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第7移動警戒隊>:航空自衛隊の移動警戒隊。198510月、美保基地で新編された。2008年、新潟県中越沖地震の災害派遣に参加。2011311日、東日本大震災の災害派遣に参加。201312月、最後の機動展開を終了。201437日、部隊整理記念式典を行い、解隊された。312日、所属していた隊員が新任地に向け美保基地を出発した。参考:朝雲

第7遠征打撃群>:アメリカ海兵隊の遠征打撃群ESG。参考:月刊軍事研究1,16

第7遠征打撃群(2015年)>:太平洋艦隊所属で、第11揚陸隊(佐世保。LHD-6ボノム・リシャール、LPD-20グリーン・ベイ、LSD-42ジャーマンタウン、LSD-48アシュランド)などを隷下に置く。参考:月刊軍事研究1,16

<第7遠征打撃群(2018年)>:LHD-1ワスプ、LPD-20グリーン・ベイ、LSD-48アシュランド、DDG-104ステレット、DDG-105デューイ、VMFA-121F-35B装備)、第31海兵遠征隊などからなる強化型遠征打撃群である。参考:月刊JWings5,18

第7回天隊>:日本海軍の基地回天隊。高知県に配備された。参考:月刊丸8,'15別冊

第7海兵遠征旅団>:アメリカ海兵隊の海兵遠征旅団。1983年に第1海兵遠征軍隷下にカリフォルニア州29パームスで創設された海兵遠征旅団で、当初は第7海兵水陸両用旅団(7MAB)という名称だった。1988年、第7海兵遠征旅団に改称された。1990年、湾岸戦争に参加。冷戦崩壊で1992年に解隊された。参考:月刊軍事研究7,12

 <第7海兵遠征旅団(デザート・シールド作戦時)>:199087日の作戦開始を受け、88日から戦域への移動を開始。人員は空路で輸送され、重装備は第2MPS船隊に運ばれて825日にサウジアラビアへの展開を完了、第1海兵師団に組み込まれた。参考:月刊軍事研究7,12

第7艦隊(アメリカ海軍)>:アメリカ海軍の艦隊。大元は19世紀前半に創設された東インド戦隊で、後にアジア戦隊に改称され、アジア植民地化に貢献した。日清・日露戦争後、日本海軍に対抗するため、揚子江周辺の哨戒とフィリピン・グアム防衛を主任務とするアジア艦隊に発展。太平洋戦争勃発直後に解散したが、反攻が開始されるとマッカーサーの指揮下に西太平洋海軍部隊が創設され、1943315日に第7両用戦群を中心とする両用戦艦隊としてこの名称に改称された。モットーは「Ready Power for Peace(平和のための即応力)」。太平洋戦争後は揚子江哨戒部隊となっていたが、19471月に一旦解散し、西太平洋海軍部隊となった。19498月に第7任務艦隊となり、1950211日に第7艦隊という名称に戻った。西太平洋・インド洋に展開するアメリカ海軍実戦部隊で、日本に前方展開(Forward DeploymentExtended deployment。配備とか母港というと非核三原則や日米安保条約第6条の実施に関する交換公文に抵触する恐れがあるため)しており、在日米軍の指揮下には入っていない。担当海域は日付変更線より西、インド・パキスタン国境より東、千島列島より南、南極大陸より北の1億2400万平方キロメートルである。朝鮮戦争の仁川上陸作戦では攻撃空母3隻、小型空母4隻、巡洋艦5隻、駆逐艦37隻、両用戦艦艇70隻など230隻を展開した。1979年、旗艦をCG-5オクラホマ・シティからLCC-19ブルーリッジに変更。1990年の湾岸戦争の際は司令部をブルーリッジに乗せてアラビア海に移動、アメリカ中央軍海軍USNAVCENTとなり、第7艦隊司令官のモーズ中将は中央軍海軍司令官を兼任した。199012月、アーサー中将が艦隊司令官兼中央軍海軍司令官に着任。1991年のデザートストーム/セイバー作戦では空母戦闘群CVBG4個を派遣し、14000ソーティ以上をこなし、トマホーク220発以上を発射、120隻以上のイラク軍艦艇を破壊した。1992年、CTF-73の司令部がシンガポールに移った。19957月に第5艦隊が復活すると司令部を日本に戻した。2012115-16日、キーン・ソード13に参加。201471日、CTF-75(第75任務部隊)が創設された。別名NEFCPACNavy Expeditionary Forces Command PACific、海軍遠征部隊太平洋コマンド)で、司令部はアプラ軍港キャンプ・コンビントンにある。爆発物処理隊、沿岸河川部隊、工兵部隊からなり、アジア太平洋地域の即応対処、災害派遣、遠征作戦を主任務とする。10月末、CTF-75がグアムでMC-130J輸送機からのパラシュート降下・投下訓練を実施。118-19日、キーン・ソード15に参加。2015224-27日、横須賀と佐世保でBMD特別訓練に参加。32-12日、アメリカ海軍大学校で日米共同指揮所演習に参加。2016216-25日、平成27年度日米共同指揮所演習(派米訓練)に参加。222-26日、アメリカ海軍横須賀基地と佐世保基地でBMD特別訓練に参加。1030日から1111日、キーン・ソード17に参加。201726-16日、司令部がアメリカ海軍大学校で平成28年度日米共同指揮所演習(派米訓練)に参加。217日と21-24日、司令部が海上自衛隊とのBMD特別訓練に参加。67日、第7艦隊音楽隊が防衛省講堂でビッグバンドジャズコンサートに参加。823日、6月のDDG-62フィッツジェラルド衝突事故と2日前のDDG-56ジョン・S・マッケーン衝突事故を受け、第7艦隊司令官ジョセフ・アーコイン中将の更迭が発表された。918日には第70任務部隊司令チャールズ・ウイリアムズ少将と第15駆逐隊司令ジェフリー・ベネット大佐が更迭されている。2018212-22日、司令部がアメリカ海軍大学校で平成29年度日米共同指揮所演習(派米訓練)に参加。216日と20-23日、平成29年度日米共同統合防空・ミサイル防衛訓練に参加。614日、司令部が横須賀港で日米共同衛生訓練に参加。2019222日と225日から31日、平成30年度日米共同統合防空・ミサイル防衛訓練に参加。517-19日、音楽隊が下田黒船祭に参加し、演奏会を行った。2020224-28日、令和元年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。224日から35日、アメリカ海軍大学校で行われた令和元年度日米共同指揮所演習(派米訓練)に司令部が参加。2021222-26日、令和2年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。1119-30日、令和3年度自衛隊統合演習(実動演習)に参加。2022221-25日、令和3年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。2023217日と20-22日、令和4年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。2024216日と19-22日、令和5年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。参考:月刊軍事研究1,081,011,1512,16、月刊JWings8,065,195,'212,'225,'23、月刊丸12,92、月刊世界の艦船3,121,1311,111,155,154,165,161,174,175,1711,1712,175,188,195,'22、朝雲

 <第7艦隊(2012年)>:太平洋艦隊/JTF-519隷下で、日付変更線西側の西太平洋とインド洋の大部分(1億2400万平方キロメートル)を担当し、アメリカ海軍常設艦隊中最大の勢力を誇る。恒常配備兵力は艦船70隻、航空機74機で、適宜編入される戦力を加えて人員40000名(海兵隊員含む)、艦船60-70隻、航空機200-300機を西太平洋からインド洋に展開させている。隷下の恒常配備部隊は旗艦LCC-19ブルーリッジ、第5空母打撃群、第7遠征打撃群、第15潜水隊、哨戒飛行隊1個、第31海兵遠征隊、補給艦・支援艦部隊(47隻)。トップは第7艦隊司令官で、司令部はLCC-19ブルーリッジにある。隷下の任務部隊(Task Force)はCTF-70(横須賀。第5空母打撃群と第5空母航空団)、CTF-71(グアム。特殊作戦部隊。第1海軍特殊戦部隊の2個SEALs小隊と特殊ボート分遣隊で、作戦計画が発動されると第7艦隊の指揮下に入る)、CTF-72(三沢。第7艦隊哨戒偵察航空群。2個哨戒飛行隊が6ヶ月ローテーション配備。要員は第5艦隊CTG-52要員を兼務、司令官はアメリカ中央軍海軍部隊第5哨戒偵察部隊CTF-75/第5艦隊哨戒偵察部隊司令官を兼務。嘉手納基地の沖縄航空哨戒群TG72.2と第1艦隊航空偵察飛行隊嘉手納分遣隊TG72.5、三沢基地の日本航空哨戒群TG72.4を隷下に置く)、CTF-73(シンガポール。要員は西太平洋兵站群要員を兼務。戦闘補給部隊、軍事海上輸送コマンド艦船、事前集積船を指揮し、CARAT演習やSEACARAT演習を実施)、CTF-74(司令部は横須賀だが第15潜水隊はグアム配備。潜水艦作戦統制。第15潜水隊SSN-721シカゴ、SSN-722キー・ウエスト、SSN-723オクラホマ・シティ、AS-39エモリー・S・ランド、AS-40フランク・ケーブルと音響測定艦。要員は第5艦隊CTF-54要員を兼務)、CTF-76(ホワイトビーチ。揚陸作戦統制。第7遠征打撃群第11揚陸隊LHD-2エセックス、LPD-9デンバー、LSD-42ジャーマン・タウン、LSD-46トーテュガ、第7掃海隊MCM-1アヴェンジャー、MCM-2ディフェンダー、MCM-5ガーディアン、MCM-7パトリオット、第31海兵遠征隊、第36海兵航空群。司令官は第7艦隊水陸両用部隊司令官と第7遠征打撃群司令官を兼務)、CTF-77(佐世保。機雷戦部隊。常設はされておらず、作戦計画が発動されると第7艦隊の指揮下に入る)、CTF-78(韓国の龍山陸軍駐屯地。在韓米海軍)、CTF-79(沖縄キャンプ・コートニー。海兵隊作戦統制。第3海兵遠征旅団司令部のみ常設で、作戦計画発動後に第3海兵遠征軍副司令官兼第3海兵遠征旅団長をトップとする8000-20000名規模の海兵遠征旅団か、緊急展開部隊である第31海兵遠征隊を編成して第7艦隊の指揮下に入り、上陸部隊となる)の9個。参考:月刊世界の艦船3,12、月刊軍事研究9,12

第7艦隊(日本海軍)>:日本海軍の艦隊。昭和20410日に新編された。第8艦隊の方が3年くらい前に編成されているが、ソロモン・ラバウル方面の部隊名を8で統一したかったからとも、第6艦隊に次ぐ潜水艦隊を編成するために7の方を空けておいたからともいわれる。司令長官は岸福治中将。敷設艦常磐、旧式海防艦4隻、徴用した漁船、下関防備隊などを隷下に置き、対馬海峡・下関海峡の掃海や防衛を主任務とする。連合艦隊の隷下だが、実際には海上護衛総司令部が指揮を執っていた。終戦後は第2復員省呉復員局下関掃海部、運輸省海運総局九州海運局掃海部、海上保安庁第7管区海上保安本部航路啓開部を経て海上警備隊・海上自衛隊の掃海部隊の礎となった。参考:戦時用語の基礎知識、日本海軍艦隊総覧、第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊世界の艦船12,109,13増刊

