで攻勢を開始。1111日、ティサ河を渡河した第2ウクライナ方面軍がブダペスト北方への攻撃を開始。第3ウクライナ方面軍もルーマニア西部からハンガリー南部へと侵攻し、1227日までに第2・第3ウクライナ方面軍がブダペストを包囲、ドイツ第6軍第9SS山岳師団などが閉じ込められた。194511日からドイツ軍がコンラート・コンラートⅡ・コンラートⅢ作戦でブダペスト解囲を試みるも失敗。ソ連軍は冬季攻勢をかけて213日にブダペストを占領し、ハンガリー国土の大半を制圧した。参考:歴史群像4,18

テヘラン会談>:第2次大戦中の19431128日から行われた、ルーズベルト大統領、チャーチル首相、スターリン書記長による会談。194451日にアメリカとイギリスが西ヨーロッパへの上陸作戦を行う事と、ソ連がそれに合わせて東部戦線大攻勢に入ることを決めた。アメリカとイギリスはオーバーロード作戦を策定し、1ヶ月遅れの66日から開始している。ソ連では19443月から具体的検討を実施。東部戦線ではエストニアで北方軍集団、ミンスク周辺で中央軍集団、ポーランドで南方軍集団、ルーマニアでA軍集団と対峙しており、損耗の少ない中央軍集団が突出部を形成、南方軍集団は損耗した状態にあった。そのため、南方軍集団を撃破して北西に進みバルト海に達して北方軍・南方軍集団を包囲する案や、西に進んでバルカン方面に進出する案が出されたが、進撃距離が長すぎるのと、戦力を維持している中央軍集団に側面を突かれる恐れが高く、没になった。北方軍集団を撃破してバルト三国を制圧する案も、中央軍集団が側面を固めているので正面突破せざるを得ないということで没になり、中央軍集団の突出部を叩いてソ連領を回復、その後の状況を見てベルリンに直進するなり南北に手を広げて勢力範囲を拡大するなり好きな戦略を取ることにした。これに基づき623日にバグラチオン作戦を開始、その前後にヴィープリ作戦、ルヴォフ・サンドミエルツ作戦、ルブリン・ブレスト作戦、ヤッシー・キシニョフ作戦を次々発動してフィンランドからルーマニアに至る広正面で大攻勢を行っている。参考:歴史群像8,17

テポドン>:ミサイル発射実験場がある北朝鮮東部のイギョン北道花台郡舞水端里の旧地名で、「大浦洞」と表記する。北朝鮮の中距離弾道ミサイルのコードとして使われているが、この時使用した地図が日本陸軍作成の古いものだったため、昔の地名がそのまま付けられてしまった。参考:日米イージス艦と弾道ミサイル防衛、月刊軍事研究11,98

テポドン1号>:北朝鮮の中距離弾道ミサイルで、北朝鮮名称は白頭山(パクトゥサン)1号または木星1号。ノドン1号を1段目としてスカッドミサイル(火星5号もしくは6号)を2段目に重ねたものとみられる。全長27m、発射重量21.7トン、弾頭重量1トン(火星5号の場合)もしくは0.75トン(火星6号の場合)、1段目推力30トン、射程1500-2500kmCEP3kmと推定される。射程が日本とグアムの間の太平洋上あたりと中途半端なので、単なる多段ロケット実験用であり、実戦配備はされていない模様。1998年に発射された光明星1号を積んだとされるロケットはこれにロケットモーター付き3段目(衛星搭載段もしくは模擬弾頭段)を付けたものと推定されており、全長32m、発射重量25.7トンであった。これを弾道ミサイルに応用すると最大射程は5000kmクラスになると推定されるが、CEP4km程度にもなる。参考:月刊軍事研究11,984,041,057,0912,10、日米イージス艦と弾道ミサイル防衛、月刊世界の艦船2,18

テポドン1号発射>:199711月、アメリカ国防総省は年次報告書でテポドン1号は発射実験可能な段階にあると報告。19988月上旬、防衛庁情報本部がテポドン1号発射実験の兆候をキャッチ。航空自衛隊美保通信所での北朝鮮通信傍受を強化した。810日、RC-135Sコブラボール2機が嘉手納基地から三沢基地に飛来すると共に横須賀基地からイージス艦が出港、日本海の監視活動を開始した。814日、在日米軍からテポドン1号が発射台に据え付けられており、発射実験が近いという情報が日本にもたらされた。815日、イージス艦みょうこうが舞鶴基地を出港、日本海に向かった(こんごうは整備中、きりしまはアメリカで訓練中、ちょうかいは就役したてで乗員訓練中)。また、岩国基地のEP-3電子偵察機1機、三沢基地のE-2C早期警戒機4機とYS-11EB電子測定機1機が24時間の警戒態勢に入った。817日頃からコブラボールは嘉手納基地に戻り、アメリカのイージス艦は日本海を出た。日本側に警戒を任せたとも、東シナ海で警戒についていたともいわれる。防衛庁はテポドン1号の射程から太平洋側への着弾もあると考え、きりしまを日本に戻して太平洋側での監視に当たらせることも考えていたが、828日にミサイルへの燃料注入が開始されたとの情報が在日米軍から入り、間に合わないと判断して断念した。同日、佐世保基地からオブザベーション・アイランドが出港したが、日本海には入らなかった。8311207、北朝鮮東海岸の舞水端里からテポドン1号が発射され、発射1分24秒後に1段目が燃え尽きて切り離され、日本海に落下。2段目に点火され、発射2分10秒後に2段目の防熱カバー(シュラウド)が外れて三沢沖90kmに落下、発射4分24秒後に3段目が切り離され、2段目は三沢沖620kmに落下(飛翔距離1620km)、3段目に点火したが、20秒で爆発した。DSP衛星は直ちに発射情報をハワイ経由で横田にある在日米軍司令部に送っており、防衛庁も1210には発射情報を掴んでいたが、この時点での着弾予想地点はウラジオストック南の日本海だった。みょうこうはミサイル発射地点から250kmの海上におり、レーダー照射方向を絞り込んで探知距離を増し、万全の体制にあったため、発射直後からミサイルの探知に成功。搭載イージスシステムは弾道ミサイル非対応で自動追尾ができないため、レーダー操作員が手動で電波ビームを操作して弾道ミサイルを追尾、1段目の切り離しも捉えた。この頃、予想着弾点が秋田県を指したために緊張が走ったが、2段目が加速すると三陸沖に着弾点を変えた。1230、タイの副首相と会談中の小渕首相にテポドン1号が日本海に向け発射されたとの情報がもたらされた。1252、首相は会談を終え、情報収集を指示、1300から衆議院特別委員会に出席した。1340、防衛庁記者クラブでテポドン1号が日本海に向けて発射されたという情報が公開されたが、防衛庁は日本を飛び越えて太平洋に着弾したとのデータを把握していた。1430、在日米軍は防衛庁に、着弾点が三陸沖であるとの情報を伝えたが、データの詳細が伝えられなかったため、国民の動揺を抑える意味もあり、みょうこうのデータと突き合わせるまで発表を待った。1500過ぎ、韓国国防省が非公式会見で三陸沖の着弾を発表。1700過ぎ、朝鮮日報が三陸沖着弾を伝えた。1755、防衛事務次官が小渕首相と野中官房長官に着弾点が太平洋であることを説明。これに基づき、首相は太平洋着弾の報道発表を指示。2315、防衛庁防衛審議官が会見で三陸沖着弾を認めた。これを踏まえ、日本政府は91日に予定されていたKEDOの費用分担調印を保留、国交正常化交渉を凍結し、食糧支援を棚上げした。アメリカ、韓国もミサイル開発即時中断を求める声明を発表した。91日、日本の外務省は国連を通じて北朝鮮に抗議。衆参両院は北朝鮮非難決議を採択した。92日、日本は北朝鮮との直行チャーター便運航を停止。北朝鮮が日本の対応を軽はずみと非難。94日、北朝鮮は先の発射が人工衛星の打ち上げであると表明したが、日本はこれを一蹴した。アメリカは地球周回軌道上に衛星は無い、と発表するに止めた。95日、アメリカ軍はグアムのアンダーセン空軍基地にB-2B-52Hを3機ずつ、訓練名目で送り込んだ。97日、北朝鮮は衛星が光明星1号という名称であると発表、軌道傾斜、遠地点、近地点、周期を発表し、金日成将軍の歌と金正日将軍の歌を周波数27MHzで送信しているとしたが、NORADが探索したものの該当する衛星は発見されなかった。910日、韓国の外交通商相が衛星打ち上げ失敗説をとった。914日、アメリカは米朝協議の関係からか衛星発射失敗説をとった(何故か国防総省やNASAでなく、米朝協議の窓口だった国務省が発表)が、日本は独自のデータで3段式弾道ミサイル発射実験説をとった。根拠は、ロケット初速が第1宇宙速度に遠く及ばない秒速3.7kmだったというみょうこうの独自データによる。107日、金大中大統領は訪日の際に人工衛星説を連発して一部日本閣僚に不快感を与えたが、1013日の大韓民国建国50周年記念国際観艦式では参加したみょうこうが「テポドンを追跡した艦」と紹介され、喝采を浴びた。1030日の日本の最終報告では、発射されたのはテポドン1号を基礎とした3段式ロケットで、3段目に推進装置を持つ小さな物体が搭載されていたが、発信信号が無く、速度も遅く、ペイロードも小さすぎ、衛星ではないと判断した。韓国では、統一すればミサイルであれ衛星であれ共通財産になるので、あまり大騒ぎしていない(歓迎ムードもあったという)らしい。1999315日、アメリカ国防総省幹部3名が防衛庁を訪問し、CIAからみょうこうの乗員に対して授与された感謝状を手渡した。参考:日米イージス艦と弾道ミサイル防衛、月刊軍事研究12,9811,98、世紀の失敗物語、月刊世界の艦船2,18

テポドン2号>:北朝鮮の短射程ICBMで、北朝鮮名称は白頭山2号または木星2号。1段目に直径2.1mの液体燃料ロケット、2段目にノドン・ミサイルを組み合わせている。全長27.5-35m、胴体直径2.2m(1段目)、1.36mないし1.8m(2段目)、発射重量53-66トン、弾頭重量0.7-1トン。最大射程4000-6000kmとみられる。開発中。発射実験には日本を飛び越えないといけないので、パキスタンやイランにティプ・シャハブ5として輸出し、試射しているらしい。2006年、ミサイル連続発射のうちの1発として試射を行ったが、失敗に終わった。200945日に衛星を乗せて発射したが、軌道に投入することは出来なかった。この時のロケットは3段構成で発射重量80トンクラスと大型化しており、テポドン1号のような尾翼は付いておらず、地下サイロからの発射を想定しているともいわれる。参考:月刊軍事研究7,094,046,0912,10

テポドン2号発射>:20092月、アメリカの情報筋が、北朝鮮による大型弾道ミサイル発射準備を伝えた。224日、北朝鮮の朝鮮宇宙空間技術委員会が、東海衛星発射場からの銀河2号ロケットによる光明星2号衛星打ち上げを発表。312日、国際海事機関が、北朝鮮から試験通信衛星光明星2号の打ち上げに関する事前通報があったと、関係各国に連絡した。内容は、衛星の打ち上げを44-8日の11-16時に行うというもので、1段目落下地点を秋田県西方沖130-280km、2段目落下地点を房総半島東2150-2950km(南北幅160km)とし、国際民間航空機関にも通告した。また、北朝鮮は宇宙条約への加入も表明した。日米韓は安保理決議1718違反として自制を求めたが、ロシアと中国は同調しなかった。325日、テポドン2号が発射台に設置されていることを日米両国が確認。327日、打ち上げ失敗による飛翔体の落下に備え、日本政府が安全保障会議と閣議で弾道ミサイル防衛システムによる迎撃を決定し、防衛大臣が自衛隊法第82条の2第3項に基づく弾道ミサイル等に対する破壊措置実施の自衛隊行動命令を航空総隊司令官に発令(この時の期限は410日まで)。自衛隊は初めてBMD統合任務部隊を編成し、航空総隊司令官が指揮官となった。夜、第1高射群第4高射隊のPAC3が入間基地から防衛省内に展開。328日、こんごうとちょうかいが佐世保を、きりしまが横須賀を出港。T-AKE-3アラン・シェパードが横須賀に入港。329日、高射教導隊のPAC3が浜松基地を出発し、清水港からフェリーに積載された。330日、T-AKE-3アラン・シェパードが横須賀を出港し、日本海に向かった。330日、高射教導隊のPAC3が仙台港に到着。331日、高射教導隊のPAC3が新屋演習場、岩手山演習場、空自加茂分屯基地などに展開を完了。41日、CNNがアメリカ軍関係者の話として、テポドン2号への燃料注入が開始されたと伝えた。42日、DDG-56ジョン・S・マッケーンが横須賀に寄港。43日、T-AKE-3アラン・シェパードが秋田沖に停泊しているのが確認された。飛翔体発射直前にはPAC3部隊が市ヶ谷駐屯地、習志野駐屯地、朝霞駐屯地、秋田駐屯地新屋演習場、岩手駐屯地岩手山演習場、加茂分屯基地に配備されており、イージスBMD3.6Jを搭載したDDG-173こんごうとDDG-176ちょうかいは日本海に、未搭載のDDG-174きりしまは太平洋に展開、FPS-XX(飯岡)、J/FPS-5(下甑島)、J/FPS-3改4基が発射を監視し、美保基地の電波傍受施設と岩国航空基地のEP-3が飛翔体発射後の追尾を行う北朝鮮長距離レーダーのESMを行っていた。EP-3やイージス艦に接近する北朝鮮機に備え、E-767が日本海で警戒飛行を実施。陸上自衛隊は東北方面隊に第三種非常勤務態勢を発令、情報収集のため霞目駐屯地の方面ヘリ隊を待機させた。海上保安庁は第2・第9管区海上保安本部に北朝鮮飛翔体発射事案対策本部を設置し、航行警報を出すと共に、特殊救難隊を乗せた巡視船や航空機を出して警戒にあたった。アメリカ海軍は西太平洋にCG-67シャイロー、DDG-54カーティス・ウィルバー、DDG-56ジョン・S・マッケーン、DDG-62フィッツジェラルド、DDG-63ステザム、DDG-70ホッパーを展開し、T-AGM-23オブザベーション・アイランドを配置、アメリカ空軍は嘉手納にRC-135Sコブラボール2機を展開した。一部は北海道西方沖に位置していたため、ロシアのELINT機から執拗な追尾を受け、空自に追い払うよう依頼したが法的根拠が曖昧としてなかなか出撃してもらえず、三沢からF-16を飛ばしている。韓国海軍は991セジョンデワンを日本海に置いて飛翔体発射後の追尾を行う北朝鮮長距離レーダーのESMを実施した。日本政府は首相官邸危機管理センターの緊急情報ネットワークシステム(エムネット)を使用した地方公共団体及びマスメディアへの通報態勢を取った。44日午前、陸幕指揮所のコンピュータに不具合があり、発射されたとの誤情報が秋田県に派遣された連絡官に送信され、県から各市町村に伝達されてしまった。1000頃、防衛省地下指揮所に無線傍受部隊から連絡があり、1200にミサイルを発射するとの北朝鮮通信をキャッチしたと伝えられた。朝鮮中央通信が衛星打ち上げ準備完了と、すぐの打ち上げを伝えた。1216FPS-XXが日本海上に航跡を探知したという情報が府中防空指揮群に伝達され、担当官は「スパーク・インフォメーション、飯岡情報(弾道ミサイル発射探知情報が飯岡から伝達された)」と航空総隊司令部に電話で伝えた。これを司令部の担当官が「飯岡探知、SEW入感(飯岡で弾道ミサイルを探知、アメリカ軍早期警戒衛星からも情報有り)」と司令部内に伝えてしまったため、中央指揮所担当官も同様にマイクで放送、運用企画局担当官がマイクで「発射」と報じ、首相官邸危機管理センター防衛省連絡官が「統幕連絡幹部、発射」と2回放送したため、エムネットを通じて1216に警報が流された。しかし1217には中央指揮所SEW端末で早期警戒衛星情報が無い事が分かり、航空総隊司令部からは「飯岡失探」との連絡が入り、中央指揮所では誤報のアナウンスが行われた。1219には航空総隊司令部からも衛星情報が無いと中央指揮所に連絡があり、1220には航空総隊司令部から「イージス艦探知情報無し」の連絡が中央指揮所に送られ、1220に誤探知という速報がエムネットから流された。この失敗の反省から、スパーク・インフォメーションという言葉は使わず、早期警戒衛星情報を良く確認してから発射警報を流すことにした。451130頃、北朝鮮はテポドン2号とみられる飛翔体(全長30m。3段式の場合、1段目長さ16m、2段目長さ8m、3段目長さ6mと推定)を発射。発射台の方向にビームを絞っていたDDG-173こんごうはほぼ同時に発射を探知し、防衛省中央指揮所に「ミサイル発射、探知」を伝えた。1131、アメリカ早期警戒衛星の発射警報がNORADから在日米軍司令部を経由して航空総隊防空指揮群と中央指揮所に入り、1132にエムネットで警報が流され、首相官邸危機管理センターにも電話連絡が入った。1133、中央指揮所に、現時点での飛翔体落下予想地点が日本の東1270kmの太平洋上とみられるというこんごうの解析結果が入った。これにより、航空総隊司令官は関係部隊に対し、迎撃しないことを命令した。こんごうは引き続き飛翔体の追尾を継続、1段目が分離したのを確認し、1137頃に1段目が秋田県西方280kmに落下すると予測した。1137、飛翔体は加速しながら東北地方上空300km以上を通過して太平洋に抜けた。ただ長距離弾道弾なら高度700-800km以上を通過する筈で、この時点で打ち上げ失敗がほぼ確定した。同じ頃、秋田県西方沖280kmに第1段目が落下。11381143頃に日本東方1270kmの太平洋上に2番目の落下物があるという情報がエムネットに流された。2段目の切り離しを捉えるべく、ちょうかいが追尾を引き継いで監視したが、追尾範囲を通過してそのまま飛翔していったため、きりしまが追尾を引き継いだ。1148、日本東方2100kmの太平洋上を飛翔体が通過し、地上に向けてほぼ垂直に落下し始めたところできりしまの探知範囲を超え、追尾を終了した。3段目の切り離しもしくは点火に失敗したらしく、2段目と3段目、搭載していたとされる人工衛星は毎秒4km(きりしま観測)と第1宇宙速度に届かず、大気圏内に再突入し、ロケット射場から約3600km付近で海の藻屑になったとみられる。1215及び1500P-3Cが1段目落下地点付近の秋田沖で、長さ3km・幅50mの海面変色域を確認した。北朝鮮は試験通信衛星光明星(カンミョンソン)2号を搭載した銀河(ウンハ)2号ロケットを1120に打ち上げたと発表し、軌道投入に成功したと伝えたが、そんな衛星は無く、夜にNORADが地球周回軌道を回るいかなる物体も確認できないと声明を出した。46日、嘉手納にWC-135Wが展開。破壊措置命令が終結し、イージス艦とPAC3部隊は原隊に復帰した。47日、T-AGM-23オブザベーション・アイランドとDDG-54カーティス・ウィルバーが佐世保に寄港。CG-67シャイロー、DDG-62フィッツジェラルド、DDG-63ステザムが横須賀に帰港。48日、RC-135Wが嘉手納に展開。44-8日、航空自衛隊は北朝鮮機に対して延べ8回のスクランブル発進を行った。ただし根拠は対領空侵犯措置によるもので、BMD任務中は対空戦が疎かになるイージス護衛艦部隊を守るために予め付近を警戒飛行させておくことが法律上不可能であり、後に法改正で武器等防護のためのスクランブル発進ができるようにした。47-8日、衆参両院で北朝鮮のミサイル発射に抗議する決議を採択。413日、北朝鮮第一回核実験に伴い採択された安保理決議1718号に違反するとして、国連安保理で議長声明を全会一致で採択し、北朝鮮を非難した。北朝鮮はこれに反発し、414日に寧辺の核関連施設無能力化を中止すると発表、IAEA監視団やアメリカ無能力化作業チームの退去を通告した。参考:月刊軍事研究6,0912,10、月刊世界の艦船9,096,098,'156,167,'19JWings6,0910,09、朝雲

テポドン2号改発射>:2012316日、北朝鮮の朝鮮中央通信が、412-16日に人工衛星(光明星3号)を打ち上げるという朝鮮宇宙空間技術委員会報道官の談話を伝えた。韓国とアメリカは強く反発し、中国は懸念を表明した。1235、日本政府は首相官邸危機管理センターに情報連絡室を設置。319日、国際海事機関が北朝鮮から地球観測衛星を412-16日の0700-1200に打ち上げるとの通報があったと発表した。北朝鮮の北西部にある東倉里ミサイル基地から南に向けて発射し、1段目を韓国辺山半島西方沖140kmの黄海に、2段目をルソン島東方沖190kmの海上に落下させる極軌道コースである。320日、渡辺防衛副大臣が沖縄本島に加え、予定コースの直下にある石垣島と先島諸島へのPAC3配備を検討していると述べた。321日、DDG-54カーティス・ウィルバーが佐世保を出港。322日、平壌のミサイル工場から鉄道でロケットが東倉里のミサイル発射場に運搬され、組み立てが開始された。防衛省で田中防衛大臣、ルース駐日米大使、フィールド在日米軍司令官が会談して日米の緊密な連携を確認した。323日、アメリカの海上配備型Xバンドレーダーが真珠湾を出港。327日、北朝鮮外務省報道官が金日成生誕100周年(2012415日)を迎えるにあたり衛星を打ち上げることは、金正日将軍の遺訓であり、正常な事業であるとの声明を発表。防衛大臣が防衛会議を招集。自衛隊に対して弾道ミサイル等に対する破壊措置等の準備に関する一般命令を発し、航空総隊司令官をBMD統合任務部隊指揮官とする弾道ミサイル防衛部隊を編成することとなった。328日、空自と陸自の調査団50名がC-1輸送機で石垣島に入り、現地調査を行った。330日、安全保障会議と閣議で自衛隊法に基づく破壊措置の実施を決定。防衛大臣は航空総隊司令官を指揮官とするBMD統合任務部隊を編成し、破壊措置命令を発出した。期間は412-16日で、ミサイルが予定のコースを外れた場合に備え、イージス護衛艦3隻を沖縄周辺の東シナ海(DDG-174きりしま、DDG-176ちょうかい)と日本海(DDG-175みょうこう)に配置し、PAC3を沖縄本島(空自那覇基地、知念分屯基地)、宮古島(宮古島分屯基地)、石垣島(石垣港)、首都圏(防衛省、陸自朝霞訓練場、空自習志野分屯基地)に配備するとした。PAC3部隊が移動を開始。331日、沖縄県那覇市のホテルで防衛大臣と沖縄県知事、那覇市・南城市。宮古島市・石垣市の各市長が会談し、沖縄県知事はPAC3の配備を了承した。きりしまが横須賀基地を出港し、呉に向かった。空自白山分屯基地第14高射隊のPAC3が呉基地でLST-4001おおすみに搭載され、沖縄に向かった。第12高射隊のPAC3は呉基地でLST-4003くにさきに搭載されて石垣島新港地区に向かった。岐阜基地第13・第15高射隊のPAC3は実弾入りキャニスターをC-1で、他の器材を民間チャーター船で輸送している。43日、第1段の組み立てが終了。PAC3が沖縄本島の那覇基地(第13高射隊)・知念分屯基地(第15高射隊)と宮古島分屯基地(第14高射隊)に展開。44日、第2段の設置が終了。45日、PAC3が石垣島新港地区(第12高射隊)に展開。陸自救援隊本部要員を乗せた民間フェリーが石垣島に到着。47日、PAC3が市ヶ谷駐屯地(第1高射隊)、朝霞訓練場(第4高射隊)、習志野分屯基地(第1高射隊)に展開。イージス艦みょうこうと護衛艦ゆうぎりが舞鶴基地を出港し、日本海(佐渡東方沖。東京への攻撃を警戒)に向かった。きりしま、ちょうかい、DD-103ゆうだち、DD-113さざなみが佐世保基地を出港し、沖縄近海(きりしまとさざなみが飛翔コース付近の防空識別圏すれすれ、ちょうかいとゆうだちが先島諸島付近)に向かった。ちなみにDDG-173こんごうとあたご型2隻は定期修理中だった。第15旅団第51普通科連隊を主力とする陸自救援隊450名が石垣島、200名が宮古島、200名が沖縄本島、50名が与那国島に派遣された。穴埋めのため、第8師団から第43普通科連隊と第8化学防護隊の120名が沖縄に派遣されている。また、第5対戦車ヘリコプター隊のOH-1と第15旅団と西部方面ヘリコプター隊のUH-1JUH-60JACH-47がいざという時の被災地偵察と負傷者輸送のため現地に待機していた。岩崎統合幕僚長が部隊視察を行い、破壊措置命令を受けた準備完了を確認した。横須賀基地からCG-67シャイローが出港。48日、北朝鮮が各国記者団を東倉里発射場に招待して取材を実施。ロケットは銀河3という名称で、1段目の下部に安定翼が4枚付いている。全長30m、第3段長さ3.8m、第1段直径2.4m、第2段直径1.5m、重量91トン。第1段推力120トン。光明星3号は幅0.5m、高さ1m、奥行き0.5m、重量100kg49日、石垣島で陸自救援隊が住民に被害が及んだ場合を想定した救難訓練を実施。1700、航空総隊司令官が防衛大臣にBMD統合任務部隊の編成完結を報告。410日、RC-135SコブラボールⅠとⅢが嘉手納基地に展開。ちなみにコブラボールⅡは216日から嘉手納におり、全コブラボールが嘉手納に集結した。また、ミサイル防衛局のGG1159BガルフストリームⅡ高々度観測機(HALOⅡ。前部胴体上部のヘイムドールEO/IRセンサーで弾道ミサイルを観測する)も嘉手納に到着した。航空自衛隊はイージス艦護衛のためF-15J戦闘機を周辺空域に派遣。アメリカはCG-67シャイロー(宮古島の北)、CG-73ポート・ロイヤル、DDG-54カーティス・ウィルバー、DDG-56ジョン・S・マッケイン、DDG-59ラッセン、DDG-70ホッパー、DDG-77オケイン(沖縄周辺)、DDG-90チャーフィー(沖縄周辺)、T-AGM-23オブザベーション・アイランド、海上配備Xバンドレーダーを派遣し、韓国もイージス艦(991セジョンデワンなど)2隻を黄海に展開させて監視を行った。411日、朝鮮労働党代表社会で金正恩が党第1書記兼党政治局常務委員兼党中央軍事委員長に推戴された。アメリカ太平洋軍司令官ロックリア海軍大将が防衛省を訪問。412日、EP-3OP-3Cが情報収集を開始。空自YS-11EBも那覇基地に派遣されて情報収集を行ったとみられる。コブラボール2機とアメリカ国防総省のHALOⅡが嘉手納基地から監視ミッションを実施。4130300過ぎ、コブラボール2機、EP-3E電子偵察機、HALOⅡが嘉手納を離陸。午前7時3855秒、北朝鮮北西部にある東倉里発射場からテポドン2号の改良型とみられる長距離弾道ミサイルを発射。2分15秒飛翔して高度71kmに達し、1段目を分離、高度151kmまで上昇したが、その後1段目と2段目以降は共に落下軌道をとり、途中で片方が3つに割れて午前7時4742秒に、もう片方が17個に分かれて午前7時48分2秒にそれぞれ韓国西方の黄海に落下した。分離プロセスか第2段ロケットの不具合とみられる。打ち上げは国連安保理決議1695号、1718号、1874号違反である。午前7時39分0秒頃、アメリカ軍早期警戒情報がミサイル発射を通報。午前7時3945-49秒、韓国の地上レーダーまたはSPY-1がミサイルを捕捉。0740、アメリカの早期警戒衛星が弾道ミサイル発射を探知したとの情報が航空総隊司令部を経て防衛省に入り、防衛大臣が中央指揮所に入室。空自那覇基地の現地統合調整所から防空指令所を通してPAC3部隊にも伝達され、発射即応状態を整えた指揮車両の赤色灯が点灯を開始、周辺の隊員が発射時のブラストに巻き込まれないよう退避命令が出され、宮古島分屯基地では信号弾が発射されて離れた場所の隊員にテポドン2号改の発射が伝達された。0742、首相、官房長官、内閣危機管理監が飛翔体発射のアメリカ軍早期警戒情報を入手。0743、落下したミサイルがレーダーから消えた。0750、統幕長が防衛大臣にアメリカ軍が飛翔体を失探したと報告。0754、韓国の聯合ニュースが北朝鮮のミサイル発射を報道。0800頃、韓国政府が北朝鮮のミサイル発射を発表した。0800-0805、運用企画局長が内閣危機管理監に対し、自衛隊のレーダーでは日本への飛来を確認しておらず、飛翔体発射のアメリカ軍早期警戒情報が正確かどうか確認中であると報告。0803、防衛大臣が官房長官に対し、飛翔体は洋上へ落下し日本に影響は無いと電話連絡した。日本政府はエムネット(緊急情報ネットワーク)を通じて北朝鮮のミサイル発射を確認できないと自治体に伝達。0816、防衛省が首相官邸危機管理センターに対し、飛翔体が1分以上飛行して洋上に落下、日本への影響無しと文書で送信。0823、防衛大臣が記者会見で0740頃に飛翔体が発射されたとの情報を得ていると発表。迅速性が最優先される緊急事態にも関わらず、情報の確認が取れない(最大到達高度の関係で日本のセンサーでは捕捉できなかった)からと当初ミサイル発射を確認できないと伝えた上、発射されたと発表したのも40分以上経過してからで、批判が集中する結果になった。0900過ぎ、コブラボール2機とHALOⅡが嘉手納に帰投。1010、防衛大臣がルース駐日米大使と10分間の電話会談を行った。1030、防衛省で関係幹部会議を実施。1040、首相官邸で安全保障会議を実施。1200、北朝鮮がニュースで公式に打ち上げ失敗を認めた。1200過ぎ、EP-3Eが嘉手納に帰投。1800、防衛会議が招集され、防衛大臣が破壊措置命令解除と展開部隊の撤収を命令。1815、防衛省はBMD統合任務部隊への破壊措置命令を解除し、イージス護衛艦とPAC3の撤収を開始した。同日、最高人民会議で金正恩が国防委員会第1委員長に就任した。アメリカは六カ国協議に関する米朝合意に基づいて実施する予定だった食糧支援の中止を決定。414日、先島諸島の部隊が沖縄本島への撤収を開始。WC-135Cが嘉手納に展開して大気収集ミッションを開始。415日、防衛省のPAC3部隊が撤収を完了。416日、国連安保理で北朝鮮のミサイル発射強行を国連決議に対する重大な違反として強く非難する議長声明が全会一致で採択された。HALOⅡが嘉手納を離陸してグアムに向かった。417日、LST-4001おおすみと民間チャーター船が陸自救援隊装備品、LST-4003くにさきがPAC3を搭載して石垣港を出港。418日、おおすみが那覇港で陸自救援隊装備品を降ろし、沖縄本島のPAC3を搭載して呉に向かった。宮古島分屯基地に展開していたPAC3部隊が民間チャーター船に搭載されて宮古島を出港(実弾入りキャニスターのみC-130Hで輸送)。DDG-54カーティス・ウィルバーが横須賀に帰港。419日、陸自救援隊900名が空路で帰隊を完了。420日、おおすみとくにさきが呉に帰港。DDG-56ジョン・S・マッケーンが横須賀に帰港。422日、民間チャーター船が名古屋港に入港してPAC3を降ろした。参考:JShips vol.48、月刊世界の艦船6,12、月刊軍事研究6,1210,12、月刊JWings6,127,12、朝雲

テポドン2号改発射(その2)>:20121115日、北朝鮮が国連総会で宇宙開発計画に基づいた実用衛星打ち上げを続けると表明。1122日までにアメリカ政府が日韓両政府に対し、北朝鮮で長距離弾道ミサイル発射準備が進められていると通報。1127日、デジタルグローブ社が衛星写真を分析した結果、数週間以内に北朝鮮が人工衛星打ち上げロケットを発射する可能性があると判明した。121日、北朝鮮が1210-22日の0700-1200に北朝鮮北西部東倉里の西海発射場から人工衛星の光明星3号(ロケット名称は銀河3号)を打ち上げると予告。当然ながら安保理決議違反であり、野田総理は北朝鮮に対して発射を自制するよう強く求めた。防衛大臣は1212320に防衛会議を招集し、自衛隊に破壊措置準備命令を発出。陸自朝霞訓練場、習志野演習場、空自市ヶ谷基地、習志野分屯基地、那覇基地、知念分屯基地、宮古島分屯基地、石垣島の計7カ所にPAC-3を配備し、DDG-173こんごう、DDG-175みょうこう、DDG-176ちょうかい、DDG-177あたごを日本海と東シナ海に展開させ、情報収集や災害派遣準備のため隊員を陸自那覇駐屯地、空自那覇基地、宮古島、石垣島、与那国島、多良間島に派遣することになった。122日、空自岐阜基地、白山分屯基地、饗庭野分屯基地からPAC-3部隊が出発。123日、PAC-3部隊がLST-4001おおすみとLST-4003くにさきに搭載されて沖縄と南西諸島に向かった。海上保安庁は飛翔体の落下が予想される黄海(南北85km、東西35km)、東シナ海(南北140km、東西110km)、ルソン島東方海域(南北300km、東西100km)を危険区域に設定し、周辺航行船舶に航行警報を発令した。126日、防衛省で統幕長と在日米軍司令官が会談し、日米の緊密な連携を確認、共同声明を発表した。1270720、防衛大臣が防衛会議を開催し、安全保障会議で決定した政府方針を説明し、自衛隊に自衛隊法第82条の3第3項の規定により、弾道ミサイル等に対する破壊措置命令を発令。野田総理と森本防衛大臣が防衛省に配置されたPAC-3部隊を視察し、隊員を激励した。128日、北朝鮮宇宙空間技術委員会が発射時期を調節する問題を慎重に検討していると発表。1210日、北朝鮮が発射予定期間を7日間延長して1229日までとすると報道。RC-135Sコブラボール2機とKC-135T空中給油機1機が嘉手納基地を離陸して監視飛行を実施。0500頃、与那国島の南南東49kmに中国海軍ソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦杭州、同139寧波、054級ジャンカイⅠ型フリゲート艦番号525馬鞍山、054A級ジャンカイⅡ型フリゲート艦番号529舟山が出現し、1030頃まで付近を航行した。1211日、防衛大臣は防衛会議を招集し、破壊措置命令を一部変更して29日まで延長する命令を出した。韓国のメディアが韓国政府筋の情報として三段目ロケットの一部を解体していると報道した。12120400RC-135Sコブラボール3が嘉手納を離陸。黄海の第一段落下予想地点に向かったとみられる。0500RC-135Sコブラボール2が嘉手納を離陸。九州沖の東シナ海付近に展開したとみられる。0949頃、北朝鮮はロケットを真南に向け発射。0951、何らかの飛翔体が発射されたというSEW情報が入った。0954、レーダー情報によりロケット発射を確認。0955、Jアラートとエムネットで発射情報が伝達された。0956、中央指揮所で緊急幹部会議を開催。0958頃、1段目が朝鮮半島西の黄海に落下した。防衛大臣が被害有無確認の徹底と情報収集分析に全力を挙げるよう指示。0959頃、朝鮮半島南西の東シナ海上に部品が落下。1001頃にロケットは沖縄県上空を通過し、1002にこの情報がJアラートとエムネットで伝達された。1005頃に2段目がフィリピン東方300kmの太平洋に落下した。日本には落下物は無く、破壊措置は行われなかった。3段目と衛星は西に7.4度軌道を変えるドッグレッグ・ターンを行い、衛星は軌道に投入された。NORADは近地点499.7km・遠地点584.18km・傾斜角97.4度・周期95.50分の太陽同期軌道に物体が投入されたことを確認し、TLE通し番号39026、国際標識2012-072A/KMS3-2(光明星3号-2)と命名している。北朝鮮は10番目の衛星打ち上げ成功国となったが、衛星は軌道上で不整回転しており、信号も発しておらず、故障したようである。その後韓国が黄海で残骸を捜索、ロケットモーターなどを回収した。このうち第1段酸化剤タンクはアルミニウム・マグネシウム合金製で、直径2.4m・高さ7.6mあり、赤煙硝酸(AK-27I?)48トンを収容していたとみられ、燃料はケロシン(系のTM-185)とみられる。第1段は長さ15.7m、直径2.4m、推力は118トン(推力27トンのメインロケット4基+推力3トンのバーニアエンジン4基)と推定、重量500kgの弾頭を10000km以上投射する能力があるという。第2段は長さ8.4m、直径1.5m、赤煙硝酸とケロシンにより推力16トン、第3段は長さ4.9m、直径1.5m、非対称メチルヒドラジンと四酸化二窒素で推力3.2トン。全体では長さ31m、発射重量83.4トンと推定される。1504RC-135Sコブラボールが嘉手納に帰投。1700過ぎ、防衛大臣が防衛会議を招集し、BMD統合任務部隊に対して破壊措置終結命令を発出、撤収を命じた。1213日、防衛省のPAC-3が撤収。1214日、朝霞と習志野のPAC-3が撤収。1215日、LST-4001おおすみが石垣港、LST-4003くにさきが那覇中城港に入港し、PAC-3を積載した。1216日、おおすみが那覇中城港に、くにさきが宮古島平良港に寄港し、撤収作業を実施。1217日、陸自部隊が民間チャーター船などで駐屯地への帰投を終了。1218日、おおすみとくにさきが呉に到着。2013122日、国連安全保障理事会が北朝鮮への制裁拡大決議を採択。参考:月刊軍事研究3,134,16、月刊JWings2,133,138,17、月刊世界の艦船2,134,137,13、月刊航空ファン3,13、朝雲

