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第8移動警戒隊>:航空自衛隊の移動警戒隊。1987331日、千歳基地で北部航空警戒管制団隷下に創設された。2010326日、第1移動警戒隊に統合されて廃止された。参考:三沢基地ホームページ、朝雲

第八弥栄丸>:2ET型戦時標準油槽船。総トン数834トン。第十南進丸、第三弥栄丸、第十南興丸、第六共栄丸、第十共栄丸と共にボルネオ島ミリから石油還送(計16500キロリットル)を行うことになり、昭和2014日に護衛の海防艦1隻・駆潜艇5隻と共に高雄を出港した。16日、ルソン島ボヘヤドール岬沖でアメリカ艦上機(第1波30機・第2波130機)の攻撃を受けて沈没した。参考:戦時標準船入門

第8艦隊(日本海軍)>:日本海軍の艦隊。外南洋地域(ソロモン方面。オーストラリア北部からフィジー、サモアにかけて)を担当する艦隊で、昭和17714日に連合艦隊隷下に新編された。旗艦は巡洋艦鳥海で、隷下に第6戦隊、第18戦隊、第8特別陸戦隊、設営隊、測量隊、防空隊などを置く。司令長官は三川軍一中将である。719日、柱島を出撃。725日、トラックに入港。730日、ラバウルに進出し、陸上に司令部を設置した。88日、第1次ソロモン海戦に参加(旗艦鳥海、第6戦隊、第18戦隊、夕張、夕凪)。815日、第2航空隊が編入された。昭和184月、第11航空艦隊と共に南東方面艦隊に編入された。7月初め、保有機数は72機だった。実動機数は半分くらいである。その後ブインに司令部を置いて南洋前線部隊への補給を細々と続けたが、司令部も孤立して物資が尽き、自活に入った。昭和20828日、ブイン海岸で最後の観兵式を実施。参考:日本海軍艦隊総覧、戦時用語の基礎知識、第2次大戦日本海軍作戦年誌、日本海軍戦闘機隊、月刊世界の艦船12,10、歴史群像8,154,18、太平洋海戦史

第8機甲師団(イギリス)>:イギリス陸軍機甲師団。1940114日、イギリス本土軍北部軍管区に創設され、2個機甲旅団、1個支援群、1個義勇騎兵連隊(装甲車偵察)を隷下に置いた。194275日、エジプトに派遣された。7月末に改編を受け、1個機甲旅団、1個自動車化歩兵旅団、1個義勇騎兵連隊(装甲車偵察)を隷下に置いた。912日、師団主力はエル・アラメイン戦の増援として放出され、師団司令部と1個大隊本部のみとなった。1942116日、第8軍予備となった。194311日、エジプトで解隊。参考:月刊グランドパワー1,01

第8基地防空隊>:航空自衛隊の基地防空隊。20013月、築城基地で新編された。2020224-28日、令和元年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。参考:築城基地ホームページ、朝雲

 <第8基地防空隊(2015年)>:第8航空団隷下で、築城基地に置かれている。短SAM、携SAMVADSを配備する。参考:月刊航空ファン4,16

第8駆逐隊(日本海軍)>:日本海軍の駆逐隊。昭和17218日、バリ島攻略作戦に参加(大潮、朝潮、満潮、荒潮)。219日、バリ島沖海戦に参加(大潮、朝潮、満潮、荒潮)。昭和1821日、イサベル島沖海戦に参加(大潮、荒潮)。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、日本海軍艦隊総覧

 <第8駆逐隊(昭和12年7月7日、日華事変勃発時)>:第2水雷戦隊隷下。参考:日本海軍艦隊総覧

 <第8駆逐隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第2水雷戦隊隷下、兵力部署では南方部隊本隊所属で、駆逐艦朝潮、満潮、大潮、荒潮を配備する。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,14

第8軍(アメリカ陸軍)>:アメリカ陸軍野戦軍の1つで、在韓米陸軍の最上級部隊であり、韓国のソウルに司令部を持つ前方展開部隊である。朝鮮戦争時には主力として戦闘に参加、その後も司令官(大将)は在韓米軍司令官を兼務した。冷戦が終結した1990年代からは司令官が中将になり、在韓米軍・米韓連合司令部の副司令官兼任となっている。米軍再編に伴い、2008年頃には司令部を縮小または解体し、ハワイの太平洋司令部に吸収合併される予定といわれていたが、結局存続することとなり、2011年に太平洋陸軍が直接指揮統制を取るようになった(それまでは在韓米軍司令官経由)。この際、司令部機能は戦闘司令部のみとなり、有事の際には連合統合任務部隊司令部として動けるよう改編されている。また、朝鮮半島外にも活動範囲を広げ、タイやフィリピンの共同演習にも参加するようになった。20172月、司令部がキャンプ・ハンフリーへの移駐を完了した。参考:月刊軍事研究12,0412,067,1510,18

 <第8軍(2016年)>:第8軍司令部(ソウルの龍山駐屯地)/司令部管理大隊、第2歩兵師団(9ヶ月ローテーション1個機甲旅団戦闘団、第2航空戦闘旅団、第210野戦砲兵旅団、第2継戦旅団、第23化学防護大隊)、第35防空砲兵旅団(烏山基地。第1防空砲兵連隊第2大隊、第52防空砲兵連隊第6大隊)、アメリカ陸軍工兵軍団極東地区、第1通信旅団(龍山駐屯地。第6地域サイバーセンター、第36通信大隊、第41通信大隊、第304遠征通信大隊)、第19遠征継戦コマンド(大邸のキャンプ・ヘンリー)、第65医療旅団、第501軍事情報旅団(龍山駐屯地。第3軍事情報大隊、第368軍事情報大隊、第532軍事情報大隊、第719軍事情報大隊)、韓国役務軍団大隊、第58飛行場運用連隊第4大隊、第106医療分遣隊、第175財政管理センター、韓国野外オフィス、在韓統合米軍事群、在韓訓練支援隊、第8軍軍楽隊、第8軍下士官学校からなる。参考:月刊軍事研究8,16

第8号艦型>:日本海軍計画巡洋戦艦。八八艦隊計画の巡洋戦艦で、50口径41cm3連装砲塔4基(可能ならば50口径46cm連装砲塔4基)と相応の装甲を持ち、30ノットの速力を発揮できる艦として計画された。4隻を建造予定で、大正7年度計画により多数の案(判明しているだけで大正810月に平賀造船官が「四連装砲塔説」と題して提出したAからMまでの13案と大正106月に平賀造船官が「新型艦に就て」と題して提出した1案)を検討したが、ワシントン条約で基本計画決定前に没になった。参考:月刊世界の艦船6,'203,15

 <B案>:45口径41cm3連装砲塔4基搭載型。艦の公式図は残っていないが、3連装砲塔(旋回部総重量1120トン。俯仰角マイナス5度からプラス30度)の図面は残っている。参考:月刊世界の艦船6,'20

 <C案>:45口径41cm3連装砲塔2基+45口径41cm連装砲塔3基搭載型。艦の公式図は残っていない。参考:月刊世界の艦船6,'20

 <D案>:天城型計画巡洋戦艦の主砲塔を6基に増やしたもの。4連装砲塔型の当て馬らしい。排水量52700トン。速力30ノット。主砲は45口径41cm連装砲塔6基(前後甲板背負い式、第2煙突と後部三脚マストの間に2基)、14cm単装砲16門(両舷ケースメート式8門ずつ)。装甲厚は水線部305mm、中甲板114mm。参考:月刊世界の艦船6,'20

 <H案>:天城型計画巡洋戦艦の主砲塔を45口径41cm4連装砲塔3基+連装砲塔1基としたもの。排水量50600トン。速力30ノット。主砲は45口径41cm4連装砲塔3基+同連装砲塔1基(艦前部に連装砲塔、その背後に背負い式で4連装砲塔、艦後部に4連装砲塔背負い式)。水線部装甲厚305mm。参考:月刊世界の艦船6,'20

 <I案>:45口径41cm4連装砲塔4基搭載案。公式図は残っていない。参考:月刊世界の艦船6,'20

 <K案>:50口径46cm連装砲塔搭載型。艦の公式図は残っていないが、連装砲塔(旋回部重量1200トン)の図面は残っている。推定諸元は以下の通り。全長278.3m、常備排水量47500トン。速力30ノット。主砲は45口径46cm連装砲塔4基。水線部装甲厚330mm。参考:月刊世界の艦船6,'20

 <L案>:50口径46cm連装砲塔5基搭載型。公式図は残っていない。参考:月刊世界の艦船6,'20

 <M案>:50口径46cm3連装砲塔4基搭載案。公式図は残っていない。参考:月刊世界の艦船6,'20

 <大正10年案>:「新型艦に就て」では主砲として45口径46cm連装砲塔4基を提案している。参考:月刊世界の艦船6,'20

第8航空軍>:アメリカ陸軍航空軍/アメリカ空軍の爆撃機部隊。太平洋戦争中の19411223日からワシントンで開催されたアルカディア会議において、ドイツに対する大規模戦略爆撃が決定したのを受け、1942128日にジョージア州サバンナ陸軍航空基地で新編された。手始めに第8爆撃兵団をイギリス本土に派遣することになり、ウィコムアビー女子寄宿学校を第8爆撃兵団司令部(コード名パインツリー)とした。また、ロンドン郊外に第8航空軍司令部(コード名ワイドウイング)、ワットフォードに第8戦闘兵団司令部(コード名エイジャックス)を設営し、イギリスが提供した8ヵ所の飛行場の他に50ヵ所以上の新航空基地建設予定地を定め、兵站システムの準備を整えた。194271日に最初のB-17Eがイギリス本土に到着した。イギリス側はイギリス空軍と同様に夜間爆撃への参加を求めたが、それだと活躍が目立たなくなるのと、無差別爆撃に対するドイツ系アメリカ人の反発を抑えきれなくなる恐れがあったため、昼間精密爆撃を実施することにした。74日、イギリス第226中隊から借りたA-20ボストン6機により初出撃、オランダのドイツ軍航空基地を爆撃し、2機が未帰還となった。817日、B-17が初出撃し、12機でフランスの鉄道ターミナルを爆撃、1機が損傷した。8月中に151トンを投弾。9月中に188トンを投弾し、2機を喪失した。10月末、カーチス・ルメイ大佐によりコンバット・ボックス戦術が考案された。10月中に278トンを投弾し、10機を喪失した。11月中に604トンを投弾し、13機を喪失した。12月中に340トンを投弾し、17機を喪失した。1943年初頭にかけ、フラック・ジャケットが配備された。1943127日、ドイツ本土を初めて爆撃。その後も出撃を重ねたが、当時の護衛戦闘機の航続距離ではP-38でもドイツ本土までぎりぎりだったので、乗員とB-17の喪失が大きくなった。同月中に594トンを投弾し、18機を喪失した。220-25日、ドイツ各地に昼間爆撃を実施。夜もイギリス空軍で爆撃を行い、ビッグ・ウィークと称した。隷下の第8戦闘軍団は戦闘機延べ3766機を出撃させ、ドイツ軍機218機を撃墜する戦果を挙げた。2月中に568トンを投弾し、23機を喪失した。3月中に1483トンを投弾し、21機を喪失した。4月には帰国のための出撃回数を25回から30回に上げた。同月にはドイツ本土の工業施設に対する戦略爆撃作戦「ポイント・ブランク」を発動したが、損害も大きくなってしまい、計算上はあと1ヶ月以内に稼働機が1機もいなくなるという事態に陥り、補充量を増やすよう司令官が上層部を説得して回る羽目になった。B-17を護衛機として改造したB-40も投入してみたものの、鈍足で役に立たなかった。417日、115機でブレーメンを爆撃したが、16機が撃墜され、44機が損傷した。同月中に858トンを投弾し、29機を喪失した。5月中に2555トンを投弾し、69機を喪失した。66日の段階では第8爆撃兵団隷下に3個爆撃航空団が配備されていた。6月中に2330トンを投弾し、90機を喪失した。724-30日、ブリッツ・ウィークと呼ばれた連日の出撃で爆撃機100機と1000名の損害を出した。7月中に3475トンを投弾し、118機を喪失した。817日、レーゲンスブルクの航空機工場とシュヴァインフルトのボールベアリング工場を同時に爆撃する作戦を実施したが、376機のうち60機を失い、その後暫くはドイツ本土への爆撃を行えなくなった。8月中に3999トンを投弾し、117機を喪失した。9月中に7369トンを投弾し、98機を喪失した。1014日、再びシュヴァインフルトのボールベアリング工場を爆撃に向かったが、ドイツに向かった291機のうち65機を喪失し、ブラック・サーズデーと呼ばれることになった。10月中に4548トンを投弾し、186機を喪失した。11月中に5751トンを投弾し、95機を喪失した。1213日、ドイツ本土爆撃の全行程をカバーできるP-51が護衛として初めて配備された。12月中に10655トンを投弾し、172機を喪失した。19441月、第8航空軍司令官にドゥーリットル中将が就任し、防御力の比較的弱いB-24を太平洋戦域に回してヨーロッパ戦線はB-17で固める方針を打ち出した。1月中に10532トンを投弾し、203機を喪失した。220日、第15航空軍と共同でアーギュメント作戦を実施。初日には1000機の重爆撃機が出撃し、225日までに延べ3800機の爆撃を3700機の戦闘機が護衛、損失を28機に止めた。2月中に16480トンを投弾し、271機を喪失した。36日、ベルリンに対する昼間精密爆撃を開始。重爆672機が出撃したが、ドイツの迎撃に遭って69機が撃墜された。この反省を基に、38日には重爆539機を戦闘機891機で護衛し、迎撃部隊に逆襲した。1944年夏以降は重爆1000機に戦闘機1000機の護衛を付けるようになり、ドイツ側は燃料不足もあって殆ど手出しができなくなった。3月中に19892トンを投弾し、345機を喪失した。4月中に22447トンを投弾し、420機を喪失した。5月中に32450トンを投弾し、376機を喪失した。喪失率は1.9%で、この月以降は2%以下となっている。6月中に54204トンを投弾し、320機を喪失した。7月中に40784トンを投弾し、352機を喪失した。8月中に44120トンを投弾し、331機を喪失した。9月中に36332トンを投弾し、374機を喪失した。10月中に38961トンを投弾し、177機を喪失した。11月中に30609トンを投弾し、209機を喪失した。12月中に36826トンを投弾し、119機を喪失した。194511日の段階では第8爆撃兵団隷下に3個航空師団・15爆撃航空団が編成されていた。1月中に30489トンを投弾し、314機を喪失した。2月中に46088トンを投弾し、196機を喪失した。3月中に65962トンを投弾し、266機を喪失した。47日、ドイツ北部爆撃のため重爆1300機と護衛戦闘機900機が出撃。183機のエルベ特攻隊による迎撃を受けたが、喪失は8機のみであった。425日、重爆589機により第2次大戦最後の爆撃を行った。4月中に41632トンを投弾し、190機を喪失した。大戦中の爆弾投下量は623288トン。喪失機数5541機、死者・行方不明者43742名。199261日、戦略航空軍団からACCの隷下に移った。2002年、B-1B爆撃航空団である第7・第28爆撃航空団が第12航空軍の隷下に移った。200987日、ACCからAFGSCの隷下に移った。2015101日、B-1B爆撃航空団である第7・第28爆撃航空団がACC12航空軍から隷下に入った。参考:歴史群像6,08、月刊航空ファン11,9211,17、月刊軍事研究4,16