第7機甲師団(イギリス)>:イギリス陸軍の機甲師団。19393月、エジプト機甲師団司令部として新編され、1個軽機甲旅団、1個重機甲旅団、第7支援群が隷属された。525日、編成を完結。1940216日、第7機甲師団に改称。414日に改編を受け、2個機甲旅団、1個支援群、1個軽騎兵連隊が隷属された。1940128-11日、コンパス作戦に主力として参加。1941112-22日、トブルク攻略戦に参加。25-8日、トリポリに後退するイタリア軍を追撃し、バビーニ戦車旅団を撃滅。222日から516日にかけ、再編成と休養に入り、2個機甲旅団と1個支援群が隷属された。517日から1114日、ブレビティ作戦及びバトルアクス作戦に予備として参加。1118日から1210日、クルセイダー作戦に参加。194239日、予備としてエジプトに移動して改編され、1個機甲旅団、1個自動車化旅団群、1個軽騎兵連隊(装甲偵察)が隷属された。526日から621日、ガザラ・ボックス戦に参加。824日、改編を受けて1個機甲旅団(増強)、1個機甲旅団、1個自動車化旅団群、1個軽騎兵連隊(機甲連隊)が隷属となった。830日から97日、アラム・ハルファ高地防衛戦に参加。1023日から114日、エル・アラメイン戦に参加。194336日、チュニジアに後退するドイツ・イタリア軍を追撃。316-23日、マレト突破作戦に参加。46-7日、アカリト涸谷防御陣地突破作戦を支援。419-29日、エンフィダビル防御陣地に対する攻撃を支援。55-12日、チュニス攻略戦に参加。99-18日、アブランシェ作戦のため、イタリア南部のサレルノに揚陸され、橋頭堡での戦闘に参加。922日から101日、ナポリ攻略戦で戦車支援を実施。1012-15日、ヴォルツルノ河渡河作戦に参加、グスタフ・ライン前面に進出。116日、改編が行われ、1個機甲旅団、1個自動車化歩兵旅団、1個軽騎兵連隊(機甲偵察)が隷属された。1221日、イギリス本土に移動。194417日、ヨーロッパ反攻のため、第21軍集団に配属となった。68日、ノルマンディーのゴールド海岸に揚陸された。613日、ヴィレル・ボカージュの戦闘で、ミハエル・ヴィットマン率いるSS101重戦車大隊により機甲旅団が大損害を受けた。718-27日、カーン南東のブールグバス・ライドの戦闘に参加。917-27日、マーケット・ガーデン作戦に参加。1945323日から41日、ラインラント会戦で掃討戦を実施。参考:月刊グランドパワー1,01

第7機甲旅団(イギリス中東派遣軍)>:イギリス陸軍の機甲旅団。元は在ドイツの第1軍団第1機甲師団所属で、ニーダーザクセン州ゾルタウ近郊のファリンボステル・ボーマンス兵営に駐屯していた。参考:月刊グランドパワー3,95

 <第7機甲旅団(デザート・シールド作戦時)>:1990914日、サウジへの展開命令が出され、空海路でサウジに向かった。到着後、アル・ミジャブ付近の防御拠点に機甲予備として配置された。隷下にロイヤル・スコッツ近衛竜騎兵連隊(機甲)、クイーンズ・ロイヤル・アイリッシュ軽騎兵連隊(機甲)、スタッフォードシャー連隊第1大隊(機械化歩兵)、ロイヤル砲兵第40野戦連隊、ロイヤル工兵第21工兵連隊、ロイヤル砲兵第10防空砲兵中隊、第204通信中隊、ロイヤル衛生第1機甲野戦救急車隊を置いていた。参考:月刊グランドパワー3,95

第7基地防空隊>:航空自衛隊の基地防空隊。2021222-26日、令和2年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。参考:朝雲

第7基地防空隊(2015年)>:第7航空団隷下で、百里基地に置かれている。短SAM、携SAMVADSを装備する。参考:月刊航空ファン4,16

<第7号駆逐艦>:松風(2代目)を参照。

第7駆逐隊(日本海軍)>:日本海軍の駆逐隊。昭和17227日、スラバヤ沖海戦に参加(第1小隊潮、漣)。4月下旬からMO作戦に参加(曙、潮)。56日、珊瑚海海戦に参加(曙、潮)。昭和191021日、比島沖海戦に参加(曙、潮)。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、日本海軍艦隊総覧

 <第7駆逐隊(昭和12年7月7日、日華事変勃発時)>:第2水雷戦隊隷下。参考:日本海軍艦隊総覧

 <第7駆逐隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第1航空戦隊隷下で、駆逐艦曙、潮、漣からなる。兵力部署では機動部隊ミッドウェイ破壊隊所属で、漣が欠。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,14

第7軍(アメリカ陸軍)>:アメリカ陸軍野戦軍の1つで、在欧米陸軍である。ドイツのハイデルベルクに司令部を持つ前方展開部隊となっている。参考:月刊軍事研究12,04

第7軍団(イラク陸軍)>:イラク陸軍の軍団、別名ジハード軍団。参考:月刊グランドパワー3,95

 <第7軍団(湾岸戦争時)>:イラク南部地域に対する空挺作戦への対処及び作戦予備としてイラク南部に配置された。第10・第12・第52戦車師団、第25・第27・第28・第31・第47・第48歩兵師団からなる。参考:月刊グランドパワー3,95

第7軍団(アメリカ陸軍)>:アメリカ陸軍の軍団、別名ジェイホーク(Jayhowk、義勇兵)。参考:月刊軍事研究6,08

 <第7軍団(アメリカ陸軍、デザート・シールド作戦時)>:19901112日、第2機甲騎兵連隊がドイツのニュルンベルクにある駐屯地から移動を開始。以降、装備は積出港であるドイツのプレーマーハーフェン、クックスハーフェン、ベルギーのアントワープ、オランダのロッテルダムへ、人員はドイツのラムシュタイン、ライン・マイン、ニュルンベルク、シュツットガルドの各空港へと順次移動を開始した。移動には貨物列車456本、はしけ312隻、トラック119台、バス1772台が使用され、48600両の車両と重貨物が152隻の輸送船に積み込まれ、人員122397名が927機の輸送機に分乗し、97日間かけてサウジアラビアに運ばれた。隷下にはドイツ駐在の固有部隊である第1機甲師団、第5軍団から増派された第3歩兵師団、第3軍団から増派された第1騎兵師団及び第1歩兵師団、ドイツ駐留イギリス陸軍ライン軍団から増強されたイギリス第1機甲師団の他、第2機甲騎兵連隊、第7軍団砲兵(4個野戦砲兵旅団、人員7125名。自走砲162両、MLRS90両)、第11航空旅団(2個攻撃ヘリ大隊と2個輸送ヘリ中隊、人員1773名。AH-64攻撃ヘリ36機を含むヘリコプター147機)、8/43防空砲兵支隊(パトリオット中隊4個とホーク中隊2個、人員960名。パトリオット発射機64基及びホーク発射機16基)、第7工兵旅団(3個工兵群、人員6115名。M113装甲車260両、M916牽引トラクター200両)、第93通信旅団(4個通信大隊、兵員2715名。地域通信センター13個、指揮通信センター4個、中継器隊46個、多チャンネル無線機105機、野戦電話1500機)、第14憲兵旅団(2個憲兵大隊、6個独立憲兵中隊、人員2764名)、第207軍事情報旅団(3個軍事情報大隊、兵員1364名。パイオニアUAVなど)、第2軍団支援団(5個軍団支援群、1個医務旅団、人員26327名。輸送牽引トラクター1385両、給油トラック608両、セミトレーラー1604台、5トントラック377両)、第354民事旅団、第7会計群(人員380名)、第7人事群(人員955名)を置いた。展開が終了したのはデザート・ストーム作戦開始後の1991127日の事である。兵力146321名、戦車1639両、歩兵戦闘車1207両、自走砲522両、MLRS129両、ATACMS9両を含む装甲車8508両、車両総数約50000両、AH-64A攻撃ヘリ156機を含むヘリコプター約800機、固定翼機20機が配備された。1日の消費量見積もりは燃料240万ガロン(9085キロリットル)、弾薬9000トンである。参考:月刊軍事研究6,08

