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<ヘア>:Mi-1シリーズ(ヘリ)を参照。

<ベア>:Tu95シリーズ(爆撃機)またはTu-142シリーズ(対潜哨戒機)を参照。

ベア>:ドイツ軍計画自走迫撃砲194334日にクルップ社が兵器局第6課に案を提出した。避弾経始に優れた強力な装甲を持っており、車体後部に搭載される機関系はX号戦車とティーガーB型から流用しており、車体後方の固定式戦闘室に30.5cm後装式迫撃砲を装備している。転輪はゴム内蔵式鋼製で、千鳥式配置、サスペンションはリーフスプリング。大重量を支えるため履帯幅は1mもあり、列車輸送時には幅0.5mの専用履帯を使う。主砲及び砲架の重量は合計16.5トン、射界は左右2度ずつ、俯仰角は0-70度。使用弾は重量350kg・推進薬50kgの榴弾(初速毎秒355m、最大射程10.5km)と、重量380kg・推進薬35kgのコンクリート破砕弾(初速毎秒345m、最大射程10km)、装弾数10発。全長8.20m、全幅4.1m、全高3.55m、戦闘重量120トン。装甲厚は車体前面上部130mm、下部100mm、側面80mm、底面前部60mm、後部30mm、上面50mm、戦闘室前面130mm、側面80mm、上面50mm。エンジンはマイバッハHL230、トランスミッションはAK7-200、操向装置はL801で、最大速度20km510日に名称の添えられた図面が提出されたが、それ以上は進展しなかった。参考:月刊グランドパワー8,10

<ペア>:日本海軍用語で、多座機に同乗する搭乗員グループのこと。一蓮托生なので、必然的に家族兄弟のような付き合いとなる。参考:月刊航空ファン7,19

<ペアー>:対番を参照。

ベアーでする>:日本海軍士官のスラングで、コンドームを使わずに性交すること。参考:帝国陸海軍事典

<ベア・エイセズ>:VAW-124(空中早期警戒飛行隊)を参照。

<ペア・オー・ダイス>:第90戦闘飛行隊を参照。

<ベアキャット>:F8Fシリーズ(艦上戦闘機)を参照。

<ベアス>:F37(初代ブラマプトラ級フリゲート)またはF37(2代目ブラマプトラ級フリゲート)を参照。

ベア・トラップ>:カナダ海軍が開発したヘリコプター着艦拘束移送装置の通称で、1960年から開発され、1964年にサン・ローラン級護衛艦アシニボインに初装備されて実用試験を実施、高い有効性が評価されて海上自衛隊を含む各国海軍に採用された。装置は着艦拘束装置と移送装置からなり、飛行甲板後端にリテイニング・レールと呼ばれる縦のグリッド状の構造があって、そこから格納庫に向けて移送用軌条が真っ直ぐ伸びている。移送用軌条には四角い枠状をした急速拘束装置が取り付けられていて、ヘリ甲板下にあるウインチで移送ケーブルを出し入れすることにより、前後に動く。急速拘束装置の中央の孔からはヘリコプター引き下ろしケーブルが出ていて、末端は航空動力室にあるヘリコプター引き下ろしウインチに繋がっている。ヘリコプターの機体下面には予めメッセンジャー・ラインを収容したメイン・プローブとテールプローブを装着しておく必要がある。着艦しようとするヘリはヘリコプター甲板の着艦位置上空でホバリングを行い、管制官(LSO)の指示でメッセンジャー・ラインを降ろす。甲板員は静電気を除去してからそれを引き下ろしケーブル末端のエンド・フィッティングと結び、ヘリはLSOの指示によりウインチでメッセンジャー・ラインを巻き上げて引き下ろしケーブルをメイン・プローブ内に引き込む。その後、LSOはヘリ操縦士と連絡を取りつつ急速拘束装置の真上にヘリを誘導し、引き下ろしウインチで引き下ろしケーブルを巻き上げると、ヘリがヘリ甲板に近づいていき、着艦する。海が穏やかな時は、メッセンジャー・ラインを使わず、直接着艦することもできる。すると急速拘束装置のアレスティング・ブームが閉じてヘリ下面に装着されたメイン・プローブを掴むので、引き下ろしケーブルとメインプローブの接続を切る。ヘリの中心線と艦の中心線がずれている場合は、急速拘束装置の左右動ブレーキを解放し、テールガイド・ケーブルを尾輪に取り付けてヘリを旋回させ、中心線を合わせた後、テール・プローブをリテイニング・レールのグリッドに填め込んで左右に揺れないようにする。その後、LSOが操作する移送ケーブルに引っ張られた急速拘束装置が移送軌条に沿って移動、格納庫までヘリを引っ張っていく。RASTの拘束装置も殆ど同じ役目をするので、同じくベア・トラップと通称される。参考:丸スペシャルNo.78、月刊世界の艦船4,98、月刊JWings12,99

<ベアトラップ・バイキング>:S-3対潜哨戒機ファミリーを参照。

ヘアブラシ手榴弾>:No12手榴弾やドイツの初期の柄付き手榴弾の別名。木べらの先端に爆薬缶を取り付けており、外観がヘアブラシに似ているためこの名が付いた。参考:手榴弾・迫撃砲

<ペアリーフ>:A77(給油艦)を参照。

ペアリーフ級>:イギリス海軍補助給油艦Pearleaf級。全長173.2m、幅21.9m、吃水9.2m、満載排水量25790トン。主機はディーゼルで、出力8800馬力、速力16ノット。A77ペアリーフが1960年に竣工した。参考:月刊世界の艦船5,83

<ベアリング給脂機>:自衛隊の機器。澤田産業製。参考:月刊軍事研究2,17

<ベアリング・ライダー>:方位線誘導を参照。

ベアリングレス型ローター>:リード・ラグ・ヒンジ、フラッピング・ヒンジ、フェザリング・ヒンジを全て省略したローターヘッドのこと。参考:月刊JWings3,18

ベアルン>:フランス海軍ベアルン級空母Béarn19141月にノルマンディ級戦艦5番艦として起工されたが、第1次大戦勃発で1915年に工事が中断、戦後に船台を空けるため工事を再開して進水させた。ワシントン軍縮条約で空母に改造されることになり、19238月に工事を再開、19275月に竣工し、192851日に就役した。1929年、飛行甲板前部を前下がりにした。19406月にフランス領西インド諸島に回航され、1944年まで抑留された。その後アメリカに移って改装を施され、自由フランス海軍の隷下に入ってカナダ−フランス間の航空機輸送に使用された。194510月、仏印への派兵に参加した。その後は練習艦や宿泊艦として使用されている。19673月に除籍され、イタリアで解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦、月刊世界の艦船6,'2010,19

ベアルン級>:フランス海軍空母Béarn級。元はノルマンディ級戦艦5番艦で、1914年に起工されたが第1次大戦で建造を中断していたものを設計変更し、1927年に完成した。船体上に全長124mの2層の格納庫を設置し、その上に全長180mの全通飛行甲板を載せ、エレベーターを艦前中後部に計3基設けてある。飛行甲板は厚さ25mmの装甲板で装甲化されており、後部は艦尾に向けて傾斜を付けた。艦橋と煙突は一体型で、右舷側に設置した。煙突直下の舷側にはスリット状の吸気口が多数開口しており、排煙と混ぜて温度を下げる。主機は建造中に廃艦となったノルマンディ級1番艦のものを流用した。最大速力が低く、甲板の長さも短めで、第2次大戦では主に航空機輸送に投入された。全長182.6m、最大幅35.2m、船体幅27.13m、吃水9.3m、基準排水量22146トン。主機は巡航用レシプロ蒸気機関2基・高速用直結蒸気タービン2基、出力37200馬力、巡航2軸(外舷)+高速2軸(内舷)推進、最大速力21.5ノット。搭載機数は40機(格納庫上段に常用17機、下段に補用23機)。兵装は15.5cm単装砲8門(艦前後両舷タンデムスポンソンに1基ずつ)、7.5cm単装高角砲6門、37mm単装高角砲8門、8mm単装機銃12丁、55cm水中魚雷発射管4門。ベアルンが1927年に竣工した。1944年にアメリカで改装を実施。飛行甲板前端を切り取って本格的な航空機輸送艦とし、兵装を12.7cm単装両用砲4門、40mm4連装機関砲6基、20mm機関砲20丁に換装、アメリカ海軍式の迷彩を施している。後方での航空機輸送が主任務なので、本格的な対空レーダーは積まなかった。1967年に除籍された。参考:第2次大戦のフランス軍艦、月刊世界の艦船6,'2010,198,11

兵(日本海軍)>:四等兵として海兵団に入団する。6ヶ月の訓練を終えると三等兵に進級し、艦や部隊に配属され、新三と呼ばれる。兵器や機器などに触るなどは以ての外、勤務内容は丁稚奉公のようなものである。6ヶ月経過して次の三等兵が配属されると、旧三と呼び名が変わる。もう6ヶ月勤務して進級試験に合格すると二等兵に進級し、1年経つと術科学校普通科練習生を受験できるようになる。合格すれば普通科練習生となって6-12ヶ月の教育を受け、卒業すると特修兵(マーク持ち)となり、配属先で勤務に入る。一等兵への受験資格は二等兵進級後12ヶ月だが、マーク持ちの成績優秀者でないと一発合格とはならないので、一等兵に進級して一応一人前と認められるには最低でも海兵団入団から3年、マーク無しなら5年以上かかることもある。一等兵を1年4ヶ月務めると、下士官任用試験を受験可能となるが、最低6年間の服務義務が生じるので、将来を考えつつ受験する。太平洋戦争に突入すると、昇進試験で選りすぐっている暇は無くなり、経過期間に応じて半自動的に進級した。参考:日本海軍艦隊総覧、海軍よもやま物語

兵(日本陸軍)>:入隊して半年の訓練で一等兵に進級する。その後12ヶ月で成績順に上等兵に進級していく。参考:新兵サンよもやま物語

<米−4>:Mi-4海外シリーズ(ヘリ)を参照。

<米−17>:Mi-17海外シリーズ(ヘリ)を参照。

<米アフリカ軍>:USAFRICOM(統合軍)を参照。

平安丸>:日本海軍平安丸型特設潜水母艦Heian maru。元は昭和51124日に竣工した日本郵船の貨客船(氷川丸級3番船)である。昭和1610月、徴用されて特設潜水母艦に類別された。12月、改造を完了。太平洋戦争開戦直後に第1潜水戦隊旗艦となった。昭和19219日、トラック空襲で沈没した。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド、写真集日本の小艦艇、月刊世界の艦船2,21

平安丸型>:日本海軍特設潜水母艦Heian maru型。日本郵船貨客船を改造したものである。全長163.3m、幅20.1m、深さ12.5m、満載吃水9.14m、総トン数11621トン、重量トン数10250トン。主機はB&W複動4行程ディーゼル2基、連続最大出力13121馬力、2軸推進、航海速力16ノット、最大速力18.498ノット。兵装は15cm単装砲3門(前後甲板、艦橋前方)。九三式13mm連装機銃2基も積んでいたらしい。平安丸と日枝丸が改造された。参考:月刊モデルアート9,15増刊

兵員(日本海軍)>:大正9729日の階級呼称変更で、下士官と兵を合わせてこう呼ぶようになった。参考:月刊丸12,11

兵員室(日本海軍)>:食卓と腰掛け兼衣服箱(4-5名用)が並んでいる。衣服は腰掛け兼衣服箱の中に、小物や私物は棚に収納する。就寝時は釣床格納所に置いてある釣床を吊すが、何名かは食卓を折り畳んで並べたものを使用する。石炭ストーブや暖房機、小銃架なども用意されている。参考:月刊世界の艦船10,06

<米インド太平洋軍>:USINDOPACOM(統合軍)を参照。

兵員輸送艦(アメリカ海軍)>:アメリカ海軍艦隊補助艦Transport、艦種記号はAP。揚陸地点の沖合に兵員を輸送するのが主任務である。参考:月刊世界の艦船2,14

兵員揚陸艦(イギリス海軍)>:Landing Ship Infantry。揚陸地点までの距離が長く、小型揚陸艇が単独で揚陸作戦に参加できない場合に使用された揚陸艦で、揚陸艇を船内に搭載し、部隊を直接海岸に揚陸させる。全て商船改造艦で、大中小と揚陸艇操作を専用の機力に頼らないタイプの4種が建造された。参考:第2次大戦のイギリス軍艦

<ヘイヴァーフィールド>:DE-393(護衛駆逐艦)を参照。

<ヘイウッド>:APA-6(攻撃輸送艦)を参照。

<ヘイウッド・L・エドワーズ>:DD-663(駆逐艦)を参照。

ヘイウッド級>:アメリカ海軍攻撃輸送艦Heywood級。1918-19年竣工の貨物船を1940年にアメリカ軍が取得して改造したもので、当初は輸送艦APに類別され、19432月に攻撃油槽艦APAとなった。全長155m、軽荷排水量7630トン、排水量13525トン。主機は蒸気タービン、速力105ノット。兵装は127mm単装砲1門。LCM(6)4隻、LCVP21隻、LCPL1隻、LCPR1隻、兵員1275名など計2900トンを搭載できる。APA-6ヘイウッド、2番艦AP-13ジョージ・F・エリオットなど5隻が就役した。参考:月刊世界の艦船11,19、アメリカ揚陸艦史

兵役>:ServiceMilitary Service。軍隊の要員を国民から採用する制度。徴兵制による義務兵役と、志願制(Volunteer)による志願兵役がある。参考:月刊軍事研究4,14

 <兵役(イスラエル)>:徴兵されると男子は3年、女子は2年または20ヶ月の兵役に就き、男子は兵役を終えると43-45歳(希望者は49歳)までの予備役に就く義務もある。1990年以降は女性も戦闘職種に就けるようになり、2001年からは女性団が廃止されて一般兵科に加入することとなった。女性は良心的兵役拒否制度があるが、超正統派ユダヤ教徒は男子でも確信犯的に兵役を拒否することが多い。神学校に通っている超正統派ユダヤ教徒は一生を教典研究に捧げるため兵役を免除されているが、2017年から兵役が課される予定。アラブ系イスラエル人は兵役を免除されている。予備役といっても周辺国との関係からいってほぼ確実に戦闘に参加することになるため、しょっちゅう呼び出されて訓練を行っている。参考:月刊軍事研究11,06MAMOR vol.57、月刊丸6,14

 <兵役(韓国)>:徴兵されると陸軍・海兵隊で24ヶ月、海軍で26ヶ月、空軍で27ヶ月の現役任務に就く。その後は予備役に編入され、兵で8年、将校・下士官で7年間務めることになる。予備役4年目以降は郷土予備軍の充足要員となることが多い。参考:月刊軍事研究4,07

 <兵役(クウェート)>:1976年の徴兵制制定時は18ヶ月で、1980年代後半からは24ヶ月になった。ただし大学生は12ヶ月である。参考:月刊PANZER4,93

 <兵役(スイス)>:アーミー61では、19-20歳で17週間の新兵徴集訓練を行い、20-42歳で3週間の再訓練を10回、43-50歳で1週間の再々訓練を2回行っていた。冷戦終結後のアーミー95では、新兵徴集訓練が15週に短縮され、再々訓練が廃止された。参考:月刊軍事研究3,97

 <兵役(スウェーデン)>:徴兵後、陸海軍は7.5-15ヶ月、空軍は8-12ヶ月の兵役に付く。予備役義務は47歳までで、兵は4年おき、将校と下士官は2年おきに3週間の再訓練を受ける。参考:月刊軍事研究4,97

 <兵役(台湾)>:徴兵による常備兵役を終了後は40歳まで予備役に編入され、召集訓練及び戦時動員に応じる。40歳以上で退官した場合は60歳まで予備役となる。常備兵役未経験者を予備役に編入する補充兵役もある。予備役は動員召集、臨時召集、教育召集、勤務召集、典閲召集に応じる義務があり、出頭が3日以上遅れると3年または5年の有期刑を喰らう。また、雇用主が出頭を拒否した場合、最高5年の有期刑が待っている。参考:月刊軍事研究2,124,07

兵役(中国)>:憲法第55条第2項に、兵役は中華人民共和国公民の光栄ある義務であると定められており、1955年に兵役法が制定された。徴兵で2年の現役を務め、終了後は基幹民兵(第一類予備役)となり、これも終了すると普通民兵(第二類予備役)となる。兵役を管理するのは省や市に所属する人民武装部を改編した兵役局で、省の人民武装部を軍省区司令部の隷下に移し、兵役業務を軍に移管した(省軍区−軍分区−県・市人民武装部の序列)。1986年、県と市の人民武装部が地方行政機関の隷下に移されたため、兵役業務管理が軍と地方行政機関の二重支配になった。参考:月刊軍事研究2,122,134,14

 <兵役(ドイツ国防軍)>:19353月から20歳の男子に1年間の兵役義務を課した。短めにしたのは、ベルサイユ条約下で兵士の数が限られていた上に既存兵の現役期間が長期に設定されていて、兵としての教育を受けた国民が少なく、予備役兵力が限定されていたため、これを短期間で補おうととしたものである。しかし短すぎて現役兵の戦力維持に問題があり、19368月から2年に延長された。各軍管区の補充大隊に入隊し、半年かけて基礎訓練、部隊単位の行動訓練、兵科ごとの専門訓練を受け、現役部隊に配属される。終了後は35歳まで予備役、45歳まで後備役に就く。1938年からはヒトラー・ユーゲントで基礎訓練の一部を実施するようになり、基礎訓練期間が短縮されて早期に部隊配備されるようになった。1943年から訓練が簡略化され、戦況の悪化から殆ど訓練を受けずに東部戦線に送り込まれることもあった。19446月のオーバーロード作戦以降は補充訓練部隊の大部分が前線に送られてしまい、訓練が殆どできなくなってしまった。参考:月刊丸9,03

 <兵役(日本海軍)>:徴兵は現役3年、志願は現役5年。徴兵適齢年齢に達する前の17歳以上の者が志願すれば現役3年で済む。参考:月刊世界の艦船9,13増刊

 <兵役(日本陸軍)>:日本人の三大義務の1つだった(他の2つは教育と納税)。昭和241日に兵役法が制定されている。日華事変の頃、徴兵検査で甲種合格した者(でクジのがれにならなかった者)は2年半の現役に就いていた(現役兵)。合格から入営までは4-6ヵ月かかるのが普通だが、たまに1年かかる事もあり、同時期の徴兵検査で合格した兵が初年兵と二年兵に分かれたりした。現役を終えると5年間の予備役、10年間の後備兵役、12年4ヶ月の補充兵役があり、これらの兵役を終えた者も国民兵役(第1と第2がある)に編入され、40才まで召集の義務を負う。現役と予備役を合わせて常備兵役と称する。昭和14年からは補充兵役が17年4ヶ月に延長され、昭和1611月には常備兵役を現役、後備兵役を予備役と呼ぶようになった。服役や簡閲点呼などで呼び出されると、会社を休んで出かけねばならず、解雇の理由にされる場合もあったため、昭和642日には入営者職業保障法が公布されている。太平洋戦争勃発後はクジのがれどころか甲種合格だけでは足らなくなり、第一乙種や第二乙種合格も召集兵として兵役に就き、30歳台後半でも補充兵として戦地に駆り出された。除隊までの期間も延長され、除隊されてもすぐに召集令状が来て再召集されていった。参考:月刊軍事研究12,064,14、帝国陸海軍事典、新兵サンよもやま物語、陸海軍学校と教育、月刊JWings11,15

 <兵役(ユーゴスラビア)>:20歳で徴兵されて18ヶ月の兵役に就き、65歳まで予備役となっていた。参考:月刊軍事研究7,99

 <兵役(ロシア)>:徴兵による兵役は2007年に2年間から1年半に、2008年に1年間に短縮された。2010年秋からは両親の徴兵検査立ち会い、週休二日制と食休みの義務化、携帯電話使用許可といった規定が導入され、徴兵忌避を防ごうとしている。参考:月刊軍事研究1,091,11

兵役法>:日本の法律で、総力戦に対応すべく、昭和241日に制定された。服役、徴集、召集、罰則などを規定している。徴集の対象は、戸籍法の適用を受ける日本男児(内地と樺太に本籍を置くもの)で、満17才から40才までのもの。ただし6年以上の懲役または禁固刑を受けた者、疾病により免除されたものは除く。常備兵役として現役(軍に入営している。陸軍2年、海軍3年)と予備役(平時は在郷している。陸軍5年4ヶ月、海軍4年)があり、現役が終了すると予備役に付いた。この常備兵役が終了すると後備兵役(平時は在郷しており、必要に応じて召集される。陸軍10年、海軍5年。昭和1611月に廃止)に就く。後備兵役が終了すると、第1国民兵役に40才まで編入され、有事の際には国民軍の根幹となる。また、現役に適しているが徴集されなかった者は第1補充兵役(陸軍124ヶ月、海軍1年)または第2補充兵役(陸軍12年4ヶ月、海軍は第1補充兵役に引き続いて11年4ヶ月)に組み込まれ、戦時や事変の際に動員を受ける。昭和14年には補充兵役の期間が17年4ヶ月になった。徴兵検査は満20才で行われるため、満17才から20才までは第2国民兵役に就き、有事には国民軍を形成する。また、40才未満で軍隊教育を受けていない者も、第4条で除外されているものと兵役免除者を除き、全て第2国民兵役に組み込まれた。師範学校を25才までに卒業したものは、短期現役兵として5ヶ月間のみ服役し、現役終了後は予備役と後備役を飛ばして第1国民兵役に就き、小学校教育で国防指導にあたることとしたが、昭和143月にこの制度は廃止された。兵役に就いている時に病気やケガなどで任務に堪えなくなったり、現役に就いている時に公的扶助を駆使しても家族を養えなくなったりした際には、他の兵役(後者では第2補充兵役に回される)に転役された。将校(将校相当官、准士官含む)は終身その官位を保有しており、その待遇を受けることができる。将校が就く官職は、基本的に現役将校が任命されるが、例外も認められていた。現役定限年齢も役職によって差があり、大将は65才まで、中将や軍医総監などは62才までなどとなっている。予備役は現役定限年齢に満ちた年の翌年331日まで、後備役は現役定限年齢に満ちた年から6年目の331日まで。予備役士官や下士官もそれぞれ別に定められており、徴兵や簡閲点呼に関する条文もある。兵役を逃れるために逃亡したり、故意に身体を損傷したり、疾病を偽ったりした場合には3年以下の懲役。入営が平時に10日以上遅れると6ヶ月以下の禁固刑、戦時に5日以上遅れると1年以下の禁固刑。徴兵検査を受けないと100円以下の罰金。徴兵適齢届を出さないと50円以下の罰金または科料。参考:帝国陸海軍事典

平遠>:日本海軍平遠型砲艦Heien。元は清国北洋水師の巡洋艦平遠(Pingyuen)で、明治23年に竣工した。明治28217日、威海衛で鹵獲。226日、威海衛を出港して日本に回航された。316日、日本海軍艦籍に編入。明治301月末から212日、英照皇太后大喪儀のため横浜に停泊。明治31321日、一等砲艦に類別された。明治33-34年、横須賀造船廠で大規模修理と改装を実施。12cm速射砲を搭載した。明治37918日、日露戦争で旅順封鎖中に鳩湾で触雷して沈没した。明治38521日に除籍された。参考:日本海軍特務艦船史、月刊世界の艦船6,015,20

平遠型>:日本海軍砲艦Heien型。元は清国北洋水師の鋼殻巡洋艦で、日清戦争時に威海衛で鹵獲したものである。元々建造中に主缶の一部が盗まれていて速力が低かった上、黄海海戦で受けた損傷の修理が終わっておらず、鹵獲後に整備したものの、機関故障が頻発するなどして明治33-34年に大規模修理を行うまでは沿岸警備や練習任務にしか就けなかった。垂線間長61m、最大幅12.40m、吃水4.15m、常備排水量2185トン。主機は横置式3気筒3段膨張レシプロ蒸気機械2基、主缶は石炭専焼汽車缶4基、出力2300馬力、2軸推進、公試時速力10.63ノット、石炭満載量313トン。兵装は克式35口径26cm単装砲1門、克式35口径15cm単装砲2門、保式57mm単装速射砲2門、保式37mm単装速射砲4門、保式38mm5連装機砲4基。乗員200名。平遠が明治28年に就役した。艦橋に装備していた探照灯1基が軌道上を移動させて両舷に向ける方式で、動かす度に近くの磁気羅針儀が狂って使い物にならなくなるという欠点があり、明治30520日付けで海軍大臣による移設許可が下り、マスト下部に探照灯台を設けて移している。参考:日本海軍特務艦船史、月刊世界の艦船5,20

<ベイオウルフ>:BvS10シリーズ(関節式車両)を参照。

陛下>:日本陸軍の使う敬称で、天皇、皇后、皇太后、大皇太后に対して使用する。参考:帝国陸海軍事典

兵科>:戦闘技能及び基本的役割を与えられた将兵のことで、この将兵により編成された部隊のことも指す。海軍では艦船場での各将兵の職域を指す。陸上自衛隊では職種、海上自衛隊では科という。参考:月刊軍事研究11,05、月刊世界の艦船8,11増刊

 <兵科(アメリカ陸軍)>:歩兵科、機甲科、騎兵か、野戦砲兵科、防空砲兵科、工兵科、航空科、特殊部隊科、通信科、軍事情報科、電子戦科、兵站科、医療科、会計科などがある。2013年、サイバー科が加わった。参考:月刊軍事研究9,18

 <兵科(日本海軍)>:明治時代の建軍当初に制定した。昭和8年の段階では兵科(砲術科、水雷科、通信科、航海科)、機関科、軍医科、薬剤科、看護科、主計科、造船科、造機科、造兵科、水路科、航空科、軍楽科に区分されていた。昭和1661日、航空科が飛行科に改称され、航空兵が飛行兵となり、階級も全て航空が飛行に変更された。昭和17111日の改正では、機関科が兵科に組み込まれ、兵科、軍楽科、看護科、主計科、技術科(造兵科、造機科、造船科、水路科を統合)に区分された。昭和18年に飛行科、整備科、工作科、昭和205月に法務科が追加されている。兵科(狭義)には従兵、衛兵、厠番、短艇員、酒保係といった役目が割り当てられ、それに外れた者は全員両舷直に割り当てられた。他科は交替勤務などの関係で、両舷直の割り当ては無い。参考:月刊軍事研究11,05、海軍技術研究所、続日本海軍よもやま物語、月刊丸5,13、月刊世界の艦船9,13増刊、大日本帝国陸海軍軍装と装備、月刊航空ファン8,18

 <兵科(日本陸軍)>:明治時代の建軍当初に西欧に倣って制定した。憲兵、歩兵(歩兵、戦車兵)、騎兵、砲兵(野砲兵、山砲兵、野戦重砲兵、重砲兵、騎砲兵、高射砲兵)、工兵(工兵、鉄道兵、電信兵)、航空兵(飛行兵、気球兵)、輜重兵(輜重兵、輜重特務兵)の7つで、他に経理部、衛生部(軍医、薬剤、看護兵、磨工兵、補助看護兵など)、獣医部、軍楽部の4部がある。昭和12年、技術部が新設された。昭和15年には憲兵科以外が廃止され、兵種の区分で人事を行うこととなった。昭和174月、法務部が新設された。参考:帝国陸海軍事典、月刊軍事研究11,05、軍医サンよもやま物語

 <兵科(武装親衛隊)>:兵科と兵科色は以下の通り。歩兵(白)、砲兵(赤)、工兵(黒)、装甲部隊(ピンク)、捜索大隊(カッパーブラウン)、騎兵(ゴールデンイエロー)、山岳/警察師団(グラスグリーン)、通信(レモンイエロー)、輸送補給(ライトブルー)、衛生(ダークブルー)、輸送(ライトピンク)、獣医(深紅)、将官(ライトグレイ)。参考:グラフィックアクション2

兵科(日本海軍、狭義)>:兵術担当部署で、砲術科、水雷科、通信科、航海科のこと。砲術、水雷、機銃、測的、電探、電信、航海、陸戦などを担当する。昭和17111日に機関科が加わった。従兵、衛兵、厠番、短艇員、酒保係といった役目が割り当てられ、それに外れた者は全員両舷直になる。参考:日本海軍艦隊総覧、月刊軍事研究11,05、海軍技術研究所、続日本海軍よもやま物語、月刊丸5,13、月刊世界の艦船9,13増刊

<ベイカー>:DE-190(護衛駆逐艦)を参照。

ペイカープT級>:イラン海軍哨戒艇PeykaapT級。兵装は324mm短魚雷単装発射管2門。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ペイカープU級>:イラン海軍ミサイル艇PeykaapU級。船体と背の低い上構は多面体で構成されている。兵装はC-701艦対艦ミサイル単装発射筒2基(艦後部両舷)、324mm短魚雷単装発射管2門。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊、THE MILITARY BALANCE 2016

ペイカープV級>:イラン海軍ミサイル艇PeykaapV級、別名ゾルファガール(Zolfaghar)級。兵装はC-701/C-704単装発射筒2基。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

平海>:中華民国海軍寧海級軽巡洋艦Ping Hai1936年竣工。1937年に日本軍機の爆撃を受けて大破着底した。その後日本が接収し、八十島として就役させた。参考:近代巡洋艦史

<米海軍からの技術支援(C−130Rテクニカル・サポート)>:防衛省がアメリカ海軍省に発注している。参考:月刊軍事研究10,18

<米海兵隊実動訓練用弾薬輸送>:防衛省がアメリカ陸軍省に発注している。参考:月刊軍事研究8,18

<閉回路式スキューバ>:スキューバを参照。

<閉回路風洞>:風洞を参照。

<米格15>:MiG-15海外シリーズ(戦闘機)を参照。

<米格15比斯>:MiG-15海外シリーズ(戦闘機)を参照。

米穀通帳>:米の購入券兼通帳で、昭和14年の米殻配給統制法公布から一部の地域で配布されるようになった。昭和15年から本格的に開始され、この年が不作だったために翌年から7市21町村で割り当て配給制度が開始された。昭和25年になっても1人1合5勺の米の配給が続けられている。参考:戦時用語の基礎知識

兵科色>:兵科ごとに割り当てられた色で、兵科を識別するために使用される。参考:海軍よもやま物語

兵科色(日本海軍)>:当初は士官の兵科を見分けるのに使用されたが、下士官と兵の階級章が全科で統一されると、階級章の真ん中の桜花に兵科色が塗られるようになり、これで下士官と兵の兵科を判断した。兵科は無し(下士官は黄色)、機関科は紫、飛行科は青(士官は兵科と同じで無し、兵曹長と特務士官だけがこの色)、整備科は緑、工作科は赤紫、看護科は赤、主計科は白。参考:海軍よもやま物語

<兵科色(武装親衛隊)>:兵科(武装親衛隊)を参照。

<丙型海防艦>:海防艦1号型を参照。

<丙型駆潜艇>:魚雷艇1号型(海自)を参照。

<丙型駆逐艦>:島風型を参照。

丙型警備船>:魚雷艇を指す海上自衛隊用語。参考:海上自衛隊全艦艇史、月刊世界の艦船11,'17増刊

<丙型特殊船>:あきつ丸型上陸用舟艇母船を参照。

平甲板型>:Flash Deck Type。艦首から艦尾まで1枚の全通甲板で覆ったもの。強度上有利であり、最もオーソドックスな船型である。艦が小さいと、深さに対して主機の高さが大きめになるので、全通第2甲板を作るのが難しく、長船楼型にしたり、上甲板の甲板室に通路を通したりと工夫する必要がある。参考:艦船メカニズム図鑑、歴史群像10,06、月刊世界の艦船4,98

平甲板型空母>:フラッシュ・デッキ型空母ともいう。飛行甲板上に艦橋などの構造物を持たない空母で、飛行甲板に突起物が無いため発着艦が容易だが、艦橋の位置が低く、飛行甲板を見渡すのも難しいので、航海や航空機艦上運用に難がある。軽量で着艦速度が極めて遅く乱気流に弱い複葉艦上機が、小型空母の狭い飛行甲板に着艦していた時代に建造されたが、艦上機の発達と空母の大型化で廃れた。参考:日本海軍艦隊総覧、図解日本の空母、月刊世界の艦船1,20

<米艦防護>:武器等防護を参照。

米韓連合軍>:CFCUS/ROK Combined Forces Command)と略す。朝鮮半島有事の際に在韓米軍と韓国軍で構成する連合軍で、1978117日に常設の司令部が創設された。これに伴い、朝鮮戦争再燃時の韓国軍に対する作戦統制権が在韓国連軍司令官から米韓連合軍司令官(どちらも同一人物だが)に移され、在韓国連軍は停戦協定維持のみを行うことになっている。トップは米韓連合軍司令官(アメリカ陸軍大将)で、隷下に地上構成軍、空軍構成軍、海軍構成軍を置き、地上構成軍司令官は米韓連合軍司令官の兼務、空軍構成軍司令官はアメリカ空軍中将、海軍構成軍司令官は韓国海軍中将である。1992年、7月、米韓連合野戦軍が解隊され、アメリカ陸軍第2歩兵師団が東豆川のキャンプ・ケーシーから議政府のキャンプ・レッド・クラウドに移駐し、非武装地帯の防衛任務を韓国軍に譲った。12月、地上構成軍司令官が韓国陸軍大将になった。海兵構成軍が新編された。平時は韓国海兵隊将官が司令官を務め、韓国海兵隊と在韓米海兵隊(支援部隊のみ)を隷下に置くが、戦時にはアメリカ海兵隊の増援を受け入れ、司令官もアメリカ軍将官に交代する。19949月、戦時に増援に来る第7艦隊も海軍構成軍の指揮下に入ることになった。これに伴い、戦時の海軍構成軍指揮官がアメリカ第7艦隊司令官の兼務に変更されている。12月、朝鮮戦争休戦中の韓国軍に対する作戦統制権が韓国軍合同参謀本部議長に渡された。199412月までに北朝鮮の脅威度を評価し、相当に小さいと判断されれば戦時の作戦統制権も韓国に返還し、米韓連合軍を解体する予定だったが、核開発疑惑で延期された。2004年、200510月、韓国軍の戦力増強で単独防衛が可能との評価が高まったため、米韓安全保障協議会で戦時作戦統制権返還協議を開始。20069月、米韓首脳会談で戦時作戦統制権返還に合意し、2012417日に戦時作戦統制権を韓国に移譲することになった。しかし北朝鮮による核実験、弾道ミサイル開発、天安撃沈事件などが発生、韓国側の要求により2010626日の米韓首脳会談で返還が2015121日に延期された。その後も北朝鮮の脅威は増大し、201410月の米韓安全保障協議会で戦時作戦統制権返還が白紙に戻された。参考:月刊軍事研究10,1812,1510,16

 <米韓連合軍(1978年11月7日、創設時)>:地上構成軍、空軍構成軍、海軍構成軍からなる。地上構成軍は司令官が米韓連合軍司令官の兼務(アメリカ陸軍大将)、副司令官が韓国陸軍大将で、米韓合同第1軍団(アメリカ陸軍第2歩兵師団と韓国陸軍第3軍)、韓国陸軍第1軍、首都軍団を隷下に置く。空軍構成軍は司令官がアメリカ空軍中将、副司令官が韓国空軍中将で、アメリカ第38防空旅団、韓国空軍を隷下に置き、戦時にはアメリカ第7航空軍も隷下に入る。海軍構成軍は司令官が韓国海軍中将、副司令官がアメリカ海軍中将で、韓国海軍と在韓米海軍(支援施設のみ)を隷下に置く。戦時はアメリカ第7艦隊が増援に駆け付けるが、これは太平洋艦隊の指揮下にある。参考:月刊軍事研究10,16

 <米韓連合軍(2015年)>:司令官はアメリカ陸軍大将(在韓米軍司令官・在韓国連軍司令官との兼任)、副司令官は韓国軍大将。隷下に地上構成軍(司令官は韓国陸軍大将)、海軍構成軍(司令官は韓国海軍将官)、空軍構成軍(司令官はアメリカ空軍将官)、海兵構成軍(司令官は韓国海兵隊将官)を置き、朝鮮戦争の休戦が破れると戦時体制に移行、海軍構成軍司令官がアメリカ海軍第7艦隊司令官に、海兵構成軍司令官がアメリカ海兵隊将官になり、米韓連合不正規任務部隊(司令官は韓国側、副司令官はアメリカ在韓特殊作戦コマンド司令官が兼務)と米韓連合心理戦部隊(司令官は韓国側、副司令官はアメリカ側)が新編される。参考:月刊軍事研究12,15

兵器管制>:防空作戦時に敵機を要撃するため、戦闘機や高射部隊に要撃対象となる敵機を割り当てること。参考:MAMOR vol.86

兵器管制徽章>:航空自衛隊の徽章。中央にレーダーと航空機を配した盾、両脇に稲妻と月桂樹をアレンジしている。兵器管制に関する技能検定で航空幕僚長が定める基準に合格した者が付ける。参考:MAMOR vol.62vol.86

<兵器グレード・ウラニウム>:武器グレード・ウラニウムを参照。

<兵器グレード・プルトニウム>:武器グレード・プルトニウムを参照。

兵器工廠>:軍が直接管理・運営し、各種兵器の製造、開発研究、修理、貯蔵などを行う施設。参考:GUN用語辞典

<兵器システム将校>:WSOを参照。

兵器廠>:兵器の製造・修理を行う国営の施設。参考:GUN用語辞典

<兵器使用帯ギャップ>:WEZギャップを参照。

<兵器倉>:ウェポンベイを参照。

<兵器調達局>:DGAを参照。

米機の新型爆弾による攻撃に対する抗議文>:昭和20810日に、大日本帝国政府からスイス政府経由でアメリカ政府に提出された。「本月6日米国航空機は広島市の市街地区に対し新型爆弾を投下し瞬時にして多数の市民を殺傷し同市の大半を壊滅せしめたり 広島市は何ら特殊の軍事的防御ないし施設を施し居らざるふつうの一地方都市にして同市全体として1つの軍事目標たるの性質を有するものに非ず、本件爆弾に関する声明において米国大統領『トルーマン』はわれらは船渠工場および交通施設を破壊すべしと言いおるも、本件爆弾は落下傘を付して投下せられ空中において炸裂し極めて広き範囲に破壊的効力を及ぼすものなるを以てこれによる攻撃の効果を右の如き特定目標に限定することは技術的に全然不可能なこと明瞭にして右の如き本件爆弾の性能については米国側においてもすでに承知しておるところなり、また実際の被害状況に徴するも被害地域は広範囲にわたり右地域内にあるものは交戦者、非交戦者の別なく、また男女老幼を問わず、すべて爆風及び輻射熱により無差別に殺傷せられその被害範囲の一般的にして、かつ甚大なるのみならず、個々の傷害状況よりみるも未だ見ざる惨虐なるものと言うべきなり、抑抑交戦者は害敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を与うべき兵器、投射物その他の物質を使用すべからざることは戦時国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する条約付属書、陸戦の法規慣例に関する規則第22条、及び第23条(ホ)号に明定せらるるところなり、米国政府は今次世界の戦乱勃発以来再三にわたり毒ガスないしその他の非人道的戦争方法の使用は文明社会の輿論により不法とせられおれりとし、相手国側において、まずこれを使用せざる限り、これを使用することなかるべき旨声明したるが、米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において、従来かかる性能を有するが故に使用を禁止せられおる毒ガスその他の兵器を遙かに凌駕しおれり、米国は国際法及び人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民家などを倒壊または焼失せしめたり、而して今や新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪状なり帝国政府は自からの名においてかつまた全人類及び文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す」参考:軍縮条約・資料集第2版

ベイ級>:オーストラリア海軍掃海艇Bay級。双胴型で、表面をガラス繊維とレジンGRPで覆ったPVC発泡剤板をサンドイッチ状にして船体を形成しているため、磁気放射が極めて小さく、音響伝達性も低い。エンジンは双胴の間に設けられており、水中のエンジン音は双胴部に吸収されて弱められる。単胴型より吃水も浅く全長も短いため、水圧感応機雷に対する危険性も低い。全長30.9m、満載排水量178トン。主機はディーゼル・エレクトリック方式で、出力650馬力、シヨッテル・プロペラ2軸推進、速力10ノット。PAP104Mk3機雷処分具2基を装備する。必要時に12.7mm単装機銃2丁を搭載できる。乗員9名。使い勝手がイマイチだったらしく、1986-87年にラッシュカッターなど2隻のみ就役した。参考:月刊世界の艦船11,00、兵器メカニズム図鑑

ベイ級>:カナダ海軍掃海艇Bay級。船体はアルミニウム骨格の木製外皮、船型は長船首楼型で、船体中央前寄りに艦橋構造物、その少し後ろに煙突がある。艦橋頂部にラティスマストを持つ。全長46m、基準排水量390トン。主機はディーゼル2基2軸2400馬力、速力16ノット。兵装は40mm単装機関砲1門(煙突後方)。MCB-150ミラミチ、MCB-163ミラミチなど20隻が就役した。うち同じ艇名のものが6組12隻あり、艦番号の若い方は竣工と同時にフランス海軍に売却されている。参考:月刊世界の艦船4,16

ベイ級>:イギリス海軍ドック型揚陸艦(LSDBay級。イギリス海軍補助艦隊RFAが運用しており、正式な艦種は補助ドック型揚陸艦LSD(A)である。地球規模での揚陸作戦に使用される揚陸艦で、1990年代末から補給揚陸艦の後継として開発され、2002年秋にLSDに変更された。オランダのロイアル・シェルデ社が開発したエンフォース型LSDをベースとしており、主任務は揚陸任務部隊の補助(オーシャン級やアルビオン級の後詰めを担当)、災害救助、人道支援。前方3分の1に上部構造物、中央に30トンクレーン2基があり、後半がヘリ甲板となっていて、V-22及びヘリコプターの発着スポット2ヵ所を持つ。航空機格納庫は無いが、上構と30トンクレーンの間に仮設ヘリ格納庫を設置可能。全長176.7m、幅26.4m、吃水5.8m、満載排水量16419トン。主機はディーゼル・エレクトリック方式で、ディーゼル発電機4基・アジマスポッド2基、速力18ノット。ウェル・ドックにLCU Mk10を1隻(4隻?)、LCVP Mk5を2隻、メクセフロートを2隻収容し、チャレンジャー2戦車24両(36両?)または各種車両150両または40フィートコンテナ12個、海兵隊356名を搭載できる。乗員59名(最大75名)。L-3006ラーグス・ベイ、L-3007ライム・ベイ、L-3008マウンツ・ベイ、L-3009カーディガン・ベイの4隻が2006-07年に就役した。参考:月刊世界の艦船10,062,143,145,1612,'209,'23、月刊軍事研究11,08THE MILITARY BALANCE 2016

<ベイ級・海外シリーズ>

 <チョールズ級>:オーストラリア海軍ドック型揚陸艦Choules級。カニンブラ級揚陸艦が早期退役となったため、L-3006ラーグス・ベイを購入して改称したものである。艦前方に箱型の艦橋構造物があり、その後ろにヘリ格納庫(仮設。1機収容可)、その後ろの艦中央部付近にクレーン(両舷に1基ずつ)を持ち、艦後半部はヘリ甲板になっている。ヘリ甲板直下にドック・ウェルがあり、LCM8型揚陸艇1隻とLCVP2隻を収容できる。ドック・ウェルの前方が車両甲板で、戦車32両(24両?)、軽トラック150両、弾薬200トン、20フィートコンテナ24個を積載可能。全長176m、満載排水量16190トン。主機はディーゼル・エレクトリック、速力18ノット。兵装は30mm単装機関砲2門、7.62mm多銃身機銃2基。海兵隊員356名を乗せられる。L100チョールズ2011年に就役した。参考:月刊世界の艦船3,127,'219,1212,122,14

ベイ級>:イギリス海軍フリゲートBay級。ロック級の対空兵装強化型で、対潜兵装はヘッジホッグに戻された。全長93.7m、幅11.7m、吃水2.9m、基準排水量1580トン。主機はレシプロで、出力5500馬力、速力20ノット。兵装は45口径10.2cm連装高角砲2基、40mm連装砲2基、20mm機関砲4門、ヘッジホッグ1基、爆雷投射機(爆雷50個)。40mm単装機関砲を搭載した艦もある。1949年までにK606ビッグバリー・ベイ、K630カーディガン・ベイ、K600セント・ブライズ・ベイ、K634セント・オーステル・ベイ、K651ヴァーヤン・ベイ、K633ホワイトサンド・ベイ、K615ワイドマウス・ベイなど19隻が就役し、他に6隻が測量艦などに改造されて就役した。参考:第2次大戦のイギリス軍艦、月刊世界の艦船9,96

<平均キャンバー線>:翼型中心線を参照。

<平均線>:翼型中心線を参照。

<ヘイク>:SS-256(潜水艦)を参照。

<米空軍宇宙業務課程研修経費>:防衛省がアメリカ空軍省に発注している。参考:月刊軍事研究11,16

米軍コード>:アメリカ軍情報部兵器及び宇宙システム情報委員会(WSSIC)が旧東側兵器に付けたコードネームのこと。空対空ミサイルにはAA、空対地ミサイルにはAS、地対空ミサイルにはSA、弾道ミサイルにはSSSurface-to-Surface)、艦対地・艦対艦ミサイルにはSS-N、艦対空ミサイルにはSA-A、短距離砲兵ミサイルにはFROGFree Rocket Over Groundの略)を付け、その後に番号をふっている。参考:月刊PANZER8,02、月刊世界の艦船11,17

米軍再編交付金>:米軍再編に関連する自治体に支払われる交付金で、協力しない自治体には支出されない。2007年に成立した10年間の時限立法である駐留軍等の再編の円滑な実施に関する特別措置法に基づく。2009年度には91300万円が支払われた。参考:月刊軍事研究7,10

米軍再編に係る航空機の訓練移転>:ATRと略す。嘉手納、三沢、岩国の騒音などによる地元負担を軽減するため、在日米軍の訓練の一部を千歳、三沢、百里、小松、築城、新田原基地で行い、ついでに自衛隊と共同訓練を実施して相互運用性向上を図るもので、200651日に日米安保協議委員会、2007111日に日米合同委員会で合意された。アメリカ軍機1-5機が1-7日間実施するタイプT訓練と、6-12機が8-14日実施するタイプU訓練がある。グアムなど海外においてアメリカ軍機のみで行う、単独訓練の移転もある。参考:朝雲、月刊JWings3,17

<ペイケンハム>:G06(駆逐艦)を参照。

平衡舵>:バランス舵、釣合舵ともいう。舵の回転軸を揚力作用中心付近に設置したもので、小さな力で舵を動かすことができる。参考:図解雑学 船のしくみ、海軍操舵員よもやま物語

<併合型ライトニング運用技術者>:BOLTSを参照。

平衡機>:砲身部、駐退復座装置、揺架などからなる俯仰部が、全射角で砲耳軸回りの重量モーメントとの平衡を保ち、小さな力で俯仰運動が行えるようにする装置。砲耳軸は砲身基部に取り付けられているので、そのまま砲身を俯仰させようとすると、てこの原理の逆でかなりの力を入れなければならないが、平衡機で砲架と砲身を繋ぎ、重量の釣り合いを取ることにより、少ない力で俯仰できるようにする。作動方式によりバネ式、液気圧式などに分類される。参考:火器弾薬技術ハンドブック、ザ・マーチ5号、MAMOR vol.146

丙号自動貨車>:日本陸軍の4輪トラックで、甲号と乙号の経験を元に改良を加えている。全長5.2m、全幅1.8m、総重量4.3トン、ペイロード1.8トン。参考:機甲入門

平行捜索パターン>:ラダーパターンともいう。地形が平坦で、広範囲を捜索する時に使う方法である。参考:月刊JWings12,99

<米国委託教育(BMDトレーニング)>:防衛省がアメリカ空軍省に発注している。参考:月刊軍事研究11,16

<米国委託教育(海軍情報基礎他)>:防衛省がアメリカ海軍省に発注している。参考:月刊軍事研究11,16

<米国委託教育(機動展開戦幕僚計画過程)>:防衛省がアメリカ海軍省に発注している。参考:月刊軍事研究11,16

<米国委託教育(コンピュータセキュリティ課程)>:防衛省アメリカ空軍に発注している。参考:月刊軍事研究7,18

<米国委託教育(その1)>:防衛省がアメリカ空軍省に発注している。参考:月刊軍事研究11,16

<米国委託教育(その2)>:防衛省がアメリカ空軍省に発注している。参考:月刊軍事研究12,16

<米国委託教育(その3)>:防衛省がアメリカ空軍省に発注している。参考:月刊軍事研究11,16

<米国委託教育(その4)>:防衛省がアメリカ陸軍省に発注している。参考:月刊軍事研究12,16

<米国委託教育(その5)>:防衛省がアメリカ海軍省に発注している。参考:月刊軍事研究11,16

<米国委託教育(その6)>:防衛省がアメリカ海軍省に発注している。参考:月刊軍事研究9,18

<米国委託教育(その7)>:防衛省がアメリカ海軍省に発注している。参考:月刊軍事研究7,17

<米国委託教育(米海軍大指揮課程他)>:防衛省がアメリカ海軍省に発注している。参考:月刊軍事研究11,16

<米国委託教育(米海軍飛行試験他)>:防衛省がアメリカ海軍省に発注している。参考:月刊軍事研究7,18

<米国委託教育(米国統合軍幕僚大学等)>:防衛省がアメリカ陸軍省に発注している。参考:月刊軍事研究12,16

<米国委託教育(米国防大)>:防衛省がアメリカ陸軍省に発注している。参考:月刊軍事研究11,16

<米国委託教育(ペトリオット・ソフトウェア訓練課程)(BMD)>:防衛省アメリカ陸軍に発注している。参考:月刊軍事研究7,18

<米国における訓練(U−36型航空シミュレーター他)>:防衛省がアメリカ海軍省に発注している。参考:月刊軍事研究5,18

<米国における米海兵隊との実動訓練>:防衛省がアメリカ海軍省に発注している。参考:月刊軍事研究12,18

<米国における米海兵隊との実動訓練(AAV借用)>:防衛省がアメリカ海軍省に発注している。参考:月刊軍事研究1,19

<ベイコズ>:F503(コルベット)を参照。

<閉鎖>:作動を参照。

<ペイサー・クラシック>:T-38シリーズ(練習機)を参照。

<ペイサー・クラシックU>:T-38シリーズ(練習機)を参照。

<ペイサー・クラシックV>:T-38シリーズ(練習機)を参照。

<ペイサー・クラッグ>:KC-135R(空中給油機)またはKC-135T(空中給油機)を参照。

<閉サイクル・ディーゼル>:CCDエンジンを参照。

閉鎖機>:Breech block。砲尾装置の主要部分で、後装式火砲の砲尾を閉鎖し、発射ガスの漏洩を防ぐ。撃発装置なども組み込まれている。小火器では遊底がこの役目を果たす。参考:火器弾薬技術ハンドブック、拳銃・小銃・機関銃、陸上自衛隊地上戦力の全容、MAMOR vol.146

 <異中心式閉鎖機>:砲身と閉鎖機の軸線がずれているもので、閉鎖機を180度回転させて尾栓を閉鎖する。参考:大砲入門

 <開放式閉鎖機>:構造は隔螺式閉鎖機と同じで、抽筒子が組み込まれている。主に無反動砲の閉鎖機として用いられる。参考:火器弾薬技術ハンドブック

 <隔螺式閉鎖機>:閉鎖機室と閉鎖機にねじが切ってあり、閉鎖機を挿入して回転させると砲尾が閉鎖されるもの。構造は単純で閉鎖も確実(布製の薬のうが使える)だが、ねじ部分の加工が面倒で、発射速度も遅い。参考:火器弾薬技術ハンドブック、月刊世界の艦船1,12

 <固定式閉鎖機>:迫撃砲など、前装式銃砲に使用される閉鎖機。ネジによって底帽または尾栓と呼ばれる砲身閉鎖部を固定している。参考:火器弾薬技術ハンドブック

 <垂直鎖栓式閉鎖機>:鎖栓を垂直に動かして砲尾を閉鎖・開放するもの。開放時に鎖栓を引き上げる引き上げ式と、逆の垂下式がある。砲身の後復座を利用して開閉操作を自動化することができる。不完全閉鎖時に撃発しないよう、安全機構を備える。製作は簡単だが、鎖栓をスムーズに動かすためには砲身や砲尾との接触をルーズにせざるを得ず、金属薬莢を使用して閉鎖を補助する必要がある。参考:火器弾薬技術ハンドブック、月刊世界の艦船1,12

 <水平鎖栓式閉鎖機>:鎖栓を水平に動かして砲尾を閉鎖・開放するもの。砲身の後復座を利用して開閉操作を自動化することができる。不完全閉鎖時に撃発しないよう、安全機構を備える。製作は簡単だが、鎖栓をスムーズに動かすためには砲身や砲尾との接触をルーズにせざるを得ず、金属薬莢を使用して閉鎖を補助する必要がある。参考:火器弾薬技術ハンドブック、月刊世界の艦船1,12

 <段隔螺式閉鎖機>:閉鎖機室と閉鎖機に階段状のねじが切ってあり、閉鎖機を挿入して回転させると砲尾が閉鎖されるもの。隔螺式よりも閉じるための回転角が少なくて済み、発射速度を向上できる。参考:火器弾薬技術ハンドブック

 <偏心螺式閉鎖機>:閉鎖機外周におねじ、閉鎖機室にめねじを切ってあり、閉鎖機の回転中心が砲腔中心から偏心しているもの。閉鎖機には装填用のU字型の孔があり、ここから弾薬を装填した後に閉鎖機を半回転すると砲尾が閉鎖される。参考:火器弾薬技術ハンドブック

 <遊底式閉鎖機>:小火器や機関砲に多く用いられる構造で、遊底により砲尾を閉鎖するもの。参考:火器弾薬技術ハンドブック

閉鎖機構>:薬室の閉鎖と開放を行う機構のこと。遊底を完全に固定するタイプを閉鎖機構、遊底を完全には固定しないが、大きな力をかけないと開放できないようにしてあるタイプを遅延機構として細分することもある。参考:火器弾薬技術ハンドブック

落とし込み閉鎖式>:ガス圧利用式で使用される閉鎖方式。遊底が復座する最終行程で、揺底の前進により、遊底後部が揺底とピンで連結されたリンクにより上昇し、遊底の閉鎖突起が尾筒の反動受けに入り込んで薬室を閉鎖する。参考:火器弾薬技術ハンドブック

 <回転閉鎖式>:ガス圧利用式で使用される閉鎖方式。弾丸が発射されると、揺底が後退して遊底も時計回りに回転しつつ後退、銃身の反動受けから外れて薬室が開放される。その後、遊底が復座する最終行程で、揺底の前進により遊底が反時計方向に回転、遊底の閉鎖突起が銃身延長部の反動受けとかみ合い再び閉鎖状態となる。参考:火器弾薬技術ハンドブック

 <遅延レバー閉鎖式>:遅延ブローバック式で用いられる閉鎖方式。独立した閉鎖装置が無く、復座バネの力で開放を遅らせる。揺底がレバーによるてこの原理で固定されており、この抵抗に打ち勝って後座させる時に遅延を生じ、弾丸が砲口から出るまで薬室の閉鎖を保つ。参考:火器弾薬技術ハンドブック

ローラ閉鎖式>:遅延ブローバック式で用いられる閉鎖方式。ボルトヘッドにロッキングピースが挿入されており、その間の溝にローラが位置している。弾丸が発射されるとボルトヘッドが後ろに押されるが、この時ローラを溝から押し出すのに抵抗がかかるので、薬室開放までの時間を稼ぐことができる。遊底が復座すると、ロッキングヘッドがローラを押して再び溝に戻し、薬室が閉鎖される。ヘッケラー&コッホ社がG3ライフル、MP5シリーズに採用した。参考:火器弾薬技術ハンドブック、GUN用語事典

閉鎖標識(海上自衛隊)>:艦内扉やハッチ、バルブ、蓋、通風装置などに取り付けられている銘板で、いつ閉鎖・停止すべきかを示している。どの種類を付けるかは艤装員長・艦長の責任で決定される。参考:月刊世界の艦船8,11増刊

 <>:航海中・停泊中を問わず開放または運転すべきもの。ただし応急作業上必要がある場合や総員離艦の場合を除く。黒丸で囲われたものは、NBC防御時に限り閉鎖又は停止すべきものを示す。参考:月刊世界の艦船8,11増刊

 <>:航海中・停泊中を問わず閉鎖または停止すべきもの。参考:月刊世界の艦船8,11増刊

 <>:航海中・停泊中の保安警戒上必要な場合に閉鎖または停止すべきもの。参考:月刊世界の艦船8,11増刊

 <>:戦闘中または保安上必要な場合に閉鎖または停止すべきもの。参考:月刊世界の艦船8,11増刊

<閉鎖遊底式>:作動(撃発準備)を参照。

<丙式一型戦闘機>:スパッド]V海外シリーズ(戦闘機)を参照。

丙式二型戦闘機>:日本陸軍が輸入したスパッド20C2型複座戦闘機。大正10-11年に4機を導入したが、本格配備には至らなかった。参考:月刊航空ファン10,15

丙師団>:陸上自衛隊の師団編成の1つ。師団司令部付中隊、普通科連隊3個、特科連隊、戦車大隊、施設大隊、偵察隊、輸送隊、通信大隊、武器隊、補給隊、衛生隊からなる。参考:月刊軍事研究9,04

<米実動訓練用弾薬輸送>:防衛省がアメリカ陸軍省に発注している。参考:月刊軍事研究4,18

丙車載式架橋器材>:日本陸軍の架橋器材。架柱式金属橋で、14トンの戦車が通過でき、架設機による迅速架橋が可能である。昭和11年に試作されたが、採用されなかった。参考:工兵入門

兵種>:日本陸軍兵の種類で、徴兵令・兵役法に基づいて該当者を各兵科に充当するため設けられた。終戦時には歩兵、騎兵、戦車兵、野砲兵、山砲兵、野戦重砲兵、重砲兵、情報兵、気球兵、工兵、鉄道兵、船舶兵、通信兵、飛行兵、高射兵、迫撃兵、輜重兵、兵技兵、航技兵、衛生兵があった。参考:月刊軍事研究11,05

米州機構憲章>:1948年に作成された憲章で、チャブルテペク決議の参加国とエルサルバドル、ジャマイカが参加した。機構内の紛争は平和的に解決し、加盟国が外部の国から攻撃された場合には加盟国全体で対抗する。19621月、キューバが除名された。1967年、トリニダードトバゴとバルバドスが加わった。参考:軍事力バランス78年版

米州相互援助条約>:19479月にチャブルテペク決議の参加国(エクアドルとニカラグアを除く)が調印した集団安全保障条約。加盟国内に紛争が起きた際の平和的解決と、加盟国が外国からの攻撃に晒された際の全加盟国による軍事力行使を定めている。19603月、キューバが脱退した。参考:軍事力バランス78年版

兵術>:戦略と戦術を合わせたもの。参考:月刊世界の艦船8,82増刊

丙種飛行予科練習生>:日本海軍の航空搭乗員養成(飛行予科練習生)制度で、昭和15918日に制定され、昭和165月から開始された。大元は現役下士官兵を航空搭乗員にするため大正5年に開始された飛行練習生制度である。対象は高等科卒業程度の学力を持つ23歳以下の海軍兵で、各練習飛行隊で6ヶ月の訓練を受け、飛行術練習生となって1年以内の教育を受けて前線に投入された。他科から航空搭乗員向きの人材を選び出す制度のため、不向きと判断すればさっさと元の兵科に戻す方針を採っており、これをくぐり抜けて航空搭乗員となった者は腕利き揃いだったらしい。第一期は33名である。乙種(特)飛行予科練習生制度創設に伴い、昭和18331日入隊の第17期(第10期?)で終了した。総入隊者数は6715名である。参考:帝国陸海軍事典、陸海軍学校と教育、月刊航空ファン5,17

平壌飛行場>:日本陸軍の飛行場。朝鮮に配備する航空第6大隊の飛行場として大正98月に朝鮮平安南道大同郡大同江面が敷地に選定され、大正1011月に航空第6大隊が移駐した。大正118月、航空第6大隊が飛行第6大隊に改編された。大正145月、飛行第6大隊が飛行第6連隊に改編された。参考:月刊航空ファン6,17

兵食>:軍隊の士気と戦力の源。軍隊生活のほぼ唯一の楽しみである。戦闘などで調理用具が損傷して兵食が作れなくなると、部隊が戦闘能力を喪失しかねない。日清戦争の黄海海戦では、敵発見の報告を受けた伊東祐亨連合艦隊司令長官が落ち着いて隷下部隊将兵に昼食を取らせ、その後6時間にわたる砲撃戦を制している。海軍はどこでも概ねバイキング(ビュッフェ)形式。艦船では火災防止のため調理に蒸気釜を使うことが多く、蒸気機関を積んでいない艦船でもわざわざ小型ボイラーを搭載していたりする。野外調理で食材を一時保存する際は、動物に盗られないよう注意が要る。1813年、イギリス陸海軍で缶詰を試験導入した。携帯糧食はレーションを参照。参考:月刊軍事研究9,113,16、月刊世界の艦船9,12増刊、9,13増刊、MAMOR vol.115、歴史群像4,18、月刊JWings2,20

 <兵食(アメリカ海軍)>:太平洋戦争時は、駆逐艦より大きい艦では艦内に調理設備や冷蔵冷凍庫を備えており、できたての食事が食べられた。航海中は夜食としてサンドイッチやハンバーガーが出される。戦闘配食もサンドイッチにコーヒーである。主食のパン調理用にベーカリー室があり、調理室には巨大な鉄板が敷かれていて肉や卵を焼くことができ、別に肉塊調理用のオーブンも積んでいる。おやつのドーナッツとコーヒーはいつでも飲食可能。大型艦には艦長専用の烹炊所を備え、艦内にアイスクリーム製造器も数基設置されていて、チョコレートやジャムを加えれば味変ができる。洋上行動期間の短い小型艇は基地で調理した食料を積んで行ったが、南方に展開すると短時間でも腐りまくったので、程無く缶詰レーションに変更された。ベトナム戦争後に完全マニュアル化され、陸上基地でも冷凍食品や缶詰が多く作るのも簡単で、20日ごとに全く同じメニューが回ってくる。水だけでなくジュース類も自由に飲め(有料自販機もある)、空母ではアイスもタダで食べられる。参考:月刊丸1,10別冊、月刊軍事研究9,13、月刊世界の艦船9,21

 <兵食(イギリス海軍)>:士官は食事の際はメスジャケットの正装である。参考:朝雲

 <兵食(海軍兵学校)>:朝食は食パン半斤、白砂糖大さじ一杯、角バター1切れ、味噌汁1杯といった感じである。パンは両手でちぎり、左手で持って砂糖かバターを付け、食いちぎらずに食べる。食器は左手で持つことはせず、右手の箸やスプーンだけで食べる。食糧事情が厳しくなるとパンを出す余裕が無くなり、食パンがコッペパンになったり、パン食でない日が出たりした。昼と夕は麦飯がアルミ食器すり切り一杯、味噌汁またはスープ、煮付けかフライ、漬け物という献立が標準で、終戦まで麦飯はちゃんと出ていたようである。たまに軟骨(アンモニア臭の抜けない鮫の切り身)、ネコマタギ、トンバック、粉骨砕身(魚の団子入りスープ)といったマズい料理が出てくるが、麦飯だけは残してはいけないので、トリマタギや漬け物類を駆使して流し込んだ。体重68kg以上の者は2割増しの増食が出される。調理するのは軍属の烹炊員で、配膳が足らなかったり、お茶が無くなったりした時には、右手を挙げて「烹炊、○○持って来い」と命令する。頼むのでなく命じるので、敬語を使ってはならないと規定されているが、烹炊員は兵学校に雇われた民間調理要員なので、十代後半の生徒が三−四十代の烹炊員をアゴで使っているような妙な光景となる。ちなみにイギリス海軍兵学校で貴族出身の生徒が軍属の調理員を召し使い代わりにしていたのをそのまま導入したのが元凶らしいが、兵学校を卒業して甲板士官となれば古参の下士官や兵に命令したりバッターで叩きまくったりするので、予め慣らして置いたのかもしれない。時に烹炊員が間違えて余計に配膳してしまうことがあり、スペアと称して周囲の生徒が分けて食べた。使い古しの下着などを予め烹炊員に渡しておき、食事の際に当直監事らが食堂を出て行くと烹炊員に「スペア持って来い」と命じる強者の一号生徒もいたが、さすがに太平洋戦争中の昭和17年頃になると食糧事情の悪化や生徒数の激増などで黙認する訳にいかなくなり、懲罰(最悪免生になる)の対象となった。戦争末期の岩国分校ではスペアに手を付ける事自体が厳禁となっている。参考:海軍兵学校よもやま物語、月刊丸7,14、海軍兵学校岩国分校物語

兵食(海上自衛隊)>:水上艦では朝0700、昼1200、夕1630に食事をとる。以前は2000に夜食として麺類が出されていたが、メタボ対策で無くなった。代わりに夜勤者向けとして夕食の残りをオニギリなどにして食堂に置いている。水と茶はいつでも飲めるが、ジュースは酒保か自販機で買う。調理は蒸気釜で、一時期電気炊飯の導入を図ったが不評だったので辞め、ディーゼル艦やガスタービン艦でも補機室にわざわざ補助ボイラーを置いて蒸気を供給している。幹部と先任海曹は給仕が付き、艦長は小鉢に、幹部は朱塗りの器に盛りつけて士官室に届ける。艦長が重箱、幹部が大皿盛り付けというパターンもある。米飯は朱塗りのおひつに入れられており、給仕係がよそう。先任海曹の分は先任海曹室に届ける。曹士はビュッフェ型式で、隊員食堂の配膳台から自分で金属製のお盆によそっていくので、大盛りが可能である。メニューは全員同じ。食べ終わったらお盆をブラシで洗ってから返す。洋上での食事の際はアメリカ式に作業服を着る。調理施設の無い小型艇では弁当、缶詰、レトルト食品、カップ麺を積み込むか、母艦・基地でとる。当然ながら航行中に揺れる艦内で食事することになるが、慣れればはやぶさ型ミサイル艇の最大戦速機動時でもカップラーメンが食べられるくらいになる。もがみ型護衛艦は小型化と省力化を図ったため、補助ボイラーは無く調理は電気釜で行い、給仕係や配膳用エレベーターが無いので先任海曹や幹部も科員食堂で食事する。潜水艦では出港中は朝0600、昼1200、夕1800-2000、夜0000(入港中は水上艦と同じく3食)で、出撃中は6時間ごとの3直哨戒で任務に就くため、1日24時間あたりでは4食になる。よって夕食は軽めのもの、夜食も饂飩などを出すが、予算は3食分なので、食材はその日の3食から流用して献立を捻り出す必要がある。予算自体は水上艦よりも高額になっているが、コンパクトで生ゴミが出ず保存の利く食材を買わないといけないので、兵食の方は豪華という訳にはいかない。ビュッフェ型式をとるだけのスペースが無いので、給養員と食事番(通称シャリ番)が配食する。食堂やテーブルが狭いので、片手だけで食べることも多い。天井にはバナナが吊してあり、熟した順に食べていく。食材を置く場所も限られるので、冷蔵冷凍庫には必要な食材を使用日の逆順にきちんと詰める必要があり、保存の利くものは長椅子兼用の野菜庫に入れる。スチームは無いし、酸素も浪費できないので、調理用具は全て電気式。船員法で船主は乗員に食事を支給しなければならないと定められており、上陸する隊員も夕食を取ってから上陸し、帰艦してから朝食を食べる。補給所の栄養士が栄養摂取基準(と予算)に基づいて作成し、海幕が通達した統一献立(基準献立)を元に、糧食係が必要な食材(糧食)を算定し、地方総監部造修補給所が調達、調理員長が実際の献立を立案するのだが、艦上では天候や任務により調理内容が変化するので栄養士の思い描いた通りのメニューを出すことが難しく、市販食材の進歩や関係者の努力で解決を図っている。調理作業は給養員長と給養員が行うが、潜水艦では人数が少ないので、同じ第4分隊の経理員、庶務員、衛生員も手伝う。カレーはカロリーが高いので、概ね昼に出る。戦闘時には非常配食として缶詰を配るが、場合によってはオニギリを作って配食する。艦船や航空機には遭難時に備えて救命糧食が用意されている。固定翼飛行隊では10時間も哨戒飛行を行ったりするので、その時は3食分の弁当を持って行くが、3食目は加熱缶飯にして食中毒を防ぐ。1-2食目(1食目はパン、2食目は弁当といった感じらしい)も食中毒には十分気を付けている筈だが、数年に1度は黄色ブドウ球菌の毒素にやられて食事数時間後に乗員全員がトイレ通いの憂き目を見るようだ。ポットを持って行ってカップラーメンを作ったりもするらしい。夜は機内灯で視界が真っ赤に染まるので、メニューを読み上げて貰って食材の彩りを想像しながら冷えた弁当を食べるという涙ぐましい努力をする。1977年に食材を航空機から艦船に向けて投下する実験が行われ、高度500mからパラシュートを付けて落としたところ、縦置きにした卵は86%が割れずに残ったが、生野菜は大半がコンテナごと破砕されてしまった。参考:月刊世界の艦船8,11増刊、9,12増刊、12,'22、月刊丸1,10別冊、12,1012,117,145,17MAMOR vol.46vol.70vol.76vol.87vol.115vol.139、世界の傑作機No.50、月刊軍事研究9,13、朝雲

