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第6移動警戒隊>:航空自衛隊の移動警戒隊。198510月、浜松南基地で新編された。20043月に廃止された。参考:浜松基地ホームページ

第6海軍燃料廠>:日本海軍燃料廠で、農産物からアルコールを造るのが主任務である。昭和194月に台湾で創設された。参考:月刊世界の艦船9,13増刊

第6回天隊>:日本海軍の基地回天隊。高知県に配備された。参考:月刊丸8,'15別冊

第6海兵遠征旅団>:アメリカ海兵隊の海兵遠征旅団。1983年、第2海兵遠征軍隷下にノースカロライナ州キャンプ・レジューンで新編された海上事前集積部隊展開海兵遠征旅団で、当初は第6海兵水陸両用旅団(6MAB)という名称だった。1988年、第6海兵遠征旅団に改称された。2004年に解隊された。参考:月刊軍事研究7,12

第6海洋>:日本海軍海洋型観測船。昭和18年竣工。昭和19年、潜水艦の攻撃を受けて沈没した。参考:小艦艇入門

<第6型>:ホランド型改(潜水艦)を参照。

第6艦隊(アメリカ海軍)>:アメリカ海軍艦隊で、地中海、黒海、バルト海、東大西洋を担当する。実戦部隊で、艦隊自体が1つのタスクフォースを形成しており、隷下にタスクグループ(任務群)、タスクユニット(任務隊)を置く。司令部はLCC-20マウント・ホイットニーに置かれている。200110月、大西洋の一部が担当海域に入った。20059月、在欧米海軍司令部と第6艦隊司令部が統合された(司令部の場所は違うので、要員のみ兼任しているらしい)。2007年、第6艦隊司令官が在アフリカ米海軍副司令官を兼任することになった。2016324日、隷下にヨーロッパでのミサイル防衛が専任の第64任務部隊(CTF64)を新編した。参考:月刊軍事研究11,121,01、月刊丸12,92、月刊世界の艦船3,126,16

 <第6艦隊(アメリカ海軍、2012年)>:USEUCOM隷下の海軍部隊で、司令部はイタリアのガエタにある。常備艦船は旗艦のLCC-20マウント・ホイットニーのみで、他は担当海域に入ってきた艦船を適宜組み込む。隷下に第60駆逐隊、第60任務部隊司令部(60CTF。空母打撃群担当)、第61任務部隊司令部(揚陸打撃群担当)、第62任務部隊司令部(海兵隊担当。1個MEU配備)、第63任務部隊司令部(軍事海上輸送コマンド部隊、補給整備担当)、第64任務部隊司令部(SSBN担当)、第66任務部隊司令部(対潜戦部隊担当)、第67任務部隊司令部(洋上監視偵察部隊担当)、第68任務部隊司令部(特殊作戦部隊担当)、第69任務部隊司令部(SSN担当)を置く。参考:月刊軍事研究11,12、月刊世界の艦船5,14

第6艦隊(日本海軍)>:日本海軍の艦隊。潜水戦隊を統合する艦隊として昭和151115日に連合艦隊隷下に新編され、第1・第2艦隊隷下の潜水戦隊が全て編入された。司令長官は平田昇中将、旗艦は香取。主任務は艦隊決戦前の漸減作戦で、水上を高速航行して敵主力艦隊の前方に進出、雷撃を仕掛ける。昭和1651日、司令部が独立となった。昭和16128日の太平洋戦争開戦時には潜水艦29隻を有し、連合艦隊先遣部隊として潜水艦作戦を担当、真珠湾攻撃で哨戒と甲標的による奇襲を行った。1220日、潜水艦9隻からなる先遣支隊がアメリカ西岸で海上交通破壊作戦を開始。1222日、パナマ運河を大西洋艦隊戦艦2-3隻が通航して太平洋を北上しているとの情報を受け、先遣支隊伊9、伊17、伊25が向かったが、発見できなかった。1225日、アストリア、モントレー、ユーレカなど8都市を潜水艦で砲撃する予定だったが、直前に連合艦隊から1227日以降に延期する旨の連絡が入った。その後先遣支隊の残燃料が乏しくなり、都市砲撃は行われず先遣支隊はクェゼリンに帰投している。海上交通破壊作戦では撃沈・着底5隻、大破5隻の計64669トンの戦果を挙げた。昭和171月中旬、先遣支隊の編成が解かれた。131日明け方、クェゼリン島が空襲を受け、香取に座乗中の艦隊司令長官が重傷を負った。昭和19217日、トラック大空襲で旗艦平安丸が撃沈されたため、司令部はトラック環礁の陸上に上がった。66日、艦隊司令長官高木武雄中将がサイパン島に進出。75日、サイパン島から高木中将が最後の電報を発信。78日、部隊はサイパン島で玉砕した。1020日、比島沖海戦に参加。昭和20130日、第631航空隊が隷下に入った。参考:日本潜水艦物語、日本海軍艦隊総覧、戦時用語の基礎知識、第2次大戦日本海軍作戦年誌、帝国海軍太平洋作戦史T、潜水艦気質よもやま物語、続潜水艦気質よもやま物語、月刊丸6,01、比島決戦

 <第6艦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:司令長官は清水光美中将。建制上は連合艦隊隷下で、旗艦は練習巡洋艦香取。第1・第2・第3潜水戦隊、補給部隊(新玉丸、隠戸、東亜丸)からなる。参考:日本海軍艦隊総覧、帝国海軍太平洋作戦史T、月刊世界の艦船9,14、日本潜水艦物語、帝国陸海軍事典

第6機甲師団(イギリス)>:イギリス陸軍の機甲師団。1940912日に新編され、2個機甲旅団などを配下に置いた。194261日に改編され、1個機甲旅団と1個自動車化歩兵旅団などが隷下となった。715日、国防軍予備から第1軍第5軍団の隷下に移った。1122日、北アフリカ戦線に派遣された。1943118-25日、チュニジアでボ・アラダの戦闘に参加、ドイツ国防軍を阻止。47-11日、ドイツ国防軍後衛のウルフ戦隊を捕捉撃滅。55-12日、チュニジアの最終戦闘に参加。724日に改編され、1個機甲旅団、1個自動車化歩兵旅団、1個機甲偵察連隊が主力となった。1944318日、イタリア戦域に派遣された。518-30日、リリ河付近のドイツ国防軍防衛線を攻撃。74-17日、アレッツォを制圧。810日、ゴシック防御線前面に到達。825日から922日、ゴシック防御線にフタ・ギャップを確保。1945413-21日、レノ河付近のアルジェンタ・ギャップの戦闘に参加。59日から831日、オーストリアで占領業務を担当。参考:月刊グランドパワー1,01

第6機甲師団(ドイツ国防軍)>:ドイツ陸軍機甲師団。19425月、フランスのブルターニュに移動して再編成を受け、第6自動車化狙撃兵旅団本部を廃止、第6オートバイ狙撃兵大隊と第57機械化偵察大隊を統合して第6機甲偵察大隊を創設し、第11戦車連隊の戦車を35(t)/38(t)式戦車200両からドイツ製戦車159両(U号戦車21両、V号戦車75両、W号戦車短砲身型30両、同長砲身型24両、V号指揮戦車9両。大隊数は3個から2個に減少)に変更、第76機甲野戦砲兵連隊第1大隊をヴェスペ自走榴弾砲18両で、第41戦車駆逐大隊第1中隊をマルダーU自走対戦車砲12両で自走化し、第57機甲工兵大隊の一部をU号戦車とSd.Kfz.251で機械化した。参考:月刊PANZER5,83

 <第6機甲師団(1942年5月)>:師団司令部/司令部中隊、指揮班、オートバイ連絡小隊、自動車化地図印刷小隊、第11戦車連隊、第41戦車駆逐大隊、第6機甲偵察大隊、第82機甲通信大隊、第4自動車化てき弾兵連隊、第114機甲てき弾兵連隊、第76機甲野戦砲兵連隊、第298軍直轄高射砲大隊、第57機甲工兵大隊、第57自動車化補充大隊、第57自動車化補給大隊、第57自動車化衛生隊、第57自動車化修理工場隊、第57自動車化管理隊、第57自動車化憲兵隊、第57自動車化経理小隊からなる。参考:月刊PANZER5,83

第6基地防空隊>:航空自衛隊の基地防空隊。20043月、小松基地で新編された。2021222-26日、令和2年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。20221128日、PAC-3及び基地防空用地対空誘導弾(11式短SAM)機動展開訓練に参加。第12高射隊と共に福井県おおい町長井浜海水浴場に展開し、撤収までを訓練した。参考:小松基地ホームページ、月刊JWings2,'23、朝雲

 <第6基地防空隊(2015年)>:第6航空団隷下で、小松基地に置かれている。短SAM、携SAMVADSを装備する。参考:月刊航空ファン4,16

第六共栄丸>:日本の油槽船。総トン数1179トン。第十南進丸、第三弥栄丸、第八弥栄丸、第十南興丸、第十共栄丸と共にボルネオ島ミリから石油還送(計16500キロリットル)を行うことになり、昭和2014日に護衛の海防艦1隻・駆潜艇5隻と共に高雄を出港した。16日、ルソン島ボヘヤドール岬沖でアメリカ艦上機(第1波30機・第2波130機)の攻撃を受けて沈没した。参考:戦時標準船入門

第6京丸>:日本海軍特設駆潜艇Kyo maru No.6。元は極洋捕鯨の捕鯨船である。垂線間長40.57m、幅8.2m、深さ4.3m、吃水3.97m、総トン数341トン。主機は三連成汽機1基1軸1277馬力、航海速力10ノット、最大速力14.401ノット。昭和13810日竣工、その後徴用された。昭和181127日、マーシャル諸島ナモ環礁で座礁して放棄された。参考:月刊世界の艦船11,16

<第6駆逐艦>:早苗を参照。

第6駆逐隊(日本海軍)>:日本海軍の駆逐隊。昭和121020日、第4艦隊第4水雷戦隊の隷下に入った。115日、第2次上海事変の第10軍杭州湾上陸作戦を支援した。昭和171113日、第3次ソロモン海戦に参加(暁、雷、電)。昭和18327日、アッツ島沖海戦に参加(雷、電)。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊世界の艦船7,11、日本海軍艦隊総覧

 <第6駆逐隊(昭和9年)>:第2水雷戦隊隷下で、雷、電、響を配備する。参考:帝国陸海軍事典

 <第6駆逐隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第1水雷戦隊隷下で、駆逐艦雷、電、響、暁を配備する。兵力部署では第1小隊(響、暁)は南方部隊本隊に所属する。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、月刊世界の艦船9,14、帝国陸海軍事典、日本海軍艦隊総覧

第6軍(日本陸軍)>:

 <第6軍(昭和19年後半)>:第3方面軍隷下で、第119師団などからなる。参考:比島決戦

第6軍団(イラク)

 <第6軍団(湾岸戦争時)>:イラク南西地域からクウェート中央地域にかけての国境防御にあたっていた。第1機械化歩兵師団、第6戦車師団、第16・第20・第21・第30歩兵師団からなる。参考:月刊グランドパワー3,95

第6軽機甲師団(フランス陸軍)>:フランス陸軍軽機甲師団、別名ダジェ(雄鹿)。地域紛争に即応するため新編した緊急展開軍の隷下にある。1990-91年、湾岸戦争に参加。2021511-17日、陸上自衛隊及びアメリカ海兵隊との共同実動訓練ARC21に参加。参考:月刊グランドパワー3,95、月刊軍事研究12,08、月刊JWings7,21

 <第6軽機甲師団(デザート・シールド作戦時)>:対機甲戦闘力と砲兵支援能力強化のため、他の戦闘師団から兵力を抽出し、定員を7500名から12000名に増強、1990929日にサウジに展開した。ただ港から展開地点まで1500kmも離れており、兵站部隊2200名とVLTR大型輸送トラクター250両、輸送車55両、戦車輸送車をフル稼働させ、一週間かけて運搬している。当初は多国籍軍指揮下に置かれることを拒否してミッテラン大統領の指揮統制を受けることとしており、イラク軍がサウジに侵攻した場合はサウジ軍の作戦統制下で行動する予定だったが、1991120日に第18空挺軍団の隷下に入った。第1-6戦闘ヘリコプター連隊(第1-3軍団、第4空中機動師団から増強)、第6指揮兵站管理支援連隊、第1外人部隊騎兵連隊(機甲偵察)、第1スパッヒ連隊(機甲偵察)、第1落下傘騎兵連隊(機甲偵察。第11空挺師団から増強)、第9海兵歩兵偵察連隊(機甲偵察。第9海兵師団から増強)、第4竜騎兵連隊(機甲。第10機甲師団から増強)、第2外人部隊歩兵連隊(機械化)、第2海兵歩兵連隊(機械化。第9海兵師団から増強)、第3海兵連隊(機械化。第9海兵師団から増強)、第21海兵歩兵連隊(機械化)、第11海兵砲兵連隊(牽引。第9海兵師団から増強)、第35落下傘砲兵連隊(防空。第11空挺師団から増強)、第6外人部隊工兵連隊からなる。参考:月刊グランドパワー3,95、月刊軍事研究12,08

第6軽機甲師団(デザート・セイバー作戦時)>:アメリカ第18空挺軍団に配属され、最も左翼に位置した。また、第82空挺師団第2戦闘旅団(第325空挺歩兵連隊3000名が主力)と第18野戦砲兵旅団(野砲90門、MLRS18両)の増強も受けている。兵力12200名で、AMX30B2戦車44両、AMX10RC偵察車96両、ERC90偵察車24両、VAB装甲車480両、VAB-HOT対戦車車両24両、155mm榴弾砲18門、SA342ガゼル対戦車ヘリ70機、SA341偵察ヘリ28機、SA330ピューマ輸送ヘリ44機を装備する。第82空挺師団第2戦闘旅団を挟んで左翼にウエスト戦闘団の第1外人部隊騎兵連隊、第1スパヒ連隊、第2外人部隊歩兵連隊、第1空挺フッサール連隊第3中隊、第3戦闘ヘリコプター連隊、第11海兵砲兵連隊を、右翼にイースト戦闘団の第4竜騎兵連隊、第3海兵歩兵連隊、第1空挺フッサール連隊第1中隊、第1戦闘ヘリコプター連隊を配置、師団直属部隊として第2海兵歩兵連隊、コマンドー部隊、第6外人部隊工兵連隊、第6兵站支援連隊を置き、空軍からクロタル防空班も配属した。任務は、サウジアラビアのラフハからイラクのサルマンに通じる道路を補給幹線道路テキサスとして確保すること、イラクのサルマン北空港を占領して補給基地を設置すること、第7軍団の西側側面及び背後を守ることである。正面にはイラク軍第45歩兵師団が展開していたが、士気は低く、主な脅威は戦車37両と野砲36門であった。抵抗が予想されるのは、国境から北に40kmの地点(攻撃目標ロシャンボーと命名)に配置された2個旅団と、サルマン北空港周辺(攻撃目標ホワイトと命名)に配置された残りの部隊であり、前者はイースト戦闘団及び第82空挺師団第2旅団、後者はウエスト戦闘団で攻撃をかけることにした。223日、戦術集結地から攻撃発起地点に移動。偵察部隊がイラク領内への侵入を開始。2240400、攻撃準備射撃を開始し、工兵が突破口を確保してイラク領に侵入。0545、戦車及び装甲車、SA342ガゼル対戦車ヘリも進撃を開始した。石混じりの硬い砂漠でパンクの危険があったため、進撃ペースは予定よりも遅くなったが、イースト戦闘団と第2旅団はイラク軍第9軍団第45歩兵師団の全般前哨と戦闘前哨を突破、0830-1200にイラク軍第84歩兵旅団及び戦車隊をA-10攻撃機の支援も受けて撃退、攻撃目標ロシャンボー(イラク軍通信基地)の前面に到達した。しかし配給を1日あたりスプーン5杯の米とコップ1杯の水しか受けていなかったイラク軍兵士が次々と降伏、捕虜が2000名を超えて前進が困難となり、暗視装置の不足で夜間戦闘能力も持ち合わせていなかったため、ロシャンボーの制圧は翌日に回すこととした。ウエスト戦闘団はロシャンボーを迂回してホワイトに直行、バンカーや装甲車、トラックを蹴散らして一路北上した。2250530、イラク軍の突撃破砕射撃を受けたが、第18野戦砲兵旅団の反撃で粉砕。AMX-30B2戦車がロシャンボーを防衛するT-55戦車を撃破し、1400にロシャンボーに突入、イラク軍第45歩兵師団主力を蹴散らして制圧した。その後、攻撃目標ホワイトの制圧のため付近に前進したが、悪天候のため制圧作戦は翌朝に延期した。2260630、イラク軍第45歩兵師団の1個歩兵旅団が防御する攻撃目標ホワイトの制圧作戦「プリンセス」を開始。視程500mという悪天候の中、サルマン市街と空港を制圧した。227日、航空戦力の援護下にサルマン・サマーワ間の警戒線を確保。また、イラク軍第45歩兵師団の残余部隊を掃討し、任務を完了した。戦果は戦車30両、装甲車20両、装輪車両120両以上、火砲140門、捕虜3000名。損害は戦死2名、負傷者35名。参考:月刊軍事研究12,081,098,09、月刊グランドパワー4,95