 <第7軍団(アメリカ陸軍、デザート・セイバー作戦時)>:構成部隊は左翼の第2機甲騎兵連隊、その後方の第1機甲師団・第3機甲師団、中央の第1歩兵師団(機械化)、その後方のイギリス第1機甲師団、右翼の第1騎兵師団。その他第11戦闘航空旅団、第7軍団砲兵、第7工兵旅団、第2軍団支援コマンドで、幅150km、縦深175kmにも達した。攻撃地区はサウジ・イラク国境最東端から西に100kmまでのイラク領で、国境沿いの主陣地にはイラク第7軍団が配置されており、その後方には大統領警護隊が位置していた。第7工兵旅団は19912240000頃からサダム・ラインの突破作業を開始。第1防御ラインとなっている砂壁を突き崩した。0538、各部隊は前進を開始。当初は本格的な前進を翌日朝に予定していたが、0930、中央軍陸軍部隊司令官から連絡が入り、海兵隊の進撃が早過ぎて大統領警護隊が南下して来ないため、翌日に予定されていた主陣地への攻撃を早めることとした。隷下師団長と相談の結果、明るいうちに進撃を始めることになり、アラブ東部合同軍の準備予定も勘案して前進開始時刻を1500としている。1000、隷下各部隊はイラク軍陣地帯の南方3kmに引かれた統制線プラムに到達。1430、当初は2時間30分の攻撃準備射撃を予定していたが、弾薬の集積が間に合わず、進撃時間を可能な限り早める目的もあって30分に短縮し、軍団砲兵隷下の3個野戦砲兵旅団、第1歩兵師団隷下の師団砲兵、イギリス第1機甲師団隷下の師団砲兵、MLRS10個中隊(105mm榴弾砲128門、155mm榴弾砲312門、155mm自走砲612両、203mm自走砲120両、MLRS201両)が20×40km正面に11000発の砲弾と414発のM26ロケット弾(子爆弾合計60万発)を叩き込んだ。1500、サダム・ライン主陣地に対して右翼の第1歩兵師団(機械化)が突撃、地雷を除去し、M9装甲ドーザーやドーザー付きの戦車で塹壕を敵兵ごと埋め立て、戦闘工兵隊がM9装甲ドーザーで幅90mの啓開路を24本製作、1700までにサダム・ライン主陣地を突破し、1800に統制線コロラドに達して前進を停止した。左翼は第1歩兵師団第2機甲騎兵連隊が先陣を切って前進を開始、第1(最左翼)・第3機甲師団(第1機甲師団と第1歩兵師団の間)が続き、イギリス第1機甲師団が最右翼を固め、後方には大兵站部隊が続いた。サダム・ラインが途切れており、敵部隊も配備されておらず、849両のM-1A1戦車及び15000両の支援車両などからなる大部隊は1日で80km前進した。225日、イギリス第1機甲師団は日中にイラク軍1個機械化師団を壊滅させ、夜間に更に2個戦車中隊、2個歩兵中隊を殲滅した。夕方、イラク・クウェート国境付近で防備を固めるタワカルナ機械化師団に対し、3個重師団をもって攻撃をかけることに決定。第1騎兵師団が中央軍予備のままだったため、第1機甲師団、第3機甲師団、第1歩兵師団の3つを統制線スマッシュ(北西から南東に向け引かれている)に並べ、右旋回させて統制線タンジェリン(60イースティングに沿って南北に引かれている)まで前進、タワカルナ機械化師団の側面及び後方を突くことにした。226日未明よりイギリス第1機甲師団はイラク軍陣地に対して攻撃を開始、A-10の誤射を受けてウォーリア2両が破壊され9名の死者が出たが、夜間までにイラク軍通信施設を占領し、戦車200両・APC100両・野砲100門を破壊した。0930、第1騎兵師団が中央軍予備から第7軍団に移ったが、第1歩兵師団と交替させるには距離が開きすぎてしまったため、取り敢えず統制線スマッシュ後方の集結地域リーまで前進させることにした。また、第1歩兵師団は、右翼に展開するイギリス第1機甲師団の前進を待っていたため、他の2個師団よりも進撃が遅れていたが、先行していた第2機甲騎兵連隊は1500に統制線タンジェリンを超えた。1600頃、第3機甲師団が統制線タンジェリンを越えて進撃を開始。1800頃、第1機甲師団が統制線タンジェリンを越えて進撃を開始。夜間から正面幅40kmにわたり大統領警護隊との交戦を開始、73イースティングの戦いとなる。この戦いでタワカルナ機械化師団第18機械化旅団が壊滅し、その間に第1歩兵師団が第2機甲騎兵連隊に追い付いたため、65イースティングと75イースティングの間で第1歩兵師団が第2機甲騎兵連隊の前に出た。227日、メディナ師団に向かい第1・第3機甲師団が、タワカルナ機械化師団に対しAH-64が攻撃を開始した。20時間以上の戦闘で、大統領警護隊は壊滅した。夜までに隷下の4個師団はイラクの5個師団(メディナ師団、タワカルナ機械化師団、第10戦車師団、第12戦車師団、第52戦車師団)を壊滅させ、クウェート領内に到達。残るハムラビ師団を壊滅させるため、サフワンとルメイラ油田の間にある目標ローリーに主力を向かわせた。1800、軍団長は上級部隊にあと24時間で第1騎兵師団が目標ローリー付近のイラク軍を殲滅し、サフワンの北で第1騎兵師団と第1歩兵師団が合流して両翼包囲を完成させると報告した。しかし実際にはハムラビ師団主力は目標ローリーよりも北に逃げており、2130には翌日朝に停戦になるという情報が入ってきた。2280800に停戦。4日間の地上戦で燃料870万ガロン(32933キロリットル)と弾薬9000トンを消費した。参考:軍事分析湾岸戦争、月刊グランドパワー4,95、月刊軍事研究6,0811,083,09

第7警戒隊>:航空自衛隊の警戒隊。高尾山分屯基地に置かれている。参考:月刊JWings8,14

 <第7警戒隊(2015年)>:西部航空警戒管制団隷下で、高尾山分屯基地に置かれている。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015

第7航空軍>:アメリカ空軍の航空軍。元は在ベトナム米軍事援助軍隷下の空軍部隊として1964年に新編された第2航空師団で、1966年に改称された。1987年、在韓米空軍として再編された。参考:月刊軍事研究7,126,16

第7航空軍(2007年)>:太平洋空軍隷下で、烏山航空基地に司令部がある。第8戦闘航空団、第51戦闘航空団を隷下に置く。参考:月刊軍事研究3,08

第7航空軍(2012年)>:太平洋空軍隷下で、烏山航空基地に司令部がある。第8戦闘航空団(群山。F-16C/D)、第51戦闘航空団(烏山。F-16C/DA-10)を隷下に置く。参考:月刊軍事研究9,12

第7航空軍(2015年)>:太平洋空軍隷下で、司令部は烏山航空基地にある。第8戦闘航空団、第51戦闘航空団を隷下に置く。参考:月刊軍事研究8,165,16

第7航空戦隊>:日本海軍の航空戦隊。昭和151115日に編成された。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌

第7航空隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の航空隊。198712月、第1航空群隷下に鹿屋航空基地で新編された。1991年、P-3Cに機種改変された。20083月に組織改編で解隊された。参考:鹿屋航空基地ホームページ、月刊JWings12,10、月刊航空ファン11,92

第7航空団>:航空自衛隊の航空団。1961715日に松島基地で新編され、第9飛行隊が隷下に入った。1962515日、入間基地に移動。19651220日、第9飛行隊が解隊され、第206飛行隊が新編された。1966331日、第207飛行隊が新編された。1967年、百里基地に移動。197281日、臨時F-4EJ飛行隊が新編された。1110日、第207飛行隊が第83航空隊隷下となって沖縄へ移動。19731016日、臨時F-4EJ飛行隊が第301飛行隊に改称された。2月から1021日まで第205飛行隊が隷下に入った。1978121日、第206飛行隊が解隊され、第305飛行隊が新編された。198532日、第301飛行隊が第5航空団へ移動。同日(320日?)、第204飛行隊が隷下に入った。2007年現在、ホームベースは百里基地で、第204飛行隊と第305飛行隊を隷下に置いていた。2009119日、第204飛行隊が第83航空隊に移り、326日に第302飛行隊が第83航空隊から移動してきた。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。1505F-15J戦闘機2機を離陸させた。324日から41日まで、放射性物質調査のためT-4による百里基地からの集塵飛行を実施。機上集塵器(2型)を装着して百里基地から新潟の間で7回、福島沖上空で4回の集塵を行った。百里基地から新潟の間のベータ放射濃度平均値はスリーマイル島やチェルノブイリ原発事故よりは高かったが、1970年代の大気圏内核実験時よりも大幅に低かった。3250914T-4が集塵飛行のため百里基地を離陸。3261258T-4が集塵飛行のため百里基地を離陸。3280915T-4が原発上空の集塵飛行のため百里基地を離陸。3291300T-4が集塵飛行のため百里基地を離陸。3300914T-4が福島原発周辺の集塵飛行のため百里基地を離陸。3310916T-4が集塵飛行のため百里基地を離陸。410915T-4が集塵飛行のため百里基地を離陸。11201023頃、茨城県日立市で震度5強の地震が発生したため、航空機を離陸させて情報収集活動を実施した。2012213-24日、偵察航空隊と共に第12海兵航空群と百里沖で日米共同訓練を実施。3142100過ぎ、千葉県東方沖でマグニチュード6.1の地震があり、震度5強を観測したため、2116からF-15戦闘機2機とU-125A救難捜索機1機を離陸させて情報収集を行った。20134171757頃、三宅島近海でマグニチュード6.2の地震があり、震度5強が観測されたため、1806から情報収集を行った。5181448頃、福島県沖を震源とする震度5強の地震が発生したため、1501から1802まで航空機で情報収集を行った。2014117-20日、キーン・ソード15の一環として、空自第6航空団、中部航空警戒管制団、アメリカ空軍第35戦闘航空団などと戦闘機戦闘訓練を実施。20155130612頃、宮城県沖でマグニチュード6.8の地震が発生し、最大震度5強を観測したため、航空機で情報収集を行った。5302024頃、小笠原諸島西方沖を震源とするマグニチュード8.5の地震が発生し、最大震度5強を観測したため、2045Fast-ForceF-15戦闘機2機を発進させ、情報収集を行った。6160930頃、浅間山で小規模な噴火が起きたため、F-15戦闘機2機で情報収集を行った。818日、王城寺原演習場で行われた平成27年度実爆を伴う滑走路被害復旧訓練に参加。97-18日、米軍再編に係る岩国飛行場から航空自衛隊百里基地への訓練移転(共同訓練)に参加。F-4戦闘機4機とF-15戦闘機4機が第12海兵航空群と戦闘機戦闘訓練などを行った。2016831日、第305飛行隊が第5航空団の隷下に移った。1031日、第301飛行隊が第5航空団から隷下に入った。11220559頃に発生した福島県沖地震で、F-4戦闘機2機とT-4練習機1機により情報収集を行った。201777-21日、米軍再編に係る岩国飛行場から百里基地への訓練移転(共同訓練)にF-4EJ改6機で参加。中部航空警戒管制団と共に、第12海兵航空群と百里沖で戦闘機戦闘訓練などを行った。201846-12日、米軍再編に係る岩国飛行場から百里基地への訓練移転(共同訓練)に参加。F-4EJ改戦闘機4機が中部航空警戒管制団と共にVFA-195所属F/A-18E戦闘機5機と百里沖で戦闘機戦闘訓練などを行った。75-8日に発生した西日本豪雨の災害派遣に参加。717-26日、飛行教導群の巡回教導訓練を受けた。96日に発生した北海道胆振東部地震の災害派遣に参加。927日に福島県沖で行方不明になった小型機の捜索にF-4戦闘機2機で参加。1018-26日、平成30年度航空総隊総合訓練(実動訓練)に参加。10311234-1318、太平洋上訓練空域で飛行訓練中のF-4戦闘機から胴体部分の鋼製パネル(縦165mm×横143mm、重さ220g)が落下した。民間船舶などに被害は出ていない。2019326日、第302飛行隊が解隊された。99日に上陸した台風15号被害の災害派遣に参加。1013日から台風19号・21号被害の災害派遣に参加。202024日、日米共同訓練にF-4戦闘機4機で参加。326日、第3飛行隊が第3航空団から隷下に入った。422日、日米共同訓練にF-2戦闘機3機で参加。512日、アメリカ空軍との共同訓練にF-2戦闘機4機で参加。71日、隊員自主募集の功績で、丸茂空幕長から第5級賞状を授与された。717日、アメリカ空軍との共同訓練に参加。F-2戦闘機3機が、第6航空団F-15戦闘機4機、第8航空団F-2戦闘機4機、第9航空団F-15戦闘機4機と共に、日本海及び九州西方空域で、アメリカ空軍B-1B爆撃機1機と、編隊航法訓練及び各種戦術訓練を行った。87日、日本海及び沖縄周辺空域で、アメリカ空軍との共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、第2航空団F-15戦闘機2機、第8航空団F-2戦闘機4機、第9航空団F-15戦闘機4機と共に、アメリカ空軍B-1B爆撃機1機と、編隊航法訓練を行った。98日、第3飛行隊が教導飛行群による教導訓練を受けた。1020日、F-2戦闘機2機が、日本海・東シナ海・沖縄周辺空域で、アメリカ空軍B-1B爆撃機1機との共同訓練(編隊航法及び要撃戦闘)に参加。1120日、第301飛行隊でのF-4戦闘機運用終了にあたり、航空総隊司令官、歴代飛行隊長、関係協力団体などを招き、壮行行事を実施。1214日、百里基地で第301飛行隊の移動に伴う部隊改編行事を実施。第301飛行隊長が団司令に隊旗を返還した。1215日、第301飛行隊が第3航空団の隷下に移った。1216日、F-2戦闘機4機が、日本海・東シナ海・沖縄周辺空域で、アメリカ空軍B-1B爆撃機2機との共同訓練(編隊航法及び要撃戦闘)に参加。

