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>:海上自衛隊の略号で、当直士官のこと。参考:日本の防衛戦力Part3

ト二器>:日本陸軍の対航空機クラスター弾ケース。内部にト二弾10発収容しており、投下されるとパラシュートを開いて降下、敵機編隊上空でト二弾をばらまく。参考:日本海軍の爆弾

ト二弾>:日本陸軍の対航空機用子爆弾。重量1.8kgト二器に収容して使用する。参考:日本海軍の爆弾

ト三器>:日本陸軍の対航空機クラスター弾ケース。内部にト三弾30発収容する。全備重量50kg。参考:日本海軍の爆弾

ト三弾>:日本陸軍の対航空機用子爆弾、重量0.54kgト三器に収容して使用する。参考:日本海軍の爆弾

ト四弾>:日本陸軍の対航空機爆弾。長さ200mのワイヤーの先に30kgまたは50kg爆弾を取り付けて航空機で曳航し、敵爆撃機に接触させて爆発させるものである。昭和19年にテストされたが、海軍垂下曳航爆弾をスケールアップしたようなもので、やはり上手くいかず、実用化されなかった。参考:日本海軍の爆弾

ドアガナー>:武装ヘリなどの乗降用ドアに取り付けられた武装を操作する銃手のこと。参考:月刊軍事研究6,07

ドアガン移動間射撃訓練>:陸上自衛隊の実射訓練。UH-1のキャビンに12.7mm重機関銃M2を横向きに据え付け、ホバリングもしくは移動飛行中に射撃を行う。参考:朝雲

ドアガン接地射撃訓練>:陸上自衛隊の実射訓練。接地状態のUH-1のキャビンにM3トライポッドを介して12.7mm重機関銃M2を横向きに据え付け、500m先の4m四方の的に向け射撃する。参考:朝雲

ドア・キッカー>:SWATが採用しているドアこじ開け機で、タイヤ用のコンプレッサーで圧縮空気を充填しておき、ドアに押し当てれば、スチール製のドアでも簡単にこじ開けられる。重量21kg。参考:月刊軍事研究4,97

<ドアノッカー>:PaK36(対戦車砲)を参照。

<ドイエン>:APA-1(攻撃輸送艦)を参照。

砥石>:日本陸軍の木工器材。参考:工兵入門

トイ車>:日本陸軍の試作ブルドーザーで、二式土工牽引車ともいう。万が一の対ソ戦時に必要となる戦車用通路を速やかに開設するため開発されたもので、昭和159月頃に陸軍技術本部第3研究所(工兵機材担当)が小松製作所に依頼し、昭和161月に道路用牽引車という名称で正式に設計着手を命じた。当時日本国内にブルドーザーは無く、満州のダム建設現場で使用されているブルドーザーを調査し、実際に通路を開設するであろう地域にも出向き、ブルドーザーとダンプカーが要るということで取り敢えずブルドーザーから作ることになった。ロケ車をベースに製作することにし、昭和169月には図面が完成したが、太平洋戦争勃発で対ソ戦機材は後回しとされ、一旦保留された。その後昭和1712月に再開命令が出され、昭和1810月に試作車が完成した。重心を前方に移して作業をやりやすくするためにエンジンを前方に置き、終減速機を2段に変更した。重作業時には前4輪の揺臂をピンで固定して硬式懸架にすることが可能。土工板は幅2.82m、高さ0.7mで、油圧作動式、左右25度のアングリングと8度のチルティングを行える。全長5.69m、全幅2.82m、全高2.192m、車両重量11.7トン。エンジンは陸軍統制水冷直列6気筒ディーゼル(88馬力、10850cc)で、前進4段・後進1段、最大速度14.7km、最大後進速度2.3km。昭和18-19年に80両が生産された。参考:月刊グランドパワー6,108,10

ドイツ海軍(再軍備まで)>:1867年、北ドイツ連邦が成立し、陸軍隷下に海軍を創設した。1871年、帝政ドイツが誕生。普仏戦争当時にフランス海軍により完璧に抑え込まれた反省から、ヴィルヘルムⅠ世がドイツ皇帝海軍(カイザリッヒ・マリーネ)を創設し、陸軍から独立させた。1893年、初の近代戦艦(前弩級戦艦)であるブランデンブルク級が就役開始。1895年、キール運河が開通し、ユトランド半島付け根東部のキール軍港と西部のヴィルヘルムスハーフェン軍港を直接行き来できるようになった。1897年、アルフレート・フォン・ティルピッツ提督が海軍大臣に就任。イギリスに対抗できる海軍力(外洋艦隊)建設に乗り出し、1898年と1900年に大艦隊建設法を成立させ、7年間で1億マルクをかけて戦艦12隻と巡洋艦33隻を建造した。第1次大戦前、ティルピッツ提督は最低でも対英7割の海軍を目指しており、イギリスが主張する対英6割と激しく衝突、アメリカの仲介をもってしても軍縮協定は結ばれなかった。7割の戦力でもイギリスに対抗できるよう、主砲口径が1割小さくても同じ破壊力を得られるようにし、節約した砲塔重量は全て防御鋼板に回し、測距儀や射撃方位盤を精密にし、猛訓練を行った。蒸気タービンの開発が遅れたのと、使用できる石炭がカロリーが低く煤煙の多い褐炭だったため、機動力などの面ではイギリスより不利だった。第1次大戦時にはド級戦艦19隻と巡洋戦艦7隻を保有。1918119日にドイツ帝国が崩壊してワイマール共和国となり、第1次大戦敗戦で残存艦艇はイギリスのスカパフローに抑留された。1919621日、スカパフロー湾内で残存艦艇(主力艦17隻、軽巡8隻、駆逐艦50隻)のうち52隻が自沈して戦力が消滅した。第1次大戦後はベルサイユ条約に基づいて厳しい軍備制限を課せられ、名称も国家海軍(ライヒスマリーネ)に改称、戦力は前ド級型戦艦6隻(ブラウンシュヴァイク級5隻+ドイッチュラント級3隻の計8隻?)、軽巡洋艦6隻、駆逐艦12隻のみとなった。1928-29年、ヴォルフ級水雷艇6隻が竣工。1931年、軽巡ライプチヒが就役。19321115日、ドイツ海軍再建計画が政府に承認された。1933年、ドイッチュラント級装甲艦が竣工を開始。193310月、潜水学校が開設された。1934年、He60水偵の量産を開始。1935316日、ベルサイユ条約を破棄して再軍備を開始した。参考:世界大海戦史考、月刊世界の艦船7,'156,'20、月刊軍事研究1,10、歴史群像6,16、グラフィックアクション44、月刊丸8,114,17、Uボート入門

ドイツ海軍(再軍備以降)>:1935316日、ベルサイユ条約を破棄して再軍備を開始。名称を戦闘海軍(クリークスマリーネ)に改称した。航空戦力は空軍が独占しており、水上機も空軍の艦載飛行隊が運用していたが、実用的でないため、海上偵察飛行隊が海軍の指揮下に移された。618日、英独海軍協定を締結。629日、再軍備後初のUボートが就役。9-12月、ドイツ海軍調査団が来日し、空母赤城などを見学した。1937年、レーベレヒト・マース級駆逐艦が就役開始。1938年、ドナウ型潜水母艦1隻が就役。193811月の序列は、トップがドイツ国防軍最高司令官アドルフ・ヒトラー、その下がドイツ海軍最高司令官・ドイツ海軍司令長官エーリッヒ・レーダー、その下がドイツ海軍総司令部で、東方・東海・北海の3管区、潜水艦隊、偵察隊(魚雷艇隊と掃海艇隊からなる)、艦隊、装甲艦隊を隷下に置いていた。1939年、アドミラル・ヒッパー級重巡2隻、T-1級魚雷艇が就役。19393月、Z計画を策定。しかし半年後の9月に第2次大戦が始まり、Z計画はほぼ達成できずイギリス海軍艦隊に正面から対抗することは不可能で、海上交通破壊作戦のみに頼ることとなった。6月、Ar196水上機の引き渡しが始まった。9月の白作戦にはバルチック海に練習戦艦や駆逐隊2個、魚雷艇隊1個などを投入。イギリス東岸には機雷を敷設したが、行動パターンを読まれて潜水艦による攻撃を受けている。1940年、ノルウェー侵攻では上陸部隊の輸送にあたったが、沿岸砲台や応援のイギリス駆逐艦によりかなりの損害を被った。デンマーク作戦でも上陸部隊の輸送にあたり、こちらは損害は出なかった。ダンケルク撤退では魚雷艇隊が英仏艦船を攻撃。ゼーレーベ作戦に備えて軽艦艇の全力をドーバー海峡周辺に展開したが、結局作戦中止になった。3月から12月、補助巡洋艦が通商破壊に出撃。6月、バルバロッサ作戦開始。バルチック艦隊は機雷原で封じ込めることにした。19422月、戦艦による通商破壊作戦を断念し、ドーバー海峡突破作戦を実施。対ソ連援助船団の襲撃作戦も行ったが、12月にアドミラル・ヒッパーとリュッツォウがイギリスの反撃で撃退され、1231日にもイギリス艦隊の逆襲を受けて駆逐艦1隻を失い、1週間後に海軍長官がレーダーからデーニッツに交替させられ、大型艦に係船命令が出される事態となった。1943年、ウクライナ作戦支援のため、掃海艇23隻とMFP上陸用舟艇50隻、第1魚雷艇隊などをエルベ河経由でドレスデンまで運び、陸路でダニューブ河に降ろし、黒海に輸送した。9月、イタリア降伏で多数の艦船を鹵獲。194466日、オーバーロード作戦に対して反撃を実施。728日、バルト海の水上艦を集めて第2戦隊(司令官はアウグスト・ティーレ中将)を新編し、バグラチオン作戦でドイツ本土に迫るソ連地上部隊の砲撃任務に就かせた。1945125日から、ポーランドのダンツィヒやプロシヤ地区からの撤退作戦を支援。323日、第2戦隊がティーレ戦隊に改称された。49日夜、キール軍港がトールボーイを積んだランカスターの爆撃を受けた。571600をもって軍艦旗を降ろし、降伏した。参考:写真集ドイツの巡洋艦、近代巡洋艦史、グラフィックアクション44、Uボート入門、月刊世界の艦船7,157,179,1810,22

<ドイツ機甲教導師団>:パンツァーレーアを参照。

ドイツ空軍>:大ドイツ空軍(Luftwaffe、ルフトヴァッフェ)。第1次大戦中の1916年にドイツ陸軍が陸海軍航空部隊を空軍として独立させ、制空権確保、近接航空支援、輸送路攻撃など空軍単独での作戦を担わせる計画を立てたが、海軍の反対で実現せず、ドイツ陸軍航空軍に留まっていた。1919年の第1次世界大戦敗戦直後にドイツ陸軍航空軍をドイツ空軍として独立させる計画があったが、ベルサイユ条約で航空部隊保有禁止を喰らい没になった。1922417日、ソ連と秘密協定ラパッロ条約を結び、ソ連に航空機の技術供与を行う代わりにソ連で軍用機の製造とパイロットの訓練を行うこととした。1924年、兵務局航空関係者が独仏戦兵棋演習を実施。1925年からソ連のリペツクに建設した秘密基地で戦闘機パイロットの訓練を開始。1926年、ドイツ軍が作戦的航空戦の指揮のための指針を公布。大都市や軍需工業への爆撃による継戦意欲喪失を航空部隊の主任務の1つに置いた。政府主導でユンカース空輸とドイツ・アエロ・ロイドが合併してドイッチェ・ルフトハンザが設立され、パイロットや整備員の大量養成が始まった。1928-29年、兵務局がA計画を開始。1932-33年にドイツ国内に秘密の小規模航空基地を作り、戦闘飛行隊3個、重爆撃機飛行隊3個、偵察飛行隊8個などに配備する航空機の生産を始めることにした。19331月、首相に就任したヒトラーが民間航空統括組織として国家航空委員会を創設し、ヘルマン・ゲーリングを委員長とした。4月、ドイツ国防省に防空局を新設。5月、国家航空委員会を国家航空省に改編し、ゲーリングを航空大臣とした。防空局も陸軍将校ごとこちらに移されている。ロベルト・クナウス博士が危険航空艦隊思想に基づき大型爆撃機整備を最優先とすべきとする報告書を航空次官に提出したが、実現しなかった。9月、国家航空省防空局を航空司令局に改編。1934年、He51戦闘機、He70爆撃機の引き渡しが開始された。ウラル爆撃機の開発を開始。5月、ベルサイユ条約後初の戦闘機部隊であるデベリッツ戦闘飛行隊を新編し、Ar65Eを配備した。11月、Do17爆撃機の試作機が初飛行。1935年、レーン・ロジッテン・グライダー製作所をドイツ航空省直属のドイツ滑空機研究所(DFS)に改組し、ベルサイユ条約で禁止されていなかった高性能グライダーの開発と、そのパイロットの育成に力を注いだ。1935年、Ar68戦闘機、Hs123急降下爆撃機を制式化。Do17爆撃機を配備。31日、ドイツ国防軍再建(ベルサイユ条約破棄・再軍備宣言)直前に創設され、39日にドイツ政府が創設を宣言した。ドイツ国防軍司令部の隷下で、総司令官はヘルマン・ゲーリング、参謀総長はヴァルター・ヴェーファーである。序列は航空艦隊-指揮航空軍-軍団/師団/航空管区。高射砲部隊も隷下にあり、航空管区に高射師団/旅団/集団(連隊規模)/下部集団(大隊規模)を配置していた他、陸軍の軍集団に高射軍団、軍に高射師団/旅団、軍団に高射連隊、師団に高射大隊を派遣していた。11月、Bf110戦闘機を採用。1936年、航空戦教範である航空戦指揮を発布。ヴェーファー参謀総長は航空戦の決戦兵器を爆撃機とした。Bf109戦闘機を採用。3月、He111爆撃機の量産を開始。63日、大型長距離爆撃機の開発に熱心だったヴェーファー総参謀長が飛行機事故で死亡。7月、スペイン内戦でコンドル軍団を派遣。9月、Ju87急降下爆撃機を採用。1938年、地域別部隊である7個ルフトクライス(Luftkreis)を3個ルフトヴァッフェングルッペ(Luftwaffengruppe、空軍グループ)に統合し、第Ⅰグループ東部はケッセルリンク、第Ⅱグループ西部はフェルミイ、第Ⅲグループ南部はシュペルレが司令官となった。他に海軍向け航空戦力の第Ⅳグループがあり、ザンダーが司令官となった。また、防空部隊や空挺部隊もドイツ空軍隷下とした。ドイツから離れている東プロイセンの部隊は独立した空軍として残された。航空省技術室室長に任命されたエルンスト・ウーデットの指揮の下、長距離爆撃機に替わって急降下爆撃機の開発を開始。航空戦指揮の改訂は無く、戦略爆撃的な思想は残されたが、技術的限界もあって爆撃機は双発のみとした。193922日、シュタンプ空軍参謀総長が防空軍(高射砲部隊)司令官となり、イエショネック大佐が空軍参謀総長に就いた。ルフトヴァッフェングルッペはルフトフロッテ(Luftflotte、航空艦隊)に名称変更され、隷下に第1-7飛行師団が置かれた。東プロイセン空軍、海軍向け航空戦力、オーストリア空軍はそのままの編成であった。315日、チェコスロバキア併合に第2-4航空艦隊(第4航空艦隊はオーストリアで新編)が参加。8月、Ju88爆撃機量産型の引き渡しが始まった。91日、第2次大戦に参加。1119日、He177爆撃機が初飛行。1940年、航空戦指揮を改定。Fw189偵察・軽攻撃機、Ar96高等練習機の量産を開始。7月、Do217A-0偵察機の実戦配備を開始。1941年春、Fw190A戦闘機の量産発注、Do217E-1爆撃機の配備を開始。年末、Me210駆逐機の量産を開始。1943年、Ju188爆撃機、Ju290輸送機の量産を開始。1月、Me410戦闘爆撃機の量産を開始。19446月、Ar234B-2爆撃機が初飛行。19451月、Ta152戦闘機の実戦配備を開始。参考:ミリタリーエアクラフト1,97、英独航空決戦、歴史群像4,164,11、月刊軍事研究6,14、月刊PANZER5,10、月刊丸4,99、月刊航空ファン4,18

ドイツ空軍(バトル・オブ・ブリテン開始時)>:空軍総司令官隷下に空軍参謀総長、航空次官兼空軍監察総監、第1-5航空艦隊、本国防空兵団、教育補充司令部が置かれていた。参考:英独航空決戦

ドイツ軍>:帝政ドイツ時代はReichsheer、ワイマール共和国時代はReichswehrと呼ばれた。ベルサイユ条約で厳しい制限が課せられたが、1919101日にドイツ国軍(Reichswehr。正確にはワイマール共和国軍)が復活し、軍務局(実質的には参謀本部)局長のハンス・フォン・ゼークト将軍は中等教育成績優秀者を下士官に任官して選抜昇進させ、更に1階級上の訓練を受けさせて曹長でも小隊指揮官相当の技量を持つようにし、破格の待遇を行って士気を高め、少数精鋭軍の育成に努めた。有事にはこの少数精鋭部隊がまず短期決戦の奇襲攻撃を行い、戦果の保持拡大に大衆予備軍を使う。参謀本部や陸軍大学も禁止されたが、本部機能を分散したり、参謀将校を他の省庁の関連部署に配置したり、大学の替わりに軍管区司令部で2年と国防省で1年の教育を施したりして切り抜けた。1922417日、ソ連とラパッロ条約を締結し、モスクワ・センターでの航空機・毒ガス・戦車開発やソ連軍人へのドイツ軍人による教育などが開始された。1923年、兵務局で陸軍総兵力を35個師団に拡大する研究を開始。1924年、モスクワ南東400kmのリペツクに建設された空軍基地で空軍要員の訓練を開始。1926年、モスクワ南東のサラトフに毒ガス学校、東のカザンに戦車学校が設立され、ソ連軍と共同使用した。1933130日、ヒトラーが首相となり、5月にはSASS、鉄兜団の軍事訓練を開始。1934126日、ドイツ・ポーランド不可侵条約を締結。ソ連との関係が悪化し、ラパッロ条約に基づくソ連との軍事協力は終結した。2月末、軍とSAとの対立が激しくなり、ヒトラーは軍をドイツにおける唯一の軍隊と定めた。1935315日にドイツ国防軍となった。参考:月刊軍事研究2,091,09、月刊PANZER3,10、歴史群像12,104,166,16、武装親衛隊

ドイツ国防軍>:Wehrmacht1935年のベルサイユ条約破棄・再軍備宣言、同年315日の国防再建法公布を受けて再建された。陸軍はHeer、空軍はLutwaffe、海軍はKriegsmarineである。シンボルはBalkenkreuz(鉄十字)で、直線構成。参考:月刊軍事研究1,09

<ドイツ式磁気掃海具>:HFGを参照。

ドイツ十字章>:ドイツの勲章で、1941928日に制定された。一級鉄十字章の上、騎士鉄十字章の下に位置する。作戦上の功績により授与される金章と、戦闘以外の卓越した功績により授与される銀章がある。参考:Uボート入門

ドイツ大綬章>:ドイツの勲章。ヘルマン・ゲーリングが自分用に定めた勲章で、19407月に受勲した。参考:Uボート入門

<ドイッチュラント>:A59(練習艦)またはSS護衛連隊ドイッチュラントまたはU-155(潜水艦)を参照。

ドイッチュラント>:ドイツ海軍宿泊船Deutschland。元はハンブルク・アメリカ航路のバリーン級客船で、192312月に竣工した。全長191.2m、幅22.2m、深さ12.78m、吃水9.98m、総トン数20607トン。主機は蒸気タービン2基2軸13500馬力、航海速力15.5ノット、最大速力16ノット。1930年に改装を受け、主機と主缶を換装、出力29000馬力・最大速力19.5ノットとした。1934年に船首延長改装を受け、全長が206.3m、総トン数が21046トンになった。第2次大戦勃発でドイツ海軍に徴用され、グジニアで宿泊船として使用された。1945年、ドイツ市民を脱出させるため7度の航海を行い、53日にイギリス軍機の攻撃を受けてリューベック湾に沈んだ。1948年、引き揚げられて解体された。参考:月刊世界の艦船8,12

ドイッチュラント>:ドイツ海軍ドイッチュランド級戦艦Deutschland1906年竣工。1916531日、第2戦艦戦隊第3小隊所属でジュットランド海戦に参加。参考:歴史群像6,16、月刊世界の艦船6,16

ドイッチュラント>:ドイツ海軍ドイッチュラント級装甲艦1番艦Deutschlant、計画時仮称艦名A。19292月起工、19315月進水、193341日竣工。1934-38年に逐次改装を受け、高角砲を76口径8.8cm高角砲SK C/31搭載Dopp LC/31連装砲塔3基に、魚雷発射管を53.3cm4連装魚雷発射管2基に換装し、艦橋構造物と煙突の間にカタパルトを新設、クレーンを交換した。19367月、スペイン内戦に参加。19375月、スペイン内戦で共和国派の空襲を2回受けて損傷し、23名が戦死、73名が戦傷を負った。19398月、大西洋に進出。91日、第2次大戦開戦と同時に大西洋で通商破壊作戦に就いた。105日、イギリス貨物船ストーンゲートを撃沈。1015日、ノルウェー商船ロレンツ・W・ハンセンを撃沈。1115日、キールに帰港。戦果は撃沈6950トン、捕獲4960トンだった。同日、沈没した際の士気低下を恐れてリュッツォと改称された。参考:月刊世界の艦船7,159,17、英独航空決戦、グラフィックアクション4429、月刊丸4,17

ドイッチュラント級>:ドイツ海軍前ド級戦艦Deutschland級。ブラウンシュヴァイク級の改良型で、17cm副砲のうち上甲板に設置されていた4門を砲郭装備に変更し、対水雷艇用の8.8cm単装砲を18門から20門に増やし、舷側装甲を強化、主機をパワーアップして煙突を下半分だけ二重構造にしてある。全長125.9m127.6m?)、幅22.2m、吃水8.2m、常備排水量13191トン。主機は3気筒3段膨張レシプロ機関3基、主缶はシュルツ・ソーニクロフト缶8基と円缶6基(2-5番艦はシュルツ・ソーニクロフト缶12基)、出力20000指示馬力、3軸推進、速力18ノット。兵装は28cmSKL40が4門、17cm14門など。1901-02年度予算でドイッチュラント、ポンメルン、シュレージエン、ハノーファー、シュレスヴィヒ・ホルシュタインの5隻が建造され、1906-08年に竣工した。第1次大戦後も3隻の保有を許可された。参考:月刊丸2,08、月刊世界の艦船1,126,16、歴史群像6,16

ドイッチュラント級>:ドイツ海軍装甲艦(PanzerschiffCuirasse1940年に重巡洋艦に艦種変更)Deutschland級。ベルサイユ条約下で建造されたドイツ初の大型艦で、A、B、Cの仮称艦名が付けられた。ベルサイユ条約により保有できなくなった潜水艦に代わって大西洋で長期の通商破壊作戦に従事し、船団護衛の巡洋艦くらいなら主砲で沈め、戦艦が救援に来たら高速で逃げ、神出鬼没に海上交通を遮断、連合軍海軍部隊の戦力を分散させるのが主任務である。イギリスやフランスに脅威となる艦の建造をちらつかせ、これを断念する代わりにベルサイユ条約からワシントン条約の制限内に移行する公算を立てていたらしいが、フランスの反対によりワシントン条約に加盟できず、予定通り建造されることとなった。ベルサイユ条約の範囲内に収めるべく排水量を10000トン以下と発表(結局2割くらい排水量制限をオーバーしたが)し、そこに大口径砲を搭載したため、イギリスなどのマスコミからポケット戦艦(Pocket Battleship)というニックネーム(日本では豆戦艦、袖珍戦艦など)を冠されている。船体はリベット省略による軽量化を図り世界初の全電気溶接を採用、溶接向きの高張力鋼や溶接棒も開発した。装甲を船体構造の一部に組み込むといった軽量化への工夫も行っている。船型は長船首楼型、艦首は直立型で、水線下には小型のバルバス・バウを採用している。主機は軽量化と航続距離延伸のためディーゼルにしたが、あまり軽くならず、クランク出力端のねじれ振動、騒音、故障に悩まされた。機関員が蒸気タービンより少なくて済むので、その分だけ乗員区画を節約でき、艦の小型化には多少貢献している。機関区画はシフト配置で、前方区画右舷側に右舷軸用主機、後方区画左舷側に左舷用主機を置いた。1番艦は1軸あたり2基、2-3番艦は1軸あたり1基のフルカン・ギアを設け、主機の出力を推進軸に伝えている。前方区画左舷側と後方区画右舷側には直列5気筒ディーゼル発電機を収容した。上構は軽量化とトップヘビー防止のため一部に軽合金を使用している。1番艦は艦橋構造物の後ろに太い支柱を立てて10.5m測距儀やヤードを立てているが、2-3番艦は両者を纏めて塔型艦橋にしている。射撃指揮計算機はc/32。3番艦は防御力強化が図られており、舷側装甲を厚くして前後は短縮、防御甲板を左右魚雷防御隔壁から舷側まで延長した。全長186m、水線長181.7m、幅20.7m(ドイッチュラント)/21.3m(アドミラル・シェーア)/21.6m(アドミラル・グラーフ・シュペー)、吃水7.25m7.34m(アドミラル・グラーフ・シュペー)、基準排水量11700トン/12100トン(アドミラル・グラーフ・シュペー)、公試排水量13880トン(アドミラル・グラーフ・シュペー)、機関部重量1651トン。主機はMAN社製MZ42/58 ディーゼル(7100馬力)8基、計画出力55400馬力、公試時出力1番艦48390軸馬力/2番艦52050軸馬力/3番艦53650軸馬力、2軸推進、プロペラ直径3.97m(2番艦以降3.82m)、プロペラ回転数毎分250回転、計画最大速力26ノット、公試時最大速力1番艦28ノット/2番艦28.3ノット/3番艦28.5ノット、燃料搭載量3200トン(2番艦2900トン、3番艦2800トン)、航続距離は10ノットで19000海里、13ノットで17400海里、20ノットで公称10000海里(ドイッチュラント)/9100海里(アドミラル・シェーア)/8900海里(アドミラル・グラーフ・シュペー)。兵装は49口径28cmSKC/28の3連装砲塔DrhL C/28が2基(前甲板、船首楼甲板後部)、55口径14.9cm単装砲SK C/28の連装砲塔MPL C/28が8門、45口径8.8cm単装高角砲SK C/31が3門、3.7cmFlak M43または3.7cmSKC302cmFlak3850cm4連装水上魚雷発射管2基(2・3番艦53.3cm4連装水上魚雷発射管2基。艦尾甲板両舷)。装甲厚は水線部60mm(3番艦80mm)、甲板40mm(2・3番艦45mm)、主砲塔前盾140mm、主砲塔天蓋105mm、司令塔150mm。3番艦は新造時からカタパルト1基とHe60水上偵察機(後にHe114を経てAr196)2機を搭載した。乗員619名。A、B、Cの仮称艦名が付けられて建造が開始され、1番艦ドイッチュラント(後にリュッツォウ)、2番艦アドミラル・シェーア、3番艦アドミラル・グラーフ・シュペーが1933-36年に竣工した。この頃は本クラスより火力も速力も高い艦がイギリス巡洋戦艦フッド、レパルス、レナウン、金剛型巡洋戦艦しか無く、もう3隻作ってベルサイユ条約で保有を許可された前弩級戦艦を置き換える予定だったが、フランスが高速のダンケルク級戦艦の建造に入ったため本クラスでは逃げられなくなり、再軍備宣言を行い英独海軍協定を締結してシャルンホルスト級の建造に移った。1940-41年、艦首をクリッパー型に変更した。参考:月刊世界の艦船7,152,'212,151,124,17、月刊丸4,17、英独航空決戦、歴史群像6,028,08、グラフィックアクション4429

ドイッチュラント級>:ドイツ連邦海軍練習艦タイプ440 Deutschland級。第2次大戦敗戦に伴う個艦制限排水量3000トンを初めて超過したドイツ連邦海軍艦で、戦時にはフリゲートとなり、輸送任務や機雷敷設任務にも就く。全長138.2m、基準排水量4880トン。主機はCODAS方式、ディーゼル4基+蒸気タービン1基、出力14680馬力、3軸推進、速力21ノット。兵装は100mm単装両用砲4門(艦前後背負い式)、40mm連装機関砲2基、40mm単装機関砲2門、対潜爆雷4連装投射機2基、533mm魚雷発射管4門(後に撤去)、爆雷投下軌条(後に撤去)。士官候補生250名を乗せられる。A59ドイッチュラントが1963年に竣工した。参考:月刊世界の艦船1,'21、ミリタリー・バランス1989-1990

ドイツ陸軍(再軍備まで)>:1888年、GeW88小銃を制式化。189845日、GeW98小銃を制式化。1910年、航空機パイロットの訓練を開始。1911年、輸送部隊の隷下に航空隊を創設。1916年、15cmカノン砲K16の配備を開始。191610月、航空軍を創設し、航空機、高射砲、民間防空を含む陸軍防空関連組織を統轄した。1917年、sFH13L/17榴弾砲の配備を開始。9月、FF49C水上機の配備を開始。10月、フォッカーDr.1戦闘機を実戦配備。1918年、フォッカーDⅦ戦闘機が就役。19205月、ベルサイユ条約で航空機の開発配備を禁止されたため、航空軍を廃止した。1923年、陸軍を35個師団に拡大する研究を開始。1927年、7.5cm歩兵砲leIG18を採用。イギリスが1927年に出版した戦車・装甲車の教育に関する臨時訓令をそのまま使用して将校教育を実施、1928年にツォッセン自動車化教導隊を創設し、カザン戦車学校の卒業生を基幹要員とした。1933年、sFH18L29.6榴弾砲を制式化。1934年、自動車化兵団司令部が独立した。Ⅰ号戦車の生産を開始。10月、第1機甲連隊が創設された。参考:月刊PANZER5,10、月刊軍事研究3,16、歴史群像4,16

ドイツ陸軍(再軍備後)>:フランスと同等の戦力を目指した。平時は3ヶ月で1000両ずつ車両を供給したが、損耗は3ヶ月で2400両もあって次第に保有数が減少していったという。1935年、歩兵自動車化の一環としてオートバイ小銃中隊を編成。Sd.Kfz.221装甲車、10.5cm榴弾砲leFH18の量産を開始。105日、第1-第3機甲師団が創設された。1936年、Ⅱ号戦車の配備を開始。5cm迫撃砲leGrW36を制式化。1937年、オートバイ兵訓練学校を開校。Sd.Kfz.9ハーフトラックを採用。5月、Ⅲ号戦車の量産を開始。1938年、オートバイの訓練を騎兵学校に移管した。15cmカノン砲K18の配備を開始。7.5cm野砲leFK18を制式化。1月、Ⅳ号戦車の配備を開始。1939年、戦車師団が9個に増加。三号突撃砲を採用。6月、Sd.Kfz.251装甲兵員輸送車の量産を開始。白作戦開始にあたり、民間から16000両の車両を徴用したが、全く足りず、非車両化計画と称して馬をかき集めた。1個歩兵師団には車両942両と馬5375頭が配置されている。1940年、PzB39対戦車ライフルの量産を開始。1941年、17cmカノン砲K18Sd.Kfz.2輸送車の量産を開始。6月、Sd.Kfz.250装甲兵員輸送車の量産を開始。1942年、Sd.Kfz.3ハーフトラックの量産を開始。3月、Ⅵ号戦車を制式化。5月、Ⅴ号戦車を制式化。12月、GeW41(W)自動小銃を採用。19434月、GeW43自動小銃を採用。12月、Ⅳ号突撃砲の生産を開始。19443月、Ⅳ号駆逐戦車の配備を開始。6月、ヤークトパンターの配備を開始。7月、ヤークトティーガーの配備を開始。参考:月刊PANZER5,107,10、月刊戦車マガジン5,84別冊、ジャーマンタンクス

ドイツ連邦沿岸警備隊

ドイツ連邦沿岸警備隊(1989年)>:隊員数1000名。内海哨戒艇8隻、内海曳船1隻を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ドイツ連邦沿岸警備隊(2015年)>:隊員数500名。巡視船12隻を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ドイツ連邦海軍>:Bundesmarine、東西ドイツ統合後はMarine。駆逐隊群、高速哨戒隊群、掃海隊群、潜水隊群、海軍航空隊群からなる。195611月に創設され、フレッチャー級駆逐艦6隻、ハント級護衛駆逐艦3隻、改ブラックスワン級スループ4隻を供与された。1958年、ゴルヒ・フォック級帆走練習艦1隻が就役。シーホークMk100/Mk101戦闘機を配備。1960年、実験潜水艦ヴィルヘルム・バウアーが就役。1961-64年、ケルン級フリゲート6隻が就役。1962-69年、205型潜水艦12隻が就役。1964-68年、101型ハンブルク級駆逐艦4隻が就役。1966-67年、ヴァルヒェンゼー級給油艦4隻が就役。1969-70年、リュッチェンス級駆逐艦3隻が就役。1973-75年、206型潜水艦18隻が就役。1976-77年、143級ミサイル艇10隻が就役。1977年、シュペサルト級給油艦2隻が就役。1980-82年、ゼーフント級無人掃海艇18隻が就役。1981年、シーリンクスMk.88Aヘリが就役開始。1982-84年、ゲパルト級ミサイル艇10隻が竣工。1982-90年、F122型ブレーメン級8隻が就役。1988-89年、アルスター級情報収集艦3隻が就役。1989年、水上戦闘艦14隻(駆逐艦とフリゲート7隻ずつ)、205型潜水艦6隻、206型潜水艦18隻、トーネード95機など作戦機109機を装備していた。ドイツ統一後の1991年、総兵力は35200名(うち東部コマンド1900名)であった。1992-98年、フランケンタール級沿岸掃討艇12隻が就役。1993-94年、エルベ級支援母艦6隻が就役。1994-96年、F123型ブランデンブルク級4隻が就役。2000年からタイプ702戦闘支援艦3隻が就役。2000-01年、エンスドルフ級掃海艇5隻が竣工。2003-05年、F124型ザクセン級3隻が就役。2005年、トーネードが空軍に移管され、第2海軍航空団が廃止された。P-3C哨戒機が就役開始。2005-07年、212A型潜水艦4隻が就役。リュッチェンス級退役後は駆逐隊群に駆逐艦が存在しなくなり、200671日からは2個フリゲート戦隊(1個はF123型及びF124型計7隻、もう1個はF122型8隻)と1個補給戦隊(戦闘支援艦、給油艦、輸送艦など9隻)から構成されている。役割分担では即応部隊、安定化部隊、支援部隊という構成になる。経費削減のため、予備品のストックを無くし、必要になったら取り寄せるか、共食い整備で済ませる方式を取っているが、稼動率が悪化し、新造艦が竣工する前から部品を持って行かれて就役したのに動けない事態まで生じているらしい。2008-13年、K130型ブラウンシュヴァイク級5隻が就役。201064日、206A型潜水艦6隻が一気に退役した。2011年の志願制移行で乗員確保が困難となり、潜水艦はどう頑張っても3隻しか動かせなくなっているという。2013826日から96日、バルト海でFLOTEX2013演習を実施。2015年、212A型潜水艦バッチ2の2隻が就役開始。2016年からF125型4隻が就役予定。20177月、U-32がノルウェーに向かう途中でX舵を損傷した。潜水艦は他に5隻が配備されている筈だが、この事故で稼動潜水艦がゼロになったとされる。2023年からMKS180型4隻が竣工予定。タイプ707補給艦を建造中。参考:月刊軍事研究11,062,095,093,1012,15、月刊世界の艦船8,1012,135,168,1611,189,'23JShips VOL.70、月刊JWings2,21

 <ドイツ連邦海軍(1977年)>:兵力38000名(うち徴兵11000名)、予備役23500名。潜水艦24隻、ミサイル駆逐艦3隻、駆逐艦/護衛艦14隻、対潜沿岸護衛艦5隻、高速戦闘支援艦11隻、対機雷戦艦艇57隻、高速哨戒艇10隻、ミサイル艇30隻、上陸用舟艇18隻、F-104G戦闘爆撃機96機、RF-104G偵察機25機、アトランティック1哨戒機18機、シーキングMk41救難ヘリ21機、Do28多用途機27機、H-34G多用途ヘリ15機を装備する。参考:軍事力バランス78年版

 <ドイツ連邦海軍(1981年)>:兵力36500名。206型潜水艦18隻、205型潜水艦6隻、リュッチェンス級駆逐艦3隻、ハンブルク級駆逐艦4隻、Z-2級駆逐艦2隻、ケルン級フリゲート6隻、セティス級コルベット5隻、ハンス・ビュルクネル級コルベット1隻、S-61級ミサイル艇10隻、S-41級ミサイル艇20隻、ツオーベル級魚雷艇10隻、揚陸艇22隻、リンダウ級機雷掃討艇18隻、シユッツェ級沿岸掃海艇21隻、フラウエンロープ級内水掃海艇10隻、アリアドネ級内水掃海艇8隻、ニオベ級内水掃海艇1隻、支援艦11隻、工作艦2隻、給油艦9隻、補給艦8隻、給兵艦2隻、機雷給兵艦2隻、練習艦1隻、帆走練習艦1隻、固定翼機261機、回転翼機33機を有する。参考:月刊世界の艦船8,82増刊

 <ドイツ連邦海軍(1989年)>:兵力36000名(うち徴兵9900名)、予備役26000名。グリュックスブルク(艦隊司令部)、エッケルンフェルデ、フレンスブルク、キール、オルベニッツ、ノイシュタット、ボルクム、ブレーメンハーフェン、クックスハーフェン、エムデン、ヴィルヘルムスハーフェンに基地がある。ミサイル駆逐艦1隻、フリゲート1隻、洋上給油艦1隻を3ヶ月交代で地中海に展開している。206/206A型潜水艦18隻、205型潜水艦6隻、リュッチェン級ミサイル駆逐艦3隻、ハンブルク級駆逐艦4隻、ブレーメン級フリゲート6隻、ドイッチュラント級練習フリゲート1隻、テティス級コルベット5隻、アルバトロス/ゲパルト級ミサイル艇20隻、ティーガー級ミサイル艇20隻、ザクセンヴァルト級敷設艦2隻、ハーメルン級掃海艇2隻、トロイカ級無人掃海具指揮艇6隻、改リンダウ級機雷掃討艇12隻、シューツェ級掃海艇14隻、アリアドネ/フロイエンロープ級掃海艇18隻、水中処分員支援艦2隻、汎用揚陸艇20隻、スペッサルト級洋上給油艦2隻、アイフェル級洋上給油艦2隻、工作艦2隻、ライン級潜水艦/掃海母艦9隻、小型油槽船5隻、リューネブルク級補給支援艦8隻、弾薬補給艦2隻、曳船8隻、砕氷艦1隻、情報収集艦3隻、試験艦2隻、多目的艦3隻、練習艦1隻、調査測量艦艇3隻、海洋観測艦1隻、水路調査官2隻を保有する。海軍航空隊はトーネード2個航空団、アトランティック/リンクス海上哨戒対潜航空団1個、Do28/シーキング捜索救難連絡航空団1個からなる。トーネード戦闘攻撃機69機、トーネード偵察機18機、トーネード訓練機8機、アトランティック哨戒機14機、アトランティックELINT機5機、Do28捜索救難連絡機17機、Do28環境保護機2機、シーリンクス対潜ヘリ19機、シーキング捜索救難機22機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ドイツ連邦海軍(2007年)>:兵力21600名。潜水艦14隻、ミサイル・フリゲート3隻、フリゲート12隻、ミサイル艇10隻、揚陸艇6隻、掃海艇38隻、支援母艦6隻、給油・補給艦6隻、給兵艦1隻、砕氷曳船1隻、情報収集艦3隻、練習艦1隻、試験艦3隻、水中処分艇1隻、航路警戒艇5隻の計107隻・満載排水量212858トンの艦船と、艦載ヘリ22機、陸上運用ヘリ21機、固定翼機14機を保有する。参考:月刊世界の艦船3,07

 <ドイツ連邦海軍(2009年)>:兵力19179名。F122型フリゲート8隻、F123型フリゲート4隻、F124型フリゲート3隻、K130コルベット5隻、ゲパルト級ミサイル艇10隻、206A型潜水艦6隻、212A型潜水艦4隻、掃海艦艇19隻、補給支援艦艇12隻、P-3C哨戒機8機、Do228LM哨戒機2機、リンクス22機、シーキング21機を配備する。参考:月刊世界の艦船8,10

 <ドイツ連邦海軍(2010年改編)>:介入戦力、安定化戦力、支援戦力の3つに分けて運用される予定。トップは海軍総監で、隷下に艦隊司令部と海軍軍務局を置く。艦隊司令部の下に第1機動隊群(第1コルベット戦隊、第3掃海戦隊、第5掃海戦隊、第7高速艇戦隊、第1潜水戦隊、潜水艦訓練センター、海軍特殊戦部隊、海軍警備部隊)があり、海軍軍務局の下に海軍基地コマンド、海軍指揮システムコマンド、海軍試験業務コマンド、海軍士官学校、海軍下士官学校、海軍術科学校(作戦)、海軍術科学校(技術)がある。参考:月刊軍事研究3,10

 <ドイツ連邦海軍(2013年)>:兵力21300名。トップは海軍参謀長で、平時の最高司令官は国防大臣、戦時は首相だが、実質的な戦時指揮権はNATOにある。212A型潜水艦4隻、フリゲート12隻(F122型5隻など)、K130コルベット5隻、ミサイル艇8隻、揚陸艇2隻、掃海艇15隻、水中作業母艇2隻、測量・調査艦6隻、情報収集艦3隻、練習艦1隻、支援母艦6隻、ベルリン級補給艦2隻、給油艦4隻、航洋曳船・救難艦5隻、艦載ヘリ43機、陸上固定翼機60機を配備する。参考:月刊世界の艦船3,14

 <ドイツ連邦海軍(2015年)>:現役兵力16150名、予備役1400名。212A型潜水艦6隻、ブランデンブルグ級フリゲート4隻、ザクセン級フリゲート3隻、ブレーメン級フリゲート3隻、ブラウンシュヴァイク級コルベット5隻、ゲパード級ミサイル艇6隻、フランケンタール級掃海艇12隻、エンスドルフ級掃海艇3隻、ゼーフント級掃海艇18隻、520LCU2隻、702型ベルリン級補給艦3隻、703型ヴァルヒェンゼー級給油艦2隻、404型エルベ級給油艦6隻、704型シュペサルト級給油輸送艦2隻、兵站支援艦40隻、AP-3C哨戒機8機、Do-228輸送機2機、リンクスMk88A対潜ヘリ22機、シーキングMk41救難ヘリ21機、シー・スキュア空対艦ミサイル、沿岸防衛大隊1個を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ドイツ連邦海軍博物館>:ドイツのウィルヘルムスハーフェンにある海軍博物館。リュッチェンス級ミサイル駆逐艦D186メルダース、205型潜水艦、東ドイツ海軍の魚雷艇などが展示されている。参考:月刊軍事研究4,07

ドイツ連邦空軍>:呼称はLuftwaffeで、ナチス政権下と同じである。195619日に創設された。1958年、F-104G戦闘機を採用。1967年からC-160輸送機を配備。1971年からRF-4E偵察機を配備。19764月、F-4F戦闘機の輸入を開始。1986年からローランドⅡを配備。1989年、18個航空団からなり、F-4戦闘機224機、トーネード戦闘機198機、アルファジェット攻撃機165機を有していた。ドイツ統一後の1991年、総兵力95800名(うち東部コマンド9300名)であった。1996年、トーネード戦闘機パイロットの転換訓練部隊としてアメリカのニューメキシコ州ホロマン空軍基地にドイツ空軍飛行訓練センターを開設。2004年、ユーロファイターの配備を開始。201033日、初のUAV部隊である第51偵察航空団第2飛行隊(ヘロンUAV使用)を発足させた。2011年、CH-53Gシリーズ各型が陸軍から移管された。2012年末、MANTIS迎撃システムの配備を開始。201410月、A400M輸送機が初飛行。2015914日、ユーロファイター戦闘機兵装教官課程の教育を開始。20173月、ユーロファイター後継機をフランスと共同開発することを閣議決定した。2045年に代替する予定。その前の2025-30年にトーネードが退役するが、後継機としてF-35A、ユーロファイター、F/A-18E/F(とトーネードECRの後継になるEF-18G)がリストアップされている。B61核爆弾を運用するという面ではF/A-18E/Fが有利とされたが、F-35A戦闘機35機とユーロファイター戦闘機トランシェ4の38機になった。トーネードECR後継は開発予定のユーロファイター電子戦機型らしい。2017年夏、ホロマン空軍基地のドイツ空軍飛行訓練センターを撤収し、11月からドイツ本土で転換訓練を開始した。20185月、予備部品不足でユーロファイターの可動率が著しく低下していると複数のメディアが報道した。10月、運用能力評価演習2018を実施。2019624日、メクレンブルク・フォアポンメルン州で兵装を搭載せず戦闘訓練を行っていたユーロファイター戦闘機2機が空中衝突して墜落し、パイロット2名は緊急脱出してパラシュート降下したが、1名が死亡、1名が木の上に落ちて負傷した。2020817-27日、イスラエル空軍との共同演習ブルーウイング2020を実施。20228-10月、ラピッド・パシフィック2022を実施。インド太平洋方面に第74戦術航空団ユーロファイター戦闘機6機(+予備機2機)、A400M輸送機4機、A330MRTT空中給油輸送機3機を派遣し、シンガポールを拠点にピッチ・ブラック2022とカカドゥ2022に参加、日本や韓国を訪問した。参考:月刊軍事研究1,092,093,104,185,18、月刊JWings6,107,1812,189,1911,'2010,'2211,'22、月刊航空ファン7,163,187,183,195,19

 <ドイツ連邦空軍(1977年)>:兵力110000名(うち徴兵44000名)、予備役100000名。F-4F戦闘機120機、F-104G戦闘機144機、G-91戦闘機84機、RF-4E偵察機88機、TF-104G転換訓練機18機、G-91T転換訓練機55機、C-160輸送機89機、UH-1Dヘリ117機、パーシング72基、ナイキ・ハーキュリーズ216基、ホーク216基、ボーイング707旅客機4機、C-140輸送機3機、HFB320航空機9機、VFW614航空機3機、ペンブローク9機、C-47輸送機2機、ノラトラ5機、Do28D航空機121機を装備する。参考:軍事力バランス78年版

 <ドイツ連邦空軍(1989年)>:兵力106000名(うち徴兵36500名)、予備役106000名。戦術航空師団2個、防空航空師団2個、トーネード戦闘攻撃航空団5個、F-4F戦闘攻撃航空団2個、アルファジェット戦闘攻撃航空団4個、F-4F戦闘航空団2個、RF-4E偵察航空団2個、HFB-320電子戦訓練飛行隊1個、C-160輸送航空団3個、特殊航空任務航空団1個、UH-1Dヘリ航空団1個、パーシング1A中隊8個、パトリオット大隊4個、ホーク大隊9個、ローランド中隊11個、戦術航空管制司令部2個、レーダー基地10ヵ所、長距離レーダー3基からなる。訓練コマンドはイギリスにトーネード分遣隊1個、ポルトガルにアルファジェット転換部隊1個、アメリカにF-4E転換部隊1個とNATO統合パイロット訓練隊を置いている。F-4F戦闘機144機、F-4E転換訓練機8機(アメリカに配置)、RF-4E偵察機72機、トーネード176機(+保管中18機)、トーネード練習機22機(イギリスに配置)、アルファジェット165機(+保管中3機)、アルファジェット練習機18機(ポルトガルに配置)、C-160輸送機84機、B707要人輸送機4機、VFW-614要人輸送機3機、CL-601要人輸送機7機、Do-28-D2要人輸送機6機、Do-28-D2連絡輸送機54機、T-37B練習機35機、T-38A練習機41機、P-149D練習機31機、UH-1D輸送ヘリ106機、UH-1D要人輸送ヘリ4機、パーシング1A地対地ミサイル72基、ホーク発射機216基、ローランド34両を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ドイツ連邦空軍(2009年)>:兵力45338名。10個航空団からなり、トーネード戦闘機168機、ユーロファイター65機、F-4F戦闘機50機、C-160輸送機86機、A310輸送機7機、CL601輸送機6機、UH-1Dヘリ73機、AS532ヘリ3機、パトリオットシステム25個を配備する。参考:月刊軍事研究1,092,093,10

 <ドイツ連邦空軍(2010年改編)>:介入戦力、安定化戦力、支援戦力の3つに区分されて運用される。トップは空軍総監で、隷下に空軍指揮司令部と空軍軍務局を置く。空軍指揮司令部の下には航空戦力作戦指揮コマンド、国家防空指揮センター、指揮支援グループ、電子戦飛行兵器システムセンター、第1空軍師団、第2空軍師団、第4空軍師団、空輸集団がある。空軍軍務局の下には空軍訓練コマンド、空軍士官学校、空軍下士官学校、第1空軍術科学校、第3空軍術科学校、空軍基礎訓練連隊、在米・在加ドイツ空軍コマンド、空軍兵器システムコマンドがある。参考:月刊軍事研究3,10

 <ドイツ連邦空軍(2015年)>:現役兵力28600名、予備役4000名。パイロット年間飛行時間140時間(+高性能シミュレーター40時間)。タイフーン戦闘航空団2個、トーネードIDS戦闘攻撃航空団1個、タイフーン戦闘攻撃航空団1個、トーネードECR/IDS/ヘロンUAV情報収集偵察航空団1個、空中給油輸送航空団1個、C-160D輸送航空団2個、A400M輸送航空団1個、トーネードIDS練習飛行隊1個(アメリカのホロマン空軍基地)、T-6/T-38練習隊1個(アメリカのシェパード空軍基地)、訓練ヘリ隊1個、CH-53/H145M輸送ヘリ航空団1個、PAC-3団1個、ASRAD/C-RAM防空群1個、地対空ミサイル訓練隊1個(アメリカのフォート・ブリス)、レーダー群3個からなる。タイフーン戦闘機129機、トーネードIDS戦闘攻撃機86機、トーネードECR電子戦機20機、A310空中給油輸送機4機、A400M輸送機1機、C-160D輸送機53機、A310要人輸送機1機、A340要人輸送機2機、A319要人輸送機2機、グローバル5000要人輸送機4機、T-6練習機69機、T-38A練習機40機、CH-53GS/GEヘリ20機、H145Mヘリ15機、CH-53G/GAヘリ64機、AS532U2要人輸送ヘリ3機、ヘロン無人機、ASRAD地対空ミサイル10基、パトリオットPAC-312基、C-RAM2基、AIM-9L/-9Li/-120A/-120B空対空ミサイル、IRIS-T空対空ミサイル、KEPD350巡航ミサイル、AGM-88B対レーダーミサイル、GBU-24レーザー誘導爆弾、GBU-54JDAMを保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ドイツ連邦軍>:BundeswehrGerman Federal Defence Force。シンボルはTatzekreuzで、先太りの鉄十字であり、13世紀のチュートン騎士団に由来する。1949523日に発効したボン基本法によりドイツ連邦共和国が成立したが、連邦国境警備隊が創設されたのみで、再軍備はドイツの侵略を受けた国(特にフランス)の反対で行われなかった。朝鮮戦争勃発で東側の軍事圧力に抵抗する必要性が生まれ、19555月のパリ協定発効による主権回復後、67日に連邦国防省が発足し、1112日に軍が創設された(日本よりも1年4ヶ月遅い)。195556日にはNATOに加盟済みで、有事の軍指揮権(空軍は平時も)はNATO統合司令部に委ねることとなった(連邦軍総司令部が無い。西ドイツが独自に動かせるのは各州の郷土軍だけ)が、これはフランスの提案による。ただし、NATO統合司令部副司令官、中央ヨーロッパ軍司令官、中央ヨーロッパ空軍副司令官兼参謀長はドイツ連邦軍のポストになっていて、実質的には有事にもドイツ人がドイツ連邦軍を指揮できる。パリ条約の制限で兵員は50万名までに制限され、NBC兵器は生産・保持せず、一定規模以上の艦艇、潜水艦、戦略ミサイル、爆撃機などの生産も放棄することとなったが、代わりにアメリカ・イギリス軍の駐留を認め、西ドイツ防衛を肩代わりしてもらった。これには西ドイツの軍事的暴走を抑える意味もある。兵器の輸出は特に制限しておらず、戦車・潜水艦をはじめ、かなりの武器輸出国となっている。195641日、正式に連邦軍という名称が付いた(それまでは西ドイツ軍)。当初は志願制だったが、1956725日に徴兵制を施行。しかし「良心に反して戦争を強制しない」という規定もあり、兵役拒否をした場合には社会福祉などの奉仕活動に就く。このため、徴兵制廃止が叫ばれる度に福祉団体から反対論が出ている。1957年、軍最高の地位として連邦軍総監(階級は大将)を創設、陸海空軍はその下に置かれた。各軍のトップは総監(階級は中将)と呼ばれる。3軍と同格に中央医務部があり、これのトップも総監である。1989年、総兵力49.4万名、予備役85.2万名だった。1990103日、東西ドイツが統一され、東ドイツの5つの州が西ドイツに編入された。この時点では西ドイツ軍49万5千名、東ドイツ軍17万名であったが、ドイツ民主共和国人民軍(東ドイツ軍)はほぼ解体され、少数の残存部隊は連邦軍東部コマンドと改称された。冷戦終結後の新しい防衛政策の柱は、国家と市民、同盟国を外部からの政治的恫喝や危険から守ること、軍事的安定性を確保すること、ヨーロッパ統合を推進すること、国連憲章に則り世界平和と国際的安全に奉仕すること、災害救援・人命救助・人道支援活動を行うこと。1991年、湾岸戦争では戦闘要員を派遣せず、33億マルクの資金を供与。フクスNBC偵察車をアメリカ、イギリス、イスラエルに提供し、アルファジェット18機と要員200名をトルコに派遣してトルコの防衛にあたった。36日、湾岸戦争の戦闘が終結してペルシャ湾は戦闘海域ではなくなったとし、NATO域外への軍の派遣を禁じた基本法(一般の国の憲法)をクリアして掃海部隊(掃海船5隻、補給艦2隻)と難民支援部隊を湾岸地域に送った。6月、東部コマンドを解隊。19925月、衛生兵がUNTACに参加。ユーゴ内戦時、NATOの圏外であるユーゴに軍隊を派遣することは本当は基本法違反だが、放置すればヨーロッパの政情不安を煽る危険があったため、派兵を決定。7月にアドリア海に艦隊を派遣した。19934月、ボスニア・ヘルツェゴビナのE-3運航に参加。これに関しては基本法違反として裁判にもなったが、哨戒飛行開始前日に合憲判決が出た。5月、UNOSOMⅡに三軍から2400名を派遣し、主に後方支援にあたった。19947月、NATO圏外への海外派兵に関し、憲法裁判所は高度の政治的判断(現行の基本法下でも条件付きでNATO域外への派兵は可能)に基づいた判決を下し、単独派遣は従来通り不可能としたが、多国間機構(国連安保理、EUNATOなど)の要請と議会の事前承認があれば海外派兵を可能とした。1994年末、2プラス4条約により兵員が37万名に減少した。また、CFE条約により、東ドイツの装備の大部分が譲渡もしくは廃棄された。これらの削減計画は連邦軍再編成計画’94と呼ばれ、かかった費用は5億マルク以上である。199512月、東ドイツが西ドイツとの国境沿いに埋めていた34000個の地雷の処理が終了した。年末、連邦軍再編成計画’95を完了。1999年、コソボ紛争でのNATO軍による爆撃に参加、その後の治安維持任務KFORに就いている。冷戦末期には国防予算はGDP3.2%だっだが、東ドイツ併合後の21世紀初頭にはGDP1.5%に減った。2000年、SKB(戦力基盤軍)を創設。6月、総兵力を28万名に削減し、6万名の緊急展開部隊、9万名の基幹部隊、13万名の基本軍事組織(徴兵による部隊)で構成することにした。2001年からISAFに参加。20033-12月、EUFOR(ヨーロッパ連合部隊)に参加。2008年、連邦軍総監の隷下に統合作戦本部を設けた。2008年末現在、国連活動に関する海外派遣としてUNAMA(国連アフガン支援ミッション)、UNIFIL(国連レバノン暫定駐留軍)、UNMIS(国連スーダン派遣団)、UNOMIG(国連グルジア監視団)に、NATOEUに関する海外派遣としてISAF(国際治安支援部隊)、KFOR(コソボ部隊)に参加中。海外派遣で直接戦闘における20名以上を含む60名以上の死者を出している。2010年を目処に再編成を完了する予定で、祖国防衛軍から海外派遣軍に転換し、隷下の5軍を重武装即応戦力からなる介入戦力、低・中強度長期間海外作戦に従事する安定化戦力、両方の後方支援を担当する支援戦力の3つに区分して運用する。平時のトップは国防省、有事のトップは首相で、その下に制服組トップの連邦軍総総監(参謀総長相当)がおり、副総総監2名(うち1名はSKB総監を兼ねる)が補佐する。総総監の下には陸軍総監、海軍総監、空軍総監、救護業務軍総監、SKB総監の5名(階級は中将)がいるが、総総監は総監に対する命令権は持たず、行政上の監督権のみを有していて、指揮はあくまでも文民である国防大臣/首相が執る。本土防衛はSKB隷下の4個防衛管区コマンドが担当し、有事の際に予備役36万名と保管兵器が動員されて充足される。2011年、徴兵制を停止した。20141129日、兵員充足と人材確保のため、給与引き上げやボーナス支給の開始、パートタイム適用対象拡充などからなる軍改革を閣議で承認した。参考:月刊軍事研究1,0911,053,972,093,103,113,16、月刊グランドパワー10,94、ペルシャ湾の軍艦旗、朝雲

 <ドイツ連邦軍(1989年)>:兵力494300名(うち徴兵222300名)、予備役852000名。NATO北部・中部陸軍集団司令部、NATO中央連合空軍司令部、NATO第2・第4連合戦術空軍司令部が置かれている。アメリカ軍239200名、イギリス軍69700名、フランス軍52700名、ベルギー軍26600名、カナダ軍7100名、オランダ軍5700名が駐留している。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ドイツ連邦軍(2009年)>:ドイツ連邦陸軍、海軍、空軍、戦力基盤軍(SKB)、救護業務軍からなる。総兵力25万名。参考:月刊軍事研究3,10

 <ドイツ連邦軍(2015年)>:現役兵力178600名(陸軍60450名、海軍16150名、空軍28600名、統合支援部隊41950名、統合医療部隊19550名、その他11900名)、予備役31700名(陸軍8700名、海軍1400名、空軍4000名、統合支援部隊13000名、統合医療部隊4000名、その他600名)。COMSATBw1/2通信衛星2基、SAR-Lupe偵察衛星5基を保有する。レゾリュート・サポート作戦に850名、旅団司令部1個、ヘロンUAVUNAMAにオブザーバー3名、アルバニアにOSCE要員1名、ボスニア・ヘルツェゴビナにOSCE要員4名、ジブチにEUアタランタ作戦でAP-3C哨戒機1機、エストニアにバルチック・エア・ポリシングでユーロファイター4機、フランスに独仏共同部隊要員含む400名、アデン湾とインド洋にEUアタランタ作戦でフリゲート1隻、イラクに訓練支援要員100名、レバノンにUNIFIL要員117名、フリゲート1隻、リベリアにUNMILオブザーバー2名、マリにEUTMマリ要員209名とMINUSMA要員9名、地中海にEU NAVFOR MEDのミサイル駆逐艦1隻、補給艦1隻、NATOSNMG要員2名、フリゲート1隻、NATOSNMCMG要員2名、掃海艇1隻、モルドバにOSCE要員1名、北海にNATOSNMCMG要員1名、掃海艇1隻、ポーランドに多国籍共同司令部要員含む67名、セルビアにKFOR要員795名、コソボにOSCE要員6名、南スーダンにUNMISS要員7名、オブザーバー11名、スーダンにUNAMID要員8名、トルコにPAC-3防空部隊2個、ウガンダにEUTMソマリア要員8名、ウクライナにOSCE要員25名、アメリカに訓練部隊、T-38練習機40機、T-6A練習機69機、トーネードIDS練習機14機、ウズベキスタンにISAF要員25名、西サハラにMINURSOオブザーバー4名を派遣している。カナダ軍226名、フランス軍2000名、独仏共同機械化旅団1個、イギリス軍9920名、機甲旅団1個、USAFRICOM陸軍司令部1個、USEUCOM40450名(司令部1個、USAREUR25100名、司令部1個、特殊部隊群1個、SBCT1個、機甲偵察大隊1個、砲兵大隊1個、ヘリ旅団1個、情報旅団1個、憲兵旅団1個、通信旅団1個、支援旅団1個、APS1個、海軍500名、海兵隊950名、USAFE13900名、司令部1個、第3航空軍司令部、F-16CJ戦闘機24機、C-130J-30輸送機16機、C-20輸送機2機、C-21輸送機9機、C-40B輸送機1機)が駐留している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ドイツ連邦軍統合医療部隊(2015年)>:現役兵力19550名、予備役4000名。衛生連隊3個、野戦病院3個からなる。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ドイツ連邦軍統合支援部隊(2015年)>:現役兵力41950名、予備役13000名。電子戦大隊4個、憲兵連隊3個、NBC大隊2個、通信大隊6個、兵站大隊6個からなる。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ドイツ連邦国境警備隊(1989年)>:内務省隷下で、憲法の規定により交戦は認められていない。隊員数20000名。モワグSW-1/-2装甲車、P-149D航空機2機、Do-28航空機1機、Bo-105Mヘリ、アルエートⅡヘリ32機、UH-1Dヘリ13機、ベル212ヘリ10機、ピューマ22機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ドイツ連邦陸軍>:Heer1956年に発足した。歩兵師団6個、戦車師団2個、空挺師団1個、山岳師団1個という編成で、充足された順にNATOに組み込まれた。士官学校は無く、徴兵を受けた兵士の中で職業軍人志望者が士官候補となる。トップの陸軍総監も兵卒からの叩き上げである。NATO軍は西ドイツの国土を犠牲にしてソ連軍に遅滞戦闘を仕掛ける作戦を練っていたが、当然ながら西ドイツにしてみれば実行したくない作戦なので、自軍だけでエルベ河-ライン河間での機動戦を行い、ソ連軍を阻止する計画を立てた。そのためには重・軽戦車を計6000両配備する必要があると見積もり、全師団の戦車師団化を目指したが、さすがに戦車数千両をいきなり揃えるのは無理があるので、歩兵直協・対戦車車両は突撃砲で間に合わせることにしている。当然ながら随伴歩兵や偵察部隊も全て機械化する必要があるため、量産が容易な装軌式軽装甲戦闘車両ファミリーの開発に勤しんだ。1956年、M41軽戦車とM47戦車が供与された。M42自走高射機関砲を配備。装甲偵察部隊向けにSpz.11-2装甲偵察車を開発。1957年、M48A2戦車とM52自走砲の導入を開始。1958年、西欧同盟から戦車の独自開発を許可された。装甲擲弾兵部隊向けにSPz12-3装甲兵員輸送車の量産を開始。M55自走榴弾砲を配備。1965年、ヤークトパンツァー・カノーネ駆逐戦車を制式化。99日、レオパルト1戦車の初号車が引き渡された。1967年、ヤークトパンツァー2自走対戦車ミサイルの量産を開始。1969年、M113A1Gの導入を開始。LARSを採用。3月、CH-53Gヘリの配備を開始。1971年、マルダー1歩兵戦闘車の配備を開始。1974年、Bo105ヘリを採用。1975年からSPZ-2偵察車の量産を開始。1976年末からゲパルトの配備を開始。1978年からヤグアル1自走対戦車ミサイルとローランドⅡ自走地対空ミサイルを配備。1979年、レオパルト2戦車、フクス装甲車の配備を開始。1980年、PAH-1攻撃ヘリの配備を開始。1983年、ヤグアル2自走対戦車ミサイルの配備を開始。1984年、ヴィーゼル1を採用。1990年、MLRSの導入を開始。103日、東西ドイツ統一を受けて陸軍も統一され、52万名の兵員を要することとなった。1991年、総兵力は316000名で、野戦軍が3個軍団12個師団203400名、地域軍が10個旅団、東部コマンドが1個軍団41000名であった。1994年前半、野戦軍は兵員170300名で、3個軍団(6個機甲師団、4個機甲てき弾兵師団、1個山岳猟兵師団、1個空挺猟兵師団)編成、地域軍は兵員69100名で4個防衛地域司令部(7個防衛軍管区司令部)編成であり、他に陸軍総監部直轄部隊を有していた。1994年末、連邦軍再編成計画’94を終え、陸軍兵力を286900名から26万名に削減し、野戦軍と地域軍の司令部指揮統制機構を統合、3個軍団/防衛地域司令部、8個師団/防衛軍管区司令部編成となり、陸軍総監部直轄部隊として第4空中機動師団と支援旅団、航空旅団が新編された。1995年末、連邦軍再編成計画’95を終え、兵力を23万名まで削減し、指揮統制機構の更なる統合を実施、3個軍団/防衛地域司令部、5個師団・防衛軍管区司令部+3個防衛軍管区司令部編成にした。また、C3Iシステムを新型にして戦闘機動旅団を編成し、戦術機動性を高めた他、4個旅団を即応任務につけることになり、第26空挺旅団をNATO軍緊急部隊である欧州連合軍機動部隊(AMF)、第31空挺旅団をNATO軍の欧州連合軍緊急対応軍団(ARRC)、第23山岳歩兵旅団と第25空挺旅団をPKOの指定旅団とした。1998年、PzH2000自走榴弾砲の量産を開始。2003年からティーガーUHT攻撃ヘリを配備。2005年、人員の12万5千名への削減、師団定数の3個削減、機甲師団・機甲てき弾兵師団の編成共通化などを決定した。200612月、TTH-90汎用ヘリの引き渡しが始まった。2011年、CH-53Gシリーズが空軍に移管された。参考:月刊PANZER4,056,14、月刊軍事研究11,058,952,09、現代の空挺作戦、月刊グランドパワー10,94、月刊JWings7,18

 <ドイツ連邦陸軍(1977年)>:兵力341000名(うち徴兵180000名)、予備役1056000名。3個軍団12個師団(4個機甲師団、4個機甲歩兵師団、2個特殊歩兵師団、1個山岳師団、1個歩兵師団)に16個機甲旅団、12個機甲歩兵旅団、3個自動車化歩兵旅団、2個山岳旅団、3個空挺旅団が配属され、他にオネストジョン地対地ミサイル大隊11個、ランス地対地ミサイル大隊4個、陸軍航空隊3個が編成されている。戦時に補給支援、通信、警察、防衛部隊を供給する地域軍が3個あり、5個軍管区に6個郷土防衛部隊(旅団規模)を編成している。M48A2中戦車1400両、レオパルト1戦車2437両、SPZ-HS30歩兵戦闘車500両、オチキス歩兵戦闘車1100両、マルダー1歩兵戦闘車2136両、SPZ-2偵察車300両、M113装甲兵員輸送車3700両、105mm榴弾砲280門、155mm榴弾砲80門、155mmカノン砲600門、175mmカノン砲150門、203mm自走砲/自走榴弾砲80門、ラルス110mm多連装ロケット210門、オネストジョン70基、サージャント20基、ランス26基、JPZ4-5対戦車自走砲770門、106mm無反動砲、コブラ/ミラン/TOWHOT対戦車ミサイル、RJPZ-2対戦車ミサイル車両350両、20mm高射機関砲2000門、40mm高射機関砲800門、ゲパルト150門、レッドアイ1400基、Do27輸送機18機、OV-10Z観測機35機、UH-1Dヘリ200機、アルエートⅡ/Ⅲヘリ240機、CH-53Gヘリ110機、CL-89無人機を装備する。参考:軍事力バランス78年版

<ドイツ連邦陸軍(1989年)>:兵力340700名(うち徴兵175900名)。野戦軍は3個軍団12個師団で、第1軍団(北部陸軍集団)は機甲師団3個、機甲擲弾兵師団1個、第2軍団(中部陸軍集団)は機甲師団1個、機甲擲弾兵師団1個、空挺師団1個、山岳師団1個、第3軍団(中部陸軍集団)は機甲師団2個、機甲擲弾兵師団1個からなり、他に機甲擲弾師団1個(シュレスヴィッヒホルシュタイン・ユドランド連合軍)が編成されている。各軍団隷下には直轄部隊として地対地ミサイル大隊(ランス6基)4個、防空司令部(ローランド地対空ミサイル連隊1個36基、70口径40mm高射機関砲大隊2個)3個、ローランド地対空ミサイル大隊1個、ゲパルト自走高射機関砲大隊1個、航空旅団(UH-1D軽輸送連隊1個48機、CH-53G中輸送連隊1個32機、PAH-1対戦車ヘリ連隊1個56機)3個が置かれている。地域軍は地域司令部3個、軍管区5個、軍区29個、軍分区80個からなり、郷土防衛旅団(機甲大隊2個、機甲擲弾兵大隊2個、砲兵大隊1個。平時充足率50-60%)6個、郷土防衛旅団(機甲大隊1個、機甲擲弾兵大隊2個、砲兵大隊1個。平時は装備のみ保有)6個、郷土防衛連隊(動員歩兵大隊3個、120mm迫撃砲18門。平時は装備のみ保有)15個、郷土防衛中隊150個、保安小隊300個が編成されている。M-48A2G戦車650両、M-48戦車225両(保管中)、レオパルト1A1戦車2130両、レオパルト2戦車2000両、Spz-2ルクス偵察車410両、Tpz-1フクスNBC偵察車140両、マルダー1A1歩兵戦闘車2136両、Tpz-1フクス装甲兵員輸送車856両、M-113装甲兵員輸送車2560両、M577装甲車220両、105mm榴弾砲M-101244門、155mm榴弾砲FH-70216門、M-109A3自走榴弾砲586両、M-110A2自走砲226門、LARS209両、MLRS6両、120mm迫撃砲ブラント406門、120mm自走迫撃砲タンペラ600門、ランス地対地ミサイルランチャー26基(うち保管中2基)、ミラン対戦車ミサイル発射機1975基、TOW対戦車ミサイル発射機205基、RJPz-HOTジャガーⅠ316両、TJPz-TOW162両、106mm無反動砲99門(保管中)、JPz-4-5自走砲120両、20mm高射機関砲Rh2021762門、70口径40mm高射機関砲202門、フリーゲルファウスト1(レッドアイ)携SAM発射機658基、ローランド143両、PAH-1攻撃ヘリ210機、UH-1Dヘリ87機、CH-53Gヘリ108機、Bo-105Mヘリ97機、SA-313ヘリ138機、河川工兵隊用機械化揚陸艇36隻、内海哨戒艇12隻を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ドイツ連邦陸軍(2009年)>:兵力105291名。野戦軍は5個師団(軍団は無い)で構成されており、2個機甲師団と1個機甲てき弾兵師団、1個空中機動作戦師団、1個特殊作戦師団からなる。保有戦車はレオパルト2戦車393両だが、別に1000両以上のレオパルト2が保管されているようだ。他にマルダー521両、フクス1003両、M113装甲車519両、フェネク212両、ルクス37両、PzH2000自走榴弾砲など野砲153門、ティーガー34機、Bo105ヘリ146機、CH-53ヘリ88機、UH-1Dヘリ82機、NH-90ヘリ3機、EC135ヘリ15機を有する。参考:月刊軍事研究3,10

ドイツ連邦陸軍(2010年改編)>:介入戦力、安定化戦力、支援戦力の3つに区分されて運用される。トップは陸軍総監で、隷下に陸軍指揮司令部(介入戦力)、陸軍軍務局(支援戦力)を持つ。陸軍指揮司令部の下には介入戦力作戦指揮コマンド(介入戦力)、NATO多国籍軍団ドイツ部隊(安定化戦力・支援戦力)、第1機甲師団(介入戦力)、第10機甲師団(安定化戦力)、第13機甲てき弾兵師団(安定化戦力)、空中機動作戦師団(安定化戦力)、独仏旅団ドイツ部隊(介入戦力)、特殊作戦師団(安定化戦力)が置かれている。軍務局の下には陸軍士官学校、陸軍下士官学校、各職種学校、各種本部、戦闘演習本部、戦闘シミュレーション本部が置かれる。参考:月刊軍事研究3,10

ドイツ連邦陸軍(2015年)>:現役兵力60450名、予備役8700名。第1機甲師団(第9機甲旅団、第21機甲旅団、第41機械化旅団)、第10機甲師団(第12機甲旅団、第37機械化旅団、第23山岳歩兵旅団)、ドイツ/フランス旅団(軽歩兵大隊2個、砲兵大隊1個、戦闘工兵中隊1個、支援大隊1個)、緊急即応空挺師団(特殊戦旅団1個、空挺旅団1個、攻撃ヘリ連隊1個、輸送ヘリ連隊2個、通信中隊1個)からなる。レオパルト2A6/2A7戦車306両、フェネック偵察車166両(うち工兵偵察車14両、火力支援車14両)、TPz-1フクスCBRN車両8両、ヴィーゼル装甲車25両(偵察16両、工兵9両)、マルダー1A2/A3/A4/A5歩兵戦闘車390両、プーマ歩兵戦闘車15両(試験中)、ヴィーゼル装甲車(20mm機関砲装備)87両、Bv206D/S装甲車194両、M113装甲車259両、ボクサー装甲車245両、TPz-1フクス装甲車531両、ディンゴ2装甲車177両、PzH2000自走榴弾砲99両、MLRS38両、120mm迫撃砲タンペラ86門、ヴィーゼルTOW64両、ミラン対戦車ミサイル、ティーガー攻撃ヘリ37機、Bo-105M/P1/P1A1攻撃ヘリ83機、NH90ヘリ37機、ベル205ヘリ49機、H135ヘリ14機、KZO無人機32機、ルナ無人機52機、コブラ・レーダー9基、RASIT対砲レーダー61基、RATAC対砲レーダー12基、ダクス装甲工兵車49両、レオパルト1装甲回収車56両、ビュッフェル41両、ビーバー22両、M3戦車橋25両、カイラー対地雷車両15両、5821地雷敷設器14基、スコルピオン地雷発射機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ドイツ連邦陸軍士官学校>:ドイツ連邦陸軍の士官学校。在学中は適宜座学、体力試験、訓練の評価が行われ、1つでも成績が悪いと即退学(留学生なら即帰国)となる。1974年に創設された。1998年、ドレスデンに移転した。参考:MAMOR vol.142

<ドイル>:DD-494(駆逐艦)またはFFG-39(フリゲート)を参照。

<ドイル・C・バーンズ>:DE-353(護衛駆逐艦)を参照。

<筒>:運貨筒を参照。

東亜丸>:日本海軍特設運送船Toa maru。元は飯野商事の大型タンカーで、昭和9623日に竣工した。垂線間長152.4m、幅19.81m、深さ11.28m、満載吃水8.85m、総トン数10050トン、重量トン数13748トン。主機は川崎MANディーゼル1基1軸9000馬力、航海速力16ノット、最大速力19.088ノット。昭和10年、日本海軍に徴用されて特別大演習に参加。昭和169月、日本海軍に徴用されて特設運送船(給油船)となり、第6艦隊に配備された。128日、太平洋戦争開戦時は第6艦隊補給部隊所属だった。昭和174月、連合艦隊付属となった。824日、第2次ソロモン海戦に参加。昭和181125日、トラックからクェゼリンに向け航行中、ポナペ島の北でアメリカ潜水艦シーレイブンの雷撃を受けて沈没した。参考:月刊世界の艦船8,14、月刊モデルアート9,15増刊、日本海軍艦隊総覧、帝国海軍太平洋作戦史Ⅰ

東亜丸>:昭和191114日、ヒ81船団の一員として伊万里湾を抜錨。参考:輸送船入門

<ドゥアルテ>:D-101(駆逐艦)を参照。

動安定性>:Dynamic stability。釣り合い状態から擾乱を受けた時、発生する力やモーメントにより、ある周期的な振る舞い(主に釣り合い点近傍の振動)が発生する。それをそのまま放っておいた場合、その振幅が次第に大きくなっていくか小さくなっていくかを表す性質のことを動安定性という。振幅が次第に小さくなり、また釣り合い状態に収束することを動的安定、振幅が次第に大きくなり発散していくことを動的不安定、振幅が小さくも大きくもならず一定のままになることを動的中立安定という。参考:航空用語事典増補改訂版、火器弾薬技術ハンドブック

トウイ>:ニュージーランド海軍艦艇。昭和18819日、ヌーメア沖40海里で哨戒機と共に伊17潜水艦を撃沈した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

<トゥイーティ>:T-37B(練習機)を参照。

<トゥイーディ>:DE-532(護衛駆逐艦)を参照。

<トウィード>:K250(フリゲート)を参照。

トゥイスク・シリーズ>:フィンランド国営航空機工場が開発した複葉機Tuisku。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

 <トゥイスクO>:高等練習機型で、31機が生産された。全長9.35m、全幅12.1m、全備重量1.35トン。エンジンはアームストロング・シドレー社製リンクス4C215馬力)単発で、最大速度207km、実用上昇限度5000m。固定武装は機銃2丁。乗員2名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

 <トゥイスクT>:軽偵察機型。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

<統一宇宙システム衛星>:EKS衛星を参照。

<トウィッグス>:DD-591(駆逐艦)を参照。

統一軍法典>:Uniform Code of Military Justice。アメリカ軍刑法で、陸海空それぞれの刑法を1950年に統一したものである。軍法会議の構成、訴訟手続き、刑罰などを定めている。参考:月刊世界の艦船6,01

統一航空機製造会社>:OAKまたはUACと略す。ロシア産業エネルギー省が2004年に打ち出した、主要航空機メーカーを1つの国営企業に統合するという方針に基づき、20062月にロシア政府主導で設立された航空機会社である。政府出資率は75%を下回ってはならないと法律で制定されており、国営の国策会社となっていて、首脳部には政府や軍関係者が名を連ねている。設立時はAHKスホーイ、イルクート、ツポレフ、イリューシンなどが参加、2009年にRSK-MiGが加わった。会社内部にスホーイ・カンパニー(スホーイとミグの系列会社中心)、イルクート・コーポレーション(アントノフとイリューシンの系列企業中心)、ツポレフという3つの企業グループがあり、それぞれ戦術戦闘機、輸送機、大型爆撃機・飛行艇を担当している。EADS株式の5%を保有しており、外国資本との提携も進める予定。2013年に輸送機部門(スホーイ・カンパニーのカザン航空機製造工場、イルクート・コーポレーションのイリューシン設計局とヴォロネジ航空機製造工場、ツポレフ設計局、アビアスター製造プラントなど)を統合する予定。2019年にはスホーイ、ミグ、機体製造部門、整備部門などを統合して戦闘機開発製造の新会社を作る予定である。参考:月刊軍事研究8,109,134,187,'073,09

<統一戦術レベル指揮システム>:ESU-TZを参照。

統一戦線部>:北朝鮮工作機関の1つ。韓国に対する心理戦や、在日朝鮮総連・海外在留韓国人に対する工作活動を行っている。偽造パスポートで韓国・日本に侵入を図る直接浸透課、南北会談対応戦術を研究する南北会談課、海外在留韓国人の抱き込みと北朝鮮支持組織の拡大を図る海外担当課、韓国の情報を分析する(日本で行っているらしい)南朝鮮研究所、これらを管轄する外郭団体課から構成されている。軍隊の特攻部隊を中心とした武装ゲリラ式浸透を専門とする。参考:月刊軍事研究12,02

統一造船会社>:OSKObyedinnaya Sudostroitelnaya Korporatsuya)と略す。20073月に設立されたロシアの造船会社で、政府の100%出資である。ネフスキー計画設計局、北方計画設計局、サンクト・ペテルブルグ海洋機械製造設計局マラヒート、ルビーン海洋機器中央設計局、ゼレノトルスク計画設計局、アルマーズ中央海洋設計局、セブマシュ生産合同、バルチック造船所ヤンター、アドミラルティ造船所、北方造船所、バルチック造船工場、アムール造船工場など14の造船企業や工廠が参加しており、20094月に19の企業や工廠が加わってロシアの主要造船関連企業をほぼ全て傘下に収めた。地域別に西部造船センター、北部造船修理センター、極東造船修理センター、南方造船センターの4つに分かれている。参考:月刊軍事研究8,10、月刊世界の艦船6,152,17

統一ワ州軍>:ミャンマーの反政府組織で、UWSAと略す。1989年にミャンマー反政府組織のビルマ共産党が民族別に分裂した際、最大勢力のワ族が構成したもので、戦力は当時20000名弱だったが、2013年には20000-30000名に増えている。中国との国境に3個旅団、タイとの国境に5個旅団を配し、支配地域に徴兵制を敷き、麻薬により収入を得ている。ミャンマー民主化に脅威を抱く中国から武器の供与や軍事訓練を受けているといわれ、装備する兵器は中国製で固めている。2001年からHN-5SAMを配備。2011年頃からミャンマーが開放路線を歩み始めたのを受けて中国が戦力増強に踏み出したらしく、2012年半ばから装備を近代化し、中国製装甲車、輸送ヘリ、FN-6SAMなどを配備した。参考:月刊丸5,13、月刊軍事研究5,15

<ドヴィナ>:S-75(地対空ミサイル)を参照。

動員>:軍を戦時体制に移行させる行為。平時の戦力を抑制して経費などを削減することができ、有事に際しては大量の戦力を整えることが可能である。動員が終わるまでは上級士官・部下が分からないので人身掌握が不十分になる、階級と年齢と従軍期間が入り組む(予備役・後備役で召集された30台後半の兵士が士官学校出たての10台後半の士官に命令どころか罵倒されたり暴行を受けたりする)ので人間関係に軋轢が生じるなどの欠点があり、士気が落ちると途端に不祥事続発となる危険性を持つ。また、一般社会から多数の人員を引き抜くので影響が大きく、中途半端な動員を長期間続けて様子を見るというのは困難であり、話し合いによる解決の時間的余裕が限られる。参考:月刊軍事研究12,06、歴史群像6,14、海軍こぼれ話

 <動員(韓国軍)>:戦時には450万人の予備役を召集し、第一線の各軍団を2-4日間で3個師団から6個師団に倍増させる。出頭までの時間は、都市部で6時間以内、それ以外の地域で24時間以内、離島や漁船員などで48時間以内。また、食糧、衣服・工具、燃料、資材などが物的動員の対象となる。参考:月刊軍事研究4,0712,06

 <動員(自衛隊)>:予備自衛官及び即応予備自衛官を召集するが、基本的には現有勢力で即時に全力の戦闘態勢に入ることができる。参考:月刊軍事研究12,06

 <動員(中国)>:20107月に国防動員法を施行。有事には全人代常務委員会の決定により、国家主席が国防のための総動員または局部動員を発令する。発令されれば18歳から60歳の男性と18歳から55歳の女性は国防勤務の義務を負い、必要な戦略物資は民生用を含め徴発され、金融、交通、運輸、郵政、通信(インターネット含む)、マスコミ、医療、エネルギー、水、食糧、貿易は統制下に入る。動員に備えて平時から戦略物資の備蓄なども行われる。参考:月刊軍事研究2,13

 <動員(日本陸軍)>:師団動員には応急派兵、応急動員、本動員、臨時動員の4種類(臨時編成も含むと5種類)があり、最大で人員を2.2倍程度に増員する。また、臨時動員では師団の数自体も増加させる他、方面軍司令部、軍司令部も増設される。天皇が陸軍大臣による動員令の施行を許可すると、各軍司令官・各師団長に動員が下命され、連隊区司令官に伝達され、電話で予告した上で電信もしくは文書で区長・市長及び町村所轄の警察署長経由で町村長に動員が伝達される。そして役所の平時主任が充員招集名簿と充員招集令状を作成、応召員に交付し、対象者に召集令状が届く仕組みになっている。国土が狭いこと、鉄道が発達していたこと、通信網や戸籍がしっかりしていたことから、動員に必要な期間は他国よりも短くて済んだ。日華事変・太平洋戦争時、必要な兵員はこれに対応してかき集めたが、教育機関の不備から参謀の数は不足がちだった。また、動員された者は慣熟のため1-3ヶ月の訓練を要するが、日華事変の頃から訓練無しに実戦投入されることが多く、苦戦を強いられることがままあった。参考:月刊軍事研究12,06

<トゥウィーティ・バード>:T-37海外シリーズ(練習機)を参照。

ドゥーエ理論>:イタリア軍のジュリオ・ドゥーエ少将が1921年に自著「制空権-航空戦技術論」で発表した理論。大型爆撃機を中核とする戦略空中艦隊により、化学兵器を含む爆弾で敵の工場や人口密集地を爆撃すれば、敵国民の士気の低下と継戦意思喪失が可能であり、また制空権確保による敵空軍侵攻の防止には空戦よりも敵飛行場・航空機工場を破壊する方が有効であるとした。参考:月刊軍事研究3,164,03

<トゥーカムカリ>:タカムカリ(水中翼型砲艇)を参照。

<トゥーダー>:P326(潜水艦)を参照。

<ドゥードゥル・バグ>:Fi103(巡航ミサイル)を参照。

<トゥーナ>:N94(潜水艦)を参照。

<トゥーファニ>:ウーラガン海外シリーズ(戦闘機)を参照。

<トゥーファン>:BGM-71海外シリーズ(対戦車ミサイル)を参照。

<トゥーム・ストーン>:30N6(レーダー)を参照。

トゥーラーヌ級>:フランス海軍河用砲艦Tourane級。全長35m、幅5.3m、吃水0.9m、基準排水量95トン。主機はディーゼルで、出力250馬力、速力10ノット。兵装は7.5cm単装砲1門、37mm機関砲1門、機関銃2丁、迫撃砲1門。参考:第2次大戦のフランス軍艦

<トゥールヴィル>:F610(駆逐艦)を参照。

<トゥールヴィル>:フランス海軍シュフラン級攻撃原潜3番艦トゥールヴィル(Tourville)。2023720日、ネイヴァル・グループのシェルブール造船所建造建屋から引き出された。引き続き進水に向けた工事を実施中。参考:月刊世界の艦船10,23

トゥールヴィル>:フランス海軍デュケーヌ級重巡洋艦Tourville19286月竣工。1950年退役。1961年に除籍され、1962年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦、近代巡洋艦史、月刊世界の艦船2,15

トゥールヴィル級駆逐艦>:フランス海軍駆逐艦Tourville級。当初はコルベットとして建造されたが、対潜フリゲートに改められた。実質的には汎用駆逐艦で、対艦・対空・対潜能力共に高い。船型は長船首楼型で、艦尾にDUBV-43VDSを持つ。FCSはトムソンCSF社製DRBC32Dレーダー方位盤。全長152.8m、基準排水量4580トン、満載排水量5800トン。主機はラトー式2段減速蒸気タービン2基、主缶(蒸気圧1平方センチあたり45kg、温度450℃)4基、出力54400馬力、最大速力31ノット。兵装はMM38エグゾセ単装発射筒6基(艦橋直後01甲板両舷に3基ずつ)、マラフォンSUM単装発射機1基(13発)、クロタル対空ミサイル8連装発射機1基、100mm単装砲2門、MKL5魚雷発射管2門など。SA365ドーファン2ヘリ2機を搭載可能。1974-77年にF610トゥールヴィル、F611デュゲイ・トルーアン、F612ド・グラースの3隻が就役した。後に船体中央部舷側に補強材を装備した。1・2番艦にはヘリ甲板上に100mm単装砲が装備されていたが、後に外してクロタル発射機と交換している。1992年の諸元は、全長152.8m、幅16m、吃水5.7m、基準排水量4580トン、満載排水量5960トン。主機は蒸気タービン2基2軸58000馬力で、速力32ノット。兵装はエグゾセMM38単装発射筒6基、クロタル対空ミサイル8連装発射機1基、マラフォン対潜ミサイル単装発射機1基、55口径100mm単装砲2門、20mm単装機関砲2門、533mm固定式対潜魚雷発射管2門。リンクスWG-13ヘリ2機を搭載できる。乗員301名。参考:月刊世界の艦船3,92増刊、5,123,059,'22、ザ・マーチ33号、月刊軍事研究1,98、ミリタリー・バランス1989-1990

トゥールボリョット>:ソ連航空省飛行研究所(LII)が1955年に製作したVTOL研究機で、ターボ飛行体の意。ジェットエンジンを下向きに置き、前に簡単なコクピットを設置、前後左右4方向に鋼管骨組みを延ばして先端に圧縮空気ノズル、下面に脚を装着している。ジェット排気口には2枚のベーンが付いており、これを操作して水平方向に移動する。参考:世界の傑作機No.162

騰雲>:台湾の偵察・攻撃用長時間滞空UAVで、中山科学研究院航空研究所が開発した。機首上下面にフェアリングがあり衛星通信アンテナなどを搭載、機首下面にセンサーターレットを持ち、主翼は中翼配置の直線翼で、尾翼はV字+下方垂直尾翼、プッシャー・プロペラ推進で降着装置は前輪式と、MQ-9リーパーに似ている。全長14m、全幅20m201511月に初公開された。参考:月刊航空ファン11,16

騰雲2型>:台湾空軍試作無人機。中山科学研究院が開発した。兵装ペイロード1.5トン。2022629日に初飛行し、11時間で4500kmを飛行した。参考:月刊JWings9,22

東運615>:中国海軍福清型補給艦2番艦豊倉(フォンツァン)の艦番号。1982年就役。1999715日、沖縄県魚釣島の北113-260kmを航行しているのを第5航空群のP-3Cが確認した。2001823日、深圳と共に上海を出港。ドイツのヴィルムスハーフェンとイギリスのポーツマスに寄港し、104日にフランスのブレスト基地を親善訪問した。その後、イタリアのラ・スペチアに寄港した。参考:中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船3,001,02

統営級>:韓国海軍救難艦トンヨン(Tongyeong)級。天安撃沈事件を期に建造された救難艦で、サイドスキャンソナー、ROV、重量物回収装置、減圧装置などを装備する。全長107.5m、幅16.8m、吃水4.8m、基準排水量3500トン。2軸推進、速力21ノット。兵装は20mmガトリング砲1門。乗員117名。統営が20129月に進水した。参考:月刊世界の艦船7,13

東榮丸>:日本海軍特設給油艦。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は連合艦隊補給部隊所属で、真珠湾攻撃に参加。昭和1745日、セイロン島攻撃に参加。824日、第2次ソロモン海戦に参加。1026日、南太平洋海戦に参加。昭和18118日、トラック沖で雷撃を受けて沈没した。参考:月刊軍事研究12,07、日本海軍艦隊総覧

藤影丸>:日本海軍特設運送船(雑用船)Toei maru。元は昭和12619日竣工の山本汽船貨物船で、大阪商船に貸し出されて運航されていたのを昭和13年に日本陸軍が徴用し、太平洋戦争直前に日本海軍が徴用して特設運送船になった。垂線間長107.29m、幅15.24m、深さ8.38m、吃水6.967m、総トン数4004トン、重量トン数5804トン。主機は川崎式二段減速蒸気タービン1基1軸3487馬力、航海速力14ノット、最大速力16.454ノット。昭和1921日、パラオからラバウルに向かう途中、カロリン諸島ウリアイ環礁南330kmSS-304シーホースの雷撃を受けて沈没した。参考:月刊世界の艦船5,23

<ドウェイン・T・ウィリアムス>:T-AK-3009(輸送船)を参照。

<ドゥエト>:AK-630M1-2CIWS)を参照。

<トヴェリ>:K-456(原潜)を参照。

ドゥエロ>:スペイン海軍掃海艇Duero201735-13日、ポセイドン2017演習に参加。参考:月刊世界の艦船7,17

<トゥオアチン>:PGG-618(ミサイル艇)を参照。

<藤花>:キ-115シリーズ(特攻機)を参照。

<東海>:751(コルベット)または822(フリゲート)を参照。

韜晦>:「とうかい」と読む。意味から「逃かい」と当てることもある。身を隠すこと、探知追尾攻撃から逃げること。参考:月刊世界の艦船11,14

東海シリーズ>:日本海軍対潜哨戒機、略符号Q1W、連合軍コードはローナ(Lorna)。最初から対潜哨戒機として開発された世界初の航空機である。主任務は、低速長時間(航続距離3300km以上)の対潜哨戒と、低速飛行中に目視で発見した潜水艦に対する250kg対潜爆弾による急降下爆撃で、昭和179月に渡辺鉄工所(後の九州飛行機)に開発が内示され、昭和1810月に正式の試作発注が出された。総生産数は試作機含め153機で、海上護衛総隊第901・第903・第951航空隊に装備され、敗戦時には本土に48機、中国大陸に12機が配備されていた。低速性能を重視しすぎたため、レーダーで遠距離の目標を発見しても、現場に着く頃にはレーダー波を逆探知した潜水艦が潜航していて見つからないという欠点があった。磁気探知器の探知距離の短さは編隊運用でカバーしたが、機体や爆弾から出る磁気を引っ掛けてしまい精度が悪く、非磁性化改修に着手するも既に時遅く、活躍できなかった。参考:歴史群像12,03、月刊JWings5,07、月刊丸3,'18別冊、5,07

 <十七試哨戒機>:試作型。要求を踏まえ双発機を作ることにして昭和182月から原型機の製作に入り、12月に初号機が完成した。尾翼関係を改修して採用された。参考:歴史群像12,03、月刊丸3,'18別冊

 <東海一一型>:昭和194月に生産が開始された量産型で、制式採用は昭和201月になってからである。双発の中-低翼機で、機首はJu88に似ており、コクピット左前方に操縦員、その右後ろに偵察員、操縦員の真後ろに電信員が座る。機首前下方は多面体状のガラス張りで、潜水艦の小さなセイルを目視で発見できるよう、良好な視界を有する。操縦席と電信員の間には新開発の小型レーダーを搭載する筈だったが、開発中止となったため、三式空六号無線電信機四型(無線電信機と言いつつ、実際はレーダー)を搭載した。フラップは前後に長く、弦長40%70%の位置にスロットが設けてあり、ダイブブレーキを兼ねる。下げ角度は急降下時75度、着陸時90度。エンジンは練習機などに採用されていた天風で、整備性に優れる。潜水艦探知用に三式一号探知機(KMX)を装備しており、編隊飛行の時に目安とする逆C字のマークが機体側面に描かれている。KMXと連動して自動投下される標識弾の搭載も可能。レーダーのみ搭載したものは垂直尾翼に赤い斜帯、KMXのみ搭載したものは黄色い斜帯、両方搭載したものは赤縁の黄帯を描き込んで識別している。全長12.09m、全幅16m、全高4.11m、自重3050kg、全備重量4745kg。翼面積38.2平方メートル。エンジンは天風三一型空冷星形9気筒(離昇出力610馬力)双発、プロペラは3翅、巡航速度222km、最大速度322km(高度1340m)、実用上昇限度4500m、航続距離2415km。自衛武装は7.7mm旋回機銃1丁で、後に20mm機関砲1門に換えたものもある。一式二十五番二号対潜爆弾(250kg爆弾)2発を前部胴体下面に搭載可能。乗員3名。参考:歴史群像12,034,17、月刊JWings5,07、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇、月刊丸3,'18別冊

 <東海一一甲型>:前部胴体下面に九九式一号20mm機関砲1門を装備したタイプ。参考:月刊JWings5,07、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇

<東海10>:DH-10(巡航ミサイル)を参照。

東海艦隊(中国海軍)>:中国海軍の艦隊。南京軍区に属し、江蘇省海安地区(北緯32度あたり)から福建省東山地区(北緯27度あたり)までを担当、日本に面している。20036月、駆逐艦とフリゲートからなる混合艦隊(異艦種部隊)を中国海軍として初編成し、主砲射撃訓練に成功した。200611日、寧波基地と舟山基地が合併して寧波舟山基地になった。20123月、上海保障基地が廃止されて上海水警区になった。7月、舟山保障基地が廃止されて舟山水警区になった。2013514日、南海艦隊との合同演習を実施。201621日、軍区が戦区に改編されたのに伴い、東部戦区の所属となった。参考:月刊世界の艦船3,132,20、月刊軍事研究2,15、朝雲

 <東海艦隊(1989年)>:連雲港南方(北緯3510分くらい)から東山(北緯2330分くらい)の沿岸防衛と洋上監視を担当する。司令部は上海、基地は呉淞、定海、杭州にあり、沿岸警備区7個を有する。潜水艦戦隊2個、護衛艦戦隊2個、機雷戦戦隊1個、両用戦戦隊1個、海兵隊師団1個、沿岸防衛区部隊からなる。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <東海艦隊(2012年)>:司令部は寧波舟山基地にある。寧波舟山基地に駆逐艦2個支隊、作戦支援支隊、象山に潜水艦支隊(877EKM型キロ級潜水艦8隻)、大榭島に潜水艦支隊(039型宋級潜水艦8隻)、浙江省温州に高速艇支隊、福建省寧徳に高速艇支隊、上海に揚陸艦支隊、上海水警区に機雷掃討・フリゲート混合支隊、呉淞訓練基地、舟山水警区に哨戒艇大隊、掃海艇大隊、対艦ミサイル旅団、厦門水警区に哨戒艇大隊2個、フリゲート大隊1個、勤務船大隊1個が置かれており、東海艦隊航空兵として海航第4師団、海航第6師団、海航独立第4飛行団(艦上機部隊)、レーダー第2旅団、直轄部隊として電子対抗団、工程指揮部、通信センターなどが編成されている。参考:月刊世界の艦船3,13

 <東海艦隊(2014年)>:司令部は浙江省寧波にある。旗艦は052C型ミサイル駆逐艦150長春。寧波舟山保障基地に駆逐艦第3支隊(ソブレメンヌイ級/同改級4隻、054A級2隻、054級2隻)、駆逐艦第6支隊(051型1隻、052C型3隻、054A級2隻、053H3型4隻)、作戦支援艦第2支隊、温州に高速艇第16支隊、寧徳に高速艇第21支隊、上海に揚陸艦第5支隊(揚陸艦大隊2個、輸送船大隊)、大榭島に潜水艦第22支隊(041型8隻)、象山に潜水艦第42支隊(636型/877EKM型8隻)、寧波に東海艦隊航空兵の海軍航空第4師団(Su-30MK2J-10)、海軍航空第6師団(JH-7AH-6)、海軍独立第4航空団(J-15)、レーダー第2旅団が置かれている。参考:月刊軍事研究2,15、月刊世界の艦船5,15

 <東海艦隊(2015年)>:司令部は寧波、支援基地は寧波、FujianZhoushanにある。LianyungangからDongshanにかけて(概ね北緯3510分から2330分)、南京軍区とそれに面する海域を担任し、沿岸防衛地域7個を有する。潜水艦16隻、ミサイル駆逐艦8隻、ミサイルフリゲート18隻、コルベット5隻、哨戒艇34隻、揚陸艦艇18隻、掃海艦艇18隻を配備する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <東海艦隊(2017年)>:東部戦区の海軍部隊で、司令部は寧波にある。駆逐艦第3支隊(舟山)、駆逐艦第6支隊(舟山)、護衛艦第13支隊(連雲港)、護衛艦第14支隊(上海)、護衛艦第15支隊(寧徳)、護衛艦第16支隊(汕頭)、潜艇第22支隊(寧波)、潜艇第42支隊(寧波)、登陸艦第5支隊(上海)、作戦支援艦第2支隊(舟山)などからなる。参考:月刊世界の艦船3,18

 <東海艦隊(2020年)>:東部戦区の海軍部隊で、台湾侵攻と海自・アメリカ海軍攻撃を主任務とする。通常動力潜水艦18隻、ミサイル駆逐艦12隻、フリゲート17隻、旧型フリゲート2隻、コルベット23隻、ミサイル艇30隻、対機雷戦艦艇22隻、揚陸艦3隻、中・小型水陸両用戦艦艇22隻、早期警戒機飛行隊1個、固定翼哨戒機飛行隊1個、中型爆撃機飛行隊1個、戦術攻撃機飛行隊2個、戦闘機飛行隊1個、ヘリ飛行隊1個を保有する。参考:月刊世界の艦船7,21

東海級>:韓国海軍沿岸防衛用コルベット、ドンヘ(Donghae)級。船型は平甲板型で、艦首にナックルラインを持つもののシアが無く凌波性に欠け、小型で長期洋上作戦に向かないため、建造は4隻に止まっている。全長78.1m、全幅9.6m、吃水2.6m、基準排水量800トン、満載排水量1076トン。主機はCODOG方式、GM社製LM2500ガスタービン1基・ディーゼル2基2軸26820馬力、最大速力31ノット。兵装はOTOメララ社製76mm単装速射砲1基、40mm連装機関砲1基、エマーソン社製30mm連装機関砲(発射速度毎分600発)2基、324mm3連装短魚雷発射管2基、爆雷投下軌条2条。対空レーダーは装備しておらず、AN/SPS-64対水上レーダー、WM28/ST1802射撃指揮レーダーを搭載する。乗員95名。1982-83年に艦番号751東海、752水原、753江陵、755安養が就役した。参考:月刊世界の艦船4,097,139,01、月刊軍事研究5,054,08

<東海級・海外シリーズ>

 <東海級(コロンビア海軍)>:コロンビア海軍コルベットで、Narino級ともいう。艦番号755安養が2014年に引き渡され、ナリニョとなった。満載排水量1093トン。兵装は76mm砲1門、324mm短魚雷Mk46用3連装発射管2基。艦対艦ミサイルを追加搭載するらしい。参考:月刊世界の艦船4,1512,16THE MILITARY BALANCE 2016

東海協作2012>:中国海軍、中国海洋環境監視観測船隊(海監)、農業省漁業局(漁政)が20121019日に浙江省舟山諸島沖の東シナ海で実施した合同演習で、艦船11隻、航空機8機、人員1000名以上が参加した。係争中の海域で中国公船が外国船の干渉を受けたため東海艦隊に救援を要請したという想定で、艦番号529舟山などが外国船の監視を行った他、外国船に衝突されて火災を起こした公船に対する消火活動や、海に落ちた乗組員に対するヘリでの救援活動などを実施した。参考:朝雲

<東海島>:868(揚陸プラットフォーム)を参照。

東海防衛支局>:2015619日、名古屋市で平成27年度東海防衛支局管内部隊等連絡調整会議を実施。76-12日、陸自中部方面隊が主催した防災訓練の南海レスキュー27と連携し、施設整備調査チームによる初の実動訓練を実施。建物の応急危険度判定といった技術支援活動を訓練した。2016330日、津市、被災駐屯地と共に、津市役所で久居駅周辺地区都市再生整備計画に伴う用地交換契約の調印式を実施。20174月、愛知県や岐阜県などの関係自治体に対し、F-35A戦闘機の国内初となる最終組み立て・検査についての説明を実施。参考:MAMOR vol.116vol.134、朝雲

東海村臨界事故>:1999930日、茨城県東海村にある株式会社JCOの原子力燃料加工施設で発生した、日本初の臨界事故。ウラン溶液をバケツで混合したところ、溶液が減速材、バケツ周囲の冷却水が中性子反射体となり、ウランが臨界に達して核分裂連鎖反応が起こってしまった。これにより3人が大量の中性子線とγ線を被曝。うち1名は17Sv、もう1名は8.7Svという高い被曝線量に達しており、前者の骨髄染色体を検鏡したところ、損傷が激しすぎて何番染色体なのか判別できないような状態だった。造血幹細胞移植が行われたが、消化管や皮膚の障害、それに伴う感染症などにより、それぞれ事故82日後と7ヶ月後に死亡した。現場から半径350m以内の住民には避難要請、500m以内には避難勧告、10km以内には屋内待避が指示されている。第101化学防護隊が災害派遣要請を受けて出動したが、自然災害ではないので専用の法的根拠を付けるべきとの議論になり、199912月に原子力災害対策特別措置法が制定され、自衛隊法も改正されて原子力災害派遣の項目が増えた。第101化学防護隊はシャワーによる住民の除染作業を行ったが、事故現場では中性子線を検出したため撤収を余儀無くされ、中性子遮蔽板を開発することとなった。参考:血液フロンティア12,11、月刊世界の艦船3,00、スピアヘッドNo.16No.17、月刊軍事研究7,16

<透過型空間給電方式パッシブ・フェイズド・アレイ・レーダー>:フェイズド・アレイ・レーダーを参照。

灯火管制(ドイツ)>:夜間は装飾灯を全て消し、22時を過ぎると街灯も消灯した。必要最小限の照明(懐中電灯や車両の前照灯含む)も着色フィルター、網、幕などを被せて使用している。違反すると8日間の給電停止となり、都市ごと7日間停電させられることもあった。参考:歴史群像10,10

灯火管制(日本)>:大正13年、佐世保や横須賀などの軍港がある都市で実施されたのが初である。昭和1344日に管制規則が全国で統一された。昭和191229日には灯火管制強化要綱が閣議決定され、22時以降は常に警戒管制を実施し、就寝時には全て消灯が義務づけられた。灯火管制が解除されたのは昭和20820日である。参考:戦時用語の基礎知識

導火索鋏>:日本陸軍の爆破器材。参考:工兵入門

等価軸馬力>:Equivalent Shaft HorsepowerEhpまたはeshpと略す。ターボプロップエンジンのように、軸出力と推力の両方が得られるエンジンの出力を表す際に用いられる単位で、推力を馬力に換算(推力と機速の積をプロペラ効率で割り、更に75で割る)して軸馬力(動力計などで測る)に加えたものである。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings10,09別冊付録

動荷重試験>:Dynamic load test。航空機各部が運用中に受ける荷重を代表すると想定される動荷重をかける試験のこと。運動荷重、突風荷重、振動応力、着陸の際の地面反力、急激な運動で生じる機体慣性による荷重などを想定してテストを行う。脚関連のテストでは、着陸時に担任する重量と同じ重さの錘を脚に取り付け、接地速度と落下速度が同じになる高さから実際に落として調べる。参考:航空用語事典増補改訂版

<鄧稼先>:874(海洋調査艦)を参照。

<等価線量>:シーベルト(等価線量)を参照。

<等価対気速度>:対気速度を参照。

同型艦>:同様の設計で建造された艦のこと。微妙な違い(ときに大差)があることもある。参考:MAMOR Vol.76

<投下地点連続計算>:CCRPを参照。

東金飛行場>:日本陸軍の飛行場。大正11年に山武郡豊成村で用地を買収した。参考:首都防空網と空都多摩

<投下用具1-3号>:重量物投下機材を参照。

<投下用具特1-4号>:重量物投下機材を参照。

<トゥカン>:Ju52海外シリーズ(輸送機)またはRT901UAV)を参照。

<東莞>:560(フリゲート)を参照。

導環>:ドライビング・バンド、ローテイティング・バンドともいう。砲弾を旋転させるため、弾体に付けられる軟金属製の環状バンドのこと。砲弾の弾体はライフリングよりも硬いので、これを巻いておかないと砲腔が痛む。ガス漏れのシーリングの役目もある。参考:GUN用語事典

トゥカン1>:VAB-VCIに搭載されている砲塔。イスパノイザ20mm機関砲、7.62mm機銃、スモークディスチャージャー4基を搭載している。参考:月刊PANZER1,0412,97

トゥカン2>:AMX-10Pに搭載されている2名用砲塔。オーバーヘッド・マウント式に20mm機関砲M693を搭載し、同軸に7.62mm機銃を装備する。右に車長、左に砲手が位置し、車長には7個のペリスコープ、砲手には光量増幅式暗視装置付き視察・照準用サイトがある。参考:月刊PANZER3,04

<投棄型音響標的>:自衛隊の機器。鶴見精機または三井物産エアロスペースが受注している。参考:月刊軍事研究4,1411,15

冬季攻勢(1942年)>:第2次大戦中の19421119日からソ連軍がコーカサス地方のドイツ軍に対して行った攻勢。スターリングラードの側面を固めていたイタリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランド、スロバキアの同盟国軍部隊を撃破して第6軍に二重包囲をかけた。1210日にはドイツ軍のスターリングラード救出作戦「冬の嵐」が開始されたが、兵力に劣るドイツ軍は目的を果たせず、1222日にソ連軍は再度同盟国軍を粉砕、ドイツ軍A軍集団100万を包囲すべくロストフ目がけて進撃を開始した。12月末、A軍集団はロストフ目指して後退を開始、包囲される前にコーカサスからの脱出を図った。ロストフ目指しドン川沿いに急進するソ連第3親衛機甲軍団と、ロストフ防衛にあたるドン軍集団との間で激戦が繰り広げられ、A軍集団はカフカスからの撤退に何とか成功した。参考:歴史群像12,03、月刊丸8,87

冬季攻勢(1945年)>:第2次大戦中の194410月、ソ連軍最高司令部が冬季攻勢の策定を開始。東プロシア方面は縦深120kmの陣地帯が構築されていて突破困難、ハンガリー方面は地形が険しく機動や補給が難しい、ポーランド南部工業地帯・鉱山占領は工場破壊前に作戦を完了しようと進撃を急ぎすぎると逆襲を喰らいかねない、ということでポーランド中部から平坦な地形を一気に突破し、オーデル河を渡ってベルリンまで一気に進む計画を採用した。ドイツ国防軍兵力は東プロシア方面26個師団、ポーランド中部方面49個師団、ハンガリー方面55個師団と見積もっており、ハンガリー方面は助攻としてドイツ南方軍集団への攻勢を持続しドイツ国防軍戦力を拘束、東プロシア方面とポーランド中部方面を主攻方面としてドイツ国防軍戦力を分断し、東プロシア方面ドイツ国防軍をバルト海沿岸に閉じ込め、ポーランド中部方面を西へと突破する。主攻勢開始日は1945115-20日を予定したが、19441216日に西部戦線でラインの守り作戦が始まり、米英がソ連に支援を求めてきたため、1945112日に開始することになった。ドイツ側はソ連主攻方面を見誤り、バグラチオン作戦と同様の両翼突破中央包囲に出ると読んだためポーランド中部方面が手薄になり、更にラインの守り作戦で戦力を引き抜いてしまっていた。1945112日、ポーランド南部でヴィツスラ河=オーデル河=シュレゼン作戦を開始。113日、東プロシア作戦を開始。36日、ドイツ国防軍が春の目覚め作戦を開始したが、315日に阻止すると316日から第2・第3ウクライナ方面軍がハンガリー方面を突破してウィーンを目指す攻勢を開始。4月上旬にはベルリン進撃路南北側面の掃討を終え、ベルリン作戦の準備を整えた。参考:歴史群像4,18

冬期山地訓練>:陸上自衛隊第12旅団第13普通科連隊が1985年から実施している、厳冬期に凍り付いた八ヶ岳連峰の絶壁や滝を踏破する訓練。レンジャー特技保有者から選抜された隊員が対象である。参考:朝雲

陶器手榴弾>:日本軍が太平洋戦争末期に製作した手榴弾で、鉄不足を補うために開発された。全長100mm、直径75mm、重量450g、炸薬重量99g。頭部を石などにこすって点火する。信管遅延秒時は4-5秒。破片が陶器のため、威力に欠けるのが欠点である。名古屋、瀬戸、信楽といった陶器生産地で量産され、硫黄島戦や沖縄戦で実戦投入されたといわれる。太平洋戦争が終わると、占領軍から兵器生産者のレッテルを貼られないよう、外殻量産地では砕いて土に埋めたが、炸薬充填・信管装着などのため工場に出荷されたものは残存し、サイズ的にちょうど良いので一輪挿しに流用されたりした。参考:戦時用語の基礎知識、月刊丸6,14

冬季戦技教育隊>:陸上自衛隊の冬期訓練教育専門部隊で、真駒内駐屯地に置かれている。略称は冬戦教(とうせんきょう)。積雪寒冷地における戦闘・戦技指導に必要な教育訓練を行うのと、積雪寒冷地における部隊運用の研究が主任務である。1971年、北方特別戦技訓練隊から改編されて創設された。隷下に戦闘戦技教育室、特別体育課程教育室(冬季オリンピック選手育成が主任務で、クロスカントリー班、バイアスロン班からなる)などを置く。201425日、日米最先任下士官8名が訓練を見学した。37-20日、上級スキー指導官養成訓練を実施。2015128-31日、新潟県十日町市で行われた全日本スキー(チーム種目)の3種目で優勝した。317-21日、北海道音威子府村で行われた全日本スキー選手権大会(個人種目)で男子50キロクラシカル、男子15キロフリーなど3種目で優勝した。2016328日、特別体育課程教育室が体育学校の隷下に移った。201714日から227日、冬期遊撃課程教育を実施。2018117-18日、北部方面混成団がニセコ訓練場で行った新渡道訓練で現地実習を担任した。201972-20日、北海道の珊内岳や雷電山などで山地潜入訓練(山地潜入、山岳登攀、急峻山岳地帯における安全確保要領、患者搬送など)を実施。2020110日から226日、第11期幹部・上級陸曹特技課程「冬季遊撃」教育を実施。学生32名が積丹半島ニセコ地区での前段教育(豪雪地域での山岳気象、雪崩遭難者救出、山岳スキー技術など)と北海道大演習場での後段教育(冬季爆破、遊撃戦闘襲撃・伏撃など)を受講し、仕上げの4夜5日雪上総合訓練を受け、全員が課程を卒業して冬季遊撃隊員となった。34-19日、令和元年度上級スキー指導官養成訓練を実施。参考:朝雲、MAMOR vol.133vol.164

<同期電動機>:電動モーターを参照。

<唐級>:096型(原潜)を参照。

東救302>:862(潜水艦救難艦)を参照。

東救335>:中国海軍917型救助船の艦番号Dongjiu 3352012年就役。参考:月刊世界の艦船6,14

冬季遊撃徽章>:陸上自衛隊の徽章。冬季遊撃に関する教育訓練(冬季戦闘技術を修得する)を修了した者や、これと同等以上の技能を持つと陸上幕僚長が認める者が付ける。参考:MAMOR Vol.62

統御>:Leadership。人を動かす能力、指導力のこと。陸上自衛隊教範によれば、仕事の知識の把握、責任観念、自己改善、部下の福祉、活模範、部下に状況を周知徹底、部下の任務の理解度・遂行状況の確認、チームワーク、時宜に即した判断、部下の責任観念を向上、部下の能力に応じた命令の付与の11要素から構成される。参考:月刊軍事研究2,09

東京オリンピック支援(1964年)>:第18回オリンピックで、開催期間は19641010-24日。自衛隊は東部方面隊の隷下部隊として市ヶ谷駐屯地に東京オリンピック支援集団(隊員7647名、航空機12機、艦艇74隻、車両840両、通信機773基、祝砲として榴弾砲3門)を臨時編成し、選手村支援群などの群・隊5個と、近代五種支援隊など支援隊8個からなる競技支援群を隷下に置き、式典(奏楽、祝砲、開閉会式、表彰式など)、競技運営(近代五種、馬術、ライフル射撃、クレー射撃、陸上競技、自転車、カヌー、漕艇、ヨット)、輸送、会場整理などの任務に就いた。海上自衛隊は東京オリンピック支援集団とは別にヨット競技支援任務部隊(指揮官は横須賀地方総監で、海上支援任務群と陸上支援任務群からなる。隊員2538名、艦艇74隻、車両110両、ヘリ2機)を編成し、富士作戦と称してヨット競技支援を行っている。開閉会式での旗章掲揚・降下はヨット競技支援任務部隊陸上支援任務群が担当した。開閉会式の選手団入場行進で各国名を記したプラカードを掲げ先導したのは、防衛大学校学生による標識隊である。ヨット競技にはノルウェーのハラルド皇太子が選手として参加、これに敬意を表して明仁皇太子殿下夫妻が海上から競技を観戦されることになった。海自ではイギリス海軍ロイヤル・ヨットに相当する艦船をお召し艦として用意することにしたが、新造する暇は無いため、第一線任務が無い特務艇で船体余裕の大きいASM-71ゆうちどりを迎賓艇に改造している。閉会式の参加は選手個人の自由だったため、当日になっても何人参加するか見当が付かず、また当日に北ローデシアがイギリスから独立してザンビアになったため、急遽プラカードを書き換えて入場順も入れ替えた。結局閉会式には参加総選手数の8割を超える4000人以上が集結、当初は各国旗手が入場行進を行った後に参加国選手団が整然と入場してくる予定だったが、日本の旗手が最後に入場すると各国選手団が列を乱して続々と入場、日本の旗手を日章旗ごと担ぎ上げ、各選手が国籍・人種・性別に関わらず腕を組み手を繋いで国立競技場を行進し、会場からは大歓声が送られた。以降の閉会式入場行進はこの方式が定番になっている。参考:朝雲

東京オリンピック支援(1964年、ブルーインパルス)>:19631月、東京オリンピック組織委員会事務局から航空幕僚監部に対し、1964年の東京オリンピック開会式でブルーインパルス編隊がスモークを曳いて飛行して欲しいと要望が出された。これに対し、松田航空幕僚長はどうせならオリンピックマークを描いたら良いと応じ、源田実参議院議員(前航空幕僚長)も組織委員会に働きかけ、開会式の19641010151010秒から、国立競技場ロイヤルボックス正面・聖火台後方でマーク全景が見えるようにオリンピックマークを描くという最終オーダーが組織委員会から提出された。オリンピック史上初の試みであり、ブルーインパルスでは早速検討を開始。ロイヤルボックスから見上げ角70度の延長線上・高度10000フィート(3048m)に、速度250ノットで進入し、2G右旋回により直径6000フィート(1829m)の円を5つ描くことになった。F-86Fブルーは2列に並び、左列は松下編隊長を先頭に7000フィート(2134m)間隔で3機、右列は左列の4000フィート(1219m)右側を先頭が編隊長機と2番機の間になるよう7000フィート(2134m)間隔で2機が飛行する。カラースモークは1番機青、2番機黄、3番機黒、4番機緑、5番機赤である。他に予備機1機を用意しておく。カラースモークは池田工業で開発したが、高度10000フィート(3048m)で放出すると黒が褐色になるという問題の解決に手間取り、完成したのは本番10日前だった。訓練はまず空中に直径6000フィート(1829m)の正円を描くことから開始。旋回開始は2Gだが、そのままのGを維持し続けると旋回に伴う機速低下により半径が小さくなり、螺旋になってしまうので、機速に応じて徐々にGを緩めていくことにした。しかし同じGの緩め方でも各機で円の大きさが違うことが判明、原因が加速度計の僅かな誤差だったことから、整備員が調整を繰り返した。また、加速度計が小さくて注視し続けると今度は高度や速度がずれてくるので、最終的にはパイロットがGのかかり方を体で覚えている。次いで編隊での訓練に入ったが、レーダーが無いので機体間隔を目視で維持せねばならず、風防に目印を付けたりと様々に工夫したが、体調による僅かな視力変化や大気状態による視程に影響され、全く上手くいかず、T-33A練習機を空中統制機として同伴させることにした。国立競技場上空での事前訓練も5-6回行ったが、光化学スモッグで競技場が確認できず、地上から高度10000フィート(3048m)の風力・風向を無線連絡してもらって編隊長が推測航法でマークを描き始めたものの、競技場からは全く見えないという状況で、訓練では1度も成功しなかった。1964109日午後、ブルーインパルスが浜松基地から入間基地へと移動。その夜は豪雨であり、緊張もあって晩酌もそこそこに要員は眠りに就いた(ずっと呑んでいて二日酔いで飛んだというのは話半分に聞いた方が良いらしい)。1010日未明から早朝にかけ、T-33A練習機で天候偵察を実施。快晴・無風であり、待機地点の横浜上空からも国立競技場がはっきりと見えた。1430頃、F-86Fブルー5機、予備機1機、空中統制用T-33A練習機1機が入間基地を離陸、横浜上空で空中待機に入った。国立競技場には君が代斉唱が終わって拍手も済んだ10秒後に進入する予定だったが、開会式の進行が数分遅れたため、地上指揮官の山田一等空佐は編隊長に一任。編隊長の松下一等空尉はADFのチャンネルをNHKのラジオ放送に合わせて実況放送を聴き、進入時刻を修正、旋回開始地点へと向かった。編隊各機からは空中統制機に位置を確認する無線が何度となく入ってきたが、ポジショニングは完璧で、その都度「ベリー・グッド」と応え自信を付けさせた。1513、編隊長の「ブルー・スタート・ターン、スモーク・ナウ」のコールで五輪マークを描き始めた。タイミングは君が代の最終1小節のところで、君が代斉唱が終わるか終わらないかのうちに天皇皇后両陛下と観衆が空を見上げることとなったが、結果的には大成功となった。約30秒で各機は一周してスモークを切り、15000フィート(4572m)まで上昇。国立競技場上空には見事なオリンピックマークが浮かんでおり、予備機(ホワイトスモーク)を加えた6機でスモークを曳きながら東京上空を飛行し、無事に帰投した。オリンピック組織委員会からは閉会式でも実施できないか打診されたが、2度と出来そうにないので丁重に断りを入れた。また、次のメキシコオリンピックでトライしようとメキシコ空軍から数名が浜松基地に派遣されたが、説明を聞いたところ「うん、それ無理」ということでカラースモークだけ持って帰り、本番ではバイクから5色のスモークを出している。参考:月刊軍事研究9,14

東京オリンピック・パラリンピック支援(2020年)>:2013年にオリンピック東京招致が決定したのを受け、防衛大臣を委員長とし、副大臣、政務官、事務次官、陸海空幕僚長ら20人からなる特別行動委員会を編成し、9月に第1回会合を開催した。20191223日、第12回特別行動委員会を開催。2020225日、防衛省・自衛隊が河野防衛大臣を本部長とする東京2020オリンピック・パラリンピック支援本部を設置し、安全確保、大会運営協力、自衛官アスリート支援を軸として協力することになった。山本防衛副大臣が本部長代理を、政務官2名が副本部長を、事務次官、官房長、人事教育局長、報道官、統幕長、統幕総括官、陸海空幕僚長が本部員を務める。318日、防衛省で東京2020オリンピック・パラリンピック支援本部の看板設置式を実施。320日、松島基地で聖火到着式を実施。0936に聖火を載せた特別輸送機が着陸し、ブルーインパルスが飛行、航空中央音楽隊が3曲を演奏した。324日、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、開催の1年延期が決まり、防衛省・自衛隊による支援も1年先送りされることになった。新日程は2021723日から95日で、隊員8500名が支援する。517-20日、東京オリンピック・パラリンピック中の首都直下地震を想定した令和3年度自衛隊統合防災演習指揮所訓練を実施。628日、自衛隊体育学校の東京オリンピック出場内定選手13名が岸防衛大臣に出場を申告した。718日、東京2020オリンピック・パラリンピック支援団の編成完結式を朝霞駐屯地の体育学校球技体育館で実施。団長は東部方面総監部幕僚副長で、支援団本部(救急車支援組)、第1東京会場整理支援群(群本部、会場整理支援隊)、第2東京会場整理支援群、第3東京会場整理支援群、神奈川地区会場整理支援隊、埼玉地区会場整理支援隊、会場整理全般支援群、自転車競技会場支援群(群本部、東京地区支援隊、神奈川地区支援隊、山梨地区支援隊、静岡地区支援隊)、競技運営協力隊(隊本部、アーチェリー運営協力班、射撃運営協力班、近代五種運営協力班)、式典協力隊(隊本部、開・閉会式支援班、全般支援班、表彰式支援班)、射撃競技会場医療支援隊からなり、隊員数8500名である。723日、東京オリンピックが開幕。ブルーインパルスが国立競技場上空にオリンピックのシンボルマークを描き、開会式で自衛官が日の丸とオリンピック旗を掲揚した。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、大半の競技が無観客開催となっている。自衛隊体育学校からは9個班17名(柔道班1名、ボクシング班3名、レスリング班2名、射撃班2名、陸上班2名、水泳班1名、女子ラグビー班1名、近代五種班3名、カヌー班2名)が10競技に出場した。725日、フェンシング男子エペで近代五種班山田2等陸曹が6位に入賞した。岸防衛大臣が朝霞訓練場のオリンピック射撃競技会場を視察し、大会を支援する隊員を激励した。729日、柔道女子78キロ級で濱田1等陸尉が柔道班初の金メダルをオール一本勝ちで獲得した。730日、フェンシング男子エペ団体戦で近代五種班山田2等陸尉が金メダルを獲得した。731日、柔道混合団体で濱田1等陸尉が銀メダルを獲得した。84日、ボクシング女子フライ級で並木3等陸曹が銅メダルを獲得した。87日、レスリング・フリー65キロ級でレスリング班乙黒2等陸曹が金メダルを獲得した。88日、東京オリンピックが閉幕。体育学校選手は史上最多のメダル5個(金3個、銀1個、銅1個)を獲得した。89日、オリンピック閉会式後の警備のため、第3飛行隊F-2戦闘機6機が離陸して警戒にあたった。824日、パラリンピックが開幕。ブルーインパルスがカラースモークを使用して東京上空を飛行した。開会式では国旗とパラリンピック旗を自衛官が掲揚した。開会式警備のため、第3飛行隊F-2A戦闘機(AAM-3空対空ミサイル2発+AAM-4空対空ミサイル2発)2機が離陸し、警戒にあたっている。体育学校オリンピック選手15名が岸防衛大臣にオンラインで成果を報告し、金メダルを獲得した濱田1等陸尉、山田2等陸尉、乙黒2等陸曹に1級賞詞が、銅メダルを獲得した並木3等陸曹に2級賞詞が授与された。95日、パラリンピックが閉幕。参考:朝雲、月刊世界の艦船9,21、月刊JWings11,21

 <東京オリンピック・パラリンピック支援(2020-21年、ブルーインパルス)>:5色のオリンピックシンボルをカラースモークで再現すると、色ごとに予備機を揃える必要があり、機体12機とパイロットに整備員を確保すべく、ブルーインパルス保有12機のうちIRAN中の1機を除く11機とノーマル機1機を用意、2018シーズンでブルーインパルスを退いたパイロット2名を呼び戻し、必要資材は松島基地施設隊からも提供して貰った。悪天候などで松島基地に着陸できなくなったら仙台空港にダイバートするため、第21飛行隊や検査隊などが仙台空港に待機している。6機編隊2個を用意し、オリンピックシンボルを描く第1編隊とバックアップの第2編隊として運用する予定だったが、冬の松島基地は強風に襲われることが多く、F-86ブルーインパルス時代よりも線が細くて持続時間も半分程度の30秒くらいしか無いカラースモークでは不安があったため、本番直前に第2編隊がリーダーズ・ベネフィット・ローパスで5色の線を描くことにした。第2編隊1番機はスモーク無しで飛ぶので、ノーマル機を使う。とはいえパイロット1名・機体1機でも欠ければ第2編隊による5色の航過飛行はできなくなる。オリンピックシンボルを描く第1編隊は高度1500mに速度250ノットで直径1200m1600m?)の円を描く。2019年夏、カラースモークの機体への注入・抜去作業をテストした。202024日、ブルーインパルスが五輪カラースモークで初訓練を実施。313日、オリンピック・シンボルやリーダーズ・ベネフィットなどの予行を行い、報道陣に公開した。320日、松島基地で行われた聖火到着式でブルーインパルスがフライトを実施。第1編隊1番機は聖火特別輸送機B787に合わせ787号機(シリアルナンバー06-5787)とした。晴れたものの雲が多く、最大風速22.6mの北西の強風が吹き荒れる生憎の天候で、第1編隊による高度1300m・直径1200mのオリンピックシンボルは空に描く傍から風に流されてしまったが、第2編隊によるリーダーズ・ベネフィットでは後続の5機が向かって右から黒(5番機)・赤(2番機)・緑(4番機)・青(3番機)・黄(6番機)の美しいラインを曳いた。2021623日(24日?)、東京オリンピック・パラリンピック両開会日にブルーインパルスが展示飛行を行うと航空自衛隊が正式発表した。630日、松島基地上空でオリンピック・シンボルを描く飛行訓練を実施。72日、防衛省が東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会に関する防衛省・自衛隊の取り組みを発表。安全確保のため競技会場周辺を含む領空の警戒監視、大規模自然災害等が発生した場合の被災者救援支援、サイバーセキュリティ対策などを行うと共に、自衛隊法第100条の3に基づいて東部方面総監が担任する隊員8500名規模の東京2020オリンピック・パラリンピック支援団を編成し、国旗等の掲揚、射撃競技会場での医療サービス、自転車競技での救急搬送、セーリング競技での会場救護(横須賀地方総監担任)、自転車ロードレースでの沿道警備や会場内外の整理、アーチェリー・射撃・近代5種競技での運営協力などを実施することになった。76日、松島基地上空でオリンピック・シンボルを描く飛行訓練を実施。723日、東京オリンピック開会式に合わせ、東京都内上空でオリンピックカラースモークによる展示飛行を実施。アクロ機10機とノーマル機2機をA・B2チームに分け、万全の体制を敷いた。1220、入間基地を離陸。トラブルは無かったためAチームのみ東京に向かい、聖火到着セレモニーの会場である東京都庁都民広場上空を5色のカラースモークを曳きながらデルタ隊形で航過(左から赤、緑、黒、黄、青)し、東京タワー、東京駅、スカイツリー、国立競技場などを経て東京都庁に戻り、上空を雲が低くたれこめていたため、高度3500フィートをデルタ隊形で進入し、速度250ノット・荷重3.5Gで各輪直径1200mのオリンピック・シンボルを描いた。1250、Bチーム6機が入間基地上空でリーダーズ・ベネフィット隊形を取りカラースモークを曳いて(先頭はノーマル機。後続5機が左から黒、赤、緑、青、黄)航過した後に着陸。1257、Aチーム6機が入間基地上空でエシュロン隊形を取りカラースモークを曳いて(左からノーマル機、赤、青、緑、黒、黄)航過した後に着陸した。724日、松島基地に帰投。82日、松島でパラリンピック開会式に備えた訓練飛行を白スモークで実施。818日、松島基地で予行練習を実施。唯一のカラースモーク予行練習で、練習後はローリング・コンバット・ピッチとコーク・スクリューもカラースモークでこなしている。822日、東京都内で予行練習を白スモークで実施。824日、パラリンピック開幕に合わせ、東京上空で展示飛行を実施。シンボルマークのスリーアギトスにちなんでカラースモークは赤青緑の3色を使用し、A編隊は6機だがB編隊(予備機)は3機で、それぞれ垂直尾翼左に1・右に4、左に2・右に3、左に5・右に6と記入して2機分の予備としている。1335、入間基地を離陸。1400、聖火到着式会場の代々木公園上空でライトエシュロンローパスを実施。2機編隊3個に分かれ、左(5・6番機)が赤、中央(2・3番機)が青、右(1・4番機)が緑のカラースモークを曳きつつ左旋回しながら開傘した。その後デルタ隊形(先頭1番機、2列目2・3番機、3列目5・4・6番機で1番機はスモークオフ)に変更し、1407に再度聖火到着式会場上空に進入。1420頃、入間基地に帰投。A編隊はフェニックス・ローパス(先頭1番機、2列目2・3番機、3列目5・6番機、最後尾4番機)、B編隊は単機で着陸した。この際、カラースモーク適正使用高度1000フィート以上のところ、Bチームの2機が高度100フィート・30.48m、1機が45フィート・13.76mまでカラースモークを使用し続けたため、塗料が地上に車両に付着する被害が出た。水や洗剤では落ちないので、再塗装が必要。参考:月刊JWings6,207,'209,'2110,'2111,'21、朝雲

東京音楽隊>:海上自衛隊の音楽隊。全自衛隊の音楽隊として初めて歌手(三宅3等海曹)を採用した。19511月に海上保安庁音楽隊として芝海岸通りで創設され、1952年に海上警備隊音楽隊、次いで警備隊音楽隊に改称、1954年の海上自衛隊発足で海上自衛隊音楽隊になり、1956年に東京音楽隊に改称され、4月に用賀に移転した。1995年、新庁舎(地上4階・地下1階)が竣工。2012628日、富士五湖周辺の8カ所でゲリラライブを実施。629日、河口湖ステラシアターでふれあいコンサートを行った。20131230日、製作したCD「祈り~未来への歌声」が日本レコード大賞企画賞を受賞した。2013年度第24回日本管打・吹奏楽アカデミー賞演奏部門を受賞。20142月、CD「祈り~未来への歌声」が第28回ゴールデンディスク大賞クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。3月、CD「祈り~未来への歌声」が第6回CDショップ大賞2014年クラシック賞を受賞。314日、演奏活動の功績により海幕長から2級賞状を授与された。55-13日、ノルウェーのオスロでノルウェー軍楽祭ノルウェー・タトゥー2014に参加。57日のオープニング・コンサートでは行進曲軍艦、吹奏楽のための叙情的祭を演奏し、三宅3等海曹がさくらをピアノ伴奏で歌唱した。59日からの本演奏会では、君が代行進曲、天地人、ふるさとの歌唱、カラーガード隊を加えての行進曲軍艦を披露している。623-24日、青森県平川市立平賀東中学校で音楽教室と演奏会を実施。20141129日、三宅3等海曹がリンクステーションホール青森で陸海空自衛隊合同演奏会にゲスト参加。2015110日、イオンモール倉敷で岡山県警察音楽隊と初の合同演奏会を実施。614-16日、千曲市防衛協会が主催する自衛隊ふれあいコンサートで演奏した。621日、滋賀地本創立60周年記念事業に協力し、滋賀県大津市の県立芸術劇場びわ湖ホールで演奏会を実施。711日、沖縄県宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで平成27年度陸・海・空自衛隊合同コンサートに参加。1010日、横須賀芸術劇場で海上自衛隊バンドフェスティバルに参加。1119日、縁故募集の功績で海幕長から3級賞状を授与された。2016221日、東京オペラシティコンサートホールで定期演奏会を実施。715日から82日、スイスのバーゼルで軍楽祭バーゼル・タトゥー2016に参加。811日、横浜みなとみらいホールで第54回定例演奏会を開催。201744日、三宅3曹が日本大学芸術学部主催第11回日藝賞を受賞した。67日、防衛省講堂でビッグバンドジャズコンサートに参加。719日、松山市民会館で第37回ふれ愛コンサートin愛媛を開催。2018115日、世田谷ボロ市でパレードを実施。218日、東京オペラシティで定期演奏会を実施。428日、ニコニコ超会議2018で演奏した。77日、中央音楽隊航空中央音楽隊と共に、ウェスタ川越大ホールで防衛省主催平成30年度空自衛隊合同コンサートに参加。928日、下総水交会の東京音楽隊研修に協力した。929日、昭和女子大学人見記念講堂で第58回定例演奏会を実施。1025日、目黒基地が行った近隣官公署職員・署員を対象とする基地見学に協力し、アンサンブルコンサートを行った。2019210日、東京都港区サントリーホールで第58回定期演奏会を実施。33日、東京マラソン2019で演奏を実施。312日、防衛大学校吹奏楽部員30名に演奏指導を実施。527日、愛知県芸術劇場で愛知県演奏会を実施。629日から76日、カナダのノバスコシア州ハリファックス市スコシアバンク・センターでロイヤル・ノバスコシア・インターナショナル・タトゥー2019に参加。85日、隊庁舎で青少年のためのサマーフェスティバルを開催。105-6日、横浜の赤レンガパークでコンサートを実施。1110日、祝賀御列の儀で60名が新・祝典行進曲を演奏した。2020118日、泉佐野市主催の避難訓練コンサートで演奏した。311日、即位の礼に関する一連の儀式で演奏支援を行った功績で、安倍総理から内閣総理大臣感謝状を伝達された。1128-29日、航空中央音楽隊と共に、昭和女子大学人見記念講堂で青少年のための3自衛隊音楽コンサート(陸自中央音楽隊は急な事案により出演取り止め)に参加。2021530日、日本ダービーでファンファーレを演奏した。71日から91日、パシフィック・パートナーシップ2021に参加。2022110日、新型コロナウイルス感染症拡大で延期していた定期演奏会を2年振りに実施。2月、定期演奏会で海自初の男性ボーカリストがデビューした。1118-19日、武道館で行われた令和4年度自衛隊音楽祭りに参加。20238-10月、パシフィック・パートナーシップ2023に参加。参考:MAMOR vol.118vol.81vol.103vol.157、月刊世界の艦船1,202,'23、朝雲