兵食(韓国海軍)>:艦船の行動日数がばれる恐れがあるとのことで、キムチの積載量が機密指定されている。参考:月刊軍事研究9,13

兵食(航空自衛隊)>:一般隊員は食堂でとるが、スクランブル待機などで食堂に行けない場合には勤務場所まで届けてもらう。食事摂取不良で低血糖気味になると判断力が落ちて事故に繋がると源田検閲で指摘されたらしく、操縦士にはパイロット食という特別メニューが加えられている。調理は給養員が担当する。参考:月刊JWings2,11、月刊軍事研究7,14

兵食(自衛隊)>:「兵」はいないので正式には給食という。一日三回の基本食に加え、職種や勤務により夜食、演習増加食、空挺食といった増加食、航空加給食などが支給される。一日摂取カロリーは男女とも3300kcalで、日中にエネルギーを使うため、昼食が最もカロリー配分が大きい。南スーダンPKOでは酷暑に負けないよう1日あたり4500kcalとしている。ちなみに自衛隊体育学校のオリンピック候補選手向け特体食は1日4300kcal。予算は1人当たり1日850円(2010年)。営内では曹士用の隊員食堂と准尉以上の幹部のみが使用する幹部食堂があるが、どちらもセルフサービスで、メニューは同じである。食費は幹部は自費だが、曹士は給与に含まれる。参考:MAMOR vol.42vol.46vol.125、月刊丸12,103,14、月刊JWings1,15、朝雲

兵食(中国海軍)>:潜水艦搭乗員にメニューが多彩な中華料理を提供するため、他国潜水艦よりも補給回数が増えているという説が2000年頃から軍内部で出されており、遠洋哨戒作戦には洋食との結合が必要とのことで10年以上も研究が進められているが、解決には至っていないようである。参考:月刊世界の艦船10,13

兵食(日本海軍)>:明治2年、兵部省が設置された当時は1日あたり白米6合が支給されており、副食は薬代という名称で現金支給された。また、非常用食糧として乾パンと塩漬牛肉(木の樽に入っている)が用意されていた。明治410月には主食も副食も食卓料という名称で現金支給されるようになった。明治53月に海軍省が設置された後も食料(将校は食卓料)という名称で現金支給が続いている。明治13年には支給金額が改定されたが、食糧調達に回さず貯金してしまう将兵が続出し、物価高騰もあって十分な栄養が取れず、脚気が多発、壬午事変の際には戦闘がまともに行えない事態になりかけた。明治15年、保存食として牛肉缶詰の使用を開始。明治16年には遠洋航海中の龍驤で乗員の半数弱が脚気になる事態となり、脚気病調査委員会がパン食中心の兵食を提案している。明治171月、艦船営下士以下食料給与概則が制定された。下士官や兵に対して1日あたりの食糧代を支給するのは今まで通りだが、各個で食糧を調達するのではなく、所轄長が所轄艦船の下士官・兵の食糧代を全て預かり、主計官に命じて市井から食糧を調達する方式となった。通常食糧としても牛缶(牛肉の缶詰)の使用を開始。明治18年、高木兼寛医務局長が脚気予防のため兵食メニューを改編。和食から洋食中心に切り替えることとし、主食を麺麭や乾麺麭中心に変更、白米も米及び麦に代え、肉類や野菜を十分に摂取させた。明治19年、主食がパン(生麺麭と乾麺麭)のみとなった。これで脚気はほぼ消滅したが、兵にはかなり不評であった。明治23212日、海軍糧食条例を制定。これまでの食糧調達方式では物価高騰に対応できなかったため、下士官と兵の食糧調達を現物支給方式に変更した。ただし、5名分のうち1名分を現金支給に変更し、自由に食材を買うことができる制度を加えてあり、米などの嗜好食糧を調達することも可能だった。兵食には航海艦船用の甲食(保存食メイン)、陸上・錨泊艦船用の乙食(生鮮品メイン)、監獄用の丙食(肉でなく大豆、味噌や醤油でなく塩を使っている)があるが、航海中の艦船でもなるべく乙食を提供するよう定められていた。明治313月、海軍糧食条例が改定され、主食が1日2回の米麦飯(白米+麦)と1日1回のパン食(毎週月曜は乾麺麭)となった。また、現金支給が10名分のうち1名分になり、購入可能な嗜好食糧に制限(味噌、鰹節、香料、牛酪、缶詰牛乳、生果物、乾果物、豆腐類、野菜類、葛粉、鶏卵、砂糖、醤油)が加えられた。明治371月、海軍給与令を制定。乾麺麭の供給を1-8月は月一回、9-12月は月二回とした。また、現金で購入可能な嗜好食糧の制限が無くなった。士官は現物支給でなく、食卓手当を給付する方式だった。明治413月、将校の食卓手当が食料と改称された。明治44年、1日1回のパン食を航海艦船では1週あたり5回まで、陸上・錨泊艦船では1週当たり3回まで米麦飯に交換できるようになった。また、副食の素材量が調味料に至るまで事細かに設定されるようになった。大正3年の第1次大戦では地中海に派遣した艦隊の食事が缶詰ばかりになってしまい、摂取量が減るという問題が生じた。大正7年、海軍兵食新陳代謝試験(大正3年施行)により得られたデータに基づき、主食や副食の量が変更された。大正13年、コスト削減を図り、主食や副食の量を変更した。大正15年、潜水艦航海糧食を制定。6月、航空糧食を制定。昭和3年、揚子江に出動した遣外艦隊で脚気が発生したため、主食に精白胚芽米(胚芽75%を残す)を供給するようにした。食材は鎮守府の軍需部で購入したり、軍需部自ら製造したり、部隊が直接購入したりする。これらのうち、貯蔵品は現役艦艇部隊には3ヶ月分(任務に応じて増減可)、陸上部隊や予備艦船には1ヶ月分が供給され、生糧品は翌日朝食分まで(出港する艦船では倉庫や冷蔵設備に応じた所要数量)を受け込む。食事には将校用の士官食と下士官・兵用の兵食があり、献立は主計科将校が軍医の助言の元に1週間分を策定し、副長が点検を行って確定する。調理を行うのは主計科員の烹炊員(士官食は軍属の割烹も調理する)で、海軍経理学校において厨業練習生(昭和136月からは衣糧術練習生普通科/高等科)の専門教育を受けており、味にはかなりの定評があったようである。駆逐艦以上の艦では烹炊所が2つあって、士官食は士官烹炊所、兵食は兵員烹炊所で主に蒸気釜(時に電気釜)を使って調理する。潜水艦の加熱調理機器は全て電気式である。完成した食事は平時には通常配食が、それ以外には饗応や戦闘応急配食といった特別配食が実施される。食事が配られる前に献立簿と兵食が食事点検函に収容されて運ばれ、副長、軍医、主計長が検食を行う。通常配食では14-20名分の主食と副食が配食器と食事運搬函に取り分けられ、各班の食卓番が兵員室(専用食堂は無い)に運搬して班員に配る。椅子は衣服箱(チスト)を使う。潜水艦は組み立て式の食卓(寝台も兼ねる)の上に汁物用の大食器、飯用の中食器、湯呑み用の小食器を人数分並べ、2名に1枚の皿に漬け物や惣菜を載せ、こちらも椅子はチストを使用する。荒天だと食卓も自分もひっくり返るので、惣菜はフックで吊り下げた鍋に入れ、兵は立って食事をした。食事時間は夏が061511451615(上陸許可あり)または1730(無し)で、冬が070011451515(上陸許可あり)または1700(無し)。また、巡検後に夜食を取ることが可能。昼が一番カロリーが高い。夜食はうどんやおじやで、たまに汁粉が出たりする。士官は軍属の割烹(コック)が作って従兵が給仕し、残飯は後でこっそり従兵が胃の中に収める。士官食の昼食は海外交流の際にナイフとフォークの使い方を忘れて恥をかかないよう基本的に洋食フルコースで、連合艦隊司令部の昼食ともなると、連合艦隊旗艦の後甲板に純白のテーブルクロスを掛けた大きなテーブルを設置、要員が腰掛けると軍楽隊が音楽の演奏を始め、洋食フルコースをイギリス風マナーで食するという豪勢なものであり、太平洋戦争の半ば過ぎあたりまではこんな感じだったらしい。日露戦争時は旗艦三笠の長官公室に長テーブルを置いて純白のテーブルクロスを掛け、割烹2名(連合艦隊旗艦付と三笠艦付で1名ずつ)が調理を担当、朝昼が洋食(朝からステーキが出ていたりする)、夕が和食で、葡萄酒が毎食付いてきた。昭和1710月に海軍省教育局が編纂した准士官学生参考書には和洋中の食事マナーが懇切丁寧に書かれていて、「客間で『コクテール』(cocktail)が出ることがある。…まず一番にhors doeuvre(オードウヴル)が出る。次に『スープ』が出る。その時炭酸水や平野水が注がれるがまだ手を付けない。…『スープ』の次に魚が出る。『ナイフ』『フォーク』の使用法について…」といった感じであり、この時期どこの客間に通されたらカクテルが出てくるのかと小一時間問い詰めたいが、好意的に見れば戦後を見据えていたのであろう。南方で陸海軍士官が海軍式の食事をした時には、メニューが豪勢なのと従兵まで付いているのに陸軍側が驚いて、贅沢すぎると怒り出したという。とはいえ陸軍の方も昭和177月採用の軍医依託学生歓迎会でフランス料理のマナーを学ぶため実際に軍人会館でフルコースを出していたから、どっちもどっちである。食事が終わると食器は食卓番が洗浄して烹炊所に返却、これを烹炊所で煮沸もしくは蒸気消毒し、配食棚にしまう。戦闘中は戦闘応急配食を行う。陸戦や演習では陸戦釜・小型釜で調理したり、アルミニウム製の弁当箱に弁当食を詰めたり、竹皮包に握飯を入れたりして配食する。当初は飯盒は装備に含まれなかったが、日華事変以降は適宜飯盒を用意するようになった。昭和6年、海軍給与令の改正に合わせて海軍糧食表も改正され、甲乙丙の区別を無くして海上・陸上共に基本食(生糧品中心。1日あたり3410-3600kcal)がベースとなり、これに増加食(新兵増加食、生徒増加食、夜食、非常労働食、衛生酒、航空増加食)と特殊糧食(潜水艦航海糧食、患者食、刑務所食、換給食、非常準備食、適宜食、嗜好食、房業教育食)を加えるという方式となった。昭和7年、海軍研究調理献立集を各艦船や部隊に配布。昭和10年、海軍給与例が改正され、生麺麭と乾麺麭が生パンと乾パンに名称変更され、主食から除かれた(必要に応じて換給は可能)。精米は一般の七分搗精米レベルとなり、割麦と合わせた主食のみで脚気を予防できるようになった。副食でも名称に変更が加えられている。昭和1412月、航空糧食を正式に制定した。潜水艦航海糧食を改定し、潜水艦激働食を制定した。昭和15年、食品購買手続きが変更され、新たに糧食品供給請負人を定めて供給することができるようになった。426日、海軍記念日と四大節に出されていた下士官・兵向けの菓子折を中止し、生果物を提供することになった。昭和16年、海軍給与令が改正され、獣魚肉類が1割減らされ、熱帯用糧食(通称熱地糧食)が制定された。昭和17年、代用缶詰のCA缶が登場。3月、海軍給与令が改正され、主食の精米が現地米になり、副食の骨付生獣肉が5gに、漬物が半分に減らされ、現地調達が本格的に開始された。また、夜食の供給対象が2100から0400までの勤務従事者(従来は2200-0400)になり、将校にも夜食料が出されるようになった。台湾の東港で教育を受けた海軍予備学生の場合、主食が台湾の古米になり、穀象虫と蛆が一緒に炊かれて混ぜ飯状態になっていた。58日、夜間視力増進のため、見張り員など必要な者に対して視力回復錠甲・視力回復錠乙・ビタミンA球・除倦覚醒剤(塩酸フェニルメチルアミノプロパン、ヒロポン)を配給するようになった。8月、准士官の食料を引き上げ。昭和18年、潜水艦航海糧食が改正された。11月、南方戦線で補給が絶たれた部隊が続出するようになったため、海軍省軍需局に臨時食糧生産班を編成し、現地生産(陸軍用語の現地自活とは言わない)を指導して凌いだ。昭和19年、脱水缶詰が登場。629日、糧食生産隊を編成し、前線での開墾や食糧生産にあたった。9月、空き地を利用した農耕、畜産、水産を奨励。昭和204月、一缶一食用缶詰の開発を開始。参考:写真で見る海軍糧食史、月刊世界の艦船12,1010,069,13増刊、歴史群像12,1010,18、海軍よもやま物語、潜水艦気質よもやま物語、続海軍よもやま物語、海軍こぼれ話、海軍こぼれ話、軍医サンよもやま物語

兵食(日本陸軍)>:通称メンコ飯。主食や調味料は陸軍糧秣本廠が一般競争契約(一部指名競争契約や随意契約)、副食は師団など各部隊が随意契約で購入する。演習などの際には主計将校が部隊長の命により現金で現地調達することもある。メニューは部隊本部の経理主任が軍医の意見を参考にして1週間分を献立予定表として立案し、部隊長が承認する。参考資料として、献立標準表(昭和4年に陸軍糧秣本廠が作成)、軍隊調理表(昭和6年陸普第3759号制定、昭和12年陸普第3678号改訂)、食物栄養価計算早見表、食品1回の使用標準分量表、副食物一人一回標準分量、主食の変換及び各種副食の給与回数基準表、各食品一定銭価に対する栄価比較表、嗜好調査票、下士官以下平均体重増減一覧表、地方特産品一覧表、魚菜類出回期一覧表、衛生上注意品一覧表、主要行事一覧表、残飯残菜と酒保飲食物売上高比較表、給与計画の抜粋といったものが用意された。必要な兵食数は中隊本部の給与掛下士官が前日に食需伝票に記載し、経理委員に届ける。これに基づいて経理委員は炊事場に兵食数の指示を出し、中隊本部の炊事係下士官と内務班の炊事当番が竈(薪・石炭使用。明治から大正時代)や飯蒸缶・蒸気煮炊釜(蒸気機械室のスチームボイラー使用。大正時代以降)を使って調理を行う。主食は米麦飯で、週に1回は食パンが出る。食パンにつけるのは嘗物と呼ばれ、大正9年のパン食開始当初は白砂糖や蜂蜜を出していたが、昭和5年のパン食本格導入後に日本人の舌に合った嘗物の研究が進み、シロップ、甘藷ジャム、葱味噌バター、大豆粉クリーム、牛乳クリーム(カスタードクリームのこと)、くりいむレモン(牛乳クリームにレモン果汁を加えたもの)などが提供されるようになった。おかずは朝が汁物と漬物、昼と夕が副食と漬物といった感じである。食中毒防止のため、刺身などは出ず、副食は徹底的に煮込んであり、中身が原形を留めていない。正月の雑煮も餅が溶け出して粘液みたいになっている。賞味期限の迫った戦用糧食を戦用繰下品の使用と称して食材として使用することもある。元旦、紀元節、天長節、明治節、軍旗祭、靖国神社大祭日、陸軍始、陸軍記念日などには赤飯や鯛姿焼といった祝賀用の兵食が出される。元旦の餅は内務班で年末に餅搗きを行って用意する。ただし日華事変から太平洋戦争の頃の食糧不足には勝てず、赤飯に粟や稗が混ざったり、鯛が生魚尾頭焼になったりした。主食は飯櫃(飯蒸缶と兼用の飯蒸函を使うこともある)に入れられ、副食は木製の菜台に載せられ(汁物は汁桶に入れられる)、茶は茶瓶(薬缶の制式名)に汲まれているので、内務班では食事当番が取りに行く(メシ上げと称する)。現代の学校給食との違いは、汁物以外の副食が人数分の菜皿に予め盛りつけられていることである。主食や汁物の盛りつけも食事当番の担当で、均等に盛りつける建前だが、自分の飯は圧縮し、他人の飯は軽く載せるのが基本。食中毒が出た際に原因調査が行えるよう、炊事場には検査食格納箱があり、主食以外の兵食を48時間保管した。配食容器は内務班で洗って炊事場に返し、各自の食器(飯椀、汁椀、皿、蒸茶碗、湯呑、箸。私物でフォークなどを持ち込む者もいる)は炊事場の給湯器から配給された熱湯を使って洗濯場で各自洗浄する。ただし洗濯場での洗浄は不衛生なため、昭和初期からは蛇口を円周上に配置した食器洗い専用の個人食器洗浄器が設置されるようになった。残飯は残飯入に集められ、出入業者に払い下げられて残飯屋で困窮者向けの雑炊になったり、農家で肥料や飼料になったりする。売却費は各部隊の委任経理積立金に収められた。演習や前線では部隊の下級兵士が当番制で調理を行う。調理器具は部隊の装備する戦用炊具や、個人で装備する飯盒を使用する。夜食は握り飯が基本だが、炊事場でやるのは御飯を炊くことまでで、握り飯にするのは週番上等兵から命じられた使役兵が担当した。もちろん握り飯を作ったことの無い兵も多く、いびつなオニギリが出来上がる。また、使役兵も腹が減っているので、つまみ食いされまくった。傷病者には患者食(粥などが選べる普通食と疾病に応じた特別食)が提供される。下士官のメニューは兵食と同じで、下士官集会所や下士官室で食べる。営外居住下士官は昼だけ兵営で食べることになるが、弁当を持ち込むか発注したり、実費で兵食を取ったりすることが可能。将校は基本的に営外居住なので、昼だけ将校集会所で食べる。メニューは将校専用で、部隊の調理要員が炊事場で調理したり、民間業者が食材を持ち込んで部隊の炊事場で仕上げたりする。弁当を頼んだり、実費で兵食を食べたりするのも可。明治2年、兵部省設立時は1日あたり米6合と菜代1朱が支給されており、9月に階級制度が改正されたため、1019日に給与も変更され、四等軍曹以上は全て自費調達、一等伍長以下は1日当たり米6合と副食現物支給となった。明治4年に陸軍省が設置されたが、兵食の支給方式はそのままだった。士官(大将から少尉まで)は年俸に食事代が含まれているが、下士官(曹長から四等軍曹まで)は日給の他に月5両の食料(食事費用のこと)が支払われ、一等伍長以下は現物支給である。明治6327日に陸軍給養表が定められ、給与が引き上げられた。下士官・兵には主食として米6合、副食代として賄料6銭6厘が支給され、この賄料を使って部隊で牛肉、魚、漬物、味噌、調味料などを買い、調理して提供する方式である。明治81227日に陸軍給与概則が定められ、米が精米という記述に変わり、賄料を部隊単位支給に変更し、賄料が余った場合には4割を返納するが、6割は下士官と兵に均等還元できるという規則になった。明治13101日の改正で部隊により賄料に差を付けている。明治17925日の改正で、脚気防止も兼ね、場合によっては精米に麦や小豆のような雑穀を混ぜても良いことになった。その節約分は副食費に回す。明治18511日、賄料が地域別に規定された。明治23327日、勅令第67号で陸軍給与令が定められ、委任経理制度を導入、各部隊が民間業者と同時に調達契約を結び、軍から支給される賄料により食材を購入するようになった。余った賄料や残飯・廃品売却費は委任経理積立金として各部隊で管理し、祝賀料理費用や賄料予備費として使用する。主食の支給は精米6合で、賄料は地域別に5種類(5銭1厘から7銭2厘)に分けられ、増賄料(2銭)や夜食料(3銭)も制定された。また、士官や営外居住下士官には食料として16-24銭が支給された。ちなみに重営倉の食料は2銭、軽営倉や留置所は3銭、陸軍監獄に入れられて労働作業をしている者は精米6合と賄料3銭、していない者は精米5合と賄料3銭という支給額である。明治29年、台湾と膨湖島に駐留する部隊の給与を定めた台湾島及膨湖島陸軍部隊給与令(329日制定)と、清国に駐留する部隊の給与を定めた清国駐箚陸軍部隊給与令が定められた。明治32年、威海営駐箚陸軍部隊給与規則が韓国駐箚陸軍部隊給与令に改定された。明治3267日に陸軍給与令の改正と陸軍給与令細則の制定が行われ、細かい規定が設けられると共に、賄料が増額された。明治38109日、賄料の地域別区分と額が改定された。明治391029日、朝鮮と満州に駐留する部隊の給与を規定した朝鮮満州駐箚陸軍部隊給与令が定められた。明治41330日、賄料の地域別区分が7種類になり、師団管区で表示されるようになった。明治431月、賄料の地域別区分が5種類に減った。大正2年、脚気予防のため、主食は米麦飯が正式であると定められた。第1次大戦勃発で物価が上昇したため、大正789日、戦時中は陸軍大臣指定の部隊に限って賄料を日額6銭まで増額できることになった。シベリア出兵に伴い、大正8423日に5銭、1024日に8銭、大正914日に15銭までの増額が追加された。第1次大戦終結により、大正115月に増額が全て終了。また、陸軍給与令が改定され、賄料の地域別区分が4種類に減り、野外増賄料が追加された。昭和91126日、関東軍の給与を規定した在満陸軍部隊臨時給与令が定められた。昭和11年、陸軍給与令が改定され、糧食や賄料などの区分変更が行われた。主食は1日あたり精米4合2勺と精麦1合8勺、賄料は18.2-19.1銭、食料は将官84銭、准士官69銭、営外居住下士官兵が60銭である。増賄料は士官学校・幼年学校生徒が2銭、衛兵が16銭、転地療養中の者などが6.5銭。野外演習などで自炊を行う者には野外増賄料4.2銭が出る。また、夜間作業・行軍4時間以上、露営、不寝番には夜食料6銭が支給され、これを使って小夜食が提供される。軽営倉は一般下士官兵と同じで、重営倉は主食が一般下士官兵と同じだが賄料は3銭6厘しか無い。拘禁・留置者で力業を行っている者は主食が精米600g+精麦180g、賄料が10銭2厘ないし10銭8厘、力業を行っていない者は主食が精米500g+精麦150g、賄料が10銭2厘ないし10銭8厘、懲戒減食の者は主食が精米200-300g+精麦60-90g、賄料が3銭6厘。昭和11528日、支那駐箚陸軍部隊給与令が在支陸軍部隊臨時給与令に改定された。日華事変勃発に伴い、大正7年の規定に基づいて昭和13年から賄料の日額6銭増額を実施。昭和141124日、樺太駐留部隊の給与を規定した在樺太陸軍部隊給与令が定められた。昭和151023日、賄料の日額12銭までの増額を規定。昭和18728日、大東亜戦争陸軍給与令及同細則が制定され、81日から施行された。それまでの陸軍給与令や朝鮮・台湾・樺太・満州・中国大陸で適用されていた各給与令を廃止する代わりに、これらを纏めたもので、主食は精米600g+精麦180g(または乾パン690gまたは圧搾口糧690g)で共通だが、内地、台湾、朝鮮、樺太、満州の地域別に賄料(30.9-53.7銭。陸軍大臣の裁可でプラス10銭まで可)や増賄料(4.2-12銭。プラス3銭まで可)、野外増賄料(7.5-10.5銭。プラス3銭まで可)、夜食料(10-15銭。プラス4銭まで可)、食料(90-150銭。プラス30銭まで可)を定めている。三が日は60-90銭、紀元節・天長節・明治節・軍旗祭・創設記念日は45-63銭、靖国神社大祭・陸軍始・陸軍記念日など年間10日まで18-27銭の加給があり、祝賀料理を出すことが可能。重営倉でも主食・賄料共に基本定額で支給されるようになった。拘禁留置者で力業を行っている者は主食が6分の5、賄料が3分の2、行っていない者はどちらも3分の2、懲戒減食の者は主食が半分から3分の1、賄料が3分の1に減らされる。また、各種学校生徒に対する増賄料(4.2-12銭)、満州寒冷地の冬期増賄額(6銭)、満ソ国境勤務者加給(2銭)、関東軍秋季演習時の増賄額(10銭)も決められた。日華事変長期化や太平洋戦争勃発で食糧不足に陥ると、米麦の量が減らされて雑穀や芋が混ざるようになった。太平洋戦争末期には高粱が大量に混入され、それでも足りずに粥にして量だけ増やすという苦肉の策が取られた。参考:写真で見る日本陸軍兵営の食事、新兵サンよもやま物語、歴史群像12,10、軍医サンよもやま物語

御食事(大元帥陛下)>:1日3食の御朝餐、御昼餐、御夕餐が提供される。他に御間食もあるが、出番は殆ど無い。御朝餐はほぼ御洋食で、概ねパン、オートミール、卵料理、果実である。残る2食は御洋食と御和食を交互に提供する。御洋食は御菜3種、パン、果実、糖菓で、御夕餐では羹汁(スープ)が加わる。御和食は一汁供五菜で、御膳米(半搗米)、御汁物、御菜4種からなる。アルコール類は御式膳か御薬用でしか提供されない。参考:写真で見る日本陸軍兵営の食事

兵食(陸上自衛隊)>:駐屯地には通常の幹部食堂・隊員食堂に加え、軽食食堂などが設置されていて、課業が終われば飲酒や宴会もできる。アウトソーシング化が進んでおり、民間業者や給食専門技官が作っていることが多く、自衛官だけで給食しているのは市ヶ谷駐屯地(中央業務支援隊総務部管理科)だけになった。行動中はレーションの戦闘糧食T/U型を食するが、毎日缶詰とレトルト食品では士気が落ちるので、野外炊具1号/1号改/2号/2号改を使用するなどして極力温かい食事を提供する。他部隊に配属されて訓練に参加した時に配食を上級部隊任せにしていると、うっかり食事が運ばれてこないこともあるので、中隊単位で自炊するのが望ましいようである。航空機には救命糧食が搭載されている。参考:MAMOR vol.46vol.98vol.125、戦車隊長、朝雲

閉所戦闘訓練用教材(89式小銃型訓練用電動エアガン)>:陸上自衛隊の市街戦訓練用模擬銃で、要するに東京マルイの89式小銃エアガンである。命中判定が明確なので2000年頃からバトラーよりも有効だとして市街戦訓練用に各部隊が独自に導入し始め、制式採用となった。実銃と区別するため、トリガーガードやストックが濃緑色に、マガジン底面がオレンジ色に塗られている。使用弾は東京マルイの生分解0.20gBB弾。命中すると痛いので、レーザーを使用するシミュレータよりやられたことを実感できるが、バッテリーの持続時間が短いのと、BB弾が跳弾しまくるのが欠点。オペレーション・トレーニング・サービスが受注している。参考:ストライク・アンド・タクティカルマガジン5,11、月刊軍事研究2,119,074,18JGround Vol.19

<ヘイズ>:Mi-14(ヘリ)を参照。

ヘイズ>:アメリカ海軍海洋観測艦Hayes。船体は双胴型で、センターウエルを持つ。全長75.1m、満載排水量2876トン。主機はディーゼルで、速力15ノット。1971年竣工。参考:月刊世界の艦船8,82増刊

ベイズ推定>:Bayesian inference。追尾レーダーにおいて、追尾目標と観測値との相関確率を算出するのに使用される手法の1つで、多目標同時追尾も行える。カルマンフィルタはベイズ推定の一種である。他にPDAJPDAMHTといった追尾法がベイズ推定を使用している。MHTは相関に関し複数の仮説を維持する延期決定型で、追尾開始機能と追尾解除機能を持つが、PDAJPDAはサンプリング時刻ごとに1つの仮説を決定する逐次決定型で、これらの機能を持たないため、オペレーターがレーダースコープを見て追尾開始・解除を判定したり、過去のサンプリングのうち所定の回数以上観測値が得られたら追尾開始・所定の回数以上連続して観測値が得られなかったら追尾解除といったことで判断したりする。参考:レーダの基礎

<ヘイスティ>:H24(駆逐艦)を参照。

<ヘイスティングス>:L27(スループ)を参照。

ヘイスティングス・シリーズ>:イギリス空軍輸送機。参考:月刊JWings7,21

ヘイスティングスC.1>:人員・貨物輸送機型。降着装置は尾輪式。エンジンはレシプロ4発。参考:月刊JWings7,21

ヘイスティングスC.2>:要人輸送機型。参考:月刊JWings7,21

<ヘイスト>:PG-92(コルベット)を参照。

ヘイス・パイプ>:第2次大戦時にプルート作戦で使用された海底敷設パイプラインで、シーメンス・ブラザーズ社及び王立物理研究所の開発技術者の頭文字を取ってHAISと名付けられた。直径3インチ(76.2mm)の鉛パイプに2層紙巻きテープ、アスファルト浸潤絹テープ、4層軟鋼圧延テープ、黄麻繊維、亜鉛メッキワイヤー、2層粘着タール浸潤黄麻繊維を重ねたもので、外部直径は4.5インチ(114.3mm)、1マイルあたり重量は47-54.25トン(鉛24トン、軟鋼7.5トン、亜鉛メッキワイヤー15トン)。1平方インチあたり1500ポンド(1平方センチメートルあたり105.5kg)の圧力に耐えられ、1平方インチあたり100ポンド(1平方センチメートルあたり7.03kg)の圧力で燃料及び潤滑油を流すことができる。また、シーメンス・ブラザーズ社、シェル石油、王立物理研究所が共同開発した、内部流圧を一定に保つ機器を内蔵していた。ハメル・パイプと合わせて1600kmが製作されたが、イギリスだけでは生産が追いつかず、アメリカのジェネラル・エレクトリック社とフィリップ・ダッジ社が3割を生産している。参考:歴史群像10,08

<ベイズラー・ターボ67>:C-47輸送機ファミリーを参照。

<ベイズリー>:K311(フリゲート)を参照。

ペイする>:日本海軍士官のスラングで、支払いをすること、纏め払いすること。参考:帝国陸海軍事典

<ペイスレイ>:K564(フリゲート)を参照。

<ヘイスロップ>:L85(駆逐艦)を参照。

<平成30年7月豪雨>:西日本豪雨を参照。

兵籍番号>:日本海軍が兵員に割り当てた番号で、海兵団に入隊すると所属鎮守府・徴兵/志願・兵科・数字と続く番号(横志機21357、舞徴水12557など)、兵学校に入ると数字のみ、各種兵科学校に入ると兵科・数字と続く番号(主2357など)が割り振られる。兵科が変わると番号もそれに合わせて変更される。参考:海軍よもやま物語

<ヘイゼルウッド>:DD-531(駆逐艦)を参照。

<丙戦>:夜間戦闘機(日本海軍)を参照。

兵装ステーション>:Store stationStaと略す。軍用機の機外に兵装を取り付けることのできる場所のこと。左翼端から1番が始まる。燃料配管の無いドライステーションと、あるウェットステーションに分けられる。参考:月刊JWings10,09別冊付録、3,126,04

米ソ海上事故防止協定>:INCSEAと略す。ソ連軍がアメリカ軍艦艇に対して異常接近や威嚇を繰り返し、1960年代には危険事案が100件を超え、1967年には日米共同演習中のDD-517ウォーカーとソ連の駆逐艦ベススレードヌィが衝突事故を起こしたため、1968年からアメリカがソ連に対して偶発事象から戦争に至るのを防ぐ協定の締結を呼びかけ、1971年から協議に入り、1972年に合意された。両国艦船同士が安全な距離を保つこと、陣形展開や航空機発着艦を妨害しないこと、航空機や艦船で模擬攻撃を行わないこと、針路上に物体を射出したり艦橋を照射したりといった妨害行為を実施しないこと、潜航中の潜水艦と演習を行う場合には水上艦が潜水艦の存在を国際信号で示すことなどを規定している。1973年に追加議定書が締結され、軍用以外の船舶や航空機が対象に含まれた。これにより危険事案は半減している。冷戦終結でヨーロッパ各国、日本(1993年)、韓国とも同様の協定を締結した。ウクライナ紛争勃発後はロシアによる危険行為が増加し、イージス駆逐艦ドナルド・クックやアメリカ偵察機にロシア軍機が異常接近したり、NATO艦艇にロシア軍機が模擬攻撃を行ったりといった事態が発生している。参考:月刊航空ファン7,16

米ソ核戦争危険減少協定>:正式名称は、核戦争の発生の危険を減少させるための措置に関するアメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦との間の協定。核戦争の危険を生じうる、核爆発を伴う偶発的事故の際には、直ちに相互に通告する。また、ミサイル警戒網に正体不明の物体が発見された場合、ミサイル警戒網が妨害を受けた兆候を感知した場合、他の締約国に向けてミサイルを打ち上げる場合なども相互に通告する。この連絡にはアメリカとソ連の間の直通電話を主に使用する。1971930日効力発生。有効期間は無期限。参考:軍縮条約・資料集第2版

米ソ核戦争防止協定>:正式名称は、核戦争の防止に関するアメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦との間の協定。米ソ双方が核兵器の使用を避けるよう行動し、武力による威嚇や武力行使を避け、相互関係を発展させること、核紛争の危険がある場合、両国は直ちに緊急協議に入り、その危険を排除するためあらゆる努力をすることなどを謳っている。1973622日にワシントンで署名され、即日発効した。有効期限は無期限。参考:軍縮条約・資料集第2版

米ソ軍縮共同声明>:レーガン大統領とゴルバチョフ書記長の会談に基づき、19851121日にジュネーブで発表された共同声明。核戦争を含む両国間の戦争の防止、宇宙における軍備競争の防止、核兵器削減、核不拡散、化学兵器廃棄などを謳っており、今後の定期的な対話や文化・科学技術などの相互交流も盛り込まれている。参考:軍縮条約・資料集第2版

米ソ地下核実験制限条約>:地下核兵器実験の制限に関するアメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦との間の条約。197473日署名、19901211日効力発生。1976331日以降の150kt以上の威力を持つ核兵器の実験を禁止するものである。平和目的の地下核実験には適用されない。有効期間は5年間で、5年ごとに自動延長される。参考:軍縮条約・資料集第2版

米ソ平和目的地下核爆発条約>:平和目的地下核爆発に関するアメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦との間の条約。1976528日署名、19901211日効力発生。150ktを超える単一爆発、総計威力が1.5メガトンを超えるグループ爆発(各爆発の威力が分かる場合)、総計威力が150ktを超えるグループ爆発などを禁止している。条約遵守確認のため、情報提供や実験場への接近許可も求めている。有効期間は5年間で、5年ごとに自動延長される。参考:軍縮条約・資料集第2版

<ヘイター>:APD-80(高速輸送艦)またはDE-212(護衛駆逐艦)を参照。

兵隊アイロン>:日本海軍用語で、アイロンの無い艦船内で工夫してアイロン掛けすることである。湯飲みに湯を注いで温めてアイロン代わりにしたり、薄い布や紙に包んで重量物の下敷きにしたりと努力し、上陸後に女性の視線を集めようとした。参考:海軍よもやま物語

兵隊検査>:徴兵検査の俗称。参考:帝国陸海軍事典

<米太平洋軍太平洋安全保障センターへの要員派遣>:防衛省がアメリカ陸軍に発注している。参考:月刊軍事研究4,18

ベイタウン作戦>:第2次大戦時に連合軍が行った、イタリア本土上陸作戦。194393日、イギリス第8軍第13軍団(第5歩兵師団、カナダ第1歩兵師団)を乗せた上陸用舟艇がシチリア島のメッシナ港から出撃。上陸予定地点周辺には航空機が爆撃(瞬発信管付で、なるべく進撃の邪魔になるクレーターを作らないようにした)をかけ、洋上の戦艦28ネルソン、29ロドネイ、03ウォースパイト、02ヴァリアント、メッシナ沿岸に展開したイギリス第30軍団の中砲80門とアメリカ第7軍の重砲48門が上陸支援射撃を行う中、幅4kmのメッシナ海峡を渡り、カナダ第1歩兵師団がレッジオ北方に、第5歩兵師団がその北に上陸した。ドイツ側は第15装甲てき弾兵連隊隷下の2個大隊とイタリア第211沿岸防衛師団が防衛にあたっていたが、ムッソリーニ失脚後でイタリア軍は戦力にならず、逆に連合軍の上陸を手伝う始末で、連合軍は無傷(イタリア兵がジョークで投げた煉瓦が当たって負傷した歩兵大隊将校がいたらしいが)で上陸を完了し、北上を開始した。参考:歴史群像12,10

<平沢>:ASR-27(救難艦)を参照。

兵站>:LogisticsMilitary Logistics。部隊の戦闘力を維持増進し、作戦を支援する機能。それに必要な施設や機関を指すこともある。補給、補充、整備、修理、輸送、衛生、不動産調達、施設構築維持、入浴・洗濯・給食など、任務は多岐にわたり、準備や実施に長期間を要する。物資の生産源から前線の兵士に至るもので、各兵站基地・組織は各種輸送網及び施設により連接される。参考:月刊軍事研究5,047,'97WWU欧州戦線シリーズVol.4、月刊世界の艦船4,18

 <兵站(陸上自衛隊)>:後方活動の1つで、部隊の戦闘力を維持増進して作戦を支援するのを目的とする。国家の策源から末端の個人までの一貫的かつ継続的な機能で、補給、整備、回収、輸送、衛生、建設、不動産、労働・役務の総称である。陸自全体や方面隊を支援する基地兵站(担当は中央補給処、地区補給処)、方面隊や師団の行動地域で支援する野戦兵站(担当は方面兵站基地、方面前進兵站基地、前方支援地域、師団段列)、前線で連隊や大隊が野戦兵站に連接して行う部隊兵站(担当は本部管理中隊)に分かれる。参考:日本の防衛戦力Part1、月刊軍事研究4,12

兵站業務>:軍需品や馬の整備管理補給、傷病者の収容や後送、戦地資源及び施設の調査利用、宿泊休養、背後連絡線確保、占領地行政などの総称。参考:月刊軍事研究7,97

兵タンくん>:陸上自衛隊第1師団第34普通科連隊のゆるキャラ。名前の由来は兵站である。胴体はドラム缶で、橘と書かれている。手足は給油ホースのイメージで、板妻駐屯地マスコットキャラのイタヅマンに燃料を補給する。参考:朝雲

兵站支援車>:ASV(Armored Support Vehicle)と略す。燃料・弾薬補給、兵站輸送、負傷者後送などに用いる車両のこと。参考:月刊戦車マガジン1,88

<兵站事前集積船>:LPSを参照。

<兵站事前集積部隊>:LPFを参照。

<兵站のJDAM>:JPADSを参照。

<平頂山>:602(コルベット)を参照。

<ベイツ>:APD-47(高速輸送艦)またはDE-68(護衛駆逐艦)を参照。

平頭弾>:フラット・ノーズ。銃弾の先端が平らになっているもの。ジャケットで被甲されたもの、鉛が露出したソフト・ポイント弾、プラスチックまたは軽金属を被せたものなどがある。参考:GUN用語事典

平頭弾>:Diving Shell。弾丸頭部に先の平たい被帽を被せ、更に尖った風防で覆ったもの。発射後、海面に着弾すると風防が飛び、平たい被帽の作用により海中を直進、敵艦艦腹を貫通する。ワシントン軍縮会議で廃棄処分になった建造中の戦艦土佐を実弾射撃で沈めている時に水中弾の威力に気づき、水中を長く突き進むように形状を工夫して製作されたのがこの砲弾である。76mm平頭弾、九一式徹甲弾を参照。参考:戦艦入門、月刊世界の艦船5,13

屏東飛行場>:日本陸軍飛行場。元は大正8年に台湾総督府が警務局警察航空班の飛行場として設置したもので、昭和25月に飛行第8連隊が移駐した。参考:月刊航空ファン6,17

屏東丸>:日本海軍特設運送船Heito maru。元は大阪商船台湾航路用貨物船である。垂線間長108.8m、幅15m、深さ10m、吃水7.15m、総トン数4468トン、重量トン数5338トン。主機は三菱ツェリー衝動式蒸気タービン1基1軸3786馬力、航海速力11.97ノット、最大速力16.37ノット。昭和10831日竣工。日華事変勃発で日本陸軍に2回徴用された。太平洋戦争勃発直前に日本海軍に徴用されて特設運送船(雑用船)に類別され、南洋、蘭印、仏印方面の輸送任務に就いた。昭和18823日、アンダマン海カー・ニコバル島東岸に停泊していたところ、B-24の爆撃を受けて沈没した。参考:月刊世界の艦船10,15

<ヘイドン>:L75(駆逐艦)を参照。

<ペイトリオッツ>:VAQ-140(電子戦飛行隊)を参照。

<ペイトリオット>:MCM-7(掃海艦)を参照。

ベイパー>:Vapor。航空機の機体から発生する雲のこと。飛行中に発生した低圧部分で、断熱膨張により空気の温度が低下し、溶けきれなくなった水蒸気が細かい水滴となり、雲として見える。湿度が高いと発生しやすい。参考:月刊JWings7,22

<ベイパーコーン>:プラントル・グロワート・シンギュラリティを参照。

ベイパートレイル>:翼端から発生するベイパー。翼端渦による断熱膨張に伴い生じるもので、持続時間が比較的長く、後方に尾を引いて伸びる。参考:月刊JWings7,22

米飯缶詰>:日本海軍が潜水艦用に昭和5年から開発した缶詰ご飯で、昭和14年に制式化された。赤飯缶詰、鶏肉入五目飯缶詰、稲荷寿司缶詰などがあり、1名の1食分が1缶に収容されている。熱湯で15-30分間温めると美味しく食べられるが、そのまま食べても可。参考:写真で見る海軍糧食史

<丙飛>:丙種飛行予科練習生を参照。

<ベイビー師団>:ヒトラーユーゲント師団を参照。

<ペイブ>:FPS-115(レーダー)を参照。

<ペイブ>:Precision Avionics Vectoring Equipment(精密に指向するための機上電子機器)の略。参考:月刊軍事研究11,99

<ベイフィールド>:APA-33(攻撃貨物輸送艦)を参照。

ベイフィールド級>:アメリカ海軍攻撃輸送艦Bayfield級。C3-S-A2型標準貨物船を攻撃輸送艦に改造したもので、LCM(6)級4隻、LCVP18隻、LCPR2隻、LCPL3隻を搭載し、兵員1502名と貨物4700トンを輸送する。砲熕兵装も強力で、水陸両用作戦時の火力支援も可能。一部に旗艦施設を持つものもある。全長149.8m、幅21.2m、最大吃水8.08m、軽荷排水量8920トン、満載排水量12900トン。主機は蒸気タービン1基、主缶はコンバッション・エンジニアリング缶2基、出力8500馬力、1軸推進、速力18ノット、航続距離は12ノットで10450海里。兵装は38口径12.7cm単装両用砲2門、40mm連装機関砲2基、20m単装機関砲20門。乗員587名。APA-33ベイフィールド、APA-34ボリヴァー、APA-35キャラウェイ、APA-36カンブリア、APA-37キャヴァリア、APA-38チルトン、APA-39クレイ、APA-40カスター、APA-41デュ・ペイジ、APA-42エルモア、APA-43フェイエット、APA-44フレモント、APA-45ヘンリコ、APA-46ノックス、APA-47ラマー、APA-48レオン、APA-92アルパイン、APA-93バーンステイブル、APA-95バクスター、APA-96バーリー、APA-99デイド、APA-100メンドシノ、APA-101モンター、APA-102リバーサイド、APA-104ウエストモアーランド、APA-106ハンスフォード、APA-107グッドヒュー、APA-108ゴーシェン、APA-109グラフトン、APA-110グリッグス、APA-111グランディ、APA-112ギルフォード、APA-113シトカ、APA-114ハンブレン、APA-115ハンプトン、APA-116ハノーヴァーの36隻が1942-45年に竣工した。参考:アメリカ揚陸艦史

ペイブウェイ・シリーズ>:アメリカ空軍のレーザー誘導爆弾キットPaveway19654月からアメリカ空軍兵器開発試験センターで行ったレーザー誘導爆弾テストの結果が良好だったため実用化された。Mk80汎用爆弾シリーズの前部にコンピュータ制御グループ(CCG)、後部にエアフォイル・グループ(AFG)を取り付けてレーザー誘導爆弾にするもので、CCG先端のシーカーで目標から反射するレーザーをキャッチし、CCG後部のガイダンスフィンにより飛翔コースを修正して目標に向かう。参考:月刊軍事研究8,18、月刊JWings12,12、月刊航空ジャーナル7,81臨時増刊

ペイブウェイT>:当初はKMU(改修キット)ナンバー(KMU-342/BKMU-351/B)が付いていた。1965年からテキサス・インスツルメンツ社で開発され、1968年にGBU-1/Bの試験運用が始まり、1972年から実戦運用を開始した。KMU-351/Bの場合、爆弾先端にレーザーシーカー、MAU-157コンピュータ制御装置、ガス圧作動式操縦用カナード翼、FMU-26B/BまたはFMU-72/B信管を置き、後端に固定式安定翼(M905後部信管付き)を取り付ける。カナード翼と固定式安定翼でMXU-600/MXU-602エアフォイル・グループを構成する。最初に実用化されたGBU-1/BKMU-342/Bだけは操縦用カナード翼が固定式安定翼後方の誘導爆弾尾部に付く。レーザーシーカーは波長1.064ミクロンのNd-YAGレーザーに対応するもので、先端に上下左右4象限の赤外線アレイがあり、最も信号の強い方向にカナード翼を動かす。シーカー視野が狭く、ジャイロ安定化ジンバルに固定すると使い勝手が悪いため、シーカーを首振り式にして後部にリング・スタビライザー(ウェザー・ベーンともいう)という環状翼を装着してあり、空力効果によりシーカーを常に落下弾道の方に向けている。最低投下高度が10000フィート(3048m)と高いので、地対空ミサイルに脆弱であった。また、システムを簡素化するため操縦翼の舵角は0度と5.5度のどちらかのみで、相対する2枚の動翼が同軸制御される方式であり、修正コースが安定せず、エネルギーロスと命中精度低下を来した。当初は750ポンド爆弾M117GBU-1/B)、2000ポンド爆弾Mk84GBU-10/B)、3000ポンド爆弾M118GBU-11/B)に装着された。ベトナム戦争後はMk82GBU-12/B)、Mk83GBU-16/B)、Mk84に装着されている。Mk20ロックアイ、CBU-74/BCBU-75/BCBU-79/BCBU-80/Bにも装着可能。参考:月刊軍事研究11,9912,048,18U.S.ウェポン・ハンドブック

ペイブウェイU>:アメリカの爆弾装着式誘導システムで、KMU-388/BGBU-10/Bシリーズ・GBU-12/Bシリーズ用)またはKMU-455/BGBU-16/Bシリーズ用)とも呼ばれる。1974年からレイセオン社が開発し、1977年から量産された。ペイブウェイTの安定翼を大型化・折り畳み式にして低空投下を可能としたもので、安定翼の揚力で射程が延伸され、高度9135mからの投下では最大射程15kmになった。シーカー受光部直後にウェザー・ベーンと称するリングがあり、受光部ごと動くことでレーザー視野を広げるのはペイブウェイTと同じ。システムは簡素化されて価格が下がり、電子機器にも改良を加えており、コンピュータ管制グループはMAU-169/B誘導キットに換装された。2000ポンド爆弾Mk84に装着するとGBU-10C/D/E/Fとなり、BLU-109に装着するとGBU-10G/H/Jとなり、500ポンド爆弾Mk82に装着するとGBU-12B/C/Dとなり、2000ポンド徹甲爆弾に装着するとGBU-24A/Bとなる。海軍専用にMk83に装着したGBU-16/Bも開発された。他に付随被害局限用GBU-45/BAGM-123A空対地ミサイルにも使用されている。後にコンピュータ管制グループとしてロッキード・マーチン社がMAU-209/Bを開発した。ペイブウェイVの実用化後も安価なので配備され続けており、ステルス性が高く高空で投下できるF-35なら射程も問題無い。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック、月刊軍事研究11,998,1812,048,09U.S.ウェポン・ハンドブック

ペイブウェイV>:アメリカの爆弾装着式レーザー誘導システム、別名LLLGBLow Level Laser Guided Bomb、超低高度投下型レーザー誘導爆弾)。気象条件の悪いヨーロッパや、敵防空網を回避すべく低空侵攻を行った際の低空からのトス・ボミングを想定して1980年からテキサス・インスツルメンツ社で開発され、1986年に実用化されて1987年から部隊運用された。テイルフィンを大型化しており、投下2秒後に展張して投下高度の5倍の射程を与える。シーカー視野を拡大してシーカーそのものを振る必要を無くし、ウェザー・ベーンは外してジャイロ安定型シーカーを採用した。バー(水平)、ボックス(矩形)、コニカル(円錐)の3種類のスキャンモードを選択可能で、悪天候でも限定運用可能。前部操縦用カナード翼も大型化し、舵角も自由にとれるようになった。低空侵攻する自機から見えない目標を爆撃する場合は、他機や他要員が照射したレーザーの反射光をキャッチする必要があり、マイクロプロセッサーを使用した新型のデジタル誘導システムとデジタルオートパイロットを備え、レーザー反射コーンへの最適経路を取れるようにしている。500ポンド爆弾Mk82に付けるとGBU-22/Bに、2000ポンド爆弾Mk84に付けるとGBU-24/B及びGBU-27/Bに、BLU-109に付けるとGBU-24A/B及びGBU-27A/Bに、BLU-113/Bに付けるとGBU-28/Bになる。F-117Aは小型のテイルフィン(GBU-10のもの)を付けて爆弾倉に収まるようにした専用型GBU-27/Bシリーズを使う。性能が高い分だけ価格も高く、ペイブウェイUと併用されている。参考:月刊軍事研究4,0012,048,168,18U.S.ウェポン・ハンドブック

ペイブウェイW>:レイセオン社が開発した爆弾装着式誘導システム。基本誘導方式はGAINSで、必要に応じレーザー誘導装置を追加装備する。投下後の誘導装置切り替えが可能で、投下する航空機の後方にある目標にも投下でき、レーダー・フリークエンシー・センサーによる三次元での目標捕捉が可能となり、空中炸裂モードも選択できるようになった。250ポンド爆弾Mk81にも装着可能。アメリカではまだ採用されていない。参考:月刊軍事研究5,03

ペイブウェイW(イギリス)>:20081210月からイギリス空海軍に配備された。主用誘導方式はGAINSであり、レーザー誘導装置を追加する場合にはペイブウェイUのシーカーを使用する。弾体はMk82爆弾で、4枚のクリップドデルタ操縦翼とコンフォーマル型ハードバック成形部(弾体背部)が付く。信管は複イベント堅固化目標信管(MEHTF)と呼ばれる米英共同開発のもので、衝撃、遅延、空中爆破、距離遅延のモードを持つ。ハードバック成形部に折り畳み主翼を装備する射程延伸型ロングショットも開発中である。参考:月刊軍事研究2,093,08

<ペイブ・クロウ>:GPU-5/A(ガンポッド)を参照。

<ベイブス>:九七式司令部偵察機または九八式陸上偵察機を参照。

<ペイブ・スパイク>:AN/ASQ-153(V)2(目標指示装置)を参照。

<ペイブ・スペクター>:AC-130E(ガンシップ)を参照。

<ペイブ・スペクターU>:AC-130H(ガンシップ)を参照。

ペイブ・タイガー>:ボーイング社がアメリカ空軍向けに開発した使い捨てRPV。機体は先尾翼機で、プッシャープロペラにより推進する。センサーやECMの他、通常弾頭を装着しての重要目標攻撃も可能。参考:スパイ機

<ペイブ・タック>:AN/AVQ-26(レーザー目標指示装置)を参照。

<ペイブ・デュース計画>:PQM-102A(無人標的機)を参照。

ペイブ・ナイフ>:AN/AVQ-10(レーザー目標指示装置)を参照。

<ペイブ・パット1>:BLU-72/B(燃料気化爆弾)を参照。

<ペイブ・パット2>:BLU-76/B(燃料気化爆弾)を参照。

ペイブ・ファントム>:F-4DにロランD航法装置を装着して航法能力を改良するプログラムのこと。参考:月刊軍事研究11,99

<ペイブペニー>:AN/AAS-35(レーザー・スポット・シーカー)を参照。

<ペイブホーク>:HH-60G(救難ヘリ)を参照。

<ペイブ・ポーズ>:AN/FPS-115(レーダー)を参照。

<ペイブ・ムーバー>:アサルト・ブレーカー(ミサイル)を参照。

<ペイブ・ロウT>:YHH-53H(試作救難ヘリ)またはHH-53H(救難ヘリ)を参照。

<ペイブ・ロウU>:YHH-53H(試作救難ヘリ)またはHH-53H(救難ヘリ)を参照。

<ペイブ・ロウV>:MH-53J(特殊作戦ヘリ)を参照。

<ペイブ・ロウVエンハンスド>:MH-53J(特殊作戦ヘリ)を参照。

<ペイブ・ロウW>:MH-53M(特殊作戦ヘリ)を参照。

ヘイブン級>:イギリス海軍フリゲート、Haven級。全長93.7m、幅11.7m、吃水3m、基準排水量1652トン。主機はレシプロで、出力5500馬力、速力20ノット。兵装は10.2cm連装砲1門。K438ダービー・ヘイブンとK654ウッドブリッジ・ヘイブンが1945年に就役した。参考:第2次大戦のイギリス軍艦

<ヘイベリアダ>:F-511(コルベット)を参照。

<ヘイベリアダ級>:ミルゲム級(コルベット)を参照。

<平面アレイ・アンテナ>:プラナー・アレイ・アンテナを参照。

<平面ホバリング>:ホバリングを参照。

ベイヤール>:ルクレール生産型試作初号車のニックネーム。

兵要地誌>:平時の領域警備や、有事の軍事作戦行動に必要な、基礎的な地域情報資料のこと。作戦地域の地形、気象、民情などを収集して作成する。これが無いと話が始まらない。参考:月刊軍事研究7,13、軍医サンよもやま物語

<兵要地誌研究所>:中野学校を参照。

<ベイヨン>:PF-21(フリゲート)を参照。

<ヘイラー>:DD-997(駆逐艦)を参照。

<ヘイリー>:DD-556(駆逐艦)を参照。

<ベイリー>:DD-492(駆逐艦)を参照。

ベイリーフ>:イギリス海軍アップルリーフ級給油艦Bayleaf1982325日竣工。すぐにフォークランドに向け出港した。831日帰投。参考:月刊世界の艦船5,83

<ヘイリガー>:DE-510(護衛駆逐艦)を参照。

<米陸軍技術援助役務(AH−64D・UH−60JA)>:防衛省がアメリカ陸軍省に発注している。参考:月刊軍事研究11,16

米留>:自衛隊のスラングで、アメリカ軍に留学すること、またはその経験者のこと。参考:MAMOR vol.164

兵力部署>:日本海軍が作戦に合わせて行う部隊編組のこと。参考:帝国海軍太平洋作戦史T

<ヘイル>:DD-642(駆逐艦)を参照。

ヘイル>:サウジアラビア海軍アバンテ2200型コルベット3番艦Hail2021328日進水。参考:月刊世界の艦船5,21

ベイルアウト>:緊急脱出装置でパイロットが緊急脱出すること。参考:月刊JWings7,05

<並列複座コクピット>:サイド・バイ・サイドを参照。

<並列ローター>:サイド・バイ・サイド・ローターを参照。

ペイローダー>:陸上自衛隊の機材で、バケットローダーのバケットを外して排土板を取り付けたものである。全長6.75m、全幅2.09m、全高3.33m、重量12.6トン。エンジンは小松S6D105ディーゼルで、最大速度30.4km。掘削深さ0.33m。参考:自衛隊装備カタログ1981

ペイロード>:Payload。有料荷重(JIS用語)、有償荷重、有償搭載量などと訳したりするが、そのままペイロードと呼ぶことが多い。民間では乗客や積載貨物の重量、軍では兵員、兵装、貨物の搭載可能重量を指す。軽飛行機ではオプション装備品を含む。Pay(有料・有償)が示す通り、元は民間機で運賃や料金の対象となる重量を指していたが、現在の用語としては只の重量区分であり、有料・無料の区別はしない。機体制限重量による重量制限ペイロードと、機体容積・客席数による容積制限ペイロードがあり、通常は前者を使用する。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings10,02、飛行機のしくみ、世界航空機年鑑2018-2019

 <重量制限ペイロード>:Weight limited payload。主翼付け根部分の強度により決定される最大ペイロードで、最大零燃料重量から運航重量を引いたものである。つまりペイロードに燃料重量は含まれず、燃料、弾薬、外部兵装など運用に伴い消費するものは、ペイロードでなく燃料搭載量や兵装搭載量などとして別表記するが、特に兵装搭載量の方は一緒くたにペイロードとなっていることも多い。参考:航空用語事典増補改訂版、世界航空機年鑑2018-2019

 <容積制限ペイロード>:乗客重量(66-77kg)×客席数+貨物室容積(立法メートル)×160kgで計算する。参考:世界航空機年鑑2018-2019

平和安全法制整備法>:日本が日米防衛協力のための指針(2015年改訂)に合わせて制定した法律で、法律10本(自衛隊法、国連平和維持活動協力法、周辺事態安全確保法/重要影響事態安全確保法、船舶検査活動法、武力攻撃事態法/武力攻撃・存立危機事態法、米軍行動関連措置法/米軍等行動関連措置法、特定公共施設利用法、海上輸送規制法、捕虜取り扱い法、国家安全保障会議設置法)の改正を纏めたものである。自衛隊法では存立危機事態を定義し、在外邦人警護救出、アメリカ軍などの武器等防護、平時でのアメリカ軍への物品(弾薬含む)役務提供を可能とし、武器使用権限を修正、抗命の際や国外犯の処罰規定を設けた。在外邦人救出は現地治安当局が機能し、その地域の同意があり、戦闘行為が行われていない場合に限る。PKO協力法では国際連携平和安全活動としてPKO以外の海外活動を可能とし、任務に安全確保、いわゆる駆け付け警護、司令部業務などを加え、任務遂行のために武器を使用できるようにした。周辺事態安全確保法は重要影響事態安全確保法と改称し、周辺事態を重要影響事態に言い換えて地域の制限の無い他国軍への支援を可能とした。また、これまで自衛隊活動開始から終了まで組織的戦闘が行われない後方地域に限定されていた活動場所を、現に戦闘が行われていない現場に変更している。ただし活動場所や近隣で戦闘が始まったり、始まりそうな場合は、一時休止する。船舶検査活動法では国際社会の平和と安全に必要な場合に船舶検査活動を行えるようにし(それまでは日本の周辺事態のみ)、実施範囲を日本周辺から同意の得られた外国領域にも拡大、自己管理下に入った者の生命や身体を守るために武器を使用できるようになった。武力攻撃事態法は武力攻撃・存立危機事態法に改称、存立危機事態を定義し、集団的自衛権の行使により、この時点での自衛隊による防衛出動を可能とした。米軍行動関連措置法は米軍等行動関連措置法に改称し、武力攻撃事態や存立危機事態での支援対象をアメリカ軍以外の外国軍隊にも拡大した。特定公共施設利用法では武力攻撃事態等の場合にアメリカ軍以外の外国軍隊も飛行場や港湾などの特定公共施設を利用可能とした。海上輸送規制法(日本を攻撃している国への海上輸送規制)では存立危機事態でも規制を可能とし、対称海域を日本周辺海域から日本の領海、同意のある外国の領海、公海に拡大した。捕虜取り扱い法では存立危機事態でも適用できるようにした。国家安全保障会議設置法では審議事項に存立危機事態や重要影響事態、国際平和共同対処事態を追加した。2015919日に参院本会議で可決(賛成148票、反対90票)されて成立し、930日に公布され、2016329日に施行された。参考:月刊JWings10,156,16、月刊世界の艦船12,15、朝雲

<平和時空中偵察計画>:PARPRO計画を参照。

平和目的核実験>:PNEと略す。深深度地質の状態調査による地震観測、液化天然ガス地下貯蔵用の空洞製作、石油・天然ガス採掘支援、油井消火、運河・貯水池建設などの目的で行われる核爆発で、ソ連が116回、アメリカが27回実施している。参考:核兵器事典

<平和の使命2005>:和平使命2005(中ロ合同軍事演習)を参照。

平和のための結集決議>:国連総会第5回会期決議377(v)Uniting for Peace1950113日に採択された。平和に対する脅威、平和の破壊、侵略行為があると思われる場合で、安保理が、常任理事国の全員一致が得られず国際の平和及び安全の維持に関する第一義的責任の遂行に失敗した場合は、国連総会が国際の平和及び安全を維持しまたは回復するための集団的措置(平和の破壊又は侵略行為の場合は必要なら軍隊の使用も含む)について、加盟国に対して適当な韓国をするために直ちにその事項を審議しなければならない。総会が会期中でない場合には、安保理のいずれか7理事国(後に9理事国)の投票に基づく要請または国連加盟国の過半数の要請があった時に、24時間以内に緊急特別会期を招集する。参考:ベーシック条約集2018

<ヘインズ>:APD-84(高速輸送艦)またはDE-792(護衛駆逐艦)を参照。

<ヘインズワース>:DD-700(駆逐艦)を参照。

ベインテシンコ・デ・マヨ>:アルゼンチン海軍空母25 de MayoVeinticinco de Mayo。大元は1945年にイギリスで就役したコロッサス級軽空母ヴェネラブルで、1948年にオランダ海軍に売却されてR81カレル・ドールマンになり、火災事故で退役後の19681015日にアルゼンチン海軍に売却されたものである。全長211.3m、基準排水量16000トン、満載排水量19896トン。主機は蒸気タービン、速力24.25ノット。兵装は40mm単装機関砲9門。搭載機はA-4攻撃機11機など計18機。1968年就役。オランダで火災事故の修復工事を終えた1969年から本格的に活動した。1982年のフォークランド紛争直前にシュペール・エタンダール12機とエグゾセ5発を購入している。1989年の搭載定数はシュペール・エタンダール攻撃機4機、S-2哨戒機3機、S-61Dヘリ4機。1997年に退役した。参考:月刊軍事研究7,07、月刊航空ファン11,11、ミリタリー・バランス1989-1990、月刊世界の艦船11,199,191,21

<ベイントン>:K310(フリゲート)を参照。

<ベインブリッジ>:DD-246(駆逐艦)またはDDG-96(イージス駆逐艦)またはDLGN-25(フリゲート)を参照。

ベインブリッジ級>:アメリカ海軍原子力ミサイル・フリゲートBainbridge級、計画番号SCB-189。海軍内には航続距離が短い駆逐艦クラスの戦闘艦を原子力水上艦にして機動部隊に随伴できるようにすると便利という意見があったが、船体が小さすぎて原子炉を積めないということで大きめの艦をベースにすることにし、19571月からレイヒ級を原子力化した満載排水量6000トン以内・速力30ノットの艦隊護衛艦として研究が始まり、原子炉区画の小型化が無理だったため満載排水量を7600トンに増やし、1959年度計画で建造される予定だったレイヒ級の1隻を設計変更した。船型は長船首楼型のまま船体を10m伸ばして原子炉搭載スペースを確保、煙突が要らなくなったのでマックはトラスマストに替えた。兵装はレイヒ級と同じ。レーダーはAN/SPS-39対空レーダー、AN/SPS-37対空レーダー、AN/SPS-10D対水上レーダー、AN/SPG-50射撃指揮レーダー2基、AN/SPG-55射撃指揮レーダー2基。ソナーはAN/SQS-23。後甲板にはVERTREPエリアが用意されている(発着艦はできない)。全長172.5m、幅17.0m、吃水5.9m、満載排水量7982トン(8580トン?)。主機は原子力蒸気タービン方式、D2G加圧水型原子炉2基・蒸気タービン2基2軸60000馬力、速力30ノット以上、航続距離は30ノットで15万海里、20ノットで45万海里。兵装はテリア連装発射機Mk10が2基(計80発)、アスロック8連装発射機1基(予備弾無し)、50口径76mm連装砲2基、324mm3連装短魚雷発射管2基。乗員459名(499名?)。アメリカ海軍2隻目の原子力巡洋艦として1962年にDLG-25ベインブリッジが就役した。建造費は1億6360万ドルで、予定(1億800万ドル)を大幅に超過し、レイヒ級の3倍に達している。196710月、DLGNに艦種変更された。1975年に巡洋艦CGNに艦種変更された。1976年に対空戦闘能力強化工事が行われ、NTDSを装備してミサイル管制機能を強化した。1983-86年、NTUNew Threat Upgrade)改装を実施。艦橋上に甲板室2層を追加、艦後部に2層の甲板室を設置し、マスト形状を変更、ファランクス及びハープーンの搭載工事を行っている。対空ミサイルもスタンダードSM-2ERに換装し、電子装備も一新した。1992年時点の諸元は以下の通り。全長172.3m、幅17.6m、吃水9.5m、満載排水量8592トン。主機は原子炉2基・蒸気タービン2基2軸70000馬力で、速力30ノット、航続距離は20ノットで9万海里。兵装はハープーン4連装発射筒2基、スタンダードER連装発射機Mk10Mod5が2基、ファランクス2基、アスロック8連装発射機1基、324mm3連装短魚雷発射管2基。乗員558名、司令部要員18名。1995年に退役した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊、9,963,0012,1310,'23、月刊軍事研究11,'1512,155,03、近代巡洋艦史

<ベヴァーリー・W・レイド>:APD-119(高速輸送艦)またはDE-722(護衛駆逐艦)を参照。

<ヘヴィハンマー>:120mm迫撃砲RT(陸上自衛隊)を参照。

ベヴェジール>:フランス海軍ルドゥタブル級潜水艦Beveziers1936年竣工。1942年に戦没した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

<ヘーエンイェーガー1>:Fw190シリーズ(戦闘機)を参照。

<ヘーエンイェーガー2>:Fw190シリーズ(戦闘機)を参照。

ベーカリー・コンテナ(イタリア軍)>:イタリア軍の補給部隊に配備されている機動パン製造器で、1時間で100kgの焼きたてパンを兵士に供給することができる。参考:月刊JGround Vol.11

ペーク51級>:韓国海軍ミサイル艇。アメリカのアッシュビル級を導入したものである。兵装はスタンダード艦対艦ミサイル発射筒2基。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ペーク52級>:韓国海軍ミサイル艇。兵装はスタンダード艦対艦ミサイル4連装箱型発射機3基またはハープーン艦対艦ミサイル連装発射機2基。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

<ペーシュカ>:Pe-2シリーズ(爆撃機)を参照。

ベース90>:スウェーデン空軍が1980年代から整備している分散基地システム。空軍基地から10-15kmのところに4個程度の高速道路を利用した発着場(幅17m、長さ800m、両端に200-300mのオーバーランを持つ)が作られている。参考:月刊JWings11,00

<ベースウインド・レグ>:場周経路を参照。

ベースブリード>:Base Bleed Projectile、弾種記号-BB。超音速で飛翔する砲弾は、先端部には衝撃波が生じて抗力が増加し、弾底部付近には膨張波による乱流が生じて弾底部に作用する圧力が低下、射程が減少する。この弾底部の乱流や圧力低下を軽減するために弾丸後部に火薬の入った燃焼室を取り付けたものがベースブリード弾で、弾底部から後方に燃焼ガスを噴射して気流を整える。燃焼ガスを音速以下で噴射させるため、推力は期待できないが、同量の火薬を推進剤として使用するより遥かに射程延伸効果は高い。使用する火薬は低圧力でも燃焼できることが求められ、過塩素酸アンモニウムを酸化剤とするコンポジット系が使用される。参考:火薬のはなし

<ベースライン>:AGM-154A(統合スタンドオフ兵器)を参照。

<ベータ>:XTP-1(技術実証ヘリ)を参照。

<ベータ・コントロール・システム>:スロットル・レバーを参照。

β線>:放射線の1つで、電子による荷電粒子線である。金属薄板で防護が可能。参考:知ることから始めよう放射線のいろいろ

βプラス崩壊>:放射性物質から陽電子線が放出され、原子番号が1個減った元素に変化すること。陽子が崩壊して中性子に変化するため、質量数は不変である。この時、陽電子とニュートリノが放出される。原子核のエネルギー安定のため、γ線が一緒に放出されることが多い。参考:放射線健康科学

βマイナス崩壊>:放射性物質からβ線が放出され、原子番号が1個増えた元素に変化すること。中性子が崩壊して陽子に変化するため、質量数は不変である。この時、電子(β線)と反ニュートリノが放出される。原子核のエネルギー安定のため、γ線が一緒に放出されることが多い。参考:放射線健康科学

ヘーチマン・イヴァン・マゼーパ>:ウクライナ海軍アダ級コルベット1番艦Hetman Ivan Mazepa20214月ファースト・スチール・カット実施、97日起工、98日起工式実施、2022102日進水。参考:月刊世界の艦船11,'2212,211,23

ベーデッカー・レイズ>:Baedeker Raids。第2次大戦中の19424月に開始された、ドイツによるイギリス本土爆撃のイギリス側通称である。1942328日、イギリス空軍がリューベックに夜間爆撃を実施。これに対して414日にヒトラーがロンドン以外の都市への爆撃命令を出し、423日からエクセターやバースなどへの爆撃が始まった。これにイギリスも反撃し、ドイツ本土のロストックを灰燼に帰したため、ヒトラーが激怒、426日に熱弁をふるい、ベーデッカー・ガイドブック(19世紀前半から発行されているドイツの観光案内)でイギリスの全都市をチェックして星の数を調べ、それに応じて目標の重要度を決定せよと述べたのが命名のきっかけである。爆撃目標となったのは防御の弱い中小都市で、月の出ている夜にJu88もしくはDo217といった高速双発爆撃機を主力とする低高度(1500-3000m)爆撃を2回繰り返した。使用された爆弾にはABB500クラスター焼夷弾が含まれており、消火が困難だった。X装置とY装置を使用して爆撃を行うドイツ空軍に対し、イギリスはタービンライト搭載ハボック、スターフィッシュ作戦、ジャミングで対抗、ドイツ側は損害が大きくなり、7月末に作戦を終了して補充と休養に入った。参考:世界の傑作機No.145

