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第3移動警戒隊>:航空自衛隊移動警戒隊春日基地に所在している。2011123日、創立30周年記念行事を実施。参考:朝雲

 <第3移動警戒隊(2015年)>:西部航空警戒管制団隷下で、春日基地に置かれている。参考:月刊航空ファン4,16

第3移動通信隊>:航空自衛隊の移動通信隊。1990年、千歳基地で新編された。2000年、上級部隊が航空システム通信隊移動通信群になった。参考:航空自衛隊ホームページ、月刊JWings8,14

 <第3移動通信隊(2015年)>:航空システム通信隊移動通信群隷下で、千歳基地に置かれている。参考:月刊航空ファン4,16、航空自衛隊パーフェクトガイド2015

第三弥栄丸>:2ET型戦時標準油槽船。総トン数834トン。第十南進丸、第十南興丸、第八弥栄丸、第六共栄丸、第十共栄丸と共にボルネオ島ミリから石油還送(計16500キロリットル)を行うことになり、昭和2014日に護衛の海防艦1隻・駆潜艇5隻と共に高雄を出港した。16日、ルソン島ボヘヤドール岬沖でアメリカ艦上機(第1波30機・第2波130機)の攻撃を受けて沈没した。参考:戦時標準船入門

第3ウクライナ方面軍>:ソ連軍の方面軍。19431020日、南西方面軍を改称して新編された。1944820日からヤッシー・キシニョフ作戦に参加。98日、ブルガリアに侵攻。1027日、ユーゴスラビアのベオグラードを占領。参考:激闘 東部戦線(2)、歴史群像4,18

第三雲海丸>:日本海軍特設給糧艦Unkai maru No.3。大元は橋本汽船の貨物船華山丸である。垂線間長94.49m、幅13.11m、総トン数3023トン、重量トン数4530トン。主機は三連成レシプロ1基、最大出力1406馬力、最大速力11.5ノット。大正8年竣工。昭和5年、中村組に移籍。昭和6年、第3雲海丸に改称した。昭和174月、海軍に徴用されて特設給糧艦になった。1130日、横浜新港埠頭7号岸壁に停泊中、隣の埠頭でドイツ補給艦ウッカーマルクが爆発事故を起こし、巻き込まれて数日間炎上、全損した。昭和18年にその場で解体された。参考:月刊世界の艦船9,01

第三雲洋丸>:日本陸軍輸送船Unyo maru No.3。大元は東和汽船の東興丸で、大正8213日の竣工と同時に第六吉備丸になり、大正10年に豊崎汽船、昭和2年に灘製作所に移籍し、昭和3年に洞海汽船に移り第三雲洋丸に改称、昭和4年に山九運輸に売却され、太平洋戦争で日本陸軍に徴用された。垂線間長94.49m、幅13.11m、深さ7.93m、満載吃水6.67m、総トン数2845トン、重量トン数4654トン。主機は三連成レシプロ蒸気機関1基1軸1709馬力、航海速力9.5ノット、最大速力12.24ノット。昭和1772日、門司から馬公に向かっていたところ、舟山群島馬鞍列島嵊山島東30kmSS-179プランジャーの雷撃を受け沈没した。参考:月刊世界の艦船7,21

第3遠征打撃群>:アメリカ海軍の遠征打撃群ESG-32007417日に創設された。参考:月刊軍事研究1,16

第3遠征打撃群(2015年)>:アメリカ太平洋艦隊隷下で、サンディエゴに置かれている。兵力13500名。第1揚陸隊(LHD-4ボクサー、LPD-18ニューオリンズ、LSD-49ハーパーズ・フェリー)、第3揚陸隊(LHD-2エセックス、LPD-23アンカレッジ、LSD-47ラシュモア)、第5揚陸隊(LHD-8マキン・アイランド、LHA-6アメリカ、LPD-22サンディエゴ、LPD-25サマセット、LSD-45カムストック、LSD-52パール・ハーバー)、第1海軍海岸作業群(揚陸艇運用担当の第1強襲艇隊、LCAC運用担当の第5強襲艇隊、第1揚陸指揮隊、第1揚陸建設大隊、第7遠征打撃群LCACLCU運用支援担当の第7海軍海岸作業隊)、第1戦術航空管制群などを隷下に置く。参考:月刊軍事研究1,16

第3海軍区>:日本海軍の海軍区。佐世保軍港、鎮海要港、馬公要港が所在している。明治195月に指定された。昭和1412月、福岡の遠賀以西から熊本、沖縄、朝鮮、台湾の海岸及び海面、福岡県の一部、佐賀、長崎、熊本、鹿児島、沖縄、台湾、朝鮮の陸上を担当していた。参考:月刊世界の艦船9,13増刊、帝国陸海軍事典

第3海軍燃料廠>:日本海軍燃料廠。元は大正10年に開設された燃料廠で、山口県徳山にある。参考:月刊世界の艦船9,13増刊

第3海上訓練指導隊>:海上自衛隊の海上訓練指導隊。196271日、海上訓練指導隊群の隷下に入った。参考:月刊世界の艦船6,22

第3海上護衛隊>:日本海軍の海上護衛隊。東京湾−紀伊水道航路を担当する部隊として昭和194月に創設された。参考:月刊世界の艦船9,13増刊

第3回天隊>:日本海軍の基地回天隊。宮崎県南部に配備された。参考:月刊丸8,'15別冊

第3海兵遠征軍>:アメリカ海兵隊の海兵遠征軍、VMEF1983年、隷下に第1・第9海兵遠征旅団が新編された。1988年、沖縄常駐の海兵遠征軍となった。狭いので部隊の一部を本土やハワイに分駐し、訓練もハワイ、グアム、オーストラリアのダーウィンなどで行わざるを得ないが、それを補って余りある東アジア展開時の地理的優勢を獲得している。20131025日、平成25年度日米共同統合防災訓練に参加。2014327日から47日、サン・ヨン14演習に参加。118-19日、キーン・ソード15に参加。122-15日、ヤマサクラ67に参加。2015128日から28日、第3海兵師団第4海兵連隊第1大隊などがフォレスト・ライト2014-02に参加。67日、平成27年度日米共同統合防災訓練に参加。2016225日から316日、陸自第8師団基幹の隊員50名に対し、水陸両用作戦研修を実施。35日、音楽隊が熊本市民会館で西部方面音楽まつりに参加。36日、健軍駐屯地と菊池市立七城中学校で熊本県内中高の吹奏楽部学生を対象とする演奏指導を実施。618-19日、音楽隊が熊本県南阿蘇村と益城町で西部方面隊主催の第8師団第8音楽隊との日米合同演奏会に参加。75-9日、中部方面隊が実施した日米豪共同防災訓練南海レスキュー28に2名で参加。1030日から1111日、キーン・ソード17に参加。1130日から1213日まで、ヤマサクラ71に参加。20171010-20日、第8師団基幹40名に水陸両用作戦研修を実施。1016日から113日、第15旅団基幹50名に水陸両用作戦研修を実施。201898日、陸自第15旅団と日米ジョイントコンサートを共催した。1013-14日、平成30年度日米共同統合防災訓練に参加。119-11日、みちのくALERT2018に参加。123-17日、ヤマサクラ75に参加。20211119-30日、令和3年度自衛隊統合演習(実動演習)に参加。2022228日から34日、第5航空艦砲連絡中隊が関東南方からグアム北方の海空域で日米共同訓練に参加し、DDG-52バリーDDG-69ミリウスDDG-76ヒギンズDDG-105デューイT-AKE-4リチャード・E・バードと共に、DDH-181ひゅうがDD-120しらぬい水陸機動団と、対地射撃や対水上戦などの訓練を行った。821-29日、グアム島周辺で日米豪韓加共同訓練パシフィック・ヴァンガード22Pacific Vanguard 22)に参加。第5航空艦砲連絡中隊が、DDH-183いずもDD-110たかなみ潜水艦P-1哨戒機UP-3D電子戦訓練機陸自水陸機動団アメリカ海軍潜水艦T-AKE-6アメリア・イアハートP-8A哨戒機EA-18G電子戦機オーストラリア海軍イージス艦42シドニーフリゲートFFH-157パース韓国海軍ミサイル駆逐艦991セジョン・デワン976ムーンム・デワンカナダ海軍フリゲートFFH-331バンクーバーと、各種戦術訓練(対水上射撃、対地射撃、対水上戦対潜戦など)を行った。119日、令和4年度離島統合防災訓練及び日米共同統合防災訓練に参加。2023710-17日、レゾリュート・ドラゴン23前段演習に参加。1014-31日、レゾリュート・ドラゴン23後段訓練に参加。119-20日、カマンダグ23に参加。参考:月刊軍事研究4,137,127,14、月刊世界の艦船12,131,1511,1812,185,'2211,'22、月刊航空ファン8,151,17、月刊JWings2,'221,'23、朝雲

第3海兵遠征軍(2010年)>:司令部は沖縄のキャンプ・コートニーにある。隷下に第3海兵師団、第1海兵航空団、第3海兵兵站群、第3海兵遠征旅団、第31海兵遠征隊、第3情報大隊、第7通信大隊、第3無線大隊、第5海空射撃連絡中隊を置く。参考:月刊JWings5,10

第3海兵遠征軍(2012年)>:太平洋海兵隊隷下で、司令部(第3通信大隊、第7通信大隊、第3情報大隊、第5空海射撃連絡中隊)は沖縄のキャンプ・コートニー(第3通信大隊のみハワイのカネオヘ)にある。隷下に第3海兵師団、第1海兵航空団、第3海兵兵站群を置く。参考:月刊軍事研究9,12

第3海兵遠征旅団>:アメリカ海兵隊の海兵遠征旅団で、3MEBと略す。201637日から430日、フォール・イーグル2016に参加。20171129日から1213日、ヤマサクラ73に参加。2020122-15日、ヤマサクラ79に参加。2021121-13日、ヤマサクラ81に参加。参考:月刊航空ファン7,16、朝雲

第3海兵航空団>:アメリカ海兵隊第1海兵遠征軍隷下の航空部隊で、3MAWThird Marine Aircraft Wing)と略す。2021110日から216日、アイアンフィスト22に参加。118日の週にF-35Bシミュレーターをミラマー海兵航空基地に設置して運用を開始した。参考:月刊軍事研究5,12、月刊JWings4,21、朝雲

 <第3海兵航空団(イラク戦争時)>:兵力14381名。第11海兵航空群、第13海兵航空群、第16海兵航空群、第29海兵航空群、第39海兵航空群を隷下に置き、全ての航空群は増強されていた。主任務は第1海兵師団の進路上に存在するバグダッド歩兵師団とアル・ニダ戦車師団の撃滅である。2003321日から424日までに25600時間飛行して9800ソーティをこなし、PGM2200発とダム・ボム2300発の計2830トンを投下、上記2個親衛隊師団に加えてイラク陸軍第11・第14・第18・第51歩兵師団、第6・第10戦車師団の連隊規模以上の組織的戦闘能力を消滅させた。参考:月刊軍事研究5,12

 <第3海兵航空団(2012年)>:司令部はカリフォルニア州ミラマー海兵航空基地にある。兵力14000名、作戦機435機。第3海兵航空団司令部隊、第11海兵航空群(F/A-18C/D戦闘機5個飛行隊60機とKC-130J空中給油輸送機12機)、第13海兵航空群(AV-8Bハリアー攻撃機4個飛行隊56機)、第16海兵航空群(MV-22B輸送機5個飛行隊60機、CH-53Eヘリ4個飛行隊64機)、第39海兵航空群(5個軽攻撃ヘリコプター飛行隊AH-1W攻撃ヘリ90機・UH-1N/Y汎用ヘリ45機、CH-46Eヘリ2個飛行隊24機)、第38海兵航空管制群(RQ-7B無人偵察機2個飛行隊24機、アヴェンジャー防空システム60両)、第37海兵航空団支援群を隷下に置く。参考:月刊軍事研究5,12

 <第3海兵航空団(2016年)>:司令部はミラマー海兵航空基地にある。隷下にMWHS-3、第11海兵航空群、第13海兵航空群、第16海兵航空群、第39海兵航空群、MACG-38を置く。参考:月刊航空ファン2,17

第3海兵師団(アメリカ海兵隊)>:アメリカ海兵隊の海兵師団。1942916日に新編された。太平洋戦争終結後に本土西海岸に戻り、解隊された。朝鮮戦争勃発に伴い、19529月に再編された。19538月、日本本州に進駐したが、直後に朝鮮戦争が休戦となり、極東軍戦略予備となった。この時は歩兵連隊3個、砲兵連隊1個、戦車大隊1個で、武山、板妻、駒門、岐阜、奈良、大津、大阪、境、信太山、神戸などに駐屯していた。19563月、沖縄に移動。狭い上に施設も足らず、第4海兵連隊が第1海兵師団に転出した。1965年、ベトナム戦争勃発に伴い、第4海兵連隊が編入された。196911月にベトナム戦争への派遣が終了、師団はキャンプ・コートニーに戻り、第3海兵連隊がハワイに移駐し、第4海兵連隊が沖縄に残った。第12海兵連隊第4大隊が解隊された。1972年から第4海兵連隊の3個歩兵大隊が第1海兵師団に転属。1976年、第3戦車大隊が第1海兵師団に転属。1991年の湾岸戦争後に第12海兵連隊第2大隊が解隊された。1994年、第9海兵連隊が解隊された。第3軽機甲偵察大隊が新編されたが、平時は第1海兵師団に隷属しており、有事にのみ沖縄に前方展開して第3海兵師団隷下となる。2003年、イラク戦争やアフガン戦争で手一杯になったらしく、第4海兵連隊隷下の3個歩兵大隊全てを沖縄に送る余裕が無くなり、第31MEUに派遣している1個のみの配備となった。20082-8月、戦闘強襲大隊がイラクのアンバル州に派遣された。5-11月、第3偵察大隊がイラクのアンバル州に派遣された。20126月、第4海兵連隊隷下歩兵大隊の沖縄へのローテーション配備が再開され、第2大隊が派遣された。ただその後も半年ローテーションが継続されているかは不明。2014225日から38日、関山演習場や相馬原演習場などで、第4海兵連隊第2大隊の1個中隊が陸上自衛隊との相互運用性向上を目的とした訓練に参加。2015128日から28日、第4海兵連隊が岩手山演習場でフォレスト・ライト2014-02に参加。64-12日、大和王城寺原大演習場で沖縄県道104号線越え実弾射撃訓練の移転訓練を実施。兵員160名、車両30両、155mm榴弾砲6門が参加した。96-18日、フォレスト・ライト2015に参加。2017525日から63日、大和王城寺原大演習場で沖縄県道104号線越え実弾射撃訓練の移転訓練を実施。人員130名、車両30両、155mm榴弾砲6門が参加した。810-28日、日米共同訓練ノーザンヴァイパーに参加。2018105-19日、陸上自衛隊との実動訓練ブルークロマイトに第4海兵連隊第2大隊E中隊が参加。127-19日、フォレストライト2018-01に参加。121-13日、フォレスト・ライト2019に参加。2020226-28日、沖縄の中部訓練場で日米射撃競技会に参加。1026日から115日、第4海兵連隊がキーン・ソード21に参加。202146日、在日米陸軍との統合強襲上陸訓練フジ・ヴァイパー2021に参加。511-17日、陸上自衛隊及びフランス陸軍との共同実動訓練ARC21に参加。124-17日、第4海兵連隊がレゾリュート・ドラゴン21演習に参加。20231014-31日、レゾリュート・ドラゴン23後段訓練に参加。

参考:月刊軍事研究6,102,144,157,'15、月刊JWings4,1412,187,'212,22、月刊航空ファン2,20、朝雲

第3海兵師団(2009年)>:第3海兵遠征軍隷下で、司令部は沖縄のキャンプ・コートニーにある。隷下に司令部大隊、第3海兵連隊(ハワイ)、第4海兵連隊(沖縄のキャンプ・シュワブ。常駐は司令部のみで、3個大隊がローテーション派遣される)、第12海兵連隊・砲兵(沖縄のキャンプ・バトラー。常駐は司令部と第3大隊のみで、3個砲兵中隊がローテーション派遣される)、戦闘強襲大隊、第3部隊偵察大隊、第3戦闘兵站大隊、第3通信大隊を置く。直轄部隊には戦車大隊と軽機甲偵察大隊が無く、海兵連隊は3個大隊編成のため、第1・第2海兵師団(戦車大隊・軽機甲偵察大隊を1個ずつ持ち、海兵連隊と砲兵連隊は4個大隊編成)よりもコンパクトである。参考:月刊軍事研究12,096,10、月刊JWings5,10

第3海兵師団(2012年)>:第3海兵遠征軍隷下で、司令部は沖縄のキャンプ・コートニーにある。隷下に第3海兵連隊(カネオヘ)、第4海兵連隊(キャンプ・シュワブ)、第12海兵連隊(砲兵。キャンプ・ハンセン)、第3戦闘強襲大隊、第3偵察大隊が置かれている。沖縄には戦車は無く、砲兵も1個大隊規模なので、有事の際には本土から輸送してくる必要がある。参考:月刊軍事研究9,124,13

第3海兵師団(2015年)>:第3海兵遠征軍隷下で、定数は7500名。司令部は沖縄のキャンプ・コートニーにある。第3海兵師団司令部群(第7通信大隊、第3情報大隊、第5空海射撃連絡中隊ANGLICO、第3警務大隊)、3個大隊編成の第4海兵連隊(歩兵)、2個大隊編成の第12海兵連隊(砲兵)、第3戦闘強襲大隊、第3偵察大隊を隷下に置く。参考:月刊軍事研究7,'15THE MILITARY BALANCE 2016

第3海兵兵站群>:2021511-17日、陸上自衛隊及びフランス陸軍との共同実動訓練ARC21に参加。2023710-17日、レゾリュート・ドラゴン23前段演習に参加。1014-31日、レゾリュート・ドラゴン23後段訓練に参加。参考:月刊JWings7,21、陸上自衛隊ホームページ

第3海兵兵站群(2010年)>:第3海兵遠征軍隷下で、司令部は沖縄のキャンプ・バトラーにある。兵力2800名。隷下に司令部大隊、第3戦闘兵站連隊(沖縄のキャンプ・フォスター)、第35戦闘兵站連隊(沖縄のキャンプ・キンザー)、第37戦闘兵站連隊(キャンプ・キンザー)、第3歯科大隊、第9工兵支援大隊を置く。参考:月刊JWings5,10

第3海兵兵站群(2012年)>:第3海兵遠征軍隷下で、司令部は沖縄のキャンプ・キンザー(牧港補給地区)にある。隷下に第3戦闘兵站連隊、第35戦闘兵站連隊、第37戦闘兵站連隊、第9工兵支援大隊、第3歯科大隊を置く。参考:月刊軍事研究9,12

第3海洋>:日本海軍海洋型観測船。昭和17年竣工。昭和19年に消息不明となった。参考:小艦艇入門

第3艦隊(アメリカ海軍)>:アメリカ海軍の艦隊。アメリカ本土を基地とする太平洋艦隊で、主に訓練を行う。194571日から815日まで、エセックス級空母9隻を含む大型空母15隻で日本本土空襲を実施。2015818日から99日、ドーン・ブリッツ2015に参加。2017107日から114日、ドーン・ブリッツ2017に参加。参考:月刊軍事研究1,01、月刊世界の艦船6,1212,17、月刊航空ファン11,15

 <第3艦隊(2014年)>:太平洋艦隊の隷下で、司令部はサンディエゴにある。TF-39CVN-70カールヴィンソン空母戦闘群(CSG-1)、CVN-74ジョン・C・ステニス空母戦闘群(CSG-3)、CVN-76ロナルド・レーガン空母戦闘群(CSG-9)、CVN-68ニミッツ空母戦闘群(CSG-11)、TF-34に潜水艦部隊を組み込んでいる。参考:月刊世界の艦船5,14

第3艦隊(日本海軍)>:日本海軍の艦隊。明治361228日、日露関係悪化に伴い初編成された。日清戦争時から現役の海防艦、砲艦、戦利艦を主体としており、対馬海峡警備を主任務とする。明治3734日、連合艦隊に編入された。明治381220日、解隊された。明治411224日、南清艦隊から改編されて再編された。トップは司令長官でなく司令官だった。大正41213日、トップが司令長官になった。大正7112日、居留民保護のためウラジオストク方面に派遣された。大正11121日、軍縮の一環で解隊された。昭和722日(1日?)、第1次上海事変の派遣艦隊として再編された。旗艦は装甲巡洋艦出雲である。昭和12711日、第1連合航空隊が隷下に新編された。その後艦上機部隊の第2連合航空隊、第1航空戦隊、第2航空戦隊、水上偵察機部隊の第21・第22海軍航空隊、第12戦隊を加え、海軍第一線航空機の半分を超える220機を隷下に収めた。1020日(1120日?)、日華事変や第二次上海事変を受けて支那方面艦隊の隷下に入り、中国沿岸中部・揚子江方面を担任した。昭和141115日、第1遣支艦隊に改編された。昭和16410日、比島方面など南方作戦支援を主任務として連合艦隊隷下に再編された。司令長官は高橋伊望中将である。1029日、足柄を旗艦とした。1120日、新編された第32特別根拠地隊を編入した。128日、太平洋戦争開戦時は連合艦隊南方部隊に所属し、フィリピン攻略を担当した。昭和17310日、蘭印作戦終了に伴い、第2南遣艦隊に改編された。714日、ミッドウェイ海戦の反省を基に、空母瑞鶴、翔鶴、龍驤を中心として戦艦戦隊1個(第11戦隊)、巡洋艦戦隊2個(第7・第8戦隊)、軽巡洋艦1隻(第10戦隊長良)、駆逐艦16隻(第10駆逐隊、第16駆逐隊、第19駆逐隊、駆逐艦秋風)で固めた機動部隊として第1航空艦隊から再編された。司令長官は南雲忠一中将、旗艦は瑞鶴である。816日、柱島泊地を出撃してトラックに向かった。820日、ガダルカナル島付近で敵機動部隊を発見したという情報が入り、トラック寄港を中止してガダルカナル北方海面に向け南下。824日、第2次ソロモン海戦に参加(第1航空戦隊、第10駆逐隊、第16駆逐隊、秋風、第11戦隊、第7戦隊、第8戦隊、第10戦隊、第19駆逐隊、東邦丸、東栄丸、東亜丸、国洋丸、第二共栄丸、豊光丸、日朗丸、旭東丸)。1026日、南太平洋海戦に参加(第1航空戦隊、第4駆逐隊、第16駆逐隊、濱風、照月、第7戦隊、第8戦隊、第10戦隊、第11戦隊、野分、国洋丸、東栄丸、旭東丸、豊光丸、日朗丸、第二共栄丸)。昭和1847日、い号作戦に参加。11月、ろ号作戦に参加。昭和1931日、第1機動艦隊の隷下に入った。37日、大鳳が編入された。51日、第4航空戦隊が編入された。619日、マリアナ沖海戦に参加(第1航空戦隊、第2航空戦隊、第3航空戦隊、第10戦隊、最上)。815日、残存空母(雲龍、天城、千代田、瑞鶴、隼鷹、龍鳳)と航空戦艦(日向、伊勢)をかき集めて再編成された。1020日、比島沖海戦に参加(第3航空戦隊、第4航空戦隊、多摩、五十鈴、第31戦隊、第61駆逐隊、第41駆逐隊、秋風、油槽船2隻、海防艦6隻)。1115日に解隊された。参考:日本海軍艦隊総覧、軍事用語の基礎知識、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像8,08、月刊丸12,92、月刊世界の艦船11,139,13増刊、月刊航空ファン9,163,17

 <第3艦隊(明治38年5月27日、日本海海戦時)>:連合艦隊隷下で、第5戦隊、第6戦隊、第7戦隊、第1水雷艇隊、第10水雷艇隊、第11水雷艇隊、第15水雷艇隊、第20水雷艇隊からなる。参考:日本海軍艦隊総覧

 <第3艦隊(大正4年12月、艦隊平時編制)>:日本、中国沿岸、揚子江流域を担当する。第5戦隊(戦艦、巡洋戦艦4隻)、第6戦隊(戦艦、巡洋戦艦、巡洋艦4隻)、第7戦隊(巡洋艦、海防艦、砲艦8隻)、第3水雷戦隊(巡洋艦1隻、駆逐隊4隊)からなる。参考:日本海軍艦隊総覧

 <第3艦隊(昭和8年5月21日)>:連合艦隊隷下で、第10戦隊(海防艦1隻、軽巡1隻、駆逐隊1隊)、第11戦隊(軽巡1隻、砲艦11隻、駆逐隊1隊)、第5水雷戦隊(編成されず)からなる。参考:日本海軍艦隊総覧

 <第3艦隊(昭和12年7月7日、日華事変勃発時)>:第10戦隊、第11戦隊、第5水雷戦隊、上海特別陸戦隊からなる。参考:日本海軍艦隊総覧

 <第3艦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:司令長官は高橋伊望中将、旗艦は足柄(第16戦隊所属)。建制上は連合艦隊の隷下で、第16戦隊、第17戦隊、第5水雷戦隊、第12航空戦隊、第6潜水戦隊、第1根拠地隊、第2根拠地隊、第32特別根拠地隊、山彦丸、補給部隊(興安丸、五驫ロ、朝山丸、早鞆、玄洋丸、広盛丸、千光丸)からなる。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧、帝国陸海軍事典

 <第3艦隊(昭和19年8月)>:第1機動艦隊隷下で、司令長官は小澤治三郎中将。第1航空戦隊、第3航空戦隊、第4航空戦隊、第10戦隊を隷下に置く。参考:比島決戦

第3機械化歩兵師団(イギリス、1997年)>:隷下に機械化旅団2個、空挺旅団1個、砲兵連隊3個、工兵連隊2個、航空連隊1個、防空連隊1個を置く。イギリス本土に配置されているが、空挺旅団が配備されているなど緊急即応性が高い。参考:月刊軍事研究7,97

第3機甲騎兵連隊(アメリカ陸軍戦闘予備構成)>:アメリカ陸軍機甲騎兵連隊、別名ブレイブ・ライフルズ(Brave Rifles)。1990-91年、湾岸戦争に参加。参考:月刊グランドパワー4,95

