目次に戻る   トップページに戻る

 

<モアーヴェネット>:DM-357(敷設艦)を参照。

モアール>:DARPAが開発している地球監視衛星MOIRE。軌道に投入されると地球に向けて直径800インチ(20.3m)のプラスチック製折り畳みレンズを展開し、地表の40%を一気に撮影する。参考:月刊軍事研究10,14

モアウィン>:パキスタン海軍補給艦。元は1994年にオランダから購入したポールステルである。参考:月刊世界の艦船4,98

モア級>:ニュージーランド海軍予備役訓練艇Moa級。元は内海哨戒艇で、サイドスキャンソナーを搭載しており、限定的な機雷捜索能力を持つ。全長26.8m満載排水量105トン。主機ディーゼル、出力710馬力、2軸推進、速力12ノット。兵装は12.7mm機銃1丁。1983-85年にワカクラなど4隻が就役した。参考:月刊世界の艦船11,00

<モインスター>:FF-1097(フリゲート)を参照。

網軍>:中国軍のサイバー戦部隊で、中国総参謀部第3部が運営している。1999年に創設され、2001年に本格的な活動を行える規模となった。要員は数万人と言われており、司令部は北京にあるようである。台湾に対して日常的にサイバー攻撃を仕掛けており、20078-9月にはアメリカ、イギリス、フランス、ドイツなどの政府機関にサイバー攻撃を行ったとされる。国連、ダライラマ14世事務所、中国政府とトラブルになっていたオーストラリアの民間資源会社などにサイバー攻撃が行われた際に中国のサーバーを経由していたことが明らかとなっており、網軍が関わっているかもしれない。民間のハッカー集団とも繋がりがあるとみられる。参考:月刊軍事研究4,11

<猛虎>:韓国軍首都警備司令部のニックネーム。

<猛士>:CSK141(軽装甲車)またはEQ2050(汎用輸送車)を参照。

<猛獣級>:ヴォルフ級(水雷艇)を参照。

<モウラー>:AM-1シリーズ(艦上攻撃機)を参照。

<猛龍>:殲撃10型シリーズ(戦闘機)を参照。

<モーゼル>:A512(支援母艦)を参照。

モーゼル1916>:ドイツの軍用自動拳銃で、第1次大戦後の1918年に製造中止になり、1932年に生産が再開され、第2次大戦を通じて生産された。木製銃床を取り付けるとカービンとしても使用できる。また、フルオートバージョンも製造された。全長158mm、銃身長86mm、重量600g。初速毎秒290m。作動はブローバックの半自動式、口径9mmで、複列箱形弾倉を使用する。100万丁が生産された。参考:拳銃・小銃・機関銃

<モーター>:迫撃砲を参照。

モーターカノン>:軸内機関砲。プロペラ軸から機関砲を発射できるようにしたものである。全金属製戦闘機の黎明期だった1930年代、主翼構造がまだまだ脆弱で強力な武装を内蔵することが困難だったため、大口径機関砲を胴体内に装備する方法としてイスパノスイザ社が売り込みを図り(アメリカではエンジンガンと称した)、既存の戦闘機でも機首の機関銃2丁分と同じくらいの重量で強力な武装に換装できるということで、世界的に流行した。可変ピッチプロペラの駆動機構と同居させるのが難しいという欠点がある。参考:月刊丸1,17別冊、10,93

<モーターグレーダAタイプ(MINUSTAH用)>:自衛隊の車両。小松製作所製。参考:月刊軍事研究4,11

モーターゲシュッツ>:オーストリア軍将校のギュンター・バースタインが1911年に考案した装輪装軌併用式旋回砲塔装備装甲車両、Motorgeschutz。オーストリア軍では注目されず、ドイツ軍が目を付けたが、ベースとなっている農業用トラクターの生産権の問題があり、採用しなかった。参考:月刊丸7,09別冊

<モーター式圧縮機>:圧縮機を参照。

<モーターグレーダ>:自衛隊の車両。キャタピラージャパン製。参考:月刊軍事研究9,10

<モーターグレーダ(UNMISS用)>:自衛隊の車両。小松製作所製。参考:月刊軍事研究8,13

モータグレーダ>:航空自衛隊の施設器材で、路面すき取りや地ならしなどに使用される。全長7.89m、全幅2.38m、全高3.52m、車重11880kg、総重量12040kg。エンジンは6D16直列6気筒ディーゼル(7545cc137馬力)、トランスミッションはMT361(前進6段・後進2段)、最大速度42.6km、燃料タンク容量230リットル。乗員1名(2名?)。三菱重工または小松製作所製。参考:自衛隊装備年鑑1996、航空自衛隊パーフェクトガイド2015

モータグレーダ(除雪装置付)>:航空自衛隊の施設機材LG2-H。全長8.3m、全幅2.8m、全高3.4m、車両総重量13.1トン。エンジンは三菱製6DB10C型6気筒(8550cc120馬力)、トランスミッションは平歯車選択摺動式前進3段・後進1段で、最大速度33.7km。乗員2名。三菱重工製。参考:自衛隊装備カタログ1981

モータグレーダ(除雪用)>:航空自衛隊の除雪・整地車両。全長8.7m、全幅2.96m、全高3.515m、最大速度46.9km。乗員2名。小松製作所製。参考:航空自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊軍事研究1,14

モータグレーダ(油圧式)>:航空自衛隊の施設器材GD37-6H。整地や除雪に使用される。全長8.175m、全幅2.35m、全高3.45m。エンジンは小松製NH-220-C1ディーゼル、最大速度32.7km。最大掘削深さ0.48m。乗員2名。小松製作所製。参考:自衛隊装備年鑑1996、自衛隊装備カタログ1981

<モーティブ>:AM-102(掃海艇)を参照。

<モード>:A530(補給艦)を参照。

モード級>:ノルウェー海軍補給艦Maud級。イギリス海軍タイド級補給艦がベースで、同じメーカーの大宇造船海洋が建造した。船型はタイド級と同様の船首尾楼型だが一回り小さくされ、船尾楼前半が艦橋、後半がヘリ甲板で、船尾楼直前の両舷に補給ポストが1本ずつ立っている。凹甲板中央に大型クレーンを持つ。艦艇用F76軽油7125トン、F44/JP-5ジェット燃料317トン、補給物資650トン(うち弾薬200トン)、20フィートコンテナ40個を搭載可能。73名分の予備居住スペースがあり、医療設備も備えていて負傷者48名を収容できる。全長183m、満載排水量27500トン。主機はCODLOG方式、出力20115馬力、2軸推進、速力18ノット。兵装は12.7mm単装機銃4丁。乗員43名。A530モードが20181116日に引き渡された。参考:月刊世界の艦船4,192,199,23

モーニングスタン>:日本海軍士官のスラングで、朝立ちのこと。参考:帝国陸海軍事典

<モーバット>:ランドローバー軽車両ファミリーを参照。

<モービル>:CL-63(軽巡)またはLCS-26(沿海戦闘艦)を参照。

<モービルベイ>:CG-53(ミサイル巡洋艦)を参照。

モーフィアス>:ロッキード・マーチン社が開発している対無人機用無人機。高出力マイクロ波HPM照射装置を搭載しており、目標UAVに接近してHPMを喰らわせる。参考:朝雲

<モーペス・キャッスル>:K693(コルベット)を参照。

モーボ>:Mobile Control Unitのこと。滑走路脇にある施設で、離着陸時の安全確認や助言を行う。参考:月刊JWings5,06、月刊航空ファン7,11

モーボバイク>:モーボまでパイロットが移動する時に使用する屋根付きスクーターの通称。参考:月刊JWings5,06

モーマイヤー>:ウィリアム・W・モーマイヤー。アメリカ陸軍航空軍エースで、第2次大戦時に北アフリカ戦線でP-40戦闘機部隊の指揮官を務め、8機を撃墜した。1966年、第7航空軍司令官兼ベトナム援助軍副司令官となった。1967年、大将に昇任した。1968-73年、戦術航空コマンド司令官を務めた。参考:月刊軍事研究3,16

モーメント>:Moment。力の大きさに、支点から力の作用点までの距離を掛けたもの。力が支点を中心として物体を回転させようとする作用の大きさを示す。参考:航空用語事典増補改訂版

モーメント・アーム>:Moment arm。作用点と支点との距離のこと。航空工学では機体重心と尾翼空力中心との距離のことで、尾翼に生じる空気力により機体重心に発生するモーメントの距離成分を指し、航空機の安定性の目安になる。参考:航空用語事典増補改訂版

モーメント係数>:Moment coefficient。モーメントは力の大きさと長さの次元を持つが、これを無次元化したもの。飛行機の場合、縦揺れモーメント、横揺れモーメント、片揺れモーメントといったモーメントを、動圧と翼面積と平均翼弦との積で割り、縦揺れモーメント係数、横揺れモーメント係数、片揺れモーメント係数を算出する。参考:航空用語事典増補改訂版

<モーラー>:XMIM-46(地対空ミサイル)を参照。

モーラー・トロフィー>:アメリカ空軍年間最優秀航空団司令に送られる賞。参考:月刊航空ファン7,00

モーラド・ライス>:アルジェリア海軍コニ級フリゲート。19904月就役。2007-11年、近代化改装を受けた。参考:JShips VOL.70

<モーリー>:DD-401(駆逐艦)またはT-AGS-39(海洋観測艦)を参照。

<モーリシャス>:80(軽巡洋艦)を参照。

モーリシャス準軍事組織>:モーリシャス軍は無く、警察特殊機動部隊が国内・対外治安維持を、沿岸警備隊がEEZ哨戒を担当する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <モーリシャス準軍事組織(2015年)>:警察特殊機動部隊1750名、警察航空団(ヘリ装備)、沿岸警備隊800名。偵察中隊2個、自動車化歩兵中隊5個、工兵隊1個、支援小隊1個からなる。ショーランド偵察車4両、VAB歩兵戦闘車(20mm機関砲装備)2両、タクティカ装甲兵員輸送車7両、VAB装甲兵員輸送車9両、81mm迫撃砲2門、AS555汎用ヘリ1機、ドゥルブ汎用ヘリ2機、SA315Bラマ(チーター)汎用ヘリ1機、SA316アルエートV(チェタック)汎用ヘリ5機、哨戒艇6隻、兵站支援船1隻、BN-2T輸送機1機、Do-228-101輸送機2機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モーリス軽偵察車シリーズ>:イギリス陸軍4輪軽偵察車。1941年に創設した偵察軍団に配備するため、ナッフィールド・グループが開発した。参考:世界の軍用車両(4)

 <モーリス軽偵察車MkT>:2輪駆動のシャシーに装甲ボディを配し、71馬力の4気筒エンジンを後部に搭載、車体底面を平板で覆って不整地走行能力を高めている。操縦席右上面にはブレン軽機関銃1丁を搭載する銃塔が載っており、車内にボーイズ対戦車ライフルを装備した。乗員は3名で、操縦席に横に並んで座る。1942年までに1150両が生産された。参考:世界の軍用車両(4)

 <モーリス軽偵察車MkU>:4輪駆動にし、前輪サスペンションをコイルスプリングからリーフスプリングに換えたもの。1100両が生産された。参考:世界の軍用車両(4)

<モーリス・J・マニュエル>:DE-351(護衛駆逐艦)を参照。

モーリス・ファルマン1912年型陸上機>:日本陸軍が輸入して使用した。参考:月刊丸12,92

モーリス・ファルマン1913年型陸上機>:全幅15.5m、全備重量800kg。エンジンはルノー発動機(70馬力)で、最大速度90km。乗員2名。日本陸軍も輸入し、国産化した。参考:月刊丸12,92

モーリス・ファルマン1914年型陸上機>:日本陸軍が輸入し、青島攻略戦で4機を使用した。参考:月刊丸12,92

モーリタニア海軍

モーリタニア海軍(1977年)>:兵力300名。小型哨戒艇4隻を配備する。参考:軍事力バランス78年版

モーリタニア海軍(1989年)>:兵力350名。ヌアディブに基地がある。ディス・ジェイエ級内海掃海艇1隻、エル・ウェズ級高速艇3隻、高速艇2隻、小型内海哨戒艇2隻を配備する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モーリタニア海軍(2015年)>:現役兵力600名。哨戒艇17隻を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モーリタニア空軍

モーリタニア空軍(1977年)>:兵力150名。ディフェンダー4機、DC-4輸送機1機、C-47輸送機4機、スカイバン2機、レイムF337輸送機4機を配備する。参考:軍事力バランス78年版

モーリタニア空軍(1989年)>:兵力250名。BN-2ディフェンダーCOIN機5機、シャイアンU洋上哨戒機2機、ガルフストリームU輸送機1機、DHC-5D輸送機1機、スカイバン3M輸送機2機、セスナF-337輸送機1機を配備する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モーリタニア空軍(2015年)>:兵力250名。セスナ208Bグランド・キャラバン偵察機2機、BN-2ディフェンダー軽輸送機2機、C-212軽輸送機1機、PA-31T軽輸送機2機、Y-12U軽輸送機2機、バスラーBT-67要人輸送機(センサーターレット付)1機、EMB-312練習機3機、EMB-314練習機4機、SF-260E練習機4機、SA313BアルエートUヘリ1機、Z-9ヘリ2機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モーリタニア軍>:20151月、NATO/カナダが資金を拠出して国際危機管理・災害モニタリングセンターが建設された。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <モーリタニア軍(2015年)>:現役総兵力15850名(陸軍15000名、海軍600名、空軍250名)、準軍事組織5000名(内務省憲兵3000名、内務省国家警備隊2000名)。中央アフリカ共和国にMINUSCA要員1名とオブザーバー2名、マリにMINUSMA要員6名を派遣している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モーリタニア陸軍

モーリタニア陸軍(1977年)>:兵力7000名。自動車化歩兵中隊30個、偵察中隊3個、防空中隊1個、空挺/奇襲攻撃中隊1個からなる。EBR-75装甲車、AML装甲車15両、60mm/81mm迫撃砲、57mm/75mm無反動砲を装備する。参考:軍事力バランス78年版

モーリタニア陸軍(1989年)>:兵力10400名。軍管区6個、独立地区2個、歩兵大隊2個、パラシュート大隊1個、砲兵大隊1個、ラクダ部隊1個、装甲偵察中隊3個、高射砲中隊4個、工兵中隊1個からなる。EBR-75装甲車15両、AML-60偵察車39両、AML-90偵察車14両、M-3A1偵察車12両、M-3ハーフトラック40両、105mmLH-10518門、105mmM-101A1/HM-210門、122mmD-7412門、122mmD-3018門、81mm迫撃砲、120mm迫撃砲AR-51/AR-51-EC1A-L/AR-51EC-1A-SL30門、ミラン対戦車ミサイル発射機4基、57mm無反動砲M-1875mm無反動砲M-20106mm無反動砲M-4045門、85mm対戦車砲D-4412門、14.5mm対空機銃、23mm高射機関砲ZU-23-250基、37mm高射機関砲M-193925門、100mm高射砲KS-1912門、9M32地対空ミサイルを保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モーリタニア陸軍(2015年)>:現役兵力15000名。軍区6個、機甲偵察隊1個、機甲大隊1個、自動車化歩兵大隊7個、歩兵大隊8個、空挺コマンドー大隊1個、ラクダ大隊2個、護衛大隊1個、砲兵大隊3個、防空部隊4個、工兵中隊1個からなる。T-54/-55戦車35両、AML-60偵察車20両、AML-90偵察車40両、サラディン偵察車10両、FV603サラセン装甲兵員輸送車5両、パナールM3装甲兵員輸送車20両、105mmHM-2/M101A136門、122mmD-3020門、122mmD-7424門、63107mm多連装ロケット4基、81122mm多連装ロケット4基、81mm迫撃砲60門、120mm迫撃砲ブラント30門、75mm無反動砲M2024門、106mm無反動砲M40A190門、SA-9自走地対空ミサイル4両(を保有しているという報告あり)、9K32携帯地対空ミサイル、14.5mm対空機銃ZPU-216機、14.5mm対空機銃ZPU-412基、23mm高射機関砲ZU-23-220基、37mm高射機関砲M-193910基、57mm高射砲S-6012基、100mm高射砲KS-1912基、T-54-55戦車回収車(を保有しているという報告あり)を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<モール>:DD-693(駆逐艦)を参照。

モールス>:フランス海軍潜水艦で、ジムノート潜水艦の改良型(3番艦)である。水中抵抗軽減のため船体に流線型のカバーを装着し、潜舵を改良して水中機動力を増した。参考:Uボート入門

<モーレイ>:SS-300(潜水艦)を参照。

<モーン>:K261(フリゲート)を参照。

<モカシン>:SS-5(潜水艦)を参照。

モガディシオ急襲作戦>:1993103日、ソマリア最大の武装勢力アイディード将軍の側近を捕縛するためにアメリカ陸軍統合特殊作戦コマンド・レンジャー支隊が行った作戦。UNOSOMUにおいてアメリカ軍車両が爆破されたり、パキスタン軍兵士24名が殺害されたりした事件を受けて1993826日に要員が集められた。主力は第75レンジャー連隊第3大隊B中隊と、デルタ・フォースCスコードロン、輸送・火力援護用特殊作戦へリ部隊で、少数の空軍特殊部隊と、海軍SEALチーム6が加わっており、モガディシオのバカラ・マーケット(武器市場)近くのビルで側近2人が会議をするという情報を元に、白昼の襲撃作戦を決行した。作戦は、まずAH-6J4機(バーバー51-54)がビル一体を掃討した後、MH-6J4機(スター41-44)がデルタ隊員4名ずつをビルに降ろし、更にMH-60K2機(スーパー6162)がそれぞれデルタの狙撃兵3-4名と降下強襲兵8-9名を降下させる。レンジャー強襲隊計56名を乗せたMH-60K4機(スーパー64-67)はビルのあるブロックの4隅を封鎖して援護。作戦の指揮管制はMH-60C2指揮統制システム搭載ヘリ(スーパー63)が行い、戦闘捜索救難チーム15名の乗ったMH-60K(スーパー68)が上空に待機。目標近くのオリンピック・ホテルにはHMMWV9両(前衛が12.7mm機銃搭載車2両、Mk19搭載車1両、貨物輸送車1両。後衛が12.7mm機銃搭載車5両)と輸送トラック3両から成る車両撤収部隊が待機し、強襲部隊と捕虜を乗せて帰還する予定であった。上空には地上監視航空部隊としてP-3C対潜哨戒機1機とOH-58D観測ヘリ3機が作戦をビデオカメラで指揮所にリアルタイム送信することになったが、P-3Cは地上部隊との直接交信ができなかった。作戦時間は30分以内と見込まれ、隊員たちは夜間暗視装置や水筒などを基地に置いたまま、弾薬を余計に持って出撃した。いざという時の救援部隊も考えられておらず、第10山岳師団の軽歩兵部隊がモガディシオにいたものの待機状態には無かった。1031532、「アイリーン」のコールが入り、作戦が発動。作戦機が離陸を開始し、1535には車両撤収部隊も出撃した。「ルーシー」のコールと共に攻撃が開始され、AH-6Jがビルに飛来、続いて1542MH-6Jが到着し、ビル制圧を開始。次いでMH-60Kもデルタ・レンジャー部隊を降下させた。しかしアイディード将軍は待ち伏せ攻撃を仕掛け、民兵2000人、武装市民2000人を次々に動員してアメリカ軍を襲撃。それでもアイディード派幹部24人を拘束し、1602には車両撤収部隊に収容、民兵を排除して撤退しようとしたが、1620、スーパー61の尾部にRPGが命中してビルの北東3ブロックのところに墜落(乗員2名死亡、2名重傷)、これの救出のために車両撤収部隊は引き返し、救難チームが現場付近に緊急降下した。車両撤収部隊は民兵からの激しい射撃を受けた上、P-3Cからの道案内がOH-58経由となったために指示に時間が掛かって道に迷い、墜落現場に辿り着けなかった。1640、スーパー64も尾部にRPGが命中してビルの南南東1マイルのところに墜落。ここには派遣する救出部隊すら無く、機体に近づく民兵数百人をAH-6Jがミニガンでなぎ倒し続けていた。1655、ヘリからデルタ・フォースの狙撃兵2名が第2墜落現場に飛び降りて乗員を援護したが、弾薬が尽き、乗員2名と共に射殺され、残りの1名も捕虜となった。1745、非装甲車体をAK47で孔だらけにされ、車内が負傷者で埋まった車両撤収部隊は現場から離脱、1818にモガディシオ国際空港の基地に到着した。RPGが足周りに命中しなかったために走行は可能だったが、8名が死亡した。夜になっても99名の強襲部隊が取り残され、AH-6Jのミニガン掃射によって民兵の接近を何とか阻止していた。第1次救出部隊が第10山岳師団とレンジャー部隊で編成され、1830に出撃した。しかし非装甲HMMWVとトラックしか無く、市街地に入る地点で民兵のRPG・機関銃陣地を突破できずに引き返さざるを得なかった。事ここに至り、国連軍に救援を要請してパキスタン軍のM48戦車4両とマレーシア軍のコンドル装甲兵車(20mm機関砲搭載)32両を主力とする第2次救出部隊が編成された。2330に基地を出撃し、民兵の包囲を解いて救出に成功、墜落機を焼夷手榴弾などで破壊して1040600に基地に辿り着いた。レンジャー支隊の損害は戦死16名、負傷61名、救援歩兵部隊は戦死2名、負傷者24名。ソマリア側の損害は、戦死312人、負傷814人(実際にはもっと多いとされる)。その後、アメリカ兵の遺体をアイディード派が引きずり回すビデオが流れ、クリントン政権は19943月中のソマリア撤退を表明することになる。撤退までの間は、M1A1などの重機甲支隊を派遣して防御に努めた。参考:月刊軍事研究4,04、月刊丸12,11

モガドル>:フランス海軍モガドル級駆逐艦Mogador1938年竣工。194073日、北アフリカのメルス・エル・ケビール軍港で、カタパルト作戦のため出撃したイギリス海軍H部隊の砲撃を受けて38cm砲弾が艦尾に命中、爆雷が誘爆して艦尾を喪失した。応急修理の上ツーロンに曳航され、1942年までに修理を完了、対空火器を強化した。194211月、ツーロンにドイツ軍が進駐したため、自沈した。1943年に解体。参考:第2次大戦のフランス軍艦、月刊世界の艦船2,18

モガドル級>:フランス海軍駆逐艦Mogador級。全長137.5m、幅12.7m、吃水6.6m、基準排水量2884トン。主機は蒸気タービンで、出力92000馬力、速力39ノット。兵装は50口径13.8cm連装砲4基、37mm機関砲6門、3連装魚雷発射管2基、連装魚雷発射管2基。モガドル、ヴォルタ、クレベ、ドサイ、マルソー、オシュの6隻を建造する予定だったが、フランスがドイツに降伏してしまい2隻しか完成しなかった。参考:第2次大戦のフランス軍艦

<モカバ>:ZT-6(対戦車ミサイル)を参照。

モカパ>:南アフリカのケントロン社が開発した空対艦ミサイルMokapaZT-6対戦車ミサイルがベースで、最大射程20km以上。参考:月刊軍事研究12,08

<もがみ>:DE-212(護衛艦)またはFFM-1(もがみ型護衛艦)を参照。

最上>:日本海軍最上型砲艦Mogami。明治4033日起工、明治41325日進水、明治41916日竣工、通報艦に類別された。922日、台1艦隊に配備された。1017-24日、アメリカ海軍ホワイト・フリートの接待艦を務めた。明治424-12月、韓国警備に参加。107日、遭難漁師3人を救助した。明治451月、清国事変が発生したため、南京で情報収集・通報活動にあたった。大正元年828日、一等砲艦に類別変更された。大正338日、佐世保を出港。中国南部とマレー半島、シンガポールを回り、827日に佐世保に帰港した。大正74月、臨時南洋防備隊付属から第1特務艦隊に転属し、東南アジア・オーストラリア・インド洋方面で哨戒を実施した。12月、第1次大戦終結で日本に帰投。大正105-11月、シベリア出兵に伴いシベリア沿岸警備を実施。1110日、第3予備艦となった。大正13121日、第4予備艦となった。昭和341日に除籍された。昭和4412日、前部マストと後部艦橋が在郷軍人会大阪連合会に無償で払い下げられる事になり、中之島公園への設置が決まった。61日に売却されて解体された。前部マストと後部艦橋は7月末に特務艦高崎で大阪に運び込んだようで、今も前部マストが大阪の中ノ島公園で保存されている。参考:月刊世界の艦船12,'22、日本海軍特務艦船史、小艦艇入門

