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<ムアヴェネト>:DM-357(敷設艦)またはF250(フリゲート)を参照。

ムアヴェネト誤射事件>:1992102日深夜、NATOのディスプレイ・ディターミネーション演習に参加していたアメリカ海軍空母CV-60サラトガで、演習計画に無かった水上戦闘準備が発令された。これを受けて配置に付いた対空ミサイル管制官が、訓練で出された発射命令を本物の命令と勘違いしてシースパロー艦対空ミサイルの発射ボタンを押してしまった。管制レーダー5500m先のトルコ海軍ロバート・H・スミス級敷設駆逐艦DM-357ムアヴェネトロックオンしており、発射された2発のうち1発が艦橋を直撃、艦長以下9名が死亡し、14名が重軽傷を負い、DM-357ムアヴェネトは火災により全損した。査問委員会で対空ミサイル管制官は上官が演習だと伝えなかったためと主張、上官は演習中なのは自明の理だから言わなかったと述べ、責任者が特定できず軍法会議はお流れとなり、サラトガ艦長対空ミサイル管制官ら7名に戒告などの処分が出されたのみに終わった。参考:月刊世界の艦船6,01、世紀の失敗物語

<ムアマル・アル・カダフィ>:カダフィを参照。

ムアリング・パイプ>:艦船を湾内に停泊させる時に錨鎖やロープを通す孔。参考:月刊JWings2,00

ムイティシ>:ロシア海軍プロジェクト22800カラクルト級コルベット1番艦Mytishchi2018就役。参考:月刊世界の艦船3,19

<ムーア>:DE-240(護衛駆逐艦)を参照。

ムーア>:ロニー・L・ムーア。アメリカ空軍エース。朝鮮戦争に第4戦闘迎撃航空団第335戦闘迎撃飛行隊所属で参加し、1953618日に5機目を撃墜してエースとなった。朝鮮戦争では計10機を撃墜している。参考:世界の傑作機No.39

<ムーアサム>:K567(フリゲート)を参照。

ムーアフィールド級>:イギリス海軍設標船Moorfield級。潜水艦阻止用ブームを港湾に設置し、保守を行う艦艇で、船首に作業用ホーン2本を持つ。全長48.5m、基準排水量1000トン。速力9ノット。兵装は20mm機関砲2門。第2次大戦中に15隻が建造された。参考:第2次大戦のイギリス軍艦

<ムージク>:Su-7BUTI(練習機)を参照。

<ムース>:Yak-11(練習機)を参照。

ムーズ>:フランス海軍デュランス級補給艦Meuse2014815日、コート・ダジュール沖でドラグーン作戦70周年記念国際観艦式に参加。参考:月刊世界の艦船11,14

<ムースブラッガー>:DD-980(駆逐艦)を参照。

ムービング・マップ・ディスプレイ>:カラー地図を機体の移動速度に合わせて動かしながら表示し、HSIの情報も合わせて提示するディスプレイ。画面中央に自機のシンボルが表示される。レーダーディスプレイと一体化したものもある。参考:図解現代の航空戦

ムーロメツ>:ロシア海軍グリシャX型警備艦Muromets。参考:月刊世界の艦船11,14

ムーン・シャイン>:イギリス軍のジャミング装置。ドイツ軍FuMG43フライアー早期警戒レーダー用に開発した。トランスポンダーにより同じ波長の電波を増幅して送信することで、仮想大編隊を出現させることができる。1942812日にデファイアント9機が搭載して出撃し、テムズ川上空で作動させ、ドイツ空軍迎撃部隊を引きつけることに成功、その間にアメリカ陸軍航空隊第8航空軍がルアンを爆撃して無傷で帰還した。しかしこの1回でドイツ側に見破られてしまい、周波数変調がかけられたため、2回目からは通用しなくなっている。参考:月刊軍事研究12,08、連合軍の傑作兵器駄作兵器

<ムーンドッグス>:VMAQ-3(電子戦飛行隊)を参照。

<ムーンム・デワン>:976(駆逐艦)を参照。

無煙火薬>:Smokeless Powder。黒色火薬に比べて発煙量の少ない火薬(発射薬)のこと。安定性に優れるので形状を自由に加工でき、燃焼時間を調節できるので長砲身砲での弾丸加速に使え、威力も高いのでガス圧利用式や反動利用式の機関銃や速射砲が開発できた。発射煙で視野を遮られて連射ができない、自分の位置がばれるという欠点は解消されたが、煙幕代わりに利用して自らの姿を隠すことはできなくなったため、隠蔽陣地に砲を入れる必要が生じた。黒色火薬より性能が高く、歩兵用小銃の射程が延びたため、野砲が射距離1000m以下で歩兵部隊に対して直接射撃をかけると反撃を喰らう恐れが出てきた。1884年にフランスで開発されたB火薬が最初の実用無煙火薬である。日本では明治21年(1888年)頃に製法が確立したが、生産設備が付いていかず、ベルギーの技術とドイツの機械を導入して明治27年から本格的な生産に入り、日本海軍では巡洋艦吉野が初めて採用して日清戦争黄海海戦第1遊撃部隊先頭艦として清国海軍を速射砲で滅多打ちにしたが、本格的に普及したのは日清戦争後の明治31年であった。参考:月刊軍事研究11,021,16GUN用語事典、大砲入門、月刊世界の艦船4,18

<無延期信管>:信管を参照。

無音潜航>:潜水艦が海中に潜り、一切の音を出さないようにすること。足音や話し声も極力小さくする。参考:潜水艦気質よもやま物語

無害通航>:Innocent Passage。沿岸国の平和・秩序・安全を害しない通航のことで、国連海洋法条約19条1項に規定がある。19条2項には、無害通航に当てはまらない例として、沿岸国の防衛又は安全を害する情報収集が挙げられている。参考:月刊JWings7,23

迎え角>:Angle of AttackAoAと略す。空気の流れと翼弦とがなす角度または翼の進行方向と翼弦とがなす角のこと。翼前縁が上を向く方向を正とする。揚力係数、抗力係数、モーメント係数などが迎え角の関数になる。大きくしていくと揚力が増えるが、抗力も増えていき、ある点を超えると翼上面の気流が剥がれて失速する。回転翼の場合は、気流とブレード翼弦のなす角度になるが、サイクリック・ピッチ・コントロールなどによりブレードごとに角度が違ってくるので、気流の方向に垂直な軸を想定し、この軸と回転翼コントロール軸(ピッチ不変軸)が作る角のことをいう。進行方向に直角な軸がコントロール軸より前方にある時を正とする。オートローテーション時は迎え角が負になる。参考:航空用語事典増補改訂版、飛行機のしくみ、月刊JWings11,006,17

ムカ級>:ソ連海軍水中翼型魚雷艇Mukha級、別名Sokol級。兵装は76mm単装砲1門、4連装406mm魚雷発射管2基、AK630CIWS2基。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<無関節型ローター>:リジッド型ローターを参照。

<無貫通潜望鏡>:非貫通型潜望鏡を参照。

無窮洞>:佐世保郊外にあった宮村国民学校の校長が発案し、生徒達が製作した防空壕。昭和18年から終戦まで作業が続けられ、幅5m・奥行き19mの主洞と、ほぼ同じ大きさの副洞が作られていて、教室、教壇、書類室、台所、便所、避難道なども設けられた。空襲の際には実際に使用され、酸欠を防ぐために農具による送風を受けながら全校生徒600名が身を潜めたという。現在でも無窮洞顕彰保存会により保存されており、年末年始を除く0900-1600に見学可能。参考:月刊世界の艦船2,10

<無鶏頭>:単発式散弾銃を参照。

<無限軌道>:履帯を参照。

<無限の正義作戦>:不朽の自由作戦を参照。

無限乱数>:同じ乱数を二度と使わない乱数。解読が非常に困難で、太平洋戦争時の日本陸軍は連隊以下のレベルでもこれを使用して暗号を作成しており、連合軍は解読に難渋した。参考:太平洋戦争情報戦

ム号作戦>:日本軍のニューギニア島マダン・ウェワク攻略作戦。昭和1712月に発動された。参考:月刊世界の艦船5,22

武蔵>:日本海軍葛城型スループMusashi。明治2129日、三等海防艦として竣工。明治305月、測量任務に投入されるようになった。大正1141日、測量艦に艦種変更され、大和型測量艦となった。大正146月、北海道手塩西の日本海で武蔵堆を発見した。昭和341日に除籍されて小田原少年刑務所宿泊船となり、昭和1041日まで使用された。参考:月刊世界の艦船12,'21、日本海軍特務艦船史

武蔵>:日本海軍大和級戦艦2番艦。昭和13329日起工、昭和1785日竣工、連合艦隊第1戦隊に配属された。昭和179月、二号一型電探を搭載。艦橋頂部の15m測距儀両端にアンテナ架台を設置、左舷側に送信アンテナ、右舷側に受信アンテナを置いた。昭和181月、二号一型電探のアンテナを2基とも送受信兼用に変更。211日、連合艦隊旗艦となった。624日、戦死した山本五十六大将の遺骨と共に本土に帰還し、昭和天皇陛下が訪艦した。昭和19225日、第2艦隊第1戦隊に転属した。3291530、パラオを出港して呉に向かった。直後にパラオ西水道から34130海里で潜水艦SS-282タニーの雷撃を受け、魚雷1本を左舷錨鎖孔(27番ビーム)水線下6mに被雷し、7名が死亡、2100トン浸水した。331日、古賀長官行方不明事件を受け連合艦隊司令長官となった豊田副武大将が連合艦隊旗艦を大淀に移した。619日、マリアナ沖海戦に参加。7161600、リンガ泊地に到着。陸軍のトラックや弾薬を降ろした。1022日、比島沖海戦に参加。10241940頃、シブヤン海で艦上機の攻撃を受けて沈没した。昭和20815日(昭和191115日?)に除籍された。201533日、マイクロソフト社創業者の1人であるポール・アレン氏が、シブヤン海の水深1000mの海底で無人探査機により撮影した武蔵の映像を公開した。参考:図解日本の戦艦、第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊丸5,0710,108,11、月刊世界の艦船9,'2112,10、海軍操舵員よもやま物語

<武蔵機関>:陸幕第二部別班を参照。

ムサ・ビン・ヌサイル>:イラク海軍アサド級ヘリ搭載コルベットMusa Bin Nussair。参考:月刊世界の艦船9,14

無差別攻撃(ジュネーブ第1追加議定書)>:特定の軍事目標に向けられない攻撃、それに向けることの出来ない戦闘方法もしくは手段を使用する攻撃、またはその影響が第1追加議定書によって要求されているように限定され得ない戦闘の方法もしくは手段を使用する攻撃で、その結果、軍事目標と文民・民用物に区別無しに打撃を加える性質を持つもの。特に、都市、町、村落、文民もしくは民用物が集中している他の地域に所在している多数の明白に分離した別個の軍事目標を、単一の軍事目標として取り扱うような方法または手段による砲爆撃で攻撃すること、予期される具体的かつ直接的な軍事的利益に比して過度の付随的な文民の生命の損失、文民に対する危害、民用物に対する損害、またはそれらの組み合わせを生ざしめると予想できる攻撃は、無差別とみなされる。参考:軍縮条約・資料集第2版

<無差別爆撃>:戦略爆撃またはエリア・ボミングを参照。

ムサンダム>:オマーン海軍ドファー級哨戒艇4番艦Mussandam19893月就役。2012326-28日、DIMDEX2012に参加。参考:月刊世界の艦船6,12JShips vol.48

<ムシェリブ>:Q61(哨戒艦)を参照。

ムシェリブ級>:カタール海軍哨戒艦Musherib級。フィンカンティエーリ社が2隻を建造する。船型は平甲板型で、上構幅を船体幅一杯にし、ナックルラインから上の舷側を逆傾斜に取り、航海艦橋後方に太い塔状構造物を設けて上端にクロノス多機能レーダー用円錐状レドームを設けるなどステルス性に配慮した。船体は小型だが、コルベット並の重武装を誇る。航海艦橋上面にレオナルド社製NA-30S Mk2射撃指揮装置を搭載する。全長63.8m、幅9.2m、吃水2.6m、満載排水量725トン(670トン?)。主機はディーゼル4基、4軸推進、速力30ノット(38ノット?)。兵装はVL MICA艦対空ミサイル用8セルVLS1基、エグゾセMM40艦対艦ミサイル連装発射筒2基、76mm単装砲(ステルス砲塔)1門、30mm単装機関砲2門。乗員38名。1番艦Q61ムシェリブは2022129日、2番艦シェラオは202277日に引き渡された。参考:月刊世界の艦船7,'226,2110,22