東京海軍通信隊>:日本海軍の通信隊。昭和16128日、太平洋戦争開戦時には第1連合通信隊の隷下にあった。参考:日本海軍艦隊総覧

東京瓦斯電気株式会社>:ガス関係機器メーカーとして明治43年に設立された。電気や琺瑯鉄器なども作るようになり、大正2年に東京瓦斯電気工業株式会社となった。参考:月刊丸8,95GUN用語事典

東京瓦斯電気工業株式会社>:大正2年、東京瓦斯電気株式会社から改称した。大正3年の第1次大戦勃発により、大阪工廠から命じられて信管やエンジンなど兵器関連物資の生産を開始。東京自動車製作所から技師を招いて10年にわたり研究を行い、大正5年に自動車製造計画を決定した。大正7年に日本初の軍用保護自動車を開発した。大正810月、ダ式一〇〇馬力発動機の試作に成功。民間工場として初めてエンジンを製作した。昭和4年、初の純国産航空機用エンジンである神風を完成させた。後に合併により東京ヂーゼル工業となった。参考:月刊丸8,95、機甲入門、月刊PANZER8,05

東京気象隊>:航空自衛隊の気象隊で、市ヶ谷基地に置かれている。2016914日、府中基地で行われた航空気象群主催の品質管理(QC)サークル第1回発表会でシルバー賞を受賞した。参考:朝雲、航空気象群ホームページ

東京急行>:ソ連が行った日本周辺空域飛行パターンの1つ。シベリアからサハリンを横切って根室沖から三陸沿岸沿いに南下し、房総半島沖から伊豆諸島付近で引き返すコースである。使用機はTu-16またはTu-95。冷戦時代には月1回くらい行っていた。20144月中旬にはIl-20が4回実施している。参考:自衛隊装備カタログ1981、月刊軍事研究7,05、朝雲

東京協定>:昭和16118日、南方作戦陸海軍中央協定に基づき、陸軍大学校で結ばれた作戦協定。南方軍総司令官と連合艦隊司令長官、第2艦隊司令長官との間で締結された。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

東京業務隊>:海上自衛隊の業務隊。20141126日、車両科の3等海曹2名が警視庁から長期無事故運転者(銀賞)を授与された。20161128日、牛込警察署で行われた秋の交通功労者等表彰式で車両科の4名が感謝状を授与された。2017123-27日、平成28年度自衛隊統合演習(指揮所演習)に参加。629日、牛込警察署で行われた春の交通功労者等表彰式で3等陸曹に長期無事故運転者(銀賞)が贈呈された。2020101日、印刷補給隊を業務第2部に統合した。参考:月刊世界の艦船12,'20、朝雲

東京計器>:日本の計器メーカー。1896年(明治29年)に設立され、船舶計器を生産した。飛行機が誕生すると航空計器も開発・生産している。F-104J戦闘機以来、国産レーダー警戒装置を開発・量産中。参考:月刊JWings11,23

東京航空機器製造工業組合>:日本の戦時統制組合。東京府管内の航空機部品関連会社の生産統制を主目的として昭和135月に結成された。参考:首都防空網と空都多摩

東京行進>:防衛大学校の学生有志が1959年から毎年行っている恒例行事で、横須賀市の防衛大学校本校から千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑まで68kmを一晩掛けて踏破するものである。参考:朝雲

<東京裁判>:極東国際軍事裁判を参照。

<東京師団>:近衛第2師団を参照。

東京造船東京造船所>:E型戦時標準貨物船を建造するため新設された造船所。年産80隻が目標で、総トン数1000トン級の建造船台4基を持つ。作業員2560人のうち囚人が1140人だった。昭和203月の東京大空襲で全焼し、そのまま終戦を迎えた。参考:戦時標準船入門

東京大空襲>:太平洋戦争中の昭和2039-10日に東京の下町に対して行われた無差別爆撃。B-29はできるだけ焼夷弾を搭載するため、機銃、弾薬、銃手を降ろしていた。焼夷弾の予定投下密度は1平方マイルあたり60トン。先導機はAN-M47A2焼夷弾を搭載して100フィート(30.5m)間隔で投下、要所に火点を発生させ、それを目標として後続機がM69焼夷弾を50フィート(15.2m)間隔で投下し、火点同士を火の帯で結んで内部の市街地を焼き尽くす作戦である。391715、サイパン・テニアン・グアムに展開していた第21爆撃機コマンド所属のB-29400機のうち、325機が発進。先に離陸していた無線誘導担当のB-29爆撃機4機の信号を受信しつつ東京に向かった。夜の東京の気象状況は、気温3.9度、風速7.9-12.7m、風向北西、雲量40であった。翌310日は陸軍記念日で、311日は日曜日であり、連休ということで久しぶりに家族全員が顔を揃えたり、進級に備えて疎開していた学童を帰京させたりしていた。2230、房総半島方面から2機のB-29が出現し、東京付近を通過したため、東京に警戒警報が発令された。このB-29は無線誘導機で、間も無く房総半島沖に抜けたため、警戒警報は解除された。東部軍司令部ではB-29編隊の来襲を掴んではいたものの、名古屋方面に向かうと判断したのと、真夜中に皇族を避難させることにためらいがあったのとで空襲警報の発令が遅れたといわれる。3100008、先導機の第314爆撃飛行団が高度1500-2800mで小型焼夷弾(70ポンド・31.8kg、1機あたり180発搭載)の投弾を開始。深川区木場二丁目付近から最初に火の手が上がり、深川区白川町二丁目、三好町一丁目、三好町二丁目からも火災が発生した。この火災を目印にして後続の爆撃部隊が大型焼夷弾を投下。5機が先導機の指示、125機が有視界爆撃、149機がレーダー爆撃で1665トンの焼夷弾を投下した。爆撃部隊は戦闘機から40回の攻撃を受け、各所からサーチライトの照射を浴び、高射火器による反撃もあったが、高射砲は遙か上で炸裂、高射機関砲は逆に全く届かず、やがて火炎に飲み込まれていった。0010、城東区北砂町2-5丁目が帯状の炎に包まれ、0012には本所区が炎上した。0015、空襲警報が発令されたが、既に至る所が火の海となっていた。0020、江東区の海抜0メートル地帯が炎に包まれ、浅草区、牛込区、下谷区、日本橋区、本郷区、麹町区、芝区でも次々と火災が発生。浅草区と日本橋区の火災は幅200mの隅田川を乗り越えて向島区に達し、下町一帯には猛火により温度数百度・最大風速50mの火炎嵐が発生、逃げようと体を起こした人は瞬時に吹き飛ばされて炎の中に消え、地面にうずくまった人も蒸し焼きにされ、水中に飛び込んでも呼吸しようと頭を上げれば高熱と一酸化炭素に襲われた。B-29の尾部銃手は150マイル(241km)離れても東京を焼き尽くす炎が見えたという。0237、空襲警報が解除された。0800過ぎ、燃えるものが無くなり、火災が漸く収まった。1200、大本営発表があり、B-29爆撃機130機が帝都市街地を盲爆し、各地に火災が発生したが、宮内省主馬寮は0235頃、その他は0800頃までに鎮火し、15機を撃墜、50機に損害を与えたとした。279機が1665トンの焼夷弾を投下し、83793人が死亡(警視庁発表。空襲災害情報では88793人、帝都防空本部情報では76056人、都消防部空襲災害状況概要では72489人、消防庁資料では82790人)、71000人が負傷して116万人が被災し、267171戸(東京都の約2割にあたる)が焼失、26万戸が損傷して本所区と深川区が全滅、城東区、向島区、浅草区、日本橋区がほぼ壊滅、下谷区、神田区、麹町区、本郷区、荒川区が半焼し、当時の東京35区のうち29区が被災した。出動した消防隊も火炎に飲み込まれ、隊員125人が死亡または行方不明となり、警防団員500人以上が死傷し、消防自動車96両、手挽ポンプ150台、水管1000本が焼失した。陸軍軍医学校救護班は碧素(国産ペニシリン製剤)や乾燥血漿など当時の最新製剤を使用して救護にあたっている。B-29の損失は14機(対空砲火2機、故障1機、不時着水4機、原因不明7機)、損傷は42機で、洋上に待機していた潜水艦4隻、水上艦3隻、大型救助機4機により乗員40名が救助された。アメリカ軍の爆撃損害評価では工業地域62.25平方マイルのうち11.3平方マイル(18%)、商業地域8.75平方マイルのうち5.5平方マイル(62.8%)、焼夷弾攻撃地域第1号(東京で最も炎上しやすく、事実上防空地帯が存在しない地域。浅草千束町、本所業平橋、深川高橋、日本橋兜町を結ぶ南北4マイル×東西3マイルの範囲)10平方マイルのうち8.2平方マイル(82%)が壊滅したとしている。東京都防衛本部では東京が空襲された場合に備えて「死体処理に就き市町村に於て準備並に施行さるべき事項」を定め、10000人の死者に対応できるよう準備していたが、到底間に合わず、学徒や巣鴨刑務所の囚人まで動員して1週間に渡る埋葬作業が続き、錦糸公園に13000体、上野公園に8400体、隅田公園に4900体、菊川公園(長さ80m、幅34m)に4515体が仮土葬されるなど公園、空き地、学校、寺院などありとあらゆる場所に遺体が埋められた。引き取り手の無い遺骨は行旅病死者として区役所土木課が保管、後に訪れた遺族に引き渡している。1948-1951年、東京都は仮土葬された遺体を発掘し、改めて火葬して慰霊堂に納骨した。19831223日、東京墨田区菊川公園の工事現場で人骨が発見され、戦災遺骨であることが確認された。参考:写真版東京大空襲の記録、世界の傑作機No.52、月刊軍事研究4,03、戦時用語の基礎知識、月刊丸11,72、軍医サンよもやま物語

東京大空襲・戦災資料センター>:東京大空襲の戦禍を後世に伝えるため、2002年に開館した施設。焼夷弾の模型といった資料や、5000冊の文献を揃えた図書室などがある。所在地は東京都江東区北砂1丁目5-4。開館時間は1200-1600。休館日は月曜、火曜、1228日から14日。39-10日は曜日に関わらず開館する。参考:MAMOR vol.58

東京ヂーゼル工業>:軍用車部門として日野製造所を作り、後にここが分離独立して日野重工業株式会社となり、戦後に日野自動車となった。参考:月刊PANZER8,05

<東京通信隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の通信部隊。中央通信隊群隷下にある。20023月、中央システム通信隊に改編された。

東京ディフェンス・フォーラム>:TDFと略す。アジア太平洋地域防衛当局者フォーラムともいう。防衛省が1996年から毎年実施している意見交換会で、アジア太平洋地域の局長・将官級国防省幹部が参加する。第16回は2012315-16日に東京都内のホテルで開催され、日本、アメリカ、オーストラリア、韓国、カンボジア、中国、バングラデシュ、ブルネイ、ミャンマー、モンゴル、ロシアなど25カ国とEU、赤十字国際委員会など4つの国際機関が参加し、災害派遣と海上安全保障をテーマに討議を行った。第17回は20121031日から112日まで東京都内のホテルで開催され、アジア太平洋地域の21カ国、EUASEAN事務局、国連PKO局、赤十字国際委員会が参加した。第19回は201534-5日に東京都内のホテルで開催され、日本を含む24カ国が参加、「海洋安全保障を促進するために」と多国間協力枠組みのシナジー(相乗効果)をテーマに議論した。参考:朝雲

東京飛行場>:日本海軍の飛行場。昭和16年、東京府蒲田区に開設された。参考:首都防空網と空都多摩

東京ローズ>:対米謀略放送「ゼロアワー(突撃開始時刻)」の女性アナウンサーにアメリカ兵が付けた愛称。ゼロアワーの放送は昭和183月から陸軍参謀本部が開始したもので、日本国民には受信を禁じていた短波を使用して流した英語の謀略放送である。DJは3人の連合軍捕虜と2-3人の女性アナウンサーで、アメリカ兵が夕食を取る日本時間0000から30分間にわたりジャズなど音楽を交えつつ放送を行った。昭和1811月から放送を拡大することになり、昭和167月から親族の見舞いのため日本を訪れていたが太平洋戦争勃発で帰れなくなり、ラジオ東京にパートとして就職していた日系アメリカ人、アイバ・ドグリ(戸栗)・タキノ(ラジオ内では孤児のアンと名乗った)をアナウンサーに加えた。放送自体はあまり効果が無く、前線のアメリカ兵には娯楽ラジオ扱いで聴取され、アナウンサーは人気DJとなった。終戦後、アイバ・ドグリはアメリカの取材紙に対して、私が只1人の東京ローズであるとサインしてしまったため、19489月にアメリカで反逆罪に問われ、194910月に6年2ヶ月の刑が確定、市民権を失った。19771月、フォード大統領特赦により市民権を回復。その後アメリカ退役軍人会が愛国的市民として表彰した。20069月、90才で死去した。参考:世界の傑作機No.52、戦時用語の基礎知識、太平洋戦争情報戦、月刊軍事研究8,12

<トゥク・ウマール>:385(コルベット)を参照。

<トゥグリル>:FFG-261(フリゲート)を参照。

灯群指揮所>:110cm探照灯2-3基の照射指揮を行う場所。参考:図解日本の戦艦

凍結乾燥食品>:冷凍食品を真空乾燥室に入れて食品中の氷の結晶を蒸発させたもの。更にマイクロ波で加熱圧縮することで輸送スペースを40%減少させることができ、金属容器の必要性がなくなり、容積が少ない分ゴミも少なくなる。冷蔵の必要が無く、虫などに食べられる恐れも少ない。アメリカのナティック研究所が開発し、軍用の他にも宇宙食や民間向けに応用された。参考:ミリタリー・イラストレイテッド17

<塔江>:PGG-619(ミサイル・コルベット)を参照。

統合>:Joint

  <統合(アメリカ国防総省軍事用語辞典、1999年)>:複数の軍種による共同の組織ないし行動。参考:月刊軍事研究4,05

統合(NATO・アメリカ国防総省、1990年代)>:同じ国軍所属の複数の軍種が参加する活動、作戦行動、組織などを指す。2個の軍種からなる作戦実行上の組織は例えば陸海軍統合(Joint Army-Navy)と呼ぶ。参考:月刊軍事研究2,02

 <統合(陸上自衛隊、1970年代)>:陸上・海上・航空自衛隊またはそれらの部隊が、1指揮官の下にまたは共同関係において、ある特定の目的達成のために協力することをいう。参考:月刊軍事研究2,02

<統合ESMマスト>:AN/BSD-2を参照。

統合宇宙運用センター>:Consolidated Space Operations CenterCSOCと略す。AFSPC(空軍宇宙コマンド)隷下のアメリカ軍事衛星運用管制部隊で、1985年にファルコン空軍ステーションで活動を開始した。施設のある場所は1988年にファルコン空軍基地、1998年にシュリーヴァー空軍基地と改称されている。参考:月刊軍事研究1,16

統合宇宙作戦センター>:Joint Space Operations CenterJSpOC)。アメリカ四軍の統合組織で、カリフォルニア州ヴァンデンバーグ空軍基地に2005年に創設された。宇宙に関する作戦立案や将来計画などを担当し、衛星やデブリの追跡、衛星軌道の安全性評価も行っていて、関係国などに無償で衝突警報を出している。要員現役300名弱、予備役50名弱、軍属・一般40名弱、イギリス/オーストラリア/カナダ連絡将校各1名で構成されている。他国連絡将校を作戦立案などに関与させ、組織を連合宇宙作戦センターに強化する計画が進行中。参考:月刊軍事研究5,113,18

統合運用>:自衛隊用語で、陸上・海上・航空自衛隊のうち2つ以上を作戦運用すること。1名の指揮官が全部隊を指揮するのを統合任務部隊による運用、複数の指揮官が作戦統制や調整によって別々に部隊を指揮するのを協同による運用という。それまでは3自衛隊が互いに連絡を取りながらも各自衛隊指揮官が別々に指揮を執る協同行動のみだったが、2001年以降、同時多発テロ、テロ特措法制定、北朝鮮不審船事件、北朝鮮NPT脱退、東ティモールPKO参加など、安全保障環境が一変したのを受け、広範で複雑な活動に対応でき、日本の有事や危機の際に機敏に行動し、世界から尊敬される国際貢献も果たす自衛隊を目指すためには、統合運用に移行するのが必須であるとして、20024月に中谷防衛庁長官が統合運用の検討を開始。20051月のインド洋大津波に対する国際緊急援助活動で統合運用の必要性と重要性が改めて認識され、2006327日の統合幕僚監部発足で、この体制に移行した。その直前の3月上旬に実施された日米共同統合演習(離島奪還)で自衛艦隊司令官を指揮官とする統合任務部隊を編成し、体制の最終確認を行っている。BMD関連では20094月、20124月・12月、20134月、20144月、20162月の北朝鮮弾道ミサイル対処、災害派遣では東日本大震災、伊豆大島土石流、広島土砂災害、御嶽山噴火、関東・東北豪雨、熊本地震、PKOではゴラン高原、ネパール政治ミッション、ハイチ大地震、東ティモール統合ミッション、南スーダン共和国ミッション、海賊対処ではソマリア沖海賊対処、国際緊急援助活動では20066月と200910月のインドネシア大地震、ハイチ大地震、パキスタン洪水、ニュージーランド地震、フィリピン台風、ガーナのエボラ出血熱、インドネシアのエアアジア機捜索、ネパール地震などが統合運用体制での任務である。参考:月刊軍事研究6,179,112,17、月刊世界の艦船6,16、朝雲

<統合運用分析用プログラムの整備>:防衛省がアメリカ陸軍に発注している。参考:月刊軍事研究7,18

<統合音声通信装置>:自衛隊の機器。海洋電子工業製。参考:月刊軍事研究9,113,13

東港海軍航空隊>:日本海軍航空隊。昭和16128日、太平洋開戦時には建制も兵力部署も第21航空戦隊の隷下で、定数は九七式大艇24機だった。参考:帝国海軍太平洋作戦史Ⅰ、日本海軍艦隊総覧、月刊航空ファン11,18

統合化航法システム>:海上自衛隊の航法表示装置。GPS、対水上レーダー、ジャイロ信号から得た情報を統合し、自艦を中心として他艦や陸地などの位置情報を表示する。試験艦ASE-6102あすかでテストされ、たかなみ型に搭載された。参考:MAMOR vol.111

<塔江型>:沱江型ミサイル・コルベット(2番艦以降)を参照。

<統合型警戒/報告ネットワーク>:JWARNを参照。

<統合型試験装置実習装置(その2)>:自衛隊の機器。日立国際電気製。参考:月刊軍事研究12,17

<統合型全領域指揮統制>:JADC2を参照。

<統合型多用途-技術実証機>:JMR-TDを参照。

<統合カタパルト管制所>:ICCSを参照。

<統合型ネットワーク設計管理プログラム>:自衛隊の機器。アメリカ海軍省に発注している。参考:月刊軍事研究7,17

<統合型ヘルメット装着キューイング・システム>:JHMCSを参照。

<統合型ヘルメット・表示照準サブシステム>:IHADSSを参照。

<統合型ヘルメット標示照準装置>:IHADSSを参照。

<統合型マルチプレックスシステム>:IMSを参照。

統合可搬式電子戦訓練射場システム>:アメリカ空軍の電子戦シミュレートシステムで、JDEWRJoint Deproyable Electronic Warfare Range)システムと略す。敵電波の模擬発生源を最大7個までシミュレートし、SEAD訓練を行う。三沢対地射爆撃場にも2013年に数カ所設置された。参考:月刊航空ファン1,20

統合火力>:陸自(砲迫、ロケット弾、ミサイルなど)、海自(艦砲など)、空自(ロケット弾、爆弾など)の各火力のうち、2自衛隊以上で構成される火力のこと。水陸両用作戦では護衛艦に支援火力調整所が置かれ、現地の火力誘導員が目標を捜索・標定して支援火力調整所に情報を送ると共に、必要に応じて火力を要求する。支援火力調整所では火力調整所要員が要求に応じてどの火力を目標に送り込むか決定し、各自衛隊の部隊に射撃任務を付与する。火力誘導員は各部隊と連絡を取って射撃タイミングを指示、弾着観測を行い、戦闘評価を各部隊及び支援火力調整所に伝達する。参考:MAMOR vol.135

統合火力誘導シミュレーター>:陸上自衛隊富士学校特科部のシミュレーター。火力誘導課程教育で使用する器材で、富士学校統合火力教育訓練センター(20175月開設)に20177月に配備された。訓練スペースは幅6m弱、奥行き4mくらいで、正面に訓練状況を映し出す視野角200度のスクリーン、左に火力誘導員が模擬眼鏡や模擬赤外線カメラで見ている画像を映す大型モニターがあり、訓練スペース後方の一段高い所に教官席があってノートパソコンとディスプレイ数台が並ぶ。教官がパソコンでシナリオや訓練状況を選ぶとスクリーンにその通りの状況が映し出されるので、火力誘導員が模擬眼鏡、目標標定機模擬装置、模擬赤外線カメラ・模擬レーザー照射器を使用して状況を護衛艦の支援火力調整所(を想定した教官)へと報告、艦砲射撃の弾着修正を行ったり、F-2戦闘機(を想定した教官)と連絡を取って敵陣にLJDAMを投下してもらったりする。模擬眼鏡は全周視野対応で、スクリーン外の光景も見られる。参考:MAMOR vol.135、朝雲

統合艦橋システム>:IBSIntegrated Bridge System)と略す。電子海図、レーダー、船舶自動識別装置AIS、自動操船装置などによる航海機能(航路監視、衝突予防、航路計画、自動操船など)に、機関制御システムや通信機器などを統合し、艦橋で全情報の管理や全システムの操作を行えるようにしたものである。民間船ならワンマン運航でき、軍用艦船でも艦橋勤務員の大幅な省力化を可能とする。参考:月刊世界の艦戦12,22

<統合艦載ネットワーク>:CANESを参照。

<統合気象システム(アメリカ陸軍)>:IMETSを参照。

<統合気象システム用プログラム>:自衛隊の機器。日本電気製。参考:月刊軍事研究2,14

統合気象中枢>:陸海空自衛隊の気象情報システムで、航空自衛隊府中基地にある。気象庁やアメリカ軍などとデータ交換を行う統合気象通信用電算機(JOWCOM)があり、このデータと統合気象衛星受信処理装置(JSAP)からのデータを統合気象解析予報用電算機(JAFCOM)で処理して気象判断を行う。各部隊の気象通信端末装置(WECOM)とリンクしている。全世界の気象情報を取得でき、海外派遣部隊に対しても的確な気象情報提供が可能。20123月に空自運用部隊が中枢気象隊に改編された。2013年にシステムがJWSJoint Weather System)ⅠからJWSⅡに更新され、気象情報の高精度化と各部隊指揮所への情報提供の迅速化を図り、気象庁との通信経路を増設して広域災害時の抗堪性を強化した。気象通信端末装置との統合で経費削減も図っている。参考:月刊軍事研究9,01、朝雲

統合基地>:JBJoint Base)と略す。隣接・近接するアメリカ陸海空軍基地の司令部機能・管理機能を統合したもので、人員経費削減策として導入された。施設設備、ライフライン、情報技術、兵站支援、車両、法的支援、法務官、従軍牧師、郵便、コミュニティサービス、広報、防火、福利厚生、調達、会計、給食、環境保護、警備、安全対策、緊急事態対処なども統合される。参考:月刊軍事研究2,176,16、月刊航空ファン8,16

<投光器(発動発電機付)>:自衛隊の機器。船山製。参考:月刊軍事研究12,10

<統合強襲橋>:JABを参照。

<統合共通ミサイル>:JCMを参照。

<統合空戦訓練システム>:AN/ASQ-T36またはAN/ASQ-T37を参照。

<統合空対地スタンドオフ・ミサイル>:AGM-158シリーズを参照。

<統合空対地ミサイル>:JAGMを参照。

統合空中線システム>:海上自衛隊が開発中の平面アンテナ搭載デッキハウス。艦橋をそのまま上に延ばしたような大型の多角形マストに、多機能デュアルバンドレーダー、対水上レーダー、衛星アンテナ、通信アンテナ、IFF、電子戦装置、ヘリ用データリンクといった各種システムの平面アンテナを装着するものである。電子戦装置と対水上レーダーの機能を統合した統合電波システムも開発中で、マスト自体が大きいため多数のアンテナを最適位置に配置して死角を無くすことができ、将来の機能付加拡張も容易である。参考:月刊軍事研究7,11

統合軍>:Unified CommandUnified Combatant Command。アメリカの陸海空軍省のうち、複数の省からの組織(つまり陸海空軍海兵隊の複数軍種)からなる部隊機構。大統領により編成され、指揮官(統合軍総司令官、Commander IN Chief)も大統領により任命される。指揮官は大統領と国防長官からの命令を直接伝達され、各軍種別司令官に管理統制権を、統合任務部隊司令官に作戦統制権を行使する。2002年に総司令官の称号が大統領のみに付与されるようになったため、指揮官は司令官(Commander)と呼ばれるようになった。担当地域を持つ地域統合軍と、持たない機能別統合軍がある。第二次大戦ではヨーロッパ戦線でアメリカ欧州戦域軍が陸海軍部隊の統合運用を行っていたが、太平洋戦線ではアメリカ太平洋陸軍(マッカーサー司令官)とアメリカ太平洋艦隊(ニミッツ提督)が並列で指揮を執っており、戦訓を検討した結果統合運用の重要性が判明したため、194612月に統合軍計画が策定され、極東軍(FECOM)、太平洋軍(PACOM)、アラスカ軍(ALCOM)、アメリカ北東軍(USNEC)、大西洋軍(LANTCOM)、カリブ軍(CARIBCOM)、欧州軍(EUCOM)の7つが19471月から195010月に新編された。19549月、本土防空軍(CONAD)が新編された。19569月、アメリカ北東軍が廃止された。19577月、極東軍が廃止された。8月、EUCOMUSEUCOMに改称された。9月、北米防空軍(NORAD)が新編された。19636月、カリブ軍がアメリカ南方軍に改称された。12月、アメリカ打撃軍(USSTRICOM)が創設された。197112月、アメリカ打撃軍が廃止された。19721月、アメリカ即応軍(USREDCOM)が創設された。19756月、アラスカ軍が廃止された。7月、本土防空軍が廃止され、航空宇宙防衛軍(ADCOM)が創設された。19831月、アメリカ中央軍(USCENTCOM)が創設された。10月、大西洋軍がアメリカ大西洋軍(USLANTCOM)に改称された。19859月、アメリカ宇宙軍(USSPACECOM)が創設された。198612月、航空宇宙防衛軍が廃止された。19874月、アメリカ特殊作戦軍(USSOCOM)が創設された。7月、アメリカ輸送軍(USTRANSCOM)が創設された。9月、アメリカ即応軍が廃止された。19926月、アメリカ戦略軍(USSTRATCOM)が創設された。199310月、アメリカ大西洋軍の機能が拡大され、略称がUSACOMに変更された。199910月、アメリカ大西洋軍がアメリカ統合戦力軍(USJFCOM)に改編された。200210月、アメリカ北方軍(USNORTHCOM)が創設され、アメリカ宇宙軍がアメリカ戦略軍に統合された。200810月、準統合軍だった米アフリカ軍(USAFRICOM)が統合軍に昇格した。20118月、アメリカ統合戦力軍が廃止された。20185月、サイバー軍が統合軍に昇格した。530日、アメリカ太平洋軍(USPACOM)が米インド太平洋軍(USINDOPACOM)に改称された。2019829日、アメリカ宇宙軍(USSPACECOM)が再創設された。1220日、アメリカ宇宙軍USSPACECOMが軍種であるアメリカ宇宙軍USSFに昇格した。参考:月刊軍事研究7,124,0512,18、月刊世界の艦船8,18、月刊JWings11,193,20

 <統合軍(2012年)>:地域別のアメリカ太平洋軍USPACOM、アメリカ欧州軍USEUCOM、アメリカ中央軍USCENTCOM、アメリカ北方軍USNORTHCOM、アメリカ南方軍USSOUTHCOM、アメリカ・アフリカ軍USAFRICOMと、機能別のアメリカ特殊作戦軍USSOCOM、アメリカ戦略軍USSTRATCOM、アメリカ輸送軍USTRANSCOMの計8つが編成されている。参考:月刊軍事研究7,12

<統合軍軽量複合被服技術プログラム>:JSLISTプログラムを参照。

統合軍保全局>:AFSAArmed Forces Security Agency)と略す。アメリカ国防総省のSIGINT部隊で、陸海空軍のSIGINT部隊を統合して1949年に創設された。1952年、NSAに改編された。参考:月刊軍事研究11,13

統合軍用エアクルーマスク>:アメリカ軍のヘリコプター搭乗員用マスク。CBRNE兵器に対抗するため顔面への密着度を増しており、暗視ゴーグルとも併用可能で、フェイスプレートを追加できる。消費電力は6分の1に減らした。201811月から使用中。参考:月刊JWings2,19

統合計器表示>:IISIntegrated Instrument System)と略す。統合飛行表示(IFSIntegrated Flight System)ともいう。1つの計器に多数の計器表示を組み込んだもの。ILS位置を組み込んだフライトディレクター指示計、VOR/DME指示を組み込んだコース指示計などがある。参考:航空用語事典増補改訂版

<統合軽戦術車両>:JLTVを参照。

<統合軽量スタンドオフ化学剤探知器>:JSLCADを参照。

東郷公園>:秩父御嶽神社の別名で、日露戦争後の大正14417日に東郷平八郎元帥の銅像が建立されたためこう呼ばれるようになった。被弾した三笠の甲板、ロシアの艦砲用徹甲弾、ロシアの機雷缶、3インチ野砲、砲弾などが展示されている。参考:JShips VOL.46

統合高級課程>:自衛隊統合幕僚学校で行われる教育。自衛隊の統合運用に関する広範な知識と技能を総合的に習得し、上級指揮官や上級幕僚としての職務を遂行できるようにするのが目的で、期間は5ヶ月間である。参考:朝雲

<統合攻撃戦闘機>:JSFを参照。

<統合高出力半導体レーザー>:JHPSSLを参照。

<統合細菌探知システム>:IBDSを参照。

<統合作戦攻撃先導部隊>:COPPsを参照。

東郷三郎>:日本陸軍エース。大正2年、岡山県生まれ。昭和71月、陸軍飛行第3連隊に入隊。昭和8年、関東軍飛行第11大隊に転属となった。昭和98月、所沢飛行学校に入学、昭和101月に卒業し、飛行第11戦隊に配属された。昭和14年、ノモンハン事件に参加、36回の空戦で22機を撃墜した。毎回1機ずつの撃墜を心がける着実な戦闘法を守り、被弾は1-2発のみであった。停戦後の925日には第2飛行集団長から個人賞詞を授与され、航空兵少尉に特別進級している。昭和14年秋、武昌に移動。昭和1512月、中尉に昇進、航空士官学校教官となり内地に帰還した。昭和185月、第106教育飛行連隊中隊長となり、台中に進出。昭和1910月、台湾空襲に備えて臨時編成された集成防空隊の指揮官となった。1012日、新高山付近で空戦を実施。その後は兵力温存に努め、終戦を迎えた。総撃墜数22機。最終階級は少佐。参考:日本陸軍戦闘機隊

統合参謀本部>:アメリカ軍の組織で、JCSJoint Chiefs of Staff)と略す。議長、陸空軍参謀総長、海軍作戦総長、海兵隊司令官から構成され、大統領と国防長官に助言を行い、NCAの作戦計画や指揮の実行を補佐する。1986年にゴールドウォーター・ニコルズ国防総省再編法が制定され、議長の権限が強化されると共に、副議長のポストが創設され、4軍の長は自軍の指揮権を喪失した。2016121日、アメリカ国防総省で第4回サイバー防衛政策ワーキンググループ会合に参加。参考:月刊軍事研究4,054,16、朝雲

<統合次期垂直離着陸機>:V-22シリーズ(輸送機)を参照。

<統合システム統制>:ISYSCONを参照。

<頭号師団>:第1師団(陸上自衛隊)を参照。

<統合情報作戦センター>:JIOCを参照。

統合情報センター>:JICJoint Intelligence Center)と略す。参考:月刊世界の艦船2,16

<統合将来型戦域輸送機>:JFTLを参照。

<統合水中監視システム>:IUSSを参照。

<統合スタンドオフ兵器>:AGM-154シリーズ(空対地ミサイル)を参照。

<統合精密空中投下システム>:JPADSを参照。

<統合精密進入着艦誘導装置>:JPALSを参照。

統合センサーシステム(F-15J搭載用)>:防衛庁技術研究本部が開発を予定している対ステルス機用目標探知システム。自機及び僚機のレーダー、IRST、電子戦装置からの情報を統合し、ステルス機を探知するものである。参考:月刊航空ファン8,09

<統合センサー搭載偵察システム>:ISISを参照。

<統合戦術情報割り当てシステム>:JTIDSを参照。

<統合戦術無線機システム>:JTRSシリーズを参照。

<統合戦場情報システム>:IBISを参照。

<統合先進型戦術ミサイル>:AIM-260を参照。

等高線捜索パターン>:Contour Pattern。山岳地域の捜索に用いる。参考:月刊JWings12,99

<統合戦闘射撃訓練場用備品(標的装置)>:自衛隊の機器。日立国際電気製。参考:月刊軍事研究4,11

統合造船会社>:ロシアで2007310日に誕生した100%政府出資の造船会社。これまで存在していた大小の造船所をあらかた統合したもので、西部・北部・太平洋サブホールディングから形成され、水上艦艇及び潜水艦の建造・修理・保守を一手に引き受ける。参考:月刊軍事研究7,07

統合対IED対策委員会>:JIEDDOと略す。アメリカ国防総省がIED対策のため2003年に立ち上げた委員会で、最初は12名で構成されており、2008年には3600名に膨れ上がった。20036月には1発のIEDで1名以上の死者が出ていたが、対策の効果で2008年には9発のIEDで1名の死者に減っている。経費は緊急予算で賄われているため、制度化して予算体系を見直す意見が出ているが、官僚化による効率の悪化を指摘する意見もある。参考:月刊軍事研究3,09

<統合通信アンテナシステム>:ICASを参照。

<統合データバンクシステムプログラム>:自衛隊の機器。日立製作所製。参考:月刊軍事研究9,14

統合展開・行動訓練>:自衛隊の訓練。在外邦人等保護措置訓練に国際緊急援助活動や災害対応などを加えたもので、2019年度(令和元年度)に初めて行われた。2019929日から106日、ジブチ共和国で行われ、統幕情報本部陸上総隊西部方面隊航空支援集団など隊員130名、C-2輸送機、軽装甲機動車が参加した。ジブチ-マダガスカル-ヨルダンのC-2による航空展開、軽装甲機動車による機動訓練、在ジブチ日本大使館・アメリカ軍など各国軍との連携・調整要領図上訓練、ジブチ軍などとの災害対応に関する意見交換などを実施している。参考:朝雲

統合電気推進>:IEPIntegrated Electric Propulsion)と略す。ガスタービンなどの主機で発電機を駆動し、その電力で電動機を動かして推進すると共に、艦内用電力にも効率良く振り分けるタイプである。ブーストの際などに主機を駆動軸に直結させる機構(ハイブリッド電気推進)を持たず、発電機を介して電動機のみで推進するタイプをIntegrated Fill Electric PropulsionIFEP)として細分することもある。主機の配置が自由、補助発電機が要らない、トルク特性に優れる、燃費が良い、整備が楽、エレクトロニクス強化やレーザー砲・レールガン装備による消費電力増大に対応できる、といった利点を持つ。ドック型揚陸艦では、ドックへの注排水に必要な大型ポンプ用電源を別に用意しなくても良いという長所もある。電動機起動時など、一時的に大電力が必要となった際に、供給が追いつかず電圧が不安定になる場合があり、対策を要する。参考:月刊軍事研究7,11、月刊世界の艦船2,158,168,11増刊

<統合電子戦システム>:IEWSF-15J戦闘機用)またはINEWSF-2戦闘機用)を参照。

<統合電話機>:自衛隊の機器。日本電気製。参考:月刊軍事研究1,18

統合特殊作戦コマンド>:JSOCJoint Special Operations Command)と略す。1980年に設立されたアメリカ三軍特殊部隊の統合組織。当初は運用・装備などの研究・訓練用部隊だったが、特殊作戦軍(USSOCOM)創設後は特殊作戦軍司令官直轄部隊となり、対テロ戦争が開始されてからはその中核戦力となっている(ただし表向きは研究訓練部隊のままである)。デルタ・フォース、SEALチーム6、FBI人質救出チームなどから成っているらしい。アフガン戦争では、デルタとSEALチーム6の混成部隊、タスクフォース11が活躍したようだ。参考:月刊軍事研究4,043,13

<統合任務勲功部隊感状>:部隊感状(アメリカ陸軍)を参照。

統合任務功労章(アメリカ陸軍)>:Joint Service Achievement MedalJSAM)。統合任務に於いて優れた功績を挙げたり、職務を行ったりしたものに授与される。参考:月刊コンバットマガジン7,06

統合任務賞賛章(アメリカ陸軍)>:Joint Service Commendation MedalJSCM)。統合任務に於いて、特に優れた功績や勤務成績を挙げた際に授与される。参考:コンバットマガジン7,06

統合任務部隊(自衛隊)>:陸上自衛隊の方面隊、航空自衛隊の航空方面隊、海上自衛隊の地方総監部でそれぞれ担当区域がバラバラなので、1つの方面隊管内に複数の航空方面隊や地方総監部の管区が重なり合う状態になっており、このレベルで作戦調整を行うとなるとかなりの手間がかかり、統合運用による連携は必須である。自衛隊発足当時から自衛隊法第22条に「特別の部隊」として規定されていたが、編成できるのは防衛出動と治安出動の時のみだった。1999年の自衛隊法改正で災害派遣や国際平和協力活動でも編成できるようになった。2001年の自衛隊法改正で、警護出動、国民保護等派遣、海上警備行動などでも編成できるようになった。2006327日に統合幕僚監部を創設して統合運用体制に移行する直前の3月上旬、日米共同統合演習で自衛艦隊司令官を指揮官とする統合任務部隊を編成したのが、演習での初編成である。実任務では、ソマリア海賊対処のジブチ派遣陸海部隊で初編成された。東日本大震災の災害派遣で2度目の編成となり、10万名以上の派遣隊員を指揮した。参考:朝雲、月刊世界の艦船6,16、月刊軍事研究1,17

統合任務部隊(弾道ミサイル等に対する破壊措置発令時)>:自衛隊法第82条の2(弾道ミサイル等に対する破壊措置)に基づき当該措置が発令された場合、航空総隊司令官を指揮官とするミサイル防衛統合任務部隊を編成する。隷下には航空自衛隊警戒管制部隊、高射隊、海上自衛隊イージス艦などを置く。北朝鮮の弾道ミサイル発射に備え、2012年には70日間以上、2016年以降は1年以上も破壊措置命令が発出され続ける事態が生じ、広域防空を担当するイージス艦は出ずっぱりとなり、艦や乗員は交替できるが部隊指揮組織の護衛隊群司令部は艦を乗り換えてずっと洋上に居続けなければならない状況に陥った。2023529日、北朝鮮の偵察衛星打ち上げ予告を受けて編成された。参考:月刊軍事研究1,18、月刊世界の艦船1,21、月刊JWings8,23

 <統合任務部隊(ソマリア沖海賊対処)>:20093月から開始されたソマリア沖海賊対処行動で編成された派遣海賊対処行動航空隊が陸海自の統合任務部隊である。ジブチまでの輸送を担当する空自は航空隊には含まれない。ちなみに水上部隊は海自のみの編成。参考:月刊軍事研究9,11

 <統合任務部隊(東日本大震災)>:2011311日に発生した東日本大震災を受け、314日に北澤防衛大臣が君塚栄治東北方面総監に命じて編成された。正式名称は災統合任務部隊(JTF-THJoint Task Force-ToHoku)である。災統合任務部隊指揮官は東北方面総監で、統合幕僚監部とは統合運用連絡所で調整を行う。隷下に東北方面総監をトップとする陸災部隊、横須賀地方総監をトップとする海災部隊、航空総隊司令官をトップとする空災部隊を置く。司令部は仙台駐屯地の東北方面総監部庁舎2階に置かれており、要員は東北方面総監部と増加幕僚(最大700名。空自連絡幹部は一等空佐、海自連絡幹部は二等海佐)で、従来の総監部組織(総務部、人事部、情報部、防衛部、装備部、医務官、法務官、監察官、政策補佐官)に加え、統合航空統制・通信所、統合通信調整所、統合輸送調整所、施設調整所、民生支援セル、各自治体(岩手県、宮城県、石巻市、福島県)との連絡調整所、日米調整所(トモダチ作戦を担当する在日米陸軍前方司令部調整所との調整にあたる)が設置された。ちなみに統合幕僚監部とトモダチ作戦司令部(太平洋艦隊司令官、在日米軍司令官)との調整は市ヶ谷、横田、仙台の日米調整所で行った。原発事故対処部隊は統合任務部隊には含まれておらず、陸自中央即応集団隷下である。幕僚は510日までは朝夕2回、以降は毎日1回の会議を行い、24時間態勢で指令を出し続け、合間を見ながら部屋の片隅で戦闘糧食Ⅰ/Ⅱ型を食べ、そのまま仮眠するという状態であった。業務を中断することは不可能であり、厚生施設も利用せずほぼ交替無しで勤務を続け、被災者以外は休暇無しで任務に当たった。ただ情報共有はまだまだ不完全で、海自がアメリカ海軍と共同対処していたのを災統合任務部隊指揮官が知ったのは325日に空母を視察した時だった。統合輸送も調整地域が東北地方のみ、対象となる輸送手段が航空支援集団の輸送機のみに限定され、輸送計画の統制指示も不明瞭だった。統合通信調整所も設置したものの、三自衛隊で独自に整備してきた通信システムが違いすぎて現場での通信に支障が出ている。71日に編成を解除された。参考:朝雲、月刊軍事研究9,111,18、東日本大震災自衛隊救援活動日誌、月刊世界の艦船6,16

 <統合任務部隊(伊豆大島台風26号豪雨災害)>:20131016日に台風26号豪雨で伊豆大島に土砂崩れによる大きな被害が発生、災害派遣要請が出され、不測の事態への対応を強化するために1020日に伊豆大島統合任務部隊(JTF椿)を編成した。トップは陸自東部方面総監で、陸自は第1師団、第12旅団、第1・第30・第32・第34・第44普通科連隊、第1施設団、第1施設大隊、第12施設中隊、東部方面航空隊、第1飛行隊、第12ヘリコプター隊、第1後方支援連隊、東部方面通信群、東部方面後方支援隊、東部方面付隊、第1高射特科大隊、第1戦車大隊、第1ヘリコプター団、第11施設群、第6施設大隊、第6後方支援連隊、海自(海災部隊。指揮官は横須賀地方総監)は第21航空群、第1輸送隊(おおすみ、くにさき)、空自(空災部隊。指揮官は航空支援集団司令官)は第1輸送航空隊(C-130H)、第2輸送航空隊(C-1)、第3輸送航空隊(C-1)、入間ヘリコプター空輸隊(CH-47)を投入している。118日に防衛大臣から災害派遣終結命令が出された。参考:月刊JWings1,14、月刊世界の艦船1,14、月刊軍事研究1,14、朝雲

統合任務部隊(フィリピン台風30号救援)>:2013118日、台風30号により甚大な被害を受けたフィリピン政府の要請に基づき、防衛大臣が国際緊急援助活動の実施に関する自衛隊行動命令を発出し、医官数名を含む50名の国際緊急援助隊を派遣した。しかし被害は膨大な範囲に及び、フィリピン政府から更なる援助の要請があったため、1115日に派遣規模を1180名に拡大することとし、第4護衛隊群司令を指揮官とするフィリピン国際緊急援助統合任務部隊を編成した。これが国際緊急援助活動として初の統合任務部隊編成で、派遣人数が1000名を超えたのも初である。統合任務部隊司令部(80名。DDH-182いせ多目的ルームに設営)、医療・航空援助隊(東北方面隊・第6師団第6後方支援連隊基幹の270名。トップは第6後方支援連隊長で、隊本部、本部付隊、医療隊、航空隊からなる)、海上派遣部隊(第4護衛隊群司令以下550名)、空輸隊(第1輸送航空飛行群司令以下270名)で構成される(他にマニラの現地運用調整所へ10名を派遣)。指揮系統はトップが防衛大臣、その下に自衛艦隊司令官とフィリピン現地運用調整所、自衛艦隊司令官の下に統合任務部隊である。陸自からUH-1Jヘリ3機とCH-47JAヘリ3機、海自からDDH-182いせ、LST-4001おおすみ、補給艦とわだ、空自からC-130H輸送機7機、KC-767空中給油輸送機2機、U-4多用途機1機が派遣され、医療活動や輸送活動に従事した。参考:月刊丸3,14、月刊JWings2,14、月刊世界の艦船3,142,14、朝雲

統合任務部隊(平成28年度熊本地震)>:2016414日と416日に発生した熊本地方を震源とする地震で大きな被害が発生したため、416日朝の閣議で自衛隊派遣規模拡大が決まり、0455に防衛省は陸自西部方面総監を指揮官とする統合任務部隊(JTF-鎮西)を編成した。陸災部隊(指揮官は西部方面総監)13000名、海災部隊1000名(指揮官は佐世保地方総監)、空災部隊(指揮官は航空総隊司令官)1000名からなる。海災部隊司令部は佐世保基地にあり、各地方隊から幹部10名ずつを増強幕僚として派遣、JTF司令部には海将補を連絡官長兼海災支援統制官とする連絡官15名を送り込んだ。また、大分港で下ろした救援物資を自前のトラックやキャブオールを使用して陸路で運ぶ陸上災害派遣部隊(指揮官は佐世保警備隊司令)を編成した。423170026000名態勢となった。59日に編成が解除された。参考:月刊航空ファン7,16MAMOR vol.114、月刊JWings7,16、月刊世界の艦船8,16、月刊軍事研究8,16

統合任務部隊(令和元年度台風19号・21号)>:20191012日に上陸した台風19号により大きな被害が発生したため、10131600に河野防衛大臣が災統合任務部隊の編成を下命した。指揮官は陸上総隊司令官、司令部は陸上総隊司令部で、人員31000名、航空機130機、艦艇8隻からなる。118日に編成が解除された。2020623日、統合任務部隊と同支援部隊に河野防衛大臣から第1級賞状が授与された。参考:月刊JWings1,20、朝雲

統合任務部隊(アフガニスタン邦人退避)>:2021815日、アフガニスタンの首都カブールがタリバンに制圧されアフガニスタン政府が崩壊し、法人退避が必要になったため、823日に自衛隊法第84条4「在外邦人等輸送」に基づく派遣命令が出され、在アフガニスタン・イスラム共和国邦人等輸送統合任務部隊が編成された。司令官は航空支援集団司令官、現地指揮官は中央即応連隊長で、隊員260名、C-2輸送機1機、C-130H輸送機2機、B777政府専用機1機からなる。カブール空港内での空輸任務のため、輸送防護車は使用していない。参考:月刊JWings11,21

統合任務部隊(スーダン邦人退避)>:自衛隊の統合任務部隊。2023415日、スーダン共和国の首都ハルツームで大規模な武力衝突が発生し、危険な状態に陥ったため、419日に日本政府が防衛省に対し、在留邦人60名の国外退避のための自衛隊機派遣を要請した。420日、浜田防衛大臣が自衛隊機のジブチ派遣を下命し、航空支援集団司令官を指揮官とする在スーダン邦人等輸送統合任務部隊(空自・陸自計370名)を編成した。ソマリア沖海賊対処航空部隊P-3C哨戒機も在外邦人等輸送に備えて待機を開始している。421日、第401飛行隊C-130H輸送機1機が小牧基地を離陸。422日、第403飛行隊C-2輸送機1機が美保基地を、第404飛行隊KC-767空中給油輸送機1機が小牧基地を離陸。423日、ソマリア沖海賊対処航空部隊P-3C哨戒機が待機を終了し、代わりに水上部隊DD-112まきなみが待機を開始した。424日、第401飛行隊C-130H輸送機1機と第403飛行隊C-2輸送機1機がジブチに向かった。空輸隊や誘導輸送隊など隊員180名と高機動車もジブチに展開している。スーダン東部ポート・スーダンにC-2輸送機1機が着陸し、韓国とUAEの支援で避難していた邦人45人を乗せてジブチに向かった。425日、赤十字国際委員会とフランスの支援で邦人4人がジブチやエチオピアに退避。427日、カナダの協力で邦人ら5人がジブチに退避した。428日、邦人48名が日本政府のチャーター機でジブチを出国し、日本に向かった。これを受け、外務大臣から防衛大臣に対し、措置の終結について依頼があったため、防衛大臣が在外邦人等輸送の終結命令を発出。ソマリア沖海賊対処水上部隊DD-112まきなみも待機を終了している。参考:月刊JWings7,23

統合任務部隊519>:Joint Task Force-519JTF-519)。USPACOM隷下の常設統合任務部隊で、1999年末に創設された。トップは司令官で、太平洋艦隊司令官が兼務し、副司令官は太平洋軍副司令官が兼務する。要員は最大400名で、こちらもUSPACOM隷下の各部隊司令部要員が兼務していることが多い。有事の際にUSPACOMが指揮する統合任務部隊が編成される場合、本部隊が司令部の核となり、即応性を担保する。2011311日に発生した東日本大震災に対するトモダチ作戦でも中枢を担った。2012会計年度末にUSTRANSCOM隷下に創設される常設統合任務部隊司令部に後を譲って廃止された。参考:月刊軍事研究9,122,17

統合能力構築コマンド>:Joint Enabling Capabilities Command2008年にアメリカ輸送軍(USTRANSCOM)隷下に創設された常設統合任務部隊司令部で、有事には地域統合軍司令官がこれを核として統合任務部隊を編成する。参考:月刊軍事研究4,13

 <統合能力構築コマンド(2013年)>:司令部はヴァージニア州ノーフォークにある。隷下に統合計画立案支援エレメント(Joint Planning Support Element)、統合通信支援エレメント(Joint Communication Support Element)、統合広報支援エレメント(Joint Public Affairs Element)を置く。参考:月刊軍事研究4,13

統合幕僚会議>:防衛庁の組織で、陸海空自衛隊のうち2つ以上からなる統合部隊を編成した際に、各幕僚長間の合議調整を行う場である。防衛庁設置法第25条に規定されており、構成要員は統合幕僚会議議長(将)、陸上幕僚長、海上幕僚長、航空幕僚長の4名で、事務局もある。195471日に創設され、越中島に4個班32名からなる事務局を設置した。1956323日、霞ヶ関庁舎に移転。195710月、事務局の班を第1-第4幕僚室に改編した。1960112日、桧町庁舎に移転。19616月、第5幕僚室を新設した。81日、統合幕僚学校を附置。19844月、第1幕僚室に会計室が新設された。19854月、第5幕僚室に分析室が新設された。19862月、初の日米共同統合指揮所演習が行われた。4月、新しく第1幕僚室に企画調整官、第3幕僚室に運用計画調整官、第5幕僚室に防衛計画調整官が置かれた。10月、初の日米共同統合実動演習が行われた。19875月、新しく第2幕僚室に情報調整官、第4幕僚室に後方補給計画調整官が置かれた。19884月、新しく第1幕僚室に総務運営調整官、第3幕僚室に教育訓練調整官が置かれた。19895月、新しく第3幕僚室に通信電子調整官を置き、第4幕僚室に長中期班と後方補給室を設置。19914月、第5幕僚室に軍備管理班を設置。19924月、新しく第2幕僚室に情報運用調整官が置かれた。19934月、第3幕僚室通信電子班を電子通信室に改編。19946月、新たに第4幕僚室に後方補給運用調整官、第5幕僚室に防衛企画調整官が置かれた。19965月、第4幕僚室に後方補給研究班を設置。19971月、第2幕僚室を廃止。120日、情報本部を新設。19993月、第3幕僚室の年度班と指揮調整班を廃止し、運用第1・第2班を設置した。20004月、中央指揮所管理運営班を第1幕僚室から第3幕僚室の隷下に移した。58日、市ヶ谷庁舎に移転。20014月、新たに第3幕僚室に企画官を置いた。20023月、第1幕僚室に候補班と渉外班、第5幕僚室に防衛交流班を設置。12月、統合運用に関する検討の成果報告書を発表。これまでの体制では、陸海空自衛隊の幕僚長が合議制で指揮を執ること、編成した統合部隊の指揮しか執れないことなどから即応性に劣るため、統合運用を基本とする体制への以降が必要とされた。20033月、第3幕僚室に防衛情報通信基盤管理運営室を設置。20043月、第3幕僚室にコンピュータ・システム共通運用基盤管理室、第5幕僚室に新たに統合運用計画官を置き、統合運用計画室を設置。10月、第7回アジア・太平洋諸国参謀長会議をアメリカ太平洋軍と共催した。2006327日、統合幕僚監部に改編された。参考:朝雲、MOLIBITO Vol.3、月刊軍事研究8,05、陸上自衛隊地上戦力の全容

統合幕僚会議議長>:統合幕僚会議のトップで、制服組のトップでもある。単に会議の取り纏めを行うだけで防衛力整備権も部隊指揮権も無い(防衛庁長官/防衛大臣を補佐するのは陸海空幕僚長で、防衛庁長官/防衛大臣の作戦命令も陸海空幕僚長が出す)ので、高位高官権限皆無などと揶揄された。自衛隊法第22条に基づき、防衛出動や治安出動において特別の部隊(後の統合任務部隊)を編成した際には、防衛庁長官が統合幕僚会議議長を通じて指揮を行う。196212月、階級章が3つ星から4つ星になった。196610月、統合幕僚会議議長章が制定された。2006327日に統合幕僚会議が統合幕僚監部に改編されたのを受けて統合幕僚長に改称され、権限が強化された。参考:月刊軍事研究1,188,059,11、朝雲

統合幕僚学校>:自衛隊の高級幹部教育学校で、統合幕僚会議/統合幕僚監部の隷下に置かれている。自衛隊の統合運用に関する基本的な調査研究を行っており、上級部隊指揮官や上級幕僚となる予定の二佐クラスの陸海空幹部自衛官が1年間の統合運用教育を受ける。国際平和協力センターが併設されていて、国際平和協力活動に関する教育も行う。19618月、統合幕僚会議に付置新設された。第1期学生は30名である。19884月、研究室が新設された。199410月、市ヶ谷から目黒地区に移駐した。20103月(20098月?)、国際平和協力センターが設置された。20127月、国際平和協力上級課程が開講された。8月、研究室を教育課研究室に改編。2013225日、2-3佐クラスを対象とする国際平和協力中級課程が開講された。126日、国際平和協力センターが第3回国際平和と安全シンポジウムを開催。災害時における民軍連携の重要性を確認した。201477-18日、国際平和協力センターが国際平和協力上級課程教育を実施。防衛省・自衛隊の10名に加え、初めて他省庁や海外から計5名を受け入れた。125日、国際平和協力センターが第4回国際平和と安全シンポジウムを開催。紛争下での人道支援活動を想定し、複合緊急事態における民軍連携を討議した。201535日、目黒基地大講堂で第17期統合高級課程48名(うち韓国の留学生1名)の卒業式を実施。731日、目黒基地大講堂で第18期統合高級課程44名(陸自18名、海自16名、空自10名)の卒業式を実施。811-24日、マレーシアでGPOIキャップストーン演習2015に参加。106日、第17期統合高級課程学生が入校。1012日、国連と共催で民軍連携コース(Civil-Military CoordinationCIMIC)を開始。日本(陸自4名、海自1名、空自1名)、インド、インドネシア、オーストラリア、カンボジア、シンガポール、スリランカ、ネパール、パキスタン、バングラデシュ、フィリピン、ブータン、モンゴル、ヨルダンの14カ国27名(少佐・中佐クラス)に、PKOに関する教官養成巡回訓練を2週間にわたり行った。1120日、国際平和協力センターが第5回国際平和と安全シンポジウムを開催。早期平和構築・人道支援と平和維持活動の協働は可能か、とのテーマで議論が行われた。201634日、第19期統合高級課程45名(陸上17名、海上15名、航空13名)の卒業式を実施。1013-16日、国際平和協力センターがカザフスタン軍医療関係者に対する能力構築支援事業に協力した。1216日、都内で国際平和協力センターが主催して第6回国際平和と安全シンポジウムを開催。2017611-16日、統合高級課程学生ドイツ研修を実施。614日、ドイツ連邦軍指揮幕僚大学校と交流に関する覚書を締結した。73-21日、国際平和協力センターで17名(陸自6名、海自2名、空自1名、イギリス、カザフスタン、スペイン、タイ、バングラデシュ、メキシコ留学生計7名、外務省職員1人)に第6期国際平和協力上級課程を実施。94-15日、赤道17に1名が参加。201835日、陸海空幹部学校と共に、三自衛隊幹部自衛官50名、インド留学生1名、韓国留学生1名の自衛隊高級課程合同卒業式を実施。727日、国際平和協力センターが第7期国際平和協力上級課程の修了式を実施。914日、国際平和協力センターが国際平和協力基礎講習課程(陸自19名、海自9名、空自10名、防衛省内局2名、情報本部1名)の修了式を実施。923日、国際平和協力センターが第29回三鷹国際交流フェスティバルでの東京地本による広報を支援した。101-4日、国際平和協力センター長が国際活動教育隊長と共にニュージーランドのオークランドで国際平和活動訓練センター協会IAPTC2018年度年次会合に参加。1130日、国際平和協力センターが主管して第8回国際平和と安全シンポジウムを実施。現代のPKOの潮流とPKO要員の能力構築支援をテーマに、国内外の専門家や有識者が現状と課題について討議した。201936日、教育訓練研究本部海自幹部学校空自幹部学校と共に、陸自18名、海自14名、空自13名、韓国人留学生2名の自衛隊高級課程合同卒業式を実施。731日、目黒基地大講堂で陸自教育訓練研究本部海自幹部学校空自幹部学校と統合高級課程合同卒業式を実施。陸自16名、海自15名、空自9名、インド海軍大佐1名に卒業証書が授与された。828日、目黒基地大講堂で陸自教育訓練研究本部海自幹部学校空自幹部学校と自衛隊高級課程合同入校式を行い、陸自17名、海自10名、空自12名が入校した。202135日、目黒基地大講堂で陸自教育訓練研究本部海自幹部学校空自幹部学校と第29期統合高級課程45名の自衛隊高級課程合同卒業式を実施。315-16日、国際平和協力センター隊員2名が、ヨルダン軍主催の国際平和協力活動教育にオンラインで参加し、講師を務めた。46日、国際平和協力センターが拡大ASEAN国防相会議PKO専門家会合にオンラインで参加。730日、目黒基地大講堂で陸自教育訓練研究本部海自幹部学校空自幹部学校と自衛隊高級課程合同卒業式を実施。陸自17名、海自10名、空自12名、タイ陸軍学生1名、パキスタン空軍学生1名に卒業証書が授与され、留学生2名には留学生受け入れ20周年記念の留学生記章も贈呈された。123日、防衛省国際会議場で第10回国際平和と安全シンポジウム2021を実施。2022330日、目黒基地大講堂で陸自教育訓練研究本部海自幹部学校空自幹部学校と令和4年度前期自衛隊高級課程合同入校式を実施し、3自衛隊43名とオーストラリア海軍留学生1名が参加した。52-6日、スウェーデンのストックホルムで開催された平和維持情報・偵察・監視ワークショップに、国際平和協力センター研究員の2等陸佐を派遣した。71日、ツイッターを開設し、情報発信を開始した。2023813-26日、GPOIキャップストーン演習クリス・アマン2に参加。参考:陸海軍学校と教育、月刊世界の艦船1,79増刊、10,15MAMOR vol.91vol.133、目黒基地ホームページ、朝雲

 <統合幕僚学校(2015年)>:学校長、副校長、企画室(企画室長、計画係、監理係、国際交流専門官、企画・監理専門官)、総務課(総務課長、総務班長、庶務係、人事係、会計係、車両係、印刷係、情報保証専門官)、教育課(教育課長、教育管理班、教務班、第1教官室、第2教官室、研究室)、国際平和協力センター(国際平和協力センター長、総括主任研究官、総務グループ、教育・研究室)からなる。参考:統合幕僚学校ホームページ

統合幕僚監部>:自衛隊の組織で、2006327日に統合幕僚会議から改編されて創設された。自衛隊のフォースユーザーであり、陸海空自衛隊の統合運用に関して防衛大臣を補佐するのが主任務で、各自衛隊の部隊運用権限を集約し、各種計画立案における三自衛隊間の調整を効率化する。統合運用だけでなく、対領空侵犯措置など単一自衛隊が行う作戦における部隊運用も担当する(よって、スクランブル発進や日本近海の他国軍艦艇発見情報は統幕から報道発表される)。20073月、防衛計画部計画課に統合装備体系班を設置。20083月、指揮通信システム部指揮通信システム運用課中央指揮所管理運営室、同課防衛情報指揮通信基盤管理運営室、同課サイバー防護保全班を廃止し、隷下に指揮通信システム隊を新編した。200981日、運用1課にカウンターインテリジェンス室が創設された。20103月、指揮通信システム部指揮通信システム企画課に指揮通信システム調達班を設置。

20113月、運用部運用第2課に地域運用調整官、指揮通信システム部指揮通信システム企画課にサイバー企画調整官を置いた。

201227-17日、コブラ・ゴールド12に参加。3月、総務部総務課に庶務室を設置した。41日、最先任下士官が新設された。8月、運用部副部長と総務調整官を新たに置き、総務部人事教育課、運用部運用第1課運用調整官、運用部運用第2課運用調整官を廃止した。828-29日、日米下士官交流を実施。統幕最先任下士官、陸自最先任上級曹長、空自准曹士先任、在日米軍兼第5航空軍司令部最先任上級曹長ら計17名が国際活動教育隊や第3陸曹教育隊を研修し、有志13名が富士山に登頂した。115-16日、キーン・ソード13に参加。123-4日、防衛省でオーストラリア国防軍作戦司令部との幕僚会議を開催。南スーダンPKOでの連携強化を確認した。

201364日、ベルリンで第7回日独スタッフトークスに参加。610-26日、ドーン・ブリッツ2013に参加。831日、南海トラフ巨大地震を想定した平成25年度広域医療搬送訓練に参加。1010日、防衛省でインドネシア国軍司令部との第2回幕僚会議を実施。安定したシーレーン確保、法の支配、国際ルールに則った海洋安全保障政策推進で一致した。1016日から118日、伊豆大島で台風26号豪雨の災害派遣に参加。1025日、平成25年度日米共同統合防災訓練に参加。111-18日、平成25年度自衛隊統合演習(実動演習)に参加。1129日、防衛省でシンガポール軍と第5回日星スタッフ・トークスを実施。海上安全保障や人道支援/災害救援での協力強化で一致した。

2014115日から24日、キーン・エッジ2014に参加。211-21日、コブラ・ゴールド14に参加。212-13日、初の統合法務官等連絡会議を開催。三自衛隊の法務官、作戦担当者、学校・研究機関関係者など50名が参加した。326日、防衛計画部副部長のポストを設置。総務部に連絡調整課を親切。運用部運用第2課から運用第3課が独立し、運用第2課訓練班と訓練評価・支援班を第3課に移した。総務部連絡調整課に連絡調整室を設置。総務部総務課人事室を統合人事室として連絡調整室の下に置き、総務部総務課国際人道業務室も連絡調整室の下に振り替えた。総務課総務調整官、運用第1課運用調整官、運用第2課訓練調整官を廃止。運用第1課運用企画調整官、事態対処調整官、運用第2課災害対策調整官を新設。防衛計画部計画課計画班を廃止し、統合防衛戦略室を設置。指揮通信システム部指揮通信システム企画課サイバー企画調整官を廃止してサイバー企画室を設置。指揮通信システム研究班と統合通信体制班を廃止して統合通信システム研究班を設置。指揮通信システム運用課情報保証班を廃止して指揮通信システム保全班を設置。防衛計画部に水陸両用作戦推進室を設置。49日、日米最先任等会同を実施。日米の最先任下士官ら50名が強い兵士の育成に関する意見交換を行い、相互理解を図った。424日から52日、ASEAN災害救援実動演習に4名が参加。69-12日、法務班長がエストニアのタリンで開催されたNATOサイバー防衛センター主催国際法課程に参加。911-12日、防衛計画部長がシンガポールで開催された民軍災害救援能力構築会議に参加。102日、小牧基地で平成26年度在外邦人等輸送訓練を実施。112-7日、統幕長がアジア・太平洋諸国参謀総長等会議に参加。114-6日、後方補給官ら4名がインドネシアでアジア太平洋地域後方補給セミナーに参加。118-19日、キーン・ソード15に参加。1125日、防衛計画部長がハワイで第2回日米豪スタッフトークスと第8回日豪スタッフトークスに参加。日米豪協力強化で一致した。128日、日米法務会同が開催され、統幕首席法務官ら6名と在日米軍法務部長ら7名が参加し、国内外での法務ネットワーク拡大を協議した。

2015115-16日、主席法務官と法務班長が日米韓豪4カ国法務官等会議に参加。126-30日、平成26年度自衛隊統合演習(指揮所演習)に参加。29-20日、コブラゴールド15に参加。214日、平成26年度自衛隊中央病院大量傷者受入訓練に参加。223-24日、防衛省講堂で第2回統合法務官等連絡会議を開催。67日、平成27年度日米共同統合防災訓練に参加。316-17日、日米兵站幕僚会議に参加。526-29日、CYCON(サイバー紛争に関する国際会議)に参加。629日から73日、自衛隊統合防災演習に参加。811-24日、マレーシアでGPOIキャップストーン演習2015に参加。818日から99日、ドーン・ブリッツ2015に参加。926日から1012日、PHIBLEX2015にオブザーバー参加した。928日から107日、赤道15に隊員5名で参加。101日、統合運用機能強化改編を実施。防衛省設置法第12条改正に伴う防衛省運用企画局の廃止により、部隊運用を一元管理するようになり、文官ポストとして統幕副長クラスの総括官と部長・課長級の参事官を新設、関係省庁との調整や対外説明業務を担当させることとなった。総務部連絡調整課は廃止した。1023日から1113日、平成27年度自衛隊統合演習に参加。

2016112日から22日、キーン・エッジ2016に参加。119日から219日、コブラ・ゴールド16に参加。121日、アメリカ国防総省で第4回サイバー防衛政策ワーキンググループ会合に参加。2月、ラオスに対する能力構築支援事業に1名が参加。217日、防衛省講堂で創設10周年記念式典を実施。3月、ベトナムに対する能力構築支援事業に参加。32日、防衛計画部長がアメリカ国防総省でトモダチ作戦5周年記念式典に参加。312日、自衛隊中央病院で首都直下地震対処における同病院の対処要領を研修した。44-15日、ベトナムに対する能力構築支援事業に1名が参加。522日から64日、モンゴルでGPOIキャップストーン演習に参加。629-30日と75-8日、平成28年度自衛隊統合防災演習に参加。86日、南海トラフ地震を想定した内閣府の平成28年度大規模地震時医療活動訓練に参加。823日から91日、平成28年度第1回在外邦人輸送訓練に参加。927-30日、PSI海上阻止訓練ディープ・セイバー16に参加。104-12日、PHIBLEX2016に研修要員を派遣。1013-15日、平成28年度国内における統合訓練に参加。1030日から1111日、キーン・ソード17に参加。

2017123-27日、平成28年度自衛隊統合演習(指揮所演習)に参加。124日から224日、コブラ・ゴールド17に参加。36日、目黒地区で平成28年度前期自衛隊高級課程(陸自18名、海自14名、空自15名、韓国留学生2名)の卒業式を初めて陸海空幹部学校との合同で実施した。327日、総務部総務課連絡調整官、教育班、統合人事室、国際人道業務室を廃止し、総務部に人事教育課(人材育成班、補任班、計画室、制度室)を新設。指揮通信システム部指揮通信システム企画課指揮通信システム調達班を廃止し、同課に指揮通信システム開発室を新設。指揮通信システム部指揮通信システム運用課コンピュータ・システム共通運用基盤管理室を廃止し、同課に通信基盤維持管理班を新設。53-22日、アメリカ、イギリス、フランス、自衛隊の共同訓練に参加。65-9日、統幕最先任がドイツのミュンヘンで国際最先任会議2017に参加し、国際移民問題とグローバル・セキュリティーを主要テーマとする討議を行った。729日、内閣府主催平成29年度大規模地震時医療活動訓練に参加。96-9日、PSI海上阻止訓練パシフィック・プロテクター17に1名が参加。915-16日、ハワイのアメリカ太平洋軍司令部で開催された日米韓3カ国J5(防衛計画)戦略協議に防衛計画部長が参加し、3カ国が協力しての北朝鮮への適切な対応や、地域の安全保障上の脅威への対抗で合意した。925日から102日、平成29年在外邦人等保護措置訓練(国外)に参加。927日、統幕長が韓国国防部合同参謀本部議長とテレビ会談を行い、北朝鮮に対し日韓協調して対応するため、防衛協力の促進で合意した。115日、平成29年度日米共同統合防災訓練に参加。122日、主席法務官付法務官が国際安全保障学会最優秀出版奨励賞(佐伯喜一賞)を受賞した。

201819日から23日、キーン・エッジ2018に参加。213-23日、コブラ・ゴールド18に参加。216日と20-23日、平成29年度日米共同統合防空・ミサイル防衛訓練に参加。31日、防衛省で平成29年度統合後方補給業務会議を実施。58日、416日夜に課業外の時間帯でジョギング中に参議院議員に暴言を吐いた統幕所属三等空佐に対し、自衛隊法58条の品位を保つ義務に違反したとして、訓戒処分を行った。発言は私的なもので、政治的行為やシビリアンコントロールの否定にはあたらないとしている。619-22日、平成30年度自衛隊統合防災演習に参加。724-26日、パシフィック・シールド18に参加。91日、平成30年度離島統合防災訓練に参加。91-9日、平成30年度在外邦人等保護措置訓練(国外)に参加。109-19日、アラバマ州マックスウェル空軍基地で行われたアメリカ空軍宇宙コマンド多国間図上演習シュリーバーに3名で参加。1015-24日、自衛隊の統合水陸両用作戦訓練(実動訓練)に10名で参加。1016日、統幕副長がワシントンで対過激派組織参謀長級会議に出席。1018-19日、アメリカ空軍384医療群主催の日米航空医学相互運用カンファレンスに衛生職域隊員が参加。1029日から118日、キーン・ソード19に参加。117-8日、統幕副長が韓国の平澤市で在韓米軍司令官交代式に参加。1211-14日、平成30年度在外邦人等保護措置訓練(国内)に10名で参加。127日、韓国合同軍事大学指揮幕僚課程に派遣留学していた運用一課の3等空佐が、留学生トップの成績で卒業して合同軍事大学総長賞を受賞し、卒業論文も最優秀賞となった。

2019211-12日、河野統幕長がオーストラリアのキャンベラを訪問し、キャンベル国防軍司令官と会談、コスグローブ総督から軍人名誉勲章を授与された。213-16日、河野統幕長がニュージーランドを訪問し、ショート国防軍司令官と会談、部隊を視察した。212-22日、コブラ・ゴールド19に参加。222日と225日から31日、平成30年度日米共同統合防空・ミサイル防衛訓練に参加。38-18日、MEDEX2019に5名で参加。321-24日、河野統幕長がアメリカを訪問し、シャナハン国防長官代理からのメリット勲章(リージョン・オブ・メリット・ディグリー・オブ・コマンダー)を統合参謀本部議長ジョセフ・ダンフォード海兵隊大将から伝達された。424-26日、山崎統幕長がハワイを訪問し、インド太平洋軍司令官フィリップ・デービッドソン海軍大将と会談、自由で開かれたインド太平洋実現のための連携強化・拡大で一致した。615-22日、山崎統幕長がUAE、エジプト、イスラエルを歴訪した。710-11日、イースタン・エンデバー19に2名が参加。730日から81日、拡大ASEAN国防相会議人道支援/災害救援演習に参加。730日から84日、山崎統幕長がワシントンを訪問し、第6回日米軍人ステーツマン・フォーラムに出席、戦略国際問題研究所で講演とトークセッションを行い、アメリカ統合参謀本部議長ダンフォード海兵隊大将及びインド太平洋軍司令官デービッドソン海軍大将と会談した。826-29日、山崎統幕長がバンコクで第22回インド・アジア太平洋諸国参謀総長等会議(CHOD会議)に参加。91日、令和元年度離島統合防災訓練に参加。97日、内閣府主催の大規模地震時医療活動訓練に参加。916-19日、統幕最先任澤田准陸尉がハワイで米インド太平洋軍主催アジア・太平洋諸国下士官会同に出席。921日から105日、赤道19に幹部自衛官3名で参加。923-27日、グローバル・センチネル19に1名が参加。929日から106日、令和元年度統合展開・行動訓練に参加。101日、山崎統幕長がマイヤー・ヘンダーソン・ホール基地でアメリカ統合参謀本部議長就任記念式典に出席し、ミリー統合参謀議長、韓国合同参謀本部議長朴陸軍大将と三カ国会談を行った。1111-21日、令和元年度自衛隊統合演習(実動演習)に参加。1112日、山崎統幕長がアメリカ統合参謀本部議長マーク・ミリー陸軍大将と会談し、同盟強化継続で一致した。1115日、山崎統幕長がアメリカ統合参謀本部議長及び韓国合同参謀本部議長とテレビ会議を行い、防衛協力強化で一致した。122日、統幕主催・国際平和協力センター主管の第9回国際平和と安全シンポジウムをホテルグランドヒル市ヶ谷で開催。122-6日、サイバー・コアリション2019に参加。129-14日、令和元年度在外邦人等保護措置訓練(国内)に参加。1210-12日、統幕最先任がアメリカ国防総省で2019年度下士官防衛会議に参加。1212日、山崎統幕長がフィリピン軍参謀総長ノエル・クレメント陸軍大将と防衛省で会談し、防衛協力強化で一致した。

2020114-16日、山崎統幕長がニューデリーでインド外務省・同国オブザーバー研究財団共催のライシナ・ダイアログ多国間フォーラムに出席し、パネルディスカッションで議論を行うと共に、シン国防相、各国参謀長、EU軍事委員会議長と2国間会談を行った。126日から39日、コブラ・ゴールド2040名で参加。131日、仙台駐屯地で、東北方面衛生隊と、災害発生時診療記録管理国内基準システムJ-SPEED及び国際基準システムWHO MDSJ-SPEEDをベースにWHOが開発)を使用した災害対処訓練を実施。221-23日、令和元年度日米共同統合防災訓練に20名で参加。224-28日、令和元年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。31-6日、山崎統幕長がベトナムとタイを訪問し、ベトナムでリック国防大臣及びザン軍総参謀長と会談すると共に支援部隊早期展開プロジェクトを視察、タイでベーンヤシー軍司令官と会談しコブラ・ゴールド20閉会式に出席した。413日、新型コロナウイルス感染防止に関する教育資料をホームページ上に公開した。415日、山崎統幕長がアメリカ統合参謀本部議長ミリー陸軍大将とテレビ会談を行い、新型コロナウイルス感染防止に関する日米の状況や取り組みについての意見交換を行った。421日、山崎統幕長がNATO軍事委員長ピーチ英空軍大将と電話会談を行い、防衛協力の重要性を確認し、国際社会や地域の平和と安定のための情報共有で一致した。422日、山崎統幕長がオーストラリア国防軍司令官キャンベル陸軍大将と電話会談し、新型コロナウイルスによる状況や感染拡大防止への取り組みなどについて意見交換を行った。612日、山崎統幕長がEU軍事委員会議長グラチアーノ陸軍大将と電話会談し、新型コロナウイルス感染症に関する状況や拡大防止について意見交換を行い、防衛協力・交流の重要性を確認した。山崎統幕長がカナダ軍参謀総長バンス陸軍大将と電話会談し、連携強化を確認すると共に、新型コロナウイルス感染症に関する状況や対策について意見交換した。623日、山崎統幕長がエジプト軍参謀総長ヘガージ陸軍中将と電話会談を行い、防衛協力推進の重要性を確認し、新型コロナウイルス感染症の状況や対策について意見交換した。624日、昨年の台風15号災害での教訓を踏まえ、東京電力ホールディングスと停電復旧の共同机上演習を実施。統幕6名、陸上総隊1名、部方面総監部2名、内閣府、経産省、資源エネルギー庁、東電ホールディングスが参加し、被害情報収集・共有、停電復旧に関する各レベルの調整、停電復旧に関する相互の能力把握について意見を交換、停電災害発生時には東電本社、都県庁対策本部、現地事業所に自衛隊と東電の共同調整所を設置することになった。630日、山崎統幕長がイスラエル軍参謀総長コハビ陸軍中将と電話会談し、中東地域での共通の課題への対応で一致した。72日、山崎統幕長がフランス軍統合参謀総長ルコワントル陸軍大将とテレビ会談し、日仏防衛協力・交流の重要性を確認すると共に、新型コロナウイルス感染拡大防止に関する意見交換を行った。76日、山崎統幕長がイギリス軍参謀長カーター陸軍大将とテレビ会談を行い、防衛協力・交流や連携強化で一致した。77日、山崎統幕長がUAE軍参謀長ルメーシー陸軍中将とテレビ会談を行い、防衛協力推進の重要性を確認した。84日、山崎統幕長がシンガポール軍司令官キアット陸軍中将とテレビ会談し、防衛協力推進の重要性を確認すると共に、新型コロナウイルスに関する状況を確認し、感染予防などの情報を交換した。819日、山崎統幕長がバーレーン軍参謀総長ヌアイミ陸軍中将とテレビ会談し、防衛協力推進で一致した。825-26日、山崎統幕長がインド太平洋参謀長等CHOD会議にオンラインで出席。自由で開かれたインド太平洋FOIPの前進がテーマで、FOIPビジョン実現の重要性に関する認識を各国と共有し、新型コロナウイルス感染症下でのインド太平洋諸国の連携の重要性を発信した。97日、山崎統幕長がインドネシア軍司令官チャフヤント空軍大将と電話会談し、防衛協力推進の重要性を確認、新型コロナウイルス感染症に関する状況や感染拡大防止の取り組みについて意見交換した。914日、山崎統幕長がマレーシア軍司令官ブアン空軍大将とテレビ会談し、防衛協力推進の重要性を確認、地域情報について意見交換して連携継続で一致し、両国の新型コロナウイルス感染状況や感染防止の取り組みなどについて意見交換を行い情報を共有した。918日、山崎統幕長がタイ軍司令官ベーンヤシー陸軍大将とテレビ会談し、防衛協力推進の重要性を確認、共通の課題に対し引き続き共に対応することで一致した。102日、統幕副長に統幕運用部長としての功績でアメリカ大統領からのリージョン・オブ・メリット・ディグリー・オブ・オフィサーが伝達され、在日米軍横田基地で授与式が行われた。1026日から115日、キーン・ソード21に参加。112日、USSTRATCOMに自衛隊からの初代連絡官として防衛課野本1等空佐が着任した。114-5日、シュリーバー2020演習に5名が参加。115日、オーストラリア軍主催の太平洋合同安全保障会議2020がテレビ会議方式で行われ、山崎統幕長、海保、オーストラリア国防軍司令官など太平洋島嶼国を中心に25カ国が参加、新型コロナウイルスや自然災害などの対応や教訓について意見交換した。1111日、山崎統幕長がインド国防参謀長ラワット陸軍大将と電話会談し、マラバール2020の成果を確認、防衛当局間の連携協力強化や、自由で開かれたインド太平洋ビジョンを共有する日米豪印の防衛協力推進で一致した。1119日、山崎統幕長がアメリカ統合参謀本部議長ミリー陸軍大将、韓国合同参謀本部議長ウォン空軍大将とテレビ会談を行い、自由で開かれたインド太平洋ビジョンを共有、防衛協力強化で一致した。1126日から123日、令和2年度在外邦人等保護措置訓練に参加。1130日、山崎統幕長がNATO軍事委員長ピーチ英空軍大将とテレビ会談し、安全保障環境について意見交換し防衛協力の重要性を確認、新型コロナウイルス感染症対策を含めた共通の課題に対して引き続き共に対応することで一致した。122-15日、ヤマサクラ79に参加。

2021212-13日、日米共同統合防災訓練TREXに参加。217日、山崎統幕長がアメリカ統合参謀本部議長ミリー陸軍大将とテレビ会談し、強固な日米同盟の絆を再確認し、力による一方的な現状変更の試みに反対、自由で開かれたインド太平洋の維持強化に向けた地域内外の多様なパートナーとの協力強化で一致した。中国の海警法についても意見交換を行っている。218日、山崎統幕長がイギリス国防参謀長カーター陸軍大将とテレビ会談し、自由で開かれたインド太平洋の実現に向けた協力強化で一致した。222-26日、令和2年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。32日、山崎統幕長がUAE軍参謀長ルメーシー陸軍中将とテレビ会談し、防衛協力・交流の重要性を確認、自由で開かれたインド太平洋に向けた協力強化で一致した。318日、指揮通信システム部に宇宙領域企画班を新設。413-16日、ロックド・シールズ2021に参加。415日、山崎統幕長がインド外務省・オブザーバー研究財団共催多国間フォーラムのライシナ・ダイアログにオンラインで出席。429日、山崎統幕長がハワイでアメリカ統合参謀本部議長ミリー陸軍大将及び韓国合同参謀本部議長元空軍大将と会談し、更なる防衛協力強化で一致した。430日(現地時間)/51日(日本時間)、山崎統幕長がハワイでインド太平洋軍司令官交代式に出席し、新司令官アクイリーノ海軍大将と会談した。517-20日、令和3年度自衛隊統合防災演習指揮所訓練に参加。521日、山崎統幕長がアメリカ宇宙コマンド司令官ディキンソン陸軍大将と会談し、宇宙空間の安定的な利用の確保の重要性を確認した。61日、山崎統幕長が来日したインド太平洋軍司令官アクイリーノ海軍大将と会談し、東シナ海における中国による現状変更の試みに日米が連携して断固として対応すると共に、日米同盟の抑止力・対処力を強化することで一致した。69日、山崎統幕長が、在日米軍司令部ワインガードナー最先任上級曹長に、自衛隊と在日米軍との緊密な連携及び相互の信頼を強化した功績で、感謝状を贈呈した。71日から91日、パシフィック・パートナーシップ2021に参加。77日、山崎統幕長が来日したアメリカ太平洋海兵隊司令官ラダー中将と会談し、連携強化で一致した。710日から823日、コブラ・ゴールド21にオンラインで参加。729日、山崎統幕長がイギリス国防参謀長カーター陸軍大将とテレビ会談し、防衛協力強化で一致した。82日、山崎統幕長が在日米陸軍司令官ヴァウル准将と防衛省で会談し、各種演習を通じた日米同盟強化で一致した。814-22日、山崎統幕長がハワイを訪問し、インド太平洋参謀総長等会議に出席すると共に、参加各国軍参謀長らと2国間会談を行った。98日、山崎統幕長がインド太平洋軍司令官アクイリーノ海軍大将とテレビ会談し、地域の共通課題に日米両国で対応することで一致した。99日、山崎統幕長が在日米軍司令官ラップ空軍中将と初会談し、地域の安全保障環境や日本周辺の情勢について認識を共有し、日米同盟深化に向けた具体的な取り組みについて意見交換を行い、現状変更の試みや核・弾道ミサイルなどによる脅威に対して必要な抑止力・対処力強化で一致した。104日、山崎統幕長がフランス軍統合参謀総長と電話会談し、防衛協力強化で一致した。107日、山崎統幕長がオランダ軍参謀総長とテレビ会談し、防衛協力強化で一致した。1013-21日、山崎統幕長がカタール軍参謀総長ガーニム空軍中将とテレビ会談し、アフガニスタンからの在外邦人等輸送でカタール軍から受けた後方支援に謝意を表明、協力関係強化で合意した。1014日、山崎統幕長がアメリカ統合参謀本部議長ミリー陸軍大将とテレビ会談し、自由で開かれたインド太平洋の実現に向けた日米のコミットメントについて再確認した。1021日、山崎統幕長がNATO軍事委員長バウアー蘭海軍大将とテレビ会談し、防衛協力強化で一致した。1027日、山崎統幕長がイギリス国防参謀総長カーター陸軍大将とテレビ会談し、自由で開かれたインド太平洋の実現に向けた協力関係強化で一致した。1028-29日、PSI多国間訓練ディープ・サーベル21に2名が参加。1030日、内閣府主催令和3年度大規模地震時医療活動訓練に参加。112日、令和3年度統合防災訓練に参加。119-10日、防衛省とインド太平洋軍と第10回ジョイント・シニア・リーダーシップ・セミナーJ-SLSを実施。山崎統幕長、前田陸上総隊司令官、湯浅自衛艦隊司令官、内倉航空総隊司令官らが、インド太平洋軍司令官アクイリーノ海軍大将、太平洋艦隊司令官パパロ海軍大将、在日米軍司令官ラップ空軍中将らと協議を行い、将来の方向性に関するビジョンを共有した。1119-30日、令和3年度自衛隊統合演習(実動演習)に参加。1119日、山崎統幕長がベトナム軍総参謀長兼国防副大臣クオン陸軍上将とテレビ会談し、防衛協力・関係強化で一致した。

2022113日、山崎統幕長がインド太平洋参謀総長等会議CHODにオンラインで参加。218日から34日、コブラ・ゴールド22に参加。221-25日、令和3年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。31日、多国間サイバー防護競技会に参加。323日、最先任室女性自衛官1名が、横田基地で行われたアメリカ第5航空軍WPSWomen, Peace and Security)シンポジウムに参加。329日から41日、山崎統幕長がハワイのインド太平洋軍司令部で日米韓参謀総長級会議に出席し、アメリカ統合参謀本部議長及び韓国合同参謀本部議長と会談、協力強化で一致した。424-30日、山崎統幕長がインドとカンボジアに出張し、ニューデリーで多国間フォーラムのライシナ・ダイアローグ2022に参加、プノンペンでカンボジア首相・副首相・軍関係者と会談した。428日、山崎統幕長がプノンペンの東屋ホテルで日本地雷処理を支援する会のスタッフを激励した。516-19日、山崎統幕長がベルギーを訪問し、NATO軍事委員会主催NATO参謀長会議に統幕長として初参加した。520-21日、山崎統幕長がフランスを訪問し、フランス軍統合参謀総長ビュルカール陸軍大将と会談、ウクライナ情勢やインド太平洋地域などの意見交換を行い、防衛協力・交流推進で一致した。61日、山崎統幕長が国連軍兼米韓連合軍兼在韓米軍司令官ラカメラ陸軍大将と防衛省で会談し、朝鮮半島の安全保障環境に関する認識共有や意見交換を行った。67日、山崎統幕長がNATO軍事委員長オランダ海軍バウアー海軍大将と防衛省で会談した。69-13日、山崎統幕長がシンガポールを訪問し、シャングリラ会合に出席した。617日、山崎統幕長がニュージーランド統合軍司令官ギルモア海軍少将と防衛省で会談した。620-23日、令和4年度自衛隊統合防災演習に参加。826日から912日、パシフィック・パートナーシップ2022に参加。831日から97日、令和4年度在外邦人等輸送訓練に参加。119日、令和4年度離島統合防災訓練及び日米共同統合防災訓練に参加。

202329日から310日、コブラ・ゴールド23に参加。217日と20-22日、令和4年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。418-21日、サイバー防衛演習ロックド・シールズ2023に参加。8-10月、パシフィック・パートナーシップ2023に参加。1014-21日、拡大ASEAN国防相会議(ADMMプラス)人道支援・災害救援演習に5名で参加。11-12月、パシフィック・パートナーシップ2024に参加。1130日から1213日、ヤマサクラ85に協力部隊として参加。

202424日から311日、コブラ・ゴールド24に参加。216日と19-22日、令和5年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。

参考:統合幕僚監部ホームページ、月刊JWings6,066,051,144,1510,155,'1611,167,1711,1712,1711,1812,181,195,1911,194,205,202,'215,'211,'2211,'22MOLIBITO Vol.3、月刊世界の艦船4,121,138,1312,134,141,154,1510,151,'162,164,'1610,1612,161,171,189,181,'192,'1911,191,202,201,'214,'213,'225,'2211,'221,'235,'23、月刊軍事研究9,1112,14MAMOR vol.77vol.100vol.104vol.113、月刊航空ファン8,151,1711,1812,19、月刊航空情報4,18、朝雲

 <統合幕僚監部(2006年3月新編時)>:統合幕僚長がトップで、統合幕僚副長が補佐し、総務部、運用部、防衛計画部、指揮通信システム部、首席法務官、首席後方補給官、報道官から構成されている。参考:月刊軍事研究1,18

 <統合幕僚監部(2015年改編前)>:人員は500名。統合幕僚長がトップで、統合幕僚副長が補佐し、総務部、運用部、防衛計画部、指揮通信システム部、首席法務官、首席後方補給官、報道官から構成されている。参考:月刊世界の艦船2,16

 <統合幕僚監部(2015年改編後)>:統合幕僚長がトップで、統合幕僚副長と総括官が補佐し、総務部、運用部、防衛計画部、指揮通信システム部、首席後方補給官、報道官、参事官、首席法務官、統幕最先任からなる。参考:月刊世界の艦船2,16

統合幕僚警報回線>:Joint Chiefs of Staff Alerting Net to all unif/spec commandsJCSANと略す。アメリカ大統領、国防長官、統合幕僚会議議長、各軍総司令官と直通する電話回線で、電話機は金色に塗られている。参考:アメリカジェット戦闘機

統合幕僚長>:統合幕僚監部のトップで、統合幕僚監部の隊員の服務を監督する。また、部隊運用に関する最高の専門的助言者として防衛庁長官/防衛大臣を補佐し、防衛庁長官/防衛大臣の指揮監督を受け、三自衛隊に対する長官/大臣の命令を一元的に執行する。また、三自衛隊の防衛大臣直轄部隊を統合運用のため三自衛隊共同部隊として置いた場合、この部隊の運用に係る防衛大臣の指揮は統合幕僚長を通じて行い、これに関する防衛大臣の命令は統合幕僚長が執行する。ただし統幕長は命令を伝達するだけで、実際に統合任務部隊を指揮するのはフォース・ユーザーの統合任務部隊司令官である。職務を行うにあたり、部隊運用を円滑にするため、陸海空幕長に対し、陸海空幕の所掌事務に係る三自衛隊の隊務に関して必要な措置を執らせることができる。初代幕僚長は先崎一(まっさきはじめ。初代にぴったりの名前である)陸将。参考:自衛隊法、月刊JGround Vol.11、朝雲

統合発着艦テレビ監視装置>:ILARTSIntegrated Launch and Recovery Television Surveillance System)と略す。アメリカ海軍の空母飛行甲板監視システムで、飛行甲板各所やアイランドに高分解能LLLTVが設置されており、着艦信号士官などが監視に使用する。映像と音声は録画されるので、後から分析することも可能。参考:月刊世界の艦船2,16

<統合汎用武器リンク>:アメリカ海軍の艦対空ミサイル管制用データリンク、略称JUWLJoint Universal Weapon Link)。ジェラルド・R・フォード級とズムウォルト級ミサイル駆逐艦のAN/SPY-3レーダーでスタンダード艦対空ミサイルとESSM艦対空ミサイルを管制(中間指令誘導及び終末セミアクティブ・レーダー誘導)するためのデータリンクである。参考:月刊世界の艦船2,22

<統合飛行表示>:統合計器表示を参照。

<統合飛行隊>:遠征飛行隊を参照。

<統合部隊航空コンポーネント指揮官>:JFACCを参照。

<統合プログラマブル信管>:FMU-152/Bを参照。

東郷平八郎>:弘化4年(1847年)1222日、鹿児島生まれ。文久3年(1863年)、薩英戦争に参加。この際、母親も雨具を着て砲弾が飛び交う中を走り回り、各陣に手製の薩摩汁を配って士気を鼓舞したという。明治1-2年、薩摩藩軍艦春日に搭乗して戊辰戦争に参加。明治4年、明治新政府第1回留学生(身分は海軍省生徒)としてイギリスに留学し、ウースター商船学校で7年間学んだ。明治11年、コルベット比叡に便乗して帰国の途に就き、522日に横浜港に帰国した。海軍兵学校を卒業していないため、本来なら海軍兵学校で試験を受けるが、免除になって73日に中尉に任官した。816日、扶桑に配置された。明治128月、比叡に配置された。明治19510日、大和艦長となった。97日、病気のため長期療養に入った。1122日、砲術練習艦浅間に配置され、横須賀鎮守府兵器部長を兼任した。明治2271日、療養を終えて比叡艦長となった。しかし快復が思わしくなかったようで、72日に浅間に戻され再度療養に入り、明治23513日に呉鎮守府参謀長となった。明治2412月、浪速艦長となった。二等巡洋艦浪速艦長として日清戦争に参加。明治361028日、第1艦隊司令長官となった。12月、連合艦隊司令長官を兼任した。日本海海戦でバルチック艦隊を破り世界にその名を轟かせ、フィンランドでトーゴーというビールの銘柄が生まれるほどだった。ただ神格化されすぎて東郷平八郎の許可を得ないと人事や政策が何も進まないという弊害も生んでいる。大正2年、元帥となった。同年、膀胱結石の手術をし、それまでは酒豪だったが、以降はスッパリと断酒している。昭和5年のロンドン条約には大反対で、これは大砲を撃たない戦争だと考えていたとまで言われるが、昭和6年に艦隊派と条約派を取り持っていた山下源太郎提督が死去すると非常に惜しんだという。昭和9530日に88歳(87歳?)で死去した。曾孫の1人が防衛大学校第27期である。参考:月刊世界の艦船9,13増刊、5,'23、日本海軍艦隊総覧、歴史群像10,18、朝雲

<統合ヘビーリフト機計画>:JHLを参照。

統合防空ミサイル防衛>:アメリカ軍の防空構想、略称IAMDIntegrated Air and Missile Defence)。航空機(無人機含む)やミサイルなどの経空脅威全てに対応できる防空能力を備えるもので、シースキマーの飛来する高度数メートルからICBMの到達する高度数千キロメートルまでをカバーする。個人携帯地対空ミサイルから長距離防空ミサイルに弾道ミサイル防衛までを担うアメリカ陸軍の構想として開始され、装備する兵器に関わらず防空関連情報を全部隊で共有し、必要なら他部隊の兵器を使用して迎撃を行うことなどを想定している。後にアメリカ国防省がJIAMDJoint Integrated Air and Missile Defence)として構想を全軍も広げることにし、海軍ではイージスシステム及びイージスBMDIAMDが進行中。参考:月刊JWings6,23

<統合マスト>:マストを参照。

東晃丸>:日本陸軍輸送船Toko maru。元は岡田組の平時標準C型貨物船で、昭和15122日に竣工し、昭和16年(太平洋戦争前)に海軍が2ヶ月徴用、昭和1712月に日本陸軍が徴用した。垂線間長93.84m、幅13.7m、深さ7.6m、総トン数2747トン、重量トン数4327トン。主機は三連成レシプロ蒸気機関1基1軸1879馬力、航海速力12ノット、最大速力14ノット。昭和19130日、ン805船団の一員としてパラオからパプア・ニューギニア諸島マヌス島ロレンガウに向かっていたところ、パラオ島南東420kmSS-304シーホースの雷撃を受けて沈没した。参考:月刊世界の艦船1,22

<統合無人戦闘航空システム>:J-UCASを参照。

<統合無線周波数対抗装置>:AN/ALQ-211シリーズ(電子戦装置)を参照。

<統合モジュラーマスト>:IMMを参照。

統合輸送>:統合幕僚長が三自衛隊のうち複数を指揮して行う輸送のこと。自衛隊のみならず民間の輸送力も活用する。20063月から開始された。参考:MAMOR vol.129

登桁礼>:とうこうれい。帆船のヤードに甲板員全員が登るもので、敵意が無いことを示す。参考:月刊世界の艦船8,11増刊

<闘魂の鬼>:杉田庄一(日本海軍エース)を参照。

<搭載通電機器(IFF)>:自衛隊の機器。伊藤忠アビエーションが受注している。参考:月刊軍事研究4,18

<搭載通電機器(タカン等)>:自衛隊の機器。シマヅプレシジョンインスツルメンツインク製。参考:月刊軍事研究6,18

搭載燃料>:Fuel onboard。出発地を離陸してから最初の目的地に着陸するまでに必要な消費燃料(Burn-off fuel)、計画上の消費燃料と実際の消費燃料の誤差を補正するための補正燃料(Contingency fuel。消費燃料の7-10%くらい)、目的地から代替飛行場に着陸するまでに必要な代替燃料(Alternate fuel)、代替飛行場上空で待機するのに必要な待機燃料(Holding fuel)、補正燃料と待機燃料を合算した予備燃料(Reserve fuel)、経路や飛行場周辺の天候が不良だったり予報が不確実だったりする際に柄する補備燃料(Extra fuel)、消費燃料+補正燃料+代替燃料+待機燃料(ときに+補備燃料)の離陸燃料(Take-off fuel)、タキシングに必要な地上走行燃料(Taxiing fuel)、離陸燃料に地上走行燃料を加えたランプ燃料(Ramp fuelまたはTaxi-out fule)がある。飛行計画上の必要燃料は離陸燃料を指す。計器飛行方式で飛ぶ時は、消費燃料+代替燃料+予備燃料45分間を積む。飛行計画に代替飛行場を表示しない時は、消費燃料+予備燃料2時間分を積む。有視界方式では、消費燃料+予備燃料45分間を積む。参考:航空用語事典増補改訂版

統作令>:統合幕僚会議作戦命令の略。参考:日本の防衛戦力Part1

<唐山>:122052D型ミサイル駆逐艦)を参照。

<島山安昌浩>:SS-083(潜水艦)を参照。

<とうし>:MSC-635(掃海艇)を参照。

同軸型磁束圧縮型発電機>:ポンプ式FCGともいう。形状は円筒状で、外筒シリンダーはFRPで作られ、中心部には銅もしくは銀製のアーマチャーシリンダーがあり、内部にPBX-9501コンポジット系爆薬が詰め込まれている。点火部分には爆発レンズが取り付けられており、これによって火薬の爆発がシリンダー内を直線的に進行していく。アーマチャーシリンダーの外側には円筒状のキャビティーがあり、両端は絶縁体で封じられている。その外側にステイターコイルが巻かれ、外筒シリンダーと接している。コイルに電流を流し、中心軸に平行な磁界を作った上で火薬に点火すると、アーマチャーシリンダーが一気に膨張して磁界を垂直に横切り、初めにコイルに流した電力の60倍以上の出力電力が得られる。アメリカ軍のEMP爆弾に使用されている。参考:月刊軍事研究7,03

同軸機銃>:主砲と軸線を一致させた機銃のこと。主砲と同じFCSが使用できるので、命中精度に優れる他、車内操作で撃てるので安全性も高い。敵歩兵の掃射、威力偵察、地雷原処理などに使用される。自衛隊では連装、連装銃、車載機関銃、車載などと呼称し、同軸機銃という用語は使わない。参考:月刊軍事研究2,088,08

<同軸反転ローター>:二重反転ローターを参照。

同時多発テロ>:2001911日に勃発したアメリカ本土でのテロ。CIA1996年から、DIADHS(国防ヒューミント・サービス)は1998年からアルカイダの情報収集を開始したが、テロを防ぐには至らなかった。首謀者は19932月の世界貿易センタービル爆破テロなど、アフガン国外におけるテロ全ての責任者であったハリド・シェイク・ムハマドとされる。ムハマドは20033月にパキスタンで拘束され、アメリカに引き渡された。実行犯は19人で、主犯格はエジプト出身のモハメド・アタ・アル・サイード。実行犯のうち15人がサウジアラビア出身で、サウジ政府は当初犯人の一部の関与を否定していたが、20022月に犯人であることを認める声明を出した。1992年、モハメド・アタはドイツに留学したが、この頃に実行犯のうち2人と会い、アルカイダに入って「ハンブルグ細胞」と呼ばれるようになった。義弟がパキスタンで拘束された後の1996年に、ハリド・ムハマドは民間機10機をハイジャックして特攻テロを加える計画を練り始めた。20006月、モハメド・アタがアメリカに入国、航空機の操縦訓練を開始。半ばアメリカに定住していた1人のメンバー以外の大部分は20014-6月に入国した。2001910日、実行犯は空港周辺のホテルに分かれて宿泊。110544、ボストン・ポートランド空港の保安検査を主犯格含む実行犯2人が通過。0550、ポートランド空港発ボストン・ローガン国際空港行きコルガンエア5930便に搭乗。ローガン国際空港で8人と合流し、0730過ぎに主犯格含む5人がロサンゼルス行きアメリカン航空11便に、残り5人がロサンゼルス行きユナイテッド航空175便に乗り込んだ。0718、ワシントン・ダレス空港の保安検査を実行犯5人が通過、アメリカン航空77便ロサンゼルス行きに搭乗した。0739、犯人グループの4人がニューアーク・リバティー空港の保安検査を通過してユナイテッド航空93便に乗り込んだ。0740、アメリカン航空11便が誘導路に向かい、0759、乗員11人と乗客81人(実行犯含む)を乗せて離陸した。0813、アメリカン航空11便はボストン管制センターの指示により機体を右旋回させ、高度を29000フィート(8839m)に上げた。0814、アメリカン航空11便はシートベルト着用サインが消え、安定飛行に入った。ボストン管制センターは更に高度を35000フィート(10668m)に上げるよう指示をしたが、機長から応答は無かった。この時に実行犯がコクピットを制圧したとみられる。まず機体最前部でフライトアテンダント2人がカッターナイフもしくはプラスチックナイフで刺されて死亡。この異変に気が付いた元イスラエル軍特殊部隊員(たまたま乗っていた)が制圧に向かったが、後ろに座っていた犯人グループの1人に襲われて死亡した。犯人はファーストクラスに催涙スプレーを撒布して乗客を後方に追いやり、コクピット内に侵入。コクピットはハイジャック緊急コールボタンを押す間も無く制圧された。しかし直前にトークバックボタンが押されたため、コクピット内の会話が地上に筒抜けとなった。ほぼ同時刻、ユナイテッド航空175便が乗員9人と乗客56人(実行犯含む)を乗せて離陸した。0819、アメリカン航空南東予約事務所にアメリカン航空11便のフライトアテンダントからハイジャックを知らせる飛行機電話が入った。0820、アメリカン航空11便のIFFが発信を停止、航路を外れ始めた。アメリカン航空77便が乗員6人、乗客58人(実行犯含む)を乗せて離陸。0821、アメリカン航空11便のトランスポンダーが発信を停止し、ボストン管制塔はハイジャックと判断した。同じ頃、アメリカン航空予約事務所からアメリカン航空運行センターにハイジャックの連絡が入った。0823、アメリカン航空運行センターはコクピットとの通信を行うが失敗。0824、アメリカン航空11便では犯人がハイジャックを知らせ、空港へ戻る旨伝える機内放送を実施。0825、ボストン管制センターは管制本部にアメリカン航空11便のハイジャックを連絡。同便のフライトアテンダントから、アメリカン航空フライトサービスセンターにハイジャックされた旨の航空電話が入った。この回線からはその後、犯人が体に爆弾を縛り付けていることなどが伝えられた。0828、アメリカン航空11便は100度旋回し、南に変針、ニューヨークに向かった。0829、アメリカン航空運行センターがボストン管制センターに非常事態を連絡。0833、ユナイテッド航空175便が高度31000フィート(9449m)に達し、機内サービスが開始された。直後、前方をアメリカン航空11便が横切った。0834、アメリカン航空11便で再度空港へ戻る旨の機内放送が行われた。0837、ボストン管制センターからNORAD傘下のNEADS(北東司令部)にハイジャックの通報が行われた。この日は特別訓練日で、全要員が出勤中だった。ボストン管制センターはユナイテッド航空175便にアメリカン航空11便が南方10マイル(16km)に見えるか確認を行い、接近しないように連絡した。0838、アメリカン航空11便が急降下を開始。0840、マサチューセッツ州オーティス空軍基地のF-15C2機がNEADSの命令により発進準備に入った。NEADS司令官はスクランブル発進を決断し、NORADの大陸地区担当少将に連絡、許可を得た。この時、北東部防空セクターの管轄内でアラートに就いていたのはオーティスのF-15とラングレイのF-16合計4機のみだった。0841、ボストン管制センターはアメリカン航空運行センターにアメリカン航空11便のハイジャックを通告、J.F.ケネディー空港に向かっていると判断した。ユナイテッド航空175便から、アメリカン航空11便の機内で着席を促す放送があったとボストン管制センターに連絡が入った。この直後に175便のハイジャックが実行されたとみられる。0842、ユナイテッド航空93便が41分遅れで乗員乗客44人(実行犯含む)を乗せて離陸。0844、アメリカン航空予約事務所とアメリカン航空11便との連絡が途絶えた。アメリカン航空フライトサービスセンターには、機体が急降下していること、低空に達したことが伝えられた直後に回線が切れた。USエアライン583便からボストン管制センターに、ユナイテッド航空175便が緊急位置発信信号を短時間発信したと連絡が入った。0846、オーティス空軍基地からF-15がスクランブル発進したが、当時は連邦航空局と空軍の間で綿密な連携をとれる体勢にはなっておらず、戦闘機を優先的に飛行させることができない状態だった。ニューヨークのマンハッタンでは見習い消防士をフランス人カメラマンが取材中だったが、撮影中に轟音が響いた。頭上に目をやる消防士の視線を追ったカメラに写ったのは、世界貿易センタービルに突入するアメリカン航空11便の姿だった。アメリカン航空77便が35000フィート(10668m)に到達し、機内サービスが開始された。0847、ユナイテッド航空175便の航空機識別信号が2回変更された。0851、ユナイテッド航空175便が指示高度を逸脱。管制センターとアメリカン航空77便機長が交信。この直後に77便もハイジャックされたとみられる。0852、ニューヨーク管制センターがユナイテッド航空175便との交信を試みたが応答無し。乗客の1人が父親にユナイテッド航空175便がハイジャックされた旨を連絡。また、フライトアテンダントからユナイテッド航空サンフランシスコ事務所に機長・副機長が殺害され、犯人が操縦していると連絡が入った。0854、ユナイテッド航空運行本部が175便に交信を行うが失敗。アメリカン航空77便が航路を外れ、南に向かった。0855、ニューヨーク管制センター管制官が責任者に175便のハイジャックの可能性を伝えた。視察のためフロリダ州の小学校に到着したブッシュ大統領はアメリカン航空11便の事故報告を受けたが、この時点では事故の認識だった。0856、ケンタッキー州北東部でアメリカン航空77便のトランスポンダーが切断され、インディアナポリス管制センターの交信にも応答が無かった。0858、ユナイテッド航空175便はニューヨークに機首を向けた。0859、ユナイテッド航空175便の別の乗客が母親に、機体がハイジャックされたためコクピットを制圧しようと相談している旨を連絡。0900175便乗客の1人が再び父親に連絡。ナイフと催涙ガスを所持しており、フライトアテンダントが刺された旨を報告した後、突然通話が切れた。父親がテレビを点けると、そこにはアメリカン航空11便が激突して黒煙を噴き上げる世界貿易センタービルが映し出されていた。アメリカン航空の副社長に77便との交信が途絶えたと連絡が入ったため、アメリカ北東地域のアメリカン航空機全てに離陸中止の指示が出された。0901、ニューヨーク管制センターがFAA(アメリカ連邦航空局)司令センターにユナイテッド航空175便のハイジャックを報告。0903、ニューヨーク管制センターがNORADにハイジャックを連絡。しかし同時刻、テレビ越しに見つめる乗客の父親の目の前で、ユナイテッド航空175便は世界貿易センタービル南棟に激突した。この時オーティスを発進したF-15はまだニューヨークにすら達していなかった。ホワイトハウスにいたチェイニー副大統領とライス国家安全保障担当補佐官は地下避難室に避難。0905、アメリカン航空77便がワシントンに向け東に航路変更。しかしソフトウェアの問題でインディアナポリス管制センターでは飛行していることを把握できず、墜落したと判断された。0906、ブッシュ大統領に2機目の突入の連絡が入ったが、そのまま小学生の教科書朗読を聞き終えると校長室に向かい、電話で状況確認を行った。0908、インディアナポリス管制センターはラングレー空軍基地とウェストバージニア州警察にアメリカン航空77便の捜索を依頼。0909、インディアナポリス管制センターがFAA地域センターにアメリカン航空77便行方不明を連絡。0912、アメリカン航空77便の乗客から母親にハイジャックされた旨連絡が入った。0916、アメリカン航空77便の別の乗客から夫にハイジャックの連絡が入った。0924FAA地域センターがFAA本部にアメリカン航空77便行方不明を連絡。ユナイテッド航空運行本部から93便にハイジャックの警戒を行うよう連絡が入った。0925FAA本部は3機目のハイジャックの可能性が出たため、アメリカ全土で飛行機の離陸禁止命令を出した。0926、ユナイテッド航空93便からユナイテッド航空運行本部に応答があったが、直後にコクピット内部から格闘音が響き、「メーデー」の声が聞こえ、高度が35000フィート(10668m)から17000フィート(5182m)まで落ちた。0927、ペンタゴンの西38マイル(61km)、高度7000フィート(2134m)でアメリカン航空77便の自動操縦装置が解除された。0928、クリーブランド管制センターがユナイテッド航空93便に呼びかけたが応答無し。0929、ブッシュ大統領は小学校で生徒、教師、報道陣200名の前でテロリストによる攻撃と言明した。0932、ダレス空港管制センターがワシントン方向に向けて高速で移動するアメリカン航空77便らしき機影をレーダーでキャッチ。ユナイテッド航空93便では犯人による機内放送で機内に爆弾がある旨が伝えられ、自動操縦装置が切り替えられ、機体は東に向かった。0934、アメリカン航空77便はペンタゴンの西南西5マイルに到達、330度旋回を実施して2200フィート(671m)に降下、ペンタゴンに向かった。FAA本部はNEADS77便の行方不明を告げ、漸く軍が3機目の異常を把握した。ユナイテッド航空93便の犯人による機内放送の内容がFAA本部に伝えられた。クリーブランド管制センターからFAA司令にスクランブル要請の判断を求める通信が入ったが、本部の判断を待った。ユナイテッド航空175便は47000フィート(14326m)まで上昇したため、クリーブランド管制センターは付近の航空機に離れるよう連絡した。0936、ボストン管制センターはNEADSにワシントンに向かう機体があることを通報。ラングレーから発進していたF-16はワシントンへと針路を変えた。直後の0937、アメリカン航空77便はペンタゴンに突入した。機体は改修工事終了を5日後に控えた北西側第1ブロックEリングに突入、Cリング連絡通路まで延焼したが、強化壁と新型スプリンクラーにより被害は最小限に止まった。これを受け、ノースカロライナの訓練空域で空中給油訓練を行っていたアンドリューズ統合基地所属ワシントンDC州航空隊第113航空団第121戦闘飛行隊所属F-16C戦闘機3機が急遽首都警戒にあたることになり基地に呼び戻され、うち2機が取り敢えずの燃料だけ積んで(満タンにする時間も実弾を積む暇も無かった)再出撃し、第1戦闘航空団F-15Cが現場付近に到着するまで特別警戒を行っている。0939、ユナイテッド航空93便は2度目の機内放送を行い、空港に戻る旨を伝えた。0941、ユナイテッド航空93便のトランスポンダーが切断された。乗客は低空飛行している間に家族に連絡を取って世界貿易センタービルへの航空機突入を知り、機長・副操縦士の死亡を伝えている。0953FAA司令センターからFAA本部にピッツバーグ上空でユナイテッド航空93便の機影が消えたと連絡。直後、他の航空機から同機がジョーンズタウン北西20マイル(32km)を飛行中との連絡を受けた。0957、ユナイテッド航空93便の乗客がコクピットに向けて突入を開始。乗客の1人は「皆機体前方に向かった。俺も行ってくる、さようなら」と家族に連絡して電話を切った。犯人グループは機体を左右に振って逃れようとしたが襲撃は収まらず、0959から機首を上下に振り始め、コクピット内では格闘音が響いた。世界貿易センタービル南棟が崩壊。1000、ユナイテッド93便は安定飛行に移ったが、乗客の襲撃は止まず、再び機首を上下に振り始め、1001には犯人の1人がアラーアクバルと叫び、1003にペンシルベニア州シャンクスビルの平原に墜落した。この時、スクランブル発進したF-16100マイル(161km)離れた地点にいたという。1028、世界貿易センタービル北棟が崩壊した。1130、軍・官用の航空機(殆どは戦闘機とAWACS、空中給油機)を除くほぼ全ての航空機がアメリカ領空内から出るか、空港に着陸した。着陸前に「現在、アメリカ上空は戦争状態にあり」とアナウンスされた機もあったという。死者・行方不明者は世界貿易センタービルで2823人(うち日本人23人)、ペンタゴンで184人(800人以上?)、ユナイテッド航空93便で40人、実行犯19人。915日、ノーブル・イーグル作戦を発動、テロ警戒に当たると共に、民間機の運航を再開した。2006523日、オサマ・ビンラデインを名乗る人物が、ウェブサイト上で直接関与を認める音声声明を出した。参考:月刊軍事研究8, 065,048,042,078,073,15、月刊JWings12,01

<同時弾着射撃>:TOT射撃を参照。

東芝>:1974年以降、ソ連海軍の殆どの戦闘艦や原潜は赤道周辺での活動用に東芝社製のエアコンを装備していた。参考:ソ連/ロシア原潜建造史

東芝機械不正輸出事件>:東芝機械が198212月から19836月にソ連に輸出したTDP-70/110たて型数値制御旋盤4台と、19846月に無償供与した数値制御用プログラムが、外国為替及び外国貿易管理法第25条に違反するとして、1987430日に東芝機械本社が捜索を受けた。通産省の輸出貿易管理令では同時制御軸数2軸以下でないと輸出許可が下りないが、5軸制御(プログラム改良で9軸制御可能)なこの機械を偽って輸出しており、ソ連はうち1台をバルチック造船所に設置してスクリューの加工に使用していた。残る3台もセヴェロドビンスク、ゴーリキー、コムソモリスクの各造船所に設置されたらしい。シエラ型やアクラ型に就役後装着された静粛型プロペラはこの機械で製造されたとみられる。参考:ザ・マーチ40

東芝電波プロダクツ>:東芝テスコと東芝電波特機が合併して誕生した。参考:月刊軍事研究1,16

<同時ピッチ制御>:コレクティブ・ピッチ・コントロールを参照。

投射型静止式ジャマー>:海上自衛隊の魚雷防御装置OLQ-1を構成する音響ジャマーで、FAJFloating Acoustic Jammer)と略す。旋回式ターレットに搭載された2列2段4連装箱型ランチャーから発射されると最大1km先まで飛翔してパラシュートで着水、海面上・海中で7分間にわたり大音響を発生し、発射艦の騒音をマスク、敵の魚雷を誘引する。全長1.38m、直径0.13m、重量25kg。ターレット旋回範囲左右130度、仰角5-80度(60度?)。あきづき型といずも型に搭載された。日立製作所製。参考:JShips Vol.48、月刊軍事研究6,1512,139,126,12、月刊世界の艦船1,'15増刊、8,21

 <投射型静止式ジャマー1型>:自衛隊の機器。日立製作所製。参考:月刊軍事研究6,13

投射重量>:Throw Weight。弾道ミサイルが推進を完了した後のミサイル運搬パッケージ(弾頭、誘導システム、大気圏再突入補助装置など)重量のこと。参考:軍事力バランス78年版

東修911>:中国海軍648型潜水艦母艦Dongxiu 9111985年就役。参考:月刊世界の艦船1,12

<搭乗員用暗視眼鏡>:自衛隊の機器。セキュリティー製。参考:月刊軍事研究4,18

<搭乗員用暗視眼鏡(C-2用)>:自衛隊の機器。兼松が受注している。参考:月刊軍事研究12,17

搭乗発動機員>:日本海軍の航空機搭乗員で、搭発員と略す。いわゆる航空機関士で、九六式陸攻の開発に伴い誕生し、以降の陸攻や大艇にも搭乗した。任務はエンジン調整、燃料コック切り替え、脚の上げ下げなどで、敵機が来たら機銃手になり、いざという時に備えて着陸・タッチアンドゴー訓練まで行った。太平洋戦争前半までは主と副の2名が乗っていたが、後半は余裕が無くなり、1名に減らされた。参考:続日本海軍よもやま物語

動哨兵(日本陸軍)>:怪しい人物を発見した場合、3回誰何して応答が無ければ、殺害するか捕獲する。外地では緊張のあまり1回誰何しただけで発砲してしまう事もあり、誰何される方も銃を突きつけられる恐怖に声が出ず、友軍兵なのに撃たれたりした。参考:新兵サンよもやま物語

搭乗割(日本海軍)>:機体号数の下に搭乗員の頭文字を書き、士官なら○、准士官なら△で囲み、下士官は上に^を付ける。搭乗員は上から操縦員、偵察員、電信員、攻撃員、搭発員の順である。日華事変初頭には大型機には各員2名ずつ割り当て、教育も兼ねて出撃していたが、太平洋戦争がたけなわになると損失を防ぐために各員1名ずつが多くなり、エンジンに詳しい搭発員が着陸訓練だけ受けて副操縦士を兼ねるようになった。参考:海軍よもやま物語

島嶼奪回作戦>:島嶼防衛作戦に失敗して敵に奪われた島を奪い返す作戦。島嶼防衛の段階で住民を全員避難させ、制空権と制海権を確保して敵の反撃と増援を防ぎ、事前砲爆撃で島に立て籠もる敵兵力の大部分を削いでから水陸両用作戦で島に上陸し、残敵を掃討するのが理想の流れである。必然的に陸海空統合作戦となり、戦闘能力だけでなくC4ISR能力や兵站支援・継戦能力に加えて民間の協力も必要で、国家としての総合力が問われる。参考:月刊軍事研究2,18、月刊世界の艦船4,18

 <島嶼奪回作戦(自衛隊)>:島嶼防衛に失敗している時点で航空優勢と制海権を奪い返す戦力は枯渇していると思われるので、アメリカ軍の来援を待つ必要がある。独力で航空優勢と制海権を奪還できたとしても、一度に海上輸送できる戦力が連隊戦闘団2分の1個しか無いので、アメリカ軍の力を借りるのが必須となる。沖合の海自艦艇からCRRCを発進させて陸自偵察部隊を上陸させ、LCACAAV-7水陸両用装甲車・CH-47JAヘリにより本格的な奪還部隊を送り込み、空自の近接航空支援も受けて作戦を遂行することになるが、CRRCAAV-7には海自艦艇と直接無線通信を行える機材が無く、上陸して通信設備を構築するまで音信不通になり作戦の修正が効かないという重大な欠点がある。参考:月刊世界の艦船11,193,20

島嶼防衛作戦>:大小の島々を防衛する作戦。排他的経済水域を含めると相当量の水産資源や海底資源を有し、海上交通路の面でも重要なため、大きさや住民の有無に関わらず防衛が欠かせない。島嶼に航空基地や軍港、地上部隊を配置し、防御態勢を整えておけば、相手にかなりの出血を強いることができるので、抑止力となる。ただ面積的・地形的に無理な島もあるし、島国だと数が多すぎて全部の島に兵力を配置するのは不可能なため、戦力空白地帯の島嶼は周辺の制空権と制海権を確保して敵の上陸を防ぎ、上陸されたら直ちに上陸し返して敵が防御態勢を整える前に撃退できるようにしておく。この際の即応上陸兵力は敵の防御陣地構築を阻害するくらいで良く、その隙に本隊が戦力を整えて本格的な敵の撃退を行う。人が住んでいる島では、民間人の避難・退避法も考えておかねばならない。防衛に失敗したら島嶼奪回作戦に切り替えなければならないが、防御態勢を整えた敵に対して着上陸作戦を行わなければならず、必要な兵力と犠牲が増大する。参考:月刊軍事研究5,16

 <島嶼防衛作戦(自衛隊)>:26中期防で離島防衛から改称されて島嶼防衛という名称が登場した。辞書的には本州も北海道も島であり、防衛白書などにも島嶼の定義が無いが、普通は沖縄以下/未満の面積の島を想定する。第1段階の平素からの部隊等配置による抑止態勢の確立、第2段階の実力部隊の緊急的かつ急速な機動展開、第3段階の水陸両用部隊による奪回からなる。南西諸島は九州より中国台湾の方が距離的に近く、自衛隊には敵地攻撃能力が無く、専守防衛で一撃目を甘受しなければならない(例え無数の核弾頭であっても)ので、苦戦が予想されるが、弾道ミサイル防衛などにより一撃目の損害をなるべく抑え、残存戦力で島嶼周辺の航空優勢や制海権を何とか確保して敵戦力を近づけないようにし、アメリカ軍の来援を待つことになる。島嶼にいる民間人は全員脱出させる必要があるが、自衛隊の輸送力は戦力輸送で手一杯、民間輸送力は徴用する法的根拠が無く、民間人を強制的に待避させる法的根拠も無いので、今のところは自力で何とかしてもらうしかない。参考:月刊JWings2,18、月刊世界の艦船11,19

島嶼防衛用高速滑空弾>:防衛装備庁次世代装備研究所が2018年度予算で研究を開始した超音速長射程兵器。尖閣諸島など孤島に上陸した敵を100km以上離れた別の島から攻撃するための兵器で、陸上から発射され、強力なロケットモーターにより空気の薄い高度80kmで一気に超音速に加速し、弾頭部を切り離してウェーブライダー(極超音速飛翔により機体下面に衝撃波を発生させて高圧にし、その圧力で機体を浮かせる)により速度を維持したまま高度40-20kmを短時間の内に長距離滑空させ、目標地点に正確に着弾させる。高々度を猛スピードで飛翔する上、単純な弾道飛行では無く、弾頭部にはステルス性も持たせるため、迎撃を逃れることが可能。弾頭内には多数の自己鍛造弾を内蔵し、敵地上部隊の面制圧を狙う。対艦攻撃能力を持たせる説や潜水艦発射型も装備する説がある。一気に開発するには時間が掛かりすぎるので、2019年度からブロック1として超音速加速用ロケットモーターに滑空しない非ステルスの通常弾頭部を装備するタイプ(射程400-500km)を開発し、ブロック2として同じロケットモーターにステルス滑空弾頭部(リフティング・ボディ形状、センサー内蔵)を搭載したタイプ(射程1500-3000km)を完成させ、上手くいけばブロック1を2026年度、ブロック2を2030年代に装備化する予定。2019329日に要素技術(その1)の研究試作を三菱重工と契約し、高々度滑空機体形状、滑空制御、高機能ロケットモーターの開発を2024年度末までに完了することとなった。参考:朝雲、月刊JWings3,19、月刊航空ファン8,19、月刊世界の艦船11,214,23

 <島嶼防衛用高速滑空弾ブロック1>:早期装備型ともいう。202346日、三菱重工と量産契約を結んだ。2023年度中に量産を開始し、2026年度末から納入される予定。参考:月刊JWings7,23

 <島嶼防衛用高速滑空弾ブロック2>:能力向上型(性能向上型?)ともいう。ブロック2Aとブロック2Bに分かれる。202361日、三菱重工と開発契約を締結した。参考:月刊JWings7,23、防衛省ホームページ

 <島嶼防衛用高速滑空弾ブロック2A>:試作型。2028年度までに開発を終える予定。参考:月刊JWings7,23

 <島嶼防衛用高速滑空弾ブロック2B>:完全能力型。2030年度までに開発を終える予定。参考:月刊JWings7,23

島嶼防衛用新対艦誘導弾>:防衛省2018年度概算要求で要素技術研究の予算を計上した対艦ミサイル。弾体はステルス形状で、中央に大型の展張翼、尾部にX時の安定翼を持ち、エアインテイクは弾体上面後ろ寄りに設けられている。長射程と、残存性向上のための高機動能力を持ち、車両、艦船、航空機などで運用できるようファミリー化する予定。202362日、要素技術の研究を川崎重工と契約した。期間は2023-27年度で、モジュール・シーカーやモジュール弾頭といったモジュール化の検討を行う。参考:月刊世界の艦船11,17、防衛省ホームページ

<銅仁>:507(コルベット)を参照。

<トゥズラ>:P1200(哨戒艇)を参照。

トゥズラ級>:トルコ海軍哨戒艇Tuzla級。設計・建造ともトルコが行った。沿岸対潜戦に備えて高周波ソナーを装備する。全長56.9m、満載排水量406トン。主機はディーゼルで、速力27ノット。兵装は40mm連装機関砲1基、6連装対潜ロケット発射機1基。P1200トゥズラなど16隻が2011-15年に就役した。参考:月刊世界の艦船10,17

統帥権>:日本軍の指揮権のこと。将校相当官には統帥権が無く、各部将校に格上げされてから各部の部隊長(野戦病院長など)に任命された場合にその部隊の統帥権を持つようになったが、隊付の各部将校には相変わらず統帥権が無く、所属部隊の長(師団長など)の統帥権の下にあり、同じ部員であっても所属部隊の長から命令を出してもらわなければならず、自分で勝手に命令することはできない。同業のよしみで勝手に命令を出すと統帥権干犯となり、軍籍剥奪に処されることもある。参考:軍医サンよもやま物語

統制型一〇〇式ディーゼルエンジン>:日本軍が1940年から開発に着手したディーゼルエンジンで、気筒の寸法を内径120mm×行程160mmに統一、4サイクル式とし、必要な馬力数に応じて気筒数を変えて対応する。4気筒空冷7.2リットルのものは試製小型牽引車に使用された。6気筒直列空冷だと排気量10.9リットル、出力は回転数1400100馬力、2000130馬力または150馬力で、九八式軽戦車、二式軽戦車、半装軌牽引車、装甲兵車に使用された。6気筒直列水冷だと排気量10850cc、定格出力88馬力、最大出力120馬力、牽引出力75馬力で、九八式六頓牽引車に使用された。8気筒直列だと排気量14.5リットル・出力150馬力で、軍用トラックに使用。V型水冷8気筒だと排気量14.5リットル・出力160馬力で、試製中型牽引車に使用。V型水冷12気筒だと排気量21.7リットル・出力200240300馬力で、一式中戦車、三式中戦車に使用。V型水冷12気筒だと排気量21.7リットルで、試製重牽引車に使用された。参考:機甲入門、月刊グランドパワー5,04、月刊PANZER7,98、帝国陸軍戦車と砲戦車

統制線ブレットの戦い>:デザート・セイバー作戦中の1991226日、アメリカ第3機甲師団第1旅団は第3機甲師団戦区の南側を西に向けて進撃。昼過ぎから砂嵐が起きてヘリが飛べなくなったため、M3ブラッドレイが前に出て前方を警戒しつつ前進していた。1600頃、第1旅団の南側を進撃する第7騎兵連隊第4大隊アルファ騎兵中隊(M3ブラッドレイ19両装備)が73イースティング付近でタワカルナ機械化歩兵師団の陣地に入ったが、砂嵐と夕闇による視界不良と巧妙な擬装で位置を特定できなかった。警戒しつつ前進したところ、待ち伏せていたイラク兵が距離100m以内で射撃を開始。アルファ騎兵中隊第2・第3小隊のM3ブラッドレイ13両が直ちに反撃を開始し、後続する第1小隊のM3ブラッドレイ6両も援護のため前進を始めた。この時、イラク軍のBMP-1600m以内に次々と出現し、イラク軍砲兵やT-72の火力支援も加わった。1620、アルファ騎兵中隊第2小隊4号車に北西後方からM-1A1戦車が誤射を喰らわせてしまい、1名が死亡。負傷者を救出するため、アルファ騎兵中隊第2小隊B班などM3ブラッドレイ3両が救援に向かった。そこに距離200mT-72が現れたが、初弾を外したため、TOWで撃破された。更に600mで別のT-72が出現したが、こちらも初弾を外し、TOWで破壊された。負傷者をM113救護装甲車に移したところでT-55が距離200mに出現。これは北西後方のM-1A1戦車が徹甲弾で撃破した。この頃、イラク兵はアルファ騎兵中隊から50mまで接近して銃撃を加えており、旅団直轄軽歩兵中隊の120mm迫撃砲も着弾し始め、アルファ騎兵中隊は敵中で身動きが取れなくなった。第2小隊の右翼(南側)で応戦していた第3小隊のM3ブラッドレイの1両に14.5mm重機関銃弾が命中し、砲塔を貫通、車長が重傷を負った。砲手は衛生兵を呼んだが、敵の射撃が激しくて近寄れず、アルファ騎兵中隊長は第2・第3小隊を後退させ、援護のため第1小隊を前方に出すことにした。第2・第3小隊は800mの後退を開始したが、第3小隊のM3ブラッドレイ1両にBMP-230mm機関砲が命中し、機関部を貫通されて行動不能になり、更に砲塔にサガーミサイルが命中して破壊された。別の第3小隊M3ブラッドレイが負傷した乗員4名を救出したが、南側で73イースティングの戦いの最中だった第2機甲騎兵連隊のM-1A1の誤射を受け、徹甲弾2発が砲塔を貫通、更に4名が負傷した。第2小隊でもM-1A1の誤射を受けてM3ブラッドレイ1両が破壊され、1名が死亡。残るM3ブラッドレイは発煙弾を発射して何とか後退した。イラク軍側はT-72戦車6両とBMP-1/-2歩兵戦闘車18両を破壊されたが、アメリカ第3機甲師団第1旅団第7騎兵連隊第4大隊の前進は阻止した。M3ブラッドレイは4両が破壊され、8両が被弾した。その北側では、第1旅団3/5騎兵支隊が中央、4/34機甲支隊が右翼(南側)、4/34機甲支隊が左翼(北側)に位置し、楔隊形で進撃していた。16303/5騎兵支隊がタワカルナ機械化歩兵師団第9戦車旅団の前哨陣地に遭遇。T-72を中心とする三角陣地が構築されており、後方の主陣地も縦深が深いと判断されたため、隊形を横隊にし、M-1A1M-3TOW)、砲兵による遠距離攻撃でじっくりと攻めることにした。19204/32機甲支隊の前方を行くM3ブラッドレイ3両がT-72戦車1両を発見。TOWを撃ち込んで破壊したが、直後にM3ブラッドレイによる同士討ちが発生、25mm焼夷徹甲弾がM3ブラッドレイの砲塔を貫通し、2名が死亡、2名が負傷した。損傷したM3ブラッドレイはM-1A1が牽引し、死傷者と共に後退した。第3機甲師団はそれ以上の同士討ちを防ぐため、その場で3つの支隊を全て停止させることにし、前方の敵にはM-1A1の砲撃とM3ブラッドレイの機関砲掃射、M109自走砲による砲撃を行った。砂嵐が収まった後はAH-64AA-10Aも加わり、翌日まで火力支援を行っている。参考:月刊軍事研究3,09

統制通信所>:陸上自衛隊の野戦通信所で、連隊本部管理中隊通信小隊が設営する。連隊各部隊からの情報を受信して連隊長に報告し、連隊長からの命令を各部隊に伝達する。参考:月刊JWings4,16

<等斉転度>:ライフリングを参照。

東生丸>:日本海軍指定船Tosei maru。大元は大正8年に竣工した太洋汽船の貨物船で、大正14年に日本共同汽船に移り、昭和9年に満州海陸輸送に売却され東光丸に改称、昭和11年に岡田組に移籍して東生丸となり、昭和12年に木原商船に売船され、昭和1610月に日本陸軍が徴用、昭和175月に解用されて日本海軍指定船になった。垂線間長105.16m、幅15.18m、深さ8.6m、満載吃水7.21m、総トン数4363トン、重量トン数6694トン。主機は三連成レシプロ蒸気機関1基1軸2939馬力、航海速力10ノット、最大速力12ノット。昭和1857日、門司から青島に向かう途中、山東半島石島港南東123kmSS-279スヌークの雷撃を受け沈没した。参考:月刊世界の艦船12,22

<冬戦教>:冬季戦技教育隊を参照。

東測226>:中国海軍延来型測量艦Tongce(トンツー)2262004625日、魚釣島西南西37kmを航行しているのを第5航空群P-3Cが発見した。627日、魚釣島北北東85kmを航行しているのを第5航空群P-3Cが発見した。722日、魚釣島西北西37kmを航行しているのを第5航空群P-3Cが発見した。723日、魚釣島西北西45kmを航行しているのを第5航空群P-3Cが発見した。724日、魚釣島西北西55kmを航行しているのを第5航空群P-3Cが発見した。85日、魚釣島北東65kmを航行しているのを第5航空群P-3Cが発見した。86日、魚釣島北東65kmを航行しているのを第5航空群P-3Cが発見した。1022日、魚釣島北北東87kmを航行しているのを第1航空群P-3Cが発見した。参考:月刊世界の艦船10,023,05

東測232>:中国海軍639型測量艦の艦番号Tongce23220149271600頃、沖縄本島北北西260kmの東シナ海を東に航行するのを第1航空群P-3Cが確認した。参考:月刊世界の艦船12,14

統率>:指揮と統御を合わせたものを指す。参考:月刊軍事研究2,09

東拖830>:中国海軍拖中型航洋曳船の艦番号。2004118日、種子島南東315kmを航行しているのをDD-108あけぼのが発見した。参考:月刊世界の艦船5,03

<ドゥダール・ド・ラグレ>:F728(フリゲート)を参照。

ドゥダール・ド・ラグレ>:フランス海軍ドゥダール・ド・ラグレ級河用砲艦Doudart de Lagree1939年に上海で退役し、1941年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦

ドゥダール・ド・ラグレ級>:フランス海軍河用砲艦Doudart de Lagree級。揚子江用の河用砲艦で、第1次大戦前に建造された。全長54.4m、幅7m、吃水1.4m、基準排水量201トン。主機はレシプロで、出力900馬力、速力14ノット。兵装は7.5cm単装砲2門、37mm機関砲2門。ドゥダール・ド・ラグレ、バルニィの2隻が就役した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