最上>:日本海軍最上型軽巡洋艦1番艦Mogami。昭和61027日、呉海軍工廠で起工。昭和9314日に進水したが、直前の夕鶴事件を受けて第1次性能改善工事を受けることになった。昭和103-4月、公試を実施。船体強度が低すぎて重油庫が破裂したり、第3・第4主砲塔が旋回できなくなったりしたため、補強工事を実施した。728日竣工。924-25日の第4艦隊事件で船体構造強化が必要となり、昭和11年から呉海軍工廠で第2次性能改善工事に入った。昭和132月、工事を完了。基準排水量が12400トン、公試排水量が14112トンに増えた。昭和1312月、第3次性能改善工事に入り、主砲を20.3cm砲に換装した。昭和1551日、工事を終えて第7戦隊第2小隊に配備された。昭和161月、タイ・仏印紛争対処のためタイと仏印に派遣された。7月、南部仏印進駐のため仏印に派遣された。9月、出師準備を実施。1126日、三亜港に進出。128日、太平洋戦争開戦時には建制も兵力部署も第7戦隊に所属し、南方作戦に就いた。昭和1731日、バタビア沖海戦に参加。39日、T作戦参加のため昭南を出港。45日、セイロン島攻撃に参加。46日、ベンガル湾通商破壊作戦で貨客船5隻29000トン(実際は3隻19629トンだった)を撃沈した。416日、日本に帰還。54-12日、呉海軍工廠で整備を受けた。65日、ミッドウェイ海戦に参加。帰路に三隈と衝突して艦首を損傷・切断した。67日、艦上機の攻撃により爆弾5発を被弾した。614日、トラックに入港。損傷の修理ついでに航空巡洋艦に改装されることになり、昭和1791日に佐世保海軍工廠で工事を開始、昭和18430日に完成した。524日、東京湾で東亜丸と接触する事故を起こした。610日、艦隊に復帰。7月、ラバウルに進出。920-23日、ブラウン環礁に出撃。1017-26日、ウェーク島方面に出撃。115日、ラバウルに入港した直後、アメリカ艦上機の爆撃を受け、爆弾1発を被弾、大破した。1222日、呉海軍工廠で修理に入った。昭和19217日、修理を完了し、機動部隊附属となった。53日、あ号作戦準備発令に伴い、機動部隊甲部隊に配属された。619日、マリアナ沖海戦に参加。78日、呉を出港。720日、リンガ泊地に進出。98日、瀬戸内海西部で訓練中に第5缶室の給水ポンプが故障した。1018日、リンガ泊地を出撃。1022日、比島沖海戦に参加。1025日、スリガオ海峡海戦に参加し、パナオン島南東38海里で被弾炎上、重巡那智と衝突し、更に爆弾2発を被弾(航空魚雷を被雷?)して航行不能となり、1047に総員退艦が命じられ、曙の魚雷で処分されて1307にパナオン島ビニト岬南東70kmで沈没した。201958日、ポール・アレン氏の沈没艦船調査チームがフィリピン海の水深1450mの海底で発見した。激しく損傷しており、航空艤装などはほぼ全壊状態だった。参考:月刊世界の艦船12,'229,1412,19、第2次大戦日本海軍作戦年誌、連合艦隊巡洋艦、日本海軍艦隊総覧、歴史群像4,16、帝国海軍太平洋作戦史T

最上型>:日本海軍二等巡洋艦(軽巡洋艦)。ワシントン条約制限内で重巡を目一杯作ったものの、アメリカの3分の2の隻数しかなかったため、昭和6年以降の第1次海軍補充計画(マル一計画)で、ロンドン条約で軽巡に相当する6.1インチ(15.5cm)砲を搭載艦として竣工させ、条約期限切れまたは戦時に8インチ(20.3cm)砲に積み替える巡洋艦として計画された。当初は25cm砲に換装する案も立てられたが、ロンドン条約の枠内で6隻建造するとなると基準排水量を8500トンに抑えねばならず、船体規模などで無理があったため、8インチに落ち着いている。高雄型の走攻守の能力はそのままに重量を7割にするというのは無理がありすぎる軍令部要求だが、設計担当の藤本造船少将は、電気溶接を多用して船体を極力軽量化するなど重量の軽減に努め、計画基準排水量9500トン・計画公試排水量11169トンで所定の性能を持たせたC-37案を提出し、建造に入った。しかし1番艦進水2日前に友鶴事件が発生。設計を再検討したところ、復元性不良が指摘され、バラストを搭載、艦橋を小型化し、不要装備品を撤去するといった第1次性能改善工事を行っている。更に、昭和103-4月に1番艦の公試を行ったところ、軽量化しすぎた船体が強度不足で亀裂や歪みを生じ、重油庫が破裂、第3・第4主砲塔が回らなくなったため、補強を行って漸く竣工させた。しかし2ヶ月も経たないうちに第4艦隊事件が発生し、艦首外板が歪みまくって船体強度を保てなくなりかけるといった問題が発生、外板を厚くして鋲接に切り替え、補強材を装着、第3・第4主砲塔バーベット部を改良し、重量増をバルジ増大による浮力向上で対処するといった第2次性能改善工事を実施する羽目になっている。6.1インチ3連装砲塔の重量が8インチ連装砲塔とほぼ同じで、重装備によるトップヘビー傾向は如何ともし難く、3・4番艦建造時に新たな軽量化策を講じる必要に迫られた。防御は重巡に準じるもので、舷側は100mmNVNC鋼板、弾火薬庫舷側は130-140mmNVNC鋼板で防御して20.3cm砲の直撃に耐えられるようにし、司令塔も100mmNVNC鋼板で防御、艦橋主要部には対機銃掃射用防弾板を装備している。水平防御はCNC鋼板である。3・4番艦はやや遅れて起工したため、第1次・第2次性能改善工事の内容を施した上で竣工した。全長200.6m、水線長198.3m(公試状態)、最大幅18.45m、吃水5.5m、平均吃水6.15m(公試状態)、基準排水量11200トン、公試排水量12669トン。主機は蒸気タービン方式で、艦本式高中低速型タービン4基、主缶はロ号艦本式専焼大型缶(圧力22気圧、温度300度)8基と小型2基(鈴谷と熊野は専焼缶8基)で、出力154266馬力、計画速力37ノット、最大速力35.96ノット、重油搭載量2280トン、航続距離は14ノットで8000海里。舵は2枚舵で、面積は1枚あたり10平方メートル。兵装は三年式六〇口径一五.五サンチ三連装砲5基(前甲板に3基、後甲板に2基。3番・4番砲塔が一段高くなっている)、八九式四〇口径一二.七サンチ連装砲4基、25mm連装機銃4基(煙突両舷に2基ずつ)、13mm連装機銃2基(艦橋前面)、九〇式六一サンチ三連装発射管4基(後部上甲板、次発装填装置付、魚雷24本)。カタパルト2基と水上偵察機4機を搭載する。乗員830名。1番艦最上、2番艦三隈、3番艦鈴谷、4番艦熊野の4隻が昭和10-12年に竣工し、5-6番艦は利根型になった。昭和13年、一等巡洋艦に艦種変更された。昭和141月から昭和155月、主砲を20.3サンチ連装砲6基に換装し、基準排水量12000-12400トン、速力34.7-35ノットとなった。参考:連合艦隊巡洋艦、続・海軍製鋼技術物語、近代巡洋艦史、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船12,'2212,107,11、月刊丸5,13、海軍操舵員よもやま物語

最上型(航空巡洋艦改装)>:ミッドウェイ作戦で損傷した最上の修復ついでに行われた。後部4・5番砲塔を撤去し、最上甲板を艦尾まで延長して飛行甲板とし、航空機運搬軌条とターンテーブル、両舷にカタパルトを1基ずつ設置した。零式水上観測機と零式水上偵察機を合計11機露天搭載できるが、定数には最後まで達しなかったようである。瑞雲を積んで攻撃任務に使う予定もあった。25mm連装機銃と13mm連装機銃は全て撤去し、25mm3連装機銃14基、同単装機銃18門を装備した。基準排水量12300トン。速力3ノット、航続距離は14ノットで7700海里。兵装は三年式六〇口径一五.五サンチ三連装砲3基、八九式四〇口径一二.七サンチ連装砲4基、25mm3連装機銃14基、同単装機銃18門、九〇式六一サンチ三連装発射管4基(後部上甲板、次発装填装置付、魚雷24本)。最上のみが改装を受けた。参考:連合艦隊巡洋艦、日本海軍艦隊総覧、月刊世界の艦船9,14、月刊丸7,14

最上型>:日本海軍通報艦/砲艦Mogami型。日本海軍初の蒸気タービン艦で、通報艦として竣工した最後の艦でもある。船型は平甲板型で、前後に艦橋があり、前部艦橋後端に前部単脚マスト、後部艦橋前端に後部単脚マストを持ち、前部マスト後方に煙突3本が縦列で並んでいて、マストと煙突は同じくらいの角度で少し後ろに傾斜している。全長96.3m、垂線間長91.44m、最大幅9.63m、吃水2.97m、常備排水量1350トン。主機はパーソンズ式直結蒸気タービン3基、主缶は宮原式石炭重油混焼水管缶6基、出力8000馬力、3軸推進(中央軸が高圧タービン、両舷軸が低圧前後進タービン)、計画速力23ノット、石炭搭載量68.5トン、重油搭載量352トン、航続距離1760海里(14ノット)。兵装は安式12cm単装砲2門、一号四〇口径8cm単装砲4門、45cm単装水上発射管旋回式2門。装甲厚は甲板63mm、司令塔51mm。乗員134名。最上が明治41年に竣工した。参考:日本海軍特務艦船史、月刊世界の艦船12,22

もがみ型>:海上自衛隊護衛艦、計画名30FFM。日本周辺海域の常続監視、グレーゾーン事態での哨戒、グレーゾーン事態から有事での護衛艦隊の戦力補完、平時から有事での対機雷戦(島嶼奪還作戦での敵前掃海含む)、有事での機雷戦(島嶼防衛作戦での敵前強行敷設含む)を主任務とする多目的護衛艦である。船体構造の一部(艦橋など)を商船仕様とし、建造費を節減した。船型は長船首楼型(前甲板が01甲板レベル、艦内錨甲板−露天ヘリ甲板が第1甲板レベル)で、高いステルス性を意識しており、上構幅を船体幅一杯にし、艦尾まで続くナックルラインより上の船体・上構舷側は下部船体と逆傾斜に取り、マストは太いタワーマストで、錨も含めて開口部を全て塞ぎ、揚錨装置を露天甲板下に収容してエンクローズド・バウとし、ヘリ甲板の起倒式安全網も板状(重いので機力で起倒する)にしている。通常航行時は他艦の航海レーダーに映らないと危険なので、レーダーリフレクター8基を装着する。艦首水線下はバルバス・バウで、護衛艦として初めてバウ・スラスターを装備しており、入港できる港が増えた。艦中央部水線下にビルジ・キール、艦尾水線下にスターン・フラップを持つ。主錨はコスト削減のため艦首左舷側に1基のみとし、艦番号に少し被る感じで蓋が設けられている。前甲板の主砲とVLSの間の中央とその左に四角いハッチが1つずつ用意されていて、必要時に両舷対応の昇降式洋上補給装置が出てくる。錨甲板からヘリ格納庫後面までの両舷に艦内通路があり、3連装短魚雷発射管、舷梯、OZZ-5などの収容部を兼ねていて、航海艦橋下方両舷に3連装短魚雷発射管用の小型ドア、マスト下方両舷に舷梯用大型ドア(前4分の1くらいで前後に分かれ、前方が前に、後方が上に開く)、その後方右舷側に洋上給油装置プローブレシーバー収容ドア、煙突下方右舷側にOZZ-5投入・揚収用ドアがある。洋上給油装置は右舷側にしか無く、プローブレシーバー収容ドアを下に開くと周りにパイプ状の手摺りが付いていて、作業スペースを確保できる。戦闘指揮所は高度統合戦闘指揮所AICICAdvanced Integrated Combat Information Center)と呼ばれ、従来ソナー室や対機雷戦区画として別に設けていた戦闘区画と機関操縦室を全てCICに統合していて、コンソール16基が円形に配置され、その上にほぼ全周(右舷側後方の出入り口部分除く)のビデオウォールがある。コンソールのうち出入り口右側の2基は通信卓、出入り口左側のテーブル・コンソールはSeaRAM管制用コンソール、その左はSSM-2管制用コンソール。他の12基はディスプレイ3枚装備のOYQ-1-29情報処理サブシステム用標準コンソールで、通信卓の右が機関制御用、その右が応急・電機制御用、それ以外の10基は戦闘指揮用と一応任務を分けているが、コンソールには任務互換性があり、どれでも各種戦闘から機関応急まで全業務に対応できる。AICIC中央前部には操舵コンソール1基、中央には指揮官や哨戒長などが使用する横並びコンソール4基、中央後部にはコラボレーション・テーブルと航跡自画機DRTDead Recking Tracer)が横並びで配置されている。ビデオウォールにはOAX-3電子光学センサーで撮影した外の映像や、AICICに集約された空中・水上・水中の全状況を全周表示でき、AICICの操舵コンソールと機関操縦装置により完全遠隔操艦できる。AICICの照明は民間の事務室並みで、目に優しい。主機は海自護衛艦初のCODAG方式で、ディーゼル2基をCODAD方式で組み合わせ、それに川崎重工製減速装置を介してガスタービン1基を追加している。推進軸2軸はコネクテッド・ギアで連結されていて、主機1基でも両軸を駆動し、単軸航行はできない。高出力低燃費のディーゼルにより通常任務での速力帯を全てカバー(ディーゼル1基で14ノット、2基で20ノットくらいらしい)し、燃料消費を減らしてライフサイクルコスト低減に寄与した。ディーゼル冷却水は造水装置に送って排熱を再利用する。ガスタービンのみだと28ノットくらい出せる。機械室は前方の第1機械室にガスタービン1基と減速装置など、後方の第2機械室にディーゼル2基(並列)とフィン・スタビライザー作動装置などという配置で、前後機械室が隣接していて抗堪性に劣る。艦中央に上構があり、前から艦橋、タワーマスト、露天甲板、煙突、17式艦対艦ミサイル4連装発射筒2基、ヘリ格納庫という配置になっている。艦橋の窓には高強度ガラスを採用し、横長形状として視野を広く取れるようにした。艦橋勤務員は3名で、中央に操舵・操縦員、右に航海指揮官、左にレーダー員が座り、他に艦長席と隊司令席が用意されていて、当直要員は艦橋勤務員+見張員の計4名で済む。統合艦橋システムIBSを採用しており、航海機能(航路監視、衝突防止、航路計画、自動操船など)、機関制御機能、通信機能などを艦橋で一括管理操作できる。航海指揮官とレーダー員のコンソールにそれぞれ独立した電子海図情報表示装置ECDISを備える。操舵・操縦員席にある固定式システム操艦装置に加え、可搬式システム操艦装置も装備していて、艦橋ウイングに持ち出せば、曳船が無くても艦長だけで岸壁を確認しつつバウ・スラスターを駆使した出入港作業を行える。艦橋ウイングに30センチ信号探照灯があり、ステルス性に配慮してライト部分が円筒形で無く角柱形になっている。艦橋上面にOAX-3光学複合センサー(旋回俯仰型)、その後ろにXバンド衛星通信装置NYRQ-1NORA-1Dアンテナドームを装備する。タワーマストは四角錐台形で、OPY-2多機能レーダー用正方形プラナー・アレイと、その上にNOLQ-3E電波探知妨害装置用カマボコ状アンテナ、下に同装置用長方形プラナー・アレイを前後左右に1面ずつ貼り付ける。タワーマスト中央から斜め4方向にアンテナ架台のヤードが出ており、それぞれ基部の高さが違う。速力信号標は廃止された。タワーマスト上面には円形のIFF送信用アンテナが載る。IFF送信用アンテナの上には7角錐のOAX-3光学複合センサー(固定型)用架台が付いており、後面を除く6面にセンサー窓が開いている。7角錐架台の上には細長い円筒形のNORA-50複合通信空中線を装備し、内部にNOLQ-3E電波探知妨害装置、ORQ-2B-4洋上無線ルータ、UHF/VHF無線機アンテナ、IFFトランスポンダ(受信アンテナ)、TACANなどを収容する。タワーマスト後方の露天甲板右舷側にXバンド衛星通信装置NYRQ-1NORA-1Dアンテナドームがある。煙突は1本で、排気口は大きい円の後ろに小さい円が2つ縦に並んでおり、前1者がガスタービン主機、後ろ2者がディーゼル主機の排気を担当する。煙突右舷側にアンテナが4本縦列で並んでいて、前の2本は外舷側、後ろの2本は内舷側に傾斜している。煙突後部左舷側にRHIB搭載スペースがあり、外板を倒してクレーンで揚収する。煙突後部右舷側は中部汎用区画で、20フィート・コンテナ収容スペースとクレーンがある。艦対艦ミサイル搭載部舷側は外板でカバーしてRCSを低減した。ヘリ格納庫上にはNORC-4Eインマルサット海事衛星通信装置アンテナドーム(両舷)とシーラム(中央)を装備する。ヘリ格納庫天井付近に移動式クレーンを持つ。ヘリ甲板にRAST Mk6ヘリ着艦装置を備えており、移送用軌条がヘリ格納庫に続いていて、軌条にRSDRapid Securing Device)機体係止装置が載る。LSO室はヘリ甲板前部右舷側にある。船体後面には左にOQQ-25ソナーシステム用VDS発進・揚収ドア、中央に艦載艇/掃海用USV発進・収容ドア、右にOQQ-25ソナーシステム用OQR-5TASS繰り出し孔がある。ヘリ甲板下は十数メートル四方の後部汎用区画(11m作業艇または水中処分員用RHIBまたは掃海用USV収容スペース)で、ウェル・ドック構造ではなく、艇をタイヤ付きレールに挟んで発進・揚収する方式を採っている。掃海用USVは正式には無人機雷排除システム用水上無人機という名称で、有人運用も可能。ヘリ甲板は艦尾側に向かって1.5度上に傾け、後部汎用区画に必要な容積を確保した。VDSはアームを海中に降ろして投入・回収する。艦載戦闘システムはOYQ-1情報処理装置を中核とし、各武器システムを統合制御する戦闘マネジメント・システムで、武器システムのソフトウェアを統合形態で維持管理でき、アップデートも容易。対機雷戦装置はOQQ-11対機雷戦ソナーシステムと無人機雷排除システム。前者は主に機雷原近くを航行する際の機雷回避に使用する。後者はOZZ-5自律型水中航走式機雷探知機、無人水上艇、自走式機雷処分用弾薬EMDからなる。OZZ-5は煙突下方右舷側のドアを開いてクレーンで海面に投入し、機雷を捜索する。機雷が見つかったら、艦尾中央ドアを開けて後部汎用区画に海水を引き込み、ドア近くの水中処分員が乗った処分艇を発進させる。次いで処分艇の奥のタイヤレールに載っている無人水上艇にEMD数基を搭載し、タイヤを回転させて無人水上艇を発進させる。無人水上艇はGPS、回転式カメラ、後方監視用固定カメラを搭載しており、自律航法で現場に進出、EMDを投下する。EMDも自律航法で機雷に向かい、自身のソナーで機雷を発見、もがみ型護衛艦上の管制員が手動操作に切り換えてソナー画面を確認しつつ機雷に接近させ、EMDのカメラ画像に切り換えて機雷を最終確認し、爆破処分する。1-2番艦を掃海隊群に配備して20233月から無人機雷排除システムの運用試験を行っているが、結果はイマイチらしい。簡易機雷敷設装置を備えていて、敷設時にはヘリ甲板後部に敷設レールを装着し、魚雷庫から機雷を台車で運んでレールに載せ、海に投下する。敷設装置を人力で運用しなければならないのと、使用中はヘリ甲板が使えなくなるのが欠点。ダメージ・コントロールは火災対処を主眼に置き、省人化のため艦内カメラや温度センサーによりAICICで状況を把握して自動・遠隔操作式消火装置を作動させる方式を採用した。ただ一定以上の損害を受けて電源が落ちたり消火系統が損傷したりすると状況把握や遠隔作動が不可能になるため、応急班員が自給式呼吸器SCBAを着用して消火ホースや応急給電ケーブルや角材で対応しつつ、基地に帰るか救援を待つことになる。乗員は心拍数計と現在位置把握システムを備えたリストバンドを装着しており、AICICのコラボレーション・テーブルで各員の位置や生死をリアルタイムで確認できる。乗員勤務は3直体制。第1分隊は砲雷掃海科で、掃海要員を含む。主砲要員は6名で、AICICに砲台長とコントロール・パネル操作員、給弾室に給弾員4名が位置する。主機はディーゼルとガスタービンの2種類だが、省力化のためディーゼル員とガスタービン員がお互いの仕事を手伝う。発着艦要員は乗員に含むが、航空要員(整備員など)は含まれておらず、必要に応じてヘリやヘリ乗員と共に陸上航空基地から派遣される。水中処分員も任務に応じて水中処分隊から派遣される。艦長室と司令室の気象・海象確認用舷窓はRCS低減のため全て廃止した。士官室にはテーブル2つと15名分の座席があり、天井に無影灯が用意されていて、治療・手術室としても使用可能。士官寝室は2段ベッドで、各員にパソコン端末が用意されている。科員居住区は1室あたり十数名が生活し、2-3段ベッド、ロッカー、小さいテーブル、椅子などが用意されている。必要なら2段ベッドを3段に増やして増員することができ、その分のロッカーが予め準備してある。女性自衛官専用の居住区は無いが、女性向けの浴室とトイレがあり、それらへの動線が他の居住区と重ならないようにした区画(20名弱分くらい)が用意されていて、女性比率が1番艦就役時(海自全体で7%くらい)の3倍になっても対応できる。科員食堂には40名分の座席があり、先任海曹と幹部自衛官も士官室でなくここで食事する。壁には大型液晶2面、ホワイトボード、掲示板、スクリーン、プロジェクターが設置されていて、会議室を兼ねる。科員食堂の隣に厨房があり、補助ボイラーが無いため蒸気釜でなく電気釜3台やドイツのラショナル社製オーブン(本型が初採用)で調理する。搭乗員待機室には座席8名分が設置されている。浴室には機械室の湯沸かし缶で作った湯を供給するので、海水の使用や再加熱はできない。医務室には手術台やベッド4床があり、定員には看護科乗員1名が含まれ、医官は必要に応じて乗艦する。横須賀基地にFFM用航海術科訓練装置があり、陸上での訓練が可能。全長133m、幅16.3m、吃水4.7m、深さ9m、基準排水量3900トン、満載排水量5500トン。主機はCODAG方式、ロールスロイス社製MT30ガスタービン(公試時出力40MW超・53600馬力超)1基・MAN社製12V28/33D STCディーゼル(出力5.46MW)2基、出力70000馬力、2軸推進、舵は2枚、速力30ノット以上。発電機はMTU社製ディーゼル3基。兵装はMk41VLS16セル(07式垂直発射魚雷投射ロケット。主砲後方。1-6番艦は後日装備、7-10番艦は新造時から装備)、17式艦対艦ミサイル4連装発射筒2基(煙突後方両舷)、シーラム11連装発射機Mk15Mod31が1基(ヘリ格納庫上)、127mm単装砲Mk45Mod4が1門(前甲板)、水上艦用機関銃架(遠隔操作型)2基(艦橋後方露天甲板両舷)、12式魚雷用3連装発射管HOS-303が2基(航海艦橋下方両舷第1甲板レベル)、掃討具一式(UUV/USV)、簡易型機雷敷設装置一式。自衛用にSRBOC Mk36Mod6の6連装発射機を艦橋後部両舷に1基ずつ装備する他、艦橋に手投げ式の対魚雷用音響デコイが用意されていて、着水すると海面を漂いつつ音を発して魚雷を引き寄せる。MARSシステムとの連接用にOYQ-72MMTを搭載している。SH-60J/KヘリまたはMCH-101ヘリ1機を搭載でき、ORQ-1Dヘリコプター・データリンクを装備する。真水造水能力1日あたり最大40トン。11メートル作業艇または無人水上艇1隻、7.5メートル複合作業艇1隻、処分艇1隻の計3隻を搭載可能。乗員90名。運用は当初は固定クルー制だが、将来的には複数クルー制とする予定。1番艦FFM-1もがみはMT30ガスタービンの地上試験でトラブルが発生したため、先に2番艦FFM-2くまの2022322日に就役し、1番艦は1ヶ月強遅れの2022428日に就役した。他にFFM-3のしろ、FFM-4みくま、FFM-5やはぎ、FFM-6あがの、FFM-7によど、FFM-8ゆうべつなど計12隻を建造予定。その後は改良型の4500トン型護衛艦の建造に移る。参考:月刊世界の艦船12,'221,'232,'246,'227,'228,'221,222,215,'219,'2111,'2112,'211,225,2210,'2311,'231,'24、月刊JWings4,23、朝雲

<もがみ型・海外シリーズ>

 <もがみ型(インドネシア海軍)>:インドネシア海軍がヴァン・スペイク級/アフマッド・ヤーニー級の後継フリゲートとして、イタリアFREMMフリゲート、バブコック製アローヘッド140、シグマ10514型と共に候補に挙げた。日本側に2023-24年からの4隻輸入+4隻ライセンス生産を申し入れ済みともいわれるが、本当かは不明。参考:月刊世界の艦船6,21

<模擬煙筒(赤)>:自衛隊の模擬煙筒。細谷火工製。参考:月刊軍事研究7,08

<模擬視界発生装置>:自衛隊の機器。三菱プレシジョン製。参考:月刊軍事研究12,14

<模擬ソフトウェア>:自衛隊の機器。キャドセンター製。参考:月刊軍事研究4,18

<模擬誘導弾>:自衛隊の機器。三菱電機製。参考:月刊軍事研究7,16

<模擬誘導弾B型>:自衛隊の機器。三菱電機製。参考:月刊軍事研究12,14

<木浦>:759(コルベット)を参照。

木桿戦車地雷>:日本陸軍の対戦車兵器。九三式対戦車地雷2個を縛り、間に黄色薬を詰め、木の棒に取り付けたものである。戦車の履帯の下に潜り込ませて爆破する。参考:月刊丸1,07

木合板交造大発動艇>:日本陸軍の小型揚陸艇。合板大発動艇の改良型で、単板材を組み合わせることにより耐衝撃性を増している。参考:スピアヘッドNo.8

 <木合板交造大発動艇T型>:全長15m、全幅3.6m、深さ1.6m、自重22.3トン。最大速力7.52ノット。九五式軽戦車1両またはトラック1両または武装兵80名を乗せられる。参考:スピアヘッドNo.8

 <木合板交造大発動艇U型>:全長12.87m、全幅3.04m、深さ1.65m、自重10トン。最大速力8.02ノット。軽装甲車1両またはトラック1両または武装兵80名を乗せられる。参考:スピアヘッドNo.8