第6原潜師団>:ソ連海軍の705K型原潜運用師団で、1978年に北洋艦隊で編成された。1979年には671RT型数隻と685型が配備されたが、1981年からは運用効率を考えて705K型のみの編成となった。1992年に解隊。参考:ソ連/ロシア原潜建造史

第6航空軍(日本陸軍)>:日本陸軍の航空軍。昭和204月、航空総軍の隷下に入った。参考:太平洋海戦史

 <第6航空軍(昭和19年後半)>:防衛総司令部隷下で、第10飛行師団、第11飛行師団、第12飛行師団からなる。参考:比島決戦

第6航空戦隊>:日本海軍の航空戦隊。昭和151115日に編成された。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

第6航空隊>:日本海軍の戦闘機航空隊。昭和17410日(1日?)、千葉県木更津市で新編され、第26航空戦隊の隷下に入った。要員は台南航空隊及び第3航空隊のベテランパイロット少数と、新兵である。定数は艦戦60機、陸偵8機だったが、編成時には6機しか配備されていなかった。418日、日本本土奇襲作戦の際に零戦12機で反撃に向かったが、敵を発見できずに引き返した。520日、保有機が零戦33機となった。ミッドウェイ海戦時、赤城に6機、加賀に10機、蒼龍に3機、飛龍に3機が搭乗し、新人パイロットも整備員と共に輸送船に乗って出撃、ミッドウェイ島占領後に同島に展開する予定だった。また、隼鷹にも12機が搭載され、アリューシャン作戦参加後にミッドウェイ島に向かうことになった。64日、隼鷹搭載機7機がダッチハーバーを攻撃。65日、隼鷹搭載機がダッチハーバーを攻撃し、P-40戦闘機3機とPBY飛行艇2機を撃墜した。ミッドウェイ海戦では赤城の3機が母艦直衛任務で5機を撃墜したが、空母が全て沈んでしまい、パイロットはトラック経由で木更津に戻った。87日にアメリカ軍がソロモンに侵攻してきたため、反撃に向かうことになり、若年搭乗者は本土に残してベテランを出発させることにした。819日、零戦18機がラバウルを目指し出撃、硫黄島、サイパン、トラックを経由して821日にラバウルに到着し、94日からガダルカナルでの空戦に参加した。次いで9月に零戦27機が空母瑞鳳でラバウルに向かい、10月初めまでにラバウルに展開したが、途中でエンジン故障により1機が海上不時着水、悪天候により2機が行方不明になった。107日に整備隊及び基地隊が到着、ラバウル航空戦に本格的に参入した。108日、ブイン基地に前進。1011日、ガダルカナル島砲撃作戦に参加した第6戦隊を護衛したが、悪天候で7名のパイロットを失った。111日、第204航空隊に改編された。参考:日本海軍戦闘機隊、ラバウル航空戦、月刊航空ファン7,19

第6航空隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の航空隊で、海自初のP-3C部隊である。1983330日、P-3C運用航空隊として第4航空群隷下に厚木航空基地で新編された。2002511日から816日、平成14年度派米訓練にP-3C哨戒機8機と隊員170名で参加。2008326日の改編で第3航空隊に統合され、解隊された。参考:月刊JWings12,10、月刊航空情報8,02、月刊航空ファン11,92、月刊丸1,'15別冊、厚木航空基地ホームページ

第6航空団>:航空自衛隊の航空団。196121日、臨時小松派遣隊として小松基地で創設された。51日、第8飛行隊が隷下に入った。517日、第4飛行隊が隷下に入った。715日に小松基地で正式発足し、この時は第4飛行隊と第8飛行隊を隷下に置いていた。1964121日、第8飛行隊が第82航空隊に移った。1965331日、第205飛行隊が隷下に新編され、第8飛行隊が岩国に移って第82飛行隊となった。19732月、滑走路工事に伴い、第205飛行隊が第7航空団に移った。1021日、第205飛行隊が復帰。1975630日、第4飛行隊が解隊された。19761026日、第303飛行隊が新編された。1981630日、第205飛行隊が解隊され、第306飛行隊が新編された。2009727日から87日まで、所属するF-15戦闘機4-8機が、アメリカ空軍第909空中飛行隊のKC-135給油機1機、航空自衛隊E-767AWACS1機と共に空中給油訓練(昼間及び夜間)を実施。アメリカ空軍第95戦闘飛行隊からもインストラクターパイロットが参加し、F-15に同乗してサポートにあたった。102-17日、レッドフラッグ・アラスカ10-1F-15J/DJ戦闘機6機で参加。1114-20日、米軍再編に伴う岩国・三沢両飛行場から小松基地への訓練移転に参加。201065-18日、アメリカ海兵第12飛行大隊と共同訓練を実施。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。1505F-15J戦闘機2機を離陸させた。313日、福島第二原発で給水作業を実施。520日から那覇基地と周辺空域でアメリカ軍KC-135空中給油機との給油訓練を実施。201215日、第303飛行隊、第306飛行隊、小松救難隊が小松基地で平成24年の初訓練を実施。68-23日、レッド・フラッグ・アラスカに参加。925日、平成24年度優良提案褒章授賞式で、「フラップ・ヒンジ交換作業用治具の製作」を行った整備補給群修理隊(小松)の4名が褒章状とメダルを授与された。20134130533頃、兵庫県淡路島付近を震源とするマグニチュード6.3の地震が発生し、震度6弱を観測したため、0546から情報収集を行った。75-20日、F-15戦闘機5機が那覇基地と周辺空域で日米共同空中給油訓練に参加。127-14日、米軍再編に係る嘉手納基地から小松基地への訓練移転に伴う日米共同訓練に参加。201417日、小松基地で初飛行訓練を実施。117-20日、キーン・ソード15の一環として、第7航空団、中部航空警戒管制団、アメリカ空軍第35戦闘航空団などと戦闘機戦闘訓練を実施。1122日に発生した長野県北部を震源とする地震の被害偵察のため、F-15戦闘機2機を発進させた。2015127日から312日、グアム、サイパン、テニアン、ロタ島、フュラロン・デ・メディニラ空対地射爆場で日米豪共同訓練及び日米豪共同人道支援・災害救援共同訓練に参加。261025頃、徳島県南部でマグニチュード5.0の地震が発生し、最大震度5強を観測したため、情報収集を行った。818日、王城寺原演習場で行われた平成27年度実爆を伴う滑走路被害復旧訓練に参加。918日、チリ中部沖地震による津波警報発令に伴い、F-15戦闘機1機で情報収集を実施。2016210-26日、コープ・ノース・グアム16に参加。37-18日、米軍再編に係る岩国飛行場から航空自衛隊小松基地への訓練移転(共同訓練)に参加。414日と16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。725-29日、米軍再編に係る嘉手納飛行場から小松基地への訓練移転(共同訓練)にF-15戦闘機4機で参加。1031155頃、訓練飛行を終えて小松基地に帰還する途中のF-15戦闘機が機体トラブルを起こし、小松基地に緊急着陸した。小松空港との共用滑走路が25分間閉鎖されて民間便1便が遅れる影響が出ている。ブレーキ系統のトラブルらしい。114日、平成28年度富山県国民保護共同訓練に参加。12282138頃、茨城県北部を震源とするマグニチュード6.3の地震が発生したため、F-15戦闘機2機で情報収集を実施。201761-2日、F-15戦闘機が日本海でDDH-181ひゅうが、DDG-178あしがら、CVN-70カール・ヴィンソン、CVN-76ロナルド・レーガン、F/A-18などと共同訓練を実施。64日、北アルプスで墜落した民間セスナ機捜索救難の災害派遣に参加。66日、F-15戦闘機が、日本海から沖縄東方に至る海域と沖縄東方空域で、DDH-181ひゅうが、DDG-178あしがら、CVN-76ロナルド・レーガン、EA-18G電子戦機などと共同訓練を実施。2018130日から22日、石川県輪島市で水道管破裂による断水に対する給水支援に参加。528日から630日、レッドフラッグ・アラスカに参加。618日に発生した大阪北部地震の災害派遣に参加。627日、小松基地を訪問したベトナム人民軍幹部14名の視察を受けた。716-20日、F-15戦闘機4機で中部航空警戒管制団と共に小松沖でアメリカ第18航空団F-15戦闘機6機との米軍再編に係る訓練移転(共同訓練)に参加。727日、F-15戦闘機6機が日本海空域で日米共同対処能力と部隊戦術技量の向上のためアメリカ空軍第96遠征爆撃飛行隊B-52H爆撃機2機と編隊航法訓練を実施。927日、F-15戦闘機4機で、第2・第8・第9航空団と共に、東シナ海と日本海空域でアメリカ空軍第96遠征爆撃飛行隊B-52爆撃機との編隊航法訓練に参加。2019116日、輪島港沖で座礁した漁船の乗員救助に係る災害派遣に司令部が参加。6182222に発生した山形県沖を震源とする最大震度7の地震でF-15戦闘機2機による情報収集活動を実施。99日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。202024日、日米共同訓練にF-15戦闘機8機で参加。422日、日米共同訓練にF-15戦闘機4機で参加。512日、アメリカ空軍との共同訓練にF-15戦闘機4機で参加。527日、アメリカ空軍との共同訓練にF-15戦闘機4機で参加。617日、日本海と沖縄周辺空域で、アメリカ空軍との共同訓練に参加。F-15戦闘機4機が、第2航空団F-15戦闘機4機、第9航空団F-15戦闘機4機と共に、アメリカ空軍B-52H爆撃機2機との編隊航法訓練を行った。717日、アメリカ空軍との共同訓練に参加。F-15戦闘機4機が、第7航空団F-2戦闘機3機、第8航空団F-2戦闘機4機、第9航空団F-15戦闘機4機と共に、日本海及び九州西方空域で、アメリカ空軍B-1B爆撃機1機と、編隊航法訓練及び各種戦術訓練を行った。727日、アメリカ空軍との共同訓練に参加。F-15戦闘機4機が、第2航空団F-15戦闘機4機、第8航空団F-2戦闘機4機、第9航空団F-15戦闘機4機と共に、日本周辺空域で、アメリカ空軍B-1B爆撃機1機と、編隊航法訓練を行った。818日、アメリカ空軍アメリカ海軍アメリカ海兵隊との共同訓練にF-15戦闘機4機で参加。第2航空団F-15戦闘機4機、第8航空団F-2戦闘機4機、第9航空団F-15戦闘機8機と共に、アメリカ空軍B-1B爆撃機3機、F-15戦闘機10機、E-3早期警戒管制機1機、アメリカ海軍F/A-18戦闘機2機、アメリカ海兵隊F-35B戦闘機3機と、編隊航法防空戦闘訓練を行った。910日、日本海、東シナ海、沖縄周辺空域で、アメリカ空軍との共同訓練に参加。F-15戦闘機4機が、第2航空団F-15戦闘機4機、第5航空団F-15戦闘機8機、第9航空団F-15戦闘機4機と共に、アメリカ空軍第28爆撃航空団B-1B爆撃機2機と、編隊航法防空戦闘訓練を行った。930日、日本海、東シナ海、沖縄周辺空域で、アメリカ空軍との共同訓練に参加。F-15戦闘機4機が、第2航空団F-15戦闘機4機、第5航空団F-15戦闘機8機、第9航空団F-15戦闘機4機と共に、アメリカ空軍第28爆撃航空団B-1B爆撃機2機と、編隊航法要撃戦闘訓練を行った。1020日、F-15戦闘機4機が、日本海・東シナ海・沖縄周辺空域で、アメリカ空軍B-1B爆撃機1機との共同訓練(編隊航法及び要撃戦闘)に参加。1117日、F-15戦闘機4機が、日本海・東シナ海・沖縄周辺空域で、アメリカ空軍B-1B爆撃機2機との共同訓練(編隊航法及び防空戦闘)に参加。124日、F-15戦闘機4機が、日本海・東シナ海・沖縄周辺空域で、アメリカ空軍B-1B爆撃機1機との編隊航法訓練に参加。

2021112日、日本海・東シナ海・沖縄周辺空域で、F-15戦闘機4機が、アメリカ空軍B-1B爆撃機1機との共同訓練(編隊航法及び要撃戦闘)に参加。2132308頃、福島県沖を震源とする最大震度6強の地震が発生したため、F-15J戦闘機で情報収集を行った。427日、F-15戦闘機2機が日本海及び沖縄北方を含む東シナ海海上の空域でアメリカ空軍との共同訓練に参加。831日、日本海と沖縄北方を含む東シナ海海上の空域でアメリカ空軍B-52H爆撃機1機との共同訓練(編隊航法要撃戦闘)にF-15戦闘機2機で参加。930日、修理隊が空自第5回品質管理QCサークル全国大会でシルバー賞を受賞した。1072241頃、千葉県北西部を震源とするマグニチュード5.9・最大震度5強の地震が発生したため、情報収集を行った。129日、F-15戦闘機4機が日本海上空でアメリカ空軍B-52H爆撃機1機、F-35A戦闘機7機、KC-135空中給油機1機ととの共同訓練(編隊航法訓練)に参加。2022111日、F-15戦闘機2機が日本海及び三沢東方の太平洋上で日米共同訓練に参加。426日、令和3年度働き方改革推進のための取り組みコンテストの表彰伝達式が行われ、整備補給群本部に防衛副大臣賞が授与された。629日、F-15戦闘機4機が東シナ海と日本海上で日米共同訓練に参加。第2航空団F-15戦闘機4機、第8航空団F-2戦闘機4機、北部航空警戒管制団中部航空警戒管制団西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍34爆撃飛行隊B-1B爆撃機2機と、編隊航法訓練を行った。829日から92日、小松基地で日米共同訓練に参加し、第35戦闘航空団14戦闘飛行隊F-16CM戦闘機6機と対戦闘機戦闘訓練を行った。1118日、日本海で日米共同訓練に参加。F-15戦闘機4機が第35戦闘航空団F-16戦闘機4機と各種戦術訓練を行った。1220日、日本海上の空域で日米共同訓練に参加。F-15戦闘機4機が、第8航空団F-2戦闘機4機、中部航空警戒管制団西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍B-52爆撃機2機及びC-17輸送機1機と、編隊航法訓練を行った。202333日、日米共同訓練に参加。F-15戦闘機4機が、第3航空団F-35A戦闘機4機、第8航空団F-2戦闘機4機、北部中部西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍第28爆撃航空団B-1B爆撃機1機と、日本海上で各種戦術訓練を行った。330日、日米共同訓練に参加。F-15戦闘機4機が、第2航空団F-15戦闘機4機、第5航空団F-15戦闘機4機、第8航空団F-2戦闘機4機、北部中部西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍第2爆撃航空団B-52H爆撃機2機と、日本海及び東シナ海上で各種戦術訓練を行った。414日、日本海上空で日米共同訓練に参加。F-15戦闘機4機が、アメリカ空軍B-52H爆撃機2機、F-35A戦闘機4機、KC-135空中給油輸送機2機と、各種戦術訓練を行った。82-10日、小松基地と周辺空域で日伊共同訓練に参加。F-15戦闘機4機が、第1輸送航空隊KC-767空中給油輸送機1機、中部航空警戒管制団と共に、イタリア空軍第7・第32航空団F-35A戦闘機4機、第14航空団KC-767空中給油輸送機3機・G550CAEW1機・G550輸送機1機、第46航空旅団C-130J輸送機1機と、各種戦術訓練を行った。823日から915日、小松基地と周辺空域で日豪共同訓練武士道ガーディアン23に参加。1017日、日本海上と沖縄周辺で日米共同訓練に参加。F-15戦闘機4機が、第2航空団F-15戦闘機4機、第9航空団F-15戦闘機4機、北部航空警戒管制団中部航空警戒管制団南西航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍B-52H爆撃機2機、F-35A戦闘機6機、KC-135空中給油輸送機1機と、各種戦術訓練を行った。

