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<メア・テール>:MG-325VDS)またはMGK-335(ソナーシステム)を参照。

<メアリー>:A175(曳船)を参照。

<メイ>:Il-38シリーズ(対潜哨戒機)を参照。

メイ・ウェスト>:アメリカ軍の救難具の通称で、ヘリに人員を収容する時に使用する胴輪である。使用時には胸の辺りに来るので、1930年代に人気だった女優の名前を取ってこの名が付いた。参考:月刊軍事研究2,07

明宇丸>:明治海運貨物船Meiwu maru垂線間長135.6m17.7m深さ12.2m吃水8.72m総トン数8230トン、重量トン数11648トン。主機三連成汽機2基2軸5294馬力航海速力10.5ノット最大速力15.1ノット。大正7105日竣工、明治海運が購入して大正海運が運航した。太平洋戦争中は日本陸軍の輸送に使用され、昭和18120日、トラックからブーゲンビルに向かう途中にトラック南東420kmSS-236シルバーサイズの雷撃を受け沈没した。参考:月刊世界の艦船11,15

<冥河>:P-15海外シリーズ(艦対艦ミサイル)を参照。

明級シリーズ>:中国海軍潜水艦(中国の艦種呼称は常規潜艇)035型(Type-035)のNATOコードMing級。初の独自開発国産潜水艦で、ロメオ級の後継としてロメオ級をベースに開発した。1971年から就役し、後継の宋級が不良品だったため2002年まで生産が続けられている。参考:中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版、世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版

035型>:セイル上面に筒状構造物を持つ。初期型はセイル前面に段差がある。全長76m全幅7.6m吃水5.1m水上排水量1609トン、水中排水量2147トン。主機ディーゼル・エレクトリック方式ディーゼル2基・電動モーター2基、出力5200馬力、2軸推進、水上速力15ノットシュノーケル速力10ノット、水中速力18ノット。最大潜航深度300m。兵装は533mm魚雷発射管8門(艦首6門、艦尾2門)で、Yu-1/Yu-4魚雷Yu-3?)計16本または機雷32個を搭載する。乗員57名(士官9名・下士官46名?)。艦番号23231031131231334235235335435635735835936036136236317隻が竣工したが、初期に建造された1隻は火災で失われた。艦番号36120034月に訓練中に沈没し、その後引き揚げられて2004年に現役復帰している。参考:月刊世界の艦船2,204,165,159,113,13、中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版、世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、月刊軍事研究4,05、現代の潜水艦

035G型>:改良型Type-035G。魚雷発射管制装置と戦闘指揮装置を換装し、SQZ-262C側面ソナーを搭載、船体表面に無反響タイルを貼り付けた。1997年から建造され、艦番号305306307308309の5隻が就役した。参考:月刊世界の艦船2,204,165,159,113,13、中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版、世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、月刊軍事研究4,05、現代の潜水艦

<明級潜水艦・海外シリーズ>

 <明級潜水艦(バングラデシュ海軍)>:バングラデシュ海軍潜水艦。2013年に中古艦2隻(艦番号356357)の導入が決まり、2億ドルで購入、20161117日にナバジャトラジョイジャトラが大連の造船所で引き渡され、2017年に就役した。全長76m、水中排水量2113-2147トン。主機はディーゼル・エレクトリック方式、水中速力18ノット。兵装は533mm魚雷発射管8門(艦首6門、艦尾2門)。参考:月刊世界の艦船4,'202,176,23

 <明級潜水艦(ミャンマー海軍)>:ミャンマー海軍潜水艦。035B型を導入したもので、潜対艦ミサイル運用能力があるらしい。202112月に1隻が就役した。参考:月刊世界の艦船4,22

明級潜水艦沈没事故>:2003416日、訓練中の明級潜水艦艦番号361が訓練中に事故を起こし、乗員70名が全員死亡、潜望鏡深度の海底に沈没した。船体は引き揚げられて調査された後、運用中止となった。参考:月刊軍事研究4,05

メイキング>:日本海軍用語で、帳簿などのつじつま合わせをすること。空出張や闇手当のこと。参考:日本海軍史、帝国陸海軍事典

明号作戦>:日本軍が昭和2039日から行った、ベトナム駐留フランス軍に対する攻撃作戦。アメリカ軍がフィリピンの次にインドシナ半島を攻略する可能性があり、その場合に現地フランス軍がアメリカ側に付くのを避けるため、先んじて武装解除に踏み切ったものである。奇襲を受けたフランス軍は対応できず、310日午後にはベトナム全土でフランス軍が武装解除された。311日、日本軍はベトナムに名目的な独立を宣言させた。参考:歴史群像8,02

<メイコム>:DD-458(駆逐艦)を参照。

<迷彩>:カモフラージュを参照。

迷彩服>:アメリカ独立戦争で、アメリカの市民兵が狩猟時の目立たない衣服を着て森林地帯での狙撃を行っていたが、これは正式な迷彩服ではなく、単に軍服が支給されなかったので代用しただけである。迷彩服の導入が本格的に検討され始めたのは1853-56年のクリミア戦争で、小火器の発達により、見晴らしの良い平野に赤と青の服を着た兵士が整列して突撃するのは無謀となったため、開発が始まった。しかしパレードでの見栄えを重視し、一目でどの軍かを認識できるようにするという伝統は簡単に変えられず、フランスは第1次大戦初期まで真っ赤なズボンを穿いていた。初期のものは単色だったが、ドイツ武装親衛隊が第2次大戦時に着用したツェルトバーンが迷彩模様の始まりで、1968年のアメリカ軍ERDL迷彩導入で迷彩パターンのプリントが一般的となった。服だけ着ても顔などの皮膚露出部が目立つので、ドーラン(顔料)を迷彩柄に塗って(明るくなる凸部は暗く、暗くなる凹部は明るく塗り、色の境界線はぼかしておく)カモフラージュを行う。周辺環境、季節、時間帯によって色調などを変え、耳の中はもちろん、場合によっては歯にも塗る。参考:月刊コンバットマガジン5,06MAMOR vol.105

 <迷彩服(アメリカ海軍)>:2008年、ブルー系迷彩服を採用。汚れにくさには定評があったが、重い、熱に弱いという欠点があった。2016101日、緑系迷彩服への切り替えを開始。参考:JShips VOL.70

 <迷彩服(アメリカ空軍)>:201810月、CV-22B・ヘリ乗員や地上要員などの迷彩服をOCPに変更すると発表した。参考:月刊JWings12,19

 <迷彩服(アメリカ軍)>:M1941作業服、ERDL、ブラウンリーフ、BDUDBDU、コーヒーステイン、タイガーストライプ、Tパターン、ACUMARPATNWU、マルチカム迷彩を参照。

 <迷彩服(イギリス軍)>:DPMパターン、DPMDパターンを参照。

 <迷彩服(オーストラリア軍)>:オーストラリアン・デザートを参照。

 <迷彩服(海上自衛隊)>:陸上要員用に濃青色系統のデジタルドット迷彩を採用した。参考:MAMOR vol.105

 <迷彩服(カナダ国防軍)>:CADPATを参照。

 <迷彩服(航空自衛隊)>:イラク派遣隊員はコーヒーステインに似たアース系3色迷彩を着用していた。2009年から地上勤務員向けにデジタルドット迷彩服が支給された。ベースはライト・グレイで、アースとグリーンと少量の紺のドットパターンが施されている。参考:スピアヘッドNo.3

 <迷彩服(スイス軍)>:季節と地域に合わせて多種のパターンが用意されているが、ずれるとかえって目立つ。参考:月刊コンバットマガジン5,06

 <迷彩服(ドイツ軍)>:1937年からSS特務隊のブラント少佐がヒトラーの命令により開発に着手、1939年に世界初の多色迷彩服として制式採用された。表はグリーン系、裏はアース系で、夏冬リバーシブルである。後に両肩と腕の部分にカモフラージュ用の木の枝を指すためのループが設けられ、下に着ている軍服のポケットに手を入れるための切れ込みも付けられた。1944年には新型のM44が採用されている。参考:ミリタリー・イラストレイテッド17

 <迷彩服(ドイツ連邦軍)>:1990年代に斑点(フレクター)迷彩を採用した。参考:歴史群像6,16

 <迷彩服(ノルウェー軍)>:M90パターンを参照。

 <迷彩服(フィンランド軍)>:森林調査研究所の協力の下、春50枚、夏100枚、秋50枚のフィンランドの森林写真を分析し、最適な迷彩パターンを開発した。ダークグリーン、ライトグリーン、ブラウン、ダークグレイ(黒に近い)の4色迷彩で、赤外線対応である。参考:月刊軍事研究1,09

 <迷彩服(フランス軍)>:1990年代にCECCamouflage Europe Centrale)迷彩を採用した。参考:歴史群像6,16

 <迷彩服(陸上自衛隊)>:1970年に旧迷彩(迷彩作業服)が採用され、1992年に新迷彩に変更された。冬には白一色の冬期迷彩服を着用する。2011年、防暑服(砂漠用)を制式化。参考:朝雲、MAMOR vol.105

迷彩服(陸上自衛隊、旧型)>:1970年に制式化され、陸上自衛隊では永らく「迷彩作業服」と呼ばれた。自衛隊発足当時はアメリカから支給された戦闘服を使用し、後にアメリカ軍のBDUウッドランドパターン戦闘服、1965年からはオリーブ・ドラブ一色の作業服を使用していたが、日本の植生に合わせた戦闘服が必要であるとのことで開発されたものである。北海道のクマザサに溶け込むようにしてあり、グレイを基調とし、明るめの自然色を大まかに配色している。北海道以外では効果が薄い、洗濯を繰り返すと色が落ちて夜に目立つという欠点があり、新迷彩が開発された。参考:月刊PANZER6,98、朝雲、MAMOR vol.105

迷彩服(陸上自衛隊、新型)>:旧型の後継で、1986年から開発され、1992年度から支給された。制式名は迷彩服2型で、大部分の隊員が着用する戦闘服・一般用と、空挺部隊用の戦闘服・空挺用、機甲部隊用の戦闘服・機甲用がある。偽装性、熱火炎防護性、操用性・快適性という3つの機能を持つ。地色とほぼ同じ明度を持った不定形雲形模様と、明度差の激しい小さな斑点模様を組み合わせており、パターンは北海道、東北、関東、九州の演習場の植生や土壌を元にしたものである。遠距離では明暗の大きい迷彩となり、近距離ではドットパターンの効果で森林背景に溶け込む。プリントの誤差は0.25mm以内。耐熱性にも優れ、難燃ビニロンを70%に使用、800度に12秒間晒されても着用人員の生命に影響しない。対赤外線偽装効果も持ち、赤外線色彩反射率のチェックと調整は職人技で行っている。上着の裾を外に出すようにしてあり、匍匐前進してもズボンに土が入らない。背部には擬装枝を差せるようにループが設けられている。移動時に輪郭が浮いてしまうのが欠点。春夏用と秋用の2種類があり、前者は明るいグリーンが、後者はカーキが主体である。メーカーは帝人、クラレ、ユニチカ(のグループ会社の大阪染工)で、1着13000円。災害派遣で作業を行っていると、背景に溶け込んで存在に気付かれなくなり、民間作業員が重機で踏み潰しそうになることもあるという。2005年度からは戦闘服・一般用に小改良が施されており、基本的に襟を立てて使えるよう襟の長さを短くし、袖口をファスナー式に変更、ズボンの尻ポケットを廃止して下腿部分に移した。これに伴い、名称も迷彩服2型から迷彩服3型に変更となった。参考:朝雲、月刊PANZER6,98、月刊軍事研究9,08MOLIBITO Vol.3、スピアヘッドNo.3

明昭丸>:飯野海運2TM型油槽船Meisho Maru。昭和191215日竣工。昭和2681日から1011日、一般貨物船に改造され、高知汽船に売却された。昭和33年、北星海運に売却されていぶり丸になり、昭和38年に解体された。参考:月刊世界の艦船4,12

<メイス>:MGM-13シリーズ(巡航ミサイル)を参照。

<メイスン>:DDG-87(ミサイル駆逐艦)を参照。

<メイソン>:347(揚陸艦)またはDE-529(エヴァーツ級護衛駆逐艦)を参照。

<メイツン>:341(揚陸艦)を参照。

<銘傳>:FFG-1112(ミサイル・フリゲート)を参照。

明天丸>:日本海軍特設運送船。元は明治海運の貨物船である。垂線間長109.73m、幅15.24m、深さ8.84m、満載吃水7.168m、総トン数4474トン、重量トン数6623トン。主機は三井B&WDM1055MTF-100型ディーゼル1基2200馬力、航海速力13.0ノット、最大速力14.7ノット。昭和13125日竣工。太平洋戦争勃発で日本海軍に徴用され、特設運送船となった。昭和18620日、サイパンからトラックに向け航行中にサイパン西方420kmで潜水艦トートグの雷撃を受けて航行不能となり、621日に沈没した。参考:月刊世界の艦船2,12

メイド>:日本海軍スラングで、料亭の仲居のこと。女中ではない。参考:日本海軍史

<メイドゥン>:Su-9U(練習機)を参照。

メイドストーン級>:イギリス海軍潜水艦母艦Maidstone級。1930年代後期に建造された。全長175m、基準排水量8900トン。速力17ノット。兵装は22.4cm連装高角砲4基など。参考:第2次大戦のイギリス軍艦

<メイネル>:L82(護衛駆逐艦)を参照。

<メイピン>:353(揚陸艦)を参照。

<メイフラワー>:K191(コルベット)を参照。

メイプル・フラッグ演習>:アメリカ・ヨーロッパ諸国空軍がカナダで行っている訓練。コールドフラッグ演習場(北海道の1.5倍の面積を持つ)で行われる。概ね隔年開催で、1978年春から北のレッドフラッグとして始まり、1986年までは春秋の2回、それ以降は春に3回実施されている。20186月、第51回のメイプル・フラッグ51が開催され、カナダ、アメリカ、オーストラリア、ベルギー、NATO群などが参加した。2020年は新型コロナウイルス感染症拡大の影響で中止になった。参考:月刊JWings11,019,008,21

明宝丸>:明治海運2TM型戦時標準油槽船。総トン数2857トン。昭和2016日、モタ三〇船団の一員として六連島泊地を出港。シンガポールに向かったが、途中で船団が潜水艦の襲撃を受け、基驍ノ退避した。参考:戦時標準船入門

メイポート海軍基地>:アメリカ海軍の基地。原子力空母支援能力が無いため、2007年のCV-67ジョン・F・ケネディ退役で空母が配備されなくなり、アメリカ東海岸で空母が配備されるのはノーフォーク海軍基地のみとなった。2010年、空母配備基地が1カ所しか無いのは脆弱なので、本基地に原子力空母整備・支援能力を付与する事が決まり、2011-19年に工事を行う予定だったが、2013年に計画見直しで中断された。代わりにLHD-7イオー・ジマを配備したが、原子力空母より経済効果が低いとして地元フロリダ州の理解が得られず、2021年にLHD-7イオー・ジマは母港をノーフォーク海軍基地に変更している。参考:月刊世界の艦船8,22

命名式(海上自衛隊)>:防衛大臣主催で進水式に先立って行われるので、実際には2つ繋げて命名・進水式と呼ばれる。進水式台で実施され、まず音楽隊が国歌を斉唱し、次いで防衛大臣により海上幕僚監部が上申して防衛大臣が決済した艦名(命名書に記載されている)が読み上げられる。艦には艦名を記した横断幕が取り付けてあり、艦名披露と同時に展開される。続いて進水式を行う。自衛艦命名書は額に入れられ、艦長室の壁に掲示される。参考:月刊世界の艦船8,11増刊、9,12増刊、9,20

命名法(アメリカ海軍艦船)>:戦艦は州、巡洋艦は都市、潜水艦は海棲生物、オハイオ級原潜は州、ドック型輸送揚陸艦(LPD)は地名にちなむ。ただし海軍長官に一任されているので、例外もある。参考:月刊世界の艦船8,12

命名法(アメリカ海軍・海兵隊、飛行隊)>:最初のアルファベットはVが固定翼機(ティルトローター機含む)、Hが回転翼機。海兵隊では次にMが付く。その次が任務などを表すアルファベットで、A(攻撃)、F(戦闘)、G(空中給油)、H(重)、L(軽)、M(中)、Q(電子)、R(輸送)、T(訓練)、U(無人機)、X(試験)を組み合わせる。最後にナンバーを付ける。参考:月刊軍事研究12,12

命名法(アメリカ海軍機、第2次大戦時)>:機種記号はB(爆撃機)、F(戦闘機)、N(練習機)、O(観測機)、PB(哨戒爆撃機)、R(輸送機)、SB(急降下爆撃機)、TB(雷撃爆撃機)。メーカー記号はA(ブリュースター)、B(ボーイング)、C(カーチス)、D(ダグラス)、F(グラマン)、G(グレートノース)、J(ノースアメリカン)、M(ジェネラルモータース)、O/V(ロッキード)、U(チャンスボート)、Y(コンソリデーテッド)。接頭語はN(試験用特殊改造機)、X(試作原型機)、Y(増加試作機)。接尾記号は、A(水陸両用型)、B(武装強化型)、C(機関砲装備型)、D(ドロップタンク装備型)、E(電子装備追加型)、N(夜間戦闘型)、P(写真偵察型)、S(対潜型)。生産形式番号は機種記号の次に入る(F6F)こともあれば、メーカー記号の次に入る(TBD-1)こともある。参考:月刊JWing10,02

命名法(アメリカ海軍、原子炉)>:最初のアルファベットはAが空母、Cが巡洋艦、Dがフリゲート、Sが潜水艦を表す。次の数字が型番号で、1から順に増えていく。最後のアルファベットがメーカーの頭文字で、Wがウェスティングハウス、Gがジェネラル・エレクトリック。参考:月刊軍事研究9,06

命名法(アメリカ空軍機、1948−62年)>:機種記号と設計番号を組み合わせて表示する。機種記号は以下の通り。Aが水陸両用(Amphibian)、Bが爆撃(Bombardment)、Cが輸送(Cargo/Transport)、Fが戦闘機(Fighter)、Gがグライダー(Glider)、Hがヘリコプター(Helicopter)、Kが空中給油(タンカー)、Lが連絡(Liaison)、Rが偵察(Reconnaissance)、SRが戦略偵察(Strategic Reconnaissance)、Tが練習(Trainer)、Uが雑用(Utility)、Vがコンバーチプレーン(Convertiplane)、Xが特別研究(Special Research)。戦闘機の設計番号は111まで続き、また1に戻っている。機体を改良した場合には改造順にAからアルファベットを設計番号の後に付ける。その後ろに生産ブロックを示すブロックナンバーを付け、更に製作会社を示すアルファベット2文字を付け、機体にはニックネームを付ける。基本任務が変更された時は、その前に任務変更接頭記号や状況接頭記号を付ける。任務変更接頭記号は以下の通り。Aは航法施設点検、Bは爆撃、Cは輸送、Dはドローン・ミサイル誘導、Eは特別電子装備、Gはグライダー化もしくは寄生戦闘機母機、Kは空中給油、Lは連絡、Mは患者輸送、Pは人員輸送、Qはドローン、Rは偵察、Sは捜索救難、Tは練習、Uは雑用、Vは要人輸送、Wは気象観測。状況接頭記号は以下の通り。Eは例外(1955年まで)、Gは永久飛行停止、Jは臨時特別試験(1956年以降)、Nは永久特別試験(1956年以降)、Xは試作、Yは開発試験、Zは旧式。参考:航空ジャーナル9,77臨時増刊、月刊JWings1,07

命名法(アメリカ空陸軍航空機、1948年6月10日まで)>:機種記号の後ろに設計番号を組み合わせて表示する。機種記号は、戦闘機がP(Pursuiter)、攻撃機がA(Attack)、爆撃機がB(Bombardment)、偵察機がF(Photo)、輸送機がC(Cargo/Transport)、Oが観測機(Observation)。改良を受けると、設計番号の後ろにAから順にアルファベットを付ける。1942年、観測機Oが連絡機L(Liaison)に変更された。参考:ジェット戦闘機、航空ジャーナル9,77臨時増刊、月刊JWings3,20

<命名法(アメリカ軍機、1962年以降)>:MDSシステムを参照。

命名法(アメリカ軍、軍用機器)>:MIL-STD-196で規定されている。最初のAN/は軍用システム。次の一文字は搭載・設置場所で、Aが有人航空機、Bが潜水艦、Cが暗号装置、Dが無人機、Fが地上固定、Gが統合地上使用、Kが水陸両用、Mが車載、Pが可搬、Sが水上艦艇、Tが地上移動可能、Uが総合汎用、Vが地上車両、Wが水上・水中兼用、Zが有人・無人兼用。次の一文字が装置の種類で、Aが非可視光・熱線、Bが通信保全、Cが搬送電子波動信号、Dが放射能測定、Eがレーザー、Fが光ファイバー、Gがテレグラフ・テレタイプ、Iがインターホン・拡声器、Jが電気機械式・被覆固定線、Kがテレメトリー、Lが対抗手段、Mが気象、Nが空中音響、Pがレーダー用、Qがソナー・水中音響、Rが無線、Sが特殊用または複数の組み合わせ、Tが有線電話、Vが映像・可視光、Wが兵器、Xがファックス・TV、Yがデータ処理・コンピュータ、Zが通信。その次の一文字が用途で、Aが補助組み立て品、Bが爆撃、Cが通信・送受信、Dが方向探知・偵察監視、Eが射出・投下、Gが火器管制・投光指揮、Hが記録再生、Kがコンピューティング、Mが整備・試験、Nが後方、Qが特殊または複数の組み合わせ、Rが受信用・パッシブ式検知、Sが検知用または距離・方位捜索用、Tが送信、Wが自動操縦・遠隔操作、Xが識別・認識、Yが捜索探知追尾・火器管制・航空管制、Zが保全。ハイフンの後の数字がモデル番号。AN/APS-54なら、軍用システムで、航空機に搭載され、レーダーの検知や距離・方位捜索を行うために開発された機器(要するにレーダー警戒装置)の54番目のモデルであると分かる。AN/は略されることも多い。参考:月刊JWings5,12、月刊エアワールド1,00

命名法(アメリカ軍、航空カメラ)>:それまでは陸軍航空隊がK、海軍がF次いでCを頭文字に置いた名称を使用していたが、1955年に全軍と連邦政府で統一された。アルファベット2文字、数字、アルファベット1文字の順である。最初のアルファベットがKならカメラ、Kなら付属品や部品を指す。次のアルファベットは任務を示すもので、A(偵察)、B(爆撃記録)、C(空中測量)、D(レーダーなどスコープの記録)、E(スチール撮影)、F(映画)、G(特殊目的)、M(雑務)、S(システムまたはセット)である。数字は全軍通算の形式番号で、最後のアルファベットは型番号を示す。KS-80Aなら80番目のカメラシステムA型、ということになる。参考:ミリタリー・イラストレイテッド17