目視偵察(航空偵察)>:航空機から目視で偵察すること。敵の妨害が多かったり極めて広範囲だったりして写真偵察に適さない、一定地域や特定経路、特定目標の変化などを調査する際に用いられる。とはいえ要所要所は写真に収めて後で確認する。低高度(150-300m)を300-350ノットまたは中高度(1500-2500m)を450ノット以下で飛行しながら目視で偵察するが、視認範囲は飛行経路の両側5海里くらい、集中力を持続できる距離は150-200海里くらいである。結果を無線ですぐ伝えることができるので、フィルム写真よりも速い。また、後で報告すると記憶が曖昧になったり、質問の仕方で報告内容が変わってしまったりするため、発見したものを機上でテープレコーダーに音声で記録しておく手法が取られる。航空機に武装を積んで2機編隊で出撃し、目視偵察で敵を発見次第攻撃する(索敵攻撃、Search and destroy)こともある。参考:空軍

<木星>:ノドン1号(弾道ミサイル)を参照。

<木星1号>:テポドン1号(弾道ミサイル)を参照。

<木星2号>:テポドン2号(弾道ミサイル)を参照。

木製機>:機体構造を木で製作した航空機のこと。引っ張り強さ自体は1平方ミリメートルあたり4-6kgとアルミ合金の10分の1しか無いが、比重が0.4とアルミ合金の7分の1で、重量当たりの引っ張り強さ(重量強度比)では遜色が無く、翼面荷重が低かった時代には幅広く使用された。木材乾燥に手間がかかる、一定品質の素材を揃えるのが難しい、腐食と経年劣化が激しい、防湿格納庫で保管せねばならずコストがかさむという問題点があり、航空機の高速化で大きくなった翼面荷重を支えきれなくなると金属に換えられた。第2次大戦中にはこれらの問題点を解決するため合成樹脂を使用した木製機が登場している。木製機は対レーダー・ステルス機であるという説をしばしば耳にするが、木の幹どころか梢や葉っぱまでグラウンド・クラッターの原因になっているのを見れば分かる通り、金属よりRCSは低いものの、しっかりレーダー波を散乱させるので注意。参考:歴史群像8,088,11、航空用語事典増補改訂版

木炭自動車>:薪を窯で蒸し焼きにして発生したガスを動力とする自動車。昭和9年に日本陸軍でフォード・トラックを改造したものがテストされ、昭和13年には木炭バスが走り始め、昭和16年の乗用自動車ガソリン全面禁止以降は木炭でしか走れなくなった。木炭自動車が姿を消したのは、昭和26年になってからである。参考:戦時用語の基礎知識

<木製大発動艇>:木大発を参照。

目斗>:日本海軍日振型海防艦Mokuto。昭和20219日竣工、呉防備戦隊に編入された。32日、佐伯で対潜訓練に参加。44日、福岡県部崎灯台の南4海里で触雷して沈没した。参考:月刊丸7,14、第2次大戦日本海軍作戦年誌

<目標位置捕捉特定およびハンドオフ・システム>:TLDHSを参照。

目標観測弾>:自衛隊の洋上目標情報収集装置。スタンド・オフ防衛能力の構成要素で、車載ランチャーから発射され、洋上を滞空し、長射程対艦ミサイルの目標情報を入手する。202366日、三菱重工と開発契約を締結した。2023-26年度に開発する。参考:防衛省ホームページ

<目標指示・長距離識別用光学システム>:TALIOSを参照。

目標指示発信器>:TDTTarget Designation Transmitter)と略す。安定化された支持台に7倍の双眼鏡を載せた簡易型方位盤で、目視により発見した目標の方向に主方位盤を向けるために使用する。操作用グリップにはトリガーも付いており、緊急時にはこれで砲を発射することもできるが、射撃指揮コンピュータには接続されておらず、距離なども目測で判断するしかない。参考:丸スペシャルNo.75

<目標照射レーダー>:イルミネーター・レーダーを参照。

目標選択戦略>:1974年のアメリカ国防報告で採用された核戦略。確証破壊戦略による核戦争抑止に失敗した場合、無制限核戦争に陥らないよう、敵の攻撃に応じて目標を選択し、それだけを核兵器などで破壊するというものである。参考:アメリカの核兵器

目標追尾>:Target Tracking。参考:レーダの基礎

 <目標追尾(レーダー)>:移動目標からのレーダー観測値(通常は距離データと位置データ)を元に、追尾フィルタで目標の位置と速度を推定し、更にこの推定に基づいて次サンプリング時刻における移動目標のレーダー観測値を取得する、という流れを繰り返して行う。参考:レーダの基礎

<目標方位角>:方位角を参照。

目標捕捉中隊(2004年)>:アメリカ軍のMLRS大隊隷下にある対砲迫レーダー中隊。TPQ-37対砲レーダー小隊2個計2基、TPQ-38対迫レーダー小隊3個計3基で構成される。参考:月刊軍事研究3,04

目標捕捉レーダー>:ACQと略す。早期警戒レーダー(EWR)の一種で、対空システムと連動し、目標データをシステムに送信する。ある程度正確なデータを送る必要があるため、探知距離はEWRの半分程度に抑え、パルス幅を短くし、パルス繰り返し周波数を高くしている。参考:月刊エアワールド4,00

模型飛行機>:航空思想普及啓蒙のため、昭和14年に文部省が尋常小学校と高等小学校の工作正課として定め、昭和15年から授業を行った。参考:月刊世界の艦船4,10

<モゴチェイ>:B-345(キロ級潜水艦)を参照。

モコちゃん>:札幌地方協力本部のマスコットキャラ。2012914日に公募で決定した。迷彩柄の帽子と蝶ネクタイを着けた雌ヒツジである。身長170cm。好奇心旺盛。好物はソフトクリーム。2014年ゆるキャラグランプリでは総合順位1670体中318位、企業・その他部門509体中80位だった。2016724日、丘珠駐屯地で第29回札幌航空ページェントに参加。91日、自衛官募集ポスターデザイン・コンテスト表彰式に参加。20171210日、北海道立総合体育センターで行われたフットサルリーグ公式戦で広報を実施。201821-2日、札幌雪祭り大通会場に雪像が展示され、つどーむ会場札幌ドーム内広報ブースで広報も行った。1020日、北部方面隊創隊66周年記念行事の音楽まつりに参加。2019131日から211日、第70回さっぽろ雪まつりで広報を実施。329日、北海道日本ハムファイターズの開幕戦で広報を実施。2020131日から211日、さっぽろ雪まつりで広報活動を実施。202119日、室蘭地域事務所がMUROE中島で行った冬の自衛隊フェアで広報を実施。2022619日、札幌市で行われた第9回スポーツ&カルチャー体験フェスティバル「スポカルSP2022atつどーむ」で広報を実施。1016日、真駒内駐屯地で北部方面隊創隊70周年記念行事に参加し、広報を実施。2023923-24日、岩見沢駅東市民広場で行われたコスプレイベントそらコス3で広報活動を実施。参考:朝雲、スピアヘッドNo.18MAMOR vol.134

モサ>:日本陸軍用語で、初年兵が二年兵を指してこう呼ぶ。参考:帝国陸海軍事典

モサド>:イスラエル情報機関・海外担当(対外情報局)。トップは長官で、副長官、参謀部議長、各部門会議、会計検査官が補佐する。組織は参謀部(人事財政課、保安責任課、作戦計画課、研究課、訓練課、技術・最新機器開発課)、ネヴィオト(偵察・盗聴・尾行。ケシェトから改称)、ツァフリリーム(在外ユダヤ人保護帰還)、ツォメット(対外情報収集分析)、テヴェル(外国情報機関との協力)、メツァダ(秘密工作管理実行。カエサレアから改称)、AL(徴募・非合法工作員管理)、特殊情報活動課(心理戦、戦時捕虜・行方不明、非通常兵器、敵性破壊工作)、技術運用課で構成される。メツァダの下にはキドンと呼ばれる要人誘拐・暗殺組織があり、2-4名単位で訓練を受け、実際の作戦行動時には12-16名のクリヨットと呼ばれる作戦チームを構成する。そのうち暗殺に従事するのは基本的に2名で、薬莢を排出しない.22口径リボルバーを使用し、銃口を密着させて2発撃つ。構成組織を命名したのは元モサド長官のメイル・ダガンである。在外イスラエル大使館も支局扱いで要員を派遣しており、支局長をトップとして副支局長、事務局、カトサまたはクツィン・イスフ(外国人情報部員管理)、カトサ・アタック(外国人情報部員徴募)、ボデル(隠れ処との連絡)、シヤアン(カトサ活動援助)、マラツ(技術者)、財務課、保安課、通信課、武器・特殊装備調達員、外交嚢担当員(機密文書伝達袋管理)などを置いている。1973721日、ノルウェーでPLO最高幹部アリ=ハッサン=アラーマ氏と誤認して別人を.22口径拳銃で射殺した。ノルウェー警察がすぐ捜査に乗り出したため、関係者数名が逮捕され、関連資料も押収されてしまっている。1979122日、ベイルートでPLO最高幹部アリ=ハッサン=アラーマ氏を自動車爆弾により爆殺した。参考:月刊軍事研究12,134,18、月刊航空ファン11,02

モザンビークPKO>:自衛隊が2回目に参加したPKOで、国連モザンビーク活動の一環である。人員53名、9mm拳銃46丁、64式小銃7丁、車両20両、C-130H2機を派遣し、19935月から19951月まで活動した。12100件の輸送調整を行い、人員延べ119000人、貨物12100トンを輸送している。2010612日、任務遂行15周年を記念し、第2次モザンビーク派遣輸送調整中隊関係者が埼玉県長瀞町の宝登山神社に記念植樹を行った。参考:月刊軍事研究10,035,12、朝雲

モザンビーク海軍>:2015年からオーシャン・イーグル級哨戒艇3隻が竣工。2016年からHSI-32型哨戒艇6隻が竣工。参考:月刊世界の艦船10,17

モザンビーク海軍(1989年)>:兵力750名。マプトに司令部、ベイラ、ナカラ、ペンバ、イナンベーン、クェリメーン、ニャサ湖メタングラに基地がある。SO-1級高速哨戒艇5隻、ポルチャト級哨戒艇1隻、小型高速哨戒艇5隻、小型哨戒艇15隻、エフゲーニャ級内海掃海艇3隻、汎用揚陸艇2隻を保有する。稼働率は5割強とみられる。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モザンビーク海軍(2015年)>:現役兵力200名。哨戒艇1隻を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モザンビーク空軍>:1982年、MiG-21bis戦闘機48機を輸入した。参考:月刊JWings10,14

 <モザンビーク空軍(1977年)>:MiG-21戦闘機8機、ノラトラ輸送機8機、C-47輸送機5機、An-24輸送機、ズリン軽飛行機7機、ハーバード練習機15機、アルエートU/Vヘリ2機、Mi-8ヘリを配備する。参考:軍事力バランス78年版

 <モザンビーク空軍(1989年)>:兵力4250名。MiG-17戦闘機21機、MiG-21戦闘機45機、An-26輸送機8機、セスナ152輸送機2機、セスナ172輸送機1機、Mi-8ヘリ8機、Mi-24/-25ヘリ12機、セスナ180練習機1機、セスナ182練習機4機、MiG-15UTI練習機3機、PA-32練習機4機、S-75地対空ミサイル、S-125地対空ミサイル10基を保有する。稼働率は5割強とみられる。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <モザンビーク空軍(2015年)>:現役兵力1000名。MiG-21bis戦闘機6機、MiG-21UM戦闘機2機、FTB-337Gミリロール偵察機2機、An-26輸送機1機、セスナ150B輸送機2機、セスナ172輸送機1機、PA-34輸送機1機、PA-32輸送機4機(全て非稼働)、ホーカー850XP要人輸送機1機、Mi-24攻撃ヘリ2機、Mi-8汎用ヘリ2機(全て非稼動)、S-75地対空ミサイル(全て非稼動)、S-125地対空ミサイル(全て非稼動)を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モザンビーク軍>:

モザンビーク軍(1989年)>:兵力71000名。ジンバブエ軍3000-8000名、マラウイ軍600名、ソ連軍事顧問650名、キューバ軍事顧問600名、北朝鮮軍事顧問10名、ジンバブエ軍事顧問200名、東ドイツ保安顧問50名が駐留している。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モザンビーク軍(2015年)>:現役兵力11200名(陸軍10000名、海軍200名、空軍1000名)。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モザンビーク民族抵抗運動>:モザンビークの反政府組織で、MNRまたはRENAMOと略す。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <モザンビーク民族抵抗運動(1989年)>:兵力20000名。大隊4個と特殊部隊1個200名からなる。82mm無反動砲B-10RPG-760mm迫撃砲、82mm迫撃砲、120mm迫撃砲M194312.7mm対空機銃、14.5mm対空機銃を装備する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モザンビーク陸軍>:

モザンビーク陸軍(1977年)>:兵力19000名(空軍含む)。戦車大隊1個、砲兵大隊2-3個からなる。T-34/T-54/T-55戦車35両、PT-76軽戦車、BTR-40/BRDM装甲車、BTR-60/BTR-152装甲兵員輸送車、76mm/85mm/100mm/122mm榴弾砲、BM21ロケット砲、60mm/82mm/120mm迫撃砲、82mm/107mm対戦車砲、9M14対戦車ミサイル、23mm/37mm/57mm高射機関砲、2K12/9M32地対空ミサイル24基を配備する。参考:軍事力バランス78年版

モザンビーク陸軍(1989年)>:兵力60000名(うち徴兵45000名)。州コマンド10個、大統領親衛隊戦車旅団1個、歩兵旅団7個、独立戦闘大隊、独立支援大隊、保安部隊、高射砲大隊6個からなる。T-34/85戦車50両、T-54/-55戦車100両、BRDM-1/-2偵察車30両、BMP-1歩兵戦闘車16両、BTR-60装甲兵員輸送車100両、BTR-152装甲兵員輸送車100両、76mmM-194285mmD-44100mmM-194424門、105mmM-101122mmM-1938122mmD-30130mmM-4624門、152mmD-120門、BM-21多連装ロケットを30両、82mm迫撃砲M-43120mm迫撃砲M-439M14対戦車ミサイル、75mm無反動砲、82mm無反動砲B-10107mm無反動砲B-1120mm高射機関砲M-5523mm高射機関砲ZU-23-237mm高射機関砲M-193957mm高射砲S-60ZSU-57-2自走高射機関砲、9M32地対空ミサイルを保有する。稼働率は5割強らしい。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モザンビーク陸軍(2015年)>:現役兵力9000-10000名。特殊作戦大隊3個、歩兵大隊7個、砲兵大隊2-3個、工兵大隊2個、兵站大隊1個からなる。T-54戦車60両、BRDM-1/-2偵察車30両、BMP-1歩兵戦闘車40両、FV430装甲兵員輸送車30両、BTR-60装甲兵員輸送車160両、BTR-152装甲兵員輸送車100両、サクソン装甲ヘイン輸送車25両、キャスパー装甲車11両、100mmM-194420門、105mmM10112門、122mmD-3012門、130mmM-46を6門、152mmD-112門、122mm多連装ロケットBM-2112両、82mm迫撃砲M-4340門、120mm迫撃砲M-4312門、9K11/9K111対戦車ミサイル、75mm無反動砲、82mm無反動砲B-10107mm無反動砲B-1224門、85mm対戦車砲D-48を6門、5685mm対戦車砲(D-4412門、57mm自走高射機関砲ZSU-57-220両、20mm高射機関砲M-5523mm高射機関砲ZU-23-2120基、37mm高射機関砲M-193990門(+保管中10門)、57mm高射機関砲S-6060門(+保管中30門)保有する。ただし稼働率は10%以下。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モ式偵察機シリーズ>:日本陸軍複葉偵察機。参考:月刊航空ファン1,15

 <モ式1912年型>:エンジンはルノー70馬力、プロペラはショービエール式木製2翅(直径2.9mピッチ2.2m)。参考:月刊航空ファン8,19

 <モ式1913年型>:エンジンはル式空冷ガソリン(70馬力)単発、プロペラはショービエール木製2翅(プッシャー式。直径2.9m)。大正41月、7号機が墜落したため、修理ついでに前方昇降舵と後下方水平尾翼を撤去し、視界と射界を改善している。参考:月刊航空ファン1,158,19

 <モ式四型偵察機>:大正4年に輸入したMF.11を国産化したもの。当初はモ式1914年型と呼ばれており、改造モ式、モ式四年型を経て大正76月にこの名称となった。前方昇降舵は最初から無く、開放式コクピットの位置が上にずれて下翼から離れた。エンジンはル式空冷ガソリン(70馬力)単発、プロペラはショービエール木製2翅(プッシャー式。直径2.9m)。陸軍砲兵工廠(機体番号2桁)と臨時軍用気球研究会所沢工場(機体番号3桁)で計80機が生産された。参考:月刊航空ファン1,158,19

 <モ式五型偵察機>:全長を0.2m延長し、複操縦装置を設けた練習機型とされる。エンジンはルノー70馬力、プロペラはショービエール木製2翅(直径2.9m)。大正8-10年に十数機(11機?)が生産され、陸軍や台湾総督府警察(大正9年度に3機導入の記録あり)に配備されたとみられるが、資料が少なく写真も無く、詳細不明。参考:月刊航空ファン1,158,19

モ式六型偵察機>:当初はモ式1916年型と呼ばれており、モ式六年型を経て大正76月にこの名称となった。モ式四型の翼スパンを拡大し、エンジンを強化、コクピット後部両側面に鎧戸のようなラジエーターを追加した。主脚はスキッドとダブルタイヤの併用で、支柱無しの短いスキッドを持つタイプと、支柱付きの前に長いスキッドを持つタイプがある。機首上面に無線機用らしいラムエアタービン発電機を装着したものもある。エンジンはダ式水冷ガソリン(100馬力)、プロペラはショービエール木製2翅(直径2.9m)。大正6年春に初号機が完成し、134機(大正612月から大正99月までの製造指示数で類推すると157機、機体番号を連番だと仮定すると200機以上)が生産された。大正611月、東近江での特別大演習で14機が所沢を離陸したが、目的地の長浜と深草飛行場に1機も辿り着けないという事態が発生した。故障調査特別委員会で調査の結果、国産エンジン不調が原因であると判明。エンジンを作った砲兵工廠、制定した臨時軍用気球研究会、使った航空隊で責任のなすり合いになって決着が付かず、陸軍航空制度改革へと発展した。エンジンは大正8年から東京瓦斯電気工業でライセンス生産している。昭和27年に東北大学で分解保存されているのが発見され、組み立てられて展示会や映画に出演し、靖国神社境内や京成谷津遊園で屋外展示された後、国立科学博物館で屋内展示されていたが、改築を機に倉庫にしまい込まれたままとなっている。参考:月刊航空ファン1,158,19、月刊JWings5,12

<モ式大型水上機>;ロ号乙型水上機を参照。

<モ式小型水上機>:イ号甲型水上機を参照。

モジャイスク>:ロシア海軍636.3型潜水艦11番艦Mozhaisk2021823日、アムール造船所で起工式を実施。2023427日、アドミラルティ造船所で進水。1128日就役、大平洋艦隊に配備された。参考:月刊世界の艦船7,'2311,212,24

モジュール式ジェット軍用機>:イギリスのアエラリス社が開発しているジェット軍用機。共通胴体コア・モジュールに、後部胴体、主翼、単発/双発用エンジンナセルの各モジュールを付け替えることで、中等練習機、高等練習機、軽戦闘攻撃機といった各用途に最適な機体を作り出すことができる。2021217日、イギリス空軍ラピッド・カバレッジ・オフィスと3年間の研究開発契約を結んだ。3月、タレスUK社と訓練及びシミュレーターでの協力で合意した。97日、アトキンス社及びシーメンス社と、デジタルエンジニアリング技術での協力で合意した。915日、ロールスロイス社と、動力に関する協力で合意した。中東の政府系ファンドからも1億500万ポンドの投資があったらしい。参考:月刊JWings12,21

モジュール整備>:Modular maintenance。モジュラー構造をとっている機能部品を、モジュール単位で整備すること。参考:航空用語事典増補改訂版

モシュタラク作戦>:2010213日からISAFが開始したタリバン掃討作戦Operation Moshtarak(アフガンのダリー語で一緒にの意)。主力は第2海兵遠征旅団で、NATO諸国軍やアフガニスタン軍1500名も参加し、ヘルマンド州マルジャ県のタリバンを攻撃した。参考:月刊軍事研究9,12

<モジュラー化自動ネットワーク目標探知識別システム>:MANTIS(迎撃システム)を参照。

<モジュラー型スタンドオフ兵器>:MOSWを参照。

モジュラー空中消火システム>:輸送機用空中消火装置、略称MAFFS6-8時間で輸送機に装着でき、ホースで30分(12分?)かけて機内タンクに水や消火剤を補給している間に装置が放水用圧縮空気を充填する。火災現場上空でトループドアからノズルを突き出し、5秒間に3000ガロン(11356リットル)の水や消火剤を投下、長さ400m・幅30mに撒布する。自重6トン。アメリカ空軍予備役軍団C-130H飛行隊4個に配備された。ブラジル空軍もKC-390空中給油輸送機に搭載して運用している。参考:月刊JWings10,1310,1511,'24、月刊航空ファン6,19

モジュラー構造>:Modular construction。いくつかのモジュール(基本構成体。規格化された装置やシステムを構成する、機能的に纏まった部分)を組み合わせて完成させるタイプの構造のこと。修理や改良の際にはモジュールだけ交換すれば済む。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊JWings10,09別冊付録、月刊軍事研究12,108,137,16

モジュラー師団>:アメリカ陸軍がフル・スペクトラム・オペレーションズで規定したモジュラー・フォース師団版。師団司令部(主指揮所、戦闘指揮所、移動指揮グループ)/司令部付大隊(師団支援中隊、本部・本部管理中隊、情報兵站中隊、通信中隊)が常設されており、任務に応じて旅団戦闘チーム(重旅団戦闘チームHBCT、歩兵旅団戦闘チームIBCT、ストライカー旅団戦闘チームSBCT。平時4個、戦時6個、安定化作戦ではそれ以上)、支援旅団(戦闘航空旅団、砲兵旅団、戦闘支援旅団、戦闘監視支援旅団、戦闘力維持旅団)、機能旅団(憲兵旅団、工兵旅団、防空旅団、通信旅団、衛生旅団、CBRN防護旅団、民事旅団)が配属される。参考:月刊軍事研究8,13

モジュラー偵察ポッド>:デンマークのペア・ウトスン社(後にテルマ社)が開発した偵察ポッドで、MRPModular Recce Pod)と略す。ビンテン製カメラ3基と赤外線ラインスキャン1基を収容しており、低高度用と高々度用の2種がある。ベルギー空軍が(R)F-16A/B用として採用した。また、地上へのダウンリンクを追加した改良型MRPSはスウェーデン空軍がJAS39に搭載している。参考:月刊JWings1,14、月刊航空ファン11,02

モジュラー・ロボテック・システム>:セルビアが開発した戦闘型UGV。本体は小型装軌式で、昼夜間カメラと350度旋回可能な武装ターレットを持つ。電動モーター駆動で、最大速度3km、駆動時間2時間。90mm対戦車ロケットM79用連装ランチャーや、120mm対戦車ロケットM91を装備可能。参考:月刊軍事研究9,11

<モシン・ナガン>:M1891シリーズ(ライフル)を参照。

<モス>:MOS(軍事特殊技能)またはTu-126(早期警戒機)を参照。

<モスカ>:I-16 6型(戦闘機)を参照。

<モスキート>:3M80(対艦ミサイル)またはKh-41(空対艦ミサイル)またはT-6FAC(前線航空統制機)を参照。

モスキート>:イギリス陸軍のFIST指揮官用目標捜索装置で、ベクターニクス社が開発した。倍率5倍の光学サイト、車両探知距離1800m・識別距離300mの夜間暗視装置、最大4km・誤差5mのレーザー測距器を統合している。参考:月刊軍事研究12,09

モスキート・シリーズ>:イギリス空軍の木製多用途機Mosquito、愛称はモッシーまたはウッデン・ワンダー。デハビラント社が1938年秋にDH.98の名称で自主設計して英航空省に提案したが、この時は却下された。第2次大戦勃発と共に軽金属節約ということで再び注目され、194031日に航空省仕様書B.1/40に基づいて50機が発注されたが、ダンケルク撤退で新型機を開発している暇が無くなり、一時中止となった。その後開発が再開され、爆撃機原型初号機は19401125日に初飛行し、最大速度630kmを記録。当時のどの戦闘機よりも速かったため1941218日から公式試験に入り、7月までに優先生産が決定した。試作機は爆撃機原型の初号機、夜間戦闘機原型の2号機、偵察機原型の3号機の3機が製作され、量産に入ったのは偵察機型からである。総生産数7781機。素材のスプルースと樺はアメリカ、バルサはエクアドルから輸入したが、エクアドルではバルサの木を刈り尽くして大規模森林破壊になってしまったらしい。インド・ビルマ戦線では接着剤が劣化して空中分解したりした。第2次大戦でのイギリス3大傑作機の1つに挙げられる(残りはスピットファイア及びランカスター)。参考:週刊エアクラフトNo.82、月刊JWings1,022,1312,18、月刊航空ファン12,18