 <第3機甲騎兵連隊(デザート・シールド作戦時)>:連隊本部、3個機甲騎兵大隊(本部中隊、M-3騎兵戦闘車12両とM-1A1戦車9両装備の機甲騎兵中隊3個、M-1A1戦車14両装備の戦車中隊1個、M109自走砲8両装備の野戦砲兵中隊1個からなる)、1個航空騎兵大隊(UH-60ヘリ18機、EH-1Hヘリ3機、OH-58Aヘリ1機装備の本部中隊、AH-1ヘリ7機、OH-58ヘリ4機装備の攻撃ヘリ中隊2個、AH-1ヘリ4機、OH-58ヘリ6機装備の空中騎兵中隊3個からなる)、1個支援大隊(本部中隊、医務中隊、整備中隊、補給輸送中隊各1個ずつからなる)、1個防空砲兵中隊(アヴェンジャー4両)、1個工兵中隊(M9ACE2両)、1個軍事情報中隊(M113GSRレーダー車装備)、1個化学防護中隊(M93装備)からなる。129両のM-1A1戦車を装備しており、現地で全てM-1A1HA相当に改造した。他にM-3騎兵戦闘車108両、M-2歩兵戦闘車14両、M109自走砲24両、AH-1ヘリ26機を含むヘリ74機を装備する。参考:月刊軍事研究12,086,08

 <第3機甲騎兵連隊(デザート・セイバー作戦時)>:第18空挺軍団援護部隊として第7軍団との境界線(第18空挺軍団最右翼)に配置された。19912220700、イラク国境に威力偵察を行い、高さ2.4mの障害や炎上壕、地雷原を処理して73カ所の通路を啓開した。午後にも威力偵察を行い、迫撃砲陣地や塹壕を制圧すると共に、M-2A2による支援射撃下の下車戦闘や、M-3A2の耐弾性能・TOWミサイル威力の実証、OH-58DA-10Aによる連係攻撃などの実戦テストを行った。22413時、連隊は進撃を開始。225日までにイラク軍の軽微な抵抗を排除して80km進出した。226日、作戦域が第7軍団と接近したために誤射の危険性が生じ、一旦前進を停止して阻止陣地を構築した。227日、東への進撃命令が出され、ガス・オイル分離作業所及びルメイラ空軍南西基地に対する攻撃に向かった。2280515、攻撃準備命令が出されたが、停戦間近のため一旦解除。しかし09220945?)に再度攻撃命令が出され、付近に墜落したF-16パイロットと、そのCSARのため出撃して対空砲火により墜落したUH-60ヘリ乗員の捜索任務も与えられた。1000頃、ルメイラ空軍基地の外周フェンスに到達。1027、突破口を確保して防御陣地を制圧、T-55戦車5両とZSU-23-4シルカ5両を撃破し、基地内のイラク軍武器を破壊して制圧した。ただパイロットらは見つからず、3月初旬になって捕虜となっていたパイロットとUH-60乗員2名は解放された。1201、バスラの西30kmで前進を停止。その後は捕虜の後送や武器破壊作業に従事し、37日にサウジアラビアへの帰還命令が出た。参考:月刊グランドパワー4,95、月刊軍事研究1,10

第3機甲師団(アメリカ陸軍)>:アメリカ陸軍機甲師団、ニックネームはスピア・ヘッド。1990-91年、湾岸戦争に参加。参考:月刊グランドパワー4,95

 <第3機甲師団(デザート・シールド作戦時)>:1990118日、サウジアラビアへの派遣命令が出た。12月中旬、第1陣がキング・アブドゥル・アジズ空港に到着。重装備はアルジュベイル港とアド・ダンマン港に輸送された。兵力17658名で、M-1A1戦車180両とM-1A1HA戦車180両、M-2/M-3歩兵戦闘車286両、MLRS9両、M109/M110自走砲72両、AH-64A24機を装備した。19912月上旬、前線集結地バッツに集結。参考:月刊グランドパワー4,95、月刊軍事研究6,08

 <第3機甲師団(デザート・セイバー作戦時)>:第7軍団から第42野戦砲兵旅団、工兵部隊、兵站部隊の増強を受けており、戦力は兵力17659名、M-1A1/M-1A1HA戦車360両、M-2/M-3戦闘車316両、M109自走砲72両、MLRS9両、AH-64Aヘリ42機となっていた。隷下に師団司令部、第1-3旅団、師団砲兵、師団支援群、第4戦闘航空旅団、第5防空砲兵大隊、第23工兵大隊、第143通信大隊、第533軍事情報大隊などを隷下に置いた。1991224日、第7軍団の作戦開始が14時間早まったのに対応して前進を開始。正面幅が15kmしか割り当てられなかったため、3個旅団を縦列配置して進撃、統制線グレープまで進出した。225日、攻撃目標コリンズに向け前進。226日、コリンズを制圧し、1600に統制線タンジェリンを通過。正面幅は20kmだったため、第1旅団を右翼、第2旅団を左翼、第3旅団を後方に配置し、砲兵やAH-64Aが最前線への火力支援をすぐに実施できるよう、前線部隊に追随させつつ進撃した。この時、同士討ちを防ぐため、第1旅団と第2旅団の間は6kmの間隔を取っている。タワカルナ機械化師団の2個旅団を排除して2130分に統制線ライムに達した。夜間には73イースティング付近でタワカルナ機械化師団第9戦車旅団と交戦し、統制線ブレットの戦いとなったが、M-3A2ブラッドレイが突出してしまい、12両が撃破されて2名の戦死者と12名の負傷者が出た。攻撃目標ドーセット付近のムトラ峡谷では、45分間に戦車130両を撃破、更にドーセット確保時に250両を破壊した。227日早朝までに付近の制圧を完了。その後、J-STARSからイラク第12戦車師団第16機械化旅団が付近を通過中との連絡が入り、AH-64Aにより戦車8両と装甲車19両を破壊した。再び前進を開始した第3機甲師団はイラク第12戦車師団の1個旅団を撃破して1643にクウェート領内に進出。目標ミンデン付近にいたイラク第10戦車師団に攻撃を行い、戦車92両、装甲車12両、BRDM偵察車10両、ZSU-23-4シルカ1両、トラック14両、野砲14門を撃破して壊滅させ、2280115に目標ミンデンを制圧した。その後、統制線キウイに進出して前進を停止。その場で停戦まで待機した。参考:月刊軍事研究3,091,10、月刊グランドパワー4,95

第3基地防空隊>:航空自衛隊の基地防空隊。2008年、第3航空団隷下に三沢基地で新編された。2021222-26日、令和2年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。参考:三沢基地ホームページ、朝雲

第3基地防空隊(2015年)>:第3航空団隷下で、三沢基地に置かれている。短SAM、携SAMVADSを装備する。参考:月刊航空ファン4,16

<第3級賞詞>:賞詞を参照。

<第3級賞状>:賞状を参照。

<第3級防衛功労賞>:防衛功労賞を参照。

第3教育団>:陸上自衛隊の教育団。19598月、別府駐屯地で新編され、第111教育大隊を隷下に置いた。19697月、団本部が相浦駐屯地に移駐した。19993月、第111教育大隊が廃止された。2009630日、第113教育大隊が第2期一般陸曹候補生修了式を実施。2012516-17日、相浦駐屯地で第一回混成団等最先任上級曹長セミナーを実施。2013326日、西部方面混成団に改編された。参考:別府駐屯地ホームページ、朝雲、月刊軍事研究5,15、日本の防衛戦力Part8

第3駆潜隊(1978年)>:呉地方隊隷下で、PC-313おおとり、PC-314かささぎ、PC-315はつかり、PC-319しらとりを配備する。参考:月刊世界の艦船1,79増刊

<第3駆逐艦>:朝風(2代目)を参照。

第3駆逐隊(日本海軍)>:日本海軍の駆逐隊。昭和1745日、セイロン島攻撃に参加(汐風)。参考:日本海軍艦隊総覧

第3駆逐隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第4航空戦隊隷下で、駆逐艦汐風、帆風を配備する。参考:日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,14

第3軍(アメリカ陸軍)>:アメリカ陸軍の軍で、湾岸・南西アジアを責任地域とする中央軍の指定地上軍である。司令部はジョージア州にあり、大規模戦争派遣軍を率いる唯一のアメリカ軍部隊となっている。湾岸戦争やイラク戦争で派遣軍を統括した。参考:月刊軍事研究12,04

第3軍(日本陸軍)>:

 <第3軍(昭和19年後半)>:第1方面軍隷下で、第111師団、第112師団、第120師団からなる。参考:比島決戦

第3軍団(アメリカ陸軍)

 <第3軍団(2013年)>:アメリカ陸軍総軍隷下で、司令部はテキサス州フォート・フードにある。隷下に第1機甲師団、第1騎兵師団、第1歩兵師団、第4機械化歩兵師団、第13継戦コマンド、第32陸軍防空ミサイル防衛コマンド、第21騎兵旅団、第36工兵旅団、第89憲兵旅団、第504戦場監視旅団、第13財政管理センター、第85民事旅団を置く。参考:月刊軍事研究7,12

 <第3軍団(2015年)>:アメリカ陸軍総軍隷下で、司令部はテキサス州フォート・フッドにある。隷下に第1機甲師団、第1騎兵師団、第1歩兵師団、第4歩兵師団、第13継戦コマンド(遠征)、第32陸軍航空・ミサイル防衛コマンド(第11・第69・第108防空砲兵旅団)、第3騎兵連隊(ストライカー旅団戦闘団)、第75野戦砲兵旅団、第407野戦支援旅団、第36工兵旅団、第89憲兵旅団、第504戦場監視旅団、第85民事旅団を置く。参考:月刊軍事研究5,16

第3軍団(イラク)>:イラク陸軍の軍団、別名ガディシェ軍団。1990-91年、湾岸戦争に参加。参考:月刊グランドパワー3,95

 <第3軍団(湾岸戦争時)>:クウェート南部から南西部に配置され、防衛にあたっていた。第3戦車師団、第5機械化歩兵師団、第7・第14・第18・第29・第36歩兵師団、第8山岳歩兵師団、第56戦車旅団からなる。参考:月刊グランドパワー3,95

第3遣支艦隊(日本海軍)>:日本海軍の艦隊。昭和141115日、第4艦隊を改編して支那方面艦隊隷下に創設された。昭和17410日に解隊され、青島特別根拠地隊になった。参考:日本海軍艦隊総覧、第2次大戦日本海軍作戦年誌、小艦艇入門、月刊世界の艦船9,13増刊

 <第3遣支艦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:支那方面艦隊隷下で、司令長官は杉山六蔵中将。磐手、第11水雷隊、青島方面特別根拠地隊からなる。参考:日本海軍艦隊総覧

第3号>:スウェーデン海軍第2号級潜水艦2番艦。

第3航空艦隊(日本海軍)>:日本海軍の航空艦隊(基地航空部隊)で、昭和19710日に編成された。司令長官は吉良俊一中将で、日本本土南岸、関東、中部を担当する。隷下に第131航空隊が新編された。915日、隷下に第210航空隊が編成された。1013日、捷一号作戦に備え、松島海軍航空隊と豊橋海軍航空隊から九六式陸攻21機ずつを編入した。作戦協力中に1機ずつが未帰還になっている。昭和20215日、隷下に第722航空隊が新編された。55日、第210航空隊が第53航空戦隊に転出した。92日に解隊された。参考:日本海軍艦隊総覧、第2次大戦日本海軍作戦年誌、日本海軍戦闘機隊

第3航空群(海上自衛隊)>:海上自衛隊の航空群。1961年、徳島航空隊から改編されて徳島航空基地で創設された。197331日、徳島教育航空群に改編された。参考:徳島教育航空群ホームページ、教育航空集団司令部ホームページ

第3航空軍(アメリカ空軍)

第3航空軍(2007年)>:USAFE隷下で、司令部はラムシュタイン航空基地にある。隷下に第31戦闘航空団(アビアノ航空基地)、第48戦闘航空団(RAFレイクンヒース)、第52戦闘航空団(スパンクダーレム航空基地)、第86空輸航空団(ラムシュタイン航空基地)、第100空中給油航空団(RAFミルデンホール)、第38戦闘支援団、第39航空基地団、第65航空基地団、第435航空基地団、第501戦闘支援団を置く。参考:月刊軍事研究3,08

<第3航空軍(2012年)>:USAFE隷下で、司令部はドイツのラムシュタイン航空基地にある。隷下に第31戦闘航空団(イタリアのアビアノ。F-16)、第48戦闘航空団(イギリスのレイクンヒース。F-15CF-15EHH-60G)、第52戦闘航空団(ドイツのスパングダーレム。F-16ブロック50A-10C)、第39航空基地団(トルコのインジルリク)、第65航空基地団(ポルトガル領アゾレス諸島ラジェス・フィールド)、第86空輸航空団(ドイツのラムシュタイン。C-40BC-20C-21AC-37C-130J)、第100空中給油航空団(イギリスのミルデンホール)、第501戦闘支援団(イギリスのアルコンバレイ)、第435空地作戦団(ドイツのラムシュタイン)、第603航空宇宙作戦センター(ドイツのラムシュタイン)を置く。参考:月刊軍事研究11,12

第3航空軍(2015年)>:USAFE-AFAFRICA隷下で、司令部はドイツのラムシュタイン航空基地にある。隷下に第31戦闘航空団(イタリアのアビアノ基地。第510・第555戦闘飛行隊F-16CM/DM)、第39基地航空団(トルコのインシルリク基地)、第48戦闘航空団(イギリスのレイクンヒース英空軍基地。第492・第494戦闘飛行隊F-15E、第493戦闘飛行第F-15E、第56救難飛行隊HH-60G)、第52戦闘航空団(ドイツのスパンダーレム基地。第480戦闘飛行隊F-16CM/DM)、第86空輸航空団(ドイツのラムシュタイン航空基地。第37空輸飛行隊C-130J、第76空輸飛行隊C-21A/C-20H/C-37A/C-40B、第309空輸飛行隊C-37A、米欧州軍司令部飛行隊C-21A、第496基地飛行隊)、第100空中給油航空団(イギリスのミルデンホール英空軍基地。第351空中給油飛行隊KC-135R/T)、第351特殊戦航空群(イギリスのミルデンホール英空軍基地。AFSOC隷下のテナントユニット。第67特殊戦飛行隊MC-130P、第7特殊戦飛行隊MC-130H、第9偵察飛行隊RC-135V/W)、第501戦闘支援航空団(イギリスのアルカンバリー英空軍基地)、第65基地航空団(ポルトガルのラジェル航空基地)、第420基地航空群(イギリスのフェアフォード英空軍基地)、第421基地航空群(イギリスのメンウィスヒル英空軍基地)、第422基地航空群(イギリスのクロートン英空軍基地とウェルフォード英空軍基地)、第423基地航空群(イギリスのアルカンバリー英空軍基地とモールスワース英空軍基地、ノルウェーのスタベンジャー基地)、第424基地航空群(イギリスのウェルフォード英空軍基地)、第9偵察航空団(キプロスのアクロチリ英空軍基地。航空戦闘コマンド隷下のテナントユニット。第1分遣隊U-2S)を置く。参考:月刊JWings4,15、月刊軍事研究5,16

第3航空軍(日本陸軍)>:日本陸軍の航空軍。参考:比島決戦

第3航空軍(昭和19年後半)>:南方軍隷下で、司令部はシンガポールにある。第5飛行師団、第9飛行師団からなる。参考:比島決戦

第3航空戦隊(日本海軍)>:日本海軍の航空戦隊。昭和151115日に編成された。昭和16410日、瑞鳳と鳳翔を配備しており、第1航空艦隊の隷下に入った。昭和19215日に再編され、千歳、千代田、瑞鳳が配属され、隷下に第653航空隊を置いた。619日、マリアナ沖海戦に参加(千歳、千代田、瑞鳳)。1020日、比島沖海戦に参加(瑞鶴、千歳、千代田、瑞鳳)。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、日本海軍戦闘機隊

 <第3航空戦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第1艦隊隷下で、空母鳳翔、瑞鳳、駆逐艦三日月、夕風を配備する。参考:日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,14、帝国陸海軍事典

 <第3航空戦隊(昭和19年8月)>:第3艦隊隷下で、空母瑞鶴、千歳、千代田、瑞鳳を配備する。参考:比島決戦

第3航空隊>:日本海軍航空隊。昭和16410日、陸攻部隊として第11航空艦隊第23航空戦隊隷下に木更津基地で新編された。所管は佐世保鎮守府、3個中隊編成で、定数は九六式陸攻常用27機・補用9機である。新編と同時に第11航空艦隊司令部から資料蒐集を命じられ、領空を侵犯しての隠密戦略偵察を行うことになり、418日から九六式陸攻二三型改造の写真偵察機によりA作業に参加した。5月から630日、ペリリューに移動して第1航空隊、千歳航空隊などと共に南洋展開訓練G訓練を実施。A作業参加部隊のみサイゴンから作戦を続けている。7月、館山に戻り、海南島の三亜で南部仏印進駐作戦に備えて待機。無血進駐となったため、7月(8月上旬?)、ハノイに進出。南シナ地域の爆撃を行うと共に、3機がサイゴンに進出してA作業を継続し、マレー、ボルネオ、スマトラ方面の偵察を行った。810-20日、ハノイから百二号作戦に参加。9月上旬、戦闘機隊に改編された。定数は艦戦72機(補用18機)、陸偵9機である。太平洋戦争開戦直前には零戦二一型45機、九六式艦戦12機、陸偵6機が配備されており、他に零戦13機と陸偵3機が第22航空戦隊司令部戦闘機隊に分遣されていた。太平洋戦争に備えて燃料消費を抑える訓練を行い、フィリピンまで片道500海里を飛行して20分空戦を行えるようになったため、空母を中継せず直接マニラまで飛行することになった。128日、太平洋戦争開戦時は建制も兵力部署も第23航空戦隊隷下で、定数は零戦45機、九六式艦戦12機、九八式陸偵6機。開戦に伴い零戦53機で出撃し、イバ及びクラーク飛行場を攻撃、十数機を空中で、二十数機を地上で破壊した。損失は2機である。1210日、零戦34機がマニラに出撃し、44機を撃墜、42機を炎上させた。1212日と13日にも出撃し、フィリピンのアメリカ航空戦力は壊滅した。1223日、ダバオへの移動を開始。1228日、零戦7機と陸偵1基でタラカン島を攻撃、F2A戦闘機9機と交戦してほぼ全機を撃墜した。昭和17112日からメナドに進出。115-16日、アンボンを攻撃。125日からケンダリー基地に進出。126日から一部がチモール島クーパンへの攻撃を開始。22日、主力はバリクパパンに進出し、台南航空隊の指揮下に入った。23日、零戦27機で出撃し、スラバヤ上空でアメリカ及びオランダ軍機と交戦、39機を撃墜し、21機を地上撃破、ジャワ島の制空権を確保した。その後はケンダリー基地、マカッサル基地、バリクパパン基地、アンボン基地に分散展開して東部ジャワ、チモール、バリ島攻略に参加。223日、主力はクーパン郊外のブトン飛行場に進出、一部はバリ島に進出してジャワ作戦に参加した。3月上旬、バリ島の部隊がブトン飛行場に帰投。33日、零戦17機でオーストラリアのブルーム及びウインダムを攻撃し、水上の飛行艇二十数機を銃撃して炎上させた。310日、一部が北方部隊に編入され、本土に帰還した。4月、主力はポートダーウイン攻撃に参加。83日、サバンに1個分隊を派遣。819日、サバンの部隊が主力と合流。917日、ガダルカナル作戦参加のため、零戦21機と陸攻4機がラバウルに進出、台南航空隊の指揮下に入った。111日、第202航空隊と改称された。参考:日本海軍戦闘機隊、月刊丸11,72、月刊航空ファン8,18、帝国海軍太平洋作戦史T

第3航空隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の航空隊。1961年に新編された。196291日、第1航空群隷下から第4航空群隷下に移った。1973427日、夜間訓練飛行を行っていたP-2V7哨戒機1機が硫黄島東9km沖に墜落し、乗員8名が死亡した。1225日、下総航空基地から厚木航空基地に移駐した。1984年、P-3Cに機種改変した。2008326日、改編を実施。第6航空隊と統合され、隷下に第31飛行隊と第32飛行隊を置いた。2009916-21日、厚木航空基地を訪問したオーストラリア空軍AP-3C哨戒機1機のホストスコードロンを務めた。201012日、飛鳥Uから転落した乗客を探すため、P-3C哨戒機が夕方まで捜索活動を行った。816日から93日、第32飛行隊P-3C哨戒機2機がカカドゥ10演習に参加。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。3311809、被災地周辺で捜索救難飛行を行った。2012110日、平成24年の初飛行訓練を実施。201331-10日、第31飛行隊のP-3C哨戒機2機がグアム島と周辺空域で訓練を実施。4171757頃、三宅島近海でマグニチュード6.2の地震があり、震度5強が観測されたため、1806から情報収集を行った。629日から72日、厚木航空基地と鹿屋航空基地を訪問したニュージーランド空軍P-3K2哨戒機1機のホストスコードロンを務めた。2015323日、P-1哨戒機の配備が開始された。2016530000頃、硫黄島東方で第18勝栄丸の船員1人が海に転落して行方不明になったため、0600に第3管区海上保安本部長から海自航空集団司令官に災害派遣要請が出され、0627P-1哨戒機1機を離陸させて捜索を行った。1827に撤収要請を受けている。76日、厚木航空基地を親善訪問した韓国海軍第6航空戦団第61飛行戦隊P-3CK哨戒機1機と親善訓練(通信・航法訓練)などを行った。1115-18日、ニュージーランド地震の国際緊急援助活動に参加。ニュージーランド空軍から感謝の意として5万年前の木で作った時計を贈呈された。2017110日、P-1哨戒機4機で飛行始めを実施。826日、P-1哨戒機13号機が配備され、P-1配備数が8機になった。829日、残るP-3C哨戒機2機を八戸と那覇に送り出し、運用機全機がP-1哨戒機となって機種改変を完了した。1013-21日、日豪トライデント共同訓練に参加。201819日、第4航空群平成30年初飛行訓練にP-1哨戒機3機(+撮影機1機)で参加。1220日、第3航空隊P-1哨戒機が能登半島沖の日本海で韓国海軍ミサイル駆逐艦971広開土大王から射撃統制レーダーを照射された。201919日、P-1哨戒機2機(+報道機1機)で平成31年初訓練飛行を実施。27日、当日1000-1630頃に神奈川県・東京都上空と伊豆大島周辺海域を飛行したP-1哨戒機の着陸後の点検で、アルミ合金製ラダーの破損により外板の一部4カ所を紛失していることが判明した。1215日に千葉県勝山漁港を出港した漁船作栄丸と連絡が取れなくなり、海保が捜索しても見つからなかったため、1221日に第3管区海上保安本部長から第4航空群司令に災害派遣要請があり、12220754P-1哨戒機1機が厚木航空基地を離陸。12241306、作栄丸と同時期に行方不明となった加瀬丸を発見し、海保に情報を提供した。1700、作栄丸の捜索は海保のみで行うことになり、撤収要請が出された。20203130218頃、能登地方を震源とする最大震度5強の地震が発生したため、P-1哨戒機で偵察を行った。202212-20日、P-1哨戒機2機と隊員50名が、グアム島周辺海空域で、令和3年度米海軍主催固定翼哨戒機多国間共同訓練シー・ドラゴン2022に参加。17日、P-1哨戒機で初訓練飛行を実施。511日、隊司令以下10名が硫黄島航空基地を訪れ、1973P2V-7哨戒機墜落事故慰霊碑「帰心」を参拝した。613日から1028日、P-1哨戒機1機が、DDH-183いずもDD-110たかなみDD-104きりさめ、搭載ヘリ4機、潜水艦1隻、71航空隊US-2救難飛行艇1機、81航空隊UP-3D電子戦訓練支援機1機と共に、令和4年度インド太平洋方面派遣IPD22Indo-Pacific Deployment 2022)に参加。629日から84日、P-1哨戒機1機がリムパック2022に参加。2023122-9日、アンダーセン空軍基地と周辺海空域で令和5年度米国派遣訓練(航空機)に参加し、P-1哨戒機対潜戦訓練を行った。202418-24日、P-1哨戒機隊員40名がシードラゴン2024に参加。参考:月刊世界の艦船3,109,134,'228,'222,'244,'24、月刊航空ファン6,1111,922,1711,1712,173,18、世界の傑作機No.50、朝雲、月刊JWings5,136,157,169,163,183,194,193,2010,'22、月刊航空情報3,18、厚木航空基地ホームページ、MAMOR vol.130

第3航空隊(1978年)>:第4航空群隷下で、司令部は厚木にある。P-2Jを配備する。参考:月刊世界の艦船1,79増刊

第3航空隊(2010年)>:第4航空群隷下で、厚木航空基地に置かれている。隷下に第31飛行隊(P-3C)、第32飛行隊(P-3C)を置く。参考:月刊航空ファン4,10