命名法(アメリカ軍兵器)>:アメリカ陸軍はオードナンスナンバーと呼ばれるMナンバー(M-1戦車)、アメリカ海軍はMk/Mod式で制式番号のMkに改良が加わるごとにModを追加する(Mk76Mod5訓練爆弾)。陸海軍共通だとMナンバーの前にAN-ArmyNavyの略)を付ける(AN-M3機銃)。ミサイルなどは3文字のアルファベットの後に数字(設計番号)を付ける方式で、アルファベットの最初の1文字が発射母体(空中発射はA、多種ならB、固定サイロならC。Coffinの略で、ボマークの固定サイロが棺桶と呼ばれたことに由来。地上発射はM、水上艦発射はRなど)、次の1文字が目標または使用目的(対航空目標ならI、対地・対艦ならG、対衛星ならS、デコイならD、標的ならQ、訓練ならT)、最後の1文字が兵装種別(ミサイルならM)である(AIM-9空対空ミサイル)。改良が加わると末尾にAから順にアルファベット(シリーズレター)が付く(AIM-9X)。訓練弾などは全体の前に状況接頭記号(キャプティブ弾はC、ダミー弾はD、一時的特殊試験用はJ、整備用はM、恒久的特殊試験はN、試験はX、試作はY、計画はZ)が付く。誘導爆弾などはASETDSを参照。参考:月刊JWings4,12

命名法(アメリカ陸軍航空部隊)>:中隊名/大隊名−連隊名と略す。A/1-111Avnなら第111航空連隊第1大隊A中隊、C/2-211Cavなら第211騎兵連隊第2大隊C中隊である。参考:月刊軍事研究3,14

命名法(イギリス空軍機)>:重爆撃機は都市名。哨戒機は探検家。参考:月刊JWings4,14

命名法(海上自衛隊、軍用機器)>:水上艦用電子機器の場合、最初の1文字目はOで、次の2文字はアメリカ軍に準じる(OPS-11なら水上艦艇用レーダー、距離・方位捜索用、11番目のモデル)。参考:月刊世界の艦船1,79増刊

命名法(海上自衛隊、航空機)>:アメリカ軍のMDSシステムに準じる。参考:MAMOR vol.164

命名法(海上自衛隊、自衛艦)>:1960年制定の海上自衛隊の使用する船舶の区分等及び名称等を付与する標準を定める訓令で規定されている。護衛艦は天象、気象、山岳、河川、地方の名称から。潜水艦は海象または水棲生物だが、伝統的に「○○しお」と名付けられており、基準変更で瑞祥動物が加えられてそうりゅう型が誕生した。小型のものは種別に番号を付けただけ。掃海艦・掃海艇は島の名前または種別に番号を付けたもの。掃海母艦・機雷敷設艇は海峡の名前。掃海母艇は種別変更以前の名称を使用。ミサイル艇・哨戒艇は種別に番号を付けたもの。輸送艦は半島の名前。輸送艇は種別に番号を付けたもの。練習艦は名所・旧跡で、風光明媚なところ。訓練支援艦は名所・旧跡の峡谷。多用途支援艦は、名所・旧跡のうち灘の名前。海洋観測艦は海浜・浦の名前。音響測定艦は海湾関係の名所・旧跡。砕氷艦は名所・旧跡のうち山または氷河の名前。敷設艦は岬の名前。潜水艦救難艦・潜水艦救難母艦は名所・旧跡のうち城の名前。試験艦は文明・文化に関する土地の名前。補給艦は名所・旧跡のうち湖の名前。特務艦は、艦種変更前の名前または種別に番号を付けたもの。特務艇は、船型または種別に番号を付けたものか、著名な景勝地の名。同型艦は同系統を使用する。上記訓令に基づいて海上自衛官に艦名アンケートを行い、最終的に防衛大臣が決定する。水上艦艇の舷側への艦名表記は、196961日の訓令で廃止された。潜水艦の艦名表記は、1976925日に廃止された。参考:MAMOR vol.76vol.123、自衛隊装備年鑑1996、月刊世界の艦船6,096,22

命名法(海上自衛隊、備砲)>:1番目の数字が口径(インチ)、2番目の数字が艦首からの番号。艦首に装備された5インチ砲は51番砲と称する。口径の違う砲が搭載されている場合、艦首からの番号はそれぞれ別に付けるので、5インチ砲の後ろに3インチ砲が付いている場合でも、最も艦首寄りにあれば31番砲である。参考:艦船メカニズム図鑑

命名法(カナダ航空コマンド)>:先頭にCを付け、次に任務・用途記号を付ける。輸送機はC、戦闘機はF、哨戒機はP、電子戦機はE、観測機はO、捜索救難機はSR、練習機はT、ヘリコプターはH、無人機はU。ハイフンの後は100番台の数字を付け、CF-188ホーネットなどと命名する。参考:月刊JWings5,07

<命名法(航空自衛隊、機体番号)>:シリアルナンバー(航空自衛隊)を参照。

命名法(航空自衛隊、航空機)>:アメリカ軍MDSシステムに準じる。参考:MAMOR vol.164

命名法(銃弾)>:NATO表記法で9mm×19というのは、銃腔口径9mm、ケース長19mmを示す。9×19mmと表記することもある。7.62mm×54Rの最後のRは、リムド・タイプを示す。.300サベージというのは、サベージ社の開発した銃腔口径0.3インチの弾丸を示す。.308Winは、ウインチェスター社の開発した銃腔口径0.3インチの弾丸で、7.62mm×51弾に同じ。なぜ.308かというと、.300サベージが最初にあったので、間違わないように弾丸径(ライフリングに食い込むように0.308インチにしてある)をとったからである。.22-250レミントンは、レミントン社製の銃腔口径0.22インチの弾丸で、.250-3000サベージをネックダウンして作られたためこう名付けられた。.30-06スプリングフィールドは、1906年に制式化されたためで、.30-30ウインチェスターは、推進薬が30グレインのためにこの名が付いている。要するに各弾丸ばらばら。参考:GUN用語事典、最新軍用ライフル図鑑

命名法(スペイン空軍機)>:制式名称はアルファベット、ドット、数字、アルファベットという組み合わせである(例:C.16VA.1A)。最初のアルファベットは用途記号で、Aが対地攻撃(Asalt)、Bが爆撃(Bombardeo)、Cが戦闘(Caza)、Dが多用途(Diversos)、Eが訓練(Escuela)、Hがヘリコプター(Helicoptero)、Kが給油(Cisterna)、Mが気象偵察(Meteorologico)、Pが哨戒(Patrullero)、Rが偵察(Reconocimiento)、Sが対潜(Anti Submarino)、Tが輸送(Transporte)、Uが汎用(Utilitario)、Vが垂直離着陸(Vertical despegueyaterrizaje)を示す。改造を受けた場合は用途記号のみが変更される(例:CE.16)。シリアルナンバーは、制式名称と1から始まる数字の組み合わせで(例・CE.15-11)、垂直尾翼に記入される。参考:月刊JWings6,07

<命名法(ソ連軍機)>:命名法(ロシア軍機)を参照。

命名法(タイヤ)>:バイアスタイヤの場合、タイヤ幅と内径をインチで表す。ラジアルタイヤの場合、タイヤ幅をmmで、内径をインチで示す。その後にアスペクト比(タイヤの断面高さをタイヤの断面幅で割り、100を掛けたもの)やロードインデックス(タイヤの耐えられる重量を指数化したもの)を付けることもある。アルファベット略号が付いていることもあり、Rはラジアルタイヤ、Sはスピード制限180km、Hはスピード制限210km、Vはスピード制限240km、Wはスピード制限270km、Yはスピード制限300kmPRはカーカス部のコード層数(5PRなら5枚重ね)を示す。バイアスタイヤでは6.00-13H5PR、ラジアルタイヤでは152HR14175/70R14 94W(タイヤ幅175mm、アスペクト比70、ラジアルタイヤ、内径14インチ、ロードインデックス94、速度制限270km)などという表示になる。参考:自動車メカニズム図鑑、クルマのすべてがわかる事典

命名法(中国海軍艦艇)>:19781118日に海軍艦艇命名条例を発令、1986710日に改定した。空母と巡洋艦は省・自治区・直轄市、駆逐艦は省・自治区首都(第一級区画の人民政府所在都市)、フリゲートは都市、戦略原潜は長征+ナンバー、通常動力攻撃潜水艦は長城+ナンバー、練習艦は人名。参考:月刊航空ファン11,173,19

命名法(中国海軍装備品)>:頭に海軍を示すH/が付くが、いちいち表記するのが面倒なのか省かれて記載されることも多い。Zが指揮、Kが統制、Bが編隊、Jが艦載、Tが船艇を示す。最後に通し番号が付く。参考:月刊世界の艦船12,18

命名法(中国空軍)>:戦闘機はJ(殲撃Jianjiji)、練習機はJまたはJL(教Jiaolianji)、戦闘練習機はJJ(殲教Jianjiaoji)、初等練習機はCJ(初教)、ヘリコプターはZ(直Zhishengji)、水上機はS(Shuishangji)、爆撃機はH(轟炸Hongzhanji)、爆撃飛行艇はSH(水轟)、輸送機はY(運輸Yunsyuji)、爆撃機改造空中給油機はHU(轟油)、爆撃機改造電子戦機はHD(轟電)、攻撃機はQ(強撃Qiangjiji)、早期警戒機はKJ(空警)。輸出型だと戦闘機はF、爆撃機はB、攻撃機はA、偵察機はR、練習機はT、ヘリコプターはH。その後に開発順の番号が付いてJ-11Q-5などとなる。当初は初飛行や初配備の西暦下二桁をとって56式戦闘機などと呼ばれ、機種別ニックネーム(戦闘機は東風、攻撃機は雄鷹、爆撃機は飛龍、輸送機は和平、練習機は紅専、ヘリは旋風)に101から始まる3桁の番号を付け(東風101、雄鷹302など)たりもしていたが、1964年に全国航空機統一附番規則が定められ、1950年代に中国の航空工業が始まったのにちなんで全機種5から始まる番号(殲撃5型、轟炸5型、直昇5型、運輸5型、水轟5型など)を付けた。ただしKJ/空警はKJ-1KJ-2000KJ-200KJ-500とバラバラになっている。参考:月刊軍事研究4,0510,0212,09、月刊航空ファン1,1711,19、月刊JWings5,11

命名法(ドイツ空軍)>:1933年に空軍省が制定した。接頭番号と形式番号に別れており、飛行機・ミサイルには8、ピストンエンジンには9、グライダーには108、ジェットまたはロケットエンジンには109の接頭番号を付けた。形式番号は会社ごとに纏めて割り振られ(BFW108-110、ハインケルに111-120、ヘンシェルに121-130など)ている。機体に改良が加えられた場合、機体設計を新規に行うような大がかりな改造では形式番号の百の位を増やし、中規模改修ではアルファベットを付け、小規模改修ではアルファベットの後ろにハイフンと数字を付け、微細な差異ならスラッシュの後に符号を追加した(He219A-7/R2など)。参考:歴史群像2,08付録

命名法(ドイツ軍、魚雷)>:大文字アルファベットの後に設計番号をローマ字で表記し、最後に派生型を小文字アルファベットで記述する(TVb、TXなど)。1910年からは最初に魚雷を表すG、次に全長を表す数字、最後に推進駆動システムを表す小文字アルファベットを表記する方法が追加された(G7aG7eなど)。ちなみに推進駆動システムが蒸気機関ならa、電動モーターならe、ヴァルター機関ならut。更に誘導システムによりFaT(進路誘導システム付き)やLuTFaTの発展型)といった記号が付き、これを全て組み合わせて命名された(TTLuTT型G7aG7aFaTTなど)。参考:Uボート入門

命名法(ドイツ陸軍、外国兵器機材番号)>:第2次大戦前からドイツ陸軍兵器局が製作していた外国製兵器機材識別表(D.50シリーズ、全14巻)に記載されている。兵器のドイツ名称、分類番号、制式化国の頭文字、と続く。例えば歩兵戦車Mk.UマチルダならInfantrie Panzerkampfwagen Mk.U 748(e)。分類番号は、装甲自動車は200番台、ハーフトラックは300番台、装甲化ハーフトラックは400番台、装軌式火砲牽引車は600番台、装甲化火砲牽引車は630番台、戦車は700番台、自走砲は800番台。参考:ジャーマンタンクス

命名法(ドイツ陸軍、特殊車両番号)>:Sd.Kfz.Sonderkraftfahrzeug、特殊用途車両)番号を付ける。装甲車両及び軍用車両に付けられており、種類別に分類されているわけではない。改造を受けると斜線及び番号を追加し(Sd.Kfz.2/2など)、小改造ではローマ数字を更に追加した(Sd.Kfz.250/1-Tなど)。ただU号戦車(Sd.Kfz.121)を火炎放射戦車に改造したものは新しい番号(Sd.Kfz.122)が付けられているのに対し、V号戦車(Sd.Kfz.141)を改造したものは番号付加のみ(Sd.Kfz.141/3)となるなど、統一感はあまり無い。参考:ジャーマンタンクス

命名法(日本海軍艦船)>:建軍当初は徳川時代の艦名をそのまま使い、新造艦には適宜山や川などの名称を海軍卿が提案して太政大臣が天皇に諮っていた。しかし基準が無いと候補が無数にあって困るので、明治7年に名山、大河、国名、著名人に限ると決定(ただし実際に人名を付けたことは無い)。明治206月、命名式までの仮名を定める習慣が生まれたが、明治253月からは軍備計画ごとの通し番号(第1号艦、第2号艦、…)を付けるようになった。明治386月、山本権兵衛海軍大臣が明治天皇に案を上奏して命名基準が決まり、戦艦は旧国名、一等巡洋艦は山岳、二等・三等巡洋艦は頭文字を「は」または「に」(ただし都市名以外)、駆逐艦は天象地象、潜水艦は番号とし、事故で沈んだ艦名は3年以上使わないと定められた。外国に倣って代々の天皇名や武臣名を使うことに関して天皇にご意向を伺ったが、同意を得られなかったので、人名は付けないことに決定している。大正101月、戦艦、巡洋戦艦、巡洋艦は従来通り天皇の勅裁を経るが、それ以外の艦名は海軍大臣が付けることになった。大正11年、神風型駆逐艦から一等駆逐艦に奇数番号、二等駆逐艦に偶数番号を付け、第1駆逐艦、第2駆逐艦などと称するようになった。大正13年、駆逐艦艦名の数字の後に号が付くようになり、第7号駆逐艦から適用された。第28号駆逐艦以降は一等・二等で奇数・偶数と分けずに通し番号になった。昭和3年、駆逐艦の番号制を廃止して固有艦名が復帰した。昭和8年、空母の命名基準が決定された。戦艦は旧国名、巡洋戦艦と重巡(一等巡洋艦)は山岳、軽巡(二等巡洋艦)は河川、練習巡洋艦は武神、航空母艦は飛翔する瑞兆動物(戦艦からの改造艦は旧国名のまま)、水上機母艦は瑞名、潜水母艦は鯨、敷設艦は島、砲艦は名所旧跡、一等駆逐艦は天候・気象・海象、二等駆逐艦は植物、水雷艇は鳥、特務艦は岬・海峡、海防艦は島にちなむ。潜水艦、輸送艦、掃海艇、海防艇などは番号である。命名式は進水式と同時に行われるが、艦名は起工よりも前に決めておくことが多い。参考:日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,13増刊、8,12

命名法(日本海軍軍用機)>:元は皇紀年号と用途名、機体/エンジン改修番号を組み合わせていた(零式艦上戦闘機二一型)。昭和18810日、機種や用途を秘匿するため、用途別に自然現象などを付けることになった。艦上戦闘機は風、局地戦闘機は雷、夜間戦闘機は光、攻撃機は山、爆撃機は星、特別攻撃機は花、偵察機は雲、輸送機は空、哨戒機は海、練習機は植物。これの後に機体/エンジン改修番号が付く(強風一一型)。型式番号は、最初のアルファベットが機種記号、次の数字が開発順序(試作段階ではX)、3番目にあるアルファベットがメーカー、4番目は数字で生産型、ハイフンの次の大文字アルファベットが他用途機種変更後の機種記号、最後の小文字アルファベットが小改修である。機種記号はAが艦上戦闘機、Bが艦上攻撃機、Cが艦上偵察機、Dが艦上爆撃機、Eが水上偵察機、Fが水上観測機、Gが陸上攻撃機、Hが飛行艇、Jが陸上戦闘機(局地戦闘機)、Kが練習機、Lが輸送機、Mが特殊(攻撃)機、Nが水上戦闘機、Pが陸上爆撃機、Qが陸上哨戒機、Rが陸上偵察機、Sが夜間戦闘機。メーカー番号は、Aが愛知航空機、Hが第2空技廠(広島工廠)、Jが日本小型飛行機、Kが川西航空機、Mが三菱重工業、Nが中島飛行機、Pが日本飛行機、Sが第3空技廠(佐世保工廠)、Siが昭和飛行機、Wが九州飛行機(渡邊鉄工所)、Yが海軍航空技術工廠(横須賀工廠)。例えば川西航空機製紫電改の場合、水上戦闘機強風(N1K1)を局地戦闘機紫電(N1K1-J)に改修し、更に機体に改良を加えたのでN1K2-Jになる。参考:月刊JWings2,035,02、月刊丸4,99、歴史群像12,10

命名法(日本海軍飛行機呼称番号)>:大正11121日に制定された航空機番号附与法及び其の表示方に基づいて定められたマーキングで、搭載艦を示す区別字と、機種・機番号を示す番号からなる。制定時の区別字は若宮がD、鳳翔がAで、空母以外の搭載機は区別字を割り当てられておらず、基地航空隊は隊名のローマ字の頭文字を記入した(横須賀空はY、横須賀空練習部はRなど)。番号は偵察機が1-199、戦闘機が200-299、雷・爆撃機が300-399、練習機は400以上で、艦長や司令が割り振った。大正15726日、区別字は若宮がイ、鳳翔がロ、赤城がハ、加賀がニ、と完成順にイロハを割り当てた。また、垂直尾翼両面、上翼上面、下翼下面2ヵ所に加えて胴体両側面にも記入するようになった。昭和1110月、蒼龍にホ、飛龍にヘ、瑞鶴にスカ、翔鶴にシカ、瑞鳳にスホ、祥鳳にシホが割り当てられたが、翔鶴以降は実際には記入しなかった。番号も偵察機・飛行艇が1-99、戦闘機が100-199、爆撃機が200-299、攻撃機が300-399、練習機が400-899、輸送機などが900以上となった。昭和12年以降、作戦行動中の連合艦隊所属機は連合艦隊飛行機識別規定に基づいた記号を記入することとなった。昭和14104日から、記入位置が垂直尾翼両側面のみとなった。参考:図解日本の空母

命名法(日本海軍飛行機識別符号)>:昭和12年の日華事変開始後、作戦行動に加わっている連合艦隊所属機が機体(垂直尾翼両面。稀に両翼下面にも黒で記入することがあった)に記入した記号で、隊名符号と機番号からなる。隊名符号は初めはアルファベット1文字(加賀がK、蒼龍がW)で、昭和1511月頃から航空艦隊にアルファベット(第1艦隊1番隊からA、B…)を割り当てて、艦船番号(1番艦からT、U…)を組み合わせるようになった。昭和164月に第1航空戦隊が編成されると、順にA、B…が割り当てられた。昭和176月に第1・第2航空戦隊が全滅し、第5航空戦隊が第1、第4が第2に変更されたが、この時は隊名符号はそれぞれEとDで変化しなかった。11月、第1航空戦隊をA1、第2をA2と表すこととなり、これに艦船番号を組み合わせ、瑞鶴搭載機がA1-1、翔鶴がA1-2、飛鷹がA2-1、隼鷹がA2-2と記された。昭和19年以降、空母機はアラビア数字3文字を使用することとなり、最初が所属艦隊、真ん中が所属(航空)戦隊、最後が(航空)戦隊内における所属艦の順位を表すようになった(大鳳搭載機は第3艦隊第1航空戦隊1番艦ということで311など)。ただし空母は全て第3艦隊なので3を省略することが多く、最後の数字は真ん中のものよりも小さく記入した。昭和19215日、各空母が固有の飛行隊を持つこととなったため、空母搭載機は601652653といった航空隊名をそのまま使用するようになった。機番号は昭和1110月以降の飛行機呼称番号と同じで、1100-1199を戦闘機、1900以上を輸送機その他の番号としても使用した(翔鶴所属の九九式艦爆ならA1-2-211など)。艦隊ごとに塗装色が決められており、昭和151115日から第1艦隊は黄色、第2・第4は赤、第6は青、付属隊は白で塗られた。昭和164月に第1航空艦隊が編成されると、第1航空艦隊が赤で塗られることとなった。昭和17714日に、第1艦隊を黄色、第2・第3を赤、第4を青、第5を白、第6を青、第8を黄、第1・第2南遣艦隊を赤で示すこととなった。昭和1981日以降、連合艦隊直属が黄、第2艦隊が白または青、第3艦隊が黄または赤、他が長官の定める色となった。昭和1612月から、空母搭載機は後部胴体に帯を塗って所属船体と艦船番号を示すこととなり、第1航空艦隊が赤、第2が青、第4が黄、第5が白で、1番艦が1本、2番艦が2本…と塗られた。第3航空艦隊は日華事変後期より機首から尾部に幅0.3mの帯(当初は白、昭和151115日から赤または黄)を入れており、これで代用した(昭和173月まで使用)。昭和17714日から、第1航空戦隊が白、第2航空戦隊が黄色となった。昭和1911月頃、垂直尾翼上端に搭載空母を示すアラビア数字1文字(翔鶴は1、瑞鳳は2、千歳は3、千代田は4)を記入するようになった。参考:図解日本の空母

命名法(日本軍、発動機)>:陸軍は試作中にはハ番号を付け、制式化されると皇紀の下1-2桁と公称出力を組み合わせて呼称した。海軍はニックネームに2桁の数字を組み合わせ、英数字の略符号も付けた。ただこれだと九九式九五〇馬力発動機(ハ二五)、一式一一五〇馬力発動機(ハ一一五)、栄一二型が同系統のエンジンであることが全く分からないので、昭和194月に共通のハ番号を付け、更に2桁の数字を組み合わせて改良型を示すことにした(ハ三五−二一型)。参考:月刊丸4,99

命名法(日本陸軍)>:制式名には型番号の後に兵器名を付ける(九七式中戦車)。型番号は大正までは年号だったが(三八式野砲)、大正が15年で終わってしまったので、混同を避けるために昭和に入ってからは神武歴(皇紀ともいう。昭和元年が神武歴2585年)の末尾2つを付けた(九〇式野砲)。秘匿名称はカタカナ2文字(チハ)で、最初の一文字が車両の種類を表し、軽戦車はケ、中戦車はチ、砲戦車はホ、などとなる。次の一文字が設計番号で、イロハの順に付けていく。試作中は試作名称で呼ばれ、仮制式化されると制式名が付いて文書上での試作名称使用が原則禁止となる。参考:戦場写真で見る日本軍実戦兵器、日本陸軍兵器資料集、月刊丸1,'17別冊