テポドン2号改発射(その3)>:2016129日、北朝鮮に長距離弾道ミサイルを発射する兆候がみられるとして、防衛大臣が弾道ミサイル等に対する破壊措置命令を発出。海自はDDG-174きりしま、DDG-175みょうこう、DDG-176ちょうかいを日本海と東シナ海に向かわせ、空自はPAC-3を防衛省に配置した。22日、北朝鮮が28-25日の0830-1230に衛星打ち上げロケット光明星を発射すると国際海事機関などに通告。黄海、東シナ海、フィリピン東方の太平洋に危険空域を設定した。ANAJALは国際線飛行ルートを変更している。23日、防衛大臣が弾道ミサイル等に対する破壊措置等の実施に関する自衛隊行動命令を発出。自衛隊は航空総隊司令官をトップとするBMD統合任務部隊を編成し、SM-3搭載イージス護衛艦、PAC-3部隊、航空警戒管制部隊などを隷下に置いた。PAC-3部隊は防衛省に加えて朝霞訓練場、習志野演習場、習志野分屯基地、那覇基地、知念分屯基地に展開した。24日午前、輸送艦おおすみがPAC-3を積んで呉を出港。26日、北朝鮮が打ち上げ予定期間を27-14日に前倒しした。午後、LST-4001おおすみが石垣島に到着。石垣市南ぬ浜町新港地区にPAC-3を配置した。27日未明、LST-4003くにさきが宮古島平良港下崎埠頭に到着。0400、くにさきからPAC-3が搬出され、0700頃に宮古市トゥリバー海浜地区にランチャー2基の設置を終えた。日本時間0931頃(北朝鮮標準時0901頃)、北朝鮮が舞水端里発射基地から多段式ロケット(北朝鮮名称は銀河3号)を打ち上げた。0937、燃焼を終えた1段目が朝鮮半島西150kmの黄海に落下。0939、東シナ海にフェアリングなどが落下。0939頃と0941頃、飛翔体が沖縄県先島諸島上空を通過したが、領域内への落下の恐れは無いとして破壊措置には至らず、実際に落下物も無かった。その後2段目が日本から2000kmの太平洋上に落下した。USSTRATCOMの観測で衛星(北朝鮮名称は光明星4号)とみられる物体が近地点高度463.15km・遠地点高度497.54km、傾斜角97.5252度、周期94.27分の地球周回軌道に乗っているのが確認され、TLE通し番号41332U/KMS-4、国際識別番号2016-009Aが付与された。ただ衛星は不整回転に陥ったらしく、機能していない。1014、日本が国家安全保障会議を開始。終了後の記者会見で官房長官が北朝鮮を強く非難する声明を出した。1050、防衛省で中谷防衛大臣が緊急幹部会議を開催。281707、防衛大臣が自衛隊行動命令の終結を宣言、部隊は撤収した。韓国はアメリカと在韓米軍へのTHAAD配備に関する協議を開始。29日、日米韓防衛当局が局長級テレビ会議を開催し、防衛省防衛政策局長、アメリカ国防次官補、韓国国防政策室長が参加、北朝鮮の核・ミサイル脅威への緊密な連携対処と情報共有で一致した。210日、韓国が開城工業団地の操業を停止した。日本は独自制裁を発表。アメリカ上院で北朝鮮に対する制裁法案が可決された。210日(ハワイ時間。日本時間211日)、日米韓参謀総長級テレビ会談が開催され、アメリカ統合参謀本部議長、防衛省統合幕僚長、韓国合同参謀本部議長が参加、北朝鮮の核・ミサイル開発に対する情報共有を更に強化し、連携して対応することで一致した。211日、北朝鮮が開城工業団地の韓国人員を追放した。212日、アメリカ下院で北朝鮮に対する制裁法案が可決された。218日、アメリカのオバマ大統領が北朝鮮への制裁法案に署名した。224日、アメリカと中国が安保理制裁決議案に合意した。33日、安保理で制裁決議が採択された。34日、北朝鮮がアメリカを非難する政府・外務相声明を発表。37日、北朝鮮国防委員会がアメリカを非難する声明を発表。312日、北朝鮮人民軍総参謀部がアメリカを非難する声明を発表。参考:朝雲、月刊軍事研究4,166,16、月刊航空ファン4,16、月刊JWings4,'16、月刊世界の艦船4,16

<テポドンX>:BM-25(弾道ミサイル)を参照。

デボンC.Mk1>:イギリス空軍双発輸送機で、デハビランド社のDH104ダブ4/ダブ6を採用したものである。参考:週刊エアクラフトNo.82、月刊航空ファン5,16

<デボン海外シリーズ>

 <ダブ5(スリランカ空軍)>:スリランカ空軍輸送・航法訓練・沿岸哨戒機。1955年に6機を導入し、1985年まで運用した。参考:月刊航空ファン9,17

 <ダブ6(インド海軍)>:インド海軍哨戒機。1965年に空軍から2機が移管され、シーランドの後継として沿岸哨戒用に使用した。参考:月刊航空ファン5,16

<デボンシャー>:39(重巡洋艦)を参照。

<デマークD7>:Sd.Kfz.10/4(自走対空機関砲)を参照。

<テ・マナ>:F111(フリゲート)を参照。

デミスタ>:護衛艦のガスタービン吸気口に付けられる異物除去装置。参考:艦船メカニズム図鑑

<テミストクレス>:D-210(駆逐艦)を参照。

<テミストクレス級>:ギアリング級・海外シリーズ(駆逐艦)を参照。

<テムシャ>:AB14(歩兵戦闘車)を参照。

<テムズ>:N71(潜水艦)を参照。

テムズ級>:イギリス海軍潜水艦Thames級。艦隊随伴用の潜水艦で、船体は複殻式を採用、機関出力をそれまでの潜水艦の2倍に強化して水上速力を20ノット以上に増大させた。しかし船体が大きくなり過ぎ、艦隊の速力もそれ以上に上がったため、1932-35年にN71N57N12の3隻のみ竣工した。全長105.2m、幅8.5mN578.6m)、吃水4.1mN574.2m)、水上排水量1805トン(N571850トン)、水中排水量2680トン。主機はディーゼルと電動モーターで、水上出力10000馬力、水上速力21.8ノット(N5722.3ノット)、水中速力10ノット。兵装は533mm魚雷発射管8門(6門?)、10.2cmまたは12cm単装砲1門。参考:第2次大戦のイギリス軍艦、月刊世界の艦船6,09

テメレーア>:イギリス海軍ベレロフォン級戦艦Temeraire1909年竣工。1916531日、第4戦艦戦隊第4小隊所属でジュットランド海戦に参加。1922年に除籍された。参考:近代戦艦史、月刊世界の艦船6,16、歴史群像6,16

<デ・モイン>:CA-134(重巡)を参照。

デ・モイン級>:アメリカ海軍重巡洋艦Des Moines級。オレゴン・シティ級の改良型で、新型の20.3cm3連装砲塔(自動装填装置付き、発射速度毎分10発)3基を搭載する関係で船体が一回り大きくされた。機関部はタービンと缶をユニットにして1区画に纏め、前後に4室配置している。煙突は1本。カタパルトと航空機4機を搭載する予定だったが、結局装備されなかった。全長218.4m、幅23.0m、吃水7.9m、基準排水量17255トン、満載排水量20950トン。主機は蒸気タービン4基4軸12000馬力、速力33ノット。兵装は20.3cm3連装砲塔Mk16が3基、12.7cm連装高角砲6基、7.6cm連装砲12基。乗員1799名。1942年度以降12隻を整備する予定だったが、4隻に減らされ、CA-140ダラスは建造中止となり、CA-134デ・モイン、CA-139セイレム、CA-148ニューポート・ニューズの3隻が1948-49年に就役した。参考:近代巡洋艦史、月刊世界の艦船2,875,1112,13

デモクラタ級>:メキシコ海軍哨戒艇Democrata級。全長52.4m、全幅9m、吃水2.6m、満載排水量450トン。速力30ノット。兵装は40mm連装砲1門。1998年にP241デモクラタが配備された。参考:JShips Vol.24

デモクラティ>:フランス海軍リベルテ級戦艦Democratie1913年、戦艦ジュスティスに衝突した。1914年、戦艦ジュスティスに衝突した。参考:月刊世界の艦船3,14

<デモクラティーヤ>:インペラトリーツァ・マリーヤ(戦艦)を参照。

手持ち式金属探知器>:人間が不審な金属製品を身に付けていないかどうかチェックする機器。手荷物や郵便物に対して使用すると、磁気感応式起爆装置が作動する恐れがあるので、こちらはX線透視装置でチェックする。参考:月刊軍事研究4,97

<手持送話器>:自衛隊の機器。神田通信工業製。参考:月刊軍事研究1,13

手持実体鏡>:日本陸軍の測量器材。参考:工兵入門

デモロゴス>:1812年に勃発した米英戦争に投入すべくアメリカの発明家フルトンが設計した、世界初の蒸気推進軍艦Demologos。推進用の水車を双胴船体で挟み込み、32ポンド前装砲16門を船体外周に並べている。帆装用マストは無い。排水量1450トン。速力5.5ノット。1816年に竣工したが、米英戦争が終わっていて出番は無く、1829年に焼失した。参考:月刊世界の艦船8,16

<デモン>:F3Hシリーズ(戦闘機)を参照。

デヤテルヌイ>:ソ連海軍クリヴァクⅠ型フリゲートDeyatelny1975年竣工。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

デュアル・クラッチ・トランスミッション>:DCTDual Clutch Transmission)と略す。自動制御式マニュアル・トランスミッションの一種だが、トランスミッションの構造が大きく異なるため、別物扱いされている。マニュアル・トランスミッションで変速のためクラッチを切ると、動力がタイヤに伝わらないトルク切れやトルク抜けを起こしてしまうため、トランスミッションを2セット用意し、一方のクラッチを切りながら、もう一方を繋いでいき、ほぼ切れ目無く動力を伝達できるようにしたものである。参考:クルマのすべてがわかる事典

デュアル・ケイパブル>:Dual Capable。核弾頭と通常弾頭の両方を装備可能な兵器のこと。参考:月刊世界の艦船3,05

<デュアル・サイクロン>:R-3350シリーズ(エンジン)を参照。

デュアル・スラスト・ロケット>:1つのロケットモーターに、短時間だが大推力を発生できる推進剤と、低推力だが長時間燃焼する推進剤を搭載したもの。ターターやスタンダードMRに使用されている。ブースターとサステナーを1基で兼用することが可能だが、その分射程は短くなる。参考:月刊世界の艦船5,86

<デュアル・チャンネル・パワー・メータ>:自衛隊の機器。アジレント・テクノロジー製。参考:月刊軍事研究8,10

<デュアルテックス>:DTG(迷彩)を参照。

デュアル・パルス・ロケット>:1つのケーシング内に2段に分けて推進剤を収容したロケットモーターで、1段目の燃焼終了後に2段目を点火する。1段目と2段目の推力特性を変えて最適な燃焼パターンを作り出すことができる。また、2段目のタイミングを上手いこと調整すれば、効率的な燃焼により飛翔距離を延伸することが可能。参考:月刊軍事研究11,171,18

デュアル・ビーム・パターン>:コセカント2乗パターンの地面・海面クラッターを低減させるため用いられる手法。コセカント2乗パターンと同じアンテナを使用し、給電ホーンの下に第2の受信専用ホーンを設けて高仰角域に受信専用の第2ビームを形成、給電ホーンからレーダー波を送信し、近距離では高仰角域第2ビーム、遠距離では低仰角域第1ビームで受信する。これにより、クラッターの大きい近距離において、高空からの目標信号とクラッターの比を増大させることができ、クラッターの排除が容易になる。参考:レーダシステムの基礎理論

デュアル・フィード>:1門の機関砲に2種類の弾薬が別々に用意されていて、どちらかの弾種をスイッチ操作で選択して射撃できること。参考:月刊PANZER4,11

デュアル・ブレード>:Dual Blade。アメリカ軍が開発した振動探知センサーシステムで、1968年にベトナム17度線非武装地帯に設置されて高い効果を上げた。参考:月刊丸1,77

デュアル・ロール照準器>:近接射撃と精密長距離射撃の両者に対応し、即座に切り換えられる照準器のこと。参考:朝雲

デュアル・ロール・ファイター>:制空権の獲得と、対地攻撃の両任務をこなせる戦闘機のこと。F-15Eなどがこれにあたる。参考:F-16ファイティングファルコン

<デューイ>:DD-349(駆逐艦)またはDDG-105(イージス駆逐艦)を参照。

<デューエル>:APA-160(攻撃輸送艦)を参照。

<デューク>:CREWデューク(IED妨害装置)を参照。

デューク・オブ・エジンバラ>:イギリス海軍デューク・オブ・エジンバラ級装甲巡洋艦。1916年にジュットランド沖海戦に参加、ジェリコー本隊の前衛を務めたが、低速の上に黒煙が酷く、邪魔者扱いされてしまった。参考:月刊丸4,07

デューク・オブ・エジンバラ級>:イギリス海軍装甲巡洋艦。キング・エドワード級戦艦に対応するもので、中間砲と同一の23.4cm単装砲6門を亀甲形に配置し、副砲を主甲板上に搭載した。しかし副砲装備位置が低すぎたため、実用性に乏しかった。全長154.1m、幅22.4m、吃水7.9m、基準排水量13550トン。主機は4気筒3段膨張レシプロ機関2基、主缶はバブコック&ウィルコックス缶20基及び円缶6基で、出力23000馬力、2軸推進、速力23ノット。兵装は23.4cm単装砲6門、15.2cm10門。装甲厚は水線部152mm。デューク・オブ・エジンバラ、ブラック・プリンスの2隻が竣工した。参考:月刊丸4,07

<デューク・オブ・ヨーク>:17(戦艦)を参照。

<デューク級>:23型(フリゲート)を参照。

<デューク・デ・カザイス級>:サフォーク・カウンティ級戦車揚陸艦(ブラジル海軍)を参照。

テューター>:イギリス空軍複葉高等練習機Tutor。アブロ504の後継としてアブロ社製の民間機を徴用したものである。連絡任務などにも使用された。全長8.09m、全幅10.3m、全備重量1106kg。エンジンはアームストロング・シドレー・リンクス4c215馬力)単発で、最大速度195km。乗員2名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

デューロ>:アメリカのジェネラル・ダイナミクス・ランドシステムズ社が開発した4×4輪装甲車。デューロ・オフロード・トラックのシャシーに装甲車体を搭載したもので、地雷に対抗するために底面装甲を強化してある。NBC防護装置や追加装甲の装備も可能。IDEX2007に展示された。参考:月刊軍事研究5,07

デューロⅢP>:スイス軍6×6輪装甲車。モワグ社が開発した。NATOレベル2(7.62mmロシアン焼夷徹甲弾に対抗可能)のモジュラー装甲を持ち、IEDや地雷に対する防御力も高い。戦闘重量13トン。エンジンはカミンズ社製のディーゼル(245馬力)で、トランスミッションはアリソン2500SP(前進5速)、最大速度100km。参考:月刊軍事研究10,07

<デューロⅢPファミリー>

 <CBRN車>:ジェネラル・ダイナミクス・ヨーロピアン・ランド・システムズ社とラインメタル・MANミリタリービークル社がスイス陸軍向けに開発したCBRN車両。参考:月刊軍事研究10,12

デュカ・ダオスタ級>:イタリア海軍軽巡洋艦Duca dAosta級。モンテクッコリ級を一回り大きくしたもので、檣楼を拡大、防御力を強化し、缶室の配置を改良、煙突の太さが前後で同じくらいになった。全長186.9m、幅17.5m、吃水6.5m、基準排水量8317トン。主機は蒸気タービンで、出力110000馬力、2軸推進、速力36.5ノット。兵装は15.2cm連装砲4基、10cm連装高角砲3基、37mm機関砲8門、533mm3連装魚雷発射管2基。航空機2機を搭載する。乗員は平時578名、戦時694名。エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ、エウジェニオ・ディ・サヴォイアが1935-36年に竣工した。参考:近代巡洋艦史

<デュゲイ・トルーアン>:F611(駆逐艦)またはS-636(攻撃原潜)を参照。を参照。

デュゲイ・トルーアン>:フランス海軍デュゲイ・トルーアン級軽巡洋艦1番艦Duguay Trouin1926年竣工。フランス降伏時にはアレキサンドリアに停泊していた。1943年連合軍に加わり、改装工事を受けた。1944年、アンヴィル・ドラグーン作戦(プロヴァンス上陸作戦)に参加。1952年に売却され、解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦、近代巡洋艦史

デュゲイ・トルーアン級>:フランス海軍軽巡洋艦Duguay Trouin級。船型は船首楼型で、三脚式の前部マストと単脚式の後部マスト、2本の煙突を持つ。主砲は陸軍と共通口径の15.5cm連装砲4基で、艦橋直前と後部マスト直後に2基ずつタンデム配置されている。機関部は二重船体だが、舷側装甲は無い。全長181.3m、幅17.5m、吃水6.1m、基準排水量7249トン、常備排水量7880トン。主機は蒸気タービンで、出力102000馬力、4軸推進、速力33ノット。兵装は15.5cm連装砲4基、7.5cm単装砲4門、55cm3連装魚雷発射管4基、乗員578名。デュゲイ・トルーアン、プリモゲ、ラモット・ピケの3隻が1926年に就役した。1943年にアメリカで改装を受け、魚雷発射管、カタパルト、後部マストを撤去し、対空兵装を強化している。参考:第2次大戦のフランス軍艦

<デュケーヌ>:D603(駆逐艦)を参照。

デュケーヌ>:フランス海軍デュケーヌ級重巡洋艦Duquesne1928年竣工。フランス降伏時にはアレキサンドリアに在泊中で、イギリス軍により武装解除された。1943年に喜望峰を経てダカールに回航され、アメリカで改装を受けた。ノルマンディ上陸作戦にも参加している。1946年、仏印再占領作戦に参加。1950年に退役し、1955年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦

デュケーヌ級>:フランス海軍重巡洋艦Duquesne級。ワシントン条約制限目一杯の条約型重巡洋艦で、デュゲイ・トルーアン級軽巡を拡大した設計とし、1924年度計画で建造された。船型は船首楼型で、乾舷は高い。砲塔、司令塔、弾薬庫、舵取機室のみ30mm厚の弾片防御用鋼板が張られており、他の部分は装甲化されておらず、速力を重視している。機関はシフト配置にして間接防御力を高めた。全長191.0m、幅19.0m、吃水6.3m、基準排水量10000トン。主機は蒸気タービン4基4軸120000馬力、速力33.8ノット。兵装は20.3cm連装砲4基、7.5cm単装高角砲8門、37mm連装機関砲4基、55cm3連装魚雷発射管2基。カタパルト1基を持ち、水上偵察機(T.B.A.17小型飛行艇など)2機を搭載する。乗員605名。1928年にデュケーヌとトゥールヴィルの2隻が竣工した。1943年にアメリカで改装を受け、後部マスト、その直前のカタパルト、55cm3連装魚雷発射管を撤去して対空兵装を強化、艦橋と前部煙突を改修し、前部マストにレーダーを新設、37mm機関砲を40mm機関砲に、13mm機銃を20mm機関砲に換装している。参考:第2次大戦のフランス軍艦、近代巡洋艦史、月刊世界の艦船2,154,12

<デュコール鋼>:DS鋼板を参照。

デュゴン級>:ロシア海軍大型高速LCU21820Dyugon級。速力50ノット。戦車3両または装甲車5両を搭載できる。参考:月刊世界の艦船12,12

<デュ・シャイラ>:D630(護衛艦)を参照。

デュッフェルバッグ>:Duffel Bag。アメリカ軍のセンサーシステムで、4種類のセンサーを組み合わせて展開する。参考:月刊丸1,77

 <AAU>:Acoustic Add-on Unitの略。音響センサーで、他の振動探知型センサーと組み合わせて敵の種類や数を把握することができる。参考:月刊丸1,77

 <アデサイド>:Air Delivered Seismic Intrusion DEtectorの略。振動感知型センサーで、空中散布が可能である。参考:月刊丸1,77

 <マギッド>:MAGnetic Intusion DEtectorの略。磁気感知型センサーで、兵士が地中に埋設して使用する。参考:月刊丸1,77

 <ミニサイド>:MINIature Seismic Intrusion DEtectorの略。振動感知型センサーで、人力敷設される。人間、装輪車両、装軌車両の他、固定翼機やヘリコプターも探知できる。参考:月刊丸1,77

<デュッペル>:チャフのドイツ軍名称。

<デュピュイ・ド・ローム>:A759(情報収集艦)を参照。

デュプティ・トアール級>:フランス海軍ミサイル駆逐艦Dupetit Thouars級。T47改型ともいう。元は1950年代に竣工したシュルクーフ級艦隊護衛艦で、うち4隻に対して1960年代前半にターターシステム搭載改修を施したものである。127mm連装砲全部と3連装魚雷発射管2基を撤去し、後部上構後部01甲板にMk13発射機1基、その前方に背負い式(03甲板上と02甲板上)でAN/SPG-51レーダー2基、前甲板に375mm対潜ロケット6連装発射機を搭載した。全長128.6m、幅12.7m、吃水6.3m、満載排水量3740トン。主機は蒸気タービンで、出力63000馬力、2軸推進、速力34ノット(32ノット?)。兵装はターター艦対空ミサイル単装発射機Mk13が1基(後部上構後部01甲板)、57mm連装砲3基(艦橋直前甲板室上、後部上構中央01甲板両舷)、550mm3連装魚雷発射管1基、375mm対潜ロケット6連装発射機1基(前甲板)。1961-65年にD630デュ・シャイラなど4隻が改装された。後に三次元レーダーを換装するなどの改修を受けている。参考:月刊世界の艦船5,8612,18

<デュプリン>:AKA-87(攻撃貨物輸送艦)を参照。

デュブルデュー級>:フランス海軍通報艦Debourdieu級。全長65m、幅8.2m、吃水3.1m、基準排水量433トン。主機は蒸気タービンで、出力2000馬力、速力16.7ノット。兵装は13.8cm単装砲1門、10cm単装砲1門。2隻が建造された。参考:第2次大戦のフランス軍艦

<デュプレ>:D633T53級駆逐艦)またはD641(ジョルジュ・レイグ級駆逐艦)を参照。

デュプレ>:フランス海軍シュフラン級重巡洋艦Dupleix1932年竣工。1940613日からヴァード作戦に参加。194211月、ツーロンで自沈した。参考:第2次大戦のフランス軍艦、月刊世界の艦船2,18

<デュプレ級>:T53級(駆逐艦)を参照。

<デュプレックスサイクロン14>:R-2600(エンジン)を参照。

<デュプレックスサイクロン18>:R-3350(エンジン)を参照。

<デュ・ペイジ>:APA-41(攻撃輸送艦)を参照。

<デュ・ポン>:DD-152(駆逐艦)を参照。

デュモン・デュルヴィル>:フランス海軍ブーゲンビル級植民地通報艦Dumond dUrville。第2次大戦勃発時には仏印にいた。1941117日、軽巡ラモット・ピケや姉妹艦アミラル・シャルネなどと共にタイ海軍艦艇を攻撃、大打撃を与えた。その後はヨーロッパに移動し、自由フランス軍の隷下に入った。1958年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦

デュランゴ級(初代)>:メキシコ海軍外洋哨戒艦。兵装は102mm砲1門。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

デュランゴ級(2代目)>:メキシコ海軍哨戒艦Durango級。兵装は57mm砲1門。Bo105ヘリ1機を搭載可能。2015年現在、4隻を配備している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

デュランス級>:フランス海軍補給艦(正式な分類は指揮及び給油艦)Durance級。船体中央前後に門型補給ポスト2基を備え、燃料10790トンとドライ・カーゴ420トンを積み、双方を補給できる。外地に派遣される艦隊の旗艦も務めることが可能。全長157.3m、満載排水量17900トン(3番艦以降18797トン)、速力19ノット。兵装はミストラル地対空ミサイル連装発射機シンバド1-3基。SA319またはAS365またはリンクス1機を搭載可能。乗員164名。1980-90年にムーズ、ヴァール、4番艦A630マルヌなど5隻が就役した。1番艦デュランスは1999年にアルゼンチン海軍に売却され、2番艦は2016年に退役・予備役入りしている。参考:月刊軍事研究1,07、月刊世界の艦船10,021,183,1411,1412,186,19THE MILITARY BALANCE 2016

デュランダール>:フランスのSNCASEが開発した試作ジェット戦闘機、SE212。無尾翼デルタ翼機で、機首にエアインテイクを持つ。エンジンはアター101G(推力4.5トン)単発で、胴体下にSEPR65加速用ロケット(推力0.825トン)を装着できる。1956420日に初飛行したが、ミラージュⅢに負けて採用されなかった。参考:月刊JWings6,14

デュランダール>:フランス空軍対滑走路用徹甲爆弾DURANDAL。マトラ社が1973年から開発した。低空(高度200フィート/61m、速度350-600ノット)で投下されるとパラシュートを開いて自由落下、30-40度の頭下げ姿勢を取り、4.5秒後にパラシュートが切り離され、尾部の推力20300ポンド(9.2トン)のロケットモーターで一気に500ノットまで加速し、滑走路にめり込んでからTNT15kgの弾頭が炸裂する。厚さ40cmのコンクリート滑走路に直径5m・深さ2mの大穴が空き、周囲15mにわたり約0.5mほどコンクリートが浮き上がる。信管は弾底部に装着された1秒間の遅延信管または時限信管で、復旧工事の妨害も可能。全長2.72m、直径0.22m、翼スパン0.43m、重量220kg1977年から量産され、湾岸戦争でジャギュアが使用した。アメリカ軍もBLU-107/Bとして1983年に採用し、F-111E/F及びF-15Eに最大20発搭載する。参考:U.S.ウェポン・ハンドブック、軍事分析湾岸戦争、軍用機ウェポン・ハンドブック

<デュラント>:DE-389(護衛駆逐艦)を参照。

テュルコアーズ>:フランス海軍サフィール級機雷敷設潜水艦Turquoise1930年竣工。イタリア軍に接収されてFR.116となり、1943年に自沈した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

<デヨ>:DD-989(駆逐艦)を参照。

<テラー>:CM-5(敷設艦)を参照。

テラー級>:アメリカ海軍敷設艦Terror級。船型は平甲板型で、艦尾のハッチから機雷を敷設する。全長138.6m、幅18.4m、吃水5.9m、基準排水量5875トン。主機は蒸気タービン、出力11000馬力、2軸推進、速力21ノット。兵装は12.7cm単装砲4門、40mm機関砲16門、機雷800個。乗員400名。CM-5テラーなどが就役した。参考:第2次大戦のアメリカ軍艦

<テラー・ユーラム配置>:水素爆弾を参照。

<デラウエア>:BB-28(戦艦)またはSSN-791(原潜)を参照。

デラウエア級>:アメリカ海軍戦艦Delaware級。主機の比較のため1隻にレシプロ、もう1隻に蒸気タービンを搭載した。これによりBB-29はアメリカ海軍初の蒸気タービン搭載主力艦となっている。砲塔は全て首尾線上にあり、両舷に10門を指向できる。全長158.2m、幅26m、吃水8.3m、常備排水量20380トン(うち防御重量6130トン)。主機はBB-28が直立4気筒三段膨張式レシプロ蒸気機関2基、BB-29がカーチス式単胴直結蒸気タービン(ローター9段のうち後方4段をディスク構造ではなくドラム構造として熱効率を向上させた)2基で、主缶はバブコック&ウィルコックス式混焼缶(18.6気圧、過熱器付)14基、出力25000軸馬力、2軸推進、速力21ノット。兵装は45口径30.5cm連装砲5基、12.7cm単装砲14門、533mm水中発射管2門。装甲厚は水線部279mm、甲板76mm51mm?)。乗員933名。BB-28デラウエアとBB-29ノース・ダコタの2隻が1910年に竣工した。ワシントン会議で当初は保有を続行する予定だったが、メリーランド級2隻の建造が認められたため、廃棄処分となった。参考:近代戦艦史、月刊丸11,09、月刊世界の艦船1,12

寺島健>:海軍兵学校31期卒。昭和2121日、第2艦隊参謀長に就任。昭和31210日から昭和4121日、第1艦隊参謀長を務めた。昭和75月、軍務局長となった。海軍省が軍令部から権限拡大の突き上げを喰らっていた頃で、当初は井上成美課長と共に反対の立場だったが、伏見宮軍令部長が辞めると言い出すので課長の説得に回り、最終的に海軍省では軍令部権限拡大を受け入れることになった。直後、艦隊派の弾圧を喰らって昭和8915日に練習艦隊司令官に飛ばされ、18日後の103日には予備役に追いやられている。浦賀船渠社長を務めた後、東条内閣で逓信相兼鉄道相となった。太平洋戦争開戦が不可避となったある日、風呂から出てきた寺島健の大腿部が内出血で腫れ上がっていたので、娘がどうしたのかと尋ねたところ、自分はロンドン条約派で日米戦争に反対だが、先日開戦最終決定の会議があり、天皇陛下が反対であることは良く分かっているが立場上自分は口出しできず、気が遠くなって倒れそうになるのを必死に防ごうと抓っていたのでこうなった、とても辛い事だと話したという。昭和1810月、閣僚を辞任して貴族院議員となった。昭和471030日、90歳で死去した。参考:日本海軍艦隊総覧

<テラ銃>:二式小銃または三八式歩兵銃シリーズを参照。

<テラ・ノヴァ>:DDE-259(護衛駆逐艦)を参照。

<テラピン>:P323(潜水艦)を参照。

テラヘルツ波>:遠赤外線とミリ波の間に位置する波長1mm-0.03mmの電磁波で、1983年に東北大学と東京大学の共同研究で発見された。服の下の爆発物を数十メートル先から検出する透視カメラ、建造物などの非破壊検査法、覚醒剤や麻薬などの固有スペクトル検出による判別法などが開発研究されている。参考:月刊軍事研究4,08

デ・ラ・ペンヌ>:D560(ミサイル駆逐艦)を参照。

デ・ラ・ペンヌ級>:イタリア海軍ミサイル駆逐艦De La Penne級。オーダチェ級に続くミサイル駆逐艦で、船体を一回り大型化し、マックを廃して煙突とマストを独立させ、主機をCODOG方式に変更した。艦前部にはナックルラインが付けられており、上部構造物側面は傾斜していてステルス性を考慮している。船首下部にはバウソナーを持つ。対空捜索レーダーはSPS-774RAN-40LSPS-798)、対空・対水上捜索レーダーはRAN-11、射撃指揮レーダーはRTN-30X、対水上捜索・航海レーダーはSPS-702。艦対空ミサイル用にAN/SPG-51イルミネーター・レーダーを装備する。ソナーシステムはDE1164。全長147.7m、幅16.1m、吃水8.6m、基準排水量4330トン、満載排水量5400トン。主機はCODOG方式、巡航用BL-230-20-DVMディーゼル(6300馬力)2基・ブースト用LM2500ガスタービン(27500馬力)2基、出力55000馬力、速力31ノット、航続距離7000海里(18ノット)。兵装はオトマートMk2対艦ミサイル連装発射機2-4基(前部上構後端)、スタンダードSM-1MRMk13単装発射機1基(ヘリ格納庫前方上面)、アスピーデ艦対空ミサイル8連装発射機アルバトロス1基(艦橋前方甲板室上)、オットー・メララ社製127mm54口径単装砲1門(前甲板)、76mm単装砲スーパーラピッド3門(艦橋両舷、ヘリ格納庫上)、324mm短魚雷3連装発射筒2基(Mk46短魚雷。艦後部両舷)。AB212またはAW101またはNH90ヘリコプター2機を搭載できる。乗員331名。1993年にD560ルイージ・ドゥランド・デ・ラ・ペンヌ、D561フランチェスコ・ミンベリの2隻が就役した。2002年の改装でミラスA/S対潜ミサイルを運用可能となり、オトマートMk2A艦対艦ミサイル/ミラスA/S艦対潜ミサイル4連装発射筒2基を搭載した。参考:JShips Vol.24、月刊軍事研究1,0711,14、月刊世界の艦船3,051,'15増刊、3,92増刊、12,1810,19THE MILITARY BALANCE 2016

テリア>:BAEシステムズ・ランドシステムズ社が開発中の装輪式高機動支援車両Terrier。工兵部隊に配備され、前線部隊に追随して架橋、工兵支援、トラクター任務を行う。車体は装甲化されており、前部にバケット、右側面に掘削用アームを装着する他、種々のアタッチメントへの換装も可能。1km離れたところから遠隔操作で作業を行うことができる。戦闘重量31.5トン。エンジンはキャタピラー社製ディーゼル(700馬力)、最大速度70kmA400Mで1両、C-17で2両を空輸できる。乗員2名。FV180戦闘工兵車の後継として2009年からイギリス陸軍にCEVCombat Engineer Vehicle)の名称で60両(65両?)が配備される予定。参考:月刊軍事研究8,0712,13

テリア・シリーズ>:アメリカ海軍中距離艦対空ミサイルTerrier。制式名はSAM-N-7で、後にRIM-2に変更された。3Tミサイルの1つで、バンブルビー計画で開発されたタロスの超音速飛行中の誘導を評価する試験体STVSupersonic Test Vehicle)をベースとしており、大型のタロスを運用できない中型巡洋艦(ミサイル・フリゲート)や空母用である。もっと小さな艦にも装備できないかとギアリング級駆逐艦DD-712ジャイアットに搭載してみたところ、運用しきれず5年で外された。ジェネラル・ダイナミクス社が開発して1951年に試験飛翔開始、同年に生産も始められ、1956年に実用化され、1966年までに各シリーズ合計8000発が量産された。Mk10連装発射機から発射される。参考:月刊軍事研究5,036,93別冊、10,18、月刊世界の艦船3,055,866,16、アメリカの核兵器

 <テリア1a>:テリアBW0RIM-2Aとも呼ばれる。固体燃料ロケットブースターと固体燃料ロケットサステナーで推進し、ビームライディング方式で誘導され、弾体中央にある操縦翼4枚の取り付け角を変更して針路を変え、目標に向かう。尾部には安定翼4枚が付く。操縦翼の幅が広く、ミサイル格納庫内で邪魔になるため、予備ミサイルは弾体だけが水平状態で格納されていて、装填の際に格納庫から取り出して要員が手動で翼を取り付けていた。全長8.25m、直径0.342m、翼スパン1.17m、重量1.36トン、弾頭重量0.099トン。推進は2段式固体ロケット、飛翔速度マッハ3(マッハ1.8?)、射程10海里。高度12kmまでの亜音速(時速600マイル/966kmまで)目標に対応可能。参考:月刊軍事研究5,03、月刊世界の艦船5,86JShips Vol.20、月刊丸3,90