第3航空隊(2015年)>:第4航空群隷下で、厚木航空基地に置かれている。第31飛行隊(P-1)、第32飛行隊(P-3C)からなる。参考:月刊航空ファン4,16

第3航空隊(2020年)>:第4航空群隷下で、厚木航空基地にある。P-1を配備する。参考:月刊JWings6,20

第3航空団>:航空自衛隊の航空団。F-86D部隊として1957121日に松島基地で新編された。1958512日、小牧基地に移動。81日、隷下に第101飛行隊が新編された。195931日、隷下に第102飛行隊が新編された。824日から第102飛行隊のF-86Dによるスクランブル任務を開始。196031日、隷下に第103飛行隊が新編された。1961610日、第103飛行隊が第2航空団隷下に移った。1962315日、隷下に第105飛行隊が新編された。1967121日、第102飛行隊と第105飛行隊が解隊された。第8飛行隊が隷下に入った。1968101日、第101飛行隊が解隊された。1978331日、小牧基地から三沢基地に移動、第81航空隊から第3飛行隊(F-1)が転入した。1980228日、第8飛行隊がF-1に機種変更。199115日、訓練飛行はじめを実施。第3航空団司令搭乗F-1支援戦闘機など16機が参加した。1997331日、第8飛行隊がF-4EJ改に機種変更。2000101日、臨時F-2飛行隊が新編された。102日、臨時F-2飛行隊にF-2A量産初号機が配備された。2001327日、第3飛行隊がF-2に機種変更(臨時F-2飛行隊が新生第3飛行隊に改編)。2009326日、第8飛行隊がF-2に機種変更。58日、防空への貢献と199810月以来の無事故飛行90000時間以上に対し、防衛大臣から一級賞状が授与された。2009725日から81日、米軍再編に係る岩国飛行場から三沢基地への訓練移転(共同訓練)にF-2戦闘機8機で参加。2009年度末で第8飛行隊がF-2への機種変更を完了し、F-2支援戦闘機2個飛行隊からなる唯一の航空団となった。2010727日、三沢基地でF-2戦闘機のエンジンを始動させたところ、脚が引き込まれてしまった。原因は脚ハンドルが下げ位置にあったのに、脚セレクターバルブが脚上げ回路を形成していたためであった。2011213-25日、コープノース・グアム11-1F-2支援戦闘機8機で参加。311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。1505F-2A戦闘機2機を離陸させた。412日、東日本大震災でF-2Bを失った第21飛行隊隊員の訓練を開始。623日、岩手県沖を震源とする震度5弱の地震が発生したため、航空機で情報収集を行った。2012723日、岩手県盛岡市の県営野球場で開催されたプロ野球オールスターゲーム第3戦でF-2戦闘機2機による展示飛行を実施。201324-15日、コープノース・グアムに参加。513日、三沢基地滑走路灯工事が終了するまでの間、スクランブル任務機を八戸航空基地に移動(1019日までの予定)することになり、F-2戦闘機4機が八戸航空基地に到着した。1218日、検査隊が在日米空軍第35戦闘航空団整備隊の研修を実施。201481日、航空支援隊が航空戦術教導団の隷下に移った。20152171346、岩手県沖を震源とするマグニチュード5.7・最大震度5強の地震が発生したため、F-2戦闘機2機で情報収集を実施。4-7月、基地業務群の隊員延べ500名が3回に分けて青森県鰺ヶ沢町で野外行動訓練(50km行進)を実施。5130612頃、宮城県沖でマグニチュード6.8の地震が発生し、最大震度5強を観測したため、航空機により情報収集を行った。729-30日、基地業務群施設隊消防小隊が三沢基地格納庫でF-2戦闘機搭乗員救出訓練を実施。滑走路を逸脱して擱座したF-2からパイロットを救出するもので、夜間を想定し格納庫を真っ暗にして訓練を行い、目標5分のところ、6回とも4分45秒前後を達成した。99日、基地業務群施設隊消防小隊の9名が、青森県消防学校の支援を受け、煙が充満した建物からの要救助者救出訓練を行った。1017日、消防小隊が三沢市防災訓練に参加。1020日、基地業務群施設隊消防小隊8名が三沢ヘリコプター空輸隊9名の協力を受けCH-47J輸送ヘリ搭乗者救出訓練を実施。121-18日、米軍再編に係る嘉手納飛行場から空自三沢基地への訓練移転(共同訓練)にF-2戦闘機4機で参加。アメリカ第18航空団と三沢東方・秋田西方空域で戦闘機戦闘訓練などを行った。2016116日、基地業務群施設隊管理小隊が海自八戸航空基地着陸拘束装置の再拘束準備訓練を実施。夜間展張を想定し、航空機拘束、装置巻き取り、ミーティングの順で10回の訓練を行った。210-26日、コープ・ノース・グアム16に参加。225日、基地業務群施設隊消防小隊が三沢基地で第1輸送航空隊の支援を受け搭乗員救出訓練を実施。729日、第8飛行隊が第8航空団隷下に移った。107日、持続走大会を実施。1017日から116日、F-2A戦闘機2機とF-2B戦闘機2機でガーディアンノース16に参加。201777-14日、米軍再編に係る嘉手納飛行場から三沢基地への訓練移転(共同訓練)にF-2戦闘機4機で参加。第2航空団、警戒航空隊、北部航空警戒管制団と共に、アメリカ第18航空団F-15C戦闘機、E-3早期警戒管制機と三沢東方・秋田西方空域で戦闘機戦闘訓練を行った。121日、三沢基地で臨時F-35A飛行隊の編成完結式を実施。2018221日から第35戦闘航空団F-16CM戦闘機が小川原湖に投棄した増槽と燃料の回収作業に必要な物資などの輸送支援を行った。59-24日、米軍再編に係る岩国飛行場から三沢基地への訓練移転(共同訓練)にF-35A戦闘機1機とF-2戦闘機4機で参加。第2航空団F-15戦闘機4機、北部航空警戒管制団第3第6高射群警戒航空隊などと共に、アメリカ第12海兵航空群F-35B戦闘機8機と、三沢東方空域などで戦闘機戦闘訓練や空対地射爆撃訓練を行った。96日に発生した北海道胆振東部地震の災害派遣に参加。警備犬サン号も捜索活動を行った。927日に福島県沖で行方不明になった小型機の捜索にF-2戦闘機2機で参加。1018-26日、平成30年度航空総隊総合訓練(実動訓練)に参加。201917日、臨時F-35A飛行隊がF-35A戦闘機3機で訓練飛行始めを実施。2212122頃、北海道胆振地方中東部を震源とする最大震度6弱の地震が発生したため、F-2戦闘機2機で情報収集を行った。326日、隷下に第302飛行隊が新編された。2019527日から629日、レッドフラッグ・アラスカ19F-2A/B戦闘機6機で参加。6月、隊員自主募集優秀部隊等褒賞を受賞した。6182222に発生した山形県沖を震源とする最大震度7の地震でF-2戦闘機による情報収集活動を実施。202024日、日米共同訓練にF-2戦闘機5機で参加。325日、第3飛行隊が隷下を離れた(翌日第7航空団に編入)。512-14日、天ヶ森空対地射爆撃場で1050ヘクタールの野焼きを行った。202065日、創設からの緊急発進累計3000回以上の功績で、統幕長から第2級賞状を授与された。1215日、第301飛行隊が第7航空団から隷下に入った。

202115日、F-35A飛行隊の初飛行訓練を実施。F-35A戦闘機4機が日本海上空の訓練空域で2時間の訓練を行った。202216日、F-35A戦闘機5機で初飛行訓練を実施。111日、F-35A戦闘機2機が日本海及び三沢東方の太平洋上で日米共同訓練に参加。310日、青森県三沢市西の日本海上空で日米共同訓練に参加し、F-35A戦闘機4機が、アメリカ空軍第354戦闘航空団F-35A戦闘機4機と、初の日米F-35A戦闘機同士での対戦闘機戦闘訓練を行った。3162336頃、福島県沖を震源とする最大震度6の地震が発生したため、F-15J戦闘機情報収集を行った。423日、検査隊が綱引き大会を実施。116日、海上自衛隊創設70周年記念令和4年度国際観艦式F-35A戦闘機4機(AX-7AX-12AX-13AX-30)で参加。1221日、青森県西方の日本海上の空域で日米共同訓練に参加。F-35A戦闘機3機が、北部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍F-16戦闘機14機及びアメリカ海軍EA-18G電子戦機2機と、各種戦術訓練を実施した。202315日、F-35A戦闘機6機(AX-9AX-11AX-15AX-27AX-29AX-30)、E-2D早期警戒機、T-4練習機が三沢基地で初飛行訓練を実施。32日、日米共同訓練に参加。F-35A戦闘機4機が、第7航空団F-2戦闘機4機、第8航空団F-2戦闘機4機、北部中部西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍第28爆撃航空団B-1B爆撃機1機、第35戦闘航空団F-16戦闘機4機、第18航空団KC-135空中給油輸送機1機と、日本海上で各種戦術訓練を行った。33日、日米共同訓練に参加。F-35A戦闘機4機が、第6航空団F-15戦闘機4機、第8航空団F-2戦闘機4機、北部中部西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍第28爆撃航空団B-1B爆撃機1機と、日本海上で各種戦術訓練を行った。88日、青森県東方の太平洋上で日米共同訓練に参加。F-35A戦闘機2機が、北部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍F-16戦闘機7機、アメリカ海軍EA-18G電子戦機1機、アメリカ海兵隊F-35B戦闘機2機と、各種戦術訓練を行った。821日から92日、アンダーセン空軍基地とオーストラリアのティンダル空軍基地・ダーウィン空軍基地で、F-35A戦闘機のアメリカ・オーストラリアへの機動展開訓練に参加。F-35A戦闘機4機が、第1輸送航空隊C-130H輸送機1機・KC-767空中給油輸送機1機、第2輸送航空隊C-2輸送機1機、第3輸送航空隊C-2輸送機1機と共に、長距離航法及び空中給油訓練を行った。823日から915日、小松基地と周辺空域で日豪共同訓練武士道ガーディアン23に参加。1214日、青森県西方の日本海上空で日米共同訓練に参加。F-35A戦闘機4機が、北部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍F-16戦闘機7機、KC-135空中給油輸送機1機、アメリカ海軍EA-18G電子戦機2機と、各種戦術訓練を行った。

参考:月刊JWings4,1511,076,094,116,117,114,138,1310,144,155,1510,161,173,185,1811,1812,185,196,198,199,194,203,214,'226,'221,'233,'235,'2310,'2311,'233,'24、月刊丸12,106,14、月刊航空ファン7,111,152,'164,'169,177,18、朝雲

 <第3航空団(2007年)>:ホームベースは三沢基地で、第3飛行隊、第8飛行隊、北部航空方面隊支援飛行班を隷下に置く。参考:月刊JWings6,07

 <第3航空団(2010年)>:北部航空方面隊隷下で、ホームベースは三沢基地。第3飛行隊(F-2A/BT-4)、第8飛行隊(F-2A/BT-4)、北部航空方面隊司令部支援飛行班(T-4)、第3基地防空隊(短SAM、携SAMVADS)を隷下に置く。参考:月刊航空ファン4,10

 <第3航空団(2015年)>:北部航空方面隊の隷下で、ホームベースは三沢基地。第3航空団司令部、飛行群(第3飛行隊、第8飛行隊)、整備補給群、基地業務群、第3基地防空隊、北部支援飛行班からなる。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊航空ファン4,16

 <第3航空団(2020年)>:北部航空方面隊隷下で、三沢基地にある。第302飛行隊、北部支援飛行班からなる。参考:月刊JWings6,20

第3高射群>:航空自衛隊の高射群で、千歳基地に置かれている。1977年、八雲分屯基地に臨時第20高射隊が新編され、隷下に入った。1979年、第20高射隊が第6高射群の隷下に移った。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。2015312日、平成26年度体力測定T練成成果の部で3位となり、空幕長から表彰された。1028日、第9高射隊にペトリオットPAC-3が配備された。201683日から1118日、高射部隊年次射撃訓練に参加。201773日、PAC-3機動展開訓練に参加し、真駒内駐屯地に展開した。201859-24日、米軍再編に係る岩国飛行場から三沢基地への訓練移転(共同訓練)に参加。第2航空団F-15戦闘機4機、第3航空団F-35A戦闘機1機、F-2戦闘機4機、北部航空警戒管制団第6高射群警戒航空隊などと共に、アメリカ第12海兵航空群F-35B戦闘機8機と、三沢東方空域などで訓練を行った。718日、PAC-3機動展開訓練に参加し、札幌駐屯地に展開した。201999日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。2020618日、PAC-3機動展開訓練に参加。苗穂分屯地に展開し、器材の展開から撤収までを訓練した。71日、隊員自主募集の功績で、丸茂空幕長から第5級賞状を授与された。2021827日から1121日、令和3年度高射部隊年次射撃訓練に参加。202297日、PAC-3機動展開訓練に参加。千歳基地から札幌駐屯地PAC-3MSEを展開し、撤収までの一連の手順を訓練した。2023316日、北部高射群に改編された。参考:月刊JWings8,141,1610,189,'2011,'226,'23MAMOR vol.52vol.155、月刊航空ファン9,177,18、朝雲

第3高射群(2010年)>:北部航空方面隊隷下で、千歳に置かれている。隷下に第9・第10高射隊(千歳、ペトリオット装備)、第11・第24高射隊(長沼、ペトリオット装備)を置く。参考:月刊航空ファン4,10

第3高射群(2015年)>:北部航空方面隊隷下で、千歳基地に置かれている。第3高射群本部、第9高射隊、第10高射隊、第11高射隊、第24高射隊、指揮所運用隊、整備補給隊からなる。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015

第3高射群(2020年)>:北部航空方面隊隷下で、千歳基地にある。参考:月刊JWings6,20

第3高射隊>:航空自衛隊の高射隊。19644月、陸自第101高射大隊第3中隊から改編され、第1高射群隷下に霞ヶ浦分屯基地で創設された。19923月、ナイキからペトリオットに換装した。20083月、ペトリオットPAC-3を装備した。201999日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。109日、第1高射群のPAC3機動展開訓練に参加し、隊員30名・車両15両で霞ヶ浦分屯基地を出発、0800から東京臨海広域防災公園に進入して0830までにPAC3機材の射撃準備を完了させた。参考:霞ヶ浦分屯基地ホームページ、航空自衛隊パーフェクトガイド2015MAMOR vol.155、朝雲

 <第3高射隊(2015年)>:第1高射群隷下で、霞ヶ浦分屯基地に置かれている。ペトリオット、ペトリオットPAC-3を装備する。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊航空ファン4,16

第3高射特科群>:陸上自衛隊の高射特科群。1971325日、第116特科大隊から改編されて飯塚駐屯地で創設された。1117日から122日、マクレガー射場で実射検閲を受閲し、1221日に方面総監から3級賞状を授与された。197381日、第2高射団の隷下に入った。20157月、03式中SAMが配備された。2019326日、第344高射中隊が奄美駐屯地で新編された。2020224-28日、令和元年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。2021222-26日、令和2年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。参考:飯塚駐屯地ホームページ、月刊航空ファン6,19、朝雲

第3港湾哨戒隊(1978年)>:佐世保地方隊佐世保防備隊隷下で、哨戒艇23号、哨戒艇24号、哨戒艇27号を配備する。参考:月刊世界の艦船1,79増刊

第3護衛隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の護衛隊。1964315日に解隊された。1997324日、第42護衛隊から改編されて第3護衛隊群隷下に新編された。2002816日、DD-154あまぎりが編入された。2006216日、DD-114すずなみが配備された。2008326日、DDG-177あたごが第63護衛隊から転入した。2009318日、DDH-141はるなが除籍され、DDH-143しらねが第1護衛隊から転入した。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。81日、司令部が舞鶴から大湊に移った。DD-156せとぎりが第7護衛隊に転属し、第5護衛隊からDD-114すずなみが編入された。2015325日、DDH-143しらねが除籍された。DDH-181ひゅうがが第1護衛隊から転入した。20161011日、DD-112まきなみとDD-114すずなみが第7護衛隊に移り、DD-118ふゆづきとDDG-175みょうこうが第7護衛隊から転入した。参考:MAMOR vol.52、第3護衛隊群ホームページ、月刊世界の艦船11,118,145,155,17、朝雲

 <第3護衛隊(1961年9月1日)>:第3護衛隊群隷下で、舞鶴に置かれている。PF-296とち、PF-298まきを配備する。参考:月刊世界の艦船11,11

 <第3護衛隊(1998年)>:舞鶴に置かれている。DD-124みねゆき、DD-126はまゆきを配備する。参考:月刊世界の艦船4,98

 <第3護衛隊(2001年4月1日)>:第3護衛隊群隷下で、舞鶴に置かれている。DD-124みねゆき、DD-126はまゆきを配備する。参考:月刊世界の艦船6,01

第3護衛隊(2006年4月3日)>:第3護衛隊群隷下で、舞鶴に置かれている。DD-154あまぎり、DD-114すずなみを配備する。参考:月刊世界の艦船11,11

第3護衛隊(2007年度改編後)>:第3護衛隊群隷下で、舞鶴に置かれている。DDH-141はるな、DDG-177あたご、DD-112まきなみ、DD-156せとぎりを配備する。参考:月刊世界の艦船11,11

 <第3護衛隊(2010年)>:第3護衛隊群隷下のDDHグループ。DDH-143しらね、DDG-177あたご、DD-112まきなみ、DD-156せとぎりを配備する。参考:月刊軍事研究7,10、月刊世界の艦船1,11

 <第3護衛隊(2012年)>:第3護衛隊群隷下で、大湊に置かれている。DDH-143しらね、DDG-177あたご、DD-112まきなみ、DD-114すずなみを配備する。参考:月刊世界の艦船6,12

 <第3護衛隊(2015年)>:第3護衛隊群隷下で、大湊に置かれている。DDH-181ひゅうが、DDG-177あたご、DD-112まきなみ、DD-114すずなみを配備する。参考:月刊世界の艦船6,15

 <第3護衛隊(2020年)>:第3護衛隊群隷下で、舞鶴に置かれている。DDH-181ひゅうがDDG-175みょうこうDDG-177あたごDD-118ふゆづきを配備する。参考:月刊世界の艦船6,20

第3護衛隊群>:海上自衛隊の護衛隊群。文書の3群と呼ばれる。1960121日、第2護衛隊群から改編されて創設された。196191日、新編された護衛艦隊の隷下に入った。1962101日、第31護衛隊が編入された。1963331日、第4護衛隊が解隊された。196412日、DE-214おおいが直轄艦として編入された。227日、隷下に第32護衛隊が新編され、DE-214おおいがそちらに移った。19671216日、第32護衛隊が地方隊に移った。1970222日、DD-167ながつきが直轄艦として編入された。197121日、隷下に第12護衛隊が新編された。19731216日、第12護衛隊が解隊された。1977121日、第21護衛隊が編入された。1983330日、DD-166もちづきが直轄艦として編入された。1984330日、隷下に第2護衛隊が新編され、DD-166もちづきがそちらに移った。DDH-141はるな、DD-109はるさめ、DD-162てるづきが直轄艦となった。198535日、DD-109はるさめが特務艦となり、第1潜水隊群に転出した。1986327日、DDG-163あまつかぜが直轄艦として編入され、DD-162てるづきが特務艦となり舞鶴地方隊に移った。1987217日、DD-133しまゆきが直轄艦として編入された。220日、隷下に第45護衛隊が新編され、DD-133しまゆきがそちらに移った。第21護衛隊が地方隊隷下に移った。1988323日、隷下に第63護衛隊が新編され、DDG-163あまつかぜがそちらに移った。1989125日、DD-124みねゆきが第42護衛隊から転入した。第2護衛隊が地方隊隷下に移った。199036日、第42護衛隊が隷下に入り、DD-124みねゆきがそちらに移った。19951117日、第63護衛隊が廃止され、DDG-172しまかぜが直轄艦となった。1996314日、隷下に第63護衛隊が新編され、直轄艦のDDG-172しまかぜがそちらに移った。1997324日、改編で第3・第7・第63護衛隊を隷下に置いた。旗艦はDDH-141はるなである。2008326日、改編が行われ、第3・第7護衛隊を隷下に置いた。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。2016414日と16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。参考:MAMOR vol.52、月刊世界の艦船11,115,86、朝雲

 <第3護衛隊群(1961年9月1日)>:護衛艦隊隷下で、司令部は舞鶴にある。PF-297しい、第3護衛隊、第4護衛隊、第6護衛隊を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船11,11

 <第3護衛隊群(1971年2月1日)>:護衛艦隊隷下で、司令部は舞鶴にある。DD-167ながつき、第10護衛隊、第12護衛隊を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船11,11

 <第3護衛隊群(1978年)>:護衛艦隊隷下で、司令部は舞鶴にある。第10護衛隊、第21護衛隊、直轄艦(DD-167ながつき)を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船1,79別冊

 <第3護衛隊群(1980年)>:護衛艦隊隷下で、司令部は舞鶴にある。ながつき、第10護衛隊、第21護衛隊を隷下に置く。参考:自衛隊装備カタログ1981

 <第3護衛隊群(1998年)>:護衛艦隊隷下で、司令部は舞鶴にある。直轄艦(DDH-141はるな)、第3護衛隊、第7護衛隊、第63護衛隊を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船4,98

 <第3護衛隊群(2001年度)>:護衛艦隊隷下で、舞鶴に置かれている。直轄艦(DDH-141はるな)、第3護衛隊(DD-124みねゆき、DD-126はまゆき)、第7護衛隊(大湊。DD-153ゆうぎり、DD-155はまぎり、DD-156せとぎり)、第63護衛隊(DDG-172しまかぜ、DDG-175みょうこう)を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船1,02

第3護衛隊群(2006年4月3日)>:護衛艦隊隷下で、司令部は舞鶴にある。DDH-141はるな、第3護衛隊、第7護衛隊、第63護衛隊を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船11,11

第3護衛隊群(2007年度改編前)>:護衛艦隊隷下で、司令部は舞鶴にある。DDH-141はるな、第3護衛隊(DD2隻)、第7護衛隊(DD3隻)、第63護衛隊(DDG2隻)を隷下に置く。参考:月刊JWings6,07

第3護衛隊群(2007年度改編後)>:護衛艦隊隷下で、舞鶴に司令部がある。第3護衛隊と第7護衛隊を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船11,11

第3護衛隊群(2010年)>:護衛艦隊隷下で、司令部は舞鶴にある。隷下にDDHグループの第3護衛隊、DDGグループの第7護衛隊を置く。参考:月刊軍事研究7,10

<第3護衛隊群(2011年)>:護衛艦隊隷下で、司令部は舞鶴にある。第3護衛隊と第7護衛隊を隷下に置く。参考:海上自衛新聞

第3護衛隊群(2015年)>:護衛艦隊隷下で、司令部は舞鶴にある。第3護衛隊と第7護衛隊を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船6,15

第3護衛隊群(2020年)>:護衛隊群隷下で、司令部は舞鶴にある。第3護衛隊と第7護衛隊を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船6,20

第3根拠地隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第4艦隊隷下、兵力部署では南洋部隊防備部隊所属で、パラオに配置されていた。第3防備隊、第16航空隊などからなる。参考:日本海軍艦隊総覧、帝国海軍太平洋作戦史T

第3次印パ戦争>:1947年の東西パキスタン成立以来、東パキスタン農産物の輸出で得た外貨が政治中枢を占める西パキスタンのために使われるという構図が永らく続いていた。19691月、東西パキスタンの経済格差拡大による国民の怒りが爆発し、アユブ・カーン大統領が退陣に追い込まれてヤヒア・カーン陸軍総司令官が大統領になった。197012月のパキスタン総選挙で東パキスタンの自治権拡大を要求するアワミ連盟が第一党の地位を獲得。パキスタン政府は軍事と外交のみを所管し、経済面の行政は地方政府に移管すべきという方針を主張したため、政府や軍と対立し、東パキスタンではアワミ連盟支持派による反政府デモが行われるようになった。1971325日、東パキスタンのパキスタン軍がダッカなどの主要都市でアワミ連盟事務所やアワミ連盟支持派の軍部隊・警察署などを襲撃し、内戦に発展した。インドには東パキスタンから1000万人ともいわれる難民が流入、インド経済を圧迫し始めたため、内戦への介入を決定し、インド軍部隊をパキスタンとの国境地帯に派遣してパキスタン軍と交戦するようになった。10月から東パキスタンゲリラ鎮圧の目的でパキスタン軍がインド領内のゲリラ拠点を砲撃し始めた。1118日、インド海軍は東部艦隊と西部艦隊を編成し、参謀長がパキスタン海軍戦力の撃滅、パキスタン商船の捕獲・撃沈、インド商船隊の安全確保、パキスタン海軍の艦砲射撃・破壊工作阻止、バングラデシュの孤立化、カラチ港の機能破壊を主任務として命じた。これに基づき、ベンガル湾に空母を投入する予定とし、インド空軍との調整の結果、北緯21度より北を空軍機、南を海軍機が担当し、空軍が長距離偵察機で海洋偵察を行うことになった。1121日、インド軍が東パキスタンに侵入。西パキスタンからの補給を絶たれて苦戦する東パキスタン駐留パキスタン軍に対し、インド軍は1128日に全面攻勢を開始、1130日には東パキスタンからのパキスタン軍全面撤退を迫った。これに対し、122日、パキスタン空軍はインド東北部を爆撃、第3次印パ戦争が始まった。123日夜、インド海軍がヴィシャカパトナム港外でパキスタン海軍潜水艦ガージを撃沈した。1241030、アンダマン諸島北方に進出していたインド海軍空母ヴィクラントがシーホーク艦上機を発艦させ、コックス・バザール航空基地を攻撃した。午後、ヴィクラントの艦上機がチッタゴンの飛行場と港湾を爆撃した。夜、インド海軍西部艦隊のオーサ型及びコマール型ミサイル艇隊がカラチ港に夜襲をかけ、2300に第25ミサイル艇隊オーサ型ミサイル艇ニルガット、同ヴェーア、同ニッパートが射距離25海里で対艦ミサイルを発射し、港外のパキスタン海軍駆逐艦カイバルと駆逐艦バブル(シャー・ジャハン?)を撃沈した。更にカラチ港内に対艦ミサイル攻撃を行って沿岸掃海艇ムハフィズと弾薬補給艦1隻を損傷させ、停泊していた商船10隻以上に損害を与え、カラチ埠頭の重油タンクを炎上させて無傷で引き揚げた。125日、西部ラジャスタン砂漠を進撃するパキスタン機甲部隊に対し、インド空軍の3機のハンターF.56と1機のハンターT.66が1日で17ソーティー出撃し、38両の59式戦車を破壊。アメリカ第7艦隊が空母任務群にマラッカ海峡付近への進出命令を出した。126日、インド空軍が戦車40両を破壊し、パキスタン機甲部隊を阻止した。128日、インド海軍西部艦隊が艦砲射撃でパキスタン港湾を制圧。離脱中に14型フリゲートのククリがパキスタン海軍潜水艦S131ハンゴルの魚雷3本により撃沈された。インド空軍は東パキスタンから空軍機を西に回して優位に立った。129日、東パキスタンのパキスタン軍がコックス・バザール経由でビルマに脱出するという情報が入り、インド東部軍司令官はコックス・バザールに上陸作戦を決行。6000トン級商船ヴィシュワヴィジャヤに1個大隊規模の陸軍兵を乗せて洋上の揚陸艦マガールに送り込み、インド海軍初の水陸両用作戦を行った。1210日、アメリカ第7艦隊が空母任務群(CVN-65エンタープライズ、揚陸艦トリポリなど)にベンガル湾への進出命令を出した。表向きはダッカ在住アメリカ人の保護だったが、殆どは既に脱出しており、インドはアメリカによるパキスタン軍脱出援助とカラチ港封鎖解除を疑って作戦の進行を早めた。ソ連はアメリカの行動をインドに対する干渉として非難したが、ニクソン大統領が空母任務群の退去を拒否したため、潜水艦を中心とする在インド洋ソ連艦艇はアメリカ空母任務群の監視行動を開始した。1214日、パキスタンの政府会議がダッカで行われているという情報を得たインド空軍は、15分後にMiG-21を出撃させ、観光用地図を頼りにロケット弾で爆撃を加えた。これによりパキスタンの閣僚は総辞職。1216日、東パキスタン駐留パキスタン軍が無条件降伏し、1217日にインドは西部正面での一方的停戦を表明した。東パキスタンはバングラデシュとして独立し、19727月、印パ両国首脳は49年の停戦ラインを実行支配線とするシムラ協定に署名した。本戦争ではインド空軍のMiG-21FLと、パキスタン空軍のF-104Aの間で空中戦が3回起きているが、いずれも格闘戦能力に優れるMiG-21FLの勝利であった。インド海軍は2500平方キロメートルの海域にソ連製M08機雷を撒布し、2510万トンの船舶に損害を与えた。参考:月刊世界の艦船6,833,189,'22、月刊航空ファン9,02、歴史群像8,02、月刊軍事研究8,02、月刊JWings10,01、月刊丸12,92

