<7/BW>:Ⅳ号戦車F型を参照。
<7F37R>:自衛隊の電子管。東芝電子管デバイス製。参考:月刊軍事研究12,’16
<7TP>:ヴィッカーズ6トン戦車・海外シリーズを参照。
<Ⅶ号戦車>:VK65.01(試作戦車)またはVK70.01(試作戦車)を参照。
<七号爆弾>:日本海軍の生物爆弾。昭和13年から研究が開始され、気温プラス30℃からマイナス40℃で生存可能な細菌を使用する予定で開発が進められたが、途中で方向が変わったらしく、植物毒素を詰めた爆弾として研究されていたようである。仮称四式三番七号爆弾が試作されていたが、結局実用化前に終戦となった。参考:日本海軍の爆弾
<七試艦上戦闘機>:日本海軍試作艦戦。第1次上海事件に参加したところ、空戦では三式艦戦の性能不足が露呈し、当時試作中の九〇式艦戦でも十分かどうか怪しかった。また、木製構造材は被弾した際に損傷部だけを修理しても強度が低いままなので丸ごと交換しなければならず、展開先で風雨に晒されただけでも急速に劣化してしまった。そこで高性能の金属製単葉戦闘機を作ることになり、昭和7年に全幅10.3m以内、最大速度180-200ノットといった要求が出され、中島と三菱が競作したが、どちらも不採用になった。参考:月刊丸3,’18別冊、2,’12
<七試艦上戦闘機(中島)>:中島飛行機製作所版。九一式戦闘機を海軍向けに改修して完成したが、要求を満たせずに採用されなかった。全長7.2m、全幅11m、全高3.2m、自重1100kg、全備重量1600kg。エンジンは寿五型(560馬力)単発、最大速度296km。固定武装は7.7mm機銃2丁。乗員1名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇
<七試艦上戦闘機(三菱)>:1MF10。三菱航空機の堀越二郎が設計し、主翼の設計は広海軍工廠も協力した。胴体は全金属セミモノコック構造。主翼は完全片持ち式の低翼単葉である。ただ当時の技術水準で主翼外板を金属張りにした場合、強度が保てるか不安があり、工作手順も分からなかったため、主翼は羽布張りにしたが、分厚くなってしまった。NACAカウリングを採用し、プロペラは金属製である。降着装置は固定脚で、支柱を剥き出しにするかズボンスパッツ装備にするかは飛ばしてみて比較することにしている。全長6.9m、全幅10m、全高3.3m、自重1225kg、全備重量1580kg。エンジンは三菱A-4空冷複列星型14気筒ガソリン(780馬力)単発、最大速度320km、航続時間3時間。固定武装は7.7mm機銃2丁。30kg爆弾2発の搭載が可能。乗員1名。2機が製作され、昭和8年3月に初号機が初飛行してテストに入ったが、エンジンからのオイル漏れが酷く、出力不足で速度や上昇力が出せず、7月1日には急降下テスト中に垂直安定板の後桁が強度不足で折れて墜落(パイロットは脱出して無事)してしまった。2号機もフラットスピンで墜落して失われ、審査中止となっている。参考:月刊丸2,’12、3,'18別冊、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・日本篇
<七試大攻>:九五式陸上攻撃機を参照。
<七試特殊爆撃機>:日本海軍の試作艦上爆撃機。実用化されなかった。参考:月刊丸2,’12別冊付録
<七試陸上攻撃機>:九五式陸上攻撃機を参照。
<七センチ山砲>:日本陸軍の山砲。青銅製で、閉鎖器は鋼製。砲架は当初木製だったが、明治20年11月に鋼製に切り替えた。口径75mm、放列砲車重量256kg。俯仰角はマイナス10度からプラス21度。使用弾は榴弾(初速毎秒255m)と榴霰弾で、最大射程3000m。弾薬箱2個と共に馬3頭(鋼製砲架では4頭)に駄載して運搬する。明治16年から24門の製造が決定、追加発注も行われ、日清戦争で使用された。参考:大砲入門
<七センチ野砲>:日本陸軍の青銅製野砲。口径75mm、砲身長1.78m、砲重量272kg、放列砲車重量690kg。俯仰角はマイナス7度からプラス19度。初速は榴弾で毎秒422m、発射速度毎分6-7発。馬4頭で牽引する。榴弾11発、榴霰弾27発、霰弾2発を搭載する弾薬車とペアで運用する。明治16年から24門が製造され、追加発注も行われ、日清戦争で使用された。参考:大砲入門
<7大戦艦>:Big seven。ワシントン軍縮条約下で建造・保有が認められたポスト・ジュットランド級戦艦7隻(長門、陸奥、BB-45コロラド、BB-46メリーランド、BB-48ウェストヴァージニア、28ネルソン、29ロドネイ)を指す。参考:月刊世界の艦船12,’15、戦艦入門
<7つボタン>:海軍飛行予科練習生を参照。
<7デ・アゴスト>:47(哨戒艦)を参照。
<7トンダンプ>:自衛隊の車両。ウインチ付もある。三菱ふそうトラック・バス製。参考:月刊軍事研究12,’08
<7トンダンプ(Ⅱ型)>:自衛隊の車両。三菱ふそうトラック・バス製。参考:月刊軍事研究4,’10
<7トントラック>:陸上自衛隊の大型トラック。74式特大型トラックを1996年に名称変更したもので、速度表示灯の設置義務が無くなったため、これを外してスピードリミッターを装備している。全長9.245-9.39m、全幅2.48m、全高3.06-3.545m、車両重量10.99-11.86トン、全備重量13.6トン。エンジンは8DC11水冷直列8気筒ディーゼル(355馬力)、最大速度90-95km。積載量8.75トン。乗員2名。後部荷台に35名を乗せられる。メーカーは三菱ふそうトラック・バス。中砲牽引用、07式機動支援橋運搬車用、大型セミトレーラ牽引用、大型セミトレーラ牽引用Ⅱ型、特大型セミトレーラ牽引用、ペトリオット用Ⅰ型、ペトリオット用Ⅱ型、ペトリオット用Ⅲ型、中SAM、中SAM(野整備器材1号用)、対砲レーダー装置用、レッカ用、SSM-1弾薬運搬車用、パネル橋MGB用、中型セミトレーラ牽引用、中型セミトレーラ牽引用Ⅱ型、トラクター用、アンテナ・マスト用もある。参考:JGround Vol.11、陸上自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊軍事研究12,’08、2,’09、1,’10、2,’10、4,’10、5,’10、10,'19、スピアヘッドNo.6、No.7、月刊丸3,’13
<7トントラック(Ⅱ型)>:自衛隊の車両。三菱ふそうトラック・バス製。参考:月刊軍事研究4,’11
<7トントラック(6×6)トラクタ>:自衛隊の車両。三菱ふそうトラック・バス製。参考:月刊軍事研究2,’14
<7トントラックシャシ(12SSM弾薬運搬車車両用)>:自衛隊の車両。三菱ふそうトラック・バス製。参考:月刊軍事研究5,’16
<7トントラック用エンジン>:自衛隊の機器。三菱ふそうトラック・バス製。参考:月刊軍事研究9,’10
<7トン燃料タンク車(7500リットル航空用)>:自衛隊の車両。三菱ふそうトラック・バス製。参考:月刊軍事研究8,’12
<7トン燃料タンク車(一万リットル航空用)>:自衛隊の車両。三菱ふそうトラック・バス製。参考:月刊軍事研究4,’11
<7トン燃料タンク車(航空用)>:自衛隊の車両。三菱ふそうトラック・バス製。参考:月刊軍事研究4,’10
<7人兄弟の棺桶>:ソ連兵がM3中戦車に付けたニックネーム。7人兄弟が戦車に乗って戦う内容の軍歌が元になっているらしい。参考:歴史群像6,’04
<七年式十糎加農>:日本陸軍のカノン砲。口径105mm、放列砲車重量8.326トン、俯仰角はマイナス10度からプラス20度、360度旋回可能。使用弾は十四年式鋼性銑榴弾で、初速毎秒598m、最大射程10500m。参考:大砲入門
<七年式十五糎加農>:日本陸軍のカノン砲。口径149.1mm、放列砲車重量26.54トン、俯仰角はマイナス8度からプラス30度、全周旋回可能。使用弾は榴霰弾で、初速毎秒875m、最大射程20200m。参考:大砲入門
<七年式三十糎榴弾砲シリーズ>:日本陸軍の榴弾砲。参考:月刊戦車マガジン10,’78
<七年式三十糎短榴弾砲>:旅順要塞攻略戦で二八糎榴弾砲が軍艦に対して威力不足であり、口径を拡大して射程を延伸する必要があると判断され、明治39年11月に開発が決定、明治40年4月から設計に入り、当初はクルップ社に発注する予定だったが砲身地金以外を国産することになり、明治43年5月に試作1号砲が完成した。明治45年6月に最後の試験を実施したが、この時の高仰角砲撃で砲身の底が抜けてしまい、イギリスのトーマス・ファース社製だった砲身地金が脆弱であることが判明したため、ドイツのクルップ社に発注し直した。大正3年に砲身素材の一部が到着したが、第1次大戦勃発で残りの輸入見通しが立たなくなり、大正5年に日本製鋼所で砲材料全てを製造、純国産砲として大正6年1月に新型試作砲が完成した。大正7年7月に試作2号砲が完成し、テストの結果も良好であったため、制式化された。昭和8年には移動砲床型も開発され、5分割して九五式一三屯牽引車により時速20kmで移動できるようになった。組み立てには四脚三十頓起重機を使用して昼間で15時間、夜間で20時間かかる。口径305mm、放列砲車重量59.217トン(固定式)/77.03トン(移動式)。俯仰角はマイナス2度からプラス73度、全周旋回可能。弾種は破甲榴弾と九五式破甲榴弾で、弾量398kg、初速毎秒400m、射程15000m(12000m?)。ソ連・満州国境の要塞陣地に最大21門が配備されており、昭和19年の比島作戦にあたって4門が送られたが、1門は輸送船が潜水艦の攻撃を受けて沈没し、2門がリンガエン湾に、1門がバタンガスに布陣した。太平洋戦争末期には本土決戦に備えて九十九里浜に4門が設置されている。参考:月刊戦車マガジン10,’78、大砲入門
<七年式三十糎長榴弾砲>:長砲身バージョンで、大正6年に試作砲が完成し、短榴弾砲と同時に制式化された。口径305mm、砲身長7.22m、砲身重量19.765トン、放列砲車重量97.7トン(固定式)/122.937トン(移動式)。俯仰角はマイナス2度からプラス73度、全周旋回可能。使用弾は九〇式破甲榴弾と二式曳火榴弾で、初速毎秒500m、射程23000m(15200m?)。ソ連・満州国境の要塞陣地に配備された。参考:月刊戦車マガジン10,’78、大砲入門
<7メートル・カッター>:海上自衛隊の手こぎボートで、はるかぜ型からたちかぜ型まで搭載された。船体は全木製で、前後に軽いシーアが付けられており、外板は鎧張りで、銅釘で止めてある。船体内には4列の漕ぎ手用座席(スオート)が取り付けられており、前部にヘッドシート、後部にスターンシート、スターンシート上両舷隅にディッキー(腰掛け)、スターンシート前方両舷にスターン・ベンチが用意されている。舵はトランサムに舵板をピントルとガジョンで固定し、ティラーで操舵するティラー方式。艇指揮1名、艇長1名、漕手8名、予備2名が乗れるが、通常は予備が乗船せず、艇指揮も艇長が兼ねる。オールは常備8本・予備2本が用意されていて、1・2・7・8番漕ぎ手のオールは3-6番よりも長い。全長7m、全幅2.1m、深さ0.8m。参考:丸スペシャルNo.77、艦船メカニズム図鑑
<7メートル・カッター(日本海軍)>:日本海軍のカッター。全長7m、全幅2.1m、深さ0.8m、重量0.8トン。搭載人員28名。櫓8本を搭載する。参考:写真で見る海軍糧食史
<7メートル通船>:日本海軍の通船。全長7m、幅1.65m、深さ0.66m、重量0.55トン。搭載人員21名。櫓2本を搭載する。参考:写真で見る海軍糧食史
<7メートル内火艇>:日本海軍の内火艇。全長7m、幅1.9m、深さ1.05m、重量2.775トン。搭載人員25名。参考:写真で見る海軍糧食史
<7.2インチ榴弾砲>:イギリス軍の182.9mm榴弾砲。アメリカ軍の旧式8インチ(203mm)榴弾砲砲架に7.2インチ(182.9mm)榴弾砲の砲身内筒を装着したもので、1941年4月から緊急製作された。重量91kgの榴弾を使用すると、初速毎秒800m、最大射程15.5km。参考:米英軍戦闘兵器カタログVol.2
<7.5cm Flak>:ドイツ軍高射砲。ベルサイユ条約下だったが、クルップ社のスタッフがボフォース社の研究施設を借り、1930年に密かに運んだ図面を基に製作した。ドイツでは威力不十分として制式化には至らなかったが、スペインとブラジルに輸出され、8.8cmFlak18の原型にもなった。口径長60、戦闘重量3140kg、俯仰角マイナス5度からプラス85度。弾丸重量6.35kg、砲口初速毎秒850m、最大射高9000m。第2次大戦開戦時に余っていた砲はドイツ海軍が沿岸防備用に購入した。参考:月刊PANZER6,’04
<7.5cm/L40.8自走車台シリーズ>:ドイツ軍の試作対戦車自走砲。参考:月刊PANZER11,’02
<7.5cm/L40.8自走車台1型>:1934年にラインメタル・ボルジッヒ社が開発した40.8口径75mm対戦車砲を、ビューシングNAG社製半装軌装甲車車台BN10Hに搭載したもの。俯仰角はマイナス9度からプラス20度。装甲厚8-20mm。重量6.08トン。乗員4名。1935年に試作車3両が完成した。参考:ジャーマンタンクス、月刊PANZER11,’02
<7.5cm/L40.8自走車台2型>:1936年に製作された改良型で、砲口制退機などを取り付けている。参考:ジャーマンタンクス、月刊PANZER11,’02
<7.5cmPaK40搭載39H(f)自走砲>:H39戦車・海外ファミリーを参照。
<7.5cmPaK40/3搭載38(t)戦車H型>:マルダーⅢシリーズ(対戦車自走砲)を参照。
<7.5cmPaK40/3搭載38(t)対戦車自走砲M型>:マルダーⅢシリーズ(対戦車自走砲)を参照。
<7.5mm×54弾>:7.5mmフレンチともいう。弾丸重量9.07g、初速毎秒793m。参考:最新軍用ライフル図鑑
<7.5mm×55.5弾>:7.5mmスイスともいう。弾丸重量11.34g、初速毎秒780m。参考:最新軍用ライフル図鑑
<7.5メートル内火艇(海上自衛隊)>:海上自衛隊の内火艇で、はるかぜ型に1艦あたり2隻が搭載された。船体は軽合金製で、船型はアークボトム型、軽いシーアを持ち、船底にバーキールがある。前後両舷にデッキが張られていて、舷側上縁全周と両舷チャイン上に防舷材を持つ。船内配置は前方から前部空所、コクピット、舵取り機室で、コクピット前部に後方開放型操舵室があり、その後ろに主機があって、エンジンカバーが掛けられている。コクピットはオープントップ式で、両側に腰掛けがあり、必要に応じてキャンバス製の屋根をかけられる。全長7.5m、最大幅2.3m、深さ1.1m、排水量3.5トン。主機はディーゼル1基、出力50馬力、3翅一体型プロペラ1軸推進、舵は1枚。昭和30年代終わりから7.9メートル内火艇に交代した。参考:丸スペシャルNo.77、艦船メカニズム図鑑
<7.5メートル内火艇(日本海軍)>:日本海軍内火艇。全長7.5m、最大幅2.1m、吃水0.7m、排水量3.8トン。機関出力30馬力、速力7.5ノット。参考:小艦艇入門
<7.5メートル複合型作業艇>:海上自衛隊の作業艇。双信商事が受注している。参考:月刊軍事研究7,’07
<7.62cmPaK36(R)搭載38(t)戦車>:マルダーⅢシリーズ(対戦車自走砲)を参照。
<7.62 lt Kk/ss>:マキシム機関銃・海外シリーズを参照。
<7.62mm×25タイプP弾>:ソ連の拳銃弾。モーゼル7.62mm×25弾のコピーである。薬莢は直径9mmのリムレス式ボトルネック型で、初速は大きいが、弾丸口径が9mm弾より小さいので、遠距離での威力に劣る。TT-1930モデル・ピストルなどに使用可能。参考:拳銃・小銃・機関銃、月刊PANZER10,’03
<7.62mm×33弾>:.30カービンともいう。.32ACP弾の薬莢を延ばしてM1カービン用としたものである。弾丸重量7g、初速毎秒579m。参考:最新軍用ライフル図鑑、米英軍戦闘兵器カタログVol.1
<7.62mm×39弾>:ソ連の銃弾で、7.62mmソビエトM43またはM1943または7.62mmロシアン・ショートともいう。AK47が使用する。弾薬全長55.4mm、弾薬重量16.4g、弾丸重量7.91g、装薬重量1.49g。初速毎秒710m。参考:最新軍用ライフル図鑑、ザ・マーチ5号
<7.62mm×51弾>:アメリカ軍の7.62mm弾で、.308NATOとも呼ばれ、制式名称はM80またはM118である。.30-06弾の後継で、第2次大戦中に開発された多種多様な口径7.62mmの銃を統一する目的で製作された。本来は軽量化も図る予定だったが、全長が11mm短くなっただけであまり軽くならなかった。1949年にNATOが発足すると、イギリスの主張する.28口径(7.2mm)弾との間で若干揉めたが、NATO標準弾として使用されることになった。弾丸重量7g、初速毎秒838m。.308ウィンチェスター弾として市販されている。参考:世界の軍用銃、最新軍用ライフル図鑑、月刊軍事研究1,’07、ストライク・アンド・タクティカルマガジン3,’13、日本の防衛戦力Part8
<7.62mm×54R弾>:M1908タイプL(銃弾)を参照。
<7.62mm×63弾>:.30-06弾を参照。
<7.62mmM62えい光弾減装薬紙箱入>:自衛隊の火工品。旭精機工業製。参考:月刊軍事研究10,’14
<7.62mmM62えい光弾減装薬リンク>:自衛隊の火工品。旭精機工業製。アメリカ海軍省にも発注している。参考:月刊軍事研究4,’13、9,’14
<7.62mmM80普通弾減装薬紙箱入>:自衛隊の火工品。旭精機工業製。参考:月刊軍事研究5,’13
<7.62mmM80普通弾減装薬リンク>:自衛隊の火工品。旭精機工業製。参考:月刊軍事研究5,’13
<7.62mm狭搾弾>:自衛隊の火工品。訓練用の短射程弾で、弾丸は黒い円筒形をしている。全長61mm、薬莢底部径12mm。旭精機工業製。参考:MAMOR vol.132、月刊軍事研究7,’09
<7.62mm狭窄弾リンク>:自衛隊の火工品。旭精機工業製。参考:月刊軍事研究10,’11
<7.62mm空包>:自衛隊の火工品。全長66mm、薬莢底部径12mm。昭和金属工業製。参考:MAMOR vol.132、月刊軍事研究12,’08
<7.62mm空包改善型(試験用)>:自衛隊の火工品。昭和金属工業製。参考:月刊軍事研究1,’15
<7.62mm対人狙撃銃用弾薬>:自衛隊の対人狙撃銃用弾薬。全長72mm、薬莢底部径12mm。アジア太平洋企業または旭精機工業が受注している。参考:MAMOR vol.132、月刊軍事研究6,’08、4,’11
<7.62mm弾薬改善型(試験用)>:自衛隊の火工品。旭精機工業製。参考:月刊軍事研究1,’15
<7.62mmモシン・ナガン>:M1908タイプL(銃弾)を参照。
<7.62mmロシアン>:M1908タイプL(銃弾)を参照。
<7.7mm×54R弾>:.303ブリティッシュともいう。弾丸重量11.27g、初速毎秒731m。Mk7通常弾、W Mk1徹甲弾、G Mk8訓練弾、B Mk8焼夷弾がある。参考:最新軍用ライフル図鑑
<7.9メートル内火艇シリーズ>:海上自衛隊の内火艇。艦船間や陸岸との連絡、人員輸送、救難作業に使用される。参考:丸スペシャルNo.77、艦船メカニズム図鑑
<7.9メートル内火艇(木製)>:あやなみ型から搭載されたタイプ。船体は全木製で、横肋骨方式(機械室は二重肋骨構造)、内肋骨はケヤキ材製、外板は厚さ25mmのヒノキ製で、銅釘により肋骨に結合される平張り構造である。床板は厚さ12mmの杉材。船型は丸底型のモーター・ホエール・ボート・タイプで、艇前後に強いシーアを持つ。船体舷側前縁全周にケヤキ製防舷物が取り付けられており、舷側水線部付近にも防舷材がある。艇首部と舷側4カ所にフェンダーを持つ。内部配置は前方から前部浮力区画、前部船室、機械室、後部船室、後部浮力区画で、各区画は防水隔壁で区切ってあり、前後浮力区画と船室腰掛け下部にはポリウレタンフォームが充填されている。前後船室には両舷に腰掛けがあり、船室と機械室はオープントップだが、必要に応じてキャンバスを展張できる。全長7.9m、全幅2.23m、深さ0.985m、軽荷排水量2.652トン、満載排水量4.65トン。主機はヤンマー製4STV型ディーゼル1基1軸25馬力、舵はティラー方式。乗員は艇指揮、艇長、機関員、艇首員で、艇指揮と艇長が兼任となることも多い。乗員含め25名が乗れる。木造なので耐用年数が短く、1970年以降はFRP製に後を譲った。参考:丸スペシャルNo.77、艦船メカニズム図鑑
<7.9メートル内火艇(FRP製)>:1970年から石原造船所高砂工場で建造され、あきづき型から搭載されたタイプで、船体をFRP製としたものである。海自の要求が吊り上げ状態での排水量を2.1トンとするというものだったため、木製よりも排水量がやや少ない。船体はFRP製で、2本の船底縦通材とバーキールを有する単板縦桁構造であり、艇体と甲板を一体成形してシーア部で接合してある。船体のFRP厚は5mm。船型は角底型のモーター・ホエール・ボート・タイプで、艇首尾に400mmのシーアを、艇首部に2mのスプレー・ストリップを付けている。船内配置は前方から前部浮力区画、前部船室、機械室、後部船室、後部浮力区画で、隔壁のうち3つが防水隔壁である。前後浮力区画と機械室腰掛けの一部はポリウレタンフォームが充填されている。前後船室と機関室にはキャンバスをかけることが可能。全長7.9m、全幅2.23m、深さ1m、軽荷排水量2.18トン、満載排水量4.177トン。主機は三菱製4DQ11M-2ディーゼル1基1軸25馬力、速力7ノット。舵はティラー方式。定員25名(うち乗員3-4名)。参考:丸スペシャルNo.77、艦船メカニズム図鑑
<改7.9メートル内火艇>:7メートル・カッターが行っていた副錨運搬任務を行えるよう、ティラー方式舵を廃止(船尾に舵があると副錨を吊す邪魔になる)して舵輪を装備し、操舵と主機操作をリモコン式ワンマンコントロールにしたものである。船体構造は単板縦桁構造で、船底中心にバーキール、船底両舷にガーダー1本ずつを持ち、船体と甲板をFRPでワンピース成型してシーアで接合してある。船型はダブルエンダーのハードチャイン角型で、船首尾にシーアが付いており、船首部にチャイン、その下方両舷にスプレー・ストリップ1条ずつを持つ。船尾部はシャープ・スターンで、水線幅を大きくして船尾沈下を防いでいる。両舷とシーア・ラインには防舷材を持つ。船内配置は前方から前部浮力室、前部コクピット、機関区画兼操舵所、後部コクピット、後部浮力室兼舵取り機室である。船尾には副舵運搬用の滑車を持つ。7.9メートル内火艇(FRP)とほぼ同じ諸元で、乗員は2名に減った。石原造船所高砂工場で製造され、カッターを積まなくなったDDH-141はるな(DDH-144くらま?)から搭載された。参考:丸スペシャルNo.77、艦船メカニズム図鑑
<7.92mm×33弾>:ドイツ軍がMkb42突撃銃用に開発した短弾薬。弾丸と薬莢を従来の7.92mmマウザーよりも短縮してあり、薬莢形状が円錐台形に近くなったため、薬室にぴったりと収まり、撃針が薬莢底部中央を正確に叩けるようになった。薬莢の素材は黄銅ではなく鉄で、錆止めのラッカーが塗られているので茶褐色をしている。弾丸重量8.1g。初速毎秒697m、有効射程400m以上。StG44にも使用された。参考:拳銃・小銃・機関銃、日本の防衛戦力Part8
<7.92mm×57弾>:7.92mmマウザーともいう。弾丸重量12.83g。初速毎秒750m。参考:最新軍用ライフル図鑑
<7.92mmマウザー>:7.92mm×57弾を参照。
<70>:イギリス海軍リアンダー級軽巡洋艦アキリーズ(Achilles)。1933年竣工。1936年3月、ニュージーランド海軍に転属予定となり、ニュージーランド海軍の乗員が乗り込んだが、一旦イギリス海軍第2巡洋艦戦隊に転属となり、ニュージーランドへの配備が遅れた。1939年8月29日、西インド諸島に派遣されることになり、オークランドを出港。9月1日、太平洋を航行中に第2次大戦が始まり、そのまま南太平洋岸でドイツ商船を監視することになった。10月2日、南大西洋への進出を命じられた。12月13日、ラプラタ沖海戦に参加。砲弾1発を水線部に被弾し、小破した。1940年2月、オークランドに帰港。1943年1月、ニュージョージア島ムンダを砲撃。帰途に日本海軍機の急降下爆撃を受けてX砲塔に被弾、イギリスに送られて修理を受けた。1948年、インドに引き渡された。参考:第2次大戦のイギリス軍艦、月刊軍事研究7,’07、月刊丸8,’87、近代巡洋艦史、月刊世界の艦船11,’00
<70>:シンガポール海軍フォーミダブル級フリゲート3番艦ステッドファスト(Steadfast)。2008年2月就役。2008年6月29日から7月31日、リムパック08に参加。2013年3月26-30日、LIMA2013に参加。2016年8月19日から9月5日、海自横須賀基地に寄港。8月29-30日、DD-110たかなみと親善訓練を実施。6月30日から8月4日、リムパック2016に参加。参考:JShips VOL.20、VOL.70、月刊軍事研究11,’08、月刊世界の艦船8,’13、7,’13、11,’16
<70/6MS>:アメリカ海軍の潜水艦用6気筒2サイクルディーゼルエンジンで、NLSECO社が開発した。75/6HSが不調だったため、大幅に改良を加えて独自設計化したものである。出力450馬力(450rpm)。M-1級潜水艦に搭載されたが、改良の結果大重量になってしまい、他艦には搭載されなかった。参考:アメリカ潜水艦史
<70K>:ソ連軍37mm機関砲で、単装と連装がある。操作は人力で、装填は5発クリップ。マウント重量1850kg(単装)/2800kg(連装)。旋回率毎秒20度、俯仰角マイナス10度からプラス85度、俯仰速度毎秒15度。砲口初速毎秒880m、射程4000m、発射速度1門あたり毎分180発。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版
<70K海外シリーズ>
<67式37ミリ機銃>:中国軍37mm機関砲。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版
<70RU>:60RUシリーズ(艦対潜ミサイル)を参照。
<70型巡洋艦>:スヴェルドルフ級シリーズを参照。
<70式90mm戦車砲用曳光対戦車榴弾>:陸上自衛隊の61式戦車用HEAT-T。弾体はJIS規格名称S50C炭素鋼や合金鋼製で、先端にはノーズスパイクがある。スリッピングバンド付き。参考:月刊軍事研究11,’08、自衛隊装備年鑑1996
<70式機雷>:海上自衛隊の対潜水艦・対水上艦用沈底機雷。信管は磁気、音響、水圧。石川製作所製。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊
<70式自走浮橋>:陸上自衛隊の自走浮橋で、日立製作所が製作した。装輪の水陸両用車両で、車体は軽合金(アルミニウム、マグネシウム、亜鉛の三元合金)製、前方に地上走行用の運転席、後方に水中航行用の運転席を持ち、キャビン後部にクレーンを、車体上に両開きのフロートを積んでいる。架橋地点でフロートを展開して錨を取り付け、バックで水中に入り、1セット10両を車体上に搭載した3枚の導板で繋げて長さ91m・幅3.9m・許容重量38トンの橋を造る。所要時間は1.5個施設小隊(本車の他に大型トラック1両装備)で1-2時間。また、2-3両を連結(所要時間40分)して門橋にすることもでき、その場合の許容重量は2両なら26トン、3両で38トン。全長11.4m、全幅2.8m(陸上)/5.4m(水上)、全高3.5m(陸上)、全備重量24トン。エンジンは水冷V型8気筒2サイクルディーゼル(330馬力)、最大速度50km、浮航速度12km。橋節全長8.5m、浮橋床幅3.9m、橋梁等級26(2舟密接門橋)/38(3舟密接門橋、浮橋)。乗員4名。装輪のため河川に入る地形が限定されること、90式戦車が通れないこと、整備に手間がかかることなどから92式浮橋に後を譲った。参考:自衛隊装備年鑑1996、陸上自衛隊地上戦力の全容、日本の防衛戦力Part1、月刊軍事研究2,’02、月刊JWings6,’00、日本の戦力、自衛隊装備カタログ1981
<70式初速測定器>:陸上自衛隊の野戦特科用初速計測レーダーで、70式野戦特科射撃指揮装置に付属する。アンテナは大きい長方体をしている。初速測定範囲毎秒100-1000m、測定可能砲弾口径75mm以上、測定精度プラスマイナス0.4%、最小表示単位毎秒0.2m。方位角は全周、射角はマイナス200ミルからプラス1200ミルまでの測定が可能。送信搬送波周波数10525MHz。三菱電機製。参考:自衛隊装備カタログ1981、日本の防衛戦力Part1
<70式地雷原爆破装置>:陸上自衛隊の地雷原爆破装置。ロケットに爆薬の付いたロープ(導爆索)が付けてあり、これを500m前方に展張して爆発させ、幅0.5m、長さ100mの通路を開設する。ロープが地面に落下してから炸裂するまでは16秒で、中断することはできない。車両用通路を作るにはM1連鎖爆破薬により手作業で幅を広げる必要があるが、敵銃火に晒される中での作業となるため、相当危険である。作業要員は8名、測量完了から投射準備完了までは15分しかかからないが、測量を正確に行うのに丸2日かかるのが問題である。また、10発に1発はあさっての方に飛んでいってしまうらしい。ロケットは全長750mm、直径150mm、重量24kg。発射機は重量18kg。導爆索は全長17m、重量24kg。IHIエアロスペース製。60式装甲車・73式装甲車・96式装輪装甲車の車体上面や資材運搬車の後部荷台に積んでの発射も行える。施設科部隊や普通科連隊本部管理中隊作業小隊に配備された。参考:月刊軍事研究8,’99、12,’00、11,’07月刊JWings3,’02、4,’12、自衛隊装備年鑑1996、月刊グランドパワー8,’10、陸上自衛隊地上戦力の全容、朝雲
<70式地雷原爆破装置(可変型・ロケット弾のみ)>:自衛隊の火工品。IHIエアロスペース製。参考:月刊軍事研究7,’12
<70式地雷原爆破装置(人員用)(可変型)>:自衛隊の火工品。IHIエアロスペース製。参考:月刊軍事研究2,’10
<70式地雷原爆破装置(人員用)(可変型)発射器>:自衛隊の火器。IHIエアロスペース製。参考:月刊軍事研究7,’12
<70式地雷原爆破装置(人員用・可変型)(ロケット弾)>:自衛隊の火工品。IHIエアロスペース製。参考:月刊軍事研究11,’17
<70式地雷原爆破装置(人員用)(可変型)(ロケット弾のみ)>:自衛隊の火工品。IHIエアロスペース製。参考:月刊軍事研究10,’13
<70式地雷原爆破装置発射機>:自衛隊の機器。IHIエアロスペース製。参考:月刊軍事研究4,’14
<70式戦車回収車>:61式戦車ファミリーを参照。
<70式野戦特科射撃指揮装置>:陸上自衛隊の特科大隊用射撃指揮装置。コンピュータにより多数の目標をメモリーし、風速や風向などの修正計算を行い、隷下の5個中隊に2種類の砲弾の射撃諸元を伝送することが可能である。2 1/2トントラックに搭載されており、電源車を繋げばそのまま使用できる。補助架台の上に降ろして地上設置とすることも可能。計算機は射撃計算時間7秒、記憶目標数100、記憶容量8192語、所要電源100V60Hz500VA。制御器は表示桁数25桁、通報機関7個。射撃計算用入力諸元の伝送速度は毎秒1200ビットプラスマイナス12ビットで、所要電源100V60Hz100VA。タイプタイタは印字速度毎秒15字。読み取り機は読み取り速度毎秒200字。鑽孔機は鑽孔速度毎秒750字。三菱電機及び日本電気製。70式初速測定器や70式レーザー測遠機も付属している。参考:自衛隊装備カタログ1981、日本の防衛戦力Part1
<70式レーザー測遠機>:陸上自衛隊のレーザー測距器で、70式野戦特科射撃指揮装置に付属する。野戦特科の着弾観測の他、普通科や対戦車部隊が測距のために使うこともある。10秒おきに5回測距し、5分間放熱するのが基本使用サイクル。測距範囲300-7000m、測距精度プラスマイナス10m、最小測距表示単位5m、方位角測角範囲は全周、俯仰角測角範囲はプラスマイナス200ミル、測角精度プラスマイナス2ミル。三脚上に載せて使用する。三菱電機製。参考:自衛隊装備カタログ1981
<70センチ航空写真機>:日本陸軍の気球器材。参考:工兵入門
<70-1式自走砲>:54-1式自走砲シリーズを参照。
<70E型巡洋艦>:スヴェルドルフ級シリーズを参照。
<71>:イギリス海軍アリシューザ級軽巡洋艦(2代目)ガラティーア(Galatea)。1935年竣工。1941年に戦没した。参考:第2次大戦のイギリス軍艦、近代巡洋艦史
<71>:イラン海軍アルバンド級フリゲート、アルバンド。1971年5月就役。2010年12月11日、スリランカ海軍創設60周年記念国際観艦式に参加。2016年2月6日、インド海軍国際観艦式に参加。参考:JShips Vol.44、月刊世界の艦船7,’16
<71>:シンガポール海軍フォーミダブル級フリゲート4番艦テネイシャス(Tenacious)。2008年2月就役。2018年6月28日から8月2日、リムパック2018に参加。8月16-22日、海自横須賀基地に寄港。8月22日、DD-101むらさめと関東南方海域で親善訓練(戦術運動、近接運動など)を実施。2022年3月6日、ベンガル湾でソマリア沖海賊対処第41次水上部隊DD-103ゆうだちとの親善訓練(戦術運動、通信など)に参加。参考:月刊世界の艦船8,’13、9,’18、10,’18、5,'22、月刊軍事研究9,’09、朝雲
<71Kh6>:ロシアの弾道ミサイル監視衛星で、US-KMOともいう。周回軌道は東経80度・高度35750kmの静止軌道で、アメリカ本土からのICBM、太平洋からのSLBM、中国や中東の弾道ミサイルも探知可能。赤外線望遠鏡で弾道ミサイル発射炎を探知すると、セルプホフスカヤの地上指揮所にデータが送られ、A-135弾道ミサイル防衛システムへと伝達される。74Kh6の後継として1991年から打ち上げられており、2003年に1基(コスモス2397。ただし2ヶ月で機能停止)、2008年に1基(コスモス2440。1年半弱で機能停止)、2012年3月にコスモス2479で最終号機が打ち上げられた。後継は統一宇宙システム(EKS)衛星になる。参考:月刊軍事研究7,’12、5,’13
<71-TKシリーズ>:ソ連軍の車両用無線機。参考:月刊グランドパワー7,’02
<71-TK>:交信範囲18-20km。参考:月刊グランドパワー7,’02
<71-TK-1>:音声通信可能距離は停止時30km、走行時15km。電鍵最大交信距離は50km。参考:月刊PANZER7,’10
<71-TK-2>:交信範囲を40-60kmに拡大したもの。車両搭載機器のノイズが混ざり込んで本来の性能が発揮できなかった。参考:月刊グランドパワー7,’02
<71-TK-3>:ノイズ対策を施したもの。交信範囲は25km。参考:月刊グランドパワー7,’02
<71型>:ヴィクラント級(空母、2代目)またはスヴェルドルフ級シリーズ(巡洋艦)を参照。
<71号艦>:仮称71号艦(試作潜水艦)を参照。
<71式音響掃海具>:海上自衛隊の音響掃海具で、S-2掃海具ともいう。1961年から研究され、1968年に実用化、1969年に仮制式化され、1973年に制式化された。発音体は1個で、頭部で中周波、両舷で低周波の音を発することができ、これで音響機雷を誘爆させる。発音体はパワーケーブルで曳航され、海上のフロートとフロート・ペンダントで結ばれており、この長さを調節することで曳航深度を調整する。また、パワーケーブルの途中にはフロート付きの展開器が接続されており、ケーブルを掃海艇の真後ろよりも右舷側に位置させるようにする。発音体重量1.66トン。たかみ型掃海艇、はつしま型掃海艇に搭載された。参考:丸スペシャルNo.76、海上自衛隊全艦艇史
<71式機雷>:K-5を参照。
<71式地雷探知機>:陸上自衛隊の地雷探知機で、1971年に制式化された。長さ1mの棒の先に角型の金属探知部が付いた地雷探知機(重量5kg)2セットと、地雷探針2本からなる。機械部分をベルトで腰に巻き、探知機を地面から100mm離して捜索を行い、信号音とメーターで地中の金属を探知したら地雷探針で位置と形状を確認、処理を行う。明星電気製。1個普通科中隊あたり2台が配備された。参考:スピアヘッドNo.7、自衛隊装備カタログ1981
<71式地雷探知針>:自衛隊の地雷探知機で、1971年に制式化された。71式地雷探知機の小型版で、長さ300mmの棒の先に探知アンテナが付いており、地雷を探知するとイヤホンから信号音が聞こえる。参考:自衛隊装備カタログ1981
<71式信管シリーズ>:陸上自衛隊の75式155mm榴弾・M107榴弾用信管。参考:スピアヘッドNo.13
<71式信管>:VT信管に時計機構を組み合わせてあり、電波発信開始時間を発射から100秒後までの間で任意に設定できる発火準備可変型近接信管である。参考:スピアヘッドNo.13
<71式3型信管>:71式信管にM125J伝爆薬筒を追加し、着発機能を持たせたもの。参考:スピアヘッドNo.13
<71式対空レーダー装置>:陸上自衛隊の対空捜索レーダーJTPS-P5。国産で、シェルター搭載2 1/2トントラック2両(送信機及び指示器)、電源車1両から構成される。使用周波数はSバンドで、パルス圧縮方式、尖頭出力60kW。表示は30cmPPIスコープ、遠隔用25cmPPIスコープ、12cmAスコープ。電源は200V60Hz30KVA。重量5トン。三菱電機製。参考:自衛隊装備カタログ1981、自衛隊装備年鑑1996
<71式地上レーダー装置>:陸上自衛隊の地上目標用中距離レーダーJTPS-P6。1965年に開発され、1967年に実用テストが開始され、1971年に採用された。1.5トン・シェルターに収容されており、3/4トントラックや60式装甲車などに搭載して目的地に移動し、地上に設置して使用する。使用周波数Xバンド、ピーク出力25kW、探知距離0.8-30km。電源は115V400Hz1.5KVA。日本電気、富士通製。参考:自衛隊装備年鑑1996、陸上自衛隊地上戦力の全容、月刊PANZER2,’04、自衛隊装備カタログ1981
<71式地上レーダーJTPS-6通信車>:60式装甲車ファミリーを参照。
<71式着陸誘導装置>:JMPN-P1を参照。
<71式迫撃砲>:中国軍100mm迫撃砲。参考:月刊PANZER9,’02
<71式ボフォース対潜ロケット発射機>:海上自衛隊の対潜ロケットランチャー。ボフォース・ロケット・システムの4連装型を、輸入または三菱重工でライセンス生産したものである。Mk108とアスロックの間を繋ぎ、対潜兵器国産化で防衛産業育成を行うために1959年頃から調査して導入を決定、取り敢えず1961年度計画艦に搭載するため2基を輸入し、ライセンス生産の交渉に入った。三菱重工と日本製鋼所による商戦の結果、三菱重工がライセンス生産することになり、1962年度艦以降に装備された。旋回架台上の砲架に発射筒4本を扇形に装着しており、発射筒後端上部には信管調定・発射用の接続ボックスがある。旋回俯仰機構は発射筒の下に収めた。目標諸元はソナーから水中攻撃指揮装置経由で自動的に入力され、専用管制室の遠隔操作により旋回俯仰を実施、目標に向け対潜ロケット弾を単発または1秒おきに連射する。発射時には盛大なブラストが出るので、発射筒の後ろにはブラスト・デフレクターが用意されている。射程の調節はランチャーの仰角調整で行う。発射後は固体燃料ロケットで無誘導飛翔し、海中に落下、近接信管または着発信管で炸裂する。発射筒全長3.6m、発射筒口径375mm、発射機全備重量7.3トン。俯仰角マイナス15度からプラス90度、俯仰速度毎秒18度、旋回角130度、旋回速度毎秒18度。使用弾は輸入版が37.5cm対潜ロケット弾2型(タイプ375エリカ)、ライセンス生産版が37.5cm対潜ロケット弾3型(タイプ375フローラ)で、全長2m/2.05m(近接信管付)、直径375mm、重量250kg(対潜ロケット弾2型)/230kg(対潜ロケット弾3型)、弾頭重量107kg。最小射程600m(対潜ロケット弾2型)/550m(対潜ロケット弾3型)、最大射程1600m(対潜ロケット弾2型)/2200m(対潜ロケット弾3型)。再装填は弾庫から対潜ロケット弾を揚弾筒で引き揚げ、発射筒を仰角90度にし、発射筒後方から装填する。遠隔操作の機力装填だが、揚弾筒と装填口は1個しか無いので、旋回しながら1発ずつ装填していく必要があり、4発の装填に3分ほどかかる。対潜ロケット弾には改良型の対潜ロケット弾3型改1、装填訓練用で重量のみを同じにした教練弾3型、対潜攻撃訓練用の演習弾3型(回収して反復使用できる)、砂填弾3型(訓練用)もある。DE-213きたかみとDE-214おおいに輸入版、以降はライセンス生産型が搭載された。射程が2km程度と短いこと、有効深度が浅いことから、信頼性の高い対潜誘導魚雷の登場で装備されなくなった。参考:丸スペシャルNo.76、月刊世界の艦船1,’95、1,’79増刊、1,’02、3,’10、10,’13、艦船メカニズム図鑑、自衛隊装備年鑑1996、海上自衛隊全艦艇史、月刊丸3,’90
<72>:イギリス海軍レパルス級戦艦レナウン(Renown)、通称Refit(改装が長期だったので)。1915年1月25日起工、1916年3月4日進水、9月20日竣工・就役、第1巡洋戦艦戦隊に配属された。第1次大戦中は戦闘には参加していない。1919年、イギリス皇太子巡航艦としてカナダとアメリカを親善訪問した。1920年初め、ロイヤル・ヨットとしての改装を行い、3連装副砲1基を撤去し、スカッシュ・コート、映画館、プロムナード・デッキ、パーティ用デッキハウスといった王族居住・外交用各種設備を設けた。1922年1月、日本に来航。これにちなんでアパレル企業レナウンが設立されている。1923年7月から1926年9月、第1次改装を実施。装甲やバルジを強化した。1936年9月から1939年8月に第2次改装(大規模近代化改装)を受けた。1940年4月5日、ウィルフレッド作戦のためスカパフローを出撃。4月9日、ヴェーゼル演習作戦支援中のグナイゼナウと遭遇戦になり、主砲弾を命中させたが、自らも被弾した。11月27日、スパルティヴェント岬沖海戦に参加。1941年2月9日、グロッグ作戦に参加。5月、ライン・ユーブング作戦行動中のビスマルクの追撃戦に参加。1944年、インド洋方面に展開。1945年、港務支援艦に艦種変更された。1948年3月19日に除籍され、売却されてファスレーンで解体された。参考:月刊世界の艦船11,'21、9,’96、1,’12、7,'15、4,’17、10,’17、第2次大戦のイギリス軍艦、近代戦艦史、月刊丸8,’87
<72>:シンガポール海軍フォーミダブル級フリゲート5番艦ストルワート(Stalwart)。2009年1月16日就役。2009年6月8-19日、カラット2009に参加。2010年4月13-16日、海自横須賀基地に寄港。4月16日、伊豆大島東方でDD-110たかなみと親善訓練を行った。2011年5月18-20日、シンガポールのチャンギ海軍基地でIMDEXに参加。2015年3月18日、LIMA2015国際海上レビューに参加。2019年4月23日、中国海軍創設70周年記念国際観艦式に参加。2020年6月22日、南シナ海で海自遠洋練習航海部隊TV-3508かしま及びTV-3513しまゆきと親善訓練(戦術運動)を実施。2024年6月27日から8月1日、リムパック2024に参加。8月、海自横須賀基地に寄港。8月23日、関東南方で日シンガポール親善訓練に参加。DD-153ゆうぎりと戦術運動訓練及びPHOTOEXを行った。参考:月刊世界の艦船4,’09、9,’09、8,’11、7,’15、7,’19、9,'20、11,’24、月刊軍事研究9,’09、7,’10
<72式1型魚雷>:海上自衛隊の長魚雷。1954年度から防衛庁と三菱重工が九三式魚雷をベースに開発したG-5装置と呼ばれる対潜魚雷が大元で、1964年に一旦技術試験を終了し、1965年度からG-5B装置と呼ばれる改良型の研究試作を開始、推進用熱機関の酸化剤として最初は硝酸を検討したが、腐食と雷跡の問題から実用化されず、新たに情報の入った過酸化水素を酸化剤として1972年に制式化され、魚雷艇11号型やうずしお型潜水艦などに搭載された。重量軽減のため非誘導とした無航跡魚雷で、水上艦やシュノーケル航走中の潜水艦を攻撃できる。全長約6m、直径533mm。主機はアルコールと過酸化水素を使用したレシプロエンジンで、雷速50ノット以上とされる。参考:丸スペシャルNo.76、月刊世界の艦船3,’10、自衛隊装備カタログ1981
<72式演習対戦車地雷>:陸上自衛隊の訓練用対戦車地雷。直径250mm、厚さ50mm。参考:スピアヘッドNo.7、自衛隊装備カタログ1981
<72式演習対戦車地雷(A)>:自衛隊の火工品。石川製作所製。参考:月刊軍事研究4,’18
<72式射撃指揮装置1型シリーズ>:海上自衛隊の艦砲用国産有人射撃指揮装置GFCS-1。1972年に制式化された。68式の改良型で、何故か技術進歩に逆行して有人化されており、用兵側からの強い要望があったようで、信頼性に欠けたとも、無人化になじめなかっただけともいわれる。Xバンド射撃レーダーと光学方位盤は一体とされ、メッシュのパラボラ式アンテナが方位盤前面に、光学照準装置が右側に付いており、方位盤の下にマウントの安定化装置があって、更に下がレーダー送受信機室になっている。射撃レーダーの俯仰角はマイナス8度からプラス88度。光学射手席には照準望遠鏡と光学射手パネルが配置されている。自動追尾能力を持つ方位盤により目標の方位・距離を連続測定し、サーボ式アナログ計算機が目標の未来位置や速度を計算、気象条件などで補正して正確な発砲諸元を計算する。方位盤操作員は2名だが、風防や屋根は付いていないので、悪天候やNBC状況下での使用に問題があった。参考:丸スペシャルNo.75、艦船メカニズム図鑑、月刊世界の艦船1,’95、艦載兵器ハンドブック改訂第2版、自衛隊装備年鑑1996
<72式射撃指揮装置1型A>:127mm砲用。DD-167ながつきに初搭載され、DD-166もちづき、はるな型、しらね型、たちかぜ型などに搭載された。参考:丸スペシャルNo.75、艦船メカニズム図鑑、月刊世界の艦船1,’95、3,’10
<72式射撃指揮装置1型B>:76mm砲用。ちくご型、くも型(みねぐも型2番艦DD-117なつぐも以降。DD-117なつぐもが初装備)、そうや型、みうら型に搭載された。参考:丸スペシャルNo.75、艦船メカニズム図鑑、月刊世界の艦船1,’95、3,’10
<72式対戦車地雷>:自衛隊の対戦車地雷で、無包装対戦車地雷を改良して1972年に制式化された。本体はTNTをガラス繊維で円筒形に成型したもので、上面中心部に主信管孔、底面に補助信管孔があり、副伝爆薬が装着されていて、信管を差し込む。信管は受圧体、受圧部(プランジャー)、撃針棹キャップ、撃針棹、撃針、起爆筒、伝爆薬、安全支脚で構成されており、受圧体に130-190kgの重量が加わると受圧部が撃針棹キャップを押し、皿バネが反転して撃針が起爆筒を作動させ、伝爆薬が発火する。これが副伝爆薬を発火させ、本体のTNTが炸裂する。総重量9kg、炸薬重量8kg。参考:スピアヘッドNo.6
<72式対迫レーダー装置>:JAN/MPQ-N1を参照。
<73>:イギリス海軍ロンドン級重巡洋艦シュロップシャー(Shropshire)。1929年9月24日竣工。1943年4月20日、ケント級重巡洋艦キャンベラの喪失を補うためオーストラリア艦籍に編入され、6月25日に改装を完了してオーストラリア海軍に引き渡された。1944年10月24日、比島沖海戦に参加。1949年11月10日に退役し、1954年7月にスクラップとして売却され、1955年に解体された。参考:月刊世界の艦船11,’13、第2次大戦のイギリス軍艦、近代巡洋艦史、比島決戦
<73>:シンガポール海軍フォーミダブル級フリゲート6番艦シュープリーム(Supreme)。2009年1月16日就役。2010年6月23日、リムパック2010に参加するため真珠湾に入港。2011年12月6-10日、LIMA2011に参加。2015年6-8月、カラット2015に参加。2020年8月17-31日、リムパック2020に参加。参考:月刊世界の艦船4,’09、9,’10、4,’12、11,’15、11,’20
<73D6衛星>:ソ連の弾道ミサイル早期警戒衛星で、US-Kともいう。軌道は傾斜角62.8度、近地点600km、遠地点40000kmのモルニヤ軌道で、周期702分。赤外線望遠鏡を搭載しており、弾道ミサイルの発射炎を探知してセルプホフスカヤの地上指揮所にリアルタイムでデータを送る。地上指揮所はA-135システムにデータを流す。アメリカ本土のICBMサイロ監視が専門で、周期の関係から最低4基を必要とする。1975年から打ち上げられており、2002年に2基、2006年に1基(コスモス2422)、2007年に1基、2008年に1基、2010年に1基(最終号機。コスモス2469)が打ち上げられた。その後は統一宇宙システム(EKS)衛星に切り換えられる予定。参考:月刊軍事研究7,’12、5,’13
<73イースティングの戦い>:湾岸戦争地上戦3日目の1991年2月26日、アメリカ陸軍第7軍団第1機甲師団、第2機甲騎兵連隊、第3機甲師団第2旅団と、東経線(イースティング)73付近に主陣地を構えていたイラク共和国親衛隊タワカルナ機械化師団戦車大隊の間で行われた戦闘。ちなみに東経線は東西の位置を示すため作戦地図上に1km間隔で引かれたグリッド線であり、東経73度ということではない。参考:月刊軍事研究4,’09
<73イースティングの戦い(第1機甲師団)>:タワカルナ機械化師団主陣地に対する戦闘だったため、タワカルナの戦いとも呼ばれる。1991年2月26日1430、第1機甲師団は東を向き、イラク・クウェート国境付近のタワカルナ機械化師団防衛陣地に向かった。1630、ブサイヤを制圧した1個歩兵支隊が合流。1800、統制線タンジェリン(60イースティング)を越えた。部隊は左翼(北)に第2旅団、中央に第1旅団、右翼(南)に第3旅団が並んでおり、1940にM109自走砲が13kmほど前方にある敵陣地(ヘリの空中偵察で、第3旅団正面に1個戦車大隊規模を発見していた)に対して攻撃準備射撃を開始。2000、68イースティングで第1機甲師団第2旅団は戦闘隊形を整え、第37機甲支隊第1大隊(1/37機甲支隊)隷下3個中隊のM-1A1戦車を一列横隊に並べて後方に第6歩兵支隊第7大隊(7/6歩兵支隊)のM-2歩兵戦闘車を置いた。その正面、70-73イースティングにはタワカルナ機械化師団混成装甲大隊が砂丘を盾にして二重の反斜面陣地を構築しており、1列目26カ所の掩体にT-72戦車14両、T-62戦車1両、BMP-1歩兵戦闘車3両、ZSU-57-2自走対空機関砲2両、2列目28カ所の掩体にT-72戦車7両、BMP-1歩兵戦闘車11両、MT-LB装甲車1両が配置されていた。2000、第1機甲師団直協砲兵が攻撃準備射撃を開始。1/37機甲支隊も遠距離砲撃を開始し、2015にはイラク軍車両11両を破壊した。2030、1/37機甲支隊隷下のB・C・D中隊が68-70イースティング付近の砂丘を乗り越えて横一列で前進を開始。速度5-10kmで隊形を維持しつつ、優れた夜間暗視能力を活かしてイラク軍車両及び歩兵に攻撃を加えた。中には熱源探知を逃れるためにエンジンを切っていた車両もあったが、ハッチから周囲を視察している車長の頭を熱源探知してその下を徹甲弾で撃ち抜いた。2105、1/37機甲支隊は70-71イースティングにかけて布陣していた十数両のT-72とBMP-1を破壊して1列目のタワカルナ機械化師団反斜面陣地を突破。隊形がやや乱れたため、71-72イースティング間で再度3個中隊を横一列(D中隊が左翼、B中隊が中央、C中隊が右翼)に並べ直し、前方の砂丘を乗り越えたところ、前方1000m以内にタワカルナ機械化師団第2列反斜面陣地を発見した。2115、B中隊を皮切りに戦闘を開始。前方のイラク軍車両は次々に被弾して炎上したため、アメリカ軍車両の熱線暗視装置がホワイトアウトしてしまった。2124、AH-64ヘリが付近に到着したが、これは道に迷った第3機甲師団所属機だった。この頃、D中隊第2小隊の小隊長車とその僚車がエンジンエアフィルターの目詰まりで一時的に行動不能となった。また、B中隊とC中隊でも1両ずつが機関故障で身動きできなくなった。D中隊第2小隊は残る2両で前進を継続したが、熱線暗視装置がホワイトアウトして周囲が見えなくなっていた。そこに前方に降伏しようとしているイラク兵が居るとの通報が入ったので確認したところ、うち1両が数百メートル先で炎上するBMP-1周囲で白旗を振っているイラク兵を発見した。ただ武器を持ったままで人数も多かったため、一旦停車して対処法を無線で相談することにした。2126、エンジンを切って左後方1000mに潜んでいたT-72がBMP-1の火炎に照らし出されたM-1A1に対して発砲。砲塔リング左側面を徹甲弾が貫通し、車内を破壊、装填手と砲手が負傷し、砲塔後部の防弾ドアが開いたままになってしまった。火災も発生したが、自動消火装置がすぐに消し止めた。乗員は脱出に成功し、エアフィルター目詰まりから復帰した僚車に救出された。M-1A1を攻撃したT-72もその僚車が破壊している。2127、B中隊の戦車1両が車体後部エンジングリルに第3機甲師団所属AH-64ヘリのヘルファイアによる誤射を受け、乗員の体が宙に浮くほどの衝撃が走り、機関部が全損、行動不能になった。乗員は地雷を踏んだと判断し、車体後部のバッテリーから電力を供給して左前方を暗視装置で警戒していたところ、砲塔後面左にT-72の徹甲弾が命中し、弾薬庫が誘爆した。ブロウオフパネルが乗員を爆風から守ったものの、戦車は炎上して戦闘不能となった。乗員は1名が負傷したのみで、後にD中隊の戦車に救助された。2130、C中隊第1小隊のM-1A1戦車1両が友軍の誤射を受け、M829徹甲弾が車体後面左に命中、機関部が全損して行動不能になった。更に砲塔後面ラックにBMP-1の9M14サガーが命中したが、砲塔後面装甲は貫通されなかった。この破壊された戦車の乗員を救出しようと現場に到着したC中隊長車がT-72のHEAT弾を車体左と砲塔左に1発ずつ被弾、エンジンが停止して動けなくなった。2両計8名の乗員のうち3名が負傷し、別の友軍戦車に救出されて後方に下がった。2150、1/37機甲支隊はタワカルナ機械化師団陣地を突破。2300、歩兵が陣地掃討を終了し、2月27日0050には東への進撃を再開した。被弾した4両のM-1A1のうち、撃破されたのは1両のみで、3両は直ちに回収されて修理に回され、うち2両は現場の修理で自走できるようになった。戦車乗員の負傷者は6名で、死者は出ず、うち4名は翌日に戦闘に復帰した。参考:月刊軍事研究4,’09、5,’09