参考:月刊JWings6,0710,094,116,113,141,152,154,1512,'1512,169,1812,189,194,207,'208,'209,'2010,'2012,'201,'212,'214,'215,'217,2111,'2112,'213,'224,'229,'2211,'223,'235,'236,'2310,'231,'24、世界の傑作機No.39、月刊航空ファン4,'165,'1610,168,178,1810,18MAMOR vol.135vol.140vol.147vol.155、朝雲

 <第6航空団(2010年)>:中部航空方面隊隷下で、ホームベースは小松基地。隷下に第303飛行隊(F-15J/DJT-4)、第306飛行隊(F-15J/DJT-4)、第6基地防空隊(短SAM、携SAMVADS)を置く。参考:月刊航空ファン4,10

 <第6航空団(2015年)>:中部航空方面隊隷下で、ホームベースは小松基地。隷下に飛行群第303飛行隊、同第306飛行隊、第6基地防空隊、整備補給群、基地業務群を置く。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015

 <第6航空団(2020年)>:中部航空方面隊隷下で、小松基地にある。第303飛行隊、第306飛行隊を隷下に置く。参考:月刊JWings6,20

<第6号駆逐艦>:早苗を参照。

第6高射群>:航空自衛隊の高射群。19793月、三沢基地で新編された。群本部、整備隊、指揮所運用隊(大湊)、第20高射隊(八雲。第3高射群から隷下に入った)、臨時第21高射隊(八雲。新編)からなる。198012月、臨時第21高射隊が車力分屯基地に移り、第21高射隊になった。19913月、第22高射隊と第23高射隊が新編され、指揮所運用隊が大湊から三沢に移った。2009720-25日、王城寺原演習場で東北方面施設科訓練エンジニアフレアinみちのく09に参加。2010729-30日、北海道渡島半島付近で行方不明になった中日本航空所属セスナTU206G型機の捜索に参加。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。313日、福島第二原発の給水作業を実施。201325-7日、千歳基地で平成24年度高射部門戦技競技会に参加し、総合優勝した。201683日から1118日、高射部隊年次射撃訓練に参加。2017719-20日、PAC-3機動展開訓練に参加し、仙台駐屯地に展開した。97日、PAC-3機動展開訓練に参加し、在日米軍三沢基地に展開した。919日、火星12号弾道ミサイル北海道上空通過を受けてPAC-3を函館駐屯地に展開した。927日、函館駐屯地に展開する部隊を小野寺防衛大臣が激励した。201859-24日、米軍再編に係る岩国飛行場から三沢基地への訓練移転(共同訓練)に参加。第2航空団F-15戦闘機4機、第3航空団F-35A戦闘機1機、F-2戦闘機4機、北部航空警戒管制団第3高射群警戒航空隊などと共に、アメリカ第12海兵航空群F-35B戦闘機8機と、三沢東方空域などで訓練を行った。731日、北朝鮮軍による弾道ミサイル発射の恐れが当面低くなったとして、函館駐屯地のPAC-3部隊を撤収した。1170825頃、キーン・ソード19に参加して八戸港から三沢基地に戻る途中の無線中継装置搭載車両1両が国道338号脇の民家に突っ込み、1階部分を大破した。住民に被害は無かったが、乗車していた隊員2名が軽傷を負っている。原因は運転手の三等空曹が持病(事故後の入院時に判明)による意識消失で運転不能となったことだった。2020224-28日、令和元年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。71日、隊員自主募集の功績で、丸茂空幕長から第5級賞状を授与された。713-17日、三沢基地で戦技競技会を実施。ミサイル・リロードと戦術訓練シミュレータによる模擬防空戦闘を行い、第20高射隊が総合優勝した。2021623日、第21高射隊PAC-3機動展開訓練を行い、車力分屯基地から霞目駐屯地に展開した。827日から1121日、令和3年度高射部隊年次射撃訓練に参加。2023316日、北部高射群に改編された。参考:MAMOR vol.52、朝雲、月刊JWings8,1411,1712,179,'216,'23、月刊航空ファン9,177,18、八雲分屯基地ホームページ、三沢基地ホームページ

第6高射群(2010年)>:北部航空方面隊隷下で、三沢に置かれている。隷下に第20・第23高射隊(八雲、ペトリオット配備)、第21・第22高射隊(車力、ペトリオット配備)を置く。参考:月刊航空ファン4,10

第6高射群(2015年)>:北部航空方面隊隷下で、三沢基地に置かれている。第6高射群本部、第20高射隊、第21高射隊、第22高射隊、第23高射隊、指揮所運用隊、整備補給隊からなる。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015

第6高射群(2020年)>:北部航空方面隊隷下で、三沢基地にある。参考:月刊JWings6,20

第6高射隊>:航空自衛隊の高射隊。196910月、第2高射群第5中隊から改編されて芦屋基地で新編された。2010426日、PAC3が配備された。20171128日、PAC3機動展開訓練に参加。隊員30名と車両10両が陸自飯塚駐屯地に移動し、発射機、対空レーダー、射撃管制装置などを展開して発射準備訓練を行った。2018426日、PAC3機動展開訓練に参加し、春日基地に車両10両を展開した。参考:芦屋基地ホームページ、朝雲

 <第6高射隊(2015年)>:第2高射群隷下で、芦屋基地に置かれている。ペトリオット、ペトリオットPAC3を装備する。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊航空ファン4,16

第6高射特科群>:陸上自衛隊の高射特科群。197281日、第124特科大隊をベースとして東部方面隊隷下に朝霞駐屯地で創設された。19732月、与座分屯地に移駐。5月までに沖縄の4カ所の分屯地(知念、白川、南与座、勝連)に高射中隊を配置した。1016日、西部方面隊第1混成団が新編され、その隷下に移った。19762月、第324高射中隊が勝連村浜比嘉島火災の災害派遣に参加。10月、宮城島山林火災の災害派遣に参加。12月、第6高射特科群総合演習を実施。19773月、第6高射特科群訓練検閲を実施。197912月、西部方面総監から3級賞状を授与された。19804月、アメリカ海兵隊主催の沖縄本島一周駅伝で優勝した。8月、第324高射中隊が災害派遣で伊計島に飲料水20トンを輸送した。19811月、勝連町浜比嘉島山林火災の災害派遣に参加。19826月、縁故募集の功績で第1混成団長から4級賞状を授与された。19835月、野外通信訓練を実施。9月、第325高射中隊が粟国島の災害派遣に参加。19847月、第324高射中隊が厚生大臣から献血による部隊表彰を受けた。11月、西部方面隊演習に参加。19858月、空自南西航空混成団演習に参加。19873月、改良ホーク(1H)編成完結式を実施。12月、ソ連の沖縄領空侵犯事件で対空戦闘準備態勢に入り、目標を捕捉。19912月、TSQ-51Cの運用を開始。19925月、改良ホーク(改善T型)への更新を完了。6月、海上自衛隊演習を支援。19946月、第1混成団災害対処訓練に参加。19985月、豊見城村総合防災訓練に参加。9月、沖縄県総合防災訓練に参加。20005月、ホーク部隊実射訓練検閲で全国1位となり、3級賞状を授与された。7月、九州・沖縄サミットを支援した。20023月、第2高射特科団主催三群対抗銃剣道競技会で優勝。11月、改良ホーク(改善U型)への換装を完了。200311月、ホーク部隊実射訓練検閲で全国1位となった。200410月、ホーク部隊実射訓練検閲で全国1位となった。20056月、第323高射中隊が比謝川氾濫の災害派遣に参加。10月、ホーク部隊実射訓練検閲で全国1位となった。20061月、所在地が与座分屯地から八重瀬分屯地に改称された。10月、沖縄県総合防災訓練に参加。11月、ホーク部隊実射訓練検閲で全国1位となった。20072月、西部方面隊対空情報戦闘訓練に参加。3-4月、徳之島のCH-47JA墜落事故で機体回収作業と殉職隊員葬送式を実施。20085月、キャンプ・ハンセンで偵察訓練を実施。10月、ホーク部隊実射訓練検閲で全国1位となった。20094月、対空戦闘準備態勢維持任務遂行の功績により、統合幕僚長から2級賞状、西部方面総監から顕彰の楯を授与された。10月、高射学校長の対空特別顕彰を受賞。20103月、上級部隊が第1混成団から第15旅団に改編された。第107高射直接支援隊が廃止された。20123月、3個中隊に対して03式中SAMの配備を開始。第325高射中隊が第341高射中隊に改称された。20133月、第342高射中隊が03式中SAMの配備を完了した。1221日からマクレガー射場で年次射撃訓練に参加。2014326日、第15旅団隷下の第15高射特科連隊に改編された。参考:第15高射特科連隊ホームページ、スピアヘッドNo.16、月刊軍事研究9,133,14、月刊航空ファン4,16、朝雲

 <第6高射特科群(1974年)>:第1混成団の隷下にある。隷下に群本部/本部管理中隊、第323高射中隊、第324高射中隊、第325高射中隊、第326高射中隊、第306高射搬送通信中隊、第107高射直接支援隊を置く。参考:スピアヘッドNo.16

 <第6高射特科群(2013年)>:第15旅団の隷下にある。隷下に群本部(八重瀬分屯地)、本部管理中隊(八重瀬分屯地)、第323高射中隊(ホーク。白川分屯地)、第326高射中隊(ホーク。南与座分屯地)、第341高射中隊(03式中SAM。知念分屯地)、第342高射中隊(03式中SAM。勝連分屯地)、第306高射搬送通信中隊(八重瀬分屯地)を置く。参考:月刊軍事研究11,13

第6護衛隊>:海上自衛隊の護衛隊。19641210日、第1練習隊に改編された。1997324日、第2護衛隊群隷下に新編された。1998106日、DD-151あさぎりが第2護衛隊に転出した。1999318日、DD-103ゆうだちとDD-104きりさめが配備され、DD-152やまぎりとDD-157さわぎりが第2護衛隊に転出した。200236日、DD-109ありあけが編入された。2008326日、DDG-176ちょうかいが第64護衛隊から転入した。2010104日、隊司令ら司令部要員5名が佐世保市内の東山海軍墓地で清掃奉仕を実施。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。201337日、DD-116てるづきが配備された。DD-102はるさめが第2護衛隊に転出した。20141024日、DDG-176ちょうかいが第8護衛隊に移り、DDG-174きりしまが第8護衛隊から配備された。2020130日、横須賀基地に停泊するDD-110たかなみで、中東のシーレーンを航行する日本関係船舶の安全確保に必要な情報収集活動を行う艦艇派遣に先立つ図上演習に参加。参考:MAMOR vol.52、朝雲、月刊世界の艦船5,1311,118,142,154,20

 <第6護衛隊(1961年9月1日)>:第3護衛隊群隷下で、横須賀に置かれている。DD-262あさひ、DD-263はつひを配備する。参考:月刊世界の艦船11,11

第6護衛隊(1998年)>:第2護衛隊群隷下で、佐世保に置かれている。DD-151あさぎり、DD-152やまぎり、DD-157さわぎりを配備する。参考:月刊世界の艦船4,98

第6護衛隊(2001年)>:第2護衛隊群隷下で、佐世保に置かれている。DD-103ゆうだちとDD-104きりさめを配備する。参考:月刊世界の艦船6,01

第6護衛隊(2006年4月3日)>:第2護衛隊群隷下で、佐世保に置かれている。DD-104きりさめ、DD-109ありあけを配備する。参考:月刊世界の艦船11,11

第6護衛隊(2007年度改編後)>:第2護衛隊群隷下で、佐世保に置かれている。DDG-176ちょうかい、DD-102はるさめ、DD-110たかなみ、DD-111おおなみを配備する。参考:月刊世界の艦船11,11

第6護衛隊(2010年)>:第2護衛隊群隷下のDDGグループで、佐世保に置かれている。DDG-176ちょうかい、DD-102はるさめ、DD-110たかなみ、DD-111おおなみを配備する。参考:月刊世界の艦船1,11、月刊軍事研究7,10

第6護衛隊(2015年)>:第2護衛隊群隷下で、横須賀に置かれている。DDG-174きりしま、DD-110たかなみ、DD-111おおなみ、DD-116てるづきを配備する。参考:月刊世界の艦船6,15

第6護衛隊(2020年)>:第2護衛隊群隷下で、横須賀に置かれている。DDG-174きりしまDD-110たかなみDD-111おおなみDD-116てるづきを配備する。参考:月刊世界の艦船6,20

第6根拠地隊(日本海軍)>:日本海軍の根拠地隊。昭和16115日に編成された。昭和1721日(131日?)、クェゼリン島で空襲を受けて司令官の八代祐吉少将が戦死した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、潜水艦気質よもやま物語

 <第6根拠地隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第4艦隊隷下、兵力部署では南洋部隊防備部隊所属で、マーシャルに配置されていた。第6防備隊、第51警備隊、第52警備隊、第53警備隊、第19航空隊を隷下に置く。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧

第6施設群(陸上自衛隊)>:陸上自衛隊の施設群。19853月、ダンプ中隊が廃止された。19903月、第348施設中隊が新編された。1993330日、第302施設隊が隷下に入った。2004329日、第302施設隊が第372施設中隊に改編された。2009722-24日、第372施設中隊が福井県九頭竜湖畔で水害救助に備えた渡河野営訓練を実施。軽門橋構築訓練、渡河ボートによる漕舟などを行った。201014日、訓練初めを実施。豊川駐屯地で本宮山登山、岐阜分屯地で早朝行進訓練、鯖江駐屯地で文殊山雪中登山を行った。2011126-9日、豊川駐屯地で第6施設群戦技競技会を実施。201493-4日、豊川駐屯地で中隊対抗渡河競技会を実施。3日は3舟4導板の軽門橋構築、4日は2.5km漕舟を行った。2015126-27日、饗庭野演習場で第4施設団長に命題研究(抗堪性のある段列の開設・運営など)の成果を発表した。2017915-23日、青野ヶ原演習場などで第4施設団の訓練検閲を受閲した。201826-10日、第372施設中隊が福井豪雪の災害派遣に参加。215日、福井県福井市で大雪のため除雪支援の災害派遣要請が出され、第372施設中隊が延べ隊員35名や車両15両などを派遣し、2181732に撤収要請を受けた。526日、第372施設中隊が第10師団第14普通科連隊・第10飛行隊と共に手取川・横川総合水防演習に参加し、81式自走架柱橋で孤立者輸送路を構築した。75-8日に発生した西日本豪雨の災害派遣に参加。1026日、施設部隊早期展開プロジェクト要員が防衛省で陸幕長に出国報告を行った。1027日、施設部隊早期展開プロジェクト要員が出国し、ベトナムに到着した。115日から1214日、施設部隊早期展開プロジェクトに19名で参加。201999日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。1017日、支援部隊早期展開プロジェクト参加4名が陸幕で出国報告を実施し、来日中の国連活動支援担当事務次長アトゥール・カレ氏から激励を受けた。114日から1213日、19名でベトナムの支援部隊早期展開プロジェクトに参加。1218日、支援部隊早期展開プロジェクト要員19名が帰国した。2021110-11日、北陸道・東海北陸道での車両立ち往生の災害派遣に参加。1128日、福井県防衛協会が主催して福井県産業会館駐車場で行われた空自市中パレードに第372施設中隊が参加。2022119日から2ヶ月間、20名がケニアで支援部隊早期展開プロジェクトに参加。参考:大久保駐屯地ホームページ、鯖江駐屯地ホームページ、スピアヘッドNo.17、朝雲、MAMOR vol.136vol.155

 <第6施設群(2017年)>:第4施設団隷下で、豊川駐屯地に置かれている。第369施設中隊(岐阜分屯地)、第372施設中隊(鯖江駐屯地)を隷下に置く。参考:大久保駐屯地ホームページ

第6師団(日本陸軍)>:日本陸軍の師団。常備師団の1つで、熊本に置かれている。通称明師団。歩兵第11旅団(歩兵第13・第47連隊)、歩兵第36旅団(歩兵第23・第45連隊)、騎兵第6連隊、野砲兵第6連隊、工兵第6大隊、輜重兵第6大隊を隷下に置く。師団管区は熊本、大分、宮崎、鹿児島、沖縄。太平洋戦争時、歩兵第13・第23・第45連隊などを隷下に置いていた。昭和171116日、第8方面軍直轄となり、中国大陸からブーゲンビル島に移動することとなった。昭和19年後半、第17軍の隷下にあった。参考:帝国陸海軍事典、歴史群像8,15、比島決戦、大日本帝国陸海軍軍装と装備