 <テリアBW0>:テリア1aを参照。BW0Beam-riding, Wing-controlled, series0の略。参考:月刊軍事研究5,03

 <テリアBW1>:RIM-2B。生産性と信頼性が向上している。参考:月刊軍事研究5,03

 <テリアBW2>:ロケットモーターを改良した型。生産されず。参考:月刊軍事研究5,03

 <テリアBT3>:Beam-riding, Tail-controlled, series3RIM-2C。操縦翼を尾部に移し、中央翼をターターと同様のストレーキに変更したタイプで、運動性が向上し、装填前に要員が翼を取り付ける必要が無くなって即応性が増した。オートパイロット改良、新型サステナー採用、補助固体燃料ロケットブースター追加などで速度や射程も増大、超音速目標にも対応可能である。1956年に実用化された。1962年の1発あたり撃墜率は34%とされる。参考:月刊軍事研究5,03、月刊世界の艦船5,86

 <テリアBT3A>:RIM-2D。射程を37kmに増大させ、艦対艦でも運用可能とした。参考:月刊軍事研究5,03

 <テリアBT3A(N)>:これもRIM-2D。1キロトン級核弾頭W45を搭載したもの。全長7.98m、直径0.35m、発射重量1.39トン。固体燃料ロケット推進で、最大速度マッハ2.5、最大射程37km。誘導はレーダー・ビーム・ライディング(セミアクティブ・レーダー?)で、信管は近接式。1958年に実用化した。参考:月刊軍事研究5,03、月刊丸3,90、アメリカの核兵器、核兵器図鑑

 <テリアHT3>:semi active radar Homing, Tail-controlled, series3、別名RIM-2E。誘導をSARHに変更したタイプで、低高度目標に対して有効なCバンド帯レーダーシーカーを搭載している。補助ブースターが無いので、射程は短め。1962年の1発あたり撃墜率は42%とされる。参考:月刊軍事研究5,03、月刊世界の艦船5,86

 <RIM-2A>:テリア1aを参照。

 <RIM-2B>:テリアBW1を参照。

 <RIM-2C>:テリアBT3を参照。

 <RIM-2D>:テリアBT3Aを参照。

 <RIM-2E>:テリアHT3を参照。

 <RIM-2F>:テリアHT3の射程延長型。射程75kmとなった。W45Mod0核弾頭を搭載可能。参考:月刊軍事研究5,03、月刊世界の艦船5,86

テリアー>:イタリアのイヴェコ社(シャシー担当)と、ドイツのKMW社(車体担当)が開発した4輪装甲車。全長5.24m、全幅2.09m、全高2.14m、重量5.2トン。エンジン出力122馬力、最大速度100km。ペイロード1トン。参考:月刊PANZER2,02

<テリー>:DD-513(駆逐艦)を参照。

<デリー>:D61(ミサイル駆逐艦)またはI74(D級軽巡洋艦)を参照。

デリー級>:インド海軍ミサイル駆逐艦、プロジェクト15Delhi級。ロシアと1977年から共同開発し、インドのマザゴンドックで建造した。旗艦機能を持つ。全長167m、幅17.4m、吃水6.5m、基準排水量5500トン、満載排水量6500-6808トン。主機はCOGAG方式、ウクライナ製DT-59ガスタービン4基2軸82820馬力、最大速力32ノット、航続距離4500海里(18ノット)。兵装はカシミル/3K90ウラガン用艦対空ミサイル発射機2基(48発)、Kh-35艦対艦ミサイル4連装発射機4基、533mm5連装長魚雷発射管PTA533SS-N-15またはSS-N-16も発射できる)1基、100mm単装砲AK100を1門、AK630M近接防御兵器4門、RBU6000対潜ロケット発射機2基、爆雷投下軌条2条。MR775フレガットM2対空・対水上捜索レーダー(フレガットMAE?)1基、LW08対空レーダー1基(後部マストトップ)、RALW02早期警戒レーダー2基、MR212/201航海レーダー3基を搭載。火器管制レーダーは100mm砲用MR145カイトスクリーチ1基、艦対空ミサイル用MR-90AK630MMR123バス・ティルト2基、Kh35用バラート・アプルマ1基、対空ミサイル用OP3が6基。ソナーシステムはTSM2633スフェリオンB。後部にヘリコプター甲板と格納庫を持ち、シーキングMk42AALH、チェタック、ドゥルブなど対潜ヘリ2機を搭載できる。乗員360名(士官40名)。1番艦D61デリー、2番艦D60マイソール、3番艦D62ムンバイの3隻が1997-2001年に就役した。後にカシミル/ウラガンをシュチルに換装、1-2番艦はAK630Mを2基撤去してバラク1艦対空ミサイル用8連装VLSを2基追加している。参考:月刊軍事研究6,052,0011,024,11、月刊世界の艦船12,'213,0511,004,121,'15増刊、7,'21、月刊丸1,10別冊

<デリヴァーツィヤPVO>:2S38(自走対空機関砲)を参照。

デリジェンス>:イギリス海軍工作艦。元は海洋油田基地支援船ステナ・インスペクタで、フォークランド紛争終結後にイギリス軍が買い取ったものである。参考:月刊丸10,93

デリック>:荷揚装置のこと。参考:日本の防衛戦力Part3

<テリック作戦>:イラク戦争イギリス軍呼称。

デリック・ポスト>:デリック型クレーンの支柱のこと。参考:月刊JWings2,00

<テリトリアル・ディフェンス・システム>:地域防衛システムを参照。

<デリバレート・ターゲッティング>:ターゲッティングを参照。

テリブル>:イギリス海軍マジェスティック級軽空母6番艦Terrible。進水後にオーストラリア海軍に売却され、軽空母シドニーになった。参考:月刊世界の艦船6,18

デリベレイト・フォース作戦>:NATOのセルビア人勢力に対する航空攻撃作戦。1995年に発動された。参考:月刊軍事研究5,03

<デリヤ>:A1590(補給艦)を参照。

<デリヤ級>:トルコ海軍補給艦Derya級。船型は船首尾楼型で、船尾楼前半部が艦橋構造物である。凹甲板には前から大型クレーン1基(前端中央)、補給ポスト2基(両舷1基ずつ)、管制室(中央)、補給ポスト2基(両舷1基ずつ)、小型クレーン2基(後端両舷1基ずつ)が並ぶ。全長199.9m、満載排水量26000トン(22000トン?)。主機はCODOG方式、速力24ノット。兵装は35mm連装機関砲2基。燃料10000トン、真水750トン、貨物270立方メートルを搭載可能。A1590デリヤが2023年に竣工・2024年に就役予定。参考:月刊世界の艦船9,23

デリラ・シリーズ>:イスラエル軍巡航ミサイルDelilah。無人標的機を改造したものである。F-16に搭載可能で、南レバノン侵攻作戦で使用された。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック、月刊JWings9,04

 <デリラ>:無人標的機デリラにGPSと慣性誘導装置、弾頭を搭載した空中発射型。終末誘導はFLIR及びカラーTVの併用で、16km先から目標を確認でき、目標自動追尾能力があるため動目標の攻撃も可能である。データリンクにより発射母機・母艦からの承認を受けてから攻撃に移るシステムを有し、マン・イン・ザ・ループ運用も可能で、リンクが切れた場合には周辺で滞空して攻撃承認を待つ。全長2.71m、直径0.33m、翼スパン1.15m、重量400kg187kg?)。推進はターボジェットエンジン、飛翔速度マッハ0.3-0.7、最大射程300km。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック、月刊軍事研究1,099,07

 <デリラGA>:地上発射型。射程250km。参考:月刊JWings9,04

 <デリラSL>:水上艦発射型。ブースターを追加して全長が3.3m、重量が250kgになっている。参考:月刊軍事研究1,09

 <STAR-1>:対レーダーミサイル型。開発中。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック

<デリラ海外シリーズ>

 <YJ-9>:中国軍が購入したとされるSTAR-1だが、公式にはイスラエル・中国共に売買を否定している。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック

テリレン>:ソ連の光学偵察衛星。1985年に1基が打ち上げられた。参考:月刊軍事研究5,13

デリンジャー>:ヘンリー・デリンジャーの製作した、超小型先込め式拳銃Deringer。リンカーン大統領の暗殺に使用された。現在、デリンジャーというと.41口径リム・ファイア式のレミントン・ダブル・デリンジャー(こちらのスペルは商標訴訟対策のためDerringerである。全長120mm、重量320g、装弾数2発)を指す。参考:GUN用語事典、大日本帝国陸海軍軍装と装備

<デリンジャー作戦>:山本長官機撃墜を参照。

デリンジャー・ドア>:MBDA社が開発したKC-130J用兵装ランチャー内蔵ドア。左トループ・ドアと換装するタイプで、いちいちドアを開かないで済むので、与圧したまま運用できる。ドア下部に発射口2個が並んでいて、ドア内部にチューブ・キャニスターをセット、ミサイルや砲弾を投下する。ドア前方の貨物室左壁に5発、カーゴランプに10発の予備弾を搭載可能。2012年、GBU-44/Eの投下実験に成功した。この際のターゲッティングは左翼下面増槽に搭載したAN/AAQ-30で行っている。他にレイセオン社製グリフィンA空対地ミサイルも収容可能で、ミサイルは尾部を下にして投下され、自由落下した後にロケットを点火、目標に向かう。参考:月刊航空ファン5,16、月刊JWings7,12、月刊軍事研究7,12

テルアビブ・ロッド空港銃乱射事件>:1972530日夜、イスラエルのテルアビブ・ロッド空港の税関ロビーで、日本赤軍のテロリスト3人がVz58V自動小銃を乱射。弾倉は30本入り3本をガムテープで結んでおり、撃ち尽くすとソ連製F1柄付き手榴弾を取り出した。1人が投げようとしたところ、別の仲間が撃った銃弾が命中して昏倒してしまい、自爆して死亡。もう1人が投げた手榴弾は壁に当たって足下に転がり投げた本人も爆死し、残る1人が逮捕された。弾倉は8本が空で、残る1本は全弾残っていたとされ、死傷者は100人以上で、うちイスラエル人は7人のみであり、殆どが観光客だった。参考:月刊丸11,72

テルエル>:スペインが開発した自走ロケット砲Teruel。車体はペガソ6輪駆動トラックで、前部に6名乗り4ドアキャビンを持ち、助手席天井に12.7mm機銃用のマウントリングを搭載する。車体後部両側には安定用ジャッキが付いている。車体後部のランチャーは5本4段の20連装ボックスを2つ並列した40連装で、全弾発射にかかる時間は45秒。ロケット弾は直径140mm、ショートタイプが全長2.044m、重量56.3kg(弾頭重量21kg)、射程18kmで、ロングタイプが全長3.23m、重量76kg(弾頭重量21kg)、射程28km。弾頭は対人子爆弾、成型炸薬子弾、空中散布型対戦車地雷など。再装填は20発のブロックで行われ、5分程度しかかからない。スペイン軍に14セット、ガボン陸軍に8セットが配備されている。参考:世界AFV年鑑2002-2003、月刊丸4,99THE MILITARY BALANCE 2016

<デルガチ型>:ダーガチ級(ミサイル艇)を参照。

テルク・アンボイナ級>:インドネシア海軍戦車揚陸艦Teluk Amboina級。兵員200名、戦車16両を搭載可能。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、ミリタリー・バランス1989-1990

テルク・ウェダ>:インドネシア海軍テルク・ビンツニ級戦車揚陸艦8番艦Teluk Weda20218月就役。1026日、インドネシア海軍に引き渡された。参考:月刊世界の艦船1,2211,22

テルク・ウォンダマ>:インドネシア海軍テルク・ビンツニ級戦車揚陸艦9番艦Teluk Wondama20218月就役。1026日、インドネシア海軍に引き渡された。参考:月刊世界の艦船1,2211,'22

テルク・カラン>:インドネシア海軍テルク・ビンツニ級戦車揚陸艦7番艦Teluk Calang202288日就役。参考:月刊世界の艦船11,22

テルク・ジャカルタ>:インドネシア海軍フロッシュⅠ型揚陸艦Teluk Jakarta。元は1979年に東ドイツで竣工した艦で、ドイツ統一後に購入した。2020712日、スラバヤを出港し、インドネシア東部の島嶼への補給任務を開始。7140838(現地時間)、救難信号を発信。0923、ジャワ海カンゲアン諸島北東55海里で沈没した。乗員55名は全員が近くの商船に救助され、救難信号を受信して出動したフリゲート331ラデン・エディ・マルタディナタに移乗している。参考:月刊世界の艦船10,20

テルク・セマンカ級>:インドネシア海軍戦車揚陸艦Teluk Semangka級。韓国から輸入した。兵員200名、戦車17両(12両?)を搭載可能。ヘリ3機を載せられるものもある。1981-82年に6隻が就役した。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、ミリタリー・バランス1989-1990、月刊世界の艦船12,20

<テルク・ヒデス>:F830(フリゲート)を参照。

テルク・ビンツニ級>:インドネシア海軍戦車揚陸艦Teluk Bintuni級。インドネシア国産である。全長120m、幅18m、吃水3m、満載排水量4508トン。経済速力13.6ノット、巡航速力14.8ノット、最大速力16ノット、航続距離7200海里。兵装は40mm機関砲2門、12.7mm機銃2丁。ヘリ2機、レオパルト戦車10両、兵員361名、航空要員6名を搭載可能。乗員120名。2012年に3隻が発注され、1番艦20149月に就役した。その後6隻(7番艦テルク・カラン、8番艦テルク・ウェダ、9番艦テルク・ウォンダマなど)が追加され、2022年までに全艦就役している。参考:月刊世界の艦船11,'223,'201,22THE MILITARY BALANCE 2016

<テルク・ランサ級>:LST-1級戦車揚陸艦(インドネシア海軍)を参照。

デルタ>:カナダ軍の軍用機で、ノースロップ社製のデルタをカナディアン・ヴィッカース社でライセンス生産したものである。水上機バージョンやスキーバージョンなど20機が生産された。全備重量3.308-3.42トン。エンジンはライトサイクロンSR1820-F52775馬力)で、最大速度288-336km、実用上昇限度6000-6970m。乗員8名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

デルタ・シリーズ>:アメリカの衛星打ち上げロケットで、マクダネル・ダグラス社が開発した。その後製造はボーイングに引き継がれ、打ち上げは200612月からユナイテッド・ローンチ・アライアンス(ボーイングとロッキード・マーチンが50:50で出資)が行っている。ブースターを変更することで各種衛星を打ち上げることが可能。参考:月刊軍事研究6,08

 <デルタⅡ>:3段式中型ロケットで、732X-10742X-10792X-10といったモデルがあり、静止軌道に0.9-2.17トン、LEO2.7-6.1トンの衛星を打ち上げることができる。全長39m、総重量231トン。19892月に初の打ち上げが行われた。2018915日、最後の打ち上げが行われた。参考:月刊航空ファン12,18、月刊軍事研究6,08

 <デルタⅣ>:大型ロケットで、メインロケットである共通ブースターコアと、サブロケットであるグラファイト・エポキシ・モーターにより打ち上げられる。参考:月刊軍事研究6,08

 <デルタⅣヘヴィ>:グラファイト・エポキシ・モーターの代わりに共通ブースターコア2基を装着したもので、静止軌道に4.3-12.98トン、LEO9.44-22.95トンの衛星を打ち上げることができる。また、全長6.5mの大型ペイロードフェアリング装着や、グラファイト・エポキシ・モーターの追加、本体の共通ブースターコアのパワーアップを行うことが可能である。参考:月刊軍事研究6,08

<デルタⅠ型>:667B(原潜)を参照。

<デルタⅡ型>:667BD(原潜)を参照。

<デルタⅢ型>:667BDR(原潜)を参照。

<デルタⅣ型>:667BDRM(原潜)を参照。

デルタ360°ターン>:ブルーインパルス編隊連携機動飛行の1つ。デルタ隊形の6機が会場右から進入し、正面で右360度旋回を行い、左に抜ける。参考:月刊JWings9,14

<デルタ計画>:フォーミダブル級(フリゲート)を参照。

デルタ船型>:船体を上から見ると、艦首が尖り、艦尾が広がり、Δ型をしているもの。波切りと安定性が良く、後部ヘリ甲板面積を広く取れる。参考:月刊軍事研究4,09

デルタ・ダーティー・ローパス>:ブルーインパルス航過飛行の1つ、Delta dirty Lowpass。6機が三角形の隊形を取り、着陸脚を出して着陸灯を点灯させたまま航過する。参考:月刊JWings6,09

<デルタダート>:F-106(戦闘機)を参照。

<デルタダガー>:F-102(戦闘機)を参照。

デルタ・ヒンジ>:Delta hinge、δ hinge。ローター・ブレードのヒンジのうち、ローターハブに近い方のヒンジのこと。ローター回転軸をZ軸、フェザリング軸(ブレードのピッチ角を変更する軸)をX軸、これらに垂直な軸をY軸とし、デルタ・ヒンジの軸をXY平面上に投影した際にY軸の負の方向と角度δ3が生じるよう設計する。ローター・ブレードが上にフラッピングすると、ローター・ブレードの有効迎え角が減少して揚力が減るが、デルタ・ヒンジに角度δ3を付けておくと、その分だけ更にピッチが減少し、揚力を更に減らす。ローター・ブレードが下にフラッピングした場合にはその逆になる。メイン・ローターに角度δ3をもってデルタ・ヒンジを付ければ操縦安定性を高めオートローテーションへの移行をスムーズにする効果があり、テイル・ローターに付ければ過度なフラッピング防止に役立つ。ローター回転軸に垂直な面内にあるものはフラップ・ヒンジという。参考:航空用語事典増補改訂版

デルタ・フォース>:アメリカ陸軍第1特殊部隊作戦分遣隊デルタ/Special Forces Operations Detachment Deltaの通称Delta Force。ただしアメリカ政府は存在を認めていない。対テロ任務、海外の不正規戦を主任務とする。隊員はグリンベレーの志願者から構成されており、高度な射撃能力、各種技術習熟、精神・肉体の高い持久力などが求められるため、年齢構成は30才台となる。当初はアメリカ陸軍の所属だったが、1987年にUSSOCOM(米特殊作戦軍)が新編成された際、陸軍からUSSOCOMの直属に移された。その後USSOCOM統合特殊作戦コマンド(Joint Special Operations Command)の隷下に入っている。参考:月刊軍事研究4,04、月刊JWings9,04、月刊世界の艦船4,10THE MILITARY BALANCE 2016

デルタ翼>:Delta wing、三角翼。主翼が三角形をしていることで、ギリシャ文字のΔに似ているのでこう呼ばれる。主翼後退角がきつくなると付け根の強度が不足してくるので、主翼形状を三角形にして取り付け部を長くしたものである。後退翼より構造重量を軽くでき、翼端がしなりにくいのでエルロンリバーサルやフラッターが起きにくい。付け根の翼弦長が大きいので、翼厚比が小さく、亜音速時の衝撃波発生速度が大きく、超音速時の造波抵抗が小さくなり、音速を超える時に風圧・空力中心の移動が少ない。またアスペクト比が小さくなるので高速飛行に有利な他、翼面積が大きいので翼面荷重が低く大迎え角でも失速しにくく(30度くらいでも大丈夫)激しい空中機動に耐えられ、翼内燃料タンク容量も大きくできる。迎え角を大きくすると、前縁部に強力なボルテックスが生じて揚力が急激に上昇するという特徴があり、このボルテックスが発生しやすくするために主翼前縁を尖らせてある。欠点は、巡航時に抵抗が大きいこと、アスペクト比が小さいので低速域での揚力が小さいこと、安定性が高いので逆に運動性が悪いこと、大迎え角では方向安定性が横安定性ほど向上せず両者のバランスが崩れて最悪ダッチロールに陥ること、大迎え角では翼端のエルロンが前縁渦と翼端渦の陰に入って効きが悪くなることなど。低速域での揚力を稼ぐためには迎え角を大きくしなければならず、離着陸時に視界が悪くなる。ドイツのアレキサンダー・リピッシュ博士が第2次大戦中に考案し、戦後になって研究開発が進んだ。ミラージュの無尾翼デルタ翼が有名で、尾翼付きデルタ翼もMig-21などに採用されている。単純デルタ翼は翼端の翼弦が小さく、ロールの減衰やダンピングが悪いという欠点があるが、翼端を切り落とした切り落としデルタ翼(クリップドデルタ翼)は、マッハ0.8-0.9前後の速度域で空力特性が良くなり、単純なデルタ翼より縦横比が大きくなる分、大迎え角時の抵抗が少ないという利点もあり、F-16などに用いられている。参考:月刊Jwings12,004,15、航空用語事典増補改訂版、アメリカジェット戦闘機、世界の傑作機No.104No.120No.172、飛行機のしくみ、月刊軍事研究11,11

デルタ・ループ>:ブルーインパルス曲技飛行の1つ、Delta Loop。会場右手正面から6機がデルタ隊形で進入し、隊形を維持したままで直径2000mの宙返りを行う。参考:月刊JWings6,097,126,10

デルタ・ローパス>:ブルーインパルス航過飛行の1つ、Delta Lowpass。6機が三角形の隊形で航過する。参考:月刊JWings6,09

デルタ・ロール>:ブルーインパルス曲技飛行の1つ、Delta Roll。6機がデルタ隊形で会場正面から進入し、隊形を維持したままで2G引き起こしを行い、ピッチ35度になったら最高高度5000フィートの右バレルロールを実施、高度500フィートで水平飛行に戻して会場後方に抜ける。参考:月刊JWings7,167,126,096,10別冊付録、8,15

デルタ・ロール&ボントンロール>:ブルーインパルス曲技飛行の1つ。2004年の航空自衛隊創設50周年記念で初登場した。参考:月刊JWings8,15

<てるづき>:DD-116(護衛艦、2代目)またはDD-162(護衛艦、初代)を参照。

照月>:日本海軍秋月型駆逐艦2番艦。昭和17831日竣工。昭和171026日、南太平洋海戦で被弾損傷した。1113日、第3次ソロモン海戦に参加。1211日、サボ島の南南西6.7海里でアメリカ魚雷艇の雷撃を受けて沈没し、昭和18120日に除籍された。参考:日本駆逐艦史、第2次大戦日本海軍作戦年誌、日本海軍艦隊総覧

デルツキィ>:ロシア海軍プロジェクト20386コルベット1番艦Derzkiy(大胆不敵な)。20161024日起工式典実施。参考:月刊世界の艦船1,17、月刊軍事研究10,17

テルニク>:ロシア陸軍125mm滑腔砲2A82-1M用破片榴弾(HE-FRAG)。信管は選択式で、自動装填装置から装填する際に瞬発、遅発、空中炸裂などを設定できるらしい。最大射程12km。参考:月刊PANZER45,17

テルネ>:ノルウェー海軍ハウク級ミサイル哨戒艇。1979年就役。参考:週刊ワールドウェポン17

テルネⅢ>:ノルウェー国防省が開発した対潜ロケット発射機で、アメリカの資金援助を受けている。発射機は6連装で、開閉式カバーが付けられており、暴風や寒冷からランチャーを守る。ロケット弾は全長2m、直径0.2m、重量120kg、弾頭重量70kg、射程5kmで、触発信管、音響近接信管、時限信管(着水後0.3秒)により炸裂する。オスロ級フリゲートに搭載された。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版

<テルネⅢ海外シリーズ>

 <Mk3>:アメリカ軍採用型。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版

<デルバート・W・ハルゼー>:DE-310(護衛駆逐艦)を参照。

デルフィーノ>:イタリア海軍電動潜水艦。1892年竣工。1919年に除籍された。参考:Uボート入門

<デルフィニウム>:K77(コルベット)を参照。

<デルフィネル>:521(潜水艦)を参照。

デルフィネン(初代)>:スウェーデン海軍潜水艦。全長42.5m、全幅4.3m、排水量は水上260トン、水中370トン。主機は水上がハッセルマン6気筒ディーゼル(500馬力)2基、水中が電動機150(馬力)2基、2軸推進、水上速力13.6ノット、水中9.4ノット。乗員21名。1914年に進水した。性能は芳しくなかったようで、同クラスは建造されず、1930年には退役した。参考:月刊軍事研究1,03

デルフィネン(2代目)>:スウェーデン海軍デルフィネン級機雷敷設潜水艦1番艦。1933年起工、19341220日進水、1936422日竣工。1953224日退役。参考:月刊軍事研究1,03

デルフィネン(3代目)>:スウェーデン海軍ドラケン級(2代目)潜水艦4番艦。1958年起工、196137日進水、196267日竣工。1970年に近代化改修を受けた。1981年に更に近代化改修を受け、1980年代末まで使用された。参考:月刊軍事研究2,03

デルフィネン級>:スウェーデン海軍機雷敷設潜水艦。全長63.1m、全幅6.4m、全高3.4m、水上排水量540トン、水中排水量720トン。主機はMANディーゼル(600馬力)2基・電動機(400馬力)2基、2軸推進、水上速力15ノット、水中速力9ノット。兵装は533mm魚雷発射管(艦首3門と艦尾1門)、57mm砲1門、25mm機銃1門、機雷20発。乗員34名。1番艦デルフィネン、2番艦ノルトカッパレン、3番艦スプリンガレンが1936-37年に竣工した。参考:月刊軍事研究1,03

<デルフィム>:S-166(潜水艦)を参照。

<デルフィン>:K-265971型原潜)またはL-29(練習機)またはS-61(ダフネ級潜水艦)を参照。

デルフィン>:ドイツ海軍が第2次大戦時に建造した実験小型潜航艇で、イルカの意。1名用の小型潜水艇で、下面に魚雷1本を取り付けるか、艇後方に魚雷型の機雷を牽引し、目標に向かう途中で乗員は脱出、艇だけが突入する。全長5.1m、幅1.01m、排水量5トン(2.8トン?)。推進は電動機、出力13馬力、1軸推進、水上速力19ノット、水中速力15ノット、航続距離63海里。乗員1名。実験艇1隻が作られ、実験で衝突して壊れた。他に2隻が竣工したが、実験中にイギリス軍が迫ったため、破壊されている。参考:日本潜水艦物語、Uボート入門

デルフィン>:ロシア海軍潜水艇Delfin(イルカ)。1902年に建造されたが、テスト中に沈没した。日露戦争が間近になると引き揚げられ、分解されてシベリア鉄道に乗せられ、ウラジオストクで組み立てられて1904年末に就役した。参考:月刊丸5,07

<デルフィン級>:667BDRM級(原潜)またはダフネ級・海外シリーズ(潜水艦)を参照。

<テルフェア>:APA-210(攻撃輸送艦)を参照。

<テルマ>:ロ式輸送機を参照。

デルマー・ターゲット>:アメリカ軍のナパーム弾用弾着地点表示装置で、アメリカのデルマー・ラドップ・エンジニアリング研究所が開発した。発泡スチロールと紙を大型の爆弾型に組み上げて赤く塗ったものである。F-86戦闘機が投下して後続のF-86D戦闘機がガンカメラで写真を撮り、弾着地点を確認する。空対空射撃訓練用曳航標的にも使用され、T-33A練習機が引っ張ってF-86Fが射撃訓練を行った。航空自衛隊でも曳航標的として使っており、陸上自衛隊もL90の訓練に使用したが、L90の方は命中率が悪く、曳航機に命中する可能性があって危険なので、有人機でなく高速無人標的機で曳航している。参考:日本の防衛戦力Part7、月刊JWings7,13

<テルミット>:P15シリーズ(対艦ミサイル)を参照。

<テルミット焼夷弾>:焼夷弾を参照。

<テルミナートル>:Mi-8AMTSh(武装ヘリ)を参照。

<テルモスフラスコ爆弾>:No73(手榴弾)を参照。

<デルヤ級>:デリヤ級(補給艦)を参照。

<テレード>:P338(潜水艦)を参照。

<テレク>:P-18(レーダー)を参照。

<テレサ>:一式輸送機(日本国際)を参照。

<テレ車>:一〇〇式挺身観測車を参照。

テレスコープ・シリンダ式装填機>:数段に伸びる油圧シリンダによって装填トレイ上の弾薬を装填する方式の装填装置。参考:火器弾薬技術ハンドブック

テレスコープ弾>:薬莢と発射薬を一体化して作られた弾丸で、CTACased Telescoped Ammunition)ともいう。内孔を持つ円筒形をした発射薬グレイン内部に弾丸が挿入されている形状となっている。発射薬に弾丸をめり込ませているので、小型化が可能。発射薬は内孔面圧力に耐えられる伸び特性を有する機械的物性と、高燃焼速度を持つことが必要である。参考:月刊軍事研究12,11、火薬のはなし

<テレスフォロ・トリニダド>:DDG-139(イージス駆逐艦)を参照。

テレダイン・ライアン社>:Teledyne Ryan1968年にライアン・エアロノーティカル社がテレダイン社の傘下に入って誕生した。1999年、ノースロップ・グラマン社に吸収合併された。参考:月刊軍事研究8,15、月刊JWings3,1711,19

テレックス>:シンガポール陸軍8×8輪装甲車TerrexSAICSTキネティックスが開発した。全長7.78m、全幅2.97m、全高2.46m、戦闘重量26トン。エンジン出力450馬力。乗員2名、乗車兵員11名。参考:月刊軍事研究5,13THE MILITARY BALANCE 2016

テレックス>:ドイツのラインメタル社が開発した爆弾処理ロボット。4つの独立した履帯を持ち、角度調節により自由に姿勢を制御できる。コンパクトなので、ヴィーゼル2の車体後部に収容可能。参考:月刊軍事研究11,06

テレックスⅡ>:シンガポール陸軍8×8輪装甲車Terrex2。シンガポール・テクノロジーズ・キネティクス社(STキネティクス)がアメリカのSAIC社の技術協力を得て開発した。テレックス装甲車の改良型で、バイオニクス歩兵戦闘車の技術も取り入れて車体を大型化し、防御力とペイロードを強化した。車体下部はVoVV-over-V)と呼ばれる二重V型構造で、耐爆型独立乗員席を持ち、地雷に対する防御力が高い。サスペンションはダブルウィッシュボーン+油圧の独立懸架。全長8m、全幅3.6m、全高2.8m、戦闘重量30トン。エンジンはキャタピラー・ディーゼル社製C9.3ディーゼル(525馬力)、トランスミッションはアリソン社製4500SP、最大速度90km。プロペラによる水上航行が可能で、水上速力6ノット(シーステート3)。乗員2名(車長、操縦手)、乗車兵員12名。アメリカ海兵隊ACVにも提案している。参考:月刊軍事研究5,162,163,16

<テレックスⅡ海外シリーズ>

 <テレックスⅡ(アメリカ海兵隊)>:アメリカ海兵隊水陸両用戦闘車ACVSAIC社が応募したもので、2017221日に試作車がアメリカ国防総省へ納入された。車体全周に外装式モジュール装甲を装着できる。車体後面中央に左ヒンジのドアが付いた下開き乗降ランプを持つ。車体後面両側に水上航行用のシュラウド付き4翅プロペラが用意されている。外装式モジュール装甲装備時全長8.54m、全幅3.66m、全高2.745m。路上最大速度90km、水上航行速度7ノット。自衛武装は12.7mm機銃1丁。乗員3名、乗車兵員11名。参考:月刊PANZER45,17

テレドローンⅡ>:ラジオ・コントロール・スペシャリスツ社が開発したRPV。翼幅2.9m。エンジンは出力2馬力双発または出力6馬力単発。テレビカメラ、ジャマー、チャフをオプションで装備できる。参考:スパイ機

テレビ誘導式>:目標周囲の映像をテレビカメラで撮影し、その画像を元に目標に誘導される方式のこと。オペレーターがカメラ映像を見て誘導するタイプと、最初にロックオンしてやれば後はカメラ映像をコンピュータで解析して自動的に誘導されるタイプがある。前者は確実だが、命中までオペレーターが操作可能地域に留まらねばならず、電波で映像を送る場合にはECMを受ける恐れもある。後者は撃ちっ放しが可能であるが、目標と周囲のコントラストが低いと途中でロックオンが外れる可能性がある。参考:ワイルドウエポン

テレフンケン>:ドイツの無線電信電話会社。AEGとシーメンスの無線機部門が1903年に合併して誕生した会社で、国内過当競争を避けてイギリスのマルコニー社に対抗できる会社を誕生させるべく、ドイツ皇帝カイゼル・ウイルヘルムⅢ世が直々に合併を要望したものである。参考:海軍技術研究所

<テレボーン・パリッシュ>:LST-1156(戦車揚陸艦)を参照。

テレボーン・パリッシュ級>:アメリカ海軍戦車揚陸艦Terrebonne Parish級、基本計画番号SCB-9。タルボット・カウンティ級の改良型で、船体・船首形状を改修して速力向上を図り、搭載兵員数を倍にしている。艦橋構造物両舷にダビットがあり、LCPL1隻とLCVP3隻を搭載する。船体後部に艦橋があり、その直前にキング・ポストとクローラー・クレーンを持つ。排気は煙突式である。全長117m、幅16.8m、吃水3.69m、軽荷排水量2580トン、満載排水量5800トン。主機はGM製ディーゼル2基(4基?)で、出力6000馬力、可変ピッチプロペラ2軸推進、速力15ノット、航続距離は10ノットで10000海里。兵装は50口径7.6cm単装速射砲3門(艦首2門・艦尾1門)、20mm機関砲。乗員116名。兵員396名と車両・貨物500トンを搭載可能。1952-54年にLST-1156テレボーン・パリッシュ、LST-1157テレル・カウンティ、LST-1158ティオガ・カウンティ、LST-1159トム・グリーン・カウンティ、LST-1160トラヴァース・カウンティ、LST-1161ヴァーノン・カウンティ、LST-1162ウォーキアクム・カウンティ、LST-1163ワルド・カウンティ、LST-1164ウォルワース・カウンティ、LST-1165ワショー・カウンティ、LST-1166ワシュテナウ・カウンティ、LST-1167ウエストチェスター・カウンティ、LST-1168ウェックスフォード・カウンティ、LST-1169ホイットフィールド・カウンティ、LST-1170ウィンダム・カウンティの15隻が就役した。1964-65年頃に主砲を50口径7.6cm連装速射砲3基に換装した。参考:アメリカ揚陸艦史、月刊世界の艦船12,1312,12

<テレボーン・パリッシュ級・海外シリーズ>

 <ヴェラスコ級>:ヴェラスコ級を参照。

 <テレボーン・パリッシュ級(ギリシャ海軍)>:ギリシャ海軍戦車揚陸艦で、イノウス級ともいう。兵員400名、戦車18両を搭載可能。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <テレボーン・パリッシュ級(トルコ海軍)>:トルコ海軍戦車揚陸艦で、エルトゥールル級ともいう。アメリカ海軍から2隻を導入し、エルトゥールルなどと命名して1973年と1975年に就役させた。全長117.1m、満載排水量5893トン。主機はディーゼルで、速力15ノット。兵装は76mm砲3門。LCVP4隻、戦車18両、貨物2200トン、兵員395名を搭載可能。ヘリ1機分のヘリ甲板を持つ。参考:月刊世界の艦船12,12、ミリタリー・バランス1989-1990THE MILITARY BALANCE 2016

 <ピスコ級(ペルー海軍)>:ペルー海軍戦車揚陸艦。アメリカ海軍から5・8・9・10番艦を購入した。全長117.1m、満載排水量5893トン。主機はディーゼルで、速力15ノット。戦車16両、貨物2000トン、兵員395名を乗せられる。1985年にピスコ、EtenPaita、カヤオの4隻が就役した。参考:月刊世界の艦船12,125,86、ミリタリー・バランス1989-1990

テレマイン>:スイスのテク・シー社が開発した自走式対水上艦用機雷で、遠隔管制が行える。円筒形で、全長550mm、直径500mm、重量650kg、炸薬量170kg。最大敷設深度150m。音響信管を持つ。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版