20212132308頃、福島県沖を震源とする最大震度6強の地震が発生したため、情報収集を行った。427日、F-2戦闘機2機が日本海及び沖縄北方を含む東シナ海海上の空域でアメリカ空軍との共同訓練に参加。831日、日本海と沖縄北方を含む東シナ海海上の空域でアメリカ空軍B-52H爆撃機1機との共同訓練(編隊航法要撃戦闘)にF-2戦闘機2機で参加。921日、F-2戦闘機2機が、日本海、東シナ海、沖縄周辺空域で、アメリカ空軍B-52H爆撃機2機との日米共同訓練(編隊航法・各種戦術訓練)に参加。1021日、関東東方の太平洋上で日米共同訓練に参加し、F-2戦闘機2機がアメリカ空軍B-1B爆撃機1機及びKC-135空中給油機1機と編隊航法訓練を行った。129日、F-2戦闘機4機が日本海上空でアメリカ空軍B-52H爆撃機1機、F-35A戦闘機7機、KC-135空中給油機1機ととの共同訓練(編隊航法訓練)に参加。2022111日、F-2戦闘機2機が日本海及び三沢東方の太平洋上で日米共同訓練に参加。3162336頃、福島県沖を震源とする最大震度6の地震が発生したため、F-2A戦闘機情報収集を行った。1027日、日本海上空で日米共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、第2航空団第8航空団北部中部西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍B-52H戦略爆撃機2機と、編隊航法訓練を行った。2023116-26日、日印共同訓練ヴィーア・ガーディアン23に参加。228日、日米共同訓練に参加。F-2戦闘機2機が、中部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍第2爆撃航空団B-52爆撃機2機と、茨城県東方の太平洋上で、各種戦術訓練を行った。32日、日米共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、第3航空団F-35A戦闘機4機、第8航空団F-2戦闘機4機、北部中部西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍第28爆撃航空団B-1B爆撃機1機、第35戦闘航空団F-16戦闘機4機、第18航空団KC-135空中給油輸送機1機と、日本海上で各種戦術訓練を行った。413日、日本海上空で日米共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が第35戦闘航空団F-16戦闘機4機と各種戦術訓練を行った。74-18日、ノーザン・エッジ23-2に参加。823日から915日、小松基地と周辺空域で日豪共同訓練武士道ガーディアン23に参加。830日、日本海上で日米共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、第2航空団F-15戦闘機4機、第8航空団F-2戦闘機4機と共に、B-1B爆撃機2機と、各種戦術訓練を行った。106日、茨城県東方の太平洋上及び沖縄周辺で日米共同訓練に参加。F-2戦闘機2機が、第9航空団F-15戦闘機4機、中部航空警戒管制団南西航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍B-52H爆撃機2機、F-35A戦闘機4機、F-15E戦闘機4機、アメリカ海兵隊F-35B戦闘機4機と、各種戦術訓練を行った。11-12月、パシフィック・パートナーシップ2024に参加。2024129日から28日、米軍再編に係る訓練移転(日米共同訓練)に参加。F-2戦闘機8機が、百里基地に展開した第35戦闘航空団F-16戦闘機と、百里沖空域で戦闘機戦闘訓練などを行った。130日、日本海と東シナ海上空で日米共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、第2航空団F-15戦闘機4機、第8航空団F-2戦闘機4機、北部中部西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍B-52H爆撃機1機と、各種戦術訓練を行った。

参考:月刊JWings5,056,074,116,111,158,152,1710,1812,186,194,206,207,208,'2010,'2011,'2012,'201,'213,217,'2111,'2112,'211,'224,'226,'221,'233,'235,'236,'239,'2310,'2311,'231,'244,'24、月刊航空ファン4,106,1011,159,176,18MAMOR vol.52vol.155、朝雲、月刊軍事研究2,12

 <第7航空団(2010年)>:中部航空方面隊隷下で、ホームベースは百里基地。隷下に第302飛行隊(F-4EJ改、T-4)、第305飛行隊(F-15J/DJT-4)、第7基地防空隊(短SAM、携SAMVADS)を置く。参考:月刊航空ファン4,10

 <第7航空団(2015年)>:中部航空方面隊隷下で、ホームベースは百里基地。隷下に飛行群(第302飛行隊、第305飛行隊)、第7基地防空隊、整備補給群、基地業務群を置く。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊航空ファン4,16

 <第7航空団(2020年)>:中部航空方面隊隷下で、百里基地にある。第3飛行隊、第301飛行隊を隷下に置く。参考:月刊JWings6,20

第7高射隊>:航空自衛隊の高射隊。19662月、第2高射群第7中隊として築城基地で新編された。ナイキ・アジャックスを装備する。196910月、第2高射群第7高射隊に改編された。19726月、ナイキJに換装した。19943月、ペトリオットに換装した。20091222日、PAC3を導入した。20151118日、MDAAのジャパン・ミサイル・ディフェンダー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。2016124-25日の九州・中国地方寒波に対する災害派遣に参加。参考:築城基地ホームページ、航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊JWings2,11、朝雲

 <第7高射隊(2015年)>:第2高射群隷下で、築城基地に置かれている。ペトリオット、ペトリオットPAC3を装備する。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊航空ファン4,16

第7高射特科群>:陸上自衛隊の高射特科群。19748月、竹松駐屯地で新編された。2009128日、大村駐屯地射場で射撃競技会を実施。201319日、訓練始めを実施。早朝に非常呼集をかけ、緊急登庁訓練、災害対処訓練、対空戦闘訓練、炊事競技会を行った。2016124-25日の九州・中国地方寒波に対する災害派遣に参加。20183月、第329・第330高射中隊が廃止され、第346高射中隊が新編された。2020224-28日、令和元年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。326日、群本部と第346高射中隊(03式中距離地対空ミサイル装備)が宮古島駐屯地に移駐した。41日、第15旅団旅団レディネスチェックを受けた。2021222-26日、令和2年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。2023316日、第348高射中隊(03式中距離地対空ミサイル装備)が石垣駐屯地に配備された。参考:朝雲、月刊JWings3,196,23

 <第7高射特科群(2015年)>:第2高射特科団隷下で、竹松駐屯地に置かれている。参考:竹松駐屯地ホームページ

第7工場>:平壌にあるミサイル研究・生産施設で、テポドン1号の2段目や、ミサイル試験・検査装置を製作しているらしい。参考:月刊軍事研究1,05

第7護衛隊>:海上自衛隊の護衛隊。1969315日、地方隊隷下に移った。1997324日、第3護衛隊群隷下に再編された。2001314日、DD-154あまぎりが転入した。2008326日、DDG-175みょうこうが第63護衛隊から転入した。201181日、DD-104きりさめが第8護衛隊に転属となり、DD-156せとぎりが第3護衛隊から転入した。2014313日、DD-118ふゆづきが配備され、DD-109ありあけが第5護衛隊に転出した。20161011日、DD-118ふゆづきとDDG-175みょうこうが第3護衛隊に移り、DD-112まきなみとDD-114すずなみが第3護衛隊から転入した。2019227日、DD-120しらぬいが配備され、DD-156せとぎり第14護衛隊に移った。参考:月刊世界の艦船11,115,148,145,17

 <第7護衛隊(1961年9月1日)>:第1護衛隊群隷下で、呉に置かれている。DE-201あけぼの、DE-202いかづち、DE-203いなづまを配備する。参考:月刊世界の艦船11,11

第7護衛隊(1999年)>:第3護衛隊群隷下で、佐世保に置かれている。DD-131せとゆき、DD-132あさゆき、DD-133しまゆきを配備する。参考:月刊世界の艦船4,98

第7護衛隊(2001年)>:第3護衛隊群隷下で、大湊に置かれている。DD-153ゆうぎり、DD-155はまぎり、DD-156せとぎりを配備する。参考:月刊世界の艦船6,01

第7護衛隊(2006年4月3日)>:第3護衛隊群隷下で、大湊に置かれている。DD-153ゆうぎり、DD-155はまぎり、DD-156せとぎりを配備する。参考:月刊世界の艦船11,11

第7護衛隊(2007年度改編後)>:第3護衛隊群隷下で、舞鶴に置かれている。DDG-175みょうこう、DD-103ゆうだち、DD-104きりさめ、DD-109ありあけを配備する。参考:月刊世界の艦船11,11

第7護衛隊(2010年)>:第3護衛隊群隷下のDDGグループで、舞鶴に置かれている。DDG-175みょうこう、DD-103ゆうだち、DD-104きりさめ、DD-109ありあけを配備する。参考:月刊世界の艦船1,11、月刊軍事研究7,10

第7護衛隊(2012年)>:第3護衛隊群隷下で、舞鶴に置かれている。DDG-175みょうこう、DD-103ゆうだち、DD-109ありあけ、DD-156せとぎりを配備する。参考:月刊世界の艦船6,12

第7護衛隊(2015年)>:第3護衛隊群隷下で、舞鶴に置かれている。DDG-175みょうこう、DD-103ゆうだち、DD-118ふゆづき、DD-156せとぎりを配備する。参考:月刊世界の艦船6,15

第7護衛隊(2020年)>:第3護衛隊群隷下で、大湊に置かれている。DD-103ゆうだちDD-112まきなみDD-114すずなみDD-120しらぬいを配備する。参考:月刊世界の艦船6,20

第7根拠地隊(日本海軍)>:日本海軍の根拠地隊。昭和16101日に編成された。昭和189月、司令部はニューアイルランド島カビエンにあり、第23駆潜隊などを隷下に置いていた。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、小艦艇入門

 <第7根拠地隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第5艦隊隷下で、小笠原に置かれていた。第7防備隊、父島航空隊などからなる。兵力部署では北方部隊小笠原部隊に所属する。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧

第7混成団>:陸上自衛隊の混成団。1955121日、真駒内駐屯地で編成を完結した。1957年(1962年?)1月、真駒内駐屯地から東千歳駐屯地に移駐した。第18普通科連隊が第11師団に移り、第11普通科連隊を隷下に置いた。1961228日、機械化改編が完結し、混成団(甲)となった。第11普通科連隊から第23普通科連隊が新編され、第18普通科連隊第4大隊が第24普通科連隊に改編されて3個普通科連隊を隷下に置いたが、全て大隊が省略されていて、連隊本部/本管中隊と4個普通科中隊、1個迫撃砲隊で編成されていた。第7特科連隊は軽砲大隊(105mm砲装備)が3個に増え、5個大隊となっている。第7特車大隊は第1特車群を中心に抽出されて新編された。1962815日、第7師団に改編された。参考:スピアヘッドNo.13、月刊軍事研究4,10、日本の防衛戦力Part1