ペートー・トーデンスキョル>:デンマーク海軍ニールス・ユール級フリゲート3番艦Peter Tordenskiold19824月就役。1996年から近代化改装を実施、19985月に完了した。20096月、バルトップス2009演習に参加。818日に退役した。参考:月刊世界の艦船3,009,093,10

<ベートーベン計画>:ミステル(特殊攻撃機)を参照。

ペーパー・カートリッジ>:弾丸と発射薬を紙で包んだもの。前装銃の装填を早めるために製作されたもので、まず紙を噛み切って発射薬を銃口に入れ、次に紙袋ごと弾丸を詰め込んで装填を完了する。日本では早合と呼ばれた。参考:GUN用語事典

ペーペークリップ作戦>:第2次大戦(欧州戦線)終結直後にアメリカ軍が行った、ドイツ人科学者連行作戦。参考:月刊軍事研究11,09

<ベーメン・メーレン>:SS義勇第31擲弾兵師団を参照。

<ベーリイ・レービチ>:Tu-160シリーズ(爆撃機)を参照。

<ベーリング・ストレイト>:AVP-34(飛行艇支援艦)を参照。

<ペール・ホークス>:VMM-561(海兵飛行隊)を参照。

ベオバハター>:監察官の意。ドイツ空軍が第2次大戦前に採用した制度で、ベテランの元パイロットが爆撃機に同乗し、航法を支援するなどして新米機長に指示を与えるものである。第2次大戦でパイロットの損耗が激しくなるとベオバハターもパイロットに復帰しなければならなくなり、有名無実になった。参考:連合軍の傑作兵器駄作兵器

<ペオリア>:LST-1183(戦車揚陸艦)またはPF-67(フリゲート)を参照。

<ベガ>:D52(護衛駆逐艦)を参照。

ベガ・シリーズ>:フランスのトムソンCSF社が開発したモジュラー式艦載FCS。対空・対水上捜索レーダー(シータイガー、サターンU、トリトンMTI、トリトンから選択)、追尾レーダー(キャスターU、ポラックスMTIから選択)、戦術情報ユニット(ベガTIUT型、ベガTIUU型から選択)、FCSコンピュータ1-2基、対潜武器システムが基本装置で、これにIFF、航法レーダー、ECM、ソナー、プロッティング・テーブル、目視照準装置、ジャイロ、ログなどをオプションで追加し、艦砲、対艦ミサイル、対空ミサイル、魚雷、対潜ロケットなどを制御する。艦艇の大きさや兵装、レーダーなどによって組み合わせを変更することが可能。参考:ザ・マーチ42

 <ベガT−43>:トリトン捜索レーダー、ポラックス追尾レーダー、ベガTIUT戦術情報ユニット、コンピュータ、艦砲2門、エグゾセ、AEG-SS14魚雷、IFF、航法レーダー、ECMからなるシステムで、コンバタント級高速ミサイル艇といった小型艦にも搭載できる。1971年に実戦配備された。参考:ザ・マーチ42

 <ベガU−73>:サターンU捜索レーダー、キャスターU追尾レーダー、目視照準装置、ベガTIUU型戦術情報ユニット、コンピュータ、IFF、航法レーダー、艦砲、対艦ミサイル、対艦魚雷、ECMの組み合わせで、中−大型艦用。シースキミングミサイルに艦砲を指向することもできる。参考:ザ・マーチ42

 <ベガU−89>:シータイガー捜索レーダー、キャスターU追尾レーダー(1-2個)、目視照準装置、ベガTIUU戦術情報ユニット、コンピュータ2基、IFF、航法レーダー、ソナー、艦砲、対艦ミサイル、対艦魚雷、対空ミサイル、対潜魚雷、対潜ロケット、ECMからなるシステムで、中−大型艦用。参考:ザ・マーチ42

ベガ2010>:イタリア空軍とイスラエル空軍がイタリアのサルデーニャ島にあるデチモマンヌ基地で20101115日から2週間にわたり実施した合同演習。イタリア空軍からタイフーン、F-16、トーネード、AMX、イスラエル空軍からF-15F-16G550早期管制機が参加し、NATOからもE-3Aが参加した。参考:月刊航空ファン3,11

<ベガ−M325>:MG-325(ソナー)を参照。

ペガーズ>:フランス海軍ルドゥタブル級潜水艦Pegase1932年竣工。1950年に解体された。参考:第2次大戦のフランス軍艦

ヘカートU>:URコマンド2狙撃銃をベースにした対物狙撃銃。12.7mm×99弾を使用するよう改造され、銃口には大型のマズルコンペンセイターを装備する。作動はボルトアクション式。全長1.38m、銃身長1.14m、重量13.5kg。ライフリングは8条右回り。装弾数7発。有効射程1500m。参考:最新軍用ライフル図鑑

ベガ・ガル>:イギリス空軍軽連絡機Vega-Gull。パーシバル社製の民間の4名乗り低翼単葉軽飛行機を採用したもので、12機が納入された。全長7.72m、全幅12.04m、全備重量1470kg。エンジンはデハビラント社製ジプシーシックス(200馬力)単発で、最大速度280km、航続距離1050km。乗員4名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

<ペガサス>:I35(水上機母艦)またはKC-46A(空中給油機)またはPHM-1(ミサイル艇)またはT-44シリーズ(練習機)またはX-47A(無人機)または天馬(自走地対空ミサイル)またはハキーム海外シリーズ(巡航ミサイル)を参照。

ペガサス>:シンガポール軍の39口径155mm軽量榴弾砲。出力28馬力のAPUにより、速度12kmで自走できる。自動給弾装置付き。重量5.4トン。砲要員6名。参考:月刊軍事研究11,11

ペガサス>:ドイツとフランスが共同開発しているレールガン、PEGASUS accelerator10MJのキャパシタ・バンクから電力を供給し、全長6mの発射機から砲口エネルギー3.8-4.8MJで飛翔体を撃ち出す。砲腔断面は円形でなく40mm×40mmの正方形で、四角柱状の飛翔体を使用する。テストでは300gの非金属飛翔体を初速毎秒2500mで射出した。参考:月刊軍事研究12,17

ペガサス・シリーズ>:ハリアーVTOLに搭載されている推力偏向エンジンで、ロールスロイス社製。オーフュース・ターボジェットエンジンにオリンパス・ターボジェットの最初の3段を追加してターボファンに改造し、低圧圧縮機からの抽出空気排出口を前方左右、ジェット排気口を後方左右に設け、それぞれに推力偏向ノズルを装着したものである。参考:月刊軍事研究7,11、世界の軍用機1979

 <BE52>:ブリストル社がVTOL用として独自開発したターボジェットエンジンで、19561217日にBS52として案が纏められ、改良型としてこの名称が付いた。オーフュース・ターボジェットエンジンの圧縮機と燃焼室の間に低圧圧縮機としてオリンパス・ターボジェットエンジンの圧縮機を収容し、オーフュースの太い回転軸の中に低圧回転軸を通してオーフュースのタービン後方に追加した低圧タービンにより駆動する二軸式エンジンである。エアインテイクは内部で2つに分けられており、低圧と高圧それぞれの圧縮機に別の経路で空気を送り込む。19576月、ブリストル社の設計者スタンリー・フッカーが、知り合いのホーカー社の設計者シドニー・カムにBE52の仕様書を送ったのをきっかけに、フッカーの部下のゴードン・ルウィスとカムの部下のラルフ・フーバーがBE53エンジンを使用したVTOL機を独自に検討した。その際、推力偏向ノズルを胴体中央と尾部の左右に設けるというアイディアも生まれている。参考:月刊JWings4,13

 <BE52/2>:BE52使用VTOLを検討していた際、BE52を完全同軸化して単純なターボファンにし、2軸を逆回転させてホバリング時のジャイロ効果による機体への影響を避けるという案が生まれ、これに基づいて1957年末に設計が纏まったのがこれである。バイパス比1.75。ペガサスエンジンの原型となった。参考:月刊JWings4,13

ペガサス11Mk103>:ハリアー、AV-8Aに搭載されているタイプで、4つの推力偏向ノズルを持つ。前方の2つからは低圧コンプレッサーで圧縮した吸気の一部を送っており、毎秒365m110度の空気を噴射する。後方の2つからは毎秒520m680度のジェット排気が噴出する。前後の噴射空気量比率は4対6。これらのノズルはスロットルレバー内側の操作レバーで0-98.5度まで可動(手前一杯に引くと0度、前一杯に押し込むと98.5度)でき、垂直離着陸、ホバリング、水平飛行が行える。更に姿勢制御バルブ機能が用意されており、エンジンから抽出した空気を機首下面、尾部左右、尾部下面、左右主翼端上下面から噴射して姿勢制御を行う。スロットルレバーと推力偏向用レバーを同時に操作するには腕がもう一本必要で、どちらか一方のみ調整することになる。バイパス比1.4、ファン段数3段、コンプレッサーは軸流式8段、圧縮比14.6、燃焼器はアニュラー型。タービンは高圧2段・低圧2段で、アフターバーナーは無い。全長3.48m、直径48インチ(1.22m)、乾燥重量1.404トン。離昇推力9.752トン。参考:月刊軍事研究12,037,114,14、世界の軍用機1979、世界軍用機年鑑1990-91

ペガサス11−61Mk.107>:AV-8B用。空気流量毎秒208kg、ファン3段、バイパス比1.2、圧縮機8段、全体圧力比16.3、タービン4段、最大推力23807ポンド・106kN。全長3.485m、直径1.219m、重量1.932トン。参考:月刊JWings4,20

ペガサス級>:アメリカ海軍ミサイル艇Pegasus級。全没水型水中翼船で、高速を誇るが、航続距離は短く、水中翼を折り畳んでの艇体走も行えるようになっている。自動姿勢制御装置を持ち、シーステート5で45ノット航走した際の艇前部衝撃加速度(上下方向)は0.064Gで、耐波性が高い。船体は軽合金製である。船体長40.5m、満載排水量259-265トン。主機はCODOG方式で、翼走用LM2500ガスタービン1基18000馬力・艇体走用ディーゼル2基1600馬力・ウォータージェット2基、最大速力12ノット(艇体走時)/50ノット(翼走時)、航続距離は艇体走9ノットで1700海里、翼走40ノットで700海里。兵装は76mm単装砲1門(前甲板)、ハープーン4連装発射筒2基(艇尾部並列)。乗員21名。30隻を建造予定で、1977年に1番艇PHM-1ペガサスが就役したが、建造費と維持費が高騰したため暫く音沙汰無しになり、構造を変更して1983年までに2-6番艇が竣工(ちなみに2番艇が最後に竣工している)、7番艇以降は建造打ち切りとなった。1993年に全て退役した。参考:月刊世界の艦船2,168,82増刊、12,137,11、月刊丸12,92、ザ・マーチ33号、日本の防衛戦力Part3

ペガサス級>:イギリス海軍水上機母艦Pegasus級。元はアーク・ロイヤル級航空機運用艦アーク・ロイヤルで、空母アーク・ロイヤルの建造により1934年に改称されたものである。全長111.6m、幅15.5m、吃水5.3m、基準排水量6900トン。主機はレシプロ蒸気機関で、出力3000馬力、速力11ノット。兵装は12ポンド単装砲4門。搭載機数10機。I35ペガサスが就役した。参考:月刊世界の艦船11,00、第2次大戦のイギリス軍艦

ペガサスMk.X級>:アメリカ海軍高速哨戒艇Pegasus Mk.X級。特殊部隊用の高速艇で、軽合金により船体は軽量である。ローシルエットかつステルス設計で、16名の特殊部隊員を輸送できる。全長24.7m、全幅5.3m、満載排水量54トン。主機はディーゼル2基、出力4506馬力、推進はウォータージェット2基、最大速力45ノット。乗員は5名で、4名を予備として乗船できる。尾部にゴムボートを搭載しており、後方にシュートする。兵装は12.7mmまたは7.6mm連装機銃5基、40mmてき弾発射機1基などの選択制。C-5で空輸も可能。1998-99年に20隻が就役した。参考:世界の艦船4,04増刊

<ペガス>:M644(フランス掃海艇)を参照。

<ヘカティ>:A137(測量艦)を参照。

<壁画式戦闘機>:殲撃5型・海外シリーズ(戦闘機)を参照。

<ヘキサゴン>:KH-9(偵察衛星)を参照。

<ヘキサニトロスチルベン>:HNS(爆薬)を参照。

<碧素>:ペニシリンを参照。

<ヘキソーゲン>:RDX(爆薬)を参照。

<壁透過型人物探知装置>:自衛隊の機器。富士通製。参考:月刊軍事研究3,14

壁透過レーダー>:壁を透過して室内の人の様子を探るレーダー。超広帯域(Ultra Wide BandUWB)電波を使用する可搬型小型レーダーである。テロ対策用に1960年代から開発された。参考:レーダの基礎

<ベキュナ>:SS-319(潜水艦)を参照。

<霹靂1>:PL-1(空対空ミサイル)を参照。

<霹靂2シリーズ>:PL-2シリーズ(空対空ミサイル)を参照。

<霹靂3シリーズ>:PL-3シリーズ(空対空ミサイル)を参照。

<霹靂4シリーズ>:PL-4シリーズ(空対空ミサイル)を参照。

<霹靂5シリーズ>:PL-5シリーズ(空対空ミサイル)を参照。

<霹靂6>:PL-6(空対空ミサイル)を参照。

<霹靂7>:PL-7(空対空ミサイル)を参照。

<霹靂8シリーズ>:PL-8シリーズ(空対空ミサイル)を参照。

<霹靂9シリーズ>:PL-9シリーズ(空対空ミサイル)を参照。

<霹靂10E>:PL-10E(空対空ミサイル)を参照。

<霹靂11>:PL-11(空対空ミサイル)を参照。

<霹靂12>:PL-12(空対空ミサイル)を参照。

<霹靂15>:PL-15(空対空ミサイル)を参照。

<霹靂21>:PL-21(空対空ミサイル)を参照。

<霹靂火>:Z-10(攻撃ヘリ)を参照。

北京軍区>:中国軍の大軍区で、戦時には北部軍となる。河北省、山西省、内蒙古自治区、北京、天津警備区を統括し、首都の防衛に就く。1955414日、華北軍区から改編されて創設された。19675月、内蒙古軍区を編入した。19856月の改編で河北省、北京衛戍区(北京直轄市)、内蒙古自治区(東四盟地域を除く)、山西省、天津警備区(天津直轄市)が管轄地域になった。20158122300頃、天津港の化学品倉庫で大規模な爆発が起こり、化学防護連隊から選抜された214名と、救援遠隔観測車、化学防護偵察車、遠隔操作ロボット運搬車など車両50両からなる国家級核・生物・化学兵器応急救援隊を編成して現場に派遣した。ただ到着が8131100頃になったため、即応能力が不十分との意見もある。201621日、中部戦区(北京、天津、河北省、山西省)と北部戦区(内蒙古自治区)に改編された。参考:月刊軍事研究4,05、月刊航空ファン5,16、朝雲

 <北京軍区(1989年)>:河北省軍区、山西省軍区、内蒙古自治区軍区、北京衛戍区、天津警備区からなる。集団軍6個、ミサイル師団1個、装甲師団3個、歩兵師団17個、空挺師団1個が配置されている。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <北京軍区(2015年)>:北京衛戍区、天津警備区、内蒙古自治区軍区、河北省軍区、山西省軍区からなる。第27集団軍(機甲旅団1個、機械化歩兵旅団2個、自動車化歩兵旅団2個、砲兵旅団1個、防空旅団1個、工兵連隊1個)、第38集団軍(特殊部隊旅団1個、機甲師団1個、機械化歩兵師団2個、航空旅団1個、砲兵旅団1個、防空旅団1個、工兵連隊1個)、第65集団軍(機甲旅団1個、機械化歩兵旅団2個、自動車化歩兵旅団2個、砲兵旅団1個、防空旅団1個、工兵連隊1個)、機械化歩兵旅団(訓練任務)1個、北京警護師団1個、航空旅団1個、北海艦隊航空兵第2海軍航空師団(Y-7/Y-8輸送機連隊1個)、同航空兵JL-9練習機連隊1個、HY-7練習機連隊1個、JL-8練習機連隊1個、Mi-7/Z-9練習ヘリ連隊1個、北京軍区空軍第7戦闘機師団(殲撃11型戦闘機連隊1個、殲撃7型戦闘機連隊2個)、同空軍第15戦闘攻撃師団(殲撃10A/S戦闘機連隊1個、殲撃7型G飛行連隊1個)、同空軍第24戦闘機師団(殲撃7型G飛行連隊1個、殲撃10型/10型A/10型S戦闘機連隊1個)、Shijiazhuang航空学校(CJ-6/JL-8/Y-5/Y-7練習機旅団1個)、飛行試験センター1個、地対空ミサイル師団3個、地対空ミサイル・高射砲師団1個、第34要人輸送師団(B-737/CRJ200/CRJ700輸送機連隊1個、B-737/Tu-154M/Tu-154MD輸送機連隊1個、Y-7輸送機連隊1個、AS332/H225輸送ヘリ連隊1個)が配置されている。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

北京軍区衛戍区>:北京軍区隷下の首都警備部隊。中国共産党北京市委員会軍事工作部門と北京市政府兵役工作機関にも隷属している。参考:月刊軍事研究6,15

<北京の春>:第1次天安門事件を参照。

北京丸>:大阪商船中型貨物船。垂線間長92.96m、幅13.32m、深さ8.31m、満載吃水7.06m、総トン数3187トン、重量トン数5096トン。主機は三連成レシプロ1基で、1軸推進、航海速力7.8ノット、最大速力12.2ノット。大正3813日竣工。太平洋戦争で陸軍の輸送任務に就いた。昭和20531日、福岡県芦屋町北北東6kmで触雷して沈没した。参考:月刊世界の艦船2,13

ベグ>:海軍兵学校用語で、教科書や学用品を入れるバッグ(bag)のこと。キャンバス製。参考:海軍兵学校よもやま物語、海軍兵学校岩国分校物語

<ヘグ級>:コマール級ミサイル艇(中国海軍)を参照。

<ベクサー>:APA-237(攻撃輸送艦)を参照。

<ペクサンオ>:K731(長魚雷)を参照。

ベクストラ>:フランスのGIAT社がプライベートベンチャーで開発した8輪装甲車、Vextra。車体はアルミニウム合金製で、増加装甲の装着が可能である。前部左に操縦手席、右に機関室、中央に戦闘室、後部に弾薬搭載スペース兼兵員室があり、車体後面には乗降用ランプを持つ。赤外線放出抑制のため、車体後部左に排気管があり、反対側に冷却空気排出口が装備されている。砲塔は25mm機関砲と7.62mm機銃を1丁ずつ装備する1名用砲塔や、105mm戦車砲G2を搭載するTML105砲塔が用意されている。参考:世界の軍用車両(4)

ベクター>:オランダ陸軍特殊部隊の空挺用4×4輪軽量装甲車Vector、別名ATTVAir Transportable Tactical Vehicle)。NATOレベル1のモジュラー式装甲を装備する。全長5.1m、全幅1.8m、全高2.205m(走行時)/1.87m(空挺時)、戦闘重量4.7トン、ペイロード1.44トン。エンジンはディーゼル(出力160kW)、トランスミッションはオートマチック(6速)、航続距離800km。参考:月刊軍事研究11,18

<ヘクター・A・カフェラタ>:ESB-8(遠征用海上基地艦)を参照。

ヘクターMk.T>:イギリス空軍の軽爆撃・直協機。ホーカー社が開発し、1930年代に就役した。全長9.09m、全幅11.26m、全備重量2230kg。エンジンはネピア・ダガー3MS805馬力)単発で、最大速度300km、実用上昇限度7320m、航続時間2.4時間。固定武装は7.7mm機銃2丁。50kg爆弾2発を搭載できる。乗員2名。第2次大戦時も配備されており、ダンケルク撤退で爆撃・補給任務に就いた他、1942年までグライダーの曳航に使われた。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

<ベクターW>:AN/APR-25(レーダーホーミング警戒装置)を参照。

ベクタースキャン方式>:CRTモニターなどの画像表示方式の1つ。画面に表示する部分だけに線画方式で映像を描写していく方式である。ラスター・スキャン方式よりもデータ量が少なく、走査線の本数に左右されないので微細な描写が可能だが、表示速度が遅い、線画しかできないという欠点があり、シンボル表示くらいしか使えない。参考:月刊軍事研究1,14

<ベクタード・スラスト・エンジン>:推力偏向エンジンを参照。

ベクタード・スラスト方式VTOL機>:推力偏向エンジンを使用し、エンジン推力を下向きにして垂直離着陸し、後ろ向きにして水平飛行を行うタイプのVTOL機。参考:月刊JWings10,09

ベクテル社>:アメリカの総合建設企業。1998年に海軍で艦艇用原子炉を担当していたウェスティングハウス・エレクトリック社が原子力事業を売却したため、同社が運営していたベッティスとノウルズの国有核エネルギー研究施設(とついでにGE社が運営していたアイダホ・フォールズの施設も)を引き取り、100%子会社のBMPCBechtel Marine Propulsion Corporation)で運営している。ジェラルド・R・フォード級のA1B原子炉を生産中。参考:月刊世界の艦船10,14

<ペクトゥ>:RC-800SIGSIGINT機)を参照。

<ペクトサン>:PC701(駆潜艇)を参照。

<ベクトル/ドップラー配点装置>:VDOPSを参照。

<ベクトルネットワークアナライザ>:自衛隊の機器。アンリツ製。参考:月刊軍事研究8,11

<ペグニッツ>:M1090(掃海艇)を参照。

ヘクマチアル派>:アフガニスタンのヘクマチアル元首相が創設したイスラム教スンニ派原理主義武装組織。パシュトゥン人が主体で、ソ連軍撤退までは最大のゲリラ組織だったものの、撤退後は西側支援が減少し、更に湾岸戦争でサウジを批判して支援が途絶。麻薬や誘拐に手を染めてパキスタンからも見捨てられ、タリバンに吸収された。参考:月刊軍事研究8,01

<ヘクラ>:A133(測量艦)を参照。

ヘクラ級>:イギリス海軍測量艦Hecla級。ノルウェー製SUソナーを装備する。全長79.3m、幅15m、吃水4.7m、満載排水量2733トン。主機はディーゼル・エレクトリック方式で、出力2000馬力、速力14ノット。ヘリ1機、測量艇2隻を搭載する。A133ヘクラ、A137ヘカティ、A144ハイドラが1965-66年に竣工した。参考:月刊世界の艦船5,831,'15増刊

<ベグリアンカ>:BREM-L(修理回収車)を参照。

ヘグルンド>:スウェーデンの車両メーカー。2005年、BAEシステムズの傘下に入り、BAEシステムズABとなった。参考:月刊JWings8,20

ベクレル>:放射能の単位で、Bqと略す。1秒間に崩壊する原子核の数を表しており、1秒に1個崩壊すれば1ベクレルである。原子の数が同じなら、半減期が短い方が高いベクレルを持つ。放射線の強さや人体への影響を示す単位ではないので注意。参考:放射線健康科学

<碧素>:ペニシリン(抗生物質)を参照。

<ベゴー>:APD-127(高速輸送艦)またはDE-711(護衛駆逐艦)を参照。

<ペコス>:T-AO-197(給油艦)を参照。

ペコス>:アメリカ海軍給油艦。194224日、ジャワ沖海戦に参加。31日、ジャワ島南方で日本海軍機動部隊(第1・第2航空戦隊)艦上機の攻撃にあって沈没した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、日本海軍艦隊総覧

ペコス>:アメリカ海軍給油艦。194514日、ルソン島付近で日本海軍基地航空部隊の攻撃を受けて損傷した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

<ベゴニア>:K66(フラワー級コルベット)またはPG-68(テンプトレス級コルベット)を参照。

ベザヴェトヌイ>:ソ連海軍クリヴァクT型フリゲートBezzavetny1978年竣工。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

ベサ機銃>:イギリス軍7.92mm機銃Besa(正しくはベーサと読むらしい)。チェコ製7.92mm機銃Vz.37をバーミンガム・スモールアームズ社で1938年からライセンス生産したものである。規格がほぼ同じのため、鹵獲したドイツの7.92mmマウザー弾も撃てた。戦車用車載機銃版はBesa 7.92 cal tank machine gunと呼ばれ、MkT、MkU、MkVのバリエーションがある。全長3フィート7.5インチ(1.1m)。給弾は225発ベルトリンク。発射速度毎分750-850発。参考:月刊グランドパワー11,12British and American tanks of World War Two

ベサント>:オーストラリア海軍潜水艦救難艦Besant2019114-15日、パシフィック・リーチ2019に参加。参考:月刊世界の艦船3,20

ベシオ島>:キリバス共和国のタラワ環礁にある、東西3500m・南北400mの島。昭和1612月、太平洋戦争で日本海軍がイギリスから占領し、第3特別根拠地隊が要塞化した。20cm砲4門を据え付け、地下通路で結ぶなどしていた。昭和181120日からアメリカ軍が上陸し、1125日までに守備隊は玉砕した。参考:歴史群像12,03

<ベシカ>:T-64B(戦車)を参照。

ベ式百三十馬力発動機>:日本海軍の航空機用エンジンで、ベンツFDを東京瓦斯電気工業で国産化し、大正1410月に制式化したものである。直列6気筒ガソリンエンジンで、筒径116mm、行程160mm、公称出力130馬力。横廠式イ号甲型練習機、一三式陸上練習機、一三式水上練習機に搭載された。参考:月刊丸8,95

ヘジャール・デワントロ>:インドネシア海軍ヘジャール・デワントロ級Hajar Dewantara1991年就役。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

ヘジャール・デワントロ級>:インドネシア海軍Hajar Dewantara級。全長96.7m、幅11.2m、吃水4.8m、満載排水量1850トン。主機はCODOG方式で、出力27250馬力、2軸推進、速力26ノット。兵装はエグゾセMM38単装発射筒4基、57mm単装砲1門、20mm連装機関砲2基、533mm単装魚雷発射管2基、爆雷投射機1基。1990年(1991年?)にヘジャール・デワントロが就役した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

ペシュメルガ>:Peshmerga。「死に直面する者」という意味のクルド語で、KDPPUKの武装要員のことである。フセイン政権下では山岳ゲリラ戦でイラク軍に対抗し、政権末期にはKDPPUKとのクルド人自治区内戦に参加し、停戦後は勢力圏内での治安維持任務を行った。イラク戦争ではアメリカ軍に協力し、終結後は自治区及び周辺のイラク中央政府領域での治安維持を担当したが、アラブ人に報復を行ったともいわれる。その後はクルド地域政府ペシュメルガ省の管理下に置かれており、要員は10-15万名で、地域政府軍、特殊治安部隊(アサイシュと呼ばれる)、地域政府警察ゼラバニ(Zeravani)、セキュリティ・インテリジェンス・フォース(諜報機関)に所属し、クルド地域政府軍事要員としての役割を担っている。参考:月刊軍事研究11,09

 <ペシュメルガ(2015年)>:兵力150000名(イラク北部クルド地域政府ゼラバニ警察隊含む)。T-54/T-55/T-62戦車、EE-9偵察車、EE-11歩兵戦闘車2両以上、MT-LB装甲兵員輸送車、YW-70163式)装甲兵員輸送車、M1117ASV装甲兵員輸送車、ワーウルフMkU装輪装甲兵員輸送車、M1114HMMWV、クーガー6×6輪装甲車、オトカルAPV装甲車、ガーディアン装甲車、スパルタン装甲車、カイマン装甲車、マックスプロ装甲車、レヴァ装甲車、ディンゴ1装甲車14両以下、122mm自走砲2S125ポンド砲1門以上、122mmD-30を6門以上、63107mm多連装ロケット、122mm多連装ロケットBM-21122mm多連装ロケットHM2060mm迫撃砲M22481mm迫撃砲M252120mm迫撃砲M120130mmM-4659130mm砲、152mmD-20、紅箭8対戦車ミサイル、9M14/9K113/9K135対戦車ミサイル、ミラン対戦車ミサイル60基以下、73mm無反動砲SPG-988mm無反動砲フォルゴレ、84mm無反動砲カールグスタフ43門以下、84mm無反動砲AT-41000門以下、105mm無反動砲M40、パンツァーファウスト3対戦車ロケット400門以下、14.5mm対空機銃ZPU-1/-2/-4搭載トラック、20mm自走高射機関砲53T2Tarasque搭載トラック、23mm高射機関砲ZU-23-2搭載MT-LB57mm自走高射機関砲ZSU-5757mm高射機関砲S-60搭載トラック、14.5mm対空機銃ZPU-1/-2/-420mm高射機関砲53T2Tarasque57mm高射機関砲S-60653型戦車回収車1両以上を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ヘス>:ルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘス(Rudorf Walter Richard Hess)。1941510日午後、メッサーシュミット社アウグスブルク工場を訪問し、900リットル入り増槽2個を装着したBf110D戦闘機に乗り込んで1800頃に離陸。一旦北西に向かってルール地方を通り、スコットランドに向かった。このフライトの支援として、副官を通じてドイツ空軍に無線ビーコンの発信を依頼したため、ゲーリングが察知し、アドルフ・ガーランドに捜索を命令。ガーランドはBf109で飛び立ったが、どのあたりにいるかも分からないヘス機を目視捜索するのは無茶であり、適当に飛んで見つからなかったと報告した。ヘスは運良くイギリス防空網をくぐり抜けて2000過ぎにスコットランドに胴体着陸、機体は真っ二つになった(後部胴体とエンジンがイギリス帝国戦争博物館に展示されている)が、本人は無事で、511日にハミルトン公と面会した。ただ対英和平という目的は達成されず、516日にロンドン塔に幽閉され、ドイツも精神異常による行動としてヘス事件終了を宣言した。ニュルンベルク裁判で終身刑を言い渡され、1987年にシュパンダウ刑務所で自殺したとされる。参考:世界の傑作機No.157

ベスキッテレン>:デンマーク海軍フリゲートBeskytteren2000年に除籍された。その後エストニア海軍に引き渡され、A230アドミラル・ピトカになった。参考:月刊世界の艦船6,01

<ベスゴ>:SS-321(潜水艦)を参照。

ベズコリズネンヌイ>:ソ連海軍クリヴァクT型フリゲートBezukoriznenny1980年竣工。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

ベズザベートヌィ>:ソ連海軍クリヴァクT型フリゲート。19882月、黒海のソ連領海内を無害通航権に基づき航行しようとしたアメリカ海軍CG-48ヨークタウンに体当たりした。参考:月刊航空ファン7,16

ベスストラシヌイ>:ソ連海軍ソブレメンヌイ級駆逐艦Besstrashny1988416日起工、19931230日進水、1994427日竣工。後にアドミラル・ウシャコフに改称された。参考:月刊軍事研究11,99、月刊世界の艦船2,17

ベススレードヌィ>:ソ連海軍クルップヌィ級駆逐艦。1967年、日本海で行われていた日米共同演習の妨害を図りアメリカ海軍空母ホーネット機動部隊に接近した際、フレッチャー級駆逐艦DD-517ウォーカーと衝突した。参考:月刊航空ファン7,16

ベスタル>:アメリカ海軍工作艦。1941128日、真珠湾攻撃で損傷した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

<ヘスティア作戦>:ハイチ大地震を参照。

ベズデルズヌイ>:ソ連海軍ソブレメンヌイ級駆逐艦Bezuderzhny1987224日起工、1989930日進水、1991625日竣工。参考:月刊軍事研究11,99、月刊世界の艦船3,92増刊

<ペスト>:Il-2(攻撃機)を参照。

ペスト>:ペスト菌による感染症で、保菌ネズミのノミから感染する腺ペストと、ヒト同士で飛沫感染する肺ペストがある。無治療の場合、致死率は腺ペストで60-90%、肺ペストでほぼ100%に達し、ヨーロッパで度々大流行して黒死病と恐れられたが、今は抗生物質が効く。エアロゾルでの散布が可能だが、安定性が低く、感染性の維持が難しいのが欠点。参考:図解雑学生物・化学兵器

ベストスリング>:航空救難団の救出器材。ヘリによるスリング救出に使用するもので、ピタゴールのショルダーハーネスを布製にし、首周りと肩にパッドを装着した感じである。ベストを着用するように簡単に装着でき、ストレッチャーに次いで体への負担が少ない。参考:月刊航空ファン9,19

<ベストマン>:Bu181(練習機)を参照。

<ベストラシヌイ>:アドミラル・ウシャーコフ(ソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦)を参照。

ヘストラル・シリーズ>:ベルギー軍の70mmロケット弾FZシリーズ用ポッド。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック

 <LAU−7A>:7連装の固定翼機用。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック

 <LAU−7H>:7連装の回転翼機用。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック

 <LAU−12H>:12連装の回転翼機用。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック

 <LAU−19A>:19連装の固定翼機用。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック

 <LAU−19H>:19連装の回転翼機用。全長1.58m、直径0.422m、重量236kg。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック

<ベスピナ>:A330-200MRTTVIP仕様、イギリス空軍)を参照。

ベズプレチュヌイ>:ソ連海軍ソブレメンヌイ級駆逐艦Bezuprechny1985年竣工。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

<ヘスペロス級>:ヤグアル級・海外シリーズ(魚雷艇)を参照。

ベスポコイニイ>:ソ連海軍ソブレメンヌイ級駆逐艦Bespokoiny1987418日起工、1992222日進水、19931229日竣工。200161-18日、バルトップス2001演習に参加。参考:月刊軍事研究11,99、月刊世界の艦船9,01

ベズボヤズネンヌイ>:ソ連海軍ソブレメンヌイ級駆逐艦Bezboyaznenny198718日起工、1989218日進水、19901128日竣工。参考:月刊軍事研究11,99、月刊世界の艦船3,92増刊

ベスメンヌイ>:ソ連海軍クリヴァクU型フリゲートBessmenny1978年竣工。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

ベスレヘム・スティール社>:アメリカの鉄鋼会社で、1857年に設立された。造船所を買収して艦船建造にも手を広げていたが、2001年に破産し、2003年に資産がインターナショナル・スティール・グループに売却され、同グループは2004年にミタル・スチール社に買収された。参考:月刊軍事研究9,07

<ベセスダ>:EMS-1(病院船)を参照。

ベセスダ級>:アメリカ海軍病院船Bethesda級、計画名EMS(X)。スピアヘッド級遠征用高速輸送艦がベースである。EMS-1ベセスダ、EMS-2バルボアなどを建造予定。参考:月刊世界の艦船8,231,24

<ヘソン>:SSM-700K(艦対艦ミサイル)を参照。

<ヘソン2>:海星2(艦対地巡航ミサイル)を参照。

<ペタード>:G56(駆逐艦)を参照。

ベタ金>:日本海軍将官の夏服用肩章のこと。階級を表す金色の太いスジの面積が大きいために、こう呼ばれた。ちなみに冬服には付いておらず、黒スジの袖章を使用していたが、暗くなると見えにくいということで、大正810月から夏服用肩章のミニチュア版を襟に付けている。参考:月刊丸12,90

<ペタリング>:花弁状成型を参照。

ペチェンガ>:ロシア海軍ドゥブナ級給油艦Pechenga200910300600頃、スラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグ民間救難曳船フォーティ・クリロフと共に、下対馬南南東26kmを南西に航行するのを、DD-104きりさめが確認した。その後これらは対馬海峡を南下している。11300700頃、スラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリヤーグバクラザン型救難曳船フォーティ・クリロフと共に、下対馬の南東28kmを航行しているのをDE-232せんだいが発見した。20106222100ウダロイT級ミサイル駆逐艦マーシャル・シャポシニコフソルム型航洋曳船MB-37と共に、下対馬の南東24kmを北東に航行しているのをDD-128はるゆきが発見した。20133211300頃、下対馬の南西45kmを南西に航行しているのを第4航空群P-3Cが発見した。その後、地中海で長期行動を行っている。1222日、ウダロイ級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ、ロプーチャT型揚陸艦アドミラル・ニヴェルスキー、ロプーチャU型揚陸艦ペレスヴェート、バクラザン型救難曳船フォーティ・クリロフと共に、下対馬の南西70kmを北に航行しているのを、第4航空群P-3Cが発見した。1224日、ウラジオストクに入港。20152506001800?)頃、ウダロイ級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ、ゴーリン級航洋曳船SB-522と共に、上対馬北東75kmを南西に航行するのを、第1航空群P-3Cが発見した。8161100頃、ウダロイ級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ、ゴーリン級航洋曳船SB-522と共に、下対馬南西110-170kmの東シナ海を北東に航行するのを、MSC-686うくしまと第1航空群P-3Cが発見した。その後対馬海峡を北上して日本海に入っている。2016951630頃、ウダロイT級駆逐艦アドミラル・トリブツ、同アドミラル・ヴィノグラードフ、ロプーチャU型揚陸艦ペレスウェート、イングル型航洋曳船アラタウと共に、上対馬北東70kmを南南西に航行するのを、DDG-172しまかぜが発見した。その後対馬海峡を南下している。911-19日、中国海軍との共同演習に参加。1020100頃、ウダロイT級駆逐艦アドミラル・トリブツ、同アドミラル・ヴィノグラードフロプーチャU型揚陸艦ペレスウェートイングル型航洋曳船アラタウと共に、下対馬南西55kmを東北東に航行するのを、PG-826おおたかが発見した。その後対馬海峡を北上している。2017420930頃、スラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグと共に、北海道松前半島白神岬西220kmを南東に航行するのを、第2航空群P-3Cが確認した。その後津軽海峡を通って太平洋に向かっている。461730頃、スラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグと共に、種子島北東100kmを航行するのを、第1航空群P-3CMST-464ぶんご、MSC-683つのしま、PG-829しらたかが確認した。その後大隅海峡を西に抜けて東シナ海に入っている。6101300頃、スラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグと共に、五島列島福江島西100kmを北東に航行するのを、DDH-181ひゅうがが確認した。その後対馬海峡を北上し、東シナ海から日本海に入っている。2018591100頃、ウダロイT級駆逐艦アドミラル・トリブツ、同アドミラル・ヴィノグラードフと共に上対馬北東60kmを南西に航行するのを第4航空群P-1哨戒機とDE-230じんつうが確認した。その後対馬海峡を南下し、東シナ海に向かっている。710500頃、ウダロイT級駆逐艦アドミラル・トリブツ、同アドミラル・ヴィノグラードフと共に下対馬南西60kmを北東に航行するのをDD-151あさぎりと第4航空群P-1が確認した。その後これらは対馬海峡を北上して日本海に向かっている。75日、ウダロイT級駆逐艦アドミラル・トリブツ、同アドミラル・ヴィノグラードフと共に、舞鶴基地に入港。75-10日、アドミラル・トリブツ、アドミラル・ヴィノグラードフと共に、DD-151あさぎりAMS-4301ひうちと、舞鶴港及び若狭湾北方海域で日露捜索・救難共同訓練(海賊行為による被害を想定した洋上捜索救難、船内捜索、通信)を実施。75日、ウダロイT級駆逐艦アドミラル・トリブツ、同アドミラル・ヴィノグラードフと共に、舞鶴基地を出港。20202121200頃、ウダロイT級駆逐艦アドミラル・ヴィノグラードフと共に、上対馬北東130kmを南西に航行するのを、第2航空群P-3CDD-157さわぎりが確認した。その後これらは対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。1160900頃、スラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフと共に、上対馬北東50kmを南西に航行するのを、PG-826おおたか第4航空群P-1哨戒機が確認した。その後これらは対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。12250900頃、スラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフと共に、宮古島南東100kmを北に航行するのを、AOE-424はまなMSC-601ひらしまMSC-603たかしま第1航空群P-1哨戒機第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後これらは沖縄本島と宮古島の間を北上し、対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。参考:月刊世界の艦船3,109,106,133,144,1511,1511,1612,166,179,173,187,189,185,'201,'213,'21、朝雲

ペチャ型シリーズ>:ソ連海軍警備艦petya型。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

 <ペチャT型>:全長82.5m、幅9.1m、吃水2.9m、満載排水量1180トン。主機はCODAG方式で、出力36000馬力、3軸推進、速力32ノット。兵装は76mm連装砲AK-726が2基、16連装対潜ロケット発射機4基、406mm5連装魚雷発射管1基、爆雷投下軌条2条、機雷22個。2隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

改ペチャT型>:全長82.5m、幅9.1m、吃水2.9m、満載排水量1180トン。主機はCODAG方式で、出力36000馬力、3軸推進、速力32ノット。兵装は76mm連装砲AK-7261-2基、16連装対潜ロケット発射機2基、406mm5連装魚雷発射管1基、爆雷投下軌条2条。5隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

ペチャU型>:全長82.5m、幅9.1m、吃水2.9m、満載排水量1180トン。主機はCODAG方式で、出力36000馬力、3軸推進、速力32ノット。兵装は76mm連装砲AK-726が2基、12連装対潜ロケット発射機2基、406mm5連装魚雷発射管2基、爆雷投下軌条2条、機雷22個。11隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

改ペチャU型>:艦尾にVDSを収容する甲板室を持つタイプ。全長82.5m、幅9.1m、吃水2.9m、満載排水量1180トン。主機はCODAG方式で、出力36000馬力、3軸推進、速力32ノット。76mm連装砲AK-726が2基、12連装対潜ロケット発射機2基、406mm5連装魚雷発射管2基、爆雷投下軌条2条、機雷22個。1隻(艦番号664)が就役した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊、月刊世界の艦船5,83

<ペチャ型・海外シリーズ>

 <ペチャU型(アゼルバイジャン海軍)>:アゼルバイジャン海軍コルベット。兵装はRBU6000対潜ロケット2基、76mm連装砲1基。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <ペチャU型(インド)>:インド海軍警備艦。全長82.3m、幅9.1m、吃水3.2m、満載排水量1100トン。主機はCODAG方式で、出力30000馬力、3軸推進、速力32ノット。兵装は76mm連装砲2基、対潜ロケット16連装発射機4基、爆雷投下軌条2条。6隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

 <ペチャU型(エチオピア)>:エチオピア海軍警備艦で、ゼライ・デレス級ともいう。全長81.8m、幅9.1m、吃水2.9m、満載排水量1180トン。主機はCODAG方式で、出力36000馬力、3軸推進、速力32ノット。兵装は76mm連装砲2基、12.7mm機銃1丁、多連装ロケット発射機1基、12連装対潜ロケット発射機2基、406mm5連装魚雷発射管2基、爆雷投下軌条2基、機雷22発。2隻を導入した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊、ミリタリー・バランス1989-1990

ペチャU型(シリア海軍)>:シリア海軍フリゲート。兵装は対潜ロケット発射機4基、533mm魚雷発射管3門。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ペチャU型(ベトナム海軍)>:ベトナム海軍フリゲート。全長81.8m、幅9.1m、吃水2.9m、満載排水量1180トン。主機はCODAG方式で、出力36000馬力、3軸推進、速力32ノット。兵装は76mm連装砲2基、RBU6000対潜ロケット発射機4基、406mm533mm?)5連装魚雷発射管2基、爆雷投下軌条2条、機雷22発。5隻を導入した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊、ミリタリー・バランス1989-1990

 <ペチャV型(シリア海軍)>:シリア海軍警備艦。全長81.8m、幅9.1m、吃水2.9m、満載排水量1180トン。主機はCODAG方式で、出力36000馬力、3軸推進、速力32ノット。兵装は76mm連装砲2門、16連装対潜ロケット発射機4基、533mm3連装魚雷発射管2基、爆雷投下軌条2条、機雷22個。2隻を導入した。2015年現在の兵装は以下の通り。533mm魚雷3連装発射管1基(SAET-60長魚雷)1基、RBU2500対潜ロケット発射機4基、76mm連装砲2基。参考:月刊世界の艦船3,92増刊、THE MILITARY BALANCE 2016

 <ペチャV型(ベトナム海軍)>:ベトナム海軍コルベット。兵装は533mm対潜魚雷3連装発射管1基、RBU2500対潜ロケット発射機4基、76mm連装砲2基。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<ペチョラ>:S-125(地対空ミサイル)またはダリャール(レーダー)を参照。

<ペチョラ2>:S-125改(地対空ミサイル)を参照。

<ペツァモ=キルケネス作戦>:ラップランド戦争を参照。

<ペッカ>:U5000ペッカ(工兵車)を参照。

<ベッカー舵>:フラップ舵を参照。

ベッカー砲>:ドイツ軍19mm重機関銃で、ベッカー鉄鋼会社(のコンダー兄弟)が開発して生産したのでこう呼ばれる。弾丸はHEで、着発信管が付いている。作動はブローバック式。1917年に採用された。参考:月刊丸4,17

別海駐屯地>:陸上自衛隊の駐屯地で、陸自駐屯地としては日本最東端に位置する。所在地は北海道野付郡別海町西春別42-1JR標茶駅からバスで40分、西春別駅から徒歩で20分。元は1941年(昭和16年)に設置された陸軍計根別第4飛行場で、太平洋戦争終戦によりアメリカ軍が駐留し、航空自衛隊計根別基地を経て19653月に別海分屯地として開設され、第5偵察隊が鹿追駐屯地、第27普通科連隊第3中隊が釧路駐屯地から移駐した。1966年、別海駐屯地に昇格し、別海駐屯地業務隊が新編された。2004年、第5後方支援隊第2整備中隊偵察直接支援小隊が新編された。2015219日、帯広地本が入隊予定者17名に雪上車体験試乗を実施。参考:第5旅団ホームページ、JGround Vol.23MAMOR vol.62、朝雲

 <別海駐屯地(2015年)>:第5旅団第5偵察隊、第27普通科連隊第3中隊、第5後方支援隊第2整備中隊偵察直接支援小隊、同中隊第3普通科直接支援小隊、第302基地通信中隊別海派遣隊、第121地区警務隊別海派遣隊、北部情報保全隊別海情報保全派遣隊、北部方面会計隊第424会計隊(326日から第377会計隊別海派遣隊)、別海駐屯地業務隊が駐屯している。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

<別海矢臼別大演習場>:矢臼別大演習場を参照。

<ベッカム>:APA-133(攻撃輸送艦)を参照。

ヘッケラー&コッホ社>:ドイツの軍用メーカー、Heckler &KochH&K)。第2次大戦後に旧モーゼル社の技術者を中心として設立された。西ドイツ軍制式ライフルG3/G36MP5サブマシンガンシリーズ、狙撃銃PSG-1などで知られる。1991年にBAeに買収され、ロイヤル・オードナンスの子会社となったが、2002年に売却された。参考:GUN用語事典、月刊軍事研究2,08

<ベツコム>:白熊(地対地ミサイル)を参照。

<ヘッジカッター>:ヘッジロウ・カッターを参照。

ヘッジホッグ>:イギリス海軍多連装対潜弾投射機Hedgehog。小型爆雷を多数連続発射する前方投射型対潜兵器で、1940年初めからイギリスで開発された。通常の大型爆雷を発射すると反動が大きく投射機も大型になるので、小型のものを多数撃ち込むようにしてある。一応は砲の範疇に入るので砲熕部での開発を予定したが、他の砲の開発で手一杯だったため、DMWDが開発することになった。同様の発案は1910年からあり、3回ほど提案されていずれも実用化されず、第2次大戦開戦後もフェリー臼砲として開発されていた同様の兵器がさっぱり完成せず、追求の結果原因が信管にあると判明し、改良を加えることから開始している。炸薬重量を決定するため、イタリアの雑誌に掲載されていたUボートZ型の建造中の写真を元に潜水艦甲板から内殻までの距離を推定した。投射弾数は潜水艦の全長から式を立て、未知数はサイコロを振って解決している。サイコロは無数に振る必要があったため、開発担当者は仕事が終わった後のバーでもサイコロを振ったりしていた。ASDICの最小探知距離よりも遠距離に投射するよう設計されており、Uボートの位置を確実に把握しつつ攻撃することができるため、効果が高い。19415月、W型駆逐艦D47ウエストコットに搭載されてテストされ、制式採用された。第2次大戦時、1回の使用で潜水艦を撃沈する確率は25%だったとされる。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版、丸エキストラ版No.71、連合軍の傑作兵器駄作兵器、月刊JWings2,00、艦船メカニズム図鑑、月刊世界の艦船3,077,'23、月刊丸5,07、丸スペシャルNo.76

 <Mk10>:固定式箱形ランチャーを使用するタイプで、架台は溝型鋼とI型鋼により組み立てられている。架台の後ろにブラスト・デフレクターがあり、その裏に方向角指示器Mk52と方向角変更ハンドル、電気式発射装置があって、兵員2名が操作する。24発のビール瓶型小型対潜弾(直径7.2インチ/182.9mm、総重量29kg、炸薬重量14kg)が6段4列のスピゴットに装填されており、0.1-0.2秒間隔で2発ずつ230-250m前方に投射し、空中ではハート型を描いて飛翔、半径41m(直径30m40m70m説あり)の円周上に着水し、沈降速度毎秒6.7mで沈んでいき、1発が触発信管で炸裂すると他も誘爆し、潜水艦を確実に仕留める。時限信管ではないため深度がずれて無効になることは無く、命中しない場合には爆発しないのでソナーによる探知を妨害することも無い。目標が正面以外にある場合には方向角変更ハンドルによりスピゴットを取り付けたレールを傾斜させるが、着弾形状が楕円形状に歪むという欠点があった。全備重量が2.3トンと重く、発射反動も強烈で、ある程度の排水量が無いと運用できない。海上自衛隊も採用し、日本製鋼所で国産化してあまつかぜ型までの護衛艦、駆潜艇、敷設艇AMC-491えりもに搭載した。参考:丸スペシャルNo.76、艦載兵器ハンドブック改訂第2版、月刊JWings2,00、艦船メカニズム図鑑、月刊世界の艦船3,071,79増刊、7,'23、月刊丸5,07

 <Mk11>:

Mk15>:旋回式ランチャーを使用するタイプで、第2次大戦後に実用化された。架台下部にボフォース40mm機銃と同じ電動油圧式安定化旋回俯仰装置を備えている。発射機は縦横が入れ替わって4段6列配置となっていて、スピゴットの射角調整も可能。水中攻撃指揮装置と連動しており、対潜指揮室からの遠隔操作・自動発射が基本で、旋回角は攻撃指揮盤で算出され、俯仰角は動揺修正データのみが伝達される(射程調整ではない)。全備重量7.9トン、弾薬重量29.5kg、炸薬重量13.6kg。最大旋回速度毎秒20度、俯仰速度毎秒30度、最大射程250m。海上自衛隊にも供与され、あやなみ型、むらさめ型(初代)、あまつかぜ型に搭載された。参考:丸スペシャルNo.76、月刊世界の艦船1,953,105,12、艦載兵器ハンドブック改訂第2版

<ヘッジホッグ海外シリーズ>

 <MBU−200>:第2次大戦後にソ連がコピーしたもの。参考:月刊世界の艦船1,15増刊

 <試製54式対潜弾発射機>:Mk10のデッドコピーで、海上自衛隊が採用した。後に68式対潜弾投射機に改称された。参考:月刊世界の艦船1,79増刊、海上自衛隊全艦艇史、月刊丸5,07

ヘッジロウ・カッター>:ヘッジロウとは自分の家や土地の周りを囲むように作った石垣や生垣のことで、ボカージュともいう。ノルマンディ地方独特の建築文化であり、第2次大戦でオーバーロード作戦後に同地へと進撃した連合軍戦闘車両の前進を阻む障害物となった。視界が阻まれて敵が見えず、戦車で無理矢理突破しようとしても石垣に乗り上がった瞬間に至近距離で底板を撃ち抜かれるといった事態が多発、ヘッジロウの戦いという名前が付く程になったため、戦闘車両の車体前下部に取り付けてヘッジロウを破壊する器材として開発されたのがこれである。アメリカ第5軍団でグリーン・ドーザーやブサッシュ・カッター、第19軍団でサラダ・フォーク、イギリス第79機甲師団でヘッジカッターといったものが試作されたが、あまり効果が無く、アメリカ第2歩兵師団第102機甲中隊カーティス・キュリン軍曹がドイツ沿岸障害物を流用して製作したキュリンズ・カッター(Cullin Hedgerow Device。車体下部にサイの角のような突起を横一列に取り付けるのでライノともいう)が広く使用された。参考:月刊丸6,14、月刊グランドパワー7,98British and American tanks of World War Two

ヘッジロー>:イギリス海軍がオーバーロード作戦向けに開発した水際障害物爆破装置。ヘッジホッグ投射機を利用したもので、揚陸艇に搭載して棒付きの弾頭を投射し、棒が接地すると炸裂して周辺の障害物をなぎ倒す。参考:丸エキストラ版No.71

<ヘッセン>:D-184(駆逐艦)またはF221(フリゲート)を参照。

ヘッセン>:ドイツ海軍ブラウンシュヴァイク級戦艦Hessen1916531日、第2戦艦戦隊第4小隊所属でジュットランド海戦に参加。参考:月刊世界の艦船6,16、歴史群像6,16

ベッタ>:コンベア社が計画した無尾翼デルタ超音速双発ジェット戦闘飛行艇。アメリカ海軍に提案されたが、没になった。参考:月刊JWings7,14

<別タンク式ショック・アブソーバー>:ショック・アブソーバーを参照。

<別タンク調整式ショック・アブソーバー>:ショック・アブソーバーを参照。

ヘッツァー・シリーズ>:ドイツ陸軍駆逐戦車、Hetzer(勢子)。制式名称はJagdpanzer 38(t) Hetzerである。19431126日、V号突撃砲を生産していたアルケット社が爆撃で壊滅したため、かわりにBMM社の工場で38(t)戦車の車体を利用した駆逐戦車を作ることになり、1943126日から開発された。19433月に試作車3両が完成。19444月から19455月までに2584両(2827両?)が生産され、7月から第731・第743戦車駆逐大隊(独立)、第15・第76歩兵師団を皮切りに配備が始まり、大戦末期には戦車隊にまで配備された。参考:月刊PANZER11,00、異形戦車ものしり大百科、ジャーマンタンクス、月刊丸12,10

ヘッツァー(1944年4月生産車)>:38(t)戦車の車体幅を広げて避弾経始の良好な密閉式戦闘室を設け、マズルブレーキ無しの48口径75mm砲(40発)を右にオフセットして搭載している。俯仰角はマイナス6度からプラス12度、旋回角は左5度、右11度。砲架はW号駆逐戦車と同じカルダン式で、車体に固定された防楯と、ザウコップ型防楯(60mm厚)でカバーされている。弾薬は41発で、戦闘室左に9発、右に10発、右下に数発から十数発、他の場所にも数発が収容できるようだ。車体前部左に操縦室があり、後方は戦闘区画で、左前部に砲手、その後ろに装填手、右後ろに車長が位置する。右から装填するように出来ているPaK40に左から装填しなければならないため、装填手は苦労したらしい。砲手用照準器はSfl.ZF1aで、砲の旋回に伴ってスムーズに動くよう、円弧を描くスライド式照準器レールと装甲カバーが用意されている。車長用ハッチには後ろ向きの、装填手ハッチ左には左向きのペリスコープが用意され、車長は前部ハッチを開いてSF14Z砲隊鏡を出して周囲を警戒するが、ハッチを閉めてしまうと右が全く見えない。このため、後に車長用ハッチ前方に砲隊鏡専用のクラッペが設けられた。戦闘室上面には防楯付きの遠隔操作式MG34またはMG42機銃(600発。1200発という説もある。車内に延びたハンドルで操作する)を搭載し、ガイドレールが装着されている。俯仰はマイナス6度からプラス12度で、全周旋回可能、照準はペリスコープ3×8で行う。大戦末期の金属不足により装甲板の生産に支障を来しており、戦闘室前面は非表面硬化のE22防弾鋼板を使用しているが、側後面や上面は単なる高張力鋼で済ませてある。エンジンの最後部から機関室上面に排気管を出し、車体後方まで伸ばしてマフラーを横置きに装着している。車体側面に片側3枚のシュルツェンを装備。下部転輪は大直径のシングルタイプ片側4枚、起動輪は前部、誘導輪は後部にあり、上部転輪1枚を持つ。履帯は片側96枚。全長6.38m、全幅2.63m、全高2.17m、重量15.75トン。装甲厚は車体前面上部60mm60度、下面60mm40度、側面上部20mm40度、下部20mm15度、後面上部8mm70度、下部20mm15度、上面8mm、底面10mm。エンジンは戦闘室後方の機関室に置かれたプラガAC/2ガソリン(160馬力)で、トランスミッションは車体前部のプラガ・ウィルソン変速機(前進5段・後進1段)。操向装置は遊星歯車式。最大速度42km、燃料320リットル(機関室左に220リットル、右に100リットル)、航続距離177km。無線機はFu5FuG Spr f。乗員4名。参考:月刊PANZER11,00、異形戦車ものしり大百科、ジャーマンタンクス、月刊丸4,07

ヘッツァー1944年5月生産車>:主砲防楯下面の増加装甲を廃止。リアパネルに大型の牽引具を装着し、予備履帯装着具をリアパネル左から機関室上面に移すか、または撤去した。ただし牽引具の無い車両も多く、その場合は履帯装着具はそのままの位置にある。シュルツェン支持架が内側に移動した。参考:月刊PANZER11,00

ヘッツァー1944年6月生産車>:主砲防楯基部の形状を改良し、側面の段が無くなった。機関室後端左右に冷却水や燃料注入用のクラッペを追加し、車長用ハッチの前に双眼式ペリスコープ専用クラッペが設けられた。主砲先端からマズルブレーキ装着用の溝が無くなり、戦闘室上面の照準器スライドカバーのレールが短縮され、2トン簡易クレーンを装着するためのピルツが戦闘室上面3ヵ所に溶接された。参考:月刊PANZER11,00

ヘッツァー1944年7月生産車>:排気管マフラーの放熱カバーが廃止され、排気管装甲カバーも鋳造から鋼板溶接に変更された。参考:月刊PANZER11,00

ヘッツァー1944年8月生産車>:フロントヘビーを軽減するため、主砲防楯を200kg軽量化した。転輪周囲のボルト部分の面積が縮小され、誘導輪も簡易型に変更された。機銃の防楯が新型になり、車長ハッチ内側に手すりが2本新設された。参考:月刊PANZER11,00

ヘッツァー1944年9月生産車>:車体前部のリーフスプリングの厚さが7mmから9mmに増え、主砲閉鎖栓のボールベアリングがローラーベアリングに変更され、調整用スプリングが組み込まれた。シュルツェンは、障害物にぶつかって脱落するのを防ぐため、最前部と最後部が内側に折り込まれ、燃料ポンプを信頼性の低い電動式ポンプから手動ポンプに変更し、燃料注入口も大型になった。参考:月刊PANZER11,00

ヘッツァー1944年10月生産車>:戦闘室前面左の視察用ブロックが廃止され、戦闘室前面に直接開口部を設けてペリスコープを突き出すようにした。開口部上にはフード・カバーが設けられている。下部転輪のゴム縁を止める32本のボルトは16本のリベットに変更され、マフラーが短縮されて機関室上部に移動した。履帯の表面リブの形状が変わり、ガイド板も使用された新型になった。シュルツェン支持架の固定はリベットから溶接になり、車長ハッチ内側に緩衝材が付いた。参考:月刊PANZER11,00

ヘッツァー1944年11月生産車>:車長席右の照準器収容箱を砲手側に移して5発入り弾薬箱を新設し、機関室隔壁のベンチレイターを改良した。最大速度は36.7kmに低下している。参考:月刊PANZER11,00

ヘッツァー1945年生産車>:車体を素早く旋回できるよう、ギア比を10:80に改めたモデル6.75最終変速機を搭載した。機関室右後方の点検ハッチが後方に伸び、冷却水用クラッペが溶接で塞がれた。参考:月刊PANZER11,00

38(D)駆逐戦車>:19445月から開発され、926日に生産が発表された改良型。初めはエンジン冷却装置を改良する予定だったが、改造が大がかりになるのでエンジン自体をディーゼルにすることとし、タトラ10312気筒空冷エンジン(220馬力)を搭載、ZF社製AK5-80変速機を装備し、起動輪と誘導輪も新型に変更、サスペンションを量産に適した垂直コイルスプリングにした。車体も前後に延長し、前面装甲厚を80mmに強化している。主砲はPaK39の他、70口径の7.5cmPaK42/1 L/7010.5cmStuH42/215cmsIG42の搭載も可能とされた。全長5.27m、全幅2.71m、全高1.75m、重量16トン。主砲旋回角は左右8度ずつ、俯仰角はマイナス8度からプラス15度、照準器はWZF2/2。副武装はMG42機銃。装甲厚は車体前面下部60mm40度、上部80mm60度、側面下部20mm0度、上部20mm55度、後面下部20mm12度、上部7mm78度、上下面7mm90度、防楯は厚さ60mmのザウコップ式。最大速度42km、航続距離整地500km、不整地390km220km?)。無線機はFu5FuG Spr f。乗員4名。19453-7月から生産を開始し、12月にはアルケット社で月産800両、フォマーク社で月産300両を生産を予定したが、その前に終戦を迎えた。参考:ジャーマンタンクス、月刊PANZER12,00、月刊グランドパワー8,10

ヘッツァー・シュタール砲装備型>:Jagdpanzer 38(t) Starr。主砲の駐退復座機のシリンダーを廃止し、リジット式砲架に搭載したもの。主砲のオフセットもやや減少している。反動が強烈なため、視察機材に悪影響が出たが、先行生産型10両が完成し、量産車を発注したところで終戦になった。エンジンはタトラ製928型ディーゼル(180馬力)に変更されており、俯仰用安定装置と同軸機銃も搭載される予定だった。全長6.38m、全幅2.63m、全高2.17m、重量14トン。主砲は7.5cmPaK39/1 Starr L/48または10.5cm StuH42 Starrで、旋回角は左右8度ずつ、俯仰角はマイナス8度からプラス15度、照準器はWZF2/2。副武装は車体上面の7.92mm遠隔操作MG42機銃(1200発)で、照準器はペリスコープ3×8°。装甲厚は車体前面上部60mm60度、下面60mm40度、側面上部20mm40度、下部20mm15度、後面上部8mm70度、下部20mm15度、上面8mm、底面10mm、防楯60mm(ザウコップ式)。エンジンはタトラ製928型ディーゼル(180馬力)で、前進5段・後進1段、最大速度42km、航続距離177km。無線機はFu5FuG Spr f。乗員4名。戦後にチェコスロバキア陸軍で使用されたらしい。参考:ジャーマンタンクス、月刊PANZER11,00

<ヘッツァー・ファミリー>

 <38Dクーゲルブリッツ>:クーゲルブリッツUかも。38(D)駆逐戦車の車体上部に2cmMG1513cmMK103機関砲2門ずつを搭載する1名用小型砲塔を装備したもので、W号戦車車台が生産中止になった時に備え、クーゲルブリッツの代替となるべく開発された。砲塔は油圧により毎秒45度旋回できる。弾薬は2cm1000発、3cm1200発が用意された。モックアップは完成したらしい。参考:ジャーマンタンクス、月刊PANZER12,007,11

38D装甲兵員輸送車>:38(D)駆逐戦車の車体を延長して兵員室を設け、主砲を外し、車体上面に20mm機関砲塔を搭載、装甲厚を前面30mm・側面20mmに減らしている。最大速度30km、航続距離200km。乗員4名、乗車兵員8名。モックアップが完成したところで終戦。参考:月刊PANZER12,00

38D偵察戦車>:ヘッツァー偵察戦車の車体ベースを38Dにしたもので、1944926日の38D駆逐戦車開発と同時にMIAGでの月産300両生産が決定した。対空型と火力支援型も同様に計画されたが、戦局の悪化で1945314日に開発中止となっている。参考:月刊グランドパワー8,10

 <38(t)火炎放射戦車ヘッツァー>:Flammpanzer 38(t) Hetzer19441127日、ヒトラーからの火炎放射戦車増産指令を受けて128日から改造された。主砲を外してゲーベ式14mm火炎放射器を搭載し、戦闘室内に700リットルの燃料タンクを収容した。点火はカートリッジ式で、60-70回(合計87.5秒)の噴射が可能。遠心式燃料ポンプにより、50-60mまで火炎放射できる。放射器には漏斗上のカバーが付けられ、防楯基部上面に照準用ペリスコープと装甲カバーが増設された。全長4.87m、全幅2.63m、全高2.17m、重量15.5トン。主武装は14mm火焔放射器41型で、旋回角は左5度・右11度、俯仰角はマイナス6度からプラス12度、照準器はSfl/ZF1a。副武装は遠隔操作式7.92mmMG34またはMG421200発)で、照準器はペリスコープ3×8°。装甲厚は車体前面下部60mm40度、上部60mm60度、側面下部20mm15度、上部20mm40度、後面下部20mm15度、上部8mm70度、底面10mm90度、上面7mm90度。防楯はザウコップ式。エンジンはプラガAC/2で、前進5速・後進1速、最大速度42km、航続距離177km。乗員4名。194412月末までに20両が改修されてアルデンヌ作戦や北風作戦に投入されたが、全車が戦闘で失われた。参考:ジャーマンタンクス、月刊グランドパワー1,04、月刊PANZER11,00、異形戦車ものしり大百科

 <ヘッツァー重歩兵砲搭載車>:グリレの生産終了を受け、その後継として開発されたもの。ヘッツァーの車体に15cm重歩兵砲sIG33/2を搭載しており、194411月から戦車回収車型をベースに開発された。戦闘室内に架台を設けて主砲を搭載、戦闘室上部に装甲板を溶接しており、背が高くなった。天井はオープンである。全長4.87m、全幅2.63m、全高2.5m、重量16.5トン。主武装は15cmsIG33/2Sf)で、装弾数15発、旋回角は左右5度ずつ、仰角は0-73度、照準器はRblf36。車内にMG34またはMG42機銃1丁を搭載する。装甲厚は車体下部60mm40度、上部60mm60度、側面下部20mm15度、上部20mm40度、後面下部20mm15度、上部8mm70度、下面10mm90度、防楯10mm9度、上面オープン。194412月から19452月までに30両が生産(うち6両は戦車回収型から改造)され、機甲歩兵連隊重歩兵砲中隊(自走式)に配備された。参考:ジャーマンタンクス、月刊PANZER12,00、異形戦車ものしり大百科

 <ヘッツァー戦車回収車>:Bregepanzer 38(t) Hetzer。車体をそのまま使用した回収車型である。操縦手用ペリスコープ上端から上で戦闘室をオープントップとし、砲・弾薬関係の装備を撤去、5トンウインチSKB6675を車内に収容した。車体後部には駐鋤があり、車体左側面には組立型の2トンクレーンが装備された。操縦手用ペリスコープ直後、右後方、戦闘室右端に張り出しがあり、ここにピルツを取り付けてクレーンを固定する。車体が小型でエンジン出力も低く、ヘッツァーの回収にも苦労したらしい。全長4.87m、全幅2.63m、全高1.71m、重量14.5トン。車内に7.92mmMG34を1丁搭載する。装甲厚は車体前面下部60mm40度、上部60mm60度、側面下部20mm15度、上部20mm40度、後面下部20mm15度、上部8mm70度、底面10mm90度、上面オープン。エンジンはプラガAC/2で、前進5速・後進1速、最大速度42km、航続距離177km。乗員4名。ヘッツァー14両に1両の割合で生産する予定だったが、最初のうちは生産ペースが上がらず、194412月からこの割合で生産した。19445月から19454月までに181両(106両が新規生産、64両が改造という説もある)が生産され、10月からヘッツァーを配備している部隊に配置された。参考:ジャーマンタンクス、月刊PANZER12,00

 <ヘッツァー装甲指揮車両>:星形アンテナと装甲ガードを装着し、Fu8無線機と追加アンテナを装備したもの。生産台数などは不明で、写真も残っていない。参考:月刊PANZER11,00

 <ヘッツァー偵察戦車>:オープントップの戦車回収車をベースに、武装を搭載して各種偵察任務に使用する予定だったもの。戦闘室内に2cmFlak38を搭載した基本偵察型、24口径7.5cmK51を搭載した火力支援型、2cmFlak38を連装にした対空型、12cm迫撃砲GrW42を収容した支援型が開発され、試作車は完成したが、そのまま終戦を迎えた。参考:月刊PANZER12,00

 <ヘッツァー突撃榴弾砲>:主砲を10.5cm榴弾砲StuH42/2もしくは42/3に換えたもの。試作車1両のみが完成した。参考:月刊PANZER12,00

<ヘッツァー海外シリーズ>

 <G13>:スイス陸軍駆逐戦車。第2次大戦後にチェコスロバキアへ発注したが、PaK39を生産していなかったので、マズルブレーキ付きのStuK40に換えて砲架も変更している。車長席は左に移り、車内操作式の機銃を廃止し、対空機銃用ピントルマウントを装着、装甲カバー付きのペリスコープを新設した。また、排気管自体は最終生産車と同じだが、排気管ガードが復活している。新規生産150両のうち、後期生産車86両はザウラー・アーボン社製ディーゼルエンジン(148馬力)を搭載した。1947625日から1950216日までに158両が引き渡された。参考:月刊PANZER2,0011,00、ジャーマンタンクス

 <ヘッツァー(チェコスロバキア)>:チェコスロバキア陸軍駆逐戦車。第2次大戦後にチェコスロバキアで再生産した。参考:月刊PANZER4,04

 <ヘッツァー(ブルガリア)>:ブルガリア陸軍駆逐戦車。19449月にソ連と休戦し、ドイツ軍に反旗を翻した後に何両か鹵獲し、戦後も恐らく使用したと思われるが、いつまでかは不明。参考:月刊PANZER4,04