胴体基準線>:Fuselage base line。航空機の胴体を設計する際の架空の基準線で、主尾翼の取り付け角を呼ぶ際などの基準になり、重量・重心測定時の水平線にする場合も多い。必ず胴体最長部を通る訳では無い。参考:航空用語事典増補改訂版

<動態情報>:情報を参照。

<胴体側部整備台(UH-60J用)>:自衛隊の機器。ゴオダ工業製。参考:月刊軍事研究9,14

胴体長>:Fuselage length。航空機の胴体部先端から尾部までの長さのこと。ピトー管やアンテナ、機首のプロペラ、尾部の航空灯などは含めない。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings10,09別冊付録

<胴体翼>:キャリースルーを参照。

トウチくん>:東京地方協力本部のマスコットキャラ。ゆりかもめがモチーフで、しっかりとした脚が陸自、太くしなやかな体が海自、たくましい翼が空自を表す。201031日から718日まで募集された中から選ばれた。着ぐるみは2012年の第64回東京みなと祭でデビューした。2017430日、大田区萩中公園で開催された第66回大田区子どもガーデンパーティーに参加し、広報活動を実施。2019420-21日、小金井公園で開催された子どもフェスタ2019に参加し、広報活動を行った。1026-27日、東京ビッグサイト近くで開催された働くくるま大集合!で広報活動を行った。2022521-22日、在日米軍横田基地主催日米友好祭で広報を実施。参考:朝雲、MAMOR vol.132

トゥチャ>:ロシア海軍プロジェクト22800カラクルト級ミサイル艇11番艦Tucha2019226日起工。参考:月刊世界の艦船5,19

東調232>:中国海軍東調級情報収集艦1番艦の艦番号で、正式な艦名は不明。2000年就役。参考:中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船9,11

東調853>:中国海軍東調級情報収集艦2番艦天王星(Tianwangxing)。2010年就役。参考:月刊世界の艦船5,153.139,11

東調級情報収集艦>:中国海軍情報収集艦815型(Type-815Dongdiao(トンティアオ)級。船型は平甲板型で、船体中央に1甲板分の前後に長い上構があり、前から前部上構、アンテナドーム台座(高さは2甲板分)、煙突、アンテナドーム台座(高さは3甲板分)、ヘリ格納庫が並ぶ。前部上構は前半が02-04甲板の3層構造、後半が02-03甲板の2層構造で、前半部上面に情報収集用ESMアンテナ、後半部上面に大型のラティスマストを装備する。艦橋直前には光学追跡装置を収めているとみられるドームがある。煙突前後の台座にある大型球形レドームと、ヘリ格納庫前端上面の小型アンテナドームにパラボラアンテナ1基ずつを収容しており、衛星とミサイルを追跡する。2番艦以降は上構後半部上面マストがタワーマストになっており、815A型と呼ばれる。5番艦以降は上構前半部上面のアンテナドームが円筒形になっており、815B型と呼ばれる。後部甲板にはヘリ発着スペースと格納庫(1機分)がある。全長130m、全幅16.4m、吃水6.5m、満載排水量6096トン。主機はディーゼル2基、2軸推進、速力20ノット。兵装は37mm連装機関砲2基(後に1基。1番艦のみ)、25mm連装機関砲2基(後に撤去)、遠隔操作式25mm単装機関砲2門(2番艦以降。30mm連装機関砲2基?)、14.5mm連装機銃2-4基(就役後に装備)。東調232、東調853天王星、艦番号851北極星、艦番号852海王星、艦番号854天狼星、艦番号8552000-2017年(1999-2017年?)に就役し、北海・東海・南海艦隊に2隻ずつ配備された。他に艦番号857天權星、2018年に9番艦の艦番号859金星が就役し、北海・東海・南海艦隊に3隻ずつ配備されるようになった。2021-22年頃、艦番号が変更されたらしく、艦番号791、艦番号794天狼星、艦番号795天枢星、艦番号796開陽星、艦番号798玉衡星、艦番号799が確認されている。参考:中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船4,'212,202,193,185,153,139,1110,142,164,163,236,23

当直(自衛隊)>:勤務時間外に部隊を統括する特別勤務者。災害発生時には情報収集(災害対策室の設置を含む)や人員確認を行う。参考:月刊JWings12,18

 <当直(陸上自衛隊)>:駐屯地当直、部隊当直、中隊当直がある。参考:月刊JWings12,18

当直士官(アメリカ海軍)>:Officer Of the DeckOODと略す。艦長に対して当直で艦船と基地の安全適正運用の責任を負う士官で、航法、操艦、通信、定期試験、点検、監視、報告、当日計画遂行などの諸任務を実施する。艦内哨戒配備の責任者であり、艦橋で立直し、報告は当直副官または衛兵副官経由で受け取る。参考:米海軍サバイバルマニュアル、月刊世界の艦船9,22

当直士官(海上自衛隊)>:略号はト。参考:日本の防衛戦力Part3

当直将校(日本海軍)>:艦内の保安を司る将校。参考:続海軍よもやま物語

当直掌帆長属(アメリカ海軍)>:Boatswains Mate Of the WatchBMOW)。当直士官を補佐する最高位下士官で、任務は全甲板哨所の勤務統括である。当直兵曹を兼任する。参考:米海軍サバイバルマニュアル

当直伝令(アメリカ海軍)>:Messenger Watch。艦橋に配置され、当直士官の指示により電話応対や伝言配達などを行う。参考:米海軍サバイバルマニュアル

当直副官(アメリカ海軍)>:Junior Officer Of the DeckJOODと略す。当直士官を補佐するのが任務であり、種々の報告を当直士官に上げる。参考:米海軍サバイバルマニュアル

当直兵曹(アメリカ海軍)>:Petty Officer Of the WatchPOOW)。任務は停泊中の艦船で当直士官を補佐することである。当直掌帆長属が任命されている時は、当直掌帆長属が兼任する。参考:米海軍サバイバルマニュアル

<洞庭湖>:883(輸送艦)を参照。

<洞庭山>:931(揚陸艦)を参照。

動的空気力>:Aerodynamic force。物体の周りを流れる空気によって物体に作用する力で、空気中を運動する物体や、空気の流れの中に置かれた物体に生じる。飛行機の場合、相対的な空気速度に平行な力と直角な力とに分解し、前者を抗力と呼ぶ。また、後者を機体対称断面内の力と、機体対称断面に直角な力に分け、それぞれ揚力、横力と呼ぶ。参考:航空用語事典増補改訂版

動的浮力>:Dynamic lift。飛行船に働く揚力のことで、静的浮力に対する用語として創設された。飛行船の船体に迎え角が生じると発生する。参考:航空用語事典増補改訂版

導電線器具>:日本陸軍の爆破器材。参考:工兵入門

<当塗>:833(掃海艇)を参照。

凍土穿孔作業車>:日本陸軍の器材。日野重工業製。参考:工兵入門

凍土鶴嘴>:日本陸軍の器材。満州の凍土を掘れるツルハシとして昭和13年頃から第三陸軍技術研究所が開発した。普通の鶴嘴と大きさや形は同じだが、素材を工夫している。昭和171月に北満でテストされ、通常の鶴嘴が1名あたり1時間に0.09立方メートル掘るところを0.15立方メートル掘ることができ、刃先の摩耗が少なく、屈曲や折損は皆無で、概ね実用価値ありの判定を受けている。参考:月刊丸4,17

<トウナー>:AKA-77(攻撃貨物輸送艦)を参照。

ドゥナイ3U>:ロシアのA-35M/A-135システムの戦闘管理用レーダーで、1978年に建設された。本体はウェーブガイド・スロットを持つフェイズド・アレイ型で、送信部と受信部が3km離れている。走査方式はプログラム型ライン・バイ・ラインで、水平方向ビームで周波数制御、垂直方向ビームで位相制御を行う。使用波長は10cm級の連続波で、捜索セクターの幅は水平51度、垂直48度、最大捜索距離4500km、目標処理能力は毎分900個、同時目標追尾可能数は30個。制御コンピュータは三重で、複合弾道目標を2000km90%探知できる。実弾頭と囮との鑑別もできるらしい。早期警戒システムの衛星・レーダーで捉えた目標を引き継ぎ、ドン2Nレーダーに渡す役割がある。参考:月刊軍事研究11,00

<筒内暴発>:腔発を参照。

<ドゥナギリ>:F36(リアンダー級フリゲート)またはF36(シヴァリクⅡ級フリゲート)を参照。

<トゥナン>:J29Aのニックネーム。

東南アジア集団防衛条約>:アメリカ、イギリス、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、パキスタン、フィリピンが1945年に調印し、1955年に発効した条約。これに基づいて東南アジア条約機構(SEATO)が発足した。1977630日に廃棄された。参考:軍事力バランス78年版

<東南アジア諸国連合>:ASEANを参照。

東南アジア非核兵器地帯条約>:19951215日に署名され、1997327日に発効した条約。「地帯」はブルネイ・ダルサラーム、カンボジア、インドネシア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナムの領土、領空、領海、排他的経済水域、大陸棚からなる地域を指す。締約国は地帯の内外を問わず核兵器の開発・製造・取得・保有・配置・輸送・実験・使用を行わず、地帯内の海域もしくは大気中に放射性物質もしくは放射性廃棄物を投棄・放出しない。有効期間は、無期限。参考:軍縮条約・資料集第2版

トゥネイル作戦>:太平洋戦争中にカートホイール作戦の一環としてアメリカ軍が昭和18630日に発動した、ニュージョージア島上陸作戦。まずニュージョージア島ムンダ飛行場を制圧するため、対岸のレンドバ島に第3水陸両用部隊と第43歩兵師団の計6000名が上陸し、日本軍守備隊120名を蹴散らして占領した。日本海軍は南東方面部隊司令部をラバウルからブインに前進させ、631日から第11航空艦隊による反撃を開始。106機を出撃させて巡洋艦1隻、駆逐艦2隻、輸送船8隻を損傷させた。73日、日本陸海軍機68機でレンドバ島を攻撃。74日、日本陸海軍機83機でレンドバ島を攻撃し、輸送船7隻に損害を与えた。74日までに延べ361機が爆撃を行ったが、戦闘機と対空砲による反撃を受け、以降は航空攻撃ができなくなった。75日、アメリカ軍がレンドバ島に155mm榴弾砲を並べて5海里先のムンダ飛行場を砲撃。ニュージョージア島南部のザナナと北部のライス泊地に上陸を開始した。日本陸軍は反撃のためコロンバンガラ島から第13連隊第1・第3大隊をバイロコに送り込み、ライス泊地に上陸したアメリカ軍を背後から奇襲して砲台を取り返した。84日、日本軍がムンダ飛行場を放棄。88日、ニュージョージア島の日本軍部隊がコロンバンガラ島に撤退した。アメリカ軍はニュージョージア島を飛ばして815日からベラ・ラベラ島攻略に移ったため、コロンバンガラ島の南海支隊9400名は928日から1014日に第8艦隊の軽巡1隻、駆逐艦13隻、小艇18隻、水上偵察機20機強、大発110隻でチョイセル島を経由しブインに撤収している。参考:歴史群像8,11、太平洋海戦史

<動能3>:DN-3(対衛星兵器)を参照。

導波管>:金属製の管で、内部に電磁界を発生させて伝送する。参考:レーダの基礎

<導波管ダミーロード>:自衛隊の機器。日本高周波製。参考:月刊軍事研究4,16

<導波管バンドパスフィルタ>:自衛隊の機器。島田理化工業製。参考:月刊軍事研究10,14

統幕二室>:統合幕僚会議事務局第二幕僚室の略。隷下部隊が無く、予算や人数も足らず、情報収集能力にはかなりの難点があった。参考:月刊軍事研究5,09

導爆線>:爆轟速度でエネルギー伝播をする導火線で、ペンスリットを紙テープまたは麻糸で被覆して線状にしたもの。外側を塩化ビニールで被覆して耐水性・耐圧性を増すこともある。爆轟伝播速度は毎秒5500m以上。参考:火薬のはなし

<導爆線>:自衛隊の火工品。中国化薬またはラジエ工業製。参考:月刊軍事研究9,098,14

<導爆線(深水用)>:自衛隊の火工品。中国化薬製。参考:月刊軍事研究9,09

<搭発員>:搭乗発動機員を参照。

当番食事>:日本海軍用語で、決められた食事時間以外に食事をとること。弾薬などの搭載作業や衛兵勤務で、一斉に食事を取ると勤務効率が悪くなるような場合に、予め烹炊所に人数と時間を知らせて食事を出してもらう。当番食事を行う人員は概して忙しい者なので、烹炊所の方でも気を遣い、山盛りにして出した。また、配食人数が限られているので熱いうちに食べることができた。よって、「飯は当番飯」という言葉も生まれた。定刻でない時に事を行うという意味が転じて、入湯上陸して昼間から風俗に行ってしまうこともこう称した。参考:海軍よもやま物語、月刊丸9,03

<当番隊務>:隊務(海軍兵学校)を参照。

導板橋輸送用トラック>:陸上自衛隊の6輪トラックで、各師団施設大隊に装備されており、鋼製導板橋機材の運搬や、橋の組み立て・分解に使用される。全長9.62m、全幅2.49m、全高3m、車両重量12.26トン、ペイロード7.25トン、車両総重量19.75トン。エンジンは三菱8DC6300馬力)で、最大速度95km。クレーン吊り上げ能力3トン。三菱自動車工業製。参考:自衛隊装備カタログ1981

<トゥピ>:S30(潜水艦)を参照。

<トゥピ級>:209/1400型潜水艦(ブラジル)を参照。

ドゥビッサ橋頭堡の戦い>:第2次大戦バルバロッサ作戦時の1941623日、リトアニアのドゥビッサ河に橋頭堡を築いたドイツ第4装甲集団第6装甲師団に対し、ソ連第2戦車師団のKV-1重戦車20両、BT戦車80両が反撃。ドイツ軍はⅣ号戦車と35(t)戦車で迎え撃ち、BT戦車を駆逐したが、KV-1 は阻止砲火を弾き返して戦線を突破、15cm榴弾砲の直接射撃も跳ね返した。ドイツ軍は8.8cm対空砲を引っ張り出して何とか破壊した。橋頭堡周辺の戦闘で20名ほどのソ連軍捕虜を獲得したため、トラックに乗せて橋頭堡の南10km弱のところにあるラセイネイ町の師団司令部に輸送しようとしたが、途中でKV-2戦車が道路を占拠しているのを発見、急停止した。この隙に捕虜の一部が逃げようとしたため、ドライバーはシュマイザー短機関銃で射殺、残りの捕虜を乗せて橋頭堡に引き返した。このKV-2はソ連第2戦車師団がドイツ橋頭堡破砕のため単独で送り込んだもので、橋頭堡を確保しているR戦闘団とS戦闘団は、補給路が断たれていることを師団司令部に伝えようとしたが、有線電話線がソ連兵に切断されていて連絡できず、円陣をとってソ連軍の反撃に備えた。624日、この事を知らない第6装甲師団司令部は補給トラック12両を橋頭堡に送り込んだが、全て破壊されてしまった。迂回しようとしたが、パルチザンの潜む森林と緩い地面に阻まれて接近路が無く、橋頭堡を孤立から救うにはKV-2を撃破するしかないと判明。まず5cmPaK38の1個中隊が呼ばれ、30分かけてKV-2から1km以内に布陣、集中射撃したが全て弾かれ、反撃で2門が全損、他も損傷を受けて撃退された。次いで8.8cmFlak1門が用意され、射距離800-900mで射撃しようとしたが、KV-2側に発見されてしまっており、逆に先制されて吹っ飛ばされた。第6装甲師団の進撃は完全に停止させられており、師団司令部では工兵中隊による爆破を下命。優秀な隊員12名を選抜し、日没を待ってKV-2に接近したが、パルチザンが戦車乗員に食糧を渡している最中だったため、一旦退避した。6250100、工兵中隊12名がKV-2への接近に成功。爆薬を履帯の上に置いて炸裂させたが、機関銃の反撃を受けて11名が追い散らされ、1名がKV-2の傍から離脱できなくなった。その1名が効果を確認したところ、履帯が破損した程度だったため、残りの爆薬を砲身に詰め込んで爆破し、反撃の機銃掃射が止んだところで脱出に成功。しかし砲身の損傷も軽微で、戦闘能力を奪えないまま朝になってしまった。空軍にJu87による急降下爆撃を要請したが、そんな暇は無いと拒否されたため、正面に戦車を展開させて囮にし、その隙に8.8cmFlakで破壊する作戦を開始。8.8cm徹甲弾7発を叩き込んで漸く2発を貫通させ、砲身にも穴を開けて戦闘不能にした。それでも歩兵が近づいた際に砲塔を回して抵抗の構えを見せたため、8.8cm砲弾の貫通孔から手榴弾を投げ込んで漸く沈黙させた。KV-2には8.8cm徹甲弾の他に5cm対戦車砲弾の弾痕が8箇所に認められただけで、それ以外は全て傷一つ無く弾き飛ばしていた。参考:月刊軍事研究4,12、月刊グランドパワー8,00

<東部三十三部隊>:中野学校を参照。

東風1>:中国軍弾道ミサイル、DF-1Dong Feng 1)。名称の由来は195711月の毛沢東による「東風は西風を圧す」という演説である。1958年から開発が始まった原爆の予想重量1.5トンの弾頭を2000km投射できるMRBM(準中距離弾道弾)として、ソ連から195710月に供与されたSS-2シブリングを元に設計された。大元はドイツのA4ロケットであり、胴体を延長して射程を延伸している。全長17.6m、直径1.65m、発射重量20.4トン。射程550km1960年には試射にこぎつけたが、中ソ対立によって技術が全く入らなくなり、実用化が中断されてしまった(一定数が生産された?)。かわりに射程の短い東風2を開発し、その後東風3として計画が復活した。参考:月刊軍事研究11,997,029,089,09、歴史群像4,11

東風2シリーズ>:中国軍弾道ミサイル(MRBM)、米軍コードCSS-1。参考:月刊軍事研究11,06

東風2>:別名DF-2、米軍コードCSS-1 mod1。ソ連のR-5ミサイルをベースに開発されたが、中ソ対立でソ連技術者が帰国してしまい、自国製の液体燃料ロケットを搭載して1964年末に完成させた。全長20.5m、直径1.65m、翼スパン2.13m、発射重量31.9トン。ペイロードは1.3トンで、12キロトン級の原爆を搭載しての発射試験を196610月に行っている。推進は液体燃料ロケット、燃料は液体酸素とガソリンで、常温保存ができない。射程1050km。コンクリートパッドから発射される。改良型の東風2甲が完成したため10基程度で生産終了となり、1979年までに全て退役した。参考:月刊軍事研究11,0611,997,029,09、日米イージス艦と弾道ミサイル防衛、ザ・マーチ17号、THE MILITARY BALANCE 2016

東風2甲>:別名DF-2A、米軍コードCSS-1 mod2。東風2の改良型で、1965年に完成した。ロケットを強化して射程を1250kmに伸ばし、ペイロードも1.5トンに強化して3メガトン水爆の搭載が可能となった。90基前後が生産され、1971年初頭に東風3の実用化と共に生産中止となり、1988年頃までに退役した。30基前後が解体されずに保管されているという説もある。参考:月刊軍事研究11,06THE MILITARY BALANCE 2016

東風3シリーズ>:中国軍TEL搭載弾道ミサイル(IRBM)、米軍コードはCSS-2。参考:月刊軍事研究9,09

東風3>:別名DF-3、米軍コードはCSS-2 mod1。東風2が何とか完成したので、東風1の射程を2500km(中国本土からフィリピンの米軍基地を狙える)とする計画の元に1960年代初めから開発された。ペイロードは当初重量1トン台の原爆を予定していたが、1964年に水爆搭載を見越して2トンに上げられている。全長21.2m24m?)、直径2.25m、発射重量64トン。1段式で、YF-2ロケット4基により推進し、推進剤は非対称メチルヒドララジン、酸化剤はAK-27で、合計推力96トン、最小射程750km、最大射程2650km。誘導は慣性方式で、CEP2000m。液体燃料で即応性に乏しい(発射準備に2時間かかる)が、常温で保存可能なタイプを使用している。弾頭は水爆単弾頭、重量は2.15トンで、威力は1-3メガトンあり、ミサイル本体から切り離されて目標に向かう。1966年に発射実験に成功し、これに搭載する3メガトン級水爆も1970年代初頭に完成した。1970年末には生産に入り、19715月には第2砲兵に配備された。1985年にはMRV化弾頭の試験が始まったが、開発には失敗したらしく、MRV型は登場していない。50-80基が生産され、1986年以降退役したが、1988年にはサウジアラビアに2.5トン通常弾頭装備型(最大射程2400km)が数十基売却された。参考:月刊軍事研究9,0911,9910,0210,13、日米イージス艦と弾道ミサイル防衛、THE MILITARY BALANCE 2016

東風3A>:別名DF-3A、米軍コードCSS-2Mod2。東風3の推力を104トンに強化し、射程を2800km3000km以上?)に延伸したタイプで、CEP1000mになった。1986年に完成し、50発が生産された。北朝鮮国境から発射すると、日本のほぼ全土が射程内に入る。退役が進んでいるようで、ミリタリーバランス2010での予想配備数は2発のみとなっている。参考:日米イージス艦と弾道ミサイル防衛、月刊軍事研究11,999,098,14THE MILITARY BALANCE 2016

<東風3海外シリーズ>

 <東風3(サウジアラビア)>:サウジアラビア軍弾道ミサイル。イランのミサイルに対抗するということで、イスラエルの安全保障上問題があるとするアメリカの反対を押し切って1988年に通常弾頭型を輸入し、2カ所のミサイルサイトに60発ずつ配備しているらしい。湾岸戦争では抑止力にならず、イラクから弾道ミサイルを撃ち込まれてしまった。参考:月刊軍事研究6,05、月刊丸4,99

東風4>:中国軍弾道ミサイルで、別名DF-4、米軍コードCSS-3。グアムに配備されていたアメリカ空軍B-52を叩くため、射程4000kmIRBMとして1965年から開発に着手した。しかし1969年に中ソ国境紛争が勃発すると、計画射程が4750kmに延ばされ、モスクワを叩けるようにした。東風3に2段目(推力32トンのYF-3液体燃料ロケットと分離型弾頭からなる)を付けている。燃料は非対称ジメチルヒドラジン、酸化剤は四酸化二窒素。全長28m(1段目16.7m、2段目11.3m)、直径2.25m、発射重量82トン、ペイロード2.2トン。推力は1段目104トン、2段目32トンで、最大射程4750km。慣性誘導によるCEP1.5kmを3メガトンの核弾頭でカバーする。ミサイルを洞窟内に格納しておき、必要に応じて外に出し発射台を起立させてから燃料を注入する方式をとり、核先制攻撃にも耐えられるようにした(東風3までは野外に剥き出しに置いてあった)。途中で計画が変更されたため、1980年に漸く部隊運用が開始された。また、格納基地(中国西部にある)の建設に費用がかかり、十数基から30基のみの配備に留まったが、後継のDF-31の戦力化が進まず、未だに現役である。参考:月刊軍事研究9,0911,9910,026,17THE MILITARY BALANCE 2016

東風5シリーズ>:中国軍のサイロ収容式ICBMで、米軍コードはCSS-4。参考:月刊軍事研究9,09THE MILITARY BALANCE 2016

東風5>:別名DF-5、米軍コードCSS-4 mod1。アメリカ本土を直接叩けるICBMとして1965年から開発された。一段目は新しい酸化剤を使用する推力70トンの液体燃料ロケット4基を使い、ジャイロ安定化飛翔制御コンピュータを搭載して命中率を高める計画だったが、開発が長引いて配備は1981年になった。全長36m、直径3.31m、発射重量183トン、ペイロード3.9トン。1段目はYF-20液体燃料ロケット(推進薬は非対称ジメチルヒドラジン)4基で推力280トン、2段目はYF-22液体燃料ロケット1基(推力70トン)+小型バーニア(推力1トン)、射程12000km。弾頭は1-3メガトン水爆の単弾頭で、MIRVも開発する予定だったが、国力からして不可能であった。誘導は慣性で、最大射程でのCEP800m。地下サイロに格納されているが、平時は燃料が積まれていないので即応性には欠ける。文化大革命と重なって開発が遅れ、更に予算がかさみ、配備されたのは7基のみ(20発前後という推定もある)。参考:月刊軍事研究9,0911,9910,027,02

東風5A>:別名DF-5A、米軍コードCSS-4 mod2。射程を13000kmに延伸し、CEP500mにしたタイプ。1980年代後半から開発され、20基が配備されている。基地は洛陽周辺の山岳地帯にあり、10km間隔で発射陣地及び偽陣地が配置されているとみられる。参考:月刊軍事研究9,098,146,0711,99THE MILITARY BALANCE 2016

東風5B>:別名DF-5B、米軍コードCSS-4 mod3。射程を15000kmに延伸したタイプで、弾頭部が膨らんでおり、MRV/MIRV/MaRVを採用したようである。2015年の北京軍事パレードに登場した。参考:月刊軍事研究12,15THE MILITARY BALANCE 2016

東風5C>:弾頭をMIRV10個にしたタイプ。20171月に発射試験が行われた。参考:月刊軍事研究6,17

東風11シリーズ>:中国軍短射程弾道ミサイル、別名DF-11、米軍コードはCSS-7。参考:月刊軍事研究9,09THE MILITARY BALANCE 2016

東風11>:米軍コードCSS-7 mod11990年代前半に戦力化され、1992年頃から配備された。8×8輪TELに搭載される。全長11.25m、ミサイル全長7.5m、直径0.88m、発射重量6350kg3800kg?)、弾頭重量500-800kg。単一通常弾頭の他、350キロトン(2-20キロトン?)核弾頭、FAE弾頭、化学弾頭、子爆弾収容弾頭も用意されている。固体燃料推進2段式で射程120km(弾頭500kg)、350km800kg)、誘導は慣性誘導+終末誘導(方式不明)、CEP600m。1個旅団にTEL16両とミサイル64発が配備される。M-11という名称で輸出市場にも出され、1991年にパキスタンが少数を購入し、これを元にしてガズナビを開発した。参考:月刊軍事研究9,095,0712,9910,0212,09THE MILITARY BALANCE 2016

東風11A>:別名DF-11Aまたは東11甲、米軍コードCSS-7 mod2。東風11の改良型で、台湾全土を攻撃できるよう射程を延伸して慣性+GPS誘導にしたものである。弾頭部が円錐形から流線型に変更された。TELは最初はMAZ543を使用していたが、中国オリジナルの8×8輪車両に変更された。ミサイル全長8.5m、発射重量4.2トン、弾頭重量0.5トン。弾頭は核弾頭(10-20キロトン)、単一弾頭、クラスター弾頭(1ポンド/454g級子爆弾825個、制圧直径270m)、熱圧弾頭など。射程500-700kmCEP200m。精密誘導用に光学装置もしくはレーダーを搭載し、CEP20-30mであるという説もある。参考:月刊軍事研究12,099,092,1010,13THE MILITARY BALANCE 2016

東風15シリーズ>:中国軍短射程弾道ミサイル、別名DF-15、米軍コードCSS-6、輸出名称M-9。参考:月刊軍事研究5,07THE MILITARY BALANCE 2016

東風15>:米軍コードCSS-6 mod1。東風11とほぼ同時期の1984-90年頃に開発され、こちらも8輪TELWS2400に1発が搭載される。全長9.1m、直径1m、発射重量6200kg、弾頭重量500kg。単弾頭の他、90キロトン核弾頭、化学弾頭、燃料気化弾頭が用意されており、再突入体はパーシングⅡに似ているという。推進は固体燃料ロケット1段式で、射程600km(弾頭を300kgに減らすと800km)。誘導は慣性誘導、射程600kmでのCEP300m(射程800kmでは600m)。台湾が最も脅威とする弾道ミサイルで、1990年頃から第二砲兵に配備され、1995-96年には台湾近海に4発ずつの発射実験が行われた。2009年の段階でTEL75両とミサイル350発以上が配備されており、部隊は台湾海峡沿いに配置されている。参考:月刊軍事研究5,0712,9910,029,0910,13、月刊世界の艦船9,09THE MILITARY BALANCE 2016

 <東風15A>:別名DF-15A、米軍コードCSS-6 mod2。弾頭重量を600kgに増やし、GPSと終末誘導用レーダーシーカーを追加、最大射程600kmでのCEP30-45mとしている。参考:月刊軍事研究9,09THE MILITARY BALANCE 2016

 <東風15B>:別名DF-15Bまたは東15乙、米軍コードCSS-6 mod3。固体燃料2段式にして弾頭部後部に引き込み式の制御翼4枚を付け、改良型アクティブレーダーシーカーとレーザー測距器を追加したもの。最大射程700-800km以上、CEP5mといわれる。TELは8×8輪TAS5450。参考:月刊世界の艦船9,09、月刊軍事研究10,139,0912,0912,15THE MILITARY BALANCE 2016

 <東風15C>:シェルター攻撃用貫徹弾頭を搭載したタイプ。最大射程750km。参考:月刊軍事研究10,13

<東風15海外シリーズ>

 <東風15(シリア)>:リビア経由で1989年に80発輸入した。参考:月刊軍事研究6,05

 <東風15(リビア)>:1989年に60発輸入した。参考:月刊軍事研究6,05

東風16>:中国の弾道ミサイルで、別名DF-16、米軍コードCSS-11 mod1。台湾に対する介入阻止用とされ、沖縄(嘉手納基地など)を射程内に収める。終末段階での軌道変更能力があり、目標突入時は90度の垂直落下コースをとるらしい。直径1.2m。弾頭は多弾頭型。推進は固体燃料ロケット1段式で、射程800-1000km(東風21並みという説もある)。5軸10TELに搭載される。2011316日、台湾国家安全局長が既に配備が始まっているとみられると発表した。2015年の軍事パレードで行進している。参考:月刊軍事研究10,1312,15THE MILITARY BALANCE 2016

東風17>:中国軍の弾道ミサイル、別名DF-17。射程1800-2000km1600-2400km1000-1500海里?)のIRBMだが、DF-ZF極超音速兵器(通常弾頭型)の投射専用ロケットらしい。5軸10TELに搭載される。2019年に実戦配備された。参考:月刊軍事研究8,18、月刊世界の艦船11,21

東風21シリーズ>:中国軍の弾道ミサイル(MRBM)で、米軍コードはCSS-52009年現在、各型合計100発前後が生産され、6カ所のサイトにTEL35両が配備されているとみられる。2012年では5個旅団にTEL12両ずつ計60両配備されているらしい。参考:月刊軍事研究9,0910,13

東風21>:別名東21またはDF-21、米軍コードCSS-5 mod1。巨浪1潜水艦発射弾道ミサイルを陸上発射式としたもので、中国初のTEL搭載型弾道ミサイルシステムである。2段式固体燃料ロケットで、トレーラー式の移動式発射台に剥き出して1発搭載され、トラクターで牽引される。全長10.7m、直径1.4m、発射重量14.7トンで、250キロトン(後期型は500キロトン)の単弾頭(重量600kg)を装備する。射程1700km2500km?)、CEP700m19855月にTELからの発射に成功し、1987年から配備された。東風3に換わって配備が進んでおり、射程からして日本向けである。参考:日米イージス艦と弾道ミサイル防衛、月刊軍事研究10,022,07THE MILITARY BALANCE 2016

東風21A>:東風21型の改良型で、米軍コードCSS-5 mod2。ミサイル重量を減らして2段目の推力を向上し、先端形状を変更、全長を12.3mにして燃料を追加し、射程を2500kmに延伸している。発射重量15トン。弾頭は90キロトン水爆、20-150キロトン威力選択式水爆、通常弾頭(重量500kg)、クラスター弾頭が用意されている。ミサイルは巨浪1と同じ発射筒に収容されており、コールドランチ方式で発射され、20mほど飛び上がったところでロケットに点火する。誘導システムにGPSとレーダーを追加し、CEP50mになった。パッシブレーダーシーカーが開発されたという説もある。参考:月刊世界の艦船9,09、月刊軍事研究9,09、日米イージス艦と弾道ミサイル防衛

東風21B>:東風21A型の精度向上型で、東風15Bと同様の引き込み式制御翼やアクティブレーダーシーカーを装着しており、CEP10m以下とされる。弾頭はA型と同じものの他、フレシェット弾頭も用意されているといわれる。参考:月刊世界の艦船9,09、月刊軍事研究9,09

東風21C>:別名DF-21Cまたは東21丙、米軍コードはCSS-5 mod3(CSS-5 mod4)10×10輪自走TELWS2500に搭載される。全長10.7m、直径1.4m、発射重量14.7トン、弾頭重量2トン。弾頭は通常弾頭、クラスター、核で、MIRVや囮弾頭が使えるという説もある。固体燃料ロケット2段式で、射程1700-3200km。誘導はINS/GPSで、CEP5m未満。参考:月刊軍事研究10,1312,092,10

東風21D>:中国軍の対艦弾道ミサイルで、別名DF-21D、米軍コードはCSS-5 mod4(CSS-5 mod5)R-27KやパーシングⅡの技術を流用して開発したらしい。2段式で、1段目を切り離した後で最高高度に到達し、落下途中に設定された中間段階軌道変更点で空母機動艦隊に向かい、最終誘導ポイントで敵空母の位置をアップデートし、終末誘導システムを作動させて空母を追尾、貫徹型子弾1000個をばらまいて(貫徹型単弾頭ともいわれる)空母の戦闘能力を奪う。半径75kmの電子機器を無力化する電磁パルス弾頭も積むといわれ、これでセンサーとデータリンクを潰してから子弾搭載型に対艦巡航ミサイルも交えた飽和攻撃を行うらしい。日本全土、台湾、フィリピン北半分、インド東北部4分の3くらいが射程に入る。敵空母機動艦隊は衛星や哨戒機などで発見するようで、弾道修正用のデータリンクを装備し、追尾行動に入る際の弾体減速は多方向同時攻撃でカバーするという説もあるが、詳細は不明。高速航行中の空母に正確に突入させる手段も不明で、終末誘導にアクティブレーダー(捜索半径85km)や赤外線画像誘導シーカーを使う説、パッシブシーカーを併用するという意見もある。ただし赤外線誘導の場合、大気との摩擦熱による影響を避けるため、終末飛翔速度を下げなければならない。運用は第2砲兵が担当する。2005年にアメリカ国防総省が射程3000kmの開発中の対艦弾道ミサイルとして存在を発表した。2011711-12日に中国軍総参謀長が記者会見で開発を明らかにし、射程は2700kmであるとした。全長15m10.7m?)、直径1.4m、総重量14.7トン、弾頭重量2トン(0.5トン?)。推進は固体燃料ロケット2段式、飛翔速度マッハ8-15(高度50000m)/マッハ2-3(高度5000m)、最大射程1500km。終末誘導での最大コース変更距離は65kmCEP20m5-6TELに搭載され、コールド・ランチ方式で発射される。第2砲兵/火箭軍が運用する。201211月、アメリカ太平洋軍司令員が既に作戦初期段階にあると発表。2013年初め頃、2回発射実験を行い、空母サイズの目標に命中したらしい。201593日の抗日戦勝70周年記念軍事パレードでDF-21Dと側面に書かれた弾道ミサイルが5軸10TELに載せられて初公開された。2020826日、浙江省から発射し、海南島とパラセル諸島の間を無人航行する商船に、青海省から発射した東風26D対艦弾道ミサイルと同時着弾させたらしい。参考:月刊世界の艦船11,'219,095,134,165,166,1611,182,207,'219,'22、月刊軍事研究4,1511,157,18、月刊航空ファン11,15

<東風21ファミリー>

 <CH-AS-X-13>:空中発射弾道ミサイル型の米軍コード。2016年から開発中で、核弾頭型と通常弾頭型があり、後者は対艦弾道ミサイルらしい。轟炸6K改/轟炸6Nに搭載される。推進は固体燃料ロケット2段式、射程3000km。搭載母機の進出距離を足すと6000km先まで届く。参考:月刊軍事研究8,18、月刊JWings1,20、月刊世界の艦船4,21

東風22>:中国の弾道ミサイルで、東風14号ともいう。液体推進で開発されていたが、固体推進にシフトしたため開発中止となった。参考:月刊軍事研究7,02

東風25>:中国がDF-21の後継として1990年代前半から開発したIRBMで、1996年に一旦開発中止となり、1999年に再開され、2012年後半に配備された。弾頭重量は1.2トンと1.8トン(2トン?)の2種があり、核弾頭(1-3メガトン単弾頭または20-150キロトンMIRV3個)、通常弾頭、クラスター弾頭、フレシェット弾頭などを搭載できるとみられ、BMDに対抗するためステルス性を持つらしい。徹甲弾頭や電磁パルス弾頭を組み合わせた複数弾頭式対艦弾道ミサイル型も開発しているとされる。全長14m、直径1.4m、発射重量20トン。固体燃料ロケット2段式で、最大射程3200km(グアム、南沙諸島、インドに届く)。CEP10m未満といわれる。10×10輪輸送起立発射機WS2500に発射筒ごと搭載される。参考:月刊軍事研究11,09、朝雲

東風26>:中国軍が20143月(2018年?)から配備したらしい弾道ミサイル、DF-2612TELに搭載される。全長14m、直径1.4m、発射重量20トン、弾頭重量1.2-1.8トン(核または通常)。推進は固体燃料ロケット2段式、射程3500-5000kmとされ、グアムに届くのでグアムキラーとも呼ばれる。CEP150-450m。インド全体や中東の一部も射程内に入る。201593日の抗日戦勝70周年記念軍事パレードで初公開され、対艦弾道ミサイルとして紹介された。2017年の閲兵式では核常兼備導弾方隊の配備兵器として行進した。参考:月刊軍事研究8,1412,1510,17、月刊航空ファン11,15、月刊世界の艦船2,203,'166,167,'21THE MILITARY BALANCE 2016

 <東風26A>:DF-26A。核弾頭装備の対地攻撃型。参考:月刊世界の艦船11,21

 <東風26B>:DF-26B。核弾頭2個または通常弾頭2個装備の対艦型。最大射程4000km2020826日、青海省から発射し、パラセル諸島と海南島の間を無人航行する商船に、浙江省から発射した東風21D対艦弾道ミサイルと同時着弾させて撃沈したらしい。参考:月刊世界の艦船11,219,22

東風31シリーズ>:中国軍3段固体燃料推進大陸間弾道ミサイル、別名DF(ドンファン)31、米軍コードCSS-101980年代半ばから開発された。参考:月刊軍事研究9,09THE MILITARY BALANCE 2016

東風31>:米軍コードCSS-10 mod1TELや鉄道に載せられて移動する他、陸上発射サイトが中国南部に構築されている。全長13m、直径2.25m、発射重量42トン、弾頭ペイロード1.75トン、弾頭は1-3メガトンの単弾頭もしくは20-150キロトンのMIRV3-5個。固体燃料ロケット3段式で、最大射程8000km。誘導は慣性と天測で、CEP300m。東風4の後継として1999年から配備され、2006年に戦力化された。ただペースは遅く、2009年までに戦力化されたのは10発程度らしく、ミリタリーバランス2010では12発となっている。海軍型は巨浪2号として開発中。参考:月刊軍事研究9,098,143,0010,029,019,087,17THE MILITARY BALANCE 2016

 <DF-31Mod1>:セミトレーラーTELに発射筒を載せたタイプの米軍コード。参考:月刊軍事研究9,09

 <DF-31Mod2>:陸上固定サイロ発射型の米軍コード。参考:月刊軍事研究9,09

 <DF-31Mod3>:オフロード用TEL搭載型の米軍コード。参考:月刊軍事研究9,09

 <DF-31Mod4>:鉄道移動型の米軍コード。参考:月刊軍事研究9,09

東風31A>:別名DF-31Aまたは東31甲、米軍コードCSS-10 mod2。東風31の射程延伸型で、全長を18.3mに延ばし、射程を10000-11200km(アメリカ全土に届く)としている。このため、4輪トラクターでTEL搭載12輪トレーラーを牽引する方式になった。発射重量47.2トン。弾頭には90-150キロトンのMIRV3-5発収容するともいわれるが、開発の進捗状況は不明である。ミサイルはキャニスターに収容されており、発射準備時間10-15分。200694日に発射試験を完了して実用化したという説もあるが、詳細不明。2009年の軍事パレードで車両部隊の最後に行進した車両がこれであると解放軍報が伝えたが、この時の車両はキャニスターや車体の全長がDF-31Mod1と同じで、迷彩だけ変更されており、アメリカ国防総省のいうDF-31Aとは別物かもしれない。ミリタリーバランス2010では24発配備となっている。2015年の軍事パレードで12両が行進した。参考:月刊軍事研究12,0912,159,092,108,14

東風31AG>:別名DF-31AGTELを8軸16×16輪に変更し、キャニスター基部に発射炎緩衝装置を追加、コンクリート陣地でなくても発射できるようにした。2017年の閲兵式で初登場した。参考:月刊軍事研究10,17

東風31B>:DF-31B2015228日のアメリカ下院軍事委員会でアメリカ戦略軍司令官が存在に言及したもので、2014925日にテストを行ったらしい。新型16TELMIRV搭載ICBMを搭載している。参考:月刊軍事研究8,15

東風41>:中国軍のICBMで、別名DF-41、米軍コードCSS-X-20。東風31の1・2段目を使用し、大型の3段目を載せて射程を延ばしたタイプで、90-150キロトンのMIRV6-10個を搭載するとみられる。8軸16TELへの車載が可能。全長16.5m21m?)、直径2.25m、発射重量80トン、投射重量2.5トン。コールドランチ方式で射出され、推進は3段式固体燃料ロケット、射程10000-14500kmCEP100m1986年頃から開発されており、一時は開発中止になったとされていたが、2012724日に発射試験を行い、五寨から発射してゴビ砂漠に着弾した。20131213日、発射試験を実施。五寨から発射してゴビ砂漠に着弾した。20141213日、発射試験を実施。201586日、全射程飛翔試験を実施。TELから発射され、弾頭2発を投射した。125日、鉄道牽引式発射機でコールドランチ・システムの作動テストを兼ねた発射試験を行い、弾頭2発を投射した。2017412日、TELからの発射試験を行い、弾頭2発を投射した。20171月、黒竜江省大慶市に配備されたらしい。115日、発射試験を実施。五寨から発射してゴビ砂漠に着弾した。2018527日、10回目の試射を行い、山西省太原人工衛星発射センターから発射され、数千キロメートル飛翔してゴビ砂漠に着弾したらしい。参考:月刊軍事研究5,189,092,137,026,058,145,166,166,177,1712,18、朝雲、THE MILITARY BALANCE 2016

<東風101号>:殲撃5型シリーズ(戦闘機)を参照。

<東風102>:殲撃6型丙(戦闘機)を参照。

<東風103号>:殲撃6型甲(戦闘機)を参照。

東風104>:中国空軍計画国産戦闘機。最大速度マッハ1.4、上昇限度17000m。計画のみに終わった。参考:月刊航空ファン11,19

<東風105号>:殲撃6型乙(戦闘機)を参照。

東風106>:中国空軍計画国産戦闘機。MiG-19ベースで、エアインテイクを機首両側に設けるなどしている。攻撃機に変更され、強撃5型として完成した。参考:月刊航空ファン11,19

東風107>:中国空軍計画国産戦闘機。東風104の改良型で、F-8戦闘機並の性能を目指した。最大速度マッハ1.8(後に東風113に対抗すべくマッハ2に引き上げ)、上昇限度20000m。計画のみに終わった。参考:月刊航空ファン11,19

東風109>:中国空軍計画国産戦闘機。担当の航空工業局が国家大躍進期で調子に乗っていたらしく、原子力エンジンを積んでマッハ3.5を出す予定だったが、計画倒れになった。参考:月刊航空ファン11,19

東風113>:中国空軍計画国産戦闘機で、ハルビン軍事工程学院が設計した。計画のみ。参考:月刊航空ファン11,19

東福丸>:大光汽船大型ストックボートTofuku maru。垂線間長117.35m、幅15.54m、深さ10.97m、吃水8.26m、総トン数5858トン、重量トン数9090トン。主機は三連成レシプロ蒸気機関1基1軸3882馬力、航海速力10ノット、最大速力14.351ノット。大正817日、川崎造船所で竣工。8月、國際汽船に売却された。昭和8年、日本合同工船に売却された。昭和13年、大光汽船に売却された。太平洋戦争中は陸軍の輸送を実施。昭和181224日、神戸から清水に向かっていたところ、三重県三木崎沖でSS-254ガーナードの雷撃を受けて沈没した。参考:月刊世界の艦船4,19

東部軍(日本陸軍)

 <東部軍(昭和19年後半)>:防衛総司令部隷下で、第1近衛師団、第3近衛師団、第72師団からなる。参考:比島決戦

東部軍管区(ロシア軍)>:ロシア軍の軍管区で、極東軍管区とシベリア軍管区東部を統合して創設された。司令部はハバロフスクにあり、司令官は東部統合戦略コマンド司令官を兼任する。2010年、第68軍団が廃止された。2013年、第101独立ヘリコプター飛行隊にMi-8AMTShが配備された。2014年、対日正面防衛体制強化のため、第68軍団が再編された。20156月、北海道東方沖地震(1994年)と老朽化で崩壊しかかっている北方領土の軍事施設復旧近代化作業が漸く始まった。秋、北方領土の第18機関銃砲兵師団にトールM2Uが配備された。2016年、第277爆撃機連隊にSu-34が配備された。6月、隷下ロケット旅団が全てイスカンデルM配備となった。参考:月刊軍事研究9,16

 <東部軍管区(2015年)>:司令部はハバロフスクにある。陸軍部隊は軍司令部4個、スペツナズ旅団1個、戦車旅団1個、自動車化狙撃旅団10個、機関銃砲兵師団1個、砲兵旅団3個、多連装ロケット旅団1個、イスカンデルM地対地ミサイル旅団2個、トチカ地対地ミサイル旅団1個、防空旅団3個、工兵旅団1個、NBC連隊3個、兵站旅団4個、予備役自動車化狙撃旅団8個からなる。海軍部隊は太平洋艦隊。空軍部隊は第11空軍防空軍隷下のMiG-31B/BS/Su-27SM2/Su-30M2連隊1個、Su-27SM2/Su-30M2/Su-30SM/Su-35S連隊1個、Su-25/Su-30SM連隊1個、Su-24M/M2連隊1個、Su-25SM連隊1個、Su-24MR連隊1個、An-12/An-26/Tu-134/Tu-154飛行隊2個、Mi-24飛行隊2個、Ka-52A飛行隊1個、Mi-8/Mi-26飛行隊6個、9K317/S-300V連隊2個、S-300PS/PM連隊2個、S-400/96K6パンツィールS1連隊1個からなり、MiG-31B/BS戦闘機20機、Su-24M戦闘機44機、Su-24M2戦闘機10機、Su-27SM2戦闘機35機、Su-30M2戦闘機2機、Su-30SM戦闘機15機、Su-35S戦闘機26機、Su-25/Su-25SM攻撃機72機、Su-24MR偵察機28機、An-12/An-26輸送機22機、Tu-134輸送機1機、Tu-154輸送機1機、Ka-52A攻撃ヘリ20機、Mi-24攻撃ヘリ24機、Mi-26輸送ヘリ4機、Mi-8輸送ヘリ56機、9K317地対空ミサイル、S-300PS/PM/V地対空ミサイル、S-400地対空ミサイル、96K6地対空ミサイルを保有する。空挺軍は空中強襲旅団2個からなる。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <東部軍管区(2016年)>:第5諸兵科連合軍(沿海州ウスリースク。自動車化歩兵旅団4個、ロケット砲兵旅団2個、ロケット旅団1個、砲兵旅団1個、防空旅団1個)、第29諸兵科連合軍(ザバイカル州チタ。自動車化歩兵旅団1個、砲兵旅団1個、防空旅団1個)、第35諸兵科連合軍(アムール州ベロゴルスク。自動車化歩兵旅団2個、地域防御旅団1個、ロケット旅団1個、砲兵旅団1個、防空旅団1個)、第36諸兵科連合軍(ブリヤート共和国ウラン・ウデ。戦車旅団1個、自動車化歩兵旅団1個、ロケット旅団1個、防空連隊1個)、第68軍団(サハリン州ユジノサハリンスク。自動車化歩兵旅団1個、機関銃砲兵師団1個)、特殊任務旅団1個、武器・装備保管修理基地/武器・装備保管基地(予備役部隊)12個、太平洋艦隊、第11航空防空軍第303混成航空師団(ハバロフスク州コムソモリスク。Su-27SM/Su-35S/Su-30SM/MiG-31BM戦闘機連隊2個、Su-24M/Su-34爆撃機連隊1個、Su-24MR偵察機連隊1個、Su-25攻撃機連隊1個、An-12/An-26/Il-20M独立混成航空連隊1個)、同軍第120独立混成航空連隊(ザバイカル州ドムナ。MiG-29/Su-30SM/Su-25混成航空連隊1個、Mi-24/Mi-8航空グループ1個)、同軍第573陸軍航空隊基地(ハバロフスク州ハバロフスク。Mi-24/Ka-52/Mi-8AMTSh/Mi-26T2航空基地1個、Mi-26/Mi-8航空グループ1個)、第575陸軍航空隊基地(沿海州チェルニゴフカ。Mi-24/Ka-52/Mi-8AMTSh/Mi-26T2)、第101独立ヘリコプター飛行隊(択捉島。Mi-8AMTSh)、同軍第25地対空ロケット師団(ハバロフスク州コムソモリスク。S-300P連隊2個、S-300V連隊1個)、同軍第26地対空ロケット師団(チタ州チタ。ブークM1連隊1個)、同軍第93地対空ロケット師団(ウラジオストク。S-300P連隊1個、S-400連隊1個)を隷下に置く。管区内の第11・第83親衛突撃・襲撃旅団は最高司令部直轄の落下傘(突撃はパラシュート部隊の意)・ヘリボーン(襲撃はヘリボーン部隊の意)部隊、第69652航空基地(アムール州ウクラインカ。Tu-95MS航空基地1個、Tu-22M3航空グループ1個)は最高司令部直轄の戦略爆撃部隊である。参考:月刊軍事研究9,16

東部戦区>:中国軍の戦区で、201621日に創設された。南京軍区から改編されており、南京軍区の山東省以外の地域である江蘇省、上海市、浙江省、福建省、江西省、安徽省を管轄する。戦略方向は台湾海峡、東シナ海、西太平洋。連合作戦指揮機構は南京、戦区陸軍司令部は福建省、海軍東海艦隊司令部は寧波、戦区空軍司令部は南京にある。その後戦区空軍司令部が蕪湖に移った。20174月、第12集団軍が第71集団軍、第1集団軍が第72集団軍、第31集団軍が第73集団軍に改編された。参考:月刊航空ファン5,16、月刊軍事研究5,169,17

 <東部戦区(2016年2月1日)>:連合作戦指揮機構は南京にある。戦区陸軍司令部は福州にあり、第1集団軍(浙江省湖州)、第12集団軍(江蘇省徐州)、第31集団軍(福建省同安)を置く。海軍は東海艦隊が配備され、艦隊司令部は寧波にあり、海軍航空隊第1爆撃航空団、同第4航空団、同第6攻撃航空団(轟炸6型G/轟油6型DU装備の第17航空連隊など)を置く。戦区空軍司令部は南京にあり、上海、福州、漳州に指揮所が置かれ、第3航空団、第10轟炸師(轟炸6型K装備の第28航空連隊、轟炸6型H装備の第29航空連隊)、第14航空団、第26航空団、第28攻撃航空団、第29航空団、独立第1偵察航空隊、独立第2偵察航空隊が配備されている。火箭軍は第52基地(安徽省祁門)を置く。参考:月刊軍事研究5,1611,16、月刊航空ファン5,16

<東部ソロモン海戦>:第3次ソロモン海戦を参照。

<動物園>:第79機甲師団を参照。

ドゥブナ級補給艦>:ロシア海軍補給艦Dubna級。1970年代にフィンランドで建造された。全長130m、満載排水量11685トン。主機はディーゼルで、速力16ノット。燃料7000トン、真水300トン、給糧品1500トンを搭載できる。イルクート、ペチェンガなど4隻が就役したが、うち1隻はウクライナに引き渡された。参考:月刊世界の艦船6,092,1012,11JShips Vol.46

東部方面衛生隊>:陸上自衛隊の方面衛生隊。隊本部/本部付隊、野外病院隊、救急車隊からなる。2002年に新編された。2009430日、新型インフルエンザの検疫支援のため、成田空港に医官や看護官を派遣した。56日、新型インフルエンザの検疫支援のため、成田空港に准看護師を増派した。91日、政府主催の総合防災訓練に参加。201091日、第31回9都県市合同防災訓練に参加。2011129-11日、日本柔道連盟の依頼を受け、柔道国際大会での緊急患者搬送支援を実施。外国人選手2名を救急搬送車で東京厚生年金病院に搬送した。2015214日、平成26年度自衛隊中央病院大量傷者受入訓練に参加。629日から73日、自衛隊統合防災演習に参加。126-19日、平成27年度方面隊実動演習に参加。2016312日、平成27年度自衛隊中央病院大量傷者受入訓練に参加。410-15日、王城寺原演習場で第1次隊集中野営訓練を実施。第2施設団と東北方面航空隊の協力を得て、掩蓋化の要領の学習、UH-1Jヘリでの機内救護、UH-1Jヘリへの患者収容・卸下、ホイストによる患者後送などの協同訓練を行い、連携を強化した。201724日、自衛隊中央病院大量傷者受入訓練に参加。316-17日、東部方面隊主催の日米共同災害対処訓練に参加。2019521-25日、自衛隊統合防災演習に連動した東部方面隊防災訓練に参加。97日、内閣府主催の大規模地震時医療活動訓練に参加し、救急車で患者搬送を支援した。914-24日、一等陸曹1名がPKO応急救護上級訓練コース強化としてブラジルのサルバドール市に派遣された。202021日、新型コロナウイルス感染症流行地からの帰国者一時滞在施設での生活支援を開始。513日、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、出入国在留管理庁からの依頼を受け、東京出入国在留管理局などの職員に防護服着脱方法などの教育を行った。2021311日、新型コロナウイルス対応の功績で、1級賞状が授与された。参考:朝雲、MAMOR vol.139vol.100vol.104

東部方面音楽隊>:陸上自衛隊の音楽隊。1960114日、練馬駐屯地で新編された。1964年、東京オリンピックで演奏支援を実施。1966年、朝霞駐屯地に移駐した。1978年、芝浦分屯地に移駐。1994727日、朝霞駐屯地に移駐1998年、長野オリンピックで演奏支援を実施。200411月、新潟県中越地震の災害派遣に参加。20077月、新潟県中越沖地震の災害派遣に参加。2011311日に発生した東日本大震災で災害派遣に参加。201631日、松戸駐屯地のらっぱ競技会を支援した。311日、有楽町駅前広場で行われた徒歩帰宅イベント3・11WALKで演奏支援を実施。911日、長野県小布施町で開催された、荒井三等陸尉リオ五輪50km競歩銅メダル獲得凱旋パレードで先導演奏を実施。2019511日、栃木地本が宇都宮市などで行ったグリーンフェスタ2019で演奏した。1110日、祝賀御列の儀で新・祝典行進曲を演奏した。202045日、木更津駐屯地で挙行された輸送航空隊隊旗授与式で演奏支援を行った。2022514日、長野県白馬村ウイング21アリーナで行われたオリンピック選手凱旋報告会で演奏支援を行った。参考:朝雲、MAMOR vol.157

東部方面会計隊>:陸上自衛隊の方面会計隊。1960年に新編された。2009111-2日、平成21年度会計実務競技会と体力検定競技会を実施。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。2018113日、朝霞駐屯地で平成30年度会計実務競技会を実施。114日、朝霞駐屯地で平成30年度持続走競技会を実施。参考:MAMOR vol.144vol.52、朝雲

 <東部方面会計隊(2018年)>:東部方面隊隷下で、朝霞駐屯地に置かれている。本部(朝霞。総務科、会計科、契約科、審査科、業務科)、第316会計隊(習志野)、第338会計隊(練馬)、第341会計隊(古河)、第379会計隊(高田)、第406会計隊(相馬原)、第407会計隊(武山)、第431会計隊(立川)、第433会計隊(滝ヶ原)、第441会計隊(座間)、派遣隊7個、連絡班4個からなる。参考:MAMOR vol.144

東部方面管制気象隊>:陸上自衛隊の方面管制気象隊。2010126日、第4派遣隊が無事故航空管制250万回を達成した。2014103-10日、第2派遣隊が御嶽山噴火に伴う災害派遣に参加し、第12ヘリコプター隊を支援した。2015722日から御嶽山噴火災害による行方不明者再捜索支援の災害派遣に参加。201842日、基地隊が立川駐屯地で新しい着陸誘導管制器材の運用を開始。116日、第5派遣隊が群馬地本高崎地域事務所の陸自採用試験女性受験生に対する部隊見学に協力した。201991日、令和元年度静岡県総合防災訓練に参加し、愛鷹広域公園多目的競技場にレーダー装置を展開した。参考:朝雲、月刊JWings10,1512,19

東部方面警務隊>:陸上自衛隊の方面警務隊。201979日、7年振りの逮捕術競技会を実施。団体戦では第127地区警務隊が優勝した。参考:警務隊の組織及び運用に関する訓令、朝雲

東部方面警務隊(2012年)>:隊本部(担当区域は朝霞駐屯地の所在する区域)、第302保安警務中隊、第125地区警務隊、第126地区警務隊、第127地区警務隊、第128地区警務隊、第129地区警務隊からなる。参考:スピアヘッドNo.15、警務隊の組織及び運用に関する訓令

東部方面航空隊>:陸上自衛隊の航空隊。1962年、霞ヶ浦駐屯地から宇都宮北分屯地に移駐。1972-73年に立川駐屯地に移駐する際、反対運動が起きたため、日野市防衛協会が東部方面航空隊に応援の意味を込めてだるまを贈呈した。以降、年度初めには安全だるま点睛・開眼式を行うようになった。1973年、立川駐屯地(旧)に移駐。19781111-16日、東部方面隊空地演習に参加。1983年、立川駐屯地(新)への移転を完了。200916日、立川駐屯地でAH-1S7機、OH-6D4機、OH-1偵察ヘリ1機、UH-1輸送ヘリ10機(うち1機は取材機)による年始編隊飛行を実施。411日、山梨県甲州市山林火災の災害派遣に参加。430日、山梨県甲州市勝沼町深沢山林火災の災害派遣に参加。61-4日、東部方面隊による訓練検閲に隊員670名、航空機27機、車両100両で参加。2010412-17日、北富士演習場で航空隊統一訓練を実施。隊員500名、航空機30機が参加し、ゲリラからの攻撃を想定した警戒自衛戦闘訓練を行った。91日、第31回9都県市合同防災訓練に参加。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。1515UH-1ヘリ1機が離陸。413日、福島県浜通りを震源とするマグニチュード5.8の地震が発生したため、UH-1ヘリで情報収集を行った。59日、栃木県足利市で山林火災が発生したため、UH-1ヘリにより情報収集を行った。75-8日、東富士演習場で第1次航空隊統一訓練を実施。925-29日、国際活動教育隊、第12旅団と共に、国際緊急援助隊準備訓練に参加。2012110日、立川駐屯地で年始編隊飛行訓練を実施。AH-1Sヘリ7機、OH-1ヘリ2機、OH-6Dヘリ2機、UH-1ヘリ5機と視察用UH-1ヘリ3機、報道陣用UH-1ヘリ1機が参加した。42日、平成24年度安全だるま点睛・開眼式を実施。717-19日、統合防災演習に合わせて広域医療搬送訓練を実施。201318日、立川駐屯地で年始編隊飛行訓練を実施。AH-1Sヘリ7機、UH-1Jヘリ7機、OH-1ヘリ1機、OH-6Dヘリ1機、取材機1機が参加した。4171757頃、三宅島近海でマグニチュード6.2の地震があり、震度5強が観測されたため、1806から情報収集を行った。58-13日、山梨県韮崎市の山林火災で情報収集と消火活動を行った。1016日から118日、伊豆大島で台風26号豪雨の災害派遣に参加。2014215-23日、関東甲信大雪災害の災害派遣に参加。326日、茨城県日立市山林火災の災害派遣に参加。415日、群馬県桐生市黒川ダム付近で発生した火災の災害派遣に参加。58日、東京都多摩町境付近で発生した火災の災害派遣に参加。927日から御嶽山噴火の災害派遣に参加。201518日、UH-1Jヘリ8機(+取材撮影機1機)、OH-1ヘリ2機、AH-1Sヘリ8機で初飛行訓練を実施。331日から42日、長野県岡谷市山林火災の災害派遣に参加。5302024頃、小笠原諸島西方沖を震源とするマグニチュード8.5の地震が発生し、最大震度5強を観測したため、UH-1Jヘリ1機を情報収集にあたらせた。6160930頃、浅間山で小規模な噴火が起きたため、UH-1Jヘリ1機で情報収集を行った。629日から73日、自衛隊統合防災演習に参加。722日から御嶽山噴火災害による行方不明者再捜索支援の災害派遣に参加。910日から関東・東北豪雨災害の災害派遣に参加。126-19日、平成27年度方面隊実動演習に参加。201617日、東部方面ヘリコプター隊UH-1Jヘリ2機と第4対戦車ヘリコプター隊AH-1Sヘリ7機で年始編隊飛行訓練を実施。33-4日、栃木県鹿沼市谷倉山の山林火災に対する災害派遣に参加。315日、立川ヘリコプター協議会を開催。ヘリを装備する三自衛隊とアメリカ陸空軍関係者らが参加し、災害時の飛行経路や使用無線周波数などを確認した。410-15日、王城寺原演習場で東北方面衛生隊第1次隊集中野営訓練に協力し、UH-1Jでの機内救護、患者収容・卸下、ホイストによる患者後送などの訓練により連携を強化した。414日・16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。1222-23日、新潟県糸魚川市大火災の災害派遣に参加。201715日、東部方面ヘリコプター隊と第4対戦車ヘリコプター隊で年始編隊飛行訓練を実施。52日、静岡県浜松市で発生した山林火災の災害派遣に参加。6250702頃、長野県南部を震源とするマグニチュード5.6の地震が発生したため、UH-1Jヘリ1機で情報収集を行った。75日に発生した九州北部豪雨の災害派遣に参加。201814日、前日に東京都西多摩郡奥多摩町で発生した山火事の災害派遣に東部方面ヘリコプター隊第1飛行隊UH-1Jヘリが参加。15日、立川駐屯地で年始編隊飛行訓練を実施。東部方面航空隊長座乗UH-1Jヘリ1機、東部方面ヘリコプター隊第1飛行隊UH-1Jヘリ1機、同第2飛行隊UH-1Jヘリ1機、同隊本部/本部付隊OH-6Dヘリ2機、第4対戦車ヘリコプター隊第1・第2飛行隊AH-1S対戦車ヘリ5機で東京湾周辺を編隊飛行した。東部方面ヘリコプター隊第1飛行隊UH-1Jに東部方面総監が座乗して訓練を視察し、取材機も1機飛行している。123日、草津白根山噴火の災害派遣に参加。42-3日、長野県飯田市で発生した山林火災の災害派遣に参加。88日、長野県大桑村城山で発生した山林火災の災害派遣に参加。201913日に発生した群馬県安中市の山林火災に対する災害派遣に参加。18日、UH-1Jヘリ2機、OH-6Dヘリ1機、AH-1Sヘリ6機、オブザーバー機、取材機など計15機で年始編隊飛行訓練を実施。123日に発生した埼玉県比企郡の山林火災に対する災害派遣に参加。324-25日、埼玉県飯能市で発生した山林火災の災害派遣に参加。325-26日、栃木県足利市で発生した山林火災の災害派遣に参加。45-6日、静岡県浜松市の山林火災に対する災害派遣に参加。45-7日、長野県佐久穂町で発生した山林火災の災害派遣に参加。46-7日、長野県喬木村で発生した山林火災に対する災害派遣に参加。925-27日、山梨県道志村のキャンプ場で行方不明になった女児捜索の災害派遣に参加。419日、長野県軽井沢町で発生した山林火災の災害派遣に参加。422日、群馬県下仁田町で発生した山林火災の災害派遣に参加。58-17日、第5施設群東富士演習場定期整備に協力した。621日、立川飛行場でテイルローター操作不能の緊急事態を想定した高度10mからの滑空着陸訓練を行っていたUH-1Jヘリが着陸に失敗して大破した。乗員2名が無事だった。機長が2回訓練を実施、副操縦士に交代して3回目を行ったところ着陸直前に危険な状態に陥り、機長が操縦を交代したが間に合わず、尾部から落ちたもので、陸自ではヘリによる同訓練を中止し、同日に陸幕に事故調査委員会を立ち上げて原因調査を行っている。99日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。202017日、AH-1Sヘリ、OH-6Dヘリ、UH-1Jヘリ計11機(撮影機含む)で年始飛行を実施。202174日、東京地本がららぽーと立川立飛で実施したヘリコプター展示&防災教室に東部方面航空野整備隊が協力し、用廃教材機のOH-6Dを搬入して整備作業展示を行った。1072241頃、千葉県北西部を震源とするマグニチュード5.9・最大震度5強の地震が発生したため、情報収集を行った。

参考:月刊JWings3,096,113,123,131,146,1412,143,156,158,1510,1511,153,165,'163,173,1810,183,194,1912,193,2010,'2112,'21MAMOR vol.52vol.138vol.149vol.150vol.155、朝雲、月刊軍事研究9,12、月刊航空ファン7,1610,17、月刊航空情報3,18、北宇都宮駐屯地ホームページ、立川駐屯地ホームページ

東部方面航空隊(2007年度)>:東部方面隊隷下で、本部は立川にある。東部方面ヘリコプター隊、第4対戦車ヘリコプター隊などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,07

東部方面航空隊(2009年度)>:東部方面隊隷下で、立川駐屯地に置かれている。東部方面ヘリコプター隊、第4対戦車ヘリコプター隊、東部方面管制気象隊、東部方面航空野整備隊を隷下に置く。参考:月刊航空ファン4,10

東部方面航空隊(2015年)>:東部方面隊隷下で、立川駐屯地に置かれている。東部方面航空隊本部/本部付隊、東部方面ヘリコプター隊、第4対戦車ヘリコプター隊、東部方面管制気象隊、東部方面航空野整備隊を隷下に置く。参考:立川駐屯地ホームページ

東部方面航空隊(2020年)>:東部方面隊隷下で、立川駐屯地にある。本部付隊(OH-1)、東部方面ヘリコプター隊、第4対戦車ヘリコプター隊などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,20

東部方面後方支援隊>:陸上自衛隊の方面後方支援隊。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。20121223日、不発弾処理隊が日立市の日立製作所工場内で発見された1トン爆弾(194576日にB-29が投下)の不発弾処理を行った。2015126-19日、平成27年度方面隊実動演習に参加。2017327日、隷下にコア部隊の第302弾薬中隊が新編された。201958-17日、第5施設群東富士演習場定期整備に協力した。99日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。101日、ヨルダンに無償貸与した61式戦車の整備の功績で、防衛装備庁長官から感謝状が贈呈された。20201021-23日、東京ビッグサイトで開催されたテロ対策特殊装備展/危機管理産業展2020にブースを出展し、第103補給大隊が野外入浴セット2型を設営した。2021311日、新型コロナウイルス対応の功績で、1級賞状が授与された。参考:MAMOR vol.52vol.155、月刊丸3,13、朝雲

東部方面混成団>:陸上自衛隊の混成団。2011422日、武山駐屯地で東部方面隊隷下に新編された。母体は第1教育団で、隷下に団本部、第31普通科連隊、第117教育大隊、第3陸曹教育隊、女性自衛官教育隊、第1機甲教育隊を置く。2012112日、東日本大震災の災害派遣に対し、第31普通科連隊に千葉県知事から感謝状が授与された。916日、第31普通科連隊がビッグレスキューかながわに参加。2013326日、第48普通科連隊が第12旅団から編入された。201428-11日、第48普通科連隊が相馬原演習場などで平成25年度第2次連隊錬成(総合)訓練を実施。即応予備自衛官156名を含む326名が20年振りの大雪の中で15kmの夜間行進を行い相馬原演習場に集結、戦闘準備や情報収集を実施し、総攻撃で締めくくった。91日、第31普通科連隊が神奈川県相模原市で開催された9都県市合同防災訓練に参加。92日、団災害対処訓練を実施。927日から御嶽山噴火の災害派遣に参加。1026-27日、東京・神奈川・千葉・埼玉・茨城・山梨・静岡の各地方協力本部が合同で実施した即応予備自衛官雇用企業主等訓練見学会に協力した。1115-16日、第48普通科連隊が関山演習場で87式対戦車誘導弾の戦闘射撃(ミサイル実射)を実施。2015219-20日、団本部が混成団長会議を実施。411日、第117教育大隊が入隊式を実施。5302024頃、小笠原諸島西方沖を震源とするマグニチュード8.5の地震が発生し、最大震度5強を観測したため、第31普通科連隊が神奈川県庁に連絡幹部を派遣した。910日から関東・東北豪雨の災害派遣に参加。125日、第31普通科連隊が湘南地区町村会の部隊見学を支援した。126-19日、平成27年度方面隊実動演習に参加。201623日、第31普通科連隊重迫撃砲中隊が北富士演習場で第1師団重迫撃砲競技会に参加。517-20日、第31普通科連隊第3中隊が大日精化工業新入社員53人に隊内生活体験(精神教育、集団行動、20km行進訓練、障害走訓練など)を実施。2017614日と16日、第31普通科連隊の武山自衛太鼓が在日米陸軍に招かれ、キャンプ座間でアメリカ陸軍創立記念行事アーミーボールに参加。在日米陸軍司令官から感謝状を授与された。718日、第31普通科連隊が東富士演習場で81mm迫撃砲射撃競技会を実施。常備自衛官4-6名と即応予備自衛官9-11名からなる16名の迫撃砲小隊が各中隊を代表して競技に臨み、第5中隊が優勝した。81日、翌年から神奈川警備隊区の隊区担当部隊となることを受け、団本部訓練科に防衛班を設置。827日、第31普通科連隊重迫撃砲中隊37名が川崎市総合防災訓練に参加し、救出救助訓練とカレーライス炊き出し訓練を行った。91日、第31普通科連隊が9都県市合同防災訓練に96名(うち即応予備自衛官59名)で参加。92日、第48普通科連隊本部管理中隊18名(うち即応予備自衛官8名)が群馬県渋川市北橘総合グラウンドで群馬県総合防災訓練に参加。93日、第31普通科連隊第5中隊38名が横浜市総合防災訓練に参加し、オートバイでの情報収集訓練や現場指揮所での情報共有訓練などを行った。112-6日、第31普通科連隊が東富士演習場で即応予備自衛官招集訓練(第3普通科中隊・重迫中隊訓練検閲)を実施。2018326日、神奈川県庁で県旗授与式が行われ、これまで隊区担当部隊だった第31普通科連隊から県旗を引き継ぎ、327日から団本部が神奈川警備隊区の隊区担当部隊となった。第1師団長の指揮の下、団本部長が神奈川警備隊区長となり、神奈川県東分区担当の第31普通科連隊、県中分区担当の第4施設群、県西分区担当の第1高射特科大隊の指揮を執る。725日、第48普通科連隊が前橋市内の専門学校生30人に体験入隊を実施。810-11日、第48普通科連隊が草津白根山上空付近で行方不明となった群馬県防災ヘリ捜索救助の災害派遣に参加。91日、第31普通科連隊が神奈川県東扇島などで行われた九都県市合同防災訓練に参加。1126日、第117教育大隊が第12期自衛官候補生91名の着隊行事を実施。128日、第117教育大隊が第12期自衛官候補生91名の入隊式を実施。201928日、第48普通科連隊第2中隊基幹48名(うち予備自衛官30名)が相馬原演習場で群馬県警本部と平成30年度警察との共同訓練(治安出動命令下での緊急部隊輸送訓練及び共同調整所との連携訓練)を実施。326日、第1機甲教育隊が廃止された。58-17日、第5施設群東富士演習場定期整備に協力した。521日、第31普通科連隊が海上機動訓練を実施。隊員12名と偵察用オートバイ2台が参加し、1115に初動対処部隊として武山駐屯地を出発、1148に横須賀基地に到着し、YDT03のクレーンで甲板に偵察用オートバイを乗せ、1221YDT03で出港、1450に川崎市東扇島に到着してオートバイを降ろし、現地の状況を確認して連隊長に報告した。629日、第117教育大隊が一般陸曹候補生979名の第13期一般陸曹候補生課程卒業式を実施。720日、第31普通科連隊が即応予備自衛官コミュニティー・デーを実施。自衛隊関係者499人が参加し、4個中隊による訓練展示や隊員家族との交流などを行った。831日、第31普通科連隊本部管理中隊即応予備自衛官が伊勢原市総合運動公園でビッグレスキューかながわに参加。1013日から第48普通科連隊が台風19号・21号被害の災害派遣に参加。202044日、第117教育大隊が第15期一般陸曹候補生課程(前期)男子の入隊式を実施。52-5日、第117教育大隊700名が神奈川県赤十字血液センターの献血に協力した。525-29日、第117教育大隊が第15期一般陸曹候補生課程と第16期自衛官候補生課程の新隊員総合訓練を実施。71日、第31普通科連隊が新隊員14名の後期教育を開始。1027-31日、第31普通科連隊が東富士演習場で第4次連隊野営を実施。2021417日、第31普通科連隊が、ニッパツ三ツ沢競技場で神奈川地本上岡募集案内所が行った募集広報活動に協力し、車両を展示した。117日、神奈川県横浜市臨港パークで行われた第42回九都県市合同防災訓練(令和3年度横浜市総合防災訓練)に参加。参考:朝雲、月刊JWings7,1112,146,19、スピアヘッドNo.13MAMOR vol.133

 <東部方面混成団(2015年)>:東部方面隊隷下で、武山駐屯地に置かれている。東部方面混成団本部、第31普通科連隊、第48普通科連隊、第3陸曹教育隊、第1機甲教育隊、女性自衛官教育隊、第117教育大隊からなる。参考:東部方面隊ホームページ

東部方面指揮所訓練支援隊>:陸上自衛隊の指揮所訓練支援隊。2006年、市街地訓練統裁支援システムを配備。2016112日、訓練初めを実施。指揮所訓練統裁支援システムを活用し、完全ブラインド方式で不意急襲的中隊対抗図上演習を行った。25日、戦闘射撃シミュレーター(GICSS)を活用した救急法検定(第3課題)「各種状況下の救急処置等」を実施。シミュレーターで交戦中にスクリーン上部に×印が表示されると、検定官が負傷者と負傷ヵ所を叫ぶので、別の隊員が戦闘を中断して直ちに救急処置を施すという手法で第一線救護の訓練を行った。318日、第1師団第32普通科連隊第5中隊からバリケード射座7個を寄贈され、早速これを使用して戦闘射撃シミュレーターによる応用射撃訓練を開始した。420-22日、中隊クラスとして初となる指揮所訓練統裁支援システムを使用した指揮所訓練を実施。第1師団第1普通科連隊第2・第4中隊が1日訓練×2回のコースで対抗戦形式の指揮所訓練を行い、高い成果を挙げられることを確認した。武力攻撃事態に加え、対ゲリコマ戦や災害派遣の想定もあり、1日訓練、1夜2日訓練、2夜3日訓練といった各種期間や2回の反復コースにも対応していて、東北方面隊隷下各中隊からの参加を鋭意募集中である。615-16日、第1師団第32普通科連隊第5中隊の戦闘射撃シミュレーターを活用した戦闘射撃訓練を支援した。7月、富士学校普通科・特科・機甲科幹部上級課程、施設学校施設科幹部上級課程、通信学校通信科幹部上級課程、小平学校情報科幹部上級課程の各学生と、陸自幹部学校第61期指揮幕僚課程学生の合同兵棋演習を実施。第1期・第2期演習で計画作成を行い、716-24日に第3期演習として指揮所訓練センターで指揮所訓練統裁支援システムによる演習を行った。演習部隊は支援要員含め700名で、赤師団と青師団に分かれ、統裁部は富士学校や幹部学校の200名で構成、7182330に状況開始となり、上級部隊が攻勢をかけるための要地を確保すべく東北地方某所で交戦を開始し、赤師団が青師団を包囲して7230328に状況終了、724日に研究会を行い演習を終了している。1014日、第12旅団第13普通科連隊第1中隊が戦闘射撃シミュレーターを使用した射撃訓練(基本射撃、戦闘射撃、至近距離射撃)を実施。1018日、第12旅団第12特科隊第2中隊が防御戦闘訓練を実施。201716日、市街地訓練統裁支援システムを活用し、東富士演習場で訓練始めとなる分隊対抗戦を実施。前年10月に駅のホームから転落しそうになった女性を救助した功績で、曹長が駐屯地司令から善行褒賞を受賞した。721日、隊員家族を対象としたライフプランセミナーを開催。2021311日、東日本大震災で災派活動に従事した隊員の体験談発表を実施。参考:朝雲

東部方面システム通信群>:陸上自衛隊のシステム通信群。2022年4月4-8日、第304中枢交換通信中隊が朝霞訓練場で令和4年度第1回班組訓練を実施。参考:朝雲

東部方面情報処理隊>:陸上自衛隊の情報処理隊。201988日、浅間山小規模噴火の情報収集を実施。99日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。925-28日、山梨県道志村のキャンプ場で行方不明になった女児捜索の災害派遣に参加。参考:月刊JWings12,19MAMOR vol.154vol.155

東部方面総監部>:陸上自衛隊の方面総監部。2015214日、平成26年度自衛隊中央病院大量傷者受入訓練に参加。39日、中谷防衛大臣の視察を受け、状況報告を行った。126-19日、平成27年度方面隊実動演習に参加。201698日、東部方面総監部医務官室が朝霞駐屯地で平成28年度東部方面臨床心理士集合訓練を実施。20171027日、陸自における働き方改革推進のための取組コンテストで表彰された。2018117日、第1師団34普通科連隊、横須賀地方総監部、静岡地本と共に、静岡県地震対策オペレーション2018に参加。2019102-4日、東京ビッグサイトで開催されたテロ対策特殊装備展/危機管理産業展2019にブースを出展した。125日、インド陸軍参謀長ラワット大将が視察した。2020513日、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、出入国在留管理庁からの依頼を受け、東京出入国在留管理局などの職員に防護服着脱方法などの教育を行った。624日、統幕が行った東京電力ホールディングスとの停電復旧の共同机上演習に2名が参加。2021820日、朝霞駐屯地で臨床心理士全国参加集合訓練を行い、新型コロナウイルス感染拡大下での精神衛生について討論などを実施した。参考:MAMOR vol.100、朝雲

東部方面隊>:陸上自衛隊の方面隊で、関東甲信越と静岡県の一部を担当する。政経中枢を防衛する割に隷下実戦部隊は少ないが、各種学校などの防衛庁長官/防衛大臣直轄部隊が補完する。1960114日に新編された。1964616日に発生した新潟地震の災害派遣に参加。19781111-16日、東富士演習場で空地演習を実施。第1空挺団、東部方面航空隊、第1師団、第12師団が参加した。1995117日に発生した阪神淡路大震災の災害派遣に参加。2001年、第101化学防護隊が隷下に入った。2007222日、朝霞駐屯地でNTT東日本及びNTTドコモと共同実動訓練を実施。マグニチュード7.3の直下型地震が発生、災害対策機器の陸路輸送が不可能になったという設定で、CH-47JによりNTTのポータブル衛星装置や携帯災害対策機器を搬送した。3月、第101化学防護隊が第101特殊武器防護隊に改編されて中央即応集団に移った。2008127-15日、日米共同方面隊指揮所演習ヤマサクラ55を実施。自衛隊演習部2400名、統裁部2100名、アメリカ太平洋陸軍演習部950名、統裁部250名が参加し、本格的侵攻や弾道ミサイル、武装工作員への対処、国民保護などの演習を行った。200928日、相馬原演習場で方面衛生合同訓練を実施。静岡県東部で大地震が発生したという設定で、東部方面衛生隊、第1衛生隊、第12衛生隊をヘリで派遣、現地で治療施設を開設するまでをシミュレートした。312日、朝霞駐屯地、相馬原駐屯地、練馬駐屯地、立川駐屯地、横須賀基地、木場公園において、横須賀地方隊、NTTグループと共同で、首都圏直下地震に備えた通信復旧訓練を実施し、CH-47UH-1によるNTT職員・器材の輸送、UH-1による映像伝送などを行った。520日、朝霞駐屯地輸送学校で災害情報業務連絡会議を実施。防衛省・自衛隊の34機関・部隊と、消防庁、関東管区警察局、日本赤十字社など部外32団体・機関から200人が参加した。531日から64日、東部方面通信群に対する訓練検閲を実施。61-4日、東部方面航空隊に対する訓練検閲を実施。2011214-18日、静岡県沖を震源地とするマグニチュード8.0の東海地震を想定した大規模震災対処兵站演習を実施。人員3400名、車両520両、航空機20機が参加し、隊員11万名が4日間活動するために必要な250トンの缶詰を駒門駐屯地に一時集積して配分したり、関東補給処朝日燃料支処などから燃料530キロリットルを駒門駐屯地と浜松基地に輸送・集積したりする訓練を行った。311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。422日、隷下に東部方面混成団が新編され、第一教育団が廃止された。2012111日から210日、平成23年度部隊スキー指導官練成・養成訓練を関山演習場と周辺スキー場で実施。女性自衛官1名を含む23名がスキー指導官資格を取得した。612日、東部方面隊と東日本高速道路株式会社(NEXCO東日本)及び中日本高速道路株式会社(NEXCO中日本)との連携に関する実施協定の締結式を実施。災害発生時の相互協力や連携を行うことになった。79日、東日本高速道路株式会社と連携し、常磐自動車道守谷サービスエリアでNTTの大容量部外通信回線を利用した初の防災通信訓練を実施。919-24日、東部方面通信群と東部方面後方支援隊に対する平成24年度方面訓練検閲を実施。921-26日、東部方面航空隊に対する平成24年度方面訓練検閲を実施。201391日、第34回9都県市合同防災訓練に参加。1114日、朝霞駐屯地で東北電力、東京電力、中部電力と災害時連携協定を締結した。201427日、平成25年度日米共同統合防災訓練に参加。629日から73日、平成27年度自衛隊統合防災演習に隊員2300名、車両160両、航空機7機で参加。122-15日、ヤマサクラ67に参加。2015629日から73日、自衛隊統合防災演習に参加。929日から1019日、平成27年度協同転地演習(連隊等)を実施。1023日から1113日、平成27年度自衛隊統合演習に参加。126-19日、平成27年度方面隊実動演習を担任。東部方面総監部、第1師団、第12旅団、第1施設団、第2高射特科群、東部方面航空隊、東部方面混成団、東部方面後方支援隊、東部方面通信群、東部方面衛生隊など隊員4000名、車両700両、航空機5機が参加し、東富士演習場や相馬原演習場などで訓練を実施した。1217-18日、平成27年度在外邦人等輸送訓練に参加。2016414日と16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。628日と75-9日、平成28年度自衛隊統合防災演習に合わせて方面隊計画訓練を実施。628日は朝霞駐屯地で図上演習、75-9日は富士山静岡空港を兵站拠点とした実動演習を行った。727日、朝霞駐屯地で平成27年度縁故募集表彰式を実施し、東部方面総監から隊員9名に募集功労賞が授与された。1212-16日、平成28年度在外邦人等保護措置訓練に参加。2017316-17日、横浜ノースドックで在日米陸軍との日米共同災害対処訓練に第1師団や東部方面衛生隊の隊員70名、車両20両、航空機3機で参加。在日米陸軍第1軍団、在日米陸軍医療局などの60名、陸軍揚陸艇ブロード・ランと、首都直下地震を想定した救護活動の訓練を行った。620-26日、ビッグレスキューあづま2017を実施。726日、平成28年度隊員自主募集表彰式を行い、11隊員に募集功労賞を授与した。201876日に発生した西日本豪雨の災害派遣に参加。77日、自衛隊中央病院主催の大量傷者受入訓練に参加。724-26日、パシフィック・シールド18に参加。122日、隊先任上級曹長交代式を実施。第5代の斉木准尉が着任し、陸自初の女性方面隊最先任上級曹長となった。2019215日、無人機事業者の一般社団法人日本UAS産業振興協議会と、災害時応援に関する協定を締結した。220日、無人機事業者の自律制御システム研究所と、災害時応援に関する協定を締結した。318日、災害ボランティア・バイクネットワーク関東と災害時応援に関する協定を締結。関東甲信越一都九県で大規模災害が起きた際にオートバイで被害状況の情報収集に協力してもらうことになった。521-24日、自衛隊統合防災演習に参加。521-25日、自衛隊統合防災演習に連動した独自の防災訓練を実施。災害時応援に関する協定を結んでいる無人機事業者2団体も加えての災害情報収集訓練や、東部方面衛生隊と第12ヘリコプター隊による医療搬送訓練などを行った。525日、自衛隊中央病院主催の大量傷者受入訓練に参加。717-30日、ヤマサクラ76に参加。97日、内閣府主催の大規模地震時医療活動訓練に参加。123-16日、ヤマサクラ77に参加。2020131日に発出された新型コロナウイルス感染症拡大防止の災害派遣に参加。221-23日、南海レスキュー01に参加。224-28日、令和元年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。311日、即位の礼に関する一連の儀式の円滑な実施に大きく貢献した功績で、河野防衛大臣から第1級賞状が授与された。74日に発生した九州豪雨の災害派遣に参加。1126日から123日、令和2年度在外邦人等保護措置訓練に参加。

2021212-13日、日米共同統合防災訓練TREXに参加。222-26日、令和2年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。99日から10月中旬、東ティモール軍に対する能力構築支援事業に参加。2022221-25日、令和3年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。119日、令和4年度離島統合防災訓練及び日米共同統合防災訓練に参加。2023217日と20-22日、令和4年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。316日、東部方面特科連隊が新編された。2024216日と19-22日、令和5年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。

参考:月刊丸5,07JGround Vol.23、月刊軍事研究6,099,124,176,179,17JWings6,096,114,145,'202,'215,'211,'235,'238,'23、朝雲、スピアヘッドNo.16、月刊世界の艦船9,151,162,'162,1711,194,'215,'22MAMOR vol.104vol.128vol.140vol.160、月刊航空ファン4,19

 <東部方面隊(1977年)>:総監部は市ヶ谷にある。隷下に第1師団、第12師団、第1空挺団、第1施設団、第1教育団、第2高射特科群、東部方面航空隊、富士地区病院などを隷下に置く。参考:日本の防衛戦力Part1

 <東部方面隊(1980年)>:総監部は市ヶ谷にある。第1師団、第12師団、第1空挺団、第1施設団、第2高射特科群、第1教育団、富士地区病院などを隷下に置く。参考:自衛隊装備カタログ1981

 <東部方面隊(1980年代後半)>:総監部は市ヶ谷にある。第1・第12師団、第1空挺団、第1施設団、第2高射特科群、第1教育団を基幹とし、首都圏(関東甲信越・静岡の1都10県)の防衛を行う。重砲部隊を持っていないのが特徴で、また第1空挺団は有事の際には方面隊を越えて運用される。参考:兵器最先端5、月刊軍事研究3,10、陸上自衛隊地上戦力の全容

東部方面隊(2007年度)>:第1師団、第12旅団、第1施設団、第1教育団、東部方面航空隊、関東補給処などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,07

東部方面隊(2009年度)>:東部方面総監部(朝霞)、東部方面総監部付隊、東部方面航空隊、第1師団、第12旅団、第2高射特科群(松戸。改良ホーク)、第1施設団、第1教育団、第6地対艦ミサイル連隊、東部方面通信群、東部方面後方支援隊、東部方面衛生隊、東部方面会計隊、東部方面指揮所訓練支援隊、東部方面情報処理隊、東部方面音楽隊、関東補給処、自衛隊富士病院、各駐屯地業務隊、各地方協力本部を隷下に置く。参考:月刊軍事研究10,103,10、月刊航空ファン4,10

東部方面隊(2014年度)>:東部方面総監部/付隊、第1師団、第12旅団、東部方面混成団、第2高射特科群、第1施設団、東部方面航空隊などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,14

東部方面隊(2015年)>:東部方面総監部、東部方面総監部付隊、第1師団、第12旅団、東部方面混成団、東部方面航空隊、東部方面後方支援隊、東部方面指揮所訓練支援隊、東部方面通信群、東部方面情報処理隊、東部方面会計隊、東部方面衛生隊、東部方面音楽隊、第1施設団、第2高射特科群、関東補給処、自衛隊富士病院、各駐屯地業務隊を隷下に置く。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

東部方面隊(2020年)>:東部方面総監部/総監部付隊、第1師団、第12旅団、東部方面航空隊、第1施設団、東部方面混成団などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,20

<東部方面通信群>:陸上自衛隊の方面通信群。2009411日、山梨県甲州市山林火災の災害派遣に参加。531日から64日、東部方面隊による訓練検閲に隊員840名と車両90両で参加。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。2015126-19日、平成27年度方面隊実動演習に参加。2019822日、日米共同サイバー戦競技会サイバーサンダーに参加。2020914-17日、令和2年度通信群システム競技会を行い、第305基地通信中隊が優勝した。参考:MAMOR vol.52、朝雲

東部方面特科連隊>:陸上自衛隊の特科連隊。2023316日、第1師団第1特科隊と第12旅団第12特科隊を統合改編して東部方面隊隷下に新編された。参考:月刊JWings8,23

東部方面ヘリコプター隊>:陸上自衛隊の方面ヘリコプター隊。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。3211702、石巻市荻浜小学校に救援物資を輸送。328日、被災地を訪問する北澤防衛大臣をUH-60JAで輸送した。329日、UH-1Jヘリ2機が霞目駐屯地から石巻方面に向かい、支援活動を行った。410日、集中捜索に参加。20121116日、UH-1ヘリ3機で三宅島山林火災の情報収集を実施。2013921日、神奈川県・平塚市合同総合防災訓練ビッグレスキューかながわに参加。2014831日、平成26年度神奈川県・小田原市合同総合防災訓練に参加。201617日、UH-1Jヘリ2機で東部方面航空隊年始編隊飛行訓練に参加。201715日、東部方面航空隊年始編隊飛行訓練に参加。327日、栃木県那須町のスキー場で雪崩に巻き込まれた高校生らの捜索を目的とする災害派遣に参加。610日、立川駐屯地で行われた東京地本体験搭乗に協力し、UH-1Jヘリ2機で体験搭乗を行った。98-25日、オリエントシールド2017に参加。1218-19日、第1特科隊と第1飛行隊が山梨県上野原市で発生した山火事の災害派遣に参加。201815日、立川駐屯地で東部方面航空隊年始編隊飛行訓練に参加。110-11日、群馬県甘楽郡南牧村で発生した山林火災の災害派遣に参加。127日、茨城地本霞ヶ浦駐屯地で行った募集対象者・援護関係者のUH-1体験搭乗に協力した。2019113日、UH-1Jヘリで第1空挺団平成31年降下訓練始めに参加。527日、東京都檜原村で発生した山林火災の災害派遣に参加。6182222に発生した山形県沖を震源とする最大震度7の地震でUH-1Jヘリによる情報収集活動を実施。1013日から台風19号・21号被害の災害派遣に参加。2020215日、募集対象者40人にUH-1Jヘリ体験搭乗を実施。327日に発生した茨城県久慈郡大子町の山林火災の災害派遣に参加。

20212132308頃、福島県沖を震源とする最大震度6強の地震が発生したため、UH-1Jヘリ情報収集を行った。221日に栃木県足利市両崖山で発生した山火事の災害派遣に参加。223日、東京都青梅市で発生した山火事の災害派遣に参加。422日に発生した群馬県みどり市の山林火災の災害派遣に参加。

参考:月刊航空ファン6,1112,17、月刊JWings6,1112,1311,143,163,176,173,184,199,196,205,'217,'21MAMOR vol.151、朝雲

東部方面ヘリコプター隊(2009年度)>:東部方面航空隊隷下で、立川駐屯地に置かれている。本部付隊(OH-6D)、第1・第2飛行隊(UH-1HUH-1J)からなる。参考:月刊航空ファン4,10

東部方面ヘリコプター隊(2020年)>:東部方面航空隊隷下で、立川駐屯地にある。本部付隊(OH-1)、第1飛行隊(UH-1J)、第2飛行隊(UH-1J)からなる。参考:月刊JWings6,20

東部方面輸送隊>:陸上自衛隊の方面輸送隊で、朝霞駐屯地に置かれている。201999日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。参考:MAMOR vol.155

<東平湖>:902(補給艦)または960(補給艦)を参照。

当別分屯基地>:航空自衛隊の分屯基地で、第45警戒群が駐屯している。所在地は北海道石狩郡当別町字弁華別番外地で、阿蘇岩山(標高418m)山頂周辺に位置する。元は195311月にアメリカ軍が建設したレーダーサイトで、195911月にアメリカ空軍からレーダーサイトを移管された。19617月、第45警戒群が新編された。19737月、J/FPS-1の運用を開始。1994年(19955月?)、J/FPS-3の運用を開始。2009年度、J/FPS-3J/FPS-3改に改修した。2015713-17日、第1特科団訓練検閲を支援した。参考:第45警戒群ホームページ、月刊JWings6,10別冊付録、月刊軍事研究9,115,12MAMOR vol.164、朝雲

ドゥペルデュッサン1913年型水上練習機>:日本海軍初のプルプロペラ式単葉機で、大正4年に輸入された。最大速度111km。乗員2名。離着水が難しいなどの欠点があり、2機を輸入、1機を国産したが、練習機ではなく高速研究機として使用された。参考:月刊丸12,92

東方会議>:田中内閣発足直後の第1次山東出兵後、外務省や軍部の関係者が集まって東京で開かれた会議。中国東北地域に戦乱が波及して日本の権益が脅かされた場合の対処法などを策定し、対支政策綱領として声明を出した。参考:月刊丸10,97

東方艦隊(ドイツ海軍、1939年)>:ポケット戦艦ドイッチュラント、練習戦艦シュレスヴィヒ・ホルシュタイン、シュレージェン、駆逐艦Z2Z3Z4、第3駆逐隊(Z1Z14Z15)、第6駆逐隊(Z8Z9Z11)、第3水雷艇隊、第1魚雷艇隊、護衛隊、掃海艇T196、M級8隻、掃海艇母艦ヴァン・デア・グローベン、機動掃海艇R級8隻、敷設艦プロイセン、オッター、ライン、バレンシアからなる。参考:グラフィックアクション44

東方紅2>:中国青島海洋大学海洋調査船の艦番号で、トンファンホン2と読む。船尾、右舷後部に観測甲板を持ち、前者にAフレーム、後者にギャローズを搭載している。全長96m、総トン数3235トン。主機はディーゼル。1999531日、鹿児島県奄美大島北西130kmを航行しているのを第5航空群のP-3Cが発見した。67日、鹿児島県沖永良部島西北西82kmを航行しているのを海上保安庁が発見した。614日、沖縄県久米島北西39kmを航行しているのを海上保安庁が発見した。616日、鹿児島県奄美大島北西240kmを航行しているのを第5航空群のP-3Cが発見した。200083日、奄美大島北西340kmを航行しているのを第5航空群のP-3Cが発見した。参考:中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船3,0011,00

<東方の壁用砲塔>:Ⅴ号戦車ファミリーを参照。

東邦丸>:日本海軍特設給油艦。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は連合艦隊補給部隊所属で、真珠湾攻撃に参加。昭和174月下旬からMO作戦に参加。56日、MO機動部隊に所属して珊瑚海海戦に参加。824日、第2次ソロモン海戦に参加。昭和18329日、セレベス島沖で雷撃を受けて沈没した。参考:月刊軍事研究12,07、日本海軍艦隊総覧、帝国海軍太平洋作戦史Ⅰ

東宝予科練隊>:東宝社の映画撮影用予科練部隊。土浦海軍航空隊で訓練を行い、国策映画などの撮影に従事した。参考:歴史群像6,08

東北軍区>:中国軍の大軍区(一級軍区)。黒竜江省、吉林省、遼寧省、河北省熱河地区などを管轄する。19481月に創設された。1955年の改編で廃止された。参考:月刊航空ファン4,16

東北抗日連軍>:193581日の中国共産党による抗日統一戦線形成提唱に応じ、満州の抗日団体が結集して編成されたパルチザン。南満州に第1路軍、東満州に第2路軍、北満州に第3路軍が置かれ、総兵力の約25%が朝鮮人であり、主要メンバーにも朝鮮人が並んでいた。参考:月刊軍事研究6,09

東北地区補給処>:陸上自衛隊の地区補給処。19586月、仙台駐屯地で新編された。20063月、東北補給処に改編された。参考:仙台駐屯地ホームページ

東北町分屯基地>:航空自衛隊の分屯基地。第4補給処東北支処が置かれている。所在地は青森県上北郡東北町字大沢5番地の4。19943月に開設され、第4補給処東北支処が新設された。参考:東北町分屯基地ホームページ、航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊JWings6,10別冊付録、8,14

東北防衛局>:防衛省の地方防衛局。20079月に新設された。20141110日、米軍航空機事故対処訓練を実施。1121日、三沢市公会堂で平成26年度三沢飛行場周辺航空事故連絡協議会を実施。201533日、普通救命講習Ⅰを開催し、24名が講習を受けた。420-24日、新規採用職員9名に新人研修を実施。多賀城駐屯地で基本教練や20km行進訓練など2泊3日の体験入隊を行った後、2日間の局員研修を受けた。64-12日、王城寺原演習場でアメリカ海兵隊による沖縄県道104号線越え実弾射撃訓練の移転訓練を支援した。107日、日米防衛協力の新ガイドライン~変化する国際情勢と日米同盟の役割をテーマとする講演会をアメリカ札幌総領事館と共催した。1022日、三沢市国際交流教育センターで平成27年度三沢飛行場周辺航空事故連絡協議会を実施。2016116日、三沢アイスアリーナで日米交流事業の第4回MISAWAアイスホッキー2016を開催。三沢市と在日米軍三沢基地内の小学生160人が参加し、ニンニク型ヘルメットを被って長芋型スティックを使いホッキ貝型パックをゴールに入れるアイスホッキーを楽しんだ。29日、松島基地の復興~チーム松島という題の公演会を実施。224日、宮城地本との共催で第30回防衛セミナーを実施。35日、青森県東北町小川原湖交流センター宝湖館でひな祭りin Tohoku Town 2016を開催。311日、大震災から5年目の今、伝えるべきことをテーマに、当時の東北防衛局長や東北防衛局防衛補佐官らを迎えてパネルディスカッションを行った。328日、三沢基地周辺の9.6ヘクタールの土地を牧草地として使用する許可書を三沢市に手交した。329日、三沢対地射爆撃場周辺の71.8ヘクタールの土地を牧草地として使用する許可書を六ヶ所村に手交した。412日、仙台市危機管理室参事を招いて東日本大震災の講演会を開催し、職員90名が聴講した。510日、平成28年度新規採用職員10名を対象に、不忘平和記念公園現地研修を実施。512日、普通救命講習Ⅰを開催し、仙台市消防局宮城野消防署から講師を迎えて40名が受講、普通救命講習修了証の交付を受けた。64日、東北6県の小学生を対象に一日局長体験を実施。925日、防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律第3条第2項に基づく騒音防止事業の一環として補助事業で建設していた一般財団法人仁和会三沢中央病院の落成式が行われた。1017日から116日まで三沢基地で行われたガーディアン・ノース16の実施にあたり、関係機関との連絡調整や地域住民の不安解消を目的に、三沢防衛事務所内に現地連絡本部を設置した。1027日、防衛監察本部が平成28年度コンプライアンス講習会を実施。1130日、山形県東根市で日本を巡る安全保障を考えるをテーマとした第32回防衛セミナーを開催。2017121日、三沢アイスアリーナで日米交流事業の一環として第5回MISAWAアイスホッキー2017を開催。34日、青森県東北町の小川原湖交流センター宝湖館で第5回ひな祭りin Tohoku Town2017を実施。36日、福島県福島市で災害への備え~震災から学ぶをテーマに第33回防衛セミナーを実施。729日、青森県つがる市で第34回防衛セミナーを開催。84日から93日、日米共同訓練ノーザンヴァイパーに合わせ三沢防衛事務局内に日米共同訓練等現地連絡本部を設置。訓練期間中、アメリカ海兵隊と共に三沢漁港で清掃ボランティア活動も行っている。914日から三沢基地南の民有地で騒音測定を実施。115日、宮城県大衡村で、防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律に基づく特定防衛施設周辺整備調整交付金を活用した、ときわ台南住宅団地の完成記念式典に参加。1214日、盛岡中央消防署で防衛セミナーを開催。2018127日、三沢アイスアリーナで日米交流事業の第6回MISAWAアイスホッキー2018を実施。25日、王城寺原演習場連絡協議会(宮城県、大和町、大衡村、色麻町で構成)に対し、フォレストライト2017-02の詳細な説明を行った。28日から33日、フォレストライト2017-02に合わせて日米共同訓練現地連絡本部を王城寺原演習場に置き、関係自治体への情報提供、陸自-米軍間の連絡調整、航空機騒音測定などを行った。415日、青森県東北町の小川原湖交流センター宝湖館で行われた小川原湖応援感謝キャンペーンに局長以下20名で参加。419-20日(講義)と514-15日(三沢基地大湊基地DE-233ちくま研修)、新規採用職員13名の研修を実施。64日、企画部長と三沢防衛事務所長が在日米陸軍車力通信所で第94陸軍防空ミサイル防衛コマンド第10分遣隊指揮官交代式に出席し、離任するチャベズ大尉に東北防衛局長からの感謝状と記念品を贈呈した。612日、局長が東北コミュニティ放送協議会第21回総会で、防衛省・自衛隊における災害対応についてをテーマとする講演を実施。621-22日、かかし作り交流プロジェクト2018inつがるのかかし制作を車力体育センターで実施。在日米陸軍車力通信所の軍人とつがる市立車力小学校の児童計80人が12チームに分かれてかかしを制作し、むらおこし拠点館フラットに展示した。716日、局長と三沢防衛事務所長が三沢基地格納庫で在日米軍三沢基地司令官兼第35戦闘航空団司令官交代式に出席。826日から919日、オリエント・シールド2018が実施された王城寺原演習場内に日米共同訓練現地連絡所を設営し、地元自治体への情報提供などにあたった。1116日、平成30年度東北防衛施設地方審議会を三沢基地で実施。2019126日、三沢市三沢アイスアリーナで第7回MISAWAアイスホッキー2019を開催。131日から225日、アメリカ海兵隊が王城寺原演習場で行った沖縄県道104号線越え実弾射撃の移転訓練に伴い、現地連絡本部を演習場内に設置し、訓練部隊への支援、関係自治体への情報提供、演習場周辺の巡回警備などを行った。32日、青森県東北町小川原湖交流センター宝湖館で日米交流事業の第7回ひな祭りin Tohoku Town 2019を開催し、日米小学生と保護者計60人が参加した。37日、山形市内で第38回防衛セミナーを実施。711日、青森県民福祉プラザで第39回防衛セミナーを実施。715日から89日、アメリカ海兵隊が王城寺原演習場で行った沖縄県道104号線越え実弾射撃の移転訓練に伴い、演習場内に現地連絡本部を設置して支援した。94日、かかし作り交流プロジェクト2019inつがるの優秀チーム表彰式を行った。1017日、嘉手納基地周辺自治体首長らで構成される三市町連絡協議会のアメリカ空軍三沢基地視察を支援した。1025日、三沢基地統合クラブで令和元年度在日米軍従業員永年勤続者表彰式を実施。1212日、調達部が多賀城駐屯地で建物等の応急危険度判定調査訓練(災害発生に伴う支援要請、派遣職員招集、衣服等装備の確保、被災施設への移動、被災調査)を実施。2020122日、仙台市宮城野区文化センターで「我が国を取り巻く安全保障環境」をテーマに第40回防衛セミナーを開催。127日、三沢市国際交流教育センターで令和元年度三沢飛行場周辺航空事故連絡協議会を開催。28日、三沢アイスアリーナで第8回MISAWAアイスホッキー2020を開催し、日本側11チーム、アメリカ側4チーム、日米混合3チームが参加した。722日、局長が陸奥湾で行われた海自機雷戦訓練・日米共同掃海特別訓練を視察した。924日、局長が仙台市内のホテルで一般社団法人日本安全保障・危機管理学会宮城県支部の勉強会に講師として招かれ、令和2年度防衛白書についてという題で講演した。925日、八戸市長屋屋内スケート場YSアリーナ八戸(備蓄倉庫機能を有し災害発生時に滞在・防災拠点になる)の会議室で自衛隊・八戸市防災対策検討委員会主催の意見交換会に参加。1014日、局長が三沢基地を訪問し、北部航空方面隊司令官を表敬、司令部庁舎の建て替えやRQ-4用格納庫の新設現場などを確認した。1112日と1216日、みちのくALART2020に参加。2021119日、令和2年度東北防衛施設地方審議会を実施。22日、調達部が建物等の応急危険度判定調査訓練を実施。213日、福島県沖を震源とする地震が発生したため、職員を多賀城駐屯地などに派遣し、応急危険度判定を行った。310日、東日本大震災当時は防衛省・自衛隊に勤務していなかった職員60名を対象に、震災対応業務経験職員による講話を実施。525日、熊谷局長が東北コミュニティ放送協議会第24回総会でオンライン講演を実施。77-28日、三沢防衛事務所に訓練移転現地連絡本部を開設し、第36海兵航空群が三沢基地を拠点に実施した米軍再編に係る訓練移転(回転翼機、ティルト・ローター機などの沖縄県外への訓練移転)に対応した。77-31日、王城寺原演習場に現地連絡本部を設置し、在沖米海兵隊が王城寺原演習場で行った沖縄県道104号越え実弾射撃移転訓練に対応した。1121日から1223日、日米共同実動訓練レゾリュート・ドラゴン21対応のため、王城寺原演習場内に現地連絡本部を設置し、三沢防衛事務所や岩手山演習場にも職員を派遣、情報提供や騒音測定などを行った。1125-26日、職員8名が現地実習のため大湊地区を訪問し、大湊分屯基地でJ/FPS-5レーダー、大湊地方総監部でDE-231おおよど、大湊航空基地で装備品を見学した。1130日と121日、職員7名が現地実習のため岩手駐屯地と岩手山駐屯地を訪問し、74式戦車体験搭乗や155mm榴弾砲訓練見学を行った。1216日、調達部職員6名が仙台駐屯地で緊急事態対処訓練を実施。2022225日、令和3年度事態対処訓練を実施。東日本大震災での活動を参考に、第2種非常勤務要員参集、対策本部設営、連絡要員派遣、対策本部会議開催、周辺財産使用要請手続き確認などの各訓練を行った。33日、応急危険度判定についての講義を実施。新規採用職員に対し、応急危険度判定士の資格取得制度や活動実績などを講義した。316日深夜、宮城・福島で最大震度6強を観測する地震が発生したため、第2種非常勤務体制を発動し、職員呼集、安否確認、被害情報確認、連絡員派遣などにあたり、3170100に第1回対策本部会議を実施。未明に多賀城駐屯地隊舎の一部にクラックが発生しているとの情報が入ったため、東北方面総監部からの依頼で技術支援班が施設整備調査チームを派遣し、応急危険度判定調査を行った結果、危険建物と判定されたため、標識や立入禁止テープで2次災害予防にあたった。614日、局長が秋田県で東北コミュニティ放送協議会第25回総会に参加し、防衛講話を行った。参考:朝雲、MAMOR vol.116、月刊JWings12,17

東北方面衛生隊>:陸上自衛隊の方面衛生隊。20063月、仙台駐屯地で新編された。2009822日、自衛隊仙台病院と共に、仙台駐屯地で新型インフルエンザの流行に備えた対処訓練を実施。201042-7日、岩手山演習場で集中野営訓練を実施。東北方面航空隊のUH-1ヘリと共同で負傷者の後送訓練も行った。1211日、霞目駐屯地において、自衛隊仙台病院、東北方面航空隊、宮城県DMATと協同で災害発生時医療訓練を実施。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。201348-12日、王城寺原演習場で集中野営訓練を実施。91日、相模市総合防災訓練に参加。2014825-28日、王城寺原演習場で第3次集中野営訓練を実施。業務用天幕病院2型を初使用した。2015111日、第105野外病院隊が仙台駐屯地で家族の日イベントとしてミニ運動会と懇親会を実施。2016112-29日、仙台駐屯地で補助担架員養成集合訓練を実施。2017102日、野外病院隊の医官2名が、休暇中に山形県海水浴場でおぼれた男性を救助した功績で、鶴岡市消防本部から感謝状を贈呈された。1216日、家族の日イベントを実施。隊員家族26人が参加し、訓練研修や訓練説明を受講、餅つき大会も行った。2018115日から22日、仙台駐屯地で平成29年度方面直轄部隊補助担架要員集合訓練を実施し、参加17名全員が補助担架員の資格を得た。219-23日、仙台駐屯地で衛生科職種統一訓練メディプロ仙台を実施。18個部隊から衛生科隊員94名が参加し、戦傷治療基礎知識座学教育、第一線救護、収容所治療、衛生技術競技会などを訓練した。414日、16家族33人に衛生隊家族行事を実施。73日、5月のアメリカ旅行中に同じツアーで負傷した日本人男性を救護した功績で、野外病院隊の下村2等陸尉に駐屯地司令から善行褒賞が授与された。2020131日、仙台駐屯地で、統合幕僚監部と、災害発生時診療記録管理国内基準システムJ-SPEED及び国際基準システムWHO MDSJ-SPEEDをベースにWHOが開発)を使用した災害対処訓練を実施。27日、新型コロナウイルス感染症が発生したダイヤモンド・プリンセス号に救急車を派遣し、患者搬送支援を開始。623-25日、王城寺原演習場で令和2年度第2回隊野営訓練を実施。自衛隊仙台病院看護科幹部候補生隊付教育の被教育者6名と駐屯地業務隊4個の指定充足隊員延べ13名も参加し、状況下における方面衛生隊の一連の行動(展開地進入・開設、警戒自衛戦闘、衛生科業務)を演練した。2021112日、訓練始めを実施。311日、新型コロナウイルス対応の功績で、1級賞状が授与された。20231130日から1213日、ヤマサクラ85に協力部隊等として参加。参考:仙台駐屯地ホームページ、MAMOR vol.52、朝雲

東北方面音楽隊>:陸上自衛隊の方面音楽隊。1960年に新編された。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。3291830、多賀城文化センターで慰問演奏を行った。3301700、多賀城中学校と東豊中学校で慰問演奏を行った。422115、福島大と会津高で慰問演奏を実施。528日、宮城県柴田町で激励演奏会を実施。616日、東京エレクトロンホール宮城で開催された「復興祈念コンサート~響けみやぎに復興の音色」で演奏を実施。2014126日、美の国あきた新春自衛隊演奏会2014に参加。2015331日、楽天koboスタジアム宮城で楽天対西武のプロ野球開幕戦でファンファーレを演奏した。45日、Kサクソフォン・コンクール2015で尾形三等陸曹が4位に入賞した。112日、東北防衛局の自衛隊記念日式典に協力した。2016130日、秋田県民会館で美の国あきた自衛隊演奏会2016を開催。313日、宮城県石巻市かなんホールで石巻消防音楽隊との合同演奏会を実施。2017430日、由利本荘市主催の陸自東北方面音楽隊カダーレ大演奏会に参加。86日、仙台七夕祭りに参加。1125日、能代市文化会館で地元高校生60人に演奏指導を実施。1126日、能代市文化会館でコンサートを実施。2018825日、由利本荘市文化交流館カダーレで中高生55人に演奏指導講習会を実施。2019617日、仙台駐屯地の防衛・駐屯地モニターに対する部隊研修に協力し、ミニコンサートを行った。202028日、「美の国あきた」陸自東北方面音楽隊演奏会2020に参加。118日、奥州市南都田地区センター落成記念コンサートを実施。202135日、東日本大震災から10年を迎えるにあたり、宮城県警察音楽隊、仙台市消防音楽隊、石巻広域消防音楽隊との合奏動画をユーチューブに配信した。1211日、一関市大東コミュニティーセンター室蓬ホールでコンサートを実施。2022515日、山形県の新庄市民文化会館大ホールで演奏会を実施。参考:月刊航空ファン6,11、月刊JWings6,11、朝雲

東北方面会計隊>:陸上自衛隊の方面会計隊。20091120-21日、平成21年度持続走競技会を実施。参考:朝雲

東北方面警務隊>:陸上自衛隊の方面警務隊。参考:警務隊の組織及び運用に関する訓令

東北方面警務隊(2012年)>:隊本部(担当区域は仙台駐屯地の所在する区域)、第305保安警務中隊、第123地区警務隊、第124地区警務隊からなる。参考:スピアヘッドNo.15、警務隊の組織及び運用に関する訓令

東北方面航空隊>:陸上自衛隊の方面航空隊。19621月、霞目駐屯地で新編された。200917日、霞目飛行場で年頭誓願行事を実施。隊員300名が車両8両とヘリ2機をロープで1.4km牽引した。228日、古河駐屯地で抽選会当選者、駐屯地防衛モニター、中学生など75人に対するUH-1ヘリ体験搭乗を実施。410日、宮城県角田市山林火災の災害派遣に参加。201031日に船形山で遭難した登山者3名の救助のためUH-1ヘリ2機を派遣し、第6師団第22普通科連隊のレンジャー隊員12名を現地に輸送した。1211日、霞目駐屯地において、東北方面衛生隊、自衛隊仙台病院、宮城県DMATと協同で災害発生時医療訓練を実施。2011311日の東日本大震災発生時は訓練中で、ヘリと隊員の半分は霞目駐屯地を離れていたが、駐屯地が津波の被害を免れたためすぐ戻り、災害派遣に参加した。1501、ヘリ映像伝送装置を積んだUH-60JAヘリ1機を離陸させた。1900UH-1Jヘリ4機が仙台市中野小学校で救出活動を開始。3122000、双葉町老人福祉会館と厚生年金病院の寝たきり老人など200人をヘリ6機で川俣町農村広場に搬送した。3201110、石巻市に20リットル入り灯油缶10個、女川に食糧を輸送した。3271000、ヘリ映伝搭載UH-1で福島第一原発を上空から撮影。49日、ヘリ映像伝送装置を積んだUH-1ヘリが情報収集を行った。5250536頃、福島県浜通を震源とする震度5弱の地震が発生したため、UH-1ヘリ1機で情報収集を行った。640100頃、福島県沖を震源とする震度5弱の地震が発生したため、UH-1で情報収集を行った。7250351頃に福島県沖で発生した震度5弱の地震を受け、航空機で情報収集を行った。2012117-18日、埼玉県秩父郡小鹿野町にある父不見山の山林火災で情報収集を実施。412300過ぎ、福島県沖でマグニチュード5.9の地震が発生し、震度5弱を観測したため、2323からヘリ映伝搭載UH-1を2機離陸させて420300前まで情報収集を行った。20135181448頃、福島県沖を震源とする震度5強の地震が発生したため、1501から1802まで航空機で情報収集を行った。85日、第2陸曹教育隊で陸曹航空操縦学生制度とUH-1Jヘリの説明を実施。2014215-23日、東北大雪災害の災害派遣に参加。430300-1800、チリ地震で発令された津波注意報を受け、情報収集活動を実施。513日、第2陸曹教育隊の陸曹候補生課程学生90名に陸曹航空操縦学生募集も制度説明を行った。20151月、平成26年度航空科統一職種訓練に参加。2171346、岩手県沖を震源とするマグニチュード5.7・最大震度5強の地震が発生したため、OH-1ヘリ1機とAH-1Sヘリ1機で情報収集を実施。32日、陸自航空安全の日の行事として空自航空安全管理隊から講師を招いて講話を聴講し、各部隊代表者が航空安全施策を発表した。461010頃、霞目駐屯地を0945に離陸して定期整備点検後の試験飛行(オートローテーション着陸)を行っていたOH-6Dヘリ1機が、エンジン出力を下げてオートローテーション状態に移行した後、出力を上げる試験を行ったところ、エンジン出力が回復しなかったため、宮城県仙台市宮城野区の水田に不時着(予防着陸)した。機体はテイルローターが切断されたが、乗員2名含む人的被害は無かった。陸幕はOH-6Dの飛行停止措置を決め、1425に事故調査委員会を設置。1900、事故機が霞目駐屯地に搬送された。5130612頃、宮城県沖でマグニチュード6.8の地震が発生し、最大震度5強を観測したため、航空機により情報収集を行った。626日、陸上幕僚監部が4月に起きたOH-6Dヘリ不時着の事故調査結果を発表。エンジンの燃料制御器が一時的に不具合を生じたため、出力回復不良になったためとした。対策として、オーバーホールした燃料制御器を新造の燃料制御器に交換している。オートローテーション試験は自衛隊が使用する飛行場または演習場に限定して実施することとした。また、不時着時に後傾姿勢をとっていたため機体の損傷が大きくなったとみられ、パイロットの操作上の対策も施すことにしている。910日から関東・東北豪雨の災害派遣に参加。2016331日から41日、福島県伊達市山林火災の災害派遣に参加。414日・16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。6161421頃、函館市で最大震度6弱を記録する地震が発生したため、ヘリ映伝搭載UH-1ヘリ1機を待機させた。830日から台風10号被害の災害派遣に参加。1126日、岩手駐屯地で岩手地本が行った、中高生や募集援護協力者64人に対するUH-1体験搭乗に協力した。2017430日から510日、福島県浪江町の十万山で発生した山林火災の災害派遣に参加。2018412-14日、岩手県宮古市田老町で発生した山林火災の災害派遣に参加。87-8日、長野県大桑村城山で発生した山林火災の災害派遣に参加。201929日、岩手地本のUH-1Jヘリ体験搭乗に協力した。49-10日、福島県田村町で発生した山林火災の災害派遣に参加。423日に青森県南部町で発生した山林火災の災害派遣に参加。6182222に発生した山形県沖を震源とする最大震度7の地震でUH-1Jヘリによる情報収集活動を実施。6210955頃、立川駐屯地で飛行訓練中のUH-1Jヘリ1機が着陸に失敗して大破、テイルブームが折れてメインローターが壊れた。乗員2名は無事だった。2020430日に山形県南陽市で発生した山林火災の災害派遣に参加。728日の山形県大雨でUH-1Jによる情報収集を実施。2021423日、福島県郡山市で発生した山林火災の災害派遣に参加。124-17日、レゾリュート・ドラゴン21に参加。20223162336頃、福島県沖を震源とする最大震度6の地震が発生したため、UH-1Jヘリ情報収集を行った。59日に青森県十和田市で発生した山林火災の災害派遣に参加。202338日、福島県郡山市と白河市で発生した山林火災の災害派遣に参加。

参考:スピアヘッドNo.8、月刊JWings6,116,145,156,156,'169,167,199,197,'216,225,'23MAMOR vol.52vol.118vol.138vol.142vol.150vol.162、月刊航空ファン7,169,19、朝雲

東北方面航空隊(2007年度)>:東北方面ヘリコプター隊、第2対戦車ヘリコプター隊などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,07

東北方面航空隊(2009年度)>:東北方面隊隷下で、霞目駐屯地に置かれている。隷下に東北方面ヘリコプター隊、第2対戦車ヘリコプター隊、東北方面管制気象隊、東北方面航空野整備隊を置く。参考:月刊航空ファン4,10

東北方面航空隊(2020年)>:東北方面隊隷下で、霞目駐屯地にある。東北方面ヘリコプター隊、第2対戦車ヘリコプター隊などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,20

東北方面広報基幹要員>:東北方面隊の女性自衛官12名による広報部隊で、通称東北方面フラッグ隊。東北方面音楽隊の演奏と連携し、旗などにより演舞を披露する。参考:朝雲

東北方面後方支援隊>:陸上自衛隊の方面後方支援隊。20063月、仙台駐屯地で新編され、東北方面輸送隊が隷下に入った。2010810-12日、新隊員教育隊が王城寺原演習場で新隊員後期課程野外訓練を実施。12月、仙台駐屯地野外炊事訓練場で平成21年度隊炊事競技会を実施。第108全般支援大隊が優勝、第105施設直接支援大隊が準優勝、第303高射直接支援中隊が第3位となった。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。3201604、第108全般支援大隊が15カ所に燃料を輸送し、6カ所に燃料を巡回配布した。3211136、第108全般支援大隊が14カ所に燃料を巡回配布した。3221527、仙台市若林区と宮城野区で燃料巡回配布を実施。3231428、仙台市宮城野区と若林区の21カ所に燃料巡回配布を行った。3241000、仙台市宮城野区と若林区で燃料巡回配布を実施。325日、救援物資の輸送と燃料の巡回配布を実施。3261027、仙台市宮城野区と若林区で燃料巡回配布を実施。3271500、仙台市宮城野区と若林区の33カ所に燃料を巡回配布した。3280950、仙台市宮城野区と若林区で燃料巡回配布を実施。3291630、仙台市宮城野区と若林区で燃料巡回配布を実施。3301000、仙台市宮城野区と若林区で燃料巡回配布を実施。3311545、仙台市宮城野区と若林区で燃料を配布。411525、仙台市宮城野区と若林区での燃料巡回配布を終了。420950、仙台市宮城野区と若林区で燃料を配布。524-27日、仙台駐屯地で陸曹候補生選抜術科試験を実施。東日本大震災の災害派遣中のため、口述試験と停止間動作のみの術科試験を行った。201226日、島松駐屯地で各方面後方支援隊合同検討会に参加。33日、第105全般支援大隊が富士駐屯地で創隊10周年記念行事を実施。2013227日、仙台駐屯地で炊事競技会を実施。東北方面輸送隊チームが優勝した。2014129-11日、野外通信・有線構成能力向上を目的に第2回隊通信訓練を実施。隊員延べ60名が無線・信務訓練(AM通信所開設、通信系構成、電報処理)、有線訓練(有線技術基礎技術、有線構成要領、電話番号登録)、隊統一訓練(電話機一斉指令通話、同時通話などの検証)を行った。2015122日、仙台駐屯地で隊炊事競技会を実施。6名編成の6チームがチキンカツカレー、ツナコーンサラダ、野菜スープで腕を競い、優勝は第108全般支援大隊、準優勝は第105施設直接支援大隊、3位は第102特科直接支援隊だった。2016122日、仙台駐屯地で戦闘戦技競技会を実施。小銃分解結合、車両操縦・タイヤチェーンの装着、救急法・搬送法、有線構成、無線機取り扱い・通話法を7個部隊13組が競い合った。414日と16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。512-16日、仙台駐屯地で予備自衛官招集訓練を実施。予備自衛官87名が基本教練、射撃予習、射撃、体力検定、救急法・野外衛生、通信器材取扱、検問要領などの訓練を行った。2017327日、隷下にコア部隊の第301弾薬中隊が新編された。59-15日、王城寺原演習場と八戸演習場で方面総監検閲を受閲した。2018627-28日、宮城県蔵王山で行方不明になった男性の捜索に係る災害派遣に参加。201999日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。1013日から台風19号・21号被害の災害派遣に参加。2020326日、第102特科直接支援隊の隷下に第305特科直接支援中隊を新編し、主力を岩手駐屯地に、郡山派遣小隊を郡山駐屯地に置いた。主任務は東北方面特科連隊への直接支援である。411-16日、第305特科直接支援中隊が王城寺原演習場で東北方面特科連隊野営訓練に参加し、FH70の整備業務を行った。2021613日、隊員24名がLOVE東北RUN!たまねぎリレーマラソンに参加し、男女混成の部で優勝した。96-10日、王城寺原演習場で第2回隊訓練(部隊前方支援地域への進入、支援施設開設、各種補給品補給)を実施。125日、仙台・霞目・多賀城駐屯地の転入者・新婚家族・新隊員家族ら22人に部隊・家族間のコミュニティー支援を実施。2022316日に発生した福島県沖最大震度6強の地震の給水に係る災害派遣に参加。参考:MAMOR vol.52vol.140vol.155、仙台駐屯地ホームページ、朝雲、月刊JWings6,11、月刊航空ファン6,11

東北方面混成団>:陸上自衛隊の混成団。東北方面隊直轄の教育部隊である。隷下に第38普通科連隊(コア連隊)、第119教育大隊、第2陸曹教育隊を置き、新隊員、陸曹、即応予備自衛官に対する訓練を行う。定数1100名。20063月、第6師団第38普通科連隊を基幹とし、東北方面隊隷下に仙台駐屯地で新編された。200957日、第119教育大隊第304共通教育中隊が射撃予習訓練を実施。58日、第119教育大隊第341共通教育中隊が射撃予習訓練、同第340共通教育中隊が空包射撃訓練を実施。511日、第119教育大隊第340共通教育中隊が駐屯地とその周辺地域で10km行進を実施。同第341共通教育中隊が手榴弾投擲訓練と小銃てき弾訓練を実施。512日、第119教育大隊第341共通教育中隊が駐屯地障害走路で障害通過要領訓練を実施。514日、第2陸曹教育隊が王城寺原演習場で第115期陸曹候補生課程75名に対する各個戦闘訓練(潜入)を実施。実弾が飛び交い、爆薬が炸裂する中で、匍匐前進などの行動を訓練した。1113-17日、第119教育大隊が平成21年度予備自衛官補招集教育訓練を実施。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。有馬勝彦二等陸曹は地震発生を受けて多賀城駐屯地に向かう途中、津波に流された60代の女性らを救助し、自らも津波に呑まれそうになりながらも近くの民家の屋根に逃れた。その後同僚2名と共に翌朝までに付近の18人を救助している。323日(22日?)から被災地に投入された。2012421日、第38普通科連隊が管内8カ所の駐屯地で即応予備自衛官333名に第1次招集訓練を実施。511日、第119教育大隊第304中隊が多賀城駐屯地で飯盒炊飯訓練を実施。201910月、第38普通科連隊が台風19号・21号被害の災害派遣に参加。2020117-21日、予備自衛官補招集訓練を実施。71日と14日、東根射場などで第2陸曹教育隊と第119教育大隊の基幹要員に射撃指導者集合訓練を実施。71日、第38普通科連隊が一般公募予備自衛官3名に即応予備自衛官への最終判定(空包射撃、匍匐前進、応急救護など)を行い、全員合格した。参考:月刊軍事研究10,106,118,11、仙台駐屯地ホームページ、朝雲

東北方面指揮所訓練支援隊>:陸上自衛隊の指揮所訓練支援隊。20053月、仙台駐屯地で新編された。2017418日、第6師団中隊長等集合訓練で、蓄積した教訓を中隊長に普及した。424-25日、指揮所訓練センターで機械化部隊戦闘シミュレーターを使用した訓練を支援。2021217日、仙台駐屯地業務隊栄養士による栄養教育を受講した。参考:仙台駐屯地ホームページ、朝雲

東北方面指揮所訓練センター>:陸上自衛隊の指揮所訓練センターで、BCTCと略す。2017年度に機械化部隊戦闘シミュレーターのバージョンアップを行い、偵察小隊RCV班、LAV班、バイク班の端末装置を構成して実戦に近い偵察小隊の訓練を行えるようにした。2017424-25日、機械化部隊戦闘シミュレーターによる初の中隊対抗訓練を実施。東北方面指揮所訓練支援隊の支援の下、第6戦車大隊と第9戦車大隊が遭遇戦を想定した訓練を行った。530-31日、第38普通科連隊第2中隊が指揮所訓練統裁支援システムを活用した増強普通科中隊の攻撃行動の訓練を実施。822-25日、第9師団第5普通科連隊第1・第3中隊が指揮所訓練統裁支援システム訓練を実施。104-5日、第6師団第6偵察隊が機械化部隊戦闘シミュレーターでRCV班を対象とした斥候訓練(全国初)を行った。2019616-21日、第9師団の指揮所訓練を支援した。参考:朝雲

東北方面情報処理隊>:陸上自衛隊の方面情報処理隊。2009326日、東北方面隊隷下の情報処理部隊として仙台駐屯地で新編された。隊本部、情報処理班2個からなり、隊員は30名である。国内外情勢及び災害などの資料整理分析や、防衛・警備行動に関する作戦情報処理を主任務とする。2017628日、東北方面指揮所訓練センターで指揮所訓練統裁支援システムを活用した情報処理訓練を実施。基幹要員で演習師団司令部第2部を編成し、指揮所訓練統裁支援システムで状況を再現、戦場監視組織から送られる情報を解析して敵の攻撃要領を解明した。参考:朝雲

東北方面総監部>:陸上自衛隊東北方面隊の方面総監部。19601月、仙台駐屯地で新編された。2010610日、宮城県が主催して開催された宮城県沖地震総合図上訓練に参加。2011130日、セシウム137を含むダーティーボムによるテロを想定した国民保護共同実動訓練に参加。311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。3111450、宮城県庁に連絡員を派遣。1523、福島県庁に連絡員を派遣。2017726日、チリ陸軍総司令官が訪問した。1027日、陸自における働き方改革推進のための取組コンテストで表彰された。参考:仙台駐屯地ホームページ、月刊JWings6,11、朝雲

東北方面総監部付隊>:陸上自衛隊東北方面隊の総監部付隊。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。参考:MAMOR vol.52

東北方面隊>:陸上自衛隊の方面隊。東北6県を担当し、重砲部隊により青函地区を防衛する。また、北海道や首都圏で有事や大災害が起こった場合には予備を務める。1960114日に創設された。19621月、東北方面航空隊が新編された。1964616日に発生した新潟地震の災害派遣に参加。19763月、東北方面輸送隊が新編された。1995117日に発生した阪神淡路大震災の災害派遣に参加。20063月、東北方面輸送隊が東北方面後方支援隊隷下に移った。2009326日、隷下に東北方面情報処理隊が新編された。5月下旬、岩手山演習場で師団対抗射撃競技会を実施。第1師団第1戦車大隊、第6師団第6戦車大隊、第9師団第9戦車大隊の36両が参加した。720-25日、王城寺原演習場で方面施設科訓練エンジニアフレアinみちのく09を実施。第2施設団、第6師団第6施設大隊、第9師団第9施設大隊、第5高射特科群、空自第6高射群など隊員700名が参加した。92日、前年6月に発生した岩手・宮城内陸地震における災害派遣の功績で、防災功労者内閣総理大臣表彰状を授与された。201028-10日、宮城県沖地震を想定した震災対処訓練を実施。325日、第10施設群第303坑道中隊が廃止された。326日、第2特科群を廃止して東北方面特科隊(第130特科大隊、第4地対艦ミサイル連隊など)を新編した。423日、東北方面総監部付隊が官用車両無事故無違反走行700kmを達成した。2011218-23日、東北方面炊事競技会を仙台駐屯地で実施。第9師団が75点、第6師団が73.33点で、第9師団が勝利した。311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。災害派遣で手一杯となり、多賀城駐屯地も被災して一般陸曹候補生合格者の訓練が行えなくなったことから、大津駐屯地と真駒内駐屯地に振り分けて教育を行うこととなった。自衛官候補生は予定通り各駐屯地部隊に入隊し、基礎訓練などが行われる。3120648、福島原発事故に対応するため、人員100名と車両50両が福島駐屯地を出発し、オフサイトセンターに向かった。323日、即応予備自衛官158名を部隊に編入した。1116-18日、岩手山演習場で東北方面隊戦車射撃競技会を実施。第6師団第6戦車大隊、第9師団第9戦車大隊、第1師団第1戦車大隊が参加し、第9戦車大隊が優勝した。2012410-13日、岩手山演習場で東北方面直轄部隊集中野営訓練を実施。529日、仙台駐屯地で災害対策連絡会議を実施。東北六県、仙台市、国の機関、医療機関、企業、宮城県内のテレビ・ラジオ局計6社などから200人が参加した。121-3日、ヤマサクラ63に参加。2013831日、南海トラフ巨大地震を想定した平成25年度広域医療搬送訓練に参加。2014116-9日、みちのくALERT2014に参加。20152171346、岩手県でマグニチュード5.7の地震が発生し、最大震度5強を観測したため、観測ヘリ1機で情報収集を行った。1023日から1113日、平成27年度自衛隊統合演習に参加。2016522日から64日、モンゴルでGPOIキャップストーン演習に参加。921日から平成28年度連隊等協同転地演習を実施。104日から116日、鎮西28に連動した平成28年度連隊等協同転地演習を実施。1130日から1213日まで、ヤマサクラ71に参加。2017124日から224日、コブラ・ゴールド17に参加。828日から105日、北部方面隊総合戦闘力演習の北演29に参加。1129日から1213日、ヤマサクラ73に参加。2018213-23日、コブラ・ゴールド18に参加。59日、30期生16名に平成30年度方面広報基幹要員(方面フラッグ隊)集合訓練を開始。613-28日、ヤマサクラ74に参加。76日に発生した西日本豪雨の災害派遣に参加。1022日から1124日、平成30年度方面隊実動演習に参加。119-11日、みちのくALERT2018に参加。123-17日、ヤマサクラ75に参加。2019212-22日、コブラ・ゴールド19に参加。97日、内閣府主催の大規模地震時医療活動訓練に参加。2020124-26日、仙台駐屯地で予備自衛官73名に対する佐官予備自衛官招集訓練を実施。131日に発出された新型コロナウイルス感染症拡大防止の災害派遣に参加。326日、東北方面特科連隊が新編された。413-15日、宮城県知事からの災害派遣要請を受け、医官ら数名を仙台市内に派遣し、PCR検査のための検体採取を行った。65日、岩手県知事から新型コロナウイルス市中感染拡大防止に係る災害派遣要請があり、隊員10名が県職員と医療関係者20人に感染防止などの教育支援を行った。824日から910日、令和2年度方面隊実動演習北部方面隊)に参加。1112日と1216日、みちのくALART2020に参加。

2021630日、総務省東北総合通信局と、災害時等の相互協力に関する協定を締結した。202259日に青森県十和田市で発生した山林火災の災害派遣で、第101高射特科隊が連絡員1名を十和田市役所に派遣した。20231130日から1213日、ヤマサクラ85に参加。

参考:月刊PANZER7,095,11、月刊JWings7,106,11、月刊軍事研究10,102,124,17MAMOR vol.52vol.140vol.160vol.164、陸上自衛隊地上戦力の全容、月刊航空ファン2,154,19、月刊世界の艦船1,'1611,1911,'20、朝雲、日本の防衛戦力Part1

 <東北方面隊(1977年)>:総監部は仙台にある。隷下に第6師団、第9師団、第2特科群、第5高射特科群、第2施設団、東北方面通信群、東北方面航空隊、第1教育連隊、東北地区補給処、自衛隊仙台病院などを置く。参考:日本の防衛戦力Part1