無指向性無線標識施設>:NDBNon-Directional radio Beacon)と略す。別名ホーミング・ビーコン。アルファベット2-3文字の識別符号を、1.02kHzで変調された周波数200-415kHz1750KHz?)の中長波帯の電波に乗せ、無指向性に全周放射する航空保安無線施設である。出力10-100Wの飛行場進入着陸用NDB、出力200-1000Wの中出力NDB、出力数kWの航空路用NDBがある。航空機に搭載された自動方向探知器(ADF)がこの電波を探知して計器に表示するので、NDBに向かって飛行することができる。NDBまでの距離は分からないが、NDB上空を通過すると計器の針が逆転するため、この時に自機の位置を確認できる。有効距離は好天の昼間で100-250海里だが、夜間や悪天候時には空間波の影響で有効距離が短縮し誤差が増えるという欠点があり、VORに後を譲って廃止される傾向にある。参考:航空管制のはなし、飛行機のしくみ、航空用語事典増補改訂版、月刊JWings3,16

ムシタリ級>:マレーシア海軍哨戒艇。兵装は100mm砲1門。ヘリ甲板を持つ。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

<無錫>:512(フリゲート)または157(ミサイル駆逐艦)を参照。

無錫碩放基地>:中国軍の航空基地で、無錫蘇南国際空港との共用である。2100m滑走路を持つ。参考:月刊軍事研究8,14

霧社事件>:1930年、台湾の高砂族による反日行動が激化し、日本人134人が殺害された。これに対して日本軍(台湾軍歩兵第1連隊第3大隊、歩兵第2連隊第3大隊)及び武装警察隊2000人が制圧に乗り出したが、目標の霧社が険しい山中にあったため攻略に手間取り、1027日に緑筒(塩化アセトフェノンを詰めた砲弾)を使用して644人を殺害。1027日から1121日には飛行第8連隊が乙式一型偵察機で偵察と爆撃を行った。日本軍は制圧までに46400発の弾薬を使用している。参考:化学・生物兵器概論、月刊丸3,13

ムジャヒディン>:ジハード(聖戦)を行う者たちの意。アフガンの対ソ連ゲリラ組織が自らを称した名である。アフガンから世界に飛んだイスラム系義勇兵もこう呼ばれるようになり、アフガンでタリバンが躍進した際にはタリバンの対抗勢力をこう呼んだ。最終的には、外国から来たイスラム義勇兵は全て自称ムジャヒディンになっている。参考:月刊軍事研究10,048,01

ムジャヒディン軍>:イラクのスンニ派テロ組織で、バース党党員を中心に構成されており、ほぼイラク全土を攻撃範囲に収める。200411月に存在が確認された。参考:月刊軍事研究10,06

<ムジャヒディン評議会(イラク)>:イラク聖戦アルカイダ機構を参照。

ムジャヒディン評議会(インドネシア)>:インドネシアのイスラム過激派グループ。アブ・バカル・バシル議長をトップとし、政治・社会活動を主とする。参考:月刊軍事研究12,02

ムジャヒド>:パキスタン海軍ムンシフ級掃海艇3番艦。パキスタンで建造され、1998年に就役した。参考:月刊軍事研究11,98

<ムシュシャク>:MFI-17シリーズ(練習機)を参照。

ムシュタリ級>:マレーシア海軍Musytari級。全長75m、幅10.8m、吃水3.7m、満載排水量1300トン。主機はディーゼルで、出力12720馬力、2軸推進、速力22ノット。兵装は100mm単装砲1門、30mm連装砲1門。1985年から2隻が就役した。参考:月刊世界の艦船3,92増刊

無条約時代>:ワシントン条約とロンドン条約が失効した1936年以降のこと。参考:続・海軍製鋼技術物語

<無人艦載航空システム>:MQ-25A(無人機)を参照。

<無人機>:UAVを参照。

無人機運用隊>:航空自衛隊のUF-104J/JA無人標的機運用部隊。19923月、臨時無人機運用隊として硫黄島で発足し、UF-104Jを2機受領、試験運用に入った。19943月、無人機運用隊として正式に発足し、UF-104JA12機配備された。19973月、飛行限界となったUF-104Jを標的として撃墜、保有機が無くなり、解隊された。参考:世界の傑作機No.104

無人機研究システム>:防衛省技術研究本部が2003年から開発したジェット無人機で、富士重工が主契約である。機体のベースは技本/富士重工製の多用途小型無人機(TACOM)で、ステルス性を考慮しており、エアインテイクは機体上方に設けられている。主翼はデルタ翼で、機体後ろ寄りに取り付けられており、垂直尾翼はV字の双尾翼で、水平尾翼も付く。機体後半部の下面がセンサー収容部で、透明窓の内部にEO/IRセンサーを搭載、真下から真横まで動かしながら映像を撮り(動目標の継続追尾撮影も可能)、機首のデータリンクアンテナにより地上局にデータをリアルタイム送信する。F-15Jのパイロンに吊されて空中発進し、事前にプログラムされた飛行コースをGPSで確認しつつ飛行したり、地上局からの指令を受けて新しい飛行コースに変更したりして偵察を実施、自動で前輪式降着装置により滑走路(長さ2000m・幅45m)に着陸し、タキシングする。全長5.2m、幅2.5m、高さ1.3m、重量750kg。エンジンはテレダインCAE社製J402-CA-702ターボジェット(推力435kg)単発で、遷音速で飛行し、実用上昇限度12000m、滞空時間3時間以上。試作機4機が製作された。200910月から硫黄島航空基地周辺で飛行テストに入り、1215日にF-15Jから空中発進しての初の自律飛行・自動着陸試験に成功したが、201029日、2号機がF-15Jから発進して1分後にエンジンが停止したため、遠隔操作で硫黄島北北西155kmの海面に落下させた。723日にも3号機のエンジンが飛行中に停止し、安全のため墜落させられてしまい、4機中2機が失われてしまった。原因は搭載しているテレダイン社製ジェットエンジンに不具合によるもので、停止しないようにする改修が実施された。これによりテストが1年ほど遅れたが、2011年度に偵察飛行隊での運用研究を行ってテストを終了、20124月に部隊使用承認を得た。実用型は中距離型無人偵察機という名称で、引き続きこちらの開発試験に使用されている。退役後、初号機は修武台記念館に展示され、4号機は2018年から府中基地のゲートガードになった。参考:月刊軍事研究5,113,10、月刊JWings4,1012,1212,133,167,186,'22、月刊航空ファン2,11、朝雲

無人小型移動体>:防衛装備庁先進技術推進センターの小型装軌式UGV。音声やジェスチャーにより指示を出せるので、コントローラーを操作する必要が無く、操作員が戦闘を行いながら運用できる。複数同時に遠隔操作する技術の研究も実施中。参考:MAMOR vol.149

<無人車両>:UGVを参照。

無人水上掃海システム>:アメリカ海軍がLCS対機雷戦ミッションパッケージ無人機雷掃海モジュールとして開発中の音響磁気掃海具で、USSSUnmanned Surface Sweep System)と略す。LCSから遠隔操作される無人水上艇に積む。参考:月刊軍事研究8,15

<無人水上艇>:USVを参照。

無人水上艇(技術研究本部)>:技術研究本部が開発したUSV。対潜戦・対機雷戦用で、母艦と衛星通信、無人水中航走体と水中音響通信でリンクし、無人水中航走体との一体運用が可能である。航法装置、画像情報取得装置、障害物情報取得装置、UUV位置計測装置、音響通信装置、衛星通信装置などを装備する。全長8m、全幅2.85m、全高4.8m、軽荷重量3.1トン。推進はウォータージェット型船外機2基で、速力7ノット以上、航続時間12時間以上。2014年に開催された国際海洋展シージャパンで模型が展示された。参考:朝雲

無人水中航走体>:技術研究本部が試作したUUV。魚雷型をしており、上部にブレードアンテナが突き出している。前方ソナー、サイドスキャンソナー、音響通信装置、航法装置、衛星通信装置などを装備する。無人水上艇と音響通信装置でリンクでき、一体運用が可能。全長3.47m、直径0.4m、重量350kg。主機はリチウム電池駆動の電動モーター、推進はプロペラで、最大速力7ノット以上、航続時間12時間以上。参考:朝雲

<無人潜水艇>:UUVを参照。

<無人戦闘航空システム>:UCASを参照。

<無人戦闘航空システムデモンストレーター>:UCAS-Dを参照。

無人偵察機システム>:陸上自衛隊の無人偵察機で、FFOSがベースであり、方面隊レベルで運用される。富士重工で開発・生産され、2006年に試験が行われ、2007年度に制式化された。統制装置、発進・回収装置、整備支援装置、管制追随装置(無人機追随用レーダー装備)、簡易追随装置、無人偵察機、作業車、機体運搬装置、発進作業台などから構成される。無人偵察機に搭載されている偵察器材は光学カメラと赤外線カメラで、行動半径は100km以上、事前にプログラムしたコースを自動飛行させることも可能である。全長3.8m、全幅1.2m、全備重量285kg。無人偵察機は移動中は整備支援装置のシェルター内に分解格納されており、展開場所に到着すると外に引き出してメインローターを取り付け、クレーンで吊り上げて作業車に載せ、発進・回収装置に移す。201099日、陸上自衛隊西部方面情報隊が初飛行訓練を行った。参考:MAMOR Vol.43、陸上自衛隊パーフェクトガイド2015、月刊航空ファン8,09、月刊軍事研究10,1011,13

<無人飛行船>:UASを参照。

<無人飛行体>:UAVを参照。

ムスカ級>:ルーマニア海軍掃海艇。兵装はAK230CIWS2基、RBU1200対潜ロケット2基。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<ムスタ>:2S19シリーズ(自走砲)を参照。

<ムスタB>:2A65(牽引砲)を参照。

<ムスタK>:2S19シリーズ(自走砲)を参照。

<ムスタS>:2S19シリーズ(自走砲)を参照。

<ムスダン>:BM-25(弾道ミサイル)を参照。

<ムスタング>:P-51シリーズ(戦闘機)を参照。

ムスリム同胞団>:1928年にエジプトで結成されたイスラム原理主義組織で、穏健派から過激派まで勢力各派の主張は様々である。1967年の第3次中東戦争後、パレスチナで活動を始めた。1972年、シリアの地方都市ハマで政府軍に包囲され、2万人が虐殺された。1979年、シーア派によるイラン革命成功に刺激され、活動を活発化。198110月にサダト大統領を暗殺し、非合法化された。198712月、ハマスが分離。参考:月刊軍事研究12,004,17

無制限潜水艦戦>:Unrestricted Submarine Warfare。潜水艦による海上交通破壊作戦の1つで、敵国港湾に出入りする中立国の商船も攻撃対象に含み、無警告で沈める場合をいう。効果は高いが、世界中を敵に回す危険がある。第1次大戦でドイツが行って大損害が出たため、1930年のロンドン条約第22条で無期限禁止が定められたが、第2次大戦では案の定誰も守らなかった。参考:月刊世界の艦船9,12増刊、8,82増刊、月刊丸6,01

 <無制限潜水艦戦(アメリカ海軍、第2次大戦時)>:真珠湾攻撃が行われ太平洋戦争が開戦した日の午後には早くも無制限潜水艦戦/無制限航空戦を下命している。ただ魚雷が不良品で、フィリピン失陥により備蓄魚雷を失い、潜水艦戦術も固まっておらず軍艦相手の作戦にも投入され、日本海軍が太平洋戦争前には対米単独短期決戦を想定していてシーレーン防衛戦力を整備していなかったため殆ど護衛無しで輸送船を単独航行させていたにも関わらず、戦果が挙げられなかった。昭和176月、潜水艦への対水上レーダーの装備を開始。魚雷の改良も功を奏し、10月頃から戦果が挙がり始めた。昭和184月、ウルフパックと夜間水上攻撃戦術を採用。9月、最優先目標をタンカーに設定した。日本海軍は11月に洋上対潜戦部隊の海上護衛総司令部、12月に航空対潜戦部隊の第901航空隊を創設したが、戦力が少なすぎてあまり役に立たなかった。東シナ海などでは機雷原と基地航空隊で潜水艦の入れない航路を作る航路帯戦法を採用したが、これも通用しなかった。昭和194月、日本海軍が第1-8特設護衛船団司令部と第3・第4海上護衛隊を創設し、護送船団方式を採用、海防艦の強化を開始すると一時的に戦果が減ったが、すぐに増加し、機動部隊も輸送船攻撃に加わって昭和19年中に計380万トンを沈めた。昭和19年夏から日本海軍第901航空隊がMAD搭載対潜哨戒機を投入しているが、台湾沖航空戦に回されて壊滅し、被害は限定的だった。その後は機動部隊による制海権確保もあって日本のシーレーンを順次封鎖していき、昭和203月からB-29によるスタベーション作戦も加わって日本の海上交通網を完封した。終戦までに日本船舶1150486万総トンを沈め、潜水艦52隻を失った。参考:月刊世界の艦船9,13増刊、9,12増刊、比島決戦