<73イースティングの戦い(第2機甲騎兵連隊)>:第2機甲騎兵連隊は第1大隊を右翼、第2大隊を左翼、第3大隊を中央に並べ、イラク領内をクウェート国境に向かって東に進撃していた。1991年2月26日昼過ぎに第1大隊がイラク第12戦車師団第50戦車旅団と戦闘になり、T-55戦車23両、装甲車23両、野砲6門、トラック10両を破壊している。2月26日1525、第2機甲騎兵連隊の左翼を行く第2機甲騎兵大隊は、左翼前方にゴースト中隊、その1000m後方右翼にイーグル中隊、更に後ろにフォックス中隊とホーク中隊を置いて進撃しており、イーグル中隊(M-1A1HA戦車9両、M-3A2騎兵戦闘車12両、M-106A2自走迫撃砲2両を装備)が65イースティングを越えた。1600、67イースティングを越えたところで前衛のM-3A2が3500m先に掩体10個を発見。また、イーグル中隊本隊の右翼を進んでいたM-3A2が東方向距離1200mから射撃を受けた。イーグル中隊を攻撃したのはイラク軍装甲部隊野外訓練センター司令部施設に潜んでいたZU-23機関砲・機関銃陣地だったが、即座にイーグル中隊のM-1A1HA戦車隊が発砲したM830HEAT9発とM-3A2が発射したTOWミサイル2発、25mm機関砲弾の射撃を受けて制圧された。イーグル中隊は敵が近いと見て70イースティングまで前進することにし、M-1A1HA戦車隊に楔隊形を取らせ、前衛のM-3A2には戦車の後ろに下がるよう伝えた。M-3A2が戦車隊楔隊形の真横まで下がった時、掩体内にイラク軍戦闘車両を発見。直ちにTOWミサイルで撃破した(M-3A2乗員は戦車と判断したが、実際にはBMP-1だった模様)。イーグル中隊のM-1A1HA戦車9両は中隊長車を先頭に突撃を開始、1618にT-72戦車8両が正面の反斜面陣地掩体内に並んでいるのを発見した。イーグル中隊は速やかに隊形を一列横隊に組み替えると共に、中隊長車は1420m先のT-72にM830を叩き込み、発見から7秒で1両目のT-72を破壊した。T-72は南西側に砲身を向けていたが、イーグル中隊が真西から突っ込んできたため迅速な対応が取れず、中隊長車は前進を継続したまま600m先のT-72をM829徹甲弾で吹き飛ばし、もう1両のT-72を射距離400mで破壊。残る5両のT-72は他の中隊車により10秒前後で破壊され、付近にいたBMP-1数両も4分以内に全滅した。イーグル中隊はそのまま前進して前方の歩兵陣地に突入し、肉薄攻撃を仕掛けるイラク軍歩兵をM-1A1HAやM-3A2の同軸機銃でなぎ倒し、70イースティングを越えた。この時、イーグル中隊の右手(南東側)にT-72及びBMP-1が現れたが、全力射撃を浴びせて瞬時に制圧した。73イースティングを越えた時、イーグル中隊は左翼前方800mに輪形陣を取っているT-72戦車18両を発見。これはタワカルナ機械科師団第18機械化旅団の戦車隊で、戦闘音を聞いてエンジンを始動したばかりであり、奇襲を受けて壊滅した。イーグル中隊は1640、73イースティングから3.8km西の地点で前進を停止。イラク軍が地雷を敷設していなかったこともあり、損害ゼロでT-72戦車28両、BMP-1歩兵戦闘車16両、トラック39両(36両?)を破壊した。夜間にはT-72戦車17両、BMP-1歩兵戦闘車12両からなる反撃部隊を壊滅させ、東の反斜面陣地にいた敵部隊に対して砲兵射撃を要請し、戦車3両、BMP-1歩兵戦闘車4両、9K31自走対空ミサイル2両、トラック35両、タンクローリー5両、弾薬トラック27両をDPICM228発、榴弾92発、ロケット弾12発により破壊してもらった。左翼のゴースト中隊(M-1A1戦車9両、M-3A1騎兵戦闘車12両、M106A2自走迫撃砲2両)は1615、73イースティング付近のワジ沿いにイラク軍陣地を発見。これは第18機械化旅団の防御陣地で、戦車13両と装甲車13両が掩体に隠れていたが、1700頃までに駆逐した。直後よりイラク軍歩兵による襲撃とイラク軍砲兵による射撃が開始され、ゴースト中隊はM-3A1小隊2個を前に出し、後方からM-1A1小隊2個で支援射撃を行って対抗した。1740過ぎ、イラク軍砲兵の曳火射撃と共に増援のT-55戦車及びMT-LB装甲車が出現。T-55戦車は砂丘から頭を出していたM-3A1に砲撃を浴びせ、1発がTOW発射機に命中、1名が死亡し2名が負傷した。ゴースト中隊は直ちに反撃して増援を殲滅。1800、別のイラク軍増援が北東方向から来襲するという情報が入ったため、ゴースト中隊隷下のM106A2自走迫撃砲と、M109自走榴弾砲8両からなる第1機甲騎兵大隊第2榴弾砲中隊が突撃破砕射撃を実施。1830頃に出現した増援のT-72とBMP-1及び随伴歩兵は、DPICMの子爆弾により身動きがとれなくなり、ゴースト中隊のM-1A1及びM-3A1の射撃を受けて壊滅した。この戦闘でゴースト中隊は弾薬が尽きかけたため、ホーク中隊と交替して後方に下がった。中央を行く第2機甲騎兵連隊第3大隊は隷下の3個中隊を横に並べ、その後ろに1個中隊を置いて前進。1645、左翼のアイアン中隊が67イースティングを過ぎたあたりで左方向から射撃を受けた。これは第2大隊イーグル中隊も射撃を受けたイラク軍装甲部隊野外訓練センター司令部施設で、アイアン中隊はHEATと機関銃を撃ち込んで制圧した。その後、イラク軍主陣地に遭遇し、掩体に隠れたT-72戦車を始めとする敵車両を発見したため、M-1A1戦車隊を前に出して制圧した。するとT-72戦車7両とBMP-1歩兵戦闘車4両が前方の陣地から抜け出してアイアン中隊の方に向かってきたため、中隊は距離2500mで捕捉し、第1小隊のM-1A1戦車で正面から射撃すると共に、第4小隊を右に回り込ませて包囲殲滅した。アイアン中隊はT-72戦車24両、T-55戦車4両、BMP-1歩兵戦闘車4両、MT-LB装甲車4両、ZSU-23-4自走高射機関砲1両を破壊した。この間、キラー中隊の戦車がアイアン中隊のM-3A1に徹甲弾を誤射して乗員5名が負傷する同士討ちが起こっている。参考:月刊軍事研究2,’09、3,’09、8,’01、月刊PANZER6,’99、1,’01、月刊丸3,’01、月刊グランドパワー8,’03
<73イースティングの戦い(第3機甲師団第2旅団)>:1991年3月26日午後、第3機甲師団左翼を進撃していた第2旅団がタワカルナ機械化師団主陣地に突入。1632、斥候班のM3騎兵戦闘車が68イースティング付近で前方3kmに熱源を探知。1634、距離2000mに接近したところでBRDM-2とMT-LB(後にZSU-23-4と判明)を判別し、戦術作戦センターに通報した。これを破壊するためグリズリーベア騎兵支隊C戦車中隊第1小隊が前進し、1653に攻撃、HEAT-MPで2両とも破壊した。斥候班は後退してスカウト小隊に復帰した。1700、破壊された装甲車周辺にイラク兵100名以上が出現。1721、距離1300mでBMP歩兵戦闘車を探知したため、第1小隊が撃破したところ、60-80名のイラク兵が投降してきた。捕虜収容のため工兵小隊のM60AVLM1両とM113工兵装甲車4両が派遣されたが、第1小隊がC戦車中隊に復帰しようと後退したため、取り残されてしまった。1727、イラク軍砲兵が工兵小隊と第1小隊めがけて砲撃を開始。更に増援のイラク兵が到着し、RPG-7による射撃を受けたため、工兵小隊は捕虜の収容を中止して退却した。1740、距離1300mでBMP歩兵戦闘車を発見したため、M-1A1戦車が破壊した。別のM-1A1戦車のM2重機関銃にRPG-7が当たり、弾かれた弾頭が左雑具箱で炸裂して車長が負傷した。1755、第1小隊とスカウト小隊は800m後退し、残りのC戦車中隊が前進。スカウト小隊が下がったところで反撃を開始し、射距離600mでBMP歩兵戦闘車3両を撃破した。それでもイラク軍砲兵の突撃破砕射撃と歩兵の攻撃が続いたことから、C戦車中隊は後退し、態勢を整えることにした。1800過ぎからグリズリーベア騎兵支隊のC砲兵中隊がイラク軍砲兵に対して制圧射撃を開始。AN/TPQ-36/-37対砲レーダーにより捕捉したGCT自走砲6両をMLRSで粉砕、C戦車中隊のM981FIST-Vによる指示でM109がDPICM46発を監視哨に叩き込んだ。近接航空支援も要請したが、別の部隊を支援していたため、実施されなかった。1900、C戦車中隊はガス欠のため後退を開始。事故、燃料切れ、故障で1両ずつのM-1A1戦車が行動不能になったため、M88戦車回収車が回収にあたった。捕虜を尋問した結果、所属部隊は第29歩兵師団で、正面陣地の背後にタワカルナ戦車大隊36両がアンブッシュを仕掛けていることが判明した。旅団は敵部隊が強力であり、夜間に入るとして攻撃には消極的だったが、師団長はアンブッシュ部隊を航空部隊で破砕して夜間攻撃をかけるよう命令。2048、第4戦闘航空旅団のAH-64A18機が来襲し、タワカルナ戦車大隊アンブッシュ陣地を攻撃、空軍のA-10Aも加わり、T-72戦車2両、BMP歩兵戦闘車14両、野砲11門を破壊した。2200、5個砲兵大隊による攻撃準備射撃に続き、第2旅団は前進を開始。BRDM偵察車、バンカー、肉薄攻撃をかける歩兵をなぎ倒しつつ第29歩兵師団陣地に浸透した。2247、E-8J-STARSが第3機甲師団正面に敵機甲部隊が縦列をなして移動中であるのを探知したと、第7軍団司令部から警報が入った。これを受けて第4戦闘航空旅団のAH-64Aが出撃、2300頃からヘルファイアと機関砲でめった打ちにし、T-72戦車8両とBMP歩兵戦闘車19両を撃破した。2354、アメリカ砲兵隊のDPICMがM981に命中、1名が戦死した。2月27日0200、イラク第29歩兵師団の抵抗が弱り始めた。0300、第2旅団は攻撃を終了して補給を開始。第2旅団は戦車37両、装甲車40両以上、トラック22両を撃破し、第3旅団と交替して後方に下がった。参考:月刊軍事研究4,’09
<73式100mm対戦車砲>:中国陸軍対戦車砲。口径100mm。参考:THE MILITARY BALANCE 2016
<73式107mm迫撃砲用噴進弾>:陸上自衛隊の107mm迫撃砲用RAP。ノズルは3孔あり、弾体にスピンを与えて飛翔精度の向上も目指している。全長644mm、重量14.2kg、弾頭重量9.3kg。最小射程3000m、最大射程6000m。参考:月刊グランドパワー8,’10、火器弾薬技術ハンドブック
<73式127mm54口径単装速射砲>:Mk42海外シリーズを参照。
<73式大型トラック・シリーズ>:自衛隊の6輪トラック。2トン半トラックと4トントラックの後継として開発され、1973年に仮制式化された。細かい改修が行われており、初期型、改良型、新型(3・1/2トントラック)と大まかに3種類に分類される。参考:自衛隊装備年鑑1996、自衛隊装備カタログ1981、月刊軍事研究3,’10、スピアヘッドNo.6
<73式大型トラック(初期型)>:SKW-440/-441。車体はキャブオーバー型を採用した。キャビン前面(ラジエーター前方)に横長のスリットが3本入っており、ワイパーは上付き(運転席補助ワイパーは下付き)、前部ディファレンシャルは円形、ハンドルは3本スポークで、マッドテレーン型のバイアスタイヤ(9.00-20)を履いている。6×6輪または6×4輪(後2軸)の切り替え式だが、下車しないと切り替えられない。全長6.67m、全幅2.41m、全高3.02m。エンジンはいすゞ製8PA1直噴式V型8気筒ディーゼル(総排気量9971cc、175馬力)、トランスミッションは常時咬合式マニュアル(前進5速、後進1速)だが、シンクロ化されているのは3-5速だけなので、1-2速はダブルクラッチが必要である。自衛用としてルーフに62式7.62mm機銃を装備できる。積載量3.5トン(標準)/7トン(最大)。後部荷台に24名を載せられる。1983年、いすゞ製P系エンジンの改良に伴い、8PC1直噴式V型8気筒ディーゼル(総排気量12011cc、210馬力)に換装された。参考:スピアヘッドNo.15、陸上自衛隊地上戦力の全容
<73式大型トラック(改良型)>:1987年から配備されたタイプ、SKW-462/-463/-464。キャビン前面のスリットが廃止され、キャビンのシート後方が拡大されてスペアタイヤがキャビン後方から燃料タンク後方に移され、ワイパーが下付き(運転席補助ワイパーが上付き)に変えられた。トランスミッションはフルシンクロで、ダブルクラッチ不要。6×6輪と6×4輪の切り替えも車内のボタン操作で行えるようになった。ハンドルは2本スポークで、前部ディファレンシャルは横長になり、タイヤはブロック・パターンのラジアルタイヤ(11.00-20)に変更されている。エンジンはいすゞ製8PC1直噴式V型8気筒ディーゼル(総排気量12011cc、210馬力)、トランスミッションはMLH5(前進5速、後進1速)。1989年からエンジンを排ガス規制適合の8PD1直噴式V型8気筒ディーゼル(240馬力)に換装した。更にエンジンを8PE1に変更し、ABSを搭載、ドライブ・バイ・ワイヤ型スロットルを装備したのがSKW-464である。参考:スピアヘッドNo.15
<73式大型トラック(新型)>:3・1/2トントラックを参照。
<73式大型トラック(長)>:ホイールベースを1mほど延ばしたタイプ。全長7.77m、全幅2.41m、全高3.02m、車両重量6.93トン。エンジン出力175馬力、最大速度95km。積載量5トン。参考:自衛隊装備カタログ1981、スピアヘッドNo.15
<73式大型トラック・ファミリー>
<73式大型トラック(作業装置付き)>:荷台前部を短縮し、キャビンとの間にクレーンを装着したタイプ。全長7.19m、全幅2.41m、全高3.35m、車両重量7.5トン。エンジン出力175馬力、最大速度90km。積載量5トン。参考:自衛隊装備カタログ1981
<73式大型トラック(対空戦闘指揮装置用)>:対空戦闘指揮装置を載せるため荷台を低くしたもの。全長7.26m、全幅2.41m、全高2.71m、車両重量6.62トン。エンジン出力175馬力、最大速度90km。積載量6トン。参考:自衛隊装備カタログ1981
<73式魚雷シリーズ>:海上自衛隊の短魚雷。Mk44Mod1-Nの後継としてMk46を導入しようとしたが、当初は難渋していたため、国産開発したものである。2011年に退役した。参考:月刊世界の艦船7,’14、7,'21
<73式魚雷>:三次元ホーミング魚雷として1960年度からG-9装置の名称で開発され、1964年からライセンス生産したMk44Mod1-Nの技術を組み合わせた改良型のG-9B装置に進み、1973年に制式化された。ダッシュやアスロックで遠距離に高速で投射できるので、試製54式/72式魚雷のような長魚雷にして航走距離を延伸する必要は無く、初の国産短魚雷となった。水上艦・潜水艦・航空機(ダッシュ含む)から発射可能で、アスロックの弾頭にも出来る。全長2.5m、直径324mm、重量230kg、炸薬重量88ポンド(39.9kg。HBX)。海水電池による二重反転モーター推進、プロペラは二重反転式、雷速40ノット、航走距離6kmといわれる。誘導はアクティブ音響式。生産は三菱重工。参考:月刊世界の艦船7,’14、1,'15増刊、丸スペシャルNo.76、艦載兵器ハンドブック改訂第2版
<73式(改)魚雷>:ソ連の新型高速原潜を攻撃するには能力不足と見られ(1980年頃にアメリカ海軍からも指摘されたらしい)、1978年度から三菱重工で開発された改良型。Mk46Mod2並の性能を目指し、誘導能力向上、航走深度増大、電池の高性能化による航走性能上昇、対魚雷対抗装置への対応能力強化などを図り、1981年度から試験に入った。ただ能力があまり改善しなかったのと、同年にアメリカ海軍からMk46Mod5ライセンス生産の話が入ったため、量産されなかった。参考:丸スペシャルNo.76、月刊世界の艦船7,’14、11,’11
<73式魚雷(B)>:73式魚雷に誘導装置改良キットを適応したもので、1984年度から改修された。参考:月刊世界の艦船7,’14
<73式魚雷用電池1型>:自衛隊の機器。ジーエス・ユアサテクノロジー製。参考:月刊軍事研究10,’12
<73式牽引車>:陸上自衛隊の牽引車。日立製作所で1969年から開発され、1973年に制式化され、1979年までに73両が生産された。アメリカ軍から供与されたM4/M5/M8牽引車の後継で、主任務はM2ロングトムなどの牽引である。下部転輪はダブルタイプ片側5組、起動輪は前方、接地式誘導輪(下部転輪と同じもの)は後方にあり、上部転輪は無い。車体上に箱形のキャビンを乗せており、前部は防弾ガラス張りの乗員室、中央部は機関室、後部は別構造の弾薬庫(20発の榴弾・装薬入り)で、後面の手動クレーンにより1発ずつ弾薬を出し入れする。全長6.13m、全幅2.99m、全高2.73m、全備重量19.8トン。エンジンは6ZF21WT空冷V型6気筒2ストロークディーゼル(450馬力)、トランスミッションは日立製作所製トルクコンバーター付きオートマチック(前進4段、後進1段)、最大速度45km(203mm榴弾砲M2牽引・全備状態時)、航続距離300km。牽引能力16トン、ウインチ能力16トン。乗員室上部中央に防楯付きM2重機関銃を搭載する。ドーザーの装備も可能。乗員12名。1984年度からM110A2が配備されたのに伴い、これの砲側弾薬車として使えるような改造が施された。1996年までに全て退役した。車体は87式砲側弾薬車、92式地雷原処理車、96式自走120mm迫撃砲、99式弾薬給弾車、施設作業車のベースとなった。参考:月刊PANZER6,’04、陸上自衛隊地上戦力の全容、スピアヘッドNo.8、自衛隊装備年鑑1996、自衛隊装備カタログ1981
<73式小型トラック・シリーズ>:陸上自衛隊の4×4輪小型輸送車。1/4トントラックの後継として三菱自動車工業が開発し、1973年に制式化された。参考:月刊PANZER8,’04、 2,’99、月刊JWings11,’00、月刊軍事研究3,’97
<J24A>:1973年から納入されたタイプ。車体は1/4トントラックより一回り大きくなり、フロントフェンダーが車輪前方まで覆う形状に改良され、後部座席が向かい合わせの4名乗り(乗員計6名)になった。ウインドシールドは前に倒すことが可能。また、トランスミッションが前進4速のKM140Dになっている。全長3.75m、全幅1.65m、全高1.95m、重量1435kg。エンジンは4DR50ディーゼル(80馬力)、路上最大速度100km。積載量340kg。1980年からは4DR51エンジン(80馬力)に変更された。参考:月刊PANZER8,’04、2,’99、陸上自衛隊地上戦力の全容、月刊JWings11,’00
<J23A>:1987年度以降の生産型で、エンジンが4DR60T直噴式ターボディーゼル(94馬力)に改良され、ワイパーがフロントウィンドウ下方に付けられた。全長3.75m、全幅1.655m、全高1.95m、重量1450kg。最大速度110km。積載量340kgまたは6名。1988年には排ガス規制に合わせて4DR61Tエンジンに変更された。参考:月刊PANZER 2,’99、月刊JWings11,’00
<J25A>:1994年度以降の生産型で、排ガス規制に合わせて直噴を廃止した4DR52T1インタークーラー付きターボディーゼル(総排気量2659cc、100馬力)に変更している。調達価格が380万円もしたので、3年で新73式小型トラックに取って代わられた。参考:月刊PANZER8,’04、2,’99、月刊JWings11,’00
<73式小型トラック・ファミリー>
<J24GE>:J24Aの79式重MAT発射システム搭載型。全長3.7m、全幅1.6m、全高1.9m、車両重量1500kg。エンジンはディーゼル(80馬力)、最大速度100km。積載量255kg。乗員3名。参考:月刊PANZER8,’04、2,’99、MAMOR vol.140
<J24GN>:J24Aの79式重MAT予備弾搭載型。参考:月刊PANZER8,’04、 2,’99
<J24K>:J24Aの87式中MAT搭載型。参考:月刊PANZER 2,’99
<J24M>:J24Aの106mm無反動砲搭載型。移動中は砲身をウインドシールド上部に乗せる形で固定するので、ウインドシールドの形状はJ24Aと同じである。射撃時はウインドシールドを前に倒す。参考:月刊PANZER 2,’99、月刊軍事研究3,’17
<J24P>:J24Aの64式対戦車誘導弾搭載型。車体後部両側に箱形ランチャーを1基ずつ搭載しており、格納位置から180度回転して両側に開く。参考:月刊PANZER11,’99、2,’99
<J24SC>:J24AのSSM-1用中継装置搭載型。参考:月刊PANZER
2,’99
<J24SH>:J24AのSSM-1用標定装置搭載型。参考:月刊PANZER
2,’99
<J24SR>:J24AのSSM-1用レーダー装置搭載車。参考:月刊PANZER 2,’99
<J24W>:J24Aの電気溶接作業車型。参考:月刊PANZER 2,’99
<J23A2>:J23Aの無線搬送装置搭載型。参考:月刊PANZER
2,’99
<J23A3>:J23Aの野戦特科情報装置搭載型。参考:月刊PANZER 2,’99
<J23D>:J23Aの通信妨害装置搭載型。参考:月刊PANZER
2,’99
<J23GE>:J23Aの79式重MAT発射システム搭載型。参考:月刊PANZER8,’04
<J23GN>:J23Aの79式重MAT予備弾搭載型。参考:月刊PANZER8,’04
<J23K>:J23Aの87式中MAT搭載型。参考:月刊PANZER8,’04
<J23P>:J23Aの64式対戦車誘導弾搭載型。車体後部両側に箱形ランチャーを1基ずつ搭載しており、格納位置から180度回転して両側に開く。参考:月刊PANZER8,’04
<J23SC>:J23AのSSM-1用中継装置搭載型。参考:月刊PANZER8,’04
<J23SH>:J23AのSSM-1用標定装置搭載型。参考:月刊PANZER8,’04
<J23SR>:J23AのSSM-1用レーダー装置搭載車。参考:月刊PANZER8,’04
<J23W>:J23Aの電気溶接作業車型。参考:月刊PANZER8,’04
<J25A2>:J25Aの無線搬送装置搭載型。参考:月刊PANZER8,’04
<J25A3>:J25Aの野戦特科情報装置搭載型。参考:月刊PANZER8,’04
<J25D>:J25Aの通信妨害装置搭載型。参考:月刊PANZER8,’04
<J25GE>:J25Aの79式重MAT発射システム搭載型。参考:月刊PANZER8,’04
<J25GN>:J25Aの79式重MAT予備弾搭載型。参考:月刊PANZER8,’04
<J25K>:J25Aの87式中MAT搭載型。参考:月刊PANZER8,’04
<J25P>:J25Aの64式対戦車誘導弾搭載型。車体後部両側に箱形ランチャーを1基ずつ搭載しており、格納位置から180度回転して両側に開く。参考:月刊PANZER8,’04
<J25SC>:J25AのSSM-1用中継装置搭載型。参考:月刊PANZER8,’04
<J25SH>:J25AのSSM-1用標定装置搭載型。参考:月刊PANZER8,’04
<J25SR>:J25AのSSM-1用レーダー装置搭載車。参考:月刊PANZER8,’04
<J25W>:J25Aの電気溶接作業車型。参考:月刊PANZER8,’04
<73式小型トラック(新型)>:陸上自衛隊4輪小型輸送車。排気ガス規制に合わせて73式小型トラックを改良した結果、値段が高騰したため、三菱自動車のパジェロをオープンカーにして1996年に採用したものである。名称は73式のままにして競争入札せずに随意契約で導入した。エアコンを外すと値段が高くなるので、陸上自衛隊初のエアコン装備車両となった。また、ラジオもそのまま付いている。ボディは鋼板プレス、シャシーは鋼製フレームであり、積載量増加のため車体後部フレームを延長し、乗車定員を増やすため車体後部に座席を2つ追加、後輪サスペンションをリーフスプリングに変更した。ウインド・シールドは前方に折り畳める。ドアは2枚で、内側が銃のラックになっている。サイドウインドの上下格納ができないため、左右スライド式となっており、窓枠ごと取り外すことも可能。サスペンションは前輪ダブルウィッシュボーン・後輪リーフスプリングで、ブレーキはディスクブレーキ。雨の時に幌を被せるのはそれまでと同じ。積載量がやや少なめなのが欠点。全長4.14m、全幅1.765m、全高1.97m、重量1.94トン。エンジンは4M40直列4気筒液冷ターボディーゼル(2835cc、125馬力)または4M41(3200cc、175馬力)、トランスミッションはオートマチック(前進4速・後進1速、副変速機が高速・低速の2速、4輪・2輪駆動切り替え式)、最大速度135km。積載量0.44トン。乗員6名(操縦手含む)。価格は1両340万円。2001年度納入車から1/2トントラックに名称変更された。参考:スピアヘッドNo.6、月刊JWings11,’00、月刊PANZER5,’02、月刊丸3,’13
<73式小型トラック(新)ファミリー>
<73式小型トラック(新型)64式対戦車誘導弾搭載型>:車体後部左右に64MAT箱形ランチャー1基ずつを搭載したもの。参考:月刊JWings7,’01
<73式装甲車シリーズ>:陸上自衛隊の装軌式装甲兵員輸送車。1965年に普通科1個班11名を時速60kmで運搬できる前方機銃・T字銃眼付きAPCという要求が纏まり、三菱重工、小松製作所、日立製作所の3社が書類審査に応募(エンジンは三菱重工、トランスミッションは日立の自動変速機、履帯は小松製作所で確定)、三菱重工製SUB-Ⅰと小松製作所製SUB-Ⅱで競争試作され、1970年4月からテストに入り、1973年12月にSUB-Ⅰ(アルミ製)が採用された。テスト中の1971年8月3日、施設学校那珂川試験場で車体後部上面ハッチを開けて状況を確認しつつの浮航試験を行った際、1400頃にSUB-Ⅰが川岸に対して斜めに上陸しようとしたところ、水面下の護岸杭に乗り上げて車体が傾き、上面ハッチから水が流れ込んで沈没してしまった。SUB-Ⅱも同じ状況で上陸を試みたため同じく沈没してしまい、浮航時には車体前方(操縦手ハッチと機関室上部グリル周辺)に浸水防止の波避け板を付けることになった。参考:月刊軍事研究8,’08、月刊PANZER11,’00、スピアヘッドNo.13、No.14
