<ラ>:日本海軍士官のスラングで、摩羅の略。参考:帝国陸海軍事典
<ラK車>:一式装軌装甲兵車を参照。
<ラーウィック>:イギリス空軍哨戒飛行艇Lerwick。イギリスのサンダース・ロウ社が開発し、1938年に原型機が完成したが、問題点が多く、1940年末に漸く配備されたが事故が多発、1942年5月に早々と退役した。全長19.39m、全幅24.64m、全備重量12930kg。エンジンはブリストル・ハーキュリーズ2(1375馬力)双発、巡航速度268km、最大速度349km、実用上昇限度4270m。防御兵装は7.7mm機銃7丁。爆弾900kgを搭載できる。乗員6名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇
<ラーク>:AMS-23(掃海艇)またはU11(スループ)を参照。
<ラーク>:アメリカ海軍の艦対空ミサイル。ラーク計画で開発されたもので、誘導は中間無線コマンドリンク、終末レーダー。速度マッハ0.85、射程55km。1950年、試験艦AV-11ノートンサウンドから発射されて目標を撃墜したが、亜音速では実戦には役に立たないとされ、放棄された。参考:月刊軍事研究5,’03、月刊世界の艦船3,’05
<ラーク計画>:アメリカ海軍が1944年に立ち上げた艦対空ミサイル開発プロジェクトLark。1945年1月に基本構想が固まり、1946年6月にフェアチャイルドのKAQ1、コンベアのKAY1の飛行試験を開始。1950年にはラークミサイルとして目標機を撃墜したが、亜音速では実戦には役に立たないとされ、バンブルビー計画に軸足が移された。参考:月刊軍事研究5,’03、月刊世界の艦船3,’05
<ラーグス>:イギリス海軍特設揚陸指揮艦Largs。元は民間商船のチャールズ・プルミエ(Charles Plumier)で、1940年に大型臨検船に改造されたものを1942年に揚陸指揮艦に再改造したものである。指揮通信設備を装備した他、揚陸部隊110名・LCP(L)4隻を搭載できる。全長114.5m、排水量5850トン。速力17ノット。兵装は12ポンド高角砲1門など。参考:第2次大戦のイギリス軍艦
<ラークスパー>:K82(フラワー級コルベット)またはPG-69(テンプトレス級コルベット)を参照。
<ラーグス・ベイ>:L-3006(ドック型揚陸艦)を参照。
<ラーザリ・カガノヴィッチ>:カガノヴィッチ(巡洋艦)を参照。
<ラージャ>:D10(護衛空母)を参照。
<ラーストチカ>:MiG-29シリーズ(戦闘機)を参照。
<ラーセン45m級(UAE海軍)>:ムバラーズ級(ミサイル艇)を参照。
<ラーセン45m級(アルゼンチン海軍)>:イントレピーダ級(魚雷艇)を参照。
<ラーセン45m級(マレーシア海軍)>:ジェロング級(哨戒艇)を参照。
<ラーセン57m級(ナイジェリア海軍)>:エクペ級(ミサイル艇)を参照。
<ラーセン62m級(UAE海軍)>:ムライ・ジブ級(コルベット)を参照。
<ラーセンTNC−45級(UAE海軍)>:バン・ヤス級(ミサイル艇)を参照。
<ラーテ>:ドイツの計画陸上戦艦で、軍需省Uボート開発担当だった技師が提案した。主砲はシャルンホルスト級戦艦と同じ28cm連装砲で、副砲は12.8cm砲1門、対空用として20mmFlak38を8門と15mmMG151を2門装備する。最大装甲厚360mm。全長35m、全幅14m、全高11m、重量1000トン。エンジンはMAN社製V17Z32/44ディーゼル(8500馬力)2基またはダイムラーベンツMB501ディーゼル(2000馬力)8基で、最大速度40km。ヒトラーが関心を示して一応開発されたが、当然ながら計画のみで終わった。参考:月刊丸7,’09別冊
<ラーデ・コンチャル級>:モンテネグロ海軍ミサイル艇Rade Končar級。兵装はP-15(SS-N-2B)艦対艦ミサイル単装発射筒2基など。2015年現在、艦対艦ミサイルは装填せずに運用されている。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<ラーデ・コンチャル級>:ユーゴスラビア海軍ミサイル艇。兵装はP15U艦対艦ミサイル2基。参考:ミリタリー・バランス1989-1990
<ラーデン砲>:L21A1を参照。
<ラアド>:9M14海外シリーズ(対戦車ミサイル)または海鷹4型海外シリーズ(対艦ミサイル)を参照。
<ラード巡航ミサイル>:イランの地対艦巡航ミサイルで、HY-2ミサイルをベースに製作された。TELに搭載可能で、ペルシャ湾沿いの沿岸ミサイル陣地に配備しているとみられる。中間誘導は慣性式、終末はアクティブレーダー(と赤外線)。全長7.36m、直径0.76m、発射重量3トン、弾頭重量0.45-0.5トン。推進はターボジェットと固体燃料ロケットブースターで、射程150km(400km?)。参考:月刊軍事研究11,’11、軍用機ウェポン・ハンドブック、月刊軍事研究4,’07
<ラード巡航ミサイル>:パキスタン軍が開発している空中発射型巡航ミサイルRA’AD、別名ハトフ8。全長4.85m。核弾頭の搭載も可能。射程350km。2007年8月25日、ミラージュVROSE-1から初試射に成功。2008年5月、ミラージュVROSE-1から2回目の試射を実施。2011年4月、ミラージュVROSE-1から3回目の試射を実施。2013年5月、ミラージュVROSE-1から4回目の試射を実施。2015年2月2日、5回目の試射に成功した。参考:月刊軍事研究7,’15、10,’17、3,’19
<ラード地対空ミサイルシステム>:イラン防空軍/革命防衛隊の地対空ミサイルシステムRaad。参考:月刊航空ファン9,’19
<ラード1>:2012年9月21日のテヘラン軍事パレードで公開された。ホルダード1(Khordad 1。ホルダードはイラン歴の月名)6輪TELに4連装ミサイル発射機を搭載している。ミサイルは9K37ブークの国産化型タエル1(Taer 1)で、射程50km、射高25-27km。イラン革命防衛隊はロシアのブークSAMシステムよりも高性能と称している。射撃管制レーダーを装備した車両が別に存在するらしい。参考:月刊航空ファン9,’19、月刊軍事研究5,’13
<ラード2>:ホルダード2(Khordad
2)TELにタエル2(Taer 2)地対空ミサイルを搭載したもの。参考:月刊航空ファン9,’19
<ラード3>:ホルダード3(Khordad
3)TELにサヤド2(Sayy-ad 2)/2C地対空ミサイルを搭載したもの。参考:月刊航空ファン9,’19
<ラード1>:サンダー1(自走榴弾砲)を参照。
<ラード1>:ヒズボラがイスラエルによる南レバノン侵攻時にハイファに撃ち込んだロケット弾。直径333mm、弾頭重量100kg。参考:月刊軍事研究10,’06
<ラード2>:サンダー2(自走榴弾砲)を参照。
<ラアドT>:9M14海外シリーズ(対戦車ミサイル)を参照。
<ラアド改>:9M14海外シリーズ(対戦車ミサイル)を参照。
<ラード・アル・シャマル演習>:中東地域で2016年2月14日に実施された多国籍演習Raad al-Shamal。サウジアラビアなど20カ国が参加した中東最大規模の演習と銘打っているが、実際には2000名くらいの規模らしい。参考:月刊軍事研究7,’16
<ラードゥガ・シリーズ>:ロシアの通信衛星。参考:月刊軍事研究5,’13
<ラードゥガ−1>:静止軌道にあり、地球規模での秘匿通信に使用する。2008年に1基が打ち上げられた。参考:月刊軍事研究5,’13
<ラードゥガ−1M>:ロシアの通信衛星で、ラードゥガ−1の改良型。Kaバンド、Lバンド、Xバンドに対応する。寿命10-12年。2007年に1基、2010年に1基が打ち上げられた。参考:月刊軍事研究5,’13
<ラードナー>:DD-487(駆逐艦)を参照。
<ラー・ナワード>:パキスタン海軍帆装練習艦Rah Naward。2021年2月11-16日、アマン21に参加。参考:月刊世界の艦船5,’21
<ラーニ>:D03(護衛空母)を参照。
<ラープ>:長距離強行偵察の略。
<ラーブルー>:ファントム・レイ(無人機)を参照。
<ラーマト級>:マレーシア海軍フリゲート。兵装は114mm砲1門、3連装爆雷投射器1基。ヘリ甲板を持つ。参考:ミリタリー・バランス1989-1990
<ラーム>:F-15I(戦闘機)を参照。
<ラ・アルヘンチナ>:D11(駆逐艦)を参照。
<ラ・アルヘンティーナ>:アルゼンチン海軍ラ・アルヘンティーナ級巡洋艦La Argentina。1939年竣工。1974年に解体された。参考:近代巡洋艦史
<ラ・アルヘンティーナ級>:アルゼンチン海軍巡洋艦La Argentina級。設計と建造はイギリスで、アリシューザ級(2代目)を一回り大きくして兵装を強化、練習艦任務もこなせるように船首楼を延長して居住区を増設し、艦橋を大型化した。全長164.9m、幅17.2m、吃水5.0m、基準排水量6500トン。主機は蒸気タービン、出力54000馬力、4軸推進、速力30ノット。兵装は15.2cm3連装砲3基、10.2cm単装高角砲4門、2ポンド砲8門、533mm3連装旋回式魚雷発射管2基(カタパルト下部船首楼内両舷)。航空機2機を搭載できる。乗員は556名で、候補生60名の乗艦が可能。ラ・アルヘンティーナが1939年に竣工した。参考:近代巡洋艦史
<ラーレイ>:CL-7(軽巡洋艦)を参照。
<ラーンス>:オーストラリア海軍掃海艇。1944年2月12日、オーストラリア海軍掃海艇イプスウィッチ、インド海軍砲艦ジャムナと共同で呂110を撃沈した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌
<ライアット・ガン>:暴徒鎮圧用のショットガンのこと。軍では民間用のショットガンをそのまま使用したものや、塹壕戦での取り回しが良いように銃身を切り詰めたものを指す。参考:GUN用語事典、米英軍戦闘兵器カタログVol.1
<ライアン・エアロノーティカル社>:アメリカの航空機会社。T・クロード・ライアンが1934年(1932年?)に設立した。1968年、テレダイン社に買収され、テレダイン・ライアン社となった。参考:月刊JWings11,’19、月刊軍事研究8,’15
<ライアン作戦>:レーガン大統領の就任を受けてソ連が1981年5月から行った、アメリカとNATOによる核先制攻撃に備えた情報収集作戦で、Raketno-Yademoye Napadenie(核ミサイル攻撃)の略。KGBとGRUが初めて合同で実施した、世界規模での情報収集活動である。アンドロポフKGB議長は第二次世界大戦以降最大に緊迫した情勢にあるとして全海外駐在局に情報収集を命じ、1983年のNATOによるエイブル・アーチャー83演習時には演習と見せかけて先制攻撃を受けるのではとまで危惧していたが、実際には西側にソ連に対する核先制攻撃の意図は無く、そういった情報を掴むこと無く1984年に終了した。1974年にイギリスの二重スパイとなったKGB将校オレグ・ゴーディエフスキーがこの作戦の内容を1982年6月以降イギリスに提供、1983年2月には核シェルターの動向から輸血用血液の備蓄増加に至るまで報告するよう求める指示文書をイギリスに渡した。イギリスはこれに基づいてソ連が西側による核攻撃に過度の恐怖を抱いていると正確に分析、その後の対ソ戦略に活かしたが、この情報を提供されたアメリカCIAでは重要性に関して賛否両論が巻き起こった末に多数決で重要性が否定されてしまい、活用することができなかった。参考:月刊軍事研究3,’12
<ライオライト>:アクアケイドともいう。アメリカ軍の通信傍受(SIGINT)衛星で、1965年に開発された。核実験、戦略兵器実験などを探知できる遠隔探知測定機能を持つ。参考:月刊軍事研究12,’09
<ライオン>:クフィール海外シリーズ(戦闘機)を参照。
<ライオン>:イギリス海軍マイノトー級軽巡洋艦Lion。1941年にディフェンス(Defence)という艦名で起工されたが、進水後の1946年に工事が中断され、設計変更を受けて工事を再開し、1957年に艦名をライオンに変更、1960年に竣工した。1975年に解体された。参考:近代巡洋艦史
<ライオン>:イギリス海軍ライオン級巡洋戦艦Lion。1912年6月4日竣工。1915年1月24日、ドッガーバンク海戦で大破し、全電源を喪失、主機が停止した。1916年5月31日、巡洋戦艦部隊旗艦(ビーティ中将座乗)としてジュットランド海戦に参加。被弾中破して火災が発生、弾薬庫が誘爆しかけた。1923年に除籍され、1924年1月に売却されて解体された。参考:月刊世界の艦船1,’12、6,’16、4,’17、近代戦艦史、歴史群像6,’16
<ライオン>:イタリア戦後初の自作戦車。とは言っても車体はほぼレオパルト1で、主砲はイギリスのL7であり、一応輸出用にしたもののドイツとイギリスの許可が無いと売れないという代物になってしまった。参考:月刊PANZER9,’02
<ライオン級巡洋戦艦>:イギリス海軍超弩級巡洋戦艦Lion級。オライオン級戦艦に対応する巡洋戦艦で、主に高速発揮用の機関重量がかさんで排水量が同時計画の戦艦よりも大きくなったため、巡洋戦艦という名前が初めて付けられた。ドイツ戦艦の予想速力が23ノットだったため、4ノット上回る27ノットを発揮できるようにしてある。船体は長船首楼型。主砲は全て艦の中心線上に配置(1-2番は背負い式)したが、3番砲塔を機械室の後ろに置くと推進軸の上に弾火薬庫を置かねばならず被弾の危険が増すことから、第2・第3煙突の間に置いたため、射界が左右舷側方向各120度に制限された。3番艦は建艦計画が1-2番艦の1年後だったため、速力を0.5ノット向上させ、10.2cm砲の配置を改良、装甲を強化し、居住性を改善、スターン・ウォークを設置した。全長213.4m(クイーン・メリーは214.4m)、水線長205.74m、幅27m(クイーン・メリーは27.1m)、吃水8.4m(クイーン・メリーは8.5m)、常備排水量26270トン(クイーン・メリーは26770トン)、うち機関重量5340トン。主機はパーソンズ高低圧並列複式直結蒸気タービン4基、主缶はヤーロー式混焼水管缶(16.5気圧、飽和温度)42基、4軸推進、出力70000馬力(クイーン・メリーは75000馬力)、速力27ノット(クイーン・メリーは27.5ノット)、航続距離は10ノットで5610海里。兵装は45口径34.3cm連装砲塔MkU(ライオン、プリンセス・ロイヤル)/MkU*(クイーン・メリー)4基、50口径10.2cm単装砲16門、47mm単装砲4門、533mm水中魚雷発射管2門。装甲厚は水線部229mm、甲板64mm、バーベット229mm、砲塔前楯229mm、司令塔254mm。乗員997名。1912-1913年にライオン、プリンセス・ロイヤル、クイーン・メリーの3隻が就役した。参考:近代戦艦史、戦艦入門、月刊丸11,’09、3,’14、月刊世界の艦船1,’12、7,’11
<ライオン級計画戦艦>:イギリス海軍計画戦艦Lion級。1937年4月、日本が第2次ロンドン条約に調印しないことが明らかになり、エスカレーター条項が発動して強力な戦艦を作れる見込みになったため、ビスマルク級に対抗できる戦艦を作ることにした。まず16インチ砲9門・排水量35000トンの案を纏め、次いで16インチ砲8門・排水量36150トンにしたが、1938年に18インチ砲搭載大和型戦艦の情報が入ったため、16インチ砲12門・排水量48000トンに拡大する案などを検討している。ただ1938年3月にエスカレーター条項の排水量上限を45000トンにすると決まり、造船所の能力を考慮すると40000トンくらいが現実的とい後部ことで、1938年6月に16F-38案の設計を開始、12月15日に海軍が承認し、若干大型化した1938年案を策定して建造に入った。6隻を建造予定で、1938・39年に2隻ずつの予算が付き、1939年7月に1番艦ライオン、同年6月に2番艦テメレーアが起工されたが、第2大戦勃発で1939年9月に工事を1年間停止することが決まり、結局1941年に工事を中止、1942年にはイギリス海軍が船台を空けるよう下命し、発注済みの3番艦コンカラーと発注先決定済みの4番艦サンダラーは未起工のままで、5-6番艦は1940年の予算が付かず、1943年4月に正式に計画が取り消された。建造中止後に主機がヴァンガード用として転用されている。参考:月刊世界の艦船6,'20、1,’12、4,’17、近代戦艦史
<16F−38案>:水線長234.7m、水線幅32m、基準排水量39500トン。満載排水量45200トン。機関出力120000馬力、最大速力28.25ノット。主砲は16インチ3連装砲塔3基。装甲厚は舷側317mm、水平149mm。参考:月刊世界の艦船6,'20
<1938年案>:主砲塔はネルソン級用の改良型で、新型大重量徹甲弾(弾丸重量1.078トン)に対応している。機関区画は缶機缶機のシフト配置で、キング・ジョージX世級と同じ主機・主缶を使用した。全長241.7m、水線長237.7m、最大幅32.9m、水線幅32m、基準排水量40500トン、満載排水量46400トン。機関出力120000馬力、速力28.25ノット、燃料搭載量3720トン、航続距離14000海里(10ノット)。兵装は45口径16インチ3連装砲塔MkU3基(艦前部背負い式、艦後部1基)、50口径5.25インチ速射砲MkTの連装砲塔MkT8基、2ポンドポンポン砲Mk[の8連装砲塔MkYA6基。装甲厚は舷側374mm、水平149mm(弾庫)/124mm(機関部)、主砲塔前楯374mm、主砲塔側面249mm(前部)/174mm(後部)、主砲塔天蓋149mm、副砲塔前楯37mm、副砲塔側面25mm、副砲塔天蓋25mm。水上偵察機4機を搭載できる。乗員1680名。参考:月刊世界の艦船6,'20
<ライオンフィッシュ>:SS-298(潜水艦)を参照。
<ライカ>:ハスキー級(原潜)を参照。
<雷火>:Z-10シリーズ(攻撃ヘリ)を参照。
<ライカミング>:APA-155(攻撃輸送艦)を参照。
<雷管>:プライマー。小火器弾薬の装薬(発射薬)や砲弾の信管を点火させるための装置で、内部に点火薬が仕込まれており、これの燃焼を装薬や信管に伝える。撃針の刺突で発火する刺突雷管、撃針などの打撃作用で発火する撃発雷管、電流で点火する電気雷管があり、撃針を使用するタイプはトリシネートを用いた爆粉と呼ばれる感度の高い爆薬を用いる。小火器弾薬には撃発雷管が、信管などには刺突・電流雷管を使う。構造からはベルダン・プライマーとボクサー・プライマーに分類される。昔は水銀を含む雷こうを使用しており、コロシブ・プライマー(発錆雷管)と呼ばれた。参考:火器弾薬技術ハンドブック、火薬のはなし、GUN用語事典、MAMOR vol.132
<らいげい>:SS-516(潜水艦)を参照。
<雷撃機>:航空魚雷による対水上艦攻撃を主任務とする軍用機のこと。日本海軍では艦上攻撃機/陸上攻撃機と呼んだ。航空魚雷と共に廃れた。ちなみに対潜魚雷や短魚雷を運用するのは対潜哨戒機などで、雷撃機とは呼ばない。参考:月刊JWings3,’15
<ライゲル>:アメリカ海軍の試作超音速戦略巡航ミサイルRigel。レギュラスと同時期に開発されたが、飛翔テストに失敗しまくり、1953年に開発中止となった。参考:アメリカ潜水艦史
<雷こう>:雷酸水銀・Hg(ONC)2のこと。硝酸水銀溶液をエチルアルコールに注ぐと形成される単斜晶系結晶。鋭敏で打撃により発火するため、パーカッション・ロックに使用された。参考:GUN用語事典
<雷虎特技小組>:サンダータイガース(アクロバットチーム)を参照。
<雷酸水銀>:雷こうを参照。
<ライサンダー・シリーズ>:イギリス空軍複座単葉偵察観測機Lysander。ウェストランド社が開発して1936年6月に初飛行し、ブリストル148に勝って1938年に制式採用され、8月に配備された。総生産数1372機。第2次大戦に参加し、ハインケル爆撃機を撃墜したことがある。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇、月刊JWings12,’04
<ライサンダーMk.T>:主翼はパラソル翼配置で、軽い前進角を持ち、コクピットの中央上部に取り付けてある。主翼の支柱は固定脚上部に繋がっている。固定脚はスパッツ付きで、外側に向かって小翼が飛び出しており、小型爆弾を搭載可能。フルスパンの前縁スラットと後縁フラップを持ち、サッカー場程度の広さがあれば着陸できる。全長9.3m、全幅15.25m、全高4.42m、全備重量2690kg。エンジンはブリストル社製マーキュリー12空冷星型9気筒ガソリン(890馬力)単発、最小速度100km、最大速度368km、実用上昇限度7920m、航続距離966km。固定武装は7.7mm機銃4丁。小型爆弾6-8発を搭載できる。乗員2名。参考:月刊JWings5,'21、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇、月刊丸3,’90
<ライサンダーMk.V>:特殊工作員投下・回収任務機で、機体下面が黒く塗られている。367機が生産された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇
<ライサンダーMk.VA>:MkVに武装を搭載したタイプ。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇
<ライシオ級>:フィンランド海軍掃海艇。全長33.13m、全幅5.58m、排水量130トン。速力15ノット。兵装はボフォース40mm機関砲1門、マドセン20mm機関砲1門。1957-59年に5隻が就役した。参考:月刊軍事研究9,’14
<雷神>:陸上自衛隊とアメリカ陸軍の共同実動演習で、正式には「平成○○年度米国における米陸軍との実動訓練」である。アメリカ側名称はライジング・サンダー。CALFEXとライジング・ウォーリアを2009年に統合したもので、ワシントン州ヤキマ演習場において、アメリカ陸軍部隊を含めた諸職種共同射撃訓練を実施する。前段は部隊別の実弾射撃訓練(機能別訓練)、後段は実弾射撃を交えた諸職種連合による統合訓練(総合訓練)を行う。参考:月刊軍事研究12,’14、月刊JWings12,’14
<雷神2010>:2010年9月7-24日に実施。第13旅団と第5対戦車ヘリコプター隊、中部方面航空隊が参加し、日程は機能別訓練(前段)4日、整備2日、機能別訓練(後段)4日、整備2日、総合訓練4日であった。実動演習は派米射撃訓練として陸上自衛隊のみで行い、CPXをアメリカ軍と共同で行っている。参考:朝雲
<雷神2012>:2012年9月4日から実施された。参加部隊は陸自が第2師団第3普通科連隊を基幹とし、他に第2特科連隊、第2戦車連隊、第1対戦車ヘリコプター隊などから隊員550名、90式戦車、AH-1S、UH-1J、99式自走155mm榴弾砲、120mm迫撃砲RT、UAV(近距離用)などで、アメリカ陸軍が第38騎兵連隊の400名。初のC4ISR訓練も行われ、基幹連隊指揮統制システムReCSや火力戦闘指揮統制システムFCCSを使用しての訓練を実施した。参考:朝雲
<雷神2013>:ライジング・サンダー2013。2013年9月4-24日に行われ、陸自から第4師団第16普通科連隊基幹の隊員500名、AH-64D、AH-1S、UH-1J、FFRS、74式戦車など、アメリカ陸軍から第3-2ストライカー旅団戦闘団第5歩兵大隊基幹の人員300名、AH-64E、ストライカーなどが参加した。参考:朝雲
<雷神2014>:2014年8月29日から9月28日まで実施された。参加部隊は陸自が第12旅団第13普通科連隊、第30普通科連隊、第12特科隊、第12ヘリコプター隊、第1師団第1戦車大隊、第1後方支援連隊第2整備大隊、第4対戦車ヘリコプター隊、第1機甲教育隊など350名、アメリカ陸軍が第2ストライカー旅団戦闘団第23歩兵連隊第4大隊基幹(アメリカ海兵隊ANGLICOやワシントン陸軍州兵第66戦域航空コマンドも参加)の300名。10式戦車、11式装軌式回収車、中距離多目的誘導弾が初参加している。参考:月刊軍事研究12,’14、月刊JWings12,’14
<雷神2015>:2015年9月8-25日に実施された。参加部隊は陸自が第10師団第33普通科連隊基幹(他に第10戦車大隊、第10特科連隊、第5対戦車ヘリコプター隊など)の300名、アメリカ陸軍が第7師団第2ストライカー旅団戦闘団第23歩兵連隊第4大隊基幹の350名。9月8-12日に機能別訓練(戦闘射撃、74式戦車・FH70最大射距離実射、共同ヘリボーン、指揮機関訓練)、9月14-18日に日米共同機能別訓練(指揮機関訓練、戦闘予行)、9月20-24日に総合訓練(日米共同陣地攻撃など)を行った。参考:朝雲、月刊軍事研究12,’15
<雷神2016>:2016年9月6-23日に実施された。陸自第8師団第12普通科連隊基幹(他に第8戦車大隊、第8偵察隊、第8特科連隊など)の300名とアメリカ陸軍第2師団第2旅団戦闘団基幹の230名が参加し、共同ヘリボーン訓練、10式戦車・87式偵察警戒車・FH70・79式対舟艇対戦車誘導弾・110mm個人携行対戦車弾の射撃訓練などを行っている。参考:月刊軍事研究12,’16
<雷神2017>:2017年9月5-22日に実施された。陸自第6師団第20普通科連隊基幹(他に第6戦車大隊74式戦車4両、第6特科連隊、第2対戦車ヘリコプター隊AH-1S対戦車ヘリ2機など)の320名とアメリカ陸軍第7師団第2ストライカー旅団戦闘団第1歩兵大隊基幹(他にハワイ州陸軍第25戦闘航空旅団第6騎兵大隊第2攻撃偵察中隊AH-64Dヘリ3機など)の230名が参加し、まずFH-70・87式対戦車誘導弾・120mm迫撃砲RT・110mm個人携行対戦車弾の射撃訓練や市街地などでの戦闘射撃訓練といった機能別訓練を行った。仕上げの総合訓練は9月17-19日で、アメリカ陸軍がスキャンイーグルUAVを投入するなどして敵情を把握、陸自とアメリカ陸軍がリアルタイムで情報を共有し、攻撃ヘリによる攻撃に続いて地上からの進攻をかけ、敵陣地を制圧した。参考:月刊軍事研究12,’17、月刊航空ファン1,’18、MAMOR vol.132、朝雲
<雷神2018>:2018年8月23日から9月22日に実施された。第1師団第1普通科連隊1個中隊基幹130名とアメリカ陸軍第2歩兵師団第2ストライカー旅団戦闘団第1-17歩兵大隊基幹230名が参加している。参考:朝雲
<雷神2019>:2019年8月22日から9月21日に実施された。第2師団第25普通科連隊1個中隊基幹120名とアメリカ陸軍第33歩兵旅団戦闘団第2歩兵大隊380名が参加し、89式小銃・MINIMI射撃、中距離多目的誘導弾による移動目標射撃、無人機を活用した市街地射撃といった訓練を行っている。参考:MAMOR vol.155
<雷神2021>:2021年12月1-15日に実施された。第1師団第32普通科連隊、第1戦闘ヘリコプター隊、隊員190名、航空機2機、アメリカ陸軍第2歩兵師団第2ストライカー旅団戦闘団第1-17歩兵大隊、第16戦闘航空旅団、人員340名、航空機6機が参加し、攻撃戦闘訓練(AGM-114実射を含む日米戦闘ヘリによる共同火力発揮、日米UAVによる共同情報収集など)を行った。参考:月刊JWins2,’22、朝雲
<雷神2023>:令和5年度米国における実動訓練ライジング・サンダー23。2023年10月29日から11月13日に実施された。第13旅団第8普通科連隊、第14旅団第15即応機動連隊、第14情報隊、第5対戦車ヘリコプター隊、西部方面システム通信群などが参加し、アメリカ陸軍第17砲兵旅団などの支援を受け、陸自単独の諸職種協同訓練を行った。参考:陸上自衛隊ホームページ
<ライジング短機関銃シリーズ>:ユージン・G・ライジングが開発したサブマシンガンで、ハーリントン&リチャードソン社が製作した。M2サブマシンガンの生産が軌道に乗る前の1940-41年にアメリカ海兵隊が調達した他、イギリス、カナダ、ソ連も採用している。参考:米英軍戦闘兵器カタログVol.1
<ライジングM50>:最初の量産型。木製の銃床とマズルブレーキを持ち、銃身付け根には冷却フィンが付けてある。全長908mm、銃身長279mm、重量2.06kg。作動はブローバックで、発射速度は毎分550発。使用弾は.45ACPで、12発または20発入りの箱形弾倉を使用する。1945年までに10万丁が生産されたが、泥や埃に弱いという欠点があり、アメリカ海兵隊では1943年末までにM2サブマシンガンに代替された。参考:米英軍戦闘兵器カタログVol.1
<ライジングM55>:パラマリン(海兵隊降下部隊)用のコンパクトタイプで、銃床を鉄枠の折り畳み式に換え、マズルブレーキを外してある。銃身冷却フィンはかなり前の方まで付くようになった。全長794mm、銃床折り畳み時565mm、重量2.84kg。発射速度毎分450-550発。マガジンはM50と同じ。参考:米英軍戦闘兵器カタログVol.1
<ライジング・ウォーリア>:日米共同市街地戦闘訓練演習。普通科連隊による派米訓練で、初回の2002年はハワイのスコフィールド・バラックス演習場で行われた。2008年にはCALFEXと同時期に実施され、2009年に雷神/ライジング・サンダーに統合された。参考:月刊軍事研究5,’03、12,’14、月刊JWings12,’14
<ライジング・キャッスル>:K398(コルベット)を参照。
<ライジング・サンダー>:雷神(演習)を参照。
<ライス>:イラクの地対地ミサイルで、フロッグ対地ロケットをベースとしている。射程90km。参考:月刊丸4,’99
<ライス・コルフォ>:アルジェリア海軍コニ級フリゲート。ソ連のコニ級フリゲートを輸入したものである。1997年に近代化される予定だったが、ロシアの財政難で2000年までずれ込んだ。全長313フィート(95.4m)、排水量1670トン。電子戦装備と533mm連装魚雷発射管2基を追加し、MR302水上・空中捜索レーダー(NATOコードはストルート・カーブ)をポジティフME1・2三次元捜索レーダーに変更、MR104ルイス(NATOコードはドラム・ティルト)の2基目をMR105トレルイ(NATOコードはホーク・スクリーチ)のあった場所に移している。参考:月刊軍事研究6,’01
<ライス・スクリーン>:中国海軍の三次元周波数走査方式対空捜索レーダー。アンテナはプレナー・アレイ型である。使用周波数はGバンド、ピーク出力150kW、パルス繰り返し周波数370または730pps。走査回数毎分5回。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版
<ライス・ハジ・ムバレク>:012(潜水艦)を参照。
<ライス・ハッサン・バルビア>:807(コルベット)を参照。
<ライス・ハッサン・バルビア級>:アルジェリア海軍コルベットRais Hassan Barbia級、C62型。中国の技術援助を受けてアルジェリアが開発したジェベル・シュヌア級(C58型)を更に改良したものである。満載排水量595トン。主機はディーゼル、速力28ノット。兵装はC-802艦対艦ミサイル連装発射筒2基(後甲板。前方が左舷、後方が右舷向き)、ロシア製76mm単装砲1門(前甲板)、30mmmCIWS1基(艦尾)。2017年に艦番号807ライス・ハッサン・バルビアが就役した。参考:月刊世界の艦船10,’17
<ライス・ボール>:347G型(レーダー)を参照。
<ライス・ランプ>:341型(レーダー)を参照。
<雷石6>:LS-6(誘導爆弾キット)を参照。
<ライセンス生産>:License production。兵器の製造権を購入し、国内工場で生産すること。最新技術や機密分野はライセンス生産が許可されないので、一部のコンポーネントは輸入に頼ることも多い。整備を自国で行えるので運用が楽で改良も簡単、修理用部品調達も自前で行え、ライセンス料以外の経費は全て自国産業界に落ちるので景気対策も兼ね、自国産業への技術導入にもなる。国家関係がこじれても生産継続が可能。ただし設備投資とライセンス料が上乗せされるので価格が高騰する。参考:月刊JWings9,’10、10,’09別冊付録、5.’12、戦闘機のしくみ、月刊軍事研究4,’08、月刊世界の艦船9,’12増刊
<ライダー>:S-97(ヘリコプター)を参照。
<ライダー>:LIDAR(Laser Imaging Detection And Ranging)。可視光線や赤外線(主にレーザー)をパルス状に照射し、散乱光を測定して目標の性質や距離を分析するものである。レーザービームを電波ビームの代わりに使用するレーダーとも言えるので、レーザー・レーダーとも称される。レーザーの使用波長は600-900nm(0.6-0.9ミクロン)で、網膜を焼くので注意。解像度が極めて高く、目標を画像として捉えることが可能で、水上艦の艦番号まで読み取ることができる。その分だけ走査に時間がかかるので、範囲を絞って使用する必要がある。気象の影響を受けやすいのが欠点。民生用(気象観測や車載障害物検知用)として実用化されており、海上自衛隊や海上保安庁が改修を加えて採用した。参考:月刊世界の艦船5,’13、1,’13、MAMOR vol.70、レーダの基礎
<ライダース>:アメリカ第3歩兵師団第1旅団の愛称。参考:月刊軍事研究9,’03
<らいちょう>:S-62ヘリ(海自)を参照。
<ライツ・ゴーグル>:第2次大戦時にドイツ空軍が使用したパイロット用ゴーグルLeitzschutzenbrille。レンズはガラス製(透明と予備の薄いグレーがある)で、レンズ周囲のゴムパッドが一体式のものと分離しているものの2種類がある。左右のストラップは飛行帽後部に固定する。参考:グラフィックアクション36
<雷霆式戦闘機>:F-84海外シリーズ(戦闘機)を参照。
<雷電シリーズ>:日本海軍局地戦闘機J2M、連合軍コードはジャック(Jack)。日華事変で大型爆撃機を迎撃する基地防空戦闘機の必要性が認識されたため、昭和14年9月から三菱重工が開発した。必要とされたのは敵爆撃機にいち早く到達する上昇力・速力と確実に撃墜できる火力で、他の能力は削ぎ落とし、高度6000mまで5.5分で到達して最大速度325ノットを出せ、20mm機関砲と7.7mm機銃を2丁ずつ搭載するという要求性能が出され、海軍航空技術廠Y10高速実験機の研究成果も取り入れて完成した。航続距離と空戦能力を売りにしていた零戦とは真逆の機体で、配備当初はエンジントラブルや着陸性能の悪さによる事故も多く不評だったが、本土空襲が始まってからは期待通りB-29迎撃に活躍した。対爆撃機用防空専任で、特攻には使われていない。総生産数470機。プレーンズ・オブ・フェイムに1機(二一型)が展示されている。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇、日本海軍戦闘機隊、月刊丸4,’17、4,’13、3,'18別冊、月刊航空情報8,’02
<十四試局地戦闘機>:試作型、J2M1。当初は昭和13年にドイツから参考輸入したHe112を改設計してエンジンもDB601Aに換装した高速戦闘機として計画していたが、第2次大戦勃発でエンジン輸入が難しくなったため、昭和15年1月に陸攻用大出力エンジンを搭載する戦闘機として開発を再開した。大型の火星一三型エンジンを搭載して胴体直径が太くなったので、プロペラ軸を前に延ばしてカウリングを絞り、強制冷却ファンを装備している。プロペラ効率は上がったものの抗力はあまり減らなかったが、その形状のまま制作が進み、昭和17年3月20日に初飛行した。最大速度600km超を達成できず、エンジンを火星二三甲型に換装したが最大速度は590kmに止まっていたものの、上昇力が優れていたので量産化された。参考:月刊丸3,'18別冊、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇
<雷電一一型>:J2M2。最初の量産型で、火星二三甲型エンジンを採用し、プロペラをVDM式4翅にして速度性能を改善、風防を大型化して視界を良くしてある。エンジン前面には強制冷却ファンがあり、遊星ギアで回転数を3.18倍に上げるため独特の高い音が響き、遠くからでも機種が分かったらしい。翼面荷重1平方メートルあたり164kg。全長9.7m、全幅10.795m、自重2528kg、全備重量正規3300kg/過荷重3746kg。エンジンは火星二三甲型(離昇出力1820馬力、公称二速出力1510馬力/高度4150m)、最大速度596km、燃料搭載量570リットル+増槽300リットル、上昇力5000mまで4分35秒、航続距離正規1055km/過荷重2519km。固定武装は20mm機関砲2門、7.7mm機銃2丁。60kg爆弾2発を搭載できる。乗員1名。エンジンとプロペラのミスマッチ改善に時間を要し、量産は昭和18年9月、部隊配備は昭和18年末にずれこんだ。前方視界が悪く着陸速度が速く、失速の徴候も掴みにくいため、未熟なパイロットでは危険性を伴い、昭和19年1月には訓練中に空中分解する事故が発生、エンジン架の設計変更が必要となって実戦投入に遅延を来している。参考:月刊丸3,'18別冊、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇、日本海軍戦闘機隊
<雷電二一型>:J2M3。胴体の7.7mm機銃を外し、翼内に20mm機関砲4門を搭載したタイプである。全長9.7m、全幅10.8m、全高3.9m、自重2590kg、全備重量3440kg。エンジンは火星二三型甲空冷星型複列14気筒ガソリン(1820馬力)単発、最大速度590km、実用上昇限度11000m、航続距離1800km。固定武装は20mm機関砲4門。爆弾60kgを搭載可能。乗員1名。火力と上昇力に優れ、対B-29用として本土各地に配備されたが、高高度性能が悪いため、ターボチャージャー装備機を開発することになった。また、対戦闘機用としては分が悪く、太平洋戦争末期にアメリカ軍戦闘機が来襲するようになると、交戦でなく空中退避を選ぶ事を余儀無くされた。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇、日本海軍戦闘機隊、月刊丸3,’18別冊、月刊JWings1,’13
<雷電二三型>:J2M7。J2M3のエンジンを火星二六型に換えたものである。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇
<雷電二三型甲>:J2M7a。エンジンを火星三一型に換えたものである。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇
<雷電三一型>:J2M6。J2M3の風防を大型化したタイプ。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇
<雷電三一型甲>:J2M6a。20mm機関砲を改良したタイプである。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇
<雷電三二型>:J2M4。排気タービンを搭載した火星二三丙型を装備する高々度戦闘機型で、昭和19年8月に2機が試作された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇、月刊丸3,'18別冊
<雷電三三型>:J2M5。不具合が多発したターボチャージャーの代わりに、スーパーチャージャー強化で対応した火星二六甲型エンジンを装備し、高高度性能を改善したタイプ。昭和19年5月20日に初飛行し、加速・上昇性能の良さからすぐに量産指示が出されたが、12月13日に三菱重工名古屋発動機製作所が空襲で壊滅してエンジンを作れなくなり、終戦までに30機しか生産されなかった。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇
<雷電三三型甲>:J2M5a。主翼の機関砲を五式三〇粍固定機銃一型に換装したタイプ。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇、歴史群像6,’08
<雷電(斜め銃装備型)>:雷電二一型に斜め銃を追加し、前部風防枠に三式小型射撃照準器を装備したものが第302航空隊でテストされた。参考:月刊航空ファン11,’17
<ライト>:AV-1(水上機母艦)またはCVL-49(軽空母)またはT-AVB-3(航空修理支援艦)を参照。
<ライト>:アラン・R・ライト(AllanRight Wright)。イギリス空軍エースで、バトル・オブ・ブリテンなどで11機を撃墜した。1967年、空軍中佐で退役。2015年9月16日、95歳で死去した。参考:月刊航空ファン5,’16
<ライト1909ミリタリー・フライヤー>:アメリカ陸軍初の軍用機。全長8.8m、翼スパン11m、重量336kg。エンジン出力30馬力、最大速度68km、滞空時間1時間。1909年8月2日に導入した。参考:月刊軍事研究1,’19
<ライトアーマー>:軽装甲機動車の愛称。参考:月刊JWings6,’01
<ライトガン>:Light Gun、指向信号灯。管制官が航空機パイロットなどに指令を出すために使用する信号燈のこと。航空管制が誕生した初期に使用された他、現在でも無線故障時に備えて用意されている。赤、白、緑の照明(10km先から視認できる)により地上や空中にある航空機及び航空機走行地域における車両・人員に指示を与える。参考:航空管制のはなし、MAMOR vol.125
<ライト級>:アメリカ海軍水上機母艦Wright級。気球搭載艦AZ-1ライトを1923年に改造したもので、アメリカ海軍初の水上機母艦である。満載排水量8675トン。主機は蒸気タービンで、速力15ノット。兵装は7.6cm単装高角砲2門。水上機12機を搭載する。AV-1ライトが就役した。参考:月刊世界の艦船11,’00
<ライト級>:アメリカ海軍航空修理支援艦Wright級。海事委員会C5-S-78a型RO/ROコンテナ船を改造して前方展開先での航空機整備艦に改造したものである。艦前部にヘリ甲板、中央にコンテナ搭載甲板(デリッククレーン11本付き)、後部に艦橋を持つ。全長183.2m、満載排水量27580トン。主機は蒸気タービン2基1軸30000馬力で、速力23.6ノット。乗員37名。兵員300名以上を乗せられる。1986-87年にT-AVB-3ライトなど2隻が就役した。1997年に海事委員会の管理下に入った。予備即応状態にあり、有事には5日で現役に復帰できる。参考:月刊世界の艦船2,’13
<ライトタイガー>:89式装甲戦闘車の愛称。参考:月刊JWings6,’01
<ライトニング>:AN/AAQ-28シリーズ(目標指示ポッド)またはF55(駆逐艦)またはP-38シリーズ(戦闘機)を参照。
<ライトニング>:DSP衛星が出すミサイル発射警報。参考:月刊軍事研究4,’04
<ライトニング・シリーズ>:イギリス空軍ジェット戦闘機、Lightening。イングリッシュ・エレクトリック社(1960年にBAC、1977年にBA)製で、1947年から開発された超音速研究機P.1Aを戦闘機に変えたものである。各型計329機が生産された。参考:週刊エアクラフトNo.41、月刊JWings6,’06、世界の軍用機1979
<P.1B>:試作型で、P.1A研究機のエンジンをエイボンに換装し、機首のエアインテイク中央にショックコーンを装備した。1954年から開発され、1957年4月4日(1958年8月4日?)に初飛行し、3機が生産され、1958年11月25日にマッハ2を超えた。参考:週刊エアクラフトNo.41、月刊JWings3,’23
<ライトニングF.Mk1>:軸流式ターボジェットエンジンを縦に2つ重ねて搭載し、前後に少しずらすことで胴体を細くしてある。主翼はデルタ翼の内翼後縁を三角形に切ったような形状で、P.1Aと同様のマッハコーン頂角に合わせた後退翼にエルロンの効きを確保する後縁直線部を組み合わせる工夫をそのまま取り入れた。また、SB.5低速実験機でウイングドロップを防ぐのに有効だったソーカットも採用している。水平尾翼は全遊動式で、胴体尾部の主翼より低い位置にある。機首エアインテイクは円形で、1つに纏められており、中央のショックコーンにはフェランティA-23エアパスMk1射撃指揮レーダーを収容する。元が超音速飛行実験機のためマッハ2までの加速に3.5分しかかからない。機体下面にコンフォーマル燃料タンクを装備したが、燃料容量不足に悩まされた。降着装置は前輪式で、主脚は脚柱が主翼前縁と平行になるよう斜め後ろ外側に引き込まれる。全長15.24m、全幅10.59m、総重量18トン。エンジンはロールスロイス社製エイボン(推力5.1トン)双発で、最大速度マッハ2.1。固定武装は機首上部の30mmアデン機関砲2門。胴体下面に30mm機関砲パック、51mmロケット弾48連装パックを搭載でき、前部胴体下部にはファイアストリークの装備が可能である。乗員1名。1956年11月に19機が発注され、1959年10月29日に初飛行、1960年6月から配備された。参考:月刊JWings6,’06、9,’16、世界の軍用機1979、週刊エアクラフトNo.41、月刊航空ファン4,’17、月刊丸9,’03
<ライトニングF.Mk1A>:空中給油装置を追加できるようにし、エンジンをエイボン210に換え、UHF無線機を装備したタイプ。主翼前縁後退角は60度。20機が生産された。参考:月刊JWings6,’06、週刊エアクラフトNo.41
<ライトニングF.Mk2>:アビオニクスを新型に変え、アフターバーナーを無段階可変式に変更したタイプ。1961年7月11日に初飛行し、44機が生産され、在ドイツの飛行中隊に配備された。参考:週刊エアクラフトNo.41、月刊JWings6,’06
<ライトニングF.Mk3>:イギリス全土を地対空ミサイルで防衛する計画が頓挫したため、急遽改良を施して生産を継続したタイプ。レーダーをフェランティR-23Bに変更し、機関砲を廃止してファイアストリークW(レッドトップ?)を主兵装とする。垂直尾翼面積を15%拡大し、エンジンをエイボン310に変更した。左翼には空中給油プローブを装備している。1962年7月16日に初飛行し、70機が生産され、1964年中頃から配備された。参考:月刊JWings6,’06、週刊エアクラフトNo.21
<ライトニングF.Mk3A>:胴体下部にコンフォーマルタンクを搭載できるようにしたタイプ。主脚収容部が主翼にあったため、主翼下部にハードポイントを設けることができず、主翼上面にパイロンを付けて増槽(1227リットル)を装備できるようにした。主翼外側の前縁後退角を55.3度にしている。14機が製造された。参考:月刊JWings6,’06
<ライトニングF.Mk6>:胴体下部コンフォーマルタンク容量を2倍にし、拘束フックを追加したタイプで、1966年から配備された。主翼は外翼部の後退角を浅くした二重後退角としており、翼面積は35.3平方メートル。全長16.84m、全幅10.61m、全高5.97m、自重14.06トン、総重量17.25-23トン、最大離陸重量22.68トン。エンジンはロールスロイス社製エイボンMk301(ミリタリー推力5.035トン、A/B時推力7.39トン。Mk302?)双発で、最大速度マッハ2.27、実用上昇限度18300m、戦闘行動半径100-450海里(増槽2基)、航続距離1287km(内部燃料のみ)/1350海里(増槽付き)。コンフォーマルタンク装備部前室を30mmアデン砲パック(120発)2個に換えることができ、コンフォーマルタンク前方の作戦パックにファイアストリークまたはレッドトップ空対空ミサイル2発、50.4mmロケット弾44発を外装可能な他、ビンテン360夜間偵察用カメラやラインスキャナを内蔵して翼下に照明弾を積み、偵察任務に投入することも可能である。主翼上下にもパイロンがあり、ロケット弾144発や454kg爆弾6発を搭載できる。乗員1名。参考:週刊エアクラフトNo.41、月刊JWings6,’06、世界の軍用機1979、1982、空軍、月刊航空ファン4,’17
<ライトニング・ファミリー>
<ライトニングT.Mk4>:F.Mk1ベースの並列複座練習機型。参考:月刊JWings6,’06、週刊エアクラフトNo.21
<ライトニングT.Mk5>:F.Mk3ベースの並列複座練習機型。参考:週刊エアクラフトNo.21
<ライトニング海外シリーズ>
<ライトニングF.Mk52>:サウジアラビア・クウェート空軍向けのライトニングF.Mk2。参考:月刊JWings6,’06
<ライトニングF.Mk53>:サウジアラビア・クウェート空軍向けのライトニングF.Mk6。自重18.144トン、全備重量22.68トン。最大速度マッハ2、上昇限度57000フィート(17374m)、戦闘行動半径740km。乗員1名。1960年に就役した。参考:軍事力バランス78年版、月刊JWings6,’06
<ライトニング海外ファミリー>
<ライトニングT.Mk54>:サウジアラビア・クウェート空軍向けT.Mk4。参考:週刊エアクラフトNo.21、月刊JWings6,’06
<ライトニングT.Mk55>:サウジアラビア・クウェート空軍向け練習機型。参考:週刊エアクラフトNo.21、月刊JWings6,’06
<ライトニングT>:AN/AAQ-28シリーズ(目標指示ポッド)またはP-38海外シリーズ(戦闘機)を参照。
<ライトニングU>:AN/AAQ-28シリーズ(目標指示ポッド)またはF-35シリーズ(戦闘機)またはP-38海外シリーズ(戦闘機)を参照。
<ライトニング3>:AN/AAQ-28シリーズ(目標指示ポッド)を参照。
<ライトニング−5>:AN/AAQ-28シリーズ(目標指示ポッド)を参照。
<ライトニングAT>:AN/AAQ-28シリーズ(目標指示ポッド)を参照。
<ライトニングEF>:AN/AAQ-28シリーズ(目標指示ポッド)を参照。
<ライトニングER>:AN/AAQ-28シリーズ(目標指示ポッド)を参照。
<ライトニングG4>:AN/AAQ-28シリーズ(目標指示ポッド)を参照。
<ライトニングLA>:AN/AAQ-28シリーズ(目標指示ポッド)を参照。
<ライトニングSE>:AN/AAQ-28シリーズ(目標指示ポッド)を参照。
<ライトニング・カラー>:AN/AAQ-28シリーズ(目標指示ポッド)を参照。
<ライトニング・ストライク>:XV-24(垂直離着陸実証機)を参照。
<ライトニングバグ>:AQM-34シリーズ(無人偵察機)を参照。
<ライトバン>:自衛隊の車両。日産自動車製。参考:月刊軍事研究2,’13
<ライト・バルブ>:ソ連の3M80モスキート対艦ミサイルのレーダー・ビデオ交信用データリンクアンテナのNATOコード名。参考:月刊軍事研究11,’99
<ライトマシンガン>:軽機関銃のこと。参考:GUN用語事典
<ライナー>:成型炸薬弾のコーンに張られる、金属製の内張のこと。密度が高く、音速が速いものほど威力が増す。他にも沸点や融点、延性などにより威力が変化し、製造の簡便さも重要なポイントになる。一般には銅が使用されており、稀にタンタル、タングステン、劣化ウランなどが使われることもある。また、形状を工夫することで、威力を単純なお椀型の2割増にできる。参考:月刊軍事研究11,’08