<テレマカス>:P321(潜水艦)を参照。

<テレメータ計測車>:自衛隊の計測車。日本電気製。参考:月刊軍事研究8,08

<テレメトリデータ表示処理装置>:自衛隊の機器。日本電気製。参考:月刊軍事研究7,14

テレモービルスコープ>:ドイツの物理学者兼発明家クリスチャン・ヒルマイヤーが1904年にドイツ、1906年にアメリカで特許を取った船舶衝突防止装置で、世界初のレーダーである。波長50cmの連続波をマスト上のパラボラアンテナから送信し、別のマストに装着したパラボラアンテナで受信するもので、他の物体からの反射波が受信されると警告音を発する。また、アンテナを海面に向けていき、反射波が消失する角度を割り出せば、目標までの距離も測定可能だった。有効距離は3km。当時は有効性が理解されず、実用化されなかった。参考:英独航空決戦、レーダシステムの基礎理論、レーダの基礎

テレモス>:BAEシステムズ社とダッソー社が開発中の中高度長時間滞空型UAVTelemos。後部胴体上面両側にエンジンポッドと3翅プッシャー式プロペラが付く。機首先端に電子光学装置、機首下面と中央胴体後方下部にセンサーターレット、垂直尾翼上部にポッドを装備する。最大離陸重量8トン級。エンジンはターボプロップ双発。滞空時間24時間。イギリスとフランスへの販売を狙っており、2018-20年に就役させる予定である。参考:月刊軍事研究9,117,12

<テレル・カウンティ>:LST-1157(戦車揚陸艦)を参照。

テレンクレン>:日本海軍用語で、竹製の自在接ぎ手のこと。先にネジ回しやスパナなどを取り付け、奥まったところのネジなどを回すのに使用する。どう転じたのかは不明だが、融通の利かない者、イエスマン、不器用で何もかも上手くいかない者などをこう称した。参考:海軍よもやま物語

<デロイテル>:F804(デ・ゼーベン・プロビンシェン級フリゲート)またはF806(トロンプ級フリゲート)を参照。

デロイテル>:オランダ海軍デロイテル級駆逐艦De Ruyter1928531日竣工。1935年、ヴァン・ゲントに改称された。1942215日、蘭印チラチャップ港で擱座し、僚艦バンケルトに処分された。参考:月刊世界の艦船2,13

デロイテル>:オランダ海軍デロイテル級(初代)軽巡洋艦De Ruyter1936103日竣工。194224日、ジャワ沖海戦で射撃装置を大破する損害を受けた。215日、ガスパール海峡の戦いに参加。219日、バリ島沖海戦に参加。228日、スラバヤ沖海戦で戦没した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、近代巡洋艦史、月刊世界の艦船9,18、月刊航空ファン5,19

デロイテル>:オランダ海軍デロイテル級(2代目)軽巡洋艦De Ruyter1939年にデ・ゼーベン・プロヴィンシェン(De Zeven Provincien)の名称で起工されたが、一旦建造が中断され、戦後に艦名をデロイテルに変更して建造を再開、195311月に竣工した。19735月、ペルー海軍に売却され、CH-81アルミランテ・グラウになった。参考:近代巡洋艦史、月刊世界の艦船3,92増刊

デロイテル級駆逐艦>:オランダ海軍駆逐艦De Ruyter級。蘭印警備用の航洋駆逐艦で、イギリス海軍のアンバスケードをベースにヤーロー社が設計し、オランダで建造された。全長98.2m、基準排水量1316トン。主機は蒸気タービン2基2軸31000馬力、速力36ノット。兵装は12cm単装砲4門、7.5cm単装高角砲2門、12.7mm単装機銃4丁、53.3cm3連装魚雷発射管2基、機雷24個。水上機1機を搭載できる。デロイテルなど4隻が1928年から竣工した。参考:月刊世界の艦船2,13

デロイテル級軽巡洋艦(初代)>:オランダ海軍軽巡洋艦De Ruyter級。15cm連装砲3基を搭載する予定だったが、火力不足として単装砲1門が追加されて完成した。主砲は仰角60度まで取れるので、対空射撃も可能である。煙突後部に航空装備を持つ。全長170.9m、幅15.7m、吃水5.1m、基準排水量6442トン。主機は蒸気タービン2基、出力60000馬力、2軸推進、速力32ノット。兵装は15cm連装砲3基、15cm単装砲1門(1番砲塔後方背負い式)、40mm連装機関砲5基、12.7mm連装機銃4基。カタパルト1基と水上偵察機(C.11Wなど)2機を搭載する。乗員435名。デロイテルが1936年に竣工した。参考:近代巡洋艦史、月刊世界の艦船9,18

デロイテル級軽巡洋艦(2代目)>:オランダ海軍軽巡洋艦De Ruyter級。第2次大戦前の1939年にデ・ゼーベン・プロヴィンシェンとエーンドラハトの艦名で起工されたが、戦争で工事が中断された。計画時の諸元は以下の通り。全長187.0m、幅17.3m、吃水5.6m、基準排水量8350トン。主機は蒸気タービンで、出力78000馬力、3軸推進、速力32ノット。兵装は15cm3連装砲2基、15cm連装砲2基、40mm機関砲14門、533mm3連装魚雷発射管2基。乗員700名。戦後に計画を変更して艦名も変更、1953年にデロイテル、デ・ゼーベン・プロヴィンシェンの2隻が竣工した。竣工時の諸元は以下の通り。全長187.0m、幅17.3m、吃水5.6m、基準排水量9375トン。主機は蒸気タービンで、出力85000馬力、3軸推進、速力32ノット。兵装はボフォース53口径152mm連装両用砲4基(発射速度毎分15発。艦前後背負い式)、57mm連装高角砲4基(艦前後、艦中央部両舷)、40mm機関砲8門。乗員957-973名。参考:近代巡洋艦史、月刊世界の艦船3,92増刊、1,'15増刊

<デロイテル級軽巡洋艦・海外シリーズ>

 <デロイテル級(ペルー海軍)>:ペルー海軍巡洋艦。1973年と1976年に1隻ずつが引き渡され、CH-81アルミランテ・グラウとCH-84アギレになった。2番艦はオランダ海軍時代にテリア搭載改装を受けていたが、テリア関連装備を外してアメリカに返却する必要があり、ヘリコプター巡洋艦への改装を施してからペルーに引き渡された。また、1番艦は1985年からミサイル搭載改装(アムステルダム船渠会社で行われたが、途中で破産したため、HAS社が引き継いだ)を受けていて、両者の諸元はかなり異なっている。1992年の諸元は、1番艦が全長190.3m、幅17.3m、吃水6.7m、基準排水量9529トン、満載排水量9529トン。主機は蒸気タービン2基2軸85000馬力で、速力32ノット。兵装はオトマート4連装発射機2基、アスピーデ8連装発射機1機、ボフォース53口径152mm連装砲4基、57mm連装砲3基、40mm単装機関砲4門、爆雷投下軌条2基。乗員953名。2番艦は、全長185.6m、幅17.3m、吃水6.7m、基準排水量9850トン、満載排水量12250トン。主機は蒸気タービン2基2軸85000馬力、速力32ノット。兵装は152mm連装砲2基、57mm連装砲3基、40mm単装機関砲6門、爆雷投下軌条2基。ASH-3Dシーキング3機を搭載できる。乗員953名。参考:月刊世界の艦船3,92増刊、5,861,'15増刊

テロ特措法>:アメリカ同時多発テロを受けて2001105日に提出され1029日に成立し、112日に施行された時限立法(2年間)の略称で、正式名称は「平成13911日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」、通称「テロ対策特別措置法」。LIOMSOの後方支援を行うために制定され、インド洋から北アラビア海に護衛艦と補給艦を派遣した。自衛隊の行う活動は、協力支援活動(洋上給油・給水・食料提供、輸送、修理及び整備、医療、通信、空港及び港湾業務、基地業務。ただし武器弾薬の提供、戦闘作戦のため発進準備中の航空機に対する給油及び整備、外国の領域における武器弾薬の輸送を除く)、捜索救助活動、被災民救援活動の3つであり、活動地域は日本の領域内または現在戦闘が行われておらず活動期間中に戦闘が起こる可能性も無い公海とその上空、当該国の同意のある外国領。部隊派遣の基本計画は半年ごとに策定されており、対応措置を開始してから20日以内に国会で承認する必要がある。PKO法と異なり、自衛隊の保護下に入った者を守るための武器使用が可能。2002125日、実施要領が変更され、1216日にイージス護衛艦が活動に参加するため横須賀を出港した。200711月に失効し、補給支援特措法が制定された。参考:月刊軍事研究12,071,082,08、月刊JWings12,05JShips Vol.24、月刊世界の艦船6,114,096,099,091,102,103,101,024,107,19、月刊航空情報8,02、朝雲

デロネイ・ベレビル戦車>:フランスで1918年に開発された戦車。車体はルノーFT17に似ているが、かなり大型にされている。砲塔はルノーFT18と同じものを搭載した。重量14トン。参考:月刊PANZER10,85

<テロリスト脅威統合センター>:TTICを参照。

テロリズム>:当初(フランス革命の頃)は権力を握った側(革命派)が反対派を弾圧することをこう呼んだが、19世紀後半、共産主義革命の中で、反体制派が権力側に暴力で脅威を与えるという正反対の意味を持つようになった。20世紀後半には少数派が多数派に暴力行為で脅威を与える行為になっている。1970年代以降、外国相手のテロリズムも行われるようになった。自衛隊法での定義は、「政治上その他の主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要し、または社会に不安もしくは恐怖を与える目的で多数の人を殺傷し、または重要な施設その他の物を破壊する行為」。アメリカ合衆国法典第22編第2656f条(d)での定義は、「国家より小さい団体もしくは非合法の工作員が、一般大衆に影響を与えるため、政治的動機に基づいて非戦闘員を対象に計画的に実施する暴力行為」。参考:軍事研究3,042,05、月刊PANZER3,10、月刊丸9,03

テロリスト>:テロリズムを行う者のこと。戦争法に基づく行動は取らず、国家・社会・一般大衆にしてみれば非合法な暴力を振るう只の犯罪者なので、捕虜資格は無く、人を殺せば殺人罪、物を壊せば器物損壊罪に問われる。参考:朝雲

<デ・ロング>:DE-684(護衛駆逐艦)を参照。

出羽重遠>:海軍兵学校5期卒。海軍15人目の大将で、皇族の有栖川威仁親王(大将13人目)を除いて薩摩出身でない初の海軍大将である。日清戦争時は西海艦隊参謀長、常備艦隊参謀長を務めた。戦後は軍令部次長に就任。日露戦争時は第3戦隊司令官だった。明治381220日から明治391122日、第2艦隊司令長官を務めた。明治41526日から明治42121日、第2艦隊司令長官を務めた。明治44121日、第1艦隊司令長官となった。大正2121日、軍事参議官となった。大正31月、シーメンス事件の査問委員長に任じられた。昭和5127日、74歳で死去した。参考:日本海軍艦隊総覧

デワルチ>:インドネシア海軍練習帆船Dewaruci(誠意と勇気の海神)。西ドイツ製である。帆装は3檣バーケンチン。全長58.3m、満載排水量1524トン。総帆面積1091平方メートル、補助ディーゼルによる機走速力10.5ノット。乗員110名(うち士官候補生78名)。19537月就役。2004612日、東京に来航した。2012114日、遠洋練習航海のためスラバヤを出港。229日、真珠湾に入港。523-30日、米英戦争200周年記念ニューヨーク・フリート・ウィークに参加。61-12日、アメリカのヴァージニア港で米英戦争200周年記念オペレーション・セイル2012に参加。628日から76日、アメリカのマサチューセッツ州でボストン海軍週間に参加。2017年、ビマ・スーチに後を譲って退役した。参考:月刊世界の艦船5,123,058,129,124,18

輾圧機>:日本陸軍のロードローラー。自重2トン、最大重量7トン(土砂を詰める)。参考:工兵入門

電圧検知器>:日本陸軍の器材。参考:工兵入門

<電圧標準器>:自衛隊の機器。TFF製。参考:月刊軍事研究4,17

<天安>:772(コルベット)または826(フリゲート)を参照。

天安轟沈事件>:20103262122、北方限界線の南約10kmの黄海(白翎島の南西1.8km)で警備任務に就いていた(4直哨兵、4時間交代。当時の当直勤務は29名)韓国海軍第2艦隊所属の哨戒艦772天安が6.5ノットで北西に航行中、直下で大爆発が起こり、天安は機関部付近で船体を真っ二つに引き裂かれ、乗員104名のうち46名が死亡した。この際、付近の地震計がTNT火薬180kgの爆発に相当する地震波をキャッチしている。白翎島の監視員は高さ100mほどの柱状の白い閃光を目撃。天安の乗員は艦尾左で大音響が響いたのを聞き、同時に体を30-100cmほど持ち上げられた。その1-2秒後に艦内は停電し、天安が右に傾斜したという。天安の艦長は艦長室内で吹き飛ばされて数秒間失神し、衝撃で歪んだドアを部下がこじ開けて5分後に外に出ると、艦尾は既に海没しており、艦首も右に大きく傾斜していた。2128に天安の砲術長が第2艦隊司令部に報告したが、合同参謀本部まで上がっていく内に2145と間違え、正確な時間は地震計を分析して判明した。2149、天安の通信長が大青島基地などの海軍基地に雷撃を受けて沈没中であることを伝えた。2153には天安の艦長が魚雷攻撃によるものと第2艦隊司令部に連絡したが、第2艦隊は海軍作戦司令部や合同参謀本部には伝えず、乗員の爆発音を聞いたという証言も国防相に伝達しなかった。2232には天安の艦長が雷撃を受けたことと、救助が必要なことを第22戦隊長に連絡し、作戦部隊司令官や海軍参謀総長にも報告した。2240、救助艦艇が到着。同型艦の束草も現場に急行し、2300頃に40ノットで北に向かう艦影らしきものをレーダーで捉えたため北朝鮮の半潜水艇と判断して76mm砲を135発ほど叩き込んだが、手応えは無かった。第2艦隊司令部ではその際のレーダー映像を検討したところ、艦影が2つに割れて1つが陸に上がったように見えたため、鳥の群れと判断して束草に合同参謀本部への報告を書き直すよう命じた。2310頃、天安に最後まで残っていた艦長が退艦した。艦首部分は翌270200頃に沈没したとみられる。その後、韓国(軍22名、民間機関25名、韓国国会推薦専門委員3名)、アメリカ(15名)、オーストラリア、イギリス、中立国監視委員会所属のスウェーデンからなる国際軍民調査委員会が原因究明に乗り出した。沈没船体や証拠品の捜索にはアメリカ海軍DDG-54カーティス・ウィルバー、LSD-49ハーパーズ・フェリー(EODチーム搭載)、サルベージ艦サルボー(ダイバーチーム搭載)が派遣されている。415-16日、艦尾が水深25mの海底から引き揚げられ、424日には艦首も引き揚げられた。切断面の部材は上に折れ曲がっており、ソナードームや弾薬庫に損傷は無く、艦内爆発や座礁が原因ではないとみられた。船体破片や海水などからはRDXの成分が100億分の1.4グラムほど検出された。515日、北朝鮮製CHT02D魚雷の機関部・推進部が発見され、魚雷部品の内部には1番に相当するハングル文字が書かれていた。スクリューには爆薬に添加されていたとみられる粉末アルミが付着していた。520日、調査委員会が沈没原因を発表。北朝鮮ヨノ型潜水艦が発射したCHT02D魚雷が天安の左舷3m・水深6-9mで炸裂したためと判明した。20091110日に大青島付近で北朝鮮艦艇と韓国海軍艦艇が交戦(大青海戦)、北朝鮮側が警備艇を大破させられてしまい、無慈悲な軍事的措置を執るなどと強硬な声明を発表しており、これに関連した攻撃ともいわれる。潜水艦は32324日頃に潜水母艇と共に琵琶串(現場の北東80kmにある)を出港、325日午後に現場付近に到着して沈座、天安を潜望鏡で確認した後に射距離3km前後・水深40-50mの地点で雷撃したとみられ、328日午後に帰投したとされる。潜水艦の特殊任務班には共和国英雄称号、乗員には一級勲章が授与されたという。ヨノ型潜水艦の出港情報は韓国軍が把握していたようだが、北方限界線付近の艦船に対して警報は出されていなかったらしい。韓国海軍は大青海戦の報復に備えて艦船に12ノット以上での航行を指示していたが、天安はこれを守っていなかった。また天安は魚雷発射準備や雷撃時の音をキャッチできず、気付いた時には沈められてしまっていた。野党民主党推薦枠で国際合同調査団に加わっていた人物は、インタビューで天安の沈没原因を障害物への衝突と語ったり、魚雷に書かれていた1番というハングル文字は韓国側が書いたなどと述べたりしたため、検察の取り調べを受けている。韓国では他にも、事件原因に関してアメリカの原潜が急浮上して衝突したという噂(水深25mの浅海域を原潜が潜航するのには無理があるが)を流した人物、軍事専門家・韓国海軍将校を騙ってインターネットにデマを流していた親北派の人物や軍事マニアが逮捕され、兵務庁を騙って召集令状が出るというメールを打ったり、北朝鮮が先制攻撃をしてくるという投稿を行ったりした人物が取り調べを受けた。元外交・安保秘書官だった人物も、天安のスクリューが引っかけた漁業用鉄籠に昔敷設した機雷が当たったという珍説を流して国防相から告訴されている。また、北朝鮮の潜伏情報員もインターネットへの投稿やソウル市内でのビラまきにより情報戦を行っているらしい。北朝鮮はこの結論に反発し、国連安保理で制裁決議などを行った場合には、北方限界線より南の北朝鮮が領有を主張する海域に韓国艦艇が入った際、軍事的措置を執ると声明を発表した。韓国はFM宣伝放送や非武装地帯での宣伝放送再開を発表し、北朝鮮は休戦協定を破って非武装地帯の監視所に14.5mm4連装対空機銃を配備した。ただ韓国は実際には放送を行っていない。アメリカは524日に韓国とのPSI訓練及び対潜訓練実施を公表し、嘉手納基地とアンダーセン基地へのF-22A戦闘機12機ずつの配備も発表した。嘉手納基地には526日からF-22A戦闘機が到着している。527日、韓国海軍が黄海で艦艇10隻による対潜演習を実施。528日、北朝鮮国防委員会が記者会見を開いて調査報告書への反論を行った。しかし北朝鮮国内には軍艦を拳で真っ二つに叩き割る絵に「刃向かうなら一撃だ!」と書かれたポスターが貼られているらしい。64日、韓国政府は国連安保理に対し、北朝鮮への厳重な対応を求める書簡を提出。65日、第9回アジア安全保障会議に参加するためシンガポールを訪問した防衛大臣がアメリカ国防長官、韓国国防相と日米間防衛相会談を行い、韓国の立場を全面的に支援することで一致した。626日、トロントで行われた米韓首脳会談で、戦時作戦統制権の移管を2012417日から2015121日に延期することを決定。79日、国連安保理は議長声明を採択し、軍民合同調査団の調査結果を考慮して深刻な懸念を表明、哨戒艦沈没を引き起こした攻撃を非難し、韓国の自制を歓迎、事件と関係が無いとする北朝鮮の反応に留意するとしたが、北朝鮮への名指しの非難は避けた。718-19日、中国が海上輸送訓練を実施。719日、山東省沖の黄海において、中国が潜水艦からのミサイル発射訓練を行った。721日、初の米韓安全保障協議委員会をソウルで開催。725-28日、米韓合同軍事演習インヴィンシブル・スピリットを実施。本当は6月上旬に黄海で行う筈だったが、中国の反発で日本海になった。725日、黄海付近で中国軍南京軍管区砲兵部隊が新型地対地ロケットによる演習を実施。726日、南シナ海で中国海軍が演習を実施。726-27日、済南軍管区砲兵部隊が民間機を使用した地対地ロケット輸送訓練を実施。727日、ロシアの独自調査団が機雷に触れて沈没したという報告書を纏めたと韓国の新聞が伝えたが、韓国の元外交・安保秘書官が流した珍説と一緒の結論であり、94日のノーボスチ通信では訪韓した3名の魚雷専門家が沈没原因は不明であるという結論を出したと伝えている。83-8日、中国軍済南軍管区で黄海に面する地域での演習を実施。85-9日、韓国軍が対潜演習を実施。陸海空海兵隊から人員4500名、KF-16C/DP-3Cなど航空機50機、KDX-3型ミサイル駆逐艦991セジョンデワン、KDX-2型ミサイル駆逐艦981チェヨン、976ムンムデワン、KDX-1型ミサイル駆逐艦972ウルチムンド、哨戒艦777デチョンなど水上艦30隻、ソンウォンイル級及びチャンボゴ級潜水艦3隻が参加した。演習終了後、北朝鮮は演習海域近くの基地から130発の砲弾を海に発射した。816-26日、米韓がウルチ・フリーダム・ガーディアン演習を実施。参考:月刊軍事研究8,107,109,1010,1011,10、月刊航空ファン8,10、月刊世界の艦船8,109,10、月刊JWings10,10、朝雲

天安門事件

 <第1次天安門事件>:4.5天安門事件、4.5運動ともいう。197616日に死去した周恩来首相を偲び、3月に南京で追悼集会が開かれたが、これが江青、張春橋、姚文元、王洪文(4人組)に対する批判運動に発展し、45日の清明節には北京にも飛び火。天安門広場に数十万人の市民(工場労働者、農民から役人や教師、党や軍の幹部まで)が結集し、周恩来首相に対して花輪を飾り、4人組や毛沢東の批判を展開した。これに対し、4人組は公安当局に指示して花輪を撤去させたため、大規模な衝突に発展し、投入された武装警察、軍の特務機関、民兵が人民を銃撃、多くの死傷者が出た。北京革命委員会の報告書では、天安門広場の血を洗い流すのに500人が4日間の作業を行ったという。また、3000人以上が逮捕された。同日、天津でも数万人の労働者が天津中心広場で集会を開いた。中国共産党中央政治局は47日に声明を出し、鄧小平が関与しているとして職務を解任し、党籍は保留するとした。49日、上海で周恩来追悼の集会が開かれたが、ここでも民兵との衝突になり、多数の死傷者が出た。他にも武闘抗争が発生する状況が続いた。99日、毛沢東が死去し、107日に4人組が逮捕され、1977721日に鄧小平の職務回復が決定。19781116日に北京党委は本事件における大衆の行動が革命的行動であると認定し、中国の壁新聞や民間雑誌で堂々と民主化が訴えられるようになった(北京の春)。12月、中国共産党第11期中央委員会第3次全体会議で改革開放が決議され、工業・農業・国防・科学技術の4つの近代化がスローガンとして掲げられたが、壁新聞ではこれに民主を加えて5つの近代化を主張した。1979229日、北京市革命委員会は民主化運動に対して弾圧を開始、主導者らを反革命容疑で逮捕し、懲役刑を科して労働改造所(政治犯強制収容所)に送り込んだ。12月には壁新聞のメッカとなっていた北京の西単(通称民主の壁)が北京市革命委員会の取り締まりを受け、民主化運動は下火となった。参考:歴史群像2,08

 <第2次天安門事件>:6.4天安門事件ともいう。19821117日、民主化を謳った「中国の春」という雑誌を手にした中国国費留学生6名による記者会見がニューヨークで行われた。名誉編集者には第1次天安門事件で逮捕されて獄中にいる18名の活動家が名を連ねていた。中国の春はアメリカのチャイナタウンで1万部以上が販売された他、中国国内にも相当数が持ち込まれた。在アメリカ中国大使館は留学生に対して運動や講演に参加しないことを呼びかけ、講演ではヤジを飛ばしたり反民主化のビラを撒いたりした。19832月、外交部北米副局長がアメリカの各大学を訪問し、中国の春運動への不参加を説いた。3月には日本でも在日本中国大使館による同様の行為が行われた。19831227-30日、ニューヨークで中国の春世界大会が開催され、各国の人権団体も参加する中、中国民主団結連盟が設立され、中国の春を機関誌とすることを決定した。198419日、中国民主団結連盟は中国憲法の結社・出版の自由に基づいて中国国内での活動を認めるように要求。また、全ての政治犯の釈放や、中国共産党幹部との間の代表者会議開催も求めた。198611月末、中国で行われた学校の自治と民主化討論会において、副総理が民主は恩賜として与えられるものであると発言。これに対し、大学の自治と学術の自由を求める学生達が民主化要求運動を起こした。中国社会技術大学副学長や民主活動家もこれを支持し、運動は北京にも広がった。1227日、反体制地下組織の指導者が反革命罪で逮捕された。それでも学生達によるデモは収まらず、北京・清華・人民大学から1万人以上が参加して天安門広場を目指し、武装警察と衝突を繰り広げた。中国共産党は民主化運動をブルジョワ思想氾濫の結果であるとし、198718日の党中央機関会議でデモを支持した中国社会技術大学副学長ら3名を共産党からの除名処分とした。また、116日には民主化運動に一定の理解を示していた総書記も解任された。その総書記が1989415日に死去したのを受け、416日から天安門広場で北京の学生による小規模な追悼集会が行われた。参加者は政府に民主化を要求するよう北京の複数の大学への呼びかけを行い、これに応じて学生達が次々と集結、418日には10000人のデモが実施され、人民大会堂でストライキを開始した。また、中国共産党本部前などでもデモが実施された。421日には天安門広場に集合した学生・知識人・労働者が10万人を超え、422日には総理に面会を求める声明を出し、中国民主団結連盟など海外の反体制組織も支援を表明した。425日、デモは全国に広がり、天津、上海、広州、武漢、成都、貴陽、ハルビン、蘭州、重慶、長沙、ウルムチ、南京、西安、南昌、杭州、石家荘、潘陽、太原、鄭州、南寧でも実施され、暴徒化するデモ隊も現れた。中国共産党はこの運動を動乱であると発表。422日、政府は北京軍区第38集団軍の3個師団を北京の西に移動させた。装甲車を含む兵力だったが、武器の使用は厳禁されており、暴徒化した群衆に武器を奪われることもあったという。427日、中国民主団結連盟のメンバーが留学先から帰国して運動に参加。513日、300人の学生が民主化推進を求めてハンガーストライキを開始した。515日、ソ連でペレストロイカを推進したゴルバチョフ書記長が訪中したが、30万人のデモ隊で埋め尽くされ、1800人のハンストが繰り広げられる天安門広場を訪問することはできなかった。517日、北京でのデモ人数が100万人を超えた。519日、中国共産党総書記がハンストの中止及び天安門広場からの撤退を自らハンドマイクで訴えた。520日、総書記が民主化運動の責任を取らされて失脚した。また、1000時に戒厳令が発令され、6個大軍区13個軍から抽出した20万名ないし35万名の兵力が北京に展開することになり、62日までに集結を完了した。この中には緊急展開部隊である北京軍区第38集団軍、済南軍区第54集団軍、潘陽軍区第39集団軍、広州軍区第15空挺軍が含まれていた。522日、戒厳令に抗議してデモが実施された。525日、50万人による首相退陣デモが行われた。530日、北京美術学院の学生が石膏で製作した民主の女神像が天安門広場に建立された。631430、未明から反革命暴乱が発生したとして戒厳軍に出動命令が出され、天安門広場に向けて人民解放軍が進撃を開始した。2100、第38集団軍、第27集団軍、第63集団軍や武装警察で構成される鎮圧部隊が、戦車や装甲車を含む数百両の車両を伴って天安門広場西側から突入を開始。この部隊は2200までに天安門広場に到達し、抵抗を断固として制圧して民主化活動を排除せよという命令を受けていた。また、違反した場合には軍法会議で処罰するとも厳命されていた。鎮圧部隊は天安門広場に通じる西長安街に築かれたバリケードを踏み潰し、デモ隊に向けて威嚇発砲、流れ弾で周辺の住民まで射殺しながら天安門広場に向かった。更に北から第24集団軍、東から第39・第40集団軍、南から第15空挺軍、南西から第54集団軍が迫り、デモ隊を南東側に押し出した。640150、鎮圧部隊が天安門広場に到達。バリケード及び民主の女神像を履帯で粉砕、デモ隊に向けて無差別発砲し、5000人以上の死傷者を出したとされる。また、デモ隊も奪った武器で反撃し、鎮圧部隊にも死傷者が出た。0500までには天安門広場のデモ隊は駆逐された。広場の遺体は人民解放軍が焼却したため、正確な犠牲者は未だ不明である。66日、北京の治安が回復。623日、中国共産党中央委員会全体会議で本事件は反革命暴乱であると認定された。第2次天安門事件指導者に対しては、「殺すべきは殺し、追放すべきは追放し、北京には二度と戻すな」と厳罰命令が下されたため、多くの指導者は海外に亡命し、今もアメリカやフランスで民主化活動を実施している。710日に中国公安部が報告した死傷者数は、北京で群衆523人死亡・11570人負傷、軍警察45名死亡・6240名負傷、成都で群衆277人死亡・2100人負傷、軍警察9名死亡・550名負傷、武漢で群衆12人死亡・170人負傷、軍警察125名負傷、貴陽で群衆29人死亡・290人負傷、軍警察250名負傷、ハルビンで群衆7人死亡・90人負傷、軍警察190名負傷、鄭州で群衆6人死亡・130人負傷、軍警察150名負傷、蘭州で群衆21人死亡・200人負傷、軍警察2名死亡・120名負傷。北京軍区部隊による北京の警戒が解かれたのは9月頃である。参考:歴史群像2,08、月刊軍事研究3,97

転移射>:目標近くの観測しやすい試射点に試射を行い、目標までの修正諸元を付加して効力射を実施すること。目標に対して奇襲砲撃をかけることができ、第2次大戦から広く使用された。参考:月刊軍事研究11,06

天一号作戦>:太平洋戦争時の昭和20317日、連合艦隊司令長官がGF電令作第564A号、機密第171813番電で下命した、南西諸島方面に襲来が予想される敵部隊撃滅作戦で、天号航空作戦の南西諸島方面向けである。第5航空艦隊主力を九州に展開して敵機動部隊を捕捉撃滅し、第1航空艦隊は台湾に展開して敵上陸部隊に随伴する空母を撃滅し、陸軍第6航空軍は南西諸島や九州に展開して敵輸送船団を撃滅し、余裕があれば敵空母群撃滅に協力、第3・第10航空艦隊は可動全力の本土西方への転進を準備し、潜水艦部隊は回天隊を含め九州南東海面で敵機動部隊を撃滅し、第1遊撃部隊は瀬戸内海西部で出撃準備を行い、航空作戦で有利な場合に出撃して敵攻略部隊を撃滅するというものである。320日、大本営海軍部が大海指513号を発令し、帝国海軍当面作戦計画要綱を指示、作戦の重点を特に南西諸島正面とし、航空兵力の徹底集中を図り、大挙特攻で敵機動部隊に痛撃を与え、その後洋上と水際で各種特攻兵力の集中攻撃により敵上陸船団を撃破するとした。326日、作戦を発動。この際の航空戦力は、九州方面が陸軍第6航空軍735機(うち特攻440機)、海軍第3・第5・第10航空艦隊2100機(うち特攻540機)、台湾方面が陸軍第8飛行師団と海軍第1航空艦隊の440機(うち特攻250機)だった。328-31日に220機が第5航空艦隊の増援のため九州に展開した。これを待たずに5航艦は手持ちの乏しい航空戦力で沖縄周辺の艦船を攻撃したが、目立った成果は挙げられなかった。アメリカ軍が沖縄上陸した41日には保有機数300機、稼働率56%となり、5日までに170機前後が特攻出撃し、40機が未帰還となった。航空作戦が上手くいかないため、第1遊撃部隊を佐世保に回航して囮にし、敵機動部隊を第5航空艦隊に攻撃させるという作戦が立案されたが、失敗する可能性が高いということで中止され、菊水作戦に合わせて第1遊撃部隊を沖縄に水上特攻させるという案が急遽決まった。第1遊撃部隊への連絡は45日午後、連合艦隊参謀長による作戦説明は46日であり、航空部隊との打ち合わせをする暇も無く、航空援護無しでの特攻が48日に行われて第1遊撃部隊は壊滅した。参考:月刊軍事研究6,103,03、太平洋海戦史

<テン・イン・ワン・レーション>:Bレーションを参照。

転営>:日本軍用語で、空襲など敵の攻撃を避けるために軍の施設や部隊を地方へと移転させること。参考:軍医サンよもやま物語

天燕90>:中国軍のヘリ用空対空ミサイルで、チェンヤンと読む。TY-90ともいう。中国空対空ミサイル研究所が開発し、1998年にヘリに搭載されて初公開された。インジウム・アンチモン赤外線シーカーによるパッシブ赤外線誘導式で、ヘルメット装着照準システムと連動するとされる。前部に制御翼4枚、後部に固定フィン4枚を持つ。信管はレーザー式。全長1.86m、直径0.09m、重量20kg16.8kg?)、弾頭重量3.5kg。最大速度マッハ2、最小射程500m、最大射程6000m8000m?)、有効高度15-4000m、威力半径5mZ-9ヘリ武装型やZ-10攻撃ヘリに搭載可能。イーシャン地対空ミサイル車両も積んでいる。参考:月刊軍事研究9,049,0812,09、月刊航空ファン5,174,19、月刊PANZER4,05、軍用機ウェポン・ハンドブック

<天王峰級>:チョンワンボン級(揚陸艦)を参照。

<テン・オー・ツー>:作戦計画1002-90を参照。

殿下>:日本陸軍の使用する敬称で、天皇、皇后、皇太后、大皇太后以外の皇族に対して用いる。参考:帝国陸海軍事典

天河>:日本海軍の計画双発ジェット爆撃機で、川西航空機が設計を担当した。ベースは銀河改で、エンジンをTR30ジェットエンジンに積み替えている。後にエンジンはネ330に変更された。計画のみに終わった。参考:月刊丸4,13

<展開型汎用戦闘ドーザー>:M105(ドーザー)を参照。

<展開可能衛生システム>:EDMSを参照。

<電界機雷>:機雷を参照。

<天權星>:857(情報収集艦)を参照。

<電解用整流器>:自衛隊の機器。メット・キャルまたは守谷商会またはアビオエムシーが受注している。参考:月刊軍事研究7,1311,1512,16

伝火孔>:Flash Hole。発火薬の火炎を発射薬に届けるための孔。薬莢底部のプライマーと発射薬を隔てる壁に設けられている。火縄銃では火皿と薬室を繋ぐ孔である。参考:GUN用語事典

<点火筒放射器用>:自衛隊の火工品。細谷火工製。参考:月刊軍事研究8,09

<点火薬筒>:イグナイタを参照。

<点火雷管>:イグナイタを参照。

転換型航空機>:飛行中に揚力発生源を転換できる航空機のことで、固定翼STOVL機などがこれにあたる。揚力転換(遷移)時の飛行領域が狭く、操縦操作も複雑になるので、人力に頼っていたハリアーは墜落しまくったが、F-35Bでは飛行制御コンピュータによりほぼ自動化して解決した。参考:月刊JWings10,20

転換訓練飛行隊(アメリカ海軍)>:従来は訓練航空団から直接実戦部隊に送っていたが、実戦機に不慣れなため事故が多く、1958年に実戦機を使用した訓練部隊として誕生した。参考:A-5ビジランティ

天願桟橋>:沖縄県うるま市にある在沖米海軍施設で、面積3万平方メートル。実際の主な使用者はアメリカ陸軍第505補給大隊で、物資輸送を行っている。参考:月刊軍事研究4,10

電気員(海上自衛隊)>:海上自衛隊の要員。地方総監部や基地管理隊に所属し、電気設備の管理を担当する。第3術科学校で電気設備課程を修了するか、電気に関する資格を有する隊員が任命される。参考:MAMOR vol.108

電機員(海上自衛隊)>:海上自衛隊機関科。艦内の各種電気設備(発電機や配電盤など)の運用・管理・整備を担当する。参考:MAMOR vol.148

電気員(航空自衛隊)>:航空自衛隊の要員。基地や航空施設の電力管理が主任務である。第3術科学校で電気員課程を修了すると任命される。基地の受配電設備、非常用発動発電機、無停電電源装置などの点検管理から蛍光灯の交換まで、電力や電気に関する様々な業務を行う。参考:MAMOR vol.108