第8航空軍(2007年)>:ACC隷下で、司令部はルイジアナ州バークスデール空軍基地にある。第2爆撃航空団(B-52H)、第5爆撃航空団(B-52H)、第509爆撃航空団(B-2AT-38)、第9偵察航空団(RQ-4T-38U-2R/S)、第55航空団(E-4BOC-135BRC-135S/U/V/WTC-135S/WWC-135EC-130H)、第67ネットワーク戦団、第70情報団、第116航空管制団(E-8C)、第480情報団、第552航空管制航空団(E-3B/C)、第3航空支援作戦群を隷下に置く。参考:月刊軍事研究3,08

第8航空軍(2010年)>:AFGSC隷下で、司令部はバークスデール空軍基地にある。隷下に第2爆撃航空団(B-52H。バークスデール空軍基地)、第5爆撃航空団(B-52H。マイノート空軍基地)、第509爆撃航空団(B-2AT-38A。ホワイトマン空軍基地)などを置く。参考:月刊軍事研究1,11

第8航空軍(2015年)>:AFGSC隷下で、司令部はバークスデール空軍基地にある。第2爆撃航空団(B-52H)、第5爆撃航空団(B-52H)、第7爆撃航空団(B-1B)、第28爆撃航空団(B-1B)、第509爆撃航空団(B-2A)を隷下に置く。参考:月刊軍事研究4,16

第8航空隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊のP-3C航空隊。1992730日、第31航空群隷下に岩国航空基地で新編された。20013月に解隊された。参考:月刊航空ファン11,92、岩国航空基地ホームページ

第8航空団>:航空自衛隊の航空団。19641026日に築城基地で新編された臨時築城航空隊がベースで、1228日に第8航空団として築城基地で創設され、第6飛行隊と第10飛行隊を隷下に置いた。昭和40年代から基地内で菊花展を開催しており、華の航空団とも呼ばれる。197741日、第10飛行隊が解隊された。81日、第304飛行隊が新編され、要撃戦闘飛行隊と支援戦闘機飛行隊を要する空自唯一の多任務混成航空団となった。200263日、1976年以来30万時間無事故の記録を達成した。2007123日、安全褒章を授与された。201027-19日、コープノース・グアム10-1F-2支援戦闘機8機で参加した。413日、無事故50万人日を達成し、422日に航空総隊司令官から3級賞状を授与された。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。11211916頃に発生した広島県北部を震源とする震度5弱の地震を受け、情報収集のためF-2B戦闘機1機を飛行させた。2012211-24日、コープノース・グアム12-1に参加。913日、日出生台演習場で行われた実爆を伴う滑走路被害復旧訓練に参加。201373日、独創的な広報活動が評価され、西部航空方面隊司令官から3級賞状を授与された。201416日、飛行訓練始めを実施。212-28日、グアムとテニアンで行われた日米豪共同訓練コープノース・グアム2014F-2A戦闘機8機で参加。2015127日から312日、グアム、サイパン、テニアン、ロタ島、フュラロン・デ・メディニラ空対地射爆場で日米豪共同訓練及び日米豪共同人道支援・災害救援共同訓練に参加。7130252頃に大分県南部で発生した最大震度5強の地震の情報収集をF-15戦闘機2機で実施。722日、大分県防衛協会の研修に協力した。821日から93日、米軍再編に係る嘉手納飛行場から築城基地への共同訓練移転に参加。918日、チリ中部沖地震による津波警報発令に伴い、F-2戦闘機2機で情報収集を実施。128-11日、米軍再編に係る嘉手納飛行場から新田原基地への訓練移転(共同訓練)にF-2戦闘機2機で参加。アメリカ空軍第18航空団、空自第5航空団、西部航空警戒管制団と四国沖・九州西方空域で戦闘機戦闘訓練などを行った。2016124-25日の九州・中国地方寒波に対する災害派遣に参加。131日、第304飛行隊が第9航空団に移った。217日、第304飛行隊の那覇移駐に伴いF100エンジンの整備を終えることとなり、整備補給群修理隊がF100エンジン最終試運転セレモニーを実施。414日と16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。729日、第8飛行隊が隷下に入り、改編式を行った。913日、第6飛行隊と第8飛行隊のF-2戦闘機1機ずつが九州周辺の訓練空域でアメリカ空軍第34遠征爆撃飛行隊B-1B爆撃機2機と要撃戦闘訓練を実施。2017215日から33日、コープノース・グアム2017に参加。88日、F-2戦闘機2機が九州周辺空域でアメリカ空軍第37遠征爆撃飛行隊B-1B爆撃機2機と編隊航法訓練を実施。918日、F-2戦闘機4機がアメリカ空軍第37遠征爆撃飛行隊B-1B爆撃機2機、アメリカ海兵隊第12海兵航空群F-35B戦闘機4機と九州周辺空域で編隊航法訓練を実施。930日から107日、米軍再編に係る訓練移転(共同訓練タイプU)にF-2戦闘機4機で西部航空警戒管制団と共に参加し、第35戦闘航空団第13戦闘飛行隊と九州北方・西方空域で戦闘機戦闘訓練などを行った。1021日、F-2A戦闘機2機がアメリカ空軍第37遠征爆撃飛行隊B-1B爆撃機2機と九州周辺空域で編隊航法訓練を実施。1113日、F-2戦闘機2機が第5航空団F-15戦闘機2機と日本海上空でCVN-68ニミッツ、艦艇数隻、F/A-18戦闘機3機との各種戦術訓練に参加。124日、F-2戦闘機2機が第9航空団F-15戦闘機2機と共に日本海上空及び沖縄周辺空域で第12海兵航空群F/A-18戦闘機2機、アメリカ空軍第34戦闘飛行隊F-35A戦闘機2機との対戦闘機戦術訓練に参加。126日、F-2戦闘機4機がアメリカ空軍第37遠征爆撃飛行隊B-1B爆撃機2機との編隊航法訓練に参加。201824日から311日、コープノース・グアム2018に参加。96日に発生した北海道胆振東部地震の災害派遣に参加。927日、F-2戦闘機4機で、第6・第2・第9航空団と共に、東シナ海と日本海空域でアメリカ空軍第96遠征爆撃飛行隊B-52爆撃機との編隊航法訓練に参加。1027日から119日、米軍再編に係る航空機の訓練移転18航空団44戦闘飛行隊との日米共同訓練に参加。112日、第6飛行隊F-2A戦闘機2機が空中接触事故を起こした。115-8日、米軍再編に係る航空機の訓練移転第35戦闘航空団14戦闘航空隊F-16C戦闘機6機と日米共同訓練を実施。201913日、熊本地方を震源とする最大震度6弱の地震が発生したため、F-2戦闘機2機で情報収集を行った。220日から38日、日米豪共同訓練に参加。222日、コープノース・グアム2019に参加中のF-2戦闘機6機が台風回避のため築城基地に戻った。926日、1457頃に築城基地を離陸したF-2A戦闘機が、洋上での訓練終了後に帰投した際、脚が降りていない状態で着陸したため、機体の一部を滑走路に接触した。再離陸して洋上で脚を下げ異状が無いことを確認、1617頃に築城基地に着陸している。2019828日に発生した佐賀県豪雨災害の災害派遣に参加。2020131日から38日、日米豪共同訓練に参加。24日、日米共同訓練にF-2戦闘機8機で参加。34-6日、新着任空士集合訓練を実施。422日、日米共同訓練にF-2戦闘機4機で参加。512日、アメリカ空軍との共同訓練にF-2戦闘機4機で参加。527日、アメリカ空軍との共同訓練にF-2戦闘機8機で参加。619日、太平洋上空でアメリカ空海軍との共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、アメリカ空軍B-52H爆撃機2機及びアメリカ海軍EA-18G電子戦機2機と、各種戦術訓練を行った。622-23日、福岡県知事から新型コロナウイルス市中感染拡大防止に係る災害派遣要請があり、隊員延べ10名が自治体職員延べ80人に感染防止などの教育支援を行った。717日、アメリカ空軍との共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、第6航空団F-15戦闘機4機、第7航空団F-2戦闘機3機、第9航空団F-15戦闘機4機と共に、日本海及び九州西方空域で、アメリカ空軍B-1B爆撃機1機と、編隊航法訓練及び各種戦術訓練を行った。727日、アメリカ空軍との共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、第2航空団F-15戦闘機4機、第6航空団F-15戦闘機4機、第9航空団F-15戦闘機4機と共に、日本周辺空域で、アメリカ空軍B-1B爆撃機1機と、編隊航法訓練を行った。86日、緊急登庁支援要員の運営訓練を実施。87日、日本海及び沖縄周辺空域で、アメリカ空軍との共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、第2航空団F-15戦闘機2機、第7航空団F-2戦闘機4機、第9航空団F-15戦闘機4機と共に、アメリカ空軍B-1B爆撃機1機と、編隊航法訓練を行った。818日、アメリカ空軍アメリカ海軍アメリカ海兵隊との共同訓練にF-2戦闘機4機で参加。第2航空団F-15戦闘機4機、第6航空団F-15戦闘機4機、第9航空団F-15戦闘機8機と共に、アメリカ空軍B-1B爆撃機3機、F-15戦闘機10機、E-3早期警戒管制機1機、アメリカ海軍F/A-18戦闘機2機、アメリカ海兵隊F-35B戦闘機3機と、編隊航法防空戦闘訓練を行った。101-30日、基地業務群業務隊給養小隊が不喫食ゼロ活動を行い、最終日の昼食で喫食率100%を達成した。101日、基地業務群業務隊給養小隊16名が有事の給食活動を想定した応急給食訓練を実施。グラウンドに野戦釜4基を設置してハヤシライス400人分を調理した。1117日、F-2戦闘機4機が、日本海・東シナ海・沖縄周辺空域で、アメリカ空軍B-1B爆撃機2機との共同訓練(編隊航法及び防空戦闘)に参加。124日、F-2戦闘機4機が、日本海・東シナ海・沖縄周辺空域で、アメリカ空軍B-1B爆撃機1機との編隊航法訓練に参加。