 <モスキートT>:Uに続いて完成した写真偵察機型原型機。1941710日に初飛行し、920日から実戦参加した。参考:月刊JWings1,02

 <モスキートU>:夜間戦闘機型のプロトタイプで、爆撃機型の次に完成し、1941515日に初飛行した。胴体はモノコック構造で、スプルース製の胴体フレームは7枚しか無い。胴体外板は厚さ11mmのバルサ材を厚さ1.6mmのシーダー材(ヒマラヤ杉)合板2枚でサンドイッチして圧力成型したもので、外板の木目は前後方向とし、最後尾のみ内外合板の木目をクロスさせて強度向上と歪み予防を兼ねている。胴体は内部の装備品を組み付けた後に左右を接着剤(カゼイン系、フェノール・ホルムアルデヒド系、尿素ホルムアルデヒド系の3種類)で貼り付けて完成させた。主翼は2本の主桁、縦通材、リブ、外皮全てスプルースを主材(上下面外皮だけバルサを樺で挟んだハニカム材)とした木製モノコックで、上面外皮のみ強度向上のため二重にしてある(間に縦通材が通る)。胴体・主翼共に木製外皮の上に羽布を張り、透明塗装で表面を平らにし、仕上げ塗装を行った。金属は脚、エンジンマウント、エンジンナセルカバー、動翼の一部のみに使用されている。内翼前縁をラジエーター収容部として空気抵抗を抑えた。風防は防弾型フラットタイプ。全長13.50m、全幅16.50m、総重量8.845トン。エンジンはマーリン251635馬力)双発で、最大速度612km、上昇限度10058m、航続距離2250km。固定武装は機首下面の20mm機関砲4門、機首先端の7.7mm機銃4丁。参考:月刊JWings1,0212,18、月刊丸12,90、航空用語事典増補改訂版

 <モスキートB Mk.Wシリーズ1>:爆撃機型の初量産型。機首に爆撃照準用透明機首窓を持ち、250または500ポンド爆弾4発を搭載する。胴体はスプルースの成形材に合板・バルサ・合板のサンドイッチ材を張ったもので、左右を2分割で製作し、中央垂直面で接着してある。主翼は片持ち式の中翼配置で、桁の腹材と全外板に合板を使用した。コクピットは並列複座で、左に操縦士、右に航法/爆撃手が位置する。抗力を極力減らすため、自衛武装は搭載しない。全長12.43m、全幅16.51m、全高4.65m、全備重量10152kg。エンジンはロールスロイス社製マーリン21液冷V型12気筒レシプロ(1230馬力)双発、最大速度612km、航続距離1963km。胴体爆弾倉内に爆弾907kg500ポンド爆弾4発)を搭載可能。乗員2名。194111月から納入され、第105飛行隊に配備された。参考:月刊JWings1,029,1412,18、週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートB Mk.Wシリーズ2>:ナセル後端を延長し、消炎シュラウド付き排気管を装備したタイプ。500ポンド爆弾4発または1000ポンド爆弾2発を搭載できる。参考:月刊JWings1,02

 <モスキートB.MkWシリーズ4>:爆弾倉を大型化し、4000ポンド爆弾1発を搭載可能としたタイプ。参考:月刊JWings1,02

 <モスキートB.MkX>:

 <モスキートB.MkZ>:B.MkXの原型をベースとしたもので、カナダ製。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートB.Mk\>:高々度爆撃機型で、54機が生産された。1944年からは2000ポンド爆弾ブロックバスターを搭載できるようになった。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇、週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートB.Mk]Y>:B.Mk\に与圧キャビンを搭載したタイプ。大部分は2000ポンド爆弾を搭載可能とされている。1200機が生産された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇、週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートB.Mk]]>:B.MkWのカナダ生産型。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートB.Mk23>:B.Mk\のカナダ生産型。ただし生産されなかった。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートB.Mk25>:B.Mk]]にパッカード・マーリンを搭載したタイプで、カナダ製。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートB.Mk35>:B.Mk]Yを与圧化したもの。第2次大戦後に完成した。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートF.MkU>:最初に量産化された戦闘機モデル。エンジンはマーリン211280馬力)または231390馬力)で、19424月から配備が開始された。参考:月刊JWings1,02

 <モスキートFB.MkY>:最多量産型で、シリーズ1-3の計2500機が生産された。参考:月刊JWings2,13

 <モスキートFB.MkYシリーズ1>:モスキートF.MkUのレーダーを外し、250ポンド爆弾を胴体内に2発、主翼下に2発搭載できるようにしたタイプ。エンジンを低空でのブーストを上げたマーリン25に換えており、主翼下には機雷、爆雷、ロケット弾などを搭載できた。機銃はそのまま装備されている。全長16.51m、全幅12.55m、全高5.31m、自重6506kg、全備重量10124kg。エンジンはロールスロイス社製マーリン21またはマーリン251635馬力)双発で、巡航速度523km、最大速度611km、実用上昇限度10060m、航続距離1940km(増槽付きで2745km)。固定武装は機首の20mm機関砲4門、7.7mm機銃4丁。爆弾907kg225kg爆弾を胴体内に2発、両主翼下に1発ずつ)または爆弾454kg+ロケット弾8発などを装備可能。乗員2名。参考:月刊JWings1,022,13、週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートFB.MkYシリーズ2>:シリーズ1の爆装強化型で、胴体内に500ポンド爆弾を搭載できるようにした。参考:月刊JWings1,02

 <モスキートFB.MkYシリーズ3>:機体上方のアンテナを撤去し、後方警戒レーダーを装備、翼下にも300ポンド爆弾を搭載できるようにした。参考:月刊JWings1,02

 <モスキートFB.Mk]T>:2段過給機付きエンジンを搭載した戦闘爆撃機型。計画のみ。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートFB.Mk][>:沿岸軍団向けUボート・艦艇攻撃型で、別名ツェツェ。FB Mk.Yシリーズ3から20mm砲を全て外し、モリンズ6ポンド砲(装弾数25発)とロケット弾を搭載、コクピットとエンジン周りには重装甲を施した。27機がMk.Yから改造された。後に7.7mm機銃も外側の2丁を外している。参考:月刊JWings1,02、週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートFB.Mk21>:モスキートFB.MkYのカナダ生産型。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートFB.Mk24>:2段過給機付きエンジンを搭載したカナダ生産型。ただし生産されなかった。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートFB.Mk26>:FB.Mk21にパッカード・マーリンを搭載したカナダ生産型。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートFB.Mk40>:FB.MkYをオーストラリアで生産したもの。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートFB.Mk41>:FB.Mk40に2段過給機付きエンジンを搭載したもの。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートFB.Mk42>:FB.Mk40にマーリン69を搭載したもの。オーストラリアで1機が改造された。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートNF.MkU>:モスキートF Mk.UにAI.MkWまたはMk.Xレーダーを搭載した夜間迎撃戦闘機型。最大速度は595kmに低下したが、爆撃機相手には十分だった。まず第157飛行隊に配備され、1942427-28日に初出撃した。また、夜間襲撃にも使用されており、19421030-31日にこの任務で初出撃している。参考:週刊エアクラフトNo.82、月刊JWings1,02、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

 <モスキートNF.Mk]>:2段過給機付きエンジンを搭載した夜間戦闘機型。計画のみ。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートNF.Mk]U>:モスキートNF Mk.Uのレーダーを、ディッシュアンテナ式のセンチメートル波レーダーであるAI.Mk[に換装したタイプ。7.7mm機銃も全て廃止し、機首には円筒型レドームを設けた。空力が改善したので、最大速度が634kmになった。97機がMk.Uから改造され、19432月から配備された。参考:月刊JWings1,02

 <モスキートNF.Mk]V>:Mk.]UにモスキートFB Mk.Yの主翼を装着したもの。レドームは当初円筒形タイプであったが、後に大型のブルタイプレドームを装備した。増槽、爆弾なども装備でき、夜間侵攻作戦にも投入できた。270機が生産され、19442月以降に配備された。エンジンはマーリン21/23/25のいずれかで、最大速度634km。参考:月刊JWings1,02

 <モスキートNF.Mk]W>:NF.Mk]Vに2段過給機付きエンジンを搭載したタイプ。計画のみ。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートNF.Mk]X>:ドイツの高々度爆撃機や高々度偵察機に対抗できるようにしたタイプ。エンジンをマーリン721650馬力、2段2速過給器付き)に変更し、4翅プロペラと与圧キャビンを装備、延長型の主翼を持つ。搭載レーダーはAI.Mk[。高度10000mで時速579km、上昇限度13700m以上。B.MkWから改造されて19429月以降に実戦配備されたが、ドイツ国防軍の高々度作戦が行われなくなり、用無しとなってテスト機などに転用された。参考:月刊JWings1,02、週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートNF.Mk]Z>:NF Mk.Uにアメリカ製のAI.Mk]レーダーを搭載したタイプで、100機が改造された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇、週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートNF.Mk]\>:NF Mk.]Vの機首を、アメリカ製またはイギリス製AIレーダーのどちらでも搭載できるタイプに換装した夜間戦闘機型。220機が新規生産された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇、週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートNF.Mk]]]>:Mk.]Yから発達した高々度夜間戦闘機型。最初の70機はマーリン721680馬力、2段2速過給器付き)、以降の460機はマーリン761710馬力、2段2速過給器付き)を搭載し、ユニバーサルタイプのレドームにAI.Mk]またはSCR720レーダーを装備した。与圧キャビンは無かったが、高度8000mで最大速度682km、航続距離1900kmを発揮した。電子妨害装置も付いている。全長12.47m、全幅16.51m、全備重量9530kg。最大速度655km、実用上昇限度11880m、航続距離2090km。固定武装は20mm機関砲4門。乗員2名。19446月以降、夜間爆撃機隊の護衛などとして実戦使用された。ドイツの夜間戦闘機よりも最大速度が50-100km以上速く、迎撃に上がってきたドイツ機に逆襲を加えている。参考:月刊JWings1,022,13、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇、週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートNF.Mk31>:NF.Mk30にパッカード・マーリンを搭載したタイプ。計画のみ。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートNF.Mk36>:NF.Mk30のエンジンを高々度用マーリンに換装したもの。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートNF.Mk38>:NF.Mk30にイギリス製のレーダーを搭載したもの。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートPR.MkT>:モスキート・シリーズで最初に量産された写真偵察機型で、10機が生産された。実戦初参加は1941920日のフランス昼間偵察で、追尾してきた3機のBf109をあっさり引き離している。参考:週刊エアクラフトNo.82、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

 <モスキートPR.MkW>:B Mk.Wを改造した偵察機型で、カメラ4台を装備する。32機が製作された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇、週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートPR.Mk[>:偵察機型で、エンジンにマーリン61を採用したタイプ。5機が生産された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇、週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートPR.Mk\>:B.Mk\を偵察機に改造したタイプで、90機が生産された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇、週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートPR.Mk]Y>:B.Mk]Yの高々度偵察機型で、与圧キャビンを搭載し、天測用のドームを持つ。432機が生産された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇、週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートPR.Mk32>:NF.Mk]Xの高々度偵察機型。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートPR.Mk34>:超長距離偵察機型。爆弾倉を張り出させて燃料を満載しており、エンジンはマーリン76/771710馬力)または113/1141690馬力)で、機首に偵察用窓、胴体下面に垂直カメラ、胴体下部にもカメラ、胴体後部側面に斜め写真用カメラ窓を装備する。全長12.65m、全幅16.51m、全備重量11570kg。最大速度684km、実用上昇限度10970m、航続距離5600km。固定武装は無い。乗員2名。50機が生産された。参考:月刊JWings1,02、第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇、週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートPR.Mk40>:オーストラリアでFB.Mk40を偵察機に改造したもの。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートPR.Mk41>:PR.Mk40に2段過給機付きエンジンを搭載した偵察機型。オーストラリアで製作された。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートT.MkV>:複操縦装置を付けた練習機型。343機が製作された。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートT.Mk22>:モスキートT.MkVのカナダ生産型。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートT.Mk27>:T.Mk22にパッカード・マーリンを搭載したカナダ生産型。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートT.Mk29>:FB.Mk26を改造した練習機型。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートT.Mk43>:T.MkVのオーストラリア生産型。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートTR.Mk33>:イギリス海軍向け3座艦上型で、別名シーモスキート。FB Mk.Yから発展したもので、戦闘、雷爆撃、偵察任務をこなす。エンジンはマーリン251620馬力)で、4翅プロペラ、機首にASH捜索レーダーを内蔵した小型レドームを配置、着艦フックを装備した。固定武装は機首下の20mm機関砲4門。胴体下面に2000ポンド魚雷、機雷、爆弾を、主翼下に爆弾、ロケット弾、増槽を装備可能。生産は戦後となり、14号機以降に主翼折り畳み機構が採用された。参考:月刊JWings1,02

 <モスキートTR.Mk37>:TR.Mk33にイギリス製のレーダーを搭載したもの。参考:週刊エアクラフトNo.82

 <モスキートTT.Mk39>:B.Mk]Yを標的曳航機に改造したもので、イギリス海軍が使用した。参考:週刊エアクラフトNo.82

モスキート>:イギリス空軍ラピッド・カバレッジ・オフィスと国防科学技術研究所がLANCA計画の技術実証機として製作を予定している戦闘用無人機。2019722日、計画フェーズ1(設計、開発、試作、製造、サポートの調査)をボーイングUK社、ブルー・ベア・システム・リサーチ社、カレン−ランツ社の合同チームと契約した。12ヶ月間の調査の後、フェーズ2(詳細設計、実機製造、飛行試験)に移る予定。参考:月刊JWings10,19

モスキート1.0>:イスラエルのIAI社が開発したマイクロUAV。全翼機形状で、スリングショットにより離陸する。全幅300mm、重量250g。滞空時間40分。参考:月刊軍事研究11,12

モスキート1.5>:イスラエルのIAI社が開発したマイクロUAV。全長300mmで、1名で持ち運びできる。小型CCDカメラを搭載し、約1時間の飛行が可能。参考:月刊軍事研究12,04

<モスキートM>:3M80M(対艦ミサイル)または3M82(対艦ミサイル)を参照。

モスキート級>:ロシア国境警備隊哨戒艇Moskit級、NATOコードはVosh級。兵装は76mm砲1門、AK630CIWS1基。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モスキット>:ソ連の小型標的機で、V字尾翼を持つ。全長4.07m、全幅6.2m、機体重量250kg。エンジンはP-032単発で、プロペラ推進、速度90-200km。ペイロードは50kgで、センサーは胴体下面の回転式ターレットに搭載され、標準装備は昼間用TVカメラである。カムAZ-4310トラックに4基積まれた発射筒から重量40kgの発射用ブースターにより射出され、操縦ステーションから無線誘導で操縦され、パラシュートで回収される。参考:月刊軍事研究1,00

<モスクワ>:A-135(弾道ミサイル防衛システム)を参照。

モスクワ>:ソ連海軍スターリングラード級重巡洋艦2番艦Moskva195292日起工。1953418日に建造中止となり、除籍されて解体された。参考:ソ連/ロシア巡洋艦建造史

モスクワ>:ソ連海軍モスクワ級航空巡洋艦1番艦Moskva196212月起工、19651月進水、196712月就役。19721118日、Yak-36M(後のYak-38)の着艦実験に供され、ソ連初の固定翼機着艦艦となった。1996年(1998年?)に除籍された。参考:月刊軍事研究4,99、近代巡洋艦史、世界の傑作機No.162、月刊世界の艦船8,15

モスクワ>:ロシア海軍スラヴァ級ミサイル巡洋艦Moskva。元はスラヴァという艦名で、1995516日に改称された。19985月、近衛軍艦となり、近衛軍軍艦旗を引き継いだ。1999年、近代化工事を完了。725日、海軍記念日観艦式に黒海艦隊旗艦として参加。20004-11月、兵装点検を実施。2001-02年、地中海で作戦任務を実施。2003年、インド海軍と共同訓練に参加。20045月、修理を行った。9月、マルタ島に寄港し、イタリアとの共同訓練イオニクス2004に参加。20062月、アメリカ海軍との共同訓練に参加。20081-3月、北洋艦隊の空母機動部隊と地中海で作戦任務に就いた。8月から南オセチア紛争に参加し、アブハジア沖で防空任務に就いた。20091月、イタリアを訪問した。20105月、インド海軍ミサイル駆逐艦D-51ラジプットと共同演習を実施。524日、下対馬の南東18kmを北東に航行するのをDD-104きりさめが確認した。527日、沿海州フォキノに入港。724日、上対馬の南東40kmをピョートル・ヴェーリキーと共に航行するのをDD-127いそゆきが確認した。201511月末、シリア沖に展開した。2022414日、ウクライナ侵攻に黒海艦隊旗艦として参加中に沈没した。艦が左舷に傾斜し、艦橋構造物から黒煙を噴いている写真が公表されており、ロシア側は前日に事故により火災が発生して曳航中に悪天候で沈没したと発表したが、周辺海域はさほど荒れておらず、ウクライナ側は前日夜にR-360ネプチューン地対艦ミサイル2発を命中させて弾薬の誘爆により撃沈したとしている。炎上中の写真ではトップ・ドーム管制レーダーやSA-N-4艦対空ミサイルが対応した形跡は無く、CIWSも撃ち漏らしたらしい。黒海艦隊司令官が詰め腹を切らされて解任されている。参考:ソ連/ロシア巡洋艦建造史、月刊世界の艦船9,098,109,104,112,167,22

モスクワ級>:ソ連海軍対潜巡洋艦Moskva級、プロジェクト1123。船体前部は通常のミサイル巡洋艦の構成で、対潜兵器やミサイルなどが搭載されており、後部は飛行甲板(全長86m、最大幅34m)に充てられ、西側ではヘリ空母モスクワと呼ばれてきた。船型は平甲板型で、飛行甲板舷側には大きなフレアが付いており、発着スペースを確保している。格納庫は上構内のヘリ甲板同レベルと、1甲板下の船体内にあり、船体内格納庫とヘリ甲板はエレベーター2基(艦尾右後方とその左前方。発着スポットを兼ねる)で結ばれている。発着スポットはエレベーター部分も含め4カ所。全長189.1m、全幅34.1m、吃水7.7m、基準排水量14600トン(11920トン?)、満載排水量19300トン(17500トン?)。主機は蒸気タービンで、出力90000馬力、2軸推進、最大速力31ノット(29ノット?)。航続距離は18ノットで6000海里、作戦行動日数15日。兵装はRBU-6000多連装対潜ロケットランチャー2基(前甲板前部)、SUW-N-1対潜ミサイル連装発射機1基(RBU6000の後ろ)、M11艦対空ミサイルシステム用ミサイル発射機2基(SUW-N-1の後ろ)、57mm連装速射砲AK-7252基(艦橋左右)。533mm対潜魚雷5連装発射管2基も装備していたが、航行中に浸水する恐れがあり、後に撤去された。艦載戦闘システムはソ連初の戦闘情報管制システムBIUSであるコーレニで、対空兵装用の索敵・追尾・照準レーダー、MR600捜索レーダー、オリオン長距離低周波ソナー、ヴェガ曳航式ソナーなどを搭載する。搭載ヘリはKa-25ホーモンA対潜ヘリ12機、ホーモンB目標指示ヘリ1機、ホーモンC救難ヘリ1機の計14機で、2機を上構後端格納庫、12機を飛行甲板下の格納庫甲板に収容する。乗員840名。1番艦モスクワと2番艦レニングラードが1967-69年に竣工した。3番艦キエフは起工前に海軍葬司令官ゴルシコフ元帥の命でYak-38運用艦に改設計され、キエフ級空母として完成している。参考:月刊軍事研究12,024,992,12、月刊世界の艦船3,074,121,'15増刊、12,182,'22、近代巡洋艦史、世界の傑作機No.162

モスクワ・クーデター>:1991819日、ソ連で非常事態国家委員会と称する保守派集団が起こしたクーデターで、820日に予定されていた新連邦条約(主権共和国連邦に国名を変更し、連邦を構成する共和国の最高会議に共産党の権限の一部を委譲する)の調印を阻止すべく実行された。首謀者はクリュチコフKGB議長といわれており、クリミア半島フォロスの別荘でゴルバチョフ大統領がKGBの武装兵に軟禁され、T-80Uを有するカンテミロヴェツ親衛戦車師団などがクーデター派の求めに応じてモスクワに展開、ゲンナジー・ヤナーエフ副大統領が大統領代行に就任した。しかし軍や治安部隊を掌握できず、ゴルバチョフ派の身柄拘束も失敗、すぐさまロシア連邦共和国エリツィン大統領がロシア共和国内でクーデター派に協力する政府職員を刑事訴追するという大統領令を発して鎮圧に乗り出した。市民も軍もクーデター派には協力せず、カンテミロヴェツ親衛戦車師団は後に市民の説得でエリツィン派に寝返り、821日未明にソ連軍とクーデター派の衝突で3人が死亡したものの、それ以上の事態には発展せずクーデター派は降伏、822日までに首謀者は全員逮捕され、ゴルバチョフ大統領もモスクワに戻った。参考:歴史群像8,1510,04、月刊PANZER12,99

モスクワ軍管区(ソ連軍、1989年)>:中央戦略地域の隷下で、司令部はモスクワにある。戦車師団2個、自動車化狙撃師団7個、空挺師団1個、砲兵師団1個、Mi-8/-24ヘリ130機、Su-17攻撃戦闘飛行連隊1個45機、MiG-23/-29戦闘飛行連隊2個90機を有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モスクワ国際航空宇宙ショー>:MAKSと略す。モスクワ州ジュコウスキー市のジュコウスキー飛行場で行われている航空ショー(トレードショー)で、1993年から1年おきに開催されている。その前年の1992811-16日にジュコウスキー飛行場で開催されたロシア(ソ連崩壊後)初の国際航空宇宙ショーであるモスエアロショー(MosAeroshow)’92が元で、1994815-20日に第2回(MosAeroshow94)を行う予定だったが、1年繰り上がって名称も変更され、モスクワ国際航空宇宙ショーの第1回となった。モスクワに近く、数十万人の人出になるが、5500m滑走路と3000m級誘導路を持つ巨大な飛行場なので、入間基地祭ほどは混まない。2003年の第6回からアメリカ軍機も参加中。入場料はトレードデイで2000ルーブル(2015年は2500ルーブル)、パブリックデイで500ルーブル(2015年は850ルーブル)である。2009年には有料スタンドが設けられ、1日あたり料金はトレードデイで6500ルーブル、パブリックデイで13500ルーブルと世界一高額だった。2013年と2015年の有料スタンド(メディア・プラットフォーム)料金は1日あたり11000ルーブルだった。2019年からはパトリオート軍事愛国公園(に近いクビンカ基地)で開催される予定。参考:月刊JWings11,0911,0711,1311,15、月刊軍事研究11,13、月刊航空ファン11,92

 <MAKS2001>:観客数66万人。参考:月刊軍事研究11,13

 <MAKS2009>:軍民合わせて100億ドルの契約が締結された。参考:月刊軍事研究11,13

 <MAKS2011>:T-50試作機が初参加した。参考:月刊JWings11,15

 <MAKS2013>:2013827日から91日まで行われた。観客数35万人、参加企業44カ国864社(1000社超?)、展示機数256機。軍民合わせて212億ドルの契約が締結された。T-50試作機4機が全て参加する予定だったが、機体トラブルで3機になっている。量産型Su-35Sが初の飛行展示を行い、Su-30SMMAKSに初参加した。地上兵器としてS-350防空システムが展示されている。参考:月刊軍事研究11,13

 <MAKS2015>:2015825-30日に開催された。参加企業31カ国878社。MiG-MAPO1.44MiG-27M(インド空軍向け)、Ka-52K、クリルヤ・タブリディなどが初登場している。T-50は試作4号機のみ参加した。参考:月刊航空ファン11,15、月刊JWings11,15

 <MAKS2017>:2017718-23日に開催された。観客数延べ45万人、参加企業30カ国770社、地上展示機116機、飛行展示機90機。T-50は試作初号機と2号機が参加した。MiG-MAPO1.44MiG-ATが地上展示されている。参考:月刊航空ファン10,17、月刊JWings10,17

 <MAKS2019>:2019827日から91日に開催された。参加企業33カ国827社、地上展示機133機、飛行展示機81機。MiG-MAPO1.44Su-47が地上展示された。T-50は4機が展示飛行を行い、量産型Su-57のモックアップが地上展示で輸出をアピール、プーチン大統領とトルコのエルドアン大統領が連れだって視察している。参考:月刊JWings11,19、月刊航空ファン11,19

 <MAKS2021>:2021720-25日に開催された。出展企業はロシア538社、海外20カ国91社で、新型コロナウイルス感染症拡大防止のウェブ利用ハイブリッド展示・商談には58カ国202社が参加している。スホーイがチェックメイト戦闘機、MiGが双発艦上戦闘機や空中給油用艦上無人航空機システムを発表した。参考:月刊JWings10,21

モスクワ条約>:20025月に米ロ間で調印されたSORTStrategic Offensive Reduction Treaty、戦略攻撃能力削減条約)の別名で、モスクワで調印されたのでこう呼ばれる。20121221日までに実戦配備する戦略核弾頭数を1700-2200発に制限するというものである。内訳や運搬手段などの細部はSTARTTに準拠する。20036月に発効し、有効期限は201212月末まで。ただ相互検証システムが無く、実戦配備されていなければ核弾頭をいくら持っていても良く、実戦配備の定義も書かれていないため、効力に乏しい。新START条約に本条約を破棄するという条項があり、20112月の新START条約発効を以て破棄された。参考:飛行機のしくみ、月刊軍事研究5,1710,091,10

モスクワ文化宮殿劇場占拠事件>:200210232100時頃、ミュージカル「ノルド・オスト」を上演中のモスクワ文化宮殿劇場に、モフサル・バラエフ司令官率いる41人のチェチェン人武装集団が乱入し、922人を人質に取った事件。劇場内に爆弾を仕掛け、女性メンバーの一部が体にも爆発物を巻き付け、チェチェンからの全面または部分撤退を要求した。これに対し、ロシア側は連邦保安局特殊部隊アルファによる突入作戦を発生直後から計画した。事件から3日後の10260530頃、特殊部隊アルファは劇場内に特殊ガスを流し込んだ後突入、13分で武装グループ全員を射殺し、40分で劇場を完全制圧した。銃撃戦に巻き込まれて5人が死亡した他、この時使用されたフェンタニルとハロタンの混合ガスとみられる特殊ガスにより呼吸停止を起こす人質が続出し、123人が死亡、638人が入院した。また、アルファ隊員も9名がガスにより入院した。特殊ガスについてはロシア政府はノーコメントを貫いていたが、死亡したイギリス人が着ていたシャツに残っていた痕跡から、10年後にイギリス国防科学技術研究所がフェンタニル系化合物を検出している。参考:月刊軍事研究1,037,18、防衛技術ジャーナル1,07