<電気化学測定装置>:自衛隊の機器。ビー・エス・エス製。参考:月刊軍事研究11,14

<電気式操縦系統>:フライ・バイ・ワイヤを参照。

<電気信管>:信管を参照。

<電気チェーンブロック(1.0トン)>:自衛隊の機器。象印チエンブロツク製。参考:月刊軍事研究2,17

<電気チェーンブロック(3.0トン)>:自衛隊の機器。キトー製。参考:月刊軍事研究2,17

電気中隊>:日本陸軍の工兵部隊で、工兵学校教導隊電灯中隊、工兵学校作井部、同測量部を統合して昭和104月に創設された。もともとの各部門の訓練を行った他、各工兵部隊隷下の作井隊要員を教育している。独立工兵第25連隊創設に伴い、そちらの隷下に移って主に探照灯を運用した。日華事変ではカケ車を使用した高圧電流作戦を行っている。参考:工兵入門

<電気抵抗スポット溶接>:溶接を参照。

<電気伝導度水温水深観測装置改1型>:自衛隊の観測装置。鶴見精機製。参考:月刊軍事研究6,08

<電気伝導度水温水深観測装置用巻揚機>:自衛隊の観測装置用巻揚機。鶴見精機製。参考:月刊軍事研究6,08

電気兵器(日本海軍)>:無線電信機、無線電話機、電波探知器、電波探信儀、発電機、電動機などのこと。参考:帝国陸海軍事典

天弓1型>:台湾軍の天弓地対空ミサイルシステム用地対空ミサイルTien KungⅠ。射程60km。誘導はSARH+ARH。参考:月刊PANZER1,90

天弓2型>:台湾軍の天弓地対空ミサイルシステム用地対空ミサイルTien KungⅡ。射程120km。誘導は慣性誘導+ARH2002510日に試射が初公開された。参考:月刊PANZER1,90、月刊航空情報8,02

天弓3型>:台湾軍の天弓地対空ミサイルシステム用地対空ミサイルTien KungⅢ。全長7m、直径0.46m、重量1.6トン。飛翔速度マッハ4.5(マッハ7?)、迎撃高度25km、射程200km以上。艦載型も計画中で、2016年に陸上からの発射試験に成功した。参考:月刊軍事研究1,14、月刊世界の艦船2,20

天弓システム>:韓国軍地対空ミサイルシステムCheolmae、別名KM-SAMまたはM-SAM。ナイキ・ハーキュリーズ(ホーク?)の後継として2002年に国産計画が開始された。弾道ミサイル対処能力も持たせるため、当初はパトリオットPAC3を導入する予定だったが、北朝鮮軍が発射するであろう低軌道短射程ミサイルに対する有効性が低いことから独自のミサイルシステム開発に切り替えた。メーカーはサムソンとタレスで、ロシアのアルマーズ社からS-400の技術も導入しており、2012年までに水平線以遠早期警戒レーダーを含むC4Iシステムを完成させる予定だったが、2020年代初めに遅れ、北朝鮮の弾道ミサイル開発進捗を受けて2018-19年に前倒しした。参考:月刊軍事研究8,123,1812,078,17

 <天弓ブロックⅠ>:対航空機用。全長4.61m、直径0.275m、発射重量400kg。最大速度マッハ4.5、最大射程40km、最大射高20000m。誘導は中間慣性+終末アクティブレーダー。信管は近接式。ミサイルはコールドランチ方式で射出される。2017112日に発射試験を行い、マッハ4.5で飛翔して40km先の無人標的機を撃墜した。参考:月刊軍事研究3,18、月刊世界の艦船2,20

 <天弓ブロックⅡ>:対弾道ミサイル用。システムは装輪車両に搭載されており、戦闘指揮所車1両、多機能Xバンドレーダー車1両、8連装VLS車両3両で1個中隊を編成し、短距離弾道ミサイルや巡航ミサイルなど6目標と同時交戦できる。使用ミサイルは鉄鷹Ⅱ。参考:月刊軍事研究3,18

 <天弓ブロック4-H>:対弾道ミサイル用で、計画中。ミサイルを最大射高61km・最大射程150kmの新型にしてICBMも迎撃できるようにする。参考:月刊軍事研究3,18

天弓システム>:台湾軍地対空ミサイルシステムTien Kung1982年から開発され、1989年から生産された。レーダーは長白多機能フェイズド・アレイ・レーダー(探知距離500km、同時追尾目標数24個、同時迎撃目標数9個)で、セミトレーラーの左側面に搭載されており、1基で目標捜索・敵味方識別・ミサイル誘導を行う。このセミトレーラー内部には戦術管制センターが設けられており、レーダーやミサイルランチャーなどの装備を一元的にコントロールする。操作要員は指揮官含め3名。ランチャーは天弓1型と天弓3型ではパトリオットに似た4連装の箱形、天弓2型では固定式の単発箱形である。参考:月刊PANZER1,90、月刊軍事研究1,14THE MILITARY BALANCE 2016

<電気溶接>:溶接を参照。

電計処理員>:海上自衛隊の要員。コンピュータシステム及びコンピュータの維持管理が主任務で、コンピュータがシステムトラブルを起こしたら修復し、トラブルが発生しないようマニュアル作成や隊員教育を行い、データの外部流出を防ぐ。第2術科学校で情報システム管理課程を修了すると任命され、他業務との兼任で任務に当たる。参考:MAMOR vol.144

電撃戦>:第2次大戦時の黄作戦にマスコミが付けたキャッチコピーだが、その後当時のドイツ軍戦術を示す言葉になった。第1次大戦後に兵力を10万名に制限されてしまったため、長大な戦線を維持することができないと予想され、戦場の主導権を獲得し機動防御を敷くこととしたのが始まりである。このため速度重視により敵に先んじることを旨とした。これを攻勢転化し、無線通信により迅速に部隊を集結させ、火力の集中により敵陣の弱点を突破、戦車部隊の高い機動力を活かして後方連絡線を遮断し、敵を打倒するのが本戦術である。攻略に時間のかかる目標は後続の歩兵や砲兵に任せ、戦車部隊はあくまでも後方への進出を最重要目標とする。更に、航空機による偵察及び航空阻止を行って地上部隊の機動を助けた。参考:月刊軍事研究6,05、グラフィックアクション39

天剣1>:台湾軍空対空ミサイルTien Chien-1、略称TC-1。アンテロープ自走地対空ミサイルシステムのミサイルの後部フィンを大型化し、固体燃料モーターや誘導装置を改良し、機械ジャイロを後部フィンに2基付けるなど改良したものである。全長2.87m、直径0.127m、翼スパン0.64m、重量90kg。最大射程8km1991年就役。参考:月刊軍事研究1,01、月刊丸10,97、軍用機ウェポン・ハンドブック

天剣2>:台湾軍アクティブレーダーホーミング式空対空ミサイルTien Chien-2、略称TC-2。スパローを元に開発された。全長3.6m、直径0.19m、翼スパン0.62m、重量183kg。最大射程60km。参考:月刊軍事研究6,04、月刊丸10,97、軍用機ウェポン・ハンドブック

天剣2A>:台湾軍対レーダーミサイルで、天剣2を改造したものである。シーカーはパッシブ・レーダーと赤外線センサーの二重式で、推進装置も改良しているらしい。F-CK1経国戦闘機に4発搭載できる。参考:月刊軍事研究6,04

天剣2N>:台湾海軍艦対空ミサイルTien Chien-2N。誘導は中間データリンク+終末アクティブ・レーダー。最大射程100km。参考:月刊世界の艦船2,20

<電けん携帯形2形>:自衛隊の機器。日本無線製。参考:月刊軍事研究10,09

<電源車150kW・400Hz>:自衛隊の車両。明電舎製。参考:月刊軍事研究1,19

電源車(C-5)>:航空自衛隊の電源車両。トラックの荷台に発電機を載せたもので、航空機のエンジン始動や整備用の電源を供給する。全長4.7m、全幅1.7m、全高2.1m、車両重量4.5トン。電源は直流28V800A。神鋼電機製。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015

<電源車用トレーラ(11短SAM電源部用)>:自衛隊の車両。日本トレクス製。参考:月刊軍事研究1,15

<点検・整備用装置>:自衛隊の機器。日立国際電気製。参考:月刊軍事研究8,11

<電源装置(22DDH用テストサイト器材)>:自衛隊の機器。富士通製。参考:月刊軍事研究1,15

<電源装置(BMD及び25DD用テストサイト器材)>:自衛隊の機器。富士電機製。参考:月刊軍事研究6,17

電光>:日本海軍十八試夜間戦闘機S1A。海軍では昭和18年にB-29の情報を得たが、月光では性能不足で迎撃できないとみられたため、より高性能な夜間戦闘機として昭和18年前半から愛知航空機に試作を命じた。応急の斜め銃ではなく、動力式機関砲塔を装備して攻撃位置を比較的自由にとれるようにしてある。当初は排気タービン付きのエンジンを搭載する予定だったが、完成の見込みが薄くなったので酸素噴射方式のエンジンを採用することとし、銃手席をキャノピー後方に分離して設け、更に後方の機関砲ターレットを遠隔操作するようにした。固定武装や動力砲塔に加えて二十五番三号爆弾2発を積めるようにしたため機体サイズが大きくなりすぎ、肝心の高空性能が発揮できなくなってしまい開発は難航、試作機2機が製作された(モックアップ審査で計画中止?)が、1機は空襲で失われ、もう1機が完成直前に終戦(こちらも空襲で焼失?)となった。全長15.1m14.25m?)、全幅17.5m、全高4.61m、自重7320kg、全備重量10180kg。過荷時総重量11510kg。エンジンは誉二二型空冷複列18気筒(離昇出力2000馬力)双発、最大速度635km589km?)、実用上昇限度11000m、上昇力6000mまで9分30秒、燃料搭載量3450リットル、航続距離1696km(正規)/2543km(過荷時)。武装は機首の30mm機関砲2門、機首の20mm機関砲2門、動力砲塔の20mm機関砲2門。250kg爆弾2発または60kg爆弾4発を搭載できる。乗員2名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇、月刊丸3,'18別冊、月刊JWings12,06

天号航空作戦>:太平洋戦争時にフィリピンを失った日本軍が、アメリカ軍の本土侵攻を防ぐために発動させたアメリカ輸送船隊殲滅作戦で、日本海軍は昭和20320日の大海指第513号「帝国海軍当面作戦計画要綱」で発出した。陸海軍が密接に協力し、作戦の重点を東シナ海周辺、特に南西諸島正面に置き、特に航空兵力の集中と局地防衛の緊急強化により、敵軍主力の撃滅を図り本土侵攻企図を挫き、この間に本土防衛体制を整備するものである。陸軍の考えでは、アメリカ機動部隊を撃破するだけの戦力が準備できないため、航空勢力を練習機までかき集めて輸送船隊に特攻をかけ、300-400隻の輸送船を撃沈して本土侵攻を半年遅らせることとした。海軍は当初、錬成途中の兵力を逐次投入することになるため消極的であったが、本土との間合いをとるための沖縄航空決戦を有利とする見方も出てきて、航空勢力の全力を挙げて(既に艦隊がほぼ全滅していたため、航空戦力だけしか残っていなかった)作戦に参加、まず航空大量特攻により敵機動部隊に痛撃を加え、次いで輸送船団にも洋上と水際で特攻を行い、上陸後の敵軍には靭強な地上作戦を実施して敵の航空基地占領を全力で阻止し、自軍航空作戦と地上作戦により撃滅するとした。昭和20326日、天一号作戦を発動。参考:月刊軍事研究9,01、太平洋海戦史

<電交システム及び地域通信処理システム用ソフトウェア>:自衛隊の機器。沖電気工業製。参考:月刊軍事研究4,12

<電交システム用ソフトウェア>:自衛隊の機器。沖電気工業製。参考:月刊軍事研究7,16

<テンゴー>:DD-919(駆逐艦)を参照。

<電弧溶接機>:自衛隊の機器。アルティア製。参考:月刊軍事研究2,18

天山シリーズ>:日本海軍艦上攻撃機、略符号B6N、連合軍コードネームはジル(Jill)。九七式艦攻の後継で、昭和14年度に中島飛行機に試作発注されたが、装備エンジンの関係などで開発に手間取り、昭和188月に制式採用され、昭和18123日の第6次ブーゲンビル島沖航空戦から実戦参加した。インテグラルタンクを採用したが防弾が無く、引き込み式後下方銃座を設けて防御火力の強化も図ったが、既に制空権が敵に移っており損害も大きかった。総生産機数1268機(1274機?1133機?)。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇、月刊JWings2,03、月刊丸10,978,873,'18別冊、歴史群像10,11、日本航空母艦史、図解世界の軍用機史

 <十四試艦上攻撃機>:昭和1412月に発注された試作型で、最大速度463km、雷撃任務時の航続距離2900km(アウトレンジ戦法対応)が要求された。これの達成に重要なエンジンは、海軍航空本部では開発の進んでいる火星を薦めたが、中島飛行機では出力が2割大きい護の採用を希望、昭和163月の空技廠での会議で漸く護にすることが決まった。長さ11mのエレベーターに機体を乗せるため、垂直尾翼後縁を前傾させて3点姿勢での全長を抑えた。胴体下面左寄りに水平爆撃時の照準窓を設けたため、爆弾・魚雷は胴体下面やや右に搭載されている。胴体後下部に開閉式後下方銃座があり、前ヒンジの下開きハッチから旋回機銃を突き出してコクピット床に腹這いになった電信員が射撃するが、使用中は抗力増で速度が出なくなるため、殆ど使われなかったらしい。主翼は層流翼型の直線テーパー翼で、セミ・インテグラル式燃料タンク(防弾無し)を搭載、主翼後縁に大面積のファウラーフラップ(蝶型フラップ)を装備する。主翼は人力折り畳み式である。離艦距離の長さはRATOで解決した他、トルク打ち消しのため、垂直尾翼を左に3度オフセットした。乗員は1つのキャノピー内にタンデムで前から操縦員、偵察員兼爆撃手、電信員の順に搭乗する。離着陸時には操縦席を0.3m上げることが可能。昭和163月(昭和17年?)に初飛行したが、エンジンが不調で、離艦距離も長く、トラブル解消に時間がかかった。昭和18年に入っても制式採用されていなかったが、ミッドウェイ海戦で大敗し、4隻の正規空母に配備されていた九七式艦攻が全滅したため、制式化直前の昭和182月から急遽生産が開始されている。ただ正規空母用艦攻として設計されたため長い発艦距離が必要で、正規空母戦力を補う小型空母や特設空母では運用できなかった。全長10.865m、全幅14.894m、自重2200kg、全備重量3800kg、過荷重全備重量4100kg。エンジンは中島製護一一型空冷星型14気筒(離昇出力1850馬力)、プロペラは住友ハミルトン油圧定速式4翅。使用燃料は92オクタン。武装は後上方・後下方に九二式7.7mm旋回機銃改一を1丁ずつ(下方は引き込み式)で、生産70号機までは左翼に九七式7.7mm固定機銃三型改一(400発)1丁を搭載していた。800kg魚雷1発または500kg爆弾1発または250kg爆弾2発などを搭載可能。乗員3名。30号機以降は垂直尾翼のオフセットを2度10分とし、71号機以降は翼内機銃を廃止した。昭和187月までに133機が生産されたが、中島飛行機が誉エンジンの生産に集中することになり護エンジンの在庫が尽き、エンジンを換装することになった。誉に換装すると細いエンジン直径に合わせて胴体を再設計するなど大幅な改造が必要となるので、火星を採用して天山一二型を作っている。参考:月刊JWings2,03、月刊丸3,'18別冊10,97、歴史群像10,11

 <天山一一型>:略符号B6N1。連合軍コードネームはジル11。十四試艦上攻撃機の生産が終了した昭和188月、海軍が制式採用して付けた名称である。全長10.865m、全幅14.894m、自重3010kg、正規全備重量5200kg、雷撃過荷時総重量5650kg。翼面荷重1平方メートルあたり139.8kg。エンジンは護一一型(離昇出力1870馬力)単発、巡航速度333km、最大速度467km、上昇力5000mまで11分1秒、燃料搭載量1605リットル(機内)+300リットル(増槽)、航続距離正規1463km、雷撃過荷時3447km。防御武装は7.7mm固定機銃1丁、7.7mm旋回機銃2丁。爆弾800kgまたは魚雷1000kgを搭載可能。参考:月刊JWings2,03、月刊丸3,'18別冊

 <天山一二型>:略符号B6N2。連合軍コードネームはジル12。エンジンを火星二五型に換装したタイプで、機首を少し延長し、キャブレター空気取り入れ口を小型化、尾輪を固定式とした。19436月から生産開始され、制式採用は19443月。全長10.808m、全幅14.894m、全高4.075m3.8m4.323m?)、自重3083kg、正規全備重量5200kg、過荷時重量5650kg。エンジンは三菱製火星二五型空冷複列星型18気筒ガソリン(離昇出力1850馬力、二速公称出力1540馬力)単発、プロペラは4翅(直径3.4m)、巡航速度333km、最大速度481km、実用上昇限度9040m、燃料容量1679リットル、航続距離1746km(正規)/3045km(過荷時)。自衛武装は後上方13mm旋回機銃1丁、後下方7.9mm旋回機銃1丁。800kg爆弾1発、500kg爆弾1発、800kg魚雷1発、250kg爆弾2発、60kg爆弾6発を搭載可能。乗員3名。参考:月刊JWings3,'232,03、歴史群像10,11、月刊丸10,97、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇

 <天山一二型甲>:B6N2a。後上方機銃を二式13mm旋回機銃、後下方機銃を一式7.9mm旋回機銃に変更したタイプで、昭和1911月に制式採用された。参考:月刊JWings2,03、月刊丸10,97、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇

 <天山一二型/一二型甲 電探装備機>:昭和18年後半に三式空六号無線電信機の装備が開始され、新造機の3機に1機はこのタイプとなった。主翼(主に右主翼のみ)前縁と後部胴体両側面にアンテナを装着している。参考:月刊JWings2,03、月刊丸3,18別冊

 <仮称天山一三型>:エンジンを火星二五型丙にし、尾輪を引き込み式に戻し、キャノピーなどを改修したタイプ。2機が改良を受けた。参考:月刊JWings2,03

 <天山(生産後改修)>:垂直尾翼の強度不足が指摘されたため、全機に補強が行われた。セミ・インテグラルタンクが被弾するとすぐ炎上するので、自動防漏タンクが一部に装備されたが、燃料容量が30%減る上に燃料漏れを頻発し、間も無く廃止された。推力式単排気管の排気炎が視界を妨げるため、先端を延長して下に折り曲げる措置が取られた。主脚補強も施行された。参考:月刊JWings2,03

天山丸>:日本海軍特設運送船(雑用)。元は昭和4518日に竣工した大連汽船の中型貨物船である。垂線間長99.06m、幅14.17m、深さ6.55m、満載吃水5.46m、総トン数2776トン、重量トン数4156トン。主機はB&W製四衝程655-MT-100型ディーゼル1基1420馬力、航海速力10.5ノット、最大速力12.67ノット。太平洋戦争で日本海軍に特設運送船(雑用)として徴用された。昭和1778日、ラバウル西北西でアメリカ潜水艦S-37の雷撃を受けて沈没した。参考:月刊世界の艦船5,12

電子海図情報表示装置>:ECDISElectronic Chart Display and Information System)と略す。海図、自船位置、航海システム情報などをディスプレイ上に一括表示するシステムで、危険海域に接近すると警報が出る。独立した2基を備えていれば、紙の海図に艦位チャートを記入する必要は無い。2008年の第54回航行安全小委員会で、国際航海に従事する大型旅客船、タンカー、貨物船への搭載が義務付けられた。参考:朝雲、月刊世界の艦船12,22

<電子海図情報表示装置>:自衛隊の機器。東京計器製。参考:月刊軍事研究9,11

<電子海図装置(LCAC用)>:自衛隊の機器。古野電気製。参考:月刊軍事研究2,19

<電子海図表示装置>:自衛隊の機器。20DD/DD-116てるづき、21DD/DD-117すずつきに搭載されている。古野電気製。参考:月刊軍事研究9,11

電子開発実験群>:航空自衛隊の組織Electronic Development and Test Group、略称EDTG。宇宙状況監視システム、BMDシステム、JADGEシステム、警戒管制レーダーといった地上通信電子機器の試験評価研究や電波環境・通信品質に関する技術調査などを主任務とする。元は196121日に実験航空隊隷下に岐阜基地で創設された電子実験隊で、196810月に入間基地に移駐し、19893月に電子開発実験群に改称され、航空開発実験集団の隷下に入った。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。20134月、入間基地から府中基地に移駐。2015312日、平成26年度体力測定Ⅰ練度向上の部で1位となり、空幕長から表彰された。2016328日、計測支援隊が入間基地から府中基地に移り、隷下全部隊が府中基地に集結した。202121日、部隊創設60周年を迎えた。新型コロナウイルス感染拡大で緊急事態宣言が発令されていたため、記念式典は行えなかったが、EDTGと記した記念のマスクを製作している。参考:月刊軍事研究8,'15MAMOR vol.52、月刊JWings8,14、朝雲

 <電子開発実験群(2015年)>:隊員数60名。航空開発実験集団の隷下にあり、府中基地に置かれている。群本部、開発評価隊、技術調査隊、計測支援隊(入間基地に所在するが府中基地に移転予定)からなる。参考:月刊軍事研究8,'15、航空自衛隊パーフェクトガイド2015

<電子回路実験装置>:自衛隊の機器。日本電計製。参考:月刊軍事研究7,14

電子化学工場>:ソ連の核燃料濃縮工場で、1955年にクラスノヤルスク45で稼働を開始した。参考:核兵器事典

<電磁カタパルト>:EMALSを参照。

電磁カタパルト>:リニアモーターによりシャトルを加速するタイプのカタパルト。1946年からウエスティングハウス社がエレクトロパルトを開発していたが、必要な電力エネルギーを貯めたり、利用したりする技術が追いつかず、実用化には21世紀までかかった。高圧蒸気を利用できないディーゼル・ガスタービン動力艦でも搭載できる。蒸気カタパルトと比較して重量で50%、容積で65%、マンパワーで30%の削減ができるとされ、エネルギー効率は10倍以上の70%である。発艦速度をコントロールできるので、航空機にかかる力の最大値を平均値プラス5%以内に収めることが可能であり、余計な負荷をかけない。軽量の機体でも加速度が過大にならないので、UAVの射出にも向いている。艦船用発電機はメンテナンスの楽な交流発電機を使っているため、電磁カタパルトも交流式リニアモーターを使うことになる。レール側にもシャトル側にも電磁石を使用するLSMLinear Synchronous Motor)の場合、シャトル側に大電力を送り込むのが難しい。一方を導体のみとして電磁誘導で動かすLIMLinear Induction Motor)の場合、レール側を導体にすると電磁石のシャトル側に大電力を送らねばならず、シャトル側を導体にしてレール側を電磁石にすると、レール全長に渡って多数の電磁コイルを設置し、電圧と周波数を制御しながらシャトルの移動に合わせて送電コイルを変更していかなければならない。いずれにせよ相当な大電力を連続給電する必要があり、大出力発電機が必須である。また、大電力を蓄積して短時間に放出する技術も要る。アメリカがEMALSを開発中で、ロシア(LIM方式、出力73.5MW)や中国(002型・003型に装備予定らしい)も開発しているとされる。参考:月刊軍事研究7,097,146,017,13、月刊世界の艦船8,1112,1511,1510,18

電子家庭通信装置>:海上自衛隊の通信装置。洋上の艦艇に勤務する隊員が家族と電子メールで連絡を取るための装置で、食堂や電信室の前に置かれている。ただ乗員全員で共有するので利用が制限されるという欠点があり、より頻繁に連絡が取れるよう海幕厚生課が指揮通信課などの協力を得て改良に着手。艦内の電子家庭通信用端末(隊員が家族に送信したメールを記憶)と地上のサーバー(家族が隊員に送信したメールを記憶)をワイドスターⅡ回線で結び、部隊運用に支障が無い範囲で回線を使用し、端末及びサーバーに記憶されたメールを1日2回相互に送受信し、隊員や家族に送るようにした。また、艦内には各所に無線端末を設置し、装置の前に行かなくても、居住区画から携帯電話でメールを送受信できるようにしている。年間60枚に限られるが、画像の送受信も可能である。2017年度からDDはるさめやTVかしまなどでテストを行い、2018年度に改良を終えた。2024年度概算要求で潜水艦への設置予算が付いている。参考:朝雲、月刊世界の艦船1,24

<電磁環境評価用共試体(その2)>:自衛隊の機器。日本電気製。参考:月刊軍事研究10,10

<電磁クラッチ>:クラッチを参照。

<電子計算機>:自衛隊の機器。キヤノンシステムアンドサポート社またはキング・テック製。参考:月刊軍事研究3,1212,12

<電子計算機借上市ヶ谷庁舎A棟用保全警報装置>:自衛隊の機器。日本電気製。参考:月刊軍事研究8,11

<電子計算機借上データ解析装置用電子計算機>:自衛隊の機器。NTTデータ製。参考:月刊軍事研究9,11

<電子計算機借上防衛省中央OAネットワークシステム・空自システム>:自衛隊の機器。富士通製。参考:月刊軍事研究9,11

<電子計算機借上補給管理教育用電子計算機>:自衛隊の機器。富士通製。参考:月刊軍事研究8,11

<電子計算機用電源装置>:自衛隊の機器。日立電子サービス製。参考:月刊軍事研究10,10

覘視孔>:Vision Slot。乗員が車内から外を覗けるよう、車体や砲塔に空けた細長い孔のこと。ハッチから頭や体を出さなくても外を見られるので死傷する確率が減るが、開口部から銃弾や砲弾破片が飛び込んできたりするので、防弾ガラスを張り、使わない時に閉鎖しておくための装甲カバーを設ける。それでも狙われやすいので、ペリスコープが使われるようになった。参考:British and American tanks of World War Two

電子光学センサー>:Electro-Optical Sensor。電子制御されている光学センサーで、夜間悪天候でも使えるよう感度を向上させるなどの機能強化が図られている。メインセンサーはパッシブ式可視光(LLLTV含む)/赤外線撮像装置で、これだけだと目標までの距離が分からないのでレーザー測距器を追加してあるものが多く、更にレーザー・デジグネータを加えたり、方位盤の一部を構成したりするものもある。1基で全周視野を確保するのは無理があるので、機械的に旋回俯仰させるか、複数の固定型(凝視型)を装備して全周をカバーする。電波を出さずシー・クラッターに惑わされない監視追尾センサーとして、艦載も進んでいる。潜水艦の潜望鏡も電子光学センサーを積んだ電子光学潜望鏡に進化して耐圧船殻非貫通化され、更に通信アンテナなどを統合した電子光学マストになった。参考:月刊丸2,12、月刊JWings10,09別冊付録、月刊航空ファン10,14、月刊世界の艦船12,'211,'15増刊

<電子光学データリンク>:EODLを参照。

<電子光学方位盤式射撃指揮装置>:シリーズ2500(射撃指揮装置)を参照。

電子光学マスト>:Photonics MastOptronic Mast。潜水艦用潜望鏡の1つで、光学系に電子光学センサーを組み込み、赤外線暗視装置、レーザー測距器、ESM、通信装置なども統合したもの。マスト本体が耐圧船殻を貫通しない非貫通型マストが可能となった。参考:月刊軍事研究9,16、月刊世界の艦船12,21

<電子光学目視システム>:AN/ASQ-151EO/IRセンサー)を参照。

<電子光学誘導爆弾>:EOGBを参照。

<電子交換装置1号>:JMTC-T600/T400/T200を参照。

<電子交換装置2号>:JMTC-T5/T10/T20またはJMTC-T120/T121/T121B/T111/T110を参照。

<電子交換装置3号>:JMTC-T30を参照。

<電磁航空機回収システム>:EMARSを参照。

<電磁航空機射出システム>:EMALSを参照。

<電子攻撃>:ECMを参照。

電子攻撃>:エレクトロニック・アタック。レーダーから高出力マイクロ波を放射し、レーダーやミサイルのシーカーを破壊するものである。AN/APG-77AN/APG-79AN/APG-81などがこの能力を持つ予定だが、大量の熱を発生するので冷却システムの能力を超えるという問題があり、実用化には至っていない。参考:月刊軍事研究5,077,14

<電子攻撃訓練ポッド>:AN/ALQ-188シリーズ(電子戦訓練ポッド)を参照。

<電子攻撃飛行隊>:VAQを参照。

電子作戦群>:航空自衛隊の電子戦部隊。電子戦に関する技術向上、研究、教育を主任務とする。201481日、電子戦支援隊と電子飛行測定隊を統合して入間基地で創設され、航空戦術教導団の隷下に入った。201999日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。参考:月刊JWings10,14MAMOR vol.117vol.155

 <電子作戦群(2015年)>:航空戦術教導団隷下で、入間基地に置かれている。電子飛行測定隊、電子戦隊を隷下に置く。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊航空ファン4,16

 <電子作戦群(2020年)>:航空戦術教導団隷下で、入間基地に置かれている。電子飛行測定隊(YS-11EB)、電子戦隊(EC-1YS-11EA)、レーダー評価隊を隷下に置く。参考:月刊航空ファン2,20

電子作戦隊>:陸上自衛隊の電磁波領域作戦部隊。ネットワーク電子戦システムNEWSを運用し、平時にはELINT、有事にはECM(通信・ネットワーク妨害)を行う。2022317日、陸上総隊隷下に新編された。328日、朝霞駐屯地で新編行事を行い、中曽根防衛大臣政務官から隊長に隊旗が授与された。参考:月刊JWings6,22、陸上総隊ホームページ

 <電子作戦隊(2022年3月17日新編時)>:陸上総隊隷下で、朝霞駐屯地に置かれている。隊本部/本部付隊、第101電子戦隊(朝霞駐屯地。留萌、相浦、知念に小規模部隊を置く)、第301電子戦中隊(建軍駐屯地。奄美、那覇に小規模部隊を置く)からなる。参考:朝雲月刊JWings6,22

電磁サスペンション>:油圧ダンパーの代わりに電気モーターを搭載し、発電抵抗(電磁力)によって車体の振動を減衰させるサスペンション。ダンパー速度と減衰力が正比例するので理想的な振動減衰が得られ、この際に発電が行われるのでエネルギーを有効に利用することができる。参考:防衛技術ジャーナル10,06

<電子支援手段>:ESMを参照。

<電子式信管>:FMU-162/B(信管)を参照。

電子システム・センター>:ESCElectronic System Center)と略す。201276日、空軍ライフサイクル管理センターに統合された。参考:月刊軍事研究6,16

電子実験隊>:航空自衛隊の部隊。196121日、実験航空隊隷下に岐阜基地で新編された。196810月、入間基地に移った。19893月、電子開発実験群に改編された。参考:朝雲

<電子情報>:ELINTを参照。

<電子情報解析装置プログラム>:自衛隊の機器。日本電気製。参考:月刊軍事研究2,14

<電子情報解析用波形分析装置の機能付加(その1)>:自衛隊の機器。東芝製。参考:月刊軍事研究1,18

<電子情報教育装置用プログラム>:自衛隊の機器。東芝製。参考:月刊軍事研究3,17

電子情報支援隊>:海上自衛隊の部隊。情報業務群の隷下にある。2017926日、猿島で清掃活動と野外訓育(史跡研修)を実施。2020101日に廃止された。参考:月刊世界の艦船12,20、朝雲

電磁情報隊>海上自衛隊の部隊。2020101日、艦隊情報群隷下に新編された。参考:月刊世界の艦船12,20

電磁推進>:海水に強力な電場と磁場を与えて加速、推進力として利用するもので、フレミング左手の法則を用いている。1966年に初の模型実験が行われたが、推進効率が悪すぎて使い物にならなかった。超電導技術の発達で再び注目されるようにはなったが、今のところ推進効率がプロペラの数分の一なので、実験レベルの状態である。参考:図解雑学 船のしくみ

電子戦>:EWElectric Warfare)と略す。電磁波、指向性エネルギー、レーダー、コンピュータなどの電磁的・電子的手段を使用した戦いのこと。アメリカ軍統合ドクトリンJP3-13.1では電磁スペクトラム(光波やレーザーを含む)を制御し、または敵を攻撃するための軍事活動と定義される。陸上自衛隊では、敵の通信電子活動を探知逆用し、効果を低下または無効化、味方の通信電子活動の自由を確保する作戦・戦闘と定義される。24時間365日、平時と戦時の区別無く行われているが、秘匿性が極めて高く、電子戦の実施内容を公言することはほぼ皆無である。日露戦争中の190438日、旅順港内のロシア艦船を日本の装甲巡洋艦日進及び春日が間接照準射撃した際に、日本の駆逐艦が無線送信した着弾観測通信を旅順基地の電信員がキャッチし、より強力な電波をかぶせて妨害したのが世界初の電子戦である。ただし有線電話通信の盗聴と、対抗手段としての被覆材強化は1853-56年のクリミア戦争で既に行われている。敵の電子システムを破壊・逆用すること、味方の電子システムを守り最大限の能力を発揮できるようにすること、これらに必要な情報(電子情報ELINT)を収集すること、に分類され、積極的電子戦(妨害・欺瞞など)と消極的電子戦(回避・遮蔽など)という分け方もある。妨害手段と対抗手段は互いにエスカレートする性質を持つが、一周回って古い手段がまた有効になったりする。アメリカ軍は1950年代にECMElectronic Counter Measures電子妨害手段)、ECCM(Electronic Counter-Counter Measures対電子妨害手段)ESMElectronic Support Measures電子支援手段)に大別したが、1990年代にそれぞれEAElectronic Attack電子攻撃)、EPElectronic Protection電子防護)、ESElectric Support電子戦支援)と改称し、陸上自衛隊も2001年にそれぞれ通信電子攻撃(EA)、通信電子防護(EP)、通信電子情報活動(ES)と呼び換えた。参考:月刊軍事研究5,052,131,0812,089,13、空軍、月刊JWing11,03、月刊世界の艦船5,19

<電子戦管理システム>:AN/ALQ-213(V)電子戦装置を参照。

電子戦機>:電子戦を行う航空機のこと。レーダーを積んだ早期警戒機や早期警戒管制機と、ECM/ECCM/ESMSEADを行う電子戦機(狭義)などがある。狭義の電子戦機は各種妨害(ジャミング)やSEADにより敵防空網を無力化し、味方部隊の行動を容易にする。IEDの起爆装置に空中から妨害をかけることもある。専用の機体を一から作ることは少なく、現行の軍用機や民間機に機材を積んで改造することが多い。基本的に強力な電波を放射し続ける存在であり、逆探知されやすく、標的にもされやすいので、防衛手段を考えておく必要がある。参考:飛行機のしくみ、空軍、月刊JWings8,17

<電子戦教育訓練機能付加装置>:自衛隊の機器。三菱重工製。参考:月刊軍事研究2,16

<電子戦教育装置用プログラム>:自衛隊の機器。富士通製。参考:月刊軍事研究2,17

電子戦訓練隊>:航空自衛隊の部隊。1964年、航空総隊司令部飛行隊隷下に新編された。196861日、木更津から入間に移駐した。199371日、電子戦支援隊に改編された。参考:月刊JWings7,1310,14、月刊航空ファン1,15

<電子戦警戒セット>:AN/ALQ-128(電子戦装置)を参照。

電子戦支援隊>:航空自衛隊の電子戦部隊で、航空総隊司令部飛行隊の隷下にあり、入間基地に置かれている。元は航空総隊司令部飛行隊電子戦訓練隊で、199371日に改編された。201481日、電子戦隊に改編され、電子作戦群の隷下に入った。参考:月刊JWings7,1310,14、月刊航空ファン1,15