 <東北方面隊(1980年)>:総監部は仙台にある。隷下に第6師団、第9師団、第2特科群、第5高射特科群、第2施設団、東北地区補給処、仙台地区病院などを置く。参考:自衛隊装備カタログ1981

東北方面隊(1980年代後半)>:東北6県を担当する方面隊で、総監部は仙台にある。第6・第9師団、第2特科群、第5高射特科群、第2施設団、第1教育連隊を基幹とし、北部方面隊予備としての機能と、青函地域防衛任務を持つ。参考:兵器最先端5、月刊軍事研究3,10、陸上自衛隊地上戦力の全容

東北方面隊(2007年度)>:隷下に第6師団、第9師団、第2施設団、第2特科群、東北方面混成団、東北方面航空隊、東北補給処などを置く。参考:月刊JWings6,07

 <東北方面隊(2009年度)>:隷下に東北方面総監部(仙台)、東北方面航空隊、第6師団、第9師団、東北方面混成団、第2特科群、第5高射特科群(八戸。改良ホーク)、第2施設団、東北補給処(仙台)などを置く。参考:月刊軍事研究3,10、月刊航空ファン4,10

東北方面隊(2010年度)>:隷下に東北方面総監部、東北方面総監部付隊、第6師団、第9師団、第2施設団、東北方面混成団、東北方面特科隊、第5高射特科群、東北方面通信群、東北方面航空隊、東北方面後方支援隊、東北方面衛生隊、東北方面会計隊、東北方面指揮所訓練支援隊、東北方面情報処理隊、東北方面音楽隊、東北補給処、自衛隊仙台病院、各駐屯地業務隊、各地方協力本部を置く。参考:月刊軍事研究10,10

東北方面隊(2014年度)>:東北方面総監部/付隊、第6師団、第9師団、東北方面混成団、第5高射特科群、第2施設団、東北方面特科隊、東北方面航空隊などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,14

東北方面隊(2015年)>:東北方面総監部、東北方面総監部付隊、第6師団、第9師団、第5高射特科群、第2施設団、東北方面特科隊、東北方面混成団、東北方面航空隊、東北方面後方支援隊、東北方面通信群、東北方面衛生隊、東北方面会計隊、東北方面情報処理隊、東北方面指揮所訓練支援隊、東北方面音楽隊、東北補給処、自衛隊仙台病院、各駐屯地業務隊を隷下に置く。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

東北方面隊(2020年)>:特北方面総監部/総監部付隊、第6師団、第9師団、東北方面航空隊、第2施設団、東北方面混成団などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,20

東北方面通信群>:陸上自衛隊の方面通信群。19683月、仙台駐屯地で新編された。200992-5日、王城寺原、岩手山、小谷、弘前演習場などで方面総監訓練検閲を受閲した。201067-10日、映像写真小隊が海自大湊基地などでヘリコプター映像伝送システム協同訓練に参加。海自大湊システム通信隊の衛星固定局、空自第37警戒隊の簡易可搬局装置を使用し、東北方面航空隊OH-1ヘリからの映像を伝送する訓練を行った。また、三陸沿岸部と下北半島の地誌資料収集や、FM映像受信感度調査を実施した。訓練終了後、東北方面通信群群長と第37警戒隊長の間で簡易可搬局装置の保管点検に関する協定が締結された。2011117日から224日、平成22年度第4回東北方面隊指揮システム基幹要員集合訓練を実施。311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。2017110日、訓練始めとして仙台駐屯地一周駆け足を実施。23日と7日、群システム競技会を実施。第303基地システム通信中隊が優勝、第301中枢交換中隊が準優勝した。2018412日に宮古市で発生した山火事の災害派遣に参加。2020123-27日、予備自衛官83名に予備自衛官5日間招集訓練を実施。参考:仙台駐屯地ホームページ、朝雲、MAMOR vol.52

東北方面特科隊>:東北方面隊の方面特科隊。2010326日、第2特科群の隷下部隊と第4地対艦ミサイル連隊を基幹として仙台駐屯地で新編され、隊旗授与式が行われた。47-10日、第4地対艦ミサイル連隊が岩手山演習場で連隊総合訓練を実施。423-26日、王城寺原演習場で第二次野営訓練を実施。隊本部中隊が通信小隊訓練、第130特科大隊第2中隊が捕虜捕獲時の行動の研究発表、第304観測中隊が気象班検閲を行った。612日、仙台市総合防災訓練に参加。617-18日、第130特科大隊のMLRS競技会を実施。第3中隊が完全優勝した。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。1825、保育所で救援活動を開始。2348、仙台市内の避難所にストーブ260台を運んだ。3130857、第130特科大隊が26名を救出した。3140945、第4地対艦ミサイル連隊が800食の炊き出しを行った。3161709、第4地対艦ミサイル連隊が米、毛布、りんごを輸送。2013321日、平成24年度幹部任官式を実施。201615日、仙台駐屯地で訓練始めの持久走を実施。隊員1名が体調不良で倒れたが、駐屯地内での息子の野球練習のため訪れていた民間の消防士と介護士が救命処置を行い救急搬送され、一命を取り留めた。これに謝意を示すため、214日に隊長が2人に感謝状を授与した。104日から116日、鎮西28に連動した東北方面隊平成28年度連隊等協同転地演習に参加。2017110日、第130特科大隊が訓練始めとして総出訓練を実施。全隊員が格闘検定2級の動作を訓練した。21-3日、本部中隊、第130大隊、第304観測中隊が十和田湖温泉スキー場で第4地対艦ミサイル連隊冬期戦技競技会に参加。41-2日、岩手山演習場及び岩手駐屯地で第6師団第6特科連隊及び第9師団第9特科連隊と野戦特科合同戦技競技会に参加。2019320日、第130特科大隊が廃止され、仙台駐屯地で隊旗返還式が行われた。2020326日、東北方面特科連隊が新編された。2021124-17日、レゾリュート・ドラゴン21に参加。参考:MAMOR vol.52、仙台駐屯地ホームページ、月刊JWings6,11、月刊航空ファン6,11、朝雲

東北方面特科隊(2010年)>:東北方面隊隷下で、仙台に置かれている。隊本部/本部中隊、第304観測中隊、第4地対艦ミサイル連隊、第130特科大隊(MLRS)からなる。参考:月刊軍事研究10,10

東北方面特科連隊>:陸上自衛隊の特科連隊。2020326日、前日に廃止された第6師団第6特科連隊及び第9師団第9特科連隊を統合し、東北方面特科隊隷下に岩手駐屯地で新編され、連隊旗授与式が行われた。隷下4個大隊を岩手駐屯地(第2・第4大隊)と郡山駐屯地(第1・第3大隊)に2個ずつ置いている。411-16日、王城寺原演習場で野営訓練を実施。FH70実射訓練では東北方面後方支援隊102特科直接支援隊第305特科直接支援中隊の整備支援を受けた。527日、自衛官候補生の戦闘訓練評価を実施。202117-17日、第73回岩手県民体育大会スキー競技会の整備作業を実施。2132308頃に発生した福島県沖を震源とする最大震度6強の地震で断水が発生したため、214日に福島県知事から第6師団第44普通科連隊に給水支援の災害派遣要請があり、天栄村で給水支援を行った。410日、自衛官候補生29名の入隊式を実施。417-18日、王城寺原演習場で特科戦技競技会を実施。測量・築城と有線・無線通信の2部門で競い、前者で第2大隊、後者で第2大隊本部管理中隊が優勝した。51日に岩手地本本部と盛岡募集案内所がイオンモール盛岡南で行った広報「Jのお仕事」と55日に杜の住宅公園で行った広報「はたらくジエイタイのくるま」に協力した。63日、自衛官候補生の小銃手としての各個戦闘動作を評価すべく戦闘訓練評価を実施。76-10日、第2大隊の訓練検閲を実施。92日、新隊員教育隊が岩手山演習場で訓練評価を実施。94日、岩手県総合防災訓練に参加。2022316日に発生した福島県沖最大震度6強の地震の給水に係る災害派遣に参加。422日、教育隊が岩手駐屯地と岩手山演習場で新隊員に10キロ行進を実施。2023622日から713日、1個特科中隊がサザン・ジャッカルー23に参加。参考:朝雲

東北方面武器隊>:陸上自衛隊の方面武器隊。19643月、仙台駐屯地で新編された。20063月に廃止された。参考:仙台駐屯地ホームページ

<東北方面フラッグ隊>:東北方面広報基幹要員を参照。

東北方面ヘリコプター隊>:東北方面隊の方面ヘリコプター隊。196831日に新編された。19731220日、第2飛行隊のH-19ヘリが訓練中に深沼場外訓練場に落着する事故を起こした。19879月、岩手山演習場滑走路帯でUH-1が地面に接触、大破し、乗員が軽傷を負った。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。第1飛行隊はインドネシアへの海外派遣に向け移動中で、海老名サービスエリアで休憩中に地震に襲われ、仙台に引き返すことになった。ただ緊急車両のステッカーを貼っていないと東北道を通れなかったため(一見すれば自衛隊車両と分かるだろうに杓子定規すぎる)、朝霞駐屯地に立ち寄ってステッカーを受領している。また、ヘリも数機が海自輸送艦でインドネシアに向かっており、霞目駐屯地に残っていたヘリを第2飛行隊と使い分けることになった。第2飛行隊は午前に福島県福島市で、午後に福島県郡山市で訓練飛行を実施していた。訓練飛行を終えて霞目駐屯地に無線を入れたが通じず、何度目かで漸く連絡が取れて発災を知り、雪模様の中でそのまま被災地の偵察を行うことにした。1501、ヘリ映像伝送装置を搭載した第1飛行隊UH-1ヘリが離陸。仙台新港のコンビナート火災を報告し、三陸沿岸を北上したが、雪が降っていたため塩釜より先に行けず、仙台と名取の偵察を開始した。仙台上空を偵察中、名取川に津波が来るという情報が入ったため、名取川方面の撮影を開始。荒浜地区を壊滅させた津波被害を1時間ほど撮影したところで降雪が酷くなり、一旦飛行場近くの畑に予防着陸した後、1700前に霞目駐屯地に帰投した。第2飛行隊のヘリは雪を避けて偵察飛行を行っていたが、警察や消防などのヘリも雪の無い方に偏ってきたため危険な状態となり、一旦霞目駐屯地に戻った。1703、雪が小やみになったため、第2飛行隊のUH-1ヘリ4機が離陸してNVGゴーグルによる暗視飛行を行い、荒浜小学校と中野小学校で救出活動を実施。翌朝までに170人を救助した。312日、CH-47ヘリ3機とUH-1ヘリ3機が双葉町の老人200名を川俣町農村広場に輸送した。320日、石巻市に食糧を輸送した。321日、第2飛行隊のUH-1ヘリ1機が福島原発の偵察のため福島県楢葉町のJビレッジに前進。1241、石巻市網地島に支援物資を輸送。3230842、石巻市内の3カ所に食糧を輸送。1231、石巻赤十字病院と栗原総合病院に患者と医師を搬送。1245、第2飛行隊のUH-1ヘリが福島原発の偵察のためJビレッジを離陸。放射性物質の侵入を防ぐため、機首開閉部を目張りし、放射線防護のため座席や床にタングステンシートを貼り付け、防護マスクと防護衣(タイペックス)を着用した6名(機長、副操縦士、伝送班2名、放射線量測定員、情報部隊員)が乗り込んだ。高度300-600mで撮影する予定だったが、強風と雪のため視界が悪く、原子炉上空150mまで降下して1時間ほど撮影を行った。機内の線量計による被曝線量はマイクロシーベルト単位だった。3240907、石巻市青葉中、好文館高に救援物資輸送。3250829、石巻市と仙台市に救援物資を輸送。327日、ヘリ映像伝送装置搭載UH-1ヘリで福島第一原発を撮影した。410日、集中捜索に参加。916日、第2飛行隊が、1機あたり平均無事故飛行1万時間達成により(実際に達成したのは312日)、陸幕長から第2級賞状を授与された。2012928日、19879月以来の航空無事故25年を達成し、格納庫前でセレモニーを実施した。2013311日、東北方面ヘリコプター隊最後のUH-1Hヘリが退役し、霞ヶ浦駐屯地関東補給処に向かった。2016109日、宮城県栗原市の瀬峰飛行場でくりはら秋・夢まつり2016に本部付隊OH-6Dヘリと第2飛行隊UH-1Jヘリで参加。2018826日、平成30年度神奈川県・海老名市合同総合防災訓練ビッグレスキューかながわにUH-1Jヘリで参加。2019915日、秋田地本の募集対象者ら40人に対するUH-1J多用途ヘリ体験搭乗に協力した。106日、宮城県栗原飛行場で開催された栗原セミネ飛行場まつり2019で、OH-6Dヘリ1機を地上展示した。20201219日、福島地本のUH-1J多用途ヘリ体験搭乗に協力し、45人に体験飛行を行った。20212132308頃、福島県沖を震源とする最大震度6強の地震が発生したため、UH-1Jヘリ情報収集を行った。202278日、安部元総理殺害事件が発生したため、山形県で遊説中の岸田総理が急遽首相官邸に戻ることになり、UH-1Jヘリで神町駐屯地から第402飛行隊U-4多用途支援機が待機する松島基地まで輸送した。参考:MAMOR vol.52、月刊JWings6,112,136,1311,181,205,'2110,'22、月刊航空ファン6,111,17、スピアヘッドNo.14、朝雲

東北方面ヘリコプター隊(2009年度)>:東北方面航空隊隷下で、霞目駐屯地に置かれている。本部付隊(OH-6D)、第1・第2飛行隊(UH-1HUH-1J)からなる。参考:月刊航空ファン4,10

東北方面ヘリコプター隊(2020年)>:東北方面航空隊隷下で、霞目駐屯地にある。本部付隊(OH-1)、第1飛行隊(UH-1J)、第2飛行隊(UH-1J)を隷下に置く。参考:月刊JWings6,20

東北方面輸送隊>:陸上自衛隊の方面輸送隊。19763月、東北方面隊隷下に霞目駐屯地で新編された。20063月、東北方面後方支援隊の隷下に移った。201999日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。参考:霞目駐屯地ホームページ、MAMOR vol.155

東北補給処(陸上自衛隊)>:陸上自衛隊の補給処。20063月、東北地区補給処から改編されて仙台駐屯地で創設された。20081211日、整備部溶接教習所で隊員7名に対する溶接技能訓練修了式を実施。2009723日、整備部溶接教習所が溶接技能訓練修了式を実施。隊員8名にガス溶接技能講習修了証、アーク溶接等特別教育修了証、教育修了証が授与された。829-31日、平成21年度統合防災演習に参加。106-7日、装備計画部が禿岳と中山平廠舎地区で野外訓練を実施。201028-10日、東北方面隊が実施した震災対処訓練に参加。指揮所を開設して情報収集を行い、第3種非常呼集を発令して出動準備を整え、登庁した隊員の隊容検査や、停電を想定した手書きの業務を実施した。20121120日、装備計画部が多賀城駐屯地の双観山で掩体構築訓練を実施。2015115日、東日本大震災で損傷した溶解炉の修復作業が完了し、火入れ式を実施。2016628日、市立聖和学園高校生徒19人の職場見学を支援し、装輪車整備工場と需品整備工場の見学と、金属部品加工や裁縫作業の体験を行った。712日、防衛監察本部が第31回コンプライアンス講習会を開催した。2018516日、宮城県溶接技術競技大会表彰式で、初級アーク手溶接の部において最優秀賞と優秀章を飾った隊員計2名が表彰された。95日、07式機動支援橋整備場、92式地雷原処理車試験室、渡河ボート整備場・漏水試験室を集約した機動支援橋整備工場の落成式を実施。2019614日、通信システム・レーダ整備工場(野外通信システム、広帯域多目的無線機、対砲レーダー、対空レーダー、着陸誘導装置などの整備が可能)の落成式を実施。202235-6日、佐官予備自衛官職務訓練を実施。参考:朝雲、仙台駐屯地ホームページ

東北補給処多賀城燃料支処>:東北方面隊唯一の燃料専門補給基地である。1961年、多賀城駐屯地で開設された。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。震災発生から3週間で通常の1年分の燃料を供給した。参考:朝雲、多賀城駐屯地ホームページ

東北民主聯軍航空学校>:中国共産党の航空学校で、東北老航校ともいう。19463月に開設され、関東軍第2航空軍独立第101教育飛行団第4錬成飛行隊長林弥一郎少佐を中心とする中国残留日本軍航空関連将兵300名を教官とし、一式戦闘機、九九式高等練習機、零戦二一型、P-51戦闘機などを使用してパイロット訓練を行った。1949101日、天安門での閲兵式における建国観閲飛行を最後に解散し、育成した130名以上のパイロットは翌月に創設された中国空軍に引き継がれた。参考:月刊航空ファン3,20

<東北老航校>:東北民主聯軍航空学校を参照。

ドゥマリック計算尺>:イギリスのドゥマリック(Dumaresq)海軍士官が20世紀初めに開発した、艦砲射撃用FCS。自艦の速力、針路、敵艦の旋回角(自艦から観測)、的速、的針を手動入力すると、距離と旋回角の変化率を出力してくれる。日本海軍も変距率盤の名称で金剛級に搭載した。アメリカではレンジ・プロジェクター、ドイツでは距離苗頭表示器(EU/SV Anzeiger)、フランスではレート・レゾルバー(Rate resolver)という名称で同時期に類似の装置を開発、ド級戦艦に搭載している。参考:月刊世界の艦船1,12

トゥムラレン(初代)>:スウェーデン海軍スヴォルドフィスケン級潜水艦2番艦で、名前の由来はイルカの一種から。1914年進水。1936年退役。カールスクローナで対空砲台として使用され、1946年にスクラップにされた。参考:月刊軍事研究1,03

トゥムラレン(2代目)>:スウェーデン海軍ショーレヨネット級潜水艦5番艦。1940年起工、194098日進水、1941719日就役。196411日退役。参考:月刊軍事研究1,03

<トゥムレーレン>:S-322(潜水艦)を参照。

<トゥムレーレン級>:コッベン級・海外シリーズ(潜水艦)を参照。

同盟強靱化予算>:在日米軍駐留経費負担の通称。20211221日に岸防衛大臣が思いやり予算から改称すると発表した。在日米軍関連労働者の労務費、光熱水料等、施設整備費、訓練資機材調達費(2022年度新設)、訓練移転費などで構成される。2022-26年度の年平均額は2110億円としている。参考:朝雲

同盟調整メカニズム>:ACMAlliance Coordination Mechanism)と略す。日米防衛協力のための指針(2015年見直し)に基づいて2015113日から運用を開始した、常設の日米間調整機構。平時から開設して日米間で情報を共有し、自衛隊とアメリカ軍の調整を強化、平時-グレーゾーン-緊急事態のあらゆる段階で実効的に対応できるようにするシステムで、同盟調整グループ(Alliance Coordination GroupACG)、共同運用調整所(Bilateral Operations Coordination CenterBOCC)、各自衛隊及びアメリカ軍各軍間の調整所(Component Coordination CentersCCCs)、日米合同委員会(Joint CommiteeJC)からなる。同盟調整グループは日米外務・防衛当局(必要に応じ関係省庁)の局長・課長・担当級、共同運用調整所は各幕僚監部、アメリカ太平洋軍代表、在日米軍代表、CCCsは3自衛隊と米4軍、日米合同委員会は外務省北米局長と在日米軍副司令官で構成され、相互調整や情報交換を行い、必要に応じて閣僚など上位レベルの調整を行う。20161月、キーン・エッジ2016で有効性を確認した。参考:朝雲

同盟のジレンマ>:有事の際に同盟国が支援してくれないのではないか、同盟国が第三国と有事になった際に巻き込まれるのではないかと疑心暗鬼に陥ること。参考:月刊軍事研究8,'15

同盟の盾2015>:ロシアとベラルーシの共同演習で、2016910-16日にロシアのレニングラード州とブスコフ州で実施された。ロシア空軍Su-27戦闘機、Su-24MR偵察機、Mi-24攻撃ヘリ、ロシア西部軍管区陸軍部隊T-72B3戦車、BMP-2歩兵戦闘車、2S19自走榴弾砲、BM-21グラッド/ウーラガン多連装ロケット、ティグルM軽装甲車、バルチック艦隊艦艇20隻、航空機10機、第76親衛空挺師団増強大隊戦術グループ500名、BMD-2KU空挺戦闘車50両以上、ノナ自走砲、ベラルーシ空軍Su-25攻撃機5機、Mi-24攻撃ヘリ5機、Mi-8輸送ヘリ1機、ベラルーシ陸軍第6親衛機械化旅団が参加し(計8000名規模)、統合指揮能力の向上を図った。無人機指揮装置に対するハッキング訓練も行っている。参考:月刊軍事研究12,15

<トウモロコシ畑の巡洋艦>:SPY-1(レーダー)を参照。

東洋艦隊(イギリス海軍)>:イギリス海軍の艦隊。国際情勢悪化を受け、19411024日に新編され、戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、リヴェンジ、巡洋戦艦レパルス、空母インドミタブルなどが編入された。司令長官はサー・トーマス・スペンサー・ヴォーン・フィリップス中将である。122日、プリンス・オブ・ウェールズとレパルスがシンガポールに入港。戦艦リヴェンジは中東アデンに展開した。インドミタブルもアジア方面に向かう予定だったが、座礁事故を起こしたため修理に回されている。イギリス本国からはフィリップス司令長官に命令が入り、アメリカ軍に対して駆逐艦数隻をシンガポールに派遣してもらうよう要請を行う事と、主力艦をオーストラリアに派遣して砲艦外交を行うよう指示があった。125日、フィリップス長官がフィリピンのマニラに向かい、駆逐艦派遣についてアメリカとの協議に入った。レパルスと駆逐艦2隻がシンガポールを出港し、オーストラリアのダーウィンに向かった。126日、イギリス哨戒機が南部仏印沖で日本軍輸送船団を発見したため、レパルスと駆逐艦2隻はシンガポールへと引き返した。127日、レパルスと駆逐艦2隻がシンガポールに到着し、フィリップス長官もシンガポールに帰国した。太平洋戦争開戦直後の1941129-10日、マレー沖海戦でプリンス・オブ・ウェールズとレパルスを沈められ、司令長官も戦死した。19424月、日本海軍のインド洋作戦・セイロン島攻撃で大損害を受け、太平洋戦線では活動停止状態に追い込まれ、インド洋やアフリカ東岸でヴィシー政権フランス領攻略作戦などを行った。また、インド洋に日本海軍が再び現れた時に備え、空母1隻を常時警戒態勢に置いている。19447月、太平洋戦線で積極的な活動を開始。19452月、太平洋艦隊に改編された。参考:帝国海軍太平洋作戦史Ⅰ、護衛空母入門、月刊世界の艦船11,15

<トゥランⅠ>:40M(戦車)を参照。

<トゥランⅡ>:41M(戦車)を参照。

<トゥランⅢ>:43M(戦車)を参照。

ドゥランゴ級>:メキシコ海軍Durango級。全長78.2m、幅11.2m、吃水3.1m、満載排水量2000トン。主機はディーゼルで、出力5000馬力、2軸推進、速力18ノット。兵装は102mm単装砲1門、57mm単装砲2門、20mm単装機銃4丁。1936年に1隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

トゥリオ・テデスキ>:イタリア海軍アンジェロ・カブリーニ級哨戒艇2番艇Tullio Tedeschi20205月就役。参考:月刊世界の艦船10,20

ドゥリスティグヘーテン>:スウェーデン海軍水上機母艦Dristigheten。元は海防戦艦で、1927-29年(1929-30年説あり)に改造した。兵装を撤去して後甲板に飛行甲板を設置しており、艦尾にクレーンを設けて水上機の揚収を行う。カタパルトは持たない。基準排水量3270トン。主機はレシプロで、速力16ノット。兵装は7.6cm単装高角砲4門。水上機3機を搭載できる。1947年、標的艦に改造された。1961年に退役した。参考:月刊世界の艦船11,00

トゥリャ級>:ソ連海軍水中翼魚雷艇。兵装は533mm魚雷発射管4門。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

<とうりゅう>:SS-512(潜水艦)を参照。

<銅陵>:542(フリゲート)または629(コルベット)を参照。

動力掘鑿機>:日本陸軍の機力器材。岩石や硬土を軌道上からすくって速やかに運土車に積載するためのものである。重量2トン。エンジンは統制型空冷4気筒。参考:工兵入門

動力再生式操向装置>:旋回側の動力の一部を反対側に送って加速し、旋回する方式。旋回半径は大きくなるが、旋回はスムーズで、高速走行時に優れた旋回方式である。コントロールド・ディファレンシャル方式、二重差動式などがこれにあたる。月刊PANZER7,03

動力式操縦>:Power control。大型機や高速機など、人力だけでは操縦が難しい場合に、ブースター(Booster)の助けを借りて操縦を行う方式のこと。主に油圧が使われ、電気モーターや真空圧を用いるものもある。参考:航空用語事典増補改訂版

動力船>:曳船の一種で、工作艦の修理作業に必要な電力や、沈没船引き揚げに必要な圧縮空気を供給する。参考:小艦艇入門

動力付きパラグライダー型無人機>:技術研究本部が試作した無人機。ロケットで射出されたり、ヘリから投下されたりした後、方形傘を開き、プロペラで推進しつつ地上の偵察活動を行う。2011年度QMフェアで展示された。参考:朝雲

動力伐採機>:日本陸軍の木工器材。電動モーターから自在軸で回転を取り出して作動させる方式で、直径0.2mまでの樹木を伐採できる電動丸鋸と、直径1mまでの樹木を伐採できる電動鎖鋸がある。運搬は人力。参考:工兵入門

<ドゥルー>:APA-162(攻撃輸送艦)を参照。

トゥルク>:フィンランド海軍ヘルシンキ級ミサイル艇。1985年就役。参考:週刊ワールドウェポン17

<トゥルク・イルディズラン>:ターク・イルディツラリ(アクロバットチーム)を参照。

トゥルク級>:トルコ海軍哨戒艇Turk級。兵装はMk20マウストラップ1基。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<トゥルグットレイス>:F241(フリゲート)を参照。

トゥルケーゼ>:イタリア海軍ペルラ級潜水艦Turchese1936年就役。参考:月刊世界の艦船6,09

ドゥルダーシャ級>:バングラデシュ海軍哨戒艇Durdarsha級。兵装はHY-2艦対艦ミサイル単装発射機4基。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

トゥルパ>:トルコのオトカ社が開発した装軌式歩兵戦闘車。モジュラー装甲と耐地雷装甲キットを備え、兵員室底面にアメリカのスカイデックス社製衝撃吸収材を装着、乗員用にフローティング・シートを装備する。下部転輪は片側7組、サスペンションはトーションバーで、前部に起動輪、後部に誘導輪があり、スカートを持つ。砲塔はオトカ社製無人砲塔で、30mm機関砲と7.62mm同軸機銃を搭載し、車長用パノラミックサイト、砲手用サイト、車長用視察ハッチを持つ。エアコン、自動消火装置、NBC防護装置を標準装備。オプションでAPUC4ISR装置を搭載できる。全長7.23m、全幅3.4m、全高3.184m、標準戦闘重量32トン、最大戦闘重量42トン。エンジンはスカニア社製ディーゼル(810馬力)、トランスミッションはSAPA社製SG850オートマチックで、最大速度70km、航続距離600km。乗員3名(車長、操縦手、砲手)、乗車兵員9名。参考:月刊軍事研究7,13

ドゥルバー級>:バングラデシュ海軍哨戒艇Durbar級。兵装はSY-1艦対艦ミサイル単装発射筒2基。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ドゥルブ>:インド軍汎用ヘリコプターDhruv(北極星)、機種名ALHAdvanced Light Helicopter)。インドのHAL1984年からドイツMBBの技術支援を受けて開発したが、後に単独開発となり、1992830日に初飛行した。胴体の60%に複合材を使用しており、機首から胴体上面にかけてはケブラー製、スライドドアやテイルブームはアルミ合金製ハニカム構造である。キャビン後面にクラムシェルドアがあり、大型貨物の積載が可能。メインローターはグラスカーボン複合材製4翅の無関節型で、先端に後退角を持つ。キャビン後面上部からテイルブームが延び、尾部両側に水平安定板(翼端に垂直安定板付き)、尾部上面に垂直安定板、垂直安定板右舷側にテイルローターがある。テイルローターは4翅、ハブはフレックスビームのベアリングレス。メインローター直径12.8m、自重2.216トン、全備重量5.5トン、ペイロード2.5トン。エンジンはチュルボメカTM333-2BFADEC付き。1000軸馬力)双発で、巡航速度145ノット、最大速度280km、実用上昇限度6000m、ホバリング高度限界は地面効果内で3000m、燃料搭載量は875リットル+増槽125リットル、行動半径320km、フェリー航続距離827km216海里?)。乗員2名。兵員12名を乗せられる。390機近くを配備予定で、20023月から運用中。安価なので輸出市場にも出されているが、性能が悪いためかエクアドルが7機とネパールが3機採用したに留まっている。2008年、エンジンをArdiden1Hに強化した機体が初飛行した。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊軍事研究10,069,11、世界軍用機年鑑1990-91、月刊JWings6,134,17

ドゥルブ(インド海軍)>:降着装置は3車輪式で、機首下面に捜索レーダーを搭載している。参考:月刊軍事研究9,11

ドゥルブ(インド空軍)>:機首に赤外線暗視装置を装備し、降着装置はスキッド式。170機を導入予定。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊軍事研究9,11

<ドゥルブ(インド陸軍)>:空軍型と同仕様。参考:月刊軍事研究9,11

<ドゥルブ・ファミリー>

 <ドゥルブ(民間型)>:FARPart29準拠。全長15.87m、メインローター直径13.2m、全高4.98m、自重3.335トン、総重量5.5トン。エンジンはチュルボメカ製TM333-2B1000軸馬力)双発、経済巡航速度220km、最大速度285km、実用上昇限度4400m、海面上昇率毎分620m、ホバリング高度限界2400m(地面効果外)、航続距離640km、航続時間3.7時間。乗員2名。客席数12-14。参考:世界航空機年鑑2018-2019

 <ルドラMk4武装ヘリコプター>:ルドラMk4を参照。

<トゥレーア>:AKA-112(攻撃貨物輸送艦)を参照。

トゥレーア級>:アメリカ海軍攻撃貨物輸送艦Tulare級、基本計画番号SCB-77。マリナー型C4-S-1A標準貨物船を改造したもので、速力20ノット級を目指し、第2次大戦中の攻撃貨物輸送艦より揚陸能力などを強化している。LCM(6)級9隻とLCVP/LCPL14隻を搭載可能。後甲板にヘリ甲板を持つ。全長171.9m、幅23.2m、吃水7.47m、軽荷排水量12000トン、満載排水量17988トン。主機はド・ラヴァル・タービン1基、主缶はコンバッション・エンジニアリング缶2基、出力22000馬力、1軸推進、速力21ノット、航続距離は20ノットで10000海里。兵装は50口径76mm連装速射砲6基。乗員437名。兵員319名と貨物4476トン(車両最大300両)を載せられる。AKA-112トゥレーアが1956年に竣工した。参考:アメリカ揚陸艦史

<トゥレル>:MR-105(レーダー)を参照。

道路啓開戦闘パトロール>:アメリカ軍のIED除去・輸送車列防護部隊で、RCCPRoute Clearance Combat Patrol)と略す。アフガニスタン戦争やポストイラク戦争で埋設型IEDに悩まされたために編成した、IED探知処理車両及びMRAPからなる車列部隊で、輸送車両部隊前方を進みつつ走行経路を安全化する。最前列にハスキー地雷探知車2両を並べ、その後ろにRG-31MRAP兵員輸送車型(パトロール部隊が乗る)、バッファローMRAP爆発物処理車型、HMEERG-31MRAP医療後送車、RG-31MRAP指揮官車、RG-31MRAP医療後送車が50m間隔で続く。RG-31にはSPARKマインローラーを装備することもある。参考:月刊軍事研究11,17

道路障害作業車>:陸上自衛隊の施設科器材。73式大型トラックまたは3・1/2トントラックの後部荷台に搭載した6種類(クレーン、アースオーガ、コンクリートカッター、チェーンソー、ブレーカ、タンパー)のアタッチメントにより、舗装道路上に障害を構成する。後二軸はダブルタイヤで、車体にアウトリガー4基を装備している。全長7.6-7.885m、全幅2.48-2.49m、全高3.14-3.18m、全備重量10.935トン。最大速度90km。走行部はいすゞ自動車、作業部はアイチコーポレーション製。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015、自衛隊装備年鑑1996、スピアヘッドNo.16、陸上自衛隊地上戦力の全容

道路マット敷設装置>:陸上自衛隊の道路マット敷設用トラック。73式大型トラックに道路マット(長さ12.5m、幅4.3m)を搭載した巻き取り用ボビンを積んだもの。輸送時はボビンをトラックの首尾線方向に向け、敷設時に90度回してバックしながら敷設する。トラック1台につきマット2組が用意されている。参考:月刊PANZER9,02

トゥンク・アブダル・ラーマン>:マレーシア海軍スコルペヌ級潜水艦1番艦Tunku Abdul Rahman2009127日就役。2013326-30日、LIMA2013に参加。2015318日、マレーシアのランカウイ島沖でLIMA2015国際海上レビューに参加。参考:月刊世界の艦船2,103,107,137,15

<トゥンジャ・サニ>:MT-LB装甲車ファミリーを参照。

トゥン・ラザク>:マレーシア海軍スコルペヌ級潜水艦2番艦Tun Razak2009115日就役。2011126-10日、LIMA2011に参加。参考:月刊世界の艦船2,104,12

<ドーアナイ>:S351(潜水艦)を参照。

<トーイングトラクター>:WT500E(空自)を参照。

トーイングトラクター>:航空自衛隊政府専用機B747-400を牽引するための4輪トラクター。全長8m、全幅3m、全高1.575m、車重47.5トン、車両総重量47.9トン。エンジンは三菱8DC9-Tディーゼル(V型8気筒16031cc368馬力)で、トランスミッションはMTA-865(前進5段・後進1段)、最大速度32km、燃料タンク容量450リットル。牽引能力40トン。乗員5名。参考:自衛隊装備年鑑1996、航空自衛隊パーフェクトガイド2015

<トーウィ>:K294(フリゲート)を参照。

<トーキー>:F43(フリゲート)を参照。

<トーキョー・オードナンス・デポ・スペシャル>:M4シリーズ(戦車)を参照。

トーク>:トルコのアセルサン社が開発した対魚雷用魚雷TORK。短魚雷型で、弾頭・誘導装置・電源などは短魚雷からの流用であり、既存のソフト・キル式魚雷防御装置と連動して射出され、アクティブ音響誘導で敵魚雷を爆破する。全長3m弱、直径300mm弱、重量200kg弱。20189月、プロトタイプの試験に成功した。参考:月刊世界の艦船8,21

トークン>:ラインメタル・ランドシステム社が独自開発した特殊部隊向け4×4輪車両。車体は主要部分が装甲化されており、NH-90に搭載することが可能。エンジンはイベコ社製F1A(排気量2300cc、出力115馬力)、最大速度120km。ペイロード600kg。参考:月刊軍事研究7,07

トーゴ>:ドイツ海軍特設巡洋艦Togo1938年に貨物船として進水し、特設巡洋艦として運用された。1943213日に出撃したが、イギリス海峡で爆撃を受けて損傷、そのままキールに引き返した。同年に夜間戦闘機指揮管制用の航空機指揮艦に艦種変更され、前甲板に捜索レーダー、後甲板に測高レーダーを搭載した。総トン数5042トン。速力16ノット。参考:月刊世界の艦船8,16、写真集ドイツの巡洋艦

トーゴ海軍>:

 <トーゴ海軍(2015年)>:現役兵力200名(海軍歩兵ユニット含む)。哨戒艇3隻を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

トーゴ空軍>:

 <トーゴ空軍(2015年)>:現役兵力250名。ビーチ200輸送機2機、DC-8要人輸送機1機、F-28-1000要人輸送機2機、アルファジェット練習機3機、EMB-326G練習機4機、TB-30練習機3機、SA315ラマ汎用ヘリ2機、SA316アルエートⅢ汎用ヘリ1機、SA319アルエートⅢ汎用ヘリ1機、SA330輸送ヘリ1機(保管中)を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

トーゴ軍>:

トーゴ軍(1977年)>:兵力2500名。自動車化歩兵大隊1個、歩兵大隊2個、空挺/奇襲攻撃大隊1個からなる。M8装甲車5両、哨戒艇2隻、河用砲艇1隻、マジステール5機、EBM326GB対ゲリラ戦機3機、C-47輸送機2機、DHC-5輸送機2機、F28輸送機1機、アルエートⅢヘリ1機、ピューマ1機を配備する。参考:軍事力バランス78年版

トーゴ軍(1989年)>:兵力5900名。全軍種は陸軍の一部である。歩兵連隊2個、大統領親衛隊連隊1個、パラシュート・コマンドー連隊1個、支援連隊1個からなる。T-54/-55戦車2両、スコーピオン軽戦車9両、M-8偵察車6両、M-20偵察車3両、AML-60偵察車3両、AML-90偵察車7両、EE-9偵察車36両、M-3A1装甲兵員輸送車4両、UR-416装甲兵員輸送車30両、105mmHM-2を4門、82mm迫撃砲M-4320門、57mm無反動砲ZIS-2を5門、52式/5675mm無反動砲12門、6585mm無反動砲10門、14.5mm対空機銃ZPU-438基、37mm高射機関砲M-39を5門保有する。海上部隊基地はロメにあり、モノ級小型内海哨戒艇2隻を保有する。航空部隊はアルファジェット5機、CM-170対ゲリラ戦機4機、EMB-326G対ゲリラ戦機6機、TB-30対ゲリラ戦機3機、バロン輸送機2機、DHC-5D輸送機2機、Do-27輸送機1機、F28-1000要人輸送機1機、ファルコン10ようじん輸送機1機、セスナ337輸送機2機、SA313Bヘリ2機、SA315ヘリ2機、SA330ヘリ1機を保有する。ナミビア国連独立移行援助グループにアドバイザー25名を派遣している。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

トーゴ軍(2015年)>:現役兵力8550名(陸軍8100名、海軍200名、空軍250名)、準軍事組織(内務省憲兵)750名。コートジボアールにUNOCI要員471名、歩兵大隊1個、オブザーバー7名、リベリアにUNMIL要員1名とオブザーバー2名、マリにMIINUSMA要員935名、歩兵大隊1個、野戦病院1個、南スーダンにUNMISS要員1名、スーダンにUNAMID要員3名とオブザーバ-4名、西サハラにMINURSOオブザーバー1名を派遣している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

トーゴ陸軍>:

 <トーゴ陸軍(2015年)>:現役兵力8100名。機甲偵察連隊1個、混成機甲連隊2個、歩兵連隊2個、即応軍1個、コマンドー/空挺連隊1個、大統領警護連隊(警護大隊1個、コマンドー大隊1個、独立警護中隊2個)1個からなる。T-54/-55戦車2両、スコーピオン軽戦車9両、AML-60偵察車3両、AML-90偵察車7両、バスティオン・パトサス偵察車30両、EE-9偵察車36両、M3A1偵察車4両、M8偵察車6両、M20偵察車3両、VBL偵察車2両、BMP-2歩兵戦闘車20両、UR-416装輪装甲兵員輸送車30両、122mm自走砲6両、105mmHM-2を4門、82mm迫撃砲M-4320門、5275mm無反動砲(M-20)/5675mm無反動砲、6582mm無反動砲(B-10)、57mm対戦車砲ZIS-2を5門、14.5m対空機銃ZPU-438基、37mm高射機関砲M-1939を5門保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ドーサルフィン>:Dorsal fin、背びれ。航空機背部、垂直安定板前縁付け根から前方に延びる板状の部品のこと。方向安定性を高め、横滑りした際の機体の安定性を確保することができる。双発以上の機体がフルパワーで離陸する際に片舷停止を起こすと、推力アンバランスで機体が回頭を始め、これを抑えようと方向舵を操作しても、機体が横滑りを起こして方向舵がラダーロック状態になり、垂直安定板が失速を起こして錐揉みに入ってしまうが、これを防ぐ効果もある。後付けが容易なので、機体改修により横安定性が不足した場合によく追加される。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings10,09別冊付録、世界の傑作機No.155

<トージョー>:二式戦闘機シリーズを参照。

トーションバー・サスペンション>:Torsion Bar Type Suspension。鋼の棒の一方を車体に固定し、もう一方の先端にスイングアームを取り付けて転輪を装着、転輪の上下動を棒の捩れ方向の弾性で吸収緩衝するサスペンションのこと。トラベル長が長く取れ、独立懸架が可能で地形への追従性に優れる。機械的に単純で、信頼性が高い。アームの取り付け角やトーションバーの捩れ角度によって特性が変化してしまうので、設計に注意が要る。参考:自動車のサスペンション、月刊軍事研究11,02British and American tanks of World War Two

トーションビームアクスル式サスペンション>:トレーリングツイストビーム式サスペンションともいう。リジッドアクスル・サスペンションの1つで、前輪駆動の軽量車両の後輪に使用されることが多い。車軸の換わりにアクスルビームという板状の部品を使用しており、内部にトーションバーを仕込み、両端にトレーリングアームを垂直に結合させて車体に固定している。また、横方向の位置決めのためアクスルビームと平行にラテラル・ロッドを設けることもある。捩れに対してはこのトレーリングアームとアクスルビームで対応し、上下方向の緩衝はアクスルビーム両端に付けられたコイル・スプリングとショック・アブソーバーで行う。構造が簡単で、スペースも小さく車内空間を確保できるが、車体との固定部分が少なく、横方向の力に弱い。参照:自動車のサスペンション、クルマのすべてがわかる事典

<トーション・ヒンジ>:フェザリング・ヒンジを参照。

<トースク>:SS-423(潜水艦)を参照。

ドーゼイ級>:アメリカ海軍高速掃海艇Dorsey級。フラッシュ・デッキ型駆逐艦を太平洋戦争開戦後に改造したもので、魚雷発射管と爆雷装備を撤去して掃海具を搭載している。揚陸作戦前に敵前掃海を行うのが主任務で、就役した18隻のうち7隻が沈没した。全長95.9m、幅9.6m、吃水3.5m、基準排水量1060-1190トン。主機は蒸気タービンで、出力26000馬力、2軸推進、速力32.5ノット。兵装は76mm単装砲3門、40mm機関砲2門。乗員140名。DMS-17などが就役した。参考:第2次大戦のアメリカ軍艦

<ドーセットシャー>:40(重巡洋艦)を参照。

<ドーソン>:APA-79(攻撃輸送艦)を参照。

トータス重突撃戦車シリーズ>:イギリス陸軍試作重突撃戦車Tortoise、陸軍計画番号A39。第2次大戦中のイギリス戦車系列からは完全に外れており、戦車というより駆逐戦車だが、コンセプトの源流は1939年の重装甲戦車案(後のTOG重戦車)にあるとみられる。1942年末にイギリス参謀本部がジークフリート線攻撃用突撃戦車(北アフリカ戦の戦訓に基づく大火力・超重装甲戦車?)を検討し始めたのが開発の端緒で、後に敵戦車待ち伏せアウトレンジ攻撃が主任務になった。参考:月刊グランドパワー11,12、月刊PANZER1,13British and American tanks of World War Two

 <AT1>:ナフィールド機械工業が1943513日に設計図を完成させた試作案。75mm砲または95mm榴弾砲を搭載する全周旋回砲塔を持つ。下部転輪は片側6枚で、上部転輪は3枚、装甲スカートを装備する。戦闘重量45トン。装甲厚は前面152mm。乗員4名。参考:月刊グランドパワー11,12

 <AT2>:AT1と同時に出された試作案で、AT1の戦闘室上面に連装機銃塔を追加している。戦闘重量は36トンに減った。参考:月刊グランドパワー11,12

 <AT3>:AT1と同時に出された試作案。参考:月刊グランドパワー11,12

 <AT4>:1943519日に設計図が完成した試作案。砲塔を外し、戦闘室上面に7.62mm銃塔を3基載せている。戦闘重量38トン。前面装甲厚203mm。乗員5名。参謀本部が検討した結果、戦闘室側面にスポンソンを装着して右側スポンソンに火炎放射器を追加、戦闘室内部に6インチ(152.4mm)迫撃砲を搭載する案に変更された。参考:月刊グランドパワー11,12

 <AT5>:AT4の改良案で、戦闘重量が36トンに減った。参考:月刊グランドパワー11,12

 <AT6>:1943531日に設計図が完成した試作案。突撃砲形式で、AT5の戦闘室幅をフェンダー上一杯に広げ、右に6ポンド砲、左に20mm機関砲を搭載する。戦闘室上面には7.92mm連装機銃塔を2基装備。戦闘重量43トン(41トン?)。乗員6名。参考:月刊グランドパワー11,12、月刊PANZER1,13

 <AT7>:AT6の改良案で、1943610日に設計が完成した。戦闘重量41.5トン。参考:月刊グランドパワー11,12、月刊PANZER1,13

 <AT8>:AT7の改良案。戦闘重量45トン。参考:月刊グランドパワー11,12

 <AT9>:AT8の改良案で、1043622日に設計が完成した。戦闘重量45トン。参考:月刊グランドパワー11,12、月刊PANZER1,13

 <AT10>:1943626日に設計図が完成した試作案。AT6の改良案で、戦闘室上面の武装を7.92mm連装銃塔1基と7.92mm単装銃塔2基の組み合わせにし、装甲厚を前面229mm、側面152mm、後面102mmに強化している。戦闘重量45トン。エンジンはフォード社製V型8気筒もしくはGAA(V型12気筒)。乗員6名。参考:月刊グランドパワー11,12

 <AT13>:モックアップ受注を受けて1943821日に設計図が完成した試作案で、トータスのニックネームが付けられた。車体前部から中央にかけて大型の鋳造一体式箱形戦闘室が搭載されており、右に対戦車戦闘を考慮した17ポンド砲、左に20mm機関砲、上面後部中央に7.92mm連装機銃塔を装備する。下部転輪は片側9枚(オーバーラップ式)、上部転輪は片側4枚で、起動輪と誘導輪のハブを結ぶ形の装甲スカートが装着されている。サスペンションはトーションバー式。履帯幅813mm。戦闘重量65トン。エンジンはロールスロイス社製、トランスミッションはメリット・ブラウン。12月にモックアップが完成した。参考:月刊グランドパワー11,12

 <AT14>:AT13モックアップで指摘された問題点を改良したタイプで、1943918日に設計図が完成した。主砲に同軸機銃を追加し、20mm機関砲を7.92mm機銃に変更している。参考:月刊グランドパワー11,12

 <AT15>:AT14の改良型で、1943921日に設計図が完成した。主砲を戦闘室中央に移している。戦闘重量65トン。参考:月刊グランドパワー11,12

 <AT15A>:AT15の改良型で、1943105日に設計図が完成した。戦闘室を後ろに延長し、戦闘室上面の銃塔を右に移動している。戦闘重量65トン。参考:月刊グランドパワー11,12

 <AT16>:参謀本部の要求に基づき、AT15Aの主砲を32ポンド砲に換装したタイプで、194425日に基本案が完成した。下部転輪がダブルタイプ片側8組となり、2-3軸、4-5軸、6-7軸はそれぞれボギーで結合されている。A39の名称で制式化されることになり、試作車無しで20両が発注された。参考:月刊グランドパワー11,12

 <AT17>:火炎放射戦車型で、1944225日に設計図が完成した。主砲を外して火炎放射器と同軸機銃を装備、戦闘室内の前後左右に135ガロン燃料タンクを1本ずつ計4本収容する。参考:月刊グランドパワー11,12

 <AT18>:火炎放射戦車型で、AT17の同軸機銃無しバージョン。1944222日に設計図が完成した。参考:月刊グランドパワー11,12

トータス>:車体は前面が鋳造、他が圧延鋼板で、溶接により組み立てられている。前部がトランスミッション室、中央が戦闘室、後部が機関室。トランスミッション室上面には開口部が設けられており、この部分だけ装甲板がボルト止めされていて、整備時に外せるようになっている。また、このボルト止め装甲板の前部にはガントラベルロック(前に倒れる)があるが、試作3号車では車体前端に直接取り付けられていて、恐らく後ろに倒す方式に変更されている。車体前面下部には地雷処理装置装着基部が3パーツほど取り付けられているが、この装置はトータスの車体幅くらいの大きさがある巨大な錘に横向きの履帯を巻いて両脇にスキッドを取り付けたもので、これを左右に振り回しながら地雷を踏み潰すという面倒くさい機構で、更に主砲を外して戦闘室前面にワイヤー式固定具を装着しなければならない。戦闘室には上部構造物が取り付けられ、前方右に操縦手、左に前方機銃手、操縦手の後ろに旋回機銃銃手、前方機銃手の後ろに車長、前方機銃手と主砲の間に砲手、後部左右に装填手2名が位置する。車長と前方機銃手の間にNo.19/No.38無線機がある。上部構造物は一体鋳造(上面のみ分割溶接)で、巨大な箱形をしており、前部中央の主砲搭載部が張り出した構造である。前部中央は主砲を出し入れできるよう大きな開口部となっていて、主砲を填め込んだら外側から鋳造ブロックをボルト固定する。前面左上部にはボールマウント式7.92mm機銃(旋回角35度ずつ)を装備する。上面前部右にペリスコープ付き操縦手ハッチ、右に砲手ハッチ、中央左に旋回銃塔、右に車長用ペリスコープ付き全周旋回キューポラ、砲手ハッチ左前方に旋回式ペリスコープ、右前方に旋回式照準潜望鏡、車長用キューポラと旋回銃塔の間に台形の外気導入グリルを持つ。ハッチは主砲射撃の際に倒れないよう、自動的に固定される機構が付いていた。旋回銃塔は鋳造製で、7.92mmベサ機銃を2連装で装備しており、俯仰角はマイナス10度からプラス15度。全周旋回可能で、大まかな旋回操作は車内のスイッチ操作で行い、精密照準はジョイスティックで行う。銃塔上面にはペリスコープ1基が取り付けられている。また、上面右にヒンジがあり、右に開いて乗降することが可能。主砲は32ポンド砲で、直径0.61mのボールマウント(左に直接照準器がある)に取り付けられており、旋回角は左右20度ずつ、俯仰角はマイナス10度からプラス18度、円盤状の防楯を持つ。装弾数は60発だが、上構後部の即応弾数が少なかったらしく、大部分は戦闘室の床下に収容されていた。前方機銃左側、車長用キューポラ左側面、旋回銃塔左側面に6連装(2列3段。各段で方位角が違う)発煙弾発射機、操縦手ハッチ左に対人用2インチ(50.8mm)炸裂弾旋回式投射機を装備する。試作3号車では上構左側面後部に後ろ開きの小ハッチが追加された。機関室は前部にラジエーター2基、中央にエンジン、右に391リットル燃料タンク、左に245リットル燃料タンク、左後ろに潤滑油タンクを収容する。機関室左側はフェンダーの下まで拡大されており、この部分にバッテリーや電装系が収められている。機関室前上部にはモーリス製8型4気筒エンジンと専用燃料タンクが搭載されており、これで冷却ファンを駆動して戦闘室上面後部のグリルから外気(と戦闘室に籠もった主砲発射ガス)を機関室に取り入れ、ラジエーターを冷却して機関室後方上面のルーバーから放出する。これらをすっぽりカバーするため、機関室上面(整備用分割ハッチになっている)は前に向かって上に傾斜した形状になった。エンジン用マフラー・排気管は車体後面上部にあるが、冷却ファン駆動用エンジンのマフラー・排気管は戦闘室後面左に付く。下部転輪はダブルタイプ片側8組、サスペンションはボックス・ボギー型で、転輪2組を1本のボギー(外側でスカートに固定されている)に接続し、このボギーを2本のトーションバーで支える方式である。第1・第3・第6・第8転輪には油気圧式ショックアブソーバーを装着した。上部転輪は最前部・最後部ボギーに1組2枚ずつ、中央ボギーに4組8枚が取り付けられている。起動輪は前方、誘導輪は後方にある。履帯はマンガン鋼鋳造製で、シングルドライピン式、幅914mm。全長10.06m、車体長7.01m、全幅3.91m(スカート含む)、全高3.05m、自重65トン、戦闘重量78.62トン。主砲は62口径32ポンド(94mm)砲(60発)で、砲口初速毎秒929.64m、旋回角は左右20度ずつ、俯仰角はマイナス10度からプラス18度。副武装は戦闘室前面左に7.92mmベサ機銃1丁、旋回銃塔に2連装7.92mmベサ機銃(7500発)。装甲厚は車体前面225mm、側面114mm、後面102mm、サイドスカート80mm、上構前面225mm279mm75度?)、側面152mm、後面76mm、戦闘室上面50mm、機関室上面35mm。エンジンはロールスロイス・ミーティアMk12気筒V型ガソリン(650馬力)、トランスミッションはメリット・ブラウンH51D(前進6速・後進1速)、最大速度は路上19.8km、不整地6.4km、航続距離は路上72.4km、不整地40.2km。乗員は車長、操縦手、副操縦手、砲手、機銃手、装填手2名の計7名。輸送用の80トン5軸トレーラー(全長9.91m)も開発されており、T980トラックを2両連ねて牽引する。試作初号車P119458月に完成したが、大戦は終わっており、9月に発注数が20両から12両に減らされ、1946年2月には6両に減となり、1947年までに5両が引き渡されたところで計画が中止され、組み立て途中の6号車は予備部品になった。19475月からIS-3に対抗できるかのテストが行われたが、大きく重すぎてイギリスからヨーロッパ大陸への輸送が困難、輸送した後も路外機動や橋を渡るのが無理といった欠点があり、テスト終了後に2-5号車はスクラップになり、1号車はボービントン戦車博物館で展示されている。参考:月刊グランドパワー11,12、月刊PANZER2,041,13、異形戦車ものしり大百科、世界の軍用車両(1)、連合軍の傑作兵器駄作兵器

トータライズ作戦>:第2次大戦時にイギリス・カナダ連合軍が実施したカーン・ファレーズ街道制圧作戦。リュティヒ作戦のためアブランシュに突出したドイツ第5装甲軍と第7軍を、アメリカ第3軍第15軍団と共に包囲するもので、194488日から開始された。参考:月刊丸3,01

<トータル・エンジン・マネージメント(F110-120M-DEC用)>:自衛隊の機器。アイ・エヌ・シー・エンジニアリング製。参考:月刊軍事研究8,14

<トータル・エンジン・マネージメント・システム(F110-129M-DEC用)>:自衛隊の機器。アイ・エヌ・シー・エンジニアリング製。参考:月刊軍事研究10,16

<トータルステーションシステム(測量部隊用測量セット用)>:自衛隊の機器。トプコンソキアポジショニングジャパン製。参考:月刊軍事研究5,13

<トーチ>:A141(魚雷揚収艇)を参照。

トーチ>:F-111が胴体後部中央から燃料を投棄しつつアフターバーナーをふかして着火させるデモ飛行。ダンプ&バーンともいう。2000年のシドニーオリンピックではオーストラリア空軍機が閉会式で披露した。2010123日にオーストラリア空軍でも全機退役したため、今は見られない。参考:月刊JWings5,04、月刊航空ファン2,11

<ドーチ>:DD-670(駆逐艦)を参照。

トーチカ>:コンクリートで全周を固めた火点。第一次大戦末期にドイツ軍が戦車に対抗するため設置したのが最初であり、幅は4m以下とし、航空写真偵察で発見されないようにした。参考:工兵入門

<トーチ作戦>:北アフリカ上陸作戦を参照。

<トーテム>:P352(潜水艦)を参照。

<トーテュガ>:LSD-26(アシュランド級揚陸艦)またはLSD-46(ホイッドビー・アイランド級揚陸艦)を参照。

<トーテンコープフ>:SS第3装甲師団を参照。

<トーデンドルフ>:Y835(水路警戒艇)を参照。

トーデンドルフ級>:ドイツ海軍水路警戒艇Tordendorf級。内水面の哨戒を主任務とする。予算は陸軍から出ており、運用は海軍で行っている。全長27.8m、満載排水量126トン。主機はディーゼルで、速力16ノット。1993-94年にY835トーデンドルフなど5隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,07

<トートグ>:SS-199(T級潜水艦)またはSSN-639(スタージョン級攻撃原潜)を参照。

トート砲台>:ドイツが第2次大戦時にフランスのカレー西20kmに建設した砲台で、大西洋の壁の一部である。建設開始は19408月で、翌年秋には作戦可能となった。380mmカノン砲「ジークフリート」1門ずつを据え付けた四ヵ所の砲台からなっており、砲台は直径29m・高さ20m(うち地下が10m)の円筒形で、3.5mのコンクリートで固められていた。これにより、380mm砲弾や1トン爆弾の直撃にも耐えられた。前面には120度の切り欠きが設けられ、砲身が突き出る。据えられた砲は380mmSKC/34で、戦艦ビスマルクと同じものであり、薬室容積を広くして長距離射撃を可能としている。砲全長19.63m、重量105.3トン。射程は重量800kgの通常弾(初速毎秒820m)で42km、重量475kgの長射程弾(初速毎秒1050m)で55.7km。結局連合軍艦隊相手には火を噴くこと無く、対岸のドーバー市とケント州南部に砲撃を行っていた。1944923日にカナダ軍に包囲され、2000トンの爆撃の後に929日から総攻撃を受け、その日のうちに占拠された。参考:月刊PANZER2,02、歴史群像12,03、第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログVol.4

<トートラ>:K595(フリゲート)を参照。

<トートランド>:Y88(スループ)を参照。

ドーナッツ型塹壕>:対空機関銃用の塹壕陣地。地面をドーナッツ型に掘り込み、中央部に対空機関銃を据え付けている。射手は塹壕内を移動することで全周射撃が可能である。参考:月刊軍事研究2,02

<トーネード>:A140(魚雷揚収艇)またはB-45シリーズ(爆撃機)を参照。

トーネード>:イギリス空軍戦闘機Tornado。タイフーンのエンジンをバルチャー液冷X型24気筒に換えたもので、ホーカー社が開発し、193910月に初飛行したが、エンジン不調で4機しか製作されなかった。全長10.01m、全幅12.78m、全備重量4.84トン。エンジンはロールスロイス社製バルチャー2(1760馬力)単発で、最大速度612km、実用上昇限度9750m。固定武装は7.7mm機銃12丁または20mm機関砲4門。乗員1名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇、月刊丸10,93

トーネード・シリーズ>:イギリス、ドイツ、イタリアが共同開発した可変翼戦闘機Tornado。開発生産担当は3カ国共同出資のパナビア航空機社で、製造分担はBAC42.5%(前後胴)、MBB42.5%(中胴)、アエリタリア5%(主翼)であり、最終組立は各国の各社が行う。F-104及びF-4の後継としてMRCAMulti-Role Combat Aircraft、多用途戦闘航空機)の名称でイギリス、西ドイツ、イタリア、オランダ、カナダの5カ国で開発する予定だったが、カナダが抜けて1969326日に4カ国での開発が決定、更にパナビア航空機社が設立された時にはオランダが抜けて3カ国になっていた。19705月に西ドイツ向けパナビア100単座戦闘機とその他向けパナビア200複座戦闘機を作ることにし、名称がパンサーに決定、6月にエンジンがターボユニオン製RB199に決まったが、単座型と複座型を並行生産するのは無駄が多いということで19719月に複座型のみの計画進行趣意IPTIntention to Proceed)が調印され、原型機初飛行後の19749月に機名がトーネードに変更された。ただしイタリアだけパナビア200の名称を引きずっており、制式名に-200が付いている。原型(基本型IDS)は1974814日、イギリス向けADV19791027日に初飛行し、最後にECRが開発された。訓練も3カ国共同で、1981129日から3カ国トーネード訓練施設TTTETri-national Tornado Training Establishment)がイギリス空軍コッテスモア基地で運用され、81日にイギリス空軍ホニントン基地でトーネード戦術兵器転換部隊TWCUTornado Tactical Weapons Conversion Unit)が新編されている。サウジアラビアに輸出もされ、1998924日までに試作機含め各型計992機が生産された。イギリス空軍は2019314日に退役した。参考:月刊航空ファン5,196,19、世界の軍用機1979、月刊JWings12,037,126,19、世界航空機年鑑2018-2019

 <トーネードADV>:イギリス空軍向け迎撃・防空型で、ADVAir Defence Version/Variantの略。イタリアとサウジアラビアにも採用され、218機(イギリス165機、サウジ24機、オマーン8機?)が生産された。STOL能力と高速迎撃能力を両立させる可変後退翼を採用しており、主翼後退角は25-68度で変化する。前縁スラット、スポイラー及び全幅にわたるダブルスロッテッドフラップを持つ。グラマン社の協力を得てピボットにはテフロン塗布ベアリング、キャリースルーには電子ビーム溶接によるチタン合金構造を採用した。エアインテイクは可変ランプ付きの二次元型である。機首のレーダーはマルコーニ社製AI-24フォックスハンター迎撃用パルス・ドップラー・レーダーで、捜索距離は100海里以上あり、ルックダウン能力や多目標同時対処能力を持つ。このレーダーを搭載する関係でIDSより機首が0.71m延長されている。ただレーダーの完成が遅れたため、初期の機体は鉛バラスト(通称ブルーサークル。イギリスのセメント会社名)を積んでいた。胴体中央は0.78m延長され、下面にスカイフラッシュAAMを半埋め込み式に搭載可能とし、速度・加速性能を強化すると共に機内燃料タンクを増加させ、滞空時間を延ばした。更に胴体左には引き込み式空中給油プローブも備えており、IDSで機首左下面にも装備していた機関砲は機首右下面の1門のみにした。推力強化のため排気ノズルも延長しており、全長ではIDSよりも2m長い。背の高い垂直尾翼と全遊動式水平安定板を持ち、垂直尾翼両脇の機体上面にエアブレーキ(最大開度50度)がある。操縦系統は三重フライバイワイヤ(バックアップはメカニカル)と自動操縦装置で、操舵は二重系統の油圧・電気サーボで行われる。空対地攻撃能力は無いが、後にSEAD能力が追加された。コクピットはタンデム複座で、座席はマーチン・ベイカー社製Mk10ゼロゼロ射出座席であり、後席から射出される。後席には航法士が搭乗し、低空高速侵攻時の安全性を確保する。全長18.68m、全幅13.91m(後退角25度)、8.6m(後退角67度)、全高5.95m、自重14500kg、最大離陸重量27986kg。エンジンはターボユニオンRB199-34R Mk104(推力4130kgA/B時推力7500kg)2基で、最大速度マッハ2.2、最大運用高度21335m、戦闘行動半径1853km、フェリー航続距離2000海里。固定武装は機首右の27mmマウザー機関砲1門(125発)。ハードポイントは胴体下4カ所、主翼下4カ所で、スカイフラッシュ4発(胴体半埋め込み式)、サイドワインダー2発(4発?)、1200リットル増槽2個を装備できる。乗員2名。試作初号機A.0119791027日に初飛行し、198435日にイギリス向け量産初号機が初飛行、115日から引き渡され、198551日から運用された。参考:世界軍用機年鑑1990-91、世界の軍用機19821979、世界航空機年鑑2018-2019、月刊航空ファン5,19、ザ・マーチ40号、月刊JWings12,067,1212,033,11、、3,23、軍事分析湾岸戦争

 <F-200(イタリア空軍)>:イタリア空軍戦闘機。トーネードADVを導入したもので、ユーロファイターの配備が遅れたため1993年にイギリスからトーネードF3/F3T戦闘機24機をリースし、2004年まで配備した。参考:月刊航空ファン5,19

 <トーネードF.2>:イギリス空軍のトーネードADV初期型。エンジンはRB199-34R-4。初号機は198435日に初飛行し、10機が配備された。参考:世界軍用機年鑑1990-91、月刊JWings12,03、月刊航空ファン5,19

 <トーネードF.2A>:トーネードF.2F.3と同等の改良を加えたもの。ただしエンジンはそのままである。参考:世界軍用機年鑑1990-91

 <トーネードF.2T>:イギリス空軍戦闘機。トーネードF2に複操縦装置を追加したもので、8機が配備された。参考:月刊航空ファン5,19

 <トーネードF.3>:イギリス空軍のトーネードADV後期型で。エンジンをRB199Mk104に換装し、AI.24レーダー完全版を搭載、メインコンピュータ能力を2倍に強化し、自動主翼可変装置とFIN1010慣性プラットフォームを搭載している。初号機は19851120日に初飛行し、109機が配備された。価格は1990年で1機あたり3450万ドル。2011322日にイギリスでは全機退役し、ミーティアミサイル開発用としてキネティック社に移管された3機も201279日に運用を終了した。参考:世界軍用機年鑑1990-91、月刊JWings12,039,106,1110,12、世界航空機年鑑2018-2019

 <トーネードF.3T>:イギリス空軍戦闘機。トーネードF3に複操縦装置を追加したもので、43機が配備された。参考:月刊航空ファン5,19

 <トーネードIDS>:航空阻止・攻撃型で、InterDictor / Strike versionの略。全天候下での低空高速侵攻能力や精密照準能力を備え、対地攻撃、対艦攻撃、戦術偵察を主任務とする。可変後退翼、フェランティ社製FIN1010慣性航法装置、GEC社製TACAN、デッカ72ドップラー・レーダー、テキサス・インスツルメンツ社製地上マッピングレーダー、電波高度計、マルコーニ社製自動地形追随飛行システムなどにより、高度60m・遷音速での自動操縦高速侵攻能力を備える。主翼下面パイロンは主翼後退角に合わせて回転し、常に進行方向に正対するようになっている。AGM-88BAIM-9LALARM、コルモラン対艦ミサイル(最大4発)、JP233/MW1ディスペンサー兵器、マーテル、LR25ロケットランチャー、1000ポンド爆弾、レビウス火焔爆弾、訓練爆弾、BOZ-107チャフ/フレアディスペンサー・ポッドなどを搭載可能。TIALDポッドを装備すればレーザー誘導爆弾も運用できる。また、偵察ポッドを携行して偵察任務も行える。ただしレーダーに海上目標追尾能力が無く、レーダーによる敵艦のロックオンが出来ないため、対艦ミサイルのシーカー有効範囲内まで接近してミサイル自身に敵艦をロックオンさせないと発射できない。スラストリバーサーにより着陸滑走距離は400m弱で、1000mの前線代用滑走路での運用が可能である。全長16.72m、全幅13.91-8.6m、全高5.95m、自重13.89トン(12.7トン?)、総重量18.15トン、最大離陸重量27.95トン。翼面積30平方メートル。エンジンはターボユニオンRB199-34R Mk103RB199-34R4Mk101?ミリタリー推力3.855トン、A/B時推力6.8トン)2基、最大速度マッハ2.1(高度11000m)/マッハ1.1(高度150m)、実用上昇限度15250m以上、戦闘行動半径1390kmHi-Lo-Hi2250kg搭載)、200-390海里(Lo-Lo-Lo)、フェリー航続距離2100海里(4839km以上?)。固定武装はマウザー27mm機関砲(125発)2門(胴体下面左右)。ハードポイントは胴体下部中心線上、胴体下部両脇、主翼下2ヵ所ずつの計7ヵ所で、最大兵装搭載量は9トンを超える。乗員2名。1974814日に原型機P.01が初飛行し、イギリス空軍に228機(255機?)、西ドイツ空軍に210機(212機?)、西ドイツ海軍に112機、イタリア空軍に100機、サウジ空軍に96機が配備された。参考:月刊軍事研究1,98、ザ・マーチ40号、月刊JWings12,033,1112,14、世界軍用機年鑑1990-91、世界の軍用機19821979、月刊航空情報2,10、月刊航空ファン5,194,19

 <A-200C>:イタリア空軍トーネードIDSの制式名。ライトニングⅡ、複合レーザー誘導ポッドCLDPRecceliteといったポッドを運用できる。量産型初号機は197725日に初飛行し、100機(うち1機は前量産型P.14を量産仕様に改修、うち12機は複操縦装置付)を配備した。うち16機は後にEA-200Bに改造されている。参考:月刊航空ファン4,175,19

 <TA-200>:イタリア空軍攻撃機。A-200の後席に複操縦装置を追加したものである。参考:月刊航空ファン5,19

 <TA-200A>:イタリア空軍攻撃機。TA-200の改良型である。参考:月刊航空ファン5,19

 <トーネードIDS(ドイツ海軍)>:ドイツ海軍攻撃機。112機が配備された。参考:月刊航空ファン5,19

 <トーネードIDS(ドイツ空軍)>:ドイツ空軍攻撃機。量産型初号機は1976717日に初飛行し、210機が配備された。後継はF-35A戦闘機とユーロファイター戦闘機トランシェ4になる。参考:月刊航空ファン5,19、月刊JWings11,22

 <トーネードIDS/T(ドイツ軍)>ドイツ軍攻撃機。後席に複操縦装置を追加したもので、ドイツ軍導入322機のうち67機がこの仕様である。参考:月刊航空ファン5,19

 <トーネードIT>:イタリア空軍のトーネードIDSに寿命中期アップグレード(MLU)を施したもの。2004年から配備されている。参考:月刊JWings9,05

トーネードGR Mk.1>:イギリス空軍トーネードIDSの制式名称で、GRは対地攻撃・偵察の略。WE177核爆弾を運用できる。量産型初号機は1976710日に初飛行し、1979年(198071日?)から228機(うちMk.1T50機)が配備された。参考:月刊JWings12,034,19、月刊エアコマンド6,94、月刊航空ファン5,194,19

 <トーネードGR Mk.1A>:イギリス空軍偵察・攻撃機。トーネードGR1の偵察能力強化型である。参考:月刊航空ファン5,19、月刊JWings12,03

 <トーネードGR Mk.1B>:イギリス空軍攻撃機。シーイーグル対艦ミサイル最大4発を搭載可能としたものだが、ミサイル自身のシーカー有効範囲内まで接近しないと撃てない。参考:月刊JWings12,03、月刊航空ファン5,19、月刊航空情報2,10

 <トーネードGR Mk.1T>:イギリス空軍攻撃機。トーネードGR1の後席に複操縦装置を追加したものである。参考:月刊航空ファン5,19

 <トーネードGR Mk.4>:イギリス空軍攻撃機。トーネードGR1MLU(寿命中間改修)を実施したもので、FLIRGPSを追加している。1993年から配備された。改修当初は目標照準装置と搭載電子機器に不備があり、ペイブウェイの運用ができなかったが、修正して2001410日から戦闘態勢に入った。2019131日、キプロス島アクロチリ空軍基地からシリアに出撃し、最後の作戦任務を実施。部隊はタイフーンFGR.4に任務を引き継いで24-5日にマーラム空軍基地に帰投した。314日、マーラム基地で退役・飛行隊解隊式典が行われて退役した。参考:月刊JWings12,037,017,124,19、月刊航空ファン5,196,19

 <トーネードGR Mk.4A>:イギリス空軍のGR.4改造偵察機で、アメリカのグッドリッチが開発したRAPTOR(トーネード用空中偵察ポッド)を搭載する。参考:月刊JWings8,06

 <トーネードGR Mk.4T>:イギリス空軍攻撃機。トーネードGR4の後席に複操縦装置を追加したものである。参考:月刊航空ファン5,19

 <トーネードECR>:電子戦機仕様で、ECRElectoronic Combat / Reconaissanceの略。トーネードIDSを電子戦用に改造したもので、西ドイツ空軍がF-4G電子戦機の後継として開発を決定し、19866月に承認され、トーネードIDS前量産型16号機を改造した試作初号機は1988818日に初飛行した。主任務はリアルタイム戦術偵察、ELINTSEADECM、パスファインダーなどで、ハードキルとソフトキルの両方を実施できる。機関砲を外し、エミッター・ロケーター・システム(電波放射源探知システム)、ジャミングポッド、チャフ・フレアディスペンサーポッド、FLIR、赤外線ラインスキャナ、ODINOperational Data INterface)データリンクなどを搭載、AGM-88HARM対レーダーミサイル4発の運用を可能とした。飛行特性はトーネードそのままで、自衛用にサイドワインダー2発を装備、IDSに搭載可能な兵器の大半に加えてAGM-65Dも運用できる。全長16.70m、全幅8.6-13.9m、全高5.95m、運航自重14トン、最大離陸重量28トン以上。エンジンはターボユニオンRB199-34R-4(ミリタリー推力4.08トン、A/B時推力7.26トン)双発で、最大水平速度マッハ2.2、燃料容量6400リットル+500リットル増槽2本+1000リットル増槽2本。固定武装は無い。外翼ハードポイントにチャフ・フレアディスペンサーポッド、内翼ハードポイントにサイドワインダー2発/HARM1発、胴体外側パイロンにHARM1発/スタンドオフウェポン1発/爆弾2発、胴体中央パイロンに爆弾1発をそれぞれ搭載可能。基本武装はAGM-88対レーダーミサイル2発、AIM-9空対空ミサイル2発、ECMポッド、チャフ・フレアディスペンサーポッド、1500リットル増槽2本である。乗員2名。1990年からドイツ空軍に35機、イタリア空軍に14機が配備された。参考:世界軍用機年鑑1990-91、ザ・マーチ40号、月刊JWings11,03、月刊軍事研究1,98、世界航空機年鑑2018-2019

 <EA-200B>:イタリア空軍が導入したトーネードECRの制式名。主任務はSEAD/DEADと偵察で、1998年から14機を配備した。後にGBU-32JDAMBOZ-102EC自己防御ポッドを搭載できるようになった。参考:月刊航空ファン4,17、月刊JWings12,189,19

 <EA-200B RET-8>:最終MLU(運用期間中能力改修)で、AGM-88Eを運用可能にするなどの改修を行う。20187月に改修を完了し、104日、AGM-88E対レーダーミサイルの統合試験を終えて運用試験を終了した。参考:月刊JWings12,189,19

 <トーネードECR(ドイツ空軍)>:ドイツ空軍電子戦機。35機を配備した。参考:月刊航空ファン5,19

 <トーネードASSTA>:トーネードのアビオニクスバージョン名で、ASSTAAvionics System Software for Tornado in AdaAda言語トーネード用アビオニクスシステムソフトウェア)の略。初期型がASSTA-1で、2018年現在の最新版はASSTA-3である。参考:月刊航空ファン3,18

<トーネード海外シリーズ>

 <トーネード(サウジアラビア空軍)>:サウジアラビア空軍戦闘機。イギリスとオフセット契約ヤマーマを締結し、トーネードIDS攻撃機34機、トーネードIDS/T攻撃機14機、トーネードADV戦闘機18機、トーネードADV/T戦闘機6機を導入した。その後トーネードIDS攻撃機38機、トーネードIDS/T攻撃機10機を追加し、トーネードIDSのうち10機を偵察攻撃機型トーネードIDS/Rに改修している。参考:月刊航空ファン5,19

トーネード級>:イギリス海軍魚雷揚収船Tornade級。全長40m、幅9.2m、吃水3.3m、満載排水量698トン。主機はディーゼルで、出力2200馬力、速力14ノット。A140トーネード、A141トーチ、A142トーメンター、A143トーリーダーの4隻が1979-80年に竣工した。参考:月刊世界の艦船5,83

<ドーノック>:A490(通船)を参照。

<トーバー(P-3C用)>:自衛隊の機器。大川工業製。参考:月刊軍事研究6,17

<ドーバー海峡突破作戦>:ケルベロス作戦を参照。

ドーバー海峡砲撃戦>:第2次大戦時にイギリス軍海岸砲・列車砲とドイツ軍沿岸砲が繰り広げた砲撃戦。イギリスはケンティッシュ重砲、13.5インチ(34.3cm)列車砲3門(シーン・シフター、ピースメーカー、グラディエーター)、13.5インチ(34.3cm)砲2門(ブルース砲)、14インチ(35.6cm)沿岸砲2門(ウィーニー、プー)、15インチ(38.1cm)沿岸砲2門(クレム、ジェーン)を並べてパ・ド・カレーの沿岸砲(トート砲台、リンデマン砲台、グロッサー・クァーフルスト砲台など)と撃ち合ったが、成果はリンデマン砲台の1門を使用不能にしたくらいで、逆にドーバーの住民はドイツ軍沿岸砲の射撃に晒され、103人が死亡、432人が負傷し、建造物も80%2-3回損傷していた。更に9.2インチ(23.4cm)列車砲Mk1312インチ(30.5cm)列車榴弾砲Mk3Mk5を配備してドイツ艦隊に備えたものの、ケルベロス作戦ではドーバー海峡を易々と通過させてしまった。参考:歴史群像12,03、月刊グランドパワー3,03

ドーハ級>:カタール海軍コルベットDoha級。2016年にフィンカンティエーリ社に4隻を発注した。船型は長船首楼型で、ステルス性を考慮してナックルラインより上の舷側を船体と逆傾斜にし、上構前面も傾斜を付け、開口部はシャッターで覆い、太いタワーマストを装備する。タワーマスト頂部に球形レドームがあり、内部にレオナルド社製クロノスN多機能レーダーを収容する。艦首水線下はバルバス・バウで、バウ・スラスターを装備するが、バウ・ソナーは無く、機雷探知用ハルソナーのみ搭載している。30mm機関砲用射撃指揮装置メドゥーサMk4/B。全長107m、幅14.7m、吃水8.6m4m?)、満載排水量3250トン。主機はCODAD方式、MTU20V-1163ディーゼル4基(巡航用2基+ブースト用2基)、出力42913馬力、推進は可変ピッチプロペラ2軸、舵は2枚、最大速力28ノット。兵装はステルス砲塔式76mm単装砲スーパーラピッド1門(前甲板)、アスター15/30艦対空ミサイル用シルベール50垂直発射機16セル1基(主砲後方)、エグゾセMM40ブロック3艦対艦ミサイル4連装発射筒2基(煙突後方。前が左舷向き、後ろが右舷向き)、RIM-116ブロック2RAM21連装発射機1基(ヘリ格納庫上)、30mm単装機関砲2門。上構後端がヘリ格納庫、後甲板がヘリ甲板で、NH-90対潜ヘリ1機を搭載できる。乗員98名+予備居住施設14名分。4隻全てフィンカンティエーリ社ムッジアーノ工場が建造して2021-24年に就役予定で、1番艦F101アル・ズバラ20187月に起工され、2番艦F102ダムサは20212月に進水、3番艦F103アル・ホールは20221222日に納入され、4番艦シマイスマ(Sumaysimah)は20223月に進水した。参考:月刊世界の艦船11,'215,'212,'216,191,227,223,234,23

トーバスター>:イスラエルのラファエル社が2008年に開発した対魚雷用魚雷(Hard-kill Torpedo DefenseTorbuster。スカッター音響デコイをベースにした欺瞞音響発生システムを積んでおり、敵の音響誘導式魚雷に最適な欺瞞音響をデータベースから自動選択・発生して魚雷をおびき寄せ、最近接点に達したところで自ら爆発し、魚雷を誘爆させる。潜水艦内からの発射制御・作動状況監視が可能。参考:月刊軍事研究6,159,09、月刊世界の艦船9,19

トーピードSEAL>:イギリスのジェームズ・フィッシャー・ディフェンス社が開発した水中特殊部隊輸送艇Torpedo SEAL。魚雷型をしており、533mm魚雷発射管から海中に出された後、安定翼や舵などを展開し、2名が乗り込んで作戦地域に向かう。全長5.1m、魚雷発射管収容時3.4m、直径0.78m、魚雷発射管収容時0.52m、重量120kg。推進は電動モーターで、巡航速力3ノット、最大速力4ノット、潜航深度1-12m、航続距離は3ノットで10海里。乗員2名。参考:月刊軍事研究3,14

ドーファル級>:オマーン海軍ミサイル艇。兵装はエグゾセMM40艦対艦ミサイル3連装または4連装発射筒2基。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

トーファン・シリーズ>:イラン航空工業組織が開発した対戦車ミサイルToophan。参考:月刊軍事研究4,01THE MILITARY BALANCE 2016

 <トーファン>:半自動誘導式。弾頭はHEATで、弾頭重量3.6kg。装甲貫徹力550mm、最大射程3850m。参考:月刊軍事研究4,01

 <トーファン2>:弾頭をタンデム型に変更したタイプ。弾頭重量4.1kgで、ERAの付いた760mmの装甲を貫徹できる。参考:月刊軍事研究4,01

トーファン>:トルコのアセルサン社が開発中のレールガンTufan(嵐)。目標砲口エネルギー14メガジュール、初速毎秒3500m。参考:月刊軍事研究12,17

<ドーファン>:SA360(ヘリ)を参照。

ドーファン>:フランス海軍ルカン級潜水艦Dauphin1927年竣工。第2次大戦開戦後にイタリアに接収されてFR.115となり、1943年に自沈した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

<トーファン2>:AH-1海外シリーズ(攻撃ヘリ)を参照。

<ドーファン2>:SA365シリーズ(ヘリ)を参照。

<トーベイ>:N79(T級潜水艦第1グループ)またはS-90(トラファルガー級原潜)を参照。

<トーポリ>:RT-2(弾道ミサイル)またはRS12MICBM)を参照。

<トーポリE>:RS-12ICBMファミリーを参照。

<トーポリM>:RS12M2ICBM)またはRT-2PM(弾道ミサイルシステム)を参照。

<トーマス>:DE-102(護衛駆逐艦)を参照。

<トーマス・A・エジソン>:SSBN-610(戦略原潜)を参照。

<トーマス・C・ハート>:FF-1092(フリゲート)を参照。

<トーマス・F・ニッケル>:DE-587(護衛駆逐艦)を参照。

<トーマス・G・ケリー>:DDG-140(イージス駆逐艦)を参照。

<トーマス・G・トンプソン>:AGOR-23(海洋観測艦)を参照。

トーマス・G・トンプソン級>:アメリカ海軍海洋観測艦Thomas G. Thompson級。艦内に研究施設を整えており、ダイナミック・ポジショニング・システムにより観測中にも艦位を正確に保持できる。全長83.5m、満載排水量3455トン。主機はディーゼル・エレクトリック方式、ディーゼル発電機6基・電動機2基、2軸推進、速力15ノット。乗員22名で、科学者37人が同乗する。1991-97年にAGOR-23トーマス・G・トンプソンなど3隻が就役した。運用しているのはウッズホール海洋研究所などの学術研究機関である。参考:月刊世界の艦船5,144,15

<トーマス・J・グレイ>:DE-326(護衛駆逐艦)を参照。

<トーマス・S・ゲイツ>:CG-51(巡洋艦)を参照。

<トーマス・ジェファーソン>:APA-30(攻撃輸送艦)またはSSBN-618(戦略原潜)を参照。

<トーマス・ストーン>:APA-29(攻撃輸送艦)を参照。

<トーマストン>:LSD-28(トーマストン級LSD)を参照。

トーマストン級>:アメリカ海軍ドック型輸送揚陸艦Thomaston級、基本計画番号SCB-75。アシュランド級を大型化してドック容量と積載量を拡大、船体後部に脱着式木製ヘリ甲板を追加するなどしている。ドック・ウエルは長さ120m、幅14.6m。機関室はドック・ウエルの下に前後に分けて設けられており、煙突は右舷側が艦橋後端、左舷側が中央船楼後方にある。全長155.5m、幅25.6m、吃水5.8m、軽荷排水量6880トン、満載排水量11300トン。主機はGE製蒸気タービン2基、主缶はバブコック&ウィルコックス缶2基、出力24000馬力、2軸推進、速力23ノット、航続距離は16ノットで9600海里。兵装は50口径7.6cm連装速射砲8基、20mm連装機関砲6基。乗員400名。兵員340名、車両・貨物2400トン、LCM(6)型揚陸艇21隻、LCU3隻+LCM6隻、LVTならドック・ウエルに50両と車両甲板・ヘリ甲板に30両を収容可能。1954-57年にLSD-28トーマストン、LSD-29プリマス・ロック、LSD-30フォート・スネリング、LSD-31ポイント・デファイアンス、LSD-32スピーゲル・グローブ、LSD-33アラモ、LSD-34ハーミテイジ、LSD-35モンティセロの8隻が就役した。後に速射砲の一部を撤去し、20mmCIWS2基を追加した。1983-90年に退役した。参考:アメリカ揚陸艦史、月刊世界の艦船12,132,1412,12、月刊丸12,90

<トーマストン級・海外シリーズ>

 <トーマストン級(ブラジル海軍)>:ブラジル海軍ドック型輸送揚陸艦。1989年にLSD-341990年にLSD-33をリースし、セアラとリオ・デ・ジャネイロとして就役させ、2001年に購入した。全長155.5m、満載排水量12345トン。主機は蒸気タービン、速力22.5ノット。兵装は76mm連装砲3基。LCU3隻(6隻?)またはLCM21隻、水陸両用戦闘車30両、兵員345名を乗せられる。参考:月刊世界の艦船2,1412,12THE MILITARY BALANCE 2016

<トーマス・ハドナー>:DDG-116(駆逐艦)を参照。

<トーメンター>:A142(魚雷揚収艇)を参照。

<ドーラ>:グスタフ列車砲を参照。

ドーラ強制収容所>:ナチスが建設した強制収容所で、正式名称はドーラ・ラーガー・ミッテルバウ(ドーラ収容所ミッテル建設)。元々石膏の採掘坑道で、これを利用した燃料貯蔵トンネルが19437月に完成していたが、同月末にV2ロケット生産工場に作り替えられることが決定。825日から強制収容者が続々と連れてこられ、改装作業に従事した。19448月、トンネル工場でV2ロケットの生産が開始され、10月には外部強制収容キャンプから基幹強制収容所に格上げされた。収容人員は194410月で33000人、フランス人とソ連人を中心とした外国人抑留者が中心であった。194545日から撤退が始まり、411日に米軍が解放した時には数百人のみが残されていた。延べ収容人数6万人、劣悪な環境や虐待などで2万人が死亡した。参考:月刊軍事研究8,04

<トーラス>:KEPD350(空対地巡航ミサイル)またはP339(T級潜水艦第2グループ)を参照。

トーラス>:アメリカ海軍ペガサス級ミサイル艇Taurus1981年竣工。参考:月刊世界の艦船8,82増刊

<ドーラ・ノイン>:Fw190D-9(戦闘機)を参照。

<トーランド>:AKA-64(攻撃貨物輸送艦)を参照。

トーランド級>:アメリカ海軍攻撃貨物輸送艦Tolland級。C2-S-AJ3型標準設計貨物船を改造したものである。上構前後に四脚ラティス式ブーム・ポスト、前甲板両舷に単脚式ポストを持ち、35トン・デリック2基、10トン・デリック6基、5トン・デリック6基を装備する。全長140m、幅19.2m、最大吃水7.77m、軽荷排水量6318トン、満載排水量13050トン。主機は蒸気タービン1基、主缶はバブコック&ウイルコックス缶2基、出力6000馬力、1軸推進、速力16ノット。兵装は38口径12.7cm単装両用砲1門、40mm連装機関砲4基、20mm単装機関砲16門。LCM(6)級揚陸艇6隻、LCM(3)級揚陸艇2隻、LCVP13隻、LCPL1隻を搭載可能。揚陸部隊62名、貨物5275トンを載せられる。乗員368名。AKA-64トーランド、AKA-65ショショーン、AKA-66サウサンプトン、AKA-67スター、AKA-68ストークス、AKA-69サフォーク、AKA-70テイト、AKA-71トッド、AKA-72キャスウェル、AKA-73ニュー・ハノーヴァー、AKA-74レノアー、AKA-75アラマンス、AKA-76トランス、AKA-77トウナー、AKA-78トレゴ、AKA-79トロウスデイル、AKA-80ティレル、AKA-81ヴァレンシア、AKA-82ヴェナンゴ、AKA-83ヴィントン、AKA-84ウォーケシャ、AKA-85ホイートランド、AKA-86ウッドフォード、AKA-87デュプリン、AKA-101オタワ、AKA-102プレンティス、AKA-103ランキン、AKA-104セミノール、AKA-105スカギト、AKA-106ユニオン、AKA-107ヴァーミリオン、AKA-108ウォシュバーンが竣工し、AKA-109サン・ジョーキン、AKA-110セッジウィック、AKA-111ホイットフィールドが建造中止になった。参考:アメリカ揚陸艦史

<トーランドト>:AKA-47(攻撃貨物輸送艦)を参照。

トーリー>:ローレンス・リバモア研究所が開発した原子力ラムジェットエンジン。核分裂により摂氏1400度に達する炉心にエアインテイクから取り込んだ圧縮空気を当てて加熱、そのままノズルから噴射して推力を得る。一次系の排気がそのまま放出されるので放射能がダダ漏れになり、存在自体がダーティーボムという恐るべきエンジンである。1961514日に試作初号機のトーリーⅡAが数秒間の運転を行い、19645月に改良型のトーリーⅡCが出力513MW、推力35000ポンド(15.9トン)を記録した。実験が行われたのはネバダ核実験場のサイト401で、当然ながら放射能がまき散らされている。参考:月刊JWings1,07

<トーリーダー>:A143(魚雷揚収艇)を参照。

<トーリッド>:A128(魚雷揚収艇)を参照。

<トーリングトン>:K577(フリゲート)を参照。

<トール>:9K330(地対空ミサイルシステム)または9M330(地対空ミサイル)を参照。

トール>:カール自走臼砲3号車。

トール>:アメリカ陸軍の個人携行IED妨害装置。周波数別に3種類用意されている。参考:月刊軍事研究10,17

トール>:ドイツ海軍特設巡洋艦。元は貨物船サンタ・クルス(1938年)竣工である。総トン数3862トン。主機はタービン、出力6500馬力、速力18ノット。194066日に出撃し、南大西洋に展開。6隻を撃沈した。728日、イギリス仮装巡洋艦アルカンタラと交戦して大破させたが、自らも損傷を受けたため、洋上で修理を行った。9月初めから行動を再開し、9月と10月に1隻ずつを撃沈した。125日、南アメリカ東岸沖でイギリス仮装巡洋艦カーナウオン・キャッスルと交戦、大破させた。南米で損傷箇所を修理した後、194144日、イギリス仮装巡洋艦ヴォルテールを撃沈した。423日、ビスケー湾に入港。ドーバー海峡を突破し、430日にハンブルクに帰投した。戦果は1296546トンと仮装巡洋艦1隻撃沈、仮装巡洋艦2隻大破であった。1942114日、ジロンド河口から出撃。捕鯨船団を攻撃するため南氷洋に向かったが、戦果は無く、3月に北上してギリシャ船1隻を撃沈した。4月末、インド洋に移動し、オーストラリア・セイロン航路で任務に就いた。1月の出撃以来1056547トンを撃沈、3隻を捕獲して9月にジャワ海に入り、925日にバリクパパンに入港、燃料を補給した。109日に横浜に入港し、ドイツ人技師10名を降ろしてアクティブソナーなどを提供したが、横浜事件で炎上して全損、解体された。参考:写真集ドイツの巡洋艦、海軍技術研究所

<トールM1>:9K331(地対空ミサイルシステム)を参照。

<トールM1B>:9K330シリーズ(地対空ミサイルシステム)を参照。

<トールM1TA>:9K330シリーズ(地対空ミサイルシステム)を参照。

<トールM1TB>:9K330シリーズ(地対空ミサイルシステム)を参照。

<トールM1TS>:9K330シリーズ(地対空ミサイルシステム)を参照。

<トールM2DT>:9K330シリーズ(地対空ミサイルシステム)を参照。

<トール・キング>:P-14(早期警戒レーダー)を参照。

<トール・ヘイエルダール>:F314(フリゲート)を参照。

トールボーイ>:イギリス空軍の地中貫徹型大型爆弾で、別名地震爆弾。バーンズ・ウォリス博士が1940年に考案した巨大爆弾ヴィクトリーがベースで、19436月に開発が開始され、第2次大戦中に使用された。全長6.35m、直径0.95m、重量5440kg、炸薬量2360kg(トーペックス)の超大型徹甲爆弾で、落下速度が音速を超えるために素材には特殊鋼を開発、2日がかりで鋳造し、1000分の1インチ(0.0254mm)という高精度で弾体を成型した。本来は重量22000ポンド(9.979トン)になる予定だったが、ランカスター爆撃機に大がかりな改修が必要になるため、重量を爆弾倉にそのまま搭載できる12000ポンド(5.443トン)に抑えている。それでも兵装と装甲板の一部を外す必要があった。試験投下で音の壁を越える際に弾体がバフェッティングを起こして弾道が不安定になることが判明したため、尾部の安定翼4枚に捻りを加えて弾体を回転させることにした。通常は高度5500mから投下され、地表ではマッハ1に達し、地中10mまで潜り込んで炸裂する。最大運用高度は7600mで、この場合は厚さ5mのコンクリートを貫通できる。実射テストでは照準点を直撃して設置された記録用カメラを粉砕し、直径30m・深さ27mのクレーターを作った。第617中隊に配備されて194468日に初実戦使用され、命中精度の良さと強烈な破壊力から継続運用が決定し、854発がUボート基地やV兵器発射基地に投下された。参考:歴史群像8,08、月刊軍事研究2,03

トール・マイク>:BRM-3に搭載されている1RL-133-1対砲レーダーのNATOコード。

<ドーントレス>:21(沿海域任務艦)またはD3345型駆逐艦)またはI45(D級軽巡洋艦)またはSBDシリーズ(艦爆)を参照。

ドーントレス>:シンガポール海軍フィアレス級哨戒艇Dauntless2019827日に退役した。参考:月刊世界の艦船11,19

<ドーントレスⅡ>:XBT2D-1(艦攻)を参照。

<ドーントレスDB Mk.Ⅰ>:SBD海外シリーズ(艦上爆撃機)を参照。

ドーン・ブリッツ>:アメリカ軍の統合実動演習Dawn Blitz2001年にアメリカ海兵隊が主体の統合演習として開始された。2013年から自衛隊が参加しており、自衛隊通称はドンブリ。主体は陸海自で、空自は今のところ航空総隊幹部数名という参加規模に止まっている。演習域がアメリカ西海岸で、海自艦艇が日本からの往復に3ヶ月くらいかかるのが欠点。参考:月刊軍事研究3,16、月刊世界の艦船8,136,1611,16

ドーン・ブリッツ2013>:アメリカ(第1海兵遠征旅団、LHD-4ボクサー、LPD-18ニューオーリンズ、LSD-49ハーパーズ・フェリー)、カナダ、自衛隊(初参加)、ニュージーランドから計5000名が参加、島嶼防衛などを想定し、2013610-26日にカリフォルニア州ペンドルトン海兵隊基地と周辺空海域で行われた。他にイスラエル軍、コロンビア軍、シンガポール軍、チリ軍などがオブザーバー参加している。自衛隊は統幕、陸自西部方面普通科連隊、西部方面航空隊第3対戦車ヘリコプター隊、西部方面ヘリコプター隊、海自第2護衛隊群、空自航空総隊司令部などから陸自250名、海自730名、空自5名、AH-64D戦闘ヘリ2機、CH-47輸送ヘリ2機、DDH-181ひゅうがDDG-177あたごLST-4002しもきたLCAC-2103LCAC-2104を派遣した。DDH-181ひゅうがでAH-64Dを運用する訓練などを実施している。614日、訓練とは別枠でVMM-161MV-22BオスプレイがDDH-181ひゅうがへの着艦試験を実施し、着艦後は艦内への収容も行われた。更にLST-4002しもきたにも着艦している。ちなみにオスプレイの外国艦への着艦は2007年の空母イラストリアス以来らしい。617-18日、サンクレメンテ島で上陸演習を実施。LST-4002しもきたがLCACにより車両や隊員を揚陸した。620日、サンクレメンテ島で火力誘導訓練を行った。624日、キャンプ・ペンドルトンの隣にあるレッドビーチ演習場で日米共同上陸演習を実施。演習計画発表に際して中国が中止を求めるなど抗議したが、特に内容も変更されることなく実施された。85日、海上構成部隊と陸上構成部隊に統幕長から二級賞状が授与された。参考:月刊軍事研究9,13、月刊世界の艦船8,139,131,19、スピアヘッドNo.17、月刊JWings9,13、朝雲

ドーン・ブリッツ2015>:2015818-30日(事前訓練)と831日から99日(統合訓練)にカリフォルニア州キャンプ・ペンドルトン、サンクレメンテ島訓練場、これら周辺海空域で実施された。アメリカ、日本、ニュージーランド、メキシコが参加し、オーストラリア、コロンビア、チリがオブザーバーを派遣している。自衛隊からは統合幕僚監部、西部方面隊、中央即応集団、第1ヘリコプター団(CH-47JA)、第3対戦車ヘリコプター隊(AH-64D)、第2施設群第367施設中隊(75式装甲ドーザ)、護衛艦隊、掃海隊群、航空集団、DDH-181ひゅうが、DDG-178あしがら、LST-4003くにさき、LCAC-2105LCAC-2106SH-60J/Kヘリ3機、航空総隊、隊員計1100名、アメリカ軍から第3艦隊、LHD-4ボクサー、LPD-18ニューオーリンズ、LPD-25サマセット、LSD-49ハーパーズ・フェリー、T-AVB-4カーティス、DDG-86シャウプ、DDG-110ウィリアム・P・ローレンス、第1海兵遠征軍、VMM-163MV-22B)、人員計3000名、メキシコ海軍からA412ウスマシンタ、P164レボリュシオンが参加し、実弾艦砲射撃訓練、水陸両用作戦時の負傷者後送訓練などを行っている。水陸両用作戦を含む沿岸域での作戦ではDDH-181ひゅうがに座乗した掃海隊群司令が統合部隊指揮官として指揮を執った。水陸両用作戦では陸自後方支援部隊が上陸地点付近に兵站拠点や野外病院を設営する訓練も行っており、75式装甲ドーザが参加している。参考:月刊航空ファン11,15、月刊世界の艦船10,1512,156,'22、月刊JWings12,'1510,15、月刊軍事研究3,162,'165,16、朝雲

ドーン・ブリッツ2017>:2017107日から114日、カリフォルニア州キャンプ・ペンドルトンとアメリカ海軍サンクレメンテ島訓練場で実施された。陸自から西部方面普通科連隊など100名、アメリカ軍から第3艦隊、第1海兵遠征軍、LPD-23アンカレッジ、LSD-47ラシュモア、LHD-2エセックス、DDG-108ウエイン・D・メイヤー、LCAC-75VMFA-211所属F-35Bなどが参加している。期間中、LPD-23アンカレッジのヘリ甲板からHIMARSを発射する対地射撃訓練が行われた。VMFA-211所属F-35BLHD-2エセックスへの発着艦を行い、参加各国オブザーバーが見学した。着艦したF-35Bに艦のコンセントから電源を供給したところ、一部の機体で電子機器が損傷する不具合が発生している。また、F-35B関連の支援器材が多すぎ、艦上作業スペースの確保に難渋した。参考:月刊世界の艦船12,171,18、月刊JWings2,183,19

<トガ>:TOGA(増加装甲)を参照。

渡河作戦>:川を渡る作戦で、漕渡と架橋からなる。最善は、橋を確保して渡河することである。無理なら、徒渉できる場所、次いで対岸の敵を側面から攻撃できる場所。それも無い場合、敵のいない所、敵から離れた所を渡河する。紀元前550年頃にペルシャが携帯テントに麦わらを詰めて筏代わりにし、渡河作戦を行った記録がある。参考:月刊軍事研究6,07、工兵入門

 <渡河作戦(日本陸軍)>:行軍中に舟筏で渡河する際は、通常渡河部隊指揮官が予め渡河作業を掌る将校に渡場の位置、舟筏の搭載量、乗船・上陸法など必要事項を承知させ、乗船前舟筏の搭載量に応じて軍隊を区分し、所要の準備を整える。各部隊は順序に従って乗船し、上陸に際しては速やかに上陸点を離れて混雑を予防する。航行中は各人がその位置を離れたり、姿勢を変えたりせず、また特に漕手の動作を妨害しないようにする。戦闘時に渡河する場合、渡河準備として我が岸の敵を駆逐して広正面で川岸を占領し、橋梁の破壊を防ぎ、渡河材料を収集整備し、師団長が渡河計画を策定、工兵と渡河材料からなる渡河作業隊を編成して各部隊を渡河させる。渡河点は適当な正面を有し渡河や渡河後の戦闘が容易な場所にする。河川が我が方に湾曲している地域は、味方火力を集中でき、最初に渡河した部隊に翼の依託を与えられるので有利。渡河する際は、主渡河を容易にするため一部を助渡河させ、必要なら欺瞞のため陽渡河を行う。最初の渡河部隊は歩兵(時に工兵等を配属)で、対岸に同時に到着して橋頭堡を確保し、爾後到着する部隊を加えて橋頭堡を拡大、砲兵も観測者を渡河させて協同戦闘を行う。大河でなく、敵情が許せば、最初から架橋すると有利。敵前渡河では敵の意表を突くのが最重要で、漕渡または機航により渡河を開始し、状況に応じて架橋に移る。参考:作戦要務令

渡河作戦(陸上自衛隊)>:敵前渡河の場合、まず手こぎボートと渡河ボート数隻で作った軽門橋(イカダ)で兵員と軽車両を密かに対岸に渡し、橋頭堡を確保する。可能ならヘリボーンも使える。敵を退却させて直接照準距離から逃れたら、92式浮橋などで重門橋を組んで戦車などの重量機材を渡河させる。長距離砲撃や航空攻撃のみが脅威となった頃、門橋を繋いで架橋し、大部隊を渡河させる。これらの架橋資材の運航は最前線でも施設科隊員(戦闘工兵)が行う。参考:月刊軍事研究2,02、日本の防衛戦力Part1

渡河索道車両搬送>:断崖や急流にぶつかった時、両側にケーブルを張って、ジープや荷物などを吊り下げて対岸に渡る方法。アメリカでは、ロード式軍用架空索道(ロード中佐が第2次大戦中に開発)と呼ばれ、これが自衛隊に教導されてこの名が付いた。参考:月刊PANZER2,02

土方>:日本陸軍用語で、工兵の通称。参考:帝国陸海軍事典

<とかち>:DE-218(護衛艦)を参照。

渡河ボート>:陸上自衛隊の渡河用舟艇。FRP製で、普通のボートを半分に割った半形舟が基本形であり、必要に応じて2隻を前後逆にして連結金具で繋ぎ全形舟にする。手こぎでも船外機でも推進可能で、長さ1.5mの櫂、長さ4mの竿、長さ4.6mの艪が用意されている。半形舟は全長4.3m、高さ0.65m、重量145kgで、13名乗れる。3-5隻に道板を渡して軽門橋としても使用可能。日産マリーンまたはニュージャパンマリン製。参考:MAMOR vol.136、月刊軍事研究6,143,17

<ド・カルボン式ショック・アブソーバー>:モノチューブ式ショック・アブソーバーを参照。

<トカレフ自動式狙撃銃>:M1940狙撃銃を参照。

<トカレフ自動拳銃>:TT-1930モデル・ピストルを参照。

<トカレフ自動小銃>:M1940自動小銃を参照。

<トカレフ半自動小銃>:M1938またはM1940を参照。

ドカ練>:太平洋戦争末期、ガソリン不足で訓練飛行が出来ず、塹壕掘りや掩体掘りなどの土方仕事ばかりしていた予科練のこと。参考:続日本海軍よもやま物語

ドガン級>:トルコ海軍ミサイル艇Dogan級。ドイツのラーセン57級を導入したものである。兵装は76mm砲1門、RGM-84A/Cハープーン4連装発射筒2基。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

トキー級>:マダガスカル海軍中型揚陸艦。フランスのバトラム級中型揚陸艦を導入したものである。兵員30名、戦車4両を搭載可能。兵装はSS-12艦対艦ミサイル発射筒8基。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

<トキ車>:トヨタ四輪駆動自動貨車を参照。

時津風(初代)>:日本海軍磯風型駆逐艦4番艦。大正6531日竣工、一等駆逐艦に類別された。大正7330日に宮崎沖で座礁したため、兵器を取り外して舞鶴で作り直した船体に乗せ、大正9217日に再竣工した。昭和1041日に除籍され、昭和1541日に廃駆逐艦第20号になり、昭和23年に解体された。参考:日本駆逐艦史

時津風(2代目)>:日本海軍陽炎型駆逐艦10番艦Tokitsukaze。昭和151215日竣工。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は建制上は第16駆逐隊、兵力部署では比島部隊第4急襲(護衛)隊に所属していた。昭和17227日、スラバヤ沖海戦に参加。65日、ミッドウェイ海戦に参加。824日、第2次ソロモン海戦に参加。1026日、南太平洋海戦に参加。1113日、第3次ソロモン海戦に参加。昭和1821日、イサベル島沖海戦に参加。33日、81号作戦で沈没し、41日に除籍された。参考:日本駆逐艦史、第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊丸1,77、月刊世界の艦船9,14、日本海軍艦隊総覧、帝国海軍太平洋作戦史Ⅰ

弩級戦艦>:イギリス戦艦ドレッドノート級に匹敵する戦艦のこと。それまでは平均交戦距離2700m、船体前後の連装砲塔に搭載した主砲で敵艦の装甲部を、舷側にずらりと並べた15.2cm速射砲(副砲)で非装甲部を狙って射撃するのが主な戦闘法であった。また、射程が延びた魚雷を装備した魚雷艇や駆逐艦に対抗するため、20.3-25.4cm中間砲を10門ほど搭載した戦艦が出始めた時期だった。しかし無煙火薬の発明による弾道の安定や射撃指揮装置の発明により交戦距離8000mが可能となり、8門以上の主砲斉射により敵艦を夾叉することが最も有効な戦闘法であると判明したため、これに沿って主砲を従来の4門から8門以上に倍増した弩級艦が建造されるに至った。英米艦は水柱が弾着観測の邪魔になるとして中間砲や副砲を外し、通商破壊や海上封鎖は他艦に任せたが、ドイツは檣楼破壊や北海・バルト海の海象を考慮して残した。水雷艇や魚雷艇に対抗するため、7.6cm-12.7cmクラスの補助砲を搭載しており、これらの艇は主砲を使用する戦闘の起こりにくい夜間や悪天候時に来襲することが多かったため、補助砲は主砲塔上や上構脇などの高い位置に露天装備した。防御面では、日露戦争の戦訓から水中・対魚雷防御を重視したのが特徴である。機関はドレッドノートが整備性に優れたタービンを採用し、順次各国海軍も取り入れた。日本海海戦の戦訓から長距離巡航にも耐えられる航洋性を備えており、前ド級戦艦より3ノット優速で、低速巡航だと燃費が悪くなるため、随伴する巡洋艦や駆逐艦なども高速化を要し、給油艦を完備する必要が生じている。よって、各国海軍は主要水上戦闘艦を丸ごと作り直して戦術も練り直す必要に迫られる事態となった。それはドレッドノート級を作ったイギリス海軍も同じで、他国にとっては圧倒的海軍力を誇っていたイギリス海軍に追いつく絶好の機会でもあり、各国で多数の弩級戦艦が建造されている。参考:近代戦艦史、月刊JWings2,00、月刊世界の艦船1,124,'17、月刊丸7,14

度胸グソ>:戦闘中に排便すること。参考:帝国陸海軍事典

<ときわ>:AOE-423(補給艦)を参照。

常磐>:日本海軍常磐型敷設艦。明治32518日竣工、一等巡洋艦に類別された。大正1091日、一等海防艦に艦種変更された。大正11930日、敷設艦に艦種変更された。大正13年、敷設艦への改造を完了。昭和281日、佐伯湾で仮泊中に整備中の機雷1個が起爆装置の電気回路不良で爆発し、35名が死亡・行方不明となり、68名が負傷した。昭和6109日、第1遣外艦隊に編入され、佐世保を出港、上海に向かった。昭和155月、第4艦隊に編入され、マーシャル諸島クェゼリン環礁に配置された。太平洋戦争出師準備計画でトラックに派遣され、敷設作業を実施。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は第4艦隊第19戦隊に所属しており、マーシャル方面で機雷敷設と哨戒任務に従事した。昭和1721日、クェゼリンでアメリカ機動部隊の空襲を受けて直撃弾1発と至近弾3発を被弾、大破した。佐世保に回航されて4月末まで修理を実施。611日、トラック経由でクェゼリンに展開。7月、特務艦になった。昭和1865日、横須賀に帰投。その後佐世保で修理整備を実施。720日、大湊に回航された。昭和19120日、海上護衛隊第18戦隊に編入され、旗艦となった。石炭で航行できるため、貴重な敷設戦力として東シナ海での九三式機雷の敷設作業に従事した。昭和203月、第44震洋隊の器材と人員を佐世保から奄美大島に輸送。414日、福岡県部崎灯台の南東8海里で触雷して小破した。74日、舞鶴経由で大湊に移動。89日、大湊でアメリカ第38機動部隊の爆撃を受けて擱座した。終戦時には大湊で大破状態だった。1130日に除籍され、昭和22年(21年?)に解体された。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、帝国陸海軍事典、小艦艇入門、写真集日本の小艦艇、敷設艦 工作艦 給油艦 病院船、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,13増刊

常磐型敷設艦>:日本海軍敷設艦。元は明治32518日竣工の装甲巡洋艦常磐(イギリスで建造。20cm連装砲塔2基、15cm単装砲16門、8cm砲2門、8cm高射砲1門装備)で、津軽の代艦として改造された。後甲板の20cm連装砲塔1基と舷側15cm単装砲8門を撤去し、上甲板と中甲板に機雷敷設軌条を2条ずつ搭載、中甲板に機雷庫を設置して五号機雷500個を収容できるようにした。全長134.4m、水線長124.36m、最大幅20.5m、吃水7.42m、基準排水量9264トン。主機は直立式4気筒3段膨張レシプロ蒸気機械2基、主缶は宮原式石炭専焼水管缶12基、出力18248馬力(36496馬力?)、2軸推進、速力21.25ノット、石炭搭載量1383トン。兵装は安式45口径20cm連装砲1基、四一式40口径15cm単装砲8門、安式40口径8cm単装砲2門、機雷敷設軌条4条、五号機雷500個。乗員609名。常磐が大正11年に艦種変更された。昭和201月の兵装は四一式40口径15cm単装砲4門、三年式40口径8cm単装高角砲1門、毘式40mm単装機銃2丁、九六式25mm連装機銃10基、九六式25mm単装機銃15丁、八一式爆雷投射機2基、爆雷80個、機雷敷設軌条4条、機雷200-300個で、九三式水中聴音機1基、二二号電探、一三号電探も装備した。参考:日本海軍特務艦船史、敷設艦 工作艦 給油艦 病院船、小艦艇入門、写真集日本の小艦艇、日本海軍艦隊総覧

常盤山丸>:日本海軍輸送船。元は三井物産(昭和17年から三井船舶)の近海用貨物船である。垂線間長80m、幅11.6m、深さ6.1m、満載吃水5.37m、総トン数1805トン、重量トン数2462トン。主機は三連成汽機1基、連続最大出力1256馬力、1軸推進、航海速力10.5ノット、最大速力13.2ノット。昭和13131日竣工。太平洋戦争で陸軍に徴用され、その後海軍に移った。昭和1999日、3905船団として横須賀から父島に向かう途中、父島の西北西480kmSS-385バングの雷撃を受けて沈没した。参考:月刊世界の艦船8,13

<トク>:特五式内火艇を参照。

<特1TL型>:しまね丸型(護衛空母)を参照。

特一号電話機>:日本陸軍の器材。昭和94月に制式化された。参考:工兵入門

<特一ロケット>:三式噴進弾を参照。

特2TL型>:日本陸軍戦時標準油槽船兼護衛空母。三菱重工業横浜造船所で建造中の2TL型戦時標準油槽船2隻を昭和1910月に購入して改造したものである。内地からシンガポールのシーレーン護衛が主任務で、三式指揮連絡機8機(6機?)と8000リットルの航空燃料を搭載する。ただし改造は最小限に止めており、航空機用燃料タンクは無く、積んである40本のドラム缶から直接給油することにしていた。飛行甲板は全長125m・幅23mのものを装備し、蒸気ウインチ駆動のエレベーター1基を中央前方に搭載、萱場式KX陸上移動式着艦制動機(アレスティングワイヤ6本)を持つ予定とした。エレベーター前方に着艦制止柵も用意されている。船型は平甲板型空母で、船体の改造は海軍の1TL型改造護衛空母しまね丸型に準じるものだが、前部居住区下が中空構造で開放式となっており、機銃甲板下も開口式とされ、格納庫内の換気に気を遣った設計とされた。マストは右舷前後に1本ずつ立っている。煙突はしまね丸型と同じ右後方向き舷側排気で、しまね丸型より後ろ寄りにある。全長148m157.43m?)、幅20.4m、深さ12m、吃水9m、総トン数15864トン、基準排水量22048トン。主機は甲五〇型一号蒸気タービン1基、主缶は改二水管缶2基で、1軸推進、最大速力15ノット。三式指揮連絡機8機を搭載する。兵装は25mm連装機銃8基、二式中迫撃砲2門、爆雷投下台2基、爆雷10発。山汐丸と千種丸の2隻を起工したが、既に出撃できるような戦況では無く、山汐丸は兵装を搭載せずに完成して埠頭に繋がれたままとなり、千種丸は進水後に貨物船に改造された。参考:月刊丸2,082,12別冊付録、戦時標準船入門

特二式内火艇>:日本軍の水陸両用戦車で、別名カミ。主に日本海軍に装備され、艦艇として艦籍に入れられている。カミは開発者である上西技師の名字をとったものである。昭和16年から開発が始まり、昭和17年に三菱重工で試作車が完成、制式採用された。ベースは九五式軽戦車で、浮力を持たせるために車体を大型化し、更に前後部に浮船を付けた。上陸後は車内操作で浮船とスクリュー、砲塔展望塔を外して運用する。装甲厚は12-6mmで、装甲鋼板の全溶接。車体は浮力を得るためにかなり横幅が広くなっており、最前部がトランスミッションで上面に点検ハッチ2ヵ所があり、前部右が操縦席、左が前方機銃手席、中央が戦闘室、後部が機関室である。乗員は車体上面中央左右のハッチから出入りするが、このハッチは二重開閉構造で、エンジン冷却空気取り入れ口を兼ねていた。戦闘室と機関室の間には隔壁が無いため、整備は楽だが居住性が悪く、被弾して火災を起こせば大事になる。砲塔は九五式軽戦車よりも一回り大型の円錐形(傾斜角9度)で、手動旋回式であり、上面にハッチ、後部側面に対空機銃用銃架と無線アンテナ取り付け架を持つ。水上航行の際には砲塔に視察筒(視察窓6ヵ所付き)を立てる。サスペンションは水平式コイル・スプリングで、水密性を考慮して車内に収容されている。下部転輪は九五式軽戦車と同じ硬質ゴム付き鋼製ダブルタイプで、起動輪は前部にあり、誘導輪は接地式のものが後部に装着された。上部転輪は片側2個ずつ、履帯は九五式軽戦車の改良型(幅を300mmに拡大)である。浮船は厚さ3ミリの普通鋼板で製作されており、内部が前部で6区画、後部で5区画に区切られている。取り付け具は車体前上部に1ヵ所、下部に2ヵ所、後面に2ヵ所付いていたが、後期型では前面が下部2ヵ所に減らされ、上部の撤去後には前照灯が付けられた。水上航行時にはエンジン上部にシュノーケルを設置し、車体後部の2軸スクリューを使用して推進する。車体はほぼ海中にあり、波が来れば砲塔まで水をかぶるため、機銃や戦車砲の開口部は油紙などで塞がれており、航行中の戦闘はできなかった。一等・二等輸送艦に搭載され、沖合から発進する。潜水艦からの発進も考えられていたが、実際には行われなかった。全長7.5m、車体長4.8m、全幅2.8m、全高2.3m、重量9.15トン(浮船付きで12.5トン)。装甲厚は車体前面12mm、側後面10mm、上面6mm、底面6mm。砲塔全周12mm、上面6mm。エンジンは直列6気筒空冷ディーゼル(115馬力)で、最大速度37km、水上9.5km、燃料搭載量53ガロン、航続距離320km、水上140km。武装は一式三七粍戦車砲(初期には九四式や九八式を装備したものもあったようだ)1門(132発)、九七式7.7mm機銃2丁(車体前部及び主砲同軸、4080発)。乗員5名(車長、砲手、装填手、操縦手、前方機銃手。プラス機関手の6名?)。1個小隊は2両で、4個小隊プラス中隊長車の9両で1個中隊を編成した。184両が生産され、昭和1810月末からラバウル、カビエン、クェゼリン、東カロリン諸島、パラオ、サイパン、千島列島方面に輸送されて局地防衛に使用された。参考:日本の戦車と装甲車両、異形戦車ものしり大百科、戦場写真で見る日本軍実戦兵器、月刊PANZER9,06、月刊丸3,13

特三号滑空戦車>:日本陸軍のグライダー付き戦車、別名クロ。グライダー部分はク-6と呼ばれて前田航研が、戦車部分は三菱重工が開発した。ツインテイルブーム式グライダーの胴体部分を戦車にしてあり、着陸後はグライダー部分を切り離して作戦に従事する。昭和18年から開発されたが、実現には程遠く、計画中止になった。全長12.8m、翼スパン22m、全備重量4.2トン。曳航速度250km。戦車部分は全長4.07m、全幅1.44m、全高1.89m、重量2.9トン。武装は37mm砲1門または火炎放射器1基、7.7mm重機関銃1丁。エンジンは50馬力の空冷直列4気筒ガソリンで、最大速度43km。燃料搭載量150リットル。乗員2名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇、機甲入門、日本戦車隊戦史

特三号電話機>:日本陸軍の有線通信機材。参考:工兵入門

特三式内火艇>:日本軍水陸両用戦車で、別名カチ。一式中戦車をベースとしたもので、完全水密構造のため潜水艦に積んで輸送でき、耐水深度は100mもある。転輪は片側8個で、サスペンションは車外露出式とされた。水上航行時には車体前後にフロート(後部に方向舵付き)を、機関室上面に換気塔を装着し、上陸したら取り外す。水上からの発進準備にかかる時間は10分。全長10.3m(浮船付き)、全幅3m、全高3.824m、自重26.45トン、浮船付き重量28.75トン。装甲厚は車体前面50mm、側後面20mm、上面10mm、底面10mm。砲塔前面50mm。エンジンは統制型一〇〇式ディーゼル(240馬力)で、最大速度は陸上32km、水上10.5km、航続距離は陸上320km、水上140km。武装は一式四七粍戦車砲1門(120発)、九七式7.7粍車載重機関銃2丁(砲塔後部と車体左前部、5000発)。乗員7名。19両が生産されたのみで、実戦使用はされなかった。参考:異形戦車ものしり大百科、戦場写真で見る日本軍実戦兵器、日本の戦車と装甲車両、月刊丸3,13

特四式内火艇>:日本軍が開発した水陸両用装軌車両カツ。物資輸送用の車両として、昭和17年半ば頃から開発が開始されたが、ガダルカナル撤退後からは魚雷を積んで環礁を突破し、敵を攻撃する兵器として開発が進められた。潜水艦に搭載されて発進するか、海岸から環礁を乗り越えて海上に進入する。特二式内火艇を参考に製作されているが、フロート装着方式ではなく、船型車体に浮力を持たせている。軟鋼製で、防弾能力は無い。使用する45cm魚雷は発射後一定距離を経ると旋回するようになっており、環礁内で密集する敵のどれかに命中するようになっていた。攻撃後は艇を沈め、艦尾に搭載した動力付きフロートで脱出する。車体前部に操縦席があり、前面にはバイザーが付いている。起動輪は前方、誘導輪は後方にあり、下部転輪は2個1組のボギーが片側4組取り付けられ、上部転輪4個を持つ。車体底面後部には水中航行用のスクリュー2基があり、陸上走行時は奥(上?)に引き込む。全長11m、全幅3.3m、全高2.83m、自重16.06トン、全備重量20.06トン。エンジンは空冷直列6気筒ディーゼル(120馬力)で、最大速度は陸上20km、海上7.4km。航続距離は陸上300km、海上160km。固定武装は13mm機銃2丁。乗員5名。昭和19-20年に49両が生産された。あ号作戦の一部である竜巻作戦での使用を計画されたが、もともと大発で夜間に砂浜に乗り上げた補給物資を夜のうちにジャングル内に運搬するのが目的だったため、速力は4ノットしか出ず、ペイロードも5トンしかない。これに魚雷2本を積んで走らせると、履帯は外れるわ、足周りは損傷するわ、エンジン音がうるさくて場所はばれるわ、航行中に推進軸接合部から油は漏れるわで全く使い物にならず、兵器としての使用は中止された(一応九州に部隊は残され、本土決戦に備えた)。ちなみに第1次大戦時にイタリアが全く同じ発想の海上戦車グリロで泊地攻撃を掛けて大失敗しているのは教訓にならなかったようである。参考:月刊PANZER6,04、月刊グランドパワー10,00別冊、機甲入門、月刊丸3,13、日本潜水艦物語

特五式内火艇>:日本海軍が開発した水陸両用戦車で、別名トク。特三式内火艇の発展型である。水密構造を改良して生産性を向上させ、武装を車体前面左の一式四七粍戦車砲と砲塔の25mm機関砲、砲塔後面及び車体前面やや右の九七式7.7mm車載重機関銃とする予定だった。全長10.8m、車体長7.1m、全幅3m、全高3.38m、自重26.8トン、浮船付きで29.1トン。最大装甲厚50mm。エンジンは統制型一〇〇式ディーゼル(240馬力)で、最大速度は陸上32km、海上10.5km、航続距離は陸上320km、水上140km。乗員7名。完成前に終戦を迎えた。参考:日本の戦車と装甲車両、異形戦車ものしり大百科、機甲入門

特九七式十五センチ双眼鏡>:日本陸軍の双眼鏡で、昭和1746日に制定された。三脚上に載せて使用する。重量190kg(眼鏡50kg、眼鏡托架30kg、三脚架21kg、固定架台20kg。眼鏡箱39kg、眼鏡托架箱30kg)。参考:工兵入門

<特運筒>:特型運貨筒を参照。

特大型運搬車>:陸上自衛隊の90式戦車運搬用トレーラーで、3軸10輪(後2軸がダブルタイヤ)の牽引車は三菱自動車工業、4軸16輪のトレーラーは東急車輌製である。全長16.97m、全幅3.49m、全高3.15m、車両重量21.16トン、最大積載量50トン。エンジンはCDIターボチャージャー付きV型8気筒ディーゼル(排気量19000cc535馬力)で、最大速度60km。トレーラーは全長11.545m、全幅3.49m。第7師団の後方支援連隊輸送隊などに配備された。道路運送車両法の規定により、夜間(2100-0600)しか走行できず、しかも緑色回転灯を点灯させて先導車を付けなければならない。また、90式戦車を載せると総重量が70トンを超えるので、大部分の橋梁の保安基準値を上回ってしまうので、平時は砲塔と車体に分けて運ぶ必要がある。ただし有事は適応除外になるし、主要国道の大型橋梁なら70トン超で走っても崩落しないとされる。参考:JGround Vol.11、自衛隊装備年鑑1996、スピアヘッドNo.6、戦車の戦う技術

特大型セミトレーラー・シリーズ>:74式戦車の輸送用に1971年から開発したセミトレーラーで、1973年に仮制式化されたので73式特大型セミトレーラともいう。89式装甲戦闘車なども輸送でき、10式戦車も運べる。UH-1を後ろ向きに乗せられるくらいの十分な長さもある。牽引車とセミトレーラーを連結すると全長16.255m、全幅3.29m、全高2.92m、車両重量17.21トン、車両総重量57.21トン(74式戦車搭載時)。最大軸重9.387トン、最大輪荷重2.6トン。参考:月刊PANZER11,021,11、月刊丸3,13JGround Vol.11、月刊軍事研究1,10、スピアヘッドNo.17

特大型セミトレーラー>:全長11.32m、全幅3.29m、全高1.95m、車両重量7.95トン、最大積載量40トン、車両総重量47.95トン。車輪配列はトレーラー後部に3軸ダブルタイヤ計12輪、サスペンションは半楕円型重ねリーフスプリング。東急車輌製造または東急車輌特装または東邦車輌製。参考:月刊PANZER11,02、月刊軍事研究2,149,14

特大型セミトレーラー牽引車>:6トントラックもしくは74式特大型トラックの派生型であり、仮制式装備なので逐次細かい改良が加えられていて、NW204JRという形式名称のボンネットタイプから始まり、FW455LRという形式名称のキャブオーバー型などが作られている。全長6.825m、全幅2.49m、全高2.92m、車台重量8.6トン、車両重量9.26トン、最大積載量16.5トン、車両総重量25.92トン。エンジンは10気筒で、排気量18.6リットル(FW455LRはV型8気筒16.031リットル)・最大出力375馬力(FW455LR440馬力)、最大速度60km、燃料搭載量250リットル。トランスミッションは前進10段・後進2段、駆動は6×6、車軸は3軸10輪(後部2軸はダブルタイヤ)。乗員2名。三菱重工または三菱自動車工業または三菱ふそうトラック・バス製。参考:月刊PANZER11,02、月刊軍事研究12,077,99、スピアヘッドNo.6、月刊丸3,13

特大型ダンプ>:陸上自衛隊のダンプカーで、7トントラックがベースである。全長8.135-9.15m、全幅2.49m、全高3.1m、車両重量11.46-12.67トン、積載量8.25-9トン。エンジン出力355馬力、最大速度95km。三菱自動車工業または三菱ふそうトラック・バス製。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015、自衛隊装備年鑑1996、月刊軍事研究2,14

<特大型ダンプ(ウインチ付)>:自衛隊の車両。三菱ふそうトラック・バス製。参考:月刊軍事研究2,14

<特大型トラック>:自衛隊のトラック。いすゞ自動車製。月刊軍事研究5,08

特大型トラック(6×4)>:自衛隊のトラック。三菱自動車、いすゞ自動車、日野自動車の市販6×4輪トラックを自衛隊仕様に改修して採用したものである。参考:月刊丸3,13、月刊軍事研究12,125,13

<特大型トラック(航空野外高所作業台用)>:自衛隊の車両。いすゞ自動車製。参考:月刊軍事研究11,09

<特乙>:乙種(特)飛行予科練習生を参照。

<特外>:外出(自衛隊)を参照。

<毒ガス>:化学兵器を参照。

毒ガスの禁止に関するハーグ宣言>:1899729日にオランダのハーグで調印され、190093日に批准されて94日に効力発生した宣言で、日本正式名称は「窒息せしむべき瓦斯又は有毒質の瓦斯を散布するを唯一の目的とする投射物の使用を各自に禁止する宣言」。日本では1900106日に効力が発生し、1122日に公布された。締結国同士で戦争を行う場合に、窒息ガス及び有毒ガス散布を唯一の目的とする投射物の使用を禁止したもので、どちらかの陣営に非締結国があれば、効力が無くなる。開発、生産、保有は禁じられていない。参考:軍縮条約・資料集第2版、図解雑学生物・化学兵器

特型運貨筒>:日本海軍が開発した潜水艦曳航式水中輸送筒で、特運筒と略す。甲標的をベースにしており、動力を魚雷用機関に変更、内部に25トンの貨物を収容できるようにしたものである。操舵室は円筒状をしており、船体中央やや前方から上に突き出ている。潜水艦に乗せて運ぶこともでき、100mの潜航に耐えられるが、水中自力航行はできない。使用は1回きりの使い捨てである。全長22.95m、最大直径1.8m、水中排水量40トン、貨物搭載量25トン。速力6.5ノット、航続距離2500m。乗員1名。昭和17-18年(昭和181月から?)に50-70隻が建造された。参考:歴史群像8,02、日本潜水艦物語

<特型格納筒>:甲標的シリーズ(潜水艇)を参照。

<特型駆逐艦>:吹雪型を参照。

<特型Ⅱ駆逐艦>:吹雪型を参照。

<特型潜水艦>:伊400型を参照。

<特幹>:陸軍特別幹部候補生を参照。

特技章(日本海軍)>:術科学校の普通科練習生課程、高等科練習生教程、特修科練習生課程などを卒業すると公布される章で、左腕に付ける。高等科以上だと手当が支給される。参考:海軍よもやま物語

<特警>:SBU(特別警備隊)を参照。

<特号水雷艇>:潜水艦(日本海軍)を参照。

<徳克薩斯人式教練機>:AT-6海外シリーズ(練習機)を参照。

<トクサ>:KN-02(弾道ミサイル)を参照

徳島救難飛行隊>:海上自衛隊の救難飛行隊。20083月、徳島航空分遣隊に改編された。参考:月刊JWings1,16

徳島教育航空群>:海上自衛隊の航空教育部隊で、航空学生に固定翼操縦士計器飛行教育などを行う。197331日、第3航空群から改編されて徳島航空基地で創設され、教育航空集団の隷下に入った。司令部、第202教育航空隊、第202支援整備隊、徳島航空基地隊からなる。1998128日、第202視線整備隊が第202整備補給隊に改編された。200916日、地上救難訓練始めを実施。化学消防車による消火訓練と負傷者救助訓練を行った。317日、初期消火競技会を実施。66日、隊員と家族180人が松茂工業団地企業協議会と共に月見ヶ丘海浜公園と海水浴場一帯の清掃を実施。71-2日、平成21年度第1回不測事態対処訓練を実施。1030日、基地殉職隊員追悼式を実施。112日、永年勤続者表彰伝達式を実施。201015日、TC-90練習機と徳島航空分遣隊UH-60Jヘリが飛行初めを実施。222日、平成21年度初期消火競技会を実施。34日、第2格納庫でUC-90航空測量機くにかぜⅡの退役式を実施。1118日、平成22年度初期消火競技会を実施。第202整備補給隊が入賞した。201116日、初飛行訓練を実施。2012911日、第119回中部地域航空関係連絡協議会を開催。陸海空自衛官と国土交通省東京交通管制部の計70人が参加し、航空管制について意見交換を実施した。201416日、初飛行訓練を実施。201515日、初訓練飛行を実施。451100頃、管制を担当する徳島空港で、羽田発徳島行き日本航空455便が、管制塔の許可を受け着陸進入していたところ、滑走路上に作業車両を見つけて着陸をやり直す管制ミスがあった。管制官は通常4名体制だが、当時は休日ということで1名のみになっており、海幕が各部隊にダブルチェック体制を含む基本順守の通達を出している。62日、姫路市内中学2年生20人の職場体験学習(基本教練、記念館見学、体験喫食、訓練器材整備など)を支援した。2016225日、初期消火競技会を実施。518日、松茂中学校2年生140人の基地見学を受け入れ、基地記念館を広報室員が案内した。1220日、フィリピン海軍TC-90練習機操縦教育第1期生2名を交えて餅つき大会を実施。201716日、TC-90練習機5機で初訓練飛行を実施。524日、基地内消火訓練場で板野東部消防組合消防本部と合同消火訓練を実施。812-13日、アメリカ海軍高官部隊訪問ジョイント・トリップで在日米海軍司令官と横須賀地方総監が部隊を訪問した。201815日、初訓練飛行を実施。悪天候のため、規模を縮小してTC-90練習機1機で飛行した。1161700頃、徳島飛行場の北250mにある赤松化成工業第4工場で火災が発生したため、隊員13名からなる防火隊を派遣して消火活動を行った。225日、徳島市自衛隊入隊・入校激励会に参加。33日、徳島市内のホテルで徳島自衛隊入隊・入校激励会を行った。316日、フィリピン海軍操縦士に対するTC-90練習機操縦講習3期生2名の修了証明授与式を実施。321日、フィリピンに譲渡するTC-90練習機3機をフィリピンに輸送する第202教育航空隊司令以下隊員40名の出国行事を実施。327日、116日の防火隊による消火協力に対し、板野東部消防組合から感謝状を贈呈された。328日、フィリピンにTC-90練習機3機を輸送した40名の帰国行事を実施。421-22日、徳島市藍場浜公園で開催されたはな・はる・フェスタで徳島地本が行った広報に協力し、祝賀飛行を行った。519日、隊員と家族計80人が海をきれいにする運動に参加。528日、鳴門・徳島阿波踊りに向け、阿波踊り部かもめ連が訓練を開始。62日、隊員家族82世帯178人を徳島航空基地に招いてアットホームデーを開催し、TC-90体験搭乗やシミュレータ体験などを行った。618日に発生した大阪北部地震の災害派遣に参加。628日、日本航空と全日本空輸の関係者を招いて徳島飛行場(空港)技術交流会を実施。86日、フィリピンへのTC90練習機移転事業の功績で、村川海幕長から2級賞状を授与された。91日、徳島県総合防災訓練に参加。1016日、松茂中学校2年生142人が沖縄修学旅行前の平和学習の一環として基地を見学した。1031日、基地殉職隊員追悼式を実施。2019251536頃、徳島航空基地に着陸したTC-90練習機の左タイヤがパンクし、滑走路上で立ち往生した。滑走路が3時間閉鎖され、徳島空港の民間機数便が欠航している。44-19日、地元企業新入社員などに隊内生活体験を実施。85日、阿波踊り・かもめ連の出陣式を実施。89-13日、かもめ連ら100名が鳴門市と徳島市の阿波踊りに参加。202017日、初訓練飛行を実施。TC-90練習機に群司令らが搭乗し、小松島航空基地上空を通過した際には管制塔と無線で賀詞交換を行った。827日、徳島空港滑走路の草刈りを実施。1118日、航空機乗員地上救難訓練を実施。2021631152頃、訓練中のTC-90練習機が徳島飛行場の滑走路上で左主翼を地面に接触させ擱座した。乗員2名に怪我は無かったが、徳島空港滑走路が4時間に亘り閉鎖されている。92日、徳島県と、徳島飛行場における海上自衛隊航空機に係る事故発生時の早期復旧・発着再開に向けた態勢強化のための協定を締結し、徳島県クレーン協同組合理事長、徳島県知事、徳島教育航空群司令が、徳島県庁で協定書に署名した。1023日、隊員8名が松茂町総合防災訓練に参加。202217日、初飛行訓練と救難消火訓練を実施。222日、航空機が滑走路で自力走行できない事態に陥ったことを想定した搭乗員救出・救助訓練や、民間クレーン車を使用した事故機収容作業訓練を実施。630日、徳島地本が行った地区別募集会議に協力し、徳島県内の学校関係者24人に部隊見学を行った。202316日、年頭訓示・初訓練を実施。参考:教育航空集団司令部ホームページ、徳島教育航空群ホームページ、朝雲、MAMOR vol.70vol.140、月刊JWings3,173,189,183,'23

 <徳島教育航空群(1978年)>:教育航空集団隷下で、司令部は徳島にある。第202教育航空隊、第202支援整備隊、徳島航空基地隊を隷下に置く。参考:月刊世界の艦船1,79増刊

徳島教育航空群(2007年度、改編前)>:教育航空集団隷下で、第202教育航空隊、第202整備補給隊、徳島航空基地隊を隷下に置く。参考:月刊JWings6,07

徳島教育航空群(2010年)>:教育航空集団隷下で、徳島航空基地にある。第202教育航空隊(TC-90UC-90)、第202整備補給隊、徳島航空基地隊を隷下に置く。参考:月刊航空ファン4,10

徳島教育航空群(2015年)>:教育航空集団隷下で、徳島航空基地にある。第202教育航空隊(TC-90)、第202整備補給隊、徳島航空基地隊を隷下に置く。参考:月刊航空ファン4,16