2021112日、日本海・東シナ海・沖縄周辺空域で、F-2戦闘機4機が、アメリカ空軍B-1B爆撃機1機との共同訓練(編隊航法及び要撃戦闘)に参加。118日から228日、コープ・ノース21F-2A戦闘機3機で参加。48日、九州西方の東シナ海上空でF-2戦闘機4機が日米共同訓練に参加。71日、令和2年度隊員自主募集の功績で、司令部が井筒空幕長から第5級賞状を授与された。831日、日本海と沖縄北方を含む東シナ海海上の空域でアメリカ空軍B-52H爆撃機1機との共同訓練(編隊航法要撃戦闘)にF-2戦闘機4機で参加。921日、F-2戦闘機4機が、日本海、東シナ海、沖縄周辺空域で、アメリカ空軍B-52H爆撃機2機との日米共同訓練(編隊航法・各種戦術訓練)に参加。1112日、飛行場地区で応急給食訓練を実施。122日、業務隊が築城基地に屋台形式の移動売店を導入した。129日、F-2戦闘機4機が日本海上空でアメリカ空軍B-52H爆撃機1機、F-35A戦闘機7機、KC-135空中給油機1機との共同訓練(編隊航法訓練)に参加。1221日、基地業務群が築城基地厚生センターシアタールームでプレeスポーツ大会(大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL)を実施。2022119日から34日、コープ・ノース・グアム22に参加。131日、整備補給群の士長が、車両同士の事故に遭遇した際に二次被害を防止した功績で、団司令から善行褒章状を贈呈された。322-25日、築城基地で日米共同訓練(米軍再編に係る航空機の訓練移転タイプU)に参加し、F-2戦闘機アメリカ空軍第18航空団44戦闘飛行隊F-15C戦闘機4機と訓練を行った。417日、岡山国際サーキットで行われたスーパーGT開幕戦で、F-2戦闘機3機による編隊飛行を披露した。511日、島根県出雲市で行われた護国延命地蔵尊54回忌法要に参列。629日、F-2戦闘機4機が東シナ海と日本海上で日米共同訓練に参加。第2航空団F-15戦闘機4機、第6航空団F-15戦闘機4機、北部航空警戒管制団中部航空警戒管制団西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍34爆撃飛行隊B-1B爆撃機2機と、編隊航法訓練を行った。76日と711-12日、日本海・太平洋・東シナ海上空で、アメリカ空海軍との共同訓練にF-2戦闘機8機で参加。104日、F-2戦闘機4機が九州西方上空で日米共同訓練に参加。115日、九州北西空域で日米共同訓練に参加。F-2戦闘機5機がアメリカ空軍第28爆撃航空団B-1B爆撃機2機及び第35戦闘航空団F-16戦闘機2機と各種戦術訓練を行った。1027日、日本海上空で日米共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、第2航空団第7航空団北部中部西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍B-52H戦略爆撃機2機と、編隊航法訓練を行った。1119日、九州北西で日米共同訓練に参加。F-2戦闘機5機がアメリカ空軍第28爆撃航空団B-1B爆撃機2機と各種戦術訓練を行った。1220日、日本海上の空域で日米共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、第6航空団F-15戦闘機4機、中部航空警戒管制団西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍B-52爆撃機2機及びC-17輸送機1機と、編隊航法訓練を行った。2023119日、沖縄周辺空域で日米共同訓練に参加。F-2戦闘機3機が、第9航空団F-15戦闘機12機、警戒航空団E-767早期警戒管制機1機、南西航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍第18航空団F-15戦闘機10機、KC-135空中給油輸送機1機、E-3早期警戒管制機1機、HH-60救難ヘリ2機、アメリカ海軍VP-10所属P-8哨戒機1機と、各種戦術訓練を行った。123日から34、コープ・ノース・グアム23に参加。32日、日米共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、第3航空団F-35A戦闘機4機、第7航空団F-2戦闘機4機、北部中部西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍第28爆撃航空団B-1B爆撃機1機、第35戦闘航空団F-16戦闘機4機、第18航空団KC-135空中給油輸送機1機と、日本海上で各種戦術訓練を行った。33日、日米共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、第3航空団F-35A戦闘機4機、第6航空団F-15戦闘機4機、北部中部西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍第28爆撃航空団B-1B爆撃機1機と、日本海上で各種戦術訓練を行った。36日、日米共同訓練に参加。F-2戦闘機2機が、西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍第2爆撃航空団B-52H爆撃機1機と、日本海上で各種戦術訓練を行った。330日、日米共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、第2航空団F-15戦闘機4機、第5航空団F-15戦闘機4機、第6航空団F-15戦闘機4機、北部中部西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍第2爆撃航空団B-52H爆撃機2機と、日本海及び東シナ海上で各種戦術訓練を行った。424日、東シナ海上空で日米共同訓練に参加。西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍B-52H爆撃機2機、F-35A戦闘機6機、KC-135空中給油輸送機1機と、各種戦術訓練を行った。67日、四国南方海空域で日仏共同訓練オグリ・ヴェルニー23-3に参加。F-2戦闘機4機が、西部航空警戒管制団と共に、FFM-2くまの、海自潜水艦フランス海軍D-657ロレーヌと、各種戦術訓練(対潜戦対空戦対水上戦LINKEXなど)を行った。616日、日本海上で日米共同訓練に参加。F-2戦闘機4機がアメリカ空軍F-35A戦闘機4機及びKC-135空中給油輸送機1機と各種戦術訓練を行った。74-18日、ノーザン・エッジ23-2に参加。712日、九州西方で日米共同訓練に参加。F-2戦闘機4機がアメリカ空軍F-15C戦闘機2機及びKC-135空中給油輸送機1機と各種戦術訓練を行った。713日、九州西方で日米共同訓練に参加。F-2戦闘機4機がアメリカ空軍B-52H爆撃機1機及びKC-135空中給油輸送機1機と各種戦術訓練を行った。726-29日、新田原基地・同周辺空域・関東周辺空域で日仏共同訓練を実施。F-2戦闘機2機が、第5航空団F-15戦闘機3機、第1輸送航空隊KC-767空中給油輸送機1機、第2輸送航空隊C-2輸送機1機、中部航空警戒管制団西部航空警戒管制団と共に、フランス空軍第4航空団第1・第2飛行隊ラファール戦闘機2機、第31航空団第1飛行隊A330-200MRTT空中給油輸送機1機、第61航空団第1飛行隊A400M輸送機1機と、各種戦術訓練を行った。731日から84日、築城基地で飛行教導群の教導訓練を受けた。830日、日本海上で日米共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、第2航空団F-15戦闘機4機、第7航空団F-2戦闘機4機と共に、B-1B爆撃機2機と、各種戦術訓練を行った。928日、四国南方の太平洋上で日米共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍F-15E戦闘機2機・KC-135空中給油輸送機1機、アメリカ海兵隊F-35B戦闘機4機と、各種戦術訓練を行った。1022日、九州北西で日米韓共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍B-52H爆撃機1機、F-16戦闘機3機、韓国空軍F-15K戦闘機2機と、編隊航法訓練を行った。11-12月、パシフィック・パートナーシップ2024に参加。125-15日、米軍再編に係る訓練移転(日米共同訓練)に参加。F-2戦闘機8機が、築城基地に展開した嘉手納基地所属アメリカ空軍第18航空団F-35A戦闘機12機と、山口北方沖及び九州西方で、戦闘機戦闘訓練などを行った。1220日、九州北西で日米韓共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、B-1爆撃機2機、F-16戦闘機3機、韓国空軍F-15戦闘機2機と、各種戦術訓練を行った。2024130日、日本海と東シナ海上空で日米共同訓練に参加。F-2戦闘機4機が、第2航空団F-15戦闘機4機、第7航空団F-2戦闘機4機、北部中部西部航空警戒管制団と共に、アメリカ空軍B-52H爆撃機1機と、各種戦術訓練を行った。25-23日、コープ・ノース24に参加。

参考:月刊航空ファン9,028,152,'1612,164,175,1710,1712,172,184,181,194,19、月刊JWings4,076,074,104,114,124,144,1510,1512,'1510,1612,169,171,182,1812,181,193,195,1912,194,207,'208,'209,'2011,202,'214,2111,'213,'224,'226,'229,'2210,'2212,'221,'232,'233,'234,'235,'238,'239,'2310,'2311,'2312,'232,'243,'244,'24、世界の傑作機No.39、月刊世界の艦船11,19MAMOR vol.52vol.114vol.164、朝雲

 <第8航空団(2010年)>:西部航空方面隊隷下で、築城基地に置かれている。隷下に飛行群(群本部、第6飛行隊、第304飛行隊)、整備補給群(群本部、検査隊、装備隊、修理隊、車両器材隊、補給隊)、基地業務群(群本部、第8基地防空隊、飛行場勤務隊、施設隊、通信隊、管理隊、業務隊、会計隊、衛生隊)を置く。参考:月刊JWings2,11、月刊航空ファン4,10

 <第8航空団(2015年)>:西部航空方面隊隷下で、司令部は築城基地に置かれている。飛行群(群本部、第6飛行隊、第304飛行隊)、第8基地防空隊、整備補給群、基地業務群を隷下に置く。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊航空ファン4,16

 <第8航空団(2020年)>:西部航空方面隊隷下で、築城基地にある。第6飛行隊、第8飛行隊などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,20

<第8号駆逐艦>:早蕨を参照。

第8高射隊>:航空自衛隊の高射隊。19662月、第2高射群隷下の第8中隊として高良台分屯基地で新編された。8月、ナイキ・アジャックスの運用を開始。196910月、第8高射隊に改編された。19733月、ナイキJの運用を開始。19953月、ペトリオットの運用を開始。2010224日、ペトリオットPAC-3を配備。2018824日、小野寺防衛大臣の視察を受けた。2020924日、PAC-3機動展開訓練に参加し、春日基地から福岡駐屯地PAC-3MSEを展開した。参考:高良台分屯基地ホームページ、朝雲

第8高射隊(2015年)>:第2高射群隷下で、高良台分屯基地に置かれている。ペトリオット、ペトリオットPAC3を配備する。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊航空ファン4,16

第8高射特科群>:陸上自衛隊の高射特科群で、青野原駐屯地に所在する。1995117日に発生した阪神淡路大震災の災害派遣に参加。20105月下旬から6月中旬まで、第308高射搬送通信中隊が神戸製鋼所加古川製鉄所の新入社員38人に隊内生活体験を実施。201183日、青野原駐屯地で開催されたささやま環境防災みらい学校を支援。2014817日、兵庫県丹波市市島町で豪雨により道路が寸断され、キャンプ施設の宿泊客が孤立したため、県知事から第3特科連隊長に災害派遣要請が出された。本部隊の隊員20名がキャンプ場に到着後、県の要請で近隣住宅地での行方不明者捜索に任務を変更。心肺停止状態の2人を救出したが、その後死亡が確認された。1526に撤収要請を受けている。2015326日、青野原駐屯地に第343高射中隊(03SAM装備)が新編された。112-16日、ニューメキシコ州マクレガー射場で平成27年度中SAM部隊実射訓練検閲を実施。第339高射中隊と第343高射中隊が陣地偵察、占領、射撃準備、戦闘準備、模擬実射、対空実射を行い、両中隊とも目標に命中させた。2020224-28日、令和元年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。46日、教育隊教場で自衛官候補生課程44名の入隊式を実施。76日、令和2年度新隊員特技課程及び一般陸曹候補生課程(後期)開始式を実施。925日、青野原演習場で行った第3次野外行動訓練検閲を防衛モニターに公開した。2021222-26日、令和2年度日米共同統合防空ミサイル防衛訓練に参加。419日、自衛官候補生44名の入隊式を実施。510-15日、日本原演習場で第338・第340高射中隊と第308高射搬送通信中隊の令和3年度第1次野外行動訓練検閲を実施。618日から711日、オリエント・シールド21に参加。720-21日、青野原演習場で第1回群災害情報訓練を実施。災害用ドローン2型/2型改の基本操縦コースによる練成や災害状況下における応用的な操縦訓練を行った。2022117日、ひょうご安全の日の防災訓練に参加。参考:朝雲、MAMOR vol.102、月刊軍事研究4,17