電子戦支援任務>:敵戦闘機の脅威がある時や、味方の攻撃時などに、電子戦機が敵からできるだけ離れつつ脅威信号をモニターし、ECMを行うこと。参考:図解現代の航空戦

<電子戦支援用データ管理装置用プログラム>:自衛隊の機器。三菱電機製。参考:月刊軍事研究12,15

<電子戦システム>:自衛隊の機器。三菱電機製。参考:月刊軍事研究8,12

電子戦隊(航空自衛隊)>:航空自衛隊の電子戦部隊。201481日、電子戦支援隊から改編されて創設され、電子作戦群の隷下に入った。参考:月刊航空ファン4,16

 <電子戦隊(2015年)>:電子作戦群の隷下にあり、入間基地に置かれている。YS-11EAEC-1を装備する。参考:月刊航空ファン4,16

電子戦能力評価システム>:EWESElectronic Warfare Evaluation System)と略す。通称電子戦ハンガー。航空自衛隊飛行開発実験団電子戦技術隊が使用している電子戦環境シミュレート装置で、外で電子戦装置をテストすると他国のESMで解析されてしまうため開発された。F-15などを丸ごと収容できる電波暗室で、機体を空中に吊り上げて実際に電子戦装置(ECMECCMなど)を作動させ、模擬電子戦を実施して各種テストやデータ収集を行う。富士通がジェネラル・ダイナミクス社の支援を受けて岐阜基地に建造し、1990331日に竣工した。参考:月刊JWings10,05、月刊軍事研究10,178,'152,13

<電子戦能力評価システム用高所作業車>:自衛隊の機器。海外アビオテックが受注している。参考:月刊軍事研究4,12

<電子戦ハンガー>:電子戦能力評価システムを参照。

電磁装甲>:Electric Armor。電磁力を利用した装甲のこと。参考:月刊軍事研究1,18

コイル方式>:装甲板本体の外側に空間を開けて金属板を設置し、空間内に電磁コイルを置いたもの。センサーで被弾を探知したら電磁コイルに電流を流し、金属板を弾き飛ばして弾芯やHEATのメタルジェットを破壊する。要するに爆発反応装甲の火薬を電磁力に置き換えたものである。参考:月刊軍事研究1,18

通電方式>:2枚のプレートの間に数千ボルトの高電圧をかけておくと、HEATが炸裂して1枚目を貫徹した瞬間に電気エネルギーが一気に放出され、HEATのジェット内を大電流が流れる。ここに磁場を発生させておくと、フレミングの法則でジェットが曲がり、電流の流れる方向も変わって更にジェットが曲がり、と繰り返して最終的にジェット流が撹乱されてしまう。APFSDSなどの実体弾も大電流により発生する高熱で破壊できるとされる。アメリカとソ連が1971年頃から開発しているが、大電力を確保するのが大変で、イギリス陸軍がウォーリア歩兵戦闘車の車体でテストして成功したものの、実用化には至っていない。参考:月刊軍事研究1,18、月刊PANZER9,97

放電衝撃方式>:爆発反応装甲の火薬の代わりに化学充填剤、信管の代わりに電気回路を使うタイプ。センサーで被弾を探知したら電気回路に電流を流して化学充填剤を爆発させ、金属板を弾き飛ばして弾芯やHEATのメタルジェットを破壊する。参考:月刊軍事研究1,18

<電子走査アンテナ>:プラナー・アレイ・アンテナを参照。

電子装備研究所>:防衛装備庁/技術研究本部の研究所で、通信、情報処理、レーダー、光波技術などを研究するのが主任務である。2015101日、技術研究本部から防衛装備庁の隷下に移った。202141日、次世代装備研究所に改編された。参考:朝雲、防衛装備庁ホームページ

 <電子装備研究所(2015年)>:技術研究本部/防衛装備庁の隷下にある。情報通信研究部、センサ研究部、電子退所研究部、飯岡支所からなる。参考:防衛装備庁ホームページ

電子装備研究所飯岡支所>:防衛装備庁/技術研究本部の研究施設。千葉県旭市にある。屋外で装備品等のRCSを計測可能で、対レーダー・ステルス性能の評価技術研究を行える国内唯一の施設である。参考:朝雲

電子ソリッドステート広角カメラシステム>:ESSWACSと略す。アメリカ空軍電子機器研究所とアメリカ海軍電子システムズ・コマンドなどが開発していた光学リアルタイム偵察システムで、19788月からRF-4Cに搭載されてテストが行われた。視野140度のCCDカメラ5基を搭載しており、8640ピクセルの細いライン(高度328mでは全長1650m)の集合からなる映像はECCM性に優れたデジタルパルスに変更され、機上磁気テープに記録されると同時に、衛星データリンクなどを通じて他のユーザーに送信される。参考:スパイ機

電子偵察機>:ELINTを主任務とする軍用機のこと。電波情報収集解析のため、大がかりな器材を載せる必要があり、また長時間滞空して情報を収集することから、輸送機や大型爆撃機、大型旅客機などを改造して専用の機体を作る。機体各所にELINT用の情報収集アンテナが多数設けられているのが特徴。基本的に相手の領域外で電子情報収集に勤しんでおり、ELINT自体も国際交戦法規や国際電気通信条約に縛られない偵察活動であることから、スクランブル機に嫌がらせを受けることはあっても、領空侵犯などをしない限りは非合法スパイ機として問答無用で撃墜というのは国際法・条約的根拠が無い。参考:空軍

<電子偵察兵器学校>:ERWSを参照。

<電子熱化学砲>:ETCを参照。

電子熱装甲>:2枚のプレートに高電圧をかけ、その間に絶縁性の爆発物を入れておく。HEATが貫徹すると、ジェット流に大電流が流れて爆発物が炸裂、ジェットが吹き飛ばされる。参考:月刊PANZER9,97

電磁波>:電界と磁界を伝わる横波。周波数が高い(波長の短い)方から放射線(γ線/X線)、紫外線、可視光、赤外線、電波に分かれる。粒子と波動の性質を持ち合わせているが、高周波の放射線は粒子、低周波の電波は波動で表現される。水中では電気抵抗によりエネルギーが失われるため、遠距離まで届かない。参考:レーダの基礎、図解・電波のしくみ、月刊JWings2,01、朝雲

<電子ビーム溶接>:溶接を参照。

電子飛行測定隊>:航空自衛隊のSIGINT/ELINT/COMINT飛行隊。使用機はYS-11EBで、中国・北朝鮮情勢を踏まえて那覇基地にも機体や要員を派遣している。19911111日、航空総隊司令部飛行隊隷下に入間基地で創設された。2013311-13日、嘉手納基地のアメリカ空軍第55航空団第82偵察飛行隊要員とISRに関する意見交換を行った。201481日、電子作戦群の隷下に移った。2020101日、RC-2電子情報収集機が配備され、入間基地格納庫で記念式典を行った。2022328-30日、RC-2電子情報収集機を百里基地に展開し、関東東方の太平洋上で日米豪共同訓練に参加。参考:月刊JWings6,137,1310,142,'216,'22、月刊航空ファン4,16、朝雲

 <電子飛行測定隊(2015年)>:電子作戦群の隷下にあり、入間基地に置かれている。YS-11EBを装備する。参考:月刊航空ファン4,16

電磁分離>:ウラン濃縮法の1つ、Electro-Magnetic Isotope SeparationEMIP)。カルトロン(Calutron)とも呼ばれる。フッ化ウランガスを強力な電磁石の間に通し、ウラン235とウラン238の僅かな質量差による到達地点のずれを利用して分離濃縮する。高度の技術が要らないが、少量しか製造できず、費用対効果もガス遠心分離法に劣る。参考:軍事分析湾岸戦争、月刊軍事研究1,03

<電磁ヘルメット装着ディスプレイ>:HMTISを参照。

電磁法>:ウラン濃縮法の1つ。イオン電解液中にウランを置くと、電磁場との相互作用により同位元素が別の方向に移動するので、濃縮が可能となる。マンハッタン計画で最初に使用された方法だが、効率が悪いので以降は使われなくなった。参考:アメリカの核兵器

電磁砲>:EM砲(Electro-Magnetic Gun)ともいう。ローレンツ力を利用して弾丸を加速、発射するものである。コイル内に弾丸を通して加速するコイルガンと、数本の平行なレールに電流を通して弾丸の後ろに磁場を作ってローレンツ力により押し出すレールガンの2つがあり、原理上は弾丸をいくらでも(光速は超えられないが)加速できる。サボーを填めて加速器形状に合わせたり、加速用物体に装着して押し出したりすれば、弾丸に限らず爆弾でも何でも投射可能。火薬を使わないので爆発事故が起きず、安全管理が楽なのも利点。1944年にはドイツで電磁高射砲のテストが行われ、初速毎秒1000mを記録したが、投射体の重量が10gしかなく、実用性が無いとして開発中止になった。参考:防衛技術ジャーナル10,06、ザ・マーチ23号、月刊PANZER1,90、月刊軍事研究7,072,089,102,12、月刊世界の艦船11,148,10

 <コイルガン>:加速に同軸コイル加速器を使用するもの。リニアモーターカーと同じ仕組みで、スイッチシステムによりドライブコイル(砲身部分)に同期的に電力を供給して電磁石にし、バケツコイル(弾丸など投射体)を前方に引っ張って加速する。エネルギー効率はレールガンよりも高く、ブラシ整流螺旋型加速器で50%以上、非連続コイル同軸加速器で90%以上に達するが、重量が大きくなりすぎる、電流を流すタイミング(スイッチング)の制御が難しい、弾丸速度が毎秒1kmを超えるとブラシ整流が故障して使用できなくなるといった欠点があり、あまり研究は進んでいない。砲でなくチャフ・フレア散布やデコイ射出、短魚雷落射といった使い道ならエネルギー効率の高さを活かせるので有用である。参考:ザ・マーチ23号、防衛技術ジャーナル10,06、月刊PANZER1,90、月刊軍事研究7,072,089,10、月刊世界の艦船8,1011,148,16

レールガン>:RailgunEMRGElectro-Magnetic Rail Gun)。機械的に結合されているが電気的に絶縁されている平行なレールを用意し、レールの間に弾丸を填め込む。弾丸はレールを電気的に接続しており、発射スイッチを入れると、電流が一方のレールの尾部から弾丸を通ってもう一方のレールの尾部に抜け、ローレンツ力により弾丸がレールに沿って加速されて発射される。弾丸の推力は(レール単位長さ当たりのインダクタンス)×(レール電流の二乗)の半分となる。弾丸とレールが接触していないと電気が流れないが、接触していると摩擦で弾丸やレールが損傷するという根本的な矛盾があり、実用化に難渋した。弾丸に兵器としての特性と導電性と耐熱性と低摩擦を全て備えさせるのは無理があり、まずは装弾筒付きの非導電性弾丸を使ってレールとの接触を最小限とし、導電性と耐熱性の双方に優れた電機子(armature)を弾丸の後ろに置いて電機子の方に通電、弾丸を後ろから押してやる方法が開発されたが、初速3000mあたりで摩擦による破損や接触不良が起きてしまった。摩擦を減らしつつ連続的な加速を得るため、電機子を通電時の高熱でプラズマ化させ、これで弾丸を押す方式が考えられたが、これだと電熱化学砲(プラズマ砲)と同じ原理なのでやはり毎秒3000mが限度になる。そこで電機子を金属箔でくるみ、通電と同時に金属箔をプラズマ化させて電機子とレールを直接接触させること無く通電を保ち、弾丸を加速する複合電機子(Hybrid armature)方式が考案された。砲弾エネルギーは30MJ(メガジュール)は欲しいところだが、エネルギー効率30%として100MJという大電力(加速時間10ミリ秒とすると電力10ギガワット、継続電源で得ようとするなら原発10基が要る)を供給するのに困難があり、パルス電源用に大容量のコンパルセータやコンデンサバンクなどを開発する必要がある。また、残り70%の大部分が熱になり、プラズマも発生する(これが砲口から吹き出るので、盛大な発射炎が生じる)ので、砲身に冷却パイプを通しても連続発射すればレールが溶けてしまう。エロージョンを防ぐにはタングステンでレールを作るのが良いが、価格と強度(硬いが脆い)の面に問題があるため、タングステンカーバイドや銅合金、導電性セラミックなどがテストされている。レールを長くすると熱になってしまうエネルギー量も増加するため、レールを短く分割してそれぞれに別の電源を設ける必要があるが、装置が大がかりになる。発射時には数千気圧の磁気圧がかかるため、レールが外に膨らんで弾丸から離れると加速が止まり、計算上の初速に達しない。これを防ぐには砲身最外部に補強枠を置く必要があるが、これを金属にするとこちらに電流が逃げてしまい、エネルギー効率が落ちる。レールガンでの最大弾速記録は毎秒7450-7800m1970年代にオーストラリア国立大学で実験が行われ、5mの銅製レールにより3gの立方体を毎秒6000mに加速した。これを受けてアメリカでも研究が行われるようになり、弾丸後部にアブレーター(加熱されて蒸発・液化することにより熱を散逸させる)を取り付けてプラズマから弾丸を守るといった工夫も行われた。ドイツとフランスは20mm機関砲の代替を目指すペガサス・レールガンを試作した。ロシアも試験用レールガンを作ったが、15gのプラスチック弾を初速毎秒3000mで発射するに止まっている。中国はレール長3m・口径30mmのレールガンを試作しているらしい。インドは201712月に防衛研究開発機構DRDO製レールガン(口径12mm)から砲弾を毎秒2000mで射出したと発表した。トルコもサヒ209やアセルサン社製トーファン艦載レールガンの実用化を目指している。参考:防衛技術ジャーナル10,06、月刊軍事研究12,172,127,072,089,10、月刊PANZER1,90、月刊世界の艦船4,'218,101,136,15、ザ・マーチ23号、朝雲

レールガン(アメリカ)>:アメリカ海軍では2005年にINPInnovative Naval Prototype)計画を立ち上げ、2020年頃の艦砲用として電流600万アンペア、砲弾エネルギー64MJ、弾速マッハ7-8のものを開発することにした。具体的には、DD21ズムウォルト級の総発電容量80MWの電力のうち、15-30MWを電磁砲用に回し、海兵隊の上陸作戦支援用として砲弾重量15kg、発射速度毎分6-12発、初速毎秒2500m、砲口エネルギー64MJ、着弾時速度毎秒1700mを目標としており、最大飛翔高度152km(大気圏外)、最大射程370km以上を目指している。アーレイ・バーク級フライトⅢ以降に搭載するなら20MJクラスで、最大射程は93kmとなる。まずはフェーズⅠとして砲口エネルギー32MJのものを開発することを決定、200610月にアメリカ海軍水上戦闘センターのダールグレン部門に電磁発射施設を開設した。2006102日の実験では口径90mmのレールガンから重量2.4kgの砲弾を初速毎秒830m(エネルギー0.8MJ)で発射しており、2007116日には初速毎秒2146m(エネルギー7.4MJ)を達成した。20081月、BAEシステムズ社製実験用レールガンが重量3.2kgの砲弾を初速毎秒2500m(エネルギー10.86MJ)で発射した。20101210日、実験用レールガンのゲームチェンジャー(Gamechanger)から重量10.4kgの砲弾を初速マッハ7(毎秒2500m。エネルギー33MJ)で発射し、INPフェーズⅠの目標である砲口エネルギー32MJを達成した。このレベルで実用化したと仮定すると、最大射程204kmになる。電力は20フィート・コンテナに収容した100MJキャパシター・バンクと25MW発電機から供給しており、砲口エネルギー32MJなら50回撃てる。砲身寿命は100発くらい。2012年、発射速度毎分10発と砲身寿命1000発を目指すフェーズⅡを開始。2月、BAEシステムズ社製電磁砲(砲口エネルギー32MJ)がアメリカ海軍研究実験場で6発の試射を行った。109日、ジェネラル・アトミックス社製電磁砲がアメリカ海軍研究実験場での試射を開始。201510月頃からBAEシステムズ社及びジェネラル・アトミックス社を中心とする企業グループが開発中の出力32MJクラスの電磁砲をJHSV-5/T-EPF-5トレントン(当初はJHSV-3を予定していたが変更された)のヘリ甲板上に搭載し、水平線以遠固定目標に対するGPS誘導超高速砲弾HVPHyper Velocity Projectile。重量20kg、射程93-204km)海上発射試験を開始する予定だったが、コストの問題で陸上試験を続けることになった。HVPは対空用ペレット撒布型砲弾なども開発し、対地・対水上・対空から対弾道ミサイルまで使えるようにする予定である。20161127日、アメリカ海軍水上戦闘センターでINPフェーズⅡを達成するため自動装填装置を搭載した32MJ級レールガン・ゲームチェンジャーの初射撃試験が行われ、成功した。2017年、2基目の32MJ級レールガンがアメリカ陸軍ホワイト・サンズ射場に設置された(1基目を移動?)。2019515日、ホワイト・サンズ射場で初の発射実験が行われた。ただ大電力供給システムや加速レールのエロージョン対策など、解決困難な技術的問題が山積しているらしく、2021会計年度末で開発中断になっている。ジェネラル・アトミックス社では近距離目標用のブリッツァー(砲口エネルギー3MJ)を自主開発中で、アメリカ陸軍が車載レールガンとしてテストしている。参考:防衛技術ジャーナル10,06、月刊PANZER1,90、月刊軍事研究12,171,189,168,'152,167,072,089,108,11、月刊世界の艦船4,'213,168,101,136,1411,'21、ザ・マーチ23号、朝雲

レールガン(自衛隊)>:火薬式火砲の限界を超えた高速長射程砲により経空・地上・水上脅威を排除すべく、技術研究本部/防衛装備庁が開発中。装置は相模原市の陸上装備研究所に設置されており、加速レールは日本製鋼所、電源部はニチコンが製作した。電源出力は1メガジュールで、容量50キロジュールのキャパシタ(コンデンサ)を20個纏めて電圧波形整流用コイルクローバに接続している。加速レールは長さ2m、タングステン70%+銅30%の合金製で、上下に配置されていて、後面開口部から飛翔体を装填する。飛翔体はアルミニウム製導電部(アーマチャ)にナイロンのキャップを被せたもので、長さ44mm、幅16mm、高さ16mm、重量20g。導電部はアーク放電を抑えるため直方体の後部を山型に削ったV字断面(正式名称はC型電機子)となっており、加速中に薄い部分が外側に開いて加速レールとの接触を保つ。また、初期加速後に射撃することでレールのエロージョンを防ぐ仕組みも開発した。秒速2759mの加速に成功しており、加速レールの耐久性の問題は解決の見通しが立ったとのことだが、砲口エネルギー換算では0.076MJに過ぎず、電源部も巨大で、実用化へのハードルはまだまだ高そうである。アーマチャを大型にし、ナイロンキャップの代わりに装弾筒付きの鋼鉄製35mm弾芯を配置したテスト用砲弾は一応製作した。2017年度から電磁加速システムの研究という名称で試作に入り、2020-21年度にテストを行う予定で、砲口初速マッハ6、射程200km、発射速度毎分10発を目指している。日本製鋼所では絶縁レールの素材として金属板とセラミックをエポキシ樹脂で固めたものを開発しており、発射時のエロージョンを更に抑制する見込みである。2022-28年度に将来レールガンの研究を実施。20231月頃、艦船に40mmレールガンを装備するための調査工事などを横須賀地方総監部が民間企業(非公表)と契約した。1017日、自衛艦(多分試験艦ASEあすか)に搭載し、洋上実射試験を行ったと、防衛装備庁が発表した。陸上発射試験では40mmレールガンで初速毎秒2000m超を達成済みで、極超音速飛翔体迎撃用や、対地・対水上目標に対する高速長射程砲撃用として実用化を目指している。ちなみにJAXAでも電磁飛翔体加速装置という名称で1980年代末から開発しており、HYPACという実験レールガンを製作して1gの飛翔体を秒速7.8kmで射出することに成功した。参考:ストライク・アンド・タクティカルマガジン3,12、月刊軍事研究12,171,182,142,18、月刊世界の艦船1,178,231,24

レールガン(中国)>:2011年に試作砲の存在が明らかとなっており、2014年に最初の発射試験を行った。055型駆逐艦第2ロット(2020-25年頃配備予定)に砲口エネルギー32MJ、飛翔体重量10kg、射程100海里以上のものを搭載する予定らしい。2018年初め、072Ⅱ型戦車揚陸艦936海洋山の船首楼甲板に砲身長10mの砲塔式レールガン、その後方の上甲板上に電源などを積んだ写真が公表された。2017年末から2018年に洋上発射試験を行い、初速毎秒2600m・マッハ7.6、飛翔距離200km・飛翔時間90秒を達成したらしい。2025年までに運用を始める予定とされる。参考:月刊軍事研究2,188,18、月刊世界の艦船4,'2112,18、朝雲

レールガン(ロシア)>:20171月に重量15gのプラスチック円柱を秒速3000m・マッハ8.8で射出することに成功した。20181月、重量100gの弾丸を初速毎秒3000mで発射可能と発表している。2020年、有効射程8000m・最大射程10000mを達成したと発表した。参考:月刊世界の艦船4,'2112,18、月刊軍事研究2,18

<電子妨害手段>:ECMを参照。

<電子防御>:ECCMを参照。

<電磁放射線>:放射線を参照。

<天鷲第一五三一〇>:飛行第5戦隊を参照。

<天鷲第一八四二七>:飛行第55戦隊を参照。

<天鷲第一八四二八>:飛行第56戦隊を参照。

<天井クレーン>:自衛隊の機器。キトーまたは象印チエンブロツク製。参考:月刊軍事研究2,17

<天井クレーン5トン>:自衛隊の機器。キトーまたは象印チエンブロツク製。参考:月刊軍事研究2,17

<天井走行クレーン2.5トンローヘッド形シングルガーダ電動式>:自衛隊の機器。キトー製。参考:月刊軍事研究2,17

<天井走行クレーン防爆型2トンオーバーヘッド形>:自衛隊の機器。キトー製。参考:月刊軍事研究2,17

<天井走行クレーン防爆型2トンローヘッド形>:自衛隊の機器。キトー製。参考:月刊軍事研究2,17

<天井走行クレーン防爆型2トンローヘッド形シングルガーダ電動式>:自衛隊の機器。キトー製。参考:月刊軍事研究2,17

<天翔第一九一九〇>:飛行第18戦隊を参照。

天之翼飛行表演隊>:中国空軍航空大学のアクロバットチーム。201191日の航空大学開校記念日オープンハウスで初教6練習機6機による展示飛行を行った。参考:月刊航空ファン11,11

伝書鳩>:スウェーデン軍は第2次大戦時にも280羽を気球隊に配備しており、捷一号作戦でも信頼の置けない無線機や電線の足りない有線電話に代わって活躍している。1991年の湾岸戦争時にはアメリカ軍がスイスで伝書鳩を調達しようとしたらしい。参考:月刊丸3,90、月刊軍事研究3,10MAMOR vol.102

<電磁ログ4型改>:自衛隊の機器。横川電子機器製。参考:月刊軍事研究10,13

<電磁ログ4型改3>:自衛隊の電磁ログ。横河電子機器製。参考:月刊軍事研究6,08

電磁ログ5型>:海上自衛隊の測程儀で、艦船の速度や航程を表示する。参考:自衛隊装備年鑑1996

<電磁ログ6型4>:自衛隊の電磁ログ。横河電子機器製。参考:月刊軍事研究8,08

<電磁ログ9型B>:自衛隊の機器。横河電子機器製。参考:月刊軍事研究1,11

<転身>:ローリングを参照。

電信>:電気や電波を利用した通信で、機械の音を鳴らしたりして内容を伝達する。参考: MAMOR vol.102

<電信交信実習装置>:自衛隊の機器。海洋電子工業製。参考:月刊軍事研究4,18

電信通信(日本陸軍)>:軍用通信網による電信通信は和文及び数字電報とし、特に指定された通信所のみ欧文電報を取り扱う。参考:作戦要務令

電信部隊(日本陸軍)>:日本陸軍の通信機関。所属軍司令部と直属部隊・隣接軍・飛行機との間や、軍内各兵団司令部と関係飛行部隊との間に通信網を構成したり、軍の作戦地域内に骨幹通信網を構成して後方通信網と連接したりして、通信を行うのが主任務である。参考:作戦要務令

天晨丸>:瑞光商船貨物船Tenshin maru。大元はカナディアン・ヴィッカーズ社の第1次大戦イギリス標準船ウォー・ダッチェスで、大正79月に進水し、竣工後の大正8年にオーストラリアのアデレード汽船に売却されてバルディナになり、昭和9年に中国の泳華となって太洋海運が用船・大同海運が運航、昭和13年に瑞光商船が購入して天晨丸に改称された。垂線間長115.98m、幅14.87m、深さ9.06m、満載吃水7.45m、総トン数4236トン、重量トン数7407トン。主機は三連成レシプロ蒸気機関1基1軸2600馬力、航海速力9ノット、最大速力12.6ノット。太平洋戦争勃発で船舶運営会が運航して陸軍配当船となり、フィリピン方面で輸送任務に就いた。昭和191024日、マタ30春風船団の一員としてマニラから高雄に向かっていたところ、東沙環礁南東180kmの南シナ海でSS-367アイスフィッシュの雷撃を受け沈没した。参考:月刊世界の艦船5,21

伝声管>:騒音のある所でも離れている者に肉声で命令を伝えることを可能とする器材で、艦船や多座機などに設置されている。管自体は直径40mmくらいで、声を送るところが直径100mmくらいに広がっていて、異物防止用の覆いがかけてある。航空機用はその半分くらいのスケールである。参考:海軍よもやま物語

電整士>:海上自衛隊の職名で、略号はデシ。参考:日本の防衛戦力Part3

<電殲16型>:殲撃16D型(電子戦機)を参照。

<伝送評価装置>:自衛隊の機器。光電製作所製。参考:月刊軍事研究10,11

<電装品修理車搭載用工具セット>:自衛隊の機器。妙義工商製。参考:月刊軍事研究1,11

天測航法>:Celestial navigation。六分儀などを使用し、月や特定の恒星と船舶・航空機やミサイルとの相対位置を参照して自分の位置を割り出し、予定コースを外れないように飛翔航行する航法のこと。月や星の見えない昼間や悪天候では使えない、熟練者でも2kmくらい誤差が出るという欠点がある。衛星航法の発達で廃れたが、サイバー攻撃で衛星航法が使用不能になった場合のバックアップとして注目されており、アナポリス海軍兵学校でも2015年に20年振りの授業が復活した。参考:海軍よもやま物語、月刊世界の艦船3,05、月刊JWings10,09別冊付録、朝雲

典則類>:指揮官の意図と下級部隊の判断とを合致させ、戦術思想の統一を図るために平時に制定されるもの。複数の同盟国からなる部隊では特に重要で、これに基づく共同訓練を重ねる必要がある。参考:月刊世界の艦船8,82増刊

<天台山>:940(揚陸艦)を参照。

<田単>:FFG1110(フリゲート)を参照。

電探>:電波探信儀または電波探知器の略。以前(日本軍時代)はレーダー一般を指していたが、現在は電波を逆探知する機材(ESM)を指すことが多い。参考:月刊JWings2,00、艦船メカニズム図鑑、月刊軍事研究7,08

伝単>:心理戦に使用する宣伝ビラの日本軍用語。敵が撒くものは謀略ビラという。参考:月刊世界の艦船3,12

<電探欺瞞紙>:チャフを参照。

<テンチ>:SS-417(潜水艦)を参照。

<天地>:AOE-57(補給艦)を参照。

テンチ級シリーズ>:アメリカ海軍潜水艦Tench級。参考:アメリカ潜水艦史

テンチ級>:ガトー級後期艦(バラオ級)の改良型で、電動機をダイレクトドライブ化して艦内容積を拡大すると共に静粛性を向上させ、タンクの配置を変更、魚雷と燃料の搭載量を増やした。SS-475以降は潜航深度が180mになった。全長95m、幅8.3m、吃水4.6m、水上排水量1570トン、水中排水量2428トン(SS417-4242416トン、SS475-5152414トン)。主機はディーゼル・エレクトリック方式、フェアバンクス・モース式38D8 1/310気筒対向ディーゼル(1600馬力、720rpmSS435-474GM16-278A16気筒2サイクルディーゼル、1600馬力、720rpm)4基・GE式主電動機2基、GE式電動モーター(SS-425SS-426SS475-490はエリオット式、SS522-525WH式)2基、水上出力5400馬力、水中出力2740馬力、2軸推進、水上速力20.25ノット、水中速力8.75ノット、重油搭載量454トン(SS435-474389トン)、エレクトリック・ストレージ・バッテリー社製VLA47B蓄電池126セル2群計252セル、航続距離11000海里(水上10ノット)、航続時間48時間(水中2ノット)。安全潜航深度122m。兵装は533mm魚雷発射管10門(艦首6門、艦尾4門。魚雷24本)、25口径127mm単装両用砲Mk17が1門(セイル後方)、40mm単装機関砲1門(SS435-474は無し)、20mm単装機関砲1門(SS435-474は2門)、12.7mm連装機銃1基(SS435-474は無し)、7.6mm単装機銃2丁。乗員80-90名。80隻作る予定だったが、SS-417テンチ、SS-418ソーンバック、SS-419ディグロン、SS-420タイラント、SS-421トラッタ、SS-422トロ、SS-423トースク、SS-424クイルバック、SS-426タスク(ガトー級?)、SS-427ターボット、SS-428ウルア、SS-429ユニコーン、SS-430ヴァンディス、SS-431ウォールラス、SS-432ホワイトフィッシュ、SS-433ホワイティング、SS-434ウルフフィッシュ、SS-435コルセア、SS-436ユニコーン、SS-437ウォールラス、SS-475アーゴノート、SS-476ランナー、SS-477コンガー、SS-478カットラス、SS-479ディアブロ、SS-480メドレガル、SS-481リクイン、SS-482アイレックス、SS-483シー・レパード、SS-484オダックス、SS-485シラゴ、SS-486ポモドン、SS-487レモラー、SS-488サーダ、SS-489スピナックス、SS-490ヴォラドア、SS-491ポンパノ、SS-492グレイリング、SS-493ニードルフィッシュ、SS-494スカルピン、SS-516ワフー、SS-522アンバージャック、SS-523グランパス、SS-524ピカレル、SS-525グレナディア、SS-526ドラド、SS-527カンバー、SS-528シー・パンサー、SS-529ティブロンの49隻(48隻?)に減らされ、更にSS427-434SS-436SS-437SS491-494SS-516SS526-529が建造中止となり、最終的には1944-51年に31隻(29隻?)が就役した。参考:アメリカ潜水艦史、第2次大戦のアメリカ軍艦、月刊世界の艦船6,099,12増刊

<テンチ級(ガピー改装)>:ガピー改装を参照。

テンチ級(ミグレインⅡ改装)>:対空戦闘指揮所とシュノーケルを追加し、新型レーダーを搭載したもの。SS-489スピナックスが改装を受けた。参考:アメリカ潜水艦史

<テンチ級・海外シリーズ>

 <テンチ級(イタリア海軍)>:イタリア海軍潜水艦。ガピーⅡ/Ⅲ改装艦である。全長98m、水中排水量2450トン。主機はディーゼル4基・電動モーター2基、出力5400馬力、2軸推進、水上速力20ノット、水中速力15ノット。兵装は533mm魚雷発射管10門。1972818日に2隻を貸与され、ジャンフランコ・ガッツァーナ・プリアロッジアなどとして就役させた。参考:月刊世界の艦船3,15

天地級>:韓国海軍補給艦チョンジー(Chunjee)級。液体・ドライカーゴ用補給ステーションを両舷に装備する。後部甲板にヘリ発着スペースがあり、VERTREPも可能である。全長130m133m?)、全幅17.8m、吃水6.5m、満載排水量9180-9327トン。燃料・真水4200トン、ドライカーゴ450トンを積める。主機はディーゼル2基2軸12800馬力、速力20ノット。30mmまたは40mm連装機関砲2基を装備する。AOE-57天地、AOE-58大清、AOE-59ファチョンの3隻が1990-98年に就役した。参考:月刊軍事研究5,05、月刊世界の艦船4,099,013,18

<天柱山>:911(揚陸艦)を参照。

<天誅戦隊>:常陸教導飛行師団を参照。

天突き体操>:日本海軍が寒さ対策や眠気対策で実施した体操。上半身裸になり、足を開いて膝を曲げ、両拳をそれぞれの肩の位置に持って行って準備完了。よいしょの掛け声と共に片方の拳を思い切り突き上げて膝を伸ばすというのを5分間繰り返す。参考:海軍よもやま物語

<デンテューダ>:SS-335(潜水艦)を参照。

<テン・テン・ボマー>:B-36シリーズ(爆撃機)を参照。

<デント>:APD-9(高速輸送艦)またはDD-116(平甲板型駆逐艦)を参照。

<転度>:ライフリングを参照。

電動アクチュエーションシステム(その2)の研究試作>:自衛隊の研究試作で、防衛装備庁が2017221日に三菱重工と契約した。ステルス形状を持つ将来戦闘機の機体形状設計自由度を向上させるため、潤滑油ポンプや耐圧パイプなどが必要な油圧系統の代わりに、電気配線のみで済む電動アクチュエーションシステムを開発するものである。2018年度に所内試験を行って試作を完了する予定。参考:月刊航空ファン7,17

電燈艦飾(海上自衛隊)>:艦首-マスト-艦尾を白色電球で繋ぎ、点灯させて船体を浮かび上がらせるもの。国家の大典や観艦式などに際し、日没後に実施される。参考:MAMOR vol.157

<電動機>:電動モーターを参照。

電灯中隊>:日本陸軍の工兵部隊で、電信第一連隊の隷下に創設された。60cm75cm探照灯を装備し、夜間悪天候時に地上を照射するのが主任務である。昭和3年末に工兵学校教導隊の隷下に入り、陣地防御用の高圧電流を研究するようになった。昭和104月に電気中隊に改編された。参考:工兵入門

電動排水機>:日本陸軍の坑道機材。参考:工兵入門

電動巻上機>:日本陸軍の坑道器材。参考:工兵入門

電動モーター>:電動機、Motor。電力を回転力に変える装置。固定子(ステーター)と回転子(ローター)に電磁石を仕込み、N極とS極をタイミング良くスイッチすることで反発・吸引力を生じさせ、回転子を回す。固定子の方は永久磁石でも良いが、素材により性能に限界があるのと、磁力の加減が効かないので、電磁石の方が便利。ゼロ回転でもトルクを発揮でき、高回転も可能で、トランスミッションが要らない。減速時に出力軸の回転をモーターに伝達すると、電力として回収できるが、交流電力として発電されるので、コンバーターを使って直流に変えてからバッテリーに溜める。出力を上げるには回転数を上げれば良いが、トルクを大きくするためにはモーター直径または長さを拡大する必要がある。トルクが電流の大きさに比例するので、大きいトルクを維持するには大電流を流し続ける必要がある。参考:月刊軍事研究7,14、月刊世界の艦船2,15、クルマのすべてがわかる事典、トコトンやさしい油圧の本

 <交流電動機>:交流電源を使用するタイプ。電源の周波数に合わせて電磁石のN極とS極が入れ替わるので、直流整流子電動機のような刷子が要らず(ブラシレスモーター)、整備が楽だが、回転速度を変えるのに電源の周波数制御を行う必要があり、コンピュータ制御を要する。電源も直流から任意の電圧・周波数の交流電源を作れる可変電圧可変周波数電源(インバーター)を使う。棒状の導体を円周上に多数並べて円筒型の回転子を形成させ、これを電磁石固定子による電磁誘導で回転させる誘導電動機(Induction Motor)、回転子にも電磁石を仕込み、スリップリングを介して電力を供給し回転させる同期電動機(Synchronous Motor)、同期電動機の回転子を電磁石でなく永久磁石にしてスリップリングを省いた永久磁石同期電動機(Permanent Magnet Synchronous Motor)がある。効率の良いインバーターが開発されたため、潜水艦でも使える見込みが立ち、214型潜水艦やそうりゅう型潜水艦が採用した。参考:月刊軍事研究7,14、クルマのすべてがわかる事典、月刊世界の艦船8,17