<ライナー>:徹甲弾やHEATの装甲貫徹後の背面効果に対抗するため、車両内部に張られる内張のこと。ケブラーや繊維強化プラスチックなどが使用される。M113に張った厚さ38mmのケブラー製ライナーでHEATスプレーの90%を捕捉したという実験がある。参考:月刊戦車マガジン1,’88、月刊軍事研究3,’09
<スプラッシュ・ライナー>:Splash liner。弾丸破片の飛散角度を減少させ、車内の被害を減少させる目的で張られるもの。参考:火器弾薬技術ハンドブック、月刊軍事研究8,’09
<スポール・ライナー>:Spall liner。装甲裏面からの剥離物や侵徹破片を受け止める目的で張られるもの。参考:火器弾薬技術ハンドブック、月刊軍事研究8,’09
<ライナー交換式砲身>:砲身内層をライナー化し、内層外径を外層内径よりも小さくして接合面を円台形に成型、摩耗時には内層だけを外して交換できるようにしたもの。ライナーにはクロムメッキなどで処理された特殊素材が使用され、砲身内に冷やしばめされるか、プレスにより圧入される。焼きばめや打ち込みをしないのでルーズライナーとも呼ばれ、前線でも簡単に砲身の交換ができ、砲身全体を交換するよりも安価である。発射時には火薬の圧力で内管が外管に押しつけられ、強靱な砲身となる。参考:大砲入門、火器弾薬技術ハンドブック、月刊丸4,’17
<ライネール>:R-29RMU2・1(SLBM)を参照。
<ライネス級>:イギリス海軍給糧艦Lyness級。全長159.7m、幅22m、吃水6.7m、満載排水量16792トン。主機はディーゼルで、出力11520馬力、速力18ノット。A344ストロムネスが1967年に竣工した。参考:月刊世界の艦船5,’83
<ライネルト>:エルンスト・ヴィルヘルム・ライネルト(Ernst Wilhelm Reinert)。ドイツ空軍エース。1919年2月2日、リンデンタール生まれ。1939年4月、ドイツ空軍に入隊した。1941年6月、第77戦闘航空団第4飛行中隊に配属され、東部戦線で戦闘を行った。1942年7月17日、79機撃墜を達成。10月3日、103機撃墜を達成。12月、北アフリカに移動。1943年4月19日、150機撃墜を達成。北アフリカでは51機(戦闘機47機、ボストン3機、B-24爆撃機1機)を撃墜した。1944年4月3日、第27戦闘航空団第1飛行中隊の中隊長となった。5月、第27戦闘航空団第8飛行中隊の中隊長となった。5月末、第27戦闘航空団第12飛行中隊の中隊長となった。1945年1月2日、第27戦闘航空団第4飛行隊司令となった。3月23日、第7戦闘航空団に移動。そのまま終戦を迎えた。総出撃回数715回、撃墜機数174機。最終階級は中尉。参考:グラフィックアクション36
<ライノ>:F-4シリーズ(戦闘機)またはF/A-18E/F(戦闘攻撃機)またはG6(自走砲)またはヘッジロウ・カッターを参照。
<ライノ>:アメリカ陸軍第82空挺師団の兵員の多くがイラク戦争で独自購入して使用していた市販のGPS。軍から支給されるPLGRよりも軽量で、出力が大きく、航法衛星からの受信も速い。ただし通信能力はPLGRよりも劣る。参考:月刊軍事研究4,’04
<ライノ>:KADDBがヨルダンのロイヤルガード旅団向けに開発中の特殊部隊用4×4輪バギー。車体はヤマハまたは川崎重工の民生用車両を使用しており、サスペンションやアクセルを改良、ロールバーを追加している。参考:月刊軍事研究7,’08
<ライバンス発射機>:第1次大戦時に使用された簡易型迫撃砲で、ガス弾の投射に用いられた。弾薬はガスを詰めた缶で、電気点火方式により射出する。射程が短い、ガス弾以外発射できない、砲の設置や弾薬の装填に時間がかかる、集中使用しないと効果が薄いので人出が取られる、などの欠点があった。参考:手榴弾・迫撃砲
<ライヒ>:SS第2装甲擲弾兵師団を参照。
<ライヒスフューラー>:SS第16装甲擲弾兵師団を参照。
<ライヒテ・ラードゥングスベルファー>:軽装薬発射装置、の意。ドイツ国防軍が第2次大戦時に使用した外装式迫撃砲で、直径9mmの金属棒に薬筒が取り付けられて旋回装置及び二脚で支持されている。この薬筒の上から重量22.2kgの安定翼付き弾丸を被せて電気点火で発射する。本体重量93kg。炸薬はTNT6.81kg、最大射程700m。突撃工兵がトーチカや家屋破壊用に使用した。参考:手榴弾・迫撃砲、第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログVol.3
<萊蕪>:607(コルベット)を参照。
<ライフ・サイクル・コスト>:Life cycle cost。兵器を使い切るまでにかかる諸費用で、整備費用や燃料代、補修パーツ代などを含む。旧ソ連の兵器は、単価は安いもののこれが高く付くので、西側には採用されにくかった。現在ではNATO規格の部品を装備して売り込みを図っている。参考:月刊JWings10,’01、10,’09別冊付録
<ライフサイクルコスト・コストデータベース・パイロットモデル>:自衛隊の機器。新日鐵住金ソリューションズ製。参考:月刊軍事研究2,’18
<ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー>:SS第1装甲軍団またはSS第1装甲師団を参照。
<ライプチヒ(2代目)>:ドイツ海軍ケルン級軽巡洋艦Leipzig。起工されたが建造中止となり、1922年に解体された。参考:近代巡洋艦史
<ライプチヒ>:ドイツ海軍ライプチヒ級軽巡洋艦Leipzig。1928年4月起工、1929年進水、1931年10月8日竣工。1939年11月21日、シャルンホルスト、グナイゼナウ、ケルン、Z11ベルント・フォン・アルニム、Z12エーリヒ・ギーゼ、Z20カール・ガルスターと共にヴィルヘルムスハーフェンを出港。12月13日、ヘリゴランド・バイト付近でイギリス潜水艦N65サーモンの雷撃を受けて艦首を切断され、大破した。修理に1940年12月までかかったため、ノルウェー作戦には参加していない。1941年9月、継続戦争のオーゼル島上陸作戦に参加。1944年10月15日夜、シュヴィーネミュンデで機雷を搭載するためバルト海で行動中にヘラ半島北方で重巡プリンツ・オイゲンと衝突し、艦橋と煙突の間にプリンツ・オイゲンの艦首がめり込み、キールが切断されて行動不能になった。曳航されて帰投後、浮上砲台となった。1945年3月11日、アメリカ第8航空軍B-17の爆撃を受けて沈没した。1946年7月20日にガス弾を搭載してウィルヘルムスハーフェン沖で沈没処分となった。参考:写真集ドイツの巡洋艦、月刊丸3,’90、近代巡洋艦史、グラフィックアクション44
<ライプチヒ級>:ドイツ海軍軽巡洋艦Leipzig級。ケーニッヒスベルグ級の改良型で、電気溶接を船体の90%以上に適用し、第2・第3砲塔を中心線上に配置、装甲範囲を拡大し、煙突を1本に纏めている。船体には軽いフレアーが付けられていて、水線下に重油タンクを兼ねたバルジが装着された。艦尾はクルーザー・スターンである。基準排水量はベルサイユ条約制限内の6000トンと公表されたが、実際には1割増しの6710トンだった。全長177.1m、幅16.2m、平均吃水4.88m、基準排水量6710トン、満載排水量8920トン。主機はCOSAD方式、両舷2軸がパーソンズ・ギヤード・タービン2基と缶8基で出力60000馬力、中央1軸がMAN社製ディーゼル(4000馬力)4基、3軸推進、速力32ノット。巡航時はディーゼルを使用して18ノットで航行し、燃料を節約する。兵装は15cm3連装砲塔SKC25が3基、8.8cm単装高角砲3門(2門?)、533mm(50cm?)3連装魚雷発射管4基(片舷2基ずつ)、機雷120個。航空機2機を搭載可能。乗員850名。1931年にライプチヒが就役した。後に高角砲を8.8cm連装1基に換装し、煙突後部に高角砲用射撃指揮装置を追加した。再軍備宣言に伴い、航空兵装を追加しており、艦橋後部にカタパルトを設け、その後ろに航空機揚収用クレーンを追加、Ar95水上偵察機を搭載した。クレーンは後にトラス構造のものに替えられ、高角砲は8.8cm連装砲3基に強化された。参考:写真集ドイツの巡洋艦、近代巡洋艦史、月刊丸8,’11
<ライフネット>:飛行甲板で作業する人員の転落防止用ネット。参考:艦船メカニズム図鑑
<ライフブイ>:No2シリーズ(火焔放射器)を参照。
<ライフプラン教育>:任期制自衛官に対する退職後の再就職教育で、入隊3年目に行われる。これを踏まえ、任期満了に伴う退職予定者は就職補導教育や技能訓練などの再就職訓練に入る。参考:月刊JWings1,’15
<ライフ・プリザーバー・アクセスキット>:アメリカ海軍の海上救出キット。シーダイマーカー(イエローマーカーで、海面に広がる)、シャークマーカー(鮫避け)、ライト、ホイッスルからなる。参考:月刊コンバットマガジン7,’09
<ライフ・プリザーバー・ベストMk1>:アメリカ軍のデッキ・クルーが着用するベストで、救命胴衣を兼ねる。また、職種ごとに色分けされていて、ヘルメットの色と組み合わせて所属科を判別できる。青は航空科V-1部門(青ヘルメット)または航空科V-3部門(白ヘルメット)。赤は航空科V-1部門消防・救助担当または武器科(どちらも赤ヘルメット)。緑は航空科V-2または航空機中間整備部門(どちらも緑ヘルメット)。紫は航空科V-4(紫ヘルメット)。黄色は航空科V-5(黄ヘルメット)。白は安全科(白ヘルメット)。茶は空母航空団側の要員(茶ヘルメット)。タブを引くと、内蔵された小型ボンベから窒素ガスが噴出され、インフレーターが膨らんで救命胴衣になる。背部中央には長方形の穴があり、ここを掴んで引っ張り上げる。ポケットにはシーダイマーカー(緑の染色剤)、防水型フラッシュライト、ホイッスルがあり、海に落ちた時に使う。参考:月刊JWings1,’02、月刊世界の艦船3,’21
<ライフ・プリザーバー・ベルト>:Life Preserver Belt。オーバーロード作戦時に使用された救命ベルトである。ゴムコーティングのコットン製で、内部にチューブ2本が入っており、ベルト右側を強く握るとバルブから炭酸ガスが放出されてベルトを膨らませる。ベルト側面にはマウス・インフレーション・チューブが2本付けてあり、装着したら予め息を少し吹き込んでおく。また、浮力不足の場合にも使用される。全長1430mm、幅100mm。バックパックなどの個人用装備を外し、上半身を軽くしてから使用するが、実際の作戦では外す前に膨らませて海中で逆立ちしてしまい、溺死する事故が多発した。兵士用だけでなく重装備揚陸用としても使用され、塹壕に敷いてマットレス代わりに使われることもあった。参考:月刊コンバットマガジン7,’09
<ライフライナーCUBE>:アメリカ陸軍の液体空中投下用ブラダータンクで、CUBEはContainer Unitized Bulk Equipmentの略。容量400ガロン(1514リットル)で、折り畳めば1名で持ち運べる。C-17輸送機からの空中投下も可能。参考:月刊丸2,’12
<ライブリー>:F40(駆逐艦)を参照。
<ライフリング>:弾丸の飛翔姿勢を安定させるため、弾丸に旋転を与える役割を持つ螺旋状の溝で、ライフル銃砲の銃身・砲身内に刻まれる。左回りと右回り、本数などで精度に違いが出ることは無いらしい。銃砲身軸線に対するライフリングの傾きを転度といい、何口径長で1回転するかで示す。一般には銃砲身全長にわたり一定の等斉転度にするが、銃身寿命を延ばしたい場合には銃砲口部に向かって転度をきつくし施条起端部の負荷を減らす漸増転度にする。後者は機関銃など主に小口径銃で使用されるが、ドイツ海軍では戦艦の主砲にも施し、高初速徹甲弾を使用しても他国並の砲身寿命を保てるようにした。形状でエンフィールド型、メトフォード型、ポリゴナル型に大別される。参考:GUN用語事典、火器弾薬技術ハンドブック、第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログVol.3、月刊丸4,’17
<ライフリング・マーク>:施条痕と訳す。ライフリングのある銃から弾丸を発射した時、弾体の外側に刻まれる傷のこと。発射した銃のメーカー、銃種、モデルなどを推測でき、特定銃器を割り出せることもある。参考:GUN用語事典
<ライフル>:ライフル銃・ライフル砲のこと。
<ライフル・グレネード>:てき弾発射機を参照。
<ライフル銃>:日本語では小銃。中国語では歩槍。ライフリングを持つ軍用銃で、19世紀半ばに誕生し、それまでの滑腔銃と比較して射程と命中率が格段に向上した。前装式だとライフリングに弾丸が喰い込んで装填できないので、ミニェー弾やプリチェット弾といった工夫を凝らして解決している。更に金属薬莢と後装式銃が組み合わさり、近代的なボルトアクション式ライフル銃であるドライゼ銃が誕生。1900年代に自動小銃が生まれ、突撃銃へと発展していった。歩兵の最上の友と呼ばれ、入隊した時から取り扱いを徹底的に教え込まれるが、実際には主に心の友という面が大きいらしく、実戦で敵に対して狙いを付けて発砲しているのは時代を問わず15-20%くらいで、速射能力が上がるにつれて無駄弾が急速に増えているようである。敵兵への殺傷力という点では「戦場の女神」こと砲兵の扱う大砲の威力が圧倒的。参考:月刊軍事研究4,’14、7,’15、世界の軍用銃
<ライフル小隊(アメリカ陸軍、湾岸戦争時)>:3個ライフル分隊、小隊軍曹、通信兵、小隊長からなる。状況により、中隊から衛生兵1名が配属される。参考:コンバット・バイブル2
<ライフル・スラッグ>:散弾銃用の単体弾で、弾体に斜めのスジ彫りを入れて回転するようにし、安定性を高めている。とはいっても射距離が100mを超えると命中精度はかなり低下する。参考:GUN用語事典
<ライフル中隊(アメリカ陸軍、湾岸戦争時)>:3個ライフル小隊、1個対戦車班(TOW4基装備)、1個軽迫撃砲班(60mm迫撃砲M224を3門装備)、中隊本部からなる。参考:コンバット・バイブル2
<ライフル分隊(アメリカ陸軍、湾岸戦争時)>:1個10名で構成され、アルファとブラボーの5名ずつのチームに細分される。分隊長、副分隊長、M203てき弾手2名、M249分隊支援火器射手2名、LAW兼小銃手2名、狙撃兵、対戦車特技兵(M47ドラゴン装備)からなる。参考:コンバット・バイブル2
<ライフル砲>:19世紀のナポレオン戦争後頃から、発射する弾丸に回転を与え、安定性と命中精度を高める措置がとられるようになった。このために火砲の腔内に螺旋状に切られたスジ彫りをライフリングといい、その火砲をライフル砲という。これにより、滑腔砲の球形弾では製作不可能な着発式弾頭信管付き榴弾が使えるようになった。砲弾には弾底部付近にライフリングを食い込ませるための導環が取り付けられる。欠点は発射薬エネルギーの一部が回転エネルギーにとられるため徹甲弾威力が滑腔砲の翼安定弾よりも弱い、砲弾直径が太めになり(全長対直径比が8を超えると縦回転してしまう)空気抵抗が大きく装甲貫徹力にも劣る、回転による遠心力で成型炸薬弾の威力が減少する、といったことである。参考:月刊グランドパワー5,’03、月刊PANZER12,’04、歴史群像4,’16
<ライフル・マウント・ガンファイア・ロケーター>:イギリスのウルトラ・エレクトロニクス社が開発した小銃搭載型狙撃探知機。狙撃音を探知して白黒モニターに方向を表示する。重量400g。単三電池で作動可能。イギリス軍に提案中であり、軽量化やネットワーク化も計画されている。参考:月刊軍事研究12,’09
<ライヘンベルク・シリーズ>:ドイツ空軍試作パルスジェット機で、Fi103(V1巡航ミサイル)を有人化したものである。別名Fi103R3。実戦投入はされなかった。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ドイツ編、グラフィックアクション29
<ライヘンベルクT>:2名乗りで無動力の訓練機型。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ドイツ編
<ライヘンベルクU>:1名乗りで無動力の訓練機型。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ドイツ編
<ライヘンベルクV>:弾頭を外した1名乗り訓練機型。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ドイツ編
<ライヘンベルクW>:実戦用の機体で、175機が生産され、1944年夏には部隊も編成されたが、実戦投入前に終戦を迎えた。全長8.3m、全幅5.4m、全備重量2.25トン、発射重量3.63トン、弾頭重量0.85トン。エンジンはAsパルスジェット(推力0.3トン)で、最大速度603km、射程300km。乗員1名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ドイツ編、グラフィックアクション29
<ライポン>:イギリス海軍複葉艦上攻撃機。イギリス初の複座艦攻で、偵察任務も行える。全長11.2m、全幅13.9m、全備重量3358kg。エンジンはネピア・ライオン]TA(570馬力)単発、最大速度202km、航続距離1311km(魚雷装備時)。自衛武装は7.7mm固定機銃1丁、7.7mm旋回機銃1丁。45cm魚雷なら1本、250kg爆弾なら3発、113kg爆弾なら6発を搭載できる。乗員2名。1929-33年に運用された。参考:イギリス航空母艦史
<ライマン>:DE-302(護衛駆逐艦)を参照。
<ライマン・K・スウェンソン>:DD-729(駆逐艦)を参照。
<ライム・ベイ>:L-3007(ドック型揚陸艦)を参照。
<ライムライト>:エレクトロ・ルミネッセンス・ライトを参照。
<雷鳴>:自強練習機ファミリーを参照。
<ライモンド・モンテクッコリ>:P432(哨戒艦)を参照。
<ライモンド・モンテクッコリ>:イタリア海軍モンテクッコリ級軽巡洋艦Raimondo Montecuccoli。1935年竣工。1938年2月、メルボルンに寄港。1964年に除籍された。参考:近代巡洋艦史、月刊世界の艦船4,’12
<ライヤン>:920(駆逐艦)を参照。
<耒陽基地>:中国軍航空基地。3000m滑走路を持つ。参考:月刊軍事研究8,’14
<ライラ>:A174(曳船)を参照。
<ライレイ>:DE-579(護衛駆逐艦)を参照。
<ライン>:A513(支援母艦)を参照。
<ライン・アブリスト隊形>:2機編隊が1800-2700mの距離を開けて横列を組むこと。視界が広く取れ、死角を互いにカバーすることが可能である。間隔が狭くなると後方に死角ができ、機動時に互いの機体が邪魔になるので注意。参考:月刊軍事研究3,’99
<ライン・アブレスト・ロール>:ブルーインパルス曲技飛行の1つ、Line Abrest Roll。3機(1-3番機)が会場左手から進入し、横一列のアブレスト隊形を維持しながら20秒かけて右バレルロールを行い、高度150mで水平に戻して会場右手に抜ける。参考:月刊JWings7,’16、7,’12、6,’09、6,’10別冊付録、8,’24
<ライン作戦>:第2次大戦時の1941年初めにドイツが計画した通商破壊作戦。戦艦ビスマルクと重巡洋艦プリンツ・オイゲンが大西洋に出撃、ブレストから出港した巡洋戦艦シャルンホルスト・グナイゼナウと合流して北海・中央大西洋でイギリス船団を攻撃する予定だった。イギリス軍爆撃機によりブレストが空襲に遭い、5月にはビスマルクがイギリス艦隊により沈められたため、作戦は中止された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・アメリカ編
<ラインテスタ>:自衛隊の機器。菊水電子工業製。参考:月刊軍事研究4,’16
<ラインテストセット>:自衛隊の機器。丸紅エアロスペースが受注している。参考:月刊軍事研究5,’13
<ラインド>:DD-404(駆逐艦)を参照。
<ライントホター・シリーズ>:ドイツのラインメタル社が1942年11月から開発した固体燃料式地対空ミサイル、「ラインの乙女」。到達高度が6000mしかなかったので、1945年1月に開発中止となった。参考:第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログVol.4
<R−T>:最初の試作型。誘導は目視による無線誘導式で、誘導手が目標とミサイル尾部のフレアを見ながら誘導する。全長6.3m、直径0.54m、発射重量1.784トン、弾頭重量0.1-0.15トン。信管は音響式。推進は固体燃料ロケット2段式で、推力75トンのブースターが0.6秒燃焼して射出され、ブースターを投棄した後、推力4トンのサステナーに点火、10秒間燃焼する。最大飛翔速度1800km、有効射程16.5km。1943年8月からテストを開始、終戦までに82発が発射され、うち22発に誘導装置が付けられており、4発のみの失敗に留まるという好成績を上げた。参考:第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログVol.4、グラフィックアクション29
<R−Vf>:R-Tの改良型。推進が液体ロケット1段式となり、ブースターが外付け(本体両脇に装着)に変更されて全長が短縮された。全長5m、直径0.54m、発射重量1.57トン、弾頭重量0.1-0.15トン。最大飛翔速度1480km、有効射程18.35km。1945年1月までに1発の試射(誘導装置無し)が行われた。参考:グラフィックアクション29、第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログVol.4
<R−Vp>:固体燃料ロケット推進型。1945年1月までに5発が誘導装置無しでテストされた。参考:第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログVol.4
<R−W>:ブースター付きの2段式ロケットを使用しており、誘導は無線指令式で、最大射高600m。実戦配備前に終戦を迎えた。参考:月刊丸4,’07、1,’98
<ラインの守り作戦>:ドイツ国防軍のアルデンヌ攻勢Wacht am Rhein(ヴァハト・アム・ライン)。西方総軍司令官の名前を取ってルントシュテット攻勢ともいい、ドイツ陸軍最高司令部はクリストローゼ作戦とも呼んでいて、連合軍名称はバルジ(突出部)作戦である。第2次大戦中の1944年9月中旬、連合軍はアルデンヌ地方の大部分を占領した。その後はマーケット・ガーデン作戦などアルデンヌ地方両翼で戦闘が続けられていたが、アルデンヌ地方では戦闘は無く、アメリカ軍は「幽霊戦線」と称して部隊の再編成や休暇保養地に充てていた。ヒトラーは東西から圧迫される状況を打開するため、まず補給の限られる西部戦線で反攻に出て米英軍に大打撃を与え、その後兵力を東に回してソ連に対抗するという作戦を立案。ジークフリート線北部にある連合軍突出部の側面にあたるアルデンヌの森林地帯から攻勢に出てナミュールとリエージュを占領し、後方の重要補給港であるアントワープに進出、包囲した連合軍を殲滅することにした。1944年9月以降、連合軍による合成石油工場への爆撃が中断したため、ドイツは10-11月に57000トンの合成石油を作って作戦に備えた。12月10日、アメリカ第1軍情報参謀がアルデンヌ地方での集中的な反撃を予測する情報分析報告書第37号を提出したが、ウルトラ情報ではこれを裏付ける情報が得られていないとして見向きもされず、12月14日には過労だとして休暇を命じられてしまった。実際にはドイツ軍は厳重に情報を秘匿してアルデンヌ地方での攻勢準備を進めており、11月5日には国防軍総司令部が徹底的な秘密保持を指示、暗号通信は使わずに将校自らが作戦命令を伝達し、師団長に内容を説明する際には絶対に口外しないという誓約を行わせるよう命じていた。また、準備方面を見誤らせるため、昼間はケルン北方方面での機動を行い、アルデンヌへの移動は夜間に限定した。ウルトラ情報ではSS第6装甲軍の新編、アルデンヌへの戦力移動、ドイツ空軍爆撃機部隊の集結、パープル暗号ではドイツ軍の西部戦線での攻勢が得られたが、これらのインフォメーションをインテリジェンスに纏め上げることが出来ず、ドイツの奇襲を許すことになった。ただしアメリカ第3軍ではドイツ軍攻勢の可能性を予測しており、パットン中将が12月12日に対応策の検討を命じている。ドイツ軍の作戦は、北側に配備されたSS第6装甲軍を攻撃の主軸とし、アルベルト運河まで到達、その南で側面援護にあたる第5機甲軍がアントワープに突撃し、更に南に配置された第7軍は第5機甲軍の側面を援護するというものである。交通や補給の要所として、バストーニュ、マルメディ、サン・ヴィト、ウーファリーズなどを占領する予定であった。SS第6装甲軍の北には第15軍が配置され、正面のイギリス軍を拘束してイギリスとアメリカを分断するという役目が与えられた。また、偽装アメリカ兵による後方撹乱を目的としたグライフ作戦も同時に発動された。制空権は連合軍の手中にあったが、悪天候で出撃不能になると読んでいた。司令官は西方軍司令官ルンテシュテット及びB軍集団司令官モーデルで、参加する部隊はSS第6装甲軍(SS第1機甲師団、SS第2機甲師団、SS第9機甲師団、SS第12機甲師団、第3降下猟兵師団、第272国民てき弾兵師団、第326国民てき弾兵師団など)、第5機甲軍(第2機甲師団、第9機甲師団、第116機甲師団、戦車教導師団、第15機甲てき弾兵師団、第18国民てき弾兵師団、第26国民てき弾兵師団、第62国民てき弾兵師団、第560国民てき弾兵師団師団など)、第7軍(第11突撃砲旅団を増強した第5降下猟兵師団、第212国民てき弾兵師団、第276国民てき弾兵師団、第352国民てき弾兵師団など)、第15軍である。また、ヒトラー直属の特殊部隊として、スコルツェニー中佐率いるグライフ作戦部隊やフォン・デル・ハイト男爵の率いる特別降下部隊が編成された。総兵力20万名、戦車及び自走砲600両。これを援護する空軍部隊は飛行連隊20-23個1200機で、ドイツ本土防衛部隊の他、東部戦線から戦闘爆撃機3個飛行連隊と対戦車攻撃中隊1個飛行中隊が引き抜かれた。これらの機体は本来なら「大打撃(Der Grosse Schlad)」と名付けられたB-17大編隊迎撃作戦(全稼働戦闘機を一気に投入してB-17を400-500機も破壊し、昼間爆撃を不可能にさせる)に回される筈だったが、本作戦の実施に伴いこちらは中止となっている。第15軍が突出部正面で連合軍を拘束し、アルデンヌからSS第6装甲軍がリエージュへと進撃、第5機甲軍がSS第6装甲軍の南側側面を援護しつつバストーニュ経由でナミュールに到達し、その後両軍はアントワープへと突進、第7軍が第5機甲軍の南側側面援護にあたる。アルデンヌ正面に配備されていたアメリカ軍部隊は第12軍集団で、アーヘンで戦力を消耗して再編成中の第4・第28歩兵師団及び実戦経験の無い第9機甲師団・第106歩兵師団(12月10日に到着したばかり)を隷下に置く第8軍団と、第2歩兵師団及び実戦経験1回の第99歩兵師団を隷下に置く第5軍団、両軍団に所属する第14騎兵グループ及び第102騎兵グループ(機械化偵察部隊、対戦車戦闘能力欠)、独立工兵大隊7個から構成されていた。総兵力は8万名。12月16日0530、ドイツ国防軍はアルデンヌ正面135kmで2000門の火砲による攻撃準備射撃を開始した。1時間の砲撃の後、ドイツ国防軍は前進を開始。アメリカ陸軍部隊で最も突出していた第14騎兵グループ(ロスハイム峡谷周辺。1個騎兵中隊及び1個対戦車中隊)は4両のティーガーUと第18国民てき弾兵師団第294国民てき弾兵連隊、第3降下猟兵師団第9降下猟兵連隊の攻撃をまともに受け、一瞬にして壊滅。その南のアイフェル丘陵周辺に配備されていた第106歩兵師団の3個歩兵連隊は実戦経験が無く、あっさりと後方に回り込まれた上、南方でも第293てき弾兵連隊と第62国民てき弾兵師団の突破を許して包囲されてしまった。第106歩兵師団の南に配置されていた第28歩兵師団はオウル河沿いの45km正面を第112・第110・第109歩兵連隊で防衛していたが、ドイツ第2・第116装甲師団、装甲教導師団、第5降下猟兵師団、第26・第550国民てき弾兵師団の攻撃を受けた。第110歩兵連隊は後方に浸透したドイツ国防軍により通信網を寸断され、拠点ごとに反撃を開始。第28歩兵師団司令部はドイツ国防軍の総攻撃が開始されたとみて第707戦車大隊を援軍に送ったが、装甲教導師団の攻撃を受けて壊滅してしまった。第112歩兵連隊は正面幅が比較的狭かったため、オウル河沿いでの反撃を継続した。装甲教導師団はオウル河の渡河を開始しようとしたが、架橋が遅れた上に橋の先の道が倒木やクレーターで通れず、進撃が滞ってしまった。そのため第902戦闘団を第2機甲師団方面に回らせて夕方までに渡河させている。第106歩兵師団の北側は第2歩兵師団と第99歩兵師団が25km正面に配置されており、ドイツ第6装甲軍第12・第277・第326国民てき弾兵師団の攻撃を受けた。第2歩兵師団はモンシャウ及びエルゼンボルン周辺で防御陣地を構築したが、第99歩兵師団は奇襲を受けて混乱し、大損害を被った。SS第1機甲師団の先頭を征くバイパー戦闘団(SS第1機甲師団第1戦車連隊第1大隊、SS第501重戦車大隊、SS第2機甲てき弾兵連隊第3大隊、同第13中隊、SS第1機甲工兵大隊第3中隊、第84対空突撃砲大隊)は第99歩兵師団と第106歩兵師団の間隙を突破して西進。フォン・デル・ハイト男爵率いる特別降下部隊1000名はJu88及びJu52計100機に分乗し、アメリカ第5機甲軍の後方へと降下を開始したが、航法ミスで輸送機の内15機が降下地点を誤り(ボンに降下してしまった部隊もあった)、降下地点に到着した部隊も対空砲火の猛射を喰らい、まともに兵士を降ろせたのは10機だけで、後方遮断作戦は失敗した。スコルツェニー中佐の部隊はグライフ作戦を開始。ドイツ空軍は戦闘機も爆装させて連合軍の飛行場を攻撃し、敵機を地上で灰にする予定だったが、天候が悪すぎて出撃できなかった。帰投するイギリス夜間戦闘機に紛れてイギリス本土の基地を攻撃するイントルーダー作戦、He111からV-1を空中発射させるイギリス本土爆撃作戦も中止された。ただ直協支援には最初の2日間で延べ1000機を出撃させているので、作戦指導がまずかっただけかもしれない。ベルサイユにあった連合軍最高司令部にドイツ軍攻勢の一報が届いたのは夕方のことで、アメリカ第12軍集団司令官のブラッドレイ大将はアメリカ第3軍に対する牽制と判断し、第9軍第7機甲師団を北から、第3軍第10機甲師団を南から、それぞれ増援としてアルデンヌに派遣することにした。12月17日、アイゼンハワーが開催した作戦会議で、アメリカ第3軍司令官のパットン中将は12月12日から検討させておいた対応策の準備状況から、12月22日朝には反撃できると述べて出席者を驚かせた。朝、バイパー戦闘団がビュリンゲンの燃料集積所を確保し、5万ガロン(179271リットル)のガソリンを奪取して西への進撃を継続した。この際、捕虜にした50名のアメリカ兵に戦車の給油を行わせ、その後で全員射殺している。0900、第106歩兵師団第422・第423歩兵連隊が包囲された。第424歩兵連隊は後方の第9機甲師団B戦闘団の護衛を受けて師団司令部のあるサン・ヴィット方面に後退。ドイツ国防軍はサン・ヴィットをこの日に占領する予定だったが、第81戦闘工兵大隊と第7機甲師団が強固な防衛陣地を形成していて制圧に手間取った。第28歩兵師団第110歩兵連隊は連隊本部のあったクレルヴォーを深夜までに占領されたため、西に後退し、ヴィルツ周辺で第707戦車大隊、第44戦闘工兵大隊と共に防御陣地を敷いた。同第112歩兵連隊は両翼部隊の後退による孤立を避けるため1600に西への退却を開始。夜、ドイツ空軍は夜間戦闘機、夜間攻撃機、爆撃機が300ソーティをこなし、連合軍後方を爆撃した。12月18日午前、第106歩兵師団第422・第423連隊は西への突破攻撃を行ったが、深夜に同士討ちが起こるなどして頓挫した。第99歩兵師団は損害が大きくなったため、第2歩兵師団の指揮下に入った。昼頃、トロワ・ポン村の橋を渡河してミューズ川に突進しようとするバイパー戦闘団をアメリカ軍が1門の対戦車砲で必死にくい止め(16km先に第1軍司令部があり、突破を許すわけにはいかなかった)、その間に村の3箇所の橋を第51戦闘工兵大隊が爆破した。バイパー戦闘団は北西に進路を変えたものの、森林地帯のため進撃が滞った。12月19日、アメリカ軍はベルダンで戦略会議を実施、アルデンヌ攻勢がドイツ国防軍による戦略攻勢であることを確信し、予定していたザール炭田地帯及びルール工業地帯への攻勢を中止してドイツ国防軍突出部を南北から挟撃することにした。これに基づき、まず第3軍がバストーニュ付近で南側から反撃を実施することを決定、第4機甲師団、第26歩兵師団、第80歩兵師団をバストーニュに向かわせた。ドイツ国防軍の北に位置する部隊はモントゴメリー率いるイギリス第21軍集団の指揮下に入れ、可能ならばイギリス軍の増援を加えて反撃することにした。この日バイパー戦闘団はトロワ・ポンから7km北西のストゥーモンに到達。これに対し、アメリカ軍は第30歩兵師団と第82空挺師団を派遣して反撃を行い、第740戦車大隊が戦闘団先頭のパンターとティーガーを撃破して前進をストップさせると共に、後方を遮断して補給路を断った。朝、ドイツ第2装甲師団と装甲教導師団がバストーニュ外郭陣地に到達、第101空挺師団、第705対戦車大隊、第35・第158戦闘工兵大隊との間で交戦を開始。1545、第106歩兵師団第422・第423歩兵連隊は降伏を決定し、武器を破壊、1600に降伏して10000名が捕虜となった。第424歩兵連隊は援軍として到着した第7機甲師団B戦闘団と共同でサン・ヴィット周辺に防御陣地を敷いた。夜、第26国民てき弾兵師団と第5降下猟兵師団がヴィルツを制圧。12月20日夜、ドイツ装甲教導師団がバストーニュの南側道路を遮断して包囲網を完成させ、アメリカ軍守備隊はバストーニュから半径5kmに閉じ込められた。12月21日、ドイツ国防軍はサン・ヴィットを占領。バストーニュ周辺では攻勢に備えて再編成に入った。この隙にアメリカ軍も態勢を建て直し、バストーニュ東に第501空挺連隊及び第35工兵大隊、北東に第506空挺連隊、北に第502空挺連隊、西から南にかけて第327グライダー歩兵連隊及び第326工兵大隊を配置し、第9機甲師団R戦闘団、第10機甲師団B戦闘団、第705対戦車大隊を予備として内側に配置した。スコルツェニーの部隊はマルメディ攻略を開始したが、アメリカ第30師団の反撃を受けて頓挫。12月22日、第62国民てき弾兵師団がサン・ヴィットを南方から攻撃、防衛していた第106歩兵師団第424歩兵連隊と第7機甲師団B戦闘団は壊走した。アメリカ第3軍隷下の第4機甲師団、第26歩兵師団、第80歩兵師団がバストーニュを目指して北上を開始したが、第5降下猟兵師団の抵抗にあって前進が滞った。ドイツ第2装甲師団はバストーニュ包囲網から離脱して西に進撃した。1130、バストーニュを防衛するアメリカ軍司令官にドイツ国防軍将兵4名(代表は戦車教導師団砲兵将校。軍団長の命ではなく、独断だった)が降伏するよう求める文書を手渡したが、アメリカ軍司令官は「Nuts!(イカレ野郎め!)」と言って文書を投げ捨て、前線視察に出て行ってしまい、帰ってきてから「Nuts」と書いた紙を手渡して拒否した。午後にアメリカ陸軍第291戦闘工兵大隊がワルヒェ河にかかる橋を爆破、グライフ作戦の機甲部隊である第150装甲旅団はマルメディを突破して第5軍団後方を遮断することが不可能となり、モンシャウの西に予め降下していたフォン・デル・ハイト男爵率いる降下猟兵150名との連絡もできなくなった(降下猟兵は後にアメリカ軍に降伏)。12月23日、バストーニュ周辺は雲が引けたため、アメリカ軍はC-47輸送機をフル稼動し、28日までにC-47延べ842機、グライダー延べ31機を投入、補給コンテナ1446個を包囲環内に投下した。P-47やB-26もバストーニュ周辺に飛来、ドイツ国防軍に銃爆撃を加えた。ドイツの飛行場は11カ所が爆撃で破壊されてドイツ空軍は活動を封じられた。第3軍の救出部隊は引き続き第5降下猟兵師団の防御陣地を攻めあぐね、3kmしか前進できなかった。夕方には第26国民てき弾兵師団がバストーニュ北西及び南西から、装甲教導師団がバストーニュ東及び南から総攻撃を開始、アメリカ軍守備隊は南北6km・東西3kmの陣地内に押し込まれた。パイパー戦闘団はラ・グレーズまで進出したところで燃料が尽きて脚が止まり、補給を待ったものの到着せず、アメリカ軍が後方に進出する気配を見せたため、夜間に重装備を全て放棄して800名のみが南東に脱出した。12月24日、天候は再び雪となった。第15装甲てき弾兵師団がバストーニュ西側から攻撃を開始。第2装甲師団先遣隊がムーズ河から10km手前にあるセルに到達、燃料補給を待った。アメリカ第3軍第4機甲師団の予備であるR戦闘団が第5降下猟兵師団の陣地正面を迂回して西側の森林地帯に移動。12月25日0245、バストーニュに対してドイツ国防軍が攻撃準備射撃を開始。0400、ドイツ国防軍がバストーニュへの総攻撃を再開し、第15装甲てき弾兵師団第115装甲てき弾兵連隊は第101空挺師団司令部まで1.6kmに迫った。撤退していたバイパー戦闘団の残存兵力がSS第1装甲師団と合流した。西に迂回したアメリカ第4機甲師団は第80歩兵師団の増強を受け、3個戦闘団で第5降下猟兵師団に攻撃を開始、陣地を切り崩した。アメリカ第2機甲師団は第7軍団司令官の独断攻撃許可(本来ならイギリス軍司令官モントゴメリーの許可を受ける)と戦闘爆撃機の航空支援(天候は再び回復した)を受けて燃料欠乏状態の第2装甲師団に総攻撃を開始。戦車82両、火砲83門、車両441両を破壊または鹵獲し、捕虜1200名超を得て壊滅させてミューズ川への進出を阻止した。12月26日早朝、アメリカ第4機甲師団R戦闘団が第5降下猟兵師団陣地を突破してバストーニュに突進し、1700にバストーニュ南西の包囲環を突破して防衛部隊と連絡を付けた。第5降下猟兵師団は第4機甲師団の後続部隊を攻撃して再び包囲環を閉じようとしたが、失敗した。第2装甲師団の壊滅を受けてドイツ西方総軍司令官ルントシュテット、B軍集団司令官モーデル、第5装甲軍司令官はそれぞれヒトラーにアントワープへの到達が不可能であると伝えたが、ヒトラーは目標をバストーニュ占領に切り替えて作戦を続行するように伝えた。12月27日、天候は比較的良好で、ドイツ空軍は連合軍機に圧倒されて士気を喪失、ゲーリング元帥が降着装置の異常以外はエンジンが故障しても増槽が落ちなくても出撃途中での帰投を認めないという特別命令を出す羽目になった。12月28日、SS第1装甲師団、総統護衛旅団、第3装甲てき弾兵師団がバストーニュ攻撃に加わった。12月29日、アメリカ第9航空軍はバストーニュに空輸を実施。第87師団や第11機甲師団がバストーニュに到着した。12月30日、SS第1装甲師団はバストーニュ南方8kmのビレ村を攻撃したが、第11機甲師団の抵抗で撃退された。12月31日、ドイツ国防軍は陽動となる北風作戦を開始。8個師団でアルザス地方にあるアメリカ第7軍を攻撃した。1945年1月1日、ドイツ空軍はヘルマン作戦を開始。Ju88夜間戦闘機に先導された800機の戦闘爆撃機部隊がオランダ領内の連合軍航空基地に向かい、134機を地上撃破し、62機に修復不能な損害を与えたが、迎撃を受けたり、パイロットが未熟で航法を誤ったりして逆に200機を喪失した。SS第9装甲師団、第12SS装甲師団、第167国民てき弾兵師団、第340国民てき弾兵師団がバストーニュ攻撃に向かった。1月2日夜、ドイツ国防軍がバストーニュに総攻撃を開始したが、第6機甲師団、第11機甲師団、第35歩兵師団の増援を受けたアメリカ軍はバストーニュを守りきり、1月3日にドイツ国防軍突出部北側で第1軍による反攻を開始、ドイツ国防軍はバストーニュ攻撃を中止して西へ撤退した。アメリカ第7軍団、イギリス第30軍団第6空挺師団も攻撃を行い、後方からアメリカ第3軍がウーファリーズを目指していた。1月4日、悪天候で連合軍の反撃が思ったように進まないため、チャーチルはスターリンに対して東部戦線での攻勢を要求。ヒトラーはドレシャン−ロンシャンまでの撤退を許可。1月11日、イギリス第30軍団第6空挺師団がドイツ国防軍突出部に攻撃を開始。補給不足で飢えと寒さに苦しむドイツ国防軍に支えきる力は無かった。1月12日、ソ連軍が東部戦線で攻勢を開始。ドイツ国防軍突出部の根元でアメリカ第90師団と第35師団が手を結び、ドイツ第5空挺師団が包囲された。1月13日、第1軍団がドイツ国防軍突出部の北から攻撃を開始し、第18軍もこれに加わった。第30師団と第106師団はアンブレイブ川を渡河して南に向かい、第7軍団はウーファリーズまで3kmの地点に到達。1月16日、アメリカ第1軍と第3軍が包囲環を完成させ、ドイツ国防軍20000名以上が突出部に取り残された。1月20日、ドイツ国防軍はジークフリート・ラインを目指して全戦線で撤退を開始。1月21日、アメリカ軍はウィルツを占領。1月22日、天候が回復し、連合軍は航空攻撃を開始、サン・ヴィト周辺で燃料を失い立ち往生していたドイツ国防軍戦車・装甲車・車両2000両を破壊した。サン・ヴィト北方からアメリカ第7機甲師団、南から第3軍がドイツ国防軍守備隊に対して攻勢を実施。1月23日、アメリカ軍がサン・ヴィトを占領。以降は掃討戦となり、1月28日にアメリカ軍は本作戦開始前のラインに到達し、戦闘は終結した。ドイツ国防軍損害は死傷者100000名。アメリカ軍戦死者は10000名、行方不明者は23000名、負傷者は47000名であった。作戦は失敗に終わったが、連合軍の西部戦線での攻勢を数ヶ月遅らせる効果はあった。参考:歴史群像2,’08、グラフィック第2次大戦アクション・シリーズ8、月刊丸2,’08、12,’11、ティーガー重戦車パーフェクトバイブル、月刊PANZER1,’02、月刊軍事研究7,’07、12,’16、武装親衛隊
<ラインハート>:DE-196(護衛駆逐艦)を参照。
<ラインバッカー>:戦域弾道ミサイルのイージス艦による探知・追尾及びSM-2ブロックWAによる迎撃が可能かどうか、海上で確認するために行われた試験。1998年11月にハワイ近海でSPY-1レーダーによる追尾・交戦試験がイージス巡洋艦レイク・エリーとポート・ロイヤルで行われた他、1997年1月24日にSM-2ブロックWAで相対速度マッハ8の目標の迎撃に成功した。しかし2001年に開発期間過長・開発価格高騰などによりSM-2ブロックWAの開発はキャンセルされた。参考:月刊軍事研究1,’05
<ラインバッカー作戦>:ベトナム戦争時の1972年3月に行われた北ベトナム軍のイースター攻勢(春季大攻勢)を受け、4月に開始された、アメリカ軍による大規模な北ベトナム爆撃作戦。この間、タイのウタパオに展開したU-2Cはシニアブックを搭載してCOMINT任務にあたった。タンホア鉄橋に対する爆撃も再開され、4月6日にGBU-8/Bを命中させ、更に4月9日にGBU-10/B・-11/Bを命中させて基礎構造を粉砕、推定修理期間5ヶ月という大ダメージを与えた。その後も13回にわたり爆撃を繰り返して修復作業を妨害、北ベトナム側は修復を断念した。5月9日(ワシントン時間5月8日)、ニクソン大統領がパリ和平会談の中止と本作戦の開始を表明。同日、空母3隻からA-6A攻撃機が出撃し、河川と港湾を5000発の航空機雷(デストラクター)で封鎖した。港湾内の商船が脱出できるよう、機雷には5月11日午後から作動する時限装置が付いており、それ以降は兵站の中心となっていたハイフォン港からの補給物資陸揚げがほぼゼロになってしまった。任務は航空団ごとに固定されており、F-4D装備の第8戦術戦闘航空団が爆撃を、F-105Gワイルドウィーズル/F-4E装備の第388戦術戦闘航空団がハンター・キラーSEADを、F-4D装備の第432戦術偵察航空団がMiGの迎撃にあたった。最終的に空母はCVA-43コーラル・シー、CVA-19ハンコック、キティ・ホーク、CVA-64コンステレーション、ミッドウェイ、CVA-60サラトガが参加している。アメリカ世論も作戦を55%が支持し、機雷封鎖も64%が賛成しており、補給線を絶たれた北ベトナム軍は4ヶ月後の9月26日に開かれたパリ和平交渉で大幅な譲歩を示した。これにより10月22日に本作戦は終了となったが、北ベトナム軍は譲歩の必要が無いと感じてしまい、12月12日には和平交渉が決裂することとなった。参考:月刊航空情報2,’10、月刊軍事研究5,’02、U.S.ウェポン・ハンドブック、月刊世界の艦船10,’15、6,’24
<ラインバッカーU作戦>:ベトナム戦争において1972年12月18-20日と12月26-29日に実施された、B-52を主とするによるハノイ・ハイフォン地区夜間高高度レーダー照準戦略爆撃作戦。B-52爆撃機編隊には直衛戦闘機、EB-66電子戦機、F-4チャフ散布機、F-105Gワイルド・ウィーズルなど40機の護衛が付いた。爆撃目標が民間施設と隣接していることが多く、爆撃制御装置に誤差を与えないためと編隊を崩さずECMの効果を保つため、また空中衝突を避けるために、爆撃侵入開始から爆撃開始までの4分間はB-52編隊は回避行動を禁止されていた。B-52D50機とB-52G100機が729ソーティをこなし、電子戦機など小型戦術機が2700ソーティを実施したが、SA-2(1242発を発射。914発とも884発ともいわれる)により15機(G型9機、D型6機)が撃墜され、25機が損傷した。12月18-20日は同じ時間に同じコースで同目標を爆撃したため損害が大きく、特にB-52GのECMフェーズX未改修機は自己防御電子戦能力が不十分で12月20日に4機が撃墜されるなど被害が多発。クリスマス後の12月26日まで爆撃を中止して戦術変更を行い、多数の編隊が別々の方向から主要目標を同時爆撃するようにした。支援機はF-4C/Jファントム、EB-66電子戦支援機、F-4チャフシップ(チャフ撒布機)、F-105ワイルドウィーズル、KC-135空中給油機、F-111A戦闘爆撃機、EA-3B、EA-6A(海兵隊、12月23日から参加)、EA-6B(海軍、12月22日から参加)、A-7E(AGM-45シュライク対レーダーミサイル装備)など。EA-6Aはローブロー・レーダーを妨害できる唯一の機体であり、12月26日から再出撃を開始したB-52Gの護衛に就いた。爆弾投下量20000トン(うちB-52が15000トン)、破壊したのは軍事施設1600棟、鉄道372両、線路500箇所、発電能力の80%、石油備蓄量の25%(300万ガロン/11356キロリットル)、多数の物資。これを支援するため、タイのウタパオ基地に展開したU-2Rはオリンピック・トーチ作戦を行った。参考:参考:月刊軍事研究1,’03、2,’03、7,’99、5,’02、月刊丸6,’03、月刊航空情報3,’10
<ラインボーテ>:ドイツ国防軍の地対地ミサイル、Rspr4831「ラインの使者」。4段式のロケットで、全長11.4m、弾頭部直径0.19m、発射重量1.72トン。最大速度マッハ5.5。最大射程は218kmもあるが、弾頭重量が40kgしかなく、威力が低い。1944-45年に242発が生産され、第709砲兵大隊により運用された。参考:第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログVol.4、月刊丸1,’98、グラフィックアクション29
<ラインメタル社>:ドイツの兵器会社Rheinmetall社。参考:月刊軍事研究2,’18