 <第7混成団(1955年12月1日)>:隷下に混成団本部/本部付中隊、第18普通科連隊(連隊本部/本部中隊、4個普通科大隊、1個特車中隊、1個重迫中隊、1個衛生中隊)、第7特科連隊(連隊本部/本部中隊、軽砲大隊、中砲大隊、高射大隊)、第7施設大隊、第7偵察中隊、第7武器中隊、第7通信中隊、第7補給中隊、第7輸送中隊、第7衛生中隊を置く。参考:スピアヘッドNo.13、月刊軍事研究4,10

 <第7混成団(1961年2月28日)>:隊員数6780名。特車60両を装備する。隷下に団本部/本部付中隊、第11普通科連隊、第23普通科連隊、第24普通科連隊、第7特科連隊、第7特車大隊、第7施設大隊、第7通信大隊、第7偵察隊、第7装甲輸送隊、第7武器隊、第7補給隊、第7衛生隊、第7航空隊を置く。参考:スピアヘッドNo.13

第7施設群>:陸上自衛隊の施設群。19853月、第307ダンプ車両中隊が第4施設団直轄に移った。19903月、第349施設中隊が新編された。20047月、第304水際障害中隊が新編された。20083月、第379施設中隊がコア化された。200968-21日、本部管理中隊、第380・第381・第382施設中隊に対し、日本原演習場などで応急出動準備や防御支援に任ずる各中隊の行動を主要項目とする訓練検閲を実施。78-11日、奈良県五条市で生地訓練を実施。市立城戸保育園園児7人の部隊訪問を受けた。1025日から113日、日本原演習場秋季定期整備を実施。行啓道と呼ばれる近隣住宅地域との境界道路のアスファルト舗装も行った。1126-27日、第304水際障害中隊が福島県白河布引山演習場で水際地雷実爆訓練を実施。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。426日、岩手県大槌町吉里吉里中学校のグラウンドで、後者を間借りしている大槌中学校の生徒と共に瓦礫撤去作業を実施。2012114日、本部管理中隊が予備自衛官補(技能)に対する職務訓練を実施。47日、大久保駐屯地で自衛官候補生37名の入隊式を実施。411-20日、日本原演習場で平成24年度方面統制演習場春期集中整備に参加。519日、奈良県十津川村が主催する復興大会に群長が参加。1114-23日、日本原演習場で平成24年度方面統制演習場秋期集中整備を実施。201349-19日、日本原演習場で平成25年度方面隊統制演習場春期集中整備に参加。716-19日、長池・三小牛山演習場などで第3次群野営演習を実施。1116日、第382施設中隊が平成25年度原子力防災訓練に参加。201482日、第379施設中隊31名(うち即応予備自衛官20名)が奈良県防災総合訓練に参加。2015311日、第304水際障害中隊が和歌山地本による県立箕島中学校防災実技教育に協力した。519日、第304水際障害中隊が和歌山県有田市立初島中学校生徒50人に防災実技教育を実施。基本教練、ロープワーク、AED、炊き出しなどを指導した。2016311日、第304水際障害中隊が和歌山県有田市立箕島中学校で防災実技教育を実施。64日、長池演習場で自衛官候補生100名に徒歩行進訓練を実施。71日、大久保駐屯地で三曹昇任行事を実施。4名が辞令を受け取り宣誓した後、ハイポートと担架搬送を行った。114日、平成28年度富山県国民保護共同訓練に参加。201763日、第382施設中隊が北アルプスで墜落した民間セスナ機捜索救難の災害派遣に参加。201723日、和歌山地本が広川町立耐久中学校で行った防災実技教育を支援した。910日、平成29年度奈良県防災総合訓練に参加。201826-10日、第382施設中隊が福井豪雪の災害派遣に参加。221-23日、令和元年度日米共同統合防災訓練に第102施設器材隊が参加。2020211-19日、第382施設中隊がとやま・なんと国体2020に協力した。107日、和歌山地本が海南市立第3中学校1・2年生120人に行った防災実技教育に第304水際障害中隊が協力した。1017日、大久保駐屯地を視察した湯浅陸幕長に儀仗を行い、第102施設器材隊架橋中隊がパネル橋MGB92式浮橋を架設した。126-7日、奈良県五條市で鳥インフルエンザの災害派遣に参加し、77000羽を殺処分した。2021110-11日、北陸道・東海北陸道での車両立ち往生の災害派遣に参加。1110日、令和3年度富山県国民保護共同訓練に第382施設中隊が参加。2022524日から626日、カンボジア軍に対する道路測量教官育成の能力構築支援事業に5名が参加。参考:スピアヘッドNo.17、朝雲、大久保駐屯地ホームページ、月刊JWings5,202,22

 <第7施設群(2017年)>:第4施設団隷下で、大久保駐屯地に置かれている。第382施設中隊(富山)、第304水際障害中隊(和歌山)を隷下に置く。参考:大久保駐屯地ホームページ

第7師団(日本陸軍)>:日本陸軍の師団。常備師団の1つで、旭川に置かれている。通称熊師団。歩兵第13・第14旅団、騎兵第7連隊、野砲兵第7連隊、函館重砲兵大隊、工兵第7大隊、輜重兵第7大隊を隷下に置く。師団管区は北海道。太平洋戦争開戦時、歩兵第25・第26・第27・第28連隊などを隷下に置いていた。昭和19年後半、第5方面軍の隷下にあった。終戦時は歩兵第26・第27・第28連隊などを隷下に置いていた。参考:帝国陸海軍事典、比島決戦

第7師団(陸上自衛隊)>:陸上自衛隊の師団。北海道の予備戦力として稚内の第2師団・帯広の第5師団/第5旅団・札幌の第11師団/第11旅団の後方に置かれており、機動力を高めて適時に投入できるようにしている。第7混成団から改編されて創設され、元の第11普通科連隊に第18普通科連隊の一部を加えて第11・第23・第24普通科連隊を編成するなどし、1962815日に東千歳駐屯地で編成を完結。機動運用部隊(機械化師団)という位置づけだったが、装甲兵員輸送車が足りず、第7師団手持ちの装甲兵員輸送車は普通科連隊以外の部隊の隊員輸送で手一杯のため、3個普通科連隊のうち1個は第101装甲輸送隊が装甲兵員輸送車で運び、1個は第7輸送隊のトラックで運び、1個は北部方面隊の直轄車両で運ぶしかなかった。1974118-10日、北海道大演習場で第11師団と師団対抗演習を実施。昭和52年度以降に係る防衛計画の大綱で陸自初の機甲師団となることが決定。当初は2個戦車連隊と2個普通科連隊にする案が出されたが、人員バランスや装備調達数、単位数の関係から、3個戦車連隊と1個普通科連隊とすることになった。ただ陸自隊員定数が固定化されていたため、第7戦車大隊を戦車連隊に昇格するのは可能としても2個戦車連隊を新編するのは無理で、第1戦車団と第23普通科連隊から隊員を引っ張ってくることにし、第7戦車大隊から第71戦車連隊を、第1戦車団第2戦車群から第72戦車連隊を、第1戦車団第3戦車群から第73戦車連隊を創設した。第23普通科連隊は廃止され、第24普通科連隊は第8師団に移され(ただ人員不足で隊員は第11普通科連隊に異動し、連隊長と連隊旗だけが第8師団に移った)、第11普通科連隊が6個中隊に増強され、第101装甲輸送隊を組み込んで装甲普通科連隊とされ、特科連隊は155mm自走榴弾砲4個大隊編成に変更され、高射特科は連隊として独立、偵察隊は戦車化され、通信大隊と施設大隊は装甲化、武器隊と輸送隊と衛生隊は後方支援連隊として一纏めにされ、1981325日に編成を完結した。19823月、装備する戦車が全て74式戦車になった。第7装甲輸送隊が解隊された。19943月、第7飛行隊が北部方面航空隊から隷下に入った。6月、夜間戦闘訓練を実施。夜間暗視能力を持つ90式戦車や89式装甲戦闘車が参加し、師団の暗視ゴーグルをかき集めて普通科隊員に装備させ、6台の暗視カメラの他に90式戦車の砲手用サーマルモニターの映像を統裁部に飛ばすなどして完全実況した。12月、訓練が偏るとして中止されていた師団戦車射撃競技会を20年以上ぶりに車種別で実施。199510月、昭和新山生成50周年火山災害対処訓練に参加。平成8年度以降に係る防衛計画の大綱でDタイプ師団への改編が決定。1999年度、第73戦車連隊がコア連隊となった。20061121-26日、北海道大演習場島松地区で戦車射撃競技会を実施。27個小隊108両が射撃を行い、他に予備と随伴の戦車28両、戦車回収車3両、73式装甲車4両などが参加した。

200918日、北海道大演習場で第72戦車連隊が年頭訓練を実施。隊員210名、90式戦車など装軌車両46両、装輪車両20両が参加した。19日、北海道大演習場で第71戦車連隊が年頭訓練を実施。隊員210名、90式戦車など装軌車両41両、装輪車両10両が参加した。519日、北海道登別市で山菜採りをしていた女性が行方不明になったため、1800に北海道知事から師団長に災害派遣要請があり、第71戦車連隊、第7後方支援連隊、第7通信大隊、第7飛行隊から隊員延べ180名、車両50両、航空機2機で捜索を実施。5211800に知事からの撤収要請を受けた。1012-16日、北海道大演習場で戦車・FV射撃競技会を実施。

201018日、第72戦車連隊が北海道大演習場で年頭訓練を実施。車両50両と隊員200名が参加した。113日、第71戦車連隊が千歳地区で年頭訓練を実施。車両45両と隊員280名が参加した。419-25日、第11普通科連隊が北海道大演習場東千歳地区でバトラーを使用しての中隊対抗方式小隊戦闘訓練を実施。75日、第7飛行隊のOH-6ヘリ1機が北海道大演習場で山菜採り中に行方不明となった女性の捜索に参加。76日、第11普通科連隊が北海道大演習場島松地区第1戦車射場で89式装甲戦闘車の射撃競技会を行い、小隊対抗の部で第3普通科中隊第1小隊、中隊対抗の部で第3普通科中隊が優勝した。823日から914日、玄武2010演習に参加。102日、第11普通科連隊が千歳市防災学習交流施設そなえーるなどで実施された千歳市総合防災訓練に参加。73式装甲車6両が公道を走るなど自治体との連携訓練を行った。