 <無制限潜水艦戦(ドイツ海軍、第1次大戦時)>:第1次大戦開戦当初から商船への攻撃を行っており、19141020日に最初の1隻を撃沈した。この頃は国際法に従って臨検後に乗員全員を避難させてから砲撃するという手順を踏んでいたので、敵軍艦に見つかれば待避する間も無く沈められる可能性があり、あまり戦果が挙がらなかった。19152月、ドイツ海軍の要望により、イギリス周辺海域の敵国商船に対する無警告撃沈がドイツ皇帝と内閣から許可され、228日から実行に移された。中立国船舶や病院船は攻撃しない制限潜水艦作戦だが、誤認しても乗員の責任は問われない。同時期に北海南西で行動できるUBT/U級潜水艦の配備が始まったため、戦果も拡大したが、中立国船舶の誤撃沈も続出し、アメリカやオランダから猛烈な批判を浴びて9月に一旦イギリス諸島西岸と英仏海峡西部での作戦を中止せざるを得なくなった。他の海域で作戦は続行され、11月には222272総トン、191610月には30万総トンの商船を撃沈したが、連合軍が爆雷、機雷、Qシップで反撃し、中立国船舶への偽装なども行うようになるとUボートの損害が続出し、イギリスがドイツ向け中立国船舶を拿捕していたことや、ジュットランド沖海戦以降は水上艦が行動できなくなったこともあり、191721日に無制限潜水艦戦を宣言した。前線に配備されていた潜水艦は105隻で、2月中に499000総トンを撃沈。3549000総トン、4841000総トンと戦果はうなぎ登りとなり、イギリスを一気に追い詰めた。しかし46日にアメリカが参戦し、7月からイギリスが旧式特設巡洋艦、駆逐艦、駆潜艇からなる護送船団を組むようになったため、単艦昼間雷撃では逆襲を喰らうようになり、以降は撃沈数が減少の一途を辿った。また、Uボートを北海に封じ込めるため7万個以上の機雷が敷設され、1918年だけで19隻が機雷により沈められている。参考:月刊丸6,01、Uボート入門

 <無制限潜水艦戦(ドイツ海軍、第2次大戦時)>:大西洋の戦いを参照。

 <無制限潜水艦戦(日本海軍)>:通商破壊に使用できる巡洋潜水艦を建造していたが、日本海軍の主任務が艦隊決戦だったため運用法までは熟慮されておらず、太平洋戦争ではアメリカ西海岸、南太平洋、インド洋ベンガル湾で無制限潜水艦戦を展開したものの、大局には影響が無かった。ベンガル湾では昭和17年夏から昭和18年末までに5010万トンを撃沈したが、以降は中部太平洋での潜水艦の大損害を穴埋めするためにインド洋の潜水艦が太平洋に回されてしまい、作戦を継続できなくなっている。参考:月刊丸6,01

無線機>:無線通信を行う機材。使用周波数や変調方式は回路基板により決定され、変更しようとすれば無線機を丸ごと交換する必要があったが、その手間を省いたソフトウェア無線機も開発されてきている。1899年(1896年?)にイタリアのマルコニーが開発した。19011212日にはマルコニーが中波帯(波長100m)で大西洋横断3800kmの通信に成功。この時はモールス信号による無線電信しかできなかったが、1904年にはアーク放電による連続波を使用して音声を送る無線電話が開発された。戦争での初使用は、日露戦争の日本海海戦(1905年・明治38年)で、日本海軍哨戒艦信濃丸による「敵艦見ユ」の通信(無線電信)。この時連合艦隊は主力艦や駆逐艦に無線電信機を搭載し、バルチック艦隊を追尾する哨戒艦から逐一報告を受けて勝利に繋げている。1906年には三極真空管が発明され、1912年から音声増幅・音声発信に使用されるようになり、スーパー・ヘテロダイン受信器や大出力送信機が開発されて1920年からはラジオ放送も始まった。アメリカでは1935年に背負い式の超短波AM無線機を開発、日本も重量40-50kgAM無線機を完成させた。ミッドウェイ海戦では日本が艦船同士のVHF通信網のみを持っていたのに対し、アメリカは航空機にもVHF無線機を搭載し、情報伝達に活用した。1943年にはアメリカ陸軍が混信の少ないFM式携帯無線機を開発し、レイテ島作戦時にはAM無線機が混信で使用不能となり、山岳地帯で電波が届かず、有線電話を引きながら弾着修正する(場合によっては電線も足らず、作戦通信に伝書鳩まで使っていた)日本軍を圧倒した他、ラインの護り作戦では奇襲攻撃による混乱をいち早く収めて後方で部隊を結集させるのに役立った。参考:月刊PANZER5,05、月刊軍事研究2,08、ラバウル航空戦、太平洋戦争情報戦、月刊丸3,90、月刊JWings10,14

 <無線機(日本軍)>:明治29年、マルコニーの発明した無線電信機がイギリスで特許権を獲得。日本にも売り込みがあったが、特許権料が凄まじく高額だったため、逓信省電気試験所と日本海軍で独自開発した。日本陸軍は明治32年に逓信省との協力を検討したが、この時は実行されず、明治358月から海軍水雷練習所で電信大隊の兵員に教育を受けさせ、明治38年に海軍式無線電信機2基を譲り受けて中野電信大隊と横須賀の間で無線電信のテストを開始した。参考:工兵入門

<無線技術情報>:SIGINTを参照。

<無線機テスタ>:自衛隊の機器。菊水電子工業製。参考:月刊軍事研究1,11

<無線起爆装置(試験用)>:自衛隊の機器。石川製作所製。参考:月刊軍事研究1,16

<無線機用制御器>:自衛隊の機器。F-15用がある。三菱電機製。参考:月刊軍事研究7,11

<無線機用汎用計測器>:自衛隊の機器。アンリツ製。参考:月刊軍事研究7,18

<無線機連接装置>:自衛隊の機器。川崎重工製。参考:月刊軍事研究5,17

<無線航法>:電波航法を参照。

無線航法援助施設>:Radio navigation aid。無線航法に必要な情報を提供する施設のこと。ANレンジ、VORTACANNDBLORANなどがある。航空機が積む航法レーダー、飛行場進入援助用のGCAILSなどは含めない。参考:航空用語事典増補改訂版

無線コマンドリンク方式>:Radio Command Link。誘導装置から無線電波で誘導信号を飛ばし、ミサイルなどを誘導する方式のこと。電子妨害を受けやすいが、誘導ワイヤーが切れたり、射程がワイヤー長に制限されたりしないという長所がある。長射程対空ミサイルでも使われるが、目標捜索レーダー、目標追尾レーダー、発射ミサイル追尾・誘導信号送信システムの3装置が要るので、セミアクティブ・レーダー・ホーミングよりも大がかりになる。参考:攻撃ヘリコブラ&アパッチ、空軍

<無線式発火器>:自衛隊の火工品。住商エアロシステムが受注している。参考:月刊軍事研究2,11

<無線周波数監視/電子妨害装置>:AN/ALQ-161A(防御電子装置)を参照。

無線操縦戦車(日本陸軍)>:昭和5年にフォードソン牽引車を改造したものが第1回ラジオ展覧会で無線操縦により走行した。これには機銃を搭載した小型砲塔も付いており、無線での射撃が可能だった。これは展示走行のみで終わったが、昭和9年に八九式中戦車を改造したK-2号を製作、鉄条網の突破に使用することとした。昭和11年には小型の九四式軽装甲車に変更して実験を続けたが、実用化には至らなかった。更にビッカース・クロスレイM25も改造したが、こちらも鉄条網突破任務に使用するのは困難だったため、開発はここで終了した。参考:月刊PANZER11,04

無線通信>:電波や光などを利用して行う通信。遠距離通信や移動しながらの通信が可能である。妨害を受けやすい、傍受される、自然現象の影響を受けるといった欠点がある。送受信の時間は出来るだけ短い方が良いため、必要最小限の情報を詰め込むようにするが、必要以上に情報を削ると用を成さず、意思疎通の障害や誤情報の元になるので、加減が難しい。のろしを光学無線通信の一つにカウントすれば、紀元前から使用されている。1864年にマックスウェルが電磁波の存在を立証、1887年にヘルツが波長測定と送受信に成功し、1896年にマルコニーが無線機を開発、電波による無線通信を実用化した。参考:月刊軍事研究9,11、工兵入門、朝雲

 <無線通信(日本陸軍)>:通信法は通常自由通信に依り、時に順位通信、時間通信、放送などに依る。内容を秘匿するため、暗号を使用する。有線他の通信網から無線通信網に中断すべきものも暗号を使う。もし普通辞電報の中に内容が秘密のものがあり、中断通信所で処理するのが難しい時は、これをその他の司令部や本部などに提出し、暗号化した後で発信する。無線電信は暗号の使用により一定期間は通信の内容を秘匿できるが、通信を行ったということ自体は秘匿できない。よって、使用を極力制限し、通信諸元や通信法の変更並びに電報送受の敏速などにより、通信系と通信所の位置を秘匿する必要がある。無線電話も極力使用を制限し、勉めて隠語の利用や偽通信により通信の秘匿を図る。参考:作戦要務令

無線通信(日本陸軍、師団)>:通信所の呼出符号(ランダムにカナ3文字)を決めておき、中波帯で周波数と交信時刻を決定する。時間が来ると受信器のスイッチを入れ、通信手が受信器の目盛りを調整し、発電機を回す担当が配置に付く。送信波長の調整をしにくい場合は、送信機に水晶片を挿入して水晶発振を行う。まず送信側が受信側の呼出符号を数回送り、次いで自身の呼出符号を数回送り、最後にワを送る。その後、受信側が送信側の呼出符号を送り、次いで自身の呼出符号を送り、最後にワを送る。これで交信準備が整ったことになるので、送信側は受信側の呼出符号と自身の呼出符号を送り、ウケウケに続いて送りたい電文を送信し、ワで終える。受信側は順調に受信できているならナ(英語のR、Receiveと同じモールス信号)とワを、受信できないならサラ(以前はナツム、英語のRPTRepeatと同じモールス信号)を送信する。送信側に待機してもらう時には、通信途絶と区別が付くように時々オを送る。敵襲の符号はラレラ(英語のSOSと同じモールス信号)である。暗号を送る場合には、暗号書で文を数字に替えた後、乱数表の数字を足して10進法以外で計算して数字のみの電文を作る。参考:月刊丸12,92

<無線通信装置>:自衛隊の機器。日本無線製。参考:月刊軍事研究12,18

<無線通信装置改造器材>:自衛隊の機器。日本電気製。参考:月刊軍事研究10,16

無線通信網(日本陸軍)>:指揮の便否、通信の要度・繁閑、有機通信網の状態などを考慮して通信系を定める。一通信系内の通信機は無線電信では4機以下とし、重要なものは二所対向とする。無線電話では二所対向とするのを可とする。通信系は状況の推移に応じ関係司令部または部隊の行動に伴い逐次通信所を開設しながら移動させるか、位置・時刻だけを指定して通信所を開設させる。通信系は構成を簡単にして迅速確実に変更できるようにすると共に、重要な司令部などには可能な限り2機以上を配当して通信が中絶しないようにする。地形その他の関係で通信所を関係司令部や本部などと離れた場所に設けなければならない場合、遠操機を使うか、有線通信や伝令などにより、両者間の迅速な連絡を図る。参考:作戦要務令

<無線伝送装置>:自衛隊の機器。リコー製。参考:月刊軍事研究11,12

<無線搬送装置1号>:JMRC-C10/R10を参照。

<無線搬送装置2号>:JMRC-C20/C21を参照。

無線搬送装置2号>:JMRC-C50/C60JMRC-R50/R60を組み合わせたもの。参考:スピアヘッドNo.5

<無線搬送装置3号>:JMRC-C30/R30を参照。

<無線搬送端局装置1号>:JMRC-C3を参照。

<無線搬送端局装置2号>:JMRC-C2またはJMRC-C20/21またはJMRC-C22を参照。

<無線搬送端局装置3号>:JMRC-C1を参照。

<無線搬送中継装置1号>:JMRC-R3を参照。

<無線搬送中継装置2号>:JMRC-R2またはJMRC-R20を参照。

<無線搬送中継装置3号>:JMRC-R1を参照。

<無線封止>:EMCONを参照。

無線レーダー整備(航空自衛隊職域)>:航空自衛隊の職域の1つで、地上電子整備、警戒管制レーダー整備などの各職種を含む。機上通信機材、機上航法機材、警戒管制レーダー、地上用無線通信機器などの整備を行うのが主任務である。参考:月刊JWings7,12

霧中航行部署>:海上自衛隊の部署。作業部署の1つで、霧により視界が悪化した際に発動される。見張りと操船・運航要員を増員し、安全性と操艦性(舵の効き)が両立する速力に変更、レーダーを駆使し、霧中信号を発するなどして衝突を防止する。霧が晴れて視界が確保できるようになったら部署の復旧が命じられ、通常航行に戻る。参考:MAMOR vol.137