<ラインユーブンク作戦>:第2次大戦時にドイツ海軍が実施しようとした大西洋通商破壊作戦、ライン演習作戦。巡洋戦艦による大西洋通商破壊作戦であるベルリン作戦が終わった後、1941年5月18日に発動され、ドイツ海軍戦艦ビスマルク(作戦立案者のギュンター・リュッチェンス戦艦戦隊司令官兼ドイツ艦隊司令長官座乗)、重巡プリンツ・オイゲン、護衛の駆逐艦3隻がグジニアを出港。当初はグナイゼナウも参加する予定だったが、ドックでイギリス空軍機の爆撃を受け損傷したため断念している。5月21日、ノルウェーのベルゲンで燃料補給を受けたが、途中でスウェーデン海軍航空巡洋艦ゴトランドと並走したため、連合軍側に通報されてしまった。5月22日、ベルゲン近くのグリムスタフィヨルドを出港し、駆逐艦3隻を分離してビスマルクとプリンツ・オイゲンの2隻でデンマーク海峡に向かった。イギリスは5月22日にこの情報を掴み、本国艦隊(戦艦41キングジョージX世、53プリンス・オブ・ウェールズ、巡洋戦艦51フッド、72レナウン主力)に北大西洋への展開を命じた。ただドイツ艦隊がデンマーク海峡とアイスランド南のどちらを通るか判断できず、戦力を二分して待ち受けている。また、プリンス・オブ・ウェールズは2ヶ月前に竣工したばかりで、工員を乗せたまま出撃した。5月23日1922、デンマーク海峡で警戒していたイギリス海軍第1巡洋艦戦隊旗艦55サフォークと78ノーフォークがビスマルクとプリンツ・オイゲンを発見。ビスマルクの砲撃を躱しつつ追尾に入った。5月24日、戦艦プリンス・オブ・ウェールズ及び巡洋戦艦フッドが到着し、デンマーク海峡海戦が勃発。ドイツ側はプリンツ・オイゲン、イギリス側はフッドを先頭にした各艦距離750mの単縦陣で、ドイツ艦隊の左舷側にイギリス艦隊が位置し、0535にイギリス側がドイツ側を発見、0552(0549?)に照準距離23000mでイギリス側が先制の砲火を浴びせた。しかしフッドがプリンツ・オイゲンをビスマルクと誤認してそちらに攻撃を集中させていたところ、0555にビスマルクが射距離20300mで反撃を開始。最初の砲撃から8分後、ビスマルクが射距離13000mで放った第5斉射の1発がフッドの煙突後方に命中。舷側装甲と艦内甲板装甲を撃ち抜いて両用砲弾薬庫内で炸裂、後部主砲弾薬庫が誘爆し(射距離的に大落角による砲塔上面装甲貫通・後部主砲弾薬庫内での炸裂ではないらしい)、砲戦開始から11分でフッドは轟沈、乗員1419名のうち1416名が戦死した。プリンス・オブ・ウェールズはビスマルクに3発を命中させ、2000トン浸水させて速力を24ノットに低下させたが、ビスマルクから4発、プリンツ・オイゲンから3発を被弾し、ビスマルクの38cm砲弾で航海艦橋要員が艦長と掌信号長の2名を残して全員戦死するなどの損害を受けたため戦線を離脱、ドイツ側も通商破壊優先で追撃せず、0613に戦闘は終結した。ビスマルクは艦首燃料タンクに被弾した不発弾1発のせいで燃料1000トンが使用不能になり、長期の通商破壊作戦は無理と判断され、1814にプリンツ・オイゲンと分かれて修理のためフランスに向かった。近隣でビスマルクが入れる大きさのドックはサン・ナゼール港ノルマンディー・ドックしか無く、サン・ナゼール港では係留ブイなどの準備が進められたが、燃料が足りないことが判明し、取り敢えずブレスト軍港へ逃れることにした。チャーチルは大西洋の海上交通に対する重大な脅威を取り除くため、総力を挙げてのビスマルク撃沈を下命。イギリス海軍は本国艦隊の戦艦41キングジョージX世、巡洋戦艦34レパルス、空母38ビクトリアスを現場に向かわせ、更にジブラルタルからH部隊の巡洋戦艦72レナウン、重巡24シェフィールド、空母91アーク・ロイヤルを出撃させ、カナダ行きの客船ブリタニックを護衛していた戦艦29ロドネイ及び駆逐艦3隻も動員した。5月24日2200過ぎ、空母ビクトリアスから14機の艦上機(うちソードフィッシュ9機)が発艦し、ビスマルクの右舷中央に魚雷1発を命中させたが、深度調整装置の故障で水線直下の最も装甲の厚いところに当たってしまい、主缶の一部を故障させたに止まった。5月25日0300、ビスマルクは重巡55サフォークの追尾を振り切る事に成功。イギリス側はビスマルクがノルウェーに向かったと判断したが、すぐ誤認に気付いてフランス方面への索敵を継続した。5月26日、本国艦隊と戦艦ロドネイ、駆逐艦2隻(もう1隻は燃料不足で帰投した)が合流。ただ元々低速のロドネイの機関が不調で、本国艦隊に付いていくのがやっとの状態となっている。1030、イギリス沿岸航空隊第209飛行隊のカタリナ飛行艇がサン・ナゼール沖700海里でビスマルクを発見。1440、悪天候の中、空母アーク・ロイヤルからソードフィッシュ15機が発艦。ビスマルクと誤認したシェフィールドに雷撃をかけたが、幸い1本も当たらなかった。母艦に戻って再度雷装し、1910に出撃、2053前にビスマルクを雷撃して2本を命中させた。うち1本が左舷後部の舵機室を破壊したため、ビスマルクは舵が左旋回15度で固定されてしまい、速力も10ノットに低下した。リュッチェンス戦艦戦隊司令官兼ドイツ艦隊司令長官はベルリンに訣別電を打電。夜間にイギリス第4駆逐艦戦隊駆逐艦5隻がビスマルクを雷撃したが、全て外れた。5月27日早朝、ビスマルクが戦闘記録を残すためにAr196を発艦させようとしたが、カタパルトが故障して失敗した。0847(0849?)、キングジョージX世、ロドネイ、重巡ノーフォーク、ドーセットシャーがビスマルクを捕捉し、射距離22000mで砲撃を開始。0859、ロドネイの主砲弾1発がビスマルクに命中し、第1・第2主砲塔が使用不能となった。次いでキングジョージX世の砲弾で3番主砲塔、ノーフォークの砲弾で前檣楼頂部の測距儀・方位盤を破壊され、0930頃にはロドネイの砲弾で4番主砲塔も使用不能に陥り攻撃能力を喪失、更に駆逐艦群の雷撃が加わり、射距離3000mでの零距離射撃による滅多打ちを喰らって大中口径弾300-600発を被弾したビスマルクは水線上の構造物の殆どを破壊されたが、水線下のダメージを局限したためになかなか沈まなかった。1015、燃料不足気味になったイギリス艦隊は砲撃から雷撃に切り替え、ロドネイが魚雷8本を発射したが全て外れ(12本発射して1本命中説あり)、巡洋艦ドーセットシャーが1020に右舷に魚雷2本、1036に左舷に魚雷1本を命中させて1039にビスマルクは転覆、リュッチェンス戦艦戦隊司令官兼ドイツ艦隊司令長官やエルンスト・リンデマン艦長と共に海底へと姿を消した。乗員2206名のうち、U74潜水艦が3名、ドイツ気象観測船ザクセンヴァルトが2名、イギリス重巡ドーセットシャーが85名、イギリス駆逐艦F24マオリが25名を救助している。プリンツ・オイゲンは大西洋で単独作戦を行い、6月1日にブレストに帰港した。参考:月刊世界の艦船12,’17、1,’12、7,’15、12,’15、4,’17、5,'20、5,'21、月刊丸8,’87、2,’12、月刊JWings7’12、歴史群像8,’08、月刊軍事研究1,’17
<ラインラント>:ドイツ海軍ナッソー級戦艦Rheinland。1908年9月進水、1910年竣工。1916年5月31日、ジュットランド海戦に第1戦艦戦隊第2小隊2番艦として参加、主砲弾35発を射撃した。夜戦ではイギリス海軍第4水雷戦隊から2発を被弾、10名が戦死した。1918年4月、フィンランド解放作戦中にアーランド海で座礁し、大破した。工作船ボスニアなどが石炭、砲塔、舷側装甲など6400トンを撤去して6月に離礁したが、船体の損傷が激しく修復不能と判断され、キール港で宿泊艦として使用された。1920年に賠償艦として売却され、1921年にオランダで解体された。参考:近代戦艦史、月刊丸2,’08、月刊世界の艦船6,’16
<ラインラント進駐>:1936年3月、ベルサイユ条約で非武装とされていたラインラントにドイツ国防軍が進駐したもの。前年にベルサイユ条約の軍備制限条項を破棄して再軍備を開始したばかりのドイツ国防軍はフランス軍が動けば蹴散らされたと思われるが、ヒトラーの予想通りフランス軍が動かなかったため、そのまま進駐を続けた。それまでドイツ国防軍はヒトラーに批判的だったが、フランスが必ず反撃に出るという予想を外したため、威信が低下してヒトラーの言いなりになっていく。参考:月刊軍事研究7,’04
<ラインラント・プファルツ>:F209(F122級フリゲート)またはF225(F125級フリゲート)を参照。
<ラヴァカ>:APA-180(攻撃輸送艦)を参照。
<ラヴァリング>:DE-39(エヴァーツ級護衛駆逐艦)またはDE-272(エヴァーツ級護衛駆逐艦)を参照。
<ラ・ヴァレット>:DD-448(駆逐艦)を参照。
<ラヴィ>:M346(イスラエル空軍)を参照。
<ラヴィ>:イスラエルのIAI社が1980年代から開発した国産戦闘機で、若獅子の意。カナード付き無尾翼デルタ単発機で、主翼端に短距離空対空ミサイルランチャー、胴体下面にエアインテイクを持つ。1986年7月に試作初号機が完成し、試作機5機を製作するところまで行ったが、1987年夏にアメリカの圧力で潰された。試作機は開発中止後も技術デモンストレーターとして使われていたらしく、1994年に日本の第10次欧州防衛事情調査団がIAIを訪問した際にも2機が良好な状態で保存されていた。設計データは殲撃10型に流用されたらしい。参考:月刊軍事研究2,’18、月刊JWings1,’14、月刊丸8,’11
<ラヴィーナ級>:ロシアのクリロフ国立研究センターが計画中のヘリコプター揚陸艦Lavina級。半三胴船体に全通飛行甲板を載せている。満載排水量24000トン。最大速力22ノット、航続距離は18ノットで5000海里。兵装は76mm単装砲AK-176MA、30mmCIWSのAK-630M-2、パンツィールM。乗員320名。Ka-27/Ka-29/Ka-52Kなどヘリコプター16機、海軍歩兵500名、軽装甲車50両または主力戦車20-30両を搭載可能。2025年までに1番艦が竣工するかもしれない。参考:月刊軍事研究10,’17、月刊世界の艦船10,’17
<ラヴェジャー>:D70(護衛空母)を参照。
<ラ・ヴェスタル>:フランス海軍アルゴノート級潜水艦La Vestale。1934年竣工。1946年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラヴェンチャー級>:フランス海軍フリゲートL’Aventure級。全長93.5m、幅11.2m、吃水4.4m、基準排水量1325トン。主機はレシプロ機関で、出力6000馬力、速力19ノット。兵装は10.2cm単装砲2門、20mm機関砲11門、爆雷投射機、爆雷投下軌条。1943-44年に6隻が就役した。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラウダーデイル>:L95(駆逐艦)を参照。
<ラウブ>:DD-613(駆逐艦)を参照。
<ラウプグラフ作戦>:ドイツ海軍が第2次大戦時に実施した海上交通破壊作戦。1943年3月14日、カナダのハリファックスとイギリスの間で輸送を行うHX229高速船団の情報をB−ディエーンストがキャッチしたため、それに基づいてデーニッツが立案した。Uボートによるルーデル・タクティクを仕掛け、3月16日からの48時間で13隻141000トンを撃沈している。連合軍は商船通信暗号を読まれた恐れが高いとして、6月までに暗号書を交換する羽目になった。参考:Uボート入門
<ラウマ>:M352(ノルウェー掃海艇)を参照。
<ラウマ級>:フィンランド海軍ミサイル哨戒艇Rauma級。ヘルシンキ級をベースに船体を一回り小型化し、限定的な対潜能力を追加した。ソナーはSS240。全長48.5m、全幅8m、満載排水量248トン。速力34ノット。船体前部にボフォース70口径40mm単装砲1門を持ち、船体中央部やや前方寄りに艦橋がある。艦橋後部左右にはRBS15対艦ミサイル連装発射機(上下に積まれている)1基ずつが搭載され、船体後部にはもう1つ小さな艦橋構造物があり、その左右にもRBS15対艦ミサイル単装発射機1基ずつが装備される。ミストラル対空ミサイル発射機サドラル1基、サーブ9連装対潜迫撃砲LLS-920を4基、12.7mm機銃2丁、機雷・爆雷投下軌条も積む。乗員19名。1990-98年に5隻が就役した。後にソナーを新型に、LLS-920をASW-600に換装している。参考:週刊ワールドウェポン17、月刊軍事研究8,’12、11,’03、5,’04、月刊世界の艦船1,'15増刊、9,’20
<ラウン>:ノルウェー海軍ハウク級ミサイル哨戒艇。1980年就役。参考:週刊ワールドウェポン17
<ラウンデル>:Roundel。円盤状マーク。軍用機の国籍マークとして使われる事も多い。特に外側から青・白・赤と同心円上に並べたイギリス軍のものが有名だが、単色でも図形・イラスト入りでもラウンデルと呼ばれる。日本軍機や自衛隊機は赤丸・白縁取り(F-35Aは薄灰色丸・白灰色縁取り)の同心円だが、普通は日の丸という(Wikipediaの英語版でも”Hinomaru markings”となっている)。参考:月刊JWings9,’20
<ラウンド>:日本海軍士官のスラングで、呉の料亭徳田(丸徳)のこと。参考:帝国陸海軍事典
<ラウンドアウト師団>:アメリカ陸軍の師団で、即応展開時に、完全充足のため指定された州兵から現役編合指定部隊または現役増強部隊が編入される。通常、第3戦闘旅団が欠員になっている。参考:月刊グランドパワー3,’95
<ラウンドアップ作戦>:第2次大戦時、連合軍が当初作成した大陸反攻作戦。1943年春から初夏にドーバー海峡を越えて上陸(カレー及びディエップ)する予定だった。しかし、戦局を見て北アフリカ上陸作戦を優先したため、またジュビリー作戦によりドイツ国防軍の強力さが判明したため、中止され、オーバーロード作戦に後を譲った。参考:月刊PANZER6,’04
<ラウンド・ノーズ・ソフト・ポイント>:ソフト・ポイント弾を参照。
<ラウンド・ノーズ・バレット>:先端が丸みを帯びた弾丸。ジャケッテッド、ジャケッテッド・ソフト・ポイント、レッド(鉛弾)の3種がある。参考:GUN用語事典
<ラウンド・ハウス>:デフコンVを参照。
<ラオス海軍>
<ラオス海軍(1977年)>:兵力550名。河川哨戒艇20隻、上陸用舟艇/輸送艇14隻を保有する。参考:軍事力バランス78年版
<ラオス海軍(1989年)>:兵力650名。河川哨戒艇40隻を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990
<ラオス空軍>:1971年からT-41B/D練習機10機を導入。1977年からMiG-21PFM/MF/bis/UM戦闘機計40機、An-2輸送機10機、Mi-8T/MT/P/MTV-1ヘリ30機を導入。参考:月刊航空ファン2,’16
<ラオス空軍(1977年)>:兵力2000名。T-28A/D対ゲリラ戦機40機、AC-47ガンシップ5機、C-47輸送機10機、C-123輸送機10機、An-24輸送機6機、エアロコマンダー1機、ビーバー1機、T-41D練習機6機、アルエートU/Vヘリ6機、UH-34ヘリ42機、Mi-8ヘリを配備する。参考:軍事力バランス78年版
<ラオス空軍(1980年)>:MiG-21MFを18機、T-28Dを50機、AC/UC-47を10機、An-24を6機、C-47を14機、C-123を10機、Yak-40を1機、Mi-8を4機、UH-34Dを25機、アルエートを4機、MiG-21Uを2機、T-41Dを6機、T-6を6機、AU-24Aスタリオンを10機、O-1を24機、U-17Aを4機保有している。参考:ザ・マーチ18号
<ラオス空軍(1989年)>:兵力2000名。MiG-21戦闘機30機、An-2輸送機6機、An-24輸送機5機、An-26輸送機2機、Yak-40輸送機2機、Mi-6ヘリ2機、Mi-8ヘリ10機、MiG-21U練習機4機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990
<ラオス空軍(2015年)>:現役兵力3500名。An-2輸送機4機、An-26輸送機3機、An-74輸送機1機、Y-7輸送機5機、Y-12輸送機1機、Yak-40輸送機1機、Yak-18練習機8機、Mi-17ヘリ11機、Z-9Aヘリ4機、Mi-6ヘリ1機、Mi-26ヘリ1機、Ka-32Tヘリ1機、Mi-8ヘリ9機、SA360ヘリ3機、R-3空対空ミサイルを保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<ラオス軍>:LPAF(Lao People’s
Armed Forces)と略す。第2次中印紛争と1988年のタイとの国境紛争で実戦経験はあるが、国自体が世界最貧国の1つであり、予算が無く能力は限定され、ADMMプラスの各種訓練に参加してはいるが、国内治安維持を主任務とせざるを得ない状況である。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<ラオス軍(1989年)>:兵力55500名。ベトナム軍経済建設部隊10000-15000名が駐留しており、順次撤退中である。参考:ミリタリー・バランス1989-1990
<ラオス軍(2015年)>:現役総兵力29100名(陸軍25600名、空軍3500名)、準軍事組織(自衛民兵)100000名強。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<ラオス内戦>:1960年代前半、東西両陣営が援助する左右両派と、中立3派による内戦が行われていた。1964年5月19日、ラオス首相がアメリカ軍偵察機によるパテト・ラオ(左派)支配地域への偵察飛行を許可した。付近の偵察用戦力はトンキン湾に展開するCV-63キティホークに搭載されていたVFP-63Det.CのRF-8A4機だったが、これでは足りないため、岩国基地のVMCJ-1に所属するRF-8A、グアム島アガナ基地のVAP-61に所属するRA-3Bが6月1日までにCV-63キティホークに展開した。6月6日、ラオス首相がパテト・ラオ支配地域への低高度偵察を許可。早速VFP-63のRF-8Aが護衛無しでジャール平原上のルート7の偵察に向かったが、1530に1機が37mm高射機関砲を胴体左側面に被弾して油圧を全喪失、墜落してパイロットが捕虜となった(後に脱出、9月1日にCIAダミー会社エアアメリカのヘリにより救出)。これにより秘密裏に行われていたアメリカによるラオス支援作戦が明るみに出た。6月7日、フィリピン近海に展開するCV-14タイコンデロガに搭載されていたVF-51(F-8E装備)がトンキン湾に展開するCV-64コンステレーションに移動。CV-63キティホークからは偵察飛行隊がVF-111の護衛戦闘機付きで出撃したが、VF-111のF-8Cが37mm高射機関砲を被弾して油圧を全喪失し、墜落した(パイロットは翌朝に救出)。6月9日、アメリカ政府はジャール平原とジエンクーアン飛行場周辺にある37mm高射機関砲の爆撃を決定した。7月、航空戦が一段落したため、トンキン湾に展開する空母は1隻に戻された。7月13日、CV-14タイコンデロガに代わってCV-64コンステレーションがトンキン湾に配備された。8月2日、トンキン湾事件が発生。参考:世界の傑作機No.1
<ラオス陸軍>
<ラオス陸軍(1977年)>:兵力46000名。歩兵大隊100個と支援部隊からなる。M24軽戦車、PT-76軽戦車、BTR-40/M-113装甲兵員輸送車、75mm/85mm/105mm/155mm榴弾砲、81mm/82mm/4.2インチ(107mm)迫撃砲、107mm無反動砲、セスナU17A軽飛行機4機を保有する。参考:軍事力バランス78年版
<ラオス陸軍(1989年)>:兵力52500名。軍管区4個、歩兵師団5個、独立歩兵連隊7個、工兵連隊1個、建設連隊2個、独立建設大隊、砲兵大隊5個、高射砲大隊9個、独立歩兵中隊65個、軽飛行機連絡飛行小隊1個からなる。T-34/T-55戦車30両、PT-76軽戦車25両、BTR-40/-60/-152装甲兵員輸送車70両、105mm砲M-101を25門、122mm砲M-1938/D-30を40門、130mm砲M-46を10門、120mm迫撃砲M-43、57mm無反動砲M-18/M-18A1、75mm無反動砲M-20、107mm無反動砲B-11、ZSU-23-4自走高射機関砲、37mm高射機関砲M-1939、57mm高射機関砲S-60、S-125地対空ミサイル、9M32地対空ミサイルを保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990
<ラオス陸軍(2015年)>:現役兵力25600名。軍事区域4個を置く。機甲大隊1個、歩兵師団5個、独立歩兵連隊7個、独立歩兵中隊65個、連絡飛行隊1個、砲兵大隊5個、防空大隊9個、工兵連隊1個、建設工兵連隊2個、海洋セクション(600名)からなる。T-54/T-55戦車15両、T-34/85戦車10両、PT-76戦車10両、BTR-40/-60装甲車30両、BTR-152装甲車20両、105mm砲M101を20門、122mm砲D-30/M-30/M-1938を20門、130mm砲M-46を10門、155mm砲M114を12門、81mm迫撃砲、82mm迫撃砲、107mm迫撃砲M-1938/M2A1、120mm迫撃砲M-43、57mm無反動砲M18A1、75mm無反動砲M20、106mm無反動砲M40、107mm無反動砲B-11、9K32携帯地対空ミサイル、9K310携帯地対空ミサイル発射機25基、23mm自走高射機関砲ZSU-23-4、14.5mm対空機銃ZPU-1/-4、23mm高射機関砲ZU-23、37mm高射機関砲M-1939、57mm高射機関砲S-60、T-54/T-55戦車回収車、MTU戦車橋、哨戒艇52隻、LCM4隻強を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<ラオペンシュレッパー・オスト>:RSOシリーズ(牽引車)を参照。
<ラガート>:SS-371(潜水艦)を参照。
<ラ・ガリソニエール>:フランス海軍ラ・ガリソニエール級軽巡洋艦La Galissonniere。1935年12月竣工。フランス降伏以降はツーロンに停泊していたが、1942年11月のドイツ軍進駐時に自沈した。後にイタリアが引き揚げてFR.12として保管されていたが、連合軍の爆撃により1944年8月に沈没した。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラ・ガリソニエール級>:フランス海軍軽巡洋艦La Galissonniere級。エミール・ベルタン級の防御力強化型である。船型は船首楼型で、舷側に105mm、主甲板に38mmの防御鋼板を配置し、20mmの水中防御縦壁も持つ。砲塔装甲厚は前面100mmである。カタパルト1基(3番砲塔上)と格納庫(3番砲塔前方)、揚収用ハインマット、揚収用クレーンを装備する。艦尾はトランサム型。全長179.5m、幅17.5m、吃水5.4m、基準排水量7600トン、満載排水量9120トン。主機はラトー・ブルターニュまたはパーソンズ・ギヤード蒸気タービン2基、出力84000馬力、2軸推進、速力31ノット。兵装は15.2cm3連装砲塔3基、9cm連装高角砲4基、37mm機関砲8門、55cm連装魚雷発射管2基。GL812水偵(後にロアール130飛行艇)4機を搭載する。乗員は平時540名、戦時764名。ラ・ガリソニエール、ジャン・ド・ヴィエンヌ、グロアール、マルセイエーズ、モンカルム、ジョルジュ・レイグの6隻が1935-37年に竣工した。ツーロンで自沈しなかった3隻はアメリカで改装を受け、航空設備を撤去してアメリカ制式のレーダーを装備、対空機関砲も37mmは全撤去してアメリカ制式の4連装40mm機関砲6基と20mm単装機関砲16門に変更した。戦後にも改装されている。参考:近代巡洋艦史、第2次大戦のフランス軍艦、週刊ワールドウェポン17、月刊世界の艦船4,’12、5,’20
<ラ・ガリソニエール級>:フランス海軍対潜駆逐艦La Galissonniere級。後部甲板室上に展開式のヘリコプター格納庫があり、側壁を開くとヘリ甲板になる。その下がマラフォン弾庫で、甲板室後方にマラフォン発射機がある。満載排水量3910トン(3740トン?)。主機はラトー式蒸気タービン2基、主缶はACB/アンドレ缶(蒸気圧1平方センチあたり35kg、温度385℃)4基、出力63000馬力、速力34ノット。兵装は10cm単装両用砲2門、マラフォンSUM発射機1基、4連装対潜迫撃砲1基、55cm3連装対潜魚雷発射管2基。アルーエトU対潜ヘリ1機を搭載可能。1962年にラ・ガリソニエールが竣工した。参考:月刊世界の艦船3,’07、3,’05、4,’12
<ラ・ガリテ>:チュニジア海軍ミサイル艇La Galite。満載排水量432トン。2014年8月15日、コート・ダジュール沖でドラグーン作戦70周年記念国際観艦式に参加。参考:月刊世界の艦船11,’14
<ラ・ガリテ級>:コンバタントVM級(チュニジア海軍ミサイル艇)を参照。
<ラキシュ>:イランの国防産業共同体が開発した4×4輪装甲兵員輸送車。車体は全溶接で、7.62mm弾に耐えられる装甲を持つ。タイヤ圧中央制御装置、ランフラットタイヤ、動力ウインチを標準装備しており、高温地帯に配備する場合を想定してエアコンの搭載も可能。乗員席前面及び側面には防弾ガラスの嵌め込まれた窓があり、後部兵員室には銃眼がある。兵員室の乗降ドアは側面及び後部に用意されている。最大戦闘重量7.5トン。エンジンは液冷ディーゼル(155馬力)、路上最大速度95km。自衛用として上面に12.7mm機銃(側後面に防楯付き)の搭載が可能。乗員2名+乗車兵員8名。オプションとしてNBC防護装置、セラミック追加装甲、発煙弾発射機の装備が可能。参考:月刊軍事研究10,’07
<ラグ>:サスペンション・ラグを参照。
<ラクーシュカ>:BTR-MDM(装甲兵員輸送車)を参照。
<ラグ角>:Lag angle。ドラッグ角(Drag angle)ともいう。ラグ・ヒンジを持つローターブレードがハンティングした際に、ハブに対するローターブレード取り付け位置に対し、ローターブレードが回転方向と逆に後退している量のこと。ローターブレードに作用する遠心力が大きい程、ハンティングが小さくなるので、ローター始動時にラグ角が大きく、高速回転時に小さくなる。S-55ヘリだとローター始動時25度、前進飛行低速回転時15度、高速回転時10度くらい。参考:航空用語事典増補改訂版
<らく号三十七粍砲シリーズ>:日本軍の空挺部隊用対戦車砲。参考:月刊PANZER4,’93、大砲入門
<らく号三十七粍砲>:48口径37mm対戦車砲で、九四式三十七粍速射砲をベースに昭和17年8月から設計し、昭和18年4月に2門が完成、テストが行われた。スポークは曲面状の薄い鋼板を使用した独特なもので、軽量化を図ると共に空挺投下時の衝撃にも耐えられるように設計されている。撃発は右砲側から出ている拉縄で行う。分解して二式物量箱に詰め、ク号滑空機に搭載する。重量243kg。俯仰角はマイナス6度からプラス12度、旋回角は左右9度ずつ。後座長410mm。使用弾は重量726gの一式徹甲弾で、初速毎秒820m。威力が小さいので昭和19年8月に開発中止になった。参考:月刊PANZER4,’93、大砲入門
<らく号一式三十七粍砲>:日本軍の空挺部隊用37mm対戦車砲。らく号三十七粍砲の改良型で、一式三十七粍速射砲をベースとしている。後座長510mm。これも威力が小さいので開発中止になった。参考:月刊PANZER4,’93、大砲入門
<らく号自転車>:日本軍の空挺部隊用自転車で、空挺投下が可能。参考:月刊PANZER4,’93
<らく号狙撃砲>:日本陸軍の空挺部隊用狙撃砲で、昭和19年頃に試作された。採用されず。参考:大砲入門
<ラクサマナ級>:マレーシア海軍コルベット、Laksamana級。イタリアがイラクに輸出する予定だったが国連の禁輸措置で宙に浮いたのを購入したものである。満載排水量716トン。速力36ノット。兵装はオトマートMk2艦対艦ミサイル連装発射筒3基(後甲板)、オットー・メララ社製62口径76mm単装砲1門(前甲板)、40mm連装機関砲コンパクト40が1基、アスピーデ艦対空ミサイル4連装発射機アルバトロス1基。1997年と1999年に艦番号134ラクサマナ・ハン・ナディム、135ラクサマナ・タン・アブダル・ジャミル、136ラクサマナ・ムハンマド・アミン、137の4隻が就役した。参考:JShips Vol.24、月刊世界の艦船7,’13、3,’10、7,’15、1,'15増刊、月刊軍事研究11,'15、THE MILITARY BALANCE 2016
<ラクサマナ・タン・アブダル・ジャミル>:135(コルベット)を参照。
<ラクサマナ・タン・プスマ>:マレーシア海軍コルベットLaksamana Tan Pusmah。2011年12月6-10日、LIMA2011に参加。参考:月刊世界の艦船4,’12
<ラクサマナ・ハン・ナディム>:134(コルベット)を参照。
<ラクサマナ・ムハンマド・アミン>:136(コルベット)を参照。
<絡車>:ロープやワイヤを巻き取るリールのこと。参考:月刊JWings2,’00
<ラクセン(初代)>:スウェーデン海軍ラクセン級潜水艦1番艦。1914年進水、1935年退役。参考:月刊軍事研究1,’03
<ラクセン(2代目)>:スウェーデン海軍アヴォレン級(2代目)5番艦。元はU1級潜水艦U8である。1976年退役。参考:月刊軍事研究2,’03、1,’03
<ラクセン級>:スウェーデン海軍潜水艦で、ラクセンは鮭の意。第2号級の改良発展型で、ラクセンとゴッダンの2隻が1914年と1915年に進水した。全長26.7m、全幅3.6m、水上排水量140トン、水中排水量170トン。主機は6気筒ディーゼル(350馬力)2基+水中航行用電動機(100馬力)2基、2軸推進、水上速力8.8ノット、水中速力6.6ノット。兵装は艦首の457mm魚雷発射管1門。乗員10名。ラクセンは1935年、ゴッダンは1931年に退役した。参考:月刊軍事研究1,’03
<ラグ・パーシュート>:空中戦機動の1つ。攻撃側の速度が大きく、オーバーシュートの危険がある時に用いられる。ブレイクした防御側の外側を旋回することで距離を稼ぎ、速度過大の不利を無くす。スパイラル・ダイブで対抗できる。参考:図解現代の航空戦、戦闘機のしくみ
<ラグ・パーシュート・ロール>:空中戦機動の1つ。敵より速度が大きく、敵との距離が近い時に使う。ラグ・パーシュートだけでは減速が間に合わずオーバーシュートする危険があるため、最大Gで引き起こして急上昇をかけ、減速してからラグ・パーシュートの軌道に入り、更にロールを行って再度減速、敵の後ろに付く。参考:戦闘機のしくみ
<駱馬湖>:964(補給艦)を参照。
<ラグ・ヒンジ>: リード・ラグ・ヒンジを参照。
<洛陽>:527(フリゲート)を参照。
<ラ・グラシューズ>:フランス海軍エラン級掃海通報艦La Gracieuse。1940年就役。第2次大戦中は地中海で任務に就いた。1958年解体。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラグランジ>:APA-124(攻撃輸送艦)を参照。
<ラ・クレオル>:フランス海軍オーロール級潜水艦La Creole。1940年6月8日に進水し、イギリスに曳航されて接収された。第2次大戦中はそのまま放置されており、戦後フランスに返却されて1946年に竣工した。1961年解体。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラクロス>:MGM-18A(巡航ミサイル)を参照。
<ラクロス/オニックス>:アメリカ軍のレーダー衛星Lacrosse。1988年、1991年、1997年、2000年に計4基が打ち上げられた。このうち2000年のものはオニックス(Onyx)とも呼ばれる。解像度1mの合成開口レーダーを搭載しており、天候に影響されず地上を撮影できる。周回高度650km。ラクロス/ベガと同じ?参考:月刊軍事研究9,’05、6,’04
<ラクロス/ベガ>:アメリカ軍大型精密SAR衛星Lacrosse。ロッキード・マーチン社製で、ワルシャワ条約軍装甲車両監視用に開発された。全長12m、最大直径4.2m、重量14.5トン(16トン?)で、直径15mのパラボラアンテナと全長45mの太陽電池パネルを持つ。可視光線より波長の長いミリ波レーダーを使用するが、分解能は0.98mに達する。高度670kmを90分周期で周回し、設計寿命は5年だが、10年くらいは使える。レーダー・ビーム幅で精密分解ビーム・モード、スタンダード・ビーム・モード、ワイド・スワッシュ・ビーム・モードの3段階が用意されており、精密偵察から地図作製まで1基で行える。初号機は1988年12月にUSA-34としてスペースシャトルで打ち上げられ、軌道傾斜角57度、高度669-687kmに投入され、湾岸戦争でスカッド狩りや機甲部隊の位置評定に使用された。2号機は1991年3月にタイタンWで打ち上げられた。3号機(USA-133)は1997年10月23日にタイタンWAで打ち上げられ、高度666km×679km・傾斜角57度の軌道に投入された。4号機(USA-152)は2000年8月17日にタイタンWBで打ち上げられ、高度689km×695km・傾斜角68度の軌道に投入された。5号機(USA-182)はアンテナを長方形に変更しており、2005年4月30日にタイタンWBで打ち上げられ、高度718km×712km・傾斜角57度の軌道に投入された。参考:月刊軍事研究4,’99、10,’14、8,’03、4,’07、軍事分析湾岸戦争、月刊JWings10,’18
<ラ・クロランド>:フランス海軍オーロール級潜水艦La Clorinde。起工されたが建造中止となった。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラケーテンベルファー43>:ドイツ国防軍8.8cmロケット弾発射機、通称ピュッピュヘン(小さな人形)。後にラケーテンパンツァーブクセ(ロケット式対戦車銃、RP43)に名称変更された。駐鋤1本の対戦車砲のような格好をしており、パンツァーシュレックと同口径の88mmロケット弾(RGr4312。パンツァーシュレックの弾薬とは別物)を発射する。砲身長1.6m、戦闘重量146kg。車輪付きの砲架に載っているが、車輪を外すこともでき、7分割しての運搬も可能である。最大射程700m。大きさの割に威力と射程がいまいち(対戦車任務の有効射程は230mくらい)で、パンツァーシュレックの方が安くて使い勝手が良かったため、1943年に少数が生産されたのみである。参考:第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログVol.3、月刊グランドパワー8,’04、月刊PANZER6,’06
<ラケーテンベルファー56>:ドイツ国防軍のロケット弾発射機。30cmネーベルベルファー42の脚周りを5cmPaK38の流用としたもので、フレーム前方下部に牽引ピントルを追加した。フレーム内側のレールを交換すると、15cmロケットも発射可能。1944年に採用された。名称は後にラケーテンパンツァーブクセ56(RP56)となった。参考:月刊グランドパワー8,’04、月刊丸10,’97、第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログVol.4
<ラケーテン・ヤークトパンツァー1>:SPz.12-3ファミリー(自走対戦車ミサイル)を参照。
<ラケーテン・ヤークトパンツァー2>:ヤークトパンツァー2(自走対戦車ミサイル)を参照。
<ラケーテン・ヤークトパンツァー3>:ヤグアル1(自走対戦車ミサイル)を参照。
<ラコタ>:UH-72A(ヘリ)を参照。
<ラコタ>:アメリカのマック・ディフェンス社が開発した6×6輪装甲車。VAB Mk3がベースで、キャタピラー社製C7ディーゼルとアリソン3500トランスミッションを搭載している。中東の某国から発注されたらしい。参考:月刊PANZER4・5,’17
<ラ・ゴルゴーヌ>:フランス海軍オーロール級潜水艦La Gorgone。起工されたが建造中止となった。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラ・コルドゥリエール>:フランス海軍ラ・メルポメーヌ級水雷艇La Cordeliere。1937年竣工。1950年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラ・コルネリ>:フランス海軍オーロール級潜水艦La Cornelie。起工されたが建造中止となった。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラ・コンデリエール>:H25(駆逐艦)を参照。
<ラ・コンバッタント>:フランス海軍フリゲートLa Combattante。全長82.9m、幅8.6m、吃水2.4m、基準排水量904トン。主機は蒸気タービンで、出力19000馬力、速力26ノット。兵装は10.2cm連装砲2基、40mm機関砲4門、20mm機関砲2門。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラ・コンバッタント>:フランス海軍試作ミサイル艇で、ドイツのリュールセン社が建造した。全長45m、排水量202トン。主機はディーゼルで、速力23ノット、航続距離は12ノットで2000海里。兵装は30mm機関砲1門、SS11ミサイル4連装発射機1基。1964年に竣工した。後にエグゾセのテストも実施している。参考:月刊丸12,’92
<ラ・コンバッタントV級(ギリシャ海軍)>:ギリシャ海軍フリゲートで、Laskos級ともいう。兵装はMM-38エグゾセ発射筒4基またはペンギン2発射筒6基、533mm魚雷単装発射管2門(SST-4長魚雷)、76mm単装砲2門。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、ミリタリー・バランス1989-1990
<ラ・コンバッタントVB級(ギリシャ海軍)>:ギリシャ海軍フリゲートで、Kavaloudis級ともいう。兵装はRB12ペンギン艦対艦ミサイル単装発射機6基またはRGM-84Cハプーン連装発射機2基、533mm魚雷単装発射管2門(SST-4長魚雷)、76mm単装砲2門。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<拉薩>:102(ミサイル駆逐艦)を参照。
<ラザー3>:セルビア国家憲兵隊8輪装甲車。装甲はモジュラー式で、スポールライナーを張って防御力を高めた。車体前面は楔形、車体断面形はソロバン玉状で、避弾経始に優れた形状をしている。車体後部の兵員室側面上部には視察窓がある。全長7.92m、全幅2.95m、戦闘重量22-26トン。乗員3名+乗車兵員9名。ユーゴインポート社製。2016年12月に就役した。参考:月刊PANZER4・5,’17
<ラサータ>:AKA-29(攻撃貨物輸送艦)を参照。
<ラ・サール>:AGF-3(指揮艦)またはLPD-3(ドック型輸送揚陸艦)を参照。
<ラサガ>:P01(ミサイル艇)を参照。
<ラサガ級>:スペイン海軍ミサイル艇Lazaga級。西ドイツのヤグアル級と同じもので、1番艦は西ドイツのリュールセン社が建造し、以降はバサン社で建造した。平時にはミサイルを積んでおらず、砲艇として配備されているが、戦時にはハープーンを積んでミサイル艇になる他、ハルソナーと3連装短魚雷発射管を装備して駆潜艇になることもできる。満載排水量399トン。速力30ノット。兵装は76mmコンパクト砲など。P01ラサガ、P02Alsedo、P03Cadarso、P04Villamil、P05Bonifaz、P06Recaldeの6隻が配備された。参考:月刊世界の艦船2,’87
<ラサガ級・海外シリーズ>
<ラサガ級(モロッコ海軍)>:モロッコ海軍ミサイル艇で、エル・カタビ艦長(Cdt El Khattabi)級ともいう。兵装はエグゾセMM38艦対艦ミサイル単装発射筒4基、76mm砲1門。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、ミリタリー・バランス1989-1990
<ラサドガル>:23(給油艦)を参照。
<ラザフォード>:K558(フリゲート)を参照。
<ラジアルタイヤ>:カーカス層のコードが放射状に配列されているタイヤのこと。タイヤの半径方向に対して放射状の配列を持つ1-2枚のコード層の上に、トレッドに対して10-20度の角度を持つベルトを重ねて補強してある。コードにはポリエステルやレーヨン、ナイロンが使われており、ベルトはケブラーやレーヨンなどの高剛性繊維を使用したものとスチールを使用したものがあって、前者はテキスタイルラジアル、後者はスチールラジアルと呼ばれる。グリップ性が高く、抵抗や横滑り、走行による発熱が少ない。静粛性には劣る。参考:自動車メカニズム図鑑
<ラシーン>:LST-1191(戦車揚陸艦)またはPF-100(フリゲート)を参照。
<ラジェンドラ>:インドが独自開発したフェイズド・アレイ・レーダーで、S-300F用。
<ラジオコールナンバー>:製造順番号。
<ラジオコールナンバー(アメリカ空軍)>:アメリカ空軍機が尾翼に記入する運用管理・航空管制用の数字で、単にコールナンバーともいう。シリアルナンバーの一番最初の数字を省いた5桁の数字で表される(ハイフンは使わない)。会計年度の10の桁を省くので、10年ごとに同じコールナンバーが出てくる可能性があり、以前はO(オブソレート・旧式)という記号を付けて区別していたが、現在は同じコールナンバーにならない管理体制をとったので付かなくなった。1966年以降、戦術航空コマンドが迷彩塗装を採用したことに伴い、AF(Air Forceの略)の文字下にラジオコールナンバーの上2桁または発注会計年度の下2桁を書き、その右側にラジオコールナンバーの下3桁を大書きするタイプが出現した。参考:月刊JWings4,’12、4,’07、航空ジャーナル9,’77臨時増刊
<ラジオコールナンバー(アメリカ陸軍)>:アメリカ陸軍機が垂直安定板やテイルパイロンに記入する数字で、テイルナンバーともいう。シリアルナンバーの調達機通し番号(数字5桁)で、調達から10年以上経過すると前に0-を付ける(0-13874など)。CH-47Fだけは5桁の数字の前に調達年度の下2桁とハイフンが付いたシリアルナンバーそのものを記入する(17-09431など)。参考:月刊JWings2,’20
<ラジオコールナンバー(海上自衛隊)>:シリアルナンバーの下3桁。機首にはラジオコールナンバーの下2桁のみが記入される。B-65Pは001以降、HSS-1は551以降、HSS-1Nは561以降、HSS-2は001以降、JRFは011以降、KAL-2は001以降、KM-2は231以降、KV-107Uは601以降、OH-6Dは764以降、P-2Jは701以降、P2V-7は601以降、PBYは881以降、PS-1は801以降、PV-2は001以降、PV-2Dは001以降または601以降、R4D-6は021以降、S2F-1は001以降、S2F-Cは061以降、S2F-Uは151以降、S-51は831以降、S-55は941以降、S-55Aは071以降または901以降、S-61A-1は184以降、S-61AHは941以降、S-62Jは921以降、SNBは401以降、SNJは161以降、T-5は301以降、T-34Aは101以降、TBM-3Sは341以降、TBM-3Wは001以降、TC-90は801以降、UF-2は051以降、UP-1は501以降、ベル47は721以降、LC-90は301-306、UC-90は102以降、UP-2Jは161以降、US-1は071以降、US-1Aは077-090、US-2は901以降、YS-11Mは041-044、YS-11Tは082以降、U-36Aは201-206、OH-6DAは778-782、TH-135は801以降、SH-60Jは201-303、SH-60Kは401以降、USH-60Kは901、UH-60Jは961-979、MH-53Eは621-631、MCH-101は651以降、CH-101は191以降、P-3Cは001-101、EP-3は171-175、OP-3Cは131-135、UP-3Cは151、UP-3Dは161-163、P-1は501以降、C-130Rは051-056が製造順に割り振られている。参考:JWings3,'20、4,’12、2,’15
<ラジオコールナンバー(航空自衛隊)>:機首にある3桁の数字と、シリアルナンバーの下3桁がこれである。B-65は091-、B-777-300ERは111-、C-46Dは101-、T-1Aは801-846、T-1Bは851-870、T-2は101-196、T-3は501-550、T-4は601-812、T-7は901-949、T-33Aは201-(川崎重工製)または601-(供与機)、T-34Aは291-、T-400は051-063、U-4は251-255、U-125は041-043、U-125Aは001-、MU-2Jは271-、MU-2Sは201-229、KV-107UA-5は818-852、CH-47Jは471-、UH-60Jは551-、C-1は001-031、C-130Hは071-086、C-2は201-、KC-767は601-604、YS-11は151-163、B-747は001-002(101-102?)、E-2Cは451-463、E-2Dは471-、E-767は501-504、F-1は201-277、F-2Aは501-564、F-2Bは101-133、F-4EJ/RF-4EJは301-440、RF-4Eは901-914、F-15Jは801-965、F-15DJは051-098、F-35Aは701-、F-86Dは001-、F-86Fは401-(供与機)または701-(ノックダウン生産機)、F-104Jは501-、F-104DJは001-、H-19Cは701-、H-21Bは751-、KAL-2は555-、S-62Jは771-、T-6は001-、T-28Bは581-、X-2は001、バンパイアT.55は571-と製造順に付けられている。参考:JWings3,’20、4,’12、戦闘機のしくみ、月刊軍事研究2,’17
<ラジオコールナンバー(陸上自衛隊)>:シリアルナンバーの下4桁。また、垂直安定板やテイルブームにもJG-(陸上自衛隊機を表す)の後に4桁で記載されている。AS-332Lは0001以降、H-13Eは0001以降、H-13Gは0051以降、H-13Hは0101以降、H-13KHは0201以降、H-19Cは0001以降、KAL-1/-2は0001以降、KV-107Uは1701以降、KV-107UAは1801以降、L-19Aは1001以降、L-19E-1は1201以降、L-19E-2は1361以降、L-21は2001以降、LM-1は1001以降、LM-2は1051以降、MV-22Bは1701以降、OH-6Jは1001以降、T-34Aは0501以降、TH-55Jは1301以降、TL-1は1001以降、UH-1Bは1501以降、UH-1Hは1601-1733、UH-1Jは1801以降、UH-2は5151以降、UH-60JAは3101以降、V-44Aは0001以降、AH-1Sは3401-3492、AH-64Dは4501以降、OH-1は2601以降、OH-6Dは1121-1313、TH-480Bは2381(2351?)以降、CH-47Jは2901-2934、CH-47JAは2951以降、EC-225LPは1021-1023、LR-1は2001-2020、LR-2は3051以降。参考:月刊JWings3,’20、4,’12
<ラジオコンパス>:ADF(自動方向探知機)指示計、Radio compass。電波が来る方向を機首に対する角度で示す方式がコンパスに似ているためこう呼ばれており、コンパスと付いていても地磁気とは関係が無い。参考:航空用語事典増補改訂版
<ラジオ・ジープ>:ジープ(アメリカ陸軍)を参照。
<ラジオ磁気指示計>:Radio Magnetic Indicator、RMI。ラジオコンパスの目盛りに、遠隔磁気コンパスから得た機首方位(機首が磁北に対してなす方位)を重ねたもの。計器に描かれた機首は12時に固定されており、機体が方向を変えると磁気方位の目盛板がその分だけ回転し、送信局の方向を示す指針が同じ分だけずれる。参考:航空用語事典増補改訂版
<ラジオゾンデ>:高空気象観測機器の1つで、気球に観測機器と無線機を積んで上空に飛ばすものである。航空機や人工衛星では困難な鉛直方向への連続観測が可能。気圧の低下で気球が膨れ(地上で直径1mのものが上空30kmでは7m以上になる)、気温はマイナス70度に達し、時速200kmのジェット気流に揉まれ、オゾン層の外では強烈な赤外線と紫外線も喰らうため、気球の素材には特殊なゴムを使う必要がある。上昇限度を超えると気球は破裂するので、観測機器と無線機は地上に被害を出さないようパラシュートで降下させるが、どこに落ちるか分からない(日本では海に落ちることが多い)ので、基本的に使い捨てである。参考:朝雲
<ラジオゾンデ>:自衛隊の機器。明星電気製。参考:月刊軍事研究3,’14
<ラジカ>:ジョージア陸軍の国産装軌式歩兵戦闘車Lazika。装甲レベルは全周がSTANAG4569レベル4(14.5mm弾抗堪)、下面がレベル2-3。下部転輪は片側5枚。車体上面左前部に23mm機関砲と7.62mm機銃を1門ずつ搭載する遠隔操作砲塔を持つ。車体前面上部に横一列8連装発煙弾発射機を装備する。乗員3名+乗車兵員8名。試作車が2012年に完成した。参考:月刊軍事研究12,’12
<ラ式一号ディーゼル>:日本海軍の4サイクル6気筒ディーゼルエンジン。元はMAN社製のディーゼルエンジンで、第1次大戦終戦後でドイツとの関係が改善されていなかったことから、スイスのラウシェンバッハ社を介して川崎重工が1923年に製造権を購入、それを大正13年(1924年)に日本海軍及び三菱重工に委譲したものである。全長6.2m、全幅1.1m、全高2.7m、重量25.3トン。回転数毎分450で出力1200馬力(厳島搭載のものは1000馬力)。敷設艦厳島、機雷敷設潜水艦伊121型に搭載された。参考:小艦艇入門、月刊軍事研究6,’16
<ラ式二号ディーゼル>:日本海軍の4サイクル10気筒ディーゼルエンジン。出力3000馬力。参考:月刊軍事研究6,’16
<ラ式十五糎加農>:日本陸軍の榴弾砲。口径149mm、放列砲車重量30トン。俯仰角はマイナス10度からプラス35度、全周旋回可能。参考:大砲入門
<ラ式十五糎榴弾砲>:日本陸軍が日華事変で中国軍から接収したラインメタル製榴弾砲。現地部隊が利用した他、技術本部で研究用に使用した。口径149mm、放列砲車重量5.65トン。俯仰角は0-45度、旋回角は左右500ミルずつ。使用弾は九三式尖鋭弾で、初速毎秒590m、最大射程15.3km。参考:大砲入門
<ラ式三十七粍高射機関砲>:日本陸軍の高射機関砲。口径37mm、放列砲車重量1.57トン。俯仰角はマイナス5度からプラス85度、全周旋回可能。使用弾は曳光徹甲弾と曳光榴弾で、初速毎秒840m、最大射程6800m。参考:大砲入門
<ラ式三十七粍対戦車砲>:PaK36海外シリーズを参照。
<ラシッド>:エジプトが開発したセミオートライフル。SKSライフルに似た外見をしている。作動がガス圧作動式で、閉鎖はティルト・ボルト方式。銃身下部に折り畳み式の銃剣を装着している。全長1015mm、銃身長520mm、重量3.9kg。ライフリングは4条右回り。使用弾は7.62mm×39弾で、装弾数10発。参考:最新軍用ライフル図鑑
<ラジテルヌイ>:ソ連海軍クリヴァクU型フリゲートRazytelny。1977年竣工。参考:月刊世界の艦船3,’92増刊
<ラ・シビル>:フランス海軍ディヤーヌ級潜水艦La Sybille。1934年竣工、1942年に戦没した。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラジプット>:D-51(ミサイル駆逐艦)を参照。
<ラジプット級>:インド海軍ミサイル駆逐艦Rajput級。ソ連名称はプロジェクトME型ナジョージュヌイ級大型対潜艦、西側名称はカシン(Kashin)U型ミサイル駆逐艦である。ソ連のニコライエフ造船所でカシン改型をベースに建造された。船型は平甲板型で、顕著なシーアを持つ。対艦ミサイル発射筒は艦前部に移され、艦後部に装備されていた76mm砲は撤去された。後部SAM発射機とヘリ甲板(01甲板レベル)の間に埋め込み式のヘリ格納庫があり、エレベーターでヘリを収容する。全長146.5m、幅15.8m、吃水4.8m、基準排水量3950トン、満載排水量4974トン。主機はCOGAG方式、ウクライナ製M-8Eガスタービン4基2軸96000馬力(72000馬力?)、最大速力35ノット、航続距離は18ノットで4500海里、35ノットで900海里。兵装はP15M艦対艦ミサイル単装発射筒4基、M-1艦対空ミサイルシステム用ZIF-101連装発射機2基、60口径76mm連装砲AK726が1基、30mm連装機関砲AK230が4基、533mm5連装魚雷発射管PTA-53-61が1基、RBU-6000対潜ロケット12連装発射機2基。搭載電子機器は前部マスト上のMR-310Uヘッド・ネットC対空対水上三次元捜索レーダー、後部マストのMR-500ビッグ・ネットA対空捜索レーダー、MR105アウル・スクリーチ主砲管制用方位盤、ピール・グループ対空ミサイル管制用方位盤、MR-123バス・ティルト機関砲管制用方位盤で、戦闘システムはイタリアのセレニア社が開発したIPN-10である。Ka-25またはKa-27またはKa-28ヘリックスAヘリ1機を搭載できる。乗員320名。1980-88年にD-51ラジプット、D-52ラナ、D-53ランジト、D-54ランヴィル、D-55ランヴィジャイの5隻が引き渡された。4-5番艦はM-1とピール・グループの代わりに(に加えて?)バラクSAM用8連装VLS4基を搭載、CIWSをAK630M2基とし、PJ-10ブラーモス用8セル垂直発射機を追加(P15Mはそのまま搭載)した。後に改装を受け、MR-310Uをエルタ社製EL/M-2238に、MR-500をタレス社製LW08に、MR-123をエルタ社製EL/M-2221に換装した。また、D52とD53はAK-230をAK-630(4基)に換装している。満載排水量は5054トンになった。参考:月刊軍事研究9,’09、4,’11、月刊世界の艦船3,’92増刊、6,’83、7,'21、THE MILITARY BALANCE 2016