命名法(日本陸軍機)>:最初はメーカーと型番のみで表し(サルムソン式二型飛行機)、メーカーを頭文字で略すこともあった(サ式二型飛行機)。大正1010月、メーカーに甲(ニューポール)、乙(サルムソン)、丙(スパッド)、丁(ファルマン)、戌(コードロン)、己(アンリオ)の字をあて、各式ごとの採用順一貫番号と機種名を組み合わせることにした(サ式二型飛行機は乙式一型偵察機に変更)。大正134月、航空部管掌機材審査方針が制定され、皇紀の下二桁で表すことにした。初採用となったのは、皇紀2587年(昭和2年)制式化の八七式軽爆撃機である。参考:月刊丸12,92、月刊航空ファン7,152,18

命名法(プラット&ホイットニー)>:プラット&ホイットニー社のジェットエンジンにはPWXXXX(Xは数字)というナンバーが付いている。最初のXはシリーズ名(4ならPW4000シリーズ)。次のXが搭載航空機の製作会社(0がボーイング、1がエアバス、4が旧マクダネルダグラス、現在はボーイングに吸収合併)。最後のXXが推力(60なら60000ポンド)。参考:月刊軍事研究6,02

命名法(マイバッハ社製エンジン)>:HLXXXPXX(Xは数字)で、最初のXXXは排気量(HL120だと11952cc・約12リットル、HL210だと21350cc・約21リットル)。参考:月刊PANZER10,99

命名法(陸上自衛隊)>:航空機はアメリカ軍MDSシステムに準じる。それ以外は用途をそのまま表した名称を付ける。1954年に発出された装備品等の正式に関する訓令に、装備化された年数の下二桁を頭に付けるという規則があり、該当するものは名称の頭に年数が付く。2007年に装備品等の部隊使用に関する訓令が発出され、年数を付ける規則は廃止されたが、2010年制式化の10式戦車など、それまでの命名法を踏襲しているものも多い。参考:MAMOR vol.43vol.123vol.164

命名法(履帯、ドイツ軍)>:最初のアルファベットが使用車種、次が材質、3番目が結合方式。使用車種はKが速走行履帯(戦車含む)、Sが装輪装軌併用6輪車用、Zがハーフトラック用、Lが農業トラクター用、Pが試験用。材質は、gが合金鋳鋼、pが圧延鋼、bが鉄鋼板材、tが可鍛鋳鋼、dがジュラルミン、geが繊維材、sがシルミン。結合方式は、sがドライピン、wがローラーベアリング、guがゴム継ぎ手型、bがフローティング・ライナー・スリーブ式、記号無しがドライピンとライナー・スリーブ併用。アルファベットの次の数字は履帯形状、その次が履帯幅(mm)、最後が履帯ピッチ(mm)。よって、Kgs64/660/150(パンター用)の場合、速走行用の合金鋳鋼製履帯で、ドライピン式、幅660mm・ピッチ150mmということになる。参考:月刊PANZER10,99

命名法(ロシア軍機)>:設計局名称に数字を組み合わせる(MiG-29)。数字は採用順だが、Tu-95のように計画番号がそのまま付いたものもある。これとは別に、イズジェリャ名称という秘匿符号が使用されており、Tu-22はイズジェリャYuTu-22Mはイズジェリャ45などと呼ばれた。設計局の読みはAnがアン、Ilがイル、Miがミー、MiGがミグ、Suがスー、Tuがトゥー、Yakがヤクだが、スーとかトゥーとかは間が抜けていると思うのか、航空ショーのアナウンスではNATOコードを使っていたりする。参考:世界の傑作機No.113、月刊航空ファン11,92

メイヤー>:ジョン・C・メイヤー(John C. Meyer)。1919年、ニューヨーク州フォレストヒル生まれ。ダートマス大学2年生時に第二次大戦が勃発し、陸軍航空軍団に入隊、10月から航空士官候補生課程に入り、19407月に少尉となり、飛行教官を10ヶ月間務めている。19415月、第8追撃航空群第33追撃飛行隊に配属された。7月、部隊と共にアイスランドに移動、中尉に昇進して小隊長となり、19429月にニューヨーク州ミッチェルフィールドに戻った。第352戦闘航空群第34戦闘飛行隊に転属し、19431月に大尉に昇進、飛行隊長となった。5月、部隊が第487戦闘飛行隊に改称された。6月、P-47への機種改変を終了してイギリス展開が命じられ、77日にイングランドのボドニー飛行場に展開。99日から実戦に参加した。1126日、P-47D-2-REに搭乗してB-17/B-24爆撃機隊の帰投援護を実施。Bf109戦闘機1機を撃墜した。124日、Bf109戦闘機1機を撃墜。1222日、1機を撃墜。その後はP-51Bへの機種改変に入り、19444月に終了して実戦に復帰した。410日、P-51B-10-NAに搭乗し、Fw190戦闘機1機を共同撃墜、Bf109戦闘機1機を地上に激突させた。411日、機銃掃射により2機を地上撃破。413日、シュツットガルトで3機を地上撃破、422日、1機を地上撃破。58日、ブラウンシュバイク爆撃部隊の援護に就き、3機を撃墜。空中撃破通算7.5機の功績で殊勲十字章(DSC)を授与された。512日、Bf109戦闘機1機を撃墜し、He177爆撃機1機を地上撃破した。休暇に入った後、82日に復帰、P-51Bに搭乗したが、他のパイロットが乗った時に撃墜されてしまい、P-51D-10-NAに乗り換えた。813日、フランスに出撃したが、対空砲火を浴びて負傷した。825日、He177爆撃機1機とJu52輸送機1機を地上で破壊。910日、ドイツ機4機を地上で破壊。911日、Bf109戦闘機3機とFw190戦闘機1機を撃墜。その後第352戦闘航空群副司令となり、P-51D-15-NAに搭乗した。11月、DSCを受章。1121日、メルゼブルク上空で戦闘機3機を撃墜。1127日、Bf109戦闘機1機を撃墜。1227日、Fw190戦闘機2機を撃墜。1231日、Ar234爆撃機1機を撃墜。194511日、Fw190戦闘機2機を撃墜。DSCを受章した。19日、パリで乗っていた兵員輸送車が自損事故を起こして脚に重傷を負い、そのまま終戦を迎えた。第二次大戦中のスコアは撃墜24機、地上撃破13機だった。大戦後、大佐に昇進して19509月に第4戦闘要撃航空団長となった。1951118日、朝鮮半島への出動命令が出された。1222日、F-86Aに搭乗し、MiG-15戦闘機1機を撃墜。その後もう1機撃墜し、19525月に転属、朝鮮半島を去っている。その後は防空軍団参謀、SAC師団司令官、第12航空群司令官、統合参謀本部作戦部長などを経て大将となり、197251日にSAC総司令官に就任した。19721218-30日のラインバッカーU作戦ではアンダーセン空軍基地で陣頭指揮を執っている。空軍参謀次長も兼任し、1974731日に退役した。総撃墜数26機。最終階級は大将。1975122日、心臓発作により56歳で死去した。参考:月刊航空ファン11,92

<メイヤコード>:FF-1058(フリゲート)を参照。

<メイヨー>:DD-422(駆逐艦)を参照。

名誉勲章>:Medal Of HonorMOH)。議会の名で大統領が授与するので議会名誉勲章(Congressional Medal Of Honor)とも通称される。アメリカの国家最高栄誉賞で、敵との戦闘で自らの命を危険に晒しつつ任務を超越する勇気を示したアメリカ軍将兵にのみ授与される。ちなみに1名だけコースト・ガードの受章者(ガダルカナル戦で海兵隊員をかばい戦死)が居るが、太平洋戦争で海軍の指揮下に入っていたためである。アメリカ軍で唯一首からかける勲章であり、着用者に対しては、階級に関わらず先に敬礼しなければならない。月額200ドルの年金が支給され、軍用機への搭乗ができ、子息は無条件で陸海軍士官学校に入学できる。1861年に下士官・兵用として海軍のものが制定され、初の受賞者が出た。1862年には陸軍、1965年に空軍版が制定(それまでは陸軍版を使用)されている。ちなみに海兵隊と沿岸警備隊は海軍版が授与される。士官が受章対象になったのは陸軍が1863年から、海軍が1915年から。3400名以上が受賞しているが、1522名は南北戦争での受賞である。ネイティブ・アメリカンとの戦いで426名、米西戦争で110名(中佐で参加したセオドア・ルーズベルト大統領にも2001年に授与されている)、米比戦争で80名、北清事変で59名が受章。第1次大戦では124名、第2次大戦では464名(うち日系二世部隊21名)、朝鮮戦争では136名(うち日系人1名)、ベトナム戦争では248名(うち日系人2名)が受章した。ベトナム戦争後はモガディシオ急襲作戦で戦死した2名のデルタフォース隊員ゲアリー・ゴードン陸軍曹長とランドール・シュガート陸軍一等軍曹、イラク戦争で200344日に戦死したポール・スミス陸軍一等軍曹、ポスト・イラク戦争で2004414日に敵手榴弾に覆い被さって戦死したジェーソン・L・ダンハム海兵隊伍長、アフガン戦争で2005628日に戦死したマイケル・P・マーフィー海軍大尉(SEALs所属)、アフガン戦争で2006621日に戦死したジャレド・モンティ陸軍二等軍曹、ポスト・イラク戦争で2006929日に敵手榴弾に覆い被さって戦死したマイケル・A・モンサー海軍二等兵曹(SEALs所属)と124日に敵手榴弾に覆い被さって戦死したロス・マギニス陸軍上等兵、アフガン戦争で20071025日に負傷兵を敵から奪還したサルヴァトーレ・ジウンタ陸軍特技兵、アフガン戦争で2008125日に戦死したロバート・ミラー陸軍二等軍曹、2008526日に重傷を負ったリーロイ・ピートリ陸軍二等軍曹、アフガン戦争で200998日に12名の負傷兵を救出し、4名の戦死者を回収したダコタ・L・マイヤー海兵隊三等軍曹(2011915日受章。生存中に授与されるのはベトナム戦争以来38年ぶり)、アフガン戦争で2009103日に前哨基地防御に奮闘したクリントン・ロメシェイ陸軍二等軍曹とタイ・カーター陸軍特技兵に授与されている。また、アフガン戦争で活躍したウイリアム・スウェンソン陸軍大尉が20131015日に受章した。2014318日、人種差別(主にヒスパニック系)是正による殊勲十字章からの格上げがあり、第2次大戦7名(計471名になった)、朝鮮戦争9名、ベトナム戦争8名が追加された。参考:月刊軍事研究12,138,146,052,13、月刊コンバットマガジン7,06

名誉除隊章(アメリカ陸軍)>:Honorable Service。第2次大戦に従軍し、名誉除隊した将兵に与えられる徽章で、軍服の右胸ポケットに縫いつける。縁取りをした菱形の布の中央に円に囲まれた鷲をデザインしたもので、スクリーミング・イーグルと呼ばれることもあったが、アヒルが輪の中に嵌り込んでいるようにも見えるので、ラプチャード・ダック(Ruptured Duck)などと称されることが多かった。私服の襟に付ける金属製のものもある。参考:月刊コンバットマガジン11,03

<メイラント>:DD-402(駆逐艦)を参照。

<メイル>:Be-12(飛行艇)を参照。

命令(日本陸軍)>:指揮官が決心に基づき適時適切に発する。発令者の意志と受令者の任務を明確・適切に呈示し、かつ受令者の性質・識量に適応させなければならず、また受令者が自ら行う判断をみだりに妨げるような内容であってはならない。命令が受令者に届くまでの状況変化を考慮する必要があるが、その想定が難しい時は、全般の企図と受令者が達成すべき目的だけを示し(場合によっては行動の準拠となる大綱も示す)、受令者に臨機応変な処置をさせる。命令に理由や憶測を示したり、未然の形勢を列挙していちいち処置を記したり、命令の他にあれこれ指示を与えたりしてはならない。命令を下達しても、受令者に到達しなかったり、きちんと実行されなかったりするので、発令者は命令の伝達と実行を確認する手段を講じ、受令者は実行を報告するよう努め、命令には配布区分と下達法を記載し、控えに下達もしくは伝達終了時間を記入する。発令者が受令者に直接伝えるのが最も確実だが、交戦中や運動中の部隊から遠隔地に受令者を呼び寄せるようなことは避ける。各級指揮官がそれぞれ作成すべきだが、時間が無い場合などは上級指揮官の命令に最低限の必要事項を足して下達することも可。記述には通信紙か、その他適宜の要旨を使用し、状況によっては横書きする。可能なら要図、写景図、写真を附す。機密保持のため、重要な命令は将校自ら筆記し、印刷は将校の監視下で行い、印刷ミスの用紙焼却や原稿保管についても確認する。斥候、飛行機搭乗者、最前線の部隊などに命令を与える際、敵に入手される恐れがある時は、口頭のみにする、重要事項の筆記を省く、受令者了解後に命令書を焼くといった工夫をする。行動や配備などに関する命令事項を地図に記載描画しない。命令下達時には必要以外の者を遠ざけ、間諜などに対し厳重に警戒する。参考:作戦要務令

 <各別命令>:複数の部隊それぞれに個別に下す命令。各部隊が全般の状況を掴みにくいので、命令内に関係部隊の協同に必要な事項を加えたり、各別命令を出した後に一般状況を伝えたりする。参考:作戦要務令

 <合同命令>:複数の部隊に纏めて下す命令。各部隊が全般の状況を知ることができ、協同を容易にするので、各別命令より望ましいことが多い。参考:作戦要務令

 <作戦命令>:軍隊の作戦行動を規定する命令。各団隊や軍隊区分による部隊などの名称を頭に付けて某師団命令、某支隊命令などと称する。敵軍と友軍の状況(受令者に必要なもののみ記載)、指揮官の企図、軍隊区分と各部隊の任務、飛行・防空・連絡・ガス防護・気象・衛生・行李・輜重・交通などに関して一般部隊に必要な事項、発令者の位置(必要なら発令者の行動、連絡方法、報告送達場所なども追加)の順に記載する。飛行・防空・連絡・ガス防護・気象・衛生・行李・輜重・交通などに関して一般部隊に必要な事項に関しては、命令一般の下達を迅速に行うため、別に分けて命令することもある。一般の命令の他、必要なら各部隊に細かい命令を別個に下す。また、秘密保持のため、一般の命令から日時を抜いて下命し、適切な時機を待って伝達したり、一部の部隊には一般の命令を与えず当該部隊に必要な事項だけを伝えたりすることもある。全般の行動を示すための命令など、関係部隊全てに全文を配布すべきものもあるが、その場合には特に秘密保持に注意しなければならない。参考:作戦要務令

 <日々命令>:作戦に直接関係ない事項を規定する命令で、内務、人事、人馬補充、戦場掃除、俘虜取扱、諸勤務などに関するものである。各団隊の称号などを頭に付けて某師団日々命令などと称する。参考:作戦要務令

命令第227号>:1942728日、スターリンが発した命令。全ての部隊、中隊に至るまで指揮官・兵士の前で朗読されるべし、という付帯命令まで付いていた。「…敵は全ての新兵力を前線に投入している。自軍の大損害を顧みず進撃し、ソ連の奥深くに突入しようとし、新たな地域を占領し、我々の都市、村を荒廃、疲弊させ、ソ連国民を暴行し、略奪し、殺している。…我々は7000万人以上の人間を失い、1億3000万トン以上の穀物と1000万トン以上の鉱物資源の年間生産量を失った。…これ以上の退却は、自ら首をくくるのと同じである。一歩も退くな!これが、今の我々の主要なスローガンでなければならない。…許可無くして退却した部隊の司令官は、即刻銃殺にする。…退却気分を一掃せよ。…各方面軍に阻止分遣隊を編成し、高位指揮官の配下に置くこと。…」これによりソ連軍兵士や市民に活が入り、彼らの愛国心を揺さぶったという。参考:月刊PANZER7,99

<メイロー>:356(揚陸艦)を参照。

<メイロー級>:LSM-1級中型揚陸艦(台湾海軍)を参照。

<迷惑機雷原>:機雷原を参照。

明和興業株式会社>:川西航空機が1949115日に社名変更したもので、当時は航空機製造が全面禁止されており、生活用品の開発生産を行っていた。195012月からアメリカ極東空軍調達部向けに燃料タンクの生産を開始している。1952年、GHQが航空機の製造を許可したため、航空機事業を再開すると共に、特装車や産業機器の社会インフラ事業も続けることにした。1953年から飛行艇の研究を開始。1957年、輸送機設計研究協会に参加。1960年に新明和工業株式会社となった。参考:月刊JWings5,058,'20、月刊航空情報4,18

<メイン>:BB-69(戦艦)またはSSBN-741(原潜)を参照。

メイン級>:アメリカ海軍前ド級戦艦Maine級。満載排水量12723トン。主機はレシプロ蒸気機械2基16000馬力、速力18ノット。参考:月刊世界の艦船2,15

<メインステイ>:A-50(早期警戒機)を参照。

<メイン・タンク>:メイン・バラスト・タンクを参照。

<メインバッテリー>:VA-196(攻撃飛行隊)を参照。

<メイン・バトル・タンク>:主力戦車を参照。

メイン・バラスト・タンク>:単にメイン・タンクともいう。潜水艦の浮力を調節するタンクで、下面にフラッド・ホールまたはフラッド弁またはキングストン弁、上面にベント弁が付いている。上下面両方の弁を開く(フラッド・ホールは常時開いているが)と中に海水が入って潜水艦が潜入し、下面だけ開けて高圧空気を吹き込む(ブロー)と海水が押し出されて潜水艦が浮上する。ただし高圧空気だけを使用するのは効率が悪いので、ディーゼル排気などを併用することが多く、海自もゆうしお型までは高圧気蓄器とディーゼル排気を併用する低圧排水機能を備えていた。複数区画に分かれており、必要な潜入・浮上速度に合わせて注排水を調節する。参考:現代の潜水艦、ザ・マーチ39号、続潜水艦気質よもやま物語、日本潜水艦物語、月刊世界の艦船6,215,22

<メインリング>:KJ-2000(早期警戒機)を参照。

<メイン・レバー>:コレクティブ・ピッチ・レバーを参照。

メイン・ローター>:Main rotor。主ローターともいう。回転翼航空機の揚力の大部分を発生させるローターのこと。テイルローターと対比してメインと名付けられており、タンデムローターヘリなどでは揚力ローターともいう。参考:月刊JWings10,09別冊付録、航空用語事典増補改訂版

<メーヴェ>:T]T(G7a)魚雷を参照。

メーヴェ>:ドイツ海軍メーヴェ級水雷艇Möwe192610月竣工。194466日夜と7日夜、第5水雷艇隊の一員として水雷艇ヤグアル、水雷艇T28と共にル・アーブルから出撃し、オーバーロード作戦中の連合軍艦艇を攻撃、ノルウェー駆逐艦スヴェンナーを共同撃沈した。614日、ル・アーブルでイギリス空軍機の爆撃を受けて沈没した。参考:写真集ドイツの巡洋艦、月刊世界の艦船9,23

メーヴェ級>:ドイツ海軍水雷艇Mowe級。1923年度計画なのでM1923級、艦名が猛禽類なので猛禽級ともいう。V1級水雷艇の後継で、ベルサイユ条約下の建造なので公称基準排水量は制限内の800トンだが、実際には基準排水量900トン強の小型駆逐艦である。夜襲をかける際に見つかりにくくするため乾舷を低くしたが、フレアーが浅く、シーアが無いため、荒海では波をかぶることが多かった。船体は縦フレームで、機関部分は二重底になっている。船型は長船首楼型で、船首楼後端に艦橋がある。艦橋はオープン・ブリッジで、270度の視界を持つ。煙突は前後2本で、前部煙突は艦橋後方に立っている。マストは前後2本で、前部マストは艦橋と前部煙突の間、後部マストは後部煙突後方にある。主砲は12.7cm砲3門を予定したが、連合軍に反対されて10.5cm砲になった。敵艦隊針路上への夜間強行敷設のため、機雷敷設装備を搭載している。制限の中で重武装を施したため、トップヘビーの傾向があった。全長87.7m、幅8.42m、平均吃水2.81m、基準排水量924トン。主機はゲルマニア製フルカン式ギヤード・タービン2基、主缶は海軍式重油専焼水管缶3基、出力24829馬力(22100馬力?)、2軸推進、最大速力33.6ノット(32ノット?)、航続距離3100海里(17ノット)。兵装は45口径10.5cm単装砲M1916が3門(最大仰角80度)、37mm機関砲4門、20mm機関砲2門(4門?)、50cm魚雷3連装発射管2基、機雷20-30個。メーヴェ、アルバトロス、グライフ、ゼーアドラー、コンドル、ファルケの6隻が1926-27年(28年?)に就役した。1930年頃に改装を受け、艦橋が小型になり、後部マストも小型になって2番煙突直後に移り、デリックが後部マストから前部マストに移動、2番砲座の位置が低くなった。これにより重心が低くなったが、乾舷も低くなってしまい、航洋性が悪化した。改装後はヴォルフ級と似た艦容になったため、どちらもメーヴェ級として扱うこともある。第2次大戦では対水上戦でなく対潜・対空戦を重視し、機雷の代わりに爆雷を積み、20mm機関砲を4-7門に増備した。参考:月刊世界の艦船9,'2310,06、写真集ドイツの巡洋艦、グラフィックアクション29

<メークレンブルク・フォアポンメルン>:F218(フリゲート)を参照。

メークロン>:タイ海軍ターチン級フリゲート2番艦Maeklong1937年竣工。後に蒸気タービンと兵装を撤去し、アメリカ製の76mm単装砲4基、40mm単装機関砲3門、20mm単装機関砲3門を装備し、練習艦となった。これにより速力は14ノットに落ちた。1995年に退役した。除籍後はバンコクにあるタイ海軍基地に展示艦として保存され、その後サムットプラカーン県チャオプラヤ川河口で記念艦として展示されている。201268日、海自遠洋練習航海実習幹部がタイ海軍基地研修の一環として艦を見学した。参考:月刊世界の艦船2,8712,15、朝雲

<メーコン>:CA-132(重巡)を参照。

メーザー>:Microwave Amplification by Stimulated Emission of Radiationの略。レーザーと同じ原理でマイクロ波を放射するものである。1952年に理論的予言が出され、1954年に発振に成功した。参考:月刊世界の艦船11,'21、月刊軍事研究9,00

<メーサ・ヴァード>:LPD-19(揚陸艦)を参照。

<メース>:MGM-13シリーズ(巡航ミサイル)を参照。

メーデー>:SOSを意味する船舶・航空機緊急時用語で、元はフランス語のMaidez(助けを求む)である。参考:月刊軍事研究8,06

<メーテル>:T-62戦車の砲二軸安定化装置2E18の別名。

<メートル馬力>:馬力を参照。

メートル波レーダー>:波長がメートル単位の電磁波を使用したレーダー。周波数ではLバンド/Gバンド、VHFにあたる。デカメートル波レーダーよりもアンテナを小型化でき、航空機にも搭載できたが、ダイポールまたは八木アンテナを使用する必要があり、空気抵抗が増大した。参考:月刊軍事研究8,01、月刊航空ファン5,17