第6師団(陸上自衛隊)>:陸上自衛隊の師団。元は1954810日に新編された第6管区隊で、1962815日に第6管区隊から改編され、乙師団として創設された。司令部は福島駐屯地から神町駐屯地に移動し、隷下に第20、第21、第22普通科連隊、第6偵察隊、第6戦車大隊、第6対戦車隊などを置いていた。警備区域は秋田、宮城、山形、福島だった。196311-11日、師団指揮所演習を実施。夏、第6通信大隊第1中隊長が演習帰りに山形県東根市内の荒廃した忠魂碑を発見。同様の碑が市内7カ所にあることが判明し、第1中隊で環境整備に当たった。以来、第1中隊と地域住民が協同で毎年夏に忠魂碑の清掃活動にあたっている。19651019-26日、秋季演習を実施。196632-4日、冬期機動研究演習を実施。67-9日、対空挺演習を実施。1967729日から82日、山地機動・ヘリボーン演習を実施。822-27日、渡河演習を実施。116-12日、指揮所演習を実施。1968919-21日、山地演習を実施。1970310日、隷下に第44普通科連隊(福島駐屯地)が新編され、甲師団となった。197968日から718日、北方転地演習(ハマナス演習)を実施。1982513日から627日、北方転地演習(辛夷演習)を実施。1990年、第6後方支援連隊、第6高射特科大隊が新編された。3月、師団付隊化学防護小隊が編成された。19913月、第6戦車大隊第4中隊が廃止された。平成8年度以降に係る防衛計画の大綱で、Bタイプ師団に改編されることになった。1995117日に発生した阪神淡路大震災の災害派遣に参加。19993月、第38普通科連隊がコア連隊化され、第6戦車大隊第4中隊と第6偵察隊第3小隊もコア化され、第6対戦車隊が廃止され、師団付隊化学防護小隊が化学防護隊に改編され、第21普通科連隊が第9師団の隷下に移り、秋田県が第9師団の警備区になった。20023月、化学防護隊が第6化学防護隊に改編された。20063月、即応近代化師団に改編され、第38普通科連隊が東北方面混成団に移管され、第6戦車大隊第3・第4中隊が廃止され、第6偵察隊コア小隊を廃止して1個偵察小隊を新編した。ReCS(基幹連隊指揮統制システム)や師団等指揮システムなどの実験部隊としても活動している。

200915日、第20普通科連隊が訓練始めを実施。連隊長を先頭に、上半身裸で5kmを走った。23日、多賀城駐屯地で宮城・山形・福島県警と武装工作員鎮圧合同訓練を実施。自衛官240名(司令部40名、第22普通科連隊120名、第20普通科連隊30名、第44普通科連隊40名)と警察官150名(宮城県警80名、山形県警30名、福島県警40名)が参加した。410日、第6飛行隊が宮城県角田市山林火災の災害派遣に参加。51日、山形県山形市山寺付近で山火事が発生したため、1515に山形県知事から第6師団長に災害派遣要請があり、0401から第6飛行隊のUH-1ヘリ2機とOH-6ヘリ1機が離陸、師団司令部や第6通信大隊も出動し、隊員延べ20名、車両2両、ヘリ3機で消火活動を行い、夜までにほぼ鎮火させて520600に撤収要請を受けた。519-23日、第22普通科連隊が王城寺原演習場で米国における諸職種協同訓練普及訓練を実施。第3中隊が派米訓練の成果を展示した。76-17日、多賀城駐屯地で第22普通科連隊レンジャー教官・助教が北海道警察機動隊と東北管区機動隊の27名にレンジャー教育を実施。76-22日、第22普通科連隊が平成21年度防衛大学校第3学年夏期定期訓練を支援した。714日、第22普通科連隊が警察庁職員へのレンジャー教育の一環として多賀城駐屯地で患者背負い搬送訓練を実施。720-25日、王城寺原演習場で東北方面施設科訓練エンジニアフレアinみちのく09に参加。724日、第22普通科連隊の陸士長が大麻取締法違反の容疑で警務隊に逮捕された。警務隊では他の連隊隊員の尿検査も行ったが、陽性者はいなかった。91日、第22普通科連隊が平成21年度宮城県総合防災訓練に参加。917日と24日、第22普通科連隊が多賀城駐屯地レンジャー訓練塔地域でレンジャー隊員空路潜入訓練を実施。1110日、第22普通科連隊がレンジャー学生17名の帰還式を実施。

20101月、第6施設大隊が最上川で大隊100キロ漕舟競技会を23年ぶりに実施。1舟に13名が乗り込み、2日間で5区間を交替で激漕した。118日から21日、第22普通科連隊が王城寺原演習場などで平成21年度第2次部隊射撃訓練を実施。31日、船形山で登山者3人が遭難したため、321810に宮城県知事から第22普通科連隊長に災害派遣要請があった。1930から連絡員6名を県庁や大和警察署に派遣。330400から第22普通科連隊の隊員79名と車両3両、第6戦車大隊の隊員108名と車両14両が現地に向かい、麓からの捜索を開始した。また、東北方面航空隊のUH-1ヘリには第22普通科連隊のレンジャー隊員12名が乗り込んで山頂付近にラペリング降下し、捜索を行った。1217、尾根付近の雪洞で3人を発見し、無事に保護した。326日、第6化学防護隊が第6特殊武器防護隊に改編され、編成完結式が行われた。511-17日、第6戦車大隊が仙台駐屯地の東北方面指揮所訓練支援隊で機械化部隊戦闘シミュレータ(ATCE)訓練を実施。523日、福島県耶麻郡猪苗代町の沼尻山登山道付近で不発弾1発が発見されたという連絡が県警から入り、第6後方支援連隊不発弾処理班の2名が不発弾の持ち込まれた相馬警察署に向かい、5240130に信管部を保護材で覆って回収した。全長200mm、直径75mm、重量4.5kgの砲弾で、明治時代の日本軍75mm砲弾と識別され、後に爆破処分された。530日、蔵王町で実施された平成22年度宮城県林野火災防御訓練に参加。66日、宮城県主催の6・12総合防災訓練(防災関係ヘリコプター対応訓練)に第6飛行隊が参加。68-10日、第6特科連隊が白川布引山演習場で第1大隊の訓練検閲を行った。610日、宮城県主催の宮城県沖地震総合図上訓練に参加。612日、第22普通科連隊が仙台市総合防災訓練に参加。626日から716日、第22普通科連隊を基幹とする隊員2000名、航空機10機、戦車14両、車両700両、火砲24門が連隊等転地演習を実施。特大型セミトレーラなどを使用した陸上機動、空自の輸送機や第1ヘリコプター団を使用した空中機動、民間フェリーを使用した海上機動により、東富士演習場に移動して演習を実施した。813-15日、山形県朝日岳で行方不明になった男性を第20普通科連隊と第6飛行隊UH-1ヘリが捜索。91日、第22普通科連隊が栗原市で宮城県総合防災訓練に参加。915日、山形県遺族会主催の第61回山形県戦没者遺族大会で、第6通信大隊第1中隊が1963年から実施している東根市内の戦没者忠魂碑清掃活動を称えて感謝状が贈られた。929-30日、第22普通科連隊が多賀城駐屯地で第3回連隊持続走記録会を実施。930日、第22普通科連隊が多賀城駐屯地一号隊舎前の松の木の剪定を実施。102日、第6特科連隊隊員が福島県磐梯山山頂の三角点設置に協力した。104日、第22普通科連隊本部管理中隊施設作業小隊長が第9回国民の自衛官表彰式で第6師団として初めて表彰を受けた。1124-27日、第21普通科連隊が秋田県警警察官20人の隊内生活体験を実施。125日、第6飛行隊が大和駐屯地モニター・協力者ら27人にUH-1ヘリで体験飛行を実施。年末、第22普通科連隊と第2施設団が宮城県と災害派遣に関する協定締結式を開催。20092月のチリ地震津波での自衛隊の対応に不明確な部分があったため、これを明確にする新たな協定が結ばれ、被害発生前からの県と部隊との連絡調整、自衛隊のみの判断での県庁への情報連絡員派遣といった対応が取れるようになった。1220日、第22普通科連隊が連隊野外炊事競技会を実施。第4中隊が優勝した。1226日、福島県西会津町で立ち往生した車両300台を救出するため1600に福島県知事から第6特科連隊に災害派遣要請が出され、車両20台と隊員120名が除雪作業を行った。2240に撤収要請が出された。

201116日、師団長を執行者として平成22年度後期昇任に伴う階級章授与式と昇任申告を実施。116日、福島県猪苗代町のスキー場近くで男性2人が遭難したため、1171900過ぎに県知事から第6特科連隊に災害派遣要請が出た。118日、第6特科連隊第2大隊の隊員44名がトラックなど14両で現場に0700前に到着し、捜索を行った。0840に遭難者が県警ヘリで救助されたため、0915に撤収した。119日、第6飛行隊がOH-6での仙台オープン病院屋上ヘリポートへの夜間発着訓練を実施。2161500過ぎ、福島県郡山市内の工事現場で油圧ショベルが地中の異物と接触、火花と白煙が上がった。不発弾の可能性があるとして郡山署から第6師団に連絡があり、1830過ぎに第6後方支援連隊不発弾処理班の3名が車両で駐屯地を出発し、2130頃現地に到着、翌170030前に回収した。アメリカ製M74焼夷弾(全長200mm、直径50mm)2発と推定され、既に燃え尽きていた。311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。発生直後から災派準備にかかり、1502に宮城県知事から派遣要請を受けた。司令部を仙台駐屯地体育館に移設し、仙台市と石巻市周辺で支援活動にあたった。入浴支援に必要な野外入浴セットは師団全体で2セットしか無かったため、野外炊事具で湧かした湯を渡河ボートに入れ、除染装置の噴水機を温水シャワーにするなどの創意工夫を行っている。第6施設大隊は東松島市で81式自走架柱橋を架設した。1603、宮城県庁に連絡員を派遣。1731、ゴムボートに搭乗して津波で冠水した多賀城市内の偵察を行っていた第22普通科連隊第4中隊隊員がマンションで孤立している人がいるという情報を得たため、第4中隊がゴムボートに分乗して救助に向かった。1910、第6特科連隊第1大隊が福島県白河市で生き埋めになった8人の救助活動を開始。1950、第22普通科連隊第1中隊が宮城県石巻市に向け多賀城駐屯地東門を車両で出発。しかし道路の冠水により石巻市役所まで辿り着けず、石巻赤十字病院に臨時指揮所を開設した。2348、第44普通科連隊80人が被災地への移動を開始。312日、第6後方支援連隊が災害派遣医療チーム(DMAT)要員64名を東北大学病院まで輸送。2100、パン5万食を輸送。3130020、第6後方支援連隊がDMAT64人を東北大病院に輸送。0800、気仙沼などで捜索活動を実施。0820、第20普通科連隊が志津川小から被災者5人をヘリに収容。1347、第20普通科連隊が被災者6人を石巻の病院に搬送。1830、石巻で125名を救助し、食糧や毛布を配布した。314日、被災者の捜索救難任務を実施。第22普通科連隊第1中隊は国道398号線門脇地域の捜索にあたったが、震災3日後になってもあちこちに遺体が散乱している状態だった。1325、石巻で36名を救助した。1543、石巻駅北側の被災者を救出。3201308、第6飛行隊がヘリで医薬品と日用品を宮戸小に輸送。321日までに第22普通科連隊第1中隊は石巻市で1638人を救助し、122体の遺体を収容した。3220839、第6飛行隊が衛生隊と赤十字の医師らを宮戸小学校と鷹来の森に輸送した。第22普通科連隊第1中隊が七ヶ浜地区に移動して救助活動を開始。3241052、第6飛行隊が玉川中、桂島、寒風沢島に救援物資を輸送。330日、アメリカ軍兵士と共に石巻工業高校の清掃作業を行った。431330、第6音楽隊が中央台南小と平工業高で慰問演奏を実施。49日、第6飛行隊のOH-6UH-1が情報収集を実施。425-26日、宮城県の行方不明者集中捜索に参加。51日、第6特殊武器防護隊が川俣町の除染所を川俣町体育館に移設した。57日、第6特科連隊が福島第一原発の半径20km圏内で行方不明者捜索を実施。517日、第6特科連隊と第6高射特科大隊が富岡町で不明者捜索を実施。524-30日、第44普通科連隊、第6特科連隊、第6高射特科大隊が福島第一原発から10km圏内の浪江町、双葉町、大熊町で不明者捜索を実施。531日、第44普通科連隊、第6特科連隊、第6高射特科大隊が福島第一原発から10km圏内の浪江町、双葉町、大熊町で捜索を実施。67日、第44普通科連隊、第6特科連隊、第6高射特科大隊が福島第一原発から10km圏内の浪江町と大熊町で行方不明者の捜索を行った。69日、第44普通科連隊が双葉町と大熊町などで瓦礫除去活動を実施。74日、第22普通科連隊が東日本大震災で被災して自衛隊に救助された地元市民からお礼や激励の書かれた七夕短冊を贈呈された。711日、師団司令部医務官室が福島駐屯地業務隊の衛生業務指導を実施。722日、第22普通科連隊教育隊で後期課程教育実施中の新隊員49名が25キロ徒歩行進訓練を実施。7250351頃に福島県沖で発生した震度5弱の地震を受け、第6飛行隊が航空機で情報収集を行った。729日から82日、第6特科連隊と第6飛行隊が新潟・福島豪雨に伴う災害派遣に参加。81日、宮城県知事の撤収要請により東日本大震災の災害派遣活動を完了した。86日、新潟・福島豪雨による土砂崩れ復旧に関する災害派遣要請が第6特科連隊に出されたため、7-12日にかけて第6特科連隊と第6施設大隊の隊員延べ460名、車両延べ130両を派遣した。828日、東日本大震災で殉職した第3中隊所属の一曹の葬送式を多賀城駐屯地で実施。一曹は震災当日は休暇中で、発生後に戦闘服に着替えて仙台市内から駐屯地に向かおうとしたが、仙台港北部で津波に襲われた。後に発見された車には両方の裾を結んだズボンが残されており、津波が迫る中でレンジャー訓練で習うズボンを簡易救命浮き具にする方法を実践したものの、力及ばず流されたとみられている。これを見た同僚達は、訓練で得た知識を活用して最後まで生きることを諦めなかった姿勢に涙したという。92日、第22普通科連隊第4中隊が担任する第50期部隊集合教育レンジャーの訓練開始式を実施。97-8日、第6戦車大隊が王城寺原演習場で74式戦車による実弾射撃訓練を実施。74式戦車5両と隊員40名が参加し、第10習会(停止射)と第23習会(躍進射)を行った。912日、福島原発から半径20-30kmの緊急時避難準備区域に指定されている福島県南相馬市などで、第44普通科連隊(隊員400名、車両120両、支援航空機6機)を主体とする住民避難支援・誘導訓練を実施。地元自治体・消防・住民ら450人と共同で、福島第一原発の非常事態に備えた訓練を行った。921日、台風15号による大雨で宮城県女川町と松島町の住民が孤立したため、2100前に宮城県知事から第22普通科連隊に災害派遣要請が出た。連隊は第1中隊140名を女川町に、第3中隊130名を松島町に派遣、松島町で2名を救助した。922日、台風15号による大雨で福島県郡山市古川地区が冠水して住民100人が孤立したため、福島県知事から0730前に第6特科連隊へ災害派遣要請が出された。第6特科連隊は本部管理中隊と情報中隊の60名を派遣し、孤立した82人を救助した。0930過ぎ、宮城県知事から撤収要請が出され、第22普通科連隊が帰隊した。1600過ぎ、福島県知事から撤収要請が出され、第6特科連隊が帰隊した。1114日、第22普通科連隊が部隊集合教育レンジャー帰還式を実施。10名にレンジャー徽章が授与された。1126日、第6音楽隊が20年ぶりとなる山形刑務所での慰問演奏を実施。127-19日、福島第一原発から半径20km圏内の警戒区域内にある楢葉村(第6特科連隊150名)、富岡町(第6特科連隊300名)、浪江町(第44普通科連隊150名)と、半径40kmの計画的避難区域内にある飯舘村(第44普通科連隊300名)の各役場の除染活動を実施。1216日、第6師団、第44普通科連隊、第6特科連隊に福島県知事から感謝状が贈呈された。