陸奥>:日本海軍長門級戦艦2番艦Mutsu。大正761日起工、大正9531日進水。大正101019日、全力公試で出力87494馬力・速力26728ノットを出した。1024日竣工。ただしワシントン軍縮会議に間に合わせるため竣工を無理やりこの日付にしてあり、実際にはまだ艤装工事が残っていて、1123日に完成した。公試は大正11年春までかかっている。大正10121日、第1艦隊第1戦隊に配属。大正13330日、奄美大島から鹿児島に向かう途中で連合艦隊曳航教練を行った際、右舷9番副砲付近が長門の左舷艦首と接触し、9番副砲が損傷した。121日、連合艦隊旗艦となった。大正14121日、連合艦隊旗艦と第1艦隊第1戦隊を退いた。大正15121日、第1艦隊第1戦隊に配属。昭和31210日、連合艦隊旗艦となった。昭和5121日、連合艦隊旗艦と第1艦隊第1戦隊を退いた。昭和7121日、第1艦隊第1戦隊に配属され、連合艦隊旗艦となった。昭和8103日、連合艦隊旗艦を退いた。1115日、第1艦隊第1戦隊を退いた。昭和99月、大改装に入った。この際に撤去した第4主砲塔は海軍兵学校に据えられて教材になっている。昭和11930日、大改装を完工。121日、第1艦隊第1戦隊に配属された。昭和12121日、連合艦隊旗艦となった。77日、日華事変勃発時には第1艦隊第1戦隊に所属していた。820-22日、愛媛県三津浜港で兵員2000名を乗せ、上海沖に移動。23日、他艦に移乗させて任務を終了した。昭和131215日、連合艦隊旗艦と第1艦隊第1戦隊を退いた。昭和141115日、第1艦隊第1戦隊に配属された。昭和16811日、連合艦隊第1戦隊に転属。128日、太平洋戦争開戦時には連合艦隊第1戦隊に所属していた。同日、柱島を出撃して第1航空艦隊の帰路援護にあたり、1213日に柱島に戻った。昭和1765日、ミッドウェイ海戦に参加。しかし先行する空母4隻が沈められたため、何もできずに引き返した。714日、第1艦隊第2戦隊に転属。722日、船体整備のため呉にドックイン。729日、ドックを出た。8月上旬、アメリカ軍がガダルカナル島に上陸したため、第2艦隊に臨時編入されて811日に柱島を出撃。817日、トラックに到着。821日、トラックを出撃。824日、第2次ソロモン海戦に参加。92日、トラックに戻った。昭和1817日、トラックを出港。112日、横須賀に帰港。129日、横須賀工廠にドックイン。26日、横須賀工廠を出た。215日、横須賀を出港。223日、柱島に到着。413日、呉で弾薬を搭載。68日、柱島泊地で第3砲塔が大爆発して艦体が折れ、沈没した。91日に除籍された。参考:図解日本の戦艦、戦艦入門、月刊世界の艦船12,1512,109,149,13増刊、日本潜水艦物語、日本海軍艦隊総覧

むつ>:日本原子力船開発事業団原子動力実験船兼特殊貨物船。日本初の原子力船で、核動力実験、核燃料運搬、乗員訓練のため建造された。船体は石川島播磨重工、原子炉は三菱原子力工業製。全長130.0m、総トン数8350トン、載貨重量2400トン。主機は原子力蒸気タービンで、加圧水型原子炉(熱出力36MW、一次冷却水系平均圧力10.8MPa、平均温度551K)1基1軸10000馬力、速力16.5ノット。1974年竣工。最初の航海で放射能漏れを起こし、フル出力運転は最後まで行われなかった。1979年、通常動力に変更し、1996年に海洋科学技術センター所属の海洋地球研究船みらいになった。参考:月刊世界の艦船3,004,10

ムツィオ・アッテンドロ>:イタリア海軍モンテクッコリ級軽巡洋艦Muzio Attendolo1935年竣工。1942124日、ナポリで爆撃を受けて沈没した。参考:近代巡洋艦史

ムツェンスク防御戦>:第2次大戦時の独ソ戦緒戦でオリョールを一気に占領したドイツ第2機甲集団は、1941105日、ムツェンスクへの攻撃を開始した。これに対し、防御する第1親衛狙撃兵軍団第4戦車旅団は歩兵を囮に偽陣地にドイツ国防軍戦車隊を引き込み、4両のT-34で距離600mから砲撃を加え、16両を撃破した。106日もドイツ国防軍戦車隊を陣地深くに侵入させて側面から撃破。ドイツ国防軍は2日間を補給に費やし、その間にソ連軍は後退して防御線を敷いた。109日にドイツ国防軍の攻撃が再開されたが、これも伏撃陣地から出撃して撃退。1010日になり、ソ連軍は迂回包囲される危険を避けてムツェンスクから撤退、ドイツ国防軍が占領した時には8日間が費やされており、秋雨によって道路が泥沼と化してモスクワへと進撃できなくなってしまった。参考:月刊軍事研究9,05、歴史群像6,02

むつかしござる>:海軍大学校甲種学生や海軍予備学生(兵科)の採用試験(口頭試問)の解答。問題は6つの菓子に一切手を加えず5匹の猿に等分するにはどうすればよいか、または6本の樫の木に5匹の猿を木1本あたり1匹ずつとまらせるにはどうすればよいか、というもので、只の駄洒落だが、真面目な質問の途中でいきなり聞かれるので、かなり面食らう。海軍面接官側は正答を求めている訳では無く(戸惑っていると笑顔で答えを教えてくれる)、とっさの対応力を観察していたようである。参考:海軍こぼれ話

<むづき>:MSC-641(掃海艇)を参照。

睦月>:日本海軍睦月型駆逐艦1番艦Mutsuki。大正15325日竣工、第19号駆逐艦という名称で一等駆逐艦に類別された。昭和381日に睦月と改称された。昭和161129日、トラックを出港。123日、ルオットに到着。128日、太平洋戦争開戦時は建制でも兵力部署でも第30駆逐隊に所属しており、1515にウェーク島攻略のためルオットを出撃。昭和1754日、MO作戦の上陸部隊を乗せた輸送船12隻を護衛してラバウルを出港。56日、第6水雷戦隊所属で珊瑚海海戦に参加。8250500、一木支隊第2梯団を乗せた輸送船団を護衛してガダルカナル島北150海里に到着。上陸準備中にアメリカ艦爆隊に襲撃され、大破した金龍丸を雷撃処分したが、その後本艦も爆撃を受けて機関室に直撃弾を喰らい沈没し、101日に除籍された。参考:日本駆逐艦史、第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊世界の艦船6,83、日本海軍艦隊総覧、帝国海軍太平洋作戦史T

睦月型>:日本海軍駆逐艦Mutsuki型。大正12年計画で建造された。計画番号はF41。峯風型がベースで、船首形状をダブルカーブに変更し、フレアを大きくして凌波性を向上した。また、61サンチ魚雷を装備して予備魚雷も搭載、雷撃戦能力をアップさせた。艦橋側面は鋼製である。全長102.7m、水線幅9.2m、吃水3m、基準排水量1315トン。主機は艦本式高低圧オール・ギヤード・タービン(弥生はメトロポリタン・ヴィッカーズ・ラトー式、長月は石川島ツェリー式)2基、主缶はロ号艦本式重油専焼水管缶(蒸気圧力18.3気圧、55.6℃加熱)4基、出力38500馬力、2軸推進、速力37.3ノット、航続距離は14ノットで4000海里。兵装は三年式45口径12サンチ単装砲4門、7.7ミリ単装機銃2丁、十二年式三連装水上発射管2基(八年式二号魚雷12本)、八一式爆雷投射機、一号機雷16個。乗員154名。睦月、如月(2代目)、彌生(2代目)、卯月(2代目)、皐月(2代目)、水無月(2代目)、文月(2代目)、長月(2代目)、菊月(2代目)、三日月(2代目)、望月、夕月の12隻が大正14年から昭和2年に就役した。参考:日本駆逐艦史、月刊世界の艦船10,065,119,14

ムッソリーニ救出作戦>:第2次大戦中の1943725日、イタリアの指導者ムッソリーニは国王から罷免されてアペニン山脈に監禁された。9月初め、ドイツ軍はムッソリーニがグラン・サッソ・ディタリアの山荘で拘束されていることを突き止め、救出作戦を実施することになった。地上からはケーブルカーでしか行くことの出来ない場所のため、912日にSSのスコルツェニー大佐率いる空挺部隊がイタリア将校1名と共にグライダーで山荘近くに着陸。警備隊は発砲することなく逃げ出し、ムッソリーニの救出に成功、中腹の牧場に着陸したFi-156シュトルヒで脱出した。その後、ムッソリーニはヒトラーの援助の下にイタリア北部でファシスト共和国を設立した。参考:現代の空挺作戦

陸奥爆沈事故>:昭和1868日、柱島泊地に停泊していた陸奥が、長門への旗艦ブイ交代作業をしていたところ、1210に第3主砲塔から煙が上がり、直後に大爆発を起こした。第3主砲塔は吹き飛ばされて船体が真っ二つになり、前部は右舷に傾いてそのまま沈没、後部は転覆して逆さになり、日没後に沈没した。爆発直後から周囲の艦による救助が行われたが、乗っていた乗員1343名と予科練甲飛第11期練習生など131名のうち1121名が殉職し、353名しか助からなかった。M事件として沈没は秘匿されたまま(とはいえ噂は広まり、アメリカ海軍も艦艇リストから除外している)調査が行われ、火薬庫内での装薬爆発によるもので、潜水艦による泊地攻撃、三式弾暴発、謀略または乗員による故意が原因として疑われた。潜水艦による攻撃は可能性が低く、三式弾暴発は煙の色や再現実験から否定され、人為的なもの(艦内窃盗事件の容疑者取り調べの予定があった)らしいが、乗員の大半が死亡して取り調べもできず、真相は不明で、第1艦隊司令長官を予備役に編入して決着を付けた。潜水調査には西村式豆潜をベースとした潜水作業船が使用されたが、艦首の手摺りに艇が突っ込んでしまい、危うく遭難しかけている。船体の損傷が激しく浮揚修理は諦められ、昭和197月に燃料だけ抜き取った。昭和23年に一度引き揚げ作業が行われたが、許可以上の船材を引き上げたため作業が中止され、昭和45-46年に再度引き揚げ作業が行われて陸奥記念館や呉市海事歴史科学館に展示された。主砲砲身1本が船の科学館を経て平成28913日から横須賀市ヴェルニー公園に展示されている。令和3年、ヴェルニー公園に展示されている主砲の閉鎖機後下方に九一式/一式徹甲弾が設置された。参考:月刊世界の艦船9,13増刊、12,1512,162,22

<陸奥変体案>:長門型(戦艦)を参照。

むつみ演習場>:陸上自衛隊の演習場で、山口県萩市にある。面積1981000平方メートル。参考:月刊軍事研究3,18

<むつれ>:MSC-619(掃海艇)を参照。

六連>:日本海軍択捉型海防艦Mutsure。昭和18731日竣工、呉鎮守府部隊に編入された。815日、第2海上護衛隊に編入された。821日、横須賀を出港し、トラックへの船団護衛に就いた。92日、トラック北方でSS-185スナッパーの雷撃を受けて沈没した。参考:月刊丸7,14、第2次大戦日本海軍作戦年誌

<無偵−8>:WZ-8(無人偵察機)を参照。

ムティアラ>:マレーシア海軍測量艦Mutiara。前甲板にクレーン、デリック、ギャロースを持ち、上構両舷には作業艇用重力ダビット3基ずつを装備する。艦尾はヘリ甲板になっている。全長71m、排水量1905トン。主機はディーゼルで、速力16ノット。1978年竣工。参考:月刊世界の艦船8,82増刊

<無停電周波数変換装置(ペトリオット用)>:自衛隊の機器。明電舎製。参考:月刊軍事研究3,17

<無停電電源装置>:自衛隊の機器。三社電機製作所または山洋電気製。参考:月刊軍事研究11,111,13

<無停電電源装置5kVA>:自衛隊の機器。富士電機製。参考:月刊軍事研究6,17

<無停電電源装置10kVA>:自衛隊の機器。三社電機製作所製。参考:月刊軍事研究5,12

<無停電電源装置100kVA>:自衛隊の機器。三洋電気製。参考:月刊軍事研究5,14

<無停電電源装置125kW>:自衛隊の機器。三社電機製作所製。参考:月刊軍事研究5,12

<無停電電源装置300kVA>:自衛隊の機器。三洋電気製。参考:月刊軍事研究5,14

<無天組>:天保銭組を参照。

無電池携帯電灯>:日本陸軍の手回し式電灯。重量1.3kg。昭和121014日に制定された。参考:工兵入門

<無電池電話>:サウンドパワーを参照。

武藤金義>:むとうかねよし。大正5618日、愛知県生まれ。昭和106月、呉海兵団に入団。半年後に第32期操縦訓練生に合格し、卒業後は大村航空隊に配属された。日華事変勃発で第13航空隊に編入され、昭和12124日に南京攻撃で九六式艦戦によりI-16を撃墜して初戦果を挙げた。1212日、第12航空隊に編入され、昭和1310月まで空戦を行った。その後は教官として大分航空隊、鈴鹿航空隊、元山航空隊に配属され、昭和169月に第3航空隊配属となった。太平洋戦争開戦で台湾からフィリピン攻略戦に参加。その後蘭印航空戦に参加し、昭和174月に本土に戻って元山航空隊(第252航空隊)に配属され、11月にラバウルに進出。昭和183月、本土に戻り、横須賀航空隊でテストパイロットや教官を務めた。11月、飛曹長となった。昭和196-7月、八幡空襲部隊として硫黄島に進出。昭和20年、関東防空戦に参加。216日、厚木上空でF6F戦闘機12機に紫電改1機で殴り込みをかけ4機を撃墜、空の宮本武蔵というニックネームが付けられた。412日、P-51戦闘機1機を撃墜。7月(6月末?)、大村基地の第343航空隊に転属した。724日、呉を空襲したアメリカ艦上機の迎撃に向かい、豊後水道上空で戦死、二階級特進で中尉となった。推定総撃墜数は27-28機。参考:月刊丸1,'15別冊、日本海軍戦闘機隊