<メーベルヴァーゲン>:W号戦車ファミリーを参照。

メーメル回収>:第1次大戦後、東プロイセンに接する港湾都市メーメルはドイツから切り離され、いずれリトアニアに引き渡されることになっていた。しかしドイツ人の市政府があまりに横暴なため、1923年にリトアニア人が暴動を起こし、リトアニア義勇軍も武力侵攻して192458日にリトアニア領となった。1939321日、ヒトラーはリトアニア政府に対して翌日にベルリンに来てメーメル割譲文書に調印するよう要求。これに抗する術も無く、リトアニアは文書に署名した。参考:月刊軍事研究7,04

メガクルーザー>:高機動車の民間型で、1996年から販売された。ただ大型高価であり、一般向けにはあまり売れず、2002年で販売打ち切りになっている。その後は官公庁・法人向けにのみ販売されており、航空自衛隊では場外救難車1形として採用した。参考:月刊JWings12,00、スピアヘッドNo.5

<メガシティー会議>:アメリカ陸軍教義コマンドTRADOCとアメリカ太平洋陸軍USARPACが主催し、オーストラリア陸軍が共催する会議で、巨大都市での大規模自然・人為的災害における人道支援/災害救援活動について話し合う。第1回は20184月にニューヨークで開催された。第2回は2019717-18日に防衛研究所で開催され、陸自が協力し、東京で自然または人為的災害が発生した際の陸軍種による人道支援・災害救援活動について日米豪20人が討議した。参考:朝雲

めかっ娘>:山口地方協力本部のキャラクターで、下関市募集相談員のイラストレーターが提供し、20127月からホームページに登場、2014年に立て看板も作られた。美陸(みり)、美海(みみ)、美空(みく)の3姉妹。参考:朝雲

メガトン>:核兵器の威力を示す単位、MegatonMTMt)。1メガトンはTNT火薬100万トン(4.184ペタジュール)に匹敵する。参考:U.S.ウェポンハンドブック、月刊世界の艦船9,12増刊、11,22

<メガトン換算値>:メガトン等価量を参照。

メガトン等価量>:相当メガトン数、メガトン換算値ともいい、EMEquivalent Megatonage)またはEMTと略す。核兵器の対都市破壊効果を示す数値で、核兵器威力の3分の2乗で表される。これは、核兵器の破壊力が距離の3乗根に比例して減少し、都市の破壊面積は距離の2乗に比例して増加することから来ている。核兵器の威力が10倍でも、都市への破壊効果はその3分の2乗の4.64倍に止まる、ということである。威力が一定の範囲内なら、一定の弾頭重量を細分化するほどメガトン等価量が増す計算になるため、MRVMIRVが開発されることになった。参考:月刊丸3,90、アメリカの核兵器、軍事力バランス78年版

メカニカル・スーパーチャージャー>:過給器の1つで、エンジン出力の一部を利用して吸気の圧縮を行うもの。単にスーパーチャージャーと呼ぶことが多い。クランク軸の回転を歯車により増速してインペラー(遠心式圧縮機)を駆動し、吸気を圧縮する。1908年に実用化され、1922年にはメルセデス社がルーツ式のものを自動車に搭載して20%以上の出力強化を実現している。航空機用としても搭載されたが、エンジン出力の一部を使用するので、高空飛行時には1段では足りないという欠点があった。参考:自動車エンジンの技術、月刊丸10,93、自動車メカニズム図鑑、月刊航空ファン8,09

メカノロジー・ヨルダン>:南アフリカのメカノロジー・デザイン・ビューロ社とヨルダンのKADDB社が50:50の出資で設立したジョイント・ベンチャー。参考:月刊軍事研究12,04

メガ・バクティ>:マレーシア海軍潜水艦救難艦Mega Bakti。遭難潜水艦換気・減圧装置DSVSDDistressed Submarine Ventilation and Depressurization System)を搭載している。必要に応じてDSRVを積み、大型クレーンで投入・揚収する。2019114-15日、パシフィック・リーチ2019に参加。参考:月刊世界の艦船3,20

メガレイ2000>:南アフリカのメガレイ社が開発した固定使用型サーチライトで、メガレイMR-175をベースとしており、車両や機銃に取り付けて使用できる他、兵員が手持ちで使ったり、IRフィルターを取り付けたりもできる。照射距離3kmで、ストロボモードにより視覚を一時的に奪うことも可能。参考:月刊軍事研究12,09

メガレイMR−175>:南アフリカのメガレイ社が開発した携行型サーチライト。3km先を照射でき、ストロボも可能で、IRフィルターも用意されている。南アフリカ軍が越境作戦で使用した。また、アメリカ海兵隊がイラクやアフガンでの夜間戦闘用に配備しており、海賊対策や臨検用としても各国が採用している。参考:月刊軍事研究12,093,10

メガレイMR−250>:南アフリカのナイトビジョン・オプティクス社が開発した個人携行型ライト。赤外線フィルターを装着でき、電池はハーネスで腰に固定する。1.2km離れた所で新聞を読める位の光量を持つ。台湾海軍で200セット以上が採用された。参考:月刊軍事研究1,04

メキシコ海軍>:9300kmに達する海岸線を防衛するため、沿岸哨戒艇をメインに多くの艦艇を配備しており、航空隊には沿岸哨戒機や艦載ヘリなどを装備している。1936年、ドゥランゴ級1隻が就役。1970年、フレッチャー級駆逐艦1隻が供与された。1972年からイグナチオ・アレンデ級フリゲート4隻が就役。1973年、コモドーロ・マヌエル・アスエータ・ペリロスが就役。1982年、ケツァルコアトゥル級駆逐艦2隻が就役。1991年、砲艦カピタン・デ・ナビオ・セバスチャン・ホセ・オルシングレが就役。1993年、ブロンスタイン級護衛艦2隻が就役。1998年、デモクラタ級哨戒艇1隻が配備された。2001-02年、パパロアパン級戦車揚陸艦2隻を購入。2009年、C-295M輸送機2機を導入。201011月、オアカハ級哨戒艇2隻が就役した。2012年、テノチティトラン級哨戒艇10隻とT-6C+練習機が就役開始。参考:月刊JWings6,08、月刊世界の艦船4,1111,0010,17THE MILITARY BALANCE 2016

 <メキシコ海軍(1977年)>:兵力15500名(海軍航空隊含む)。フレッチャー級駆逐艦2隻、エゾール級フリゲート1隻、オーク級コルベット18隻、輸送艦6隻、航洋掃海艇16隻、アステカ級哨戒艇23隻、河川・沿岸哨戒艇15隻、戦車揚陸艦2隻、HU16アルバトロス哨戒機4機、リアジェット24D輸送機1機、DC-3輸送機4機、セスナ180軽飛行機3機、アルエートUヘリ4機、ベル47ヘリ5機を配備する。参考:軍事力バランス78年版

 <メキシコ海軍(1989年)>:兵力28000名(うち海軍航空隊500名、海兵隊8000名)。メキシコ湾に管区5個・区域6個、太平洋に管区11個・区域5個を置き、メキシコ湾の司令部はベラ・クルス、基地はタンピコ、ケチュマル、シウダード・デル・カルメン、ユカルペテン、太平洋の司令部はアカプルコ、基地はエンセナーダ、ラパス、プエルト・コルテス、グアイマス、マザトラン、マンザニヨ、サリナ・クルス、プエルト・マデロ、ラザロ・カルデナス、プエルト・パラルタにある。ケツァルコアトル級(ギアリング級)駆逐艦2隻、フレッチャー級駆逐艦1隻、ウクマル級哨戒艦1隻、カデテ・ビルギリオ・ウリベ級哨戒艦6隻、コモドロ・マヌエル・アズエタ級練習哨戒艦1隻、クロスレイ級哨戒艦4隻、デュランゴ級練習哨戒艦(初代)1隻、レアンドロ・バレ級哨戒艦18隻、グアナフアト級哨戒艦1隻、D-O1級哨戒艦12隻、キンタナ・ロー級内海哨戒艇30隻、河川哨戒艇20隻、内海哨戒艇支援艦1隻、補給支援艦2隻、外洋曳船6隻、測量船4隻、75mm沿岸砲M-1902/-1906120mm沿岸砲L/27C-212哨戒機10機、HU-16捜索救難機11機、C-212輸送機1機、セスナ310輸送機3機、DHC-5輸送機1機、DHC-6輸送機1機、FH-227輸送機4機、キングエア90輸送機1機、リアジェット24輸送機1機、セスナ150連絡機3機、セスナ180連絡機2機、セスナ337連絡機2機、セスナ402連絡機2機、ベル47ヘリ3機、Bo105ヘリ12機、SA-319ヘリ4機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <メキシコ海軍(2008年)>:ノックス級フリゲート3隻、ブロスタイン級(ブラーボ級)フリゲート2隻、シエラ・メンデス級哨戒コルベット8隻、ホルジンガー級哨戒コルベット4隻、ウリベ級哨戒コルベット6隻、オアカハ級哨戒艇、ニューポート級(パパロアパン級)戦車揚陸艦の他、小型哨戒艇を多数配備しており、総保有数は100隻近い。哨戒のためヘリコプターを搭載できる艦艇も多く、20隻以上配備している。航空機はE-2Cを3機保有している他、艦載用にMD902AS565MBBo105CBS-5Mi-2Mi-8MTV-1などを装備している。参考:月刊JWings6,08

 <メキシコ海軍(2015年)>:現役兵力60300名(うち海軍航空隊1250名、海兵隊21500名)。メキシコ湾艦隊司令部(6個軍管区)と太平洋艦隊司令部(11個軍管区)がある。ノックス級フリゲート4隻、ブロンスタイン級フリゲート2隻、オアカハ級哨戒艇4隻、デュランゴ級哨戒艇(2代目)4隻、シエラ級哨戒艇3隻、オーク級哨戒艇10隻、フラカン級ミサイル艇2隻、哨戒艇97隻、パパロアパン級戦車揚陸艦2隻、モンテ・アズルス級戦車揚陸艦2隻、兵站支援船50隻を保有する。海軍航空隊はCN-235-300MPA洋上哨戒機6機、C-212PM偵察機4機、An-32B輸送機1機、ビーチ350ERキングエア輸送機5機(うち4機はISR任務用)、C-295M輸送機4機、C-295W輸送機2機、セスナ404タイタン輸送機1機、DHC-8輸送機1機、LancairW−P輸送機6機、リアジェット24輸送機3機、ターボコマンダー1000輸送機5機、CL-605要人輸送機1機、ガルフストリーム550要人輸送機1機、L-90TP練習機3機、MX-7練習機4機、T-6C+テキサン2練習機6機、Z-242L練習機27機、AS555汎用ヘリ2機、MD-500E汎用ヘリ4機、Mi-17-1V汎用ヘリ19機、Mi-17V-5汎用ヘリ4機、AS565MB救難ヘリ4機、H225M輸送ヘリ3機、UH-60M汎用ヘリ3機、AW109SP汎用ヘリ1機、Bo105CBS-5汎用ヘリ11機、MD-902捜索救難ヘリ5機、R-44軽輸送ヘリ1機、S-333軽輸送ヘリ10機、シュワイザー300C練習ヘリ4機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

メキシコ海兵隊>:メキシコ海軍の隷下にある。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <メキシコ海兵隊(1977年)>:兵力2000名。保安中隊19個からなる。参考:軍事力バランス78年版

 <メキシコ海兵隊(1989年)>:兵力8000名。旅団1個、大統領親衛隊大隊1個、グループ15個、保安中隊32個からなる。揚陸艦艇を持っていないので、上陸作戦には使えない。参考:月刊丸12,90、ミリタリー・バランス1989-1990

 <メキシコ海兵隊(2015年)>:現役兵力21500名で、26560名に増員中。特殊作戦ユニット3個、歩兵大隊32個、空挺大隊1個、水陸両用旅団(歩兵第チア4個、水陸両用大隊1個、砲兵群1個)2個、大統領警護大隊(陸軍隷下部隊含む)1個、戦闘支援大隊2個からなる。BTR-60APC-60)装甲車3両、BTR-70APC-70)装甲車26両、105mmM-5616門、122mm多連装ロケットFiros-25を6基、60mm/81mm迫撃砲100門、106mm無反動砲M40A19K38携帯地対空ミサイル5基以上を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

メキシコ空軍>:Fuerza Aérea MexicanaFAMと略す。全国を4つの航空管区(北西、北東、中央、南東)に分けて担当している。航空基地は18ヵ所で、2個航空団隷下に5個航空群が編成されており、その下に飛行隊がある。また、空軍直轄部隊として要人輸送を担当する大統領航空輸送調整隊、高官特別空輸隊、非常事態対応航空機動部隊が用意されている。訓練施設は航空大学校軍事航空学校及び空軍航空戦術応用軍事学校。周囲には脅威となる空軍保有国が無く、憲法で戦争放棄を掲げており、戦闘機の保有数は少ない(出番は独立記念日の軍事パレードくらい)が、対ゲリラ戦及び麻薬密輸対応のCOIN機を多数配備している。1915年に創設された。1961年、DH100F13バンパイアF.Mk3戦闘機15機とDH115T11バンパイアT.Mk11練習機2機を導入し、第200戦闘飛行隊に配備した。1962年、T-33A練習機を配備。1970年代半ば、PC-7練習機88機を導入。1982年、F-5E戦闘機10機とF-5F戦闘機2機の配備を開始。密輸に対する国境・海上監視のため、2004年、EMB-145SA及びEMB-145MPの導入を開始。2010年、C-295M輸送機の導入を開始。2012年、T-6C+練習機の導入を開始。参考:月刊JWings6,08、月刊航空ファン3,20THE MILITARY BALANCE 2016

 <メキシコ空軍(1977年)>:兵力6000名。AT-33A対ゲリラ戦機15機、T-6対ゲリラ戦/練習機45機、T-28対ゲリラ戦/練習機30機、AT-11偵察機15機、LASA60航空機18機、アルエートVヘリ9機、ヒラー12Eヘリ1機、DC-7輸送機1機、C-118輸送機2機、C-54輸送機5機、ジェットスター1機、C-47輸送機7機、SC-7-3Mスカイバン3機、アイランダー12機、アラバ10機、ベル47Gヘリ14機、AB206Bヘリ5機、AB212ヘリ1機、ベル205ヘリ10機、T-55練習機3機、T-6練習機45機、T-28練習機、T-33練習機30機、ビーチF33-19練習機20機、マスケティア20機を配備する。参考:軍事力バランス78年版

 <メキシコ空軍(1989年)>:兵力8000名(うち空挺旅団2000名)。F-5E戦闘機9機、F-5F戦闘機2機、PC-7対ゲリラ戦機70機、AT-33対ゲリラ戦機12機、IAI-201アラバ対ゲリラ戦機10機、ベル205ヘリ5機、ベル206ヘリ5機、ベル212ヘリ5機、SA-316ヘリ8機、コマンダー500S偵察機10機、C-46輸送機1機、C-47輸送機12機、C-54輸送機4機、C-118輸送機2機、C-130A輸送機9機、コマンダー500輸送機5機、コマンダー680輸送機1機、DC-7B輸送機3機、DHC-5輸送機2機、ガルフストリームU輸送機1機、SC-7-3Mスカイバン輸送機3機、B727大統領輸送機7機、B737大統領輸送機2機、エレクトラ大統領輸送機1機、FH227大統領輸送機1機、ジェットスター大統領輸送機1機、メトロ大統領輸送機1機、メルリン大統領輸送機1機、T-39大統領輸送機6機、A-109大統領輸送ヘリ1機、AS332大統領輸送ヘリ2機、ベル206大統領輸送ヘリ4機、ベル212大統領輸送ヘリ1機、SA330大統領輸送ヘリ2機、セスナ310連絡機1機、キングエア90連絡機1機、キングエア200連絡機1機、PA-23連絡機1機、PA-32連絡機2機、クイーンエア80連絡機1機、ボナンザ練習機41機、CAP-10B練習機20機、マスケティーア練習機20機、PC-7練習機10機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <メキシコ空軍(2008年)>:防空戦闘機はF-5E10機とF-5Fが2機。T-33A48機とPC-788機装備しており、訓練の他、対ゲリラ任務に使用している。また、IAI社製アラバ輸送機のCOIN機バージョン、アラバ201/20210機保有する。キングエアC90Aを6機、C-26Aを4機、シュライクコマンダー500S20機持っているが、これらは本来の輸送任務というよりは国境・ゲリラ監視任務にあたっている。監視専用としてはEMB-145SA早期警戒機1機、EMB-145MP洋上哨戒機2機を装備する。輸送機はC-130シリーズ、B727B737などを保有する。ヘリはベル206シリーズ、S-70A-24ASA330シリーズ、Mi-8シリーズ、Mi-26などを配備する。参考:月刊JWings6,08

 <メキシコ空軍(2015年)>:現役兵力8500名。F-5E戦闘機6機、F-5F戦闘機2機、SA-2-37A偵察機2機、SA-227-BCC-26B)偵察機4機、ビーチ350ER電子情報収集機6機、EMB-145RS電子情報収集機2機、EMB-145早期警戒機1機、C-27J輸送機4機、C-130E輸送機2機、C-130K-30輸送機2機、L-100-30輸送機1機、ビーチ90輸送機2機、ビーチ200輸送機1機、ビーチ350i輸送機1機、C-295M輸送機6機、セスナ182輸送機59機、セスナ206輸送機3機、セスナT206H輸送機8機、セスナ500輸送機1機、リアジェット35A輸送機2機、リアジェット36輸送機1機、リアジェット45XP輸送機1機、PC-6B輸送機3機、ターボ・コマンダー680輸送機1機、B-727要人輸送機4機、B-737要人輸送機2機、B-757要人輸送機1機、CL-605輸送機1機、ガルフストリームV輸送機2機、ガルフストリーム150輸送機1機、ガルフストリーム450輸送機1機、ガルフストリーム550輸送機1機、ビーチF33Cボナンザ練習機4機、グロブG120TP練習機25機、PC-7練習機54機、PC-9M練習機1機、PT-17練習機4機、SF-260EU練習機25機、T-6C+テキサンU練習機22機、ベル407GX汎用ヘリ1機、ベル412EP汎用ヘリ12機、Mi-17汎用ヘリ19機、MD-530MF観測ヘリ5機、MD-530MG観測ヘリ9機、H225M輸送ヘリ11機、AS332L輸送ヘリ3機、H225要人輸送ヘリ2機、Mi-8T輸送ヘリ2機、S-70A-24輸送ヘリ6機、AW109SP汎用ヘリ6機、ベル206汎用ヘリ45機、ベル206B汎用ヘリ13機、ベル206L汎用ヘリ7機、ベル212汎用ヘリ13機、ハーミーズ450無人機3機、S4Ehécatl無人機5機、AIM-9J空対空ミサイルを保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

メキシコ軍

 <メキシコ軍(2015年)>:現役総兵力277150名(陸軍208350名、海軍60300名、空軍8500名)、予備役81500名、準軍事組織58900名(連邦警察36000名、憲兵5000名、公安大臣警察4500名、農村防衛民兵17400名)。メクサット2通信衛星1基を保有する。ハイチにMINUSTAH要員2名、西サハラにMINURSOオブザーバー2名を派遣している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

メキシコ陸軍

メキシコ陸軍(1977年)>:兵力は志願正規兵72000名、パートタイム徴募民兵25万名。大統領親衛旅団1個、歩兵旅団1個、空挺旅団1個、独立騎兵連隊23個、独立歩兵大隊64個、砲兵連隊1個、高射砲隊、工兵隊、支援隊からなる。M3軽戦車、M3A1/M8装甲車100両、HWK11装甲兵員輸送車、75mm/105mm榴弾砲を配備する。参考:軍事力バランス78年版

メキシコ陸軍(1989年)>:兵力105500名(うち徴兵60000名)。地方区守備隊36個(自動車化騎兵連隊24個、砲兵連隊3個、歩兵大隊70個など)、機械化歩兵旅団(大統領親衛隊)1個、歩兵旅団2個、空挺旅団1個、機甲連隊3個からなる。M-3/-5軽戦車45両、M-8偵察車15両、MAC-1偵察車15両、ERC-90F偵察車80両、パナールM-11VBL偵察車40両、DN-3/-5カバロ偵察車39両、HWK-11装甲兵員輸送車40両、M-3ハーフトラック30両、75mmM-11618門、105mmM-2A170門、105mmM-375mm自走砲M-8を5両、50mm/60mm/81mm迫撃砲1440門、120mm迫撃砲60門、ミラン対戦車ミサイル、106mm無反動砲M-40A137mm対戦車砲M330門、12.7mm対空機銃40丁を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

メキシコ陸軍(2015年)>:現役兵力208350名。軍域12個・陸軍区46個に分かれる。第1特殊作戦旅団(特殊作戦大隊5個)、第2特殊作戦旅団(特殊作戦大隊7個)、第3特殊作戦旅団(特殊作戦大隊4個)、第1歩兵軍団(第1機甲旅団、第2・第3・第6歩兵旅団、戦闘工兵旅団1個。機甲旅団は機甲偵察大隊2個、軽機械化大隊2個、砲兵大隊1個、対戦車砲兵群1個からなる。歩兵旅団は歩兵大隊3個、砲兵連隊1個、対戦車砲兵群1個からなる)、第2機甲旅団(機甲偵察大隊2個、軽機械化大隊2個、砲兵大隊1個、対戦車砲兵群1個)、第3機甲旅団(第2機甲旅団と同編成)、第4機甲旅団(第2と同編成)、第1独立軽歩兵旅団(軽歩兵大隊2個、対戦車砲兵群1個)、第4独立軽歩兵旅団(第1独立軽歩兵旅団と同編成)、第5独立軽歩兵旅団(第1と同編成)、独立歩兵大隊92個、独立歩兵中隊25個、空挺旅団(特殊作戦群1個、大隊3個、対戦車砲兵群1個)1個、大統領警護軍団(特殊作戦群1個、機械化歩兵旅団1個、海軍海兵大隊1個、戦闘工兵大隊1個、憲兵旅団1個)1個、独立砲兵連隊1個、憲兵旅団2個からなる。ERC-90F1偵察車127両(うち訓練用7両)、M8偵察車40両、MAC-1偵察車37両、VBL偵察車32両、DNC-1AMX-VCI改)装甲兵員輸送車390両、HWK-11装甲兵員輸送車40両、M5A1ハーフトラック33両、BDX装甲兵員輸送車95両、DN-4装甲兵員輸送車16両、DN-5装甲兵員輸送車19両、DN-6装甲兵員輸送車2両、パンテーラ(LAV-100)装甲兵員輸送車28両、LAV-150ST装甲兵員輸送車26両、モワグ・ローランド装甲兵員輸送車25両、VCR装甲兵員輸送車44両(うち装甲救急車3両、コマンドポスト5両)、105mmM10140門、105mmM-5640門、105mmM2A116門、105mmM314門、105mm砲ノリンコM-9013門、81mm迫撃砲M1400門、81mm迫撃砲Brandt400門、81mm迫撃砲SB300門、120mm迫撃砲ブラントを75門、120mm迫撃砲M-6560門、120mm迫撃砲RT6132門、ミラン対戦車ミサイル搭載VBLを8両、106mm無反動砲M40A1搭載自走砲、106mm無反動砲M40A137mm対戦車砲M330門、12.7mm対空機銃M5540丁、20mm高射機関砲GAI-B0140門、M32戦車回収車3両、VCR ARV装甲回収車4両を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