第3次ヴィンソン法>:アメリカで1940614日に成立した海軍増強法。マル四計画に対抗し、アメリカ海軍の戦闘力を25%増大させる予定だったが、実際には11%に削減された。アイオワ級戦艦4隻、エセックス級空母3隻など16.7万トンの艦船と6000機の飛行機を建造している。この時は増強幅が削がれたが、その後のヨーロッパ方面の戦況悪化により、更なる軍備強化を目指すスターク案(両用艦隊法案)が追加された。参考:月刊世界の艦船12,11、近代戦艦史、月刊丸6,01

<第3次ギルバート諸島沖航空戦>:ギルバート諸島沖航空戦を参照。

第3次山東出兵>:済南事件終了後の昭和365日、名古屋の第3師団が青島に上陸して済南の戦力を増強した。これが第3次山東出兵である。蒋介石軍と睨み合いが続き、全面戦争の危険も出てきたため、昭和4328日に政治的決着がついて5月までに日本軍は山東から全軍撤兵した。3次にわたる出兵で、ただ反日感情を煽っただけに終わっている。参考:月刊PANZER10,01、大日本帝国陸海軍軍装と装備

第3施設団>:陸上自衛隊の施設団で、北部方面隊隷下にある。1961817日に新編された。21世紀の改編で北部方面施設隊に縮小された。2017327日、北部方面隊隷下に南恵庭駐屯地で再編された。隷下に第12施設群、第13施設群、第14施設群を置く。59-19日、北海道大演習場と矢臼別演習場で演習場春季定期整備を実施。8 28日から105日、北部方面隊総合戦闘力演習の北演29に参加。201858-17日、北海道大演習場と矢臼別演習場で春期演習場定期整備を実施。装輪車道225kmと装軌車道93kmの路面形成、砂防設備構築、暗渠改修などを行った。96日に発生した北海道胆振東部地震の災害派遣に参加。1026日、国連アフリカ早期展開プロジェクト参加隊員21名の帰国行事を実施。201917日から23日、第70回さっぽろ雪まつりに協力した。111日、第105施設器材隊が南恵庭駐屯地で渡河器材保管庫落成式を実施。811日、国連施設部隊早期展開プロジェクトRDEC派遣要員の壮行行事を実施。1121日、千歳空港と南恵庭駐屯地で国連PKO支援部隊早期展開プロジェクトRDECに派遣された22名の帰国行事を実施。202057-15日、北海道大演習場と矢臼別演習場の春季定期整備を実施。821日、第105施設器材隊本部付隊の1等陸曹が、盗撮犯の逮捕に協力した功績で、豊平警察署長から感謝状を贈呈された。824日から910日、令和2年度北部方面隊実動演習に参加。202157-14日、北海道大演習場、矢臼別演習場、上富良野演習場、然別演習場などで令和3年度演習場春季定期整備を行い、装輪車道253km・装軌車道94kmの路面整形、装輪車道維持整備、設備補修、施設支援などを実施した。715日、南恵庭駐屯地会議室で第1回団女性隊員服務会同を実施。823日から94日、北海道大演習場と手塩訓練場で第13施設群と第303ダンプ車両中隊に対する訓練検閲を実施。参考:スピアヘッドNo.17、陸上自衛隊ホームページ、岩見沢駐屯地ホームページ、月刊JWings11,'20、朝雲

 <第3施設団(1977年)>:北部方面隊隷下で、本部は南恵庭にある。第1施設群、第12施設群、第13施設群などを隷下に置く。参考:日本の防衛戦力Part1

 <第3施設団(1985年)>:北部方面隊隷下で、団本部(南恵庭)、第1施設群(南恵庭)、第12施設群(岩見沢)、第13施設群(幌別)、施設器材隊、ダンプ車両中隊、地区施設隊2個などを隷下に置く。参考:陸上自衛隊地上戦力の全容

第3次ソロモン海戦>:アメリカ軍呼称ガダルカナル海戦。太平洋戦争時、第2師団飛行場攻撃の失敗を受けて、日本軍は昭和171113日夜に陸軍第38師団と海軍舞鶴第4特別陸戦隊計13500名、重砲50門、弾薬80000発、30000名1ヶ月分の食料を輸送船11隻と駆逐艦13隻からなる高速輸送船団でガダルカナルに投入することとし、第8艦隊重巡鳥海(旗艦)、衣笠、軽巡五十鈴、駆逐艦2隻も護衛に充てた。これに合わせ、第2艦隊隷下の第11戦隊(戦艦比叡・霧島)、第10戦隊(軽巡長良)、第16駆逐隊(天津風、雪風、時津風、初風)、第4水雷戦隊(駆逐艦朝雲)、第6駆逐隊(暁、雷、電)、第61駆逐隊(照月)、第2駆逐隊(村雨、五月雨、夕立、春雨)、第27駆逐隊(時雨、白露、夕暮)からなる前進部隊(第5次挺進攻撃隊)をもってヘンダーソン飛行場を再砲撃し、輸送船団の上陸を支援することとした。また、空母飛鷹・隼鷹、戦艦金剛・榛名、巡洋艦4隻、駆逐艦19隻をサンタイザベル島北方に集結させて艦上機による援護攻撃も行うことになった。アメリカ軍はラバウルにこれらの艦隊が集結していることを監視員から連絡されており、ガダルカナル島に6000名の海兵隊員及び陸軍部隊を増派すると共に、空母CV-6エンタープライズ、戦艦BB-56ワシントン・BB-57サウスダコタを基幹とする艦隊を派遣した。1191543、日本海軍第2艦隊前進部隊がトラック環礁を出撃。1111日、CV-6エンタープライズがヌーメア基地を出撃。南太平洋海戦で損傷していたが、ヌーメアで修理工を搭乗させ、修理を行いながらガダルカナル島沖に向かった。1112日、アメリカ軍増援部隊がガダルカナル島のルンガ岬に上陸を開始。これをキャッチした日本海軍空母部隊は艦上攻撃機25機と零戦8機を出撃させたが、CA-38サンフランシスコに炎上した1機が突入して艦橋部を損傷させたのみに終わった。アメリカ軍は索敵機の情報から日本海軍戦艦部隊が接近していることを知り、飛行場再砲撃部隊と推定、輸送船団を退避させ、第62任務部隊第4群を第67任務部隊第4群の隷下に入れ、巡洋艦5隻と駆逐艦8隻をもってサボ島付近に進出させた。また、CV-6エンタープライズは作戦行動を中断し、F4F艦戦6機とTBF艦攻9機をヘンダーソン飛行場に送り込むことにした。11122200、月の無い闇夜の中を、前進部隊が半月隊形でサボ島南水道から飛行場射撃コースに進入しようとしていた。2330、第11戦隊司令官が飛行場砲撃作戦実行を下令。しかし日本艦隊はレーダーでアメリカ側にキャッチされており、アメリカ海軍部隊はDD-376カッシング、DD-459ラフェー、DD-407ステレット、DD-450オバノンが単縦陣をとり、続いてCL-51アトランタ(第62任務部隊第4群司令官ノーマン・スコット少将座乗)、CA-38サンフランシスコ(第67任務部隊第4群司令官ダニエル・ジャドソン・キャラハン少将座乗)、CA-33ポートランド、CL-50ヘレナ、CL-52ジュノーの主隊が中央に位置し、その後ろにDD-483アーロン・ワード、DD-599バートン、DD-436モンセン、DD-445フレッチャーが続き、サボ島の南水道目指して急行した。11130024CL-50ヘレナのレーダーが距離27000ヤード・24000m22000m?)で日本艦隊を捉えた。距離が遠すぎたため、アメリカ海軍部隊はそのまま日本艦隊に向け直進。これに対し、日本海軍部隊は全く気づいておらず、敵情視察のため駆逐艦夕立と春雨を全速で前方索敵に当たらせた。このため、アメリカ海軍部隊の先頭を進むDD-376カッシング(レーダーを搭載していない)と夕立が距離2700mで鉢合わせした。このままでは衝突すると判断したカッシングは左に変針、これにならって後続の3隻も左へ回避した。これに巡洋艦アトランタが衝突しそうになり、慌てて左に回頭、アメリカ艦隊の布陣が崩れた。この時、戦艦比叡もこれらの敵艦隊を僅か距離3000mで発見、あまりに近い会敵に大混乱に陥った。駆逐艦暁がCL-51アトランタに探照灯を照射して魚雷を発射。CL-51アトランタも探照灯を照射し返して駆逐艦隊と共に砲撃を集中、滅多打ちにした。ただアメリカ駆逐艦隊は距離が近すぎて魚雷が撃てず、至近の比叡に対しては20mm機関砲を猛射。比叡は右舷距離1500mCL-51アトランタを認め、飛行場砲撃用に装填していた三式弾を発砲、艦橋を直撃し、艦長ジェンキンズ大佐は軽傷で済んだが、第62任務部隊第4群司令官スコット少将以下幕僚が1名を残して全員即死した。更にCL-51アトランタの左舷機関区画付近で暁の魚雷2本が炸裂し、CL-51アトランタは航行不能の漂流状態となってしまった。比叡は探照灯で次々と敵艦を照射し、その艦影に向けて駆逐艦群が酸素魚雷を撃ち込み、DD-599バートンが魚雷2本を喰らって轟沈した。これを見てアメリカ艦隊は奇数番号艦に右砲戦、偶数番号艦に左砲戦を下令したが、その方向に敵がいるとも限らず、ますます混乱した。それでもアメリカ艦隊は探照灯を煌々と照らす比叡目掛けて殆ど零距離で射撃を繰り返した。その後DD-376カッシングに魚雷が命中し、更に比叡の36センチ砲をまともに喰らって沈没。DD-407ステレットは距離2000mで魚雷4本を放つも、比叡に回避された。DD-450オバノンも比叡を砲撃したが、副砲の反撃を受け、その間にDD-459ラフェーが比叡の主砲弾で沈没した。アメリカ艦隊旗艦のCA-38サンフランシスコは艦橋に比叡と霧島の三式弾を喰らって指揮官のキャラハン少将以下第67任務部隊第4群幕僚や艦長カッシン・ヤング大佐以下幹部士官のほぼ全員が戦死。CA-33ポートランドも比叡の砲撃で損傷し、駆逐艦隊との戦闘でDD-436モンセンが沈没、CL-52ジュノーが魚雷1本を喰らい、DD-483アーロンワードは戦闘不能、CL-50ヘレナは大破となっていた。唯一無傷のDD-445フレッチャーに先導されてCA-38サンフランシスコ、CL-52ジュノー、CL-50ヘレナは戦域を離脱、エスピリツ・サント方面に航行していったが、伊二十六潜水艦の待ち伏せに遭い、CL-52ジュノーに魚雷1本が命中して沈没した。日本艦隊は駆逐艦暁・夕立が沈没、雷・村雨・天津風・雪風が小破した。戦艦比叡は80発以上を被弾して第11戦隊司令官と艦長が負傷し、上部構造物が原形を留めないほど破壊された上、右舷舵機室水線部付近に8インチ(203mm)砲弾が直撃し、周辺区画の鋲止め外板が歪んで広範囲に大浸水したため舵が固定されたままになり、サボ島に向かって急転回を始めたため、後進させて座礁を回避。しかし戦闘艦橋から機関室への電話が不通になってしまい、今度は後進全速のまま敵地フロリダ島に進んでいったため、通信参謀が自ら機関長のもとに向かって後進を止めたものの、浸水範囲が広すぎて舵機室の排水が進まず、航行不能状態に陥った。第2艦隊司令部は夜明け前に雪風に移乗。1113日早朝、CL-51アトランタは錨泊して行き足を止め、負傷者をガダルカナル島に上陸させ、曳船AT-131ボボリンクでの曳航を図ったが、浸水が激しく断念し、南太平洋方面司令官ハルゼー中将の命により自沈処分が決定、2015に艦底の爆薬を炸裂させルンガ岬西に沈没した。11130530から比叡は5時間にわたり空襲を受け、この時は撃退したものの、正午過ぎから雷撃機12機(エンタープライズがヘンダーソン飛行場への増援兼索敵機として飛ばしたものを含む)が来襲、戦艦比叡の右舷前部と右舷機械室付近に魚雷1本ずつが命中して機械室に浸水。傾斜が15度に達したため、司令部は乗員を他艦に収容して自沈するよう命じたが、艦長は猶予を求め、応急修理をもう1度行った。しかし機械室が全滅したという報告(実際には誤報だった)もあり、やむなく1600に艦長が総員退避とキングストン弁開けを下命した。艦長は比叡に残ろうとしたが、第2艦隊司令官が雪風に来て状況を報告するよう厳命を下して強制退艦させている。比叡は駆逐艦が雷撃処分する予定だったが中止され、夜半に自沈したとみられる。残存日本艦隊はガダルカナル島を離れ、ヘンダーソン飛行場の砲撃が不能となったため、輸送船団は一旦ショートランドに退避、1114日に揚陸することとし、外南洋部隊の臨時飛行場砲撃隊は予定通り1113日夜に飛行場砲撃を行い、戦艦による飛行場砲撃は1114日夜に延期した。11131530、輸送船団がショートランドを出撃。夜、臨時飛行場砲撃隊主隊の重巡鳥海・衣笠、軽巡五十鈴、駆逐艦朝潮、同隊支援隊の重巡摩耶、鈴谷、軽巡天龍、駆逐艦夕雲、風雲、巻雲がガダルカナルに向かった。第2艦隊にも増援が送られ、軽巡川内、駆逐艦綾波・浦波・敷波の4隻からなる掃討隊、軽巡長良、駆逐艦白雪・初雪・五月雨・雷の5隻からなる前衛隊、重巡愛宕を旗艦とし、戦艦霧島、重巡高雄、駆逐艦朝雲・照月の5隻からなる砲撃隊の3隊を編成し、再度ヘンダーソン飛行場砲撃に向かった。アメリカ側は哨戒機で第2艦隊と輸送船団を発見し、第64任務部隊(CV-6エンタープライズ、CA-26ノーザンプトン、CA-24ペンサコラ、CL-53サン・ディエゴ、DD-361クラーク、DD-411アンダースン、DD-410ヒューズ、DD-417モリス、DD-413マスチン、DD-414ラッセル)をガダルカナル島に派遣したが、到着は1114日昼過ぎとなった。11132330-11140046、臨時飛行場砲撃隊がアメリカ魚雷艇2隻を追い払ってヘンダーソン飛行場に砲撃(瞬発信管付き零式通常弾)を行い、鈴谷が20cm砲弾504発、摩耶が20cm砲弾485発を撃ち込んで敵機18機を破壊し、32機以上を損傷させ、燃料弾薬を破砕したが、飛行場そのものには大きな損傷は与えられなかった。11140300、第2艦隊がガダルカナル島に向け南下を開始。0600、臨時飛行場砲撃隊がニュージョージア島南で集結を完了し、ショートランド島への帰投を開始した。0700、ヘンダーソン飛行場の航空機部隊が臨時飛行場砲撃隊に爆撃をかけ、重巡衣笠の艦橋前部に爆弾1発を命中させた。0900、第64任務部隊艦上機が臨時飛行場砲撃隊を攻撃し、重巡衣笠を爆撃で撃沈、重巡鳥海、摩耶、軽巡五十鈴を至近弾で損傷させた。輸送船団は飛行場砲撃に合わせてソロモン水道に突入したが、生き残りの攻撃機により0600-1600頃に7次にわたる空襲を受け、日没までに輸送船11隻中7隻(6隻?)が撃沈または航行不能となり、450名が戦死した。5000名が海に放り出されたが、残りの輸送船や駆逐艦に回収されてガダルカナル島に向かっている。夕方、アメリカ軍の増援である第64任務部隊のBB-56ワシントン、BB-57サウスダコタ、DD-416ウォーク、DD-397ベンナム、DD-379プレストン、DD-433グウィンがガダルカナル島付近に到着、日没後の真っ暗闇の中をソロモン水道に入った後、サボ島の北を東に回りながらルンガ沖の警戒を行っていた。続いて日本艦隊の掃討隊がアメリカ軍の後を追うようにソロモン水道に進入、サボ島の東を南進してルンガ岬に向かい、駆逐艦綾波を先行させ、サボ島の南で索敵につかせた。このとき前衛隊はサボ島の西を南に向かっており、その後方7kmに砲撃隊が続いた。アメリカ艦隊はガダルカナル島に接近すると西へ変針、掃討隊の前方で横に広がる形となった。ここでアメリカ艦隊のレーダー及び軽巡川内の見張り員が距離20000mで同時に敵艦を発見。射距離16000mでアメリカ戦艦2隻が砲撃を開始し、対抗する術の無い前衛隊は全力で回避運動をとった。サボ島南に索敵のため単艦展開していた綾波は2130頃にアメリカ駆逐艦群を発見して全速でアメリカ艦隊に突撃、サボ島のクラッターにまぎれてレーダーにも探知されず、アメリカ駆逐艦が発見して砲撃を開始した時には距離14000mまで迫っていた。ここでアメリカ駆逐艦4隻も綾波に向け回頭、全速で突撃を始めた。綾波は射距離12000mDD-379プレストンに向け砲撃を開始。一気に距離が縮まる中、綾波は1対4で砲戦を繰り広げ、第1兵員室と第1魚雷発射管を吹き飛ばされて火炎に包まれた。それでも距離5000まで詰め寄って2番・3番魚雷発射管から酸素魚雷を斉射、DD-416ウォークを轟沈させ、DD-397ベンナムの艦首を吹き飛ばして行動不能とした。そこに長良隊が到着。大破したプレストンに魚雷を命中させて撃沈し、DD-433グウィンに集中砲火を浴びせて大破させた。駆逐艦4隻を失ったアメリカ戦艦2隻は一気に加速、炎上する綾波の後部に主砲弾を叩き込んで行動不能にさせ、西へと離脱を開始した。そのBB-57サウスダコタを砲撃隊の旗艦愛宕が距離8000mで発見。左に一斉回頭して敵艦を照射、サウスダコタの姿を浮かび上がらせた。照射源に向け砲塔を旋回させるサウスダコタに霧島の初弾が命中、電気系統を寸断して一気に戦闘不能に陥れた。愛宕と高雄は距離6000で雷撃も行ったが、全て自爆してしまった。霧島が砲撃(射距離7000-9200mで主砲弾117発発射、うち徹甲弾27発、初弾含め命中10発)を続けていた時、全くノーマークだったBB-47ワシントンが霧島をSG対水上レーダーで発見、射距離5300mから照明弾による照明射撃を浴びせ、7分間に40センチ砲弾8発(9発?)を命中させた。霧島は艦橋中央が崩壊、前部電信室が全滅し、3・4番砲塔の水圧機が停止して旋回不能となり、右舷舵取機室に被弾して舵取機も使用不能になった。更にワシントンは副砲40発を霧島に撃ち込んで西に全速で離脱、砲撃隊の追撃を振り切った。その間にサウスダコタとグウィンは南西に離脱、戦闘は終了した。霧島は中甲板に命中した敵砲弾により主電路が破壊されて火災が発生、機械室の送風機が停止して室温が70度に達し、運転員が全滅した。2249には舵取機室が満水となり、面舵10度で舵が固定されてしまった。更に衝撃で歪んだ外板の継ぎ目からなだれ込んだ海水で隣接区画も大量に浸水し、左舷舵取機室と後部注排水指揮所が満水に陥った。機械科指揮所では艦橋との連絡が取れなくなり、伝令を走らせて何とか掌運用長と連絡を付けた。前後部砲塔火薬庫にも火災が迫ったため注水を行い、満水になった舵機室に入って応急修理を行おうと工作科員が潜水具を付けて潜っていったが、防水隔壁を破ることができなかった。第2艦隊司令部からは霧島を川内で曳航するよう命令が出たため、電機部員が生きている前部1番・2番電路から後部3・4番電路に向けて応急電線を繋ぎ、電力の復帰に成功。4番砲塔に艦船繋留用ワイヤを巻き付けて曳航準備を整えた。しかし艦後部の浸水が止まらず、曳航は不可能と判断され、艦長は霧島の自沈を決定した。敷波は綾波の周囲で乗員の捜索にあたった後、綾波を沈めるため魚雷発射準備にかかったが、11150010に綾波の搭載爆雷が火災により誘爆、綾波は沈没した。0025、霧島の乗員に退去命令が出され、キングストン弁が開かれて自沈した。沈没までの間に乗員を救出するため、朝雲が右舷側、照月が左舷側に付いたが、霧島が左舷側に激しく傾斜しており、照月は霧島に近づけず、乗員を半分ほど甲板上に残したまま霧島は転覆。霧島の生存者は准士官以上69名、下士官・兵1031名だった。この隙に生き残った4隻の輸送船は0200にガダルカナル島の海岸に乗り上げ、2000名の将兵を上陸させたが、兵装や物資の方は漸く5トン(米1500俵、軽火器、山砲弾薬360箱)ほど揚陸したところで夜が明け、残りはアメリカ軍機の攻撃を受けて輸送船ごと炎上させられてしまった。DD-397ベンナムはアメリカ軍により処分された。これにより日本は金剛型高速戦艦2隻を失い、飛行場砲撃・ガダルカナル島奪回ができなくなり、以降主力艦をソロモン作戦に投入することを断念せざるを得なかった。参考:戦艦入門、激闘太平洋戦記、日本海軍艦隊総覧、第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊丸3,132,084,13、月刊世界の艦船1,124,173,1912,'20、山本五十六と米内光政

第3師団(日本陸軍)>:日本陸軍の師団。常備師団の1つで、名古屋に置かれている。通称幸師団。歩兵第5旅団(歩兵第6・第68連隊)、歩兵第29旅団(歩兵第18・第34連隊)、騎兵第4旅団、野戦重砲兵第1旅団、高射砲第1連隊、工兵第3大隊、飛行第1連隊、飛行第2連隊、飛行第7連隊、輜重兵第3大隊を隷下に置く。師団管区の管轄区域は愛知県、岐阜県、静岡県。太平洋戦争時、歩兵第6・第34・第68連隊などを隷下に置いていた。昭和181114日、湖南省石門を占領。昭和19年後半、第11軍の隷下にあった。参考:帝国陸海軍事典、ラバウル航空戦、比島決戦

第3師団(陸上自衛隊)>:陸上自衛隊の師団。1962118日、第3管区隊をベースとして中部方面隊隷下に新編された乙師団で、司令部は伊丹駐屯地にあり、隷下に第7、第36、第37普通科連隊などを置いた。警備担任地域は京都、大阪、兵庫、奈良、和歌山、滋賀である。1960829日、台風16号の影響で京都府が豪雨に見舞われ、京都府知事から第7普通科連隊に災害派遣要請が出された。先遣隊の重迫撃砲中隊が住民救助のため八木町に向かったが、大堰川を横断中に救命ボートが転覆し、隊員3名が殉職した。1962827-30日、師団演習を実施。1965118-11日、師団秋季演習を実施。1966314-17日、突撃支援総合演習を実施。1126-29日、師団秋季演習を実施。1967813-20日、師団レンジャー訓練を実施。919-29日、諸職種協同訓練を実施。1013-16日、連隊戦闘団演習を実施。1970310日、新編された第45普通科連隊が隷下に入り、甲師団となった。311日、第45普通科連隊に自衛隊旗が授与された。318日、千僧駐屯地に第3通信大隊と第3武器隊が移動した。1972826日、京都府で終戦時に埋められたカノン砲弾500発を回収した。7月、大阪で豪雨による水害が発生したため、災害派遣に参加し、赤十字救援物資のヘリ空輸などを行った。1974718日、大阪で7トンの不発弾を処理。1975728日、饗庭野演習場で広報展示演習を実施。1976522日、饗庭野演習場で火力展示演習を実施。1979612日から障害処理演習を実施。824日から912日まで、日出生台演習場で連隊戦闘団訓練検閲を実施。198064-7日、師団司令部指揮所演習を実施。95-16日、連隊戦闘団・兵站訓練検閲を実施。19811月、滋賀県北部豪雪の災害派遣に参加。1982523日から64日、日出生台演習場と十文字原演習場で第7普通科連隊と第36普通科連隊の連隊戦闘団検閲を実施。621-30日、日本原演習場で第37普通科連隊と第45普通科連隊の連隊戦闘団検閲を実施。19831012-20日、饗庭野演習場で昭和57年度陸幕指命対機甲戦闘演習を実施。第36普通科連隊戦闘団が防御部隊、第37普通科連隊戦闘団が射撃部隊、第7普通科連隊戦闘団が築城部隊、第45普通科連隊戦闘団が対抗機械科連隊を務め、隊員4150名、戦車69両、火砲59門、車両568両が参加した。1名の殉職者が出ている。1992327日、第3特科連隊第6大隊が第3高射特科大隊に改編された。1993年度末、第45普通科連隊と第3対戦車隊が廃止された。1995117日に発生した阪神淡路大震災の災害派遣に参加。19987月、北方機動特別演習に参加。2006327日、即応近代化師団に改編され、第3特科連隊が第3特科隊となった。2007221日、大阪府警、和歌山県警、奈良県警と合同訓練を実施。2008620日から811日まで、平成20年度協同転地演習北方転地に参加。