201117日、第72戦車連隊が北海道大演習場で年頭初訓練を実施。111日、第73戦車連隊が北海道大演習場で年頭初訓練を実施。112日、第71戦車連隊が北海道大演習場で年頭初訓練を実施。32日、新燃岳噴火の災害派遣に備え、第11普通科連隊73式装甲車10両を第7後方支援連隊輸送隊特大型トラック10両に乗せて都城駐屯地、えびの駐屯地、国分駐屯地に派遣、第8師団に管理換えした。311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。第9師団に配属され、陸前高田市に拠点を置いて支援活動を行った。3182020、第7化学防護隊主力が郡山駐屯地に到着。福島第一原発から20km圏内の住民の一時帰宅が開始されたため、第7化学防護隊が川内村村民体育センターに除染ポイントを開設した。520日、北海道登別市鉱山町の山林で山菜採りの男性が行方不明となったため、5210830過ぎに北海道知事から師団長に災害派遣要請が出され、第71戦車連隊の隊員100名と車両20両が1330-1830過ぎまで捜索を実施。522日は第7飛行隊のUH-1も加わり、523日も捜索が行われたが発見できず、1430に撤収要請を受けた。826-29日、千歳地区で応急出動訓練を実施。829日から99日、平成23年度協同転地演習(師団等転地)に参加。片道400kmの長距離機動を行い道央から道北・道東の各演習場に展開し、第71戦車連隊を対抗部隊として第72戦車連隊、第7通信大隊、第7偵察隊の訓練検閲を実施した。1120-24日、北海道大演習場戦車射場で戦車射撃競技会を実施。連隊の部で第71戦車連隊、中隊の部で第11戦車大隊第1中隊、小隊の部で第2戦車連隊第4中隊第1小隊(1100点満点中1124点)、戦車直接支援の部で第7後方支援連隊第2整備大隊第1戦車直接支援中隊が優勝した。11241925頃に発生した北海道浦河沖を震源とする震度5弱の地震を受け、情報収集のためOH-1観測ヘリ1機を飛行させた。

2012111日、北海道大演習場で訓練始めを実施。第71戦車連隊からは90式戦車51両など車両63両と隊員230名が参加した。第72戦車連隊は各中隊の90式戦車1両ずつが初射撃訓練を行った。第73戦車連隊は90式戦車など20両と隊員100名が駐屯地を出発、北海道大演習場まで15kmの行進を行った。827日から912日、平成24年度方面隊実動演習(北方総合戦闘力演習)に参加。1127日、北海道登別市で暴風雪による大規模停電が発生したため、1620に北海道知事から師団長に災害派遣要請が出され、第71戦車連隊が発電機などを幌別駐屯地に届けた。1214-21日、第7特科連隊が矢臼別演習場で実弾射撃訓練を実施。

201318日、第72戦車連隊が北海道大演習場第1戦車射場で訓練始めを実施。隊員270名と90式戦車など43両が参加した。19日、第73戦車連隊が北海道大演習場千歳地区で訓練始めを実施。隊員230名と車両26両が参加した。110日、第71戦車連隊が北海道大演習場第1戦車射場で訓練始めを実施。隊員260名と車両46両が参加した。315-18日、第7飛行隊が北海道で行方不明になったモーターグライダーの捜索に参加。716-18日、第72戦車連隊が北海道大演習場島松・恵庭・千歳地区で戦闘団訓練検閲を実施。60kmの夜間行進に続く遅滞戦闘と攻撃を行った。

201417日、第71戦車連隊が北海道大演習場東千歳地区第3滑走路で年頭訓練を実施。隊員200名、90式戦車28両、73式装甲車3両と、支援の第7後方支援連隊第2整備大隊第1戦車直接支援中隊の90式戦車回収車1両、73式装甲車1両が参加した。19日、第7飛行隊が年初編隊飛行訓練を実施。隊員45名、UH-1Jヘリ3機、OH-6Dヘリ2機が参加した。26日、日米最先任下士官8名が90式戦車などの装備品を見学した。925日から1015日、北部方面隊が実施した平成26年度方面隊実動演習に参加。1014-22日、北部方面施設隊の方面隊職種協同訓練に参加。1027日から117日、第11普通科連隊と第7飛行隊がオリエント・シールド2014に参加。

201519日、第73戦車連隊が北海道大演習場島松地区第1戦車射場で年頭訓練を実施。2月、第7高射特科連隊が第1特科団第101無人偵察機隊の支援を受けて静内対空射場で87式自走高射機関砲による年次対空実射検閲を実施。45日、第7特科連隊が自衛官候補生83名の入隊式を実施。412日、第11普通科連隊が自衛官候補生119名の入隊式を実施。721-25日、北海道大演習場など演習場4ヵ所とその周辺地域で第1次師団訓練検閲を実施。第73戦車連隊戦闘団、第7偵察隊、第7化学防護隊が受閲した。729-31日、大型募集広報イベントのノーザン・スピリット2015に協力し、戦車研修を行った。927日、北海道神威岳で男性登山者1人が行方不明になったため、1005に北海道知事から師団長に災害派遣要請が出され、1035に第7高射特科連隊から隊員25名と車両10両が出動。928日、第7飛行隊のOH-6ヘリ1機とUH-1ヘリ1機が捜索に参加。1045、撤収要請が出された。101-11日、北海道大演習場で北部方面隊総合戦闘力演習(第7師団演習)を実施。隊員540名、90式戦車など車両350両が参加し、着上陸侵攻する敵に対する作戦準備・機動打撃を主要課目として訓練を行った。101-12日、北海道大演習場で平成27年度方面隊実動演習に参加。1024日、第7音楽隊が札幌市内で北部方面隊音楽まつりに参加。1026日から111日、北海道大演習場で北部方面隊戦車射撃競技会に参加。連隊・大隊の部で第71戦車連隊、中隊の部で第72戦車連隊第5中隊、小隊の部で第72戦車連隊第5中隊第2小隊が優勝し、第7後方支援連隊第2整備大隊第1戦車直接支援中隊が整備部門の表彰を受けた。1117日、千歳市総合防災訓練に参加。樽前山が噴火したという想定で、第11普通科連隊73式装甲車が7合目まで進出し、捜索救助訓練を行った。1219日、第7音楽隊と第11普通科連隊千歳機甲太鼓が千歳市民文化センターで第25回千歳音楽まつりに参加。

201616日、第73戦車連隊が島松演習場で訓練初めとして実弾発射を伴う戦闘射撃訓練を実施。17日、第71戦車連隊が第7後方支援連隊第2整備大隊第1戦車直接支援中隊の支援を受けて北海道大演習場で年頭訓練を実施。隊員200名、90式戦車33両が参加した。215-21日、北部方面施設隊、第101施設直接支援大隊と共に、恵庭クロスカントリースキー大会コース整備に協力した。414日と16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。521日、東千歳駐屯地で国連南スーダン共和国ミッション派遣第10次施設隊の壮行行事を実施。68日から78日、東千歳・南恵庭駐屯地から矢臼別演習場まで長距離機動訓練を実施。大型トレーラーや鉄道コンテナによる陸上輸送、装軌車両の公道自走、民間フェリーによる海上輸送、ヘリによる空路輸送を併用し、機動展開を行った。77-13日、協同転地訓練中の第14旅団第50普通科連隊の協力も得て北海道大演習場と矢臼別演習場で第7飛行隊に対する訓練検閲を実施。611日、第7音楽隊が千歳市民文化センターで第1特科団音楽隊が開催したユーカラコンサートを支援した。926日から105日、北部方面隊総合戦闘力演習に参加。

201716日、第72戦車連隊が北海道大演習場で訓練始めを実施。90式戦車41両、73式装甲車7両、92式地雷原処理車1両に第7後方支援連隊第2整備大隊第2戦車直接支援中隊の73式装甲車2両と90式戦車回収車3両も加えて雪中行進訓練などを行った。39-12日、北海道大演習場で第71戦車連隊と第7高射特科連隊に対する第3次師団訓練検閲を実施。第71戦車連隊680名、90式戦車など車両230両、第7高射特科連隊250名、87式自走高射機関砲など車両100両が参加し、第71戦車連隊に第11普通科連隊や第7特科連隊などを加えた第71連隊戦闘団が仮想敵の第73戦車連隊に対して独立的な戦闘行動、第7高射特科連隊が師団主力の対空掩護を演練した。3月末、10式戦車の配備が始まり、第71戦車連隊第1中隊に配備された。515日に墜落した北部方面航空隊LR-2連絡偵察機の捜索に第11普通科連隊、第71戦車連隊、第72戦車連隊、第73戦車連隊、第7特科連隊、第7高射特科連隊などが参加。527日、登別市で山菜採りの女性が行方不明となったため、北海道知事の災害派遣要請を受け528-29日に第71戦車連隊延べ200名が捜索し、291730に撤収した。616日から77日、師団訓練検閲を実施。第11戦闘団を基幹とする部隊が長距離機動訓練(東千歳・北千歳・南恵庭駐屯地から矢臼別演習場まで)を行い、公道自走、民間高速フェリーによる輸送、鉄道輸送、ヘリボーンで77日までに矢臼別演習場に集結し、訓練検閲に臨んだ。621日、北海道大演習場千歳・恵庭地区で対抗訓練を行っていた第73戦車連隊90式戦車が横転し、車長が地面と戦車の間に挟まれて搬送先の病院で死亡が確認された。同乗隊員3名に怪我は無かった。819日、第7飛行隊がUH-1Jヘリで島松駐屯地が開催した体験搭乗に協力した。1023-28日、第71戦車連隊、第72戦車連隊、第73戦車連隊、第7偵察隊が北海道大演習場島松地区第1戦車射場で北部方面隊戦車射撃競技会に参加。

2018110日、第73戦車連隊と第7後方支援連隊の隊員150名と車両40両が北海道大演習場恵庭・千歳地区で年頭訓練を実施。第7飛行隊がUH-1ヘリ3機とOh-6ヘリ2機で年初編隊飛行訓練を実施。125-28日、第73戦車連隊戦闘団練成訓練ついでに対抗部隊を務めた第71戦車連隊第1中隊の冬季訓練検閲を実施。26-9日、北海道大演習場で第73戦車連隊基幹の第73連隊戦闘団と第7施設大隊に対する訓練検閲を実施。31日夜、千歳市から苫小牧市に向かう林道で暴風雪により動けなくなった車を助けようとしたロードサービス会社の社員1人が行方不明になったため、320000に北海道知事から第7師団長に災害派遣要請が出され、第71・第73戦車連隊が捜索、0335に心肺停止状態の要救助者を発見して収容した。47日、第7特科連隊が自衛官候補生課程入隊式を実施。48日、第11普通科連隊が自衛官候補生課程入隊式を実施。89日、北海道幌尻岳を登山中の男性1人が行方不明となったため、811日に災害派遣要請があり、第7特科連隊と第7後方支援連隊が隊員延べ60名、車両延べ20両で捜索、8121434に撤収要請を受けた。96日に発生した北海道胆振東部地震の災害派遣に参加。926日、恵庭市でキノコ狩りに出掛けた1人が行方不明となったため、災害派遣要請があり、第72戦車連隊から隊員延べ195名と車両30両が捜索を実施、929日に撤収要請を受けた。1050858頃、北海道胆振地方中東部を震源とするマグニチュード5.2の地震が発生し、最大震度5弱を観測したため、OH-6Dヘリ1機で情報収集を行った。