目薬>:日本海軍士官のスラングで、淋病予防薬のプロテイン銀液が入った瓶のこと。形状が似ているので。参考:帝国陸海軍事典

メクセフロート>:イギリス海軍自航式パージ。ペイロード198トン。ベイ級揚陸艦に搭載可能。参考:月刊世界の艦船5,16

メグナ級>:バングラデシュ海軍漁業保護艇Meghna級。兵装は57mm砲1門。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

めぐろ>:防衛庁のSES実験艇で、1989年に就役した。全長18.5m、全幅7.5m、深さ3.4m、排水量30トン。推進用主機がガスタービン、浮上用主機がディーゼル、推進はウォータージェット、速力40ノット。参考:月刊世界の艦船1,95

めぐろ2>:防衛庁のSES実験艇で、1994930日に竣工した。めぐろの船体の前半分に新造船体を繋いで操舵室を全面改良している。全長25m、全幅7.5m、深さ3.4m、排水量45ノット。主機は推進用・浮上用共にガスタービン、推進はウォータージェット、速力60ノット。参考:月刊世界の艦船1,95

目黒基地>:航空自衛隊の基地。空自幹部学校が置かれている。大元は1857年(安政4年)に建設された徳川幕府砲薬製造所で、1880年(明治13年)6月に目黒火薬製造所、18852月に海軍火薬製造所となり、19309月に海軍技術研究所が移駐した。太平洋戦争終結で連合軍に接収され、194511月からオーストラリア軍が進駐してエビスキャンプとなり、19561月に返還され、19578月に技術研究所目黒試験場が設置された。19584月、霞ヶ関から防衛研修所が移駐。5月、技術研究所目黒試験場が技術研究本部第1研究所に改編された。19606月、港区から空自第1補給処東京支所が移駐。199410月、空自幹部学校が市ヶ谷から移駐し、目黒基地として開設された。199712月、第1補給処東京支所が十条に移った。20067月、技術研究本部の組織改編に伴い、第1研究所が廃止され、艦艇装備研究所が新編された。2011311日、東日本大震災で建物に亀裂が入った。20168月、防衛研究所が市ヶ谷に移った。20181025日、海自東京音楽隊の協力で、目黒区役所・目黒警察署・目黒消防署の職員・署員に基地見学を実施。20201113日、基地順相会会長が目黒区立油面小学校にベルマーク16825ポイントを寄贈した。2021105日、基地准曹会が統幕・陸海准曹会と共に基地周辺の清掃を実施。202332日、ドイツ空軍総監ゲルハルツ中将が基地を訪問した。参考:目黒基地ホームページ、航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊JWings5,23、朝雲

目黒駐屯地>:陸上自衛隊の駐屯地。所在地は東京都目黒区中目黒2-2-11994年に開設され、幹部学校が市ヶ谷駐屯地から移駐した。20171215日、目黒駐屯地修身会が世田谷観音寺で2017年度末予定の新編事業の成功を祈願した。2018327日、教育訓練研究本部が新編された。331日、教育訓練研究本部新編行事を実施。参考:JGround Vol.23、陸上自衛隊幹部学校・目黒駐屯地ホームページ、陸上自衛隊ホームページ

 <目黒駐屯地(2015年)>:幹部学校、第316基地通信中隊目黒派遣隊、第126地区警務隊目黒連絡班、東部情報保全隊目黒第1情報保全派遣隊が駐屯している。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

<メサー2>:サンプソン・シリーズ(多機能レーダー)を参照。

<メサー・フェーズ1>:サンプソン・シリーズ(多機能レーダー)を参照。

<メサー・フェーズ2>:サンプソン・シリーズ(多機能レーダー)を参照。

<メザシ>:P-38シリーズ(戦闘機)を参照。

めざし係留>:海上自衛隊用語で、複数艦を横付けして係留すること。アメリカ海軍ではNestingという。参考:月刊世界の艦船2,15

飯上げ>:食事受領のこと。参考:帝国陸海軍事典

メシカト>:イランのIAIOIranian Aerospace Industries Organization)が開発していると主張する長射程巡航ミサイルMeshkat2001年にウクライナから密輸された弾頭無しのKh-55ミサイル12発にリバースエンジニアリングをかけて設計したらしい。射程2000km。参考:月刊軍事研究4,13

<メジャー>:DE-796(護衛駆逐艦)を参照。

メジャー>:アメリカ系多国籍石油会社のエクソン、ガルフ・オイル、ソーカル、テキサコ、モービルと、オランダ・イギリス資本のロイヤル・ダッチ・シェル、イギリス系のブリティッシュ・ペトロリアム、フランス系のフランス石油のこと。フランス石油を除いてセブン・シスターズと呼ぶこともある。参考:軍事分析湾岸戦争

メジャブラーリ>:森の兄弟、の意。ソ連による再併合(1944-45年)に反対するラトビア抵抗運動のこと。1960年代まで続いたが、目的が達成されることは無かった。参考:月刊軍事研究2,02

<メジャリング・レシーバ>:自衛隊の機器。ローデ・シュワルツ・ジャパンが受注している。参考:月刊軍事研究9,10

<メスカレロ>:T-41シリーズ(練習機)またはT-43A(練習機)を参照。

メスバ1>:イランが2010年から生産している対空システム。巡航ミサイルを含む低高度経空脅威に対するもので、発射速度毎分4000発の対空機関砲などから構成されるらしい。参考:月刊軍事研究11,10

メタセンタ高さ>:メタセンタ(浮力作用線と船体中心線の交点)と、船の重心との距離のこと。重心よりメタセンタが上にあるのが正、下にあるのが負で、正なら復原力が働くが、負だと船が傾斜した際にそれを増幅させるモーメントが作用して転覆してしまう。吃水が浅く幅が広いとメタセンタの位置が高くなり、復原力が増す。幅の狭い船では重心を下げてメタセンタ高さが正になるように工夫する。参考:図解船の科学

メダック>:インド軍30mm車載機関砲Medak30mm機関砲2A42の改良型である。参考:月刊世界の艦船1,21

メタノール/ガスエンジン>:エンジン排気熱と触媒を利用してメタノールを水素と一酸化炭素に分解し、それを燃焼させるエンジンのこと。メタノールエンジンより熱効率が20%増しになるが、それでもガソリンのエネルギー量の半分にしかならないのが欠点。参考:自動車メカニズム図鑑

メタノールエンジン>:ガソリンの代わりにメタノールを使用するエンジン。オクタン価が高いため圧縮比を上げることができ出力が高くなる、気化潜熱が大きいので内部冷却ができる、燃焼時に煤が出ないといった利点があるが、沸点が65度と高いので低温時の始動に難がありガソリンを添加するなどの対策が必要となる、金属を腐食させる性質があるのでコーティングや素材の工夫が要るといった欠点がある。参考:自動車メカニズム図鑑

目達原駐屯地>:陸上自衛隊の駐屯地で、めたばると読む。目達原飛行場の滑走路は長さ660m・幅30m、ランウェイ04/22。所在地は佐賀県神埼郡吉野ヶ里町立野7。JR吉野ヶ里公園駅から徒歩13分。創立記念行事ではシャトルバスが出る。大元は徳川時代の鍋島班武芸鍛錬場、元は昭和18年に開設された目達原飛行場(大刀洗陸軍飛行学校分校)である。19537月に起工式が行われ、19543月に目達原駐屯地として開設され、九州地区補給処、武器大隊本部、第307輸送中隊が福岡から移駐した。19563月、第4飛行隊が小月から移駐。19623月、西部方面管制気象隊第1派遣隊が新編された。19643月、武器大隊が西部方面武器隊に改編された。19683月、西部方面ヘリコプター隊が新編された。19753月、西部方面輸送隊と第321基地通信中隊が新編され、第307輸送中隊と基地通信隊が廃止された。19803月、西部方面輸送隊が健軍駐屯地に移駐した。19903月、第3対戦車ヘリコプター隊が新編された。19943月、西部方面武器隊隷下に第104不発弾処理隊が新編された。19973月、西部方面通信群本部中隊映像伝送班目達原派遣隊が新編された。19983月、九州地区補給処が九州補給処に改称された。20023月、映像伝送班目達原派遣隊が映像写真小隊空中伝送班に改称された。20033月、西部方面後方支援隊が新編され、西部方面武器隊が廃止された。2009114日、新成人隊員43名の成人式行事を実施。5120914頃、駐屯地近くにある工場の資材置き場から出火、強風で火勢が増したため、九州補給処長が0925に近傍災害派遣を発令。第3対戦車ヘリコプター隊のAH-1Sヘリ1機が偵察飛行を行い、駐屯地消防ポンプ班の大型消防車1両と航空救難消防隊の救難消防車2両、隊員14名が現場に急行し、地元消防などと共に消火活動を行い、1016に鎮火した。515日、佐賀県東部2市4町の自衛官・広報・防災などの担当者8人と連絡会議を開催。526日、佐賀県内の報道記者を対象に勉強会を実施。68-13日、中村学園大学の学生4人と西九州大学の学生5人の管理栄養士養成実習を支援した。2012613-14日、佐賀学園高校生徒18人の職場体験学習に協力。2014106日、駐屯地音楽部が東佐賀病院秋まつりで演奏会を実施。201597日、佐賀県議会の佐賀空港問題等特別委員会が駐屯地を視察した。1212日、福岡地本が公募予備自衛官12名に対する体験搭乗と公募予備自衛官定着率向上施策検証のための意見交換会を実施。201618日、新成人隊員23名の成人式を実施。重レッカー車との綱引きを行い、桜を植樹した。119日、佐賀県自衛隊父兄会及び佐賀地本と、派遣隊員の留守家族支援に係る協定の調印式を行った。2017112日、新成人隊員37名の成人行事を実施。22日、一般公募選出の15人に見学ツアーを実施。823日、目達原駐屯地、佐賀地本、佐賀県自衛隊家族会、佐賀県隊友会が隊員家族の支援に対する協力に関する協定を締結。202118日、新成人隊員35名の成人式を実施。参考:目達原駐屯地ホームページ、JGround Vol.23、月刊JWings6,10別冊付録、11,18、朝雲

目達原駐屯地(2007年度)>:第4師団第4飛行隊(OH-6D)、西部方面航空隊第3対戦車ヘリコプター隊(AH-1SOH-6D)、同西部方面ヘリコプター隊(UH-1H/JOH-6DUH-60JA)が所在している。参考:月刊JWings6,07

目達原駐屯地(2015年)>:西部方面ヘリコプター隊、西部方面後方支援隊本部、西部方面後方支援隊本部付隊、西部方面通信群本部中隊映像写真小隊空中伝送班、西部方面通信群第321基地通信中隊目達原本部、西部方面管制気象隊第1派遣隊、第4師団第4飛行隊、第3対戦車ヘリコプター隊、第106全般支援大隊、九州補給処が駐屯している。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

目達原駐屯地(2020年)>:西部方面航空隊、西部方面ヘリコプター隊(UH-1JUH-60JAOH-1)、第3対戦車ヘリコプター隊(AH-1SAH-64DOH-1)、第4師団第4飛行隊(UH-1JOH-6D)、西部方面後方支援隊、九州補給処などが所在している。参考:月刊JWings3,20

目達原飛行場>:日本陸軍の飛行場。戦後は目達原駐屯地になった。参考:月刊JWings11,18

メタマテリアル技術>:Metamaterial technology。物質の電波反射特性を変化させ、可視光線を含む電磁波に対して負の屈折率を持たせる技術のこと。前方から来た光をねじ曲げて背後に通し、背後から反射してきた光を再びねじ曲げて前方に返すことで透明化(攻殻機動隊の光学迷彩)が可能であり、新しいステルス技術として注目されている。参考:月刊軍事研究8,10、朝雲

メタル>:ソ連海軍グリシャX型フリゲートMetal。参考:月刊世界の艦船2,176,15

メタルストーム>:オーストラリア国防相が開発中の対人防御システム、別名ADWS(地域制圧兵器システム)。対人地雷に替わる防御兵器として開発されており、三脚上に載せられた4砲身40mm機関砲4基と指揮統制ステーション、侵入者警報機、火器管制装置などからなる。装弾数は1基あたり20発で、単発から毎分1500発まで発射速度を調節可能。参考:月刊PANZER10,05、月刊軍事研究10,05

メタロヴィック>:ポーランドのミサイル艇。元はタランタル級。参考:月刊軍事研究10,02

メタン>:天然ガスの主成分、CH4。単位質量当たりの発生エネルギーはジェット燃料よりも大きく、沸点はマイナス162度で水素よりも貯蔵が容易である。ただ冷たいままだと酸化剤との混合がうまく行かずに不完全燃焼を起こすという問題があり、ジェットやロケットの代替燃料としての使用は今のところ困難である。参考:月刊軍事研究3,08

メチュニク級>:ポーランド海軍新型フリゲート計画Miecznik(メカジキ)級。イギリスのバブコック社がアローヘッド140PK、ドイツのティッセンクルップ・マリン・システムズがMEKO-A300PLを提案し、アローヘッド140PKが勝った。タレス社製TACTICOS指揮管制装置、シー・マスター400ブロック2レーダー、NS50レーダー、ARTEMIS赤外線センサー、STIR EO Mk2方位盤、ハルソナー、CAPTAS-2TASSを搭載する。全長138m、幅20m、吃水10m、排水量7000トン。主機はCODAD方式、2軸推進、最大速力28ノット、航続距離8000海里。兵装は62口径76mm単装砲1門、35mm単装機関砲OSU-35Kが2門、Mk41垂直発射機16セル(シー・セプターCAMM-ER艦対空ミサイル64発)、RBS15Mk3艦対艦ミサイル8基。乗員120名+便乗者居住区60名分。技術移転を受けてポーランドのPGZPolska Grupa Zbrojeniowa)社中心の企業連合PGZ-MIECZNIKが3隻を建造し、2028-30年に受領する予定。オプションで5隻追加するかもしれない。2023816日、1番艦のファースト・スチール・カットを実施。参考:月刊世界の艦船10,'239,'236,221,24

<メッカ>:814(フリゲート)を参照。

<メックレンバーグ>:APA-247(攻撃輸送艦)を参照。

メックレンブルク>:ドイツ海軍ヴィッテルスバッハ級前弩級戦艦Mecklenburg1903625日竣工。1916年、捕虜収容宿泊艦となった。1918年、潜水艦乗員宿泊艦となった。1920125日に除籍され、19218月に売却されて同年に解体された。参考:月刊世界の艦船7,16

メッサーシュミット株式会社>:Messerschmitt A. G.。元は1923年にウィルヘルム・エミール・メッサーシュミットが創設したメッサーシュミット・バンベルク航空機で、1926年に個人経営工房から株式会社に変更してメッサーシュミット航空機株式会社とした。19279月にバイエルン航空機製造社(BFW社)と合併した。19387月、BFW社から社名変更されて再創設された。メッサーシュミットは航空機設計者兼総支配人兼経営最高責任者に任命されている。参考:ミリタリーエアクラフト1,97、月刊航空情報5,18、歴史群像2,08付録

メッシーナ>:イギリス海軍マンレイ級通船Messina。参考:月刊世界の艦船5,83

メッシュ入り地図>:自衛隊が使用する地図で、位置情報を示す座標メッシュが記入されている。地図上部にE座標、左にN座標が数字で記入されており、1kmメッシュなら3桁、100mメッシュなら4桁となっていて、E座標−N座標の順に読んで伝える。数字の読み方は、ひと、に、さん、よん、ご、ろく、なな、はち、きゅう、まる。災害発生時に他の団体や機関と位置情報を共有できるよう、自治体でメッシュ入り地図を用意することもあり、自治体、警察、消防など関係機関への教育を地方協力本部で実施したりする。参考:朝雲

メッセンジャー>:イギリス空軍軽連絡機Messenger。マイルズM.28の発展型で、1942912日に初飛行し、21機が生産された。全長7.31m、全幅11.02m、全備重量1090kg。エンジンはデハビラント社製ジプシーメジャー(140馬力)1基で、最大速度185km、航続距離740km。乗員4名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

メッセンジャー・ブイ>:沈没した潜水艦が自艦の位置を示すために浮上させるブイのこと。ワイヤーで潜水艦と繋がっているため、辿っていけば沈没潜水艦に着く。参考:現代の潜水艦

<メディアコンバータ>:自衛隊の機器。NECネッツエスアイ製。参考:月刊軍事研究6,'17

<メティヴィエ>:DE-582(護衛駆逐艦)を参照。

<メディオン>:KUH-MEDIVAK(ヘリ)を参照。

<メティス>:9K115(対戦車ミサイルシステム)または9M115(対戦車ミサイル)を参照。

<メティス2>:9M131(対戦車ミサイル)を参照。

<メティスM>:9K115-1(対戦車ミサイルシステム)または9M131(対戦車ミサイル)を参照。

<メティスM1>:9K115-2(対戦車ミサイルシステム)を参照。

<メディック>:衛生兵(アメリカ陸軍)または救難員(航空自衛隊)を参照。

メディナ戦車師団>:イラク共和国親衛隊戦車師団、Al Medina al-Munawara(輝けるメディナ)。第2戦車旅団、第10・第14機械化旅団からなる。参考:月刊軍事研究9,03

メディナ防壁殲滅戦>:湾岸戦争時の1991327日昼、アメリカ第1機甲師団が共和国親衛隊メディナ戦車師団を壊滅させた戦闘。イラクは326日午後には多国籍軍がクウェートの西側から包囲攻撃を仕掛けてきていることに気付き、壊滅したタワカルナ師団の後方に防御ラインを構築することにした。タワカルナ師団の後ろにはメディナ戦車師団、ハムラビ戦車師団、第10戦車師団、第17戦車師団が控えており、第10戦車師団は南側防御ラインの構築を終えていた。ただハムラビ戦車師団はバスラ防衛のため北に向かっており、メディナ戦車師団は未だイラク領内に留まっていた上に1個旅団をタワカルナ師団に増強していたため、北側防御ラインの構築が遅れるとみられ、第17戦車師団主力をメディナ戦車師団に増強して間に合わせた。しかしメディナ戦車師団第2戦車旅団は327日朝になって漸く防御ラインに到達し、陣地構築を開始している。イラク軍は更にアドナン師団から歩兵旅団1個を引き抜き、軍団砲兵とロケット大隊も北側に配置して多国籍軍を待ち構えた。北側防御ラインは第1機甲師団により突破され、南側防御ラインはAH-64の夜間攻撃により戦闘力を失い、結局1日で壊滅したが、後方のイラク軍部隊が退却するための貴重な時間を確保した。参考:月刊軍事研究8,099,0910,09

 <メディナ防壁殲滅戦(第1機甲師団第1旅団)>:327日、第1機甲師団の中央に配置された第1旅団は、機甲支隊1個と歩兵支隊2個を横に並べてイラク軍防衛ラインに突入。正面にはメディナ第14機械化旅団、陸軍第12・第17戦車師団の一部からなる6個大隊が陣地を築いていた。1300、第1旅団後方に砲弾が着弾し、次いで前方に砲弾が撃ち込まれたため、夾叉射撃と気づいた部隊は直ちに後退して難を逃れた。旅団はすぐに野戦砲兵大隊による対砲兵射撃を実施すると共に、前線部隊が観測所のありそうな位置に制圧射撃を行い、1400までにMLRSのロケット弾288発と203mm榴弾480発を撃ち込んでイラク砲兵を無力化した。その後、第1騎兵師団が第1機甲師団を跳躍して前進することになり、通過させるスペースを確保するよう上級部隊司令官から命じられたため、北を行く第2旅団を南に下げることになり、第1旅団は東方のイラク軍バンカー地帯及びIPSAパイプライン道まで前進して第2旅団を後ろに位置させることになった。部隊はバンカー地帯の制圧にかかったが、同士討ちでM-3ブラッドレイ1両が破壊されてしまった。また、一時的に後退した中隊を見た他部隊が支隊全体が後退していると勘違いするなど状況把握も混乱したため、1700頃に旅団の前進を一時停止し、第1騎兵師団の跳躍前進を翌日に延期することにした。その後混乱を収めた第1旅団は前進を再開し、T-72戦車9両、T-62戦車2両、T-55戦車90両、PT-76軽戦車1両、BMP49両を含む装甲車82両、ZSU-23-4シルカ3両を撃破して深夜までにIPSAパイプライン道を制圧した。参考:月刊軍事研究10,09

メディナ防壁殲滅戦(第1機甲師団第2旅団)>:3270800頃、アメリカ陸軍第1機甲師団の戦闘指揮所に第7軍団長が到着。燃料不足で進撃がストップしていることを知り、軍団に最優先での燃料補給を命じた。兵站基地からの輸送では24時間かかってしまう距離だったが、第3機甲師団が20両のM978タンカーを派遣、1030から燃料補給に入った。その直前、0930頃から第1機甲師団第2旅団の停止位置付近にイラク軍砲兵の砲弾が撃ち込まれたが、観測所が付近に無いらしく、かなり離れた所に着弾し続けた。1009、師団砲兵のMLRSが反撃のため射撃を開始、D20榴弾砲15門とGHN45カノン砲13門を破壊してイラク軍砲兵2個大隊を壊滅させた。早朝にはATACMSでイラク軍のフロッグ7装備ロケット大隊2個と砲兵大隊1個を無力化しており、防御ライン北部に配置されていたイラク軍団砲兵とロケット大隊は戦力をほぼ失った。1000頃には第18空挺軍団との戦区境界付近でイラク軍アドナン師団の少佐が降伏、空挺軍団戦区内に大隊規模の陣地があると告げたため、D戦車中隊を派遣して制圧した。第1機甲師団は前方のイラク軍の布陣が不明確なため、A-10に前方地域の近接航空支援を依頼したが、悪天候で敵を見つけられなかった。そこで隷下の3個旅団が装備するM-1A1戦車360両を横一線に並べて蹂躙することにし、北から順に第2戦車旅団、第1機械化旅団、第3戦車旅団を配置した。1100、第7軍団は第1機甲師団に西への進撃を命令。1140、第2旅団が進撃を開始。9個中隊126両のM-1A1戦車横隊を先頭に、M-2ブラッドレイ39両を後方に置き、ラインを崩さないよう時速8-16kmで西に向かった。第1機甲師団は前方20-40kmの所にイラク共和国親衛隊陣地があると予想していたが、実際には7km先にメディナ第2戦車旅団が陣地を張っていた。メディナ第2戦車旅団はワジ(涸れ谷)の尾根沿いに全長10kmの反斜面陣地を作り上げ、戦車、歩兵戦闘車、装甲車を100-150m間隔で並べており、1個中隊を囮として陣地前方に配置、陣地後方に軍団砲兵と師団砲兵を置いた。1200頃、メディナ第2戦車旅団はアメリカ軍がまだ到達しないと判断しており、兵士は車両から降りて昼食を取り始めた。この時、第1機甲師団第2旅団先鋒がメディナ防壁に達し、距離3500-3800mでイラク軍の車両群をキャッチした。第2旅団先鋒は前進を停止して主力が揃うのを待ち、旅団所属の航空大隊や空軍に航空支援を要請した。1217、隊形を整えた第2旅団は前進を開始。左翼の部隊がまずメディナ第2戦車旅団と交戦し、3500m先の装甲車を撃破して突き進み、距離2600-2800mで反斜面陣地の戦車と装甲車を破壊し尽くした。次いで中央の部隊も距離2800-3600mで第2戦車旅団陣地を探知し、砲撃を開始した。イラク軍も反撃したが、T-72の砲弾はM-1A1戦車の1kmほど手前に着弾していたという。右翼も距離3400mで陣地を見つけて砲撃に加わり、メディナ第2戦車旅団を粉砕し始めた。これに対してイラク軍砲兵は突撃破砕射撃を開始。しかし同地域を監視していたTPQ-37対砲レーダー2基にキャッチされ、2分以内にM-109DPICMMLRSのロケット弾(イラク砲兵1個中隊あたり最低12発)が撃ち込まれて全て破壊されてしまった。1238、第1機甲師団第2旅団はメディナ第2戦車旅団主陣地の一列目を突破し、二列目への攻撃を開始。距離は600-800mしかなく、T-72の有効射程内に入り込んでいたが、素早い射撃により次々と撃破した。1250、アメリカ空軍のF-16A-10が到着し、後方の陣地や逃走車両の掃討に入った。この際、A-10攻撃機1機がZSU-23-4の射撃を受けて撃墜されている。また、旅団のAH-64A攻撃ヘリ6機も到着し、メディナ師団予備部隊に向けて攻撃を開始した。1300、第2旅団は陣地の掃討を終了。メディナ第2戦車旅団はT-72戦車55両、T-55戦車6両、装甲車35両、9K35自走対空ミサイル5両を破壊され、戦死者340名、捕虜55名を出して壊滅した。第2旅団の損害は無かった。参考:月刊軍事研究8,099,0911,99、月刊丸3,01