 <直流整流子電動機>:直流電源を使用するタイプ。回転子に整流子と呼ばれるスイッチング装置があり、ここに刷子(ブラシ)を接触させて電流を流すことで極性を反転させながら回転子を回す。回転子に流す電圧を高くするか、固定子に流す電流を弱くすれば、回転が速くなる。整流子と刷子の間で摩擦が生じる関係上、刷子は定期交換が必要な消耗品となり、整備に手間がかかる。また、整流子と刷子の接触部でフラッシュオーバーが発生し、モーターが壊れることがあるので注意。固定子と回転子を直列にして電源に繋いだ直流直巻電動機、並列にした直流分巻電動機、固定子を2つに分けて並列に繋ぎ、更に回転子を直列に繋いだ直流複巻電動機がある。蓄電池から直結できるので潜水艦が広く使用しているが、回転数の増減に応じ回路を切り替えて電圧と電流を調節する必要があり、その際に雑音が発生するのが欠点。参考:月刊軍事研究7,14、月刊世界の艦船8,17

 <同期電動機>:Synchronous Motor。交流電動機の1つで、固定子だけでなく回転子にも電磁石を仕込み、スリップリングを介して電力を供給し回転させる方式である。インバーターなどで周波数と電圧を制御することにより、回転数を自由に変化させることができ、推進軸に直結させても細かい速力制御が効く。参考:月刊世界の艦船2,15、月刊軍事研究7,14

<電動リフト>:自衛隊の機器。トヨタエルアンドエフ東京が受注している。参考:月刊軍事研究9,15

<テント(居室型)>:自衛隊の機器。帝国繊維製。参考:月刊軍事研究3,18

テント倉庫>:陸上自衛隊のテント式倉庫。人命救助システム用簡易格納器材で、太陽工業株式会社が1997年度から納入している。参考:朝雲

<テント(倉庫型)>:自衛隊の機器。装備開発機構製。参考:月刊軍事研究3,18

電熱化学砲>:Electro-Thermal-Chemical Gun。パルス電源に蓄えられた電気エネルギーによりプラズマを発生させ、これを燃焼部に注入して作動媒体と化学反応させ、発生する高温・高圧のガスで弾丸を加速する。作動媒体に、エネルギー伝達効率の良い軽ガス(水素、ヘリウムなど)を使用すれば初速毎秒3000m程度を発揮でき、従来の砲身もそのまま使用できる。火管のみをプラズマ発生部に変更したものも安定した点火が可能なため研究されている。電源技術、プラズマ制御などに問題がある。参考:火器弾薬技術ハンドブック

電熱砲>:Electro-Thermal Gun。薬室に水やパラフィンを充填し、アーク放電してプラズマ化、弾丸を加速する。ただし大電流が必要で、これの確保に問題がある。参考:月刊PANZER1,90

天然痘>:空気感染を起こすため、感染力が非常に強い。ワクチンを打っていない場合、死亡率は30%に達するが、ワクチン接種は既に全世界で行われておらず、免疫持続期間も5年程度のため、現在天然痘に対する免疫を持っている人はほぼゼロとみられる。1977年にソマリアで最後の患者が発症し、1980年にWHOが根絶宣言を出した。ただ研究室の事故などに備えてアメリカとロシアでウイルスが貯蔵(WHOから許可が出ている)されており、他にもこっそり保有している国があるとみられる。大量培養が可能で、凍結乾燥により毒性を数年間維持できるため、生物兵器への転用が容易。エアロゾル、水などによる散布が可能である。参考:図解雑学生物・化学兵器

天皇旗(日本陸軍)>:赤地の中央に金色の菊花紋章を入れている。参考:大日本帝国陸海軍軍装と装備

<天王星>:東調853(情報収集艦)を参照。

<天皇の浴槽>:太平洋戦争時、アメリカ軍が日本海に付けたニックネーム。参考:小艦艇入門

<天応丸>:第二氷川丸(病院船)を参照。

電波>:電磁波の一種。レーダーや無線通信に使われる周波数帯のものを特にこういう。電波法第2条1項の定義では、電磁波のうち300MHz以下のものである。周波数帯によってサブ・ミリメートル波、ミリメートル波、センチメートル波、極超短波、超短波、短波、中波、長波、超長波、極超長波に分かれる。進行方向と振動方向が異なる横波で、偏波と呼ばれる特性を持つ。電磁エネルギーを有しており、強力な送信機の近くに長時間いると頭痛、眩暈、火傷などを生じることがある。周波数が高い(波長が高い)と伝達できる情報が多くなり、直進性が強くなるが、減衰しやすくなる。周波数が極めて低い極超長波などは減衰しにくく、水中まで透過する。短波や超短波は電離層で反射されるので、衛星通信には使えない。参考:月刊軍事研究9,11、図解・電波のしくみ、月刊JWings2,01、月刊世界の艦船4,17、レーダの基礎

<デンバー>:CL-58(軽巡洋艦)またはLPD-9(揚陸艦)を参照。

デンバー・ユーコン衝突事故>:2000713日、アメリカ海軍ドック型輸送揚陸艦LPD-9デンバーと給油艦T-AO-202ユーコンはオアフ島の西180マイルで洋上補給に入るため、反航しつつ接近。1632、両艦は電話で打ち合わせを行い、デンバーがユーコンの1000ヤード(914.4m)後方について徐々に増速、距離60mを保って横に並び、針路160度・速力13ノットでの洋上補給を行うこととした。しかしCICにいたデンバーの当直士官が縮尺を間違い、後方3000ヤード(2743.2m)につくよう計算したため、針路の指示が不正確になってしまった。1650、両艦の距離が8マイルに接近。デンバーは針路100度、速力18ノットであり、当直士官は接近速度が速すぎるのに気付いて10ノットに減速するよう航海艦橋に進言したが、そのままの速度での航行が続いた。デンバー艦長は予定を変更してユーコンの後方300-500ヤード(274.3-457.2m)につくことにし、航海艦橋で針路計算が始まったが、航海艦橋にいた当直士官は予定通り後方1000ヤード(914.4m)につくものと思っていた。1703、デンバーは針路100度のまま速力16ノットに減速。ユーコンは針路160度、速力13ノットとした。デンバーのCICにいた当直士官はこのままだとデンバーがユーコンの後ろに出られず、ユーコンの横っ腹に突っ込む事に気付き、航海艦橋に上がって10ノットに減速するよう艦橋の当直士官に進言。艦橋の当直士官は了解と返事をしたが、実際には減速しなかった。ユーコンの艦長もデンバーに対して面舵を取るように航海艦橋への直通無線で要請したが、デンバーの艦長は艦橋左舷スポンソンにおり声が届かず、返答は無かった。両艦の距離が1200ヤード(1097.3m)に接近したあたりでデンバーの艦長は航海艦橋の当直士官に対し、どうするかと聞かれたため、取舵と返答。針路の指示が無かったため、艦長がそれだけか、80度を取れと命じ、当直士官は操艦士官に対してあと10度左に舵を取るよう指示した。両艦の距離が400ヤード(365.8m)に接近したところでデンバーの航海艦橋では当直員数人の交代が行われた。デンバーはユーコンに対して取舵を取りつつあると連絡を入れたが、既に衝突寸前で、ユーコンの艦長は面舵を取れと叫び、1711に取舵20度・前進一杯を命じて衝突警報を吹鳴した。デンバーの艦長も漸く事態に気付き、操艦を交替、取舵一杯、両舷停止、両舷後進一杯を命じたが手遅れで、1712にデンバーの艦首がユーコンの右舷後部に衝突、両艦共に大破孔を生じた。死傷者は出なかったが、デンバーの修理に150万ドル、ユーコンの修理に450万ドルかかった。参考:月刊世界の艦船6,01

電波暗室>:外部からの電磁波を遮断すると共に、内部からの電波を内壁で反射しないようにした電波無反射室のことで、電子機器、無線機器、電磁波散乱特性などの実験に使用される。内壁には周波数に合わせた大きさの楔形のトゲがびっしりと並んでおり、電波吸収剤が塗られていて、電波はトゲの表面で反射する度にエネルギーを吸収されていき、トゲの奥に達する頃には殆どエネルギーを失ってしまい後方散乱が生じない。参考:レーダの基礎

<デンバイ・キャッスル>:K696(コルベット)を参照。

<電波温度計測システム>:自衛隊の機器。三菱電機特機システム製。参考:月刊軍事研究9,10

電波音波併用レーダー>:RASSRadio Acoustic Sounding System)と略す。電波と音波をアンテナから放出するもので、電波の方は船舶の監視用に、音波の方は大気速度や温度の測定に使用する。要するに対水上レーダーと気象レーダーを一緒くたにしたようなレーダーである。参考:月刊軍事研究1,07

電波環境測定装置>:航空自衛隊の機器。航空基地のレーダーの作動状況や、周辺環境による電波障害が無いかどうかを確認する装置で、4輪トラックの荷台に車載されている。電子開発実験群に1基が配備された。参考:月刊JWings10,16

<電波監視教育実習装置用プログラム(その2)>:自衛隊の機器。東芝製。参考:月刊軍事研究7,16

<電波監視装置1号機>:自衛隊の機器。東芝製。参考:月刊軍事研究1,15

<電波監視装置1号機用プログラム>:自衛隊の機器。東芝製。参考:月刊軍事研究5,15

<電波監視装置3号機>:自衛隊の機器。東芝製。参考:月刊軍事研究2,09

伝爆薬>:起爆薬で起爆し、2次・3次爆薬の爆轟に用いる火薬。弾薬類の炸薬を爆轟させるために、雷管の発火を爆轟に換える目的で用いられる。参考:火器弾薬技術ハンドブック

電波警戒機>:日本陸軍用語で、早期警戒・捜索用レーダーのこと。参考:レーダシステムの基礎理論

電波警戒機乙型>:日本陸軍の早期警戒レーダーで、鹵獲したSCR268をコピーしたものである。探知距離200-250km。探知した目標情報は東部軍・中部軍・西部軍の各防衛司令部に送られ、電光式表示板に表示される。昭和19年夏には本土要所への設置を終え、防空レーダー網を構成した。参考:歴史群像6,14、月刊軍事研究7,08

電波警戒機甲型>:日本陸軍の早期警戒レーダー。送信局からメートル波を発信し、受信局で受信するもので、航空機が横切った際の電波の乱れを観測する。太平洋戦争開戦時には中国大陸方面での設置が進んでおり、戦時中には日本本土(八丈島-銚子、勝浦-銚子、勝浦-白浜、下田-白浜、下田-時合、時合-南牧など)に次々と設置され、終戦時には本土全域をカバーしていた。陸上施設同士を結ぶラインしか警戒できないため、探知してから対処するまでの時間が限られるのが欠点。参考:歴史群像6,14、月刊軍事研究7,08

電波高度計>:Radar AltimeterRAと略す。航空機から地面に向けて電波を出し、反射波をキャッチして、その時間差から絶対高度を割り出す機器のことで、レーダーの一種である。アンテナは発信用も受信用もダイポール型で、前後に向け、緩衝防止のため距離を離して配置する。よって、アンテナ数は基本的に1機あたり2基で、予備を積むなら4基になる。電波は周波数440MHz、パルス式またはFM式で、パルス式なら高高度まで有効だが精度が悪く(地面近くでも誤差10mくらい)、FM式なら中高度までだが精度はそれなり(地面近くで誤差数メートルくらい)である。4GHz帯のマイクロ波を使うFW-CWレーダーを用い、精度を地面近くで数十センチメートルに高めたものもある。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings10,09別冊付録、8,'20、月刊世界の艦船1,'15増刊、7,'20、レーダシステムの基礎理論

<電波高度計(高速標的機CHUKARⅢ用)>:自衛隊の機器。伊藤忠アビエーションが受注している。参考:月刊軍事研究2,11

電波航法>:電波を使用して移動体を目的地に誘導する航法で、無線航法(Radio navigation)ともいう。標準システム、自律システム、衛星航法がある。妨害電波に弱いのが欠点。参考:図解・電波のしくみ、ザ・マーチ33号、航空用語事典増補改訂版

<電波情報>:SIGINTを参照。

電波探信儀>:日本海軍用語で、レーダーのこと。電探と略す。早期警戒・捜索レーダーは見張用電探、射撃指揮レーダーは射撃用電探と呼ぶ。参考:レーダシステムの基礎理論

電波探知機>:日本陸軍用語で、レーダーのこと。電探と略す。早期警戒・捜索レーダーは電波警戒機、射撃指揮レーダーは電波標定機と呼ぶ。参考:レーダシステムの基礎理論

電波探知妨害装置>:三菱電機の対UAV・ドローン用ESM/ECM装置。指向性アンテナを三脚に据えたアンテナユニット、電波傍受と妨害電波送信を行う送受信ユニット、操作・制御を行うコントローラーからなり、ケーブルで繋いで送受信ユニットとコントローラーの電源を入れると自動で電波探知を開始する。探知対象はドローンが動画などの高速ダウンリンク通信に使用する920MHz超の周波数帯で、コントローラーの画面上に探知周波数帯が点滅表示されるので、その周波数帯を画面タッチで指定し、妨害開始ボタンをタップすると対象周波数帯の妨害が始まる。探知・妨害覆域は水平45度で、実証試験では3km先の妨害や、複数ドローンへの同時対処に成功した。電波法に引っ掛かるので、総務省と調整し、無線局として開設しないと使えないのが欠点。参考:朝雲

<電波探知妨害装置更新器材>:自衛隊の機器。三菱電機製。参考:月刊軍事研究6,15

電波透過材>:ガラス繊維強化プラスチック(GFRP)、ガラス、セラミックなど電波を反射せずにほぼ全て透過させる物質のこと。レドームなどに使用される。参考:歴史群像2,01

<電波発生装置>:自衛隊の機器。コーンズテクノロジー製。参考:月刊軍事研究11,16

電波標定機>:日本陸軍用語で、射撃指揮レーダーのこと。参考:レーダシステムの基礎理論

<電波妨害弾1型>:自衛隊の機器。三菱電機製。参考:月刊軍事研究5,10

<電波方向探知器>:レーダーを参照。

天舞>:韓国陸軍自走多連装ロケットランチャー。ロケット弾は口径239mm、固体燃料推進で、最大射程80kmGPS/INSを搭載する。弾頭はHE。自走車両は大宇工業製8×8輪車両DSTで、後部荷台にMLRSと似た12連装ランチャー(3列2段6連装パッケージを並列で収容)を積んでいる。227mmロケット弾や130mmロケット弾を発射することも可能で、K136九龍のランチャーと換装することもできる。同じ自走車両を使用した自動再装填システムもある。2014年に開発を完了して配備中。参考:月刊軍事研究1,16

テンプ-2S>:ソ連軍大陸間弾道ミサイルRS14、米軍コードSS-16NATOコードはシンナー(Sinner)。RS-12の後継として1966年から開発され、1971年から配備された。ミサイル名称は15Zh42で、推進は固体燃料3段式、射程9000km。弾頭は出力0.65-1.5メガトンの単弾頭。8輪重トラックMAZ-543Aに搭載され、総重量80トン以上。中距離核兵器削減条約により、1987年までに全て退役・破壊された。参考:月刊軍事研究10,'15、ソビエト・ロシア戦闘車両大系(下)、核兵器事典

 <SS-16>:西側推定諸元は以下の通り。全長20m、直径1.7m、重量39トン。弾頭は2メガトンの単弾頭で、推進は3段式固体ロケット、射程8000km。誘導は慣性式。1969年から配備された。参考:ザ・マーチ42号、17

<天風第二三七七>:飛行第59戦隊を参照。

転覆活動>:Subversion。心理戦により反体制・反戦ムードを盛り上げたり協力者や同調者を獲得したりして政治軍事情勢を有利に導く活動である。軍隊だけでなく国家的な対策を要する。参考:月刊軍事研究7,97

<デンプシー>:DE-26(エヴァーツ級護衛駆逐艦)またはDE-267(エヴァーツ級護衛駆逐艦)を参照。

<テンプトレス>:PG-62(コルベット)を参照。

テンプトレス級>:アメリカ海軍コルベット、Temptress級。第2次大戦参戦後、大西洋方面のドイツ潜水艦に対抗するため、イギリスから導入したフラワー級コルベット後期型10隻と、カナダの造船所に発注された改フラワー級15隻である。ただしカナダに発注したもののうち7隻はイギリスに引き渡されたため、アメリカ海軍で就役したのは18隻で、コースト・ガード隊員が運用した。全長62.54mPG86-10062.48m)、幅10.06m、吃水4.45m(最大)、基準排水量1015トン(PG86-100980トン)。主機は4気筒3段膨張式レシプロ蒸気機関(シリンダー径は高圧500mm、中圧787mm、低圧978mm、ストローク762mm、回転数175rpm)1基、主缶は円缶(片面焚火)2基(PG86-100はアドミラルティ式3胴型水管缶2基。両者とも圧力15.8気圧)で、出力2750馬力、1軸推進、速力16ノット、重油搭載量337トン、航続距離は12ノットで3450海里。兵装は10.2cm50口径単装砲Mk12が1門(艦前部。PG86-100は無し)、76mm50口径単装両用砲Mk22が1門(艦後部。PG86-100は2門、艦前後に1門ずつ)、20mm単装機銃4基(煙突後方両舷など)、ヘッジホッグ1基(前部砲の右舷側)、爆雷投射機(K砲)4基(後部上構両舷に2基ずつ)、爆雷投下軌条2条(艦尾両舷)。オープン・ブリッジの後端に271型ランタン・レーダーが搭載されている。乗員87名(PG86-10090名)。PG-62テンプトレス、PG-63サプライズ、PG-64スプリー、PG-65ソーシー、PG-66レストレス、PG-67レディ、PG-68インパルス、PG-69フューリー、PG-70カレイジ、PG-71テナシティ、PG-86アクション、PG-87アラクリティ、PG-88ビーコン、PG-89ブリスク、PG-90キャプライス、PG-91クラッシュ、PG-92ヘイスト、PG-93インテンシティ、PG-94マイト、PG-95パート、PG-96プルーデント、PG-97スプレンダー、PG-98タクト、PG-99ヴィム、PG-100ヴァイタリティを1942-43年に取得し、PG-88PG-90PG-91PG97-100をイギリスに貸与、残る18隻を運用した。戦後は全てイギリスに返還された。参考:アメリカ護衛艦史、第2次大戦のアメリカ軍艦

<テンプラー>:P316(潜水艦)を参照。

テンプル山の衝突>:1990108日、東エルサレムの旧市街にあるテンプル山(イスラム教第3の聖地、アル・アクサ・モスクがある)に、「テンプル山忠誠団」を名乗る2000人のユダヤ教徒がシナゴーグ(ユダヤ教寺院)の礎石を担いで登頂。これに対してパレスチナ人が投石を始めたため、イスラエル警察部隊が実弾と催涙弾、ゴム弾で応戦し、パレスチナ人21人が死亡、150人以上が重軽傷を負った(PLO発表では死者35人、負傷者1000人)。午後には衝突がガザ地区にも及び、パレスチナ人2人が射殺され、90人が重軽傷を負った。イスラエルは占領地に通じる道路を全て封鎖、外出禁止令を出した。PLOは国連に安保理の緊急開催を要請し、エジプト大統領はイスラエルに自制を求め、湾岸戦争真っ最中のイラクはパレスチナ問題と絡めさせる思惑もあってイスラエルを強く非難し、背後にアメリカの支援があるという論説を出した。109日、サウジアラビアとの関係を良好に保つためもあって、アメリカもイスラエルの行動を非難。1012日、国連安保理がイスラエル非難決議を採択。国連調査団を派遣することになったが、イスラエル政府は拒否、実際には派遣されなかった。参考:軍事分析湾岸戦争

<テンペスト>:N86(潜水艦)またはPC-2(哨戒艇)を参照。

テンペスト>:イギリス陸軍4×4輪地雷防護車。スパキャット社製で、2001年に採用した。車体はモノコック・カプセル型で、高度の対人・対戦車地雷防護能力を持ち、7.62mm通常弾から防御できるが、オプションで7.62mm徹甲弾からも防御できる装甲を追加できる。参考:月刊軍事研究2,04

テンペスト・シリーズ>:イギリス空軍戦闘機Tempest。ホーカー社がタイフーンの改良型であるタイフーンⅡとして1941年から開発した。各型計800機が生産され、V-1などの迎撃や、対地攻撃に威力を発揮した。実験的に風防に照準情報を映写する装置を搭載したことがあるが、高速時や高G時は風防が歪んでしまい、よく見えなかったという。第2次大戦後も暫く配備され、イギリス空軍最後のレシプロ戦闘機となった。参考:月刊JWings4,015,08、月刊航空ファン12,18

 <テンペストⅠ>:タイフーンのエンジンをセイバーⅥに換装したもの。1942224日に初飛行し、テストでは最大速度760kmを達成したが、エンジンの構造が複雑すぎて故障が多発した挙げ句に量産化できず、本機も生産できなくなってしまった。参考:月刊丸6,14

 <テンペストⅡ>:太平洋戦線で使用するため、タイフーンの航続性能を強化し、整備性を向上させた機体として開発したもの。エンジンをブリストル・セントーラスⅣ空冷星形18気筒(2400馬力)に換え、それに合わせて機体設計も変更している。主翼を薄くして空力特性を改善、翼内燃料が減った分を胴体内タンクで補った。垂直尾翼にはドーサルフィンを追加し、水平尾翼も前後に拡大した。1943623日に原型初飛行、194410月から量産に入ったが、ヨーロッパ戦線への戦力投入を優先したため本機の量産配備は急がれず、結局第2次大戦には参加せずに生産された474機は1951年まで使用された。1947年に89機がインドに、1948年に24機がパキスタンに輸出されている。参考:月刊JWings4,01、月刊丸6,14

 <テンペストⅢ>:グリフォンエンジン搭載の試作型。参考:月刊丸6,14

 <テンペストⅣ>:グリフォンエンジン搭載の試作型。参考:月刊丸6,14

 <テンペストⅤシリーズⅠ>:エンジンをタイフーンと同じセイバーⅡA(2180馬力)またはⅡB(2200馬力)に換装したもの。機関砲身が主翼前縁から突き出している。全長10.26m、全幅12.5m、全備重量5170kg。最大速度700km、実用上昇限度10970m、航続距離2090km。固定武装は20mm機関砲イスパノMkⅡ計4門。450kg爆弾またはロケット弾8発を搭載できる。乗員1名。参考:月刊JWings4,01、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

 <テンペストⅤシリーズⅡ>:武装を20mm機関砲イスパノMkⅤに換えたもの。砲身が主翼内に収まるようになった。参考:月刊JWings4,01

 <テンペストⅥ>:エンジンをセイバーⅤ(2340馬力)に換えたもの。142機が生産され、1949年までドイツ・中東などに配備されていた。参考:月刊JWings4,01

テンペスト>:イギリス空軍計画ステルス戦闘機。20187月にイギリスが策定した国家戦略である戦闘航空戦略(Combat Air Strategy)に必要な戦闘機として、BAEシステムズ(機体担当)、ロールスロイス(エンジン)、レオナルド(兵装)、MBDA(センサー)が将来戦闘航空システムFCASFuture Combat Air System)の計画名で開発を開始した。イギリス企業単独での開発は無理なので国際協力を図るが、他国の要求に応じてコンセプトを変えることはせず、あくまでもイギリスの国家戦略実現を最優先とする。有人機型と無人機型があり、両者の共同作戦や、他の有人・無人機、地上部隊、艦艇との共同作戦も行える。パイロットの状況認識能力を高めるため、モニターに表示する画像を三次元化したり、投影した立体映像をパイロットがタッチして各種操作を行ったりするシステムを検討中で、MFDを廃止してHMDに統合するウェアラブル・コクピットも開発している。エンジンは双発で、小型にしつつ高い熱制御能力を有するのに加え、強力なレーダーやレーザー砲などを積むのに備えて電力供給能力を重視、ロールスロイス社曰く「空飛ぶ発電所」になるらしい。兵装は機内搭載だが、容積に限界があるので、ステルス外部兵装収用ポッドやステルス増槽を開発する。レーザー砲を積むかも知れない。機体と兵装や兵装同士もネットワークで繋ぐ。補給整備はロボットで自動化する。20187月のファーンボロー航空ショーで概念模型(フルスケール・モックアップ)が展示された。クリップドデルタ翼の無尾翼機で、外側に傾けた双垂直尾翼を持ち、ウェポンベイは無くモジュラー式兵装収容部を設けるとしているが、あくまでもコンセプトモデルなので、実際の形状は異なるとみられる。2019910日、イタリア(レオナルド・イタリー、エレクトロニカ、アビオ・エアロ、MBDAイタリア)が正式参加した。後にスウェーデン(サーブ、GKNエアロスペース・スウェーデン)も参加している。2020720日、ジェネラル・エレクトリックUKGKN、コリンズ・エアロスペース、マーチン・ベイカー、キネティック、ボンバルディア、タレス、イギリスの大学及び中小企業が開発チームに加わった。1221日、イギリス国防大臣、イタリア国防大臣、スウェーデン国防大臣が、開発に関する三国間覚書に署名した。2022年のファーンボロー航空ショーで新たなコンセプトモデルが展示された。クリップドデルタ翼の無水平尾翼・外側傾斜双垂直尾翼は変わらないが、主翼平面形、尾翼付け根の位置、胴体上面から尾部の形状などが変更されている。718日、イギリス国防省が、技術実証機を5年以内に初飛行させると発表した。129日、日英伊がグローバル戦闘航空プログラムGCAPとして2035年に向けた次世代戦闘機共同開発を行うと発表し、F-XF-2後継)と統合された。参考:月刊軍事研究11,1810,18、月刊JWings11,'2011,192,2010,'203,'2112,2110,'222,'23、月刊航空ファン1,20

<デン・ヘルダー>:A834(補給艦)を参照。

デン・ヘルダー級>:オランダ海軍補給艦Den Helder級、計画名CSSCombat Support Ship、戦闘支援艦)。補給艦A836アムステルダム2014年にペルーに売却したが、後継のA833カレル・ドールマンだけでオランダ海軍とNATO海軍の支援任務をこなすのは無理だったため建造を決め、ルーマニアのダーメン社に発注した。船型は船首楼型で、船体後ろ寄りに艦橋構造物があり、船首楼と艦橋構造物の間の前部両舷に大型クレーン1基ずつ、後部両舷にモノポール型補給ポスト1基ずつを備え、燃料7400トンとコンテナ20個を載せられる。後甲板はヘリ甲板。スカウトMk3対水上レーダーを搭載する。全長179.3m、満載排水量22595トン。主機はディーゼル、速力20ノット。乗員75名+便乗者用居住区85名分。A834デン・ヘルダーを建造中。参考:月刊世界の艦船3,205,2010,208,21

テンホ>:日本陸軍用語で、最高だ、運が良い、といった意味の感嘆詞。由来は中国語の頂好(テンハオ)。参考:帝国陸海軍事典

<電報(日本陸軍)>:電信部隊が構成する通信網内の電報と、軍用通信網関連の電報は、緊急重要の度により、軍機電報、至急官報、通常官報の3種に分けて送信の順位を示す。軍機電報と至急官報は、同一順位の電報の輻輳や緊要な通信の妨害を防ぐため、真に必要性を認める場合に限り発信する。危急の場合、軍用通信網内に限り、将校は自らの責任で通信所長に必要の証明を与えて各種電報を発することができる。陸軍大臣、参謀総長、軍司令官は、指揮下にある諸官のうち、至急・通常官報発信権を有する者に、臨時権限外の発信権を付与することができる。この場合、その電報の種類と特許の有効期間を記載した証明書を交付し、発信権を特許された者は頼信にあたり証明書を通信所に示す。軍機電報の発信権を有する者、兵站司令官とその支部の長、鉄道及び船舶輸送諸部の司令官とその支部の長は、必要に応じて発信権を持たない者に通常官報発信特許を与えることができる。この場合、特許を与えた者は、当該軍用電報紙の余白にその職と氏名を記載し、捺印または花押する。返信人は返信に限り往信と同一順位またはその以下の電報を発信することができる。もし返信人が発信権を有しないか、自己の発信権より上位の返信を発する時は、これに対する往信を通信所に示す。電信部隊以外が構成する通信網内での発信権と通話権は、上級指揮官が定めた連絡規定に基づき、各級指揮官が適宜定める。高級指揮官は電話の輻輳を防ぎ重要通信の疎通を図るため、緊急(他の通信を中止させる)、至急(普通に先立って通話する)、普通などの区分を設け、これらの通話権を有する者を指定する。長文電報は有線電信では約400字、無線電信では約200字ごとに1通とし、かつ発信順序を明らかにする。同一電文中に暗号と普通辞を混ぜてはならず、本文と発信者名の暗号の組み立て(翻訳)は発信者(受信者)が行うものとし、無線電信では宛名や発受信地名などは通信所が自ら書き換えるものとする。電文の文字はカタカナ48字と濁点・半濁点、数字は〇から九までの漢数字または0から9までの算用数字、記号は長音ー、区切り点、、段落」、括弧()を使用する。電報は通常軍用電報紙に記載し、発信人の居所、発信権を表示するに足るべき職、必要なら官・氏名を相当欄に記入し、捺印または花押して差し出す。もし軍用電報紙がない場合、通信紙の裏面を利用すると良い。和文電報は字数計算しやすいよう、濁点や半濁点を付けた文字の下に1空割を充て、段落はその記号によって区別し、同行中に連続記載する。電信部隊が構成する通信網内での電報の頼信にあたっては、以下の事項に注意する。1.軍の通信所は特に指示がある場合以外、軍機電報・至急官報・通常官報とこれらの返信以外の電報を取り扱わない。2.電報の種類を明記し、記載が無いものは通常官報として取り扱う。軍機電報には識別を容易にするため軍用電報紙の下縁余白に適宜の赤色紙片を貼り付ける。軍機電報は電話託送で頼信しない。3.受信人の居所は確実なものを詳記し、もし明確でない時は推定居所を連記する。4.受信人の宛名は通常個人名を使わず、発信権を表示するに足るべき職(官)名を用いる。特に個人名を必要とする場合、「誰へ」または「誰より誰へ」などと本文冒頭に組み入れる。5.指定が必要な場合、必ずしも指定の略号を用いず、軍用電報紙の欄外に「親展」などと指定事項を記載する。6.緊要な電報にある数字はなるべく重記する。このため、〇から九にレ、ヒ、フ、ミ、ヨ、イ、ム、ナ、ヤ、クの計数略語を使用し、二〇三(フレミ)などと送る。7.同文の電報は最初の一通の外本文欄に「某宛と同文」と記載し、その本文の記載を省略できる。ただし別の通信系に対してこの方法を採ると却って発送遅延を来すことがあるので注意。同文の電報を無線電信する場合は、当時の通信系と通信時間に考慮が必要である。電信部隊以外が構成する通信網での電報の頼信でも、以上の項目を準用する。参考:作戦要務令

<点妨害>:スポット・ジャミングを参照。

天保銭組>:陸軍・海軍大学校卒業者の通称。徽章が天保銭とほぼ同型だったことからこう呼ばれた。天保銭は100文相当だが、質が悪かったため市場では80文相当にしかならなかった貨幣で、中身が足らないという皮肉もこめた通称と思われる。非卒業者は無天組と呼ばれた。今で言うキャリアとノンキャリアで、昇進の程度もそっくりである。海軍では大正11年、陸軍では昭和12年に廃止され、それ以降の卒業者はカラ天組と呼ばれた。また、天保銭組の成績優秀者なのに出世コースから外れた場合は錆天組と呼ばれた。参考:戦時用語の基礎知識

テンホの甲>:日本陸軍スラングで、楽な任務のこと。酒保当番や将集当番など。参考:歴史群像2,05

天馬>:韓国陸軍自走地対空ミサイル車両チョンマ(Chun MaPegasus)。韓国国産だが、ぱっと見でADATSに似ている。車体はK30と同じ装軌式で、車体前面両側に5連装発煙弾発射機、側面に作業用の折り畳み式プラットフォームを追加してある。砲塔両側面に4連装ミサイルランチャーに1基ずつ装着してあり、砲塔前面にKuバンド追尾レーダー(最大追尾距離16km)を、砲塔上面に長方形のSバンド捜索レーダー(最大探知距離20km)を持つ。ミサイルはトムソンCSF社製VT-1高速ミサイルで、全長2.6m、弾頭重量12kg、有効射程10000m、最大速度マッハ2.6、対処可能目標速度マッハ2。誘導は照準線指令方式で、追尾レーダーの照準線とミサイルとの誤差をFLIRで割り出し、修正データをミサイルに送る。信管はレーザー近接式。車両のエンジンはドイツMAN社製520馬力ディーゼルのライセンス生産型D2840L、トランスミッションはジェネラル・エレクトリック社製HMPT-5001999年に48両、2003年に69両が発注された。参考:月刊PANZER5,11、月刊軍事研究1,984,00THE MILITARY BALANCE 2016

<天馬1号>:T-62海外シリーズ(戦車)を参照。

<天馬2>:KM-SAM(弾道ミサイル防衛システム)を参照。

<天馬2号>:T-62海外シリーズ(戦車)を参照。

<天馬3号>:T-62海外シリーズ(戦車)を参照。

<天馬4号>:T-62海外シリーズ(戦車)を参照。

<天馬5号>:T-62海外シリーズ(戦車)を参照。

<デンマーク海峡海戦>:ライン・ユーブング作戦を参照。

デンマーク海軍>:Kongelige Danske Marine1962年からヴィビェルネン級フリゲート4隻が竣工。1970年、ナルヴァーレン級潜水艦2隻が就役。1976年、改ヴィビェルネン級フリゲート1隻が竣工。1980-82年、ニールス・ユール級フリゲート3隻が就役。1989-91年、トゥムレーレン級潜水艦3隻が就役。1989-96年、フリーヴェフィスケン級哨戒艇14隻が就役。1991-92年、セティス級フリゲート4隻が就役。2004-05年、アプサロン級多目的戦闘支援艦2隻が就役。20041月、海軍航空隊を海軍ヘリコプター隊に改編し、空軍カールップ・ヘリコプター航空団の指揮下に入れた。2007-09年、ディアナ級哨戒艇6隻が就役。2008-09年、クヌート・ラスムッセン級氷海哨戒艦2隻が就役。2012-14年、イーヴァル・ヒュイトフェルト級フリゲート3隻が就役。20171215日、リンクスMk.90ヘリのラストフライトを実施。参考:月刊軍事研究12,10、月刊JWings10,10、月刊世界の艦船3,143,16、月刊航空ファン3,18

 <デンマーク海軍(1977年)>:兵力5800名(うち徴兵1900名)。予備役4500名、海軍郷土警備隊4800名。フリゲート2隻、漁船保護フリゲート5隻、コルベット3隻、高速哨戒艇10隻、ミサイル哨戒艇4隻、機雷敷設艇6隻、沿岸掃海艇8隻、大型哨戒艇23隻、アルエートⅢヘリ8機を装備する。参考:軍事力バランス78年版

 <デンマーク海軍(1989年)>:兵力7700名(うち徴兵900名)、予備役7600名、郷土防衛隊4900名。基地はコペンハーゲン、コルセル、フレデリックスハウンにある。トゥムレーレン級潜水艦1隻、ナルヴァーレン級潜水艦2隻、ニールス・ユール級フリゲート3隻、ビレモイス級ミサイル艇10隻、ソロベン級魚雷艇6隻、テティス級哨戒艇1隻、ベスキッテレン級哨戒艇1隻、ビッドブジョーネン級哨戒艇3隻、フライベフィスケン級(スタンフレックス300型)哨戒艇1隻、アジレック級哨戒艇3隻、ダフネ級哨戒艇4隻、マーゲン級哨戒艇2隻、バルソー級哨戒艇9隻、ファルスター級敷設艦4隻、リンドルメン級敷設艦2隻、アルスンド級掃海艇3隻、油槽船2隻、砕氷船4隻、王室ヨット1隻、リンクス・ヘリ8機(うち艦載4機)を保有する。ペデル・スクラム級フリゲート2隻を保管中。沿岸要塞2個に150mm砲、40mm高射機関砲を配備し、沿岸監視レーダーを配置している。郷土防衛隊は内海哨戒艇37隻を装備する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <デンマーク海軍(2013年)>:兵力3770名。フリゲート6隻、哨戒艦2隻、哨戒艇37隻、多目的艇6隻、調査艦1隻、練習艇2隻、戦闘支援艦2隻、輸送艦3隻、王室ヨット1隻、救難艦4隻、砕氷艦3隻、実験・水中作業支援艇1隻、艦載ヘリ8機、固定翼陸上機3機、陸上ヘリ8機を配備する。参考:月刊世界の艦船3,14