2019111-19日、北海道大演習場で隊員1800名と車両500両が参加して平成30年度総合戦闘射撃訓練を実施。24-26日、第72戦車連隊基幹の390名がカリフォルニア州ナショナル・トレーニング・センターでアラスカ陸軍第25歩兵師団第1ストライカー旅団戦闘団基幹の4500名との実動訓練に参加。2212122頃、北海道胆振地方中東部を震源とする最大震度6弱の地震が発生したため、第7飛行隊、第7偵察隊、第7特科連隊、第72戦車連隊、第11普通科連隊が222日まで情報収集を行った。36日、北海道胆振東部地震対処の功績で、岩屋防衛大臣から1級賞状が授与された。331日、北海道厚真町こども園つみきのきりん組卒園児から、北海道胆振東部地震災害派遣活動に対する感謝のメッセージを贈呈された。528日、第7師団隊員5名を空路でマレーシアのポートクランに派遣し、ポートクラン寄港中のDDH-181いずも艦上でマレーシア軍将兵などに人道支援/災害救援分野での能力構築支援活動を実施。624-26日、北海道大演習場で第71戦車連隊戦闘団、第7通信大隊、第7化学防護隊に対する師団訓練検閲(師団の攻勢行動における各部隊の行動)を実施。826-27日、令和元年度北部方面隊長距離機動訓練に参加。826日夜、第71戦車連隊が釧路駐屯地を出発。827日朝、第71戦車連隊が釧路港でナッチャンWorldに乗船し、午後に苫小牧港で下船、東千歳駐屯地に戻った。93-9日、令和元年度北部方面隊実動演習に参加。99日に上陸した台風15号被害の災害派遣に第7後方支援連隊が参加。106日、第7飛行隊が島松駐屯地のUH-1J体験搭乗に協力した。1013日から第7後方支援連隊が台風19号・21号被害の災害派遣に参加。

2020218-23日、北海道大演習場で第72戦闘団に訓練検閲を実施。師団の攻撃における先遣戦闘団の行動、指揮幕僚活動、積雪寒冷地での基礎動作などが課目で、攻撃に向けた90式戦車部隊の前進やスキー機動による偵察活動などを行った。57-16日、北海道大演習場、柏台演習場、静内対空射撃場で、春季定期整備を実施。62-16日、北海道大演習場恵庭・千歳地区で機械化部隊戦闘訓練AC-TESCを実施。第7師団に加えて第2師団第5旅団第11旅団が参加し、交戦用訓練装置バトラーを使用した対抗方式の訓練を行った。621日、第11普通科連隊が自衛官候補生課程修了式を実施。629日、第7特科連隊が自衛官候補生課程修了式を実施。630日から78日、第11普通科連隊基幹の1000名以上が北海道訓練センター訓練評価支援隊第1回運営の対抗演習に参加。715-18日、北部方面混成団第52普通科連隊が北海道大演習場千歳・恵庭地区で行った連隊統制訓練・第10回即応予備自衛官招集訓練を、第73戦車連隊が支援した。82-5日、北海道大演習場島松地区で偵察部隊合同訓練(偵察警戒車射撃)を実施。87式偵察警戒車2両が連携して25mm機関砲と7.62mm機銃により不意目標・移動目標に対処する内容で、第7偵察隊、第71・第72・第73戦車連隊、第11普通科連隊の偵察小隊、北海道内の他師団・旅団偵察隊、機甲教導連隊偵察隊が参加した。824日から910日、令和2年度方面隊実動演習北部方面隊)に参加。1024日から111日、北海道大演習場島松地区で師団線車射撃競技会を実施。90式戦車の部で第72戦車連隊、10式戦車の部で第71戦車連隊第3中隊が優勝した。

2021128日から25日、北海道大演習場で、第73戦闘団、第7偵察隊、第7飛行隊に対する第4次師団訓練検閲を実施。220日、北千歳駐屯地が丘珠駐屯地で行った航空機体験搭乗に協力した。223-26日、北海道大演習場で師団衛生訓練を実施。衛生小隊・班と衛生救護陸曹に、救命ドクトリンを普及徹底した。63-18日、北海道大演習場恵庭・千歳地区で、令和3年度機械化部隊戦闘訓練AC-TESCを実施。624日、第72戦車連隊が連隊野外炊事競技会を行い、本部管理中隊が3連覇した。95-8日、令和3年度長距離機動訓練を実施。増強第73戦車連隊の装軌車両(90式戦車含む)11両と装輪車両38両に加え、ナッチャンWorldも参加し、釧路駐屯地から矢臼別演習場または釧路港への公道自走、釧路港から苫小牧港または室蘭港への海上機動、苫小牧港または室蘭港から東千歳駐屯地への公道自走を行った。125-15日、令和3年度北部方面隊戦車射撃競技会に参加し、90式戦車の部で第72戦車連隊が優勝した。

2022122日から22日、北海道大演習場で第71戦車連隊と第7化学防護隊の第2次師団訓練検閲と、第71・第72戦車連隊による総合戦闘射撃を実施。4151630、北海道白老町の養鶏場から胆振家畜保健衛生所に鶏の死亡増加の通報があり、鳥インフルエンザ陽性が確認されたため、4161040に北海道知事から第7師団長に災害派遣要請が出された。1500から第73戦車連隊基幹の対処部隊延べ2218名が殺処分などを行い、4190000に撤収要請を受けている。422日、第71戦車連隊が北海道防衛局の新規採用者教育研修(前段)に協力した。822-25日、北部方面隊による令和4年度長距離機動訓練に第71戦車連隊10式戦車などが参加。

2023619日から72日、第11普通科連隊がカーン・クエスト23に参加。

参考:日本の戦力、月刊丸2,074,134,17、月刊軍事研究4,105,113,143,156,15MAMOR vol.52vol.142vol.143vol.110vol.147vol.155、朝雲、月刊PANZER2,113,126,18、スピアヘッドNo.12、月刊JWings6,1311,1812,185,1911,'20、月刊世界の艦船11,1912,'2111,'22、戦車隊長

 <第7師団(陸自、1962年8月)>:隷下に第11・第23・第24普通科連隊(本部管理中隊、4個普通科中隊、重迫撃砲中隊。60106mm自走無反動砲8両)、第7特科連隊(本部中隊、3個軽砲大隊、1個中砲大隊、1個高射大隊)、第7戦車大隊(本部管理中隊、4個戦車中隊。戦車定数60両)、第7偵察隊(戦車定数10両)などを置く。参考:月刊軍事研究4,10

 <第7師団(陸自、1977年)>:北部方面隊隷下で、司令部は東千歳にある。隷下に第11普通科連隊、第23普通科連隊、第24普通科連隊、第7特科連隊を置く。参考:日本の防衛戦力Part1

 <第7師団(陸自、1980年)>:北部方面隊隷下で、司令部は東千歳にある。隷下に第11普通科連隊、第23普通科連隊、第24普通科連隊、第7特科連隊を置く。参考:自衛隊装備カタログ1981

 <第7師団(陸自、1981年3月25日)>:隊員6450名、車両1700両(戦車232両、装甲車336両、75155mm自走榴弾砲40両など)を擁する。師団司令部/司令部付隊、第71・第72・第73戦車連隊(4個中隊編成)、第11普通科連隊(6個普通科中隊と1個重迫撃砲中隊編成。全てAPC化)、第7特科連隊(4個特科大隊編成)、第7高射特科連隊(1個L-90中隊と3個自走対空機関砲中隊編成)、第7偵察隊(3個戦闘偵察小隊と1個斥候小隊編成。戦車10両と装甲車17両)、第7後方支援連隊、第7通信大隊、第7施設大隊(4個中隊編成)、第7音楽隊を隷下に置く。参考:スピアヘッドNo.14

第7師団(陸自、1980年代半ば)>:北部方面隊隷下で、司令部は東千歳にある。機動打撃を担当する機甲師団である。第71・第72・第73戦車連隊(1個連隊あたり74式戦車74両及び73式装甲車26両)、第11普通科連隊(6個中隊編成。73式装甲車149両、107mm自走迫撃砲18両)、第7特科連隊(75155mm自走榴弾砲40門、60式装甲車16両)、第7高射特科連隊(60式装甲車13両、L90機関砲8基、M42及びM15A自走高射機関砲合わせて32両)、第7偵察隊(3個戦闘偵察小隊及び斥候小隊。74式戦車10両、60式装甲車17両、60式自走81mm迫撃砲3両)、施設大隊(60式装甲車39両など)、通信大隊(60式装甲車14両)、第7後方支援連隊からなる。参考:日本の戦力、兵器最先端5、月刊軍事研究4,10

第7師団(陸自、2007年度)>:北部方面隊隷下で、司令部は東千歳にある。第7飛行隊、第71戦車連隊、第72戦車連隊、第73戦車連隊、第11普通科連隊、第7特科連隊、第7後方支援連隊、第7施設大隊、第7通信大隊、第7偵察隊、第7化学防護隊、第7高射特科連隊などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,07

第7師団(陸自、2010年)>:北部方面隊隷下で、司令部は東千歳にある。定数は隊員7000名、戦車226両(90216両、7410両)、89式装甲戦闘車44両、99式自走155mm榴弾砲40両、87式自走高射機関砲32両。師団司令部、司令部付隊、第11普通科連隊、第71-73戦車連隊、第7特科連隊、第7高射特科連隊、第7後方支援連隊、第7施設大隊、第7通信大隊、第7偵察隊、第7飛行隊、第7化学防護隊、第7音楽隊からなる。参考:月刊軍事研究11,10

第7師団(陸自、2015年)>:北部方面隊隷下で、司令部は東千歳にある。第7師団司令部/司令部付隊、第71戦車連隊、第72戦車連隊、第73戦車連隊、第11普通科連隊、第7特科連隊、第7高射特科連隊、第7後方支援連隊、第7施設大隊、第7通信大隊、第7偵察隊、第7飛行隊、第7化学防護隊、第7音楽隊からなる。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

<第7重攻撃飛行隊>:VAH-7を参照。

第7昭南丸>:日本海軍特設駆潜艇。元は昭和139月に竣工した日本水産昭南丸型捕鯨船である。総トン数355トン。主機はレシプロ蒸気機関1基1260馬力、速力14.1ノット。昭和169月に徴用されて特設駆潜艇となった。大阪占部造船所で船首に短8センチ砲1門、前部マストと船橋の間に九四式爆雷投射機1基、船尾に爆雷投下軌条を搭載し、吊下式聴音機1基を装備、爆雷12個を積めるようにする改造を受け、10月下旬に完工(乗員は25名)。太平洋戦争開戦時には南遣艦隊第9根拠地隊第91駆潜隊に配備され、マレー攻略作戦に参加した。その後ペナンから哨戒作戦を実施。昭和19922日、ルソン島東岸で爆撃を受け沈没した。参考:丸スペシャル第49

第7親衛戦車軍団(ソ連)>:ソ連陸軍親衛戦車軍団で、キエフ・ベルリンの称号を持つ。1943726日、第15戦車軍団から改称されて新編された。8月、ドニエプル作戦のためブリヤンスク方面軍予備に配属された。9月、ヴォロネジ方面軍第3戦車軍に配属された。11月、キエフ作戦に参加。12月、キエフ防御作戦に参加。19441月、第1ウクライナ方面軍に配属となり、ジトミール・ベルディチェフ作戦に参加。3月、ペロスコロフ・サンドミエルツ作戦に参加。7月、ルヴォフ・サンドミエルツ作戦に参加。19451月、シュレジエンに進出。4月、ベルリン作戦に参加し、南部環状防御線を突破。5月、プラハ作戦でプラハに進出。6月、第7親衛戦車師団に改称された。参考:月刊グランドパワー4,98