200915日、第7普通科連隊が訓練始めとして10km徒歩行進を実施。17日、第7普通科連隊が平成20年度連隊炊事競技会を実施。第5中隊が優勝、重迫中隊が準優勝に輝いた。24-6日、第7普通科連隊が長田野演習場で隊付教育中の幹部候補生を小隊長とした防御総合訓練を実施。428日、第7普通科連隊前期新隊員59名が15km行進訓練を実施。小学校の前で児童による校歌の斉唱を受けるなど近隣住民の激励の中、目的地の長安寺までを歩ききった。56日、新型インフルエンザの検疫支援のため、第3後方支援連隊の看護師1名と准看護師4名を関西国際空港に派遣した。527-28日、第3飛行隊と第37普通科連隊が和歌山県御坊総合運動公園東側で発生した山林火災の災害派遣に参加。64-5日、第36普通科連隊が大阪市住之江区で第3回地域防災・防犯展に人命救助セットや高機動車などを出展した。612-13日、第36普通科連隊が東富士演習場で81mm迫撃砲錬成射撃を実施。612-16日、第7普通科連隊が東富士演習場で第2次射撃野営訓練を実施。714日、1960829日に台風16号の豪雨による堤防決壊の災害派遣で殉職した第7普通科連隊重迫中隊隊員3名の50回忌法要を実施。892142、台風9号による豪雨被害により兵庫県知事から第3特科隊長に災害派遣要請が出された。8100530から第3特科隊員100名が行方不明者の捜索活動、10名が給水支援を実施した。また、兵庫県の福知川沿いで孤立者100人が発生したため、第36普通科連隊が第3特科隊が翌日まで救出にあたった。822日、第37普通科連隊第3中隊が和歌山県高校生防災スクールで指導を行った。823日、台風9号による豪雨被害に対する災害派遣の撤収要請が出された。第3特科隊は延べ1500名を派遣している。95日、第7普通科連隊が丹波自然運動公園などで京都府総合防災訓練に参加。106日、第7普通科連隊が饗庭野演習場で第54期レンジャー帰還報告式を実施。107-9日、第37普通科連隊が東富士演習場で野営訓練(重迫撃砲中隊実射訓練)を実施。109-18日、第7普通科連隊などが饗庭野演習場と今津駐屯地で平成21年度日米共同実動訓練に参加。1021日、第36普通科連隊を宝塚消防婦人防火クラブ40人が部隊見学した。115-6日、第36普通科連隊が中学生3人に職場体験を実施。124-7日、第36普通科連隊が第6回大阪モーターショーに参加。軽装甲機動車、高機動車、偵察バイクを展示した。

201014日、第7普通科連隊が福知山駐屯地で連隊訓練始めを実施。21日、第7普通科連隊が京都北都信金と災害情報ネットワーク協定を締結した。42-4日、第36普通科連隊が、センコー株式会社の新入社員54人に対し、隊内生活体験を行った。414日、舞鶴市由良川河口で行われた防災意識向上訓練に、LST-4001おおすみや地元防災関係者と共に参加。62日、第36普通科連隊が大阪府地域防災総合訓練に参加。814日、昭和35年の台風16号被害に対する災害派遣で殉職した自衛官の慰霊碑の改修が終わり、竣工除幕式が実施された。1116日、和歌山県御坊市見山で山林火災が発生したため、1330前に和歌山県知事から第37普通科連隊に災害派遣要請が出た。第304水際障害中隊と第37普通科連隊の連絡員、第3飛行隊のUH-1ヘリとOH-6ヘリ2機が派遣されて消火活動を行い、11170815に撤収した。

2011215日、和歌山県紀の川市で高病原性鳥インフルエンザの感染が確認され、鶏12万羽の殺処分が必要となったため、2025に第37普通科連隊に和歌山県知事から災害派遣要請が出された。第37普通科連隊は県庁と対策本部に連絡要員4名を派遣し、2350に隊員90名と車両20両で駐屯地を出発、2160430から殺処分を開始した。217日午後、隊員80名を加えて処分を続け、2100に撤収要請を受けて作業を終了した。311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。宮城県名取市に拠点を置いた。44-6日、第3飛行隊が兵庫県姫路市の山林火災に対する災害派遣に参加。49日、第36普通科連隊が平成23年度自衛官候補生の入隊式を実施。531日から66日、日本原演習場で第7普通科連隊第3次連隊錬成訓練における第5中隊・重迫中隊訓練検閲を実施。徹夜で40km行進を行い、戦闘訓練を実施した。627日から715日、第36普通科連隊が平成23年度協同転地演習に参加。810日、第37普通科連隊が信太山駐屯地グラウンドで平成23年度炊事競技会とラッパ競技会を実施。どちらも第2中隊が優勝した。93-29日、台風12号豪雨災害対処の災害派遣に参加。118-11日、第7普通科連隊が長田野演習場と福知山射場で平成23年度連隊総合武装走競技会と連隊小火器射撃競技会を実施。1210日、第36普通科連隊が八尾駐屯地で第3飛行隊の支援を受けて地元住民18人に対するUH-1ヘリの体験搭乗を実施。

201222日、滋賀県彦根市今津町が大雪に見舞われて84cmの積雪を記録したため、1730過ぎに滋賀県知事から滋賀県で31年ぶりとなる除雪のための災害派遣要請が第3戦車大隊長に出された。23日、第3戦車大隊や第3施設大隊などが彦根市内山間部の除雪作業を開始。1800前に撤収要請を受けた。219日、第7普通科連隊などが京都府舞鶴市で行われた現地複合災害避難訓練(大地震後の高浜原発事故を想定)に参加。36-18日、第7普通科連隊本部管理中隊衛生小隊が兵庫県の公立豊岡病院で研修を実施。38日、第3特殊武器防護隊隊長・隊員7名が兵庫県伊丹市立池尻小学校で放射線についての学習会に協力。化学防護車、除染車、線量計などの器材を使用するなどして授業を行った。38-10日、饗庭野演習場で平成23年度師団競技会(重迫撃砲射撃)を実施。第7普通科連隊重迫撃砲中隊が優勝した。46日、第3音楽隊が伊丹警察署が主催する春の交通安全運動週間オープニングキャンペーンに参加。伊丹市猪名野神社から阪急伊丹駅までの2kmで演奏行進を行った。424-28日、日本原演習場で第36普通科連隊が第1次野営を実施。機関銃や個人携帯対戦車弾などの射撃等練度向上訓練を行った。813日夜からの豪雨により、京都府宇治市下荘地区で土砂崩れが発生し、特養老人ホームの入所者100人が孤立したため、814日午後に第3飛行隊のUH-1ヘリとOH-6ヘリ1機ずつが災害派遣に出動し、食糧、飲料水、軽油、市職員10人を輸送した。1016-18日、伊丹駐屯地で資生堂と近鉄百貨店の新人社員19人の研修に協力。1123-24日、第36普通科連隊が尼崎工業高校生徒17人の職場体験入隊を実施。1126日、第36普通科連隊がレンジャー帰還式を実施。訓練を終えた隊員17名が伊丹駐屯地に帰還した。128日、第36普通科連隊が第3飛行隊のUH-1ヘリで部外協力者体験搭乗を実施。

201324-28日、第37普通科連隊が補助担架集合教育を実施。221-23日、第7普通科連隊が饗庭野演習場で隊付幹部候補生7名に対する総合訓練を実施。35-6日、第3特科隊が青野ヶ原演習場で射撃指揮・砲班競技会を実施。38-9日、第3特科隊が姫路駐屯地で持続走競技会を実施。4130533頃、兵庫県淡路島付近を震源とするマグニチュード6.3の地震が発生し、震度6弱を観測したため、0546から第3飛行隊が情報収集を行った。57日、第7普通科連隊の自衛官候補生が防護マスク装脱面訓練を実施。58日、第7普通科連隊の自衛官候補生がガス体験を実施。522日、第3特科隊新隊員教育隊が自衛官候補生125名と陸曹候補生8名に25km徒歩行進訓練を実施。527日、滋賀県高島市の赤坂山で小学生が行方不明となり、1935に滋賀県知事から第3戦車大隊へ災害派遣要請が出された。2030過ぎから捜索を開始、翌日には第3飛行隊のUH-1ヘリとOH-1ヘリも加わり、1200前に児童が自力下山して保護されたため1300過ぎに撤収した。67日、第7普通科連隊新隊員教育隊が長田野演習場で戦闘訓練練度判定を実施。624日、第36普通科連隊が伊丹駐屯地で大学生18人に装備品展示と防弾チョッキ試着を実施。630日、第3特科隊が平成25年度自衛官候補生課程125名の修了式を実施。75日、第7普通科連隊が福知山自衛隊協力会の姫路駐屯地研修支援を実施。715日、第7普通科連隊レンジャー集合教育の基幹要員(教官と助教の計7名)が第8想定訓練を実施中、高機動車で兵庫県養父市関宮外野の県道87号線を通りかかったところ、地域住民から集中豪雨で流出した土砂に一般車両が乗り上げているとの救助要請があり、高機動車で車両を牽引して安全な場所に移した。722日、第7普通科連隊がレンジャー帰還式を実施。89日、第7普通科連隊が全国市議会議長会・基地協議会近畿部会の部隊見学を受けた。816-17日、福知山市の弘法川などが豪雨で氾濫したため、8170705に京都府知事から災害派遣要請があり、第7普通科連隊が渡河ボートにより孤立者を救助した。91日、兵庫県・播磨広域・姫路市合同防災訓練に参加。第7普通科連隊が京都府総合防災訓練に参加。916日、第3戦車大隊と第7普通科連隊が台風18号豪雨被害の災害派遣に参加。108-18日、第37普通科連隊の150名が饗庭野演習場で日米共同訓練フォレスト・ライトに参加。一部はMV-22Bオスプレイに乗り込み、台風26号による暴風雨をものともせずヘリボーン訓練を行った。

2014114日、第36普通科連隊が大阪城公園で大阪城の石垣や堀を清掃した。126-30日、第36普通科連隊が日光演習場で増強第1中隊の富士トレーニングセンター参加に向けた錬成訓練を実施。310日、第36普通科連隊が新ロゴマークを制定した。311日、千僧駐屯地で炊事競技会を実施。13部隊から14チームが出場し、災害発生から7日目の被災者に対する炊事支援をテーマに競技を行った。44日、第7普通科連隊が隊員食堂で第5次南スーダン派遣施設隊派遣隊員留守家族説明会を実施。717-18日、第36・第37普通科連隊があべのハルカスのヘリポートなどで情報共有訓練を実施。広帯域多目的無線機の電波状況確認を行った。817日、京都府福知山市で豪雨により市中心部が冠水したため、0705に府知事から第7普通科連隊長へ災害派遣要請があり、第7普通科連隊の隊員50名が住民27人を救助、1650に撤収要請を受けた。831日、第3飛行隊がUH-1Jで兵庫県合同防災訓練に参加。第7普通科連隊と第3施設大隊が平成26年度京都府総合防災訓練に参加。910-12日、第36普通科連隊がタカラベルモント社員を対象に隊内生活体験を実施。913日、第36普通科連隊が久代基本射場で陸曹候補生2次試験体力検定合格者の基本射撃検定を実施。925-26日、第37普通科連隊が和歌山市で和歌山城クリーンアップ作戦(和歌山城生地訓練)に参加。926-27日、第36普通科連隊が岩谷産業社員に隊内生活体験を実施。108日、第7普通科連隊音楽小隊が京都府主催の特殊詐欺撲滅キャンペーンで音楽演奏を実施。1019-21日、第37普通科連隊が連隊機動展開演習を実施。118日、殉職隊員追悼式を実施。1128日から125日、第36普通科連隊第4・第5中隊が北富士演習場で富士トレーニングセンター(FTC)訓練に参加。

201515日、第7普通科連隊が訓練始め(徒歩行進)を実施。113日、第36普通科連隊が訓練始めとして大阪城清掃を実施。117日、第36普通科連隊が池田小学校で実施された防災総合訓練に参加。120日、第36普通科連隊が平成26年度災害対処訓練を実施。あべのハルカス屋上に通信器材を第3飛行隊のヘリで空輸または隊員が非常階段で人力輸送した。22日、福知山駐屯地で第7普通科連隊、第3戦車大隊、京都府警、滋賀県警が共同訓練を実施。化学剤の除染、負傷者救出搬送、現地調整所・合同対策協議会の運営などを行った。22-20日、兵庫県豊岡市神鍋高原で第3師団部隊スキー指導官養成集合訓練を実施。215日、伊丹市立文化会館で第3師団定期演奏会を実施。44日、第7普通科連隊が自衛官候補生課程137名の入隊式を実施。428日、千僧駐屯地で近畿2府4県防災担当者等連絡調整会議を実施。527日、第3特科隊教育隊が自衛官候補生徒歩行進訓練を実施。66-12日、第7普通科連隊第3中隊が北富士演習場で富士トレーニングセンター(FTC)運営訓練を実施。第3戦車大隊、第3施設大隊、第3後方支援連隊第2整備大隊第1普通科直接支援中隊の支援を受け、01式軽対戦車誘導弾で敵戦車撃破判定を得るなどの戦果を挙げた。613-18日、姫路駐屯地や饗庭野演習場で第3特科隊への第1次師団検閲を実施。駐屯地での隊容検査、演習場への夜間移動、偵察、防御陣地築城、火力戦闘、大射向変換を行った。625-30日、第36普通科連隊が日本原演習場で第2次基礎となる部隊の訓練検閲を実施。第1中隊と施設作業小隊が隊容検査、CBRN対処状況確認、応急救護、35km行進、防御陣地構築などを行った。627日、第7普通科連隊が自衛官候補生修了式を実施。77-9日、第37普通科連隊が南海レスキュー27に合わせて連隊機動展開演習を実施。早朝の非常呼集の後、車両機動や山地機動、渡河訓練などを行った。92-3日、第37普通科連隊が平成27年度史跡和歌山城保護対策協力事業(和歌山城清掃作業)に参加。1023日、第36普通科連隊が真田山陸軍墓地で清掃活動を実施。1024日、真田山陸軍墓地で秋期慰霊祭を実施。118日、第7普通科連隊が聖テレジア幼稚園のバザーに招待され、本部管理中隊音楽小隊がバンド演奏を行った。1128日、第7普通科連隊第1中隊が京都府与謝野町勤労総合福祉センターで平成27年度京都府原子力総合防災訓練に参加。123日、紀の国わかやま国体への運営支援の功績により、第37普通科連隊、第3特科隊、第3戦車大隊が和歌山県知事から感謝状を授与された。1222日、第37普通科連隊が信太山演習場で中隊対抗武装走競技会(8kmクロスカントリー方式)を実施。第5中隊が優勝した。

201624-5日、第7普通科連隊が小火器射撃競技会を実施。中隊対抗で小銃基本射撃、至近距離射撃、機関銃上級検定射撃、対人狙撃銃上級検定射撃を行い、小銃・狙撃部門で第1中隊、機関銃部門で第4中隊が優勝した。219日、第7普通科連隊隊員60名が福知山駐屯地などで治安出動に関する協定に基づく京都府警55人との共同訓練(緊急輸送、共同検問)に参加。329日、第36普通科連隊が大阪城一斉清掃を実施。連隊長以下200名が高さ20mの石垣や内堀を清掃した。414日と16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。429日、第7普通科連隊が京都府綾部市であやべ丹の国まつりを支援した。514日、第3特科隊がたつの市揖保川河川敷で水防演習に参加。611-18日、饗庭野演習場で第7普通科連隊に対する訓練検閲(470km車両行進、陣地防御における師団の側背掩護)を実施。618日、第37普通科連隊が第51期生6名のレンジャー帰還式を実施。718-21日、第36普通科連隊が饗庭野演習場で第4・第5中隊に訓練検閲(40km徒歩行進、前衛中隊の行動、特殊部隊掃討)を実施。724-25日、第36普通科連隊が大阪天満宮近くで軽装甲機動車を展示した。85日、第36普通科連隊が関西学院大生13人に職場体験(基本教練、救急法、ロープ訓練など)を実施。87日、第37普通科連隊銃剣道訓練隊がわかしゃち国体記念事業青少年銃剣道大会に参加し、青年の部2部で優勝した。829-30日、第37普通科連隊が和歌山城生地訓練を行い、外壁や石垣などを清掃した。829日から921日、饗庭野演習場と今津駐屯地でオリエント・シールド2016に参加。912日、第36普通科連隊が隊員30名に部隊集合教育レンジャーを開始。108-9日、第37普通科連隊120名が大阪府和泉市で開催された和泉だんじり秋祭りで隊員研修を実施。1011-15日、千僧駐屯地で女性自衛官19名に陸曹候補生選抜試験を実施。1015-16日、堺泉北港・大浜埠頭で大阪地本防災フェスタに協力し、野外炊具1号や人命救助システムなどを展示した。113日、第3音楽隊が第64回小江戸彦根の城祭りに参加。1115日、第3戦車大隊が滋賀県警機動隊敷地内で緊急援助隊合同訓練に参加。1211日、阪神基地隊ウィンターフェスタ201681式地対空誘導弾を展示した。1212-13日、第3飛行隊が奈良県吉野郡辻堂山山林火災の災害派遣に参加。1220日、第3特科隊520名が第41回姫路城クリーン作戦に参加し、石垣の草木除去、堀の清掃、大天守閣のすす払いなどを行った。

2017110-13日、第7普通科師団が長田野演習場で小隊対抗バトラー競技会を実施。第5普通科中隊第1小隊が優勝した。22日、第7普通科連隊が京都市で京都府国民保護共同実動訓練に参加。218日、第3飛行隊が信太山駐屯地の航空機体験搭乗に協力した。223-24日、第36普通科連隊が平成28年度後期師団最先任上級曹長等集合訓練を担任し、各部隊の最先任上級曹長16名が連隊長の訓話や法務教育を受講、真田山旧陸軍墓地の研修なども行った。226日、伊丹市いたみホールで第3師団定期演奏会を実施。312日、第36普通科連隊が大阪府警との共同訓練に参加。隊員60名がテロリストの共同対処、緊急輸送、共同検問などの訓練を行った。327日、第36普通科連隊が大阪城清掃作業を実施。429日、第7普通科連隊が京都府綾部市であやべ丹の国まつりを支援し、軽装甲機動車などの装備品展示や制服体験を行った。516-19日、第36普通科連隊が青野ヶ原演習場で第1・第2中隊に対する訓練検閲を実施。521-26日、饗庭野演習場、信太山演習場、長田野演習場で第3戦車大隊と第3偵察隊に対する平成29年度第1次師団訓練検閲を実施。65日、第7普通科連隊新隊員教育隊が新隊員戦闘訓練を実施。620-23日、第37普通科連隊が南海レスキュー29の枠組みを利用した機動展開訓練を実施。隊員700名と車両160両が参加し、和歌山県内の隊区全域への緊急展開を行い、車両・徒歩(山地)機動、津波などを想定した渡河、物資補給、通信の各訓練を実施している。625日、第36普通科連隊が伊丹駐屯地で自衛官候補生66名の修了式を実施。625-30日、第3施設大隊が07式機動支援橋仮設訓練を実施。75日に発生した九州北部豪雨の災害派遣に第3後方支援連隊が参加。722日、第3飛行隊がUH-1Jヘリで福知山駐屯地の航空機体験搭乗に協力した。85-6日、豊岡市民会館で音楽フェスタを開催。96-10日、饗庭野演習場などで第36普通科連隊、第3特殊武器防護隊、第3飛行隊に対する平成29年度第2次師団訓練検閲を実施。910日、第3戦車大隊が滋賀県草津市矢橋帰帆島公園で滋賀県総合防災訓練に参加。916日、第7普通科連隊が平成29年度向日市防災訓練に参加し、第5中隊がカレー炊き出し(200人分)を行った。1022日、大阪府岸和田市牛滝川が溢れて車2台が水没したため、1945に大阪府知事から第37普通科連隊長へ人命救助の災害派遣要請が出された。第37普通科連隊は岸和田市役所に連絡幹部を派遣すると共に、2116に救助部隊30名が活動拠点付近に前進。しかし夜間で視界が悪く、冠水状況も予想以上だったため、活動を中断して一旦帰投した。10230530、救助部隊50名が改めて駐屯地を出発。0840頃、消防と警察が運転者を収容したため、1214に撤収要請が出されて撤収した。112日、第7普通科連隊が京都平安ホテルで京都府国民保護セミナー・弾道ミサイル対応図上演習に参加。113日、第3特科隊に育英高校柔道部部員20人が体験入隊した。122日、第3音楽隊が福知山駐屯地創立67周年記念行事市中パレードで演奏を行った。

2018121日、第36普通科連隊が大阪地本の広報に協力し、同人誌即売会こみっくトレジャー31に高機動車などを展示した。122-25日、平成29年度事態対処兵站訓練に参加し、関西補給処祝園弾薬支処・三軒屋弾薬支処と弾薬交付訓練を行った。23日、第3音楽隊が大阪府貝塚市民文化会館で開催されたコスモス吹奏楽カーニバルに参加。25-6日、第3飛行隊、第3特科隊が兵庫県志方町で発生した山林火災の災害派遣に参加。212日、兵庫県伊丹市東リいたみホールで定期演奏会を開催。315日、第37普通科連隊が武装走競技会(断郊武装走)を実施し、第5中隊が優勝した。47-8日、師団音楽隊が桂駐屯地の桂さくら並木公開で演奏支援を実施。426日、近畿2府4県等防災担当者連絡調整会議を実施。53日、第7普通科連隊が亀岡光秀祭りで京都地本の広報活動を支援し、高機動車、軽装甲機動車、偵察用オートバイなどを展示した。512日、第3師団第7普通科連隊と第3施設大隊が、第4施設団102施設器材隊、海自第23航空隊、京都地本と共に、福知山市猪崎河川敷運動広場で由良川水系統合水防演習に参加。618日に発生した大阪北部地震の災害派遣に参加。75-8日に発生した西日本豪雨の災害派遣に参加。92日、第3特科隊が兵庫県但馬地域合同防災訓練に参加。95-9日、饗庭野・青野ヶ原演習場で第37普通科連隊、第3後方支援連隊、第3施設大隊の第3次師団検閲を実施。3夜4日に及ぶ状況下で敵の襲撃、航空攻撃、特殊武器攻撃に対処しつつ、敵情偵察、救護所運営、障害処理、07式機動支援橋架設などを行った。910-14日、千僧駐屯地で各部隊の部隊相談員24名に集合訓練を実施。無形の戦闘力向上を目標に、講義や実技の教育を行った。917日、大阪府貝塚市民文化会館で第3師団音楽フェスタを実施。922日、第3特科隊が地元小学校の児童・保護者計64人に父と子の勉強会を実施。106-7日、第37普通科連隊109名が和泉だんじり秋祭り研修を実施し、青年団と共にだんじりを曳いた。1013-14日、南海レスキュー30に参加。1021日、第37普通科連隊が大阪地本防災フェスタに協力し、堺泉北港で軽装甲機動車や高機動車を展示した。11141320頃、饗庭野演習場で総合戦闘射撃訓練中の第37普通科連隊第4中隊が発射した81mm迫撃砲の実弾1発が、目標から1km北の国道306号近くに着弾し、破片で民間車両が損傷した。人的被害は無かった。2発の試射で観測員から目標の手前に着弾したとの連絡を受け、着弾設定を200m延伸して3発目を試射したら大きく逸れたもので、あらぬ方向に飛んでいったことに気付いた隊員が確認したところ、迫撃砲の設定が目標から右22.5度外れていた。演習場外に着弾した事には気付かずそのまま訓練を続行し、設定を再修正した4発目以降は目標に着弾。その後滋賀県警からの連絡で事故が判明し、1457に訓練を中止、陸自では饗庭野演習場で実弾を使用する全訓練を取り止め、幕僚副長をトップとする事故調査委員会を立ち上げて原因調査に入っている。

201916日、千僧駐屯地で陸自体験企画を実施。近畿2府4県から参加した一般女性140人に対し、制服試着、炊事車による体験喫食、女性自衛官との懇談などを行った。18-11日、第7普通科連隊が訓練始めを実施。長田野演習場で連隊バトラー競技会を40個小隊トーナメント方式で行い、第2中隊第3小隊が優勝した。110日、第3特科隊が姫路駐屯地で年頭行事(空包射撃訓練、統制走など)を実施。113日、第7普通科連隊第3中隊長ら18名が京都市で第37回皇后杯全国都道府県対抗女子駅伝大会を支援した。124日に発生した和歌山県田辺市の山林火災に対する災害派遣に第37普通科連隊と第3飛行隊が参加。127日、第3音楽隊と第3施設大隊京都三施太鼓が奈良県五條市市民会館で防衛協会主催ふれあいコンサートに参加。24-15日、フォレスト・ライト2018-2に第7普通科連隊基幹600名で参加。29日、第3偵察隊がインテックス大阪で第23回大阪オートメッセ2019に参加し、軽装甲機動車と87式偵察警戒車を展示した。217日、第3特殊武器防護隊が兵庫県国民保護共同訓練に参加。33日、第36普通科連隊が大阪南港でOSAKA防衛・防災フェスティバルに参加し、レンジャー隊員によるラペリング降下を展示した。413日、第3音楽隊と第37普通科連隊信太菊水太鼓が和歌山県広川町民体育館で稲村の火コンサートを実施。418-22日、第3特科隊が隊員230名と車両50両で青野ヶ原演習場で春期集中整備を実施。53日、亀岡募集案内所が亀岡光秀まつりで行った広報活動に協力し、軽装甲機動車を展示した。515日、第7普通科連隊11名が宮津まつりに参加。518日、第7普通科連隊第2中隊22名が舞鶴グリーンフェスタを支援し、野外炊具1号などの展示や高機動車などの体験試乗を行った。526日、兵庫地本に協力し、豊岡市TAJIMADOMEフェスティバルで82式指揮通信車を展示した。528日から61日、川西駐屯地指揮所訓練センター、久代訓練場、青野ヶ原演習場、長尾山演習場、六甲山周辺、日本原演習場で、第3偵察隊に対する令和元年度第1次師団訓練検閲を実施。61日、第37普通科連隊と第3特殊武器防護隊が奈良基地祭で奈良地本が行った広報を支援し、NBC偵察車や軽装甲機動車を展示した。630日から725日、協同転地演習に参加。76日、阪神基地隊サマーフェスタで軽装甲機動車、NBC偵察車、93式近SAMなどを展示した。91日、京都府総合防災訓練に第7普通科連隊と第3飛行隊UH-1Jが参加。93日、第7普通科連隊が福知山市内の一般道で新隊員特技課程35キロ夜間徒歩行進訓練を実施。99日に上陸した台風15号被害の災害派遣に第36・第37普通科連隊、第3後方支援連隊が参加。911-13日、第36普通科連隊がタカラベルモント新入社員54人の2019年度新入社員野外研修(自衛隊隊内生活体験研修)を支援した。102日、大阪府岸和田市で女性1人が行方不明となったため、大阪県知事から第3師団長に災害派遣要請があり、隊員55名で捜索、103日に撤収要請を受けた。1014日、第3後方支援連隊が神戸市立王子動物園で阪神大震災時の活動拠点における家族支援を実施。1029-30日、第3特科隊が姫路駐屯地と広峰山で合同前進観測班競技会(特科の部・重迫の部)を実施。126日、第36普通科連隊がインテックス大阪で大阪モーターショーに参加し、軽装甲機動車と82式指揮通信車を展示した。