<モスコウスキー・コムソモーレツ>:ナストイチブイ(駆逐艦)を参照。

モスボール>:元々の意味は防虫剤の玉。退役した後、予備役に編入された艦船や軍用機にプラスチック皮膜を吹き付け、保存しておくことである。一部の器材は取り外して別の場所で保管することもある。機械類は整備した状態で保存するが、ビルジポンプなど最小限の器材は作動させておく必要があり、少数の乗員や整備員を要する。解徹工事を行って現役復帰させることができるが、保存が長期になると部品や弾薬の生産が終わってしまい、運用に支障を来すことがある。参考:月刊軍事研究5,05、月刊丸11,09

モスマイナー>:デハビラント社が開発した低翼固定脚練習機Mothminor。イギリスでは生産されず、主にオーストラリアで量産された。第2次大戦時に30機前後が徴用されている。全長7.42m、全幅11.1m、全備重量698kg。エンジンはデハビラント・ジプシー・マイナー(90馬力)単発で、最大速度189km、実用上昇限度4850m。乗員2名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

<モズレイ>:DE-321(護衛駆逐艦)を参照。

モタ02船団>:六連島から高雄を経由してフィリピンのサンフェルナンドに向かう白根山丸、りま丸(乗員85人、陸軍船舶砲兵12名、将兵3241名、物資4000トン)など輸送船14隻、水雷艇鷺、第38号哨戒艇からなる輸送船団。昭和19270800、六連島泊地を出発し、8ノットで高雄に向かった。281600、草垣島西100海里で白根山丸が魚雷1本を被雷し大破、佐世保に引き返した。2220、りま丸が船首第1船倉右舷、機関室中央部右舷、船尾第5船倉右舷に魚雷1本ずつを被雷し、10分以内に沈没。乗員29人、船舶砲兵3名、将兵541名のみ救助された。参考:輸送船入門

モタ30船団>:六連島から高雄を経由してフィリピンのサンフェルナンドに向かう輸送船安洋丸(乗員138人、陸軍将兵1000名以上)、辰洋丸(弾薬・爆薬2000トン)、久川丸(乗員86人、船舶砲兵84名、南方総軍司令部要員・第19師団第3輸送大隊将兵2201名。自衛用に高射砲4門と20mm高射機関砲6門搭載)、羅津丸(第19師団将兵2000名以上)、大雅丸と、高雄を経由してシンガポールに向かう油槽船満珠丸、彦島丸(空ドラム缶800本)、三洋丸(空ドラム缶950本)、明宝丸からなる輸送船団である。昭和2016日、六連島泊地を出発。潜水艦を避けるべく台湾北西部の沿岸沿いを航行していたが、18日の日没直後にウルフ・パックの襲撃を受け、辰洋丸が右舷に魚雷2本を喰らい、積んでいた弾薬に引火して轟沈した。直後に安洋丸が右舷に魚雷3本を受け轟沈、乗員・将兵全員が戦死した。その40分後には三洋丸に魚雷1本、満珠丸に魚雷3本が命中し、両船とも沈没を免れるべく海岸に座礁した。更に彦島丸も雷撃を喰らい、全て回避したものの、避雷運動中に座礁してしまった。これを受け、大雅丸と明宝丸は台湾の基驕A久川丸と羅津丸は海防艦3隻を付けて高雄に退避することとなった。190910、久川丸と羅津丸が小型機2機の触接を受け、0920から久川丸が小型機20機の襲撃に遭い、前甲板、中央甲板、船尾楼に爆弾1発ずつを喰らって速力が4ノットに低下、単独で馬公に避退していった。1225、久川丸が台南安平沖10km付近で航空攻撃を受けて沈没、生存者は無かった。羅津丸は海防艦と共に高雄に辿り着き、第19師団将兵はフィリピンへの上陸を諦めて台湾に駐留している。参考:戦時標準船入門

<モダナイズドAH−1S>:AH-1SステップV(攻撃ヘリ)を参照。

<もちしお>:SS-574(ゆうしお型潜水艦)またはSS-600(おやしお型潜水艦)を参照。

<もちづき>:DD-166(護衛艦)またはASU-7019(特務艦)を参照。

望月>:日本海軍睦月型駆逐艦11番艦。昭和21031日竣工、第33号駆逐艦という名称で一等駆逐艦に類別された。昭和381日に望月と改称された。昭和161129日、トラックを出港。123日、ルオットに到着。128日、太平洋戦争開戦時は建制でも兵力部署でも第30駆逐隊に所属しており、1515にウェーク島攻略のためルオットを出撃。昭和1754日、MO作戦の上陸部隊を乗せた輸送船12隻を護衛してラバウルを出港。56日、第6水雷戦隊所属で珊瑚海海戦に参加。118日、ガダルカナル島沖で魚雷艇の攻撃を受けて損傷した。昭和18113日、ソロモンのレカタで座礁した。75日、クラ湾夜戦に参加。1012日、ラバウルで爆撃を受け、至近弾により小破した。1024日、ニューブリテン島のジャキノット湾でアメリカ海兵隊機の爆撃を受けて沈没し、昭和1915日に除籍された。参考:日本駆逐艦史、第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊世界の艦船6,83、日本海軍艦隊総覧、帝国海軍太平洋作戦史T

望月勇>:日本海軍エース。明治39年、佐賀県生まれ。大正14年、海軍に入隊し、昭和1511月に操縦練習生を修了、鳳翔に配属された。加賀、大村航空隊に転属の後、昭和711月に横須賀航空隊所属となった。この時、ひねりこみ技法を編み出している。昭和1111月、空曹長となり、大村航空隊に転属。日華事変勃発で第13航空隊に転属し、上海公大基地に配置された。昭和131月、7機のスコアを残して本土に帰還。各地の航空隊で教官を務め、昭和1610月に飛行特務少尉となり、昭和183月に第281航空隊分隊長となった。12月、ルオット基地に進出。昭和1926日に玉砕認定された。公認撃墜数9機。最終階級は大尉。参考:日本海軍戦闘機隊

もちづき型>:海上自衛隊特務艦で、DD-166もちづきを19954月に任務変更したものである。全長136m、全幅13.4m、深さ8.7m、吃水4.4m、基準排水量3100トン。主機は川崎衝動型蒸気タービン2基、主缶は川崎BD120-1型、出力60000馬力、2軸推進、速力32ノット。兵装は127mm単装砲2門、ボフォース対潜ロケット4連装発射機1基、アスロック8連装発射機1基、3連装短魚雷発射管2基。乗員270名。参考:自衛隊装備年鑑1996、月刊JWings1,99

モックアップ>:Mock-up。実物大模型のこと。作りやすい木製とすることが多い。基本設計の際に製作し、必要な機器が内部に収容できるか、乗員の乗降や機器操作・整備スペースに問題が無いかなどを確認するのに使用する。実際に走ったり飛んだりする訳ではないので、省略できるところは作らない。転輪がインクで描いた丸だったり、計器が紙に印刷して貼ってあるだけだったりする。B-1BF-2のモックアップは右主翼を省略した。CAD/CAMによるデジタル仮想モックアップの登場で、ますます実際に作られる部分が少なくなったが、宣伝広報のために全体を作ることもある。参考:月刊航空ファン3,13、月刊JWings2,0510,22、航空機設計法

<モッシー>:モスキート・シリーズ(爆撃機)を参照。

モッタマ>:ミャンマー海軍モッタマ級ドック型輸送揚陸艦Moattama2019年竣工。参考:月刊世界の艦船12,23

モッタマ級>:ミャンマー海軍ドック型輸送揚陸艦LPDMoattama級。ドクター・スハルソ級とほぼ同じで、韓国で建造された。ヘリ3機、装甲車15両、兵員250名を搭載可能。モッタマが2019年に竣工した。参考:月刊世界の艦船12,23

モッティ戦術>:モッティは、樵夫が積み上げた材木の単位を表す古いフィンランド語で、冬戦争中の194014日、ラドガカレリアでのフィンランド軍による反撃命令において、包囲環の中にいるソ連軍を示す軍事俗語として使用されたのが始まりとされる。モッティは、隘路を進むソ連軍後方をフィンランド軍が奇襲攻撃して分断したために生じたもので、フィンランド軍としてはそのまま撤退してくれることを望んでいたが、ソ連軍が個別に頑強な防御陣地を構築してしまったため、今度はこれを撃破する戦術を構築することとなった。モッティは規模にばらつきがあるため、強力なものは放置して補給の欠如による弱体化を待ち、弱小のものは24時間連続で少しずつ攻撃を仕掛けて戦力を削り、夜襲で一気に潰す戦法をとった。この戦法は環境の厳しい冬季のみならず夏季にも有効で、核の出現により大部隊の事前集結が困難となった戦後ドクトリンでも使用できるものであり、フィンランド軍の戦後防衛理論である地域防衛システムに引き継がれた。参考:月刊軍事研究10,07

<最も美しいプロペラ4発機>:XF-12(試作機)を参照。

<モッペ>:PBY飛行艇(ソ連)を参照。

<モッポ>:759(コルベット)を参照。

<モディファイド・エスコート・ジャミング>:エスコート・ジャミングを参照。

<モデステ>:U42(スループ)を参照。

モデックス・ナンバー>:Modex number。正式にはユニット・エアクラフト・ナンバーである。アメリカ海軍空母航空団所属飛行隊と海兵隊で使用されている機体認識番号で、飛行隊の何番機かを示す。部隊のテイルコードと2桁(海兵隊)または3桁(海軍)の数字を組み合わせたもので、機首に数字、垂直尾翼にテイルコードが記入されている。海軍CAG機や海兵隊海兵航空群司令指定機は数字の下2桁が00で、0が六角ナットに似ているためダブルナッツと呼ばれる。海軍飛行隊長機は下2桁が01、海軍飛行隊副長機は下2桁が02である。参考:月刊JWings4,1210,09別冊付録、2,1711,177,18

モデル1−G>:アメリカのトランスセンデンタル・エアクラフト社が開発したティルトローター式VTOL機。主翼は高翼配置で、翼端にローターが付いており、これが前や上にティルトする。195476日に初飛行し、12月にトランジッションに成功、20時間のテスト飛行を行ったが、1955年に事故で喪失した。データはベル社に移管されてXV-3のベースとなった。参考:月刊丸3,14

モデル16H−1シリーズ>:パイアセキ・エアクラフト社が開発したハイブリッド・ヘリコプター。実用化には至らなかった。参考:月刊JWings7,13、月刊軍事研究3,12

 <モデル16H−1>:別名パスファインダーT。自主開発で1962221日に初飛行した。三翅メインローターを持つシングルローターヘリで、機体尾部にはテイルローターの代わりにリングテイルと呼ばれるダクテッド・ファンが付いており、リングテイル内のプロペラ後方には4枚の垂直ベーンが横に傾けて設置されていて、メインローターのトルクを打ち消す方向にプロペラ後流を誘導する。胴体下面左右には主翼があり、上に折り畳むことが可能。垂直離着陸時にはメインローターで揚力を発生させ、前進速度が上昇するにつれてエンジン出力をダクテッド・ファンの方に回し、主翼で揚力を発生させるようにする。高速飛行時にメインローターで揚力を発揮させる必要が無いので、ブレードが音速に近くなって効率が低下しても問題無く、単純なヘリコプター以上の高速性能を発揮できる。エンジンはPT6B-2ターボシャフト(550軸馬力)単発。参考:月刊JWings7,13、月刊軍事研究3,12

 <モデル16H−1A>:別名パスファインダーU。アメリカ陸海軍がテストを行ったもので、胴体を延長し、エンジンをT58-8ターボシャフト(1250馬力)単発としている。19651115日に初飛行し、19665月に最大速度361kmを記録した。参考:月刊JWings7,13、月刊軍事研究3,12

 <モデル16H−3K>:別名パスファインダーV。エンジンをPT6Bターボシャフト双発とし、9-15人を乗せられるようにした実用化型である。計画のみに終わった。参考:月刊JWings7,13

<モデル22>:P-38シリーズ(戦闘機)を参照。

<モデル30−11>:FN30-11(狙撃銃)を参照。

モデル47>:AK-47用の銃剣。参考:コンバット・バイブル2

<モデル48>:P-66シリーズ(戦闘機)を参照。

<モデル48C>:P-66シリーズ(戦闘機)を参照。

モデル59>:AKM用の銃剣で、ワイヤーカッターが付いている。ゴム製グリップがあり、通電ワイヤーもカットできる。参考:コンバット・バイブル2

モデル65>:ビーチクラフト社が開発した双発レシプロ機、別名クイーンエア。参考:月刊航空ファン12,16

<モデル65海外シリーズ>

 <モデル65(ビルマ空軍)>:1965年に1機を導入した。1987年に退役した。参考:月刊航空ファン12,16

モデル71>:ロシアの鍛造組立式履帯。2003年のオムスク陸上兵器展に出品されたT-80用の履帯で、総重量2190kg、寿命は14000kmに達する。参考:月刊PANZER11,03

モデル74>:AKMAK74用の銃剣。ワイヤーカッター付き。参考:コンバット・バイブル2

<モデル75>:P-36シリーズ(戦闘機)を参照。

<モデル89>:F4Bシリーズ(艦上戦闘機)を参照。

モデル100シリーズ>:AK74アサルトライフルをベースにした輸出用ライフル。プラスチック製の折り畳み式ショルダーストックを持ち、光学スコープ装着マウントを機関部左側面に装着している。AK74MAK101AK102AK103AK104AK105が生産されている。参考:最新軍用ライフル図鑑

<モデル147>:AQM-34シリーズ(無人偵察機)を参照。

モデル151>:スケールド・コンポジット社がアメリカ陸軍低コスト攻撃機に提案した試作攻撃機。ツイン・テールブーム機で、キャノピー後下部に高翼配置のカナード翼があり、主翼は低翼配置で、主翼上の機体側面にエアインテイクが開口している。エンジンはプラット&ホイットニー社製JT-15D単発。兵装はGAU-12/U機関砲。乗員1名。採用されなかった。参考:月刊航空ファン7,17

<モデル154>:AQM-91A(無人偵察機)を参照。

<モデル162A>:PBMシリーズ(飛行艇)を参照。

<モデル235>:YQM-98A(試作無人機)を参照。

<モデル275>:YQM-98シリーズ(無人機)を参照。

<モデル294>:B-57爆撃機ファミリーを参照。

<モデル309>:AH-1攻撃ヘリ・ファミリーを参照。

モデル395>:ノースロップ・グラマン社がプロテウス無人機を元に開発中の中高度無人機。推進はジェット双発。内蔵ペイロードは450kgで、EO/IRセンサー、信号情報装置、広帯域通信システムなどを搭載可能である。胴体下部には3250kgを搭載可能で、バンカーバスターも装備できる。参考:月刊軍事研究9,05

モデル400>:アメリカ空軍T-38高等練習機後継機としてノースロップ・グラマン社(の傘下のスケールドコンポジット)、BAEシステムズ社、L3が共同開発た練習機、別名スウィフト。エンジンはジェネラル・エレクトリック社製F404-GE-102Dターボファン(アフターバーナー無し。推力17200ポンド/7.8トン)単発、最大速度500ノット。2016819日に初号機が初飛行した。ただアメリカ空軍が要求した超音速性能を達成できる見込みが無く、201721日、ノースロップ・グラマン社がT-38後継機への参加取りやめを発表した。参考:月刊軍事研究1,'19、月刊航空ファン12,16、月刊JWings4,17

<モデル462>:B-52シリーズ(爆撃機)を参照。

<モデル464−17>:B-52シリーズ(爆撃機)を参照。

<モデル464−35>:B-52シリーズ(爆撃機)を参照。

<モデル464−49>:B-52シリーズ(爆撃機)を参照。

<モデル464−67>:B-52シリーズ(爆撃機)を参照。

モデル870MCS>:レミントン社が開発したショットガンで、MCSModular Combat Systemの略。装弾数4発の10インチ(254mm)バレル、装弾数6発の14インチ(356mm)バレル、装弾数7発の18インチ(457mm)バレルと、固定式ストックまたは伸縮式ストックまたはストック無しのピストルグリップを選択できる。陸上自衛隊特殊作戦群が採用したらしい。参考:月刊軍事研究12,07

モデル1953シリーズ>:フランスの55口径100mm単装砲で、クルーゾ・ロワール社製。100mm単装砲モデル1945がベースである。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船11,14

 <モデル1953>:Modèle 531953年から開発され、1959年に就役した。砲塔内に装填要員1-2名が位置するため、口径に比べて大きく重い。最大発射速度毎分60発。単発、2連射、3連射、6連射、バースト射撃が可能。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船11,1412,18

 <モデル1964>:Modèle 64。発射速度向上型。発射速度毎分78発。参考:月刊世界の艦船10,'201,'15増刊、12,18

 <モデル1968>:Modèle 68。軽量化型で、初弾を自動装填できる。砲塔重量21トン。最大仰角80度。最大発射速度毎分60発。参考:月刊世界の艦船1,'15増刊、10,'2012,18

モデル1968CADAM>:モデル1968の改良型で、CADAMCADence AMéliorée(発射速度改良型)の略。最大発射速度を毎分78発に増大した。参考:月刊世界の艦船10,'2011,1911,141,'15増刊

 <モデル1968−U>:砲塔内は無人化されたが、緊急時は2名で手動操作が可能である。マウント重量21トン。360度旋回可能(左右150度ずつ?)で、旋回速度毎秒40度。俯仰角はマイナス15度(マイナス10度?)からプラス80度で、俯仰速度毎秒25度(29度?)。砲塔内即応弾30発、揚弾ドラム内弾数10発、揚弾機構部弾数18発。弾丸重量13.5kg、炸薬重量9.7kg、砲口初速毎秒855-867m、有効射程12km、最大射程17.4km、最大射高8km。発射速度毎分60-78発。参考:月刊世界の艦船11,141,'15増刊、艦載兵器ハンドブック改訂第2版

 <モデル1968−UTR>:モデル1968-Uの砲塔をステルス型に換えたもので、TRTechnologie Rénovée(技術革新型)の略。マウント重量22トン。使用弾はOEA F1榴弾(砲弾重量13.5kg)など。発射速度毎分80発、装弾数62発。ラファイエット級に搭載された。参考:艦載兵器ハンドブック改訂第2版、月刊世界の艦船11,1910,'201,'15増刊

<モデル1975>:T-72シリーズ(戦車)を参照。

<モデル2000>:90式戦車(中国)シリーズを参照。

モデル5400>:アメリカ海軍の潜水艦用水中電話。使用周波数は5-45kHz1kHz刻み。送信出力2/10/50/100/200W。ヴァージニア級原潜に搭載されている。参考:月刊世界の艦船8,18

モデルAC556>:ルガー社が開発した警察用突撃銃で、民間用のモデル・ミニ14を改良したものである。セミオート、フルオート、三点バーストが可能で、折り畳みストックのAC556F、カービンタイプのAC-556Kも用意されている。全長853mm、ストック短縮時599mm、重量3.55kg。ライフリングは6条右回り。使用弾は5.56mm×45弾で、装弾数30発。参考:最新軍用ライフル図鑑

<モデルAPX−R>:R35戦車の1名用砲塔。

モデルKSV>:ドイツのケッペラー&フリッツ社が開発したブルパップ式狙撃銃。作動はボルトアクション式。マガジンは左側面に付く。光学スコープを標準装備している。全長1065mm、銃身長655mm、重量7.575kg。ライフリングは4条右回り。使用弾は7.62mm×51弾で、装弾数3発または5発のマガジンを使用できる。.300ウィンチェスターマグナム、.338ラプア・マグナム使用バージョンも用意された。参考:最新軍用ライフル図鑑

モデルSP66>:マウザー社が開発した狙撃銃で、民間用のモデル66ライフルをベースに開発された。特殊なボルトを使用してレシーバーを短縮しており、使用弾の割に全長を短くしてある。作動はボルトアクション式。ショルダーストックは射手に合わせて調整でき、光学スコープを標準装備している。全長1140mm、銃身長650mm、重量6.5kg。ライフリングは4条右回り。使用弾は7.62mm×51弾で、装弾数5発。参考:最新軍用ライフル図鑑

モデルSR100>:ドイツのエルマ社が開発した狙撃銃。作動はボルトアクション式。ストックは合板製で、チークピースとバットプレートは射手に合わせて調節可能である。光学スコープと二脚を標準装備。全長1260mm、銃身長650mm、重量6.4kg、ライフリングは4条右回り。使用弾は7.62mm×51弾で、.300ウィンチェスターマグナム、.338ラプア・マグナム用のモデルもある。装弾数10発。参考:最新軍用ライフル図鑑

モデルWa2000>:カール・ワルサー社が警察の対テロ部隊用に開発したブルパップ式狙撃銃。作動はガス圧利用式セミオートマチックで、折り畳み式の二脚と光学スコープを標準装備している。全長905mm、銃身長650mm、重量7.91kg。ライフリングは4条右回り。使用弾は7.62mm×51弾で、装弾数6発。参考:最新軍用ライフル図鑑

<主機>:主機関を参照。

元島宗義>:大正7年、熊本県生まれ。昭和1112月、陸軍少年飛行兵を修了し、明野で戦闘機教育を受け、飛行第1戦隊に配属された。昭和14627日、ノモンハン事件のタムスク攻撃で初撃墜を記録。75日、4機を撃墜。84日、I-16と交戦して被弾、戦死した。総撃墜機数16機以上。最終階級は准尉。参考:日本陸軍戦闘機隊

戻せ>:海上自衛隊の操艦号令詞で、面舵や取舵にした舵を元に戻させる際に使い、「もどーせ」という調子で発音する。操舵員は復唱して舵を元に戻し、「舵中央」と返す。参考:月刊世界の艦船9,12増刊

<モドバリー>:L91(駆逐艦)を参照。

<もとぶ>:LST-4102(輸送艦)を参照。

本村孝治>:明治43年、東京生まれ。昭和67月、陸軍士官学校を卒業し、10月に歩兵少尉となった。昭和91月、航空科に転科し、昭和109月に所沢飛行学校を卒業、成績優秀で恩賜品を授与された。昭和127月、飛行第2大隊に所属して日華事変に参加。昭和133月、大尉に昇進し、内地に帰還した。昭和143月、飛行第11戦隊第2中隊長となり、ハルビンに配置された。529日、ノモンハン事件への出動が命じられた。満蒙国境に前進し、一旦引き上げたが、622日に再び前進して戦闘に参加した。822日、被弾してウスルスク飛行場北方5kmに墜落、戦死した。総撃墜数14機。最終階級は少佐。参考:日本陸軍戦闘機隊

モナーク>:イギリス海軍オライオン級戦艦Monarch191248日竣工。1916531日、第2戦艦戦隊第2小隊所属でジュットランド海戦に参加。1917年、2番砲塔上部に滑走台を設け、弾着観測用の航空機を搭載した。1922年に除籍された。参考:近代戦艦史、月刊世界の艦船6,16、歴史群像6,16

<モナガン>:DD-354(駆逐艦)を参照。

モナルヒ>:オーストリア=ハンガリー帝国海軍モナルヒ級海防戦艦1番艦Monarch1898年竣工。参考:月刊世界の艦船4,20

モナルヒ級>:オーストリア=ハンガリー帝国海軍海防戦艦Monarch級。オーストリア=ハンガリー帝国海軍初の近代戦艦で、トリエステのスタビリメント・テクニコ・トリエスティーノ社で建造された。全長99.2m、常備排水量5547トン。主機はレシプロ蒸気機関2基2軸8500馬力、速力17.5ノット。兵装は24cm連装砲2基、15cm単装砲6門、47mm機砲14門、45cm魚雷発射管2門。1番艦モナルヒ、2番艦ヴィーン、3番艦ブダペストが竣工した。参考:月刊世界の艦船4,20

モナルヒ代艦級>:オーストリア=ハンガリー帝国の戦艦で、モナルヒ級前ド級戦艦4隻の代替として建造が計画された。常備排水量20605トン。速力21ノット。兵装は35.5cm3連装砲2基、35.5cm連装砲2基、15cm14門など。装甲厚は水線部310mm、甲板36mm。起工前に建造中止となった。参考:近代戦艦史

モニカ>:イギリス軍が第2次大戦時に使用した後方警戒レーダー。重爆撃機の尾部銃座下方に装備され、後方から接近するドイツ軍夜間戦闘機の警戒にあてられた。ただし密集編隊では味方に反応してしまう上、ドイツ軍がモニカの使用波長を探知するFuG227フレンスブルグ受信機を装備したため、使用中止となった。参考:図解現代の航空戦

モニター>:アメリカ北軍甲鉄砲塔艦Monitor。船体は水面すれすれの低乾舷で、中央に27.9cm連装砲塔1基を持つ。全長52.4m、排水量987トン。速力6ノット。水線部装甲厚114mm1862年竣工・就役。186239日のハンプトン・ローズ海戦でアメリカ南軍の装甲艦ヴァージニアと砲撃戦を繰り広げたが、引き分けに終わった。年末にハッテラス岬沖で荒天のため沈没した。参考:月刊世界の艦船9,178,16

モニター>Monitor。砲艦の一種で、大口径砲を搭載し、沿岸警備を主任務とするものをこう称する。アメリカ南北戦争で北軍が多数使用した、乾舷の低い装甲砲塔艦の1番艦であるモニターが名称の由来である。参考:月刊世界の艦船3,14、小艦艇入門

モニター・シリーズ>:イギリス軍標的曳航機Monitor194445日に初飛行したが、空軍には採用されず、海軍が使用した。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

 <モニター原型機>:TT.2完成後に20機が量産された。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