201217日、第22普通科連隊第2中隊が多賀城駐屯地から10km離れた塩釜神社までのはだか駆け足(新年恒例、第50回)を実施。113日、第20普通科連隊第2中隊が駐屯地レンジャー訓練棟で新成人の隊員2名を祝う胆力テストを実施。2名は地上8mのところに張られたロープを渡りきった。113-14日、第6戦車大隊が冬季検閲を実施。92式地雷原処理ローラを装着しての行動などを行った。122-27日、第22普通科連隊第4中隊基幹の270名が北富士演習場の富士トレーニングセンター訓練に参加。27日、第6師団司令部、第20普通科連隊、第6特殊武器防護隊などの150名が山形県庁で実施された国民保護共同図上訓練に参加。212日、第20普通科連隊が創立56周年記念行事を実施。215日、第22普通科連隊が神町駐屯地飛行場地区で第6飛行隊UH-1Jからのラペリング訓練を実施。33-5日、第6戦車大隊(74式戦車18両、隊員120名)が王城寺原演習場で練成訓練を実施。311日、3・11第6師団防災の日震災対処訓練を実施。0500に宮城県牡鹿半島東南東沖を震源とする地震が発生、宮城・福島で震度7を観測し、大津波警報が発令されたとの想定で訓練を行った。319日、福島第1原発事故に伴う原子力災派命令に基づき福島県内で運営していた2カ所の除洗所を内閣府の委託業者に引き継ぎ、東日本大震災に伴う災派任務を終了した。322日、第20普通科連隊が神町駐屯地体育館で平成23年度後期連隊表彰式を実施。職務遂行による三級賞詞を2名、四級賞詞を7名、五級賞詞を4名に授与・伝達した。また、東日本大震災の災害派遣に伴う三級賞詞を19名、四級賞詞を115名、五級賞詞を177名に授与・伝達した。412300過ぎ、福島県沖でマグニチュード5.9の地震が発生し、震度5弱を観測したため、2323からOH-6ヘリとUH-1ヘリを1機ずつ離陸させて420300前まで情報収集を行った。47日、第44普通科連隊が福島駐屯地で自衛官候補生37名の入隊式を実施。425-29日、王城寺原演習場で第44戦闘団練成訓練を実施。59日、第6特科連隊と第44普通科連隊が多田野演習場で福島県などが主催する空中消火訓練に参加。511-15日、第6後方支援連隊が神町駐屯地で第1次予備自衛官招集訓練を実施。144名が参加し、救急法や拳銃・小銃射撃検定を実施した。513日、第6飛行隊が山形県寒河江市で合同林野火災防御訓練に参加。515日、第44普通科連隊が7月に実施予定の戦闘団訓練検閲に備えて幹部教育を実施。527日、第20普通科連隊が山形県南陽市と川西町で最上川水防演習に参加。627日、第20普通科連隊が神町駐屯地で協同転地演習(北方)の編成完結式と演習に関する家族説明会を実施。628日から81日まで、平成24年度協同転地演習に参加。88日、第6戦車大隊で新隊員課程後期教育を受けている隊員28名が戦車運転免許試験に全員合格した。93-7日、第2次師団訓練検閲として王城寺原演習場などで第6後方支援連隊と第6特殊武器防護隊の訓練検閲を実施。102日、第44普通科連隊がレンジャー課程山地総合訓練を実施。1020日、第44普通科連隊が福島市総合防災訓練に参加。10292200頃、仙台空港で災害復旧工事中に滑走路脇で不発弾が発見されたため、宮城県警本部長から不発弾処理要請が出された。第6後方支援連隊不発弾処理班員2名が1030日早朝まで識別作業を行ったところ、弾底に信管が付いたままのイギリス製500ポンド爆弾(長さ1.1m、直径0.35m、重量250kg)であると判明。周囲15m四方に土嚢を高さ6mほど積み上げて防御処理を行った。空港は終日閉鎖され、92便が欠航になった。1111日、第6戦車大隊が宮城県大衡村の防災訓練に参加。1114日、第6後方支援連隊が1029日に仙台空港で発見された不発弾撤去作業を実施。処理班4名が0907から1時間かけて弾底信管と起爆筒を外し、安全化した後に撤去した。空港は1126まで閉鎖され、32便が欠航した。1120日、第6特殊武器防護隊と第20普通科連隊がJR山形駅で行われた国民保護共同実動訓練(サリン撒布を想定)に参加。121-3日、ヤマサクラ63演習に参加。1221日、第20普通科連隊が連隊炊事競技会と年忘れ行事を実施。

201317日、第20普通科連隊が上半身裸で寒中マラソンを実施。18日、第6偵察隊が訓練始めを実施。偵察直接支援小隊の支援を受けて宮城県岩沼市の金蛇水神社に車両で移動し、参拝した。29-13日、第22普通科連隊が白河布引山演習場で平成24年度第3次訓練検閲(積雪地)を実施。第6特科連隊、第6後方支援連隊、第6戦車大隊、第6通信大隊、第6偵察隊も参加して諸職種協同対機甲戦闘を行った。第6偵察隊は第2・第4小隊の冬期訓練検閲を実施した。226-27日、第20普通科連隊が大高根演習場と周辺でスキー機動に引き続く攻撃を課目とした第4中隊冬期検閲を実施。226-28日、第6戦車大隊が仙台駐屯地の東北方面指揮所訓練支援隊で機械化部隊戦闘シミュレータ(ATCE)を使用した訓練を実施。311日、師団防災の日として緊急出動準備訓練を実施。326日、第6特殊武器防護隊が神町駐屯地でNBC偵察車配備に伴う編成完結式を実施。415-19日、第22普通科連隊、第6施設大隊、第6後方支援連隊輸送隊、第6通信大隊が白河布引山演習場で攻撃時障害処理要領訓練、戦略機動輸送訓練、基地局構成訓練を実施。415-23日、第20普通科連隊が王城寺原演習場で野営訓練を実施。5181448頃、福島県沖を震源とする震度5強の地震が発生したため、1501から1802まで航空機で情報収集を行った。526日、第22普通科連隊と第6飛行隊が宮城県栗原市一迫中央公園で林野火災防御訓練に参加。71-5日、第6特殊武器防護隊が王城寺原演習場で第9師団第9化学防護隊とNBC共同訓練を実施。師団等指揮システム装備の第6特殊武器防護隊と未装備の第9化学防護隊との間での情報共有、大規模NBC攻撃への対処などを演練した。718日からの豪雨で山形県寒河江川が濁り、取水制限が出されたため、7211800、山形県知事から第6師団長に給水支援の災害派遣要請が出された。722-29日、東北方面衛生隊の協力も得て天童市で延べ15920人に280トンの給水支援を行った。891135、秋田県仙北市田沢湖田沢の供養佛地区で土砂崩れが起き、住民5人が行方不明となったため、1429に秋田県知事から第21普通科連隊長に災害派遣要請が出された。1517に偵察部隊5名、1526に初動対処部隊25名を派遣し、8100440から第357施設中隊を含む主力部隊が捜索活動を開始、8131800に撤収要請を受けた。隊員延べ685名と車両225両が参加し、4人の遺体を発見収容している。91日、第20普通科連隊が鶴岡市で山形県・鶴岡市合同総合防災訓練に参加。94日、第22普通科連隊が多賀城駐屯地で塩釜警察、塩釜地区消防事務組合、宮城海上保安部の部外防災4機関女性職員計21人に対し、第1回災害関係機関女性職員研修会を実施。1016日から118日、第44普通科連隊が伊豆大島で台風26号豪雨の災害派遣に参加。1020日、第20普通科連隊が連隊炊事競技会と連隊家族の日を実施。競技会では第3中隊が優勝した。

201416日、第20普通科連隊が裸駆け足を実施。110日、第22普通科連隊第2中隊が訓練始め(はだか駆け足)を実施。210-15日、第22普通科連隊第3中隊基幹の230名が北富士駐屯地で富士トレーニングセンター訓練に参加。211-12日、第6施設大隊が大高根演習場で第1中隊冬期訓練検閲を実施。20kgの背嚢を背負い分隊5名でアキオを引っ張りつつ山道を4km進み、大高根地区守備隊の障害構成支援を行い、集結地の警戒や陣地守備を実施した。215-23日、第44普通科連隊が東北地方豪雪災害の災害派遣に参加。218-19日、第20普通科連隊が大高根演習場などで第1中隊冬期訓練検閲を実施。218-21日、第44普通科連隊が王城寺原演習場で7次野営と、第3中隊、衛生小隊、補給小隊の冬季訓練検閲を実施した。311日、3・11防災の日訓練を実施。0500、発災に伴う第3種非常勤務態勢が発令され、即応態勢の向上などを目的に訓練を行った。430300-1800、チリ地震で発令された津波注意報を受け、第6飛行隊が情報収集活動を実施。46日、第20普通科連隊が自衛官候補生110名の入隊式を実施。48-12日、第6戦車大隊が東北方面指揮所訓練支援隊の支援を受け仙台駐屯地で機械化部隊戦闘シミュレーター訓練を実施。518日、第20普通科連隊が自衛官候補生課程教育の家族見学会を実施。525日、第22普通科連隊が平成26年度名取川・阿武隈川下流総合水防演習に参加。77日、第6施設大隊が神町駐屯地で予備自衛官職種訓練を実施。予備自衛官10名が屋根型鉄条網の構築(有刺鉄線の連結等)を演練した。822日、第20普通科連隊と山形地方協力本部東根地域事務所が山形県河北町立南部小学校で行われた被災体験研修を支援した。920日、第22普通科連隊が第6飛行隊の支援を受けて平成26年度航空機体験搭乗を実施。部外協力者と隊員家族98人が参加した。923日、第6戦車大隊が後期一般陸曹候補生課程と新隊員特技課程教育の修了式を実施。924日から109日、東根射場と王城寺原演習場などで師団狙撃手集合訓練を実施。基本射撃と市街地戦闘訓練場における応用射撃を行った。

20151月、第6飛行隊が平成26年度航空科統一職種訓練に参加。15日、第20普通科連隊が神町駐屯地で訓練始めを実施。男性隊員は上半身裸、女性隊員は半袖シャツで駆け足訓練を行った。16日、第21普通科連隊が訓練始め(駆け足行進)を実施。19日、第22普通科連隊第2中隊が訓練始め(はだか駆け足)を実施。130日から23日、第20普通科連隊重迫撃砲中隊が平成26年度第5次予備自衛官招集訓練を担任。219-20日、第6後方支援連隊が連隊冬期戦技競技会を実施。部隊対抗リレーでは第1整備大隊が優勝した。226日、第21普通科連隊が秋田県警と共同実動訓練(武装工作員対処)を実施。31-6日、仙台・神町駐屯地で指揮所訓練統裁支援システムと野外用指揮システムを使用して第9師団と師団対抗指揮所訓練を実施。311日、第6師団防災の日を実施。312-13日、第6戦車大隊が王城寺原演習場で大隊戦車射撃競技会を実施。第1中隊が総合優勝した。45日、第20普通科連隊が自衛官候補生110名の平成27年度入隊式を実施。第21普通科連隊が自衛官候補生93名の入隊式を実施。410日、第20普通科連隊が平成26年度後期定期異動者と新婚2年以内の隊員・家族を対象に転入・新婚家族オリエンテーションを実施。7家族10人に連隊の活動や自衛隊の福利厚生を説明した。523日、第22普通科連隊、第6戦車大隊、第6飛行隊が王城寺原演習場で宮城県林野火災防御訓練に参加。526日、第21普通科連隊が秋田県庁で県民防災の日の訓練に参加。529日から66日、第22普通科連隊戦闘団が仙台駐屯地の東北方面指揮所訓練センターで統裁支援システム(ICE)を使用した訓練を実施。910-21日、第44普通科連隊がオリエント・シールド2015に参加。911日、関東・東北豪雨の災害派遣に参加。113-5日、第6偵察隊が王城寺原演習場などで偵察戦技競技会を実施。全隊員対象の学科競技、陸士対象の夜間斥候競技を行った。115-6日、第22普通科連隊レンジャー訓練隊が宮城海上保安本部と初の合同訓練を実施。1213日、第6施設大隊が神町駐屯地体育館で平成27年度大隊炊事競技会を実施。団体の部(鳥ゴボウ飯、芋煮、玉こんにゃく、春雨サラダ)で第3中隊、個人の部(鳥ゴボウ飯)で第2中隊齋藤三曹が優勝した。1214日、第6後方支援連隊衛生隊と第22普通科連隊が南三陸病院への入院患者移送を行った。

201617日、第6後方支援連隊が神町駐屯地講堂で平成27年度連隊弁論大会を実施。115-24日、第20普通科連隊第3中隊30名が蔵王温泉スキー場でFISスキージャパンワールドレディース2016蔵王大会を支援した。123-29日、第20普通科連隊第4中隊20名が上山・坊平高原クロスカントリー競技場で天皇杯第94回全日本スキー選手権大会を支援した。124日、第6音楽隊が福島県文化センターで第38回福島自衛隊音楽祭に参加。21-5日、第20普通科連隊重迫撃砲中隊10名が天童市で第4回スノーパークフェスタの雪像2基を製作した。27日、第22普通科連隊が松島海岸で第38回松島かき祭りを支援した。27-15日、第20普通科連隊第1中隊20名が第45回新庄雪祭りの雪像8体を製作した。215-17日、第22普通科連隊が王城寺原演習場で中隊等訓練検閲を実施。第6戦車大隊、第6特科連隊、第6施設大隊、第6後方支援連隊の諸職種協同で、200km車両機動、11km夜間スキー行進、バトラーUを使用した敵陣地攻撃を行った。221日、天童市で第11回第6師団音楽まつりを実施。第20普通科連隊はらっぱドリル隊による演奏を行った。31-5日、第6偵察隊が担任して大高根演習場などで第6師団情報部隊集合訓練を実施。普通科連隊と戦車大隊の情報部隊員が冬期の前進・潜入・露営構築訓練を行った。311日、第22普通科連隊が臨時連隊朝礼を実施。東日本大震災から5年目となったのを受け、連隊長が訓示を行った。330日から41日、第44普通科連隊と第6飛行隊が福島県伊達市山林火災の災害派遣に参加。44日、第20普通科連隊が異動者と結婚2年以内の家族を対象に、転入・新婚家族オリエンテーションを実施。414日と16日に発生した熊本地震の災害派遣に第20普通科連隊、第44普通科連隊、第6後方支援連隊、第6施設大隊、第6飛行隊などが参加。426-29日、第20普通科連隊が第61回山形県縦断駅伝競走大会を支援した。選手としても12名が参加し、チーム総合3位に入賞している。512日、第20普通科連隊が山形市と天童市の4校から中学2年生35人を迎えて職場体験学習を実施。66-13日、第6戦車大隊が岩手県南部一帯と王城寺原演習場で第1中隊及び偵察小隊の検閲を実施。第1中隊は離島に事前配置される普通科連隊に配属された戦車中隊の行動、偵察小隊は攻撃に任ずる戦車大隊内の偵察小隊の行動を行った。617-21日、第6偵察隊が担任して師団情報部隊集合訓練(水路潜入法、偵察ボートの操作、漕法、漕舟指揮、転覆復旧、オートバイ搭載卸下など)を実施。626日、第44普通科連隊が自衛官候補生51名の修了式を実施。74-7日、第20普通科連隊第3・第4中隊、同重迫撃砲中隊、第6特科連隊、第6戦車大隊が王城寺原演習場で総合戦闘射撃を実施。75-6日、第21普通科連隊が連隊持続走競技会を実施し、第2中隊が優勝した。87日、山形花笠まつりに隊員58名で参加。829日から97日まで、第22普通科連隊がフォレスト・ライト2016-01に参加。830日から第6飛行隊が台風10号被害の災害派遣に参加。911日、第20普通科連隊が山形県のアクティー米沢でみんなの防災フェアを支援し、車両展示やカレー喫食を行った。930日、宮城県蔵王山で行方不明になった男性の捜索にUH-1Jヘリ2機とOH-6Dヘリ1機で参加。104日から116日、鎮西28に連動した東北方面隊平成28年度連隊等協同転地演習に参加。1020日、第6偵察隊が斥候員18名に対する陸士特技課程・偵察の教育開始式を実施。1028日、第22普通科連隊が宮城県塩釜市で石油コンビナート等防災訓練に参加。1130日、東北防衛局が山形県東根市で行った第32回防衛セミナーで第6音楽隊がミニコンサートを実施。1210-11日、第20普通科連隊拳法訓練隊が東北自衛隊拳法選手権大会で団体戦7連覇を果たした。