<ラジャシュチヌイ>:ソ連海軍クリヴァクT型フリゲートRazyashchny。1973年竣工。参考:月刊世界の艦船3,’92増刊
<ラジャフマボン>:PF-11(フリゲート)を参照。
<ラジャフマボン級>:フィリピン海軍フリゲートRajah Humabon級。大元はカノン級護衛駆逐艦DE-169アサートン、元はDD-263はつひで、アメリカから1979年に購入し、韓国で改装した。全長93m、満載排水量1620-1778トン。兵装は76.2mm砲3門、40mm連装砲3基、20mm機関砲8門など。PF-11ラジャフマボンが就役した。参考:JShips Vol.20
<ラジャ・ラカンドラ級>:サベージ級フリゲート(フィリピン海軍)を参照。
<ラジャワリ330>:インドネシア陸軍捜索監視用UAV。スイスのUMSスケルダー社製F-330がベースで、インドネシアのPT BDP社が共同開発した。電子光学/赤外線カメラ、高解像度カメラ、マッピング・カメラを装備する。全長2.27m、翼スパン3.3m、全高0.9m、最大離陸重量21.5kg、ペイロード10kg。エンジンはレシプロ単発、巡航速度80km、最大速度130km、航続時間8時間(最大ペイロード)。3機が作られて2016年4月から訓練が行われている。参考:月刊軍事研究10,’16
<ラシュカレ・トイバ>:全世界のイスラム連帯を掲げるゲリラ組織で、正しい軍隊の意。カシミール・ゲリラであるが分離独立はあまり強調していない。インドのヒンズー教徒だけでなく、シーク教徒をも標的にする。パキスタン軍統合情報局の全面支援を受けていたが、2008年にインドのムンバイで起こした169人が死亡する無差別テロが外交問題に発展したことから、支援が縮小しているようである。参考:月刊軍事研究2,’02、7,’11
<ラシュモア>:LSD-47(揚陸艦)を参照。
<ラ・シュルターヌ>:フランス海軍アルゴノート級潜水艦La Sultane。1935年竣工。1946年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラ・シュルプリズ>:フランス海軍リバー級フリゲートLa Surprise。元はイギリス海軍リバー級フリゲートのトリッジで、1944年6月6日にフランスに引き渡されてオーバーロード作戦に参加した。6月20日、触雷した。1957年、予備役に編入された。1964年6月、モロッコに譲渡され、モロッコ海軍総旗艦兼王室ヨットのエル・マオウナになった。参考:月刊世界の艦船5,’13
<螺状火道信管>:フランスで開発された信管で、黒色火薬を詰めた細い鉛管を螺旋状に巻いてある。信管秒時の測合は、信管切り鋏で所定の位置を切ることにより実施した。日本陸軍の四斤野砲・四斤山砲の信管もこれであり、「信管を切る」という語句はここから来ている。参考:大砲入門
<羅霄山>:993(揚陸艦)を参照。
<ラ・スーマム>:937(練習艦)を参照。
<ラズエズノイ号事件>:1953年8月2日朝、北海道宗谷郡宗谷村で不審者が発見されたため、8月3日1700に警察が逮捕して持ち物を検査したところ、木箱の二重底から暗号書と178000円が発見された。不審者は北海道出身の樺太残留者であり、供述からユジノサハリンスクでスパイ訓練を受けて8月2日未明にソ連船で宗谷海岸に上陸、暗号書と12万円を旭川郊外に埋めて目印を付け、残った金銭で北海道の地図、新聞、年鑑、労働服、長靴などを購入し、8月7日2200から8月8日0300にかけてソ連船に迎えに来てもらい(来なかったら10日間同じ時刻に待機)、樺太に戻る予定だったことが判明した。8月8日夜、第1管区海上保安本部のくま型巡視船いしかり及びふじが沖合で待機する中、2345に不審船が現れた。供述通りに海岸から懐中電灯を点滅させて信号を送る(エンジン音が聞こえたら3回点灯、船から2回の光を確認したら15分おきに2回点灯)と、濃霧の中を不審船が15ノットで宗谷岬南方知来別海岸に向け接近、巡視船ふじの後方1200-1300mを通過して海岸から200mのところを航行し始めた。不審船を発見した巡視船ふじが停船命令を発したが、不審船は逃走を図り、猟銃で射撃を加えてきたため、ふじの乗員が拳銃と自動小銃(M1ガーランドらしい)で応戦したところ、1発が操舵鎖に命中して切断したため、不審船は逃走を断念、巡視船が拿捕し、船長、機関長、機関助手、操舵手を出入国管理令違反と船舶法違反で逮捕した。不審船はソ連NKVDエルカ型警備艇(排水量23トン、速力27ノット)エルカ1403ラズエズノイ(Elka
1403 Razeznoy)だった。乗員は当初領海侵犯を認めなかったが、ふじのレーダーによる航跡を見て観念し、本船は北樺太漁業トラスト巡視船であり濃霧により誤って日本の領海に入ったと主張した。船内からは暗号乱数表、発光信号機、海岸まで往復するためのゴムボートなどが発見されている。1954年2月19日、船長に懲役1年・執行猶予2年の判決が下された。参考:月刊世界の艦船10,’15、11,’15
<ラスカ>:5P-10-03(射撃指揮装置)を参照。
<ラスカル>:GAM-63(空対地ミサイル)を参照。
<ラスカル・ジハード>:インドネシアのイスラム過激派グループ。ジャファル・タレブ司令官をトップとし、マリク諸島での対キリスト宗教抗争に参戦。アルカイダや国軍旧体制派と繋がりがあるといわれる。参考:月刊軍事研究12,’02
<ラスコス級>:ラ・コンバタントV級(ギリシャ海軍)を参照。
<ラスター練習機シリーズ>:セルビア空軍ターボプロップ高等練習機Lasta(燕)。参考:世界航空機年鑑2018-2019
<ラスター1>:試作型Lasta-1。ユーゴスラビア空軍UTVA-75練習機の後継で、ウトワが量産する予定だった。1985年9月2日に試作初号機が初飛行したが、9月16日に墜落。2号機は1986年8月26日に初飛行したが、テストの結果小型軽量化型することにし、ラスター2に進んだ。参考:世界航空機年鑑2018-2019
<ラスター2>:試作型その2、Lasta-2。ラスター1の小型軽量化版で、全長を短くし、フラップ面積は17%ほど広げた。1989年から開発し、1991年6月のパリ航空ショーに出展したが、直後の1991年8月30日にユーゴ紛争で開発がストップし、初期生産型もNATO軍の爆撃で5機が全損、6機が損傷してしまったが、1993年12月にセルビア共和国で開発を再開している。1995年にラスター95に進んだ。参考:世界航空機年鑑2018-2019
<ラスター95>:Lasta95。1995年にブルガリアとの共同開発としたタイプで、2009年2月5日に初飛行した。全長7.97m、全幅9.71m、全高3.16m、最大離陸重量1150kg。エンジンはライカミングAEIO-540-L1B5D(295馬力)単発、最大速度314km。乗員2名。セルビア空軍が改良型ラスタ95v-54を10機配備した。また、初飛行前の2007年12月にイラク空軍がラスター95Nを20機(+オプション16機)発注している。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊JWings11,’14、2,’15、月刊軍事研究9,’11
<ラスター95N>:ラスター95の基本型Lasta95N。エンジン出力300馬力、プロペラは全金属製2翅。主翼下計2カ所(4カ所?)のパイロンに7.62mmガンポッド、12.7mmガンポッド、57mmロケットポッド、100kg爆弾などを搭載できる。イラク空軍が採用した。参考:参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊JWings11,’14、月刊軍事研究9,’11
<ラスター95v−54>:セルビア空軍練習機・軽攻撃機。エンジン出力を315馬力に強化し、計器板をグラスコクピット化した。全長7.97m、全幅9.71m、自重0.85トン。翼面積13.36平方メートル。エンジンはライカミングAEIO-580-B1A(315軸馬力)単発、最大速度370km、実用上昇限度6000m、航続距離900km。兵曹ステーション2カ所。乗員2名(タンデム座席)。15機が発注された。参考:世界航空機年鑑2018-2019
<ラスター練習機・海外シリーズ>
<ラスター95N(イラク空軍)>:イラク空軍練習機。ラスター95初飛行前の2007年12月に20機(+オプション16機)を発注し、2009年に20機が引き渡された。参考:世界航空機年鑑2018-2019
<ラスタースキャン方式>:CRTモニターなどの表示方法の1つ。画面を細かいラスター(走査線)に分け、電子ビームで上から下に描出していくものである。画面の一部しか表示する必要がなくても全体を描出しなければならず、データ量は多くなるが、表示速度は速いので静止画や動画も写すことが出来る。上から順番に描出する(ノン・インターレース方式)と時間がかかるので、1本おきに下まで描出した後、抜いた部分を写す(インターレース方式)手段も取られる。参考:月刊軍事研究1,’14
<ラズダン>:14F156(衛星)を参照。
<ラストチカ>:421-04M(無人機)を参照。
<ラストチカ巡航ミサイル・シリーズ>:ソ連がFi-103をベースに開発した巡航ミサイル。参考:ソ連/ロシア原潜建造史
<ラストチカ10X>:全長8m、直径1.05m、翼スパン6m、全高1.9m、発射重量2トン、弾頭重量800kg。最大速度700km、射程230-240km。P-2型潜水艦からの発射も考えられており、浮上後に長さ20mの発射台を仰角8-12度にセットし、本体を載せ、翼を取り付け、ガソリンを給油し、発射台の火薬カタパルトとブースターで射出され、パルスジェットエンジンで飛翔する。参考:ソ連/ロシア原潜建造史
<ラストチカ10XN>:改良型で、主翼を折り畳み式にし、発射重量を3.3トンに増加させたタイプ。628型実験潜水艦への搭載を考慮しており、全長30m・仰角14度の安定化装置付発射台から射出される。プラスマイナス30度のローリング、0-4度のピッチングでも発射可能である。潜水艦共々設計段階で計画が破棄された。参考:ソ連/ロシア原潜建造史
<ラスト・チャンス>:アーミングまたはアーミング・エリアを参照。
<ラストボロフ事件>:ソ連駐日代表部ラストボロフ二等書記官が1954年にアメリカに亡命し、NKVD少佐であることを公表、戦前から戦後にかけてソ連に情報を渡していた日本人協力者の名前を出したもの。36人が特定されたが、公表されたのは起訴できた外務省関係者4人のみだった。参考:月刊丸8,’87
<ラストルブB>:URPK-5(ミサイルシステム)を参照。
<ラストルプヌイ>:ソ連海軍ソブレメンヌイ級駆逐艦Rastoropny。1986年8月15日起工、1988年6月4日進水、1989年12月30日竣工。参考:月刊軍事研究11,’99、月刊世界の艦船3,’92増刊
<ラストレ>:フランス海軍オーロール級潜水艦L’Astree。1940年6月、建造中にドイツに接収されてUF3となった。戦後に工事を再開し、1949年4月にフランスで就役。1965年11月27日に除籍された。参考:ナチスUボート、第2次大戦のフランス軍艦
<ラストロラーベ>:P800(極地哨戒艦)を参照。
<ラストロラーベ級>:フランス海軍が極地研究所と仏領南方・南極地域の委託で運用している極地哨戒艦L'Astrolabe級。フランスのピリウ社が建造した。フィンランドの砕氷船規則に準じた船体を採用し、0.6-0.8mの連続砕氷能力を持つ。全長72m、幅16m、吃水5.3m、総トン数3268トン。主機はディーゼル4基2軸8700馬力、速力14ノット。P800ラストロラーベが2017年7月に竣工した。参考:月刊世界の艦船1,’18
<ラストロラブ級>:フランス海軍海洋観測船L’Astrolabe級。基準排水量330トン。速力13ノット。1964年に2隻が竣工した。参考:月刊世界の艦船5,’86
<ラスバーン>:APD-25(高速輸送艦)またはDD-113(平甲板型駆逐艦)またはFF-1057(フリゲート)を参照。
<ラズベドチキ>:スペツナズ(特殊部隊)を参照。
<ラスペランス級>:フランス海軍海洋観測船L’Esperance級。元は1962年に竣工したトローラーで、1968年と1969年に1隻ずつ購入して改造を加え、1969年と1972年に就役させた。基準排水量956トン。速力15ノット。参考:月刊世界の艦船5,’86
<ラズムヌイ>:ソ連海軍クリヴァクT型フリゲートRazumny。1973年竣工。参考:月刊世界の艦船3,’92増刊
<ラズリーフ>:ロシア海軍ナヌチュカV型ミサイル艇Razliv、艦番号450。2012年7月1日0600-1800、スラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリヤーグ、ソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦ビストリイ、ウダロイT級ミサイル駆逐艦マーシャル・シャポシニコフ、同アドミラル・トリブツ、同アドミラル・ヴィノグラードフ、グリシャX型警備艦メテル、同ウスト・イムリスク、同コレーツ、ロプーチャT型揚陸艦BDK-98、同オスラビア、ロプーチャU型揚陸艦ペレスウェート、アリゲーターW型揚陸艦ニコライ・ヴィルコフ、ナヌチュカV型ミサイル艇イネイ、タランタルV型ミサイル艇R-14、同R-18、同R-19、フィニク級測量艦GS-47、同GS-84、同GS-296、同GS-404、ビヤ級測量艦GS-200、カメンカ級測量艦GS-211、モマ級測量艦アンタークティダ、ユグ級海洋観測艦ヴィーツェ・アドミラル・ヴォロンツォフ、カシタン級設標艦KIL-168と共に、宗谷岬の西160kmを東に航行するのを、第2航空群P-3Cが確認した。2016年6月20日1400頃、ナヌチュカV型ミサイル艇モロズ、同イネイと共に、宗谷岬北西74kmの宗谷海峡を東に航行するのを、PG-825わかたかと第2航空群P-3Cが確認した。2017年6月17日1800頃、ナヌチュカV型ミサイル艇モロズ、同イネイと共に、宗谷岬北北東35kmを西に航行するのを、PG-827くまたかが確認した。その後宗谷海峡を西に進み日本海に向かっている。7月3-4日、太平洋艦隊の大規模演習に参加。7月5日1500-1700頃、スラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグ、ソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦ビストリイ、グリシャX型警備艦コレーツ、タランタルV型ミサイル艇2隻、ロプーチャT型揚陸艦オスラビヤ、ロプーチャU型揚陸艦ペレスウェートと共に宗谷岬北北東40kmを西に航行するのを、第2航空群P-3C、PG-827くまたか、DD-156せとぎりが確認した。その後宗谷海峡を西に抜けて日本海に向かっている。2018年6月5日1330頃、グリシャX型警備艦エルクーツキー・コムソモレッツ、同MPK82、ナヌチュカV型ミサイル艇イネイと共に、宗谷岬北35kmを西に航行するのを、PG-827くまたかと第2航空群P-3C哨戒機が確認した。その後これらは宗谷海峡を西に進み、日本海に向かっている。7月16日0300頃、ナヌチュカV級ミサイル艇イネイと共に、宗谷岬北西50kmを東に航行するのを、PG-825わかたかが確認した。その後これらは宗谷海峡を東に進んでいる。2021年9月21日1100頃、宗谷岬北東65kmを西に航行するのを、第2航空群P-3C哨戒機が確認した。その後これは宗谷海峡を西に進み、日本海に向かっている。11月28日0800頃、ロプーチャT級戦車揚陸艦オスラビアと共に、宗谷岬西140kmを東に航行するのを、第2航空群P-3C哨戒機が確認した。その後これらは宗谷海峡を東に進んでいる。参考:月刊世界の艦船9,’12、10,’13、9,’16、9,’17、10,’17、3,’19、3,’22
<螺旋不安定>:Spiral instability。機体がバンクすると、横滑りを起こして復元モーメント(横揺れモーメント)が生じ、バンク角を小さくする力が働く。と同時に、バンクにより下がった翼の方に機首を振る片揺れモーメントが発生するので、外回り側の翼の揚力が内回り側より大きくなり、バンク角を大きくする力も働く。後者の方が大きいのが螺旋不安定で、どんどんバンク角が大きくなり、横滑りも激しくなっていき、螺旋状の経路を辿りつつ急激に降下していってしまう。上反角や後退角による横揺れモーメントよりも垂直尾翼による片揺れモーメントが大きすぎると発生する。参考:航空用語事典増補改訂版
<ラタ>:I-16 6型(戦闘機)を参照。
<ラダ>:CZ2000シリーズ(突撃銃)を参照。
<ラダー>:Ladder。はしごのこと。参考:月刊JWings2,’00
<ラダー>:Rudder、方向舵。航空機の基本三舵(一次操縦翼面)の1つで、垂直安定板の後方に付いていて、ラダーペダルにより左右に動き、機首を左右に向ける(ヨーイング)ことで方向操縦を行う。そのままだと機体が横滑りするだけなので、エルロンを使って機体を傾けると旋回する。ただしラダー操作単独でも横滑りに加えて左右の主翼に速度差が生じることにより機体を傾ける作用があり、失速に近い状態で機体の傾きを修正するのはエルロンよりラダーを使った方が良い。錐揉みからの復帰に重要な舵なので、錐揉み中に水平尾翼の後流がラダーを覆って舵が効かなくなる事の無いように設計する。多発機の場合、エンジン1発停止時に発生するヨーイング・モーメントを打ち消せる能力が要る。垂直尾翼のアスペクト比が大きい場合、垂直尾翼上部のラダーと基軸からの距離も大きくなり、ヨーイング・モーメントだけでなく無駄なローリング・モーメントが発生してしまうため、双垂直尾翼にしてアスペクト比を抑えるなどの工夫が要る。艦船の舵もこういう。参考:航空用語事典増補改訂版、航空機設計法、JWings5,’03、2,’00
<ラダー・パターン>:平行捜索パターンを参照。
<ラダーペダル>:Rudder pedal。フットペダル(Foot pedal)ともいう。以前はペダルが無く只の棒だったのでフットバー(Foot bar)と呼んでいた。ラダーを動かして航空機のヨーを制御するためのペダルで、左右に用意されており、踵で踏み込むことによりラダーが作動する。この際、逆側のペダルが手前に戻る。降着装置のブレーキペダルも兼ねており、小型機では降着装置のステアリングとも連動していて、つま先で踏み込んでペダルを前に倒すことによりブレーキやステアリングが作動する。右ペダルを踏み込むと、ラダーが左に動いて機首が右を向く。地上では右主脚にブレーキが掛かり、小型機では前脚が右を向き、機体が右に曲がる。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊軍事研究6,’15、月刊JWings5,’08
<ラダー・ロック>:Rudder lock。機体が大きく横滑りした際、垂直尾翼の迎え角が大きくなり、垂直尾翼が失速に陥って翼面の気流が剥がれ、そちらにラダーが引っ張られてしまい、パイロットが操作していないのに限界までラダーが切られてしまうこと。垂直尾翼面積をラダーより大きめに取って方向安定性を高める、ラダーの操作に必要なヒンジ・モーメントを大きくして舵を取られにくくする、ドーサル・フィンを付ける、といった手段で防止する。参考:航空機設計法
<羅大用>:069(潜水艦)を参照。
<ラタキア海戦>:第4次中東戦争中の1973年10月6日夜、シリアのラタキア沖を航行中のイスラエル海軍ミサイル艇5隻が、シリア海軍魚雷艇1隻を発見、76mm砲の砲撃で撃沈した。魚雷艇は無線で救援を呼んだため、付近にシリア海軍ミサイル艇3隻と掃海艇1隻が到着。イスラエル海軍ミサイル艇隊はレーダーで掃海艇を探知するとガブリエル対艦ミサイル2発を発射して撃沈した。シリア海軍ミサイル艇はガブリエルよりも長射程のP-15艦対艦ミサイル5発を発射したが、チャフとECMで目標を外れ、全て海中に沈んでいる。イスラエル海軍ミサイル艇隊はガブリエル対艦ミサイルの射程内まで接近するとミサイルを発射、コマール型2隻とオーサ型1隻を撃沈した。参考:月刊丸12,’92、月刊世界の艦船9,'22、JShips Vol.20、月刊軍事研究2,’09
<ラダ級>:677型(潜水艦)を参照。
<ラタナコシン>:タイ海軍ラタナコシン級コルベット1番艦Rattanakosin。1986年就役。2011年5月18-20日、シンガポールのチャンギ海軍基地でIMDEXに参加。2019年4月12日、DD-117すずつきと親善訓練を実施。参考:月刊世界の艦船8,’11、朝雲
<ラタナコシン級>:タイ海軍コルベットRattanakosin級。全長76.8m、幅9.6m、吃水2.4m、基準排水量(満載排水量?)960-975トン。速力26ノット。兵装はRGM-84Aハープーン艦対艦ミサイル4連装発射筒Mk140が2基、エルサグ艦対空ミサイル(アスピーデ艦対空ミサイル?)8連装発射機アルバトロス1基、76mm単装砲1門、40mm単装砲1門、324mm短魚雷3連装発射管Mk32が2基(スティングレイ短魚雷)など。ラタナコシンとスコータイの2隻が1986-87年に就役した。参考:JShips Vol.24、月刊世界の艦船8,’11、3,'23、ミリタリー・バランス1989-1990、THE MILITARY BALANCE 2016
<ラダベーター>:Ruddavator。ラダーとエレベーターの機能を兼ね備えた操縦翼面のことで、V字尾翼の後縁に付く。操縦桿を前後に動かしてピッチングの操縦をする際は舵面が左右一緒に上下し、フットペダルを操作してヨーイングの操縦をする際は舵面が上下逆に動くが、この作動を行わせるための装置が複雑になり、重量がかさむという欠点がある。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings10,’09別冊付録
<ラヂオプレス>:日本の民間財団法人。ロシア、中国、北朝鮮など共産圏のラジオ・テレビを傍受し、内容を要約して政府や報道機関に伝えるのが主な仕事で、それを更に分析して重要人物の序列などを解析、人物ファイルを作成したりもする。外務省が所管しており、内閣情報調査室からも資金が出ていて、元理事が内閣情報分析官に就任していたりする。元は外務省ラジオ室で、太平洋戦争終結により1946年に財団法人となった。参考:月刊軍事研究3,’12
<ラチャリット級>:タイ海軍ミサイル艇。イタリアのブレダ50m級を導入したものである。兵装はエグゾセMM38艦対艦ミサイル発射筒4基。参考:ミリタリー・バランス1989-1990
<落下傘>:パラシュートを参照。
<落下傘降下訓練塔用3形>:自衛隊の機器。藤倉航装製。参考:月刊軍事研究1,’19
<落下傘整備員>:陸上自衛隊の需品科隊員で、パラシュートの整備を行う。第1空挺団後方支援隊落下傘整備中隊で教育を受け、基本降下課程と初級落下傘特技教育(最後に自分が畳んだパラシュートで2回降下する)を修了すると落下傘整備員となり、第1空挺団、関東補給処松戸支処、需品教導隊落下傘整備小隊に配置される。空挺隊員がパラシュート降下後に丸めて回収したパラシュートを包装手が点検員2名のチェックを受けつつ点検整備して折り畳み収納し、パラシュートの経歴簿に名前、階級、日付を記入して引き渡す。最初は30分以上かかるが、慣れれば15分くらいで収納できるようになる。貨物用の大型落下傘も整備する。参考:MAMOR vol.117
<落下傘整備中隊>:陸上自衛隊のパラシュート整備部隊で、第1空挺団後方支援隊の隷下にある。空挺隊員降下用パラシュートや物料投下用パラシュートの整備、物料投下準備などを行う。整備不良は空挺隊員の死に直結するので、専門教育を受けた落下傘整備員が配置され、整備心得六箇条を毎日唱和して整備にあたっている。参考:MAMOR vol.124
<落下傘付照明筒>:自衛隊の照明筒。日本工機製。参考:月刊軍事研究4,’08
<落下傘付信号照明筒(地上用)>:自衛隊の火工品。細谷火工製。参考:月刊軍事研究8,’08
<落下傘付信号発煙筒>:自衛隊の発煙筒。細谷火工製。参考:月刊軍事研究5,’08
<落下傘分離器特2号>:自衛隊の機器。藤倉航装製。参考:月刊軍事研究2,’18
<落下傘分離器薬きょう>:自衛隊の火工品。昭和金属工業製。参考:月刊軍事研究10,’15
<落下増槽>:増槽を参照。
<落下タンク・ドーリー(T−4用)>:自衛隊の機器。東亜工業製。参考:月刊軍事研究3,’18
<落下燃料タンク>:増槽を参照。
<ラッキー13>:エダー(ドイツ空軍エース)を参照。
<ラッキーE>:CV-6(空母)を参照。
<ラッキー・ドラゴン作戦>:東南アジアにおけるU-2による偵察活動作戦。1964年12月31日にマクナマラ国防長官から進言を受けたケネディ大統領が即日派遣を決定して開始された。展開先はサイゴン(現ホーチミン)近郊のビエンホア空軍基地(秘匿名OL-20)で、1964年2月14日に第4080戦略偵察航空団の分遣隊が発足し、4機のU-2Cが常駐した。連日1-2ソーティを行い、北ベトナムや、ラオス国境の偵察を施行した。トロージャンホース、ジャイアント・ドラゴンと作戦名を換え、また1970年からは展開基地をタイのウタパオ基地(秘匿名OL-UT)にかえて13年間継続された。この間のU-2の損害は、1966年10月8日に事故による1機のみとされるが、北ベトナムに撃墜されたものが1機存在するといわれ、搭載機器の流出を防ぐため、陸軍特殊部隊まで投入して機体を回収または破壊したらしい。参考:月刊軍事研究5,’02
<ラッキーレディーV世>:パワーフライト作戦に参加したB-52の1番機に付けられたニックネーム。参考:月刊軍事研究10,’02
<らっきょう>:日本で昭和20年2月頃から、これを食べると爆弾に当たらないという噂が流行した。参考:歴史群像12,’03
<ラック>:Rack。兵装や増槽の取り付け架。以前は機体に直接付けていたが、機体外周の気流の関係で投下時に搭載物が上手く機体から分離してくれない事があり、パイロンを介するようになった。ウェポンベイではその心配が無いので、側壁や天井にラックが直接付いていたりする。取り付けられる側にはサスペンション・ラグと呼ばれるリング状の部品が付いており、これをラックに引っかけて固定する。サスペンション・ラグの位置が兵装や増槽によってバラバラだと面倒なので、アメリカ軍の場合、ラグ間隔14インチ(356mm)または30インチ(762mm)に統一されている。参考:月刊JWings3,’12、6,’04、9,’16、月刊軍事研究7,’15
<エジェクター・ラック>:Ejector rack。ガスジェネレータにより高圧ガスを発生させ、これでガスピストンを押し出し、先端のエジェクターフットが兵装などを切り離すタイプのラック。ガスジェネレータの作動方式にはインパスルカートリッジと電気着火があるが、作動を確実にするため両方を搭載するものが多い。ガスジェネレータが作動しなかった時でも風圧で兵装が落ちるようになっている。ガスジェネレータは火工品なので誤爆する危険があり、高圧空気で済ませるタイプもある。参考:月刊軍事研究4,’11、月刊JWings10,’12
<ストア・ラック>:切り離された兵装が重力に従って落下していくタイプ。ラックから兵装が離れるのに時間が掛かるので、姿勢変更中や機動中に切り離すと機体にぶつかってしまう可能性がある。参考:月刊JWings10,’12
<スマートボム・ラック>:精密誘導兵器にデータを入力できるもの。参考:月刊軍事研究4,’11
<ボム・ラック>:Bomb rack、爆弾ラック。防衛省の発注名はボンブラックである。参考:月刊軍事研究1,’15
<ラック>:ポーランド陸軍の自走迫撃砲システムで、ポーランドのHSW社が開発した。自動装填装置付きの後装式120mm迫撃砲をNATOレベル1の装甲を持つ砲塔に収容している。最大射程12km。発射速度毎分8発。装弾数は即応弾が24発で、車体に予備弾を搭載可能。砲塔には8カ所にTVカメラが付いており、全周を監視できる。クラブ自走榴弾砲と同じUPG-NG車体に搭載したものを採用し、砲兵旅団または機甲旅団の自走迫撃砲小隊1個あたり4両を配備した。また、ロスマック・ラック自走迫撃砲としても64両を採用し、2017年から配備している。参考:月刊軍事研究12,’11、12,’17
<ラック式給弾機>:弾薬をラック状の弾倉に格納し、選択した弾薬を装填トレイに載せる方式の給弾装置。参考:火器弾薬技術ハンドブック
<ラッシャー>:SS-269(潜水艦)を参照。
<ラッシュ>:突撃。
<ラッシュカッター>:オーストラリア海軍ベイ級掃海艇Rushcutter。参考:月刊世界の艦船11,’00
<ラッシュモア>:LSD-14(ドック型揚陸艦)を参照。
<ラッセル>:DD-414(駆逐艦)またはDDG-59(ミサイル駆逐艦)を参照。
<ラッセル・M・コックス>:DE-774(護衛駆逐艦)を参照。
<ラッセル・アインシュタイン宣言>:1955年7月9日にロンドンで発表された声明で、ノーベル賞受賞者のマックス・ボルン教授、P・W・ブリッジマン教授、アルバート・アインシュタイン教授、L・インフェルト教授、F・J・ジョリオ・キュリー教授、H・J・ムラー教授、ライナス・ポーリング教授、C・F・パウエル教授、J・ロートブラッド教授、バートランド・ラッセル卿、湯川秀樹教授の連名で出された。「…水素爆弾による戦争は実際に人類に終末をもたらす可能性が十分にあることを指摘している。もし多数の水素爆弾が使用されるならば、全面的な死滅が起こる心配がある。瞬間的に死ぬのはほんのわずかだが、多数のものはじりじりと病気の苦しみをなめ、肉体は崩壊していく。多くの警告が長命な科学者や権威者たちによって軍事戦略上から発せられている。しかし、最悪の結果が必ず来るとは、彼らのうちの誰も言おうとはしていない。実際彼らがいっているのは、このような結果が起こる可能性があるということ、だれもそういう結果が実際起こらぬとは断言できないということである。…私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?人々はこの二者択一という問題を面と向かって取り上げようとはしないであろう。なぜなら戦争を廃絶することはあまりにも難しいからである。戦争の廃絶は国家主権に不快な制限を要求するであろう。…人々は、危険は自分自身や子供たちや孫たちに対して存在し、単にぼんやり感知される人類に対してではないということを、はっきりと心に描くことがほとんどできない。人々は個人としての自分たちめいめいと自分の愛する者たちが、苦しみながら死滅しようとする切迫した危険状態にあるということがほとんどつかめていない。そこで人々は、近代兵器さえ禁止されるなら、おそらく戦争は続けてもかまわないと思っている。この希望は幻想である。たとえ水素爆弾を使用しないというどんな協定が平時に結ばれていたとしても、戦時にはそんな協定がもはや拘束とは考えられず、戦争が起こるやいなや双方とも水素爆弾の製造にとりかかるであろう。なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側は必ず勝利するからである。…私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識と知恵の絶えない進歩がある。私たちは争いを忘れることができぬからといって、その代わりに、私たちは死を選ぶのであろうか? 私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心にとどめ、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へ向かってひらけている。もしできないならば、あなた方の前には全面的な死の危険が横たわっている。」参考:軍縮条約・資料集第2版
<ラッセン>:DDG-82(ミサイル駆逐艦)を参照。
<ラッセン・キャッスル>:K372(コルベット)を参照。
<ラッセン級>:アメリカ海軍給兵艦Lassen級。弾薬や火工品を運搬するための輸送艦で、C2型貨物船を改造したものである。全長139.9m、幅19.2m、吃水7.8m、満載排水量14225トン。主機はディーゼル、出力6000馬力、1軸推進、速力15.3ノット。兵装は127mm単装砲1門、76mm単装砲4門。乗員281名。AE-4キラウエアなどが就役した。参考:第2次大戦のアメリカ軍艦
<ラッソ>:AM10(空対艦ミサイル)を参照。
<ラッソー>:スイスのジェオブルッグ社が開発した高強度ネットLASSO。元は落石阻止用高強度金属網として開発されたが、スラット装甲の代用としてNATO軍が使用している。港湾に設置する自爆ボート阻止ネット型、基地などに設置する不審者侵入阻止型も提案されている。参考:朝雲
<ラッタル>:日本海軍用語で、甲板同士を繋ぐ階段のこと。Ladderのオランダ読みである。艦長専用以外はかなり急で、鉄製のため滑りやすいので、降りる時は手摺に掴まって体を斜めにしないと尻で降りる羽目になる。昇る時にはラッタルは駆け足という不文律があり、1段飛ばしか、駆け足で一段ずつ昇った。露天甲板よりも下のラッタルのてっぺんには片開きの水密ハッチがある。参考:海軍よもやま物語、月刊JWings2,’00、帝国陸海軍事典、続日本海軍よもやま物語、海軍こぼれ話、海軍兵学校岩国分校物語
<ラッチ>:サム・ピースを参照。
<ラッチ>:日本海軍用語で、締め付け金具のこと。参考:月刊丸9,’03
<ラッチュ・バム>:ソ連軍のZIS-3師団砲またはF-22師団砲にドイツ国防軍が付けたニックネームで、弾速が早く、ラッチュ(命中音)の後にバム(発射音)が聞こえることからこう呼ばれた。76.2mm野砲M1942、57mm対戦車砲ZIS-2も一緒くたにこう呼ばれたらしい。参考:月刊軍事研究12,’04、月刊PANZER5,’10
<ラッデロウ>:DE-224(護衛駆逐艦)を参照。
<ラッデロウ級>:クロスレイ級(高速兵員輸送艦)を参照。
<ラッデロウ級>:アメリカ海軍護衛駆逐艦Rudderow級。長船体型の1つで、TEV(Turbo-Electric driVe)型ともいう。護衛駆逐艦の任務が船団護衛に留まらなくなったため、バックレイ級の主砲を対潜掃討・揚陸支援に便利な12.7cm単装砲2門に強化し、操舵室後部にオープンブリッジを設けて艦橋と重心を低くしたタイプである。全長93.27m、幅11.28m(DE-224、-225、705-709は11.2m)、吃水2.95m、基準排水量1450トン、満載排水量1780トン。主機はターボ・エレクトリック方式、GE製ギヤード・タービン2基、発電機2基、電動機2基、主缶はコンパッション・エンジニアリング式水管缶2基(DE-224と-225はパブコック&ウィルコックス式水管缶2基、DE579-589はフォスター・ホイーラー式水管缶2基)、出力12000馬力、2軸推進、速力24ノット、重油搭載量375トン、航続距離は12ノットで6000海里。兵装は12.7cm38口径単装両用砲2門、40mm連装機関砲2基、20mm単装機関砲10基(DE684-686は8基)、533mm3連装魚雷発射管1基、爆雷投下軌条2条、爆雷投射機8基、ヘッジホッグ1基。乗員186名(戦時200名)。252隻が計画され、72隻が建造されたが、うち50隻は途中でクロスレイ級高速兵員輸送艦に変更され、DE-224ラッデロウ、DE-225デイ、DE-230チャーフィー、DE-231ホッジズ、DE-579ライレイ、DE-580レスリー・L・B・ノックス、DE-581マクナルティ、DE-582メティヴィア、DE-583ジョージ・A・ジョンソン、DE-584チャールズ・J・キンメル、DE-585ダニエル・A・ジョイ、DE-586ラフ、DE-587トーマス・F・ニッケル、DE-588パイファー、DE-589ティンズマン、DE-684デ・ロング、DE-685コーツ、DE-686ユージン・E・エルモア、DE-706ホルト、DE-707ジョブ、DE-708パール、DE-709プレイが就役した。参考:アメリカ護衛艦史、第2次大戦のアメリカ軍艦
<ラッデロウ級・海外シリーズ>
<ラッデロウ級(台湾海軍)>:台湾海軍フリゲートで、大原級ともいう。全長93.3m、幅11.3m、吃水3.8m、満載排水量2130トン。主機はターボ・エレクトリック方式で、出力12000馬力、2軸推進、速力23.6ノット。兵装は127mm単装砲2門、40mm連装機関砲3基、20mm連装機関砲2基。10隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,’92増刊、ミリタリー・バランス1989-1990
<ラット>:01式軽対戦車誘導弾の愛称LAT。参考:月刊JWings6,’01
<ラットキラー作戦>:朝鮮戦争時に行われた、智異山ゲリラ(南部軍)掃討作戦。1950年9月18日、釜山橋頭堡内の国連軍と仁川に上陸したアメリカ第10軍団との連絡が付き、釜山橋頭堡を包囲していた北朝鮮軍を逆包囲すると、包囲網を形成していた20万名の北朝鮮軍は崩壊し、かなりの人数が智異山周辺に逃げ込んだ。これに麗水事件以降智異山に逃げ込んでいたゲリラの残りなどが加わり、南部軍を自称、付近で略奪を繰り返し、若い女性を拉致してゲリラに仕立て、略奪した貴金属などを都市で売りさばいて資金源とした。活動範囲は京釜道に及び、国連軍が補給路として使用していた鉄道が襲撃される事態も発生。これを受けてアメリカ第8軍は前線から2個師団を引き抜いて掃討に充てることにした。これがラットキラー作戦で、司令官は韓国軍第1軍団長の白善Y少将であり、部隊名はタスクフォース・ペク(白野戦戦闘司令部)と呼ばれた。まずはゲリラの支配域一体を大きく取り囲むことにし、第8師団と首都師団に加えて警備大隊や戦闘警察など1個師団相当の人員を加え、260kmの包囲網を完成させた。1951年12月2日、包囲網の圧縮を開始。まずは4日間で稜線を確保し、2日間かけて一帯を捜索したが、ゲリラ主力は逃亡しており、戦果に乏しかった。その後は7日間かけて稜線から麓に降りながら徹底した捜索を実施。これを3期に分けて繰り返し、100日間で12000名を射殺、8000名を捕虜にし、1000名を帰順させた。タスクフォース・ペクの損害は戦死100名以上。ただこの時点では根絶はできず、南部軍司令官を射殺したのは1953年12月のことで、1956年末に至っても43名のゲリラが確認されていた。参考:月刊軍事研究12,’09
<羅津根根拠地隊(日本海軍)>:昭和16年10月1日に編成された。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌
<ラッパ>:日本陸軍用語で、ラッパ手の通称。参考:帝国陸海軍事典
<ラッパ>:金属製管楽器の1つ。大きい音が出るため、戦場での情報・号令伝達に適しており、太鼓と共に軍隊(鼓笛隊)に配備された。戦意高揚や威嚇にも使用される。唇の形や息の吹き込みだけで音を出すため、音階は低い方のド、低い方のソ、高い方のド、ミ、高い方のソの5つしか出せない。日本軍では口の形からそれぞれド、ト、タ、テ、チを当てはめ、大正頃にはト、テ、チ、テ、タになった。管の巻数が多いほど、抵抗が大きくなり、音程の制御が難しくなる。ラッパは一般名なので、自衛隊では信号ラッパと呼ぶ。参考:MAMOR vol.126、vol.93
<らっぱ手>:らっぱにより情報や号令を伝達する兵員。行進する歩兵を率いて隊列の先頭を歩きながら演奏していた時代は、真っ先に狙われていたため、行進譜が途切れるのが戦闘開始の合図だった。参考:MAMOR vol.126
<らっぱ手(海上自衛隊)>:航海科員全員が術科学校で信号ラッパの教育を受ける。参考:MAMOR vol.126
<らっぱ手(日本陸軍)>:司令の命を受け、日課の諸号音を定時に吹奏する。また、火災号音や非常号音も司令の命で吹奏するが、緊急時には火災号音は将校・週番士官たる准士官・週番士官、非常号音は連隊長・現在する上級責任者の命によっても吹奏できる。兵舎の位置の関係で1回目と2回目の吹奏を別の場所で行う場合、駆け足で移動し、途中で上官に会っても敬礼する必要は無い。非常時や火災時には速やかに衛兵所前で吹奏し、以降は連続行進して吹奏しながら第2回吹奏位置に移動する。江戸時代末期の慶応2年(1866年)に幕府がフランス軍から教官を招き、江戸城の歩兵32名が横浜で教育を受けた。うち10名は非常に優秀とのことでラッパに赤房の紐を着ける栄誉を与えられている。慶応3年には和歌山藩士の編集したフランス式らっぱ譜教本が出版された。明治2年、軍楽隊の訓練を開始。明治18年、外国と共通のらっぱ譜を使っていると内容がばれるので、独自のらっぱ譜を制定した。参考:MAMOR vol.126、衛兵勤務必携
<らっぱ手(陸上自衛隊)>:毎年各部隊で一定人数が選ばれ、10週間の信号ラッパ教育を受けて審査に合格すると、ラッパ手としての特技(MOS)資格が付与される。参考:MAMOR vol.126
<喇叭譜>:信号ラッパを吹奏する際に使用する楽譜のこと。参考:MAMOR vol.126、vol.93
<喇叭譜(自衛隊)>:海自では日本海軍の喇叭譜を引き継ぎ、陸自は新しく作成して空自もこちらを使っている。このため、君が代の演奏が両者で違う。参考:MAMOR vol.126
<喇叭譜(陸上自衛隊)>:日課号音、数字号音、警報号音、職種・部隊・機関の号音、行進譜、礼式譜などがある。警察予備隊発足時に須磨洋朔一等警察士(後の警察予備隊総監部仮分遣隊・保安隊音楽隊・陸自中央音楽隊初代隊長)が60曲ほど作り上げた。参考:MAMOR vol.126
<ラップ>:ノルウェーが1873年から配備した沿岸防衛用魚雷艇RAP。建造はイギリスのヴォスパー・ソーニクロフト社である。全長18m。主機は蒸気機関で、速力14ノット。搭載魚雷は発射直後に速力20ノットで183m進み、その後9ノットに速度を落とす。最大射程は1800m。参考:月刊軍事研究1,’00
<ラッフィング型ボート・ダビット>:ボート・ダビットを参照。
<ラップウイング>:U62(スループ)を参照。
<ラップ級>:スウェーデン海軍警備艇Rapp級。全長22m、満載排水量66トン。主機はディーゼル、速力25ノット。兵装はエルマ対潜9連装迫撃砲1基、爆雷18個、機雷敷設軌条2条。ROV1基を搭載可能。艦番号87ハーティグなどが就役した。参考:月刊世界の艦船9,’24
<ラップランド戦争>:ラップランドはフィンランドの極北地域(大部分が北極圏)のこと。継続戦争の休戦協定にあった、フィンランド国内に展開するドイツ国防軍を武装解除または駆逐するという条項に基づいて行われた、フィンランドとドイツとの間の戦争である。ドイツ国防軍はムルマンスク攻略のためラップランドに第20山岳軍22万名を展開させていたが、フィンランドが対ソ戦で劣勢に陥った事態を想定し、1944年初めからノルウェーへの撤退計画を立てており、9月2日にフィンランドがドイツと断交したのを機に、翌3日からビアク作戦と称する撤退作戦を開始、オウル川沿いに防衛線を敷いてエストニアへの撤退を開始した。フィンランドは9月4日にラップランド住民に対して疎開の指示を出し、9月7日から住民は疎開を開始した。9月13日から、フィンランド軍はオウル川沿いのドイツ国防軍に対応するため、4個師団と2個旅団を付近に展開。9月14日深夜、ドイツ国防軍はフィンランド湾のスール島を占領してフィンランド湾を制圧下に置き、ソ連海軍の出撃を妨害するタンネ・オスト作戦を開始、ドイツ海軍掃海艇島の港に到着して島の引き渡しを要求した。島に展開していたフィンランド軍第16沿岸砲兵連隊が拒否すると、ドイツは兵員を上陸させたため戦闘となったが、翌15日深夜にはドイツ側は降伏した。ドイツ国防軍とフィンランド軍の間では非公式の調整が行われており、これ以外の場所では戦うふりをしてドイツ国防軍が次々と撤退していった。しかし9月19日にソ連代表がフィンランド側にドイツ国防軍抑留計画提出を要求、フィンランドがドイツと戦っていないことがばれたため、ソ連はドイツ国防軍を攻撃するよう圧力を掛け、9月20日にソ連軍がペツァモ=キルケネス作戦を発動し、バレンツ海方面でフィンランド国境を越えてフィンランドのペツァモ及びノルウェーのキルケネスへと侵攻を開始した。フィンランドはまずドイツ国防軍撤退路の要衝であるロヴァエミを占領することにしたが、ドイツ国防軍に先を越されたため、ノルウェーへの撤退路の途中にあるトルニオに強襲上陸して退路を塞ぐことにした。10月1日、商船3隻に分乗したフィンランド軍第3師団第11歩兵連隊がトルニオ南のリョィッタに上陸。空や海からの支援が全く無い状況での作戦だったが、悪天候でドイツ空軍は出撃できず、リョィッタにはドイツ兵が配備されておらず、あっさりと港を占領、トルニオへの道路を確保して一気に進撃し、その日のうちにトルニオを占領した。これに対してドイツ国防軍はラップランドに対する焦土作戦を開始。建物や橋は全て破壊されたが、民間人は疎開していたため、人的被害は最小限に抑えられた。また、ドイツ国防軍はトルニオで捕虜になったドイツ兵を解放させようと、ケミで132人、ロニエミで130人のフィンランド民間人を強制逮捕して人質に取り、ケミの製紙工場を破壊すると脅した。これに対してフィンランド側は、その場合には捕虜と野戦病院要員・傷病兵を殺害すると返答。ドイツ国防軍は10月11日に民間人を解放したが、この事件は新聞で大々的に報道されたため、フィンランドの対ドイツ感情は一気に悪化した。ドイツ国防軍は10月1日にトルニオを偵察したところ、1個連隊程度のフィンランド軍がいることが判明したため、第211戦車大隊、SS第6偵察大隊、第6猟兵大隊の1個中隊、1個砲兵中隊、軽対空砲数門によりトルニオ戦闘団を編成して反撃に出た。10月2日、トルニオからケミに前進中のフィンランド軍と、トルニオ戦闘団が交戦。トルニオ戦闘団は優勢に戦闘を進めたが、砲兵が無く、戦力も小さく、10月6日には後退を開始。10月6日、ドイツ軍を南方から追い上げていたフィンランド軍機甲師団と第6師団が、ドイツ第7山岳師団にロバニエミ南方で攻撃を開始。10月7日からフィンランド軍トルニオ上陸部隊がケミへの攻撃を開始。付近のドイツ国防軍は北に脱出した。ソ連第14軍と北洋艦隊からなる133500名がペツァモ付近のドイツ国防軍に対する攻勢を開始、ここにいたドイツ第19山岳軍団はノルウェーに向けて撤退した。10月8日にフィンランド軍トルニオ上陸部隊はケミを占領、ドイツ国防軍をラップランド北西と北東に分断した。10月10日、ロバニエミのドイツ国防軍が町に放火。10月16日、ドイツ国防軍がロバニエミからの撤退を開始。以降はフィンランド軍による追撃戦となったが、道路事情が悪すぎて十分な追撃ができず、ドイツ国防軍はフィンランド北西部のラタセノ川西側に陣地を構築して立て籠もった。その間にフィンランド軍は動員を解除したため、戦闘は事実上終結となった。10月20日、ドイツ第19山岳軍団がノルウェー領キルケネスまで後退。ここに蓄積されていた135000トンの資材のうち45000トンを5日間かけて運び出し、撤退を再開したが、撤退路にあたる街は徹底的に破壊された。11月6日、ノルウェー領内のドイツ国防軍とソ連軍との最後の接触があった。11月10日以降はソ連に代わってノルウェー軍が追撃を担当した。フィンランド領内のドイツ国防軍は1945年1月12日になって撤退を再開、フィンランド北西端のキルピスヤルヴィに留まり、4月25日になって全部隊がノルウェーに引き揚げた。4月26日、ノルウェーはフィンマルク全土をドイツ国防軍から解放。4月27日、キルピスヤルヴィの大マッラ山で発生した斥候部隊同士の銃撃戦を最後に、ラップランド戦争は終結した。参考:月刊軍事研究6,’09、10,’09、2,’10、月刊丸5,’13、歴史群像4,’18
<羅津丸>:大連汽船貨物船。総トン数5455トン。昭和20年1月6日、モタ三〇船団の一員として六連島泊地を出港。フィリピンに向かったが、途中で船団が潜水艦と艦上機の攻撃を受け、高雄に退避して難を逃れた。参考:戦時標準船入門
<ラディアン>:MRKP-58(レーダー)を参照。
<ラディアンU>:MRKP-59(レーダー)を参照。
<ラティスマスト>:マストを参照。
<ラティマー>:APA-152(攻撃輸送艦)を参照。
<ラディヤード・ベイ>:CVE-81(護衛空母)を参照。
<ラディン・エディ・マルタディナタ>:331(コルベット)を参照。
<ラテコエール299>:フランスのラテコエールが開発した艦上機で、ラテコエール298水上機の改造型である。2機が試作されたが、どちらも事故で破壊された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇
<ラテコエール299A>:フランスのラテコエールが開発した試作機で、イスパノスイザ12Y31エンジンをタンデムに配置し、二重反転プロペラを持つ。1940年に完成したが、ドイツ国防軍に接収され、連合軍の爆撃で破壊された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇
<ラテコエール570>:フランスのラテコエールが開発した双発爆撃機で、1939年8月に初飛行したが、LeO45に負けて採用されなかった。全長22.54m、全幅28.11m、全備重量10.1トン。エンジンはイスパノスイザ14A(1100馬力)単発で、最大速度470km、航続距離1500km。自衛武装は20mm機関砲2門。爆弾1.5トンを搭載可能。乗員4名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇
<ラデツキー級>:オーストリア=ハンガリー帝国海軍戦艦。常備排水量14500トン。速力20ノット。主砲は30.5cm砲4門。3隻が就役した。参考:月刊世界の艦船4,’17
<ラデマケル>:ブラジル海軍ブロードソード級フリゲートRademaker。もとはイギリス海軍22型バッチ1フリゲートのバトルアクスで、1997年4月に引き渡された。参考:月刊世界の艦船9,’96
<ラテル・シリーズ>:南アフリカ陸軍6×6輪歩兵戦闘車Ratel。南アフリカのサンドック・アウストラル社が開発し、1974年に試作車が完成、1976年から生産された。車体と武装で数タイプに分類される。モロッコに60-80両、ヨルダンに300両が輸出された。参考:世界の軍用車両(4)、月刊軍事研究1,’07
<ラテルMk.T>:車体は装甲鋼板の全溶接で、前面は12.7mm、他部位は7.62mm弾の直撃に耐える。車体前部が操縦手席、中央から後部が兵員室、後部左が機関室で、操縦席周囲には装甲シャッター付き防弾ガラス窓と3基のペリスコープが付いている。第1・第2軸間と後面にビジョンブロック付きガンポートを備えた乗降用ドアがあり、兵員室側面にも同様のガンポートが左右3カ所ずつ取り付けてある。エンジンは6気筒直噴式ターボディーゼル。兵装は操縦席直後の上面に搭載される。参考:世界の軍用車両(4)