 <モニターTT.>:海軍向けの改造型。全長14.82m、全幅16.79m、全備重量9.55トン。エンジンはライトR-2000-311750馬力)双発で、曳航速度480km、最大速度580km、航続距離1610km。乗員2名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇

<モニタラジオフリークエンシー>:自衛隊の機器。シマヅプレシジョンインスツルメンツインクが受注している。参考:月刊軍事研究3,17

<モニノ空軍博物館>:モスクワ市東38kmのロシア空軍モニノ士官学校の敷地にある、ロシア最大の航空博物館。1960年に開設された。170機以上の航空機が展示されている。開館時間は0930から1700、土曜日は0930から1400。日曜・水曜休館。入館料300ルーブル。写真200ルーブル、ビデオ350ルーブル。参考:月刊JWings11,05

物入れ>:ポケットを示す日本陸軍用語。参考:帝国陸海軍事典

<モノウ>:K441(フリゲート)を参照。

モノコック構造>:Monocoque structure、応力外皮構造、張殻構造。内部に骨組みが無く、外板と内部の補強フレームのみで荷重を受ける構造のこと。軽量かつ内部容積を大きくできるが、大型の構造物をこの構造にすると剛性を保てない。捩れた際に断面形が崩れたり、外板に皺が寄ったりすると、捩り剛性が急激に低下してしまう。また、フェイル・セーフにもならない。フランスのドペルデュサン社設計技師ペシュローが航空機の構造に採用してモノコック(単殻という意味のフランス語)と命名したのが始まりである。木製機の外板を厚くして荷重を受けられるようにしてあり、技術はモスキート爆撃機で頂点を極めた。金属機では重量がかさみ、かといって外板を薄くすると剛性が保てず凹んでしまうので、ユンカース社では波板を使う方法を開発したが、抗力が大きく、セミモノコック構造に移行した。参考:航空用語事典増補改訂版、月刊航空ファン1,98、月刊JWings10,09別冊付録、世界の傑作機No.172

モノスタティック・レーダー>:送受信アンテナが同一のレーダーのこと。参考:レーダシステムの基礎理論

<モノチューブ式ガス入りショック・アブソーバー>:ショック・アブソーバーを参照。

モノパルス・レーダー>:SAMや要撃機の目標捕捉・追尾に使用されるレーダーの1つ。パラボラアンテナから1本のビームを放射し、反射波をアンテナ焦点部分にある4本のホーン・アンテナで受信することで受信範囲を4象限に分割、どの象限からの反射波であるかを分析して目標との誤差を計算し、それを修正しながら目標を追尾する。同時に複数のビームを放射するタイプもあり、ECMに強い。参考:月刊エアワールド4,00、月刊軍事研究11,08、スピアヘッドNo.12

<モノポッド>:一脚、単脚のこと。参考:GUN用語事典

モノリット>:3M80対艦ミサイル発射誘導用データリンクアンテナ、NATOコードはバンド・スタンド。参考:月刊軍事研究11,99

<モバーリィ>:PF-63(フリゲート)を参照。

モバイル・カモフラージュ・システム>:スウェーデンが開発した車両用偽装キットで、MCSと略す。外板に貼り付ける方式で、可視光や遠赤外線に対するカモフラージュ能力を持つ。断熱効果もあるので、酷暑の際にも車内や搭載電子機器の温度上昇を防止できる。アメリカ軍やイギリス軍など20カ国以上が採用した。自衛隊向けにも太陽工業株式会社が提案中。参考:朝雲

モバイル作戦>:カナダ軍による対リビア作戦Operation MOBILE2011319日、オデッセイ・ドーン作戦指揮下で開始され、CF-188によるエアカバーを実施した。他にCC-150空中給油機、CP-140哨戒機、CC-130J輸送機をイタリア空軍トラパニ基地とシゴネラ基地に展開、両部隊の支援のためCC-177輸送機をカナダ本土と往復させている。また、F339シャルロット・タウンを地中海に展開させた。327日、ユニファイド・プロテクター作戦指揮下に変更。参考:航空ファン6,11、月刊JWings7,11

<モバイルポッドメンテナンススタンド>:自衛隊の機器。伊藤忠アビエーションが受注している。参考:月刊軍事研究5,17

モハジール・シリーズ>:イランが1990年代から開発した偵察用UAVMohajer。参考:月刊軍事研究4,079,13

 <モハジール2>:Mohajer 2。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <モハジール3>:Mohajer 3。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <モハジールW>:Mohajer 4。ヒズボラにも提供された。参考:月刊軍事研究4,07THE MILITARY BALANCE 2016

 <モハジール(自爆型)>:2013223-25日の革命防衛隊Great Prophet 8演習に登場したタイプ。光学シーカーを搭載しており、ヘリコプターや地上移動目標を捕捉して突入する。参考:月刊軍事研究9,13

<モハビ>:H-37シリーズ(ヘリ)を参照。

モハフィズ>:パキスタンのTAXILA重工業が開発した治安部隊用4×4輪装甲車。車体はアルミ装甲で、防弾ガラス付きの窓を持ち、7.62mmNATO通常弾を防御できる。全備重量3.5トン。エンジンは水冷4気筒ディーゼル(111馬力)で、トランスミッションはマニュアル式、前進5速・後進1速。乗員2名+乗車兵員8名。参考:月刊軍事研究6,07

モハベ>:ジェネラル・アトミクス・エアロノーティカル・システムズ社の無人航空システムUASMojaveMQ-1C無人機がベースで、エンジンと主翼を新型にした。機首上面にアンテナドームを備え、アスペクト比の高い直線翼と開角の大きいY字尾翼を持ち、頑丈な前輪式降着装置を装備する。高いSTOL性能を有し、不整地や空母からも運用できる。電子光学センサー(可視光・赤外線)、合成開口レーダー、SIGINT器材などで構成されるセンサー・スーツを搭載する。アビオニクスと飛行制御システムはMQ-1C及びMQ-9のものを流用した。エンジンはロールスロイス社製ターボプロップ(450馬力)、プロペラはプッシャー式。離陸・発艦滑走距離122mISR任務)/305mAGM-114空対地ミサイル12発)。ペイロード3600ポンド・1.6トン。AGM-114ヘルファイアミサイル16発を搭載可能。2021年夏に初飛行した。イギリス軍が2023年から空母R09プリンス・オブ・ウェールズでテストしている。参考:月刊JWings2,22、月刊世界の艦船2,2410,24

<モハメッド5世>:モロッコ海軍モハメッド5世級フリゲート1番艦Mohammed X。2002年就役。参考:月刊世界の艦船7,'199,01

<モハメッド5世級>:フロレアル級・海外シリーズ(フリゲート)を参照。

モハメッド・アラム>:パキスタン空軍エース。第2次印パ戦争でF-86Fに搭乗し、9機を撃墜してエースになった。参考:月刊丸9,03

茂原飛行場>:日本海軍の飛行場。昭和16年、千葉県長生郡茂原町に開設された。昭和20313日、第252航空隊戦闘第304飛行隊が館山飛行場から移駐した。330日、第252航空隊戦闘第304飛行隊が富高基地に移動。7月初め、第252航空隊戦闘第316飛行隊が郡山に移動し、第252航空隊戦闘第304飛行隊が郡山から移動してきた。8150530、艦上機を迎撃するため第252航空隊戦闘第304飛行隊が零戦3隊で出撃。イギリス空母10インディファテイガブルのシーファイアLF.MkV、CVL-24ベローウッドのVF-31所属F6F-5などと交戦した。参考:首都防空網と空都多摩、月刊航空ファン5,17

<モハンマドY世>:701(フリゲート)を参照。

<モビール・コントロール・ユニット>:自衛隊の機器。トノックス製。参考:月刊軍事研究1,18

<モヒガン>:T-AK-5158(貨物艦)を参照。

モビリティ・ガーディアン23>:アメリカ空軍主催多国間共同訓練。202373-21日に実施され、空自(隊員240名、C-130H輸送機2機)が初参加し、小牧基地、八雲分屯基地、スコット空軍基地、アンダーセン空軍基地、パールハーバー・ヒッカム統合基地、北マリアナ諸島、ロマン・トメトゥチェル国際空港などで、C-130H輸送機による洋上からの要救助者捜索、航空医療搬送、戦術空輸・指揮所活動などの各訓練を行った。小牧基地ではC-130Hによる患者搬送訓練、八雲分屯基地では移動式気象観測装置・移動式TACAN設置や簡易式防油堤構築などを実施している。参考:朝雲

モビリノスチ演習>:ロシア軍が2004年に実施した演習。ロシアを横断する緊急長距離輸送訓練が行われたが、重装備の輸送に手間取り、1個大隊を空輸するのに丸8日かかったという。参考:月刊軍事研究10,10

<モフェット>:DD-362(駆逐艦)を参照。

<モホーク>:F31(トライバル級駆逐艦)またはP-36海外シリーズ(戦闘機)を参照。

モマ型測量艦>:ロシア海軍測量艦/情報収集艦Moma型、プロジェクト861M。ポーランドのグダンスク造船所が建造した。船型は船首楼型で、船体中央から後部にかけて上部構造物があり、上構前方にも小さい甲板室を持つ。船首楼甲板と艦橋上面にポールマストが1本ずつ立っていて、上構各所にホイップアンテナやアンテナドームが設けられている。全長73.3m、満載排水量1575トン。主機はディーゼル、速力17ノット。アンタークティダ、キリヂン、エクヴァートルなどが1968-72年に就役した。参考:月刊世界の艦船9,249,12

モマ船団>:太平洋戦争時、門司からマニラに向かう輸送船団に付けられたコード名。参考:輸送船入門

 <モマ〇五船団>:貨物船12隻、海防艦・駆潜艇6隻からなる。昭和191010日、門司を出港してマニラに向かった。途中で5隻を喪失している。参考:輸送船入門

 <モマ〇六船団>:貨物船11隻、海防艦3隻からなる。昭和191022日、門司を出港してマニラに向かった。途中で2隻を喪失している。参考:輸送船入門

モマ〇七船団>:六連島泊地からマニラに向かう輸送船団で、白馬丸、鳴尾丸、辰昭丸、王洋丸など貨物船11隻、海防艦4隻、駆潜特務艇2隻からなる。昭和1911101200、六連島泊地を出港。五島列島南西沖で貨物船1隻が潜水艦の雷撃を受け、船首左舷に魚雷1本が命中して損傷したため、駆潜特務艇1隻と共に佐世保に引き返した。11120420、長崎南西400kmでウルフ・パックの襲撃を受けた。鳴尾丸に魚雷2本が命中し、積んでいた弾火薬2000トンに引火し轟沈、乗艦693名全員が戦死した。辰昭丸にも魚雷2本が命中し、弾火薬に引火して轟沈、乗艦190名が戦死している。王洋丸には船首に魚雷1本が命中して大破、反転して佐世保に向かったが、更に魚雷2本を受けて沈没した。残る船団は舟山列島に避退し、1119日に高雄に入港。将兵や物資を積み直して再編する必要があり、船団は解散した。参考:戦時標準船入門、輸送船入門

<もみ>:PF-284(警備船)を参照。

樅(初代)>:日本海軍樅型駆逐艦1番艦。大正7年に缶室の1つを開放型にする実験を行い、ボイラー員の疲労度が軽減されたため、追風以降の駆逐艦には開放型缶室が採用されることになった。大正81227日竣工、二等駆逐艦に類別された。昭和741日に除籍され、廃駆逐艦第2号となり、昭和1147日に不沈標的に改造された。参考:日本駆逐艦史、月刊世界の艦船5,11

樅(2代目)>:日本海軍松型駆逐艦9番艦。昭和1993日竣工。昭和2014日、生田川丸を護衛してマニラに入港。15日、マニラ西方でアメリカ駆逐艦と交戦して戦没し、310日に除籍された。参考:日本駆逐艦史、第2次大戦日本海軍作戦年誌、日本海軍艦隊総覧

樅型>:日本海軍二等駆逐艦Momi型。基本計画番号は1-8番艦がF379-13番艦がF37A14-21番艦がF37Bで、大正6-7年計画で建造された。峯風型の縮小版といえる艦構造をとっており、荒天時の波浪による衝撃を和らげるため艦橋と船首楼甲板を分離し、ウェルデッキとなった艦橋前方に魚雷発射管を装備している。艦橋に固定ブルワークは装備せず、手摺りにキャンバスを張って済ませた。後部マスト下方には後続艦に射撃データを知らせる示数盤を搭載。主機は比較のため4型式を装備しており、ブラウン・カーチス式が良好、パーソンズ式は燃費が悪かったという。全長85.3トン、水線幅7.9m、吃水2.4m、基準排水量770トン。主機は衝動型ブラウン・カーチス式(楡・柿・栂・栗は峯風型と同じ三菱パーソンズ式、菱・蓮はキャメル・レアード社製反動型パーソンズ式、菫・蓬は衝動型ラトー式)オール・ギヤード・タービン2基、主缶はロ号艦本式重油専焼水管缶(蒸気圧力18.3気圧、飽和温度)3基、出力21500馬力、2軸推進、速力36ノット、航続距離は14ノットで3000海里。兵装は三年式45口径12サンチ単装砲3門、6.5ミリ単装機銃2丁、六年式五三サンチ二連装水上発射管2基。乗員107名。樅、榧、楡、栗、梨、竹、柿、栂、菊、葵、萩、薄、藤、蔦、葦、菱、蓮、菫、蓬、蕨、蓼の21隻が大正8-12年に建造された。大正7年に樅の缶室前面を開放型にしたところ、居住性が改善して好評だったので、神風型の追風以降から開放型缶室が採用されることとなった。参考:日本駆逐艦史、月刊世界の艦船5,1112,118,17、日本海軍艦隊総覧

<茂名>:551(フリゲート)を参照。

モメント>:ロシア航空宇宙防衛部隊第821総合宇宙監視センターの地上ELINT施設で、衛星から発信される電波情報を収集する。モスクワ州内にあるらしく、2003年から試験配備されている。参考:月刊軍事研究5,13

桃(初代)>:日本海軍桃型駆逐艦1番艦。大正51223日竣工、二等駆逐艦に類別された。大正6814日、第2特務艦隊第15駆逐隊に所属してマルタ島に到着、地中海での船団護衛任務を開始した。昭和1541日除籍。参考:日本駆逐艦史、月刊世界の艦船9,13増刊

桃(2代目)>:日本海軍松型駆逐艦4番艦。昭和19610日竣工。昭和191215日、マニラの北西210海里でSS-366ホークビルの雷撃を受けて沈没し、昭和20210日に除籍された。参考:日本駆逐艦史、第2次大戦日本海軍作戦年誌

桃型>:日本海軍駆逐艦で、磯風型と同時期に開発された中型駆逐艦である。磯風型よりも一回り小さいが、雷撃能力は同等。凌波性を向上させるため、船首楼甲板を高くしてフレアを大きくし、側面を傾斜させると共に艦橋を極力後ろに配置した。主機は2隻が日本初の純国産タービン、2隻はブラウン・カーチス式で、燃費は低速時は前者、全力時は後者が優れていた。煙突は2本で、前が混焼缶、後ろが専焼缶用。実用性に優れており、建造されるとすぐに地中海に送られ、対潜作戦に投入された。全長88.4m、水線幅7.7m、吃水2.4m、基準排水量755トン。主機は艦本式衝動型直結タービン(高低圧部一体の単式タービンと減速歯車付き巡航タービンを両軸に1基ずつ直結。檜、柳はブラウン・カーチス式直結タービン)2基、主缶はロ号艦本式水管缶4基(重油専焼2基、重油・石炭混焼2基、蒸気圧力18.3気圧、飽和温度)、出力16700馬力、2軸推進、速力31.5ノット、航続距離は15ノットで2400海里。兵装は40口径12サンチ単装砲3門、40口径8サンチ単装砲2門、6.5mm単装機銃2丁、45cm3連装魚雷発射管2基。乗員109名。桃、樫、檜、柳の4隻が大正5-6年に就役した。参考:日本駆逐艦史、月刊丸11,09、月刊世界の艦船5,11

モモろう君>:福島地方協力本部のマスコットキャラ。桃と守ろうを引っ掛けて命名された。顔の輪郭が桃っぽい。参考:朝雲

<もやい索投射機1形用発射薬包>:自衛隊の火工品。興亜化工製。参考:月刊軍事研究11,141,17

<モヨラ>:K260(フリゲート)を参照。

モラン・ソルニエN型戦闘機>:フランス軍の単葉(張線支持)戦闘機で、1915年に開発された。機首にオチキス8mm機銃を装備しており、プロペラにはパイロットのローラン・ギャロが考案した防弾デフレクターを装着して自分で撃った弾がプロペラを貫通しないようにしていた。ただし空戦機動中に撃つとデフレクターで跳ね返った弾丸が自機を直撃することがあるという欠点を持つ。全長6.7m、全幅8.3m、全高2.5m、重量510kg。エンジンはル・ローン\J空冷星型9気筒ロータリー(110馬力)単発で、最大速度165km。固定武装はオチキス8mm機銃1丁。乗員1名。49機が生産された。参考:図解世界の戦闘機史、月刊丸6,01、戦闘機のしくみ

モラン・ソルニエ社>:フランスの航空機会社。1966年にシュド・アビアシオンに買収され、ソカタに社名変更した。参考:月刊JWings1,15

モラン・バルベルデ級>:エクアドル海軍フリゲート。アメリカのローレンス級を導入したものである。ヘリ甲板を持つ。兵装は127mm砲1門など。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モリーヌ>:香川地本のマスコットキャラ。2021613日、丸亀市ピカラスタジアムで広報を行った。2023212日、香川県坂出市林田運動公園で行われた坂出天狗マラソンで広報を行った。参考:朝雲

森岡寛>:昭和194月、艦爆から戦闘機に機種転換した。昭和20123日、B-29爆撃機1機を撃破したが、左手首を切断する重傷を負った。その後義手を付けて戦線に復帰し、8151000F6F戦闘機を撃墜してエースとなった。19937月に死去した。参考:月刊丸1,'15増刊

<モリス>:DD-417(駆逐艦)を参照。

<モリソン>:DD-560(駆逐艦)を参照。

モリソン式ベッド型簡易シェルター>:イギリスでバトル・オブ・ブリテン時に使用された民間人用簡易シェルター。寝ている時に爆撃を受けて瓦礫により死傷しないよう、ベッドの天井に鉄板を張ってあり、四周は金網でガードした。参考:英独航空決戦

森貢>:明治41年、静岡県生まれ。昭和2年、海軍に入隊。昭和45月、卒業練習生を卒業し、昭和7年の第1次上海事変では加賀戦闘機隊に所属して上海飛行場に展開した。その後大村航空隊、赤城戦闘機隊、横須賀航空隊、館山航空隊に転属し、昭和131月に第13航空隊に配属され、3月に第12航空隊に転属した。218日、漢口空襲に参加し、4機を撃墜した。昭和141月、鈴鹿航空隊教官となり本土に帰還し、功五級金鵄勲章を授与された。昭和155月、空曹長に昇進し、予備役に編入された上で即日召集された。昭和177月、飛鷹戦闘機隊に配属された。10月、ラバウル及びブイン基地に展開。1011日、F4Fを撃墜。1014日、艦爆1機を撃墜。昭和184月、い号作戦に参加、2機を撃墜した。5月、少尉に昇進して本土に帰還、航空技術廠テストパイロットとなった。昭和198月、中尉に昇進して退役した。総撃墜機数9機以上。最終階級は中尉。参考:日本海軍戦闘機隊

守山駐屯地>:陸上自衛隊の駐屯地。所在地は愛知県名古屋市守山区守山3丁目12-1。名鉄守山自衛隊前駅から徒歩3分。大元は1897年(明治30年)に開設された第3師団歩兵第5旅団第33連隊の駐屯地で、太平洋戦争終結により194511月にアメリカ軍が進駐、19579月に撤収し、19596月に第10混成団本部、武器隊、通信隊、補給隊、衛生隊が久居駐屯地から、第14普通科連隊第2大隊が金沢駐屯地から移駐、駐屯地として開設された。19621月、第10混成団本部が第10師団司令部に改編された。19758月、第10音楽隊が新編された。19916月、第10後方支援連隊が新編された。20043月、第10後方支援連隊が春日井駐屯地に移駐した。200812280037頃、南側の外柵をパトロールしていた歩哨隊員が近くの竹藪で火災を発見。当直司令が近傍火災災害派遣命令を発出し、春日井消防署に通報した。駐屯地消防ポンプ車と消防署消防車が放水を行い、0145に鎮火している。2009612日、新しい師団本部庁舎(地上7階・地下1階、屋上ヘリポート付)の竣工式を実施。20113月、新倉庫(5階建て、延べ床面積15800平方メートル。第10音楽隊演奏室兼用)の建設を開始。直後に東日本大震災が発災し、移設作業などにあたる隊員が災害派遣されたため、工事が3ヶ月程ストップしたが、予定通り20133月に竣工した。2013326日、第10化学防護隊が第10特殊武器防護隊に改編された。201622-4日、東京法律専門学校の実習を伴う部隊見学に協力。愛知地本の支援も受け、学生88人に担架搬送やロープワークといった実習を行った。710日、愛知地本が予備自衛官補(一般・技能)37名に辞令書交付行事を実施。810日、愛知地本が幹部候補生採用試験最終合格者18名に説明会を実施。92-25日、愛知地本が自衛官候補生採用試験を実施。916-17日、愛知地本が一般曹候補生採用一次試験を実施。922日、愛知地本が航空学生採用第一次試験を実施。2017414-17日、愛知地本が予備自衛官補採用試験を実施。2018610日、愛知地本が幹部候補生採用第1次試験合格者に対する2次試験説明会を開催。202045日、入隊式を実施。68日、愛知地本が令和2年度自衛官候補生採用試験を実施。718日、愛知地本が厚生センターで令和2年度第1回自衛隊幹部候補生採用第1次合格者とカレッジリクルーターとの意見交換会を実施。2021722日、募集広報の日を実施。若者と保護者ら110人に、第10師団10音楽隊演奏、生活隊舎見学、体験喫食、業務体験、74式戦車体験試乗、UH-1Jヘリ・82式指揮通信車展示などを行った。817-19日、愛知地本金山募集案内所が享栄高校2年生8人のインターシップを実施。202297日、愛知地本が大学生・大学院生50人に対するインターンシップの開始式と、講話・講義・グループ討議・発表を実施。118日、愛知地本瀬戸地域事務所が豊明市立栄中学校2年生5人に行った職場体験に協力し、ロープ結索実習、第130地区警務隊による指紋採取体験、体験喫食を行った。202331日、愛知地本が三自衛隊音楽職種・職域説明会を実施。76日、愛知地本豊田地域事務所が名鉄学園杜若高校1年生8人のインターンシップを実施。参考:守山駐屯地ホームページ、第10師団ホームページ、JGround Vol.23MAMOR Vol.81、朝雲

 <守山駐屯地(2015年)>:第10師団司令部、第10師団司令部付隊、第35普通科連隊、第10通信大隊、第10特殊武器防護隊、第10音楽隊、守山駐屯地業務隊が駐屯している。参考:陸上自衛隊パーフェクトガイド2015

守山駐屯地業務隊>:陸上自衛隊の駐屯地業務隊。2011311日に発生した東日本大震災の災害派遣に参加。2018718日、駐屯地業務で優れた功績を挙げたとして、山崎陸幕長から2級賞状と副賞が授与された。2019724日、豚コレラに伴う災害派遣での各種支援の功績で、陸幕長から2級賞状と副賞が贈呈された。2022715日、厚生業務で優れた功績を挙げたとして、吉田陸幕長から2級賞状と副賞の盾を授与された。2023714日、駐屯地業務で優れた功績を挙げたとして、森下陸幕長から第2級賞状と副賞の盾を授与された。参考:MAMOR vol.52、朝雲

モル級魚雷艇(エチオピア海軍)>:エチオピア海軍魚雷艇で、ソ連製。兵装は533mm魚雷発射管4門。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モル級魚雷艇(ソマリア海軍)>:ソマリア海軍魚雷艇で、ソ連製。兵装は533mm魚雷発射管4門。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モルス(初代)>:フランス海軍ルカン級潜水艦Morse1927年竣工。19406月、地中海で自軍の機雷に触れて沈没した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

モルス(2代目)>:フランス海軍キュリー級潜水艦Morse。元はイギリス海軍V級潜水艦P87ヴォーテックスである。1944年竣工。1946年に返還された。参考:第2次大戦のフランス軍艦

<モルツ>:K-419(潜水艦)を参照。

<モルドヴィア>:782(揚陸艇)を参照。

モルトケ>:ドイツ海軍モルトケ級巡洋戦艦1番艦Moltke1911930日竣工。1916531日、第1偵察戦隊所属でジュットランド海戦に参加。1919621日、スカパフローで自沈した。1927年に浮揚され、その後解体された。参考:月刊世界の艦船1,136,16、近代戦艦史、歴史群像6,16

モルトケ級>:ドイツ海軍巡洋戦艦Moltke級。ドイツ海軍での正式分類は大巡洋艦である。フォン・デア・タンの拡大改良型で、イギリスのものよりも装甲を重視、殆ど高速戦艦の領域に達しているが、その分乾舷が低く凌波性が悪いのはフォン・デア・タン譲りである。船型は長船首楼型。主砲塔は後甲板を背負い式として1基増やした。缶室と石炭庫の間に厚さ50mmの魚雷防御隔壁を持ち、その上は上甲板まで繋がるスプリンター防御装甲となっている。艦尾の幅が狭いので、舵は主舵を後ろ、副舵を前に並べている。全長186.5m、幅29.5m、吃水8.2m、常備排水量22616-22979トン(うち機関重量3565トン)。主機はパーソンズ式高低圧並列直結蒸気タービン2組、主缶はシュルツ・ソーニクロフト石炭専焼缶(16気圧、飽和蒸気)24基で、出力52000馬力(85000馬力?)、4軸推進、推進軸回転数毎分260、プロペラ直径3.74m、速力25.5ノット(28ノット?)。兵装は28.3cmSK L/50連装砲塔5基、14.9cm単装砲12基、8.8cm単装砲12門、50cm水中発射管4門。装甲厚は水線部270mm、甲板50mm。乗員1053名。モルトケ、ゲーベンが1911-12年に竣工した。ジュットランド海戦後、主砲仰角を13.5度から16度に引き上げている。船首楼前部の甲板下にある8.8cm単装砲2門は波を被って使い物にならないので、1916年までに撤去された。参考:近代戦艦史、月刊丸11,0912,11、月刊世界の艦船6,161,131,1210,14