ムトラ峠の戦い>:湾岸戦争デザート・セイバー作戦中の1991226日、第2海兵師団タイガー旅団はムトラ峠に向かい進撃を開始。ここはサレム航空基地に連なる高地(高さは最大90m)で、高速道路6号線が横切っていて、クウェートを占領しているイラク軍の撤退路を封鎖するための重要な目標であった。1200、旅団は両翼に機甲支隊1個ずつ、後方に歩兵支隊1個と野戦砲兵大隊1個を置き、PLキースを出撃して北上した。まずは右翼の機甲支隊がイラク軍1個大隊陣地(戦車20両以上を含む)とぶつかったが、20分でT-55戦車25両と装甲車十数両を破壊して制圧、1530にジャハラ郊外にある高速道路6号線の立体交差付近を封鎖した。その後は高速道路を逃げようとするイラク軍車列を砲撃し、戦車6両、装甲車十数両、トラック40両を破壊した。左翼の機甲支隊はサレム航空基地に向かったが、尾根に地雷原とイラク軍防御陣地があったため、まずは攻撃準備射撃と戦車の砲撃で敵を降伏に追い込んだ。次いで地雷原の除去に入ったが、作りかけだったらしく、地雷は地上に出たままで、鉄線により地雷原区域が表示されており、マインプラウ・マインローラー付きのM-1A1を使って突破した。突破するとイラク軍が砲撃を行ってきたが、着弾が正確だったため、サレム航空基地の管制塔から観測兵が監視していると判断してM-2ブラッドレイがTOWミサイル2発を撃ち込み制圧。次いで後続の歩兵支隊が地雷原を抜けてサレム航空基地に向け進撃、周辺を制圧して占領した。左翼機甲支隊はムトラ峠を越えると東に方向転換し、ムトラ警察署へと接近したが、警察署付近の高速道路6号線(既に車両の残骸が道路を埋めて死のハイウェイと化していた)を逃げようとするイラク軍車両を見つけたため、戦車中隊で砲撃を仕掛けてT-55戦車3両と2S1自走砲を撃破、燃料タンカー2両が炎上して道路は通行できなくなった。1630からムトラ警察署の掃討に入り、2030までに制圧した。また、高速道路6号線を完全に閉鎖するため、2個機甲支隊が協力してジャハラ北部の立体交差周囲に敷かれたバンカー地帯及び対空砲中隊の制圧を行い、立体交差を占領してムトラ峠周辺の制圧を完了した。夜半には装甲車10両と自走ロケットランチャー、補給トラックなど54両からなるイラク軍部隊が国道6号線沿いに撤退してきたが、第2海兵師団の姿を見ると道から外れて逃走を図り、自軍の地雷原に引っかかって全滅した。参考:月刊軍事研究10,09

<胸掛送受器>:自衛隊の機器。東洋エレクトロニクス製。参考:月刊軍事研究7,09

宗昇>:むねのぼる。日本陸軍エース。大正4年、広島県生まれ。昭和11年、第5師団に入隊し、砲兵軍曹となった。その後戦闘機パイロットに転科、昭和144月に操縦学生となり熊谷飛行学校に入学、12月に卒業して飛行第8戦隊所属となった。昭和159月、飛行第50戦隊に転属。昭和1612月、フィリピン航空戦に参加。昭和171月、バターン半島上空でP-40戦闘機1機を撃墜して初戦果を挙げた。秋、ビルマに移り、1年間で13機を撃墜。昭和18年秋、明野飛行学校助教となり、本土に帰還。昭和1910月、飛行第200戦隊に転属、フィリピンに配置された。1119日に戦死した。総撃墜数14機。最終階級は少尉。参考:日本陸軍戦闘機隊

無能力化剤>:兵士やテロ犯などを短時間無力化する化合物。気分変調や幻覚などを生じさせて適切な行動をできなくさせる。LSDBZ、リゼルキン酸ジエチルアミドなどがある。参考:化学・生物兵器概論、図解雑学生物・化学兵器

ムハバラト>:イラクの総合情報部(Al-Mukhabarat Al-Ama)のこと。1973年に内務省の一機関として設立されたが、実際はバース党革命指導評議会(RCC)の直属(要するにフセイン子飼いの組織)である。いわゆる秘密警察組織で、フセイン大統領の指示の下、膨大な数の国民を投獄・拷問・処刑してきたとされる。国外での情報収集や反体制派要人の暗殺、敵対国の反体制組織の支援なども行っており、イラク在外公館要員は殆どがここの出身者だったらしい。イラク戦争後に崩壊したが、一部要員はアメリカ及び協力国に対するテロを行っているとされ、日本人外交官射殺事件にも関わっていたといわれる。参考:月刊軍事研究4,052,04

ムハフィズ>:パキスタン海軍ムンシフ級掃海艇2番艦。1996年就役。参考:月刊軍事研究11,98

ムハマド軍>:イラクの軍事組織で、フセイン政権崩壊後にフセイン本人が創設した。旧バース党の別働隊の1つで、独立した軍事組織である。イランやシリアから支援を受けてアメリカ軍などへの攻撃を行っている。参考:月刊軍事研究4,05

ムハマド第2軍武装前衛>:イスラム主義を標榜するテロ組織で、2003819日のバグダッド国連本部爆破テロに犯行声明を出した。参考:月刊軍事研究2,04

ムバラーズ>:UAE海軍ムバラーズ級哨戒艦Mubarraz2017426日、ペルシャ湾アブダビ周辺海域でDD-104きりさめと親善訓練を実施。参考:月刊世界の艦船7,17

ムバラーズ級>:UAE海軍哨戒艦Mubarraz級。ラーセン45m級を導入したものである。満載排水量264トン。兵装はエグゾセMM40艦対艦ミサイル連装発射筒2基、ミストラル艦対空ミサイル6連装発射機1基、76mm砲1門。ムバラーズなど2隻が就役した。参考:THE MILITARY BALANCE 2016、月刊世界の艦船7,17

ムバラク>:エジプト海軍オリヴァー・ハザード・ペリー級フリゲートMubarak。元はアメリカ海軍オリヴァー・ハザード・ペリー級フリゲートFFG-25コープランドで、1996年に引き渡された。ムバラク大統領失脚でアレクサンドリアに改称された。参考:月刊世界の艦船10,21

<無反響タイル>:遮音タイルを参照。

<無搬送波レーダー>:超広帯域レーダーを参照。

無反動砲>:作用・反作用の法則を利用して発射反動を打ち消し、歩兵でも大口径砲を携行可能とした兵器。英語ではRecoillessRCL weaponRecoilless gunで、初期にはライフリングが切ってあったのでRecoilless rifleとも呼ばれた。薬莢に小孔を多数開けて閉鎖器の穴から発射ガスを噴射したり、薬莢底を薄くし発射時にそれを吹き飛ばしたりして火薬燃焼エネルギーの80%を反動の打ち消しに使用する。砲身内の燃焼ガス圧が低いので砲身の肉厚を薄くでき、駐退復座装置を必要としないため軽量化できる。しかし射程は同口径の火砲に対し非常に短く、また凄まじいバックブラストを放出するので位置を暴露しやすく、狭い場所では発射できない。バックブラストを抑えるため、発射筒にラッパ型のベンチュリ管を使用したり、カウンター・マスと呼ばれる重量物を弾丸と反対側に飛ばしたりと各種方式が開発された。1910年(1909年?)にアメリカ海軍将校(アメリカ陸軍少佐?)のクレーランド・デイビスが散弾(錘弾と呼んだ)で反動を相殺するデイビス無反動砲を開発し、イギリスが対飛行船/Uボート用として航空機に搭載したが、第1次大戦では実戦使用されなかった。射程に劣るものの軽量であるという長所にドイツが注目、空挺隊や山岳部隊用の装備として開発し、1941年のクレタ島空挺侵攻作戦時にドイツ国防軍が無反動砲(75mm無反動砲LG40)を初めて実戦使用した。イギリスでは1944年にバーニー砲を開発している。参考:月刊軍事研究3,02、火器弾薬技術ハンドブック、月刊PANZER12,02、第2次大戦ドイツ戦闘兵器カタログVol.3、米英軍戦闘兵器カタログVol.2、連合軍の傑作兵器駄作兵器、スピアヘッドNo.2、軍事力バランス78年版

 <クルップ式>:弾丸と同等の運動エネルギーを持つ発射ガスを砲尾から噴射して反動を相殺するタイプ。参考:月刊軍事研究1,18

 <クロムスキット式>:バーニー式の改良型。参考:月刊軍事研究1,18

 <デイビス式>:カウンター・マスと呼ばれる錘を弾丸と反対に飛ばして反動を相殺するタイプ。デイビス無反動砲に採用されていたので、この名が付いた。参考:月刊軍事研究1,18GUN用語事典

 <バーニー式>:反動相殺用発射ガスの噴射口を小型にして多数設け、一気に噴出しないようにして弾丸の加速に利用すると共に、後方危険域を小さくしたタイプ。バーニー砲に採用されていたので、この名が付いた。参考:月刊軍事研究1,18

無尾翼機>:Tailless aircraft。水平尾翼を省いた航空機のこと。水平尾翼は縦安定性確保のために下向きの揚力を発生しており、省略すれば揚力を高めることができる。また、音速付近では主翼で発生した衝撃波が水平尾翼付近の気流を乱すため、ピッチアップやタックアンダーといった操縦不能状態に陥りやすいが、水平尾翼が無ければこの心配は無い。そのかわり、機首を重くして主翼後縁を上に反らせたり、主翼型を逆反りにしたり、後退翼の翼端に捩り下げを付けたりして縦安定性を確保する必要がある。欠点は、機首が上下する波動飛行に陥りやすく、パイロット誘起振動を起こしやすいこと、迎え角の大きい状態で失速すると激しいピッチアップが起こり、そのまま後ろに回転しながら墜落してしまうこと、主翼後縁にフラップが付けられないことである。参考:世界の傑作機No.120

無尾翼デルタ翼機>:Tailless delta wing aircraft。主翼と水平尾翼を一緒くたにして三角形に纏めたもので、折り紙飛行機がこれである。構造が軽量で、翼端失速を防ぐことができ、飛行特性の大きな変化無しに音速を超えることが可能である。遷音速域で主翼の吹き下ろしや後流が変化しても、後ろに尾翼が無いので飛行特性は変わらず、ピッチアップやタックアンダーが起きない。欠点は、水平尾翼が無いために主翼後縁に昇降舵と補助翼しか設けられず、着陸時にフラップが使用できないので、滑走距離が長くなることである。この時揚力確保のため大迎え角を取ろうとすると空気抵抗で沈下率が上がってしまうので、これを抑えようとして翼面荷重を低くすると巡航時の摩擦抵抗が上がる。亜音速と超音速での風圧中心の移動は少ないが、水平尾翼が無いので補正のために主翼の舵面を大きく動かさねばならず、抗力の原因になる。また、機首上げ時に垂直尾翼の効きが悪くなるため、極力胴体後方に設けるようにし、背を高くする必要がある他、引き起こし操作時にエレボンを作動させると揚力損失が大きくなる。翼弦長が大きいため波動飛行の周期も長く、パイロット誘起振動を起こしにくいが、アスペクト比を大きくすると、引き起こしなどの際に機首に発生する上下動の周期が短くなってしまい、逆にパイロット誘起振動を発生しやすくなるので注意。参考:歴史群像2,05、世界の傑作機No.120No.104、世界軍用機年鑑1990-91、月刊JWings12,14

無武装快速主義>:フランスのカミーユ・ルジュロンが提唱した爆撃理論。ドゥエが制空論で大型重爆撃機の重要性を説いたのに対し、鈍重で被害を受けやすい重爆撃機よりも、防御火器を積まず高速性能に特化した中型爆撃機を使用する有用性を説いた。参考:英独航空決戦