 <デンマーク海軍(2015年)>:現役兵力3000名(うち徴兵150名)、予備役4500名。イーヴァル・ヒュイトフェルト級ミサイルフリゲート3隻、セティス級フリゲート4隻、クヌート・ラスムッセン級哨戒艇2隻、アグドレク級哨戒艇1隻、ディアナ級哨戒艇6隻、MSF MkⅠ掃海艇4隻、ホルム級掃海艇2隻、スレイプニル級給兵艦1隻、アプサロン級多目的戦闘支援艦2隻、その他支援艦20隻を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

デンマーク空軍>:Det danske flyvevaben。3つの航空基地(スクリドストル、オールボー、カールップ)に1つずつの航空団(Wing)が編成されており、その下に飛行隊(Eskadrille)が置かれている。また、各基地にはベースフライトが置かれていて、レネ空港とロスキレ空港に分遣隊が派遣されている。19801月、F-16戦闘機の配備を開始。2003年、陸軍航空隊を編入した。20041月、海軍ヘリコプター隊を空軍カールップ・ヘリコプター航空団の隷下に置いた。20113月、リビア爆撃作戦に参加。2014102日、イスラム国爆撃作戦を開始。2016-18年にMH-60Rを9機配備。2020年からF-16の後継としてF-35A27機導入予定。参考:月刊JWings10,108,16、月刊航空ファン6,111,15

 <デンマーク空軍(1977年)>:兵力7100名(うち徴兵1900名)、予備役8000名、空軍郷土警備隊12000名。F-35XDドラケン戦闘爆撃機20機、F-100D/F戦闘爆撃機40機、F-104G要撃機40機、RF35XDドラケン偵察機16機、C-47輸送機8機、C-130H輸送機3機、S61A救難ヘリ8機、サーブT17練習機23機、ナイキ・ハーキュリーズ36基、ホーク24基を配備する。参考:軍事力バランス78年版

 <デンマーク空軍(1989年)>:兵力6900名(うち徴兵700名)、予備役12100名、郷土防衛隊11700名。F-16戦闘飛行隊4個、F-35ドラケン戦闘飛行隊1個、RF-35ドラケン偵察飛行隊1個、輸送飛行隊1個、通信飛行小隊3個、S-61Aヘリ捜索救難飛行隊1個、飛行学校1個、改ホーク大隊2個、レーダー基地5ヵ所からなる。F-16A/B戦闘機57機、F-35ドラケン戦闘機16機、RF-35ドラケン偵察機16機、TF-35ドラケン訓練機9機、C-130H輸送機3基、ガルフストリームⅢ3機、サーブT17輸送機6機、サーブT17練習機16機、S-61Aヘリ8機を配備する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <デンマーク空軍(2010年)>:F-16A46機、F-16B13機、T-17練習機を28機、C-130J-30を4機、CL-600-2B16を3機、EH101Mk.51214機、AS550C212機、スーパーリンクスMk.90Bを8機配備している。参考:月刊JWings10,10

 <デンマーク空軍(2015年)>:現役兵力3150名(うち徴兵100名)、予備役5300名。年間飛行時間165時間。F-16戦闘飛行隊2個、スーパーリンクスMk90B対潜飛行隊1個、AW101救難飛行隊1個、AS550救難飛行隊1個、輸送飛行隊1個、訓練飛行隊1個、管制・報告センター1個、機動管制・報告センター1個、レーダーサイト4箇所からなる。F-16AM戦闘機34機、F-16BM戦闘機10機(作戦可能機はAM/BM30機)、C-130J-30輸送機4機、CL-604要人輸送機3機、MFI-17練習機27機、スーパーリンクスMk90B対潜ヘリ7機、MH-60R対潜ヘリ1機、AS550ヘリ8機(うち4機以上は作戦状態に無い)、AW101ヘリ14機(捜索救難用8機、輸送用6機)、AIM-9L/-9X/-120空対空ミサイル、AGM-65空対地ミサイル、EGBU-12/GBU-12レーザー誘導爆弾、GBU-31JDAMを保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

デンマーク軍>:陸軍、海軍、空軍からなり、自治軍(郷土防衛隊)も有する。第2次大戦中は中立国だったが、ドイツの侵攻を受けたため、第2次大戦後にはNATOに加盟した。2012年、サイバーセキュリティーセンターを創設。201412月、サイバー・情報防衛の国際戦略を発表した。参考:月刊JWings10,10THE MILITARY BALANCE 2016

 <デンマーク軍(2015年)>:現役兵力17200名(陸軍7950名、海軍3000名、空軍3150名、統合部隊3100名)、ホームガード(予備役)53500名(陸軍40800名、海軍4500名、空軍5300名、戦務部隊2900名)。アフガニスタンにNATOのレゾリュート・サポート作戦要員160名、アデン湾とソマリアにNATOのオーシャン・シールド作戦で特務艦1隻、CL-604(MP)1機、リベリアにUNMIL要員2名とオブザーバー2名、マリにMINUSMAオブザーバー19名、中東にUNSTOオブザーバー11名、セルビアにNATOKFOR要員35名、南スーダンにUNMISS要員11名とオブザーバー3名、ウクライナにOSCE要員14名を派遣している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

デンマーク侵攻作戦>:第2次大戦時の194049日、ヒトラーはデンマークをイギリスから守るため(1801年、ナポレオン戦争の際にイギリスがコペンハーゲンを奇襲してデンマーク艦隊を鹵獲、デンマークはフランス側に立って戦争を行ったことがあった)と称して、不可侵条約を結んでいたデンマークに侵攻。コルソグ・ニボルクには練習戦艦シュレスヴィッヒ・ホルスタイン、掃海艇、輸送艦2隻、兵士2000名を、コペンハーゲンには敷設艦ハンススタット・ダンチヒ、砕氷艦1隻、哨戒艦2隻、将兵1000名を、エスビェルク及びテイボロンには大型掃海艇24隻、機動掃海艇2隊を送り込んだ。0415、ドイツ軍機甲部隊は南シュレスヴィヒの国境を越え、デンマークの各港には上陸部隊が押し寄せ、コペンハーゲン要塞には空挺部隊が降下した。同時にドイツはデンマーク政府に降伏を勧告、軍事力も無ければ連合国の支援も地理的に不可能なデンマークは受け入れるより他に無かった。デンマークはドイツ保護国となり、政府や国王、軍などもそのまま存続していたが、当然ながら公然・非公然の圧力は加えられた。19416月のバルバロッサ作戦以降は社会主義者に対する圧力が高まり、269名が逮捕された。19433月の総選挙ではナチスの得票率は僅か3%で、以降はレジスタンス運動が活発になり、829日にドイツが戒厳令を施行、デンマーク軍の武装解除が行われた。830日に内閣は総辞職し、デンマークはドイツ占領下に置かれた。102日、ユダヤ人の拘禁が開始されたが、ドイツ大使館が事前にリークしたため、国内にいた7000人のうち6500人がスウェーデンに脱出した。19446月、オーバーロード作戦前後からサボタージュが激化。デンマーク警察も加わったため、919日にドイツ軍は警察官2000人を逮捕して収容所送りにした。これを受け、残りの7000人の警察官の大部分がレジスタンスに参加した。1031日、レジスタンスの要請に応じてイギリス空軍がデンマークのゲシュタポ本部を高度30mの超低空飛行で爆撃。この際デンマーク人23人が巻き添えで死亡している。デンマークが解放されたのは194555日のことである。参考:月刊軍事研究8,07、月刊PANZER8,02、写真集ドイツの巡洋艦

丁抹丸>:白洋汽船貨物船Denmark maru。総トン数5869トン。昭和191月、雷撃を受け沈没し、1704名が戦死した。参考:輸送船入門

デンマーク陸軍>:Den Kongelige Livgarde1953年、M41軽戦車が供与された。1976年、レオパルト1A3DKの配備を開始。2003年、陸軍航空隊を空軍に統合した。参考:月刊JWings10,10、月刊PANZER11,032,11

 <デンマーク陸軍(1977年)>:兵力21800名(うち徴兵9000名)、即応予備役4500名、在郷予備役41000名、地域防衛隊24000名、陸軍郷土警備隊54400名。機械化歩兵旅団5個、独立偵察大隊1個、独立自動車化歩兵大隊などからなる。装備はレオパルト1戦車120両、センチュリオン戦車200両、M41軽戦車48両、M113装甲兵員輸送車630両、M106自走迫撃砲68両、155mm24門、105mm榴弾砲144門、155mm榴弾砲96門、203mm榴弾砲12門、M109自走榴弾砲72門、120mm迫撃砲、106mm無反動砲252門、TOW40mm高射機関砲224門、レッドアイ携SAM、サーブT17軽飛行機9機、OH-6Aヘリ12機。参考:軍事力バランス78年版

 <デンマーク陸軍(1989年)>:兵力17000名(うち徴兵7600名)、予備役55000名、郷土防衛隊58400名。管区2個、師団司令部2個、機械化歩兵旅団5個、歩兵旅団1個、偵察大隊2個、航空部隊1個、航空小隊最大8個、地域司令部7個、地域防衛歩兵旅団1個、地域防衛連隊戦闘チーム4個、地域防衛歩兵大隊9個、国連軍歩兵大隊1個からなる。レオパルト1A3戦車120両、センチュリオン戦車90両、M-41DK1軽戦車52両、M-113装甲兵員輸送車530両、105mm牽引砲M-101182門、155mm牽引砲M-5924門、155mm牽引砲M-11496門、203mm牽引砲M-11512門、M-109A3自走砲76門、81mm迫撃砲M-10656門、その他81mm迫撃砲244門、120mm迫撃砲152門、TOW対戦車ミサイル140基(うち自走56基)、106mm無反動砲144門、84mm/105m対戦車砲126門、ボフォース60口径40mm高射機関砲36門、レッドアイ地対空ミサイル、サーブT17軽飛行機8機、ヒューズ500Mヘリ14機を装備する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <デンマーク陸軍(2015年)>:現役兵力7950名(うち徴兵1000名)、予備役40800名。師団司令部1個、旅団司令部2個、偵察大隊1個、ISR大隊1個、戦車大隊1個、機甲歩兵大隊5個、自走砲大隊1個、戦闘工兵大隊1個、爆発物処理大隊1個、憲兵大隊1個、通信連隊1個、建設大隊1個、兵站連隊(支援大隊1個、兵站大隊1個、整備大隊1個、医療大隊1個)1個からなる。レオパルト2A4/A5戦車55両、イーグルⅠ偵察車22両、イーグルⅣ偵察車91両、CV9030MkⅡ歩兵戦闘車45両、M113装甲兵員輸送車343両(+廃棄処分待ち196両以上)、ピラーニャⅢ装甲兵員輸送車111両、クーガー装甲車40両、155mm自走砲M10924両、MLRS12両(全て廃棄処分待ち)、120mm迫撃砲ソルタムK6B120門、TOW対戦車ミサイル、84mm無反動砲カールグスタフ349門、FIM-92ASAMARTHUR対砲レーダー、ベルゲパンツァー戦車回収車2両、ビーバー戦車橋10両、910-MCV-2対地雷車両14両を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<天馬虎>:T-62海外シリーズ(戦車)を参照。

<天馬号>:T-62海外シリーズ(戦車)を参照。

伝馬船(海上自衛隊)>:海上自衛隊第3種支援船、船種記号T(Tenma)。日本海軍艦載伝馬船と同じ構造で、日本独特のものである。船体は全木製で、西洋船のような竜骨や肋骨は無く、上棚(うわだな。乾舷部)、中棚(なかだな。没水部)、船敷(かわら。床板部)の3つで構成される。艇内側壁には間連(まづら)と呼ばれる肋骨が所々に設けられていて、床には板子(いたご)と呼ばれる床板が張ってあり、舷側両舷に木縁(こべり)という防舷帯が取り付けられる。船尾板は戸立(とだて)と呼ばれ、艫櫓(ともろ)を取り付ける杭受台が設置されている。また、舷側にも脇櫓(わきろ)を取り付ける杆子(かんし)を装備することがある。艫櫓と脇櫓は長さは約3mで一緒だが、櫓腕の形状が違う。第1術科学校、各教育隊、小月航空基地に配備されており、夏季水泳訓練支援、小型艇との連絡などに使用される。格納の際は櫓を外し、2隻重ねて屋根の下に置く。艦船に搭載する場合は通船と呼ばれる。参考:丸スペシャルNo.77、月刊世界の艦船1,79増刊、自衛隊装備カタログ1981MAMOR vol.160

伝馬船6027号型>:海上自衛隊伝馬船。木製で、全長6m、幅1.6m、深さ0.6m、基準排水量0.5トン。14隻が建造された。参考:月刊世界の艦船1,95

伝馬船6029号型>:海上自衛隊伝馬船。木製で、全長6m、幅1.6m、深さ0.6m、吃水0.3m、基準排水量0.5トン。T-6029からT-6033T-6036からT-6041T-6043からT-607140隻が建造された。参考:月刊世界の艦船1,79増刊、自衛隊装備カタログ1981

伝馬船6081号型>:海上自衛隊伝馬船。FRP製で、全長5.8m、幅1.6m、深さ0.6m、吃水0.2m、基準排水量0.3トン。25隻が建造された。参考:月刊世界の艦船1,95

<伝馬船(和船)>:自衛隊の船舶。セパック工業製。参考:月刊軍事研究12,16

<デンミード>:A363(通船)を参照。

<天目山>:916(揚陸艦)を参照。

<天門>:631(コルベット)を参照。

天洋丸>:日本海軍特設敷設艦。元は東洋汽船の貨物船で、昭和10328日に竣工した。垂線間長132.59m、幅17.83m、深さ10.01m、吃水8.03m、総トン数6843トン、重量トン数10105トン。主機は三菱単動式6MS72/125型ディーゼル1基1軸4318馬力、航海速力13ノット、最大速力16.292ノット。太平洋戦争勃発により日本海軍に徴用され、昭和16128日の開戦時は建制でも兵力部署でも第19戦隊に所属していた。昭和1735日からSR作戦に参加。310日、ニューギニアのラエで揚陸作戦に参加中、アメリカ軍機の爆撃を受けて浸水し、自ら船体を擱座させた。後に沈没している。参考:月刊世界の艦船4,126,83、敷設艦 工作艦 給油艦 病院船、帝国海軍太平洋作戦史Ⅰ

天雷>:日本海軍局地戦闘機J5N1。太平洋戦争緒戦で鹵獲したB-17を調査した結果、強力な装甲を備えていることが判明し、ミッドウェイ海戦で来襲したB-17にも零戦が太刀打ちできず、開発中の局地戦闘機でも武装が同じ以上は結果が同じになるとみられたため、更なる重武装を持つ双発昼間戦闘機を開発することになり、昭和181月から日本海軍が中島飛行機に命じて十八試局地戦闘機(十八試乙戦闘機ともいう)の名称で試作された。417日に第1回官民合同研究会、511日に計画要求書案審議会が開かれ、誉二一型双発単座機で、最大速度360ノット以上、実用上昇限度11000m、上昇性能は高度6000mまで6分以下、8000mまで8分30秒以下、着陸速度75ノット以下、固定武装は20mm機関砲2門と30mm機関砲2門、防弾装備ありといった要求が纏まり、試作機と増加試作機計15機を作ることになった。機体はできるだけコンパクトにして抗力減少と軽量化を図り、落下傘を座布団式から背負い式にして操縦席を低くしたり、計器を2針式にして数を減らし計器板を小さくしたりと、細かい工夫も施している。生産性を考慮し、共通部品を多用、座席は零戦の改修型とし、操縦桿やフットバーは零戦そのまま、操作パネルなどは月光と共通のものを使用した。胴体は全金属製モノコック構造で、基本縦通材は4本。視界確保のため機首は前下方に尖らせた短い形をしており、抗力減少にも役立った。コクピット前方に厚さ20mmの表面硬化装甲板、風防前面に厚さ70mmの防弾ガラスを配している。キャノピーはクランクによる前後スライド式。胴体前部下面に九九式二号20mm固定機銃四型(200発。内側後方)2丁と五式30mm固定機銃(100発。外側前方)2丁を装備する。機関砲の後ろに一式空一号無線機と一式空三号帰投方位測定器を収容。主翼は胴体干渉抵抗の低減を図った中低翼配置とし、形状は直線テーパー翼、断面型は中島Kシリーズ層流翼(付け根K241、翼端K249)、構造は2本桁式で、アスペクト比6.13、翼面積32平方メートル。前縁にスラット、後縁に空戦フラップ兼用のファウラー式二重フラップ(空戦時20度、着陸時40度)が用意されている。前後桁の間が燃料タンクで、タンク上面が外板となるセミインテグラル式であり、セルフシーリング式となっていて、合計容量1450リットル。エンジンは主翼に取り付けられており、ナセルが主脚収容部を兼ねる。対B-17用ということで、エンジンには中高度用の誉二一型を選択した。エンジンナセル内側の主翼主桁前方に潤滑油タンク(合計容量120リットル)、ナセル外側の主翼主桁前方にメタノールタンク(合計容量250リットル)を持つ。昇降舵の効きが悪くなった時に備え、スプリング・タブが用意されていたが、実際には使う必要が無かった。降着装置は尾輪式で、全て後方に引き込まれる。全長11.46m、全幅14.4m、全高3.5m、自重5390kg、正規全備重量7300kg。エンジンは誉二一型空冷星形複列18気筒ガソリン(1990馬力)双発で、プロペラはVDM定速式4翅(直径3.1m)、巡航速度370km、最大速度667km(計画)/596km(実測)、実用上昇限度9000m、上昇力6000mまで8分、燃料搭載量1450リットル、航続距離正規741km/過荷時1482km。武装は20mm機関砲2門、30mm機関砲2門。60kg爆弾2発(主に三式六番三号爆弾といった対航空機用爆弾)を搭載可能。乗員2名。昭和19620日に初号機が完成し、78日に初飛行したが、エンジン不調による出力制限、プロペラ直径過小、ナセルとフラップの空力干渉による振動や抵抗増、主脚作動油圧不足などにより予定された性能が出せず、最大速度は322-334ノット、巡航速度は予定250ノットのところ200ノット、上昇性能は高度6000mまで8分、8000mまで11分、実用上昇限度は9000mに止まり、3・5・6号機は20mm斜め銃4丁または30mm斜め銃2丁を搭載して夜間戦闘機化テストに使われたが抗力増加で更に速度性能が落ち、昭和201月に量産計画がキャンセルされ、2月に6号機が完成した時点で開発中止となった。5号機と6号機はタンデム複座に改造され、機関砲用弾倉を外して計測員席を追加している。試作機に250kg爆弾2発を積んで特攻に使う計画が立てられたが、改造実施前に初号機が胴体着陸で大破、2号機・5号機も事故で大破、4号機は昭和207月に空襲で大破し、そのまま終戦になった。エンジンを誉四一型に換装した天雷改(J5N2)も検討されたが、計画のみに終わっている。参考:月刊航空ファン11,92、月刊JWings11,06、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇

天雷特攻隊>:日本軍のサイパン斬り込み部隊。太平洋戦争末期の昭和207月、鈴鹿海軍航空隊の一式陸攻1個大隊27機と陸軍横芝飛行場の落下傘部隊(那覇飛行場斬り込み部隊の残存兵)が第二千歳基地に集められて編成された。使用機は機銃を全て外して前方偵察員席にジュラルミン板を張った一式陸攻一二型G4M1で、操縦士、偵察員、電信員、搭乗発動機員の4名が搭乗する。これに1機あたり陸軍兵14-15名を乗せていく。指揮官は海軍の園田直少佐で、陸海軍共に古参兵(といっても5-6年兵なので20台前半くらい)が集められた。サイパンのアスリート飛行場に車輪を出さず強行着陸し、吸盤付きの爆薬を先端に付けた竹竿を持った兵がB-29目掛けて突進、主桁に爆薬を吸い付かせて爆破するのが主任務で、1名あたり4本の竹竿で4機を爆破、計算上はサイパンのB-29全機を数回爆破できることになり、B-29の模型を基地内に作って訓練が行われた。一式陸攻の尾翼には小隊長別に聖、剣、破、邪、闘、魂、炸、裂、必、成の文字と数字(聖1、剣2など)が大書された。第二千歳基地隊長(大尉)は訓示で一席ぶった後に「貴様たちは死んだら水と炭素になる」とやらかしたので、炭素野郎という渾名を付けられてしまった。813日朝に出撃日程が伝達され、815日に厚木と木更津に集結、817日の月夜に襲撃を行うこととなった。813日、下士官と兵は兵舎前の広場に集結し、軍服など名前の付いたものを全て焼却、手持ちのアルコールで出撃祈願の宴を開いた。815日、出撃命令が出ないため待機していると、正午前に総員集合の命令が出され、正午に終戦の詔勅がラジオから流れた。一部は東京の宮城前に一式陸攻で突入してクーデターを起こそうと画策したが、操縦士が同調せず、上層部の説得で中止された。その後は弾薬の投棄などを行い、8月下旬に原隊復帰の命令が出され、部隊は解散した。参考:続日本海軍よもやま物語

電纜敷設艇>:Cable Layer。海底ケーブルを敷設する艦艇のこと。参考:小艦艇入門、月刊モデルアート9,15増刊

 <電纜敷設艇(日本海軍)>:港湾防備用の管制機雷及び管制ケーブルを敷設するのが主任務である。昭和151025日、特務艇の下の類別として艦種が制定され、初島型が昭和15-16年に竣工した。参考:小艦艇入門、日本海軍特務艦船史、月刊丸3,14

電離層>:Ionosphere。地球の上空にある荷電粒子層(イオンと自由電子に電離した大気を含む層)で、酸素分子はほぼ完全に電離して酸素原子に、窒素分子も一部が窒素原子になっている。高度30-40kmにC層、70-80kmのD層、90-110kmのE層(ケネリー・ヘピサイド層)、220-240kmF1層(アップルトン層)、300-400kmF2層、400-600kmのG層があり、高度が高くなると自由電子密度が増え、昼は夜より自由電子密度が増える。太陽活動の影響を受け、夜はF1層の電離が弱くなり、F2層が下降して両者が一層(F層)に纏まる。また、冬にはF1層が消滅する。南極や磁気赤道付近では現地時間21時頃を中心にF2層の上にFs層が形成される。短波よりも長い波長の電波を反射するという特徴があり、E層で中・長波(超短波?)が、F層で短波が反射される。短波を使ったアマチュア通信が予想よりも長距離に届くことから1902年に存在が予言され、1924年に発見された。衛星で電波を中継しようとする場合、周波数を高くしておかないと電離層に弾かれて届かない。電離層で弾かれた電波は地面でも反射して遠距離に伝達されるので、長距離通信やOTHレーダーに応用できるが、場所、太陽活動、季節、昼夜などにより設定を変えないと上手く電波が反射してくれなくなる。参考:航空用語事典増補改訂版、図解・電波のしくみ、月刊軍事研究9,112,0812,11

<電離層観測装置>:自衛隊の機器。ネットコムセック製。参考:月刊軍事研究1,12

天理飛行場>:日本海軍の飛行場。参考:月刊JWings11,18

<てんりゅう>:ATS-4203(訓練支援艦)を参照。

<天竜>:ブルーインパルス(アクロバットチーム)を参照。

天龍>:日本海軍スループTenryu。垂線間長64.7m、常備排水量1547トン。主機は横置・還動型2気筒二段膨張式レシプロ蒸気機関1基、出力1162馬力、1軸推進、速力11.5ノット。3檣バークの帆装もある。兵装は17cm単装旋回砲1門、15cm単装旋回砲1門、12cm単装側砲4門。明治112月起工、明治183月竣工。ただトップヘビー傾向があったため船体側面バルジの追加が必要となり、実質上の就役は工事が終わった明治191月になった。明治30年、艦首形状を変更し、帆装を簡易化した。明治31年、三等海防艦に類別変更された。明治3910月に除籍され、明治44年まで雑役船として使われている。参考:月刊世界の艦船8,23、月刊丸6,14

天龍>:日本海軍天龍型軽巡洋艦1番艦。大正6517日、横須賀海軍工廠で起工。大正7311日進水。大正8430日、全力公試で左舷低圧タービンのブレードが折れる事故を起こした。6月、検査でタービンブレードの折損が確認された。1120日竣工。昭和3年、前部マストをポールマストから三脚マストに換装した。昭和1277日、日華事変勃発時には第10戦隊に所属していた。昭和16128日、太平洋戦争開戦時には建制でも兵力部署でも第18戦隊に所属しており、1515にウェーク島攻略戦のためルオット島を出撃。1211日、ウェーク島攻略戦でF4F-3の機銃掃射を受けて魚雷が誘爆、小破した。昭和174月下旬からMO作戦に参加。56日、第18戦隊所属で珊瑚海海戦に参加。871430、ラバウルを出港。88日、第1次ソロモン海戦に参加。102日、ラバウルで爆撃を受けて中破した。1114日、第3次ソロモン海戦に参加。12月、ニューギニア戦ム号作戦マダン攻略に参加。12182025、ニューギニア・マダン北方のビスマルク海でSS-218アルバコアが発射した魚雷4本のうち2本を左舷に被雷し大破、第18戦隊司令部は磯波に移乗した。その後涼風が曳航を試みたが、急速に浸水しているため諦めて乗員の接舷救助に移り艦長含む大部分を救出、艦は2300に沈没した。戦死者は23名だった。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊コンバットマガジン7,06、連合艦隊巡洋艦、月刊世界の艦船5,'226,8311,'21、日本海軍艦隊総覧

天龍>:韓国軍艦対地巡航ミサイルCheon Ryong(チェンロン。チョニョン?天竜?)。玄武ⅢCと同系列で、サムソン・テックウィン社が1990年代初めから開発し、ロシアから技術供与を受けて完成させたらしい。誘導は慣性誘導+電波高度計+GPSで、TERCOMDSMACも使っているという説もある。全長6.15m、直径0.52m、重量1500kg、弾頭重量400kgHEまたは半徹甲。500kg?)。推進は固体燃料ロケットブースター+ターボファン(ターボジェット?)、飛翔速度マッハ0.73、巡航高度50-100m、最大射程400-500km1000km1300km1500km?)。専用のVLSからコールドランチで射出される。2010年に開発を完了し、KDX-2級後期型とKDX-3に搭載されているらしい。潜水艦発射型もあり、KSS-3級のVLSで運用予定。参考:月刊世界の艦船5,161,'15増刊、11,172,187,'204,094,118,13、月刊軍事研究8,132,132,072,10

<天龍10>:鷹撃9(対艦ミサイル)を参照。

天龍型>:日本海軍軽巡洋艦。大正5年計画で建造された日本海軍初の近代的軽巡で、水雷戦隊旗艦としてイギリス海軍アリシューザ級またはC級軽巡をベースに設計された。速力を重視しており、巡洋艦以上の艦としては初めてオール・ギヤード・タービンを初めて採用し、装甲は主要部のみの弾片防御程度に止めた。日本海軍軍艦として初めて3連装魚雷発射管を装備し、打撃力は強大である。魚雷発射管は普段は艦の中心線上にあり、使用時に舷側までレールの上を引っ張ってくる必要があった。駆逐艦を大型化するという設計方針を採っており、艦首は江風型駆逐艦譲りのスプーン・バウとしている。石炭庫後方の第1缶室に混焼缶2基、第2缶室に大型重油専焼缶と小型重油専焼缶を2基ずつ、第3缶室に大型重油専焼缶4基を収容する。艦中央に太さの違う煙突が3本縦に並んでおり、1番煙突は2番目に太く第1缶室の混焼缶2基と第2缶室の小型重油専焼缶2基の、2番煙突は1番太く第2缶室と第3缶室の大型重油専焼缶2基ずつの、3番煙突は3番目に太く第3缶室の大型重油専焼缶2基の排煙を担当する。マストは艦橋後面と後部甲板室直前に1本ずつ。全長142.65m、幅12.3m、平均吃水4m、基準排水量3230トン、常備排水量3948トン。主機はブラウン・カーチス式オール・ギヤード・タービン3基、主缶はロ号艦本式重油専焼缶8基+同混焼缶2基、出力51000馬力、3軸推進、速力33ノット、重油搭載量920トン、石炭搭載量150トン、航続距離5000海里(14ノット)。兵装は三年式四〇口径一四サンチ単装砲4門(艦橋前後、後部甲板室前後)、三年式四〇口径八サンチ単装高角砲1門、六年式五十三サンチ3連装発射管2基(第1煙突前方と第3煙突後方)、一号機雷48個。装甲厚は水線部64mm、甲板16mm。乗員327-332名。大正8年に天龍と龍田の2隻が竣工した。初の軽巡ということもあり、船体規模に余裕が無く速力も新型駆逐艦に劣り改善の余地に欠けたため、5500トン型軽巡の建造に移った。参考:連合艦隊巡洋艦、近代巡洋艦史、月刊世界の艦船5,'2212,10、日本海軍艦隊総覧

てんりゅう型>:海上自衛隊訓練支援艦。くろべ型の後継であり、当初4500トンクラスで建造し、後甲板を広い飛行甲板にして訓練支援用ハリアーVTOLを積めるようにする予定だったが、予算の関係などで小型化された。くろべの改良型で、速力を2ノット高めて艦隊随伴能力を強化し、機動性・居住性を向上させ、省力化を進めて乗員を15名減らし、補給機能は省いた。船型は長船首楼型。BQM-34J改高速標的機4機とチャカⅢ高速標的機4機を搭載でき、BQM-34J改は船体後部の第1標的機格納庫に、チャカⅢは第3甲板の第2標的格納庫に収容される。艦橋上の塔型支筒4面に標的機管制用フェイズド・アレイ・レーダー・アンテナを、艦橋上と、艦後部の標的機格納/整備庫上に訓練評価装置レドームを搭載し、標的機4機を同時運用可能で、訓練用ミサイルの射撃評価をリアルタイムで計測できるようになり、イージス艦の訓練支援も行えるようになった。標的機格納/整備庫の後方には標的機発射甲板があり、ヘリコプター発着甲板としても使用可能。居住区は二段ベッドにし、女性自衛官の乗艦にも配慮した。全長106m、全幅16.5m、深さ8.6m、吃水4.1m、基準排水量2450トン、満載排水量2750トン。主機は新潟鉄工所製8MG28HXディーゼル(3125馬力)4基2軸12500馬力、速力22ノット。兵装は76mm単装砲1門(前甲板)。乗員140名。2000年にATS-4203てんりゅうが竣工した。参考:海上自衛隊全艦艇史、月刊世界の艦船11,'17増刊、1,041,161,191,021,111,159,191,'24、月刊軍事研究11,03JShips VOL.70

天龍飛行場>:日本陸軍の飛行場。参考:月刊JWings11,18

天領丸>:日本陸軍輸送船Tenryo maru。大元はソ連通商代表部が発注した耐氷型貨物船3隻の1番船ボルシェビキで、情勢変化などによりソ連には引き渡されないことになり、建造中に天領丸に改称された(ちなみに2番船は特務艦宗谷、3番船は陸軍特設工作船民領丸)。総トン数2231トン。昭和13415日竣工、辰南商船に所属した。その後デリックポストを門型に変更した。昭和15年、辰馬汽船にチャーターされ、朝鮮航路に就航した。太平洋戦争で陸軍に徴用された。昭和192月、合併により辰馬汽船に移籍した。昭和20529日、チ船団に所属して幌筵から小樽に向かっていたところ、南樺太中知床岬北東107kmSS-392スターレットの雷撃を受け沈没した。参考:月刊世界の艦船6,18

<電力アナライザ>:自衛隊の機器。水戸工業製。参考:月刊軍事研究8,11

転輪>:履帯のガイド用車輪。上部転輪と下部転輪の2種があるが、狭義には下部転輪を指す。騒音防止のためソリッドゴムを付けたものが主流で、金属とゴムを接着できる接着剤の登場によりゴムの脱落も少なくなった。参考:月刊JWings1,03、スピアヘッドNo.8

<テンルア>:S-75MV地対空ミサイルの北ベトナム軍名称。

伝令>:軍隊の情報伝達手段の1つで、情報を持った人間が目的地まで自ら移動して情報を伝える。世界一有名な伝令は、マラトンの戦いでの勝利をアテネに伝えてマラソンの語源を作った伝令。参考:MAMOR vol.102

伝令(日本海軍)>:日本海軍の役職で、当直将校や副直将校の命令・号令を艦内に伝えるのを主任務とする。マーク持ちの古参一等水兵で、水兵服に顎紐付きの帽子を被り、脚絆は付けない。停泊中は舷門に1名いるだけだが、航海中や戦闘中は必要に応じて増員される。号笛と呼ばれる合図の笛を上手いこと吹けないと伝令になれない。参考:海軍よもやま物語

伝令(日本陸軍)>:命令、報告、通報の伝達が主任務で、重要な任務であり、全力を尽くして責任を全うしなければならない。発信者は伝令に対し、受信者とその所在地、経路(必要なら要図、経路を記入した地図、磁針を渡し、外敵に関し顧慮すべき事項も伝える)、速度・歩度・到着時刻、伝達後の処置、その他所要の注意を与える。昼間の標準伝達速度は徒歩伝令が並で毎時5km(速歩)、急で毎時6km(速歩と駆け足)、至急で体力の限界、乗馬伝令が並で毎時8km(常歩2に速歩1の割合)、急で毎時10km(常歩1に速歩2の割合)、至急で馬の体力の限界。自転車や自動車の場合は、適宜定めるか、到着時刻を指定する。往路では周囲を良く観察し、敵の目、特に飛行機に注意して司令部や本部などの位置を知られないようにすると共に、時々後方に注意を向けて地形を記憶、帰路で迷わないようにする。途中で上官に会ってもスピードは落とさず、伝令と叫んで通り過ぎる。途中で事故が起きたら最寄りの部隊に交渉し、各部隊は可能な限りの援助を与える。敵に囲まれた際に文書を破棄・焼却する必要があるような場合は、予め伝令に文書の内容を伝えておくのが良い。その場合、文書には部隊号を記載してはならない。特に重要な内容を伝達する際や、途中の経路が危険な場合は、複数の伝令を別ルートで派遣したり、護衛を付けたり、適任の将校に伝達を頼んだりする。報告や通報は途中で他の司令部や軍隊にも知らせるのが望ましい場合もあり、この場合は伝令に対してその旨を知らせ、伝令は該当指揮官などに簡単に報告や通報の内容を伝える。目的地に到着して受信者を探す場合、必要なら宛名を呼ぶ。この際、付近の者は伝令に所要の告知を行う義務がある。命令、報告、通報の伝達を行う際に下馬する必要は無い。帰る前に連絡要務が無いか確認し、帰着後直ちに命ぜられた上官に報告する。伝令が口頭で命令、報告、通報を伝達する場合、出発前と帰着後にその事項の全部または要旨を復唱する。参考:作戦要務令

天鏈1号>:中国のデータ中継衛星TL-1Tian Lian-1)。初号機が20084月、2号機が20117月に打ち上げられ、地上管制局において衛星周回軌道の60%で衛星を追跡できるようになった。また、他の人工衛星との通信中継や、神舟7号以降の有人飛行ミッションでの通信にも利用されている。2012616日に打ち上げられた有人宇宙船神舟9号によるデータ中継能力検証ミッションにより、周回軌道の70%をカバー可能となった。参考:月刊世界の艦船9,12

<天狼星>:794(東調級情報収集艦)または854(東調級情報収集艦)を参照。

<電話監査装置>:自衛隊の機器。日立製作所製。参考:月刊軍事研究2,16

<電話監査装置(その2)>:自衛隊の機器。日本電気製。参考:月刊軍事研究5,13

<電話端局装置>:自衛隊の機器。日本無線製。参考:月刊軍事研究2,13

電話通信(日本陸軍)>:漏洩防止のため、なるべく責任者同士で直接通話し、通話者を制限したり、秘密事項の通話の際には主任者以外の者を遠ざけたりするなど工夫する。電話で命令、報告、通報を伝達する場合、受話者は必ず復唱する。筆記する場合、一句ごとに復唱しながら筆記し、書き終わったら全文を復唱、伝達者の氏名と受信日時を付け加える。伝達者の方でも受話者の氏名と送信日時を書き留めておく。参考:作戦要務令

 

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