<XU-1>:三菱重工の車内試験車で、ライバル社の小松製作所が新型装甲兵員輸送車の開発を進めていると聞きつけて陸自の要求が纏まる前に開発しており、1965年3月に完成した。名称は60式装甲車SUのSをXに変更したものである。M113/M114を目標とし、車体には溶接性の良い5083アルミニウムを採用、耐弾能力は鋲打ち銃を使用して確認した。車体前面のみ避弾経始を持つ箱形車体で、下部転輪はダブルタイプ片側5組、起動輪は前方、誘導輪は後方にあり、上部転輪は無い。短いスカートが付いていて、全体を上に跳ね上げられる。車体前上面最前部にトリムベーンを持つ。車体中央部はボルト結合になっていて、車体を1転輪分短縮することができ、陸自の要求がM113系でもM114系でもテストに供することが可能である。最大速度は60km以上が必要になると思われたが、当時の国産装軌車両では61式戦車の45kmが最高であり、トンあたり馬力を19.2に設定、上部転輪を省いて走行抵抗を減らし、ベルト式軽量履帯を使用してクリアした。ちなみに車体を短縮してトンあたり馬力24.7にしたテストでは74kmを記録している。しかし履帯が切れやすいという欠点があり、ベルト内ワイヤーの端末処理を工夫するなどの改良を施したが、最終的には通常履帯になった。転輪装着用フロートが既に採用されている。車体後面の乗降ドアは2枚に分かれており、真ん中に装甲板(支柱)があって乗降が不便だった。参考:陸自車輌の開発記録、スピアヘッドNo.13、月刊PANZER11,’00、月刊軍事研究8,’08
<XU-2>:三菱重工の車内試験車その2で、防衛庁が三菱重工、小松製作所、日立製作所の間で書類による事前審査を行うという噂が出たため、防衛庁の要求に合わせて開発したもので、1967年に完成した。XUの2号車ということでこの名称になったが、紛らわしいので車種類別番号705から705車と呼ぶことが多かった。60式装甲車の運用結果を踏まえ、乗降ドアを1枚ランプ式に変更、機関室隔壁の構造を整備性に優れたものとし、操向装置のハンドブレーキにオーバーヒート防止用強制冷却装置を取り付けた。ブレーキは油圧式で、操向にはT字ハンドルを使用する。ただ操向装置の作動が不安定だったため、実車ではT字ハンドルではなくパワーステアリング付きレバー式操向装置に戻されてしまった。参考:陸自車輌の開発記録、スピアヘッドNo.13、月刊PANZER11,’00
<SU-T>:三菱重工が1967年に製作した部分試作車で、三菱・小松の両試作車に共通するエンジン、トランスミッション、履帯などの性能を確認するため製作された。三菱重工の装甲板、エンジン、操向機、神戸製作所のアルミ合金装甲、日立の自動変速機、小松製作所の履帯、三菱重工及び小松製作所のサスペンションを組み合わせて性能を確認した。最終組み立ては三菱重工で行ったが、組み立てのノウハウが競合他社に洩れる可能性があるので、現場には他社の技師を立ち会わせず、1968年3月の完成後に小松や日立の関係者に公開して最終修正を行っている。試験中に設計ミスからエンジンとトランスミッションの間の継ぎ手が破損する事故が多発し、ゴム接手を介在させて解決した。また、最終減速機ケースを軽量化のためアルミ鋳造にしたところ、超壕試験で土縁に起動輪をぶつけた拍子に強度不足でケースが割れてしまい、鋼鉄溶接に変更した。テスト終了後は技本の倉庫にしまわれていたが、後に引っ張り出されて75式自走155mm榴弾砲トランスミッション(ハイドロスタティック・ステアリング・ギア)開発に使用されている。参考:陸自車輌の開発記録、月刊軍事研究8,’08、スピアヘッドNo.14、No.13
<SUB-Ⅰ>:三菱重工試作車。1号車は装甲鋼板製、2号車はアルミ合金装甲製で、キューポラに12.7mm機銃M2を剥き出しに装備している。後部の乗降扉は下にヒンジを持つ動力開閉式。車体上部後方に3連装発煙弾発射機を搭載する。2号車の制式採用決定後、74式戦車と同様の油気圧式サスペンションを搭載して雪上走行能力を向上させるという案が出され、第1・第5転輪に油気圧式サスペンション(底面高を70mmかさ上げできる)を装着してテストが行われたが、効果が不十分で、雪質や履帯グローサーの摩耗による影響の方が大きかったため、採用されなかった。参考:スピアヘッドNo.14、月刊軍事研究8,’08、月刊PANZER11,’00
<SUB-Ⅱ>:小松製作所の試作車で、装甲鋼板製のものとアルミ合金装甲のものが1両ずつ製作された。キューポラの代わりに12.7mm銃塔が装備されているが、12.7mm機銃M2は初弾装填時に機関部カバーを上に開く必要があるため、そのスペースを確保した関係上、銃塔が大型になり、20mm機関砲を装備しているのではという噂も出た。一応搭載を検討していたらしく、同時期にラインメタル社製20mm機関砲1門を試験購入してテストしているが、重量過大などで諦めたようである。1970年初めに行われた相模デポでの走行試験で、油圧式操向装置の不具合から木製コンテナに突っ込んでしまい、新聞に載る事態になった。参考:月刊軍事研究8,’08、スピアヘッドNo.14、陸上自衛隊地上戦力の全容
<73式装甲車>:車体は箱形のアルミニウム合金(5083系らしい)溶接モノコック構造で、前面のみ避弾経始を持ち、車体前部右に操縦手が座り、その左に車体銃手が位置する。操縦手にはスイング式乗降ハッチ(ペリスコープ3つ付き)、車体銃手には片開き跳ね上げ式ハッチが用意されている。車体前方銃はM1919A4(銃身全長に丸い孔の開いたスリーブ付き)が最初装備されたが、途中で74式車載機銃(銃身付け根周囲に太いスリーブが付く)に変更された。俯仰角はプラスマイナス10度、射界は左右30度ずつで、装弾数4500発。M6潜望鏡により照準を行う。操縦手左後方に車長が位置し、全周に6つのビジョンブロックを装備した車長用キューポラがある。操縦手・車長用視察装置にはアクティブ式赤外線暗視装置を装着でき、ヘッドライトには白色光の他に赤外線ライトも装備されている。車長席の後ろ左寄りにエンジンがあり、右は乗員室と兵員室を結ぶ通路である。この通路の途中に折り畳み式の重機関銃手席があり、上のキューポラには遠隔操作式12.7mm機銃M2(600発)が装備されていて、俯仰角はマイナス10度からプラス60度(10度?)、射界360度。車内からの遠隔操作射撃(人力。右手でキューポラ旋回、左手で機銃俯仰と射撃を行う)が可能だが、視界や取り回しに問題があるらしく、実際にはハッチから顔を出して撃つことが多い。弾倉交換は車外で行う。重機関銃手用キューポラ周囲には61式潜望鏡JM17が5個と、照準潜望鏡が取り付けられている。車体後部の乗員室は8名乗りで、向かい合わせに4名ずつ座るので、側面に左右2ヵ所ずつ設けられたT字型のガンポートから射撃する時は体の向きを変えないといけない。また、このガンポートには防弾ガラスなどは付いていないので、スリットを開けて射撃する時には隙間から弾片が飛び込んでくる可能性がある。NBC状況下や浮航時には栓をして塞ぐ。車体後面には左右開きのハッチがあり、ガンポートもそれぞれ付いている。乗員室上面にも左右開きのハッチが設けられた。車体後部上面左右には74式60mm発煙弾発射筒3連装を1基ずつ搭載する。乗員室底面には緊急時の脱出ハッチを持ち、室内に小銃架10基や車内連絡用伝声管がある。NBC防護装置を持つ。変速機はアリソン社のものをベースに日立製作所が開発した自動変速機で、エンジンとパワーパック化されている。操向装置は油圧サーボ式。下部転輪は大直径のダブルタイプ片側5組で、起動輪は前方、誘導輪は後方にあり、上部転輪は無い。サスペンションはトーションバー式で、第1・第5転輪に油圧式ショックアブソーバーが付く。履帯は一体式ゴムブッシュ入りシングルピン・シングルブロック型(幅400mm、履帯ピッチ150mm)で、ゴムパッドや防滑具を取り付けられる。無線機は69式車両無線機JVRC-F6または69式携帯無線機1号JPRC-F32で、71式秘話装置JMSU-S1と組み合わせて使用される。波切り板、浮航フロート、サイドスカート、インテイクカバーを取り付ければ履帯駆動で水上航行できるが、部品をトラックで運んで30分かけて取り付けないといけないので、実用的でなく、渡河中の事故も多かったらしい。全長5.8m、全幅2.8m、全高1.7m(2.21m?)、全備重量13.3トン。エンジンは三菱製4ZF空冷V型4気筒2サイクルディーゼル(300馬力)、変速機はトルクコンバータ付き遊星歯車式オートマチック(前進4速・後進1速)、操向機は平歯車二重差動式、最大速度60km(70km?)、水上航行速度6km(7km?)、燃料450リットル、航続距離300km。乗員12名(車長、操縦手、車体銃手、戦闘要員9名・重機関銃手含む)。1973-94年度に三菱重工で207両、小松製作所で131両が生産され、北部方面隊中心に配備された。96式装輪装甲車が配備されると、本州以南の73式装甲車はほぼ全て北海道(北部方面隊)に集められている。参考:月刊PANZER11,’00、10,’03、3,’05、月刊軍事研究8,’08、8,’95、自衛隊装備年鑑1996、自衛隊装備カタログ1981、スピアヘッドNo.7
<73式装甲車ファミリー>
<コマンドポスト>:第7師団第11普通科連隊がコマンドポストに独自改造したもの。操縦手席にワイパー付きの折り畳みウインドーを追加、後部乗員室上面に視察装置とキューポラ付きの戦闘室を作り、後部左右に無線アンテナを増設している。独自改造は違法ということで後に普通の73式装甲車に戻された。参考:月刊PANZER10,’03
<指揮車両>:本部付車両で、キャビンの天井を一段高めて車内での移動を容易にしている。参考:月刊PANZER4,’03
<試作機械化歩兵戦闘車>:後部乗員室を一段高くし、上部両側面に3基ずつと後面に1基のガンポートを設け、車内で起立したまま射撃できるようにしたもの。参考:月刊戦車マガジン10,’78
<試作武装強化型>:攻撃ヘリコプターに対抗できるよう、口径20-40mmクラスの機関砲を搭載する研究に使用されたもの。SUB-Ⅰの12.7mm機銃を外してキューポラにラインメタル20mm機関砲を搭載しており、キューポラ後部両側に搭載した弾薬箱から剥き出しの給弾用コンベアが延びている。第1要求が浮航性能の維持だったため、砲架を極力軽量化し、それに伴う射弾散布のばらつきは対空射撃時の命中率が上がるということで容認した。1974年に完成し、静内射場での対空射撃試験も実施されたが、開発責任者の交代をきっかけに射撃精度も要求されるようになり、対策に苦心している間に開発中止になっている。参考:陸自車輌の開発記録、スピアヘッドNo.14
<73式装甲車用鉄履帯>:自衛隊の履帯。三菱重工または小松製作所製。参考:月刊軍事研究10,’09、12,’11
<73式中型トラック>:自衛隊の4×4輪1.5トントラックで、3/4トントラックの後継として1973年12月に採用された。車体下部に緩衝材を取り付ければC-1からの空中投下が可能。いすゞ自動車またはトヨタ自動車(の子会社の日野自動車)製。全長5.36m、全幅2.09m、全高2.49m、重量3.24トン。エンジンはDQ100またはW04DまたはW04CT、出力115馬力、最大速度90km。積載量2トン。乗員2名。後部荷台に16名が搭乗できる。無線機搭載用車輌も存在する。参考:自衛隊装備年鑑1996、自衛隊装備カタログ1981、月刊軍事研究3,’97、スピアヘッドNo.6
<73式中型トラック・ファミリー>
<1 1/2トン救急車(全輪駆動)>:陸上自衛隊の野戦救急車。独歩可能負傷者のみ10名や、担架4床+負傷者2名を収容できる。全長5.53m、全幅2.14m、全高2.87m、車両重量3.95トン。エンジン出力100馬力、最大速度90km。トヨタ自動車製。参考:自衛隊装備カタログ1981
<1トン半救急車>:陸上自衛隊の救急車。73式中型トラックの後部にキャビンを搭載しており、担架なら4床、軽傷者なら8名を収容できる(担架ラックを畳んで座席にする)。全長5.535m、全幅2.15m、全高2.87m、重量3.99トン、積載量0.37トン。エンジン出力115馬力、最大速度90km。トヨタ製。参考:月刊JWings12,’00、自衛隊装備年鑑1996、JGround
Vol.11、月刊軍事研究3,’97
<73式中型トラック平成11年度以降納入車>:1・1/2トン中型トラックを参照。
<73式特大型セミトレーラ>:特大型セミトレーラ・シリーズを参照。
<74>:イギリス海軍ダイドー級軽巡洋艦第1グループ、ハーマイオニー(Hermione)。1940年竣工。1942年、東地中海で雷撃を受けて沈没した。参考:第2次大戦のイギリス軍艦、週刊ワールドウェポン17
<74Kh6>:ロシアの弾道ミサイル監視衛星で、US-KSともいう。73D6衛星をベースに開発された。1991年に71Kh6衛星に後を譲った。参考:月刊軍事研究7,’12
<74TK>:74式戦車を参照。
<74式60mm発煙弾発射筒3連装>:74式戦車、73式装甲車、78式戦車回収車が装備している3連装黄燐発煙弾発射機。射撃は車内から遠隔操作で行える。直径60mm。射程100m。参考:自衛隊装備カタログ1981
<74式アスロック発射機>:Mk112海外シリーズを参照。
<74式自走105mm榴弾砲>:陸上自衛隊の105mm自走榴弾砲。1964年に性能案が作成され、1968年に要求性能が纏まって試作が始まり、砲塔は日本製鋼所、車体は小松製作所が担当し、1970年に試作が完了、1974年に制式化された。車体は73式装甲車とSUB-Ⅱを参考にしたとみられ、アルミ合金製。車体前部右が操縦席で、3基のペリスコープを前方に備えるハッチを持つ。左は機関室である。車体後部は戦闘室で、砲塔が載っている。戦闘室右から前方には操縦席に続く通路が設けられており、戦闘室後面には右ヒンジの1枚ドアがある。車体周囲には浮航スクリーンが折り畳まれており、これを広げて浮航用キットを装着すると、時速6kmで水上航行できる。超信地旋回はできない。砲塔はアルミ合金の溶接製で、右前方に照準手兼砲手、その後方に砲班長(車長)が位置し、左には折り畳み式のシートが2つ用意されている。照準手前方にはパノラマ眼鏡があり、天井のハッチから突き出して使用する。車長用に1枚ハッチが用意され、前方にはM2機銃架とペリスコープ1基が装着されている。砲塔両側面には片開きのハッチがある。戦闘室左袖部にはJ1及びM26信管測合装置が装備されており、その前方にはNBCフィルターボックスが搭載されている。戦闘室側面には64式小銃用のラックが右に3丁、左に1丁分ある。主砲は戦後初の完全国産火砲(日本製鋼所製)である30口径105mm榴弾砲(43発)で、砲身中央に砲口排煙器、先端に砲口制退器を持ち、閉鎖機は半自動垂直鎖栓式、平衡機はバネ式、駐退復座機は液バネ式同心型で、後座長は最大305mm。高低射界はマイナス6度からプラス73度、全周旋回可能。9号装薬で砲口初速毎秒645m、最大射程14.458km。発射速度は最大毎分10発。照準具は倍率4倍のパノラマ眼鏡(固有視界10度、俯仰角各16.8度)と倍率4倍のL型眼鏡(視界10度、上下左右10ミルの調整が可能)である。乗車定員は4名で、シートは5名分用意されているが、砲班は定数6名なので、1名立って乗らないといけない。ただし、実際は人員が充足していなかったので、乗車定員の4名で運用していた。使用弾はM1榴弾、74式榴弾、M67対戦車榴弾、M314系照明弾、M60/M84発煙弾、M1/69式演習弾。装薬はM1シングルベースの1-7号とM30トリプルベースの8・9号で、M67対戦車榴弾は固定弾のため弾頭と一体化している。射程は1号装薬で1700-3500m、2号で2000-4000m、3号で2400-5200m、4号で3000-6300m、5号で3600-8100m、6号で4400-9600m、7号で5400-11500m、8号で6630-12772m、9号で8500-14458m。全長5.78m、全幅2.87m、全高2.39m(3.2m?)、全備重量16.5トン。エンジンは三菱製4ZF空冷4気筒V型2ストロークディーゼル(300馬力)、最大速度50km、燃料容量410リットル、航続距離300km(車内のみ)/380km(予備燃料缶あり)。車長用ハッチに12.7mm機銃M2を1丁装備する。師団特科連隊の直接支援大隊用として配備予定だったが、本車を推す陸幕第三部研究班と75式自走155mm榴弾砲を推す陸幕第三部編成班との間で激論が戦わされた結果、後者に一本化することになった。ただ本車は当時の幕僚副長が研究班長だった際に開発したため、制式化自体を中止にすることは出来ず、1個大隊分のみ作るということで落ち着いたらしく、1975-78年に20両(22両?)を調達し、全車第117特科大隊(4個中隊編成、各中隊5両ずつ)に配備した。参考:月刊PANZER9,’99、自衛隊装備年鑑1996、自衛隊装備カタログ1981、月刊軍事研究4,’12、陸上自衛隊地上戦力の全容
<74式車載7.62mm機関銃(B)用銃身部>:自衛隊の機器。住友重機械工業製。参考:月刊軍事研究4,’11
<74式車載機関銃シリーズ>:陸上自衛隊の7.62mm車載機銃で、住友重機械工業製。62式機関銃を車載用に改造したものである。必要に応じて三脚架に載せての地上での使用が可能。1999年3月の工作船追跡事件を受け、海自SH-60J/Kヘリにもドアガンとして搭載されるようになった。2013年12月18日、製造請負契約で製品試験結果を改ざんしたとして、防衛省が住友重機械工業を5ヶ月間の指名停止処分とした。参考:月刊JWings11,’01、自衛隊装備年鑑1996、月刊軍事研究3,’14、MAMOR vol.119
<74式車載機関銃>:車載なので重量制限がさほど厳しくなく、各部を強化しており、原型の62式機関銃ほどの不具合は出ていないようだが、M1919A4のような全幅の信頼とはいかないらしい。全長1.085m、銃身長0.625m、重量20.4kg/22kg(ソレノイド補助交換付き)。作動はガス圧利用式、初速毎秒750m、最大発射速度毎分1000発。毎分700発の低発射速度も選択できる。給弾はベルトリンク。参考:自衛隊装備年鑑1996、月刊JWings11,’01、月刊PANZER8,’97、自衛隊装備カタログ1981、スピアヘッドNo.7、戦車隊長、陸上自衛隊地上戦力の全容
<74式車載機関銃2型>:軽量化型で、消炎器を取り付けている。全長1078mm、銃身長702mm(消炎器含む)、重量19.4kg。参考:月刊JWings11,’01
<74式戦車シリーズ>:陸上自衛隊主力戦車。略称74TK、愛称ナナヨン。製作は主砲が日本製鋼所、それ以外が三菱重工である。戦後2番目の国産戦車で、1964年から研究され、1965年に部分試作を始め、1966年から試験用車体ST-Tでのテストを行い、1968年に一次試作車STB-1、1970年に二次試作車STB-2が完成。更にSTB-3からSTB-6まで4両を試作して整備性・信頼性向上と生産コスト軽減を行った後、1974年9月5日(15日?)に制式化され、1975年9月26日に初号車が引き渡されて富士教導団戦車教導隊に配備が開始され、1975-89年に873両が生産された。開発時に山中貞則防衛庁長官から名称を山中式戦車にしてくれと言われたらしいが、防衛庁で却下したようである。雲仙普賢岳噴火や東日本大震災の福島原発事故では災害派遣に参加した。参考:スピアヘッドNo.3、世界AFV年鑑2002-2003、月刊JWings8,’06、日本の戦力、月刊軍事研究5,’12、日本の防衛戦力Part1、陸自車輌の開発記録
<ST-T>:試験車体で、箱形上部構造物が載っている。エンジンは1956年、油気圧懸架装置は1961年に基礎研究を始めていたため、1966年には早くも完成して試験を開始した。油気圧懸架装置のテストでは配管からの油漏れに悩まされたが、改良を繰り返して解決している。1967年から10ZFエンジンの試験を開始。後に105mm戦車砲を突撃砲形式で搭載し、射撃試験を行った。参考:陸上自衛隊地上戦力の全容、スピアヘッドNo.15、No.16
<STB-1>:一次試作車。外見はほぼ74式戦車である。砲塔制御やFCSに必要な電力を供給するため、砲塔後面の雑具箱のような形状のケースにAPUを収納していて、右後面から排気管が突き出している。砲制御装置の試験中にパワーアンプがオーバーヒートを起こしまくったため、ドライアイスで冷やしながらテストを行う羽目になり、ダイオード強化やフレオン充填により解決した。M2重機関銃はMBT70に倣って遠隔操作式とし、砲塔後部中央に搭載した。三菱重工の技術者が1971年のイギリス陸軍兵器展示会で入手した情報を元に、ディール社製レオパルト1用組み立て式履帯をテストすることになり、起動輪の歯形を修正して装着、富士演習場で走行試験を行っている。三菱重工側では下部転輪の数が少ないのでレオパルト1よりも転輪1枚あたりの荷重が大きいとして、履帯ピンを補強するよう依頼したが、ディール社は車重がレオパルト1より軽いから大丈夫だとそのまま持ってきたため、走行試験中に履帯ピンに亀裂が入ってしまい、採用されなかった。国産の履帯でも履帯ピンに疲労破壊が発生したため、素材をクロム・モリブデン鋼から滲炭鋼を経てニッケル・クロム・モリブデン鋼に変更して解決している。参考:スピアヘッドNo.15、No.16
<STB-2>:二次試作車。遠隔操作装置は技術的に問題があったらしく、M2重機関銃が手動直接操作に変更されている。耐久走行試験でグランド・ブレーキの摩擦板(CD850のコピー)が焼損破壊する事故が多発し、原因が補強ワイヤー脱落にあると判明したため、摩擦板を厚くしてワイヤーを省き解決した。参考:スピアヘッドNo.15、No.16
<STB-6>:二次試作車。第4転輪を肉抜き穴付きのものとしてテストを行っている。参考:スピアヘッドNo.16
<74式戦車>:車体は装甲鋼板の溶接構造で、前面、側面上部、後面下部に避弾経始を持ち、装甲厚は正面で80mm程度である。これはレオパルト1と同様、機動力を重視した結果と思われる。複合装甲の研究が同時期に始まっており、74式戦車にも適応するという意見があったらしく、有事に追加できるよう重量増を見込んだ設計としたらしい。車体の幅は国際標準ゲージ幅の新幹線レールで運ぶことを考慮し、国内標準ゲージ幅ベースの61式戦車よりも0.23mほど拡大した。ただし新幹線レール用の貨車が無く、新幹線レール自体も高架が殆どなので、実際に鉄道輸送するのは無理である。車体前部左に操縦手が座り、操縦手用ハッチ前方にペリスコープ3基がある。ペリスコープにワイパーが無いため、悪路や雨天では泥跳ねで前が見えなくなるので注意が要る。操向操作はバーハンドルで行うため、片手でも操向可能。正面の計器板は速度計と回転計のみというシンプルなものである。車体前部右には主砲弾30発が収納されるが、第4次中東戦争の戦訓により、誘爆を防ぐためもっと少なくされているらしい(廃止説もある)。エンジンはZFシリーズの1つで、トランスミッションとパワーパックを形成していて、車体後部の機関室に収容されているが、サイズがギリギリに設定されているので、交換の際には角度数度のレベルで車体の水平をとる必要がある。トランスミッションは入力軸と出力軸が90度で交差するクロスドライブ式だが、変速部と操向部を同軸に設置したため同軸式と通称された。変速部は多板クラッチ式の一次変速部と2列遊星歯車式の二次変速部からなる特製のもの(一般的にはトルクコンバータまたは液体継手の一次変速部とシンプソン式遊星歯車二次変速部を使う)で、発進・停止時を除いてノークラッチでギアチェンジできる。ギアチェンジのシフトレバー操作は指一本でも行えるほど軽く、61式戦車のつもりで変速すると発進2速から一気に6速トップギアまで押し込んでしまうので注意。車体後面右寄りには随伴普通科隊員との車内連絡用電話機を収納した箱がある。下部転輪はダブルタイプ片側5組で、サスペンションは油気圧式、第1・第5転輪が上下各200mmずつ可動し、第2-4転輪がそれに従って高さを変えることで、車体を前後各6度、左右各9度まで傾けられる。これにより主砲俯角を12度までとれる他、横傾斜を修正することで射角修正を容易にでき、アンブッシュ攻撃にも有利となった。また、平坦地なら積雪70cmくらいまで行動できる。ただしシステムが複雑で整備に時間がかかり(車体底部に張り巡らされた配管チェックが面倒)、被弾時に火災を起こす危険性もあり、制御用油圧ポンプで車内容積が圧迫されているのが欠点である。操作装置は操縦手席操向レバーの下やや右寄りにあり、姿勢制御の電源を入れて姿勢制御スイッチをオンにし、姿勢レバーを操作すれば姿勢を制御できる。初期には厳寒期にオイルが抜けるトラブルがあったため、改良が加えられた。サスペンションが柔らかいため、傾斜面では地面の傾斜角以上に車体が傾く傾向を持つ。誘導輪は前方、起動輪は後方にある。姿勢制御に伴い上部転輪を省いて履帯のたるみを大きくしたため、旋回時に時々履帯が外れるらしいが、履帯幅が550mmと広く横剛性が高いので心配した程では無いらしい。ただし起動輪と履帯の間に雪が詰まると外れやすくなるので注意。サイドスカートは装備していない。履帯はダブルピン・ダブルブロック型で、鉄のみの不整地用と、ゴムパッドの付いた路上走行用の2種がある。車体中央に載っている砲塔は鋳造製で、良好な被弾経始を持ち、前面装甲厚は100mm程度、右前に砲手、その後ろに車長、左に装填手が座る。砲塔上面右にはビジョンブロック5個付き車長用キューポラがあり、前方に車長用J3照準潜望鏡(倍率8倍)、上面にハッチを備える。砲塔内は狭く、砲手は車長がどかないと外に出られないので、緊急時には不便。砲手用照準器は車長用J3照準潜望鏡の前にあるJ2照準潜望鏡(倍率8倍)と、主砲防楯右のJ1直接照準眼鏡(倍率は昼間8倍、夜間9.6倍)である。J2照準潜望鏡にはフードが付けられるが、部隊ごとに微妙に異なっており、式典などでは外されることも多い。間接照準器として、砲手席右にJ1方向指示器、左にM9またはJM9高低照準具が装備されている。砲塔上面左には装填手用ハッチがあり、その前方に装填手用ペリスコープがある。砲塔中央には12.7mm機関銃M2(600発)が装備されており、主砲左には74式車載7.62mm機銃(4500発)が同軸で搭載される。砲塔左には弾薬架があり、弾薬7発を収容。また砲塔後部の張り出し部左側の弾薬架に9発、砲尾下に4発を収容し、搭載弾数は車体と砲塔合わせて50発くらいとみられる。主砲は105mmライフル砲L7をライセンス生産したもので、同心式駐退復座機を開発して防楯を絞り込むことに成功した。使用弾は75式105mm戦車砲用粘着榴弾、93式APFSDS、91式HEAT-MP-T、77式105mm戦車砲空包、00式105mm戦車砲用演習弾など。