<ラテルMk.U>:ナミビアやアンゴラでの戦訓を取り入れた改良型。参考:世界の軍用車両(4)
<ラテルMk.V>:1995年から導入された改良型。参考:世界の軍用車両(4)
<ラテル20>:基本の歩兵戦闘車型Ratel-20。20mm機関砲と7.62mm同軸機銃、7.62mm対空機銃1丁ずつを搭載した2名用砲塔を装備する。車体後部右にも対空用に7.62mm機銃を装着する。全長7.2m、全幅2.5m、全高2.9m、重量18.5トン。エンジンは6気筒液冷ディーゼル(282馬力)、最大速度105km、航続距離1000km。乗員4名(車長、砲手、操縦手、後部対空機関銃手)+乗車兵員7名。参考:世界の軍用車両(4)、月刊軍事研究7,’97
<ラテル60>:Ratel-60。60mm後装式迫撃砲と7.62mm機銃を搭載した2名乗り砲塔を搭載したタイプ。参考:世界の軍用車両(4)
<ラテルFSV90>:火力支援型Ratel-90。AML90と同じH90砲塔(手動旋回式)を装備する。主砲は90mm半自動速射砲(69発)で、同軸に7.62mm機銃1丁、対空用に7.62mm機銃1丁を搭載している。乗員3名+乗車兵員7名。参考:世界の軍用車両(4)、月刊軍事研究3,’07
<ラテル対戦車型>:ZT-3スウィフト対戦車ミサイル3連装ランチャー搭載2名用砲塔を装備したタイプ。車内に予備弾12発を搭載する。参考:世界の軍用車両(4)、月刊軍事研究7,’97
<ラテル迫撃砲車>:81mm迫撃砲を搭載したもの。参考:月刊軍事研究7,’97、世界の軍用車両(4)
<イクルア>:OMCランドシステムズ社の改造案で、2006年と2008年のAADで展示された。砲塔を撤去し、カミンズ社製ISLディーゼル(450馬力)とレンク社製HSV106自動変速機(6速)を組み合わせたパワーパックをその位置(操縦席右後方)に搭載、車体左の乗降ハッチをエンジンメンテナンス用に転用し、車体後部の元々のエンジンスペースは兵員室としている。兵員室後部にはランプドアを設置、内部に12名分の折り畳みシートを設け、機関室右側にも3名分のシート(うち1名は分隊長、1名は武装操作員)を追加した。兵員室上部には外側に開くハッチが8枚追加され、側面のビジョンブロックとガンポートは塞がれた。車体後部には後方監視用としてビデオカメラを装備している。装甲レベルは7.62mmNATO弾に耐えられる程度だが、増加装甲の装着が可能である。耐地雷防御レベルは2Aで、最大3Bまで強化可能。基本武装は12.7mm遠隔操作機銃(シールージュの地上型)で、機関砲砲塔やイングウェ対戦車ミサイル3連装ランチャーなどに換装することも可能である。基本重量14.4トン、最大戦闘重量23.5トン。タイヤはミシュラン製16.00R20 21。乗員2名+乗車兵員14名。ラテルからの改造もでき、費用は1両あたり300万ラント(4500万円)。参考:月刊軍事研究12,’08
<ラテル改(メカノロジー社案)>:イクルアの対抗案。エンジンを320馬力のディーゼルに変更してやや前方に移動させ、車体左の乗降ハッチを吸気ルーバーに変更、後方にメンテナンス用ハッチを追加し、元のエンジンスペースは8名用の兵員室とする。エンジン右には2名用の座席を追加。元々の砲塔、ビジョンブロック、ガンポートはそのまま残す。乗員3名+乗車兵員10名。参考:月刊軍事研究1,’07
<ラデン・エディ・マルタディナタ>:331(コルベット)を参照。
<ラド>:0.01グレイに当たる吸収線量の単位。参考:放射線健康科学
<ラトゥーシュ・トレヴィル>:D646(駆逐艦)を参照。
<ラ・ドゥール>:フランス海軍ラ・ドゥール級運送艦L’Adour。1942年6月、ベイルート沖でイギリス軍機の雷撃を受けて損傷。その後トルコに接収され、売却された。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラ・ドゥール級>:フランス海軍運送艦L’Adour級。1936-38年度計画で6隻が建造される予定で、第2次大戦開戦前にラ・ドゥール、タルンなど3隻が完成した。全長132m、幅16m、吃水6.2m、基準排水量4220トン、積載重量7400トン。主機はタービン、出力5200馬力、2軸推進、速力15ノット。兵装は10cm単装砲2門。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラ・トゥール・ドーブルニュ>:フランス海軍ラ・トゥール・ドーブルニュ級高速敷設巡洋艦La Tour d’Auvergne。1928年起工、1931年にプルトンとして竣工した。ツーロンで砲術練習艦として使用され、1939年に士官候補生練習艦となった。第2次大戦勃発直後にモロッコ防衛のため出港、カサブランカで搭載機雷を陸揚げするために信管を外す作業をしていた時に爆発事故を起こし、1939年9月18日に沈没した。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラ・トゥール・ドーブルニュ級>:フランス海軍高速敷設巡洋艦La Tour d’Auvergne級。元はプルトン級という名称で、1939年に候補生練習艦としての任務を持つと同時に改称された。その際、船首楼甲板下の開口部は全て塞がれたらしい。全長152.5m、幅15.6m、吃水6.7m、基準排水量4773トン。主機は蒸気タービンで、出力57000馬力、速力30ノット。兵装は13.8cm単装砲4門、7.5cm単装砲4門、機雷敷設装置。ラ・トゥール・ドーブルニュ1隻が就役した。参考:第2次大戦のフランス軍艦、近代巡洋艦史
<ラ・トゥーレーヌ>:フランス海軍特設巡洋艦La Touraine。大元は1891年6月竣工のフレンチ・ライン所属北大西洋航路客船で、第1次大戦勃発により特設巡洋艦として使用された。垂線間長158.6m、幅17.1m、深さ10.5m、重量トン数3228トン、総トン数8893トン。主機は三連成汽機2基2軸12000馬力、航海速力19ノット。船客定員一等392人、二等98人、三等600人。1922年に引退し、1923年末にダンケルクで解体された。参考:月刊世界の艦船10,’21
<ラドゥガ−Sh>:Mi-8AMTShに搭載されている対戦車ミサイル発射管制装置で、9M114シュツルムまたは9M120アタカ対戦車ミサイルの誘導に使用される。目標捕捉照準用の光学装置と、ミサイル誘導無線指令用のレドームから構成されており、光学装置は安定化されていて、左右60度ずつ、上方15度、下方20度で可動し、視野7度20分・倍率10倍と、視野22度・倍率3.3倍の2モードがある。誘導電波は2種類のコードで5つの固定周波数を使用し、2目標に2発ずつのミサイルを同時に誘導できるとみられる。参考:月刊軍事研究3,’99
<ラドー1>:サンダー1(自走榴弾砲)を参照。
<ラドー2>:サンダー2(自走榴弾砲)を参照。
<ラトー・タービン>:フランスのラトー(Rateau)教授が1900年に開発した圧力複式複列衝動タービン。静翼、動翼、圧力隔壁の順に複数段を配置し、蒸気が圧力隔壁を通過する度に圧力を少しずつ下げて体積を膨張させ、段ごとに大きくなるタービン翼に蒸気を当てて回転力に変換するものである。効率が良いので、初段をカーチス・タービンにして熱量を吸収し、2段目以降を本タービンとして蒸気のエネルギーを回転力に変換しきる設計とすることが多い。参考:月刊軍事研究1,’16、月刊丸11,’09、月刊世界の艦船11,’11
<ラトーレ>:14(駆逐艦)を参照。
<ラドガ>:ロシア軍が2009年に実施した演習。レニングラード軍管区、空挺軍、北洋艦隊、MVD、FSB、MChSなどから5000名以上が参加した。参考:月刊軍事研究10,’10
<ラドガ計画>:D-54戦車砲の開発計画。
<ラトチャリト級>:タイ海軍ミサイル艇Ratcharit級。兵装は76mm砲1門、エグゾセMM38艦対艦ミサイル連装発射筒2基。参考:THE MILITARY BALANCE
2016
<ラドッシュ>:ギュンター・ラドッシュ。ドイツ空軍夜間戦闘機エースで、撃墜機数65機。最終階級は中佐。参考:月刊丸10,’10
<ラトナ>:イギリス海軍アブディール級敷設巡洋艦Latona。1941年竣工。1941年に戦没した。参考:近代巡洋艦史
<ラトナギリ>:M66(掃海艇)を参照。
<ラドヌイ>:ソ連海軍クリヴァクT型フリゲートLadny。1980年12月竣工。参考:月刊世界の艦船6,’15、3,’92増刊
<ラトビア>:SS義勇第6軍団を参照。
<ラトビア>:ラトビア北部は1721のニスタット講和条約でスウェーデン・バルト帝国からロシア帝国に割譲され、南部は1795年の第3次ポーランド分割でロシア帝国に編入された。第1次大戦で大半がドイツに占領下された。1918年3月3日にロシアとドイツが締結したブレスト・リトフスク講和条約ではドイツの支配下に組み込まれ、4月12日にエストニアと統合されてバルト連合公国になったが、ドイツ敗戦後の1918年11月18日に独立を宣言した。これに対してドイツ未占領地域のラトビア臨時ソビエト政府がラトビアに侵攻し、ドイツ軍、イギリス軍、反革命軍も加わって戦闘が繰り広げられたが、1920年8月11日にソ連と平和条約を締結し、独立が確保された。1921年1月26日、旧連合国により独立が承認された。9月22日、国際連盟に加盟。1923年11月1日、エストニアと相互援助条約に調印し、侵略に対抗することとなった。1932年3月9日、ソ連と相互不可侵条約を調印。1934年4月4日、ソ連との相互不可侵条約の期限を1945年12月31日まで延長。5月15日、クーデターでカールリス・ウルマニスが首相に就任。9月12日、バルト三国間の友好協力協定に調印。1939年8月23日に締結された独ソ不可侵条約の秘密議定書でソ連の勢力圏と勝手に決められてしまった。10月5日、ソ連と相互援助条約を締結させられ、ソ連軍3万名の駐留が開始された。1940年6月17日、ソ連が条約違反を口実に3万名のソ連軍を侵攻させ、全土を占領。7月14-15日に総選挙が行われ、親ソ議員だけが当選して7月21日に議会がソ連への編入を決議。7月22日にウルマニス大統領がソ連に連行され、8月5日にソ連に併合された。1941年6月13-14日、ソ連による最初の強制連行が行われ、16000人が追放された。同月中に計34000人がソ連の収容所へと送られている。7月、ドイツに占領され、7月25日にバルト三国と白ロシアを含む帝国全権委員区オストラントとしてドイツ統治下に置かれた。雷十字党がユダヤ人迫害に協力する一方で、ドイツが終戦後のラトビア独立を保証しなかったため、ドイツに対するパルチザンも創設されている。1944年6月、ソ連軍がバグラチオン作戦を発動し、10月にラトビアを占領。市民14万人が国外に逃れ、ソ連に対するパルチザンも形成された。これに対抗するため、ソ連軍がNKVD/KGB第5治安師団、第48連隊、第182連隊、第21大隊、エージェント800名を送り込み、在ラトビア駐留ソ連軍と共に制圧を開始。エージェントはパルチザン活動地域に民間人を装って入り込み情報を収集したり、社会的地位を得て親ソ・親KGB・反パルチザン的な情報を流したり、パルチザン収容施設にパルチザンを装って潜り込み情報を得たり、パルチザンを装って暴虐の限りを尽くしたり、パルチザンを襲撃したりと様々な活動を行った。当初パルチザンは20000人いたためソ連も手を焼いたが、1946年になるとNKVD/KGBを15000名に増強して徹底的な弾圧を開始。ろくに訓練も受けず武器も無いパルチザンは次々と制圧され、1949年3月25日にラトビア人43000人がシベリア追放を喰らうと支持基盤も無くなり、1952年までに136000人がシベリアなどに強制移住させられて抵抗力を失い、1953年1月24日にKGBがパルチザンに対する勝利宣言を発した。1959年までにソ連はロシア人50万人以上をラトビアへと移住させている。ソ連崩壊後に独立運動が勃発したが、1991年1月20日にはソ連の特殊部隊が内務省を襲撃し、共産党員の率いる民族救済委員会が成立。3月3日、独立の是非を問う国民投票で賛成票が74%に達した。8月19日、ソ連でモスクワクーデターが勃発すると民族救済委員会はクーデターを支持、ラトビアの権力を掌握したと宣言したが、ラトビア最高会議は8月21日に独立を宣言、モスクワクーデター失敗で民族救済委員会トップも逮捕されて9月6日にソ連が独立を認めた。9月17日、国連に加盟。1994年8月、ソ連軍の大部分が撤退。2004年3月29日、NATOに加盟。5月1日、EUに加盟。参考:月刊軍事研究5,’11、7,’11、2,’12、歴史群像4,’17
<ラトビア海軍>:2003年、ヴィルサイティス級敷設艦1隻が就役。2011-14年、スクルンダ級哨戒艇5隻が就役。参考:月刊軍事研究3,’12
<ラトビア海軍(2013年)>:兵力600名。哨戒艇3隻、掃海艇5隻、掃海指揮艦1隻、補給・練習艦1隻を配備する。参考:月刊世界の艦船3,’14
<ラトビア海軍(2015年)>:兵力550名(沿岸警備隊含む)。対機雷戦部隊と哨戒艇部隊に分かれている。また、エストニア海軍及びリトアニア海軍と統合海軍部隊BALTRONを編成していて、対機雷戦艦艇1-2隻を派出している。スクルンダ級哨戒艇5隻、イマンタ級掃海艇5隻、ヴィダル級沿岸掃海艇1隻、ヴァロニス級練習艇兼指揮支援艇1隻、アストラ級巡視艇1隻、KBV236級巡視艇5隻を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE
2016
<ラトビア空軍>
<ラトビア空軍(2015年)>:兵力310名。混成輸送飛行隊1個、防空大隊1個、レーダー/航空管制中隊1個からなる。An-2輸送機4機、Mi-17ヘリ4機、Mi-2ヘリ2機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、月刊航空ファン11,’15
<ラトビア国防軍>:1994年10月に新編された。陸海空軍と民兵(ゼメッサルヅェ)からなり、統合司令部の指揮の下、国土を第1-3管区に分けて防備に当たっている。当初は徴兵制が敷かれたが、2005年に廃止されて志願制に移行した。狭く平坦な国土を少数の国民で守るのは無理なので、NATOとEUに加盟して積極的に作戦に参加、有事にNATO軍が展開できる基地の整備に務めている。2014年、サイバー防衛戦略を策定。サイバー防衛ユニットを国家防衛隊隷下に編成した。参考:月刊軍事研究2,’12、3,’12、THE MILITARY BALANCE 2016
<ラトビア国防軍(2015年)>:現役兵力5310名(陸軍1250名、海軍550名、空軍310名、統合軍2600名、国家防衛隊600名)、予備役7850名(国家防衛隊7850名)。アフガンにNATOのレゾリュート・サポート作戦で25名、マリにEUTMマリ要員3名、北海にNATOのSNMCMG1所属掃海艇1隻、コソボにOSCE要員1名、ウクライナにOSCE要員9名を派遣している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<ラトビア国家防衛隊(2015年)>:現役兵力600名、予備役7850名。歩兵大隊11個、砲兵大隊1個、防空大隊1個、工兵大隊1個、NBC大隊1個、支援大隊3個からなる。参考:THE MILITARY BALANCE
2016
<ラトビア統合軍(2015年)>:兵力2600名。特殊部隊ユニット1個、憲兵大隊1個からなる。参考:THE MILITARY
BALANCE 2016
<ラトビア陸軍>:2015年、CVR(T)ファミリーの配備を開始。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<ラトビア陸軍(2015年)>:兵力1250名。歩兵旅団1個からなる。T-55戦車3両(訓練用)、シミター偵察車1両、FV103装甲車3両(うち装甲救急車1両、コマンドポスト1両)、クーガー装甲車8両(アメリカから貸与)、100mm砲K-53を23門、81mm迫撃砲L16を28門、120mm迫撃砲M120を25門、スパイクLR対戦車ミサイル、84mm無反動砲カール・グスタフ、90mm対戦車砲130門、RBS-70MANPADS、70口径40mm機関砲24門を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<ラドフォード>:DD-446(駆逐艦)を参照。
<ラトランド>:APA-192(攻撃輸送艦)を参照。
<ラトレ級>:チリ海軍フリゲートLatorre級。元はオランダ海軍ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク級フリゲートで、2005年末から2隻が配備された。全長130.5m、幅14.6m、吃水4.3m、満載排水量3750トン。速力30ノット。兵装はハープーン4連装発射筒2基、SM-1MRブロック4発射機1基、30mmCIWS1基、20mm機関砲2門、連装短魚雷発射管2基。参考:JShips Vol.24
<ラドロア>:レペ(駆逐艦)を参照。
<ラドロア>:フランス海軍ラドロア級駆逐艦L’Adroit。1929年竣工。1940年5月21日、ダンケルク撤退作戦中にドイツ軍機の爆撃を受けて沈没した。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラドロア>:DCNS製ゴーウインド級哨戒艦デモンストレーターL’Adroit。元はエルメス(Hermes)という名称だった。ゴーウインド級の性能テストと輸出用デモンストレーターとして使用される艦で、ステルス性を重視した乾舷の低い船体に、高めの上部構造物を組み合わせている。上部構造物後部にヘリ格納庫、艦後部にヘリ甲板があり、艦尾には舟艇発着用スロープを持つ。全長87m、幅13m、吃水3.3m、満載排水量1450トン。主機はディーゼルで、速力21ノット。乗員32名。特殊部隊など兵員27名を乗せられる。2011年に竣工し、2012年7月28日に公試を開始した。同年にはフランス海軍が艦籍に編入、艦番号P725を付与している。2015年にリース期間が終わり、2016年から予備艦扱いとされ、2018年現在、軍艦旗も掲げず船体に錆が浮いた状態でツーロン軍港に停泊していたが、同年6月にアルゼンチン海軍に引き渡されることが決まり、艦番号51ブシャールになった。参考:月刊世界の艦船11,’11、3,’14、1,’15、10,’17、12,’18、3,’19、2,’20
<ラドロア級>:フランス海軍駆逐艦L’Adroit級。ブーラスク級の改良型で、船体を少し大きくして主砲をシャカルと同じ1922年型40口径13cm砲に換えてある。艦橋の測距儀は方位盤に変更された。全長107.2m、全幅9.8m、吃水4m、基準排水量1378トン。主機は蒸気タービン、出力33000馬力、速力33ノット。兵装は13cm単装砲4門、7.5cm単装砲1門、55cm3連装魚雷発射管2基。ラドロア、ラルシヨン、ル・フォルテュネ、ル・マルス、ラ・パルム、ラ・ライユーズ、バスク、ボルドレー、ブーロネー、ブレストア、フォルパン、フードロアイヤン、フーグー、フロンドゥールの10隻が就役した。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラドロア級(改装)>:第2次大戦末期に、3番砲塔、後部魚雷発射管、37mm機関砲を撤去し、40mm機関砲、20mm機関砲、レーダーを搭載、爆雷兵装を強化し、前部マストを三脚から棒状に変更した。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラドロー>:DD-438(リバモア級駆逐艦)またはG57(タウン級駆逐艦)を参照。
<ラナ>:D-52(駆逐艦)を参照。
<ラナー>:アメリカ海軍潜水艦。1945年7月10日、岩手県沖で掃海艇27号を撃沈した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌
<ラニアー>:APA-125(攻撃輸送艦)を参照。
<ラニーミード級>:LCU-2000級(汎用揚陸艇)を参照。
<ラニャン>:ドナルド・ユージン・ラニャン(Donald Eugene Runyon)。アメリカ海軍エース。1934年7月、アメリカ海軍に志願入隊し、志願兵パイロットとなった。1941年12月1日、VF-2に所属してCV-2レキシントンに搭乗していた。太平洋戦争開戦後間も無くVF-6に転属となり、空母エンタープライズに移った。1942年8月7日、F4Fで九九式艦爆2機を撃墜、初戦果を挙げた。8月24日、九九式艦爆を撃墜し、通算5機撃墜でエースとなった。その前の7月23日に少尉への任官が有効となった筈だが、戦史ではまだ下士官の航空機械士とされていて、第2次大戦時のアメリカ海軍唯一の下士官エースとなっている。太平洋戦争では11機を撃墜した。1963年に中佐で退役した。参考:月刊航空ファン2,’12
<ラニング>:APD-55(高速輸送艦)またはDE-159(護衛駆逐艦)を参照。
<ラネツE>:ロシア軍の車載EMP兵器RANETS E。マグネトロンで高出力マイクロ波を発生させ、ディッシュ・アンテナから放射する。有効距離10km。シリア内戦で実戦投入され、巡航ミサイルを無力化しているらしい。参考:月刊世界の艦船4,’18、朝雲
<ラパータス>:DD-851(駆逐艦)を参照。
<ラバー・ダック>:イギリス海軍のコーナー・リフレクター。RCSは4000平方メートル以上あり、艦上から海面に投下して対艦ミサイルなどを欺瞞する。参考:月刊世界の艦船2,’87
<ラパート>:K561(フリゲート)を参照。
<ラバール管>:Laval nozzle。ホースで水を撒く時のように、先を潰した流管の先を細くすると流体の流速が上昇するが、音速以上に加速することはできない。そこで一旦先細にした後、再び徐々に広げる形状としたのがラバール管で、超音速機のジェットノズル、エアインテイク、超音速風洞などに利用されている。入口部と出口部の圧力差が小さい時には管内に衝撃波が発生して流れは亜音速に止まるが、出口部の圧力を下げていくと喉部の流速が音速に達し(下流では亜音速のまま)、更に下げると喉部後方の流れも音速を超える。出口を広げずに入口部の圧力だけ高くしても流速は変わらず、出口部でダイヤモンド波と呼ばれる衝撃波が発生する。参考:航空用語事典増補改訂版
<ラハヴ>:イスラエル海軍Saar5級コルベット。ガザ沖25kmにあるガス採掘プラットフォームを武装勢力ロケット弾からバラク1で防衛する任務に就いている。2017年11月27日、Cドームの試射を実施。参考:月刊軍事研究2,’16、月刊世界の艦船2,’18
<ラバウル>:CVE-121(護衛空母)を参照。
<ラバウル>:パプアニューギニア海軍パシフィック級哨戒艇。2013年10月5日、オーストラリア海軍国際観艦式に参加。参考:月刊軍事研究2,’15
<ラバウル・カビエン攻略作戦>:ラバウルはニューブリテン島北西にあり、オーストラリア委任統治領だったビスマルク諸島の首都で、飛行場が整備されており、日本海軍の拠点であるトラック環礁が爆撃圏内に入っていた。その北にあるニューアイルランド島のカビエンにも飛行場があったため、太平洋戦争緒戦でこれらを同時に攻略することにした。攻略部隊は、ラバウルが陸軍南海支隊5000名と舞鶴第2特別陸戦隊の2個小隊、カビエンが舞鶴第2特別陸戦隊主力の3個中隊で、第1航空艦隊の空母赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴と第24航空戦隊が支援にあたった。防衛するのはラバウルがオーストラリア軍第23旅団の2個中隊など1400名、カビエンがオーストラリア軍1個中隊200名。航空攻撃の後、昭和17年1月23日未明に上陸を開始、オーストラリア軍は兵力に差がありすぎたため、小規模な抵抗の後に後退した。1月25日、ラバウル飛行場戦闘機用滑走路の整備を終了、水上機基地を設置。1月26日、ラバウルに九六式艦戦16機が進出。1月末、カビエン飛行場の応急修理を終了。2月初め、ラバウル飛行場陸攻用滑走路を整備。2月4日、ラバウル守備隊が投降。2月7日、陸攻3機がラバウルに進出。2月14日、第24航空戦隊の司令部がラバウルに進出した。日本軍戦死者は16名。オーストラリア軍戦死者は300名、捕虜は833名。装甲車12両、速射砲15門などを押収した。参考:激闘!太平洋戦争地上戦
<ラバウル級>:パシフィック級哨戒艇(パプアニューギニア海軍)を参照。
<ラバウル航空戦>:ラバウルは日本海軍拠点のトラック環礁から南に1200kmの所にあり、オーストラリア軍が展開していて、ラバウル西飛行場(ブナカナウ飛行場ともいう。1500m×80m)などの飛行場が建設され、連合軍大型機が展開するとトラック環礁が脅威に晒される恐れがあり、また日本軍側が使用すれば米豪遮断作戦の拠点にできるため、日本軍は太平洋戦争緒戦で占領することにした。ただしニューギニアとソロモンの両方から航空攻撃を受ける位置にあるのが欠点である。昭和17年1月4日、トラックに進出した千歳航空隊九六式爆撃機3個中隊がラバウルへの爆撃を開始。1月7日、千歳航空隊がラバウルを爆撃。1月16日、千歳航空隊がラバウルを爆撃。1月23日、日本軍がラバウルに上陸して占領。水上機母艦聖川丸の水上機隊が進出した。1月末、整備を終えたラバウル東飛行場に千歳航空隊の九六式艦戦9機が進出、第4航空隊として基地防空に当たったが、旧式のため夜間爆撃機の迎撃には力不足であった。2月10日、第4航空隊の定数が戦闘機及び陸攻27機ずつに改編され、2月14日から西飛行場に陸攻隊が到着し始めた。同日、第24航空戦隊(第4航空隊の上級部隊)司令部も到着している。2月17日、零戦6機が到着。2月20日、ラバウルから75度400海里のニューギニア沖に空母1-2隻と戦艦1隻などからなる機動部隊を発見。これはラバウルを空襲しに向かう空母レキシントン率いる第11任務部隊で、第4航空隊一式陸攻17機が爆装で攻撃に向かった(魚雷は配備されていなかった)が、零戦は到着したばかりで同行できず、レキシントンのレーダー管制によるF4F戦闘機12機の迎撃を受け、空母に辿り着く以前に13機が撃墜され2機が不時着、這々の体で戻ってきたのは2機だけという大損害を受けた。2月24日、陸攻9機と零戦6機によりポートモレスビーを攻撃。ポートモレスビーはニューギニア南東部の連合軍拠点で、ラバウルから600km弱と近く、ラバウルにとって脅威であると共に、すぐ南にオーストラリアがあるため、米豪連絡線遮断にも重要な場所だった。2月28日、ポートモレスビーを攻撃。2月末までに横浜航空隊九七式飛行艇12機と水上機母艦神威が配備され、第24航空戦隊の全兵力がラバウルに集結した。3月、ラバウル方面防備部隊がソロモン諸島ショートランド島に上陸し、ファイシ島に電信所を設置、水上機や飛行艇の拠点とした。3月11日、ポートモレスビーを攻撃。3月14日、オーストラリアのホーン島を零戦12機・陸攻8機で攻撃。P40戦闘機8機を撃墜し、損害は零戦2機であった。4月1日、第4航空隊が陸攻のみに改編され、戦闘機部隊は台南航空隊に編入された。4月上旬、第25航空戦隊(4月1日新編)司令部がラバウルに進出し、第24航空戦隊と交替した。4月中旬、台南航空隊本隊がラバウルに到着。第1航空隊の一部や元山航空隊の九六式陸攻(4月21日にラバウル西飛行場到着)、横浜航空隊の飛行艇も加わり、ポートモレスビーへの攻撃を本格化した。その結果、制空権が得られたと判断したため、MO攻略作戦を発動させたが、珊瑚海海戦で空母が使用不能となり、作戦は延期された。海上航空戦力が壊滅したため、FS作戦を陸攻部隊の第11航空艦隊で支援することになり、ガダルカナルに飛行場設営を開始。8月、ラバウルには東西南北4ヵ所の飛行場が開設されており、約60機の零戦、約60機の九六式・一式陸攻、27機の水上機、6機の九七式飛行艇が配備されていた。ただ完成していたのは東飛行場のみで、機力建設機材の無い中での飛行場建設は苦戦を強いられている。8月6日、第2航空隊が到着。ガダルカナル島にアメリカ軍が上陸したため、8月7日に第11航空艦隊第5空襲部隊の零戦17機、九九式艦爆9機、陸攻27機がルンガ泊地まで往復1200kmの輸送船攻撃に出撃。零戦は迎撃に上がってきた艦戦のうち12機を撃墜したが、攻撃隊の方は駆逐艦1隻小破のみに止まった。8月7-8日、三沢海軍航空隊がラバウルに到着。以降も連日出撃したが、往復6時間にもなる長距離攻撃及び貧弱な衛生・厚生施設による疲労、15分程度しかないガダルカナル島上空での滞空時間(九九式艦爆に至っては片道切符でブカ島に不時着するかショートランドに不時着水するしかない)、皆無だったパイロット救助態勢、オーストラリア軍沿岸監視員によるアメリカ軍への通報などで、8月7-9日に陸攻30機弱と搭乗員100名以上を失うなどベテランパイロットを次々と喪失し、器材の補充も追いつかず、8月末には可動機数が20機前後まで減少してしまった。陸攻の損害も甚大で、高度8000m以上の水平爆撃では戦闘機や高射砲が届かないので無事だったが、輸送船を低高度雷撃する際には対空砲火を喰らってワンショットライターになってしまい、戦闘機の迎撃も加わって零戦の護衛に関わらず次々と撃墜されている。陸軍部隊は長距離洋上飛行の経験も器材も無かったため進出を渋っていたが、海軍の要請で徐々に部隊配備を行った。しかし案の定、行方不明が続出した。8月26日、第6航空隊先発隊18機が到着。ポートモレスビー、ラビ、ガダルカナルへの出撃任務に就いた。ガダルカナルへの輸送部隊護衛任務では距離の短いブカ島から出撃したが、ここには夜間着陸設備が無かったため、帰投が夜になる場合は駆逐艦の近くに着水してパイロットだけ回収することにした。この際、悪天候での夜間着水では犠牲者が続出している。陸上兵力による飛行場奪回作戦が立て続けに失敗し、ガダルカナル島のアメリカ軍兵力が強大であると判明したため、第11航空艦隊は基地航空隊をラバウルに集中させることにしたが、飛行場整備が追いつかず、カビエンなど周辺飛行場への展開を余儀無くされ、作戦に支障を来した。また、ラバウルがニューギニアの連合軍航空戦力による爆撃圏内に入っており、ガダルカナルと東部ニューギニアへの二正面作戦を実施せざるを得ず、戦力を更に分散させる結果になった。8月29日、台南航空隊の九八式陸上偵察機が九九式三番三号爆弾2発を胴体下に搭載してB-17迎撃に向かい、1機撃墜、1機不確実撃墜の戦果を挙げた。水上機部隊のラバウル方面航空部隊が新編された。9月27日、陸攻の損害を減らすため、昼間の出撃は控えて夜襲のみとし、零戦による制空権確保を優先する方針を決定。しかし零戦の配備が進まず、陸攻の夜間出撃用装備も遅れ、敵戦闘機も輸送船も減らせない状況が続いた。10月初めまでに第6航空隊本隊がラバウルに到着。ラバウルとガダルカナル島の間にあるブーゲンビル島ブインに飛行場が開設された。10月11日の輸送船団護衛任務では悪天候に夜間着水が加わって3機が行方不明、2機が着水後にパイロットもろとも海没、隊長など2名が重傷を負う損害を出した。10月13日、第6航空隊先発隊がブインに到着したが、滑走路の整備不良で15機中7機が着陸時に損傷した。10月15日、ブインに第6航空隊本隊、第2航空隊が到着。10月19日、第6航空隊がガダルカナル航空撃滅戦に出撃。10月24日、第2師団によるヘンダーソン飛行場奪回作戦が失敗。次の奪回作戦時に対地支援を強化できるよう、12月末を目処にムンダとバラレに陸上機用飛行場、レカタにR方面航空部隊用水上機拠点を建設することにした。11月1日、第6航空隊が第204航空隊に改称され、定数は零戦60機、陸上偵察機8機とされたが、稼働機は半分以下だった。11月にガダルカナル島の敵航空機撃滅のためブインから出撃したが、2回は悪天候で中止になり、3回目は悪天候を突いての無理な出撃が祟って11-12機が行方不明、23機が不時着という羽目になった。同月、海軍の要請に基づくラバウル向け陸軍航空戦力として第6飛行師団(一式戦闘機飛行戦隊2個と軽爆撃機戦隊1個)が編成された。12月1日、第701航空隊が九六式陸攻二三型36機でブナカナウ飛行場に進出。12月2日、第701航空隊司令が第26航空戦隊司令部を訪問し、作戦方針会議を開催。九六式陸攻の方が一式陸攻より燃えにくいから東部ニューギニアのブナに昼間爆撃に行ってくれと言われ、第701飛行隊司令はモルモット扱いかと憤慨した。12月6日、第701航空隊が九六式陸攻二三型16機でブナカナウ飛行場を出撃し、ラバウル東飛行場を出撃した零戦20機の護衛を受けてブナのドブルス飛行場を爆撃。1123に高度4500mから60kg爆弾150発を投下し、掩体と滑走路に命中した。12月7日、第701航空隊が九六式陸攻二三型(60kg爆弾10発搭載)18機でブナカナウ飛行場を出撃し、ラバウル東飛行場を出撃した零戦18機の護衛を受けてブナのドブルス飛行場を爆撃。ワードフント岬から爆撃針路に乗ったところで迎撃に向かってくるP-40戦闘機4機を発見し、1112に爆弾を投下した直後に回避行動を取ったが、敵戦闘機の一撃で第2小隊1番機と第3小隊2・3番機が撃墜され、21名が戦死した。これにより第26航空戦隊司令部は第701飛行隊も昼間爆撃任務から外している。12月12日、第701航空隊が夜間爆撃の試行として九六式陸攻二三型1機で1515に出撃、2020にヘンダーソン飛行場を爆撃し、12月13日0430に帰投した。12月15日、ムンダ基地が戦闘機用飛行場として使用できるようになった。1340-1620、第701航空隊が九六式陸攻二三型5機でブナカナウを出撃し、1910-2145にルンガ河口付近の物資集積所を800kg爆弾で爆撃した。12月16日、第701航空隊が九六式陸攻二三型5機で夜間爆撃を実施。12月17日、第701航空隊が九六式陸攻二三型9機でポートモレスビーとブナの夜間爆撃を実施。12月18日、陸軍第6飛行師団第12飛行団(一式戦闘機一型飛行戦隊2個)の第一陣が到着。12月28日、第701航空隊が九六式陸攻二三型3機でブナカナウを0630に出撃し、ムンダ基地で孤立している第252航空隊戦闘機パイロットを救出するため、護衛の零戦9機と共にムンダ基地に向かった。0945に着陸進入を始めたところでP-39戦闘機2機の奇襲を受け、九六式陸攻二三型1機が被弾して不時着水した。残る2機はパイロットを救出して帰投、不時着水してムンダ基地に泳ぎ着いた乗員は12月29日に来た第701航空隊九六式陸攻二三型で零戦パイロットと共に帰投している。昭和18年1月、陸軍第7飛行師団が編成された。1月2日1625、第701航空隊飛行長率いる九六式陸攻二三型3機が夜間爆撃のためブナカナウを出撃。2030にガダルカナル第2・第6飛行場を爆撃して1月3日0410にブカ島に着陸した。1月10日頃、第701航空隊飛行分隊長と飛行長が連日単機で出撃して暗夜の夜間爆撃をテストしたが、どちらも探照灯の照射と対空砲火に阻まれたため、本格的な実施は断念した。1月25日、ガダルカナル撤退に備えた第1次飛行場・艦艇爆撃を実施。零戦58機と陸攻18機が出撃し、7機を撃墜したが、零戦10機を喪失した。1月27日、ガダルカナル撤退に備えた第2次爆撃を実施。一式戦闘機74機と軽爆9機が出撃し、6機を撃墜したが、6機を喪失した。1月29日、レンネル島沖海戦。1月31日、ニュージョージア島沖にアメリカ艦隊を発見したため、第705航空隊が一式陸攻18機でブナカナウを出撃。指揮官の飛行長は悪天候で発見できず引き返すと打電し、第705航空隊司令も了承したが、第11航空艦隊から「発長官」付きで捜索続行の電文が届き、航続時間の限界まで捜索して夜に帰投した。第705航空隊飛行長は自分を信頼しない司令部の下では働けないから即刻辞職させてもらいたいと第705航空隊司令に訴えている。2月1・4・7日の駆逐艦によるガダルカナル撤退時には陸海軍航空部隊が上空援護を行った。この頃、連合軍航空部隊はソロモン方面に200機、東部ニューギニア方面に300機が展開しており、制空権は完全に日本の手を離れていた。2月2日、ルッセル島付近にアメリカ艦隊を発見。第705航空隊は遠すぎて薄暮攻撃に間に合わないと上級司令部に打電したが出撃を下命され、1240に飛行長率いる一式陸攻14機がブナカナウを離陸した。途中で雨が降り出し、会敵地点を捜索したが敵艦隊は見つからず、夜になり捜索を断念して帰投。2000頃にブナカナウ飛行場でエンジン音が聞こえ始めたため、目印に探照灯を照射したが、厚い雲に阻まれて届かなかった。飛行長機は積乱雲に突入してしまい、乱気流に揺さぶられて追従する2番機と雲中で衝突、尾部銃座付近を2番機のプロペラに破壊され、そのまま行方不明になってしまった。結局飛行長機含む6機が未帰還となっている。ガダルカナル撤退完了で援護任務の必要が無くなったため、2月末から3月初めにかけ、ブインの第204航空隊がラバウルに後退。3月15日、第701航空隊が解隊された。3月、八一号作戦が連合軍の航空攻撃で失敗したため、ガダルカナルと東部ニューギニアの連合軍戦力を壊滅させる必要が生じ、4月上旬からい号作戦を実施。ただ基地航空隊(第11航空艦隊)は4個航空戦隊に陸攻定数192機を擁する筈が、実動機数は30機前後というお寒い状況だったため、空母航空部隊を戦力に加えざるを得なかった。4月18日、山本長官を前線視察に送り出したが、途中で乗機が撃墜された。この頃からアメリカは長距離警戒レーダーと高射砲用射撃指揮レーダー、航空機用接敵レーダーを組み合わせて運用し、日本機の損害は増加していった。ラバウルを爆撃するアメリカ軍航空隊パイロットは6週間戦闘に参加したら6週間はニューヘベレスに下がる(シドニーで1週間遊び、ニューヘベレスで実戦に向けた訓練を行う)というサイクルを取り、体力と気力を充実させる余裕もあった。6月3日、零戦のみでガダルカナル島を攻撃するソ作戦を発令。7月、陸軍第4航空軍が設立された。9月5日、第705航空隊が補充と再編成のためテニアン島に後退した。9月30日、戦争指導大綱などの決定に基づき、ラバウルを防御拠点として固めることが決まり、ニューアイルランド島とアドミラルティー諸島の防備強化、ダンピール海峡の持久防御、ブーゲンビル島の死守を図り、長期持久戦のため独力現地自活を行う方針とした。10月、空母機を加えてろ号作戦を実施。11月5日0900過ぎ、敵機大編隊を発見したとの報告を受け、西飛行場から翔鶴零戦17機、第201航空隊零戦13機、東飛行場から瑞鶴・瑞鳳零戦15機ずつ、第204航空隊零戦11機が出撃(第253航空隊は不詳)。0920、CVL-23プリンストン搭載のVF-23所属F6F-3艦戦19機、SBD-5艦爆、TBF-1艦攻がラバウルに来襲。0940、CV-3サラトガ搭載のVF-12所属F6F艦戦33機、SBD艦爆、TBF艦攻がラバウルに来襲。愛宕など4隻が損傷した。その後東部ニューギニアのトボデュラを出撃したP-38戦闘機67機、B-24爆撃機・B-17爆撃機計90機(ほぼB-24)がラバウルに来襲。11月7日朝、ラバウルに戦闘機20機・爆撃機20機来襲の警報が出され、翔鶴飛行隊零戦12機、瑞鳳飛行隊零戦12機、瑞鶴飛行隊零戦14機、第26航空戦隊零戦54機が1000までに出撃し、P-38戦闘機64機とB-24爆撃機25機を迎撃した。日本海軍の損害は着陸時の1機大破、アメリカ軍の損害はP-38戦闘機5機被撃墜だった。空戦終了後にF6F艦戦2機が西飛行場に奇襲の機銃掃射をかけ、日本海軍パイロット1名が戦死している。11月11日、ラバウルが第50任務部隊2波239機の空襲を受けた。第1航空戦隊零戦39機と第201・第204航空隊零戦68機が迎撃したが、停泊中の涼波が被雷沈没、阿賀野と長波が被爆大破、夕張が機銃掃射で小破、浦風と若月が軽微損傷している。11月下旬、マキン・タラワにアメリカ軍が上陸したため、ラバウルの増援機がマーシャル方面に回された。12月、連合軍がダンピール海峡突破作戦を開始。12月10日(15日?)、第1航空戦隊が瑞鶴戦闘機隊ラバウル派遣隊パイロット20名をラバウル市外南南東トベラ基地に送り込み、第253航空隊の指揮下に入れた。12月15日、ニューブリテン島マーカス岬にアメリカ軍が上陸した。12月16日夕方、アメリカ軍上陸船団攻撃のため零戦55機と九九式艦爆が出撃。零戦のうち8機は九七式六番陸用爆弾で爆装していた。昭和19年初め、アメリカ軍がニューギニア島グンピ岬に上陸し、ダンピール海峡の東西を抑えてラバウル側面を制圧した。1月17日1000、F6F戦闘機・F4U戦闘機・P-38戦闘機70機、爆撃機・雷撃機47機がラバウルに来襲したため、第204航空隊零戦43機と第253航空隊零戦36機が迎撃に向かい、1040から30分間の空戦で12機を撃墜し、損害はゼロだった。2月15日、ラバウル南東110海里のグリーン島にアメリカ軍が上陸。2月17日からのトラック環礁空襲でラバウルへの増援用航空機135機が灰になってしまい、2月19日から、残存航空兵力(零戦37機、艦攻6機、艦爆14機、彗星3機、陸攻4機、艦偵1機)がラバウルからトラックに移動、ラバウルには水上偵察機のみが残され、ラバウル航空戦は終結した。その後のアメリカ軍による空襲には全く反撃できず、ラバウル市街は1週間ともたずに廃墟と化している。アメリカ軍は日本軍兵力の残っているラバウルを直接制圧せず、北西のアドミラルティー諸島を攻略して孤立させる飛び石作戦を取り、2月29日に第1騎兵師団ブルーワー任務支隊をロスネグロス島、3月15日に第2騎兵旅団をマヌス島に送り込んでラバウルを完全に孤立化させた。当初は短期決戦を夢見て開始された航空戦だったが、次第に泥沼にはまりこみ、ドイツからはインド洋のイギリス軍補給路遮断作戦に方針転換するよう再三忠告されていたものの結局アメリカとの物量対決に引きずり込まれ、昭和17年8月以降の損失は海軍機だけで11773機に達し、パイロットの喪失と合わせて海軍航空兵力は再起不能状態に追い込まれてしまった。また周辺海域では巡洋艦と駆逐艦が28隻失われ、61隻が損傷、空母護衛部隊が不足してしまい、両者があ号作戦の失敗に繋がった。ラバウルには日本陸軍60000名と海軍40000名が取り残され、草鹿任一南東方面艦隊司令長官の指揮の下、現地自活態勢を整備。主食は将来的にサツマイモになるとのことで草鹿司令長官以下1名あたり30-40坪を担当して農耕を開始。草鹿司令長官と富岡参謀長が試しに三食全てサツマイモにすると宣言し、幕僚もこれに従った。いつまで経っても司令長官と参謀長が三食サツマイモを止める気配が無いので、幕僚が一食くらい米にしたいと申し出たところ、富岡参謀長からは第1次大戦でドイツ海軍の崩壊した原因を知っているだろう、食事は気を付けるべきだと返され、幕僚はそのまま引き下がったという。副食として梅干し代わりにローゼルという草の実を塩漬けにしたものを開発、動物性蛋白は生育期間の長い豚でなく鶏を選び、自活開始1年後には1名あたり1.5-2羽くらいに増えて卵の安定供給が可能となった。島だが魚が供給できるのは1ヶ月に2食くらいで、浜辺に乗り上げた鯨の子供を捕まえた事もあったが、あまりあてにならなかったらしい。塩は熱泉にドラム缶を浸し、中に海水を入れて製作した。酒は椰子酒と芋焼酎がメインで、たまに陸稲から濁酒を造ったようである。日用品としては照明弾の黄燐と火山の硫黄でマッチ、ギンゴジカという木の繊維から布、バナナの茎にオクラの根から作った糊を組み合わせて紙(1日4000枚くらい)を製造した。令和元年9月24日、海自遠洋練習航海部隊がラバウル入港前に洋上慰霊祭を実施。9月27日、ラバウルに寄港中の海自遠洋練習航海部隊が南太平洋戦没者の碑に献花した。9月29日、海自遠洋練習航海部隊がラバウル小唄を奏でつつラバウルを出港。参考:ラバウル航空戦、歴史群像8,’15、4,’16、海軍技術研究所、月刊世界の艦船12,’10、9,’01、山本五十六と米内光政、太平洋海戦史、月刊航空ファン1,’17、11,’18、5,’19、9,’19、月刊丸1,'15増刊、日本海軍艦隊総覧
<ラバウル挺身輸送飛行隊>:別名津本輸送隊。太平洋戦争時にニューギニア方面への緊急輸送用に結成された輸送隊で、九七式重爆撃機二型(輸送機として改造を加えられていたともいわれる)3機と隊員24名(隊長は津本機長)から構成された。シンガポールで編成され、昭和19年2月16日にニューギニアに到着し、2月22日から補給任務に就いた。戦況悪化のため、3月末にニューギニアを撤退した。参考:月刊エアワールド8,’05
<ラバウルの三羽烏>:ラバウルで多数の撃墜を記録した西沢広義一等飛行兵曹、笹井醇一中尉、坂井三郎一等飛行兵曹のこと。参考:ラバウル航空戦
<ラバウルの魔王>:西澤廣義(日本海軍エース)を参照。
<ラバウルのリヒトホーフェン>:笹井醇一(日本海軍エース)を参照。
<ラバウル方面航空部隊>:昭和17年8月29日、外南洋部隊隷下の水上機隊で新編された。指揮官は第11航空戦隊司令官の兼任。隷下に水上機母艦千歳搭載零式観測機・九五式水上偵察機計16機、零式水上偵察機・九四式水上偵察機計7機、特設水上機母艦山陽丸搭載零式観測機・九五式水上偵察機計6機、零式水上偵察機・九四式水上偵察機計2機、特設水上機母艦讃岐丸搭載零式観測機8機を置く。9月1日、ラバウルに到着した特設水上機母艦神川丸の零式水上偵察機・九四式水上偵察機計2機、二式水上戦闘機11機を編入した。9月2日、指揮官がショートランドに進出し、山陽丸を旗艦とした。9月2-3日、二式水上戦闘機がガダルカナル島に向かう敷設艦津軽の上空直衛に就いた。9月4日、ポポラング島北岸に第1飛行機隊(千歳・神川丸搭載水上機)、ショートランド島に第2飛行機隊(山陽丸・讃岐丸搭載水上機)の基地を設営。ショートランド泊地にB-17爆撃機1機が来襲したため、二式水上戦闘機2機で迎撃したが、戦果は無かった。9月5日、千歳水上機隊がショートランドに到着。イサベル島レカタ湾に水上機基地の設営を完了し、前進基地として使用を開始。レカタまたはショートランドから1直が出撃してガダルカナルから帰ってくる輸送船団を日の出から護衛し、2直はショートランドから出撃して0830まで護衛を実施、ガダルカナルに向かう輸送船団に対しては1330頃にショートランドから2機以上で出撃し、1430頃から2直で護衛を行い、2直目はレカタに帰投する、という日課でガダルカナル戦に参加した。9月6日、司令部が山陽丸からショートランド島に移った。9月9日、零式観測機7機でツラギ島を爆撃し、1機が未帰還となった。9月11日、陸軍との連絡任務に向かった零式観測機1機が艦爆2機と遭遇戦になり、1機確実撃墜の戦果を報告した。9月13日、レカタに飛来したB-17爆撃機1機を零式観測機2機で迎撃した。午前と午後に二式水上戦闘機2機ずつによるガダルカナル飛行場偵察を行い、1330に離陸した2機が飛行場に着陸しようとしていたF4F戦闘機1機を撃墜している。9月14日、二式戦闘機3機がガダルカナル飛行場偵察に向かったが、全機未帰還となった。二式水上戦闘機2機と零式観測機(6番陸用爆弾2発搭載)19機がショートランドからレカタ経由でガダルカナル飛行場に薄暮攻撃を実施。迎撃戦闘機に零式観測機1機が撃墜され、残る18機で爆撃を実施、空戦で確実撃墜2機・不確実撃墜1機の戦果を挙げたが、二式水上戦闘機1機と零式観測機3機(爆撃前の1機を合わせると計4機)が自爆・未帰還となった。9月16日現在の戦力は二式水上戦闘機5機、零式観測機18機、零式水上偵察機3機で、連合艦隊に最低必要戦力を二式水上戦闘機21機、零式観測機26機、零式水上偵察機10機と報告している。9月24日、国川丸がショートランド泊地に到着。昼、ショートランド泊地に初めてB-17爆撃機が複数機(4機)飛来したため、二式水上戦闘機、零式観測機、九五式水上偵察機で迎撃し、2機を損傷させて撃退した。1530、ショートランド泊地を出撃して第24駆逐隊の上空直掩を行っていた零式観測機が敵艦爆12機を迎撃。6機に投弾されたが第24駆逐隊に損害は無かった。9月25日朝、第24駆逐隊がショートランド泊地に入港しようとした際、B-17爆撃機2機が飛来したため、零式観測機が出撃して迎撃したが、1機が自爆未帰還となった。9月26日、ショートランドにB-17爆撃機8機が飛来したため、二式水上戦闘機4機と零式観測機1機(三号爆弾搭載)で迎撃し、二式水上戦闘機がB-17爆撃機1機を撃墜した。9月27日、ショートランドにB-17爆撃機3機が飛来したため、二式水上戦闘機3機と零式観測機1機(三号爆弾搭載)で迎撃したが、二式水上戦闘機1機がエンジンに被弾し、付近の島に不時着した(パイロットは零式艦上戦闘機で救出)。また、追撃に向かった零式観測機1機が未帰還になっている。10月3日、ショートランドからガダルカナルへの輸送任務に就いた水上機母艦日進の上空直衛のため、零式観測機4機で出撃し、敵艦爆を撃退した。10月4日、ガダルカナル輸送任務を終えて帰投する水上機母艦日進の上空直衛のため、二式水上戦闘機と零式観測機が出撃し、零式観測機がB-17爆撃機1機を体当たりで撃墜した。レカタ基地に戦闘機2機と艦爆数機が飛来したため、零式観測機3機が離水を開始、その最中に襲撃してきた1機を旋回機銃で撃墜したが、爆撃を受けて機体は炎上、乗員2名が重傷を負った。残る2機は離水後に1機を共同撃墜している。10月5日、ショートランドに戦闘機6機と艦爆が飛来したため、二式水上戦闘機3機と零式観測機1機で迎撃したが、零式観測機が戦闘機の集中攻撃を喰らって撃墜され、乗員2名が戦死した。10月8日、第27駆逐隊の上空直衛のため零式観測機3機が出撃し、0540からの空戦で艦爆1機を共同撃墜した。1300、零式観測機3機が水上機母艦日進の上空直衛のため出撃し、更に零式観測機2機が加わって1630に敵機20機と空戦に入り、戦闘機1機と艦爆7機を撃墜、1機を被弾喪失した(乗員2名は落下傘降下して駆逐艦春雨に救助)。10月9日、二式水上戦闘機3機と零式観測機4機が水上機母艦日進の上空直衛を実施。ニュージョージア島北部で戦闘機6機及び艦爆12機と空戦になり、P-39戦闘機2機、戦闘機1機、艦爆2機を撃墜し、日進に被害は無かった。10月10日、二式水上戦闘機2機と零式観測機2機がレカタから出撃し、軽巡龍田と第15駆逐隊の上空直衛を実施。戦闘機9機以上、艦爆12機、艦攻6機と空戦になり、敵機5機以上(うち戦闘機2機)を撃墜したが、全機撃墜された。10月11日、聖川丸の零式観測機5機と零式水上偵察機2機が到着。10月12日、第14航空隊二式水上戦闘機9機がショートランドに到着し、神川丸飛行機隊に編入された。10月13日、ショートランドにB-17爆撃機が飛来したため、二式水上戦闘機で迎撃して1機を不確実撃墜したが、二式水上戦闘機1機が不時着した。10月14日、零式観測機がガダルカナル輸送船団の上空直衛に就き、1620から来襲した敵機のうち戦闘機2機を撃墜した。10月15日、ガダルカナル島エスペランス岬に揚陸中の輸送船団の対空警戒を行うため、零式観測機6機で出撃したが、空戦で1機が未帰還になった。10月17日、二式水上戦闘機と零式観測機5機がレカタに進出したが、燃料補給中に敵機が飛来。水上滑走中の1機が艦爆の銃撃で大破し、パイロットが負傷したが、艦爆4機を撃墜した。10月19日、二式水上戦闘機4機と零式観測機6機が警戒のため出撃。B-17爆撃機5機と艦爆10機が飛来したため空戦に入り、1機を撃墜したが、1機が被弾して不時着水した。10月30日、レカタから二式水上戦闘機と零式観測機が第27駆逐隊の上空直衛のため出撃しようとしたところに敵機が飛来し、3機を撃墜されたが、離水後の反撃でF4F戦闘機2機を撃墜した。11月3日、水上戦闘機6機と零式観測機6機がレカタから出撃してガダルカナル増援部隊の上空哨戒を実施。終了後にレカタで補給してショートランドに戻る途中、モノ島付近でB-17爆撃機を発見して攻撃したが、逆に水上戦闘機1機を撃墜された。11月6日、山陽丸がショートランドに到着し、二式水上戦闘機3機と零式観測機8機を下ろした。11月7日、二式水上戦闘機6機、零式観測機4機がガダルカナル増援部隊の上空直衛に出撃。1530から上空直衛に入った直後に艦爆9機が飛来したため追い払ったが、続けてF4F戦闘機8機と空戦になり、零式観測機で1機を撃墜したものの、二式水上戦闘機5機と零式観測機1機が未帰還になった。11月13日、讃岐丸がショートランドに到着し、二式水上戦闘機5機、零式観測機4機、零式水上偵察機3機を下ろした。第3次ソロモン海戦で損傷した戦艦比叡の上空直衛のため、零式観測機11機で出撃し、艦爆3機と交戦して1機を撃墜している。11月15日、上空直衛に出撃した零式観測機が戦爆連合十数機と空戦になり、戦闘機1機と艦爆1機を撃墜したが、零式観測機4機が未帰還、1機が不時着、2機がフロートを損傷した。11月18日、P-38戦闘機8機やB-17爆撃機10機などがショートランドを爆撃。ガダルカナル方面に帰投するところを二式水上戦闘機2機と零式観測機1機で待ち伏せ、B-17爆撃機2機を損傷させた。参考:月刊丸9,’20