ヘッツェル>:ソ連軍試作軽自走砲。ヘッツァーに刺激されて1946年から開発した。主砲を75mm無反動砲に換装している。装甲厚は車体前面60mm、防楯80mm。重量16.6トン。エンジンはプラガAC/2ガソリン(160馬力)で、最大速度42km。バックブラストの排出が上手くいかなかったため、開発は中止された。参考:月刊PANZER3,01

ヘッツ級>:イスラエル海軍ミサイル艇Hetz級。全長61.7m、幅7.6m、吃水8.2m、基準排水量488トン。速力31ノット。兵装はハープーン対艦ミサイル4基、ガブリエル2対空ミサイル6基、76mm単装砲1門、20mmCIWS1基。参考:JShips Vol.24

<ヘッド・アップ・ディスプレイ>:HUDを参照。

ヘッドエイク>:アスピリン装置の開発秘匿名称。参考:連合軍の傑作兵器駄作兵器

ヘッドオン・ランデブー>:空中給油機との会合方法の1つで、ポイント・ランデブーが困難な場合に使用する。給油機と受油機が互いに無線交信を行いつつ会合するもので、GPS受信機の開発により容易になった。参考:月刊軍事研究11,04

ヘッドカウント>:味方の生死を確認すること。参考:コンバット・バイブル2

ヘッド級>:イギリス海軍工作艦Head級。全長134.6m、幅17.5m、吃水6.9m、基準排水量9000トン。主機はレシプロ蒸気機関で、出力2500馬力、速力10ノット。兵装は40mm機関砲11門。A134レイム・ヘッド、A191ベリー・ヘッドが1945年に竣工した。参考:月刊世界の艦船5,83

<ヘッドコーン>:A1766(通船)を参照。

ベッドジェラート>:イギリス海軍アバードヴェイ級通船Beddgelert1967年竣工。参考:月刊世界の艦船5,83

<ベッドスプリング>:XAF(レーダー)を参照。

<ヘッドセット>:自衛隊の機器。日本電気製。参考:月刊軍事研究2,12

<ヘッドセット・マイクロフォン(C−130H地上整備用)>:自衛隊の機器。海外アビオテックが受注している。参考:月刊軍事研究6,13

<ヘッドダウンディスプレイ>:HDDを参照。

<ベッドチェック・チャーリー>:Po-2練習機(北朝鮮空軍)またはYak-18練習機(北朝鮮空軍)を参照。

ヘッドナンバー>:日本海軍士官のスラングで、ものにした女性の数のこと。参考:帝国陸海軍事典

ヘッド・ネット>:ソ連海軍艦載対空捜索レーダーのNATOコード。参考:ザ・マーチ17

<ヘッド・ネットC>:MR-310A(レーダー)を参照。

ベッドフォード・アレイ>:F-35B戦闘機SRVL方式着艦用目視着艦支援システムBedford Array Visual Landing Aid System。母艦が装備する着艦支援システムで、飛行甲板上の着艦予定地点を光源により指示する。F-35BパイロットはHMD越しに光源を確認し、水平飛行から降下に移ってSRVL着艦を行う。参考:月刊世界の艦船8,22

<ヘッド・ライト>:4R60(誘導レーダー)を参照。

<ペツニア>:K79(コルベット)を参照。

別府駐屯地>:陸上自衛隊の駐屯地。所在地は大分県別府市大字鶴見4548-143。別府駅からバスが出ている。195712月、別府市野口原の在日米軍キャンプ跡地に開設され、久留米駐屯地から第3特科群が移駐した。19598月、第3教育団本部が置かれ、第111教育大隊が新編された。19628月、第41普通科連隊が新編された。19698月、第3教育団本部が相浦駐屯地に移駐。19774月、第3特科群と第312武器野整備中隊が湯布院駐屯地に移駐。19788月、扇山に移転した。19993月、第111教育大隊が廃止された。20034月、第4後方支援連隊第2整備大隊第3普通科直接支援隊が新編された。20081214日、部外協力者24人に対するヘリ体験搭乗を実施。200998-10日、別府市立青山中学校2年生7人の職場体験学習を支援。2012112日、32名の自衛官・事務官に成人式を実施。新成人は駐屯地内のもみじ坂にイロハモミジ2本を植樹した。116日、大分大学国際教育研究センターの留学生教育に協力。教職員3人と12カ国の留学生33人が駐屯地を見学した。20134月、第4後方支援隊第2整備中隊偵察直接支援小隊が同第3普通科直接支援中隊に改編された。20144月、西部方面通信群群本部中隊映像写真小隊地上伝送班別府地上組が新編された。2015420日、コンビニチェーンのポプラが開店した。201824日、第67回別府大分毎日マラソン大会に協力し、本部管理中隊の隊員76名と車両25両が支援を行った。33日、第4師団40普通科連隊が若松市民会館で開催した小倉駐屯地定期演奏会を駐屯地音楽隊員が支援した。2019126日、岩屋防衛大臣の視察を受けた。324日、駐屯地修親会、曹友会、陸士会が、自衛隊別府病院と共に、別府市内で境川清掃ボランティアに参加。512日、大分地本が大分県内高校教諭3人を招いて自衛官候補生課程教育研修を実施。参考:別府駐屯地ホームページ、相浦駐屯地ホームページ、JGround Vol.23、朝雲

 <別府駐屯地(2015年)>:第4師団第41普通科連隊、第4後方支援連隊第2整備大隊第3普通科直接支援中隊、第404会計隊、第304基地通信中隊別府派遣隊、西部方面通信群群本部中隊映像写真小隊地上伝送班別府地上組、第134地区警務隊別府派遣隊、別府駐屯地業務隊、大分地方協力本部大分地域掩護センターが駐屯している。参考:別府駐屯地ホームページ、陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

別府駐屯地業務隊>:陸上自衛隊の駐屯地業務隊。20161013日、厚生センターで緊急登庁支援に係る運営訓練を実施し、子供の一時預かり施設の開設運営訓練を行った。2019724日、十文字原演習場各種訓練施設整備の功績で、陸幕長から2級賞状と副賞が贈呈された。参考:朝雲

べっぽす>:自衛隊別府病院のマスコットキャラ。201512月に誕生した。参考:朝雲

<ベティ>:一式陸上攻撃機シリーズまたはA322(曳船)またはMk90(核爆弾)を参照。

<ベディ>:M63(掃海艇)を参照。

<ペティット>:DE-253(護衛駆逐艦)を参照。

<ヘディングハム・キャッスル>:K396(コルベット)を参照。

ペデスタル作戦>:第2次世界大戦中の19428月に行われた、イギリス海軍によるマルタ島への補給作戦。輸送船14隻を空母4隻、戦艦28ネルソン、29ロドネイ、軽巡3隻、駆逐艦15隻で護衛し、更に支援艦隊としてX部隊(軽巡4隻、駆逐艦11隻以上)、コルベット、給油艦、曳船なども引き連れていた。ドイツ軍とイタリア軍はシシリー島やサルジニア島から航空攻撃を仕掛け、ドイツ海軍Uボート2隻(U73など)、イタリア潜水艦5隻を配置して空母の攻撃にあたらせた。8111315、船団右舷後方を航行していた空母94イーグルにU73が魚雷4本を発射、全て機関室付近左舷側に命中し、イーグルは缶室に浸水、急速に傾斜して1323に沈没した。812日午後、Ju87などの空襲に遭って空母92インドミタブルが爆弾3発を被弾、飛行甲板が使用不能となった。813日にマルタ島に到着したが、空母94イーグルの他、巡洋艦I87カイロと商船8隻が沈められた。参考:第2次大戦のイギリス軍艦、Uボート入門

<ベテラン>:D72(護衛艦)を参照。

<ペテン>:AH-64A攻撃ヘリ(イスラエル)を参照。

ベドウィ>:ソ連海軍56EM型コトリン級改ミサイル駆逐艦Bedovy。当初は56型コトリン級として建造されており、1955年に進水した。19578月に共産党中央政治局がミサイル駆逐艦を翌年までに就役させる方針を決定したため、56EM型ミサイル駆逐艦として艤装工事を進めることになった。1958630日に海軍に引き渡された。参考:ソ連/ロシア巡洋艦建造史

<ベドウィン>:F67(駆逐艦)を参照。

ベトコン>:ベトナム・コミュニストの略で、ベトナム南部解放民族戦線のこと。

ペトサム・キルケネス・カンダラクシャ作戦>:第2次大戦時、フィンランド降伏後にノルウェーに退却したドイツ山岳軍団を追撃する作戦で、19441015日にソ連カレリア方面軍が開始した。1227日までにドイツ軍を駆逐して終了した。参考:激闘東部戦線(2)

ベトナム>:本州の東半分と同じくらいの面積で、国土の60%が山地、40%が平野であり、樹林の殆どがジャングルで構成される。メコン川下流のメコンデルタは比較的広い平野地帯であるが、低湿地や小川、マングローブ林が多い。道路は未整備地域が多く、市街地以外では舗装路でも道幅が狭い。南ベトナムでは6-9月及び11-3月が雨期である。参考:月刊軍事研究10,08

ベトナム化>:アメリカ軍を南ベトナムから撤退させ、南ベトナム軍に戦争の主体を移行させるニクソン政権のベトナム戦争政策のこと。参考:軍事研究3,04

ベトナム海軍>:1997年、ユーゴ級潜水艦2隻を導入。2009年、K-300P地対艦ミサイルシステムの配備を開始。2011年、ディン・ティエン・ホアン級フリゲート2隻が就役。2013年、636M型キロ級潜水艦6隻の引き渡しが開始された。2021730日、潜水艦救難艦イエト・キエウを受領した。2023722日、インド海軍クークリ級コルベットP44キルパンを受領し、カムラン海軍基地で引き渡し式典を実施した。スベトリャク級高速艇を導入予定。参考:月刊軍事研究4,1010,112,12、月刊世界の艦船3,1610,2110,23

 <ベトナム海軍(1977年)>:兵力3000名。ソイ級沿岸護衛艦3隻、コマール級ミサイル艇3隻、砲艇22隻、魚雷艇4隻、小型哨戒艇30隻、上陸用舟艇20隻、Mi-4ヘリ10機を配備する。参考:軍事力バランス78年版

 <ベトナム海軍(1989年)>:兵力37000名(うち海軍歩兵27000名)。海軍管区4個(+カンボジアの第5軍管区)からなり、カムラン湾、ダナン、ハイフォン、ハノイ、ハトウ、ホーチミン、カンボジアのコンボンソム、レアムに基地がある。バーネガット級フリゲート1隻、ペチャU級フリゲート5隻、サベージ級フリゲート1隻、オサ級ミサイル艇8隻、ツーリャ級水中翼魚雷艇5隻、シェルシェン級魚雷艇16隻、アドミラブル級艦隊掃海艦2隻、SO-1級内海哨戒艇6隻、PGM-59/71級内海哨戒艇10隻、小型内海哨戒艇15隻、ユルカ級沿岸掃海艇2隻、ソーニャ級沿岸掃海艇1隻、エフゲーニャ級内海掃海艇2隻、LST-1級戦車揚陸艦3隻、ポルノクヌイ級中型揚陸艦3隻、LSM-1級中型揚陸艦1隻、機械化揚陸艇12隻、汎用揚陸艇12隻を保有する。ただし稼動状況は不明。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ベトナム海軍(2015年)>:現役兵力40000名(うち海軍歩兵27000名)。636M型キロ級潜水艦4隻、ユーゴ級潜水艦2隻、ディン・ティエン・ホアン級フリゲート2隻、BPS-500級コルベット1隻、ペチャU級コルベット3隻、ペチャV級コルベット2隻、タランタル級ミサイル艇4隻、タランタルX級ミサイル艇6隻、スヴェトリャク級哨戒艇6隻、TT-400TP級哨戒艇4隻、オサU級ミサイル艇8隻、シェルシェン級魚雷艇2隻、ツーリャ級哨戒艇5隻、哨戒艇30隻、対機雷戦艦艇13隻、ポルノクニイA級中型揚陸艦1隻、ポルノクニイB級中型揚陸艦2隻、ナウ・ディン級中型揚陸艦2隻、LST-510-511級戦車揚陸艦3隻、LCU15隻、LCM12隻、LCVP3隻、兵站支援船30隻、K-300P地対艦ミサイル、DHC-6-400軽輸送機6機、Ka-28対潜ヘリ10機、H225輸送ヘリ2機、Ka-32輸送ヘリ2機を保有する。

ベトナム空軍>:VPAF(ベトナム人民空軍)と略す。1956年に創設された。同年、An-2TD輸送機を供与された。Z-226T練習機8機を第1訓練学校に配備した。1958年、Il-14Tの供与が始まった。196310月、ベトナム防空軍と統合された。1964年、機銃装備T-28練習機でアメリカ空軍C-123輸送機を撃墜し、初戦果を挙げた。2月(1963年?)、初の戦闘機部隊である第921戦闘機連隊(MiG-17装備)が新編された。1965年、ソ連からMiG-21PF戦闘機30機強の供与を受け、第921戦闘機連隊に配備した。MiG-17戦闘機装備の第923戦闘機連隊を新編。43日、MiG-17戦闘機でアメリカCVハンコック搭載F-8戦闘機と交戦し、F-8戦闘機を被弾損傷させた。1968年、ソ連からMiG-21PFM戦闘機36機の供与を受け、第921戦闘機連隊に配備した。1969年、中国から殲撃6型戦闘機36機を供与され、MiG-17シリーズと殲撃6型戦闘機装備の第925戦闘機連隊を新編した。Mi-6ヘリの供与が始まった。1971年、MiG-21PFM戦闘機装備の第927戦闘機連隊を新編した。ソ連からMiG-21MF戦闘機60機強の供与が開始され、第921戦闘機連隊と第927戦闘機連隊に配備した。1974年、中国から殲教5練習機を供与された。19753月、ダナンでA-37B攻撃機33機を鹵獲。ベトナム戦争で南ベトナム空軍からF-5A/B戦闘機60機、F-5E戦闘機27機、A-37B攻撃機95機、A-1攻撃機26機、O-1観測機114機、軽飛行機(O-2T-41U-17U-772機、C-47各型38機、C-119各型45機、C-130A輸送機14機、CH-47ヘリ32機、UH-1Hヘリ434機など計990機を鹵獲した。19775月、ベトナム防空軍が独立した。1979年、MiG-21bisMiG-21UMの配備を開始。1980年代、Mi-8Tヘリ1機がタイ空軍F-5Eに撃墜されたらしいが、詳細不明。1980年、ソ連からSu-22M攻撃機40機を供与された。L-39C練習機38機とSu-22UM-3練習機20機を配備。1985年、MiG-23戦闘機の配備を開始。1988年からSu-22M4攻撃機40機とAn-26輸送機40機を導入。1990年からSu-22M3攻撃機40機を導入。1995年、Su-27SKを7機配備した。19993月、ベトナム防空軍と統合された。2004年からSu-30MK2戦闘攻撃機48機を配備中。2010年、lak-52練習機10機を配備。参考:月刊航空ファン2,165,186,189,1811,18、月刊JWings8,14

 <ベトナム空軍(1977年)>:兵力12000名。Il-28軽爆撃機10機、MiG-15/-17戦闘機120機、Su-7戦闘機30機、MiG-19戦闘機80機、MiG-21戦闘機70機、An-2輸送機20機、An-24輸送機4機、Il-14輸送機12機、Il-18輸送機1機、Li-2輸送機20機、Mi-4ヘリ20機、Mi-6ヘリ10機、Mi-8ヘリ9機、Yak-11/-16/MiG-15UTI/-21UTI練習機30機を配備する。参考:軍事力バランス78年版

ベトナム空軍(1980年)>:MiG-21F/PF/bis65機、MiG-19SF20機、殲撃6型を30機、MiG-17F70機、Su-730機、Il-2810機、F-5A/B/E100機、A-37B80機、A-1スカイレイダーを15機、An-24を3機、Il-18を1機、Il-1410機、An-2を8機、Li-220機、C-13020機、C-11930機、DHCカリブーを30機、Mi-815機、Mi-6を5機、Mi-420機、UH-1400機、CH-4724機、Yak-1125機、Yak-1820機、MiG-15UTI10機、MiG-21U10機、O-190機、U-17U-6を保有している。参考:ザ・マーチ18

ベトナム空軍(1989年)>:兵力12000名。J-5戦闘機70機、MiG-23BN戦闘機36機、Su-7B攻撃機30機、Su-20攻撃機40機、MiG-21bis/PF戦闘機206機、Mi-24攻撃ヘリ30機、Ka-25対潜ヘリ17機、An-30測量機2機、An-2輸送機12機、An-24輸送機9機、An-26輸送機50機、B707輸送機2機、C-130A/B輸送機10機、Il-14輸送機6機、Il-18輸送機2機、Li-2輸送機20機、Tu-134輸送機8機、Yak-40輸送機11機、Mi-4ヘリ30機、Mi-6ヘリ20機、Mi-8ヘリ36機、L-29/L-39/MiG-15UTI/MiG-21U/Yak-11/Yak-18練習機53機を保有する。ただしアメリカ製装備はほぼ稼動していないとみられる。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ベトナム空軍(2015年)>:現役兵力30000名。航空師団3個、輸送旅団1個、MiG-21bis/UM飛行連隊4個、Su-22M3/M4/UM飛行連隊1個、Su-27SK/UBK飛行連隊1個、Su-27SK/UBK/-30MK2飛行連隊1個、Su-30MK2飛行連隊1個、輸送機・輸送ヘリ飛行連隊2個、L-39飛行連隊1個、Yak-52飛行連隊1個、武装ヘリ飛行連隊2個、防空旅団4個、人民地域防空隊数個(防空ユニット1000個、レーダー旅団6個、レーダーステーション100カ所)からなる。MiG-21bis戦闘機25機、MiG-21UM戦闘機8機、Su-22M3/M4/UM戦闘機28機、Su-27SK戦闘機6機、Su-27UBK戦闘機5機、Su-30MK2戦闘機29機、An-2輸送機6機、An-26輸送機12機、C-295M輸送機2機、M-28輸送機1機、L-39練習機18機、Yak-52練習機30機、Mi-24攻撃ヘリ26機、Mi-17汎用ヘリ6機、Mi-8輸送ヘリ14機、Mi-171輸送ヘリ3機、ベル205UH-1H11機、2K12自走地対空ミサイル、S-300PMU1防空ミサイル12基、S-75地対空ミサイル、S-125-2TM地対空ミサイル、9K32/9K310携帯地対空ミサイル、37mm/57mm/85mm/100mm/130mm高射砲、Kh-29T/L/Kh-31A/Kh-59M空対地ミサイル、Kh-29/-31P対レーダーミサイル、R-3/-27/-60/-73空対空ミサイルを保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベトナム軍

ベトナム軍(1989年)>:兵力1249000名。カンボジアに60000-65000名(順次撤退中)、ラオスに10000-15000名を派遣している。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ベトナム軍(2015年)>:現役総兵力482000名(陸軍412000名、海軍40000名、空軍30000名)、準軍事組織(国境警備軍、沿岸警備隊、漁業調査軍)40000名、予備役(人民自衛軍、人民民兵)5000000名。VNRAD偵察衛星1基を保有する。中央アフリカ共和国にMINUSCA要員3名、南スーダンにUNMISSオブザーバー2名を派遣している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベトナム軍佐官級研修プログラム>:笹川平和財団が日越多元交流を目的に2014年度から行っている事業。2019年はホアン・ゴック・ズン陸軍少将以下14名が来日し、71日に防衛省で岩屋防衛相と山崎統幕長を表敬、72日に春日基地背振山分屯基地を視察、73日に相浦駐屯地を視察、74日に海自佐世保基地を視察、75日に首相官邸を訪問し、76日に帰国した。参考:朝雲

<ベトナム・ジープ>:M151シリーズを参照。

ベトナム戦争>:1954年、インドシナ紛争が終結し、ベトナムは南北に2分された。アメリカは南ベトナムを東南アジアにおける共産主義の防波堤と位置づけ、反共主義者でカトリック教徒のゴ・ジン・ジェムを大統領とした。ジェム大統領はメコンデルタを中心に共産党の弾圧を開始、これにより反政府活動が激化した。1960年、北ベトナム政府(ホーチミン政権)の支援の下、ベトナム南部解放民族戦線が結成され、翌年には解放軍が組織されたが、北ベトナムからの武器支援などは受けておらず、南ベトナムでゲリラ活動を行うに止まっていた。これに対し、南ベトナム軍隊の援助に関する経済協定を結んでいたアメリカは19622月に軍事援助顧問団司令部MACVをサイゴンに設置。10000人以上の軍事顧問を派遣してゲリラ制圧にあたり、イギリスがマレーシアで成功させた戦略村構想を流用してゲリラを根絶しようとしたが上手くいかず、ゲリラに対するサーチ・アンド・デストロイ作戦も、重火力に頼りすぎたため一般人の被害が増して反感を買う結果となった。1962年夏、南ベトナム政府軍第7師団はヘリボーン作戦による本格的なゲリラ掃討を開始、解放軍に対して奇襲攻撃をかけ、高い戦果を挙げた。196312日、アプ・バクの戦い。1964521日、CV-63キティ・ホークが艦上機によるベトナム・ラオス方面の情報収集を開始。82日、トンキン湾事件が発生。アメリカによる本格的な介入が始まった。指揮権は太平洋軍司令官が持っていたが、在ベトナム米軍事援助軍司令官、太平洋空軍司令官、太平洋艦隊司令官に委譲されており、在ベトナム米軍援助軍隷下に第2航空師団/第7航空軍(1964年創設)と在ベトナム海軍部隊(1966年創設)が置かれていて、ある程度の三軍統合作戦が行える状況ではあったが、戦略爆撃は戦略航空軍司令官、空母艦上機による航空支援や艦砲射撃は太平洋艦隊司令官が指揮を執っており、完全な統合作戦は行えていなかった。85日、ピアース・アロー作戦を実施。87日、ソ連が供与したMiG-15/17がハノイ近郊のフクエン飛行場に配備されているのをアメリカが確認。1231日、ラッキー・ドラゴン作戦を開始。19652月、アメリカ軍は北ベトナムへの本格的な爆撃を開始。28日、フレーミング・ダート作戦を実施。3月、アメリカ海兵隊がダナンに上陸、アメリカによる直接介入が開始された。32日、ローリング・サンダー作戦を発動。311日、フレーミング・ダートU作戦を開始。43日、CVハンコック搭載F-8戦闘機がMiG-17と交戦して被弾損傷し、ダナン基地に不時着した。44日、F-100/F-105戦闘機編隊とMiG-17戦闘機が交戦し、F-100MiG-17戦闘機3機を撃墜したが、F-105D戦闘爆撃機2機が撃墜された。45日、RF-8A偵察機がハノイ南東15海里にSA-2陣地を発見。415日、ベトナム南部解放民族戦線の拠点に対する爆撃(南爆)を開始。617日、空母ミッドウェイ搭載VF-21所属F-4B戦闘機2機がMiG-17戦闘機2機をスパローで撃墜し、アメリカ海軍によるMiG-17戦闘機の初撃墜を記録した。ちなみにF-4戦闘機初の公式撃墜でもある。719日、RB-66C電子偵察機がハノイの西30海里に配備されていたSA-2のレーダー波を検出し、SAM陣地が運用態勢にあることが判明した。724日、F-4C戦闘機1個編隊に対してSA-2ミサイルが発射され、1機が撃墜、2機が損傷し、2名が死亡するという損害が出た。以降、運動性が低くSAMに弱いRB-66はエスコート・ジャミングを中止し、スタンドオフ・ジャミングに切り替えた。727日、SA-2ミサイル陣地に対して初めての攻撃が行われ、F-105D46機が爆撃を行ったが、既にミサイルは移動した後で、かわりに配置されていた対空砲により4機が撃墜された。1114日、イア・ドラン渓谷の戦い。1965年中にSA-2194発が発射され、11機を撃墜した。1966225日、EB-66SA-2により撃墜された。7月、EB-66SA-2により撃墜された。729日、RC-7MiG-17Fにより撃墜された。1966年中にSA-21096発が発射され、31機を撃墜した。1967222日、ジャンクション・シティー・オルタネート作戦。423日、アメリカ政府が北ベトナムのMiG戦闘機基地の爆撃を許可した。これにより、MiGは中国を聖域として使用するようになった。430日、F-105D戦闘機1機がMiG-21PF戦闘機に撃墜された。51日、CVW-21がケプ飛行場を爆撃し、MiG戦闘機4機を地上撃破、2機を空中撃墜した。512日、アメリカ空軍F-4C戦闘機1機がMiG-17F戦闘機に撃墜された。519日、ハノイから北に1.1海里の所にあるハノイ火力発電所をCVW-21がウォール・アイで爆撃することになり、A-4E攻撃機2機にF-8E戦闘機6機を護衛に就けて出撃させた。対空砲とSA-2F-8E戦闘機2機が撃墜されたが、迎撃に来たMiG-17戦闘機10機のうち4機を撃墜して追い返している。721日、CVW-21がタザ石油施設を爆撃し、護衛のF-8C/E戦闘機4機が7分間でMiG-17戦闘機6機を撃墜した。1967年中にSA-23202発が発射され、56機を撃墜した。1968年、ホーチミン・ルート遮断のため継続的な爆撃を開始。しかし解放軍は徒歩と自転車で補給をもたせ、戦闘を継続した。130日、北ベトナム軍がテト攻勢を実施。331日、北緯20度以北の北爆を停止し、北緯19度までとした。57日、アメリカ海軍VF-92F-4B戦闘機1機がMiG-21PF戦闘機に撃墜された。1031日、アメリカが北爆を全面的に停止。111日、アメリカ軍が撤退を開始。196933日、アメリカ海軍戦闘機兵器学校NFWSが開校した。19704月(51日?)、アメリカがカンボジアに侵攻。1121日、ソンタイ捕虜収容所奇襲作戦。1971130日、アメリカがラオスに侵攻し、ラムソン719作戦を実施。1972221日、ニクソン大統領が訪中。330日、北ベトナム軍が1968年締結の北爆停止事項を破り、12個師団12万名で南ベトナムに大攻勢を仕掛けた。46日、アメリカ軍は北緯20度以南の北ベトナムに対するB-52や艦上機による爆撃、駆逐艦などによる艦砲射撃を再開することにし、ラインバッカー作戦を開始。419日、DD-806ヒグビーがMiG-17Fの爆撃を受け、後部127mm砲に250kg爆弾の直撃を喰らった。423日、9M14対戦車ミサイルが初めて実戦使用され、M48A3戦車1両とM113装甲車3両が破壊された。510日、VF-96所属F-4J戦闘機1機がMiG-17戦闘機3機を撃墜した。75日、アメリカ空軍F-4E戦闘機2機がMiG-21PFM戦闘機1機に撃墜された。927日、F-111A戦闘爆撃機が初実戦投入され、爆撃任務を行った。1022日、ラインバッカー作戦を終了。124日、和平会議で北ベトナムが譲歩を撤回。1218日(15日?)、ラインバッカーU作戦及び支援のためのオリンピック・トーチ作戦を開始。1228日、北ベトナムが和平協定交渉に同意。1972年中のSA-2による損耗率は1.15%だった。1973123日、アメリカのキッシンジャー補佐官と北ベトナムのレ・ドク・ト特別顧問がベトナムにおける戦争終結と平和回復に関する協定に仮調印した。3月、パリ和平条約に基づいてアメリカ軍はベトナムから撤退した。331日、最後のアメリカ軍捕虜が解放された。815日、アメリカの南北両ベトナム・ラオス・カンボジアでの軍事行動が終了した。197412月、北ベトナムが南ベトナムに対する攻勢を開始。197517日、サイゴンから100km離れたフォクビンを北ベトナムが占領。アメリカはインドシナ軍事介入禁止規定の遵守を表明。31日、北ベトナム軍4個師団が攻勢を開始。329日、ダナンが陥落。415日、アメリカ議会が南ベトナムに対する緊急追加軍事援助を否決。4261700、サイゴンを包囲していた北ベトナム軍5個軍団がサイゴンに対して攻撃を開始。429-30日、フリークエント・ウインド作戦でアメリカ軍が撤退を完了。430日、サイゴンの南ベトナム大統領官邸に北ベトナム軍のT-54が突入した。72日、ベトナムが統一され、ベトナム社会主義共和国が成立した。アメリカ軍の動員兵力は874.4万名(陸軍436.8万名、海軍184.2万名、海兵隊79.4万名、空軍174万名)。アメリカ軍総死者数58220名(陸軍38224名、海軍2566名、海兵隊14844名、空軍2586名)、戦死者47434名(陸軍30963名、海軍1631名、海兵隊13095名、空軍1745名。計57702名?)、戦闘外の死者10786名(陸軍7261名、海軍935名、海兵隊1749名、空軍841名)、負傷者153303名(陸軍96802名、海軍4178名、海兵隊51392名、空軍931名)。戦死者は南ベトナム軍185528名、北ベトナム・解放戦線軍924000名、韓国軍4407名、オーストラリア475名、タイ350名、フィリピン27名、ニュージーランド26名、中華民国11名。民間人死者は南ベトナム415000人、北ベトナム33000人。アメリカ軍の戦費は5700億ドル。アメリカ軍が投下した爆弾は755万トン(うちB-52630万トン)で、第2次大戦時に連合軍が投下した爆弾(336万トン)の2倍に達している。アメリカ軍機の損失は戦闘損失1737機、運用損失514機。アメリカ軍戦闘機は北ベトナム軍機193機を撃墜し、87機が撃墜された。F-4戦闘機はMiG戦闘機134機を撃墜(海軍26機、空軍108機)し、被撃墜は49機(海軍7機、空軍42機)だった。B-52125615ソーティを行い、31機を喪失(うち18機が北ベトナム上空での被撃墜)した。北ベトナムには1972年末までにSA-2システム95セットとミサイル7658発が供与されている。アメリカ軍の心理戦として、南ベトナムに149億枚余り、ラオスに6.3億枚のビラを撒いた。膨大な量を撒いたため、ブランケット(毛布)と渾名された。また、拡声器によるプロパガンダ放送がC-47O-2Bにより行われ、ボイス・オブ・アメリカというラジオ放送も行っていた。北ベトナム側は、ハノイ・ハンナ(Hanoi Hannah)と呼ばれるラジオ放送で対抗した。アメリカ軍は、北ベトナム軍機との交戦時に視認での敵味方識別を義務づけていたが、MiG-17MiG-213km以内に接近しないと見えないので、R-3Sミサイルの餌食になるものも多かった。このため、実際は早期警戒機などで敵味方識別を行い、視認外からスパローで撃墜する戦術をとって対抗した。韓国軍は1965年から青龍・猛虎・白馬師団を参加させ、延べ30万名を投入。北朝鮮との対ゲリラ戦の経験を生かし、解放戦線に対して逆に待ち伏せ攻撃を仕掛け、大きな戦果を上げた。参考:月刊エアワールド10,03、月刊JWings9,'2110,0110,18、月刊PANZER7,05、航空ジャーナル9,77臨時増刊、月刊軍事研究7,993,992,097,124,168,16、月刊丸12,9212,11、月刊航空情報2,103,10、世界の傑作機No.1、月刊航空ファン5,18

ベトナム南部解放民族戦線>:Mat Tran Dan Toc Giaiphong Mien Nam Vietnam、通称ベトコン。19601220日に結成され、1961年に武力組織である人民解放武装勢力(ベトナム人民軍)が編成された。参考:月刊軍事研究7,97

ベトナム防空軍>:196310月、ベトナム空軍に統合された。19775月、ベトナム空軍から分離した。19993月、ベトナム空軍に統合された。参考:月刊航空ファン5,18

ベトナム防空軍(1989年)>:兵力10万名。SA-2/-3地対空ミサイルサイト66箇所、37mm/57mm/85mm/100mm高射砲旅団4個、レーダー旅団6個からなる。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ベトナム陸軍>:2017年末、T-90S/SK戦車の引き渡しが開始された。参考:月刊軍事研究4,18

ベトナム陸軍(1977年)>:兵力60万名。歩兵師団25個、訓練師団2個、砲兵連隊10個、工兵司令部1個、独立歩兵連隊15個、地対空ミサイル連隊20個、高射砲連隊50個、独立工兵連隊15個からなる。T-34/T-54/59式戦車、PT-76/60式軽戦車900両、BTR-40/-60装甲兵員輸送車、SU-76/ISU-122自走砲、85mm/100mm/105mm/122mm/130mm/152mm/155mm榴弾砲、82mm/100mm/107mm/120mm/160mm迫撃砲、107mm/122mm/140mmロケット砲、サガー対戦車ミサイル、23mm/37mm高射機関砲、57mm/85mm/100mm高射砲、ZSU-23-4/ZSU-57-2自走高射砲、SA-2/-3/-6/-7地対空ミサイルを配備する。参考:軍事力バランス78年版

ベトナム陸軍(1989年)>:兵力110万名。軍団司令部14個、歩兵師団65個(うち28個は機関要員のみらしい)、機甲旅団10個、独立歩兵連隊15個、特殊行動武隊、野砲旅団10個、工兵師団8個、経済建設師団10-16個、独立工兵旅団20個からなる。T-34/-54/-55戦車1600両、59式戦車350両、BRDM-1/-2偵察車80両、BMP歩兵戦闘車120両、BTR-40/-50/-60/-152装甲兵員輸送車1500両、63式装甲兵員輸送車、YW-531装甲兵員輸送車、M-113装甲兵員輸送車、100mmM-1944100mmT-12105mmM-101/-102122mmM-1938/D-30130mmM-1946200門、152mmD-20250門、155mM-114155mm自走砲M-114改を90両、SU-100ISU-12263107mm多連装ロケットランチャー、BM-21BM-14-1681mm/82mm/120mm/160mm迫撃砲、AT-3対戦車ミサイル、3657mm無反動砲、5275mm無反動砲、5775mm無反動砲、82mm無反動砲B-105188mm無反動砲、90mm無反動砲、107mm無反動砲M-1114.5mm対空機銃、ZSU-23-4自走高射機関砲、23mm/30mm/37mm/57mm高射機関砲、85mm/100mm高射砲、SA-7地対空ミサイルを保有する。ただしアメリカ製兵器の大半は稼動していないとみられる。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ベトナム陸軍(2015年)>:現役兵力412000名。8軍区(首都含む)、軍団司令部4個、特殊部隊旅団1個、機甲旅団6個、機甲連隊3個、機械化歩兵師団2個、歩兵師団23個、砲兵旅団13個、砲兵連隊1個、防空旅団11個、工兵旅団10個、電子戦ユニット1個、通信旅団3個、通信連隊2個、経済建設師団9個、兵站連隊1個、医療ユニット1個、訓練連隊1個、予備役歩兵師団9個からなる。T-62戦車70両、69式戦車350両、T-54/-55戦車850両、T-34戦車45両(全て保管中)、PT-76軽戦車300両、62式/63式軽戦車320両、BRDM-1/-2偵察車100両、BMP-1/-2歩兵戦闘車300両、M113装甲兵員輸送車200両、63式装甲兵員輸送車80両、BTR-40/-50/-60/-152装甲兵員輸送車1100両、122mm自走砲2S1152mm自走砲2S330両、175mm自走砲M107、牽引砲2300門(100mmM-1944105mmM101/M102122mmD-3054122mm砲(M-1938)、60122mm砲(D-74)、130mmM-46152mmD-20155mmM114)、63107mm多連装ロケット360門、122mm多連装ロケットBM-21350両、140mm多連装ロケットBM-1482mm迫撃砲、120mm迫撃砲M-43160mm迫撃砲M-439K11対戦車ミサイル、5675mm無反動砲、6582mm無反動砲(B-10)、5187mm無反動砲、100mm対戦車自走砲SU-100122mm対戦車自走砲SU-122100mm対戦車砲T-129K32/9K310/9K38携帯地対空ミサイル、高射砲12000門(ZSU-23-4自走高射機関砲、14.5mm/30mm/37mm/57mm/85mm/100mm高射砲)、スカッドB/C弾道ミサイルを保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<ペトリオット>:パトリオット海外シリーズ(地対空ミサイル)を参照。

<ペトリオット運用ソフトウェア評価装置用プログラム(BMD)>:自衛隊の機器。双日エアロスペースが受注している。参考:月刊軍事研究11,11

<ペトリオット技術支援プログラム>:防衛省がアメリカ陸軍省に発注している。参考:月刊軍事研究11,16

<ペトリオット源泉検査>:防衛省がアメリカ国防契約管理庁に発注している。参考:月刊軍事研究8,16

<ペトリオット再保証弾>:自衛隊の機器。三菱重工製。参考:月刊軍事研究9,17

<ペトリオット整備用器材>:自衛隊の機器。三菱商事が受注している。参考:月刊軍事研究4,13

<ペトリオット整備用器材(トルクテスター)>:自衛隊の機器。村上実業が受注している。参考:月刊軍事研究10,10

<ペトリオット戦術訓練シミュレータ(OTT)プログラム監督支援>:防衛省がアメリカ陸軍省に発注している。参考:月刊軍事研究11,16

<ペトリオット戦術訓練シミュレータ(OTT)用プログラム(PDB−6)(BMD)>:自衛隊の機器。東京エレクトロンデバイスが受注している。参考:月刊軍事研究2,15

<ペトリオット地上装置用GPS>:自衛隊の機器。アメリカ空軍省が受注している。参考:月刊軍事研究4,13

<ペトリオット年次射撃支援>:防衛省がアメリカ陸軍省に発注している。参考:月刊軍事研究11,16

<ペトリオット年次射撃用テレメータ・キット>:自衛隊の機器。アメリカ陸軍省に発注している。参考:月刊軍事研究9,15

<ペトリオット年次輸送>:防衛省がアメリカ陸軍省に発注している。参考:月刊軍事研究4,18

<ペトリオット米国基地業務支援>:防衛省がアメリカ陸軍省に発注している。参考:月刊軍事研究11,16

<ペトリオットミサイル用信管>:自衛隊の機器。アメリカ陸軍省に発注している。参考:月刊軍事研究9,15

<ペトリオット・リモートランチ用発射機制御装置>:自衛隊の機器。三菱重工製。参考:月刊軍事研究10,09

<ペトリオット・リモートランチ用連接付加装置>:自衛隊の機器。日本電気製。参考:月刊軍事研究5,11

<ペトリオットレーダ装置用シュラウド>:自衛隊の機器。アメリカ陸軍省に発注している。参考:月刊軍事研究9,15

ペトリャコフ設計局>:ソ連の航空機設計局。193710月にトップのウラジミール・ミハイロビチ・ペトリャコフが逮捕され、刑務所で航空機設計を続ける羽目になったが、Pe-2開発の航跡で釈放された。19421月、ペトリャコフがPe-2に搭乗中に事故死した。設計局はウラジミール・ミハイロビッチ・ミヤシーシェフが引き継いでいる。参考:ウォーマシン・レポートNo.67

<ペトレル>:AUM-N-2(対潜/対艦ミサイル)またはP262(哨戒艇)を参照。

ペトレル>:イギリス海軍砲艦。昭和16128日の太平洋戦争開戦時、上海で装甲巡洋艦出雲、駆逐艦蓮、河用砲艦鳥羽の攻撃を受けて沈没した。参考:小艦艇入門

<ペトロザヴォーツク>:K-388(原潜)を参照。

<ペドロ・テイシェイラ>:P20(河川哨戒艦)を参照。

ペドロ・テイシェイラ級>:ブラジル海軍河川哨戒艦Pedro Teixeira級。船首楼甲板後部がヘリ甲板になっており、後甲板にクレーンがあって、LCVP2隻と兵員85名を収容できる。満載排水量962トン。兵装は40mm単装機関砲1門、12.7mm単装機銃6丁、81mm単装迫撃砲2門。P20ペドロ・テイシェイラなど2隻が1973年から就役した。参考:月刊世界の艦船3,15

<ペトロパブロフスク>:カガノヴィッチ(巡洋艦)を参照。

ペトロパブロフスク>:ロシア海軍ガングート級戦艦Petropavlovsk1911年起工、1914年竣工。19198月、クロンシュタットでイギリス海軍魚雷艇の攻撃を受けて着底した。修理後にマラート(Marat)と改称されている。19416月、独ソ戦開戦時にはクロンシュタットに停泊しており、レニングラード防衛のため出撃。機雷封鎖と燃料不足で活動を封じられつつも99日にはレニングラード南方のドイツ第18軍に砲撃を行った。923日、ドイツ軍のJu87急降下爆撃機(ルーデル機など)による1トン爆弾2発を受けて前部弾薬庫が誘爆し、艦橋や司令塔、前部煙突、船体右舷が破壊されて大破着底、艦長を含む326名が戦死した。すぐに引き揚げられ、1ヶ月ほどで後部砲塔2基のみを使用して浮き砲台として活動を開始している。その後76mm高角砲3門と37mm機銃5門を追加し、コンクリートで防御を強化してレニングラード防衛任務を再開した。19435月、ペトロパブロフスクに改称された。第2次大戦終結後は練習艦に艦種変更され、1950年代に除籍されて解体された。参考:近代戦艦史、月刊丸11,09、月刊世界の艦船4,17

ペトロパブロフスク>:ソ連海軍83型重巡洋艦Petropavlovsk。元はドイツ海軍プリンツ・オイゲン級重巡洋艦3番艦リュッツォで、19402月、ソ連に売却されることになり、4月にレニングラードに曳航され、9月にペトロパブロフスクと命名された。1942年に竣工させる予定で、19416月には工事進捗率51%となったが、独ソ戦開戦で工事が止まり、浮き砲台としてレニングラード防衛戦に参加、1番砲塔は22発を射撃したところで砲身破裂を起こしたが、ドイツ軍に向け203mm砲弾1700発以上を撃ち込んだ。1942917日、レニングラードでドイツ軍機の爆撃を受けて沈没。その後引き揚げられてクロンシュタットで修理を受けた。19449月にタリンと改称され、対空砲台に転用されてレニングラード奪回戦に参加した。戦後は練習巡洋艦に改造される計画もあったが、1950年に建造中止が決定、1961年までに解体された。参考:ソ連/ロシア巡洋艦建造史、写真集ドイツの巡洋艦、近代巡洋艦史、月刊丸1,10別冊

ペトロパブロフスク>:ソ連海軍カーラ級ミサイル巡洋艦Petropavlovsk197214日艦籍編入、1973914日起工、19741122日進水、1976123日軍艦旗掲揚。同月公試開始、造船所公試では23日間で1805海里、国家公試では27日間で2650海里航行し、巡航速力公試では巡航速力18ノット、航続距離7500海里、燃料消費量1海里あたり245kg、最大速力公試では最大速力32.8ノット、航続距離2700海里、燃料消費量1海里あたり678kgを記録した。1229日竣工。197725日、太平洋艦隊に編入された。1977年末、地中海で巡洋艦モスクワの護衛任務に就いた。その後前部対空ミサイル弾庫浸水事故を起こして緊急帰港した。19792月、アンゴラ、モザンビーク、モーリシャス、イエメンを訪問しつつ太平洋に回航された。424日、太平洋艦隊第10作戦艦隊第175ミサイル艦旅団に配属された。1983年、太平洋艦隊実験防空演習に参加し、仮想敵の対艦ミサイル5発斉射を阻止した。9月、大韓航空機撃墜事件で54日間にわたり現場海域の警備に当たり、機体引き上げ作業の指揮も行った。1984年、高速3目標に対して15秒おきに対空ミサイルを発射し、全て撃墜した。198531日、太平洋艦隊第10作戦艦隊第183対潜艦旅団に編入された。198610月からウラジオストクのダリザボド船舶修理工場で修理と近代化に入った。1989114日、太平洋艦隊第10作戦艦隊第201対潜艦旅団に編入された。19902月、工事を終了。199137日、太平洋艦隊第10作戦艦隊第48対潜艦師団に編入された。1994830日、太平洋艦隊第44対潜艦師団に編入された。1996年、練習艦への改造計画が出されたが、予算不足で中止された。1997226日に除籍され、6月にスクラップとしてインドに売却された。参考:ソ連/ロシア巡洋艦建造史、月刊世界の艦船6,093,92増刊

<ペトロパブロフスク・カムチャツキー>:K211(原潜)を参照。

<ペトロパブロフスク・カムチャツキー>:ロシア海軍636.6型潜水艦7番艦Petropavlovsk-Kamchatskiy2017728起工20193月進水、1125日就役、太平洋艦隊に配備された。参考:月刊世界の艦船6,192,20

<ペトロフ・ベイ>:CVE-80(護衛空母)を参照。

<ベトワ>:F39(初代ブラマプトラ級フリゲート)またはF39(2代目ブラマプトラ級フリゲート)を参照。

ベトン>:コンクリートのこと。

<ベナ>:2S31(自走迫撃砲)を参照。

<ペニーウォート>:K111(コルベット)を参照。

ベニート・フアレス>:メキシコ海軍フリゲート。202285日、ハワイ周辺で日メキシコ親善訓練に参加。揚陸艦A412ウスマシンタと共に、DDH-183いずもと、戦術運動訓練やPHOTOEXなどを行った。参考:月刊世界の艦船10,22

<ベニオン>:DD-662(駆逐艦)を参照。

ペニシリン>:抗生物質の1つで、サルファ剤に比べて抗菌スペクトラムが広く、副作用も少ないため、第2次大戦で広く使用された。1928年、イギリスのアレキサンダー・フレミングがカビにより分泌される物質として発見した。ブドウ球菌、肺炎球菌、ジフテリア菌など様々な菌に対する発育阻止作用を示し、実験動物への投与でも副作用はみられず、1929年に論文に発表されたが、たまたまシャーレに付着した青カビを培養したものだったので再現性に乏しく、あまり話題にならなかった。1938年にオックスフォード大学の研究チームがペニシリンなど3種類の抗生物質に着目して研究を開始、19405月にドイツからイギリスに亡命していたハワード・フローリーがペニシリンをマウス及び人間に投与して有効性を確認した。1941年、コーン・スティープ液がペニシリンを産生するカビの培養に有効であることが判明し、大量培養の道が開かれた。隠密裏にアメリカで量産が進められ、19421128日にアメリカのボストンにあるナイトクラブで大火災が発生した際に試験投与され、火傷からの感染による死亡を激減させたと判断された。1943年、ペニシリンを大量分泌する菌株が発見され、更に固形培地の表面ではなく液体培地により大量に菌を培養する方法が開発され、天然ペニシリンの大量生産が行えるようになった。19446月には月に700億単位(4万人分)のペニシリンが生産されるようになり、大戦末期には月に200兆単位も生産されていたという。その結果、戦場衛生の改善もあり、肺炎による死亡率が第1次大戦時と比較して10分の1に抑えられた。日本でもドイツから潜水艦で得た論文により194312月に存在を把握し、1944年に日本陸軍軍医学校ペニシリン委員会を設立、碧素という名称で開発が進めたが、菌を培地から分離するための遠心分離器が無いので研究員が手で振り回して回収するという有様で、菌株や大量培養法の確立に失敗、少量生産に止まり、東京大空襲で使用している。ちなみに合成ペニシリンの生産方法が確立したのは1957年であった。参考:歴史群像6,02、ラバウル航空戦、軍医サンよもやま物語

べにす丸>:川崎造船所船舶部貨物船Venice Maru。垂線間長123.44m、幅16.15m、深さ11.28m、吃水8.53m、総トン数6571トン、重量トン数9727トン。主機は三連成汽機1基1軸5029馬力、航海速力12ノット、最大速力14.8ノット。大正10613日竣工。川崎造船所船舶部所属のまま川崎汽船が運航し、西回り世界一周航路に就航した。昭和171111日、青島の東南東313kmSS-231ハドックの雷撃を受けて沈没した。参考:月刊世界の艦船1,14

ペニテンスの日作戦>:イスラエル軍が2004929日から行った、ガザ地区掃討作戦。武装UAVや偵察UAVを多数飛ばしているという。パレスチナ側のカッサム・ロケットによる攻撃を防ぐため、地上設置レーダーなどから構成されるマーニム早期警戒システムを配備し、早期警報(といっても弾着20分前だが)を出すことに成功しているらしい。参考:月刊軍事研究1,05

ベニト>:イギリスが第2次大戦時に開発したY装置用妨害装置。ドイツ爆撃機の発する誘導電波を受信するとロンドンのスウェイン・レーンにあるBBC送信所が45MHzの電波を発信し、アレキザントラ・パレースにあるBBCのテレビ電波送信機で増幅して放射するシステムである。周波数が微妙に不一致で、効果ははっきりしなかったようである。参考:連合軍の傑作兵器駄作兵器

<ペニラン>:L89(駆逐艦)を参照。

ベニン海軍>:

ベニン海軍(1989年)>:陸軍の一部で、兵力200名。P-4級魚雷艇2隻、パトリオート級高速内海哨戒艇1隻、小型内海哨戒艇4隻を保有するが、稼動しているのはパトリオート級のみらしい。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ベニン海軍(2015年)>:現役兵力200名。哨戒艇5隻を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベニン空軍>:

ベニン空軍(1977年)>:兵力150名。中型輸送機3機、軽飛行機5機、アルエートUヘリ1機を配備する。参考:軍事力バランス78年版

ベニン空軍(1989年)>:陸軍の一部で、兵力350名。An-2輸送機3機、An-26輸送機2機、C-47輸送機2機、コマンダー500B輸送機1機、Do-128輸送機2機、AS-350Bヘリ2機、Ka-26ヘリ1機、SE-3130ヘリ1機、SA-355武装ヘリ1機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ベニン空軍(2015年)>:現役兵力250名。DHC-6輸送機1機、B727要人輸送機2機、HS748要人輸送機1機、LH-1エリプス練習機2機、AW109BAヘリ4機、AS350Bヘリ1機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベニン軍>:

 <ベニン軍(2015年)>:現役総兵力6950名(陸軍6500名、海軍200名、空軍250名)、準軍事組織(憲兵)2500名。中央アフリカ共和国にMINUSCA要員3名とオブザーバー1名、コートジボアールにUNOCI要員376名、歩兵大隊1個、オブザーバー9名、コンゴ民主共和国にMONUSCO要員456名、歩兵大隊1個、オブザーバー8名、リベリアにUNMIL要員1名、オブザーバー2名、マリにMINUSMA要員256名、機械化歩兵中隊1個、南スーダンにUNMISS要員2名、オブザーバー1名、スーダンにUNISFAオブザーバー2名を派遣している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<ベニントン>:CV-20(空母)を参照。

ベニン陸軍>:

ベニン陸軍(1977年)>:兵力2100名。歩兵大隊2個、工兵大隊1個、空挺奇襲中隊1個、砲兵中隊1個からなる。M8装甲車7両、105mm砲、60mm/81mm迫撃砲を配備する。参考:軍事力バランス78年版

ベニン陸軍(1989年)>:兵力3800名。歩兵大隊3個、空挺/コマンドー大隊1個、工兵大隊1個、機甲中隊1個、砲兵中隊1個からなる。PT-76軽戦車20両、M-8偵察車9両、BRDM-2偵察車14両、105mmM-101を4門、81mm迫撃砲、89mmロケットランチャーLRACを保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ベニン陸軍(2015年)>:現役兵力6500名。機甲隊2個、即応自動車化歩兵大隊1個、歩兵大隊8個、空挺大隊1個、砲兵大隊2個、工兵大隊1個、通信大隊1個、兵站大隊1個、支援大隊1個からなる。PT-76軽戦車18両、AML-90偵察車3両、BRDM-2偵察車14両、M8偵察車7両、VBL偵察車10両、M113装甲兵員輸送車22両、キャスパーNG装甲車10両、105mm軽砲L11812門、105mmM101を4門、81mm迫撃砲少数、120mm迫撃砲少数を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ペネイド>:Penetration aidの略(Penaid)。ICBMなどに搭載される欺瞞システム(デコイなど)で、レーダーで本物と区別できないようにするなどして敵防空手段を突破しやすくする。参考:核兵器事典、月刊世界の艦船3,05

<ペネウィル>:DE-175(護衛駆逐艦)を参照。

<ベネシャンブラインド・フラップ>:フラップを参照。

ベネズエラ沿岸警備隊

ベネズエラ沿岸警備隊(1989年)>:ベネズエラ海軍の指揮統制下にあるが、組織としては別。兵力750名。ラ・グアイラに基地がある。アルミランテ・クレメンテ級外洋哨戒艦2隻、ララザバル級外洋哨戒艦2隻を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ベネズエラ沿岸警備隊(2015年)>:ベネズエラ海軍の指揮統制下にあるが、組織としては別。兵力1000名。グアイカマクト級哨戒艇3隻、哨戒艇19隻、兵站支援船5隻を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベネズエラ海軍>:1976年、209/1300型潜水艦2隻が就役開始。1984年、カパナ級戦車揚陸艦4隻が就役。20103月、グアイカマクト級沿岸哨戒艦1番艦グアイカマクトが就役した。2011-12年、グアイケリ級哨戒艦4隻が就役。2020215-16日、ボリバリアノ・シールド2020Escudo Bolivariano 2020)演習を実施。F-22アルミランテ・ブリオンがベネズエラ海軍で2013年以来となる実射訓練を行い、オトマート艦対艦ミサイルを73km先の標的艦に叩き込んだ。参考:月刊世界の艦船4,1110,175,2012,20

 <ベネズエラ海軍(1977年)>:兵力8000名(うち海兵隊3個大隊4000名)。パラオ級潜水艦1隻、ガピーU級潜水艦2隻、209型潜水艦1隻、駆逐艦4隻、護衛駆逐艦6隻、ミサイル艇3隻、高速哨戒艇3隻、哨戒艇10隻、沿岸哨戒艇16隻、戦車揚陸艦1隻、LSM4隻、輸送艦1隻、S-2E捜索救難機6機、C-47輸送機3機、ベル47Jヘリ2機を配備する。参考:軍事力バランス78年版

 <ベネズエラ海軍(1989年)>:兵力10000名(うち海軍航空隊2000名、海兵隊4000名、沿岸警備隊750名)。艦隊、海兵隊、海軍航空隊、沿岸警備隊、河川戦隊からなり、艦隊は潜水艦戦隊、フリゲート戦隊、哨戒艇戦隊、両用戦艦艇戦隊、支援艦艇戦隊で構成される。カラカスに司令部、プント・フィホに哨戒艇戦隊基地、プエルト・カベロにその他の戦隊の基地、プエルト・デ・イエロ、プエルト・ラ・クルス、ギリアに小基地、エル・アンパロにアラウカ河司令部、シウダド・ボリバールにオノリコ河司令部がある。209/1300級潜水艦2隻、ガピーV級潜水艦1隻、ルポ級フリゲート6隻、コンスティテュシオン級ミサイル艇3隻、コンステッシオン級内海哨戒艇3隻、小型河川哨戒艇7隻、カパナ級戦車揚陸艦4隻、アマゾネス級戦車揚陸艦1隻、汎用揚陸艇2隻、補給支援艦1隻、輸送艦2隻、測量艦1隻、練習艦1隻、S-2E対潜哨戒機8機(保管中)、AB-212対潜ヘリ6機、C-212哨戒機4機、BAe748輸送機1機、C-212輸送機2機、DHC-7輸送機1機、セスナ310連絡機3機、セスナ402連絡機1機、キングエア90連絡機1機、MU-2連絡機1機、スーパーキングエア200連絡機1機、ベル47Jヘリ2機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ベネズエラ海軍(2015年)>:現役兵力17500名(うち徴兵3200名、海軍航空隊500名、海兵隊7000名、沿岸警備隊1000名)。209/1300型潜水艦2隻、ルポ級フリゲート6隻、グアイケリ級哨戒艇4隻、コンスティテュシオン級哨戒艇6隻(オトマートMk2艦対艦ミサイル搭載型3隻、76mm砲搭載型3隻)、哨戒艇1隻、カパナ級戦車揚陸艦4隻、マルガリータ級LCU2隻、グリフォン2000TD級LCAC1隻、兵站支援船10隻、C-212-200MPA洋上哨戒機3機、ビーチC90輸送機1機、ビーチ200輸送機1機、C-212輸送機4機、ターボコマンダー980C輸送機1機、ベル212ASWAB212ASW)対潜ヘリ5機、ベル412EP汎用ヘリ6機、Mi-17V-5汎用ヘリ6機、ベル206B練習ヘリ1機、TH-57A練習ヘリ1機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベネズエラ海兵隊>:2014年、VN1水陸両用歩兵戦闘車の配備を開始。2015年、VN16水陸両用軽戦車VN18水陸両用歩兵戦闘車の配備を開始。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベネズエラ海兵隊(1989年)>:兵力4000名。歩兵大隊4個、砲兵大隊1個、両用戦車両大隊1個、河川哨戒部隊1個、工兵部隊1個、パラシュート/コマンドー部隊2個からなる。LVTP-7装甲兵員輸送車11両、EE-11装甲兵員輸送車30両、フクスTpz.110両、105mm18門、M42自走高射機関砲6門を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

<ベネズエラ海兵隊(2015年)>:現役兵力7000名。師団司令部1個、特殊作戦旅団1個、河川作戦海兵旅団1個、上陸作戦海兵旅団1個、砲兵群(砲兵中隊1個、多連装ロケット中隊1個、迫撃砲中隊1個)、戦闘工兵大隊1個、憲兵旅団1個、通信大隊1個、兵站大隊1個からなる。VN-16軽戦車5両以上、VN-1歩兵戦闘車10両、VN-18歩兵戦闘車5両以上、EE-11装甲兵員輸送車37両、LVTP-7水陸両用車11両、105mmM-5618門、120mm迫撃砲ブラント12門、84mm無反動砲カールグスタフM3106mm無反動砲M40A1AAVR7装甲回収車1両、LCM1隻、LCU1隻、LCVP12隻、哨戒艇23隻を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベネズエラ空軍>:1953年からキャンベラ爆撃機を配備。2006年、Su-30MK2V戦闘機の配備を開始。参考:週刊エアクラフトNo.82、月刊軍事研究2,08

 <ベネズエラ空軍(1977年)>:兵力8000名(空挺大隊1個含む)。キャンベラ29機、OV-10E軽爆撃機16機、CF-5A戦闘機15機、F-5B戦闘機4機、ミラージュVEV戦闘機9機、ミラージュ5V戦闘機4機、ミラージュ5DV戦闘機2機、F-86K戦闘機20機、C-130H輸送機6機、ボーイング737輸送機1機、C-47輸送機20機、C-123B輸送機12機、スカイバン輸送機1機、アルエートVヘリ15機、UH-1ヘリ12機、UH-19ヘリ10機、ジェットプロポストT52練習機12機、T-2Dバックアイ練習機24機、T-34メンター25機、ビーチ95練習機2機、クイーンエア練習機9機、セスナ182練習機12機を配備する。参考:軍事力バランス78年版

 <ベネズエラ空軍(1989年)>:兵力6500名。キャンベラB.82爆撃機18機、キャンベラB(T).82爆撃機、キャンベラB(T).88爆撃機、キャンベラT.84爆撃機、F-5A戦闘機10機、F-5B戦闘機2機、T-2D攻撃機19機、ミラージュVEV戦闘機18機、ミラージュ5V戦闘機2機、ミラージュ5DV戦闘機1機、F-16A戦闘機18機、F-16B戦闘機6機、EMB-312対ゲリラ戦機12機、OV-10E対ゲリラ戦機14機、SA316武装ヘリ10機、UH-1D武装ヘリ12機、UH-1H武装ヘリ4機、キャンベラPR.83偵察機3機、C-47輸送機5機、C-123輸送機7機、C-130H輸送機6機、G-222輸送機6機、ベル206ヘリ16機、ベル412ヘリ2機、HB-350Bヘリ5機、UH-1Nヘリ2機、B737大統領専用機1機、ファルコン20大統領専用機3機、ガルフストリームU大統領専用機1機、ガルフストリームV大統領専用機1機、リアジェット24D大統領専用機1機、セスナ180連絡機2機、セスナ182連絡機9機、サイテーションT連絡機1機、サイテーションU連絡機1機、クイーンエア65連絡機2機、クイーンエア80連絡機4機、スーパーキングエア200連絡機5機、EMB-312練習機18機、ジェット・プロボストT.52練習機12機、T-34練習機23機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ベネズエラ空軍(2015年)>:現役兵力11500名。年間飛行時間155時間。F-5(VF-5)戦闘機5機、F-5B(NF-5B)戦闘機4機、CF-5D(VF-5D)戦闘機1機、F-16A戦闘機17機、F-16B戦闘機4機、Su-30MKV戦闘機23機、OV-10A攻撃機7機、ファルコン20DC電子戦機2機、SA-227メトロV(C-26B)電子戦機2機、KC-137空中給油機1機、C-130H輸送機5機(+保管中数機)、G-222輸送機1機、Y-8輸送機8機、ビーチ200輸送機6機、ビーチ350輸送機2機、セスナ182N輸送機10機、セスナ206輸送機12機、セスナ208B輸送機4機、セスナ500輸送機1機、セスナ550輸送機3機、セスナ551輸送機1機、セスナ750輸送機1機、Do-228-212輸送機2機、クアッドシティ・チャレンジャーU輸送機11機、ショート360シェルパ輸送機2機、A319CJ要人輸送機1機、B737要人輸送機1機、ファルコン20F要人輸送機1機、ファルコン900要人輸送機2機、DA40NG練習機24機、DA42Y練習機6機、EMB-312練習機18機、K-8W練習機15機、SF-260E練習機12機、Mi-17VS汎用ヘリ8機、AS332B汎用ヘリ3機、AS532汎用ヘリ8機、AS532UL汎用ヘリ2機、Mi-172要人輸送ヘリ2機、AIM-9L/P空対空ミサイル、R-73空対空ミサイル、PL-5E空対空ミサイル、パイソンW空対空ミサイル、R-27T/ET空対空ミサイル、R-27R/ER空対空ミサイル、R-77空対空ミサイル、Kh-29L/T空対地ミサイル、Kh-31A空対地ミサイル、Kh-59M空対地ミサイル、エグゾセAM39空対艦ミサイル、Kh-31P対レーダーミサイルを保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベネズエラ軍>:

 <ベネズエラ軍(2015年)>:現役総兵力115000名(陸軍63000名、海軍17500名、空軍11500名、国家警備隊23000名)、予備役8000名(全て陸軍)、準軍事組織(ボリバル国家民兵)150000名。ベネサット1通信衛星1基を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベネズエラ国家警備隊>:Fuerzas Armadas de Cooperacion。国内治安維持などを担当する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベネズエラ国家警備隊(1989年)>:兵力20000名。UR-416歩兵戦闘車25両、ショーランド装甲兵員輸送車15両、60mm迫撃砲120門、81mm迫撃砲50門、バロン1機、BN-2Aを1機、セスナU206を1機、セスナ337を2機、セスナ402Cを1機、IAI-201を4機、キングエア90を1機、キングエア200Cを1機、クイーンエア80を2機、A-109ヘリ4機、ベル206ヘリ15機、ベル214STヘリ2機、小型内海哨戒艇26隻を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ベネズエラ国家警備隊(2015年)>:現役兵力23000名。9個地域コマンドを置く。フィアット6614装甲兵員輸送車24両、UR-416装甲兵員輸送車20両、81mm迫撃砲50門、哨戒艇34隻、ビーチ55バロン軽輸送機1機、ビーチ80クイーンエア軽輸送機1機、ビーチ90軽輸送機1機、ビーチ200C軽輸送機1機、セスナ152軽輸送機3機、セスナ172軽輸送機2機、セスナ402C軽輸送機2機、セスナU206軽輸送機4機、DA42MPP軽輸送機6機、IAI-201アラバ軽輸送機1機、M-28スカイトラック軽輸送機12機、PZL106練習機1機、PLZ M2-6 Isquierka練習機2機、ベル412EP汎用ヘリ8機、Mi-17V-5汎用ヘリ5機、AS355F汎用ヘリ9機、AW109汎用ヘリ4機、ベル206B/L汎用ヘリ6機、ベル212(AB212)汎用ヘリ1機、F-280C練習ヘリ5機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベネズエラ大統領暗殺未遂事件>:201884日、ベネズエラの首都カラカスでマドゥロ大統領が演説していたところ、プラスチック爆弾1kgを積んだ複数の無人機が飛来し、1機が爆発して警護の兵士7名が負傷した。反政府勢力による襲撃説と、大統領の自作自演説が出ている。参考:月刊軍事研究10,18

ベネズエラ馬脳炎菌>:YEE菌と略す。主に馬などに流行するが、ヒトにも感染し、重度の疲労感や衰弱を引き起こす。致死率は1%以下だが、水性・乾燥両方で保存できるため、米ソなどで生物兵器化された。参考:月刊軍事研究2,01

ベネズエラ防空コマンド(2015年)>:統合軍種で、要員は他軍種から抽出する。防空旅団5個、兵站旅団1個からなる。S-300VM地対空ミサイル、ブークM2E地対空ミサイル、S-125ペチョラ2M地対空ミサイル、9K338携帯地対空ミサイル、ADAMS携帯地対空ミサイル、ミストラル携帯地対空ミサイル、RBS-70携帯地対空ミサイル、AMX-13ラファーガ自走40mm高射機関砲6両以上、自走40mm高射機関砲M42を6両、20mm高射機関砲TCM-20114門、23mm高射機関砲ZU-23-2200基、35mm高射機関砲、70口径40mm高射機関砲114門以上、40mm高射機関砲M1数門、フライキャッチャー防空レーダーを保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベネズエラ陸軍

ベネズエラ陸軍(1977年)>:兵力28000名。中戦車大隊2個、軽戦車大隊1個、機械化大隊2個、歩兵大隊11個、レンジャー大隊13個、騎兵大隊1個、砲兵隊7個、高射砲大隊、工兵大隊からなる。AMX-30中戦車142両、AMX-13軽戦車40両、M8装甲車12両、ショーランド装甲車15両、AMX-VCI装甲兵員輸送車、UR416装甲兵員輸送車20両、155mm自走砲AMX20門、75mm分解式榴弾砲、105mm榴弾砲、120mm迫撃砲、76mm自走対戦車砲M1835門、106mm無反動砲、40mm高射機関砲、UH-19Dヘリ2機、アルエートV、ベル47Gを配備する。参考:軍事力バランス78年版

ベネズエラ陸軍(1989年)>:兵力34000名。騎兵師団1個、機甲旅団1個、地域歩兵師団4個、レンジャー旅団1個、空挺連隊1個、大統領親衛隊連隊、航空連隊1個、工兵連隊1個、憲兵連隊1個からなる。AMX-30戦車81両、M-18軽戦車35両、AMX-13軽戦車36両、AML-245偵察車10両、M-8偵察車12両、M-706E1偵察車60両、AMX-VCI装甲兵員輸送車25両、V-100装甲兵員輸送車70両、V-150装甲兵員輸送車50両、ドラグーン装甲兵員輸送車20両(一部は90mm砲搭載)、M-113装甲兵員輸送車46両、56105m40門、105mmM-10130門、155mmM-11420門、155mm自走砲M-10910両、155mm自走砲MkF320両、160mm自走多連装ロケットLAR25両、81mm迫撃砲100門、120mm迫撃砲ブラント85門、SS-11/AS-11対戦車ミサイル、106mm無反動砲M-40A1、自走20mm連装高射機関砲AMLS-530、ボフォース70口径40mm高射機関砲、ブレダ40mm高射機関砲、40mm自走高射機関砲M-42A1、ローランド地対空ミサイル4基、BN-2を1機、セスナ172を3機、セスナ182を3機、セスナU206を6機、G-222を2機、キングエア1機、クイーンエア80を1機、スーパーキングエア200を1機、A-109攻撃ヘリ6機、AS-61R輸送ヘリ4機、ベル205汎用ヘリ3機、UH-1H汎用ヘリ6機、ベル47G連絡ヘリ2機、ベル206連絡ヘリ2機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ベネズエラ陸軍(2015年)>:現役兵力63000名、予備役8000名。第4機甲師団(機甲旅団1個、軽機甲旅団1個、空挺旅団1個、砲兵旅団1個)、第9自動車化騎兵師団(自動車化騎兵旅団1個、レンジャー旅団1個、保安旅団1個)、第1歩兵師団(特殊作戦大隊1個、機甲旅団1個、機械化歩兵旅団1個、レンジャー旅団1個、歩兵旅団1個、砲兵ユニット1個、支援ユニット1個)、第2歩兵師団(機械化歩兵旅団1個、歩兵旅団1個、山岳歩兵旅団1個)、第3歩兵師団(歩兵旅団1個、レンジャー旅団1個、通信旅団1個、憲兵旅団1個)、第5ジャングル歩兵師団(特殊作戦大隊1個、騎兵隊1個、ジャングル歩兵旅団2個、工兵大隊1個)、航空コマンド1個(輸送航空大隊1個、攻撃ヘリ大隊1個、偵察航空大隊1個)、戦闘工兵軍団(戦闘工兵連隊3個)1個、兵站司令部(兵站連隊2個)1個、予備役機甲大隊1個、予備役歩兵大隊4個、予備役レンジャー大隊1個、予備役砲兵大隊1個、予備役工兵連隊2個からなる。AMX-30V戦車81両、T-72B1戦車92両、AMX-13軽戦車31両、スコーピオン90軽戦車78両、ドラグーン300LFV2偵察車42両、TPz-1フクスNBC偵察車10両、V-100/-150偵察車79両、UR-53AR50偵察車310両、BMP-3歩兵戦闘車123両、BTR-80A歩兵戦闘車114両、AMX-VCI装甲兵員輸送車25両、VCI-PC装甲兵員輸送車12両、VACI-TB装甲兵員輸送車8両、ドラグーン300装甲兵員輸送車36両、152mm自走砲2S1948両、155mm自走砲Mk-F312両、105mmM101A140門、105mm砲モデル56パックハウザー40門、155mmM114A112門、122mm多連装ロケットBM-2124両、160mm多連装ロケットLAR-SP(LAR-160)20両、300mm多連装ロケット9A5212両、120mm自走迫撃砲2S2313両、81mm迫撃砲165門、120mm迫撃砲ブラント60門、120mm迫撃砲2S1248門、81mm自走迫撃砲ドラグーン300PM21両、81mm自走迫撃砲AMX-VTTMAPATS携帯対戦車ミサイル、106mm無反動砲M40A1175門、M18ヘルキャット駆逐戦車75両、RASIT対砲迫レーダー、ビーチ90輸送機1機、ビーチ200輸送機1機、ビーチ300輸送機1機、セスナ172輸送機1機、セスナ182輸送機6機、セスナ206輸送機2機、セスナ207輸送機2機、IAI-201アラバ輸送機1機、IAI-202アラバ輸送機2機、M-28スカイトラック輸送機11機、Mi-35M2攻撃ヘリ10機、ベル412EP汎用ヘリ10機、ベル412SP汎用ヘリ2機、Mi-17V-5汎用ヘリ21機、Mi-26T2輸送ヘリ3機、AS-61D輸送ヘリ2機、ベル206B汎用ヘリ3機、ベル206L3汎用ヘリ1機、AMX-30D戦車回収車3両、ドラグーン300RV装甲回収車2両、サムソン装甲回収車、レグアン戦車橋を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<ベネチア>:D53(駆逐艦)を参照。