モルドジャン級>:トルコ海軍敷設艦。アメリカ海軍LSMを改造したものである。機雷400個を搭載可能。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モルドバ空軍

モルドバ空軍(2015年)>:現役兵力800名(うち徴兵250名)。An-2輸送機2機、An-72輸送機2機、Yak-18輸送機1機、Mi-8PS輸送ヘリ2機、Mi-8MTV-1輸送ヘリ4機、S-125地対空ミサイル3基を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モルドバ軍>:20149月、NATOの防衛力構築イニシアチブに署名。20157月、アメリカ、ポーランド、ジョージア、ルーマニアと500名規模の合同演習ジョイント・エフォート2015を実施。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

 <モルドバ軍(2015年)>:現役総兵力5350名(陸軍3250名、空軍800名、兵站支援部隊1300名)、予備役58000名、準軍事組織2400名。中央アフリカ共和国にMINUSCA要員1名とオブザーバー2名、コートジボアールにUNOCIオブザーバー3名、リベリアにUNMILオブザーバー2名、セルビアにKFOR要員41名とUNMIKオブザーバー1名、南スーダンにUNMISSオブザーバー3名、ウクライナにOSCE要員28名を派遣している。フランスOSCE要員1名、ドイツOSCE要員1名、キルギスタンOSCE要員1名、ポーランドOSCE要員1名、ロシア軍1500名(平和維持部隊380名含む)とMi-24/Mi-8ヘリ7機、スウェーデンOSCE要員3名、スイスOSCE要員1名、ウクライナ軍オブザーバー10名(統合平和維持軍)、イギリスOSCE要員2名、アメリカOSCE要員3名が駐留している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モルドバ陸軍(2015年)>:現役兵力3250名(うち徴兵1950名)。特殊部隊大隊1個、自動車化歩兵旅団3個、軽歩兵大隊1個、警備大隊1個、砲兵大隊1個、工兵大隊1個、NBC中隊1個、通信大隊1個からなる。BRDM-2偵察車5両、BMD-1歩兵戦闘車44両、BTR-D装甲車9両、MT-LB装甲車60両、BTR-80装甲車11両、TAB-71装甲車84両、122mmM-1938M-3017門、152mm2A3621門、152mmD-2031門、120mm自走迫撃砲2S9を9両、220mm多連装ロケット9P14011両、82mm迫撃砲50門、120mm迫撃砲PM-38を7門、9K111/9K113/9K114対戦車ミサイル、73mm無反動砲SPG-9100mm対戦車砲MT-1237門、23mm高射機関砲ZU-2328門、57mm高射砲S-6011門、ARK-1レーダー2基、SNAR-10レーダー3基を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モルナル級>:ユーゴスラビア海軍沿岸対潜哨戒艇。兵装は対潜ロケット発射機4基。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モルニアATs−68bisA>:ソ連海軍スヴェルドルフ級巡洋艦に搭載されている主砲用射撃指揮装置で、第303研究所が開発した。主装置(1-GM型自動射撃盤と7U型処理機で構成)、予備装置(副発令所の1-R射撃盤)、砲塔内部装置で構成されており、主装置と予備装置を同時に使用すれば4目標同時攻撃が可能。参考:ソ連/ロシア巡洋艦建造史

<モルニヤT級>:パウクT級(哨戒艇)を参照。

<モルニヤU級>:パウクU級(哨戒艇)を参照。

モルニヤ−3>:ロシアの通信衛星。2003年に1基が打ち上げられた。参考:月刊軍事研究5,13

モルニヤ−3K>:ロシアの通信衛星。2005年に1基を打ち上げたが、失敗した。2010年に1基が打ち上げられた。後継としてメリディアン通信衛星を打ち上げ中。参考:月刊軍事研究5,13

モルニヤ軌道>:Molniya Orbit。近地点1000km、遠地点39000km、傾斜角63.4度、近地点離角270度の衛星軌道で、12時間で地球を周回する。高緯度地域向けで、モルニヤ通信衛星が使用したのでこの名が付いた。参考:月刊軍事研究6,044,075,13

<モルニヤ級>:プロジェクト12418(ミサイル艇)またはプロジェクト12421(ミサイル艇)を参照。

モルヒ>:ドイツ国防軍小型潜水艇Molch(サンショウウオ)。港湾に停泊している敵艦を攻撃するのが主任務で、潜航状態での行動に適した魚雷型船体と水平舵を持つ。充電器は無く、航続力は低い。全長10.8m、最大幅1.82m、排水量11トン。主機は魚雷用電動モーターで、出力13.9馬力、水上速力4.3ノット、水中速力5.0ノット、航続距離は水上4ノットで50海里(50km?)、水中5ノットで50海里。兵装は艇体下部両側の魚雷(電池を減らして軽量化)1本ずつ。乗員1名。363隻(390隻?)が建造され、1944年夏頃からイタリア・ベルギー沿岸部で使用されたが、戦果は挙げられなかった。参考:ナチスUボート、Uボート入門、月刊軍事研究4,05、グラフィックアクション29

モルフェイ>:アルマーズ・アンティ社が開発している装輪式短射程防空システム42S6。6×6輪トラックの後部荷台中央部にシェルター、最後部に10連装ミサイルキャニスターを搭載しており、前線に展開するとアウトリガーでキャニスターを地面に降ろして交戦する。射程5km。ロシア軍で2013年に採用される予定だったが、2015年に延びた。参考:月刊軍事研究11,14

<モルムガオ>:D-67(駆逐艦)を参照。

モレイ1400級>:オランダのRDM社が開発したCCD方式AIP搭載の潜水艦Moray1400級。ディーゼル電気推進とAIPのハイブリッドで、電池推進では74時間、CCDでは4ノットで380時間の潜航が可能。最大航続距離6000海里。参考:月刊軍事研究4,00

モレイ1800級>:オランダのRDM社が開発したCCD方式AIP搭載の輸出用潜水艦Moray1800級。完全AIP型で、全長64.7m、耐圧船殻径6.4mで、84トンのディーゼル燃料と54トンの液体酸素を搭載し、最大航続距離8000海里、4ノットでの480時間連続潜航が可能で、補給無しで7週間運用する。どこも採用していない。参考:月刊軍事研究4,004,10

モレスビー>:パプア・ニューギニア海軍パシフィック型哨戒艇Moresby、艇番号042016912-24日、カカドゥ2016演習に参加。参考:月刊世界の艦船12,16

モレノ>:アルゼンチン海軍リバダビア級戦艦Moreno1910年起工、1915年竣工。1957年に除籍され、山口県下松でスクラップにされた。参考:近代戦艦史、月刊世界の艦船9,134,17

<モロ・イスラム解放戦線>:MILFを参照。

<モロート>:U-5TS(滑腔砲)を参照。

<もろしま>:MSC-663(うじしま型掃海艇)またはMSC-667(はつしま型掃海艇)を参照。

モロズ>:ロシア海軍ナヌチュカV型ミサイル艇Moroz20166201400頃、ナヌチュカV型ミサイル艇イネイ、同ラズリーフと共に、宗谷岬北西74kmの宗谷海峡を東に航行するのを、PG-825わかたかと第2航空群P-3Cが確認した。20176171800頃、ナヌチュカV型ミサイル艇イネイ、同ラズリーフと共に、宗谷岬北北東35kmを西に航行するのを、PG-827くまたかが確認した。その後宗谷海峡を西に進み日本海に向かっている。参考:月刊世界の艦船9,169,17

モロスキヨ級>:コロンビア海軍汎用揚陸艇Morrosquillo級。アメリカ陸軍LCUを導入したものである。貨物搭載量170トン。兵員300名前後を搭載可能。1991-92年に就役した。参考:月刊世界の艦船10,17

モロッコ海軍>:1982年、デスクビエルタ級フリゲート1隻が就役。1995年、ニューポート級戦車揚陸艦1隻が就役。2002年、フロレアル級フリゲート2隻が就役。2011年、タリク・ベン・ジヤード級フリゲート1隻とビル・アン・ザラン級哨戒艇1隻が就役。2012年、スルタン・ムーライ・イスマイル級2隻が就役。2014年、FREMMフリゲート1隻が就役。20151128日、大西洋でアメリカ海軍との共同演習を実施。スルタン・ムーライ・イスマイルが参加した。2026年からアバンテ1800型哨戒艦が就役予定。参考:月刊世界の艦船2,163,1610,1710,'23JShips VOL.70

<モロッコ海軍(1977年)>:兵力4000名(うち海軍歩兵大隊1個600名)。コルベット3隻、沿岸掃海艇1隻、大型哨戒艇3隻、沿岸哨戒艇6隻、兵站上陸用艦1隻、上陸用舟艇1隻を配備する。参考:軍事力バランス78年版

モロッコ海軍(1989年)>:兵力6500名(うち海軍歩兵大隊1個1500名)。カサブランカ、アガディール、アルホセイマ、ダクラに基地がある。デスクビエルタ級フリゲート1隻、ラサガ級ミサイル艇4隻、オクバ級高速哨戒艇2隻、LVラビ級哨戒艇4隻、リフィ級哨戒艇1隻、エル・ライク級哨戒艇2隻、エル・ワシル級内海哨戒艇10隻、ベン・アイチャ級中型揚陸艦3隻、戦車揚陸艇1隻、輸送艦2隻、Ro-Roフェリー1隻を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モロッコ海軍(2015年)>:現役兵力7800名(うち海兵隊1500名)。FREMM級フリゲート1隻、タリク・ベン・ジヤード級フリゲート1隻、スルタン・ムーライ・イスマイル級フリゲート2隻、フロレアル級フリゲート2隻、デスクビエルタ級コルベット1隻、ビン・アン・ザラン級哨戒艦1隻、ラサガ級ミサイル艇4隻、オクバ級哨戒艦2隻、哨戒艇42隻、ベン・アイチャ級中型揚陸艦3隻、ニューポート級戦車揚陸艦1隻、CTM-5級汎用揚陸艇1隻、兵站支援船9隻を保有する。海兵隊は海軍歩兵大隊2個からなり、AS565SAヘリ3機を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モロッコ空軍>:1956年の独立後は宗主国だったフランス製の機体を主に使用した。1960年代初めにMiG-17F12機、MiG-15UTI2機を供与されたが、ソ連が隣のアルジェリアとフランスとの紛争に介入したため、ソ連との関係が悪化、部品が供給されなくなって1960年代半ばに廃棄されている(数機は保管状態にある)。その後はアメリカとの関係を強化し、F-5A/BC-47C-119Gなどを供与された。1970年代にはミラージュF1シリーズやF-5E/F、アルファジェットH、C-130Hを導入。1980年代、T-34C-1ターボメンターやAS202/18ブラボーなどの練習機を採用した。1982年、SA342Lヘリを導入。1990年代後半、マジステールの退役に合わせてアメリカ空軍のT-37Bが移管された。2007年、F-5E/F及びミラージュF1CH/EHの後継としてF-16C/Dブロック52の導入を決定した。2011年、F-16戦闘機の配備を開始。2015年、サウジアラビア主導イエメン介入作戦に参加。参考:月刊JWings11,09、月刊航空ファン2,11THE MILITARY BALANCE 2016

 <モロッコ空軍(1977年)>:兵力5650名。マジステール戦闘攻撃機24機、F-5A戦闘機17機、F-5B戦闘機4機、C-47輸送機8機、C-119G輸送機8機、C-130H輸送機8機、キングエア6機、ブルサード輸送機12機、Do28D輸送機1機、AB205Aヘリ40機、AB206ヘリ8機、AB212ヘリ5機、アルエートUヘリ4機、ガゼル6機、ピューマ20機、T6練習機25機、T28練習機18機、SF260M練習機2機を配備する。参考:軍事力バランス78年版

 <モロッコ空軍(1989年)>:兵力16000名。ミラージュF-1EH戦闘機17機、F-5A戦闘機7機、F-5B戦闘機2機、F-5E戦闘機13機、F-5F戦闘機4機、ミラージュF-1CH戦闘機21機、アルファジェット23機、CM-170対ゲリラ戦機22機、RF-5A偵察機1機、F-5E偵察機2機、OB-10偵察機4機、C-130H偵察機(側視レーダー搭載)2機、C-130電子情報収集機1機、ファルコン20電子情報収集機1機、B707空中給油機1機、KC-130H空中給油機2機、B707輸送機1機、C-130H輸送機11機、ファルコン50要人輸送機1機、ファルコン20輸送機1機、ガルフストリームU要人輸送機1機、キングエアA100輸送機5機、キングエアA200輸送機1機、Do-28輸送機3機、SA-342武装ヘリ24機(12機はHOT12機は機関砲搭載)、CH-47輸送ヘリ7機、SA-330汎用ヘリ27機、AB-205A汎用ヘリ24機、AB-206汎用ヘリ20機、AB-212汎用ヘリ5機、AS-202練習機10機、CAP-10練習機2機、CAP-230練習機4機、T-34C練習機10機、キングエア200連絡機2機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <モロッコ空軍(2009年)>:F-5E戦闘機23機、F-5F戦闘機4機、ミラージュF1CH30機、ミラージュF1EH14機、ミラージュF1EH-200戦闘機6機、アルファジェットH25機、C-130H13機、EC-130H2機、KC-130H2機、CN235M-100を7機、ガルフストリームUT1機、ガルフストリームV1機、ファルコン100を1機、ファルコン50を1機、ファルコン20ECM2機、セスナ560を2機、ビーチ300を2機、ビーチ200を2機、ビーチ200C2機、ビーチA100を6機、T-37B14機、T-34C-112機、AS202/1814機、CAP232を9機、Do28D-22機、CH-47C9機、SA330F34機、ベル212を2機、AB212を3機、AB205A47機、AB206Aを5機、AB206B16機、SA342L24機配備している。参考:月刊JWings11,09

 <モロッコ空軍(2015年)>:現役兵力13000名。年間飛行時間100時間(戦闘機パイロット)。F-5E戦闘機19機、F-5F戦闘機3機、F-16C戦闘機15機、F-16D戦闘機8機、ミラージュF-1C(F-1CH)戦闘機15機、ミラージュF-1E(F-1EH)戦闘機11機、EC-130H電子偵察機1機、KC-130H空中給油輸送機2機、C-27J輸送機4機、C-130H輸送機13機、ビーチ100キングエア輸送機4機、ビーチ200キングエア輸送機2機、ビーチ200Cキングエア輸送機1機、ビーチ300キングエア輸送機2機、ビーチ350キングエア輸送機3機、CN-235輸送機7機、Do-28輸送機2機、B-737BBJ要人輸送機1機、ファルコン20要人輸送機2機、ファルコン20電子偵察機2機、ファルコン50要人輸送機1機、ガルフストリームU要人輸送機1機、ガルフストリームV要人輸送機1機、ガルフストリームX-SP要人輸送機1機、AS-202ブラボー練習機12機、アルファジェット練習機19機、CAP-10練習機2機、T-6C練習機24機、T-34C練習機9機、T-37B練習機14機、CL-415火力支援機4機、SA342Lヘリ19機(HOT型7機、機関砲型12機)、CH-47D輸送ヘリ10機、SA330輸送ヘリ24機、ベル205A(AB-205A)ヘリ25機、ベル206(AB-206)ヘリ11機、ベル212(AB-212)ヘリ3機、AIM-9J/-9X/-120C-7空対空ミサイル、R-530/-550空対空ミサイル、AASM空対地ミサイル、AGM-62Bウォールアイ空対地ミサイル、HOT対戦車ミサイルを保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モロッコ軍>:

モロッコ軍(1989年)>:総兵力192500名、予備役100000名。赤道ギニアに1個大隊360名を派遣している。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モロッコ軍(2015年)>:現役総兵力195800名(陸軍175000名、海軍7800名、空軍13000名)、予備役150000名(全て陸軍)、準軍事組織50000名(王立憲兵20000名、国境・沿岸警備隊30000名)。中央アフリカ共和国にMINUSCA要員754名、オブザーバー2名、歩兵大隊1個、コートジボアールにUNOCI要員718名、機械化歩兵大隊1個、コンゴ民主共和国にMONUSCO要員840名、オブザーバー3名、機械化歩兵大隊1個、野戦病院1個、UAEにレストアリング・ホープ作戦でF-16C戦闘機5機を派遣している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モロッコ陸軍>:1981年、AMX-10RCの配備を開始。参考:月刊PANZER5,98

モロッコ陸軍(1977年)>:兵力75000名。軽保安旅団1個、空挺旅団1個、機甲大隊5個、自動車化歩兵大隊2個、歩兵大隊18個、近衛大隊9個、ラクダ大隊7個、砂漠大隊2個、砲兵群7個、工兵大隊2個からなる。M48戦車50両、T-54戦車50両、AMX-13軽戦車120両、EBR装甲車36両、AML装甲車/M8装甲車50両、M3ハーフトラック40両、OT-62/64装甲兵員輸送車95両、UR416装甲兵員輸送車30両、AMX105自走砲30門、76mm/85mm/105mm150門、155mm榴弾砲M11418門、82mm/120mm迫撃砲、105mm無反動砲、エンタック/TOW対戦車ミサイル、37mm/57mm/100mm高射砲50門、チャパラル地対空ミサイルを配備する。参考:軍事力バランス78年版

モロッコ陸軍(1989年)>:兵力170000名。南部コマンド、北西アトラス山脈地方コマンド、国境地帯コマンドに機械化歩兵旅団司令部1個、自動車化歩兵旅団司令部2個、軽保安旅団1個、パラシュート旅団2個、機械化歩兵連隊6個、自動車化歩兵連隊2個、独立砲兵グループ11個、独立自動車化大隊(ラクダ部隊)3個、独立防空グループ1個、独立騎兵大隊3個、独立機甲大隊グループ7個、独立山岳大隊1個、独立歩兵大隊41個、独立工兵大隊5個を置く。王室警備隊は兵力1500名で、王室警備隊大隊1個、王室警備隊騎兵大隊1個からなる。M-48A5戦車224両、AMX-13軽戦車50両、EBR-75偵察車16両、AMX-10RC偵察車80両、AML-90偵察車190両、AML-60-7偵察車37両、エランド90mm偵察車40両、ラテル20歩兵戦闘車30両、ラテル90歩兵戦闘車30両、VAB-VCI歩兵戦闘車30両、M-113装甲兵員輸送車420両、VAB-VTT装甲兵員輸送車360両、UR-416装甲兵員輸送車70両、M-3装甲兵員輸送車29両、OT-62/-64装甲兵員輸送車45両、105mm軽砲L-11830門、105mmM-10140門、105mmHM-236門、130mmM-4618門、155mmM-11420門、155mm自走砲AMX-F398門、155mm自走砲M-10944門、BM-2140両、81mm迫撃砲、120mm迫撃砲680門(VAB自走迫撃砲20両含む)、ドラゴン対戦車ミサイル、ミラン対戦車ミサイル発射機80基、TOWLAWM-20バズーカ、STRIM-89対戦車ロケット、75mm無反動砲M-20260門、90mm無反動砲M-6730門、106mm無反動砲M-40350門、90mm対戦車砲M-5628門、SU-100自走砲8両、SK-105対戦車自走砲90両、14.5mm機銃ZPU-2180基、14.5mm機銃ZPU-420基、20mm高射機関砲40門、M163自走高射機関砲60両、ZU-23-2高射機関砲90門、37mm高射機関砲M-38/M-3925門、100mm高射砲KS-1912門、M-48チャパラル自走地対空ミサイル37両、9M32地対空ミサイルを保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モロッコ陸軍(2015年)>:現役兵力175000名(うち徴兵100000名)、予備役150000名。北方地域コマンド・南方地域コマンド、機甲大隊12個、機械化歩兵旅団3個、機械化・自動車化歩兵連隊8個、軽保安旅団1個、自動車化歩兵大隊(ラクダ軍団)3個、軽歩兵大隊35個、コマンドー隊4個、パラシュート旅団2個、空挺大隊2個、山岳歩兵大隊1個、砲兵大隊11個、工兵大隊7個、防空大隊1個、王室親衛隊(1500名、親衛大隊1個、騎兵隊1個)からなる。T-72戦車40両、M60A1戦車220両、M60A3戦車120両、90式U型戦車(MBT-200054両(を保有しているという報告あり)、M48A5戦車200両(全て保管中)、AMX-13軽戦車5両、SK-105軽戦車111両、AML-60-7偵察車38両、AML-90偵察車190両、AMX-10RC偵察車80両、EBR-75偵察車40両、エランド偵察車16両、M1114HMMWV偵察車20両、AMX-10P歩兵戦闘車10両、ラーテルMk3-20歩兵戦闘車30両、ラーテルMk3-90歩兵戦闘車30両、M113A1/A2装甲兵員輸送車400両、M577A2装甲兵員輸送車86両、VAB VCI装甲兵員輸送車45両、VAB VTT装甲兵員輸送車320両、105mm自走砲Mk61を5両、155mm自走砲M109A1/A1B84両、155mm自走砲M109A243両、155mm自走砲Mk F390両、203mm自走砲M11060両、105mm軽砲L11830門、105mmM10120門、130mmM-4618門、155mmFH-7030門、155mmM11420門、122mm多連装ロケットBM-2135両、106mm自走迫撃砲M106A232-36両、120mm自走迫撃砲型VAB装甲車を20両、81mm迫撃砲エクスパル・モデルLN1100門、120mm迫撃砲ブラント550門、M901自走対戦車ミサイル80両、9K11対戦車ミサイル、M47ドラゴン対戦車ミサイル、ミラン対戦車ミサイル、TOW対戦車ミサイル、106mm無反動砲M40A1350門、89mmバズーカ砲M20200門、100mm自走砲SU-100を8両、90mm対戦車砲M-5628門、R4E-50スカイアイ無人機、2K22MツングースカM自走地対空ガンミサイルシステム12両、M48自走高射機関砲37両、9K32携帯地対空ミサイル、M163自走高射機関砲60両、14.5mm対空機銃ZPU-2150-180基、14.5mm対空機銃ZPU-420基、20mm高射機関砲M16740基、23mm高射機関砲ZU-23-275-90基、100mm高射砲KS-1917門、RASIT対車両・対砲レーダー、グライフ装甲回収車10両、M88A1戦車回収車18両、M578装甲回収車、VAB-ECH装甲回収車20両を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<モロット>:M-4シリーズ(爆撃機)を参照。

モロトフ>:ソ連海軍マキシム・ゴルキイ級巡洋艦2番艦Molotov1937114日起工、1939124日進水、1941年公試開始。公試排水量9760トン、全力公試時最大出力133000馬力、最大速力36.3ノット、航続距離は16.8ノットで3860海里だった。1941614日竣工、黒海艦隊に配備された。独ソ戦勃発でセヴァストーポリ防衛戦に参加。砲撃や船団護衛の他、兵士、兵器弾薬、避難民の輸送に従事した。1942122日、セヴァストーポリ湾に停泊していたところ、嵐に遭遇して船体を損傷した。ツアプセで応急修理を行ったが、速力が2-3ノット下がったままで、後にポチの船舶修理工場で再度修理された。8月、嚮導駆逐艦ハリコフ、魚雷艇4隻と共にフェオドシア砲撃に向かったが、途中でドイツ海軍及びイタリア海軍の魚雷艇数隻と遭遇戦になり、被雷して艦尾20mを切断された。応急修理で10ノットの航行が可能となり、ポチに帰投した。第201向上で修理を行い、19437月に前線に復帰。194411月、セヴァストーポリに到着。1946105日、砲撃訓練中に二番主砲塔で火災が発生し、23名が死亡、20名が負傷した。1940年代末、68K型/68bis型巡洋艦用電子機器の実験に供された。1952-55年、対空兵装や電子装備に関連する改装を実施。魚雷発射管と航空兵装は撤去し、後部マストを後部煙突直後から直前に移した。1955年、黒海艦隊第50巡洋艦師団旗艦となった。1029日、セヴァストーポリで爆沈した戦艦ノヴォロシースク(イタリアから戦利艦として得たジュリオ・チェザーレ)の救難に参加したが、乗員5名が殉職した。19578月、モロトフが反共産党的な活動を行っていたとしてフルシチョフから糾弾され、本艦もスラヴァに艦名変更された。1959114日、予備役に入った。1960714日、現役に復帰。19614月、軍備削減令で第44・第50巡洋艦師団が解隊され、83日に練習巡洋艦に艦種変更された。1966630日、黒海艦隊第21対潜艦旅団に編入された。1967年、地中海に配備された。1970年の諸元は以下の通り。全長191m、満載排水量11500トン。主機は蒸気タービン2基(巡航用ディーゼルも追加していた説あり)、出力110000-113000馬力、2軸推進、速力34-35ノット。兵装は18cm3連装砲3基、10cm単装両用砲6基、37mm連装機関砲11基、機雷敷設軌条2条、機雷60-90個。11月、イギリス空母アーク・ロイヤルと衝突した駆逐艦ブラヴィの救助に参加。1230日、黒海艦隊第70対潜艦旅団に転属。197244日に除籍され、スクラップにされた。参考:ソ連/ロシア巡洋艦建造史、近代巡洋艦史、月刊世界の艦船1,20