<ラパッロ条約>:ワイマール共和国とソ連が締結した条約。ベルサイユ条約で兵器開発生産に厳しい制約を受け抜け道を探していたドイツと、1920年4月に勃発したロシア・ポーランド戦争で大敗しドイツとの共闘でポーランドに対抗することを目論んだソ連の利害が一致し、1920年末頃から水面下で秘密軍事協定を策定する動きが始まった。1921年4月にはソ連が領内にドイツの航空機、潜水艦、弾薬の各生産会社を設立すると提案し、夏と9月にドイツ軍事使節団がモスクワを訪問。ベルリンでも独ソ秘密交渉が行われ、対ポーランド独ソ軍事同盟は刺激が強すぎるので控えることにし、兵器生産、訓練・兵器実験、情報交換に関する秘密協定の締結が決定。1922年4月16日にイタリアのラパッロでドイツのラーテナウ外相とソ連のチチェリン外務人民委員が条約を締結した。この時は只の外交関係正常化条約だったが、軍事協定に関する秘密交渉が水面下で続けられ、7月29日に付属条項として軍事協定を追加、1923年に入って軍事協定事項の実施体制が整っている。兵器生産に関しては、モスクワとベルリンに工業育成会社という国防省傘下の私企業を設置して必要な資金を供給し、ソ連のフィリにユンカース航空機製造会社傘下の航空機及びエンジン生産工場、トロツクに独ソ合弁化学兵器製造会社ベルソル社、ズラトウスト、ツーラ、シュリッセルブルクに砲弾工場を作る。航空機訓練はソ連のリペツクに設営するドイツ航空基地、戦車乗員訓練と戦車テストはカザン郊外に新設する戦車学校、化学兵器研究・試験はサラトフ近傍に建設するトムカ試験場で行う。ドイツ軍によるソ連軍将校教育や、両軍将校の演習などへの相互参加も定められた。早速ユンカースの秘密工場でドイツ向け航空機年産200機・ソ連向け年産100機を目標に生産が始められ、1924年末までに170機を製造したが、ドイツ議会でユンカースへの資金供給が問題視され、1925年秋に生産を停止、1927年までに工場が閉鎖されてしまった。化学兵器製造会社ベルソル社では1924-26年にホスゲンとロストを製造している。砲弾は1924年までに30万発を作り、1926年からドイツに輸出した。航空機訓練は1924年に建設したリペツクの航空基地で1925年から開始され、1933年までに戦闘機パイロット120名と偵察将校100名を育成し、急降下爆撃訓練や試作機のテストも行っている。戦車訓練は1926年末に設立されたカザンの戦車学校で1929年春から開始され、1930年代にはイギリスがソ連に供与した戦車も使って教育を実施、グロストラクトールなど試作戦車の実験も行った。化学兵器は1927年に建設されたトムカ試験場で研究に入ったが、小規模に止まっている。両軍将校相互交流・教育は1925年から始まった。1933年1月のヒトラー政権誕生で共産主義への弾圧が始まったことを受け、6月にソ連がドイツに対してソ連国内での活動の即時中止を求め、9月に秘密軍事協力が全て終結した。参考:歴史群像6,’16
<ラハト>:LAHAT(ミサイル)を参照。
<ラパナ>:イギリス海軍ラパナ級MACシップRapana。元は1935年4月に竣工したタンカーで、1943年7月に改造を終え竣工した。第2次大戦終結後、タンカーに戻された。参考:イギリス航空母艦史
<ラパナ級>:イギリス海軍MACシップ。アングロ・サクソン石油会社のラパナ級油槽艦9隻を改造したもので、上甲板に支柱を立てて全通飛行甲板(長さ138.5-140.1m、幅18.6-18.9m)を載せ、右舷前寄りにアイランドを設けている。格納庫は無く、飛行甲板後半3分の1の両舷に折り畳み式の遮風板を設け、駐機整備スペースとした。作戦機は最大4機積めるが、格納庫が無いので通常運用時は3機に抑える。カタパルトは不必要なので搭載していない。全長144.8-146.6m、全幅17.7-18.1m、総トン数8000トン、排水量11009トン。主機はスルザー式(ガディラはMAN式)8気筒ディーゼル1基、出力4000馬力(アカヴァス、アンシラス、アマストラ、アドゥラは3500馬力)、1軸推進、航海速力12.75ノット。兵装は10.2cm単装高角砲1門(船尾甲板)、40mm単装機関砲1-2門(船尾甲板)、20mm単装機関砲6-8門(飛行甲板両舷スポンソン4基ずつ)。ソードフィッシュ4機、航空燃料23トンを搭載可能。乗員118名。ラパナ、アカヴァス、アンシラス、アマストラ、アレクシア、ミラルダ、アドゥラ、ガディラ、マコマが1943-44年に竣工した。参考:イギリス航空母艦史、護衛空母入門
<ラパハノック>:T-AO-204(給油艦)を参照。
<ラハブ>:イスラエル海軍ドルフィン級バッチ2潜水艦2番艦Rahav。2013年3月11日、港内試験を開始。4月29日、ドイツのHDW社でイスラエル海軍に引き渡された。2014年3月、バルト海で出動公試を開始。2015年12月17日、ドイツのキールを出港してイスラエルのハイファに向かった。2016年就役。参考:月刊世界の艦船6,’13、7,’13、6,’14、3,’16、10,’17
<ラ・バヤデール>:フランス海軍オーロール級潜水艦La Bayadere。起工されたが建造中止となった。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラ・バヨネーズ>:フランス海軍ラ・メルポメーヌ級水雷艇La Bayonnaise。1937年竣工。1944年に自沈した。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラ・パルム>:フランス海軍ラドロア級駆逐艦La Palme。1928年竣工。1943年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラピーラ>:MT-12(対戦車砲)を参照。
<ラピット>:朝鮮戦争でアメリカ空軍航空輸送サービス航空再補給通信サービス部隊に配備された工作員の通称。黒塗りのB-29に搭乗して敵前線後方に降下、SCR-300無線機により敵情を電送する。任務終了後は地上経路で帰還することになっていたが、殆ど戻らなかった。参考:月刊ミリタリーエアクラフト4,’02
<ラピッド>:H32(駆逐艦)を参照。
<ラピッド級>:イギリス海軍フリゲートRapid級。第2次大戦型駆逐艦にタイプ15改造を施したものである。船楼を延長し、NBC防護のために艦橋をエンクローズ型に変更、それまでの兵装を全部撤去してリンボー対潜迫撃砲2基と102mm連装砲1基を搭載した。全長109.2m、満載排水量2700トン。主機は蒸気タービンで、速力36.8ノット。1952-57年に23隻が就役した。102mm連装砲の代わりにヘリ甲板を設けたものもある。1970年代まで在籍していた。参考:月刊世界の艦船9,’96
<ラピッド・ドミナンス>:ショック・アンド・オウ(戦術)を参照。
<ラピッド・ドラゴン計画>:アメリカ空軍の空中投下兵器開発計画、旧名称パレット化弾薬計画(Palletterized Munitions Program)。空中発射式巡航ミサイルなどを貨物パレットに乗せて輸送機から発射するものである。空中に放出するだけでは只の空中投下なので、輸送機に見通し線外指揮統制(BLOS C2)システムとリンクする戦闘管理システムを積み、兵装に目標情報を入力できるようにする。2021年9月21日、ニューメキシコ州ホワイトサンズ・ミサイル射場で発射試験に成功したと、ロッキード・マーチン社が発表した。使用機はEC-130J特殊作戦機とC-17A輸送機で、戦闘管理システムと模擬JASSM-ER複数弾搭載パレットを積み、BLOS C2システムから飛行中に目標情報を取得して模擬JASSM-ERに入力、パレットを空中投下し、パレットはパラシュートで降下しつつ順次模擬JASSM-ERを射出している。2023年8月6日、カタールのアル・ウデイド空軍基地でMC-130J特殊作戦輸送機にAGM-158巡航ミサイル搭載パレットを積み、実証試験を行った。参考:月刊JWings12,’21、11,’23
<ラピッドファイア>:T40AA(機関砲塔システム)を参照。
<ラピッド・ファイア・ネイヴァル>:フランス海軍向けにタレス社とネクスター社が開発している艦載機関砲RAPID Fire Naval。CTAI社製40mm機関砲40CTASを艦載化したもので、即応弾140発と電子光学センサーを旋回砲塔に組み込み、単体でも艦の射撃指揮装置と連携しても運用できる。甲板下の構造は無いので、後付けも容易。有効射程2500m(対水上)/4000m(対空)。発射速度毎分200発で、10点バーストを基本とする。新型哨戒艦PO(Patrouilleurs Océanique)に搭載予定。参考:月刊世界の艦船1,’21、1,’20
<ラピッド・ラプター>:C-17A輸送機1機にF-22A戦闘機4機の短期間展開に必要な器材(ラピッド・ラプター・パッケージ)と要員を載せ、必要に応じてF-22A戦闘機4機と共に緊急展開させるもので、第477戦闘群のパイロットが考案した。2014年11月20-24日にはグアム島アンダーセン空軍基地への緊急展開訓練を行っている。参考:月刊航空ファン2,’15、9,’16
<ラピッド・リアクション・フォース>:RRF(緊急対応部隊)を参照。
<ラビュアン>:K584(フリゲート)を参照。
<ラピュタ・シリーズ>:南アフリカのデネル社が開発した誘導爆弾Raptor。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック
<ラピュタT>:中間誘導は慣性誘導とGPS、終末誘導はTV誘導式。最大射程60km、CEPは3m。1970年代に開発された。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック
<ラピュタU>:ラピュタの改造型で、ロケットを2段にして射程を延伸した。全長3.65m、直径0.38m、翼スパン3.70m、重量1.2トン。最大射程120km。作ったは良いものの、自国空軍で導入するグリペンには大きすぎ、ンバニを開発した。参考:月刊軍事研究1,’05、軍用機ウェポン・ハンドブック
<ラピュタV>:弾体中央に折り畳み主翼、尾部に4枚の操縦翼を持つ。弾頭は通常または貫徹型。誘導は中間INS/衛星航法/データリンク+終末LLLTVまたは画像赤外線で、CEP2m。重量1トン。射程300km。参考:月刊軍事研究12,’14、1,’15
<ラフ>:DE-586(護衛駆逐艦)を参照。
<ラファール・シリーズ>:フランス軍国産第4世代戦闘機Rafale(突風)。要撃、制空、航空制圧、攻撃、航空侵攻、近接航空支援、核攻撃、偵察、訓練に使用できる多用途戦闘機で、艦載型も開発されていて、メーカーのダッソー社ではオムニロール・ファイター(凡任務戦闘機)と称する。ECA/ユーロファイター計画がフランスの空母運用要求に合わなかったため、脱退して独自に製作した。デモンストレーター初飛行は1986年7月4日で、冷戦終結で開発が遅れ、量産初号機(ラファールB)の初飛行は1998年11月24日になったが、F-8E退役スケジュールには何とか間に合わせた。基本仕様でF1、F2、F3と分かれており、これに空軍向けC型などの番号が付けられる。空海軍計294機(ラファールB139機、ラファールC95機、ラファールM60機)を導入予定だったが、2009年までに180機(1993年13機、1999年48機、2004年59機、2009年60機。ラファールB63機、ラファールC69機、ラファールM48機)が発注され、2023年12月末に42機追加された。保管されているF1仕様を除いて順次最新仕様に改良されている。価格は2005年で11億2800万ユーロ。リビアが14機を導入する予定だが、輸出に対する熱意はそれほどでもなく、空自のF-4EJ後継計画に提案されたが、あまり採用される気が無く、落選した。インド空軍の次期多目的戦闘機計画(MMRCA)でも、正式契約交渉が頓挫している。2015年に入って巻き返しを図ったらしく、2015年2月12日にエジプトが24機の導入を決定し、2月16日に契約を結んだ。インドも4月10日にMMRCAとは別枠で36機購入すると発表している。5月4日にはカタールと24機の契約を結んだ。2020年のスイス空軍次期戦闘機Air2030計画と2021年のフィンランド空軍次期戦闘機HX計画ではF-35Aに負けて採用されなかった。アルマッタン作戦で実戦投入したところ、30mm機関砲と250kg誘導爆弾AASMの間を埋める兵器が無く対戦車攻撃や付随被害局限攻撃に支障を来したため、AASMの150kgダウンスケールバージョン、68mmロケット弾TDAの誘導型、ブリムストーン、45kgレーザー誘導爆弾SCALPELなどの開発・採用を検討中。参考:月刊JWings12,’03、11,’09、9,’10、5,’11、9,’11、5,’15、6,’15、9,'21、2,'22、11,'23、4,'24、月刊軍事研究10,’08、9,’07、10,’09、9,’11、世界軍用機年鑑1990-91、月刊航空ファン7,’15、4,’19
<ラファールA>:1機のみ製作されたデモンストレーターで、元々はACX(実験戦闘機)という名称だった。エンジンにGE製F404-GE-400ターボファンを搭載したため、機体サイズが量産型よりも大きい。翼幅も大きく、エレボンは3分割である。胴体後部上面左右にエアブレーキを搭載していたが、エレボンで十分なことが判明し、量産型ではエアブレーキは外された。主翼下パイロンに加え、胴体中央下面(タンデムに2発)と後部両側面(1発ずつ)にMICA対空ミサイルを装備することが可能だが、レールランチャーに搭載した方が高G下での射撃と地上での再装填に向いているため、量産型では胴体中央には装備出来なくなった。全長15.8m、全幅11.2m、全高5.18m、空虚重量9.5トン。1986年7月4日に初飛行した。1990年2-3月にエンジンをM88-2に換装、名称をラファールAに変更してテストを続け、1994年1月24日に退役、シャトードン空軍基地に保管されている。参考:月刊軍事研究10,’08、月刊JWings5,’11、週刊ワールドウェポン17
<ラファールB>:空軍向け複座戦闘攻撃機型。当初は練習機とする予定だったが、後席に兵装システム士官を座らせて攻撃任務に投入することになり、試作機は1993年4月30日に初飛行した。RBE2マルチモードレーダー、SPECTRA防御支援パッケージを搭載する。量産型は2004年12月19日から配備(F2仕様3機)され、試作機1機の他に量産型として2012年までにF2仕様機27機、F3仕様機11機が生産されており、最終的に139機(+試作機1機)を調達する予定。参考:月刊JWings5,’11、世界航空機年鑑2018-2019、週刊ワールドウェポン17、月刊軍事研究10,’08、7,’12
<ラファールC>:空軍向け単座戦闘機型で、試作機は1991年5月19日(1988年4月21日?)に初飛行した。ミラージュ2000が機体を小型化しすぎて発展の余裕に乏しかったため、一回り大型化し、エンジン双発化で必要な推力を確保、カナードを追加して機動性を向上させるというコンセプトである。カナード翼付き無尾翼デルタ(クロース・カップルド・デルタ)機で、エンジンを国産M88にしたためラファールAよりも機体は小さい。ステルス性を考慮して主翼付け根フェアリングの丸みを増すと共に垂直尾翼結合部付近の形状を変更してRCSを減らし(F-16やミラージュ2000の3分の1程度でEF2000タイフーンより小さいとされる)、キャノピー内側にコーティング塗装を施行、機体に電波吸収塗料を適応している。ただ兵装は外装式なので、対地攻撃では低空侵攻を行わなければならない。胴体は複合材を多用して軽量化に努めた。垂直尾翼は背を低くし、先端にSPECTRA電子戦装置用フェアリング(側面に赤外線ミサイル警報装置用の窓がある)を装着した。SPECTRAのセンサーはカナード付け根前縁とエアインテイク側下部にもあり、全周をカバーする。切り落としデルタ形状のカナード翼はコクピットからの視野を妨げないエアインテイク上方の機体側面に配置し、ラファールAより大型化した。機動性能を向上させ、大迎え角時の胴体上面気流剥離防止により垂直安定板とラダーの効きを確保する他、降着装置下げ時には自動で20度上げ角を取るので、機首上げ姿勢を保つのに役立つ(離着陸時にエレボンを上げ角にする必要が無い)。カナード翼は一般にステルスには不利とされるが、形状などに工夫を凝らしている。主翼平面形は切り落としデルタ翼、中翼配置としてグラウンド・クリアランスを確保すると共にブレンデッド・ウイング・ボディの形状を最適化した。主翼後退角45度、前縁にほぼフルスパンのスラット、後縁に2分割のエレボン、翼端にレールランチャーを持ち、内外エレボンを逆に作動させればエアブレーキの代わりになる。エアインテイクは胴体左右下方のへこみ部分に取り付け、大迎え角時に前部胴体側面の張り出しとカナード翼にぶつかった気流を吸い込めるようにした。静安定性緩和と三重デジタル式フライバイワイヤ(バックアップはアナログ式)により機動性を高めており、操縦桿はコクピット右にある。音声制御システムも搭載。2017年に実施されたDC-3旅客機によるワールドツアーでは、巡航速度110ノットで飛ぶDC-3と編隊を組み、針路を左右に振ることも無く高迎え角で安定した超低速飛行を行っている(F-16Cでも無理だった)。機首右上部には固定式の空中給油受油プローブが突き出している。キャノピーは右開きで、キャノピーを外さずにマーチンベイカー社製Mk.16射出座席(後方に29度傾斜している)を交換できる。ラダーは外付けで、乗降の度に要員が持ってくる必要がある。ヘルメット装着式照準装置と広視野HUD(30×22度)を持ち、計器板中央には大型カラーディスプレイ(20×20度)、その両側にタッチスクリーン式MFD(5×5インチ)が1基ずつ付く。左MFDの外側にはデジタル飛行制御装置モード切り替えパネルがあり、空対空(最大迎え角29度、荷重マイナス3.2Gからプラス9G、燃料60%以下ならプラス11Gまで、但し緊急時のエスケープ・マニューバのみ)や空対地(最大迎え角29度、最大離陸重量時荷重マイナス3.2Gからプラス5.5G)といったモードを選択可能。このモードを見ての通り、機体の耐G能力は高く、増槽装着時でも増槽燃料を使い切れば超音速6G旋回が可能である。操縦桿はサイドスティック方式で、スロットルは1本のみであり、機外搭載物が左右異なるなどエンジン出力を左右で変えなければならない場合には飛行制御システムが自動的に調整する。操縦桿とスロットルはHOTASで、計34個のスイッチがある。レーダーはRBE2シリーズ。風防直前の機首上面に前方光学センサーFSO(Front Sensor Optronics)を搭載しており、戦闘機クラスなら50km以上先から識別できる。センサーフュージョン技術を導入し、高度な情報収集能力を保有しつつパイロットのワークロードを低減した。エンジンノズル両脇にLEM677チャフ・ディスペンサー、内側エレボンの内側上面にLIR410/411フレア・ディスペンサー2基ずつを装備する。機体はエンジンを含め高度にモジュラー化されており、コンポーネント単位で修理交換を行うので、基地を離れて整備工場に移動する必要が無い。全長15.27m、全幅10.86m(翼端ミサイル含む)、全高5.34m、空虚重量9.85トン、戦闘重量14トン(BVRAAM4発+WVRAAM2発)、最大離陸重量24.5トン。翼面積45.7(47.5?)平方メートル。エンジンはスネクマM88-2(ドライ推力48.7kN・4.97トン、A/B時推力72.9kN・7.45トン)またはM88-3(A/B時推力88.3kN)双発、巡航速度マッハ1以上、最大速度マッハ1.1(海面高度)/マッハ1.8以上(高々度。マッハ2?)、実用上昇限度16765m、上昇率毎分60000フィート、機内燃料搭載量4.7トン、戦闘行動半径は空対空で950nm、低高度侵攻(増槽3個、250kg爆弾12発、MICAミサイル4発)で570海里、航続距離2000海里・3704km。荷重制限マイナス3.6Gからプラス11G。固定武装は右エアインテイク側面の30M791機関砲1門(125発)で、ステルス性を保つため普段は複合材製のカバーがかけられており、初弾で撃ち抜いて吹き飛ばす。ハードポイントは14箇所(主翼端、主翼下3箇所ずつ、右エアインテイク下面、胴体下面MICAレセス4箇所、胴体中心線)、外部兵装搭載量9.5トン。空対空任務ではMICA8発を携行する。対地・対艦任務ではAS30Lレーザー誘導ミサイル、AM39エグゾセミサイル(今のところ運用はされていない)、ASN超音速対艦ミサイル、アパッシュ・スタンドオフディスペンサー、ASMP、AASM(3連装ランチャーAT730を主翼下に1基ずつ)などの装備が可能。右エアインテイク下面のハードポイントにはダモクルを搭載する。増槽は超音速用の1350リットルタンク(センターライン、主翼下4カ所)と、マッハ0.95までの2000リットルタンク(センターライン、主翼下2カ所)を使用する。乗員1名。試作機1機の他、量産型として2012年までにF2仕様8機とF3仕様36機が引き渡されており、最終的に94機(95機?)を配備する予定。2012年10月2日にRBE2のAESA型を搭載したタイプ(探知距離が5割増しになり、ミーティアをフル運用できる)が引き渡された。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊JWings11,'23、5,’11、1,’16、12,’05、12,’06、3,’09、8,’11、1,’13、11,’14、2,’19、2,’20、12,'23、軍用機ウェポン・ハンドブック、月刊軍事研究3,’08、7,’12、週刊ワールドウェポン17、月刊航空ファン9,’11
<ラファールD>:空軍向け単座型の初期名称(ラファールB/C/Mの総称?)で、DはDiscret(ステルス)の略。後にラファールCと改称された。参考:月刊軍事研究10,’08、月刊JWings5,’11
<ラファールM>:海軍の艦上機型。機体構造の80%とシステムの95%がラファールCと共通で、主翼に折り畳み機構を設け、胴体中央前方ハードポイントを廃止(ハードポイント計13カ所)して最大離陸重量を減少させ(自重はラファールAより6.5%増えた)、アレスティングフックを追加し、降着装置を強化、コクピット左下方に内蔵式電動ラダーを搭載した。発艦時の迎え角を大きくするため、前脚支柱を延長したが、後方に引き込んだ際に干渉する胴体中心線パイロンは廃止してあるので問題無い。カタパルト発進の反動でスロットルが戻る可能性があるため、カタパルトランチバーが下がっている際にはスロットルが固定される。搭載レーダーはラファールCと同じRBE2シリーズ。FSO電子光学センサーの後ろにアルコール洗浄装置を追加し、レンズに付いた海水を落とせるようにした。全長15.27m、全幅10.8m、全高5.34m、全備重量24.5トン。エンジンはスネクマM88-2(ドライ推力48.7kN、A/B時推力72.9kN)双発、最大速度マッハ1.8以上、実用上昇限度16775m、機内燃料容量4.7トン、行動半径1000海里以上。MICA対空ミサイル、AS30L対艦ミサイル、AM39エグゾセ、ASMP巡航ミサイルなどの装備が可能。乗員1名。試作機は1991年12月12日に初飛行し、1992年からアメリカでテストを受けて高い評価を得、2000年から引き渡され、2001年5月18日にF1仕様を使用して最初の実戦部隊が編成され、12月にアフガン戦争で実戦初参加し、2003年にIOCを獲得し、2004年から本格運用された。F2仕様機の実戦初参加は2007年にカザフスタンのドゥシャンベ基地に展開してのアフガン戦争参加である。F3仕様の初号機は2009年7月2日に配備された。試作機2機の他、2012年までにF1仕様10機、F2仕様16機、F3仕様12機が引き渡されており、最終的に60機を配備する予定。F1仕様機のF3仕様へのアップグレードも行われており、アップグレード初号機は2014年10月に引き渡された。F3M仕様機は2018年12月17日に配備後初フライトを行った。2022年現在、3個飛行隊に45機を配備している。参考:月刊JWings11,’05、10,’09、11,'23、7,’12、8,’11、1,’15、8,'21、世界航空機年鑑2018-2019、月刊軍事研究8,’11、11,’05、週刊ワールドウェポン17、月刊航空ファン4,’19、月刊世界の艦船8,’22
<ラファールMk2>:エンジンをM88-3(推力9トン)に変更し、レーダーのフロントエンドをアクティブ電子スキャンアレイレーダーに換えたもの。主翼付け根のストレーキに貼り付けるコンフォーマルタンク(燃料300ガロン/1136リットル搭載、航続距離1200km延長)も開発されたが、採用はされていない。参考:月刊軍事研究8,’01、11,’15、月刊JWings1,’13
<ラファールN>:複座艦上戦闘機型で、ラファールMを複座化したものである。25機を配備する予定だったが、2004年に調達中止が決まった。練習機には空軍と同じラファールBを使用する予定。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊JWings12,’03、12,’04
<ラファール(ミッション・ソフトウェア)>
<ラファール・スタンダールF1>:初期仕様で、防空戦闘のみ行える。ハードポイントは胴体下3ヵ所、主翼下2ヵ所ずつ、翼端1ヵ所ずつで、マジック、MICA空対空ミサイル(RFのみ。IR用のデータリンクは無い)の運用能力のみを持ち、RBE2レーダーとSPECTRAを装備する。主翼端と主翼下外側、胴体後部下両側面に空対空ミサイル1発ずつ、他の3ヵ所に増槽を搭載するのが標準である。SB-25A敵味方識別トランスポンダー、シグマ95Nリングレーザージャイロ式慣性航法装置も装備。F-8E後継機として完成を急いだ海軍ラファールMの最初の10機のみがこの仕様で製作され、2000年12月4日から配備された。2006年5月から退役してランディビジオ基地で保管されており、後にF3仕様に改造される予定。参考:月刊JWings12,’05、12,’03、12,’06、5,’11、月刊軍事研究10,’08、7,’12、3,’08、世界航空機年鑑2018-2019
<ラファール・スタンダールF2>:F1に対地攻撃能力を付与したタイプで、RBE2レーダーとSPECTRAに対地攻撃モードを追加し、MDPU(モジュラーデータ処理装置)の処理能力を強化、OSF(前方象限光学装置)、MIDS-LVTデータリンク(リンク16と互換性あり)を搭載している。デジタル3Dマップによる地形追随飛行が可能。MICA IR用のデータリンクが使用できるようになったため、マジックの搭載能力は不要となった。スキャルプEG、バディポッドの運用が可能。F3への改造も行える。B型25機、C型7機、M型16機がこの仕様で完成した。不朽の自由作戦で誤爆を防ぐためにレーザー誘導爆弾の運用能力が必要となったため、2006年11月17日からエコー計画の名称で開発を開始し、自ら搭載するレーザー照射器を開発している暇が無いのでミラージュ2000Dやシュペル・エタンダール、地上要員がレーザーを照射してラファールがGBU-12/-22を投下するという運用方法を採用することに決定、2007年3月から実戦投入された。参考:月刊JWings5,’11、12,’05、12,’03、月刊軍事研究10,’08
<ラファール・スタンダールF2・2>:F2にスペクトラ電子戦装置を追加したタイプ。2006年6月から引き渡されている。参考:月刊軍事研究9,’07
<ラファール・スタンダールF3>:F2にANF・ASMP、Reco-NG偵察ポッド、ダモクル照準ポッド、ヘルメット装着式表示装置の運用能力を持たせたタイプ。エグゾセAM39ブロック2やASMP-A核装備スタンドオフ空対地ミサイルの運用も可能にしている。初号機はラファールBの2号機を改造して2006年5月に完成した。B/C/M型計69機を生産する予定。参考:月刊JWings5,’11、12,’03、5,’04
<ラファール・スタンダールF3・1>:F2仕様からF3仕様にグレードアップしたもの。ソフトウェアの改良のみで済むため、6週間しかかからない。参考:月刊JWings5,’11
<ラファール・スタンダールF3・2>:ダモクルにGBU-12/-24運用能力を追加し、RBE2レーダーに30M791機関砲による地上掃射モードを加えたタイプ。F3/F3・1からの改修は1日で済む。参考:月刊JWings5,’11
<ラファール・スタンダールF3・3>:民間航空路飛行用機材を搭載し、Mod.5IFFと新型フレアディスペンサーを装備、地形追随ソフトを更新する。2012年に実施予定。参考:月刊JWings5,’11
<ラファール・スタンダールF3・3’>
<ラファール・スタンダールF3・4>:レーダーをRBE2-AAに換装したタイプ。2013年9月12日にこのバージョンのラファールB初号機がフランス空軍へ引き渡された。参考:月刊JWings12,’13
<ラファール・スタンダールF3R>:タレス社製PDL-NG(TALIOS)ターゲッティングポッド、ミーティア、AASM、NARANG空中給油ポッドの運用能力を持つタイプで、RBE2AAレーダーのECCM能力やスペクトラ電子戦システムも強化、自動地上衝突回避装置を装備する。2014年1月10日に開発契約が結ばれた。2017年、ミラク無人標的機をターゲットにミーティアの試射を実施。空海軍運用144機全機を本仕様に改修し、36機を新規生産する。2019年1月10日にラファールMの本仕様初号機がフランス海軍に引き渡された。11月29日、フランス海軍で初度作戦能力IOCを達成した。12月6日(9日?)、フランス空軍で初度作戦能力IOCを達成した。2021年3月8日、フランス海空軍でFOCを達成した。3月18日、フランス空軍で運用を開始した。参考:月刊JWings4,’14、9,’17、4,’19、3,’20、6,'21、6,’23、月刊航空ファン7,’17、2,’19、3,’20
<ラファール・スタンダールF4>:2009年にフランス国防調達局が60機を発注した能力向上型。エンジンをサフラン製M88-4E(ドライ推力49.998kN、A/B時推力74.997kN。M88-3?)に強化し、OSFを改修、デジタルMFDや電子戦システムも新型にする。スコーピオンHMD、MICA-NG空対空ミサイル、ミーティア空対空ミサイル、GBU-24の運用が可能。2013年から引き渡される予定だったが、開発承認は2017年3月20日までずれこんだ。参考:月刊軍事研究7,’12、月刊丸10,’10、月刊航空ファン5,’11、6,’17、4,’19、月刊JWings5,’11、10,’21、11,’23
<ラファール・スタンダールF4・1>:タレス社製スコーピオンHMDを追加し、MICA-NG空対空ミサイルとAASM誘導爆弾を運用可能とする。2021年4月26-29日、イストル=ル・テュベ基地でミッションテストを行った。参考:月刊JWings8,’21
<ラファール海外シリーズ>
<ラファール(UAE空軍)>:UAE空軍戦闘機。2021年12月3日、ラファールF4仕様80機の導入契約を締結した。参考:月刊JWings2,’22
<ラファール(インド海軍)>:インド海軍戦闘機。MiG-29Kの後継で、F/A-18E/F戦闘機を破り2023年7月に26機の調達を決定した。参考:月刊世界の艦船10,’23
<ラファール(インド空軍)>:インド空軍戦闘機。2015年4月10日、MMRCAとは別に36機を完全輸入で導入するとインドの首相が表明し、12月31日にインド政府がフランス政府に発注、2016年1月24-26日の印仏首脳会談で確定した。ただ価格交渉(機体価格ダッソー側105-110億ドル対インド側85-90億ドル、10年間技術サポート含む・含まない)とオフセット契約内容交渉(フランスによるインドのスマート都市計画支援をオフセットの代替にする・しない)が難航しており、更にインドがフランス政府に機体信頼性の保証も求めていて、正式な契約締結には更なる時間を要した。9月23日、インドとフランスが購入契約を正式に締結。単座型ラファールEH戦闘機28機と複座型ラファールDH戦闘機8機を、スペアパーツ、MICA、ミーティア、スキャルプ、訓練整備支援費など含め78億ユーロ/87億ドル(79億ユーロ/82.8億ドル?)で完全輸入する。初号機は2018年8月に初飛行した。2020年7月29日、最初の5機(ラファールEH戦闘機3機、ラファールDH戦闘機2機)がインドのアンバラ空軍基地に到着した。2020年9月10日、運用先の第17飛行隊が完全作戦能力を獲得した。2022年12月、36機全機の納入が完了し、第17飛行隊と第101飛行隊に配備された。参考:月刊JWings4,'23、7,’15、3,’16、6,'16、7,'16、12,’16、10,'20、12,'20、月刊航空ファン4,'16、12,’16、12,’18、月刊軍事研究3,’17
<ラファール(インドネシア空軍)>:インドネシア空軍戦闘機。2022年2月10日、ジャカルタで6機(+オプション36機)、航法支援、訓練センターなどの契約に署名した。10月、42機を発注した。参考:月刊JWings5,’22、9,’23
<ラファール(エジプト空軍)>:エジプト空軍戦闘機。2014年11月から交渉を開始、2015年2月12日にラファールCM8機とDM16機の導入を決定し、2月16日に契約を結んだ。他にMICA空対空ミサイル、MBDA製空対地ミサイル、エグゾセAM39、スキャルプなども購入する。最初のラファールDM3機は7月20日にフランスのイストル空軍基地で引き渡され、翌日にエジプトへフェリーされた。ラファールCMは2017年7月26日に最初の2機が引き渡されている。2021年5月4日、30機の追加配備を決定し、11月15日に契約が発効した。参考:月刊JWings6,’15、10,’15、3,’18、7,'21、2,'22、月刊軍事研究7,’15、12,'15、月刊航空ファン10,’15、10,’17
<ラファール(カタール空軍)>:カタール空軍戦闘機。ミラージュ2000EDA/DDAの後継として、2015年5月4日にラファールEQ(単座型ラファールC)を18機、ラファールDQ(複座型ラファールB)を6機導入する契約を結んだ。初号機は2017年3月27日に初飛行している。2017年12月7日、ラファールEQを12機追加発注した。2019年2月6日、初号機がフランスにあるダッソー・アビエーションの施設で納入され、引渡式が行われた。6月5日、最初の5機がドーハ空軍基地に到着し、披露式典が行われた。参考:月刊航空ファン7,’15、4,’16、4,’19、9,’19、月刊JWings7,’15、2,’18、8,’19、3,’20、月刊軍事研究4,’18
<ラファール(ギリシャ空軍)>:ギリシャ空軍戦闘機。ミラージュ2000EGM/BGM戦闘機の後継で、2020年9月12日にミツォタキス首相がラファールF3R戦闘機18機の導入を発表し、2021年1月25日にアテネで購入契約を締結した。早期配備を希望しているため、12機はフランス空軍に就役したばかりの機体を回し(購入契約締結の場にフランス軍事大臣が立ち会った。後でフランス空軍向けに改めて12機作る)、6機は新造し、2023年中に配備する。2021年7月21日、ダッソー・アビエーション社飛行試験センターで初号機納入式典が行われた。2022年1月19日、最初の6機(フランス空軍向け転用)がギリシャ空軍タナグラ基地に到着した。3月24日、第2バッチ6機の追加購入契約を結んだ。こちらは2024年中に納入予定。11月8日、新造機2機がギリシャに到着した。12月2日、新造機1機がギリシャに到着した。12月16日、新造機1機がギリシャに到着した。参考:月刊JWings6,'23、12,’20、4,’21、10,’21、4,’22、6,’22
<ラファール(クロアチア空軍)>:クロアチア空軍戦闘機。アメリカがF-16C/D、イスラエルがバラク、スウェーデンがJAS39C/D、フランスがラファール(中古)で応募し、2021年5月28日にラファールF3R仕様単座機(ダッソー社名称ラファールC3R-EC)10機と同複座機(ダッソー社名称ラファールC3R-DC)2機の導入を決め、11月25日に契約に調印した。2024-25年に引き渡される予定で、2024年4月25日に単座型4機と複座型2機がザグレブに到着している。参考:月刊JWings8,’21、3,’22、8,’24
<ラファール(セルビア空軍)>:セルビア空軍戦闘機。2024年8月29日、ダッソー・アビエーション社と12機の購入契約を結んだ。参考:月刊JWings11,’24
<ラファール・ソロ・ディスプレイ>:フランス空軍のラファール戦闘機ディスプレイチームで、RSDと略す。2009年、EC01.007で新編された。2012年、機種転換部隊ETR02.092の隷下に移り、ディスプレイパイロットが機種転換部隊教官の兼任になった。その後ETR03.004の隷下に移っている。参考:月刊航空ファン3,’20
<ラファイエット>:AP-53(輸送船)またはF710(フリゲート)またはFFG-65(ミサイル・フリゲート)またはR96(軽空母)またはSSBN-616(ラファイエット級戦略原潜)を参照。
<ラファイエット級>:フランス海軍フリゲート、La Fayette級。建造はDCNロリエン造船所である。本国から離れた沿海域での単独行動(警備や特殊作戦支援)が主任務で、艦隊随伴行動をしないためソナーなど対潜兵装は搭載していない。ステルス艦の嚆矢で、船体外舷と上部構造物側面を継ぎ目無しの一体構造とし、ナックルラインより上は船体と逆方向に10度傾けてRCSを6割減らした。更に直角のコーナーや曲面も無くし、内火艇は上部構造内に収容して金属網シャッターでカバー、マストはタワー型にしている。上構はバルサ材とグラスファイバーの難燃性複合材で、RCS抑制と軽量化を図った。これらにより、レーダーには大型漁船くらいにしか映らないらしい。音響ステルスとして主機は弾性体を介して防振台に設置、マスカーとプレーリーを備える。対赤外線ステルスのため速力は控えめにして排気温度の低い主機を採用し、煙突も細いパイプを組み合わせて間に冷却空気を送るタイプとした。クロタルと100mm砲管制用にカストール2J方位盤を搭載する。艦後部にヘリ格納庫とヘリ甲板を持つ。特殊部隊支援能力も保有している。戦闘管制システムはTAVITAC 2000(SENIT7のフランス海軍名称)。全長124.2m、全幅15.4m、吃水5.9m、満載排水量3700-3810トン。主機はCODAD方式で、SEMTピールスティック12PA6V280STC型ディーゼル(5277馬力)4基、速力25ノット、航続距離は15ノットで7000海里。兵装は100mm単装砲TR1門(前甲板)、クロタル・ナヴァル艦対空ミサイル8連装発射機1基(ヘリ格納庫上)、エグゾセMM40艦対艦ミサイル4連装発射筒2基(上部構造物中央上面、隠蔽配置)、25mm機関砲2門。アスター15/30用8セルVLS2基(3基?)の装備スペースがある。ECM装置はARBB33。SA321またはAS565SAまたはNH-90ヘリコプター1機を搭載可能。フランス海軍には第1バッチ3隻(1番艦F710ラファイエット、2番艦F711シュルクーフ、3番艦クールベなど)と第2バッチ3隻(4番艦F713アコニトなど)が就役(1996-2001年に5隻?)した。サウジアラビア海軍がF-3000SサワリU級として3隻購入し、台湾海軍にも改良型が6隻輸出された。2017年、2番艦F711シュルクーフがソナーをブルーウォッチャーに換装した。参考:月刊丸3,’01、月刊軍事研究3,’02、5,’07、7,’97、1,’17、月刊JWings3,’99、JShips
Vol.24、月刊世界の艦船9,’96、10,’17、8,’16、1,’02、11,’00、4,’12、1,15増刊、9,’17、4,’18、11,'21、1,'22、THE
MILITARY BALANCE 2016
<ラファイエット級(近代化改装)>:後継となるアミラル・ロナルク級が配備されるまでの繋ぎで、2021-24年にクールベ、F710ラファイエット、F713アコニトの3隻に対して実施された。構造強化と安定性改善工事を行い、戦闘管制システムをTAVITACからSENIT ELF(SENIT8のダウングレード版)に換装してエグゾセMM40ブロックV艦対艦ミサイル対応とし、タレス社製UMS4132Mk2ハル・ソナーと電子光学センサーを積み、クロタル・ナヴァルを撤去してミストラル3艦対空ミサイル用6連装発射機サドラル2基(ジョルジュ・レイグ級のお下がり)を搭載した。参考:月刊世界の艦船11,'21、1,'22、2,’23、5,’24
<ラファイエット海外シリーズ>
<康定級>:康定級を参照。
<サワリU型>:サワリU型を参照。
<ラファイエット級シリーズ>:アメリカ海軍戦略原潜。急速整備が進められ、1962年度計画では10隻を建造、工期も最短19ヶ月を記録している。1963-67年にシリーズ計31隻が就役した。2002年までに全艦退役した。参考:アメリカ潜水艦史、月刊世界の艦船6,’13、月刊軍事研究12,’16、2,’10、9,’12、現代の潜水艦
<ラファイエット級>:Lafayette級。イーサン・アレン級の拡大改良型で、機関を船体から離して設置するラフト(筏)方式を採用し、騒音が減少した。船体を拡大した分、ベッドや食堂のスペースを広げ、娯楽設備も設けて居住性改善に努めている。魚雷射撃指揮装置はMk113で、サブロックにも対応するが、実際に積んだかは不明。ソナーはAN/BQR-7、AN/BQS-4。全長129.5m、幅10.1m、吃水8.5m、水上排水量7325トン、水中排水量8251トン。主機は原子力蒸気タービン方式、S5W原子炉1基・二段減速歯車付高低圧2胴型蒸気タービン2基、出力15000馬力、1軸推進、水上速力16ノット、水中速力21ノット。安全潜航深度396m。兵装はポラリスA2SLBM(SSBN-622とSSBN-623はポラリスA3)発射筒16基、533mm魚雷発射管4門(艦首。魚雷12本)。乗員168名(うち士官20名。計140名?)。SSBN-616ラファイエット、SSBN-617アレキサンダー・ハミルトン、SSBN-619アンドリュー・ジャクソン、SSBN-620ジョン・アダムス、SSBN-622ジェームズ・モンロー、SSBN-623ネイザン・ヘイル、SSBN-624ウッドロー・ウイルソン、SSBN-625ヘンリー・クレイ、SSBN-626ダニエル・ウェブスターの9隻が1963-64年に竣工した。1970-1978年、SLBMをポセイドンC3に換装し、それに合わせて発射筒の内筒径を拡大している。トライデントは搭載せず、1994年までに除籍された。参考:アメリカ潜水艦史、月刊世界の艦船6,’13、月刊軍事研究2,’10、6,’10、12,’16、ザ・マーチ17号、39号
<ジェイムズ・マディスン級>:James
Madison級。後期型で、ラファイエット級に含むこともある。ポラリスA3を搭載する。SSBN-627ジェームズ・マディソン、SSBN-628テカムゼー、SSBN-629ダニエル・ブーン、SSBN-630ジョン・C・カルホーン、SSBN-631ユリシーズ・S・グラント、SSBN-632フォン・ステューベン、SSBN-633カシミア・プラスキ、SSBN-634ストーンウォール・ジャクソン、SSBN-635サム・レイバン、SSBN-636ナザネイアル・グリーンの10隻が1964年に竣工した。1970-78年、SLBMをポセイドンC3に換装した。1978-82年、SSBN-627/-629/-630/-632/-633/-634がSLBMをトライデントC4に換装した。1995年までに除籍された。参考:アメリカ潜水艦史、月刊軍事研究2,’10、6,’10、12,’16
<ラファイエット(改)級>:ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)級ともいう。全長129.54m、幅10.05m、吃水8.5m(9.0m?)、水上排水量7325トン(7350トン?)、水中排水量8251トン。主機は原子力蒸気タービン方式、S5W原子炉1基・減速歯車(騒音低減のため1段式にしたらしい)付高低圧2胴型蒸気タービン2基、出力15000軸馬力、1軸推進、水上速力16ノット(15ノット?)、水中速力21ノット825ノット?)。安全潜航深度396m(300m?)。兵装はポラリスA3SLBM発射筒16基(セイル後方2列)、533mm魚雷発射管4門(艦首。魚雷12本)。乗員140名(うち士官14名)。SSBN-640ベンジャミン・フランクリン、SSBN-641サイモン・ボリヴァー、SSBN-642カメハメハ、SSBN-643ジョージ・バンクロフト、SSBN-644ルイス・アンド・クラーク、SSBN-645ジェームズ・K・ポーク、SSBN-654ジョージ・C・マーシャル、SSBN-655ヘンリー・L・スティムソン、SSBN-656ジョージ・ワシントン・カーヴァー、SSBN-657フランシス・スコット・キイ、SSBN-658マリアーノ・G・ヴァレホウ、SSBN-659ウィル・ロジャーズの12隻が1965-67年に竣工・就役した。1970-78年、SLBMをポセイドンC3に換装した。1978-82年、SSBN-640/-641/-643/-655/-657/-658がSLBMをトライデントC4に換装した。1992年にSSBN-642、1994年にSSBN-645がSEAL用輸送支援母艦攻撃原潜に改造された。他艦は1995年までに除籍され、改造艦もSSBN-645が1999年、SSBN-642が2002年に除籍されている。参考:アメリカ潜水艦史、月刊軍事研究2,’10、10,’03、9,’12、現代の潜水艦、ザ・マーチ39号
<ラファイム>:イスラエルのIMI社が開発した、FCSとてき弾発射機を組み合わせた新型歩兵兵器システム。タボール突撃銃、L85A2、M4カービンなどに搭載できる。レーザー照準器付きの光学照準器を搭載し、誤差は600mあたり1m。てき弾は空中炸裂、精密爆発、時限爆発の3モードがあり、照準器からのデータで自動的に信管が調定される。5.56mm弾を用いたバレット・トラップ方式と、ライフル銃身の前部グリップに付いている発射システムの2種類で発射できる。更に、GPSシステムやネットワーク能力も追加される予定。参考:月刊軍事研究1,’04
<ラ・ファヴォリト>:フランス海軍オーロール級潜水艦La Favorite。1940年6月、建造中にドイツ海軍に接収され、UF2となった。参考:ナチスUボート
<ラファエル>:イスラエル国有企業RAFAEL Advanced Defense Systems。元はイスラエル国防省の兵器開発局RAFAELで、後に有限会社ラファエル・アドバンスド・ディフェンス・システムズになった。宣伝文句によると、「優れた精度、パフォーマンス、サバイバビリティ それが世界的に認められたRAFAELのレガシー」らしい。参考:ザ・マーチ18号、月刊JWings1,’20、5,’23
<ラファエル・ペラルタ>:DDG-115(イージス駆逐艦)を参照。
<ラファルー>:フランス空軍ラファール戦闘機ソロ・ディスプレイ・チームに同伴してチャリティー活動に協力するテディベア、Rafalou。1974年にフランス空軍に入隊し、国境無き航空団による支援活動にボランティアで参加していたデヴィッド”シューシュー”ヴェルファイェ准尉が、2008年3月にラファール・ソロ・ディスプレイ・チームに選抜されたのをきっかけに、チャリティー活動の一環として考案したものである。ラファルーはラファール・ソロ・ディスプレイ・チームと共に「ラファルー・ソロ・ディスプレイ・チーム」としてエアショーに参加、ラファールだけでなく各国の参加航空機に同乗してフェイスブックでアピールを行い、ラファルーのオリジナルパッチの販売に繋げることで、1枚当たり4ユーロが国境無き航空団のアフリカ支援活動資金に充てられる。2009年以降はダッソー社が売り込み用のフライトを全面的にラファール・ソロ・ディスプレイ・チームに依存しているため、世界各地で数多くのフライトをこなしているが、アルマッタン作戦などの実戦が入ると機体やパイロットがそちらに回されるため中止されてしまう。参考:月刊JWings11,’13
<ラフィーカ>:CA331シリーズ(双発軍用機)を参照。
<ラプウイング>:AVP-1(水上機母艦)を参照。
<ラプウイング級>:アメリカ海軍小型水上機母艦Lapwing級。バード級掃海艇を改造したもので、哨戒飛行艇隊1隊に対する母艦任務を実施することができる。ただ艦が小型すぎ、実際には飛行艇クラスの支援は無理で、小型水上機の支援を行った。基準排水量840トン。速力12ノット。AVP-1ラプウイングからAVP-9の9隻が1936年に改造された。参考:月刊世界の艦船11,’00、11,’24
<ラ・プールシュイヴァーント>:フランス海軍ラ・メルポメーヌ級水雷艇La Poursuivante。1937年竣工。1942年に自沈した。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラブーン>:DDG-58(ミサイル駆逐艦)を参照。