無包装対戦車地雷>:陸上自衛隊が開発した対戦車地雷で、炸薬にそのまま伝爆薬と信管などをセットしたものである。19673月に装備開発実験隊がM4中戦車に対してテストしたところ、転輪と履帯が吹き飛び、砲塔もずれてしまったという。機構に欠陥が見つかり、制式化されなかった。参考:スピアヘッドNo.6

無防備地域(ジュネーブ第1追加議定書)>:軍隊が接触している地帯の付近またはその中にある居住地区で、敵国による占領に開かれているもの。紛争当事国の適当な当局が宣言できる。その地域は、全ての戦闘員並びに移動兵器、移動軍用設備を撤去し、固定軍用施設または営造物を敵対的目的で使用せず、当局または住民により敵対行為がなされず、軍事行動を支援する活動を行わないという条件を満たす必要がある。ただし、満たしていない場合でも、紛争当事国間で無防備地域と認める協定が合意されれば、無防備地域とみなすことができる。無防備地域の宣言は、敵国に対して申し入れなければならず、できる限り正確に境界を定め記述しなければならない。宣言が向けられた紛争当事国は、それを受領したことを知らせなければならず、条件を満たしていれば無防備地域として取り扱わなければならず、その旨を宣言国に直ちに通知しなければならない。無防備地域を支配下においている当事国は、可能な限り、他の当事国と合意する徽章を明瞭に見える場所、とくに周囲・境界・主要道路に明示してその地域を表示しなければならない。参考:軍縮条約・資料集第2版

ムボンベ・シリーズ>:南アフリカのパラマウントグループが開発した装甲車。参考:月刊軍事研究3,111,1312,16

ムボンベ6>:6×6輪バージョン。装甲は基本装甲に増加中空装甲を重ねたもので、耐弾能力はNATOレベル4(14.5mm機銃弾抗堪)、防弾ガラス部分にはスラットアーマーを併用している。耐地雷レベルもレベル4(車体下・車輪下でTNT10kg抗堪)で、5mの距離で50kgTNTを使用したIEDが炸裂しても耐えられる。NCW対応で、高度な通信システムや戦闘管理システムの搭載が可能。戦闘重量22.5トン。エンジンはカミンズ社製ディーゼル(440馬力)、トランスミッションはアリソン社製SP4000オートマチック、最大速度100km。乗員3名+乗車兵員8名(7名?)。イングウェ対戦車ミサイル4連装ターレット(12.7mm機銃1丁も付く)を搭載した対戦車バージョンもある。参考:月刊軍事研究3,111,13

ムボンベ8>:8×8輪歩兵戦闘車バージョン。30mm機関砲搭載無人砲塔や57mm砲搭載AU-220M無人砲塔を装備できる。エアコン(出力12kW)を標準装備。防御レベルは耐弾がNATO規格レベル4(増加装甲ありでレベル5-6)、耐地雷がレベル4a/4bNBC防護装置やAPUをオプションで追加可能。最大戦闘重量28トン、ペイロード6-8トン。エンジンはターボチャージド・ディーゼル(520馬力)で、トランスミッションはオートマチック、最大速度110km、航続距離800km。乗員4名+乗車兵員8名。参考:月刊軍事研究12,16

<ムボンベ海外シリーズ>

 <ムボンベ6(カザフスタン軍)>:カザフスタン軍装甲車。ライセンス生産して配備した。参考:月刊軍事研究12,16

 <ムボンベ6(ヨルダン軍)>:ヨルダン軍装甲車。6×6輪バージョン50両を採用した。うち25両はパラマウント、25両はヨルダンのJMSSが生産する。兵装はヨルダンのJAMCO12.7mm機銃搭載1名用銃塔スネークヘッドMkVと、ピントルマウント2ヵ所の機銃。2016年に全て納入される予定。参考:月刊軍事研究9,16

ムラート>:ブレヌス・モデルF1に使用されている低感度装薬。参考:月刊軍事研究3,00

ムライ・ジブ級>:UAE海軍コルベットMuray Jib級。ドイツのラーセン62m級を導入したものである。全長63m、満載排水量630トン。兵装はエグゾセMM-40ブロックU艦対艦ミサイル4連装発射筒2基、クロタル艦対空ミサイル8連装発射機1基、76mmコンパクト砲1門、ゴールキーパー1基など。ダスなどが就役した。参考:THE MILITARY BALANCE 2016JShips Vol.44

ムラヴェイ級>:ウクライナ沿岸警備隊哨戒艇Muravey級。兵装は76mm砲1門、406mm魚雷単装発射管2門。参考:THE MILITARY BALANCE 2016

<むらくも>:DD-118(護衛艦)またはTV-3511(練習艦)を参照。

叢雲>:日本海軍東雲型駆逐艦2番艦。ソーニクロフト社で建造されて明治311229日にイギリスで竣工、水雷艇(駆逐艇)に類別された。明治32423日、横須賀に回航された。明治33622日、軍艦(駆逐艦)に類別変更された。明治381212日、駆逐艦に類別変更された。大正元年828日、三等駆逐艦に類別変更された。大正841日、雑役船に編入された。大正971日、特務艇となった。大正1141日、雑役船となった。大正1281日、廃船となった。大正14624日、標的船として海没した。参考:日本駆逐艦史、月刊世界の艦船5,119,13増刊

叢雲(2代目)>:日本海軍吹雪型駆逐艦5番艦Murakumo。昭和4510日竣工、一等駆逐艦に類別された。昭和691-5日、第12駆逐隊司令駆逐艦として横浜に寄港。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は建制も兵力部署も第12駆逐隊に所属していた。昭和1731日、バタビア沖海戦に参加。65日、ミッドウェイ海戦に参加。94日、ガダルカナル島揚陸作戦終了後にルンガ泊地に突入し、ガダルカナル島飛行場を砲撃した。95日、ガダルカナルからの帰路にアメリカ海軍APD-3グレゴリーとAPD-4リトルを発見し、夕立、初雪、叢雲と共に砲撃して撃沈した。915日、ガダルカナル島に青葉支隊主力の一部を揚陸。1012日、ニュージョージア沖で爆撃を受けて沈没し、1115日に除籍された。参考:日本駆逐艦史、第2次大戦日本海軍作戦年誌、歴史群像12,096,16、月刊世界の艦船9,1412,18、日本海軍艦隊総覧、帝国海軍太平洋作戦史T

<紫の手引書>:機械化及び装甲部隊のハンドブックを参照。

<むらさめ>:DD-101(2代目むらさめ型護衛艦)またはDD-107(初代むらさめ型護衛艦)を参照。

村雨(初代)>:日本海軍春雨型駆逐艦2番艦。明治3677日竣工、軍艦(駆逐艦)に類別された。明治381212日に駆逐艦に類別変更された。大正元年828日、三等駆逐艦に類別変更された。大正1141日、特務艇に転籍した。大正1241日、雑役船に編入された。大正14214日、廃船となった。参考:日本駆逐艦史

村雨(2代目)>:日本海軍白露型駆逐艦3番艦Murasame。昭和1217日竣工、一等駆逐艦に類別された。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は建制も兵力部署も第2駆逐隊に配備されていた。昭和17227日、スラバヤ沖海戦に参加。65日、ミッドウェイ海戦に参加。911日、國川丸の水上戦闘機が撃墜したPB2Y飛行艇の乗員8名を捕虜にし、内火艇で愛宕に引き渡した。105日、ガダルカナル島輸送の途中に爆撃を受けて損傷した。1113日、第3次ソロモン海戦で被弾損傷した。昭和1835日、ブラケット水道海戦において、ソロモン諸島のクラ湾で巡洋艦3隻・駆逐艦7隻と交戦して沈没し、41日に除籍された。参考:日本駆逐艦史、第2次大戦日本海軍作戦年誌、月刊世界の艦船9,14、海軍操舵員よもやま物語、帝国海軍太平洋作戦史T

むらさめ型護衛艦(初代)>:海上自衛隊対空護衛艦DDAあやなみ型の対空版である。船型はあやなみ型と同じ長船首楼型で、軽いタンブルホーム形状を取り、オランダ坂もある。最終艦DD-109はるさめは、戦時量産研究の一環として、主要船体構造をブロック27個に分けて組み立てるブロック建造方式とした。あやなみ型とほぼ同じ大きさの船体に倍の兵装を搭載(さすがに試製54式魚雷は諦めている)しており、兵装重量が5割ほど増え、排水量に対する兵装の割合が18%に達したため、あやなみ型より少し幅広の船型とし、艦橋前の上甲板に緩やかな逆シアを付けて重心を下げ、速力を30ノットに抑えて機関重量を減らした。また、重心を少しでも下げようと76mm連装砲の装備位置を低くしたため、前方の127mm砲が邪魔で近距離の前方目標を撃てなくなった。重装備すぎて艦内スペースが圧迫されており、更に127mm砲搭載で揚弾要員が30名ほど増えたため、倉庫スペースを床面積303平方メートルと2割近く減らして居住スペースを作ったが、それでも不十分だった。対空レーダーはOPS-1、対水上レーダーはOPS-3A、ソナーはAN/SQS-11捜索用ソナーとAQR-4/SQA-4攻撃用ソナー。FCSは5インチ砲用Mk57が1基(艦橋上)、3インチ砲用Mk63が2基(艦橋上、第2煙突後方)で、相変わらずのレーダー測距・機械計算・光学照準であり、元自衛艦隊司令官香田海将がDD-108ゆうだちの砲雷長時代に、速度150ノットで真横から直進近接するプロペラ推進標的機に対する対空射撃訓練(目標視認距離3000mだと射撃可能時間35秒)を行った結果は、訓練11回で5インチ砲総発射弾数180発に対し有効弾4発で命中率2.2%、3インチ砲で命中率5%程度だったらしい。ESM1-2番艦がNOLR-1(後日装備)、3番艦がAN/BLR-1(新造時から装備)。洋上給油装置を持つ。全長108m、幅11m、深さ8m、吃水3.7m、基準排水量1800トン、満載排水量2350トン。主機は自動嵌脱式巡航タービン付き高・低圧型蒸気タービン(DD-107は三菱エッシャーウイス衝動型3胴、DD-108/-109は石川島GE艦本改良衝動型3胴)2基、主缶は水管缶(蒸気圧1平方センチあたり30kg、温度400℃、蒸気発生量毎時62トン。DD-107は三菱長崎CE舶用2胴水管型、DD-108/-109は石川島ホスターウィーラーD型2胴水管型)2基、出力30000馬力、2軸推進、最大速力30ノット、燃料搭載量510トン、航続距離は18ノットで5500海里(6000海里?)。発電機は蒸気タービン(450kVA)2基とディーゼル(125kVA)2基で計1150kVA。兵装は127mm単装砲Mk39(ミッドウェイ級空母からの流用)が3基(前甲板、後部傾斜甲板、後甲板に1基ずつ)、5776mm連装速射砲2基(艦前後に1基ずつ。68式?)、Mk2短魚雷落射機2基(Mk32短魚雷。船首楼甲板後部両舷)、Mk15ヘッジホッグ1基、Y砲1基、爆雷投下軌条1条。乗員250名(256名?270名?)。昭和31-32年度計画で建造され、DD-107むらさめDD-108ゆうだち、DD-109はるさめの3隻が1959年に就役した。はるさめは、後に艦尾にスポンソンを装着し、Y砲と爆雷投下軌条を外し、OQA-1VDSを搭載した。1965年、はるさめがMk57GFCS68式射撃指揮装置に換装した。昭和50年代に1-2番艦はMk2短魚雷落射機を3連装短魚雷発射管に換装した。1987-89年に除籍された。参考:海上自衛隊全艦艇史、艦船メカニズム図鑑、月刊世界の艦船11,'17増刊、7,'235,131,79増刊、5,02増刊、1,173,106,1111,111,148,1610,1912,'21、自衛隊装備カタログ1981、丸スペシャルNo.78