ベネチア作戦>:第2次大戦の北アフリカ戦に於いて、1942526日、ガザラ・ボックス戦が開始されたが、ドイツ・アフリカ軍団は突破に失敗。かわりにトブルクを迂回攻撃することとし、62日からビル・ハケイムのイギリス軍陣地(自由フランス軍第1旅団)を掃討するため、第90アフリカ機械化師団、第33偵察大隊、イタリアのトリエステ師団による攻撃を行った。予定ではすぐに掃討を完了する予定だったが、自由フランス軍の戦意が高く難航した。イギリス軍は65日からドイツ・アフリカ軍団主力の立て籠もる大釜陣地へ攻勢をかけたが、投入戦力が4個旅団と中途半端で、66日に戦車170両以上の損害を出して攻勢が頓挫した。68日、ドイツ・アフリカ軍団は3個工兵大隊をビル・ハケイムの北から迂回させ、戦車12両や砲兵を含む増援を投入、611日に漸く制圧した。612日、エル・アデムの戦車戦でイギリス軍戦車138両が撃破され、第1装甲師団・第4・第22装甲旅団が壊滅。614日、ドイツ第15・第21機甲師団がイギリス軍ナイトブリッジ陣地を制圧し、イギリス第8軍司令官はガザラ・ボックスから撤退することにした。イギリス第50歩兵師団は614日にイタリア第10軍を急襲突破して包囲から脱出したものの、トブルク防衛用の戦車兵力は損耗した2個大隊のみとなってしまった。また、トブルク防衛機材もガザラ・ボックスで使い尽くされていた。615日、ドイツ・アフリカ軍団及びイタリア軍はトブルクに向け進撃を開始。更に一部をエジプト国境に向けて陽動を行い、トブルク救援部隊の遮断を行った。イギリス軍は防衛計画を全く実行しておらず、618日の未明には完全に包囲されてしまった。6200530、ドイツ軍は攻撃準備射撃を開始。0600、航空攻撃が開始された。0700、陸軍部隊が攻撃を開始。0755には戦車がトブルク市内に突入し、1900にはほぼ制圧を完了した。6210940、トブルク要塞司令官兼第2南アフリカ師団長が降伏。33000名が捕虜となった。1600、ロンメルは更にエジプト国境への進撃を開始。この急進に空軍飛行場建設が間に合わず、624-26日にイギリス航空部隊の爆撃を喰らっている。629日早朝、メルサ・マトルー港を攻略。630日にはエル・アラメインに防衛陣地を敷くイギリス軍に対し、突破攻勢を仕掛ける。参考:月刊PANZER8,97、ウォーマシン・レポート11、月刊丸6,01

<ベネチア自動船舶会社製武装モーターボート>:MAS艇を参照。

<ベネット>:DD-473(駆逐艦)を参照。

ベネデット・プリン>:イタリア海軍前弩級戦艦Benedetto Brin1915927日、ブリンディシでサボタージュにより爆沈した。参考:月刊世界の艦船8,15

<ペネトレイター>:侵徹体を参照。

<ペネトレイティング・エスコート・ジャミング>:エスコート・ジャミングを参照。

ペネトレイション・ファイター計画>:アメリカ陸軍航空軍戦略航空軍団(SAC)が1946年から計画した侵攻戦闘機(戦略爆撃機護衛戦闘機)。SAC創設当時の護衛部隊がP-51戦闘機1個群しか無く、ジェット戦闘機配備後も航続距離不足に悩まされたため、長距離爆撃機の護衛戦闘機として混合動力機、寄生戦闘機、翼端結合戦闘機などを開発していたが、やはり本格的な純ジェット機として開発することにしたのがこれである。マクダネル社がXF-88、ロッキード社がXF-90、ノース・アメリカン社がYF-93を設計し、1950年に比較審査を行ってYF-93が最優秀と判定されたが、SACの要求には届かなかった。折からの朝鮮戦争勃発で戦術戦闘機の生産に集中する必要が生じ、開発の余裕が無くなったため、計画もキャンセルされてしまった。参考:月刊航空ファン11,92

ペネトレイト爆撃機>:スタンドイン爆撃機ともいう。敵防空網の内側に侵入して爆撃を行える爆撃機のこと。防空レーダーに探知されない高いステルス性を有する。参考:月刊軍事研究2,18

ヘネラル・アルティガス>:ウルグアイ海軍コマンダン・リヴィエル級フリゲートGeneral Artigas。元はフランス海軍コマンダン・リヴィエル級フリゲートのヴィクトル・シェルシェで、1990年に購入した。参考:月刊世界の艦船9,96

ヘネラル・エステバン・ウエルタス>:パナマ海軍揚陸艇General Esteban Huertas。満載排水量380トン。元はアメリカ海軍YFU-71型港内支援船YFU-81で、2004年にパナマ海軍に就役した。2016918-28日、ユニタス2016演習に参加。参考:月刊世界の艦船12,16

ヘネラル・バクェダーノ>:チリ海軍リアンダー級フリゲートGeneral Baquedano。元はイギリス海軍リアンダー級フリゲート、アリアドニである。1992年に引き渡された。参考:月刊世界の艦船9,96

ヘネラル・ベルグラーノ>:アルゼンチン海軍巡洋艦。元はアメリカ海軍ブルックリン級軽巡洋艦CL-46フェニックスで、19511月に引き渡された。全長185.4m、満載排水量13645トン。主機は蒸気タービン、速力32.5ノット。兵装は152mm3連装砲5基、127mm単装砲8門。198252日、フォークランド紛争でイギリス海軍原潜コンカラーの雷撃を受け、左舷に2本を被雷して沈没した。参考:月刊軍事研究7,07、月刊世界の艦船3,92増刊、11,19

<ペネロープ>:F127(フリゲート)を参照。

辺野古弾薬庫>:在日米海兵隊の弾薬庫で、キャンプ・シュワブ北方にある。面積121万平方メートル。1956年に開設したアメリカ陸軍辺野古弾薬庫と辺野古海軍弾薬庫を1972年に統合したもので、陸軍が管理していたが、1977年から海兵隊が管理するようになった。参考:月刊軍事研究4,10

<ベノム>:DH112シリーズ(戦闘機)またはUH-1Y(ヘリ)を参照。

ベノム・シリーズ>:ヴィンテン社が開発した軍用オートジャイロVenom。参考:ザ・マーチ33

ベノムMkT>:アルミパイプ製フレームにグラスファイバーのボディを架装しており、降着装置は三車輪式で、主脚フレームに5.56mm機銃、80mmロケット弾、発煙筒などを搭載できる。カメラやECM装置の装備も可能。胴体長3.4m、ローター直径6.1m、全高1.8m、空虚重量145kg、全備重量317kg。エンジン出力80馬力、巡航速度130km、最大速度170km、実用上昇限度3050m、燃料容量45リットル、航続距離280km、航続時間2-3時間。乗員1名。参考:ザ・マーチ33

ベノムMkU>:胴体長3.65m、ローター直径6.1m、全高2.03m、空虚重量195kg、全備重量390kg。エンジンはコンチネンタル水平対向4気筒(100馬力)で、巡航速度148km、最大速度176km、実用上昇限度3050m、航続距離370km。乗員1名。参考:ザ・マーチ33

<ヘパティカ>:K159(コルベット)を参照。

ヘパレン>:スウェーデン海軍潜水艦。イタリアから導入したもので、ベースはフォカ級である。全長42.4m、全幅4.3m、全高2.1m、排水量は水上186トン、水中230トン。主機はガソリンエンジン3基750馬力と電動機150馬力、1軸推進、水上速力14.8ノット、水中速力6.3ノット。兵装は艦首の457mm魚雷発射管2門(魚雷4本)。乗員17名。1909年に進水した。1919年に退役し、1924年に標的艦として沈められ、残骸はスクラップとして売却された。参考:月刊軍事研究1,03

<ベビー・クリッパー>:S-43シリーズ(飛行艇)を参照。

<ベビー師団>:ヒトラーユーゲント師団を参照。

<ベビー・ナンブ>:南部式拳銃小型を参照。

<ヘビーハンマー>:120mm迫撃砲RT(陸上自衛隊)を参照。

<ヘヒト>:Uボート]]ZA型(潜水艦)またはUW20(潜水艦)を参照。

ヘヒト>:ドイツ海軍実験艇。元は第1次大戦中に建造された掃海艇M60で、1937年に改造された。1939年に護送艇ヒイレに改造され、1940年にM560と改称されている。戦後はソ連に引き渡された。参考:写真集ドイツの巡洋艦

ヘヒト>:ドイツ軍が第2次大戦中に開発していたロケット推進魚雷。実用化には至らなかった。参考:Uボート入門

ベビる>:日本海軍士官のスラングで、出産すること。参考:海軍こぼれ話

<ヘプバーン>:FF-1055(フリゲート)を参照。

<ベベ>:ニューポール11(戦闘機)を参照。

へべる>:日本海軍士官のスラングで、料亭や待合での芸者遊びを指す。へべれけになるを略したもの?参考:日本海軍史、帝国陸海軍事典

ベベル・エッジ作戦>:199775日、カンボジアの首都プノンペンでフンセン派によるクーデターと武力衝突が発生したため、不測の事態に備えてアメリカ軍が発動した、在カンボジア米国人救出準備作戦Bevel edge。タイのウタパオにMC-130H/MC-130P特殊作戦機6機とMH-53J特殊作戦ヘリ3機、要員530名が待機し、特殊作戦能力証明演習を行っていた沖縄の第31海兵遠征隊1800名と、それを乗せて沖縄近海に展開していた佐世保のLHA-3ベローウッド、LPD-8ダビューク、LSD-43フォート・マクヘンリーが、緊急派遣に備えた準備に入った。不測の事態には発展せず、救出作戦には移行しなかった。参考:月刊軍事研究12,13

ベホーラ7.65mm>:ドイツ軍が第2次大戦時に使用した自動式拳銃。全長140mm、銃身長73mm、重量640g。口径7.65mm、装弾数7発。参考:第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログVol.3

<ヘマ級>:コマール級ミサイル艇(中国海軍)を参照。

<ヘミンガー>:DE-746(護衛駆逐艦)を参照。

ヘラ>:ドイツ海軍スループ型ヨット。兵装は10.5cm砲2門と機雷。1940年に竣工し、艦隊付属艦として母艦任務に使用された。戦後はソ連に引き渡されてアンガラとなった。参考:写真集ドイツの巡洋艦、グラフィックアクション44

ベラ>:アメリカの核爆発探知衛星、VELA。部分的核実験禁止条約の調印に伴い、地表核実験を監視する目的で打ち上げられた。X線、ガンマ線、中性子線、可視光、電磁パルスなどの観測センサー、核爆発に伴う大気蛍光検出センサーなど27種類のセンサーを搭載し、バン・アレン帯を避けるため高度10kmの軌道上を周回した。1963-70年に12基が打ち上げられ、60度ずつ6基を配置して全地表の監視にあたった。地下核実験に切り替わったのに伴い、役目を終えた。参考:月刊軍事研究1,07

<ペラク>:173(コルベット)を参照。

<ヘラクルス>:Ju352(輸送機)を参照。

ヘラクレス多機能レーダー>:フランスのタレス社が開発したパッシブ・フェイズド・アレイ・レーダー、HERAKLES。アンテナは1面で、移相器1761個が埋め込まれており、背後から送信された電波の位相を制御するレンズ方式を採用、四角錐台形のレドームごと毎分60回転して全周を捜索する。アンテナ機構重量3トン。電波は使用周波数Sバンド、ピーク出力50kWで、捜索時はマルチビーム、追尾時はモノパルスペンシルビームを使用し、高角70度、距離250km(空中)/80km(水上)、高度24000mをカバー、400-500目標を追尾できる。多機能レーダーではあるが武器管制を主任務としており、アスター15/アスター30の中間誘導も可能。シンガポール海軍フォーミダブル級、フランス海軍FREMM級フリゲート、モロッコ海軍モハンマドY世級、エジプト海軍FREMM級フリゲートに搭載された。フランス海軍PA2空母にも搭載される予定だったが、艦の方が建造中止になった。参考:月刊軍事研究10,149,068,063,089,09、月刊世界の艦船1,'15増刊、11,21

へらこい>:日本陸軍用語で、要領が良い、ずるがしこいこと。参考:帝国陸海軍事典

<ベラトリクス>:AKA-3(攻撃貨物輸送艦)またはT-AKR-288(高速海上輸送艦)を参照。

ベラトリクス級>:アメリカ海軍攻撃貨物輸送艦Bellatrix級。C2-F型標準貨物船を改造したもので、上構前後のキング・ポストにLCM40トン・デリックブームとLCVP10トン・デリックブーム、前甲板前部のキング・ポストにLCVP10トン・デリックブームを装着しており、甲板上や上構両側ダビットにLCM(6)級を6隻、LCM(3)級を2隻、LCVPを9隻、LCPを1隻搭載する。全長139.8m、幅19.7m、満載吃水7.85m、軽荷排水量8045トン、満載排水量10760トン。主機はノルトベルク・ディーゼル機関1基1軸6000馬力、速力16.5ノット、航続距離は12ノットで22600海里。兵装は38口径12.7cm単装両用砲1門、50口径7.6cm単装両用砲4門、20mm単装機関砲18門。乗員343名。兵員54名、貨物4515トンを搭載できる。AKA-3ベラトリクスとAKA-4エレクトラが1942年に竣工した。後に7.6cm両用砲を全て外し、40mm連装機関砲4基に換装している。参考:アメリカ揚陸艦史

ペラミダ>:ソ連海軍潜水艦用曳航ソナーのNATOコード。超低周波を探知するパッシブソナーで、タイフーン級やデルタW級などに搭載されている。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版

ベララベラ沖海戦>:連合軍呼称はベララベラ北方夜戦。太平洋戦争時の昭和18815日、日本軍が10000名で防備を固めていたコロンバンガラ島を通り越し、ホラニウ守備隊600名しかいないベララベラ島にアメリカ軍第3水陸両用部隊6000名が上陸した。日本海軍は零戦128機と艦爆25機で3次の空襲をかけたが、戦果は得られず、戦闘機70機の迎撃を受けて零戦9機と艦爆8機を撃墜された。日本軍が送り込める増援兵力はブーゲンビル島の部隊しか無く、奪回に必要な戦力は引き抜けないため、最低限を投入して持久を図ることを決定。8170300、第3水雷戦隊司令官伊集院松治大佐率いる夜戦部隊第17駆逐隊駆逐艦漣、浜風、磯風、第27駆逐隊駆逐艦時雨がラバウルを出港。0700、陸軍2個中隊と海軍陸戦隊1個小隊102名を乗せた輸送隊第1梯団艦載水雷艇1隻、海軍大発3隻、第2梯団艦載水雷艇1隻、陸軍大発5隻、第3梯団艦載水雷艇1隻、陸軍大発5隻、輸送部隊第1警戒隊艦載水雷艇1隻、武装大発2隻、駆潜特務艇5号、駆潜特務艇12号、第2警戒隊陸軍装甲艇1隻がブインを出港。2200、夜戦部隊と輸送隊・輸送部隊がベララベラ北方チョイセル島沖で合流し、輸送隊・輸送部隊は引き続き南下、夜戦部隊は周囲の警戒に入った。2232、漣の見張り員がベラ湾北方を警戒中のアメリカ駆逐艦DD-449ニコラス、DD-450オバノン、DD-468テイラー、DD-451シュヴァリエを発見。アメリカ駆逐艦隊を輸送隊から引き離すため夜戦部隊が西に向かうと、アメリカ側は夜戦部隊を追いかけて砲戦となり、駆逐艦浜風と磯風が損傷したが、漣が雷撃をかけるとアメリカ側は回避行動に移り、そのまま離脱していった。輸送隊と輸送部隊はその間に分散してベララベラ島に向かい、8180100までにアメリカ駆逐艦隊と交戦して駆潜特務艇5号、駆潜特務艇12号、大発1隻、艦載水雷艇1隻が沈没したが、他は0300にベララベラ島ホラニウに到着し、輸送には成功した。参考:日本海軍艦隊総覧、第2次大戦日本海軍作戦年誌

<ベララベラ海戦>:ベララベラ島沖夜戦を参照。

ベララベラ島沖夜戦>:連合軍呼称はベララベラ海戦。太平洋戦争時の昭和18815日、連合軍6000名がベララベラ島南東部ビロアに上陸。日本軍はコロンバンガラ島に陸海軍12000名を配置して防備を固めていたが、蛙跳び作戦で飛び越されてしまい、ベララベラ島北東部のホラニウ守備隊600名にベラ・ラベラ沖海戦をくぐり抜けて陸軍2個中隊と海軍陸戦隊102名を増援として送り込んだものの多勢に無勢、連合軍が制圧済みのニュージョージア島とベララベラ島に挟まれたコロンバンガラ島は孤立してしまった。南東方面艦隊と第8方面軍はコロンバンガラ島からの撤収を決め、928-29日に6800名、102日に5600名を大発で撤収させた。その間にベララベラ島守備隊は連合軍に圧迫され、921日に残存日本陸海軍部隊は鶴屋陸軍大尉をトップとする鶴屋部隊を編成して抵抗したが、補給も途絶えて為す術が無くなり、10月初めにベララベラ島守備隊も撤収することになった。106日、ベララベラ島守備隊を撤収させるため、明け方に第3水雷戦隊がラバウルを、夕方に収容部隊がブインを出撃。第3水雷戦隊は夜襲部隊(戦隊旗艦秋雲、第10駆逐隊風雲、夕雲、第17駆逐隊磯風、第27駆逐隊時雨、五月雨)と輸送部隊(第22駆逐隊文月、付属駆逐艦夕凪、松風、小発6隻、折畳浮舟30隻)からなり、収容部隊は駆潜艇隊(駆潜艇第11号、駆潜特務艇第7号、第20号、第23号、第30号。ベララベラ島守備隊を収容)、艦載水雷艇隊(艦載水雷艇3隻。収容時の警戒)、大発1隻(移乗時輸送)という構成で、収容場所の万代浦沿岸へと急行した。連合軍は哨戒機により第3水雷戦隊を発見し、DD-357セルフリッジ、DD-450オバノン、DD-451シュヴァリエをベララベラ島北西沖に向かわせ、ニュージョージア島方面で船団護衛にあたっていた駆逐艦3隻を後詰めとして送ることにした。2030、第3水雷戦隊がベララベラ島に近づくと、水上偵察機が吊光弾によりアメリカ駆逐艦隊の存在を知らせてきたため、輸送隊はショートランド湾西口に一時退避し、夜襲部隊がアメリカ駆逐艦隊の捜索に向かった。2031、アメリカ駆逐艦隊がレーダーで夜襲部隊をキャッチ。2035、風雲と秋雲の見張り員が3隻の艦影を発見したが、敵味方識別に手間取り、2055にアメリカ駆逐艦隊が先制雷撃をかけ、14本を発射した。夜襲部隊は魚雷を回避するとアメリカ駆逐艦隊に突撃して2056から射距離2500mで砲雷戦に入り、駆逐艦夕雲が艦橋付近に砲撃を受けて中破炎上したが、シュヴァリエに夕雲の魚雷が命中して大破、航行不能となったところに後続のオバノンが突っ込んでしまい、オバノンは艦首下部が右舷側に折れ曲がって戦闘不能に陥った。2105、夕雲に魚雷が命中し、反撃の魚雷を放った直後の2110に沈没、艦長以下250名が戦死した。セルフリッジは時雨と五月雨に砲撃をかけたが、両艦の放った魚雷8本ずつのうち1本が艦首に命中して艦首を喪失、10ノットで戦場を離れた。2117、秋風と磯風がシュバリエに魚雷8本ずつを発射。2119、風雲がシュバリエに魚雷8本ずつを発射。シュバリエは被雷により沈没した。夜襲部隊には連合軍後続部隊接近の情報が入ったため、夕雲乗員の救助を諦めてラバウルに退避。2130過ぎに後詰めのアメリカ駆逐艦3隻が現場に到着したが、既に夜襲部隊の姿は無かった。その間に収容部隊はベララベラ島守備隊鶴屋部隊589名全員を収容し、107日朝にブインに撤収した。参考:日本海軍艦隊総覧、第2次大戦日本海軍作戦年誌、太平洋海戦史

<ベラ・ラベラ北方夜戦>:ベラ・ラベラ沖海戦を参照。

ペラル>:1886年にスペイン海軍のペラル中尉が開発した潜水艦。420個のバッテリーで30馬力の推進用モーターと5馬力の注排水用補助モーターを作動させ、水中を航行する。大気に依存せず水中を航行できる初の潜水艦だったが、革新的すぎて理解されず、それ以上の発展は無かった。参考:Uボート入門

ベラルーシ空軍>:ソ連崩壊でSu-27/Su-27UB戦闘機計25機くらいを割り当てられ、第61戦闘航空基地で運用した。2001年、ベラルーシ防空軍と統合され、ベラルーシ航空・防空軍になった。参考:月刊JWings4,23、月刊軍事研究5,16

ベラルーシ空挺軍>:ソ連崩壊時にベラルーシ国内に配備されていたソ連空挺軍第103空中突撃師団、第38空中襲撃旅団、第5独立特殊任務旅団がベースで、ベラルーシ陸軍の隷下に創設された。平時には仮想敵、戦時には戦略予備と破壊工作阻止を主任務とする。2004年、特殊作戦軍に改編された。参考:月刊軍事研究5,16

ベラルーシ軍>:2002年、軍事ドクトリンを改訂。2006年、国防省直轄の後方部隊である鉄道部隊局、自動車部隊、道路部隊を、道路・橋梁旅団、鉄道旅団、自動車旅団からなる輸送部隊に統合した。2010年、国家安全保障概念を改訂。201592-5日、スラブの絆2015演習に参加。910-16日、同盟の盾2015演習に参加。参考:月刊軍事研究5,1612,15

 <ベラルーシ軍(2015年)>:現役総兵力48000名(陸軍16500名、航空・防空軍15000名、特殊作戦軍6000名、統合部隊10500名)、予備役289500名、準軍事組織110000名(内務省国境警備隊12000名、内務省民兵87000名、内務省軍11000名)。レバノンにUNIFIL要員5名、ウクライナにOSCE要員2名を派遣している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <ベラルーシ軍(2016年)>:将校14502名、準将校6850名、下士官・兵25671名、生徒3502名、文民16407人。うち徴兵19000名。国防省中央機構、陸軍、航空・防空軍、特殊作戦軍、直轄部隊(輸送部隊など)からなる。参考:月刊軍事研究5,16

ベラルーシ航空・防空軍>:2001年にベラルーシ空軍とベラルーシ防空軍を統合して創設された。作戦・戦術コマンド2個からなる。各飛行場に配備されている複数機種の部隊を飛行場ごとに運用する体制が取られており、航空基地という部隊名をロシア空軍に先駆けて採用している。2013年、予算不足でSu-27を全て保管状態とした。201411月、バラノヴィチ空軍基地の自動防空管制システムが完成したため、作戦・戦術コマンドを廃止統合し、全航空部隊・全空域を中央指揮所と移動式野戦指揮所で運用することとした。参考:月刊軍事研究5,16

 <ベラルーシ航空・防空軍(2015年)>:現役兵力15000名。年間飛行時間15時間。MiG-29S/UB戦闘機24機、Su-27P/UB戦闘機21機(全て保管中)、Su-25K/UBK攻撃機12機、Il-76輸送機2機(+民間所属・有事転用可9機)、An-12輸送機3機、An-24輸送機1機、An-26輸送機4機、Tu-134輸送機1機、L-39練習機数機、Yak-130練習機4機、Mi-24攻撃ヘリ4機、Mi-26輸送ヘリ5機、Mi-8輸送ヘリ8機、R-60/-73/-27R空対空ミサイル、Kh-25/-29空対地ミサイル、Kh-58対レーダーミサイル、9K37S-300V9K359K33S-300PS9K332トールM2E自走地対空ミサイル12基、S-200地対空ミサイルを保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベラルーシ航空・防空軍(2016年)>:兵力15000名。パイロットの年間飛行時間は70-80時間くらい。第61戦闘機航空基地(MiG-29)、第50混成航空基地(Il-76MDAn-24An-26Mi-24Mi-8)、第116攻撃機航空基地(Su-25Su-25UBL-39Yak-130)、第15防空ロケット旅団(S-300)、第147防空ロケット旅団(トール)、第120防空ロケット旅団(ブーク、トールM2)、第740防空ロケット旅団(トール)、第1防空ロケット連隊(S-300)、第115防空ロケット連隊、第377親衛防空ロケット連隊、第8電波技術旅団、第83飛行場工兵連隊、第927無人航空機訓練運用センター、第655航空ロケット兵器・弾薬倉庫、第210航空演習場、第483独立保守補給大隊、第2060保管修理基地からなる。MiG-29B戦闘機9機、MiG-29BM戦闘機20機、MiG-29UB戦闘機8機、Su-25攻撃機17機、Su-25UB攻撃機7機、Il-76MD輸送機1機、An-24輸送機1機、An-26輸送機3機、An-26RT通信中継機1機、Mi-8/MTKO/Mi-172汎用ヘリ42機、Mi-26輸送ヘリ1機、Mi-24V攻撃ヘリ10機、Mi-24P攻撃ヘリ11機、Mi-24K攻撃ヘリ4機、Mi-24R攻撃ヘリ4機を配備する。参考:月刊軍事研究5,16

ベラルーシ統合部隊(2015年)>:軍直轄部隊と国防省スタッフの現役10500名。砲兵群1個、多連装ロケット旅団1個、地対地ミサイル旅団2個、工兵旅団2個、電子戦ユニット1個、架橋連隊1個、通信旅団2個からなる。MT-LB装甲車20両、152mm自走砲2S570両、152mm2A6590門、9A5236両、9M79トチカ弾道ミサイル36基、スカッド弾道ミサイル60基を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベラルーシ特殊作戦軍>:2004年、ベラルーシ空挺軍をベースとして参謀本部隷下に創設された。2007年、参謀本部から独立した。ただし陸軍や航空・防空軍のような軍種ではない。参考:月刊軍事研究5,16

 <ベラルーシ特殊作戦軍(2015年)>:現役兵力6000名。特殊部隊旅団1個、機械化旅団2個からなる。BTR-70装甲車39両、BTR-80装甲車153両、122mmD-3048門、9K111/9K113/9K114/9K115対戦車ミサイルを保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベラルーシ特殊作戦軍(2016年)>:兵力6000名。BTR-80装甲車153両、BTR-70装甲車39両、122mmD-3048門装備する。参考:月刊軍事研究5,16

ベラルーシ陸軍

 <ベラルーシ陸軍(2015年)>:現役16500名。西部コマンド司令部、北西コマンド司令部、機械化旅団4個、砲兵旅団2個、多連装ロケット連隊2個、工兵連隊2個、NBC連隊1個からなる。T-72戦車446両、T-80戦車69両、BMP-2歩兵戦闘車875両、BRM-1歩兵戦闘車136両、MT-LB装甲車50両、122mm自走砲2S1198両、155mm自走砲2S3108両、155mm自走砲2S5116両、155mm自走砲2S1912両、152mm牽引砲2A3648門、152mm牽引砲2A65132門、120mm自走迫撃砲2S948両、BM-21126両、9P14072両、9A52スメルチ36両、300mm多連装ロケット砲ポロネズを4両、120mm迫撃砲2S1261門、9P148自走対戦車ミサイル126両、9P149自走対戦車ミサイル110両、9K111/9K113/9K114/9K115対戦車ミサイル、GS-13対砲レーダー、SNAR-1/-2/-6対砲レーダー、スモール・フレッド/スモール・ヨーン/SNAR-10対車両・対砲レーダー、9M79弾道ミサイル36基、スカッド弾道ミサイル60基、MT-LB装甲工兵車、MTU戦車橋を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベラルーシ陸軍(2016年)>:兵力16500名。西部コマンド、北西部コマンド、陸軍総司令部直轄部隊からなる。T-80戦車69両、T-72B戦車446両、BMP-2歩兵戦闘車875両、BRM-1歩兵戦闘車137両、MT-LB装甲兵員輸送車50両、122mm自走榴弾砲2S1198両、152mm自走榴弾砲2S3108両、152mm自走榴弾砲2S5116両、152mm自走榴弾砲2S1912両、152mm牽引式榴弾砲2A4648門、152mm牽引式榴弾砲2A65132門、120mm自走迫撃砲2S948両、120mm迫撃砲2S1261門、BM-21126両、9P14072両、9A5236両、ポロネズを4両、フロッグ/9M79トチカ36基、スカッド/エルブルス60基を装備する。参考:月刊軍事研究5,16

ベラルデ級>:ペルー海軍ミサイル艇Verarde級。フランスのPR-7264メートル級)を導入したものである。兵装はエグゾセMM38艦対艦ミサイル単装発射筒4基、76mm砲1門。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、ミリタリー・バランス1989-1990

<ヘラルド>:A138(測量艦)またはT73(スループ)を参照。

ヘラルド級>:イギリス海軍測量艦Herald級。艦後部にヘリ格納庫とヘリ甲板を持ち、格納庫脇に11m測量艇を両舷1隻ずつ搭載する。全長79.3m、幅15m、吃水4.7m、基準排水量2000トン。主機はディーゼル・エレクトリック方式で、出力2000馬力、速力14ノット。ワスプ・ヘリ1機を搭載可能。1974年にA138ヘラルドが竣工・就役した。フォークランド紛争では船体と煙突に赤十字マークを描き、病院船として使用された。参考:月刊世界の艦船5,838,82増刊

<ベラ湾海戦>:ベラ湾夜戦を参照。

ベラ湾夜戦>:連合軍呼称はベラ湾海戦。太平洋戦争中の昭和1885日、日本軍はニュージョージア島ムンダ飛行場を放棄してコロンバンガラ島に後退。コロンバンガラ島の防備を強化するため、860030に第4駆逐隊司令杉浦嘉十大佐率いる第4駆逐隊駆逐艦萩風(旗艦)、嵐、付属駆逐艦江風(以上輸送隊)、第27駆逐隊時雨(警戒隊)が陸軍6個中隊940名と補給物資90トンを載せてラバウルを出撃し、コロンバンガラ島に向かった。アメリカ軍第3水陸両用部隊指揮官セオドア・ウィルキンソン少将は、コロンバンガラ島への増援派遣を阻止するため、ベラ湾にフレデリック・ムースブラッガー中佐率いる第12駆逐隊DD-384ダンラップ(ムースブラッガー中佐座乗)、DD-382クレイブン、DD-401モーリー、第15駆逐隊DD-399ラング、DD-407ステレット、DD-406スタック、魚雷艇を派遣しており、1700に哨戒機から日本海軍駆逐艦隊を発見したとの報を受けた。ムースブラッガー中佐は前任のアーレイ・バーク中佐が編み出した戦法を試すことにし、2000にベララベラ島とギゾ島の間のギゾ水道を抜けると、ベラ湾に南から進入、コロンバンガラ島沿岸に向け西に進んだ後、駆逐隊2個を並行させて北に転じた。2130、日本海軍駆逐隊は荻風、嵐、江風、時雨の順に600m間隔で単縦陣を組み、針路180度・速力30ノットでベラ湾に入った。2133DD-384ダンラップがレーダーで前方に日本海軍駆逐隊をキャッチ。2141、距離5700mで第12駆逐隊が各艦8本ずつの魚雷を発射し、右90度変針で離脱した。2142、日本海軍駆逐隊が左舷70度に逃げるアメリカ第12駆逐隊を発見。直ちに追撃しようとしたところで多数の雷跡を発見して緊急回避したが、萩風に2本、嵐に3本、江風に2本の魚雷が命中して大破した。そこに第15駆逐隊が突撃し、江風が艦橋直下に魚雷2本を喰らって轟沈。第12駆逐隊も反転して砲撃を加え、萩風と嵐も沈没した。時雨は煙幕を張り北に退避、魚雷1本が舵に命中したが不発で、北上して追いかけた第12駆逐隊の手を何とか逃れた。その後次発装填を終えて戦場海面に引き返したものの、アメリカ駆逐艦隊はツラギへと離脱していった後で、ラバウルに戻っている。日本軍は1520名(うち陸軍将兵820名)が戦死し、輸送任務は失敗に終わった。参考:日本海軍艦隊総覧、第2次大戦日本海軍作戦年誌、太平洋海戦史

ペランタウ>:マレーシア海軍ペランタウ級測量艦Perantau2013326-30日、LIMA2013に参加。参考:月刊世界の艦船7,13

ペランタウ級>:マレーシア海軍測量艦Perantau級。ドイツの協力を得てマレーシアで建造された。前甲板と後甲板に測量作業用クレーンを持ち、サイドスキャン・ソナー用ホイストも装備している。ペランタウが就役した。参考:月刊世界の艦船7,13

<ベリー>:K312(フリゲート)を参照。

<ペリー>:DD-844(ギアリング級駆逐艦)またはDMS-17(高速掃海艇)または九五式戦闘機シリーズを参照。

ベリーズ軍

ベリーズ軍(1989年)>:兵力700名(陸軍650名、海上部隊50名、航空隊15名)。歩兵大隊1個からなる。81mm迫撃砲6門、ダングリガ級内海哨戒艇2隻、BN-2B哨戒機2機、Do-27A輸送機1機を保有する。イギリス陸軍1250名、歩兵大隊1個、支援要員、イギリス空軍300名が駐留している。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ベリーズ軍(2015年)>:現役総兵力1050名(陸軍1050名)、予備役700名、準軍事組織150名(沿岸警備隊150名、小型哨戒艇20隻)。歩兵大隊3個、支援群1個、陸軍航空隊、予備役歩兵中隊3個からなる。81mm迫撃砲6門、84mm無反動砲カールグスタフ8門、BN-2A軽輸送機1機、BN-2B軽輸送機1機、セスナ182軽輸送機1機、T-67M-200練習機1機を保有する。イギリス陸軍10名が駐留している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<ベリー・セクシー>:VSXE(実験エンジン)を参照。

<ベリー・ヘッド>:A191(工作艦)を参照。

<ペリウィンクル>:K55(フラワー級コルベット)またはPG-66(テンプトレス級コルベット)を参照。

ヘリ映像伝送装置>:陸上自衛隊の方面通信群が配備する偵察用装備で、UH-1シリーズに搭載される機上撮影装置と、地上の受信設備からなる。機上撮影装置はUH-1の機内にカメラ制御部、映像音声制御部、モニター部を収容し、キャビン側面に取り付けたGPH-91-D機上カメラ装置(赤外線暗視装置)により地上を偵察する。カメラはウェスカム社製なのでウェスカムカメラとも呼ばれ、日本航空電子工業製ACE-3000スタビライザーで安定化されている。災害時にも活躍しているが、重量的にOH-6に搭載できないこと、遠距離伝送が出来ないことが欠点。地上受信設備は衛星可搬局装置、移動受信装置、地上受信装置などで構成され、1・1/2トントラックの荷台に積まれる。衛生可搬局装置は全長4.8m、全幅2.5m、全高4.5m、重量1.6トン。使用周波数はXバンド。三菱電機製。新ヘリコプター映像伝送システムに更新中。参考:月刊軍事研究9,079,08、陸上自衛隊パーフェクトガイド2015、航空ファン9,11MAMOR vol.82、朝雲

ペリエール大尉>:デ・ラ・ペリエール。1886年ポーランドのポズナニ生まれ。1903年にプロシア海軍入隊。第1次世界大戦開始後は航空隊に入った後、Uボート部隊に転属し、U-35の艦長となった。地中海で58隻の艦艇を撃沈し、19161011日にプロシア最高の勲章であるプール・ル・メリット勲章を受章。19183月にU-139艦長となり、アメリカ東海岸で作戦任務に就いた。総戦果は商船194453716トンと戦闘艦2隻2500トンで、第1次大戦でのUボートのトップエースとなった。1928-30年、ワイマール海軍軽巡洋艦エムデン艦長。その後はトルコ海軍兵学校に勤務。1939年、第2次大戦開始と共にドイツに帰り、1940年に海軍中将となった。1942224日、航空機事故により死亡。参考:Uボート入門

ベリエフ設計局>:OKB-491934年にゲオールギイ・ミハイロヴィッチ・ベリエフがタガンログで開設した。第2次大戦で一時シベリアのクラスノヤルスクに疎開したが、1944年にタガンログに戻っている。ソ連崩壊でベリエフ・タガンログ航空科学技術複合企業TANTKTaganrogskiy Aviatsionniy Nauchno-Tekhnicheskiy Kompleks imeni G. M. Berieva)に改称された。参考:ウォーマシン・レポートNo.67、月刊航空ファン11,92、月刊JWings2,23

<ヘリオトロープ>:K03(フラワー級コルベット)またはPG-63(テンプトレス級コルベット)を参照。

ヘリオフライ・シリーズ>:オーストリア人技師のパウル・バウムゲールトルが開発した背負い式ヘリコプターHeliofly。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ドイツ編、月刊JWings12,18

 <へリオフライT>:1941年に製作された。アルグスAs8エンジン(8馬力)に2翅ローターが取り付けてあり、これを背負って空中飛行を行うものである。ローターは1翅ずつ同軸反転式になっており、トルクを相殺して人間がグルグル回らないようにする。ローターブレードにはカウンターウェイトを取り付けてバランスを取った。地上で運ぶ時にはローターを片側に纏めてコンパクトに出来る。参考:月刊JWings12,18、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ドイツ編

 <へリオフライV/57>:ドイツ空軍がテストに使用したへリオフライT。出力不足で飛翔できなかった。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ドイツ編

 <へリオフライV/59>:へリオフライV/57のエンジンを16馬力に強化したもの。本体重量35kg、離陸重量120kg。浮揚が可能となったが、降着装置が自分の脚なので降下率が高いと骨折する。また、よろけるとローターが地面にぶつかって悲惨なことになる。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ドイツ編

<ヘリオンズ>:第302戦闘飛行隊を参照。

<ペリカーン>:A804(支援艇)を参照。

<ペリカン>:AMS-32(掃海艇)またはHH-3F(イタリア空軍ヘリ)またはIAR831(練習機)またはL86(イーグレット級スループ)またはMHC-53(機雷掃討艇)またはXJR2F-1(飛行艇)を参照。

ペリカン>:ドイツ海軍実験艇。元は第1次大戦時に建造された掃海艇M28で、1929年に艦首に10.5cm砲を搭載し、艦尾に甲板室を増設するなどの改造を受け、機雷の実験に使用された。1940年にM528と改称し、戦後はアメリカに引き渡された。参考:写真集ドイツの巡洋艦

<ペリカンズ>:VP-45(哨戒飛行隊)を参照。

ヘリキャスティング隊員(陸上自衛隊)>:陸上自衛隊のヘリキャスト隊員。戦闘服の上に戦闘装着帯(弾倉6個、銃剣、救急キットなど)を取り付け、戦闘浮力器材を着込み、海面から5m上でホバリングするヘリから背嚢と戦闘フィンを携行して海に飛び降り、両足に戦闘フィン(先割れ形状で推進力が高い)を装着、背嚢を背負って遊泳または偵察ボート(8人乗り)で上陸、戦闘フィンを脱いで海水排出口付き戦闘靴に履き替え、戦闘に入る。戦闘服のポケットにはフラップとドレーンホール(排水口)を備え、背中には動けなくなった隊員を引っ張る掴み部分が用意されている。武器は89式小銃(折り畳み銃床)で、一部の隊員は60mm迫撃砲(B)を砲身と底板に二分して携行する。参考:MAMOR vol.158

ヘリキャスト>:ホバリング中のヘリコプターから海面に飛び込むこと。参考:月刊軍事研究4,12

ヘリ空挺強襲章(アメリカ陸軍)>:ヘリ空挺強襲課程修了者に授与される。参考:月刊コンバットマガジン7,06

ヘリ空母>:Helicopter Carrier。ヘリコプターだけを運用する空母のこと。対潜ヘリを搭載して対潜護衛空母的な使われ方をするが、VTOL機も同時搭載してスキー・ジャンプ台を設け、むしろVTOL機が主役になっているSTOVL空母が大半であり、最初から純粋なヘリ空母として作られたのはひゅうが型といずも型くらいである。主役の筈のVTOLが性能不足だったり、退役して後継機が決まらなかったりして、結果的に純粋ヘリ空母になったのは、キエフ級やチャクリ・ナルエベト級などがある。モスクワ型、しらね型、はるな型、ジャンヌ・ダルク級、アンドレア・ドリア級といった後甲板だけを広いヘリ甲板にした非全通甲板型をヘリ空母に分類するかは、議論が分かれる。参考:JShips Vol.44、月刊世界の艦船9,1211,15

<ペリグリン>:MC-55A(電子戦機)またはカムコプターS100海外シリーズ(無人ヘリ)を参照。

ペリグリン>:レイセオンが開発中の中射程空対空ミサイル。アメリカ軍にはAIM-260に負けて採用されなかったが、コンパクトさを売りにして引き続き自社開発中である。参考:月刊航空ファン12,19

<ヘリ懸垂器材>:自衛隊の機器。川崎重工製。参考:月刊軍事研究9,16

<ヘリ懸垂器材(UH−60JA用)>:自衛隊の機器。三菱重工製。参考:月刊軍事研究9,12

ヘリコジャイア>:イサッコが1929年に開発した回転翼機。メインローター(2翅)自体にエンジンとプロペラを付けて回転させるようにしたもので、エンジントルクを打ち消す機構を機体に付ける必要が無い。参考:ザ・マーチ40

ヘリコプター>:Helicopter。中国では直昇機という。紀元前からアイディアはあったらしいが、資料が残っているのは1483年のレオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチにあった螺旋翼を持つ飛行体が一番古い。ヘリコプターの語源は、1863年にフランスのホントン・ダメクールが飛行させた蒸気機関駆動二重反転ローター式小型無人機エリコプテール(Helicopetere。ギリシャ語のヘリコhélikos・螺旋とプテロンpterón・翼を足した造語)である。回転翼機の一種で、主翼(ローター)を回転させることにより揚力と推進力を得る。垂直離着陸やホバリングが可能であるが、固定翼機よりもエネルギー効率が悪く、速度が遅い。前進速度が速くなるとメインローターの前進側ブレードが音速に近づいて抵抗が急増する、後進側ブレードの方は前進側ブレードとの揚力バランスを取るため迎え角を大きくする必要があるが、前進速度が速くなるとこの迎え角も過大になってブレードが失速する、前進速度を速くするためにメインローターを前傾させると抗力が増大し、発生推力を超えてしまうといった問題があり、平均時速の世界記録は198681日にリンクス800が記録した時速400.6kmが最高である。ローター上下の気圧差で揚力を発生させるため、気圧の低い高空では飛行性能が低下し、エンジン出力の低下も重なるので、低−中高度あたりが上昇の限界になる。飛行性能の発展はほぼ限界に達しており、一気に打破するためには複合ヘリやティルトローターなどの新技術を要する。有事では混乱した地上交通路を避けて必要な場所へと迅速に部隊を展開するほぼ唯一の手段で、1970年代までの戦術輸送ヘリでも地上軍団の1躍進分(100-150km)、それ以降のヘリなら2躍進分(200-250km)を空中から一気に進撃させることが可能であり、任務や用途の拡大が続いている。操縦装置は操縦桿(サイクリック・ピッチ・レバー)、コレクティブ・ピッチ・レバー、フット・ペダルで、コレクティブ・ピッチ・レバーにはスロットルが付く。サイドバイサイドのコクピットを持つヘリでは機長が右に座り、右手でコレクティブ・ピッチ・レバー、左手で座席左のスイッチ類や正面の計器板を操作する。固定翼機のように左に座らないのは、左手で座席右のスイッチ類を操作することになり煩雑だかららしい。1784年にローノイとベンヴェヌが模型を飛行させたのが記録上最古のヘリ飛行記録である。1907929日、フランスのルイ・ブレゲーとリーケが4つのローターを持つヘリで初の有人飛行に挑戦したが、安定性が不十分で助手4人に支えられて漸く地上1.5mまで浮上したのみで、有人初飛行を行ったのは19071113日にサイドバイサイドローターヘリで浮上したフランスのポール・コルニュとされている。シコルスキーは1910年に二重反転ローターヘリを開発したが、無人飛行はできたものの有人飛行は無理だった。1922年、アメリカのジョージ・ボセザが乗員1人+乗客4人を乗せられるヘリをアメリカ陸軍航空隊に納入している。1923年、スペインのラウル・ペスカラがコレクティブ・ピッチ・コントロール機構とローター軸そのものを傾けて操縦する機構を持つ二重反転ローターヘリを開発し、1924年に飛行距離736m・飛行時間4分11秒・滞空時間10分という当時の世界記録を立てた。1925年頃、オランダのフォン・バウムハーがテイルローターの付いたシングルローターヘリを開発。構造が単純なこのタイプのヘリが一般的となった。1936626日、Fw61が初飛行。1937年、ドイツのアントン・フレットナが交差ローターヘリ(シンクロコプター)を開発。1945年にはタンデムローターのXHRP-1が開発されている。19463月、ベル社のモデル47がヘリとして初めて民間証明を獲得した。1950年代にターボシャフトエンジンが実用化され、レシプロエンジンを駆逐した。1970年代からローター周りに複合材が使用されるようになった。1990年代からアビオニクスやエンジン制御にコンピュータが使われ、ワークロードの軽減や安全性向上に貢献している。軍では当初救難や偵察に使用され、次いで汎用ヘリや輸送ヘリが誕生してヘリボーン戦術が創設され、その護衛を行う戦闘ヘリが生まれた。また、対潜機器の小型化で対潜ヘリが開発された。参考:ザ・マーチ40号、月刊JWings5,181,172,178,06、月刊軍事研究9,0710,077,957,11、航空用語事典増補改訂版、MAMOR vol.98、月刊航空ファン2,18、月刊世界の艦船7,18

<ヘリコプター・アイス・スプレー・システム>:HISSを参照。

<ヘリコプター映像伝送配信装置>:自衛隊の機器。沖電気工業製。参考:月刊軍事研究5,12

ヘリコプター格納庫>:搭載ヘリコプターを格納する格納庫で、ヘリ甲板の前方に設けられることが多い。移送時の揺れや、艦の上下動に際しての降着装置サスペンションの伸び縮み、作業スペースなどを考慮して幅と高さを決めるが、格納庫の外側にヘリ甲板と艦前方を繋ぐ通路を設ける場合があるので、艦の幅よりはその分だけ狭くする必要がある。小型艦の場合、入れ子式にしてスペースを稼ぐ。ロシアが配備する二重反転ローター機では十分な高さが必要なので、床が少し下がるようになっている。塩害を防ぐためにエンジンをちょくちょく外して水洗いするので、整備スペースの確保も重要であり、クレーンを天井に設置することもある。艦の動揺でヘリが動かないよう、係止索で強力に固定される。格納庫上部には進入角指示灯や水平灯、甲板監視用テレビカメラが設置される。離着艦の際には扉を閉めていた方が安全・防御上有利だが、開けていた方が離着艦しやすいので、状況により選択する。参考:月刊世界の艦船4,984,12、月刊JWings2,00

ヘリコプター甲板>:ヘリコプター離着艦に使用される甲板。艦中央部にある方がピッチングの影響を受けにくいので有利だが、スペースが潰される、格納庫が高くなるなどの問題があり、着艦進入のしやすさや格納庫位置を下げる関係で艦尾上甲板(強度甲板)に設置されることが多い。強度甲板以外だと応力に耐えられるようヘリ甲板を強化するか、エキスパンション・ジョイント(伸縮継手)を設けて対応する必要が出てくる。ローターと格納庫とのクリアランス(艦の大型化を防ぐため、安全距離すれすれに設定することが多い)や、海面からの距離を考慮し、ローターが甲板から外にはみ出すぎないようにして長さや乾舷を決定する。幅は概ね船体幅目一杯になる。ヘリコプターの着艦に耐えられる十分な強度も必要で、場合によっては高張力鋼を使用するが、軽量化も重要なので、主要部のみ強化することも多い。甲板上には着艦の目印になる標識が描かれており、タイダウン用の係止環が多数用意されている。離着艦時には舷側の安全網を倒して作業員の転落に備えるが、これにより作業スペースも増大する。周辺のアンテナは倒しておく。右舷寄りにLSO管制室が設けられていることが多いが、これはテイルローターの位置上、ヘリコプターが右舷から着艦してくるためである(左舷側からアプローチすると異常振動が生じ、最悪の場合テイルローターが壊れる)。ヘリコプター格納庫、航空整備室、AT室、搭乗員待機室、魚雷庫、境界灯、フリーランディング灯、前方限界灯、着艦誘導灯、甲板照射灯、移動式作業灯、シグナルガン、RASTやベア・トラップ、甲板監視用テレビカメラなどが配置されている。甲板下には航空動力室やヘリ用燃料庫、弾庫、ソノブイ庫、航空消火器機室、航空用倉庫などがある。参考:月刊世界の艦船4,988,11増刊、月刊JWings2,00

 <ヘリコプター甲板(海上自衛隊)>:2009年にヘリ発着スポットのマーキングが改訂された。参考:月刊世界の艦船2,12

ヘリコプター強襲揚陸艦>:強襲揚陸艦LPHを参照。

ヘリコプター空輸隊>:航空自衛隊のヘリ部隊。航空救難団飛行群の隷下にあり、航空基地や防空監視所(分屯基地)の幹線・端末航空輸送を主任務とし、CH-47J/JAなどの大型輸送ヘリを使用して遠隔地などに人員や資材を輸送する。航空救難団隷下部隊ということで、ヘリにはホイストが装着されているが、ダウンウォッシュが強烈で救助者を負傷させる恐れがあるとして、当初は物資の積み降ろしにのみ使用されていた。2006年に那覇ヘリコプター空輸隊がホイストによる救助を再検証したところ、一定状況下では可能であると判断されたことからボイヤントスリングなどの救助機材を積むようになり、2008年にCH-47Jのレスキューホイストによる人員吊り上げに関する諸元が改定されて陸上での捜索救難活動が可能とされ、東日本大震災で初めてホイストでの救助活動を行っている。飛行支援のため整備小隊に整備員が配置されており、修理などで知識と人手が必要な場合は航空救難団整備群から人員を派遣してもらう。また、那覇ヘリコプター空輸隊以外のヘリの定期整備は小牧基地に機体を送って航空救難団整備群で実施する。入間ヘリコプター空輸隊は教育部隊でもあり、CH-47J/JAへの転換教育や、整備員教育を行う。1988101日、入間ヘリコプター空輸隊が編成された。1989331日、三沢ヘリコプター空輸隊が編成された。1992331日、那覇ヘリコプター空輸隊が編成された。522日、春日ヘリコプター空輸隊が編成された。参考:MAMOR vol.98vol.142、月刊航空ファン2,161,154,173,19、月刊JWings6,16、朝雲

<ヘリコプター訓練飛行隊>:HTを参照。

<ヘリコプター総合防御システム>:HIDASを参照。

ヘリコプター着水脱出訓練装置>:海上自衛隊の訓練装置。SH-60J/Kヘリの胴体前半部を模した実物大模型に乗員を乗せ、模型後部のアームでプールに沈めて脱出訓練を行う。アームで模型を傾斜させることもできるので、リアルな訓練が可能。鹿屋航空基地に19988月に配備され、第1航空群第1整備補給隊が運用しており、自衛隊唯一の装置であるため陸自や空自のヘリ要員も訓練を行い、更に消防、警察、海保のヘリ要員も訓練に参加している。20087月に訓練支援10000名、2018411日に20000名を達成した。参考:MAMOR vol.119、朝雲

ヘリコプター直接衛星通信システム>:三菱電機のヘリコプター用衛星通信システムで、別名ヘリサットシステム。2013328日に初号機が総務省消防庁に納入され、京都市消防局AS365N3あたごに世界で初めて搭載された。従来のヘリコプター用衛星通信システムは、胴体から上に電波を飛ばすとメインローターに阻まれる、ローターマスト上やテイルパイロンに設置するには重量が大きく機構も複雑になるといった欠点があり、まず地上中継局に電波を送り、そこから衛星に電波を飛ばす方式を採用していた。しかし地上中継局の無い離島や、死角となる山間部の谷間などでは使用できず、大規模災害で地上中継局が被害を受けた際にも役に立たなくなるという欠点があり、これを解決すべく開発したのが本システムである。メインローターの回転周期をマグネティック・ピックアップ・センサーで検出し、ローターブレードの隙間から間欠的に衛星へと直接通信電波を送信、ヘリサット制御装置などを追加した衛星通信地上局でリアルタイム連続情報に復元する。ヘリに装備する装置は機内20kg(受信周波数変換装置、変復調装置、映像符号化装置、アンテナ制御装置)、機外35kg(直径0.4mのパラボラアンテナ、アンテナドーム)と軽量で、高解像度動画通信や双方向音声通信、双方向データリンクも行える。使用周波数は送信が14-14.4GHz、受信が12.25-12.75GHz。通信速度は0.384-10Mbps。使用時に10-15分で装着でき、整備は1年に1回で済む。その後、消防庁のAW139、国土交通省のベル412EP、福井県防災航空隊のBK117C-2が搭載している。陸自UH-60JAにも搭載改修を行うらしく、2019年度概算要求で予算が付いた。参考:朝雲、月刊軍事研究6,13、月刊JWings3,1611,18

<ヘリコプター搭載駆逐艦>:DDHを参照。

<ヘリコプター搭載護衛艦>:DDH(海上自衛隊)を参照。

ヘリコプター搭載母艦>:CVHと略す。海上自衛隊が一次防で構想を練った対潜ヘリ空母。警備隊時代の1954年初めにはアメリカ海軍駆逐艦母艦(7000トン)や引揚船興安丸(総トン数7077トン)を対潜ヘリ空母に改造する案を検討しており、ソ連のノヴェンバー型原潜就役を受けて構想が進み、ヘリ6機搭載の6000トン級から18機搭載の11000トン級まで検討されて二次防での事業化も内定したが、政局混迷で国防会議には提出されず、立ち消えになった。参考:月刊世界の艦船9,12

<ヘリコプター誘導装具>:自衛隊の機器。テムコジャパン製。参考:月刊軍事研究8,11

<ヘリコプター揚陸艦>:強襲揚陸艦LPHを参照。

<ヘリコプタけん引装置(22DDH用)>:自衛隊の機器。IHI製。参考:月刊軍事研究8,16

<ヘリコプタ着艦拘束装置>:自衛隊の機器。あきづき型に装備されている。三菱商事が受注している。参考:月刊軍事研究10,11

<ヘリサットシステム>:ヘリコプター直接衛星通信システムを参照。

<ベリス>:M916(掃海艇)を参照。

ペリスコープ>:Periscope、潜望鏡。プリズムや鏡面を利用して光を屈折させ、物陰、壕の中、潜水艦内、車両内部などから外の視界を得る。複数のプリズムを組み合わせれば仰角や倍率を調節することも可能。潜水艦では長い筒に対物レンズと接眼部を取り付け、プリズムや鏡で対物レンズからの光を接眼部まで誘導しており、普段は対物レンズの付いた先端部はセイルの中に引っ込めておき、使用時にリールや油圧で海面上まで持ち上げる。レンズ類が結露しないよう、内部には乾燥窒素ガスを封入しておく。視野の広い捜索用(Search periscope)と、精度の高い攻撃用(Attack periscope)が用意されており、低倍率広視野と高倍率高精度の切り替え機能や対物レンズ俯仰角変更機能も持つ。耐圧船殻貫通部からの漏水を防ぐため、隙間をパッキンで埋めてあり、潜望鏡深度あたりに達して水圧が減少すると昇降や旋回が行えるくらいの締め付けになる。逆探や測距機、赤外線暗視装置などを組み込んだものもあり、光学系を電子光学センサーにしたタイプは電子光学マストと呼ばれる。航跡を引くため発見される可能性があり、極力短時間の使用に止める。とはいえ限られた視野角(広視野でも20度くらい)で全周・俯仰捜索を行わねばならないので、数十秒から数分くらいの時間を要し、その間に対潜哨戒機にキャッチされて潜望鏡の視角外から高速接近され、真上から対潜爆弾を落とされたりする。また、波を受けて折れ曲がる可能性があるので、速力の出し過ぎに注意。水平線までの距離は海面上2mまで潜望鏡を出した場合で5km3m出しても6.2kmしか無い。1名しか見られない、耐圧船殻に孔を開ける必要がある、司令塔や発令所の位置に装備しなければならないといった欠点を克服するため、非貫通式潜望鏡が開発された。車両では被弾時に破片や弾丸が直接目に入らないので安全であり、外部監視用としてハッチや天井などに取り付けられている。参考:月刊世界の艦船2,179,12増刊、11,'15増刊、2,23、兵器メカニズム図鑑、現代の潜水艦、月刊軍事研究9,16

<ヘリックス>:Ka-27シリーズ(ヘリ)を参照。

<ヘリックスB>:Ka-29(ヘリ)を参照。

<ヘリックスC>:Ka-32S(ヘリ)またはKa-32T(ヘリ)を参照。

<ヘリックスD>:Ka-31シリーズ(ヘリ)を参照。

ヘリテイジ・チャイナレイク・スキーム>:チャイナレイク海軍航空基地で使用されていた試験機用塗装。基本色は1970年代の海軍標準塗装であるガルグレイ/ホワイトで、機首、主翼端、垂直尾翼などをオレンジに塗っている。参考:月刊航空ファン5,11

ヘリテイジ・フライト>:アメリカ軍の新旧戦闘機が編隊を組んで飛行すること。大規模なエアショーで戦没者追悼と国威発揚のために行われる。参考:月刊丸2,08付録

ヘリナ>:インド陸軍が開発しているヘリコプター発射型対戦車ミサイル。ナグ車載対戦車ミサイルがベースである。射程7km。誘導は赤外線画像で、撃ちっ放しが可能。ルドラMk4武装ヘリに搭載できる。2018819日、ドゥルブ軽ヘリからの試射に成功し、7km先の戦車標的を破壊した。参考:月刊軍事研究2,19

ヘリパッド>:ヘリコプター発着場。ヘリポートやヘリ甲板に設置されているヘリ発着スペースで、着陸・着艦の際の目印が描かれている。参考:月刊JWings11,18

ペリフォン>:ドイツ軍の水中電話兼用水中探信聴音儀で、太平洋戦争前に日本も輸入した。方位測定能力は高いが、パッシブソナーとして運用すると速力6ノットの潜水艦を2kmまで接近しないと発見できないため、九三式聴音機の補助として伊20潜水艦などに搭載された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

ヘリボーン>:Heliborne Operation。ヘリコプターによるエアボーン(空挺作戦)のこと。戦闘部隊をヘリで敵支配地域もしくは敵の脅威を受ける地域に送り込んだり、これらの地域から戦闘部隊をヘリで撤退させたりする戦術作戦である。まず航空優勢を確保し、敵戦闘機の迎撃に備えて戦場制空部隊を待機させ、降着地点周辺を念入りに偵察、攻撃ヘリや武装ヘリを護衛に付けた強襲用小型・中型汎用ヘリが降着地点を確保し、中型・大型輸送ヘリで車両や砲などを投入、空中火力と共同して前進する。攻撃ヘリと輸送ヘリの割合は、正規軍相手なら1:2、ゲリラ相手なら1:3.5-4.5くらい。小さい降着地を確保すれば離着陸でき、兵員ならラペリング降下やホイスト回収、小型車両や牽引砲なら懸吊を行えば降着地すら不要。移動経路は空中なので、道路などを整備する必要も無く、輸送速度が速い(自動車の10倍といわれる)。搭載される空中機動歩兵は装甲兵員輸送車やトラックからの展開と同様の訓練のみで作戦に投入でき、空挺隊員を育てるのに必要な長期間のパラシュート降下訓練が要らない。空軍による輸送機支援を必要とせず、陸軍や海兵隊などが単独で作戦が実施できるという利点もある。敵は降着地点に火力を集中し、着陸したり、空中でホバリングしたりして脆弱なヘリを壊滅させようとするので、降着地点がばれないよう着陸寸前(通常2分前、早くても5分前)に攻撃ヘリや武装ヘリが降着地周辺に兵装を叩き込み、降着開始後も周辺を旋回しつつ敵を制圧する。当然ながら兵員や貨物の降着とヘリの離脱は速やかに行う。19519月、朝鮮戦争においてアメリカ海兵隊が実施した、S-55ヘリによる占領作戦が最初とされる。1954年からのアルジェリア戦争ではフランス軍が本格的なヘリボーン作戦を実施、神出鬼没の反乱軍に対して車両の移動が困難な山岳・砂漠地帯をものともせず高速で機動し、CH-21ヘリに機関銃、ロケットポッド、対戦車ミサイルを搭載して武装ヘリに仕立て、降着地の制圧を行った。1956年の第2次中東戦争ではイギリス海兵隊がヘリコプターによる上陸作戦を実施。陸上自衛隊は1960年の富士演習場における統合演習で新戦術としてヘリボーンを初公開した。ターボシャフトエンジン搭載のヘリコプターが登場すると、レシプロエンジンの欠点であった低出力と振動の問題が解決され、武装ヘリ及び輸送ヘリの組み合わせによるヘリボーン作戦が一段の進歩を見せ、ベトナム戦争では大量のヘリボーン作戦が実施された。また、攻撃任務専門の攻撃ヘリコプターも誕生した。敵対空火器の射程内に入った場合、低速低空飛行するヘリコプターはほぼ撃墜されてしまうので、特に乗降の場面では周囲に敵が全くいない状況を作っておかないと作戦が失敗する可能性が高い(例・モガディシオ急襲作戦、アナコンダ作戦)。ベトナム戦争では火力に劣るベトコンや北ベトナム軍に対してすら4500機のヘリ損失を出している。ただし攻撃ヘリと武装ヘリで固めることにより、北ベトナム軍相手の損耗は1500出撃に1機、ベトコン相手では15000出撃に1機にまで減少した。悪天候に弱いという欠点もある。ペイロードの制約が大きく、燃料搭載量も制限され、軽装備の部隊を短距離移動させることしかできない。ヘリだけで空挺堡を維持するのは無理で、早期に地上部隊と連絡を付けるか、固定翼輸送機で兵站を維持するか、ヘリでさっさと撤収する。ペイロードの小ささをカバーするため多数機を運用する関係上、各ヘリ部隊の連携が重要で、通信の確保にも気を配る必要がある。小ペイロードを少数機によるピストン輸送でカバーしようとすると、戦力の逐次投入になって壊滅するので注意。参考:現代の空挺作戦、空軍、日本の防衛戦力Part1、月刊軍事研究2,02、月刊JWings10,012,18、月刊丸12,1112,90、陸上自衛隊地上戦力の全容

<ペリム>:K593(フリゲート)を参照。

ペリメーター>:周辺防護柵。柵ごしに周囲の監視が可能で、爆弾を仕掛けても爆風がすり抜けてしまうので、コンクリート壁よりも防御に適する。更に電流を通したり、センサーを設置したり、レイザー・ワイヤーを上に設置したり、内側に車輌突入防止用ブライフェン・ロープを通したりして防御を完璧にする。参考:月刊軍事研究4,97

ペリメートル>:ソ連の自動核報復システム、西側通称「死の手」。核先制攻撃などで国家指導部が消滅したり、指揮通信システムが使えなくなった場合に、指揮通信ロケットを発射してソ連の国土を横断させ、ロケットから報復核攻撃発射命令を発信させるものである。指揮通信ロケットはUR-100U大陸間弾道ミサイルを改造した15A11を使う。ただ固定サイロ発射式だったため、1985年にTEL搭載式の15P656ゴルン(ピオニールUTTKh中距離弾道ミサイルの改造型)を開発した。ただINF全廃条約ですぐ退役している。その後、トーポリを改造したペリメートルRTs指揮通信ロケットを配備した。参考:月刊軍事研究10,15

ベリリウム>:ベリリウム6から同11まで6種類の同位体があるが、天然にはベリリウム9しか存在しない。α線を照射すると中性子を発生するので、核分裂イニシエーターとして使用される。また、熱中性子を吸収しにくいので、リフレクターとしても優れている。核融合で発生した高エネルギー中性子を照射されると、2個の高エネルギー中性子を放出するので、水爆内の中性子流量の増加にも使える。比重1.5と軽く、弾性係数が1平方ミリメートルあたり30000kgもあり、軽くて変形の少ない構造材としても使用できるが、高価で加工が難しく、削り屑に毒性があるという欠点がある。参考:核兵器事典、航空用語事典増補改訂版