20171241300頃、第44連隊第2中隊12名がスキー訓練を終えて駐屯地に戻る途中、スリップ事故を起こした軽ワゴン車に遭遇したため、消防に通報すると共に車内から女性を救出し、発生した車両火災の初期消火と車両誘導を行った。後に福島市消防長から感謝状を贈呈されている。21-5日、第20普通科連隊重迫中隊、本部管理中隊の隊員10名が天童市でスノーパークフェスタに協力し、雪像やかまくらを製作、車両展示を行った。211-18日、第6施設大隊第3中隊に対する訓練検閲(陣地防御に任ずる普通科連隊を直接支援する施設中隊)を実施。34-5日と11-12日、第20普通科連隊冬期戦技訓練隊がバイアスロン宮様大会国際競技会と日本選手権に出場し、リレーでは前者で3位、後者で7位の成績を収めた。323日、宮城県栗原市の農場で高病原性鳥インフルエンザの発生が確認されたため、3240240に宮城県知事から第6師団長に災害派遣要請が出された。第22普通科連隊、第6偵察隊、第2施設団が殺処分などを行い、327日未明に撤収要請を受けた。派遣隊員は延べ1610名だった。41-2日、第6特科連隊が岩手山演習場及び岩手駐屯地で東北方面特科隊、第9師団第9特科連隊と野戦特科合同戦技競技会に参加。48日、第44普通科連隊が自衛官候補生45名の入隊式を実施。418日、神町駐屯地で中隊長等集合訓練を実施。東北方面指揮所訓練支援隊が教訓を普及した。424-25日、第6戦車大隊が東北方面指揮所訓練センターで機械化部隊戦闘シミュレーターを使用して第9師団第9戦車大隊との中隊対抗訓練を実施。430日から510日、第6飛行隊と第44普通科連隊が福島県浪江町の十万山で発生した山林火災の災害派遣に参加。528日、第22普通科連隊29名と第6飛行隊が宮城県登米市北上川河川歴史公園で宮城県林野火災防御訓練に参加。62日、4-5月の浪江町山林火災災害派遣の功績で、第44普通科連隊に福島県知事から感謝状が贈呈された。620-26日、ビッグレスキューあずま2017に参加。626-29日、王城寺原演習場で第6偵察隊が第9師団第9偵察隊と協同で87式偵察警戒車の単車戦闘射撃訓練(機関砲躍進射撃、機関砲移動目標射撃、連装銃行進射撃)を実施。75日に発生した九州北部豪雨の災害派遣に第6後方支援連隊が参加。730日から83日、第20普通科連隊が全国高校総合体育大会登山競技を支援し、全高連登山専門部長から感謝状を贈呈された。88日、第20普通科連隊が平成29年度後期定期異動者と新婚2年以内の家族を対象に転入者・新婚家族オリエンテーションを実施。815日、第20普通科連隊が山形県大石田町で開催された維新祭はたらくクルマで軽装甲機動車やオートバイを展示した。92日、第20普通科連隊が山形市総合防災訓練に参加。93日、第20普通科連隊が酒田市で山形県・酒田市合同総合防災訓練に参加。95-22日、第20普通科連隊基幹(他に第6戦車大隊、第6特科連隊、第2対戦車ヘリコプター隊など)230名が雷神2017に参加。104-5日、第6偵察隊が東北方面指揮所訓練センターで機械化部隊戦闘シミュレーターによるRCV班を対象とした斥候訓練(全国初)を行った。

201819日、第20普通科連隊が訓練始め行事として1km駆け足の後に騎馬戦を実施。128日から21日、第6施設大隊が神町駐屯地東西訓練場で渡河器材小隊訓練検閲を実施。128日、第44普通科連隊が吾妻山で冬山合同救助訓練に参加。山岳遭難救助隊、警察、消防と共に、雪上遭難者捜索、ロープによる救助、アキオ搬送などの訓練を行った。130日、山形県蔵王山の噴火警戒レベルが2に引き上げられたため、1630に残留者捜索の災害派遣要請があり、第6飛行隊が航空機1機で捜索を行い、1720に撤収した。25日、山形県蔵王温泉スキー場で遭難者2名が発生したため、2335に山形県知事から第6師団長に災害派遣要請が出された。260043、第20普通科連隊連絡幹部4名が駐屯地を出発。0400、隊員35名と車両2両が駐屯地を出発。0746に山形県防災ヘリが遭難者を発見・保護したため、0820に撤収要請が出された。219-21日、第20普通科連隊が天童高原スキー場で積雪地競技会を実施。個人機動・アキオ曳行・回転で第3中隊、新郊機動で第1中隊、階級別リレーで第4中隊が優勝し、総合優勝は第4中隊だった。225日、第20普通科連隊重迫中隊4名がしょうないこどもランドを支援し、高機動車展示や防弾チョッキ試着などを行った。311-13日、王城寺原演習場で第6戦車大隊が第9師団第9戦車大隊との機甲科職種統一訓練に参加。317-18日、リンクステーションホール青森で行われた第9師団第40回定期演奏会を支援した。42日、第20普通科連隊が7家族12人に転入者・新婚家族オリエンテーションを実施。48日、自衛官候補生37名の入隊式を実施。423-25日、第44普通科連隊が王城寺原演習場で第2・第3中隊の訓練検閲(夜間40km徒歩行進、攻撃前進、陣地攻撃)を実施。520日、第44普通科連隊24名が安達太良山の山開きを支援した。第22・第44普通科連隊が三重県受援体制整備に向けた活動実験に参加し、第10師団33普通科連隊からの災害派遣活動申し送り訓練などを行った。527日、第20普通科連隊第1中隊20名が最上川総合水防訓練に参加し、救助・救出訓練を実施、装備品展示も行った。72-24日、第20普通科連隊が防衛大学校3年生の夏期定期訓練部隊実習を支援し、学生9名に各種訓練、研修、40キロ徒歩行進などを行った。85-6日の大雨により山形県戸沢村で孤立者が発生したため、861224に山形県知事から第6師団長に給水・給食支援の災害派遣要請があり、第20普通科連隊と第6飛行隊から隊員延べ120名、車両延べ45両、UH-1Jヘリ1機が派遣された。861800に断水解消で撤収要請を受けている。活動実績は給水4.4トン・給食137食だった。86日、第20普通科連隊が転入者・新婚家族オリエンテーションを実施。91日、第20普通科連隊が山形市総合防災訓練に参加。第22普通科連隊が宮城県総合防災訓練に参加。97日、第20普通科連隊が連隊炊事競技会を実施し、本部管理中隊が優勝した。923日から106日、第22普通科連隊が東千歳駐屯地と北海道大演習場で即応機動連隊準備訓練(戦力実動訓練)に参加し、96式装輪装甲車の基本行動、中距離多目的誘導弾・16式機動戦闘車隊・火力支援中隊との連携、遠隔操縦観測システムによる情報収集などの訓練を行った。1010日、第22普通科連隊が徒歩行進訓練を実施し、鳴子町から大崎市役所まで40kmを行進した。1017日から1124日、平成30年度協同転地演習に参加。1031日と111日、第44普通科連隊が連隊武装走競技会を実施し、第1中隊が優勝した。128日、第6音楽隊が山形市やまぎんホールで定期演奏会を実施。

201918日、第44普通科連隊が訓練初めとして2km駆け足を実施。111日、第20普通科連隊第2中隊が新年行事を実施。幹部候補生試験合格者2名と新成人2名がロープ橋を渡り、中央で抱負を掲げて落下、ロープ上に戻って渡りきった。第22普通科連隊第2中隊が第57回はだか駆け足を実施。117-18日、第22普通科連隊が宮城県警との共同訓練(共同調整所の開設・維持・運営要領訓練、検問時対処要領訓練)に参加。121-23日、第22普通科連隊が王城寺原演習場で東北方面隊初の中距離多目的誘導弾実射訓練を実施。24-15日、第20普通科連隊が大高根演習場などで初級装軌操縦訓練(78式雪上車)と軽雪上車養成訓練を実施。33-4日、平成30年度第6師団戦闘射撃競技会を実施。Bグループの部で第6戦車大隊が優勝した。315日、第20普通科連隊が連隊銃剣道競技会を実施。各中隊21名(新配置2名、陸士2名、幹部・准尉・陸曹3名、中隊長1名、抽選13名)で競技した結果、第1中隊が5戦全勝して優勝した。326日、機動師団への改編を実施。第20普通科連隊は普通科中隊対戦車小隊を廃止し、本部管理中隊に対戦車小隊を新編、中距離多目的誘導弾を新たに配備した。第22普通科連隊は第22即応機動連隊に改編し、多賀城駐屯地で編成完結式を実施。第6戦車大隊は廃止された。46日、第44普通科連隊が自衛官候補生70名の入隊式を実施。49-10日、福島県田村町の山林火災に係る災害派遣に司令部、第6特科連隊、第6飛行隊が参加。59-22日、第22即応機動連隊320名が王城寺原演習場春期統一整備に参加。射場や停弾堤を整備しつつ、偵察用オートバイ操縦訓練や16式機動戦闘車操縦訓練などを行った。59日、宮城県鳴子ダム付近で男性1人が行方不明となったため、510日に宮城県知事から第22即応機動連隊長に災害派遣要請があり、第22即応機動連隊から延べ隊員135名と車両30両などが参加、511日に行方不明者発見で撤収要請を受けた。512日、山形県大石田町で山林火災が発生したため、第6師団長に災害派遣要請が出され、司令部、第6飛行隊、第20普通科連隊から航空機1機などが出動したが、自治体で対応可能とのことで活動開始前に撤収要請を受けた。513日、山形県米沢市で山林火災が発生したため、5141212に山形県知事から第6師団長に災害派遣要請が出され、師団司令部と第20普通科連隊が県庁と現地対策本部で情報収集を行った。1232、第6飛行隊UH-1Jヘリ2機が消火のため離陸。1243、第6飛行隊UH-1Jヘリ1機が空中統制のため離陸。515日も第6飛行隊UH-1Jヘリ2機(情報収集と空中消火の1機ずつ)が災派活動にあたり、1555に撤収要請を受けた。519日、第44普通科連隊が二本松市主催の安達太良山山開きを支援した。6月、第20普通科連隊に災害用ドローンが配備された。69-16日、第6偵察隊に対する訓練検閲を実施。岩手山演習場、白石布引山演習場、王城寺原演習場で、400km長距離機動、敵進出経路に対する偵察、射撃検閲などを行った。610-17日、第6施設大隊が王城寺原演習場、神町駐屯地、新庄市升形川で、中隊・小隊・班の訓練検閲を実施。618日、山形県沖を震源とする最大震度6強の地震が発生したため、司令部、第20・第21普通科連隊、第6飛行隊が情報収集を実施。623日、第44普通科連隊が自衛官候補生68名に自衛官候補生課程修了式を実施。627日から711日、第22即応機動連隊が矢臼別演習場で中・重砲長距離射撃訓練を実施。駐屯地から演習場まで1100kmを移動し、120mm迫撃砲長距離射撃などを行った。77-10日、第6施設大隊が王城寺原演習場で大隊統制訓練(400km車両行進、夜間20km徒歩行進)、通信小隊訓練検閲(集結地占領、無線・有線構成など)、交通小隊訓練検閲(掩体構築、地雷原構成、70式地雷原爆破装置夜間設置など)を実施。713日、第6施設大隊が大隊家族の日を実施。78-23日、令和元年度協同転地演習に参加。84日、福島県沖を震源とする最大震度5弱の地震が発生したため、第22即応機動連隊と第44普通科連隊が情報収集を行った。99日に上陸した台風15号被害の災害派遣に第20・第44普通科連隊、第22即応機動連隊、第6偵察隊、第6施設大隊、第6後方支援連隊が参加。921日、第6施設大隊が新隊員・一般陸曹候補生46名の施設科後期課程教育修了式を実施。109日、第20普通科連隊銃剣道訓練隊が山形県尾花沢市上柳健康増進施設で玉野保育園園児20人に銃剣道競技指導、基本教練、高機動車搭乗体験を実施。1013日から台風19号・21号被害の災害派遣に第22即応機動連隊、第20・第44普通科連隊、第6特科連隊、第6高射特科大隊、第6飛行隊、第6後方支援連隊、第6特殊武器防護隊、第6施設大隊が参加。1124日、第44普通科連隊の一等陸士が高速バス内で女性に対し不審な動きをする男性を捕捉して警察に引き渡した。後に逮捕への協力で福島警察署長から感謝状を贈呈されている。121日、第6音楽隊が朝日町エコミュージアム創遊館で朝日中学校吹奏楽部との合同コンサートを実施。山形地本が広報展を開催している。129日、第44普通科連隊が王城寺原演習場で中距離多目的誘導弾実弾射撃訓練を実施。1210日、王城寺原演習場で第22即応機動連隊が中距離多目的誘導弾実弾射撃訓練を実施。1211日、第20普通科連隊本部管理中隊対戦車小隊が王城寺原演習場で中距離多目的誘導弾実弾射撃訓練を行い、全弾命中させた。

2020年、第6情報隊が新編された。110日、第22即応機動連隊第2普通科中隊56名が第58回はだか駆け足を実施。111-20日、第20普通科連隊がFIS女子スキージャンプ・ワールドカップ2020蔵王大会の運営に協力した。114日から313日、第20普通科連隊が陸士特技「初級らっぱ」養成集合訓練を実施。127-29日、第6施設大隊が白河布引山演習場で第2中隊に対する冬季訓練検閲を実施。検閲科目は戦闘団の攻撃支援に任ずる施設中隊の行動で、集結地占領、敵陣前障害偵察・解明、破壊筒・集団装薬による障害処理、ドーザーによる車両用通路の開設、70式地雷原爆破装置による人員用通路の開設などを行った。22-10日、第49回新庄雪まつりのメイン雪像制作などに協力した。28-9日、第20普通科連隊第4中隊14名が天童高原スキー場でスノーパークフェスタに協力し、装備品展示やスキー訓練展示などを行った。210-18日、第44普通科連隊が令和元年度協同転地演習に参加。217-18日、第22即応機動連隊が多賀城駐屯地で令和元年度警察との共同訓練を実施。218-19日、第20普通科連隊が大高根演習場で第2中隊、施設作業小隊、衛生小隊の訓練検閲を実施。スキー行進に引き続く陣地攻撃に任ずる第一線普通科中隊、同中隊と協同する施設作業小隊と衛生小隊の行動が課目で、スキー行進、集結地占領、宿営、攻撃準備、偵察結果に基づく攻撃命令下達、障害処理、攻撃前進支援射撃、攻撃と救護活動、目標奪取で訓練を終えた。222日、第20普通科連隊第2中隊6名が酒田市武道館で4機関合同公務員職場紹介(正義のヒーロー大集合)に参加。310-12日、王城寺原演習場などで第20普通科連隊重迫撃砲中隊実射検閲と師団訓練検閲(戦闘射撃)を実施。師団訓練検閲は第20普通科連隊第2中隊と重迫撃砲中隊が受閲し、前者が小火器戦闘射場及び市街地訓練場での小火器戦闘射撃、後者が吉田屋までの120mm迫撃砲実射を行った。325日、第6特科連隊が廃止された。46日、第44普通科連隊が自衛官候補生73名の入隊式を実施。410日、第20普通科連隊が神町駐屯地で災害用ドローンを使用した大災害発生時の情報収集要領を検証した。420-27日、10名が仙台市内で新型コロナウイルスPCR検査場用天幕の展張及び維持管理を実施。422日、第20普通科連隊が第138期陸曹候補生選抜筆記試験合格隊員27名に術科試験を実施。423日、第20普通科連隊が神町駐屯地体育館で感染防護服着用訓練を実施。第20普通科連隊が第138期陸曹候補生選抜筆記試験合格隊員27名に口述試験を実施。430日に山形県南陽市で発生した山林火災の災害派遣に第20普通科連隊と第6飛行隊が参加。514-25日、第20普通科連隊が大高根演習場で各中隊の練成訓練(手榴弾投てき、120ミリ迫撃砲縮射弾射撃、災害用ドローン検証など)を実施。516日、宮城県船形山で男性1人が行方不明になったため、5181640に宮城県知事から第22即応機動連隊長に捜索救助に係る災害派遣要請があり、519-21日に隊員延べ60名と災害用ドローン1機で現地偵察及び捜索活動を行い、5211530に撤収要請が出されて撤収した。61-11日、春季王城寺原演習場統一整備を実施。614日、第20普通科連隊衛生小隊が神町駐屯地サーキット場でUH-1ヘリのモックアップによる機内患者搭載要領の事前練成を実施。615日、第20普通科連隊衛生小隊13名が神町飛行場で第6航空隊UH-1Jによる航空機患者後送訓練に参加。619-23日、第20普通科連隊が神町駐屯地で令和2年度第1回予備自衛官招集訓練を実施。延べ136名が参加し、職務訓練、精神教育、射撃検定、体力検定などを行った。71日、第22即応機動連隊が王城寺原演習場で東北方面隊初の9640mm自動てき弾銃実射訓練を行い、96式装輪装甲車上から実射した。712日、DD-151あさぎりとDDG-172しまかぜが仙台港で行った艦艇広報に協力し、96式装輪装甲車や軽装甲機動車などを展示した。713-17日第21普通科連隊が王城寺原演習場で市街地戦闘訓練練成野営を実施。721-26日、第44普通科連隊が王城寺原演習場で第3次連隊野営を実施。728日に発生した山形県大雨の災害派遣に第6飛行隊と第20普通科連隊が参加。729日、第20普通科連隊が第2回女性活躍推進委員会を開催。1017日から119日、令和2年度機動展開訓練(東北方面隊)に司令部、第44普通科連隊、第6高射特科大隊、第6後方支援連隊、第6通信大隊、第6飛行隊が参加。1031日、第20普通科連隊21名と車両10両が山形県長井市で男子第71回・女子第32回山形県高等学校駅伝大会を支援した。1217日、第20普通科連隊が令和2年度山形県総合スキー(ジャンプ)大会の協力協定書に調印した。1224日、第20普通科連隊が女性活躍推進委員会を開催し、女性自衛官21名が意見交換を行った。