202015日、第36普通科連隊の隊員4名と高機動車が大阪市消防出初式の車両行進部隊として参加。19日、第3飛行隊が中部方面航空隊及び中部方面通信群と協同で航空隊統一編隊飛行訓練を実施。計13機で大阪・京都・奈良上空150km編隊飛行した。128日、第36普通科連隊が連隊武装走競技会を行い、第4中隊が優勝した。24-6日、第3特科隊が青野ヶ原演習場で2次特科中隊訓練検閲を実施。陣地占領、陣地港地区、防御戦闘、FH70直接照準射撃などの訓練を行った。214-16日、大阪オートメッセ2020で大阪地本が行った広報に協力し、1/2トントラック、第36普通科連隊の高機動車と人命救助セット、第3偵察隊の87式偵察警戒車を展示した。226-27日、第3特科隊が姫路駐屯地中部方面特科部隊合同射撃指揮競技会に参加。46日、第7普通科連隊が自衛官候補生71名の入隊式を実施。413-19日、兵庫県知事からの災害派遣要請を受け、20名が兵庫県内民間宿泊施設で陽性者に対する生活支援と施設スタッフに対する衛生指導・助言を実施。413-20日、第3特科隊が饗庭野演習場で方面隊統制演習場春季整備を実施。427日、第3特科隊教育隊が自衛官候補生に10キロ徒歩行進訓練を実施。59-11日、第3飛行隊が兵庫県朝来市の山林火災に係る災害派遣に参加。511-15日、第36普通科連隊が伊丹駐屯地と長尾山演習場で陸曹候補生選抜等口述等試験を実施。31名が口述、術科(隊員の指揮・指導)、コンパスなどを用いた目測、ハイポートの4科目の試験を受けた。68日、第36普通科連隊増強中隊が部隊訓練評価隊の令和2年度FTC第1次運営(対抗戦)に参加。615-20日、第7普通科連隊が饗庭野演習場で戦闘団検閲を受閲。機甲科、特科、通信科、施設科などを配属されて第7戦闘団となり、優勢な敵に対してゴースト・ウルフ作戦(Operation Ghost Wolf)と銘打った防御・遅滞戦闘を仕掛け、任務を完遂した。77-16日、第7普通科連隊が広報用展示車両の60式自走106mm無反動砲を整備した。723-24日、千僧駐屯地で募集広報の日・第3師団職種博2020を開催。729日、大阪府知事から新型コロナウイルス市中感染拡大防止に係る災害派遣要請があり、6名が宿泊施設従業員などに教育支援を行った。83日、大阪府知事から新型コロナウイルス市中感染拡大防止に係る災害派遣要請があり、3名が民間宿泊施設従業員など20人に教育支援を行った。818日、大阪府知事から新型コロナウイルス市中感染拡大防止に係る災害派遣要請があり、6名が民間宿泊施設従業員など30人に教育支援を行った。915日、第36普通科連隊が隊員30名に部隊集合教育レンジャーを開始。108日、第37普通科連隊が持続走競技会を行い、第2中隊が優勝した。1017日、大久保駐屯地を視察した湯浅陸幕長に第3施設大隊本部管理中隊が07式機動支援橋の架設を行った。1027-28日、第37普通科連隊が令和2年度史跡・和歌山城保護対策事業に協力し、隊員100名が天守閣の瓦清掃や城壁壁面の雑草除去などを行った。1121日、八尾駐屯地で行われた防災研修・航空偵察装備品展示に協力した。1126-28日、第3特科隊基幹の350名が兵庫県淡路市で鳥インフルエンザの災害派遣に参加し、145000羽を殺処分した。1210-11日、第37普通科連隊基幹の400名が和歌山県紀の川市で鳥インフルエンザの災害派遣に参加し、67000羽を殺処分した。

2021112日、第36普通科連隊が連隊昼礼を実施。36日、第3音楽隊が東リいたみホールで定期演奏会を実施。311日、新型コロナウイルス対応の功績で、第3後方支援連隊に1級賞状が授与された。63日、第7普通科連隊が新隊員77名に自衛官候補生課程25km行進訓練を実施。68-9日、第3特科隊情報中隊が青野ヶ原演習場で音源標定班訓練検閲を実施。811日、第7普通科連隊が新隊員75名に後期教育の水難救助訓練(事故安全法)を実施。103日に発生した和歌山市断水の災害派遣に第36普通科連隊、第37普通科連隊、第3後方支援連隊が参加。113日、第3偵察隊が千僧駐屯地で受験者・保護者対象の部隊見学を実施。1117日、姫路市の養鶏場で鳥インフルエンザが確認されたため、0900に兵庫県知事から第3特科隊長に災害派遣要請があり、第3特科隊延べ530名が1032から支援活動を行い、11182000に撤収要請を受けた。1219日、五條市上野公園で行われた奈良県防災フェア2021で広報に協力し、装備品を展示した。2022131日から213日、北海道大演習場などで第5次団集中野営訓練を実施。スキー行進、野外指揮所活動、障害構成・処理、実爆といった従来からの訓練に加え、第13施設群第360施設中隊が北部方面情報隊と連携してドローンによる敵障害解明(偵察)及び地雷原爆破装置投射後の未処理確認を初めて行った。3月下旬、第7普通科連隊が120mm迫撃砲及び81mm迫撃砲実弾射撃訓練を実施。昼間射撃、夜間陣地進入、夜間射撃、射撃後即陣地変換、弾着判定修正などの各訓練を行った。521日、兵庫地本姫路地域事務所が姫路お城まつりで行った広報に第3特科隊と第3高射特科大隊が協力し、装備品展示などを行った。526日、第5特科隊が自衛官候補生70名に特殊武器防護訓練(防護マスク装脱面訓練と催涙線香によるガス体験)を実施。2023217日から32日、第36普通科連隊がダルマ・ガーディアン22に参加。39日、第3偵察隊が廃止された。315日、第3戦車大隊が廃止された。316日、今津駐屯地で第3偵察戦闘大隊が新編された。920日から1025日、令和5年度北海道訓練センター第3回実動対抗演習等に参加。155mm榴弾砲FH70AH-1S対戦車ヘリUH-1J多用途ヘリなどが、第9師団74式戦車155mm榴弾砲FH70AH-1S対戦車ヘリUH-1J多用途ヘリ)と、中部方面区から北部方面区の機動展開訓練、王城寺原然別矢臼別演習場での準備訓練、矢臼別演習場での実動対抗演習然別演習場での補備訓練、北部方面区から中部方面区への機動展開訓練を行った。

参考:月刊軍事研究10,0810,108,1112,124,17、月刊丸5,07、月刊PANZER5,83、スピアヘッドNo.12、月刊JWings1,144,1411,144,156,164,195,196,1910,1912,193,205,203,'226,'23MAMOR vol.104vol.136vol.140vol.156vol.163vol.165vol.166、月刊世界の艦船3,179,19、月刊航空ファン4,19、朝雲、姫路駐屯地ホームページ、中部方面隊ホームページ、赤十字の旗なにわに百年

 <第3師団(陸自、1977年)>:中部方面隊隷下の甲師団で、司令部は千僧にある。第7普通科連隊、第36普通科連隊、第37普通科連隊、第45普通科連隊、第3特科連隊などを隷下に置く。参考:日本の防衛戦力Part1

 <第3師団(陸自、1980年)>:中部方面隊隷下で、司令部は伊丹市にある。第7普通科連隊、第36普通科連隊、第37普通科連隊、第45普通科連隊、第3特科連隊などを隷下に置く。参考:自衛隊装備カタログ1981

第3師団(陸自、1980年代半ば)>:中部方面隊隷下で、京阪神地域の防備を担当する。隷下に第7普通科連隊、第36普通科連隊、第37普通科連隊、45普通科連隊、第3特科連隊などを置く。参考:兵器最先端5、日本の戦力

第3師団(陸自、2007年度)>:中部方面隊隷下で、司令部は千僧にある。第3飛行隊、第7普通科連隊、第36普通科連隊、第37普通科連隊、第3化学防護隊、第3後方支援連隊、第3通信大隊、第3偵察隊、第3高射特科大隊、第3特科隊、第3施設大隊、第3戦車大隊などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,07

第3師団(陸自、2015年)>:中部方面隊隷下で、司令部は千僧にある。第3師団司令部、第3師団司令部付隊、第3飛行隊、第7普通科連隊、第36普通科連隊、第37普通科連隊、第3戦車大隊、第3特科隊、第3高射特科大隊、第3偵察隊、第3後方支援連隊、第3施設大隊、第3通信大隊、第3特殊武器防護隊、第3音楽隊を隷下に置く。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

第3次中東戦争>:別名6日間戦争。アラブ側呼称は6月戦争である。第2次中東戦争終結後、イスラエルはチラン海峡を通行する船舶の安全保障、シャルムエルシェイクへの国連監視軍展開、国連緊急軍司令部のガザへの設置を条件にシナイ半島から撤退し、半島はエジプトに戻された。1966年、シリアで政変が起きてイスラエルへの攻撃姿勢が強まり、ヨルダンやサウジアラビアはエジプトが強硬姿勢を取らないことに非難の態度を示すようになったため、19675月にシナイ半島で軍事演習を実施。緊張が高まったため、インドやユーゴスラビアが国連軍の撤退を主張し、518日に国連軍は撤退した。522日、イスラエルと紅海を結ぶ唯一の海路であるチラン海峡をエジプト側が封鎖。国際社会の説得も通じず、エジプトはイスラエル国境地帯に兵力を増強、シナイ半島に歩兵5個師団、機甲2個師団、戦車1000両、火砲数百門、兵員10万名を集結させたため、イスラエルは先手を打って攻撃に出た。これにはイスラエルがシナイ半島をエジプトに対する緩衝地帯として再び占領するという目的もあった。1967650745(イスラエル時間)、イスラエル空軍がエジプト空軍基地17カ所(19カ所?)を奇襲攻撃、夜明け攻撃の行われる時間が過ぎて警戒態勢が解かれ、司令部の当直が交代中で、ナイル川の霧が晴れるという絶好のタイミングでベテランパイロットが80分間にわたり射爆撃を行い、エジプト空軍機の作戦機450機のうち300機を地上で撃破して航空優勢を確保した。更にヨルダン、シリア、イラクの空軍基地も奇襲し、ヨルダンの全戦闘機30機を破壊、シリア軍戦闘機60機とイラク軍機17機を撃破して壊滅させた。0815、イスラエル軍3個兵団(タル、ヨッフェ、シャロン准将がそれぞれ指揮)がエジプト国境を越え進撃、防御陣地は迂回して包囲し、水の供給を絶って戦闘力を無くす作戦を行った。タル兵団(第7・第60機甲旅団、機械化空挺旅団、グラニット支隊)は湾岸道路沿いに西に進み、シャロン兵団(第14機甲旅団、第99歩兵旅団、第8機甲旅団)はウム・カテフとアブ・アゲイラを突破してイスマイリアでスエズ運河に到達し、ヨッフェ兵団(2個機甲旅団)はそれらの間を進んでエジプト軍を分断し、状況によってタル/シャロン兵団を援護する。タル兵団はカーン・ユニスを制圧してガザ地区のエジプト軍を孤立させ、ラファを攻略してジェラディを突破した。夕方にエジプト軍はジェラディを奪回したが、タル兵団は航空支援を受けて翌朝までに取り返した。ハリディン砂漠にはヨッフェ兵団の1個旅団が突入し、スタックした戦車を引っ張り上げながら24時間で砂漠を突破。シャロン兵団はウム・カテフとアブ・アゲイラの防御陣地を包囲、日没後にヘリボーンで陣地の砲兵隊を制圧すると共に、配備されていた戦車旅団を壊滅させた。ヨルダンからの反撃が開始されると、イスラエルはエルサレムの完全占領作戦を発動。当初はシナイ半島に降下を予定していたイスラエルの第55空挺旅団が、東エルサレムに目標を変更して旧市街地に降下を開始、2300から戦闘に入った。660200、イスラエル第55空挺旅団がエルサレムのマンデルパウム門を突破。0600、シャロン兵団がウム・カテフとアブ・アゲイラを制圧して直ちに再編成を終え、反撃に出てきたエジプト機甲旅団を蹴散らした。66日昼までにタル兵団は地中海沿岸のエル・アリシュ(軍港・飛行場があった)を制圧した。ヨッフェ兵団はビルラーファン交叉路を占領し、海岸と内陸部を結ぶ街道を遮断した。66日夕方にはタル兵団先鋒の弾薬と燃料が尽きかけたが、民間車両を動員して補給を間に合わせた。ヨッフェ兵団も弾薬・燃料が尽き、何とか稼働できる戦車9両(うち4両は燃料切れで被牽引状態)をかき集めてミトラ峠に向かった。リバティ号爆撃事件が勃発。67日朝、地中海沿岸を進むイスラエル支隊がスエズ運河に到着。エル・アリシュから内陸に進んだタル兵団はエジプト軍の退却路に当たるビル・ギフガファを制圧し、退却してくるエジプト軍を待ち伏せて100両以上の戦車を破壊した。ミトラ峠ではヨッフェ兵団の戦車9両がエジプト軍戦車50両以上を破壊したが、破壊車両に囲まれて身動きが取れなくなった上に弾薬も尽きた。それでも逐次到着する後続部隊がエジプト軍車両の燃料を奪って戦闘を継続した。1000、エルサレムの嘆きの壁にイスラエル軍が到達、エルサレムの残敵掃討を開始した。シナイ半島南端のシャルムエルシェイクの飛行場に空挺隊が強行着陸、魚雷艇と連携してシャルムエルシェイクを攻略。68日、ミトラ峠にイスラエル軍の増援が到着、開戦時にミトラ峠よりも東に配備されていたエジプト部隊が包囲された。シャロン兵団はナクールに到達し、エジプト第6機械化師団を攻撃して戦車60両、火砲100門を破壊して壊滅させた。国際関係の問題でスエズ運河から20マイル離れるよう申し合わせていた命令が解かれ、イスラエル支隊及びタル兵団がスエズ運河に到達。エジプト政府が国連安保理の停戦決議受諾を発表。69日午前、ヨッフェ兵団の一部がスエズ運河対岸に達し、SA-2陣地9カ所を無傷で制圧。国境を越える気配は無いものの、ゴラン高原から盛んに砲撃を加えてくるシリアに対してもイスラエル軍が攻撃を開始。610日、ゴラン高原のシリア軍陣地をイスラエル軍が突破。夕方、国連安保理の停戦決議により停戦が成立した。この戦闘でエジプトは10000-15000名の損害と5000名の捕虜を出し、戦車700両(600両?)、野砲400門、自走砲50両、各種車両10000両を破壊され、戦車100両を鹵獲され、保有装備の80%を失って大敗した。イスラエル軍の損害は死者338名、負傷1400名、戦車122両(61両?)だった。スエズ運河は機雷封鎖されてしまい、エジプトには掃海能力が無かったため、アメリカ、イギリス、ソ連、フランスが掃海に参加。アメリカはヘリコプターで掃海し、イギリスは水深8m以内ではフロッグマン、それ以上ではソナーによる機雷捜索を行い、全てフロッグマンが爆薬を付けて掃討した。ソ連は水深50m前後の係維機雷を掃海し、フランスは水深3m以内の沿岸での掃討を行った。参考:歴史群像2,05、月刊丸3,01、月刊軍事研究8,06、現代の空挺作戦、月刊世界の艦船8,82増刊、スピアヘッドNo.3No.2、月刊PANZER12,11

<第3次ブーゲンビル島沖航空戦>:ブーゲンビル島沖航空戦を参照。

第3次防衛力整備計画>:自衛隊の防衛力整備計画で、3次防と略す。19661129日の国防会議と閣議で大綱が、1967313日の国防会議と314日の閣議で主要項目が決定され、91日に細部計画が決まった。アメリカの新規無償援助が停止されたため、国内開発・国産化に踏み切るか、輸入で済ますかで揉め、結局結論は先送りされている。総予算は2兆3400億円(うち海自5720億円)、整備期間は1967-1971年度の5年間で、第2次防衛力整備計画に引き続き通常兵器による局地戦以下の侵略事態に対する防衛力を整備することとし、内容の充実・強化や近代化を図った。海上防衛力整備が第1順位で、艦艇5648000トン(護衛艦14隻、潜水艦5隻)、訓練支援艦など4隻5000トン、固定翼対潜哨戒機60機、対潜ヘリ33機、訓練・救難機24機を導入する。駆潜艇の後継として1000トン級沿岸警備艇を計画したが、冬の日本海で自由に行動するには小型すぎるので取りやめた。1967年度、DD-118むらくも、DE-215ちくご、SS-566うずしお、MSC-630たかみ、MSC-631いおう、ATS-4201あづま、AGS-5101あかし、ASR-402ふしみ、ASU-81特務艇81号の建造を承認。1968年度、DDH-141はるな、DE-216あやせ、DE-217みくま、SS-567まきしお、MSC-632みやけ、MSC-633うとね、ASU-82特務艇82号の建造を承認。1969年度、DD-119あおくも、DE-218とかち、SS-568いそしお、MSC-634あわじ、MSC-635とうし、MST-462はやせ、MMC-951そうや、PT-811魚雷艇11号の建造を承認。1970年度、DDH-142ひえい、DE-219いわせ、DE-220ちとせ、SS-569なるしお、MSC-636てうり、MSC-637むろつ、PT-812魚雷艇12号、PB-919哨戒艇19号、PB-920哨戒艇20号、PB-921哨戒艇21号、PB-922哨戒艇22号、LST-4101あつみ、ASU-83特務艇83号の建造を承認。1971年度、DDG-168たちかぜ、DD-120あきぐも、DE-221によど、SS-570くろしお、MSC-638たしろ、MSC-639みやと、MSB-707掃海艇7号、MSB-708掃海艇8号、PT-813魚雷艇13号、PB-923哨戒艇23号、PB-924哨戒艇24号、ASU-84特務艇84号の建造を承認。海自の建艦実績は4553358トンで、計画外でLSTを1隻建造できたが、DE1隻、MSB2隻、PT2隻、PB10隻、ASH1隻が未達成となった。終了時の陸上自衛隊定数は179000名。12個師団からなり、機動運用部隊は1個機械化師団、1個戦車群、1個特科団、1個空挺団、1個教導団、1個ヘリコプター団で、低空域防空部隊は4個高射特科群だった。航空自衛隊定数は41657名。24個警戒群、10個要撃戦闘飛行隊、4個支援戦闘飛行隊、1個航空偵察飛行隊、3個航空輸送飛行隊、4個高射群からなり、940機の航空機を配備していた。海上自衛隊定数は38323名。4個護衛隊群10個地方隊4個潜水隊2個掃海隊群5個航空群14個飛行隊に艦艇14400トン、対潜水上艦59隻、潜水艦12隻、航空機240機を配備していた。参考:月刊世界の艦船4,111,146,1410,146,'22、自衛隊装備カタログ1981、日本の防衛戦力Part3

<第3重攻撃飛行隊>:VAH-3を参照。

<第3種支援船>:支援船を参照。

第3術科学校(海上自衛隊)>:海上自衛隊の術科教育学校で、下総航空基地にある。所在地は千葉県柏市藤ヶ谷。航空機、航空関係機器、器材整備、基地運用、施設管理の教育や研究を行う。教育第1部が航空機機体、航空機用電機計器、発動機、教育第2部(航空電子整備科・航空武器整備科)がアビオニクス・飛行場航空保安機器・航空武器・救命機器整備、教育第3部が基地警備(海士/海曹地上救難課程含む)、道路・建物補修、広報記録、教官養成などを担当する。教育第3部では写真や映像の撮影に関する教育(幹部写真課程、曹士写真課程、曹士ムービー課程)も担当しており、P-3C哨戒機の機上武器員などが不審船舶の撮影に備えた教育を受ける他、たまに航空自衛隊員も入校する。学生隊舎前には長門型戦艦用40cm被帽徹甲弾が鎮座しており、真鍮磨きの実技訓練も兼ねて生徒が毎日磨き上げている。元は19591021日に下総航空基地で新編された白井航空教育隊で、196121日に航空術科教育を纏めて行う術科学校に改編されて創設された。1964713日、下総自動車教習所が設置された。1975101日、第4術科学校開校に伴い、航空補給教育が第4術科学校の管理下に移った。201121日、開校50周年記念行事を実施。2014418日、P-1システム整備実験装置やEBUEngine Build-up Unit)交換実習装置を備えたP-1整備実習講堂の披露式典を実施。2015214日、教育3部陸曹科が千葉県銃剣道連盟から表彰状を授与された。1021日、海曹士専修科電気設備課程1期生4名と海曹士専修科機械設備課程1期生3名の始業式を実施。2016120日、自衛隊観閲式参加30回の功績により、海幕長から2級賞状を授与された。126日、下総武道場の落成式を実施。21日、開校55周年記念行事を実施。723日、下総航空基地で募集対象者向けオープンスクール(座学、基本教練、P-1哨戒機実習装置体験、P-3C哨戒機見学など)を実施。920日から1018日、第2801期海曹施設課程学生と第2801期海士施設課程の学生計19名に対する施工実習を行い、長さ500mのアスファルト道路が完成した。2018721日、東京・千葉地本の協力で、オープンスクールを実施。2019723日、オープンスクールを実施。99日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。2020625日、P-1哨戒機用光波装置実習装置を導入し、P-1哨戒機整備教育に必要な主要器材が全て揃った。参考:月刊世界の艦船1,79増刊、MAMOR vol.108vol.113vol.113vol.126vol.155、月刊丸1,10別冊、月刊JWings6,10別冊付録、8,126,'20、朝雲、陸海軍学校と教育、教育航空集団ホームページ

 <第3術科学校(海上自衛隊、2020年)>:校長、副校長、先任伍長、総務課、教務部(教務課、教材課、整備課)、教育第1部(航空発動機整備科、航空電機計器整備科、航空機体整備科など)、教育第2部(航空電子整備科、航空武器整備科)、教育第3部(基地員教育担当。陸警科、地上救難科、施設科、写真科など)、研究部(企画室、研究室、資料課)、学生隊(本部、第1学生隊/幹部学生、第2学生隊/海曹士学生10個分隊)からなる。幹部課程及び海曹士課程の計62課程180コースの教育を行う。参考:MAMOR vol.161

第3術科学校(航空自衛隊)>:航空自衛隊の術科学校で、芦屋基地にある。総務、会計、補給、輸送、車両操縦、車両整備、調達、土木、施設、人事、消防、警備、厚生など後方業務(基地管理運営部門)の教育を行う。195961日、整備学校から改編されて創設された。19613月、岐阜基地から芦屋基地に移駐。19629月、術科教育本部の隷下に入った。1989316日、術科教育本部が航空教育集団に改編されたため、航空教育集団の隷下に移った。2013616日、幹部会(ひびき会)会員とその家族や友人など50人がラブアース・クリーナップ2013に参加し、ゴミ回収奉仕作業を行った。2015121-2日、隊員80名が孔大寺山と湯川山で災害派遣を想定した野外訓練を実施。2016414日と16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。2017428日、第2教育部の二等空曹が、被疑者逮捕に協力した功績で福岡県警折尾警察署から感謝状を贈呈された。201875-8日に発生した西日本豪雨の災害派遣に参加。725日、芦屋基地正門前のビルで火災が発生していると基地警備班から連絡を受け、施設課消防班と第2教育部第4科消防教育班の隊員計10名が消火活動を行い鎮火させた。813日に発生した九州豪雨の災害派遣に参加。参考:陸海軍学校と教育、月刊JWings8,12MAMOR vol.52vol.108、航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊航空ファン1,15、朝雲、航空教育集団ホームページ

 <第3術科学校(空自、2015年)>:航空教育集団隷下で、芦屋基地に置かれている。参考:月刊航空ファン4,16

第3情報大隊>:在日米海兵隊の情報部隊で、第3海兵遠征軍司令部直轄であり、キャンプ・ハンセンに駐屯している。編成や任務は不明だが、カウンター・インテリジェンス/ヒューミント中隊などを隷下に置く。ジャングル戦訓練センターや中部訓練場などでサバイバルやヒューミントの訓練を行っている。参考:月刊軍事研究4,09

第3親衛戦車軍団(ソ連)>:ソ連陸軍親衛戦車軍団。19421229日、ドイツ国防軍スターリングラード救出部隊を阻止した功績により、第7戦車軍団から改称され、コテリコフスキーの称号も付いた。19431月、ヴォロネジ方面軍に配属。4月、クルスク戦区に移動。6月、ソ連最高総統帥部予備に編入。7月、ソ連最高総統帥部予備第4親衛軍に配属。8月、ヴォロネジ方面軍予備に配属。19446月、ヴィテブスク・オルシャ作戦に第3白ロシア方面軍第5親衛戦車軍隷下として参加、ボリソフを攻略。7月、ミンスクを奪回。9月、メーメル回収作戦に参加。19451月、第2白ロシア方面軍に配属され、次いで第5親衛戦車軍に配属された。2月、第2白ロシア方面軍機動予備としてポメラニアン作戦に参加。4月、ベルリン作戦に参加。1946年、白ロシア軍管区に帰還し、第3親衛戦車師団に改称された。参考:月刊グランドパワー4,98