<ラフェイ>:DD-459(ベンソン級駆逐艦)またはDD-724(アレン・M・サムナー級駆逐艦)を参照。
<ラフェッテ34>:MG34・MG42用の三脚架で、ティー・シュッツェン社が開発した。脚とマウントの間にスプリングによる緩衝装置を持つ。後端左に俯仰角、右に旋回角調整用のグリップがある。重量12.1kg。参考:第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログVol.3
<ラフェレンツ・カプセル>:A4(弾道ミサイル)を参照。
<ラプコン>:Radar Approach Controlの略(RAPCON)。飛行場でターミナル・レーダーを用いた出発・進入管制を行うセクションであり、レーダーで得られた情報を元に航空機の航行を一元的に管制できる。空港監視レーダーにより飛行場から55-150kmくらいを担当するターミナル管制所と、精測進入レーダーにより最終進入を担当する着陸誘導管制所がある。自衛隊ではレーダールームのことをこう略す。参考:月刊JWings12,’01、4,’16、自衛隊装備年鑑1996、航空用語事典増補改訂版
<ラ・プシシェ>:フランス海軍ディヤーヌ級潜水艦La Psyche。1933年竣工。1942年に戦没した。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラプター>:AGM-142シリーズ(ミサイル)またはF-22シリーズ(戦闘機)を参照。
<ラプター型>:ロシア海軍哨戒艇Raptor型。艦首に揚陸用ランプ、艇後部に特殊部隊待機スペースがある。全長16.9m、満載排水量23トン。主機はディーゼル、速力48ノット。兵装は14.5mm単装機銃1丁。2022年現在、17隻が就役している。参考:月刊世界の艦船10,’22
<ラプター・カフ>:Roptor Cough。F-22戦闘機で高G機動を行った際、パイロットに咳(Cough)が出る現象のこと。当初は通常呼吸に復帰するための生理現象と考えられていたが、F-22墜落事故の原因となったコンバットエッジ上半身部の過加圧によるものと判明した。参考:月刊JWings12,’12
<ラプターズ>:HSM-71(飛行隊)を参照。
<ラプチャード・ダック>:名誉除隊章(アメリカ陸軍)を参照。
<ラフト構造>:潜水艦の雑音低減対策の1つ。艦内に強固な床(ラフト)を設け、ここに雑音源となる機器類を設置、床全体を防振材で支持し、船殻に騒音や振動が直接伝わらないようにする。防振材が柔らかいほど騒音や振動は少なくなるが、床が大きく揺れるので、かさばる。参考:月刊世界の艦船6,'21、2,’10
<ラプトル型>:プロジェクト03160(哨戒艇)を参照。
<ラブハ級>:カタール海軍LCT、Rabha級。主力戦車3両、人員110名を搭載可能。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<ラフベリー・サークル>:イギリス空軍が第2次大戦時に使用した空戦戦術。複数機が円を描いて飛行し、互いの後方を援護するものである。参考:歴史群像2,’08
<ラプラタ沖海戦>:第2次大戦時の1939年9-12月、ドイツ海軍装甲艦アドミラル・グラーフ・シュペーは南大西洋で通商破壊作戦に従事し、5万トンを撃沈していた。これに対し、捜索に当たっていたイギリス巡洋艦戦隊G哨戒部隊(ヘンリー・ハーウッド代将座乗の旗艦軽巡22アジャックス、重巡68エグゼター、ニュージーランド軽巡70アキリーズ)が12月13日未明にブラジルのラプラタ沖でシュペーに距離31000mで発見され、戦闘が始まった。0617、射距離17800mでシュペーがエグゼターに発砲、挟叉した。エグゼターも射距離17100mで反撃し、シュペーを挟叉。軽巡2隻は対側に回り込んで挟撃を図り、0620から速力25ノットで航行しつつ砲撃に入った。シュペーは4分後に第2斉射を行い、エグゼターに命中したが、砲弾は外板を貫通して海に落ちた。そのまま第8斉射まで行い、エグゼターは計7発被弾、B砲塔が破壊され、更に直撃弾や至近弾の破片で艦橋を孔だらけにされて航海長らが戦死、機器も破壊されて機能を喪失したため、艦長は後部指揮所に移った。その後シュペーは主砲でエグゼターを砲撃しつつ軽巡2隻と副砲での同時砲戦を開始。0631、エグゼターが右舷魚雷発射管から魚雷3本を放ったが、0634にシュペーが煙幕を張り回頭したため全て外れた。0637、アジャックスがシーフォックス水上観測機を発艦させたが、無線機が不調で交信できなかった。0640、アキリーズの左舷に落ちたシュペー主砲弾の至近弾弾片が艦橋を直撃し、艦長が負傷、射撃方位盤が損傷して機能停止に陥った。また、エグゼターのA砲塔にもシュペー主砲弾が直撃して破壊された。0643、エグゼターが左舷魚雷発射管から魚雷3本を発射したが、全て外れた。直後にエグゼターはシュペーの主砲弾2発を被弾して大破した。0650、シーフォックス水上観測機とアジャックスの通信が回復し、軽巡部隊はエグゼターを逃がすためシュペーに全力砲撃を開始した。0700、シュペーは煙幕を張って戦場からの離脱を図ったが、イギリス軽巡部隊は追撃を加えて触接を保った。0724、アジャックスが左舷魚雷発射管から魚雷4本を発射したが、全て外れた。0725、シュペーの砲弾1発がアジャックスの後部上甲板を直撃し、X砲塔とY砲塔が破壊された。0729、エグゼターが停電に陥ってY砲塔が射撃不能となった。0738、シュペーと軽巡部隊の距離が7300mにまで縮まり、軽巡の主砲弾がシュペーを捉えたため、0741にシュペーは煙幕を張って西に退避、G哨戒部隊も残弾が少ないのと損害が大きいのとで交戦を止め追跡に移った。シュペーは主砲弾414発(徹甲弾30発、大遅延信管付榴弾184発、榴弾200発)と副砲弾377発(大遅延信管付榴弾120発、榴弾257発)を発砲し、被弾により36名が死亡、6名が重傷、53名が軽傷で、2週間の修理を要する損害を受けた。エグゼターは主砲弾200発を発射して3発命中、アキリーズとアジャックスは主砲弾2250発を発射して17発命中だった。戦線を離脱したシュペーは2350にウルグアイのモンテビデオ港に入り、ウルグアイ政府とドイツ政府が交渉して72時間の滞在が認められた。G哨戒部隊は応援を要請したが、最も近いK哨戒部隊でも到着に1週間かかるため、フォークランドに停泊していたG哨戒部隊重巡57カンバーランドの艦長が独断で応援に駆け付け、12月14日2200に現地に到着した。12月16日、シュペーのラングスドルフ艦長に対してドイツから訓令電が届き、艦長の提案の通り、封鎖を突破してアルゼンチンのブエノスアイレスに入るか、無理なら自沈を選ぶよう指示が出た。イギリス側はG哨戒部隊に増援を加えてラプラタ河口沖を封鎖しているかのように装ったため、ラングスドルフ艦長は12月17日夕方に乗員900名をドイツ商船に移乗させた後、残る43名の乗員と共に艦を出港させ、1815に防波堤外に座礁させると、艦長だけが残って2054にシュペーは自爆自沈した。ウルグアイに入院した28名と拘束された4名以外の乗員は洋上でアルゼンチン船に移りブエノスアイレスに逃れている。12月19日深夜、ラングスドルフ艦長がドイツ海軍旗に身を包み、拳銃で自殺した。イギリスはグラーフ・シュペーのマストトップにあるアンテナに注目、直ちに科学者を派遣して調査し、波長57cmまたは114cmの電波を送信する射撃指揮レーダーを搭載していることを突き止めた。参考:月刊世界の艦船8,’17、7,'15、月刊丸8,’87、連合軍の傑作兵器駄作兵器
<ラブラドール>:A168(曳船)を参照。
<ラプラドル>:CH-113(ヘリ)またはCH-113A(ヘリ)を参照。
<ラフリー装甲車シリーズ>:フランス軍の装甲車で、フランスのラフリーが開発した。参考:世界の軍用車両(4)
<ラフリー・ホワイト>:M18とも呼ばれる。アメリカのホワイト社製トラックのシャシーに装甲ボディを載せたもので、第1次世界大戦中に製作された。車体前部に機関室、後部に乗員室を持ち、上部に円筒形の全周旋回式砲塔を持つ。参考:世界の軍用車両(4)
<ラフリー50AM>:1928年に登場した改良型で、砲塔前方に37mm砲、後方に8mm機銃を搭載する。新型砲塔に合わせて車体も換えられ、タイヤも空気タイヤになり、電気関係も強化された。乗員4名。1940年のドイツ侵攻時にも一部が自動車化歩兵師団偵察隊などに配備されていた。参考:世界の軍用車両(4)
<ラフリー80AM>:50AMの改良型で、車体・砲塔形状をリファインし、後部タイヤをシングルに変更、主武装を13.2mm重機関銃に換装した。北アフリカ植民地部隊に配備され、アルジェリアでは1946年頃まで使用されていた。参考:世界の軍用車両(4)
<ラフリケーヌ>:フランス海軍オーロール級潜水艦L’Africaine。1940年6月、建造中にドイツ国防軍に接収され、UF1となった。第2次大戦終結後に工事を再開、1948年に竣工し、1949年10月に就役した。1963年2月28日に除籍された。参考:ナチスUボート、第2次大戦のフランス軍艦
<ラブリネンコ中尉>:ソ連第1親衛戦車旅団の戦車中隊長で、1941年12月17日に戦死するまで28回の戦車戦を経験し、52両のドイツ国防軍戦車を撃破、ソ連のトップ・タンクエースとなった。参考:月刊グランドパワー11,’04
<ラブレイス>:DE-198(護衛駆逐艦)を参照。
<ラブレイス・クリニック>:アメリカのニューメキシコ州アルバカーキにある総合病院で、1922年にウィリアム・ランドルフ・ラブレイス医師とエドガー・T・ラセター医師と共同でこのクリニックを開業した。第2次大戦後、甥の陸軍パイロットで航空医学の第一人者、ランディ・ラブレイス2世陸軍大佐が跡を継ぎ、1950年代半ばには核防護研究に参加。U-2パイロットの秘密検診なども行っている。参考:月刊航空ファン2,’02
<ラフ・レイダース>:VFA-125(飛行隊)を参照。
<ラ・プレイド>:DE-409(護衛駆逐艦)を参照。
<ラ・フロール>:H63(駆逐艦)を参照。
<ラ・フロール>:フランス海軍ラ・メルポメーヌ級水雷艇La Flore。1936年竣工。1950年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラ・ペドレラ>:S49(潜水艦)を参照。
<ラペリング>:懸垂降下。自衛隊用語ではリペリング。ロープを降ろし、カラビナやエイト環などの降下器具を自分の体に付けたハーネスとロープに固定、地上に降下すること。降下速度を調節でき、安全性が高いが、あまりに重装備だと降下器具が持たない。参考:コンバット・バイブル2、月刊JWings11,’06、10,’01
<オーストラリアン・ラペル>:崖を降下する時に使う方法で、前向きに降りる。左手をブレーキにし、右手は武器を構えたまま降りてくる。ただし実戦的ではないらしい。参考:コンバット・バイブル2
<シートヒップラペル>:崖を降下する時に使う方法で、姿勢をL字に保って降りる。参考:コンバット・バイブル2
<ラペリング(ヘリコプター)>:ヘリの着陸スペースが無いところでも強襲作戦ができる。30m前後の高度から降下を行うが、降下時は姿勢をL字に保つことが重要。陸自では卸下用意、卸下の号令で地上に降下する。参考:コンバット・バイブル2
<ラベンダー>:K60(コルベット)を参照。
<ラホヴァ級>:ルーマニア海軍河川哨戒艇。兵装はD-10T艦砲1門など。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊
<ラボーチキン設計局>:ソ連の設計局で、別名第301設計局OKB-301。デルタ合板製航空機を作るため、家具工場を転用して1937年4月に創設され、1939年に入局したラボーチキン技師の名称が後で冠された。1960年6月のラボーチキン技師死去後は航空機設計から手を引き、打ち上げロケットや宇宙分野に転じている。参考:ウォーマシン・レポートNo.67
<ラ・ポーテ>:APA-151(攻撃輸送艦)を参照。
<ラ・ホーヤ>:SSN-701(攻撃原潜)を参照。
<ラホール宣言>:1998年5月に核実験を実施したインドとパキスタンが、1999年2月にパキスタンのラホール市で核デタント(緊張緩和)に向けて調印した宣言。しかし同年5月にはカシミール地方で武力衝突が始まり、あっさり破られた。参考:月刊軍事研究8,’99
<ラ・ポモーヌ>:フランス海軍ラ・メルポメーヌ級水雷艇La Pomone。1936年竣工。1943年に自沈した。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラマ>:SA316B(ヘリ)またはミストラル1シリーズ(艦対空ミサイル)を参照。
<ラマー>:APA-47(攻撃輸送艦)を参照。
<ラマー>:付き棒。弾薬や魚雷、ミサイルを薬室や発射筒内に押し込んだり、抜き出したりするために使用する棒のこと。参考:陸上自衛隊地上戦力の全容、第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログVol.4
<ラマートン>:L88(駆逐艦)を参照。
<ラマダーン戦争>:第4次中東戦争を参照。
<ラマダン級>:エジプト海軍ミサイル艇Ramadan級。兵装はオトマートMkU艦対艦ミサイル単装発射筒4基、76mm砲1門。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、ミリタリー・バランス1989-1990
<ラ・マローニ>:フランス海軍コルベットLa Malouine。全長62.5m、幅10.1m、吃水5.5m、基準排水量925トン。主機はレシプロ機関で、出力3000馬力、速力16ノット。兵装は10.2cm単装砲1門、57mm砲1門、40mm砲1門、爆雷投射機。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラミネート・アーマー>:複合装甲を参照。
<ラミリーズ>:07(戦艦)を参照。
<ラミング・ダウン戦法>:衝撃を参照。
<ラム>:110mm個人携行対戦車弾を参照。
<ラム中戦車シリーズ>:カナダ陸軍巡航戦車Tank Cruiser, Ram。第2次大戦勃発でカナダはイギリス連邦軍として参戦、イギリスで重装備を受け取ってヨーロッパへと展開する予定だったが、ダンケルク撤退でイギリスの重装備が殆ど失われてしまったためカナダに回す戦車が無くなってしまった。この頃はアメリカも戦車の本格配備を始めたばかりで余裕が無く、取り敢えずイギリスにM3中戦車を回すことにしたが、背が高くて目立つ、主砲が車体装備になっている、装甲が薄い、砲塔に無線が無いなど性能に不満足な点があり、カナダとイギリスは1941年1月にM3中戦車の下部車体にイギリス仕様の上部車体と砲塔を搭載する本格的な新型巡航戦車を開発することにした。これがラムで、カナダの装甲戦闘車両メーカーであるカナディアン・パシフィック社はイギリスから依頼されたクルセイダー巡航戦車の量産に忙しかったため、モントリオール汽車製造会社で生産された。1941年夏には原型車がアメリカ陸軍に貸与され、テストが行われている。アメリカでは当初M3A6中戦車と呼ばれていたが、1942年2月17日M4A5中戦車と改められ、この時にラム(開発責任者のカナダ機甲軍司令官ワシントン大佐の家紋)というニックネームも付けられた。1941年6月に試作車が完成し、1943年7月までに各シリーズ合わせて2000両が生産されたが、M4シャーマンが大量に供与されたため、訓練にのみ使用された。ファミリー車両の方が実戦投入されている。参考:British and American tanks of World War Two、月刊PANZER3,’12、11,’02、月刊JWing2,’04、月刊戦車マガジン10,’78
<ラムMk.T>:Ram Mk T。車体下部はM3中戦車の流用で、履帯が後にカナディアン・ドライピン(CDP type)と呼ばれるシングルピン・シングルブロック式に変更された程度である。この際、履帯ピッチが6インチ(152.4mm)から4.6インチ(116.8mm)に縮まったため、起動輪のスパイク幅も変更された。車体上部及び砲塔は鋳造製(当時のカナダには装甲板溶接技術が無かった)で、モントリオール汽車製造会社には一体成型鋳造技術も無かったため、アメリカのUSAジェネラル・スチール・キャスティング社が試作車の鋳造を担当、モントリオール社に技術供与した。車体の75mm砲は撤去され、車体前部右に操縦手、左に副操縦手が位置する。車体前部左正面には副操縦手が操作する7.62mm機銃M1919装備の銃塔が設けられた。砲塔は油圧旋回式で、車体中央右寄りにオフセットされている。主砲は75mm砲を希望していたが、イギリスからはカナダに砲架・防楯・俯仰ギアの製造技術が無いため2ポンド砲にせよと命令された(6ポンド砲の供給が間に合わないのもあったらしい)ため、カナダで生産していたバレンタインと同じ砲架・防楯に2ポンド砲(171発)を搭載することになった。ただし6ポンド砲への換装に備えてターレットリング径はM3よりも0.16mほど拡大しており、砲塔前面は開口式になっている。車長用ハッチのリングマウントに対空用7.62mm機銃M1919を装備。砲塔前部左には発煙弾発射機を持つ。1941年6月に試作車が完成、7月からアバディーン試験場でテストに入ったが、テスト中にイギリスから6ポンド砲への変更命令が出た。ただ砲架の設計図が送られてこなかったため、設計変更に時間が掛かり、50両が2ポンド砲搭載のMk.T規格で生産され、全てイギリスに送られた。参考:月刊PANZER3,’12、11,’02、11,’99、月刊戦車マガジン10,’78、British and
American tanks of World War Two
<ラムMk.U>:Ram Mk U。主砲をジャイロ・スタビライザー付きの6ポンド砲Mk.3(俯仰角マイナス7.5度からプラス20度、装弾数92発)に換装したタイプ。副操縦手用銃塔は廃止され、ボールマウント式機銃に変更されている。砲塔リングに弾片防護装甲を追加、側面スポンソンのドアを廃止し、脱出ハッチとピストルポートを付け、変速機にオイルクーラーを追加した。全長5.79m、全幅2.76m、全高2.67m、戦闘重量29.5トン。エンジンはコンチネンタルR975-EC2空冷星形9気筒ガソリン(400馬力)で、最大速度38.4km、燃料搭載量662リットルで航続距離192km。主砲は6ポンド砲Mk.V(100発)で、副武装は7.62mmM1919機銃3丁(車体前部、主砲右、砲塔上面に1丁ずつ。計4440発)。装甲厚は砲塔前側面76.2mm、後面63.5mm、車体前面50.8mm、側面63.5mm、後面38.1mm。乗員5名(車長、操縦手、副操縦手、砲手、装填手)。1942年1月から1899両が生産された。参考:月刊PANZER3,’12、11,’02、月刊戦車マガジン10,’78、British and American tanks of World War Two
<ラムMk.U後期型>:Mk.Uの細部改良型で、車体側面の脱出ハッチやピストルポートを廃止している。エンジンは低オクタン価(80オクタン)でも使えるR975-C1に換装された。199両が生産された。参考:月刊戦車マガジン10,’78、月刊PANZER3,’12
<ラムMk.U(75mm砲搭載)>:主砲を75mm戦車砲M3に換装したタイプ。1両が改造されてテストされたが、量産化には至らなかった。参考:British and American tanks of World War Two
<ラム中戦車ファミリー>
<ラム自走3.7インチ対空砲>:自走高射砲型Ram QF 3.7in AA。砲塔を外して3.7インチ(94mm)高射砲を搭載している。1942年後半に試作され、防楯形状変更など多数の改造を加えてテストされたが、計画のみに終わった。参考:British and American tanks of World War Two、月刊PANZER3,’12
<セクストン>:イギリス陸軍自走砲25pdr self-propelled, tracked, Sexton。アメリカ陸軍M7プリースト自走砲のイギリス版で、25ポンド砲MkUを搭載している。1942年後半から開発され、車体もプリースト用のものを提供してもらう予定だったが、アメリカが渋ったのでラムの車体を使った。初期型車体で、溶接上構を持つ。操縦席が右にあるので、砲は左にオフセットされている。戦闘室はオープントップで、左に弾薬補給用のハッチがある。機銃用リングマウントは装備されていない。射程不足のビショップでの反省を踏まえ、主砲先端にはダブルバッフル式マズルブレーキを装着し、後座長を1.02mから0.51mに抑えて最大仰角45度を取れるようにしてある。俯角はマイナス9度まで、射界は左25度、右15度。弾薬搭載数は105発で、うち87発が榴弾と発煙弾、18発がAP弾。副武装はブレン機銃2丁(弾倉50個)。戦闘室周囲に取り付ける防水プレートと、機関室上部に取り付けるシュノーケルからなる渡渉キットも作られた。No19無線機を搭載する。全長6.12m、全幅2.72m、全高2.44m、全備重量25.9トン。エンジンはコンチネンタルR975-C1/C4空冷ガソリン(400馬力)で、最大速度路上38km、不整地20マイル(32.2km)、航続距離200km。副武装はブレン軽機関銃2丁(1500発)装甲厚は108-12.7mm。乗員6名(車長、操縦手、砲手、装填手、弾薬手、無線手)。R975-C1エンジンを搭載した初期型はセクストンT(車体ノーズカバーが分割式、車体後部に補助発電機とバッテリーを収容した箱状収納ケースを設置)、R975-C4を搭載した後期型(車体ノーズカバーが一体鋳造式)はセクストンUと呼ばれる。上部転輪の位置がM4中戦車と同様に変更されたり、車体後面に弾薬車牽引用フックが追加されたり、ブレン対空機銃用マウントが追加されたりといった改修も加えられた。モントリオール・ロコモーティブ社で試作されてイギリスに洋上輸送されてテストされ、1943年初めから1945年末までに同社で2150両(Tが125両、Uが2025両)が生産されてM7プリーストに代わって配備された。カナダ軍などイギリス連邦軍の諸部隊も装備している。実戦初使用は1943年のイタリア戦線で、イギリスでは1950年代半ばまで使用された。参考:British and American tanks of World War Two、世界の軍用車両(1)、月刊PANZER7,’09、3,’12、11,’02、月刊JWings7,’04、異形戦車ものしり大百科、米英軍戦闘兵器カタログVol.2
<セクストン射撃指揮車>:Sexton Gun Position Officers(GPO)。セクストンから主砲を除き、無線機、指揮用テーブル、有線電話ケーブル、タンノイ製拡声器などをGPO用装備を搭載したもの。1943年末に開発された。参考:British and American tanks of World War Two、月刊PANZER7,’09
<ラムARV Mk.1>:装甲回収車型Ram ARV MkT。ラムMk.1の車体後部上面に回収用ウインチを装着したものである。参考:British and American tanks of World War Two
<ラムARV Mk.2>:装甲回収車型Ram ARV MkU。砲塔を外してダミー砲付きダミー砲塔に換装し、駐鋤やジブクレーン(車体前後)を装備している。参考:British and American tanks of World War Two、月刊PANZER3,’12
<ラムAVRE>:突撃工兵任務用。1943年に2両が試作されたが、この任務にはチャーチルAVREが充てられることになったため、量産化はされなかった。参考:British and American tanks of World War Two
<ラムGPO>:自走砲兵連隊用弾着観測車Ram Gun Position Officers。ラムOP/コマンドと同じ車体にタンノイ製拡声器など自走砲兵連隊GPO用装備を搭載したものである。参考:British and American
tanks of World War Two、月刊PANZER3,’12
<ラムOP/コマンド>:観測・指揮装甲車型Ram Observation Post / Command。ラムMk.Uの車内に指揮用無線機、有線電話装置、地図台を搭載、主砲を外してダミー砲身を装備している。動力式砲塔旋回装置や砲塔バスケットも撤去されており、手動で左右45度ずつのみ旋回可能。エンジンルーム上面には有線ケーブルリールが装着されている。車内に指揮観測要員6名を収容する。1943年に84両が生産された。参考:月刊PANZER3,’12、11,’02、月刊戦車マガジン10,’78、British and American tanks of World War Two
<ラム・カンガルー>:装甲兵員輸送車型Ram Kangaroo。カナダ本土で訓練用に使用されていたラム中戦車の砲塔を外し、戦闘室に11名の歩兵を搭乗(ベンチシートは8名分)できるようにした。車体上部側面に乗降用の手摺りと足掛けがある。自衛武装は車体前方機銃だが、現地改修で12.7mm機銃M2を戦闘室の回転マウントに搭載したものもある。固有の乗員は2名。イギリス第79機甲師団に配備され、イギリス初実戦使用の装軌式装甲兵員輸送車となった。戦後も本格的な装甲兵員輸送車が配備されるまでイギリスやカナダで使用された。参考:月刊グランドパワー10,’00別冊、月刊PANZER3,’12、British and American tanks of World War Two
<ラム・サーチライト>:Ram Searchlight。ラム・カンガルーに40インチ(1.02m)サーチライトと発電機を搭載したタイプ。ヨーロッパ夜間作戦時に滑走路などを照らす目的で1945年に現地改造された。参考:British and American tanks
of World War Two、月刊PANZER3,’12
<ラム・バジャー>:Ram Flame-throwers, Badger。ラム・カンガルーの開口部を装甲板で塞ぎ、ワスプMk.UCと同じ火炎放射器を搭載したもの。車内に燃料タンクと加圧ボンベを備え、ノズルは車体前部左にある。カナダ陸軍で少数が改造され、1945年初めに実戦参加した。参考:月刊グランドパワー1,’04、British and American tanks of World War Two
<ラム砲牽引車>:Ram Gun Tower。ラム・カンガルーの車体後部に17ポンド砲用牽引フックを装着したもの。17ポンド砲を弾薬や砲要員ごと運搬できる。参考:British and American
tanks of World War Two、月刊PANZER3,’12
<ワラビー>:セクストン用弾薬運搬車Ram Ammunition Carrier Wallaby。ラム・カンガルーの兵員室に25ポンド砲の弾薬ラックを搭載している。参考:British and American tanks of World War Two、月刊PANZER3,’12
<ラムH>:T-4(超音速迎撃機)を参照。
<ラムJ>:Su-25シリーズ(攻撃機)を参照。
<ラムK>:Su-27シリーズ(戦闘機)を参照。
<ラムL>:MiG-29シリーズ(戦闘機)を参照。
<ラムM>:M-17(高々度観測機)またはM-55(高々度観測機)を参照。
<ラムP>:Tu-160シリーズ(爆撃機)を参照。
<ラムT>:Yak-141シリーズ(試作VTOL戦闘機)を参照。
<ラムイェーガー>:シュトルムシュタッフェル(迎撃機部隊)を参照。
<ラ・ムーア・カウンティ>:LST-1194(戦車揚陸艦)を参照。
<ラム・エア・タービン>:Ram Air Turbine、RATと略す。非常用発電・油圧駆動力確保用設備で、トラブルにより電力や油圧が供給できなくなった際、風車を機外に出してジェネレーターを駆動させ、緊急用電力・油圧を確保する。引き込み機構は無く、地上整備で戻す必要があり、用も無く出さないように注意書きされている。参考:月刊JWings10,’09別冊付録、9,’20
<ラム加速砲>:Ram Acceleration Gun。加圧した混合気体(空気、水素、メタンなど)を砲身内に封じておき、そこにマッハ2.5以上で弾丸を撃ち込むと、弾底部が高温となり混合気体が燃焼して膨張、砲弾を更に加速する。砲弾と砲身の間に隙間が空いていても衝撃波で封鎖されているため、ガスが漏れない。弾道ミサイル迎撃用の超高初速砲として研究されている。参考:火器弾薬技術ハンドブック
<ラム型エアインテイク>:エアインテイクを参照。
<ラム・カンガルー>:ラム中戦車ファミリーを参照。
<ラム・ガンツアー>:ラム中戦車ファミリーを参照。
<ラム・サーチライト>:ラム中戦車ファミリーを参照。
<ラムジェット・エンジン>:Ramjet engine。高速飛行時のラム圧を利用して空気を圧縮するジェットエンジン。イギリスでは空気熱力学ダクト(ATHODYD)、フランスで熱推進ダクトまたは静反動装置、ドイツで塞ぎ止め噴流推進装置などと呼ばれていた。時速400kmくらいでも何とかなるが、マッハ3以上ぐらいから効率が良くなる。エアインテイクで衝撃波を発生させるなどして吸入した高速の空気を減速すると、その分のエネルギーで空気が勝手に圧縮されるので、これにJP-4などの液体燃料を噴霧して混合、燃焼室内で燃焼させ、排気ノズルから噴射する。圧縮機もタービンも要らないので構造は単純だが、ラム圧が十分に高まる速度まで他のエンジンで加速しなければならず、ラムジェットエンジンだけ装備しても自力で離陸できない。また、安定した出力を得るためには圧縮空気流の変化に対応して液体燃料噴射量などを調節する必要がある。マッハ5を超えると空気を減速しきれなくなるので、スクラムジェットエンジンを使う。参考:月刊JWings1,’01、12,’04、5,’20、自衛隊装備年鑑1996、航空用語事典増補改訂版
<ラムズデン>:DE-382(護衛駆逐艦)を参照。
<ラムゼイ>:M110(掃海艇)を参照。
<ラムゼー>:FFG-2(ブルク級護衛艦)またはG60(駆逐艦)を参照。
<ラムセス>:カナダ海軍ハリファックス級フリゲート用電子戦システムRAMSES(Reprogrammable Advanced Multimode
Shipboard Electronic countermeasures System)。複数のレーダーやECMに対処でき、対艦ミサイルのレーダー・シーカーに対する妨害も可能である。参考:月刊世界の艦船5,’22
<ラムセスU>:T-55海外シリーズ(戦車)を参照。
<ラムソン>:DD-367(駆逐艦)を参照。
<ラムソン>:アメリカ海軍掃海艇。1945年4月6日、沖縄付近で菊水一号作戦特攻機の攻撃を受けて損傷した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌
<ラムソン719>:ベトナム戦争時に南ベトナム陸軍がアメリカ軍ヘリボーン部隊の支援を受けて実施した、ラオスの北ベトナム拠点及びホーチミンルートに対するヘリボーン作戦。参加部隊は南ベトナム陸軍第1歩兵師団、第1空挺師団、海兵師団、第1機甲旅団、レンジャー大隊3個、アメリカ陸軍第1騎兵師団、第1航空旅団、海兵隊中型ヘリコプター飛行隊で、AH-1G148機、UH-1輸送ヘリ353機、CH-53大型輸送ヘリ12機、CH-47輸送ヘリ77機、OH-6及びOH-58A観測ヘリ126機が投入された。地上戦闘に参加したのは南ベトナム陸軍の20000名である。1971年2月8日から3月25日まで実施されたが、北ベトナム軍5個師団(兵力30000名以上)の装備する対空砲1000門と重火器から猛烈な反撃を受け、ヘリコプター108機被撃墜・510機損傷、死者1212名、負傷者4314名の損害を出し、北ベトナム側にも多数の損害を与えたものの肝心のホーチミンルートを遮断できず、作戦は失敗した。参考:兵器最先端5、月刊丸12,’11
<ラム・タブ>:MP-401S/MS(ジャマー)を参照。
<ラム・ティーガー>:VK4501試作戦車ファミリーを参照。
<ラムネ>:日本軍では南方で生水のかわりに飲む衛生的な飲料として使用されており、戦艦や補給艦などにラムネ製造器が据え付けられていて、乗員にも好評を博した。不時着用の携行品にもラムネが含まれている。参考:歴史群像8,’98、月刊世界の艦船9,’13増刊
<ラム・バジャー>:ラム中戦車ファミリーを参照。
<ラムラッシュ>:A208(通船)を参照。
<ラム・ロッド>:先込め銃の装填やクリーニングに使用する棒のこと。参考:GUN用語事典
<ラメ>:イタリア海軍フルット級潜水艦Rame。建造中にドイツ国防軍に接収され、UIT11となった。参考:ナチスUボート
<ラメージ>:DDG-61(ミサイル駆逐艦)を参照。
<ラメックス・デルタ>:フランス空軍ディスプレイチームArmee de l’Air Ramex Delta。ミラージュ2000N戦略爆撃機2機のチームで、2007年に結成された。実戦部隊に配備されている機体をそのまま使用しているため、スモークは無く、高度100フィート(30.5m)・速度600ノット・最大荷重7Gのタクティカル・ディスプレイを披露する。パイロットも戦略航空軍団所属で、テロ対策のため氏名は極秘であり、自国または軍事協定によりパスポート無しで渡航できる国でなければ展示飛行ができない。2016年7月8-10日のエアタトゥー2016で最後の公開演技を披露し、クトーデルタに後を譲って解散した。参考:月刊JWings7,’14、9,’16、月刊航空ファン9,’17
<ラ・メルポメーヌ>:H56(駆逐艦)を参照。
<ラ・メルポメーヌ>:フランス海軍ラ・メルポメーヌ級水雷艇La Melpomene。1936年竣工。1950年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラ・メルポメーヌ級>:フランス海軍水雷艇La Melpomene級。ロンドン条約で制約を受けない600トン未満の沿岸用戦闘艦として開発された。全長80.7m、幅8m、吃水3.1m、基準排水量610トン。主機は蒸気タービンで、出力22000馬力、速力34.5ノット。兵装は10cm単装砲2門、13.2mm機関銃4丁、55cm連装魚雷発射管1基。ラ・メルポメーヌ、ラ・フロール、ラ・ポモーヌ、リフィジェニ、ラ・バヨネーズ、ラ・コルドゥリエール、ランコンプリーズ、ラ・プールシュイヴァーント、ボンバルド、ブランルバー、ブークリエ、バリストの12隻が1936年から竣工した。復元性と強度に問題があり、ブランルバーが荒天により転覆沈没している。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラメン>:AKA-30(攻撃貨物輸送艦)を参照。
<ラメンキ43>:ソ連がモスクワ大学の地下に設置していたといわれる地下施設。有事の際には政府機関がここに移動する。システマD-6またはメトロ−2と呼ばれる政府専用地下鉄網が完備されており、モスクワから脱出しなければならない時に備えてヴヌコヴォ空港への直通地下鉄も用意されていた。参考:月刊軍事研究3,’13
<ラメンスコイェ飛行場>:Ramenskoye。ソ連航空工業省ジュコウスキー飛行場(ミハイル・M・グローモフ飛行研究所)に西側が付けたコードネームで、ジュコウスキーの隣にある地名を付けてしまったものである。中央流体力学研究所(ツアギ、TsAGI)が所在する他、航空工業省M.M.グロモフ名称(記念)飛行試験所(LII)が軍用機と民間機の飛行テストに使用しており、テスト機にはアメリカがラムのコードネームを付けた。飛行性能試験を行う場所であり、軍用機は更にアストラハン州アフトゥビンスク基地にある国防省V.P.チカーロフ飛行研究センター(その後第929連邦飛行研究センターに改称)やリペツク基地にある空軍第968訓練試験混成航空連隊の運用試験を受ける。ソ連時代には周辺のジュコウスキー市が閉鎖都市になっていて、外国人は許可無くモスクワから40km離れてはいけない(飛行場はモスクワから42kmの所にある)という法律もあり、秘密のベールに包まれていた。参考:月刊JWings8,’14、月刊航空ファン11,’92、2,’16
<拉孟・騰越守備隊玉砕>:拉孟は中国南部からビルマに至る街道を横切る怒江にかかる橋を制圧する要地で、騰越は怒江の西側にある大都市である。ここは日本陸軍第33軍第56師団が防衛にあたっていたが、昭和19年5月には兵力の3分の1を北ビルマ方面の作戦に抽出していた。拉孟守備隊は歩兵2個中隊、砲兵3個中隊を主力とする1270名(うち300名が戦傷病者)と火砲22門。騰越守備隊は歩兵第148連隊の2025名。5月10日、中国雲南遠征軍第20集団軍が怒江を渡河し、拉孟と騰越の前面に進出した。日本軍は各方面から兵力を抽出して一旦は撃退したが、6月1日に再び4個師団が怒江を渡河して攻撃を開始した。6月2日、雲南遠征軍は拉孟の日本軍陣地に対して攻撃準備射撃を開始。6月7日、雲南遠征軍新編第38師が拉孟南方を迂回して道路を遮断、拉孟守備隊が孤立した。6月14日、雲南遠征軍新編第28師が拉孟に第1回の総攻撃を開始。6月20日、拉孟守備隊は雲南遠征軍の攻撃を撃退したが、砲兵の射撃により弾薬庫が破壊されたため、弾薬不足に陥った。日本陸軍第56師団は騰越方面の敵を撃破したが、拉孟に向かう余力は無かった。6月22日、騰越守備隊は戦線を縮小し、騰越周辺で陣地構築に入った。6月28日、拉孟守備隊陣地に日本軍戦闘機が小銃弾と手榴弾を投下。日本陸軍第33軍は6月下旬には雲南での反撃作戦である断作戦(ビルマルート遮断作戦でもある)を計画。7月4日、雲南遠征軍栄誉第1師が第2次総攻撃を開始。7月14日、日本軍は守備隊に対して空中補給を開始。7月15日、拉孟守備隊は第2次総攻撃を撃退したが、損害が30%に達して全滅状態に陥った。第33軍配属飛行班の軍偵察機3機が飛行第204戦隊の戦闘機8機に護衛され、拉孟守備隊陣地に50kg弾薬筒に詰めた食糧弾薬を投下。7月20日、雲南遠征軍は第8軍主力を投入。拉孟守備隊は9月上旬までの死守を命じた。7月23日、雲南遠征軍第20集団軍の5個師が騰越守備隊に総攻撃を開始。7月26日、第33軍配属飛行班の軍偵察機2機が飛行第50戦隊の戦闘機8機に護衛されて空中補給を実施。8月4日から雲南遠征軍第20集団軍が再度総攻撃をかけ、8月5日から騰越での市街戦になった。8月6日、飛行第64戦隊が空中補給を実施。8月12日、護衛戦闘機の都合を付けるのが難しくなり、空中補給がこの日を最後に中止された。8月13日、騰越守備隊の本部が航空攻撃に遭って幹部が爆死。8月14日、雲南遠征軍は騰越への第2次総攻撃を開始。8月19日、雲南遠征軍が騰越への第3次攻撃を開始。8月25日、日本軍戦闘機12機が手榴弾500発と衛生材料を騰越南西地区の守備陣地に投下。8月30日、雲南遠征軍が騰越への第4次攻撃を開始。9月6日夕方、拉孟守備隊隊長が戦死。9月7日、拉孟守備隊が軍旗を焼却し、残存する50名が敵地に突撃して全員死亡した。騰越の守備隊は70名にまで損耗した。9月9日に断作戦が開始されたが、15倍の敵兵力に対して有効な攻撃ができず、拉孟・騰越方面の守備隊救出もできなかった。9月11日、騰越守備隊長は軍旗を焼却。9月12日、騰越守備隊長は師団長に訣別電報を発し、暗号機を焼却、無線機を破壊した。9月13日、騰越守備隊の残存兵力は敵陣に突撃して全員死亡した。参考:激闘太平洋戦記、月刊丸2,’07
<ラモット・ピケ>:D645(駆逐艦)を参照。
<ラモット・ピケ>:フランス海軍デュゲイ・トルーアン級軽巡洋艦3番艦Lamotte-Picquet。1926年9月1日竣工。第2次大戦勃発時には極東艦隊旗艦となっており、サイゴンを基地として行動した。フランス降伏後はビシー政権に所属し、1941年1月17日にはタイとの紛争に投入されてコーチャン諸島海域で交戦、海防艦2隻を撃沈した。1942年初頭に日本軍に武装解除されてサイゴンに止め置かれ、1945年1月12日にアメリカ海軍機動部隊艦上機の攻撃を受けて沈没した。参考:第2次大戦のフランス軍艦、近代巡洋艦史
<ラモット・ピケ級>:フランス海軍軽巡洋艦Lamotte Picquet級。常備排水量6000トン。速力27ノット。兵装は13.8cm単装砲10門、45cm魚雷発射管2門。その後高速性能重視の艦に設計が改められ、常備排水量4500トン、速力29ノット、13.8cm単装砲8門となった。1912年度計画で建造が決まり、1920年までに10隻を建造する予定だったが、第1次大戦勃発で中止された。1915年には大型化した艦も設計されたが、こちらも建造中止になった。参考:近代巡洋艦史
<ラモン・アルカラス>:16(フリゲート)を参照。
<ラモンズ>:DE-64(バックレイ型護衛駆逐艦)またはDE-743(カノン級護衛駆逐艦)を参照。
<ラモン・デ・ボニファス級>:F-110型(ミサイル・フリゲート)を参照。
<ラ・ライユーズ>:フランス海軍ラドロア級駆逐艦La Railleuse。1928年竣工。1940年に事故のため沈没した。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ララミー>:T-AO-203(給油艦)を参照。
<ラリ235G>:SOCATAが開発した小型哨戒偵察機で、民間用のラリ235シリーズを軍用に転換したものである。全長7.28m、全幅9.74m。エンジンはライカミングO-540(235馬力)単発。参考:ザ・マーチ5号
<ラリード>:エジプト軍弾道ミサイルで、先駆者の意。射程600km。参考:月刊軍事研究12,’73
<ラル>:ギュンター・ラル(Gunter Rall)。ドイツ空軍エース。1941年6月23日、初撃墜を記録。11月28日、36機撃墜を達成したが、ソ連戦闘機に撃墜されて脊椎の3カ所を骨折、医師から再起不能と言われた。必死のリハビリで1942年8月に戦線復帰し、優れた見越し射撃能力で撃墜を重ね、8月末に65機撃墜で騎士鉄十字章を受章。10月22日、100機撃墜で柏葉騎士鉄十字章を受章。1943年4月中に18機、5月中に19機、7月中に22機、8月中に33機を撃墜。8月29日、通算3人目となる200機撃墜を達成。10月中に40機を撃墜。11月、250機撃墜を達成。1944年4月19日、第11戦闘航空団第2飛行隊司令官となった。総撃墜機数275機。最終階級は大尉。被撃墜回数5回。第二次大戦後は西ドイツ空軍に入隊した。参考:グラフィックアクション36
<ラルカナ>:パキスタン海軍高速攻撃艇。全長39m、満載排水量180トン。主機はディーゼル2基、2軸推進、最大速力23ノット。兵装は37mm連装機関砲1基、25mm連装機関砲2基。参考:月刊軍事研究5,’07
<ラルサシアン>:フランス海軍ル・ノルマン級フリゲートL’Alsacien。参考:月刊世界の艦船9,’96
<ラルザック−04>:チュルボメカ、スネクマ、MTU、KHDが共同開発したターボファンエンジンで、アルファジェットに搭載されている。バイパス比は1.13、ファンは2段、コンプレッサーは軸流4段、圧縮比11.1、燃焼器はアニュラー型で、タービンは高圧1段・低圧1段。全長1.148m、直径0.602m、乾燥重量290kg。離昇推力1345kg。参考:世界の軍用機1979、世界軍用機年鑑1990-91
<ラルシヨン>:フランス海軍ラドロア級駆逐艦L’Alcyon。1929年竣工。1952年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラルダン級>:コートジボアール海軍ミサイル艇。フランスのオーロー37m級を導入したものである。兵装はSS-12艦対艦ミサイル発射筒4基。参考:ミリタリー・バランス1989-1990
<ラルテミス>:フランス海軍オーロール級潜水艦L’Altemis。1953年竣工。1967年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラルフ・S・パー・ジュニア>:パー・ジュニア(アメリカ空軍エース)を参照。
<ラルフ・ジョンソン>:DDG-114(ミサイル駆逐艦)を参照。
<ラルフ・タルボット>:DD-390(駆逐艦)を参照。
<ラルミード>:フランス海軍オーロール級潜水艦L’Armide。起工されたが建造中止となった。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラ・レゾリュー>:ジャンヌ・ダルク(ヘリ巡洋艦)を参照。
<ラロトンガ条約>:正式名称は南太平洋非核地帯条約。1985年8月6日署名、1986年12月11日効力発生。南太平洋非核地帯内の領域に適用される条約で、締約国は核爆発装置の製造・取得・所有・管理・実験・配置を禁じられる。また、放射性物質の領域内海洋への投棄も禁止している。南太平洋非核地帯は、南緯60度よりも北、東経115度より東、西経115度より西で、オーストラリア、パプアニューギニア、ソロモン諸島、アメリカ領サモア、フランス領ポリネシア、クック諸島、ニュージーランドなどを含む。インドネシアは含まれない。有効期間は、無期限。参考:軍縮条約・資料集第2版
<ラワルピンディ>:イギリス海軍特設巡洋艦Rawalpindi。元は1925年に竣工したロンドン−ボンベイ定期航路船で、1939年8月に徴用して改造した。全長173.2m、総トン数16619トン。速力17ノット。兵装は15.2cm単装砲8門、7.6cm単装高角砲2門。1939年11月23日、フェロー諸島沖海戦でシャルンホルストとグナイゼナウの攻撃を受け沈没した。艦長以下238名が戦死し、27名がドイツ側、11名がイギリス側に救助されている。参考:月刊世界の艦船9,’17、7,'15
<らん>:LSSL-404(警備艇)を参照。
<藍衣社>:中国国民政府の政治秘密結社で、正式には軍事委員会調査統計局という名称である。黄浦士官学校を中心に創設され、中国共産党の情報収集を主任務とする。太平洋戦争終結後、日本陸軍中野学校卒業生が加わっていた時期があった。参考:陸海軍学校と教育
<蘭印>:オランダ領東インド諸島のこと。スマトラ、ジャワ、セレベス、ボルネオ、モルッカ諸島、ニューギニア一帯で、東西の長さは2700マイルあり、陸地面積は日本、朝鮮半島、台湾、樺太を合わせた面積の3倍である。参考:月刊丸12,’90、月刊PANZER5,’81
<蘭印攻略作戦>:太平洋戦争において、日本は石油資源を獲得するため、距離的に一番近い産油地である蘭印を占領することにした。ここには石油のみならず、鉄鉱石、ニッケル、マンガン、スズ、ボーキサイト、タングステン、ゴム、硫黄、石炭といった資源があり、農産物も豊富に収穫できた。まずはマレーとフィリピンを攻略し、ここから脚を伸ばして蘭印全域を占領し、スンダ列島線をオーストラリアからの連合軍反攻に対する防衛ラインとするのが最終目標である。大本営陸軍部では昭和15年9月から攻略作戦を練っていたが、占領地域が広大なために難渋した。連合軍兵力は、昭和16年9月10日までに集めた情報を元に推定しており、ジャワ島に2個師団5万名、それ以外に歩兵15個大隊2万名が駐屯していて、義勇軍や警察も加えると兵力は10万名とみられ、海軍兵力は巡洋艦5隻、駆逐艦8隻、潜水艦12隻、各種艦艇56隻で、航空兵力は陸軍戦闘機100機、陸軍爆撃機120機、海軍飛行艇60機、海軍偵察機・攻撃機50機と見積もられた。蘭印地域の総人口7000万人のうち5000万人がジャワ島に集中しており、兵力も大部分がジャワ島に配備されていることから、ジャワ島をいかに速く制圧するかに焦点を置くことになった。ジャワ島と周辺域には多くの飛行場があり、事前の制圧が欠かせなかったが、周辺域の飛行場を占領してジャワ島への攻撃に使用する案が出て、ボルネオ南東のパンジェルマシン、セレベスのマカッサルやケンダリー、南部スマトラのパレンバンやタンジョンカランといった飛行場を占領し、短時間で改修して爆撃機を運用可能とし、航空部隊の補給整備物資を運び込んでジャワ島制圧に使用することになった。日程案は、昭和17年1月初旬に作戦を開始、2月一杯までに周辺地域を占領し、3月初旬にパレンバンを占領してジャワ島を包囲、3月21日にジャワ島に上陸して4月7日までに制圧する予定とした。昭和16年11月6日、第16軍に戦闘序列が下令され、主力の第2師団に混成第56歩兵旅団を加え、香港攻略後に第38師団を、マニラ攻略後に第48師団を増強、軍直轄砲兵大隊5個、戦車旅団3個、野戦高射砲88門を加えて蘭印を攻略することになった。昭和16年12月21日、大本営陸軍部で第16軍作戦計画が完成。混成第56歩兵団(坂口支隊)はダバオとホロを攻略した後、ボルネオ東岸、タラカン島、バリクパパン、パンジェルマシンを攻略し、第38師団第228連隊(東方支隊)はアンボン島を占領した後にチモールを攻略、第38師団主力の4個大隊は南部スマトラのバンカ島やパレンバンなど要地を占領し、第2師団と軍直轄部隊は西部ジャワ、第48師団は東部ジャワ、第38師団第230連隊の2個大隊(東海林支隊)は中部ジャワ北岸に上陸して全島を制圧することになった。また、昭和15年の段階で竹田宮少佐が提案していた空挺部隊によるパレンバン奇襲占領も行うことになった。太平洋戦争開戦後、マレーやフィリピンの攻略作戦が順調に進み、12月中旬にはイギリス領ボルネオのミリやクチン、下旬にはダバオやホロを制圧して飛行場を設営できたため、日程の繰り上げを決定。昭和17年2月16日にジャワ島上陸を行うことにし、海軍に打診したが、護衛艦艇のやりくりがつかず、第5水雷戦隊の軽巡1隻と駆逐艦8隻のみで56隻の輸送船団を護衛することになってしまうため、無理であると伝えた。しかし南方軍総参謀長はそのまま押し切ろうとしたため、第16軍司令官は部下を無駄死にさせるだけだと激怒し、直談判しようとしたものの、その前に海軍マレー部隊指揮官の小沢治三郎中将に会って護衛艦艇戦力について相談した。その結果、第5水雷戦隊だけでは護衛が不可能であるという意見で一致、小沢中将はパレンバン上陸作戦が一段落した段階での護衛艦艇の増派を約束し、実際に巡洋艦5隻、駆逐艦9隻、掃海艇5隻、水雷艇2隻、特設巡洋艦2隻を護衛に加えた。昭和17年1月10日、ボルネオ島攻略作戦開始。1月11日、セレベス島攻略作戦開始。1月31日、アンボン島攻略作戦開始。2月1日、L作戦開始。2月14日、パレンバン攻略作戦開始。2月19日、バリ島を占領。2月22日、チモール島を占領。3月1日、ジャワ島上陸を開始。3月9日、蘭印の連合軍が降伏し、作戦は終了した。参考:月刊丸12,’90、1,’07、太平洋海戦史、日本戦車隊戦史
<ランヴィジャイ>:D-55(駆逐艦)を参照。
<ランヴィル>:D-54(駆逐艦)を参照。