202116-10日、第21普通科連隊が秋田県の除雪作業の災害派遣に参加。111-15日、第22即応機動連隊が王城寺原演習場で第8次連隊野営訓練(基地等警備)を実施。武力攻撃事態を想定し、突発的事態への対処を行った。113日、第20普通科連隊が第50回新庄雪まつりの協力に関する協定書の調印式を実施。114-17日、第20普通科連隊本部管理中隊・第3中隊計10名が令和2年度山形県総合スキー(ジャンプ)大会の運営に協力した。114日、第6音楽隊が東根市立小田島小学校体育館で創立130周年記念音楽教室を実施。24日と15-16日、第6施設大隊が神町駐屯地西訓練場で令和2年度大隊冬季戦技競技会を実施。部隊機動で第3中隊、アキオ曳行と階級別リレーで本部管理中隊が優勝し、本部管理中隊が総合優勝した。2132308頃、福島県沖を震源とする最大震度6強の地震が発生したため、第22即応機動連隊と第44普通科連隊のファスト・フォースが情報収集を行った。220日、やまぎん県民ホールで第6師団音楽まつりを実施。311日、新型コロナウイルス対応の功績で、第6高射特科大隊に1級賞状が授与された。46日、第20普通科連隊が駐屯地営庭で新隊員79名の自衛官候補生入隊式を実施。414日、第20普通科連隊が関山大滝で令和3年度師団レンジャー集合教育のロープ訓練(高さ25m・長さ33mのロープ渡り)を実施。420-21日、第20普通科連隊が山形県天童市山寺の馬口岩と恵比寿岩で令和3年度師団レンジャー集合教育の山地総合訓練を実施。423-28日、第20普通科連隊が王城寺原演習場で令和3年度第1次基礎となる部隊の訓練検閲を実施。第2中隊が受閲し、40km徒歩行進、陣地構築、防御戦闘を行った。423日、福島県郡山市で発生した山林火災の災害派遣に第44普通科連隊と第6飛行隊が参加。53日、第20普通科連隊第3中隊が2名で山形県東根市若木山特設ステージで神町まつりに協力し、軽装甲機動車の車両展示を行った。54日、第20普通科連隊が天童市貫津沼で令和3年度師団レンジャー集合教育の水路潜入(偵察ボートによる敵地潜入、冠水地域での被災者救助)を実施。56日、第20普通科連隊が神町駐屯地で令和3年度師団レンジャー集合教育の10マイル走を実施。510-21日、令和3年度白河布引山演習場春季統一整備に参加。515日、第44普通科連隊本部管理中隊施設作業小隊が、福島市吉井田地区で行われた令和3年度福島市総合防災訓練に参加し、台風を想定した避難住民搬送などを行った。65日、第20普通科連隊第3中隊4名が天童高原634の松交流イベントに協力し、らっぱ吹奏、高機動車展示、天幕設営などを行った。611日、第20普通科連隊が担任した師団レンジャー集合訓練学生24名が駐屯地に帰還し、レンジャー徽章を授与された。72-25日、第20普通科連隊第1中隊が防衛大学校3年生11名の夏期定期訓練部隊実習に協力し、地図判読、広帯域多目的無線機取扱、機関銃実弾射撃などを行った。74-8日、第6施設大隊が令和3年度第3中隊訓練検閲(師団の全般支援、師団指揮所構築)を実施。820-26日、訓練評価支援隊の令和3年度北海道訓練センター実動対抗演習第3回運営に第44戦闘団が参加。94-9日、第20普通科連隊が王城寺原演習場で令和3年度第2次師団訓練検閲練成訓練を実施。20km夜間徒歩行進の後に陣地構築、防御戦闘、捕虜取扱、第一線救護などの訓練を行い、終了後は中隊ごとに事後研究会AARを開催した。116-16日、第6施設大隊本部管理中隊が白河布引山演習場で交通小隊検閲を実施。117-15日、第6施設大隊が令和3年度秋期白河布引山演習場統一整備を実施。1111日、第20普通科連隊が隊員21名と車両10両で男子57回・女子32回東北高等学校駅伝競走大会を支援した。

202216日、第22即応機動連隊が訓練始め(駐屯地内ランニング、9ミリ拳銃・89式小銃取り扱い確認)を実施。第22即応機動連隊第1普通科中隊所属2等陸曹が人命救助の功績で駐屯地司令から善行褒賞を授与された。111日、第20普通科連隊が訓練始め(自衛隊体操、アキオ曳航リレー)を実施。113日、令和4第1空挺団降下訓練始めに第22即応機動連隊が16式機動戦闘車で参加。118-23日、第20普通科連隊第4中隊8名が山形県総合運動公園雪フェスタを支援し、雪灯籠、雪だるま、滑り台などを製作した。127日から26日、第20普通科連隊が第10回天童高原スノーパークフェスタを支援し、寅の雪像を制作した。27-15日、第20普通科連隊が新庄市最上中央公園で開催された第50回新庄雪まつりの雪像製作を支援した。216-19日、第20普通科連隊が王城寺原演習場で冬季総合戦闘射撃野営を実施。216日は除雪や射場構成といった射撃準備で、第6施設大隊が移動経路の除雪に協力している。217日は第3中隊担任の01式軽対戦車誘導弾演習弾射撃(第1・第3・第4中隊参加)、第1中隊が戦闘訓練射撃シミュレータGICCSによる戦闘射撃、第3中隊が小火器戦闘射撃を実施。218日は第1中隊が重機関銃射撃、第2中隊が小火器戦闘射撃と夜間小銃射撃、第4中隊がGICCSによる射撃と第2爆破訓練場での81mm迫撃砲射撃を行った。217-18日、第20普通科連隊が神町駐屯地西訓練場で第4中隊の部隊訓練検閲を実施。224-25日、第6施設大隊が大高根演習場と神町駐屯地東西訓練場で第3中隊冬期訓練検閲を実施。226日から行われた第58回バイアスロン日本選手権大会男子4.5キロチームコンペティーション(一般銃)の部で第20普通科連隊が優勝した。227日、山形市やまぎん県民ホールで第17回第6師団音楽まつりを実施。新型コロナウイルス感染拡大を踏まえ、一般公募は取り止めて招待者のみの鑑賞となった。316日に発生した福島県沖最大震度6強の地震の給水に係る災害派遣に第44普通科連隊、第22即応機動連隊、第6後方支援連隊、第6高射特科大隊、第6特殊武器防護隊が参加。328日、第20普通科連隊が第66回山形県縦断駅伝競走大会の協力に関する協定書の調印式を実施。329日、第20普通科連隊が連隊教場で令和3年度第2回女性活躍推進委員会を実施。43日、第20普通科連隊が神町駐屯地体育館で自衛官候補生75名に令和4年度自衛官候補生入隊式を実施。49日、第44普通科連隊が自衛官候補生51名の入隊式を実施。511-19日、春期演習場統一整備を実施。白河布引山演習場と王城寺原演習場で樹木伐採などの整備を行った。529日、第2-普通科聯隊が第11回天童高原634の松交流イベントに協力し、軽装甲機動車展示、高機動車体験搭乗、らっぱ演奏を行った。

202338日、福島県郡山市と白河市で発生した山林火災の災害派遣に第6飛行隊が参加。622日から713日、第44普通科連隊1個普通科中隊がサザン・ジャッカルー23に参加。11-12月、第6音楽隊がパシフィック・パートナーシップ2024に参加。

参考:JGround Vol.23、月刊軍事研究4,095,118,1111,114,1712,179,18、第6師団ホームページ、MORIBITO Vol.3、月刊JWings7,106,1110,111,146,146,'1612,168,195,'217,'214,225,'23、月刊丸10,10、月刊PANZER5,836,'18、スピアヘッドNo.8No.12MAMOR vol.52vol.135vol.136vol.142vol.150vol.151vol.152vol.154vol.155vol.162vol.163、月刊航空ファン6,1111,1610,17、朝雲、ストライク・アンド・タクティカルマガジン3,13、大和駐屯地ホームページ、月刊世界の艦船9,19

 <第6師団(陸自、1977年)>:東北方面隊隷下で、司令部は神町にある。第20普通科連隊、第21普通科連隊、第22普通科連隊、第44普通科連隊、第6特科連隊などを隷下に置く。参考:日本の防衛戦力Part1

 <第6師団(陸自、1980年)>:東北方面隊隷下で、司令部は東根市にある。第20普通科連隊、第21普通科連隊、第22普通科連隊、第44普通科連隊、第6特科連隊などを隷下に置く。参考:自衛隊装備カタログ1981

第6師団(陸自、1980年代半ば)>:東北方面隊隷下で、秋田、山形、宮城、福島の防衛を担当する。隷下に第20・第21・第22・第44普通科連隊、第6特科連隊などを置く。参考:兵器最先端5、日本の戦力

第6師団(陸自、2007年度)>:東北方面隊隷下で、司令部は神町にある。第6飛行隊、第20普通科連隊、第22普通科連隊、第44普通科連隊、第6後方支援連隊、第6施設大隊、第6通信大隊、第6特科連隊、第6高射特科連隊、第6戦車大隊、第6偵察隊などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,07

第6師団(陸自、2015年)>:東北方面隊隷下で、司令部は神町にある。第6師団司令部、司令部付隊、第20普通科連隊、第22普通科連隊、第44普通科連隊、第6飛行隊、第6戦車大隊、第6特科連隊、第6高射特科大隊、第6偵察隊、第6施設大隊、第6通信大隊、第6特殊武器防護隊、第6後方支援連隊、第6音楽隊を隷下に置く。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

<第6次ブーゲンビル島沖航空戦>:ブーゲンビル島沖航空戦を参照。

<第6重攻撃飛行隊>:VAH-6を参照。

第6親衛戦車軍(ソ連)>:ソ連陸軍の親衛戦車軍。1944912日、第6戦車軍から改称されて新編された。10月、ハンガリー地区で戦闘に参加。19452月、ハンガリーの首都ブダペストを攻略。316日、第3ウクライナ方面軍に配属されてバラトン湖作戦に参加。413日、第2ウクライナ方面軍配属となり、ウィーン作戦に参加。58日、チェコスロバキアのプラハを制圧。下旬、満州作戦のため極東に移動。89日より満州作戦に参加、長春と奉天の2方面に攻撃を開始。関東軍第3方面軍第44軍を撃破して終戦時には一部部隊が大連に駐屯した。参考:月刊グランドパワー4,98

第6親衛戦車軍団(ソ連)>:ソ連陸軍の親衛戦車軍団で、キエフ・ベルリンの称号を持つ。1943726日、第12戦車軍団から改称された。8月、ブリヤンスク方面軍に配属となった。9月、ドニエプル作戦に参加。10月、キエフ作戦参加のため移動。11-12月、キエフ作戦に参加。19441月、ジトミール・ベルディチェフ作戦のため第1ウクライナ方面軍予備第3親衛戦車軍に配属された。3-4月、プロスコロフ・チェルノフツィ作戦に参加。7月、ルヴォフ・サンドミエルツ作戦に参加、ルヴォフを奪回。19451-3月、サンドミルツ・シュレジエン作戦でドイツ国境を越えた。4月、ベルリン南西部の防御線に突入。5月、チェコスロバキアのプラハに進出。19466月、第6親衛戦車師団に改称された。参考:月刊グランドパワー4,98

第6真盛丸>:日本海軍特設艦船。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は第4艦隊補給部隊に所属していた。参考:帝国海軍太平洋作戦史T

第6水雷戦隊(日本海軍)>:日本海軍の水雷戦隊。昭和151115日に新編された。昭和16128日、太平洋戦争開戦を受け、ウェーク島攻略作戦のためルオットを出撃(夕張、第29駆逐隊、第30駆逐隊)。昭和17117日、R作戦参加のためメレヨン島を出撃(夕張、第29駆逐隊、第30駆逐隊)。その後ラバウルで待機した。220日、アメリカ機動部隊迎撃のためラバウル東方に向かったが、触接できず、223日にトラックに入港。燃料を補給して226日にトラックを出港し、31日にラバウルに帰港。351300SR作戦のためラバウルを出港。54日、ポートモレスビー攻略部隊としてMO作戦に参加。56日、珊瑚海海戦に参加(夕張、追風、朝風、睦月、弥生、望月)。710日に解隊され、夕張、第29駆逐隊、第30駆逐隊は第2海上護衛隊に編入された。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊世界の艦船6,83、日本海軍艦隊総覧

 <第6水雷戦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第4艦隊隷下、兵力部署では南洋部隊ウェーク島攻略部隊所属で、旗艦夕張、第29駆逐隊、第30駆逐隊からなる。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧、帝国陸海軍事典

第6戦車軍(ソ連)>:ソ連陸軍の戦車軍。1944120日、第1ウクライナ方面軍管轄下に新編され、コルスン・シェフチェンコスキー作戦に投入された。35日、第2ウクライナ方面軍配属となり、ウマン・ボトサニ作戦に参加。329日、ルーマニア国境地区を奪取。5月、タルグ・フルモス地区に移動。6月、ヴェーラー作戦集団を撃滅。82日、ヤッシー・キシニョフ作戦のため第2ウクライナ方面軍に配属。831日、ルーマニアの首都ブカレストを攻略。912日、戦功により第6親衛戦車軍に改称された。参考:月刊グランドパワー4,98

<第6潜水艦>:第6潜水艇を参照。

第6潜水戦隊(日本海軍)>:日本海軍の潜水戦隊。昭和1651日に編成された。昭和17410日、編成から除かれた。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

 <第6潜水戦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第3艦隊隷下で、旗艦は潜水母艦長鯨。隷下に第9潜水隊、第13潜水隊を置く。兵力部署では南方部隊潜水部隊で、長鯨、第9潜水隊からなる(第13潜水隊は欠)。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧、帝国陸海軍事典、日本潜水艦物語

第6潜水隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の潜水隊20064月に廃止された。2018312日、第2潜水隊群隷下に再編され、同日就役したSS-509せいりゅうが配備され、SS-506こくりゅうが第4潜水隊から隷下に入った。2021324日、SS-512とうりゅうが配備された。202239日、SS-505ずいりゅうが第4潜水隊から転入し、SS-512とうりゅうが第4潜水隊に移った。参考:JShips Vol.46、参考:月刊世界の艦船5,186,'21、朝雲

第6潜水隊(1978年)>:第1潜水隊群隷下で、呉に置かれている。SS-571たかしお、SS-572やえしおを配備する。参考:月刊世界の艦船1,79増刊

第6潜水隊(2001年度)>:第2潜水隊群隷下で、横須賀に置かれている。SS-578はましお、SS-587わかしおを配備する。参考:月刊世界の艦船1,02

第6潜水隊(2018年3月12日再編時)>:第2潜水隊群隷下で、横須賀に置かれている。SS-506こくりゅう、SS-509せいりゅうを配備する。参考:月刊世界の艦船5,18