メディナ防壁殲滅戦(第1機甲師団第3旅団)>:師団の右翼に配置され、3個支隊を横に並べて進撃した。正面にはイラク第17戦車師団が配置されていた。1500、イラク兵站拠点に到達し、時速10kmで走りながらの制圧戦を実施、深夜までに戦車41両、装甲車35両、野砲8門、トラック43両を破壊し、捕虜503名を得て制圧を完了した。参考:月刊軍事研究10,09

<メテオール>:G73(駆逐艦)を参照。

メテオライト>:イギリスがポツダム協定に基づいてドイツから手に入れた]Zb型潜水艦U1407。ワルター機関の研究に用いられた。参考:月刊軍事研究5,01

<メテオリト>:P750(巡航ミサイル)を参照。

メテオルU世>:ドイツ海軍測量艦。第2次大戦後はソ連に引き渡され、エクバートルとなった。参考:グラフィックアクション44

メテオロ>:スペイン海軍メテオロ級哨戒艦Meteoro20091016日進水。参考:月刊世界の艦船1,10

メテオロ級>:スペイン海軍哨戒艦Meteoro級。スペイン海軍では海上行動艦BAMBuques de Acción MarítimaMaritime Action Ship)に分類されており、対テロ活動、海賊対処、密輸阻止、捜索救助、漁業管理、人道支援など幅広い任務に使用される。船体はステルス性を考慮していて、中央に背の高い上構を持ち、側面シャッター内に艦載艇(RHIB2隻など)を収容する。SCOMBA戦闘システム、ドルナRE-O方位盤を搭載している。全長93.9m、幅14.2m20.4m?)、満載排水量2675トン。主機はCODOE方式、速力20.5ノット。兵装は76mm単装砲1門、25mm単装機関砲2門。後部にヘリ発着甲板を持つ。乗員46名で、他に32名を乗せられる。メテオロ、3番艦P43レランパゴ、4番艦P44トルナドなど4隻が2011-12年に就役した。2014年にバッチ2として5番艦アウダス、6番艦フロルなど4隻が発注されている。2022年、5番艦に対し、SCOMBA指揮管制システムとベンダバル小型USVとの統合作業を行った。参考:月刊世界の艦船5,1810,'183,1410,171,1010,117,144,2210,22

メデニーヌ攻撃>:ドイツ国防軍の北アフリカにおける最後の攻勢作戦で、秘匿名称はカプリ。マレト陣地に背後から迫るイギリス第8軍に対する攻勢作戦で、ロンメルが指揮して194336日に開始されたが、エニグマ暗号を解読されて情報が相手に漏れてしまい、航空攻撃と砲兵射撃、500門以上の対戦車砲に阻まれる結果となった。ロンメルは作戦を中止すると39日に北アフリカを去り、病気療養に入った。参考:歴史群像10,06、月刊PANZER9,02

メデューズ>:フランス海軍ディヤーヌ級潜水艦Meduse1932年竣工。1942年に戦没した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

メデューゼ>:ドイツ海軍が1943年初めから使用した、地中海Uボート用暗号。参考:Uボート入門

<メテル>:URPK-3(対潜ミサイルシステム)を参照。

メテル>:ロシア海軍グリシャX型警備艦Metel2011990100頃、グリシャX型警備艦2隻(ウスト・イムリスク、コレーツ)、改アルタイ型給油艦1隻と共に宗谷岬の西南西250kmの日本海を北東に航行するのを第2航空群P-3Cが確認した。1117日、宗谷岬の南西250kmを航行するのを第4航空群P-3Cが確認した。2012710600-1800スラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリヤーグソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦ビストリイウダロイT級ミサイル駆逐艦マーシャル・シャポシニコフ、同アドミラル・トリブツ、同アドミラル・ヴィノグラードフグリシャX型警備艦ウスト・イムリスク、同コレーツロプーチャT型揚陸艦BDK-98、同オスラビアロプーチャU型揚陸艦ペレスウェートアリゲーターW型揚陸艦ニコライ・ヴィルコフナヌチュカV型ミサイル艇イネイ、同ラズリーフタランタルV型ミサイル艇R-14、同R-18、同R-19フィニク級測量艦GS-47、同GS-84、同GS-296、同GS-404ビヤ級測量艦GS-200カメンカ級測量艦GS-211モマ級測量艦アンタークティダユグ級海洋観測艦ヴィーツェ・アドミラル・ヴォロンツォフカシタン級設標艦KIL-168と共に、宗谷岬の西160kmを東に航行するのを第2航空群P-3Cが確認した。78日、スラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリヤーグ、ソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦ビストリイ、ウダロイ級ミサイル駆逐艦マーシャル・シャポシニコフ、同アドミラル・ヴィノグラードフ、グリシャX型警備艦ウスト・イムリスク、同コレーツ、改アルタイ級補給艦イリム、フィニク級測量艦GS-84、モマ級測量艦アンタークティダ、ユグ級海洋観測艦ヴィーツェ・アドミラル・ヴォロンツォフ、ゴーリン級航洋曳船SB-522と共に宗谷岬の北東60kmを西に航行するのを第2航空群P-3Cが確認した。2013713-14日、スラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦ビストルイウダロイT級ミサイル駆逐艦マーシャル・シャポシニコフ、同アドミラル・ヴィノグラードフグリシャX型警備艦ウスト・イリムスク、同ステリャークタランタルU型ミサイル艇R-79タランタルV型ミサイル艇R-11、同R-14、同R-18、同R-19、同R-20ソーニャ型掃海艇BT-256、同艇番号553ロプーチャT型揚陸艦オスラビアアリゲーターW型揚陸艦ニコライ・ヴィルコフドゥブナ級補給艦イルクートフィニク型測量艦GS-397ユグ型海洋観測艦ヴィーツェ・アドミラル・ヴォロンツォフオビ型病院船イルティシュゴーリン型航洋曳船SB-522ソルム型航洋曳船MB-99中国海軍051C型ミサイル駆逐艦116石家荘、同115瀋陽054A級フリゲート538煙台、同546塩城福清型補給艦881洪澤湖と共に宗谷海峡を東に航行するのを、第2航空群P-3Cが確認した。201561日、グリシャX型警備艦コレーツと共に宗谷岬西北西110kmを東に航行するのを第2航空群P-3Cが確認した。710日、宗谷岬北東60kmを航行するのを第2航空群P-3Cが確認した。20188290200-0330頃、プロジェクト20381ステレグシュチイ級フリゲートソブエルシェンヌイグリシャX型警備艦MPK221タランタルV級ミサイル艇R11、同R14、同R18、同R19、同R20、同R79ドゥブナ級補給艦1隻、バクラザン級救難曳船フォーティ・クリロフイングル級救難曳船マシュークオビ級病院船イルティシュと共に、礼文島北西110kmを東に航行するのを、DD-155はまぎり第2航空群P-3Cが確認した。その後これらは宗谷海峡を東に航行している。912130頃から921600頃、バルザム級情報収集艦プリバルティカイーゴリ・ベロウソフ級潜水艦救難艦イーゴリ・ベロウソフソーニャ級沿岸掃海艇艇番号553、同593、同BT256ロプーチャU級戦車揚陸艦ペレスウェートウダロイT級駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ、同アドミラル・トリブツ、同アドミラル・ヴィノグラードフソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦ビストルイプロジェクト20381型ステレグシュチイ級フリゲートソブエルシェンヌイグリシャX型警備艦MPK221、同ウスト・イリムスク、同コレーツスラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグタランタルV級ミサイル艇7隻、バクラザン級救難曳船1隻、改アルタイ級補給艦1隻、トプリボ級給油艦1隻、カシュタン級設標艦1隻、オビ級病院船1隻と共に、宗谷岬北東210kmを西に航行するのを、DD-103ゆうだちPG-825わかたか第2航空群P-3Cが確認した。その後これらは宗谷海峡を西に進み、日本海に向かっている。20203261100頃、スラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦ビストルイウダロイT級駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ、同マーシャル・シャポシニコフグリシャX型警備艦ソビエツカヤ・ガヴァニタランタルV級ミサイル艇R14、同R18、同R19、同R20、同R24、同R297マーシャル・ネデリン級ミサイル観測支援艦1隻、改アルタイ級補給艦2隻、オホーツク級航洋曳船1隻、アムール級工作艦1隻、オビ級病院船イルティシュと共に、宗谷岬北西95kmを東に航行するのを、第2航空群P-3CPG-825わかたかが確認した。その後これらは太平洋艦隊演習に参加するため宗谷海峡を東に進んでいる。202221-15日、ウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ、同マーシャル・シャポシニコフステレグシュチイ級フリゲートグレミャーシチイ、同アルダー・ツィデンジャポフ、同ソブエルシェンヌイ、同グロームキイグリシャX型警備艦コレーツ、同MPK82ナヌチュカV型ミサイル艇イネイキロ級潜水艦3隻、アリゲーターW型揚陸艦ニコライ・ヴィルコフロプーチャT型揚陸艦オスラビア、同アドミラル・ニヴェルスキーマーシャル・ネデリン級ミサイル観測支援艦マーシャル・クリロフ改アルタイ級補給艦1隻、イーゴリ・ベロウソフ級潜水艦救難艦イーゴリ・ベロウソフゴーリン型航洋曳船SB-522ソルム型航洋曳船MB99、同MB148オホーツク型航洋曳船アレクサンドル・ピスクノフオビ級病院船イルティシュ、民間砕氷船カピタン・フレブニコフと共に、日本海とオホーツク海南部で活動するのを、DD-120しらぬい第2航空群P-3C哨戒機が確認した。8210900頃、グリシャX型警備艦MPK221タランタルV級ミサイル艇R11、同R14、同R18、同R19マーシャル・ネデリン級ミサイル観測支援艦マーシャル・クリロフドゥブナ級補給艦1隻、スリヴァ型救難曳船1隻、オビ型病院船イルティシュと共に、宗谷岬東北東80kmを西に航行するのを、第2航空群P-3C哨戒機PG-827くまたかが確認した。その後これらは宗谷海峡を西に進んでいる。参考:月刊世界の艦船3,1210,124,143,163,194,213,23

<メドゥーサ>:AR-1(工作艦)またはBPDロケット弾(81mm)を参照。

メドゥーサMk4/B>:イタリアの機関砲射撃指揮用電子光学方位盤Medusa Mk4/B。電子光学センサー(可視光、中波赤外線)とレーザ測距器(最大測距距離20km)を旋回俯仰架台に搭載している。センサー・ヘッド重量95kg。ポルトガル海軍ヴィアナ・ド・カステロ級外洋哨戒艦、カタール海軍ドーハ級コルベットに搭載された。参考:月刊世界の艦船3,22

メドゥーサ級>:アメリカ海軍工作艦Medusa級。艦艇の修理復旧が主任務で、船体前半が工場となっており、8トンデリック2基を装備している。また、医療施設も充実していた。全長147.4m、幅21.3m、吃水6.1m、基準排水量8125トン。主機は蒸気タービン1軸7000馬力、速力14ノット。兵装は127mm単装砲4門、76mm単装砲2門。乗員466名。AR-1メドゥーサが1924年に就役した。参考:第2次大戦のアメリカ軍艦

<メドウェイ>:RPL12(揚陸艇)を参照。

メドウェイ>:イギリス海軍リバー級沿岸哨戒艦バッチ2の2番艦Medway202012月から20211月、カリブ海方面での任務航海から帰るついでにBAEシステムズ社がフロリダ州メイポートで整備作業を行った。参考:月刊世界の艦船1,197,21

メドウェディツサ671RTM>:ソ連海軍671RTM型原潜に1982年から搭載された総合航海システム。自艦位置、針路、速力、揺れ角度などを自動計測して指揮システムに転送する。参考:ソ連/ロシア原潜建造史

メドヴェドカ艦対潜ミサイル・シリーズ>:ロシア海軍艦対潜ミサイルMedvedka、別名RPK-9、米軍コードはSS-N-29。排水量350トン級の小型艦に搭載して浅海域・シーステート6でも運用できる小型の艦対潜ミサイルとして冷戦末期から開発された。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊、9,20

 <メドヴェドカ>:アスロックに類似のシステムで、400mm短魚雷MPT-1U(重量285kg)を87R固体燃料ロケットで最小1.6km・最大20km先まで投射、パラシュートで海面に降下させる。輸出型ではMPT-1UE短魚雷を使うが、西側の324mm短魚雷も載せられる。全長5.53m、直径0.4m、発射重量800kg。誘導はINS(無し?)。有効深度15-500m。発射機は専用の4連装(2×2)発射機か、100RUKT-210発射機を使う。1993年にプロジェクト1145水中翼哨戒艇アレクサンドル・クナチョヴィッチの後甲板に4連装発射機を搭載してテストされたが、実用化には至らなかった。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊、11,173,055,12、月刊軍事研究8,07

メドヴェドカ2>:VLSから運用できるようにしたもの。アドミラル・ゴルシコフ級に搭載予定らしい。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊

<メドウズスウィート>:K144(コルベット)を参照。

<メドガー・エヴァース>:T-AKE-13(補給艦)を参照。

<メトカルフ>:DD-595(駆逐艦)を参照。

<メトックス>:FuMB1(電波探知機)を参照。

メトフォード・ライフリング>:イギリスのウイリアム・エリス・メトフォードが発明したライフリングで、浅い弓形ライフリングである。エンフィールド型ライフリングに駆逐されつつある。参考:GUN用語事典

<メドレガル>:SS-480(潜水艦)を参照。

メトロ・シリーズ>:スウェリンジェン社(1971年にフェアチャイルド社が吸収合併)が開発した双発ターボプロップ・コミューター機。マーリン・ビジネス機をコミューター機にしたものである。アメリカ空軍が州航空隊向けC-26A/Bとして採用した。21世紀に入ってさすがに設計が古くなり、キャビンを拡大したタイプも計画されているが、業績不振で進んでいない。参考:世界航空機年鑑2018-2019

 <メトロT>:マーリンWのコミューター機版。1970年から販売された。参考:世界航空機年鑑2018-2019

 <メトロU>:窓を大型化したもの。参考:世界航空機年鑑2018-2019

 <メトロV>:翼スパンを3.05m延ばしてペイロードを増大したもの。参考:世界航空機年鑑2018-2019

 <メトロ23>:エンジンによりSA227CCSA227DCの2種に分かれる。参考:世界航空機年鑑2018-2019

 <SA227CC>:エンジン出力1000軸馬力。参考:世界航空機年鑑2018-2019

 <SA227DC>:全長18.09m、全幅17.37m、全高5.08m、自重4.31トン、最大離陸重量7.48トン。翼面積28.71平方メートル。エンジンはアライド・シグナル社製TPE331-12UHRターボプロップ(1100軸馬力)双発、最大巡航速度542km(高度3350m)、実用上昇限度7620m、海面上昇率毎分823m、航続距離2070km。乗員2名。客席数19。参考:世界航空機年鑑2018-2019

<メトロ・ファミリー>

 <エクスペディター23>:全貨物型。貨物室容積17.6立方メートル、最大ペイロード2.5トン。参考:世界航空機年鑑2018-2019

 <マーリン23>:メトロ23のコーポレイト機型。参考:世界航空機年鑑2018-2019

 <マーリン23E>:マーリン23EFISを追加したもの。参考:世界航空機年鑑2018-2019

<メナード>:APA-201(攻撃輸送艦)を参照。

<メナイ>:A84(通船)を参照。

<メニフィー>:APA-202(攻撃輸送艦)を参照。

<メネンデス・デ・アビレス>:F-113(フリゲート)を参照。

<メノミニー>:AT-73(航洋曳船)を参照。

メハム>:南アフリカの多目的射撃統制システム(MFCS)。迫撃砲・野砲・ロケット弾用の車載/兵員携帯FCSで、砲の位置、目標位置、環境データなどを入力すると射撃諸元を自動的に算出してくれる。これを砲に取り付けた電動サーボと連動させると、自動的に照準も行える。参考:月刊PANZER9,02

メフィスト>:フランスの4連装対戦車ミサイル発射システム。HOT対戦車ミサイル連装発射機を左右に並べており、発射時にせり上がる。月刊グランドパワー3,95

メフテル>:トルコ軍の軍楽隊で、オスマン帝国時代の8世紀頃に創設された世界初の軍楽隊である。西アジアの民族楽器(管楽器と打楽器)を中心にした構成で、吹奏楽団のベースにもなった。参考:MAMOR vol.118

メプロMOR>:イスラエルのミプロライト社が開発したダットサイトで、レーザー測距器(赤色または赤外線レーザー)を内蔵している。重量450g。参考:月刊軍事研究2,10

<メモリーハイコーダ>:自衛隊の機器。日本電計製。参考:月刊軍事研究1,19

<メリーランド>:BB-46(戦艦)またはSSBN-738(戦略原潜)を参照。

メリーランド級>:アメリカ海軍戦艦Maryland級。2番艦メリーランドの方が先に起工された(就役も先)のでこのクラスだが、1番艦の名称からコロラド級ともいう。カリフォルニア級の改良型で、他国海軍の戦艦が15インチ(381mm)砲を搭載するようになったのと、設計中に長門級の情報を得たため、主砲塔を45口径40.6cm連装砲塔(16in. 45-cal., 2-Gun Turret)に強化した。標準型戦艦の最終型であり、建造費抑制や弾薬共通化などの観点から議会で14インチ砲のままにすべきとの意見もあったが、最終的に海軍側の主砲強化案が認められている。砲身間隔2.64m、ローラー・パス径8.41m、バーベット径9.45m、砲塔重量894トン。砲塔駆動は油圧式で、下部揚薬機のみ電動式、俯仰角マイナス4度からプラス30度、俯仰速度毎秒8度、旋回速度毎秒2度。装填時仰角1度、発射間隔40秒。装甲もそれなりに強化したが、対40.6cm砲用としては不十分だったらしい(ただしスペック上は長門級と同じくらい)。多層式水中防御や艦内区画細分化を取り入れて間接防御に気を遣っている。速力は標準型戦艦のままにしたため、長門級には全く及ばなかった。船型は船首楼型で、船首楼は第2煙突の所まで達している。艦中央船首楼甲板の上に1層の甲板室を設けて副砲をケースメート式に装備した。艦首はクリッパー型で、主錨3基のうち1基を収容したが、後に撤去されている。機械室の配置はカリフォルニア級と同じで、艦中央首尾線上に発電機室を前後に並べ、その両側に缶室4室ずつを設け(主缶1基ずつ収容)、発電機室後方に制御室、左右缶室後方に外舷用主電動機室(主電動機1基ずつ収容)、制御室後方に内舷用主電動機室(主電動機2基収容)を配置している。煙突もカリフォルニア級と同じくマスト間に2本。マストは前後とも籠マストで、示数盤が取り付けられており、頂部上段に主砲用射撃所、下段に副砲用射撃所があり、主砲用射撃所の上に主砲用Mk11方位盤が搭載されている。航海艦橋上に20フィート(6.1m)装甲化測距儀、各主砲塔に測距儀を持つ。船体内のプロッティング室にレンジキーパーとステイブル・ヴァーティカル装置(ジャイロで上下左右の動揺を検出して自動修正する)を装備しており、ここで射撃諸元の計算を行い、司令塔内の射撃指揮所に伝える。射撃指揮所にはMk12潜望鏡式方位盤や予備射撃盤があり、主方位盤などの故障時には射撃指揮所で独自に射撃管制が行える他、主砲塔にもMk6補助計算機が用意されていて、応急的な砲塔単独での射撃も可能である。副砲用射撃指揮装置は簡易式フォード計算器付きMk16方位盤と12フィート(3.66m)測距儀で、レンジキーパーからの入力が無くとも副砲単独で射撃諸元計算ができる。全長190.2mBB-45190.4m)、全幅29.7m、吃水9.2m、常備排水量32600トン(うち防御重量13730トン)。主機はターボ・エレクトリック方式(BB-45がウェスティングハウス社製、BB-46BB-48GE社製)で、発電機はBB-45がウェスティングハウス社製改良パーソンズ単胴複流衝動反動ギヤード・タービン(毎分2075回転)2基、BB-46BB-48GE社製カーチス10段翼列単胴衝動ギヤード・タービン(毎分2065回転)2基、主缶はバブコック&ウィルコックス式重油専焼水管缶(20気圧、239度過熱。飽和温度?)8基、交流発電機(BB-45は単機容量13250kVA、交流3相34.6サイクル、電圧3270V、力率83.4%BB-46BB-48は単機容量13400kVA、交流2相、電圧4400V、力率82%)2基、主電動機(BB-45はウエスティングハウス社製、定格出力7000軸馬力、交流3相誘導式3270V、極数は15ノットまで36、それ以上は24、毎分173回転。BB-46BB-48は出力7025軸馬力、交流2相誘導式4400V、極数は15ノットまで36、それ以上は24、毎分172回転)4基、出力28900馬力、4軸推進、速力21ノット、重油搭載量4570トン、航続距離8000海里(10ノット)/12500海里(14-15ノット、90%燃料搭載)/21000海里(緊急満載時)。兵装は45口径40.6cmMk1連装砲塔4基(前後甲板背負い式)、51口径12.7cm単装砲Mk714門、50口径7.6cm単装高角砲4門、533mm水中魚雷発射管2門。装甲厚は水線部343mm、甲板89mm、バーベット330mm、砲塔前楯457mm、砲塔側面254mm、砲塔後面229mm、砲塔天蓋127mm、司令塔406mm。魚雷防御用縦壁のうち3層に19mm厚の装甲板を使用している。乗員1080名(士官58名、下士官兵1022名。BB-46BB-48は士官62名)、戦時はBB-45BB-461968名、BB-482182名。1916年度計画でBB-45コロラド、BB-46メリーランド、BB-47ワシントン、BB-48ウエスト・ヴァージニアの4隻を作ることにしたが、第1次大戦参戦で建造が遅延し、更にワシントン条約により3番艦BB-47の建造は進捗80%で中止され(ニューポート・ニューズ造船所の失業対策で4番艦BB-48を残した)、1921-23年に3隻が就役した。後にカタパルト2基(第3砲塔上、艦尾)とOL-6水陸両用観測機3機(第3砲塔カタパルト上1機、艦尾2機)の搭載改装を受けた。1925年、高角砲を25口径5インチ(127mm)単装高角砲に換装し、射撃指揮用に測距儀付きMk19方位盤を搭載した。参考:月刊世界の艦船12,154,'203,151,12、近代戦艦史、第2次大戦のアメリカ軍艦、月刊丸11,09