徳島教育航空群(2020年)>:教育航空集団隷下で、徳島航空基地にある。第202教育航空隊などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,20

徳島航空基地>:海上自衛隊の航空基地で、徳島空港/徳島阿波おどり空港との共用である。滑走路は長さ2500m、幅45m、ランウェイ11/29。所在地は徳島県板野郡松茂町住吉字住吉開拓38JR高徳線徳島駅からバス。元は1942年(昭和17年)に開設された徳島海軍航空隊の徳島飛行場で、海軍予備学生の訓練に使用され、太平洋戦争末期には白菊による沖縄特攻にも使われた。終戦後はイギリス軍が駐留、1958年に徳島航空基地として創設され、316日に徳島航空隊が新編された。1961年、徳島航空隊が第3航空群に改編された。11月、官民共用飛行場となった。197331日、第3航空群が徳島教育航空群に改編され、教育航空集団の隷下に入った。2012330日、新しい運航指揮所の落成式を実施。65-7日、日本赤十字社徳島県支部が水上安全法救助員養成講習を実施。基地隊員、警察官、消防署員ら18名が参加した。20153月、委託食堂が閉鎖された。10月、新しい委託食堂の野菜のしあわせが開店した。2017227日、警衛隊が無事故継続5400日を達成。323日、フィリピンに有償貸与されるTC-90練習機2機の出国式典を実施。海自第202航空隊教官パイロットが乗り込んでフィリピンのヘラクレオ・アラノ・サングレーポイント海軍基地に向かった。1212日、厚生センターに委託食堂七宝亭が開店した。2021527日、近隣自治体職員17人に部隊研修を実施。参考:徳島教育航空群ホームページ、教育航空集団司令部ホームページ、月刊JWings6,10別冊付録、6,1711,18、月刊航空情報10,05、朝雲

徳島航空基地(2007年度、改編前)>:徳島教育航空群第202教育航空隊(TC-90UC-90)、徳島救難飛行隊(UH-60J)が所在している。参考:月刊JWings6,07

徳島航空基地(2012年度)>:第202教育航空隊(TC-90)、第72航空隊徳島航空分遣隊(UH-60J)が所在している。参考:月刊JWings2,13別冊付録

徳島航空基地(2015年)>:徳島教育航空群司令部、第202教育航空隊、第202整備補給隊、徳島航空基地隊が所在している。参考:MAMOR vol.121

徳島航空基地隊>:海上自衛隊の航空基地隊。197331日、徳島教育航空群隷下に新編された。2018312日、車両無事故無違反200万キロ(1981年から2017815日まで)の功績により3級賞状を受賞した。323日、隷下に徳島航空警備隊が新編され、徳島航空基地で新編行事を行った。103日、レーダー無事故誘導管制80万回(19605月以来)を達成した。2021219日と25日、地上救難班が板野東部消防組合と合同訓練を実施。参考:教育航空集団司令部ホームページ、朝雲

徳島航空基地隊(2007年度改編前)>:徳島教育航空群隷下で、徳島救難飛行隊を隷下に置く。参考:月刊JWings6,07

徳島航空隊>:海上自衛隊の航空隊。1958316日、呉地方隊隷下に新編された。1961年、第3航空群に改編された。参考:教育航空集団司令部ホームページ

徳島航空分遣隊>:海上自衛隊の航空分遣隊。2008326日、徳島救難飛行隊から改編されて第72航空隊隷下に創設された。2011281400過ぎ、徳島県阿波市谷口で山林火災が発生し、延焼したため、1712に徳島県知事から徳島教育航空群司令に災害派遣が要請され、本分遣隊のUH-60Jヘリ1機が1740までに1.35トンを散水した。その後鎮火が進み、290801に鎮圧されたため、0825に撤収要請が出た。751918に発生した和歌山県北部を震源とする震度5強の地震を受け、航空機による情報収集を行った。2012529日、徳島県那賀郡那賀町で発生した山林火災の災害派遣に参加。20134130533頃、兵庫県淡路島付近を震源とするマグニチュード6.3の地震が発生し、震度6弱を観測したため、0546から情報収集を行った。720日、阪神基地隊サマーフェスタでUH-60Jヘリによる救難展示を実施。2015831日に解隊された。前身部隊の1960年発足以来の出動回数は178回、総飛行時間は29751時間だった。参考:月刊JWings1,'16、朝雲

徳島駐屯地>:陸上自衛隊の駐屯地。所在地は徳島県阿南市那珂川町小延。2012326日に新設され、第14施設隊が駐屯した。331日、駐屯地開設式典を実施。826日、徳島駐屯地を主会場として阿南市総合防災訓練が行われた。2013527日、中国四国防衛局主催の第21回防衛セミナーを実施。参考:徳島駐屯地ホームページ、月刊JWings6,12MAMOR Vol.71、朝雲

 <徳島駐屯地(2015年)>:第14施設隊、第14後方支援隊第1整備中隊施設整備小隊、中部方面会計隊第440会計隊(326日から第348会計隊徳島派遣隊)、第323基地通信中隊徳島派遣隊、第133地区警務隊徳島連絡班、徳島駐屯地業務隊が駐屯している。参考:徳島駐屯地ホームページ、陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

徳島飛行場>:日本海軍の飛行場。参考:月刊JWings11,18

特車>:警察予備隊用語で、戦車のこと。戦車という名称に変更されたのは、陸上自衛隊発足後の19621月である。参考:月刊軍事研究4,10

<毒蛇>:KN-02(弾道ミサイル)を参照。

特殊慰安施設協会>:RAARecreation Amusement Association)と略す。太平洋戦争終結後すぐの昭和208月に近衛文麿国務相が閣議で設立を提案した占領軍向け売春組織で、民間組織ではあるが、創設に際しては勧業銀行から政府保証で5000万円の融資を得ている。一般婦女子を守るという建前だったが、占領軍に色仕掛けを掛けまくり、若い占領軍将兵も旺盛な性欲で応じたため、占領軍の軍紀が崩壊しかかり、性病も蔓延、昭和211月にGHQが公娼制を廃止して解散させた。だからといって性欲まで収まる訳もなく、法の目をかいくぐるようになっただけで、あまり問題は解決せず、更に勧業銀行の融資が返せなくなり大問題になった。参考:月刊軍事研究6,13

特修科>:日本海軍術科学校の技能教育課程で、一等兵曹が練習生として受講する。参考:日本海軍艦隊総覧

特修科飛行術練習生>:日本海軍の航空隊員養成制度で、優秀な搭乗員を集めて水平爆撃、通信、観測などの高等教育を9ヶ月間行い、更に練度の高い乗員を育成するものである。昭和1311月に開始され、卒業生は真珠湾攻撃などで高い戦果を挙げた。参考:帝国陸海軍事典

特殊架橋>:日本陸軍の架橋器材。全長850m、耐重量16トン。舟艇136隻、架柱22組、列柱12組などで構成される。2セットが配備された。参考:工兵入門

特殊キー100暗号>:ドイツ海軍が第2次大戦時に使用した暗号。外国海域に展開する仮装巡洋艦と輸送艦が使う。参考:Uボート入門

<特殊急襲部隊>:SATを参照。

特殊救難隊>:海上保安庁の洋上救難部隊で、特救隊・特救と略す。第3管区海上保安本部の隷下にあり、羽田特殊救難基地に置かれているが、ガルフストリームⅤやボンバルディア300などの固定翼機で全国に展開し、シュペルピューマなどのヘリで現場に向かい、救助活動を行う。有害物質やNBC対応も担当する。全国の潜水士から選抜された海保保安官が厳しい訓練を受けて隊員となり、その成果は創設以来殉職者ゼロという数字に反映されている。1974年の第十雄洋丸衝突炎上事故を受け、事故現場にヘリで急行して乗員乗客を救出する部隊として197510月に第3管区海上保安本部警備救難部救難課に隊員5名で創設された。19864月、羽田特殊救難基地が竣工し、基地長+6部隊36名(1部隊あたり隊長1名、副隊長1名、隊員4名)の編成になった。20151023日、発足40周年記念式典を実施。2019年、統括隊長が増員となり、基地長+統括隊長+6部隊36名になった。参考:月刊軍事研究12,14、月刊世界の艦船9,'201,167,16

<特殊警備隊>:SSTを参照。

<特殊拳銃>:自衛隊の小火器。銀座銃砲店が受注している。参考:月刊軍事研究6,13

<特殊拳銃用銃身>:自衛隊の機器。銀座銃砲店が受注している。参考:月刊軍事研究8,14

<特殊降下傘用テストチャンバー>:自衛隊の機器。ダイセル製。参考:月刊軍事研究2,17

<特殊行動隊>:特別行動隊を参照。

特殊小型爆撃機>:日本海軍の無線操縦式無人機で、内部に炸薬529.9kgを搭載しており、ロケットを8.3-9.2秒噴射して敵爆撃機編隊に突入させる。特殊小型爆撃機小型と同大型の2種類があったらしいが、詳細不明。参考:日本海軍の爆弾

特殊作戦群>:陸上自衛隊初の対テロ任務特殊作戦部隊。SOGSpecial Operations Group)と略していたが、2008年からSFGpSpecial Forces Group)に変更された。教育訓練はデルタ・フォースの協力を得たらしく、創設準備は1998年頃から進められていたとされる。群長、副群長、本部管理中隊、3個特殊作戦中隊、特殊作戦教育隊で編成され、戦闘要員200名、支援要員100名からなる。装備は小火器類、60mm迫撃砲、84mm無反動砲、パンツァーファウスト3、携SAM、軽装甲機動車、高機動車、トラック、衛星通信機材など。主任務は対ゲリラ・コマンドー戦で、イラク復興業務支援隊にも少数が派遣された。ヘリボーンの際は第1ヘリコプター団第102飛行隊とペアを組む。2004329日(27日?)、防衛庁長官の直轄部隊として習志野駐屯地で正式発足した。2007328日、中央即応集団隷下となった。2008年、隊員20名がキャンプ・ハンセンの市街地戦闘訓練施設でアメリカ陸軍特殊部隊との共同研修を行った。2018118日、習志野演習場で安倍首相とオーストラリアのターンブル首相に訓練展示を行った。327日、陸上総隊の隷下に移った。44日、朝霞駐屯地で陸上総隊新編行事に群長と旗手のみで参加。旗手はバラクラバで顔を覆っていた。20231-2月、令和4年度米国における実動訓練に参加し、アメリカ陸軍特殊作戦コマンドと実動訓練を行った。9月、令和5年度豪州における実動訓練に参加し、オーストラリアでオーストラリア陸軍特殊作戦コマンドと実動訓練を行った。参考:スピアヘッドNo.16、月刊軍事研究3,076,04、月刊世界の艦船4,10、月刊JWings4,186,183,19、陸上総隊ホームページ、陸上自衛隊ホームページ

特殊作戦軍団(アメリカ空軍)>:アメリカ空軍特殊作戦専門部隊。司令部は参謀長直轄で、フロリダ州ハルバート・フィールドにある。隷下に第1・第39・第353特殊作戦連隊、第1720特殊戦術大隊、特殊作戦学校、特殊作戦試験審査センター、第919特殊作戦大隊(空軍予備役)、第193特殊作戦大隊(州空軍)を持つ。総兵力12500名。1990522日、第23航空軍から改編されて創設された。参考:月刊ミリタリーエアクラフト4,02

<特殊作戦軍団(アメリカ陸軍)>:陸軍特殊作戦コマンドを参照。

特殊作戦執行部>:SOEと略す。イギリスの秘密機関で、第2次大戦黄作戦においてフランスが予想以上に早く降伏してしまい、ヨーロッパ大陸にいる反ドイツ地下組織が十分に纏まらないうちにMI6などイギリス諜報機関が大陸に構築していたネットワークとの連絡も取れなくなってしまったため、反ドイツ地下組織の支援を主任務とする独立秘密機関として1940719日に創設された。本部はベイカー・ストリートに置かれたため、ベイカー・ストリートや公園の周辺などという通称が用いられた。形式上は経済戦争省の下部機関となっていたが、議会でも存在を口に出すことは禁忌とされており、予算を決定する秘密投票に口を挟むことは不可能だった。作戦はイギリス軍との連携で実施され、他の省庁やMI6からも全面的な協力を得た。部署はプロパガンダ部のSO1、作戦実行部のSO2、作戦計画部のSO3からなり、要員は政府機関からの引き抜きで、MI6の破壊工作部門である第9セクションを吸収してFセクションとし、国防省ゲリラ戦担当部門のMI(R)とエレクトラハウス、外務省準秘密宣伝工作部門のエレクトラハウスも吸収した。ヨーロッパ大陸に送り込んで地下組織と接触するエージェントはMI5の協力を得て政治難民の中から探し出しており、脱出の際にはMI9の協力を得た。ドイツ軍に対する激しいゲリラ戦が行われたユーゴスラビアでは当初チェトニックを支援していたが、途中でパルチザン支援に切り替えた。その他の地域ではゲリラ戦が活発でなく、ソ連の協力が得られなかったこともあって武器の空輸はフランス向けが主体となり、そこから各地へと送られた。海路ではユーゴスラビアやデンマークに支援を行っている。フランスでは自由フランス政府内の対立により作戦に支障が出たため、Fセクションが独自にフランス本土に侵入して工作や情報収集を行っている。1941年、SO1が政治戦争執行部に再編され、ナチスとSSに対するブラック・プロパガンダを行っていたが、逆効果になることが殆どで、むしろBBC国内放送を介して行っていたホワイト/グレー・プロパガンダの方が有効であった。19411210日、カナダにキャンプXを設置してOSSへの訓練を実施。戦局の変化に伴い、ヨーロッパのみならず東南アジアや中国本土でも活動するようになり、カイロに北アフリカ作戦戦域司令部を、ニューデリーとメルボルンに太平洋作戦戦域司令部を置いた。1943227日、ガナーサイド作戦を実行し、ノルウェー担当のSNセクションがノルウェー南部のヴェモルクにある重水炉を爆破した。1944年半ばの戦力は男性工作員10000名、女性工作員3000名だった。第2次大戦終結を受けて解散し、要員はMI6に異動して破壊工作などを担当するようになった。1993年に政府資料が機密解除されてロンドンの国立公文書館で公開され、フォックスレイ作戦などが明るみに出たが、1970年までに機密文書の87%が破棄されたという。参考:月刊軍事研究3,1010,10

特殊作戦司令部>:韓国陸軍特殊部隊、通称特戦司。少なくとも7個旅団から構成されており、CN-235MUH-60PHH-60PMD-500An-2などを使用して作戦任務を行うようだ。詳細は明らかにされていない。参考:月刊JWings12,01

<特殊作戦斑>:UOEを参照。

<特殊作戦部隊用レーザー目標指示器>:SOFLAMを参照。

特殊作戦用ヘリコプター>:特殊作戦に使用されるヘリコプター。敵支配下に隠密潜入するため、地形追随レーダーやFLIRなどの夜間操縦航法装置を装備し、交戦に備えて機銃やロケットポッドなどを搭載する。参考:月刊丸12,11

<特殊充電装置>:シュノーケルを参照。

<特殊小銃>:自衛隊の小火器。JALUX製。参考:月刊軍事研究6,13

<特殊小銃(B)>:自衛隊の小火器。JALUX製。参考:月刊軍事研究1,16

<特殊小銃(B)用弾薬>:自衛隊の弾薬。銀座銃砲店が受注している。参考:月刊軍事研究7,16

<特殊小銃(B)用着色表示弾用アタッチメント>:自衛隊の機器。銀座銃砲店が受注している。参考:月刊軍事研究8,15

<特殊小銃(B)用特殊訓練弾用アタッチメント>:自衛隊の機器。銀座銃砲店が受注している。参考:月刊軍事研究8,15

<特殊小銃(B)用付属品>:自衛隊の機器。銀座銃砲店が受注している。参考:月刊軍事研究1,16

<特殊小銃用付属品>:自衛隊の機器。銀座銃砲店が受注している。参考:月刊軍事研究6,13

特殊戦開発群>:DEVGROUPDevelopment Group)と略す。元はSEALチーム6で、存在が知られすぎたためにこの名称に変更となった。主任務は対テロ作戦、対麻薬戦、WMD捜索、戦争犯罪者逮捕、オリンピック警備などで、統合特殊作戦軍団直轄である。メンバーの選抜試験はSEALに輪をかけて過酷といわれる。参考:月刊コンバットマガジン11,03

<特殊戦軍>:USSOCOMを参照。

<特殊閃光手榴弾>:スタン・グレネードを参照。

<特殊潜航艇>:甲標的(潜水艇)を参照。

<特殊捜査班>:SITを参照。

<特殊操作用録音装置付高性能無線音響アナログキット>:自衛隊の機器。加賀ソルネット製。参考:月刊軍事研究11,15

特殊トラック(PLS付)>:陸上自衛隊が開発中の8×8輪輸送車両。重装輪車にパレット化貨物システム(Palletized Load System)を搭載したもので、20フィートコンテナまたは同規格のパレット貨物を後部荷台に作り付けられたアームで素早く積載できる。12式地対艦誘導弾システムの弾薬運搬車としても使用される予定。参考:月刊軍事研究12,11

<特殊トレーラー1型>:Sd.Ah.1を参照。

<特殊トレーラー116型>:Sd.Ah.116を参照。

<特殊トレーラー201型>:Sd.Ah.201を参照。

<特殊トレーラー202型>:Sd.Ah.202を参照。

<特殊任務海兵空地任務部隊-危機対応>:SPMAGTF-CRを参照。

特殊任務艦船>:アメリカ海軍軍事海上輸送コマンドの一翼を担う組織。海洋観測船、ミサイル追跡艦などからなる。参考:月刊軍事研究5,03

<特殊爆撃命令13号>:広島原爆投下を参照。

<特殊はしご車>:自衛隊の車両。セキュリコが受注している。参考:月刊軍事研究3,16

<特殊飛行>:アクロバット飛行を参照。

<特殊武器>:NBC兵器を表す自衛隊用語。

特殊武器防護隊>:陸上自衛隊の化学科部隊で、化学防護隊に生物検知器材を導入して生物兵器対処能力を強化したものである。大隊級の部隊で、隊員は60名、隊本部、第1-3CBRN小隊からなり、各小隊に化学防護車、生物偵察車、生物剤警報器、除染車が配備されていて、各小隊がCBRN兵器対処を行える。NBC兵器が使用されたと思われる地域に進出し、各種車両・器材でサンプリングを行いNBC兵器の種類と汚染地域を特定、除染活動やその地域からの離脱指示を行う。他に発煙や消火活動も実施する。参考:月刊軍事研究6,1110,10、スピアヘッドNo.12MAMOR vol.140

特殊部隊>:Special Forces。正規軍部隊では不可能な軍事行動を遂行するための兵力。ゲリラ戦、対ゲリラ戦、対テロ戦、小規模奇襲作戦、要人救出作戦、誘拐・暗殺作戦、敵施設破壊作戦、情報収集などを行う。特別な訓練を受け、特殊な装備を有し、本隊とは地球の反対側の敵地真っ只中にいる数人単位のチームでも、独自に作戦を遂行できる能力を持っている。時に敵と交渉する必要もあるため、外国語にも通じていなければならない。参考:兵器最先端5、月刊軍事研究4,97、月刊世界の艦船9,12増刊、月刊JWings11,15THE MILITARY BALANCE 2016

 <特殊部隊(アメリカ)>:1942年にカナダと合同で第1特殊任務部隊を創設し、第2次大戦に投入した。部隊は19445月に解散したが、戦後も戦術の開発は続き、19526月に第10特殊任務部隊が設立された。1953年には第10特殊任務部隊が西ドイツに移り、第77空挺特殊任務部隊が本土で創設され、1957年には沖縄に第1特殊任務部隊が置かれた。1961年、ソ連のフルシチョフ書記長が民族解放戦線への支援を公然と表明したため、これに対抗するための対ゲリラ戦運用部隊が必要となり、1962年にグリンベレーが誕生した。また、空軍にはエア・コマンド(後の特殊作戦航空隊)、海軍にはSEALSBSIUWGUDTがそれぞれ創設された。参考:兵器最先端5

 <特殊部隊(韓国)>:派手な訓練を公開することが多く、記者を目前まで連れてきて撮影させるので、スタングレネードの破片が当たって記者が怪我をしたこともある。そのため、各国報道陣に与えるインパクトは強烈で、日本をはじめ諸外国でもしばしば報道され、国威高揚と抑止力の顕示に役立っている。参考:月刊軍事研究5,09

特殊部隊(北朝鮮)>:武装工作員の場合、RPG7またはAT3SA16AK47Vz16(チェコ製の小型サブマシンガン)、サイレンサー付き拳銃、ナイフ、四角手榴弾、高性能爆薬などを携行する。参考:月刊軍事研究3,03

特殊部隊(ヨルダン)>:1963年に空挺部隊内に設立された。1990年代後半に特殊部隊司令部(SOCOM)が発足し、アブドラ二世ビン・アル・フセイン王子(当時)が初代司令官となった。隷下には特殊部隊旅団、プリンス・フセイン・ビン・アブドラ二世レンジャー旅団、ロイヤル・ガード旅団(王族・VIP護衛部隊。女性王族警護のため女性隊員もいる)、プリンス・ハッサン・ビン・アブドラ二世特殊作戦航空旅団(An-26UH-60LMD-530Fなどを装備)、第71対テロ大隊、第61特殊偵察連隊(観察力や偵察能力に優れた狙撃手が多く、ヘリからの狙撃を得意とする。TRG22狙撃銃、M82A1対物ライフル、M107対物ライフルを装備)、砲兵大隊2個、支援部隊、プリンス・ハシム・アル・フセイン特殊作戦学校などを置いており、総兵力13000名である。ラーテル歩兵戦闘車(ZU-23機関砲連装砲塔装備)を200両ほど装備し、機械化されている。民用インターネットとは独立したネットワークによる指揮通信センターを持ち、隊員の持つ個人無線機及びGPSからの情報をリアルタイムで取得して指示を出すことが可能である。移動司令部はヨルダンテレビ局の大型バスに外観を似せてあり、車内には各種司令部装備から調理器具に冷蔵庫まで備えられている。主任務は治安維持、密輸監視、テロリスト排除、テロ防止、国境防衛、PKOPKF。また、経験を生かして一般部隊への訓練も行っている。参考:月刊軍事研究6,08

特殊部隊任務(アメリカ)>:大量破壊兵器の拡散防止(施設の破壊も含む)、特殊偵察、心理戦、直接行動(短期間小規模の攻撃)、対外国内防衛(受け入れ国の軍を訓練する)、民事活動(医療支援など)、対テロリズム、情報戦・指揮統制戦、不正規戦を主任務とし、同盟国軍支援、戦闘員捜索救難、麻薬取り締まり、地雷処理、人道支援、安全保障支援などを副任務とする。参考:月刊丸9,97

<特殊部隊用情報車両>:SOF-IVを参照。

<特殊砲架>:砲架を参照。

<特殊防火服2種>:自衛隊の機器。倉本産業が受注している。参考:月刊軍事研究3,18

<特殊防毒救急戦車>:M270ファミリーを参照。

特殊目的海兵空対地任務部隊>:アメリカ海兵隊のMAGTFの1つで、SPMAGTFSpecial Purpose Marine Air-Ground Task Force)と略す。海兵遠征隊MEUよりも兵力は小さく、小規模危機対応、人道支援/災害救援、訓練などに投入される。参考:月刊世界の艦船3,19

<特殊用途自動車>:自衛隊の車両。日産自動車製。参考:月刊軍事研究9,10

<毒性化学物質(化学兵器禁止条約)>:生命活動に対する化学作用により、人又は動物に対し、死、一時的に機能を著しく害する状態または恒久的な害を引き起こしうる化学物質(原料及び製法の如何を問わず、施設内・弾薬内その他いかなる場所において生産されるかを問わない)のこと。参考:軍縮条約・資料集第2版

特設運送艦(日本海軍)>:日本海軍の特設特務艦船。参考:月刊丸3,14

特設運送船(日本海軍)>:日本海軍の特設特務艦船。貨物船などを改造し、給兵船(兵器・弾薬運搬)、給水船(真水運搬供給)、給糧船(食料運搬供給)、給炭船(石炭運搬供給)、給炭油船(石炭・石油運搬供給)、給油船(石油運搬供給)、雑用船(各種物資運搬)としたものである。参考:月刊モデルアート9,'15増刊、月刊丸3,14

特設監視艇(日本海軍)>:日本海軍の特設特務艇。洋上監視に使用した特設艦船で、第22戦隊に配備され、日本本土に来襲する空母機動部隊に備えた。カツオ・マグロ漁船に無線機と7.7mm機銃を搭載したものや、捕鯨船やトロール船に無線機と8cm砲及び爆雷数個を積んだもので、ちゃんと軍艦旗を掲げている。敵を発見した時に直ちに通報するのが最大の任務で、その後触接を保つことになっていたが、通常は発見直後にほぼ確実に沈められてしまう。乗員は昭和2-3年頃に徴集・志願で入隊し、太平洋戦争勃発で再度応召された三十代半ば過ぎの兵員が大半で、無線員や機関科は軍属も含まれていて、自らを毛ジラミ艦隊と揶揄していた。アメリカ潜水艦に機銃で撃たれて沈没する被害が多発したため、哨戒特務艇が建造されることになった。参考:小艦艇入門、月刊モデルアート9,15、潜水艦気質よもやま物語、月刊丸6,14、海軍操舵員よもやま物語

特設艦船>:Converted Merchantmen / Converted Merchant Ship。商船や漁船などの民間船を改造して軍用艦艇に仕立て上げた補助艦艇のことである。日清戦争時に日本海軍が使用したのが最初。特設○○という名称で呼ばれるが、仮装巡洋艦や仮装敷設艦のように仮装○○と呼ばれることもある。アメリカ海軍は特設、仮設などという接頭語は付けず、正規の艦艇との区別はしていない。第1次大戦後の造船不況及び海軍軍縮を乗り切るため、各国は政府が出資して戦時に補助艦艇への変更が容易な設計の民間船を多数建造、第2次大戦時には多種多様な特設艦船が登場した。第2次大戦後も活躍しており、フォークランド紛争ではRo-Ro船を簡易VTOL空母に仕立て上げている。参考:第2次大戦のイギリス軍艦、月刊丸10,93、月刊モデルアート9,15増刊

 <特設艦船(日本海軍)>:日本海軍の正式艦種名は特設艦艇で、大正94月の艦船令改定で定められた。海軍艦船とは別の役務区分として艦船類別表の大分類に区分され、特設軍艦、特設特務艇、特設特務艦船の種別に分かれる。所有者は民間会社のままで、海軍士官が指揮した。参考:月刊丸3,14、小艦艇入門

特設給水艦>:民間船を給水艦に改造したもの。第2次中東戦争時、フランス海軍が民間ワイン・タンカー1隻ををこれに改造し、飲料水を艦隊に供給した。参考:小艦艇入門

特設急設網艦(日本海軍)>:日本海軍の特設軍艦。貨客船を改造し、防潜網の敷設などを行えるようにしたものである。太平洋戦争では防潜網ではなく主に機雷を敷設した。参考:月刊モデルアート9,'15増刊、月刊丸3,14

特設救難船(日本海軍)>:日本海軍の特設特務艦船。小型貨物船を大型曳船へと改造し、座礁艦船の離礁といった船舶救難任務に充てたものである。参考:月刊モデルアート9,'15増刊、月刊丸3,14

特設給油艦(日本海軍)>:日本海軍の民間船改造給油艦。船舶改善助成施設や優秀船舶建造助成施設などの政府支援制度で建造された民間の高速油槽船を徴用したものである。設計に際しては海軍の要望を反映し、最大速力16ノット以上、長大な航続距離、石油タンク細分化、中央甲板へのデリックポスト設置スペース確保、洋上給油設備増設を見越しての船尾甲板拡大といった方策が執られた。太平洋戦争勃発直前の昭和15年から昭和167月に黒潮丸、建川丸、日章丸、神国丸、寶洋丸、日榮丸、日本丸など21隻が徴用されて特設運送艦に類別され(特設給油艦は正式の艦種ではない)、後に乗員が民間人であることから特設運送船に類別変更され、艦隊随伴給油艦や南方からの石油還送船として使用された。開戦後も追加徴用し、油槽船不足から戦時標準船1TL10隻や捕鯨母船・鯨工船(鯨油タンクを石油タンクに流用)までかき集め、富士山丸、極洋丸など計89隻を運用した。参考:敷設艦 工作艦 給油艦 病院船、月刊世界の艦船11,17

特設給糧艦(アメリカ)>:太平洋戦争中、38隻を貨物船から改造した。参考:小艦艇入門

特設駆潜艇(日本海軍)>:日本海軍の特設特務艇。駆潜艇の不足を補うためにトロール船や捕鯨船、小型貨物船に冷凍船、客船、小型漁船、曳船から警察の巡視船に至るまで、ありとあらゆる船舶を駆潜艇に改造したものである。爆雷搭載数を多く出来る300トン級捕鯨船(南極捕鯨船団のものはほぼ全て徴用された)と潜水艦に負けない速力を持つ100トン級発動機漁船がメインで、小口径砲1門と爆雷兵装、吊下式聴音機を積んでいる。太平洋戦争中に対空装備として7.7mm機銃または13mm機銃1丁を追加し、聴音機を軽便探信儀+簡易式水中聴音機に換装した。265隻が改造されたが、スペックがまちまちで駆潜隊として行動するには扱いにくかった。参考:丸スペシャル第49号、モデルアート9,15増刊、小艦艇入門、月刊丸3,14、月刊モデルアート9,15

特設軍艦(日本海軍)>:特設艦船の種別の1つ。特設巡洋艦、特設敷設艦、特設急設網艦、特設航空母艦、特設水上機母艦、特設航空機運搬船(特設航空機運搬艦?)、特設水雷母艦、特設潜水母艦、特設掃海母艦、特設砲艦に分かれる。日華事変から太平洋戦争終結までに155隻が使用された。参考:月刊丸3,14

特設航空機運搬船(日本海軍)>:特設航空機運搬艦かも。日本海軍の特設軍艦。貨物船を改造して水上機や陸上機を運搬できるようにしている。前線島嶼基地に航空機を送り込んだり、そこから損傷した航空機を持って帰ったりするだけで、航空機の運用はしないため、大規模な改造は施されていない。参考:月刊丸3,14、月刊モデルアート9,'15増刊

特設航空母艦(日本海軍)>:日本海軍の特設軍艦。昭和16626日、隼鷹が類別された。714日、隼鷹が空母に艦種変更された。参考:月刊丸3,14、日本航空母艦史

特設工作艦(日本海軍)>:特設工作船かも。日本海軍の特設特務艦船。貨物船などにデリックといった設備を積んで工作艦に改造したものである。明治278月に勃発した日清戦争では日本郵船小型貨物船2隻(総トン数1338トンと2178トン)を改造して水雷艇の整備修理を行った。太平洋戦争時には6000トン級の貨物船を改造し、船倉の半分を工場、残り半分を倉庫や居住区に充て、上甲板にも作業場を設置、デリックを強化した。参考:敷設艦 工作艦 給油艦 病院船、月刊モデルアート9,'15増刊、月刊丸3,14

特設港務艦(日本海軍)>:特設港務船かも。日本海軍の特設特務艦船。貨客船を改造し、根拠地隊司令部の座乗艦としたものである。港湾整備、人員・機材輸送にも使用される。参考:月刊モデルアート9,'15増刊、月刊丸3,14

特設港門艇(日本海軍)>:日本海軍の特設特務艇。参考:月刊丸3,14

特設根拠地隊>:日本海軍の前進基地警備・離島防備部隊。参考:月刊軍事研究10,13

特設砕氷艦(日本海軍)>:日本海軍の特設特務艦船。参考:月刊丸3,14

特設雑役船(日本海軍)>:日本海軍の特設特務艦船。参考:月刊丸3,14

特設師団>:日本陸軍が戦時に動員する師団。これを動員することを二倍動員と呼ぶ。参考:月刊軍事研究12,06

特設受信機戌>:日本陸軍の無線通信機材。参考:工兵入門

特設巡洋艦>:Converted Merchant Cruiser Commerce Raiders。補助巡洋艦、仮装巡洋艦ともいう。商船を武装化して通商破壊や臨検に使用するもの。敵商船を追いかけ敵軍艦から逃げるためと、臨検要員、回航要員、拿捕・撃沈した商船の乗員などを乗せるため、高速客船を流用することが多い。第1次大戦ではイギリス海軍が68隻、ドイツ海軍が17隻を建造し、それぞれ28隻と15隻が通商破壊作戦で使用された。参考:月刊世界の艦船9,17、月刊丸2,07、月刊モデルアート9,'15増刊

 <特設巡洋艦(ドイツ海軍)>:商船改造の通商破壊艦で、総トン数3000-8000トンの貨物船に15cm砲を搭載し、高い航続力を活かして活動した。第2次大戦時は19403月から194111月まで7隻(アトランティス、オリオン、ウィッデル、トール、ピングィン、コメット、コルモラン)、19421月から19433月まで3隻、19435月から10月まで1隻が通商破壊作戦を行っている。参考:写真集ドイツの巡洋艦

 <特設巡洋艦(日本海軍)>:日本海軍の特設軍艦。徴用商船を水上戦闘艦に改造したもので、日清戦争頃は巡洋艦代用という名称だった。敵の軍艦には対抗できないので、迷彩と無線封止で見つからないように行動し、こっそり敵海域に単独で侵入、敵商船を狙った。西京丸、報國丸、愛國丸、護國丸、赤城丸、浅香丸、栗田丸、金剛丸、清澄丸、能代丸、金龍丸、浮島丸、盤谷丸、西貢丸、金城山丸などが配備された。太平洋戦争中期以降、連合軍による洋上哨戒や船団護衛が密になると行動できなくなり、特設運送艦に転籍していった。参考:月刊モデルアート9,15増刊、月刊丸3,14、月刊世界の艦船1,176,22

<特設哨戒艇(日本海軍)>:特設監視艇を参照。

特設水上機母艦>:Converted Merchant Seaplane Carriers。民間船舶を徴用して水上機母艦に仕立てたもの。日本海軍で広く使用され、太平洋戦争では陸上基地がカバーできない地域に進出して活躍した。他国ではイギリスが第1次大戦時に使用しているが、空母の発達ですぐに衰退している。参考:写真集日本の小艦艇

 <特設水上機母艦(日本海軍)>:日本海軍の特設軍艦。大型貨物船を水上機母艦に改造したもので、上甲板に航空機移送軌条やカタパルトを設け、整備器材や燃料弾薬を船内に収容、自衛火器も積んでいる。香久丸、衣笠丸、昭和12年から神川丸型(神川丸、君川丸、聖川丸、國川丸)、昭和16年に相良丸型2隻(相良丸、讃岐丸)と山陽丸が配備された。太平洋戦争中期以降は水上機が行動できなくなり、特設運送船に転籍していった。参考:月刊モデルアート9,15増刊、月刊丸3,14

特設水雷母艦(日本海軍)>:日本海軍の特設軍艦。貨客船などを改造し、水雷艇・潜水艦への補給や乗員休息を行えるようにしたものである。太平洋戦争開戦時には首里丸など4隻が艦籍にあった。参考:月刊丸3,14、月刊モデルアート9,'15増刊、月刊世界の艦船9,15

特設潜水母艦(日本海軍)>:日本海軍の特設軍艦。太平洋戦争開戦に伴い、既存の潜水母艦が空母に改造されてしまったため、かわりに貨客船を徴用して改造したもので、太平洋戦争中の潜水母艦の主力だった。魚雷格納庫、調整所、食糧・真水補給装備などを追加して潜水母艦としてあり、大きなスペースを利用して潜水艦兵員に十分な休養を与えることができる。貨客船時代と同じ乗員が乗り込んでおり、調理員が供する食事は好評だった。靖国丸、平安丸(昭和16年改造)、日枝丸(昭和16年改造)、さんとす丸(満珠丸)、りおでじやねろ丸、筑紫丸(昭和18年竣工)、名古屋丸の7隻が就役し、1個潜水戦隊あたり1隻が配備され、旗艦としても使用された。戦局の推移に伴い戦没艦以外は昭和201月までに全て特設運送船に改造された。終戦時に残っていたのは筑紫丸のみである。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、月刊モデルアート9,15増刊、月刊丸3,14、月刊世界の艦船9,12増刊

特設掃海艇(日本海軍)>:日本海軍の特設特務艇。小型船を改造し、掃海具を積んで浅海や港湾、狭い入り江などでの掃海作業に従事できるようにしたものである。参考:月刊モデルアート9,15、月刊丸3,14

特設掃海母艦(日本海軍)>:日本海軍の特設軍艦。貨客船などを改造し、掃海艇や特設掃海艇への補給、乗員休息などを行えるようにしたものである。参考:月刊モデルアート9,'15増刊、月刊丸3,14

特設測量艦(日本海軍)>:特設測量船かも。日本海軍の特設特務艦船。小型貨客船などを改造し、海洋測量任務に使用したものである。参考:月刊モデルアート9,'15増刊、月刊丸3,14

特設電纜敷設船(日本海軍)>:日本海軍の特設特務艦船。小型貨客船などを改造し、海底ケーブルなどの敷設に使用したものである。参考:月刊モデルアート9,'15増刊、月刊丸3,14

特設特務艦船(日本海軍)>:特設艦船の種別の1つ。特設運送艦、特設運送船、特設工作艦、特設港務艦、特設測量艦、特設砕氷船、特設電纜敷設船、特設病院船、特設救難船、特設雑役船に分かれる。日華事変から太平洋戦争終結までに423隻が使用された。参考:月刊丸3,14

特設特務艇(日本海軍)>:特設艦船の種別の1つ。特設捕獲網艇、特設防潜網艇、特設敷設艇、特設駆潜艇、特設掃海艇、特設監視艇、特設港門艇に分かれる。日華事変から太平洋戦争終結までに841隻が使用された。参考:月刊丸3,14

特設トローラー(イギリス、第2次大戦時)>:第2次大戦時に1000隻ほど民間トロール船を徴用して掃海・対潜用に改造したもの。掃海用には7.6cm砲と掃海具を、対潜用には10cm砲と爆雷をそれぞれ搭載している。参考:第2次大戦のイギリス軍艦

特設病院船(日本海軍)>:日本海軍の特設特務艦船。戦時に民間船を徴用し、名前もそのままで使用した。日清戦争で日本郵船貨客船神戸丸を徴用したのが最初である。日露戦争で神戸丸と日本郵船西京丸を徴用した。日華事変勃発で橘丸と昭和128月に近海郵船貨客船朝日丸を徴用。太平洋戦争では朝日丸に加えて氷川丸、高砂丸、第二氷川丸、牟婁丸、菊丸を徴用。船体を白塗りにして赤十字マークを描き込み、船内に診療室、病室、手術室、レントゲン室、検査室、薬剤室、医療施設を設け、海軍部隊展開先での巡回医療や戦傷病者の後送を担った。火葬場や霊安室も設置されている。病院組織のトップは病院長(海軍軍医大佐)で、軍医、医務助手、看護手、薬剤官が配置される(看護婦はいない)。参考:敷設艦 工作艦 給油艦 病院船、月刊丸3,14、月刊モデルアート9,15増刊

特設敷設艦(日本海軍)>:日本海軍の特設軍艦。貨物船などに機雷運搬・敷設器材搭載改造を行ったものである。太平洋戦争開戦前に辰宮丸、天洋丸、新興丸、日裕丸、高栄丸、辰春丸など7隻、開戦後に永城丸と箕面の2隻を改造した。後部船倉を機雷庫と機雷調整室にして後甲板両舷と機雷庫両舷に機雷敷設軌条を設け、前部船倉は居住区に変更、自衛用として12cm単装高角砲2-4門(艦首尾1-2門ずつ)、13mm/25mm連装機銃2-4基(艦橋上面前後両舷)を装備した。機雷搭載数700個。太平洋戦争では主に後方地域の対潜機雷敷設に従事し、海峡や港湾周辺に機雷堰を形成した。参考:敷設艦 工作艦 給油艦 病院船、日本海軍特務艦船史、月刊丸3,14、月刊モデルアート9,'15増刊

特設敷設艇(日本海軍)>:日本海軍の特設特務艇。大型トロール船などを改造し、機雷を敷設できるようにしたものである。太平洋戦争時には6隻が就役し、ときに爆雷を積んで沿岸対潜哨戒を行った。参考:月刊モデルアート9,15、敷設艦 工作艦 給油艦 病院船、月刊丸3,14

特設砲艦(日本海軍)>:日本海軍の特設軍艦。民間船舶を砲艦に改造したもので、任務は様々であり、中国方面での警備任務に加え、砕氷艦や敷設艦を兼ねたものもある。福山丸などが改造された。参考:月刊モデルアート9,'15増刊、月刊丸3,14

特設防空艦(イギリス、外輪船、第2次大戦時)>:外輪船を30隻ほど徴用して沿岸航行船舶の護衛用として改造したもので、吃水が浅く浅海での護衛も行える。12ポンド高角砲、2ポンド機関砲、20mm機関砲、7.7mm4連装機銃などを搭載した。参考:第2次大戦のイギリス軍艦

特設防潜網艇(日本海軍)>:日本海軍の特設特務艇。小型貨物船などを改造し、防潜網などを設置できるようにしたものである。太平洋戦争では機雷敷設や沿海対潜哨戒に使用された。参考:月刊モデルアート9,15、月刊丸3,14

特設捕獲網艇(日本海軍)>:日本海軍の特設特務艇。小型貨物船などを改造し、捕獲網などを敷設できるようにしたものである。太平洋戦争では各基地や港湾に最小限の隻数を置き、それ以外は機雷敷設などに転用した。参考:月刊モデルアート9,15、月刊丸3,14

<特戦司>:空輸特戦団司令部、特殊作戦司令部の略。

特戦団>:韓国の空挺部隊で、通称ブラックベレー。参考:兵器最先端5

 <特戦団(1980年代半ば)>:兵力2500名、4個大隊編成で、北朝鮮の特殊軍団に対抗することを主任務とし、7個が組織されている。空挺専門部隊の有無は不明。C-54輸送機10機、C-123輸送機16機、C-130輸送機6機、UH-1Bヘリ100機が空中輸送手段である。参考:兵器最先端5

独ソ国境友好条約>:白作戦終了後にドイツとソ連が締結した条約で、ポーランド分割条約と通称される。ドイツはソ連にリトアニアを譲渡し、ソ連はポーランド東部をドイツに譲った。参考:月刊軍事研究6,09

独ソ戦>:第2次世界大戦におけるドイツとソ連の戦争。ドイツ東方にゲルマン民族の生存圏を確保する計画を立てていたのと、フランスが降伏したにも関わらずイギリスが徹底抗戦するのはソ連のせいと考えたヒトラーが、独ソ不可侵条約を破棄しての奇襲侵攻を企て、電撃戦による短期決戦で決着が付くと考え冬季戦の準備無しに開始した。当初は19415月中旬に始める予定だったが、バルカン作戦により1ヶ月遅れている。1941622日、ドイツ軍がバルバロッサ作戦を発動し、ソ連に侵攻。126日、ドイツ軍がモスクワ手前24kmで阻止された。犠牲者は軍民計3000万人にのぼる。参考:朝雲

独ソ不可侵条約>:ソ連とドイツの外相の名前を取ってモロトフ・リッベントロップ条約ともいう。イギリス・フランス及びソ連との二正面作戦を避けたいヒトラーと、大規模粛正で体制が整わない状態でのヨーロッパ及び日本との二正面作戦を避けたいスターリンが直接主導し、1939823日にドイツのリッベントロップ外相がモスクワを訪問して締結された。有効期限は10年。秘密裏に特別議定書が調印されており、第1条ではバルト諸国地域(エストニア、ラトビア、リトアニア、フィンランド含む)の領土的再整理の際にはリトアニア北部境界を独ソ勢力圏境界とすること、第2条ではポーランド分割、第3条では南東部ヨーロッパとベッサラビアの分割を定めている。ヒトラーは、条約締結により、直前までソ連と同盟交渉を行っていた英仏内閣が総辞職し、ポーランドに侵攻しても介入はされなくなると目論んでいたが、実際には英仏でなくドイツと防共協定を結んでいた日本が倒閣してしまい、イギリスはポーランドに安全保障の提供を確約している。参考:月刊軍事研究6,09、朝雲

<ドクター・スハルソ>:990(輸送揚陸艦)を参照。

ドクター・スハルソ級>:インドネシア海軍ドック型輸送揚陸艦Dr. Soeharso級。艦前部から中央部にかけて巨大な箱形上部構造物があり、艦後部はヘリ甲板(前甲板より1甲板高い。発着スポット2カ所)に充てられ、後部船体内にはLCVP2隻を収容可能なウェル・ドックを持つ。1番艦は上構内がヘリ格納庫になっており、AS332Lシュペル・ピューマ2機とMBo-105汎用ヘリ1機を収容する。2-3番艦はAS332Lヘリまたはベル412汎用ヘリまたはBo105観測ヘリを2-3機搭載(海軍が運用)する。4-5番艦は全長を延ばして上部構造物を小型にし、ヘリ甲板を拡大、露天繋止数を増やして小型ヘリ5機を運用可能とした。医療設備が充実しており、1番艦は病院機能強化の上で赤十字マークを付けて病院船として使用中。全長122m(4番艦以降125m)、幅22m、吃水4.9m、満載排水量11400-11583トン(1番艦は16000トン)。主機はディーゼル、速力16ノット。兵装は20mm単装機関砲2門。戦車13両、LCUまたはLCVP2隻、兵員507名を搭載できる。1番艦艦番号990ドクター・スハルソ、2番艦、3番艦590マカッサルは韓国で、4番艦592バンジャルマシンと5番艦593バンダ・アチェはインドネシアで建造され、2003-11年に就役した。後に兵装を40mm単装機関砲1門に換装している。2019-23年に1番艦とほぼ同じ病院船3隻を建造した。参考:月刊世界の艦船12,'237,145,165,1712,124,102,144,118,1212,'20THE MILITARY BALANCE 2016

<ドクター・スハルソ級・海外シリーズ>

 <ドクター・スハルソ級(ペルー海軍)>:ペルー海軍ドック型輸送揚陸艦、別名ピスコ(Pisco)級。韓国で設計し、ペルーのSIMA造船所で建造している。船体内に車両甲板(面積410平方メートル)とウェル・ドック(面積435平方メートル)、上構後部にヘリ格納庫(198平方メートル)、後甲板(前甲板より1甲板高い)にシーキング2機を運用できるヘリ甲板(面積1023平方メートル)を持つ。上構上には前後タワーマスト、並列2本煙突、並列デッキ・クレーン2本がある。ヘリはアメリカ海軍から中古UH-3H輸送ヘリを輸入し、アグスタ社製ASH-3D対潜ヘリも導入する。全長122m、幅22m、吃水4.5m、満載排水量11396トン。主機はディーゼル2基2軸5996馬力、速力16.5ノット。兵装は40mm連装機関砲1基(前甲板の甲板室上)、40mm単装機関砲2門(上構中央両舷)。乗員100名(153名?)。兵員457名、ヘリ3機、重車両13両、LCU2隻(ドック内)、LCVP2隻(舷側レセス)を搭載可能。2隻を建造予定で、1番艦・艦番号156ピスコは201866日に就役した。2番艦パイタ(Paita)は2022129日に進水した。後に兵装をミストラル艦対空ミサイル連装発射機2基と40mm単装機関砲1門(前甲板甲板室上)に換装している。参考:月刊世界の艦船12,'239,185,1610,173,23

<ドクター・フー>:ファランクス・シリーズ(CIWS)を参照。

<ドクターペッパー>:B57シリーズ(核爆弾)を参照。

ドクター・ラジマン・ウェディオディニングラット>:インドネシア海軍ドクター・ワヒディン・ソエディロホソド級病院船2番船Dr. Radjiman Wedyodiningrat2022815日進水、2023119日就役。参考:月刊世界の艦船11,224,23

ドクター・ワヒディン・ソエディロホソド>:インドネシア海軍ドクター・ワヒディン・ソエディロホソド級病院船1番船Dr.Wahidin Sudirohusodo2021114日、就役式典が行われた。2022年初めに引き渡された。参考:月刊世界の艦船4,2211,22

ドクター・ワヒディン・ソエディロホソド級>:インドネシア海軍病院船Dr.Wahidin Sudirohusodo級。ドクター・スハルソ級がベースの病院船である。全長124m、幅21.8m、排水量7290トン。巡航速力14ノット、最大速力18ノット、連続行動日数30日。乗員120名+医療要員66名。1番船ドクター・ワヒディン・ソエディロホソドと2番船ドクター・ラジマン・ウェディオディニングラットが2021年と2023年に就役した。参考:月刊世界の艦船11,224,23

特大発>:日本陸軍の小型揚陸艇で、特大発動艇(特大発動機艇?)の略。海軍も17メートル特型運貨船という名称で配備した。九七式中戦車を載せられるよう大発を大型化したもので、昭和16年に試作艇が完成し、3ヶ月で100隻を量産して太平洋戦争に間に合わせた。重量が大発の倍くらいになっており、輸送船に18-20トン級以上の能力を持つデリックが無いと運用できない。大型化により神州丸型上陸用舟艇母船にも積めなくなった。全長18.05m、全幅3.70m、深さ1.75m、自重17.5トン、満載排水量34トン。主機はディーゼル(60馬力)2基2軸120馬力、速力9ノット。九七式中戦車なら1両、トラックなら2両、馬なら13頭、武装した兵士なら120名、物資なら16.5トンを搭載できる。乗員11名。昭和15年に2隻、昭和16年に115隻、昭和17年に5隻、昭和18年に15隻の計137隻が建造された。参考:月刊軍事研究11,16、スピアヘッドNo.8、写真で見る海軍糧食史、輸送船入門

独断専行>:部隊指揮官が上級司令部からの指示を待たず、戦機に応じて自らの判断で行動すること。初期の日本陸軍では独断専行を許さず、上官が部下の行動を事細かに指示していたが、兵学教育のため招聘したドイツのメッケル少佐が、時々刻々変化する戦況に対応できない、部下の自主性や成長力を阻害する、として独断専行を奨励した。作戦要務令綱領第5では、服従と相反するものでは無く、兵戦では独断を要することが非常に多いことから、常に上官の意図を明察し、大局を判断して状況変化に応じ最良の方法を選んで独断専行し、機宜を制して目的を達成するよう記載されている。ただ後に曲解されて恣意専横や自分勝手の言い訳に使われるようになってしまった。参考:未公開写真に見る2・26事件、朝雲、作戦要務令

特中型>:日本海軍二等潜水艦。F型潜水艦が能力不足だったため、性能を強化したものである。当初は戦利品のUB-125をコピーする予定だったが、日本の技術力では無理だったため、輸入して余っていたズルザー式1号600馬力ディーゼルを使って海中4型をベースに国産開発した。機関出力が低い分速力は劣るが、航続距離を延伸し、魚雷搭載数を増やすと共に主砲を12cm平射砲に強化した。全長74.22m、垂線間長70.1m、幅6.12m、平均吃水3.73m、基準排水量852トン(665トン?)、常備排水量886トン、水中排水量1030トン。主機はズルザー式一号ディーゼル2基(1200馬力)、閉鎖通風型電動モーター2基(1200馬力)で、2軸推進、水上速力12ノット、水中速力8.5ノット、ディーゼル燃料143トンとペースト式電池192個を搭載し、航続距離は水上10ノットで9000海里、水中4ノットで85海里。安全潜航深度45.7m。兵装は一〇年式発射管6門(艦首に4門、艦尾に2門。魚雷8本搭載)、45口径12サンチ単装平射砲1門、6.5ミリ単装機銃1丁。乗員44名。大正12-13年に第68潜水艦/呂29、第69潜水艦/呂30、第70潜水艦/呂31、第71潜水艦/呂32の4隻が就役した。通商破壊に投入する予定もあったといわれるが、思った程航続距離が延びず、能力不足のため鎮守府警備艦として使用された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、日本潜水艦物語、歴史群像6,08、月刊世界の艦船12,109,14、日本海軍艦隊総覧

<特通M型用コンピュータ>:自衛隊の機器。アメリカ空軍省に発注している。参考:月刊軍事研究9,17

特定通常兵器条約>:1977年の国連総会決議に基づいて1980年に採択され、1983122日に発効した条約で、正式名称は過度に傷害を与え又は無差別に効果を及ぼすことがあると認められる通常兵器の使用の禁止又は制限に関する条約。日本は1983916日に公布した。議定書Ⅰで、人体内に入った場合にX線で検出することができない破片により傷害を与えることを第一義的な効果とする兵器の使用を禁止している。議定書Ⅱでは、地雷、ブービートラップ、他の類似装置の使用を禁止又は制限しており、199653日には改正が行われた。過度の傷害や無用の苦痛を与えたり、地雷探知機の存在により起爆するよう設計されたり、地雷処理妨害機能を付けたり、文民や民用物に対して使用したり、非軍事目標に設置したり、軍事的利益よりも巻き添えになる文民・民用物の被害の方が大きいと予想される場所に設置したりすることは禁止。また、探知不能な対人地雷の使用、自己破壊・自己不活性化機能の無い対人地雷・遠隔散布地雷の使用も禁止。ブービートラップは、国際的な保護標章・保護記号、死傷者・病者、埋葬地・火葬地・墓地、医療施設・医療機器・医療用品・医療輸送手段、児童の玩具、児童の食事・健康・衛生・被服・教育に役立つよう考案された製品、飲食物、厨房器具、宗教的性質を持つもの、歴史的建造物、芸術品、礼拝所、動物・その死体を利用するものは禁止。また、外見上無害で持ち運び可能なものの形態をし、爆発性の物質を含むものも禁止。戦闘が発生していないか、急迫していない地域への設置も禁止。機雷は含まれない。国内における争乱・緊張においては適用されなかったが、1996年の改正で適応されるようになった。また、1996年の改正では探知不能な地雷や自爆信管を持たない地雷の使用制限及び輸出入規制も謳われた。議定書Ⅲでは、焼夷兵器の使用を禁止・制限しており、焼夷兵器を文民・民用物を対象として使用したり、人工周密地域にある軍事施設に空中投射以外の方法で使用したり、森林その他の植物群落(軍事目標隠蔽のため使用されている場合及び植物群落自体が軍事目標である場合を除く)に使用したりすることを禁じている。1998年に発効した議定書Ⅳでは、戦闘のための機能の1つとして視力の強化されていない眼(裸眼もしくは視力矯正装置を付けたもの)に永久に失明をもたらすよう設計されたレーザー兵器の使用を禁止している。レーザー装置の正当な軍事的使用の付随的・副次的効果としてもたらされる失明については、禁止の対象としていない。2006年に発効した議定書Ⅴでは、爆発性戦争残存物が禁止された。参考:軍縮条約・資料集第2版、月刊軍事研究8,08

<特艇員>:特別短艇員を参照。

特定秘密保護法>:正式には特定秘密の保護に関する法律、平成25年法律第108号。安全保障などに関わる重要情報保護を目的とし、20141210日に施行された。12月末までの特定秘密指定件数は382件。うち防衛省は247件で、暗号関連85件、装備関連情報54件、自衛隊行動関連25件などである。参考:月刊世界の艦船2,153,15、朝雲

特定防衛施設周辺整備調整交付金>:騒音や危険性の大きい基地・施設や、大面積の基地を抱える自治体に対して支出される交付金のこと。公共施設整備のみに使用できる。参考:月刊軍事研究7,10

<ドクト>:6111(揚陸艦)を参照。

<独島>:6111(揚陸艦)を参照。

独島級>:韓国海軍ドック型揚陸艦(強襲揚陸艦や輸送艦と呼ばれることもある)ドクト(Dokdo)級。開発時の名称はLPXで、設計や建造に際してアメリカから多大な技術支援を受けた。船体とアイランドはステルス性が考慮されていて、艦首からアイランドまでの舷側には曲線を描いたナックルラインが付けられている。船体の重量バランスを取るため、左舷側の張り出しがアイランドのある右舷側よりも大きい。艦首はバルバス・バウで、片舷2枚ずつのフィン・スタビライザーを装備する。全通飛行甲板を持ち、左舷側にCH-53級大型ヘリやMV-22輸送機にも対応できる発着スポット5ヵ所が設けられている。搭載ヘリは海軍UH-60P/ベル205、海兵隊MUH-1、陸軍が派遣するAH-1F/J/AH-64E攻撃ヘリやCH-47D/MH-47E輸送ヘリだが、防塩処理などの施された固有の艦載ヘリは2013年になっても未配備で、長期艦上運用に耐えられず、全通飛行甲板の持ち腐れ状態である。固定翼機は今のところ搭載しない予定だが、飛行甲板には高温排気に耐えられるようなウレタン処理がされており、F-35Bの発着艦が可能とみられる。ただし航空機専用の格納庫は無いので、航空機を余計に積めば車両搭載スペースが圧迫されることになり、本来の揚陸艦としての能力が減殺されてしまう。また、STOVL運用のためスキージャンプ台を増設すると、飛行甲板前半分が埋まるため、F-35Bやヘリの運用に必要な飛行甲板面積を確保できなくなる恐れがある。エレベーターは2基で、長さ16m・幅10m・容量19トンとF-35Bには苦しい能力である。アイランド前方の前部エレベーター左脇にはクレーンがあり、後部エレベーターはドックウエルの一部と干渉している。アイランド(艦橋、マスト、前部煙突、レーダー支塔、後部煙突、1機分のUH-60級ヘリ格納庫)は右舷寄りにあり、艦橋は2層(上層が航海用、下層が司令部用)で、煙突は2本を前後に離して設置している。飛行甲板直下の格納庫兼車両甲板にはヘリ最大10機、戦車10両またはAAVP16両または各種車両200両を搭載するが、ヘリを満載すると車両が積めない。アメリカとの共同演習ではMV-22Bの発着艦を行った。右舷中央部にサイドランプを持つ。車両甲板後方の一段低い所がドックウエルで、艦尾に上下開きの扉があり、LSFⅡ型LCACを2隻、AAVPを7両(12両?)収容可能。LCACを2隻収容すると、後部エレベーターが降ろせなくなる。指揮施設が充実しているといわれ、艦隊旗艦としての機能も考慮されているとされるが、速力が遅めなので、実用性は不明。診察室、病室、手術室、歯科室などの医療設備を持つ。2番艦は飛行甲板を強化してMV-22B輸送機を運用可能とし、航空指揮所をアイランド後部に移設、アイランド前方のクレーンを後ろ向きから前向きに変更し、艦尾左舷側にCIWS用スポンソンを追加、兵装を一新した。全長200m、幅32m、吃水6.5m、基準排水量13000トン(14300トン?)、満載排水量19001トン(19305トン?)。主機はCODAD方式、SEMT Pielstick 16PC2.5STCディーゼル4基、出力41615馬力、固定ピッチプロペラ2軸推進、速力22-23ノット、航続距離10000海里(12ノット)。兵装はRAM21連装発射機Mk49が1基(1番艦。アイランド上部前方)またはK-SAAM艦対空ミサイル用VLS(2番艦)、30mmCIWSゴールキーパー2基(1番艦。飛行甲板艦首部、アイランド上部後方)またはMk15ファランクス2基(2番艦)。捜索レーダーは1番艦がSMART-L(レーダー支塔上)、2番艦がEL/M-2248(艦橋上に前向き1面、レーダー支塔に両舷・後ろ向き1面ずつ計3面)だが、それに見合う兵装は搭載しておらず、艦載ヘリの航空管制に使用するとしているが、本当かは不明。揚陸艦隊を構成する他の艦にデータリンクでデータを送って攻撃してもらうのかもしれない。対水上レーダーはマスト頂部のMW08(1番艦)またはSPS-550K(2番艦)、航海レーダーはSPS-95K。電子戦システムはソナタ。乗員400名。揚陸部隊720名(常用)/1000名(最大)を収容する。1番艦艦番号6111独島が2007年に就役した。CIWSの射界制限機能に不具合がある、発電機4基が全損して航行不能に陥る、レーダーにゴーストが発生する、スクリューに不具合が出るといった問題が生じたため、逐次改良を加えている。2番艦6112馬羅島2017428日に韓進重工で起工しており、3番艦も建造する予定。参考:月刊世界の艦船4,093,208,187,135,165,179,1212,1211,132,147,17、月刊軍事研究11,089,131,13JShips Vol.24、朝雲

<ドクト級>:独島級(揚陸艦)を参照。

<特々>:一等輸送艦を参照。

ドクトリン>:Doctrine、教義。軍隊の行動基準となる基本的な思想及び原則、準拠すべき方針のこと。作戦ドクトリン、戦術ドクトリン、戦闘ドクトリンなどがある。信頼できる無線通信の無い時代、上級司令部が外線作戦を行うべく分散配置された部隊を全て指揮するのは困難だったため、プロイセン軍参謀総長フォン・モルトケは下級指揮官に対して上級司令部の企図と目標のみを訓令で通達し、具体的な行動は下級指揮官に任せることとした。その際に下級指揮官の資質が違っていても各部隊が統一した行動をとれるよう、軍の行動基準として「高級指揮官に与える教令」を1869年に起草したのが始まりである。他の味方部隊と連絡が取れなくなっても、ドクトリンから行動を推定することができるので便利だが、適用に際しては一定の判断力が要る。参考:月刊軍事研究7,'155,17、歴史群像6,08

独仏合同旅団>:ドイツ軍とフランス軍が共同で編成した旅団。19876月に西ドイツのコール首相が提案し、フランスのミッテラン大統領も賛同、19881月にベーブリンゲンで編成を開始し、199010月に編成を完結した。任務は有事における後方地域警戒で、西ドイツ南部地域陸軍もしくはNATO軍団の隷下に入る。兵力5200名で、隷下に本部/本部付隊(独仏混成)、歩兵連隊(仏)、歩兵大隊(独)、軽戦車連隊(仏)、砲兵大隊(独)、偵察中隊(仏)、高射中隊(独)、工兵中隊(独)、後方支援大隊(独仏混成)を置く。199310月、欧州軍団に編入された。参考:月刊軍事研究7,97

 <独仏合同旅団(2010年)>:本部はドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州ミュールハイムにある。定員5000名。司令部及び司令部中隊(独仏混成)、フランス第3軽騎兵連隊(司令部中隊、AMX-10RC12両装備の装甲偵察中隊3個、ミラン・HOT装備の対戦車中隊、支援中隊)、フランス第110歩兵連隊(司令部中隊、VAB装備の歩兵中隊3個、ERYX/ミラン/RTF1120mmRT装備の武器中隊、支援中隊)、ドイツ第292猟兵大隊(司令部支援中隊、フクス装備の軽歩兵中隊3個、ヴィーゼルTOW/ヴィーゼル機関砲型装備の重火器中隊、訓練担当の第6中隊、予備の第7中隊)、ドイツ第295機械化砲兵大隊(司令部支援中隊、PzH2000装備の砲兵中隊3個)、ドイツ第550機甲工兵中隊、兵站支援大隊(独仏混成)からなる。参考:スピアヘッドNo.2

<特別外出>:外出(自衛隊)を参照。

特別改造(海上自衛隊)>:建造時の設計を変更して主要性能を向上させる工事を行うこと。参考:MAMOR vol.139

特別儀仗隊>:陸上自衛隊第302保安警務中隊と陸自中央音楽隊が編成する特別儀仗部隊。第302保安警務中隊のうち105名が特別儀仗隊としての任に就き、通常の編成は中隊長、小隊3個、旗班4名(旗手2名と旗衛2名)で、1個小隊は3個班、1個班は隊員9名からなる。中央音楽隊は規模に応じて26-46名が配属され、第302保安警務中隊長の指揮下に入る。制服は特別儀じょう服で、第302保安警務中隊員は儀じょう銃を携帯する。整列順は受礼者から見て左から中央音楽隊、第1小隊、旗班、第2小隊、第3小隊で、各小隊の前に小隊長、全体の中心に中隊長(儀仗隊長)が位置する。特別儀仗隊としての編成が正式に閣議決定されたのは1957827日(任務を付与されたのは9月)である。初儀仗は1957101日で、東京都新宿区の神宮外苑絵画館前で岸信介首相に行った。初の国賓に対する儀仗は1957104日で、インドのネルー首相に実施している。19847月、1000回目の儀仗(防衛庁で中国国防相に対して)を実施。20057月、2000回目の儀仗(防衛庁で安全保障委員長に対して)を実施。2014317日、皇居でベトナムのチュオン・タン・サン国家主席夫妻に栄誉礼を実施。1225日、防衛省儀仗広場で中谷元防衛大臣兼安全保障法制担当大臣に対する栄誉礼を実施。20152月、世界一の練度と絶賛し国賓や公賓以外の外国要人も儀仗でもてなしたいという安倍総理の意向により、首相官邸でも行われるようになった。32日、防衛省でスウェーデン国防軍最高司令官スベルケル・ヨーランソン陸軍大将に栄誉礼を行い、儀仗通算2500回を記録した。714日、儀仗通算2500回の功績により、防衛大臣から1級賞状が授与された。1021日、創設以来100カ国延べ1000人以上の賓客に儀仗を実施した功績により、安倍総理から内閣総理大臣特別賞状を授与された。20174月、特別儀じょう服装と特別儀じょう演奏服装を52年振りに改訂した。45日、皇居の宮殿東庭でスペイン国王フェリペⅥ世に栄誉礼を行い、新服装を初使用した。201859日、日中首脳会談のため来日した中国李克強首相と安倍総理に迎賓館玄関前広場で特別儀仗を実施。1121-23日、平成30年度自衛隊音楽まつりに参加。20194月、M1ガーランドから儀じょう銃に更新し、シンガポールのウン・エンヘン国防相に対する儀仗で初使用した。1110日、祝賀御列の儀で第302保安警務中隊90名が着剣捧げ銃を行い、中央音楽隊60名が新・祝典行進曲を演奏した。2020917日、岸防衛大臣が防衛省に初登庁した際、儀仗広場で栄誉礼を行った。2021106日、中山副大臣と松川政務官の離任式で栄誉礼を実施。参考:朝雲、月刊JWings8,16、自衛隊装備カタログ1981、スピアヘッドNo.15、陸上自衛隊地上戦力の全容、MAMOR vol.98vol.125vol.151vol.152vol.157

特別機動船>:海上自衛隊第5種支援船、船種記号SBSpecial Boat)。要するにRHIBで、不審船への立入検査などの際に使用する。防舷物の点検整備や海面清掃にも投入される。参考:MAMOR vol.160

特別機動船(1.9トン型)>:海上自衛隊のSBURHIB。ニシエフ社PF-71やゾディアック社ZH733IOをベースとしている。全長7.24m。速力50ノット以上。乗員3名で、隊員17名を乗せられる。参考:月刊軍事研究6,102,11

特別機動船5.9トン型>:海上自衛隊のSBURHIB。ゾディアック社ハリケーンMACHMilitary Air Channnelled Hull)Ⅱがベースで、艇首に銃架、後部門型ステーションに対水上レーダーを装備する。全長11.5m、幅3.2m、重量5.9トン。主機はスズキ製DF300船外機(カタログデータでは300馬力。実際には改造が加えられてそれ以上とみられる)3基、推進は4翅プロペラ3軸で、速力40ノット(実際にはそれ以上とみられる)。乗員3名で、隊員17名を乗せられる。2隻1組で行動し、ヘリと共に作戦を行う。双信商事が受注している。参考:月刊世界の艦船7,13、月刊軍事研究12,12、朝雲

<特別機動船第25号>:SB-25を参照。

<特別極東軍事予備品計画>:SFRPを参照。

特別警備徽章>:海上自衛隊の徽章。海上幕僚長が定める特別警備に関する課程を修了した者が付ける。参考:MAMOR Vol.62

特別警護隊>:イラクのフセイン警護部隊Jihaz Al Hemiya Al-Khasa。フセインに最も近い警護部隊で、宮殿保安部(Amn Al-Kusour)ともいう。参考:月刊軍事研究2,04

特別警備隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の特殊部隊で、特警またはSBUと略す。1999年の能登半島沖北朝鮮工作船事件をきっかけに、臨検や海上対コマンドー戦を主目的として創設した。2000年初めにSEALに訓練を依頼したが、先方の都合が付けられずに断られ、イギリス海軍のSBSの協力を得て2001327日に江田島基地で自衛艦隊隷下に発足した。任務は沿岸海域における不審船の停船指示、船内立ち入り・臨検、武装解除、無力化。人員貨物検査や物品押収は護衛艦固有の立ち入り検査隊が行う。隊員は74名で、隊長、副長、隊本部、3個小隊から構成されており、1個小隊は小隊長と2個班(1個あたり隊員8名)で編成される。装備はMP5SD6サブマシンガン、M4A1小銃、89式小銃、SIG P226R拳銃、MSG90狙撃銃、MINIMI、特殊閃光手榴弾。特別機動艇(高速小型ボート)や、SH-60ヘリなどで対象艦に乗り込む。20011222日の工作船事件では即応状態を取っていた。2007628日に訓練が報道陣に公開されたが、任務が任務だけに、これが最初で最後の公開になるといわれている。2009年からソマリア沖海賊対処任務に参加。2018627日から82日、リムパック2018に参加。2021823日から910日、マラバール2021(フェーズ1前段)に参加。20211125日現在、自衛艦隊直轄である。2023811-21日、マラバール2023に参加。参考:月刊軍事研究3,076,049,0711,18、月刊世界の艦船4,106,0111,211,2210,23

特別警備隊(海上保安庁)>:海上保安庁の特殊部隊で、特警隊、特警と略す。洋上デモ対処、密漁・密輸・密航阻止などが主任務で、容疑船舶に直接乗り込んで制圧するため、防弾ベストやヘルメットで身を固め、64式小銃、89式小銃、ニューナンブM60拳銃、M5906拳銃などで武装している。港湾や岸壁での捜索制圧任務も行う。各管区に専用の警備実施強化巡視船が1-2隻配備されていて、1隻あたり2個小隊が編成される。参考:月刊軍事研究12,14

特別航空輸送隊>:航空自衛隊の政府専用機運用部隊で、千歳基地に置かれている。政府専用機による国賓輸送、国際平和協力活動部隊輸送、在外邦人等輸送、国際緊急援助活動、空中輸送員育成課程教育を主任務とする。国賓は天皇や総理大臣で、総理以外の閣僚は民間機を使う。緊急事態に備え、首相らが乗る本機(1番機)に加えて乗客を乗せない予備機(2番機)が随行する。2番機に乗客が乗ったのは20045月の北朝鮮拉致被害者家族帰国時と、20094月のタイでのASEAN首脳会議中止・非常事態宣言発令時である。B747-400政府専用機納入当時の総理が自衛隊嫌いで、総理府に飛行隊を作って空自隊員を出向させると言い出したが、それでは安全と士気に責任を持てないとして航空幕僚長以下が猛反対し、無事航空自衛隊の隷下に創設されることとなった。パイロットは民間の羽田空港での運用を考慮して民間航空機長資格を取らせたが、副機長に命令する自衛隊方式が同僚との共同作業となる民間方式に合わず、思わぬ苦戦を強いられている。女性添乗員は婦人自衛官の希望者を選抜し、民間航空に養成を委託、部隊に帰ってからも礼儀作法の教育を施した。部隊は羽田に置くのが効率的だが、運輸省の許可が下りず千歳基地になり、いちいち総理を迎えに千歳から羽田に行く羽目になった。1992410日、臨時特別航空輸送隊として千歳基地で新編され、423日に編成完結式典を実施した。19932月に初運航した。199361日、臨時特別航空輸送隊が解散され、特別航空輸送隊として航空支援集団隷下に千歳基地で編成された。隷下に第701飛行隊を置く。2002年、任務運航100回を達成。2008年、任務運航200回を達成。

2009111-12日、麻生首相を乗せて羽田空港とソウル空軍基地を往復した。130日から21日、ダボス会議に出席する麻生首相を乗せて羽田空港とスイスのチューリッヒ国際空港を往復した。29日、皇太子を乗せて羽田空港を出発し、ベトナムのノイバイ国際空港に到着。211日、ダナン国際空港に到着。213日、タンソンニャット国際空港に到着。215日、皇太子を乗せて帰国した。223-25日、オバマ大統領との首脳会談に出席する麻生首相を乗せて羽田空港とアンドリュース空軍基地を往復した。310日、要人輸送任務運航200回以上達成により、統幕長から二級賞状が授与された。331日から43日、第2回金融・世界経済首脳会議(ロンドン・サミット)に出席する麻生首相らを乗せ、羽田空港とガトウィック空港を往復した。410日、ASEAN関連首脳会議に出席する麻生首相を乗せて羽田空港からウタパオ海軍基地まで運航した。411日、ASEAN首脳会議会場にタクシン元首相派1000人が乱入したため会議が中止となり、非常事態宣言が出されたため、急遽日本への帰国が決定、4120350に麻生首相を乗せた本機(1番機)と外務省・経済産業省職員ら40名を乗せた予備機(2番機)が羽田空港に帰国した。429-30日、日中首脳会談を行う麻生首相を乗せ、羽田空港と北京首都空港を往復した。53日、チェコとドイツで首脳会談を行う麻生首相を乗せて羽田空港を出発し、チェコのルズィニエ国際空港とドイツのテーゲル空港を経由して56日に帰国した。73日、カナダとハワイを訪問する天皇皇后両陛下を乗せて羽田空港を出発し、カナダのマクドナルド・カルティエ国際空港に到着。78日にトロントのレスター・ピアソン国際空港、710日にバンクーバー国際空港、714日にハワイのヒッカム空軍基地、716日にハワイのコナ国際空港を経由し、717日に羽田空港に帰国した。910-12日、ピッツバーグ国際空港までの国外運航訓練を実施。921日、第64回国連総会とピッツバーグでのG20首脳会議に出席する鳩山首相を乗せて羽田を出発。ケネディ国際空港、ピッツバーグ国際空港経由で926日に羽田に帰国した。101-3日、IOC総会に出席する鳩山首相を乗せて羽田とコペンハーゲン国際空港を往復した。109-10日、日韓首脳会談と第2回日中韓サミットに出席する鳩山首相を乗せ、羽田と北京を往復した。1023-25日、ASEAN関連首脳会議や東アジアサミットに出席する鳩山首相を乗せ、羽田とドン・ムアン国際空港を往復した。1113-16日、APEC首脳会議に出席する鳩山首相を乗せて羽田とシンガポールのチャンギ国際空港を往復した。129-10日、バリ民主主義フォーラムに出席する鳩山首相を乗せ、羽田空港とバリ島ングラ・ライ国際空港を往復した。1217-19日、COP15に出席する鳩山首相を羽田空港からデンマークのカストラップ国際空港まで往復輸送した。

2010129-31日、スイスで開催される世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に出席する首相代理の仙谷国家戦略行政刷新担当大臣を乗せ、羽田空港とチューリッヒ国際空港を往復した(任務運航第222回)。ハイチ大地震を受け、ハイチ派遣国際救援隊120名を日本からマイアミまで輸送(任務運航第223回)。撤収時にもマイアミから日本まで100名を輸送した(任務運航第224回)。221-23日、航空支援集団副司令官ら34名を乗せ、東南アジア方面への国外運航訓練を実施。2011128-30日、スイスで開催される世界経済フォーラム第40回年次総会(ダボス会議)に出席する菅首相を乗せ、羽田空港とチューリッヒ国際空港を往復した。524-29日、フランスで開催されたG8ドービル・サミットとベルギーのブリュッセルで開催された日本・EU定期首脳協議に出席する菅首相を乗せ、羽田空港からシャルル・ドゴール空港、同空港からメルスブローク空軍基地を飛行し、日本に帰国した。2012625日、東南アジアを公式訪問される皇太子殿下を乗せて羽田・バンコク間を運航。627日、皇太子殿下を乗せてバンコク・プノンペン間を運航。629日、皇太子殿下を乗せてプノンペン・ビエンチャン間を運航。71日、羽田に帰投した。828日、千歳空港とウラジオストクのクネヴィチ空港の間で初の国外運航訓練を実施。924日、第67回国連総会に出席する野田総理を乗せて羽田空港からニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に向かった。927日、帰国した。114-7日、ラオスの首都ビエンチャンでアジア欧州会議第9回首脳会合に出席する野田総理を乗せて羽田空港とビエンチャンのワッタイ国際空港間を運航した。1118-21日、プノンペンで開催されたASEAN関連首脳会議に出席する野田総理を乗せて羽田とプノンペン国際空港間を運航した。

2013121日、政府がアルジェリア人質事件の救出日本人及び犠牲者の輸送を実施することを決定。122日、羽田空港からアルジェに向け出発。1250700、救出日本人7人と犠牲者10人のうち9人を乗せて羽田空港に到着した。125-27日、ダボス会議に出席する経済財政・再生相と経済産業相を乗せて羽田空港とチューリッヒを往復した。221-24日、オバマ大統領と初の日米首脳会談を行う安倍総理を乗せ、羽田空港とアンドルーズ空軍基地を往復した。330-31日、モンゴルを訪問する安倍総理を乗せて羽田空港とチンギスハーン国際空港を往復した。428日から54日、皇太子ご夫妻のオランダ訪問と安倍総理のロシア・中東3カ国訪問に伴い、1号機が羽田空港とオランダのスキポール空港を往復、2号機が羽田空港、ロシアのブヌコポ空港、サウジアラビアのキング・アブドルアジズ空港、UAEのアブダビ空港、トルコのエセンボーア空港、羽田空港のルートを運航、単独機同時航行を実施した。519-20日、千歳とミャンマーのネピドー空港、ヤンゴン空港間で国外運航訓練を実施。529日から61日、千歳空港とスペインのセビリア空港・サンティアゴ空港、イギリスのベルファスト空港の間で国外運航訓練を実施。68日、千歳基地の特別航空輸送隊整備格納庫で創立20周年記念式典を実施。610-16日、スペインを公式訪問する皇太子殿下を乗せて羽田空港、バラハス国際空港、サラマンカ空港、セビリア空港、サンティアゴ空港を運航した。615-20日、G8ロックアーン・サミットに出席し、欧州諸国を訪問する安倍総理を乗せて羽田、ワルシャワ、ベルファスト、ロンドン、アイルランドの各空港を運航した。624-27日、ミャンマーを訪問する安倍総理を乗せて羽田とヤンゴン空港、ネビドー空港間を運航した。725日、マレーシア、シンガポール、フィリピンを訪問する安倍総理を乗せて羽田空港を離陸。824日、バーレーン、クウェート、カタール、ジブチを訪問する安倍総理を乗せて中東に向け羽田を出発。829日に羽田に帰国した。94-9日、G20首脳会議とIOC総会に出席する安倍総理を乗せて運航。923日、カナダを訪問した後、国連総会に出席する安倍総理を乗せて羽田空港を出発。オタワとニューヨークを経て928日に羽田に帰国した。106-10日、APECTPPASEAN関連首脳会議に出席する安倍総理を乗せて羽田空港、関西国際空港、インドネシアのデンバサール国際空港、ブルネイ国際空港を運航した。1028-30日、トルコ首相と会談する安倍総理を乗せ、羽田空港-アタテュルク国際空港間を運航した。1116日、カンボジアとラオスを訪問する安倍総理を乗せて羽田空港を出発、プノンペンに到着した。1117日、ピエンチャンに到着、首脳会談終了後に羽田に帰国した。1130日、インドを訪問する天皇皇后両陛下を乗せ羽田空港を出発、デリーに到着した。126日、羽田に帰国。129-11日、南アフリカ共和国マンデラ元大統領の追悼式に参列する皇太子殿下と福田康夫特派大使を乗せて羽田とヨハネスブルク間を運航した。1216-20日、アフリカ方面で国外運航訓練を実施。

201419-15日、オマーンとアフリカ諸国を訪問する安倍総理を乗せて運航した。121-23日、ダボス会議に出席する安倍総理を乗せて運航した。125-27日、インド首相と会談する安倍総理を乗せてデリーまで往復した。130-31日、国外運航訓練を実施。ロシアのソチ国際空港で飛行経路、航空交通管制状況、駐機要領などの確認を行った。27-9日、ソチオリンピック開会式に出席する安倍総理を乗せて運航した。323-26日、ハーグ核セキュリティ・サミットなどに出席する安倍総理を乗せて羽田-アムステルダムを運航した。429日から58日、欧州6カ国を訪問する安倍総理を乗せて羽田空港-ベルリン-ロンドン-リスボン-サンディアゴ-パリ-ブリュッセル-羽田を運航した。530-31日、シャングリラ会合に出席する安倍総理を乗せて羽田空港とチャンギ国際空港を往復した。63-7日、G7首脳会議などに出席する安倍総理を乗せ、羽田-ブリュッセル-ローマ-羽田を運航した。69-12日、中南米方面の飛行経路、航空交通管制状況、駐機要領などを確認するため国外運航訓練を実施。トリニダード・トバゴのビアルコ国際空港とコロンビアのエルドラド国際空港に離着陸した。617-23日、日本・スイス国交樹立150周年の日本側名誉総裁としてスイスを訪問する皇太子殿下を乗せ、羽田-チューリッヒを運航した。76-12日、オセアニア諸国を歴訪する安倍総理を乗せ、羽田-オークランド-クライストチャーチ-キャンベラ-パース-ポートモレスビー-羽田を運航した。711-15日、ハワイのヒロ、ポリネシアのファアア、フィリピンのディオスダド・マカバガルで国外運航訓練を実施。725日から84日、中南米諸国を歴訪する安倍総理を乗せ、羽田-メキシコ-ポートオブスペイン-ボゴタ-サンティアゴ-ブラジリア-サンパウロ-羽田を運航した。96-8日、バングラデシュとスリランカを訪問する安倍総理を乗せ、羽田-ダッカ-コロンボ-羽田を運航した。922-27日、国連総会などに出席する安倍総理を乗せ、羽田-ニューヨークを往復した。1015-18日、アジア欧州会議に出席する安倍総理を乗せ、羽田とミラノを往復した。119-17日、APEC首脳会議、ASEAN関連首脳会議、G20ブリスベーンサミットに参加する安倍総理を乗せ、羽田-北京-ミャンマーのネピドー-ヤンゴン-オーストラリアのブリスベーン-羽田を運航した。1211-13日、ベルギーのファビオラ元国王妃の国葬に参列する皇后陛下を乗せ、羽田とブリュッセルを往復した。

201516日、初飛行訓練を実施。116日、中東諸国を歴訪する安倍総理を乗せ、羽田を出発し、エジプトのカイロ国際空港に到着。117日、ヨルダンのクイーンアリア国際空港に到着。118日、イスラエルのペングリオン国際空港に到着。121日、羽田に帰国。125-26日、サウジアラビア国王崩御に伴い、皇太子殿下と福田康夫特派大使(元首相)を載せて羽田空港とリヤド空軍基地を往復。210日、国外運航訓練に出発。ニューカレドニアのラ・トントゥータ空港、オーストラリアのケアンズ国際空港、インドネシア・パレンバンのスルタンムハンマドバダルディンⅡ空港を経由して帰国した。329-30日、元シンガポール首相の国葬に参列する安倍総理を乗せ、羽田とシンガポールのチャンギ空港を往復した。421-23日、アジア・アフリカ会議60周年記念首脳会議に出席する安倍総理を乗せ、羽田とジャカルタを往復した。426日から53日、アメリカを訪問する安倍総理を乗せ、羽田-ボストン-ワシントンDC-サンフランシスコ-ロサンゼルス-羽田を運航した。65日、ウクライナを訪問し、ドイツでG7首脳会議に出席する安倍総理を乗せて羽田を出発。66日、キエフに到着。67日、ミュンヘンに到着。69日、羽田に帰国。724-27日、中央アジア方面で国外運航訓練を実施。キルギス共和国マナス国際空港、タジキスタン共和国ドゥシャンベ国際空港、トルクメニスタンのアシガバット国際空港を運航した。817日、政務官による視察を受けた。926日、国連総会に出席し、ジャマイカを訪問する安倍総理を乗せ、羽田を出発し、ニューヨークに到着した。930日、アメリカを出発し、101日にジャマイカの首都キングストンに到着。102日、ロサンゼルス経由で成田に帰国。任務運航300回を達成した。108日、国外運航訓練のため出国。イスタンブールのサビハギョクチェン空港、アンタルヤのアンタルヤ空港を経由し、1010日に帰国した。1022日、モンゴルと中央アジアを歴訪する安倍総理を乗せ羽田を出発し、モンゴルに到着。1023日、トルクメニスタンに到着。1024日、タジキスタンに到着。1025日、ウズベキスタンに到着。1026日、キルギスに到着。カザフスタンの首都を経て1028日に帰国した。111-2日、日中韓首脳会談に出席する安倍総理を乗せて羽田とソウル空軍基地を往復した。1113日、トルコでG20首脳会議などに出席する安倍総理を乗せて羽田を出発し、イスタンブールに到着。1114日、トルコのアンタルヤに到着。1117日、羽田に帰国。1118日、フィリピンでのAPEC首脳会議とマレーシアでのASEAN関連首脳会議に出席する安倍総理を乗せて羽田を出発し、マニラに到着した。1120日、マレーシアのクアラルンプールに到着。1123日に帰国した。1129日、国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)などに出席する安倍総理を乗せ、羽田を出発。1130日、パリに到着。121日、ルクセンブルクに到着。122日、羽田に帰国。1211-13日、インドのモディ首相と会談する安倍総理を乗せ、羽田とデリーを往復した。

2016123-24日、ダボス会議に出席する甘利経済再生担当兼内閣府特命担当相を乗せ、羽田空港とスイスのチューリヒを往復。126-30日、国交正常化60周年でフィリピンを公式訪問する天皇皇后両陛下を乗せ羽田空港とマニラを往復。422-23日、国外運航訓練でロンドンのスタンステッド空港まで往復した。51日、安倍総理を乗せ羽田空港を出発。52日、イタリアのピサに到着。53日、フランスのパリとベルギーのブリュッセルに到着。54日、ドイツのベルリンに到着。55日、イギリスのロンドンに到着。56日、ロシアのソチに到着。57日、羽田に帰国。73-5日、バングラデシュのダッカで発生したレストラン襲撃テロ事件で犠牲になった日本人7人を迎えに行くため、被害者家族18人、JICA職員、外務省職員らを乗せて羽田空港とバングラデシュを往復した。714-16日、モンゴルで開催されたアジア欧州会議に出席する安倍総理を乗せ、ウランバートルと羽田を往復した。718-20日、キューバへの国外運航訓練を行い、ハバナのホセ・マルティ国際空港まで往復した。84日、中国杭州市への国外運航訓練を実施。820-23日、リオデジャネイロオリンピック閉会式に出席する安倍総理を乗せ、羽田空港とブラジルのアントニオ・カルロス・ジョビン国際空港を往復した。825-29日、第6回アフリカ開発会議に出席する安倍総理を乗せ、シンガポールのチャンギ空港経由で羽田とケニア・ナイロビのジョモ・ケニヤッタ国際空港を往復した。92-3日、東方経済フォーラムに出席する安倍総理を乗せ、羽田とロシアのウラジオストク国際空港を往復した。94日、G20首脳会議とASEAN首脳会議に出席する安倍総理を乗せ、羽田空港を出発し、杭州に着陸。96日、ラオスの首都ビエンチャンに到着。98日、羽田に帰国。918日、国連総会に出席する安倍総理を乗せ、羽田空港を出発。919日、ケネディ空港に到着。923日、安倍総理を乗せキューバのホセ・マルティ空港に到着。帰国途中の経由地サンフランシスコ国際空港で1号機に不具合があったため、2号機に乗り換え、924日に羽田に帰国した。1117-23日、トランプ大統領との会談やペルーでのAPECに出席する安倍総理を乗せ、羽田、北・南米、ヨーロッパを巡航した。1128日、美保基地で国内運航訓練を実施。タッチ&ゴー訓練などを行った。1215-16日、来日したプーチン大統領と会談する安倍総理を乗せ、羽田空港と山口宇部空港を往復した。1218-22日、千歳基地を訪問したオーストラリア空軍第34飛行隊(隊員18名、B737BBJ政府専用機1機)と部隊間交流を実施。

2017112日、東南アジア3カ国とオーストラリアを歴訪する安倍総理を乗せて羽田空港を出発し、フィリピンのマニラを経由してダバオに到着した。113日、シドニーに到着。115日、ジャカルタに到着。116日、ハノイに到着。117日、日本に帰国した。29日夜、日米首脳会談を行う安倍総理を乗せて羽田空港を出発。210日午前(現地時間9日夜)、メリーランド州アンドリュース空軍基地に到着した。アンドリュース空軍基地からフロリダ州パームビーチ国際空港には安倍総理はVC-25Aエアフォース・ワンで移動している。212日夜、安倍総理を乗せてパームビーチ国際空港を出発。ロサンゼルスを経由して213日夜に羽田に帰国した。216-17日、ベトナムへの国外運航訓練を行い、フエのフバイ国際空港に着陸した。228日、ベトナムとタイを訪問する天皇皇后両陛下を乗せ羽田空港を出発。同日にハノイのノイバイ国際空港、33日にフエのラーバイ空港、35日にバンコクのドンムアン空港を経由して36日に羽田空港に帰国した。319-22日、安倍総理を乗せハノーバー(20日)、パリ(21日)、ブリュッセル(21日)、ローマ(22日)を運航。413-17日、皇太子を乗せクアラルンプール国際空港と羽田空港を往復した。427日、安倍総理を乗せ、羽田空港を出国、モスクワのブヌコボ空港に到着した。その後ロンドンに向かい、429日にヒースロー空港を出発、430日に羽田に帰国した。514-17日、イランのエマーム・ホメイニー国際空港、メヘラバード国際空港、イタリアのシゴネッラ空軍基地、マルタのルア空港への国外運航訓練を実施。515日、東京大田区のANA訓練センターで特別航空輸送隊空中輸送員の機種転換ANA委託教育の開講式を実施。第1期生5名が3日間の教育を受けた。525-28日、タオルミーナでG7サミットに出席し、マルタを訪問する安倍総理を乗せてイタリアのカターニャ空港とマルタのルア空港を運航。615-21日、デンマークを公式訪問される皇太子を乗せ羽田空港とコペンハーゲンを往復。75-12日、G20サミットに参加する安倍総理を乗せブリュッセル、ハンブルク、ストックホルム、ヘルシンキ、コペンハーゲン、タリンを運航。823-26日、インドのサルダール・ヴァラップバーイー・パテール空港とスペインのトレホン・デ・アルドス空軍基地への国外運航訓練を実施。96-7日、第3回東方経済フォーラムに出席する安倍総理を乗せ羽田とウラジオストクを往復。913-15日、インドを訪問する安倍総理を乗せインドのアーメダバードにあるサルダール・ヴァラップバーイー・パテール空港と羽田空港を往復した。918-22日、第72回国連総会に出席する安倍総理を乗せ、羽田とケネディ国際空港を往復した。118日、内閣総理大臣特別賞状が授与された。119日、APEC首脳会議とASEAN関連首脳会議に出席する安倍総理を乗せ、羽田空港からダナン国際空港に到着。1112日にマニラ国際空港へ運航し、1115日に羽田に帰国した。1221-22日、国外運航訓練を実施。B747政府専用機1機と隊員29名が参加し、セルビアのニコラ・テスラ空港とリトアニアのカウナス国際空港を巡航して飛行経路、航空交通管制状況、離着陸特性、駐機要領などを確認した。

2018111日、定期整備後の機体移動のため1200頃に東京国際空港を離陸し1310頃に新千歳空港に着陸したB747-400政府専用機01号機の、右主翼とエンジンを結合する部位のパネル(楕円形白色金属製、380mm×200mm×2mm、重量500g)が脱落紛失した。脱落は1140-1320頃に発生したとみられる。112日、ヨーロッパ6カ国を歴訪する安倍総理を乗せ羽田を離陸。同日にエストニアのタリン空港、113日にラトビアのリガ国際空港とリトアニアのビリニュス国際空港、114日にブルガリアのソフィア国際空港、115日にセルビアのニコラ・テスラ空港、116日にルーマニアのヘンリ・コアンダ空港を経由し、117日に羽田空港に帰国した。21日、B-747政府専用機1機と隊員41名が韓国ヤンヤン国際空港とチョンジュ国際空港で国外運航訓練を実施。21日、隊員41名で韓国への国外運航訓練を実施し、襄陽国際空港と清州国際空港に着陸した。29-10日、平昌五輪開会式に出席する安倍総理を乗せ、羽田空港と襄陽国際空港を往復した。417日、トランプ大統領と日米首脳会談を行う安倍総理を乗せ、羽田空港を離陸。フロリダ州パームビーチ国際空港、ワシントン州タコマ国際空港を経由し、420日に羽田に帰国した。429日、安倍総理を乗せ羽田を離陸。430日、UAEのアブダビとヨルダンのアンマンに着陸。52日、イスラエルのテルアビブに着陸。53日、羽田空港に帰国した。524日、プーチン大統領と日露首脳会談を行う安倍総理を乗せ羽田を出発し、サンクトペテルブルクに到着した。526日、モスクワに着陸。527日、羽田に帰国した。66日、日米首脳会談とG7首脳会議に出席する安倍総理を乗せ羽田を出発。67日、メリーランド州アンドルーズ空軍基地に着陸。68日、カナダ・ケベック州バゴットビル空軍基地に着陸。610日、ケベック州ケベックシティ・ジャン・ルサージュ国際空港を離陸。バンクーバー経由で611日に羽田に帰国した。97日、日仏友好160周年でフランスに招待された皇太子を乗せ、羽田空港を離陸してリヨンのサンテグジュペリ空港に到着。910-13日、東方経済フォーラムに出席する安倍総理を乗せ羽田とウラジオストク国際空港を往復。914日、皇太子を乗せパリのオルリ空港を出発。915日、羽田に帰国。923-28日、日米首脳会談と第73回国連総会に出席する安倍総理を乗せ、ニューヨークと羽田を往復した。1016日、第12回アジア欧州会議などに出席する安倍総理を乗せ、羽田を出国。マドリード、パリ、ブリュッセルを訪問して1020日に羽田に帰国した。ついでに安倍総理は次期政府専用機B777-300ERを視察している。1025-27日、中国を公式訪問して習近平国家主席・李克強首相と会談し、日中平和友好条約締結40周年記念式典に出席する安倍総理を乗せ、羽田と北京を往復した。113-5日、B777-300ER政府専用機による初の国外運航訓練を実施。隊司令以下35名が参加し、羽田とシドニーのキングスフォード・スミス空港を往復、飛行要領や国外飛行場での駐機要領を確認した。1114-18日、シンガポールでのASEAN関連首脳会議と東アジアサミット、オーストラリアでの日豪首脳会談、パプアニューギニアでのアジア太平洋経済協力会議首脳会議に出席する安倍総理を乗せ、シンガポール、オーストラリア、パプアニューギニアを運航した。1120日、B777-300ER政府専用機で運航試験に係る訓練飛行を実施。千歳基地を離陸し、佐渡、福井、琵琶湖、伊勢を回り、セントレア空港にタッチ・アンド・ゴー2回の後に着陸した。1時間半後にセントレア空港を離陸している。1129日、ブエノスアイレスでG20首脳会議に出席する安倍総理を乗せ、羽田空港を出発。124日、羽田に帰国した。

201919-11日、オランダのルッテ首相及びイギリスのメイ首相と会談する安倍総理を乗せ、オランダとイギリスに運航した。114-19日、B777-300ER政府専用機1機と特別航空輸送隊副司令以下33名で国外運航訓練を実施。シンガポールのチャンギ空港、南アフリカのキング・シャカ国際空港、UAEのアル・ダフラ空軍基地、スウェーデンのアーランダ空港を回った。121-24日、安倍総理を乗せ羽田-モスクワ-チューリッヒを運航した。129日、B777-300ER政府専用機2号機による飛行訓練を実施。212-16日、B777-300ER政府専用機1機による国外運航訓練(アメリカのアンドリュース統合基地とスイスのチューリッヒ空港)を実施。212日に羽田経由でアンドリュース統合基地に到着してアメリカ空軍第89輸送航空団と部隊間交流を行い、寄港中に航空支援集団司令官がアメリカ国防総省を訪問して統合参謀本部と空軍参謀本部で関係者を表敬した。214日、チューリッヒ空港に着陸。216日、羽田経由で千歳基地に戻った。324日、千歳基地で政府専用機機種交代式典を実施。331日、B747-400政府専用機が退役した。41日、B777-300ERが政府専用機として正式に配備された。422-29日、B777-300ER政府専用機の初任務運航を2機で実施。欧米を訪問する安倍総理を乗せ、422日に羽田空港を離陸し、423日にパリ、424日にローマ、425日にウィーン、425-26日にブリュッセル、427-28日にワシントンDC428-29日にオタワに寄航し、429日に羽田空港に戻った。612-14日、イランのロウハニ大統領と会談する安倍総理を乗せ、テヘランのメラバード国際空港と羽田空港を往復した。627-30日、G20大阪サミットに出席する安倍総理を乗せ、東京と大阪を往復した。88日、熊本空港への運航訓練を実施。823-27日、フランスのビアリッツで開催されたG7首脳会議に出席する安倍総理を乗せ、羽田空港とメリニャック空港を往復した。94-6日、東方経済フォーラムに出席し日露首脳会談を行う安倍総理を乗せ、羽田とクネヴィチ空港/ウラジオストク国際空港を往復した。923日、国連総会と欧州連結性フォーラムに出席する安倍総理を乗せ、羽田空港を出発。924日にニューヨーク、927日にブリュッセルに寄航し、928日に帰国した。113日、ASEAN関連首脳会議などに出席する安倍総理を乗せて羽田空港を離陸し、タイのドンムアン空港に向かった。途中、調理用スチームオーブンで耐熱袋入りパンを温めていたところ、焦げ臭い臭いがして煙を吹いたため、消火器で対応、出火は確認されず、設備や人員にも被害は無く、そのままタイに到着している。帰国時は予備機を使い、115日に羽田空港に到着した。1223日、習近平国家主席と首脳会談を行う安倍総理を乗せ羽田を出発し、北京首都国際空港に到着した。その後日中韓サミットが開催される成都を経由し、1225日に羽田に帰国している。

2020111-15日、サウジアラビア、UAE、オマーンを歴訪する安倍総理を乗せ中東に運航。サウジのキング・ハーリド国際空港(11日)、同プリンス・アブドル・マジード・ビン・アブドルアジズ空港(13日)、アブダビ国際空港(13日)、マスカット国際空港を経由し、羽田空港に帰国した。226日、千歳基地から仙台空港への運航訓練を実施。47日、千歳基地から小松基地への運航訓練を実施。1018日、総理となって初の外遊を行う菅総理を乗せ、羽田空港を離陸(任務飛行10回目)し、ベトナムのノイバイ国際空港に到着。予備機の2号機は整備中だったため、ANAB777-300ERを予備機としている。1020日にインドネシアのスカルノ・ハッタ国際空港に移動し、1021日に帰国した。123日、B777-300ER政府専用機の任務飛行10回を記念し、千歳基地で写真撮影を実施。129日、大分空港で国内運航訓練を実施。

2021325日、令和2年度体力測定Ⅰ練成成果2位の功績で、空幕長から表彰を伝達された。415-18日、アメリカのバイデン大統領と会談する菅総理を乗せ、羽田空港とワシントンDC郊外アンドルーズ空軍基地を往復した。531日から61日、コーンウォールへの国外運航訓練を実施。610日、G7サミットに出席する菅総理を乗せ、羽田空港を離陸し、イギリスのコーンウォールに到着した。613日、G7サミットを終えた菅総理を乗せコーンウォールを離陸。614日、羽田空港に到着した。923-26日、日米豪印クアッド首脳会談に出席する菅総理を乗せ、羽田空港とワシントンDC郊外アンドルーズ空軍基地を往復した。112-3日、国連気候変動枠組み条約締結国会議COP26に出席する岸田総理を乗せ、羽田空港とイギリスのグラスゴー空港を往復した。

2022319-21日、インドのモディ首相及びカンボジアのフン・セン首相と会談する岸田総理を乗せ、羽田-ニューデリーのパラム空軍基地-プノンペン国際空港を運航した。323-25日、G7首脳会議に出席する岸田総理を乗せ、羽田とブリュッセル郊外メルスブルク空軍基地を往復した。328日、令和3年度体力測定Ⅰ練成成果の部3位の功績で、空幕長から表彰を伝達された。41日、ポーランドを訪問する林外務大臣を乗せ、B777政府専用機2機でワルシャワ空港に向かった。42日、B777がワルシャワに到着。44日、自衛隊法第100条の5(国賓等の輸送)に基づく初の外国人避難民輸送を実施。林外務大臣と、予備機にウクライナ避難民20人を乗せてワルシャワを出発。45日、B777が羽田空港に帰投。429日から56日、東南アジア3カ国、イタリア、イギリスを歴訪する岸田総理を乗せ、インドネシアのスカルノ・ハッタ国際空港-ベトナムのノイバイ国際空港-タイのドンムアン空港-イタリアのレオナルド・ダビンチ国際空港-イギリスのスタンステッド空港を運航した。611-12日、シャングリラ会合に出席する岸田総理を乗せ、羽田空港とシンガポールのチャンギ国際空港を往復した。626-30日、G7首脳会議エルマウ・サミットとNATO首脳会合に出席する岸田総理を乗せ、羽田空港-ミュンヘン交際空港-スペイン-羽田空港を運航した。1112-19日、2022ASEAN関連首脳会議、G20バリ・サミット、APEC首脳会談に出席する岸田総理を乗せ、東京国際空港-プノンペン-バリ-バンコク-東京国際空港を運航した。この際、B777政府専用機2機が持続可能航空燃料SAFを使用している。

2023213-17日、トルコ共和国国際緊急援助空輸隊B777政府専用機1機が参加。319日、インドを訪問する岸田総理を乗せ、東京国際空港を離陸。320日、インドのニューデリー空港に到着。モディ首相との会談後、岸田総理は隠密裡にビジネスジェットでポーランドに向かい、ウクライナを電撃訪問したため、B777政府専用機は321日にニューデリー空港を離陸し、322日に1機が羽田空港、予備機が千歳基地に帰国した。岸田総理はビジネスジェットで323日に帰国している。429日から55日、岸田総理を乗せ、東京国際空港-エジプトのカイロ空港-ガーナのアクラ空港-ケニアのナイロビ空港-モザンビークのマプト空港-シンガポール国際空港-東京国際空港を運航した。54-7日、イギリスを訪問する秋篠宮殿下を乗せ、東京国際空港とロンドンを往復した。57-8日、韓国を訪問する岸田総理を乗せ、東京国際空港とソウルを往復した。518-21日、G7広島サミットに出席する岸田総理を乗せ、東京国際空港と広島県三原を往復した。この際、B777政府専用機2機が持続可能航空燃料SAFを使用している。61日、創立30周年を迎えた。617-23日、インドネシアを訪問する天皇皇后両陛下を乗せ、東京国際空港-ジャカルタ-ジョグジャカルタ-ジャカルタ-東京国際空港を運航した。711-14日、NATO首脳会合と日EU定期首脳協議に出席する岸田総理を乗せ、東京国際空港-ワルシャワ-リトアニアのカウナス-ブリュッセル-東京国際空港を運航した。716-19日、サウジアラビア、UAE、カタールを訪問する岸田総理を乗せ、東京国際空港-サウジラビアのジッダ-UAEのアブダビ-カタールのドーハ-東京国際空港を運航した。817-19日、日米韓首脳会合に出席する岸田総理を乗せ、東京国際空港とワシントンD.C.を往復した。95-11日、2023ASEAN関連首脳会議とG20ニューデリー・サミットに出席する岸田総理を乗せ、東京国際空港-ジャカルタ-ニューデリー-東京国際空港を運航した。919-22日、第78回国連総会に出席する岸田総理を乗せ、東京国際空港-ニューヨーク間を往復した。920-25日、ベトナムを訪問する秋篠宮両殿下を乗せ、東京国際空港-ハノイ-ダナン-東京国際空港を運航した。113-5日、フィリピンとマレーシアを訪問する岸田総理を乗せ、東京国際空港-マニラ-クアラルンプール-東京国際空港を運航した。1115-19日、APEC首脳会議に出席する岸田総理を乗せ、東京国際空港とサンフランシスコを往復した。1130日から123日、国連気候変動枠組条約第28回締約国会議COP28に出席する岸田総理を乗せ、東京国際空港とUAEのドバイを往復した。

参考:朝雲、月刊JWings4,138,1310,133,144,144,159,162,175,173,'184,182,194,195,196,197,1911,197,'201,'212,213,'218,'216,'225,'236,'237,'238,'2310,'2311,'2312,'231,'242,'24、月刊航空ファン1,1510,157,163,178,171,20MAMOR vol.82vol.109、月刊軍事研究3,16、月刊航空情報4,18、月刊世界の艦船4,23、防衛省ホームページ

特別航空輸送隊(2007年度)>:航空支援集団隷下で、ホームベースは千歳基地。隷下に第701飛行隊を置く。参考:月刊JWings6,07

 <特別航空輸送隊(2010年)>:航空支援集団隷下で、千歳基地に置かれている。隷下に第701飛行隊(B-747)を置く。参考:月刊航空ファン4,10

 <特別航空輸送隊(2015年)>:航空支援集団隷下で、隊本部は千歳基地にある。第701飛行隊、整備隊を隷下に置く。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015

 <特別航空輸送隊(2020年)>:航空支援集団隷下で、千歳基地にある。第701飛行隊などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,20

<特別攻撃>:特攻を参照。

特別高等警察>:特高と略す。明治30年頃、社会主義運動取り締まりのために特別高等警察事務が生まれたのが始まりである。明治32年の治安警察法制定により任務基盤ができ、大逆事件の発生や、朝鮮独立運動を受けて明治44年に大阪に特別高等係が設置され、8月には主要な府県に特別高等課が作られた。大正に入ると労働争議、小作争議、水平運動の取り締まりも行うようになり、ロシア革命後は共産主義の取り締まりも範囲に含まれるようになった。大正14年には治安維持法が制定され、確固たる基盤が築かれた。大正156月に治安維持法が改正されると同時に全県警察部に特別高等警察課、各警察署に特別高等係が設置され、7月に正式に発足した。日華事変勃発後は思想・言論統制とスパイ防止の取り締まりを重点化。昭和16年には国防保安法、流言飛語罪、言論出版集会結社等取締法などの制定で更に取り締まりを強化、思想的背景を持つ人物だけでなく一般市民にも監視の対象を広げ、人権無視の苛烈な拷問で怖れられた。単なる不穏言動・流言飛語なら行政処分で説諭・厳重注意か科料・罰金くらいで済むが、不敬や思想(朝鮮独立、宗教、極左右翼など)が入ると送局されて裁判になり、執行猶予付き懲役刑などを喰らう。絶対国防圏が破綻した頃から国民の戦意低下が見られ始めたらしく、これに対抗するため取り締まりを強化している。昭和20104日の連合国最高司令部覚え書きで廃止され、所属警察官全員(4958人)が罷免された。参考:戦時用語の基礎知識、月刊丸3,14、人道・博愛-百年のあゆみ

<特別行動隊>:SADを参照。

特別行動隊>:アインザッツグルッペ。アインザッツコマンド、ゾンデルコマンド(特殊行動隊)ともいう。ドイツが白作戦後にポーランド上級組織の破壊を目的として創設した部隊で、占領地域のユダヤ人を絶滅させる任務も負っていた。SS中央本部国家保安本部の指揮下にあり、保安諜報局(SD)または国家秘密警察(ゲシュタポ)または刑事警察部門SS将校を指揮官とし、ドイツ陸軍1個軍あたり1個部隊(4個中隊500名)が配置された。残虐行為を繰り返したため、ドイツ陸軍側から抗議されることも多々あったという。バルバロッサ作戦開始後はA-Dの絶滅部隊が新編され、北方軍集団戦区レニングラード付近にA、中央軍集団戦区スモレンスク付近にB、南方軍集団戦区北部キエフ付近にC、同南部クリミア半島シンフェロポリにDの司令部が置かれてパルチザン掃討を名目としたユダヤ人狩りを行っている。参考:武装親衛隊、グラフィックアクション2、月刊世界の艦船11,14

特別号文寸法被服>:自衛隊用語で、個人の体格に合わせて作る特注の制服のこと。参考:MAMOR vol.140

特別根拠地隊>:日本海軍の基地警備・後方支援部隊。参考:月刊軍事研究10,13

<特別賞詞>:賞詞を参照。

<特別賞状>:賞状(自衛隊)を参照。

<特別善行章>:善行章(日本海軍)を参照。

特別戦術部隊>:アメリカ空軍の特殊部隊。1977年、ブランドXのコードネームで誕生し、イーグル・クロウ作戦、アージェント・フューリー作戦、モガディシオの戦い、アフガン作戦などに投入された。スローガンは「ファースト・イン、ラスト・アウト」。全てのアメリカ軍特殊部隊を支援し、航空支援統制、航空攻撃の要請と誘導、奪回した人質や負傷者などの保護、味方部隊の救出などを行う。参考:月刊軍事研究4,03

特別掃海隊>:朝鮮戦争で国連軍は元山への上陸作戦を立案したが、アメリカ極東海軍には掃海艇が10隻しか無く、アメリカ本土サンディエゴから回航する時間は無いので、1950102日にアメリカ極東海軍参謀副長アーレイ・バーク少将は大久保武雄海上保安庁長官に掃海隊の出動を要請した。吉田茂首相はサンフランシスコ講和条約交渉への影響を考慮して派遣することにしたが、公然と出動すると大問題になることが予想されたため、秘密裏に実施することを決定。アメリカ極東海軍司令官から山崎運輸大臣に正式な命令が出され、大阪より西の航路警戒隊から指揮船ゆうちどりなど掃海艇13隻と乗員323名で航路啓開本部長を総指揮官とする日本特別掃海隊第1・第2掃海隊を編成、艇番号や船名にファンネルマークまで全て塗り潰し、占領下で日本の領域外では国旗掲揚が許可されていなかったため代わりにGHQ日本商船管理局旗(国際信号E)を掲揚、106日に国連軍最高司令官マッカーサーの命を受け、107日夕方から8日未明にかけて門司港を出港した。1017日、元山上陸作戦に伴う掃海で、第2掃海隊所属の掃海艇MS14MS06とのパラベーン掃海開始直後に触雷轟沈して乗員27名中1名行方不明(後に死亡認定。司厨員で、艇内食料貯蔵庫に向かっていたようである)、海面に吹き飛ばされた26名のうち18名負傷という被害が出た。アメリカに吃水の浅い舟艇を使うか、小掃海実施後の日本掃海艇投入を要求したが、アメリカは15分以内に帰るか掃海を続けるか選べと返答したため、第2掃海隊の残る掃海艇艇長が強硬に中止を迫り、第2掃海隊はそのまま帰国してしまった。これにアメリカ軍が激怒し、第2掃海隊隊長と艇長は辞職させられている。航路啓開本部でも海軍出身者らが帝国海軍の恥さらしだと激昂したが、第2掃海隊隊長(元海軍中佐)は掃海隊員は一般事務官と同等の国家公務員であり生命の危険を冒してまで任務遂行の義務は無く中止せざるを得なかったとした。他に1021日に第4掃海隊の1隻が座礁(死傷者は出なかった)した。残る掃海隊は掃海活動を続け、仁川、群山、鎮南浦、海州でも掃海を実施し、1215日に編成を解除された。2ヶ月にわたる掃海活動で延べ7隊が出動し、掃海艇延べ43隻(44隻?)と巡視艇延べ10隻、人員延べ1204名が派遣され、機雷28個を処分し、水路300kmと泊地600平方キロメートルを啓開した。アメリカ極東海軍司令官は1950127日に海上保安庁長官宛てにアメリカ海軍最高賞詞を授与し、19516月に雇用契約に基づいてアメリカ軍から日本政府に2億4千万円が支払われた。また、殉職者にはアメリカ軍から400万円の弔慰金が出された。身を以て尽くした行為により国連に信頼感を醸成し、講和条約の早期締結が実現したともいわれる。第2掃海隊が任務途中で帰国した事態を受け、国防に際しては私的犠牲を顧みず任務に従事させる必要性を痛感したことから、自衛官の服務宣誓にある「事に臨んでは危険を顧みず身を以て責務の完遂に努め」の一文が生まれた。派遣は厳重な機密とされ、1954年に新聞記事になった時も隊員及び家族・遺族は全員口をつぐみ、当時の海上保安庁長官が1978年に出版した書物で明らかとなり、殉職者に勲八等が送られたのは1979年になってからのことである。参考:朝鮮戦争(上)、朝鮮戦争(下)、月刊世界の艦船6,'22、月刊丸1,10別冊、ペルシャ湾の軍艦旗

特別操縦見習士官>:日本陸軍のパイロット養成制度。教育隊で行われる基本訓練は半年間で、離着陸訓練を1ヶ月ほど行った後、編隊飛行、特殊飛行を練習する。練習機(九五式練習機や四式練習機)1機に助教1名と学生6名が割り当てられ、1日1回は飛行するよう搭乗割が組まれており、午前(0800-1200)と午後(1300-1700)に分かれて半数ずつが飛行訓練を実施、残りは学科の講義を受ける。飛行時間は離着陸訓練が1回7分程度、編隊・特殊飛行が1回15-30分程度で、計60時間くらい。これを終えると戦闘(二式単座高等練習機使用)、爆撃(一式双発練習機使用)、偵察(九九式軍偵察機使用)の各分科に振り分けられて練習航空隊で半年間の訓練を行い、実戦部隊に配属される。練習機に同乗する助教は軍曹や伍長なので、学生の方が階級は上である。内務班は1部屋に20名が生活した。第1期生は2600名で、宇都宮、熊谷、大刀洗、仙台飛行学校に入校した。基本訓練は各本校以外の教育隊でも行われており、宇都宮が大館、那須野、金丸原、磐城、熊谷が館林、相模、矢吹、桶川、大刀洗が目達原、知覧、隈之庄、群山、大邱、仙台が横芝で実施した。昭和193月に基本訓練を終えると練習航空隊に振り分けられ、10月に少尉に任官したが、南方戦線の教育隊には学生航空連盟出身といった優秀技能保持者が回され、早くも6月には少尉になっている。戦争末期には特攻隊として出撃していった。参考:陸海軍学校と教育

特別短艇員>:特艇員と略す。海上自衛隊のカッター・クルーで、荒天時や緊急時にカッターを漕ぐための要員である。護衛艦隊短艇競技会では艦の代表として出場する。常日頃から身体を鍛え上げており、食事には加給食がプラスされる。参考:丸スペシャルNo.77、月刊世界の艦船10,13

<特別部隊功労貢献章>:部隊功績貢献章を参照。

特別保安局>:イラクの大統領府が直轄していたバース党保安機関Al Amn al-Khas。共和国警護隊から選抜されたエリート中のエリートで、5000名前後いたとされる。参考:月刊軍事研究2,04

<特別防衛功労賞>:防衛功労賞を参照。

特別有視界飛行方式>:Special VFR。飛行場が計器気象状態でも、半径9km以内の管制圏内に限り、雲から離れること、飛行視程を1500m以上維持すること、地上又は水面を常に視認できる状態で飛行することを条件に有視界飛行方式での飛行を行うものである。計器飛行に必要な機器が揃っていない航空機や、計器飛行に不慣れな未熟パイロットが訓練飛行する際の救済措置として規定されている。参考:航空管制のはなし

特別輸送飛行隊>:陸上自衛隊の要人輸送ヘリ部隊で、ヘリは総理府の予算で購入する。198612月、第1ヘリコプター団隷下に新編された。2008326日、特別輸送ヘリコプター隊に改称された。参考:スピアヘッドNo.16

特別輸送ヘリコプター隊>:陸上自衛隊の要人輸送ヘリ部隊。国家行事などにおいて、ヘリコプターにより国内外要人を空輸するのが主任務である。2008326日に特別輸送飛行隊から改称されて新編された。使用機はEC-225LP2014915-18日、第1ヘリコプター団の訓練検閲を受け、2夜3日に渡り不法行動が予測される状況下での要人空輸任務を演練した。この訓練検閲中にも部隊視察に向かう防衛大臣の空輸任務をこなしている。2017115日、埼玉県の霞ヶ関カンツリー倶楽部でトランプ大統領とのゴルフ外交を行う安倍総理を乗せて首相官邸とゴルフ場を往復した。2018318日、防衛大学校卒業式出席後に横須賀基地を視察する安倍総理を乗せ、横須賀基地に飛来した。91日、安倍総理を乗せて九都県市合同防災訓練会場の川崎市東扇島ヘリポートに飛来した。910日、EC-225LPヘリ2機で松山空港に飛来し、事前確認を実施。921日、EC-225LPヘリに天皇皇后両陛下を乗せ松山空港を離陸、愛媛県西予市と広島県呉市を経由して松山空港に戻った。2019526日、トランプ大統領とゴルフを行う安倍総理をEC-225LPヘリに乗せて首相官邸屋上ヘリポートから茂原カントリークラブまで往復した。528日、DDHかがで視察・激励を行う安倍総理をEC-225LPヘリに乗せ、官邸屋上ヘリポートを離陸してDDHかがに着艦した。63日、施設学校を視察するカナダのサージャン国防相、原田防衛副大臣、小野塚陸幕副長をEC-225LPヘリに乗せ、勝田駐屯地に着陸した。91日、安倍総理をEC-225LPヘリに乗せ、第40回九都県市合同防災訓練中央会場に着陸した。1221日、EC-225LPヘリ3機で事前訓練のため仙台空港に展開。1226日、宮城・福島両県の台風19号被災地を見舞われた天皇皇后両陛下を乗せ、EC225ヘリ1機で仙台空港-宮城県丸森町立丸森中学校-福島県本宮市立本宮第1中学校-福島空港を運航した。202022日、中東派遣情報収集活動水上部隊DD-110たかなみを激励する安倍総理を乗せ、横須賀基地に運航した。37日、EC-225LPヘリに防衛医大卒業式に出席した河野防衛大臣を乗せ、防衛医大グラウンドから離陸した。1026日、九都県市総合防災訓練の予行で、EC-225LPヘリ1機が埼玉県川口市の青木町総合運動公園に離着陸した。111日、九都県市総合防災訓練に参加する菅総理をEC-225LPヘリに乗せ、首相官邸ヘリポートから青木町総合運動公園まで運航した。参考:MAMOR vol.139、スピアヘッドNo.16、朝雲、月刊JWings1,1811,1812,188,1912,193,206,202,21

 <特別輸送ヘリコプター隊(2020年)>:第1ヘリコプター団隷下で、木更津駐屯地にある。EC-225LPを装備する。参考:月刊JWings6,20

ドグマ見敵必殺>:1950-60年代の自衛艦隊のモットーは「見敵必殺」であり、ある時、横須賀から北海道までの船団間接護衛演習が行われた。間接護衛なので敵潜水艦を追い払うだけで良いのだが、三陸沖で仮想敵潜水艦を探知した直後に全力で攻撃を下命し、護衛隊は爆雷を全弾投下。想定外の事態だったが、自衛艦隊司令部は気合い十分であると評価し、仙台湾から急遽補給船を送って爆雷を補充して訓練を続けた。これを後の世代が伝説として語り継いだものである。参考:月刊世界の艦船11,00

<特務1号>:ふるたか(掃海艇)を参照。

<特務2号>:やまばと(掃海艇)を参照。

<特務3号>:はやたか(掃海艇)を参照。

<特務4号>:はくおう(掃海艇)を参照。

<特務5号>:みやこどり(掃海艇)を参照。

<特務6号>:にしきどり(掃海艇)を参照。

<特務7号>:おおとり(掃海艇)を参照。

<特務8号>:わかたか(掃海艇)を参照。

<特務9号>:しらさぎ(掃海艇)を参照。

<特務10号>:おおたか(掃海艇)を参照。

特務艦>:戦闘行為以外の任務を行う艦。給油艦、設網艦、給糧艦、弾薬輸送艦、測量艦、標的艦など多種多様である。参考:小艦艇入門

特務艦(海上自衛隊)>:海上自衛隊の艦種。1960101日、自衛艦の大分類の1つとして定められた。中分類の特務艦艇からなる。197971日、大分類の特務艦は補助艦に改称され、大分類・補助艦-中分類・補助艦艇の下の種別として特務艦が設けられた。艦種記号はASU、艦番号は7001以降。老朽化により本来の任務を離れた艦艇で、訓練支援や標的艦として使用される。1989529日、ATSS(特務潜水艦)の艦種記号が設けられた。200039日、ATSSの艦種記号を持つ艦が練習潜水艦に種別変更された。2004年頃に廃止された。参考:月刊世界の艦船11,'17増刊、月刊JWings1,99

特務艦(日本海軍)>:艦隊が円滑に行動できるよう、基地の整備、補給物資の手配などを業務とする艦船。艦種としては特務艦艇の下の種別になる。明治381211日、雑役船舟から運送船を分離して運送船、病院船、工作船の種別を定めたのが始まりである。大正5517日に病院船を廃止して特務船の種別を新設し、特務船の中に敷設船、工作船、運送船を定めた。大正941日、特務船を特務艦、工作船を工作艦、運送船を運送艦に名称変更し、特務艦の中に工作艦と運送艦を類別した。敷設船も敷設艦に改称されたが、こちらは軍艦に編入されている。大正1083日、砕氷艦を追加。大正1141日、測量艦を追加。大正111130日、練習特務艦を追加。大正12929日、標的艦を追加。大正14年、ワシントン条約など軍縮の流れで予算が足りなくなり、特務艦が作られなくなった。昭和12年、漸く特務艦の建造を再開したが、この年の竣工・編入は工作艦1隻、昭和13年はゼロ、昭和14年は工作艦1隻といった有様で、太平洋戦争開戦時に艦隊の長期作戦を支える特務艦は工作艦2隻と大型給糧艦2隻のみ、高速給油艦すら1隻も無い状態だった。太平洋戦争終結時には工作艦、運送艦、砕氷艦、測量艦、標的艦、練習特務艦の類別があった。参考:日本海軍特務艦船史、小艦艇入門、月刊世界の艦船9,13増刊、月刊丸3,14、帝国陸海軍事典

特務艦艇>:Auxiliaries。参考:日本海軍特務艦船史

 <特務艦艇(海上自衛隊)>:海上自衛隊の艦種。1960101日、自衛艦の大分類である特務艦の下の中分類として制定された。潜水艦救難艦、給油艦、特務艇の種別からなる。1965318日、砕氷艦の種別が制定された。1968316日、練習艦、訓練支援艦、海洋観測艦の種別が制定された。1976511日、給油艦が補給艦に改称された。1977112日、敷設艦の種別が制定された。197971日、補助艦艇に改称された。参考:月刊世界の艦船11,'17増刊

特務艦艇(日本海軍)>:大正94月の艦船令改正で定められた。日本海軍艦船の大分類の1つで、特務艦と特務艇の種別に分けられる。参考:月刊丸3,14、月刊世界の艦船9,13増刊、帝国陸海軍事典

<特務艦特型>:一等輸送艦を参照。

特務機関>:元は軍隊、官衙、学校のいずれにも属さない制度である元帥府、侍従武官府、軍事参議院、将校生徒試験委員などを指す言葉だったが、シベリア出兵に際して大正8年に設立された情報機関にこの名が付いた。昭和15年には関東軍情報部に属するハルピン特務機関が情報本部、他のものが情報支部という名称に変更されたが、引き続きこの通称で呼ばれた。他にもインド人工作機関であるF機関、ビルマ工作機関の南機関、対中国工作機関の蘭工作などがある。参考:戦時用語の基礎知識

特務士官>:日本海軍が大正9年に制定した制度で、特務少尉、特務中尉、特務大尉の階級が設置された。実務の他、准士官または特務少尉で砲術、水雷、通信、航空などの各学校の特修科学生課程に入り、1年の教育を受ける。この制度により水兵出身者が下士官と准士官を経て士官(最高少佐まで)に昇進することが可能となったが、扱いは海軍兵学校出身士官と同列ではなく、下士官の責任者といったもので、階級の前に「特務」の2文字を付けて区別してある。また、兵科以外では海軍飛行特務中尉などと科名もプラスした。海軍兵学校や海軍機関学校の専修学生課程(20ヶ月)を卒業した場合は海軍兵学校出身士官などと同じ配置に付いたものの、尉官代用という扱いで、術科学校高等科以降に進むことは無い。1階級上がるのに約5年かかっていたが、日華事変・第2次大戦に突入すると昇進が早くなり、1-2年で昇任することもあった。昭和17111月の制度改正で頭に「特務」を付けなくなった(科名は付いたまま)。昭和19年、3名が中佐に昇任している。参考:月刊世界の艦船9,13増刊、戦時用語の基礎知識、陸海軍学校と教育

特務船>:海上自衛隊第2種支援船YAS。掃海艇から区分変更を受け、掃海用発電機を撤去し処分隊員居住区を新設、器材格納用甲板室を設け、ボート・ダビットとFRP製作業艇を搭載して水中処分隊の母船になったり、装備実験隊に所属したり、訓練支援や救援に従事したりするなど、各種支援任務に就いたものである。参考:月刊世界の艦船1,951,79増刊、1,11

特務船56号型>:海上自衛隊特務船。掃海艇を1972年度計画で特務船に変更したものである。全長38m、全幅6.8m、深さ3.7m、吃水2.1m、排水量230-240トン。機関出力1200馬力、速力14ノット。MSC-601あただがYAS-56MSC-603やしろがYAS-58に艦種変更された。参考:自衛隊装備カタログ1981

特務船62号型>:海上自衛隊特務船。掃海艇を1973-78年度計画で特務船に変更したもので、艦尾のデリックを残して掃海具などを撤去してある。全長46m、全幅8.4m、深さ3.9m、吃水2.3m、排水量330-340トン。主機出力1200馬力、速力13ノット。MSC-605しさか、MSC-615こしき、MSC-607さきと、MSC-606かなわ、MSC-611つくみ、MSC-612みくら、MSC-613しきね、MSC-616ほたか、MSC-617からとがYAS62-68YAS70-71に艦種変更された。参考:自衛隊装備カタログ1981

特務船69号型>:海上自衛隊特務船。敷設艇を水中処分隊母艦に改造したもので、武装の一部を外してゴムボートを搭載している。全長66m、全幅7.9m、深さ4.6m、吃水2.6m、排水量630トン。機関出力2500馬力、速力18ノット。AMC-491えりもがYAS-69に艦種変更された。参考:自衛隊装備カタログ1981

特務太郎>:日本海軍用語で特務士官の通称。参考:帝国陸海軍事典

特務艇(海上自衛隊)>:海上自衛隊の艦種。1950331日、自衛艦の種別として定められた。19568月、ASS(特務輸送艇)、ASTASR(特務救難艇)、ASH(高速型、消防型)の艦種記号が付与され、195791日に公式制定された。195791日、ASMの艦種記号が制定された。1960101日、区分・自衛艦-大分類・特務艦-中分類・特務艦艇の下の種別となった。艦種記号はASTATR(同日ASRから改称。特務救難艇)、ASHASMLSSL(同日警備艇から類別変更。警備艇改造ドローン母艇)である。1968316日、ASTLSSLの艦種記号が廃止された。1973423日、ATRの艦種記号が廃止された。1977418日、ASU(救難・訓練支援型)の艦種記号が制定された。101日、ASY(迎賓艇)の艦種記号が制定された。1978320日、ASMの艦種記号が廃止された。1990328日、ASHの艦種記号が廃止された。参考:月刊世界の艦船11,'17増刊

特務艇(日本海軍)>:日本海軍の艦種。大正941日の艦船令改訂で、特務艦艇の下の種別として誕生した。それまで雑役船だった敷設艇、掃海艇、潜水艦母艇を、敷設艇/敷設特務艇、掃海艇/掃海特務艇、潜水艦母艇として類別に組み込んでいる。昭和4年、捕獲網艇が敷設艇に統合された。その後哨戒特務艇、駆潜特務艇、電纜敷設艇、魚雷艇、海防艇(昭和206月制定)が追加された。昭和192月、敷設艇が種別として独立した。太平洋戦争終結時には敷設特務艇、哨戒特務艇、駆潜特務艇、掃海特務艇、海防艇、電纜敷設艇、魚雷艇があった。参考:月刊世界の艦船9,13増刊、月刊モデルアート9,'15増刊、小艦艇入門、月刊丸3,14、帝国陸海軍事典

<特務艇81号>:ASU-81を参照。

特務艇81号型>:海上自衛隊特務艇。元は特務船YASだったが、19774月に艦種変更された。訓練支援と救難を任務とし、KD2R-5改低速標的機6機、放水銃2基、魚雷揚収設備、デリッククレーン、救難用曳航装置などを搭載している。船体構造はJG鋼船規則に基づいており、艤装品には一般舶用品を多用した。船型は角型の船首楼型で、後部甲板には回収したHSS-2を収容することが可能だが、現実的には無理があるため、当初搭載していた5トンデリックブーム2本を最終艦では2トン油圧クレーンに換装した。全長52m、全幅10m、深さ5.2m、吃水2.5m、基準排水量490トン(81号は480トン、85号は500トン)、満載排水量575トン。主機は赤坂鉄工製6UHS27/42型ディーゼル2基2軸1600馬力、速力14ノット。乗員35名(84号は25名、85号は26名)。ASU-81特務艇81号、ASU-82特務艇82号、ASU-83特務艇83号、ASU-84特務艇84号、ASU-85特務艇85号が1968-73年に就役し、1997-2002年に除籍された。参考:海上自衛隊全艦艇史、自衛隊装備年鑑1996、月刊世界の艦船11,'17増刊、1,95、月刊JWings1,99、自衛隊装備カタログ1981

<特務艇82号>:ASU-82を参照。

<特務艇83号>:ASU-83を参照。

<特務艇84号>:ASU-84を参照。

<特務艇85号>:ASU-85を参照。

特命検閲>:日本海軍の検閲。勅命を受けた将官が特命検閲使となり、軍務全般の状況を検査・閲視するものである。参考:月刊世界の艦船9,23

トクメン軍飛行場強襲>:ジャスト・コーズ作戦において第75レンジャー連隊レッド支隊タンゴに所属する第1大隊(3個中隊)が行った作戦。パナマ東(作戦地域コンドル)にあるトクメン軍飛行場(トリホス国際空港に隣接)に対し、198912200059AC-130AH-6による準備攻撃を開始、飛行場北側の第2小銃中隊兵舎(目標ピッグ)と管制塔、保安部詰め所を制圧。0103C-141B輸送機7機から高度152mでパラシュート降下を開始、30分で全員が降下した。0155C-141B輸送機5機がジープ12両、HMMWV2両、バイク12台を投下。0210までに飛行場を制圧した。この時ノリエガ将軍は隙を突いて空港から車で逃走した。参考:月刊軍事研究11,03

トクメン軍飛行場降下作戦>:ジャスト・コーズ作戦で第82空挺師団が行った空挺降下。トクメン軍飛行場がほぼ制圧されたのを受けて12200158に開始された。まず31機のC-141Bにより0205までに高度152mから(405mという説もある)M551シェリダン10両、HMMWV74両、105mm榴弾砲4門、コンテナ貨物60個などが投下され、0210、高度370mから空挺兵2179名の降下が始まった。この時、シェリダン2両が損傷して使えなくなった。降下終了した同師団はそのままヘリボーン強襲と地上機動部隊(シェリダン装備)として駆り出され、パナマ国防軍基地のあるフォート・シマロン、ティナジタス、パナマ・ヴィエジョの3カ所を制圧した。参考:月刊軍事研究11,03

徳山要港>:日本海軍の要港。海軍燃料廠の管理下に昭和134月に開設された燃料補給港である。参考:月刊世界の艦船9,13増刊

<徳陽>:554(コルベット)またはDDG925(駆逐艦)を参照。

<ド・グラース>:F612(駆逐艦)を参照。

ド・グラース>:フランス海軍ド・グラース級軽巡洋艦De Grasse193811月(19398月?)に起工されたが、28%完工だった1940622日にドイツ軍に鹵獲された。その後はドイツ軍の手で工事が進められ、一時は補助空母Ⅱへの改造案も出たが中止され、更にサボタージュで完成が遅らされ、ロリアン解放と共にフランス海軍の手に戻って1946年に進水、19569月に竣工した。1966年、太平洋核実験センター参加部隊指揮艦に改装され、艦橋と後部甲板室を拡大し、12.7cm連装砲6基を残して砲熕兵装を撤去、艦後部に背の高い通信用マストを立てた。1973年に除籍され、1976年に解体された。参考:月刊丸3,14、近代巡洋艦史、第2次大戦のフランス軍艦

ド・グラース級>:フランス海軍軽巡洋艦De Grasse級。ラ・ガリソニエール級の拡大改良型として1937-38年度計画で設計された。船型は船首楼型で、防御力・速力を増大させ、航空艤装も強化してある。煙突は1本。1937年度に1番艦ド・グラース、38年度に2隻(シャトー・ルノー、ギッシェン)が建造予定だったが、1番艦を建造中にフランスが降伏。2・3番艦の建造は中止となり、1番艦の建造は続行されたがサボタージュで終戦までに完成しなかった。計画時の諸元は以下の通り。全長176.3m、幅18.0m、吃水5.5m、基準排水量8000トン。主機は蒸気タービンで、出力110000馬力、2軸推進、速力33ノット。兵装は15.2cm3連装砲3基、9cm連装高角砲3基、55cm3連装魚雷発射管2基。航空機4機を搭載する。乗員580名。ド・グラースは結局1946年になって進水、大幅な設計変更を加えて1956年に対空巡洋艦として竣工した。竣工時の諸元は以下の通り。全長188.1m、幅18.6m、吃水5.5m、基準排水量9380トン。主機は蒸気タービンで、出力105000馬力、2軸推進、速力33.5ノット。兵装は12.7cm連装両用砲8基(3-6番砲は両舷配置)、5.7cm連装砲10基(1・10番砲が中心線上、2-9番砲は4門ずつ両舷配置)。乗員966名。参考:近代巡洋艦史、第2次大戦のフランス軍艦

独立撃ち方>:砲術長が号令をかけると各砲塔・各砲が指定された目標にそれぞれ独自に発砲を行うもの。日本海軍では日露戦争までこの方法をとっていたが、弾着観測がしにくいという欠点があったため、一斉撃ち方に替わった。参考:月刊丸10,93

独立懸架式サスペンション>:各車輪の動きを独立して緩衝するサスペンション。車輪の接地性が良く、防振方法も融通が利くので性能が良いが、部品が多くコストがかさみ、スペースが取られ、タイヤの摩耗が大きい。トレーリングアーム式、ストラット式、ダブル・ウィッシュボーン式、マルチリンク式などがある。参考:自動車のサスペンション、クルマのすべてがわかる事典

独立工兵(丁)連隊>:日本陸軍の工兵連隊。水陸両用作戦支援を主任務とし、上陸用舟艇の揚収や運航、将兵や装備の移乗や卸下などを担当する。5個中隊に上陸用舟艇計50隻を配備しており、1往復で2個大隊2000名を上陸させることが可能。初めて編成されたのは昭和127月に広島で創設された独立工兵第6連隊。その後も主に広島県や山口県で新編され、上陸作戦師団に指定されていた広島の第5師団と協同作戦を行っている。昭和17年、船舶工兵連隊に改編された。参考:月刊軍事研究9,16