<ランウェイ>:滑走路のこと。R/W、RWYと略す。ランウェイ09というのは、磁方位90度方向にある滑走路端を指し、ランウェイ15なら150度方向になる。ちなみに磁方位の1桁目は四捨五入するので、正確には磁方位85-94度の滑走路端がランウェイ09である。滑走路は真っ直ぐ延びているので、1つの滑走路は互いに18違う指示標識を持ち(ランウェイ06と24など)、滑走路端に数字が白色で書いてある。平行滑走路の場合、ランウェイが同じになるので、区別できるよう、数字の後にL(Left、左)やR(Right、右)を付ける。ランウェイ06使用、というのはそちらの数字が書いてある滑走路端から離着陸する、ということ。参考:月刊JWings4,’00、8,’04、11,’18
<ランウェイ・アラート>:滑走路待機を参照。
<ランウェイ・スイーパ>:航空自衛隊の車両。4輪トラックの後部荷台に舗装路面清掃器材を搭載しており、滑走路や誘導路などを清掃して異物吸い込みを防ぐ。全長7.52m、全幅2.48m、全高3.3m、車両重量10.25トン、積載量3トン。エンジン出力173馬力、最大速度80km。加藤製作所製。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊軍事研究8,’10
<ランカ>:LANCA(戦闘用無人機)を参照。
<ランカウイ国際海洋航空宇宙博覧会>:LIMAを参照。
<ランカスター>:F-229(23型フリゲート)またはG05(駆逐艦)を参照。
<ランカスター・シリーズ>:イギリス空軍4発爆撃機Lancanter。アブロ社の開発で、試作当初はマンチェスターMk.Vと呼ばれており、1941年1月9日に試作機が初飛行、良好な性能を示したためにマンチェスターの生産を打ち切って採用が決定した。アブロ社の他、アームストロング・ホイットワース、メトロポリタン・ヴィッカーズ、オースチン自動車会社でも量産され、1946年2月2日までに7374機(7377機?)が生産された。ドイツ本土への初出撃は1942年3月である。第二次大戦での延べ出撃機数17085機、出撃回数156000回、爆弾投下量608612トン、損失2687機(3345機?)で、第2次大戦でのイギリス3大傑作機の1つに挙げられる(残りはスピットファイア及びモスキート)。参考:月刊JWings4,’05、12,’12、7,’16、7,’18、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇、月刊航空ファン12,’18
<ランカスターMk.T>:マンチェスターMk.Tの外翼を延長して4発にし、垂直尾翼を2枚に変更したもので、1941年10月31日に量産型初号機が初飛行、12月24日から引き渡しが開始され、3544機が生産された。機首上部に動力銃座、下部に航法士席がある。パイロットは1名のみで、負傷したら後ろで左向きに座っている航法士兼機関士と交代する。爆弾倉は長さ10mもあり、天井左右に強力縦通材を通して強度を確保しており、超大型爆弾を搭載できる。燃料タンクは全て主翼内に置いた。垂直尾翼は双尾翼。降着装置は尾輪式で、主脚は内側エンジンナセルに引き込まれ、尾脚は固定式である。全長21.18m、全幅31.09m、全高6.1m、自重16.783トン、全備重量31.751トン(29.484トン?)。エンジンはロールスロイス社製マーリン]]液冷V型12気筒レシプロ(1390馬力)4発、最大速度462km(442km?)、実用上昇限度7467m、燃料容量9664リットル、航続距離4071km(爆弾3.175トン)/2784km(爆弾5.443トン)。自衛武装は機首前方の7.7mm機銃連装銃塔、機体後上部の7.7mm連装銃塔、機体後部の7.7mm4連装銃塔。最大爆弾搭載量9.979トン(8.164トン?)。機体後下部に照準用H2Sレーダーを装備可能。乗員7名。後にエンジンがマーリン]]W(1610馬力)に換えられた。参考:月刊JWings7,’18、4,’05、12,’12、1,’15、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇
<ランカスターMk.TFE>:熱帯地用の改修型で、対日戦に投入される予定だったが、その前に終戦した。大型のサドル式燃料タンクを備え、日本本土への長距離爆撃も考慮されていた。参考:月刊JWings4,’05
<ランカスターMk.Tスペシャル>:1944年の改修型で、12000ポンド爆弾トールボーイや、22000ポンド爆弾グランドスラムを搭載可能としたものである。前方・後上方銃塔を外して軽量化し、爆弾倉の扉を外して爆弾を搭載する。参考:月刊JWings4,’05
<ランカスターMk.U>:エンジンをブリストル社製ハーキュリーズYまたは]W(1725馬力)に換え、排気管を消炎装置付きに換装、爆弾倉後端に7.7mm機銃1丁装備の銃塔を設けたタイプ。8000ポンド爆弾ブロックバスターを搭載するため、爆弾倉が下に膨らんでいる。300機が生産された。参考:月刊JWings4,’05、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇
<ランカスターMk.V>:Mk.Tのエンジンをパッカード社製マーリン]][(1300馬力)または]]][(1390馬力)または224(1620馬力)に換えたもの。全長21.00m、全幅31.09m、総重量29.5トン。最大速度454m、爆弾搭載量5897kg。乗員7名。2990機が生産された。参考:ラバウル航空戦、月刊JWings4,’05、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇
<ランカスターMk.Vスペシャル>:ダム攻撃用の改造機で、上方機銃と爆弾倉扉を外し、4.2トンダム攻撃爆弾アップキープを搭載する。機首と爆弾倉にはスポットライトが装備され、投下高度の18mで光線が交差して1つになるように設計された。全長21.18m、全幅31.1m、全高6.25m、全備重量29483kg。エンジンはマーリン]](1460馬力)/]]U(1460馬力)/]]W(1640馬力)4発、最大速度435km、航続距離1870km。自衛武装は機首・後上方・後下方の7.7mm連装機銃と尾部の7.7mm4連装機銃。乗員7名。参考:月刊JWings12,’12、4,’05
<ランカスターMk.ZFE>:熱帯地用の改修型で、対日戦に投入予定だったが、その前に終戦となった。参考:月刊JWings4,’05
<ランカスター・ファミリー>
<ランカストリアン>:長距離輸送機型で、イギリス本土と極東・オーストラリアを直接結ぶものとして仕様書(C16/44)が出された。原型はカナダのビクトリー・エアクラフト社が製作したもので、これは大西洋無着陸横断飛行に成功している。これを改良して試作機を作り、1945年にイギリスからニュージーランドまでの飛行に成功。33機がイギリス空軍に引き渡されて機種転換教育などに使用された。参考:月刊JWings4,’05
<ランカスター・キャッスル>:K691(コルベット)を参照。
<ランカストリアン>:ランカスター爆撃機ファミリーを参照。
<ランガラ>:D-64(駆逐艦)を参照。
<ランキン>:AKA-103(攻撃貨物輸送艦)またはSSG-78(潜水艦)を参照。
<ランク>:W号駆逐戦車シリーズを参照。
<ランク>:エミール・ランク。ドイツ空軍エース。第2次大戦前はルフトハンザ航空の機長で、大戦勃発で輸送機隊のパイロットとなり、後に戦闘機パイロットとなった。1943年10月、72機を撃墜して騎士鉄十字章を受章した。11月、1日で18機を撃墜して撃墜機数100機を突破。1944年3月、144機撃墜で柏葉騎士鉄十字章を受章。4月、第52戦闘航空団第9中隊長となった。その後第26戦闘航空団第2飛行隊司令官となったが、9月3日にスピットファイアの奇襲を受けて戦死した。総撃墜機数173機。参考:グラフィックアクション36
<ラング>:DD-399(駆逐艦)またはFF-1060(フリゲート)またはSpz12-3(装甲兵員輸送車)を参照。
<ランクCFAR/ランク和CFAR>:CFAR(定誤警報率)を参照。
<ランクIR>:AIM社がドイツ陸軍将来歩兵システム向けに開発した小火器用統合火器管制装置RangIR。非冷却型赤外線映像装置、レーザー測距機、デジタルコンパスが統合されており、グレネードの信管セットも行える。重量3kg、最大探知距離8500m、認識距離1500m。参考:月刊軍事研究12,’07
<ラングアウト>:スクウェア・タイ(レーダー)を参照。
<ラングーン事件>:アウンサン廟爆破事件を参照。
<ランクス>:フランス海軍シャカル級駆逐艦Lynx。1926年竣工。1942年11月にツーロンで自沈した。1944年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ラングスタ>:WR-40(自走ロケットランチャー)を参照。
<ラングドック>:D653(フリゲート)を参照。
<ラングラー>:R48(駆逐艦)を参照。
<ラングレイ>:AV-3(水上機母艦)またはCV-1(空母)またはCVL-27(軽空母)を参照。
<ラングレイ級>:アメリカ海軍空母Langley級。アメリカ初の空母で、石炭運搬船AC-3ジュピターを改造したものである。平甲板型空母で、従来の船体の上甲板両舷に13対の支柱を設置し、ほぼ長方形(前部だけ少し幅が狭い)の全通飛行甲板を装着した。飛行甲板前端にA-3カタパルト1基、中央部に内舷式エレベーター1基を装備する。艦尾からも発艦できるよう全速後進が可能で、後にA-3カタパルトを飛行甲板後部にも1基追加した。アレスティング・ワイヤは縦索式。船体内の石炭庫6個のうち最前部をガソリン庫、前から4番目をエレベーター動力室・弾薬庫とし、他の4個を格納庫に改修、艦上機を分解して収容した。元が石炭庫なので格納庫甲板に傾斜が付いていて、格納庫内での艦上機の移動に難があった。また、艦上機を一旦飛行甲板下面の3トン・ガントリー・クレーンで飛行甲板前部下方の準備区画に移送し、組み立ててからエレベーターで飛行甲板に移動させる必要があり、これも不便だった。着艦機の収容はこれの逆を行うので、着艦してから準備区画で分解し終わるまでだけで12分もかかる。飛行甲板前部下方の船首楼後端に艦橋がある。煙突は船体後部左舷側に固定式のものが1本あり、右舷側にも排煙口が設けられていた。マストは起倒式で、右舷側に装備する。全長165.3m、飛行甲板長159m、飛行甲板幅19.8m、基準排水量11050トン。主機はターボ・エレクトリック方式、速力15ノット。航空機34機(艦戦12機、艦偵12機、艦攻4機、水上機6機)を搭載する。1922年にCV-1ラングレイが就役した。速力が低く、艦隊空母としては使えないため、1隻のみの改造に止まっている。1925年、煙突を左舷側起倒式2本に換装し、右舷側排気口は塞いだ。1928年、カタパルトを撤去した。1929年(1925年?)、アレスティング・ワイヤを横索式のMk2(ワイヤー4本)に換装した。1936年、第2次ロンドン条約に基づくCV-7ワスプ建造分の排水量を確保するため、水上機母艦に改造された。参考:護衛空母入門、丸スペシャルNo.83、月刊丸12,’92、月刊世界の艦船10,'22、6,’17、12,’14、3,’21
<ラングレイ級>:アメリカ海軍水上機母艦Langley級。元はアメリカ初の空母であるCV-1ラングレイで、CV-7ワスプ就役により第2次ロンドン条約の空母保有枠をオーバーしてしまうため水上機母艦に改造されることになり、1936年に改造され、1937年に艦種変更された。飛行甲板の前3分の1を撤去し、デリックなどを装備、艦橋を大型化しており、飛行艇隊2隊の移動基地任務も行える。全長165.3m、幅19.8m、吃水5m、基準排水量11050トン。主機はターボ・エレクトリック、出力7000馬力、2軸推進、速力15ノット。兵装は127mm単装砲4門。水上機3機を搭載できる。乗員350名。AV-3ラングレイが就役した。参考:第2次大戦のアメリカ軍艦、月刊世界の艦船11,’00、10,’22
<ラングレイの魔術師たち>:The Wizards of Langley。CIA科学技術本部の通称で、CIA本部がラングレイにあるのでこう呼ばれる。参考:月刊軍事研究4,’11
<ラングレー空軍基地>:アメリカ空軍の基地で、1918年に開設された。名前の由来は航空家のサミュエル・ピエールポント・ラングレー氏。1930年代にはアメリカ陸軍航空隊の主要基地であり、第2次大戦中には対潜戦用器材開発も行っていた。1946年5月25日の戦術航空コマンド編成で司令部が所在するようになり、1947年9月18日のアメリカ空軍独立後も戦術航空コマンド司令部の基地となっている。1948年1月にラングレー空軍基地と名称変更され、第1戦術戦闘航空団の所在基地となった。2010年1月、アメリカ陸軍フォート・ユースティスと統合され、ラングレー・ユースティス合同基地となった。参考:月刊軍事研究4,’10
<ラングレー・ユースティス合同基地>:アメリカ空軍ラングレー基地とアメリカ陸軍フォート・ユースティスが2010年1月に統合されたもの。敷地面積1173ヘクタールで、滑走路はランウェイ08/26(3048m)。2010年現在、第1戦闘航空団と隷下の第27戦闘飛行隊(F-22A)、第71戦闘飛行隊(F-15C/D)、第94戦闘飛行隊(F-22A)、バージニア州兵航空隊第192戦闘航空団第142戦闘飛行隊、バーモント州兵航空隊第158戦闘航空団第134戦闘飛行隊第1分遣隊(F-16)、第633基地航空団、第480情報監視偵察航空団が所在している。参考:月刊軍事研究4,’10
<ランゲ・ブルノ>:ブルノ・シリーズ(列車砲)を参照。
<ランゲマルク>:SS義勇第27擲弾兵師団を参照。
<ランコン>:114(沿海域任務艦)を参照。
<ランコンプリーズ>:フランス海軍ラ・メルポメーヌ級水雷艇L’Incomprise。1937年竣工。1950年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ランサー>:B-1シリーズ(爆撃機)またはCL1200(戦闘機)またはP-43(戦闘機)を参照。
<ランサーA>:MiG-21海外シリーズ(攻撃機)を参照。
<ランサーB>:MiG-21海外シリーズ(練習機)を参照。
<ランサーC>:MiG-21海外シリーズ(迎撃戦闘機)を参照。
<ランサーズ>:VAQ-131(電子攻撃飛行隊)またはVMFA-212(海兵戦闘攻撃飛行隊)またはVMF(AW)-212(海兵全天候戦闘飛行隊)を参照。
<ランサー・フューリー作戦>:ポスト・イラク戦争で2004年4月4日からサドル・シティで行われた掃討作戦。サドル派マハディ軍の民兵が警察施設を襲撃したため、アメリカ陸軍第1騎兵師団第5騎兵連隊第2大隊「ランサー」が出動した。1600、C中隊レッド小隊(M1114HMMWV4両、兵員19名)がサドル・シティ中央部をパトロール中に200人以上の民兵の待ち伏せ攻撃に遭い、先頭車が行動不能となったために付近のビルに逃げ込み、SINCGARS無線機で応援を要請した。これに応えて第1次緊急対応部隊が急遽編成され、HMMWV4両とLMTVトラック1両に乗り込んで救援に向かったが、あと2ブロックまで近づいたところで待ち伏せ攻撃に遭って2名が戦死、多数の負傷者を出し、引き返さざるを得なかった。夜になって第2次緊急対応部隊が出撃。M2A3ブラッドレイ歩兵戦闘車4両、M1114HMMWV4両、非装甲HMMWV6両、LMTVトラック2両からなる部隊はサドル・シティ中心部に突入したところで民兵の激しい射撃を受けて先頭のHMMWVの操縦手が即死、車列が停止してしまった。そのため更に射撃が集中し、負傷者が続出したため、退却を開始。途中で車列が2つに分かれてしまい、後方の車列にいたLMTVトラックはラジエーターを撃ち抜かれてオーバーヒート、乗車兵員は近くにあったピックアップ・トラックとミニバスに乗り込んだり、近くの学校に避難して後でM2A3に迎えにきてもらったりした。基地に辿り着いたもう1両のLMTVトラックの荷台からは血が滝のように流れており、損害は第1次救援隊と合わせて死者6名・負傷者46名に達していた。ランサーの基地には出動可能部隊が無くなってしまったため、サドル・シティ南に配置されていた第1機甲師団第37機甲連隊第2大隊C戦車中隊に救援を要請。ブルー小隊4両のM1A1戦車が出動した。しかしまたも待ち伏せ攻撃に遭い、1名が戦死、2名が負傷。しかも先頭車両と後続車列が分離してしまい、一旦引き返すこととした。引き返してきたブルー小隊に3両のM1A1戦車を加えて第4次緊急対応部隊を形成。この頃レッド小隊の弾薬量が25%に低下。第4次緊急対応部隊も民兵からの激しい射撃に遭ったが、HEATを叩き込んでビルごと民兵を破壊、接近してくる民兵を距離20mで撃ち殺しつつ前進し、レッド小隊の救出に成功した。作戦全体でのアメリカ軍戦死者8名、負傷者52名。民兵死者500人。参考:月刊軍事研究3,’05
<ランジール>:9S737(指揮車)またはPU-12M(指揮車)を参照。
<ランジト>:D-53(ミサイル駆逐艦)を参照。
<藍鵲>:T-5練習機(台湾空軍)を参照。
<蘭州>:170(ミサイル駆逐艦)を参照。
<蘭州型>:052C級(ミサイル駆逐艦)を参照。
<蘭州軍区>:中国軍の大軍区で、戦時に西部軍となる。蘭州や甘粛省など中国西部を担当する。1955年5月1日に創設された。1985年6月の改編で甘粛省、青海省、陜西省、寧夏回族自治区、新疆ウイグル自治区、チベット自治区阿里地区が管轄地域となった。1990年代初めにウルムチ軍区を吸収した。2016年2月1日、西部戦区に改編された。参考:月刊軍事研究4,’05、月刊航空ファン5,’16
<蘭州軍区(1989年)>:寧夏軍区、甘粛省軍区、青海省軍区、陜西省軍区、新疆軍区、南疆軍区からなる。集団軍2個、ミサイル師団2個、装甲師団1個、歩兵師団9個が配置されている。参考:ミリタリー・バランス1989-1990
<蘭州軍区(2015年)>:寧夏軍区、甘粛省軍区、陜西省軍区、青海省軍区、新疆軍区、南疆軍区からなる。第21集団軍(特殊作戦旅団1個、機甲旅団1個、機械化歩兵旅団1個、即応自動車化歩兵師団1個、砲兵旅団1個、防空旅団1個、工兵連隊1個、電子戦連隊1個)、第47集団軍(機甲旅団1個、機械化歩兵旅団1個、自動車化歩兵旅団2個、砲兵旅団1個、防空旅団1個、工兵連隊1個)、新疆軍区部隊(特殊作戦旅団1個、機械化師団1個、自動車化師団3個、航空旅団1個、砲兵旅団1個、防空旅団1個、工兵連隊1個、電子戦連隊1個)が配置されている。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<藍色獨木船式連絡機>:U-3海外シリーズを参照。
<ランシング>:DE-388(護衛駆逐艦)を参照。
<ランス>:F87(駆逐艦)を参照。
<ランス>:アメリカ陸軍の地対地ミサイルシステムで、オネスト・ジョン及びサージャントの後継である。MGM-52ランスミサイルを1発搭載したM752または空輸可能な軽量型2輪発射機と、ミサイル2基を収容するM688運搬車から構成される。目標は敵弾道ミサイル発射機、飛行場、兵站・輸送拠点、指揮所、部隊集結地など。アメリカの他にイギリス、イスラエル、イタリア、イラン、オランダ、韓国、西ドイツ、ベルギーに引き渡された。アメリカでは1992年まで、ヨーロッパでも1994年までに退役した。参考:世界の軍用車両(2) 、月刊丸4,’99
<ランス>:ラインメタル社が開発したモジュラー砲塔システム。マウザー製30mm機関砲Mk30-2、ATK製30/40mm機関砲Mk44、CTAインターナショナル製40mmケースレステレスコープ砲の装備が可能で、7.62mm同軸機銃と高度なFCSを持つ。砲塔要員は指揮官と射撃手の2名で、両者に安定化赤外線暗視照準器(レーザー測距器付き)が用意されている。砲塔重量は最大3.3トン。スペイン海兵隊がピラーニャVC用に採用した。参考:月刊軍事研究5,’09、10,’10
<ランズヴェルク181>:スウェーデンのランズヴェルク社が開発した6輪装甲車。スカニア−バビス6×4輪トラックのシャシーに装甲車体を搭載し、マドセン20mm機関砲と同軸機銃を備える砲塔を装備する。操縦席左にも機銃が1丁搭載されている。全長5.5m、全幅1.7m、重量6-7トン。最大速度80km。乗員4-5名。参考:世界の軍用車両(4)、月刊軍事研究4,’07
<ランズヴェルク181海外シリーズ>
<M36>:オランダ軍装甲車。1934年に12両購入した。参考:月刊軍事研究4,’07
<M38>:オランダ軍装甲車。オランダ軍の要求に基づいた改良を施したタイプで、通常型12両と指揮車型2両が生産された。参考:月刊軍事研究4,’07
<ランスクネー>:フランス海軍ル・アルディ級駆逐艦Lamsguenet。1940年竣工。後にル・シクローヌと改称された。1958年に解体。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ランズダウン>:DD-486(駆逐艦)を参照。
<ランスデイル>:DD-426(ベンソン級駆逐艦)またはDD-766(ギアリング級駆逐艦)を参照。
<ランセットフィッシュ>:SS-296(潜水艦)を参照。
<ランセン>:サーブ32/A32シリーズ(攻撃機)を参照。
<ランソム>:アメリカ海軍掃海艇。1945年4月22日、沖縄付近で特攻隊の攻撃を受けて損傷した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌
<ランソン作戦>:インドシナ紛争において、1953年春、ベトミン軍はラオスで攻勢に出たが失敗、中国の支援により戦力の回復に努めた。これを阻止するため、フランス軍は援助物資集積地のランソンへの空挺作戦を計画。厳重な防衛線が敷かれていたため、撤退時には地上部隊の支援を入れることにした。傘下空挺部隊は第2外人落下傘大隊、第6・第8植民地落下傘大隊、工兵小隊で、地上部隊は歩兵大隊3個、義勇軍部隊3個、戦車小隊1個、工兵中隊1個。7月17日0810、ランソン付近に支隊本部及び2個大隊がC-47輸送機56機から降下。1200、ロックビン付近に1個大隊と工兵小隊が降下。完全な奇襲となり、ランソン降下部隊は物資を破壊または捕獲し、追撃路に地雷を埋設して1600に撤退を開始した。ロックビン降下部隊は撤退路の渡河地点を確保、7月18日夕方に地上支援部隊との連絡が付き、7月20日朝にハイフォンに到着して作戦を終了した。空挺部隊の参加者は2001名で、死者4名(うち戦死1名)、行方不明1名、負傷21名だった。参考:現代の空挺作戦
<ランダー>:APA-178(攻撃輸送艦)を参照。
<ランダフ>:イギリス海軍61型フリゲートLandaff。1976年にバングラデシュ海軍に引き渡され、ウマール・ファルークとなった。参考:月刊世界の艦船9,’96
<ランダム・スティープ・アプローチ>:いくつものアプローチ方法を用意しておき、事前のブリーフィングや管制塔からの指示で使い分けて敵からの攻撃を困難にすること。参考:月刊軍事研究5,’09
<ランチアT ZM>:イタリアの装輪装甲車。ランチア社製小型トラックのシャシーにアルサンド社製の装甲ボディを取り付け、乗員室上部に全周旋回式の8mm機関銃連装銃塔(第1次大戦後に6.5mm水冷機銃連装、その後6.5mm空冷機銃連装)を装備したものである。車体前部が機関室で、前方から前上部にかけて蛇腹鉄条網を上によけるためのレールが装着された。車体両側面に3カ所ずつ、後部に1カ所の銃眼が設けられている。装甲厚5-6mm。エンジンは70馬力。乗員6名。1917年から110両が生産された。第1次大戦後に、一部が国内治安維持用としてイタリア警察にも供与された。退役したのは1941年のことである。参考:世界の軍用車両(4)
<ランチェスター装甲車>:イギリス陸軍の装甲車。ランチェスターが1904年に開発し、1918年に採用された。シャシーはロールスロイス社製シルバーゴーストで、車体は装甲板をボルト止めして製作されており、前部がエンジンルーム、その後ろが2名用操縦室になっている。操縦室前面は開放されており、戦闘時には跳ね上げ式のスリット付き装甲を下ろして防御する。操縦室上部には7.7mm機銃搭載の2名用銃塔があり、上面と後面にはハッチが設けてある。エンジンは6気筒60馬力、後部車輪はダブルタイヤ。銃塔後部にも機銃を追加し、銃塔上面に展望塔を装着したタイプも生産され、1930年代後半まで使用された。参考:世界の軍用車両(4) 、月刊丸2,’07
<ランチェスター装甲車シリーズ>:イギリス陸軍の発注でランチェスターが開発した装甲車。民間の6×4輪トラックのシャシーを流用して製作され、1928年から引き渡された。極東・中東方面では1941年頃まで実戦配備されたが、大型で軽快さに欠け、以降のイギリス装甲車は4×4輪が主体となっている。参考:世界の軍用車両(4)、月刊PANZER10,’12
<ランチェスターMk.T>:車体前部が機関室、後方が操縦室で、車体後部にも操縦装置があり、安全にバックが可能である。兵装は操縦室前面の7.7mm機銃1丁、操縦室上部の2つの銃塔に装備された12.7mm機銃・7.62mm機銃1丁ずつ。後期生産型では銃塔が1つに統一され、機銃2丁を同軸装備している。18両が生産された。参考:世界の軍用車両(4)
<ランチェスターMk.TA>:操縦室前面の機銃を外し、No.9無線機を搭載したもの。4両が生産された。参考:世界の軍用車両(4)
<ランチェスターMk.U>:Mk.Tのシャシーを4輪に変更したもの。7両が生産された。参考:世界の軍用車両(4)
<ランチェスターMk.UA>:Mk.UにMk.TAと同様の改修を施したもの。6両が生産された。参考:世界の軍用車両(4)
<ランチェスター短機関銃シリーズ>:イギリス軍のサブマシンガン。トンプソン短機関銃の輸入だけでは需要を満たせそうになかったため、ドイツのMP28Uを改良コピーして1940年に完成した。後にステンが開発されたため、主に海軍に配備され、イギリス連邦諸国の海軍にも配備された。総生産数8万丁。参考:米英軍戦闘兵器カタログVol.1
<ランチェスターMk.T>:セレクターがトリガーガード前面に移り、レバー状になっているのがMP28からの改良点。ストックはNo1MkV*ライフルを流用しており、銃身には空冷用の穴あきカバーが付いている。戦時開発にしては真鍮の削り出し部品を使用するなど、量産性にはやや乏しかった。口径9mm、作動はストレート・ブローバックで、セミ・フルオート切り替え式。長さ900mm(751mm?)、銃身長200mm、重量4.8kg。発射速度は毎分600発、50発マガジンを水平に装填する。銃剣の装着も可能。参考:米英軍戦闘兵器カタログVol.1、月刊PANZER9,’02
<ランチェスターMk.T*>:セレクターを廃止したタイプで、1941年から生産された。参考:米英軍戦闘兵器カタログVol.1
<ランチェスター2乗の法則>:兵力差のある戦力が交戦した場合の残存兵力を算出する計算式で、互いの兵力を2乗して引き算を行い、それの2乗根が残存兵力となるというものである。例えば性能がほぼ同じ戦車15両と11両が交戦した場合、数に劣る方は全て破壊され、数の多い方は15×15−11×11=104の2乗根で10両が残る計算になる。参考:歴史群像8,’98
<ランチェストン・キャッスル>:K397(コルベット)を参照。
<ランチ・オン・リモート>:Launch On Remote(LOR、遠隔発射)。他者からデータリンクで得た目標情報に基づいてミサイルを発射し、目標が自分のセンサーの有効範囲に入ったら自分で目標を追尾、ミサイルを誘導していく能力のこと。イージスBMD3.6.1が有する能力である。参考:月刊軍事研究5,’16、月刊世界の艦船5,’21
<ランチ・バー>:Launch Bar。ノーズギア方式カタパルトを使用する機体の前脚に取り付けられている棒状の固定具。普段は上を向いており、使用時には下向きにしてシャトルと結合し、カタパルトの射出力を機体に伝達する。カタパルト前端でシャトルから外れ、機体が空中に飛び出す。参考:月刊世界の艦船2,’22
<ランチャー>:Launcher。発射機。ロケット弾やミサイルなどの兵装を装着する器材。航空機に外装する場合、エジェクト・ランチャーや翼端レール・ランチャーのように機体に直接取り付けたり、発射時に機体から確実に離れるようパイロンを介して装着したりする。兵装を固定するラッチ、発射信号や目標情報を伝えるためのアンビリカルケーブルやコネクター、赤外線シーカー冷却用液体窒素ボトルなどが付く。参考:月刊JWings3,’12、6,’12、9,’16
<エジェクト・ランチャー>:Eject launcher。ロケット弾やミサイルを下方や側方に射出するタイプ。兵装固定ラッチが外れると同時にインパルスカートリッジが作動し、エジェクターフットで兵装を押し出す。エジェクターフットの作動は火薬式だが、兵装の推進薬は作動しないのでコールドランチである。参考:月刊JWings3,’12、6,’12
<トラピーズ・ランチャー>:Trapeze launcher。F-22のウェポンベイに取り付けられているタイプで、ブランコのようにランチャーがウェポンベイ外部に突き出す構造になっているのでこう呼ばれる。参考:月刊JWings3,’12
<レール・ランチャー>:Rail launcher。ロケット弾やミサイルをランチャーに沿って発射するタイプ。緊急時に兵装だけを投棄するのが難しいので、アダプターを挟んだりする。参考:月刊JWings3,’12、6,’15
<ロータリー・ランチャー>:Rotary launcher。参考:月刊JWings3,’12
<ランチバー>:カタパルトのシャトルと前脚を結ぶバー。参考:月刊JWings1,’02
<ランチョウ>:170(駆逐艦)を参照。
<ランツェロット・マロチェロ>:イタリア海軍ナヴィガトリ級駆逐艦Lanzerotto Malocello。1930年竣工。参考:月刊世界の艦船10,’06
<ランディ>:キ−102シリーズ(高々度戦闘機)を参照。
<ランティゴーヌ>:フランス海軍オーロール級潜水艦L’Antigone。起工されたが建造中止となった。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ランド19フェーズ7B>:NASAMS(オーストラリア陸軍)を参照。
<ランド125SCS>:オーストラリアが開発していた先進歩兵戦闘システム(Soldier Combat System)。2001年に開発が中止され、アメリカ陸軍のランド・ウォリアーを改良したものを使用する予定だったが、ランド・ウォリアーも開発中止になってしまった。参考:月刊軍事研究6,’05
<ランド400計画>:オーストラリア陸軍の装甲車・歩兵戦闘車導入計画。ASLAVの後継となる戦闘偵察車を決めるフェーズ2と、M113AS4の後継となる歩兵戦闘車を配備するフェーズ3がある。フェーズ2はラインメタル・ディフェンス・オーストラリア社が提案したボクサー装甲車が採用された。フェーズ3にはラインメタル・ディフェンス社製リンクス、ジェネラル・ダイナミクス・ランド・システムズ社製アジャックス、ハンファグループ製AS21レッドバックが応募している。2020-25年に配備を終える予定。参考:月刊軍事研究2,’16、8,’18、3,’19
<ランド4503計画>:オーストラリア陸軍の攻撃ヘリ導入計画Project Land 4503。ティーガー攻撃ヘリの後継で、最初の12機により2026年度にIOCを達成し、2029年度に29機の導入を終えてFOCを達成、24機を実動機・5機を練習機として使用する。参考:月刊航空ファン10,’19
<ランドヴァリー>:A207(通船)を参照。
<ランド・ウォリアー>:アメリカ陸軍が開発していた、システム化された歩兵戦闘装備。戦場での末端の情報収集・伝送を行い、必要な情報を上級部隊からリアルタイムで取得できる。装備には民生品を多用しているのが特徴。非冷却型熱線暗視装置、CCDカメラ、レーザーポインター、赤外線センサーなどを組み込んだ指揮官用ヘッドギア(CHTSS)、GPSナビ、NBCセンサー、OICW小銃システム、小型コンピュータ、マルチバンド通信機などを装備する。バッテリー駆動時間は12時間。ブロック1では無線LANによる兵員同士の情報共有能力、ブロック2では無線LANによるストライカーとの情報共有能力を得る。試験型がポスト・イラク戦争などに投入されており、完成型は2014年頃に配備予定だったが、2007年2月に開発がキャンセルされた。それまでの成果は逐次歩兵用装備として導入されていく予定で、RPFなどとして配備が開始されている。参考:月刊軍事研究6,’05、6,’07、3,’08、月刊PANZER1,’02
<ランドール>:APA-224(攻撃輸送艦)を参照。
<ランドガード>:Y56(スループ)を参照。
<ランドクラブ作戦>:アッツ島玉砕を参照。
<ランドクルーザー>:BJを参照。
<ランドサット>:アメリカの商業用資源探査衛星。多分光画像システムを備えており、湾岸戦争ではイラク軍の行動監視、情報分析用に使用されている。参考:軍事分析湾岸戦争
<ランド試験センター>:CELを参照。
<ラント・シュトルム・ネーデルラント>:SS第34擲弾兵師団を参照。
<ランドセプター>:CAMM(地対空ミサイル)を参照。
<ランドソルト>:M71(機雷掃討艇)を参照。
<ランドソルト級>:スウェーデン海軍沿岸機雷掃討艇Landsort級。主機は保守整備を容易とするため非磁性処理を施さず、代わりに第三世代三次元消磁装置を搭載していて、消磁電流を毎秒30回以上変化させることにより、航行機動中でも船体からの磁場をほぼ完全に打ち消すことが可能とされる。HMS-12M機雷探知ソナーを装備する。全長48m、基準排水量270トン、満載排水量360-400トン。主機はディーゼル(472馬力)4基、推進はシュナイダー・プロペラ2軸、最大速力15ノット。兵装は艦首の40mmシー・トリニティ1門。M71ランドソルト、M75ヴィンガ、M77ウルヴォンなど7隻が1983-93年に就役した。うちM75ヴィンガなど5隻は2回の改装を受けてコステル級となっている。参考:月刊世界の艦船1,’14、9,’14、1,'15増刊、12,’19、9,'20、ザ・マーチ42号、月刊軍事研究7,’05
<ランドソルト級・海外シリーズ>
<ランドソルト級(シンガポール海軍)>:シンガポール海軍沿岸機雷掃討艇。船体はガラス繊維強化プラスチック製である。全長47.5m、満載排水量360トン。可変深度式高周波機雷捜索探知ソナー、PAP105Mk5遠隔操作機雷処分具2基を搭載するが、ダブル・イーグルは積んでいない。兵装は40mm単装機関砲1門、7.62mm機銃4丁、機雷敷設軌条。1995年に4隻が就役した。1番艦はスウェーデンで建造され、2-4番艦は艤装をシンガポールで行っている。参考:月刊軍事研究7,’05
<ランド・マットレス>:イギリス軍の多連装ロケットランチャーで、シーマットレスを陸上攻撃用にしたものである。5インチ(127mm)ロケットの弾頭に3インチ(76.2mm)ロケットの推進部を組み合わせており、射程は7200m、2輪トレーラー上の30連装ランチャーに装填される。1944年7月に採用され、後にジャングル用として16連装(全備重量380kg)も用意された。参考:米英軍戦闘兵器カタログVol.2、月刊グランドパワー4,’98
<ランド・ルージュ>:ロイテック社が開発した陸上兵器用遠隔操作式兵装ステーション。安定化装置付きの架台に7.62mm/12.7mm機銃や40mm自動てき弾発射機を装備する。本体重量120kg、操作器重量10kg。俯仰角マイナス40度からプラス60度。参考:月刊軍事研究1,’15
<ランドルフ>:CV-15(空母)を参照。
<ランドローバー・シリーズ>:イギリス軍の4輪野外機動車両。第2次大戦中にアメリカから大量のジープを供給されて戦後も継続使用を望んでいたが、レンドリースの返済で外貨が不足しており、似たような車両を国内生産することにしてナフィールド社とローバー社に開発を依頼、これに応えてローバー社が完成させたのがランドローバーである。ちなみにナフィールド社版はFV1801チャンプ。ローバー社は1975年にブリティッシュ・レイランド社ローバー部門となり、1982年にランドローバー社が創設されたが親会社の赤字で後にBAeの傘下となり、1994年にBMWに売却され、巡り巡ってインドのタタ・グループ傘下にある。参考:月刊PANZER2,’12、3,’12、5,’04
<ランドローバーMk.1>:シャシーは捩れ剛性の高い箱型防弾アルミ構造を4つ組み合わせたもので、そこにエンジンやギアボックスを取り付けてある。エンジンは市販のものを流用して燃費や騒音を抑え、副変速機は付けずにフルタイム4輪駆動とした。ジープの特許を取ったウィリス社から訴えられないよう、エンジンルーム左右には大型のフェンダーを取り付けて車体全体を箱型に見せている。フロントグリル前面に前照灯まで覆い尽くす大型の金網が取り付けてある。貨物ペイロード0.5トン。エンジンは4気筒ガソリン(排気量1600cc)。1947年に試作車が完成し、1948年にFV18001の名称で制式化された。早速朝鮮戦争に投入されている。ランドローバーMk.3/4完成後にランドローバー・シリーズ1の分類名が付いた。参考:月刊PANZER2,’12
<ランドローバーMk.2>:エンジンを排気量1998ccの強化型に換装したタイプ。前照灯の部分だけ金網がくり抜かれるようになった。こちらもランドローバー・シリーズ1である。参考:月刊PANZER2,’12
<ランドローバーMk.3>:ホイールベースを6インチ(0.15m)延ばして86インチ(2.18m)としたタイプで、ランドローバー・シリーズ2ともいわれる。ドアのプレスラインが変更され、フロントグリルカバーの前照灯部分が切り取られ、サイドスカートが追加された。副変速機が追加されて二駆と四駆の切り替えが行える。1952年に実用化された。1956年にはホイールベースが88インチ(2.24m)に延長されている。参考:月刊PANZER2,’12、3,’12
<ランドローバーMk.4>:ホイールベースを107インチ(2.72m)にして輸送能力を強化し、車体をシェルタータイプにしたもので、こちらもシリーズ2である。Mk.3とほぼ同時期に完成した。1956年にはホイールベースが109インチ(2.77m)に延長されている。参考:月刊PANZER2,’12
<ランドローバー・シリーズU110インチモデル>:サスペンションは板バネ式で、ボンネット上にスペアタイヤを搭載している。参考:月刊PANZER5,’04
<ランドローバー1/4tライトウェイト・モデル>:シリーズU110インチモデルを88インチホイールベースに換装して軽量化している。フロントバンパー、ボンネット、ウインド・シールド、ドアなどは取り外し可能。参考:月刊PANZER5,’04
<ランドローバー・シリーズ2A>:1961年から生産されたエンジン強化型で、排気量が2286ccに増えた。キャブオーバー型フォワード・コントロール、特殊部隊用ピンク・パンサー、空挺作戦用ライトウェイト・モデルも製作されている。参考:月刊PANZER3,’12
<ランドローバー・シリーズ2Aライトウェイト・モデル>:ウェセックスなどのヘリで輸送できるよう、軽量化したタイプ。パラシュート投下もできるよう各部を強化したため、重量が要求より160ポンド(73kg)オーバーの2660ポンド(1207kg)となってしまい、荷台とシートを着脱式に変更、ボディパネルを外して間に合わせた。参考:月刊PANZER3,’12
<ランドローバー・シリーズ2B>:ホイールベースを110インチ(2.79m)に拡大し、法律に合わせてヘッドライトをフェンダー前面に持ってきたタイプ。1968年から生産された。参考:月刊PANZER3,’12
<ランドローバー・シリーズ3>:ランドローバー民間型の足回り改良型レンジローバーをそのまま導入すると高額なため、一部の技術のみを導入した改良型で、1971年に開発された。フロントグリルカバーを金属製から樹脂製に変更、トランスミッションを改良している。キャブオーバー型FC101も製作された。参考:月刊PANZER3,’12
<ランドローバー・シリーズ3・ステージ1>:1979-85年生産型。エンジンを3528ccV8に、トランスミッションをフルタイム式トランスファー一体型に換装しており、路上最大速度が129kmになった。参考:月刊PANZER3,’12
<ランドローバー110ライトウェイト・モデル>:106mm無反動砲を装備し、空挺部隊に火力を提供する。砲は車体の真ん中を貫通して搭載されており、ウインド・シールドは左右に2分されている。後にジャベリン対戦車ミサイルを搭載した。参考:月刊PANZER5,’04
<センター>:後輪を装軌に変更したハーフトラック型。装軌部分は前方に起動輪、後方に誘導輪があり、下部転輪3個を持つ。参考:月刊戦車マガジン10,’78
<ディフェンダー90>:1990年にランドローバー社が開発した新型で、1983年に民間で発売されたレンジローバー90がベースである。ホイールベースは従来の88インチ(2.24m)から90インチ(2.29m)に拡大された。エンジンはV型4気筒ターボチャージド・ディーゼル(2506cc)。参考:月刊PANZER3,’12
<ディフェンダー110>:ディフェンダー90のホイールベース延長型(110インチ/2.79m)で、レンジローバー110がベースである。エンジンは同じ。ロールバー中央部にリングマウントを搭載でき、そこにM2重機関銃などを装着可能。車体側面にスペアタイヤを搭載する。参考:月刊PANZER3,’12、5,’04
<ディフェンダーXD>:1996年に開発された改良型で、通称ウルフ。自己診断システムを搭載している。イギリス軍に採用された。参考:月刊PANZER3,’12
<ランドローバー・ファミリー>
<FC101>:イギリス陸軍が1960年代後半に要求したペイロード1トンの5.5インチ(139.7mm)砲牽引車に応募したもの。シリーズ3がベースで、フォワード・コントロールと同様のキャブオーバー型に改造、エンジンを2988cc直列6気筒に換装するなどしており、1975年に採用されて大量に使用された。参考:月刊PANZER3,’12
<SATCOMSシステム>:BAEシステムズ社が開発した衛星通信システムで、2001年に5両がイギリス陸軍に配備された。ランドローバーの車体に通信機材とパラボラアンテナを搭載し、緊急即応部隊とイギリス本国との迅速な通信に使用される。参考:月刊PANZER8,’01
<ディフェンダーMRCV>:MRCVは多目的戦闘車両(MRCV)の略で、通称ディンキーズ。ディフェンダー90をベースとした特殊部隊向けである。エンジンは2500ccディーゼル(62馬力)で、最大速度140km。7.62mm機銃、M2重機関銃リングマウント、Mk.19自動てき弾銃、ミラン対戦車ミサイルなどをルーフに搭載できる。イギリス軍が採用した。参考:月刊PANZER5,’02、3,’12、月刊グランドパワー8,’04
<ディフェンダーSOV>:SOVは特殊作戦車両の略。ディフェンダー110をベースとした特殊部隊向け車両で、イギリス軍だけでなくアメリカ軍にも採用された。参考:月刊PANZER3,’12
<ピンク・パンサー>:SAS用砂漠型の通称。ランドローバー・シリーズ2Aのホイールベース109インチ(2.77m)型がベースで、ドアを外し、スペアタイヤをフロントバンパーに載せている。車体の迷彩塗装はピンク色で、砂漠の靄に紛れるようにした。参考:月刊PANZER3,’12
<フォワード・コントロール>:キャブオーバー・トラック型。最初にランドローバー・シリーズ2A(ホイールベース109インチ/2.77m)が改造されたが、イギリス海兵隊に少数のみ採用され、民間でもあまり売れなかった。参考:月刊PANZER3,’12
<モーバット>:120mm無反動砲M40搭載型MOBAT。参考:月刊PANZER3,’12
<ランドローバー・シリーズ2(軌条走行型)>:ケニアでREMEワークショップが現地改造したもので、タイヤを外して線路走行用鉄輪を取り付けられるようにしてある。ケニア独立派のマウマウ団から鉄道を守るために開発されて実践投入された。参考:月刊PANZER3,’12
<ランドローバー海外シリーズ>
<ランドローバー(ベルギー)>:シリーズ1をミネルバ社が生産した。ミネルバ社はMk3仕様を勝手に民生用として生産したため、ローバー社と裁判になり、和解したものの1956年に倒産してしまった。参考:月刊PANZER2,’12
<ランドローバー・ストレッチモデル>:オーストラリア軍4輪野外機動車両。ホイールベースを135インチ(3.43m)に拡大し、エンジンを3528ccガソリンに換装、ペイロードを2トンに向上させた。後にいすゞ製3900ccディーゼルを積んでいる。6×6輪型も生産された。参考:月刊PANZER3,’12
<ランドロマック>:フランス海軍オーロール級潜水艦L’Andromaque。起工されたが建造中止となった。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ランドロメド>:フランス海軍オーロール級潜水艦L’Andromede。1953年竣工。1965年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ランドンタブル>:S-613(原潜)を参照。
<ランドンタブル>:フランス海軍ル・ファンタスク級駆逐艦L’Indomptable。1936年竣工。1942年、ツーロンで自沈した。参考:第2次大戦のフランス軍艦
<ランナー>:SS-275(ガトー級潜水艦)またはSS-476(テンチ級潜水艦)を参照。
<ランパック>:LANPAC(アメリカ陸軍協会シンポジウム)を参照。
<ランパルト>:P.48(戦闘機)を参照。
<ランプ>:Ramp。飛行場のエプロンの別名。または輸送機や船舶に物資を積み込む時に使用する傾斜面、航空機の発進やミサイルの発射に使用する傾斜台、飛行艇や水上機を陸揚げする際に使用する傾斜のこと。参考:月刊JWings10,’09別冊付録、航空用語事典増補改訂版
<ランプライト計画>:プロジェクト・ランプライト(艦対空戦闘システム)を参照。
<ランフラットタイヤ>:パンクしても車重を支えてある程度走れるようにしたタイヤ。タイヤ側面を分厚くして潰れないようにしたサイドウォール強化型と、内側に枠(中子)を組み込んで支える中子型があるが、タイヤ空気圧調整装置を組み合わせた際、サイドウォール型だと接地面積が増えないので、中子型が主流となっている。パンクしてもすぐには気付かないので、タイヤ空気圧警報装置を付けておく。参考:月刊軍事研究5,’08、月刊PANZER8,’97、クルマのすべてがわかる事典
<ランプレイ>:SS-372(潜水艦)を参照。
<ランフレクシブル>:S-615(原潜)を参照。
<ランフレクシブル級>:フランス海軍戦略ミサイル原子力潜水艦L’Inflexible級。フランス海軍初のM-4A弾道ミサイル搭載艦である。元はル・ルドゥタブル級6番艦だったが、M-4Aミサイル搭載改修に加え、近代化オーバーホールとして船体を涙滴状にし、ソナーをトムソン・シントラ社製DSUX-21フランク・アレイ式パッシブ・ソナーに換装、DSUV-61曳航ハイドロホン・アレイを搭載し、SM39エグゾセ運用能力を追加したため、ランフレクシブル級と改称された。ル・ルドゥタブル級2-5番艦にも同様の改装が施され、本級に変更されている。全長128.7m、全幅10.6m、吃水10m、水上排水量8080トン、水中排水量8920トン。主機は原子力ターボ・エレクトリック方式、加圧水型原子炉(制式名・出力不明)1基・蒸気タービン発電機2基・電動機1基、出力16000馬力、1軸推進、水上速力20ノット、水中速力25ノット、潜航深度250m。兵装はSLBM16基と魚雷発射管4門(F17魚雷またはSM39エグゾセ18本搭載)。乗員130名。1985年にS-615ランフレクシブルが就役し、S-610ル・フードロワイアン、S-612ル・テリブル、S-613ランドンタブル、S-614ル・トナンが1987-1993年に改装を受けた。S-610、S-612、S-615は1989年以降にM-4Bミサイルを搭載している。1992年以降はM-45ミサイルを搭載したようだ。2008年までに全艦退役した。参考:世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船12,’11、10,'23、月刊軍事研究2,’01
<ランペイジャーズ>:VFA-83(飛行隊)を参照。
<ランペン・クラフトヴァーゲン・コロンネ>:A7V戦車ファミリーを参照。
<ランボーニュ>:K268(フリゲート)を参照。
<ランヤード>:拳銃の負い紐のこと。肩や首にかけて結んでおく。または火砲の拉縄(撃発用の紐)のこと。参考:GUN用語事典
<ランヤン>:FF935(フリゲート)を参照。
<蘭陽>:FF935(フリゲート)を参照。
<藍鷹200W>:北京科源軽型飛行機実業公司が開発中の無人機。全長6.2m、翼スパン9.57m、全高2m、離陸重量750kg、最大ペイロード300kg。巡航速度135km、最大速度160km、巡航時間12時間。5.8mm機銃2丁(400発。射程800-1000m)を搭載可能。参考:月刊軍事研究10,’14
<乱流>:Turbulent
flow。流体の微少部分が不規則に混じり合いながら流れること。層流でも分子レベルでの混合は見られるが、乱流では流れの塊が混じり合う。レイノルズ数が2300を超える流れに鈍い物体を置くと、その後流が乱流になる。流体の粘性が低く、流速が速く、流れの方向が急に変化する時に起こりやすい。参考:航空用語事典増補改訂版、トコトンやさしい油圧の本
<乱流境界層>:Turbulent boundary layer。境界層内の流れが乱流になっている部分のこと。元々境界層は粘性の影響を大きく受ける物体表面上の薄い層という定義だったので、粘性以外の影響を受けて乱流となった部分は境界層とは呼ばない筈だが、境界層の概念が物体表面で流体の速度が急激に変化している薄い層という解釈に変化したので、乱流境界層という用語が生まれた。境界層は物体の先端から生じ、物体の表面に沿って後方へと発達していくが、全部が乱流境界層になっている事は稀で、最初は層流境界層となっているものが、後方で乱流境界層に遷移する型式を取る。乱流境界層は層流境界層より厚い。また、内部で流れの塊が混じり合うので、物体表面から離れるとすぐに流れの速さが増して層内の速度分布が一様となる。よって、物体表面近くの速度勾配が大きくなり、流体が物体表面に及ぼす摩擦力が層流境界層よりも大きくなる。参考:航空用語事典増補改訂版
<乱流剥離>:Turbulent
separation。境界層が層流境界層から乱流境界層に遷移し、その後剥離したもの。乱流境界層は層内で流れが混じり合い、物体から離れた流速の速い部分から物体表面に近い流速の遅い部分へとエネルギーが供給されるため、層流境界層より剥離しにくい。参考:航空用語事典増補改訂版