主砲自体の俯仰角はプラス9度からマイナス6度だが、車体の俯仰を合わせればプラス15度からマイナス12度となり、世界一主砲俯角が大きい戦車となっている。俯仰速度は毎秒1度40分から4度、砲塔旋回速度は毎秒1度40分から24度。砲制御装置は電気式。車体後部にガントラベリングロックがあり、砲塔を後方に回した際には主砲が俯角を取りすぎて車体とぶつからないよう、デック・クリアランス機構が作動して車体上面との距離を保つ。FCSはルビーレーザー測遠機、アナログ式弾道計算機(弾種、風速、気温、傾斜角などを手動入力)、照準潜望鏡、間接照準具(方向指示器と高低照準具)を組み合わせている。特にレーザー測遠機(送受信器は車長席眼鏡部、電源部は車長席足下にある)は通常型戦車として世界で初めて搭載しており、有効測距距離300-5000m(3000m?)で誤差10mという優れもので、それまでのステレオ式測距器装備の戦車を一気に時代遅れに追いやった。目標発見から初弾発射までにかかる時間は3秒。俯仰角復帰メモリー付き電気式砲二軸安定化装置が搭載されており、目標自動追尾機能は持たず走行間射撃能力は無いが、停止直後に正確な射撃を行える。車長用照準器には砲手に対するオーバーライド機能が付く。NBC防護装置を日本戦車として初めて装備、車外の空気を防護フィルターに通し、車内に送る全体防護方式を採用した。ただし閉鎖機を開けられなくなるため主砲が使えず、戦闘能力は大幅に削がれる。冷房は付いておらず、操縦席にのみヒーターが付いているが、他の乗員に気を遣って使わないことも多いという。砲塔両側面後方には74式60mm発煙弾発射筒3連装(射程100m)を1基ずつ装備、車内に予備弾6発を収容する。潜水キット(車長用カニング・タワー兼吸気口と排気用シュノーケル)を装備して銃砲に栓をし、操縦手・装填手用ハッチや旋回用ペリスコープの隙間にグリスを塗れば水深2.5m(4m?)の渡渉能力を発揮でき、車内に浸水した場合には車体後部の排水ポンプ(毎分100リットル)を使用して排水する。渡渉準備にかかる時間は30分。当然ながら渡渉中は操縦手が前を見ることができないので、車長の指示により操縦する。渡渉中に動けなくなった場合には戦車回収車で引っ張り上げてもらう必要があり、車体前面から砲塔上面を通して車体後面までワイヤーケーブルを2本渡しておく。たまに車体後部上面に燃料ドラム缶を載せている車両があり、戦闘前に操縦手と装填手が車内操作(補助燃料タンクレバー)で落下させる。丸太などを載せていることもある。搭載無線機は67式車両無線機JAN/GRC-3/-4(JAN/VIA-1?)で、F5(送受信機)、F6(送受信機と受信機)、F7(送受信機2台)、F8(送受信機と受信機2台)から状況に応じて選択する。全長9.423m、車体長6.7m、全幅3.18m、標準全高2.25m(機銃含まず)、最大全高2.48m、全備重量38トン。エンジンは三菱製10ZF22WT空冷2ストロークV型10気筒ターボチャージドディーゼル(21500cc、720馬力)、トランスミッションは三菱製MT75T型遊星歯車二重差動式パワーシフト変速操向機(前進6段、後進1段)、最大速度53km、燃料容量750リットル、航続距離300km(積雪路面では100km程度)。乗員4名。初期には、演習場で車体底面を岩にぶつけた際に底面装甲板がたわんでオイルパンを直撃する不具合が生じたが、底面装甲を厚くしてオイルパンとの距離を取る改修が行われて改善された。A-Gまでのバリエーションがある他、逐次改良が重ねられており、レーザー測遠機を波長1.06ミクロンのYAGレーザーに変更して人体や目への影響を低くし、弾道計算機はアナログ式からデジタル式に換装、93式APFSDS弾を運用可能とし、車内に破片飛散防止用ライナーを装着、排気管を先の潰れたフィッシュテール型から斜めカットのターンアウト型にした。無線機を換装してアンテナが太くなったものもある。近年では演習時に主砲弾底部に温度計を挿入して装薬温度を測定する部隊もあり、弾道計算機には装薬温度も手動入力項目に入っているようだ。2008年のCALFEXで初めてアメリカに持ち込まれ、行進間射撃訓練などを実施した。参考:世界AFV年鑑2002-2003、月刊PANZER4,’03、6,’03、11,’01、7,’02、8,’05、11,’86、10,’85、月刊軍事研究9,’06、6,’07、10,’07、2,’08、5,’08、1,’09、スピアヘッドNo.3、No.6、No.7、No.14、No.20、戦車隊長、日本の防衛戦力Part1、朝雲
<74式戦車照準暗視装置付>:夜間戦闘用装備として、主砲左にボックス型の63式暗視装置を装備したもの。雲仙普賢岳噴火の災害派遣では強力な白色光を照射して夜間火砕流監視任務に就いた。参考:スピアヘッドNo.3
<74式戦車ドーザー付>:車体前面に油圧可動式ドーザーを装着したもの。油圧は姿勢制御用油圧ポンプから供給され、操作スイッチは操縦席にある。重量が2トン増え、最大速度がやや低下し、装弾数は3発減った。各中隊本部に1両が配備されているらしい。東日本大震災の福島第一原発事故で2両が現地に派遣された。参考:スピアヘッドNo.3、No.8
<74式戦車A型>:最初の量産型。参考:スピアヘッドNo.3、陸自車輌の開発記録
<74式戦車B型>:A型のFCS改良型。APDS-T、M735APFSDS-T、75式HEP、HEAT-T全てに対応できるようになった。参考:スピアヘッドNo.3、No.6、陸自車輌の開発記録
<74式戦車C型>:B型に二色迷彩塗装を行ったもの。参考:スピアヘッドNo.3、陸自車輌の開発記録
<74式戦車D型>:C型にサーマルスリーブを装着したもので、1988年頃から登場した。A/B/C型も後に全て改修されている。参考:スピアヘッドNo.3、No.6、陸自車輌の開発記録
<74式戦車E型>:D型のFCS改良型。75式HEPとHEAT-Tの代わりに91式HEAT-MP-Tを運用できるようにした。参考:スピアヘッドNo.3、No.6、陸自車輌の開発記録
<74式戦車F型>:92式地雷処理ローラー装備型。10両くらいしか改修されていないらしい。参考:スピアヘッドNo.3、No.6、陸自車輌の開発記録
<74式戦車改>:74式戦車G型ともいう。90式戦車の重量では北海道以外に配備するのが難しいので、74式戦車の性能を90式戦車にできるだけ近づけるための改良を施したものである。重くできないので主砲換装や装甲強化は諦め、FCS改良を中心に行った。63式暗視装置の代わりに小さな箱型のパッシブ式熱線暗視装置(目標自動追尾機能付き)を主砲左に取り付け、レーザー検知器とサイドスカートを装備、起動輪に履帯脱落防止用リングを装着し、NBC防護装置を個人防護方式に変更、レーザー測距器をYAGレーザーにしている。暗視装置前面中央やや左下の扉を開けると、暗視システムのレンズが覗く。サイドスカートは起動輪の手前までをカバーする長さで、試作段階では装備している写真があるが、部隊配備後は装着されていないようだ。1993年度予算で1994年に4両(+試作1両)が改修されたが、1両あたり1億円かかったとされ、冷戦終結で予算増額の見込みが無く90式戦車の取得予算を改修費用に回さないといけないため、それ以上は作られなかった。全て第1機甲教育隊に配備されている。参考:陸自車輌の開発記録、世界AFV年鑑2002-2003、スピアヘッドNo.3、No.20、月刊PANZER4,’04、月刊軍事研究6,’09
<74式戦車ファミリー>
<78式戦車回収車>:陸上自衛隊の戦車回収車。70式戦車回収車の後継として1973年から74式戦車後期試作車を利用して部分試作され、1978年6月24日に制式化された。70式戦車回収車のAフレーム・クレーンの作動範囲が狭く使いづらかったので、全周旋回式作業室にクレーンを付けるか、片方に寄せたクレーンブームだけを旋回させるか検討し、後者を採用した。74式戦車の砲塔を外し、車体前部左に固定式作業室を設け、右側に箱形クレーン・アームを搭載しており、車体前部に車体固定用スペードを装着し、作業室内にメインウインチ(牽引能力38トン以上。使用ワイヤーは太さ32mm、長さ73m)を装備する。クレーン・アームは油圧シリンダーにより5.3m-6.8mの間で長さを調節でき、270度旋回が可能で、俯仰角は0-75度、クレーン専用のブーム・ウインチを搭載しており、吊り上げ能力は20トン以上とされ、過大重量物を吊り上げようとすると転倒防止警報が鳴る。メインウインチとクレーン機構は全て油圧作動式で、牽引引き上げ中や吊り上げ中に油圧が失われた場合、そのまま対象物が落下すると危険なので、徐々に降ろすようなストッパー機構が設けられている。メインウインチにはワイヤー繰り出し機構や、巻き取り時にワイヤーが偏らないようにする調節機構がある。車体後部にサスペンションを内蔵した牽引フックがあり、牽引バーを介して損傷戦車を引っ張る。機関室上部には予備エンジン搭載用の架台が取り付けられており、パワーパック形式の戦闘車両を運用するのに十分な能力を得る。足回りは74式戦車のままで、姿勢制御機能も残してあり、車高を下げて安定度を増したり、地面の傾斜を修正したりすることが可能。作業室上面には車長用のペリスコープ付きキューポラが設けられており、12.7mm重機関銃M2を1丁装備する。自衛用として車体前面左右に74式60mm発煙弾発射機3連装を1基ずつ搭載する。全長7.95m、全幅3.38m(ドーザー付き)/3.18m(ドーザー無し)、全高2.4m(4.3m?)、全備重量38.9トン。エンジンは10ZF22WTディーゼル(720馬力)、最大速度53km、航続距離300km。乗員は操縦士(作業室最前方)、車長(操縦士の後ろ)、整備士2名(車長の後方左)。メーカーは三菱重工で、クレーン部分のみ加藤製作所。東日本大震災の福島第一原発事故に対応するため、1両が現地に派遣された。参考:スピアヘッドNo.18、No.6、No.7、No.8、月刊戦車マガジン2,’81、月刊PANZER3,’02、8,’97、自衛隊装備年鑑1996、JGround
Vol.11
<91式戦車橋>:陸上自衛隊戦車橋、略称は91TB、愛称はタンクブリッジ。1985年から開発され、1991年に制式化された。砲塔を外して橋体を搭載したもので、車体は74式戦車というより87式自走高射機関砲であり、前面に油圧ジャッキで上下する車体固定用スペードが付く。橋体は2分割スライド式で、下方を油圧で水平に押し出して上方と組み合わせ、アームで前に繰り出して架橋する。長さ20m(有効橋長18m、有効幅員3.8m)の橋を5分で架けることが可能で、90式戦車も通れる。車体前後と左側面に監視カメラが付いていて、全自動での架橋が行え、手動での微調整もできる。架設可能角度はプラスマイナス15度。全長10.9m、全幅4.0m、全高3.8m、全備重量41.8トン。エンジンは三菱重工製10ZF22WTディーゼル(720馬力)、最大速度50km、航続距離300km。自衛用として後部橋節支持架に発煙弾発射機を装備する。乗員2名。メーカーは三菱重工。価格は2004年度契約で1両4億6665万1500円。1年に1両ペースで調達されており、殆どが北部方面隊に所属している。参考:月刊JWings6,’00、月刊PANZER8,’13、自衛隊装備年鑑1996、
JGround Vol.11、自衛隊装備カタログ1981、スピアヘッドNo.7、No.20
<増加装甲付き試験車両>:技本試作防弾装甲を装着したもので、対戦車ミサイルの実用試験に用いられた。1999年度予算で発注され、6月に納入されている。参考:月刊軍事研究9,’00
<74式戦車用鉄履帯>:自衛隊の履帯。三菱重工製。参考:月刊軍事研究10,’09
<74式特大型トラック・シリーズ>:陸上自衛隊の6×6輪トラックで、6トントラックの後継として1974年に仮制式化された。三菱自動車工業製で、1973年から同社で販売が開始されたFシリーズをベースとしており、(短)と(長)の2種がある。参考:自衛隊装備年鑑1996、自衛隊装備カタログ1981、スピアヘッドNo.6
<74式特大型トラック(長)>:キャブオーバー型トラックで、最低地上高とホイールクリアランスを高くしており、ヘッドライトの位置制限をクリアするためバンパー内部にヘッドライトを埋め込んだ。全長9.245m、全幅2.49m、全高3.06m、車両重量10.79トン。エンジン出力355馬力、最大速度95km。積載量8.75トンまたは35名。民間型が1983年にザ・グレート、1996年にスーパー・グレートへとモデルチェンジしたため、本車もこれらをベースとしたものに変更されている。1996年から7トントラックという名称になった。参考:自衛隊装備年鑑1996、自衛隊装備カタログ1981、スピアヘッドNo.6
<74式特大型トラック(短)>:全長8.18m、全幅2.49m、全高3.05m、車両重量9.58トン。エンジン出力320馬力、最大速度100km。積載量10トンまたは23名。参考:自衛隊装備年鑑1996、自衛隊装備カタログ1981
<74式微光暗視装置(中距離)>:JGVS-V1を参照。
<74式榴弾>:74式自走105mm榴弾砲用105mm長射程弾。弾丸長532mm、弾丸重量14.2kg、完成弾薬重量18.9kg。TNT2.68kgが充填され、正面30m・縦深20mを制圧できる。信管はM557、M520、71式1型。M500も適合するが、訓練には使用されない。参考:月刊PANZER9,’99
<74式ロケットランチャー>:アスロック海外シリーズ(対潜ミサイル)を参照。
<75>:イギリス海軍リアンダー級軽巡洋艦リアンダー(Leander)。1933年竣工。1937年8月、ニュージーランド海軍に編入された。1943年7月12日、コロンバンガラ島夜戦で艦首に魚雷1本を被雷し、大破(中破?)した。1949年に解体された。参考:第2次大戦のイギリス軍艦、ラバウル航空戦、近代巡洋艦史、月刊世界の艦船11,’00
<75/6HS>:アメリカ海軍の潜水艦用6気筒2サイクルディーゼルエンジン。ドイツのMAN社製ディーゼルをエレクトリック・ボート社傘下のNLSECO社がライセンス生産したものである。出力450馬力(450rpm)。H級(シーウルフ級)潜水艦、K級(ハダック級)潜水艦、L-1級潜水艦に搭載されたが、公試の段階から故障を頻発し、就役後に換装する羽目になった。参考:アメリカ潜水艦史
<75D23R>:自衛隊の自動車用鉛蓄電池。新神戸電機製。参考:月刊軍事研究3,’17
<75ItK/37SK>:フィンランド軍75mm高射砲。大元はスコダ社が開発した75mm高射砲で、ドイツがチェコスロバキアから接収したのを、継続戦争勃発に伴い6門導入したものである。継続戦争中に29800発を発射し、23機撃墜・9機撃破のスコアを挙げた。参考:月刊丸6,’01
<75KVAジェネレータ・テスト・スタンド(F-15用)>:自衛隊の機器。三菱重工製。参考:月刊軍事研究7,’13
<75mmOQFシリーズ>:イギリス陸軍75mm戦車砲、75mm Ordnance Quick Firing。第2次大戦時の北アフリカ戦線でアメリカ陸軍M3/M4中戦車が75mm戦車砲により徹甲弾と榴弾を撃ち分けて活躍するのを目の当たりにし、徹甲弾しか撃てない6ポンド砲では戦術の柔軟性に欠ける事が判明したため、1942年12月からイギリス陸軍でも同様の戦車砲を開発したものである。参考:British and American tanks of World War Two
<75mmOQF MkⅤ>:75mm
Ordnance Quick Firing MkⅤ。6ポンド砲の口径拡大型で、アメリカの75mm戦車砲も参考に設計した。6ポンド砲の砲架に装着可能で、徹甲弾と榴弾を両方使用でき、アメリカ陸軍の75mm戦車砲弾も撃てる。口径2.953インチ(75mm)、砲身長107.8インチ(2.74m)、砲全長112.576インチ(2.86m)、重量692ポンド(314kg)。弾丸重量13.75ポンド(6.24kg)、砲口初速毎秒2030フィート(619m)、装甲貫徹力は射距離500ヤード(457m)で30度傾斜装甲板に対し68mm。1943年10月(11月?)にA27MクロムウェルⅣに初搭載され、クロムウェルⅤ/Ⅵ/Ⅶ、チャーチルⅥ/Ⅶ、セントーⅢ、バレンタインⅩ/ⅩⅠ、A33エクセルシオールにも装備されたが、砲架とマッチングしない、砲尾の半自動式閉鎖機が作動不良を起こすといった多数の初期不良に悩まされ、戦力化には1944年5月までかかった。一応オーバーロード作戦には間に合ったものの、その頃にはドイツ陸軍がパンターを量産しており、アウトレンジされた。参考:British and American tanks of World War Two
<75mmOQF MkⅤA>:
<75P6>:ナリャート(衛星攻撃システム)を参照。
<75型204mm12連装対潜ロケット発射機>:FQF-2500を参照。
<75式14.5毫米重機槍シリーズ>:中国軍の14.5mm重機関銃。80式14.5毫米重機槍の銃架を軽量化したもので、1981年頃に完成した。参考:月刊軍事研究5,’09
<75式14.5毫米重機槍>:全長3.9m、銃身長1.342m、銃身重量19.5kg、全備重量140kg。80発入り弾薬箱を使用する。参考:月刊軍事研究5,’09
<75-1式14.5毫米重機槍>:折り畳み式のタイヤを装備したもので、1983年に制式化された。参考:月刊軍事研究5,’09
<75式54口径5インチ砲装薬包>:自衛隊の装薬包。ダイキン工業製。参考:月刊軍事研究7,’08
<75式105mm戦車砲用粘着榴弾>:陸上自衛隊74式戦車用粘着榴弾。初速毎秒760mと弾速が遅いため風の影響を受けやすく命中率が悪く、威力も不十分で、T-62の装甲板を模した模擬標的に射撃したところ、裏側が少し膨らんだだけでホプキンソン効果は得られなかった。1979年7月25日、第1戦車団が島松演習場で本弾薬の実弾射撃訓練中に腔内破裂事故を起こしたため、射撃禁止・調達中止にして原因を調査することになった。弾殻溶接部の強度不足や腔内異物などが挙げられたが否定され、開発の経緯から調べ直してみたところ、アメリカ軍のM393粘着榴弾を無断コピーした上に鋭敏性を高め、実射テストが不十分なまま制式化していたことが判明。アメリカ陸軍に原因解明の協力を依頼したところ、内部の炸薬が崩れたことによる断熱膨張が原因だろうと指摘され、マットレスに弾丸を撃ち込んで弾頭部を回収調査した結果その通りで、弾殻と炸薬の隙間を完全に塞ぐことで解決した。ちなみに無断コピーの件は不問になっている。また、着弾時の衝撃で瞬発とならないよう、信管を鈍めに設定してあったが、そのせいで不発となり地面に跳ね返って演習場の外まで飛んでいく事態が多発した。これを防ぐため、角度27度(最終的には90度)の停弾堤(バックストップ)に撃ち込むようにしたが、実戦的ではなく、訓練終了後の停弾堤整備に夜中までかかり、隊員からは大不評で海に捨てればいいのにとまで言われた。91式HEAT-MP-Tの完成により退役したようである。参考:スピアヘッドNo.3、月刊軍事研究10,’12、12,’13、自衛隊装備年鑑1996、戦車隊長、戦車の戦う技術
<75式130mmロケット榴弾>:陸上自衛隊のロケット弾。1965年から研究に入り、1969-70年に第1次試作と技術試験、1971年に第2次試作、1972-73年に技術試験と実用試験を実施して1975年に制式化された。全長1856mm、直径131.5mm、重量43.1kg、弾頭重量15kg。推進薬はダブルベース、最大射程14500m、有効範囲30×20m以上(40×40m?)で、30発斉射により正面400m×縦深300mを制圧できるが、装軌車両には殆ど効果が無い。信管は瞬発信管(作動時間0.0001-2秒)と無延期信管(瞬発が作動しなかった時用。作動時間0.0005秒)を組み合わせた複動式着発信管と、VT信管を時限作動式にしてランチャー近くに障害物があっても発射可能としたCVT信管(落下角40度で作動高度15m)の2種類。噴射ガスにより弾体が旋転し、安定翼と共に飛翔姿勢を保つ。75式自走多連装130mmロケット弾発射機に搭載する。日産自動車製。ちなみに、演習弾は無い。参考:月刊PANZER6,’99、世界AFV年鑑2002-2003、自衛隊装備カタログ1981、日本の防衛戦力Part1
<75式155mm榴弾>:陸上自衛隊の75式自走155mm榴弾砲用155mm榴弾。正規使用信管はM520、M557、71式3型などで、M500も一応使える。全長700mm、弾頭重量43.6kg(信管含む)、炸薬重量6.8kg(TNT)、完成弾重量52.8kg。9号装薬で初速毎秒720m、最大射程19064m。有効制圧範囲は幅45m、縦深30m。参考:スピアヘッドNo.13、世界AFV年鑑2002-2003
<75式MSSR>:75式自走多連装130mmロケットシステムを参照。
<75式機雷処分具>:S-4を参照。
<75式自走155mm榴弾砲>:陸上自衛隊の自走砲。M44A1の後継として1969年から部分試作され、1971-72年に試作車4両(アルミ合金装甲材料が5083と7039の2種類、砲塔がドラム給弾式Ⅰ型砲塔と重力給弾式Ⅱ型砲塔の2種)が完成、1974年12月に採用が決定して1975年10月に制式化された。車体は7039アルミ合金の全溶接構造で、車体前部右に操縦手席、左に機関室、後部に戦闘室がある。操向ハンドルはT字型。操縦手用ハッチにはペリスコープ3基が取り付けられている。動力装置はエンジン、トランスミッション、操向装置を組み合わせてパワーパック化した。機関室には炭酸ガス式消火装置が取り付けられており、操縦室または戦闘室のバルブを操作すると、機関室内の炭酸ガスボンベから2基のノズルを介してエンジンに向け炭酸ガスが放出される。トランスミッションは静油圧モーターによるハイドロスタティック・ステアリング・ギアを使用して直進から超信地旋回まで旋回半径を無段階調節できるタイプ(クロス・ドライブ式の一種)を新開発しており、73式装甲車の試験車両だったSU-Tに搭載してテストした。下部転輪はアルミ合金製ダブルタイプ片側5組、起動輪は前方にあり、誘導輪(第6転輪)は接地していて射撃安定性を増している。よって、試作時にあった駐鋤は必要性が無いとのことで外された。誘導輪には履帯張度調節機構も組み込まれていて、アームに取り付けられた誘導輪ハブを前後に回転させることで調整する。軽量化と車高を抑えるために上部転輪は付けなかった。サスペンションはトーションバー式で、第1・第5転輪にショック・アブソーバーを持つ。履帯はダブルピン・ダブルブロック式で、幅485mm、戦闘用のスケルトン型と路上走行用のゴムパッド装着型の2種がある。エンドコネクターには滑り止めのスパイクを装着可能。砲塔は7039アルミ合金溶接製で、重量8.6トン。主砲は戦後初の完全国産火砲となる日本製鋼所製30口径155mm榴弾砲(砲身長4.65m、砲身重量1.1トン)で、ダブルバッフル式マズルブレーキと砲口排煙機を持つ。閉鎖機は隔螺式で、変後座長・液気圧式(復座機が窒素ガス、駐退機が油圧)駐退復座機を搭載しており、高射角時には後座長を364mmに短縮して砲尾が床にぶつからないようにできる。射角はマイナス5度からプラス65度、全周旋回可能で旋回速度毎秒12度、砲手席の油圧制御レバー1本で俯仰旋回操作を行う。バックアップとして手動俯仰・旋回(高速は1回転6ミル、低速は1回転3ミル)ハンドルが用意されている。車長には砲塔旋回制御用オーバーライドスイッチが用意されていて、砲手に優先して砲塔を旋回させることができる。砲塔後部には9発入りのリボルバー式ドラムマガジン2基を備え、この間に伸縮式装填トレイと油圧式動力ラマーがあり、弾丸は自動装填されるが、装薬装填は手動で行う。装填時には自動仰角復帰装置のスイッチ1つで砲仰角を6度に戻すことができ、装填したらカム板を押すことで閉鎖機が閉じる。拉縄または電磁スイッチによる撃発で射撃を行い、発射後は自動的に閉鎖機が右下に開く。発射速度は毎分6発(最大)/毎分1発(持続)。使用弾は75式155mm榴弾、M107榴弾、発煙弾、着色発煙弾、照明弾、演習弾などだが、RAP弾は無い。装薬は近距離用グリーンがM3装薬1-5号、遠距離用ホワイトがM4A1装薬3-7号、長射程用イエロー(75式155mm榴弾専用)が8号・9号装薬。最大射程は75式155mm榴弾の9号装薬で19.064km。照準はコリメーターによる間接照準で、砲塔上面右にJ2パノラマ照準器(倍率4倍、視野10度)を持つ。主砲防楯右上部にはJ3直接照準器も用意されている。戦闘室床下の乾燥剤入り防水防湿型弾薬庫に予備弾丸10発を収容しており、装薬は砲塔内に10発、戦闘室右に8発、左に10発を搭載する。また、砲塔後部の円形ハッチから直接ドラムマガジンに弾丸を再装填することが可能である。信管はM520、M557、71式3型など(正規使用ではないがM78、M500、M51系、M55系も使用可能)で、戦闘室両側の4つのコンテナに14発分ずつ、計56発を搭載する。砲塔上面右前部に間接照準器用円筒形防護ドーム、右中央に車長用キューポラ(ペリスコープ1基装備)、左中央に無線手用ハッチがある。自衛用として無線手用ハッチに12.7mm重機関銃M2を1丁(1000発)装備。全体防護方式のNBC防護装置を装備するが、使用時は砲塔リングと車体の隙間、防楯と砲塔の隙間、車長用キューポラの隙間を塞ぐゴムチューブ製シールを手動ポンプで膨らませるため、砲塔が旋回不能になる。また、砲塔上面の間接照準器防護ドームを外してハッチで塞ぐ必要がある。戦闘室内に暖気を送る暖房装置を持つ。浮航スクリーンが1両分だけ試作され、テストでは良好な成績を収めたが、実車では装備されていない。全長7.79m、車体長6.64m、全幅2.98m、全高2.55m、全備重量25.3トン。エンジンは三菱製6ZF21WT空冷V型6気筒2サイクルターボチャージドディーゼル(450馬力)、トランスミッションは自動変速機とハイドロスタティック式ステアリングギアを組み合わせたクロスドライブ方式、前進4段・後進1段(超信地旋回可能)、最大速度47km、燃料搭載量650リットル、航続距離300km。バッテリーは4基搭載されており、24V1500Aの直流電流を供給、50-70発の射撃に十分な電力を賄える。乗員6名。砲塔は日本製鋼所、車体は三菱重工の製作で、201両が生産され、北部方面隊師団特科連隊の全般支援大隊、直接支援大隊(74式自走105mm榴弾砲の代わり)、富士学校特科部、富士教導団特科教導隊、武器学校に配備された。価格は1985年度契約で1両3億円。専用の弾薬輸送車が無い、年数が経過して射程が不十分になった、C4I化に対応できないといった欠点から、後継として99式自走155mm榴弾砲が開発され、2014年度末に全て退役する予定。参考:スピアヘッドNo.13、No.7、No.14、No.18、陸自車輌の開発記録、世界の軍用車両(2)、世界AFV年鑑2002-2003、陸上自衛隊地上戦力の全容、月刊PANZER6,’99、7,’11、5,’83、自衛隊装備年鑑1996、異形戦車ものしり大百科、JGround Vol.11