独立工兵(戊)連隊>:日本陸軍の工兵連隊で、九五式折畳機舟により渡河作戦を行うのが主任務である。連隊本部、4個工兵中隊、材料中隊を隷下に置き、1個工兵中隊は4個工兵小隊、材料中隊は2個材料小隊からなる。工兵小隊は九五式折畳舟70隻、九五式軽操舟機70基、九五式門橋材料10組、自動車20両などを装備する。参考:工兵入門

独立混成第1旅団(日本陸軍)>:昭和9年、日本陸軍初の機械化部隊として満州の公主嶺で創設された。旅団司令部、独立歩兵第1連隊(本部、3個歩兵大隊、3個歩兵中隊、機関銃中隊、歩兵砲中隊、速射砲中隊、軽装甲車中隊からなる。九二式重機関銃8丁、九二式歩兵砲4門、37mm対戦車砲6門、九四式軽装甲車17両)、戦車第3大隊(本部、2個戦車中隊、材料廠からなる。八九式戦車26両、九四式軽装甲車14両)、戦車第4大隊(本部、3個戦車中隊、軽装甲車中隊、装甲自動車中隊、材料廠からなる。八九式戦車45両、九四式軽装甲車41両、九二式装甲自動車17両)、独立野砲第1大隊(本部、3個野砲中隊からなる。九〇式野砲12門)、独立工兵第1中隊(装甲作業機)から構成され、歩兵は原則として6輪トラックで輸送される。定数4750名、車両定数744両。日華事変では酒井兵団という名称で戦闘に参加、チャハル派遣兵団に加わってチャハル省への攻撃を実施したが、部隊運用法を巡って酒井中将と関東軍参謀東郷英機中将が対立し、それが遠因なのか作戦終了後の昭和133月に酒井中将は更迭された。後任には安岡中将が任命されたが、9月末に解隊された。昭和19年後半、北支那方面軍の隷下にあった。参考:日本の戦車と装甲車両、月刊戦車マガジン11,92、比島決戦

独立混成第2旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、駐蒙軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第3旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第1軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第4旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和185月、第62師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立混成第5旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、北支那方面軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第6旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和185月、第62師団及び第63師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立混成第7旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和197月、第115師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立混成第8旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、北支那方面軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第9旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、北支那方面軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第10旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和172月、第59師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立混成第11旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和174月、第60師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立混成第12旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和185月、第64師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立混成第13旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和185月、第65師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立混成第14旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和174月、第68師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立混成第15旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和185月、第63師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立混成第16旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和174月、第69師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立混成第18旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和172月、第59師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立混成第19旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第23軍の隷下にあった。昭和204月、第129師団に改編された。参考:比島決戦、帝国陸海軍事典

独立混成第20旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第23軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第23旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第23軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第27旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第16軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第28旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第16軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第29旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第39軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第30旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和196月、第100師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立混成第31旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和196月、第101師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立混成第32旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和196月、第102師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立混成第33旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和196月、第105師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立混成第38旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第17軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第39旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第8方面軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第40旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第8方面軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第43旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第27軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第44旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19629日、沖縄に向かう途中で乗船していた輸送船富山丸が沈められて壊滅した。昭和19年後半、第32軍の隷下にあった。昭和2041日から沖縄戦に参加。参考:比島決戦、歴史群像8,17

独立混成第45旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19629日、沖縄に向かう途中で乗船していた輸送船富山丸が沈められて壊滅した。昭和19年後半、第32軍の隷下にあった。昭和2041日から沖縄戦に参加。参考:比島決戦、歴史群像8,17

独立混成第47旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第31軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第48旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第31軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第51旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第31軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第52旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第31軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第54旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第35軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第55旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19728日、第14方面軍の隷下に入った。参考:太平洋海戦史、比島決戦

独立混成第56旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第37軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第57旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第2方面軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第58旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19728日、第14方面軍の隷下に入った。参考:太平洋海戦史、比島決戦

独立混成第59旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第32軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第60旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第32軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第61旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19728日、第14方面軍の隷下に入った。参考:太平洋海戦史、比島決戦

独立混成第62旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第13軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第64旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第32軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第69旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第27軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第71旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第37軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第73旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第4軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成第95旅団>:日本陸軍の独立混成旅団。昭和19年後半、第29軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立混成旅団>:日本陸軍の旅団で、独立大隊2個以上から編成される。昭和11年の帝国国防方針改定で師団を4単位制から3単位制に改編した際、余った歩兵旅団司令部と1個歩兵連隊を基幹として編成したのが始まりである。後に独立歩兵大隊3-5個、野山砲1個大隊、工兵隊、通信隊により新編されるようになった。軍の直轄だが、実戦では師団に配属されることが多く、輜重隊が無いので軍や師団から補給を受けて作戦に参加した。参考:月刊PANZER6,13、帝国陸海軍事典

独立自走砲大隊(日本陸軍)>日本陸軍の自走砲部隊で、:昭和1911月に編成された。戦車第4師団の自走砲中隊3個に野戦砲兵学校の1個中隊を加えたもので、一式七糎半自走砲4門を装備する中隊2個と、一式十糎自走砲4門を装備する中隊2個からなる。兵力313名。118日に千葉を出発し、1110日に佐世保に到着、上陸艇に分乗してフィリピンに向かった。しかし1125日、マニラを目前にして空襲を受け、バターン半島沖で輸送艇が戦没、装備を全て失って解隊された。昭和20年には本土決戦用に独立自走砲中隊3個からなる大隊を10個整備する計画を立てたが、5個が編成されたところで終戦となった。参考:機甲入門、大砲入門

独立自走砲中隊(日本陸軍)>:日本陸軍の自走砲部隊で、昭和19128日に編成された。人員200名と四式十五糎自走砲3門からなる。昭和2011日の払暁にリンガエン湾に上陸したが、空襲にあって自走砲1門が破壊された。12日、マニラに向かったが、隷下に入る筈の山下将軍が転進していたため江口支隊柳本大隊の指揮下に入り、クラークマルコット飛行場の防衛及びクラークフィールド飛行場への火力支援を行うこととなった。120日、クラークマルコット飛行場に到着。126日頃からアメリカ軍との戦闘に入った。129日、1両が重機関銃の射撃により炎上。数日後にはもう1両も弾薬を使い果たして乗員の手により爆破され、残存兵力はピナツボ山に籠もった。参考:機甲入門、大砲入門

独立重砲兵大隊(日本陸軍、昭和16年度動員計画訓令)>:2個中隊で編成され、八九式十五糎加農なら8門、七年式三十糎榴弾砲なら4門を装備する。自動車化されており、牽引車、自動貨車、観測用貨車、特殊重砲運搬車、修理自動車なども配備されている。参考:大砲入門

独立重砲兵旅団(ソ連陸軍、1989年)>:203mm自走砲12両を装備する大隊4個からなる。一部に240mm自走迫撃砲装備の部隊もある。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

独立戦車第1旅団>:日本陸軍の独立戦車旅団。昭和19年後半、第1方面軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立戦車駆逐大隊(4.7cm(t)PaK搭載Ⅰ号戦車装備)>:ドイツで194042日に制定されたKStN.1148に基づいて編成された大隊で、軍団直轄である。4.7cmtPaK搭載Ⅰ号戦車を3両装備する小隊3個からなる中隊3個から編成される。各中隊には弾薬運搬用のSd.Kfz.10が配備され、各小隊には連絡用オートバイ3両(うち1両はサイドカー付きの小隊長用)が配属された。参考:月刊グランドパワー9,03

独立戦車旅団(日本陸軍)>:旅団司令部、戦車第1連隊、戦車第2連隊、旅団機関砲隊、旅団整備隊、旅団輜重隊を隷下に置く。戦車連隊は連隊本部(九七式中戦車改3両、九五式軽戦車1両)、中戦車中隊(九七式中戦車改10両、九五式軽戦車2両)2個、三式戦車中隊(三式砲戦車10両、九五式軽戦車2両)2個、自走砲中隊(10cm自走砲6両)、作業中隊(九五式軽戦車1両)、整備中隊(九七式中戦車改2両、九五式軽戦車1両)からなる。兵力3580名で、九五式軽戦車29両、九七式中戦車改56両、三式砲戦車40両、10cm自走砲12両、装甲兵員輸送車26両、火炎放射器4基、トラック120両、自動車19両を装備する。参考:月刊PANZER6,13

独立飛行第1中隊>:日本陸軍のあきつ丸搭載艦上哨戒機部隊で、昭和19725日に設立された。使用機は三式指揮連絡機8機で、パイロット10名、偵察員10名、整備員数十名からなる。特別操縦見習士官対潜要員学生20名(一般学生1名、関東/関西学生航空連盟所属学生19名)は昭和192月末から下志津陸軍飛行学校銚子分教所で訓練を開始し、飛行場にあきつ丸の甲板と同じラインを引いて離着陸を繰り返した。この際、着艦制動索で拘束された直後に強い向かい風のため機体が浮き上がり、そのまま制動器上に落下して機体と制動器具を破損する事故が起こり、そのパイロットは不適格として特攻隊に回された。昭和196月頃に加古川基地に移動して実際にあきつ丸を使用しての訓練を実施、725日の創隊と共に広島の吉島飛行場に移動して大竹潜水学校と合同での潜水艦発見訓練などを行った。730日、あきつ丸に乗船して演習航海を実施。この時同じ飛行場にいたカ号オートジャイロ部隊はあきつ丸には乗らず、後に長崎の壱岐に向かったという。87日から関釜航路の対潜哨戒を実施。1110日、あきつ丸から降りて吉島飛行場に帰投した。参考:月刊丸2,08

独立飛行第3中隊>:日本陸軍の独立飛行中隊。昭和71月に第1次上海事件が発生したのに伴い新編された。甲式四型戦闘機を装備し、早速上海に展開した。2月下旬、明野飛行学校から派遣された九一式戦闘機4機が配備された。416日、九一式戦闘機1機が訓練中に墜落した。5月末、明野飛行学校から派遣された九一式戦闘機が本土に帰還した。参考:月刊航空ファン8,18

独立飛行第9中隊>:日本陸軍の独立飛行中隊。昭和127月、日華事変勃発に伴い、飛行第6連隊に動員令が下り、隷下に編成された。隷下に九五式戦闘機1個中隊12機を置いた。724日、奉天に到着。825日、南苑に進出、北京防空にあたり、その後は各地で地上作戦に参加した。昭和13年も各地を転々として航空作戦に参加したが、空戦の機会は無かった。昭和1381日、飛行第64戦隊に改編された。参考:日本陸軍戦闘機隊

独立飛行第10中隊>:日本陸軍の独立飛行中隊。昭和69月、満州事変勃発に伴い飛行第6連隊隷下に編成され、満州で地上直協作戦を行った。76日、飛行第11大隊第4中隊に改称された。昭和12913日、日華事変勃発に伴い913日に飛行第8連隊を基幹として台湾で編成された。九五式戦闘機を配備する戦闘機部隊で、第3飛行団隷下となり、918日に上海の王浜飛行場に進出。1025日、日本軍初の夜間撃墜を記録。117日、竜華飛行場に展開して南京攻略戦に参加。南京攻略後は杭州に移動。昭和133月、南京に移動。7月から九七式戦闘機への改変を実施。10月、漢口に進出。12月、航空兵団隷下となり、太原に移動。昭和142月、運城に前進して蘭州攻撃の護衛に就いた。9月、第3飛行集団第1飛行団隷下となった。昭和15518日から第3飛行集団隷下で百一号作戦に参加。昭和163月、上海の大場鎮飛行場に移動。5月、山西省に移動。昭和161121日、太原を出発。1130日、広東に到着。128日から香港攻略戦に参加。昭和1717日、第23軍司令官から感状を授与された。2月末、広東を出発。3月中旬、漢口に移動。8月、中国戦線に復帰。5-6月、明野で一式戦闘機に機種改変。6月末、広東に移動。1021日、改編で飛行第25戦隊に昇格した。参考:日本陸軍戦闘機隊、月刊航空ファン1,18

独立飛行第16中隊>:日本陸軍の独立飛行中隊。昭和15518日から第3飛行集団隷下で百一号作戦に参加。参考:月刊航空ファン1,18

独立飛行第23中隊>:日本陸軍の独立飛行中隊。昭和191010日、台湾沖航空戦で三式戦闘機8ないし10機が出撃したが、全機撃墜された。参考:月刊丸1,'17別冊

独立飛行第24中隊>:日本陸軍の独立飛行中隊。昭和19229日、パレンバンの飛行第54戦隊第1中隊が分離して誕生した。1029日、フィリピン作戦に参加するため、15機でマナ基地を出発。1030日、ファブリカに到着。111日、空襲を受けて8機を地上撃破された。112日、2機でオルモックの船団護衛を行い、2機を撃墜したが、1機を失った。1110日から輸送援護、特攻援護、マニラ迎撃戦に従事。127日、パイロットが3名となり、1225日に原所属復帰命令を受け、昭和201月にスマトラのガラン飛行場に戻った。四式戦闘機に機種改変し、昭和207月上旬に台湾の宜蘭飛行場に移動。沖縄に夜間タ弾攻撃を1度行った後、終戦を迎えた。参考:日本陸軍戦闘機隊

独立飛行第25中隊>:日本陸軍の独立飛行中隊。昭和18914日、孫家で編成された臨時戦闘中隊が昭和19825日に改編されて誕生した。装備機は二式単戦である。101日、遼陽に移動、二式複座戦闘機に機種改変し、B-29迎撃に出動した。12月以降、B-29の来襲が無くなったため、飛行第104戦隊と共に対ソ戦に備えた。89日以降ソ連に反撃を行い、終戦後は奉天に残留、中国の内戦に巻き込まれつつ、昭和217月に復員した。参考:日本陸軍戦闘機隊

独立飛行第47中隊>:日本陸軍の独立飛行中隊。昭和1611月、南方におけるスピットファイアに対抗すべく、立川航空審査部でテスト中の二式単座戦闘機9機により臨時編成された。新撰組、かわせみ部隊と通称されている。南方軍の直轄となり、123日に立川を出発、129日にサイゴンに到着した。その後バンコクに移動し、1225日、ラングーン爆撃から帰投した攻撃隊を援護した。1227日、サイゴンに帰投。昭和1715日、クアンタンに前進、シンガポール作戦に参加。1月末、可動機が1機に減ったため、九七式戦闘機3機を供給され、パイロットの半数が内地に帰還して航空機を受領した。29日、第5飛行集団隷下となった。219日、3機でバンコクに移動。その後モールメンに進出し、225日にラングーン攻撃で2機を撃墜した。その後第12飛行団に編入され、3月にレグ飛行場を経てトングーに前進。421日、日本本土奇襲攻撃を受けて内地に帰還することになり、5月初めに第1航空軍隷下として柏飛行場に帰還。その後第17飛行団に編入され、二式単座戦闘機で訓練に励んだ。昭和183月、調布飛行場に移動。103日、飛行第47戦隊に改編された。参考:日本陸軍戦闘機隊、月刊航空ファン11,15

独立飛行第70中隊>:日本陸軍の独立飛行中隊。昭和1710月、オーストラリアの偵察を開始。昭和18817日、一〇〇式司偵3機でラウテン飛行場を離陸し、ダーウィンの偵察に向かったが、スピットファイアの迎撃を受けて全機未帰還となった。参考:朝雲

独立飛行第81中隊>:日本陸軍の独立飛行中隊。昭和19年秋、偵察隊から高々度戦闘機隊に改編されることになり、独立第15飛行団隷下となった。鞍山に移動後、一〇〇式司偵Ⅲ型10機を受領してタ弾による攻撃法を訓練。127日に初出撃したが、戦果は無かった。1221日、体当たりでB-29を撃墜した。その後はB-29の来襲が無くなったため、新京に移動し、ソ連侵攻後は偵察隊として任務に就いた。参考:日本陸軍戦闘機隊

<独立飛行第84中隊>:日本陸軍の独立飛行中隊。昭和1471日、飛行第64戦隊の人員を基幹として編成された九七式戦闘機中隊で、第21独立飛行隊隷下となり、中国戦線南部で任務に就いた。昭和1411月から昭和15年初めまで南寧攻略戦に参加。昭和159月、北部仏印進駐作戦に参加。10月上旬、ハノイのジャラム飛行場に展開。昭和167月、南部仏印進駐作戦に参加。昭和161220日、昆明攻撃に参加。昭和171月上旬から福生で二式複座戦闘機への改変を実施。2月末、ハノイに復帰。49日から710日まで一部がマニラ郊外のサブラ飛行場に展開し、フィリピン攻略に参加。4月下旬から620日まで、主力は広東に展開。その後は両者ともハノイに帰還した。1015日、飛行第21戦隊に改編された。参考:日本陸軍戦闘機隊

独立歩兵第1旅団>:日本陸軍の独立歩兵旅団。昭和19年後半、北支那方面軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立歩兵第2旅団>:日本陸軍の独立歩兵旅団。昭和19年後半、北支那方面軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立歩兵第3旅団>:日本陸軍の独立歩兵旅団。昭和197月、第114師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立歩兵第4旅団>:日本陸軍の独立歩兵旅団。昭和197月、第117師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立歩兵第5旅団>:日本陸軍の独立歩兵旅団。昭和19年後半、第23軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立歩兵第6旅団>:日本陸軍の独立歩兵旅団。昭和19年後半、第13軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立歩兵第7旅団>:日本陸軍の独立歩兵旅団。昭和19年後半、第23軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立歩兵第9旅団>:日本陸軍の独立歩兵旅団。昭和197月、第118師団に改編された。参考:帝国陸海軍事典

独立歩兵第10旅団>:日本陸軍の独立歩兵旅団。昭和19年後半、第1軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立歩兵第11旅団>:日本陸軍の独立歩兵旅団。昭和19年後半、第23軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立歩兵第12旅団>:日本陸軍の独立歩兵旅団。昭和19年後半、第23軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立歩兵第14旅団>:日本陸軍の独立歩兵旅団。昭和19年後半、第1軍の隷下にあった。参考:比島決戦

独立野戦砲兵旅団(アメリカ陸軍、2016年)>:軍団以上の部隊の隷下にあり、必要に応じて師団砲兵や旅団戦闘団に配属される。実戦部隊は在韓米陸軍第8軍第2歩兵師団第210野戦砲兵旅団(MLRS大隊2個。韓国キャンプ・ケーシー)、第3軍団第75野戦砲兵旅団(MLRS大隊2個。オクラホマ州フォート・シル)、第1軍団第17野戦砲兵旅団(HIMARS大隊2個。ワシントン州ルイス・マッコード統合基地)、第18空挺軍団第18野戦砲兵旅団(HIMARS大隊2個。ノースカロライナ州フォート・ブラッグ)。砲兵学校隷下の訓練部隊は第428野戦砲兵旅団(大隊3個)と第434野戦砲兵旅団(大隊4個)。陸軍州兵には第45野戦砲兵旅団(HIMARS大隊2個、M777大隊1個。オクラホマ州)、第65野戦砲兵旅団(HIMARS大隊1個、M109大隊4個。ユタ州)、第115野戦砲兵旅団(MLRS大隊1個、HIMARS大隊2個、M777大隊1個。ワイオミング州)、第130野戦砲兵旅団(HIMARS大隊1個、M109大隊1個、カンザス州)、第138野戦砲兵旅団(HIMARS大隊2個、M109大隊1個、M777大隊1個。ケンタッキー州)、第142野戦砲兵旅団(MLRS大隊1個、HIMARS大隊1個、M109大隊1個、M777大隊1個)、第169野戦砲兵旅団(HIMARS大隊1個、M777大隊1個。コロラド州)、第197野戦砲兵旅団1個(HIMARS大隊2個、M109大隊1個、M777大隊2個。ニューハンプシャー州)が編成されている。参考:月刊軍事研究6,17

<トグリル>:D-167(駆逐艦)を参照。

<トグル・ジョイント>:トグル・ロックを参照。

トグル・ロック>:別名、尺取り虫機構。ルガーP08などに採用されている自動機構である。参考:GUN用語事典

特呂二号>:日本軍のロケットで、秋水に搭載された。触媒入りの蒸気発生器に甲液(80%過酸化水素水溶液)を入れると水蒸気と酸素に分かれるので、水蒸気をタービンに送って乙液ポンプを作動させる。すると乙液(ヒドラジンとメタノールの水溶液)が酸素と共に分配弁に送られ、12本の噴出口から3段階に分かれて燃焼室に噴射され、点火されて推進力を生じる。スロットルは海軍式で、手前から奥に向かって停止、起動、一段階、二段階、三段階となっている。燃料消費量は三段階で甲液が毎秒6kg、乙液が毎秒2kg。参考:月刊丸8,95

<時計式時限信管>:信管を参照。

登舷礼>:海軍礼式の1つ。甲板員が総出で上甲板舷側に並び、武器を持たずに挙手の礼を行うもので、敵意が無いことを示す。登桁礼を行えるようなヤードの無い汽船時代に入って実施されるようになった。参考:月刊世界の艦船8,11増刊、9,13増刊

<ト号>:四式重爆撃機ファミリーまたは神風特別攻撃を参照。

ト号作戦>:太平洋戦争で日本軍が実施した一号作戦の湘桂作戦。本来は湘桂周辺の鉄道沿線を確保して敵航空基地を制圧する作戦だったが、大本営陸軍部の作戦計画に敵野戦軍撃破と道路確保が加わった結果、昭和19310日に支那派遣軍総司令部が策定した一号作戦計画では、6月初めに第11軍が岳州南方から敵第9戦区軍を撃滅し、速やかに南下して長沙付近に進出、そのまま更に南下して7月中旬頃に衡陽を攻略し、その際西側側面から攻撃してくるであろう敵第6戦区軍も撃破、残敵掃討に移り、7月末に第23軍が西江から攻勢を掛け、5ヶ月間で北部粤漢鉄道沿線・湘桂鉄道及び西江沿線・南部粤漢鉄道沿線の要域を制圧、昭和201-2月頃に第23軍で南寧を攻略して桂林から仏印諒山に至る道路も確保する予定となった。しかし、支那派遣軍総司令部による一号作戦計画策定直前の昭和1937日に第11軍が策定した作戦計画では、主力を揚子江北岸に集結させて洞庭湖西の常徳に向かうよう見せかけ、実際にはもっと東で揚子江を渡河して洞庭湖の東側を一気に南下し長沙を占領、正面の第9戦区軍を撃滅し、次いで有力な兵団により西にいる第6戦区軍を撃破、その後に衡陽の攻略作戦準備に入るとしていたため、支那派遣軍では長沙に続いて衡陽を一気に陥れ、その後に桂林や柳州の攻略も行うよう作戦計画の修正を要求。315日、第11軍が参謀長会同を開催。作戦計画が以前のままだったため、出席していた支那派遣軍高級参謀が修正を求めたが、兵力不足などを理由に応じず隷下部隊にそのまま作戦準備を指示したため、323日に支那派遣軍は第11軍高級参謀を更迭し、第1方面軍高級参謀(昭和188月まで第11軍高級参謀だった)を着任させた。参謀本部作戦課長からは敵航空基地覆滅を最優先とするよう指示されたが、新任第11軍高級参謀は重慶軍主力の撃滅を主眼として作戦を立案。洞庭湖東北東の崇陽付近に第3師団、第13師団、第27師団、第34師団、洞庭湖北東岸の岳州に第68師団と第116師団、洞庭湖北の監利に第58師団、その南西に第40師団を置き、第40師団の西側には第116師団歩兵第109連隊主力、独立混成第17旅団2個大隊、独立歩兵第5旅団3個大隊などを配置して側面をカバーし、第3師団と第13師団は南下して第9戦区軍を、第40師団は洞庭湖を渡河して第6戦区軍を撃破、第34師団は揚子江南岸沿いに進んで岳州から南下し長沙西の岳麓山を制圧、第58師団が長沙を占領し、一部の兵力を更に南下させて衡陽を奇襲制圧、慌てて衡陽に向かい反撃を試みる敵を南下した主力で撃滅することにした。長距離の兵站を支えるため、岳州から衡陽と、崇陽から瀏陽にトラック道を1本ずつ作り、洞庭湖から衡陽に達する湘江に水路による兵站路も確保する計画を立てている。417日に第11軍は作戦計画の策定を終え、422日に支那派遣軍総司令部で説明を行い、423日には第5航空軍司令部で作戦協定を結んだ。59日にコ号作戦で華北と華中を連絡させたのを受け、527日からト号作戦を開始。隷下部隊は予定通り南下したが、重慶軍が抵抗せず後退していったため、進撃スピードは速かったものの敵戦力の撃滅は進まなかった。610日、第3師団が瀏陽前面の陣地に攻撃を開始。第40師団が洞庭湖南方の益陽を占領。612日、第116師団が長沙の東で瀏陽河を渡河し、長沙の南50kmに進出。616日、第34師団が岳麓山に攻撃を開始。第58師団が長沙市街に攻撃を開始。618日、第3師団が瀏陽市街北端に到達し、第13師団が瀏陽の南、第68師団が瀏陽の西にある官荘に展開して瀏陽を包囲した。第68師団は更に衡陽へと進撃を開始している。第34師団が岳麓山頂を占領。第58師団が長沙城を占領。重慶軍は後退を続け戦力を保っていた第9戦区軍の第24集団軍第73・第79・第99・第100軍と第4軍残存部隊を衡陽の死守に回すと共に、一部(第26・第58・第72軍)で日本軍東側面、第6戦区軍で日本軍西側側面を攻撃することにした。620日、第116師団が衡陽に向け進撃を開始。一部は衡陽の南西に回り込んで湘桂鉄道路を制圧し、衡陽への増援をブロックすることになった。第3師団、第13師団、第27師団、第40師団は長沙・瀏陽周辺の残敵掃討にあたっている。622日、第3師団が瀏陽南東方で第9戦区軍と交戦し、遺棄死体3300・捕虜450の戦果を得た。623日、第11軍が第13師団に対し、衡陽南方50kmにある來陽に兵力の一部を急派して衡陽に繋がる粤漢鉄道路を制圧し、続いて主力で來陽を占領するよう命じた。626日、第68師団松山支隊が衡陽の東郊外にある飛行場を占領。627日、第68師団主力が衡陽市街の南、同師団志摩支隊(歩兵大隊3個主力)が北西、第116師団主力が南西に展開。628日、第68師団と第116師団が衡陽への攻撃を開始したが、重慶軍が陣地に立て籠もって激しく抵抗し、第68師団には砲兵連隊が無く、第116師団は弾薬を運ぶ馬が到着せず、火力不足で戦況が進展しなかった。第68師団戦闘指揮所は迫撃砲による反撃を喰らって師団長や参謀長などが負傷している。71日、第116師団歩兵第133連隊が衡陽の重慶軍主陣地であるクロ高地に攻撃を仕掛けたが、大量の手榴弾を浴びせられて失敗した。72日、第116師団歩兵第133連隊がクロ高地を奪取したが、弾薬不足が深刻で、第11軍は衡陽への攻撃を一旦停止し、補給を行うことにした。代わりに第11軍は第3師団に対し、衡陽東側を南下して重慶軍を撃滅しつつ、衡陽東南東の安仁から更に南方へと進出するよう下命している。第13師団歩兵第116連隊が來陽の南で粤漢鉄道路に達し、遮断に成功した。73日、第40師団が衡陽北北西の永豊を占領した。74日、長沙までの急造自動車道がほぼ完成。76日、第13師団主力が來陽に到達したが、重慶軍第26軍など敵部隊の捕捉に失敗した。自動車兵站部隊1200両が洞庭湖東の新市から長沙に向かった。78日、第40師団の一部が永豊の南40kmにある衡陽北西の金蘭寺を無血占領。79日、第27師団が瀏陽南方に進出し、重慶軍第58軍を追撃すべく東に転じた。第11軍が第40師団に衡陽への進出を下命。独立輜重兵第4連隊が衡陽付近に到着。710日、支那派遣軍高級参謀辻政信大佐が湘江を遡らせた補給船3隻のうち、洞庭湖でのアメリカ軍機による爆撃から生き残った宣揚丸が長沙の南の湘潭に到達して弾薬などの揚陸を開始したが、アメリカ軍機の空襲を受けて揚陸した物資ごと破壊されてしまった。711日、衡陽に独立野砲兵第12連隊や迫撃第15・第16大隊などが到着し、第58師団隷下から第116師団指揮下に移った。第68師団は負傷した司令部要員の交替を終え、第116師団と共に衡陽への攻撃を再開。712日、第11軍が第40師団に対し、衡陽の南西30kmにある白鶴舗に進出して周辺の重慶軍を攻撃するよう命じた。717日、第11軍が衡陽東側面の重慶軍殲滅を目指し、予備の第34師団を第27師団と協同させて重慶軍第58・第72軍を攻撃すると共に、第13師団の一部を第3師団の一部に協同させて重慶軍第37軍を撃破し、その後第3師団主力との協同で重慶軍第20軍・第44軍を撃滅させる方針を決めた。自動車兵站部隊が長沙に到着。719日、第116師団志摩支隊が衡陽の西に向かい、第40師団と共に周辺重慶軍の攻撃に入った。722日、衡陽では周辺の高地を確保して包囲環を狭めたものの、弾薬不足と重慶軍の頑強な抵抗で攻勢が進展せず、第11軍が攻撃中止命令を出した。衡陽東側に展開する第3師団が茶陵東の重慶軍に攻撃を開始。724日、第27師団と第34師団が重慶軍第58軍に攻撃を開始。第13師団歩兵第104連隊が來陽から茶陵に向け北上し、茶陵北にいる重慶軍部隊の背後を遮断。725日、茶陵付近の重慶軍が後退を開始し、日本軍の包囲網をくぐり抜けて南に逃れた。726日、第11軍が衡陽攻撃再開を決定(84日開始予定)し、第58師団を増援に送り、來陽にいる第13師団主力を湘江を挟んで衡陽市街の対岸となる湘江東岸へと進出させることにした。730日、第58師団が衡陽市街北側に到着。衡陽西に第116師団、南に第68師団、東に第13師団を置いて衡陽を包囲した。82日、第11軍挺進戦闘司令所を衡陽北側高地に設営し、軍司令官や参謀長らが到着した。83日、大損害を受け後退する重慶軍第58軍を追う第34師団主力が衡陽東方の蓮花に到達。第27師団は茶陵へと南下した。深夜、第5航空軍が衡陽への夜間爆撃を開始。841700、第11軍が衡陽への総攻撃を開始したが、立て籠もる重慶軍第10軍の激烈な抵抗に遭い、進撃を阻まれた。850200、第58師団が夜間攻撃を開始。86日午後から軍砲兵の10cmカノン砲3門と15cm榴弾砲2門が加わり、87日夕方に重慶軍軍使が第68師団歩兵第58旅団長に対し投降の意思を伝えた。歩兵第58旅団長は重慶軍第10軍長の来訪を求めたが、姿を見せなかったため、攻撃を継続。88日夜になって重慶軍軍使が再度正式な投降を伝え、第68師団と第10軍長が会見して重慶軍第10軍が降伏、衡陽での戦闘は終結した。参考:歴史群像6,16

床屋(日本海軍)>:正式には剃夫という。軍属で、兵と同じ身分であり(上陸は下士官と同じらしい)、艦船勤務の際は戦闘配置も決められている。服装は兵と同じで、帽子には徽章と錨のみ付く。参考:続海軍よもやま物語

所沢航空発祥記念館>:埼玉県営所沢航空記念公園にある航空博物館で、199343日に開館した。木更津駐屯地で保存されていた除籍陸自機が展示されており、L-5EKAL-2V-44AH-19CL-21BT-6OH-6Jなどが並ぶ。また、EC-46DT-1B、飛燕のエンジンも展示されている。2016419日には九七式戦闘機の原寸大レプリカが加わった。格納庫にはJ3C-65水上機、Mi-18PAヘリ、陸自KV-107などが収蔵されており、年に数度公開される。九一式戦闘機二型(237号機、昭和81月生産)の復元作業を実施中。開館時間は0930-1700、休館日は月曜日(祝日の場合は翌日)、12/29-1/1201672日、累計入場者数600万人を達成。参考:月刊丸2,08付録、月刊航空ファン3,174,175,17、月刊JWings8,21

所沢飛行場>:日本陸軍の飛行場。明治427月の臨時軍用気球研究会発足に伴い、飛行場が必要になったため、研究会から鉄道の便が良く、落雷の少ない所沢が選ばれ、明治433-8月に所沢町の50町歩と松井村の24町歩を買収して10月から臨時軍用気球研究会所沢試験場として建設を開始、長さ400m・幅50mの滑走路、航空船(飛行船のこと)格納庫、軽油庫、気象観測所が明治443月までに竣工した。明治4445日、徳川大尉がファルマン機、日野大尉がライト機で初飛行を行った。明治457月、陸軍専用の飛行場となった。大正2年、気球隊が移設された。大正412月、航空大隊が創設された。大正6年、航空大隊が航空第1大隊に改称された。飛行場を拡張し、滑走路を長さ1000mに延長している。大正7年、航空第4大隊が創設された。大正8年、航空第4大隊が大刀洗に移動した。4月、陸軍航空学校と補給部支部が創設された。大正11年、航空第1大隊が飛行第1大隊に改称された。大正135月、陸軍航空学校が所沢陸軍飛行学校に改称された。大正145月、陸軍航空本部技術部が創設された。大正15年、飛行第1大隊が飛行第1連隊に改称された。昭和311月、陸軍航空本部技術部が立川に移転した。昭和88月、陸軍飛行技術学校を創設。補給部所沢支部が立川に移転した。10月、陸軍航空廠が開設された。11月、飛行場を拡張し、滑走路を長さ1400mに延長した。昭和10年、陸軍航空技術学校が創設された。昭和12年、東京陸軍航空学校と陸軍士官学校分校が創設され、飛行第1連隊が各務原に移動し、所沢陸軍飛行学校が廃止された。昭和13年、陸軍士官学校分校が兵庫県豊岡に移動し、陸軍士官学校分校所沢分校が開校、同年中に陸軍航空士官学校と改称された。陸軍航空整備学校が創設された。昭和15年、飛行場を拡張し、滑走路を長さ2000mに延長、更に1600m滑走路を新設した。太平洋戦争終結でアメリカ軍に接収されて所沢通信基地になり、昭和53年と昭和57年に返還されて所沢航空記念公園になった。参考:首都防空網と空都多摩、月刊航空ファン10,16

所沢陸軍飛行学校>:日本陸軍飛行学校。大正135月、陸軍航空学校から改称されて創設された。昭和4年、八八式偵察機一型が配備された。昭和6624日、八八式偵察機2機を使用して空中給油実験を実施。供給機に長さ20m・直径50.4mmのゴムホースを搭載、受油機の燃料タンクに穴を開け、高度1000mで給油機がやや後方15m下を併航する受油機にゴムホースを垂らし、受油機同乗者がホースを掴んでタンクの穴に突っ込み、1時間に亘り数回の空中給油に成功した。718日にも同様の空中給油実験を行っている。参考:月刊航空ファン6,18

土佐>:日本海軍加賀級戦艦2番艦Tosa。大正9216日起工。42日、皇太子がキールの第1鋲を打つセレモニーを実施。大正101218日に進水したが、ワシントン条約で廃棄が決定しており、進水式ではくす玉が割れなかった。大正1125日、舷側装甲を装着した段階で工事中止命令が出され、731日に未完成で海軍に引き渡され、呉に回航された。大正13414日、正式に建造中止が発令された。5月から防御実験に供され、大正1429日に豊後水道南部で自沈処分となった。参考:近代戦艦史、月刊世界の艦船5,1511,00

土佐清水通信隊>:航空自衛隊の通信隊で、土佐清水分屯基地に駐屯している。多重通信網太平洋側ルート中継機能の維持管理が主任務で、隊員は30名。1995331日、西部航空警戒管制団隷下に土佐清水分屯基地で新編された。201875-8日に発生した西日本豪雨の災害派遣に参加。202029日、あしずり駅伝大会に参加。35日、空自准曹士先任が部隊を訪問した。参考:朝雲、西部航空方面隊ホームページ

 <土佐清水通信隊(2015年)>:西部航空警戒管制団隷下で、土佐清水分屯基地に置かれている。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015

土佐清水分屯基地>:航空自衛隊の分屯基地。所在地は高知県土佐清水市下益野2078-21995331日に開設され、土佐清水通信隊が新編された。太平洋方面の防空レーダー低高度ブラインド・スポットを埋めるため、可能ならレーダーサイトにしたかったが叶わなかったので、有事には移動式レーダーを配置してカバーする。414日、春日ヘリコプター空輸隊の協力で高知地本主催のCH-47Jヘリ体験搭乗を実施。地元小中学生と教員90人が参加した。201333日、場外離着陸場(面積1440平方メートルのヘリポート)の落成式を実施。参考:月刊JWings6,10別冊付録、MAMOR Vol.56、月刊軍事研究3,16、朝雲

<トサ車>:試製湿地牽引車を参照。

トサン>:イランの新型軽戦車TosanTowsan?)。1997年に存在が確認された。90mm砲を持つ装軌車両で、スコーピオン軽戦車の主砲を90mmに換えたものとも、APCEE-9カスカベルの砲塔を載せたものとも、全くの新造車両であるともいわれている。参考:世界AFV年鑑2002-2003、月刊軍事研究4,07THE MILITARY BALANCE 2016

<トサン・アン・チャンホ>:SS-083(潜水艦)を参照。

トシオ・ナカヤマ>:ミクロネシア連邦ガーディアン級哨戒艇1番艇Tosiwo Nakayama(ミクロネシア連邦初代大統領の日系人)。20223月、オーストラリアから引き渡された。参考:月刊世界の艦船6,22

ドジク>:293(潜水艦)を参照。

としぼう>:石川地方協力本部のマスコットキャラで、石川地本創立60周年記念で一般公募を行い、20161210日に決定した。前田利家がモチーフで、なまず尾形兜をかぶっている。参考:朝雲

<としま>:MSC-654(掃海艇)を参照。

戸島>:日本海軍戸島型敷設特務艇。大正3105日進水(就役?)。昭和20730日、舞鶴港内でアメリカ艦上機の爆撃を受けて沈没した。戦後に引き揚げられて解体された。参考:写真集日本の小艦艇、第2次大戦日本海軍作戦年誌、小艦艇入門

戸島型>:日本海軍大型敷設艇(405トン型雑役船)。水線長45.75m、垂線間長45.7m、最大幅7.60m、吃水2.3m、基準排水量405トン、常備排水量420トン。主機は直立型3気筒三段膨張レシプロ蒸気機械2基、主缶は艦本式石炭専焼水管缶(江之島と黑埼は池田式)1基、出力600馬力、速力12.8ノット。兵装は八サンチ砲2門(前甲板と艦尾。艦尾のものは後に撤去)、13mm機銃、機雷敷設軌条2条。4号機雷(爆雷?)120個(うち60個は上甲板軌条に収容)を搭載する。夏島(初代)、測天(初代)、戸島、黒島、葦埼、加徳、円島、黒神、片島、江之島、似島、黑埼、鷲埼の13隻が大正4年から就役した。黑埼と鷲埼は民間造船所に発注されており、艇首両舷に小型のローラーが付いている。大正94月、特務艇の二等敷設艇に艦種変更された。昭和6530日、等級が外れて敷設艇になった。昭和1921日、敷設特務艇に艦種変更された。参考:月刊世界の艦船10,21、小艦艇入門、写真集日本の小艦艇

利丸>:日本海軍特設掃海艇Toshi maru。元は大洋捕鯨の捕鯨船である。垂線間長38.5m、幅7.35m、深さ4.2m、吃水3.885m、総トン数293トン。主機は三連成汽機1基1軸1127馬力、航海速力10ノット、最大速力13.616ノット。昭和129月竣工。太平洋戦争勃発で徴用された。昭和18年、大洋捕鯨が西大洋漁業統制に改称したため、そちらに移籍した。終戦時はシンガポールにあり、イギリス軍に接収された。参考:月刊世界の艦船11,16

ド・シャイラ級駆逐艦>:フランス海軍駆逐艦。兵装はスタンダードSM1MR単装発射機1基、3連装短魚雷発射管2基。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

土砂積込機>:日本陸軍の機力器材。土砂、砂利、砕石などを車両に積載するための器材である。自重4トン。積み込み能力毎時50立方メートル。エンジンは統制型空冷4気筒で、自走速度1km。参考:工兵入門

ドジャン級>:トルコ海軍ミサイル艇。西ドイツのラーセン57級を導入したものである。兵装はハープーン4連装発射筒2基。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

<徒手体操>:海上自衛隊体操を参照。

塗粧>:軍艦を塗装すること。参考:艦船メカニズム図鑑

ドズーカス>:リトアニア海軍フリーヴェフィスケン級哨戒艇。参考:月刊軍事研究6,12

ドスタム派>:旧アフガニスタン政府軍のドスタム将軍が1992年に創設した武装組織。ウズベク人が主体で、ヘクマチアル派と同盟したり、ラバニ政権と妥協したりしたもののタリバンとは終始敵対関係にあった。1998年、タリバンのマザルシャリフ大攻勢で敗退し、勢力を失った。参考:月刊軍事研究8,01

<ドス・デ・マヨ>:S41(潜水艦)を参照。

ドストイヌイ>:ソ連海軍クリヴァクⅠ型フリゲートDostoyny1971年竣工。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

鳥栖分屯地>:陸上自衛隊の分屯地。所在地は佐賀県鳥栖市村田町1089-1。目達原駐屯地の分屯で、19563月に開設され、九州地区補給処鳥栖燃料支処が置かれた。参考:目達原駐屯地ホームページ、JGround Vol.23

 <鳥栖分屯地(2015年)>:九州補給処鳥栖燃料支処が置かれている。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

トスボミング>:トス爆撃。目標に超低空で進入し、急上昇しつつハーフロールを行い、爆弾を投下後更にハーフロールを行って離脱する。要するにインメルマンターンの最中に爆弾を投下するもので、命中精度は落ちるが、障害物越しに爆弾を落とすことができる。ハーフロールの初期に投下して投射距離を稼ぐロー・トス、後期に投下して真上から落とすハイ・トス、2回目のハーフロールで投下する肩越しトスがある。最近ではLABSとも呼ばれる。参考:月刊丸6,03、戦闘機のしくみ、空軍

トダク>:インドネシア海軍トダク級ミサイル艇Todak2000年就役。2011126-10日、LIMA2011に参加。参考:月刊世界の艦船4,12

<とち>:PF-296(警備船)を参照。

>:日本海軍松型駆逐艦39番艦。昭和2025日に命名されたが、518日に建造中止となり(528日進水後に工事中止?)、戦後に解体されて秋田港の防波堤になった。参考:日本駆逐艦史、日本海軍艦隊総覧

ドチェスター装甲指揮車シリーズ>:イギリスのAEC社がマタドール砲牽引車をベースに1941年から開発した指揮車両で、旅団本部以上の上級指揮部隊で運用された。4輪型が265両、6輪型が151両生産された。参考:世界の軍用車両(4)

 <ドチェスター装甲指揮車LP型>:シャシーはマタドール砲牽引車そのままで、12mm厚の装甲鋼板で製作された箱形車体を被せてある。内部にはテーブルと椅子、No19短距離用無線機2基が装備された。エンジンは95馬力の6気筒ディーゼルで、重量12トンながら不整地でも良好な走行性能を発揮した。参考:世界の軍用車両(4)

 <ドチェスター装甲指揮車HP型>:無線機をNo19No53(遠距離用)1基ずつに換えたもの。参考:世界の軍用車両(4)

 <ドチェスター装甲指揮車(6×6輪型)>:6輪駆動にし、ボンネットが前方に突出したタイプの車体を載せたもの。1944年から生産された。参考:世界の軍用車両(4)

<トチカ>:9K79(弾道ミサイルシステム)を参照。

<トチカ-U>:9K79-1(弾道ミサイルシステム)または9M79M-1(弾道ミサイル)を参照。

<トチ型>:1075型(潜水艦)を参照。

栃木県子ども総合科学館>:UH-1Bのキャビンを利用したシミュレーターがある他、KM2BT-3練習機の原型)の胴体を使用したシミュレーターもあり、KM2Bの方は操作すると前に吊り下がっているFA200の舵面が実際に動く。参考:月刊丸5,07

徒仲型>:中国海軍救難曳船Tuzhong型。満載排水量3600トン。参考:月刊世界の艦船9,09

特科>:陸上自衛隊の戦闘職種で、一般には砲兵科のことである。職種色は野戦も高射も黄色。参考:月刊Jwings4,00、月刊PANZER12,10

 <高射特科>:対空戦闘を実施する防空部隊で、戦場防空と要域防空を主任務とする。地対空誘導弾や高射機関砲などを使用し、敵航空機から味方部隊を守る。対空情報活動も担任する。師団や旅団の隷下にあり戦場防空を担当する中隊/大隊(師団特科連隊第6大隊)/連隊と、方面隊隷下にあり要域防空を担当する高射特科団/高射特科群に分かれる。当初は長射程防空ミサイル(ナイキ・アジャックス)も扱っていたが、1964年から領空防衛用ミサイルは空自の担当になり、専ら野戦防空ミサイルを担任することになった。ホーク/03SAMの射程に見合った演習場が国内に存在しないので、アメリカのマクレガー射場で対空部隊年次射撃訓練を行っている。参考:スピアヘッドNo.7、月刊Jwings4,00MAMOR Vol.62、月刊軍事研究3,15

野戦特科>:野戦砲兵部隊で、地対艦誘導弾部隊もこれに分類される。榴弾砲やロケット弾発射機を使用し、大量の火力を随時随所に集中して面制圧を行い、友軍地上部隊の戦闘を支援するのが主任務で、被協力部隊を指定して直接協力を行う直協任務、直接協力火力を増加させる増援、縦深に渡る火力戦闘を行う全般任務を担任する。師団や旅団の隷下に置かれ、普通科連隊の直協任務を行う特科連隊・特科隊(105mm/155mm榴弾砲装備)と、方面隊の隷下に置かれ、全般任務を行う特科団・特科群・特科隊(155mmカノン砲/203mm榴弾砲/多連装ロケット弾装備)がある。前者には情報中隊、後者には観測中隊があり、対砲迫レーダー(JTPS-P16JMPQ-P13など)や気象測定装置、遠隔操縦観測システム(FFOS)などを運用する。前進観測班(FO)を最前線部隊と共に行動させ、火力支援の必要が出たら射撃指揮所(FDC)に連絡して射撃を実施、観測所(OP)で弾着観測を行って修正指示を行う。敵砲兵に反撃を行う際には普通科連隊本部管理中隊対射撃分隊や情報小隊などの協力も得る。射程が長い分、展開範囲が広範で、陣地転換により移動も頻繁なため、いつでも独自行動が取れるよう自己完結性の高い編成となっている。冷戦終結で規模が年々縮小されており、旅団特科隊は1個普通科連隊を1個射撃中隊で支援するという無茶な態勢である。参考:スピアヘッドNo.8No.12No.20、陸上自衛隊地上戦力の全容、月刊JWings4,00MAMOR vol.133

ドッガーバンク海戦>:ドッガーバンクは北海中央部にあるドッガー海中堆のことで、その東沖で行われたのでこう呼ばれる。第一次大戦勃発後、ドイツ大海艦隊の巡洋戦艦を主力とする偵察部隊は1914113日にイギリスのヤーマス、1216日にスカボローを砲撃し、更にドッガーバンクのトロール漁船団を攻撃するため1915123日夕方に出撃した。イギリス海軍はこの情報を掴み、巡洋戦艦ライオンを旗艦とする巡洋戦艦部隊がロサイスから、駆逐艦部隊がハリッジから出撃した。ドイツ側戦力は巡洋戦艦3隻、装甲巡洋艦1隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦18隻、イギリス側戦力は巡洋戦艦5隻、軽巡洋艦7隻、駆逐艦35隻である。1915124日朝、両艦隊の軽巡と駆逐艦が遭遇して海戦が勃発。イギリス艦隊が劣勢のドイツ艦隊を追撃する形となり、0900頃から主力同士の砲撃が始まった。0935、ドイツ装甲巡洋艦ブリュッヒャーが炎上。1018、集中砲火を喰らったイギリス巡洋戦艦ライオンが左舷水線部付近に4発を被弾して全電源を喪失し、左舷側缶室に浸水して主機が停止、左舷側2軸が動かなくなり隊列から落伍した。ドイツ巡洋戦艦ザイドリッツは巡洋戦艦ライオンの34.3cm主砲弾2発を被弾し、1発は舷側水線部装甲で弾き返したが、もう1発が後部D砲塔バーベット装甲を貫通して炸裂、誘爆した装薬の火焔がバーベット下部ハッチから噴き出して後部C砲塔の装薬を炙ったためこちらにも延焼し、大火災となって165名が戦死した。1213、装甲巡洋艦ブリュッヒャーが沈没した。巡洋戦艦ライオンは曳航されて何とかイギリスに戻っている。ザイドリッツは装薬が金属薬莢に入っていて一気に爆発しなかったのと、事態の伝達が早く副長が速やかに緊急注水したのが幸いし、沈没は免れた。この時の戦訓から、イギリスは遠距離砲戦を避け視界が良くても18000ヤード以内から砲撃を開始することにし、ドイツは艦艇の損失を避けるため勅許無しに外洋艦隊を出撃できないようにした。参考:月刊世界の艦船1,124,179,17、歴史群像6,16

特科教導隊>:陸上自衛隊の教導隊で、富士学校/富士教導団隷下にある。野戦特科部隊の装備や運用を研究し、教範を作り、教育を行う。富士総合火力演習では21門の同時弾着射撃で富士山を描くTOT富士により高い練度を披露する。2009422日、富士学校で新隊員59名が小火器射撃訓練を実施。20101127日から1210日、矢臼別演習場まで1000kmを機動し、MLRS長距離実射訓練を行った。2012918-21日、第6中隊の訓練検閲を実施。20188151718日、東京地本が学生ら120人に対して行った研修に協力し、東富士演習場でFH70による実弾射撃など、富士駐屯地で装備品展示を行った。2023720日から84日、タリスマン・セイバー23に参加。参考:MAMOR vol.71vol.117、スピアヘッドNo.8、月刊世界の艦船9,'23、朝雲

特科教導隊(2010年)>:富士教導団隷下で、隊本部/本部管理中隊、第303観測中隊、第1中隊(FH70)、第2中隊(FH70)、第3中隊(99式自走155mm榴弾砲)、第4中隊(M110A2)、第5中隊(MLRS)、第6中隊(88式地対艦誘導弾システム)からなる。参考:月刊軍事研究10,10

特科群>:陸上自衛隊の方面隊直轄野戦特科部隊で、主に全般任務を行う。北部方面隊第1特科団隷下に2個、東北方面隊と西部方面隊の隷下に1個ずつ編成された。参考:陸上自衛隊地上戦力の全容

特科群(1985年)>:隷下に野戦特科大隊(独立大隊)2-3個と観測中隊1個を置く。装備は155mm榴弾砲、155mmカノン砲M2203mm榴弾砲M2203mm自走榴弾砲M110A230型ロケットランチャーなどバラバラで、203mm自走榴弾砲M110A2に統一中。参考:陸上自衛隊地上戦力の全容

突火槍>:13世紀半ばに開発された、小型の火砲。棒の先端に、後方を塞いだ筒を付け、その中に黒色火薬と石を詰めて後方の点火口から火を付けて発射する。参考:月刊軍事研究5,04

特科隊>:陸上自衛隊の野戦特科部隊。本部/本部管理中隊、情報中隊、第1中隊、第2中隊、第3中隊、第4中隊からなる。参考:姫路駐屯地ホームページ

戸塚道太郎>:海軍兵学校38期卒。昭和10年、那智艦長から館山航空隊司令に転任した。昭和12年、第1連合航空隊司令官時に渡洋爆撃を実施。横須賀航空隊司令、第2航空戦隊司令官、第1航空戦隊司令官を歴任し、太平洋戦争開戦時は第11連合航空隊司令官だった。昭和18518日、第12航空艦隊司令長官となった。85日、北東方面艦隊司令長官兼任となった。昭和19915日、第12航空艦隊司令長官兼北東方面艦隊司令長官を退いた。同月、航空本部長に就任。昭和205月、横須賀鎮守府司令長官となり、終戦を迎えた。昭和4136日、76歳で死去した。参考:日本海軍艦隊総覧

特科連隊>:陸上自衛隊の連隊規模野戦特科部隊。長射程火力による面制圧能力を特徴とする。主任務は、突撃チームに対する直接支援射撃により、敵対戦車ミサイルや対戦車ロケットを撃破し、敵戦車のハッチを閉じさせて視界を制限、対空火器を破壊して航空支援を容易にし、前進と連動して連続火力支援を行うことなどである。参考:月刊丸8,87

 <特科連隊(管区隊・警察予備隊)>:直接支援大隊(M2A1榴弾砲18門)3個、全般支援大隊(155mmM1榴弾砲18門)1個、第5大隊(高射特科大隊。M15A1M1632両ずつ)から構成される。参考:月刊軍事研究8,04

 <特科連隊(管区隊、1954年)>:管区隊特科連隊第5大隊が1個中隊分減らされて3個中隊となり、定数が48両になった。参考:月刊軍事研究8,04

 <特科連隊(混成団、1954年)>:直接支援大隊(M2A1榴弾砲18門)、全般支援大隊(155mmM1榴弾砲18門)、高射大隊(高射自動火器32門)1個ずつからなる。参考:月刊軍事研究8,04

 <特科連隊(混成団甲)>:直接支援大隊3個、全般支援大隊1個、高射大隊1個からなる。大隊定数は一般混成団より削減された。参考:月刊軍事研究8,04

 <特科連隊(1977年)>:連隊本部、本部管理中隊、特科大隊(A)4個(105mm榴弾砲計32門。乙師団は3個計24門)、特科大隊(B)1個(155mm榴弾砲16門)、高射特科大隊(F)1個からなる。A大隊は特定の前線普通科部隊に直接火力支援を行う直協、B大隊は縦深に及ぶ火力戦闘により対砲迫・阻止・騒乱・指揮通信組織破壊を行う全般を主任務とする。F大隊は2個高射中隊で編成され、L9075mm高射砲、M15自走高射機関砲、M42自走高射機関砲(更新中のため新旧混在)を装備する。参考:日本の防衛戦力Part1

 <特科連隊(北部方面隊、1980年代半ば)>:新特科連隊ともいう。連隊本部、本部中隊、情報中隊、野戦特科大隊(155mm自走榴弾砲10門装備)5個、高射特科大隊1個、多連装ロケット中隊1個からなる。155mm自走榴弾砲55両、75130mm自走多連装ロケット砲15両を装備する。参考:陸上自衛隊地上戦力の全容、兵器最先端5

 <特科連隊(非在道、1980年代半ば)>:連隊本部、本部中隊、第1-4大隊(105mm榴弾砲装備。乙師団は第4大隊欠)、第5大隊(155mm榴弾砲装備。甲師団は射撃中隊4個、乙師団は3個)、第6大隊(高射特科)から編成される。隊員数2000名で、105mm榴弾砲32門(乙師団は24門)、155mm榴弾砲16門(乙師団は12門)、L-90高射機関砲8セット、自走高射機関砲12両を装備する。参考:陸上自衛隊地上戦力の全容、兵器最先端5

<特救>:特殊救難隊(海上保安庁)を参照。

<特救隊>:特殊救難隊(海上保安庁)を参照。

特級歩兵章(アメリカ陸軍)>:Expert Infantryman Badge。特級歩兵試験に合格した者に授与される。参考:月刊コンバットマガジン7,06

特級野戦衛生兵章(アメリカ陸軍)>:Expert Field Medical Badge。特級野戦衛生兵試験に合格した者に授与される。参考:月刊コンバットマガジン7,06

ドッキン係数>:日本海軍のスラングで、女性とバトル(?)した際にどれだけ興奮したかを示す値。最大値は10らしい。参考:続日本海軍よもやま物語

ドック>:Dock、船渠。造船、艦船の修理、改装などを行う施設。海沿いに作って中に艦船を入れた後で水を抜き作業を行う乾ドック(ドライドック)、海に沈めた鋼鉄の台に艦船を載せた後で水を抜き作業を行う浮きドック、船を陸揚げして作業する船台式ドックがあり、一般にドックというと乾ドックを指す。単に水を抜くだけだと船が倒れてしまうので、盤木と呼ばれる土台を敷いて船を支える。参考:MAMOR vol.139、月刊JWings2,00

<ドック・ウェル>:Dock well。船体内に設けたドックのことで、ウェル・ドック(Well dock)ともいう。船体内後部吃水線直上に設けられており、収容した揚陸艇や水陸両用車両に貨物や人員を積み込んでドック内に浮かべ、速やかに洋上に発進させることができる。普段はスターン・ゲートで艦尾開口部を塞いでいるが、発進の際はスターン・ゲートを開き、艦尾バラストタンクに注水して船体を沈め、ドック内に注水する。車両が自走して上陸用舟艇に乗り込めるよう、前方で車両甲板と連絡していることが多い。注排水用ポンプの能力が重要で、主機をディーゼル・エレクトリック方式にし、停船中のドック注排水時に推進用電力もポンプに回せるようにしたりする。ドック容積を大きくすれば揚陸艇をたくさん積めて作戦には便利だが、バラストタンクや注排水ポンプなどの関連設備も大型化・強化する必要があり、艦全体が余計に大きくなるので、バランスが難しい。参考:月刊世界の艦船12,'232,1412,'20、兵器最先端5

ドック型輸送揚陸艦>:LPDと略す。ドック型揚陸艦の人員・貨物積載量を拡大したものである。参考:月刊世界の艦船12,23

 <ドック型輸送揚陸艦(アメリカ海軍)>:アメリカ海軍の艦種で、艦種記号LPD。貨物揚陸艦LKAと揚陸輸送艦LPAとドック型揚陸艦LSDを足したもので、LSDと同じく船体内にウエル・ドックがあるが、やや縮小して兵員や車両・貨物収容スペースを拡大し、ヘリ甲板を常設にした。ただしヘリコプター運用能力はヘリコプター強襲揚陸艦LPHよりも低く、ヘリ格納庫や固有のヘリを持たないものが多い。参考:アメリカ揚陸艦史、月刊軍事研究11,08、中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版、JShips Vol.44、月刊世界の艦船12,'202,14、軍事力バランス78年版

ドック型揚陸艦>:Landing Ship, DockLSDと略す。船体を貫通する長大な浮きドック構造(ドック・ウェル)を持つ揚陸艦で、要するに自航式の浮きドックである。上陸地点付近まで進出し、バラストタンクに注水してウェル内に海水を満たし、内部に搭載した航洋力の低い舟艇や水陸両用車を発進させる。ダビットで上陸用舟艇を降ろすよりも時間短縮になり、荒天でも発進可能で、上陸用舟艇の大きさがダビットに制限されない。ドック・ウェルの天井をヘリ甲板にして限定的な航空強襲上陸能力を持たせたタイプもある。イギリスが第2次大戦時に戦車揚陸艇を上陸地点付近まで輸送する手段として考え出し、アメリカがアシュランド級として最初に建造した。参考:月刊世界の艦船2,14、月刊軍事研究8,0111,081,16、第2次大戦のイギリス軍艦

ドッグ級港内曳船>:イギリス海軍港内曳船Dog級。全長28.7m、幅7.5m、吃水3.7m、満載排水量170トン。主機はディーゼルで、出力1320馬力、速力12ノット。A102エアデール、A106アルセイシャン、A126ケアーン、A129ダルメシアン、A155ディアハウンド、A162エルクハウンド、A168ラブラドール、A178ハスキー、A180マスティフ、A182サルーキ、A188ポインター、A189セッター、A197シーリハム、A201スパニエル、A250シープドッグ、A326フォックスハウンド、A327バセット、A328コリー、A330コーギーが1962-70年に進水した。参考:月刊世界の艦船5,83

ドッグクラッチ付き常時咬合式トランスミッション>:マニュアル式トランスミッションの一種で、ドッグクラッチ(犬の歯に似ているのでこう名付けられた)をシャフトに追加し、メインギアは常時咬み合わせておき、頑丈なドッグクラッチの咬み合わせを変更することでギア比を変更する。選択摺動式のようなメインギアの損傷は防げるが、回転数の違うギアを無理矢理入れることに変わりは無く、騒音が激しいため、シンクロメッシュ式が開発されることになった。参考:自動車メカニズム図鑑

<ドッグタグ>:認識票を参照。

ドッグ・ツース>:Dog tooth。ソー・トゥース(Saw tooth)ともいう。翼端失速防止のため、主翼前縁に付けられた犬歯のような突出のこと。翼厚比5%以下の薄翼では、主翼前縁に剥離した渦が付着した状態となり、この渦が後外側に向かって成長していく。この渦が不安定になったり、成長しすぎたりすると、翼端の揚力が減少して翼端失速の原因になる。ドッグツースはその後方に渦状の気流を発生させ、主翼前縁で発生する渦を安定化して翼端失速を防ぐと共に、外翼で発生した気流剥離が主翼全体に波及して失速に至るのを防ぐ。フェンスやボルテックス・ジェネレーターのように抗力を生むことが少なく、空力的に優れている。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings4,0710,09別冊付録、戦闘機のしくみ

ドッグファイト>:格闘戦。航空機が持つ位置エネルギーと運動エネルギーを駆使して射撃に有意な位置(脆弱コーン/リーサルコーン)につくことを狙う様子が犬の喧嘩に似ているので、この名が付いた。ただあまりに高いGのかかる運動をするとパイロットが耐えられないし、判断力の低下と敵の機動とで命中率も悪く、目の前の敵に集中しすぎて他の敵機にやられる羽目になったりするため、撃ちっ放し式短射程空対空ミサイルを使ってミサイル任せにし、更にオフボアサイト能力を持たせて攻撃範囲を拡大するようになった。世界初のドッグファイトは191311月にメキシコ上空で行われているが、この時はパイロットによる拳銃の撃ち合いだった。第3世代以上の戦闘機では推力重量比が高く、位置エネルギーの差(高度差)による影響を受けにくくなり、立体から平面でのドッグファイトに変化している。参考:図解現代の航空戦、月刊軍事研究8,106,12、戦闘機のしくみ、月刊丸1,'15別冊、月刊JWings5,23

<ドッグフィッシュ>:SS-350(潜水艦)を参照。

ドックヤード・モデル>:海軍工廠模型、ビルダーズ・モデルともいう。海軍の公式軍艦模型のことで、造船所が作ったり、専門の製作所があったりする。16世紀に創設されたイギリス王立造船所で軍艦を建造する際、技法を残すために構造模型を作ったのが始まりで、兵装などの検討にも用いられた。資料として軍関連施設に残っていたり、美術品として博物館に展示されていたりする。参考:月刊世界の艦船12,14

<特警>:特別警備隊(海上保安庁)を参照。

<特警隊>:特別警備隊(海上保安庁)を参照。

突撃一番>:日本陸軍が支給したコンドーム。参考:歴史群像2,05

突撃支援射撃>:前線部隊の敵陣への突撃を容易にするため、砲兵が敵陣に対して行う制圧火力のこと。前線部隊が突撃発起線に到達したところで射線を後方に伸ばす。参考:歴史群像8,02

突撃銃>:最初に広く使用したドイツのStrum-Gewehrが語源であり、英語ではAssault Rifle(アサルト・ライフル)、中国語では突撃歩槍という。ライフル弾よりも少し低威力の連射に適した弾薬と、20-30発入り弾倉を使用し、セミオートとフルオートの切り替えができる小火器。第二次大戦中の歩兵の平均交戦距離は50-300mで、自動小銃だと射程は十分すぎるが反動が強すぎて連射ができず、短機関銃だと連射は利くが射程が足らないため、その中間の特徴を持つ軽量で連射可能な有効射程360m強の銃としてドイツ軍がStG44を開発した。従来のライフル弾よりも短くして反動を少なくしたクルツ・パトローネ(短小弾)を採用し、フルオートでの反動を減殺、短距離では短機関銃に負けない連射力を発揮して塹壕戦に対応しつつ、セミオートでの遠距離狙撃(400m前後)も可能としている。反動が少ないので銃本体も軽量化でき、弾薬が小型軽量なので携行弾数が増えるという利点もある。StG44より30年も前の1916年にロシアが6.5mm弾を使用するフェデロフM1916を開発しているが、生産数が少なく、忘れられてしまった。第二次大戦後、AK47の登場などで主力小銃はほぼこのタイプとなり、自動小銃との境目が曖昧になっていて、使用弾が通常のライフル弾でも突撃銃と呼ぶことも多い。アメリカ軍が制式化したM16をきっかけに使用弾が小口径化し、高速低伸弾道による命中精度向上を図るようになった。参考:世界の軍用銃、拳銃・小銃・機関銃、月刊軍事研究11,02GUN用語事典、日本の防衛戦力Part8、第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログVol.3

<突撃隊>:SAを参照。

突撃艇>:イタリア海軍が第2次大戦で使用した爆薬搭載モーターボート。発見されないよう極力背を低くしてあり、敵泊地に侵入して目標に向かい、乗員は舵を固定して海に飛び込み、敵艦にボートだけをぶつけて爆破する。全長5m。速力25-30ノット。乗員1名。黒海で泊地襲撃を行った他、ジブラルタル海峡にあるスペインのアルヘシラス港に抑留されていたイタリア汽船を密かに母艦に改造し、ジブラルタル港を襲撃した。参考:日本潜水艦物語

突撃艇39型>:ドイツの強襲揚陸用小型艇で、工兵隊に配備された。舵を兼ねる船外機で走行するため、操舵手は戦闘中でも立ったままでいる必要がある。全長8m、船体長6m、重量280kg。主機は水平対向4気筒(30馬力)、速力16ノット。参考:英独航空決戦

突撃破砕射撃>:陸上自衛隊用語で、一般には最終防御射撃(Final Protective FireFPF)という。敵歩兵の突撃に際し、防御陣地側が行う防御砲火である。敵の攻撃準備射撃から生き残った全火力を使用し、予め定めておいた射撃諸元に基づき、機関銃による低伸射撃を行うと共に、弾丸の届かない窪地に関しては迫撃砲で制圧する。元は第1次大戦でドイツ軍が編み出した大規模歩兵浸透戦術に対抗するためのもので、砲兵火力の使用が困難な夜間に敵の突撃を防ぐため、アメリカ軍が考案した。夜間は敵からも砲兵による精密射撃を喰らう恐れが少ないので、陣地の主抵抗線に機関銃と軽迫撃砲を集め、敵の接近は斥候、歩哨、聴音マイクなどで探知し、事前に設定した地点(最終防御線、突撃破砕線)目掛けて2分間の最大発射速度射撃を行い、以降も射撃を継続する。この時、機関銃の射線は人間の背丈よりも低くなるようにし、軽迫撃砲の射撃地点は機関銃の死角となる地点を設定、後方にいる上級部隊の野砲や中迫撃砲も敵の接近経路に予め設定した地点目掛けて修正無しの猛射を浴びせかける。これにより物理的に歩兵の突撃を不可能にする。不利な状況を克服するための苦肉の策ではあったが、太平洋戦争では遠距離での砲兵弾幕射撃による制圧が困難なジャングルから斬り込み攻撃や静粛夜襲をかけてくる日本兵を倒すために使用され、日本軍が攻撃準備射撃を殆ど行わなかったため配備火砲をほぼ全て使えた(当時のアメリカ軍1個師団の戦闘距離100m以内での火力は1分間で50トンに達する)こともあり、高い威力を発揮した。参考:歴史群像10,0812,03、月刊軍事研究11,064,97

突撃砲>:中国語で対戦車砲のこと。参考:月刊軍事研究12,09

突撃砲>:Assault gun。歩兵近接支援を旨とする車両で、主に第二次世界大戦時にドイツで作られた。歩兵に随伴行動する装甲火力として開発され、当初は榴弾の威力が高い大口径短砲身砲を固定式に装備したものであったが、後に長砲身砲を装備して対戦車戦闘にも駆り出された。歩兵の盾としても使用されるため、装甲を比較的厚くしてある。参考:WWⅡ欧州戦史シリーズVol.4、月刊JWing6,03、軍事力バランス78年版

突撃歩槍>:中国語で突撃銃の意。参考:月刊軍事研究5,09

<特高>:特別高等警察を参照。

特攻>:特別攻撃の略。一般的には神風特別攻撃隊が行った必死攻撃を指すが、最初に大本営が使用したのは真珠湾攻撃の大本営発表で甲標的部隊を「特殊潜航艇を以て編成された特別攻撃隊」と表現した時で、攻撃内容の秘匿のために捻り出した言葉である。2020922日、世田谷山観音寺境内の特攻観音堂で第69回特攻平和観音年次法要を実施。参考:日本潜水艦物語、朝雲

 <海上特攻>:昭和194月、黒島軍令部第2部長の発案により、マル四金物(震洋)の開発を開始。6月、陸軍がマルレの開発を開始。710日、第1特別基地隊を新編。917日、海軍特攻部を新設。昭和204月、第1遊撃部隊/第2艦隊が沖縄特攻を実施。参考:月刊世界の艦船9,13増刊

 <空挺特攻>:昭和191126日、義号作戦で薫空挺隊がドラグ飛行場に突入。126日、高千穂降下部隊が空挺特攻を実施。昭和20524日、義烈空挺隊が空挺特攻を実施。参考:比島決戦

 <航空特攻>:神風特別攻撃隊を参照。

 <水中特攻>:昭和192月のトラック空襲による大損害を受け、226日に呉工廠へ人間魚雷の試作が命じられた。4月になると黒島軍令部第2部長の発案により、マル三金物(海龍)、マル六金物(回天)、マル九金物(震海)の開発を開始。8月、回天を制式化。昭和203月、甲標的丁型(蛟龍)の量産を開始。5月、伏龍を制式化。参考:月刊世界の艦船9,13増刊、特別攻撃隊

特攻花>:鹿屋基地周辺に自生する、大金鶏菊に似た花のこと。太平洋戦争中に南方から帰還した航空機に種が付いていたらしい。参考:朝雲

<特攻桜>:国分駐屯地を参照。

特攻武術>:韓国軍の軍隊格闘技のこと。参考:月刊丸2,07

<とっちゃん幹部>:C幹部を参照。

<トッド>:AKA-71(攻撃貨物輸送艦)を参照。

トッド太平洋造船社>:1916年に設立されたアメリカの造船会社。モラン・ブラザーズ造船所やロサンゼルス造船会社などを買収し、駆逐艦やフリゲートなどを建造、現在は沿岸警備隊向けの艦船などを建造している。参考:月刊軍事研究9,07

突入隊員展開システム>:SASが開発した組み立て式の突入用ハシゴで、車輌の屋根に改造無しで搭載でき、迅速に組み立てて使用することができる。アルミニウム製で、重量350kg。参考:月刊軍事研究4,97

<ドッフィー・アップル迫撃砲>:M1912(迫撃砲)を参照。

突風応答>:気流の変化により飛行機が上下に揺れること。乗り心地を悪化させ、乗員の疲労と作業能率低下に繋がり、機体に過度の荷重がかかって破壊されることもある。低空を高速で飛行する際などに大きな問題となる。参考:日本の防衛戦力Part8

突風応答低減>:ACTの1つで、GLAGust Load Alleviation)と略す。乗り心地向上(RQI)ともいう。突風応答をセンサーで感知し、これを抑制するように舵面を自動的に操作する制御技術のこと。機体の疲労寿命を大幅に延長できる。参考:日本の防衛戦力Part8、航空用語事典増補改訂版

<突風風洞>:垂直風洞を参照。

トップエイセス>:カナダの空中戦闘訓練代行企業Top Aces。元はカナダ空軍CF-18パイロット3名が2000年に設立したディスカバリー・エア・ディフェンス社で、201712月に改称された。アルファジェット攻撃機でカナダ空軍に対する訓練、A-4N攻撃機(元イスラエル空軍機)でドイツ空軍に対する訓練を行っている。2020年、イスラエル空軍中古F-16A/B戦闘機29機を購入し、AESAレーダー、HMD、戦術データリンク、FLIRなどを統合したAAMSAdvanced Aggressor Mission System)を搭載して2022年からアメリカ空軍の訓練に投入した。参考:月刊JWings9,'231,'24、月刊航空ファン9,19

<トップガン>:F-8シリーズ(戦闘機)またはNAWDC(海軍航空戦開発センター)またはNFWS(海軍戦闘機兵器学校)またはNSAWC(海軍攻撃航空戦センター)を参照。

<トップサイダー級>:シェルシェン級魚雷艇(ユーゴスラビア海軍)を参照。

<トップ・スティア>:MR-710(レーダー)またはMR-710M(レーダー)またはMR-750(レーダー)を参照。

<トップ・セイル>:MR-600(レーダー)を参照。

<トップ・ドーム>:3R41(レーダー)またはCAEWWS(空母空中早期警戒兵器学校)を参照。

トップニャン>:神奈川地方協力本部のマスコットキャラ、空自版。空自制服を着たトラ猫である。参考:MAMOR vol.132

<トップハッターズ>:VF-14(戦闘飛行隊)またはVFA-14(戦闘攻撃飛行隊)を参照。

<トップ・ハット>:AN/BQR-19(航海ソナー)を参照。

<トップハットレーダー>:MESA(レーダー)を参照。

トップ・ハンパー>:Top Hamper。上部構造物上に設置される設備で、マストや煙突などを指す。参考:米海軍サバイバルマニュアル

トップ・プレート>:MR-710(レーダー)またはMR-750(レーダー)またはフレガット・シリーズ(レーダー)を参照。

<トップ・プレートB>:MR-760(レーダー)を参照。

<トップペア>:MR-800(レーダー)を参照。

トップヘビー船>:重心が高く、復原力が小さい艦船のこと。参考:図解雑学 船のしくみ

ドップラー効果>:オーストリアの物理学者、ドップラーが1842年に発見した現象。波動(電磁波、音波など)の発生源と観測点が相対運動をしている時、両者が近づいている場合は波動の周波数が高く観測され、遠ざかる場合には低く観測されるというものである。参考:図解・電波のしくみ

ドップラー・レーダー>:Doppler radar。相対速度の変化から生じるドップラー効果を利用したレーダーで、レーダー反射波の周波数変化(ドップラー・シフト)を検出し、目標との相対速度を割り出すことができる。身近なのは自動車の速度違反取締用レーダー速度計(ネズミ捕り)。航空機から地面に対して使えば、対地速度を求めることが可能。移動目標と停止目標を区別する(移動目標表示MTI)ことにより、静止しているクラッターを除去してルックダウン能力を持たせることができる。ただし自然のクラッター反射体は風による木々の揺らぎ、波、気象変化など完全な静止状態には無いことが多く、クラッターの周波数スペクトルが周波数ゼロの近傍に一定の広がりを持っており、一部がクラッター抑圧フィルタを通過してしまうとレーダー性能を劣化させる原因となるため、ガウス分布モデルや指数分布モデルといったクラッター周波数スペクトル近似モデルを用いて適切なレーダーシステム設計を行う必要がある。レーダー受信信号のサンプリング周波数はパルス繰り返し周波数と同じなので、目標が高速になってドップラー・シフトがパルス繰り返し周波数の半分よりも高くなると正しく測定できず、目標速度の正負が折り返された値になってしまうため、注意が要る。CWFM-CW、パルスの3種類に分かれる。参考:レーダシステムの基礎理論、レーダの基礎、月刊エアワールド4,00、月刊軍事研究10,07、月刊JWings10,09別冊付録、航空用語事典増補改訂版

 <CWドップラー・レーダー>:CWは連続波のこと。低出力で済むが、距離測定が不能、相対速度ゼロだったり直交したりしてドップラー効果が生じない目標の探知が不可能といった欠点がある。参考:月刊エアワールド4,00、戦闘機のしくみ

 <FM-CWドップラー・レーダー>:Frequency Modulation Continuous Wave(周波数変調連続波)の略。連続波レーダーの送信波に周波数変調をかけることで、目標からの反射波とのミキシングによって生じるビート周波数が距離に比例する原理を利用するもので、ビート周波数には目標相対速度の情報も含まれているので、計算式により目標との距離と相対速度を算出する。狭い受信機帯域幅で高い距離分解能を得ることができ、目標の大小や反射率に影響されずに正確な距離情報が得られる。また、パルス・レーダーのように瞬間的に大出力送信波を発信せず、低出力で連続的に発信する方式なので、逆探知されにくい。ただし相対速度ゼロの目標は相変わらず探知できない他、送信波に変調をかける関係で使用送信周波数帯が広域になるため妨害を受け易い。連続波を使うので他のレーダーと干渉する。干渉波や多目標環境下では複数のビート周波数の組み合わせを決めねばならず、距離分解能が劣化するので、2周波CWドップラー方式と組み合わせるなどの工夫が要る。遠方からの反射波が近距離からの反射波に埋もれて検知できなくなることがある。送受信の分離が困難で、設計上問題となる。参考:レーダの基礎、火器弾薬技術ハンドブック、月刊軍事研究1,98、月刊エアワールド4,00、月刊JWings7,19

 <2周波CWドップラー・レーダー>:周波数が僅かに異なる信号を交互に連続波として送信し、それぞれの周波数区間でローカル信号とのミキシングを行い、発生したビート周波数を計測する方式で、目標との距離及び相対速度を検出することができる。相対速度がゼロだとビート信号出力が直流成分のみとなり距離が測定できない、相対速度が等しい複数目標の分離ができないといった欠点があり、FM-CWドップラー方式と組み合わせる案が出されている。参考:レーダの基礎

 <ステップドFMドップラー・レーダー>:送信波を狭帯域ステップドFMパルス列とし、受信部で逆フーリエ変換して超短パルスとする方式で、相対速度ゼロや相対速度同一の複数目標を検知できる。参考:レーダの基礎

 <多周波ステップICWドップラー・レーダー>:ICWInterrupted Continuous Waveの略。周波数を階段状に変化させ、各周波数を所定の周期と幅でパルス化して送信波に加工するタイプで、2周波CWドップラー・レーダーで検出できない相対速度ゼロの目標や相対速度同一の複数目標も検知できる。参考:レーダの基礎

 <パルス・ドップラー・レーダー>:パルス波を送信することにより、測距を可能とし、ドップラー効果が生じない目標も探知できるようにしたもの。トラック・ワイル・スキャンやレンジ・ワイル・スキャンも可能である。小型高速目標を高クラッター環境下で捕捉追尾するのが主任務であり、クラッター除去と目標速度計測を第一義としてパルス繰り返し周波数を高く設定する。代わりに最大探知距離が短くなるが、パルス繰り返し周波数を変化させたり、目標を捕捉した後にレンジゲートを設けたりといった手段を講じて解決する。航空機搭載用、対空ミサイル誘導用、弾頭信管用など幅広く用いられている。参考:月刊エアワールド4,00、戦闘機のしくみ、レーダシステムの基礎理論

ドップラー・レーダー航法>:Doppler Radar Navigation。ドップラー・レーダーにより対地速度と偏流角を測定し、航法コンピュータで自機位置を算出する航法のこと。送信レーダー波と、地面や海面から跳ね返ってきた受信レーダー波の周波数差をコンピュータ処理して対地速度を求め、積分して飛行距離を算出する。また、周波数差の左右変化分を検出してコンピュータ処理し、風の影響による偏流角を計算、両者を合わせて自機位置を求める。飛行距離に従って誤差が蓄積していくので、長距離飛行の際にはロランなどによる修正が要る。参考:航空用語事典増補改訂版

ドップラー・レーダー航法装置>:Doppler Radar Navigation System。ドップラー・レーダー航法を行う装置のことで、ドップラー・レーダーと航法コンピュータからなる。ドップラー・レーダーはアンテナ、送受信機、周波数追跡器、指示器からなり、4本の電波ビームを発射して航空機の姿勢変化による誤差を無くす。また、海面が穏やかだと反射波をキャッチしにくく海面誤差が生じるので、これを修正する計算回路を組み込んでいる。ドップラー・レーダーからのデータは航法コンピュータに送られて飛行距離や偏流角が算出される。また、航法コンピュータに予め飛行予定コースや目的地までの距離を入力しておけば、算出結果をコンパスから得た機首方位情報と組み合わせて飛行コースからのずれや目的地までの残距離を表示してくれるし、自動操縦装置とも連動させれば、飛行コース修正も自動で行ってくれる。参考:航空用語事典増補改訂版

トップライト>:イスラエル海軍電子光学方位盤Toplite。可視光・中波赤外線撮像装置とレーザー測距器を旋回俯仰架台に搭載したもので、口径7.62-25mm機銃の射撃管制に使用する。プロテクター無人水上艇に搭載された。アメリカ海軍も25mm機関砲Mk38との組み合わせで使用している。参考:月刊世界の艦船4,22

トツレ>:突撃準備隊形作れ、を意味する日本海軍無電信号。参考:月刊丸12,11

どてら>:日本海軍用語で、航空機エンジンのカウリングに掛ける石綿製防寒具の通称。中に白金懐炉を入れて温め、寒冷地でも始動できるようにする。参考:月刊航空ファン3,17

怒濤>:韓国陸軍第2師団のニックネーム。

ドドスウォース>:ブラジル海軍ブロードソード級フリゲートDodsworth。元はイギリス海軍22型バッチ1フリゲート、ブリリアントである。参考:月刊世界の艦船9,96

<ドナール>:ASCODファミリー(自走榴弾砲)を参照。

<ドナウ>:A516(汎用支援艦)を参照。

ドナウ>:ドイツ海軍ドナウ級潜水母艦。1922年に商船のニセアとして竣工。1938年に改造を完了し、ドナウとなった。1939年、第1潜水隊の母艦となった。19456月、フレンスブルグで弾薬庫爆発事故を起こして沈没した。第2次大戦後にロシアに譲渡され、ドネツとなった。参考:写真集ドイツの巡洋艦、グラフィックアクション44

ドナウ級>:ドイツ海軍潜水母艦。全長97.5m、幅12.7m、吃水5.41m、基準排水量4620トン。機関出力1800馬力、速力12ノット。兵装は37mm機関砲4門、20mm機関砲4門。1938年にドナウが商船から改造された。参考:写真集ドイツの巡洋艦

<トナス>:A669(曳船)を参照。

トナス級>:フランス海軍航洋曳船Tenace級。満載排水量1477トン。フランス海軍向けにA669トナスなど2隻、トルコ海軍向けに1隻が建造された。参考:月刊世界の艦船8,12

隣組>:昭和14年、内務省は10戸前後の地域を1単位として消防や警報伝達などの任務を行うことを決定。昭和159月、部落会、町内会、隣保班、市町村常会の整備が決定し、定例常会を開催して行政機関の通達を行うこととなった。この隣保班というのが隣組で、10-20戸を1単位としていた。昭和151012日に大政翼賛会が発足すると内務省に加えてこちらの指揮も受けることになったが、昭和17815日に大政翼賛会のみの指揮を受けることとなった。参考:戦時用語の基礎知識

<ドナルド・B・ビアリー>:FF-1085(フリゲート)を参照。

<ドナルド・W・ウルフ>:APD-129(高速輸送艦)またはDE-713(護衛駆逐艦)を参照。

<ドナルド・クック>:DDG-75(駆逐艦)を参照。

<ドナルドソン>:DE-44(エヴァーツ級護衛駆逐艦)またはDE-55(バックレイ型護衛駆逐艦)を参照。

ドナルドダック艦隊>:アメリカ海軍が第2次大戦時に配備した、85トン級木造SC260トン級鋼製PCによる護衛艦隊の通称。主に沿岸哨戒に使用されたが、南米航路や地中海の船団護衛に就いたこともあった。1942年末から600トン級のPCEも配備された。参考:第2次大戦のアメリカ軍艦

<ドナルド・ユージン・ラニャン>:ラニャン(アメリカ海軍エース)を参照。

<トニ>:試製特殊牽引車を参照。

<トニー>:三式戦闘機シリーズを参照。

<トニーナ>:S-62(潜水艦)を参照。

ドニェーストル・シリーズ>:ソ連が開発した弾道ミサイル早期警戒レーダーで、米軍コードはヘン・ハウス(鶏舎)。2010年に入ってもオレネゴルスクとミシェレフカの2カ所で使用されているが、さすがに老朽化しているので、後継としてヴォロネジを開発中。参考:月刊軍事研究10,077,12

 <ドニェーストル>:試作型で、コラ半島のオレネゴルスクとラトビアのスクルンダに設置され、1963-64年にテストが行われた。横に長い建造物上にフェイズド・アレイ・レーダーを設置して水平方向を広くカバー、垂直方向には45度程度を走査する。参考:月刊軍事研究10,07

 <ドニェーストルM>:ドニエプルともいう。実用型で、1968年頃から建設された。高さ50m・幅300mの反射器の前に、高さ20m、幅200m、奥行き12mの建造物上に45度上向きの横長フェイズド・アレイ・レーダーを設置したものを2基、ハの字に並べたもので、波長1.5-2m、ピーク出力10メガワット(2.5-3.5メガワット?)の電波を送信する。電波ビームは垂直走査用2本、水平走査用2本、コニカルスキャン1本で、探知距離600kmRCS1平方メートルで3000km?)。コラ半島のオレネゴルスク、ラトビアのスクルンダ、西部のムカチェヴォ及びセヴァストポリ、シベリアのバルハシ及びミシェレフカに設置された。このうちシベリアのものは設置方向からして対中国用とみられている。参考:月刊軍事研究10,077,12、ザ・マーチ33

 <ダウガヴァ>:ドニェーストルMのレーダー2基の設置角度を狭くしたもので、ミシェレフカとスクルンダに設置された。参考:月刊軍事研究10,07

<ドニェツ>:ZSU-23-4海外シリーズ(自走高射機関砲)を参照。

<ドニエプル>:ドニェーストルM(レーダー)を参照。

ドニエプル川渡河作戦>:第2次大戦時にクルスク戦とハリコフ・オリョール戦に勝利したソ連軍が引き続き行った作戦で、ドニエプル川西岸に防御線「オステン・ヴァンド」を形成したドイツ軍を撃破するものである。中央方面軍はデスナ河を強行渡河してキエフに進撃、ヴォロネジ方面軍は南方軍集団第4装甲軍を攻撃しつつドニエプル川渡河地点を確保、ステップ方面軍はドイツ第8軍を攻撃しつつドニエフロペトロフスク付近にドニエプル川渡河地点を確保することとした。1943826日に作戦を開始。中央方面軍は100km正面に突破口を作り、914日までにデスナ河を強行渡河して180km前進、キエフへの進撃路を確保した。ヴォロネジ方面軍は92日から参加、15日までに第4装甲軍をドニエプル川西岸に退却させた。ステップ方面軍は828日からドイツ第8軍の攻撃に入り、915日までにドニエプル川への攻撃準備を終了した。916日から各方面軍はドニエプル川への突進を開始。918日からヴォロネジ方面軍、922日からソ連中央方面軍、925日からステップ方面軍が渡河作戦を開始。930日までにドニエプル川西岸に到達し、4箇所の橋頭堡を確保した。南西方面軍も加わり、1014日までに23箇所の橋頭堡を確保、1030日にクリミア半島を孤立させた。参考:激闘 東部戦線(2)

ドニエプル川渡河作戦(ウクライナ方面軍)>:19431010日、第3ウクライナ方面軍がドイツ第1装甲軍右翼防御部隊の防御するザポロジエ橋頭堡に攻撃を開始。この時はドイツ軍の突撃破砕射撃と11回の反撃で進撃できなかったが、翌日に再び攻撃を行い、防御陣地に迂回攻撃をかけて外郭防御線を突破した。1013日、第4ウクライナ方面軍がドイツ第6軍のメリトポリ防御部隊を壊滅させてドニエプル川に橋頭堡を確保。第3ウクライナ方面軍はザポロジエ橋頭堡内郭防御線に夜襲をかけ、翌日夕方までに掃討を完了した。1015日、第2ウクライナ方面軍がドイツ第8軍に対し渡河攻撃を実施。退却するドイツ軍を追って1220日までドニエプロペトロフスク付近で戦闘を継続した。1023日、第4ウクライナ方面軍はメリトポリを制圧。115日、第4ウクライナ方面軍はペレコプ地峡に到達し、ドイツ南方軍集団とA軍集団の連携を遮断した。参考:激闘 東部戦線(2)

<とね>:DE-234(護衛艦)を参照。

利根(初代)>:日本海軍二等巡洋艦。垂線間長109.8m、常備排水量4113トン。主機はレシプロ蒸気機関で、速力23ノット。兵装は15cm単装砲2門、12cm単装砲10門、8cm単装砲4門、46cm魚雷発射管3門。明治43515日竣工。明治44年、イギリス国王ジョージ5世戴冠記念観艦式に参加。参考:月刊世界の艦船5,83

利根(2代目)>:日本海軍利根型重巡洋艦1番艦Tone。昭和9121日起工、昭和131120日竣工。昭和14520日、第6戦隊に編入された。昭和15年、艦停止中に射距離16000mで主砲8門斉射を行ったところ、散布界が400mもあって命中判定ゼロだったという。昭和16128日、第8戦隊に所属して真珠湾攻撃に参加。1221日、ウェーク島攻略作戦に参加。昭和1745日、セイロン島攻撃に参加。65日、ミッドウェイ海戦に参加。824日、第2次ソロモン海戦に参加。1026日、南太平洋海戦に参加。昭和1931日からサ号作戦に参加。318日、バタビアを出港し、シンガポールに向かった。3190000からサ号作戦時に捕らえたビハール号乗員65人を後甲板で殺害(ビハール事件)。619日、マリアナ沖海戦に参加。1022日、捷一号作戦に参加、比島沖海戦で爆弾4発と砲弾1発を受けて損傷した。ブルネイで応急修理の上舞鶴に回航され、修理に入った。昭和2011日、呉練習戦隊に編入された。220日、呉に回航され、燃料欠乏のため練習艦として海軍兵学校生徒の乗艦実習や訓練整備などに使用された。319日、呉で艦上機の空襲を受け、直撃弾1発と至近弾多数により小破した。54日、江田内に移り、錨を四方に展開して防空砲台になった。75日、特殊警備艦となった。724日、呉で空襲を受け、爆弾4発と至近弾7発を受けて損傷した。728日、呉で空襲を受け、直撃弾2発と至近弾6発により傾斜21度で大破着底し、そのまま終戦を迎えた。昭和2247日、呉で解体が開始された。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、連合艦隊巡洋艦、激闘!太平洋戦争地上戦、帝国陸海軍事典、海軍兵学校岩国分校物語、月刊丸8,95、月刊世界の艦船9,141,'23、日本海軍艦隊総覧、海軍操舵員よもやま物語

利根型>:日本海軍一等巡洋艦(重巡洋艦)Tone型。当初は最上型5番艦・6番艦になる筈だった(ので川の名前が付いている)が、建造中に日米関係が悪化、ロンドン条約も破棄されたため、主砲塔を1基減らして前部に集中、搭載機を増やして航続距離を倍増させ、対米決戦の前段である洋上の漸減作戦を遂行するのに十分な航空偵察能力を持つ重巡洋艦として完成した。主砲は20.3cm連装砲で、全て艦前部に搭載、艦の後ろ半分を飛行甲板にしてある。1番・2番砲塔は背負い式、3番・4番は後方を向けてタンデムに配置した。重量バランスを取るためと、誘爆時の損害を防ぐため、魚雷発射管は艦後部のカタパルト下に設置した。飛行甲板は2段(上甲板に繋がる前方の高い部分が発艦スペース、後方の低い部分が航空機露駐スペースで格納庫は無い)になっているため、航空機の運搬にやや難点がある。また、露天係止のため機体の故障が多く、稼働率が悪かった。搭載機数は当初6機だったが、航空機故障時の取り回しが効かなくなるため5機に減らされている。主砲の爆風は飛行甲板まで届かないので、砲戦中に航空機を発艦させることが可能である。舷側装甲は厚さ100mmNVNC甲鈑を20度傾けたもので、外側に大型のバルジを装着してインターナルアーマーとしている。水平防御はCNC甲鈑。居住性にも配慮がなされており、下士官や兵も釣床でなくベッドで寝られるようになっていて、人気が高かったらしい。全長201.6m、水線長198m、最大幅18.5m、吃水6.2m、平均吃水6.47m、基準排水量11900トン、公試排水量14070トン。主機は蒸気タービンで、出力152000馬力、4軸推進、速力34.7ノット、航続距離は18ノットで8000海里。舵は釣合舵で、面積20平方メートル。兵装は三年式五〇口径二号二〇サンチ連装砲4基、八九式四〇口径12.7サンチ連装高角砲4基、25mm連装機銃6基、九〇式六一サンチ三連装魚雷発射管4基(次発装填装置付)。呉式二号五型射出機2基と水偵5機(九四式と九五式を混載)を搭載する。乗員874名。利根と筑摩が昭和13-14年に竣工した。参考:連合艦隊巡洋艦、近代巡洋艦史、続・海軍製鋼技術物語、月刊世界の艦船12,104,129,14、日本海軍艦隊総覧、海軍操舵員よもやま物語

<利根事件>:ビハール事件を参照。

<ドネフ>:DE-49(護衛駆逐艦)を参照。

<トネレロ>:S-42(潜水艦)を参照。

殿>:日本陸軍の使用する敬称で、将官未満の上官に対するものである。参考:帝国陸海軍事典

トノパ核実験場>:アメリカの核実験場で、ネバダ州ナイ郡にある。1957年から使用されており、模擬弾頭の性能実験などに使用された。参考:核兵器事典

<とば>:AST-421(特務艇)を参照。

鳥羽>:日本海軍鳥羽型河用砲艦Toba。辛亥革命で建造が急がれ、佐世保工廠で起工4ヶ月後の明治44117日に進水、1114日には最大出力公試を行い、1117日に竣工した。乾舷が低いので海を渡れず、浮きドックに載せて軽巡洋艦笠置が上海まで引っ張っている。第1次大戦時は中国の中立表明に伴い武装解除されて上海で抑留された。昭和661日、単なる砲艦に類別変更された。昭和1277日、日華事変勃発時は第3艦隊第11戦隊に所属していた。昭和16128日の太平洋戦争開戦時は上海方面根拠地隊所属で上海におり、装甲巡洋艦出雲、旧式駆逐艦蓮と共にイギリス海軍砲艦ペトレルを撃沈した。その後は南京方面に展開し、臨検を行っている。昭和209月、国府海軍に接収されて合群(Hohseuh)と改称された。930日、日本の艦籍から除かれた。参考:日本海軍特務艦船史、小艦艇入門、日本海軍艦隊総覧

<トパーズ>:MR-320(レーダー)またはN001(レーダー)を参照。

トパーズ>:アメリカの合成開口レーダー偵察衛星Topaz、別名FIA-RADARFuture Imagery Architecture-RADAR)。高度1100km×1105km・傾斜角123度を周回する。初号機(USA-215)は2010920日にアトラス5ロケットで打ち上げられた。2号機(USA-234)は201243日にデルタ4Mプラスで打ち上げられた。3号機(USA-247)は2013126日に打ち上げられた。参考:月刊軍事研究10,14

<ドハーティ>:DE-14(護衛駆逐艦)を参照。

ドバイ・エアショー>:UAEで2年に1度開かれている国際航空ショー。完全トレードショーで、一般公開日は無く、2017年には会場外の一般観覧者用有料スタンドすら設置されなかった。2007年の10回目はドバイ国際空港で開催された。2017年の第15回は1112-16日にアル・マクトゥーム国際空港で開催され、55カ国から1200社が出展、航空機150機が参加し、80000人が訪れて1138億ドルの商談が成立した。空自第3輸送航空隊が国外運航訓練ついでにC-2輸送機1機(量産初号機)を参加させ、1112-13日に地上展示している。見学者から最も多く寄せられた質問は、不整地着陸能力の有無だった(残念ながら無い)。防衛装備庁もC-2ブースを出展した。防衛政務官が1112-14日に現地を視察、隊員や防衛装備庁職員を激励し、UAE軍参謀総長、UAE国防省事務次官、イギリス国際通商相、チェコ国防副大臣と会談している。2019年は1117-21日に開催された。空自から第403飛行隊C-2輸送機が参加して地上・飛行展示を実施、隊員がUAE空軍、アメリカ空軍、イギリス空軍、ブラジル空軍と部隊間交流を行った。2021年は1114-19日に開催された。空自から第3輸送航空隊C-2輸送機1機と隊員20名が参加している。参考:月刊JWings11,072,182,202,'221,'22、月刊航空ファン2,182,20MAMOR vol.133、朝雲

鳥羽型>:日本海軍河用砲艦Toba型。伏見型を拡大改良した国産砲艦で、速力を増大させて三峡を遡れるようにした。水線長54.86m、最大幅8.23m、吃水0.79m、基準排水量215トン、常備排水量250トン。主機は直立式2気筒2段膨張レシプロ蒸気機械3基、主缶はイ号艦本式石炭専焼水管缶2基、出力1400馬力、公試時出力1522馬力、3軸推進、速力15.0ノット、公試時最大速力16.098ノット、石炭搭載量81トン。兵装は四一式短8サンチ単装砲2門、陸式単装機銃1丁、麻式6.5mm水冷機銃6丁。乗員59名。鳥羽が明治44年に竣工した。後に五年式短八サンチ高角砲2門(甲板室上部前後)を搭載し、機銃を留式7.7mm水冷機銃2丁と三年式空冷6.5粍重機関銃4丁に換えた。参考:日本海軍特務艦船史、小艦艇入門、月刊モデルアート9,15増刊

とば級>:海上自衛隊特務艇。元はアメリカ陸軍の大型木造港内曳船で、当初曳船として導入されたが、大型艦が無かった当時の海上自衛隊にとっては能力過剰で、特務艇に区分変更されて標的曳航などに使用された。全長39.0m、最大幅8.5m、深さ4.4m、吃水3.6m、基準排水量390トン、満載排水量395トン。主機はディーゼル1基1軸1200馬力、速力11ノット。乗員22名。AST-421とばが1956年に区分変更された。参考:海上自衛隊全艦艇史、月刊世界の艦船11,'17増刊、5,02増刊

<トバゴ>:K585(フリゲート)またはTB-10(軽飛行機)を参照。

<トバゴXL>:TB-200(軽飛行機)を参照。

ドハヌシ>:インドの弾道ミサイルで、射程350kmとされる。参考:月刊軍事研究4,99

<鵄>:第321航空隊を参照。

とびお君>:佐世保地方隊の後方キャラクター。トビウオがモチーフで、佐世保地方隊創設65周年に合わせ、2018年の自衛隊記念日行事で発表された。参考:朝雲

トピコ>:鳥取地方協力本部のマスコットキャラで、因幡の白ウサギがモチーフである。名前の由来はTottoriPCO。参考:MAMOR vol.132、朝雲

<とびしま>:MSC-678(掃海艇)を参照。

<トビリシ>:アドミラル・クズネツォフ(空母)を参照。

ドファー級哨戒艇>:オマーン海軍哨戒艇Dhofar級。イギリスのヴォスパー・ソーニクロフト社が建造した。満載排水量400トン。主機はディーゼル、速力38ノット。兵装は76mmコンパクト砲1門(前甲板)、40mm機関砲(後甲板)、MM40エグゾセ4連装発射筒2基(上構後方両舷)。4番艇ムサンダムなど4隻が就役した。参考:JShips vol.48、月刊世界の艦船6,12THE MILITARY BALANCE 2016

<トプシー>:一〇〇式輸送機シリーズを参照。

<ドブラー>:DE-48(護衛駆逐艦)を参照。

<トブルク>:L50(重量物運搬艦)を参照。

トブルク級>:オーストラリア海軍重量物運搬艦(Amphibious Heavy Lift ShipTobruk級。空母改造輸送艦シドニーの後継として、イギリス海軍サー・ペディヴィア級LSTをベースに建造した。艦首尾に門扉を持ち、上甲板前方から中央に貨物搭載スペース、後甲板にヘリ発着スペースがある。艦橋前面には70トンデリックが、船首楼後端両舷には4.25トンクレーン2基が用意されている。全長127m、幅18.3m、吃水4.9m、満載排水量5700トン。主機はディーゼルで、出力9600馬力、2軸推進、速力18ノット。314名(350-500名?)の兵を輸送でき、戦車・車両及び貨物1300トン、LCM2隻、LCVP2隻を搭載可能である。防御兵装は40mm単装機銃2丁、12.7mm機銃2丁。乗員144名。1981年にトブルクが就役した。参考:月刊世界の艦船12,126,1511,006,058,82増刊

トブルク級>:リビア海軍沿岸哨戒艇。兵装は102mm砲1門。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

<トブルク攻略作戦>:ベネチア作戦を参照。

ドブレストヌイ>:ソ連海軍クリヴァクⅠ型フリゲートDoblestny1972年竣工。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

<ド・ヘイブン>:DD-469(フレッチャー級駆逐艦)またはDD-727(アレン・M・サムナー級駆逐艦)を参照。

<トペカ>:CL-67(軽巡洋艦)またはSSN-754(潜水艦)を参照。

トヘ車>:日本陸軍の試作ブルドーザーで、小松製作所が開発した。昭和18年に陸軍造兵廠から要求が出され、昭和192月に設計を完了、昭和20年に試作車が完成した。量産を容易にするため、エンジンは統制型を採用、履帯は戦車用のものを装備している。誘導輪は後方にあり、接地式として踏ん張りが効くようにした。ウインチも搭載しており、中速牽引が可能。全長6m、全幅3.2m、全高2.6m(幌付き)、重量15.0トン。エンジンは新潟鉄工所製陸軍統制型水冷V型8気筒ディーゼル(ボア120mm、ストローク160mm、排気量14450cc、定格出力120馬力、牽引出力100馬力)、トランスミッションは前進4段・後進1段、最大速度14.8km、最大後進速度4.36km。土工板幅2.5m、高さ0.8m。運行試験、整地試験、倒木試験が終わったところで終戦となった。参考:月刊グランドパワー8,10

ドペルデュサン>:フランス軍の戦闘機。元は1911年からドペルデュサン社が開発した高速機で、機首に機銃を付けて第1次大戦に投入された。全長6.09m、全幅6.65m、総重量500kg。最大速度200km。乗員1名。参考:月刊丸12,90

<トポール>:RPK-2(レーダー)を参照。

土木建築員>:航空自衛隊の職種。基地施設の維持管理補修建設、土木除雪作業、関連車両整備を担当する。重機を扱うので、大型特殊免許が要る。第3術科学校で教育を行う。参考:MAMOR vol.122

土木建築小隊(航空自衛隊)>:航空自衛隊基地業務群施設隊隷下の部隊で、基地内建築物や滑走路の整備補修などを担当する。参考:MAMOR vol.109

土木用多目的車>:航空自衛隊の施設車両。メルセデス・ベンツ社製ウニモグU-427105型ボンネットトラックにフロントローダ、バックホー、ドーザーブレードなどを装着している。全長4.7m、全幅2.2m、全高3.05m、車重7.97トン、最大積載量2.2トン。乗員2名。土佐清水分屯基地に配備されている。参考:自衛隊装備年鑑1996、航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊丸3,13

<トポネ>:AMXシリーズ(攻撃機)を参照。

ドボラ級>:イスラエル海軍ミサイル艇。兵装はガブリエル発射筒2基。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

<トマソン>:DE-203(護衛駆逐艦)を参照。

苫小牧飛行場>:日本陸軍の飛行場。参考:月刊JWings11,18

<トマホーク>:BGM-109シリーズ(巡航ミサイル)またはP-40シリーズ(戦闘機)を参照。

<トマホークMk.ⅡA>:P-40海外シリーズ(戦闘機)を参照。

トマホーク外交>:1990年代以降、自軍の人的被害を出さないトマホーク攻撃による軍事介入を多用するようになったアメリカを揶揄する言葉。参考:月刊世界の艦船3,05

<トマホークスキー>:RKP-55(巡航ミサイル)を参照。

<トマホーク武器管制システム>:トマホーク武器システムを参照。

トマホーク武器システム>:アメリカ海軍のBGM-109トマホーク巡航ミサイル運用システム。戦域任務計画センターTMPC(Theater Mission Planning Center)/洋上計画システムAPS(Afloat Planning System)、トマホーク武器管制システムTWCS(Tomahawk Weapon Control System)/戦闘管制システムCCS(Combat Control System)、発射システム、トマホーク地上攻撃ミサイルBGM-109で構成される。TMPCはハワイのキャンプ・スミスとヴァージニア州ノーフォークにある戦域巡航ミサイル支援庁に設置されており、攻撃目標位置や発射割り当てなどの任務計画を立案する。APSTMPCの簡易版で、空母艦上に配置したり、車載して陸上に配置できる。TWCS/CCSはトマホーク用FCSで、TWCSが水上艦用、CCSが潜水艦用であり、自艦位置、レーダー、ミサイル発射システムなどからの情報を統合してミサイル飛翔経路を決定する。発射システムはMk41水上艦用VLSまたはMk36潜水艦用VLSまたは魚雷発射管など(地上発射型が現役だった頃は車載ランチャーも)で構成される。参考:月刊軍事研究2,18

<トマホーク・ベースライン改良計画>:トマホーク・シリーズ(巡航ミサイル)を参照。

トミー・ガン>:トンプソン・マシンガンの俗称。M1919M1921M1928M1M1A1の各タイプがある(採用されたのは後ろ3つ)。参考:GUN用語事典

富岡倉庫地区>:在日米海軍の補給施設で、荷揚げや物資一時保管に使用されていた。20095月、日本に返還された。参考:月刊軍事研究4,10

富岡丸>:日本陸軍輸送船Tomioka maru。元は大正6年(1917年)3月に進水した藤山海運近海航路用小型貨物船である。垂線間長61.56m、幅9.45m、深さ5.64m、吃水4.97m、総トン数966トン、重量トン数1424トン。主機は三連成汽機1基1軸650馬力、航海速力10ノット、最大速力11ノット。太平洋戦争で陸軍に徴用された。昭和1858日、ラバウルからニューギニアのマダンに向かう途中、マダン港外でB-25の爆撃を受け沈没した。参考:月刊世界の艦船10,17

富高飛行場>:日本海軍の飛行場。参考:月刊JWings11,18

<トミッチ>:DE-242(護衛駆逐艦)を参照。

<ドミトリー・ドンスコイ>:TK208(原潜)を参照。

ドミトリー・ドンスコイ>:ソ連海軍68bis-ZIF型巡洋艦Dmitry Donskoy1953423日起工。進捗率2.1%で建造中止となり、19537月に船体のみ第402造船所に移送され、モロトフスクの一部にされた。参考:ソ連/ロシア巡洋艦建造史

ドミトリー・ドンスコイ>:ロシア海軍955A型戦略原潜Dmitriy Donskoy2021823日、セブマシュ造船所で起工式を実施。参考:月刊世界の艦船11,21

ドミトリイ・ポザールスキー>:ソ連海軍スヴェルドルフ級巡洋艦Dmitry Pozharski1952331日起工、1953625日進水、19541231日竣工。1955131日、第4艦隊に配属された。224日、北洋艦隊に転属。97日、太平洋艦隊第14小艦隊に転属。19566月、上海を訪問。1968年、太平洋艦隊司令官旗艦となった。3-4月、ソ連海軍艦艇として初めてインドを訪問。19694月から197010月、大改装を受けた。1979130日、予備役に入り、ウラジオストク海軍基地で保存された。19802月から19851月、大改装を受けた。198735日に除籍され、1990年にスクラップとしてインドに売却された。参考:ソ連/ロシア巡洋艦建造史、近代巡洋艦史

ドミトリー・ロガチョフ>:ロシア海軍プロジェクト22160哨戒艦2番艦Dmitri Rogachev、艦番号3752014年起工、20196月就役。2021211-16日、アマン21に参加。参考:月刊世界の艦船12,1410,195,21

ドミニー・シリーズ>:イギリス空軍の練習・連絡機Dominie。デハビラント社製のDH.89ドラゴンラピード軽旅客機を軍用にしたものである。総生産数521機。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

 <ドミニーMk.Ⅰ>:軽輸送連絡機型で、1938年から配備した。全長10.52m、全幅14.63m、全備重量2.49トン。エンジンはデハビラント社製ジプシークィーン(200馬力)双発で、巡航速度212km、最大速度253km、実用上昇限度5090m、航続距離920km。乗員6名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

 <ドミニーMk.Ⅱ>:通信・航法練習機型で、1939年から配備した。乗員10名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

ドミニーT Mk.Ⅰ>:イギリス空軍航法練習機Dominie(スコットランド地方言語で教師の意)。ミーティアNF(T)Mk.14の後継として20機を配備し、196512月から運用が開始された。2013年に退役する予定だったが、予算削減のあおりで2011121に退役を完了した。参考:月刊航空ファン5,11

<ドミニカ>:K507(フリゲート)を参照。

ドミニカ海軍>:1948年、トルヒーヨ級駆逐艦1隻が就役。参考:月刊世界の艦船11,13

ドミニカ海軍(1977年)>:兵力4000名。タコマ級フリゲート2隻、リバー級フリゲート1隻、フラワー級コルベット2隻、航洋掃海艇2隻、哨戒艇14隻、LCM1隻、上陸用舟艇2隻を保有する。参考:軍事力バランス78年版

ドミニカ海軍(1989年)>:兵力4000名。サント・ドミンゴに司令部、ラス・カルデラスに基地がある。メラ級外洋哨戒艦1隻、ベテルギューズ級内海哨戒艇1隻、小型内海哨戒艇10隻、汎用揚陸艇1隻、外洋曳船3隻、給油艦2隻を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ドミニカ海軍(2015年)>:現役兵力11200名。サント・ドミンゴに司令部がある。特殊部隊ユニット1個、水陸両用保安ユニット1個、哨戒艇17隻、LCU1隻、兵站支援船13隻を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ドミニカ空軍>:2009年、A-29B軽攻撃機8機の引き渡しが開始された。参考:月刊航空ファン4,10

ドミニカ空軍(1977年)>:兵力3500名。B-26爆撃機7機、バンパイア10機、F-51D戦闘機20機、T-28D対ゲリラ戦機6機、PBY-5哨戒機2機、C-46輸送機6機、C-47輸送機6機、ビーバー3機、T-6練習機4機、T-11練習機、T-33練習機2機、セスナ172練習機4機、UH-12ヘリ2機、OH-6Aヘリ7機、UH-19ヘリ2機、アルエートⅡ/Ⅲヘリ3機を保有する。参考:軍事力バランス78年版

ドミニカ空軍(1989年)>:兵力3800名。A-37B対ゲリラ戦機8機、C-47輸送機3機、コマンダー680輸送機1機、MU-2輸送機1機、ラリエ・コモドール輸送機1機、セスナ210連絡機1機、O-2A連絡機5機、PA-31連絡機2機、クイーンエア80連絡機3機、ベル205ヘリ8機、ヒューズ500Dヘリ1機、SA-318Cヘリ2機、SA-365要人輸送ヘリ1機、AT-6練習機2機、T-28D練習機2機、T-34B練習機6機、T-41D練習機3機、20mm高射機関砲4門を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ドミニカ空軍(2015年)>:現役兵力10000名。年間飛行時間60時間。AMT-200Super Ximango偵察用モーターグライダー1機、C-212-400輸送機3機、セスナ172輸送機1機、セスナ182輸送機1機、セスナ206輸送機1機、セスナ207輸送機1機、コマンダー690輸送機1機、EA-100輸送機1機、PA-31輸送機1機、EMB-314練習機8機、T-35B練習機5機、OH-58CH-136)9機、ベル205UH-1HヒューイⅡ)8機、ベル205UH-1Hイロコイ)5機、H155要人輸送ヘリ1機、S-333輸送ヘリ2機、20mm高射機関砲4門を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ドミニカ軍>:

 <ドミニカ軍(2015年)>:現役兵力56050名(陸軍28750名、海軍11200名、空軍16100名)、準軍事組織(国家警察)15000名。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<ドミニカ国連事務総長代表使節団>:DOMREPを参照。

ドミニカ陸軍

ドミニカ陸軍(1977年)>:兵力11000名。歩兵旅団3個、混成機甲大隊1個、山岳歩兵大隊1個、空挺大隊1個、大統領親衛大隊1個、砲兵連隊1個、高射砲連隊1個、工兵大隊1個、機甲偵察中隊1個からなる。AMX13軽戦車20両、AML/リンクス装甲車20両、75mm/105mm/122mm榴弾砲、40mm高射機関砲を配備する。参考:軍事力バランス78年版

ドミニカ陸軍(1989年)>:兵力13000名。防衛区域5個、歩兵旅団4個、機甲大隊1個、大統領親衛大隊1個、砲兵大隊1個、工兵大隊1個からなる。AMX-13軽戦車2両、M-41A1軽戦車12両、AML偵察車20両、V-150装甲兵員輸送車8両、M16ハーフトラック20両、105mmM-10122門、81mm迫撃砲M-1120mm迫撃砲ECIA24門、106mm無反動砲を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ドミニカ陸軍(2015年)>:現役兵力28750名。国土を防衛区域5個に分けている。特殊作戦大隊3個、機甲大隊1個、第1歩兵旅団(歩兵大隊3個)、第2歩兵旅団(歩兵大隊4個、山岳歩兵大隊1個)、第3歩兵旅団(歩兵大隊3個)、第4歩兵旅団(歩兵大隊2個)、第5歩兵旅団(歩兵大隊2個)、第6歩兵旅団(歩兵大隊1個)、空中騎兵旅団(コマンドー大隊1個、第6山岳連隊1個、ヘリ中隊1個)1個、大統領警護連隊1個、保安大隊1個、砲兵大隊2個、工兵大隊1個からなる。M41B軽戦車(76mm砲装備)12両、LAV-150装甲車8両、105mmM101を4門、105mm砲レイノサ105/2612門、81mm迫撃砲M160門、107mm迫撃砲M30を4門、120mm迫撃砲エクスパル・モデルLを24門、106mm無反動砲M40A120門、37mm対戦車砲M320門、OH-58A観測ヘリ4機、OH-58C観測ヘリ4機、R-22軽輸送ヘリ4機、R-44軽輸送ヘリ2機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<ドミニク・サルバトーレ・ジェンタイル>:ジェンタイル(アメリカ陸軍エース)を参照。

<ドミネーター>:B-32(爆撃機)またはDA42UAV)を参照。

ドミネーター>:イスラエルのエルビット社が開発した統合歩兵戦闘システムで、イスラエル国防軍による陸軍デジタル化計画に基づいて開発された。兵士が所有する2つのセンサーから得られた情報は、リアルタイム戦術位置情報表示システム「タイガー」を通じて個人デジタル端末に提供され、全兵士がリアルタイムで情報を共有し、最新の戦場画像をヘルメット装着型個人ディスプレイで確認できる。兵士の武装は40mmグレネードランチャー付きの小銃で、火器装着式射撃管制システム(昼夜カメラ及びレーザー測距機装備)を搭載する。参考:月刊軍事研究4,08

富野分屯地>:陸上自衛隊の分屯地。所在地は福岡県北九州市小倉北区大字富野官有無番地。参考:JGround Vol.23

 <富野分屯地(2015年)>:九州補給処富野弾薬支処が置かれている。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

<トムキャッターズ>:VF-31(戦闘飛行隊)またはVFA-31(戦闘攻撃飛行隊)を参照。

<トムキャッツ>:VMA-311(海兵攻撃飛行隊)またはVMFA-311(海兵戦闘攻撃飛行隊)を参照。

<トムキャット>:F-14シリーズ(戦闘機)を参照。

<トム・グリーン・カウンティ>:LST-1159(戦車揚陸艦)を参照。

トムシー>:トムソンCSF社が開発したネイヴァル・コンバット・システムThomsea。ベガ・シリーズなどの艦載FCSの改良型である。トリトンG/トリトンⅡMTI/トリトンS/シータイガーといった対空・対水上捜索目標指示レーダー、カスターⅡC/カスターⅡJ射撃指揮レーダー(TVまたはIR追尾装置付き)、電子光学ダイレクター(TV、赤外線撮像装置、レーザー測距器、Kバンドレーダー装備)、FCSコンピュータ、補助コンピュータ、戦術表示盤、トラック・ワイル・スキャン・システム(16-64目標同時捜索追尾可能)、艦砲(100mm砲など)、CIWS30mmシーバルカンなど)、対艦ミサイル、対空ミサイル(クロタルなど)、対艦魚雷、対潜兵器で構成され、オプションで追加の光学サイトやダイレクター、IFFESMECM、ソナー、航法システムなどを追加できる。参考:ザ・マーチ42

<トムスク>:K-526(潜水艦)を参照。

トムスク7>:1951年に創設されたソ連の核兵器生産閉鎖都市で、シベリア化学コンビナートを擁し、生産用原子炉や濃縮工場などが建設されていた。1955-67年に5基の原子炉が操業を開始、プルトニウムの生産を行った他、発電用としても使用された。1990-92年に3基が閉鎖された。参考:核兵器事典

<トムソン>:20(潜水艦)を参照。

トムソンCSF社>:Thomson-CSF。電機のトムソン社と通信のCSF社が1968年に合併してできた会社で、電子機器の開発を行っていた。オイルショック後に経営が悪化したため、1982年にフランス国有となり、1983年に民間電気通信部門と医療部門を売却。1987年にアメリカのRCA社とGE社の家電部門を買収。1990年代にオランダのシグナール社、イギリスのピルキントン社、リンク・マイルズ社などを買収し、国際的電子機器企業グループに成長した。1996年にトムソン・マルコーニ・ソナー社を設立。1997年に民営化され、アルカテル及びダッソー・インダストリーの軍需部門を統合し、1999年に軍需と民需を分割することになり、オーストラリアの防衛企業ADI、南アフリカのADSを買収、2000年にイギリス防衛通信大手のラーカル・エレクトロニクス社を買収し、韓国のサムスンやアメリカのレイセオン社と提携、社名もタレス社に変更した。参考:月刊世界の艦船6,05、月刊軍事研究11,079,07

<トムソン級>:209/1300型潜水艦(チリ海軍)を参照。

トムソン社>:フランスの電機会社で、元はアメリカのトムスン・ヒューストン社が1892年にフランスに設立した現地法人である。1917年にダイヤル式電話を発明した。1966年にホッチキスブラント社と合併してトムソン・ブラント社になり、1968年にCSF社と合併、トムソンCSF社となった。参考:月刊世界の艦船6,05、月刊軍事研究11,079,076,10

<ドム・フランシスコ・デ・アルメイーダ>:F334(フリゲート)を参照。

<ドメット>:K473(フリゲート)を参照。

巴戦>:格闘戦術の1つで、互いに旋回を繰り返して相手の後方に付こうとするもの。参考:グラフィックアクション36

共食い整備>:カニバリゼーション整備ともいう。故障・損傷した兵器に、別の兵器から外した部品を取り付けて整備再生させること。パーツの規格が統一され、それに見合った精度で製造されている必要があり、太平洋戦争時に零戦で共食い整備しようとしたところ主翼のボルトの孔が合わず、九七式艦攻の兵装ラックを他機に流用しようとしたら付けられなかったという有様では無理である。あくまでもその場しのぎの部品不足対策であり、使い古しの流用であるから、早期に新しい補充パーツを調達する必要があり、在庫が間に合っているような錯覚に陥ってしまうと危険。参考:月刊軍事研究10,16、海軍こぼれ話

ともしび会>:航空自衛隊遺族会。参考:朝雲

友知>:日本海軍日振型海防艦Tomoshiri。工程20%で終戦を迎えた。参考:月刊丸7,14

トモダチ作戦>:アメリカ軍による東日本大震災救援作戦、Operation TOMODACHI。震災発生直後にルース駐日アメリカ大使が北澤防衛大臣に対し支援の意向を伝えており、311日夜に外務大臣が在日米軍による支援を正式に駐日アメリカ大使に伝えた。この作戦名が付いたのは313日(16日?)で、命名したのは駐日アメリカ大使(アメリカ太平洋軍北東アジア課職員?)である。部隊名は統合災害支援部隊(アメリカ太平洋軍危機対応部隊。第519統合任務部隊の転用)、司令官は在日米軍司令官フィールド空軍中将(324日以降はウォルシュ太平洋艦隊司令長官)で、上級司令部はハワイの太平洋軍司令部であり、現地司令部は横田基地に置かれた。隷下に統合部隊陸上構成コマンドと統合部隊航空構成コマンドを置いて陸軍(USARJ)、海軍(第7艦隊。海上作戦は統合部隊でなく海軍単独で実施、現場指揮官はCVN-76ロナルド・レーガン空母打撃群指揮官ギリア少将)、空軍(第13航空軍)、海兵隊(第3海兵遠征軍)を統制、統合幕僚監部との調整は防衛省及び横田基地の日米共同調整所、統合任務部隊司令部との調整は仙台駐屯地に開設された日米共同調整所で行っている。最大規模は兵員2万名、航空機160機、CVN-76ロナルド・レーガン、DDG-88プレブル、LHD-2エセックス、LHD-4ボクサー、LPD-20グリーン・ベイ、LSD-46トーデュガ、T-AO-204ラパハノックなど艦艇20隻であった。また、アクア作戦のため福島第一原発冷却用の真水を搭載したパージ2隻を提供した。大規模災害では初めて日米物品役務相互協定が適応され、自衛隊からアメリカ軍に燃料などが、アメリカ軍から自衛隊に輸送用資材などが提供された。厚木基地とロナルド・レーガンから派遣されたE-2C早期警戒機1機ずつを東北北部と南部に配置して航空管制を実施。固定翼輸送機は三沢基地に援助物資を運び込み、ヘリ部隊が救援物資を搭載して孤立した避難所を空から捜索し、見つけ次第着陸して救援物資を送り込んだ。これにより存在が判明して漸く救援物資の届いた避難所もある。艦艇は被災していない海岸から物資や人員、機材を揚陸した。空母航空団はF/A-18に偵察ポッドを積んで被災地の写真偵察を行い避難所や孤立地域を割り出し、ヘリ7-10機を常時飛行させて物資を輸送した。言葉の壁を越えるため、日本語の説明書を段ボール箱に貼り付けたり、レーションの食べ方の説明書を作成したり、英語・日本語併記の質問票(回答は空母に持ち帰って海自連絡士官が翻訳する)を作ったりしている。初期には通関と検疫の関係でアメリカ海軍の物資をそのまま被災者に渡せなかったため、いちいち護衛艦ひゅうがに移してから海自部隊が配布していたが、その後直接運べるようになった。日本以外の国での支援の経験から、物資が力ずくでの奪い合いになることを恐れ、運ぶ時間や場所を指定せずに輸送すべきだと主張するアメリカ軍幹部もいたが、避難所できちんと整列して物資を受け取り、子供などの弱者にサービス配給まで行われている光景を見て感嘆し、考えを改めたという。他国では救援物資を積んだヘリが着陸しようとすると、被災者が殺到して着陸できなくなり、空中投下する羽目になったりするが、遠巻きで着陸を待ち、物資を降ろすのを手伝い、お礼をして感謝の意を示したり、他の被災者の事を思いやって救援物資を全ては受け取ろうとしなかったりする姿に、世界中の救援でこんな光景を見たことがない、こんな言葉も聞いたことがない、と救援に来たアメリカ海軍が逆に感動する状況だった。ちなみに自然災害救援は日米安保の対象外だが、いち早く救援を決定した理由は、「友達だから。他に理由は要らない」(第7艦隊第76任務部隊司令官スコット・ジョーンズ少将)ということである。かかった費用はアメリカ国防省の海外人道災害市民支援予算から充当される。福島原発事故の被害が拡大して在日アメリカ人の大規模避難が必要となった場合に備え、パシフィック・パッセンジャー作戦を立案し、第505統合任務部隊を編成して任務に充てる予定だったが、こちらが活躍する事態は避けられた。

20113111446(アメリカ東部時間0046)、震災発生を受け、ハワイの太平洋津波警報センターが40カ国に津波警報を出し、アメリカ国際開発庁が即応管理チームを設置、大使館を通して緊急救援対策費100000ドルを拠出し、615600ドルを計上した。日本政府はアメリカ政府に救援を要請、ルース駐日アメリカ大使も大災害を宣言し、即応管理チームは災害救援対応チーム、フェアファックス郡・ロサンゼルス郡都市部捜索救助チームを日本に向け出発させた。在日米軍司令部は駐日アメリカ大使館と共に救援準備に入った。同日朝にシンガポールに入港していたLCC-19ブルーリッジ艦内に置かれているアメリカ海軍第7艦隊司令部は、西太平洋で活動中の艦艇に対し、人道支援・災害派遣を指示した。これを受け、マレーシアのコタ・キンバルとインドネシアにバリカタン演習参加のため入港していたLHD-2エセックス揚陸即応群と、米韓共同演習キー・リザルブに参加予定だったCVN-76ロナルド・レーガン空母戦闘群(CVNロナルド・レーガン、CG-62チャンセラーズビル、DDG-88プレブル、T-AOE-10ブリッジ。空母戦闘群指揮官ギリア少将は日本で2度の勤務経験あり、ロナルド・レーガン艦長はブルーリッジの艦長を務めた経験あり)、横須賀基地に停泊している出動可能な全艦艇(DDG-62フィッツジェラルド、DDG-56ジョン・S・マッケーン、DDG-85マックキャンベル、DDG-54カーティス・ウィルバーなど)、佐世保のLSD-46トーテュガ、LSD-42ジャーマンタウン、LSD-49ハーパーズ・フェリーが上陸用舟艇や物資を積むなどして夜までに東北沖に向かい、ブルーリッジ自身もP旗(一字信号は出港近し総員帰船せよ)を掲揚して上陸していた乗員を呼び戻し、救援物資を積み込んで出港準備を整えた。各在日米軍基地には対策センターが設けられ、アメリカ海軍は海上対処セルを編成して横田基地に派遣、アメリカ他軍種及び海上自衛隊との作戦調整を開始した。特殊部隊は統合軍特殊作戦部隊指揮官隷下にアメリカ空軍第352特殊作戦群、陸軍第1特殊部隊群第1大隊、海軍第1海軍特殊戦部隊を置いて仙台空港復旧作戦を立案。ホワイトビーチのアメリカ海軍第7艦隊第76任務部隊司令部が津波に備えて嘉手納基地に移動。横田基地が成田に着陸できなくなった民間機11機を着陸させ、乗客を基地内一次避難所に収容した。アメリカ空軍第18工兵分遣隊/第18民生建設中隊が嘉手納基地で輸送機に乗り込み、三沢基地の損害を復旧するため出発した。メリーランド州アンドリューズ空軍基地からヴァージニア州フェアファックス郡捜索救難隊と救難器材を載せたC-17輸送機が三沢基地に向け離陸。ワシントン州マッコード空軍基地から第4輸送航空隊C-17輸送機が離陸し、カリフォルニア州リバーサイドのマーチ予備役空軍基地でロサンゼルス郡捜索救助隊と器材を積み込んで三沢基地に向かった。パールハーバー・ヒッカム統合基地から輸送支援用C-17輸送機が救援器材を搭載して離陸し、日本に向かった。海兵隊救援部隊の指揮は第3海兵遠征軍司令官が執ることとなり、救援物資をKC-130Jに積み込んで横田基地に輸送する準備を開始。HMM-265所属CH-46Eのうち半数が災害救援活動のため厚木基地に移動した。1530頃、第3海兵遠征軍司令部が危機対処計画立案チームを立ち上げ、2100までに参謀見積もりを仕上げて司令官にブリーフィングを行った。

312日、ブルーリッジが日本に向け出港。厚木基地のHSL-51に所属するSH-60Bが海老名市や基地関係者などからの救援物資を搭載して被災地に輸送した。CVW-5/HS-14SH-60Fヘリ2機が海老名市民からの支援物資7トンを白石市の野球場に輸送した。嘉手納基地のアメリカ空軍第18工兵分遣隊/第18民生建設中隊要員50名以上が三沢基地に到着し、基地の電源復旧作業を開始。0900、第3海兵遠征軍司令官が在日米軍司令官とテレビで会談し、派遣第一波となる前方指揮エレメント20名を横田に送り込むこととなった。午後、第18航空団第33救難航空隊のHH-60Gヘリ5機が嘉手納から横田に展開。他に空軍のMC-130P、海兵隊VMGR-152KC-130Jなども横田に集結した。アメリカ本土では航空機動軍団がアラート態勢に入り、空軍第615介入対応大隊も即応体制に入った。

313日、烏山空軍基地の第9偵察航空団第5偵察飛行隊U-2Sが被災地を撮影。福島原発事故を受け、放射線検知センサーも搭載していたとみられる。画像はビール基地で分析された。また、ネブラスカ州オファット空軍基地の第55航空団WC-135Wコンスタント・フェニックスも空中微粒子サンプリング任務を行っていた。HH-60Gを使用して空軍と海兵隊の合同チームが捜索救難を開始。仙台空港の被害偵察(未だ海水と土砂と瓦礫に覆われていた)や、横田基地と三沢基地の中間にあって被災地にも近い山形空港をヘリコプター用燃料補給基地として使えるかどうかの視察も行っている。ロサンゼルスの捜索救難チームが第4輸送航空隊C-17輸送機により三沢基地に到着。VMGR-152KC-130Jは普天間基地や岩国基地で隊員や物資を詰め込んで厚木基地や横田基地へと輸送した。早朝、第1海災部隊(第1護衛隊群)旗艦きりしまで日米調整会議を実施。会議終了後、第5護衛隊司令ら3名が海自ヘリでCVN-76ロナルド・レーガンに移乗し、連絡調整業務を開始した。午前、ロナルド・レーガン空母打撃群4隻が宮城県仙台沖160kmに到着し、0900に空母打撃群指揮官ギリア少将と幕僚4名が護衛艦きりしまにヘリで到着、海自現地指揮官との事前調整会議を行い、空母艦内PX及び厚木基地売店に備蓄してある大量の物資を被災者に届けることを決定、海自連絡士官2名をCVN-76に、アメリカ連絡士官2名をDDH-181ひゅうがに派遣することとした。また、CVW-14/HS-4SH-60Fが捜索救難任務を開始し、第22航空群のSH-60Jがロナルド・レーガンに着艦して給油するなど海自とも協力して救援任務を実施した。第15駆逐隊DDG-54カーティス・ウィルバー、DDG-56ジョン・S・マッケーン、DDG-85マッキャンベルもロナルド・レーガン空母打撃群に加わって捜索救助活動に入っている。午後、HMM-265CH-46Eヘリ8機が厚木に展開。HS-4は陸前高田市から640名の被災者を救出した。夜、アメリカ空軍第33救難航空隊の医療チームと救援チームがHH-60Gに搭乗して嘉手納基地を離陸。第17特殊作戦飛行隊MC-130Pが救援要員を載せて嘉手納基地から横田基地に到着。この日までに海軍艦艇8隻、航空機15機以上、将兵5300名が作戦に参加し、食糧635kg、支援物資3900kgの輸送を実施した。自衛隊との作戦調整は海自とアメリカ海軍の指揮官同士が洋上で行っていた。

314日、自衛隊統合任務部隊と仙台駐屯地で調整会議を開催。在日米陸軍第1軍団前方司令部が仙台駐屯地に通訳、通信兵、衛生兵など10名を派遣し、緊急作戦センターを設置。第3海兵遠征旅団司令官が第3海兵遠征軍前進部隊司令部の司令官代理(第3海兵遠征軍司令部はLHD-2エセックスに搭乗)として仙台駐屯地に展開し、前進司令部を設置した。放射線被曝を避けるため、福島第一原発から50マイル以上離れるよう指示が出された。福島第一原発上空で放射線観測を行ったCVN-76ロナルド・レーガン搭載ヘリのパイロットから低レベル放射性物質が検出されたこともあり、救助艦隊は原発から離れ、風上側に移動している。HMM-265CH-46Eが仙台の緊急設営ヘリポートを拠点に仙台周辺での捜索救難活動に入った。31MEUがエセックスに乗艦したり、横田から仙台にCH-46で空輸されたりなどして被災地に向かった。エセックスとLSD-42ジャーマンタウンで艦上CBRNE対策訓練を実施。第3海兵遠征軍第3戦闘兵站群が沖縄から岩国基地までの海兵隊資材輸送に高速輸送船ウエストパック・エクスプレスの投入を決定し、0900に那覇港を出港した。三沢基地にロサンゼルス、バージニア州フェアファックス、イギリスから派遣された捜索救難チームが到着、第35戦闘航空団要員が大船渡に輸送した。エルメンドルフ・リチャードソン統合基地からのC-17A輸送機も三沢基地に着陸し、水21.3トンなどの支援物資を運び込んだ。空軍第353特殊作戦群がMC-130Hで嘉手納基地から横田基地に向かった。空軍第320特殊戦術中隊が横田基地に集結。HH-60Gが被災地での捜索救難任務、救援物資輸送任務を実施。第459空輸飛行隊のUH-1Nヘリ2機が霞目飛行場に展開し、活動を開始した。烏山基地のアメリカ第7航空軍が発電機24基を三沢基地に輸送した。

315日、第3海兵遠征軍前進部隊司令部は沖縄-岩国-厚木-仙台の航空ルートを確立し、要員と物資の輸送を実施。山形空港をアメリカ軍前方活動拠点とする許可が下り、C-130輸送機で山形空港に給油車両、資材、人員を輸送し、燃料給油拠点とした。ロナルド・レーガンからHS-4が救援物資を輸送。29ミッションをこなし、救援物資27トンをヘリで空輸した。駆逐艦プレブルが艦載ヘリで700ポンド(317.5kg)の救援物資を輸送。飛行中に発見した避難所に適宜緊急着陸し、状況を把握、艦に戻って物資を積み込み、引き返して配布した。エセックスがT-AKE-9マシュー・ペリーから救援物資入りパレット45個を洋上で受領し、ジャーマンタウンと共に日本を目指した。DDG-56ジョン・S・マッケーンがT-AOE-10ブリッジから、LCC-19ブルー・リッジがT-AO-197ペコスから洋上給油を受け、引き続き日本へと急行した。LSD-46トーテュガ(韓国の浦項で第14掃海ヘリコプター飛行隊を積み込んでいた)が苫小牧に入港し、陸自第5旅団300名、車両90両(新73式小型トラック13両、輸送車10両など)の青森県大湊への輸送任務に就いた。横田基地からP-22消防車を福島に陸送、日本側に引き渡し、アメリカ空軍第374工兵飛行隊消防隊要員4名と日本人基地従業員2名が使用法を消防庁に教授した(原発での作業にはアメリカ軍は参加していない)。三沢基地では復旧活動の合間を縫って基地近郊でのボランティア活動を行い、復旧要員以外の人員は大船渡などで支援活動を実施した。