<ペリリュー>:LHA-5(揚陸艦)を参照。

ペリリュー島上陸作戦>:アメリカ軍作戦名ステールメイトU。ペリリュー島は太平洋戦争当時日本の委任統治領だったパラオ諸島にあり、南北9km、東西3kmほどの大きさで、湿地やジャングルが多く、中央から北部は高地帯となっている。河川は無いので、飲料水は雨水のみ。日本軍は島の南部に1200m滑走路2本、北のガドブス島にも滑走路1本を設けていた。昭和192月、絶対国防圏防衛のため、日本陸軍は第14師団を満州から引き抜いてパラオ防衛に充てることを決定。大本営でも絶対国防圏の要と判断しており、糧食半年分(目標1年分)を始めとして兵器や資材なども最優先で送り込んだ。424日、第14師団11797名がパラオ諸島に到着。海軍航空隊根拠地のある南西部ペリリュー島にはペリリュー地区隊として歩兵第2連隊基幹の部隊を置き、南西端のアンガウル島にも航空基地があるため歩兵第59連隊第1大隊1200名(砲迫は野砲4門及び中迫撃砲4門のみ)を配置、島の南側を中心に縦深陣地の構築に入った。歩兵第15連隊は師団直轄としてパラオ諸島北部のパラオ本島で待機させ、アメリカ軍が上陸してきたらその方面に増援として海路で送り込むことにした。516日、ペリリューに第14師団戦車隊(九五式軽戦車17両)が到着。524日、歩兵第15連隊第3大隊がペリリューに到着。主陣地を汀線から一歩下げて敵を海上でなく砂浜で撃破する予定とし、陣地構築に入った。5月末、第31軍司令官が視察に訪れたが、この時水際陣地を主体とするよう計画変更を指示した。630日、独立歩兵第346大隊がペリリューに到着。ペリリュー地区隊は陸軍6192名(第14師団歩兵第2連隊隷下の歩兵大隊3個、第14師団戦車隊、歩兵第2連隊砲兵大隊、歩兵第15連隊第3大隊、独立歩兵第346大隊など)、海軍3646名(西カロリン方面航空隊ペリリュー本隊、第45警備隊ペリリュー派遣隊、第214設営隊など)の計9838名となった。アンガウル島には陸軍1個大隊1200名、野砲4門、迫撃砲4門を配置した。77日、アメリカ海軍がマリアナ諸島攻略後のペリリュー島攻略を決定。79日、サイパンが占領され、水際陣地が砲爆撃であっさり壊滅してしまうことが判明したため、陣地を以前の予定通り汀線から一歩下げた位置に戻すことにした。歩兵第15連隊の主力も一時的にペリリュー島に進出し、陣地構築を手伝った。ペリリュー島の全周に渡り海岸防御陣地を構築すると共に、飛行場が敵に使用されるのを極力長期間にわたり妨害するため、飛行場を見渡せる中央高地に砲兵陣地を含む複郭陣地を設けている。島には無数の天然洞窟や採石坑道があったため、これを活用して500ヵ所に上る洞窟陣地を設営、沿岸陣地の要点はコンクリートで固めてアメリカ戦艦の406mm砲による艦砲射撃にも耐えられるようにした。アメリカ軍来襲までに比較的時間があったため、反撃計画に基づいて演習も行い、防戦準備を整えた。828日、アンガウル島から老人及び婦女子がパラオ本島に避難した。91日、グアム島陥落に伴い第31軍司令部の機能が喪失したため、パラオ地区の守備隊は南方軍に編入されて連合艦隊指揮下に入った。アメリカ軍はフィリピン上陸作戦準備としてモロタイ島とウルシー環礁を既に占領しており、引き続きパラオ諸島の攻略を目指していたが、日本軍の防備が厚いパラオ島は飛ばしてペリリュー島を攻撃、飛行場を占領してフィリピン上陸作戦時の拠点の1つとして使うことにした。96日、パラオに対してアメリカ第38任務部隊が艦上機による空襲を実施。910日、アメリカ軍が空襲に加えて艦砲射撃を開始。912日、アメリカ海軍は戦艦5隻、重巡4隻、軽巡4隻、駆逐艦14隻で上陸準備砲撃を開始。913日、UDTが上陸予定地点の海中障害物除去を開始。これをみてペリリュー地区隊は上陸地点が飛行場西になると判断し、914日夜に東地区隊を反撃予備として中央高地に移した。9150615、アメリカ第1海兵師団42000名(28400名?)が300隻の上陸用舟艇に分乗してペリリュー島南西海岸に向け出発。0750に艦上機50機が上陸点に爆撃を行い、0800に上陸支援艇がロケット弾をばらまき、第1海兵師団上陸第一波5個大隊が上陸地点に向け突撃を開始した。上陸予定地点は北からホワイト1-2、オレンジ1-3の5区に分けられ、それぞれ1個海兵大隊が割り当てられていたが、ペリリュー地区隊の洞窟陣地も各上陸区を側射できる位置に1個ずつ設けられており(北からイシマツ、イワマツ、クロマツ、アヤメ、レンゲ)、事前砲爆撃で破壊できたのはイワマツの速射砲1門だけで、猛烈な上陸阻止射撃を受けて60隻以上の上陸用舟艇と3両のM4戦車、26両のLVTを失い、1000名以上が死傷、第1海兵連隊K中隊は部隊の半数が損耗し、第1海兵連隊の通信部隊も壊滅したため、守備隊の間隙にあたる別の場所から再度上陸を開始。これに対してペリリュー地区隊は掩体から出て近接戦闘を仕掛け、双方に多数の損害を出した。第1海兵連隊は少数の兵員をイシマツ陣地の後方に回り込ませて陣地を制圧することにした。本来ならイシマツ陣地には側後方を守る中間陣地を設けている筈だったが、砲爆撃に阻まれて設置に失敗し、そのまま回り込まれて制圧されてしまった。それでも第1海兵連隊は海岸堡の確保はできず、海岸に留まって戦闘を継続した。最も南側に上陸した第7海兵連隊は海岸堡を確保したが、内陸に一歩踏み込んだところで後方陣地に阻まれて前進を阻止された。第5海兵連隊はオレンジ2海岸を突破して飛行場南側を占領したが、単独で突出する形になり、海岸部の混乱で弾薬と水が不足、午後には前進できなくなった。1630、第1号反撃作戦として第14師団戦車隊(九五式軽戦車17両装備)が歩兵第2連隊第1大隊及び同第3大隊第7中隊計600名を伴い飛行場を縦断して反撃に向かい、第5海兵連隊突出部の付け根目掛けて突入した。しかし1515にはアメリカの偵察機が反撃部隊の行動をキャッチしており、正面の第5海兵連隊第1大隊は37mm対戦車砲4門、バズーカ砲、75mmパックハウザー、機関銃の十字砲火を浴びせ、両翼からも第5海兵連隊第3大隊と第1海兵連隊第2大隊が阻止砲火を浴びせかけて九五式軽戦車13両を撃破。反撃部隊は壊滅して作戦は失敗した。M4中戦車は徹甲弾を九五式軽戦車に撃ち込んだが、全て突き抜けてしまい効果が薄かったため、榴弾で粉砕している。916日夜、日本軍ペリリュー島守備隊北地区隊は海岸陣地から後退し、ペリリュー島中央の高地洞窟地帯に立て籠もった。917日、アメリカ陸軍第81歩兵師団21000名(8000名?)がアンガウル島に上陸。第321連隊が東港、第322連隊が東北港に上陸し、第323連隊は南西部に陽動をかけた(上陸はせず)。アンガウル島守備隊は夜襲を行ったが、戦車部隊の反撃にあって壊滅した。918日、日本軍のペリリュー島守備隊南地区隊が玉砕。919日、ペリリュー島中央飛行場にアメリカ戦闘機が着陸。アンガウル島中央のサイパン村がアメリカ軍に占領された。日本軍守備隊は無謀な突撃はせず、1人1殺を旨として頑強な抵抗を行ったため、922日にはアメリカ海兵隊の死傷者は3946名を数えた。922日夜から24日夜までに日本陸軍歩兵第15連隊第2大隊がペリリュー島北部に逆上陸を行い、北部の高地に築かれた洞窟陣地で抵抗を開始した。923日、アメリカ海兵第1連隊の損耗が54%に達し、陸軍第81歩兵師団第321歩兵連隊と交替した。924日、アメリカ夜間戦闘機が飛行場で稼働状態になった。102日頃、ペリリュー島北部の守備隊が玉砕。104日、第7海兵連隊が損耗により後退。1019日、アンガウル島守備隊は残存130名で夜襲をかけ、玉砕した。日本側の生存者は意識不明で捕虜になった59名(+投降した民間人186人)のみで、アメリカ側の戦死者は260名、戦傷者は1354名だった。1026日、第5海兵連隊も損耗して戦闘を継続できなくなったアメリカ第1海兵師団が、アンガウル島攻略を終えた陸軍第81歩兵師団と交替を完了。1112日、ペリリュー島守備隊の残存兵が300名を切った。11220740、ペリリュー島守備隊長はパラオ集団長あてに訣別電報を発し、軍旗と機密書類を処分した時にはサクラと連送する旨を伝えた。11241030、ペリリュー守備隊より、現有兵力50名、重軽傷者70名、兵器は小銃のみ、保有弾20発との報告が届いた。1600、ペリリュー守備隊は無線でサクラを連送し、ペリリュー島守備隊長が自決。残存兵は遊撃戦闘に移行し、アメリカ軍は1127日に掃討戦の完了を報告したが、最後の水戸第2連隊下士官・兵34名が澄川道男海軍少将の降伏勧告に応じて出てきたのは昭和22422日のことである。日本側の損耗は軍属含め10400名、アメリカ側は8800名。アメリカ陸軍の方でフィリピンへの足がかりとなるモロタイ島への上陸をペリリューと同じ日の昭和191015日、フィリピンのスルアン島への上陸を1017日、レイテ島への上陸を1020日に開始しており、その前に完全制圧してフィリピン上陸作戦の航空支援拠点とするアメリカ海軍の目論見は外れた。参考:激闘太平洋戦記、歴史群像10,10、激闘!太平洋戦争地上戦、比島決戦、戦場写真で見る日本軍実戦兵器、日本戦車隊戦史、アメリカ揚陸艦史、月刊航空ファン4,17、日本海軍艦隊総覧

ベリル核実験>:フランスが1962年に実施した地下核実験。80キロトン級の核爆弾をテストしたが、シャフトの密閉が不完全だったために放射性物質が地表に噴き出してしまい、見学していた政府高官や実験を行っていた兵員・作業員らが最大600mSvを被曝した。参考:月刊世界の艦船12,11

<ヘリング>:SS-233(潜水艦)を参照。

ペリンダバ条約>:アフリカ非核兵器地帯条約。1996411日に署名されたが、未発効。アフリカ大陸、アフリカ統一機構、アフリカ統一機構加盟島嶼国によりその決議に於いてアフリカの一部と考えられた全ての島の領域を対象に、核爆発装置の放棄、配置防止、実験禁止、放射性廃棄物投棄の禁止、核施設に対する武力攻撃の禁止などを謳っている。有効期間は無期限。アフリカ非核兵器地帯内の28番目の加盟国が現れた時点で発効する。参考:軍縮条約・資料集

<ベル>:DD-587(駆逐艦)または九〇式二号飛行艇を参照。

ヘル>:日本海軍士官のスラングで、スケベのこと。助平の助を英訳(Help)して略したものである。参考:帝国陸海軍事典

ベル47シリーズ>:ベル社のヘリコプター。19451218日に初飛行し、軍民問わず世界各国で使用された。参考:丸スペシャルNo.78

<ベル47海外シリーズ>

 <ベル47D−1(海上自衛隊)>:保安庁警備隊・海上自衛隊初等練習ヘリ。1953年に4機を輸入、その後川崎航空機で国産化した3機を導入した。参考:丸スペシャルNo.78

 <ベル47G−2(ビルマ空軍)>:ビルマ空軍初のヘリコプターで、川崎航空機から1956年に6機、1958年に7機を輸入した。参考:月刊航空ファン12,16

ベル47G−2A(海上自衛隊)>:愛称は、ひばり。海上自衛隊の初級練習ヘリで、川崎重工がライセンス生産し、1965-70年度に6機が就役した。うち1機は砕氷艦ふじに搭載され、氷状観測に使用されている。操縦席は並列複座で、大型のバブル状風防で覆われており、操縦席後方にエンジンがある。後部胴体は鋼管フレームが剥き出しになっていて外板は無く、尾部にテイルローターと背びれが取り付けられている。降着装置はスキッド式で、補助車輪を取り付けて移動させることができる。全長13.17m、胴体長9m9.93m?)、メインローター直径11.32m、胴体幅2.90m、全高2.83m、自重848kg740kg?)、全備重量1298kg。エンジンはライカミングVO-435-A1E水平対向6気筒レシプロ(240馬力)単発で、ローターは全金属製2翅、最大速度91ノット、実用上昇限度3658m3960m?)、燃料搭載量163リットル、航続距離162海里。乗員4名。ふじ搭載型はヒーターを強化、特殊コンパスを装備するなど極地仕様になっている。1994年までに全機退役した。参考:丸スペシャルNo.78、月刊世界の艦船1,951,79増刊、5,02増刊、月刊JWings5,18、自衛隊装備カタログ1981

ベル47G−3B−1(インドネシア空軍)>:インドネシア空軍練習ヘリ。元は1978年にオーストラリア陸軍から12機が移管されたベル47Gヘリで、エンジンをソロイ社のキットによりアリソン250-C20Bターボシャフトに換装したものである。第7飛行隊に配備され、空軍のみならず陸海軍や警察のパイロット養成に使用された。参考:月刊航空ファン2,19

ベル204シリーズ>:ベル社が開発したシングルローター・ヘリコプターで、UH-1シリーズ前期型の社内名称である。195610月に初飛行した。参考:月刊JWings2,18

ベル204>:UH-1Aのベル社名称。参考:空軍

ベル204B>:UH-1B/C/ガンシップ型の民間型で、19634月にFAAの形式証明を取得した。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊JWings2,18

<ベル204海外シリーズ>

 <AB204>:アグスタ社でライセンス生産したもの。参考:月刊航空ファン12,17

 <AB204B>:

 <Hkp−3>:スウェーデン軍が導入したAB204ヘリ。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ベル205シリーズ>:ベル社が開発したシングルローター・ヘリコプターで、UH-1シリーズ後期型の社内名称である。参考:月刊JWings2,18

ベル205>:UH-1Dの民間型。ベル204の胴体を大型化し、ローター直径を拡大した。参考:空軍、月刊軍事研究9,15

ベル205A−1>:UH-1Hの民間型。ベル205のエンジンを強化して運用重量を増大し、客席数15とした。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊世界の艦船5,17

ベル205B−1>:UH-1Jのベル社名称。参考:月刊JWings1,16

<ベル205海外シリーズ>

 <AB205A>:

 <H−1H>:ブラジル空軍汎用ヘリ。ベル205を導入したものである。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <HU−10B>:スペイン陸軍ヘリコプター。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <ベル205A−1(ビルマ空軍)>:ビルマ空軍ヘリコプター。国際麻薬統制計画に基づき、1975年にアメリカから18機が供与された。武装勢力掃討にも使用されたが、1984年に1機が撃墜された。参考:月刊航空ファン12,16

ベル206シリーズ>:ベル社のヘリコプター、別名ジェット・レンジャー(Jet Ranger)。OH-58シリーズの原型機を再設計した民間型で、1966110日に初飛行し、10月にFAAの形式証明を取得、19671月から量産機が引き渡された。参考:世界航空機年鑑2018-2019、アメリカ空軍の第一線機、月刊航空ファン9,17

 <ベル206A>:胴体はセミモノコック構造で、前から並列複座コクピット、キャビン(前列2席・後席3席)、燃料タンク・手荷物室(載貨重量113kg)と並び、上に動力系が載っている。メインローターは金属製シーソー式2翅。テイルブーム半ばに水平安定板、尾部に垂直安定板があり、テイルローターは2翅でテイルブーム尾部左舷側に付く。降着装置はスキッド式。エンジンはアリソン250-C18317軸馬力)単発。参考:世界航空機年鑑2018-2019

 <ベル206B>:別名ジェット・レンジャーU(Jet Ranger U)。エンジンをアリソン250-C20400軸馬力)に強化したもので、19714月に形式証明を取得した。参考:世界航空機年鑑2018-2019THE MILITARY BALANCE 2016

 <ベル206B−3>:別名ジェット・レンジャーV(Jet Ranger V)。エンジンをアリソン250-C20J420軸馬力)に強化したものである。2010年に生産を終了した。参考:世界航空機年鑑2018-2019THE MILITARY BALANCE 2016

 <ベル206L>:別名ロング・レンジャー(Long Ranger)。キャビンを0.63m延長して座席を2席増やし、メインローターを拡大、トランスミッションを強化し、ノダマティック防振架台によりキャビンの振動を抑えた。エンジンはアリソン250C28B450軸馬力)。19759月に形式証明を取得した。参考:世界航空機年鑑2018-2019

 <ベル206L−3>:別名ロング・レンジャー(Long Ranger)。エンジンをアリソン250-C30P650軸馬力)に換装したもので、1981年末に登場した。参考:世界航空機年鑑2018-2019THE MILITARY BALANCE 2016

 <ベル206L−4>:別名ロング・レンジャー(Long Ranger)。トランスミッション容量を490軸馬力に強化したもので、耐久性も向上させている。199210月に形式証明を取得した。全長12.92m、メインローター直径11.28m、全高3.32m(垂直安定板先端まで)、空虚重量1.092トン、全備重量2.018トン。エンジンはロールスロイス製250-C30P726軸馬力)単発、最大巡航速度226km、実用上昇限度3048m、ホバリング高度限界3048m(地面効果内)/1981m(外)、航続距離708km、航続時間4.5時間。有効搭載量0.926トン、機外スリング容量0.907トン。乗員1-2名。客席数5(標準)。参考:世界航空機年鑑2018-2019THE MILITARY BALANCE 2016

<ベル206海外シリーズ>

 <AB206A>:

 <CH−139>:カナダ航空コマンド汎用ヘリ、別名ジェットレンジャー。ベル206Bヘリコプターを導入したものである。参考:月刊JWings5,07

 <IH−6B>:ブラジル海軍軽輸送ヘリ。ベル206B3を導入したものである。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <ベル206A(スリランカ空軍)>:スリランカ空軍ヘリコプター。1964-80年代に10機を導入し、練習ヘリ、輸送ヘリ、ヘリツアーズ用商業飛行、武装ヘリなどとして使用した。参考:月刊航空ファン9,17

 <ベル206B(ビルマ空軍)>:ビルマ空軍ヘリコプター。国際麻薬統制計画に基づき、1978年に7機が供与された。参考:月刊航空ファン12,16

<ベル206海外ファミリー>

 <ベル式206B型>:海上保安庁多用途ヘリ、略称ベル206型。海難救助、監視、事故現場偵察、連絡などのため導入し、その後訓練ヘリとして使われるようになった。ホイストを追加することができる。全長11.8m、ローター直径10.2m、全高3.9m、自重0.911トン、最大離陸重量1.452トン。エンジンはターボシャフト(420馬力)単発、巡航速度113ノット、最大速度130ノット、実用航続距離329海里。最大搭乗者数5名。1991-96年に3機が就役した。参考:月刊世界の艦船7,18

ベル212>:ベル社のヘリコプター。UH-1Nの民間型で、ベル205PT6ツインパックを搭載して双発化し、トランスミッション容量を強化したものである。19701030日にFAAの形式証明を取得した。胴体はセミモノコック構造、コクピットはサイドバイサイド、キャビンドアは後方スライド式。機首を前に延ばしてアビオニクス容量を増やし、空力性能も改善している。メインローターは金属製セミリジッド式2翅で、高速性能強化のためベル205より翼弦を広げて先端を薄くした。降着装置はスキッド式。全長17.46m、メインローター直径14.63m、全高4.48m、自重2.882トン、総重量5.08トン。エンジンはプラット&ホイットニー・カナダ製PT6T-3900軸馬力)双発、トランスミッション容量1290軸馬力、巡航速度185km、実用上昇限度3960m、海面上昇率毎分402m、ホバリング高度限界1450m(地面効果内)、燃料容量830リットル、航続距離457km。乗員1-2名+乗客13-14名。参考:世界航空機年鑑2018-2019、空軍、月刊JWings1,16、月刊軍事研究9,15

<ベル212海外シリーズ>

 <AB212>:イタリアのアグスタでライセンス生産したもの。UH-1N相当で、軍用型はコクピット上面に円筒形大型レドームを持つ。オーストリア陸軍航空隊が23機を配備した。イタリア、ギリシャ、ペルー、トルコ、ベネズエラ、スペインでは艦載対潜ヘリとしても使用されており、乗員3名を乗せ、魚雷2本や対艦ミサイル2発を搭載できる。全長12.9m、メインローター直径17.4m、総重量5.08トン。エンジンは双発、最大速度130ノット、航続距離584km667km?)。参考:月刊PANZER9,04、月刊エアワールド10,03、月刊丸3,90、月刊世界の艦船7,20

 <HU.18>:スペイン陸軍ヘリコプター。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <ベル212(ビルマ空軍)>:ビルマ空軍ヘリコプター。国際麻薬統制計画に基づき、1986年に1機が供与された。参考:月刊航空ファン12,16

 <ベル212ASW(タイ海軍)>:タイ海軍ヘリ。1978年から8機を導入した。参考:月刊航空ファン4,18

 <ベル212型>:海上保安庁中型回転翼航空機。1978年から(1973-89年?)38機を導入した。当初は計器飛行時の安定性確保のため操縦席上面にIFRフィンと呼ばれる大型安定板を装着していたが、後に外している。20151222日に退役した。参考:月刊世界の艦船7,18、世界航空機年鑑2018-2019

<ベル212海外ファミリー>

AB212ASW>:イタリアのアグスタが開発した対潜型AB212。前方キャビン上にAPS-705捜索レーダーを持ち、AQS-13ディッピングソナー、FLIRFCSを追加、Mk46短魚雷などを運用できるようにしてある。乗員は操縦士、副操縦士、センサー手など機上員1-2名。イタリア海軍、イラン海軍、ギリシャ海軍、スペイン海軍、トルコ海軍、ベネズエラ海軍、ペルー海軍などで艦載ヘリとして採用された。参考:月刊JWings3,13、月刊世界の艦船4,12

 <AB212ASW(イタリア海軍)>:イタリア海軍が運用している対潜哨戒ヘリ型。コクピット上部に円筒型の大型捜索レーダーを持ち、機内にディッピング・ソナーを収容する。AS12空対地ミサイルを装備可能。全長14.02m、メインローター直径14.49m、全高4.53m。最大速度240km。乗員4名。参考:月刊JWings5,14

 <HH−212>:イタリア空軍捜索救難ヘリ。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベル214シリーズ>:ベル社のヘリコプター。参考:世界の軍用機1979

 <ベル214A>:イラン政府が1972年に287機を発注したタイプで、エンジンをLTC4B-8D2930馬力)1基に換装してある。参考:世界の軍用機1979

 <ベル214ST>:STは当初Stretched Twinの略だったが、後にSuper Transportの略に変わった。イラン政府の依頼で開発して19772月に原型機が初飛行し、1978年にはイランとの共同生産が決定したが、1979年のイラン・イスラム革命で契約が破棄され、ベル社が独自開発を続けて完成させ、1982年に形式証明を取得した。ベースはベル214Bで、キャビンを0.76m延長して幅も広げ、エンジンを双発にし、人員18人または担架6床+看護員2人を乗せられるようにした。メインローターは2翅で、直径を0.6m拡大し、素材も前縁をスチールでカバーしたグラスファイバーに変更している。1時間のドライラン能力を持つ。自動操縦装置を標準装備する。降着装置はスキッド式と尾輪式から選択可能。全長18.95m、胴体長15.27m、メインローター直径15.85m、全高4.85m、自重4360kg、総重量7938kg。エンジンはGECT7-2A1625軸馬力、片発時緊急出力1725軸馬力。T7002250馬力?)双発、トランスミッション吸収出力2350軸馬力、巡航速度261km、最大速度300km、最良上昇率毎分543m、ホバリング高度限界1950m(地面降下内。地面効果外3000m?)、燃料搭載量1647リットル、航続距離800km645km?)。乗員2名。客席数18。湾岸戦争当時、イラク軍に45機が配備されていた。参考:世界航空機年鑑2018-2019、世界の軍用機1979、月刊グランドパワー3,95

ベル222シリーズ>:ベル社のシングルローターヘリ。19744月にD306の名称でモックアップを公表し、その後ベル222に改称した。原型機は1976813日に初飛行し、1980年代末までに各型計180機が量産された。参考:世界航空機年鑑2018-2019

 <ベル222A>:最初の量産型。安全性確保のため双発としており、計器飛行装備を搭載して全天候能力を持つ。屋上ヘリポート着陸時の視界を考慮して機首両側面下部に窓を設置している。キャビン容積3.51立方メートル、貨物室容積1.3立方メートル。メインローターは2翅。降着装置は前輪式引込脚で、主脚は胴体後下部両側面の補助燃料タンク兼用スポンソンに引き込まれる。エンジンはライカミング製LTS-101650軸馬力)双発。参考:世界航空機年鑑2018-2019

 <ベル222B>:エンジン出力強化型。参考:世界航空機年鑑2018-2019

 <ベル222U>:降着装置をスキッド式にして軽量化したもの。参考:世界航空機年鑑2018-2019

ベル230>:ベル社のシングルローター・ヘリコプター。ベル222のエンジン強化型で、1991812日に初飛行し、19923月に補足形式証明を取得した。胴体長12.87m、メインローター直径12.8m、全高3.39m、自重2.312トン、総重量3.61トン。エンジンはロールスロイス製250-C30G700軸馬力)双発、最大巡航速度261km、最大速度278km、実用上昇限度4725m、海面上昇率毎分445m、ホバリング高度限界3780m(地面効果内)/2225m(外)、航続距離558km。乗員1-2名。客席数8-9。参考:世界航空機年鑑2018-2019

ベル360>:ベル・ヘリコプターズがアメリカ陸軍FARA向けに提案したヘリコプター、別名インビクタス(Invictus)。ベル525がベースで、主翼や追加動力源を設け、操縦装置をフライ・バイ・ワイヤにする。最大速度185ノット。武装は20mm機関砲と統合兵装発射機。参考:月刊航空ファン12,19

<ベル406>:OH-58D(ヘリ)を参照。

ベル407シリーズ>:ベル社のヘリコプター。1994421日に原型機、1995629日に試作初号機が初飛行し、199629日にカナダとFAAの形式証明を取得した。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊航空ファン11,16

ベル407>:ベル206L-4ロングレンジャーがベースで、機体に複合材を多用し、キャビン幅を0.178m広げて窓も大型化した。キャビンドアは2段開きで、1段なら幅1.55m、2段全開なら2.46m開き、担架も楽に乗る。メインローターはOH-58Dから流用した複合材製4翅で、グラスファイバー製ヨークが水平・垂直方向の動きを支え、エラストメリック・ベアリングがピッチ角変更を担う。計器板には液晶ディスプレイを付けた。テイルローターは新型の複合材製2翅で、テイルブーム後端左舷側に付く。全長12.61m、メインローター直径10.66m、全高3.3m、自重1.214トン、最大離陸重量2.268トン(機内搭載)/2.722トン(機外スリング)/2.381トン(増加キット装着時)。エンジンはアリソン製250-C47Bターボシャフト(FADEC付。813軸馬力、最大連続出力704軸馬力)単発、トランスミッション吸収出力674軸馬力、巡航速度246km、最大速度259km、実用上昇限度5364m、ホバリング高度限界3660m(地面効果内)/3185m(外)、燃料搭載量484リットル、航続距離612km。カーゴフック容量1.2トン。乗員1-2名。客席数5-6。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊航空ファン11,16

 <ベル407GX>:アビオニクスをG1000Hに換装したもの。2011年に型式証明を取得した。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊航空ファン1,19

 <ベル407GXP>:ベル407GXの救急装備型。2015年に発表された。参考:世界航空機年鑑2018-2019

ベル407GXi>:2018年に形式証明を取得し、同年から引き渡された。エンジンはロールス・ロイス社製M250-C47E/4。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊航空情報5,18

<ベル407ファミリー>

 <ベル407AH>:ベル407GXの武装型。2011年に発表された。参考:世界航空機年鑑2018-2019

 <ベル407MRH>:ベル407GXの汎用型。ドライブシャフトカバーを炭素繊維製にするなどして軽量化しており、発展型軽量兵装プラットフォームALWipAdvanced Lightweight Weapons Platform)という名称のスタブウイングを装着してM134ミニガン、12.7mmガトリング砲GAU-19/AM260ロケットランチャー、AGM-114対戦車ミサイルなどを搭載できる。2021224日にUAE軍が調達契約を結んだ。参考:月刊JWings5,21

<ベル407海外ファミリー>

 <ベル407GX武装ヘリ(イラク)>:イラク軍武装ヘリ。L-3ウェスカム社製MX-15Diセンサーターレットを装備し、7.62mm機銃M24012.7mm機銃M3P12.7mm機銃GAU-1970mmロケット弾ポッドM260APKWS対応)を運用する。AN/AAR-60ミサイル警報、AN/ALE-47チャフ/フレアディスペンサー、RF-7850A秘話通信機も積む。5機をFMSで導入する。参考:月刊航空ファン1,'19

ベル412シリーズ>:ベル社の双発シングルローター・ヘリコプター、別名Twin Huey。ベル212のメインローターブレードを4翅にしたもので、1978年に開発計画を公表し、197983日に試作機が初飛行した。20122月以降の新造機はファストフィン・システムを標準装備している。参考:月刊JWings1,16、世界航空機年鑑2018-2019THE MILITARY BALANCE 2016

ベル412>:ベル212の改良型で、メインローターを4翅とし、トランスミッションを強化している。テイルローターは2翅のまま。エンジンはPT6T-3Bツインパック。19811月に民間型式証明を取得した。参考:月刊JWings1,16、月刊世界の艦船7,16

ベル412SP>:SPSpecial Performance(特別性能型)の略。ベル412の離陸重量を増やしたものである。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊JWings1,16

ベル412HP>:ベル412のエンジンをPT6T-3BG/-3Dに換装し、トランスミッションを改良、ホバリング性能を向上させたもの。1991年に登場した。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊JWings1,16

ベル412EP>:EPEnhanced Performance(能力強化型)の略。1994年に形式証明を取得した。エンジンをPT6T-3Dツインパックに強化し、電子飛行計器装置(EFIS)を搭載、操縦装置をデジタル二重とした。全長15.88m17.13m?)、メインローター直径14.02m、全高4.55m2.58m(垂直安定板端まで)、空虚重量2.159トン、全備空虚重量3.146-3.16トン、最大離陸重量5.398トン。エンジンはプラット&ホイットニー・カナダ社製PT6T-3Dツインパック(1342kW900軸馬力)双発、最大巡航速度232km、最大速度259km、実用上昇限度4919m6096m?)、ホバリング高度限界1585m(地面効果外)/3109m(内)、燃料搭載量1251リットル、航続距離767km745km?)、航続時間3時間。最大ペイロード2.238-2.286トン、最大吊り下げペイロード2.041トン。乗員1-2名。客席数132003年からエンジン用整備ドアを複合材製とし、降着装置を軽量化、自重を減らしてペイロードを0.09トン増やした。2010年からエンジン出力を15%増やし、テイルローター推力を強化して飛行能力やホバリング能力を高めている。20122月からファストフィン・システムを標準装備した。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊JWings1,16、月刊世界の艦船7,16

ベル412EPI>:ベル412EPの改良型で、2013年に実用化された。エンジンをFADEC搭載のPT6T-9に換装し、電子飛行計器装置を液晶タッチスクリーン式として完全統合グラスコクピット化している。テイルブームとテイルローターはファストフィン・システム仕様で、ペイロードが0.29トン増えた。全長17.1m、メインローター直径14.2m、全高4.66m、最大総重量5.398トン。エンジンはプラット&ホイットニー社製PT6T-9ツインパック(1100軸馬力)で、巡航速度226km、実用上昇限度5017m、航続時間3.8時間。乗員2名。客席数132017年、最大総重量が5.53トンに増えた。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊JWings10,'155,16、月刊軍事研究9,15

ベル412EPX>:SUBARU BELL 412EPX。陸上自衛隊UH-X/UH-2のベース機体となる民間型で、SUBARUと事業協力を行う。トランスミッションを強化して飛行速度60ノット以下でのマスト・トルク出力を11%向上し、30分間のドライラン(潤滑油無しでの飛行)能力も持たせた。最大全備重量5.5トン。201875日にアメリカ連邦航空局、2019118日に国土交通省航空局の型式証明変更承認を取得した。量産初号機は警察庁向けで、ベル社からのノックダウン生産機であり、2021217日に初飛行した。3月に納入されて岩手県警航空隊に「ぎんが」という愛称で配備予定。2022621日、海上保安庁から受注したとSUBARUが発表した。2025年に納入予定。参考:月刊航空ファン10,185,199,19、月刊軍事研究9,18、月刊JWings5,195,21、月刊世界の艦船9,22

<ベル412海外シリーズ>

 <AB412EP>:

 <CH−146>:CH-146を参照。

 <NB−412>:インドネシアのヌルタニオが生産したベル412。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <ベル412CF>:CH-146を参照。

<ベル412海外ファミリー>

 <グリフィンHT1>:グリフィンHT1を参照。

 <グリフィンHAR2>:グリフィンHAR2を参照。

 <ベル412EPX(グアテマラ空軍)>:グアテマラ空軍汎用ヘリ。アメリカ陸軍が不定期納入・数量不定契約(装備品供与計画)で2機を購入し、20221219日に供与した。参考:月刊JWings3,23

 <ベル式412型>:海上保安庁中型回転翼航空機、公式略称ベル412型。メインローターブレードを手動で2枚ずつ前後に折り畳むことができ、艦載ヘリとして使用されている。1993年から3機が就役した。1機が事故で失われている。202111月、退役済の1機を防衛省に移管した。UH-2の整備教材にするらしい。参考:月刊世界の艦船10,'207,18、月刊JWings4,22

 <ベル式412EP型>:海上保安庁中型回転翼航空機、公式略称ベル412型。メインローターブレードを手動で2枚ずつ前後に折り畳むことができ、艦載ヘリとして使用されている。全長17.1m、ローター直径14m、全高4.9m、自重3.639トン、最大離陸重量5.398トン。エンジンはターボシャフト(900馬力)双発、巡航速度126ノット、最大速度140ノット、実用航続距離497海里。最大搭乗者数15名。1997年から5機が就役した。1998年度計画(2000年就役)以降の導入機は暗視装置や防弾能力を強化している。事故で1機、東日本大震災で1機を喪失した。参考:月刊世界の艦船10,'207,18

ベル427>:ベル社のシングルローター・ヘリ。ベル407の双発化改良型で、19971211日に初飛行し、199912月にカナダ運輸省、2000124日にFAAの形式証明を取得した。胴体を0.33m延長して幅を広げ、機体構造に複合材を使用して天井のビームを省き、キャビン容積を拡大している。ローターハブは複合材製フレックスビーム・ヨークとエラストメリック・ジョイントを組み合わせて潤滑不要にした。メインローターはOH-58Dと同じ複合材製ベアリングレス4翅で、ベル407より直径が0.6m大きい。トランスミッションは新設計で、ギアを7個に減らした。テイルローターはベル407と同じ複合材製である。全長13.07m、メインローター直径11.28m、自重1.581トン、総重量2.835トン。エンジンはプラット&ホイットニー・カナダ社製PW207ターボシャフト(640軸馬力)双発、トランスミッション容量800軸馬力、巡航速度241km、最大速度250km、ホバリング高度限界4938m(地面効果内)/4237m(外)、燃料搭載量719リットル、航続距離663km。乗員1-2名。客席数6-7。ベル429に後を譲って2010年に生産を終了した。参考:世界航空機年鑑2018-2019

<ベル427ファミリー>

 <SB427M>:韓国のサムスン航空産業が開発した武装ヘリ型で、サムスン・ベル427ミリタリーの略。機首下部とコクピット上にワイヤーカッターを取り付け、マスト・マウンテッド・サイトを装着、胴体後部側面にスタブウイングを設け、対戦車ミサイルやロケット弾ポッドを搭載する。1997年にディスプレイモデルが完成したが、どこにも採用されなかった。参考:月刊航空ファン10,19

<ベル427i>:ベル429(ヘリ)を参照。

ベル429>:ベル社の双発シングルローター・ヘリコプター、別名グローバル・レンジャー。ベル427IFR仕様にしたベル427iとして200411月から開発され、全面的に改設計したためベル429に改称して2007227日に初飛行、20096月にカナダとFAAの、2010922日に国土交通省形式証明を取得した。キャビンはコクピットから貨物室までフルフラットで、両側にスライドドア、後面にクラムシェルドアがある。メインローターは新設計4翅。テイルローターは2翅を2つ重ねて4翅にしてあり、テイルブーム後端左舷側に付く。MSG-3Maintenance Steering Group-3)航空機整備管理プログラムを適用して整備マンアワーと運航コストを低減した。全長13.11m、メインローター直径10.84m、全高4.04m、空虚重量2.021トン、全備重量3.175トン。エンジンはプラット&ホイットニー・カナダ社製PW207D1ターボシャフト(719軸馬力)双発、巡航速度278km、最大速度287km、実用上昇限度6098m、ホバリング高度限界4307m(地面効果内)/3439m(外)、航続距離761km、航続時間4.5時間。有効搭載量1.154トン(機内)/1.361トン(機外)。乗員1-2名。客席数6-7(旅客輸送)/4(VIP仕様)/担架1床+医療者3名/担架2床+医療者2名。2013年、降着装置をスキッド式から引き込み脚に変更したタイプが発表された。2017年、アメリカ、カナダ、日本で全備重量が3.629トンに引き上げられた。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊軍事研究9,15

<ベル430>:ベル社のシングルローター・ヘリコプター。ベル230の改良型で、19941025日に原型機が初飛行し、1996223日に形式証明を取得した。量産2号機は1996年に世界一周17日6時間14分のヘリ世界記録を出している。胴体はアルミニウム合金製で、ベル230より0.45m延長し、客席を余裕のある3列配置にした。メインローターはヒンジレス4翅、ローターヘッドはベアリングレス。コクピットには液晶ディスプレイによる統合計器システムIIDSを備える。降着装置はスキッド式(ハイスキッドもある)と前輪式引込脚から選択可能。全長15.34m、メインローター直径12.8m、全高4.33m(ハイスキッド)、自重2.418トン、総重量4.218トン。エンジンはロールスロイス製250-C40Bターボシャフト(747軸馬力)双発、トランスミッション吸収出力1045軸馬力、経済巡航速度237km、最大速度278km、実用上昇限度4932m、ホバリング高度限界3170m(地面効果内)/1890m(外)、燃料搭載量935リットル、航続距離654km。乗員1-2名。客席数8(前列3席、中央2席、後列3席)。2008年までに129機が生産された。客席前列に放送機材、中央に器材担当、後列にカメラマンとリポーターを配置できるのでテレビ局に人気があり、最終号機は朝日航洋/フジテレビの使用機である。参考:世界航空機年鑑2018-2019

ベル450>:UH-1Yのベル社名称。参考:月刊JWings2,18

ベル505>:ベル社のシングルローター・ヘリコプター、別名ジェットレンジャーX(Jetranger X)。20136月のパリ航空ショーでベルSLSShort Light Single)として発表され、20141111日に試作機が初飛行した。ベル206B/L4がベースで、機首を中心に胴体形状を洗練させ、新型ローターシステムを搭載、ガーミンG1000H統合アビオニクスによるグラス・コクピットを採用し、ヘリ地形回避警報装置、シンセティックビジョン、トラフィック情報システムTISなどを積んだ。エンジンはチュルボメカ/サフラン製アリウス2R457軸馬力)単発、最大巡航速度232km以上、航続距離667km以上。乗員1名。客席数4。201612月にカナダ運輸省TCCA201768日にアメリカ連邦航空局FAAの型式証明を取得した。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊軍事研究9,154,18、月刊世界の艦船7,18

<ベル505海外ファミリー>

 <ベル505(韓国軍)>:韓国陸海軍初等練習ヘリ。韓国陸軍MD500初等練習ヘリと韓国海軍UH-1H初等練習ヘリの後継として、202256日に契約締結を発表した。2023年から40機以上を配備する予定。参考:月刊JWings8,'22

 <ベル式505型小型回転翼航空機>:海上保安庁訓練ヘリ、公式略称ベル505型。ベル206Bの後継として導入した。Garmin社製G1000H統合型アビオニクス・スイートで完全グラスコクピット化されており、計器板には多機能ディスプレイ2枚が装着されている。災害時などには実任務に就くため、拡声器を標準装備する。全長12.95m、メインローター直径11.28m、全高3.25m、自重0.99トン、最大離陸重量2.03トン。エンジンはチュルボメカ製アリウス2Rターボシャフト(459馬力。2系統完全デジタル制御式)単発、巡航速度125ノット、最大速度135ノット、実用航続距離360海里以上。最大搭乗者数5名。2018327日に4機が就役し、2018425日に海保仙台航空基地で就役披露式が行われた。参考:月刊世界の艦船10,207,18、月刊航空ファン7,18

ベル525>:ベル社の双発シングルローター・ヘリコプター、別名リレントレス(Relentless、容赦無し)。試作機は201571日に初飛行した。胴体は複合材を多用している。コクピットは並列複座で、床面積8.18平方メートルのキャビンに16席(最大20席)を設置できる。メインローターは炭素繊維製5翅完全関節式で、折り畳み機構を追加可能。テイルブーム尾部に水平安定板がある。テイルローターは直交4翅で、垂直安定板頂部左側に付く。計器板はARCホライゾンで、カラーMFD4基によりグラス・コクピット化されており、ガーミンG5000H統合型電子機器(タッチスクリーン表示装置含む)で統合されている。操縦装置は民間ヘリとして初の完全デジタル式フライ・バイ・ワイヤを採用した。降着装置は前輪式引き込み脚。メインローター直径16.61m、最大総重量9.072トン/9.526トン(機外搭載時)。エンジンはGE社製CT7-2F1ターボシャフト(定格出力1300kW1800軸馬力)双発、最大巡航速度155ノット・287km、ホバリング高度限界は地面効果内3658m・外1829m、最大航続距離500海里・926km、最大航続時間6時間以上。乗員2名。客席数16201676日、試験飛行中に墜落し、パイロット2名が死亡した。パイロン・ポールや操縦系統に改良を施して20177月にテストを再開している。参考:世界航空機年鑑2018-2019、月刊JWings9,'15、月刊軍事研究9,1510,16

<ベルSLS>:ベル505(ヘリ)を参照。

ベルヴェディア・シリーズ>:イギリス空軍輸送ヘリ。シカモアのタンデムローター版で、ブリストル社が開発し、19603月にブリストル社ヘリ事業部がウエストランド社と合併したのでウエストランド社が開発を引き継いだ。参考:月刊JWings5,20

 <B173>:ブリストル社独自開発の試作初号機、別名ブリストル・タイプ173。前後のメインローター直下にエンジンを1基ずつ搭載しており、両ギアボックスを胴体上のシャフトで繋いで片発停止時の安全性を確保した。メインローター直径14.81m、自重3547kg、最大離陸重量4990kg。エンジンはアルヴィス・レオナイズ・メイジャー空冷星型14気筒(550馬力)2基。195213日に初ホバリングに成功したが、2回目のホバリングで地上共振を起こしたため操縦系を改良し、824日に初前進飛行した。イギリス空海軍がテストを行っている。参考:月刊JWings5,20

 <B173Mk.U>:試作2号機。串形翼(後翼の方が翼幅が大きい)を取り付けて高速飛行時の揚力増大による失速防止機構を備え、降着装置を改良した。艦上運用では串形翼を外し、代わりに後部胴体にV型尾翼を付ける。イギリス空海軍とイギリス欧州航空で評価試験が行われたが、19569月にホバリングから水平飛行への遷移に失敗して墜落、全損した(乗員は無事)。参考:月刊JWings5,20

 <B173Mk.V>:試作3-5号機。胴体構造とエンジン出力を強化し、後部ローターパイロンを増高、メインローターを4翅にして地上共振の解決を図った。エンジンはレオナイズ・メイジャー(850馬力)双発。イギリス空海軍でテストを受けている。参考:月刊JWings5,20

 <B191>:イギリス海軍向け。エンジンをターボシャフトに換装し、対潜魚雷を前部胴体下に積めるよう前脚を長くしている。最初の3機を製作中にキャンセルされた。参考:月刊JWings5,20

 <B192>:B191のイギリス空軍向けで、基本的に共通仕様である。195875日に初飛行し、ベルヴェディアHC.1として制式化された。参考:月刊JWings5,20

ベルヴェディアHC.1>:B192の制式化型。胴体は円形断面で、前端にコクピット、下面に4輪式降着装置、上面前後にローターパイロン、尾部両側に水平安定板、水平安定板端に双垂直尾翼がある。メインローターは前後共4翅で、上から見て前は反時計回り、後ろは時計回りに回転する。胴体内は前後にエンジン、中央にキャビンを配しており、前部エンジン左脇にコクピットとキャビンを繋ぐ通路を設けたため、その部分が外に張り出した。後部エンジンが邪魔で後面にランプを設けられず、胴体右側面前寄りに大型ドアを付けたが、海軍と共通仕様なので無意味に前脚が長く、地上クリアランスが大きいため乗降にはタラップが要る。脚支柱は前後ともハの字に開いており、タイヤは4輪ともシングル。ローターパイロンは後ろの方が背が高い。水平安定板には下反角と支柱が付く。胴体長16.56m、メインローター直径14.91m、円板面積304平方メートル。エンジンはネイピア・ガゼル・ターボシャフト(1465軸馬力)双発。生産数は26機に止まった。19626月にはイギリス領マラヤで実戦投入されている。1969年に退役した。参考:月刊JWings5,204,20

<ベルーガ>:BLG66(クラスター爆弾)を参照。

ペルー海軍>:1821108日に独立記念日を海軍創設日にしているが、1860年代にスペインとの関係悪化を受けて甲鉄艦2隻をヨーロッパに発注したのが近代海軍の始まりである。1879年にチリと戦争になり、イキーケを封鎖していたチリ艦を甲鉄艦2隻で攻撃してコルベット1隻を撃沈したが、甲鉄艦1隻が座礁して失われた。残る1隻も108日のアンガモス沖海戦で大敗してチリに鹵獲されてしまい、188310月の講和締結時に残っていたのは主機故障中のモニター1隻と、アマゾン川に配備していた河用砲艦1隻のみだった。ちなみにアンガモス沖海戦の月日が海軍創設日と同じであるため、毎年108日には海軍創設記念行事とアンガモス海戦記念行事(負け戦ではあるが)を両方行っている。他にドイツで巡洋艦2隻を建造していたが、戦後の財政逼迫で売却することになり、当初は日本が笠置、筑紫と命名して購入する予定だったが、性能不足で改修にも手間がかかるため購入を中止、1隻がアメリカに売却され、もう1隻はリマとしてペルー海軍で就役した。その後はリマと河用砲艦だけという状態が続いたが、鉱山開発による財政回復とフランスからの援助で1904年から海軍再建に着手し、南アメリカ諸国で初となる潜水艦も装備した。第1次大戦では整備部品の供給が途絶え、目立った活動はしていない。1920年、アメリカから海軍使節団を招いて艦艇・基地整備や教育などの助言を受け、海軍航空隊も創設した。1929年、ペルー空軍が創設され、海軍航空隊がそちらに吸収された。1932年、コロンビア領レティシアで国境紛争が勃発したため、巡洋艦リマと駆逐艦をイキトスに派遣し、アマゾン川河口に巡洋艦1隻と潜水艦2隻を配置した。しかしコロンビアの砲艦と輸送船は隙を突いてアマゾン川を遡り、タロパカへの揚陸を行っている。1941年に勃発したエクアドルとの国境紛争では陸戦がメインであり、ペルー海軍は駆逐艦2隻がエクアドル砲艦に攻撃を仕掛けた程度だった。1954-57年、アブタオ級潜水艦4隻が就役。1958年、第1海軍守備隊が新編され、海兵隊組織が復活(第2次大戦後に一旦解体していた)した。1963年、海軍航空隊が再編された。また、ボリビアがチチカカ湖水上部隊を編成したため、チチカカ湖哨戒部隊も再編された。1969年、デアリング級駆逐艦2隻を購入。1973-76年、デロイテル級巡洋艦2隻が就役。1974年、209/1200型潜水艦6隻が就役開始。1975年、ガピーTA級潜水艦2隻が就役。1978年、ガルシア・イ・ガルシア級駆逐艦1隻を購入。1979-85年、メリトン・カリヴァハル級フリゲート4隻が就役。1980-81年、ヴェラルゼ級コルベット6隻が竣工。1981年、エクアドルとの間に国境紛争が発生し、揚陸艦3隻で部隊を輸送した。1985年、テレボーン・パリッシュ級戦車揚陸艦4隻が就役。2010年、オランダからフォッカー60哨戒輸送機4機を購入。2014年、オランダ空軍から中古のフォッカー50を2機購入した。2014124日、オランダから補給艦タクナを購入した。2016127日、練習帆船ウニオンが就役した。2017926日、旗艦だったCH-81アルミランテ・グラウが退役し、F53モンテロがアルミランテ・グラウに改称されて旗艦を引き継いだ。ピスコ級LPD2隻を建造中。参考:月刊世界の艦船5,864,154,'165,1610,1712,171,18、月刊JWings12,14

 <ペルー海軍(1977年)>:兵力14000名(航空隊/海兵隊1個大隊計1000名含む)。ガピーT級潜水艦2隻、マッケレル級潜水艦4隻、209型潜水艦2隻、軽巡4隻、駆逐艦4隻、ボストウィック級護衛駆逐艦2隻、河川哨戒艇3隻、河川砲艇6隻、沿岸掃海艇2隻、LST2隻、LSM2隻、S-2A対潜哨戒機9機、C-47輸送機7機、F27輸送機2機、アステカ輸送機1機、ベル47Gヘリ8機、ベル206ヘリ10機、UH-1Dヘリ6機、アルエートVヘリ4機、T-34練習機2機を配備する。参考:軍事力バランス78年版

 <ペルー海軍(1986年)>:軍政は海軍大臣(中将)、軍令は海軍作戦部長が統括し、軍の最高司令官である大統領は大臣を通して権限を行使する。主要部隊は太平洋海軍部隊(カヤオ)、アマゾン河川部隊(イキトス)、チチカカ湖哨戒部隊(プノ)、海軍航空隊(カヤオ、イキトスなど)、海兵歩兵部隊(カヤオ)で、部隊指揮官は艦隊司令長官である。兵力21000名。アブタオ級潜水艦4隻、パコーチャ級潜水艦2隻、209/1200型潜水艦6隻、デ・ロイテル級巡洋艦2隻、パラシオス級駆逐艦2隻、ガルシア・イ・ガルシア級駆逐艦1隻、ボロネシ級駆逐艦7隻、メリトン・カルヴァハル級フリゲート4隻、ヴェラルゼ級コルベット6隻、ロレト級河用砲艦2隻、マラノン級河用砲艦2隻、アメリア級河用砲艦1隻、チンボテ級揚陸艦1隻、サラベリ級揚陸艦1隻、ロマス級揚陸艦2隻、ピスコ級揚陸艦4隻を保有する。参考:月刊世界の艦船5,86

 <ペルー海軍(1989年)>:兵力25000名(海兵隊2500名、海軍航空隊含む。うち徴兵12000名)。太平洋、チチカカ湖、アマゾン川の3個海軍区域があり、基地は太平洋がカヤオ、サン・ロレンゾ島、パイタ、タララ、チチカカ湖がプノ、アマゾン川がイキトス、プエルト・マルドナドにある。209/1200級潜水艦6隻、ガピーT級潜水艦1隻、アブタオ級潜水艦4隻、デ・ロイテル級巡洋艦2隻、デアリング級駆逐艦2隻、フリースランド級駆逐艦6隻、メリトン・カルヴァハル級フリゲート4隻、ベラルデ級ミサイル艇6隻、ピスコ級戦車揚陸艦4隻、洋上給油艦2隻、給油艦3隻、輸送艦2隻、測量船1隻、外洋曳船1隻、河川砲艇4隻、小型河川哨戒艇6隻、S-2E哨戒機4機、S-2G哨戒機4機、スーパーキングエアB200T哨戒機3機、SH-3D対潜ヘリ6機、AB-212対潜ヘリ6機、C-47輸送機5機、スーパーキングエアB200CT輸送機4機、ベル206Bヘリ4機、UH-1Dヘリ6機、T-34C練習機5機、セスナ150練習機を保有する。沿岸防衛中隊3個に155mm沿岸砲18門を装備していたが、解隊されたかもしれない。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ペルー海軍(2015年)>:現役兵力24000名(うち沿岸警備隊1000名、海軍航空隊800名、海兵隊4000名)。太平洋、チチカカ湖、アマゾン川の3個海軍区域に分かれる。209/1200型潜水艦6隻、デ・ロイテル級巡洋艦1隻、ルポ級フリゲート4隻、改ルポ級フリゲート3隻、ベラルデ級コルベット6隻、アマゾナス級哨戒艇2隻、マラノン級哨戒艇2隻、その他哨戒艇4隻、テレボーン・パリッシュ級戦車揚陸艦2隻、グリフォン2000TDエアクッション揚陸艇7隻、兵站支援船34隻、ビーチ200T洋上哨戒機4隻、フォッカー60洋上哨戒機4隻、F-27ELINT機1機、An-32B輸送機3機、セスナ206輸送機1機、フォッカー50輸送機2機、T-34C練習機5機、ベル212(AB212)対潜ヘリ2機、SH-3D対潜ヘリ3機、ベル412SP汎用ヘリ3機、Mi-8汎用ヘリ2機、UH-3H汎用ヘリ6機、ベル206B軽ヘリ3機、F-28F練習ヘリ5機、AM-39空対艦ミサイルを保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ペルー海兵隊>: 2015年、LAVU装甲兵員輸送車の配備を開始。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ペルー海兵隊(1989年)>:兵力2500名。海兵旅団1個からなる。V-100偵察車、V-200シャイミテ装甲兵員輸送車40両、BMR-600装甲兵員輸送車20両、106mm無反動砲、84mmロケットランチャー、120mm迫撃砲18門、自走20mm連装高射機関砲を装備する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ペルー海兵隊(2015年)>:現役兵力4000名。コマンドー群3個、歩兵大隊2個、歩兵群1個、海兵旅団(特殊作戦群1個、偵察大隊1個、歩兵大隊2個、水陸両用大隊1個、砲兵群1個)1個、ジャングル歩兵大隊1個からなる。BMR-600装甲兵員輸送車16両、LAVU装甲兵員輸送車2両、V-100コマンドー装甲兵員輸送車、V-200カイミテ装甲兵員輸送車15両、122mmD-3081mm迫撃砲、120mm迫撃砲18門、84mm無反動砲カールグスタフ、106mm無反動欧M40A1、自走20mm連装高射機関砲を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<ベルーガ型>:1710型(潜水艦)を参照。

ペルー空軍>:1929年に創設され、海軍航空隊を吸収した。2014年、KT-1P練習機の導入を開始。2015年、C-27J輸送機4機の引き渡しが開始された。参考:月刊世界の艦船5,86、月刊JWings7,15THE MILITARY BALANCE 2016

ペルー空軍(1977年)>:兵力10000名。キャンベラB2/B(T)8/B(T)56軽爆撃機34機、ミラージュXP戦闘機36機、F-86F戦闘機12機、ハンターF52戦闘機10機、MiG-21戦闘機12機、A-37B対ゲリラ戦機24機、HU-16B哨戒機4機、PV-2哨戒機4機、C-130輸送機6機、C-54輸送機4機、リアジェット2機、C-47輸送機6機、F27輸送機2機、F28輸送機4機、DHC-6輸送機12機、DHC-5輸送機16機、クイーンエア18機、ターボポーター12機、セスナ185輸送機5機、アルエートVヘリ12機、ベル47Gヘリ20機、ベル212ヘリ17機、Mi-8ヘリ30機、キャンベラT4練習機2機、ミラージュXDP戦闘機1機、T-6練習機15機、T-34練習機6機、T-33A練習機8機、T-41練習機19機、T-37B練習機24機、ピッツ・スペシャル6機を配備する。参考:軍事力バランス78年版

ペルー空軍(1989年)>:兵力15000名(うち徴兵7000名)。キャンベラB.72爆撃機3機、キャンベラB(T).8爆撃機4機、キャンベラB.56爆撃機4機、キャンベラB(T).58爆撃機8機、キャンベラT.54爆撃機2機、Su-22攻撃機37機、Su-22U攻撃機4機、A-37B攻撃機29機、ミラージュ2000P戦闘機10機、ミラージュ2000DP戦闘機2機、ミラージュ5戦闘機16機、ミラージュ5P戦闘機14機、ミラージュ5DP戦闘機2機、Mi-24攻撃ヘリ24機、リアジェット36A偵察機2機、リアジェット25B偵察機2機、B707-323C空中給油機1機、An-32輸送機15機、C-130A輸送機4機、C-130D輸送機6機、L-100-20輸送機5機、DC-8-62F輸送機2機、DHC-5輸送機13機、DHC-6輸送機8機、FH-227輸送機1機、PC-6輸送機9機、F-28大統領専用機1機、ファルコン20大統領専用機1機、ベル206ヘリ8機、ベル212ヘリ11機、ベル214ヘリ5機、ベル412ヘリ3機、Bo-105Cヘリ10機、Mi-6ヘリ5機、Mi-8ヘリ6機、SA-316ヘリ5機、ビーチ99連絡機2機、セスナ185連絡機3機、セスナ320ヘリ1機、クイーンエア80連絡機15機、キングエア90連絡機3機、PA-31T連絡機1機、UH-1D連絡ヘリ9機、セスナ150練習機2機、EMB-312練習機20機、MB-339A練習機13機、T-37B/C練習機14機、T-41A/D練習機35機、ベル47G練習ヘリ12機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ペルー空軍(2015年)>:現役兵力9500名。北部、リマ、南部、中央、アマゾンの5個空軍区からなる。MiG-29S戦闘機9機、MiG-29E戦闘機3機、MiG-29SMP戦闘機6機、MiG-29UBM戦闘機2機、ミラージュ2000ED(ミラージュ2000DP)戦闘機2機、ミラージュ2000E(ミラージュ2000P)戦闘機10機、A-37B攻撃機18機、Su-25A攻撃機10機、Su-25UB戦闘機8機、リアジェット36A偵察機2機、SA-227-BCメトロV(C-26B)偵察機4機、C-27J輸送機2機、L-100-200輸送機2機、An-32輸送機4機、DHC-6輸送機3機、DHC-6-400輸送機12機、PC-6輸送機6機、B737要人輸送機4機、EMB-312練習機19機、KT-1P練習機5機、MB339A練習機10機、T-41A/D練習機6機、Z-242練習機14機、Mi-25攻撃ヘリ16機、Mi-35P攻撃ヘリ2機、ベル412汎用ヘリ2機、Mi-17汎用ヘリ19機、ベル206汎用ヘリ8機、ベル212(AB-212)汎用ヘリ6機、Bo-105C汎用ヘリ1機、Bo-105LS汎用ヘリ6機、シュワイザー300C練習ヘリ4機、S-125地対空ミサイル、ジャベリン携帯地対空ミサイル、R-3/R-60/R-27/R-73/R-77空対空ミサイル、R-550空対空ミサイル、AS-30空対艦ミサイル、Kh-29L空対艦ミサイル、Kh-58対レーダーミサイルを保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ペルー軍>:

ペルー軍(1989年)>:兵力120000名(うち徴兵79000名)、予備役188000名。国連イラン・イラク軍事監視団にオブザーバー、国連ナミビア独立移行援助グループにオブザーバー20名を派遣している。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ペルー軍(2015年)>:現役総兵力81000名(陸軍47500名、海軍24000名、空軍9500名)、予備役188000名(全て陸軍)、準軍事組織77000名(国家警察77000名。100000名説あり)。中央アフリカ共和国にMINUSCA要員4名とオブザーバー5名、コートジボアールにUNOCIオブザーバー1名、コンゴ民主共和国にMONUSCO要員2名とオブザーバー13名、ハイチにMINUSTAH要員162名と歩兵中隊1個、リベリアにUNMIL要員2名とオブザーバー2名、南スーダンにUNMISS要員2名とオブザーバー2名、スーダンにUNAMIN要員1名・オブザーバー2名とUNISFAオブザーバー1名を派遣している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ペルー日本大使公邸占拠事件>:19961217日、ペルーの日本大使公邸では天皇誕生日でレセプションが開催され、内外要人や日系企業代表、その家族ら約500人が参加していた。2030頃(日本時間181030頃)、チュパック・アマル革命運動(MRTA)ゲリラ14人(女性2人含む)が公邸に接する隣の空き家にレスキュー隊を装って侵入、RPG-7で壁をぶち抜いて公邸内に入り、中にいたレセプション参加者を人質に取って立て籠もった。MRTAは1年以上をかけて襲撃準備を行っていたとされ、公邸内で記者会見を行うなど世界に向け存在感をアピールし、公邸の庭に地雷を撒き、人質を段階的に解放。最終的には日本人24人を含む72人が残った。日本からは池田外相が政府専用機で現地に向かったが、フジモリ大統領と会談した後首相の指示ですぐに帰国してしまい、不評を買った。橋本首相もトロントでフジモリ大統領と会談したが、その後すぐに帰国した橋本首相に対し、フジモリ大統領は続けてクリントン大統領や中南米諸国首脳と会談を行い、挨拶と協力依頼を行っており、テロ対策に対する年季の差を見せつけられる結果になった。日本政府がSATを海外に派遣する可能性を検討し、承認したという報道もあるが、RPG-7まで持ち込んだテロリストに対抗するにはあまりに力不足で、実際には派遣されなかった。ペルーは軍と警察で周囲を取り囲み、大音響の放送を公邸に向け流しながらキャスパー装甲車などを蹴立てて行進。その音に紛れて地下からトンネルを掘り進めた。27日深夜、ペルーのフジモリ大統領がイギリスのメージャー首相の招待でロンドンに向け出発。ラテンアメリカ投資会議への出席という名目だったが、SASへの協力依頼が行われた可能性もある。211日、ペルー政府とテロリストが予備的対談を開始。ペルー軍は陸海空軍将校から選抜した120名で救出部隊を編成し、SASがペルー突入部隊の作戦立案から訓練までを行った。差し入れに高性能マイクを仕込むなどして館内の情報収集に努め、発生4ヶ月後の4221521、突入作戦チャビン・デ・ワンタルを発動。救出部隊が床を爆破して突入し、ミニサッカー中のゲリラは爆発に巻き込まれて大半が死亡、他のゲリラメンバーも射殺された。人質のうち1人が死亡、十数人が負傷した。救出部隊の犠牲者は2名、負傷者は十数名。参加部隊の武装は多種多様で、MGP-79AMGP-87AKS-74U、ミニ・ウージー、P90MP5SD1G3A3G3A4FALAK-47SAKMSAK-74、ガリルARMもしくはR4、ステアーAUGIWS2000SSG69FPKPSG1SR39E140E182などである。包囲する国家警察特殊部隊はRPKMPi-KMS-72、ドラグノフなども持っていた。参考:月刊軍事研究7,974,97、防衛技術ジャーナル1,07

ペルー陸軍>:2014年、Mi-171Shヘリの導入を開始。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ペルー陸軍(1977年)>:兵力46000名(うち徴兵40000名)。機甲師団(旅団規模)1個、機甲連隊2個、騎馬連隊(騎兵師団規模)2個、歩兵・機械化師団(旅団規模)8個、奇襲空挺師団(旅団規模)1個、ジャングル師団(旅団規模)1個、装甲偵察中隊3個、砲兵大隊、工兵大隊からなる。T-54/55中戦車250両、M4中戦車60両、AMX-13軽戦車110両、M8装甲車、コマンドー装甲車、M3A1偵察車50両、M113/UR416/モワグ装甲兵員輸送車300両、75mm/105mm/122mm/130mm/155mm榴弾砲、120mm迫撃砲、40mm高射機関砲、76mm高射砲、ZSU-23-4自走対空機関砲28門、SA-3、へリオU10B軽飛行機5機、セスナ185軽飛行機5機、ベル47Gヘリ8機を配備する。参考:軍事力バランス78年版

ペルー陸軍(1989年)>:兵力80000名(うち徴兵60000名)、予備役188000名。軍管区5個、空挺師団、大統領護衛隊連隊、高射砲グループ、機甲師団2個、機構グループ1個、騎兵師団1個、歩兵師団8個、ジャングル師団1個、特殊部隊グループ1個、中砲グループ2個、野砲グループ2個、高射砲グループ2個、独立歩兵大隊1個、独立工兵大隊1個、ヘリ飛行隊3個からなる。T-54/-55戦車350両、AMX-13軽戦車110両、M-8/-20偵察車60両、フィアット6616偵察車20両、BRDM-2偵察車15両、M-113装甲兵員輸送車300両、UR-416装甲兵員輸送車225両、56105mm50門、105mmM-101130門、122mmD-3030門、130mmM-4630門、15mmM-11436門、155mm自走砲M-109A212門、155mm自走砲MkF312門、BM-2114両、81mm/107mm迫撃砲、120mm迫撃砲ブラント300門、120mm迫撃砲ECIA105mm無反動砲、106mm無反動砲M-40A1ZSU-23-4自走高射機関砲35両、40mm高射機関砲40門、SA-3地対空ミサイル12基、SA-7地対空ミサイル、セスナ182を1機、セスナU206を2機、セスナ337を1機、クイーンエア65を1機、U-10を3機、U-17を3機、ベル47Gヘリ2機、Mi-6ヘリ2機、Mi-8ヘリ34機、SA315ヘリ6機、SA318ヘリ1機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ペルー陸軍(2015年)>:現役兵力47500名、予備役188000名。軍管区4個、第1特殊作戦旅団(コマンドー大隊4個、空中機動砲兵群1個、憲兵中隊1個、戦闘支援大隊1個)、第3特殊作戦旅団(コマンドー大隊3個、空中機動砲兵群1個、憲兵中隊1個)、特殊作戦群1個、第3機甲旅団(戦車大隊2個、機甲歩兵大隊1個、砲兵群1個、対戦車中隊1個、防空群1個、工兵大隊1個、戦闘支援大隊1個)、第9機甲旅団(編成中)、第3機甲騎兵旅団(機械化騎兵大隊3個、自動車化歩兵大隊1個、砲兵群1個、防空群1個、工兵大隊1個、戦闘支援大隊1個)、第1騎兵旅団(機械化騎兵大隊4個、憲兵中隊1個、戦闘支援大隊1個)、第2自動車化歩兵旅団(自動車化歩兵大隊3個、砲兵群1個、憲兵中隊1個、兵站大隊1個)、第31自動車化歩兵旅団(第2と同編成)、第1歩兵旅団(歩兵大隊3個、憲兵中隊1個、戦闘支援大隊1個)、第7歩兵旅団(第1と同編成)、第32歩兵旅団(第1と同編成)、第4山岳旅団(機械化連隊1個、自動車化歩兵大隊3個、砲兵群1個、憲兵中隊1個、戦闘支援大隊1個)、第5山岳旅団(機械化連隊1個、自動車化歩兵大隊2個、ジャングル中隊3個、砲兵群1個、憲兵中隊1個、戦闘支援大隊1個)、第5ジャングル歩兵旅団(特殊作戦群1個、ジャングル大隊3個、ジャングル中隊3個、ジャングル砲兵群1個、対戦車中隊1個、防空群1個、ジャングル工兵大隊1個)、第6ジャングル歩兵旅団(ジャングル大隊4個、工兵大隊1個、憲兵中隊1個、戦闘支援大隊1個)、第18機甲訓練旅団(機械化騎兵連隊1個、機甲連隊1個、戦車大隊2個、機甲歩兵大隊1個、工兵大隊1個、憲兵中隊1個、戦闘支援大隊1個)、第1航空旅団(対戦車/偵察ヘリ大隊1個、航空大隊1個、強襲/輸送ヘリ大隊1個)、第1砲兵旅団(砲兵群4個、防空群2個、通信群1個)、第3砲兵旅団(砲兵群4個、防空群1個、通信群1個)、防空群1個、第22工兵旅団(工兵大隊3個、地雷原処理中隊1個)からなる。T-55戦車165両(+保管中75両)、AMX-13軽戦車96両、BRDM-2偵察車30両、フィアット6616偵察車15両、M9A1偵察車50両、M113A1装甲兵員輸送車120両、UR-416装甲兵員輸送車150両、フィアット6614装甲兵員輸送車25両、レポンテック装甲兵員輸送車4両、155mm自走砲M109A212両、105mmM10144門、105mmM2A124門、105mmM-5660門、105mm砲モデル56パックハウザー24門、122mmD-3036門、130mmM-4636門、155mmM11436門、155mm砲モデル5030門、122mm多連装ロケットBM-2122両、90B122mm多連装ロケット13両、107mm自走迫撃砲M106A124両、81mm/107mm迫撃砲350門、120mm迫撃砲ブラント/エクスパル・モデルLを300門以上、9K135対戦車ミサイル装備M1165A2HMMWV22両、9K11/9K135対戦車ミサイル、HJ-73C対戦車ミサイル、スパイクER対戦車ミサイル、106mm無反動砲M40A1An-28輸送機2機、An-32B輸送機3機、ビーチ350輸送機1機、ビーチ1900D輸送機1機、セスナ152輸送機4機、セスナ208輸送機1機、セスナU206輸送機2機、PA-31T輸送機1機、PA-34輸送機1機、IL-103練習機4機、Mi-17汎用ヘリ8機、Mi-26T輸送ヘリ3機(全て保管中)、Mi-171Sh汎用ヘリ11機、AW109K2軽ヘリ2機、Mi-2軽ヘリ9機、R-44軽ヘリ2機、F-28F練習ヘリ5機、9K32/9K36/9K310携帯地対空ミサイル、23mm自走高射機関砲ZSU-23-435両、23mm高射機関砲ZU-23-280基、23mm高射機関砲ZU-2350門、M578装甲回収車を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<ベルカ>:N036(レーダー)を参照。

<ベルガモット>:K189(コルベット)を参照。

ベルギー>:1830年にネーデルランド連合王国からの独立革命が起こり、1839年のロンドン条約で独立が承認され、永世中立国になった。第2次大戦時、1940年のドイツ軍による黄作戦で侵攻を受け、政府指導者はロンドンに脱出して亡命政府を作ったが、王室は国内に残り、政府に諮らずに527日に降伏を申し出た。11月には国王がヒトラーに面会し、ベルギー軍捕虜の釈放と食糧供給を要請したが、ナチスへの協力行為と受け止められてしまった。この頃からユダヤ人登録とナチスへの労働力提供が開始され、20万人が労働者として駆り出された。1944年末にベルギー本土はほぼ解放されたが、国王はドイツ軍に連れ去られ、後にオーストリアで解放されたものの、国民が帰国を許さず、1950年までスイスに留まらざるを得なかった。参考:月刊軍事研究8,07MAMOR vol.162

ベルギー海軍>:1831年に創設された。1862年、廃止された。第1次大戦を受けて1917年に再創設された。1927年、廃止された。第2次大戦勃発を受けて1939年に再々創設された。1940年、ドイツによるベルギー占領に伴い消滅し、イギリスに脱出した将兵がイギリス海軍に編入されている。第2次大戦終結により再々々創設された。1978年からウィーリンゲン級フリゲート4隻が就役。1985-90年、トリパルタイト級機雷掃討艇10隻が就役。2005年、オランダ海軍からカレル・ドールマン級フリゲート2隻を購入。2014-15年、カストール級沿海哨戒艦2隻が就役。オーステンデ級掃海艦を建造中。参考:月刊軍事研究12,15、月刊世界の艦船6,23

ベルギー海軍(1977年)>:兵力4200名(うち徴兵950名)、予備役5500名。フリゲート2隻、外洋掃海艦6隻、機雷捜索艇2隻、沿岸掃海艇9隻、内海掃海艇12隻、兵站支援艦/対機雷戦指揮艦2隻、河川哨戒艇6隻、HSS-1ヘリ1機、アルエートVヘリ3機を装備する。参考:軍事力バランス78年版

ベルギー海軍(1989年)>:兵力4700名(うち徴兵1550名)。基地はオステンド、ジーブルッゲ、カロにある。ウィーリンゲン級フリゲート4隻、アグレッシブ級掃海艦6隻、トリパルタイト級(フラワー級)掃討艇7隻、アジュタント級掃海艇4隻、ヘルスタル級内海掃海艇10隻、兵站支援/指揮艦2隻、調査測量艦1隻、SA-318ヘリ2機を装備する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ベルギー海軍(2013年)>:兵力2127名。フリゲート2隻、掃海艇6隻、測量艦1隻、練習艇1隻、指揮支援艦1隻、支援艇1隻、艦載ヘリ7機、陸上ヘリ4機を配備する。参考:月刊世界の艦船3,14