第8護衛隊>:海上自衛隊の護衛隊。1975113日、DD-104いそなみとDD-106しきなみが第1練習隊に転出した。1997324日、第4護衛隊群隷下に再編された。2002319日、DD-151あさぎりが第2護衛隊から転入した。2003313日、DD-158うみぎりが配備された。2005216日、DD-113さざなみが配備され、DD-151あさぎりが第1練習隊に転出した。2008326日、DDG-174きりしまが第61護衛隊から転入した。201181日、DD-106さみだれが第4護衛隊に転属となり、DD-104きりさめが第7護衛隊から編入された。2014312日、DD-117すずつきが配備され、DD-113さざなみが第4護衛隊に転出した。1024日、司令部が呉から佐世保に移った。DDG-174きりしまが第6護衛隊、DD-105いなづまが第4護衛隊に移り、DDG-176ちょうかいが第6護衛隊、DDG-172しまかぜが第1護衛隊から編入された。202047-8日、幹部学校で行われた、中東における情報収集活動のための部隊派遣に伴う図上演習に参加。2021319日、DDG-180はぐろが配備された。DDG-172しまかぜが練習艦TV-3521に艦種変更され、第1練習隊に転出した。参考:月刊世界の艦船11,115,148,142,156,205,'21

 <第8護衛隊(1961年9月1日)>:第1護衛隊群隷下で、横須賀に置かれている。DD-104いそなみ、DD-106しきなみを配備する。参考:月刊世界の艦船11,11

 <第8護衛隊(1971年2月1日)>:第1護衛隊群隷下で、横須賀に置かれている。DD-104いそなみ、DD-106しきなみを配備する。参考:月刊世界の艦船11,11

第8護衛隊(1998年)>:第4護衛隊群隷下で、大湊に置かれている。DD-125さわゆき、DD-155はまぎり、DD-156せとぎりを配備する。参考:月刊世界の艦船4,98

第8護衛隊(2001年4月1日)>:第4護衛隊群隷下で、呉に置かれている。DD-129やまゆき、DD-130まつゆき、DD-131せとゆきを配備する。参考:月刊世界の艦船6,01

第8護衛隊(2006年4月3日)>:第4護衛隊群隷下で、呉に置かれている。DD-158うみぎり、DD-113さざなみを配備する。参考:月刊世界の艦船11,11

第8護衛隊(2007年度改編後)>:第4護衛隊群隷下で、呉に置かれている。DDG-174きりしま、DD-105いなづま、DD-106さみだれ、DD-113さざなみを配備する。参考:月刊世界の艦船11,11

第8護衛隊(2010年)>:第4護衛隊群隷下のDDGグループで、呉に置かれている。DDG-174きりしま、DD-105いなづま、DD-106さみだれ、DD-113さざなみを配備する。参考:月刊世界の艦船1,11、月刊軍事研究7,10

第8護衛隊(2012年)>:第4護衛隊群隷下で、呉に置かれている。DDG-174きりしま、DD-105いなづま、DD-104きりさめ、DD-113さざなみを配備する。参考:月刊世界の艦船6,12

第8護衛隊(2015年)>:第4護衛隊群隷下で、佐世保に置かれている。DDG-176ちょうかい、DDG-172しまかぜ、DD-104きりさめ、DD-117すずつきを配備する。参考:月刊世界の艦船6,15

第8護衛隊(2020年)>:第4護衛隊群隷下で、佐世保に置かれている。DDG-176ちょうかい、DDG-172しまかぜ、DD-104きりさめ、DD-117すずつきを配備する。参考:月刊世界の艦船6,20

第8根拠地隊(日本海軍)>:日本海軍の根拠地隊。昭和1721日、ラバウルで編成された。昭和189月、司令部はニューブリテン島ラバウルにあり、第21駆潜隊、第24駆潜隊などを隷下に置いていた。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、小艦艇入門

第8混成団>:陸上自衛隊の混成団。1955121日に新編された。1962815日、第8師団に改編された。参考:日本の防衛戦力Part1

第8施設群>:陸上自衛隊の施設群。第4施設団の隷下にある。19853月、ダンプ中隊が廃止された。19903月、第350施設中隊が新編された。19993月に廃止された。参考:大久保駐屯地ホームページ

第8師団(日本陸軍)>:日本陸軍の師団。常備師団の1つで、弘前に置かれている。通称杉師団。歩兵第4旅団(歩兵第5・第31連隊)、歩兵第16旅団(歩兵第17・第32連隊)、騎兵第3旅団、野砲兵第8連隊、工兵第8大隊、輜重兵第8大隊を隷下に置く。師団管区は青森、岩手、秋田、山形。太平洋戦争時、隷下に歩兵第5・第17・第31連隊を置いていた。昭和19728日、第14方面軍の隷下に入った。参考:帝国陸海軍事典、比島決戦、太平洋海戦史、大日本帝国陸海軍軍装と装備

第8師団(陸上自衛隊)>:陸上自衛隊の師団。南九州(熊本県、宮崎県、鹿児島県)を防衛する。1962815日、第8混成団から改編された乙師団として西部方面隊隷下に創設された。混成団時代からの第12普通科連隊に加え、2個普通科大隊を第42・第43普通科連隊に改編して隷下に置いている。196338日、射撃演習を実施。196591-10日、山地演習を実施。196658-13日、海上機動演習を実施。19671017-21日、連隊戦闘団演習を実施。197929-12日、機動演習(ぎんなん演習)を実施。326日、第8戦車大隊が第4師団管区内にある玖珠駐屯地に移った。1980520日から628日、矢臼別演習場で他方面区演習(北方機動演習?)を実施。隊員3000名、車両600両、火砲80門が参加した。103-7日、夜間防御戦闘演習を実施。1981325日、第24普通科連隊が第7師団から移管され、甲師団になった。929日、夜間戦闘演習を実施。198221-5日、師団指揮所演習を実施。616-18日、方面指令応急出動訓練を実施。19853月、川内駐屯地が開設され、第8施設大隊が移駐した。1995年度末、第8対戦車隊が廃止された。平成8年度以降に係る防衛計画の大綱で、Bタイプ師団に改編されることになった。1998112-14日、第24普通科連隊がフォレスト・ライト99に参加。20081211-15日、大矢野原演習場で長崎防衛支局が実施した84mm無反動砲の調達弾薬射撃試験を、第12普通科連隊が支援した。

200915日、第43普通科連隊が訓練始めを実施。0530から8kmを行進した。114日、第24普通科連隊が霧島連山えびの高原で山地機動訓練を実施。126日から23日、大矢野原演習場と北熊本駐屯地でアメリカ陸軍第256歩兵旅団との日米共同訓練を実施。第42普通科連隊基幹の700名、戦車2両、車両150両が参加した。35日、北熊本駐屯地で平成20年度師団炊事競技会決勝戦を実施。第12普通科連隊が優勝した。41-3日、第42普通科連隊がオムロンリレーアンドディバイス株式会社の新入社員26人に対する隊内生活体験を実施。41-8日、第43普通科連隊が霧島演習場で演習場道路整備のための砕石作業を実施。46日、第43普通科連隊が第8師団と第1混成団の生徒20名に対するレンジャー教育を開始。510日、第8特科連隊第5大隊の隊員40名が天草市総合防災訓練に参加。511日、第8特科連隊が前期教育中の新隊員49名に対する装脱面訓練(催涙ガス体験)を実施。517日、第12普通科連隊、第8施設大隊、第8飛行隊、第8後方支援連隊が鹿児島県総合防災訓練に参加。第8特科連隊第1大隊と第8後方支援連隊補給隊が八代市総合防災訓練に参加。524日、第43普通科連隊と第8飛行隊が宮崎県総合防災訓練に参加。531日、第8特科連隊第2大隊が人吉市防災実動訓練に参加。611-13日、第42連隊戦闘団検閲を日出生台演習場で実施。第12普通科連隊第4中隊が対抗部隊を務めた。623-24日、第43普通科連隊が都城駐屯地などで戦闘戦技競技会を実施。第1中隊が総合優勝した。625-27日、第24普通科連隊が佐多射撃場で79式対舟艇対戦車誘導弾による対舟艇実射訓練を実施。3発を発射し、洋上を時速5ノットで移動する標的に全弾命中させた。628日、第8特科連隊が新隊員課程前期修了式を実施。630日、第8師団と第1混成団のレンジャー最終教程帰還式を実施。12名にレンジャー徽章が授与された。715日、第8特科連隊が日出生台演習場で平成21年度野外炊事競技会を実施。情報中隊が優勝した。922日、第8後方支援連隊の43名が国立病院機構熊本医療センターの移転を支援した。929日、第12普通科連隊が新隊員課程後期教育修了式を実施。108日、第43普通科連隊がらっぱ競技会と炊事競技会を実施。前者は重迫撃砲中隊、後者は対戦車中隊が優勝した。1031日、宮崎県霧島連峰韓国岳に登っていた小学生が行方不明となったため、夜になって宮崎県知事から第24普通科連隊長、鹿児島県知事から第12普通科連隊長に行方不明者捜索の災害派遣要請が出された。1110630、第12・第24普通科連隊、第8特科連隊、第8後方支援連隊が捜索を開始。1121226に消防が遺体を発見したため、1405に撤収要請を受け撤収した。1115日、第12普通科連隊が平成21年度奄美市総合防災訓練に参加。

2010112日、第12普通科連隊が桜島火山爆発総合防災訓練に参加。119日から225日、第12普通科連隊第1中隊の10名が、西部方面普通科連隊と共に、アメリカのキャンプ・ペンデルトンで行われた海兵隊実動訓練アイアン・フィストに参加。122-26日、第12普通科連隊対戦車中隊が国分駐屯地で第6次予備自衛官招集訓練を実施。45日から71日まで、第43普通科連隊が同連隊と第15旅団から選抜された第42期レンジャー隊員15名に養成教育を実施。427日、第8特科連隊が前期教育中の新隊員41名に対し、防護マスク装脱面訓練と催涙ガス体験訓練を実施。4月下旬に宮崎県内で口蹄疫が発生し、殺処分した家畜や汚染飼料などの防疫措置に県が対応しきれなくなったため、51日、第43普通科連隊に対して宮崎県知事から災害派遣が要請された。これに基づき、同連隊は隊員100名、第376施設中隊の大型トラック、油圧ショベル、バケットローダー、小型ドーザーなど車両16両(後に30両規模)を川南町に派遣した。また、第8師団司令部、第8施設大隊、航空自衛隊第5航空団も連絡待機任務に就いた。516日、第8特科連隊が八代市総合防災訓練に参加。517日、熊本県人吉市で発生した山火事の消火のため、1430に熊本県知事から災害派遣要請が出され、第8飛行隊のOH-1ヘリ2機、UH-1ヘリ1機、第8特科連隊の連絡要員2名、西部方面ヘリコプター隊のCH-47ヘリ1機を派遣した。64日、第8特科連隊の新隊員41名が大矢原演習場で25km徒歩行進訓練を実施。67日現在、口蹄疫に対する災害派遣で隊員延べ7760名、車両延べ1840両を派遣し、48カ所の農場に防疫支援を実施した。610-13日、第24普通科連隊が大矢原演習場で第一次野営訓練を行い、70式地雷原爆破装置投射と重迫撃砲実弾射撃を実施した。612日、熊本県玉名市で発生した林野火災に対する熊本県知事からの災害派遣要請を受け、第8飛行隊のOH-6ヘリ、西部方面航空隊のUH-1ヘリ(映像伝送装置搭載)とCH-47JAヘリ、第42普通科連隊(隊員40名、車両10両)が出動して消火に当たり、10トンを放水して鎮火させた。618日、北澤防衛大臣が口蹄疫に対する災害派遣の規模拡大を発表。71日までに第43普通科連隊、第376施設中隊、第8師団司令部、第8施設大隊、空自第5航空団が隊員延べ15800名、車両延べ3560両を派遣した。72日、第42普通科連隊が北熊本駐屯地大講堂で新隊員19名の後期教育開始式を実施。73日未明から九州南部が豪雨に襲われ、土砂崩れなどが相次いだため、第43普通科連隊と第376施設中隊が宮崎県知事の災害派遣要請を受けて隊員110名と車両30両、渡河ボート4隻により行方不明者の捜索などを行った。716日、口蹄疫が収束に向かい、宮崎市などの一部を除いた家畜の移動制限が解除されたため、連絡調整要員10名を残して撤収し、都城駐屯地で60名が即応体制を維持することになった。延べ派遣人数は18420名、車両数は4050両、支援した農場は138カ所、消毒した車両数は317000両だった。727日、宮崎県が口蹄疫感染に伴う非常事態宣言を県内全域で解除し、第43普通科連隊も防疫支援の即応体制を解除、災派部隊は完全撤収した。930日、第12普通科連隊が地元中学生53人の校外学習支援を実施。1013-15日、第8特科連隊が熊本歯科衛生士専門学院1年生に対する生活体験を実施。1020-22日、第8特科連隊が熊本歯科衛生士専門学院1年生に対する生活体験を実施。10210830、鹿児島県知事から奄美大島豪雨に対する災害派遣要請を受け、住民救助などを実施。10310800、撤収要請を受けて帰投した。123-12日、第12普通科連隊第1中隊が沖永良部島で空自第55警戒隊と共同のゲリラ対処警備訓練及び防災訓練を実施。126-7日、第3回師団システム通信訓練を実施。126-15日、第43普通科連隊基幹の550名が在沖縄の第31海兵機動展開隊1個中隊基幹の230名と霧島演習場で日米共同実動訓練を実施。