316日、嘉手納基地にローテーション派遣されていたVP-4が活動拠点を三沢基地に前進させ、P-3CアップデートⅢAIP2機とクルー4組、人員70名を派遣した。三沢基地にC-17輸送機、ボーイング767C-2輸送機が到着し、人員329名、物資254ショート・トン、燃料111000ガロンを降ろした。福島原発注水用として佐世保基地のアメリカ海軍海洋システムコマンド緊急艦船救難資材ロッカーから消防ポンプ5台を提供、福岡空港からC-17輸送機で横田基地まで空輸した。また、使用法を教えるためシンガポールの第73任務部隊司令部の要員2名が横田基地に派遣された。被災地沖にはCVN-76ロナルド・レーガン、CG-62チャンセラーズビル、DDG-88プレブル、DDG-62フィッツジェラルド、DDG-56ジョン・S・マッケーン、DDG-85マックキャンベル、DDG-54カーティス・ウィルバー、DDG-89マスティンが展開していた。また、T-AOE-10ブリッジや、T-AKE-7カール・M・ブラシアが洋上補給により活動を支えた。ロナルド・レーガンのHS-4所属HH-60Hヘリが被災地まで15往復して救援物資を輸送。LHD-2エセックスに搭載されていた31MEUがヘリコプターで被災地に向かった。LSD-46トーテュガが陸自隊員300名と車両100両を苫小牧で積み込んで大湊に向け出港。KC-130Jが海兵隊員、物資、CBRNE対処器材を積んで嘉手納から厚木に輸送。烏山基地のアメリカ第7航空軍が発電機37基を三沢基地に輸送した。アンダーセン空軍基地の第9偵察航空団第9作戦群第3分遣隊に所属するRQ-4が原発や被災地の偵察飛行を実施。第1特殊作戦航空団第319特殊作戦飛行隊のU-28Aが横田から参加。C-17輸送機で嘉手納基地から横田基地に陸自第15旅団隊員を輸送。C-17輸送機とC-130輸送機で横田から三沢に発電機19基を輸送。松島基地の副滑走路に第17特殊戦飛行隊のMC-130P輸送機2機が復旧後初の着陸を行い、車両と資材、飲料水を運び込んだ。また、第353特殊作戦群第320特殊戦術中隊要員も降り立って航空管制を開始。うち16名はHMMWV2両で仙台空港に向かい簡易航空管制施設を設置、1430に第353特殊作戦群第1特殊戦飛行隊MC-130H特殊作戦機が強行着陸し、第320特殊戦術中隊の特殊部隊員、HMMWV、大型フォークリフトを降ろして(パラシュート降下はしていないとのこと)自衛隊員と共に滑走路1500m分の復旧と航空管制業務にあたらせた。

317日、仙台空港に救援機が着陸できるようになった。アメリカ国務省がアメリカ政府関係者(軍人含む)の家族に対し、希望するならば日本を離れることを許可するという声明を出し、脱出用チャーター便の運航も始まった。東シナ海でT-AKE-9マシュー・ペリーから援助物資を受け取っていたエセックス揚陸即応群(LHD-2エセックス、LSD-48ハーパーズ・フェリー、LSD-42ジャーマンタウン)が酒田港に入港。第31海兵遠征隊司令部がヘリコプターで揚陸即応群艦上を発ち、前進司令部を設置するため山形空港と仙台空港に向かった。CVN-76ロナルド・レーガンに帰艦したヘリ乗員3名からごく微量の放射性物質が検出されたため、除洗作業を実施。念のため空母打撃群は福島第一原発の風下から離れることになり、物資輸送に支障を来すことになった。艦船は125海里、陸上・航空部隊は50海里離れるよう命令が出されている。アメリカ北方軍統合任務部隊民生支援に所属するCBRNE事態管理対処部隊(CCMRF)の先遣隊9名が日本に到着した。ジャーマンタウンがマシュー・ペリーから燃料や水の入った箱8個を洋上で受領した。LSD-46トーテュガが陸自車両を大湊に揚陸。キャンプ富士から海兵隊員と陸自隊員が輸送機で山形空港に到着。C-17輸送機が陸自第15旅団隊員と車両を沖縄から横田基地に空輸。

318日、アメリカ海軍の将兵12750名、航空機140機、艦艇20隻が作戦に参加。ルース駐日大使は在日アメリカ人に対し、福島第一原発から半径50マイル圏外への避難を勧告。エセックス揚陸即応群(LHD-2エセックス、LSD-48ハーパーズ・フェリー、LSD-42ジャーマンタウン)が秋田港沖の日本海に集結し、搭載されていた第31海兵遠征隊の6名が松島基地の第3海兵遠征軍前進司令部に到着、災害派遣計画の調整を開始した。日本政府から具体的な救援要請が出されるまで、第31海兵遠征隊本隊は待機状態となったが、ハーパーズ・フェリーは車両や支援器材を秋田港に陸揚げしている。エセックス艦上のHMM-262所属CH-46Eが秋田港周辺の道路状況を偵察した。厚木基地のスペースを確保するため、CVW-5の戦闘攻撃飛行隊が沖縄やグアムに移動した。CVW-5のヘリコプター14機が人員と共に三沢基地に展開。VMGR-152KC-130J8機が岩国基地で、HMM-265CH-46Eヘリ8機が厚木基地で任務に就いていた。トーテュガは八戸沖に移動し、搭載したHM-14MH-53Eヘリ2機が山田駅に13トンの支援物資を輸送した。HSL-43がロナルド・レーガン空母打撃群から八戸に支援物資を輸送。VP-4P-3C2機が本州太平洋側・日本海側で哨戒飛行を行った。仙台空港にC-17輸送機が着陸可能となった。山形空港に陸軍のUH-60ヘリ2機が展開。山形空港に海兵隊が燃料集積地を設置し、アメリカ空軍兵站補給対応飛行隊が配置されて燃料補給や雪かきなどの滑走路整備にあたった。空軍が横田基地から山形/仙台に12トンの毛布を輸送。第17特殊戦飛行隊のMC-130Pが第33救難飛行隊のHH-60Gヘリ4機に空中給油を行った。この日までに第7艦隊は81トンの援助物資を輸送した。

319日、第17特殊戦飛行隊のMC-13072000ポンド(32.7トン)のJP-8燃料を山形空港に輸送した。横田基地から山形空港に化学防護服を輸送。横田基地から仙台空港に燃料を輸送。横田基地から福島空港にホウ素を輸送。C-130輸送機5機で百里基地にホウ素を輸送。横田基地のC-12UH-1Nが福島原発周辺の放射線データを収集した。この日までにロナルド・レーガン所属のF/A-18FAN/ASD-1245000枚の偵察写真を撮影した。エセックスにグアム、ピュージェット・サウンド、ノーフォーク、パールハーバーから放射線測定技師計21名が乗艦し、揚陸即応群要員に対する放射線測定を行った。昼過ぎ、横田基地に日本医師会から搬送依頼を受けた支援医薬品8.5トンが搬入された。1835、支援医薬品を積んだC-130輸送機が横田基地を離陸し、1920に花巻空港に到着した。岩手での配布分を降ろして2047に仙台空港に着陸している。

320日、C-17がハワイから横田基地を経由して百里基地に7パレット分のホウ素を輸送した。C-17がアメリカからの救援物資を搭載し、仙台空港に初着陸した。第17特殊作戦飛行隊のMC-130Pが厚木基地から山形空港に海兵隊員を輸送した。第33救難飛行隊のHH-60Gヘリ2機が気仙沼に支援医薬品を輸送した。エセックス揚陸即応群が太平洋側(八戸沖)に移動。漸く日本政府との救援活動調整が付き、太平洋上を拠点として岩手県沿岸を中心に支援活動を行うこととなった。第31海兵遠征隊のUH-1Nヘリ2機が八戸沿岸部を偵察。

321日、第535空輸飛行隊のC-17が横田基地から仙台空港に支援物資を輸送した。CVN-73ジョージ・ワシントンが横須賀を出港し、四国沖に向かった。ロナルド・レーガン空母打撃群は仙台北方沖から被災地の24地点に支援物資17トンを輸送した。エセックス揚陸即応群が自衛隊との連絡調整を行うため、仙台駐屯地に前方指揮エレメントを設置し、横田基地のアメリカ軍海上対処セルに連絡将校を派遣した。第31海兵遠征隊のHMM-262所属CH-46Eヘリ4機が水800ガロンと毛布768枚を自衛隊に提供。陸軍第35兵站任務部隊が相模デポから仙台空港に出発。被災地で救援活動を行っていたスイス災害救助犬協会員が急病で緊急手術を受け、スイスに帰国する必要が出たため、三沢基地にスイス航空機を受け入れて帰国支援を行った。

322日、横田基地に大型テントを設営し、通信回線を増強して体制を強化した。第36空輸飛行隊C-130が入間基地から松島基地まで灯油を輸送した。ロナルド・レーガン空母打撃群が個人的な寄付をHS-4のヘリにより青森に輸送した。陸軍第35兵站任務部隊が仙台空港に到着し、通信手段を確保、補給基地としての機能を強化した。HMM-262CH-53Eを編入して輸送力を増強させた。323日、在日アメリカ大使夫妻とアメリカ太平洋軍司令官夫妻が石巻の避難所を訪問し、被災者や救援部隊を激励した。エセックス揚陸即応群が八戸沖から救援物資を輸送した。ロナルド・レーガンが艦及び艦上機の除洗を実施。相模デポの第17支援大隊を中核とする第35兵站任務部隊が仙台空港の瓦礫除去などを開始。324日、第36空輸飛行隊C-130が千歳基地から松島基地まで救援物資6パレットを輸送。VP-4P-3Cが青森と岩手の沿岸を偵察し、孤立集落3つを発見した。35万ガロン入りバージが横須賀を出港。ARS-50セーフガードが八戸港に到着し、港内の浮遊物除去作業を開始した。ロナルド・レーガンに帰還したHS-4HH-60Hヘリと乗員から微量の放射性物質が検知されたため、除染を行った。325日、人員18282名、航空機140機、艦艇19隻が作戦にあたり、この日までに1990トンの援助物資を輸送した。ロナルド・レーガンから松島基地に援助物資を空輸。アメリカ空軍第33救難飛行隊HH-60Gヘリが第320特殊戦術隊員を乗せて捜索活動を実施。海兵隊救援部隊が救援用衣類、衛生セット500組、おもちゃ類を避難所に配布。この日までに日本から避難した在日米軍人家族は1万名に達した。

326日、第36空輸飛行隊C-130輸送機2機が横田から仙台に18万ポンド(81.6トン)の飲料水を輸送。エセックスの医療スタッフがひゅうがで打ち合わせを行った。エセックスからCH-53ECH-46Eが宮古、花巻、山田、大島などに物資5万ポンド(22.7トン)を輸送。327日、津波でフェリーが港から500mも内陸に押し流され孤立状態になっていた宮城県気仙沼市大島にエセックス揚陸即応群がLCUで第31海兵遠征隊や自衛隊員、東北電力作業員を上陸させ、電気工事車両、発電車、救援物資15000トンを揚陸した。第31海兵遠征隊第31戦闘工兵大隊司令官は大島の災害対策本部を訪問している。HMM-262のヘリがエセックスからひゅうがに物資を輸送した。第1特殊作戦航空団第319特殊作戦飛行隊のU-28Aが岩国と嘉手納を経て帰投した。支援基地となった三沢基地で通常の訓練が行えなくなったため、1ヶ月ほど韓国に移動して訓練を行うことになり、F-16戦闘機20機が三沢基地を離陸した。328日、第36空輸飛行隊C-130が仙台空港に物資49トンとディーゼル燃料3万ポンド(13.6トン)を輸送。ARS-50セーフガードとLSD-46トーテュガが宮古港の航路啓開作業を開始した。第33救難飛行隊HH-60Gがオーストラリアとアメリカの原発対策チームを福島に輸送した。第353特殊作戦群MC-130Pがアメリカ赤十字の援助物資を仙台空港に輸送した。329日、第36空輸飛行隊C-130が横田から千歳及び花巻に援助物資を輸送した。また、千歳から仙台に11000ポンド(5トン)の救援物資を輸送した。730AMSC-17がグアムから横田に原発用ウォーターポンプを輸送。VP-4P-3C2機が嘉手納基地への撤収準備に入った。330日、横田基地で被災地の子供に向け玩具を送る運動を開始。VP-4P-3Cが沿岸漂流物捜索を実施。エセックスとロナルド・レーガンからひゅうがへ衛生用品を搬送。エセックス揚陸即応群が救援物資54パレットをHMM-262のヘリにより三沢基地に輸送。4軍兵士が石巻工業高校を清掃。在日米海軍消防隊が義援金を神奈川新聞厚生文化事業団に寄託。331日、HMM-262CH-46Eが援助物資13パレットをエセックス揚陸即応群から三沢基地まで輸送。

4月、東日本勤務の在日米軍人・軍属に月額50ドル以上の危険地手当の加算が決まった。41-3日、自衛隊や海上保安庁と共同で大規模捜索を実施。岩手県太平洋岸を担当した。41日、WC-135コンスタントフェニックスが展開。第31海兵遠征隊大隊上陸チームがLCUにより大島に上陸し、フェリー航路を啓開するフィールドデイ作戦や、島内各所の瓦礫撤去支援を開始。この日までにアメリカ政府は国際開発庁関係費6825286ドルと国防総省関係費63051000ドルを計上し、食料200トン、水200万ガロン、燃料16000ガロン、救援物資186000トンを輸送した。救援に参加している国防総省関係要員(軍民計)は15600名である。42日、CBIRF先遣隊15名が横田基地に到着。陸軍軍楽隊が石巻市の中学校で演奏会を実施。43日、CBIRFの第2陣・第3陣が横田基地に到着。44日、活動を捜索救難・輸送支援から復興支援・原発事故処理にシフトした。アメリカ海軍が災派規模を15隻から3隻に縮小。北澤防衛大臣、統合幕僚長、海上幕僚長がCVN-76ロナルド・レーガンを訪問して感謝の意を伝えた。その後ロナルド・レーガンと同空母攻撃群は作戦を終了して三陸沖を離れた。ロナルド・レーガン空母戦闘群は本作戦で55カ所に136トンの支援物資を輸送し、F/A-18AN/ASD-12により61000枚以上の写真を撮影している。また、ロナルド・レーガンの先任伍長が全乗員に対してメールで寄付を募り、多くの浄財が寄付された。午前、第18航空団第33救難飛行隊のHH-60Gヘリ5機が嘉手納に帰投。HS-14が三沢基地から厚木基地に帰投。44-6日、海兵隊員が気仙沼大島で残骸撤去を実施。ARS-50セイフガードとトーテュガが気仙沼湾で海底残骸撤去作業を実施。45日、第17特殊作戦飛行隊のMC-130Pが投光器を積んで横田を離陸、仙台に輸送した。461500、フィールドデイ作戦が終了。第31海兵遠征隊は島民300人以上の見送りを受ける中、大島を離れてエセックスに戻った。47日、LHD-2エセックス、LSD-42ジャーマンタウン、LSD-49ハーパーズ・フェリーが作戦を終了して東北沖を離れ、沖縄に向かった。49日までにアメリカ政府は国際開発庁関係費6914369ドルと国防総省関係費70754829ドルを計上した。410日、菅総理が仙台駐屯地のJTF司令部にある日米調整室で太平洋艦隊司令官らに謝意を表明。412日、第31海兵遠征部隊が沖縄に戻った。421日、CVW-5の戦術機がアンダーセン航空基地から厚木基地に帰投した。421-29日、JR仙石線野蒜駅・陸前小野駅周辺の瓦礫を撤去するソウルトレイン(魂を込めて列車を通す)作戦を実施。在日米陸軍キャンプ座間の70名と、陸空自衛隊の十数名、油圧ショベル、バケットローダ、トラックなどが参加した。425日、厚木基地のHMM-265所属CH-46Eヘリ2機が岩国基地経由で普天間基地に帰投。425-26日、在日米陸軍、自衛隊、海上保安庁、警察が共同で第3回行方不明者集中捜索を実施。428日、第35兵站任務部隊が相模デポへの帰還を開始。429日、アメリカ海洋大気局の要請を受け、在日米空軍がC-130Hで海温・海底地形測定ブイ7個を震源地付近に投下。430日、被災地での救援活動を終了し、仙台駐屯地の日米共同調整所を閉所した。この日までに食料300トン、水7700トンなどを被災地に提供している。以降は救援物資の空輸などを実施する。52日、厚木基地のHMM-265所属CH-46Eヘリ6機と日本飛行機で整備中のCH-46Eヘリ1機が岩国基地経由で普天間基地に帰投した。グローバルホーク・ブロック3021日間連続で撮影飛行を行い、被災地上空を延べ300時間飛行、3000枚以上の画像を撮影した。在日米陸軍軍楽隊バンドのサムライ・オブ・ロックは23回の慰問演奏を行った。201236日、陸幕長が在日米陸軍司令官に感謝状を贈呈した。311日、陸幕長から在日米海兵隊司令官に感謝状が贈呈された。参考:写真で見るトモダチ作戦、月刊航空ファン6,117,117,18、月刊世界の艦船6,117,118,112,16、東日本大震災海上自衛隊災害派遣の記録、月刊PANZER5,11、スピアヘッドNo.8、月刊JWings6,117,11、朝雲、月刊軍事研究6,117,119,112,14、海上自衛新聞、月刊丸12,11

<ともづる>:MSI-693(掃海艇)を参照。

友鶴>:日本海軍千鳥型水雷艇3番艦。昭和9224日竣工。312日に友鶴事件で転覆した。その後復旧。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は建制では第2水雷隊、兵力部署では第21水雷隊に所属していた。昭和1816日、ケイ諸島のドボ湾口で爆撃を受けて小破した。1127日、基隆の西で爆撃を受けて小破した。昭和2031日、奄美大島付近で艦上機の攻撃により損傷した。324日、東シナ海で艦上機の攻撃を受けて沈没し、410日に除籍された。参考:日本駆逐艦史、第2次大戦日本海軍作戦年誌、小艦艇入門、帝国海軍太平洋作戦史Ⅰ

友鶴事件>:日本海軍水雷艇友鶴が復元力不足から転覆した事件。昭和93120130、第21水雷隊(千鳥、友鶴、真鶴)雷撃訓練に参加するため、友鶴が佐世保を出港。佐世保沖で軽巡龍田を仮想敵艦として予定通り訓練に入ったが、風速20m・波高4mの悪天候に襲われ、0325に訓練を中止して佐世保に向かった。0412、佐世保港外の大立島南7海里で荒波に揉まれて友鶴が40度傾き、更に斜め後方から船体の動揺周期と一致した追波を受けて転覆してしまった。灯火が見えなくなったため、僚艦が捜索に入り、未明から佐世保鎮守府でも航空機と艦艇で探したものの、なかなか見つからず、1300過ぎに艦底を見せて漂流する友鶴を発見。3130700に龍田が曳航して佐世保軍港に戻った。脱出したり、内部捜索で発見されたりした生存者は13名で、艇長以下72名が死亡、28名が行方不明になっている。設計ではこの程度の傾斜は復原力の範囲内だったが、実際の艤装で重量管理不十分により重心が上がっていたためで、これを受けて友鶴を設計した藤本技師の設計艦は全て再調査され、重心低下工事が実施された。これで静的復原力は改善したが、動的復原力はまだ不十分だったようである。藤本技師は謹慎処分となり、昭和10年に病死した。参考:月刊世界の艦船9,13増刊、小艦艇入門、巡洋艦入門

友部飛行場>:日本海軍の飛行場。昭和9年、西茨城郡宍戸町に開設された。参考:首都防空網と空都多摩

富山駐屯地>:陸上自衛隊の駐屯地。所在地は富山県砺波市鷹栖出935JR砺波駅から徒歩25分。19621010日、富山分屯地(金沢駐屯地の分屯)として開設され、第321地区施設隊が豊川駐屯地から移駐した。1966221日、富山駐屯地に昇格し、第425会計隊が新編された。196831日、第410基地通信隊が新編された。1975326日、第410基地通信隊が第306基地通信中隊富山派遣隊に改編された。1993330日、第321地区施設隊が第301施設隊に改編された。2006327日、第301施設隊が第382施設中隊に改編され、第104直接支援大隊第2直接支援中隊富山派遣隊が新編された。2015326日、第425会計隊が第336会計隊富山派遣隊に改編された。820日、富山県自衛隊支援議員連盟が防衛省を訪問し、駐屯地拡張と周辺道路整備を求める要望書を政務官に提出した。2016414日、富山駐屯地協力会会長が防衛省を訪問し、駐屯地拡張と周辺道路整備の早期実現を求める要望書を防衛副大臣に提出した。参考:富山駐屯地ホームページ、JGround Vol.23、朝雲

 <富山駐屯地(2015年)>:第7施設群第382施設中隊、第104施設直接支援大隊第2直接支援中隊富山派遣隊、第306基地通信中隊富山派遣隊、第130地区警務隊富山連絡班、中部方面会計隊第425会計隊(326日から第336会計隊富山派遣隊)が駐屯している。参考:富山駐屯地ホームページ、陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

富山飛行場>:日本陸軍の飛行場。参考:月刊JWings11,18

富山丸>:日本海軍雑役船兼測量船Toyama maru。元は大正811月に進水した嶋谷汽船貨客船で、太平洋戦争勃発直前に日本海軍が徴用した。垂線間長56.39m、幅9.14m、深さ5.49m、満載吃水4.85m、総トン数914トン、重量トン数1375トン。主機は三連成レシプロ蒸気機械1基1軸535馬力、航海速力9ノット、最大速力10.5ノット。船客定員2等16名+3等38名(昭和14年以降は2等10名のみで貨物輸送中心)。徴用後は測量や海象・気象観測に使用された。昭和18年、合併で三井船舶に移籍。昭和191月、戸上山丸に改称された。5月、西海汽船に売却された。昭和23年、宝永汽船に移籍した。昭和24年、船籍を抹消され、昭和25年に解体された。参考:月刊世界の艦船11,22

富山丸>:大洋漁業貨物船。総トン数7089トン。独立混成第44旅団と独立混成第45旅団の計4600名、ガソリン入りドラム缶1500本を積んで沖縄に向かったが、徳之島東でアメリカ潜水艦の雷撃を受けて昭和196290725に沈没し、乗員と将兵計3695名が死亡した。平成25627-30日、遺族会主催としては最後となる第50回富山丸戦没者慰霊祭が鹿児島県徳之島町で行われた。参考:朝雲、輸送船入門

渡洋爆撃>:海を隔てた敵地に対して行う爆撃のこと。日華事変中の昭和12814-16日に台湾や九州を出撃した日本海軍第1連合航空隊の九六式陸攻が中国本土を爆撃したのを、当初は奥地爆撃と発表していたが、9月に入って世界初の渡洋爆撃と大々的に報道したのが端緒である。実際には第一次大戦で既にドーバー海峡や北海を越えての爆撃が行われていた。第2次大戦時には特別な作戦でなくなったため、この言葉も使われなくなった。昭和1277日の日華事変勃発を受け、日本海軍は711日に第1連合航空隊を第3艦隊隷下に臨時編成し、航続距離の長い陸上攻撃機により中国大陸の航空基地を爆撃、敵航空戦力を壊滅させて航空優勢獲得の一助とすることにした。しかし九六式陸攻は前年に制式化され配備が始まったばかりで防御機銃が付いていない機体もあり、主任務は対艦攻撃のため爆弾架や爆撃照準器の装備も後回しにされていて、ク式方位測定機(クルシー無線帰投装置)も装着する必要があるなど、部隊では準備に大わらわとなり、射爆撃訓練も連日行われた。88日、第3艦隊が第1連合航空隊に前進基地への展開を下命。鹿屋航空隊は九六式陸攻18機で出発し、宮古島を過ぎた辺りで積乱雲に巻き込まれ編隊が散り散りになりつつも、台北の松山飛行場に到着した。木更津航空隊は伏見宮軍令部総長と地元住民の見送りを受けて出発し、九六式陸攻20機で大村飛行場に前進した。813日午後、第1連合航空隊に中国航空部隊根拠地である南昌、杭州、南京を14日に爆撃するよう命令が出された。814日、東シナ海に台風があったため木更津航空隊は南京への出撃を中止。鹿屋航空隊は天候の回復を待ったが、午前中に上海が中国軍機による爆撃を受けたため、直ちに出撃することになり、1455に九六式陸攻18機が250kg爆弾2発ずつを装備して離陸。600km先の杭州と680km先の廣徳の飛行場に9機ずつが向かったが、途中の悪天候で低空からの進入を余儀無くされ、1830頃に杭州の飛行場2ヵ所、1940頃に廣徳の目標を爆撃したものの、目標を発見できず引き返す機もあった。また、杭州ではカーチス・ホークⅢ戦闘機28機による迎撃を受けている。日本側の把握した戦果は杭州で格納庫2棟や大型双発機2機破壊、廣徳で格納庫2棟、ノースロップ攻撃機10機、カーチス・ホークⅢ20機破壊、空中戦により戦闘機2機撃墜、2機不時着、損害は悪天候による2機未帰還、1機不時着(基隆港)、1基損傷(左エンジン停止、弾痕74ヵ所)だった。中国側は6機を撃墜したとし、損害は被撃墜ゼロ・不時着3機、爆撃も全て飛行場の外で炸裂したとしている。夜、第3艦隊から第1連合航空隊に対し、翌早朝以降なるべく速やかに鹿屋空は南昌、木更津空は南京の主要航空基地を攻撃するよう命令が出された。8150650、鹿屋航空隊の九六式陸攻14機(1個中隊3機、逆V字編隊)が250kg爆弾2発ずつを積み、700km先の南昌に向け松山飛行場を出撃。0910、木更津航空隊の九六式陸攻20機(第1大隊12機、第2大隊8機。1個中隊4機、菱形編隊)が250kg爆弾2発ずつを積み、1050km先の南京に向け大村飛行場を出撃。中国大陸はまだ天候が悪く、雲を避けるため300mくらいまで高度を下げざるを得なかった。1450(現地時間1350)、木更津空が爆撃を開始。しかしカーチス・ホークⅢ戦闘機20機の迎撃を受けて4機が撃墜され、第1大隊指揮官機も42発被弾して偵察員/垂下筒射手が戦死、他に5機が被弾により修理を要する損傷を受け、第2中隊は悪天候により目的地に到達できず、木更津空は這々の体で帰投飛行場に指定されていた済州島に戻った。鹿屋航空隊は悪天候に見舞われて爆弾を投下できたのは8機のみ、カーチス・ホークⅢによる迎撃も受けたが、1630までに全機松山飛行場に帰投している。816日、鹿屋航空隊は13機が離陸し、句容飛行場を6機、揚州飛行場を7機で爆撃する予定だったが、1機がエンジン不調で引き返し、6機ずつでの爆撃となった。1058、句容飛行場の爆撃を開始。カーチス・ホークⅢの迎撃を受け、鹿屋空飛行隊長の搭乗する指揮官機が撃墜された。1215、揚州飛行場の爆撃を開始。カーチス・ホークⅢとフィアットの迎撃、熾烈な対空砲火を受け、第2小隊長機が撃墜された。木更津空は南京を攻撃する予定だったが、天候不良で蘇州に変更となり、171010機が済州島を離陸して薄暮攻撃に向かった。1954、蘇州飛行場の爆撃を開始。2330、済州島に帰投。1機が対空砲火により損傷した。日本側は戦果を地上撃破40機・撃墜19機としたが、実際にはかなり少ないようで、地上攻撃部隊の空戦損害減少は大陸への戦闘機隊進出を待たねばならなかった。第1連合航空隊の損害は未帰還9機、不時着3機、戦死65名。悪天候により編隊を維持できず戦果は挙がらず、低空進入を余儀無くされたため対空砲火に突っ込まねばならず、護衛戦闘機を付けず敵戦闘機基地に向かわせたため迎撃を受け大損害を出した。海軍では対策として第3艦隊に昼間爆撃の中止や爆撃高度の4000m以上への引き上げなどを命じている。820日、現地視察のため海軍航空本部大西瀧治郎大佐が済州島に到着。821日夜、済州島から揚州飛行場を攻撃する木更津航空隊九六式陸攻1個中隊6機と滁州飛行場を攻撃する九六式陸攻9機が離陸。揚州攻撃部隊2番機には観戦武官として大西大佐が同乗した。滁州飛行場攻撃部隊は全機帰ってきたが、揚州飛行場は8220400から中国空軍第5大隊が日本艦隊を攻撃すべくエンジン試運転を行っており、その最中に九六式陸攻が侵入してきたため全力で迎撃に遭い、指揮官機と2番機しか戻れなかった。大西大佐は戦訓を伝えるため台北の第1連合航空隊司令部に向かったが、訓示も何も無くさっさと帰ってしまったため、木更津航空隊の兵員は逃げ帰ったと陰口を叩いていたらしい。822日、福州の中国空軍部隊から空軍中央に対し台湾の花蓮・屏東の図面要求を求める無線が発信されたのを、軍令部がキャッチ。中国空軍が台湾の爆撃を行うとみた第3艦隊司令部は第1連合航空隊に対して廣東方面の先制攻撃を命じ、鹿屋空だけでは戦力不足とみて木更津空九六式陸攻1個中隊6機に対して台北進出を下命した。8270025、鹿屋航空隊九六式陸攻2個小隊6機が60kg爆弾12発ずつを搭載して台北を離陸し、南京兵工廠爆撃に向かった。0400前、南京上空に到着したが、雲が出ていて目標の視認が難しく、1個小隊は兵工廠を爆撃したが戦果確認はできず、もう1個は市街地に投弾し、0800に台北に帰投した。8310300、台北の第1連合航空隊が初の廣東爆撃に出撃。九六式陸攻には250kg爆弾2発ずつを積み、鹿屋空の9機が廣東天河飛行場、3機が廣東白雲飛行場、木更津空の6機が漳州に向かった。0700の爆撃終了後にカーチス・ホークの迎撃を受けて天河飛行場爆撃隊第2小隊の1機が撃墜されている。914日、九六式陸攻の損害が大きいため、九五式陸攻6機が済州島に到着して木更津空に配備された。917日、木更津空九六式陸攻18機が済州島から台北に進出。薄暮から黎明にかけての爆撃では戦果を挙げるのが難しく爆撃損害評価も困難なため、途中の洋上で艦上戦闘機を発進させて護衛に就かせ昼間に爆撃を行う事になり、922日に初の共同作戦が行われた。0800、台北から木更津空九六式陸攻6機が離陸し、白雲飛行場に向かった。0855、台北から鹿屋空九六式陸攻12機が離陸し、天河飛行場に向かった。三灶島沖には第1航空戦隊空母龍驤が展開しており、九五式戦闘機9機が発艦。4機が木更津空、5機が鹿屋空の護衛に就く予定だったが、連絡不備で1200頃に龍驤の上空に先着した木更津空の方に全機付いていってしまい、1300頃に龍驤上空に達した鹿屋空は護衛無しで目標に向かった。幸いどちらも戦闘機の迎撃を受けずに済み、木更津空は1350頃に白雲・石井兵工廠を250kg爆弾12発で爆撃、鹿屋空は1400過ぎに天河飛行場を爆撃し、戦闘機隊と分かれて1800過ぎに全機台北に帰投した。930日、九五式陸攻が済州島から出撃して南翔と大場鎮を爆撃。103日、上海公大飛行場の九六式艦戦による護衛が付くことになり、0820に木更津空九六式陸攻10機が60kg爆弾9発ずつを搭載して済州島から離陸。1045に公大飛行場上空で九六式艦戦と合流し、安慶に向かった。中国軍の迎撃は無く、1220に飛行場を爆撃して格納庫を破壊し、1730過ぎに済州島に着陸している。1027日、九五式陸攻が上海近郊の王濱飛行場に移動。1119日、木更津空が済州島から北京郊外の南苑飛行場に移動し、渡洋爆撃を終了した。1210日、鹿屋空が上海の虹橋飛行場に移動し、渡洋爆撃を終了。参考:月刊航空ファン9,163,17、月刊丸1,07、月刊JWings1,13

豊岡飛行場>:日本陸軍の飛行場。昭和13年、埼玉県入間郡豊岡町に開設された。参考:首都防空網と空都多摩

豊川海軍工廠>:日本海軍の工廠で、愛知県豊川市にある。昭和1412月に開設された。航空機用機銃・弾薬を担当する。参考:月刊世界の艦船9,13増刊

豊川駐屯地>:陸上自衛隊の駐屯地。三河史料館がある。所在地は愛知県豊川市穂ノ原1-1JR豊川駅から徒歩25分。名鉄諏訪町駅から徒歩20分。創立記念行事では両駅からシャトルバスも出る。大元は豊川海軍工廠で、195012月に警察予備隊豊川駐屯地として開設され、19547月に陸上自衛隊豊川駐屯地となった。19621010日、第321地区施設隊が富山分屯地に移駐した。2009129日、豊橋市内の中学生16人に対する職場体験学習を実施。612日、豊川市との間でドクターヘリや防災ヘリのヘリポート(駐屯地内ヘリポートと豊川訓練場)使用に関する協定書に調印。201027日、海陽学園中学生が駐屯地を見学。224日、第10特科連隊庁舎の落成式を実施。昭和17年建造の海軍工廠庁舎を含む4カ所の隊舎に分散していた連隊が同一隊舎で勤務できるようになった。519-21日、三菱重工業新入社員53人に隊内生活体験を実施。基本教練や20km行進などの訓練を施した。201692-25日、愛知地本が自衛官候補生採用試験を実施。201719日、駐屯地太鼓隊が兵庫県立芸術文化センターで平成28年度中部方面隊音楽まつりに参加。202044日、入隊式を実施。2022112日、成人隊員63名の成人行事を実施。参考:豊川駐屯地ホームページ、JGround Vol.23MAMOR Vol.42、朝雲、富山駐屯地ホームページ

 <豊川駐屯地(2015年)>:中部方面混成団第49普通科連隊、第10師団第10特科連隊、第10高射特科連隊、第10後方支援連隊第2整備大隊特科直接支援中隊、同大隊高射直接支援隊、中部方面後方支援隊第306普通科直接支援中隊、第6施設群、第104施設支援大隊第1直接支援中隊、第306基地通信中隊、第130地区警務隊、第308会計隊、豊川駐屯地業務隊が駐屯している。参考:豊川駐屯地ホームページ、陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

豊川駐屯地業務隊>:陸上自衛隊の駐屯地業務隊。2016125日、厚生業務で優れた功績を挙げたとして陸幕長から2級賞状が授与された。20181129日、委托コンビニ店トモ愛知と災害時における商品の供給に関する協定を締結。2020221日、緊急登庁支援訓練を実施。早朝に非常呼集をかけ、支援施設への受け入れや戦力回復センター(隊員休息所)の開設を行った。202129日、豊川宿舎集会所に緊急登庁支援施設を開設するため、集会所運営担当の駐屯地宿舎自治会と覚え書きを交わした。416日、委託売店のニューヤマザキ・デイリーストアと、緊急登庁支援業務実施期間の商品の優先販売協定を締結した。114日、駐屯地内コンビニが新型コロナウイルス感染拡大の影響で営業できなくなった場合に備え、コンビニ経営業者トモ愛知、訓練用品店経営清水時計店、スポーツ用品店タナカフォトギャラと、代替販売協定を締結した。参考:朝雲

豊川丸>:日本海軍輸送船Toyokawa maru。大元はノルウェーのフレッド・オルセン社に所属する貨物船バンゴールで、イギリスのウッド・スキナー社が建造し、明治4412月に竣工した。第1次大戦でドイツ海軍が使っていたが、イギリス海軍に拿捕され、シアトルと改称され、第1次大戦後に貨物船に戻った。昭和2年、松岡汽船が購入して豊川丸になった。垂線間長117.35m、幅16.398m、深さ8.44m、総トン数5121トン、重量トン数8160トン。主機は三連成レシプロ1基1軸2800馬力、航海速力10ノット、最大速力10.5ノット。太平洋戦争で日本陸軍に徴用され、昭和19年に海軍に移籍した。昭和2075日、門司から出港して釜山に向かったが、下関の彦島西山灯台沖で触雷して沈没した。参考:月刊世界の艦船11,14

<とよしま>:MSC-685(掃海艇)を参照。

トヨタ>:昭和11年の自動車製造事業法制定時に製造許可会社となり、フォード社のフレームにシボレーのエンジンを載せて昭和12年から軍民兼用トラックの生産を開始した。民間用車輌が海外で軍用に転用されることが多く、ランドローバーよりも人気が出てきているが、理由としては装甲化などの加工がしやすい、世界中に車輌やディーラーがあるため修理用パーツの入手が容易、高性能の新型車を次々と開発してくる、などが挙げられる。参考:月刊軍事研究10,08、機甲入門

トヨタ四輪駆動自動貨車>:日本陸軍の軍用小型自動車で、別名トキ車。トヨタが昭和18年に開発した。全長6.52m、全幅2.2m、全高2.28m、自重2.8トン、ペイロード2トン、全備重量4.7トン。排気量3389ccのガソリンエンジンを搭載し、最大速度65km、燃料搭載量78リットル、燃費は1kmあたり4リットル。参考:機甲入門

豊田副武>:貧乏家に生まれた5番目の子供で、添え物という意味も込めて「そえむ」という名前になったらしい。海軍兵学校第33期卒。装甲巡洋艦鞍馬砲台分隊長、軽巡球磨副長、軽巡由良艦長、第7潜水隊司令、戦艦日向艦長などを歴任。昭和8915日から昭和10315日、連合艦隊参謀長兼第1艦隊参謀長を務めた。昭和121020日、第4艦隊司令長官となった。昭和131115日、第4艦隊司令長官を退いて第2艦隊司令長官に就任し、昭和141021日まで務めた。第三次近衛内閣が総辞職した後、海軍部内では海軍大臣に推されていたが、陸軍を毛嫌いして陸助やらケダモノやらと公言していたのと、日独伊三国同盟・南部仏印進駐・日米開戦全てに反対していたため、東条首相に拒否された。昭和1672日に御前会議で南部仏印進駐が決まった際には艦政本部長だったが、出張で東京を離れており、後でその事を聞かされた際に、艦政本部長は海軍省の番頭ではない、電報を打ってくれれば引き返してでも反対したと怒鳴ったという。昭和1953日に連合艦隊司令長官に就任した。昭和20425日、連合艦隊司令長官兼海軍総司令長官となった。51日、海軍総司令長官兼連合艦隊司令長官兼海上護衛総司令長官となった。529日、海軍総司令長官兼連合艦隊司令長官兼海上護衛総隊司令長官を小澤治三郎中将に譲り、軍令部総長となった。太平洋戦争終戦で戦犯容疑を掛けられ拘束されたが、昭和219月に釈放。昭和32922日、72歳で死去した。参考:日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,149,13増刊

豊津丸>:日本海軍特設砲艦。元は大阪商船の朝鮮航路船で、竣工時の諸元は以下の通り。全長97.795m、幅13.8m、深さ8.0m、満載吃水6.6m、総トン数2931トン、重量トン数4325トン。主機は蒸気タービン1基で、出力1900馬力、航海速力12ノット、最大速力14.627ノット。昭和12118日竣工。太平洋戦争勃発で日本海軍に徴用された。昭和1721日、マーシャル諸島のウォッゼ環礁で揚陸作業を行っていたが、0350からアメリカ海軍重巡ノーザンプトン、ソルトレーク・シティ、駆逐艦、水上偵察機と交戦。砲撃により0918に沈没した(大破して放棄された?)。参考:月刊世界の艦船8,11、写真集日本の小艦艇

豊中分屯地>:陸上自衛隊の分屯地。所在地は大阪府豊中市北緑ヶ丘1-7-120063月に廃止された。参考:月刊JWings6,10別冊付録、中部方面隊ホームページ

豊橋>:日本海軍豊橋級水雷母艦Toyohashi。元は明治2112月にイギリスのロンドン・アンド・グラスゴー造船造機会社で進水したジェンキンス・アンド・カンパニー所属商船フリントシャー(Flintshire)で、明治279月に日本政府が日本郵船の名義で購入、豊橋丸に改称し、明治30121日に日本海軍に編入されて豊橋となった。明治31321日、水雷母艦に類別された。明治38年、潜水母艦設備を設置する改造を受けた。大正元年928日、二等海防艦に類別変更された。大正341日、除籍された。8月、雑役船(潜水艇母船)に艦種変更されて豊橋丸に改称され、呉で使用された。大正4712日、日本会員救済会に売却され、練習船豊橋丸になった。第1次大戦中は陸軍に徴用され、陸軍輸送部運送船として内地・青島間などを運航した。大正114221215、濃霧のため青森県尻矢崎付近で座礁。428日に浮揚され、修理の後、11月に売却されて商船新嶸丸になった。その後永徳丸を経て日本合同工船の蟹工船になり、昭和10年代まで北洋漁業船として使用されている。昭和13年、日本海で暴風雨に遭い行方不明となり、船籍から抹消された。参考:日本潜水艦物語、日本の潜水艦パーフェクトガイド、日本特務艦船史

豊橋海軍航空隊>:日本海軍航空隊。陸攻練習航空隊の鹿屋海軍航空隊がB-29の脅威に曝される恐れが出てきたため、昭和19710日に豊橋基地への移動が決定し、再編された。86日、捷号作戦に備えたルソン海峡船団護衛のため、九六式陸攻9機を第901航空隊に派遣した。1013日、捷一号作戦協力のため九六式陸攻21機を第3航空艦隊に派遣。うち1機が未帰還になった。10月下旬、第901航空隊への派遣陸攻8機(1機撃墜された)が原隊に復帰。昭和20217日、アメリカ艦上機の空襲を受けた。32日、飛行隊長が特攻の説明を行い、志願調査票を配布した。その後全員が個別に飛行隊長と面談して特攻希望の有無、健康状態、家族状況の聴取を受けている。310日、第1次特攻要員60名が発表され、空襲を避けて小松基地で訓練に入った。41日、第1次特攻要員60名が一式陸攻4機と九六式陸攻5機で出水基地に進出。526日に解隊され、松島海軍航空隊に吸収された。参考:月刊航空ファン3,20

豊橋級>:日本海軍水雷母艦Toyohashi級。元は日清戦争時に軍事輸送船不足を補うためイギリスから明治279月に購入した商船フリントシャーで、豊橋丸と改称されて日本郵船が委託運用した。終戦後は日本郵船に払い下げる予定だったが、戦訓により水雷艇母艦兼工作艦として使用するのが妥当と判断され、明治3012月に海軍に編入されて豊橋と改称、明治313月に日本海軍唯一の水雷母艦となり、明治38年に第1潜水隊が編成されると潜水母艦として使用されるようになった(艦種は水雷母艦のまま)。当時装備していたホランド型などの潜水艦は充電設備や居住設備が無く、これらを行うための艤装を施して烹炊所などを設置してある。また、鍛冶工場や保守整備機材、補給用兵装も搭載していた。垂線間長104.85m、最大幅12.24m、吃水5.05m、総トン数2900トン、常備排水量4055トン。主機は直立式3気筒3段膨張レシプロ蒸気機械1基1軸2121馬力、速力12.7ノット。兵装は12cm安式単装速射砲2門、4.7cm山内単装重速射砲6門、機銃2丁。乗員206名。豊橋が就役した。参考:日本潜水艦物語、日本の潜水艦パーフェクトガイド

豊橋飛行場>:日本海軍の飛行場。参考:月刊JWings11,18

豊平駐屯地>:陸上自衛隊の駐屯地。所在地は北海道札幌市豊平区平岸1条12-1-3219551月、札幌地区病院が開設された。195912月、第328会計隊が廃止され、自衛隊札幌病院総務部会計課が新編された。19733月、第101地区警務隊豊平連絡班が新編された。19752月、第314基地通信中隊豊平派遣隊が新編された。19884月、札幌地区病院が自衛隊札幌病院に改称された。2015325日に廃止され、自衛隊札幌病院と准看護学院は真駒内駐屯地に移転した。参考:自衛隊札幌病院ホームページ、JGround Vol.23、月刊軍事研究8,09、朝雲

 <豊平駐屯地(2015年)>:自衛隊札幌病院が置かれている。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

豊丸>:日本の1C型戦時標準船。昭和19111日、シマ04船団の一員としてシンガポールを出港。1114日、ミンドロ島西方で空母ヨークタウン搭載VF-3所属F6F-5の機銃掃射を受けて炎上した。参考:月刊丸4,17

<虎>:第261航空隊を参照。

トライアウト作戦>:アメリカ空軍戦略航空コマンドが195611月から19573月に行った、爆撃機及び空中給油機の地上アラート試験。B-47配備の2個航空団と、KC-97配備の2個飛行隊でアラート態勢の維持が可能かどうかテストを行った。参考:航空ジャーナル9,77臨時増刊

<トライアド>:N53(潜水艦)を参照。

トライアド>:アメリカの戦略核戦力の3本柱、ICBMSSBN・戦略爆撃機のこと。特に生残性が高いSSBNが中心となる。第1回NPRで一旦3本柱から外れたが、2010年の第3回NPRで復帰した。参考:U.S.ウェポン・ハンドブック、月刊世界の艦船4,16、月刊軍事研究5,18

ドライアド>:イギリス海軍ダナエ級軽巡洋艦Dryad。建造中止となった。参考:近代巡洋艦史

<トライアンフ>:S-93(原潜)またはS-400(地対空ミサイル)を参照。

トライアンフ>:イギリス海軍コロッサス級軽空母6番艦Triumph1946年就役。1952年からアングルド・デッキのテストを行った。参考:月刊世界の艦船6,183,21

トライアンフ>:ロシアのアルマズ中央設計局が開発している機動中距離地対空ミサイルシステム。ミサイルは固体燃料推進で、射程1-50km、射高10-25km。円筒形のミサイルランチャーは4列3段になっており、発射時には垂直に立てられる。射撃単位はミサイルランチャー車輌3両、射撃管制システム車1両、ミサイル再補給車輌1両で、全て同系列の6×6輪トラックであり、射撃管制システム車にはフェイズド・アレイ・レーダーが搭載されていて、40目標を探知追尾し、8目標と同時交戦、1目標あたり2発のミサイルを発射する。参考:月刊軍事研究7,99

ドライウイング>:内部に燃料収容スペースが無い主翼のこと。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings2,03

<トライガン>:ミラン/トリガットMR(対戦車ミサイル)を参照。

トライガン>:銃床製作の参考とするため使用されるダミー銃。参考:GUN用語事典

ドライ・サンプ>:Dry sump。オイルサンプのうち、溜まった潤滑油をオイルポンプで潤滑油タンクに回収し、オイルサンプに油を溜めないようにしておくタイプのもの。星形エンジンではドライサンプが多い。参考:航空用語事典増補改訂版

ドライジーネ>:1810年代初めに開発された、地面を蹴って進むタイプの自転車。タイヤは木製のリムだけで、ブレーキも無く、軍用としてはあまり使われなかった。参考:歴史群像6,04

<トライジェット>:三発機を参照。

トライスター・シリーズ>:イギリス空軍機で、フォークランド紛争において同空軍が長距離展開能力に欠けることが露呈したため、L-1011トライスター旅客機をイギリス航空から6機、パンアメリカン航空から3機購入し、輸送機、空中給油機、空中給油兼輸送機として改造したものである。2014324日に最後の1機(第216飛行隊所属トライスターKC.1)が退役した。2017年にアメリカのテンパス・アプライド・ソリューションズ社が退役済みの空中給油機型4機と輸送機型2機を購入した。うち3機をアメリカで民間機として登録して空中給油機として運用し、残りは部品取りに使う。参考:月刊JWings7,056,14、月刊航空ファン11,17

 <トライスターC.2>:輸送機バージョンで、パンアメリカン航空から購入した3機が改造された。2005年にAN/AAQ-24DIRCM搭載及びフォスターミラー社製フライトデッキ防御装甲プレート装備改修を受けた。1機はトライスターC.2Aに改造されている。参考:月刊JWings7,056,14

 <トライスターK.1>:空中給油機バージョン。床下貨物室を45.36トン収容の燃料タンクとし、胴体後部下面にHDUを装備した。イギリス航空から購入した6機が改修を受け、うち4機はトライスターKC.1に改造された。参考:月刊JWings11,057,056,14

 <トライスターKC.1>:空中給油兼輸送機バージョン。トライスターK.1の胴体前部左に大型貨物扉を装着し、貨物の搭載を可能とした他、35名の兵員を収容できる。トライスターK.1から改造を受け、4機が就役した。参考:月刊JWings11,057,05

<トライスター1>:L-1011(旅客機)を参照。

<ドライステーション>:兵装ステーションを参照。

ドライスフ34>:MG34用の対空機銃架。参考:第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログVol.3

ドライゼ銃>:正式名称はドライゼツントナゼールM18621862年式ドライゼ撃針銃)。1838年にプロイセンのヨハン・ニコラス・フォン・ドライゼが開発した、世界初の実用ボルトアクション式ライフルである。後装式のため伏せたまま装填可能な優れた銃であった。弾丸底部に発火剤があり、長い撃針で発射薬越しに撃発させるので、ニードル・ガンとも呼ばれた。撃針が発射時の高温ガスに晒されるので折れ易く、銃尾の閉鎖も不完全でガス漏れが生じやすいという欠点があったが、1848年にプロイセン陸軍に採用され、1866年のオーストリア(前装式ライフルしか持っていなかった)との戦争で高い威力を発揮した。全長1.36m、重量5kg。口径17mm。参考:月刊軍事研究11,02GUN用語事典、世界の軍用銃

<トライデンツ>:HS-3(ヘリコプター飛行隊)またはHSC-9(海上戦闘ヘリコプター飛行隊)を参照。

<トライデント>:N52(潜水艦)を参照。

トライデント>:第2次大戦中の19435月に開催された米英首脳会談の暗号名。19445月を目途に大陸反攻作戦を実施することを決め、作戦名をオーバーロードとした。参考:月刊PANZER6,04

トライデント・シリーズ>:アメリカ海軍潜水艦発射弾道ミサイルTrident1972年に水中発射長射程ミサイルシステム(ULMS)の名称で開発が決まり、1974年からロッキード・マーチン社が開発した。発射筒は内部が高圧窒素で加圧されており、海中で扉を開いても海水が入らない。発射筒からの射出は高圧ガスによるコールド・ランチ方式。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船6,13、アメリカ潜水艦史

トライデントⅠ>:C4またはUGM-96Aともいう。1977118日にケープカナベラル基地発射台で最初の試射に成功し、1978年に就役、197910月からラファイエット級シリーズのうちジェームズ・マディソン級6隻とラファイエット改級6隻、オハイオ級原潜1-8番艦に配備された。円筒形をしており、安定翼は無く推力偏向で目標に向かう。空中に出るとノーズ・フェアリング先端からエアロスパイクと呼ばれる棒が飛び出して空気抵抗を減じる。ポラリスやポセイドンの発射システムと共用が可能である。全長10.36m、直径1.88m、発射重量33.14トン(29.5トン?33.113トン?31.75トン?)、投射重量1.36トン。推進は固体ロケット3段(+4段目PBV)、射程4000海里・7400km4350海里・8056km?)。誘導はINS+天測(Stellar-inertial / Astro-inertial guidance)で、CEP380-450m。弾頭は100キロトンのW76水爆が付いたMk4MIRVで、最大10発積めるが、条約の制限で実際には4-8発を収容する。射撃指揮装置はMk98Mod0。発射テストは168回実施され、161回成功した。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版、月刊軍事研究12,1610,032,101,18、月刊世界の艦船4,04増刊、8,82増刊、3,054,1611,174,'20、アメリカ潜水艦史、月刊丸3,90、アメリカの核兵器、核兵器図鑑

トライデントⅡ>:D5またはUGM-96BまたはUGM-133Aともいう。全長13.58m13.41m?)、直径2.11m、発射重量58.967トン(59.05トン?)、投射重量2.8トン。推進は固体ロケット3段と4段目のPBVで、最大速度毎秒6096m(マッハ17以上)、射程6000海里・11112km12000km?)。天測によるINS修正(Stellar-inertial / Astro-inertial guidance)によりCEP90-120mを誇り、固定サイロ式ICBMをピンポイント攻撃できるので海洋配備型ICBMと呼ばれることもある。アメリカ沿岸はおろか、五大湖から発射してもモスクワに届く。飛行制御は推力偏向式で、安定翼は持たない。Mk4再突入体なら11-13基、Mk5再突入体なら7-9基(14基?)を搭載でき、それぞれに1発ずつのW76核弾頭(100キロトン)またはW88核弾頭(300-475キロトン)を装着するが、STARTにより核弾頭搭載数は8基まで、新STARTにより4-5基程度に制限されている。ポラリスやポセイドンの発射システムとの共用はできなくなった。発射されると空中に飛び出して先端からエアロスパイクを突き出し、水中発射2分後には3段目ロケットに点火、3段目ロケットが燃焼を終了して所定の軌道に達すると、核弾頭を収納したバスが切り離される。バスは自身の推進装置で軌道を修正しながら所定の場所で弾頭を装着した再突入体を放出、弾頭は目標に自由落下する。射撃指揮装置はMk98Mod1以降。1987年に試射に入り、1989年に海上試射を行い、1990年に実用化されて配備された。1995年には誘導装置にGPSを利用するD5中継変換器も追加しており、命中精度は相当に高くなった。2004年までにミサイル408発、Mk4再突入体1536個、Mk5再突入体374個が発注されている。オハイオ級原潜9-18番艦に就役時から搭載され、5-8番艦に後日装備された。再突入体などに小改良を加えつつコロンビア級原潜にも搭載する予定。参考:月刊世界の艦船4,04増刊、1,'15増刊、4,166,138,82増刊、3,0511,174,'207,'22、月刊軍事研究12,1610,037,0512,082,101,185,18、艦載兵器ハンドブック改訂第2版、アメリカ潜水艦史、自衛隊装備年鑑1996、世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版

トライデントⅡLEP>:LEPLife Extension Program(寿命延長計画)の略。DASO-26計画かも。オハイオ級の寿命延長に合わせて運用期間を2042年まで延長するもので、COTS品を使って核弾頭、ロケットモーター、誘導システムなどを改修する。20122月、SSBN-734テネシーで発射試験が行われ、2013年から配備された。参考:月刊世界の艦船6,1312,112,16、月刊軍事研究5,18

CTM>:通常弾頭4発を搭載したタイプで、Conventional Trident Modificationの略。射程17000km。核兵器に換わる戦略攻撃兵器として2007年から開発し、2009-10年に実戦配備する予定だったが、敵国が核弾頭型と勘違いして報復攻撃に出る可能性を排除できず、2007年度の予算要求が議会で蹴られ、2008年度も承認を得られず、CPGS(通常兵器による即時汎地球攻撃)に予算を回すことになった。参考:月刊軍事研究7,0710,095,18

トライデントⅡ(小型核弾頭搭載)>:202024日、アメリカ国防省が、ロシアや中国に対する抑止力強化のため、低威力小型核を搭載してオハイオ級戦略原潜に実戦配備したと発表した。参考:月刊世界の艦船4,'20

<トライデント海外シリーズ>

 <トライデントⅡ(イギリス海軍)>:イギリス海軍SLBMUGM-133A TridentD-5。ヴァンガード級戦略原潜用として1982年に導入を決定し、同年にアメリカと購入協定を結んだ。オハイオ級後期型(SSBN-734テネシー以降)に搭載しているのと同じタイプである。全長13.58m、直径2.11m、発射重量58.9トン。推進は固体燃料3段とPBV段で、最大射程11100kmMIRVはイギリス製だが、アメリカのW36弾頭のコピーらしい。弾頭は120キロトン(475キロトン?)水爆で、最大12発収容できる。ヴァンガード級戦略原潜1隻あたりミサイル16基を搭載可能だが、1隻あたりの核弾頭総数は最大48発で運用している。また、イギリスが保有できる核弾頭総数は160発となっている。維持整備は全てアメリカが担当する。1982年に見積もられた導入コストは1980年からの15年間で75億ポンド(19819月の貨幣価値)であり、国防支出に占める割合は年平均で3%程度だが、総額でみると当時の日本の防衛予算1年分である。2016年中頃にヴァンガード級潜水艦から4年振りに試射したところ、ミサイルが故障していて大西洋に着弾する筈がアメリカ東海岸沖に行ってしまったらしい。参考:月刊軍事研究5,01、艦載兵器ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船3,055,836,1710,'23THE MILITARY BALANCE 2016

トライデント・ジャンクチュア2015>:20151021日から116日にNATO即応軍(NRF)が行った演習Trident juncture 2015NATO加盟27カ国+ウクライナ・スウェーデン・フィンランドの計30カ国から230部隊36000名、航空機140機、艦艇60隻(イギリス海軍揚陸艦オーシャン、オランダ海軍L801ヨハンデ・ウィット、M860スキーダム、カナダ海軍駆逐艦アサバスカン、スペイン海軍L-61ファン・カルロスⅠ世、A15カンタブリア、ドイツ海軍F219ザクセン、水中処分艇バート・ラッペナウ、トルコ海軍F495ゲディズ、ブルガリア海軍フリゲート・ドラツキ、ベルギー海軍支援艦ゴデチア、ポルトガル海軍F330ヴァスコ・ダ・ガマなど)が参加し、ノルウェーから地中海で陸海空の演習を行った。参考:月刊世界の艦船1,162,16、月刊JWings2,16

トライデント・ジャンクチュア2018>:NATO演習Trident Juncture 201820181025日から117、ノルウェーと周辺海域で実施され、NATO加盟29カ国、スウェーデン、フィンランドから人員50000名、艦艇65隻(アメリカ海軍CVN-75ハリー・S・トルーマンLCC-20マウント・ホイットニーLHD-7イオー・ジマ、オランダ海軍F804デ・ロイテルL801ヨハン・デ・ウィット、スウェーデン海軍K-34ニュヒェーピング、デンマーク海軍L-17エスベアン・スナーレ、ノルウェー海軍F313ヘルゲ・イングスタ、F314トール・ヘイエルダール、フランス海軍L-9015ディズミュド、ポーランド海軍272ゲネラル・カシミエルツ・プラスキ、ポーランド海軍F332コルテ・レアルなど)、航空機250機が参加し、ノルウェーが侵攻された際に奪還するというシナリオで行われた。演習から帰る途中にヘルゲ・イングスタが事故で沈没している。参考:月刊世界の艦船2,19

<トライトン>:N15(T級潜水艦第1グループ)またはMQ-4C(無人機)またはRVトライトン(実験艦)またはSS-201(T型潜水艦)またはSSN-586(トライトン級原潜)またはSSRN-586(トライトン級レーダーピケット原潜)を参照。

トライトン>:イスラエル海軍ドルフィン級潜水艦が搭載する潜水艦対ヘリコプター・ミサイルシステム。ドイツのLFK(レンクフルークケルパーシステーメ)GmbH社が潜対空/潜対地ミサイルとして1999年頃に開発した。光ファイバーにより潜水艦に赤外線シーカー画像を送って誘導される。テストでは深度60mからの垂直発射などを行った。参考:月刊世界の艦船4,18

トライトンG>:トムシー艦載FCS用目標捜索レーダー。使用周波数はCバンド。ピーク出力8kW。アンテナは毎分40回転し、レーダー反射面積2平方メートルの動目標なら28kmで探知できる。参考:ザ・マーチ42

トライトンS>:トムシー艦載FCS用目標捜索レーダー。使用周波数はSバンド。アンテナは毎分24回転し、レーダー反射面積1平方メートルの動目標なら26km、シースキミング・ミサイルなら12kmで探知できる。参考:ザ・マーチ42

トライトン級>:アメリカ海軍レーダー・ピケット原子力潜水艦Triton級。空母機動艦隊と同行するレーダー・ピケット潜水艦で、それに必要な水上速力を得るためアメリカ原潜として唯一原子炉を2基搭載しており、更に広域早期警戒任務に必要な航空作戦指揮所を発令所の1甲板下(発令所後方?)に配置してCICを2段式にしたため、SSBN並の大型艦になった。艦首水線下はバルバス・バウで、AN/BQR-2パッシブソナーを収容している。機関区画は前から第1原子炉室、第2原子炉室、前部機械室(左舷軸用)、後部機械室(右舷軸用)と並ぶ。セイルは内部中央にAN/SPS-6Cレーダー(AN/SPS-26三次元レーダー?)を搭載したため巨大になり、潜望鏡を出せるようセイル内に司令塔を設けた。セイル前面上部には水上操艦時に視界を確保する窓が並んでいる。潜舵は艦首上部にある。全長136.4m、全幅11.3m、吃水7.2m、水上排水量5963トン、水中排水量7773トン。主機は原子力蒸気タービン方式、S4G原子炉2基・GE式ギヤード蒸気タービン2基、出力34000馬力、5翅プロペラ2軸推進、水上速力27ノット、水中速力20ノット。安全潜航深度213m。兵装は533mm魚雷発射管6門(艦首4門、艦尾2門。魚雷15本)。AN/SPS-6Cレーダー、AN/BPS-2ソナー、AN/BQR-2ソナー、AN/BQA-3曳航式通信ブイ(艦尾フェアリング内)を装備する。乗員180名。SSRN-586トライトンが1959年に竣工したが、既に早期警戒機に役目を奪われており、2年で只の攻撃原潜(SSN)に艦種変更され、レーダーや曳航式通信ブイも撤去された。しかし大型過ぎて運用に難があり、1969年にはアメリカ原潜として初の退役に追い込まれて予備役に入り、1986年に除籍された。参考:アメリカ潜水艦史、月刊世界の艦船6,136,'2110,'23、月刊軍事研究5,17、ザ・マーチ17

トライトン級>:イギリス海軍港内曳船Triton級。機関出力330馬力、速力8ノット。A166カトレーン、A170キティ、A172レスリー、A174ライラ、A175メアリー、A181アイリーン、A183イザベル、A190ジョアン、A193ジョイス、A199マートル、A202ナンシー、A205ノラが1974年に竣工した。参考:月刊世界の艦船5,83

<トライパートタイト級>:トリパルタイト級(掃海艇)を参照。

<トライバル級>:F級(駆逐艦)またはイロコイ級(ヘリ駆逐艦)を参照。

トライバル級>:イギリス海軍駆逐艦Tribal(部族)級。吹雪型駆逐艦やレーベレヒト・マース級駆逐艦に対抗すべく建造された大型駆逐艦で、砲熕兵装を重視しており、193411月にV型嚮同駆逐艦という名称で要求が纏まり、水雷戦隊旗艦任務には就かないことから19352月に艦種を駆逐艦に変更、11月に設計が完成し、1936年に発注された。船体は船首楼型で、艦首はクリッパー型。船体構造は横肋骨式で、主にリベット接合により建造されている。船首楼後半は1甲板高くされ、その後部に艦橋がある。機関は前方から缶室が3つ(各室に1基ずつの缶を収める)、その後ろに機械室と並んでいて、機械室内部には隔壁があって蒸気タービンと減速機を分けている。煙突は船首楼と後部上構(高さ1甲板分)の間に2本あり、前部煙突に缶室2つ、後部煙突に缶室1つの排気を導く。艦橋と前部煙突の間に三脚式前部マスト、後部上構上に三脚式後部マストがある。艦尾はビルドアップ構造。兵装は砲力重視で、イギリス駆逐艦として初めて基線長式測距儀(基線長12フィート・3.6m)を備えているが、対空兵装や雷装は貧弱で、対駆逐艦用にほぼ特している。全長115m108.4m?)、幅11.1m、深さ6.6m、吃水2.7m、基準排水量1960トン(1870トン?)、満載排水量2519トン。主機はパーソンズ式オール・ギヤード・タービン2基、主缶はアドミラルティ式重油専焼水管缶(蒸気圧力2.06MPa、温度325℃)3基、出力44000馬力、2軸推進、速力36.5ノット、重油搭載量524トン、航続距離4950海里(15ノット。5700海里?)。兵装は45口径12cm連装砲MkⅩⅡ(防楯付き)4基(船体前後に背負い式に2基ずつ)、40mm4連装ポンポン砲1基(後部上構前端)、12.7mm4連装機銃2基、533mm4連装魚雷発射管1基(使用魚雷はMkⅨ)、爆雷投下軌条1条、爆雷投射機2基(爆雷20-30個)。乗員190名(通常時)/219名(嚮同駆逐艦時)。F07アフリディ、F03コサック、F20ガーカ、F24マオリ、F31モホーク、F36ヌビアン、F18ズールー、F51アシャンティ、F67ベトウィン、F75エスキモー、F59マシオーナ、F26マタビリ、F21パンジャービ、F82シーク、F33ソマリ、F43ターターの16隻が1938-39年に就役した。またオーストラリアが3隻、カナダが8隻の同型艦を建造した。第2次大戦が始まると、経空脅威に対応する必要性が高まったため、1940年半ば以降、12cm連装砲1基(3番砲)を外して10.2cm連装高角砲を搭載、対空射撃での射界を確保するために後部煙突を短縮し、マストを小型化した。レーダーも逐次搭載し、大戦末期にマスト三脚式からラティスマストに変更している。第2次大戦中にイギリス艦12隻とカナダ艦1隻が戦没した。参考:月刊世界の艦船10,'2310,065,11、第2次大戦のイギリス軍艦

トライバル級>:イギリス海軍フリゲートTribal級。ロック級フリゲートの後継となる中東海域向け汎用フリゲートとして建造された。船型は平甲板型で、強いシアを持つ。ヘリコプター運用能力を持ち、汎用性が高いが、主砲が旧式で、ヘリ格納庫がヘリ甲板の下にあるためエレベーターで昇降させる必要がある(エレベーターを下げると格納庫の天井が無くなるのでカバーを掛ける)など能力に劣る面もある。全長109.7m、幅13m、吃水5.5m、基準排水量2300トン、満載排水量2700トン。主機はCOSAG方式で、出力20000馬力、速力27ノット(25ノット?)。兵装は114mm単装砲2門、リンボー3連装対潜迫撃砲1基、シーキャットGWS21対空ミサイル4連装発射機2基。ワスプ対潜ヘリ1機の運用が可能。1961-64年にF124ズールー、F133ターターなど7隻が就役し、1980年代初めに退役、3隻がインドネシア海軍に引き渡された。参考:月刊世界の艦船9,964,125,83、月刊丸3,90

<トライバル級・海外シリーズ>

 <トライバル級(インドネシア海軍)>:インドネシア海軍フリゲート。全長109.7m、幅13m、吃水3.8m、満載排水量2700トン。主機はCOSAG方式で、出力20000馬力、1軸推進、速力25ノット。兵装はシーキャット4連装発射機2基、114mm単装砲2門、20mm単装機銃2丁、12.7mm単装機銃2丁、リンボー1基。ヘリコプター1機を搭載できる。マルタ・クリスティナ・ティアハフ、ウィルヘルムス・ザカリアス・ヨハンネス、ハサヌッティンの3隻が1985-86年に引き渡された。参考:月刊世界の艦船9,963,92増刊

<ドライビング・バンド>:導環を参照。

<ドライピン式履帯>:履帯を参照。

ドライ・ファイア>:空撃ち。弾薬を銃砲に装填せずに発射動作を行うことを指す。空撃ち用のカートリッジを装填しておかないと、部品が破損する恐れがある。参考:GUN用語事典

ドライブシャフト>:駆動輪に回転を伝達する軸のこと。独立懸架式サスペンションの場合、車輪が上下動しても回転を伝えられるよう、ドライブシャフトの端部に等速ジョイントを取り付けておく。参考:クルマのすべてがわかる事典

<ドライブスプロケット・ホイール>:起動輪を参照。

ドライブ・バイ・ワイヤ>:車両の運転手による操作入力をセンサーで電気信号に変換して制御コンピュータに送り、最適な値に調節して出力、車両を制御するシステムのこと。電子制御スロットルバルブなどがこのシステムにあたる。参考:クルマのすべてがわかる事典

トライポッド>:三脚のこと。

<トライモーター>:三発機を参照。

ドライヤー・テーブル・シリーズ>:イギリス海軍砲術士官ドライヤーが民間発明家ポーレンらと協力して開発した射撃指揮盤(Fire Control TableFCT)。初の本格的な艦砲用射撃指揮装置で、自艦と敵艦の相対位置を自動的に用紙に出力してくれる。参考:月刊世界の艦船1,12

 <ドライヤー・テーブルMkⅠ>:ドレッドノート級戦艦に搭載された。参考:月刊世界の艦船1,12

 <ドライヤー・テーブルMkⅠ*>

 <ドライヤー・テーブルMkⅡ>:オライオン級戦艦に搭載された。参考:月刊世界の艦船1,12

 <ドライヤー・テーブルMkⅢ>

 <ドライヤー・テーブルMkⅣ>

 <ドライヤー・テーブルMkⅣ*>

 <ドライヤー・テーブルMkⅤ>:1917年に実用化されて超弩級戦艦に搭載された。改良型はフッド級巡洋戦艦に搭載されている。参考:月刊世界の艦船1,12

ドライラン能力>:潤滑油が無くなっても一定時間飛行できる能力のこと。参考:月刊航空ファン5,19

ドライリンクM30>:ドイツ空軍が砂漠用サバイバル装備として導入した民間散弾銃。水平2連式散弾銃の銃身下部に9.3mmライフル銃身が装着された3連銃である。1941-43年に発注され、北アフリカに送られた。参考:グラフィックアクション36

ドライレーション>:アメリカ軍が1960年代後半から支給したレーションで、プラスチック容器に乾燥食品を入れたものである。熱湯を注いで容器を振るだけでライス、スパゲッティ、肉入りポテトなどが出来上がり、軽量なので持ち運びも便利であり、ベトナム戦争では遠征フードというニックネームが付けられて好評を博した。参考:ミリタリー・イラストレイテッド17

<ドラヴァ>:P832(潜水艦)を参照。

<トラヴァース・カウンティ>:LST-1160(戦車揚陸艦)を参照。

ド・ラヴァル・タービン>:1888年(1883年?)にスウェーデンのド・ラヴァル博士が開発した単式衝動式蒸気タービン。翼車が1段(動翼・静翼1組)だけなので歯車減速装置で回転数を1000回転台に落としている。蒸気速度に対してタービンの速度は半分程度であり、エネルギー効率が悪く、小型動力源として使用された。参考:月刊丸11,09、月刊軍事研究1,16

トラウスト>:ノルウェー海軍ストルム級高速攻撃艇。1967年就役。参考:週刊ワールドウェポン17

<トラウト>:SS-202(潜水艦)またはSS-566(タング級潜水艦)を参照。

<ドラウン・レンジ>:三沢対地射爆撃場を参照。

ドラガー>:フランスのGiat社が開発した機関砲塔。25mm機関砲M8117.62mm同軸機銃を1門ずつ装備する。シンガポール向けのAMX-10Pに装備された他、フランスのVBCI用としても提案された。参考:月刊軍事研究3,99

<ドラグーン>:竜騎兵を参照。

ドラグーン作戦>:第2次大戦時に連合軍が行ったプロヴァンス地方上陸作戦で、1944815日に実施された。2014815日、ツーロンからカンヌにかけての海域でフランス海軍が上陸70周年記念国際観艦式を実施。参考:月刊世界の艦船11,14

<トラクスタン>:APD-98(高速輸送艦)またはCGN-35(原子力巡洋艦)またはDD-229(駆逐艦)またはDDG-103(イージス駆逐艦)またはDE-282(護衛駆逐艦)を参照。

トラクスタン級>:アメリカ海軍原子力ミサイルフリゲートTruxtun級、計画番号SCB-2221962年度計画で建造されるベルナップ級のうち1隻を原子力推進に変更したものである。船体は一回り大きくなり(ベインブリッジ級がベース)、フレアを廃止、煙突は要らないのでマックに換えて大型のトラスマストを設けており、ソナー室の関係で127mm砲が前部、テリア兼アスロック発射機が後部に来ているが、その他の兵装は同じで、NTDSも新造時から搭載している。レーダーはAN/SPS-48対空レーダー、AN/SPS-40対空レーダー、AN/SPS-10対水上レーダー、AN/SPG-53A射撃指揮レーダー1基、AN/SPG-55射撃指揮レーダー2基。ソナーはAN/SQS-26バウソナー。全長171.9m、幅17.7m、吃水9.4m6.0m?)、基準排水量8200トン、満載排水量9200トン(8800トン?8927トン?)。主機は原子力蒸気タービン方式、D2G加圧水型原子炉2基・蒸気タービン2基、出力60000馬力、最大速力30ノット以上、航続距離は最大速力で150000海里。兵装はテリアミサイル兼アスロック連装発射機1基(テリア40発、アスロック20発)、5インチ単装速射砲Mk42が1門、76mm連装速射砲2門(艦中央両舷)、324mm3連装短魚雷発射管2基(後部上構内)、533mm固定式対潜魚雷発射管Mk25が2門(艦尾)。DASH2機の搭載を考慮しており、ミサイル発射機と後部上構の間に格納庫と発着甲板がある。チャフ発射機はMk28で、後にMk36に換装された。乗員は490名(479名?)で、居住設備は501名分用意されている。建造費1億3867万ドル。DLGN-35トラクスタンが1967年に就役した。DASHはすぐに運用停止になったため、1971年に関連設備を撤去してSH-2Fを1機搭載した。また、艦尾の533mm魚雷発射管も早期に撤去された。1975年、CGNに艦種変更された。1983-84年、NTUNew Threat Upgrade)改装を実施。後部マスト付近の上構を拡大し、マスト下部に甲板室を新設、艦対空ミサイルをSM-2ERに換装し、76mm連装速射砲を撤去してハープーン4連装発射機を搭載、20mmCIWSを艦橋前の上構両舷に1基ずつ設置し、艦橋トップ両舷にSLQ-32を装備、三次元レーダーやタカンを換装した。1992年時点の諸元は以下の通り。全長171.9m、幅17.7m、吃水9.4m、軽荷排水量8322トン、満載排水量9127トン。主機は原子炉2基・蒸気タービン2基2軸70000馬力、速力30ノット。兵装はハープーン4連装発射機2基(前後上構間)、スタンダード2ER・アスロックSUM連装発射機Mk10が1基(後甲板)、127mm単装砲1門(前甲板)、ファランクス2基、324mm3連装短魚雷発射管2基。乗員561名、司令部要員18名。トマホークは最後まで搭載せず、1995年に退役した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊、3,0012,139,9610,'23、月刊軍事研究11,1512,15、近代巡洋艦史

<トラクター6トン(6×4)>:自衛隊の車両。三菱ふそうトラック・バス製。参考:月刊軍事研究10,10

トラクター6トン(6×4)給水車用>:航空自衛隊の車両。全長6.57m、全幅2.49m、全高3.155m、車両重量8.73トン、ペイロード11トン。最大速度115km。乗員3名。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015

<トラクター(6トン及び10トン車牽引用)>:自衛隊の車両。日産ディーゼル工業または日野自動車製。参考:月刊軍事研究8,11

<トラクター(6トン有蓋車牽引用)>:自衛隊の車両。日産ディーゼルトラックス製。参考:月刊軍事研究9,10

<トラクターショベル>:自衛隊の車両。TCMまたは原商または日立建機日本が受注している。参考:月刊軍事研究8,131,149,15

<トラクターショベル8トン>:自衛隊の車両。TCM製。参考:月刊軍事研究9,14

<トラクターショベル11トン>:自衛隊の車両。小松製作所またはTCM製。参考:月刊軍事研究9,14

トラクタブル作戦>:第2次大戦中の1944814日に開始された、連合軍のファレーズ攻略作戦。16日にカナダ第1軍がファレーズに突入。ドイツ軍はファレーズ・アルジャンタン間の僅かな隙間を残し、包囲されてしまった。参考:月刊丸3,01

<ドラグノフ狙撃銃>:SVDを参照。

虎熊正>:とらくまただし。日本海軍エース。明治44年、大分県生まれ。昭和4年、海軍に入隊し、昭和87月に操縦練習生を卒業し、大村航空隊に配属された。その後龍驤戦闘機隊、大村航空隊に転属し、日華事変勃発で第13航空隊に配属され、917日に上海公大基地に展開した。919日、第1次南京攻撃で2機を撃墜。922日、カーチス・ホークから12.7mm弾と7.7mm弾を21発被弾したが、全て弾き飛ばし、逆襲して撃墜した。11月、本土に帰還。昭和912月、第12航空隊に配属されて漢口に展開した。昭和1410月、爆撃を受けて重傷を負い、本土に帰還した。空曹長に昇進して昭和164月に退役、即日召集されて大分航空隊に配属された。昭和176月、鹿屋航空隊に転属となり、カビエンに進出。12月、大村航空隊に転属となり、本土に帰還した。昭和18416日、訓練教育中の事故で殉職した。総撃墜数7機。最終階級は少尉。参考:日本海軍戦闘機隊

<ドラケン>:サーブ35/J35シリーズ(戦闘機)を参照。

ドラケン(初代)>:スウェーデン海軍ドラケン級潜水艦1番艦で、竜の意。1925年起工、19261021日進水、1929225日就役。19481028日退役、1952年スクラップ。参考:月刊軍事研究1,03

ドラケン(2代目)>:スウェーデン海軍ドラケン級(2代目)潜水艦1番艦。1957年起工、196041日進水、196244日竣工。1971年に近代化改修を受けた。198271日に退役。参考:月刊軍事研究2,03

ドラケン・インターナショナル社>:アメリカのフロリダ州レイクランドに本社を持つ会社で、軍に対する空対空ミッション支援(アグレッサー、ECM、標的曳航など)を行っている。A-4K戦闘機6機、TA-4K練習機2機、MiG-21戦闘機25機、L-39練習機5機、L-159E練習機28機、MB-339CB攻撃機9機などを保有する。20168180740頃、アメリカ空軍への仮想敵支援中にTA-4Kがネリス空軍基地北北西の基地外周道路脇に墜落した。乗員は脱出して無事だった。201711月、スペイン空軍の退役ミラージュF1M/F1B戦闘機22機を購入すると発表した。また、南アフリカ空軍から中古のチータC戦闘機9機とチータD戦闘機3機を購入する予定。20191112日、スペインから購入した中古ミラージュF1の整備・改修(南アフリカのパラマウント・エアロスペース・システムズが支援)完了初号機がフロリダ州レイクランド空港で初飛行した。2021123日、ノルウェー空軍中古F-16戦闘機最大12機を購入する契約を結んだ。参考:月刊航空ファン11,1511,163,182,'20、月刊JWings10,162,183,22

ドラケン級(初代)>:スウェーデン海軍攻撃型潜水艦。全長66.1m、全幅6.4m、全高3.3m、水上排水量667トン、水中排水量850トン。主機はイェータファルケン・ディーゼル(960馬力)2基・電動機(500馬力)2基、2軸推進、水上速力13.8ノット、水中速力8.3ノット、航続距離5600海里。武装は艦首の533mm魚雷発射管4門と、105mm砲1門、25mm機関砲1門。乗員35名。ドラケン、グリペン、ウルフェンの3隻が1929-31年に就役した。参考:月刊軍事研究1,03

ドラケン級(2代目)>:スウェーデン海軍沿岸哨戒用小型潜水艦Draken級。ハヤン級(3代目)とデザインはあまり変わらないが、1軸推進になり、十字舵を採用した。全長69.3m、全幅5.1m、全高5.3m、水上基準排水量770トン、水上満載排水量835トン、水中排水量950トン(1110トン?)。主機はピールスティック型ディーゼル(800馬力)2基・ASEA電動機(840kW)2基(1基?)、5翅プロペラ1軸推進、水上速力17ノット、水中速力22ノット(20ノット?)。最大潜航深度175m(操舵席正面の深度計は目盛りが250m、数字が240mまで振られている)。乗員36名。兵装は艦首の533mm魚雷発射管4門で、その後方に魚雷8本を収容するリボルバー式予備魚雷庫が用意されていて、魚雷計12本または機雷を搭載できる。1番艦ドラケン、2番艦グリペン、3番艦ファルゲン、4番艦デルフィネン、5番艦ノルトカッパレン、6番艦スプリンガレンの6隻が1962年に竣工した。1970年にデルフィネン、ノルトカッパレン、スプリンガレンの3隻が、続いて1971年にドラケン、グリペン、ファルゲンの3隻が近代化改修を受けた。198271日にドラケンとグリペンが退役、他は1981年に更に近代化改修を受け、1980年代末まで使用された。参考:月刊軍事研究2,03、月刊世界の艦船3,16

ドラケンスバーグ>:南アフリカ共和国海軍ドラケンスバーグ級補給艦1番艦Drakensberg。参考:月刊JShipsvVol.24

ドラケンスバーグ級>:南アフリカ共和国海軍補給艦Drakensberg級。全長147m、幅19.5m、吃水7.9m、基準排水量12500トン。速力20ノット以上。兵装は20mm機関砲4門で、ヘリ2機を搭載できる。ドラケンスバーグが就役した。参考:月刊JShipsvVol.24

ドラコ>:オットー・メララ社が開発した対空・対地両用無人砲塔システム。同社製の62口径76mm艦載砲と目標探知追尾・弾薬誘導用レーダー、車長用昼夜間パノラミックサイト、砲安定化装置を組み合わせており、対陸上目標直接照準射撃なら3km、巡航ミサイルや小型UAVなら6km、ヘリコプターなら8km、間接照準射撃なら15km、艦艇なら22kmの有効射程を持つ。他の対空レーダーから目標情報を得ることも可能。防御レベルはNATOレベル3で、レベル4まで強化が可能。砲塔重量は5トンで、車体と合わせて15トン以上の車両ならば搭載できる。俯仰角はマイナス10度からプラス75度。使用弾は榴弾、半徹甲弾、APFSDS-T弾など。12発収容のリボルバー弾倉と24発収容の自動装填装置を持ち、発射速度は毎分80発、リボルバー弾倉への再装填時間は60秒。参考:月刊軍事研究10,10

<ドラゴニット>:SS-293(潜水艦)を参照。

<ドラコン>:MR-145(方位盤)を参照。

ドラコン>:イスラエル海軍ドルフィン級バッチⅡ潜水艦3番艦Drakon2023821日進水。参考:月刊世界の艦船12,23

<ドラゴン>:B-23シリーズ(爆撃機)またはBQM-147(無人偵察機)またはD3545型駆逐艦)またはI46(D級軽巡洋艦)またはK-295(アクラⅡ級原潜)を参照。

ドラゴン対戦車ミサイル・シリーズ>:アメリカ軍の中距離対戦車ミサイル(MAW)、FGM-77 Dragon。参考:月刊世界の艦船9,96

ドラゴン>:制式名称はM47。第2世代戦車の撃破を目的に開発された。1名で携行でき、ランチャー先端には二脚架が付いており、ランチャーには砲口カバー及び砲尾カバーが付けられ、発射の際は砲口カバーを外す。誘導装置と発射装置は取り外して持ち運び、使用時に取り付ける。誘導は半自動式で、倍率6倍・視野プラスマイナス3度の照準眼鏡に目標を捉え続ければ自動的に命中する。ミサイルとランチャーは一体として梱包されており、誘導・発射装置のみ再使用する。全長1120mm、直径254mm127mm?)、翼スパン330mm、ランチャー+ミサイル重量11kg、弾頭重量2.44kg(成型炸薬)、照準・発射装置重量3kg。装甲貫徹力600mm。最大速度毎秒100m、最小射程60m、最大射程1100m、最大射程までの所要秒時は11秒。ミサイルは前部に弾頭、中央にロケットモーター、後部に折り畳み翼、最後部に赤外線ビーム発射装置と誘導用ワイヤーを持つ。ロケット噴出口はミサイル側面に60個ほど開いており、弾体は旋転しつつ目標に向かう。バックブラストは半径50m・後方左右45度ずつに及ぶ。誘導装置は370万円するので、装甲車のルーフから発射する時は落とさないように注意。参考:コンバット・バイブル、コンバット・バイブル2、月刊世界の艦船9,96、月刊PANZER7,09、ザ・マーチ17

ドラゴン2>:弾頭威力を85%増しとした改良型。参考:コンバット・バイブル2

<ドラゴン対戦車ミサイル海外シリーズ>

 <B/B-77>:スイス陸軍が導入したドラゴン対戦車ミサイル。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ドラゴン有人宇宙機>:アメリカのスペースX社が開発している有人宇宙機。三角錐台型をしており、7名を収容可能。プロトタイプはファルコン9に搭載されて2010128日に打ち上げられ、地球を2周して大気圏に再突入し、太平洋上にパラシュート降下して回収された。参考:月刊軍事研究5,11

<ドラゴンアイ>:346型(レーダー)または348型(レーダー)またはRQ-14A(無人機)を参照。

<ドラゴンウオーリア>:サイファーT(無人機)を参照。

ドラゴン計画>:台湾の新型偵察衛星開発計画。高度654km、傾斜97.98度の軌道に解像度0.5mの衛星を飛ばす予定だった。3年間で完成する筈だったが、議会で機密開発予算が承認されず、開発中止となった。

ドラゴン・ジョー>:北ベトナムのタンホア鉄橋のアメリカ軍通称。

<ドラゴンズ>:VMM-265(海兵中型ティルトローター飛行隊)を参照。

<ドラゴンズ・アイ>:AN/ASQ-236(レーダーポッド)を参照。

<ドラゴン・スレイヤーズ>:HS-11(ヘリコプター飛行隊)を参照。

ドラゴンファイア>:イギリス国防省国防評価局(DSTL?)のレーザー指向性エネルギー兵器能力実証計画(Laser Directed Energy Weapon CDP)に基づいてMBDA主導の企業共同体ドラゴンファイア・コンソーシアム(レオナルド社、キネティック社、アーク社、BAEシステムズ社、マーシャル社、GKN社が参加)が20154月から開発しているレーザー砲dragonfire。艦艇用CIWSUAV迎撃、砲迫ロケット弾撃墜などに使用される防御用兵器で、レーザー砲、指揮管制モジュール、フライホイール蓄電システムFESSFlywheel Energy Storage System)などからなり、様々な波形の高出力レーザーを複合して照射し、全天候下で迎撃を行う。出力50kW級。DSEI2017で全規格デモンストレーターが展示された。2019年(2018年?)から実証テストに入っており、全天候目標探知追尾能力、高エネルギーレーザー発生照射制御能力、長期運用能力、安全性を調査し、レーザー兵器へと発展させる。参考:月刊軍事研究2,181,188,153,17、月刊世界の艦船5,21

ドラゴンファイア>:フランスTDA社製ライフル式120mm迫撃砲2R2M。設置した後は装填・照準・射撃全て遠隔操作で行える。100発収納のリボルバー弾倉を装備し、車載することも可能。参考:月刊PANZER9,02

ドラゴンフィッシュ>:イギリスのマルコーニが開発した上陸阻止用沈底機雷。重量85kg、炸薬重量80kg。最大深度30m。磁気信管を持つ。輸出市場に出されている。参考:月刊世界の艦船1,15増刊

<ドラゴンフライ>:A-37シリーズ(攻撃機)またはR-5シリーズ(ヘリ)またはYO-51(観測機)を参照。

ドラゴンフライ>:中国の中電科技国際貿易有限公司が開発したヘリコプター型UAV。外見はEADS社のスコーピオに似ており、提携先のEADS社の技術を導入(コピー?)したのかもしれない。EO/IRセンサーを搭載しており、完全自律飛行が行える。全長1.8m、ローター直径2.5m、離陸重量32kg。巡航速度80km、巡航高度3260フィート(993.6m)、作戦行動半径20km、滞空時間1時間。参考:月刊軍事研究3,11

<ドラゴンフライ1A>:R-5海外シリーズ(ヘリ)を参照。

ドラゴンランナー>:アメリカ軍の小型UGVDragon Runner。装輪式なので段差を乗り越えるのが難しいが、車体が頑丈なので室内に放り込んたり、階段から転げ落ちたりしても大丈夫。全長400mm、全幅280mm、全備重量7.3kg。最大速度40kmで、連続使用時間は最大速度で2時間、警戒モードで12時間。参考:防衛技術ジャーナル1,07

ドラゴンランナー>:キネティック社が開発した装軌式無人ロボット、Dragon Runner。東日本大震災に伴い発生した福島第一原発事故に投入され、カメラによる原子炉建屋内部の調査を行った。参考:月刊軍事研究12,11

ドラゴンランナー10>:DR10と略す。アメリカ海兵隊の小型UGVで、キネティック・ノース・アメリカ社が納入している。2.4mの壁越しに投げ込まれた後、何回か段差を転げ落ちても作動する。小型マニピュレータを装着してブービートラップのワイヤーを切断することも可能。全備重量10ポンド(4.54kg)。参考:月刊軍事研究2,13

ドラゴン・リターン作戦>:アメリカやイギリスの情報機関が行った、ソ連及び東欧諸国からの亡命者を対象にした組織的事情聴取作戦。参考:月刊軍事研究11,09

ドラゴンレディ>:アメリカ空軍のU-2採用計画。そのままU-2の半公式ニックネームにもなった。参考:月刊航空ファン11,02

<ドラゴン・ワゴン>:M25(戦車輸送車)を参照。

トラスコア構造>:サンドイッチ構造の心材の1つ。三角波板構造にして軽量化しつつ挫屈に対する強度を保つもので、段ボールがこんな感じである。参考:航空用語事典増補改訂版

トラス構造>:機体部品の骨組みを木材や鋼管で組み立て、布・合板・軽金属の外板を貼り付けて完成させたもの。骨組みだけで機体を支えており、外板には機体構造を保つ力は無く、高速飛行には向かない。参考:月刊航空ファン1,98、飛行機のしくみ

<トラスティ>:N45(潜水艦)を参照。

<トラセン>:DD-530(駆逐艦)を参照。

<トラッカー>:D24(護衛空母)またはDRACUAV)またはS-2シリーズ(対潜哨戒機)を参照。

トラッカー>:イギリス海軍アーチャー級訓練哨戒艇。参考:月刊軍事研究11,983,02

トラッカー>:イギリスのマーシャル・ランド・システムズ社が開発した4輪電動UGV。ペイロード250kg。参考:月刊軍事研究11,10

<ドラツキ>:41(フリゲート)を参照。

<トラッキー>:T-AO-147(給油艦)を参照。

トラッキング>:Tracking。回転している各ローターブレード先端の軌跡を同一に揃えること。揃っていない(アウト・オブ・トラック)ローターを揃える(イントラック)ためには、各ブレード先端にチョークで違う色を塗り、白い旗状のトラコメータを装着して軌跡を目視し、タブやピッチリンクを操作して修正する。光線や電波を使用する方法もあり、飛行中にトラッキングを行えるヘリもある。参考:航空用語事典増補改訂版

ドラッギング>:Dragging。ハンティング(Hunting)ともいう。ローター・ブレードが回転面内で前後方向に動くことで、ブレードが前方に進むことをリード(Lead)、後方に遅れることをラグ(Lag)という。ヘリが前進飛行すると、ローターブレードの前進側と後退側で対気速度や迎え角が違ってくるのに加え、前進側は上方、後退側は下方にフラッピングするため、前進側ブレードは前、後退側ブレードは後ろに引っ張られ、ブレードがドラッギングしてブレードの付け根にモーメントが掛かる。このモーメントが過大になるとブレード付け根が破損するので、ダンパーを取り付けてドラッギングを制限すると共に、リード・ラグ・ヒンジを装着してブレードのドラッギングを許容するようにしている。参考:月刊JWings5,17、航空用語事典増補改訂版、月刊軍事研究9,07

<ドラッギング・ヒンジ>:リード・ラグ・ヒンジを参照。

<トラッキング・レイヤー計画>:SDAトラッキング・レイヤー計画(衛星)を参照。

<トラック>:履帯を参照。

トラック>:Truck。マスト頂部のこと。前檣だと前部トラック(Foretruck)、メインマストだとメイントラック(Main Truck)と呼ぶ。参考:米海軍サバイバルマニュアル

<トラック1/4トン4×4小型業務車Ⅲ型>:自衛隊の車両。トヨタ自動車製。参考:月刊軍事研究9,15

<トラック1/4トン4×4(バン型)>:自衛隊の車両。三菱自動車工業製。参考:月刊軍事研究5,16

<トラック3/4トン>:自衛隊の車両。いすゞ自動車製。参考:月刊軍事研究9,13

<トラック3/4トン4×2(バン型)2号>:自衛隊の車輌。トヨタ自動車製。参考:月刊軍事研究9,14

<トラック3/4トン(4×4)>:自衛隊の車輌。いすゞ自動車製。参考:月刊軍事研究9,16

<トラック3/4トン4×4(バン型)2号>:自衛隊の車輌。トヨタ自動車製。参考:月刊軍事研究9,16

<トラック2トン4×2カーゴ>:自衛隊の車両。三菱ふそうトラック・バス製。参考:月刊軍事研究1,13

<トラック2トン(4×4)カーゴ>:自衛隊の車両。三菱ふそうトラック・バス製。参考:月刊軍事研究7,14

<トラック(2トン積載用)>:自衛隊のトラック。日野自動車製。参考:月刊軍事研究6,09

<トラック(2トン積載用クレーン付)>:自衛隊の車両。いすゞ自動車製。参考:月刊軍事研究8,10

<トラック2・1/2トン4×2カーゴ(2トンクレーン付)>:自衛隊の車両。日野自動車製。参考:月刊軍事研究8,15

<トラック2・1/2トン4×2散水車>:自衛隊の車両。UDトラックス・ジャパン製。参考:月刊軍事研究1,13

<トラック2・1/2トン4×4カーゴ>:自衛隊の車両。いすゞ自動車製。参考:月刊軍事研究7,14

トラック2・1/2トン4×4カーゴ(2トンクレーン付)>:航空自衛隊の車両。全長7.37m、全幅2.48m、全高3.29m、車両重量6.61トン、ペイロード5トン。最大速度100km。乗員3名。いすゞ自動車製。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊軍事研究9,15

<トラック4トン積載用>:自衛隊のトラック。日産ディーゼル工業または日野自動車またはいすゞ自動車製。参考:月刊軍事研究9,086,098,10

<トラック4トン積載用ウィングバン>:自衛隊の車両。日野自動車製。参考:月刊軍事研究9,10

<トラック4トン積載用クレーン付>:自衛隊の車両。日野自動車製。参考:月刊軍事研究5,09

<トラック4トン積載用全輪駆動>:自衛隊の車両。いすゞ自動車製。参考:月刊軍事研究5,09

<トラック4トン積載用全輪駆動(1000G給水車用)>:自衛隊の車両。いすゞ自動車製。参考:月刊軍事研究10,10

<トラック4トン積載用全輪駆動クレーン付>:自衛隊の車両。いすゞ自動車製。参考:月刊軍事研究5,09

<トラック4~5トン4×2トラクタⅡ型>:自衛隊の車両。UDトラックスジャパン製。参考:月刊軍事研究6,14

<トラック5トン積載用>:自衛隊の車両。日野自動車製。参考:月刊軍事研究5,09

<トラック(6×6)アンテナ・マスト用>:自衛隊の車両。三菱ふそうトラック・バス製。参考:月刊軍事研究2,14

<トラック(6×6)電源車用>:自衛隊の車両。UDトラックスジャパン製。参考:月刊軍事研究8,13

<トラック6トン(4×2)>:自衛隊の車両。日野自動車製。参考:月刊軍事研究5,14

<トラック6トン積載用クレーン付>:自衛隊の車両。いすゞ自動車製。参考:月刊軍事研究10,09

<トラック7トン(6×6)トラクタ>:自衛隊の車両。三菱ふそうトラック・バス製。参考:月刊軍事研究10,16

トラック8トン(4×2)>:航空自衛隊のトラック。全長11.985m、全幅2.49m、全高2.83m、車両重量7.74トン、ペイロード7.25トン。最大速度110km。乗員3名。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015

ドラッグインデックス>:Drag index、抵抗指数。搭載兵装による空気抵抗の違いを示す指数で、大きいほど空気抵抗が増えることを示す。同じ兵装でも搭載ステーションや他の兵装との兼ね合いで値が変化することもある。参考:月刊JWings3,129,13

<ドラッグ角>:ラグ角を参照。

トラック環礁>:北緯7-8度、東経151-152度に位置する直径50kmの環礁で、礁湖には大小40余りの島があり、環礁の外側にも離島が散在している。5月から10月が雨期、11月から4月が乾期だが、乾期といっても北東貿易風が吹いて湿度が低くなるだけであり、年中スコール(1回5分くらい)が降っている。環礁には大型艦船が出入りできる水道が数カ所あり、島には環礁全体を見渡せる高さ300mくらいの山があって、日本海軍が要塞化軍用港湾施設を建設した。日本統治時代に主要な島が春、夏、秋、冬島の四季諸島、日曜、月曜、…土曜島の七曜諸島と名付けられ、他に子、丑、…亥、松、竹、梅、東、西、南、北、兄、姉、妹、男、女、嫁、桜、楓、…といった名前が付けられている。夏島には艦隊桟橋が設けられており、チョンチョン桟橋と通称された。連合艦隊旗艦用として直径5mの専用係留ブイが用意されており、有線通信ケーブルが仕込まれていて、陸上通信施設に繋がっている。最大の飛行場は竹島にあり、零戦や彗星の基地があった。他に春島には陸攻・艦攻基地と零式水観・二式大艇基地、夏島に零式水観・二式大艇基地、楓島に零戦・天山基地が設けられた。昭和183月下旬からアメリカ陸軍航空軍第13航空軍第5・第307爆撃群B-24爆撃機による空襲が始まり、春島の第202航空隊戦闘第301飛行隊と竹島の第253航空隊が零戦で、第251航空隊戦闘第901飛行隊が月光で迎撃にあたった。329日、第307爆撃群B-24J爆撃機24機が竹島飛行場を爆撃。零戦58機で迎撃して2機を撃墜したが、4機を失った。330日、第5爆撃群B-24爆撃機19機が春島を爆撃。零戦40機で迎撃して3機を撃墜し、1機を失った。昭和19217-18日に大空襲を受けて壊滅。41日、アメリカの第2次空襲を受けた。429日、空母12隻からなるミッチャー艦隊に第3次空襲を受けた。太平洋戦争終結後はアメリカの信託統治領となった。参考:続潜水艦気質よもやま物語、海軍操舵員よもやま物語、月刊航空ファン1,17、太平洋海戦史

トラックグレーダー>:航空自衛隊の除雪車両。3軸トラックの前面にブレードを取り付けたもので、圧雪や氷結した雪を路面から引きはがして脇に除ける。全長12m、全幅3.6m、全高3.5m。エンジン出力261馬力。作業速度10-70km。参考:MAMOR vol.124

トラック・クレーン>:陸上自衛隊の施設科に装備されている油圧式クレーン車で、重量物吊り上げ・杭打ちなどの作業を行う。六輪トラック後方に旋回式クレーンを積んだタイプと、四輪駆動大型車に油圧式クレーンを積んだタイプがある。参考:自衛隊装備カタログ1981、陸上自衛隊地上戦力の全容

トラック・クレーン(タダノ製)>:ホイールベースが短く、最小回転半径が5mなので、狭いところでも使用可能。全長9.31-10.3m、全幅2.49m、全高3.44m、全備重量19.7トン。最大速度50km。参考:自衛隊装備年鑑1996、月刊軍事研究3,97

トラック・クレーン(三菱製)>:全長11.45m、全幅2.70m、全高3.50m、全備重量20トン。エンジンは三菱6DB10Wで、最大速度50km、航続距離300km以上。クレーン用エンジンはいすゞDA120P67馬力)で、クレーンアーム長6.6m。クレーンの他、ドラグ・ライン、クラムシェル、バックホー、パイルドライバー、シャベルの各アタッチメントを装備できる。車体は三菱重工製、クレーンは住友重機または日立製作所製。参考:自衛隊装備カタログ1981

<トラック・クレーン1型>:自衛隊の車両。タダノまたは加藤製作所製。参考:月刊軍事研究10,093,13

<トラック・クレーン2型>:自衛隊の車両。タダノ製。参考:月刊軍事研究10,09

<トラッククレーン25トン1型>:自衛隊の車両。タダノ製。参考:月刊軍事研究12,08

<トラッククレーン(60トン)>:自衛隊の車両。タダノ製。参考:月刊軍事研究10,10

<トラック・クレーン(UNMISS用)>:自衛隊の車両。タダノ製。参考:月刊軍事研究8,13

ドラッグ・シュート>:Drag chute。制動用パラシュートのこと。航空機の着陸時に開いて滑走距離を短縮する他、テスト飛行で錐揉みからの復帰に用いられる。繰り返し使用が可能。参考:F-16ファイティングファルコン、月刊JWings10,09別冊付録

<トラック大空襲>:キャッチボール作戦を参照。

<ドラッグ・ヒンジ>:リード・ラグ・ヒンジを参照。

トラックファイア>:スウェーデン海軍遠隔操作式12.7mm機銃Trackfire12.7mm機銃、電子光学/赤外線センサー、レーザー測距器を安定化銃座に搭載している。重量140kgStrib90HSM戦闘艇に搭載された。5.56mm機銃・7.62mm機銃版もある。参考:月刊世界の艦船1,21

トラック・ブレーカー>:アメリカ海軍の航空機搭載ジャミングポッドの通称。レーダーの追尾を妨害し、ロックオンを外すことができる。AN/ALQ-81AN/ALQ-83AN/ALQ-100を参照。参考:月刊JWings11,20

<トラック・ワイル・スキャン・レーダー>:Track-While Scan radarTWSレーダーと略す。捜索レーダーが捉えた目標の間欠的な位置データを、コンピュータで連続的に結ぶ処理を行うことで、捜索レーダーとして通常の捜索も実施しつつ、目標の追尾も可能としたものである。目標追尾中にレーダーアンテナを目標に向け続ける必要が無く、RCSの増大も防げる。捜索レーダーの目標情報をオペレーターが透明板などに描き込み、線で繋いで航跡として表示していたのを、完全コンピュータ処理にしたもので、ソ連のSA-2/SA-3地対空ミサイルシステムのレーダーに採用され、その後は戦闘機などのレーダーにも広く利用された。多目標追尾も可能だが、捜索レーダーで計測される目標の距離や方位(三次元レーダーなら高度も)は精度が低く、連続した異なる受信時刻から同一目標の信号が検出されるので目標エコーが一定の広がりを持つ値となり、データ更新頻度も低い(毎分30回転する捜索レーダーなら2秒に1回)。よって、更新後のデータと更新前のデータを比べて同一目標かどうか判断したり、その後目標がどういう動きをするか予測して次のデータにおける判断に活かしたりするアルゴリズムが重要であり、経験則に基づくα-βフィルタ、数学的理論に基づくカルマンフィルタなどが開発された。捜索レーダーを機械的に動かしている限りはデータ更新頻度を高くできず、予測アルゴリズムでの補正にも限界があるので、電子走査式レーダーの開発が進み、フェイズド・アレイ・レーダーに進んだ。参考:レーダシステムの基礎理論、レーダの基礎、月刊エアワールド4,00、月刊世界の艦船9,21

ドラッシュシェルター>:自衛隊の10名用大型テント。重量131kg。参考:朝雲

<トラッタ>:SS-421(潜水艦)を参照。

<トラット>:エデュアルト・トラット(ドイツ空軍エース)を参照。

<ドラッヘ>:Fa223(ヘリ)を参照。

ドラッヘ>:ドイツ海軍敷設艦。元はユーゴスラビア海軍水上機母艦ズマッジ(排水量1870トン)で、1941年に接収して改造した。兵装は8.8cm高角砲2門、機雷150個。194412月、イギリス軍機の爆撃を受けて沈没した。参考:写真集ドイツの巡洋艦

トラテロルコ条約>:1967214日に署名され、1968422日に効力発生した条約で、正式名称は「ラテン・アメリカ及びカリブ地域における核兵器の禁止に関する条約」。19909192年に改正案が採択されている。締約国(適用地域にある国)による核兵器の実験・使用・製造・生産・取得・貯蔵・設置・配備・所有を禁止したもので、適用地域はキューバとメキシコを含む中南米とその沿岸域(といっても排他的経済水域のかなり外側に至る)。有効期間は、無期限。中南米22カ国が調印し、1977年現在アルゼンチンとチリ以外の20カ国が批准した。ブラジルは批准しているが、平和的核爆発に関する態度を保留している。キューバは締約していない。第1議定書(地域外の国が地域内に保有する領土に核兵器を持ち込んだり、貯蔵したりすることの制限)はイギリスとオランダが調印した。第2議定書(条約参加国に対する核兵器の使用あるいは使用の脅威を与えることの禁止)はアメリカ、イギリス、フランス、中国が調印した。参考:軍縮条約・資料集第2版、軍事力バランス78年版

<ドラド>:SS-248(ガトー級潜水艦)またはSS-526(テンチ級潜水艦)を参照。

トラトラトラ>:真珠湾攻撃開始(我奇襲に成功せり)の電文。突撃命令のト連送に、受信ミスの起こりにくいラ(・・・)を加えたものらしい。参考:海軍こぼれ話

<トラニオン>:砲耳を参照。

<トラピーズ・ランチャー>:ランチャーまたはLAU-141/A(ランチャー)を参照。

<ドラヒェ>:Fa223(ヘリ)を参照。

トラビライザー>:アメリカ軍の通信傍受・方向探知装置。半自動高周波/超短波の通信傍受と超短波通信機の方向探知が可能で、約30km圏内の傍受・妨害ができる。6×6輪2トントラックM44の後部車台に載せたりして使用する。参考:月刊グランドパワー4,95

<トラファルガー>:R77(バトル級駆逐艦)またはS-107(潜水艦)を参照。

トラファルガー級>:イギリス海軍第4世代攻撃型原子力潜水艦Trafalger Class。T級ともいう。建造はヴィッカーズ社で、スイフトシュア級を大型化しつつ静粛性を向上させており、登場時は世界で最も静かな潜水艦と呼ばれた。船体は単殻構造で、無反響タイルが貼られている。氷海での行動のため、吃水線下の潜舵を引き込み式とし、セイルを強化、厚さ1mの氷原を叩き割って浮上できる。艦首の下部には2020型コンフォーマル・アレイ・ソナーを搭載し、船体両舷には2072型フランク・アレイ・ソナーが装備され、2046型曳航式ソナー(建造当初は2026型だった)のデータと共に2027シグナル・プロセッサに送られ、処理される。聴音測距も可能。艦首低周波ソナーは当初2024型だったが、後に2076型に替えられた。上甲板のセイル前方には2019型音響迎撃受信ソナー(逆探用パッシブソナー)を持つ。潜望鏡はCK034捜索用とCH084攻撃用。戦闘システムは民生用パソコンと同系列のハード・ソフトウェアを使用するSMCS NG(Submarine Command System Next Generation)ESMUSP(1)。主機などの騒音発生源はラフト構造上に載せられており、船体から切り離されている。PWR1原子炉に冷却系トラブルが多発していたため、改修を施したタイプを積んだ。全長85.4m84.5m?)、全幅9.8m、吃水9.5m、水上排水量4740-4816トン、水中排水量5208-5292トン。主機は原子力蒸気タービン方式で、PWR1原子炉1基・蒸気タービン2基、出力15000馬力、推進は7翅プロペラ(1番艦)/ポンプジェット(2番艦以降)1軸、水中速力32ノット。潜航深度300m以上。兵装は533mm魚雷発射管5門。Mk24スピアフィッシュ長魚雷とハープーン計20発(25発?)や機雷を搭載する。乗員は士官18名、下士官・兵112名(計97名?)。S-87タービュラント、S-88タイアレス、S-90トーベイ、S-91トレンチャント、S-92タレント、S-93トライアンフ、S-107トラファルガーの7隻が1983-91年に就役した。1998年にイギリス海軍がトマホークを導入したため、運用改修を受けている。2000年にS-88が原子炉の構造的欠陥により一次冷却水漏れを起こし、全攻撃原潜の活動が一時停止に追い込まれた。参考:月刊軍事研究5,015,17、世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、現代の潜水艦、月刊世界の艦船2,1011,166,019,12増刊、5,164,'206,'2112,'219,'2310,'23、ミリタリー・バランス1989-1990

<トラブリッジ>:R00(駆逐艦)を参照。

<トラベラー>:GBシリーズ(輸送機)またはN48(潜水艦)またはP2012(双発機)またはUC-43シリーズ(連絡機)を参照。

<ドラム>:SS-228(ガトー級潜水艦)またはSSN-677(スタージョン級攻撃原潜)を参照。

ドラムインディスクブレーキ>:ディスクブレーキのディスクローターにドラムブレーキを内蔵したブレーキ装置。パーキングブレーキ用に使用される。参考:航空用語事典増補改訂版

ドラム型給弾機>:弾薬をドラム型弾倉に格納し、選択した弾薬を装填トレイに載せる方式の給弾装置。参考:火器弾薬技術ハンドブック

ドラム型サーチライト>:アメリカ軍が1952-53年に開発した、M26M46中戦車用白色光投光器。朝鮮戦争から使用された。参考:月刊軍事研究8,01

ドラム缶成型装置2型>:陸上自衛隊の機器。凹んだドラム缶を直す機械である。参考:月刊JWings10,18

ドラム缶帯塗装機装置2型>:陸上自衛隊の機器。ドラム缶に中身を示す帯(ガソリンなら赤2本、航空燃料なら赤1本、灯油なら黄色。ちなみに軽油は帯無し)を塗装する機械である。参考:月刊JWings10,18

<ドラム・ティルト>:MR104ルイス(射撃指揮レーダー)を参照。

ドラム・ブレーキ>:車輪と一緒に回転する円筒形のブレーキドラムの内側に、ブレーキシューを押しつけ、摩擦によって回転数を減らすタイプのブレーキ。ディスクブレーキより強力な制動力を持つが、内部に熱が籠もりやすいという欠点があり、過熱でブレーキ力が低下するフェード現象や、ブレーキオイルの沸騰でブレーキペダルからの力を油圧で伝えられなくなるヴェイパーロック現象を生じる。ブレーキシューとブレーキドラムの間に水などが入り込むと制動力が低下し、乾燥させるのにも時間がかかる。参考:クルマのすべてがわかる事典

ドラム・マガジン>:円盤形の弾倉で、内部に渦巻き状に弾薬を収容する。参考:GUN用語事典

トラモンターヌ>:フランス海軍ブーラスク級駆逐艦Tramontane1927年竣工。1942年に自沈した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

<トラモンタナ>:S-74(潜水艦)を参照。

ドラモンド>:アルゼンチン海軍フリゲートDrummond20171115日に行方不明になったアルゼンチン海軍潜水艦S-42サン・ファンの捜索に参加。参考:月刊世界の艦船2,18

ドラモンド級>:アルゼンチン海軍フリゲートDrummond級。フランスのA69級を導入したものである。兵装は100mm砲1門、エグゾセMM38艦対艦ミサイル連装発射筒2基、A244短魚雷用3連装発射管Mk32が2基。参考:ミリタリー・バランス1989-1990THE MILITARY BALANCE 2016

<ドラリー>:K316(フリゲート)を参照。

トラル型コルベット>:北朝鮮海軍コルベットTral型。1955年にソ連から2隻が引き渡された掃海艇を改造したものである。全長62.1m、幅7.1m、吃水2.4m、満載排水量476-589トン。主機はディーゼル2基2軸2800馬力、速力16-18ノット。兵装は85mm単装砲D-5T-85が1門、37mm連装機関砲2基、14.5mm4連装機銃4基、爆雷投下軌条2条。乗員60名。艦番号671と、もう1隻が就役した。参考:月刊世界の艦船9,019,171,'15増刊

<ドラン>:DD-634(駆逐艦)を参照。

<トラン・カン・ドゥ級>:サベージ級フリゲート(ベトナム海軍)を参照。

トランケイテッド・ブレット>:平頭弾のこと。今はフラット・ノーズという。参考:GUN用語事典

<トランサー>:D85(護衛空母)を参照。

トランザール>:ドイツとフランスの航空機会社(ベーゼル、ノール、ハンブルガー、ブルーメ)が共同で設立した航空会社で、TRANSporter ALLianceの略。C-160の開発生産のために1958129日に発足した。参考:世界の軍用機1979、月刊JWings6,00

トランサム・スターン>:艦尾形状の1つ。艦尾波の発生を抑え、造波抵抗を減少させることが出来る。艦尾幅が広いのでヘリ甲板などの設置も容易。参考:週刊ワールドウェポン17、月刊軍事研究2,14

<トランシット>:経緯儀を参照。

<トランス>:AKA-76(攻撃貨物輸送艦)を参照。

トランスヴァール>:南アフリカ海軍ロック級フリゲートTransvaal。イギリスから第2次大戦末期に新造供与されたもので、当初はロック・アードと名付けられる予定だった。全長93.6m、基準排水量1435トン。主機はレシプロエンジン2基2軸5500馬力、速力19.5ノット。277型対空・対水上両用レーダーを搭載する。兵装は10.2cm単装砲1基、2ポンド4連装ポンポン砲1基、20mm連装機関砲2基、20mm単装機関砲2基、スキッド3連装対潜迫撃砲2基、爆雷投射機2基、爆雷投下軌条1基。1945521日就役。1962年、後部に甲板室を増設。1976年に除籍され、沈められて防波堤になった。参考:月刊世界の艦船9,02

トランスフォーメーション>:クリントン政権時代に登場したRMAという用語を使うのに抵抗があったブッシュ政権下のラムズフェルド国防長官が代わりに見つけてきた言葉。IT革命、冷戦終結、軍隊機能の変化に伴い、戦略や戦術に生じた大きな変革のことである。オバマ政権下のQDR2010では死語になってしまったが、アメリカ軍の変革は継続されている。参考:月刊軍事研究5,10、防衛学研究第35

<トランスフォーメーショナル通信衛星>:TSATを参照。

トランスプロテック>:EADS社がクラウス・マッファイ・ヴェクマン社と共同開発した装甲トラック。MAN社のSXトラックがベースで、兵員18名を輸送できる。ドイツ陸軍に採用された。参考:月刊軍事研究9,06

トランスポンダー>:Transponder。送信機(Transmitter)と受信機(responder)を組み合わせた言葉である。送信された電波に自動的に応答する装置のこと。参考:飛行機のしくみ

<トランスポンダ・インタロゲータ・タカン試験装置>:自衛隊の機器。菊水電子工業製。参考:月刊軍事研究7,15

<トランスポンダ・インタロゲータ・ラインテスタ>:自衛隊の機器。菊水電子工業または日本エヤークラフトサプライ製。参考:月刊軍事研究4,161,19

<トランスポンダ・セット>:自衛隊の機器。シマヅプレシジョンインスツルメンツインク製。参考:月刊軍事研究7,13

トランスミッション>:Transmission、変速機。上下2本のシャフトに多数のギアを配置しており、組み合わせを変えることでエンジンの回転数と駆動力(トルク)を調節する。また、回転方向を切り替えて後進できるようにする。回転数と駆動力は反比例するので、ギア比を調節することにより、路面状況などに合った適切な駆動力を起動輪や車輪に提供することが可能となる。マニュアル式、セミオートマチック式、オートマチック式、連続無段変速機があり、装軌車両用としてはクラッチ・ブレーキ式、シングル・ラディアス式などがある。参考:ティーガー重戦車パーフェクトバイブル、自動車メカニズム図鑑、クルマのすべてがわかる事典

トランスミッション(ヘリコプター)>:エンジン出力をメインローターやテイルローターに伝達するための構造で、エンジン並みに重要な部分であり、エンジンよりもトランスミッションの能力でヘリの飛行性能が決まることもある。遠心クラッチ、冷却ファン、フリーホイールクラッチ、伝動軸(ドライブシャフト)、減速歯車、傘歯車、テイルローター駆動軸、中間ギアボックス、伝導歯車などで構成される。エンジン始動時にはローターの負荷がエンジンに加わらないよう遠心クラッチによりエンジンと伝動軸を切り離しておき、一定の回転数に達したら人力または自動でクラッチを繋ぐ。エンジン回転数はレシプロで毎分3000回転、ターボシャフトで毎分10000-20000回転なのに対し、メインローター回転数は毎分200-600回転くらいなので、遊星歯車式2段減速装置により回転数を合わせる。エンジンの駆動軸は水平または斜め、ローターシャフトの回転軸は垂直なので、トランスミッション内に方向転換用のギアも組み込まれている。エンジンが複数ある場合、トランスミッションの手前に結合ギアボックスが用意されており、複数のエンジンからの出力を駆動軸1本に纏めると共に、クラッチも内蔵している。トランスミッションから抽出した動力の一部はテイルローター駆動軸に伝達され、垂直安定板付け根の中間ギアボックスで上向きに曲げられてテイルローターシャフト付け根のテイルローターギアボックスに伝わり、傘歯車を介してテイルローターを回転させる。エンジンが故障した場合、遠心クラッチと減速歯車の間にあるフリーホイールクラッチがエンジン出力側回転数とトランスミッション入力側回転数の違いを捉えて伝動軸をエンジンから切り離し、メインローターがオートローテーションする。この際、メインローターの回転はトランスミッション内の伝導歯車から傘歯車を介してテイルローターに伝えられ、テイルローターはメインローターの回転に合わせて回り続けるので、ヨーイングの制御が可能となる。減速歯車の負担が大きく、破損すると致命的なため、潤滑油に混じる金属粉をフィルターに引っ掛け、大きい破片が混じった場合にはパイロットや整備員に知らせる装置が組み込まれている。トランスミッションが焼き付くとそのまま落ちるしか無く、初期のヘリは被弾して潤滑油が失われたら焼き付くまでの数十秒以内に着陸しなければならなかったが、その後の進歩でAH-64UH-60は潤滑油全喪失でも30分くらい飛べるドライラン能力を持つようになっている。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings11,19、月刊航空ファン4,16、月刊軍事研究4,16

<トランチョン>:P353(潜水艦)を参照。

<トランピーター>:DE-180(カノン級護衛駆逐艦)またはDE-279(エヴァーツ級護衛駆逐艦)を参照。

<トランプ>:P333(潜水艦)を参照。

<トランペッター>:D09(護衛空母)またはP294(訓練哨戒艇)を参照。

トランペット>:アメリカ空軍のSIGINT衛星(といってもCOMINTしか行っていないが)、Trumpet。地球を1日に2周して携帯電話の傍受を行うのが主任務とされる。19945月に打ち上げられた。1995年と1997年にはモルニア軌道(近地点1000km、遠地点39000km、傾斜角64度。高緯度地域向け)に投入され、ロシア上空で任務にあたっている。マーキュリー衛星と組み合わせて運用される。参考:月刊軍事研究6,0412,08

<トランペットフィッシュ>:SS-425(潜水艦)を参照。

トリアージ>:傷病者の重症度を判別して要治療者の優先順位を決定すること。大元はフランスの繊維商人が羊毛を品質別に分類する際に使っていた言葉で、フランス革命で誕生したフランス国民軍の衛生隊が、戦場で優先的に治療が必要な傷病兵を「分類(Trier)」したのが始まりである。参考:ストライク・アンド・タクティカルマガジン3,12、軍医サンよもやま物語

<ドリアン>:KH-10(偵察衛星)を参照。

トリイステーション>:アメリカ軍の通信施設で、沖縄県読谷村にある。201352-3日、VMM-265MV-22Bオスプレイが飛来し、グリーンベレー隊員を乗せて離陸、伊江島でパラシュート降下訓練を行った。20201027日、在日米陸軍航空大隊UH-60Lヘリが飛来し、グリーンベレー隊員を乗せて離陸、北部訓練場に向かった。2021210日、HMH-465所属CH-53Eがスリング訓練を実施。323日、HMH-465所属CH-53Eが鳥島射撃場に小型フォークリフトをスリング輸送した。2022725日、HMLA-469所属UH-1Y汎用ヘリ2機が飛来し、グリーンベレー隊員による夜間ファストロープ降下訓練を行った。参考:月刊JWings7,131,215,'216,'2110,22

 <トリイステーション(2015年)>:第1特殊部隊群第1大隊、第10支援群(地域)が所在している。参考:月刊軍事研究7,15

トリートン暗号>:ドイツ海軍が第2次大戦時に使用したUボート用暗号。194221日から大西洋に展開するUボート向けに使われており、連合軍はシャークというコードを付けた。参考:Uボート入門

トリープフリューゲル>:フォッケウルフ社が第2次大戦時に計画したテイルシッター型VTOL戦闘機で、推進主翼機の意。3枚の主翼先端にラムジェットエンジンが付いており、主翼を高速回転させて推進する。最大速度900km。図面のみ完成した。参考:図解世界の軍用機史

ドリーム>:日本海軍士官のスラングで、夢精のこと。参考:帝国陸海軍事典

ドリームC.B.>:陸上自衛隊の360ccバイクで、警務隊用であり、白く塗られている。排気量360cc。本田技研工業製。参考:自衛隊装備カタログ1981

<ドリーム・ホーク>:ホーク練習機・海外ファミリーを参照。

<ドリームライナー>:B787シリーズ(旅客機)を参照。

<トリウームフ>:S-400(地対空ミサイルシステム)を参照。

トリウム>:原子番号90の元素。同位体のうち、トリウム232は半減期140億年で、高速中性子により核分裂が可能である。低いエネルギーの中性子が当たると、吸収されてウラン233を生成する。参考:核兵器事典

<トリウムファートルM>:S-500(防空システム)を参照。

<トリエステ>:L-9890(強襲揚陸艦)を参照。

トリエステ>:イタリア海軍トレント級重巡Trieste1928年竣工。1941327日、マタパン沖海戦に参加。1943410日、サルジニア島北部のマッダレナで爆撃を受けて沈没した。参考:近代巡洋艦史、月刊世界の艦船1,12

トリエステ級>:イタリア海軍強襲揚陸艦Trieste級。ジュゼッペ・ガリバルディとサン・ジョルジョ級2隻の後継で、2010年代初めに計画が始まり、当初は20000トン級を2隻作る予定だったが、多目的揚陸艦としての能力を優先して大型艦1隻に変更、2015年に発注した。STOVL空母としても使える全通甲板型で、ステルス性を考慮して船体はほぼ直線・平面構成となっている。飛行甲板は長さ230m・最大幅36m、前部左舷側にスキージャンプ台があり、発着スポットは6ヵ所。アイランドは右舷側にあり、前後に分かれている。前部アイランドは航海・戦闘艦橋と煙突で、クロノス・デュアル・バンドAESA LRR多機能レーダー(航海艦橋2甲板上の前面と左舷に平面アンテナが付く)やクロノス・パワー・シ-ルド対空レーダー(前部上面。クロノス・スターファイア3000?)を装備する。後部アイランドは航空管制センターと煙突で、航空管制センター2甲板上の後面と右舷にクロノス・デュアル・バンドAESA LRR多機能レーダー用平面アンテナが付き、前端上面にマストが1本立っている。クロノス・パワー・シールド早期警戒レーダー(アンテナ1面回転式)も装備する。左舷後部と後部アイランド後方に舷側エレベーターを1基ずつ装備する。艦内に長さ107.8m・幅25m・床面積2695平方メートルの航空機格納庫、長さ55m・幅19m・床面積2400平方メートルの車両甲板、長さ50m・幅15mのドック・ウェルを持つ。車両甲板にランプがあり、港から車両を自走搭載できる。艦載戦闘システムはSADOC4。全長245m240m?)、全幅36m、吃水7m、基準排水量25816トン、満載排水量36000トン(32306トン?)。主機はCODOG方式(CODLOG方式説あり)、巡航用MAN社製ディーゼル(15000馬力)2基・高速用MT30ガスタービン(48500馬力)2基、出力97000馬力、巡航速力18ノット、最大速力25ノット、航続距離7000海里(16ノット)、無寄港最大作戦日数30日。兵装はアスター15/30用8セルVLS2基、76mm単装砲3門(艦前部両舷スポンソン、艦尾中央スポンソン)、遠隔操作式25mm単装機関砲KBAが3門。搭載機数はF-35BAW-101NH-90など12-15機(揚陸任務)/20機以上(軽空母任務)、搭載舟艇LCAC1隻またはLCM型揚陸艇4隻(ドック・ウェル内)/LCVP4隻(飛行甲板左舷ダビット)、搭乗兵員604名(750名?1000名強?)。L-9890トリエステを建造中。参考:月刊世界の艦船12,'239,'2312,'204,'208,1910,176,1811,'21、月刊JWings8,193,18

<トリオン>:F-358(フリゲート)を参照。

<トリガー>:SS-237(ガトー級潜水艦)またはSS-564(タング級潜水艦)または引き金を参照。

トリガー・ガード>:用心鉄と訳す。参考:世界の軍用銃

トリガー・グルーブ>:トリガー表面に刻んである、滑り止めの溝。参考:GUN用語事典

トリガー・ハウジング>:ローア・フレーム、ローア・レシーバー、引き金枠部ともいう。引き金、逆鈎、撃鉄、撃鉄バネが組み込まれたフレームで、尾筒に付けられる。グリップも付いていることが多い。参考:GUN用語事典、火器弾薬技術ハンドブック

トリガー・ハッピー>:撃ちまくるのが好きな人や、安易にトリガーを引く人のこと。参考:GUN用語事典

トリガー・プル>:引き金を引いて撃発させるのに必要な力のことで、重量で表す。軽い方が精密射撃向きだが、暴発の危険が高い。参考:GUN用語事典

取り舵>:ポート。左に舵を取り、左回頭すること。進行方向を0時として方位を時計の文字盤で表すと、左は9時になる。これを十二支にすると酉になるので取舵というらしい。海上自衛隊の号令詞では「とーりかーじ」という調子で発音し、面舵と間違わないようにする。予定の針路になったら戻せと号令して舵中央に戻す。参考:月刊世界の艦船9,12増刊、続日本海軍よもやま物語、図解雑学 船のしくみ

<トリガット>:TRIGATシリーズ(対戦車ミサイル)を参照。

<トリカンド>:F51(フリゲート)を参照。

トリグラフ>:スロベニア海軍スヴェトリャク級哨戒艇トリグラフ(Triglav)。2010年竣工。参考:月刊世界の艦船10,17

<とりしま>:MSC-659(掃海艇)を参照。

鳥島射爆撃場>:在日米軍の射爆撃場で、沖縄の鳥島全体が射爆撃場になっており、面積は4万平方メートル。空軍が管理しているが、海軍や海兵隊も使用しており、2000ポンド(907.2kg)未満の爆弾の投下が可能である。200512月から20061月まで、海兵隊のAV-8B1520発の劣化ウラン弾による射撃を行った。参考:月刊軍事研究4,10

<トリシュル>:F43(タルワル級フリゲート)またはF43(タルワルⅠ型フリゲート)を参照。

トリシュル>:インドの短距離地対空ミサイル。射程9km。開発に20年かかり、2002年に漸く試射成功した。BMP-2に車載したタイプもある。参考:月刊軍事研究12,02

<ドリス>:A252(曳船)を参照。

ドリス(初代)>:フランス海軍シルセ級潜水艦Doris1930年竣工。194059日、オランダ沖でドイツ海軍潜水艦の雷撃を受けて沈没した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

ドリス(2代目)>:フランス海軍キュリー級潜水艦Doris。元はイギリス海軍V級潜水艦ヴィンヤードである。1944年竣工。1947年にイギリスに返還された。参考:第2次大戦のフランス軍艦

トリ・スヴィアティテリア>:ロシア海軍トリ・スヴィアティテリア級戦艦Tri Sviatitelia1896-98年頃竣工。1899年、軍艦として世界で初めて無線電信装置を搭載した。1911-12年、改装を実施。第一次大戦末期にドイツ軍に鹵獲された。ロシア革命で白軍に接収され、その後連合軍に破壊され、更に赤軍に接収され、1920年に放棄された。1922-23年頃に解体された。参考:月刊世界の艦船3,12

トリ・スヴィアティテリア級>:ロシア海軍戦艦Tri Sviatitelia級。全長115.1m、常備排水量12540トン。主機はレシプロ蒸気機関2基2軸10600馬力、速力16ノット。兵装は30.5cm連装砲2基、15.2cm単装砲8門、12cm単装砲4門、47mm単装砲10門、45cm魚雷発射管6門。トリ・スヴィアティテリアが就役した。1911-12年に改装を行い、主缶を換装してマストを棒状に変更、副砲を増強して魚雷発射管を減じている。参考:月刊世界の艦船3,12

ドリスティグ>:スウェーデン海軍スカウト・ボートDristig2020年、主機と発電機を換装し、聴音ブイ探知データ受信機を搭載、潜水艦監視艇として第3戦隊に配備された。参考:月刊世界の艦船9,20

<ドリス・ミラー>:CVN-81(空母)を参照。

<トリダン>:S.O.9000戦闘機シリーズ(戦闘機)を参照。

取り次ぎ>:日本海軍の役職の1つ。舷門で士官の荷物を運ぶのが主任務で、艦載艇が見えると舷梯を駆け下りて舫いを結び、士官から荷物を受け取って運ぶ。ヒマな時は士官用煙草盆、椅子、敷物、舷梯の掃除をする。甲板洗いでも舷梯洗いが担当である。参考:続日本海軍よもやま物語

取り付け角>:Angle of incidence。主翼の基準線と、胴体の中心線とがなす角度のこと。ゼロだと胴体に対して水平に取り付けられていることになる。普通はプラス(主翼の前縁が上を向くように)になっていて、巡航状態で最適な迎え角が取れ、地上滑走時には迎え角が大きくなるよう設定される。最大速度での飛行を追求した機体だと0度にしたりするが、巡航速度では機体ごと上向きにせねばならず、抗力が増える。どの飛行状態でも最適になるよう、可変取り付け角機構も開発された。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings8,0210,09別冊付録、月刊軍事研究11,11

都立産業技術高等専門学校科学技術展示館>:民間機がメインで、JHX-3ラムジェットヘリコプター、シコルスキーR6ホバーフライなどが展示されており、民間機以外ではF-86Dのみ所蔵している。年に数回一般公開される。参考:月刊丸2,08付録

<トリッジ>:K292(フリゲート)を参照。

トリッツァーチ・チトヴォールキ>:34という意味のロシア語。1944年頃、T-34のことをソ連兵はこう呼んでいた。参考:月刊グランドパワー12,04

<トリップ>:DD-403(駆逐艦)またはFF-1075(ノックス級護衛艦)を参照。

トリッペル水陸両用車シリーズ>:1939年にドイツ軍が自動車設計技師ハンス・トリッペルに開発を依頼した4輪小型水陸両用車。参考:月刊PANZER12,02

 <トリッペルSG4>:4気筒エンジン搭載型。オープントップの4名用で、前部にエンジンがある。陸上では4輪駆動・4輪操舵で、水上では後部のスクリューで航行し、操舵は前2輪のみである。参考:月刊PANZER12,02

 <トリッペルSG6>:6気筒55馬力エンジン搭載・ハードトップ型。全長4.825m、全幅1.8m、全高1.9m、重量1.75トン。座席を8席にして37mm砲と7.92mm機銃2丁を搭載したタイプもある。1940-44年に1000両を生産した。参考:月刊PANZER12,02

 <トリッペルSG7>:タトラ社製V型8気筒エンジンを搭載したタイプで、1943年に採用された。参考:月刊PANZER12,02

 <トリッペルE3>:SG7の装甲型。1944年に採用された。参考:月刊PANZER12,02

トリ・テク航法システム>:GPSINSTERNAVを組み合わせた航法システム。KEPD150に搭載されている。

トリデンテ>:ポルトガル海軍トリデンテ級潜水艦Tridente2009414日公試開始。2010617日にドイツのHDW社キール工場で竣工。就役はリスボン回航後となる。201410月、ノーブル・ジャスティフィケーション演習に参加。2017年から改装工事に入った。2021520-30日、ステッドファスト・ディフェンダー21に参加。参考:月刊世界の艦船3,109,101,158,21

トリデンテ級>:ポルトガル海軍AIP潜水艦Tridente級。ドイツの企業複合体GSCHDW社、ノルトゼーヴェルケ社、フェロシュタール社からなる)が受注しており、商品名は209PN型(214型の派生型)という。セイルと上構は一体式で、セイル前縁付け根はフェアリング状に整形されており、前部上構中央に潜舵を持つ。艦尾の舵は十字舵で、プロペラは7翅のハイスキュード・プロペラ。IDASを搭載する予定とされる。艦載戦闘システムはISUS90、ソナーシステムはCSU90。艦首のソナーは魚雷発射管上方にパッシブソナー、下方に機雷回避ソナーという配置で、船体側面下部にはフランク・アレイ・ソナーを持つ。OMS-110非貫通型電子光学マストを装備する。全長67.9m、幅6.3m、吃水6.6m、水中排水量1840トン(2020トン?)。主機はディーゼル・エレクトリック/PEM方式燃料電池AIP240kW)、推進は永久磁石電動機1軸、水上速力12ノット、水中速力20ノット、安全潜航深度400m。兵装は533mm魚雷発射管8門(艦首上段2門、中段2門、下段4門)で、ブラックシャーク長魚雷(DM2A4?ハープーンも?)を16発搭載する。乗員33名。2004年に建造契約が交わされ、トリデンテとアルパオンが2010年に竣工した。2017年から改装工事に入り、ハープーン潜対艦ミサイルをブロック2にアップグレートし、蓄電池や電子機器を換装した。参考:月刊世界の艦船9,0911,163,149,104,1010,132,174,195,22、月刊軍事研究8,041,09THE MILITARY BALANCE 2016

トリトナール>:TNTとアルミニウム粉末を8対2で混合した爆薬で、1945年から爆弾用に欧米で使用が開始された。参考:火器弾薬技術ハンドブック、月刊軍事研究3,11

<トリトン>:S-61T(ヘリコプター)またはS-112(潜水艦)またはS.O.6000(ジェット機)を参照。

トリトン>:イギリス海軍の潜対空ミサイルTriton。魚雷発射管から射出され、空中にポップアップして目標を捜索、ロックオンして破壊する。参考:現代の潜水艦

トリトン>:デハビラント・カナダ社がプライベートベンチャーで開発した対潜哨戒機。DHC-8Mのシリーズ300がベースで、監視レーダー、FLIRMADESMINS、ソノブイ処理システムといった対潜機器を搭載し、対艦ミサイル4発やソノブイ50発を積める。全長25.68m、全幅27.43m、全高7.49m、運用自重12.009トン、最大零燃料重量17.916トン、最大離陸重量19.504トン。エンジンはプラット&ホイットニー・カナダ社製PW123ターボプロップ(2380軸馬力)双発で、最大巡航速度274ノット、片発時上昇限度4265m。参考:世界軍用機年鑑1990-91

トリトン・シリーズ>:ロシアのサンクトペテルブルグ・マリーン・デザイン・ビューロー社が開発したミゼットサブマリン。参考:月刊軍事研究7,07

 <トリトン1>:全長5m、直径1.4m、水中排水量1.6トン。最大速力6ノット、航続距離35海里、実用深度40m。乗員2名。参考:月刊軍事研究7,07

 <トリトン2>:全長9m、直径1.6m、水中排水量4.4トン。最大速力6ノット、航続距離60海里、実用深度40m。乗員6名。参考:月刊軍事研究7,07

トリドン・シリーズ>:スウェーデン沿岸砲兵隊自走40mm高射機関砲。6×6輪トラックVME A25Cの後部荷台にボフォース社製70口径40mm高射機関砲を搭載している。照準は目視のみ。キャビンは装甲化され、車体後部は発射時にはジャッキで固定される。1994年に採用された。陸上自衛隊にも提案されたが、採用されなかった。参考:月刊PANZER9,972,01