 <メリーランド級(大改装)>:BB-4519417月から19423月、BB-4619421-2月、BB-4819429月から19444月に大改装を実施。BB-46BB-48は真珠湾攻撃の損傷修復も兼ねている。船体にバルジを追加し、主甲板下の舷窓を塞ぎ、前部籠マスト周囲に上部構造物を増設し(BB-48は真珠湾攻撃後の応急修理で前部籠マストを撤去していたため、前檣楼構造とした)、12.7cm副砲の一部または全部と7.6cm単装高角砲全部を撤去して12.7cm両用砲に換装、装甲を強化した。SK対空捜索レーダー、Mk3射撃指揮レーダー(前後方位盤上)、主砲用Mk34方位盤(Mk3射撃指揮レーダー付き、後部構造物上。BB-48Mk8射撃指揮レーダー付き)、両用砲用Mk37方位盤(Mk4射撃指揮レーダー付き)を追加し、後部籠マストは単脚マストに変更、煙突は1本に纏めている。全長190.2mBB-45190.4m)、全幅32.9mBB-48はバルジが一回り大きいため34.8m)、吃水10.7mBB-4810.8m)、基準排水量はBB-4532500トン、BB-4631500トン、BB-4831800トン。主機はBB-45がウェスティングハウス社製、BB-46BB-48GE社製ターボ・エレクトリック方式で、BB-45が改良パーソンズ単胴ギヤード・タービン2基、BB-46BB-48がカーチス単胴ギヤード・タービン2基、主缶はバブコック&ウィルコックス式重油専焼水管缶(20気圧、飽和温度)8基、交流発電機2基、主電動機4基、出力31400馬力(BB-4830000馬力)、3翅プロペラ4軸推進、速力20ノット(BB-4820.5ノット)、航続距離は15ノットで12100海里。兵装は45口径40.6cmMk1Mk5Mk8に順次換装されたが諸元はほぼ同じ)連装砲塔4基、51口径12.7cm単装砲Mk710門(BB-48は全撤去)、38口径12.7cm単装両用砲8門(BB-4838口径12.7cm連装両用砲8基)、4連装40mm機関砲4基(BB-4810基)、20mm単装機関砲32門(BB-4850門)。装甲厚は舷側343mm、甲板140mm、バーベット330mm、砲塔前楯457mm、司令塔406mm。カタパルト1基(艦尾)と水上機3機を搭載する。乗員1968名(BB-482182名)。その後もSKレーダーをSK-2に換装するなどの細かい改装を受けている。参考:月刊世界の艦船12,15

メリーランド攻撃機シリーズ>:イギリスとフランスの発注に基づいてマーチン社が開発した双発攻撃機Maryland。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・アメリカ編

 <メリーランドT>:イギリスに151機が引き渡された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・アメリカ編

 <メリーランドU>:イギリスに150機が引き渡された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・アメリカ編

<メリーランド海外シリーズ>

 <A−22>:アメリカ陸軍がテスト用に1機のみ購入したもの。全長14.2m、全幅18.7m、全備重量8250kg。エンジンはプラット&ホイットニー社製R-1830-371200馬力)双発で、最大速度450km。武装は7.7mm機銃6丁。爆弾800kgを搭載可能。乗員3名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・アメリカ編

メリウィスコ級>:フィンランド海軍高速揚陸艇で、フィンランドのマリン・アルテック社製ウォーターキャットM11をベースに開発された。艦首ランプが無いので、兵員は船体前方から渡し板で上陸する。搭載スペースはオープントップ。全長1.1m、排水量10トン。推進はウォータージェットで、最大速力35ノット。沿岸猟兵(ウーシマー旅団)25名または貨物2.5トンを搭載できる。参考:月刊軍事研究9,06

<メリウェザー>:APA-203(攻撃輸送艦)を参照。

<メリック>:AKA-97(攻撃貨物輸送艦)を参照。

メリット・ブラウン式操向変速機>:イギリスのメリット博士が開発した戦車用操向変速機。超信地旋回が可能となった。チャーチル歩兵戦車が採用した。参考:月刊軍事研究2,07

メリット・マイバッハ式操向変速機>:イギリスのメリット博士が1938年に開発した戦車用操向変速機。操向レバーでなくハンドル式の操向装置を使用できるようになった。ティーガー戦車などに採用されている。参考:月刊軍事研究2,07

メリディアン>:ロシアの通信衛星で、モルニヤ3K通信衛星の後継らしく、ロシア海軍パールス通信中継衛星の後継も兼ねる。広帯域に対応するため3基の中継器を搭載しており、モルニヤ軌道を周回する。2006年に1基、2009年に1基、2010年に1基、2011年に2基(うち1基が失敗)、2012年に1基が打ち上げられた。参考:月刊軍事研究5,13

<メリトン・カルヴァハル>:F51(フリゲート)を参照。

<メリトン・カルヴァハル級>:ルポ改級フリゲート海外シリーズを参照。

<メリル>:DD-976(駆逐艦)またはDE-392(護衛駆逐艦)を参照。

<メルヴィル>:AGOR-14(海洋観測艦)を参照。

メルヴィル>:オーストラリア海軍リーウィン級海洋観測艦2番艦Melville20005月就役。参考:月刊世界の艦船6,05

メルヴィル級>:アメリカ海軍海洋観測艦Melville級。小型潜水艇・海洋観測機器揚降用センターウエルを装備し、洋上で定点に留まるためのダイナミック・ポジショニング・システムを持つ。全長85m、満載排水量2944トン。主機はディーゼル・エレクトリック方式で、ディーゼル発電機4基・電動モーター2基、出力3000馬力、Zペラ2軸推進、速力14ノット。乗員23人、科学者38人。AGOR-14メルヴィルなど2隻が1969-70年に就役し、民間海洋研究機関に貸与された。参考:月刊世界の艦船1,10

メルヴィル砲台>:大西洋防壁としてノルマンディー近くのメルヴィル村郊外に設置された砲兵陣営。洋上砲撃も可能な150mm級のカノン砲4門がコンクリート砲座に設置されているとみられ、オーバーロード作戦初頭にイギリス第6空挺師団第3パラシュート旅団第9パラシュート大隊が空挺強襲した。占領してみるとチェコスロバキア製のスコダ100mm榴弾砲IFH14/19(t)4門が設置されているだけで、洋上砲撃は到底無理であった。その後、イギリス部隊は立ち去ったため、ドイツ軍が数時間後に再占領し、砲2門を使用可能にしている。参考:月刊PANZER6,00

<メルヴィン>:DD-680(駆逐艦)を参照。

<メルヴィン・R・ニューマン>:DE-416(護衛駆逐艦)を参照。

メルカヴァ・シリーズ>:イスラエル陸軍主力戦車Melkava。イスラエル軍は1967年の第三次中東戦争で圧倒的な勝利を収めたが、戦車兵に死傷者が続出したことと、圧勝しすぎて欧米からの軍事支援を受けにくくなったことで、1968年頃に国産戦車の設計を始めた。19708月に政府が承認し、1971年から正式に開発を開始、1974年にプロトタイプが完成し、1976年から量産に入り、19775月に存在を公表した。機動性重視だった当時の世界情勢に逆行した重装甲戦車で、フロントエンジンやボギー式サスペンションを採用して防御装甲の一部に組み込み、前方に向けて極端に絞り込んだ砲塔を搭載、更に肉薄歩兵撃退用に迫撃砲まで積んでいる。車体は十分に大きくし、4名の乗員が長時間戦闘行動することを可能とした。主任務は練度の低いアラブ戦車隊をアンブッシュ長距離砲撃でアウトレンジし、車体後部のドアから弾薬を補給、兵員をとっかえひっかえしながら長時間にわたり敵を阻止・撃破することである。実戦初使用は1982年のレバノン侵攻「ガリラヤ平和作戦」。参考:月刊軍事研究10,11、世界AFV年鑑2002-2003、月刊PANZER11,0212,00、月刊丸10,10

 <メルカヴァMk.1>:戦闘重量は60トンに達するが、エンジンはM60と同じAVDS-1790-6A空冷V型ディーゼル(AVDS-1790-5A?)で、出力は900馬力にすぎない。しかし防御を最優先としており、カタログスペック上の機動力よりは実際の戦術機動力を重視している。排気管にオイルを吹き付けて煙幕を張る装置も装備する。エンジンは車体前部右に置かれ、その左側後寄りに操縦手席がある。操縦手席上部には左開きのスライド式ハッチがあり、ペリスコープ3基が装着されているが、中央のものは夜間視察用の映像強化型に換装できる。車体中央から後部が戦闘室で、前方は操縦手席に繋がっており(隔壁は無い)、また最後部に上下開きのドアがあって車外に出られる。車体後部の弾薬を降ろせば負傷者などを収容するスペース(最大8名、基本は6名、実戦では5名らしい)にもなる。装甲は砲塔・車体共に中空装甲が採用され(前面だけでなく車体底面、機関室アクセスパネル、砲塔側面も)、車体前面装甲は少なくとも3層の中空装甲で、最外層150mm、内層80-100mmとされる。砲塔前面も3層のようだ。空間には水、ディーゼル燃料(車体底部中空装甲の間。セルフシーリング式)、機関銃弾などが置かれている。車体前部左右に白色光/赤外線ライトが装備されているが、破損を防ぐために倒して収容することができる。砲塔は側面・上面ともに前方に向けて楔形を形成しており、前方投影面積が非常に少ない(1平方メートルしかないとされる)。砲塔バスケットは無く(代わりに戦闘室の床が砲塔に合わせて回転する)、車体内での乗員の動き(特に被弾脱出時)を妨げないよう工夫されている。ターレットリング基部周囲は車体部の装甲が持ち上がっており、更に半球型の装甲板で完全にカバーされる。主砲は105mmライフルM68TAASイスラエルインダストリーズ社が改良したもので、二軸安定化されており、砲身にサーマルスリーブが巻かれている。砲身中央には排煙機があり、砲俯仰角はマイナス8.5度からプラス20度。車体前部右寄りに起倒式の主砲トラベリング・クランプが装備されている。主砲弾は85発で、砲塔リングよりも上には1発も搭載されず、砲塔リング内にも6発のみであり、他は全て車体後部に載せられる。ただし車体後部に兵員を乗せると弾数が20発くらいに減ってしまう。使用可能砲弾はNATO標準弾全てで、自国製のAPFSDSM735よりも優れた貫徹力(砲口初速毎秒1455m、射距離2000m60度傾斜装甲板に150mm)を持つ。FCSはエルビット社製マタドールMk.1で、ガラスレーザー測遠機を備える。1982年からは砲塔後部のバスルが大型化され、鎖付きの鉄球が吊り下げられており、RPGなどに対する対策とみられる。砲塔右に砲手と車長が座り、左に装填手が位置する。車長用ハッチは70mmほど浮き上がらせて固定でき、視察時の狙撃を防ぐ。また、5基のペリスコープの他、全周旋回式昼間照準潜望鏡(4-20倍)を搭載しており、砲手に対するオーバーライド機能も持つ。装填手用ハッチは後方開きで、全周旋回式ペリスコープを装備する。砲手用視察装置はレーザー測遠機を組み込んだ倍率1・8倍の切り替え式。下部転輪は複列式片側6組で、上部転輪片側5個、前方に起動輪、後方に誘導輪を持つ。厚さ8mmの鋼製サイドスカートは、緩衝用スプリングで懸架されている。履帯はシングルピン・シングルブロック式。サスペンションはコイルスプリングを利用したホルストマン式で、頑丈なフレームに覆われて装甲材の一部をなす。同軸機銃は7.62mmFN-MAG58で、車長・装填手用に7.62mmFN-MAG58を1丁ずつハッチ上に搭載する。これらの機銃弾10000発は全て砲塔中空装甲のスペース内に収容される。主砲上にM2重機関銃を搭載することも可能。砲塔外部にソルタム社製60mmコマンド迫撃砲(射程60-800m、弾丸重量1.7kg)を装備できる。装填手ハッチには1kWのサーチライトが収容され、装甲フラップでカバーされる。車体後部左にバッテリー、右に車内与圧式NBC防護装置があり、これらは装甲ボックスに収容されていて二重装甲を兼ねる。後面ハッチ付近の天井には60リットルの真水が収納できる。全長8.63m、全幅3.72m、砲塔上面高2.64m、戦闘重量60トン。エンジンはAVDS-1790-6A空冷V型ディーゼル(900馬力。AVDS-1790-5A?)で、トランスミッションはCD-850-6Bセミオートマチック(前進2段、後進1段)、最大速度46km、燃料搭載量1250リットル、航続距離400km。オプションの渡渉キットを付けると水深2mまで渡れる。1976年に量産が始まり、1979年に最初の40両が第7機甲旅団に配備され、180両が生産された。オーバーホールの際、Mk.2B相当の改良が施された。参考:月刊PANZER11,02、世界AFV年鑑2002-2003 JGround Vol.11、月刊軍事研究10,1111,06、月刊丸10,10

 <メルカヴァMk.2>:Merkava MkU。レバノン侵攻作戦の戦訓を取り入れたタイプ。1982年から量産されて19838月から引き渡され、1989年までに数百両(400両?)が生産された。一般公開は1985年である。FCSがマタドールMk.2となり(Mk.2A以降?)、Nd-YAGレーザー測遠機を装備した。砲塔前側面にボルト止め増加装甲が追加され、車体前面の形状が変更され、装甲スカートが積層式になって多数のボルトが見られるようになっている。砲塔後部の荷物入れには金属製のボールがチェーンでぶら下げてあり、RPG-7やサガーミサイルを誘爆させて戦車本体への損傷を防ぐ。60mm迫撃砲は装填手ハッチ前方の砲塔内部に装備されるようになり、車内からの装填発射を可能とした。主砲防楯上にM2重機関銃搭載用主砲同軸マウントが装備されており、車内操作での射撃が可能である。トランスミッションをイスラエル製のオートマチックに変更、エンジン燃費が25%向上して航続距離が500kmに増えた(Mk.2B以降?)。最前部の転輪が補強用リブと肉抜き孔の付いたタイプに変更されている。トーザーブレードやマインローラーを装着するためのアタッチメントを車体前部に標準装備する。全長8.63m、車体長7.15m、全幅3.72m、全高2.76m、戦闘重量63トン。エンジンはAVDS-1790-5Aディーゼルで、トランスミッションは前進7速・後進1速のオートマチック、最大速度は路上46km/不整地33km。参考:月刊PANZER5,0511,02、世界AFV年鑑2002-2003、月刊軍事研究10,1111,06、月刊丸10,10

 <メルカヴァMk.2A>:FCSをマタドール2に変更し、装填手ハッチ前方のペリスコープを旋回式に換装したタイプ。1984年から配備された。参考:月刊軍事研究10,11

 <メルカヴァMk.2B>:装甲強化型スカート(表面に横4列でリベットが並ぶ)とペリスコープを装備し、新型車長ハッチへの換装、CL-3030発煙弾発射機搭載(砲塔前部両側)、砲塔側面増加装甲形状変更などを行ったもので、1985年から配備された。砲手用暗視装置はLLLTVから熱線映像装置に換装されている。1994年には砲塔上面装甲追加、レーザー警報(装填手ハッチ斜め後ろにポール状のセンサーがある)搭載、新型マウント装備などを行っている。1997年秋、ヒズボラが手に入れたタンデム弾頭を持つスピゴット対戦車ミサイルにより操縦手席上部などを貫通されたため、車体前部にも増加装甲を追加した。Mk.1Mk.2にもオーバーホール時に同等の改修が施された。月刊PANZER11,02、月刊軍事研究11,0610,11

メルカヴァMk.2Bドル・ダレット>:ドル・ダレット(Dor Dalet)はD世代の意味で、Mk.2バタシュ(BATASHBitachon shotef、継続防御の略)ともいう。FCSや装甲を改良しており、技術実証車両らしい。操縦室前面、砲塔側面、サイドスカートにモジュラー装甲が装着され、砲塔側面にも装甲が追加されて下に大きく張り出し、砲塔基部までカバーしている。参考:イスラエル軍現用戦車と兵員輸送車1985-2004、月刊PANZER5,10、月刊軍事研究10,11

 <メルカヴァMk.3ブロック1>:1982年のレバノン侵攻「ガリラヤ平和作戦」の戦訓に基づく改良を行ったもので、別名バス(Baz、鷹。バラク・ゾヘル火器管制装置の略でもある)。車体全長を457mm延長して後部に追加燃料タンクを装備、砲塔全長も230mm延長してモジュラー装甲システムを採用した。主砲をTAASイスラエルインダストリー社製120mm滑腔砲MG521(規格はラインメタル120mm滑腔砲と同じ)とし、主砲搭載弾数は48発に減った。使用弾はM711APFSDS-T弾、M325HEAT-MP-TM324TPCSDS-T(対人・対物弾)、LAHAT対戦車ミサイルで、APFSDS弾の有効射程は3500mに達し、装甲貫徹力は直立装甲鋼板に対して射距離2000m700mm超。俯仰角はマイナス7度からプラス20度。即応弾は5発入りドラム弾倉(装填手が機械式に回転させ、所望の弾種を選択する)に収容されている。また、砲塔制御が油圧から電動に換わり、砲塔側面・サイドスカートにモジュラー装甲がボルト止めできるようになった。これにより砲塔基部の円盤部が装甲にすっかり覆われた。車体前面上部はパワーパック整備の関係上、あまり装甲を貼り付ける訳にもいかなかったようである。スカートをリベットが横3列に並ぶ新型にし、車体後部にバスケットを追加。車体底部はV字とされ、ディーゼル燃料が地雷の衝撃波を伝達しやすいことが判明したため中空装甲間には何も入れないことにした。サスペンションはトーションバーに改良され、エンジンも強化、トランスミッションは自国のアショット社製オートマチックで、1000馬力近くを起動輪に伝達できる。FCSも新型のバラク・ゾヘルに換装された。車長用パノラミック・サイトは倍率4倍と14倍の切り替え式、砲手用二軸安定化昼夜間サイト(Nd-YAGレーザー測遠機付き)は5倍(赤外線映像)及び12倍(光学)で、両者は光学的にリンクしている。また、目標自動追尾システムを備え、車長用ハッチがペリスコープ付きの新型になり、CL-3000発煙弾発射機(POMALSシステム)が砲塔前部左右に装備され、レーザー警報装置LWS-2アンコラム(全周をカバーする)が追加された。NBC防護装置は個別防護方式も取れるようになり、エアコン機能も持つ。全長8.78m、車体長7.6m、全幅3.72m、全高2.76m、砲塔上面高2.65m、重量65トン。エンジンはAVDS-1790-9AR空冷12気筒V型ディーゼル(1200馬力)で、トランスミッションはアショット社製オートマチック(前進4段、後進3段。1000馬力近くを起動輪に伝達できる)、最大速度は路上60km/不整地38km55km?)、燃料容量1400リットル、航続距離500km19838月から開発され、1989-2002年に数百両(800両?)が生産された。参考:月刊PANZER11,0212,005,05、世界AFV年鑑2002-2003、月刊軍事研究10,114,009,0011,06JGround Vol.11、月刊丸10,10

 <メルカヴァMk.3ブロック2>:内部機構を改良した、マイナーチェンジ型。参考:月刊PANZER11,02

 <メルカヴァMk.3ブロック3>:Mk.3Bともいう。ヒズボラの対戦車ミサイル攻撃で砲塔及び車体の上面を貫通されたため、防御力を更に強化したタイプで、19946月から改造された。砲塔上部に125mmの装甲を追加し、モジュラー装甲を新型に換装しており、砲塔左右の形状がエラの張ったような形になった。参考:月刊PANZER11,025,10、月刊軍事研究11,06

 <メルカヴァMk.3バズ>:Baz1996年に登場した改良型で、射撃統制装置を自動追尾機能付きのナイトMk.3に換装したもの。参考:月刊PANZER5,10

 <メルカヴァMk.3バズ・ドル・ダレット>:Baz Dor Dalet2000年から配備されたタイプで、側面にモジュラー装甲を追加している。参考:月刊PANZER5,10、イスラエル軍現用戦車と兵員輸送車1985-2004