201114日、空自西部航空方面隊の協力要請を受けて第42普通科連隊が消息を絶った2人乗り民間機の捜索を実施。1500過ぎに矢護山山腹で大破した機体を発見した。119-20日、鹿児島歯科学院専門学校の学生35人が第12普通科連隊を見学した。122-23日、宮崎県宮崎市内の養鶏場で高病原性鳥インフルエンザが確認され、大量の鶏の殺処分が必要となったため、1240700に宮崎県知事から第43普通科連隊に災害派遣要請があった。先遣隊9名が新富町役場に派遣され、1000に車両30両と隊員160名が都城駐屯地を出発して新田原基地に集結。125日から殺処分を行い、21日までに延べ2100名、車両340両を派遣した。23日に一旦撤収要請が出たが、都農町で25日に感染が確認されたため、1300に再び災害派遣要請が出され、第43普通科連隊が170名と車両30両を派遣して殺処分を行った。26日から第43普通科連隊は都城駐屯地で再流行に備えて待機していたが、214日に県知事から撤収要請を受け、待機を解き撤収した。311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。第15旅団と共に西部方面生活支援隊を編成し、気仙沼に展開した第4師団に配属されて生活支援を行った。317日、第12普通科連隊第2中隊が東日本大震災の災害派遣を教訓に全隊員への戦闘防護衣や各種化学器材の取り扱い教育を実施。夕方、第8化学防護隊に出動準備命令が出された。3181400、第8化学防護隊に出動命令が出され、1500に北熊本駐屯地を出発、55時間で1700kmを走破して郡山駐屯地に展開し、いわき市で放射線モニタリング(ヘリに搭乗しての空中モニタリング含む)などの偵察活動、人員の除染、Jビレッジでの車両・航空機除染、福島第一原発に向かう放水冷却隊の先導・放射線測定などを実施した。410日、第24普通科連隊が平成23年度自衛官候補生入隊式を実施。第8特科連隊が自衛官候補生50名の入隊式を実施。411-13日、熊本県球磨郡の新規採用町村役場職員25人が第8特科連隊に体験入隊した。514日から67日、矢臼別演習場で第8特科連隊第5大隊訓練検閲を実施。隊員300名、FH-70榴弾砲10門、車両105両が参加、熊本駐屯地から舞鶴港・小樽港間の海上機動を経て1100km離れた矢臼別演習場に到着し、離島に事前配置され防御を行うという想定で射距離18kmの実弾射撃訓練を含む戦術行動訓練を行った。73-12日、日出生台演習場で第8師団第1次訓練検閲を実施。11月、平成23年度自衛隊統合演習に参加した。第42普通科連隊は第42戦闘団の主力となり、日出生台演習場で島嶼防衛訓練を行った。第8施設大隊は日出生台演習場に全長32mの地下師団指揮所(戦車用簡易掩蓋掩壕4セット連結)を開設。換気や排水設備を完備、内壁を板張りにしたり、ロフトを作ったりと居住性も配慮して長期戦に耐えられる地下拠点を作り上げた。

201215日、新燃岳噴火により立ち入りが規制されている韓国岳周辺で男性が行方不明となったため、1620に宮崎県知事から第24普通科連隊長に災害派遣要請が出された。16日、隊員100名が車両20両で現地に向かい、0900-1630まで捜索を実施。17日も捜索したが、発見できず、1700に撤収要請を受けた。117-20日、第42普通科連隊が北熊本駐屯地などでらっぱ、車両、通信、持久走の各戦技競技会を実施。123日から28日、第42普通科連隊が黒石演習場で非拘束者等の取り扱いに関わる業務要領の検証を実施。24-5日、第24普通科連隊や第12普通科連隊重迫撃砲中隊などが霧島演習場野焼き作業を実施。218-21日、第24普通科連隊が霧島演習場で第2次中隊訓練検閲を実施。32日、第24普通科連隊がえびの駐屯地で平成23年度連隊持続走競技会(5キロ)を実施。第2中隊が優勝した。48日、第8特科連隊が北熊本駐屯地で自衛官候補生50名の入隊式を実施。513日、第12普通科連隊迫撃砲中隊が鹿児島県湧水町で行われた川内川水防訓練に参加。525-26日、第12普通科連隊と第8施設大隊が鹿児島県総合防災訓練に参加。711日から第8飛行隊、第42普通科連隊などが平成247月九州北部豪雨に対する災害派遣に参加。721日、第8施設大隊が川内川で漕舟競技会を実施。本部管理中隊が優勝した。822-23日、第12普通科連隊第1中隊が国分駐屯地訓練場で救急法検定を実施。参加18名全員が合格した。108日、第42普通科連隊第1中隊が熊本県山都町の国指定重要文化財通潤橋の除草支援を実施。1022-25日、第8施設大隊第3中隊が中隊検閲を実施。112-22日、西部方面隊実動演習に参加。

2013225日、第12普通科連隊第1中隊が福山演習場の野焼き作業を実施。53日、第12普通科連隊が第59回知覧特攻基地戦没者慰霊祭に参加。529日から78日、第12普通科連隊など30名が第3海兵機動展開部隊で水陸両用訓練研修に参加。522日、第12普通科連隊が霧島市総合防災訓練に参加。522-27日、奄美大島で鹿児島県総合防災訓練に参加。76日、第24普通科連隊が国分射場で小銃射撃競技会を実施。中隊対抗では第1中隊が優勝した。91日、第12普通科連隊第1中隊が南さつま市防災訓練に参加。92日、平成25年防災功労者内閣総理大臣表彰を受賞した。913-17日、第8特科連隊が北熊本駐屯地で第5次予備自衛官招集訓練を実施。

2014112日、第12普通科連隊と第8飛行隊が鹿児島市で桜島火山爆発総合防災訓練に参加。412日、熊本県球磨郡多良木町の養鶏場で高病原性鳥インフルエンザウイルスが検出され、大量の殺処分が必要となり、4140050に熊本県知事から第8師団長に災害派遣要請が出た。0233、第8特科連隊20名が車両5両で養鶏場に消石灰1トンの輸送を開始。0319、第8特科連隊150名が車両30両で養鶏場に消石灰19トンを輸送。0623、第8後方支援連隊10名、フォークリフト1両、フォークローダー1両、重レッカ1両など車両5両が駐屯地を出発し、養鶏場で消石灰の積み降ろしを開始。1311、第8特科連隊170名が殺処分と埋却作業を開始。4160730、作業を終了。参加隊員延べ880名、車両180両だった。510-12日、第8特科連隊と第8飛行隊が熊本県の平家山で発生した山林火災の災害派遣に参加。122日、第8戦車大隊に西部方面隊初の10式戦車が配備された。

201519日、第12普通科連隊と第8飛行隊が海自第1航空群、空自第5航空団、鹿児島地本などと共に、鹿児島市の桜島火山爆発総合防災訓練に参加。124-25日の九州・中国地方寒波に対する災害派遣に参加。35日、北熊本駐屯地体育館で師団最先任上級曹長交代式を実施。326日、西部方面対舟艇対戦車隊が第4師団の隷下から、第302対舟艇対戦車直接支援隊が西部方面後方支援隊の隷下から、それぞれ本師団隷下に移った。42日、第12普通科連隊が大矢野原演習場で81mm迫撃砲実射訓練を実施。47日、第12普通科連隊が自衛官候補生57名に初任給交付と金銭管理指導を実施。中隊長が給与明細入り俸給袋を手渡し、営内居室で中隊長が明細表の見方を教授した。521日、第12普通科連隊が霧島市上床公園で霧島市総合防災訓練に参加。526日、第43普通科連隊教育隊が自衛官候補生55名の徒歩行進を実施。529日、口永良部島噴火の災害派遣に参加。614日、第12普通科連隊音楽部が屋久島町ホールで口之永良部島噴火により避難している住民や支援者を対象に演奏会を実施。621日、第24普通科連隊が自衛官候補生修了式を実施。724-27日、第12普通科連隊が福山演習場と霧島演習場で基礎となる部隊の訓練検閲を実施。第4中隊、補給小隊、衛生小隊が40km徒歩行進、攻撃、段列開設維持運営などを演練した。当日は気温が33℃あり、徒歩行進中に熱中症を起こした隊員を衛生小隊が救護しつつ前進している。826日、第12普通科連隊が霧島市始良中央家畜市場などで鹿児島県高病原性鳥インフルエンザ防疫演習に参加。92-17日、十文字原・日出生台演習場で第2次師団訓練検閲を実施。第43普通科連隊と第8戦車大隊が受閲した。927日、第43普通科連隊が平成27年度新隊員特技課程及び一般陸曹候補生課程(後期)教育修了式を実施。1019日から1119日、鎮西27に参加。115日、第12普通科連隊第4中隊が鹿児島県始良市蒲生地区で総合防災訓練に参加。

2016115-19日、第42普通科連隊が予備自衛官126名に第9次予備自衛官招集訓練を実施。北熊本駐屯地業務隊管理栄養士による栄養指導も行われた。118日から37日、アイアン・フィスト16に参加。125-27日、第8特科連隊が黒石原演習場で通信・測量競技会を実施。第13旅団第13特科隊も参加した。23日、霧島演習場の野焼きを実施。215日から428日、第12普通科連隊が各中隊陸士20名に初級部隊通信の特技教育を実施。225日から316日、第43普通科連隊がキャンプ・ハンセンや金武ブルービーチ訓練場などで第3海兵遠征軍での水陸両用作戦研修(国内隊付訓練)に参加。227日、第42普通科連隊、第8後方支援連隊が天草駐在員事務所と共に天草市で第1回島・あじマラソン大会を支援。第8後方支援連隊は浄水セット逆浸透2型で海水を濾過して浴場に送り、入浴支援を行った。31日、第43普通科連隊が在日外国報道協会記者20人の部隊研修を支援し、格闘訓練展示、体験試乗、装備品展示などを行った。33日、第12普通科連隊が補助担架総合訓練を実施。国分下井海岸で傷病者を発見したとの想定で、隊員6名が駐屯地まで6kmを長距離搬送した。35日、音楽隊が熊本市民会館で西部方面音楽まつりに参加。38日と16日、第24普通科連隊がえびの駐屯地で武装走競技会(距離2400m、高低差60m)を実施。中隊対抗で第2中隊、分隊対抗で第4中隊第4分隊が優勝した。331日と41日、第12普通科連隊が京セラ国分工場社員75人に体験入隊を実施。46日、第12普通科連隊、第8偵察隊、第8飛行隊が鹿屋航空基地の北10kmで行方不明になった飛行点検隊U-125の捜索に参加。49日、第43普通科連隊が自衛官候補生40名の入隊式を実施。414日・16日に発生した熊本地震の災害派遣に参加。416日、第12普通科連隊が自衛官候補生引率外出を行い、自衛官候補生は入隊後初の外出を楽しんだ。515日、熊本地震により演奏支援が行えなくなった海自音楽隊に代わり、第12普通科連隊音楽部が鹿児島市東郷元帥墓前広場で第63回東郷平八郎記念日式典の演奏支援を実施。531日、第43普通科連隊の自衛官候補生39名が25km行進訓練を実施。618-19日、第8音楽隊が熊本県南阿蘇村と益城町で西部方面隊主催の第3海兵遠征軍音楽隊との日米合同演奏会に参加。630日から81日、リムパック2016に参加。76日、第24普通科連隊が川内川で漕舟訓練と漕舟競技会を実施。725-26日、第24普通科連隊と第8特科連隊が西部方面隊主催3自衛隊募集広報イベントのパワーアドベンチャー2016を支援した。89日、第8音楽隊が熊本市内で復興祈念コンサートを実施。823日、第42普通科連隊が16式機動戦闘車の入魂式を実施。96-23日、雷神2016に参加。1010日から1111日、鎮西28演習に参加。1016日、第43普通科連隊が宮崎県で総合防災訓練に参加。1019-21日、第22普通科連隊が海自鹿屋基地警備隊と共同基地警備訓練を実施。117日、第43普通科連隊が宮崎空港防災訓練に参加。123日、第8音楽隊が熊本県立劇場で定期演奏会を実施。1220日、宮崎県川南町の農場で鳥インフルエンザの発生が確認されたため、宮崎県知事から第43普通科連隊に災害派遣要請があり、1221日まで延べ280名が殺処分などを実施した。1227日、熊本県南関町で高病原性鳥インフルエンザの発生が確認されたため、熊本県知事から第8師団に災害派遣要請が出された。0450、第42普通科連隊と第8特科連隊の隊員220名が活動を開始。12180310、交代要員210名が駐屯地を出発。2033に撤収要請が出され、撤収した。