<第7潜水艦>:第7潜水艇を参照。

第7潜水戦隊(日本海軍)>:日本海軍の潜水戦隊。昭和161211日からウェーク島攻略戦に参加(第26潜水隊、第27潜水隊)。昭和18113日、迅鯨が練習潜水隊に転出。115日、長鯨が転入し、旗艦となった。1129日、長鯨が第11潜水戦隊に転出した。参考:歴史群像6,08、写真集日本の小艦艇、月刊世界の艦船6,83

 <第7潜水戦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第4艦隊隷下で、旗艦は迅鯨。隷下に第26、第27、第33潜水隊を置く。兵力部署では南洋部隊潜水部隊所属で、迅鯨、第26潜水隊、第33潜水隊からなる(第27潜水隊は欠)。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧、帝国陸海軍事典、日本潜水艦物語

第7潜水隊(日本海軍)>:日本海軍の潜水隊。参考:帝国陸海軍事典

 <第7潜水隊(昭和9年)>:第1潜水戦隊隷下で、伊1、伊2、伊3を配備する。参考:帝国陸海軍事典

 <第7潜水隊(昭和12年7月7日、日華事変勃発時)>:第1潜水戦隊隷下。参考:日本海軍艦隊総覧

 <第7潜水隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第2潜水戦隊隷下で、伊1、伊2、伊3を配備する。兵力部署では3隻とも先遣部隊第2潜水部隊に所属する。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,14、日本潜水艦物語、帝国陸海軍事典

第7潜水艇>:日本海軍ホランド型改潜水艦。明治39年竣工、改修工事の上明治41年に就役。大正841日、第7潜水艦に名称変更された。大正9121日に除籍された。参考:日本の潜水艦パーフェクトガイド

第7戦隊(日本海軍)>:日本海軍の戦隊。昭和167月中旬、南部仏印進駐部隊の護衛に就いた。昭和1731日、バタビア沖海戦に参加(三隈、最上)。45日、セイロン島攻撃に参加(熊野、鈴谷、三隈、最上)。46日、ベンガル湾カルカッタ沖とマドラス方面において、第4航空戦隊、第20駆逐隊、鳥海、由良と共同で商船13隻を撃沈した(熊野、鈴谷、三隈、最上)。65日、ミッドウェイ海戦に参加(熊野、鈴谷、三隈、最上)。824日、第2次ソロモン海戦に参加(熊野、鈴谷)。1026日、南太平洋海戦に参加(熊野、鈴谷)。昭和19619日、マリアナ沖海戦に参加(熊野、鈴谷、利根、筑摩)。1022日、比島沖海戦に参加(熊野、鈴谷、利根、筑摩)。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊丸12,92、日本海軍艦隊総覧

 <第7戦隊(昭和9年)>:第1艦隊隷下で、五十鈴、長良、名取を配備する。参考:帝国陸海軍事典

 <第7戦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第2艦隊隷下、兵力部署では馬來部隊護衛部隊本隊所属で、最上、三隈、鈴谷、熊野を配備する。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、月刊世界の艦船9,14、帝国陸海軍事典

第7戦闘飛行隊>:アメリカ空軍戦闘飛行隊、別名スクリーミング・デーモンズ(Screaming Demons)。1941115日、第49追撃群隷下の第7追撃飛行隊としてセルジリッジフィールド陸軍航空基地で創設された。太平洋戦争終結後は日本に進駐。1949年、F-80に機種転換した。1950年、朝鮮戦争に参加。1951年、F-84に機種転換した。1957年、ヨーロッパに移動。1968年、ホロマン空軍基地に移動。2008年からF-22Aを受領してF-22実戦飛行隊になった。参考:月刊JWings12,12

第7掃海隊(アメリカ海軍、2012年)>:軍政系統ではアメリカ太平洋艦隊太平洋海軍水上部隊の隷下にあり、佐世保に前方展開している。MCM-1アヴェンジャー、MCM-2ディフェンダー、MCM-5ガーディアン、MCM-7パトリオットを配備する。参考:月刊軍事研究9,12

第7掃海隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の掃海隊。1952111日に新編された。1954101日、第1掃海隊群隷下となった。19564月に解隊された。参考:月刊世界の艦船8,11増刊

第7大源丸>:名村汽船近海航路船。垂線間長66.86m、幅10.9m、深さ5.65m、満載吃水5.04m、総トン数1289トン、重量トン数1880トン。主機は三連成汽機1基1100馬力、航海速力10ノット、最大速力12.75ノット。昭和12118日竣工。昭和13年に海軍に徴用されて特設砲艦になり、上海・台州方面に展開した。昭和194月、運送船になった。814日、朝鮮巡威島南南西でSS-246クローカーの雷撃を受けて沈没した。参考:月刊世界の艦船1,12

<第7偵察攻撃飛行隊>:RVAH-7を参照。

<第7特務船>:鳳翔を参照。

第7任務部隊(アメリカ海軍)>:アメリカ海軍の任務部隊。太平洋艦隊設立と共に隷下に入った。潜水艦部隊で、潜水艦32隻、機雷敷設潜水艦1隻、旧式駆逐艦など76隻が配備された。参考:歴史群像8,98

第7爆撃航空団>:アメリカ空軍の爆撃航空団。2002年、第8航空軍から第12航空軍の隷下に移った。2015101日、第12航空軍から第8航空軍の隷下に移った。2021222日、人員200名とB-1B爆撃機4機をノルウェーのオーランド空軍基地に派遣し、第9遠征爆撃飛行隊として3週間に及ぶ多国(ノルウェー空軍含むNATO諸国空軍)間訓練・演習を行った。参考:月刊航空ファン11,17、月刊JWings5,21

第7爆撃航空団(2013年)>:第12航空軍隷下で、司令部はアリゾナ州デービス・モンサン統合基地にある。隷下に第7作戦群第9爆撃飛行隊(B-1B)、同第28爆撃飛行隊(B-1B)、第7任務支援群、第7整備群、第7医療群、第317空輸群を置く。参考:月刊軍事研究7,13

第七萬榮丸>:日本陸軍徴用船Banyei maru No.7。大元は大正7年に竣工した新田汽船の貨物船で、大正11年に共立汽船が購入し、昭和13年に北海道炭礦汽船に移籍、太平洋戦争直前に陸軍が徴用した。垂線間長67.06m、幅10.21m、深さ5.64m、総トン数1187トン、重量トン数1939トン。主機は三連成レシプロ蒸気機関1基1軸715馬力、航海速力8ノット、最大速力9ノット。昭和184月、海軍の指定船となり、国内石炭輸送に就いた。11月、合併で所属が三井船舶になり、終戦後も三井が運航した。昭和251231日、北海道上ノ国村沖で座礁して沈没した。参考:月刊世界の艦船4,22

第7飛行師団>:日本陸軍の飛行師団。昭和181月、ラバウル向けとして新編された。7月、第4航空軍の隷下に入った。昭和1811月、第2方面軍の隷下に入った。昭和19年後半、第4航空軍の隷下にあった。昭和19112日、飛行第21戦隊が編入された。参考:ラバウル航空戦、日本陸軍戦闘機隊、太平洋海戦史、比島決戦

 <第7飛行師団(昭和18年7月28日)>:第4航空軍隷下で、第3飛行団(飛行第59戦隊、飛行第75戦隊)、第9飛行団(飛行第7戦隊、飛行第61戦隊)、飛行第5戦隊からなる。参考:歴史群像8,15

第7飛行隊>:航空自衛隊の要撃戦闘飛行隊。196021日、第5航空団隷下のF-86F部隊として松島基地で新編された。71日、第4航空団隷下となった。197771日に解隊された。参考:月刊JWings4,11

第七平榮丸>:乾汽船貨物船Heiyei maru No.7。大元はドイツのハンザ・ライン所属ラベンフェルズで、明治3612月に竣工し、第1次大戦でイギリス軍が拿捕して特設水上機母艦レイブンUに改造、大正6年に商船に復帰し、ドミニオン汽船を経て大正13年に樺太汽船が購入して第七平榮丸に改称、昭和91月に三井物産に売却され、12月に乾汽船に移った。垂線間長120.2m、幅15.7m、深さ8.4m、満載吃水7.69m、総トン数4396トン、重量トン数7170トン。主機は三連成レシプロ蒸気機関1基1軸2700馬力、航海速力10.5ノット、最大速力12ノット。太平洋戦争勃発で海軍指定船になり、その後陸軍配当船として使用された。昭和20112日、サイゴンに停泊していたところ、空襲で航行不能になった。419日、修理中に空襲を受けて沈没した。参考:月刊世界の艦船10,23

第7防備隊>:日本海軍の防備隊。昭和16128日の太平洋戦争開戦時は第7根拠地隊の隷下だった。参考:帝国海軍太平洋作戦史T

第7方面軍(日本陸軍)>:日本陸軍の方面軍。昭和193月、南方軍隷下にシンガポールで新編された。第16軍、第25軍、第29軍を隷下に置く。参考:太平洋海戦史

 <第7方面軍(昭和19年後半)>:南方軍隷下で、司令部はシンガポールにある。第16軍、第25軍、第29軍を隷下に置く。参考:比島決戦

第7歩兵師団>:アメリカ陸軍の歩兵師団。194541日から沖縄戦に参加。2012101日、第1軍団隷下で新編された。隷下に第2歩兵師団第2ストライカー旅団戦闘団、第2歩兵師団第3ストライカー旅団戦闘団、第2歩兵師団第4ストライカー旅団戦闘団、第16戦闘航空旅団、第17火力旅団を置く。20231130日から1213日、ヤマサクラ85に参加。参考:月刊軍事研究7,12、歴史群像8,17、朝雲

 <第7歩兵師団(2015年)>:第1軍団隷下で、司令部はルイス・マッコード統合基地にある。総兵力14000名。隷下に第1・第2ストライカー旅団戦闘団(第2歩兵師団から配属)、第2歩兵師団砲兵(本部)、第16戦闘航空旅団、第17野戦砲兵旅団、第555工兵旅団、第201戦場監視旅団(UAV運用部隊)を置く。参考:月刊軍事研究5,16

第7ルュツカ海軍強襲師団>:ポーランド陸軍の両用戦部隊で、名称に海軍と入っているが、陸軍の隷下にある。隷下に強襲連隊3個を置き、PT-76OT-62、フロッグ地対地ロケット、BM-21などを装備する。主任務はソ連や東ドイツと共同してのデンマークに対する水陸両用作戦、ソ連バルト艦隊や第36親衛海軍歩兵連隊の支援、ポーランド海軍との共同水陸両用作戦である。参考:ワルシャワ条約機構軍特殊部隊

 

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