むらさめ型護衛艦(2代目)>:海上自衛隊大型汎用護衛艦DD。はつゆき型の後継艦で、護衛艦の艦齢を25年とするとはつゆき型の後継は2002年頃から建造に入るが、その間に周辺国の海軍力が近代化を図るのは明らかで、早期に護衛隊群の護衛艦を新鋭化する必要があり、1986年から建造していた地域配備用あぶくま型護衛艦を6隻で打ち切って15年くらい前倒しで計画を進めている。シーレーン防衛を主任務とするが、従来の対潜戦重視から、対水上・対空戦も強化した装備内容となった。当初は主砲に127mm砲を据え、基準排水量4700トンで海幕が要求したが、内局から対潜護衛艦なら127mm砲は過剰で、基準排水量もはたかぜ型DDGより低くする(根拠は不明)よう言われて76mm砲・基準排水量4400トンに修正して概算要求案を通し予算の内示を受け、海幕の細部設計でやはり無理があったので内局と交渉して4550トンに増やしている。あさぎり型をベースに、艦対空ミサイルとアスロックを垂直発射式にしたもので、排水量が1000トン増えたが乗員は55名減り、科員居住区は小区分化して全て2段ベッドにするなど、居住性が向上して海外長期派遣向きになった。3段ベッドに交換すれば60名くらいの増員が可能で、有事の長期作戦行動や人手の要るダメコン作業にも耐えられる。船体は遮浪甲板型で、舷側外板は8.5度傾斜しており、上構側面は船体側面と面一ではないが逆傾斜(角度7度)とし、煙突を平面構成にするなどステルス性に配慮した。艦対空ミサイルとアスロックもVLS発射式としてステルス性や省力化に気を配っている。建造中にマストもタワー型とする意見が出されたが、大型レーダーアンテナを装着できる形状や強度にすると重くなり重心上昇の恐れがあるとのことで、巨大なラティス・マストが屹立することになった。代わりに部材などを工夫し、要所にRAMを適用しているらしい。主錨は艦首前端と艦首左舷に1基ずつで、錨がバウ・ソナーを傷つけないよう、艦首が大きく前方に突き出している。Mk41VLSは主砲後方の前甲板船体内に埋め込んであり、頂部が上甲板(第1甲板)レベルなので、VLSのカバーが開いた状態で波を被ると浸水してしまうため、十分なシアを付けて艦首部を高くし、大きなフレアも付けた。上甲板は前から錨甲板、主砲、Mk41VLS、前部上構(CIWS、艦橋、マスト)、前部煙突、後部上構(Mk48VLSと両舷のスライディング・パッドアイ、後部煙突、ヘリ格納庫)、ヘリ甲板という配置である。前部上構は4層構造。艦橋ウイング下にチャフ/フレア・ディスペンサー用スポンソン(チャフ甲板)があり、チャフ発射機を装備する。後部のヘリ甲板は第1甲板レベルで、艦尾繋留装置はヘリ関連作業を妨げないようヘリ甲板よりも少し低い位置にあり、両者を繋ぐヘリ甲板両脇のダウンシアはミニ・オランダ坂と呼ばれる。艦尾水線部にナックルは無い。艦尾はトランサム・スターンで、左舷側にTASS繰り出し用の四角いハッチがあり、3番艦からは曳航式対魚雷デコイを装備したので右舷側に繰り出し用のラッパ状金具2基が左右に並ぶ。第2甲板が応急甲板で、それより下が完全防水区画となっている。第2甲板レベルはMk41VLSの後ろに第1電信室、その後ろの艦橋直下あたりにCIC、その後ろの第1機械室上方に士官室、その後ろの補機室上方に機関操縦室兼応急指揮所、その後ろの第2機械室上方左舷側に科員食堂という配置である。CICは両側に広い通路を設置し、弾片防御力を強化した。運転時に機械室に配員する必要が無い完全無人化運転(Mゼロ化)を図った最初の護衛艦で、第1・第2機械室の間に補機室を挟んだシフト配置を採用し、防御力を高めた。第1機械室は左舷軸、第2機械室は右舷軸を駆動するので、1番煙突が左、2番煙突が右に寄っている。第1機械室右舷に1号ガスタービン(1号主機。LM2500)、左舷に2号ガスタービン(2号主機。SM1C)、1号ガスタービン後方に左舷軸用減速装置、第2機械室右舷に3号ガスタービン(3号主機。SM1C)、左舷に4号ガスタービン(4号主機。LM2500)、3号ガスタービン前方に右舷軸用減速装置が配置されていて、排気は赤外線低減装置を通って煙突から排出される。主機は計画時に同一機種4基で60000馬力を発揮するのに適するガスタービンを探したが、全部SM1Cだと出力不足、LM2500だと過大ということで(あきづき型ではSM1C4基で64000馬力にしてあり、減速歯車など他の要因かもしれない)、異メーカー異機種として最適な出力の組み合わせを検討し、LM250016500馬力、SM1C13500馬力に抑えて計60000馬力を発揮させることにした。出力曲線も違うので、コンピュータ制御により最適の回転数を選択する仕組みを導入している。ただしSM1Cはメートル法、LM2500はヤードポンド法で設計されているので、整備器材が別個の規格となっていて、保守整備が面倒。舵は垂直に取り付けられている。赤外線低減装置は国産のエダクター付き多段円筒型で、排気筒周囲に外気を通して排気筒と排気の温度を下げる。また、煙突自体もIR対策管が周囲を取り巻いており、消火用海水を流して排気を冷却する仕組みになっている。発電機は同一機種ガスタービン3基(第1機械室、第2機械室、その後ろの発電機室に1基ずつ)とし、2基を常用して1基は予備とすることにより、非常用発電機を廃止した。停泊時には補機室の停泊発電機(ディーゼル、600kW)を使って節約に努める。従来のオールガスタービン艦は生活用水や雑用蒸気の産生量が不十分だったため、補助ボイラーを強化し、日量40トンの造水能力を確保、十分な量を供給できるようにした。マストは前部上構の艦橋後方に大型の四脚ラティスマストが1本立っており、マストトップにTACAN、マスト頂部とマスト下段両舷にNOLQ-3電子戦装置アンテナ、マスト頂部のNOLQ-3アンテナの1段下にOPS-28D対水上レーダー、その下にORQ-1ヘリコプターデータリンクアンテナ(を収容した白ドーム)、その下にOPS-20航海レーダー、その下にOPS-24B三次元対空捜索レーダーが搭載されている。OQS-5低周波ハルソナー(艦首底部)とOQR-2C TACTASSを装備する。射撃指揮装置は1-7番艦がFCS-2-31、8・9番艦がFCS-2-31Aで、艦橋頂部とヘリ格納庫前方上部に搭載されている。第2煙突左舷側フラットにOE-82C衛星通信システム用アンテナを装備する。データリンクはリンク11とリンク14。ウェポンシステムはOYQ-9戦術情報処理装置、UYK-43コンピュータ、UYQ-21情報表示コンソールを中枢とするもので、各種レーダー、味方識別装置、電波探知妨害装置、ソナー、航法装置、データリンク、対潜ヘリから入力を得て各種FCSCIWSOYQ-103対潜戦術情報処理装置ASWCS、データリンク、電子戦機材、対潜ヘリに出力する。OQR-2TACTASSOQS-5ハルソナーのデータは対潜戦術情報処理装置に直接入力される経路もある。艦尾にAN/SLQ-25ニキシーを装備する。雑音対策としてマスカーとプレーリーを持つ。幹部居住区を集中配置して勤務効率を上げたが、動線上に科員居住区が無いので監視が行き届かず、2003年のDD-102はるさめ艦内飲酒による86名懲戒処分の遠因になったとされる。艦載艇は前部煙突両脇のボート・ダビットに積んだ内火艇1隻ずつで、右舷側ボート・ダビット後方には小型RHIBも積める。就役後、海賊対処などの際の臨検に便利な大型複合艇をボート・ダビットに積めるようにした。艦載艇付近の両舷に折り畳み式デッキクレーンがあり、物資の積み降ろしが容易。舷梯は機力式である。NBC対策として船体全般に甲板洗浄管が仕込まれている。全長151m、全幅17.4m、水線幅15.7m、深さ10.9m、吃水5.2m、基準排水量4550トン、満載排水量6200トン。主機はCOGAG方式、ガスタービン4基、巡航用ロールス・ロイス社製スペイSM1C(最大20500馬力だが13500馬力に減格)2基+ブースト用GELM2500(最大25000馬力だが16500馬力に減格)2基、出力60000馬力、5翅可変ピッチ式スキュード・プロペラ2軸推進、最大速力30ノット。兵装はRIM-7M(PIP)/-7Pシースパロー16セル垂直発射機Mk48Mod0(第2煙突前方)が1基、62口径76mmコンパクト砲1基(前甲板)、20mmCIWS2基(上部構造物前端とヘリ格納庫上)、3連装短魚雷発射管2基(第1煙突直後両舷。Mk46短魚雷)、垂直発射式アスロック16セル垂直発射機Mk41(砲の後方)が1基、SSM-1B90式対艦誘導弾)4連装発射筒2基(第1煙突後方タンデム。前方が右舷向き、後方が左舷向き。ミサイル不足でハープーンを積んでいることもある)。SH-60J(後にSH-60K)1機を搭載・運用するが、ヘリ格納庫は2機分の広さがあり、ソマリア海賊対処で2機積んでいったこともある。着艦拘束装置はRASTで、着艦拘束装置とレールは1条ずつのため、ヘリを2機積む際には1機を手動で移動させる必要があり、海が荒れると大変。ヘリ格納庫開口部右舷寄りにシャッターのガイドレールがあるが、邪魔なら跳ね上げることが可能。乗員165名。03-09DDとして計画され、DD-101むらさめDD-102はるさめ、DD-103ゆうだち、DD-104きりさめ、DD-105いなづま、DD-106さみだれ、DD-107いかづち、DD-108あけぼの、DD-109ありあけの9隻が1996-2002年に就役した。ソマリア沖海賊対処で、航海艦橋周辺に装甲板を装着したり、チャフ甲板に12.7mm機銃M2用銃座を両舷2基ずつ設置したりしている。2004-10年、全艦Mk48Mod0VLSMk48Mod4に改修してESSMを運用可能とした。ただレーダーとFCSはそのままなので、射程を持て余しているらしい。2017年度からCIWSをファランクス・ブロックTBに近代化する予定。参考:月刊世界の艦船7,'231,'241,045,1910,061,1711,'17増刊、1,161,191,144,986,015,02増刊、1,021,1110,114,1212,131,152,153,15、月刊軍事研究2,024,0811,106,151,17JShips Vol.48、月刊JWings1,99、自衛隊装備年鑑1996、海上自衛隊全艦艇史、月刊コンバットマガジン11,03、月刊丸1,10別冊

<ムラトゥール>:20(練習艦)を参照。

<ムラド・レイス級>:コニ級フリゲート(アルジェリア海軍)を参照。

村中一夫>:日本海軍エース。大正8年、福岡県生まれ。昭和106月、海軍乙種飛行予科練習生となり、昭和138月に飛行練習生課程を卒業、佐伯航空隊に配属された。大分航空隊、大村航空隊に転属し、昭和148月に第14航空隊配属となり、中国に向かった。1227日、南寧上空で2機(不確実1機含む)を共同撃墜。昭和15110日、桂林攻撃に参加。8月、鈴鹿航空隊に転属し、本土に帰った。昭和1611月、飛龍戦闘機隊に転属した。128日、真珠湾攻撃でバーバース飛行場を銃撃した。ダーウィン攻撃、インド洋作戦に参加した後、昭和1765日にミッドウェイ海戦に参加。3機を撃墜した後、被弾して不時着水した。その後翔鶴・隼鷹戦闘機隊に転属し、8月に第2次ソロモン海戦、10月に南太平洋海戦に参加。11月、ラバウル基地に進出。昭和184月、徳島航空隊教員となり、本土に帰還した。昭和195月、第11航空隊に転属となった。昭和205月、少尉に昇進、第343航空隊戦闘701飛行隊に転属となった。724日、豊後水道上空で1機を撃墜した。総撃墜数は確実6機、不確実3機。最終階級は少尉。戦後は航空自衛隊に入隊し、三等空佐で退職した。参考:日本海軍戦闘機隊

村山飛行場>:日本陸軍の飛行場。昭和13年、東京府北多摩郡村山村に開設された。参考:首都防空網と空都多摩

<ムリア>:An-225(輸送艦)を参照。

ムルガエ級>:韓国海軍汎用揚陸艇Mulgae級。LCU-1610級がベースである。艦首に下開きのランプを持ち、バウ・ドアは無い。艦橋は左舷に寄せられていて、頂部にマストが1本立っている。全長41.4m、満載排水量425トン。主機はディーゼルで、速力13ノット。艇番号83などが就役した。2017年現在、9隻が配備されている。参考:月刊世界の艦船9,17

<ムルタチュリ>:561(潜水艦母艦)を参照。

<ムルナヤ級>:タランタルU型ミサイル艇(ブルガリア海軍)を参照。

<ムルマンスキー・コムソモレーツ>:K-358(潜水艦)を参照。

ムルマンスク>:ソ連海軍スヴェルドルフ級巡洋艦Murmansk1953128日起工、1955424日進水、922日竣工。106日、北洋艦隊に配属された。19622月、北洋艦隊第6ミサイル戦闘艦師団に配属された。196410月、ノルウェーを訪問。19704-5月、オケアン大演習に参加。11月から19717月、エジプト軍援護作戦に参加。19721月から197311月、大改装を受けた。19785月、フランスを訪問。1988-89年、68U型への改造工事を開始したが、予算不足で中止され、1989121日に予備役に入り、コラ湾で保存された。199273日に除籍され、1994年にスクラップとしてインドに売却されたが、曳航中にノルウェー北岬付近で曳航索が切れて漂流、ノルウェー北部の海岸に座礁し、放棄された。参考:ソ連/ロシア巡洋艦建造史、近代巡洋艦史