201714日、えびの駐屯地で訓練始めの部隊対抗武装走競技会を実施。高低差50m・最大斜度41度の山間部1kmを含む2.4kmを走破し、中隊の部で第4中隊、分隊の部で第4中隊第1分隊が優勝した。124日、宮崎県木城町の農場で高病原性鳥インフルエンザの発生が確認されたため、2305に宮崎県知事から第43普通科連隊長に災害派遣要請が出された。125日未明、第43普通科連隊200名が殺処分などを開始し、126日に要請を受け撤収した。126-29日、第8音楽隊が奄美群島徳之島で平成28年度第8師団当初演奏会を実施。第12普通科連隊が会場近くで装備品展示などを行った。130日から310日、アイアンフィスト17に参加。26日から327日、北熊本駐屯地、大矢野原演習場、霧島演習場で師団狙撃集合教育を実施。隷下普通科連隊に第15旅団第51普通科連隊の選抜隊員を加え、狙撃特技の付与に必要な教育を行った。37日、第24普通科連隊が第8師団隷下各部隊や地元消防などの支援を受け霧島演習場の野焼きを実施。訓練の一環として点火に火炎放射器を使用し、えびの市職員がドローンによる状況確認を行っている。421日、自衛官候補生課程前期教育の一環として特殊武器防護体験を実施。513-17日、第42普通科連隊が霧島演習場で第2次野営バトラー実動訓練を実施。第3中隊が攻撃、第2中隊が防御の任務を担当する対抗戦形式で、バトラーUによる訓練を行った。514日、第42普通科連隊が熊本市緑川河川敷で緑川防災訓練に参加。521日、西之表市で鹿児島県総合防災訓練に参加。67-13日、日出生台演習場で第1次師団訓練検閲を実施。第24普通科連隊に第8戦車大隊、第8特科連隊、第8施設大隊、第4普通科直接支援中隊を加えた常備自衛官425名・即応予備自衛官103名からなる第24連隊戦闘団を編成し、非常呼集、応急出動、準備、遭遇戦、各個戦闘射撃、徒歩前進の各訓練を検閲し、指揮幕僚活動、部隊基本的行動、隊員基礎動作、射撃練度の評価を行った。第43普通科連隊、西部方面対舟艇対戦車隊も受閲している。620-21日、西部方面隊主催南海トラフ地震対応訓練に参加。指揮所訓練、連絡幹部派遣訓練、初動対応部隊出発準備訓練などを行った。625日、第24普通科連隊が自衛官候補生135名の修了式を実施。625日から72日、第42普通科連隊が大矢野原演習場で前期定期整備を実施。75日に発生した九州北部豪雨の災害派遣に参加。7111156頃、鹿児島湾を震源とするマグニチュード5.3・最大震度5強の地震が発生したため、第8施設大隊と第12普通科連隊が連絡幹部を派遣し、第8飛行隊が情報収集を行った。823日、第42普通科連隊に16式機動戦闘車が初配備され、入魂式が行われた。923日、宮崎市民文化ホールで第8師団音楽隊巡回演奏会を実施。108日、第24普通科連隊や第8特科連隊など66名が山地機動練成訓練を兼ねて第16回霧島登山マラソン大会に出場し、32名が競技を支援した。1010-20日、第3海兵遠征軍の水陸両用作戦研修に参加。1023日から1122日、鎮西29演習に参加。113日、第43普通科連隊が宮崎県都城市で開催された都城秋祭りで軽装甲機動車4両によるパレードを実施。

2018120日、第24普通科連隊第3中隊の即応自衛官招集訓練を小野寺防衛大臣が視察した。211日、第42普通科連隊と第8偵察隊が、熊本県玉名郡和水町で開催された戦国肥後国衆まつりで、熊本地本による装備品展示を支援した。226-27日、第42普通科連隊が黒石原演習場などで平成29年度警察との共同訓練を実施。自衛隊員と警官計100人、16式機動戦闘車、96式装輪装甲車、軽装甲機動車などが参加し、治安出動を想定した警察先導による緊急輸送、共同調整所の開設、共同検問、不法行動への対処を訓練した。311100頃、鹿児島県霧島山新燃岳が噴火し、宮崎県高原町で降灰が確認されたため、第24普通科連隊が連絡幹部2名を高原町役場に派遣した。314日、第43普通科連隊240名が都城訓練場の野焼きを実施。第43普通科連隊が都城駐屯地で対戦車中隊廃止行事を実施。326日、第8特科連隊が北熊本駐屯地で隊旗返還式・廃止式を実施。327日、陸自初の機動師団に改編された。第42普通科連隊を第42即応機動連隊に改編(北熊本駐屯地第1訓練場で改編行事を実施)し、第8特科連隊を西部方面特科連隊に改編、第8戦車大隊を西部方面戦車隊として西部方面隊直轄に、第24普通科連隊を西部方面混成団隷下に移している。第12・第43普通科連隊は対戦車中隊を廃止して本部管理中隊対戦車小隊を新編、中距離多目的誘導弾を配備した。また、火山噴火に備えて73式装甲車も装備している。第8後方支援連隊には96式装輪装甲車や重装輪回収車装備の即応機動直接支援中隊を新編して即応機動連隊に同行しての後方支援を可能とした。第8偵察隊には空中機動対応の第4偵察小隊を新編している。331日、北熊本駐屯地で第8師団改編行事を実施。防衛政務官から第42即応機動連隊長に連隊旗が授与された。42-7日、第42即応機動連隊が霧島演習場で第1次野営訓練を実施。隊員480名と車両110両が参加し、火力戦闘指揮統制システムや師団等指揮システムなどを使用した指揮幕僚活動、無人偵察機による情報収集、16指揮機動戦闘車と小銃小隊による連携防御戦闘、120mm迫撃砲錬成実射、小銃至近距離射撃などを行っている。411日、宮崎県東臼杵郡未郷町で発生した山林火災の災害派遣に参加。411-23日、第8施設大隊が大分県中津市耶馬溪町で発生した土砂崩れの災害派遣に参加。412日、第8偵察隊が第8飛行隊と協同し、高遊原分屯地と大矢野原演習場で第4偵察小隊空中機動訓練を実施。降着地域に先行した誘導員による誘導の下、UH-60JAで降着して偵察用オートバイを降ろし、情報収集や警戒にあたった。415日、第42即応機動連隊が全日本銃剣道大会防衛省一部で優勝した。420日、第43普通科連隊が特殊武器防護体験(ガス体験)を実施。523-25日、第12普通科連隊が鹿児島県内中学校2校の生徒11人に職場体験学習を実施。527日、第12普通科連隊が西部方面ヘリコプター隊と共に指宿市で鹿児島県総合防災訓練に参加。63日、第43普通科連隊が自衛官候補生39名に25キロ行進訓練を実施。624日、自衛官候補生課程修了式を実施。75-8日に発生した西日本豪雨の災害派遣に参加。815日、口之永良部島に噴火警戒レベル4・避難準備の噴火警報が発令されたため、第12普通科連隊が情報収集を行った。923日、第12普通科連隊音楽部が鹿児島県南州神社境内で西郷隆盛惜別譜演奏会を実施。101日、台風24号の影響により鹿児島郡十島村で停電が発生したため、0610に鹿児島県知事から第8師団長に災害派遣要請が出され、1000に第8飛行隊UH-60JAヘリ3機が高遊原駐屯地を離陸、復旧人員の輸送にあたった。1611に撤収要請を受けている。1016日、南小国町きよら祭りで熊本地本が行った広報活動に協力し、化学防護車を展示した。1123日、第43普通科連隊が都城市で島津発祥まつりに参加。

201913日、熊本地方を震源とする最大震度6弱の地震が発生したため、師団司令部や第42即応機動連隊が連絡幹部を派遣し、第8飛行隊UH-60JAヘリ1機で情報収集を実施、14日に終了した。112日、第12普通科連隊が桜島火山爆発総合防災訓練に参加。128日、第42即応機動連隊が北熊本駐屯地で熊本県警との共同訓練(格闘訓練、職務質問、施設警備における連携要領)を実施。131日から218日、第42即応機動連隊300名が沖縄地区への転地訓練を実施。大分港からチャーター船はくおうなどに乗り込んで沖縄本島に海上機動し、上陸後は第15旅団第15ヘリコプター隊CH-47輸送ヘリによる車両搭載卸下訓練や小部隊による各種訓練を行った。211日、霧島市建国記念の日祝賀行事で第12普通科連隊音楽部がパレードに参加した。326日、隷下に陸自初の情報隊である第8情報隊(スキャンイーグルUAVなどを装備)が新編された。隷下に奄美警備隊が新編され、奄美駐屯地と瀬戸内分屯地に配員された。43-19日、宮崎県内企業など9団体の新入社員143人に隊内生活体験を実施。56-12日、第42即応機動連隊が第2中隊と火力支援中隊に対する検閲(陣地防御に任ずる中隊の行動)を実施。510日、宮崎県日向灘を震源とする最大震度5弱の地震が発生したため、情報収集を行った。第12普通科連隊自衛官候補生49名が高隈山地で山地機動訓練を実施。518-20日、鹿児島県屋久島で大雨により孤立した登山者などの救助に係る災害派遣に司令部、第12普通科連隊、第8情報隊、第8施設大隊、第8通信大隊、第8偵察隊、第8後方支援連隊が参加。519-24日、鹿児島県口之永良部島で発生した、大雨による床上浸水や導水管破損による断水の災害派遣に第12普通科連隊が参加。519日、第42即応機動連隊が熊本市白川河川敷で国交省・熊本県・熊本市主催の白川・緑川総合水防演習に参加。529日、第42即応機動連隊が募集相談員77人の北熊本駐屯地部隊見学で16式機動戦闘車と96式装輪装甲車を展示した。616日、九州防衛局がかごしま県民交流センターで開催した第38回防衛問題セミナーで、第8音楽隊がミニコンサートを行った。73-4日、鹿児島県の土砂災害・洪水災害の準備及び対処に係る災害派遣に司令部、第12普通科連隊、第8飛行隊が参加。77日、熊本市花畑広場で熊本地本が主催した第1回じえいたいフェスタin熊本に協力し、第42即応機動連隊、第8偵察隊、第8特殊武器防護隊の16式機動戦闘車、96式装輪装甲車、軽装甲機動車などを展示した。828日に発生した佐賀県豪雨の災害派遣に第8後方支援連隊が参加。104-5日、熊本県立総合体育館で開催されたプロバスケットボールチーム熊本ヴォルターズの試合のオープニングセレモニーで演奏を行った。