第3水雷戦隊(日本海軍)>:日本海軍の水雷戦隊。昭和12728日、第1水雷隊が舞鶴要港部から転属した。昭和1745日、セイロン島攻撃に参加(川内、第11駆逐隊、第19駆逐隊)。65日、ミッドウェイ海戦に参加(川内、第11駆逐隊、第19駆逐隊、第20駆逐隊、第24駆逐隊、第27駆逐隊)。昭和18228日、81号作戦に参加(旗艦の駆逐艦白雪、朝潮、荒潮、時津風、雪風、浦波、敷波、朝雲)。41日、夕張が編入された。75日、クラ湾夜戦に参加。817日、ベラ・ラベラ沖海戦に参加(第17駆逐隊、第27駆逐隊)。106日、ベラ・ラベラ島沖夜戦に参加(秋雲、第10駆逐隊、第17駆逐隊、第27駆逐隊、第22駆逐隊、夕凪、松風)。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊世界の艦船6,838,'20、太平洋海戦史、日本海軍艦隊総覧

 <第3水雷戦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第1艦隊隷下で、旗艦は川内。隷下に第11駆逐隊、第12駆逐隊、第19駆逐隊、第20駆逐隊を置く。兵力部署では馬來部隊第1護衛隊所属で、川内、第12駆逐隊、第19駆逐隊、第20駆逐隊からなる(第11駆逐隊は欠)。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧、帝国陸海軍事典

<第3世代FLIR>:FLIRを参照。

<第3世代赤外線暗視装置>:赤外線暗視装置を参照。

<第3世代赤外線パッシブホーミング>:赤外線パッシブホーミングを参照。

<第3世代戦車>:戦車を参照。

第3世代戦闘機>:概ねベトナム戦争前後に配備された戦闘機。火器管制レーダーとセミアクティブ・レーダー誘導式空対空ミサイルを装備し、全天候能力を持つ。参考:月刊JWings2,205,1512,03

 <第3世代戦闘機(ロッキード・マーチン社)>:多用途戦闘能力を持つ超音速戦闘機。F-4ファントムUなど。参考:月刊軍事研究5,07

<第3世代対戦車ミサイル>:対戦車ミサイルを参照。

<第3世代微光暗視装置>:微光暗視装置を参照。

<第3世代レーダー警戒装置>:レーダー警戒装置を参照。

第3戦車軍(ソ連)>:ソ連陸軍の戦車軍。1942514日、ハリコフ軍管区で創設された。12月、西部方面軍ツーラ地区に配置。19431月、ヴォロネジ方面軍の隷下となった。2月、南西方面軍の隷下に入りハリコフ作戦に参加。しかし反撃に遭って稼働戦車が6両にまで減少、自動車化狙撃部隊もほぼ全滅した。第12戦車軍団を投入してヴォロネジ方面軍配属となったが、3月に包囲されて壊滅的損害を受け、南西方面軍の隷下に入った。5月、再編成を行い、7月にクルスクのプラフスカ地区に配置された。クルスク戦ではオリョール・ムチェンスク街道の遮断とオカ河渡河地点確保のため攻撃を行った。9月、ブリャンスク方面軍隷下に入り、第4装甲軍第24装甲軍団を追撃してドニエプル河に到達。10月、再編成を受けた。11月、キエフ作戦の戦車戦力としてリュテシ橋頭堡から出撃。1223日、第1ウクライナ方面軍予備としてジトミール・ベルディチェフ作戦の戦車支援を行った。19441月、後方に下がった。3月、ドイツ軍南部集団第4装甲軍第48装甲軍団の第1装甲軍救出作戦を阻止。7月、第1ウクライナ方面軍予備としてルヴォフ・サンドミエルツ作戦に参加。19451月、ヴィツスラ河・オーデル河・シュレジェン作戦に第1ウクライナ方面軍機動予備として参加。41日、ベルリン南部外郭環状防御線の攻撃に参加、ベルリンを包囲。5月、チェコスロバキア作戦に参加してプラハ攻略戦を行った。514日、第3親衛機械化軍に改称。参考:月刊グランドパワー4,98

<第三潜水艦>:第三潜水艇を参照。

第3潜水戦隊(日本海軍)>:日本海軍の潜水戦隊。昭和16713日に編成された。昭和1765日、ミッドウェイ海戦に参加(第11潜水隊、第12潜水隊)。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

 <第3潜水戦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第6艦隊隷下で、旗艦は大鯨(ただし空母に改造工事中)。隷下に第11潜水隊、第12潜水隊、第20潜水隊、伊8潜水艦を置く。兵力部署では連合艦隊先遣部隊第3潜水部隊に所属する。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,14、帝国陸海軍事典、日本潜水艦物語

第3潜水隊(日本海軍)

第3潜水隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第1潜水戦隊隷下で、伊21、伊22、伊23からなる。兵力部署では伊21と伊23は機動部隊哨戒隊に所属する。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧、日本潜水艦物語

第3潜水隊>:海上自衛隊の潜水隊。1968316日、第1潜水隊群隷下に新編され、SS-562あさしお、SS-563はるしおが配備された。198331日、SS-575せとしおとSS-576おきしおが配備され、SS-563はるしおが第2潜水隊群直轄艦となった。330日、SS-562あさしおが除籍された。2011315日、SS-588ふゆしおが第1練習潜水隊に転じ、SS-596くろしおが第5潜水隊から加わった。2012316日、SS-504けんりゅうが配備された。319日、SS-586あらしおが除籍された。202035日、SS-511おうりゅうが配備された。参考:月刊世界の艦船5,115,125,836,839,155,205,22

第3潜水隊(1978年)>:第2潜水隊群隷下で、横須賀に置かれている。SS-562あさしお、SS-563はるしお、SS-564みちしおを配備する。参考:月刊世界の艦船1,79増刊

第3潜水隊(2001年度)>:第1潜水隊群隷下で、呉に置かれている。SS-585はやしお、SS-586あらしお、SS-588ふゆしおを配備する。参考:月刊世界の艦船1,02

<第3潜水隊(2010年)>:第1潜水隊群隷下で、呉に置かれている。SS-586あらしお、SS-588ふゆしお、SS-600もちしおを配備する。参考:月刊軍事研究9,10

第3潜水隊(2011年)>:第1潜水隊群隷下で、呉に置かれている。SS-586あらしお、SS-596くろしお、SS-600もちしおを配備する。参考:月刊世界の艦船6,11

第3潜水隊(2012年)>:第1潜水隊群隷下で、呉に置かれている。SS-504けんりゅう、SS-596くろしお、SS-600もちしおを配備する。参考:月刊世界の艦船6,12

第3潜水隊(2015年)>:第1潜水隊群隷下で、呉に置かれている。SS-504けんりゅう、SS-596くろしお、SS-600もちしおを配備する。参考:月刊世界の艦船6,15

第3潜水隊(2020年)>:第1潜水隊群隷下で、呉に置かれている。SS-504けんりゅうSS-511おうりゅうSS-596くろしおSS-600もちしおを配備する。参考:月刊世界の艦船6,20

第3潜水艇>:日本海軍ホランド型潜水艇3番艇。明治38年就役。大正841日に第3潜水艦に改称された。大正10年に除籍された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

第3戦隊(日本海軍)>:日本海軍の戦隊。昭和72月、第1次上海事変に伴い、第1艦隊から第3艦隊に派出された(那珂、阿武隈、由良)。320日、第1艦隊に復帰。昭和16128日、真珠湾攻撃に参加(比叡、霧島)。昭和1731日、第8戦隊と共同でDD-219エドソールを撃沈(比叡、霧島)。45日、セイロン島攻撃に参加(比叡、霧島、金剛、榛名)。65日、ミッドウェイ海戦に参加(第1小隊金剛、比叡、第2小隊霧島、榛名)。1013日、ガダルカナル飛行場を砲撃(金剛、榛名)。1026日、南太平洋海戦に参加(金剛、榛名)。昭和19619日、マリアナ沖海戦に参加(金剛、榛名)。1022日、比島沖海戦に参加(金剛、榛名)。1115日、長門が第1戦隊から編入された。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊世界の艦船3,0512,15

 <第3戦隊(明治38年5月27日、日本海海戦時)>:第1艦隊隷下で、巡洋艦笠置、千歳、音羽、新高からなる。参考:日本海軍艦隊総覧

 <第3戦隊(昭和12年7月7日、日華事変勃発時)>:第1艦隊隷下で、霧島、榛名を配備する。参考:日本海軍艦隊総覧

 <第3戦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:司令官は三川軍一中将。建制上は第1艦隊隷下で、金剛、榛名、霧島、比叡を配備する。兵力部署では霧島と比叡が機動部隊支援部隊、第2小隊(金剛、榛名)が南方部隊本隊に所属する。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、帝国陸海軍事典

第3船隊群>:警備隊の船隊群で、長官直轄である。1954410日に編成された。隷下に第12船隊(LSSL4隻)、第13船隊(LSSL4隻)、第20船隊(LSSL4隻)、司令警備船PF-289うめを置く。参考:月刊世界の艦船5,02増刊

第3戦闘航空団>:アメリカ空軍の戦闘航空団。191971日に編成されたアメリカ陸軍監視群が大元で、第2次大戦には第3攻撃航空群として参加。ベトナム戦争後は第3戦術戦闘航空団となり、韓国の群山に展開。1975年からはフィリピンのクラーク空軍基地に移動。19916月、アラスカ州エルメンドルフ空軍基地に移り、19911219日から第3戦闘航空団として任務を開始した。この時はF-15C/D/EE-3C-130Hを装備する混成航空団だった。2006年末から第525戦闘飛行隊、20078月から第90戦闘飛行隊がF-22Aへの機種改変を開始した。参考:月刊JWings4,07

第3掃海隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の掃海隊。1952111日に新編された。201671日、掃海隊群隷下に新編された。掃海隊群からMST-464ぶんご、第1掃海隊からMSC-687いずしま、MSC-688あいしま、MSC-690みやじまが異動してきている。1019日、MSC-687いずしまが第45掃海隊に移った。2020612日、MSC-688あいしまが第44掃海隊に移った。2021316日、MSO-306えたじまが配備された。参考:月刊世界の艦船8,11増刊、9,161,178,205,'21

 <第3掃海隊(1961年6月)>:第1掃海隊群隷下で、呉に置かれている。はつたか、はやとり、ひよどりを配備する。参考:月刊世界の艦船3,19

第3掃海隊(2001年度)>:掃海隊群隷下で、横須賀に置かれている。MSC-681すがしま、MSC-682のとじま、MSC-683つのじまを配備する。参考:月刊世界の艦船1,02

第3掃海隊(2016年7月1日、再編時)>:掃海隊群隷下で、呉に置かれている。MST-464ぶんご、MSC-687いずしま、MSC-688あいしま、MSC-690みやじまを配備する。参考:月刊世界の艦船11,16

第3掃海隊(2020年)>:掃海隊群隷下で、呉に置かれている。MST-464ぶんご、MSC-688あいしま、MSC-690みやじまを配備する。参考:月刊世界の艦船6,20

第3操縦学校>:航空自衛隊の学校。1955120日に臨時築城派遣隊として新編され、1957101日に第3操縦学校に改編された。12月、新田原基地に分校を置いた。1959年に廃止され、第16飛行教育団に改編された。分校は第17飛行教育団に改編されている。参考:月刊JWings3,17

第3対戦車ヘリコプター隊>:陸上自衛隊の対戦車ヘリコプター隊。1990326日、西部方面航空隊隷下に目達原駐屯地で新編された。2010312日、第2飛行隊にAH-64Dが配備された。2013610-26日、ドーン・ブリッツ2013AH-64D戦闘ヘリ2機で参加。94-24日、平成25年度米国における米陸軍との実動訓練にAH-64DAH-1Sが参加。2015818日から99日、ドーン・ブリッツ2015に参加。1018日、日本文理大学学園祭で広報活動を行い、AH-64Dを展示した。201764日、佐多射撃場でAH-64D30mm機関砲とハイドラ70の実射訓練を実施。116-24日、平成29年度自衛隊統合実動演習に参加。2018251636頃、飛行時間50時間ごとに実施する定期整備後の試験飛行のためAH-64Dヘリ1機(502号機/JG-4502)が目達原駐屯地を離陸。駐屯地上空を場周飛行して機体に異常が無いことを確認し、1638に管制塔と連絡を取り、神埼市方面へと飛行を始めて5分後の1643頃、異常を伝える交信も無いまま、駐屯地から4km南の佐賀県神埼市の住宅に機首から墜落、機体は全損し、乗員2名が死亡、住宅と付近の小屋の2棟が全焼し、住宅内にいた1人が膝を打撲した。隣の住宅にいた1人は逃げて無事だった。陸幕では1740に陸幕副長を委員長とする陸上自衛隊航空事故調査委員会を設置すると共に、AH-64Dを全機運用停止にして緊急点検を開始している。事故機のメインローターのうち2枚は現場で回収されたが、1枚は現場から東に350m離れた用水路、もう1枚は現場から南東に500m離れた用水路で発見された。事故機は2018118日から24日までの定期整備において、飛行時間1750時間を目途に交換することになっているメインローターヘッドを、別の同型機で不具合が起きてボーイング社で修理したものと交換していたが、回収されたメインローターにはメインローターヘッドの一部がピンやボルトで接合された状態で残っていて、メインローターヘッドそのものが飛行中に砕けてメインローター2枚が脱落してしまったため、機体が飛行不能に陥り、住宅を避けることも不可能な状態でそのまま墜落したとみられる。小野寺防衛大臣は210日に神埼市長と被害者家族、211日に佐賀県知事に直接謝罪し、同日に目達原駐屯地で行われた殉職隊員部隊葬送式に参加している。36日、陸自航空事故調査委員会に特別評価委員として民間有識者2人が参加すると防衛省が発表した。528日、陸幕がAH-64Dヘリの調査状況を公表。AH-64Dのメインローターヘッド部分で回転軸とメインローターブレードを繋ぐストラップパックでは、両者を繋ぐ薄鋼板(ラミナ)22枚をステンレス製アウトボード・ボルトとアウトボード・ナットで締めてラミナに隙間が出来ないよう固定しているが、離陸後に何らかの原因でアウトボーダー・ボルトが破断してナットとの間に6mmの隙間が生じ、ラミナにも間隙が発生、各ラミナに不均等な力が加わりストラップパックが破断分離され、メインローターブレード1枚(No.4ローターブレード)が遠心力により脱落、別の1枚も位置が下がりキャノピーなどに衝突して分離してしまい、揚力を失った機体が錐揉み状態に陥ってローターブレード脱落の12-14秒後に墜落したもので、メンテナンス・データ・レコーダMDRに記録されていた機体の状態やコクピット音声を分析した結果、脱落したブレードがMDRに衝突して記録が途絶える直前の5秒間に急激な操作、機体の不具合、異常を示す会話などは無く、通常の飛行状態から突如事故に至っており、操縦や整備が原因では無いとした。最終的な事故原因の特定には至っておらず、防衛大臣への航空事故調査報告書の提出期限(事故後4ヶ月以内)を延長し、アメリカ企業製アウトボーダー・ボルトの破断原因を探る。AH-64Dの飛行停止は継続し、再発防止策としてメーカーが品質を保証したアウトボード・ボルトへの交換などを検討中。927日、陸幕が墜落事故の調査結果を発表。事故原因はアウトボード・ボルトに亀裂が生じて破断したことによるとし、その原因は特定できなかったが、考えられる候補として、メインローターヘッド保管中に腐蝕防止剤が劣化しボルトとボルトの孔に差し込まれたピンが固着して摩擦が生じたか、AH-64Dへのメインローターヘッド装着時に何らかの理由でアウトボード・ボルトに亀裂が入ったとした。どちらの原因候補にも対応できる再発防止策として、メインローター・ヘッド搭載前の構成品動作確認による固着の有無の確認、アウトボード・ボルトの非破壊検査、運用250時間または270日ごとの非破壊検査と腐蝕防止剤再塗布、メインローター・ヘッド保管容器の木製コンテナから金属製コンテナ(機密性が高く内部湿度確認が可能)への変更を執るとしている。2021318日、第1戦闘ヘリコプター隊に改編された。参考:月刊JWings12,126,1010,137,1312,159,172,188,181,1912,196,'21、月刊航空ファン4,185,188,1812,19、スピアヘッドNo.17、朝雲、目達原駐屯地ホームページ

第3対戦車ヘリコプター隊(2009年)>:西部方面航空隊隷下で、目達原駐屯地に置かれている。隊本部/本部付隊(OH-1OH-6D)、第1・第2飛行隊(AH-1S)からなる。参考:月刊航空ファン4,10

第3対戦車ヘリコプター隊(2020年)>:西部方面航空隊隷下で、目達原駐屯地にある。OH-1AH-64DAH-1Sを装備する。参考:月刊JWings6,20

<第三段階8VA型エンジン用特殊工具セット>:自衛隊の機器。三菱重工製。参考:月刊軍事研究2,16

<第三段階10式戦車車体用特殊工具セット>:自衛隊の機器。三菱重工製。参考:月刊軍事研究2,16

<第三段階10式戦車砲塔用特殊工具セット(指揮・射撃統制装置用)>:自衛隊の機器。三菱重工製。参考:月刊軍事研究2,16

<第三段階10式戦車砲塔用特殊工具セット(戦車砲用)>:自衛隊の機器。日本製鋼所製。参考:月刊軍事研究3,16

<第三段階10式戦車砲塔用特殊工具セット(砲塔用)>:自衛隊の機器。三菱重工製。参考:月刊軍事研究2,16

<第三段階橋体及び架設部用特殊工具セット(07式機動支援橋用)>:自衛隊の機器。日立製作所製。参考:月刊軍事研究12,09

第三段作戦日本海軍作戦方針>:太平洋戦争の戦局悪化を踏まえ、日本海軍軍令部総長が昭和18325日に連合艦隊司令長官に指示した作戦方針。戦線をできる限り縮小し、防備を固めて持久戦に移行するものである。815日に連合艦隊司令長官から作戦命令が発動された。これに基づいて戦備計画も変更され、基地航空部隊を最優先として艦船整備を遅らせることになり、丁型駆逐艦8隻、一等輸送艦46隻、二等輸送艦103隻、高速潜水艦23隻、戌型潜水艦44隻(後に小型潜水艦40隻に変更)、輸送潜水艦13隻、丁型潜水艦7隻、乙型魚雷艇1580隻、甲型海防艇360隻、乙型海防艇6隻、駆潜特務艇100隻、哨戒特務艇270隻、SS22隻、戦車運搬艇63隻、特大発100隻、大発5700隻、中・小発2540隻、装甲艇130隻、魚雷艇1560隻、高速輸送艦30隻を作る予定としている。実際には昭和19年度以降は特攻兵器の建造に主眼が移されていった。参考:月刊世界の艦船12,11

第3地対艦ミサイル連隊>:陸上自衛隊の地対艦ミサイル連隊。第1特科団隷下で、上富良野駐屯地に置かれている。1994328日、上富良野駐屯地で新編された。2015713-17日、第1特科団による訓練検閲を受けた。第101特科直接支援大隊、北部方面施設隊、北部方面航空隊、第5通信隊、北千歳駐屯地業務隊、上富良野駐屯地業務隊、空自当別分屯基地の支援を受け、北海道大演習場、紅葉山演習場、当別分屯基地に展開し、航空攻撃や遊撃活動に対処しつつ強固な偽装陣地を構築、接近中の敵艦隊に向け対艦火力戦闘を行っている。831日から台風10号被害の災害派遣に参加。1019日から1119日まで、鎮西27に参加。20178 28日から105日、北部方面隊総合戦闘力演習の北演29に参加。201896日に発生した北海道胆振東部地震の災害派遣に参加。2020210日、中富良野町北星山スキー場でウインターフェスティバルのイベントに協力し、メインステージ・雪像作成を行った。824日から910日、令和2年度北部方面隊実動演習に参加。202175-17日、カリフォルニア州ポイントマグー射場で令和3年度地対艦ミサイル部隊実射訓練に参加。参考:朝雲、上富良野駐屯地ホームページ、月刊JWings12,17

第3帝国>:ヒトラーが自分の政権に付けた名称で、第1帝国(神聖ローマ帝国)シャルマーニュ、第2帝国(帝政ドイツ)ビスマルクに次ぐ3番目のドイツ民族統一者ということで命名した。参考:月刊世界の艦船1,18、ゲシュタポ

<第3偵察攻撃飛行隊>:RVAH-3を参照。

<第3徳山丸>:MS-39(掃海艇)を参照。

第3特務艦隊(日本海軍)>:日本海軍が第1次大戦に際して大正6413日に新編した艦隊で、オーストラリア方面警備を主任務とする。1212日に解隊された。参考:月刊世界の艦船9,13増刊

第3特科群>:陸上自衛隊の特科群。195712月、久留米駐屯地から別府駐屯地に移駐した。19774月、湯布院駐屯地に移駐した。2003年に廃止された。参考:別府駐屯地ホームページ、湯布院駐屯地ホームページ

第三圖南丸>:日本水産鯨工船Tonan maru No.3。垂線間長163.07m、幅22.56m、深さ17.32m、吃水11.059m、総トン数19209トン、重量トン数22065トン。主機は排気タービン付き三連成汽機1基1軸8200馬力、最大速力14.123ノット。昭和13923日竣工。太平洋戦争勃発で日本海軍に徴用され、特設運送船(雑用)となった。昭和182月、特設給油船に艦種変更された。724日、トラック南西でSS-283ティノサの雷撃により大破した。仮修理を受けてトラックに移されたが、昭和19217日のトラック大空襲で沈没した。昭和263月、浮揚に成功。圖南丸と改称されて1017日に再生し、捕鯨に従事。昭和46年に引退して解体された。参考:月刊世界の艦船10,16、第2次大戦日本海軍作戦年誌

第3南遣艦隊(日本海軍)>:日本海軍の艦隊。昭和1713日に新編された。司令長官は杉山六蔵中将で、司令部はマニラにあり、フィリピン方面の作戦支援及び警戒が主任務である。410日、南西方面艦隊の隷下に入り、地域警備を担当した。昭和1985日、第32特別根拠地隊が編入された。昭和2092日に解隊された。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,13増刊

第3任務部隊(アメリカ海軍)>:アメリカ海軍の任務部隊。太平洋艦隊設立と共に隷下に入った。第4・第6巡洋艦戦隊、第1航空戦隊、第4・第6駆逐隊、第3敷設隊群、第2海兵師団、第2海兵航空隊を隷下に置く。戦力は重巡8隻、空母レキシントン(サラトガ欠)、駆逐艦18隻、敷設艦5隻など。参考:歴史群像8,98

第3白ロシア方面軍>:ソ連陸軍の方面軍。1944424日(12日?)、西部方面軍を分割して新編された。623日からバグラチオン作戦に参加。1016日、グンビンネン作戦に参加。1945113日から東プロシア作戦に参加。参考:歴史群像6,108,174,18

 <第3白ロシア方面軍(バグラチオン作戦時)>:司令官はイワン・チェルニャホフスキー大将。隷下に第1航空軍、第5親衛戦車軍、オスリコフスキー騎兵機械化集団、第5砲兵軍団、第11親衛軍、第5軍、第31軍、第39軍を置く。参考:歴史群像6,10

第三萬榮丸>:北海道炭礦汽船貨物船Banyei maru No.3。大元は大正8年に竣工した新田汽船貨物船で、大正11年に共立汽船に移り、昭和13年に北海道炭礦汽船に移籍した。垂線間長80.77m、幅10.97m、深さ6.39m、吃水5.33m、総トン数1778トン、重量トン数2870トン。主機は三連成レシプロ蒸気機関1基1軸1000馬力、航海速力7ノット、最大速力8.5ノット。太平洋戦争中は船舶運営会が運航した。昭和20722日、男鹿半島船川港沖で座礁(日本側記録)/B-29の敷設機雷に触雷(アメリカ側記録)して沈没した。参考:月刊世界の艦船4,22

第三播州丸>:日本海軍特設艦船。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は連合艦隊補給部隊に所属していた。参考:帝国海軍太平洋作戦史T

第3飛行集団(日本陸軍)>:日本陸軍の飛行集団。昭和15518日から百一号作戦に参加(飛行第44戦隊、飛行第60戦隊、独立飛行第10中隊、独立飛行第16中隊)。太平洋戦争開戦時は459機を擁し、第25軍のマレー攻略作戦を支援した。参考:歴史群像4,16、月刊航空ファン1,18

第3飛行船>:日本海軍の飛行船。大正13319日、追浜を離陸して霞ヶ浦に向かったが、1255に茨城県北相馬郡稲戸井村上空で爆発炎上し、乗員は焼死、遺体はゴンドラごと地面にめり込んでしまった。原因究明は難渋し、11月に東大航空研究所所員の寺田寅彦が調査に加わった。結果、飛行船が動揺して水素が流出し、無電を打つ際に使用する3000ボルトの高周波電流による火花が引火して爆発したという結論を得た。飛行船の外皮にはアルミニウム粉末が塗られており、電気を通すので火花は出ないと考えられていたが、実際には酸化被膜によって絶縁体になっていたためであった。海軍側は不可抗力説を唱えたが、寺田寅彦は大正142月の査問委員会において実際に模型飛行船を無電機で爆発させ、原因を確定させた。墜落現場(現在は取手市戸頭)には今も慰霊碑があり、傍には一緒に死んだ2羽の軍鳩の慰霊碑も建てられている。参考:月刊航空情報11,10