<75式自走多連装130mmロケットシステム>:陸上自衛隊の130mm多連装ロケットシステムで、130MSSRと略す。75式自走多連装130mmロケット弾発射機、75式自走地上風測定装置、75式130mmロケット榴弾で構成される。1個中隊は本部、3個射撃小隊、指揮班、管理整備班からなり、75式自走地上風測定装置1両を装備する。1個射撃小隊は発射機4両で構成され、1個中隊12両がロケット弾を斉射した際の弾量は155mm榴弾砲30個大隊360門分に匹敵する。ただし乙師団では1個中隊が2個射撃小隊編成で、第5師団の中隊は富士学校に1個射撃小隊を配置した関係で2個射撃小隊編成となっている。射撃小隊には大型トラック4両が配置されており、予備弾を搭載して補給を行うが、手作業なのでかなりの時間がかかる。中隊本部は自衛用にスティンガー発射機1基を装備している。参考:月刊丸4,’99、陸上自衛隊地上戦力の全容
<75式自走多連装130mmロケット弾発射機>:陸上自衛隊の多連装ロケット弾発射機。1967年から開発され、1969年に試作が始まり、1975年に制式化され、66両が調達された。車体は73式装甲車の小松製作所試作車であるSUB-Ⅱがベースで、アルミ合金溶接製、車体前部左に操縦手、右に車長(射撃班長)、右後方に照準手が位置する。浮航能力は無い。操縦手席にはペリスコープ3基があり、右に水平回転して開くハッチが設けられている。車長席にはビジョンブロック6基を備えるキューポラがある。照準手用ハッチは水平回転して開くタイプで、その後方にペリスコープがあってランチャーの状態を監視することが可能。操縦手席後方が機関室で、車体後部は一段低くなっており、車体後面には右開きの1枚ドアがある。車体後部上面に75式130mmロケット榴弾30連装(上から7・8・7・8本の4段)ランチャーが搭載されており、旋回角は左右50度(30度?)ずつ、仰角0-50度、空虚重量2トン。単射と連射が可能で、連射では0.4秒間隔でロケット弾を発射、12秒で全弾を撃ち込める。予備弾搭載トラックからの再装填は手作業なので、再発射準備には20分以上かかる。ランチャー左側にパノラマ式照準器(方向検知器、傾斜検知器、演算器、照準指示器などからなる)を装備しており、照準点を設けない無照準点間接照準射撃が可能である。ランチャー右にはアンテナポストがあり、発射時には前方に回転させて倒す。車長用ハッチには自衛用12.7mm重機関銃M2を装備し、ロケット弾射撃の際はブラストを避けて銃架を90度横倒しにして寝かす。量産車の最初の数両は起動輪、転輪、誘導輪、ライトガードの形が異なっており、車体4隅の吊り上げフックが無く、車体前部の履帯ガードが車体前面下部と面一になっていないなどの違いがある。全長5.8m、全幅2.8m、全高2.7m、全備重量16.5トン。エンジンは4ZFディーゼル(300馬力)、最大速度50km、携行燃料410リットル、航続距離300km。乗員3名。車体は小松製作所、ランチャーは日産自動車製。価格は1983年度契約で1両2億2000万円。参考:世界AFV年鑑2002-2003、月刊PANZER6,’99、5,’01、4,’04、自衛隊装備年鑑1996、世界の軍用車両(2)、陸上自衛隊地上戦力の全容、月刊丸4,’99
<75式自走多連装130mmロケット弾発射機ファミリー>
<75式自走地上風測定装置>:陸上自衛隊の自走式風センサー。75式自走ロケットランチャーのランチャーを外し、車体後部に伸縮式センサーを搭載した車両である。センサーポールは4段式で、最大伸長時12.5m。毎秒0.1-30mの風速を計測可能。車体後部のキャビン内部には操作室がある。後部のハッチ・ドアには視察装置とガンポートが装着されている。NBC防護装置を持つ。MSSR射撃小隊に1両が配備されて75式自走ロケットランチャーに随伴し、発射地点付近の風向・風速を測定して射撃データを提供する。ただし効果の程は不明で、この車両を運用するよりもロケット弾を倍くらい撃ち込んだ方が有効という気もする。全長5.7m、全幅2.9m、全高3.5m(支柱収納時)、全備重量12.8トン。最大速度60km。風速表示範囲は縦横共に秒速プラスマイナス30メートル、最小指示単位は秒速0.1m。車体は小松製作所、測定装置は明星電気製。参考:月刊PANZER5,’01、4,’98、世界AFV年鑑2002-2003、自衛隊装備年鑑1996、自衛隊装備カタログ1981、月刊丸4,’99
<75式自走地上風測定装置>:75式自走多連装130mmロケット弾発射機ファミリーを参照。
<75式照準用微光暗視装置Ⅱ型(B)>:陸上自衛隊の微光暗視装置。64式小銃、62式機関銃、84mm無反動砲に装着可能。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015
<75式装甲ドーザー>:陸上自衛隊の装甲化ブルドーザーで、略称は装甲ドーザ、愛称はビッグブル。中型ドーザーと同等の作業能力、小銃弾・榴弾の破片に対する防御力、第一線部隊に付いていける機動力を持つブルドーザーで、1969年(1964年?)から技本と小松製作所で開発され、1975年に制式化された。ドーザーブレードは中央にヒンジが付いたアングルドーザー型で、走行時に全幅を縮めたり、作業時に凸型にしたりできる。視界確保のため走行時は作業時と逆向きに走る必要があり、運転台の背もたれは可動式で、ハンドルも操縦室内前後に付いている。運転台周囲の装甲板は取り外しが可能。下部転輪はダブルタイプ片側5組で、トーションバー独立懸架式、第1・4・5軸は油圧シリンダーで固定でき、作業を容易にする。上部転輪はダブルタイプ片側3組。履帯は作業にも高速走行にも対応できる特殊な弓形パターンを採用した。全長6.3m(作業走行時)/6.99m(普通走行時)、全幅3.45m(作業走行時)/2.7m(高速走行時)、全高2.79m、全備重量19.2トン。エンジンは空冷ディーゼル(160馬力)、最大速度45km(路上)/10.3km(不整地前進)/10.2km(不整地後進)。信地旋回可能。最大牽引力11.5トン。乗員2名。100両前後が生産されて師団施設大隊に配備され、北部方面隊以外では後に方面施設部隊に移された。雲仙普賢岳噴火の災害派遣やカンボジアPKOでも活躍した。参考:月刊PANZER6,’03、陸上自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊JWings12,’00、陸上自衛隊地上戦力の全容、自衛隊装備年鑑1996、JGround Vol.11、自衛隊装備カタログ1981、スピアヘッドNo.15、No.7
<75式対潜ロケット発射機>:FQF-2500を参照。
<75式探信儀>:OQS-101(ソナー)を参照。
<75式地上赤外線装置>:陸上自衛隊のパッシブ暗視装置。本体は三脚上に設置され、霧や煙で遮蔽された目標や、擬装された目標を探知することも可能。対物面走査方式で、視野は水平8度、垂直1.5-5度、視認距離1.5-2km。重量30kg。富士通信機製。参考:自衛隊装備カタログ1981
<75式ドーザ用履帯Assy>:自衛隊の履帯。小松製作所製。参考:月刊軍事研究9,’09
<75フィート型>:B級(アメリカ潜水艦)を参照。
<75/18M35榴弾砲>:イタリアのアルサンド社が開発した18口径75mm榴弾砲。砲身長1.375m。使用弾は榴弾で、弾量6.3kg、初速毎秒428m、最大射程8560m。参考:月刊PANZER5,’05
<76>:イギリス海軍サウザンプトン級軽巡第1グループ、ニューキャッスル(Newcastle)。1937年竣工。1959年に解体された。参考:近代巡洋艦史、第2次大戦のイギリス軍艦
<76ItK/02/34OK>:フィンランド軍の76mm高射砲。元はソ連の76mm榴弾砲M1902で、1934年に砲身を換装して高射砲にした。参考:月刊丸6,’01
<76ItK/14>:フィンランド軍の76mm高射砲で、フィンランド初の高射砲である。元はソ連の76mm高射砲M1914で、装甲列車から2門を鹵獲して使用した。参考:月刊丸6,’01
<76/ItK/16/35Brk>:フィンランド軍の76mm高射砲。イタリアのブレダ社が開発したもので、冬戦争勃発に伴い発注したが、ソ連と独ソ不可侵条約を締結していたドイツが領内を通過させなかったため、1940年になって漸くフィンランドに届いた。参考:月刊丸6,’01
<76ItK/16V>:フィンランド軍の76mm高射砲。ヴィッカーズ・アームストロング社が1916年に開発した76mm高射砲で、冬戦争勃発に伴いイギリスから24門を導入した。参考:月刊丸6,’01
<76ItK/27BK>:フィンランド軍の76mm高射砲。ボフォース社が製作したものを1928-29年に16門導入し、1個中隊あたり4門を配備した。参考:月刊丸6,’01
<76ItK/31ss>:フィンランド軍の76mm高射砲。元はソ連の76mm高射砲M1931で、冬戦争において20門を鹵獲して使用した。参考:月刊丸6,’01
<76ItK/34V>:フィンランド軍の76mm高射砲。ヴィッカーズ製で、1934年に12門を導入した。参考:月刊丸6,’01
<76K36>:F-22海外シリーズ(師団砲)を参照。
<76K39>:F-22海外シリーズ(師団砲)を参照。
<76mm62口径単装砲>:コンパクト海外シリーズを参照。
<76mm発煙弾>:自衛隊の火工品。国際化工または豊和工業製。参考:月刊軍事研究5,’10、8,’12
<76mm発煙弾発射機>:自衛隊の発煙弾発射機。豊和工業製。参考:月刊軍事研究10,’08
<76mm平頭弾>:海上自衛隊が不審船対策のため開発した76mm平頭弾で、制式名称は03式62口径76mm砲曳光弾平頭弾薬包。通常の76mm弾では炸薬威力が大きすぎ、また海面で反跳する可能性が高いためにこれが開発された。日本海軍の九一式徹甲弾のように海中に潜り、吃水線下に命中・貫徹して船体及び内部を破壊する。炸薬は入っていない。ダイキン工業製。参考:月刊軍事研究12,’02、月刊世界の艦船5,’13
<76N6>:S-300PMU2の低高度早期警戒レーダー車で、NATOコードはクラム・シェル。アンテナは伸縮式ポールマスト上に設置されている。探知距離120km。参考:月刊軍事研究6,’14
<76型37mm連装機関砲シリーズ>:中国海軍の艦載63口径37mm連装機関砲。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊
<76型>:H/PJ-76。ソ連の67口径37mm連装機関砲を導入したもので、口径長は63に短縮した。手動旋回式オープントップ砲塔に搭載される。1970年代から生産され、053H型江滬Ⅰ級フリゲート、江滬Ⅱ級フリゲート、053H2型江滬Ⅲ級フリゲート、江滬Ⅳ型フリゲートが装備した。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊、1,’21
<76A型>:H/PJ-76A。OTOメララ社製40mm連装機関砲コンパクトをコピーしてソ連製37mm連装機関砲に換装したものである。砲塔はグラスファイバー製無人砲塔で、作動は機械式。347G型レーダー方位盤または348型射撃指揮装置の管制を受ける。全周旋回可能、俯仰角マイナス10度からプラス85度。使用弾重量700g(1420g?)、初速毎秒880m、有効射程4000m(対空)、最大射程9500m、最大射高7800m。1門あたり発射速度毎分320-375発(最大)/180-200発(実用)。1990年代に実用化され、053H1G型江滬Ⅴ級フリゲート、江衛Ⅰ/Ⅱ級フリゲート、紅星級ミサイル艇、紅箭級ミサイル艇に搭載された。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船1,'15増刊、4,'22、1,’21、4,’21
<76F型>:H/PJ-76F。76A型の有人型で、347Gレーダー方位盤や348型射撃指揮装置を搭載していない艦向けであり、光学照準器を追加して砲側照準できるようにした。072Ⅱ型玉亭Ⅰ級揚陸艦、072Ⅲ型玉亭Ⅱ級揚陸艦、903型福池型補給艦、渦池型掃海艇に搭載された。参考:月刊世界の艦船1,'21、1,'15増刊、4,’21
<76型130mm連装砲>:SM-2-1海外シリーズを参照。
<76式五四口径五インチ砲装薬包>:海上自衛隊の火工品。ダイキン工業製。参考:月刊軍事研究12,’06、5,’08
<76式五四口径五インチ砲対空弾>:自衛隊の火工品。ダイキン工業製。参考:月刊軍事研究11,’17
<76式五四口径五インチ砲薬包>:自衛隊の火工品。ダイキン工業製。参考:月刊軍事研究12,’10
<76式57ミリ連装砲>:ZIF-31海外シリーズを参照。
<76式対砲レーダー>:陸上自衛隊の対砲レーダーJMPQ-P7。1976年に制式化され、1979年から師団特科連隊情報中隊レーダー小隊(定員8名)に配備された。制御指示計算装置を搭載し操作要員が乗る牽引用装軌車、レーダー本体(アンテナと受信装置)を搭載したトレーラー、電源車で構成される。アンテナは水平垂直電子走査式のフェイズド・アレイ方式で、尖頭出力250kW、使用周波数Xバンド。指示器はデジタル表示式Bスコープ。電源は115V60Hz30kVA。東芝製。3層のレーダー・ビームを持つ待ち受け式(追尾方式もあり?)で、同時に4目標を標定できる。左右幅460ミル、砲弾が30km以上先までの間で高度900m程度に上昇すればキャッチできる(700m以下だと厳しい)。10km先の砲迫陣地を誤差50mで特定可能で、発射位置を特定してから射撃情報を発信するのにかかる時間は30秒。ロケット弾は飛翔特性がそれぞれ異なり、多数が連射されるので、特定が難しい。牽引用装軌車は73式装甲車がベースで、右前部にガラス張りの操縦室、左前部に機関室を持ち、後部がオペレーター室になっている。見つかりにくい窪地に展開し、トレーラーと電源車をセット、離れた所に牽引用装軌車を置いて小隊本部にする。参考:月刊PANZER8,’01、6,’01、スピアヘッドNo.6、No.16、月刊軍事研究11,’98、自衛隊装備カタログ1981
<76メートル級外洋哨戒艦>:ナイジェリア海軍外洋哨戒艦。2021年11月、トルコのデアルサン造船所に2隻を発注した。トルコのハベルサン社製ADVENT射撃指揮装置、イタリアのジェム・エレットロニカ製Sair-2Dレーダー(使用周波数Xバンド)、EOFCS(Electro-Optical Fire Control System)電子光学センサー兼方位盤を装備する。ヘリ甲板を持つが、ヘリ格納庫は無い。全長76.9m、幅11.9m、排水量1100トン。主機はMAN社製18VP185ディーゼル4基、最大速力28ノット。兵装はオットー・メララ社製40mm機関砲マーリン、アセルサン社製遠隔操作式30mm機関砲スマッシュ、アセルサン社製遠隔操作式12.7mm機銃2丁。2022年9月16日に建造が始まった。参考:月刊世界の艦船12,’22
<77>:イギリス海軍カレイジャス級空母グロリアス(Glorious)。元は1917年1月に就役したカレイジャス級大型軽巡洋艦で、その後空母への改造工事を受けた。当初は下段飛行甲板の支柱が前甲板全体で剥き出しになっていたが、公試中に凌波性の問題が発生、公試後に艦首部分だけ外板を張って閉じている。1930年3月10日に竣工して再就役した。1934-35年に近代化改装を実施。第2次大戦開始時は地中海艦隊所属で、その後本国艦隊に移った。1940年6月8日、ノルウェーから撤退するイギリス空軍機(ハリケーン戦闘機8機とグラディエーター戦闘機10機)を収容して帰投中、ナルヴィク西でドイツ巡洋戦艦シャルンホルスト及びグナイゼナウと鉢合わせ(飛行甲板が空軍戦闘機で埋まって哨戒機を飛ばせなかった)してノルウェー沖海戦となり、砲撃を受けて沈没した。生存者は43名のみだった。参考:イギリス航空母艦史、第2次大戦のイギリス軍艦、グラフィックアクション44、月刊世界の艦船1,’23
<77Ia6>:ヴォロネジ・シリーズ(レーダー)を参照。
<77Ia6-DM>:ヴォロネジDM(レーダー)を参照。
<77Ia6-M>:ヴォロネジM(レーダー)を参照。
<77Ia6-SM>:ヴォロネジSM(レーダー)を参照。
<77Ia6-VP>:ヴォロネジVP(レーダー)を参照。
<77mmOQF MkⅡ>:イギリス陸軍戦車砲77mm
Ordnance Quick Firing MkⅡ。ヴィッカーズ・アームストロング社が開発したので、当初はヴィッカーズ高初速75mm砲(Vickers High Velocity 75mm、Vickers HV 75mm gun)と呼ばれた。クロムウェルの砲塔リングに収まるサイズの小型軽量で小振りな砲塔に搭載するため、17ポンド砲の砲身長を6口径短縮し、薬室も全長を切り詰める替わりに直径を太くしたものである。その分威力が低下し、性能はアメリカの76.2mm砲とあまり変わらない。使用砲弾は17ポンド砲の弾頭に3インチ(76.2mm)高射砲の装薬を組み合わせたもので、17ポンド砲の弾薬は使えず、実口径は76.2mmだが区別のために77mmOQF砲と名付けられた。ダブルバッフル式マズルブレーキを装着可能。砲全長165.5インチ(4.2m)、砲身長147.65インチ(3.75m)、重量1502ポンド(681kg)。砲口初速毎秒2600フィート(792m)、装甲貫徹力は射距離500ヤード(457m)で30度傾斜装甲板に対し109mm。コメット巡航戦車に搭載された。参考:British and American tanks of World war two、月刊PANZER9,’01、5,’10
<77式12.7毫米機槍>:中国軍の12.7mm機銃。54式12.7mm重機関銃の後継として開発され、1980年頃から配備された。全長2.15m、銃本体長1.605m、全備重量56.1kg、銃本体重量21.3kg。使用弾は12.7mm×108弾、初速毎秒810-825m、発射速度毎分650-750発。60発入り弾薬箱を使用する。参考:月刊軍事研究5,’09
<77式105mm戦車砲空包>:陸上自衛隊の74式戦車用空包。日本工機製。参考:月刊軍事研究12,’06
<77式105mm戦車砲空包(C)>:自衛隊の火工品。日本工機製。参考:月刊軍事研究12,’09
<77式重物料投下器材(プラットホームを除く)>:自衛隊の機器。藤倉航装製。参考:月刊軍事研究8,’16
<77式水中磁気探知装置>:自衛隊の機器、LSX-1。島津製作所製。参考:月刊軍事研究9,’14
<77式水陸両用兵員輸送車シリーズ>:中国陸軍水陸両用装甲兵員輸送車WZ-511。参考:月刊丸3,’13
<77-Ⅰ式水陸両用兵員輸送車>:1977年に制式化された。BTR-50がベースで、車体前部にトリムベーンがある。牽引フックを持ち、85mm対戦車砲、120mm迫撃砲、122mm榴弾砲の牽引にも使用される。ウォータージェットにより時速12kmで水上航行が可能。人員20名を乗せられる。参考:月刊丸3,’13、月刊PANZER6,’14
<77-Ⅱ式水陸両用兵員輸送車>:車体後部に大型ハッチを設け、牽引フックを廃止したタイプ。重量18.8トン。最大速度36km。12.7mm機銃1丁を装備する。1980年に制式化された。参考:月刊丸3,’13
<77式突撃銃>:Mod.77突撃銃を参照。
<77フィート型>:アメリカ海軍の魚雷艇。アメリカ海軍が1938年に行った魚雷艇試作に、エルコ社がイギリスから輸入したブリティッシュ・パワー・ボート社製PT-9魚雷艇をベースに開発して応募したもので、ヒギンズ社案と共に採用され、1941年7月の本比較試験プライウッド・ダービー(ベニヤ板競作)で決着が付かず両方採用されたものである。参考:月刊世界の艦船8,'20
<PT-20級>:全長23.5m、幅6.1m、吃水1.7m、基準排水量35トン。主機は4M-2500ガソリン、出力3600馬力(4050馬力?)、3軸推進、速力40ノット。兵装は533mm(457mm?)単装魚雷発射管4門(艇中央と後部の両舷に1門ずつ)、12.7mm連装機銃2基、爆雷。乗員12名。PT-20からPT-68の48隻が1941-42年に就役した。参考:月刊世界の艦船8,'20、第2次大戦のアメリカ軍艦
<78>:イギリス海軍ノーフォーク級重巡洋艦1番艦ノーフォーク(Norfolk)。1930年竣工。1941年5月27日、ビスマルク追撃戦に参加。1950年に解体された。参考:近代巡洋艦史、第2次大戦のイギリス軍艦、月刊世界の艦船7,’15
<78式戦車回収車>:74式戦車ファミリーを参照。
<78式雪上車シリーズ>:陸上自衛隊の雪上車。60式3トン雪上車/61式大型雪上車の後継で、1978年に仮制式化された。仮制式なので細かい改良が色々と加えられているらしい。2010年までに600両が納入された。参考:陸上自衛隊地上戦力の全容、月刊JWings1,’02、スピアヘッドNo.6、朝雲
<78式雪上車>:キャブオーバー型で、運転席はエンジンの上にあり、車体後部が兵員室になっていて、ベンチシートを跳ね上げれば1トンの荷物を収容するスペースにもなる。ソリ付きの105mm榴弾砲や1トントレーラを牽引でき、ジョーリング用ロープを装着すれば、スキーを履いた隊員30名を引っ張っていける。装軌式で、履帯は一体型ゴム履帯(鉄線入り)を採用して除雪堅硬道でも走行でき、転輪は空気入りのゴムタイヤとして乗り心地を改善した。操向装置が左右2本のレバー式なので、操縦に熟練を要する。全長5.2m、全幅2.49m、全高2.43m、空虚重量5トン、総重量6トン。エンジンは水冷V型8気筒4サイクルディーゼル(175馬力2800rpm)、トランスミッションはマニュアル式、路上最大速度45km。最大積載量1トン。乗員は操縦手含め12名。長距離移動の際は師団/旅団輸送隊74式特大型トラック/7トントラックの荷台に載せて運ぶ。メーカーは大原鉄工所。参考:月刊JWings1,’02、3,’16、陸上自衛隊地上戦力の全容、自衛隊装備年鑑1996、JGround Vol.11、スピアヘッドNo.6、No.8、月刊丸12,’10、自衛隊装備カタログ1981
<78式雪上車B型>:エンジンを新型ディーゼルにし、ギアボックスを改良したもので、1996年から導入された。値段は2004年度契約で1両1832万2500円。参考:月刊JWings1,’02、月刊丸3,’13
<78式雪上車用鉄履帯>:自衛隊の履帯。大原鉄工所製。参考:月刊軍事研究9,’09
<79>:イギリス海軍キング・ジョージⅤ世級戦艦4番艦アンソン(Anson)。当初はジェリコーという名称だった。1937年起工、1942年6月22日竣工。本国艦隊に所属し、ソ連向け輸送船団護衛任務に就いた。太平洋戦争末期に太平洋艦隊に異動した。1957年に除籍された。参考:第2次大戦のイギリス軍艦、近代戦艦史、月刊世界の艦船1,’12
<79M6>:ソ連の対衛星ミサイル、別名コンタークト。30P6衛星攻撃システム用にヴィンペル社が開発した。MiG-31D戦闘機の胴体下に1発搭載され、衛星を直撃破壊する。重量4.55トン。有効射高120km。参考:月刊軍事研究2,’16
<79式56口径100mm連装砲シリーズ>:中国海軍56口径100mm連装両用艦砲。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊
<79式56口径100mm連装砲>:NG-12またはENG-2ともいう。フランス製100mm艦砲モデル1968の揚弾装填機構とロシア製100mm艦砲AK100の砲塔・砲身を組み合わせたらしい。俯仰角マイナス5度からプラス85度、俯仰速度毎秒25度、旋回速度毎秒25度。弾丸重量15.6kg、砲口初速毎秒916m、最大射程22.5km、最大射高15km。発射速度は1門あたり毎分25発。即応弾数52発。1979年に実用化され、053H1型江滬Ⅱ型に搭載された。ステルス砲塔型はPJ33AまたはH/PJ33Aという(79式の別名がPJ33Aで、ステルス砲塔型はPJ33Bという説もある)。参考:月刊世界の艦船11,’14、1,’15増刊
<79A式56口径100mm連装砲>:92型ともいう。軽量化型で、砲塔形状が変更された。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊
<79式戦車>:中国陸軍戦車、メーカー名称WZ120D。69式Ⅱ型の改良型で、名称は69式Ⅲ型という説もあり、88B式へのステップとして開発したらしく、1984年の天安門パレードに登場した。車体前面下部に牽引用シャックルを装着し、フェンダー左右のライトガード形状を変更、右フェンダー後部にアメリカ戦車と同様の車外電話を装備した。エンジンは69式Ⅱ型と同じ12150L-7BWか、出力増加型(730馬力)らしい。履帯は当初全鋼製シングルピンだったが、後にドイツ・ディール社製のものに似たゴムパッド付きダブルピン・ダブルブロック型を導入した。車体側面のゴム製スカートは69式Ⅱ型と同じままである。主砲はサーマルスリーブ付83式105mm戦車砲(L7A3戦車砲相当)に換装された。使用弾はAPFSDS、APFSDS-T、APDS、HEATなど。副武装は7.62mm同軸機銃と装填手用キューポラの12.7mm対空機銃。砲塔周囲には個人装備収納と対HEAT用を兼ねた雑具箱が装着される。FCSは新型らしく、車長用キューポラ前方にレーザー測距器とその装甲カバーが追加されており、暗視装置も光量増幅式が採用されたとされる。ドイツ製ヴェクマン式スモークディスチャージャー(片側4基ずつ)を砲塔側面に装備するものもある。中国側発表では戦闘重量37.5トン、最大速度50kmらしい。1988年までに800両余り(500両強?)が生産されたようだ。国内向けのみで輸出はされていない。参考:世界AFV年鑑2002-2003、AFV’94、月刊グランドパワー6,’04、月刊PANZER3,’01、月刊軍事研究5,’07
<79式狙撃歩槍>:SVD海外シリーズを参照。
<79式対空レーダー装置>:陸上自衛隊の低高度警戒レーダーJTPS-P9。73式中型トラックのシェルター内に搭載され、牽引する電源トレーラーと共に運用される。使用周波数はLバンドで、低高度目標の全周監視が可能。師団高射特科大隊に配備されている。参考:自衛隊装備年鑑1996、スピアヘッドNo.5、月刊PANZER2,’11