ベルギー海軍(2015年)>:兵力1500名。カレル・ドールマン級フリゲート2隻、カストール級沿海哨戒艦2隻、フラワー級掃海艇5隻、ゴデティア級指揮支援艦1隻、ベルジカ級測量艦1隻、ゼノブ・グラム級練習帆船1隻、ウェスプ級軽港内曳船3隻、NFH90対潜ヘリ3機、SA316BアルエートV多用途ヘリ3機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベルギー・ギィデ交響吹奏楽団>:ベルギー近衛騎兵連隊軍楽隊。1832年にベルギー国王の楽団として創設された。メンバーをベルギー王立音楽院首席卒業者で固めており、演奏レベルが非常に高い。参考:MAMOR vol.118

ベルギー空軍>:1913年、航空・気球部隊が独立し、ブラッススガート村で最初の飛行隊が新編された。1917417日、フェルディナンド・ジャケが空中戦で初撃墜を記録し、戦闘飛行隊の歴史が始まった。1920年代、ニューポール・ドラージュ社製NiD29c1戦闘機108機を配備。1931年、フェアリー社製ファイアフライ戦闘機を配備。1939年、ハリケーン戦闘機を配備。1951年、F-84E戦闘機を配備。1955年、F-84F戦闘機を配備。1971年、ミラージュX戦闘機を配備。1989年、F-16戦闘機を配備。2002年の三軍統合に伴い、ベルギー・エアコンポーネントとなり、ベルギー軍の全航空勢力を所管するようになった。20113月、リビア爆撃作戦に参加。2014105日、イラク西部のイスラム国拠点をF-16AMで爆撃。20173月、F-16AM/BM戦闘機59機の後継機(調達機数36機)のRFPを発出。EF2000F-35A、ラファール、JAS-39Eが応募したが、後にJAS-39E(とラファール?)が辞退している。65-16日、タクティカル・ウェポン・ミート2017に参加。2018115日、Tu-160爆撃機2機が領空に接近したため、F-16戦闘機をスクランブル発進させた。1011日、フロレンヌ基地の格納庫で整備中のF-16が機関砲を誤射して前方のF-16に命中、運悪く任務飛行に備えて燃料満載状態だったため爆発炎上してしまい、機体は全損、整備員2名が聴覚喪失で病院に搬送された。1025日、F-16AM/BM後継機としてF-35A戦闘機34機の調達を発表した。2019919日、フランスのロリアン近郊でF-16BM戦闘機1機が墜落した。乗員2名は緊急脱出し、軽傷を負っている。地上に被害は無かった。参考:月刊航空ファン5,186,111,159,1712,174,181,19、月刊JWings6,125,1812,19、月刊航空情報4,18

ベルギー空軍(1977年)>:兵力19400名(うち徴兵3200名)。F-104G戦闘爆撃機72機、ミラージュXBA/BD戦闘爆撃機54機、ミラージュXBR偵察機18機、C-130H輸送機12機、HS748輸送機3機、マーリンVAS輸送機6機、ファルコン20輸送機2機、ボーイング727QC輸送機2機、HSS-1ヘリ4機、シーキング48ヘリ5機、マジステール練習機18機、SF260戦闘機34機、T-33練習機15機、ナイキ・ハーキュリーズ21基。参考:軍事力バランス78年版

ベルギー空軍(1989年)>:兵力19900名(うち徴兵5100名)。ミラージュX飛行隊1個、F-16飛行隊6個、ミラージュXBR偵察飛行隊1個、C-130H飛行隊1個、輸送飛行隊1個、CM-170連絡飛行隊1個、アルファジェット訓練飛行隊2個、SF260訓練飛行隊1個、シーキング捜索救難飛行隊1個、ナイキ・ハーキュリーズ地対空ミサイル中隊4個からなる。ミラージュXBA/BD攻撃機18機、ミラージュXBR偵察機18機、F-16A/B戦闘機108機(+保管中14機)、C-130輸送機12機、B727輸送機2機、HS748輸送機3機、マーリンVA輸送機5機、ファルコン20輸送機2機、CM-170連絡機18機、SF-260練習機30機、アルファジェット練習機31機、シーキングMk48捜索救難機5機、ナイキ・ハーキュリーズ36基を装備する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ベルギー空軍(2015年)>:兵力6000名。パイロット年間飛行時間は戦闘部隊165時間、輸送部隊300時間、ヘリ部隊150時間、要人輸送部隊250時間。F-16飛行隊4個、シーキングMk48捜索救難飛行隊1個、AW109ヘリ飛行隊2個、要人輸送飛行隊1個、C-130輸送飛行隊1個、F-16練習飛行隊1個、SF-260練習飛行隊1個、アルファジェット練習飛行隊1個、AW109練習飛行隊1個、RQ-5A無人機飛行隊1個からなる。F-16AM戦闘機49機、F-16BM戦闘機10機、C-130H輸送機11機、ERJ-135LR軽輸送機2機、ERJ-145LR軽輸送機2機、A-321要人輸送機1機、ファルコン20要人輸送機2機、ファルコン900B要人輸送機1機、アルファジェット練習機29機、SF-260D練習機9機、SF-260M練習機23機、NFH90対潜ヘリ1機、SA316BアルエートVヘリ3機、シーキングMk48捜索救難ヘリ3機、TTH90汎用ヘリ4機、AW109汎用/ISRヘリ20機、RQ-5A無人機12機(+保管中1機以上)、AIM-9M/N/-120B空対空ミサイル、GBU-31/-38/-54JDAMGBU-10/-12/-24誘導爆弾、スナイパー目標指示ポッド12基を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベルギー軍>:2014年、ベルギー国防省がサイバーセキュリティ戦略を発表し、サイバー防衛、サイバー・インテリジェンス、サイバー反撃を三本柱とした。サイバーセキュリティ能力のIOC達成は2016年、FOC達成は2020年に設定している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <ベルギー軍(2015年)>:現役兵力30800名(陸軍11300名、海軍1600名、空軍6000名、医療部隊1400名、統合部隊10500名)、予備役6800名(うち平時に任務にある者1250名)。NATO軍リゾリュート・サポート作戦でアフガニスタンに43名、Barkhane作戦でチャドに2名、MONUSCOでコンゴ民主共和国にオブザーバー1名、フランスにNATO空軍アルファジェット部隊28名、インヒアラント・リゾルブ作戦でイラクに25名、レバノンにUNIFIL要員1名、マリにEUTMマリ要員95名、NAVFOR MEDにフリゲート1隻、SNMCMG1AFGH1隻、SNMCMG2に掃海艇1隻、中東にUNTSOオブザーバー2名、ウクライナにOSCE要員1名を派遣している。USEUCOM1200名が駐留する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベルギー憲兵(1989年)>:兵力15900名。FN装甲車62両、RM/62F装甲車4両、アルエートUヘリ5機、ピューマ・ヘリ3機を装備する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ベルギー陸軍>:1951年、M26戦車を配備。1992年、A-109BAヘリの配備を開始。1998年、パンデュル装甲車の配備を開始。参考:月刊PANZER10,12、月刊JWings6,129,00M26/M46パーシング戦車1943-1953

ベルギー陸軍(1977年)>:兵力62050名(うち徴兵22700名)、予備役50000名。1個機甲旅団、3個機械化歩兵旅団、3個偵察大隊、2個自動車化歩兵大隊、1個空挺奇襲攻撃連隊、3個砲兵大隊、オネスト・ジョン地対地ミサイル大隊2個、工兵大隊5個、航空中隊4個からなる。レオパルト1戦車334両、M47戦車74両、スコーピオン軽戦車136両、スコーピオン・シミター154両、M41軽戦車60両、M75/AMX装甲兵員輸送車1236両、スパータン装甲兵員輸送車73両、M108自走榴弾砲96門、M44自走榴弾砲25門、M109自走榴弾砲41門、M110自走榴弾砲11門、オネスト・ジョン地対地ミサイル12基、JPK C80自走対戦車砲80門、エンタック/ミラン対戦車ミサイル、ストライカー戦車駆逐車41両、20mm/40mm/57mm高射機関砲119門、ホーク地対空ミサイル60基、スーパーカブ6機、アイランダー12機、アルエートU74機、エペルビエル無人機38機を装備する。参考:軍事力バランス78年版

ベルギー陸軍(1989年)>:兵力67800名(うち徴兵30100名)。軍団司令部1個、師団司令部2個、機甲旅団(戦車大隊2個、機械化歩兵大隊2個、自走砲大隊1個、対戦車中隊1個など)1個、機械化歩兵旅団(戦車大隊1個、機械化歩兵大隊2個、自走砲大隊1個、対戦車中隊1個など)3個、パラシュート・コマンドー連隊(パラシュート・コマンドー大隊3個、装甲偵察中隊、対戦車中隊、砲兵中隊など)1個、偵察指揮部隊(偵察大隊2個、戦車大隊1個)、独立戦車大隊1個、自走砲大隊3個、地対地ミサイル大隊1個(ランス2基配備の中隊2個)、ホーク防空大隊2個、ゲパルト防空大隊2個、野戦工兵大隊2個、架橋工兵大隊1個、器材工兵大隊1個、軽飛行隊3個からなる。予備役部隊は機械化歩兵旅団2個(歩兵大隊2個、自走砲大隊1個、戦闘支援部隊、兵站支援部隊)と国土防衛隊(自動車化歩兵連隊11個、歩兵大隊4個)。レオパルト1戦車334両(うち保管中14両)、スコーピオン軽戦車133両(うち保管中23両)、シミター偵察車153両(うち保管中20両)、AIFV-B歩兵戦闘車520両(うち保管中46両)、M-113装甲兵員輸送車535両(うち保管中68両)、スパータン装甲兵員輸送車266両(うち保管中29両)、AMX-VCI105mm牽引砲22門(うち保管中14門)、M-109A3自走砲41門(うち保管中1門)、M-109A2自走砲124門(うち保管中4門)、M-110A2自走砲11門(うち保管中3門)、81mm迫撃砲296門(うち保管中113門)、107mm迫撃砲133門(うち保管中61門)、ランス用TEL5基(うち保管中1基)、ミラン対戦車ミサイル420基(うち車載320基、保管中10基)、スイングファイア搭載ストライカー43両(うち保管中7両)、JPK-90対戦車自走砲80門(うち保管中8門)、20mm高射機関砲HS-80436門(うち保管中12門)、M-167自走対空機関砲100門(うち保管中54門)、ゲパルト54両、改ホーク39基(うち保管中3機)、BN-2Aアイランダー10機、SA-313/-318ヘリ59機を装備する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ベルギー陸軍(2015年)>:兵力11300名。特殊作戦群1個、ISR群1個、機械化旅団1個、軽旅団1個、砲兵群1個、工兵大隊2個、爆発物処理ユニット1個、CBRN部隊1個、憲兵部隊1個、兵站大隊3個などからなる。ピラーニャVC DF30歩兵戦闘車19両、ピラーニャVC DF90歩兵戦闘車18両、パンデュル装輪装甲兵員輸送車45両、ピラーニャVC装輪装甲兵員輸送車64両、ピラーニャVPC装輪装甲兵員輸送車14両、ディンゴ2哨戒装甲車208両、105mm牽引榴弾砲LG1MkU14門、81mm迫撃砲39門、120mm迫撃砲52門、ミストラル地対空ミサイル45基、レオパルト1装甲工兵車3両、ピラーニャVC装甲工兵車8両、レオパルト1装甲回収車3両、パンデュル装甲回収車4両、ピラーニャVC装甲回収車9両、レグアン戦車橋4両を配備する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

ベルギー門>:第2次大戦時にドイツが大西洋の壁に設置した障害で、ベルギーの対戦車障害を真似て作ったためこう呼ばれる。参考:グラフィックアクション

<ベルギウス法>:合成石油を参照。

<ヘルキャット>:F6Fシリーズ(戦闘機)またはM18(駆逐戦車)を参照。

ベルクート型>:ソ連海軍が19648月から設計を開始した対潜艦Berkut型。アメリカ戦略原潜に対抗するのが目的で、32隻を建造する予定だったが、クレスタT型、同U型、カーラ型の計21隻の建造に止まった。参考:月刊世界の艦船4,09

<ベルクートA型>:クレスタU型(ミサイル巡洋艦)を参照。

ベルク級>:トルコ海軍フリゲートBerk級。全長95m、幅11.8m、吃水5.5m、満載排水量1950トン。主機はディーゼルで、出力24000馬力、1軸推進、速力25ノット。兵装は76mm連装砲2基、ヘッジホッグ1基、324mm3連装短魚雷発射管2基、爆雷投下軌条1条。1972年から2隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊、ミリタリー・バランス1989-1990

ヘルクレス>:ソ連海軍潜水艦用艦首ソナーのNATOコード。中周波パッシブソナーで、フォックストロット型(輸出型含む)に搭載されている。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版

<ヘルゲ・イングスタ>:F313(フリゲート)を参照。

ヘルゲ・イングスタ衝突事故>:20181180426頃(現地時間)、トライデント・ジャンクチュア演習を終えてハーコンスヴァーン海軍基地に帰港すべく17ノットで南進中(衝突時には停船していた説あり)のノルウェー海軍フリチョフ・ナンセン級イージス・フリゲートF313ヘルゲ・イングスタが、ストゥーレで石油を積み込んで出港し7ノットで北進していたマルタ船籍タンカーのソラTSSola TS。全長250m、幅44.03m、総トン数62557トン、載貨重量112939トン)と衝突した。F313は船舶自動識別装置AISを受信モードで作動させており、ソラTSが正体不明船として沿岸管理局管制センターに問い合わせたが、トラフィックに関する適切な情報は得られなかった。ソラTSは甲板上の照明を点灯させていて、航海灯との識別が困難だったという。衝突直前にソラTSF313ヘルゲ・イングスタに対して衝突コースにあると無線で警告したが、F313ヘルゲ・イングスタからは本艦は全てコントロールしているとの返答があったらしい。全長が2倍、幅が3倍弱のタンカーとぶつかったF313ヘルゲ・イングスタは、ソラTSの艦首右舷側にあるアンカー・ストレインにより第1煙突脇からヘリ甲板前部付近までの右舷側吃水線上(船体外板の逆傾斜が始まる第1甲板レベル付近)を引き裂かれ大破、後部居住区・後部発電機室・倉庫など3区画が浸水した。当初は傾斜も小さく、曳船の到着を待ち、擱座着岸で沈没を防ぐべく1km強離れている陸岸へ向かったが、推進軸から機械室にも浸水して船体が右舷後方へと急速に傾斜していったため、艦尾から押していた曳船は危険と判断して離脱、海岸への乗り上げには失敗し、右舷側を陸に向け岸に平行な状態で着底した。F313には乗員137名が搭乗しており、8名が軽傷を負ったが、命に別状は無く全員が退艦している。ソラTSはほぼ無傷で、そのままイギリス方面に向かった。事故の影響で付近の石油・ガス積み出し施設やパイプラインが2日間の操業停止に追い込まれた。その後も浸水が続く船体は119日には45度傾斜、1110日にはほぼ横倒しになってしまった。オイルフェンスで周囲を囲んだものの、燃料油の一部が北に向けて流出している。船体が沖に流されないよう、岸に杭を打ち込んで舫いを繋いだり、岩に取り付けたフックと船体に溶接した金具を鋼製ケーブル7本で接続したりする作業を行ったが、フィヨルドなので岸が急傾斜になっており、ケーブルでは支えきれなかったらしく船体が滑り落ち、1113日にはタワーマストとヘリ格納庫の一部を残してほぼ水面下に沈んだ。引き揚げのため1118日と21日に起重機船が1隻ずつ到着し、1127日には燃料タンクからの燃料抜き取りを終えたが、引き揚げた船体を載せるバージが入れないので海底浚渫を行う必要があると判明し、早期の引き揚げは断念された。12月初めに吊り上げ用チェーンを繋ぐ作業を開始、1214-15日に艦内の魚雷を運び出し、更にNSM艦対艦ミサイルも撤去。201915日に引き揚げ担当の起重機船ランビズが現場に到着したが、悪天候で水中作業が難航し、122日に吊り上げ用チェーンの取り付けを完了、艦内からの排水準備作業も終えた。27日、引き揚げ準備を完了。しかし悪天候で作業開始には時間を要している。224日、現場に起重機船2隻が到着。2260400、船体引き揚げ作業を開始。タワーマスト最上部の桁とマストトップしか見えない状態にまで沈んでしまった船体にチェーン16本を掛けて起重機船2隻のクレーン計4基により海面まで吊り上げ、水平に戻して海中に潜らせたバージの上に船体を移し、バージごと浮上させて曳航、31日に15海里先のハノイタンゲンに移動して簡易調査が行われ、33日にハーコンスヴェルン海軍基地に到着した。船体の損傷範囲が大きい上、ほぼ全艦水没したので内装は全滅に近い状態と推定され、予測では修理に5年と1500億円くらいかかる見込みとなり、作り直す場合の費用を100億円くらい上回るのと、完全修復できるという確証も無いため、廃艦とすることにしたと6月にノルウェー国防相が発表した。取り敢えず残存同級艦の稼働を増やし、ショルド級高速攻撃艇の寿命延長改修でカバーするが、代替艦についての詳細は今後検討する。202227日、ノルウェー国防省が、油槽船ソラTSの船主であるツイット・ナヴィゲーションとの補償合意が纏まったと発表した。双方の見解対立で法廷闘争に発展していたが、ノルウェー側に良い結果(ノルウェー国防省談)で終結した模様。参考:月刊世界の艦船2,193,195,198,199,198,207,215,22

ヘルゲット>:ヴィルヘルム・ヘルゲット。ドイツ空軍エースで、昼間戦闘により15機、夜間戦闘により57機を撃墜した。最終階級は少佐。参考:月刊丸10,10

<ベルゲパンター>:X号戦車ファミリーを参照。

<ベルゲパンツァー>:レオパルト1戦車ファミリーを参照。

<ベルゲパンツァー3>:レオパルト2戦車ファミリーを参照。

<ベルゲフェルディナンド>:フェルディナンド駆逐戦車ファミリーを参照。

ベルゲン要塞>:ドイツ軍が第2次大戦時にノルウェー南西部ベルゲンに構築した要塞。10km四方の地域に砲台を建造し、ベルゲンには西岸艦隊司令部、ベルゲン海軍司令部、陸軍第280歩兵師団司令部、第504海軍沿岸砲兵大隊、ベルゲン南方に第977陸軍沿岸砲兵連隊第W大隊、北方に第977陸軍沿岸砲兵連隊第V大隊を置き、飛行場を設営、ベルゲン港には防潜網を敷設した。砲台は内層のクヴァアルヴェン砲台(サンシャモン210mmカノン砲M98が3門、サンシャモン13口径240mm榴弾砲3門、450mm魚雷発射管3門)、ヘレン砲台(サンシャモン210mmカノン砲3門)、サンドヴィクスフェル砲台(サンシャモン13口径240mm榴弾砲2門)、ノルドネス砲台(7.5cmKL/44M/16(n)2門)、ラクセヴァーグ砲台(10.5cm艦砲SKC/32が1門)、フェアレイ砲台(7.5cm対戦車砲97/38(f)2門)、テレヴィク砲台(10.5cm重カノン砲K332(f)4門)、ラムショ島砲台(フランス鹵獲8.8cm高射砲4門)と、外層のフィエル砲台(グナイゼナウのブルーノ砲塔を流用した280mm艦砲SKC/34の3連装砲塔)からなる。第2次大戦終結後、フィエル砲台はノルウェーに移管されて1950年代終わりまで使用され、1968年に砲台としては解体されてレーダー基地に変更された。2003年にはレーダー基地としても退役し、2004年に地元に返還され、200558日から博物館になっている。参考:月刊軍事研究6,16

ヘルゴラント>:ドイツ海軍ヘルゴラント級戦艦Helgoland1911年竣工。1916531日、ジュットランド海戦に第1戦艦戦隊第1小隊3番艦として参加し、主砲弾63発を射撃した。イギリス戦艦ヴァリアントから1発を被弾したが、死傷者は出なかった。1919年に除籍された。19208月に賠償艦としてイギリスに引き渡され、各種試験に賦された後、1924年に解体された。参考:近代戦艦史、月刊丸2,08、月刊世界の艦船6,16

ヘルゴラント級>:ドイツ海軍ド級戦艦Helgoland級。1908年の艦隊法で毎年4隻ずつド級戦艦を建造することとなり、第1弾として開発されたものである。ナッソー級の主砲を50口径の新型30.5cm砲に換装し、缶室を集中配置(煙突も3本が艦中央に密接している)して火薬庫の配置を改善、縦通隔壁を二重にし、水密区画を細分して水中防御力を向上させた。ナッソー級と共同運用するため、主砲の最大仰角を13.5度に抑えて射程を19200mにしてある。装甲重量は排水量の36.6%である。全長167.2m、幅28.5m、吃水8.2m、常備排水量22440-22808トン。主機は直立4気筒3段膨張レシプロ蒸気機関3基、主缶はシュルツ・ソーニクロフト石炭専焼缶(16.0気圧、飽和蒸気)15基、出力31000馬力、3軸推進、速力21ノット(20.3ノット?)。兵装は30.5cmSKL50連装砲塔6基、14.9cm単装砲14門、8.8cm単装砲14門、500mm水中発射管6門。装甲厚は水線部300mm、甲板80mm。乗員1113名。ヘルゴラント、オストフリースラント、チューリンゲン、オルデンブルグの4隻が1911-12年に竣工した。これでイギリスのド級戦艦と同じ片舷投射力となったが、5ヶ月後にはイギリスが超弩級戦艦オライオンを竣工させたため、あっという間に時代遅れになってしまった。1915年末に主缶を炭油(タール油)混焼缶に変更した。第1次大戦中に主砲最大仰角を16度に上げ、魚雷防御網を撤去するなどの改装を実施している。参考:近代戦艦史、月刊丸2,0812,11、月刊世界の艦船1,12

ヘルゴラント級>:ドイツ海軍砕氷曳船Helgoland級。主に救難任務を行う砕氷船で、後部に大型のデリックを持つ。消防設備も搭載している。全長68m、満載排水量1643トン。主機はディーゼルで、速力17ノット。1966-67年にA1458フェーマルンなど2隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,07

ヘルゴラント・バイト海戦>:第1次大戦時の1914828日、イギリス海軍はドイツ湾内でのドイツ海軍水雷戦隊の行動パターンを掴み、イギリス大艦隊巡洋戦艦5隻などでドイツ湾内ヘリゴラント島のドイツ艦隊泊地を急襲。ドイツ戦艦部隊は干潮で出撃できず、軽巡3隻と駆逐艦1隻を沈められた。参考:歴史群像6,16、月刊世界の艦船1,12

<ベルゴロド>:K-139949A型原潜)またはK-329949A型原潜)を参照。

ベルサイユ講和条約>:第1次大戦の講和条約で、440条もあり、ドイツに対して領土及び多額の賠償、軍備制限を要求している他、国際連盟の創設も規定している。アメリカのウイルソン大統領が提示した14箇条の講和綱領からはかけ離れた内容になった。ラインラントは非武装化され、アルザス・ロレーヌ地方はフランスに、アルデンヌ北部はベルギーに併合され、オーバーシュレジエンとポンメルン(ポーランド回廊)はポーランドに割譲され、海外植民地は戦勝国に割り当てられて委任統治されることになった。また、オーストリアとの合邦の禁止が規定されており、チェコスロバキア領内のドイツ人はドイツ国籍を失うこととされた。民族自決の原則に基づき、中東欧でポーランドやチェコスロバキアなどが独立している。陸軍兵数は常備兵力10万名、将校総数4000名に制限され、徴兵制も禁止された。予備戦力強化や軍の新陳代謝を防ぐため、最低現役期間を下士官9年、将校12年としている。部隊数は7個歩兵師団と3個騎兵師団までで、参謀本部も組織できなくなった。ラインラントにドイツ側防御施設を建設することも禁じられている。軍用機、戦車、毒ガス、大口径砲、10000トン以上または備砲口径11インチ(279.4mm)以上の戦艦、空母及び艦載機、潜水艦の製造と保有の禁止の他、ドイツ国内の民間航空に対する制限や禁止規定も設けた。保有できる銃砲と弾薬数は小銃84000丁(1丁あたり400発)、騎兵銃18000丁(1丁あたり400発)、軽機関銃1134丁(1丁あたり8000発)、重機関銃792丁(1丁あたり800発)、軽迫撃砲189門(1門あたり800発)、中迫撃砲63門(1門あたり400発)、7.7cm野砲204門(1門あたり1000発)、10.5cm榴弾砲84門(1門あたり800発)。海軍兵数は15000名、うち下級将校以上は1500名まで。ドイツ海軍が保有を認められたのは、旧式戦艦6隻(ドイッチュラント級3隻とブラウンシュヴァイク級5隻の計8隻?)、軽巡洋艦6隻、駆逐艦12隻、水雷艇12隻(22隻?)で、予備として同数の艦船を建造できるとされたが、旧式戦艦は主砲口径28cm以下(20cm以下?)かつ排水量10000トン以下、軽巡洋艦は6000トン以下、駆逐艦は800トン以下、水雷艇は200トン以下という排水量制限があり、艦の欠損以外は進水式から戦艦と軽巡洋艦は20年、駆逐艦と水雷艇は15年経過しなければ各クラスの規格投入は認められないと定められた。賠償金の額は条約締結までに確定できず、第233条の規定に基づいて実質的にはドイツが連合軍に対して白紙委任状を出すような形となった。191957日にベルサイユ宮殿の隣のトリアノン・パレスというホテルでドイツ政府代表団に手渡されたが、ドイツ本国で内容を見た首相は調印を拒否して辞職。622日に後継内閣が受諾し、6281500にベルサイユ宮殿の鏡の間で署名した。賠償額は後に1320億マルク+ベルギー戦債60億マルクと決定されたが。これは到底支払い不能な額であり、ドイツでは怒りの声が広がった。1924年のドーズ案、1929年のヤング案(358億マルク)を経て1932年のローザンヌ会議で30億マルクまで減額されたが、ドイツ国民の怒りは収まらず、ナチス台頭に繋がることになった。民族自決の原則で独立したポーランドやチェコスロバキアは、ドイツとソ連の間の緩衝地帯としての役割を果たしドイツの東側脅威を削ぐと共に、在住ドイツ系住民が民族自決を主張してナチスによる併合や侵略の口実を与えた。イギリスは本条約で弱体化させたドイツに代わって戦勝国フランスをライバルと見做すようになり、ナチスドイツの脅威が増大してもフランスとの協調行動が取れなかった。19225月、ベルサイユ条約履行監視委員会の協定で、60馬力以上のエンジンを使った単発機、無人機、武装飛行機、武装を装着できる準備をした飛行機、全備状態で高度4000m以上を飛べる飛行機、高度2000mで時速170kmを超える飛行機の保有、運用、開発、生産を禁止すると定められ、これ以下の条件なら民間用航空機としての生産が可能となった。ただ性能条件があまりに厳しいので、1923年からドイツ航空業界はベルサイユ条約の適用されない海外に工場や設計室を移し、海外メーカーとの協同開発も積極的に行うようになった。19255月、ベルサイユ条約の履行に関する監視が国際連盟に移行。これを機にドイツは対等条件下での航空市場競争を主張し、ドイツ国内に外国のエアラインが乗り入れるかわりに、ドイツも武装しているもしくは武装装着準備をしている飛行機以外は民生用飛行機として生産できるようにした。1933年、条約制限内(実際には排水量で2割くらいオーバー)のドイッチュラント級装甲艦1番艦が竣工。1935316日にヒトラーが破棄し、再軍備宣言を行った。この条約破棄をドイツ外務省が在ベルリン英仏大使館で両国武官に伝達している最中、Ju52/3mDo11/23を国外工場で改造したドイツ空軍爆撃機の大編隊(400機ともいわれる)がベルリン上空を威圧飛行した。賠償金の方は延々支払い続け、第2次大戦敗戦に東西ドイツ分裂・統合を経て2010年に完済している。参考:歴史群像12,10、英独航空決戦、月刊軍事研究2,091,10、武装親衛隊、写真集ドイツの巡洋艦、グラフィックアクション44、世界の傑作機No.145、月刊丸8,114,17、朝雲

ベルサリエーレ>:イタリア海軍改ルポ級フリゲートBersagliere。イラク向けに建造されていたが、禁輸措置が発動したため、1995年にイタリア海軍で就役した。1996713日、世界一周航海のためタラントを出港。参考:月刊世界の艦船9,963,05

<ベル式206B型>:ベル206ヘリ海外ファミリーを参照。

<ベル式412型>:ベル412ヘリ海外ファミリーを参照。

<ベル式412EP型>:ベル412ヘリ海外ファミリーを参照。

<ベル式505型小型回転翼航空機>:ベル505ヘリ海外ファミリーを参照。

ベル社>:アメリカの航空機会社で、19357月にロレンス・ベルがベル・エアクラフト社として設立した。1941年にアーサー・M・ヤング技師を雇い、ヘリコプターの開発を開始した。1960年、テキストロン社に買収された。2015319日、日本法人事務所が開設された。2018222日、ベル・ヘリコプター社からベル(Bell)社に改称した。参考:月刊JWings10,1812,10、月刊軍事研究9,15、月刊航空情報5,18

ヘルシンキ>:フィンランド海軍ヘルシンキ級ミサイル哨戒艇。1981年就役。参考:週刊ワールドウェポン17

ヘルシンキ級>:フィンランド海軍ミサイル哨戒艇Helsinki級。船体及び上構は軽合金製で、緑とグレーによる迷彩を施し、フィヨルドに紛れ込みやすいようにしてある。ミサイル発射筒を外して機雷投下軌条を設置したり、任務に合わせて色々な軽火器を搭載したりすることが可能。全長45.0m、全幅8.9m、吃水3.0m、基準排水量280トン、満載排水量300トン。主機はMTU社製16V538TB92ディーゼル3基3軸10230馬力、最大速力30ノット。兵装は70口径40mm機関砲またはボフォース57mmMk1が1門、RBS15SF対艦ミサイル発射機8基(連装2基?)または機雷投下軌条、サコ60口径23mm連装機関砲2基またはミストラル6連装発射機2基、爆雷投下軌条。電子装備は9LV225射撃指揮レーダーと9GA208対水上レーダーで、ソナーはシムラッドSS304アクティブソナーとソナック曳航ソナー。1981-86年にヘルシンキ、トゥルク、オウル、コトカの4隻が就役した。参考:週刊ワールドウェポン17、月刊軍事研究3,02、ミリタリー・バランス1989-1990

ヘルシンキ大空襲>:継続戦争中の194426日、16日、26日の3回にわたり行われたソ連軍による空襲。1回目は350機で飽和攻撃を仕掛けたが、88mm砲のレーダー弾幕射撃に遭い、撃墜されたのは4機だけだったものの命中した爆弾は全体の10%だけで、大半は投棄せざるを得なかった。死者103人。2回目は650機が夜間に来襲したが、サーチライトや投棄爆弾による火災を市街と間違えて空襲を行い、命中した爆弾は2%だけであった。死者25人。3回目は1000機が夜間に空襲を行ったものの、ヘルシンキの10km東のヴオサーリに作られた偽市街(ポンミ部隊という偽防空隊まで配置された)に焚かれた巨大なたき火めがけて投弾してしまい、ヘルシンキに命中した爆弾は3%、死者は18人だけだった。参考:月刊PANZER4,03

<ヘルシングボルグ>:K32(コルベット)を参照。

ヘルシングランド>:スウェーデン海軍ヴェステルイェトランド級潜水艦2番艦Helsingland198411日起工、1987831日進水、19881020日就役。2005年にシンガポールに売却されることになり、シンガポール海軍アーチャー級潜水艦アーチャーになった。参考:月刊軍事研究2,03、世界の潜水艦ハンドブック改訂第2版、現代の潜水艦、月刊世界の艦船11,11

ヘルシンボリ砲台>:スウェーデンの沿岸砲台で、オースンド海峡(対岸のデンマークのヘルシングーアまで5kmしかない)を絞扼している。ドイツによるデンマーク・ノルウェー侵攻を受けて1940414日に計画が出され、425日に予算が承認され、428日から4週間で竣工した。防楯付き15.2cm沿岸砲モデル1940を1門ずつ収容した半地下砲台4カ所、ボフォース40mm単装機関砲1門装備の半地下砲座1カ所、地下指揮所、野戦病院で構成され、化学兵器に備えて手回し式の清浄機を配備した空気清浄室も設けられていた。615日には500mほど離れた場所に兵舎も完成している。主任務はヘルシングーアにある港湾(停泊していれば軽巡ケルンも)と駅の破壊、ドイツ軍沿岸砲台の制圧である。スウェーデンは第2次大戦には参加しなかったので発砲の機会は無く、戦後も空気清浄室をNBC対応にするなど改良を加えたがもちろん使用されず、1982年に最後の実弾射撃訓練を行い、退役して一般公開されている。参考:月刊丸12,11

ヘルストーム1>:中国が開発したカシュタン改良型。ミサイルとFCSを新型に換装している。参考:月刊世界の艦船1,15増刊

ヘルストリーク>:イギリス軍のヘリコプター搭載空対空ミサイルで、スターストリークを改造したものである。別名ATASK。全長1.4m、直径0.13m、翼スパン0.25m、重量16kg。最大射程16km。参考:軍用機ウェポン・ハンドブック

ペルセ>:フランス海軍ルドゥタブル級潜水艦Persee1933年竣工。1940年に戦没した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

ペルセューズ>:CVS-401(ミサイル)を参照。

ペルソナ衛星>:ロシアの偵察衛星14F137。アラクス衛星の後継で、17V321電子光学システムを搭載しており、分解能は1m以下(0.3mくらい?)といわれる。軌道高度750km。設計寿命7年。2008年に初号機が打ち上げられたが、2009年には粗悪な電子機器がバンアレン帯からの宇宙線による影響を受けたため不具合が発生して機能不全になっていることが判明した。2013330日に2号機が打ち上げられ、こちらも一時機能不全に陥ったとされるが、機能回復に成功したようである。2013年末から2014年初めを予定していた3号機打ち上げは延期され、20156月に打ち上げられた。参考:月刊軍事研究9,145,135,113,1611,18

ヘルソング>:日本海軍士官のスラングで、猥褻な歌(ヘル+ソング)のこと。参考:帝国陸海軍事典

<ヘルダイバー>:SBCシリーズ(艦上爆撃機)またはSB2Cシリーズ(艦上爆撃機)を参照。

ペルダナ>:マレーシア海軍ペルダナ級ミサイル艇1番艇Perdana1972年就役。2019918-20日、ミサイル艇ハンダラン、ミサイル艇ガンヤンと共に、クアンタンを親善訪問したDD-151あさぎりと親善訓練を実施。参考:月刊世界の艦船3,1012,19

ペルダナ級>:マレーシア海軍ミサイル艇Perdana級。フランス製のコンバタントU級を導入したものである。満載排水量265トン。兵装は57mm単装砲1門、エグゾセMM38艦対艦ミサイル単装発射筒2基。1972-73年にペルダナなど4隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,10

ヘル談>:日本海軍士官のスラングで、エロ話(ヘル+談)のこと。単なる猥談ではなく、小話のような感じである。参考:海軍こぼれ話、帝国陸海軍事典

<ベルダン型アンビル>:アンビルを参照。

ベルダン戦>:第1次大戦中の19162-12月に行われた、ドイツとフランスの戦闘。マルヌ会戦の結果生じたフランス軍突出部に対するドイツ軍攻勢で、塹壕線の突破は目的とせず、敵に味方よりも大きい損害を与えて消耗させ、戦況を優位にすべく開始された。5平方キロの土地を巡ってドイツ軍50万、イギリス軍40万、フランス軍35万が損耗するという壮絶な戦いの結果、7月までにドイツ軍が10kmほど前進した。これに対し、イギリス軍が9月のソンムの戦いで戦車を投入、一時11km押し戻したが再び戦線が膠着し、戦いが終わった11月までに英仏軍90万、ドイツ軍60万という大損害を出した。参考:月刊PANZER11,99、月刊軍事研究11,15

ベルダン・プライマー>:ベルダン型雷管。アメリカ陸軍のハイラム・ベルダン大佐が開発した。薬莢側の雷管挿入部中央が突起になっており、ここが発火金として作用する。雷管挿入部から薬莢内に通じる伝火孔が2個あるので、リロードの際には不便。参考:GUN用語事典

<ベルティッド薬莢>:薬莢を参照。

<ヘルテン>:M1099(掃海艇)を参照。

<ベルト型履帯>:履帯を参照。

ベルト・キット>:弾薬ポーチ、ファーストエイド・キット、銃剣、水筒、エントレンチング・ツール、拳銃などを吊しておけるベルトやサスペンダーのこと。第1次大戦頃から出現した。参考:歴史群像2,08

ベルト給弾式>:布ベルトや金属リンクなどでベルト状に連結された弾薬を装弾する方式のこと。金属リンクの場合、リンク給弾ともいう。布ベルトでも、伸びを防ぐために金属製のベルトとリベットを取り付けたものがある。金属リンクでは弾薬が押し抜かれると同時に分離されて銃外に排出されるタイプ(Disintegrating links)が多い。最初に開発したのはハイラム・S・マキシムで、マキシム機関銃に使用した。日本陸軍では金属リンクを保弾子、海軍では連環、クリップ、装弾子、挿弾子と称した。参考:GUN用語事典、世界の軍用銃、丸メカニック別冊1、ストライク・アンド・タクティカルマガジン3,12

ベルトク暗号>:ドイツ軍が第2次大戦時に使用した暗号で、在日ドイツ大使館付武官とベルリンとの通信に使用した。参考:Uボート入門

ベルトコンベア式給弾機>:弾薬ホルダー付きのチェーンによって駆動されるベルトコンベア式弾倉内に弾薬が格納されており、弾薬を選択するとそれが装填トレイに送られる方式の給弾装置。リンクが要らないのでリンクレス給弾ともいう。参考:火器弾薬技術ハンドブック

ベルトレ火薬>:1786年にフランスのベルトレが開発した火薬で、黒色火薬の硝石を塩素酸カリウムに置き換えている。発射薬としては実用化できなかった。参考:GUN用語事典

<ベルトロ>:MC205V(戦闘機)を参照。

<ベルトロ2>:MB339K(攻撃機)を参照。

<ベルナップ>:CG-26(巡洋艦)またはDD-251(駆逐艦)を参照。

ベルナップ級>:アメリカ海軍ミサイルフリゲートBelknap級、計画番号SCB-212。レイヒ級の改良型で、空母戦闘群における対空防御と対水上防御を主任務としており、対潜戦及び揚陸作戦時の陸上支援砲撃を副任務とする。テリアミサイル兼アスロック連装発射機1基を艦前部、5インチ単装速射砲を艦後部に搭載する。また、DASH格納庫を設け、2機のDASHを収容した。全長166.7m、幅16.7m、吃水5.5m、満載排水量6570トン(7930トン?)。主機は蒸気タービンで、2軸推進、出力85000馬力、速力32ノット(34ノット?)。兵装はテリア兼アスロック連装発射機Mk10が1基、5インチ単装速射砲1門、76mm単装砲2門、324mm3連装短魚雷発射管2基。一部に533mm単装長魚雷発射管2基(DASH発着甲板下部船首楼内両舷)を備えるものもあったが、後に撤去された。乗員388名。DLG-26ベルナップ、DLG-27ジョセファス・ダニエルス、DLG-28ウエインライト、DLG-29ジュエット、DLG-30ホーン、DLG-31スタレット、DLG-32ウイリアム・H・スタンドレイ、DLG-33フォックス、DLG-34ビドルの9隻が1964-67年に就役した。後に76mm砲を外し、代わりにハープーン4連装発射筒とファランクスを搭載した。また、DASH運用設備を対潜ヘリ1機搭載設備に変更した(DLG-26のみ格納庫を持たない)。1975年にミサイル巡洋艦CGに艦種変更された。1992年時点の諸元は、全長166.7m、幅16.7m、吃水8.8m、満載排水量8575トン(CG-26)、8820トン(CG-27/-28)、8065トン(CG-29から-33)、8520トン(CG-34)。主機は蒸気タービン2基2軸85000馬力で、速力32.5ノット。兵装はスタンダードER/アスロック連装発射機Mk10Mod7が2基、ハープーン4連装発射筒2基、127mm単装砲1門、ファランクス2基、324mm3連装短魚雷発射管2基。SH-2Fヘリ1機を運用可能。乗員479名、司令部要員18名。1993-95年に全艦除籍された。参考:月刊世界の艦船10,029,96、近代巡洋艦史、月刊軍事研究5,03

<ペルナンブコ>:D30(護衛艦)を参照。

<ベルニース>:1003(フリゲート)を参照。

<ヘルニョサンド>:K33(コルベット)を参照。

ベルヌーイの定理>:Bernoullis Theorem1738年にスイスの物理学者ベルヌーイが発表した。エネルギー保存の法則を完全流体(粘性の無い流体)の定常流(時間経過で状態が変化しない流れ)に適応したもので、非圧縮性流体において、1本の流線または流管に沿ったある点の圧力をp、流体密度をρ、流速をv、重力加速度をg、水平基準面からのその点の高さをhとすると、p+1/2×ρv^2+ρgh=定数の式が成り立つ。航空気象では大気運動以外で重力加速度を無視できるので、ρghの部分は省略できる。pは静圧、1/2×ρv^2は動圧なので、1本の流線に沿って静圧と動圧の和が一定になることを示しており、流速が速いところでは圧力が低く、遅いところでは高くなる。流速ゼロだと静圧が定数に等しくなるので、流速の無い淀み点圧または岐点圧を測れば定数が分かる。上流における流れの状態が一様の場合、全ての流線について淀み点圧が等しくなる。圧縮性のある流体でも関係式を導くことができ、粘性のある実在の流体でも適応して差し支え無いので、ピトー静圧管で淀み点圧(=定数)と静圧を測り、流体密度を代入すれば、流速を割り出すことができる。参考:航空用語事典増補改訂版

<ヘルパ>:バンプストッパを参照。

ヘルピク>:日本海軍士官のスラングで、春画のこと。ヘル・ピクチャーの略。参考:帝国陸海軍事典

<ヘルファイア>:AGM-114シリーズ(対戦車ミサイル)を参照。

<ヘルファイアU>:AGM-114K(対戦車ミサイル)を参照。

<ヘルファイアATWG>:ACVファミリー(自走対戦車ミサイル)を参照。

<ヘルファイアミサイルランチャー(SH−60K用)>:自衛隊の機器。三菱商事が受注している。参考:月刊軍事研究8,14

<ベルファスト>:35(軽巡洋艦)またはPF-35(タコマ級フリゲート)を参照。

ベルファストC.Mk1>:イギリス空軍戦略輸送機。貨物室は長さ25.7m(後部ランプ含む)、幅4.9m、高さ4.09m、容積311.5立方メートルあり、兵員150名や、貨物35.4トンを搭載可能で、イギリス陸軍のほぼ全ての車両やミサイルを収容できる。翼面積299平方メートル。全長41.69m、全幅48.42m、自重57.6トン、総重量104.3トン。エンジンはロールスロイス社製タインRTy.125730ehp)4基で、経済巡航速度292ノット、高速巡航速度306ノット、航続距離870海里(最大ペイロード)、4600海里(最大燃料)。乗員5名。1964年に初飛行したが、開発遅れと空軍の方針転換で10機のみ製作された。参考:空軍

<ベルファスト級>:サウザンプトン級第2グループ(軽巡洋艦)を参照。

<ヘルフォード>:K252(フリゲート)を参照。

ヘルブック>:日本海軍士官のスラングで、エロ本のこと。ヘル+ブック。参考:帝国陸海軍事典

ヘルペイ>:日本海軍士官のスラングで、桜紙のこと。ヘル・ペーパーの略。参考:帝国陸海軍事典

ヘルペスト・ターン>:Herbst Turn。ヘルペスト・マニューバーともいう。X-31が行った機動で、迎え角30度で進入し、機首を急激に70度まで上げて失速状態に陥ったのを利用し、横に倒れ込むように急激にターンを行って下降・加速するものである。名前の由来は提唱者のW・B・ヘルペスト氏。参考:月刊エアワールド9,00、月刊丸3,01

<ヘルペスト・マニューバー>:ヘルペスト・ターンを参照。

ベルベット・グラブ>:カナダ空軍空対空ミサイルVelvet glove1951年からカナダ兵器研究開発機構がCF-100戦闘機用に開発した。全長3m、直径0.2m強。誘導はSARH19538月に初試射が行われた。参考:月刊JWings12,14

<ヘルベルト・ルーテジェ>:ルーテジェ(ドイツ空軍エース)を参照。

<ベルボア>:L32(駆逐艦)を参照。

<ヘル・ポジション>:スロットを参照。

ベルボマイスコエ村占拠事件>:1996111日、チェチェン国境に近いロシアのベルボマイスコエ村をチェチェン独立派武装勢力250人が占拠し、警官37人と村民100人を人質にとって占拠した。115日、軍と内務省特殊部隊が戦闘機、戦車、ヘリ、火砲などの重火力を投入して突入を開始。118日までに武装組織メンバー153人を殺害し、28人を逮捕して制圧したが、人質18人が行方不明になり、突入部隊も26人が死亡、93人が負傷した。参考:月刊軍事研究7,97

<ヘルマーリン>:TM170(装甲車)を参照。

<ヘルマン・キュンネ>:Z-19(駆逐艦)を参照。

<ヘルマン・グラーフ>:グラーフ(ドイツ空軍エース)を参照。

<ヘルマン・ゲーリング>:ゲーリングを参照。

ヘルマン・ゲーリング降下機甲軍団>:Fallschirmpanzerkorps Herman Goring1944101日、ヘルマン・ゲーリング降下機甲師団から改編された。隷下に軍団司令部、ヘルマン・ゲーリング第1降下機甲師団、ヘルマン・ゲーリング第2降下機甲てき弾兵師団、ヘルマン・ゲーリング降下対空砲連隊、ヘルマン・ゲーリング機甲突撃大隊、ヘルマン・ゲーリング軍団戦車駆逐大隊、ヘルマン・ゲーリング軍団工兵大隊、ヘルマン・ゲーリング軍団通信大隊、ヘルマン・ゲーリング第1補給大隊、ヘルマン・ゲーリング第2修理大隊、ヘルマン・ゲーリング管理行政大隊、ヘルマン・ゲーリング軍団衛生大隊、ヘルマン・ゲーリング軍団野戦郵便局、総統付対空砲大隊、国家元帥随伴大隊、ヘルマン・ゲーリング降下機甲予備訓練旅団、ヘルマン・ゲーリング降下機甲第2予備訓練旅団、ヘルマン・ゲーリング予備訓練連隊、ヘルマン・ゲーリング降下機甲軍団本国司令部などを置く。戦車が足りなかったため、完全な2個機甲師団編成にはできず、軍団固有のティーガー大隊編成も行えなかった。105日、ソ連第3白ロシア方面軍がオストプロイセンに攻勢を掛けたため、ワルシャワからオストプロイセンへの移動を開始。1016日、ソ連第11親衛隊によるケーニヒスベルクへの攻勢を阻止するための戦闘を開始。11月、グムビンネン南方で防御戦に入った。19451月、ヘルマン・ゲーリング第1降下機甲師団がポーランドの上シュレジェン戦域に移動。113日、オストプロイセンでソ連軍の大攻勢を受けて後退を開始。121日、ネーメンスドルフまで後退。123日、オストプロイセンがソ連軍に包囲され、ヘルマン・ゲーリング降下機甲軍団も包囲環に閉じ込められた。325日、ピラウから海上撤退を開始。軍団の戦力は6000名(113日時点では24000名だった)に減少しており、ベルテンで再編を受けた後、ヘルマン・ゲーリング第1降下機甲師団と合流し、4月中旬から防衛戦に入った。58日、ドレスデンの北で戦闘中に降伏命令が出された。アメリカ軍占領域への脱出を図ったが、大部分がソ連軍ベルリン戦区で阻止されてシベリア送りにされた。参考:月刊PANZER9,12

ヘルマン・ゲーリング師団>:Division Herman Goring。ドイツ空軍隷下の地上師団である。1943年夏、降下機甲師団への改編を終了。710日に開始された連合軍のシチリア上陸作戦に対する反撃を実施。811-12日、シチリア島から撤退。93日に開始された連合軍のイタリア上陸作戦に対する反撃を実施。11月、予備に編入された。1944122日から開始された連合軍のアンツィオ上陸作戦に対する反撃を実施。3月、カエサルラインに撤退して休養と再編成に入った。5月、ネッツノ戦区に投入されたが、連合軍の総攻撃に耐えきれずローマの東に退いた。724日、東部戦線への移動を開始。731日、ワルシャワ戦区でソ連第3戦車軍団の進撃を阻止。8月、ヴィツスラ川西岸に移動。101日、ヘルマン・ゲーリング降下機甲軍団に改編された。参考:月刊PANZER9,12

ヘルマン作戦>:第2次大戦時のラインの守り作戦でドイツ軍が194511日に発動した、連合軍航空基地爆撃作戦。参考:グラフィック第2次大戦アクション・シリーズ8

<ヘルマン・ショーマン>:Z-7(駆逐艦)を参照。

ヘルマン・フォン・ヴィスマン>:ドイツ海軍魚雷艇母艦。第2次大戦後にベルギーに譲渡され、カミナとなった。参考:グラフィックアクション44

<ヘルム>:DD-388(駆逐艦)を参照。

<ヘルムート・ヴィック>:ヴィック(ドイツ空軍エース)を参照。

<ヘルムート・リップフェルト>:リップフェルト(ドイツ空軍エース)を参照。

<ヘルムート・レント>:レント(ドイツ空軍エース)を参照。

<ヘルムサント>:Y862(試験艦)を参照。

<ヘルムスデイル>:K253(フリゲート)を参照。

<ヘルメス>:ZG-3(駆逐艦)を参照。

ヘルメス>:ドイツ海軍が第2次大戦時に使用した暗号で、地中海配備部隊向け。参考:Uボート入門

ヘルメス45>:エルビット・システムズ社が開発したUAV。電子光学/赤外線センサー及びレーザー目標指示装置を装着したセンサーターレット、海洋レーダー、地形センサー、ELINT/COMINT機材、電子戦機材、通信中継装置などを搭載可能。離陸はカタパルト、回収はネットで行う。最大離陸重量70kg。推進は胴体尾部のプッシャープロペラ、最大航続時間22時間。ペイロード20kg。遠隔操作距離100-200kmで、オプションの衛星通信システムを積めば更に延びる。運用要員2名で、操作員1名が2機を運用できる。参考:月刊JWings2,'20

ヘルメス90>:イスラエルのエルビット・システムズ社が開発したUAVHermes90。システムは小型トラック2両に搭載でき、2-3名で運用可能。全幅5m、自重115kg、最大ペイロード55kg。最大高度15000フィート(4572m)、最大行動半径100km、最大航続時間15時間。参考:月刊軍事研究2,14

ヘルメス180>:エルビット・システムズ社が開発したUAVHermes180。全長4.4m、全幅6.0m、最大離陸重量195kg、ペイロード32kg。エンジン出力38馬力、最大速度195km、進出可能距離100km、航続時間15km。参考:月刊JWings8,11

ヘルメス450>:エルビット・システムズ社が開発した中型UAVHermes 450。胴体はミサイル形状で、中央上部に板上の支柱を介して主翼が載り、尾部上面にV型尾翼、蕪にエアインテイクを持つ。主翼は直線翼で、翼端は下向きに垂れ下がっている。主翼直後の胴体上面に平たく長い支柱を介してデータリンクアンテナ収容ポッドが付く。降着装置は三車輪式の固定式で、全て胴体から出る。全長6.1m、全幅10.5m、最大離陸重量550kg、ペイロード250kg。エンジンはR902(W)ロータリー(52-70馬力)単発、推進は3翅プッシャー・プロペラ、巡航速度70ノット、運用高度5487m、滞空時間18-24時間。システムは地上操縦装置GCS、地上データターミナルGDTUAVで構成され、GCSはコンテナ式で、パイロット2名のコンソールを収容し、複数のUAVを操縦できる。GDTにはCバンドのデータリンク用パラボラアンテナが繋がっている。イスラエル国防軍、アメリカ国境警備隊、イギリス軍(ウォッチキーパー)、シンガポール空軍、グルジア空軍、コロンビア空軍などが採用した。イスラエル国防軍では武装型も開発されたという噂もある。参考:月刊航空ファン4,186,10、月刊JWings8,11、月刊軍事研究2,134,132,14

<ヘルメス450海外シリーズ>

 <ヘルメス450(コロンビア空軍)>:コロンビア空軍無人機。コロンビア革命軍の麻薬対策、対テロ戦・対ゲリラ戦用に2012年にエルビット・システムズ社へ6機を発注し、2013年から第217戦闘飛行隊で運用している。参考:月刊航空ファン4,18

ヘルメス900>:エルビット・システムズ社が開発した中高度長時間滞空UAVHermes900。胴体は機首が大きく膨らんだ円筒形で、主翼は中翼配置の直線翼、尾翼はV字である。機首フェアリング内には衛星通信/データリンクアンテナを収容し、機首下面に球状の電子光学/レーザーターレットを備える。機首下面センサーは合成開口レーダーやSIGINT/COMINTシステムに換装可能。全長9.1m、全幅15.3m、最大離陸重量970kg、ペイロード300kg450kg?)。エンジンはロタックス914F水平対向4気筒レシプロ(115馬力)単発、推進は3翅プッシャー・プロペラ、巡航高度9144m、最大行動半径300km、滞空時間36時間。システムはヘルメス450と同じGCSGDTを使う。2009年に初飛行した。イスラエル国防軍が導入し、チリ空軍にも機体3機とシステム一式が引き渡された。チリ空軍では最終的に6-9機を運用予定である。コロンビア空軍も導入した。参考:月刊航空ファン4,18、月刊軍事研究2,1412,112,13、月刊JWings8,116,16

<ヘルメス900ファミリー>

 <ヘルメス900(海洋哨戒型)>:エルビット・システムズ社のプライベート・ベンチャーで、エアロ・インディア2013に出品された。セレックス・ガリレオ・ガビアーノT200合成開口レーダー(使用周波数Xバンド)、自動識別装置、電子光学マルチセンサー、電子監視システム、救命ボート、見通し線内通信装置、衛星通信装置、通信リレー装置などを搭載しており、最大36時間の活動が可能。地上管制ステーションでは操縦者が2機を同時に操作できる。参考:月刊軍事研究8,13

<ヘルメス900海外シリーズ>

 <ヘルメス900(コロンビア空軍)>:コロンビア空軍無人機。コロンビア革命軍の麻薬対策、対テロ戦・対ゲリラ戦用に2012年にエルビット・システムズ社へ2機を発注し、2013年から第217戦闘飛行隊で運用している。参考:月刊航空ファン4,18

 <ヘルメス900(スイス)>:RUAGレンジャーの後継として201465日に採用を決定した。参考:月刊軍事研究11,14

 <ヘルメス900(タイ海軍)>:タイ海軍無人機。2022928日に3年間の提供契約を結んだ。電子光学センサー、レーダー、膨張式救命筏などを搭載し、洋上監視や捜索救難に投入する。参考:月刊JWings12,22

ヘルメス1500>:IAI社の開発したUAV。双発プロペラ推進で、高度11300m24時間滞空でき、洋上哨戒などに使用される。機材搭載能力350kgで、FLIRの他に合成開口レーダーも搭載、SIGINT能力や衛星通信機能も持つ。全長9.4m、全幅18m、重量1650kg。参考:月刊軍事研究10,053,00

<ヘルメット>:フライトヘルメットまたは防弾ヘルメットを参照。

ヘルメット・コンポジットM05>:フィンランド軍の防弾ヘルメット。アラミド繊維積層材をレジンで固めてあり、重量1.19kg。防御レベルは対弾片でSTANAG2920V-50フラグメントが毎秒580mで衝突しても耐えられる。また、対弾丸ではNIJ-STD-010601パラFMJ9mm7.5g)が毎秒420mで飛んできても耐えられる。参考:月刊軍事研究1,09

<ヘルメット装着式照準装置>:HMDを参照。

<ヘルメット装着式シンボロジーシステム>:HMSSを参照。

ヘルメリン>:ドイツ海軍ミサイル艇Hermelin2013826日から96日、バルト海でFLOTEX2013演習に参加。参考:月刊世界の艦船12,13

<ベルモント>:H46(駆逐艦)を参照。

ペルラ級>:イタリア海軍潜水艦Perla級。全長60.2m、水上排水量680トン、水中排水量844トン。主機はディーゼルと電動モーターで、水上速力14ノット、水中速力7.5ノット。兵装は533mm魚雷発射管6門、100mm単装砲1門。1936年にトゥルケーゼなど10隻が竣工した。参考:月刊世界の艦船6,09

<ベルラム>:R28(駆逐艦)を参照。

<ベルリン>:A1411(戦闘支援艦)またはFuG240(レーダー)を参照。

<ベルリンUU>:FuMO84(レーダー)を参照。

<ベルリン級>:タイプ702(戦闘支援艦)を参照。

<ベルリン空輸作戦>:ベルリン封鎖を参照。

ベルリン警備連隊(1989年)>:東ドイツ国家保安省の隷下で、人員数7000人。自動車化狙撃大隊6個、砲兵大隊1個、教導大隊1個からなる。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

ベルリン国際航空宇宙ショー>:ILAInternationale Luft-und Raumfahrtausstellung)と略す。世界最古の航空ショーで、1909年に第一回が開催された。2012年は911-16日にベルリン・エキスポセンター・エアポートで行われ、46カ国3001243社が参加、23万人が入場した。次回は2014520-25日に開催予定。2018年は425-29日にベルリンのシェーネフェルト空港で開催された。海自から第51航空隊P-1哨戒機2機が参加し、デモフライトを行っている。2020年は513-17日に開催予定だったが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で中止された。参考:月刊JWings12,127,186,20MAMOR vol.139vol.140

<ベルリン作戦>:マーケット・ガーデン作戦を参照。

ベルリン作戦>:ドイツ海軍が第2次大戦中の1941122日から323日まで実施した、大西洋海上交通破壊作戦。ノルウェーとフランスを占領し、ドイツ海軍がこれらの港を使えるようになったため、北海からシャルンホルストとグナイゼナウを出撃させ、大西洋での海上交通破壊作戦に就かせた後、北フランスのブレストに帰投させるもので、これによりイギリスが敷いていた英仏海峡と北海の阻止線が意味をなさなくなる。194012月下旬、ノルウェーのトロンヘイムに燃料と弾薬を集積し、大西洋上に給油艦10隻を待機させたが、悪天候で出港できず、1941124日にシャルンホルストとグナイゼナウがトロンヘイムを出撃。大西洋に出るにはデンマーク海峡かアイスランド南方を通る必要があり、ドイツ艦隊は128日にアイスランド南方を突破したが、直後にレーダーでイギリス海軍哨戒艦を探知、一旦引き返し、洋上給油しつつチャンスを待った。イギリス海軍は戦艦3隻、巡洋艦8隻、駆逐艦11隻をアイスランド南方に配備して待ち伏せたが、ドイツ艦隊は26日にデンマーク海峡を突破して大西洋に進出し、洋上給油を繰り返しつつ17800海里を航行、商船22115622総トンを撃沈・捕獲している。主目的が通商破壊なので、イギリス海軍戦艦に3回ほど遭遇しているが、交戦はしていない。ブレストに入港したシャルンホルストとグナイゼナウはイギリス軍の反復空襲を喰らって再出撃できず、北海の援ソ英船団攻撃の必要もあり、1942211日にケルベロス作戦でドイツ本国に戻った。参考:月刊世界の艦船4,171,12

ベルリン作戦>:第2次大戦中の1945416日からソ連軍が行った、ベルリン攻略作戦。194541日、ソ連軍最高司令部が正式にベルリン侵攻作戦の立案を開始。44日に第1白ロシア方面軍ジューコフ司令官と第1ウクライナ方面軍コーニェフ司令官、45日に第2白ロシア方面軍ロコソフスキー司令官が作戦会議に加わり、416日の作戦開始が決定した。概要は、ベルリン正面の第1白ロシア方面軍がオーデル河西のキュストリン橋頭堡からベルリンに直行し、南の第1ウクライナ方面軍はナイセ河を渡河して南からベルリンに突入すると共に西進してエルベ河に到達、北の第2白ロシア方面軍はポメラニアン作戦を行ってベルリン攻略を支援すると共にベルリン北方を西進してエルベ河に達し、ドイツ全土を制圧して米英軍と手を結ぶ、というものである。作戦兵力は3個軍合わせて将兵250万名、戦車6250両、装輪車両95383両、火砲41600門、カチューシャ3255基、作戦機7500機。対するドイツ軍は第1白ロシア方面軍正面にヴィツスラ軍集団ベルリン防御集団とフランクフルト・グーベン防御集団(ヴィツスラ軍集団第9軍主力及び中央軍集団第4装甲軍の一部)を、第1ウクライナ方面軍正面にシュプレンベルク防御集団(第4装甲軍主力)、第2白ロシア方面軍正面に第3装甲軍シュテッテン防御集団を展開した。416日、予定通り作戦を開始。第1白ロシア方面軍はゼーロウ高地で激しい抵抗に遭って前進が滞ったが、第1ウクライナ方面軍はナイセ河の渡河に成功して西進した。417日、スターリンが最高司令部作戦地図の第1白ロシア方面軍・第1ウクライナ方面軍作戦境界線をベルリン付近で消したといわれる。418日、第1白ロシア方面軍はベルリン第2−第4防御線を突破、ベルリンを包囲。まず市の電力と給水設備を破壊し、6000機による空襲と200万発以上の砲撃で市街を瓦礫の山にした。この時カチューシャ1000台以上を数キロに渡って並べ、ベルリンに向かって一斉発射し市街の1区画を完全に粉砕、市民の一部が発狂したと伝えられる。第1ウクライナ方面軍は0615より攻撃準備射撃を開始、シュプレンベルク防御集団の第1・第2防御線を突破した。ヒトラーはSS第3装甲軍団長フェリックス・シュタイナー大将をトップに据えたシュタイナー軍支隊を編成し、SS第4警察師団や第25装甲擲弾兵師団などを隷下に組み込んで北からベルリン救援に向かうよう下命したが、即応戦力は2個大隊くらいで、多勢に無勢だった。419日、ヒトラーがベルリン西方の第12軍にベルリン救援を下命。420日、第2白ロシア方面軍はポメラニアン作戦を開始してオーデル河を渡河。422日、第1ウクライナ方面軍は第3防御線を突破。424日、第1白ロシア方面軍と第1ウクライナ方面軍が手を結び、フランクフルト・グーベン防御集団をベルリン南方で包囲、ベルリン防御集団とシュプレンベルク防御集団の連携を絶った。425日、エルベ河畔トルガウ付近でアメリカ軍とソ連軍が邂逅し、代表のロバートソン中尉とルバシュコ中尉が握手を交わした(エルベの誓い)。426日、ベルリン市街地にソ連軍が突入。戦車部隊を並べて大通りに沿って前進し、ドイツ軍を分断、各防御区画を掃討すべく戦車と歩兵で小チームを組み、建物の全ての窓にサブマシンガンを掃射、バリケードや地下室の窓は戦車砲で破壊した。しかし瓦礫と化した建物の1階に陣取る対戦車砲・突撃砲、上層階の歩兵が投げつける火炎瓶、パンツァーファウストによる肉薄攻撃に大損害を出した。ローベルト・リッター・フォン・グライム空軍大将がハンナ・ライチェ女性飛行士の操縦するシュトルヒでベルリンに到着し、ヒトラーにより空軍総司令官に任命され、元帥に昇任した。ベルリン防御集団の一部が包囲突破攻撃に出たが撃退され、フランクフルト・グーベン防御集団は壊滅した。補給を絶たれた防御陣地は持ちこたえられず、428日には各陣地からの連絡が途絶。グライム元帥がベルリンを脱出。429日、ソ連軍がベルリン内郭環状防御線の大半を制圧。第12軍がベルリンに西から突入を図ったが、30km手前で阻止された。430日、国会議事堂が陥落し、1530にデーニッツを後継に指名してヒトラーが自殺。51日、ゲルリッツ防御集団が壊滅。52日、ベルリン防御集団基幹のドイツ第56装甲軍団7万名が降伏、作戦は終了したが、その後も散発的戦闘が数日間続いた。56日、ドイツ国防軍統帥部長アルフレート・ヨードル上級大将がフランスのランスにある連合軍遠征軍最高司令部で降伏文書に調印。58日、ソ連の要求に基づき、ベルリン郊外でドイツ国防軍最高司令部総監ヴィルヘルム・カイテル元帥が降伏文書に調印した。参考:歴史群像4,18、月刊軍事研究6,03、月刊グランドパワー12,04、激闘 東部戦線(2) 、歴史群像6,14

ベルリンの壁>:19618月、東西ベルリンを隔て市民の脱出を防止するために建設された壁。東ドイツからの大量の亡命者対策(19495月から1961年までに300万人以上。科学者や著名人などを西側に亡命させ、ソ連に関する情報収集を行い、東欧でのソ連の影響力を弱めるという米英の作戦もあった)のためソ連と東ドイツが建設した。196184日、モスクワで開かれたワルシャワ条約機構首脳会議で、東ドイツ国家評議会議長が西ベルリン周囲に障壁を構築することを提案し、承認された。812日、東ベルリン市内の西側管理区域に面した46kmの境界線に鉄条網が設置された。8130130、東西ベルリンの境界が封鎖された。815日、石とコンクリートによる壁の建造を開始。8月末、高さ3.6mの障壁が西ベルリンのほぼ全周106kmを覆い、更に1-2重の鉄条網が敷かれた。また、1年以内に116カ所に監視塔が建設された。1976年、L字型のコンクリートブロック上部にパイプを取り付けて手を掛けられないようにしたタイプが完成した。国境から5kmは軍を配置しない協定があったため、国境警備隊が警備していて、パトロール車両や軍用犬が監視を行い、車両用のガードブロックや落とし穴を設置した所もあった。地雷や自動射撃装置も仕掛けられており、東ベルリン市民への警告も兼ねて定期的に対人地雷の爆破試験を実施している。1989624日、ハンガリーで急進改革派が実権を掌握し、「汎欧州ピクニック計画」を開始。ハンガリー人のオーストリアへの出国制限を緩和し、西側への出国ルートを確保したため、東ドイツ市民が西側に脱出すべくハンガリーへと大挙出国し始めた。77日、ルーマニアのブカレストでワルシャワ同盟諸国首脳会議が開催された。この際、東ドイツのホーネッカー国家評議会議長が胆石発作を起こし、緊急帰国することとなった。811日、胆石発作の症状が落ち着き、ホーネッカー議長が職務に一時復帰。クレンツ副議長は出国者数が急増していることを報告、対応を求めたが、ホーネッカー議長はベルリンの壁建設前よりは少ないと一蹴し、副議長に休養を命じて自らも療養に入った。818日、ホーネッカー議長が胆石の手術を受けた。819日、ハンガリー西部のショプロンでハプスグルグ家当主が汎欧州ピクニックを開催し、参加した東ドイツ市民1000人がオーストリアに脱出、ハンガリー国境警備隊も黙認した。ホーネッカー議長は報告を受けたが、手術直後で集中治療室に入っており、麻酔から醒めやらぬ頭では対応策を練ることは不可能であった。これを受け、東ドイツ市民20000人以上がハンガリーやプラハに殺到、教会や西ドイツ大使館は脱出してきた市民で溢れかえった。911日、ハンガリー政府は東ドイツとの協定を破棄して西部国境を開放した。920日、ホーネッカー議長が職務に復帰したが、926日の政治局会議では建国40周年記念式典のことだけが議論された。930日、東ドイツの意向をほぼ無視する形でプラハから西ドイツ行き特別封印列車が仕立てられ、ドレスデンで一時混乱に陥ったものの、東ドイツ市民が西ドイツへの脱出に成功した。107日、東ドイツで建国40周年式典が開催されたが、参列する市民は来賓のゴルバチョフ書記長に対して東ドイツの改革開放を求め絶叫する有様だった。109日、東ドイツのライプツィヒで国外旅行の自由を要求する7万人のデモが発生、東ドイツ全土に拡大した。1010日、ホーネッカー議長は空挺部隊に対してデモの武力弾圧を指示したが、現場に派遣された部隊は命令を無視してただ傍観するのみであった。1018日、政治局会議でホーネッカー議長が解任され、クレンツ副議長が後任となったが、デモは収まらず、114日には東ベルリンで100万人が参加した民主化要求が行われ、117日に東ドイツ内閣が総辞職。119日、社会主義統一党中央委員会第10回総会が開かれ、1530に出国規制を事実上撤廃する新たな旅行条例案が提示され、満場一致で採択された。1800、国際プレスセンターで社会主義統一党ベルリン支部第一書記による定例記者会見が行われ、1853頃に旅行条例案の経過規定を発表した。この中には全国境を通じての東ドイツから西ドイツへの恒常的出国が含まれていた。1857頃、イタリア人記者がこの条例がいつ発効するのかと質問したところ、第一書記は原稿末尾の「1110日付発効」に気づかず、「ただ今から」と解答した。これを受け、1930、西ベルリン市長が会見を開き、全東ドイツ市民は自由に西ベルリンを訪れることが出来ると述べた。この頃からボルンホルム通りの検問所付近に東ドイツ市民が集まり始め、西ベルリンのチェックポイント・チャーリー検問所付近にも西ベルリン市民が集合した。2100頃、東ドイツ国家保安相からクレンツ書記長に、東ベルリンの国境通過地点に市民が大勢押し寄せているという電話連絡が入った。これに対し、クレンツ書記長は、検問所の遮断機を開くよう伝えた。2120頃、ボルンホルム通りの検問所付近に集結した東ドイツ市民は数万人にも達し、困惑した出入国管理官は特例として一部の市民を西ベルリンに出国させた。2245頃、東西ベルリン境界の国境検問所7カ所全てが開放され、ベルリンの壁が崩壊した。11100130頃、チェックポイント・チャーリー検問所付近で壁によじ登った市民が、ノミやハンマーで壁を壊し始め、ベルリンの壁の崩壊を象徴づけた。11ヶ月後には東ドイツが西ドイツに吸収され、ドイツが統一されている。1961813日から1989119日までの間に壁を越えられず死亡した市民は200人前後で、自動車や貨物に隠れたり、トンネルを抜けたりして亡命した市民は5000人前後とみられる。参考:歴史群像12,09、日本医事新報No.4678、月刊軍事研究11,095,026,16、朝雲