第6潜水隊(2020年)>:第2潜水隊群隷下で、横須賀に置かれている。SS-506こくりゅう、SS-509せいりゅうを配備する。参考:月刊世界の艦船6,20

第6潜水艇>:日本海軍ホランド型改潜水艦。明治39年竣工、明治40年就役。明治43415日、新湊沖で沈没、乗員全員が死亡した。416日に引き揚げられ、修理の上現役に復帰。大正841日、第6潜水艦に改称された。大正9121日に除籍された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

第6潜水艇沈没事故>:明治43411日、日本海軍第2潜水艇隊所属の第6潜水艇は乗員14名を乗せて潜水母艦歴山丸と共に呉を出港し、広島湾で水上航走試験を実施。412-13日、水雷発射試験を行った。414日、長時間潜航試験を実施。4151000頃、広島湾阿田多島北西で通風筒を使用してのガソリン潜航訓練(今で言うシュノーケル航行)に入った。その際に深度が深くなったため、通風筒から海水が逆流しないよう、スルースバルブを閉じようとしたが、途中でチェーンが滑車に引っかかって動かなくなった。チェーンが切れたと考えた操作員が手動で閉めようとするも間に合わず、そのまま艦後部に海水がなだれ込んで仰角25度で沈没、仰角13度で海底に沈座した。配電盤が海水に浸かったため艦内電源が切れ、手動でメインタンクとガソリンタンクをブローしたものの、海水流入量が多く、深度計は52フィート(15.8m)を指したまま動かなかった。蓄電機室は艦前部にあり浸水せず、塩素ガスは出なかったものの、電線のショートで艦内には煙が充満し、気化したガソリンも漂い、冷たい海水に浸りながら乗員の苦闘が続き、昼過ぎ頃に14名全員が力尽き死亡したとみられる。歴山丸は1100頃に第6潜水艇を見失い、当初は海底沈座試験中と考えたが、あまりに上がってこないため水雷母艦韓崎に通報。捜索の結果、416日に艦載水雷艇の掃海索が艇体に引っかかって沈没箇所が特定され、417日に起重機船で引き上げられて呉海軍工廠ドックで調査が行われた。調査の結果、全員が部署を守り死の瞬間まで職務を行っていたことが判明、艇長佐久間勉海軍大尉も事故の経過から遺族に対する措置までを記した遺書を軍服のポケットに残しており、世界の海軍や潜水艦乗員に強い感銘を与え、イギリス海軍では教本に載り、アメリカの議会議事堂には遺書の写しが陳列された。第6潜水艇は調査後に記念艦として海軍潜水学校に展示された。呉の鯛の宮神社に殉難顕彰碑があり、碑内にスクリューが保存されている。岩国市装束町養気園に記念碑が建てられており、他に艇長生地の福井県若狭町、母校のある福井県小浜市、海軍潜水艦基地のあった広島県呉市で毎年追悼式典が行われている。2009415日、福井県若狭町と小浜市で佐久間艇長の顕彰祭を実施。DE-229あぶくま、SS-584なつしおが支援した。2012414日、岩国市装束町の記念碑前で慰霊祭を実施。2014415日、福井県若狭町と小浜市で佐久間艇長遺徳顕彰祭を実施。陸自第10師団長、在日米海軍副司令官兼参謀長ら300人が参加した。参考:現代の潜水艦、月刊軍事研究8,06、月刊丸6,01、月刊世界の艦船8,11増刊、9,12増刊、MAMOR vol.87、朝雲

第6戦隊(日本海軍)>:日本海軍の戦隊。昭和14520日、重巡筑摩の就役と同時に再編されて重巡利根と筑摩が編入され、第2艦隊の隷下に入った。昭和161222日から第二次ウェーク島攻略戦に参加(青葉、加古、衣笠、古鷹)。昭和174月下旬からMO作戦(青葉、加古、衣笠、古鷹)に参加。56日、珊瑚海海戦に参加(青葉、加古、衣笠、古鷹)。88日、第1次ソロモン海戦に参加(青葉、加古、衣笠、古鷹)。911日、サボ島沖夜戦に参加(青葉、衣笠、古鷹)、司令官の五藤存知少将が戦死した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊世界の艦船6,831,'23、日本海軍艦隊総覧

 <第6戦隊(昭和9年)>:第2艦隊隷下で、青葉、加古、衣笠が配備されていた。参考:帝国陸海軍事典

 <第6戦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第1艦隊隷下、兵力部署では南洋部隊グアム島攻略支援隊所属で、青葉、衣笠、加古、古鷹を配備する。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、帝国陸海軍事典、日本海軍艦隊総覧

第6掃海隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の掃海隊。1952111日に新編された。参考:月刊世界の艦船8,11増刊

第六高砂丸>:2ET型戦時標準油槽船。総トン数834トン。昭和2035日、南号作戦ヒ八八i船団の一員としてシンガポールを出港。320日、ニャンチャン沿岸でB-25の攻撃を受けて沈没した。参考:戦時標準船入門

第6地対艦ミサイル連隊(陸上自衛隊)>:陸上自衛隊の地対艦ミサイル連隊。20013月、宇都宮駐屯地で新編された。2009512-14日、宇都宮駐屯地で富士重工新入社員26人に対する生活体験入隊を実施。822日、宇都宮城址公園で平成21年度宇都宮市総合防災訓練に参加。20113月末に廃止された。参考:宇都宮駐屯地ホームページ、月刊軍事研究9,11、朝雲

<第6偵察航空飛行隊>:RVAH-6を参照。

第6任務部隊(アメリカ海軍)>:太平洋艦隊設立と共に隷下に入った。第3敷設隊群、輸送艦、高速輸送艦、補給支援統制部隊を隷下に置く。参考:歴史群像8,98

第6飛行師団>:日本陸軍の飛行師団。昭和171127日にラバウル向け部隊として編成され、第8方面軍の隷下に入った。昭和18628日時点で定数245機に対して保有機は240機、稼働機は107機であり、保有機に対する稼働率は45%であった。隷下部隊ごとの稼働機は、飛行第1戦隊(隼28機)、第10戦隊(一〇〇式司偵8機)、第13戦隊(屠龍15機)、第14戦隊(九七重爆11機)、第24戦隊(隼13機)、第45戦隊(九九式双軽0機)、第208戦隊(九九式双軽13機)、第83中隊(九九式軍偵9機)である。628日、第14飛行団司令部と第78戦隊の飛燕7機がラバウルに進出した。7月、第4航空軍隷下に入った。参考:ラバウル航空戦、歴史群像8,15

 <第6飛行師団(昭和18年7月28日)>:第4航空軍隷下で、白城子教導飛行団(飛行第45戦隊、飛行第208戦隊)、飛行第10戦隊、飛行第13戦隊、飛行第14戦隊、飛行第24戦隊などからなる。参考:歴史群像8,15

第6飛行隊>:航空自衛隊の飛行隊。部隊マークはF-86F時代は赤のストライプと8をデザインした電光だったが、F-1改編で弓と刀、鞘を組み合わせたものに変更した。F-86F装備の6番目の飛行隊として195981日に第2航空団隷下で千歳基地で創設された。19591027日、新田原基地に移動したが、西部航空方面隊隷下の航空団がまだ無かったので、組織上は第2航空団隷下のままで西部航空方面隊直轄となった。196041日(10日?)、第5航空団に編入された。101日、松島基地に移動した。1961715日、新田原基地への移動を完了した。19641026日、臨時築城航空隊(後の第8航空団)に編入され、築城基地に移動した。1228日、第8航空団発足に伴い、その隷下となった。1981228日、F-1への機種改変を完了した。1991年、T-4の配備を開始。1992年、T-33Aの使用を終了。200483日、F-2の配備を開始。200639日、F-1支援戦闘機6機でラストフライトを実施。318日、F-2への機種改変を終了。200731日、所要の訓練と能力点検を終了したのに伴い、F-2による対領空侵犯措置が附与された。200995日、創設50周年記念式典を実施。20122161747頃、コープノース・グアムに参加中のF-2が誤操作により両翼下の増槽2本をアンダーセン空軍基地の北東170kmの太平洋上に落下させた。226日、コープノース・グアムに参加した8機のうち4機が百里基地で出入国手続きを行った後、築城基地に帰投した。2015821日から93日、米軍再編に係る嘉手納飛行場から築城基地への共同訓練移転にF-2A戦闘機6機で参加。2016913日、F-2A戦闘機1機が第8飛行隊F-2A戦闘機1機と共にアメリカ空軍第34遠征爆撃飛行隊B-1B爆撃機2機と要撃戦闘訓練を実施。20181121453頃、F-2A戦闘機4機で築城基地を離陸して九州西方洋上の訓練空域で戦闘訓練を実施。訓練終了後、築城基地西200km沖の訓練空域で外観点検を行っていたF-2戦闘機2機が1549に接触事故を起こした。1番機は垂直尾翼端後部が損傷してJ/ASQ-2ミサイル警報装置用アンテナが欠損したが1622頃に築城基地に着陸、2番機は左主翼下ミサイルランチャー前端が欠損(ミサイルは未搭載)し増槽左前下部が擦れたが1630頃に築城基地に着陸している。126日、F-2戦闘機の接触事故について空幕が調査結果を公表。外観点検では、点検を受ける側の機体が先行して編隊長機の位置につき、点検を行う側の機体がこれを常に視認しつつ飛行する手順になっているが、2番機の外観点検を終了した1番機が、外観点検を受ける姿勢に入ろうとして2番機に無線とジェスチャーで左旋回(レフトターン)と編隊長機位置交代(ワン・テイク・リード)を伝えたものの、実際には2番機に後者の指示が伝わっておらず、両機とも先行機であると勘違いして同じ場所に機体を位置させようとし、互いに視認しないまま角度の異なる左旋回を継続したため急速に接近、気付いた時には回避不可能となっており、接触損傷した。再発防止策として、再発防止教育、厳正な指揮・安全管理の徹底、編隊長機位置交代・外観点検実施要領明文化を挙げている。20192200848F-2戦闘機3機が築城基地を離陸し、山口県沖の日本海で対戦闘機戦闘訓練に入った。1番機の追尾を逃れるため、2番機(F-2B)がエンジン出力を絞って降下旋回を行い、次いで1番機を追いかけるためエンジンを最小出力に絞って左上昇旋回を実施、更に機首を切り返して右旋回したが、この時に機首を直上に引き上げてしまい、失速して背面姿勢で操縦不能に陥った。背面錐揉みで落下する中、後席の教官が操縦を交代したが、体が座席から浮き上がってしまい操縦桿のMPOManual Pitch Override。操縦桿を手動操作優先に切り換える)スイッチを押せず、操縦桿をマニュアルモードに変換できなかった。そこで前席パイロットにMPOスイッチを押すよう指示しようとしたが、間違って別のスイッチ(アティテュード・リカバリー・スイッチ)を告げてしまい回復操作に失敗、パイロット2名は緊急脱出し、機体は洋上に墜落した。空自では0918に救難信号を確認、0920にレーダーから機影が消失したため、0930に第3救難区域に航空救難を発令し、1006芦屋救難隊U-125A救難機が救命浮舟を確認、1012にパイロット2名が中にいるのも確認し、1043に同隊UH-60J救難ヘリが救出した。パイロット2名は1名が胸椎骨折など全治2ヶ月の重傷、1名が頸椎捻挫などで全治2週間の軽傷を負ったが、命に別状は無く、機体は山口県見島沖深さ100mの海底で発見されている。再発防止教育とF-2操縦系統に対する特別点検を行い、228日から訓練を再開した。83日、創隊60周年記念式典を実施。2021415日、F-2A戦闘機3機が洋上爆撃訓練を実施。両主翼下に500ポンド模擬爆弾を搭載して出撃し、JAQ-1新型水中標的を主翼下パイロンに吊り下げたF-2A戦闘機1機も離陸、訓練を行った。10101250頃、対領空侵犯措置任務中のF-2A戦闘機1機から、キャノピー(アルミニウム及びアクリルガラス製。長さ1.5m、幅0.9m、高さ0.8m、重量90kg)と緊急用梯子(アルミニウム製梯子とナイロン製縄。縦0.2m、横2m、重量0.48kg)が、築城基地南西35kmの福岡県朝倉市東部山間部上空で落下した。乗員は無事で、築城基地に着陸後に機体を調査したところ、垂直尾翼に縦1.5cm・横3cmの損傷が確認されている。パイロットが離陸前にキャノピーのロック状態を確認せず、半ロック状態で離陸したため、与圧による圧力差で吹っ飛んだとみられ、空幕は教育訓練の改善で再発防止を図るとした。2022131日、3等空曹が車両同士の事故を目撃した際に交通統制を行った功績で、団司令から善行褒章状を贈呈された。参考:月刊JWings6,161,048,155,076,0811,095,125,199,1910,197,'2112,'211,'223,'22、月刊航空情報2,10、世界の傑作機No.39、月刊航空ファン11,1512,161,192,19、朝雲

 <第6飛行隊(2015年)>:第8航空団飛行群隷下で、築城基地に置かれている。F-2A/BT-4を装備する。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊航空ファン4,16

 <第6飛行隊(2020年)>:第8航空団隷下で、築城基地にある。F-2A/BT-4を装備する。参考:月刊JWings6,20

第6防備隊>:日本海軍の防備隊。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は第6根拠地隊隷下だった。参考:帝国海軍太平洋作戦史T

第6方面軍(日本陸軍)>:日本陸軍の方面軍。昭和198月末、中支から南支を担当する方面軍として新編され、衡陽攻略を終えて更に南進する第11軍、第23軍、武漢防衛担当の第34軍を隷下に入れ、更に長沙−衡陽の占領地域管理及び中支−南支の敵勢力地域での作戦を担当する第20軍を満州から引き抜き、内地から第47師団の増派も受けた。昭和199月、一号作戦の零陵攻略戦を実施。11月、一号作戦の桂林・柳州攻略戦を実施。昭和204月、第27師団を直轄部隊として隷下に入れた。参考:歴史群像6,164,18

 <第6方面軍(昭和19年後半)>:支那派遣軍隷下で、司令部は漢口にある。第11軍、第20軍、第23軍、第34軍、第47師団を隷下に置く。参考:比島決戦

第6ポメラニア航空強襲師団>:ポーランド軍の空挺部隊で、1957年に第6ポメラニア歩兵師団から改編されて創設された。ワルシャワ軍管区クラコウ付近に配備されており、兵力4000名。4個空挺大隊と1個特殊戦大隊で構成され、BMP-1歩兵戦闘車、OT-64装甲車などを装備する。銃は1960年代までPPSh-43サブマシンガンを配備していたが、さすがに古く、PMK突撃銃に更新された。兵士はポーランド・スカイダイビング・クラブから徴収され、年に15回の戦闘降下訓練に加え、山岳戦訓練や極地戦訓練も行う。参考:ワルシャワ条約機構軍特殊部隊

 <第6ポメラニア航空強襲師団(1985年)>:師団司令部(100名。RPG-7対戦車ロケット6基、9M32地対空ミサイル6基)、空挺連隊3個(3100名。OT-64装甲車23両、BMP-1歩兵戦闘車12両、RPG-7対戦車ロケット230基、120mm迫撃砲12門、9M32地対空ミサイル95基)、砲兵大隊(240名。RPG-7対戦車ロケット12基、WP-8牽引式8連装140mmロケットランチャー6基、D-30榴弾砲12門、9M32地対空ミサイル12基)、防空大隊(135名。9K31自走対空ミサイル4両、ZU-23高射機関砲18門、9M32地対空ミサイル12基)、対戦車中隊(45名。対戦車ミサイル搭載BRDM-2装甲車9両、RPG-7対戦車ロケット9基)、輸送大隊(165名。RPG-7対戦車ロケット12基、9M32地対空ミサイル6基)、工兵中隊(65名。RPG-7対戦車ロケット4基、9M32地対空ミサイル12基)、通信大隊(120名。BRDM-2装甲車4両、RPG-7対戦車ロケット4基、9M32地対空ミサイル6基)、偵察中隊(60名。BRDM-2装甲車4両、RPG-7対戦車ロケット8基、9M32地対空ミサイル6基)、支援各部隊(350名。BRDM-2装甲車3両、RPG-7対戦車ロケット8基、9M32地対空ミサイル6基)からなる。参考:ワルシャワ条約機構軍特殊部隊

 

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