<79式対舟艇対戦車誘導弾>:陸上自衛隊の第2世代対戦車ミサイルで、弾頭を換えると上陸用舟艇にも対応できる。通称重MAT(重マット)、メーカー(川崎重工)呼称はKAM9(KSM9?)。短射程対艦ミサイル兼長射程対戦車ミサイルとして1964年から開発し、1969年から試作を行い、1978年9月20日に制式採用(仮制式化?)された。開発費は11億円である。ミサイル本体は前方から弾頭(信管と炸薬)、前翼、第2推進薬、第1推進薬、電池、ジャイロ、受信機、操舵装置、後翼、発射ロケットモーター、ワイヤーリール、光源からなる。弾頭は対戦車用のHEAT+着発信管または対舟艇用の半徹甲榴弾+磁気/着発信管の2種類で、それぞれ別のミサイルであり、更に対戦車用には前期型のATと後期型(威力強化型)のAT-Bがある。全長1565mm、直径152mm、翼幅330mm、本体重量33kg、全備重量42kg(発射筒含む)、弾頭重量1.9kg。飛翔速度毎秒200m。誘導方式は光学照準と赤外線追尾による半自動(SACLOS)方式で、射手が照準線に目標を捉えておけば自動的に命中する。装甲貫徹力450mm、最大有効射程4000m。ミサイルシステムは発射機1型、発射機2型、照準架、照準器、送信機、送信機ケーブル1型、送信ケーブル2型、送信ケーブル3型、分電器などで構成されていて、73式小型トラック2両と1/4トントレーラー2両で運搬される。車載したままの発射はできず、地面に降ろしての運用となり柔軟性に欠ける。発射機と照準器は50m離して設置可能。発射機1型は旋回機構1型と三脚からなり、照準器を直接装着して単独でも運用できるが、発射機2型(旋回機構2型と三脚からなる)は照準器または発射機1型のスイッチを使って発射する必要がある。運用は1個班5名で行う。1セットの価格は5600万円(1985年)/6600万円(1995年度)で、1995年度までに240セットが調達され、師団対戦車隊(各16基、後に30基)や普通科連隊対戦車中隊(各16基)などに配備された。89式装甲戦闘車の砲塔両側にも搭載されていて、こちらは車載のままで撃てる。参考:スピアヘッドNo.5、No.6、陸上自衛隊地上戦力の全容、月刊PANZER12,’01、月刊軍事研究5,’17、11,’99、自衛隊装備年鑑1996、自衛隊装備カタログ1981、ザ・マーチ17号、日本の防衛戦力Part1、朝雲
<79式冲鋒槍>:中国軍のサブマシンガン。ダットサイトやレーザーポインターを装備可能な近代化型も作られている。全長740mm/470mm(ストック短縮時)、銃身長215mm、重量1.9kg。使用弾は7.62mm×25弾で、初速毎秒515m、発射速度毎分1000発。20発入り弾倉を使用する。参考:月刊軍事研究5,’09
<701>:カナダ海軍キングストン級哨戒艦2番艦グレース・ベイ(Glace Bay)。2023年5月24-30日、ニューヨーク・フリート・ウィークに参加。参考:月刊世界の艦船8,’23
<701>:モロッコ海軍FREMMフリゲート1番艦モハンマドⅥ世(Mohammad Ⅵ)。2011年9月進水。2013年4月、主機と航法装置の公試を終了。6月、第3段階海上公試(主に戦闘システム)を完了。2014年1月30日にフランスのブレストでモロッコ海軍に引き渡され、就役した。参考:月刊世界の艦船10,’13、4,’14、3,’16
<701型>:658型シリーズ(戦略原潜)を参照。
<701型>:中国海軍大型総合保障艦。艦前後にランプを持つRo-Ro輸送艦で、ビーチングはできず、艦首水線下はバルバス・バウになっており、バウ・スラスター1基を備える。上構1甲板分の側面と煙突側面を船体側面と一致させ、タワーマストを採用しているが、上構側面は垂直に切り立っていて上下部に段差があり、銃座もオープントップで、ステルス化はあまり徹底していない。煙突は角型の並列2本。後甲板はヘリ甲板となっている。満載排水量3500トン。兵装は14.5mm連装機銃4基(艦橋前方両舷、後部上構上面両舷)。2014年に1番艦が就役したらしいが、艦名などは不明。参考:月刊世界の艦船4,’17
<701型>:中国空軍試作小型ヘリ。1962年7月の中印紛争で鹵獲したH-13ヘリ(ベル47G3)をベースに開発したもので、1966年に設計を終了、1970年1月23日に初飛行した。10機の追加生産が決まり、量産工場建造も進められたが、1979年に上層部の意向で計画中止となった。参考:月刊航空ファン4,’17
<702>:中国海軍渦掃型掃海艇、祟明(Chongming)。元は艦番号802だった。参考:中国海軍発達史
<702>:ロシア海軍プロジェクト21630ブヤン級哨戒艦2番艦ヴォルゴドンスク(Volgodonsk)。2011年6月29日から7月3日、IMDS2011に参加。参考:月刊軍事研究9,’11
<704型>:シュペッサルト級(補給艦)を参照。
<705型シリーズ>:ソ連海軍攻撃型原子力潜水艦(ソ連での艦種は1977年まで潜水巡洋艦、それ以降は一等大型原潜)、NATOコードはアルファ級(Alfa級。Alphaではない)。アメリカ機動部隊に対して急速接近し攻撃を仕掛けるために開発されており、可能な限り水中機動能力を向上させた潜水艦として設計された。水中での三次元機動能力に余裕を持たせるため、船体にチタン合金を採用して安全潜航深度を向上させると共に、水中機動中に安全潜航深度を超えた際の安全性を確保している。また、小型高出力の機関として鉛ビスマスによる液体金属冷却式原子炉を採用した。1960年にチタン合金の加工技術が完成したため設計が開始され、1961年12月に試案が承認されて建造が始まり、全て第6原潜師団に配備された。ロサンゼルス級原潜にアイスランド沖で捕捉されたが、加速してぶっちぎったという伝説が残っている。1989年のK-278沈没事故を機に退役が早まり、1996年までに全て除籍された。参考:ソ連/ロシア原潜建造史、兵器メカニズム図鑑、現代の潜水艦、ザ・マーチ17号、月刊軍事研究9,’12、3,’16
<705型>:当初は単殻構造にして高速化を図るという案もあったが、防御力強化のため複殻が採用された。船型は水中での高速性能発揮に適した涙滴型で、船体にはチタン合金を適用して軽量化を図っている。チタン合金は高張力鋼よりも静粛性に劣るが、エアサスペンションを各部に配置して解決した。水密区画は6区画で、前方から魚雷発射管室/居住区/電池室、前方にコンソールが置かれた区画、発令所/居住区、原子炉室、主機室、電動機/舵取り機室。魚雷発射管はソ連初の水圧式で、上に2本、下に4本並んでおり、後ろに次発魚雷急速自動装填装置を持つ。艦首に潜舵、艦尾に十字舵を持つ。最大潜航深度でも使用可能な脱出装置を積んでいる。艦載戦闘システムはアッコルド統合戦闘情報指揮システム、FCSはサルガン魚雷発射指揮装置。オケアン複合ソナーシステム、チビス対水上レーダー、ESM、ソジ水上/水中統合航法装置、モルニヤ総合通信システムを装備する。極力省力化が図られており、副長も存在せず、発令所の1台のコンソールで火器管制から主機制御まで行える。全長81.4m、幅10m、吃水7.6m、水上排水量2300トン、水中排水量3100トン。主機は原子力蒸気タービン方式、OK-550型液体金属冷却炉(155MW)1基・OK-7Kギヤード・タービン1基1軸38000馬力、水上速力14ノット、水中速力41-42ノット。横舵端に5翅可変ピッチプロペラ付きPG-118補助推進モーター(136馬力)を1基ずつ装備しており、低速航行や原子炉故障に備えた。安全潜航深度350m、最大潜航深度420m。連続航海期間50日。発電機はターボ発電機(1500kW)2基、M-850ディーゼル発電機1基。兵装は533mm水圧式魚雷発射管6門(魚雷18本、機雷36個)。最大魚雷発射深度300m。乗員32名。K-64が1971年に就役した。溶接部分の加工不良や原子炉の不具合が多発して1977年に早くも退役、705K型に進んだ。参考:ソ連/ロシア原潜建造史、月刊世界の艦船9,’12増刊、10,’23
<705K型>:ソ連名称はリラ級。705型の改良型で、原子炉を変更し、魚雷発射管室を無人化している。原子炉の起動に必要な電力が加圧水型よりも少ないことが分かり、電池搭載量はそれまでの25%に減らされた。加速性能が非常に良く、停止状態から40ノットまで1分、6ノットから42ノットまで3分しかかからない。このため、魚雷を撃たれても加速して振り切ることができた。原子炉冷却剤の凝固防止のため基地の改良が必要だったが、十分な予算が割り当てられず、建造数は6隻に止まっている。専属メンテナンス要員として1個技術大隊230名が配置されていた。全長81.4m、幅10m、吃水7.6m、水上排水量2300トン、水中排水量3100トン。主機は原子力蒸気タービン方式、BM-40A型液体金属冷却炉1基・OK-7Kタービン1基1軸38000馬力、水上速力14ノット、水中速力41-42ノット。ターボ発電機2基、M-850ディーゼル発電機1基、PG-118補助推進モーター2基(270馬力)も装備する。安全潜航深度350m、最大潜航深度420m。連続航海期間50日。兵装は533mm水圧式魚雷発射管6門(魚雷18本、機雷36個)。最大魚雷発射深度300m。乗員32名。K-123、K-316、K-373、K-432、K-463、K-493の6隻が1978-82年に就役した。参考:ソ連/ロシア原潜建造史
<705A型>:P-70巡航ミサイル発射筒6基を原子炉区画上部に上前方を向けて2列に搭載し、セイルから後方に繋がるフェアリングで覆ったもの。1962年に設計図が完成したが、705K型の竣工が遅れたため、煽りを食って建造には至らなかった。参考:ソ連/ロシア原潜建造史
<686型>:705A型の巡航ミサイルをP-50ミサイル16基に変更し、船体両舷上面に8基ずつの発射口をずらりと並べている。船体を高張力鋼にする案も検討され、1965年に設計図が上がったが、こちらも建造されなかった。参考:ソ連/ロシア原潜建造史
<707型>:タイプ707(補給艦)を参照。
<708>:カナダ海軍キングストン級哨戒艇モンクトン(Moncton)。2019-20年、大西洋の戦い終結75周年記念で青・灰色系ダズル迷彩を施した。参考:月刊世界の艦船12,’19
<708工程>:Y-10(試作機)を参照。
<710>:カナダ海軍キングストン級哨戒艇11番艦ブランドン(Brandon)。2011年10月6-12日、サンフランシスコ・フリート・ウィークに参加。2014年10月9-13日、サンフランシスコ・フリート・ウィークに参加。参考:JShips Vol.46、月刊世界の艦船1,’15
<711>:カナダ海軍哨戒艇サマーサイド(Summerside)。2021年10月15日、ハリファックス沖で公試中の氷海哨戒艦430ハリー・デウォルフの支援任務に就いた。参考:月刊世界の艦船1,’21
<711>:台湾海軍海鯤級潜水艦1番艦海鯤(Haikung)。2021年(2020年?)11月24日、台湾国際造船で起工。2023年9月28日、台湾国際造船で進水式が行われて進水した。2024年2月27日、初の港内試験を実施。高雄港で最終港内受入試験を行った。参考:月刊世界の艦船12,’23、5,'24、月刊JWings12,’23
<712>:ネウストラシムイ(フリゲート)を参照。
<712型>:スリヴァ型(航洋曳船)を参照。
<716型シリーズ>:中国海軍試作LCAC。参考:月刊軍事研究5,’14
<716型>:全長18m、満載排水量18.6トン。1960年代末に竣工し、テストでは最大速力50ノット以上を出したらしい。参考:月刊軍事研究5,’14
<716Ⅱ型>:716型の改良型。参考:月刊軍事研究5,’14
<717型>:ソ連海軍試作強襲揚陸原子力潜水艦。全長190m、幅23m、吃水7.9m、排水量17600トン。主機は原子炉(19600馬力)2基、水上速力10ノット、水中速力18ノット。安全潜航深度300m、連続航海期間は上陸部隊コミで30日、乗員のみだと75日。兵装は533mm魚雷発射管6門(魚雷18本)、機雷252個、A-123M対空機銃2基。船体前方の主耐圧船殻の両側に揚陸用船殻2基があり、内部に戦車/装甲車20両+人員256名または戦車/装甲車4両+人員800名または軍事貨物1200トンを搭載できる。乗員111名。4隻1組で行動し、1個海軍歩兵旅団を輸送できる。1967年8月から設計され、1976年に海軍から承認されて8隻が建造される予定で、2隻が起工されたが、戦略原潜の建造を優先するため工事は中止された。参考:ソ連/ロシア原潜建造史
<718工程>:殲撃20型シリーズ(戦闘機)を参照。
<720°ターン>:ブルーインパルス編隊連携機動飛行の1つ。単機(5番機)で会場正面から進入し、360度旋回を左右1回ずつ行う。参考:月刊JWings8,’24
<722型>:中国海軍試作エアクッション揚陸艇。1979年に竣工した。参考:月刊軍事研究4,’05
<722Ⅱ型>:中国海軍エアクッション揚陸艇で、NATOコードは金沙(ジンシャ、Jinsha)級。722型の改良型で、1989年に艦番号452が建造された。全長31.2m、排水量78トン。主機は国産ガスタービン、最大速力47ノット。重車両なら2両、貨物なら15トン、人員なら120名を搭載可能。12年間試用されたが、2番艇以降は建造されなかった(1987年から1990年代に10番艇まで建造された?)。参考:月刊軍事研究4,’05、9,’18、5,’14、月刊世界の艦船5,’15
<724型>:鯨沙Ⅱ型(LCAC)を参照。
<724型>:中国海軍小型エアクッション揚陸艇。全長12.4m、排水量6.35トン。最大速力40ノット。人員10名を搭載可能。072Ⅱ型揚陸艦に2隻搭載できる。1990年代半ばから20-30隻が配備された。参考:月刊軍事研究9,’18
<726型>:中国海軍艦載デコイ/チャフ発射機。6列3段18連装または24連装で、デコイやチャフに加え対潜ロケット弾も発射できる。参考:月刊軍事研究8,’18、月刊世界の艦船4,'21
<726-4型>:122mmデコイ6列3段18連装または6列4段24連装型。参考:月刊世界の艦船5,’22
<726型シリーズ>:中国海軍エアクッション揚陸艇玉義(Yuyi、ユーイー)級。071型崑崙山級揚陸艦用のエアクッション揚陸艇である。2010年に1番艇3320が配備され、2013年までに少なくとも4隻、2017年時点で6隻、2018-19年時点で10隻(艇番号3321、3332、3333など)、2021年時点で12隻、2022年時点で21隻が就役している。参考:月刊世界の艦船3,’18、2,’20、4,’21、4,’22
<726型>:船体中央が全通の車両甲板で、前後にランプがあり、左舷側に操舵室を持つ。船体前寄り両舷のガスタービン排気口が固定式なので、横移動は不可能。全長33m(オンクッション時)、全幅16.8m、満載排水量170トン。主機はウクライナ製ガスタービン2基、最大速力40ノット(60-80ノット?)、航続距離200海里。戦車1両または貨物60トンを搭載できる。参考:月刊世界の艦船2,’20、3,’18、5,’15、9,’11、3,’13、6,’14、月刊軍事研究5,’14、7,’18、9,’18
<726A型>:主機を国産ガスタービンに換装したもの。参考:月刊軍事研究9,’18
<727>:ヤロスラブ・ムドゥリィ(フリゲート)を参照。
<730型シリーズ>:中国海軍CIWS。第713研究所が2003年に開発した。機関砲塔はゴールキーパーにそっくりである。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊
<730型>:Type 730、別名H/PJ-12。ジェネラル・エレクトリック社製GAU-8/Aのような7砲身30mmガトリング砲を全周旋回砲塔に搭載しており、砲塔左上方にFFR1追跡レーダー(347型を改良した349型/TR47C?366型?)用ディッシュアンテナ、砲塔右上方にOFC3電子光学追跡システム(4型電子光学方位盤?)を配置している。捜索レーダーは搭載艦のものを使い、探知した脅威目標のデータを受け取って追尾射撃を行う。マウント重量6.4トン。全周旋回可能で、俯仰角はマイナス25度からプラス85度。初速毎秒1000-1100m、最大射程(有効射程?)3000m(1500m?)、発射速度毎分4200-5800発。参考:月刊世界の艦船2,'21、6,’14、1,'15増刊、4,'22、月刊軍事研究7,’03、11,’16、8,’18
<730A型>:近接防御用HHQ-10艦対空ミサイル6発を追加したもの。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊
<730B型>:追尾レーダーと電子光学センサーを分離し、30mm機関砲塔2基と組み合わせたもの。参考:月刊世界の艦船2,’21
<730C型>:730A型の砲塔から追尾レーダーと電子光学センサーを外し、別置きのLR66追尾レーダー及びOC8電子光学照準器と組み合わせたもの。マガジンも2基に増やした。参考:月刊世界の艦船2,’21、4,’21
<731>:インドネシア海軍プラウ・ファニ級掃海艇1番艇プラウ・ファニ(Plau Fani)。2023年3月に引き渡される予定。参考:月刊世界の艦戦5,’23
<七三一部隊>:日本陸軍の細菌戦部隊で、正式には満州第731部隊、通称石井部隊。生物兵器部隊の先駆けで、昭和6年に石井四郎軍医中将により提唱され、昭和8年に平房で関東軍防疫班(加茂部隊)という秘匿名で設立されたのが元である。昭和15年8月1日(昭和11年?)に関東軍防疫給水部と改称され、昭和16年にこの秘匿名称になった。本部はハルビンにあり、部隊長は石井四郎軍医中将で、部隊規模は1300名。牡丹江支部(満州第643部隊、海林、200名)、林口支部(満州第162部隊、林口、224名)、孫呉支部(満州第637部隊、孫呉、136名)、ハイラル支部(満州第543部隊、ハイラル市、165名)、ペスト防疫隊(大連衛生研究所、250名)を隷属させていた。ペスト菌、コレラ菌、炭疽菌、赤痢菌、チフス菌などを兵器化する研究の他、化学兵器実験、解剖実験、耐寒実験、飢餓実験などを政治犯や捕虜などによる人体実験で施行したため、3000人以上の犠牲者が出たとされる。ノモンハン事件中の昭和14年8月20日頃にホルスティン川に病原菌培養液(腸チフスとみられる)を大量に流した。昭和15年10月4日、浙江省にペスト保菌ノミを詰めた陶器爆弾を投下。10月27日、ペスト保菌ノミを穀物や綿に紛れさせ、重爆撃機から投下した。これにより寧波でペストが流行し、感染地域は焼却処分を受けている。昭和16年11月、南昌でペスト保菌ノミ撒布作戦を実施。昭和17年、南京近郊でペスト保菌ノミ撒布作戦を実施。昭和17年7-8月、浙贛作戦で試験管に入れたコレラ菌を投下し、10000人以上に感染させた。硫黄島戦で陸軍参謀本部が細菌戦を検討したが、陸軍省医務局長兼野戦衛生長官が猛反対して実施させなかった。ソ連侵攻後は施設及び資料を破壊・焼却して証拠を隠滅した。終戦と共に下級将校や下士官・兵は直ちに復員し、高級将校が資料の一部を保管してアメリカと交渉を行い、東京裁判にかけないなどの身の安全の保証と引き替えに生物戦の資料などをアメリカに引き渡した。参考:化学・生物兵器概論、図解雑学生物・化学兵器、月刊軍事研究3,’05、3,’11、軍医サンよもやま物語
<742>:ソ連海軍ユルカ型掃海艇。1983年2月22日1630頃、ソルム型航洋曳船MB-25と共に、石垣島の南東120kmを北東に航行するのを、第5航空群P-2Jが確認した。参考:月刊世界の艦船5,’83
<743>:中国海軍037-1S型海情級哨戒艇、黄岩(Huangyan)。参考:月刊世界の艦船2,’20
<745型>:ソルム型(航洋曳船)を参照。
<748型>:ソ連海軍試作輸送揚陸原子力潜水艦。661型がベースで、船型を平べったく改造し、全長を150mまで延長、排水量は11000トンとなった。内部には海軍歩兵470名、PT-76軽戦車10両、BTR-60装甲兵員輸送車10両、迫撃砲などを収容し、固有の武装として57mm砲、携帯地対空ミサイル、魚雷発射管を装備する。1965年から第16設計局で設計されたが、海軍の承認が下りず、採用されなかった。参考:ソ連/ロシア原潜建造史
<751>:韓国海軍東海級コルベット東海(ドンヘ、Donghae)。1982年8月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<752>:韓国海軍東海級コルベット水原(スーウォン、Suwon)。1983年10月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<753>:韓国海軍東海級コルベット江陵(カンヌン、Kangneung)。1983年11月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<754型>:中国海軍の艦載ヘリ管制用レーダー。052B級、052D級、056級に搭載された。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊
<755>:韓国海軍東海級コルベット安養(アンニャン、Anyang)。1983年12月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<756>:韓国海軍浦項級コルベット浦項(ポーハン、Pohang)。1984年12月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<757>:韓国海軍浦項級コルベット群山(クンサン、Kunsan)。1984年12月就役。2011年に除籍され、コロンビアに売却された。参考:月刊世界の艦船4,’09、7,’13
<758>:韓国海軍浦項級コルベット慶州(キョンジュ、Kyongju)。1986年11月就役。2016年、ペルーが取得して沿岸警備隊カッター/ペルー海軍コルベットCM-27フェレになった。参考:月刊世界の艦船4,’09、9,’18、2,’22
<759>:韓国海軍浦項級コルベット木浦(モッポ、Mokpo)。1986年8月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<759>:中国海軍候新型ミサイル哨戒艇。1999年5月14日、沖縄県魚釣島の北110kmを航行するのを第5航空群P-3Cが確認した。参考:月刊世界の艦船3,’00
<760型>:中国海軍の航海レーダー。052B級、052D級、056級に搭載された。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊
<761>:韓国海軍浦項級コルベット金泉(キムチョン、Kimchon)。1985年5月就役。2015年退役。2017年、ベトナム海軍に引き渡され、HQ-18になった。参考:月刊世界の艦船4,’09、12,’24
<761圧縮干粮>:中国軍の戦闘糧食で、1976年に採用された。1958年に開発された雑穀ビスケットをベースとしており、薄い煉瓦色をした直方体の高エネルギーバーである。そのまま食べられるので好評だったが、硬くてパサパサしており、改良型の90圧縮干粮が開発された。参考:ストライク・アンド・タクティカルマガジン1,’11
<762>:韓国海軍浦項級コルベット忠州(チュンジュ、Chungju)。1985年5月就役。後にフィリピン海軍に引き渡され、PS-39コンラド・ヤプになった。参考:月刊世界の艦船4,’09、2,’22
<762>:中国海軍海情型哨戒艇、蕭山(Xiaoshan)。参考:月刊世界の艦船4,’21
<763>:韓国海軍浦項級コルベット晋州(ジンジュ、Jinju)。1988年6月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<765>:韓国海軍浦項級コルベット麗水(ユースー、Yosu)。1988年11月就役。2010年6月25日、大韓海峡海戦戦勝60周年記念行事に参加。2017年、ベトナム海軍に引き渡され、HQ-20になった。参考:月刊世界の艦船4,’09、12,'24、月刊軍事研究10,’10
<766>:韓国海軍浦項級コルベット鎮海(チンヘ、Chinhae)。1989年2月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<767>:韓国海軍浦項級コルベット10番艦、順天(スンチョン、Sunchon)。1989年6月就役。2019年6月に退役した。2021年11月26日、ペルー海軍に引き渡され、CM-28ギーセになった。参考:月刊世界の艦船4,’09、2,’22
<768>:韓国海軍浦項級コルベット裡里(イーリー、Yeeree)。1989年6月就役。2018年12月31日退役。2020年にコロンビア海軍に引き渡され、アルミランテ・トノになった。参考:月刊世界の艦船4,’09、12,’20
<769>:韓国海軍浦項級コルベット原州(ウォンジュ、Wonju)。1989年8月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<770>:エヴゲーニィ・コチェシュコフ(LCAC)を参照。
<770>:中国海軍紅箭級ミサイル艇1番艦陽江(ヤンチァン)。1991年5月就役。2019年現在、南海艦隊に配備されている。参考:中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船2,’19
<771>:韓国海軍浦項級コルベット安東(アンドン、Andong)。1989年11月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<771>:中国海軍紅箭級ミサイル艇2番艦順徳(シュントー)。1995年2月就役。2019年現在、南海艦隊に配備されている。参考:中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船2,’19
<772>:韓国海軍浦項級コルベット天安(チョナン、Chonan)。1989年11月就役。2010年3月26日、北朝鮮潜水艦の雷撃を受けて沈没した。参考:月刊世界の艦船4,’09、月刊軍事研究7,’10
<772>:中国海軍紅箭級ミサイル艇3番艦南海(ナンハイ)。1995年4月就役。2019年現在、南海艦隊に配備されている。参考:中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船2,’19
<773>:韓国海軍浦項級コルベット城南(ソンナム、Songnam)。1989年5月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<773>:中国海軍紅箭級ミサイル艇4番艦番禹(パンユィ)。1995年7月就役。2019年現在、南海艦隊に配備されている。参考:中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船2,’19
<774>:中国海軍紅箭級ミサイル艇5番艇、連江(Lianjiang)。1999年2月就役。2001年、76A式37mm機関砲をAK-176Mに換装してテストを実施。2006年、商船と衝突して沈没した。後に引き揚げられて修理・復帰した。2019年現在、南海艦隊に配備されている。参考:中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船6,’14、2,’19、11,’20