ベルリンの壁>:イラク戦争後、馬車で牽引されたロケット弾による攻撃を受けたため、イラクのパレスチナ・ホテル周囲に張り巡らされたバリケードにアメリカ軍が付けたニックネーム。参考:月刊グランドパワー5,04

ベルリン封鎖>:第2次大戦後、ドイツはアメリカ・イギリス・フランスが統治する西ドイツとソ連が統治する東ドイツに分かれ、東ドイツの中にあるベルリンも東西に分けられた。西ドイツでは中央政府を設置する準備が進められていたが、食糧不足でベルリン及びルール地方中心にストライキが起こった。この時、西ベルリンには陸路の他、幅20マイルの航空コリドー3本により物資輸送が行われていた。19482月、チェコスロバキアで共産主義クーデターが発生し、民主主義政権が倒れた。同月、西ドイツ経済行政機構設立憲章が制定されたが、ポーランド、チェコスロバキア、ユーゴスラビアの3ヵ国が反対を表明した。320日、ベルリン管理理事会が開催されたが、ソ連はアメリカ・イギリス・フランスを非難して議場から退いた。331日、ソ連がベルリンと西ドイツ間の旅行者及び貨物輸送に厳重な統制を実施すると勧告、検問を開始した。41日、ソ連がベルリンへの列車通行阻止を開始。輸送機もソ連戦闘機による妨害を受け、45日にはイギリスの輸送機とソ連の戦闘機が空中衝突した。410日、ソ連が列車検問を解除。41-10日、アメリカ軍向けに300トンの食料弾薬が空輸された。420日、連合国管理理事会で、今後のドイツの方針に関してソ連と米英仏の意見が対立し、ソ連が退席。421日、ソ連が内国河川貨物輸送制度の廃止を通告。56日、ソ連がベルリンから西ドイツへの貨物輸送を禁止。515日、ソ連が西ドイツとベルリンを結ぶ道路にあるエルベ河橋梁の通行制限を開始。ベルリンでの食糧不足が深刻になり、インフレも進み、労働者のストライキが激しくなった。612日、道路工事という名目でベルリンに通じるアウトバーンをソ連が遮断。615日、ベルリンに通じる全ての道路をソ連が遮断。621日、西ドイツでライヒスマルクに替わってドイツマルクが通貨として流通を開始、新経済体制が開始された。これに対してソ連はドイツマルクの東側への流入禁止措置を執った。622日、通貨問題に関して米英仏ソの会合が開かれたが、決裂。623日、ソ連は西ベルリンに向かう全ての鉄道を封鎖し、電力と水道、食糧の供給も停止した。この時人口2008943人の西ベルリンには36日分の食糧と45日分の燃料しかなく、米英仏はイギリスの提案により大規模な空輸作戦「Vittles(糧食。アメリカ軍名称)」及び「Plainfare(粗食。イギリス軍名称)」で対抗することにし、626日に80トンのミルク、小麦粉、医薬品などがC-47輸送機によりベルリンのテンペルホフ飛行場に輸送された。ソ連は空輸で必要物資輸送を支えきることは不可能とみていたようで、積極的に妨害することは無かった。西ドイツ市民は平静を保ち、ストライキなどもなりを潜め、ソ連に対する反感が高まっていた。輸送任務のため、創設されたばかりの軍事航空輸送隊がフル稼働、当初は西ドイツ駐留のアメリカ第60・第61兵員輸送コマンドが動員され、ヨーロッパに展開する輸送機がかき集められ、更にアメリカからC-54輸送機が引き抜かれ、C-47輸送機105機とC-54輸送機54機で630日までに日量1500トンの輸送量を確保した。また、イギリス軍も627日(28日?)からダコタ輸送機16機で空輸を開始、更に42機とヨーク輸送機40機を追加し、日量750トンの空輸を行った。しかし西ベルリンの維持に必要な物資量は食糧だけで1439トン(イースト3トン、ミルク5トン、チーズ10トン、コーヒー11トン、塩19トン、スキムミルク38トン、脂肪64トン、砂糖85トン、肉・魚109トン、穀物125トン、野菜144トン、脱水芋類180トン、小麦・小麦粉646トン)であり、衣類や医薬品、燃料といった緊要な物資も入れると1日4500トンを空輸することが求められた。大型のC-74輸送機は12機しかなかったため、C-54輸送機を主力にすることとし、必要数は225機とはじき出されたが、アメリカ空軍には投入可能なC-54180機しか無かったため、9月までに海軍からもC-54(海軍名称R5D)を借りて319機をかき集め、輸送に225機、訓練に19機、整備に75機を回し、乗員は45日交替で輸送任務に就いた。整備部品などはC-121輸送機7機とC-74輸送機がピストン輸送した。イギリス空軍はショート・サンダーランド飛行艇10機を動員し、防錆処理が施してあること、着水できることを活かして、ハフェル湖に着水しての塩の空輸を行った。11月末まではイギリスの民間航空企業も空輸に参加している。他にカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカも要員を送った他、フランスは空港建設・拡張に協力した。西ベルリンには西ドイツから北・中央・南の3つの航空コリドーが設けられており、南北を往路専用、中央を復路専用として混乱を回避した。空港は当初テンペルホフ空港とガトー空港の2カ所だったが、重機を分解して運び込み、テーゲル飛行場(現オットー・リリエンタール空港)の建設を開始。194885日から115日の3ヶ月で滑走路を完成させ、1216日にフランス工兵隊がソ連側区域にある高さ60mのアンテナ塔を爆破撤去して完成させた。テンペルホフ空港とガトー空港も、滑走路を1本ずつ増やした。テンペルホフ空港にはGCAによる航空管制が敷かれ、霧の中でも3分間隔での着陸を可能とした。この大量の輸送貨物を処理するために積み降ろしの機械化が進められ、積み荷も脱水するなどして容積や重量を減らす工夫がなされた。小麦粉や石炭は粉が飛ばないように梱包用紙袋に工夫を加えた。また、アメリカやイギリスからドイツに至る気象サービス網も整備された。輸送機には往復分の燃料を積み込み、西ベルリンでは最小限の点検のみを行うことにしたが、故障などで整備が必要な場合には元ドイツ空軍整備兵の力を借りた。ソ連側は輸送機への直接攻撃は行わなかったものの、戦闘機を輸送機周囲に飛ばしたり、戦闘機や高射砲による威嚇射撃を行ったり、妨害電波の送信やサーチライトによるコクピットへの照射をしたりして作戦を妨害した。717日、イギリスにB-29爆撃機60機(3個航空群90機?)、西ドイツにF-80戦闘機16機が配備され、ソ連を牽制した。ただし核搭載型B-29を配備した第509爆撃航空群はアメリカに止まったままだった。7月末、アメリカ軍の1日輸送量が2000トンを突破。8月中旬、アメリカ軍の1日輸送量が3000トンを突破。9月にはアメリカ・イギリス合わせて1日4800トンの物資を送り込み、1ヶ月分の食糧ストックを確保することに成功した。1014日、各国の空輸を統一指揮する連合空輸任務部隊が発足した。1123日、アメリカ国家安全保障会議がソ連を明確に敵とする報告書を勧告、大統領も承認し、冷戦がはっきりと形を表した。冬になると石炭消費量が上昇するため、必要日量が5620トン(食糧1435トン、石炭3084トン、商工補給品255トン、新聞など35トン、液体燃料16トン、医薬品2トン、軍補給品763トン、旅客30トン)に跳ね上がり、11月半ばからは天候の悪化で輸送量が落ち込んだが、輸送効率化とテーゲル空港開港によりカバーし、12月には1日輸送量5400トン、19491月には5500トンとなった。218日、累計輸送量が100万トンを突破。416日にはイースタン・パレードと名付けて12940トンという記録を作っている。1949425日にソ連は封鎖解除を表明、54日に米英仏ソの代表が会談し、512日にソ連は道路と線路を解放、封鎖は終結した。その後も備蓄が十分になるまで輸送は続き、連合空輸任務部隊が解散したのは91日、最後の輸送が行われたのは930日で、作戦終結が発表されたのは1031日である。輸送量はアメリカ空軍1783000トン、イギリス空軍542000トンで、総飛行回数276926回。ちなみにC-5Aギャラクシーがあれば、1個飛行隊12機で必要輸送量に対応できた。アメリカの出費は3億ドル以上とされる。12件の大事故があり、31名の死者が出た。テンペルホフ空港の一角には、この作戦などで死亡した68名の犠牲者を刻んだ碑が建てられている。他にパイロットがキャンデーの包みをハンカチで縛って空中投下(実施機はRosinenbomber・レーズンボマーと呼ばれた)したことから始まった子供達へのクリスマスプレゼント作戦「Little Vittles」が1220日から行われ、ついでにレイン・ドロップ作戦も行われた。西ドイツ市民のソ連に対する反感は確定的なものとなり、西ヨーロッパはNATOの下に結集、ソ連の目論見は完全に外れた。翌年、巻き返しを狙うソ連は間接的に朝鮮戦争を引き起こすことになる。2022520日、ベルリン空輸作戦75周年記念行事がサウスカロライナ州チャールストン空軍基地で実施され、胴体左前部ドア上方にSPIRIT OF THE CANDY BOMBERのマーキングを施したC-17A輸送機の前で航空機動軍団司令官らが記念撮影を行った。参考:航空ジャーナル9,77臨時増刊、月刊軍事研究3,09、朝鮮戦争(下)、月刊ミリタリーエアクラフト4,02、月刊航空ファン9,19、月刊JWings8,22

<ペルル>:S-606(潜水艦)を参照。

ペルル>:フランス海軍サフィール級機雷敷設潜水艦Perle1937年竣工。1944年、イギリス軍の誤爆を受けて沈没した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

<ベルワート>:K114(コルベット)を参照。

<ベルント・フォン・アルニム>:Z-11(駆逐艦)を参照。

ベレグ>:ロシア軍の移動海岸砲で、岸の意。1990年代初め頃からバリケード工場で開発が開始された。車体は8輪大型トラックMAZ-543Mで、後方の荷台上面にトリプルバッフル式マズルブレーキと砲口排煙機の付いた130mmカノン砲を搭載する。砲塔は密閉式で、48発の弾薬を収容し、自動装填装置により毎分10発の発射速度を誇る。全長12.95m、全幅3.2m、全高3.925m、重量43.7トン。エンジン出力525馬力、最大速度60km、航続距離650km。乗員8名。衛星通信システムを持つ指揮通信車両と、自走砲3両が一組で運用され、半径35kmの防衛を担当する。システム運用人員は47名。参考:ソビエト・ロシア戦闘車両大系(下)

ヘレク級>:ノルウェー海軍高速艇。沿岸監視部隊に配備されている。速力40ノット、12.7mm機銃2丁装備。参考:月刊軍事研究9,03

ペレグリン>:レイセオン社が2019917日に開発を発表したBVR/WVRAAM。マルチモード自律シーカーと呼ばれる赤外線パッシブ+アクティブレーダー・シーカーを備えており、全天候下で高い交戦能力を持つ。既存のランチャーを使用でき、F-35のミサイル搭載数を倍にできる専用ランチャーも開発予定。全長1.83m、重量68kg。弾頭は爆風破砕型。射程はAIM-120並、機動力はAIM-9X並。参考:月刊JWings12,19

ペレグリン600>:ガルフストリーム・アメリカン社が開発した練習機Peregrine 600。アメリカンジェット・インダストリー社時代に開発したビジネスジェット機ハスラー500がベースで、1979年から開発され、1981522日に初飛行した。原型機は機首にターボプロップ、胴体後部にターボファンを搭載する混合機だったが、本機はターボファンのみとされている。コクピットは並列複座だが、タンデム複座への変更も可能。全長11.68m、全幅10.50m、全高4.09m、自重2.383トン、最大離陸重量2.812トン。エンジンはプラット&ホイットニー・カナダ社製JT15D-5(推力1.36トン)単発で、最大速度394ノット、実用上昇限度14630m、燃料容量1100リットル、行動半径460海里、航続距離1080海里。乗員2名。アメリカ空軍次期練習機として提案されたが、採用されなかった。参考:世界の軍用機1982

<ベレ・グローブ>:LSD-2(揚陸艦)を参照。

ベレザ型>:ソ連海軍130型消磁艦Bereza型。全長69.5m、満載排水量2084トン。主機はディーゼルで、速力13ノット。1984-91年にSR-541など19隻がポーランドで建造された。後にウクライナに1隻、ブルガリアに1隻が引き渡された。参考:月刊世界の艦船6,15

ベレジナ>:ソ連海軍ベレジナ級補給艦Berezina1977年就役。参考:月刊世界の艦船8,82増刊

ベレジナ級>:ソ連海軍補給艦Berezina級。空母機動部隊に随伴できる補給艦で、自衛武装も強力である。全長212m、排水量35000トン、満載排水量40000トン。主機はディーゼルで、速力22ノット。燃料16000トンを搭載する。兵装は57mm連装砲2基、SA-N-4連装発射機2基、RBU-1000対潜ロケット2基など。ヘリ2機を搭載できる。乗員600名。1977年にベレジナが就役した。参考:月刊世界の艦船8,82増刊、月刊軍事研究1,07

ペレスウェート>:ロシア海軍ペレスウェート級戦艦Peresviet19017月竣工。19051月、日本海軍に鹵獲されて戦艦相模になった。19164月、ロシアに有償譲渡され、装甲巡洋艦ペレスウェートとして復帰した。191714日、ポートサイド沖で触雷して沈没した。参考:月刊世界の艦船6,14

ペレスヴェート>:ロシア海軍ロプーチャU型揚陸艦、艦番号077Peresvet2009922日、宗谷岬の西南西250kmを航行しているのを第2航空群P-3Cが発見した。1013日、宗谷岬の東北東160kmを航行しているのをDD-156せとぎりが発見した。2010925日、宗谷岬の西南西270kmを北東に航行しているのを第2航空群P-3Cが発見した。10100200頃、ミサイル駆逐艦アドミラル・トリブツと共に宗谷岬の東北東350kmを南西に航行しているのを第2航空群P-3Cが発見した。2011990100-1000頃、ソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦ビストリイスラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリヤーグウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・トリブツ、同アドミラル・ヴィノグラードフグリシャV型警備艦ホルムスクグリシャX型警備艦ソヴェツカヤ・ガヴァニタランタルV型ミサイル艇R-11、同R-14、同R-18、同R-19、同R-24、同R-298ロプーチャT型揚陸艦BDK-98アリゲーターW型揚陸艦ニコライ・ヴィルコフドゥブナ級補給艦イルクートエルブラス型潜水艦救難艦1隻、イングル型救難曳船1隻、カツンU型救難艦1隻、オビ型病院船1隻と共に宗谷岬の西200kmを東に航行しているのを第2航空群P-3Cが確認した。2000-2200には宗谷海峡を通過している。928日、ソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦ビストリイウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・トリブツ、同アドミラル・ヴィノグラードフグリシャV型警備艦ホルムスクグリシャX型警備艦ウスト・イムリスク、同コレーツ、同ソヴェツカヤ・ガヴァニロプーチャT型揚陸艦BDK-98アリゲーターW型揚陸艦ニコライ・ヴィルコフ改アルタイ型補給艦オビ型病院船と共に宗谷岬の東北東350kmを航行するのを第2航空群P-3Cが確認した。2012710600-1800スラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリヤーグソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦ビストリイウダロイT級ミサイル駆逐艦マーシャル・シャポシニコフ、同アドミラル・トリブツアドミラル・ヴィノグラードフグリシャX型警備艦メテル、同ウスト・イムリスク、同コレーツロプーチャT型揚陸艦BDK-98、同オスラビアアリゲーターW型揚陸艦ニコライ・ヴィルコフナヌチュカV型ミサイル艇イネイ、同ラズリーフタランタルV型ミサイル艇R-14、同R-18、同R-19フィニク級測量艦GS-47、同GS-84、同GS-296、同GS-404ビヤ級測量艦GS-200カメンカ級測量艦GS-211モマ級測量艦アンタークティダユグ級海洋観測艦ヴィーツェ・アドミラル・ヴォロンツォフカシタン級設標艦KIL-168と共に、宗谷岬の西160kmを東に航行するのを第2航空群P-3Cが確認が発見した。20133211400頃、ウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフロプーチャT型揚陸艦BDK-98バクラザン型救難曳船フォーティ・クリロフと共に、上対馬の北東170kmを南西に航行するのを第4航空群P-3Cが確認した。その後、地中海で長期行動を行っている。1222日、ウダロイ級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ、ロプーチャT型揚陸艦アドミラル・ニヴェルスキー、ドゥブナ級補給艦ペチェンガ、バクラザン型救難曳船フォーティ・クリロフと共に、下対馬の南西70kmを北に航行しているのを、第4航空群P-3Cが発見した。1224日、ウラジオストクに入港。20149261830頃、グリシャX型警備艦MPK82、同コレーツタランタルV型ミサイル艇R-19、同R-24、同艦番号991(他にもう3隻)、アリゲーターW型揚陸艦ニコライ・ヴィルコフロプーチャT型揚陸艦アドミラル・ニヴェルスキーソーニャ型掃海艇艇番号553、同BT-256と共に、宗谷岬の北40kmを西に航行するのを、第2航空群P-3Cが確認した。20159270730頃、グリシャV型警備艦ホルムスク、ロプーチャT型揚陸艦アドミラル・ニヴェルスキーと共に、宗谷岬北西120kmを東に航行するのを、ミサイル艇くまたかが発見した。その後宗谷海峡を東に進んでいる。10200800頃、ウダロイT級ミサイル駆逐艦マーシャル・シャポシニコフ、アドミラル・ヴィノグラードフと共に宗谷岬北東90kmを南西に航行するのを、第2航空群P-3Cが発見した。その後宗谷海峡を通峡してオホーツク海から日本海に入っている。2016621500頃、タランタルV型ミサイル艇R-24、同R-29と共に宗谷岬北北東40kmを西に航行するのを第2航空群P-3Cが発見した。その後宗谷海峡を西に抜けている。6210130頃、ウダロイ級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ、ロプーチャT型揚陸艦アドミラル・ニヴェルスキー、アリゲーターW型揚陸艦ニコライ・ヴィルコフ、オホーツク型航洋曳船アレクサンダー・ピスクノフと共に、上対馬北東55kmを南南西に航行するのを、PG-826おおたかと第1航空群P-3Cが発見した。その後対馬海峡を南下している。951630頃、ウダロイT級駆逐艦アドミラル・トリブツ、同アドミラル・ヴィノグラードフドゥブナ級補給艦ペチェンガイングル型航洋曳船アラタウと共に、上対馬北東70kmを南南西に航行するのを、DDG-172しまかぜが発見した。その後対馬海峡を南下している。911-19日、海上連合2016に参加。1020100頃、ウダロイT級駆逐艦アドミラル・ヴィノグラードフ、アドミラル・トリブツ、ドゥブナ級補給艦ペチェンガ、イングル型航洋曳船アラタウと共に、下対馬南西55kmを東北東に航行するのを、PG-826おおたかが発見した。その後対馬海峡を北上している。10191200頃、グリシャX型警備艦ソヴェツカヤ・ガヴァニ、改アルタイ型補給艦イリムと共に宗谷岬北西55kmの日本海を東に航行するのを第2航空群P-3CPG-827くまたかが発見した。その後オホーツク海に入っている。12170030頃、ウダロイT級ミサイル駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ、ロプーチャT型揚陸艦アドミラル・ニヴェルスキー、アリゲーターW型揚陸艦ニコライ・ヴィルコフ、ユグ型海洋観測艦マーシャル・ゲロヴァニ、改アルタイ型補給艦イジョラと共に宗谷岬北北東35kmを西北西に航行するのを第2航空群P-3CPG-825わかたかが確認した。その後宗谷海峡を西に航行し、オホーツク海から日本海に入っている。201773-4日、太平洋艦隊の大規模演習に参加。751500-1700頃、スラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグ、ソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦ビストリイ、グリシャX型警備艦コレーツ、タランタルV型ミサイル艇2隻、ナヌチュカV型ミサイル艇ラズリフ、ロプーチャT型揚陸艦オスラビヤと共に宗谷岬北北東40kmを西に航行するのを、第2航空群P-3CPG-827くまたか、DD-156せとぎりが発見した。その後宗谷海峡を西に抜けて日本海に向かっている。2018912130頃から921600頃、バルザム級情報収集艦プリバルティカイーゴリ・ベロウソフ級潜水艦救難艦イーゴリ・ベロウソフソーニャ級沿岸掃海艇艇番号553、同593、同BT256ウダロイT級駆逐艦アドミラル・パンテレーエフ、同アドミラル・トリブツ、同アドミラル・ヴィノグラードフソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦ビストルイプロジェクト20381型ステレグシュチイ級フリゲートソブエルシェンヌイグリシャX型警備艦メテル、同MPK221、同ウスト・イリムスク、同コレーツスラヴァ級ミサイル巡洋艦ワリャーグタランタルV級ミサイル艇7隻、バクラザン級救難曳船1隻、改アルタイ級補給艦1隻、トプリボ級給油艦1隻、カシュタン級設標艦1隻、オビ級病院船1隻と共に、宗谷岬北東210kmを西に航行するのを、DD-103ゆうだちPG-825わかたか第2航空群P-3Cが確認した。その後これらは宗谷海峡を西に進み、日本海に向かっている。20223160700頃、ロプーチャT級戦車揚陸艦アドミラル・ニヴェルスキーと共に、尻屋崎東北東220kmを南西に航行するのを、第2航空群P-3C哨戒機DD-120しらぬいが確認した。その後これらは津軽海峡を西に進んで日本海に向かっている。参考:月刊世界の艦船3,1012,104,113,126,133,1412,1412,151,168,169,1611,163,1710,173,196,'22、朝雲

ペレスヴェート>:ロシア軍の地上設置型防空レーザー砲Peresvet2017年から配備し、2018年秋から運用しているらしい。参考:月刊世界の艦船5,'21、月刊軍事研究8,18

ペレスウェート級>:ロシア海軍戦艦Peresviet級。全長132.4m、常備排水量12683トン。主機はレシプロ蒸気機械3基3軸15000馬力、速力18.5ノット。兵装は25.4cm連装砲2基、15.2cm単装砲11門、7.5cm単装砲20門、47mm単装砲20門、37mm機砲8門、38.1cm魚雷発射管5門。ペレスウェート、ポビエダなど3隻が1901年から竣工した。参考:月刊世界の艦船6,14

ベレッタ38シリーズ>:イタリア軍のサブマシンガン。1938年に制式化され、1944年までに数十万丁が生産された。参考:拳銃・小銃・機関銃

 <ベレッタ38>:外見はカービン銃に似ており、木銃床の上に円筒形の尾筒と銃身が取り付けられていて、銃剣も用意されている。照準目盛りは100-500mとやや長距離で、専用の高初速弾使用時を考慮していた。遊底レバーは右に付く。トリガーはタンデムに並んでいて、前方が連射用、後方が単射用である。全長946mm、重量4.25kg(弾倉除く)。弾倉は箱型で、10発、20発、30発、40発入りの4種類があった。参考:拳銃・小銃・機関銃、大日本帝国陸海軍軍装と装備

 <ベレッタ38/42>:銃床と銃身を短縮して軽量化、部品を省略してプレスや溶接を多用し、生産性を高めたものである。口径9mm。全長800mm、銃身長213mm、重量3.3kg。作動はブローバックで、弾倉は20発または40発入りのダブルカラム箱型、発射速度毎分550発、初速毎秒380m。参考:拳銃・小銃・機関銃

 <ベレッタ38/44>:第2次大戦中の最終生産型。開発時期からして戦時中に使用されたかは不明。参考:拳銃・小銃・機関銃

ベレッタ70/90>:イタリア国産の5.56mm自動小銃。参考:月刊軍事研究6,01

ベレッタ社>:1500年代初めに創業したイタリアの銃器メーカー。所在地もブレッシャー地方ガードネから変わっていない。拳銃、ライフル、ショットガンなどを製作している。参考:GUN用語事典

ベレッタ狙撃銃>:イタリアのベレッタ社が狩猟用ライフルを元に開発した狙撃銃。作動はボルトアクション式。光学スコープ、二脚を標準装備している。全長1165mm、銃身長586mm、重量7.2kg。ライフリングは4条右回り。使用弾は7.62mm×51弾で、装弾数5発。参考:最新軍用ライフル図鑑

<ベレト>:APD-109(高速輸送艦)またはDE-599(護衛駆逐艦)を参照。

ペレド>:ヨラム・ペレド(Yoram Peled)。イスラエル空軍エース。1979627日、F-15戦闘機で1機を撃墜した。19826月、ベッカー高原上空でシリア空軍戦闘機4機を撃墜し、エースとなった。参考:月刊JWings10,19

<ヘレナ>:CA-75(重巡洋艦)またはCL-50(ブルックリン級軽巡洋艦)またはCL-113(クリーブランド級軽巡洋艦)またはSSN-725(潜水艦)を参照。

ヘレ・ナハトヤークト>:Helle Nachtjact(明るい夜間戦闘)。ドイツ空軍が第2次大戦初期に行っていた夜間迎撃法で、地上聴音機により敵爆撃機隊をキャッチして夜間戦闘機隊を出撃させ、サーチライトに飛び込んできた敵機を肉眼で迎撃するものである。参考:月刊JWings4,10

ペレフ>:イスラエル陸軍自走対戦車ミサイル車両で、野蛮人の意。1980年代中頃から開発され、1990年初めから実戦投入されたらしいが、イスラエル国防省が存在を明らかにしたのは2011年、画像が公開されたのは2014年のガザ地区侵攻プロテクティブ・エッジ作戦時である。ベースはマガフ5で、車体前面にブレイザー爆発反応装甲、側面に分厚いスカートを装着、履帯はシングルピン式全鋼製に換装した。従来の砲塔は撤去してダミー主砲付き大型ミサイルターレット(全周旋回可能)に換装している。ミサイルターレット前半は乗員スペースで、左右に機銃用ピントルマウント付きキューポラが並び、上面右前部には直方体の視察装置らしきものがあり、前側面にはブレイザー楔形爆発反応装甲(タイル状複合装甲説あり)が付く。ターレット前面中央には105mm戦車砲が突き出しているが、よく見ると防楯が無く、砲身がERAに直接取り付けられていて、実はダミー砲身である。ターレット前部両側面には発煙弾発射機も装備する。ターレット後半が対戦車ミサイル12連装穏顕式ランチャー(6列2段)で、ミサイル発射時に大型箱型ランチャーがランチャー右の箱型照準装置と共に上昇して姿を現す。ランチャーはせり上がり方式で、ターレット前半部の高さが抑えられているのと、ミサイル発射時にランチャーに仰角をかけるのとで、前から見るとどこに隠していたんだと思うくらい背が高く見える。搭載ミサイルは当初タムズを予定し、射程延伸型タムズ2・4の完成に伴い順次更新、最終的にスパイクNLOSに換装した。照準装置はランチャーの1.5倍くらい背が高く、通常は後方に倒されていて、使用時に前方に起き上がる方式のようである。照準装置は前面に下ヒンジのドアがあり、内部には円形窓が2つ上下に並んでいて、照準用レーザー照準器と思われる。また、照準装置上面には折り畳み式プラナー・アンテナがあり、イスラエル国防軍トーチ指揮統制システム用データリンク・アンテナと思われ、通常は前に倒されているが、必要に応じて立ち上がる。ランチャー両側は大型の雑具入れでカバーされる。ランチャー後面をカバーする装甲ドアがターレット後面を形成していて、下に開いてミサイル・キャニスターを交換することが可能。乗員4名(車長、操縦手、射手2名)。参考:月刊PANZER6,18、月刊軍事研究1,16

ベレロフォン>:イギリス海軍ベレロフォン級戦艦Bellerophon1909年竣工。1914年、実験的に三脚マスト中段に探照灯を設置した。1916531日、第4戦艦戦隊第4小隊所属でジュットランド海戦に参加。1921年に除籍された。参考:近代戦艦史、月刊世界の艦船6,16、歴史群像6,16

ベレロフォン>:イギリス海軍マイノトー級軽巡洋艦Bellerophon。建造中止になった。参考:近代巡洋艦史

ベレロフォン級>:イギリス海軍弩級戦艦Bellerophon級。ドレッドノート級の量産型ともいえる艦で、水雷艇反撃用の砲を10.2cmに強化、前後火薬庫間に水雷防御隔壁を設置した。前檣は第1煙突の前に移され、後檣も前檣と同じくらいの高さになって第2煙突前方に設けられている。ドレッドノート級で後檣があった位置には探照灯台が設置されており、後に探照灯は第2煙突周囲に移された。全長160.3m、幅25.2m、吃水8.3m、常備排水量18800トン。主機は蒸気タービン4基4軸23000馬力で、速力20.75ノット。兵装は30.5cm連装砲5基(前部1基、中央両舷1基ずつ、後部2基)、10.2cm単装砲16門(4番砲塔以外の砲塔天蓋と上構上に8門ずつ)、4.7cm単装砲4基、45cm水中発射管3門(両舷、艦尾に1門ずつ。艦尾は1916年撤去)。装甲厚は水線部254mm、甲板102mm。乗員733名。ベレロフォン、シュパーブ、テメレーアの3隻が1909年に竣工した。舷側には魚雷防御網展張用の円材が斜めに並んでいるが、1915年に撤去されている。砲塔天蓋に装備されていた10.2cm砲は、第1次大戦で水雷艇や駆逐艦が戦艦と行動を共にするようになったため主砲と別に撃てた方が便利になり、大戦中に上構の02甲板レベルに移された。また、この頃には艦後部に高角砲を搭載した。ワシントン条約で廃棄された。参考:近代戦艦史

<ヘレン>:A198(曳船)を参照。

<ヘレン・オブ・ビキニ>:クロスロードB作戦(核実験)を参照。

ヘロイ級>:ユーゴスラビア海軍攻撃型潜水艦。兵装は533mm魚雷発射管。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

<ベロイト>:LCS-29(沿海戦闘艦)を参照。

<ヘロイナ>:D12(駆逐艦)を参照。

<ベロー・ウッド>:CVL-24(軽空母)またはLHA-3(揚陸艦)を参照。

ヘロー・キャスティング>:機雷掃討法の1つ。掃海ヘリからEODがロープで海面に降り、機雷に爆薬を装着、EODをヘリに回収した後に爆破するものである。参考:月刊世界の艦船9,13

<ベローナ>:63(軽巡洋艦)を参照。

<ベローナ級>:ダイドー級軽巡洋艦第2グループを参照。

<ベロス>:A214(潜水救難艦)を参照。

ベロス級>:スウェーデン海軍潜水救難艦。民間用の石油基地支援船を改造したもので、URF潜水救難艇(排水量52トン、潜航深度460m25名収容可)を搭載している。排水量5096トン。速力14ノット。A214ベロスが就役した。参考:月刊軍事研究7,99、現代の潜水艦

<ペロハチ>:P-38シリーズ(戦闘機)を参照。

<ヘロン>:AMS-18(掃海艇)またはMHC-52(機雷掃討艇)またはマハツ海外シリーズ(無人機)を参照。

ヘロン>:ラジオ・コントロール・スペシャリスツ社製のRPVで、小型爆弾の搭載が可能。エンジン出力10馬力、プッシャープロペラ推進。参考:スパイ機

ヘロン・シリーズ>:イスラエル空軍無人偵察機Heron、別名ShovalIAI社が開発した。参考:月刊航空ファン4,10

ヘロン>:プッシャープロペラのツインテールブーム機である。電子光学/赤外線センサーを搭載可能。全長16.6m、全幅8.5m、最大離陸重量1150kg、ペイロード250kg。エンジンはロタックス914レシプロ(115馬力)、最大速度222km、巡航高度9728m、進出可能距離350km、航続距離3300km、最大滞空時間40時間(50時間?)。オーストラリア空軍、カナダ空軍、ドイツ空軍、フランス空軍、スペイン陸軍もISAFで使用している。南オセチア侵攻でUAVの必要性を痛感したロシアも興味を示しているという。参考:月刊航空ファン4,10、月刊軍事研究10,10、月刊JWings8,115,20THE MILITARY BALANCE 2016

ヘロンU>:ヘロンの改良型。IAIが独自開発し、2020222日のシンガポール航空ショーで発表した。エンジンを強化して飛行性能やペイロードを向上し、ELINT/SIGINT装置の運用能力を追加、WASP広域監視装置の運用を可能としている。エンジンはロタックス915レシプロ、最大速度259km、上昇限度10608m、最大航続時間45時間。2021125日、中央アジアの某国から2機を受注したとIAIが発表した。参考:月刊JWings5,204,21

<ヘロン海外シリーズ>

 <ハーファン>:フランス空軍UAV2009年から実運用を開始し、2018115日に退役した。後継はMQ-9である。参考:月刊航空ファン4,18

 <ヘロン(インド軍)>:インド軍無人機。空軍で50機、海軍で12機を運用している。参考:月刊軍事研究9,11

 <ヘロン(オーストラリア空軍)>:オーストラリア空軍無人偵察機。5機を導入し、第5飛行隊に配備した。アフガニスタンにも展開している。2017723日に退役した。参考:月刊JWings3,18、月刊航空ファン12,19

 <ヘロン(ドイツ陸軍)>:ドイツ陸軍無人機。SAATEG Zwlという名称で200910月に3機の無人機と2基の地上施設を2012年末まで単年度ずつリースする契約を締結した。昼夜兼用電子光学偵察装置と合成開口レーダーを搭載し、北部アフガニスタンの偵察に使用される。2012年にリース期間を201410月まで延長することにした。その後も更新が続いており、20182月までの延長を決定、その後ヘロンTPかリーパーに切り替える予定。参考:月刊軍事研究7,1012,127,17

 <ヘロン(トルコ)>:トルコ軍無人機。1.9億ドルで導入を決定した。しかし2010531日のイスラエル海軍によるガザ国際救援船団襲撃でトルコ人活動家9人が死亡、イスラエルとトルコの関係が悪化し、訓練支援のためトルコに派遣されていたエルビットとIAIの社員が安全を理由に帰国。訓練不能となったためトルコはキャンセルを予定しているが、イスラエル側は一時的な帰国であるとしている。参考:月刊JWings9,10

ヘロンTP>:イスラエル空軍偵察用無人機Heron TP、別名EitanIAI社が開発した。全長13.0m、全幅26.0m、最大離陸重量4.65トン、ペイロード1トン。エンジンはプラット&ホイットニー社製PT6Aターボプロップ(1200馬力)で、運用高度13700m、航続距離7408km、航続時間70時間(36時間?)。対地攻撃能力を持たせることが可能。参考:月刊JWings8,11、月刊軍事研究3,16THE MILITARY BALANCE 2016

<ヘロンTP海外シリーズ>

 <ヘロンTP(インド)>:インド軍無人機。10機を導入予定。対地攻撃能力は持たせないらしい。参考:月刊軍事研究3,16

 <ヘロンTP(ドイツ)>:ドイツ軍無人機。2018614日、機体5機やGCS4機などの9年リース(セットアップ2年+運用7年)契約に調印した。契約相手はIAIでなくエアバス・ディフェンス&スペースである。参考:月刊航空ファン9,18

<ヘン>:Ka-15(ヘリ)を参照。

<ペン>:G77(駆逐艦)を参照。

ベン・アイチャ級>:モロッコ海軍中型揚陸艦。フランスのシャンプラン・バトラル級を導入したものである。兵員140名と戦車7両を搭載できる。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

<ペン書きオシログラフ1型>:自衛隊の機器。日本電計製。参考:月刊軍事研究6,14

<ペン書きオシログラフ2型>:自衛隊の機器。日本電計製。参考:月刊軍事研究6,14

ヘンガム級>:イラン海軍戦車揚陸艦Hengam級。戦車9両、兵員225名。ヘリ甲板を持ち、ヘリ1機を運用できる。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、ミリタリー・バランス1989-1990

<ベンガルズ>:VMFA(AW)-224(飛行隊)を参照。

ペンギン>:アメリカ海軍掃海艇。1941128日、日本海軍第4艦隊第18航空隊の水上偵察機5機の攻撃を受け沈没した。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

ペンギン・シリーズ>:ノルウェー海軍短射程対艦ミサイルPenguin1962年(1961年?)からノルウェー防衛研究所とコングスベルク兵器廠がアメリカと西ドイツの協力を得て開発し、1972年に実用化した。哨戒艇など小型艇に搭載し、フィヨルドに接近する敵艦を攻撃するのが目的のため、小型で射程が短い。NATO標準対艦ミサイルにも採用され、スウェーデン海軍、トルコ海軍、ギリシャ海軍、アメリカ海軍も配備した。参考:U.S.ウェポン・ハンドブック、月刊JWings4,02、艦載兵器ハンドブック改訂第2版、月刊丸12,923,90、月刊世界の艦船1,'15増刊、8,82増刊、11,17

ペンギンMk1>:艦艇に搭載されたレーダーで敵艦を捕捉、発射されるとシースキミングしつつ慣性誘導で敵艦の方に向かい、赤外線シーカーでロックオンして命中する。クラッターの影響を受けないのでフィヨルドでも運用に問題無く、ミサイル自体はパッシブ赤外線誘導なので探知されにくい。全長3m、直径0.28m、翼スパン1.42m、発射重量340kg、弾頭重量120kg(半徹甲)。推進はラフオス・アミュニッション固体燃料ロケットで、飛翔速度マッハ0.9、射程18km。空対艦型もあり、ノルウェー空軍F-104Gでの運用試験を完了している。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版、U.S.ウェポン・ハンドブック、月刊世界の艦船1,'15増刊、11,17、月刊丸12,92、ザ・マーチ17号、月刊軍事研究4,18

ペンギンMk2>:1979年に登場した性能向上型。赤外線シーカーの感度と対妨害性を向上、射程を延長している。全長2.96m、直径0.28m、翼幅1.42m、重量340kg、弾頭重量120kg(半徹甲)。固体ロケットブースターで射出され、推進も固体ロケットで、飛翔速度マッハ0.8、射程27km。箱型ランチャーを含む重量は650kg。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版、U.S.ウェポン・ハンドブック、月刊世界の艦船1,'15増刊、ザ・マーチ33

ペンギンMk2Mod7>:空対艦ミサイル型Penguin Mk2 mod7。翼を折り畳めるようにした。全長3m、直径0.28m、重量385kg。射程34km。アメリカ海軍がヘリコプター搭載用にAGM-119Bとして採用した。参考:月刊丸10,97U.S.ウェポン・ハンドブック、月刊世界の艦船11,17

ペンギンMk3>:空対艦ミサイル型で、ノルウェー空軍F-16用に開発され、1987年に実用化された。専用のパイロンには発射母機とのインターフェースが組み込まれており、機体側の改造は最小限で済む。ロックオン方式は、目標をレーダーで探してレーダー・コーサーを目標の上に合わせる方式、目標を目視してHUD上のターゲット指示ボックスに合わせる方式、目標を目視してHUD上の機関砲用十字レティクルを合わせる方式の3種類。全長3.176m、直径0.28m、翼スパン1m、重量825ポンド(370kg)、うち弾頭重量265ポンド(120kg)。誘導は中間がプログラム/慣性誘導/電波高度計、終末がパッシブ赤外線であり、撃ちっ放し能力を持つ。推進は固体燃料ロケットで、射程55km以上(40km?)。参考:ザ・マーチ33号、U.S.ウェポン・ハンドブック、月刊世界の艦船1,'15増刊、月刊丸10,97、月刊航空ファン11,92、月刊軍事研究4,18

<ペンギン海外シリーズ>

 <AGM−119A>:アメリカ海軍空対艦ミサイル。対潜ヘリ用としてペンギンMk3を暫定的に採用したものである。参考:月刊航空ファン11,92

AGM−119B>:アメリカ海軍空対艦ミサイル。ペンギンMk2Mod7に相当するもので、SH-60B LAMPSVに搭載するため翼を折り畳み式とし、弾頭をブルパップと同じものに換えている。参考:U.S.ウェポン・ハンドブック

<ペンギンT>:Bf108汎用機・海外シリーズ(ノール1001)を参照。

<ペンギンU>:Bf108汎用機・海外シリーズ(ノール1002)を参照。

変形SWATH型船体>:SWATH型の下部船体を前後2つに分けたもの。実験艦シー・スライスに使用されている。参考:月刊軍事研究2,04

<ペンサコラ>:CA-24(重巡)またはLSD-38(アンカレッジ級ドック型揚陸艦)を参照。

ペンサコラ級>:アメリカ海軍重巡洋艦Pensacola級。ワシントン条約下で最初に建造されたアメリカ海軍重巡で、8インチ砲10門を搭載したが、排水量制限で船体は乾舷の低い平甲板型とされ、装甲も舷側64mmに抑えられた。前後に三脚マストが1本ずつあり、機関は缶機缶機のシフト配置、煙突は前後に離れており、その間にカタパルト2基など航空関連装備が搭載されている。制限排水量をかなり下回ってしまい、耐航性もやや低かったが、第2次大戦を生き延びた。全長178.5m、幅19.9m、吃水5.9m、基準排水量9097トン。主機は蒸気タービン、出力107000馬力、4軸推進、速力32.7ノット。兵装は20.3cm3連装砲塔と連装砲塔を背負い式に配置(波浪の影響を避けるため、3連装砲が上方)して前後甲板に搭載しており、他に12.7cm単装高角砲4門、533mm3連装魚雷発射管2基を装備した。水上機4機(2機?)を搭載可能。乗員631名。CA-24ペンサコラとCA-25ソルトレイクシティの2隻が1929-30年に就役した。1941年、後部マストを三脚式から単脚に変更し、開いたスペースに後部指揮所を設けて方位盤を搭載、高角砲を8門に増やし、魚雷発射管を撤去した。大戦中にはレーダーや40mm機関砲を追加した。参考:近代巡洋艦史、第2次大戦のアメリカ軍艦

<ペンザンス>:L28(スループ)を参照。

ペンザンス>:イギリス海軍掃海艇Penzance20141027日から1113日、IMCMEX14に参加。参考:月刊世界の艦船2,15

<ヘンシェル・ティーガーB型>:ティーガーBシリーズ(戦車)を参照。

<ベンジャミン・イシャーウッド>:T-AO-191(給油艦)を参照。

<ベンジャミン・ストッダート>:DDG-22(ミサイル駆逐艦)を参照。

<ベンジャミン・フランクリン>:SSBN-640(ラファイエット改級戦略原潜)を参照。

<ベンジャミン・フランクリン級>:ラファイエット級シリーズ(戦略原潜)を参照。

編上靴>:軍靴のこと。参考:帝国陸海軍事典

ペンシルビーム>:方位・俯仰方向共にビーム幅を狭くした電波ビームのこと。目標の方位と仰角を同時に測定できるので三次元レーダー用として使用され、アンテナ利得が大きくなるので探知性能も良好。指向方向を僅かにずらしたペンシルビームで同じ目標を捉えて校正をかければ、目標位置の測定精度を更に向上させることができる。広大な3次元空間を細いビームで走査するので、時間がかかるという欠点があり、探知距離の大きいレーダーではペンシルビームを同時に複数作るマルチビーム方式にしたりする。参考:レーダシステムの基礎理論

<ペンシルベニア>:BB-38(戦艦)またはSSBN-735(潜水艦)を参照。

ペンシルベニア級>:アメリカ海軍戦艦Pennsylvania級。オクラホマ級の改良型で、主砲を3連装砲塔に統一してクイーン・エリザベス級に対抗できる砲力を持たせ、船体を短く纏めて防御力を強化し、排水量が4000トン増加した。全長185.4m、幅29.6m、吃水8.8m、常備排水量31400トン。主機はカーチス式(アリゾナはパーソンズ式)高低圧並列直結式蒸気タービン2組4基、主缶はバブコック&ウィルコックス式重油専焼水管缶(20.7気圧、飽和温度)12基、出力31500馬力(26500馬力?)、4軸推進、速力21ノット、重油搭載量2322トン、航続距離は10ノットで8000海里。兵装は45口径35.6cmMk1の3連装砲塔4基、51口径12.7cm単装砲22門、50口径7.6cm単装高角砲4基、533mm水中発射管2門。装甲厚は水線部343mm、甲板76mm、バーベット330mm、砲塔前楯457mm、砲塔天蓋127mm、司令塔406mm305mm?)。乗員915名(士官56名、下士官兵860名)。1912-13年度計画でBB-38ペンシルベニアとBB-39アリゾナの2隻が建造され、1916年に竣工した。1928-31年に改装を実施、マストを三脚式にし、舷側の12.7cm副砲を撤去して上構側面に10門と上部前端に2門を装備、水線部にバルジを設置して幅が32.4mになった。また、後に高角砲を12.7cm単装高角砲8基に換装し、第3砲塔上と艦尾にカタパルト1基ずつを装着、水上機3機を搭載した。主機は直結式から部分減速式(高圧タービンのみ衝動反動型ギヤードタービンにした)4基に、主缶は蒸気性状21.1気圧・244℃の専焼缶6基に換装し、出力35207馬力に強化した(速力は21ノットのまま)。燃料搭載量は6083トンに増加、航続距離は10ノットで19900海里となっている。基準排水量は33100トン(アリゾナは32600トン)になった。参考:近代戦艦史、第2次大戦のアメリカ軍艦、月刊世界の艦船1,123,15

<偏心螺式閉鎖機>:閉鎖機を参照。

ペンスリット>:ペンタエリスリトールテトラナイトレート(PETN)のこと。1894年にドイツで初めて製造された低感度の爆薬で、主に雷管類の添装薬として使用される他、PBXN-301の主成分でもある。TNTと1対1で混ぜるとペントライトとなり、試験用伝爆薬として多用されている。融点141.3度、爆速毎秒8310m、爆轟圧34GPa。参考:火器弾薬技術ハンドブック

<ヘンスン>:T-AGS-63(海洋観測艦)を参照。

編制>:団体を組織すること。軍隊の組織を定めること。動詞化することはできない。日本軍/陸自では「へんだて」と呼称した。参考:歴史群像8,02、機甲入門、月刊軍事研究6,16

編成>:個々の兵力を編合して編制を成立させること。人員や物品を集合させて組み立てること。「する」を語尾に付けて動詞化が可能。日本軍/陸自では「へんなり」と呼称した。参考:歴史群像8,02、機甲入門、月刊軍事研究6,16

編制権>:軍隊を建設し、維持管理する権利。大日本帝国憲法では天皇の大権であり、軍や艦隊の編制から兵器の供与、出帥準備から軍人教育に至る広範なもので、陸海軍大臣の補佐の下に発動された。参考:帝国陸海軍事典

編制部隊(自衛隊)>:法令で制定された固有の組織・定員・定数に基づき編成された部隊のこと。参考:陸上自衛隊地上戦力の全容

変速槓桿>:シフトレバー(チェンジレバー)の日本軍名称。参考:機械化部隊の主力戦車

<ベンソン>:DD-421(駆逐艦)を参照。

ベンソン級>:アメリカ海軍駆逐艦Benson級。1937-40年度計画で建造されたロンドン条約制限内駆逐艦のうち、ベツレヘム造船所の図面を使ったものを指す(ただし2隻はリバモア級の図面を使っている)。船体は船首楼型で、機関を缶機缶機のシフト配置とし、煙突を2本にした。兵装は全て中心線上に配置されている。初期艦は3・4番砲が砲塔式になっておらず、冬の北大西洋で波飛沫を被って照準が付けられなくなったため、後に側面にもシールドを付け、上部をキャンパスで覆った。全長106m、全幅11m、吃水3.1m、基準排水量1620トン。主機は高低圧2胴型一段減速オール・ギヤード・タービン(巡航タービンは減速歯車装置付きの直結式)、主缶(43.3気圧、454℃)4基、出力50000馬力、2軸推進、速力30ノット。兵装は12.7cm単装両用砲5門、533mm4連装魚雷発射管2基(DD-459以降は砲・発射管とも1基ずつ減)、爆雷投射機6基(後部上構両舷に3基ずつ)。乗員250名。DD-421ベンソン、DD-422メイヨー、DD-423グリーブス、DD-424ニブラック、DD-425マディソン、DD-426ランスデイル、DD-427ヒラリー・P・ジョーンズ、DD-428チャールズ・F・ヒューズ、DD-459ラフェイ、DD-460ウッドワース、DD-491ファーレンホルト、DD-492ベイリー、DD-598バンクロフト、DD-599バートン、DD-600ボイル、DD-601チャンプリン、DD-602ミード、DD-603マーフィ、DD-604パーカー、DD-605コールドウェル、DD-606コグラン、DD-607フレイジア、DD-608ガンスヴォールト、DD-609ギルスピー、DD-610ホビー、DD-611カーク、DD-612ケンドリック、DD-613ラウブ、DD-614マッケンジー、DD-615マクラナハン、DD-616ニールズ、DD-617オードロノーの32隻が1940-43年に就役した。参考:第2次大戦のアメリカ軍艦、月刊世界の艦船5,11

<ヘンダーソン>:DD-785(駆逐艦)を参照。

編隊>:Formation flight。複数の航空機が一定の隊形で飛行すること。最小単位は編隊長(リーダー)と僚機(ウイングマン)の2機編隊である。輸送機は3機編隊のV字飛行が基本。隠密性重視の偵察機やステルス爆撃機、後方に位置する空中給油機や早期警戒管制機などは単機行動もとるが、戦闘機はステルス機であっても編隊を組む。密集編隊では他機のジェット排気や渦などの影響を考慮して距離や位置を決める必要がある。前方の機体から発生した衝撃波が舵を直撃すると、急激に機体が振られて危険なため、予めその位置を避けて飛ぶか、衝撃波が発生した際に生じる歪みを視認したら衝撃波の前か後ろに移動する。参考:月刊軍事研究7,14、世界の傑作機No.104、月刊JWings10,09別冊付録、月刊航空ファン2,15

編隊灯>:夜間に編隊を組む際の目印にする灯火。目がくらんだり、敵にばれたりしないよう、光量を調整している。アメリカ軍機はエレクトロ・ルミネッセンス・ライトを装備する。参考:月刊JWings7,15F/A-18ホーネット

編隊連携機動飛行>:ブルーインパルスの展示飛行の1つ。空域や飛行に制限がある場合に行われるもので、アクロバットは無く、水平系の演技や航過飛行を組み合わせていて、展示ごとに内容が異なる。会場によっては機体傾斜を90度以内に抑え、背面飛行を省略することもある。視程5km以上、雲底高度3000フィート(914.4m)以上で実施可能。参考:月刊JWings6,099,14

ペンダウン>:日本海軍士官のスラングで、筆おろしのこと。参考:帝国陸海軍事典

<ペンタエリスリトールテトラナイトレート>:ペンスリットを参照。

ペンタゴン>:アメリカ国防総省ビルの通称。五角形をしているので、こう呼ばれる。内側からA-Eリングの5層になっており、陸・海・空軍省を初め、様々な局や実地活動組織が収められている。1941911日に着工し、19424月から2ブロックで稼働を開始、19431月に完成した。1990年代初めに建て直す計画が立てられ、各ブロックごとに改修工事を行うこととなり、1997年から第1ブロックの改修を開始した。2001911日、第1ブロック改修工事完了の5日前に同時多発テロが発生、アメリカン航空77便が第1ブロックに突入し、800名以上の死者が出たが、新型のスプリンクラーとケブラー入りの壁材により火災をCリングまでに食い止め、Eリングの3階から上も35分間崩壊を免れた。参考:月刊軍事研究8,07、月刊JWings12,01

ベンダハラ・サカン>:ブルネイ海軍ナホド・ラガン級外域哨戒艇2番艇。2001年進水。参考:月刊軍事研究12,02

ベンダバル>:ナバンティア社の小型港湾警備用無人水上艇Vendaval。参考:月刊世界の艦船10,22

<ペンタマラン>:5胴船を参照。

<ペンダント>:アレスティング・ワイヤを参照。

ベンチュラ・シリーズ>:イギリス空軍洋上哨戒機。ロッキード社がモデル18ロードスター輸送機を改造したものである。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・アメリカ編

<ベンチュラ海外シリーズ>

 <B−34>:B-34(哨戒機)を参照。

 <B−37>:B-37(哨戒機)を参照。

 <PV−1>:PV-1(哨戒機)を参照。

<ベンチュラ・カウンティ海軍基地>:ポイントマグー海軍航空基地を参照。

<ベンチュリー>:Mk104(掃海具)を参照。

ベンチュリー管>:Venturi tube。フランス人のベンチュリーが開発した大気速度計である。先端を切った円錐状の管2本(収束管と発散管と呼ぶ)を先端同士で結合して1本にしたもので、入口部の壁圧と最狭部(スロート)の壁圧の差から入口部気流速度(≒自由気流速度)を割り出すことができる。スロートの流速が自由気流速度より速くなるため、高速機ではスロート部分の流速が空気圧縮性の影響を受けて正確な値が得られず、航空機用速度計としては廃れた。スロート部分が低圧になるので、空気を吸い込ませてノズルからジェットとして吹き付け、ジャイロの駆動動力に流用した時期もあったが、真空ポンプや電動モーターに後を譲っている。参考:航空用語事典増補改訂版

ベンチレイテッド・リブ>:銃身の上に取り付けられた放熱板。銃身過熱による陽炎で照準が狂わないように取り付けられている。参考:GUN用語事典

ベンツ装甲バス>:帝政ロシア国内初製作の装甲自動車。4輪の溶接式装甲車体は避弾経始に優れ、装甲厚4.5mm。どことなくSd.Kfz.222シリーズに似ている。重量1.9トン。エンジンは35または40馬力のガソリンエンジン。車体両側面と全周旋回砲塔に計3丁の7.62mmマキシム機銃を搭載する。乗員6名。1911年に1両だけ製作されて極東の鉄道警備隊に配備され、1918年には反革命チェコスロバキア軍団で使用された。参考:ソビエト・ロシア戦闘車両大系(上)

ヘンディジャン級>:イラン海軍支援艦兼沿岸哨戒艇Hendijan級。兵装はC-802ノール艦対艦ミサイル連装発射筒2基。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<ベンティンク>:K314(フリゲート)を参照。

<邊定>:定邊を参照。

ベンデルト>:カール・ハインツ・ベンデルト、ドイツ空軍エース。191499日、シュヴァイブス生まれ。1937年、ドイツ空軍に入隊。19401月から第27戦闘航空団第4飛行中隊に配属された。512日、ブレニムを撃墜して初撃墜を記録。19425月、北アフリカ戦線に送られた。822日、40機撃墜を達成。1943122日からイタリア防空戦に参加。1944426日、第104戦闘航空団第2飛行中隊の中隊長となった。19452月、セーヌ川付近で撃墜され、捕虜となった。総出撃回数610回、撃墜機数55機。最終階級は中尉。参考:グラフィックアクション36

ベント>:ベント弁のこと。またはベント弁を開いてメインバラストタンク内の空気を排出すること。参考:続潜水艦気質よもやま物語

ベント300計画>:ソ連海軍が1960年代後半に行ったとされる、海中居住計画。深度200mの海底に自力航行可能な排水量360トンの施設を設けてフロッグマンを居住させ、海中で自由に行動させたらしい。参考:月刊丸11,72

弁当食(日本海軍)>:外出や演習の際に弁当箱に詰めて配食する。主食は梅干し入り白米、炊込飯、握飯、混飯で、米麦飯は腐敗しやすいので使用しなかった。副食は焼物、煮物、漬物で、腐りにくい獣肉、塩乾魚肉、根菜類、缶詰を使用して調理する。参考:写真で見る海軍糧食史

<弁当箱>:EC-130EABCCC)空中指揮管制センターを参照。

<ペントステモン>:K61(コルベット)を参照。

ベント・スピア>:事故以外の核兵器取扱規則違反を示すアメリカ軍のコード。ブロークンアローの一段階下である。参考:月刊軍事研究9,08

ベント弁>:単にベントともいう。メインバラストタンクの上部にある弁で、底にあるフラッド弁と一緒に開くと、ここからメインバラストタンク内の空気が抜け、フラッド弁からメインバラストタンク内に海水が流入してくる。参考:日本潜水艦物語

ペントミック師団>:アメリカ軍が、核兵器を中心とする火力の増強に対応して迅速な散開を考慮した編成で、歩兵戦闘群5個を基幹とする5単位師団である。ペントミックはペンタゴンとアトミックを繋げた造語。核戦争において、普段は核による損害を防ぐために分散しているが、敵陣を突破する時には速やかに戦力が集中できるように配慮されている。各歩兵戦闘群(約1400名)は単独でも複数でも運用できるように考慮されていて、隷下には独立して戦闘を行える5個中隊が隷属されており、大隊を省いて指揮系統を簡略化した。19587月に全歩兵師団がペントミック化されている。1962年からロード編制に改編された。参考:兵器最先端5、月刊軍事研究9,04

 <ペントミック師団(1956年)>:歩兵戦闘群(小銃中隊4個と重迫撃砲中隊1個からなる)5個、師団砲兵、機甲大隊、機甲騎兵大隊、支援部隊からなる。重迫撃砲中隊のデビー・クロケット、師団砲兵の15cm榴弾砲・ロケット(オネスト・ジョン)混成大隊は核投射が可能である。兵員総数13748名。参考:月刊軍事研究9,04

ペントライト>:TNT50%PETN50%の混合爆薬。参考:火器弾薬技術ハンドブック

ベントラル・フィン>:Ventral fin。直訳すれば腹びれ。航空機の胴体後部下面に装着する板状の部品で、後部胴体の側面積を増し、胴体下面の気流を整えて方向安定性を高めることができる。陸上機にフロートを付けて水上機にした際に方向安定性を補うため装着したりする。超音速・大迎え角飛行時のサイドウォッシュ(横流れ気流)に起因する横安定性不良に対して非常に効果があり、超音速機にしばしば付けられる。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings10,09別冊付録

<ヘンドリー>:APA-118(攻撃輸送艦)を参照。

<ベントレイ>:K465(フリゲート)を参照。

<ベンナー>:DD-807(ギアリング級駆逐艦)またはDE-551(ジョン・C・バトラー級護衛駆逐艦)を参照。

ペンネント>:水兵帽に巻いてある幅3cmくらいの黒リボンのこと。当初は金文字の篆書体で本人の所属艦船や部隊が書かれていたが、太平洋戦争開戦後の昭和17年頃、秘匿のために大日本帝国海軍に統一された。海上自衛隊では再び所属艦船や部隊に戻っている。参考:海軍よもやま物語、帝国陸海軍事典

偏波>:電磁波の伝搬方向に直交する面内での電界ベクトルの向きのこと。互いに直交する2方向(垂直偏波成分と水平偏波成分)のベクトル和で表せる。レーダーでは送受信アンテナ間で同一の偏波を使わないと反射波を効率良く受信することができないが、モノスタティックレーダーではほぼ自動的に同一の偏波になる。レーダー目標には、大きさや形状によって照射電波の偏波により反射波の大きさや位相が変化するという特性があり、それに伴ってレーダー波の反射波受信レベルが変化したり、偏波面が回転したりする。地面や海面も偏波によって反射特性に差があり、クラッターの大小や、側視レーダー及び合成開口レーダーで得られる画像の差(水平偏波画像で映っていた地上物が垂直偏波画像では見えなかったりする)などとして現れる。太陽光が水面や路面で反射して眩しく感じるグレアは偏波による反射特性から水平偏波成分が多くなっており、偏光サングラスは水平偏波成分をカットする仕組みになっている。球体の場合、円偏波のレーダー波を送信すると反射波が逆旋になるという特徴がある(ちなみに直線偏波は反射波も同面内の直線偏波のまま)ため、これを利用して雨滴クラッターの除去が可能となる。参考:レーダシステムの基礎理論、レーダの基礎

 <直線偏波>:電場の進行方向の後ろから電界ベクトルを観察した時、電界ベクトルが時間と共に直線運動しているもの。垂直方向に運動しているものを垂直偏波、水平方向に運動しているものを水平偏波、傾斜しているものを傾き角○度の直線偏波と呼ぶ。参考:レーダの基礎

 <円偏波>:観測点を固定した場合に、電界ベクトルが一定の大きさのまま時間と共に回転するもの。同一強度(振幅の時間変化が無い)の直交する2つの電界の位相差をプラスマイナスπ/2にすると円偏波になる。x軸方向の電界に対してy軸方向の電界をπ/2だけ遅らせると、電波の進行方向を向いて観察した空間的合成電界ベクトルの回転方向が時計回りになり、右旋円偏波と呼ばれる。逆にy軸方向の電界をπ/2だけ進めると、反時計回りの左旋円偏波になる。ただし物理学の分野では、電波が発生した方を向いて空間的合成電界ベクトルの回転方向を定義する事があり、右旋と左旋が逆になるので注意。球形導体からの反射波は入射波の旋回方向に対して逆方向となり、複雑な形状の目標では同方向と逆方向が混在する。円偏波を発生させるため円偏波器を組み込んだアンテナは逆旋回の円偏波を通さないので、雨滴からのウェザー・クラッターを自動的に除去してくれる。ただし雨が激しく降っていると、雨滴が楕円形になり、反射波が楕円偏波となって除去しにくくなる(軸比0.1dB以下のほぼ球形雨滴では減衰量40dBなのが、大雨だと15dBくらいまで劣化する)ので注意。参考:レーダシステムの基礎理論、レーダの基礎

 <垂直偏波>:直線偏波の1つで、電界ベクトルが垂直面内だけにあるもの。参考:レーダシステムの基礎理論

 <水平偏波>:直線偏波の1つで、電界ベクトルが水平面内だけにあるもの。参考:レーダシステムの基礎理論

 <楕円偏波>:円偏波と同様に電界ベクトルが回転するがベクトル先端の軌跡が楕円になるもの。直交する2偏波成分の振幅が違う場合や、位相差がプラスマイナスπ/2以外だった時に楕円偏波になる。激しい雨や大粒の雨では雨滴が楕円形になり、反射波が楕円偏波となるため、垂直と水平の2偏波を使用して雨滴の形状や大きさを観測し、レーダー波の反射強度と組み合わせて高精度の雨量測定を行う二重偏波気象レーダーやマルチパラメーター気象レーダーが開発されている。参考:レーダシステムの基礎理論、レーダの基礎

 <非偏波>:白色光のように、種々の波長と偏波状態の電磁波が混在していて、特定の偏波状態を示す事ができないもの。参考:レーダの基礎

 <部分偏波>:偏波と非偏波が混在した状態のこと。特定の偏波状態にある電波が目標に当たって散乱すると、散乱波が部分偏波になることがある。参考:レーダの基礎

<ヘン・ハウス>:ドニェーストル・シリーズ(早期警戒レーダー)を参照。

<ベンハム>:DD-397(クレイブン級駆逐艦)またはDD-796(フレッチャー級駆逐艦)を参照。

<ベンハム級>:クレイブン級(駆逐艦)を参照。

<ベンフォールド>:DDG-65(駆逐艦)を参照。

<ヘンプステッド>:APA-241(攻撃輸送艦)を参照。

ベンブリッジ>:イギリス海軍アバードヴェイ級通船Bembridge1968年竣工。参考:月刊世界の艦船5,83

ペンブローク>:イギリス海軍サンダウン級掃海艇Pembroke199810月就役。2011220-24日、ドバイで海軍防衛展示会2011に参加。816日、ペルシャ湾で米英共同対機雷戦訓練に参加。2013525-27日、イギリスで大西洋の戦い70周年記念行事に参加。20202-3月、ORCA指揮管制装置搭載改修を実施。417日、ORCAの港内領収試験を終えた。2024年初めに退役予定。参考:JShips Vol.44、月刊世界の艦船11,118,138,201,24

<ペンブローク・キャッスル>:K450(コルベット)を参照。

ベンボウ>:イギリス海軍アイアン・デューク級戦艦Benbow1914107日竣工。1916531日、第4戦艦戦隊第4小隊所属でジュットランド海戦に参加。1930年に除籍され、19311月に売却されて解体された。参考:月刊世界の艦船1,12、近代戦艦史、歴史群像6,16

ベン・マイ・クリー>:イギリス海軍水上機母艦Ben-My-Chree。海峡高速連絡船を改造したもので、艦前部に発艦甲板と格納庫、後部に格納庫とガントリークレーンを装備する。水上機だけでなく陸上機も搭載した。1915812日と17日、搭載水上機によりトルコ商船を雷撃し、水上機母艦初の撃沈を記録した。参考:月刊世界の艦船11,00

<ヘンリー>:DD-391(クレイブン級駆逐艦)またはDD-762(アレン・M・サムナー級駆逐艦)を参照。

<ヘンリー・J・カイザー>:T-AO-187(給油艦)を参照。

ヘンリー・J・カイザー級>:アメリカ海軍給油艦Henry J. Kaiser級。船体は商船構造をしている。補給ステーションはモノポール型を右舷に3カ所、左舷に4カ所設置しており、3・4番(両舷の前から2番目)がドライカーゴ専用である。28615キロリットル(180000バレル)の補給燃料を搭載しており、給油能力は艦船燃料が毎時90万ガロン、航空燃料が毎時54万ガロン。T-AO-201/-203/-204の3艦は海洋汚染防止のためダブル・ハル構造を採用、排水量が増えたが燃料搭載量は23750キロリットル(159500バレル)になった。艦内に700平方メートルの補給物資用倉庫を持つ。艦橋後方にヘリコプター発着甲板を持つが、格納庫は無く、VERTREPの際は相手艦の搭載ヘリを使う。全長206.5m、全幅29.7m、吃水10.9m、満載排水量41225-41556トン(T-AO-201/-203/-20440900-41887トン)。主機はディーゼル2基2軸34422馬力、最大速力20ノット。乗員81人、海軍軍人23名(民間人74-89人と海軍軍人5名?)が搭乗し、予備22人の乗艦スペースもある。当初18隻が建造される予定だったが、建造所が倒産してT-AO-191ベンジャミン・イシャーウッドとT-AO-192ヘンリ・エクフォードが未完となり、1986-95年にT-AO-187ヘンリー・J・カイザー、T-AO-188ジョシュア・ハンフレイズ、T-AO-189ジョン・レントール、T-AO-190アンドリュー・J・ヒギンズ、T-AO-193ウォルター・S・ディール、T-AO-194ジョン・エリクソン、T-AO-195ルロイ・グラマン、T-AO-196カナワ、T-AO-197ペコス、T-AO-198ビッグ・ホーン、T-AO-199ティペカノー、T-AO-200グアダルーペ、T-AO-201パタクスント、T-AO-202ユーコン、T-AO-203ララミー、T-AO-204ラパハノックの16隻が竣工した。ジョン・ルイス級に後を譲って退役予定。参考:月刊世界の艦船5,144,152,131,104,04増刊、5,23

<ヘンリー・L・スティムソン>:SSBN-655(ラファイエット改級戦略原潜)を参照。

<ヘンリー・M・ジャクソン>:SSBN-730(潜水艦)を参照。

<ヘンリー・R・ケニヨン>:DE-683(護衛駆逐艦)を参照。

ヘンリーTT.3>:イギリス空軍の標的曳航機で、1934年からホーカー社で軽爆撃機として開発され、途中で曳航機に変わった。外翼はハリケーンと共通のものを使っている。全長11.12m、全幅14.6m、全備重量4.025トン。エンジンはロールスロイス社製マーリン2(1030馬力)単発で、最大速度438km、航続距離1500km。乗員2名。200機が生産された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

<ヘンリー・T・アレン>:APA-15(攻撃兵員輸送艦)を参照。

<ヘンリー・W・タッカー>:DD-875(駆逐艦)またはDE-377(ジョン・C・バトラー級護衛駆逐艦)を参照。

<ヘンリー・エクフォード>:T-AO-192(給油艦)を参照。

<ヘンリー・クレイ>:SSBN-625(ラファイエット級戦略原潜)を参照。

ヘンリー・レイシー>:イギリス空軍エースで、渾名はジンジャー・レイシー。1917年生まれ。1937年、志願予備役で空軍に入隊。第2次大戦勃発により現役に編入され、第501飛行中隊に配属された。1940513日に初撃墜を記録。527日に5機目を撃墜してエースとなった。913日、バッキンガム宮殿に爆弾を投下したHe111を撃墜し、皇太后から感謝の言葉を受けた。19417月、Bf109を体当たりで撃墜して負傷。1944年末に実戦部隊に復帰、ビルマ方面に配属されて日本軍機5機を撃墜した。生涯スコアは23機。参考:英独航空決戦

<ヘンリコ>:APA-45(攻撃輸送艦)を参照。

偏流>:ライフル弾の旋転によって生じる偏移のことで、右回転なら右に偏移する。参考:GUN用語事典

<ペン・ルン>:R-13海外シリーズ(空対空ミサイル)を参照。

 

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