 <メルカヴァMk.4>:Merkava MkW。1990年代初めから開発された改良型。エンジンをドイツのMTU社製のものをアメリカのジェネラル・ダイナミックス社がライセンス生産したGD883V-12ディーゼル(27400cc1500馬力)に換装し、GD883パワーパックとして搭載している。トランスミッションはレンクRK325オートマチックで、前進が4速から5速になった。これに伴い、機関室上部装甲板の膨らみが無くなり、操縦手の視界が改善された。半自動装填装置(5発入りロータリーランチャー2基からなり、弾薬を装填手が選択すると手元まで砲弾が送られてくるので、手動で装填する)を備えて発射速度が向上しており、駐退復座装置は圧搾ガス式で、新型砲弾(貫徹強化弾)を発射でき、砲発射ミサイルLAHATの運用が容易となった他、主砲自体もMG253に換装され、サーマルスリーブの効率も80%増しになった。治安維持任務に投入されない部隊では60mm迫撃砲が外されている。砲塔はMk.3ブロック3を更に強化したソロバン玉状のもので、砲塔側面・上面の装甲はモジュラー式になったとされ、2カ所に段差が付いている。モジュラー装甲自体の厚さは70mm程度とされるが、15-20度と浅い角度で取り付けられているので、避弾経始を考慮するとかなりの装甲厚となっている。砲塔のハッチは車長用の1つしか無くなったが、再設時に備えて砲塔上面モジュラー装甲の下に装填手ハッチの開口部は残されている。FCSMk.3バズの能力向上型で、砲手用サイトには第2世代FLIR、第2世代TV/熱線式目標追尾装置(ヘリ、車両、兵士を追尾可能)、熱暗視・安定化パノラマ照準器を備え、車長用にはレーザー測距器を組み込んだ4.6倍と12倍の切り替え式サイトが用意されている。砲塔後部の雑具入れからは相変わらずチェーン付きの鉄球がつり下がっている。主砲弾数は48発で、それぞれ誘爆防止用保護コンテナ(耐熱能力1200度)に搭載される。エンジン排気口は砲塔側面のエラが張った部分の真下にあたる車体上面に設けられていて、試作時や初期には斜め板を重ねたタイプが使用されていたが、くの字板を重ねたタイプに変更されており、メッシュカバーを付けたものもある。対地雷防御用に車体下面装甲(一枚装甲板を折り曲げてV字としたものを2枚重ねて空間装甲にしたもの。もう1枚追加も可能)と履帯を強化している。スカート最後部は泥の排出用にスリット式となっていて、スカート下部がゴム製のもある。スカート前部にはアンテナが立っており、IED遠隔爆破装置のジャミングシステムとみられる。車体にはCCDカメラが搭載されていて、操縦手や装填手に周囲映像を供給する。ベクトップ社製のタンク・サイト・システムを装備し、車体・砲塔4ヵ所のカメラで死角をカバーする。また、GPSやベクトップ社製VDS-60デジタル・データ・レコーダ(行動中のサイト映像や観測データを記録、後で再生できる)を組み込んだエルビット社製WINBMSバトル・マネージメント・システムを搭載し、VRC120部隊間情報交換システムとリンクさせることでデジタル陸軍化を図っている。乗員にはフラットパネル式カラーディスプレイが用意され、各乗員の任務に関する情報を表示することが可能。車体側後面は中空装甲で、内部には燃料タンクや機銃弾などを収容する。冷却システムはコンパクトなICECS。転輪はゴム・リムの付いたもので、履帯が新型になった。ハロン自動消火装置と与圧式NBC防護装置、冷房装置付き。全長9.04m、車体長7.7m、全幅3.72m、全高2.66m、車両重量60トン以上、戦闘重量65トン。主砲は44口径120mm滑腔砲MG523MG521?)、使用弾はM332APFSDSM338APFSDSM325HEAT-MPM337対人対物弾、LAHAT。副武装は同軸の7.62mm機銃FN-MAG1丁、車長用7.62mm機銃FN-MAG1丁、防楯上の12.7mmM2機銃1丁、ソルタム社製60mm迫撃砲1門(射程3000m)。最大速度は路上60km/路外55km、航続距離500km。乗員4名で、車体後部の弾薬スペースを6-8名収容の負傷兵スペースとすることも可能である。2001年から量産に入り、2002624日に存在が公表され、2004年から実戦配備された。400両前後を導入する予定。南レバノン侵攻では対戦車ロケットを防ぎきったが、9M113改コルネットEのタンデム弾頭には貫徹を許し、リタニ川付近の戦闘で11両が被弾して乗員8名が死亡している。南レバノン侵攻全体では18両が被弾、乗員10名が死亡したが、8両は前線で修復、8両は後送修理して戦線に復帰した。最新型ではアクティブ防御システムのトロフィーを装備し、サイドスカート最後部のスリット部分を廃止してその他の部分と同じ構造に変更した。参考:イスラエル軍現用戦車と兵員輸送車1985-2004、月刊軍事研究11,0610,024,0011,099,10、月刊PANZER5,1012,02JGround Vol.11、月刊丸10,10

<メルカヴァ・ファミリー>

 <ナメル>:ナメル・シリーズ(装甲兵員輸送車)を参照。

<メルカヴァ海外シリーズ>

 <メルカヴァMk.T(チェコ陸軍)>:チェコ陸軍戦車。1両をテスト用に購入した。採用はされなかったが、民間団体が自走可能な状態で保存している。参考:月刊軍事研究12,07

メルクーリィ>:ロシア海軍ステレグシュチイ級フリゲート通算7番艦(プロジェクト20385フリゲート)7番艦Merkury。当初はリエティヴィ(Retiviy)という艦名で、建造中に変更された。2015220日(722日?)起工、2020312日進水、2023515日就役、バルチック艦隊に編入された。参考:月刊世界の艦船2,176,208,23

<メルクール>:A900(魚雷試験船)を参照。

メルクール級>:オランダ海軍魚雷試験船Mercuur級。アメリカから引き渡されたアグレッシブ級航洋掃海艇で行っていた魚雷試験任務を引き継ぐもので、潜水艦の支援にも使用される。船体は長船首楼型で、船首楼甲板後部がヘリコプター甲板となっている。船首にソナー及びダクテッド・プロペラ、試験用533mm水中発射管1基、324mm短魚雷3連装発射管1基を持つ。長さ64.85m、幅12m、吃水4.3m、満載排水量1500トン。主機はBrons/MAN-Horec 650KWディーゼル発電機2基、2軸推進、速力14ノット。乗員39名。メルクールが1987年に就役した。参考:月刊世界の艦船2,87

メルクール作戦>:ドイツ国防軍が第2次大戦時に行ったクレタ島空挺作戦で、メルクールはマーキュリーのドイツ語読み。クレタ島はギリシャの南100kmにある島で、ドイツ国防軍のバルカン半島(ユーゴスラビア・ギリシャ)侵攻によりギリシャ軍が逃げ込んでおり、ルーマニアのプロエスティ油田爆撃や、ヨーロッパ反攻の際の拠点とされる恐れがあった。地中海の制海権はイタリア艦隊を撃破したイギリス海軍が握っていたため、制空権を握っていたドイツは空からの侵攻を計画。1940年冬に第11飛行軍団を新編し、第7飛行師団、第22空輸師団(陸軍所属)、輸送機部隊を隷下に置いた。その後第7飛行師団が第1降下猟兵師団に改編され、第22空輸師団はバルバロッサ作戦の予備に回されて第5山岳師団が配属されている。ドイツ国防軍戦力は、戦闘機180機、水平爆撃機280機、急降下爆撃機150機、偵察機40機、輸送機530機、グライダー100機、空挺師団1個1万名、グライダー歩兵連隊4000名、山岳師団1個14000名、海上輸送部隊4000名。クレタ島にはイラクリオン、レチムノン、マレメと飛行場が3つあったため、第11飛行軍団は戦力を3つに分けてそれぞれを占領することにしたが、輸送機の数に限度があり、降下第一波(第1空輸突撃連隊4000名)がマレメ飛行場とカナエ・スーダ湾、第二波(降下猟兵連隊4000名)がレチムノン・イラクリオン飛行場、第三波(作戦開始日の翌日になる)が第5山岳師団を乗せて占領した各飛行場に降りる予定とした。また、海上からは沿岸航路船と機帆船が重火器や補給物資を輸送することとした。守るイギリス軍(司令官はニュージーランドのフレイバーグ少将)兵力は元々5000名だったが、クレタ島侵攻の情報を得て27500名のイギリス連邦軍(イギリス15000名、オーストラリア6000名、ニュージーランド7000名)と14000名のギリシャ軍、数千名のクレタ警察、戦艦2隻・巡洋艦4隻・駆逐艦8隻を含む艦隊2部隊に強化した。ただドイツ空挺部隊の戦力を過大評価してクレタ島をまんべんなく守ろうとしたため全体が手薄になり、ギリシャからの撤退部隊には重火器も無く、予備部品無しで北アフリカから工面した歩兵戦車7両と軽戦車16両しか用意できなかった。1941425日に作戦が発動されたが、ドイツ本国で訓練中の部隊をバルバロッサ作戦準備の合間を縫って輸送しなければならなかったので準備が間に合わず、520日から実施された。5200400、ギリシャ各地の飛行場からドイツ国防軍の輸送機やグライダーが空挺隊を乗せて離陸。0600、ドイツ第8飛行軍団が急降下爆撃を実施、対空砲火の制圧にかかった。0715に島西部のマレメ飛行場南に空輸突撃連隊第1降下大隊がDFS230グライダーで強行着陸したが、ニュージーランド軍陣地のど真ん中で、いきなり大隊長が頭を撃ち抜かれて死亡してしまい、対空砲陣地を制圧しただけで前進できず、飛行場を見下ろす107高地の占領に失敗した。マレメ飛行場西にパラシュート降下した第2・第4降下大隊は第1降下大隊と合流すべく107高地に向かったが、空輸突撃連隊長が機銃を被弾して重傷を負い、多くの指揮官が死傷、混乱状態のままで周辺のイギリス連邦軍と乱闘状態になった。ニュージーランド軍はマチルダ歩兵戦車2両を繰り出したが、1両が故障、もう1両は不発弾が砲身に詰まってジャミングを起こした。第3降下大隊はマレメ飛行場東でニュージーランド第23歩兵大隊のど真ん中に降下してしまい、兵力の3分の2を喪失して壊滅してしまった。グライダー突撃戦闘団第1・第2中隊は離陸直後に第7飛行師団長を乗せたグライダーが曳航索切断により墜落しており、島中央に強行着陸したが守備隊の反撃にあって甚大な損害を受けた。カニアの西には第3降下連隊3個大隊が降下したが、連隊本部がニュージーランド軍の迎撃で大損害を受け、身動きが取れなくなっていた。島の東には突撃連隊のグライダーが強行着陸したが、部隊が孤立してその場に釘付けとなり、カニアやスーダ湾にある港の占領には程遠い状況だった。第一波を降ろした輸送機は増援の第二波を乗せるためギリシャに戻ったが、ギリシャの飛行場が風による視界不良に見舞われたため、第二波がクレタ島上空に姿を見せたのは1615のことだった。まず第2降下猟兵連隊がレチムノン飛行場に降下を開始したが、対空砲火を浴びて輸送機数機が撃ち落とされ、2機が空中衝突を起こし、纏まった降下ができなかった。連隊長は兵を集めたが、1500名中400名以上が戦死して部隊は散り散りとなり、1個中隊分しか集まらず、飛行場を占領するどころの話では無かった。イラクリオン飛行場に向かう第1降下猟兵連隊は輸送機不足で600名をギリシャに残さざるを得ず、全員を降下させるのに1700から1900までかかり、兵を集結させるのがやっとの状態だった。夜になり、漸く107高地を突撃連隊が占領。521日朝、第11飛行軍団参謀長がマレメ飛行場にJu52で強行着陸し、困難な状況を把握、直ちにギリシャに引き返して軍団長に報告した。これに基づいて島の東部はひとまず置いておき、西のマレメ飛行場を全力で奪取する方針に変更。ギリシャに残っている第1降下猟兵連隊600名を増援としてマレメ飛行場に投入し、第5山岳師団もJu52の強行着陸によりマレメ飛行場に送り込むことにした。1500、第1降下猟兵連隊600名が飛行場西部に降下を開始。1600にはマレメ飛行場にJu52が到着、第5山岳師団を次々と吐き出した。飛行場はイギリス艦隊の艦砲射撃と砲兵の射程内に入っていたが、観測点の107高地を失っており、正確な射撃はできなかった。飛行場南からはニュージーランド兵が反撃を行ったが阻止され、Ju52輸送機80機以上の残骸と引き替えに第100山岳猟兵連隊全員がマレメ飛行場に到着、制圧に成功した。夜、ギリシャからは海路でマレメに輸送隊(護衛がイタリア海軍水雷艇のみで、蚊船団などと自嘲していた)が向かったが、Ju87から避難していたイギリス艦隊が夜の間にクレタ島に接近しており、ドイツ空軍が巡洋艦2隻と駆逐艦4隻を沈めたものの、砲撃で輸送船の半数が沈められ、残りは這々の体で逃げ出した。522日、ドイツ国防軍はマレメ飛行場に第5山岳師団の輸送を継続。523日、東西のドイツ国防軍の連絡が付き、ドイツ国防軍は最悪の状況を漸く脱した。チャーチルはカイロの中東軍司令官に電報でクレタ島への増援を命じたが、敵制空権下では海上輸送がままならず、機雷敷設艦で750名を送り込むのがやっとだった。524日、ドイツ国防軍がガラトスを占領。525日夜、島東のドイツ国防軍部隊がマレメへの支援に到着。526日、ドイツ国防軍がスーダを占領。527日、ドイツ国防軍が首都カニアを占領したためイギリス司令官が島を脱出、528日からドイツ国防軍は掃討戦に入った。61日に作戦はドイツ国防軍勝利で終わったが、降下した空挺部隊の4分の1にあたる3250名が戦死、戦傷者も2100名にのぼり、降下猟兵は3分の1が戦死又は行方不明、2分の1が負傷したといわれる。更に航空機250機(輸送機の3分の1。大部分は飛行場離着陸の際の事故)を失うという甚大な被害を出し、以後ヒトラーが大規模な空挺作戦を許可することは無く、マルタ島制圧まで欲を出すことも無かった。連合軍は3500名が死傷、12000名が捕虜となり、ギリシャ国王含む18000名がエジプトへの脱出に成功した。参考:月刊PANZER2,123,02、現代の空挺作戦

<メルケ・モラーニ>:MS406戦闘機(フィンランド)を参照。

メルサド>:イラン防空軍地対空ミサイルシステムMersad。参考:月刊航空ファン9,19

<メルシャド>:ファテフA110(弾道ミサイル)を参照。

メルス・エル・ケビール海戦>:第2次大戦で1940622日にフランスが降伏したため、イギリス艦隊がフランス海軍艦艇の接収に動いた。74日、北アフリカのメルス・エル・ケビールでイギリス戦艦2隻、巡洋戦艦1隻、空母1隻、軽巡2隻、駆逐艦11隻と接収を拒むフランス戦艦4隻、駆逐艦6隻、水上機母艦1隻が交戦し、フランス戦艦ブルターニュが沈没した。参考:月刊世界の艦船4,17

<メルセデスベンツ770KW150U>:シュターツ・カロッサ(ヒトラー専用車)を参照。

<メルダース>:D-186(ミサイル駆逐艦)を参照。

メルダース>:ヴェルナー・メルダース(Werner Molders)。ドイツ空軍エース。部下からはファッティ(父親)のニックネームで呼ばれている。4機編隊(シュヴァルム)を基本とする戦闘機戦術や、地上部隊支援のための航空管制システムを考案した。スペイン内乱では14機を撃墜。黄作戦時は第51戦闘航空団司令官で、68機撃墜を達成した。194064日にフランス空軍機に撃墜されて捕虜となったが、フランス降伏で釈放された。1941630日、5機を撃墜して通算82機撃墜となり、リヒトホーフェンを抜いた。715日、ソ連機2機を撃墜して通算撃墜数101機となり、史上初の100機撃墜を達成、ダイヤモンド剣付柏葉騎士十字章を授与された。国防軍最高司令部は戦死を恐れて戦闘機隊総監に任命したが、1122日に事故死した。生涯撃墜数115機。最終階級は大佐。参考:グラフィックアクション36、月刊JWings6,09

<メルデス・ヌネス>:F104(イージス・フリゲート)を参照。

<メルテム2計画>:CN-235海洋監視型(トルコ)を参照。

<メルテム3計画>:ATR72ASW(対潜哨戒機)を参照。

メルトン>:イギリス海軍マンレイ級通船Melton1981年進水。参考:月刊世界の艦船5,83

<メルブレイク>:L73(駆逐艦)を参照。

<メルボルン>:05(ミサイル・フリゲート)またはR21(軽空母)を参照。

<メレット>:APA-156(攻撃輸送艦)を参照。

<メレディス>:DD-434(リバモア級駆逐艦)またはDD-726(アレン・M・サムナー級駆逐艦)またはDD-890(ギアリング級駆逐艦)を参照。

<メレナ>:AKA-32(攻撃貨物輸送艦)を参照。

<メロ>:SS-378(潜水艦)を参照。

メロカCIWSシリーズ>:スペイン海軍近接防御兵器で、MEhrRohKAnone(多砲身機関砲)の略。スペイン海軍の要求で1975年からスペインのバサン社が開発し、1980年代に完成した。アメリカ製またはセレニア社製追尾レーダー、ロッキード・エレクトロニクス社製FCS、エリコン社製20mm機関砲を組み合わせたもので、目標情報を艦の捜索レーダーから戦闘システム経由で受け取って追尾に入る。プリンシペ・デ・アストゥリアス級空母サンタ・マリア級フリゲートバレアレス級フリゲートガリシア級揚陸艦に搭載された。参考:月刊世界の艦船2,'211,'15増刊、月刊軍事研究12,06、月刊丸3,90

メロカ>:最初の実用化型。120口径20mm機関砲を6列2段の計12門並べ、PVS-2パルス・ドップラー・レーダー(Xバンド。目標探知距離は高度10m以下を飛翔するRCS0.1平方メートルの目標で12-14km、追尾距離は5km)を組み合わせている。機関砲は微妙に斜め外向きにずらし、キルゾーンを広くした。3点バーストを2秒間に4回行うのが基本だが、全門同時に発射すると反動が強烈な上に砲弾同士が干渉するので、各門で僅かに発射間隔をずらしている。オープンループ方式で、射弾を観測して照準にフィードバックする能力は持たない。マウント重量4500kg。全周旋回可能で、旋回速度毎秒90度、俯仰角マイナス15度(20度?)からプラス85度。初速毎秒1215-1295m、最大射程3000m。発射速度毎分2700-3600発(1440発?9000発?)。対艦ミサイルに対して1回の射撃(計12発)あたり撃墜率87%とされる。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊、艦載兵器ハンドブック改訂第2版、月刊軍事研究12,06、月刊丸3,90

メロカ2A>:ECM対策でGELLLTVと赤外線暗視装置を追加したもの。1992年に実用化された。参考:月刊世界の艦船2,21

メロカ2A3>:射撃指揮装置のコンピュータをアナログからデジタルに変更し、全自動射撃を可能としたもの。1990年代後半に実用化された。参考:月刊世界の艦船2,21

メロカ2B>:追尾レーダーをRTN-30Xに換装したもの。参考:月刊軍事研究12,06

メロメロ>:日本軍機が使用した迷彩で、灰緑色の下地に細い暗緑色の蛇行した線をぐねぐねと引っ張ったものである。参考:月刊JWings4,04

メワ>:ポーランド海軍クログレチ級掃海艇。船体は鋼製で、船体装着ソナー、リモコン機雷掃討水中航走体、音響・磁気掃海アレイ、新型通信装置、消磁システムを装備し、新型エンジンに改修して艦齢35年でも現役である。参考:月刊軍事研究1,00

<メンゲス>:DE-320(護衛駆逐艦)を参照。

メンコ>:日本陸軍用語で、金属製食器を指す。元は陸軍創設当時に使用されていた面桶(めんつう)と呼ばれる直方体の升のような木製食器のことで、明治20年頃から琺瑯引金属製食器(飯椀、汁椀、皿)が使われるようになっても通称が引き継がれている。海軍では下士官・兵用の食器を指す。参考:写真で見る日本陸軍兵営の食事、帝国陸海軍事典

メンコの数>:日本陸海軍用語で、軍隊でメシを食った数、要するに年季のこと。階級よりも重要視され(星の数よりメンコの数)、4年目の下士官は5年目の兵長に頭が上がらず、敬礼も先にする。もちろん年齢よりも重要視され(年の数よりメンコの数)、太平洋戦争末期に召集された30-40代の第2補充兵の新兵を10-20代の古参兵が叩きのめす事も日常茶飯事だった。参考:帝国陸海軍事典、新兵サンよもやま物語、海軍兵学校よもやま物語

メンコ飯>:日本陸軍用語で、兵食のこと。参考:写真で見る日本陸軍兵営の食事

メンシ>:中国のドンフェン社が開発した装輪装甲車で、4×4輪と6×6輪がある。エンジンはカミンズ社製ディーゼル(200馬力)、トランスミッションはマニュアル式。参考:月刊軍事研究12,14

メンジンスキイ>:ソ連海軍クリヴァクV型フリゲートMenzhinsky1984年竣工。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

面ずれ>:自衛隊のスラング。銃剣道の防具で髪の毛の生え際が薄くなること。参考:MAMOR vol.100

面石>:日本海軍用語で、洗面用石鹸のこと。参考:海軍よもやま物語

<メンター>:T-34練習機またはT-34A連絡機(海上自衛隊)またはアドバンスド・オライオンを参照。

メンター>:イギリス海軍マンレイ級通船Mentor1981年進水。参考:月刊世界の艦船5,83

メンター>:イギリス空軍無線訓練・連絡機Mentor。マイルズ社が生産した低翼単葉機のナイトホークを改良したものである。全長7.97m、全幅10.6m、全備重量1230kg。エンジンはデハビラント・ジプシーシックス1(200馬力)単発、最大速度250km。乗員3名。1938-39年に45機が引き渡された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

<メンディ>:F-148(フリゲート)を参照。

<メンディップ>:L60(護衛駆逐艦)を参照。

<メンデス・ヌニェス>:D-63(駆逐艦)またはF-104(イージス・フリゲート)を参照。

メンデス・ヌネス>:スペイン海軍メンデス・ヌネス級巡洋艦Mendez Nunez1924年竣工。19327月、フィニステル岬沖でブラス・デ・レソと共に座礁したが、復旧した。1940年代に防空巡洋艦に改造された。1963年に除籍された。参考:近代巡洋艦史

メンデス・ヌネス級>:スペイン海軍巡洋艦Mendez Nunez級。1915年に制定された海軍法に基づいて2隻の建造が決まり、イギリス海軍C級巡洋艦をベースに1917年に起工した。全長140.8m、幅14.0m、吃水4.4m、常備排水量4650トン。主機は蒸気タービン、出力45000馬力、4軸推進、速力29ノット。兵装は15.2cm単装砲6門(艦橋前部、船首楼後端両舷、後部マスト直後の01甲板両舷、後部上甲板)、3ポンド単装高角砲3門、53.3cm3連装魚雷発射管4基(第2・第3煙突間両舷、第3煙突・後部マスト間両舷)。乗員343名。1924-25年にメンデス・ヌネスとブラス・デ・レソが竣工した。参考:近代巡洋艦史

メンテナンス・フリー>:定期的な修理点検が要らないこと。参考:陸上自衛隊地上戦力の全容

メンデレーエフ超重戦車>:メンデレーエフ技師が1915年に設計した170トン戦車。上下伸縮式の懸架装置を持ち、車輪を車体に引き込んでトーチカにすることもできる。しなくてもいいと思うけど。全長13m、全幅10m、全高4.4m。最大装甲厚150mm、天井も70-80mmの厚さがあり、殆ど艦砲のシールド並みである。250馬力のガソリンエンジンを搭載して最大速度24kmというが、トンあたり馬力からして実際それだけ出せるかどうか。車体前方に固定式の120mmカネー砲、車体中央の砲塔に7.62mmマキシム機銃1丁を積む。乗員は指揮官1名、操縦手2名、砲操作員4名、観測員1名の8名。参考:ソビエト・ロシア戦闘車両大系(上)、月刊PANZER8,97

<メンドシノ>:APA-100(攻撃輸送艦)を参照。

面取り翼>:翼端部後縁の前進角を大きくした主翼で、ステルス性向上と翼端誘導抵抗減少に効果があり、F-22T-50が採用している。F-35は採用していない。参考:月刊軍事研究11,11

<メンドンカ>:T-AKR-303(輸送艦)を参照

<メンハーデン>:SS-377(潜水艦)を参照。

<メンフィス>:CL-13(軽巡洋艦)またはSSN-691(潜水艦)を参照。

<綿陽>:528(フリゲート)を参照。

 

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