モロトフスク>:ソ連海軍68bis型スヴェルトロフ級巡洋艦Molotovsk1952715日起工、1954525日進水、1130日竣工。1218日、北洋艦隊に配属された。19568月、ノルウェーとスウェーデンを訪問。195783日、オクチャブルスカヤ・レヴォルチヤに改称された。参考:ソ連/ロシア巡洋艦建造史

モロトフのパンかご>:RRABを参照。第2次大戦ではクラスター弾一般を指す通称となった。参考:戦時用語の基礎知識

<モロトフ・リッベントロップ条約>:独ソ不可侵条約を参照。

<モロ民族解放戦線>:MNLFを参照。

モワク社>:スイスの装輪装甲車メーカー。1970年頃に装軌式装甲兵員輸送車のトルナードを発表したが、売れなかった。このため、装輪式に切り替えたピラーニャを開発して大成功。ピラーニャ・シリーズをアメリカに売り込むため、GMカナダ社と提携したが、2000年に経営権をGMディフェンス社(元GMカナダ社)に譲渡した。参考:月刊PANZER7,045,79

<モンカルム>:D642(駆逐艦)を参照。

モンカルム>:フランス海軍ラ・ガリソニエール級軽巡洋艦6番艦Montcalm1937124日就役。19405月、ノルウェー作戦に参加。フランス敗戦後はヴィシー政権に付き、9月にダカールに回航された。11月、反ヴィシー政権に転換し、1942年には連合軍側に付いている。19432-8月、アメリカで改装を実施。726日、第1回公試を終えた。194466日、ノルマンディー上陸作戦に参加してオマハ海岸を砲撃し、上陸を援護した。その後艦長が上陸したところ、地元の村長から砲撃で牛が死んだと苦情を受けたという。1957年退役、予備役に編入された。1959-69年、ハルクとして使用された。1970年に解体された。参考:月刊世界の艦船5,'20、第2次大戦のフランス軍艦、近代巡洋艦史

モンキー・バージョン>:モンキー・モデルともいう。輸出用にワンランク性能を落としたもの。T-72モデル1975とか。冷戦後は東西問わず兵器を購入できるようになったため、性能を殆ど落とさない輸出用モデルも登場してきている。参考:月刊軍事研究3,08

門橋>:野戦用フェリー。人員などの軽装備を運搬する軽門橋と、戦車などの重装備を運搬する重門橋がある。参考:月刊JWings9,02

モンギンシディ>:インドネシア海軍クロード・ジョーンズ級護衛艦Monginsidi。元はDE-1033クロード・ジョーンズである。1974年就役。参考:月刊世界の艦船9,'96

<モンクシュッド>:K207(コルベット)を参照。

<モンクトン>:708(警備艦)またはP1055(哨戒艇)を参照。

<モンゴメリー>:モントゴメリー(イギリス陸軍元帥)を参照。

モンゴリア>:アメリカのパシフィック・メイル・スチームシップ社に所属する大型客船で、アトランティック・トランスポート・ラインが発注したが、進水前に買い取った。全長187.66m、幅20.04m、吃水10.21m、総トン数13639トン。主機は4連成汽機2基2軸10000馬力、航海速力16ノット。1915年にアトランティック・トランスポート・ラインに売却され、15.2cm砲を搭載してイギリスへの輸送を行った。19174月、アメリカ参戦後初となるアメリカ船による戦闘を行い、Uボートを撃沈した。1923年にパナマ・パシフィック・ラインに移籍、1929年にダラー・ラインに移籍してプレジデント・フィルモアとなり、1940年にはパナマ船社に移籍してパナマニアンと改称され、1946年まで航海を行い、解体された。参考:月刊世界の艦船8,11

<モンゴルA>:MiG-21U(練習機)を参照。

<モンゴルB>:MiG-21US(練習機)またはMiG-21UM(練習機)を参照。

モンゴル空軍>:20191126日、MiG-29UB戦闘機2機がロシアから引き渡された。参考:月刊航空ファン2,20

 <モンゴル空軍(1977年)>:兵力2000名。MiG-15戦闘機10機、An-2輸送機20機、Il-14輸送機6機、An-24輸送機4機、Mi-1ヘリ、Mi-4ヘリ10機、Yak-11/-18練習機、SA-2地対空ミサイルを配備する。参考:軍事力バランス78年版

モンゴル空軍(1980年)>:MiG-1710機、Il-14を5機、An-24を4機、An-215機、Mi-8を3機、Mi-410機、MiG-15UTIを2機、Yak-11を6機、Yak-18を6機保有している。参考:ザ・マーチ18

モンゴル空軍(1989年)>:兵力500名。MiG-21戦闘機30機、Mi-24攻撃ヘリ10機、An-2輸送機20機、An-24輸送機19機、An-26輸送機1機、An-32輸送機1機、Mi-8ヘリ4機、Mi-4ヘリ10機、MiG-15U練習機2機、PZL-104練習機3機、Yak-11/-18練習機を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モンゴル空軍(2015年)>:現役兵力800名。An-24輸送機2機、An-26輸送機1機、Mi-8ヘリ11機、Mi-171ヘリ2機、高射砲150門(14.5mm対空機銃ZPU-423mm高射機関砲ZU-2357mm高射砲S-60)を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モンゴル軍>:19206月に結成されたモンゴル人民党が19213月に義勇兵700名で編成したのが始まりである。当時は中華民国により自治権を失っており、ソ連赤軍の支援を受けてキャフタで蜂起し、中華民国軍を追い出した。更にアルタンブラクでロシア白軍を迎撃し、ソ連赤軍第5軍第35師団10000名の支援を受けて78日にクーロン(現ウランバートル)を制圧、モンゴルの独立が宣言された。19221月にロシア白軍の掃討が終わるとソ連赤軍の駐留軍は順次シベリアに引き揚げ、8月には1個大隊規模まで縮小、その後完全に撤退したが、軍事顧問として引き続き多数が派遣されており、後に粛清の嵐が吹き荒れることになる。1931年、満州事変勃発で関東軍が国境に迫ったため、ソ連軍が駐留と物資集積を開始。193411月に蒙ソ相互援助協定、19363月に蒙ソ相互援助議定書が締結された。参考:月刊航空ファン7,99

 <モンゴル軍(1989年)>:兵力21500名(うち徴兵17000名)、予備役200000名。ソ連陸軍55000名、司令部1個、戦車師団2個、自動車化狙撃師団2個が駐留している。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

 <モンゴル軍(2015年)>:現役総兵力10000名(陸軍8900名、空軍800名、建設部隊300名)、予備役137000名(全て陸軍)、準軍事組織7500名(国境警備隊6000名、国内保安軍1200名)。アフガニスタンにレゾリュート・サポート要員120名、UNAMAオブザーバー1名、コンゴ民主共和国にMONUSCOオブザーバー2名、南スーダンにUNMISS要員863名、オブザーバー7名、歩兵大隊1個、スーダンにUNAMID要員70名、野戦病院1個、ウクライナにOSCE要員1名、西サハラにMINURSOオブザーバー4名を派遣している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モンゴル抑留>:太平洋戦争でソ連に捕らえられた日本軍将兵らがモンゴルに抑留され、強制労働などで1600名強が死亡した。ウランバートルに資料館と慰霊碑が建立されている。参考:朝雲

モンゴル陸軍>:1925619日、航空隊の創設が承認され、ポリカルポフR-1偵察機10機を購入し、モスクワで共産青年同盟員26名(うち2名はすぐ脱落して帰国)がパイロット養成コースに入った。1927年、初等パイロット訓練所が開設され、R-1偵察機4機が配備されて士官候補生10名が入学した。参考:月刊航空ファン7,99

モンゴル陸軍(1977年)>:兵力28000名、予備役30000名。T-34戦車30両、T-54/-55戦車100両、BTR-60装甲兵員輸送車40両、BTR-152装甲兵員輸送車50両、76mm/100mm/130mm/152mm榴弾砲、SU-100自走砲10門、3M6対戦車ミサイル、37mm/57mm高射砲を配備する。参考:軍事力バランス78年版

<モンゴル陸軍(1989年)>:兵力21000名(うち徴兵17000名)、予備役200000名。自動車化狙撃師団4個からなる。T-54/-55/-62戦車650両、BRDM-2偵察車135両、BMP-1歩兵戦闘車420両、BTR-40/-60/-152装甲兵員輸送車450両、牽引砲650門(122mmM-1938/D-30130mmM-46152mmML-20)、自走多連装ロケット120両(BM-21BM-13-16BM-14-16BM-14-17)、82mm/120mm/160mm迫撃砲、9M14対戦車ミサイル、100mm対戦車砲T-12、高射砲100門(14.5mm対空機銃ZPU-437mm高射機関砲M-193957mm高射機関砲S-60)、9M32地対空ミサイル300基を保有する。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

モンゴル陸軍(2015年)>:現役兵力8900名(うち徴兵3300名)、予備役137000名。自動車化狙撃旅団1個、軽歩兵大隊1個、空挺大隊1個、砲兵連隊1個からなる。T-54/-55戦車370両、T-72A戦車50両、BRDM-2偵察車120両、BMP-1歩兵戦闘車310両、BTR-60装甲車150両、BTR-70M装甲車40両、BTR-80装甲車20両、122mmD-30/M-30/M-1938130mmM-46152mmML-20/M-1937122mm多連装ロケットBM-21130両、82mm/120mm/160mm迫撃砲140門、対戦車砲200門(85mm対戦車砲D-44/D-48100mm対戦車砲M-1944/MT-12)、S-125ペチョラ2M地対空ミサイル2基以上、T-54/T-55戦車回収車を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モンジ>:フランス海軍ルドゥダブル級潜水艦Monge1932年竣工。1942年に戦没した。参考:第2次大戦のフランス軍艦

<モンジュ>:A601(衛星追跡艦)を参照。

モンジュ級>:フランス海軍衛星追跡艦Monge級。船体中央に追尾用大型パラボラアンテナ3基を縦に並べており、他にも追尾用パラボラアンテナ2基を装備していて、衛星など宇宙空間を飛翔する物体の追尾や、SLBM実験支援を主任務とする。対空レーダー、航海レーダー、通信用アンテナなども装備していて、前甲板や上構には10基くらいパラボラアンテナが並ぶ。電子光学追尾装置やレーザー・レーダーも積んでいる。艦内のスーパーコンピュータでも情報処理を行うが、大半は通信衛星経由でフランス本土に送り、解析してもらう。全長225.6m、幅24.8m、吃水7.6m、満載排水量21040トン。主機はディーゼル2基1軸9000馬力、最大速力16ノット、航続距離は15ノットで15000海里。兵装は20mm単装機関砲2門。シュペル・フルロン2機を搭載可能。乗員188名、技術者100名。A601モンジュが1992年に就役した。21世紀に入って改装を受け、最後尾のパラボラアンテナを背の高いノルマンディ・レーダーに換装した。参考:月刊世界の艦船5,918,10、月刊軍事研究11,18

<モンスーン>:PC-4(哨戒艇)を参照。

モンスター>:ドイツが第2次大戦中の1942年に計画した超大型自走砲。80cm列車砲ドーラ/グスタフを自走砲にしたもので、当初は足回りを履帯に交換するだけの予定だったが、その後独自車体を製作することになった。全長42m、全幅18m、全高7m、重量1500トン。エンジンはMAN社製M9V40/46ディーゼル(2200馬力)、最大速度15km。主砲は80cm砲(最大射程37km)、副砲は15cm榴弾砲FH18を2門、その他に15mm機銃MG151も搭載する。分解されて鉄道で輸送され、作戦地点で組み立てられる。計画のみに終わった。参考:月刊丸7,09別冊

<モンスツルム>:KV-2シリーズ(重戦車)を参照。

<モンセン>:DD-436(リバモア級駆逐艦)またはDD-798(フレッチャー級駆逐艦)を参照。

モンセン・ラング>:アメリカ海軍の個人脱出用装具Momsen LungSS-109沈没事故で水深31mの海底から誰も生還できなかった反省を元に、モンセン大尉が開発した。参考:月刊世界の艦船9,12増刊

<モンター>:APA-101(攻撃輸送艦)を参照。

<モンタギュー>:AKA-98(攻撃貨物輸送艦)を参照。

<モンタナ>:BB-51(サウス・ダコタ級計画戦艦)またはBB-67(モンタナ級計画戦艦)またはSSN-794(ヴァージニア級原潜)を参照。

モンタナ級>:アメリカ海軍計画戦艦Montana級。1930年代末にロンドン条約明けを睨んでアイオワ級と共に4隻が計画され、1939年に設計を開始、1940719日のスターク案で5隻に増やされ、19413月のBB67-4計画案に詳細設計を加えたものが採用された。アイオワ級が金剛型に対抗するため高速性能重視なのに対し、本級は長門型や新型戦艦に対抗するため速力を28ノットに抑えて武装と防御を重視している。最大幅はパナマ運河の幅よりも大きいが、これは当時パナマ第2運河が計画されていて、そちらを通れる幅に設定したためである。主砲は56口径16インチ(40.6cm)砲や18インチ(45.7cm)砲を検討したが、砲身寿命が短い、砲塔重量が過大、日本海軍はまだ18インチ/46cm砲搭載戦艦を作っていない(大和型は16インチと予想していた)、弾薬に共通性が無くなるといった判断から新型砲は諦め、アイオワ級と同じ砲塔を1基多く搭載し、威力強化型砲弾SHSSuper Heavy Shell)対応とした。艦底は三重底で、バルジ内部に船体内部装甲板が潜り込んでいて水中弾や魚雷攻撃に備えるなど重装甲を誇り、防御重量は2万トン以上に達している。機関区画は艦中央部に前から右内舷軸機械室、同補機室、左内舷軸機械室、同補機室が並び、これらの両舷に主缶4基ずつを配置、その後方両舷に外舷軸機械室を置いた。左右の外舷軸機械室の間には内舷軸が通る。全長280.9m、最大幅36.9m、基準排水量60500トン(71000トン?65000トン?58000トン?)。主機は蒸気タービン4基、主缶8基、出力172000馬力、4軸推進、速力28ノット、重油搭載量7500トン、航続距離15000海里(15ノット)。兵装は50口径40.6cmMk.7の3連装砲塔4基(Mk41垂直安定儀付き。艦前後に背負い式で2基ずつ)、54口径12.7cm両用砲Mk16の連装砲塔Mk4110基(上構上4基、上甲板上6基)、4連装40mm機関砲、20mm単装機関砲。射撃指揮装置はMk38方位盤2基、Mk37方位盤4基、Mk13射撃指揮レーダー、Mk8射撃盤。装甲は舷側外板と船体内部の二重構造で、厚さは水線部外板最大406mm(バルジ上縁に接する最下部で255mmのテーパー。傾斜19度)、船体内部最大178mm(下端25mmのテーパー。傾斜12度)、中甲板129-154mm、上甲板55mm。艦尾両舷にカタパルト1基ずつがあり、水上観測機(恐らくSCシーホーク)3基を搭載可能。19409月にBB-67モンタナ、BB-68オハイオ、BB-69メイン、BB-70ニュー・ハンプシャー、BB-71ルイジアナの5隻が発注されたが、太平洋戦争勃発で戦艦より空母の重要性が明らかとなり、19424月に大統領が空母を優先するとして起工延期を指示、海軍側ではアイオワ級5-6番艦と引き替えに起工を望んだものの、空母だけでなく護衛艦艇の新造や真珠湾攻撃での損傷艦修理にも追われ、太平洋戦争の推移から海軍も戦艦の必要性が薄れたことを認識し、1943721日に計画中止となった。参考:月刊世界の艦船6,'204,17、近代戦艦史、第2次大戦のアメリカ軍艦、月刊丸11,0912,10

モンチェゴルスク>:ソ連海軍グリシャX型フリゲートMonchegorsk。参考:月刊世界の艦船6,15

モンテ・アズルス級>:メキシコ海軍戦車揚陸艦Monte Azules級。ヘリ甲板を持つ。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<モンティ>:モントゴメリー(イギリス陸軍元帥)を参照。

<モンティセロ>:LSD-35(トーマストン級LSD)を参照。

モンテヴィデオ>:ウルグアイ海軍コマンダン・リヴィエル級フリゲートMontevideo。元はフランス海軍コマンダン・リヴィエル級フリゲートのアミラル・シャルネで、1990年に購入した。参考:月刊世界の艦船9,96

モンテカルロ・ストック>:チーク・ピースの部分が盛り上がっているストックのこと。参考:GUN用語事典

モンテクッコリ級>:イタリア海軍軽巡洋艦Montecuccoli級。カドルナ級の防御力強化型である。艦橋とマストが一体化し、前後煙突間に航空装備を移した。全長182.2m、幅16.6m、吃水6.0m、基準排水量7405トン。主機は蒸気タービン、出力106000馬力、2軸推進、速力37ノット。兵装は15.2cm連装砲4基、10cm連装高角砲3基、37mm機関砲8丁、533mm連装魚雷発射管2基。航空機(Ro.43など)2機を搭載する。乗員は平時588名、戦時650名。ライモンド・モンテクッコリ、ムツィオ・アッテンドロが1935年に竣工した。参考:近代巡洋艦史、月刊世界の艦船4,12

モンテ・グラッパ級>:イタリア海軍モニター。第1次大戦末期にベニス防衛のため建造された河上砲台である。排水量605トン。速力7ノット。兵装は38センチ砲1門(防楯無し)。4隻が建造された。参考:小艦艇入門

モンテネグロ海軍

モンテネグロ海軍(2013年)>:兵力450名。コトル級フリゲート0-2隻、240型ミサイル艇0-3隻、揚陸艇2隻、練習艦1隻を配備する。参考:月刊世界の艦船3,14

モンテネグロ海軍(2015年)>:兵力350名。主要部隊は哨戒ボート部隊、沿岸調査部隊、海洋分遣隊、捜索救難部隊の4つで、他に通信、兵站、訓練ユニットがある。コトル級哨戒艇1隻(+予備役1隻)、ラーデ・コンチャル級ミサイル艇2隻、ミルナ級哨戒艇2隻、21LCU3隻、22LCU2隻、兵站支援艦3隻を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モンテネグロ空軍(2015年)>:兵力230名。G-4スーパーガレブ練習機4機(非稼動)、ウトワ75練習機4機(非稼動)、SA341/SA342Lヘリ7機(+非稼動8機)、Mi-8Tヘリ1機(博物館入り待ち)を保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<モンテネグロ軍>:戦闘機が無いので、NATO軍が持ち回りでスクランブル発進を担任することになり、201865日からイタリア空軍F-2000タイフーンとギリシャ空軍戦闘機が実施している。参考:月刊航空ファン8,18

 <モンテネグロ軍(2015年)>:現役総兵力2080名(陸軍1500名、海軍350名、空軍230名)、準軍事組織10100名(モンテネグロ内務省6000名、特殊警察ユニット4100名)。アフガニスタンにレゾリュート・サポート作戦要員17名、アルバニアにOSCE要員2名、コソボにOSCE要員1名、ウクライナにOSCE要員1名を派遣している。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モンテネグロ陸軍(2015年)>:兵力1500名。特殊部隊旅団1個、偵察中隊1個、自動車化歩兵旅団1個、工兵中隊1個、通信小隊3個、憲兵中隊1個からなる。BOV-VP M86装甲車8両、122mm榴弾砲D-3012門、128mm多連装ロケットランチャーM-73/M-9418基、82mm迫撃砲76門、120mm迫撃砲43門、BOV-1対戦車車両8両、9K111/9K113/9K114対戦車ミサイルを保有する。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

モンテビデオ条約>:正式には国の権利及び義務に関する条約。19331226日に署名され、19341226日に発効した。国の要件として、永続的住民、確定した領域、政府、他国と関係を締結する能力の4要件を定めている。国は法的に平等で、同一の権利を有し、権利の行使に於いて同一の能力を持つ。国の第一の利益は平和の保持にある。締約国は、武力使用、脅迫的外交的抗議、その他効果的な強制的措置など、力によりもたらされた領域取得または特別の利益を、承認してはならない。国の領域は不可侵で、直接・間接・動機の如何を問わず、一時的にさえ他国の軍事占領またはその他の力による措置の対象とはされない。参考:ベーシック条約集2018

もんてびでお丸>:日本の輸送船。総トン数7267トン。大正15年竣工。昭和17622日、連合軍捕虜・抑留者1053名(うちオーストラリア人979名)を乗せてラバウルを出港し、海南島三亜に向かった。71日、SS-187スタージョンの雷撃を受け沈没した。2023422日、オーストラリアのサイレント・ワールド財団が無人潜水機によりルソン島北西沖水深4000m以上の海底で船体を発見した。参考:月刊世界の艦船7,23

<モンテロ>:F53(フリゲート)を参照。

<モントゴメリー>:DM-17(駆逐艦)またはG95(駆逐艦)またはLCS-8(沿海戦闘艦)を参照。

モントゴメリー>:イギリス陸軍元帥、愛称はモンティ。第2次大戦ではイギリス第8軍司令官として北アフリカ戦に参加し、イギリス陸軍伝統の厳格な服装規定を全く気にせず、私物のセーターにダッフルコート(通称モントゴメリーの古マント)を着て戦車兵用黒ベレー帽またはオーストラリア軍用ハットを被り、時にパラシュート部隊用迷彩ジャケットやフランス農夫用ズボンなども着用し、ロンメル将軍率いるドイツ・アフリカ軍団(ついでにイタリア軍)と激戦を繰り広げた。オーバーロード作戦でイギリス軍地上部隊総司令官を務め、自ら立案したマーケット・ガーデン作戦は失敗したが、ドイツ降伏までMBジープ(イギリス組み立て)やハンバー・スナイブ・オープン・ツアラーで前線を駆け回っている。参考:THE JEEP

<モントセラト>:K586(フリゲート)を参照。

<モントピーリア>:CL-57(軽巡洋艦)またはSSN-765(潜水艦)を参照。

<モントフォード・ポイント>:T-ESD-1(遠征積替ドック)またはT-MLP-1(機動揚搭支援艇)を参照。

モントフォード・ポイント級>:アメリカ海軍海上事前集積部隊MSC向け輸送艦で、MLPMobile Landing Platform、機動揚陸支援艦または移動式上陸用基地)と略す。シー・ベイシング能力強化が主目的で、スピアヘッド級などの輸送船はクレーンなどの施設のある港が無いと貨物を揚陸させることができないので、洋上浮き桟橋の役目をしてLCACなどの直接揚陸可能な舟艇へと貨物を載せ替え、港の無い海岸へと送り込めるようにしたものである。2005年、2006年、2010年に民間重量物輸送船を使用した貨物移送試験(最終試験ではM-1戦車などをシーステート4で移送させた)が行われて実現可能なことが証明され、ナショナルスチール造船会社NASSCOに発注された。同社製アラスカ級原油タンカーの中央部をえぐったような形状をしており、注排水による可変吃水船(Flo-Flo船)型式である。艦中央部の乾舷が低くなっている部分は作業平甲板と呼ばれ、長さ154.7m、幅50mあり、後半部が25000平方フィート(2323平方メートル)の車両デッキ台とコンテナ台になっていて、中央左舷の車両移送ランプにより海上でスピアヘッド級JHSVや輸送船から直接貨物を受け取り、Ro-Ro船やLCACなどに積み換えることができる。作業平甲板前半はLCAC収容レーンで、バラストタンクに注水して乾舷を下げれば甲板上にLCAC3隻を横向きに直接乗り上げさせることが可能。その際に車両が冠水しないよう、車両デッキ台やコンテナ台はLCAC収容レーンより1段高くしてある。艦首にアジマス・スラスター2基を装備する。全長239.3m255.1m?)、全幅50m56m?)、吃水9m、満載排水量81435トン。主機はディーゼル・エレクトリック方式で、ディーゼル4基・電動モーター2基、2軸推進、最大速力15ノット(20ノット?)、航続距離は15ノットで9500海里。甲板上にLCACを3隻搭載できる。JP-5燃料38万ガロン(1438456リットル)、真水10万ガロン(378541リットル)を積載可能。乗員33-34名。T-MLP-1モントフォード・ポイント、T-MLP-2ジョン・グレンが2013-14年に就役した。3番艦T-MLP-3は作業平甲板上部にヘリ甲板や洋上修理施設を設け、ルイス・B・プラー級AFSBになった。201593日、遠征積み替えドック(ESDExpenditionary Transfer Dock)に艦種変更され、T-ESD-1/-2になった。運用結果が芳しくなかったらしく、2020年に2番艦、2022年に1番艦が実動から外されている。参考:月刊軍事研究7,103,1611,117,117,134,15、月刊世界の艦船6,138,195,141,1612,124,127,112,135,1312,135,'23、朝雲

<モントブレティア>:K208(コルベット)を参照。

モントリオール>:FFH-336(フリゲート)を参照。

<モントリオール条約>:民間航空不法行為防止条約を参照。

モントルー文書>:国際赤十字が2008年に制定した民間軍事企業(PMC)の規約。PMCを雇った国、PMCが本社を置く国、PMCが活動する国が、それぞれ果たすべきPMCの管理責任、法的責任、規制、コンプライアンスについて定めている。単なる規約なので条約のような強制権や罰則などは無く、批准国も少ないのが欠点。参考:月刊軍事研究8,14

<モントレイ>:CVL-26(軽空母)またはCG-61(イージス巡洋艦)を参照。

<モントローズ>:APA-212(攻撃輸送艦)またはD01(駆逐艦)またはF-23623型フリゲート)を参照。

文部省式一型乙種滑空機>:日本のグライダーで、日本陸軍も使用した。頑丈な構造をしており、操縦席の前に斜めの支柱があり、飛行中はこれに左手を当てて体を支えるので、初心者でも飛行姿勢の判断が容易である。最良滑空速度46.5km、沈下速度毎秒1.1m、滑空比11.6:1。参考:丸エキストラ版No.71

<モンマス>:F235(フリゲート)を参照。

<モンロヴィア>:APA-31(攻撃輸送艦)を参照。

<モンロー効果>:ノイマン効果を参照。

 

目次に戻る   トップページに戻る