 <トリドン1>:6×6輪トラックVME-A25Cの荷台に戦闘統制キャビンと機関砲を搭載うぃており、キャビン内に指揮官、FCS操作手、射手が位置する。操縦キャビンには操縦手と操縦補助社兼対空監視員の2名が座る。両キャビンは装甲化され、NBC防護も施されている。40mm機関砲の使用弾は3P弾が主で、弾薬プログラムを戦闘統制キャビン内で自動的に行う。マガジン容量は20-101発まで選択できるが、標準的には43発のものが使用される。FCSには独自の捜索レーダーが無く、照準はIRカメラを通しての目視戦闘が中心となる。外部の防空情報ネットワークからのデータリンクで射撃するので、発見から射撃まで9秒かかる。また、移動状態から射撃姿勢に移るまでに2分かかる。参考:月刊PANZER9,976,06

 <トリドン2>:FCSに索敵レーダーを装備し、索敵から目標設定まで自力で行える。移動状態から射撃姿勢まで90秒、発見から射撃まで6.5秒。参考:月刊PANZER9,976,06

 <トリドン3>:トリドン2に全天候追尾レーダーを追加したもの。発見から射撃まで4秒。防空システムのC3Iとリンクして目標脅威度を判定することもでき、広域防空に参加させることも可能。参考:月刊PANZER9,97

 <トリドン4>:トリドン3に2基の光学照準器を搭載したもの。1基は砲身と同調する射手用で、もう1基は独立操作の車長用である。照準器にはスタビライザーが付いており、地形による射撃位置占位制限が少なくなり、移動状態から戦闘態勢に入るまでに30秒しかかからない。参考:月刊PANZER9,97

<トリトン2>:908型(特殊潜航艇)を参照。

<トリトンG>:TRS3050(レーダー)を参照。

<トリトン・チェイサー>:ホイペットA(戦車)を参照。

<トリニダード>:46(軽巡洋艦)またはTB-20(軽飛行機)を参照。

<トリニダードTC>:TB-21(軽飛行機)を参照。

トリニダード・トバゴ軍>:2012年、サイバー戦略を発表し、国家インフラの潜在的脆弱性に言及した。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

トリニダード・トバゴ軍(1989年)>:全軍種は陸軍の一部をなす。陸軍兵力2000名。歩兵大隊1個、予備役大隊1個、支援大隊1個からなる。60mm迫撃砲40門、81mm迫撃砲L16A1を6門、82mmロケットランチャーB-30013基保有する。沿岸警備隊兵力600名。スタウブルス・ベイに基地がある。バラクーダ級内海哨戒艇2隻、チャガラマス級内海哨戒艇2隻、小型内海哨戒艇6隻を保有する。航空隊兵力50名。セスナ401を1機保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

トリニダード・トバゴ軍(2015年)>:全軍種はトリニダード・トバゴ防衛軍を構成する。現役総兵力4050名。陸軍は現役兵力3000名で、特殊作戦ユニット1個、歩兵大隊2個、工兵大隊1個、兵站大隊1個からなる。81mm迫撃砲L16A1を6門、84mm無反動砲カールグスタフ24門を保有する。沿岸警備隊は現役兵力1050名(航空隊含む)で、海兵司令部1個からなり、哨戒艇20隻を保有する。沿岸警備隊航空隊は現役兵力50名で、SA-227メトロⅢ(C-26)練習機2機、AW139汎用ヘリ2機、S-76輸送ヘリ1機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

トリニティ>:アメリカが19457160529に行った、世界初の原爆実験。ニューメキシコ州アラモゴルドでMk3核爆弾ガジェットを炸裂させた。威力は22プラスマイナス2キロトンだった。参考:アメリカの核兵器、月刊軍事研究8,99

トリニティ>:スウェーデンのボフォース社が開発した、ボフォース40mm機関砲及びCV9040歩兵戦闘車向け40mm機関砲弾TRINITY(三位一体)。内部に700個のタングステン子弾を持ち、1種類で徹甲弾、榴弾などの使い分けができる。新開発された多機能知能VT信管と共に使用され、発射中に信管モードの変更が可能で、飛行目標、装甲目標、人員全てに有効弾を送り込める。3P弾と同じ?参考:月刊PANZER2,00、月刊世界の艦船2,87、月刊丸3,90、ザ・マーチ42

トリニティ・システム>:スウェーデンのボフォース社が開発した近接防御用40mm機関砲システムTrinity(三位一体)。FCS、ボフォース70口径40mm機関砲、知能化砲弾(3P弾)の3つを組み合わせているのでこう呼ばれる。車載(アーマー・トリニティー)と艦載(シー・トリニティー)の2種が開発された。参考:ザ・マーチ42

 <アーマー・トリニティ>:車載型Armour Trinity。三次元捜索レーダー、トラック・ワイル・スキャン追尾レーダー、TV/IRセンサー、レーザー測距器、ボフォース70口径40mm機関砲を搭載する砲塔を装甲車に積む。ユニット総重量5トン。目標追尾距離200-20000m、対応可能目標速度毎秒0-1000m。砲俯仰角はマイナス10度からプラス80度、装弾数54+45発。有効射程6km。参考:ザ・マーチ42

 <シー・トリニティ>:艦載型Sea Trinity。モジュール式で、追尾レーダー、昼夜間TV/IR照準器、レーザー測距器、ボフォース70口径40mm機関砲SAK-40/L-70-600などで構成され、MIL-STD-1553BインターフェースによりCICやコンソールなどと接続される。砲塔重量3.5トン、システム重量は甲板上4トン、甲板下0.4トン。発射速度毎分330発、装弾数99発。俯仰角はマイナス20度からプラス80度。参考:ザ・マーチ42

<トリニトロトルエン>:TNTを参照。

トリパルタイト級シリーズ>:ベルギー、オランダ、フランスが共同開発した沿岸掃海艇Tripartite級。3カ国共同開発なのでこの名称が付いている。オランダが1983-89年に15隻、フランスが15隻、ベルギーが10隻を建造し、パキスタンが1992-98年に3隻を、インドネシア海軍が1988年に2隻を導入した。参考:月刊軍事研究7,05、月刊世界の艦船8,126,83

 <トリパルタイト級>:船体はガラス繊維強化ポリエステルプラスチック製、構造は横肋骨単板構造で、外板と肋骨の接合は2次接着式であり、補強のためフランジ部と外板の接合部には機械的固定を施している。艦艇の形状も工夫して水圧機雷を反応させないようにした。主機は二重防振構造とし、補助電動推進器用発電機は上構内に設置して振動騒音防止に努めており、音響機雷の作動を防ぐ。艦首左右のバウ・スラスターと艦尾の駆動舵により細かい操艦が可能。機雷は艦首近くの艦底部にあるDUBM21ハルソナーで探知し、後部甲板に搭載したPAP104小型無人艇(2隻積んでいる)を海面に降ろし、重量140kgの爆薬を仕掛けて爆破処理する。係維掃海具、音響掃海具(フランスのみ)も積んでいる。全長51.6m、全幅8.9m、吃水2.5m、基準排水量500トン。満載排水量605トン。主機は12気筒ディーゼルエンジン(2280馬力)で、速力15ノット。掃海時には防音室内のガスタービン3基で発電し、電動モーター2基で推進する。機械掃海具、AP4音響掃海具、PAP104潜水自走式機雷処分具を搭載し、兵装は20mm機関砲1門、12.7mm機銃2丁。乗員22-45名。参考:兵器メカニズム図鑑、月刊軍事研究7,05、月刊世界の艦船8,82増刊、8,12

 <アルクマール級>:オランダ海軍掃海艇、Alkmaar級。満載排水量660トン。1番艦アルクマールは19832月から海上公試に入った。M857マックムなどが竣工した。20211027日、中古6隻をギリシャ海軍に引き渡す趣意書に調印した。参考:月刊世界の艦船6,839,149,181,22

 <エリダン級>:フランス海軍掃海艇、Éridan級。全長51.5m、満載排水量615-625トン。主機はディーゼルで、速力18ノット。兵装は20mm機関砲。PAP104Mod4を搭載する。1番艦エリダン、2番艦M642カシオペ、M644ペガス、M648リール、M650サジテールなど13隻が1984-96年に就役した。2001-05年に近代化改装を行い、ダブルイーグルMk2機雷処分具を搭載、ソナーや戦術情報処理装置を換装している。参考:月刊世界の艦船10,'151,189,106,8312,18JShips Vol.44

 <フラワー級>:ベルギー海軍掃海艇。全長51.5m、幅8.9m、吃水2.5m、満載排水量595-660トン。速力15ノット。HMS-12M機雷探知ソナー、PAP104潜水自走式機雷処分具2基を搭載する。機雷破壊用に20mm機関砲1門を持つ。M916ベリス、M921ロベリア、クローカスなど10隻が就役した。後に処分具をシーフォックスに換装している。参考:JShips Vol.24Vol.46、月刊世界の艦船9,145,1510,151,'15増刊

<トリパルタイト級海外シリーズ>

 <トリパルタイト級(パキスタン海軍)>:パキスタン海軍掃海艇。1992年にフランスから1隻を購入し、1996年と1998年に新規建造された1隻ずつが就役した。新造したものはMRK960磁気掃海具とMKR400音響掃海具も装備する。参考:月刊軍事研究7,05

 <トリパルタイト級(ブルガリア海軍)>:ブルガリア海軍掃海艇で、Tsibar級ともいう。ベルギーから導入した。更にオランダから中古2隻を導入予定。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、月刊世界の艦船2,20

 <トリパルタイト級(ラトビア海軍)>:ラトビア海軍掃海艇。オランダ海軍の中古を2008年までに4隻と2011年に1隻の計5隻導入した。全長51.5m、全幅8.96m、満載排水量605トン。速力15ノット。兵装は12.7mm機銃3丁で、PAP-104機雷処分具2基を搭載する。イマンタ、ヴィエストゥルス、タールティヴァルディス、M-07ヴィスヴァルディス、M-08ルースィンシュが就役した。参考:月刊軍事研究3,12、月刊世界の艦船6,098,20

<トリビューン>:N76(潜水艦)を参照。

トリプルエース>:敵機15機以上を撃墜したパイロットのこと。参考:月刊JWings11,99

トリプルエジェクターラック>:TERと略す。アメリカ軍の兵装ラックで、500-2000ポンド(227-907kg)爆弾を3発搭載できる。参考:F/A-18ホーネット

トリプル・キル>:3機連続撃墜。朝鮮戦争以後、大規模な空中戦が鳴りを潜めたために永らく記録されなかったが、1994228日にアメリカ空軍のボブ・ライト大尉が、ボスニア上空でセルビア軍のガレブ軽攻撃機を3分で3機撃墜、40年ぶりに記録した。この時の僚機パイロットは199562日にボスニア上空でSA-6に撃墜され、敵地に降下、6日後に海兵隊ヘリで救出されている。参考:月刊軍事研究5,01

<トリプル・スロッテッド・フラップ>:フラップを参照。

トリプルナッツ>:アメリカ海兵隊海兵航空団司令機の機番号000の通称。参考:月刊JWings1,20

トリプルベース発射薬>:ニトロセルロースとニトログリセリンのダブルベース発射薬にニトログアニジン微粒子を加えたもの。ニトログアニジンは多量の水素原子を含み、燃焼ガスの平均分子量が減少するため、燃焼温度を上昇させず(砲身エロージョンを抑制)にダブルベース発射薬より10%の性能向上が可能となった。砲口炎も少なく、発煙も僅かである。また、生成ガスにCONO2が少ないので、室内でも発射可能。戦車砲や榴弾砲などの大口径火砲用に広く使用されている。参考:火器弾薬技術ハンドブック、火薬のはなし

トリホス空港強襲>:ジャスト・コーズ作戦で第75レンジャー連隊レッド支隊タンゴのC中隊が行った作戦。トクメン飛行場制圧と同時に行われ、C-130H4機で降下し、トリホス空港ターミナルを制圧した。参考:月刊軍事研究11,03

<トリポリ>:CVE-64(護衛空母)またはLHA-7(アメリカ級強襲揚陸艦)またはLPH-10(イオー・ジマ級強襲揚陸艦)を参照。

トリポリ触雷>:湾岸戦争中の1991130日、アメリカ海軍はペルシャ湾北部での機雷無力化を終了したと発表した。引き続きペルシャ湾北部で機雷掃海・掃討を行っていたが、2180430に対機雷戦を指揮していたアメリカ海軍水陸両用強襲艦LPH-10トリポリが係維機雷原に踏み込んでしまい、炸薬140kgの入った機雷が右舷で爆発。水線下3mに長さ6m・幅4mの穴が開き、3区画に浸水、負傷者4名を出した。参考:軍事分析湾岸戦争、ペルシャ湾の軍艦旗

トリマタギ>:海軍兵学校の食事で出される高菜の塩漬けのこと。古くて変色したような外見であり、ニワトリも跨いで通るということからこの名が付いたが、取り敢えず麦飯を流し込むのには使えるのと、無くなれば烹炊員からいくらでも追加できたので、おかずがマズい場合には重宝した。参考:海軍兵学校よもやま物語

<トリマラン>:三胴船を参照。

<トリミング・タンク>:トリム・タンクを参照。

トリム・スイッチ>:飛行姿勢を微調整するためのスイッチで、トリム・タブが付いていない高速機に取り付けられている。これを押すと舵面が機体姿勢を保つよう自動調整され、操縦桿もその状態で中立位置となるように調節が加えられる。操縦桿にエルロンとエレベーター用、サイドコンソールにラダー用がある事が多い。参考:月刊JWings2,11

<トリム・タブ>:タブまたはフラップ(艦船)を参照。

トリム・タンク>:調整タンク、トリミング・タンクともいう。潜水艦に装備されている浮力微調整・水中姿勢制御用タンクで、艦前後左右にあり、互いに連結されている。海水を出し入れ(注水は水圧、排水はポンプもしくは圧縮空気による)して浮力を増減させることにより潜水艦を中正浮力状態(浮力と重力が釣り合う状態)にしたり、ピッチ・ロール方向の姿勢を制御したりする。水温による海水比重変化、水圧による耐圧船殻への影響、乗員の移動、食料や燃料の消費などによって潜水艦の浮力や重心が変化するので、その度に細かい調整を行う。艦の重心から離しておいた方が調節がきくので、耐圧船殻外に設置されることもあり、その場合は耐圧タンクを使用する。艦中央にも設置されることがあり、補助タンクと呼ばれる。参考:月刊世界の艦船10,16、ザ・マーチ39号、現代の潜水艦、日本潜水艦物語

<屠龍>:二式複座戦闘機シリーズを参照。

トリュッグ>:ノルウェー海軍ストルム級高速攻撃艇。1966年就役。参考:週刊ワールドウェポン17

<トリリウム>:K172(コルベット)を参照。

<トリンキー>:HMMWVシリーズ(輸送車)を参照。

<トリンフ>:IAR825(練習機)またはN18(潜水艦)を参照。

<トルーアント>:N68(潜水艦)を参照。

トルーエ>:ドイツ空軍がシュタインボック作戦から使用した爆撃航法装置Truhe(ラジオ収納キャビネットの意)。イギリスのGee(ジー)航法用送信システムを逆利用して自機の位置を知ることができる。当然ながら極秘兵器で、搭載機を限定して存在がばれないようにしていた。参考:世界の傑作機No.145

<ドルウェン>:362(通船)を参照。

ドルウェン級>:イギリス海軍通船Dolwen級。全長41.1m、幅9m、吃水4.4m、満載排水量602トン。主機はディーゼル。艦番号362ドルウェンが1962年に進水した。参考:月刊世界の艦船5,83

<トルーエト>:FF-1095(フリゲート)を参照。

<トルーパー>:N91(潜水艦)を参照。

ドループ・エルロン>:Droop aileron。フラップ兼用エルロンのこと。エルロン・リバーサルを起こさない速度で飛行する航空機にSTOL性を持たせるためのもので、翼端側のエルロンをフラップとしても使えるようにしてあり、エルロンとして作動する時は左右逆に動き、フラップとして使う時は他のフラップと一緒に左右同時に下がる。フラップとして下がった状態のまま、更にエルロンとして左右逆に上下させることができるが、フラップとして下がる角度が大きくなるとエルロンとしての効きが悪くなるので、普通のフラップより浅い角度で止まるようになっており、別にスポイラー型エルロンを追加することもある。参考:航空用語事典増補改訂版

<トループ・スヌート>:P-38戦闘機ファミリーを参照。

トルーマン・ドクトリン>:1947312日にトルーマン大統領が議会に提出した特別教書。ギリシャ、トルコなどの全体主義に脅かされる自由諸国を共産主義から守るというもので、各国と軍事同盟を結んで共産主義の拡大を防ぐという封じ込め政策により、本ドクトリンを実行した。参考:戦争がやってくる

<トルカレント>:P315(潜水艦)を参照。

トルキスタン軍管区(ソ連軍、1989年)>:南部戦略方面隷下で、司令部はタシュケントにある。軍司令部1個、戦車師団1個、自動車化狙撃師団16個、砲兵師団1個、自動車化狙撃旅団2個、空中強襲旅団2個、砲兵旅団1個、スカッド旅団1個、Mi-8/-24ヘリ170機、MiG-27/Su-24対地攻撃戦闘飛行連隊2個、Su-17/-24/-25対地攻撃戦闘飛行連隊4個(対地攻撃戦闘機計240機)、MiG-21/-23飛行連隊4個180機、MiG-21/-25/Su-17/Yak-28偵察機80機からなる。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

トルク>:回転力。単位はkgmまたはNmで、回転軸中心から1mの距離で何kgまたは何ニュートンの力が発生するかを示す。トルク(Nm)に角速度(ラジアン毎秒)を掛けると動力(ワット)になる。エンジンの場合、トルク(kgm)は出力(馬力)を0.0014×回転数(毎分)で割ったものになる。参考:自動車メカニズム図鑑、トコトンやさしい油圧の本

<トルク・アプリケーター>:自衛隊の機器。伊藤忠アビエーションが受注している。参考:月刊軍事研究2,17

<トルクコンバーター式AT>:オートマチック・トランスミッションを参照。

<トルクコンバーター式オートマチック・トランスミッション>:オートマチック・トランスミッションを参照。

トルク・システム>:弾丸を旋転させる時に銃身に発生するトルクを利用して作動する自動機構。フランスのMAB15に遅延ブローバックを起こす機構として採用されていた。参考:GUN用語事典

トルクメニスタン海軍>:2011年、沿岸警備隊が海軍となり創設された。2021811日、初の本格的水上戦闘艦であるトルクメン級フリゲート1番艦デニス・ハンが就役した。参考:月刊軍事研究8,16、月刊世界の艦船11,21

 <トルクメニスタン海軍(2015年)>:兵力500名(+河川舟艇隊1500名)。プロジェクト12418モルニヤ級ミサイル艇2隻、哨戒艇17隻を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、月刊軍事研究8,16

トルクメニスタン空軍(2015年)>:兵力3000名。MiG-29A/C戦闘機22機、MiG-29UB戦闘機2機、Su-25MK攻撃機12機、An-26輸送機1機、L-39練習機2機、Mi-24攻撃ヘリ10機、Mi-8輸送ヘリ8機、S-75/S-125/S-200地対空ミサイルを保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、月刊軍事研究8,16

トルクメニスタン軍>:1999年に中立を宣言し、2009年に軍事ドクトリンとしても採用しており、CSTOの一員にはなっていない。2015年から沿岸海軍戦力の増強計画に着手している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <トルクメニスタン軍(2015年)>:現役総兵力36500名(陸軍33000名、海軍500名、空軍3000名)。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

トルクメニスタン陸軍>:

トルクメニスタン陸軍(2015年)>:兵力33000名。特殊作戦連隊1個、戦車旅団1個、第3自動車化狙撃師団(戦車連隊1個、自動車化狙撃連隊3個、砲兵連隊1個)、第22自動車化狙撃師団(戦車連隊1個、自動車化狙撃連隊1個、砲兵連隊1個)、自動車化歩兵旅団4個、海軍歩兵旅団1個、自動車化狙撃訓練師団1個、砲兵旅団1個、砲兵・対戦車連隊1個、多連装ロケット旅団1個、対戦車連隊1個、スカッド地対地ミサイル旅団1個、地対空ミサイル旅団2個、工兵連隊1個からなる。T-90S戦車4両、T-72戦車650両、BRDM-2偵察車200両、BMP-1歩兵戦闘車600両、BMP-2歩兵戦闘車430両、BMP-3歩兵戦闘車4両、BMD-1歩兵戦闘車8両、BRM-1歩兵戦闘車60両、BTR-80A歩兵戦闘車4両、BTR-60装甲車120両、BTR-70装甲車300両、BTR-80装甲車450両、122mm自走砲2S140両、122mmD-30350門、130mmM-46を6門、152mmD-117門、152mmD-2072門、152mm2A36を6門、152mm2A65を6門、120mm自走迫撃砲2S917両、122mm多連装ロケット9P13818両、122mm多連装ロケットBM-2170両、220mm多連装ロケット9P14060両、300mm多連装ロケット9A52を6両、82mm迫撃砲31門、12mm迫撃砲PM-3866門、9P122自走対戦車ミサイル8両、9P133自走対戦車ミサイル8両、9P135自走対戦車ミサイル6両、9P148自走対戦車ミサイル2両、9P149自走対戦車ミサイル36両、9P158自走対戦車ミサイル9両、9K11/9K111/9K113/9K115対戦車ミサイル、100mm対戦車砲MT-12/T-1260門、9K33自走地対空ミサイル40両、9K35自走地対空ミサイル13両、9K32携帯地対空ミサイル、ミストラル携帯地対空ミサイル(保有説あり)、23mm自走高射機関砲ZSU-23-448両、57mm高射機関砲S-6022基、SS-1スカッドミサイル16基を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、月刊軍事研究8,16

トルクメン級>:トルクメニスタン海軍フリゲートTurkmen級。トルクメニスタン海軍初の本格的水上戦闘艦で、20198月にトルコに2隻を発注した(メーカー名称C92型)。全長91.4m、幅14.4m、排水量1600トン。主機はMAN社製18VP185ディーゼル4基、最大速力26ノット、航続距離3000海里。兵装は76mm単装砲スーパーラピッド、VL MICAVLS16セル、ロケットサン社製35mmCIWSゴクデニス、オトマートMk2艦対艦ミサイル。乗員100名。1番艦デニス・ハンは2021811日に就役した。参考:月刊世界の艦船11,21

トルコ沿岸警備隊

トルコ沿岸警備隊(1989年)>:人員1100人。内海哨戒艇28隻、輸送艇4隻、ボートを保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

トルコ沿岸警備隊(2015年)>:人員5750人。哨戒艇115隻、CN-235MPA哨戒機1機、AB-412EP SARヘリ8機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

トルコ海軍>:Turk Deniz Kuvvetleri1081年に創設されたオスマン帝国海軍が大元である。1940-41年、インコンスタント級駆逐艦2隻が進水。1949年、トルコ海軍に名称変更された。1970年代、ガピーⅡA級潜水艦が就役。1971年、ロバート・H・スミス級駆逐艦1隻が就役。1971年からギアリング級駆逐艦10隻が就役。1972年、アレン・M・サムナー級駆逐艦1隻が就役。1972年からベルク級フリゲート2隻が就役。1973-75年、テレボーン・パリッシュ級揚陸艦2隻が就役。1976-90年、209/1200型アティレイ級潜水艦6隻が就役。1980-83年、タング級潜水艦2隻が就役。1981-82年、カーペンター級駆逐艦2隻が就役。1983年からケルン級フリゲート3隻が就役。1987年からヤウズ級フリゲート4隻が就役。1993-94年、ノックス級フリゲート8隻が貸与された。1994年、オスマンガジ級戦車揚陸艦が就役。1994年から209/1400型潜水艦8隻が就役。1995年からバルバロス級フリゲート4隻が就役。1998-2003年、ガブヤ級フリゲート8隻が就役。2001年、ブラク級コルベット6隻が就役開始。S-70B哨戒ヘリを導入。2005-09年、アイドゥン級掃海艇6隻が就役。2011-15年、トゥズラ級哨戒艇16隻が就役。2011年、ミルゲン級コルベット6隻が就役開始。2013年、Ç151級戦車揚陸艇が引き渡し開始。20161119-28日、東地中海でマーヴィ・バリナ2016演習を実施。2017年、バイラクタル級戦車揚陸艦が就役開始。2023年、アナドル級強襲揚陸艦が就役。デリヤ級補給艦が就役予定。イスタンブール級フリゲート、ヒサール級哨戒艦、214型潜水艦を建造中。参考:JShips Vol.48、月刊軍事研究8,09、月刊世界の艦船2,143,'92増刊、3,165,163,175,1710,179,2312,23

 <トルコ海軍(1977年)>:兵力43000名(うち徴兵31000名)、予備役25000名。潜水艦14隻、ギアリング級駆逐艦5隻、フレッチャー級駆逐艦5隻、アレン・M・サムナー級駆逐艦1隻、ロバート・H・スミス級駆逐艦1隻、フリゲート2隻、高速哨戒艇14隻、ミサイル艇6隻、大型哨戒艇41隻、沿岸哨戒艇4隻、沿岸掃海艇21隻、内海掃海艇4隻、敷設艇9隻、戦車揚陸艦2隻、戦車揚陸艇20隻、上陸用舟艇36隻、S-2Eトラッカー10機、AB205ヘリ3機、AB212ヘリ12機を保有する。参考:軍事力バランス78年版

 <トルコ海軍(1989年)>:兵力55000名(うち徴兵42000名、うち海兵隊1個旅団4000名)、予備役73000名。アンカラに海軍司令部と北東部地中海海域司令部、ギョルジュクに艦隊司令部、イスタンブールに黒海海域司令部、イズミルに地中海沿岸海域司令部、エレグリ、イスケンデルン、カラミュルセル、アクサズ湾に基地がある。209/1200型潜水艦6隻、ガピー級潜水艦7隻、タング級潜水艦2隻、ギアリング級駆逐艦8隻、カーペンター級駆逐艦2隻、アレン・M・サムナー級駆逐艦1隻、ロバート・H・スミス級駆逐艦1隻、ヤウズ級フリゲート4隻、ケルン級フリゲート4隻、ベルク級フリゲート2隻、ドジャン級高速ミサイル艇8隻、ヤグアル級高速ミサイル艇8隻、ヤグアル級魚雷艇4隻、ギルネ級高速哨戒艇1隻、スルタンヒシャー級高速哨戒艇6隻、アッシュビル級哨戒艇1隻、AB-27級哨戒艇12隻、AB-21級哨戒艇4隻、小型内海哨戒艇4隻、ヌスレット級敷設艦1隻、モルドジャン級敷設艦5隻、アジュタント級沿岸掃海艇12隻、ベイ級沿岸掃海艇4隻、フェゲザック級沿岸掃海艇6隻、ケープ級内海掃海艇4隻、小型内海掃海艇7隻、テレボーン・パリッシュ級戦車揚陸艦2隻、LST-512級戦車揚陸艦2隻、サルカベイ級戦車揚陸艦2隻、キャカベイ級戦車揚陸艦1隻、戦車揚陸艇40隻、汎用揚陸艇13隻、機械化揚陸艇20隻、アカル級給油艦1隻、給油支援艦6隻、補給艦5隻、救難艦3隻、調査船1隻、練習艦1隻、S-2A/E/TS-2A対潜哨戒機22機、AB-204ASヘリ3機、AB212ヘリ6機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <トルコ海軍(2012年)>:艦隊コマンド、北部海域コマンド(黒海担当)、南部海域コマンド(地中海担当)、訓練教区コマンドからなる。兵力52000名(+海兵隊3000名)。バルバロス級フリゲート4隻、ヤウズ級フリゲート4隻、ガブヤ級フリゲート8隻、ノックス級フリゲート1隻、ブラク級コルベット6隻、クルチ級ミサイル艇9隻、ヤグアル級ミサイル艇、ツヅラ級哨戒艇、MRTP22級哨戒艇、LST-511級戦車揚陸艦2隻、テレボーン・パリッシュ級揚陸艦2隻、カカベイ級戦車揚陸艦1隻、サルカベイ級戦車揚陸艦2隻、オスマンガジ級戦車揚陸艦2隻、アイドゥン級掃海艇5隻、209/1400型潜水艦8隻、209/1200型アティレイ級潜水艦6隻など艦船162隻、CN-235ATR72S-70BAB212など航空機42機を装備する。参考:JShips vol.48

 <トルコ海軍(2015年)>:現役兵力48600名(うち徴兵34500名。沿岸警備隊2200名、海兵隊3100名含む)、予備役55000名。209/1200型潜水艦5隻、209/1400型潜水艦8隻、MEKO200バルバロス級フリゲート4隻、ガジアンテプ級フリゲート8隻、MEKO200ヤウズ級フリゲート4隻、ミルゲム級コルベット2隻、ブラク級コルベット6隻、ドガン級ミサイル艇8隻、キリク級ミサイル艇9隻、イルディズ級ミサイル艇2隻、ヤグアル級ミサイル艇2隻、トゥルク級哨戒艇3隻、PGM-71級哨戒艇4隻、ツヅラ級哨戒艇15隻、カーン20級哨戒艇2隻、MRTP22級哨戒艇2隻、掃海艇27隻、テレボーン・パリッシュ級揚陸艦1隻、オスマン・ガジ級揚陸艦1隻、サルカベイ級揚陸艦2隻、LCT21隻、LCM9隻、兵站支援船64隻、CN-235M-100哨戒機6機、ATR-72-600輸送機1機、TB-20輸送機5機、AB-212対潜ヘリ11機、S-70B対潜ヘリ18機、海兵旅団(海兵大隊3個、砲兵大隊1個)1個を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

トルコ共和国国際緊急援助空輸隊>:自衛隊の国際緊急援助活動。202326日、トルコ南東部で大地震が発生し、トルコで50000人、シリアで6000人が死亡するなど甚大な被害が発生したため、トルコから日本政府に緊急援助要請が出された。これに基づき、日本政府は同日に国際緊急援助活動の実施を決定し、2250に国際緊急援助隊救助チーム第1陣18名(うち海保職員14名)が羽田空港からイスタンブールに向かっている。210日、外務大臣と防衛大臣が活動に必要な機材等の輸送協力について協議を行い、同日に防衛省は事務官1名と2等海佐1名を現地に派遣した。213日、防衛大臣がトルコ共和国における国際緊急援助活動のための機材等の輸送の実施を下命。トルコに現地調整所を設置して情報収集・連絡調整を行うと共に、トルコ共和国国際緊急援助空輸隊などを編組して空自特別航空輸送隊B-777特別輸送機1機で輸送活動を実施することになり、B-777特別輸送機が千歳基地を離陸して成田空港で医療チーム用機材などを搭載し、214日にトルコに到着、217日に帰国した。313日、トルコとNATOが、パキスタンからトルコまでの緊急援助物資(テントなど)輸送に関する協力要請を行ったため、KC-767空中給油輸送機1機で輸送することにした。314日、KC-767空中給油輸送機1機が小牧基地を出発。317192123日にテント1000張以上とテント用断熱用具計89.5トンをパキスタンのアッラーマ・イクバール空港からトルコのインジルリク空港まで輸送した。これがNATOと連携して行う初の国際緊急援助活動である。324日、国際緊急援助活動等の終結に関する自衛隊行動命令が発出され、325日(26日?)にKC-767空中給油輸送機1機が帰国して活動を終えた。参考:月刊世界の艦船4,23、月刊JWings6,23

トルコ空軍>:1911年に創設された。194210月、Fw190Aa戦闘機の引き渡しが始まった。1973年、F-4E戦闘機を発注。1995年、KC-135R空中給油機の運用を開始。1996年、F-16戦闘機の導入を開始。20065月、F-16CRF-4Eがエーゲ海上空を飛行していたところ、領空を侵犯したとしてギリシャ空軍F-16Cのインターセプトを受けた。F-16C同士の空中戦機動に発展した挙げ句、空中衝突して墜落している(トルコ空軍パイロットは無事)。2008年、ヘロン無人機を導入。2009年現在、主力戦闘機はF-16である。輸送機はCN-23550機ほどライセンス生産しており、13機のC-130に近代化が施される。長距離対空ミサイル導入計画(T-LORAMIDS)を進めており、パトリオットPAC2/PAC3HQ-9S-300S-400の中から選ばれるとみられる。2010年からKT-1練習機を導入予定。20113月、リビア爆撃作戦に参加。2014年、B737AEW&CA400M輸送機の引き渡しが開始された。20151229日、トルコ空軍戦闘機6機とCN-235輸送機2機が9回にわたりギリシャの領空を侵犯したとして、ギリシャ空軍戦闘機がスクランブル発進してきたため、エーゲ海のギリシャ上空でトルコ空軍戦闘機がギリシャ空軍戦闘機と空中戦機動で張り合った。両者とも兵装は使用していない。2017531日、イラクとの国境付近でAS532ヘリが墜落し、乗員13名が死亡した。2019619-28日、アナトリアン・イーグル2019演習を実施。7月、S-400の配備を開始。これに対してアメリカがF-35の引き渡しを停止した。102日、国防相が、このままF-35Aの導入が不可能となった場合には、代わりに国産戦闘機を導入すると述べた。2021621日から72日、アナトリアン・イーグル2021演習を実施。202352-12日、アナトリアン・イーグル2023演習を実施。参考:月刊軍事研究8,099,10、月刊航空ファン6,119,116,169,19、月刊JWings2,153,163,1812,199,218,23

 <トルコ空軍(1977年)>:兵力47000名(うち徴兵29000名)。F-4E戦闘機40機、F-5A戦闘機70機、F-104G戦闘機34機、F-104S戦闘機40機、F-100D/F戦闘機54機、F-100C戦闘機20機、F/TF-102A要撃機25機、RF-5A偵察機36機、C-130E輸送機7機、C-160輸送機20機、C-47輸送機30機、C-54輸送機3機、バイカウント794輸送機3機、アイランダー輸送機2機、AB204ヘリ10機、UH-1Dヘリ10機、H-19ヘリ10機、T-33A練習機20機、T-37練習機35機、T-34練習機18機、T-41練習機25機、F-100C練習機35機、F-5B練習機13機、TF-102A練習機、TF-104G練習機、AT-11練習機、セスナ421B練習機を配備する。またナイキ・アジャックス/ナイキ・ハーキュリーズ地対空ミサイル中隊8個を有する。参考:軍事力バランス78年版

 <トルコ空軍(1980年)>:F-104SF-104GTF-104GF-4E/RF-4C73機、F/TF-102A38機、F-100C/D/F130機、F-5A/B110機、RF-5A36機、C-16019機、C-130EC-54を3機、C-4714機、ビスカウント700を3機、セスナ421Cを3機、ベル204/20540機、UH-1H、ベル212UH-19B/Dを8機、T-38A30機、T-33A/N80機、T-37C50機、T-41D18機保有している。参考:ザ・マーチ18

 <トルコ空軍(1989年)>:兵力67400名(うち徴兵36800名)、予備役70000名。戦術空軍コマンド2個、輸送コマンド1個、航空訓練コマンド1個、ナイキ・ハーキュリーズ中隊8個、レイピア中隊2個からなる。F-16C/D戦闘機33機、F-5A戦闘機54機、F-5B戦闘機6機、F-5B偵察機1機、RF-5A偵察機19機、NF-5A/B戦闘機24機、F-5戦闘機(保管中)15機、F-4E戦闘機90機、F-4E転換訓練機10機、RF-4E偵察機8機、F-104G戦闘攻撃機90機、F-104G防空戦闘機18機、TF-104G戦闘攻撃機10機、TF-104G防空戦闘機4機、F-104S戦闘機18機、F-104戦闘機(保管中)95機、S-2A哨戒機8機、TS-2A練習機2機、S-2E哨戒機12機(海軍と協同運用)、C-130輸送機7機、C-160D輸送機20機、バイカウント要人輸送機2機、C-47輸送機22機、C-47要人輸送機2機、C-47通信機12機、C-47練習機、サイテーション要人輸送機4機、T-33練習機60機、T-33連絡機34機、T-38練習機29機、T-37練習機30機(+保管中12機)、T-34練習機12機、T-41練習機20機、UH-1Hヘリ45機以上、ナイキ・ハーキュリーズ128基、レイピア24基を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <トルコ空軍(2015年)>:現役兵力60000名、予備役65000名。年間平均飛行時間180時間。F-5A戦闘機18機、F-5B戦闘機8機、NF-5A戦闘機17機、NF-5B戦闘機10機、LIFTに改修しているF-5戦闘機48機、F-4E2020戦闘機51機、F-16Cブロック30戦闘機27機、F-16Cブロック50戦闘機162機、F-16Cブロック50プラス戦闘機14機、F-16Dブロック30戦闘機8機、F-16Dブロック50戦闘機33機、F-16Dブロック50プラス戦闘機16機、ビーチ350キングエア偵察機5機、B-737早期警戒機3機、KC-135R空中給油機7機、A400M輸送機1機、C-130B輸送機6機、C-130E輸送機12機、C-130H輸送機1機、C-160D輸送機16機、UC-35-VIP(セスナ550サイテーションⅡ)輸送機2機、セスナ650サイテーションⅦ輸送機2機、CN-235M輸送機46機、ガルフストリーム550要人輸送機1機、SF-260D練習機34機、T-38A/M練習機70機、T-41D練習機28機、KT-IT練習機40機、AS532AL捜索救難ヘリ6機、AS532UL救難ヘリ14機、UH-1Hヘリ20機、ヘロン無人偵察機9機、ナット750無人偵察機18機、レイピア地対空ミサイル、ホーク地対空ミサイル、ナイキ・ハーキュリーズ地対空ミサイル、AIM-9S/-9X空対空ミサイル、シャフリル2空対空ミサイル、AIM-7E空対空ミサイル、AIM-120A/B空対空ミサイル、AGM-88A対レーダーミサイル、AGM-65A/G対地ミサイル、AGM-154A/C対地ミサイル、ポパイⅠ対地ミサイル、GBU-8B/-15誘導爆弾、ペイブウェイⅠ/Ⅱ誘導爆弾、AN/AAQ-13/-14LANTIRNポッド40セットを保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

トルコ軍>:1970年代からクルド労働者党へのテロ対策に追われている。軍の近代化のため、徴兵制と志願制の併用から志願制のみに切り替え、兵力を2-3割削減し、装備を近代化するというフォース2014計画が進行中。2009年の国防予算は1453000万トルコリラ(907000万ドル)で、GDP1.9%2015年からイスラム国への爆撃作戦に参加しているが、実際にはクルド労働者党(PKK)をメインに攻撃している。ただPKKと姉妹組織にあたるクルド人武装組織の人民防衛隊(YPG)がシリアでの対イスラム国地上作戦主要部隊になっており、これを支援しているアメリカなどとの関係も考慮せねばならず、板挟みの状況にある。20167月、クーデター未遂事件が発生。エルドアン大統領側がすぐに鎮圧したが、衝突により市民など300人が死亡、1000人以上が負傷した。クーデターに関与したとして軍人など9000人以上が拘束され、政権側に批判的な政府機関職員や大学教員など60000人が職を追われている。トルコ政府はイスラム団体ギュレン運動が背後にいるとしてアメリカに亡命しているギュレン師の引き渡しを要求した。参考:月刊軍事研究8,093,16、月刊航空ファン10,16、朝雲

 <トルコ軍(1989年)>:陸海空軍からなる。総兵力650900名(うち徴兵575800名)、予備役951000名。キプロスに兵力27000名、軍団1個(歩兵師団2個と独立機甲旅団1個からなる)、M-47戦車275両、M-48A2/A5戦車、M-113装甲兵員輸送車100両、M-59装甲兵員輸送車100両、105mm牽引砲144門、155mm牽引砲36門、203mm牽引砲8門、105mm自走砲18門、155mm自走砲6門、107mm迫撃砲114門、40mm高射機関砲84門、固定翼機8機、ヘリ12機を展開している。アメリカ陸軍1300名、アメリカ空軍3600名、戦術グループ1個、空軍基地グループ1個が駐留する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <トルコ軍(2015年)>:現役総兵力510600名(陸軍402000名、海軍48600名、空軍60000名)、予備役378700名(陸軍258700名、海軍55000名、空軍65000名)、準軍事組織201200名。ゴクトゥルク2偵察衛星1基を保有する。アフガニスタンにレゾリュート・サポート作戦要員503名・自動車化歩兵大隊1個とUNAMAオブザーバー1名、アラビア海・アデン湾にCTF-151向けミサイル・フリゲート1隻、ボスニア・ヘルツェゴヴィナにアルテア作戦要員243名・歩兵中隊1個、北キプロスに43000名、陸軍軍団司令部1個、機甲旅団1個、機械化歩兵師団2個、航空コマンド1個、M48A1戦車8両(訓練用)、M48A5T1/T2戦車340両、AAPC装甲車361両、M113装甲車266両、M101A1榴弾砲72門、M114A2榴弾砲18門、M115榴弾砲12門、M44T自走砲90両、T-122多連装ロケット6基、81mm迫撃砲175門、M30迫撃砲148門、HY-12127基、ミラン対戦車ミサイル66基、TOW対戦車ミサイル48基、M40A1無反動砲192門、Rh202高射機関砲、GDF-003高射機関砲16基、M1高射機関砲48基、U-17(セスナ185)3機、AS532ULヘリ1機、UH-1Hヘリ3機、哨戒艇1隻、アデン湾・ソマリ盆地にオーシャン・シールド作戦向けミサイル・フリゲート1隻、レバノンにUNIFIL要員49名とミサイル艇1隻、地中海にNATOSNMG2向けミサイルフリゲート1隻とNATOSNMCMG2向け掃海艇1隻・練習艦1隻、セルビアにKFOR要員394名・歩兵中隊1個とUNMIKオブザーバー1名、コソボにOSCE要員4名、ウクライナにOSCE要員12名を展開している。ドイツ軍パトリオットPAC-3部隊2個、スペイン軍MIM-104CパトリオットPAC-2部隊2個、アメリカ軍USEUCOM1550名、F-15C戦闘機6機、F-15E戦闘機6機、A-10C攻撃機12機、MQ-1B飛行隊1個、AC-130U特殊作戦飛行隊1個、空軍基地1ヵ所(インシルリク)、支援施設2ヵ所(イズミール、アンカラ)、アメリカ軍USSTRATCOMAN/TPY-2レーダー1基、MIM-104E/FパトリオットPAC-2/-3部隊2個が駐屯している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

トルコ憲兵隊

トルコ憲兵隊/国土警備隊(1989年)>:平時は内務省の組織だが、戦時には国防省に移管される。人員75000人、予備役50000人。機動旅団3個、連隊67個、コマンドー連隊5個からなる。V-150装甲車、UR-416装甲車、コンドル装甲兵員輸送車、AB-204ヘリ、AB-205ヘリ、AB-206ヘリ、S-70Aヘリを保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

トルコ憲兵隊(2015年)>:平時は内務省、戦時は国防省の隷下にある。人員195450人。コマンドー旅団1個、師団1個、旅団2個からなる。アクレプ偵察車、BTR-60/-80装甲車535両、コンドル装甲車25両、O-1E偵察機数機、Do-28D軽輸送機2機、Mi-17ヘリ19機、S-70Aヘリ13機、AB-204Bヘリ8機、AB-205Aヘリ6機、AB-206Aヘリ8機、AB-212ヘリ1機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<トルコ航空宇宙工業>:TAIを参照。

<トルコ長射程防空ミサイル防御システム>:T-LORAMIDSを参照。

トルコによるイラク越境攻撃(1995年)>:1995320日、トルコ軍35000名がイラク国境を越え、国境全長250kmにわたりクルド労働者党(PKK)の兵站基地を攻撃した。主要攻撃目標は西側からシンディ・ピルベラ、メティナ地区、メジィ地区・ケリハデリー・バシヤン地区、ハクルク地区の4ヵ所で、北側からこれらを直接攻撃すると共に、M60戦車やM113装甲車、BTR-60装甲車、M-44T自走砲を伴う機甲部隊が国境西側のザホーを制圧してこれら地域の南側を西から東に進撃し、各地域を順次包囲して攻撃を仕掛けた。PKKの主力は攻撃を事前に察知して逃走し、250-300名しか残っていなかったが、トルコ軍は目的である集積物資の押収や洞窟陣地の破壊を行い、欧米の批難もあって48日から撤退を開始、54日に撤退をほぼ完了し、作戦を終えた。参考:月刊軍事研究7,95

トルコによるイラク越境攻撃(2007年)>:20071017日、クルド労働者党(PKK)掃討のためイラク国境を越えて作戦を実施するという1年間の期限付き法案を50719の多数で可決した。同日、アメリカのブッシュ大統領は会見で、イラクのマリキ首相はトルコのエルドアン首相との電話会談で、それぞれ越境攻撃を自制するよう表明。11月、PKKはイラク側の圧力で、10月にハッカリ県で行った戦闘で捕虜としていたトルコ兵士8名全員を解放した。112-3日に実施されたイラク安定化会議ではこの問題が議題の中心となり、115日にはエルドアン首相が訪米してブッシュ大統領と会談した。参考:月刊軍事研究1,08

<トルコ北西部地震>:19998170302、トルコ北西部イズミット村付近を震源とするマグニチュード7.4の大地震が発生し、死者17000人、負傷者44000人、被災者50万人以上、全壊家屋60000戸の被害が出た。日本政府にもトルコ政府から支援要請があり、海上自衛隊が国際緊急援助活動として隊員430名、MST-464ぶんご、LST-4001おおすみ、AOE-423ときわからなるトルコ共和国派遣輸送部隊を派遣することになり、神戸港で仮設住宅500戸とNGOアジア・アフリカ環境協力センターから委託された毛布200枚を積み込んで923日に出港、1018日にイスタンブール沖に到着した。しかしイスタンブールのハイダルパシャ港は港湾当局が地震の損害から未だ立ち直っておらず、岸壁横付けの目途が立たないため沖で待機を続けるよう指示が届いたため、在トルコ防衛駐在官が個人的な交流のあったトルコ海軍先任副官に事情を説明、トルコ海軍司令官に話が通り、1019日に入港して支援物資を陸揚げした。派遣輸送部隊は1122日(2日?)に母港に帰港している。参考:朝雲、月刊丸1,10別冊、月刊軍事研究5,12、ペルシャ湾の軍艦旗

トルコ陸軍>:1943年、Ⅲ号戦車長砲身型56両とⅣ号戦車G型15両を供与された。1982年からレオパルト1T1戦車を配備。1995年、155mm自走榴弾砲M52Tの導入を開始。1998年、M-48などの旧式戦車を一新するため、2008年までに1000両の新型戦車を導入する計画を発表。レオパルト2、ルクレール、M-1A2T-84-120が応募したが、価格が高すぎてM-60A3の改良に止めることにした。そこでサブラ2、M60-2000M60近代化型(ハリコフ)を検討し、サブラ2をM60Tとして導入することにしたが、値下げ交渉をしても価格がかなり高めで、170両の改修に留まっている。2009年現在、主力戦車はM60TM-60A3、レオパルト1T、レオパルト2A42011421日、T-70汎用ヘリの導入を決定。フォース2014計画でT129攻撃ヘリとアルタイ主力戦車を導入し、6×6輪装甲車や耐地雷車両を調達する。ただT129攻撃ヘリの導入が2013年になるため、繋ぎとしてMi-28を導入する予定だったが、AH-1W2010年から8-10機程度導入することになった。20144月、T129攻撃ヘリの引き渡しが開始された。2016年末、シリアでのイスラム国との戦闘で、運用のまずさからレオパルト2A4戦車10両を撃破されてしまった。参考:月刊軍事研究8,094,10、月刊PANZER9,104,0445,17、月刊JWings9,14

 <トルコ陸軍(1977年)>:兵力375000名(うち徴兵250000名)、予備役700000名。機甲師団1個、機械化歩兵師団2個、歩兵師団14個、機甲旅団5個、機械化歩兵旅団4個、歩兵旅団5個、空挺旅団1個、奇襲攻撃旅団1個、オネスト・ジョン地対地ミサイル大隊4個からなるが、師団と旅団の半分くらいが定数割れしている。M47/M48中戦車2800両、M59/M113/コマンド装甲兵員輸送車1650両、75mm/105mm/155mm/203mm牽引式榴弾砲1500門、105mm自走砲265門、155mm自走砲190門、175mm自走砲36門、60mm/81mm/4.2インチ(107mm)迫撃砲1750門、オネスト・ジョン18基、57mm無反動砲1200門、75mm無反動砲390門、106mm無反動砲800門、コブラ対戦車ミサイル85基、40mm高射機関砲900門、ビーバー10機、U1795機、セスナ421を3機、Do27を7機、Do28D118機、ビーチバロン20機、AB205/206ヘリ100機、ベル47Gヘリ20機、UH-1Dヘリ48機を保有する。参考:軍事力バランス78年版

トルコ陸軍(1980年)>:航空機はDo28B-1/D-114機、セスナ421B18機、T-42Aバロンを5機、U-6Aビーバを8機、O-1E65機、U-17A100機、Do2715機、L-18スーパーカブを76機、ベル204B/205120機、ベル206A50機、UH-1B20機保有している。参考:ザ・マーチ18

トルコ陸軍(1989年)>:兵力528500名(うち徴兵497000名)、予備役808000名。軍司令部4個、軍団司令部10個、機甲師団1個、機械化師団2個、歩兵師団12個、独立機甲旅団6個、独立機械化旅団4個、独立歩兵旅団11個、空挺旅団1個、コマンドー旅団2個、沿岸防衛大隊5個、軍団直轄の戦車大隊10個と野砲兵大隊30個と高射砲大隊20個からなる。M-47戦車800両(うち保管中500両)、M-48A1/A2戦車1100両、M-48A5戦車1600両、レオパルト1A3戦車227両、M-24軽戦車114両(全て保管中)、M-8装甲車(全て保管中)、M-59装甲兵員輸送車500両、M-113装甲兵員輸送車2000両、M-2/M-3ハーフトラック800両(うち保管中150両)、75mm牽引砲M-116108門、105mm牽引砲M-101A1618門、105mm牽引砲M-102108門、155mm牽引砲M-114A1402門、155mm牽引砲M-59144門、203mm牽引砲M-11548門、105mm自走砲M-10890門、105mm自走砲M-52162門、105mm自走砲M-7108門、155mm自走砲M-109A142門、155mm自走砲M-5336門、155mm自走砲M-44168門、175mm自走カノン砲M-10736門、203mm自走砲M-110A216門、203mm自走砲M-5581門(全て保管中)、240mm沿岸砲20門、MLRS12両、81mm迫撃砲M-1/M-4A1/UT1/M-2981mm自走迫撃砲M-125A1107mm迫撃砲M-2/M-30107mm自走迫撃砲M-84/M-106A1120mm迫撃砲ソルタム/TOSAM MkEHR12-DI100門、コブラ対戦車ミサイル85基、SS-11TOW、ミラン162基、57mm無反動砲M-182000門、75mm無反動砲M-40A1400門、106mm無反動砲1000門、20mm高射機関砲RAI-DO188門、Mk20Rh-202連装高射機関砲、エリコン35mm連装機関砲84門、40mm高射機関砲M-1A1900門、70口径40mm高射機関砲、M-42A1自走高射機関砲153両、75mm高射砲M-5190mm高射砲M-117/M-118、レイピア地対空ミサイル12基、レッドアイ、DHC-2輸送機1機、U-17/セスナ18520機、O-1E観測機50機、セスナ206を8機、セスナ421を4機、Do-27Aを5機、To-28D19機、T-42A15機、パイパー・チェロキー1機、シタブリア150S練習機40AB-204ヘリ20機、AB-205ヘリ85機、AB-206Aヘリ20機、AB-212ヘリ3機、UH-1Dヘリ30機、UH-1Hヘリ70機、SA-313ヘリ60機、TH-55ヘリ30機、OH-13Hヘリ15機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

トルコ陸軍(2015年)>:現役兵力402000名(うち徴兵325000名)、予備役258700名。軍司令部4個、軍団司令部9個、コマンドー旅団4個、山岳コマンドー旅団1個、コマンドー連隊1個、第52機甲師団(機甲旅団2個、機械化旅団1個)、機甲旅団7個、第28機械化師団、第29機械化師団、機械化歩兵旅団14個、第23自動車化歩兵師団(自動車化歩兵連隊3個)、機械化歩兵旅団11個、航空連隊4個、航空大隊4個、砲兵旅団2個、訓練砲兵旅団1個、砲兵連隊6個、工兵連隊2個からなる。レオパルト2A4戦車325両、レオパルト1A4戦車170両、レオパルト1A3戦車227両、M60A1戦車274両、M60A3戦車658両、M48A5T1/T2戦車850両(+保管中2000両以上)、アクレプ偵察車250両、ARSVコブラ偵察車704用以上、AIFV装甲車650両、AAPC830両、M113/M113A1/M113A2装甲車2813両、キルピ装甲車300両以上、105mm自走榴弾砲M108T26両、105mm自走榴弾砲M52T365両、155mm自走榴弾砲M44T1222両、155mm自走榴弾砲T-155265両、175mm自走カノン砲M10736両、203mm自走榴弾砲M110A2219両、105mmM101A175門以上、155mmM114A1/A2517門、155mm砲パンターを6門、203mmM115162門、107mm多連装ロケット48基、122mm多連装ロケットT-12236両、MLRSATACMS含む)12両、302mm多連装ロケットTR-300WS-150両以上、自走81mm迫撃砲、自走107mm迫撃砲M301264両、自走120mm迫撃砲179両、81mm迫撃砲3792門、120mm迫撃砲578門、自走TOW対戦車ミサイル365両、9K135コルネットE対戦車ミサイル、コブラ対戦車ミサイル、エリックス対戦車ミサイル、ミラン対戦車ミサイル、57mm無反動砲M18923門、75mm無反動砲617門、106mm無反動砲M40A12329門、ビーチ200キングエア軽輸送機5機、セスナ185U-17B)軽輸送機30機、セスナ421軽輸送機3機、セスナT182練習機45機、T-41Dメスカレロ練習機25機、T-42A練習機4機、AH-1P攻撃ヘリ18機、AH-1S攻撃ヘリ12機、AH-1W攻撃ヘリ6機、TAH-1P攻撃ヘリ4機、T129A攻撃ヘリ9機、ヒューズ300C多用途ヘリ28機、OH-58B偵察ヘリ3機、AS532UL輸送ヘリ30機、S-70A輸送ヘリ50機以上、AB204Bヘリ12機、ベル205ヘリ45機、AB-205Aヘリ64機、ベル206ヘリ20機、ファルコン600/ファイアビー無人偵察機、CL-89無人偵察機、ナット無人偵察機、ハーピー無人偵察機、アルティガン自走8連装スティンガー地対空ミサイル70両、ジプキン自走4連装スティンガー地対空ミサイル78両、FIM-43携帯地対空ミサイル789基(退役中)、FIM-92A携帯地対空ミサイル146基、40mm自走高射機関砲M42A1262両、20mm高射機関砲GAI-D01439基、35mm高射機関砲GDF-001/-003120基、40mm高射機関砲L60/L70803基、40mm高射機関砲T-140基、AN/TPQ-36対砲レーダー、M48装甲工兵車12両、M113A2T2装甲工兵車、レオパルト1戦車回収車12両、M48T5戦車回収車105両、M88A2戦車回収車33両、機動強襲浮橋MFAB52基、タムカー地雷原処理器材を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

トルゴレ級>:韓国海軍小型潜水艇Dolgorae(イルカ)級。KSS-1型ともいう。北朝鮮への秘密工作、後方攪乱などに使用される。ドイツ製の高周波パッシブソナーを搭載している。全長25m、全幅2.1m、水上排水量152トン、水中排水量178トン。主機はディーゼル・エレクトリック方式で、ディーゼル発電機1基・電動モーター1基1軸推進、水上速力9ノット、水中速力6ノット。潜航深度100m。兵装は406mm魚雷発射管2門。乗員6名で、水中工作員8名を同乗できる。1982年、1990年、1991年に1隻ずつ進水(就役は1983年から)し、1番艦SSM-051は既に退役、SSM-052SSM-053が残っている。2020年現在、全艦退役しているらしい。参考:月刊世界の艦船7,1311,164,094,20、現代の潜水艦、世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、月刊軍事研究2,105,05

<トルコン式AT>:オートマチック・トランスミッションを参照。

<トルコン式オートマチック・トランスミッション>:オートマチック・トランスミッションを参照。

ドルシー>:アメリカ海軍掃海駆逐艦。1945326日、沖縄方面で基地航空隊と特攻隊の攻撃を受けて損傷した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

ドルズヌイ>:ソ連海軍クリヴァクⅠ型フリゲートDruzhny1975年竣工。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

<トルソ・ハーネスF-2用>:自衛隊の機器。藤倉航装製。参考:月刊軍事研究2,18

<トルソ・ハーネス(HMD対応型)>:自衛隊の機器。藤倉航装製。参考:月刊軍事研究12,18

<トルディ>:L-60海外シリーズ(軽戦車)を参照。

ドルドーニュ>:フランス海軍運送艦Dordogne。元はイギリスの商船サン・イシドラ(San Isidora)である。全長161.5m、全幅20.4m、吃水8.8m、基準排水量7333トン、搭載貨物重量15160トン(うち油重量13000トン)。主機はレシプロ、出力4150馬力、1軸推進、速力11.7ノット。19406月にブレストで自沈した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

ドルナ>:スペインが開発した射撃指揮装置DORNADORNA RE-O方位盤(Xバンド追尾レーダー、可視光撮像装置、赤外線暗視装置レーザー測距機)またはDORNA E-O電子光学方位盤を使用し、口径25-127mmの艦砲の射撃統制を行う。スペイン海軍F100級フリゲートメテオロ級外洋哨戒艦、アメリカ海軍フリーダム級沿海域戦闘艦、サウジアラビア海軍アル・ジュバイル級コルベットに搭載された。参考:月刊世界の艦船4,22

トルナード>:フランス海軍ブーラスク級駆逐艦Tornade1928年竣工。1942年に戦没した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

トルナード>:モワク社が開発した装甲兵員輸送車で、マルダー1の製作経験をベースにしている。車体は避弾経始に優れた形状で、25mm機関砲装備のエリコン社製GBD B-20砲塔を車体上面中央に、7.62mm遠隔操作銃塔1基ずつを車体上面後端左右に搭載する。車体後部の兵員室側面には2基ずつのガンポートを持つ。下部転輪はダブルタイプ片側6組で、前方に起動輪、後方に誘導輪があり、上部転輪は片側3枚。戦闘重量20トン。90mm戦車砲(ダブルバッフル式マズルブレーキとザウコップ型防楯付き)を車体前部中央に搭載し、機関室と起動輪を後方に移し、25mm機関砲塔を7.62mm遠隔操作銃塔に変更、車体上面後端の銃塔を撤去したヤークトパンツァー・カノーネそっくりな駆逐戦車タイプ(名称はゲパルト)、自走対戦車ミサイル型、自走120mm迫撃砲型、回収車型、救急車型、貨物輸送車型などのバリエーションも造られたが、どこにも売れなかった。参考:月刊PANZER5,79

<ドルナイ>:S352(潜水艦)を参照。

<トルナド>:P44(哨戒艦)を参照。

ドルニエTNT>:ドルニエ社がDo228輸送機の翼型テストを行うために製作した試験機。高翼配置の双発機である。全長13.3m、全幅16.97m、全高4.7m、空虚重量3.01トン、最大離陸重量4.5トン。巡航速度342km、最大速度428km。参考:ザ・マーチ17

ドルニエ・ヴェルケ有限会社>:元は1910年に設立されたツェッペリン社で、第1次大戦後は飛行艇を主に製造していたため、1922年にドルニエ金属構造社となり、その後も数回の社名変更を経て1933年にこの名称に落ち着いた。本社はフリードリッヒスハーフェンにあった。参考:歴史群像2,08付録

ドルニエ社>:ドイツの航空機会社Dornier1996年、フェアチャイルド社の傘下に入り、フェアチャイルド・ドルニエ社になった。20024月に倒産した。Do328ジェットの生産はAVクラフト・ドルニエが引き継いだが、こちらも2005年に倒産し、メンテナンスはスイスのRUAGエアロスペースが行っている。Do228Do328の形式証明はRUAGエアロスペースが引き継いだ。参考:世界航空機年鑑2018-2019

ドルニエ・フォーダブル・モジュラー橋>:ユーロブリッジ・モービル・ブリュッケン社が開発したモジュラー橋。組み合わせにより14-46mの橋を架橋できる。操作員6名で1時間以内に40mの橋を架けることが可能。ドイツ、スペイン、シンガポール陸軍で採用される予定。参考:月刊PANZER6,01

トルニオ>:フィンランド海軍R2000ハミナ級コルベット。2022516-17日、ミサイル艇ナーンタリハメンマー級敷設艦02ハメンマーカタンパー級機雷掃討艇41プルンパーヒリエ級汚染制御艦899ハリ油防除船999ロウヒと共に、バルト海で、アメリカ海軍LHD-3キアサージLSD-44ガンストン・ホールDDG-107グレイブリイスウェーデン海軍支援艦P04カールスクローナとの共同演習に参加。参考:月刊軍事研究1,09、月刊世界の艦船8,22

<トルネード>:PC-14(哨戒艇)またはプロジェクト21632(コルベット)を参照。

トルネードG>:ロシア軍が開発中の多連装ロケットランチャーTornado-G。従来のグラード用122mmロケット弾、ウラガン用220mmロケット弾、スメルチ用300mmロケット弾を1つのランチャーで運用できるようにしたもので、ランチャーは8×8輪装輪車両に搭載される。2011年から配備される予定だったが、テストが長引いており、2012年に36両の予算が付いた。参考:月刊軍事研究11,12

<トルバーグ>:APD-103(高速輸送艦)またはDE-593(護衛駆逐艦)を参照。

<トルヒーヨ>:D-101(駆逐艦)を参照。

トルヒーヨ級>:ドミニカ海軍駆逐艦Trujillo級。元はイギリス海軍H級駆逐艦H01ホットスパーである。全長98.5m、基準排水量1340トン。主機は蒸気タービン2基2軸34000馬力、計画速力36ノット(実際には31ノット前後)。兵装は12cn単装砲3門、40mm単装機関砲4門、20mm単装機関砲2門、533mm4連装魚雷発射管1基、爆雷投射機4基、爆雷投下軌条1条。D-101トルヒーヨが1948年に就役した。参考:月刊世界の艦船11,13

<トルファン級>:ヤグアル級魚雷艇(トルコ海軍)を参照。

<ドルフィン>:AGSS-555(実験潜水艦)またはRD海外シリーズ(飛行艇)またはS-808(ワルラス級潜水艦)またはSS-169(ドルフィン級潜水艦)またはT-4(練習機)を参照。

ドルフィン>:イスラエル海軍800型ドルフィン級潜水艦1番艦Dolphin1999727日竣工・就役。20231月下旬、アメリカ海軍との共同演習ジュニパー・オークに参加。コルベット3隻(オズなど)と共に、アメリカ海軍CVN-77空母打撃群CVN-77ジョージ・H・W・ブッシュCG-55レイテ・ガルフDDG-94ニッツDDG-103トラクスタンと、地中海で各種訓練を行った。参考:現代の潜水艦、月刊世界の艦船3,004,'23JShips VOL.70

<ドルフィン2>:KTU-71(魚雷管制装置)を参照。

ドルフィン運動>:潜水艦が前進しながら急速浮上・急速潜航を繰り返す機動のこと。海面でイルカがジャンプしているのと似ていることから、こう名付けられた。URPK-3艦対潜ミサイルシステムの追尾を逃れるためにアメリカ海軍が編み出したらしい。海上自衛隊もはるしお型潜水艦まで観艦式で実施していたが、おやしお型以降は防振対策艤装に悪影響があるということで行わなくなった。参考:月刊世界の艦船1,'24、月刊JWings1,04、ソ連/ロシア巡洋艦建造史

ドルフィンキーパー>:ブルーインパルスの整備員のこと。展示飛行の際には展示用整備服とマフラーを装着してウォークダウンなどを行う。参考:JWings6,07

<ドルフィン級>:SX756級(潜水艦)を参照。

ドルフィン級>:アメリカ海軍潜水艦Dolphin級。Vボートの1つで、第1次大戦で入手したドイツU-135級Uボートを参考にした巡洋潜水艦である。バラクーダ級やナーワル級より小型に纏めて建造費を抑えた。全長97.3m、最大幅8.5m、吃水4m、水上排水量1560トン、水中排水量2240トン。主機はディーゼル直結推進方式+ディーゼル・エレクトリック方式、水上用機関局・MAN6-A-20 7/8R型6気筒4サイクルディーゼル(1750馬力、390rpm)2基(直結)+機関局・MAN式6気筒4サイクルディーゼル(450馬力)2基(発電用)+水中用エレクトロ・ダイナミック式電動モーター2基、水上出力4400馬力、水中出力1750馬力、2軸推進、水上速力17ノット、水中速力8ノット、重油搭載量412トン、エレクトリック・ストレージ・バッテリー社製WLLH31蓄電池120セル2群計240セル、航続距離4900海里(水上10ノット)、航続時間10時間(水中5ノット)。安全潜航深度76m。兵装は533mm魚雷発射管6門(艦首4門、艦尾2門。魚雷18本+非耐圧区画3本)、50口径102mm単装甲板砲1門、7.6mm単装機銃4丁。乗員63名。SS-169ドルフィンが1932年に竣工した。1938年、TDC Mk1を搭載した。太平洋戦争にも参加したが、老朽化に伴い1942年末に運用を続けるには大改装が必要と判断され、1943年初めに練習任務に回されて潜航深度を46mに制限、最終的に停泊実習艦になって1945年に除籍された。参考:アメリカ潜水艦史、第2次大戦のアメリカ軍艦

ドルフィン級>:アメリカ海軍実験潜水艦Dorphin級。21世紀にアメリカ海軍が保有する潜水艦では唯一の通常動力艦だった。深々度試験用の実験潜水艦で、HY-80高張力鋼製の真円断面耐圧船殻を持ち、深海用ソナー試験や情報監視用ソナーによる海洋観測などに使用される。艦尾に深度1800m対応のMk66魚雷発射管を装備しており、深々度用魚雷のテストも行う予定だった。搭載ソナーはAN/BQR-2B。全長46.3m50.29m?)、全幅5.92m、耐圧船殻直径5.49m、吃水5.6m、水上排水量800トン、水中排水量948トン。主機はディーゼル・エレクトリック方式、GMV-71ディーゼル2基・発電機1基、水上出力1650馬力、水中出力1650馬力、1軸推進、水上速力7.5ノット(5ノット?)、水中速力15ノット以上(8ノット?)、連続潜航時間12時間(24時間?)、行動日数14日。安全潜航深度1219m。乗員29名+科学者7名。実験内容によって艦諸元が変わることも多い。AGSS-555ドルフィンが1968年に竣工した。1969年、深々度魚雷開発中止に伴い、魚雷発射管を撤去した。2007年に除籍され、記念艦になった。参考:アメリカ潜水艦史、世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、現代の潜水艦

ドルフィン級>:イスラエル海軍潜水艦800Dolphin級。ドイツのHDW社とTNSW社が建造した。参考:月刊軍事研究4,00

ドルフィン級バッチ1>:212Aの発展型で、船体はイスラエル沿岸のエメラルドグリーンの海での運用を考慮して濃緑色で塗装されている。舵はT字型で、上部垂直舵が無い。ソナーシステムはDBQS-40。全長56.4m57.3m?)、耐圧船殻径6.75m、全幅6.8m、吃水6.2m、水上排水量1640トン、水中排水量1900-1930トン。主機はディーゼル発電機3基、1軸推進、シュノーケル最大速力12ノット、水中最大速力20ノット、航続距離14000海里(4ノット)/8000海里(8ノット)/4000海里以上(水上平均速力18ノット)、航続期間21日間(水上平均速力18ノット)、潜航時間1時間以上(20ノット)/2-3日(シュノーケル時)。無補給航海期間60日間。潜航深度350m。兵装は艦首の533mm魚雷発射管6基と650mm魚雷発射管6基(4基?)。DM2A3魚雷・UGM-84Cハープーン潜対艦ミサイル・機雷計16発を搭載可能。650mm魚雷発射管は特殊部隊用小型潜航艇の発進に使用するが、核搭載巡航ミサイル運用能力を持つともいわれ、ライナーを入れれば魚雷やハープーンを発射できる。トライトン対ヘリコプター・システムを装備する。乗員30名(士官6名、下士官24名)。1番艦ドルフィン、2番艦レバイヤサン、3番艦テクマが1999-2000年に竣工した。参考:月刊軍事研究4,0011,994,994,10、世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、現代の潜水艦、月刊世界の艦船12,141,'15増刊、THE MILITARY BALANCE 2016

ドルフィン級バッチ2>:ドルフィンⅡ(DolphinⅡ)型またはタニン(Tanin)級ともいう。燃料電池方式AIPを搭載したタイプで、ドイツのHDW社に発注された。212A型がベースで、X舵を採用しており、従来の十字舵の位置には下部以外に安定フィンが装着されていて、艦尾に計7枚のひれが付く形状となっている。塗装は船体が焦茶色、上構が濃紺、セイルが青、潜望鏡やアンテナ支柱がエメラルドグリーン。ソナーシステムはアトラス社製CSU90。全長68.6m、幅6.8m、船体直径6.7m、吃水6.2m、水中排水量2400トン。主機はディーゼル・エレクトリック/燃料電池AIP方式、発電機3基・燃料電池・電動機1基1軸3875馬力、水中速力20ノット。潜航深度350m。兵装は650mm魚雷発射管4門(ポパイ・ターボ対地巡航ミサイル。核搭載可能)、533mm魚雷発射管6門(DM2A4魚雷16本、UGM-84Cハープーン潜対艦ミサイル5発、機雷)。乗員30名。1番艦タニン、2番艦ラハブ、3番艦ドラコンを建造中である。参考:月刊世界の艦船3,1611,1610,175,123,136,137,133,154,'2012,'23、月刊軍事研究6,12THE MILITARY BALANCE 2016

ドルフィン級>:オランダ海軍潜水艦。Mk37長魚雷を運用する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

<ドルフィンマーク>:潜水艦徽章を参照。

ドルフィンライダー>:ブルーインパルスのパイロットのこと。参考:JWings6,07

トルペックス>:1941年にイギリスで、1942年にアメリカで使用が始まった混合爆薬TorpexTNT40.5%RDX40.5%、アルミニウム18%、ワックス1%で構成される。魚雷用などとして使用されたが、感度が高く爆発事故が続出したため、1945年にはHBX-1に切り替えられた。参考:火器弾薬技術ハンドブック、月刊世界の艦船10,17

トルペドー90>:スウェーデンの対潜魚雷で、Tp46として開発が開始され、1999年にこの名称になった。輸出名称はグルンプス。有線誘導+音響誘導で、光ファイバー通信による発射母機とのデータリンクが可能である。直径400mm、最大雷速40ノット。開発中止になったらしい。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック、月刊世界の艦船5,12

<トルペド2000>:タイプ62(魚雷)を参照。

<トルマン>:DM-28(軽敷設艦)を参照。

トルン>:ポーランド海軍ルブリン級揚陸艦5番艦トルン(Torun)。202266-17日、バルト海でバルトップス2022に参加。参考:月刊世界の艦船9,22

ドルンブッシュ>:東ドイツ水路部ドルンブッシュ級測量船ドルンブッシュ(Dornbusch)。1982年竣工。参考:月刊世界の艦船5,83

<ドルンブッシュ級>:フィニク型・海外シリーズ(測量艦)を参照。

ドレイク級>:イギリス海軍装甲巡洋艦Drake級。常備排水量14150トン。速力23ノット。兵装は234mm連装砲2基、152mm単装砲16門。ドレイクなど4隻が就役した。参考:月刊世界の艦船4,18

<トレイサー>:E-1シリーズ(早期警戒機)を参照。

<ドレイトン>:DD-366(駆逐艦)を参照。

<トレイラー>:D80(護衛空母)を参照。

<トレイリング・ヴォルテックス>:翼端渦を参照。

トレイル隊形>:2機編隊が15-19km離れて縦列を組むこと。夜間や悪天候時に使用される。参考:月刊軍事研究3,99

トレイル・トゥー・ダイヤモンド・ロール>:ブルーインパルス曲技飛行の1つ、Trail to diamond roll。4機がトレイル隊形で会場左から進入し、右バレルロールを行うと同時にダイヤモンド隊形となり、右に抜ける。参考:月刊JWings6,10別冊付録

<トレイルブレイザー>:AN/TSQ-138COMINT器材)を参照。

トレイルブレイザー>:ハンガリーが湾岸戦争後の油田消火作戦のため開発した、油井消火専用車両。T-34/85戦車の車体にMiG-21のエンジン2基を取り付けたもので、1秒あたり160リットルの水をジェット噴射し、油井の炎を2分で吹き飛ばす。参考:軍事分析湾岸戦争

トレイル・ローパス>:ブルーインパルス航過飛行の1つ、Trail。6機が縦一列に並んで航過する。参考:月刊JWings6,09

トレヴォース>:イギリス海軍トレヴォース級通船Trevose。参考:月刊世界の艦船5,83

トレヴォース級>:イギリス海軍通船Trevose級。トレヴォースが竣工した。参考:月刊世界の艦船5,83

<トレーサー>:曳光弾を参照。

<トレーダー>:C-1A輸送機(アメリカ海軍)を参照。

<トレードウインド>:P329(潜水艦)またはR3Yシリーズ(飛行艇)を参照。

トレード・オフ>:Trade off。二律背反の妥協点を見出すこと。参考:航空用語事典増補改訂版

<トレーナー6>:Z-226T(練習機)を参照。

トレーニング・ラバーガン>:硬質ゴムで作られた訓練用模擬銃のこと。重量や重心は実物とほぼ同じで、撃つ必要が無い訓練なら異物による故障などを恐れずに取り回しができる。格闘訓練にも使用可能で、相手に怪我をさせないよう、角張った部分を丸くし、硬すぎない素材を使うなどの工夫がなされている。参考:朝雲

<トレーラ>:自衛隊の車両。ソーシン製。参考:月刊軍事研究6,10

<トレーラ1トン炊事車>:自衛隊の車両。伸誠商事が受注している。参考:月刊軍事研究4,18

<トレーラ2・1/2トン発電機用>:自衛隊の車両。ソーシンまたは佐野車両製作所またはトノックス製。参考:月刊軍事研究2,121,1311,16

<トレーラ2・1/2トン発電用>:自衛隊の車両。日本トレクス製。参考:月刊軍事研究1,13

<トレーラ(15kW発動発電機用)>:自衛隊の車両。佐野車両製作所製。参考:月刊軍事研究12,12

<トレーラ(電気溶接セット用)>:自衛隊の車両。佐野車両製作所またはトノックス製。参考:月刊軍事研究12,128,15

<トレーラーロータイプ>:自衛隊の車両。堀口エンジニアリング製。参考:月刊軍事研究8,13

<トレーラロータイプ(リフター付)>:自衛隊の車両。堀口エンジニアリング製。参考:月刊軍事研究10,09

トレーリングアーム式サスペンション>:後輪専用の独立懸架式サスペンションで、車体側のピボットと車軸をトレーリングアームと呼ばれる構造で車軸前方部に固定したものである。トレーリングアームにより車軸は上下に可動し、トレーリングアームに取り付けたコイルスプリングとショックアブソーバーで上下方向の緩衝を行う。参考:自動車のサスペンション、クルマのすべてがわかる事典

 <フルトレーリングアーム式サスペンション>:ピボットの回転軸が車体中心線に対して垂直なもの。コイル・スプリング及びショック・アブソーバーは、アームの車軸付近に直立して取り付けられることが多い。車体に対してキャンバー角が変化せず、ショック・アブソーバーに曲げ応力が発生しないので乗り心地が良い。地面に対してのキャンバー角の変化が大きい、横からの力が直接車軸やアームの回転軸にかかる、急停止時に前に大きく傾くなどの欠点がある。参考:自動車のサスペンション、自動車メカニズム図鑑、クルマのすべてがわかる事典

 <セミトレーリングアーム式サスペンション>:ピボットの回転軸が車体中心線に対して斜めに取り付けられているもの。回転軸の傾きが大きくなると、スイングアクスル式サスペンションの特徴に近づいてくる。回転軸を三次元的に傾けることで、ジオメトリ変化をある程度自由に設定でき、横からの力も緩衝できる。乗り心地が良く、操縦性や安定性に優れ、プロペラシャフトが上下に動かないので床を低くできる。タイヤに横方向の力や制動力が加わると、取り付け点周りにモーメントが発生して車両の安定性が減少する欠点がある。また、ディファレンシャル・ギア・ケースがサスペンション上に固定されるので、ここからの振動を遮断する必要がある。参考:自動車のサスペンション、自動車メカニズム図鑑、クルマのすべてがわかる事典

<トレーリングツイストビーム式サスペンション>:トーションビームアクスル式サスペンションを参照。

ドレガー>:パプアニューギニアのパシフィック級哨戒艇。2013105日、オーストラリア海軍国際観艦式に参加。参考:月刊軍事研究2,15

トレ・クロノール>:スウェーデン海軍トレ・クロノール級巡洋艦Tre Cronor19471025日竣工。1952-53年、近代化改装を受けた。196411日に除籍された。船体は後に浮橋に流用されている。参考:月刊世界の艦船7,19、近代巡洋艦史

トレ・クロノール級>:スウェーデン海軍巡洋艦Tre Cronor級。海防戦艦の後継として1943年に2隻が発注された。対空戦を重視しており、主砲は仰角を70度まで取れる自動砲である。全長182m、幅16.7m、吃水6.5m、基準排水量8200トン。主機は蒸気タービン、出力90000馬力、2軸推進、速力33ノット。兵装は15.2cm3連装両用砲1基(艦前部)、15.2cm連装両用砲2基(艦後部)、40mm機関砲40門、533mm3連装魚雷発射管2基、機雷敷設軌条兼爆雷投下軌条2条、機雷160個。乗員610名。1947年にトレ・クロノールとイェータ・レヨンが竣工した。1950年代前半に近代化改装を受け、艦橋が箱形の低いものとなり、レーダーを追加して兵装を変更した。全長182m、満載排水量10000トン。主機は蒸気タービン2基2軸100000馬力、速力33ノット。兵装は15.2cm3連装両用砲1基(艦橋直前)、15.2cm連装両用砲2基(艦後部背負い式)、40mm連装機関砲20基、40mm単装機関砲7門、533mm3連装魚雷発射管2基、機雷敷設軌条兼爆雷投下軌条2条、機雷160個。1950年代後半にはイェータ・レヨンが2回目の近代化改装を受け、レーダーを換装、5.7cm単装砲を搭載している。参考:近代巡洋艦史、月刊世界の艦船7,19

<トレゴ>:AKA-78(攻撃貨物輸送艦)を参照。

ドレスデン(初代)>:ドイツ海軍ドレスデン級巡洋艦Dresden19081114日竣工。1915314日、フォークランド沖海戦でイギリス艦隊に追い詰められてチリのマス・ア・ティエラ島で自沈した。参考:月刊世界の艦船7,11

ドレスデン(2代目)>:ドイツ海軍ケルン級軽巡洋艦Dresden1918年竣工。1919年に自沈した。参考:近代巡洋艦史

ドレスデン級>:ドイツ海軍巡洋艦Dresden級。主機はドレスデンが蒸気タービン、エムデンがレシプロである。全長118.3m、常備排水量3664トン。主機は蒸気タービン(エムデンはレシプロ)2基4軸18880馬力、速力25.2ノット。兵装は10.5cm単装砲10門、5.2cm単装砲8門、45cm水中発射管2門。ドレスデン(初代)とエムデン(初代)が就役した。参考:月刊世界の艦船7,11

ドレスデン爆撃>:第2次大戦中の19452月に、ドイツのドレスデンに対して行われた無差別爆撃。連合軍爆撃機1200機が爆撃を行い、少なくとも35000人(10万人説もある)が死亡した。参考:月刊軍事研究4,03

<トレスパッサー>:P312(潜水艦)を参照。

堵列員>:海上自衛隊の艦船要員で、自衛艦を訪問する高官を舷門で出迎えるのが役目である。元々は帆船時代に上陸して縄梯子に掴まれないほど酔っぱらった船長や、乗り慣れない船主などを網で船上に引っ張り上げる要員として誕生したらしい。海将以上(総理大臣含む)は8名、海将補は6名、1-2等海佐は4名、三等海佐以下は2名が配置される。参考:月刊世界の艦船8,11増刊

ドレッガー川崎式救命衣>:日本海軍の潜水艦乗員用救命衣で、ドレッガー式救命衣を川崎で改良したものである。参考:写真で見る海軍糧食史

ドレッガー式救命衣>:日本海軍の潜水艦乗員用救命衣で、ドレッガー社製のものを輸入している。ライフジャケット兼気嚢、酸素瓶、空気清浄機、ゴーグル(眼鏡)、鼻バサミ(鼻撮)などを組み合わせており、沈没潜水艦の乗員はこれを着用して脱出区画から海中に逃れ、救命浮標に繋がる浮標索を伝って海上まで到達する。あまり深いところに沈没すると使えない。参考:写真で見る海軍糧食史

<ドレックスラー>:DD-741(駆逐艦)を参照。

<トレッド(航空機)>:ホイール・トラックを参照。

トレッド(車両)>:左右のタイヤ接地面の中心距離。設計時の全幅でほぼ決まる。広いと直進安定性が良く、乗り心地も良好だが、回転半径が大きくなる。参考:クルマのすべてがわかる事典

<ドレッドノート>:KV-2シリーズ(戦車)またはS-98(潜水艦)を参照。

ドレッドノート>:イギリス海軍ドレッドノート級戦艦ドレッドノート(Dreadnought)。1905102日起工、1906210日進水、101日竣工、1211日就役。1915318日、前方至近距離にU29潜水艦の潜望鏡を発見したため、直ちに衝撃して撃沈した。1920年に除籍された。参考:近代戦艦史、月刊丸4,125,07

ドレッドノート級戦艦>:イギリス海軍戦艦Dreadnought級、計画名称HMS Untakeable。日露戦争における日本海海戦と同じ1905年の計画艦で、日露戦争の戦訓に基づく強力な戦艦を一刻も早く就役させるため通常の3倍のスピードで建造した。世界初の単一巨砲艦で、30.5cm連装砲塔5基(これ自体は前ド級戦艦キング・エドワード7世級と同じ)を搭載し、うち3基を艦中心線上に配置して左右どちらも砲撃できるようにした。当時日本が建造中だった戦艦は40口径30cm砲を片舷4門しか指向できないのに対し、本艦は45口径30cm砲を8門ずつ向けられるから、圧倒的に強力な艦であった。遠距離砲戦でも高い命中率が得られるよう、射撃指揮装置としてドライヤー・テーブルMkⅠを搭載している。中間砲や副砲は、遠距離戦には役に立たず、近距離では主砲との間で弾着観測が混乱するという理由で廃止し、対水雷艇防御用の小口径砲(補助砲)のみを露天で装備する。水雷艇は夜間や悪天候時に襲撃してくるということで、補助砲の半分は昼間の主砲砲戦時に使用できない位置に積んだ。船型は船首楼型で、射距離6000-7000m近辺での砲撃戦に耐えられるよう、舷側装甲を重視している。バルチック艦隊が地球を半周して疲れ切った挙げ句に日本海海戦で壊滅した戦訓から、航洋性や航続力も重視しており、速力は従来の戦艦よりも3ノット速い21ノットとし、主機はレシプロとタービンで意見が割れたが、海軍造機部長と海軍造船部長の意見が通り、小型軽量で高速時の燃費も良く艦型も小型化できるパーソンズ式蒸気タービンを採用した。高圧・低圧タービンをサイドバイサイドに置いたクロス・コンパウンド(並列複式)で、外舷軸に高圧前進タービンと高圧後進タービン、内舷軸に巡航タービンと低圧前後進タービンをタンデムに直結している。当時の巡洋艦並みの速力(公試では24712馬力、21.25ノットを発揮)を出せたが、減速歯車の無い直結タービンのため、低速巡航時の燃費が悪かった。前檣・後檣共三脚式で、前檣が1番煙突の後ろにあるため熱気と排煙をかぶるという欠点があった。また後檣(後部主砲塔2基の間にある)は2番煙突からの排煙を避けるためそれまでの伝統に反して背を低くしており、これも評判が悪かった。低速巡航が不得手なので長期の砲艦外交には向かず、大口径主砲や露天の補助砲では海上封鎖や通商破壊に不便で、無線通信により高速で艦隊決戦場に駆け付ける対艦戦闘専用艦といった戦艦になっている。全長160.6m、幅25m、常備吃水8.1m、満載吃水9.5m、常備排水量18110トン(うち防御重量5000トン、機関重量2050トン)。主機はパーソンズ式高低圧並列直結蒸気タービン(初圧12気圧、毎分320回転)2組4基(+後進高圧タービン2基)、主缶はパブコック&ウィルコックス式混焼水管缶(17.6気圧、飽和温度)18基、出力23000軸馬力、4軸推進、速力21.28ノット、石炭搭載量標準900トン、最大2977トン、重油搭載量1120トン、航続距離は10ノットで6620海里、12.9ノットで7110海里。兵装はヴィッカーズ社製45口径30cmMk.Ⅹ連装砲塔Mk.BⅧ5基(前部1基、中央両舷に1基ずつ、後部2基)、50口径7.6cm単装砲Mk.27門、45cm水中発射管タイプB5門(舷側4門、艦尾1門)。装甲はクルップ鋼で、装甲厚は主要水線部279mm、主要水線部上方203mm、主要部前方152mm、主要部後方102mm、主砲塔全周279mm、主砲塔上面76mm、主砲塔バーベット203-272mm、司令塔側面279mm、司令塔上面51mm、弾薬庫側面51-102mm、下甲板外側傾斜部102mm70mm装甲板を傾けてある)、下甲板平坦部44mm-69mm、中甲板(主甲板)19mm。乗員773名。ドレッドノートが1906年に竣工した。これまでの戦艦(1904年計画・1909年就役のイギリス自国艦を含め)を全て旧式艦に追いやるほどの実力を持っており、この艦に匹敵する戦艦はドレッドノート・クラス、弩級と呼ばれるようになった。参考:近代戦艦史、戦艦入門、月刊丸4,1311,09、月刊世界の艦船7,114,1711,111,122,15

ドレッドノート級攻撃原潜>:イギリス海軍攻撃原潜Dreadnought級。イギリス初の原子力潜水艦であり、船体や兵装はイギリス製で、原子炉だけアメリカからスキップジャック級と同じS5W原子炉を導入した。船体はマッコウクジラ型で、艦首に潜舵を持つ。全長82m、全幅9.83m、水上排水量3500トン、水中排水量4000トン。主機は原子力蒸気タービン方式、S5W原子炉、タービン出力15000馬力、1軸推進、水中速力28ノット。兵装は533mm魚雷発射管6門。乗員90名、うち士官11名。1963年にS-98ドレッドノートが就役した。1982年(1983年?)に退役した。参考:月刊軍事研究5,175,01、月刊世界の艦船8,184,1810,23

ドレッドノート級戦略原潜>:イギリス海軍戦略原潜Dreadnought級。ヴァンガード級の後継で、当初はサクセサー(Successor)級と呼ばれていたが、20161021日にネームシップの名称がドレッドノートに決まった。SLBM発射筒はアメリカ海軍SSBN-X/ディストリクト・オブ・コロンビア級と同じ共通ミサイル区画CMCを使う。原子炉は従来のPWR2の改良型であるPWR2bと新型のPWR3を検討し、後者に決まった。艦尾舵はX舵。ソナーはタレス社製2076型。イギリス潜水艦として初めて昼夜を区別できる照明を取り付け、独立した女性用居住区も設ける。操縦はフライ・バイ・ワイヤ方式(飛ばないけど)で、艦の運動全体を制御するアクティブ・ヴィークル・コントロール・マネージメントAVCMコンピュータに操縦輪の操作が入力され、コンピュータが適切な舵角に舵を作動させるなどして艦を動かす。電子光学センサー、電子戦センサー、通信アンテナを一体化したタレス社製統合マスト(CM010の改良型)2本を装備する。全長153.6m、幅12.8m、水中排水量17200トン。主機は原子力ギヤード・タービン方式(原子力ターボ・エレクトリック方式?)、ロールスロイス社製PWR3原子炉。兵装は共通ミサイル区画3基(トライデントD-5SLBM発射筒12基。セイル直後2列配置)だが、搭載ミサイル数は8基、合計核弾頭数は40発以下に制限し、余るCMC1基は他用途に使う。533mm魚雷発射管4門も装備する。乗員130名。4隻を建造予定で、201210月にBAEシステムズ社に設計が発注され、2014年に1番艦起工前の先行工事が発注された。2016718日に下院が建造を承認し、105日に建造開始式典とファースト・スチール・カットが挙行されている。2番艦の艦名はヴァリアント(Valiant)、3番艦はウォースパイト(Warspite)、4番艦はキング・ジョージ6世(King George Ⅵ)。開発建造費は310億ポンドを予定しているが、438億ポンドに達するという予測もあり、2016-25年度イギリス軍装備調達・補給予算の2割強を占め、他の装備調達に相当の影響が出る。202329日、3番艦ウォースパイトのファースト・スチール・カットを実施。参考:月刊世界の艦船1,179,'2310,173,1411,163,197,194,'206,'217,'225,'2310,'23、月刊軍事研究12,16

トレッリ>:イタリア海軍マルコニー級潜水艦。1943615日、ボルドーを出港。826日、スマトラのサバンに到着した。イタリア降伏でドイツに接収され、UIT25となった。参考:月刊丸11,09

<トレド>:CA-133(重巡洋艦)またはPF-33(フリゲート)またはSSN-769(潜水艦)を参照。

トレバー>:アメリカ海軍駆逐艦。1942129日、真珠湾付近でDD-393ジャービス、DD-967エリオット、ロングと共に伊73潜水艦を撃沈した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

トレバヴァーニエM>:ロシア海軍艦載戦闘システムTrebovaniye-M、ロシアのメリディアン社が開発した。大型液晶ディスプレイ付コンソール8基と演算システムで構成され、互いに艦内LANで結ばれている。同時処理目標数256アドミラル・グリゴロヴィッチ級フリゲートに搭載された。参考:月刊世界の艦船8,136,22

<トレバヴァーニエM海外シリーズ>

 <トレバヴァーニエE>:輸出劣化型。インド海軍タルワル級フリゲートに搭載された。参考:月刊世界の艦船6,22

<トレパン>:SS-412(潜水艦)またはSSN-674(スタージョン級攻撃原潜)を参照。

トレブリンカ絶滅収容所>:ワルシャワ近郊に建造された絶滅収容所。面積は1.3平方キロである。チクロンB(青酸ガス)による200人収容の毒ガス室10室が製作されていた。19438月に暴動が起き、看守十数名が殺害され、囚人多数が脱走した。それまでに75万人を虐殺したとみられる。参考:ゲシュタポ

トレロ>:IHIエアロスペース社の艦船用コーナー・リフレクター型レーダー・デコイ、TORERORCS10000平方メートル以上あり、発射機から射出されると所定の高度でパラシュートを広げ、ゆっくりと落下する。イギリス製12連装デコイ発射機センチュリオンから射出可能。参考:月刊世界の艦船5,22

トレンガヌ>:マレーシア海軍コルベットTerengganu2018921日、ミサイル艇ガニヤンと共に、クアンタン周辺海域でDD-108あけぼのと親善訓練(戦術運動など)を実施。参考:月刊世界の艦船12,18

ト連送>:全部隊突撃せよを示す日本海軍暗号電文で、ト(・・-・・)を連打する。参考:月刊丸12,11

トレンチ・ガン>:塹壕戦用軍用ショットガンのこと。銃身を20インチ(508mm)に切りつめ、着剣装置とハンドガード、放熱筒を取り付けてある。第1次大戦後はハンドガード及び銃剣付きショットガンと呼ばれた。参考:米英軍戦闘兵器カタログVol.1

<トレンチフット>:塹壕足を参照。

<トレンチャント>:P331(T級潜水艦第2グループ)またはS-91(トラファルガー級原潜)を参照。

<トレント>:A127(魚雷揚収船)またはK243(フリゲート)またはP224(哨戒艦)を参照。

トレント>:イタリア海軍トレント級重巡Trento192528日起工。192794日、進水式を行ったが、進水台上で止まってしまったため、104日にやり直した。192943日竣工。1941327日、マタパン沖海戦に参加。1942614日、イギリスのマルタ島補給ヴィガラス作戦MW11船団を攻撃するため、戦艦リットリオヴィットリオ・ヴェネト重巡ゴリツィア軽巡ジュゼッペ・ガリバルディエマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ駆逐艦と共にタラントを出撃。615日、イギリス空軍第217中隊ボーフォート雷撃機の雷撃を受け、前部缶室に魚雷1本を受けて航行不能になった。直後にイギリス潜水艦P35アンブラが魚雷2本を発射、1本が2番主砲塔直下に命中し、弾火薬庫が誘爆して轟沈した。乗員1160名のうち560名が戦死している。参考:近代巡洋艦史、月刊世界の艦船7,'231,12

トレント700>:ロールスロイス社が開発したターボファンエンジンTrent700。ファン直径2.474mA330ceo旅客機に搭載された。参考:世界航空機年鑑2018-2019

トレント1000-TEN>:ロールスロイス社が開発したターボファンエンジンTrent1000-TEN2016711日にEASAで形式証明を取得し、B787旅客機に搭載された。参考:世界航空機年鑑2018-2019

トレント7000>:ロールスロイス社が開発したターボファンエンジンTrent7000。基本構造はB787旅客機用トレント1000-TENで、A330ceo旅客機用トレント700A350-XWB旅客機用トレントXWBの経験及び技術を加えた。ファン直径はトレント700より0.37mほど大きく、バイパス比が2倍になって燃料消費率が1割改善した。中圧圧縮機モジュールは川崎重工、燃料モジュール部品と低圧タービンブレードは三菱重工航空エンジンが製造している。ファン直径2.845m。推力68000-72000ポンド・30.844-32.659トン。A330neo旅客機に搭載された。参考:世界航空機年鑑2018-2019

トレント級>:イギリス海軍魚雷揚収船Torrent級。魚雷の輸送や、発射済魚雷の揚収を行うのが主任務で、前部船倉に22本、甲板上に10本の魚雷収容スペースを持ち、艦尾に魚雷引き揚げ用ランプがある。全長46.1m、幅9.6m、吃水3.4m、総トン数550トン。主機はディーゼルで、出力1400馬力、速力12ノット。1971年にA127トレント、1972年にA128トーリッドが就役した。参考:月刊世界の艦船5,83

トレント級>:イタリア海軍重巡Trento級。イタリア海軍初の条約型重巡で、当初は軽巡に分類されていたが、ジユッサノ級との区別のために重巡に変更された。速力重視のフランス海軍デュケーヌ級重巡に対抗するため、防御を削って速力を重視している。艦首はバルバス・バウ。機関は缶・機・缶・機のシフト配置で、機械室はタービン2基ずつを収容、缶室は前方8基・後方4基としたため前部煙突が後部煙突より太い。煙突直前に三脚マストを1本ずつ設置したが、戦闘艦橋や主測距儀を設置していた前部三脚マストが公試で揺れまくり、二脚追加して五脚マストにする羽目になった。カタパルトは当初前後煙突間に設置する予定だったが、1番主砲前方の前甲板に移され、煙突間は艦載艇収容部として使用されている。全長197m、幅20.6m、吃水6.6m、基準排水量10505トン(10344トン?)。主機はパーソンズ式ギヤード・タービン4基、主缶はヤーロー式重油専焼水管缶12基、出力150000馬力、4軸推進、速力35ノット、重油搭載量2120トン(常備)/2250トン(満載)、航続距離4160海里(16ノット)。兵装は50口径20.3cm連装砲4基(艦首尾2基ずつ背負い式)、47口径10cm連装高角砲8基、39口径40mm単装ポンポン砲4門、53.3cm魚雷連装固定式水上発射管4基。装甲厚は舷側70mm、甲板20-50mm、砲塔110mm、司令塔40-100mm。空気式カタパルト1基とRo.43水上偵察機3機を搭載する。乗員723名(平時)/781名(戦時)。トレントとトリエステが1928-29年に竣工した。参考:月刊世界の艦船7,'23、近代巡洋艦史

トレント攻勢>:第1次大戦中の19165月、オーストリア軍はトレントに9個師団、カルティアに4個師団、イゾンツォ川に14個師団を集結し、イゾンツォ方面を陽動、トレント方面を主攻としてベネチア平原からアドリア海に進出し、イタリア軍を包囲する作戦に出た。515日、トレント方面に6個師団を増強し、15個師団で正面60kmにわたり攻撃を開始。防衛するイタリア軍6個師団は不意を打たれて突破され、オーストリア軍は20km前進して第二線陣地に到達した。61日、イタリア軍は第二線陣地に死守命令を出すと共に増援部隊を投入し、ロシア軍にガリシアでの攻勢を要請した。615日、イタリア軍は守備隊を30個師団に増強して反撃を開始。オーストリア軍は攻撃発起点まで後退した。この戦闘で、イタリア軍は20万の損害を出した。参考:月刊PANZER5,06

<トレントン>:CL-11(軽巡洋艦)またはJHSV-5(統合高速輸送艦)またはLPD14(揚陸艦)またはT-EPF-5(遠征用高速輸送艦)を参照。

<トロ>:SS-422(潜水艦)を参照。

トロイカ・システム>:西ドイツ海軍の磁気音響複合掃海システム。エンスドルフ級掃海艇の前方にゼーフント無人水上掃海具3隻を無線で航走させて掃海する。参考:月刊世界の艦船8,82増刊

トロイ作戦>:湾岸戦争中の19911月中旬からアメリカ第1海兵遠征軍が行った陽動作戦。アル・ワフラ油田地帯のイラク軍防御陣地正面に偽陣地を構築し、偽通信を発信、砲撃や陣地攻撃を実施して地上部隊の主攻撃方面をクウェート方向と思わせた。心理戦も実施し、国境線付近のパトロールも施行。117日、イラク軍は前哨陣地に砲撃を加えてきたため、AV-8Bが制圧した。120日以降、クウェート国境沿いのイラク軍陣地を威力偵察と欺瞞を兼ねて攻撃。1月下旬には強襲揚陸作戦演習をオマーンで行い、129日にクウェート南部のウム・アル・マラディン島に強襲揚陸してイラク軍通信施設を制圧した。参考:月刊グランドパワー4,95

<トロイラス>:AKA-46(攻撃貨物輸送艦)を参照。

<トロウ>:DE-350(護衛駆逐艦)を参照。

<トロウスデイル>:AKA-79(攻撃貨物輸送艦)を参照。

<トロージャン>:T-28(練習機)を参照。

トロージャン>:モワグ社が1990年に開発した歩兵戦闘車。車体は鋼板の全溶接で、車体前部左に操縦手と分隊長がタンデムに座り、右に機関室がある。中央が戦闘室で、ユーザーに合わせて各種砲塔を搭載できる。車体後部は6名用の兵員室で、上面に3つのハッチ、後面に大型油圧式ランプを備える。車体側面には増加装甲を装備可能で、防弾ゴムでシールされた燃料タンクは、車外の車体後面ランプ左右に設けられている。サスペンションは窒素ガス・シリンダー・ダンパーと油圧ダンパーの組み合わせ。全長6.85m、全幅3.15m、全高1.83m。エンジンはMTU社製V8ターボチャージド・ディーゼル(591馬力)、トランスミッションはオートマチック(前進6速・後進3速)を搭載。最大速度70km、航続距離500km。乗員3名、乗車兵員7名。参考:月刊グランドパワー10,00別冊

トロージャン>:イギリスのヴィッカーズ・ディフェンス・システムズ社が2001年から開発した工兵車両Trojan。油圧式のアームやドーザーブレードの他、地雷除去装置の装備も可能である。2005-08年に33両が生産される予定である。参考:月刊軍事研究9,07

<トロージャンⅡシステム>:RQ-1シリーズ(無人機)を参照。

<トロージャン・スピリットⅡ>:RQ-1U(無人機)を参照。

<トロージャンホース>:XCG-10A(グライダー)を参照。

<トロージャンホース作戦>:ラッキー・ドラゴン作戦を参照。

ドローズド>:Drozd、ツグミの意。ロシアが1970年代以降(1983年頃?)に開発を進めてきた対戦車ミサイル用アクティブ防御システムである。砲塔両側に口径107mm・重量9kgZUOF14ミサイル2連装発射機2基計4発ずつを装着、ランチャー上部にミサイル感知用ミリメートル波レーダーを装備する。ミサイルをキャッチするとZUOF14が発射され、自車から7mの距離で近接爆発して破壊する。左右40度ずつをカバーできる。輸出価格3万ドル。1980年代半ばにT-55ADに試験装備され、1997年にはT-80UM-2に本格的に搭載された。参考:月刊グランドパワー9,035,03、月刊PANZER12,03

<ドロール・ド・ゲール>:ファニー・ウォーを参照。

<トロールロープ>:K575(フリゲート)を参照。

ドローン>:Drone。無人機のことで、主に無人標的機(Target Drone)をこう呼んでいた。Droneはブーンという蜂の羽音のような音(低い連続したハミング音)または雄蜂のことで、プロペラの音から蜂の羽音を連想したための命名と言われるが、エンジンやプロペラの低い唸り音自体もDroneというので、蜂の羽音を介さずにドローンになったようである。後にRPVと呼ばれるようになり、近年ではUAVに変わった。2010年代になり、民間(Amazon)でマルチローター式小型無人機による宅配の話題が出てきたことからドローンが無人機の一般名として再び広く使われ始め、一般ではUAVの名称を蹴散らす勢いである。参考:月刊軍事研究6,01、ザ・マーチ5号、月刊JWings7,15、日本の防衛戦力Part3

ドローンガン>:オーストラリアのドローンシールド社が開発したアンチ・ドローン・ガン。大型ライフル銃のような外見で、バックパック型電源から電力を供給し、ドローンに向けて妨害電波を放出する。有効距離2km。参考:朝雲

ドローンキラー>:ウクライナ軍携帯電子妨害装置。アメリカのIXI EW社が開発した。UAVの遠隔操作用電波、衛星航法用電波、映像伝送用電波を妨害できる。参考:朝雲

ドローン搭載外洋哨戒艦>:フランスのビュロ・モーリック社がユーロネイヴァル2010で発表したコンセプト艦。船体は三胴船型で、広い飛行甲板を持ち、UAVや有人ヘリコプターを運用できる。また、艦内に特殊部隊25名を収容し、RHIBで運用する。全長70m、全幅28m、排水量1800トン。最大速力22ノット、航続距離3000海里。参考:月刊軍事研究1,11

<ドロシー>:A173(曳船)を参照。

トロ車>:日本陸軍の試作ブルドーザーで、小松製作所が開発した。自重10トン以上のブルドーザーとして要求が出され、キャタピラ社製D6ブルドーザーを参考に昭和16年から設計を行い、昭和195月に試作車が完成している。農業用トラクターがベースであり、車体はモノコック構造で、土工板から受ける力をトラックフレームで直接受け止める必要があった。また、後進が1段のみで、高速バックを行えず、作業性が悪かった。最大速度は15kmを目指したが、足回りがついて行けず、テスト中に履板が損傷している。全長4.7m、全幅2.5m、全高2.1m(幌無し)、2.3m(幌付き)、車両重量7.5トン。エンジンは陸軍統制式空冷直列4気筒ディーゼル(ボア120mm、ストローク160mm、排気量7220cc、定格出力60馬力、牽引出力50馬力)で、トランスミッションは前進4段・後進1段、最大速度15km、最大後進速度3.2km。土工板幅2.5m、高さ0.8m。テスト終了前に終戦を迎えた。参考:月刊グランドパワー8,10

トロス>:ノルウェー海軍ストルム級高速攻撃艇。1967年就役。参考:週刊ワールドウェポン17

<ドロックスフォード>:P3113(哨戒艇)を参照。

<トロッソ>:A264(支援艦)を参照。

トロッソ級>:スウェーデン海軍支援艦Trossö級。19841月にソ連で就役したフィンランド製調査艦で、エストニアを経て199611月にスウェーデンが購入した。旗艦や哨戒艦艇/コルベット母艦任務を行う。満載排水量2174トン。A264トロッソが就役した。参考:月刊世界の艦船9,14

<ドロップゾーン>:DZを参照。

<ドロップタンク>:増槽を参照。

トロフィー>:イスラエル陸軍アクティブ防御システムTrophy。イスラエルのラファエル社が1990年代後半から開発し、アメリカ軍の協力も得て20074月に完成させた。対戦車ミサイルや対戦車ロケット、HEAT弾などの化学エネルギー弾を車両の4カ所に設置したエルタ社製EL/M2133ウインドガードレーダーで探知し、直撃すると判断した場合には車体2カ所に装備した直接攻撃システムが作動する。直接攻撃システムの指向装置には迎撃弾発射器がセットされており、脅威の未来位置に向けて迎撃弾(Multiple Explosive Formed Penetrators。複数の自己鍛造弾が形成される)を射出して撃破する。迎撃弾射出の際には発射器も吹き飛ぶため、再装填装置は発射器ごと迎撃弾を指向装置に載せ直して次の脅威に備える。迎撃弾のカバー範囲は180度で、同方向から2個以上の攻撃を受けると対処できない。迎撃弾射出の際の爆風や破片で乗員が負傷しないよう、シールドが用意されている。直撃破壊を狙うため正確な未来位置算出が必要で、どうしてもシステムが大型大重量になるのが欠点。2011311日にガザ地区でメルカバMkⅣに搭載されたシステムがRPGに対して作動し、初迎撃を記録した。コルネット対戦車ミサイルも叩き落としている。2014年のガザ侵攻ではロケット弾15発を誤警報無しに探知し、全て破壊した。2016年末にナメル重装甲兵員輸送車への搭載が決まった。軽-中車両に搭載できる軽量化型も試作されたが、イスラエル軍には採用されていない。ヘリに搭載することも検討されたが、ヘリ自体がダメージを喰らうという欠点があり、フリッカーが開発されることになった。アメリカでも導入が検討され、20063月にはストライカーに装備してのテストも行われて38発中35発迎撃という成績を残したが、南レバノン侵攻で装備されず実用性に不安があること、レーダーが剥き出しで攻撃に弱いこと、同時攻撃への対処に限界があること、迎撃弾の副次被害が出る可能性があること(ラファエル社は副次被害を局限していると反論)、価格が高いこと、対戦車ロケットよりIEDの方が問題になってきたことがネックとなり、この時は採用されなかった。20179月になってアメリカ陸軍がM-1戦車用に導入を決定。第14機甲旅団戦闘団に配備してテストし、良好なら更に購入する予定である。参考:月刊PANZER5,0545,17月刊軍事研究8,115,126,0710,12THE MILITARY BALANCE 2016、朝雲

 <トロフィーHV>:重車両用。システム重量820kg、戦闘重量2200kg。迎撃距離10-30m。メルカバMkⅣのシステムに統合された。後付けも可能だが、重いので装備できる車両が限られるのが欠点。参考:月刊軍事研究5,12、朝雲

 <トロフィーMV>:8-15トン級の中車両用。体積0.43立方メートル、システム総重量520kg。参考:月刊軍事研究5,12

 <トロフィーLV>:4輪ソフトスキンなど軽車両用。対戦車ロケット専用で、軽量小型に纏めている。体積0.26立方メートル、システム総重量200kg。参考:月刊軍事研究5,12

泥棒マント>:日本海軍用語で、士官用マントのこと。上陸時にギンバイ品を隠すために使用された。参考:帝国陸海軍事典

トロポスキャッター>:Troposcatter。対流圏の不規則性を利用して電波を地表に沿って伝播させること。これを応用すれば、レーダーによる水平線以遠の捜索が可能となる。参考:月刊軍事研究6,07

トロボットスムーバー>:ドイツのラインメタル社が開発した8×8輪戦術UGVデモンストレーターで、有人運用も可能である。車体前部中央にレーザー地上スキャナー、左右にTVカメラ、車体上部にレーダー及びカメラを装備する。重量2トン。参考:月刊軍事研究11,06

トロポポーズ>:Tropopause、対流圏界面。対流圏と成層圏の境目で、赤道では高度15000m、中緯度では高度11000m、極地では高度8000mにあるが、気象条件などによって2面あったり、無くなったりする。風のシアが大きくジェット気流が形成されることがあり、雲が殆ど存在しないので晴天乱流になる。参考:航空用語事典増補改訂版、図解現代の航空戦

トロラク防御線攻撃>:太平洋戦争のマレー戦で、昭和1715日に日本陸軍はスリム台地付近の英印軍陣地にぶつかり、前進を止められた。そこで第25軍第3戦車団戦車第6連隊第1・第4中隊が増援に送られ、カンパル付近の集結地で第5師団の安藤追撃支隊に配属された。160500、独立工兵第15連隊が修復したトロラク手前の橋梁を渡って部隊は進撃を開始、1130にトロラク付近の英印軍第1次防御線に到達した。170000、九七式中戦車10両、九五式軽戦車5両、歩兵1個中隊80名、独立工兵第15連隊工兵1個小隊20名(うち軍医1名)で決死隊を編成して夜襲を開始。第3次までの防御線を突破し、170600にはトロラク付近に展開していた第12インド歩兵旅団司令部を撃破した。0730、トロラクに突撃を開始。3時間で制圧した。参考:月刊丸3,01、日本戦車隊戦史、軍医戦記

<トロンデン要塞>:ナルヴィク防御要塞を参照。

トロント>:カナダ海軍ハリファックス級フリゲートTronto201497日、黒海でロシア軍機から妨害行為を受けた。98-10日、黒海でシー・ブリーズ2014演習に参加。20161129日、HCM/FELEX改装を完了。参考:月刊世界の艦船12,14、月刊軍事研究4,18

<トロンハイム>:F302(フリゲート)を参照。

<トロンプ>:F801(トロンプ級フリゲート)またはF803(デ・ゼーベン・プロビンシェン級)を参照。

トロンプ>:オランダ海軍トロンプ級巡洋艦Tromp1938818日竣工。1940年、ドイツ侵攻を受けてイギリスに脱出した。194224日、ジャワ沖海戦に参加。219日、バリ島沖海戦で中破した。1949年、練習艦任務に就くようになった。1955年に退役し、1958年に除籍されて1969年に解体された。参考:月刊世界の艦船8,12、近代巡洋艦史、第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊丸1,07、日本海軍艦隊総覧

トロンプ>:フランス海軍ブーラスク級駆逐艦Trombe1927年竣工。1950年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦

トロンプ級>:オランダ海軍巡洋艦Tromp級。元は1931年に計画された2500トン級嚮導駆逐艦で、日本海軍水雷戦隊に対応するため軽巡洋艦として完成した。兵装は強力だが、防御力は低い。機関室は缶室後方にあり、右舷機室が前、左舷機室が後ろに位置する。ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルクはイギリスで兵装工事を行ったので、武装が異なる。全長132.0m、幅12.4m、吃水4.2m、基準排水量3787トン。主機は蒸気タービン2基2軸56000馬力、速力33.5ノット。兵装は15cm連装砲3基(ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルクは10.2cm連装高角砲5基)、40mm機関砲8門、533mm3連装魚雷発射管2基、爆雷投下軌条2条。水上機1機を搭載でき、デリックで海上に下ろして離水させる。乗員309名。ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク、トロンプが1938-40年に竣工した。参考:近代巡洋艦史、月刊世界の艦船8,12

トロンプ級>:オランダ海軍ミサイル・フリゲートTromp級。艦橋上にシグナールMTTR/SPS-01三次元レーダーの巨大なレドームを持つのが特徴で、煙突はY字型をしている。主砲は旧式駆逐艦からの再利用である。艦載戦闘システムはSEWACOⅠ。艦隊旗艦施設を持つ。全長138.4m、幅14.8m、吃水4.6m、基準排水量3665トン、満載排水量4308トン。主機はCOGOG方式、ガスタービン4基2軸50000馬力、速力30ノット。兵装はハープーン4連装発射筒2基、ターター/スタンダードMR単装発射機1基、シースパロー8連装発射機1基、50口径120mm連装砲1基、ゴールキーパー1基、20mm単装機銃2丁、324mm3連装短魚雷発射管2基(Mk46短魚雷)。ヘリ格納庫とヘリ甲板を持ち、リンクスSH-14Bヘリ1機を搭載できる。乗員306名。F801トロンプF806デ・ロイテル1975-76年に竣工した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊、8,82増刊、5,8610,11、ミリタリー・バランス1989-1990

トロンヘイム沖海戦>:第2次大戦時の194043日、イギリス海軍はノルウェー沿岸に機雷を敷設してドイツ軍によるノルウェー侵攻を妨害するウィルフレッド作戦を発動。45日、巡洋戦艦72レナウン、駆逐艦H5グレイハウンド、H92グロウワーム、H97ハイビリアン、H99ヒーローがスカパフローを出撃した。46日、グロウワームの乗員1名が波に浚われて行方不明になったため、艦隊から離脱して捜索を実施。480715、ノルウェー侵攻ヴェーゼル演習作戦のためノルウェーに向かっていたドイツ海軍駆逐艦Z18ハンス・リューデマンとグロウワームが濃霧の中で鉢合わせした。Z18はスウェーデン海軍駆逐艦イェーテボリを装ったが、グロウワームが砲撃をかけたために逃走した。0802Z11ベルント・フォン・アルニムがグロウワームと遭遇し、砲戦が開始された。0950Z18Z11の通報で駆け付けたアドミラル・ヒッパーが到着し、0958に砲撃を開始、第4斉射がグロウワームに命中した。グロウワームは煙幕を張りつつアドミラル・ヒッパーに突撃し、副砲弾を被弾しながらも1010から魚雷10本で雷撃をかけたが、全て外れた。グロウワームはそのまま最大戦速でアドミラル・ヒッパーの右舷に衝撃を行い500トン浸水させたものの、1024に主缶が爆発して沈没、109名が戦死した。ドイツ側に救助された40名のうち6名も後に死亡している。グロウワーム艦長ジェラルド・ループ少佐は生存者の救助中に溺死し、この様子を見ていたアドミラル・ヒッパーの艦長が赤十字を通じてイギリスにビクトリア・クロス勲章の授与を進言、これに基づいて1945年にビクトリア・クロス勲章が授与された。参考:月刊世界の艦船10,17、月刊軍事研究1,15

トロンヘイム要塞>:ノルウェー中西部の要衝、トロンヘイムを防衛するために設けられた沿岸要塞。ヴェーゼル演習作戦時には21cmカノン砲や15cmカノン砲などが据え付けられていたが、奇襲を受けてドイツ軍にあっさり占領された。その後はドイツ軍がエーランデ要塞地帯として整備、28cmカノン砲SKL/4528cmSKC/34カノン砲3連装砲塔(グナイゼナウから外したもの)、フランス製15.5cmカノン砲K416(f)などで防備を固めた。月刊軍事研究11,09

トロンボーン・アクション>:ポンプ・アクションのこと。操作がトロンボーンの演奏に似ているので。参考:GUN用語事典

<ド・ワート>:FFG-45(フリゲート)を参照。

<ドワイト・D・アイゼンハワー>:CVN-69(空母)を参照。

<トワイニング>:DD-540(駆逐艦)を参照。

<トワイライト・ウォー>:ファニー・ウォーを参照。

<とわだ>:AOE-422(補給艦)を参照。

とわだ型補給艦>:海上自衛隊補給艦。護衛隊群に随伴し、1000海里進出しての作戦を支えるのが主任務で、国際情勢などにより想定される戦闘回数を基にオペレーションズ・リサーチを繰り返し、予算枠や世論などを勘案して要求より少し小さめに纏めた。ちなみに当時の大蔵省主査は東大数学科首席卒業で、説明に難渋したらしい。さがみ型の拡大改良型で、燃料補給状況判読装置や補給品艦内移送装置を装備して自動化を進め、補給スピードが上がっており、弾薬、貨物、糧食といったドライカーゴはパレット方式としてフォークトロリー(レール上を走るフォークリフト)で移動させるようにした。船型は乾舷の高い遮浪甲板型で、艦首にブルワーク、船体後ろ寄りに上構、その後ろに煙突を持つ。ドライカーゴ移送甲板は船体内とし、ウエルデッキは採用しなかった。前方甲板に3基の門型補給ポストがあり、前部(右舷が1番ステーション、左舷が2番ステーション)が艦艇燃料(軽油)用、中央(3・4番ステーション。デッキクレーン付)がドライカーゴ用、後部(5・6番ステーション)が艦艇燃料・航空機燃料・真水用。燃料移送能力は片舷あたり毎分11キロリットルである。弾薬コンテナはワイヤー固定ではなくダネージ方式(柱状ピラーとラックに填め込む)を採用し、ワイヤー固定スペースを省いて収容量を増した。環境保護のためバラストタンクは貨油タンクと別個の専用タンクを設置している。後部甲板はヘリ発着甲板(MH-53の発着が可能)で、格納庫は無い。船体内最前部に弾薬庫、前部に倉庫、中央やや後ろ寄りに冷凍庫・冷蔵庫があり、後部は機械室となっている。ベッド8床やX線撮像装置などの医療設備を持つ。外洋でのヘリ運用に備えて水線下にフィン・スタビライザーを装備し、水中放射雑音低減措置も施している。2番艦以降は科員居住区のベッドをそれまでの3段から2段にしたため、排水量が増えた。全長167m、全幅22m、深さ15.9m、吃水8.1m(2・3番艦は8.2m)、基準排水量8100トン(2・3番艦は8150トン)、満載排水量12100トン(2・3番艦は12150トン)、補給物資搭載量5700トン。主機は三井造船製16V42M-Aディーゼル2基、出力26000馬力、固定ピッチプロペラ2軸推進、最大速力22ノット。乗員140名。後にチャフ発射機を装備した。兵装は無いが、40mm機関砲、CIWSを積もうと思えば搭載可能である。1番艦AOE-422とわだ、2番艦AOE-423ときわ、3番艦AOE-424はまなの3隻が1987-90年に就役した。2011年度と2013年度の予算で艦齢延長工事(10年)を行う。後継として14500トン型補給艦を建造予定。参考:海上自衛隊全艦艇史、自衛隊装備年鑑1996、月刊軍事研究2,025,02増刊、8,18、月刊JWings1,99、月刊世界の艦船11,'17増刊、1,047,141,161,951,144,981,021,111,131,181,191,'2211,'23、ペルシャ湾の軍艦旗、MAMOR vol.126

<トワルディ>:PT-91(戦車)を参照。

トワロン>:テイジンの開発したアラミド繊維で、イギリスの防弾衣メーカーに輸出されている。参考:月刊軍事研究12,04

<ドン>:オルリョーツ-1(偵察衛星)または第1親衛戦車軍団を参照。

ドン>:イギリス空軍連絡機。当初は背部銃塔を持つ練習機としてデハビランド社が開発したが、銃塔を外して連絡機とされ、30機が使用された。全長11.38m、全幅14.48m、全備重量2.96トン。エンジンはデハビランド社製ジプシーキング1(525馬力)単発で、最大速度304km、実用上昇限度6550m、航続距離1430km。乗員3名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

ドン2N>:ロシアのA-135システムの戦闘管理用レーダーで、別名5N20NATOコードはピル・ボックス、西側通称プシキノ・レーダー。四角錐の頂部を切り取ったような形状で、底辺130m、高さ33m。4面に直径18mのアクティブ・フェイズド・アレイ・アンテナ(四角形の発信用及び円形の受信用)があり、全周監視が可能である。使用周波数はセンチメートル級のパルス波で、最大出力250MW、宇宙空間にある50mm大の目標(RCS0.0019平方メートル)を1500-2000km先から探知できるという。信号処理はデジタル式、使用コンピュータはエルブラス2型(演算速度毎秒100万回)。迎撃ミサイルの誘導能力も持つらしい。モスクワ郊外のソフリノに配備された。参考:月刊軍事研究11,002,'167,123,15

<ドン・O・ウッズ>:APD-118(高速輸送艦)またはDE-721(護衛駆逐艦)を参照。

トンガ海底火山噴火>:20221151310頃(日本時間)、トンガ王国の首都ヌクアロファの北76kmにある海底火山フンガトンガ・フンガハアパイが過去100年で最大の大噴火を起こし、トンガ王国が大量の火山灰と高さ15mの津波で国民の84%が損害を受け海底通信ケーブルも切断される壊滅的な被害を受け、8000km先の日本も空振による津波に襲われた。117日、オーストラリア軍P-8A哨戒機とニュージーランド軍P-3K2哨戒機が現地の被害状況を確認。オーストラリア海軍強襲揚陸艦L01アデレードがシドニーを出港。ニュージーランド海軍は哨戒艦P55ウェリントン多目的艦L421カンタベリー補給艦A11アオテアロアを派遣し、イギリスは太平洋に常駐中の哨戒艦P234スペイを救援に向かわせ、中国はY-20輸送機2機、揚陸艦987五指山補給艦967査干湖を派遣し、フランスは太平洋フランス領駐屯部隊がファルコン200ガーディアン哨戒機で被害状況確認にあたり、巡視船アラゴとラ・グロリユーズを派遣した。120日、岸防衛大臣が自衛隊にトンガ王国における国際緊急援助活動を下命。オーストラリアに現地調整所を設置し、トンガ王国国際緊急援助空輸隊として第1輸送航空隊C-130H輸送機2機が飲料水を載せ小牧基地を離陸した。山崎統幕長がオーストラリア国防軍司令官と電話会談し、トンガに派遣される国際緊急援助隊への支援を要請した。強襲揚陸艦L01アデレードがブリスベーンでオーストラリア陸軍人員、援助物資、CH-47Fヘリ、LCM、水陸両用車などを搭載した。121日、空自C-130H輸送機1機がオーストラリアのアンバーレイ空軍基地に着陸。強襲揚陸艦L01アデレードがブリスベーンを出港。122日、C-2輸送機1機が火山灰撤去器具などを載せ美保基地を離陸。空自C-130H輸送機1機がトンガのファアモツ国際空港に着陸し、支援物資を引き渡した。空自C-130H輸送機1機がオーストラリアのアンバーレイ空軍基地に着陸。123日、第3輸送航空隊C-2輸送機1機が火山灰撤去器具などを載せ美保基地を離陸。アメリカ海軍DDG-102サンプソンHSM-49所属MH-60Rヘリで物資を輸送。124日、トンガ王国国際緊急援助活動統合任務部隊(指揮官は第1輸送隊司令)のLST-4001おおすみが陸自CH-47JA輸送ヘリ2機(ローターは外して艦内に収容、機体は防水カバーでパッキングして飛行甲板に繋止)、高圧洗浄機60台、リヤカー50台、一輪車200台、飲料水10トン、ポリタンク2000個、スコップ、派遣ついでに輸送船舶配備に向けた実艦実習を行う陸自隊員などを乗せ呉を出港。C-2輸送機1機がオーストラリアのアンバーレイ空軍基地に着陸し、飲用水2トン、高圧洗浄機20台、防塵マスク、手袋、ゴーグルなどを降ろして美保基地に戻った。125日、山崎統幕長がニュージーランド国防軍司令官と電話会談し、被災地救援について意見交換した。ニューカレドニア駐留フランス軍C-235輸送機が支援物資を輸送。126日、強襲揚陸艦L01アデレードがトンガの首都ヌクアロフに入港。128日、C-2輸送機1機が追加要員を乗せて美保基地からオーストラリアのアンバーレー空軍基地に到着。ニューカレドニア駐留フランス軍C-235輸送機が支援物資を輸送。129日、空自C-130H輸送機が飲用水2トンや食料品4トンをトンガに空輸。27日、山崎統幕長がトンガ国軍参謀総長と電話会談し、お見舞いの言葉を伝え、自衛隊部隊の活動について意見交換を行った。LST-4001おおすみがトンガ沖に到着。29日、LST-4001おおすみがヌクアロファに入港。211-12日、LST-4001おおすみがトンガ政府水タンク車に給水支援を実施。213日、LST-4001おおすみがヌクアロファを出港。214-16日、LST-4001おおすみがトンガのエウア島、ハアパイ諸島リフカ島、ババウ島にCH-47JAヘリで飲料水を輸送。217日、岸防衛大臣が活動終結命令を発出。LST-4001おおすみが支援活動を終えて呉に向かった。国内待機していた第1輸送航空隊C-130H輸送機2機と第3輸送航空隊C-2輸送機2機も待機を終了している。35日、LST-4001おおすみが呉に帰港した。参考:月刊JWings4,22、月刊世界の艦船4,225,22、朝雲

トンカチ>:有鶏頭散弾銃(撃鉄が露出しているタイプ)の日本通称。参考:GUN用語事典

<ドンガメ>:八七式重爆撃機を参照。

ドンガメ>:日本海軍用語で、潜水艦や潜水艦乗員の通称。元々はスッポンの別名(胴亀)で、明治38年の日露戦争凱旋観艦式に参加したホランド型の様子が似ていたかららしい。参考:月刊世界の艦船9,12増刊、9,'15、帝国陸海軍事典

トン級沿岸掃海艇>:イギリス海軍沿岸掃海艇Ton級。船体は木製で、上甲板後部に掃海装置を搭載する。全長46.3m、幅8.5m、吃水2.5m、基準排水量360トン。主機はディーゼルで、出力2500馬力、速力15ノット。兵装は40mm機関砲1門。1950年代にM1103アルフリストン、M1109ビッキントン、M1124クライトン、M1125カクストン、M1141グラサートン、M1146ホッジストン、M1158レイルストン、M1167レプトン、M1173ポリントン、M1180シェーヴィントン、M1187アップトン、M1195ウォットン、M1200ソバートン、M1204スタビントン、M1208ルイストン、M1216クロフトンなど120隻弱が建造された。後に半数が機雷掃討艇への改装を受けている。参考:月刊世界の艦船5,83

トン級機雷掃討艇>:イギリス海軍機雷掃討艇Ton級。トン級沿岸掃海艇にASDIC193ソナーを搭載するなどして掃討対応に改装したものである。全長46.3m、幅8.5m、吃水2.5m、基準排水量360トン。主機はディーゼルで、出力3000馬力、速力15ノット。兵装は40mm機関砲1門で、機雷処分具一式を搭載する。M1110ビルデストン、M1113ブレレトン、M1114ブリントン、M1115ブロニントン、M1133ボシングトン、M1140ガヴィントン、M1147ハバーストン、M1151イヴェストン、M1153ケドレストン、M1154ケリングトン、M1157カークリストン、M1165マクストン、M1166ナートン、M1181シェラトンが1964年から改装された。参考:月刊世界の艦船5,83

トン級哨戒艇>:イギリス海軍哨戒艇Ton級。トン級沿岸掃海艇を改造したものである。全長46.3m、幅8.5m、吃水2.5m、基準排水量360トン。主機はディーゼルで、出力3000馬力、速力15ノット。兵装は40mm機関砲2門。P1007ビーチャンプトン、P1055モンクトン、P1089ワスパートン、P1093ウォルヴァートン、P1096ヤーントンが改造を受けた。参考:月刊世界の艦船5,83

トンキン湾事件>:196482日、トンキン湾で電子情報収集任務に従事していたアメリカ海軍DD-731マドックスが北ベトナム軍魚雷艇により攻撃された事件。196421日、アメリカ海軍が北ベトナム沿岸でDESOTO作戦(駆逐艦による偵察作戦)を開始。82日、DESOTO作戦中の駆逐艦マドックスが昼前から北ベトナム海軍P-4級魚雷艇3隻による追跡を受け始めた。1400を過ぎると魚雷艇がマドックスの視界内に入るようになったため、1508からマドックスが5インチ砲で警告射撃を開始したが、魚雷艇はこれを無視して接近、マドックスは照準射撃に切り替えた。これに対して魚雷艇は雷撃を行い、12.7mm機銃を乱射。マドックスに機銃弾1発が命中し、魚雷艇2隻に5インチ砲弾が不確実命中した。マドックスの救援要請を受け、トンキン湾に展開していたCV-14タイコンデロガが1415から訓練中だったVF-53F-8E戦闘機4機に対し、1500に現場に急行するよう命令。マドックスは隠密行動中でレーダーもUDFも作動させておらず、タカンも装備していなかったため、F-8Eは推測航法とレーダー捜索によりマドックスを探し、北に30海里ほど飛んだところで南に逃げるマドックスと北に帰投する魚雷艇を発見した。F-8Eが搭載していたのはズーニーの訓練弾と20mm機関砲の訓練弾で、第1航過でズーニーを発射、第2・第3航過で機関砲弾を撃ち込み、魚雷艇1隻を撃沈、2隻を大破させた。F-8E1529に帰投を開始した。83日、DESOTO作戦が再開され、駆逐艦ターナー・ジョイとCV-14タイコンデロガ艦上機の援護を加えた。842300、北ベトナム海軍の魚雷艇5隻が駆逐艦に攻撃を仕掛けたが、逆襲されて2隻を失い、850100までに戦闘は終結した。この際、CV-14タイコンデロガ艦上機と、香港から急派されたCV-64コンステレーション艦上機も駆け付けたが、夜間悪天候のため救援に失敗した。850449、アメリカ軍はピアース・アロー作戦を実施。アメリカ議会は反対2のみという圧倒的多数でトンキン湾決議を採択し、大統領の権限でベトナムへの直接軍事介入を行えるようになった。以降、アメリカはベトナム戦争の泥沼に足を踏み込んでいく。参考:世界の傑作機No.1、月刊丸12,92

<トンコアン>:560(フリゲート)を参照。

トン数>:艦船の大きさを表す単位。語源は、フランスでタンという名称の1バレル159リットル入りワイン樽をいくつ積めるかによって船の大きさを測った(6個で1トンと数える)という説と、15世紀初めのイギリスで商船に税金を掛ける際、容積40立方フィート(1.13立方メートル)・満載重量2240ポンド(1016kg)の酒樽をいくつ積めるかで計算していたが、この酒樽が空の時に叩いた音からきているという説がある。これらに由来する容積のトンに基づいて船内体積を表す総トン数、純トン数、責任トン数、パナマ運河トン数、スエズ運河トン数、載荷容積トン数と、一般に使う重さの単位のトンに基づいて重量を表す排水トン数があるのでややこしい。参考:月刊世界の艦船8,11増刊、図解船の科学、図解雑学 船のしくみ、艦船メカニズム図鑑、続海軍よもやま物語

トン数戦争>:ドイツ海軍潜水艦隊司令長官デーニッツが編み出したUボート戦略。連合軍側が建造する商船トン数よりもUボートが撃沈する商船トン数の方を多くすることにより、海上交通を遮断し、第二次大戦に勝利するというものである。参考:ナチスUボート

<トンダル>:鷹撃2型・海外シリーズ(対艦ミサイル)を参照。

トンダル69>:イランの短距離弾道ミサイル。中国のM-71989年から輸入したものである。発射重量2.65トン、弾頭重量0.25トン。最大射程150km。参考:月刊軍事研究11,11

<トンツー226>:東測226(測量艦)を参照。

<トンティアオ232>:東調232(情報収集艦)を参照。

<トンティアオ232級>:東調232級(情報収集艦)を参照。

屯田兵>:北海道警備兼開拓部隊で、明治710月の屯田兵例則により規定され、明治810月に屯田兵第1大隊第1中隊198戸が北海道の琴似に入植した。入植地での住居や家具、農具、種子に加え、そこまでの移動に必要な支度料、旅費日当、駄賃(家財運搬費用)が支給され、生活が整うまでの3年間は扶助期間として扶助米(玄米)と塩菜料が支払われる。明治12年、扶助期間が5年に延長された。明治1855日、屯田兵例則を廃止して屯田兵条例を制定。1016日、屯田兵本部概則を制定。明治32年、最後の屯田兵を徴募。屯田兵本部概則を廃止して屯田兵給与令を制定。明治37年、屯田兵条例が廃止され、屯田兵制度は終結した。参考:写真で見る日本陸軍兵営の食事

トンドー級>:イラン海軍哨戒艇Thondor級。中国のホウドン(Houdong)級を導入したものである。全長38.6m、幅6.8m、吃水2.7m、基準排水量205トン。速力35ノット。兵装はC-802艦対艦ミサイル連装発射筒2基、30mm連装機関砲AK230が2基。10隻が就役した。参考:JShips Vol.24THE MILITARY BALANCE 2016

ドントルキャストー>:フランス海軍哨戒艦。2022825-26日、ニューカレドニア周辺で日仏共同訓練オグリ・ヴェルニー22-5に参加し、ファルコン200哨戒機などとと共に、DD-104きりさめと、各種戦術訓練(防空戦等)を行った。参考:月刊世界の艦船11,22

<ドンナー>:LSD-20(ドック型揚陸艦)を参照。

<ドンナーカイル作戦>:ケルベロス作戦を参照。

<トンネール>:L-9014(強襲揚陸艦)を参照。

<ドンネル>:DE-56(護衛駆逐艦)を参照。

<トンパジス>:D-215(駆逐艦)を参照。

ドンバス解放作戦>:第2次大戦中の1943813日、ハリコフ・オリョール解放作戦に合わせて発動された作戦で、ハリコフ戦線の南に位置していたソ連南西方面軍が同日からドネツ河の強行渡河を開始した。818日からはソ連南部方面軍が5000門の火砲による攻撃準備射撃を皮切りにドイツ第6軍を攻撃、96日までにドニエプル川前面まで進出した。南西方面軍は92日からドイツ第1装甲軍に攻撃を開始、30日までにドンバス地域の主要地を占領した。参考:激闘東部戦線(2)

トンバック>:海軍兵学校の食事で、エイと冬瓜の煮付けのこと。ブタが後ずさりするほど不味いということで命名された。参考:海軍兵学校よもやま物語

<ドンファン31>:東風31(弾道ミサイル)を参照。

<トンファンホン2>:東方紅2(海洋調査船)を参照。

<トンプソン>:DD-627(駆逐艦)を参照。

<トンプソン短機関銃>:M1シリーズ(短機関銃)を参照。

<ドンブリ>:ドーン・ブリッツ(演習)を参照。

トンブリ>:タイ海軍巡洋艦(海防艦?)Thonguri。川崎造船所が建造して輸出した。基準排水量2265トン。主砲は三年式20センチ連装砲塔2基(前後甲板1基ずつ)。1938年竣工。1941116日、コーチャン島沖海戦でフランス極東艦隊の軽巡ラモット・ピケなど5隻と交戦してこれを撃退したが、本艦も横転擱座し、後にサルベージされた。タイ海軍兵学校に艦橋と主砲塔が展示されている。参考:月刊丸2,08、月刊世界の艦船12,15

<ドンヘ>:751(コルベット)または822(フリゲート)を参照。

<ドンヘ級>:東海級(コルベット)を参照。

トンボ>:日本陸軍用語で、航空兵の通称。参考:帝国陸海軍事典

トンボ釣り>:日本海軍用語で、空母着艦事故で不時着水した搭乗員の救出任務またはその任務用の支援艦艇のこと。参考:日本航空母艦史、月刊世界の艦船10,18

<ドンメル>:P6156(哨戒艇)を参照。

<トンヨン級>:統営級(救難艦)を参照。

<呑龍>:一〇〇式重爆撃機シリーズを参照。

<トンリン>:542(フリゲート)を参照。

 

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