ムルマンスクBN>:ロシア海軍の長距離電子妨害装置。アメリカ軍やNATO軍などが使用する艦隊・航空部隊指揮通信用短波無線機やHFGCS(高周波汎地球通信システム)を妨害するのが主任務らしい。トラックの後部荷台や牽引トレーラーに長さ32mの長大な伸縮式ポールアンテナを搭載しており、1個システムで7本のアンテナを展開、最大で5000km先の指揮通信を妨害する。北洋艦隊、黒海艦隊、太平洋艦隊、バルチック艦隊などが装備していて、2015年には極東カムチャツカ半島に配備された。2017年にはクリミアに配備して地中海全域をカバーしているという。参考:月刊軍事研究2,179,16、月刊PANZER45,17

ムレナ>:イタリア海軍フルット級潜水艦Murena1943825日就役。194399日に自沈した後ドイツ軍に接収され、UIT16となった。参考:ナチスUボート

ムレナ型>:ソ連海軍エアクッション揚陸艇、プロジェクト12061Murena級。全長31.3m、幅12.9m、満載排水量150トン。最大速力55ノット、航続距離200海里。ペイロード24トンで、戦車1両または装甲車2両または軽装甲車3両または兵員130名を搭載できる。1980年代後半に10隻前後が建造され、イワン・ロゴフ級に搭載されたが、1990年代半ば頃に全て退役した。参考:月刊軍事研究10,'153,1110,11、月刊世界の艦船12,12

ムレナE型>:ロシアの輸出用エアクッション揚陸艇、プロジェクト12061E Murena E型。アルマズ中央海事設計局製で、車両格納スペースは密閉式であり、艦首にゲートを持つ。全長31.3m、全幅14.6m、吃水1m、満載排水量150トン、ペイロード24トン。主機はMT-70Mガスタービン2基で、リフトファン2基と推進用4翅可変ピッチプロペラ2基を駆動し、最大速力55ノット、航続距離は50ノットで200海里。兵装は30mm自動砲AK306が2基、9K38イグラ対空ミサイル8基。50トン級(?)戦車1両または歩兵戦闘車2両または軽装甲戦闘車3両または兵員140名を積載でき、機雷敷設も可能。乗員12名。参考:月刊軍事研究10,113,1111,04、月刊世界の艦船4,09

<ムレナE型・海外シリーズ>

 <ムレナE型(韓国海軍)>:韓国海軍エアクッション揚陸艇、別名Tsaplya級。全長31.6m、幅14.5m、吃水1.6m、満載排水量149-152トン。主機はガスタービン2基8000馬力、推進はダクテッド・ファン2基で、速力50ノット。兵装は30mmガトリング砲2基。乗員11名。中型戦車1両、揚陸部隊130名を搭載可能。2005年に1隻、2006年に2隻が引き渡され、LSF-621LSF-622LSF-623として就役した。参考:月刊世界の艦船4,0912,159,17THE MILITARY BALANCE 2016

 <ムレナE型(クウェート海軍)>:クウェート海軍エアクッション揚陸艇。2010年に2隻を導入した。参考:月刊軍事研究10,'15

<ムレナM型>:667BD型(潜水艦)を参照。

<ムレナ型>:667B型(潜水艦)を参照。

<むろつ>:MSC-637(掃海艇)を参照。

<むろと>:ARC-482(初代むろと型敷設艦)またはARC-483(2代目むろと型敷設艦)を参照。

室戸>:日本海軍室戸型石炭運送艦Muroto。大正7127日竣工、運送船に類別された。昭和73月、上海事変での負傷者収容のため、船橋楼甲板を延長するなど病院船設備を追加し、2週間ほど病院船兼輸送船としての役割を果たした。昭和16128日、太平洋戦争開戦時は連合艦隊付属だった。昭和1835日、柏原湾で埼戸丸と接触する事故を起こした。昭和191022日、奄美大島北方でアメリカ潜水艦の雷撃を受けて沈没した。昭和201210日に除籍された。参考:日本海軍特務艦艇史、第2次大戦日本海軍作戦年誌、小艦艇入門、写真で見る海軍糧食史、日本海軍艦隊総覧

室戸型>:日本海軍石炭運送艦Muroto型。第1次大戦により船舶不足と運賃高騰に悩まされた日本海軍が、自前の石炭輸入艦として建造したものである。船型は三島型で、船尾はカウンター・スターン。垂線間長105.16m、最大幅15.24m、吃水7.06m、基準排水量8750トン(8215トン?)、石炭/貨物搭載量6000トン。主機は直立式3気筒3段膨張レシプロ蒸気機械1基、主缶は石炭専焼円缶2基、出力2500馬力、1軸推進、速力12.5ノット、燃料搭載量838トン。兵装は三年式45口径12サンチ単装砲2門。乗員124名。室戸、野島が大正7-8年に竣工した。野島は昭和5年に主缶を宮原式水管缶3基に換装した。昭和10年、兵装を三年式40口径8サンチ単装高角砲2門に換装した。参考:日本海軍特務艦艇史、小艦艇入門

むろと型(初代)>:海上自衛隊敷設艦で、電電公社ケーブル敷設船黒潮丸を参考に建造したとされる。船型は長船首楼型で、艦首と艦尾にケーブル取り扱い用のシーブを持ち、艦内にケーブル・タンクがあり、ケーブル・エンジンにより潜水艦探知用固定式水中聴音機や沿岸防備用管制機雷と発火ケーブルなどの敷設を行う。ケーブルは海底の砂の中に埋めて秘匿性を高めることができる。艦首シーブ上にはガントリー・クレーンを装備する。サイドスラスター(艦首・艦尾)と可変ピッチプロペラを備えており、艦位調整能力が高い。敷設作業時に海底地形の観測などが行えるよう、限定的な海洋観測能力も持っている。艦内中央にケーブル作業スペースがあり、煙路をずらした関係で煙突は左舷側に寄せた。全長133m、全幅17.4m、深さ8.6m、吃水5.7m、基準排水量4500トン、満載排水量6000トン。主機は川崎MAN社製V8V22/30ATLディーゼル4基2軸8800馬力、速力18ノット。乗員135名。三菱重工下関造船所が建造してARC-482むろとが1980年に竣工し、2012年に除籍された。参考:海上自衛隊全艦艇史、月刊世界の艦船11,'17増刊、1,041,955,02増刊、6,14、月刊JWings1,99、自衛隊装備年鑑1996

むろと型(2代目)>:海上自衛隊敷設艦。むろと型(初代)の後継で、海洋観測や水中固定ソナー/ケーブル敷設・保守などが主任務であり、行動は秘匿されている。コスト低減のため商船構造を採用し、ガントリー・クレーンを廃止、凌波性向上のためバウ・シーブは無く、艦尾にのみ敷設装置(スターン・シーブ)を持つ。艦首底部はバルバス・バウで、艦首部分にナックルラインがある。船体と上構・煙突側面を面一にしてあるが、上構側面は垂直で、前後面は段差が多く、上構上面のポールマストも円形断面で、ステルス性に配慮した訳では無さそう。精密操艦のため、バウスラスターとアジマススラスターを装備しており、舵は無い。艦橋構造物は大型直方体で、4層目前部に航海艦橋、後部に敷設作業指揮所がある。煙突はケーブル取り扱いスペースの関係で左舷に寄せられた。艦橋構造物と煙突の間にはAフレーム・クレーンがあり、無人潜水装置(ROV)揚降に使用する。後甲板前部には左舷に2基、右舷に1基の敷設作業用ブイを搭載しており、フレーム方式で揚降する。後甲板右舷に吊り上げ能力6トンの中折れ式20mクレーンを持つ。全長131m、幅19m、深さ11m、吃水5.7m、基準排水量4950トン、満載排水量6400トン。主機はディーゼル・エレクトリック方式(統合電気推進)、ダイハツ製8DK-28eディーゼル(2635kW)3基・主発電機3基(4基?)・推進電動機2基、出力7500馬力、推進はアジマス・プロペラ2軸、速力16ノット。海洋観測装置一式、ケーブル敷設ルート調査用マルチビーム音響測深儀を装備する。乗員110名。三菱重工下関造船所で建造され、ARC-483むろとが2013315日に就役した。参考:朝雲、月刊世界の艦船11,'17増刊、5,131,161,'221,142,139,128,121,'24JShips VOL.70

牟婁丸>:日本海軍特設病院船Muro maru。元は昭和2年に竣工した大阪商船四国航路客船である。総トン数1601トン。昭和13年に日本海軍に徴用されて特設運送船となった。昭和17年末に特設病院船となり、特設監視艇乗員の巡回診察や傷病者治療後送任務に就いた。昭和18710903、北緯7度30分・東経13426分の洋上で潜水艦の雷撃を受けた。日本赤十字社が赤十字国際委員会に抗議文書を送付している。昭和19年半ば、フィリピンで病院船任務に就いた。11月、マニラ湾で爆撃を受け、至近弾4発により損傷、浸水して沈没した。40名以上が戦死している。参考:敷設艦 工作艦 給油艦 病院船、月刊モデルアート9,15増刊、日本赤十字社社史稿第5巻

室蘭飛行場>:日本陸軍の飛行場。参考:月刊JWings11,18

ムワリ>:南アフリカのパラマウント・グループが開発した複座偵察・軽攻撃機Mwari。ツイン・テールブーム機で、OV-10を単発プッシャー・プロペラ推進にしたような外見である。コクピットはタンデム複座。主翼は直線翼で、内寄り後部にテイルブームが付く。テイルブーム後端上面に垂直尾翼、左右テイルブームを繋ぐ形で水平尾翼がある。マルチスペクトラム捜索追尾センサー、長距離光学センサー、レーダー監視システムを搭載可能。センサー用ソフトウェアを改良し、空対空ミサイルと主翼下ガンポッドによる中高度長時間滞空型無人機MALE-UAV(高度20000-30000フィート)の迎撃能力を持たせる予定。最大巡航速度230ノット・425km、最大航続距離1150海里・2130km、航続時間7時間以上。乗員2名。20229月、アフリカ諸国に9機を売却した。2023913日、コンゴ共和国が発注した。参考:月刊JWings12,'236,22

ムンガ>:西ドイツ陸軍F-91汎用4輪軽車両の通称。1950-60年代に量産された。参考:月刊PANZER3,12

ムンゴ>:ドイツ陸軍4×4輪装甲車。元々東ドイツ用に300両が生産されたが、再設計して2003年にドイツ陸軍で採用された。NATO7.62mm弾や手榴弾弾片に抗堪できる全周装甲(上面はオープントップ)を持ち、後部モジュラーキャビンを換装することで兵員輸送(完全武装兵8名)や貨物輸送(ペイロード2トン)など多目的に使える。オプションとして対人地雷に対する防御キットを装備できる。上部構造を折り畳めばCH-53Gに5分で搭載できるが、車高を低くすべくタイヤを小さくしたため、不整地踏破力が低くパンクしやすいのが欠点。重量5.3トン。乗員2名。緊急展開部隊に配備されて各地に投入されたが、さすがにアフガニスタンの地形と悪路には対応できず、2008年に撤収を余儀無くされた。参考:月刊軍事研究8,037,16、月刊PANZER8,13

ムンシフ>:パキスタン海軍ムンシフ級掃海艇1番艇。元は1989年にフランス海軍に就役した艇で、199211月にパキスタンに引き渡された。参考:月刊軍事研究11,98

ムンシフ級掃海艇>:パキスタン海軍掃海艇。磁気・水圧・音響など全ての型の機雷を感知し破壊できるとしている。1番艦ムンシフ、2番艦ムハフィズ、3番艦ムジャヒドが1992-98年に就役した。コストは3番艦で3億8900万ルピー(6400万ドル)。参考:月刊軍事研究11,98

ムンスター機甲学校>:ドイツ陸軍の教導機関。ドイツ陸軍機甲教導旅団が在籍しており、機甲科、機械化歩兵科、機甲偵察科の幹部を養成している。隣には大隊レベルの展開訓練が可能な広い演習場を持つ。レオパルト1戦車レオパルト2戦車の試作車両が展示されており、裏手にはムンスター戦車博物館がある。1956年に設立された。参考:月刊軍事研究8,07、月刊丸7,09別冊

<ムンダ>:CVE-104(護衛空母)を参照。

ムンテニア級>:ルーマニア海軍ミサイル駆逐艦。兵装は3K90艦対空ミサイルP15M艦対艦ミサイル連装発射機4基、533mm魚雷3連装発射管2基。アルエートVヘリ2機を搭載できる。参考:ミリタリー・バランス1989-1990

<ムンバイ>:D62(駆逐艦)を参照。

ムンバイ同時多発テロ事件>:20081126-27日、インドのムンバイをイスラム過激派が襲撃し、日本人1人を含む100人以上の犠牲者が出た。パキスタンのイスラム過激派ラシュカレ・トイバの関与が疑われ、容疑者がパキスタン当局に逮捕されたが、インドへの引き渡しを巡って両国の対立が続いている。参考:月刊軍事研究2,09

<ムンヤ>:T-55戦車・海外ファミリーを参照。

 

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