<775>:韓国海軍浦項級コルベット富川(プーチョン、Puchon)。1989年4月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<775>:中国海軍紅箭級ミサイル艇6番艦。1999年11月就役。2019年現在、南海艦隊に配備されている。参考:中国/台湾海軍ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船2,’19
<775型>:ロプーチャⅠ型(揚陸艦)を参照。
<775M型>:ロプーチャⅡ型(揚陸艦)を参照。
<776>:韓国海軍浦項級コルベット是川(ゼーチョン、Jaechon)。1989年5月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<777>:韓国海軍浦項級コルベット秦川(デーチョン、Daechon)。1989年4月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<778>:韓国海軍浦項級コルベット束草(ソクチョ、Sokcho)。1990年2月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<779>:韓国海軍浦項級コルベット栄州(ヨンジュ、Yongju)。1990年3月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<781>:韓国海軍浦項級コルベット南原(ナムウゥン、Namwon)。1990年4月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<782>:韓国海軍浦項級コルベット光明(クァンミョン、Kwangmyong)。1990年7月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<782>:タイ海軍マンノク級揚陸艇2番艇マンクラン(Manklang)。2001年就役。2020年2月25日から3月6日、コブラ・ゴールド2020に参加。参考:月刊世界の艦船6,’20
<782>:ロシア海軍ズブル級エアクッション型揚陸艇モルドヴィア(Mordovia)。2009年6月24-28日、IMDS2009に参加。2011年6月29日から7月3日、IMDS2011に参加。参考:月刊軍事研究10,’09、9,’11
<783>:韓国海軍浦項級コルベット申城(シンスン、Sinsung)。1993年3月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<785>:韓国海軍浦項級コルベット光州(コンジュ、Kongju)。1993年7月就役。参考:月刊世界の艦船4,’09
<791>:タイ海軍アントン級ドック型輸送揚陸艦アントン(Angthong。アーントーン?)。2012年4月3日、シンガポールでタイ海軍に引き渡され、同月に就役した。4月19日、タイのサタヒープ海軍基地に入港。2016年2月9-19日、コブラ・ゴールド16に参加。2017年11月20日、タイのパタヤ沖でタイ海軍主催ASEAN創設50周年記念観艦式に参加。2018年2月13-23日、コブラ・ゴールド18に参加。2019年2月12-15日、コブラ・ゴールド19に参加。2020年2月25日から3月6日、コブラ・ゴールド2020に参加。参考:月刊軍事研究11,’12、月刊世界の艦船5,’16、2,’18、5,’18、5,’19、6,’20
<791>:中国海軍東調型情報収集艦。2023年4月5日2300頃、沖縄県久米島西60kmを南に航行するのを、第1航空群P-1哨戒機、第5航空群P-3C哨戒機、DD-158うみぎりが確認した。これは4月6日には沖縄本島と宮古島の間を南に進み、太平洋に向かっている。2024年1月31日0900頃、宮古島北東150kmを南東に航行するのを、MSC-602やくしまが確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を南東に進み、太平洋に向かっている。2月4日0900頃、宮古島170kmを北西に航行するのを、MSC-601ひらしまが確認した。その後これは沖縄本島と宮古島の間を北西に進み、東シナ海に向かっている。4月10日1000頃、沖縄本島南西90kmを北西に航行するのを、DE-230じんつう、MSC-692くろしま、第1航空群P-1哨戒機、第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後これは052C級ミサイル駆逐艦151鄭州及び054A型フリゲート599安陽と共に沖縄本島と宮古島の間を北西に進み、東シナ海に向かっている。4月13日0100頃、草垣群島南東40kmを東に航行するのを、DD-109ありあけと第1航空群P-1哨戒機が確認した。その後大隅海峡を東に進み、太平洋に向かっている。6月22日1700頃、宮古島北東110kmを北西に航行するのを、MSC-602やくしまと第1航空群P-1哨戒機が確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を北西に進み、東シナ海に向かっている。10月24日0700頃、奄美大島西90kmを東に航行するのを、FFM-1もがみとATS-4203てんりゅうが確認した。その後奄美大島と横当島の間を北東に進み、太平洋に向かっている。10月30日1700頃、種子島北東70kmを西に航行するのを、DD-153ゆうぎりとATS-4203てんりゅうが確認した。その後これは10月31日にかけて大隅海峡を西に進み、東シナ海に向かっている。参考:月刊世界の艦船6,’23、4,’24、6,’24、7,’24、9,’24、1,’25
<791>:ロシア海軍セルナ級揚陸艇コントル・アドミラル・デミドフ(Kontr-Admiral
Demidov)。2021年7月25日、サンクト・ペテルブルグでロシア海軍記念日祝賀行事(艦艇パレード)に参加。参考:月刊世界の艦船10,’21
<792>:タイ海軍071ET級ドック型輸送揚陸艦1番艦チャン(Chang。象)。上海の滬東中華造船で建造され、2023年1月4日竣工。その後タイに回航され、4月25日に母港のサタヒップ基地に到着した。兵装やレーダーなどは未搭載で、積んでから就役する予定。参考:月刊世界の艦船4,’23、7,’23
<792>:中国海軍東調型情報収集艦、海王星(Hainangxing)。元は艦番号852で、後に変更された。参考:中国海軍発達史
<794>:中国海軍東調型情報収集艦、天狼星。2022年4月11日1200頃、対馬南西130kmを北東に航行するのを、PG-826おおたか、第1航空群P-1哨戒機、第4航空群P-1哨戒機が確認した。その後対馬海峡を北上し、日本海に向かっている。4月13日0800頃、対馬北北東160kmを南西に航行するのを、DD-105いなづまと第4航空群P-1哨戒機が確認した。その後対馬海峡を南下し、東シナ海に向かっている。6月12日1300頃、対馬南西280kmを東に航行するのを、PG-826おおたかと第4航空群P-1哨戒機確認した。その後対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。6月16日0900頃、福池級補給艦902東平湖と共に、龍飛崎南西130kmを北東に航行するのを、AMS-4302すおうと第2航空群P-3C哨戒機が確認した。その後これらは津軽海峡を東に進んでいる。6月26日0100頃、八丈島北東90kmを西に航行するのをAMS-4305えんしゅうが確認した。その後これは御蔵島と八丈島の間を西に進んでいる。7月5日0400、宮古島北東120kmを北西に航行するのを、DD-156せとぎり、MSC-692くろしま、第1航空群P-1哨戒機、第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後北西に航行して東シナ海に向かっている。8月28日1500頃、久米島西160kmを南東に航行するのを、第5航空群P-3C哨戒機とDD-118ふゆづきが確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を南東に進み、太平洋に進出している。9月26日1600頃、宮古島東140kmを北西に航行するのを、MSC-685とよしまと第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後これは沖縄本島と宮古島の間を北西に進み、東シナ海に向かっている。2024年9月7日1400頃、対馬南西130kmを北東に航行するのを、AMS-4303あまくさと第1航空群P-1哨戒機が確認した。その後対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。9月22日2300頃、礼文島北西60kmを東に航行するのを、DD-153ゆうぎり、DD-155はまぎり、PG-827くまたか、第2航空群P-3C哨戒機が確認した。その後9月23日にかけて宗谷海峡を東に進んでいる。10月15日0300頃、種子島東110kmを南西に航行するのを、MSC-690みやじまと第1航空群P-1哨戒機が確認した。その後大隅海峡を西に進み、東シナ海に向かっている。参考:月刊世界の艦船7,’22、9,’22、11,’22、12,’22、11,’24、12,’24、1,’25
<795>:中国海軍東調型情報収集艦、天枢星。2022年4月20日0900頃、奄美大島北西160kmを南東に航行するのを、第1航空群P-1哨戒機とAOE-424はまなが確認した。その後奄美大島と横当島の間を東に航行し、太平洋に向かっている。5月19日0900頃、種子島東100kmを西に航行するのを、ATS-4202くろべと第1航空群P-1哨戒機が確認した。その後これは大隅海峡を西に航行している。6月2日2100頃、久米島北西130kmを南に航行するのを、DD-156せとぎり、MSC-692くろしま、第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後これは沖縄本島と宮古島の間を南東に進み、太平洋に向かっている。6月23日2100頃、宮古島東150kmを北西に航行するのを、DD-119あさひ、MSC-691ししじま、第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後これは沖縄本島と宮古島の間を北西に航行し、東シナ海に向かっている。7月21日0000頃、魚釣島北西160kmを南に航行するのを、第5航空群P-3C哨戒機、DD-103ゆうだち、AOE-426おうみが確認した。その後与那国島と台湾の間を南に進み、太平洋に向かっている。2023年10月29日1100頃、鹿児島県横当島南西70kmを東に航行するのを、第1航空群P-1哨戒機が確認した。その後奄美大島と横当島の間を北東に進んでいる。11月25日1200頃、奄美大島北東70kmを西に航行するのを第1航空群P-1哨戒機が確認した。その後奄美大島と横当島の間を南西に進み、東シナ海に向かっている。11月30日1000頃、宮古島北東170kmを南東に航行するのを、MSC-692くろしまと第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を南東に進み、太平洋に向かっている。1800頃、宮古島北東170kmを北西に航行するのを、MSC-692くろしま、AOE-422とわだ、第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後12月2日にかけて久米島西90kmを南北に遊弋し、12月4日に魚釣島西80kmを南下、与那国島と台湾の間を南に進み、太平洋に向かっている。12月9日2000頃、宮古島北東140kmを北西に航行するのを、MSC-692くろしまと第1航空群P-1哨戒機が確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を北西に進み、東シナ海に向かっている。2024年1月12日2300頃、宮古島北東130kmを南東に航行するのを、MSC-691ししじま、第1航空群P-1哨戒機、第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後1月13日に沖縄本島と宮古島との間を南東に進み太平洋に進出し、沖縄本島と宮古島の間を北西に航行して東シナ海に戻っている。1月19日0300頃、鹿児島県横当島南西50kmを東に航行するのを、DDG-173こんごうが確認した。その後奄美大島と横当島の間を北東に進み、太平洋に向かっている。2月3日2100頃、宮古島東160kmを西に航行するのを、MSC-601ひらしま、第1航空群P-1哨戒機、第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を北西に進み、東シナ海に向かっている。5月9日1400頃、宮古島東140kmを北西に航行するのをMSC-692くろしまが確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を北西に進み、東シナ海に向かっている。6月19日0600頃、宮古島北東180kmを北西に航行するのを、MSC-691ししじまと第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を北西に進み、東シナ海に向かっている。6月30日1600頃、久米島南西60kmを南東に航行するのをMSC-691ししじまが確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を南東に進み、太平洋に向かっている。10月22日1100頃、奄美大島西100kmを東に航行するのを、FFM-1もがみ、AOE-422とわだ、第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後これは奄美大島と横当島の間を北東に進み、太平洋に向かっている。参考:月刊世界の艦船7,’22、8,'22、9,’22、10,’22、3,’23、2,’24、4,’24、7,’24、9,’24、1,’25
<795型練習艦>:鄭和級(練習艦)を参照。
<796>:中国海軍東調型情報収集艦、開陽星。2022年9月23日1200頃、対馬南西100kmを東に航行するのを、MSC-685とよしま、MSC-686うくしま、PG-828うみたかが確認した。その後対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。10月2日0500頃、龍飛崎西100kmを北東に航行するのを、AMS-4302すおうが確認した。その後津軽海峡に向かい北東に進み、龍飛岬西20kmで反転、南西に進んで日本海に向かっている。10月3日1700頃、隠岐諸島北120kmを南西に航行するのを、AMS-4301ひうち、PG-826おおたか、第4航空群P-1哨戒機が確認した。10月4日には対馬海峡を南西に航行し、東シナ海に向かっている。12月12日2000頃、鹿児島県口之永良部島西140kmを南東に航行するのを、第1航空群P-1哨戒機、第5航空群P-3C哨戒機、PG-826おおたか、AOE-425ましゅうが確認した。その後南西諸島西側を南西に進み、12月14日に沖縄本島と宮古島の間を南東に航行して太平洋に向かっている。2023年1月4日0400頃、宮古島東60kmを北に航行するのを、第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を北上し、東シナ海に向かっている。3月27日1300頃、長崎県五島列島西160kmを北東に航行するのを、第4航空群P-1哨戒機とPG-829しらたかが確認した。その後3月28日に対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。4月3日1200頃、龍飛岬南西80kmを北東に航行するのを、第2航空群P-3C哨戒機とMSC-689あおしまが確認した。その後これは津軽海峡を北東に進み、太平洋に向かっている。4月15日1400頃、種子島北東70kmを南西に航行するのを、第4航空群P-1哨戒機とMSC-683つのしまが確認した。その後4月16日にかけて大隅海峡を西に進み、東シナ海に向かっている。2023年4月10日0600頃、伊豆諸島御蔵島南東60kmを南西に航行するのを。AMS-4305えんしゅうが確認した。その後御蔵島と八丈島の間を西に進んでいる。4月29日0800頃、五島列島南西180kmを北東に航行するのを、AMS-4303あまくさと第4航空群P-1哨戒機が確認した。その後対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。5月5日、龍飛岬南西30kmを北東に航行するのを、第2航空群P-3C哨戒機とMSC-689あおしまが確認した。その後津軽海峡を北東に進み、太平洋に向かっている。5月8日1400頃、伊豆諸島須美寿島南東60kmを南西に航行するのを、第4航空群P-1哨戒機が確認した。その後須美寿島と鳥島との間を南西に進んでいる。5月16日0300頃、宮古島北東120kmを北西に航行するのを、第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後これは沖縄本島と宮古島の間を北西に進み、東シナ海に向かっている。7月16日1600頃、対馬南西150kmを北東に航行するのを、PG-826おおたか、MSC-602やくしま、MSC-685とよしま、第1航空群P-1哨戒機を確認した。その後これは7月17日にかけて対馬海峡を北東に進み、日本海に進んでいる。2024年12月13日0900頃、久米島西100kmを南東に航行するのを第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を南東に進み、太平洋に向かっている。2025年1月5日0400頃、種子島北東70kmを西に航行するのを、DE-234とね、MSC-689あおしま、第4航空群P-1哨戒機が確認した。その後大隅海峡を西に進み、東シナ海に向かっている。参考:月刊世界の艦船12,’22、1,’23、3,’23、4,’23、6,’23、7,’23、10,’23、3,’25
<798>:中国海軍東調型情報収集艦、玉衡星。2022年11月5日0800頃、宮古島北170kmを南に航行するのを、第1航空群P-1哨戒機、第5航空群P-3C哨戒機、AOE-422とわだが確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を南東に進み、太平洋に向かっている。2023年1月19日1200頃、久米島西80kmを南東に航行するのを、第5航空群P-3C哨戒機とMSC-685とよしまが確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を南東に進み、太平洋に向かっている。1月26日1000頃、宮古島東150kmを北西に航行するのを、第5航空群P-3C哨戒機とMSC-691ししじまが確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を北西に進み、東シナ海に向かっている。6月28日1300頃、口之永良部島西120kmを東に航行するのを、PG-829しらたかが確認した。その後これは大隅海峡を東に進み、太平洋に向かっている。7月14日2000頃、宮古島北東150kmを北西に航行するのをMSC-685とよしまが確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を北西に進み、東シナ海に向かっている。2024年12月8日1900頃、宮古島北東160kmを南東に航行するのをDD-113さざなみが確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を南東に進み、太平洋に向かっている。12月23日1800頃、宮古島北東120kmを北に航行するのをMSC-691ししじまと第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を北西に進み、東シナ海に向かっている。2025年2月8日1400頃、宮古島北東90kmを南に航行するのを第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を南に進み、太平洋に向かっている。参考:月刊世界の艦船2,’23、4,’23、9,‘23、10,’23、2,’25、4,’25
<799>:中国海軍東調型情報収集艦、金星。2021年8月24日0900頃、055型ミサイル駆逐艦101南昌、052D型ミサイル駆逐艦119貴陽、福池型補給艦903可可西里湖と共に、奥尻島南西200kmを北東に航行するのを、第2航空群P-3C哨戒機とPG-825わかたかが確認した。その後これらは宗谷海峡を東に航行している。9月11日0900頃、055型ミサイル駆逐艦101南昌、052D型ミサイル駆逐艦119貴陽、福池型補給艦903可可西里湖と共に、種子島東140kmを西に航行するのを、DD-119あさひと第1航空群P-1哨戒機が確認した。その後これらは大隅海峡を西に進んでいる。8月31日0300頃、対馬南西110kmを北東に航行するのを、PG-826おおたか、第1航空群P-1哨戒機、第4航空群P-1哨戒機が確認した。その後対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。9月18日1000頃、対馬北西20kmを南西に航行するのを、PG-829しらたか、第1航空群P-1哨戒機、第4航空群P-1哨戒機が確認した。その後対馬海峡を南西に進み、東シナ海に入っている。10月28日1200頃、大正島北東100kmを南東に航行するのを、DD-109ありあけと第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後沖縄本島と宮古島の間を南東に進み、太平洋に向かっている。10月29日1100頃、鹿児島県横当島南西70kmを東に航行するのを、MSC-602やくしまと第1航空群P-1哨戒機が確認した。その後055型ミサイル駆逐艦101南昌及び福池級補給艦903可可西里湖と合流し、10月30日にかけて奄美大島と横当島の間を北東に航行し、太平洋に向かっている。11月8日1500頃、種子島東50kmを西に航行するのを、AOE-426おうみ、PG-829しらたか、第1航空群P-1哨戒機が確認した。その後11月9日にかけて大隅海峡を西に進み、東シナ海に向かっている。11月9日2200頃、対馬南西110kmを北東に航行するのを、MSC-685とよしまと第4航空群P-1哨戒機が確認した。その後11月10日にかけて対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。11月15日1200頃、対馬北西20kmを南西に航行するのを、DE-231おおよどと第4航空群P-1哨戒機が確認した。その後これは対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。2024年3月15日0300頃、対馬南西110kmを北東に航行するのをPG-829しらたかが確認した。その後対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。2024年4月2日1000頃、対馬東60kmを南西に航行するのを第4航空群P-1哨戒機とPG-826おおたかが確認した。その後対馬海峡を南西に進み、東シナ海に向かっている。6月21日1100頃、対馬南西50kmを北東に航行するのを、PG-829しらたかと第4航空群P-1哨戒機が確認した。その後これは対馬海峡を北東に進み、日本海に向かっている。6月23日2300頃、北海道松前町大島南50kmを東に航行するのを、PG-825わかたかと第2航空群P-3C哨戒機が確認した。その後これは6月24日にかけて津軽海峡を東に進み、太平洋に向かっている。7月28日0700頃、与那国島南60kmを北に航行するのをDD-104きりさめと第5航空群P-3C哨戒機が確認した。その後与那国島と西表島の間を北東に進み、魚釣島西70kmを北に向かっている。参考:月刊世界の艦船11,’21、12,’21、11,’23、12,’23、1,’24、2,’24、5,’24、6,’24、9,’24、10,’24
<7017アルミニウム>:7039アルミニウムとほぼ同じ構成のアルミニウム合金で、ウォーリア歩兵戦闘車に使用されている。参考:月刊PANZER9,’03
<7039アルミニウム>:5083アルミニウムの改良型で、アルミニウム、亜鉛、マグネシウムの三元合金であり、5083アルミニウムよりも強度が高く耐弾性が良い。1960年代に開発され、この頃製作されたアメリカ装甲車両の殆ど(M551など)に使用された。熱処理材のため溶接が難しく、外気に晒された面に応力がかかるとロール面に沿って割れが生じる応力腐蝕割れを起こすという欠点があったが、溶接技術の進歩とバタリング処理(外気に晒される面を溶接ビードで完全に覆う)により解決している。参考:月刊PANZER9,’03、M1A1戦車とM2/3戦闘車、スピアヘッドNo.13
<7075アルミニウム>:超超ジュラルミンを参照。
<7079アルミニウム>:亜鉛系高力アルミニウム合金の1つで、亜鉛4.3%、銅0.6%、マグネシウム3.3%、クロム0.2%を含む。引っ張り強さは1平方ミリメートルあたり53kg。鍛造金具や厚板として使用されるが、応力腐蝕割れを起こしやすい。参考:航空用語事典増補改訂版
<7178アルミニウム>:亜鉛系高力アルミニウム合金の1つ。超超ジュラルミンの亜鉛含量を増やしたもので、亜鉛6.8%、銅2.0%、マグネシウム2.8%、クロム0.3%を含む。超超ジュラルミンよりも引っ張り強さが5%程高く、1平方ミリメートルあたり60kgに達するが、応力腐蝕割れを起こしやすいという欠点がある。ボーイング707の主翼上面に使用したところ応力腐蝕割れが問題になり、ボーイング747では超超ジュラルミンに戻された。参考:航空用語事典増補改訂版
<7200トン型軽巡洋艦>:日本海軍が大正6年の八六艦隊計画で建造を予定した軽巡洋艦で、E級軽巡に対抗し、オマハ級を攻撃力で上回ることを目標とした。常備排水量7200トン。速力36ノット。兵装は14cm連装砲3基、14cm単装砲、61cm魚雷発射管。航空機1機を搭載できる。建造費が高いので、代わりに5500トン型が建造された。参考:近代巡洋艦史
<7390>:自衛隊のGCA装置用電子管。東芝電子管デバイス製。参考:月刊軍事研究6,’18
<7620/HY-10>:自衛隊の電子管。リチャードソンエレクトロニクス製。参考:月刊軍事研究10,’18
<70600-02010-103>:自衛隊の空中線。三菱商事が受注している。参考:月刊軍事研究8,’18