第3飛行隊(航空自衛隊)>:航空自衛隊の飛行隊。部隊マークは兜を被った武人で、F-1時代にはフルカラーだったが、F-2改編と共にブルーのロービジとなった。F-86Fを装備する3番目の要撃戦闘飛行隊として1956101日に浜松基地で創設され、第2航空団の隷下に入った。195792日、千歳基地に移動し、1958218日からF-86Fで空自初のアラート任務を開始。513日、空自初のスクランブル発進を実施。1016F-86F2機が緊急発進し、日本海上空でソ連機を確認、1118に帰投した。1959326日、北海道知事から有害鳥獣駆除の災害派遣要請があり、F-86F戦闘機でトドを機銃掃射した。1964年(?)46日、千歳基地が突如猛吹雪に襲われて訓練中のF-86Fが着陸できなくなり、三沢基地へとダイバートしていったが、千歳基地の東30kmで視界不良のため2機が空中接触して墜落し、パイロット2名が死亡した。また、三沢基地目前で2機が燃料切れを起こし、パイロットは緊急脱出したものの冬の海へのパラシュート降下となり、1名が凍死、1名が行方不明となった。196335日、第4航空団隷下となり、松島基地に移動した。196421日、支援戦闘機飛行隊に改編(装備機はF-86Fのまま)されて第81航空隊隷下となり、八戸基地に移動した。1971121日、三沢基地に移動した。1977926日にF-1支援戦闘機の受領を開始。1978331日にはF-1が定数18機に達して機種更新を完了、初のF-1飛行隊となり、第3航空団の隷下に入った。1127日から5日間、三沢基地で日米共同訓練に参加。19793月からF-1によるアラート任務に就いた。19817月、F-1戦技課程を設置。19988月、F-1戦技課程学生が3機編隊で夜間訓練飛行中、2機が行方不明となり、その後墜落しているのが発見され、パイロット2名が殉職した。9月、F-1戦技課程を終了。2000101日(2日?)、第3航空団隷下に新編された臨時F-2飛行隊でF-2の運用試験を開始。2001314日、F-1によるラストフライトを実施。321日、最後のF-1支援戦闘機2機が三沢基地を離陸して築城基地に向かった。327日にF-2への機種改変を終了し、F-1装備の第3飛行隊を廃止、臨時F-2飛行隊が第3飛行隊に改編され、航空自衛隊初のF-2飛行隊となった。シェルター運用も始めている。2004319日からF-2によるアラート任務を開始した。20076月、コープノース・グアム07-2F-2戦闘機8機で参加。201324-15日、F-2A戦闘機8機でコープノース・グアム13-1演習に参加。217日、コープノース・グアム13-1演習から帰投する際、7機は三沢基地に戻ったが、1機にトラブルが発生したらしく、百里基地に着陸した。201615日、F-2戦闘機6機とT-4練習機5機で初飛行訓練を実施。161350、北朝鮮による第4回核実験を受け、集塵ポッド搭載T-4練習機1機を離陸させた。210-26日、コープ・ノース・グアム16に参加。220日、アンダーセン基地オープンハウスでF-2A戦闘機を地上展示した。101日、三沢基地で創設60周年記念式典を実施。2017510日から75日まで、三沢基地の滑走路工事に伴い、F-2戦闘機とT-4練習機を松島基地や百里基地に展開した。93日、北朝鮮による第6回核実験を受け、1357に機上集塵器2型装備T-4練習機が離陸し、日本海上空を飛行して1516に着陸した。925日、F-2A戦闘機1機がアラート機交代のため牽引されていた際、三沢基地A5誘導路アーミングエリアで燃料漏れを起こした。2019527日から629日、F-2A戦闘機6機でレッドフラッグ・アラスカ19-2に参加。924日から104日、武士道ガーディアン19に参加。103日、三沢空港で管制塔から待機指示が出されていたF-2A戦闘機が滑走路に進入したため、着陸進入中で滑走路西端から2080m・高度190mに接近していたJAL2163便が着陸復行を余儀無くされた。国土交通省が重大インシデントに認定し、三沢市長が懸念を表明している。2020年度に第7航空団隷下に移って百里基地へと移動する予定だったが、1年前倒しされて2019年度の予定となった。2020115日、F-2戦闘機7機が百里基地に移動。325日、三沢基地でラストフライトを行い、第3航空団司令に隊旗を返還した。326日、第7航空団に編入され、正式に百里基地に移動し、百里基地で部隊改編式が行われ、第7航空団司令から隊旗を授与された。85日、河野防衛大臣が部隊を視察し、F-2B戦闘機の後席に同乗、茨城県沖E訓練空域で6G超え機動を含む1時間の飛行を体験した。記念パッチに”TARO”のTACネームを戴いている。98日、教導飛行群の教導訓練を受けた。その後F-2がマイナートラブルを起こしたらしく一部の機体が飛行停止処分となり、99日の教導訓練は中止されている。202189日、オリンピック閉会式警備のため、F-2戦闘機6機が警戒にあたった。824日、パラリンピック閉会式警備のため、F-2A戦闘機(AAM-3空対空ミサイル2発+AAM-4空対空ミサイル2発)2機が警戒にあたった。2022820日から98日、ピッチ・ブラック2022演習F-2A戦闘機5機で参加。116日、海上自衛隊創設70周年記念令和4年度国際観艦式F-2戦闘機3機で参加。1110-18日、F-2A/B戦闘機が米軍再編に係る移転訓練に参加し、三沢基地から百里基地に展開した第35戦闘航空団F-16C/D戦闘機12機と、共同訓練を行った。参考:月刊JWings6,1612,061,0411,076,084,115,163,1812,194,206,2010,'2012,'2011,'2111,'221,'232,'23、月刊航空情報2,10、月刊航空ファン5,131,1512,164,1711,1712,174,189,1912,19、月刊丸6,01、月刊軍事研究8,145,15、朝雲

 <第3飛行隊(2015年)>:北部航空方面隊第3航空団飛行群の隷下で、三沢基地に置かれている。F-2A/BT-4を装備する。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊航空ファン4,16

 <第3飛行隊(2020年)>:第7航空団隷下で、三沢基地にある。F-2A/BT-4を装備する。参考:月刊JWings6,20

第3防備隊>:日本海軍の防備隊。昭和16128日の太平洋戦争開戦時には第3根拠地隊の隷下だった。参考:帝国海軍太平洋作戦史T

第3方面軍(日本陸軍)

 <第3方面軍(昭和19年後半)>:関東軍隷下で、第4軍、第6軍、第107師団からなる。参考:比島決戦

第3補給処>:航空自衛隊の補給処で、航空機搭載用通信電子機器、BADGE用機器、フライト・シミュレータ、警戒管制レーダー、地上電波測定装置、気象器材、通信装置、写真器材、計測器などを担当する。照準器や精密測定機器の校正も行う。1962101日、第1補給処入間支処から改編されて入間基地で創設された。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。2015521日、入間市産業文化センターで平成27年度業務調整会議を実施。117390人の防衛関連企業関係者と全体会議や分科会を行った。201999日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。927日、保管部の空士長2名が入間市内で倒れている高齢男性を救助した。後に狭山警察署長から感謝状が贈呈されている。1013日から台風19号・21号被害の災害派遣に参加。2021311日、新型コロナウイルス対応の功績で、1級賞状が授与された。317日、補給本部が行った品質管理QCQuality Control)サークル第1回大会で、金賞と補給本部長賞を独占した。72日、QCサークル関東支部埼玉地区主催の小集団改善活動発表大会事務販売サービスJHS部門で、経営者協会会長賞と金賞を受賞した。2021930日、空自第5回品質管理QCサークル全国大会でシルバー賞を受賞した。参考:補給本部ホームページ、月刊JWings11,168,14、月刊軍事研究7,11MAMOR vol.52vol.155、朝雲

 <第3補給処(2015年)>:補給本部隷下で、入間基地に置かれている。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015

第3歩兵師団(機械化)>:アメリカ陸軍重師団。緊急展開部隊である第18空挺軍団所属で、湾岸地域への派遣回数が際立って多い。1996年、第24歩兵師団から改編されて創設された。参考:月刊軍事研究9,03

第3歩兵師団(イラク戦争時)>:第1・第3旅団(2個機械化歩兵大隊と1個戦車大隊)、第2旅団(2個戦車大隊、1個機械化歩兵大隊)、第4旅団(AH-64Dヘリ1個大隊からなる航空旅団)、師団砲兵、工兵旅団、師団支援群で構成され、3個旅団戦闘団を形成していた。兵力20000名以上で、M-1A1戦車247両、M-2/M-3ブラッドレイ264両、M109A6自走榴弾砲54両、MLRS18両、AH-64A/D戦闘ヘリ18機を装備する。20083202100頃、アメリカ陸軍第5軍団の一員としてクウェートからイラクに侵攻。321日夜、イラクに150kmほど喰い込んでナシリア郊外に到達。制圧は後続に任せてひたすら進撃した。322日、サマーワに到達。323日夕方、バグダッドの南140kmにあるナジャフに達した。付近にはメディナ戦車師団が展開しており、第101空挺師団のAH-64が攻撃を仕掛けたが防御陣を崩せず、325日からは砂嵐が吹き荒れて進撃が止まった。代わりにナジャフ南方でユーフラテス川にかかる橋を制圧したが、M-1A1戦車1両が砲塔後部のAPURPGを直撃されて火災を起こし、もう1両がブラッドレイの25mm機関砲を誤射されて機関室から火が出た。328日、天候が回復したため、ナジャフ攻略を第101空挺師団に任せて北上し、ユーフラテス川を渡河するためヒンディーヤに向かった。331日、第2旅団戦闘団がヒンディーヤで第23共和国防衛連隊と戦闘に入り、ユーフラテス川に掛かる橋を確保した。42日、第101空挺師団のAH-64による攻撃でメディナ戦車師団が撤退した後のカルバラを第1・第3旅団戦闘団が包囲、バグダッド攻略のためイラク軍の手薄なサルマン・アル・フサインでユーフラテス川を渡河することにし、1630に第1旅団戦闘団がサルマン橋を確保した。しかし橋を渡ったところでイラク砲兵から破砕射撃を喰らい、430300頃からイラク共和国防衛隊コマンドー大隊(北側から)とメディナ戦車師団第10戦車旅団(南側から)による挟撃を受けた。直ちに反撃した第1旅団戦闘団はT-72戦車18両とM113装甲車30両を撃破して第10戦車旅団の進撃を止め、コマンドー大隊は砲兵中隊の突撃破砕射撃とアメリカ空軍の近接航空支援で蹴散らした。夜明け頃に第2旅団戦闘団がサルマン橋に到達。昼に架橋工兵が浮橋を設置し、第3旅団戦闘団をカルバラ掃討のため後に残して第1・第2旅団戦闘団は橋頭堡を出撃、バグダッド西側を包囲に向かった(東側は海兵隊の担当)。第1旅団戦闘団は43日夜から4日にかけてサダム国際空港を制圧。第2旅団戦闘団は高速道路1号線・8号線の交差点(目標セインツ)を制圧し、更に南下してマハムディア(目標ボールドウィン)を攻略、T-72戦車33両、T-62戦車2両、T-55戦車19両、MTLB装甲車12両、火砲50門、BM-21カチューシャ6両などを撃破した。45日、第2旅団戦闘団は目標セインツからバグダッドに向け進撃し、サンダー・ランT作戦を実施。第1海兵遠征軍と共にバグダッドを包囲した。47日、第2旅団戦闘団がほぼ全力でサンダー・ランU作戦を実施。0720にシジュード宮殿に突入し、0756までに宮殿を制圧した。参考:月刊PANZER12,11、月刊軍事研究9,03

第3歩兵師団(2013年)>:第18空挺軍団隷下で、司令部はジョージア州フォート・スチュワートにある。隷下に第1重旅団戦闘団、第2重旅団戦闘団、第3重旅団戦闘団、第4歩兵旅団戦闘団、第3歩兵師団戦闘航空旅団、第3継戦旅団を置く。参考:月刊軍事研究7,12

第3歩兵師団(2015年)>:第18空挺軍団隷下で、司令部はジョージア州フォート・スチュワートにある。第1機甲旅団戦闘団、第2歩兵旅団戦闘団、第3戦闘航空旅団、第3歩兵師団砲兵(本部)、第3継戦旅団を隷下に置く。参考:月刊軍事研究5,16

第3ミサイル艇隊>:海上自衛隊のミサイル艇隊。2003年、佐世保地方隊隷下に新編された。200866日、PG-827くまたかが第1ミサイル艇隊に転出した。2012512-16日、PG-826おおたかが舞鶴で初の3個ミサイル艇隊合同隊訓練に参加。2013521日、PG-826おおたかが若狭湾でミサイル艇隊合同訓練に参加。参考:佐世保地方隊ホームページ、月刊世界の艦船8,13、月刊丸7,14、朝雲

第3ミサイル艇隊(2010年)>:佐世保警備隊隷下で、PG-826おおたか、PG-829しらたかを配備する。参考:月刊世界の艦船1,11

第3ミサイル艇隊(2015年)>:佐世保警備隊隷下で、PG-826おおたか、PG-829しらたかを配備する。参考:月刊世界の艦船6,15

第3ミサイル艇隊(2020年)>:佐世保警備隊隷下で、PG-826おおたかPG-829しらたかを配備する。参考:月刊世界の艦船6,20

第3輸送航空隊>:航空自衛隊の輸送航空隊。隠岐島からの患者空輸も行っている。1978331日、輸送航空団隷下に美保基地で新編され、第403飛行隊を隷下に入れた。1989316日、輸送航空団解隊に伴い、航空支援集団の隷下に入った。1995年、隷下に第41教育飛行隊が新編された。20091019日、野外行動訓練として島根県出雲市の平田延命地蔵尊環境整備を実施。2010412日、高度房室ブロックを起こした男性を松江赤十字病院医師と付添人と共にC-1輸送機で隠岐空港から美保基地まで輸送した。520日、くも膜下出血を起こした女性をC-1で隠岐空港から美保基地まで輸送した。526日、島根県知事からの災害派遣要請で、島根赤十字血液センターからの医療用血液400ml10本を第403飛行隊のC-1に積み込み、美保基地から隠岐空港まで輸送した。828日、鳥取県境港市で開催された第5回妖怪そっくりコンテストに第3輸送航空隊監理部長が子泣き爺で参加、境港商工会議所会頭賞を受賞した。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。31212400851?)、C-1で災害派遣医療チーム(DMAT30人を福岡から百里に輸送。315日、C-1で非常用食糧とパンを輸送した。3161004C-1で花巻と福島に飲料水を輸送した。3171257C-1で福島に救援物資を輸送。1346C-1で福島に救援物資を輸送。3180827C-1で花巻と松島に救援物資を輸送。319日、C-1で花巻に救援物資を輸送。3201034C-1で花巻、福島、松島に救援物資を輸送。321日、T-400により福岡から小牧まで2名、防府から小牧まで1名の人員輸送を実施。3220912C-1により美保/福岡から松島/花巻に救援物資を輸送した。3230907C-1で松島に救援物資を輸送。3240919C-1で救援物資を福島に輸送。3251051C-1で救援物資を松島に輸送。3260851C-1で救援物資を松島と福島に輸送。3271032、福島と松島に救援物資を輸送。3281120C-1で福岡と千歳から松島まで救援物資を輸送した。3290920C-1で救援物資を松島に空輸した。3301054C-1で救援物資を松島に輸送した。3311114、救援物資を福島と百里に輸送。411001、救援物資をC-1で松島と福島に輸送。421016C-1で救援物資を福島と松島に輸送。430949、美保から花巻までC-1により救援物資のマスクを輸送した。20121021日、不測事態対処訓練として用途廃止のC-1を使用した破壊訓練を実施。胴体の非常時破壊個所に穴を開けて乗員を救助する訓練を行った。1030-31日、用途廃止になったC-1輸送機5号機の解体作業を行った。20131016日から118日、伊豆大島で台風26号豪雨の災害派遣に参加。2014117日、伊豆大島災害派遣で消防庁長官から感謝状が贈呈された。124日、基地業務隊が平成25年度調理競技会を実施。業務隊給養小隊が3チームに分かれて腕を競った。109日、美保基地で国土交通省主催の航空機事故対策総合訓練に参加。2016414日と16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。1021日に発生した鳥取県中部地震の災害派遣に参加。201714日、C-1輸送機4機とT-400練習機10機で飛行始め行事を実施。25日、第22回西日本雪合戦大会で整備補給群装備隊チームが優勝した。328日、第403飛行隊にC-2輸送機量産型3機が配備された。830日、20年間(1997716日から2017715日まで)地上無事故の功績により、整備群補給隊が航空支援集団司令部から地上安全褒賞を授与された。111日、C-2輸送機量産型1機が配備された。118-17日、C-2による初の国外運航訓練を実施。ジブチ共和国までの往復で、量産型初号機が美保基地、タイのウタパオ海軍基地、インドのムンバイ、ジブチ共和国、UAEのドバイ(ドバイ航空ショーに参加)、インドのベンガルール、シンガポールのパヤレバー空軍基地、美保基地という経路で飛行した。1125日から121日、ニュージーランドのクライストチャーチ国際空港とオーストラリアのリッチモンド空軍基地への国外運航訓練を実施。美保基地、グアム、オーストラリアのアンバリー、クライストチャーチ国際空港、ニュージーランドのウェリントン(体験飛行を実施)、リッチモンド空軍基地、グアム、美保基地の経由で飛行し、ニュージーランド空軍第40飛行隊、オーストラリア空軍第84航空団などとの部隊間交流も行った。201814日、飛行始め行事を実施。午前中は第1整備格納庫でC-1輸送機、C-2輸送機、T-400練習機に献酒し、午後はC-2T-400で訓練飛行を行った。131日、第403飛行隊がC-2輸送機で初の航空輸送任務を実施。312-19日、C-2輸送機1機と隊員15名で国外運航訓練(パールハーバー・ヒッカム統合基地、イリノイ州スコット空軍基地、カリフォルニア州トラビス空軍基地、アンダーセン空軍基地)を実施。315日、美保基地で行われた7府県災害派遣医療チーム実地研修を支援した。517日、ニュージーランド空軍司令官デイヴィーズ少将がC-2輸送機を視察した。72日、女性自衛官4名が鳥取地本の総員広報を支援し、広報用ポケットティッシュを女子高生らに手渡した。75-8日に発生した西日本豪雨の災害派遣に参加。96日に発生した北海道胆振東部地震の災害派遣に参加。107日、岡山桃太郎空港で行われた空の日フェスタにC-2輸送機で参加。1018-26日、平成30年度航空総隊総合訓練(実動訓練)に参加。121-8日、日印共同訓練シンユウ・マイトゥリ18C-2輸送機1機と第403飛行隊長以下20名で参加。201924日、整備補給群総務人事班が平成30年度空自働き方改革推進のための取り組みコンテストで特に優秀と認められ、丸茂空幕長から表彰状が授与された。224日から35日、隊員16名とC-2輸送機1機で国外運航訓練を実施。フィリピンのマクタン・セブ国際空港、オーストラリアのアヴァロン国際空港(オーストラリア国際航空ショー・アヴァロン航空ショーに参加しオーストラリア空軍や他国空軍と部隊間交流)、フィジー共和国のナンディ国際空港(フィジー軍などと部隊間交流)、グアム国際空港に寄航した。711日、プロフェッショナル・エアマンシップ・プログラムに協力した。828日に発生した佐賀県豪雨の災害派遣に参加。99日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。106日、鳥取砂丘コナン空港フェスタ2019C-2輸送機を展示した。1013日から台風19号・21号被害の災害派遣に参加。1210日、クリスマスドロップ2019を実施。2020131日から38日、日米豪共同訓練に参加。212-26日、日米豪人道支援・災害救援共同訓練に参加。71日、隊員自主募集の功績で、丸茂空幕長から第5級賞状を授与された。88日、河野防衛大臣をC-2輸送機で入間基地から与那国空港に輸送した。824-28日、北海道周辺で行われた在日米空軍との共同訓練(米軍再編に係る航空機移転訓練)にC-2輸送機1機で参加。829日にアメリカのエスパー国防長官と会談する河野防衛大臣を乗せ、C-2輸送機で入間基地とアンダーセン空軍基地を往復した。1121日、大分地本に協力し、募集対象者26人にC-2輸送機体験搭乗を実施。1215日、第405飛行隊が隷下に新編された。

2021118日から228日、コープ・ノース21に隊員100名とC-2輸送機1機で参加。37日、C-2輸送機体験搭乗を実施。38日、アジア太平洋方面に於ける航空路と地域特性把握及び国際緊急援助活動などの任務遂行能力向上のため、国外運航訓練に参加し、C-2輸送機1機と隊員13名がベトナムのタンソンニャット国際空港を目的地とする運航訓練を行った。1028日、C-2輸送機1機が那覇市北西の東シナ海上空で日米共同訓練に参加。1029日、第41教育飛行隊が第1航空団の隷下に移った。118-19日、C-2輸送機1機と隊員20名が国外運航訓練に参加。経路は美保基地−マレーシアのクアラルンプール国際空港−UAEのアール・マクトゥーム国際空港で、1110-17日にはドバイ・エアショーに参加している。2022119日から34日、コープ・ノース・グアム22に参加。120日から217日、トンガ海底火山噴火国際緊急援助活動に参加。227日から310日にダルマ・ガーディアン21に参加した隊員と装備をC-2輸送機で輸送した。830700、北海道知事から航空支援集団司令官に緊急患者空輸を目的とする災害派遣要請が発出されたため、航空機動衛生隊機動衛生ユニット搭載C-2輸送機で患者を千歳基地から羽田空港に輸送した。これがC-2輸送機搭載機動衛生ユニットによる初患者搬送である。1019-20日、C-2輸送機による国外運航訓練を行い、ラオス人民民主共和国ワットタイ国際空港に寄航した。2023123日から34、コープ・ノース・グアム23に参加。31-2日、シンユウ・マイトゥリ23に参加。526日から71日、レッドフラッグ・アラスカ23C-2輸送機1機で参加。821日から92日、アンダーセン空軍基地とオーストラリアのティンダル空軍基地・ダーウィン空軍基地で、F-35A戦闘機のアメリカ・オーストラリアへの機動展開訓練に参加。C-2輸送機1機が、第3航空団F-35A戦闘機4機、第1輸送航空隊C-130H輸送機1機・KC-767空中給油輸送機1機、第2輸送航空隊C-2輸送機1機と、長距離航法及び空中給油訓練を行った。

2024117日と19日、沖縄周辺区区域で日米共同訓練に参加。KC-46A空中給油輸送機2機が、第9航空団F-15戦闘機27機、警戒航空団E-767早期警戒管制機1機・E-2C早期警戒機2機、南西航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍F-35A戦闘機10機と、各種戦術訓練を行った。

参考:MAMOR vol.52vol.155、月刊航空ファン6,111,1511,166,177,172,184,189,182,1910,193,20、月刊JWings10,191,142,184,1810,185,1911,191,204,204,'215,'211,'224,'2210,'221,'234,'239,'2311,'234,'24、朝雲

第3輸送航空隊(2007年度)>:航空支援集団隷下で、ホームベースは美保基地。隷下に第403飛行隊、第41教育飛行隊を置く。参考:月刊JWings6,07

第3輸送航空隊(2010年)>:航空支援集団隷下で、美保基地に置かれている。隷下に第403飛行隊(C-1YS-11P/NT)、第41教育飛行隊(T-400)を置く。参考:月刊航空ファン4,10

第3輸送航空隊(2015年)>:航空支援集団隷下で、隊本部は美保基地に置かれている。隷下に飛行群第403飛行隊、同第41教育飛行隊、整備補給群、基地業務群を置く。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015

第3輸送航空隊(2020年)>:航空支援集団隷下で、美保基地にある。第403飛行隊、第41教育飛行隊などを隷下に置く。1215日、隷下に第405飛行隊が新編された。参考:月刊JWings6,205,21

第三吉田丸>:山下汽船ストックボートYoshida maru No.3。垂線間長109.73m、幅15.54m、深さ8.67m、吃水7.04m、総トン数4646トン、重量トン数6560トン。主機は三連成汽機1基1軸2438馬力、航海速力9.5ノット、最大速力12.6ノット。大正71218日竣工。太平洋戦争で陸軍輸送船として使用された。昭和19824日、モタ二三船団の一員として門司から高雄に向かっていたところ、台湾北東135kmSS-396ロンキルの雷撃を受け沈没した。参考:月刊世界の艦船5,17

<第3陸軍事前集積備蓄>:APS-3を参照。

第3陸曹教育隊>:陸上自衛隊の陸曹教育隊で、東部方面隊隷下にある。モットーは「俺に続け、俺を見よ」。195275日、新町駐屯地で新編された。19603月、駒門駐屯地に移駐した。19827月、板妻駐屯地に移駐した。19728月、上級陸曹教育中隊が新編された。2012213日、板妻駐屯地で人命救助システム取り扱い教育訓練を実施。各教育中隊と隊本部要員から隊員30名が参加した。2013109日、板妻駐屯地で日韓下士官交流を実施。陸自から東部方面隊、第3陸曹教育隊、第34普通科連隊などの最先任上級曹長6名、韓国陸軍から主任元士、行事支援官、在日武官の3名が参加した。参考:板妻駐屯地ホームページ、MAMOR vol.60、朝雲

 <第3陸曹教育隊(2015年)>:隊本部(総務科、訓練科、管理科)、共通教育中隊(陸曹候補生課程、初級陸曹特技課程「基礎英語」)、第1普通科教育中隊(陸曹候補生課程、初級陸曹特技課程「迫撃砲」、同課程「対戦車誘導弾」)、第2普通科教育中隊(陸曹候補生課程、初級陸曹特技課程「軽火器」、一般陸曹候補学生課程「後期」)、上級陸曹教育中隊(陸曹上級課程)からなる。参考:板妻駐屯地ホームページ

<第三龍虎隊>:龍虎隊を参照。

第3連合航空隊>:日本海軍の連合航空隊で、南支を担当する。昭和131215日に新編され、第14航空隊と高雄海軍航空隊を隷下に置いた。昭和146月、高雄海軍航空隊を中支に進出させ陸軍の汕頭攻略作戦を支援。8月から仏印経由の援蒋ルートを叩くため、桂林、柳州、梁山への空襲を開始。10月、陸軍の南寧攻略作戦を支援。1031日、高雄海軍航空隊が中支作戦を終えて南支作戦に復帰。1115日、第15航空隊が隷下に入った。1222日、第15航空隊陸攻24機で桂林を空襲。1231日、第15航空隊陸攻27機で柳州飛行場を爆撃。昭和1595日の百一号作戦終了に伴い、第15航空隊が原隊に復帰した。参考:月刊航空ファン9,1711,173,18

<第3.5世代戦車>:戦車を参照。

 

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