202016日、第12普通科連隊と第8後方支援連隊第2整備大隊第1普通科直接支援中隊の計40名が国分駐屯地で訓練始めを実施。鹿児島神宮まで往復11kmの走り込みを行った。16-13日、第42即応機動連隊が大矢野原演習場で第3中隊、対戦車小隊、偵察小隊に対する訓練検閲を実施。陣地防御に任ずる中隊等の行動が課目で、駐屯地から演習場まで300kmを車両で移動して陣地を占領し、築城及び戦闘予行で防御準備を整え、防御戦闘により敵の前身を阻止した。17日から32日、北熊本駐屯地、日出生台演習場、十文字原演習場、大矢野原演習場で、第8師団狙撃手集合教育を実施。第42即応機動連隊が担任し、第15旅団からの狙撃手を加えた7名を育成した。118-30日、第12普通科連隊基幹の部隊がフォレストライトWAに参加。21日、第42即応機動連隊が第8飛行隊の支援を受け北熊本駐屯地で隊員家族や入隊適齢者など63人にUH-60ヘリ体験搭乗や16式機動戦闘車などの装備品展示を実施。29日、第12普通科連隊と第8施設大隊が九州電力川内原発で鹿児島県原子力防災訓練に参加。最大震度7の地震で重大事故が発生し外部に放射性物質が放出された想定で、情報収集、救出、指揮所開設運営、除染の訓練を行った。221日、第43普通科連隊が高ノ峰射場で連隊射撃競技会を実施。6個中隊196名が参加し、第3中隊が総合優勝した。310日、第42即応機動連隊が北熊本駐屯地と延岡市で南海トラフ地震災害を想定した対処訓練を実施。324日に発生したえびの市山林火災の災害派遣に第8飛行隊が参加。45日、第43普通科連隊が都城駐屯地体育館で自衛官候補生57名の教育入隊式を実施。48日、宮崎県都城市で山林火災が発生したため、宮崎県知事から第43普通科連隊長に災害派遣要請が出され、隊員30名で消火活動などを行い、鎮火により同日に活動を終えた。514-15日、第12普通科連隊が鹿児島地本国分援護センターの支援を受け令和2年度第1回陸士就職補導教育を実施。517-24日、日出生台演習場で師団総合戦闘射撃訓練を実施。528日、第43普通科連隊新隊員教育隊が福山演習場で手榴弾投擲と擲弾射撃を実施。531日、第43普通科連隊新隊員教育隊が都城訓練場で自衛官候補生54名に25キロ行進訓練を実施。64日、第12普通科連隊第1中隊52名が垂水市、鹿屋市、錦江町、南大隅町で、国道沿いの35キロ行進訓練を実施。68日、第12普通科連隊と第42即応機動連隊情報小隊が部隊訓練評価隊の令和2年度FTC第1次運営(対抗戦)に参加。74日に発生した九州南部豪雨の災害派遣に第12普通科連隊、第42即応機動連隊、第43普通科連隊、第8施設大隊、第8飛行隊、第8特殊武器防護隊、第8後方支援連隊、西部方面特科連隊が参加。75日、鹿児島県知事から新型コロナウイルス市中感染拡大防止に係る災害派遣要請があり、10名が県庁職員などに対し教育支援を行った。825-29日、第42即応機動連隊が部隊訓練評価隊第6次運営に参加。827-30日、第42即応機動連隊が第14旅団15即応機動連隊と日出生台演習場機動戦闘車合同射撃訓練に参加。92-3日、第43普通科連隊新隊員特技課程後期教育隊が福山演習場で総合訓練を実施。94日、台風10号が接近したため、鹿児島県知事から第8師団長に住民避難の災害派遣要請が出された。航空機延べ7機で鹿児島県十島村の高齢者・乳幼児・妊婦200人を輸送し、95日に撤収要請が出された。1115日、熊本県阿蘇市で開催された、みんなでつながるカレーフェスタで、第42即応機動連隊が軽装甲機動車と偵察バイクを展示した。122日、第24普通科連隊が宮崎県小林市で、第43普通科連隊が都農町で鳥インフルエンザの災害派遣に参加。

202119日、第12普通科連隊が鹿児島地本と共に鹿児島市主催の令和2年度桜島火山爆発総合防災訓練に参加。34日、第12普通科連隊が国分駐屯地で連隊武装走競技を行い、第3中隊が3連覇した。131日、第43普通科連隊が宮崎県新富町で発生した鳥インフルエンザの災害派遣に参加。38日、第43普通科連隊が、第12普通科連隊、西部方面特科連隊西部方面混成団24普通科連隊と共に、霧島演習場の野焼きを行った。327-28日、熊本県南阿蘇村東急ゴルフクラブで開催された新阿蘇大橋開通記念あそマル収穫祭で熊本地本が行った広報に協力し、第8偵察隊が82式指揮通信車、軽装甲機動車、偵察用オートバイを展示した。516-20日、第42即応機動連隊が大矢野原演習場で第1中隊、補給小隊、衛生小隊の訓練検閲を実施。200kmの車両行進後に集結地を占領し防御準備を行い、陣地・障害構成、段列地域への補給品交付所・連隊収容所構築を完了、遅滞戦闘を完遂した。627日、第42即応機動連隊が自衛官候補生課程修了式を実施。76日、第43普通科連隊が新隊員68名の教育開始式を実施。710日早朝、鹿児島・宮崎・熊本県に大雨特別警報が発令されたため、第8通信大隊と第8施設大隊が自主派遣で情報収集を行った。83-4日、第42即応機動連隊が日出生台演習場で総合戦闘射撃を実施。普通科中隊、機動戦闘車隊、火力支援中隊、偵察小隊、対戦車小隊、通信小隊、衛生小隊などが実弾射撃訓練を行い、火力要求・火力統制・火力支援、負傷者後送、損傷車両レッカー輸送などの諸職種協同も訓練した。827日から94日、日出生台演習場で第2次師団訓練検閲を実施。第12普通科連隊が受閲し、GOOD-BY作戦と銘打って敵着上陸部隊を破砕した。98-10日、第42即応機動連隊が大矢野原演習場で新入隊員後期教育総合訓練を実施。1115日から第43普通科連隊10名がタギッグ市マンディリグタス訓練場でフィリピン陸軍第525戦闘工兵大隊に対する能力構築支援事業に参加し、人命救助システムを使用した人道支援・災害救援に関する展示教育や共同訓練を行った。1218日、第8音楽隊が熊本市火の君文化ホールでトライアングルコンサート2021に参加。

2022112日から23日、令和3年度第4回実動対抗演習等(訓練評価支援隊の支援による日出生台演習場における実動対抗演習)に参加。27日、宮崎県新富町の養鶏場で鳥インフルエンザが発生したため、第43普通科連隊が第5航空団と共に28日までに24万羽を殺処分した。217-20日、第24普通科連隊が一般公募予備自衛官訓練を行った。33日、第12普通科連隊、第24普通科連隊、第43普通科連隊270名など計600名が霧島演習場の野焼きを実施。327日、熊本県御船町で行われたみふね復興パークフェス2022で、第42即応機動連隊が軽装甲機動車と偵察用オートバイを展示し、第8音楽隊が演奏支援を行った。49-10日、熊本県菊池市で道の駅旭志30周年感謝祭に参加し、第42即応機動連隊が96式装輪装甲車、軽装甲機動車、73式小型トラックを展示、第8音楽隊が演奏支援を行った。410日に宮崎県綾町で発生した山林火災消火の災害派遣に第8飛行隊と第43普通科連隊が参加。410日、第43普通科連隊が都城駐屯地で自衛官候補生24名の入隊式を実施。

2023461546、宮古島周辺の航空偵察のため、第8飛行隊操縦士2名、同整備員2名、第8師団長、第8師団司令部要員5名、宮古警備隊員1名を乗せた第8飛行隊UH-60JAヘリが、宮古分屯基地を離陸。北上して海岸に出た後、北北西に変針し海岸沿いを飛行し、1552頃に宮古島北西の池間島に向かっているのが目撃され、池間島北側を回って南西に変針し伊良部島に向かい、1554に下地島空港管制塔と変わった様子も無く交信した直後の1556に伊良部島北方の洋上でレーダーから消えた。付近の海上を捜索した結果、機首の一部やスライド式キャビンドアが回収されている。陸自は任務飛行以外のUH-60JAの飛行を見合わせて機体の点検と操縦士等への教育に入った。47日、ASR-403ちはやが呉を出港。49日、ASR-403ちはやが周辺海域に到着し、捜索を開始した。他にASE-6102あすかMSO-306えたじま、掃海艇数隻(MSC-691ししじまなど)を派遣して捜索を行っている。413日、MSO-306えたじまが水中カメラで隊員5名とヘリの胴体部分を発見。416日、ASR-403ちはやが伊良部島北6km・水深106mの海底でヘリの残骸と遭難者らしき2名を発見。416-18日、ASR-403ちはやが飽和潜水で師団長以下5名の遺体を引き揚げた。51日、作業船新世丸が1名の遺体を引き揚げた。52日、フライト・データ・レコーダー含む機体の主要部分が作業船新世丸により海底から回収された。531日、行方不明の乗員4名を死亡認定した。618日、46日に墜落したUH-60JAヘリの殉職者の追悼葬送式を建軍駐屯地で実施。630日、UH-60JAの訓練飛行を再開した。710-17日、レゾリュート・ドラゴン23前段演習に参加。1014-31日、レゾリュート・ドラゴン23後段訓練に参加。1129日、屋久島沖で墜落した第21特殊戦飛行隊CV-22B特殊戦機の捜索活動に参加。師団司令部3名を連絡員として鹿児島県災害対策本部に派遣した。1630、第42即応機動連隊ファスト・フォース40名が北熊本駐屯地から高遊原分屯地に前進待機。1910、第42即応機動連隊ファスト・フォースが派遣取り止めのため帰隊。11300000、第12普通科連隊主力100名が民間フェリーで屋久島に向かった。1505、第12普通科連隊先遣隊30名が地上捜索を開始。121-8日、第12普通科連隊基幹110名がドローンなどで捜索活動を行った。

参考:月刊軍事研究10,109,183,995,1112,166,18、月刊PANZER5,83、西部方面後方支援隊ホームページ、朝雲、スピアヘッドNo.12、月刊JWings8,155,166,1610,162,185,187,1812,186,1910,199,'202,'216,'214,'226,'227,'226,'237,'238,'239,'23MAMOR vol.114vol.131vol.138vol.142vol.151vol.153vol.162vol.165vol.167、月刊航空ファン6,186,19、月刊世界の艦船6,231,24

 <第8師団(陸自、1977年)>:西部方面隊隷下の乙師団で、司令部は北熊本にある。第12普通科連隊、第42普通科連隊、第43普通科連隊、第8特科連隊などを隷下に置く。参考:日本の防衛戦力Part1

 <第8師団(陸自、1980年)>:西部方面隊隷下で、司令部は熊本市にある。隷下に第12普通科連隊、第42普通科連隊、第43普通科連隊、第8特科連隊などを置く。参考:自衛隊装備カタログ1981

第8師団(陸自、1980年代半ば)>:西部方面隊隷下で、九州南部の防衛を担当する。隷下に第12・第24・第42・第43普通科連隊、第8特科連隊などを置く。参考:兵器最先端5、日本の戦力

第8師団(陸自、2007年度)>:西部方面隊隷下で、司令部は北熊本にある。第8飛行隊、第12普通科連隊、第24普通科連隊、第42普通科連隊、第43普通科連隊、第8特科連隊、第8後方支援連隊、第8高射特科大隊、第8通信大隊、第8偵察隊、第8戦車大隊、第8施設大隊などを隷下に置く。参考:月刊JWings6,07

第8師団(陸自、2015年)>:西部方面隊隷下で、司令部は北熊本にある。第12普通科連隊、第24普通科連隊、第42普通科連隊、第43普通科連隊、第8飛行隊、第8戦車大隊、第8特科連隊、第8高射特科大隊、第8偵察隊、第8後方支援連隊、第8施設大隊、第8通信大隊、第8特殊武器防護隊、第8音楽隊を隷下に置く。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

第8師団(陸自、2018年3月27日、機動師団改編後)>:西部方面隊隷下で、司令部は北熊本にある。隊員数6000名。司令部/司令部付隊、第12普通科連隊、第42即応機動連隊、第43普通科連隊、第8飛行隊(UH-60JA)、西部方面特科連隊、西部方面対舟艇対戦車隊(96MPMS)、第8高射特科大隊(11式短SAM)、第8偵察隊、第8後方支援連隊、第8施設大隊、第8通信大隊、第8特殊武器防護隊、第8音楽隊を隷下に置く。参考:第8師団ホームページ、月刊軍事研究9,18

第8親衛戦車軍団(ソ連)>:ソ連陸軍親衛戦車師団。1943111日、第5親衛戦車軍第2戦車軍団から改称されて新編された。12日、キエフ作戦のため第1ウクライナ方面軍に配属。12日、ボラシロフの戦闘で隷下の第26戦車旅団が多大な損害を被った。12月、キエフ防御戦に第1ウクライナ方面軍予備として参加。19447月、ルブリン・ブレスト作戦のため、第1白ロシア方面軍に配属され、ルブリンを奪回。19451月、第2親衛戦車軍に配属され、ヴィスラ・オーデル作戦に参加。2月、第1白ロシア方面軍に配属。19467月、第8親衛戦車師団に改称された。参考:月刊グランドパワー4,98

<第8潜水艦>:波1を参照。

第8潜水戦隊>:日本海軍の甲標的特別攻撃部隊で、昭和173月に編成された。甲先遣支隊は潜水艦伊10、伊18、伊20、伊30及び改装巡洋船報国丸、愛国丸、乙先遣支隊は潜水艦伊27、伊28、伊29、丙先遣支隊は潜水艦伊21、伊22、伊24からなる。また、乙・丙が同一行動を取る時は東方先遣支隊となる。主要任務は敵艦艇の捜索・撃破及び海上交通破壊であり、作戦海域は甲先遣支隊がインド洋からアフリカ東海岸で、東方先遣支隊がポートモレスビー攻略及びオーストラリア方面。4月下旬から甲標的による第二次特別攻撃に向かった。参考:激闘太平洋戦記

第8潜水隊(日本海軍)>:日本海軍の潜水隊。参考:帝国陸海軍事典

 <第8潜水隊(昭和9年)>:第1潜水戦隊隷下で、伊4、伊5を配備する。参考:帝国陸海軍事典

 <第8潜水隊(昭和12年7月7日、日華事変勃発時)>:第1潜水戦隊隷下。参考:日本海軍艦隊総覧

 <第8潜水隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:建制上は第2潜水戦隊隷下で、伊4、伊5、伊6を配備する。兵力部署では3隻とも先遣部隊第2潜水部隊に所属する。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,14、日本潜水艦物語、帝国陸海軍事典

<第8潜水艇>:波1を参照。

第8戦隊(日本海軍)>:日本海軍の戦隊。昭和16128日、真珠湾攻撃に参加(利根、筑摩)。1222日から第二次ウェーク島攻略戦に参加(利根、筑摩)。昭和1731日、第3戦隊と共同で駆逐艦エドソールを撃沈(利根、筑摩)。45日、セイロン島を攻撃(利根、筑摩)。65日、ミッドウェイ海戦に参加(利根、筑摩)。824日、第2次ソロモン海戦に参加(利根、筑摩)。1026日、南太平洋海戦に参加(利根、筑摩)。参考:第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊丸1,77、月刊世界の艦船6,83

 <第8戦隊(昭和12年7月7日、日華事変勃発時)>:第1艦隊隷下で、鬼怒、名取、由良が配備された。参考:日本海軍艦隊総覧

 <第8戦隊(昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦時)>:司令官は阿部弘毅少将。建制上は第2艦隊隷下、兵力部署は機動部隊支援部隊で、重巡利根、筑摩が配備された。参考:帝国海軍太平洋作戦史T、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,14

第8戦闘航空団>:アメリカ空軍戦闘航空団8FW。第8戦術戦闘航空団8TFW時代の1974年(1966-67年?)にウルフ・パック(Wolf Pack)というニックネームが付き(命名者はベトナム戦争トリプルエースの本航空団所属ロビン・オルズ大佐)、テイルレターはWP、司令のコールサインはウルフ・ワンになった。1974年、群山基地に配備された。19819月、F-16A/Bに機種転換し、アメリカ空軍初の海外展開F-16航空団になった。1987年、F-16C/Dに機種改変した。1992年、第8戦術戦闘航空団から第8戦闘航空団に改編された。201561-5日、群山基地で米韓空軍共同演習バディウイング15-4に参加。20164月下旬、マックスサンダー2016-1に参加。2017年、AGM-158Bが配備された。参考:月刊JWings9,148,15、月刊航空ファン5,188,16

 <第8戦闘航空団(1998年)>:太平洋空軍第7航空軍(在韓米空軍)隷下で、司令部は群山にある。第35戦闘飛行隊(F-16)と第80戦闘飛行隊(F-16)を隷下に置く。参考:月刊軍事研究6,16

 <第8戦闘航空団(2015年)>:太平洋空軍第7航空軍(在韓米空軍)隷下で、司令部は群山にある。第8作戦群、第8整備群、第8任務支援群、第8医療群からなり、第8作戦群の隷下にF-16CM/DM部隊である第35戦闘飛行隊と第80戦闘飛行隊、第8作戦支援隊を置く。参考:月刊軍事研究8,16

第8掃海隊(海上自衛隊)>:海上自衛隊の掃海隊。1952111日に新編された。19564月に解隊された。参考:月刊世界の艦船8,11増刊

第八東洋丸>:澤山汽船貨物船Toyo maru No.8。大元は大正7616日竣工のアメリカ戦時標準船レイク・ウォッシュバーンで、大正15年にエリー&セント・ローレンス社が購入してC・H・ローレンスJr.に改称し、昭和3年に澤山汽船が購入して第六東洋丸となり、昭和6年に第八東洋丸に改称された。垂線間長76.5m、幅13.28m、深さ6.58m、満載吃水5.725m、総トン数2191トン、重量トン数3390トン。主機は三連成レシプロ蒸気機関1基1軸1250馬力、航海速力9ノット、最大速力11ノット。昭和1922日、神戸から名古屋に向かっていたところ、潮岬灯台東北東22kmSS-179プランジャーの雷撃を受けて沈没した。参考:月刊世界の艦船12,23

第8任務部隊(アメリカ海軍)>:アメリカ海軍の任務部隊。太平洋艦隊設立と共に隷下に入った。敷設艦1隻、敷設駆逐艦8隻が配備された。参考:歴史群像8,98

第8飛行師団(日本陸軍)>:日本陸軍の飛行師団。台湾で編成された。通称誠師団。昭和19年後半、第10方面軍の隷下にあった。昭和2071日、飛行第21戦隊の一部が隷下に入った。参考:帝国陸海軍事典、日本陸軍戦闘機隊、比島決戦

第8飛行隊>:航空自衛隊の飛行隊。新編後暫くは移動が多く、渡り鳥やジプシー飛行隊というニックネームが付けられている。部隊マークも変遷を繰り返しており、当初は所属航空団ナンバーの6や8を図案化したもので、第3航空団隷下に入ると赤いシャチホコになり、1978年の三沢基地移動で3と青森県を図案化したものに変更、19838月からF-86F時代のコールサイン「パンサー」に基づく黒豹となった。19601029日、F-86F装備の8番目の飛行隊として松島基地の第4航空団隷下に編成された。196151日、小松基地に移動し、第6航空団(当時は臨時小松派遣隊)隷下となった。1964121日、第82航空隊隷下となり、岩国基地に移動。1967121日、第3航空団隷下となり、小牧基地に移動。1968215日、小牧基地でのアラートを開始。1978331日、第3航空団と共に三沢に移動した。51日、三沢基地でのアラートを開始。1127日から5日間、三沢基地で日米共同訓練に参加。19796月からF-1の配備が開始され、1980229日にF-1への機種改編を終了した。1997317-18日、F-2の配備が遅れたため、小松基地の第306飛行隊がF-15Jに改編した際に余ったF-4EJ改を受領し、331日に機種改変を完了して正式にF-4EJ改飛行隊となった。パイロットや整備員も第306飛行隊からそのまま異動している。2002年夏、一部の機体が洋上迷彩を施すようになった。200841日にF-2Bの運用を開始しており、12月には警戒航空隊飛行警戒監視隊が使用していた掩体で機体を運用するようになった。2009326日にF-4EJ改が全てF-2に改編され、編成を完結した。6231614頃、F-2B43-8128号機が機種転換操縦課程講習の訓練飛行後に三沢基地に着陸しようとしたところ、横風を受けて体勢を崩して滑走路を逸脱。その際前脚が格納状態になってしまい、センタータンクを地面に擦ったまま誘導路を横切って停止した。後席の三等空佐が左肘に擦過傷を負ったが、前席の三沢基地司令に怪我は無く、機体にも目立った損傷は無かった。20102月、北部航空方面隊司令官による戦闘能力点検(ORI)を終了し、対領空侵犯措置任務が付与された。33日、F-2によるアラートを開始。201615日、初飛行訓練を実施。712日、築城基地への移動を前に、三沢基地で壮行式を実施。729日、築城基地への移動を完了し、第3航空団から第8航空団の隷下に移った。913日、F-2A戦闘機1機が第6飛行隊F-2A戦闘機1機と共にアメリカ空軍第34遠征爆撃飛行隊B-1B爆撃機2機と要撃戦闘訓練を実施。2017130日から319日、コープノース・グアム2017に参加。78日、F-2A戦闘機2機が九州周辺で第9遠征爆撃飛行隊B-1B爆撃機2機と編隊航法訓練を実施。20214221507頃、山口県沖の訓練空域に向かっていた第8飛行隊F-2戦闘機93-8134号機(後席に民間カメラマン同乗)と同隊13-8558号機が山口県花尾山付近の上空で空中接触し、134号機の垂直尾翼上端と558号機の機首レドーム下面がぶつかって134号機の衝突防止灯と放電索が落下した。93-8134号機(2番機)が空撮のため13-8558号機(1番機)の30m下方から1番機を追い抜いた際、予期しない気流の影響で両機が急接近したが、2番機はオートパイロットの高度保持モードに頼って1番機を目視していない状態だったため、危険を認識できず回避動作無しにそのまま接触したものである。空幕では再発防止策として、全飛行隊長、飛行群司令、パイロットへの指導教育、目視を維持できなくなった際の連携要領確認、追い抜き飛行原則禁止などを含む空撮時の準拠策定を執った。111日、山口県宇部市の宇部市制施行100周年記念でT-4練習機1機が西部航空方面隊司令部支援飛行隊T-4練習機1機と共に祝賀飛行を実施。参考:月刊JWings6,163,1712,'204,151,0411,076,086,094,1112,1510,166,'211,'22、月刊航空情報2,10、月刊航空ファン6,107,111,1512,165,179,17、月刊軍事研究5,15、朝雲

 <第8飛行隊(2015年)>:北部航空方面隊第3航空団飛行群隷下で、三沢基地に置かれている。F-2A/BT-4を装備する。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊航空ファン4,16

 <第8飛行隊(2020年)>:第8航空団隷下で、築城基地にある。F-2A/BT-4を装備する。参考:月刊JWings6,20

第8方面軍(日本陸軍)>:日本陸軍の方面軍。昭和171116日、ニューギニア専任の第18軍が創設され、第17軍がガダルカナル/ソロモン諸島専任となったのに伴い、両軍の上級部隊として同日ラバウルに創設された。直轄部隊として第6師団も隷下に入れている。1127日、第6飛行師団が隷下に入った。1223日、第41師団が隷下に入った。参考:歴史群像8,15

 <第8方面軍(昭和17年11月末)>:ラバウルに置かれている。隷下に第17軍(第2師団、第38師団、第51師団、歩兵第35旅団、一木支隊など)、第18軍(南海支隊、歩兵第41連隊など)、第6師団、独立混成第21旅団、第3船舶団、第4船舶輸送隊、第6飛行師団などを置く。参考:歴史群像8,15

 <第8方面軍(昭和19年後半)>:ラバウルに置かれている。隷下に第17軍、第17師団、第38師団、第65旅団、独立混成第39旅団、独立混成第40旅団を置く。参考:比島決戦

第八御影丸>:日本陸軍輸送船Mikage maru No.8。大元はイギリスのシェイクスピア・シッピング所属貨物船シェイクスピアで、明治453月に竣工し、大正15年に武庫汽船が購入して第八御影丸に改称、太平洋戦争勃発直前に日本陸軍が徴用した。垂線間長104.24m、幅14.97m、深さ6.98m、満載吃水6.52m、総トン数3371トン、重量トン数5818トン。主機は三連成レシプロ蒸気機関1基1軸1700馬力、航海速力9ノット、最大速力10ノット。昭和17年、徴用を解かれ、船舶運営会が運航した。昭和184月、海軍指定船になった。629日、釜石から樺太の塔路に向かう途中で濃霧に見舞われ、神威岬南西60kmで岡崎汽船の日興丸と衝突して沈没した。参考:月刊世界の艦船1,23

 

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